たまたま見聞録
見聞日記 天地無朋 2022

2022.1.2(日)晴れ クロスズメバチの死

クロスズメバチ

今日も群青で相模川。相模川はやはり南風。風の強さは15〜20km/hといったところだ。海風か。気圧配置から傾度風ということもある。相模川の風は読みにくい。

自転車は腕力を使わずに上半身の体重を使う練習。ニュートンの第3法則によって、ペダルを踏めば体が浮く。浮いた体をそのままペダルに乗せて推進力に変える。単純で簡単な技のようでこれがなかなか難しい。もしかして人間には無理な技なんじゃないかと疑念が芽生える。

昼飯はいつもの草むらで。セイタカアワダチソウなんかの花はすっかり消えて寒々している。チョウもアブもいやしない。ぶんぶん飛び回っていたクロスズメバチは巣に引きこもった。

念のために巣口をチェックしてみると1匹いた。小春のひよりに誘われて巣を開けたのだろうか。これはチャンスとTG-5の電源を入れて近づくと、様子がおかしいことに気づいた。ぜんぜん動かない。どうも屍のようだ。体は泥まみれで草切れを抱え込むようにして息絶えている。こいつに何が起こったのだろう。

もしや外での活動に夢中になっている間に仲間が巣口を閉ざしてしまったのだろうか。あるいは外にいる間に寒気にぶつかって帰れなくなり、ようやく帰り着いたものの入り口が閉ざされていたのだろうか。ともあれ、体が泥まみれということは巣に入ろうとして足掻いた末の凍死をうかがわせる。

やつの死が私の推察どおりであったら他人事ではない。私は集団行動になじめず、気づいたときは置いてきぼりという状況によく陥った。仲間は閉ざされた扉の向こう側…という状況は悲しい。身から出た錆とはいえ。

人間は集団行動ができなくてもそれなりに面白おかしく生きていける。そういうことも何十年か生きている間に学ぶことができた。クロスズメバチではそうも行くまい。集団からはみ出た者は即、死であろう。


2022.1.3(月)晴れ 登り練習

昨日あたりからこの辺もようやく冬になった。風が冷たいだけでなく世界全体に寒さを感じる。

今日は群青で登りの練習。登るのも少しはやっておかないと脚が腐ってしまう。半原越は遠いのでまずは近場の鳶尾山だ。散歩する人が多く、自動車やオートバイも行き交うが、それ以外は閑散として寂しい山道になった。ときおり遠くからヒヨドリが聞こえる。しかし鳥の姿は見えない。虫たちもそれぞれの方法で冬を過ごしているはずだが、私にはそれを見つける能力がない。

まずは昨日のやり方で登ってみた。上死点で踏んでそのまま体重をかけて推進力にする。やってはみたもののぜんぜんダメだった。登り坂では自重で進むことはできないってのが結論だ。60rpmで走っている場合、自重をかけることができるのはクランクが1回転する1秒あたり0.2秒程度になる。両足あるから35kg重を0.4秒かけたとしても、前に進むには全然足りない。技術的にも難しいやりかたなんで良く失敗するし、進まないことにいらいらする。地球の重力というやつはとってもスムーズで無駄がない。私は1秒間ずっと70kg重の力で後ろに引っ張られている。自転車は自重で進むという人類の大発明ではあるが、登坂は自重でなんとかなる相手ではない。

体重を上手に使うためには、0.2秒間筋力を抜く必要がある。そんなことをやっている暇はないってことを思い知らされた。結局のところ昔からやっている筋力で回す方法しかないというところに落ち着く。体中の力を総動員して、ペダルがどこにあっても推進力をかける。サドルにべたっと貼りついて片脚ペダリングを両足でやる感じがもっともパワー感がある。

むろん体力は必要だ。筋力ペダリングは歩行なら1歩1mの大股でぐいぐい登ることに相当する。もう私にできることではない。今日の練習では心拍が170bpmを越えなかった。一時期はよっぽど気をつけて力を抜かない限り170bpmから落ちなかった。筋力が落ちて体を追い込めず、心臓も回らなくなっているのだ。数字は寂しいけれど、登っていることの爽快感や楽しさは落ちていなかった。むしろ上がっているぐらいだ。


2022.1.8(土)晴れ 冬の野鳥

メジロ

昨日のこと、二階の窓から融け残った雪を見ていると、電線に見慣れぬ鳥がいた。とっても特徴ある姿なのですぐにトラツグミだとわかった。ここでトラツグミが見られるなんてすばらしい幸運だ。

ずいぶん前にはこのあたりにも鳥は少なくなかった。近所の林には毎年カッコウがやってきた。冬には梅に来るメジロを撮影するのが楽しみだった。いまはそんな環境ではなくなっている。

ところが、今朝はやけに野鳥が多かった。メジロ、シジュウカラ、エナガが次々にやってくる。異変といえば積雪ぐらいしか思い当たるものはない。雑木林の林床にはまだ雪が残っているはずで、餌がとれる場所を探し回っているのかと思う。

昼近くに群青で相模川へ。まだ道路には凍結した雪が残っている。乾いた道路を選んで走るしかない。自転車は氷にはもろい。相模川の練習場所はさいわい全面的に乾いていた。一部未舗装の路面が水たまりになっているだけだ。ゆるい南風なもんで踏み込んだり回したり力を使わなかったり、いろいろな練習をやり放題だ。日差しは日に日に強さを取り戻しているように感じた。南向きの草むらに座っていると太陽が顔に暑い。

河原にはモズやらジョウビタキやらがしきりに行き交い、川面にはオオバンが群れている。オオバンは流れに逆らって上流に向かって定位しながら川を横切る体勢だ。ときおり水面に頭を突っ込んでいるのは何か食べる物があるのだろうか。

岸辺に生えたオニグルミにちょっと大きな鳥が止まっている。腹が白いのはかろうじて確認できる。ツグミだろうか。今季はまだツグミを見ていない。撮影して拡大すればなんとかなるかと何枚か撮ったもののツグミかどうかはわからなかった。


2022.1.13(木)晴れ 腐海感あらわに

藍藻

冬にセットしたらどうなるだろうと田んぼ水槽をはじめてみた。ひと月あまりが経過して順調に水が澄んでホウネンエビやミジンコが元気に泳いでいる。ただし景観はそれほどよいとは言えない。

いまは糸状の藻、おそらくホシミドロの類がかなり多い。アミミドロも発生している。シャジクモはいまいち藻に押され気味だ。

そして、コケムシが多い。真珠大の半透明でぶよぶよの謎の物体X感があるやつだ。低い水温が適しているのか、もともとの泥の影響なのかは判然としない。そしてコケムシには写真のように濃い緑のコケがつく。このコケはミドロではなく藍藻の類ではないかと思う。明るくなるとさかんに光合成のあぶくをはく。コケムシと共生して藍藻が増えるのか、単にコケムシが育つ場所は藍藻も好むのか。

ともあれ、各種のコケは活性汚泥とあいまって風の谷のナウシカの腐海感をあらわにしている。田んぼ水槽はあくまで観賞用であり、終末的な様相は歓迎できない。ただ、ここであわてていろいろ手を入れることはいい結果につながらないはずだ。これまでの経験から緑濃いやつが藍藻であったとしても水槽全体を覆い尽くして、ほかの植物や藻を圧倒することはないだろうと楽観している。

ひとまずは継続観察だ。


2022.1.20(木)晴れ ちぎれ雪雲

雪雲

写真の雲は相模川の東にぽつんと浮かんでいたものだ。

今日は冬型の気圧配置で北西の風が強く相模川の河口付近には雪雲が流れていた。雪雲は富士山、丹沢から帯になって相模川にかかっている。今日も2本が伸びている。水分は多くないと見えて相模川の上空でほぼ消滅し、湘南に雪を降らせるまでのことはない。ただ、丹沢の東斜面には遠目にも降雪があることが確認できた。

午後になると風は弱くなって雪雲は小さくなっていった。そして写真の雲が残された。雲は上空に吹き上がっているし、下には垂れている。雲の中に強風が吹き荒れていることだろう。これだけを見れば正体不明の積雲?ということになりそうだ。丹沢の東斜面も積雪だろうと予想していたが、遠目に確認できるほどの積雪はなかった。


2022.1.22(土)晴れ 謎の金属デブリ

デブリ

サイクルコンピュータのマウントが割れたので、接着剤で固めて延命しようと思った。強力接着剤を割れたところに塗って乾かすだけの簡単な作業だ。接着剤の乾燥には丸一日かかる。小物の場合は万力で挟んでおくことが多い。

準備がととのい本棚に設置してある万力を開こうとして発見したのが写真のデブリだ。アルミパイプを雑に切断した破片に接着剤が塗ってある。

万力にこいつを見留めて背筋に悪寒が走った。全然心当たりがないからである。

まずこいつの用途がわからない。これが何に使えるというのだ。万力を使って作る物といえば、自転車かカメラの間に合わせ部品である。さすがにこういう半端でできの悪い物は使い物にならない。失敗作として即在にゴミ箱行きになるはずだ。

つぎにこいつの原材料がわからない。アルミパイプはいくつか持っているけれど、最近パイプを切断した記憶がない。塗ってある接着剤は普段使っているもののようだ。

そして何がしたくて万力に挟んでおいたのかがわからない。3日ほど考えたが、これにまつわる一切の記憶がない。推理の手がかりすらない。状況証拠としてこんなことをやるのは私しかいない。家族は部屋に万力があることすら知らないだろう。いったい何が起こったのだろう。

じつはこの部屋はミステリアスな事件が頻発する。床に落とした小さなボルト、ナット、鋼球、磁石などが次々行方不明になる。そうしたものがコツンと落ちて転がって行った先を丹念に探しても見つからない。そしてある日ある時ふと思わぬ所で見つかったりする。じつはこのひと月あまりフロントディレーラーをシートチューブに巻き留めるボルトが行方不明になっている。ディレーラーの修理の途中で手の中から忽然と消えた・・・ような気がしている。あるはずのパーツがいつの間にか消えているし、買った記憶がないパーツを持ってる。

この部屋にはブラックホールでもあるのだろうか。もしくは異次元の出入り口、その筋の皆さんがポータルと呼ぶものだ。このデブリからは意思と意図を感じる。精霊、宇宙人、妖怪、座敷童、こびとさん、ポルターガイストの仕業ではないのか。

私はそれらを全否定するほど愚かではないが、超常現象なんてあるわけないとすれば、原因は私の惚けということになるだろう。それなら心当たりがないこともない。

20年ぐらい前、職場にフリーセルが好きな先輩がいた。「フリーセルは惚け防止になるんだ」というのが彼の口癖だった。それを聞くたび、そういう発想が起きるってのがそもそも惚けの兆候じゃないかと心の中で反論したものだ。

私も人生の目標としてフリーセルを始めた。12万個ほどを解いて近ごろ彼の言い分がわかるようになってきた。万力に謎のデブリが挟まっていてもフリーセルができるうちは大丈夫と言い聞かせている自分がいる。ただし、フリーセルは惚け測定器として弱い。単純ゲームは達人の域になると思考力が無用になるからだ。こんな判断があるうちはまだ惚けてないだろうか。

先日のこと出川哲朗の充電バイクの番組で中学数学の問題が出た。「ルート480nを整数にする自然数nを求めよ」というものだ。30秒で解いてまだ惚けてないだろ?と女房子供に自慢して鼻白まれた。そんな問題が解けるぐらいで頭が正常ということにはならない。瞬時に暗算できたのは、自転車をやってて48×16Tのギアは3倍だってことが体に染みついているからだ。それに惚けても50年前のことなら覚えてるってことがあるらしい。


2022.1.23(日)くもり カラスとクルミ

カラス

群青で相模川。背中を使う練習をしなければならない。前足に体重をかけながら回すペダリングは高等テクニックだ。漫然と走っていると忘れてしまうからときどき意識して練習しておかないとだめだ。

今日の写真は相模川のカラス。オニグルミを咥えている。オニグルミは相模川の河原にたくさん生えている。その堅果はとてもおいしい。市販のクルミなんか足元にも及ばない。カラスとしてもいい食べ物なんだろう。

こいつは10mほど上空から土手のアスファルトにクルミを落としていた。オニグルミはそれぐらいでは割れない。三度トライするのを目撃した。

土手に転がるオニグルミの殻は何度か見ている。真っ二つに割れたものだ。たぶん人間ではなくカラスの仕業だろうと予想はしていた。しかしそれをどうやって割るのかはわからなかった。

巻き貝程度のものなら上空から落とすだけで割れる。オニグルミはきっとそれだけでは割れない。30年ほど前、東北大学の研究で自動車を巧みに利用してオニグルミを割るカラスのことを知った。

