変態の謎


キリンの首が長いのは高いところにある枝を食べるのに有利だから。生存に有利なより首の長い個体がより多く繁殖し、100万世代を経て立派なキリンができあがった。こういう説明は本当だろうか?

キリンの首がまだ短いときに樹木はすでに高かったろう。世界中に高い樹木があり、世界中に木の枝を食う動物がいる。ならば、他にも首が長い動物がいてもよさそうではないか。また、無理して高いところの枝を食うよりも足下の草を食う方がずっと簡単であり、キリン以外の動物はみなそうしている。キリンというのは、不幸にも首がどんどん伸びてしまう宿命を背負った動物であり、その異変にやりくりをつけて絶滅せずにすんでいる動物だと考える方がずっと自然なように思う。

ともあれ、いま困っている昆虫の変態の起源について、どうにもうまい説明が見つけられずにいる。当面専門家から納得いく説明が聞けそうもなく、ここは自分勝手にへりくつを考えなければならない。

昆虫の変態を探るためには昆虫そのものの起源を決めなければならないと思う。昆虫はムカデやダンゴムシと同グループの節足動物から進化したことは間違いない。現時点で100万とも1000万ともいわれる種類の多さ、形態、生態の多様性を思えば、昆虫の祖先は何回も誕生したように見えるけれども、もとは一種とすべきもののようだ。6本の脚と4枚の翅という極めて特徴的な共通性があるからだ。

まずは、どうやって昆虫が翅を持つに至ったのかを考えなければならない。翅は昆虫だけの特徴である。ほかの節足動物は翅を持つに至らなかった。しかも翅を持っているのは成虫だけだ。成虫が翅を有することは昆虫のシンボルである。完成度もオリジナリティも抜群の翅という器官が昆虫の起源を解く最大のヒントになると思われる。

精緻を極めた昆虫の翅だって漸進的に発達したはずだ。昆虫の祖先は飛行に使えない翅を持っていた時代があったはずなのだ。そのころの翅の役割を考える必要がある。

地球上に昆虫が誕生したのは古生代だという。古生代は海の時代。海というところは全員が体重約0kgである。骨格を持たない生き物に優しい所だ。クラゲとか、コケムシとか、アメーバとか、そういう輪郭すらはっきりわからないふにゃふにゃしたものが、古生代の海の主役だったのだと思う。それとは反対に体の外部を鎧にまとった節足動物も多種が栄えていた。後にヒトによって発見されてヒーローとなる三葉虫やアノマロカリスのような大型のものもいた。彼らの外骨格は海に生きる必然というよりも、食いつ食われつの食物連鎖の中から生まれてきたものだろう。競争にさらされ弱肉強食の世界をある種の特技で生き残りをはかるグループ、それが昆虫の先祖である。

やがて、陸上が植物に覆われるようになると、海中生物たちはやおら陸を目指すだろう。ナメクジやミミズのようなやわらかいものは、比較的簡単に湿地に上陸できたろうが、乾燥と重力はけっこうな足かせになるはずだ。それにくらべると、節足動物の外骨格はまるで地上で生きることを想定していたかのようだ。もともとの役割は、捕食者の牙を逃れることだったかもしれないが、それは乾燥と重力に対抗しうる発明だったのだ。

地球最初の陸の王者は節足動物だったと思う。ダニ、フナムシ、ワラジムシ、ヤスデ、ムカデ、ケイオーそのたぐいの祖先が、コケ、シダ、藻で覆われた見渡すかぎりの大地を埋めつくさんばかりにうごめいている。他に動くモノはいない。捕食者になる両生類の上陸なんてものは、あと1億年も先の話だ。そうした地を這う虫けらどもの大地で、飛行できるなら勝ち組になれることはまちがいない。

古生代に、節足動物のある一種が陸に上がったとき、それが昆虫とよばれる資格は翅を持っていることだ。飛べなくてもいいが翅は必要だ。陸上で翅が適応的なのは明らかだが、良いこととできることは違う。空なんてただなんとなく飛べるものではない。飛ぶ意欲と飛べる体が必要なのだ。飛行するための基本的なスタイルは水中にいる間に確立しておかねばならないはずだ。

