心は遺伝するのか


獲得形質が遺伝すれば…というのは払拭し難い誘惑である。それさえ受け入れてしまえば生物の進化はなんでも説明ができるような気がする。化石記録上の進化は合目的であり定向的でありスピーディに見える。感覚的にそう見えることもあり、ランダムな突然変異を前提として統計的に処理するのはしんどいこともあって、獲得形質の遺伝という禁じ手を使いたくなってしまうのだ。

体の方ならば獲得形質の遺伝を持ち込むとすぐに破綻する。実験によって仮説を確かめることができないからだ。証明ができるのならさっさとやっているだろう。確実な方法なのだから。一方、動物の行動と行動の動因になる感情…好ましいか疎ましいか…はどうなんだろう。

私はモナークの秋の大移動は個体の記憶が母親から子どもに伝わらなければ無理だと決めつけている。五大湖にいるモナークには前の何世代かがたどってきた北アメリカのルートが体に刻み込まれているからこそメキシコの1点まで飛ぶことができると思うからだ。母から子へルート情報がつながるのであれば獲得形質の遺伝にほかならない。すべての個体のDNAに地球上のその1点がGPS的に刻印されているという証拠が見つかれば話は別だが。

私の直感にしたがうとして、母から子へ伝わったのは何だろう? その遺伝実体は何だろう?

反射と条件反射

獲得形質の遺伝といった場合に、目に見える体の構造であればそれが遺伝しないというのはよくわかる。鍛えて太くなった自転車選手の筋肉とか事故で失った指が形質となって子どもには伝わらない。肉体はDNAという強固な設計図をもとに作られる。その図面は複雑かつ精細でそうそう変更はきかないものらしい。むやみな変更は致死的であるはずだ。

肉体のほうは置いとくとして、問題は心の方である。普通にいう記憶が遺伝しないことはわかる。経験が遺伝するとなれば、いわゆる転生という不可解領域に踏み込んでしまう。いくらか手がかりがあるとすれば、肉体の反射に記憶や経験という漠としたものが加わる「条件反射」だ。ベルを聞いてよだれを流すパブロフの犬とか梅干しを想像して口の中が酸っぱくなる私とか、その手の条件反射と遺伝の関係は注意深く調べる値打ちがある。

蛇と蛙のような生まれつきの天敵関係も条件反射(トラウマ)が親から子へ伝われば簡単に理解できる。反射はアプリオリ、つまり生まれつき身についているものだ。一方、条件反射は学習によって身につくもの。もし親が身につけた条件反射が子に反射として伝われば獲得形質の遺伝ということになる。

そもそも完全に反射とみなせる行動の起源がわからない。ヒトの反射がいかにして身についているのかを解明することはたやすくはない。たとえば爆裂音に身を硬くする行動はミミズでも同様のものが見られるように、ヒトがヒトである以前からの反射をうけついでいるはずだ。ヒトがまだ海中にいるミミズ程度の虫だった頃から現代まで無限の時間を費やして刺激―行動をもとにしたランダムな適者生存の結果、爆裂音―身かがめ反応が発達したという説明は一応の筋は通る。環境の異変、捕食者の接近に対して急激な動作を行うことで生存率が上がる。そうした反射行動は…起源は突然変異としても…今のヒトにまで受け継がれている。

ただし適応上必ずしも有利とは言えない反射が生き残っている。長い目で見て生存に有利に働かず、非適応的な反射がある。そういうものは適者生存による強化はないはずだ。また学習能力が高いヒトでは条件反射という用語がしっくり来るけれど、ミミズ程度の頭が悪い動物の場合は、学習によって身についた行動ではなく、もともとあった反射が刺激によって顕在化しただけだとする考え方ができる。つまり元々できる行動でなければ反射では起こらないはずである。特定の刺激に動作あるいは感情が連結し、洗練されて、神の計画とまで見える行動に到達しなければならないのだ。「元々あった」はその以前の「元々」に行き着き、その元々にも元々があるというように無限遡及したら行き着くところはどこなんだろう。

条件反射の生理

アマガエルははじめて会うヒバカリに激しい忌避反応を示す。ヒバカリは蛇とはいえ私には虚弱に見える。ものを知らないアマガエルから見れば無害に見えそうな気がする。しかしその忌避反応たるや尋常ならざるものだ。ヒトに追われてもああはならない。上陸して間もないアマガエルは蛇に襲われた経験がないのだから、それは反射行動だ。それでも形式的には条件反射と見えないこともない。反射と条件反射はどう線引されるのか。

