鳥がこの地球のどこでどのようにして生まれたかは未だに謎らしい。見つかっている化石記録からはその進化の跡をたどれないという。確実なのは、中生代にトカゲのようなものから鳥が進化したということだ。鳥は卵を産み、ウロコの羽を持っているのだから、トカゲの進化したものだろう。私も鳥の誕生の秘密について考えてみたい。ただしデータを持たない素人の考察である。定説だけを足がかりに考えるのだからスピノザ、デカルトふうの観念論になってしまうのはいたしかたない。
--------------------公理-----------------------公理1 種は分化する。結合はしない。
公理1の説明:進化とは種分化のことである。種とは互いに子を残せないグループのことである。したがってひとたび誕生した種は分かれるのみで結合することはない。そもそも地球に現存する無数の個体はもともと一種だった。その一種が現在1000万ともいわれる種に分化している。
公理2 新種の起源は突然変異であり個体は自然淘汰される
公理2の説明:公理2はかならずしも真とは限らない。ただ現象として突然変異は起こっている。自然淘汰によって突然変異個体が生き残り、子孫を残していけば新種になる。私はそれを受け入れている。同語反復であるけれどその説明に無理はない。
公理3 器官は緩やかに変化する
公理3の説明:現代の遺伝子工学をもってすれば一回の発生で劇的な“進化”を起こすことも可能である。同様な変異が自然界に生きる種に同時多発するのは無理だろう。劇的なものは突発的なものにすぎない。一方、自然状態でもランダムではなく定向的な器官の変異もあると思う。それは親子ではほとんど差が認められない程度であろう。
公理4 鳥の羽はもともと鱗だった
公理5 化石は珍しいしろものだ
公理6 大進化もより大きな進化を前提して起きた
公理6の解説:翼で空を飛ぶには、空気呼吸をする動物でなければならない。その空気呼吸する動物がじょうぶな手足を有さなくてはならない。どの器官もよりプリミティブな器官を元にして成立していることは自明だ。
公理7 大進化は極めてまれである
--------------------定理-----------------------公理7の解説:地球上には無数の生物が息づき無数の種があるけれど、大きな進化は稀であり、門や網は数個しかない。
定理1 鳥綱はとあるトカゲの一変種だった。
定理1の解説:公理2より種を起源させるのは突然変異であり、公理1から、新たに誕生した変異種は再び原種と交わり元に戻ることがない。公理1・2より鳥の直接祖先は、たった一種のトカゲだったということになる。複数の種が交わって鳥が生まれたのではない。ましてや翼竜とトカゲのいいとこ取りで鳥が生まれたのでもない。
定理2 鳥の進化は地球史上ただ1度だった。
定理2の解説:定理1と公理7より定理2を導くことができる。
50年ぐらい前の教科書では鳥の祖先は始祖鳥とされていたけれど、鳥と始祖鳥は直接関係がなく、新生代の鳥は始祖鳥とは別個に進化したのだという。
鳥綱は現代1万種を含む巨大なグループである。数では全然かなわないものの種類では1億年先輩の魚類にも匹敵する。種が分化することによって上位の属・科・目・綱・門を作る。爬虫綱から鳥綱が分化したわけではなく、鳥は爬虫綱のとある1種のトカゲが進化して綱になった。1億年足らずの間に「鳥」という種は、属→科→目→綱と巨大化した。鳥という生き方はそれだけのポテンシャルを持つものだったのだ。
空を飛ぶことは多くの動物がやりたいことにちがいない。昆虫、始祖鳥、翼竜、鳥、コウモリ、ヒトが成功している。その中で昆虫と鳥が現代でも空の覇者として君臨している。空を飛べる動物は多い。しかし、グループの数となると多い気がしない。爬虫類だって哺乳類だってもっと他の目、属でも飛んでよさそうな気がする。飛ぶのはすばらしいけど、そうそうできないこと、素質と努力と運が相まってはじめて実現できることなのだ。
公理1はあまり考慮されることがない本質的な問題をはらんでいる。私が思うに地球上で生きられる生物の総量にはおそらく上限値がある。生物が利用できる物質総量とエネルギーは有限だからだ。その限界値が増えることはない。生物の多様性が増しても総量は増えないはずだ。