私は翅の起源は昆虫の祖先が水中を泳ぐことに使っていたヒレだと思う。

古生代の節足動物には大小様々なものがおり、水中をすいすい泳いだり、岩をはったり、泥に潜ったり、まさに我が世の春として地球の海の隅々を利用していたにちがいない。なかには昆虫に類した生態の虫も多数誕生したろう。

昆虫は特異なライフスタイルを持っている。昆虫は幼虫と成虫ではっきりと生態を変える。幼虫期はひとまず食って育つことに専念し、成虫は移動力を駆使して異性と出会い生息地の拡大をはかる。海中の甲殻類も変態をとげて親子で生態をことにするけれど、彼らの場合、生息地の拡散は卵〜幼生期に集中している。いまの地球上を見渡してみても、子よりも親のほうにフロンティアスピリットがある動物は昆虫ぐらいだ。地上に進出する以前の昆虫の祖先もそのような生態をもっていたのだろう。たとえば、幼虫はゴカイのような体をしていて泥の中に住み藻類や他の動物の死体などをあさっており、成虫としての脱皮をすると、いきなり翅のようなオールが生えて巧みに水中を遊泳し、海中で交尾をして潮の流れにのせて卵をばらまく、あるいは遠くの海底まで泳いでいって、泥中に卵を産み付けるというようなやりかただ。

昆虫の翅の起源も特異でなければならない。翅の原型がヒレであったならば、昆虫の祖先は特殊な泳ぎ方をしていたことになる。泳ぐことにかけては、現在多くのネクトンが行っている尻尾を左右か上下に振る方法が優れているのだと思う。その方法では時速100kmで泳ぐことは可能になっても、空は飛べない。揚力を得ることができないからだ。水中ではどんなに大きな生物でも体重は0kgで単純に水を蹴った反動で進めばよい。しかしそれでは空は飛べない。飛び立つには揚力が必要なのだ。推進力と揚力が同時に得られる羽ばたき方でないと空は飛べない。ひとたび水中で尾を振る推進方法を身につけたなら空への窓は永久に閉ざされるはずだ。

現在の海には、将来空を飛べそうなエビやカニはいない。彼らは見事に変態するから、その点では昆虫になる資格はあるが翅はない。昆虫のように左右に開いてはばたいて水中を進むヒレをもったエビカニがいない。と断言したけれども、私はエビカニの超素人で確信はない。いてくれればもちろんうれしい。とりあえず私の知っているエビカニはみんな脚や尻尾で泳いでいる。オヨギピンノやガザミはがんばっているほうだが、あれはまるで先祖返りしたゲンゴロウだ。

遊泳のヒレと空を飛ぶ翅を兼用することは可能だ。そのやりかたは現在の鳥類が行っている。空を飛ぶための翼はちょっと改造を加えれば、水中を泳ぐヒレとして立派に機能する。カツオドリとかウとか、いくらかの水鳥は水陸両用であり、ペンギンにいたっては水中を飛ぶスペシャリストだ。その逆だってじゅうぶんありえるはずだ。甲殻類が脚やエラを改造してペンギンと同じようなヒレを持てば、水中をすいすい泳げるだろう。

陸にあがるのが古生代の動物のトレンドとなり、藻類の後を追って、柔らかいものも固いものもどんどん陸を目指すようになる。無数の動物がひしめきあう海中に比べ、無人の上に無尽蔵の食べ物がある陸は、とっても素敵なフロンティアだったはずだ。節足動物は当時もっとも陸に適応した生物だったにちがいない。ミミズやナメクジやムカデの先祖にまじって、原始海生昆虫も上陸を果たした。最初の住処は汀線か干潟のような所だ。浸透圧の調整が必要な淡水への進出も簡単だったろう。

ただし、原始海生昆虫がけっこう大きなものだったら昆虫の祖先にはなりえないと思う。海中海上を自在に飛び回れるほど成功しているエビがあえて陸上動物になるのか? という疑念があるからだ。イルカは地上で生きていたほ乳類が海に帰っていったものらしい。その原始陸イルカが、サバンナを時速60kmで疾走できるチーターのような動物であれば、まちがっても水生動物にはならないだろう。陸イルカはどちらかというと愚鈍な獣だったのではないだろうか。