経験をもとに条件付けされた反射(うめぼし)とアプリオリな条件反射(ヘビとカエル)との間にある生理的な違いとは何だろう。ヒトでいえばその差は明確だ。身に覚え…原因理由に思い当たるふし…があるからだ。そこに学習がある。

頭が悪い動物なら身に覚えがない条件反射があるはずだ。わが家の犬は東日本太平洋沖地震を体験した。家屋が揺れて随分怖い思いをした。あのときは緊急地震速報が機能して、テレビの警報音に続いて揺れが来ることが多かった。その恐怖体験から犬は緊急地震速報の警報音だけでパニック発作を起こすようになった。

犬が東日本太平洋沖地震のことを記憶し想起できるかどうかは心もとないものがある。ましてや犬よりも頭が悪そうな魚なんかでも条件反射は身につくのであるし、ミミズ程度の虫でもできるということだから、条件反射には記憶と想起…いわゆる身に覚え…は必須ではないのだろう。

「条件」の無自覚と形成

自分のことであれば習い覚えて強化される条件反射と生まれつき身についている反射の2種ははっきり区別できる。この「はっきり区別できる」ことが私の大問題だ。反射のほうは身に覚えがないのにはっきり体と心が動く。糖をいつ甘いものだと理解したのかわからない。熱いものに触れた手を引っ込める動作をいつ覚えたのかなんて知らない。ピアノの和音がなぜ心地よいのかなんて説明できない。

そして条件反射とは何かとつきつめると、条件反射は畢竟反射の組み合わせであることがわかる。反射としてあらかじめ体内に組み込まれていない反応は条件反射にはならない。無関係なはずの複数の反射が組み合わさることで条件反射が生じるといってもいいだろう。時空を超えて反射が組み合わさったのが条件反射だ。人間ならば、そこに因果を自覚するこができる。

反射は客体あってのものだねだ。つまり条件反射の「条件」が生まれつき与えられているということができる。ヒバカリの、アマガエルを見つけて襲うのは生まれつきだ。すなわち反射だろう。その引き金になっているアマガエル像が精細に決められているということに注目しなければならない。コオロギには全く反応しないからには、漠然とした…たとえば口に入るサイズの虫という程度の…大ざっぱなものではないのだ。

私が金魚を与えたヒバカリは生まれてこのかた魚なんか食ったことがなかったはずなのに金魚をロックオンして、躊躇なくアタックした。やつの中には獲物として魚のイメージがしっかり刷り込まれている。

反射の引き金になる対象像がはっきりしているということは、それが漸次形成されたものだということを物語っている。進化は動物の外見にも起きる。アマガエルのみかけも進化によって変化するならば、ヒバカリにとってのアマガエル像も刻々と変化しなければならないはずだ。アマガエルはいつの頃からか体の色を背景に合わせる技を持っている。その戦術に対抗するならヒバカリが知っているアマガエルの色あいも変わらなければならないだろう。

ヒバカリがアマガエルを襲うのは「生まれつきの条件」が付属する反射である。その条件はどうやら繊細でありつつフレキシブルなものらしい。となると、ヒバカリにとってのアマガエル像は5000万年も変わらないアマガエルの本質を見事に捉えているものなのだろうか。それともアマガエル像がヒバカリの世代を越えて引き継がれるのだろうか。

私はヒバカリはアマガエルを狩り続ける過程で条件反射を身につけると思っている。アマガエルを見つけ、気づかれないように襲うコツが上達していくはずなのだ。その条件反射がゆるやかでもよいから次の世代に引き継がれるということがなければ、年々進化していくアマガエルに置いてきぼりを食らうのではないだろうか。

アマガエルとヒバカリはまだ親戚みたいなものだから、アマガエルが進化する方向とヒバカリが持っているアマガエル像が進化する方向は一致しているから条件反射の遺伝なんて必要ないんだと主張することもできよう。嫌いではない考え方だがそれでは思考停止になってしまう。

遺伝の単位は遺伝子とよばれ、その実体はDNAだとされている。当然のことながら、反射は遺伝するのだから、反射の遺伝子もあるのだろう。そしてその実体のDNAもあるはずだ。まずは反射の大元になる無意識を形成するDNAを特定する必要がある。反射は体と心のダイナミックな連携であるから遺伝子の実体がどういう過程で行動につながるのかを突き止めるのは難しいだろう。DNAには何をやっているのか不明の部分があるらしい。そこが心の形成に関わる部分のはずだ。心の遺伝子を編集した健康な生き物を調べる技術が必要だ。


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