クロアナバチの無駄な穴掘り


ヒトは無駄ができる生き物である。人間がやる無駄な努力はすがすがしく美しい。人のみがその価値を独り占めし、無駄な行為で勝利者の栄冠を得ることができる。この地球の99.99998%の生物は無駄をする余裕がない。これが大前提として譲れないところ。食うことが生に結び付き、セックスが繁殖に直結している。

ところが、たかだか鳥や虫にも無駄がある。どう考えても無駄としか思えない行動をけっこう見るのだ。先の前提と折り合いをつけつつ無駄な行動を解釈することは難しい。

たとえばクロアナバチ。クロアナバチのメスは土に穴を掘り、ツユムシなどを捕まえて穴に埋めて卵を産みつける。クロアナバチのように他のむしを麻酔して卵を産みつけるハチはたくさんいる。それぞれに手法、手順が独特で興味深い。クロアナバチは獲物を探しに行く前に巣を掘るタイプだ。その巣の作り方が奇妙だ。彼女はいちどきに5つも6つも穴を掘ることがある。本物の巣はその中の一つだけ。いざ、巣ができてツユムシを捕まえに行くとき、本物の巣だけをフタして行く。ほかの穴は捨ておかれている。

さあ、そのにせ穴の意味がわからない。ヤツはたかが蜂なのだから、無駄な行動はできまい。本人は無自覚でも、人間から見れば何らかの意味、適応上の解釈が求められる。観察していると、たくさんにせ穴をつくるやつ、あまり作らないやつ、いろいろいることがわかる。その差が見えない。しかも効果がわからない。「いやあ、がんばってにせの穴を作っといてよかったね。」ということが見つからない。見つかりそうもないのだ。

クロアナバチ ダミー巣

たくさんの穴を掘るのは目くらましとも考えられる。鳥にはダミーの巣を作るものがけっこういる。クロアナバチのも目くらましと解釈できないだろうか。目くらましならば、目をくらまされる天敵がいるはずだ。それはどういうやつか。それを予想するぐらいならたやすい。

クロアナバチは空穴をダミーとして作り、本物の穴だけは閉ざして出かけていく。巣をあける時間はときに一時間以上にも及ぶ。穴掘り仕事はまる一日もかかるから、食事休憩をとっているのだろう。夕暮れタイムアウトなら翌朝までそのままだ。その留守の間に悪さをするヤツが出てくるのだろう。ただし同種での乗っ取りは考え難い。ときどきまちがえて他の穴に入ったりするが、いつも正式な持ち主に追い出されてしまう。けんかにはならない。クロアナバチは好んで他人の掘った巣を利用するハチではない。

天敵はおそらく寄生虫である。主人がツユムシを探しているあいだに、ちゃっかり巣の奥に卵を産みつけておいて、獲物を横取りしようとするやからだ。そういうヤツがいるのなら、ダミーでたくさん穴を作っておくのは有効だ。卵を無駄産みさせ、本物は安全に守られる。

ところが、困ったことにそういう寄生虫がみつからない。私は千丈小学校のクロアナバチを間欠的ではあるが40年以上見続けている。いまだかつて留守をねらう寄生虫は見たことがない。私の気づかない所で何かあるのかも知れないが、事実として見ていない。

クロアナバチにはポピュラーな寄生虫がいる。しかし、それは留守の穴に産卵するタイプではない。虫は5ミリほどの小さなハエだ。ごく普通のハエの色と形をしている。私は千丈小学校の個体群では1995年に初見した。

クロアナバチは捕獲したツユムシを飛びながら抱えて帰ってくる。麻痺させたツユムシを一度巣の入口近くに置き、塞いでおいた巣穴を再び掘り返す。そうした一連の動作を監視するハエがいる。ハエはツユムシを運んできたクロアナバチにまとわりついている。ハチが飛べばハエも飛び、ハチが穴を掘り始めれば、そばに止まってじっとハチの動きを見ている。もっとも近いときで30センチほどの距離を保っている。