相模川の土手には自動車がいない。自転車と歩行者だけだ。だからアスファルトに転がるクルミ殻はちょっとしたパズルだった。

オニグルミにトライしているカラスはそばの電柱に止まっている。撮影してやろうとカメラを構えて近づくと飛び立った。自転車で近づくだけだとさほど気にしないが、手に何かを持っていると警戒される。もしくは作戦変更だろうか。

土手の近くに交通量の多い道路がある。そっちに移動するのか。カラスが付近の道路でオニグルミを割って土手で食べるっていう線が、アスファルトに転がる殻の真相かもしれない。


2022.1.27(木)晴れ クルミ割り

クルミ

群青で相模川。天気予報だと相模川は南東よりの弱い風だった。行ってみればその通りだ。風は踏み込みを入れて回す練習に好都合だ。

いつもの練習場に着くとカラスがいた。遠目にもクルミを上空から落としていることがわかった。それじゃあ割れないだろうとスルーしてしまった。ところが、折り返してその場に来てみれば割れたクルミが散乱している。ちょうど1個分ぐらいある。カラスの行動を目撃してから10分ほどしかたっていない。

しまったと思った。状況はカラスが土手道でクルミを割ったことを示している。早合点せずに10分だけ観察していれば事の次第を確認できたはずである。過ぎたことはしかたないと、その状況を撮影して、クルミの殻を1か所に集めてその場を後にした。

4往復の練習をしての帰路、集めておいたクルミの殻の一番大きいのがなくなっている。前方にその殻らしいものを咥えたカラスがいる。何を思ったのかクルミの殻を持って行ったのだ。

そしてもう1匹、クルミを咥えたカラスがいた。そのクルミはまだ割れていないらしい。10mばかり垂直上昇して急降下しながら4mほどの高さからクルミを落とす。よく見ている光景だ。やはり易々とは割れないようで、その行動を4回繰り返し、クルミを持って去っていった。


2022.2.4(金)くもりのち晴れ 春の相模川

今年の春は1月28日に訪れた。少し遅いが平年並みといったところだ。群青ででかけた相模川はむろん冬の殺風景だ。視覚的に春を感じるには至らない。それでも私の体はサムシングXを感じ取って春の感覚が起きる。めぐりめぐる季節の中で進化した生命なのだから当然のことだ。

ギシギシが立ち始めている相模川の土手はモズやらムクドリやらツグミやらの餌場だ。虫はそう多くあるまいとみえるのに虫を食べている様子をよく見る。今日は、カエルを捕まえたムクドリがいた。ムクドリの頭より大きいカエルだ。相模川の河口近くにいるカエルはアマガエルと思う。撮影しようとしたが近寄らせてくれなかった。私よりもむしろもう1頭のムクドリが近づいて来るのを嫌ってずるずる遠ざかる感じだ。ムクドリはせっせとカエルを噛んで丸呑みした。

春とはいえカエルが活動するにはまだ早い。ムクドリにほじくりかえされたところをみるとずいぶん浅いところで眠っていたらしい。アマガエルは土潜りの名人で10cmぐらいは潜っているのだろうと思っていた。カエルにすれば失策とはいえ、よく見つけたものだ。

今日のサイクリングでは50年前に覚えた歌がずっと脳内リフレインしていた。「サークルゲーム」という英語の歌でアグネスチャンのカバーだが、元の歌手は知らない。中学生のときに覚えた。当時から歌詞の意味はよくわからずとも名曲だと思っていた。私がつけた邦題は「輪廻」だ。

昨日、虫取りの少年がビンにトンボを捕まえて歩き回っていた。空いっぱいに雷鳴が轟いて怖ろしく、流れ星に涙がこぼれた。色とりどりのポニーたちが上がり下がるように季節は回り回る。僕らは昔に戻ることはできない。これから行く先を見つめて宇宙を輪廻していく。

ためしに翻訳してみたが、英語の韻が死んでひどい訳だ。元の歌詞をうろ覚えということもあり誤訳があるかもしれない。

この歌が心のなかで鳴り続けるのも私の体が春の訪れを感じているからだろう。


2022.2.5(土)晴れ カラスのクルミ割り

雪雲

オリンピックの入場行進のプラカード持ちがやたらと綺麗だった。尋常ではない歩行姿にときめいた。おそらくバレエダンサーたちだと思う。

もうじっとしていられなくてそそくさと群青で相模川。かっこよく歩くのは無理だけど、せめて自転車は美しく乗りたい。自転車だと体本来の美しさはさしおいて無駄なく無理なく走るだけでけっこう美しいのだ。

相模川に出ると写真のような雪雲がかかっていた。どうやら冬型の気圧配置になると相模川の河口付近には雪雲が長くかかるようだ。その原理は北陸に雪が降るのと同じだろう。西の山岳と相模湾のおかげで湘南がプチ雪国になる。雪片を2つしか確認できないほどのささいな雪雲ではあるが。

雲がかかって日がかげってもサイクリングで冷えることはない。さすがは春だ。とにかく美しく走るようにがんばる。走りを極めるのだ。自分の姿が見えないのをいいことにロベルトエラスのように走っていると思い込む。

1時間ほどそうやってると、自己満サイクリングどころではなくなった。オニグルミをくわえたカラスを見つけたからだ。カラスは相模川に沿う工場群の道路でクルミをつついている。まだ割れていないようで、1度道路に落とし再びくわえて工場の屋根に止まった。

カラスは日本特殊塗料株式会社平塚工場の赤いトタン屋根でクルミを食べようとしている。屋根にある段差を利用して足でクルミを器用に押さえクチバシでつつく。その様子だとクルミはもう割れているようだが、苦心惨憺している。勢い余って跳ねたクルミが屋根を転がり、あわてて追いかけ拾い直したりしている。

やがてクルミをくわえ一飛びで近くの電線に止まった。電線の上でもクルミをつついたが、ポイッと投げ捨てた。クルミは音を立ててアスファルトに落ちて2つに割れた。それを目で追ったカラスは屋根に飛び降りた。

私はカラスがクルミを食べに道路に降りるだろうと予想したが、カラスは屋根から動かない。しばらくきょろきょろして不機嫌そうにカァカァ鳴くと相模川の方に飛び立った。

カラスが落としたクルミは、半分になったものがさらに半分に割れている。白い実は奥のほうにわずかに残っているだけだ。そこまではカラスのクチバシが届かないのだろう。他に手がかりはないかと探せば、すぐ近くに半分に割れたクルミが見つかった。やはり白い実が奥の方に残っている。カラスらしいクチバシの跡も歴然だ。どうやらこちらをまず食べたようだ。

これら3つの破片とカラスの行動を見るに、クルミは上空から落とすだけで割れるみたいだ。最初は自動車を使うと予想したが、早合点だったらしい。


2022.2.6(日)晴れ イメージする

雪雲

オリンピックのプラカード持ちにすっかり魅了されて、昨日と同じく美しく走る練習。無理なく無駄なくまっすぐ走ることに集中すればいいのだけど、いつのまにか余計なことを考えている自分に気がつく。

今日の相模川の風は方向も強さも一定ではなかった。風に合わせたギアを選ぶのは美しく走るための必須テクだ。それはいいとして、その風が吹く原因まで考えてしまう。

相模平野には写真のように冬の雲が被さっている。積雲の雲底は富士山から概算すると2500mといったところだ。それにあわせて雪雲の帯が三浦半島あたりまで伸びている。

雲があるところの風は西北西だ。地上の方は逆に南東の風になっている。午前中は北寄りゆるく吹いていた風が雲が発達する昼頃には南東になった。この手の雲ができるときは毎回同じような風が吹いている。

相模川の海風は上空では山がある北から吹いて、地上では南から吹く。この南東の風は海風かもしれない。ただそれだけでことは済まないような気がしている。テレビの天気予報では冬の相模湾の風が東よりになっていることがよくある。地形の影響で集束帯があるのだろうか。日本海にできて豪雪をもたらすJPCZのようなものができているのかもしれない。そのメカニズムがイメージできなくていらいらする。無駄な考えは休みに似ているばかりか自転車練習の障害になるのだけど。

北京オリンピックで一番うれしかったのはプラカード持ちのお嬢さんたちだが、イマジンが流されたこともうれしかった。香港の人々がひどい目にあったりウィグル疑惑がある中国がイマジンを使う。我が意を得たりといったところだ。これで音楽の力、歌の持つ真の力を認識する人が増えて欲しいと思う。

そんな喜びも期待も美しく走るには余計だ。プラカード持ちのお嬢さんのことだけを思い出して人車一体をイメージしておればよいのに。


2022.2.9(水)晴れ 北風と太陽

今日もあいかわらず群青で相模川。午前中は快晴で北風がやや強い。北へ向かって風を受けて走っても凍えない。鼻水が出ない春の暖かさはありがたい。力を取り戻した太陽が背中に暖かい。自分の影がアスファルトに落ちている。

太陽が南中すると、真後ろから日差しを受ける。影を見てふと左肩が上がっていることに気づいた。まさかのゆがみだ。自転車に乗っていて肩が上がるのは初歩的なミスだ。しかも左だけとなると自転車乗りのはしくれともいえない。美しく走るどころか流行のSCDsにもなってない。

じつはこのところ不均衡には気づいていた。左足の付け根に痛みが来ることがある。右膝が内側にすぼむ。それらの不具合も肩が上がっているせいかもしれない。思えば専属のフィジカルトレーナーから背中の硬さを指摘されていた。ちょっとだけ製作に係わった新城幸也・バイシクルトレーニングDVDで柿木博士は肩胛骨の重要性を強調している。そんな自転車の基本中の基本は身につけているはずだったのにいつの間にかおかしなことになっていたのだ。

さっそく自分の影を見ながら矯正にはいる。いい北風が吹くのを幸いに強めに回しながら背中に意識を集中して走る。どうやら左肩で腕を支えるのが引っかかりになって肩胛骨から脇腹への筋肉がちゃんと使えてないようだ。ちょっと気を抜くと肩が固まっている。肩のしこりはたちどころに下半身に悪影響をもたらす。ひとたび狂った姿勢を取り戻すのは簡単ではなかった。

1時間ほどやってなんとかなってきた。肩の力を抜いて肩胛骨で腕を押し引きさせるだけで劇的にペダリングが変わる。左足の引きと右足の踏み込みの引っかかりがとれた。重いギアを使って強く回してもスムーズだ。力を使う感覚がなく心拍数は160bpmを越える。姿勢が見える太陽と、低スピードで力を出せる北風を味方にできた日だった。


2022.2.19(土)くもりのち雨 スキンウォーカー牧場

トラビステイラー博士が大活躍するテレビ番組に「スキンウォーカー牧場のミステリー」がある。スキンウォーカー牧場はユタ州のユインタ盆地にある。古くから知られている怪現象の宝庫である。なんと牧場を所有するのは謎の解明のために土地を買った富豪だ。彼はチームを組織して数年がかりで謎に挑んでいる。そして番組を始めるにあたって科学的な発想で実験を行うために雇われたのがトラビステイラー博士だ。

番組中これまでに怪光線、UFO、UMA、ポルターガイスト、牛の変死、放射線障害、機器の故障・・・ありとあらゆる現象が記録された。その原因を赤外線カメラや電磁波測定器などを駆使して科学的に見つけ出そうとトラビステイラー博士が張り切っている。すでにシーズン2が放送され、今年の夏に3度目の調査を行う予定だという。アメリカらしい大スケールの番組だ。

博士は牧場をマイクロ波から可視光、ベータ線までありとあらゆる電磁波が飛び交い、レーザー光は空中で屈折し、ヘリの高度測定機が異常な値を示し、地磁気が狂っていることを確認している。UFOも監視カメラやテレビカメラで何タイプか撮影されている。

怪現象の原因は古くは呪術師の呪いといわれた。宇宙人が地下に秘密基地を作っているという説もある。トラビステイラー博士は牧場が宇宙の彼方とワームホールで結ばれているという仮説まで持ちだした。

私の希望としては、そうした超常現象が未確認のしかも一般的な自然現象であることを期待したい。手がかりは牧場の地質と地下水にあるだろう。トラビステイラー博士は牧場の地面はまるで電池だと言っている。伝導性のある土地と、そこを勢いよく流れる地下水の作用で高エネルギーの電磁波が発生しているのではないだろうか。

雷はよく知られている現象だが、ミステリアスだ。最近では雷で素粒子が対消滅しているとの研究まである。雷は氷の摩擦で生じる静電気が原因だというが、ありふれた現象でなければ、俄に信じ難いものがある。

幸いなことに私は雷でミステリアスな体験をしている。私が乗っているJALかANAかの旅客機に雷が落ちたのだ。突然機内にバンッという音が響いた。そのとき目前の中空にソフトボール大の青い火の玉が見えた。一瞬のことで、火の玉が実際そこにあったものなのか、落雷のフラッシュライトによる残像などの錯覚なのかはわからない。あれがいわゆる球雷の一種だとしたらうれしい。

