アリの誕生

人間の社会は動物社会の極致だ。たいへんよくできている。対極にある社会性昆虫の営む社会は別の意味でいっそうよくできていると思う。アリの社会はシステマチックという観点では人間よりもずっと進化しているからだ。1億年後にヒトの社会があるとは思えないが、アリはそのときも繁栄を続けているだろう。

そんな素敵なアリの社会はいかにしてこの地球上に生まれのだろう。アリはハチから分かれたはずだ。アリはどの種も大きな家族を作って生活する。ハチも同様だ。ただし、ハチ類には単独で生活している種類も多い。ハバチからミツバチまで幅広いバリエーションがある。おそらくアリは、ハチ類でもミツバチ並に進化した社会性蜂の一種から別れたものだろう。ハチが単独生活から社会を持つように進化する過程で、働きバチ(不妊のワーカー)を有する種が誕生し、その社会性蜂グループのなかで翅を省略したのがアリだと考えるのが自然だ。

ハチ類はたいへん成功しているグループで、いまなお各種の生き様を見ることができる。社会という観点では、ハエ・アブ同等の単純なものからミツバチのような複雑なものまである。それは原始のハチの生き方も十分できたものだったことをものがたり、社会構造の複雑化は進化の過程を反映しているように見える。数億年におよぶハチの進化史上、いまのミツバチが誕生するまでには何度か生態的飛躍が起きたはずで、その飛躍の最大のものがアリの誕生だったと思う。

社会進化レベル1)餌に産卵する

ハチのハチたるゆえんは毒針にもなる産卵管を持つことだ。最初に産卵管をもったハチも、まずは他の完全変態昆虫に倣って幼虫の餌に直接卵を産み付けていたろう。完全変態昆虫の基本は幼虫が自分のまわりにある無尽蔵の餌を食べて成長することにある。そうした一般から特殊が進化する。

社会進化レベル2)餌を集めて産卵する(巣を持つ)

大半の昆虫の母親は卵を産めば用が済む。そこで命が尽きてお役御免だ。昆虫の基本はそうした単独生活にある。ところが単独生活者でありながら幼虫に餌を運ぶハチの仲間は少なくない。その生活は簡単に始められるものではあるまい。

母親が幼虫に餌を運ぶようになるには、前段階としてもう一段の進化が必要だ。幼虫に餌を運ぶということは、定まった場所で幼虫が暮らしているということだ。つまり巣が必要になるのだ。幼虫が育つ巣という特異な空間は、まずはその場に餌を集め、その場に産卵することから発生したに違いあるまい。このレベルから、ハチはハエやアブなど他の完全変態昆虫とは一線を画する社会性昆虫への道を歩みはじめることになった。

社会進化レベル3)幼虫に餌を運ぶ

母親が幼虫を育てることは昆虫にとってはハイレベルな行動だ。ただの完全変態昆虫が一気にそのレベルに達することはありえない。寿命とか子の認識だとか難しい問題がからんでくるからだ。ただ母親が巣をもち餌を集めて産卵する社会進化レベル2までくれば、育児まではスムーズに進化できそうだ。

なぜなら、餌を集めて産卵するようになれば、単に母親の寿命が長くなるだけで自動的に幼虫に餌を運ぶことになるからだ。産卵してからも巣に餌を貯め続ければ、やがて幼虫が生まれ餌を食べ始める。それらの幼虫の餌を運び続けながらも産卵し続ければ、また新しい卵が孵り幼虫が成長する。そのころには最初の幼虫は蛹になって巣立って行くだろう。さらに産卵し餌を集めて・・・というようにどんどんステップアップするのは原理的には難しくない。

社会進化レベル4)羽化した成虫が幼虫を育てる

レベル3の育児段階までの進化はスムーズだと思う。むろん母親の寿命を3倍4倍に伸ばしていくには当然地誌的な時間がかかる。でもそれは時間の問題でしかない。

レベル3のハチでは、巣で羽化したオスメスは次々に巣立って次の世代のための自分の巣作りをはじめる。それはそれで十分けっこうな生活であろう。そこから現在われわれが目撃しているレベルの巣で羽化した不妊のワーカーが同世代の幼虫を育てるまでに進化をとげるには進化的跳躍が必要だ。巣で生まれた繁殖力のあるメス(おそらくオスは育児に関して古来能なしだ)が残って育児に加担する時代もあったのかもしれない。