最初に翅で空を飛んだ動物は昆虫だったと思う。それもかなり小型の虫だ。ヒトはビッグサイズの動物だから、空気の抵抗なんて自転車にでも乗らないかぎり意識しない。しかし、1mmぐらいの虫にとっては空気は相当に粘っこいものにちがいない。薄め?の水みたいなもので、魚がヒレのひとかきで水中をびゅっと進めるように、ヒレで空気をひとかきすれば体がふわっと浮くことを感じるかもしれない。ひ弱な翅であれば、それに見合った小さな虫がふさわしい。

私の想像する原始海生昆虫は、幼虫時代は藻や泥の上を歩いたり潜ったりして地味に育ち、成虫になると4枚のヒレ(もしくはエラ)と6本の脚を有して、古生代の海中をへらへらと泳ぎ回っていた。いまでいえばブラインシュリンプやミジンコのようなミリ単位のプランクトンだ。岸に近い浅いところをすみかに、ゴミのようなものをあさる、特段見所のある生物ではなかった。ふにゃふにゃしたもの、固いもの、そのほか多くの動物に手当たり次第に捕食されるあわれな餌生物だった。

特段みどころのなかった昆虫の祖先は、他の陸上虫とは一線を画す武器をもっていた。4枚のヒレである。そのヒレは水中では遊泳に力を発揮した。そして、地上に出るとそのヒレでジャンプすることができたのだ。ジャンプは地上を瞬間移動するのによい方法だ。すばやい移動のためには脚を鍛えて走行速度を上げるか、ジャンプするか、そのどちらかの選択をすることになる。

現在のエビも水中ですばやく逃げるときに尾ビレで跳ねる。同じ動作によって、陸上で跳ねることだってできる。トビムシは跳ねのスペシャリストだ。トビムシは林の中にやたらといる。地面の石とか木とかをめくると無数に見つかる。見つかるが次の瞬間消えている。トビムシは腹の下に跳躍器をもっていて、跳び上がることができる。そのスピードはすさまじいもので、体の小ささとの相乗効果によって、目で追うことは不可能だ。

陸に上がった昆虫も、ちょうどトビムシのように跳ねていたのだと思う。虫たちが乾燥や空気呼吸に適応しながら上陸を果たして行く上で、4枚のヒレで跳ねることができたのは、大きなアドバンテージになったにちがいない。陸は海に比べるとほんのちょっとのことで環境が激変する。温度も湿り気も食べ物も一定のものが保証されている海中とはえらいちがいだ。汀線ともなれば、数十センチメートルの違いが天国と地獄になるはずだ。

しかも、昆虫のヒレは跳ねることに留まらなかった。彼らが水中で行っている動作を空中で行うと、体を浮かせることができたのだ。トビムシ型のジャンプ虫には絶対にできない芸当だ。どれほど速く尾を振り続けても揚力は生まれない。ひとたび陸に上がったなら、左右に伸びる翅を上下に振る者たちだけにその神秘の力が与えられる。自力で飛行できるなら、地上生活においてそのメリットは計り知れない。別の方法で脊椎動物が空を飛ぶまで、あと1億年。空は昆虫のためにあった。クモという彼らの隣人が網を発明し、飛ぶ虫を捕まえはじめたけれど、そんなものは脅威のうちに入らなかった。

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昆虫のうち、完全変態をするものをざっと見渡してみると、チョウ、ガ、ハエ、ハチ、アリ、甲虫といった感じで、みなそれぞれ美しく洗練された生物ばかりである。その生態は多岐にわたり複雑怪奇なものが少なくない。彼らは昆虫のなかでも最近になって出現したグループだろうと思う。

多種多様な完全変態昆虫であるが、その根本には共通した特徴がある。そのもっとも際だっていることは、幼虫は食うこと以外に芸のない能なしばかりだということだ。その形態は、青虫、毛虫、ウジ虫、いも虫、地虫であり、やっていることは身の回りにある無尽蔵の食物をひたすら食いあさるばかりだ。アリやハチのウジにいたっては、ごろんと寝転がっているだけで、おねえさんたちが口元まで食べ物を運び体を拭いてくれるというまことにうらやましいやつらだ。

いかにしてこの世に完全変態なる奇天烈な技が生まれて来たか、幼虫のそういう姿が一つのヒントを与える。つまり、進化史上では、最初に成虫ありきで、幼虫は後から生まれたのだ。このことは考えるまでもなくあたりまえのことに思えるけれども、これを押さえておかないと、考えは袋小路に入ってしまう。ポケモンではないのだから、いくら成虫のほうがより美しく複雑で洗練された形態をしているからといって、完全変態昆虫の幼虫が成虫に「進化」することはありえないのだ。