もしユインタ盆地の特殊な地質によって雷級の放電が起きているなら電磁波もプラズマも発生するだろう。地球上にはスキンウォーカー牧場のような怪現象が頻発するスポットが散在している。それらがみな宇宙人の仕業というには芸が細かすぎる。きっと未知の自然現象があるのだ。トラビステイラー博士にはスキンウォーカー牧場のミステリーを解明し、「地電(地雷はもう使われている)」という新現象として21世紀の科学の一章を飾って欲しい。電磁気にはキャトルミューティレーションができそうもないので謎は残るだろうけど。


2022.2.20(日)雨のちくもり一時雨 春雨

タネツケバナ

昨夜から春の雨が降ってきた。午前中には止んでひとっ走りしてこようと昨日整備した群青を担ぎ降ろした。

一通り庭をチェックする。7日にオオスズメバチが迷い込んできた。せっかくだから越冬させようと枯れ木の下に潜り込ませたが、まだ生きているようだ。あとひと月生きながらえれば巣作りに入るかもしれない。

オオスズメバチの脇にある雑草植木鉢のタネツケバナが咲きはじめている。タネツケバナというだけのことはあって、こいつはフライングをしない。早春を彩る花には冬の間も咲いているやつらがいる。タネツケバナは律儀に春の雨が来るまでは咲かない気がする。

境川に出るとヤドリギがよく目立つ。宿主のケヤキはまだ冬枯れだが、ヤドリギは冬でも緑を失わない。やつの飲み水はケヤキからもらい放題だから安心だ。ヤドリギが目立つのは川岸のケヤキだけではない。崖の上の樹木にもたくさんある。あるところには集中してあるものだ。その木も見ておこうと崖を登っていくと、ヤドリギのあるのはどうやら古くからある民家の庭木のようだった。5〜6本のケヤキの大木にヤドリギが鈴なりだ。なんと風流なことだ。ちょっとうらやましい。

天気予報では日が射すようなことも言っていたが、相変わらず空は厚い雲で覆われている。東のほうは不完全ながら乳房雲に発達している。雲の底が抜けて雨になっているところもある。ここいらにも雨が落ちてきそうだ。あわてることはない。降ってもささやかな春の雨だろう。


2022.2.21(月)晴れ ツバキ

ツバキ

快晴の青空の下、群青で乗り出すと風が冷たい。北の低気圧が発達し、さすがに神奈川県も冷たい北西の風が吹いている。風は強く、相模川べりで横風を受けふらついてしまう。かなり恐ろしい。

というわけで土手道を往復するのはあきらめ、久しぶりに相模川の左岸の崖上を走ることにした。崖に沿っていい感じに道がある。崖は植生が残され風が弱まる。

崖にはヤブツバキが多い。走りながら赤い花がぽつぽつ見つかる。いっちょ撮影しておこうと思った。いざ撮るとなるときれいな花は見つからない。盛りを過ぎたものが目立つ。枯れ残る花がよくないというわけでもなく落花もいいものなんだけど、いつの間にか意地になってきれいな花を撮らないと気がおさまらなくなってきた。

相模川左岸の崖にはいくつか上り下りする道が切られている。昔の記憶をたよりにツバキを求めてそうした激坂を降りたり登ったり。こういうサイクリングも楽しいものだ。


2022.2.24(木)晴れ 逆光に弱い

イソヒヨドリ

TG-5の弱点は逆光に弱いことだ。写真はメスのイソヒヨドリ。相模川縁で休んでいると向こうからやってきて近くの桜に止まった。TG-5では鳥なんてまともに写らないけど、手が届くほどの距離にいればなんとかなる。

ただし枝は頭上にあり白い雲が背景の逆光になる。TG-5では逆光の条件ではフレアとかゴーストというのだろうか、有りもしないものが写ってしまう。太陽光線が入ると虹の筋ができる。空を背景にすると真ん中にぼんやりした日の丸ができる。この写真では鳥の胸に紫の丸が入っている。これの修正は絶望的だ。22日の写真はフォトショップでむりやり色を塗り替えている。

この結果は撮るときにわかっている。対策としては撮らないか、あがりに期待しないことになる。鳥ならば端の方においてトリミングして使うこともできるが、風景スナップ的な物だとどうしようもない。

オリンパス社はTGシリーズのこの弱点は気づいているので、モデルチェンジごとに改善しているという。しかし技術的な難しさがあるようでTG-5の段階ではTG-1とさほど変わりない。現行のTG-6を買うつもりはなくTG-7に期待している。


2022.2.27(日)晴れ 乾期の荻野川

荻野川

写真は荻野川の河原。荻野川といえば堰堤がいっぱいあって謎の草が多産することで個人的に有名である。これもなんのことはない河原に見えるけれど、ちょいとばかり私の注意をひいている。

河原は緑の雑草に覆われギシギシ(スイバ)が赤緑の葉を広げている。それだけならなんのことはない早春の河原だ。しかし、普通に見えてもこれはアマゾンの乾期みたいな景色だ。すなわちここは季節によって冠水と乾燥を繰り返す希少な場所なのである。冠水時の水深は対岸に見えるブロックの高さくらいになる。

むろん雨期の増水ではなく人為的作用によるものだ。この場所から50m下流に可動式の堰堤がある。荻野川流域ではいまなお水稲栽培がさかんで、水を田に引くために田んぼの季節は堰堤を上げる。秋から冬は堰が下げられて乾期になる。

この河原には水没に強い多年草が多い気がする。ギシギシ(スイバ)の他にはクレソンがある。そして細い葉を伸ばしているイネ科っぽいやつは私の元祖謎の草だろうか。ここで水没に強い個体が淘汰されているとなると愉快だ。


2022.2.28(月)晴れ 小鮎川のバンドオブホールズ

小鮎川

写真は小鮎川。飯山温泉のすこし上流だ。温泉にかかる赤い欄干の橋から川を覗き仰天してこの写真を撮った。川の浅いところの砂泥が穴ぼこだらけになっている。穴は橋から上流100mほどにわたって無数にあいているのだ。

このくぼみがどうやってできたか見当がつかない。自然のものなのか人為的なものなのか。どちらにしてもくぼみができる過程が想像できない。

ペルーのナスカに「バンドオブホールズ」という遺跡らしきものがある。砂漠の丘にさしわたし1mほどのくぼみが帯状に数千個も掘られているのだ。古代宇宙飛行士説の提唱者には、宇宙人にメッセージを送るための穴だと言う者もいる。昔の電子計算機のテープまたは点字のように、穴に火を点して意味のある文字列にしたというのだ。そんなトンデモ説が飛び出すぐらい世界に知られた意味不明の遺跡(または自然の造形)である。

バンドオブホールズのようなものが神奈川の小河川にあるのはどういうわけだろう。じつは私は同様の光景を見たことがある。たしか沖縄の河川だった。あれはティラピアが作った巣だった。食用としてアフリカから輸入されたものが逸出定着した魚だ。私が野生化した個体群を確認したのは40年ほど前、湯布院の金隣湖だった。ティラピアは本州では温泉でしか定着できないだろう。小鮎川を温めるほどの温泉排水は流れ込んでいない感じでティラピアが掘った穴ではなさそうだ。

ティラピア以外にも子育て用のすり鉢状くぼみを作るシクリッドは多いが、写真のような状況になるためには無数に生息していないとだめだ。小鮎川がそれほど豊かとは思えないし、それらしい魚はとんと見たことがない。


2022.3.3(木)晴れのちくもり クルミ割り

クルミ

回す練習をしようと群青で相模川へ。途中、目久尻川の半水中スイバ(ギシギシ)が気になってチェックしてみた。目久尻川はしばらく増水もなく、流れは安定していた。水底の石に茶色のコケがびっしり生えていることからも攪乱がなかったことはわかる。であれば私の半水中スイバは元気でいてくれるはずだ。

川岸をのぞくと、心当たりの場所にスイバがなかった。おやっ枯れたか?といくぶん焦った。ちゃんと探してカラシナの奥にいるのをみとめ胸をなでおろした。

目久尻川にはスイバの200mほど下流に半水中大根(アブラナ科)もあった。そちらのほうは影も形もない。どういう理由か消失していた。もともとそんなに水中生活の得意な植物ではないはずなんで、そんなものかなと思った。

自転車の練習は回すこと。とくに上死点で推進力をかけること。そのためには足を前に運ばなければならない。その方法はたった一つだけ。それは膝を伸ばすことだ。膝を伸ばすのは前ももの役割だ。初級者は間違って前ももを使って踏み込んでしまい、向かい風や登りはしんどいと思い込む。そうならないうようにうまく案配して上死点だけで前ももを使う。ニュートンの3法則を復習しながら、ああでもないこうでもないとがんばる。おりしも時速30kmの南風が吹いていい感じで練習できた。

相模川の土手には今日もクルミをくわえたカラスがいた。割って食べようとしているのだ。自転車で何往復かしていると、道の真ん中にクルミが落ちていた。カラスが落としたのだろう。拾い上げてみれば割れてない。ひびもはいってない。これはチャンス到来と思った。

というのは上空からクルミを落下させて割ることができるか実験したかったからだ。さっそくクルミをアスファルトに叩きつけてみた。時速にして50〜60kmの衝突だったろう。クルミは写真のようにきれいに割れておいしそうな実が見えている。この程度の衝撃で割れるのだったらカラスが落としたクルミも割れるだろう。カラスは10mぐらいの高さからクルミを落とすが、じゃっかん初速度を加えているようにも見える。

久しぶりにオニグルミを食べてみたかった。もう30年ほど食べてないように思う。しかしカラスは近くでうろうろしているし、横取りは気が引ける。そのままにして自転車の練習を続けた。往復してくるとクルミは消えていた。おそらくカラスが持っていったのだろう。ヤツは横取りしてやったとか、されたとか余計なことは考えないだろうな。


2022.3.5(土)晴れ カワニナのいる水路

クルミ

そろそろ春の蝶が羽化するだろう、今日は虫探しだと群青で境川。予想どおりモンキチョウがけっこう見つかった。私の行動域ではモンキチョウのほうがモンシロチョウよりも早く羽化してくるように思う。

春のちょうちょの一番はやはりモンシロチョウだ。今年は2月のうちに見ることはかなわなかった。本気モードでそれらしい場所を探してみる。畑からこぼれたブロッコリーなんかの近くに越冬蛹があるはずだ。モンキチョウには白いタイプもいるから、遠目にはモンシロチョウに見える。しっかり見とどけることはできなかった。モンシロチョウは後日にお預けだ。

境川のローソンの近くには写真の水路がある。田畑の中の流れで水は澄んで深さは10センチほどだ。左岸に観音堂が建てられており孟宗竹の竹藪と広葉樹が茂ってとってもいい感じだ。セリなんかがぽつぽつ生え、底には泥がたまっている。のぞくとずいぶんカワニナが見つかった。活発に餌をとっているらしく、水底の泥にはにょろにょろの這い跡が見える。カワニナは子どもの頃からよく見てきた珍しくもなんともない生き物だが、少しうれしかった。春だからだろう。流れの中で動くのはカワニナだけだった。

この水路でモンシロチョウでも見つかれば特別な場所になるんだが・・・などと納豆巻きを食べてぼんやりしていると蝶が来た。キタテハだ。境川の水路脇に多いチョウだ。越冬組だろう。元気で活発でなかなか撮影させてもらえなかった。それでもモンキチョウよりはずっと寄れる。


2022.3.16(水)晴れ 水中カブ?