クロアナバチのほうでも、そいつの存在を目障りに思っている。ハエがいると明らかにイライラしている。私も写真を撮る都合から、20センチぐらいまで近づくことがある。そうするとクロアナバチはいらつく。ただ、そのいらつきはすぐにやむ。こちらが動かなければ、5分ほどで無害な物として受け入れられるようだ。ハエに対する警戒、嫌悪は人間へのものとは明白に異質だ。ハエがいるかいないか、クロアナバチの仕草を見れば一発でわかる。彼女には不倶戴天の敵としての認識があるのだ。ときにハチはハエを激しく攻撃するが、素早いハエは捕まりはしない。攻撃されたからといってひるむ様子もない。

ハエ 様子をうかがう

クロアナバチはいらいらしてなかなか巣の中にツユムシを引き込もうとしない。巣の造作を完璧にするところまで行っても、最後の段階に移らない。ハエが目に入っていると、ツユムシを入れることをためらう。

そうこうするうちに期限が迫ってくる。ハエは迷惑だが、産卵の衝動は時間を追うごとに高まってくる。彼女の動きから、その内面の葛藤がひしひしと伝わるようだ。一方のハエのほうはあくまで冷静だ。クロアナバチと一定の距離を保ち、追われたとき少し逃げるだけ。

根負けするのはハチの方だ。ばっと、ハエを追い。すばやくツユムシを引き込む。そのチャンスをハエが逃すはずもない。すぐにハチの後を追い、巣穴に入っていく。その間は10秒ほどであろうか、一仕事終えたハエが先に出てくる。続いてクロアナバチ。かくて数日にわたる彼女の努力は水泡に帰してしまう。それどころか、子孫への脅威を増やしてしまったのだ。

ここまでの観察で、もっとも興味をひかれるのは「クロアナバチが寄生バエを嫌なヤツと感じている」ということだ。クロアナバチのあの寄生バエへの嫌悪は、そう簡単に身につくことではないと思われる。どんな生物でも生まれつき何を好み、何を嫌うべきかを知っている。その対象に出会う前に知識を持って生まれてくる。その知恵を得るのにいったいどれくらいかかるのだろう。数百万年か、数千万年か。クロアナバチとあのハエの間には長い歴史があるにちがいない。

寄生関係は微妙なバランスから成り立っている。特に寄生バエのほうは自己規制を働かせ、クロアナバチを思いやっていないと滅んでしまう。寄生する方とされる側は常に寄生する方が弱い立場にある。寄生バエの生活は特殊で、潰しが効かない。その本分を忘れ、徹底的にクロアナバチをいじめると、ハエの方も生きる糧をなくしてしまう。

クロアナバチは成功している虫だ。同様にあの寄生バエも成功している虫だ。私はこの両者の成功の影に多数の失敗者があることを想像する。失敗者の中にはプレクロアナバチや前寄生バエのようなものもあるだろう。もう完全に途絶えた種もあるかもしれない。むろん、途絶えたのは寄生する側のほうだ。もしかしたら、クロアナバチには寄生バチや寄生アブなんかもいたかもしれないのだ。寄生する側は何種かが絶滅したと考えても破綻がない。

私はクロアナバチがいくつかのダミーの穴を作るのは、寄生虫との生き残り競争の名残りであろうと思う。

「無駄ができるのは人間ぐらい」という大前提を思い出そう。クロアナバチは一匹で、一個の穴に、一匹ずつ獲物を貯めるハチだということも小前提として加えよう。他の生き様をとるハチはこの際クロアナバチとはよばない。

上の2つの前提からしてクロアナバチにはダミーの穴は必要ない。今日のように複数の穴を掘り、本物の入口だけを埋めて狩りにでかけるという複雑怪奇な生態は、何らかののっぴきならぬ事態によって作り上げられたものだろう。人間の目から見て有効な行為でも、それを採用しないで済むなら、虫はそれをしないものだ。私はダミー穴の理由を寄生虫によるものと考える。同種のライバルという可能性を捨てるのは、現在のクロアナバチには巣の乗っ取り行動が見られないからだ。

以上のようなことを守りつつ思考実験をすすめてみる。

プレクロアナバチは一個だけ穴を作り、ツユムシを狩りに出かけていた。入り口を塞ぐ習性はまだない。空き巣はまったく無防備だった。なんと驚くなかれ、プレクロアナバはツユムシに産卵したあともふたをしなかったのである。