もしも、生きることはただ食べるだけなのなら、そのままそこで生き続ければよい。そこで交尾して卵を産んで死んで永久に世代を重ねればよい。そういうやつらから大空への渇望が生じるゆえんもない。幼虫というある意味うらやましい生き様は、不器用でも成長の短期間ならじゅうぶん耐えていかれる場所を成虫が発見してくれているからこそ許されているのだ。

昆虫の変態は脱皮によって行われる。脱皮はかならずしも節足動物がその発明者というわけではないだろう。その起源は殻をもった卵と同時であったと思われるからだ。ともあれ、昆虫をはじめ節足動物は脱皮によって成長する。昆虫は脱皮の回数がきっちり決まっているけれども、カニやエビはあまりはっきりしない(たぶん)。それは、成虫というステージが繁殖にくわえて生息地の拡大という明確な使命を有しているからだ。

脱皮は諸刃の剣である。脱皮に失敗して、あるいは無防備な脱皮時の事故により命を落とす虫は少なくない。逆に、大怪我を脱皮で回復させることもできる。あるクモでは、2本脚になってしまったやつが2回の脱皮によって、正常な8本脚にまで回復した例をみた。まさに、人生のリスタートには最適な方法であり、完全変態の基盤は脱皮にある。

大人だろうと子どもだろうと、生きているのなら脱皮をして大きくなることが悪いということはないはずだ。昆虫は成虫になるともう大きくはならない。空を飛ぶ翅も成虫しか持たない。不完全変態ならば幼虫に翅を禁止する理由が見あたらない。カゲロウは例外的に亜成虫という極めて短期間の奇妙な段階があり、翅の生えた虫から翅の生えた虫が出てくる。少なくとも1例はそういう昆虫もいるのだから、絶対ダメというはずはない。

昆虫は、幼虫を成長マシーン、そして成虫を生涯の最終段階として徹底的に無駄を省いた繁殖マシーンと位置づけている。成虫たちは新天地を求め子孫を繁栄させることのみから幸福が得られるようになっているらしい。エビ、カニ、クモは(たぶん)卵や子虫を新天地に送り込むことが一般で、ムカデやダンゴムシなど脚の多い虫は、幼虫と成虫では移動能力において不連続な差は認められないから、昆虫は特殊である。おそらく、昆虫の直接祖先となった節足動物が特異な虫であったようだ。

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サナギは突飛である。ウジ虫から羽虫へ変身するアイデアをどうやって手に入れたのだろう。どうしてあんな無防備な形態が許されるのだろう。サナギはいかにしてこの世に誕生したのか? という問いに答えれば、完全変態の謎は明らかになったといえるだろう。

多様な完全変態昆虫の共通点はサナギにある。もともと彼ら完全変態する昆虫は1種類だったはずだ。めいめいが全然違う場所で全然違う姿をして全然違う生き方をしているにもかかわらず、アゲハチョウとカブトムシとニクバエはわりと近い親戚なのだ。そして1000万種の祖先であるその一種は不完全変態昆虫の中から生まれた。これは明らかなことではないけれど、そういう直感がある。

ダーウィニズムの正統派が主張するように、進化はランダムな突然変異の積み重ねの結果であるならば、必然の帰結としてより自由な生物のほうがより多く早く進化することになる。進化論の文脈で、自由というのはより多くの子孫が生き残るということであり、同じ意味で弱者が脱落しないということだ。変わり者、弱い者でも生き残り、本流から外れた生き方が定着して新種の誕生、つまり進化が起きる。進化の過程においては、勝者と敗者(絶滅種)は一体である。適者生存と不適者絶滅は同種同時に起きる。古生代の陸地はフロンティアであり、子が親を乗り越えるのはごく普通のことだったろう。