不妊ワーカーが主役となる社会の実現は簡単ではないとしても奇跡的なことではないらしい。事実としてハチアリを含めた不妊のワーカーを有する昆虫が画期的な大成功をおさめている。ひとりハチアリだけではなく、シロアリだのアブラムシだのでも実現している。社会を持つこととに不妊ワーカーがいることは必須条件のようだ。

不妊ワーカーがこれほど一般的でなければ、レベル3でもじゅうぶんではないかと思える。不妊のワーカーが同世代の幼虫を育てなくとも、母親が餌を蓄え、あるいは餌を運んで次世代のオスメスを育てるだけでも昆虫としてはスーパーだ。スーパーでなければやってられない。その生き方はリスクが高い。自分の身を守りながら巣を作り産卵し、幼虫に餌を運び続ける。母親が並の昆虫の2倍3倍にわたって生き続けなければ卵・幼虫が全滅してしまうからだ。

わが家には毎年アシナガバチ新女王が巣をかけて毎年失敗している。2015年の春も5頭のアシナガバチが軒裏に巣を構えようとしていた。しかしながら梅雨が来る頃には全滅していた。2つは人為的な駆除(私は彼女らの天敵)が原因だが、3つは女王が行方不明になったものだ。

ひとりで巣を作り部屋に産卵して巣を守っているアシナガバチの女王はけなげである。最後まで彼女の行為を全うすることの難しさを思えばいっそうけなげに見える。マスコミ的に考えて100匹の新メスが巣から飛び立つならば、巣の成功確率は1%しかないのだ。いったん大家族になればアシナガバチは強力だけれど、それまでには1匹の女王が100のハードルを越えなければならない。どれか一つにつまずけば全滅だ。

そこを乗り越えたハチの大家族には抜群の安定感がある。女王は産卵に専念し、働きバチに造巣、育児、防衛を任せて子孫を残すことができる。100匹、1000匹、10000匹の新メスを1匹の女王がひりだすことが原理的に可能だ。巣立つ新メスの数に応じてそのハチの勢力が拡大していく。ハチの進化が成虫ワーカーを作る方向に梶を切れば、巣はより大きく寿命はより長くなる方向に加速するだろう。ともあれ不妊ワーカーの誕生は種のインフレーションのための神の一手であることは確かだ。

インフレーションの極致としてミツバチがいる。ミツバチはその生態の複雑さからしてもハチ社会の頂点だと思う。ミツバチとアシナガバチでは幼虫の餌にも大きな違いがある。アシナガバチは他の昆虫を狩るが、ミツバチはもっぱら花に頼る。虫から花への食生の転換は大きな進化だ。

花蜜はミツバチ以外のハチにとっても高カロリーの良い餌だ。ただおそらくは栄養素の関係から幼虫の餌にすることはできなかった。花粉を幼虫にを与えるハチの誕生はいつどんなところで起きた革命だったのだろうか。きっと1億年前のこの地球上のどこかに夢のように美しい花園があったのだ。

ミツバチになるのは難しいけれど効果的だ。ミツバチの種類は少なく総数が多いという事実を言葉を変えて表現したらそうなる。いったんミツバチになってしまえば、虫媒花と歩調をあわせて広い一本道をまっすぐ歩き続けることになる。妙手だけど特殊で他の生き方をすることは難しい。

ミツバチの大成功を横目で見つつ、地味ながらいっそう効果的でフレキシブルな方法を発見したアシナガバチの一種がいた。それが今のアリの元祖、アリアシナガバチである。アリアシナガバチはミツバチよりも早く、今のクロスズメバチのようなハチから進化したのだと思われる。アリアシナガバチの最大の特徴はワーカーに翅がないことだ。

