チョウの越冬


日本に住む虫にとって、冬をどう過ごすかは生死に関わる問題だ。ちゃんと越冬の方法をもっていないのは死に絶える。まれには鳥のように南に飛んでいくものもいるらしいが、虫は種ごとに越冬スタイルを持っている。その辺を飛んでいるチョウを思い浮かべれば、あれはこれこれはあれと、決まったスタイルを思いつく。モンシロチョウは蛹。アゲハチョウも蛹。ヤママユガやミドリシジミは卵。オオムラサキは幼虫。ムラサキシジミやキチョウは成虫。

はて、どうしていろいろあるのだろう。単純に考えれば卵が一番寒さに強そうだから、みんな卵で冬を過ごせばよさそうなものである。バラバラなのは成り行きでそういうことになったからなのだろうか。おそらくチョウはもともと南の虫だろうから、冬のない地域での生活で獲得したスタイルからの必然として確立された越冬態にちがいなかろうと思う。どういう原因からアゲハは蛹で冬を越し、ヤママユガは卵で冬を越すのか、そのあたりをちょっと考えてみる気になった。

ところで私はぼんやりと卵越冬が有利と思ったのだが、それは本当だろうか。迂闊にもそういう研究は知らないし、誰かがそんなことを言っているのも聞いたことはない。私が勝手にそう思っているだけなのだから、その理由を挙げておかないと、のちのち自分が自分を批判する上での不手際になる。

第一に、卵は製造コストが小さい。虫は卵→幼虫→蛹→成虫と経るうちにぐんぐん数が減っていく。苦難をかいくぐって成長した幼虫・蛹・成虫を数か月にわたって、ただじっとさせておくのはもったいないような気がする。モンシロチョウの蛹なんか夏場だとすぐに羽化するのに、越冬蛹は3〜5か月も惰眠をむさぼることになる。幼虫や蛹、成虫は鳥にとってよいエサなのだから、動けもしないのに長期にわたってそういう姿ではいないほうが良いと思う。その点卵なら鳥のエサには不適だし、多少食われても数が多いから生き残るものも多いだろう。

虫の体で寒さや乾燥に一番強いのは卵じゃなかろうか。孵化していたとしても、卵の殻の中で幼虫になってじっとしているのが冬をやりすごすのに適していないか? 体積が小さいほど、乾燥は早く凍結も早いのかもしれないが、卵には殻がある。卵ならば乾燥低温に耐える仕組みにすることも易しそうだ。

ひとまず仮に卵が越冬に最も適するステージだとしよう。そうすると、あえて有利なはずの卵で越冬しないものには、卵ではダメな原因が見つかるはずだ。

チョウやガは食草上に産卵するのが基本だと思う。彼女らは非常に注意深く食草を選び卵を産み付けていく。幼虫は孵化するとすぐに食べ物にありつけるのだから、うまい手だ。ところが、日本には冬枯れになってしまう草木も多い。食草が冬にはすっかり枯れてなくなってしまう場合は、その葉に産卵してはいけない。卵が枯れ葉といっしょに飛んでしまえばおしまいだ。

むろん日本にはそんな愚かなチョウはいない。卵越冬するチョウやガの卵は食草のそばに注意深く産み付けられている。母の愛が感じられる習性だ。越冬卵の孵化そして幼虫の成長は、とてもうまく芽吹きと同調しているように思う。卵は芽のそばに産み付けられ、孵化した幼虫は芽吹いたばかりの、いかにもうまそうな葉を食う。葉の成長に合わせるかのように幼虫も姿を変えて、カモフラージュするものも少なくない。つまるところ、卵越冬は有利だけど一枚二枚手が込んだ芸当とも考えられる。

卵越冬は日本のチョウで大多数の主流というわけでもない。日本では卵越冬したくてもできないチョウが他のステージでなんとか生き残っているのだろうか。意外にも卵越冬は発生回数の制約等で不利になったりするのだろうか。卵越冬できないからこそ、手のかかる生態を獲得したチョウがいるかもしれない。いろいろ解かねばならぬ課題がそこにある。

卵越冬するものたちの特徴は孵化したばかりの幼虫が若葉を食えるということだ。それは完全に食草に適応していることを示している。落葉樹あるいは冬に地上部が枯死する草本に依存しているともいえる。

少年の頃、数年にわたってヤママユガを飼育していたことがある。最初の年、外よりは暖かい室内で卵を保存していたものだから、幼虫はかなり早めに卵の殻を破って出てきてしまった。クヌギもコナラもウラジロガシもようやく冬芽がほころびかけたころで、小さな毛虫は食べるものがなかった。冬芽を切断してほぐして与えても無駄だった。食草である常緑樹のカシの葉を与えても駄目だった。成長しきって固くなった葉は刻んでもすりつぶしても生まれたばかりの幼虫の食欲をそそらなかった。結局、孵化した幼虫の大半が餓死した。