となれば、進化とは有限ななかで生き様を切り刻み、交接可能な個体数を減少させる営みということになる。そして種分化が速ければ速いほど多くの絶滅が起きるという奇妙な結論が見いだされる。おそらくこれは誤った考えかただ。種の個体数が爆発的に増加するとき同時に分化も起きるのだろう。でなれば進化とは滅びへの歩みでしかないから。
この事実は上首尾な進化のすさまじさとその反面の難しさをものがたっている。大進化できうる素質は得難いものであり、その素質が開花できる環境とマッチすることは稀有なことなのだ。中生代にとあるトカゲが翼を持つ素質をもっていたとして、その素質がどのように開花したかが問題の核心だ。
鳥が生まれた中生代から新生代の私なりのイメージをエクセルで描いてみた。図1で示しているのは陸上動物の趨勢である。群青は「虫」を表す。脊椎動物以下の虫は全部含んでいる。虫以上の動物は両生類→爬虫類→恐竜→哺乳類→鳥類というような感じで分化したのだろう。それぞれ色分けしている。面積は個体数でも種数でもない。なんとはなしの適当だ。
古生代の終わりに途方も無い天変地異があったらしい。とりわけ海の動物が死んだという。陸上の虫もけっこう死んだだろう。脊椎動物は両生類と両生類から進化した爬虫類が少しいた。
やがて環境が安定すると、より広く生息できる爬虫類の羽振りがよくなってくる。飛ぶ鳥をも落とす勢いで地上を席巻し、中生代を彩る恐竜を産んだ。
鳥、獣は恐竜と爬虫類のはざまで生きていたが、中生代の終わりの天変地異で恐竜をはじめ陸上の大型動物が死滅すると一気に攻勢に出て、現在の陸の主役になっている。
中生代にも新生代にも幾度か天変地異があったはずだが、それは省略している。生物は大量絶滅で一時的に減少するけれど、海と大地と太陽が安定的であれば一定の繁栄を約束されている。図1の上限がそれである。
ちなみにヒトは哺乳類として一種類だけしかいない。それでも、図1の緑の部分の過半を占めている。いまや哺乳類といえばヒトである。才能と環境がマッチしたときの生物の爆発的な増殖力に背筋が凍る思いがするのは私だけではあるまい。なお、良い子はこの図を信用してはいけない。私は生物の素人で、地学の知識は大学受験のために勉強しただけである。とうてい一般の人の用に足る図ではない。
公理1と2に定理1および2をあわせて注意深く検討すると、中生代のトカゲの1種が新生代に鳥として地球に君臨する形ある一歩を踏み出したことになる。形あるというのは具体的に「飛ぶ」ということである。飛行することがその種にとって決定的な役割を担うトカゲの誕生だ。
アメリカにも日本にも、インドにも東アフリカにもいる同種のトカゲが、あるとき歩調を合わせたかのように一斉に鳥になったことは想定しても無駄である。その前提から始まる考察は不可知論に終わる。さらには、中生代に時空を離れて散らばるトカゲが同種であることを断定できる見込みはない。また、鳥が数種の両生類・爬虫類から収斂進化したという証拠もない。いずれ世界各地から同時代のトカゲ鳥中間化石が見つかったときに考えればいいことだ。
現在でも飛ぶことを切望しているトカゲはいるはずだ。グライダーのように滑空するヘビもいる。中生代にもあまたのトカゲが空への願望を持っていたろう。実際に飛んだトカゲもいくつかいたかもしれない。しかし、その中で鳥になれたのはある場所に生息していたトカゲの1種の1群である。敷衍すれば、そのトカゲの種全体が鳥に進化したわけではないことには注意が必要だ。個体の変異が種全体に均等に起きないからこそ突然変異だ。あくまで飛べないある種のトカゲの部分集合から飛ぶトカゲが生まれたとしなければならない。
以上の考えをもとに、トカゲから鳥への分化を模式的に把握したいと作成したのが図2である。時間は左から右に流れている。たての幅はトカゲの数だ。トカゲAは中生代のある瞬間ある場所に生息していた群れである。数は1万匹程度で互いに交雑可能であった。図2では上のほうがより鳥に近い。分化のタイミングは便宜上同時にしているけれど、その時間的長さはまちまちであろう。より発展的で時流に乗っている上の方の種類が進化も速いという予想は立つ。
トカゲAは後ろ足で蹴る力が強く素早く走りジャンプも巧みだった。ほかのトカゲ類になかったのは前肢の鱗がよく伸びていたことだ。トカゲAは時流に乗って繁栄しトカゲBに進化した。すなわち、トカゲAは絶滅して化石生物となったが、子孫であるトカゲBはトカゲAを凌ぐ繁栄をとげるのだ。トカゲBは2種類に進化している。トカゲB−1はより鳥に近くトカゲB−2は従来のトカゲAに近い形態であった。数はそれぞれ5千匹である。
