セミはなぜ鳴く


アブラゼミ

写真は今朝(2015年8月17日8時35分)撮った羽化後のアブラゼミ。家の壁に張り付いていた。通常アブラゼミは庭の草木で羽化している。早朝には局地的な強い降雨があった。軒があって雨のかからない外壁は羽化に適した場所であったろう。アブラゼミにとっても雨の朝は羽化には不適で、そういう日は土中で待機すると思われる。この個体はもしかしたら天気の急変を予想できず、突然の降雨を回避するために10mばかり歩いてこの場所を選んだのかもしれない。

わが家はアブラゼミの生息地である。毎年、10頭ほどの空蝉が見つかる。ただし、わが家のムクゲやナツツバキで鳴くアブラゼミはいない。これが何を意味するのか、数年来のちょいとした疑問である。

セミが羽化するからには、わが家のムクゲは幼虫の養育木であったはずだ。養育木であれば、そこで産卵が行われたのだろう。しかしムクゲでアブラゼミの声を聴くことは皆無だ。15年ほどムクゲを見ているけど、庭でアブラゼミが鳴いたことは一度しかない。そのときセミが止まっていたのは家の外壁だった。落ち着いて本気で鳴く状況ではなかったのだ。しかるに毎年ムクゲは養育木となりアブラゼミが巣立っている。幼虫期間の長さを考慮しても私がムクゲと付き合い始めた後に産卵が行われたのは確実だ。

最も近くでアブラゼミの声がするのは、100mほど離れた林である。かつての雑木林がそのまま住宅の庭になり、現状では市の公園として保全されている。晩夏のいまでは夜でもアブラゼミの合唱がある。当然のことながら、その林ではおびただしい数の空蝉が確認できる。セミの鳴き場所でもあり産卵場所でもあるのだ。

私はセミが鳴く理由を集合のためと解釈している。数年を土中で孤独に過ごし、短期決戦の繁殖に臨むにあたり密集度を高めることにあのやかましい声が役だっているのだと思っている。

一般には、アブラゼミのオスがメスを呼ぶ求愛の歌といわれることもあるけれど、それは若干の誤解をはらむ解釈である。エンマコオロギならオスがメスに語りかけ、メスはその声に惹かれるような動きを見せる。アブラゼミはメスへの語りかけではなく、種全般に響く集合の合図と解釈するほうが実情に合っている。

もしアブラゼミの声が求愛であれば、メスが羽化してくる私の庭で鳴くオスがいてもよいはずだ。他のオスに邪魔されないように単独行動の囁き声でもってメスを惹きつける戦術があるはずだ。もしその戦術がとられているのであればアブラゼミの生息数がいまとは違っているだろう。

現在の都市住宅環境はアブラゼミの生息に適していると思う。基礎生息条件はたった1本の樹木だ。地面の硬さとかいろいろ注文はあるかもしれないけれど、木がすくすく育つようであれば幼虫も育つだろう。都市ではアブラゼミの捕食者は少ない。半原越など自然豊かな山林ではアブラゼミは意外に疎である。山林ではアブラゼミの天敵が多く個体数に制限がかかるのだろうか。

わが家の貧相なムクゲは年々10頭のアブラゼミを養育する。同様の庭木、街路樹は広大な範囲に無数にあることからすれば、都市におけるアブラゼミの個体数はもっと高くなってもよさそうだ。鳴き声の意味を密集するためと解釈すれば、そうなる原因の一つが理解できる。

都市住宅地のアブラゼミは環境の良い林に集中する。オスにはお互いの声がよく聞こえるところで鳴くという習性があるからだ。合唱のためには約100本の樹木が密集する必要があろう。そうした林で成虫が集合し出会いと交尾が行われる。受精したメスはその集合林から一定の範囲内で産卵を行う。都市住宅地では樹木100本が密生する林は少ない。産卵に適した樹木は無数にあっても林から離れていれば産卵が行われない。メスに選ばれる木は限られてしまう。アブラゼミはせっかく人間が用意した無限の資源を利用しきれないのだ。


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