ジョロウグモの巣のゴミについて


雨のジョロウグモ

写真は10月の雨の日のジョロウグモだ。氷雨の降る中でもふだんと変わりがないようである。ほぼ定位置に止まって動かない。雨脚は写真に写るほどではないにしても、巣や巣にかかっている枯葉の水滴は写っている。ちょっと変わったところがあるとすれば、それは彼らの姿勢だろうか。前足をいくぶん下に垂らすように伸ばしているように思う。こうすれば雨滴を速やかに落とすことができそうだ。たしか、ジョロウグモの体は防水機能完備で水ははじくはずだ。

風雨の翌日はジョロウグモが網の修繕をする様子を観察するチャンスである。ジョロウグモは一度張った巣はたたまない。修繕と増改築をしながら使い続ける。巣から離れるのはよっぽどのことが起きた場合だ。網を張る作業はいつ見ても見事だ。けっこうぼろぼろになった巣を修繕するのにも迷いがない。人間的な発想では、あの複雑な網を張ったり修繕したりすることは相当の論理的な思考が要求されると思う。それなのに、クモは一連の動作で迷いをみせない。それぞれの局面では観察していても何を行っているのかが読めない。巣の修繕だというのも、その結果をみて、ああそうだったのかと考えを追いつかせるといったぐあいである。動物の行動は、滞りがあり試行錯誤があればかえってその意味を理解しやすい。人間の理解力の可能性と限界を示すものだろう。

ジョロウグモ♀は稼ぎが少ないからといって焦って場所を変えることはしないようだ。それは、体が小さいままのやつが同じ場所に居座っていることから推理した。一度張った巣を使い続けるというジョロウグモ♀の方法は理にかなっている。もっとも、現在の虫で理にかなっていない行動をとるものは一種類もいない。虫の心理を考える上では、どれほどばかばかしく見えようとも、それこそが合理的なのだと受け入れるところから始めなければならない。ジョロウグモ♀の場合、虫が行き交う空中に罠を張っているのだから、獲物がかかるかからないは運が大きく左右するだろう。うまく虫の通り道に当たっているかもしれないし、当たっていないかもしれない。また、巣に近づく虫の動きを見ていると、ホウジャクなんかは完全にジョロウグモ♀の張った糸を認識して避けているから、虫だって簡単にひっかかるわけではないだろう。私が近づくのに驚いてツマグロオオヨコバイが飛び上がって巣にかかることはよくある。そういうハプニングが必要なのかもしれない。

ジョロウグモ 雨のジョロウグモ

上の写真は同じ日に私の庭で撮った2匹のジョロウグモ♀である。偶然ではあるがとてもよい比較写真になった。見所はクモでも糸でもなく、巣にひっかかっているゴミだ。

庭は11月の声をきいてますます寂しく、毎朝の観察でも動くものが見あたらなくなる。対象になるのはジョロウグモばかりだが、成長のよいものは産卵を終えたのか早々と姿を消し、成長の劣悪なものはひとつまたひとつと脱落していく。この2匹は稼ぎが良くも悪くもなくほどほどのサイズのものたちである。じっさい彼女らは獲物に困窮しており、希望ある明日を迎えられそうにない。チョウもバッタもとうの昔に姿を消して、ツマグロオオヨコバイやカメムシすらいなくなる晩秋だ。

さて、左側の写真でまず気づくのは、星はすばるのようなゴミくずである。これらはジョロウグモ♀がゲットした虫の亡骸だ。しかも、クモが主体的に配して残しているものである。ということを引っかかっている場所がいわゆる垂直円網の部分ではないことから推理した。ジョロウグモの巣は単純な円網の平面ではなく、複雑な三次元構造をしている。補強のためかなんなのか、円網からつなぎの糸を伸ばして、少なくとも私の目には、ただランダムに糸を張っているとしか見えない部分がある。ゴミがかけられているのは、そのランダムな場所だ。獲物がかかるのは垂直円網であり、クモはかかった獲物をかかった場所か待機の定位置である円網の中心部で食べるから、ランダム部分にゴミがかかっているからには、あえてそちら側に運んだと考えなければならない。

このゴミのことはよく知られており、いくつか学術的な解釈も書物等で見ている。定説はカモフラージュというものだ。捕食者に対する目くらましという意見が大半である。しかし、私はその見解を採用しない。これらのゴミの用途は、どちらかというと獲物を導くことにあると考えられるからだ。ジョロウグモ♀が巣にひっかけているゴミには食うとか繁殖するというような生きることに直結する意味はない。捕食者から身を隠すのでなくとも、なんらかのカモフラージュに役立っていると考えるべきだろう。そして、彼女はあえてそうしているのなら、何か考えがあってのことだ。さて、どういう気持ちなのだろう。そこんとこがわからないとジョロウグモのゴミの意味は理解できない。単純に以下3つの仮説をあげてみる。

1)カモフラージュのためにゴミをひっつけておこう
2)何かが回りにあると気持ちがよいからゴミをひっつけておこう
3)何かが回りにないと落ち着かないからゴミをひっつけておこう