やがてトカゲBはトカゲCに、トカゲCはトカゲDに進化する。そのとき画期的な事が起きた。なんとトカゲD−1は空を飛ぶ事ができたのだ。基本行動はダッシュしてジャンプして滑空だけど、前肢を上下することで地面から数秒間だけ体を浮かせることができたのだ。
地球上最初の鳥であるトカゲD−1は、トカゲC−1、トカゲB−1、を先祖とする。トカゲD−1はトカゲD−8とは随分体の様子が違う。化石記録でも十分に別種と区別できる。ただし、トカゲD−1とトカゲD−8をのぞく13種類は体の作りがよく似ていて、骨格だけ残る化石では別種として区別できないかもしれない。鱗が化石として残ってもまずトカゲの一種としてしか扱われないだろう。
トカゲAはトカゲDになって種類を8種類に増やした。もともと1種だったものが、立派な属に格上げになったのだ。最初の鳥として空に飛び上がったトカゲD−1の数は1000匹ほどだった。ちなみにトカゲAは鳥になる間に8種の新種を産んだが、その間に7種は絶滅している。その7種はいわゆる適者絶滅をしたのである。
図2は私がよく見てきた一般的な樹形図とは様相が違っているけれど、こちらのほうがより進化の実態をつかみやすいと思う。従来型であればトカゲAの幹があってトカゲD−1への枝が一本伸びてくるところだ。そうした図では、突然変異の鳥が“通常”のトカゲからいっぺんに起源する印象を与えてしまう。
そして図3はトカゲAからトカゲBが起源して、トカゲAが絶滅するまでをもう少し詳しく見たものだ。分化の定義はあくまで「交配しないこと」である。
いうまでもないことだが、時空を隔てた両種が同種か異種かは原理的には断定できない。たとえば、北海道にいるハシブトガラと神奈川県にいるヒガラが1000万年後に発見される化石から同種と断定されてしまうようなものだ。中生代の生物を調べるときに、そんな原理主義では話が進まないので、化石的な一致をもって同種になるだろう。それはしかたないことだ。
将来鳥になるトカゲB−1はあるときトカゲA群の中に現れて徐々に勢力を伸ばしていく。AとB−1が交配しない原因は、地理的、生理的あるいは心理的な障壁があったからだ。AとBが共存している時代では、B−1とB−2は亜種として交配可能であったろう。外見上は翼という器官に差異があっても生殖機能が同一であれば。
さて、当のトカゲたちがどのようにして翼を得て鳥になったかという問いは考えでがある。公理3にあるように「翼はじょじょにできあがったはずである。飛行に使えない半端な翼をもつトカゲは劣ったものとして、かえって淘汰されるはずではないか」という疑問がダーウィンの頃からある。ある年に(交配可能な時間で)ある場所で(交配可能な距離で)1000匹のトカゲに一斉に羽が生えたことを信じることができればいいのだが、そこまで私は楽天家ではない。進化否定論者はこの点を突いている。
さらに、中間段階にある化石記録がないという点も否定論者は指摘する。公理3にあるとおり、中生代の脊椎動物の化石なんてめったにないとしても、それらはご指摘もっともなことである。事実として鳥がいなければ、トカゲは空を飛べるように進化することは不可能と言い切っても変人扱いされるおそれはない。
基本生物は保守的である。いま行きている両親は数十億年にわたる淘汰をくぐり抜けてきた猛者なのだから、真似しておくのが無難なのだ。翼のように複雑で優雅な器官がいっぺんにできることはない。その前提に立って、翼もじょじょに形成されたことにしつつ上記2つの疑問の回答を用意しなければならない。
定理1と公理3にあるとおり、中生代のある種のトカゲが緩やかに鳥に変わって行ったと帰結される。緩やかという表現には10世代(10年ぐらい)から100万世代(1000000年ぐらい)の幅があるだろう。その数字を示すことはできないが、緩やかというイメージは、親子で差がわからないぐらいの変異、という程度だ。1センチの鱗が発達して20センチになれば空を飛べるとすれば、親子の差が1mmなら差が認められないだろう。それでも着実であればわずか200年で翼の原型ができてしまうことになる。このレベルの変化は品種改良で実現されている。ただ、人為的な品種改良でも、助長できる器官とできない器官ははっきりしているらしい。変異のポテンシャルというものは種ごとに決まっているようだ。