カブ

10日のことになるが、善明川で写真のような奇妙なものを発見した。どうやらカブであるが、河床に根付いて育っているようにみえる。ただし私は善明川観察のエキスパートであるから、こいつが新参者であり、時間をかけてここで育ったのではないことを知っている。知ってはいるが幾分かの不安はある。見逃してきたことなきにしもあらずだ。

カブが水底から芽吹いて太れるわけはない。どんなわけでこんなものがあるのか、探る手がかりを探してゆっくり走った。

大根

すぐにこんなものが見つかった。割れた大根である。どうやらこいつを捨てた者がいるらしい。葉の付き方から察するに1週間以上前の投棄だろう。大根はけなげにも芽を上の方に伸ばしているのだ。ただしこれはあくまで大根だ。きっとカブもあるんだろうと探索を続けた。

カブ

すぐに見つかった。あきれたことに1つや2つではなく、けっこうたくさん投棄されていたのだ。この写真には2個のカブが写り込んでいる。これだけの状況証拠があれば、最初のものも捨てられたカブが葉を広げているとみて間違いないだろう。いろいろ見つかる善明川であるが、水中サトイモはこの春も元気に葉を広げはじめている。


2022.3.19(土)晴れのちくもりのち雨 タデ科

ウィリエールで目久尻川と相模川を回ってきた。目久尻川は雑草の定期観察ポイントだ。昨夜はけっこうな雨量だったとみえて川の草がなぎ倒されていた。私の水中スイバ(ギシギシ)は無傷のようだ。そして目久尻川でも半水中里芋が青い葉を広げはじめている。だんだん里芋もかわいくなってきた。サトイモ科は水中生活が得意なものが多い。アヌビアスナナなんかはアクアリウム内で何年でも繁茂する。里芋にもそんな血が流れているのだろう。

ミゾソバ

半水中植物で気になっているのはタデ科だ。最近よく立ち寄る境川脇の用水路ではタデ科のミゾソバらしい草が水上に葉を広げている。ミゾソバも水に強い草で湧水では水中から芽吹いて花をつける。ただし水中への適応はイマイチらしく、完全に水中化しているものを見たことはない。夏になれば水上の草体は活気に乏しく水中の葉は枯れている。

姿はずいぶん違うけれどスイバ(ギシギシ)もタデ科だ。いま一番見たいのはスイバの水中実生である。この水路は湧水も入って水質がよく自転車横付けで観察できる。もしかしたらここでその野望が叶うかもしれない。

ギシギシ

スイバはどこにでも普通にある草だ。放置しておけば見応えある株になる。おまえいったい何年生きるんだ?と問いたくなるほど長命な多年草である。写真のものは私の今の生活圏でもっとも立派なギシギシ(スイバ)だ。境川の土手にある。写真のように境川の土手は定期的に草刈りが入る。このギシギシはなぜか草刈り機の刃をまぬかれている。こいつだけでなく付近には立派な株が点々とある。まさか草刈り人夫がギシギシ好きだとは思わないが、私が人夫なら進んで刈り残すだろう。

スイバはこういう豊かな土壌だけでなく、コンクリートの割れ目も得意である。護岸の隙間に根を下ろして大きく育っていることも珍しくない。そういう株は種を水に落としているはずだ。だけど河床に芽吹きが見つからない。一年生ぐらいの株はポツポツ見つかっているが生まれたての赤ちゃん株を見たことはない。スイバは水中では発芽条件が整わないのだろうか。ミゾソバは水中にがんがん芽吹く。手当たり次第に根を張り芽を出す数打って当てよう作戦なのかもしれない。一年草らしいなと思う。

タデ科はプリティな雑草である。スイバ、ミゾソバ、ヤナギタデと並べればずいぶん姿形はちがうけれど、たどってきた歴史は等しいのだろう。いずれも水辺で繁栄して分化した種にちがいない。日本の里にあるタデ科の雑草は、水草じゃないけどちょっとは水好きかも〜というような顔つきをしている。そのポテンシャルからすれば今後の環境変化によってはまた水中に帰って真性水草に進化するのがでるかもしれない。


2022.3.21(月)くもりときどき晴れ 水中スイバ

スイバ

春分なんでなにがなんでも半原越に行こうと無理して出かけていった。途中、荻野川の脇にある水路をチェック。写真は私が探している水中スイバ(ギシギシ)に内輪で最も近い個体である。きっと水底から実生で育ったと思われるけど確証がない。ちょっと出会いが遅かった。もう1年か2年早く見つけておれば・・・。ともあれこういうのがある場所だからマメなチェックはおこたれない。

半原越は春を迎えている。木の花でハンノキやフサザクラはもう盛りを過ぎている。道ばたにはタチツボスミレが咲いている。麓の方ではマムシグサが芽吹いていた。キツツキが背の高い枯れ木で軽快にドラミングしている。姿を探し当てたものの逆光で色がわからず正体不明。サイズからしてコゲラだろう。半原越はいつもの春を迎えている。

自転車はダメだ。ぞっとするぐらい乗れない。インナーローに入れて80rpmで行けそうな緩い所でも60rpmが精一杯だ。息は全く上がっていないのに筋肉が動かない。こんないつもと違う春が来ることは予想し恐怖していた。ただそれほど悲しくないのはどういうわけだ。


2022.3.26(土)くもりのち雨 ホタルの里

中金井

21日の水中スイバ(ギシギシ)があるのは写真の場所だ。写真にあるささやかな林に沿う幅ひとまたぎのコンクリート水路の底に砂泥が堆積して各種水草が根付いている。林の崖から地下水が湧き出て、一年を通して澄んだ水が勢いよく流れている。

この場所をGoogleの地図でみると、「中金井ホタルの里」という名所らしい。たしかに住宅もない戦後まもなくまではゲンジボタルが多産したろう。

私の見る限りでは、いままでホタルが細々生き残って来た可能性もある。水源になっている林にゲンジボタルの産卵しそうな場所があるからだ。そこで孵化した幼虫は水路を下りつつ成長する。食べ物の巻き貝は水路に豊富だ。蛹化できる場所はないけれど、本流の荻野川まで下ればなんとかなる。そして産卵のために生まれた林に戻って来られればいいのだ。

私が気になっているのはホタルよりもスイバである。その次はドジョウだ。ここは小さなドジョウが生息している。私の生活圏でこの水路が自転車横付けでドジョウが見られる唯一の場所である。水路にはドジョウだけでなくモツゴのような小型のハヤがいる。水深10cm、長さ500mのささやかな水路に魚類がいるのは水の良さに加えて本流との連結がいいからだろうと思う。

水路

水路の水は逆流防止の水門を経て本流に捨てられている。本流とのつながりは高さ1mほどのコンクリ壁で普段はドジョウといえども登ることは難しい。ただ増水時には魚類が本流と行き来することもできるだろう。ここに限らず荻野川は注ぎ込む細流との連結が確保されているところがいくつかある。

「中金井ホタルの里」でホタル、カワニナの放流などありがちな保護事業が行われているかどうかは知らない。そうした事業よりも大事で決定的な役割を果たしている水源の林は私有地らしい。立ち入り禁止の立て札からそれを知った。立て札の書きぶり、林の管理状況を見るに所有者は私に似た奇人変人の類らしい。かかわりあいになりたくない人物だ。ただその人が子どもの頃から親しんだホタルや貝やドジョウや蛙を大切に思っていることだけは確かだ。そのための林の役割を知ってるかもしれない。近所の住民にしてみれば虫のわきそうな林なんぞとっとと切り払って護岸してセイヨウカラシナの咲き誇る明るい斜面にしてほしいことだろう。

沼

もう一つ無視できないのは水源にある水たまりだ。地下水が緩やかに自噴してささやかな沼地を作っている。これも林の所有者とおぼしき人物の持ち物らしい。沼の生物を保護していると主張する立て札からそう判断した。一年を通して澄んだ水がありクレソンなんかが生えている。私がこんな感じの沼地をのどから手が出るほど欲しがっていることは内緒だ。

この沼にはドジョウもいる。水路と連結しておれば荻野川のドジョウのよい産卵繁殖の場になりそうな気もする。ただここも沼と水路の間はコンクリ壁に阻まれて普段は魚類が行き来できないようになっている。残念だ。

この沼は例年蛙が産卵し春にはオタマジャクシが泳ぐ。今年はまだカエルもオタマも見ていない。周辺の環境を見るに、ここで生きている春カエルはアカガエル、ヒキガエルが数匹というレベルだろう。すぐに絶滅しかねないし、絶滅すれば補填されるに年月がかかりそうだ。


2022.3.27(日)晴れのちくもり クロスズメバチの草むら

ちょっと重めのギアを使って回す練習をしようと、ウィリエールで相模川。気温が高く河原からクビキリギスが聞こえる。釣り堀みたいになっている水たまりからはシュレーゲルアオガエルが聞こえる。春爛漫といったところだ。

草むら

そろそろこの草むらのクロスズメバチが活動をはじめるかもしれないと寄ってみた。萌えはじめた草の間に大きな穴があった。ちょうどクロスズメバチの巣穴と同じぐらいだ。いるかな?と探してみてもクロスズメバチは見つからない。そのかわりひげもじゃらの蜂がいた。ツチバチだろうか。

この草むらにはスイバが多い。まだ小さなのがいっちょまえにつぼみをつけている。ここは定期的に草刈りが入るから、小さくても年はとってる株かもしれない。しかも夏になると背の高い草に覆われるはずで、スイバに好環境とはいえないだろう。

昨夜の雨は土手のミミズには脅威だった。自転車練習用のアスファルトに点々とミミズのひからびた死体がある。雨に追われて命からがら出てきたのか、新天地を求めてウキウキと歩いたものか、雨が止んで日が照って急速に乾いていくアスファルト上でミミズはもうどっちに歩いたものかもわからず迷うだろう。幅10mもある道路は致命的なトラップだ。

ミミズの死体を撮影しようと自転車を止めたら、そこにトビがやってきた。空中から急降下してアスファルトにタッチして上昇する。タッチしたその刹那にミミズの死体をつかんでいる。1個つかんですぐに降下して2個目をつかんで飛び上がる。そのままクチバシを足に運んでミミズを食っている。私がみつけたミミズは10個ほどだったが実際の死者はその何倍もあったのだろう。


2022.3.29(火)くもり 3つの力

今日はウィリエールで境川。回す練習に終始した。自転車を進めるにはペダルにかけた足を前に運び、下に押して、後ろに引かねばならない。前・下・後の3つの力をバランス良く使えるのが達人だ。

3つの力の個々を使うのはやさしい。課題なのはバランスだ。どれか1つが大きくなると次の力が死んでしまう。とくに下への力は大きいからついつい強く使ってしまう。そうすると次の前後への力が遅れ、続く下への力だけを使うという悪循環に陥る。

今日の練習ではうまく行っている感じはつかめなかった。ただし下 への力を鋭く短くすることでバランスがとれるかもしれないという ヒントは得た。


2022.4.01(金)くもりのち晴れ カイミジンコ

カイミジンコ

写真はおそらくカイミジンコ。田んぼ水槽で撮影した。水槽の前面ガラスに取り残った藻に貼りつくようにとまっていたので、マクロ撮影ができた。

田んぼ水槽には他の種類のミジンコもわく。初期にはタマミジンコらしい種類もたくさん発生する。しかしながら生き残るのは毎回決まってカイミジンコだ。なぜ他の種類は生き残れないのか、なぜカイミジンコだけが生き残るのか。このシーンは少しばかり気になっていたその疑問を解くヒントになるかもしれない。

田んぼ水槽のガラス面にはコケがつくからときどき掃除している。アクリルの三角定規を当ててこすり落とす作業だ。今朝も掃除してうかつにも10円玉ぐらいの取り残しがあった。そこにカイミジンコが集まるようにへばりついていた。そもそもコケの取り残しに気づいたのはカイミジンコが集まっていたからだ。

ミジンコが何をやっているのか、ニコンのテレスコマイクロとルーペで拡大して見ることができる。盛んに足を動かしてもぐもぐしているような気はするけれど、本当のところははっきりしない。

普段からガラス面あたりを泳ぐのはよく観察している。それもガラス面のコケを食べているのではないかと思った。コケはきっと珪藻だ。もしかしてカイミジンコは珪藻が主な食べ物で、しかも壁面につく珪藻が食えるのだろうか。そういうことなら田んぼ水槽の環境にマッチしていると思う。


2022.4.02(土)晴れ 相模川のアマガエル

アマガエル

ウィリエールで相模川中流域河川めぐりの旅。クロスズメバチが活動していないかといつもの草むらに行った。残念ながらクロスズメバチの姿は見られず。クロスズメバチどころか蜂の気配が全くない。レンゲとか菜の花とかそれなりに咲いて、ミツバチぐらいは見られてもいい頃合いなんだけど。殺風景な相模川とはいえ春爛漫のこの日に虫が少ない。

クロスズメバチの巣からなんとはなしに5mほど移動して昼飯を食うことにした。腰を下ろそうとするとそこに虫の気配。はてなんだろうと注視すればアマガエルだった。ちょっと驚いた。

場所は相模川の河口近くである。半径200m以内にアマガエルが生息しそうな場所の心当たりがない。水田も沼もない。細流も知らない。記憶をたどればもうちょっと上流でムクドリに捕まったアマガエルを見た事がある。あそこらあたりですらアマガエルがいそうもないところだ。水といえば相模川の本流しかありそうもない。湾処的なものも見あたらないが、アマガエルが住むのはどこだろう?本気で探してみる必要がありそうだ。


2022.4.04(月)雨 ミノムシ

愛用のTG-5がぼけた写真ばかりを撮るようになって、こりゃいかんと町田のヨドバシカメラに修理に出した。修理があがったというのでさっそく取りにいくことにした。その道すがらミノムシを見つけた。

ミノムシ

大きさからしてオオミノガだと思う。オオミノガは20年ほど前の今世紀初頭に激減していた。いなくなっているらしいという噂を聞いて丸一日探し回っても見つからず暗澹たる気分になった。たくさんいる虫がいなくなるのは寂しいのだ。

