共生と進化


「共生」というタームは一般的には情緒的に用いられている。最たるものが「人と自然の共生」というものだろう。たぶんヒトはもっとも他の動植物に頼っている生き物だ。そもそも地球上の動物は植物の助けがないと生きていかれない。一方で情緒的に弱肉強食という用語も使われる。たぶんヒトは他の動物に比べ圧倒的にたくさんの種を食う生き物だ。そもそも地球上の動物は植物などを食べないと生きていかれない。共生と弱肉強食の根は一つで、同じ現象を異なる面から表現したものだ。

あえて生物界を共生という視点から探れば、進化をちがった視点で整理できる。古来言われている花と昆虫の共進化なんてものは、すんなり納得できる。種レベルではさらに厳密な共生を観察することができる。アリとアブラムシとの関係なども共生の好例だ。クロシジミとクロオオアリのように種間の共生がのっぴきならぬところまで来ている例も珍しくない。

曲解ととれるような見方をするのは突然変異と適者生存では進化のドライブフォースを担うには力不足だと思うからだ。突然変異と適者生存という説明にも説得力はある。問題は確率がどれほどかということだ。通常の突然変異のイメージは散発的だから、どれほど画期的な変異でも1個体では次世代につながらない。突然変異が同時多発ということは考えにくい。突然変異と適者生存による進化は、潜在的な変異が何万世代も積み重ならないとだめっぽい。種のそんな変化と環境の変化が奇跡的に時空を超えてマッチしたことも実際にあったのだとは思うけれど。

しかしもっと速やかでもっと効果的な進化がありうる。生物が進化するのに決定的な役割を果たすのは共生ではないだろうか。種の進化、とりわけ空気を吸うとか花が咲くとか空を飛ぶというような生物界の様相を一変させる大進化は、突然変異と適者生存で達成できる見込みがない。やはりそこに共生があるのではないかと自分なりに結論づけた。

進化という概念の適用対象である種は複雑に入り組んだ環境に包み込まれている。個体は環境にもまれ生きて、結果的に種を維持している。その諸局面で共生が起きていると思う。

目に見えぬ深いレベルでの共生がある。個体の体内での共生だ。ヒトも含めてありとあらゆる個体が体内に異生物を宿している。それは共生であったり寄生であったりする。寄生の例としてハリガネムシを宿すカマキリは秋になるとハリガネムシに操られ水泳の衝動に駆られるという。寄主になったカマキリは普通ではない行動をとることになり、それは個体の突然変異と広義に言っていいものだろう。

カマキリの場合は宿主必滅の寄生であるから、変異は個体にとどまり、種の進化にはつながりにくい。これが寄生ではなく、双方に利益がある相利共生であればどうだろう。

シロアリは木材の内部に社会を作る。画期的な進化を遂げた虫である。その起源はゴキブリと同族らしい。ほかのゴキブリと一線を画せたのは木材を食べるからだ。木材を食べられるように体内には木材を消化する菌を宿すという。

シロアリの進化を想像することはたやすい。森のなかで落ち葉や木材や動物の死体や、その他もろもろを食べていたゴキブリシロアリがいた。その中には腐った木もろとも木材を食べる菌を食べるものもいただろう。その菌の中にはゴキブリシロアリの体内環境が生息に適しているものがいた。ゴキブリシロアリの消化機構をかいくぐってその腸の中で生きられるなら、温度湿度などの生息条件はむしろ野外よりいいくらいかもしれない。

体内に消化菌を宿すゴキブリシロアリは同種の他個体にくらべてより材木嗜好が強まることになる。体が材木を欲するからだ。消化菌はゴキブリシロアリの体内にあって木材を消化し糖などに変えてゴキブリシロアリに渡す。ゴキブリシロアリは木材が消化される過程でなんらかのフィードバックを受けるだろう。それは木材がおいしい食べ物という意識だ。かくてゴキブリシロアリの中に、より木材を欲する突然変異を起こしたシロアリグループが誕生するのだ。

枯れた木材は普通の虫にとってはおいしい食材ではない。それを主食とできるなら材木はシロアリの楽園になる。木材を食べる行動はあくまで獲得形質であって遺伝しないけれど、材木の中に群れるシロアリの間では世代を越えて消化菌が引き継がれる。古生代も中生代も新生代も枯れ木資源はおそらく無尽蔵だ。1億年もたてばシロアリは生物界有数の成功者になれる。

シロアリのこうした「進化」は空間的にも時間的にも広がりを持つ。体内に消化菌を宿したシロアリはニュータイプであるが、その時点で遺伝子に革命的な変化が起きるわけではない。やがて木材を食べるための体の構造の変化、閉鎖空間を巣として利用する行動様式、家族の分業体制などの小さな進化が100万年の木材生活を通して積み重なるだろう。そしてDNAが変わり化石記録が残る。ついでシロアリが大成功するなら、シロアリに頼る動植物が現れ新たな共生が始まる。このレベルの変容は目に見えるものであり数学的に記述可能な「適応」「淘汰」などで説明がつくと思う。

生物間の共生寄生レベルは重層的である。DNAレベルにもあり、細胞内にもある。細胞内の共生では幾度か跳躍的な大進化が起きた。真核生物の誕生、植物の誕生なんてものは生命史の金字塔だろう。10臆年前に葉緑体を取り込んだ微生物は最高の勝ち組だ。殺伐とした食いつ食われつの世界から一抜けすることができたのだ。仏教でいえば解脱である。無益な殺生を避け他者を食わなくて済むならそれに越したことはないが、動物は宿命的に食物連鎖のスパイラルから抜けることはできない。植物の誕生のような超進化は共生なしでは起こりえなかった。

細胞内に細菌のようなものが入り込む形の共生がどのように実現するのかは知らない。けっこう立派な生き物、昆虫とか蛙とかヒトとかそういうものにも細胞内共生は起きるのだろう。なかなか想像し難いものであるが。実際に起こっていることであり、そのメカニズムも解明されつつあるのだろう。

細胞内共生が起きれば、確実に個体が進化する。たまたま相性のいい細胞と菌が共生をはじめる。個体が対峙している環境が海山草木や他の動物であるのに対して、新細胞が対峙する環境は個体の器官だ。新細胞は個体の体と心に作用して新生活を開始する。その生き様が外的環境にもマッチしておれば適者生存となる。

個体が畢竟適応しなければならないのは種である。どれほど優秀なスーパー個体であろうと、かれの属する種に適応できなければ、単なる時代の徒花として終わる。

おそらくは細胞内に細菌のようなものが入る状況は同時多発的なものだ。ある地域に生きるある種の個体は多数が同時感染することになるだろう。その場合、どこまでもいわゆる獲得形質であるけれど、その共生が感染が落ちついた後も卵細胞で引き継がれるならば次世代に渡されるようになる。つまり遺伝することになるのだ。

DNAレベルの共生はよく起きるようだ。普通にはインフルエンザのように寄生関係で終わってしまうようだけど、悪いこともあれば良いこともあるだろう。DNAレベルで画期的な共生が起きればもっと速やかに進化が起きる。DNAが対峙する環境は細胞であり、細胞が対峙する環境が器官であり、器官が対峙する環境が個体であり、個体の対峙する環境が種であり、種が対峙する環境が地球であるとすれば、それぞれのレベルでたまたま適者生存がクリアできればいいのだ。


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