そこをねらって卵を産みつけるハエが現れる。もともとハエは動物の死体に産卵する。その一派から、生きている虫の体に産みつける寄生バエが現れる。穴蔵に転がっているプレクロアナバチの獲物を専門的にねらう前寄生バエも生まれた。一対一の寄生関係だ。そいつはプレクロアナバチにとって驚異だった。

プレクロアナバチの前寄生バエ対策としては、巣の入口を塞いで置くことがある。ただし、それは意図してできるものではない。「幼虫の大事な食べ物を横取りするやつがいるから、用心のために入り口を塞いておこう」などという人間的着想は虫には起こりえない。対策はあくまで自然発生し無自覚に進行するものと考えなければならない。幸いなことにプレクロアナバチの巣の入り口は簡単に塞がるものだった。砂地の巣であるから、放っておいても、雨風がふたをしてくれる。アリやハエに見つからずに幼虫が育つことも多かった。崩れやすい土地に穴を掘り、多少なりとも巣の入り口を壊す程度のタイプのやつが恐ろしい前寄生バエの被害を免れることが多かったのだ。かくて、巣にふたをするプレクロアナバチの方が全体に占める割合が増えていく。

前寄生バエは入り口を塞がれるとにっちもさっちもいかない。穴を掘る技はいくら欲しがっても得られない。ハエはハエだから。ハエになる前なら、穴を掘ることもできたかもしれないが、そいつらはアブとかハチと呼ばれる虫になった。ハエはハエですばらしい虫なのだから、ハエになった以上はハエにできる範囲の技で生き残らねばならない。かくて、前寄生バエのほうは産卵のタイミングを変えるものが生き残ってくる。

ハエにとって、よく太って新鮮なツユムシは貴重なエサにちがいない。一度手に入れたからには譲れない獲物だ。ところが、プレクロアナバチが巣にふたをするようになると、ハチが去ったあとでこっそり産卵するわけにはいかなくなる。産卵のタイミングはプレクロアナバチがツユムシを引き込み、卵を産みつけて出てくる間になる。プレクロアナバチの変化に連れて、ハエの方でも行動が変わらなければならない。プレクロアナバチが獲物を引きずり込んだ直後をねらうタイプが生き残ってくるのだ。

ただし、大きな問題がある。正式な所有者が近くにいることだ。プレクロアナバチといっしょにツユムシに卵を産みつけるのはおっかない。幸い、ハエの卵はツユムシの体の特定個所に産みつけられる必要がない。ハエにとって安全な方法は、プレクロアナバチの巣穴に空中から卵を産み落とすことだ。または、入口から卵を産み転がすことだ。プレクロアナバチはハエの卵が獲物のそばに転がっていることなど気づきもせずに巣に蓋をすることになる。この方法は非常にうまくいった。プレクロアナバチの種自体の存続をおびやかすほどうまくいったのではないだろうか。

クロアナバチのダミーの穴は前寄生バエへの目くらましとして生まれた。ただし、よくよく考慮しておかねばならぬのは、プレクロアナバチは前寄生バエ対策を意識してダミー穴を掘るわけではない、ということだ。ハエ対策として何かすることがあるならば、まとわりつかれたときに追うことぐらいだ。

プレクロアナバチのダミーの穴の起源はなんだろう? 私はダミー穴を掘る行動は巣にふたをすることに伴って現れたと思う。産卵後のみならず、巣穴から離れるときには必ず巣にふたをするのは狩りバチの中でも特殊なやりかただ。

巣を留守にする前に、クロアナバチは巣の場所を慎重に確認する。巣の入り口前を歩きまわり、飛び回って地形を覚えて行く。帰りつくときも、巣に向かって波状に飛ぶことで、覚えた地形を確認し、かなり正確に戻ってる。ところが、そこは地勢も変わりやすい砂地のこと、少しぐらいは間違いも起こる。クロアナバチは自分で閉じた穴を再び開くべく掘り始めるが、数センチほどずれることもある。ずれていることは2、3センチは掘らないと気づかれない。かくてニセ穴の一丁あがりだ。

もしそれがまったくの無駄な穴掘りであればハチの進化はエラーをなくす方向に進むだろう。巣を留守にするたびに間違った穴を掘ってしまう行動は周到なクロアナバチにしては間抜けだ。そもそもいちいち空の巣に蓋をする意味も不明だが、蓋をする能力があれば、帰宅の目印を作ることも可能ではないだろうか。やはり一見無駄に見える穴掘りだが、たまたま子孫繁栄に有効な手段だったのではなかろうか。