それ以来、気になってミノムシがいそうな場所は注意してきた。絶滅か?ともいわれたけれどかなり回復しているようだ。この住宅地でも普通に生活するレベルで年に0.3個ぐらい発見するようになった。

この写真はスマホで撮った。スマホだと枝先にいる虫にピントが来ているかいないのか不安だけれど現場での確認は面倒だ。こうやってみると幸いピントだけは来ているが、こういう被写体にスマホは向かない。TG-5を修理にだしている間はTG-1を使ってきた。ほぼフルオートのカメラなので、スマホなみに枝先の虫カットが難しくなる。TG-5のマニュアルフォーカスってのはなくてはならない機能と再認識した。


2022.4.05(火)晴れ イトミミズ

イトミミズ

TG-5の修理が上がったのでスイレン鉢のイトミミズを撮ってみた。水中カメラであるTG-5の本領発揮というところだ。ただし庭は日当たりが悪く暗いし水は白濁しているでまともな写真にはなってない。

イトミミズは私に親しい虫だ。子どもの頃はどの家庭からの排水でも溝の底にはイトミミズが群れて赤い塊になっていたものだ。当時は台所の排水がそのまま溝になり川に流れ込んでいた。そのため溝の底にはご飯粒や茶殻が溜まっていたりした。そういうゴミが食べ物になっていたんだろう。イトミミズだけでなくアブの幼虫やらハリガネムシやら妙なものがいて壮観だった。合成洗剤が普及する前の思い出だ。やっぱり人の生活する空間にはいろんなやつらがうごめいていて欲しいものだと思う。

このイトミミズはあえて投入したものではない。きっと田んぼの土を入れたときに紛れ込んだものだ。だとすると1年以上の乾燥に耐えて発生したことになる。イトミミズはそんな生物なんだろうか。いつのまにかタイワンシジミも入ってきている。田んぼの生き物ってのはたくましい。

スイレン鉢にはボウフラ対策としてメダカを入れている。今年は4頭が越冬した。投入組の生き残りが1頭と2世が3頭である。気になるのはこれからメダカが活性化してイトミミズを食ってしまわないかということだ。今のところイトミミズを食い尽くす様子はない。朝、スイレン鉢を覗いてイトミミズが見あたらないと少々焦る。娘はメダカは底棲のイトミミズは食わないかもしれないと言っている。さあどうだろうか。子どもの頃のメダカがいた溝でイトミミズもいたかどうかは確認していない。


2022.4.13(水)晴れ 水が澄む

田んぼ水槽

今年の田んぼ水槽は冬から始めてみた。これといった大きな違いは感じられなかった。水草の成長は遅いように思う。また、コケムシ+藻(藍藻か?)の発生は多い。べとっとした濃緑色の塊がすばらしい勢いで育つ。日があたると光合成のあぶくが光って壮観だ。退治はするが撲滅を狙ってはいない。藍藻かもしれないが、あの強烈な臭いがない。ひとまずは腐海感とよんで愛でながらつきあっている。

その田んぼ水槽の白濁がずっととれなかった。セット時は泥が撹拌され濁るがその濁りはしばらくたつと消える。さらに水底が活性汚泥状態になってくると多少撹拌しても濁らないようになる。その濁りとは異種の白濁が数か月あった。

白濁は始めてのことではなくこれまでにも幾度かあったが、今年はその期間が長く濃かった。霞みがかかったように水がぼんやりしている。朝にはやや澄むが日中に濃くなる。夜間に懐中電灯で照らすと粒子が見える。その粒子が生きているものなのか生きていない物なのか、正体は不明のままだ。

その白濁が3日ほど前にとれてきた。何か対策をしたわけではない。環境に変化があったようだ。

原因としては「春になった」ということが考えられる。朝日が背の磨り硝子を照らすようになり明るい時間が増えた。水温が上がっている。そうしたことが水の透明化に働くのではないだろうか。

写真にあるようにシャジクモはオレンジの粒を作っている。このあとシャジクモは屋内の田んぼ水槽では融けて消える。そのころマツバイはランナーを伸ばして底面を覆うはずだ。


2022.4.14(木)雨 ペルーのマリア

ペルーのマリアはマリオさんが発見したミイラだ。体長は1.7メートルぐらいで1600年前に生きていた。最大の特徴は手も足も5つの関節からなる3本指という点で耳たぶもないという。DNAもヒトのものではないらしい。もしや地球外生命体、いわゆる宇宙人では?という放送を昨日テレビでやってた。数か月前にもマリアの番組を見たことがある。その続編だ。

私は現在地球を飛び交っているUFOに生き物が乗っているなら、それは恐竜の子孫だと思っている。とりわけヒト型の生命体であれば恐竜以外は考えられない。遠くの星の生命はヒト型じゃなかろうし、わざわざ地球に滞在するモチベーションもない。地球由来の生物だとしても最近の5000万年に1万年以上続く科学文明を持ったほ乳類はいそうにないというのがその理由だ。

私の宇宙人恐竜説は2億年前に超文明をもった地球の恐竜が銀河に飛び立って帰還したというものだ。きっと本物の宇宙人とのつきあいもあって、反重力とかワープ航法とかをマスターした人たちなのだ。マリアが作り物ではなく、本物のミイラというのなら恐竜の可能性が高い。マリオさんはマリアといっしょに6体の小さなミイラも発見しており、その中には卵を持ったものがいた。卵生ならばますます恐竜だってことになりそうでゾクゾクしている。

ただし他の状況証拠が恐竜説を否定するものばかりだ。

そもそもいかにもナスカっぽくミイラとして山中の洞窟に埋葬されていたことが変だ。2億年続いて時空を制覇した超文明の超高級な人たちがどうして古色蒼然のナスカ的ミイラになったんだろう。もっとスマートな死に方も葬式も埋葬もあるに違いない。超合金の副葬品とかデブリも見つかって欲しいが、そういう物証もないらしい。マリア=恐竜説はピンチだ。

さらに悪いことに、マリアは典型的なUFO宇宙人トラブルに巻き込まれているらしい。発見者のマリオさんはミイラ密売疑惑のあるマフィアに狙われ、ペルー政府からも訴追されている。アメリカのUFO隠蔽組織であるメンインブラックらしい一団に脅されたこともあるという。マリアがペルーやアメリカの国家機密になってしまえば今後の研究が進まない。進んでも私のところに正しい情報が落ちてくることはない。万に一つぐらいは宇宙恐竜の可能性があるのに。


2022.4.16(土)くもりのち晴れ また夏が来る

ギシギシ

群青で境川。太ももの前を使って回す練習だ。いつものセブンイレブン裏は虫だらけになっていた。水路脇に座って見渡すだけでナナホシテントウが10頭も見つかる。羽化したばかりのもいるし、セブンイレブンの壁には蛹も羽化殻もたくさんついている。ヒラタアブの蛹も多い。やつらが育ったはずのカラスノエンドウなんかはちょっとくたびれた感じがする。アブラムシにやられたのだろう。

カラスノエンドウよりもくたびれているのはギシギシだ。写真ほどの悲惨な状況ははじめて見る。どうやらコガタルリハムシの餌食になったみたいだ。ほかの株にも漆黒の幼虫がどっさりたかっている。コガタルリハムシはきれいな虫で春の風物詩といった感じなんだけど、ここまでやられるとギシギシも迷惑だろう。でもきっとこんなことぐらいでギシギシはまいりゃしない。100万年間コガタルリハムシとつきあってきた草だ。

ギシギシにはベニシジミもやってきた。春のベニシジミは特にきれいだ。葉を歩き回っているから産卵目的のメスかもしれない。この草むらにはギシギシが多い。コガタルリハムシの食べ残しはいくらでもある。しかもあと半月もすればコガタルリハムシはすっかりおとなしくなっているだろう。

自転車で走っていても虫がよく見つかるようになった。ほんのちょっと前には白い蝶が目の前を通り過ぎると、薬局のアイングループみたいに目で追っていたものだ。すでにモンシロチョウは珍しいものではない。アゲハだって飛んでいる。アスファルトをヒメエグリバの幼虫が歩く。ああ夏が来るんだ、と素直にうれしい。


2022.4.19(火)晴れ 境川のギシギシ

ギシギシ

チネリで境川。土手のギシギシは花盛りだ。こいつらはいい感じで夏、秋の草刈りをやり過ごして繁茂できるのだろう。ギシギシのライフサイクルは人の営みにあってるように思う。有名どこのヒガンバナ的な。

夏から秋にかけてこの場所を席巻するのはセイバンモロコシだ。

ギシギシ

境川の新観察ポイントにした水路にもギシギシは多い。その水路の石垣の隙間にもギシギシが根付いている。その1株がやたらと背が高い。図鑑等でのギシギシの解説には高さ1mになるというものがあり、ちょっと盛り過ぎだと思ってきた。ところがこいつはゆうに1mはある。

ギシギシは春になると葉を広げる。新しく出てくる葉はよりいっそう広く高くなるものの、葉の長さが1mには達しないと思う。1mオーバーのギシギシとなるとこのような茎が高くなるものだろう。この場所はタブノキの下にあたり日当たりはよくない。背が伸びるのはそのせいかもしれない。付近にあるギシギシはこんなに高くはないから素質の要素も大きいと思う。花芽を伸ばすかわりに茎を伸ばした感じだ。

2週間ほど前にも見ているが、そのときはこんなに背が高くなかった。いっきにぐんと伸びるとみえる。


2022.5.1(日)くもりのち雨 ヤブガラシの成長

ヤブガラシ

いまさら言うまでもないことだが、ヤブガラシはとっても好きな草だ。ヤブガラシは庭にも多い。やつらはなるべく好き放題にさせてやりたい。しかし、いわゆる強害草なのでそれではまずいことになる。観賞用のナツツバキには自由に覆わせることにしてきたが、それがナツツバキの寿命を縮めることになっているかもしれない。また、ヤブガラシ以上にひいきしているクサイチゴ、ドクダミなんかの雑草を圧迫している。

今年はちょっと趣向を変え、繁茂する場所を限定してもらうことにした。ナツツバキやモッコウバラにまといつくはずのヤブガラシをネットに這わせ、そこで伸び伸び生きてもらおうという算段だ。目的をヤブガラシの飼養ではなく夏の西日を軽減するためということにすれば世間への通りもよい。

そうやって注意して育ててみると発見があった。というか大きな見落としがあったことに気づいた。

写真のヤブガラシは成長の初期に巻きひげを使っていない。ネットの直下に芽を出して1mほども巻きひげを使わずに伸びた。ネットの裏から表、表から裏へと縫うように上へ上へと急成長した。その間に広げた葉は2枚だけであった。そして数日前に巻きひげで先端付近を固定して本格的に葉を展開しはじめたのである。

この状況を見てなるほどなと思った。

ヤブガラシが地下茎から芽を出したときは、おそらく他の草木がそこに茂っているはずである。それが草本だろうと木本だろうと、ひとまずそいつらを追い越して上に伸びる。そして木本であればそのキャノピーを覆い、草本であれば草むらの上部を這って繁茂しようという作戦だ。とにかく日のたっぷり当たるところまではできるだけ茎を伸ばす。そのために茎は太くしっかりできている。それまでは葉の光合成はお預けだ。しかも、巻き付くに足るだけの信用がない足場には巻きひげを出さないという徹底ぶりだ。

今回用意したネットは強い春風にびゅうびゅう揺られて不安定だった。ヤブガラシには、上に伸び足場が確保できなくて倒れるならそれでもよし、そこから立ち上がって再出発するという判断が働いたのだろう。目を持たないヤブガラシなりの特殊作戦とみた。

ちなみにヤブガラシの退治方法として、茎をそっと引きずり降ろして地面に置くというのがある。やってみると確かに効果的だ。それはきっと一旦巻き付きと光合成に入ったらやり直しがきかないからだと思う。地面にとぐろをまいた茎は再起することができず枯れてしまうのだ。


2022.5.2(月)晴れ 生きていたギシギシ(スイバ)

ギシギシ

4月25日に目久尻川の半水中ギシギシ(スイバ)の消失を確認したが、どうにも納得できなかった。消失の原因がわからなかったからだ。根付きはしっかりしており、増水による河床の攪乱もギシギシを流すほどではない感じだった。

そこで今日目久尻川にでかけて3月に撮った写真と同じポジションから撮影して比較検討してみた。

結果から言うと半水中ギシギシは流失してなかった。写真の青丸で囲んだギシギシだ。3月3日撮影分ではカラシナの奥に小さく赤い株が見えるが、そいつがぐんと大きくなったと見てよいと思う。また緑丸で囲ったものも小さな赤いギシギシであったが、それも立派に成長している。

4月25日の観察では水が引いていたこともあり、半水中ギシギシは完全に岸にあった。それも早とちりの一因であった。それにしても立派になったもんだ。ここまでしっかり成長すると、水中部分はわずかとなって、この先を見とどける必要はないようだ。この株よりも、25日には半水中ギシギシの側に今年生まれと思われるギシギシ(スイバ)を確認している。そいつは今日には水没していた。昨夜の雨でやや増水が残っていたから水中実生とはいえないが、継続観察したほうがいいだろう。