どうしてアリアシナガバチは翅を失ったのだろう。アリの誕生の謎はその1点にある。翅は昆虫のレゾンデートルではなかったのか。1億年前にアリの生活を始めたハチは脱落者ではなかったのか。適者生存のふるいにかけられ絶滅すべきものではなかったのか。せっかく空を飛び回れる虫でありながらあくせく地上を歩くしかないように生まれ変わることにどんな活路があったのだろう。

まずは結果からアリがハチよりも優位な点を考えてみよう。ワーカーの大事な仕事である餌集めはどうだろうか。

ミツバチの餌場(花)は巣から半径200mぐらいの範囲にピンポイントにちらばっている。その餌場は空中から見つけやすい場所、形状になっている。ミツバチの場合は餌との関係で翅をなくすことはできない。

アリにとっての餌場は半径50mぐらいの地上の全領域だ。おそらくアリにとって餌の探知に視覚は役に立つものではあるまい。わりと行き当たりばったりに探索し、獲物が見つかればフェロモンで道筋をつけ、よってたかって巣に運んでくるのが標準のやり方だろう。

働きアリは飛ばなくてもよいから、コンパクトな体に小さいエネルギーで活動することができる。1匹あたりの製造コストが小さければその数を増やすことができる。ミツバチにくらべてワーカー1匹の価値を下げ、数で勝負できるのだ。アシナガバチとの差は一層大きい。アシナガバチは1匹の働きバチが1匹の虫を狩ってくる。1匹1匹の成功がなければ幼虫が育たない。アリだと200匹の働きアリが1匹の虫の死骸を引っ張って来る。アシナガバチなら完成した巣でも50匹の働きバチを失うことは致命的かもしれないが、アリならば50匹の働きアリを失ってもダメージはないだろう。アリの優位性について、結果論ならこれぐらいのことは思いつく。

幸いなことに、アリの起源を空想する上で格好の材料がある。それはシロアリだ。シロアリはまさにアリのような生活をしている。もしかしたらアリよりも先にアリっぽい生活をはじめたのかもしれない。

熱帯雨林の動物の主役はシロアリだ。そこではシロアリの巣は朽ち木の内部にあるだけではない。立木にもいびつなラグビーボールのような形状をしたものがいくらでも見つかる。そうしたシロアリの巣はかなり強固でたたき割るにもけっこうな力が必要だ。巣の中の個体数たるやおぞましさを感じるほどだ。シロアリはステップにも巨大な蟻塚をつくっているという。

シロアリはもともと地面でゴミみたいなものを食っていたゴキブリが、木材を消化できる菌と共生関係を結ぶことで朽ち木の中に活路を見いだした虫だと思う。

シロアリはずば抜けた成功をおさめている強力な虫である。ただし、シロアリ一匹一匹の生命力はけっして強くはない。かつてシロアリの駆除業者に床下で生息しているシロアリを採集してもらって飼育を試み、失敗したことがある。その業者はシロアリの飼い方を詳しく教えてくれた。なんでも、食べ物にうるさくて、湿度、温度などの環境が悪いとあっさり死ぬらしい。私はペットのシロアリたちを1週間も生かせることができなかった。熱帯雨林では無敵に見えたシロアリは私の飼育ケースの中では極めて華奢なのだった。

環境の変化に弱いのは生息環境が安定しているからかもしれない。シロアリの暮らす環境はずいぶんいいものなのだろう。大多数の動物には見向きもされない枯れた木の中に住み枯れた木を穿って部屋を作り枯れた木を食べる。夜も昼も関係ない。雨も風も気にしなくて良い。襲われる危険も少なければ、襲う工夫もいらない。シロアリは生態学的に自由である。その自由さが不妊のワーカーから翅を取ったのではないだろうか。

シロアリとアリは全然別の虫だけど同じような生き様をしている。両者に共通の無翅働きアリが生まれたわけも共通の生き様から探れるかもしれない。

住処は両者とも穴蔵である。穴蔵に住んでたくさんの家族がひしめきあう。これは見逃せないポイントだ。アリの起源を類推するに、家族で穴蔵生活を始めたアシナガバチの一種がアリになったのではないかと思われる。現在でもアシナガバチのまま穴蔵に住んでいるアシナガバチがいる。