中生代のそのトカゲは鳥になるポテンシャルがあったとしよう。トカゲが空を飛ぶってのはまあ大変だ。サンショウウオがトカゲになるには、乾きに強い卵を産み、卵の中でオタマジャクシの期間を過ごさねばらない。それと同じくらい大変だろう。あるエリートトカゲが100万年とか1000万年とか想像もつかない時間をかけてゆっくり変わったことだろう。となれば、公理3を満たすだけの時間が“半端な翼持ちトカゲ”に与えられたことを証明しなければならない。
定理とはいえないまでも、トカゲが鳥になる手始めはグライダーだったという説はよく聞く。ジャングルの木から木へと飛び移っていたのがその始まりだということだ。ヒヨケザルやムササビなどグライダーになっている哺乳類もいる。鳥の起源もそういうものと類推されがちだ。私はそれを誤解だろうと思う。なぜなら、グライダーは本質的に高い所に素早く登れる体があってのモノダネだからだ。であれば、前足の爪ありきの進化となり、爪の退化はないだろう。始祖鳥はそちらの方向に進んで成功したトカゲだった。新生代の覇者である鳥はきっと違う方向からやってきたのだ。そもそも鳥になるほどのトカゲであればもっともっとダイナミックであって欲しい。
私は自転車乗りで常々翼が欲しいと願っている。登り坂を向かい風を受けて走っているときに、その風が体を持ち上げてくれればもっと速く走れそうだ。翼は前から風を受けたときに体を軽くできる器官だ。グライダーも飛行機もその原理で飛ぶ。私と同じ願望を中生代のそのトカゲももっていたのではなかろうか。
人間の飛行機はグライダーから進歩した。だからといって、鳥もグライダーから進歩したと考える必要はない。グライダーはネガティブな感じがある。推進力を得ずに、重力で落ちながら前に進むからだ。飛行機はアクティブだ。動力で前に進みつつ空中を昇るからだ。トカゲはもともと地上を進むことができる動物だ。グライダーになるよりも飛行機になるほうがいいに決まっている。
トカゲの餌は虫である。トカゲは視覚的捕食者であって動くものを捕らえて食べる。中生代の空中にはわんわんと虫が飛んでいたろう。森だけでなく湿地も乾燥地も空中は虫だらけだったはずだ。中生代のトカゲには、速く走り、空へ飛び上がることへのモチベーションがある。少しでも速ければ、少しでも飛べれば、たちどころに有利だったのだ。
私は鳥になったトカゲはオープンな環境にすむトカゲだったと思っている。樹木もまばらな湿地か乾燥地ですばやく走り回って虫を食べるトカゲAだ。全力疾走時は、顔を上げ腕を上げて後足を使っていた。現代でも水面を後ろ足だけで蹴って走れるトカゲがいる。ああいう感じで速く走って、ジャンプして虫を捕まえる。そういうトカゲは世界中に何種類もいただろう。その中の一種トカゲAがやがて鳥になる。
公理4にあげたように、鳥の羽はもとは鱗だったというのが定説である。鳥の翼は昆虫ともトビウオともプテラノドンともコウモリとも違った創意とくふうで完成された飛行器官だ。鱗を原型とする優雅さが鳥の羽にはある。私が鳥がグライダーではなく、最初から飛行機を目指したと結論するのも公理4からだ。羽が鱗の変化したものなら、トカゲから鳥への進化は無駄なくスマートに事が運ぶ。
最初から空を飛べる翼を持っている必要はない。前肢の鱗が後ろに伸びているだけで翼断面が形成され揚力が得られる。走ることで少しでも体が軽くなれば有利だ。羽が伸びればもっと速く走れてもっと高くジャンプできる。羽がなくても有利だけどあればもっと有利なのだ。
中間的な“トカゲ鳥”の化石が見つからないことに対する説明は必要であろう。翼のないトカゲが産んだ卵から鳥が孵化することは仮定しなくてよい。それは文字通り奇跡であって科学ではないからだ。
中途半端な翼を持ったトカゲがかつて存在したことは自明である。問題になるのはその数と場所になる。公理2にあるように、進化とは種分化であり、種分化においては個体数が減少するのが建前である。現在の鳥はざっと1万種、個体数は10の10乗匹を上回るだろう。この隆盛は鳥というスタイルの優秀さをものがたっている。種分化による個体数の減少をものともせず数を増やしてきたのだ。その傾向は鳥が鳥になる前からあったろう。つまり中途半端な翼を持ったトカゲ鳥は十分適応的で世代ごとに数を増やしたはずなのだ。数が多ければ化石が見つかるはずではないか?