1)だとは思わないことが大切だ。1)はあくまで人間がジョロウグモを研究して到達する境地だ。クモご本人はゴミの効果を絶対に知らない。意味など知らなくても、2)3)のような理由から同様の行為をし、生存価を高めることができる。ゴミを巣に架けておくことが無意識の行為であっても、それが有利に働くのであればやる値打ちがあり、子孫に代々ひきつがれる。

クモとはいえ、何かめぼしいことをやる以上は動機があるだろう。2)と3)はその動機が消極的か積極的かのちがいだ。その違いをあのクモの無表情から見分けることは難しい。そこで、右側の写真の出番だ。左右両者を比較することでジョロウグモの秘められた気分が読み取れる。ちなみに両者はおそらく同じ卵嚢から生まれた姉妹であるが、右側のクモは左側のものよりも若干大きい。

左側のクモは円網の中心に待機してゴミのすばるを背負うかっこうになっている。多数のジョロウグモ♀を見てきた印象から、このスタイルはもっとも一般的なものだといえる。ゴミがない巣は新居の場合が多い。巣の新しい古いは構造でわかる。ジョロウグモの巣はシンプルなほうが新しいからだ。複雑に増改築されているものは左側の形でゴミがひっかかっている。右のクモの巣にもゴミがたくさんひっかかっている。その大半は枯葉だ。ゴミはしとめた獲物の亡骸である場合が多いが、枯葉などが飛んできてひっかかっていることもある。

右側の巣はけっして新しいものではない。左右の巣は同程度の期間利用されているものだ。右側の巣をさらによく見ると、遺骸がかかっていないことがわかる。どうやら右側のジョロウグモ♀は、ゲットした虫の遺骸を次々に廃棄しているらしい。あえて巣には残さないようにしているのだ。となれば、もっとも単純な解答は、右側のジョロウグモ♀は巣に枯葉がかかっていることで満足し、あえて遺骸を並べておく必要を感じていないということになる。

つまり、左側のクモが星はすばるのように亡骸を配置するその動機は消極的と思われるのだ。左のクモの巣は常緑樹であるオリーブの下にあり、あまり葉が落ちてこない。右側の巣に枯葉が多いのはムクゲの木の下にあるからだ。秋も深まり、ムクゲは小型の葉をぱらぱらと落とし、その葉がクモの巣にひっかかっているのだ。彼女の力量をもってすれば、枯葉ゴミを片付けることは造作もないことだと思う。それでもついているということは、クモがあえて枯葉を残しているのだと考えるべきである。

私はジョロウグモ♀が自分の気に入る場所に枯葉をもっていって貼り付けるという行動はまだ目撃していない。つまり、遺骸は積極的に利用するけれども枯葉を積極的に利用している例を知らない。遺骸であれ枯葉であれゴミがなければ落ち着かず不安になるというほどのものではないようだ。

さて、そうしたゴミの機能であるけれども、私は隠れ帯に相当するものだと考えている。隠れ帯の用途には諸説あるようだが、私は獲物である昆虫類を誘導するものだと思う。鳥の衝突を避ける機能も無視はできない。つまり巣があることを誇示することに意味があるのだ。

ジョロウグモが鳥の目くらましをして空中に姿を隠すことは意味がないと思う。鳥が積極的にジョロウグモを捕食している様子がないからそう結論した。かえって梢の間の空間に身を隠したりすると鳥がクモに気づかず体当たりしてくる恐れがある。鳥がゴミに気づいて本体も避けてくれればラッキーだと思う。明るい日の下で獲物を待っているコガネグモ類の体色が鮮やかなのも鳥よけかもしれない。

鳥とおなじく飛行する昆虫も目がいい。私は庭でジョロウグモの巣の前でガガンボやアブが止まったり引き返したり避けたりする様子をよく見ている。虫は簡単には巣にかからない。その虫の目の良さと飛翔力を逆手に取るのが問題のゴミではないかと思う。空中に障害物があれば虫は避ける。冷静であれば巣自体に気づくが、慌てているときはどうだろう。よく目立つゴミには気づくかもしれない。虫がゴミに気づくとゴミを避けて先を急ぐだろう。避けたところにはクモの巣がちゃんと張られていて一巻の終わりというわけだ。

ジョロウグモ♂残る

そうして初冬、巣にひっかかる枯葉の数は日を追って増えていく。その葉を片付ける住人はすでにいない。姿を消す前、数週間にわたって、彼女は枯葉を架かるにまかせていた。葉を落とすだけの気力がなかったのかもしれない。

古くなった糸は葉の重みで伸び、巣は力なく垂れ下がっていく。人間では主が死んでしまうと彼の部屋はとたんにもの悲しく感じられるものだ。主が去ったジョロウグモの巣も寂寥感というか喪失感というかそういうにおいがある。この巣にはいまもオスが残っている。主であるメスが巣を構えるのとほとんど同時にこの巣に居座っていた。いつもメスの少し上の方に陣取って、その時をまっていた。彼が巣に残っているところをみると交尾はうまくいかなかったのだろうか。このままでは彼も自分の存在意味を知ることはない。


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