穴蔵は温度湿度などの微気象が安定している。餌の貯蔵に有利で安定的に幼虫を育てることができる。シロアリなら朽木がそのまま食べ物であるが、アリはよそから餌を運んで蓄える。穴蔵は長期の住み込みに有利だ。

穴蔵は外気からも他の動物からも隔離された場である。アリの生活が確立する中生代には爬虫類、鳥類などの強敵が現れる。現在のアシナガバチ類が皆同じような警戒色をしていることは、中生代の捕食圧の高さをものがたっている。トカゲや鳥など目の良い捕食者はアシナガバチの脅威だったのだ。穴蔵生活者は複雑化する生態系からちょっと距離をおいて自分たちの都合を優先することができる。

穴蔵生活にはスケールメリットがある。ひとたび大家族を形成できれば、それを長く維持するほうが有利である。現在のアシナガバチのように外界に剥き出しの巣であれば、何年にもわたって維持することが難しそうだ。アリとシロアリに共通に起きた無翅ワーカーの誕生は、穴蔵の大家族生活が前提だろう。

私には働きアリが翅を失った生理的メカニズムはさっぱりわからない。しかしながら1億年前に働きアリが翅を失うことが、可であり有利ですらあったことなら想像に難くない。

社会システムは個体と自然との間に緩衝帯を作る。人間の文明にも当てはまることだが、社会の良い所は個人が直に自然環境と戦う必要がないところにある。個体が直面する自然とのストラグルは、社会の中でのストラグルとは比較にならないほどストレスフルでありミスは致命的だ。

個体は歯車の一個として社会の中で自分の役割を果たせばよい。個体が単調な仕事をこなすだけで社会は成長し子孫繁栄につながっていく。人間では仕事を通して役割分担をしているけれど、アリやシロアリなど社会性昆虫では生まれつきの体の仕組みで役割が決まっている。女王は産卵マシーン、オスメスアリは他所で新居を構えるための繁殖要員。働きアリの役割は食料調達・幼虫の世話・住居の整備・兵隊などがあり、種によっては働きアリにも数タイプを有するものがある。

アリのワーカーが翅を失う過程はどんなものだったのだろうか。働きアリが一気に翅を失ったということは考えられない。ハチがアリになる過程で働きアリが翅をじょじょに失ったと考えるのが自然だ。

アリは女王も翅を持っていない。交尾が完了して一人暮らしを始めるときにもう二度と使うことのない翅を落としてしまう。やってみれば翅のない生活もよいものだが、翅を持つ者がそれを失うには勇気がいるだろう。もともと翅を持っていたハチが翅を無くすことは死を意味する。失ってみればそれがメリットだったという結果論的見方はできるかもしれない。ただし、大きな前提として、翅がなくても生きて行かれる可能性が準備されなければならない。

古生代、穴蔵に住むタイプのアシナガバチは多種いた。彼らはおおむね木の繊維を編んで紙細工のような部屋を作り幼虫を育てた。オープンスペースでの生き方を穴蔵の中でも継続していたのだ。やがてアリになるアリアシナガバチも同じように大集団で穴蔵に住んでいた。

二畳紀のおわり、アリアシナガバチは幼虫の個室を作らなくなっていた。穴蔵では幼虫の個室が必要ないからである。アリアシナガバチは集団育児室を設けていた。不妊のワーカーたちは土壌や枯れ木の内部を加工して多数の部屋を作り、長命な女王が産んだ卵を集め、幼虫や蛹の成長にふさわしい環境を部屋ごとにしつらえるようになっていた。基本的な生態は既にアリだったのだ。

当時、アリアシナガバチに限らずアシナガバチのワーカーに翅のないものが誕生する事は珍しくなかった。ただその姿を目にすることは滅多にない。花の蜜を食べ物にするアシナガバチでは、無翅のワーカーは自力で餌をとれず長くは生きられないからだ。その例外がアリアシナガバチだった。