さて、鱗が羽として伸び始めたトカゲが適応的だったとして、どれほど個体数が増えていくのだろう。
公理5はダーウィンのころから必ず使われる言い訳だ。中間形態の化石がない理由を「見つかってないだけだ」とすれば言い逃れにも聞こえよう。もともと彼の進化論は後付けの言い訳だらけの感がある。
むろん中間化石の不在はただの言い訳ではなく事実でもある。まずは誰もがよく知っている動物である人類を例に考えるのがわかりやすいと思う。人類はもっとも最近に誕生し、おそらくは地球史上稀に見る成功をおさめている。類人猿の一種には違いないのだが、その進化の過程はよくわかっていない。最近の動物、それもけっこう大型なのにもかかわらず化石記録が乏しいからだ。
ヒトの歴史はまだ10万年から100万年ぐらいなんだろう。ヒトは10万年ぐらい前にはアフリカのどこかでこじんまりと暮らしており、この2万年ぐらいで爆発的に増えた新参者だという。1000万年後、ヒトが自然化石として未来人(または宇宙人)に続々発掘され、その繁栄の事実が確認されるためには、この100億規模の人口が10万年ぐらいは続く必要があるのだろう。中生代のトカゲや恐竜であれば100億匹いる状態が100万年ぐらい続いてようやく1匹の化石が見つかるぐらいだろうか。逆に言えば、化石が見つかったトカゲは、その個体が死んだ時点で同種が100億匹ぐらいはいたことになる。
私のトカゲABCDたちが化石として発見される見込みを考えてみよう。トカゲDは極めて優秀、ヒト並に適応的で一世代ごとに1%だけ数が増えるとする。1世代が2年として、初期値として1000匹のトカゲDー1(やっと数メートル飛び立てるトカゲ)がいれば、たった1500世代、3000年ほどで100億匹になる。100億匹のトカゲDー1が中生代の100万年ぐらいにわたって生存しておれば、1つや2つの化石は発見されるだろう。だがその見込みは薄いと思われる。
問題になるのは、まずはその進化のスピードだ。羽の長さに注目して、1cmの鱗が世代ごとに1%ずつ伸びるとすれば、たった500年で10cmの立派な羽になる。
定理1にあるように、鳥はトカゲAの一群から分化したのである。その鳥が誕生したのが中生代にあった四国ぐらいの島だったとしよう。トカゲと鳥の中間型化石ができうるのは広い地球上でその島だけである。たとえトカゲ鳥の数が多くても、その島はトカゲの化石ができる条件が悪いかもしれない。できていたとしても、現在では海の底にあったりして人間に見つかるのに不向きであれば残念、中間型は永久に闇の中だ。
トカゲDー1は徐々に羽を伸ばしながらその島の中で1億匹までに数を増やす。その過程で翼だけでなく造巣や抱卵など生存により有利な鳥らしい生態を獲得し、向かう所敵なしの体たらくで島から飛び立ち、海山川を越えて新天地に広がっていく。
鳥は極めて適応的だ。移動力が高く新天地の発見が早い。恒温動物であるから寒暖に耐える。環境に応じて渡りも可能だ。中生代を終わらせた天変地異を生き残るには小型で移動力の高い体が有利だった。トカゲDー1の誕生から100万年後、最初の鳥が地球の陸地の隅々にいたり、環境に応じて2、3種に分化するのに要した時間は数千世代、1万年程度だったろうと私は想像する。もしそのスケールの進化が起きたのなら、どこでどうやって鳥が生まれたのかという問いへの明確な回答は不可能だろう。
私は鳥が進化するための最重要な動因は「飛びたい」という意志だったと思ってる。たまたま前肢に伸びる鱗はあったろう。それを使いこなせたのは空への野心だ。鱗が薄く長く伸びていく生理的なポテンシャルを持ったトカゲは同時に空への野心も伸びていったのだろう。
門外漢でよくしらないのだけど、心理的な障壁は進化の研究に用いられないのだろうか。私は突然変異の動因として種の主体性を認めたい。種の主体性とは動物個体にとっては感情である。