プレクロアナバチがダミーの巣を掘れば掘るほど、寄生バエが偽の穴に卵を放り込む確率が大きくなる。寄生バエが産卵できる数は限られているから、少しでも間違えさせることができれば、プレクロアナバチに有利だろう。もともと、ダミーの穴を作ることはプレクロアナバチにとっても間違いだった。しかし、それが結果的に有利に働くのだ。偽穴は塞いだ巣の入り口を再発見する目印になるという副次効果もあった。誤りだって生きるのに都合がよいことなら、それは正しいことになる。

さて、この戦術によってプレクロアナバチは前寄生バエを置き去りにしてしまった。現在は私が観察するかぎり、穴の入口から卵を放り込むハエはいない。だからいくら観察しても、いまのクロアナバチが余計な苦労をして空の穴を掘る意味が見つからないのだ。肝心の敵バエはすでに絶滅したかもしれないのだから。

もしかしたら、ハエは行動を変えて生き残っているかもしれない。産卵のタイミングを変え、大胆にもクロアナバチを付け回し、ハチの産卵中に巣に忍び込んで、ちゃっかり卵を産み落とす現在の寄生バエになっているかもしれない。なんせ、クロアナバチがあの寄生バエを嫌う様子は異様だ。まるで獲物を横取りされることを知っているかのように振舞う。あの動きは両者の長い歴史を物語る。ハチはけっして寄生バエに対する何らかの洞察を持っているわけではない。

おそらくヒトは地球史上最高の洞察力をそなえ、よく考える生物だ。我々が使う進歩あるいは進化という言葉には、不都合を改革しより合理的な方向にむかうべきという、半ば強迫観念に近い意味が含まれている。さようなヒトにしか当てはまらない目的論でむしを見ているとなにもかもが色あせてつまらない。

敵がいようがいまいが、クロアナバチには関係がない。一度獲得した生き様は、たとえ無意味であっても障害がなければやめられないものだ。無駄骨折り程度のことで済むならやめる理由にならない。もし、ヤツが自分のすることを洞察できるなら、無駄な穴掘りはやめるかもしれない。そのかわり洞察というのはもろ刃の剣で、百の不安と千の錯誤を産むことになる。自分の胸に手を当てて2分考えればすぐ分かることである。

ヤドリニクバエ

2013年の8月、千丈小学校のクロアナバチを観察する機会を得た。以前に増して寄生ハエ(写真)の姿が目についた。20年ほど前に見ていたものと違う種類のように見える。以前のものは不鮮明な写真しか記録に残っておらず確実にはわからない。

写真のハエは以前のものにくらべて体が少し大きいような気がする。行動も以前のものとは違っている感じだ。以前のハエはクロアナバチとの距離を適正に保ち辛抱強くアタックの機会を伺う感じだった。しかし、写真のハエはしきりにちょっかいを出す。ツユムシを準備して穴を掘っているクロアナバチにあえて接近していく。そういう様子は観察したことがなかった。

クロアナバチの寄生ハエにはツユムシに直接ウジを産み付ける種類がいるらしい。それは巣の中だけでなく、巣外でもクロアナバチの隙を狙って産み付けることがあるということだ。どうやらこのハエはそっちのタイプらしい。

さて、寄生ハエがそうした行動をとるならば、ダミーの巣は寄生者対策として全く意味をなさない。蓋が無意味だからである。ダミーの穴は巣を離れるときに蓋をすることに端を発している。その習性なしには穴を掘り間違えることもなくダミー穴が作られることもない。

もっと言えば、ダミー穴はただの骨折り損になる。クロアナバチがツユムシを巣の前まで運んできてから巣の仕上げを行うことで寄生のチャンスを増やしているのだから。このハエは長い競争の歴史を経てクロアナバチを出し抜いた寄生者なのだろうか。もともと別の習性をもつ狩り蜂に寄生していたものが、近年になってクロアナバチも狙うようになったのだろうか。それともダミー穴は、もともと同種の乗っ取り対策など寄生ハエとは無関係に発達したものなのであろうか。


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