爆発的に進行する春の芽吹きに合わせて孵化するのは綱渡り的職人芸だ。高度な芸には副作用もある。春に芽吹き、夏に葉を拡げ、秋に落葉する食草に生活環をピッタリ合わせれば年に1回しか発生できないことになる。一方、年に複数回発生するチョウは、食草に直接産卵するタイプが多い。直接産卵する蝶の幼虫は固い葉も食えるようで、アゲハはかちかちのミカンの葉に産卵するし、モンシロチョウも人間が捨てるようなキャベツの固い葉に卵を産む。彼らの生き様であれば、年に数回の発生をすることができる。

卵越冬のチョウは日本の四季にみごとに適応している。ただし、食草直接産卵型のチョウでサナギ越冬をするタイプもみごとに適応できている。アゲハはおそらく南のチョウであるが、北海道にもけっこういる。札幌でアゲハがたくさん飛んでいるのを見て驚いた覚えがある。アゲハは寒冷地ではキハダなどの落葉広葉樹を食うのだ。ミカンは寒さに弱くて札幌の冬だといっぺんに枯れる。いっぽう、アゲハのサナギは氷点下10℃でも凍らないというから、札幌でも十分に定着ができる。越冬態は必ずサナギで、アゲハのサナギはある程度寒風にさらされないと羽化しないという。11月ぐらいの小春にだまされて羽化することもないのだ。

それでもアゲハは完璧な寒冷地仕様とはいえない。アゲハのサナギは凍ってしまえば死ぬからだ。北海道には体が凍っても死なないタフなチョウがいる。アゲハはもともと南のチョウで、北上の試行錯誤の過程で低温に強かったのがたまたまサナギであったから、サナギ越冬に固定したのだと思う。そして、固定しているということが長い歴史を物語り、じゅうぶんな適応の証拠となる。

エゾシロチョウは最も寒冷地に適したチョウだ。エゾシロチョウは集団で樹上に巣を作り、幼虫で越冬する。冬期の幼虫は耐凍性を有しており、比較的高い温度で体が凍るが、凍っても死なないという。やがて来る厳しい冬を見越すかのように、夏にゆっくり成長し非常にながい休眠期間をもっている。

いかにも低温に弱そうな幼虫で冬を越すのは、ねらってそうなっているとは考えにくい。行き当たりばったりで、それこそ適者生存という有名な法則によって、ふるい落とされ生き残っているのではないかと思う。

幼虫越冬するチョウとして最も有名なオオムラサキなんかはいくらか事情が違う。私はオオムラサキが幼虫越冬する必然性を見いだせない。落葉広葉樹である食草(エノキ)に直接産卵するタイプだから卵越冬は無理である。しかし、蛹越冬は可能なはずだ。アゲハのように秋までに十分成長して蛹になって冬を越し、春に羽化してエノキの芽ぶきを待って産卵すればよい。幼虫でなければ絶対駄目というわけではない。ただ、成虫のエサが夏の樹液であるから、そのままの食性を維持するとなると、蛹越冬は無理かもしれない。

必然性がないにもかかわらず、オオムラサキの越冬術は見事である。オオムラサキ、ゴマダラチョウの類は南方的である。もともとの生活がたまたま日本の冬に合致していたのかもしれない。だとしても地誌的な時間を経て獲得した幼虫越冬であろう。

ツマグロヒョウモンは今現在日本を北上しつつある南のチョウである。冬期の低温が北上のネックになっているようで、関東地方では定着にはいたっていない。ツマグロヒョウモンは定まった越冬態がない。最も低温に強いステージは幼虫らしい。5℃ぐらいまでの温度には耐えるのではないだろうか。ツマグロヒョウモンの北限にあたる各地で厳冬期に大きい幼虫がスミレを食っていることが報告されている。スミレ類も冬に緑の葉を保っているものがけっこうある。

ツマグロヒョウモンが本物の神奈川のチョウになるためには冬眠の能力を獲得しなければならないだろう。現時点では、冬でも暖かいときには活動して、寒くなると動けなくなり、体が凍ればそれっきりというようなことを繰り返しているのだろう。わが家でも秋に蛹化したメスがいて、アゲハのように、そのまま越冬するのかな? と思いこんでいたら、厳寒の12月に羽化してしまい、チョウは羽ばたくこともできずに脱け殻の直下で横たわっていた。おそらく凍死であろう。

この先、時を経てツマグロヒョウモンが東日本のチョウになるかもしれない。そのときはおそらく、幼虫越冬するチョウになっていることだろう。卵越冬するには、食草外に産卵するという成虫の跳躍的な進化をまたねばならないと思う。しかも冬季は孵化しないことも必要だ。卵、蛹ではなく成虫や幼虫で越冬するものは日本に冬があることを知らず、冬と戦いつつあるという印象を受ける。


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