3月の写真では、ギシギシの左手前にアブラナ科の立派な株がある。それらはすでに花が終わり実がなって、2回ばかりあった春の増水でなぎ倒され横たわっている。3月の写真で右上のクレソンは4月25日には大繁茂していたが、今日になると半減している。こちらは増水で流失があったのかもしれない。

この比較写真であるが、プロが言うところの同ポジで撮れなかった。3月の写真は道路からTG-5の最広角で撮った記憶があった。それで、スマホにその写真を入れて現場で見ながら撮れば、同ポジとはいかなくても比較写真を撮るぐらいは難しくないだろうと楽観していた。ところがいざやってみると明るい太陽のもとではスマホの画面なんて見えやしなかった。写真だかスリープ画面だかもわからない。バックライトを強くしようとしてもその操作画面が見つからないというていたらくであった。

念のために4カットばかりポジションを変えて撮って置くしかなかった。結局場所とアングルがぴったりのカットはなかった。赤丸で囲ったオレンジの地衣類を目印に一番それらしいやつを使ってフォトショップで切り取り回転させて合わせた。


2022.5.2(月)晴れ 初夏の相模川

相模川土手

相模川の土手は初夏の花盛りだ。きっと一年で一番はなやかなときだろう。ただ花は咲いても虫の姿はとってもすくない。蜂とかアブとかもっといても良さそうに思うけれど、河原と工場に挟まれた土手はこんなものなのか。

またきれいに咲いているのはおおむね帰化植物だ。ひときわ目立つピンクのツメクサに黄色のタンポポモドキ。

ヤセウツボ

特に最近目につくようになったのが写真のヤセウツボだ。じつはこいつの存在に気づいたのは先月のことだ。境川の道路脇の草むらに咲いていた。写真を撮るのに、葉の形もいるだろうと他の草をかき分けて探してもこいつの葉が見つからなかった。

ヒガンバナみたいに花の季節は花だけ出す草かな、めずらしいやつだ。きっと新参者だろうけど。そう思って後で調べてみれば寄生植物ということだった。なんかすごいのがいるんだなと、サイクリングコースで探してみると次から次に見つかる。爆発的に増えているようだ。よくいままで気づかなかったものだ。

ヤブガラシ

花盛りのツツジ花壇からにょろっと伸びてるのはおなじみのヤブガラシ。太陽の光を求めて上へ上へと伸びていく。ツツジの花壇から顔を出してもどん欲に上を目指す。上昇志向の強い草だ。やがて倒れてツツジの上を覆うけれど、その栄華はきっと花を咲かせて実を結ぶまでもたない。花壇の管理者に見つかって駆除される。ただし駆除も体裁を整えるだけで根絶はしないだろう。再起して実は結ぶ。

ギシギシ

ツツジの花壇にはあきれたことにギシギシも花穂を伸ばしていた。葉は全く見えない。いまはツツジに覆われて光合成どころではないだろう。こいつは秋から春にかけてツツジの間からこぼれる光を頼りにエネルギーを蓄えたのだ。こういうど根性なところ好きだぜ、ギシギシ。

相模川の草むらといえば、楽しみにしていたクロスズメバチとの再会は無理らしい。アシナガバチやクマバチがぶんぶん飛ぶ初夏に出てこないのは変だ。巣が滅んだか?と異常事態を想像した。するとすぐに誤解があったことがわかった。地中に穴を掘って巣を作るハチだからアリみたいな暮らしぶりだろうと素朴に思ってきたけれど、よく考えればクロスズメバチもスズメバチの一種なのだ。となれば巣は1年限りのものということなんだろう。この近所で新しい群れが見つかれば、よっぽどの幸運だ。


2022.5.5(木)晴れ 産卵痕?

産卵痕

孵化から観察を続けているハルジオンの毛虫は散って思い思いに生活をはじめている。おおむねハルジオンの葉裏にいて葉を削り取るように食べている。

その様子を詳しく見ようとハルジオンの葉を裏返して写真のようなものが目に入ってきた。葉がバナナの房のような浮き彫りになっている。触ってみればけっこう固い。病気的な異常なんだろうか。あるいは虫の仕業か。

写真に撮って詳しく見れば扇形の短い方の円周に傷がある。となれば、そこから産卵管を葉に差し込んで卵を産んだやつがいたのではないかと予想できる。うまく行けば正体が見とどけられるかもしれない。


2022.5.12(木)晴れ・くもりのち雨 謎の音

木の幹

写真は木の幹だ。境川の崖に作られた細道に生えている。樹種は樫だとおもう。ウラジロガシかアラカシあたりの巨木らしいけれど、私には同定ができない。今日は群青で境川にでかけて、そろそろこの木にカブトムシがいないかと立ち寄った。そして謎の音に遭遇した。

そもそも樫の巨木の穴から樹液がどろどろ流れるのは異様だ。ちかごろ神社などの大きな樫に小さな穴がたくさんあいて樹液が出ている。ナラ枯れのコナラと同じような症状だ。こいつも何か悪い虫にやられているのかもしれない。しかし樹液を好む虫にとってはありがたい木になる。去年はここにおびただしい数のカブトムシ、クワガタ、タテハチョウなどなどが集まっていた。今年もまだ木は元気そうで、新しい葉を出し樹液が流れ出している。

樹液に来る虫は見あたらなかった。細かい甲虫くらいはいないかと近づいたとき、異様な音が聞こえてきた。小さいがはっきり聞こえる。機械音のようだ。虫の発する音ではクツワムシが近い。あれをちょっと低く小さくした感じだ。その音は木の中から聞こえてくる。断続的ではなく一定の音量でずっと続いている。

私はこんな音を知らない。まして木の中から聞こえてくる音の正体なんて皆目見当がつかない。本当に音源は幹なんだろうか? その正体やいかに? 念のためにTG-5のビデオモードで録っておいた。謎の音はちゃんと録れていた。


2022.5.16(月)雨のちくもり 勝ちにこだわる

私は生涯の目標として、Super Mac Frecell の解けないゲームを見つけ出そうとしてきた。10万個に1つぐらいあるというふれ込みだったから、とりあえず10万個解いてみようと思った。結果は10万個全部が解けた。そればかりか解けそうにないゲームにぜんぜん当たらなくなった。どうやらSuper Mac Frecell は全部解けるように設計されているみたいだ。

というような取り組み方だから、解くのはスピード重視だった。2分考えて間違わずに1個解くよりも、1回間違えて1分で1個解くほうがよいのは明らかだ。そもそも初回から数手にわたって道筋が1つしかないような難題は滅多にない。

しかしいま、どうやら全部解けるらしいと感づいて、迷いが起きた。もうちょっと勝ちにこだわるべきじゃないのか? 勝つ喜びと負ける悔しさがないゲームってやる意味があるんだろうか?

じつは私は子どもの頃から勝負事に極めて弱い。地道にじっくりこつこつがんばって作戦をたてて勝ちを取ることが苦手だ。そのくせ負けると悔しくてやけになる。もっとも勝負事に向いてない性格だ。そんな自分に愛想をつかしてもう30年以上も勝負事に手を出していない。

そして実生活では勝負にこだわらず地道にこつこつがんばるという姿勢が身についたように思う。ただしフリーセルで勝ち負け抜きに最大効率で目標に突き進むってのはいかがなものか。もはや目標達成の見込みは薄いのだから、考えて勝ち負けしたほうがいいじゃないか、にんげんだもの。

123069

一例をあげると、左のゲームは何も考えずにやっているとすぐ行き詰まって負けになる。山勘に頼らず手を動かす前に配列をチェックすれば、左端列がちとやばいことに気づける。キングが3つ下に並んで、最上が2つのクイーン。その間にクラブの2がある。この列を消していくか残すか、その方針によって勝敗が決まるだろう。

フリーセルの秘訣は「捨て列をいかに作るか」にある。行き詰まるのがみえる列ならば、とんどん下に伸ばしていって、ほかの列を処理して空き列にするのがよい。もし左端を捨て列にするなら、第7列、8列が一気に左端の下につながって、空き列にできるだろう。エースは早めに処理するに越したことはないが、3列目最上にあるクラブのエースは手強い。でも狙わないで良さそうだ。どのみちクラブのエースを取ったとしても続くクラブの2はふさがっているのだから、これは終盤まで手をつけないでいい。

123069

という筋道をあらかじめ立てておいて、左のようにすんなり解くことができた。たかだかフリーセルでも、地道にこつこつ考えて解決すると達成感があり面白みもでる。


2022.5.18(水)晴れ 血の話

少し登りの練習でもするかと群青で半原越へ。この夏は天気が悪く寒くて半原越から遠ざかっていた。タニウツギとかウスバシロチョウとかキアシドクガも気になる。

マイマイガ?

序盤のところで道路を歩くマイマイガの幼虫が見つかった。マイマイガはしばらく探していて見つからなかった毛虫だ。どこにでもいるけどいざ探すと見つからなかったりする。ラッキー・・・と撮影して、道路の真ん中にいるのは危ないからと退避してもらうことにした。ついでに記念撮影。

触ってから疑念が出てきた。顔つきからマイマイガだと思った毛虫だけど、ほんとにマイマイガだろうか。マイマイガ似の毛虫には触っちゃいかんヤバイのもいる。もしかしてやっちまったんじゃないか?

この辺から虫との関係が変なことになってきた。

ウスバシロチョウ

例年のウスバシロチョウ撮影ポイントに行くと、うまい具合に草むらを飛んでる個体がいる。ラッキー・・・と追いかけて撮影。10回ぐらいシャッターを押して、テレ端だったことに気づいた。ピンボケならともかくフレームに入ってないカットを量産したに違いない。すこし気が重くなった。

こういうミスもよくあることさと草むらにある石に座って昼飯。右脛に違和感を感じてそこをみると、マルカメムシみたいなのがついている。カメムシのわけない、きっとヤマビルの小さいやつだ、吸い付かれる前に見つけてよかったと、つまみ上げれば出血。時すでに遅かった。

やられちまったがこれもラッキーチャンス・・・指を這うところを記念撮影だとTG-5を接写にして構えると、ヒルはぽとりと深い草むらに落ちていった。やり逃げだ。まあここならまた鹿とかに吸い付いて生きていくこともあるだろう。住宅地まで連れて行かなくてよかったとポジティブに考えることにした。

自転車もイマイチだ。体力が落ちて登坂力の劣化が著しい。ぜんぜん乗れない。踏み込みが甘い。踏み込めないと登れない。重点的に踏み込みをやった。ただし、体の違和感への注意は怠れない。

1匹ついていたからには2匹目がいる可能性大だ。パンツ、ソックスの中だって怪しい。むずむずする感触には敏感になる。小一時間後、ちょうどヒルに吸い付かれたあたりに違和感。見ると毛虫が這っている。

キアシドクガ

キアシドクガだ。こいつは触っても問題ないヤツ。掃いて捨てるほどいる毛虫だけど、なんで自転車で走っていて拾っちまうかな。しかもヒルにやられたところだ。ただこれもラッキーだと、自転車を止め、あわてて這い上がろうとする毛虫を記念撮影。

なんとか踏み込む感触だけは思い出して半原越を後にする。それでもむずむずする感触に注意を払う。ヒルは無害だけどダニだって多い所なんだから。

荻野川まで出ていつものセブンイレブンでアイスなんかを買って川べりの草むらに座って食べる。するとまたヒルに吸われたところに違和感。ちくちく痛い。

アリ

見ればそこにアリ。血の臭いをかぎつけたのだ。死肉にたかるタイプのヤツだろう。噛みついて私を食べている。登坂力は落ちたといえど、さすがに生きたままアリの餌食になるほど弱ってはいない。これもラッキーといえないこともないので退去させる前に記念撮影。

目久尻川から県道50号線の間に20%の激坂がある。今日は半原越で惨敗した感があり、そこを迂回する気になれなかった。ギアをカンカンカンと最大まで落として登る。

なんと!踏み込みがいい感じに決まってすいすい登れた。こんなに登れるのは初めてだ。なんだ練習の成果が出たじゃないかと、登ってからギアを上げようとフロントレバーに触るとすでに大きい方にかかっていた。これにはたまげた。42×23Tで回しきったのだ。インナーローでも立ちこぎしたくなる激坂をすいすい回したとは・・・。血のにじむ練習の成果だ。虫たちのおかげだな。


2022.5.26(木)晴れのちくもり 三角関数

私のツイッタータイムラインは、虫を集め飼育したり川や沼を草ぼうぼうにしたい人々の投稿ばかりである。そんな体たらくだから、国会議員による三角関数不要発言に対しての反論が並んだ。その多くは悲痛な叫びだった。