他の動植物との競争や協力や、環境との摩擦で進化が起きるのではない。それらは進化への制約として働き、人目を引く奇怪な形態を生み出すのみだ。サナギの出現原因については、環境への適応という考え方は全て捨て去って良いと思う。寒さに耐えるため、乾燥に耐えるため、捕食を逃れるためetc。サナギの無力さをみれば、気候変動や他の動物との競争が原因ではないことは自明だ。サナギは昆虫自身の都合だけから生まれたにちがいない。その都合とはぶよぶよ能なし幼虫と成虫を結ぶことだ。そして、無能な幼虫は成虫の後から出現したのだから、サナギの成立は幼虫と同時か幼虫より後ということになる。しかも、サナギという極めて無用心な形態がゆるされるほど呑気な状況で生まれたに相違ない。

昆虫がはじめて飛んだ頃は地球の大陸は1つだったらしい。その大陸のどこかで最初の昆虫が誕生した。それから昆虫が陸を征服するまでどれくらいの期間が必要だったのだろう? 私は1万年もかからなかったと思う。カタツムリはミミズよりも速い。ヤスデはカタツムリよりも速い。ゴキブリはヤスデよりも速い。トンボはゴキブリよりも速い。地球上で最も早く地上に完全適応したのはおそらく節足動物だと思うけれど、その中で昆虫は圧倒的に速く陣地を拡大することができる。不毛の岩山や移動の障害になる大河も昆虫は楽々越えていくのだ。一種類の昆虫が一か所で誕生したとして、1年に10キロも進めば、4000年で地球を一周してしまう。半分ずつ反対側に進めば2000年で地球の裏側まで陣地になる。この時間は生命史の中では一瞬にすぎない。昆虫に続いて動物は幾度も躍進の機会をもった。鳥が空を飛んだとき。人類が文明を持ったとき。それらもけっこうなものだが、古生代の昆虫には及ばないと思う。

植物や藻類に覆われた古生代の陸地で昆虫は自由だった。当初は肉食性の節足動物すら少なかったのではないだろうか。もともと海でそれなりな生物が生まれたとき、そいつは肉食性だったはずだ。古生代の海は数億年来殺伐とした世界だったが、陸上はちがう。動物は植物の後を追って陸の奥へ進んだ。肉食動物あるいは雑食性のものは植物食の動物が栄えない限り生きて行かれない。昆虫の楽園といっていい古生代の大陸の一角に私は完全変態昆虫になった虫のパラダイスを見る。植物食であるそいつの食べ物は無限にあったはずだ。卵から孵れば、足下の草を食い、脱皮をして変態をして、成虫になれば異性とであって卵を生む。そいつは地球史上、本物の自由と平和を享受した唯一の動物かもしれないのだ。

植物は昆虫に対して忌避物質を作ることで食べられることを避けるという。昆虫の方でも、空を飛べれば忌避物質の少ない植物を産卵場所に選んだり、逆に耐性を持った昆虫はその忌避物質を目印に卵を産み付けたりするだろう。食性の変化は進化につながる。翅を持たない節足動物は肉食という狭い世界に甘んじなければならない。植物食といってもヤスデやダンゴムシは機動力に欠けるため、毒の抜けた枯葉にたよるのかもしれない。

ウジムシというのは、口と腸だけの化け物だ。卵の発生の途中、口と消化器系ができた段階で殻を破って出てくるのがウジムシだ。古生代の地面はその程度のやつでもじゅうぶん生きて行かれる自由があった。いくら食い太っても口と消化器だけでは大人にはなれない。手足と知恵と勇気と生殖器をもった大人にならなければ未来はない。彼らの世界での大人というのは、途方もなくエレガントで繊細な飛行虫なのだ。こればっかりは譲れない。羽化のためには、全身が腸の化け物は再び卵に戻って発生をやり直さなければならない。もともと発生の途中で殻をやぶって出てきて、手足を作るかわりに食いまくっていただけのことだから原理的には簡単だ。ただし、でかくなった分の時間はかかる。無防備にごろんと寝転がって動けない状態が何日か必要になる。それでも全然危なくない。周囲にいるのは植物食の昆虫ばかり。サナギを食う輩すら登場していない頃の話だ。

完全変態が不完全変態にまさっているのは幼虫期の成長速度だと思う。もともと昆虫は海生時代から幼虫期を成長にあて成虫期を生息地の拡大にあてる特異な虫であった。完全変態はその特異性の極致なのである。そしてサナギを経る、つまり成虫体の作り直しを行うという点で、種が分化する変異が大きくスピードも速いのではないかと予想している。


カタバミ  テトラ  ナゾノクサ
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