動物の感情を考慮せずに進化を考えるのは無謀と思える。動物の進化の見かけ上の定向性は感情に起因する。個体は客体を、いい悪い関係ない好き嫌いという感情的判断によって弁別する。それは敵であり獲物であり配偶者であり寒暖乾湿である。動物個体には対象を選り好みする感情があり、個体の集合である種に主体性が生まれ、主体性は進化に方向を持たせる。かくて動物には植物みたいなフレキシブルさがなく、進化に目的論的な臭いがしみつくのだと思う。その最たるものがヒトである。
飛びたいトカゲと走りたいトカゲの間に心理的な障壁はできたと思う。トカゲが鳥になるような劇的な分化が起きる場合、感情的行動のメカニズムによって逆の進化が同時に起きるような気がする。俗にいえば、鳥になろうとしているトカゲは仲間から嫌われるのだ。鳥になりたいという感情が薄く飛行志向を持たない、つまり地に足がついてはじめてトカゲだと固執するグループがトカゲB−2だ。
さて、鳥は飛行できる翼とあわせて恒温性を獲得している。わたしは恒温性は鳥の大成功の必須条件だと思う。造巣、抱卵は恒温性あってのものだねだ。この恒温性の獲得は羽の進化とは別物と考えなければならない。翼の発達は生息環境との関係において明確に適応的だと判断できる。一方で、恒温性は環境適応とは別個にトカゲ内面から発達する生理機構と考えられるからだ。変温トカゲだって十分適応的なのだから。
公理6は、より大きな進化になればなるほど歴史上先に起きたとすべきというものだ。たとえば、陸上脊椎動物である哺乳類と鳥類は、水から陸に上がり空気呼吸できる体を獲得するという進化を共有したというようなあたりまえのことだ。公理6にあわせて、門や網を形成するほどの大進化はまれであるという公理7そして進化は後戻りできないという公理1を合わせて考えれば、鳥の進化は一度きりであったという定理2が導き出される。
整理すれば鳥の恒温性は鳥類、哺乳類、恐竜をくくる大きな進化であり、地球史上、脊椎動物の恒温性が1回しか進化しなかったとすれば、鳥、哺乳類、恐竜をくくる恒温トカゲという共通祖先が存在したことになる。翼という大発明をしたトカゲは遠い過去に恒温性という、さらに偉大な発明をしていたのだ。
私の図2では、恒温性を獲得したのはトカゲAかその直接の祖先ということになる。哺乳類も恐竜も恒温動物であり、鳥と同時代を共有したのならば、その祖先はトカゲAだからだ。図2ではトカゲD−5あたりが哺乳類の直接祖先になるのだろうか。恒温動物となったトカゲの鱗が羽ではなく毛になり、抱卵するかわりに胎生を獲得しておれば、それは哺乳類であろう。
こう考えていくと、奇跡的な大進化はある意味天才的な、一般的な意味での突然変異種にしかできないような気がしてきた。中生代のあるときに1万種いたトカゲのうち9999種はまじめに変温トカゲの道を歩んでいた。その中からヘビ、カメといった独特のデザインのものが正統派として進化した。そしてとんでもない変わり者の1種が中生代から新生代を彩る鳥類・哺乳類・恐竜に進化したのだ。
空を飛べる無脊椎動物は昆虫だけである。空を飛べる哺乳類はコウモリだけである。空を飛べる魚類はいない。鳥の誕生はやはり奇跡と言いたい。トカゲ由来の鳥がいなければ、哺乳類由来の鳥が生まれたのかもしれない。実際、コウモリはとても素敵な生き物だけれど、骨と幕のつばさではアマツバメのように高速で飛んだり、ペンギンのように海を泳いだり、ダチョウのようにサバンナを走ったりすることは難しいと思う。鳥がいなければ地球はどうなっていたろう。やたらと虫が多くてそれをコウモリが夜となく昼となくばたばたと追いかけているだろうか。そのコウモリだって半分は鳥が作ったようなものだ。コウモリが虫を音で見るのは昼間は鳥に太刀打ちできないからだ。虫はこの5000万年鳥に食われてきた。鳥の攻撃をかわすのが命をつなぐ必要条件だ。その結果虫たちは洗練された機能美を有しているのだ。
というように鳥のことを書いてきたのだが、真似して改めてデカルト、スピノザの方法はめんどうだと思い知った。定理がいっぱいできてから、その間に新定理を挟み込みたくなったり、公理の番号を間違えて書いてしまったりするだけで大騒ぎだ。いまならコンピューターもハイパーリンクもあって修正も記述も楽だが、紙にペンの時代でこれをやるのはほとんど狂気の沙汰だろう。エチカってやっぱり人類文化の金字塔だ。