三角関数といえば2014年のテレビコマーシャルが記憶に新しい。広瀬アリスと広瀬すずが競演する作品である。CMの最高傑作であるといっても過言ではないだろう。あれに比肩するCMは深津絵里のヤクルトジョア以外に思い当たるものがない。

内容は三角関係に陥った高校生のアリスとすずの恋愛問題解決のために三角関数を使えというものだ。ためしに私もやってみたけれど、確かに三角関数を使えば三角関係の解消は簡単であった。やはり三角関数は学ぶべきである。とりわけスポーツのできるかっこいい少年と美少女には人生の必需品であろう。

ところで、三角関数といえば・・・ということで中学か高校でならったピタゴラスの定理の証明を布団のなかで暗算してみた。すぐできた。あまたある証明の中でもっとも単純なやつだ。テクニックとしては補助線と直角三角形の相似で解ける。

私は高校のときに教師のC先生から数学の天才といわれたけれど、それは誤解だった。数学は大好きだったけど成績は悪かった。だいたい100点満点の10点以下だ。C先生は解答用紙に「aの2乗+bの2乗はcの2乗であるから・・・」というように、解法に使えそうな定理を書いておくだけで2点ぐらいくれた。私より悪いのはたいてい白紙で0点だった野球部のK君だけだった。C先生はとってもすてきな人で通信簿は私にもK君にも及第点の30点をくれた。

あれから半世紀ほどたって数学とは無縁の生活をしていてもピタゴラスの定理程度のことなら軽く思い出せる。奈良女子大で数学を専攻したC先生は「三角関数とは何か」ということをしっかり教えてくれたからである。それに加えて「古代の宇宙人」というアメリカのテレビ番組がピタゴラスの定理をよく引き合いに出すからである。1万年前の人がピタゴラスの定理を使っていたとか、ピタゴラスが数学の天才なのは宇宙人の入れ知恵だとか・・・刮目すべき珍説がぽんぽん跳びだしてくる。そのたび心の中で「それピタゴラスの定理じゃない。ただの直角三角形・・・」と何度つぶやいたことか。

ピタゴラスの定理の証明をやってみてふと、不要論を口走った国会議員の気持ちがわかったように思えた。彼はきっと数学で使う比の概念が根本的にわかってないんだと気づいた。補助線とか相似を使って問題を解くのは知能以前にセンスの問題だ。聴いた曲を試しにピアノで弾いたら再現できたとか後方宙返りが教わらなくてもできるというようなことである。センスがなくて、あるいは頭が悪くて、数学が嫌ならしかたがない。数学なんてピアノみたいなもんだから人生の問題じゃない。ただし比だけは分かってないと宇宙のことも世の中のこともさっぱりわからない。長い人生を五里霧中に歩むことになる。

比は数学の試験を離れても生活の必需品だ。数とか量を扱う限りどうしても使わねばならぬテクニックだ。簡単ではないけれど、かけ算九九なみに取り組めばできると思う。

数学の比は大半の人ができていない。分数ってのは比だが、分数と比が無関係だと思っている人が多い。分数が比だと気づかなくても分数の計算はできる。小学校で出てくる分数の問題は比を無視している。そうしないと試験問題が作れないみたいだ。分数の計算テクニックを身につければ算数の優等生になることができる。そのまま高校に行って方程式も関数も解ける。比がわかってなくても受験数学の解法を体にたたき込めば東京大学にだって入れる。受験数学の解法を覚えるのは英語とか歴史の学習と相似であろう。そもそも受験に出てくる三角関数っぽい問題は三角関数ではない。−1から+1まで連続的に増減するとか二乗して足したら1になるというような規則を使用する代数問題でしかない。本物の三角関数が必要な者なんてめったにいない。

議員のかたは上記のようなことに気づいておれば三角関数の悪口を言ってボロを出すこともなかったろう。少なくとも比のことがわかっておれば三角関数のことは悪く言えないはずだ。彼は単に数学的センスがなくて三角関数そのものに嫌悪感を持ったばかりか、高校であのニセ問題が解けず劣等感にさいなまれたのかもしれない。

私は小学校入学以前から三角関数に親しんできた。暇さえあれば川の水面に石を投げ込んでいたからである。サインコサインとか放物線は体に染みついている。そういう特殊な人間は受験数学でsin、cosとかが出てくると問題を見誤って三角関数にしてしまう。三角関数はじっさい難解であるから、テスト問題にある数式がそもそも何を表現しているかなんて考えだすと何日もかかる。現代国語に出てくる「作者の意図を30字で書け」みたいなもので、本気で相手にするとテストの時間内で答えられるわけがない。天才だって落ちこぼれかねない。

私は本物の天才ではないので三角関数の深いところはとんと分からないのだが、その美しさとすごみと、それを発見し築き上げてきた先人の偉業にはこうべを垂れる思いだ。そして「三角関数とはそもそもこういうものである・・・したがってこれは三角関数の問題ではない・・・」ということをはっきり教えてくれたC先生には本当に感謝している。それで試験勉強がいっぺんに楽になった。大学入試とは何かということを悟ったのだ。大学受験の数学で満点をとれなかったのは今でもちょっとくやしい。


2022.5.27(金)雨のちくもり 自転車と三角関数

私は自転車乗りのはしくれとして日常的に三角関数を使っている。機材のエンジニアではないから三角関数はヒルクライム対策である。三角関数の計算は面倒だ。関数表の数字を電卓で打って計算すれば絶対に誤答する自信がある。いまではパソコンが使えるので、エクセルに数式を入れて自動計算することができるようになった。コースの距離と登った高さとタイムをインプットすれば瞬時に出力(W)が得られる。数式は「ロードバイクの科学 by ふじい のりあき」を参考にした。

ところで自転車の世界で登りの斜度は%を使う。その%が三角関数なのだが、最近そこに根本的な問題があることが発覚した。

八っつぁん:やい熊こう知ってるか。道路標識にある%ってのはな tanθなんだぞ。

熊さん:なに馬鹿なこと言ってんだ。ありゃ sinθに決まってんじゃねーか。

八っつぁん:それがな、昨日道路設計の専門家から聞いたんだからちげーねぇ。 tanθなんだよ。

熊さん:てことは同じジッパー(10%)でもまっすぐよりつづらの方が楽なのは、そのせいか。

八っつぁん:富士山でな、スバルラインはあざみラインより楽じゃねえか。

熊さん:そりゃ走ってみりゃそうだよ

八っつぁん:ありゃ気分だけで、科学的にはあざみの方が緩いのかもしれねぇ。

熊さん:おい気を確かに持てよ。

というように怪しげな話になったものの、自転車乗りは三角関数が得意(当社比)で日常的にこういう会話をしている。

自転車で使われる%というのは、獲得標高を走行距離で割った値である。10km走って1000m登る峠は10%だ。しかし真の意味で道路の%というのは、地図を使って峠の麓から頂上に線分を引いて、獲得標高をその線分の長さで割ったものらしい。

それを聞いた私は熊さんのように驚いた。その値に実用的な意味がないからだ。自転車乗りの自転車にもれなくついているサイクルコンピュータは、気圧を利用して斜度%をリアルタイムで表示できる。それだって獲得標高を走行距離で割ったものだと思う。GPSもあるので投影面上の直線で割っているかもしれないけれど・・・。

ちなみに実用三角関数ではθが十分小さいときは sinθ= tanθだ。もれなく三角関数使いである自転車乗りの間では常識なんで、道路設計との齟齬に実用上の問題は起きないだろう。それに%表記の道路標識は直線的で見通しのよい短い区間に立っているみたいだ。八っつぁんみたいになる心配はなさそうだ。


2022.5.30(月)晴れのちくもり 下水処理場のミズキ

ミズキ

写真はミズキだ。境川の下水処理場裏にある。ここはキアシドクガの名所で例年楽しみにしてきた。

今年はちょっとおかしい。5月の終わりのこの季節になってもキアシドクガの乱舞がない。じつは幼虫の発生具合を定期的に見ていたのだが、毛虫の姿もはみ跡もなかった。節穴の目だからな・・・とこっちのせいにしていたのだが、何が起きたのだろう。真っ先に思い当たるのは駆除だ。しかしここは人気もなく毛虫がいることすら気づかれないはずだ。それに皆殺しにする駆除技術なんてないと思う。

去年の観察で気になったことはあった。半原越では丸裸にされたミズキが季節外れの梅雨時に開花し実を結んだのだ。それを怪しんで下水処理場のこの木をチェックしたところ実はなかった。花の季節に丸裸になって実を結べなかった感じだった。

ここでキアシドクガの食害がない年は10年ぐらいの観察ではじめてだ。今年は半原越の標準木でもキアシドクガの発生が少ない。大発生の翌年なのに減るってことはあるらしい。その原因が知りたいところだ。


2022.6.4(土)晴れ COOL PIX 990

オトシブミ

写真はCOOL PIX 990に魚露目8号をセットして撮影した。魚露目はいろいろなカメラで試して結局COOL PIX 990が一番うまく写ると思っている。

庭にはいまオトシブミがいる。けっこう数いて5〜6頭を数えることができる。幸いなことに午前中に日が当たる場所なので、魚露目で撮れるんじゃないかと数年ぶりにCOOL PIX 990に電池を入れた。

COOL PIX 990はすでに前世紀の遺物となったカメラだ。いまのデジカメに比べると圧倒的に非力だ。いろいろ遅いし画質は悪い。魚露目に必要な高感度特性は悲しいぐらいに貧弱だ。今日撮った日影写真は全滅だったが、光とか被写体までの距離とか、条件さえ合えばとってもいい写真を作ってくれると思う。

とにかく設計が秀逸だ。設計はこれまであまたあるコンデジの最高傑作だと思っている。回転式の28mmレンズ。寄れる接写。使いやすいマニュアルモード。電源は乾電池4本。魚眼、ワイド、望遠の豊富なアタッチメントレンズ群。このカメラは当時のニコンのフラッグシップコンデジでとっても高価だった。

さすがニコンの傑作カメラだから、この設計を続けてくれるものだと思い込んで2台購入しアクセサリーも揃えた。しかし製造はすぐに終了し、ニコンのコンデジは他社のでもいいじゃんというようなどうでもいい仕様になった。魚露目も使えない・・・。私はずっとニコンを愛用しているけれど、それ以来ニコンが出すカメラやレンズ、付属品は一切買ってない。5台ほど使用中のニコンのデジタル一眼は型落ち中古ばかりだ。

コンデジはオリンパスのTGシリーズを愛用しているが、TGにCOOL PIX 990の回転式レンズがあれば鬼に金棒なんだけど・・・水中カメラでは無理か・・・と久々にCOOL PIX 990で撮って無い物ねだりをしてしまった。

ところで、このオトシブミであるが、これまでヒメクロオトシブミとしてきた。しかし、首の長い同種らしいやつがうろついていることがひっかかっていた。「学研生物図鑑 昆虫II 甲虫」によるとヒメクロオトシブミはオスメスで首の長さに差がないらしい。もしや同図鑑でヒメクロオトシブミの横にいるハギツルクビオトシブミではないだろうか。ハギツルクビオトシブミはエゴノキの葉を巻くと記載がある。この木がエゴノキであればきっとハギツルクビオトシブミだ。ただし、雑草なもんで木の種類がわからない。エゴノキだといいな。


2022.6.5(日)晴れのちくもり E5で魚露目

オトシブミ

オリンパスのE5で魚露目を使ったことがなかったことに気づいて今朝やってみた。E5はマイクロフォーサーズの最終版フラッグシップだ。レンズは18-180mmのズームにした。この写真を見る限りなかなかいい感じで結像しているかのようだ。しかしいろいろやってみた感じでは使い物にならないと思った。

このセットの場合、寄れるのはここまでだ。これ以上被写体に近づくとぼける。ピントが合わないのではなく全体的に像が甘くなるのだ。魚露目の良さは被写体がレンズにぶつかるまで寄れる迫力あるカットが撮れることにある。また、テレ端の180mmを使っても周辺の丸い影がとれなかった。

魚露目は本体側のセットとの相性があって本体の性能とか数字では計りがたいものがある。このE5は毎日撮影に使っておりたいへん満足している。魚露目が使えないのは残念であるけれど、あきらめれば済むことだ。


2022.6.6(月)晴れのちくもり TG-5で魚露目

オトシブミ

やはり魚露目を使うならTGシリーズがいいだろうと、今日の写真はTG-5で撮ってみた。雨粒は大きく風があって被写体がぶれて接写に厳しい状況だ。それでもTG-5であればそれなりの写真があがってくる。

一眼レフだとシグマの24-70mmという廉価レンズの相性が良いことがわかっているので、ニコンのD700につけて撮ってみた。今日の条件にしてはいい感じの写真になっているけれど、TG-5に軍配はあがる。もっと絞ればもっとよくなるはずだ。