大進化の本質は死すべき弱者が生き残ることにある。自然不淘汰、不適者生存のとき本当の進化が始まる。それが自然界の摂理だ。そもそもハチのワーカーは不妊メスという子孫を残せない異常個体であり淘汰されるはずだ。ところがハチの場合、不妊でも食べ物がもらえ家族の繁栄に寄与することができた。女王が死んでも不妊ワーカーがおれば全滅だけは防ぐことができる。卵、幼虫は育つことができるから、新メスおよび新オスが巣立っていく可能性が残される。社会というオブラートに包まれることで、死すべきものが生き残り、種の繁栄をもたらすのだ。

不妊メスが繁栄するという異常事態の最中では翅を失うような遺伝的ゆらぎも珍しくないだろう。私は不妊ワーカーが増えるのに歩調を合わせて無翅ワーカーの誕生も増えたと想像する。

普通のアシナガバチでは不妊メスは生き残ったが、翅のないものは淘汰された。飛ばないアシナガバチは無能な虫けらにすぎない。餌も捕れず育児もできない役立たずとして巣外で野垂れ死ぬ他はない。無翅ワーカーが生き残るには一歩進んだ家庭環境が必要だった。

穴蔵に造巣するアリアシナガバチは無翅のワーカーが活躍できる地球上最初のハチだった。無翅ワーカーたちは巣外に出かけて餌を捕ることには無能だったけれど、巣内での作業は翅のあるものに引けをとらなかった。

アリアシナガバチの卵や幼虫は部屋にごろんと転がっている。子どもたちに餌を与え、ゴミ掃除をし、部屋を移動させ、巣を拡張したりする作業は翅がなくてもできる。自然の中では3日で命を落とす無翅ワーカーでも社会的な役割は十全に果たすことができたのだ。

無翅ワーカーは自分の食べ物にも不自由はなかった。アシナガバチのワーカーは幼虫に口移しで餌を与える。巣内の無翅ワーカーも幼虫たちと同様に、外で働く有翅ワーカーから食べ物をもらえたのだ。無翅ワーカーが活躍できる環境を有翅ワーカー時代に準備していたのがアリアシナガバチだったのだ。

かくて、本来は不適者であるはずの無翅ワーカーをかかえるアリアシナガバチが繁栄し、やがて無翅ワーカーが巣外活動をはじめるようになる。三畳紀の森では地面を歩いているだけでもけっこう食べ物にありつけたからだ。無翅ワーカーは暗闇の巣内生活に特化しつつあり、目が悪くなるかわりに鼻が利いた。有翅ワーカーは視力を生かして空を飛び他の虫を狩って肉だんごにして巣に運んだ。一方で無翅ワーカーは鼻を生かして虫の死骸という新しい餌場を開拓することができた。すでに地上には大型の脊椎動物が数多く生息していた。トカゲやヘビの死体は宝の山である。収穫という高効率な仕事をする無翅ワーカーのほうが稼ぎがよくなっていく。

アリ社会の進化は急激に起きると想像できる。優秀な女王の突然変異の形質は、遺伝的特異性と産卵数の多さから数多い新メス新オスに伝わって行く。

ちなみに、ワタアブラムシの個々は特異な綱渡り的生活をしているにもかかわらず、ワタアブラムシはグループ全体で大繁栄している。その特殊な成功の秘訣も単為生殖からなる社会を作っていることにあるはずだ。

いったん無翅ワーカーの割合が高い巣のほうが成功するとなると、無翅ワーカーの比率が高い巣が爆発的に増加するだろう。無翅ワーカーが多い巣から巣立った新メスはやはり無翅ワーカーの割合が高い巣を作るからだ。アリアシナガバチのワーカーが100%無翅、つまりアリになるのにそう長い時間はかからなかったろう。個体の成功よりも社会の成功のほうが歩みが早い。ひとたびアリが誕生すれば、またたくまに地上を席巻し分化して中生代の主役になっていく。

アリの強みは、自然界で淘汰されるはずの者が主役となる社会を築いたところにあった。そして1億年後、人類によっていっそう不自然な社会が地球を席巻することになる。ヒトの社会は、本来死すべきものが社会に守られて生き残るという点ではアリと同様だが、くわえてヒトの社会は「社会の中にあってすら淘汰されるはずの者が活躍できる社会」である。なんと二重の矛盾を克服しているのである。


カタバミ  テトラ  ナゾノクサ
たまたま見聞録→