オトシブミ

庭の記録にはもっぱらD700に古いタムキューのセットを使っている。この写真はそのセットで撮った。ストロボは使っていない。

D700はTG-5に比べると圧倒的に写真を撮る楽しさがある。光学式のファインダーとマニュアルフォーカスがいい。D700は高感度がよくて日影の接写でもそれなりにいける。いざというときには内蔵ストロボが使える。

今日は梅雨入りでいい感じの雨が降り続いている。こういう日にオトシブミを手軽にスナップできるってのはありがたい。ちょっとだけ冷たい雨を我慢するだけでいい。傘も長靴もいらない。

タムキューで撮れば「こんな雨の日にオトシブミ撮りってどんだけオトシブミ好きなんだよ」というカットになる。魚露目で撮ればその種明かしになる。わが家の裏庭にオトシブミがいついているという自慢カットだ。


2022.6.9(金)くもり時々晴れ 梅雨の境川

ちょっと回す練習をしようと群青で境川。いつもの高鎌橋セブンイレブンによると駐車場の隅に大きな毛虫がいた。すぐにマイマイガだとわかった。残念ながら元気がない感じだ。触ってみると虫の息だった。すでにアリが寄っている。できれば元気ないい色のを見つけたかった。もうマイマイガの季節が終わる。春から初夏はいつもあっという間だ。とりあえずつまんで草むらに投げておいた。

境川で必ず寄るのが湧水。大きな魚が定位していた。一見コイだろうと思ったけれど、シルエットがコイっぽくないし、体色がやや薄い。注視してバスだと気づいた。バスは何度も見ているけど、これまで見たやつらの倍以上のサイズだ。境川遊水地公園はコイやナマズが繁殖できる貴重な池だ。バスにも住みやすい環境なのだ。

ミズキ

遊水地公園を少し下るとコシアキトンボが多い林がある。その林には何本かミズキの大木がある。たまげたことにそいつらがことごとく花をつけていた。

何事かと思った。4月の開花を確認している木だからだ。ミズキは年に2回咲くことも珍しくないのだろうか。去年は梅雨の半原越で何本ものミズキが花盛りになっていた。いずれもキアシドクガの食害を受けた木だった。あのときは食害による狂い咲きだろうと思った。

ところが、今日のミズキはキアシドクガの食害もなく普通に春から夏を過ごしたはずである。むろん境川には青い実をつけたミズキも多い。どういうことなんだろう。なかなか奥深い木だ。

サイクリングロードの脇に赤茶色の穂がつんつん立っている。ギシギシたちの種が熟しているのだ。この種がいつ発芽するのかがちょっとした関心事だ。今年は春に芽吹いたらしいギシギシをいくつか見ているから、いったん冬を越して春の発芽だろうと予想している。

ギシギシを観察しながら走っていると黒いカミキリムシが目に飛び込んできた。境川にも多いゴマダラカミキリに相違あるまい。初物だ。自転車を止め、柵を乗り越えて撮影する。最近は偽物が出回っているらしいので入念に撮っておいた。まだ本物と偽物の区別ができないでいるのだ。ともあれこいつが出てくると暑熱の季節だ。


2022.6.12(日)晴れ一時雷雨 境川のナマズとバス

ナマズとバス

ウィリエールで境川。いつもの湧水に寄ると、今日もバス(オオクチバス?)がいた。もう1頭いることがすぐにわかった。その1頭は細身でしなやかだ。けっこう大きなナマズだ。境川には本流にも遊水地公園にも多い。そろって何をしているのだろう。

しばらく眺めて、バスが距離をおいてナマズの後についていることがわかった。ナマズを攻撃するという感じではない。なんで後をつける必要があるのだろう。

ナマズとバス

ほどなくしてナマズは岸の茂みに顔を突っ込んでじたばたしはじめた。採餌行動だろう。人間がやるガサガサってやつだ。茂みにひそむ小魚、エビ、虫なんかをおびき出して食うのだ。ナマズのガサガサははじめて見る。

そうするとナマズの後ろにつかず離れず定位しているバスの目当てもわかった。ナマズが追い出した獲物をちゃっかりゲットする魂胆だ。なかなか賢い魚だ。

しばらく眺めていたけれど、バスの捕食場面は確認できなかった。ただその動きは経験に裏打ちされたものに見えた。ナマズのほうはどう思っているのだろう。ガサガサは自ら編み出した狩りの技だ。ちゃっかりついているバスを嫌がっている様子はない。我が道を歩んでいる。

オオクチバスはフロリダの河川に潜って観察したことがある。透明度が高く水草がびっしり茂って魚だらけの川だった。バスは川岸のやや淀んだところに数頭が群れていた。自らアクションを起こして魚食する感じではなく近づいてきたやつを飲むのだろうと思った。同じ河川にはガーもいて水深2mほどの流れが緩い深みに群れていた。やはり獲物が近づくのを待つタイプだと思った。いまや日本では両者共に危ない迷惑なヤツ的になっていくぶん気の毒だ。


2022.6.13(月)晴れのちくもり 境川のコイ

コイ

ナカガワで境川。いつもの湧水に寄ると、今日はコイがいた。湧水が公園の池に流れ込む淀みで水底をほじくっている。水底にはコイが掘ったとおぼしき穴がゴルフボールのディンプルのようにあいている。きっと何かを食べようとしているのだ。この泥の中に何がいるんだろう。タイワンシジミは遊水地で繁殖しているはずだ。

境川本流にもコイは多い。コイはタニシなんかの貝も食うらしい。こんな感じで捕食されると貝はたまったもんじゃない。本流にカワニナが見あたらないのはコイのせいかな?と疑った。ただ境川のコイは大型の成魚なんで浅瀬の貝は捕食を免れるはずだ。濡れ衣かもしれない。

昨日見たバスは今日もいた。ナマズにはついていたが、コイの行動には全く無関心だった。


2022.6.14(火)雨 雨のオトシブミ

オトシブミ

朝から雨が降っていた。霧雨で風が吹いていない。気温が低いせいか虫が動かない。ものすごく静かな朝だ。これはビューティカットをものにするチャンスだと思った。霧雨なら接写でも雨脚が写るかもしれない。庭には幸いオトシブミがいる。

オトシブミはここしばらく葉を巻いていない。メスがいなくなったのか、固くなった葉は産卵に適していないのか。数は多いものの活動をしていない。葉の上か下かでじっと動かずにすわっている。足をたたんで首をもたげ触角を下げた不動の姿勢は禅僧を思わせる。

そういう虫に蕭々と雨が降っている。そんなビューティカットが撮れるなんて素敵なことだ。放送番組なんかで虫を撮る際にはしっかり生態を捉えることが第一だ。第二に物語を構成するシーンをねらう。ビューティカットをねらう余裕はない。

それをものにできるチャンスが到来した。使い慣れたD700タムキューでさっそくトライ。雨雲は厚く暗いけれど風がなければ撮影はむずかしくない。ただ雨足が写らない。オトシブミがわかる程度の接写にすれば画角は狭く被写界深度は浅い。その中に運良く雨粒が10個ばかり入ってくれるのを祈るばかりだ。

今日の写真はトライから数枚目のものだ。雨粒はしだいに大きくなって速度が増してきた。風も出てきた。そうなると冷たい中でNGカットを量産するばかりだ。大きな雨粒は写らない。それでも滅多にないチャンスだからと、連写機能まで使って撮影を続けた。

ふと、ビューティカットなんてものにしてどうするの? という疑問がわいた。愚問かもしれないがありがちな問いだ。きれいな写真なんかあっても金になる見込みは皆無だ。コンテストなんてものには興味もない。だがいまはインスタグラムがある。ビューティカットをインスタで自慢すればいいのだ。これまでもいい感じの虫の写真を上げてきたじゃないか。そう思うとがぜん張り合いがでてきた。こっちの写真のほうがビューティ感がありそうなのでインスタに上げておいた。

何百枚か撮ったものの、結局最初の方の霧雨じゃないとうまく写らないことがわかった。これからしばらく雨の日は多いだろうけど霧雨は少ないだろうな。


2022.6.15(水)雨 15円のパーツ

TG-5

写真は魚露目8号をつけたTG-5だ。魚露目8号は市販のパーツを組み合わせても装着できるが、自作したほうがかっこいいのができる。TGシリーズに付属の輪っかにドーナツ状の鉄リングを接着するだけのちょいとした工作だ。それに魚露目8号を付属の磁石でくっつければ完成だ。

何年か前に1個作っておいたが、工作がいいかげんで軸が若干ずれているのと赤さびまみれなもので今回作り直した。そして予備の鉄リングを1個追加購入した。カメラの前に写っている丸いのがそれだ。

パーツの名は鉄ユニクロメッキ 丸型平座金 M20という。いわゆるワッシャだ。これは安価な鉄でないと磁石にくっつかない。安価とはいえ錆止めのクロムメッキが施されており、現状の錆を落としながら使用しているものより高級だ。

これは通販で買った。楽天市場でなんと15円だった。送料は260円である。ショップは群馬県伊勢崎市の岩内金物店だ。

1個しかいらないので1個だけ購入したが、店としても15円ではまったく儲けが出ないだろう。必要なものなので300円でも買ったと思うが300円でもいろいろな手間とか楽天の手数料を考えると赤字だと思う。買ってからいくぶん申し訳ないような気になった。というわけで次に何か金物的なものを買うときは岩内金物店にしようと決意してここに記録しておくことにした。

うまいことに今日も霧雨なので雨のオトシブミにトライした。やはりだめだった。画面の中に雨脚が最大でも3つほどしか写り込まない。盛大な霧雨が降ることを期待したい。オトシブミたちが元気なうちに。

TG-5

ヒメジョオンの茎にハラビロカマキリの脱皮殻がついていた。そのご本尊と思われるハラビロカマキリがそばにいる。それだけならどうってことないのだけど、私にはこの脱皮殻にピンと来るものがあった。

去年の今頃、やはりヒメジョオンのジョロウグモの網に何か不明の物がかかっていたのだった。それは見覚えがありそうでなさそうで気になっていた。2021年6月30日の天地無朋にそのことを書いておいた。

あれはやはりハラビロカマキリの脱皮殻だったのだろう。獲物になった虫の亡骸ではなく、ヒメジョオンにかかっていた脱皮殻が風で飛んできたという線らしい。


2022.6.24(金)晴れ 学研の図鑑LIVE 昆虫

実質無料という評判の「学研の図鑑LIVE 昆虫」をさっそく購入した。手に取るやいなやおもわず全ページに目を通した。そのうたい文句に偽りなくたいへんすばらしいものだ。研究者、写真家と編集者の努力慧眼に心を打たれる。これを世に出した我が国の文化を誇りに思った。

昆虫の写真家は総じて昆虫学者である。いまはプロの昆虫学者がきれいな写真を撮れる環境が整っている。そうした人々は皆物心ついたときから学研の昆虫図鑑で育ったのだ。とびついて購入した私もその一人だ。既刊の図鑑を山のように所有しネット検索に長けた市井の虫好きだってこれは欲しい。編集者はそうした供給と需要のリソースをフル活用している。

何よりも生体写真に平易な解説がついた基本構成は図鑑としてすばらしい。他の読み物と合わせて幾度か通読しておくだけでも検索力がUPするだろう。生体写真は実物を目にしたときでも引き当てやすい。能力の向上と実用性を兼ね備えた図鑑がとうとう登場したのだ。

さらに「学研の図鑑LIVE 昆虫」は紙の書物とデジタルコンテンツ双方の強みが生かされている。このフレームワークはデジタル時代に出版される実用書の規範となるだろう。科学物のみならず、料理・手芸・園芸などのテキストを編集する者は刮目してほしい。


2022.7.7(木)晴れときどきくもり 盛夏の境川

ずいぶん久しぶりに境川を走ってきた。今年は梅雨がほとんどなく、雨のタイミングが悪くて雨の中を走れなかった。そして盛夏がやってきた。

境川に出てすぐに目の前をウスバキトンボが横切った。盛夏を告げるものは数あってもウスバキトンボほど夏らしいものはない。まさに太平洋高気圧の申し子だ。道路脇のセイバンモロコシは花をつけ、オニユリが咲いている。アスファルトをセスジスズメがいつもの調子でうんしょうんしょと横切る。膝をついて撮影してアスファルトが熱くなっていないことがわかった。これなら安全だ。セスジスズメの他に虫はいなかった。これも盛夏にはおなじみのことだ。

アイスでも食って休憩しようかと例の用水路脇に行った。水路を覗くとなにやらびゅっと泥を巻き上げて水底を泳いだ者がいる。なんだ?と探すとアメリカザリガニが見つかった。アメリカザリガニではないようだがと、足を進めるとまた泥煙が上がる。どうやらこの水路にはドジョウがいるようだ。どってことない水路でもドジョウがいるとわかっただけで輝きを増す。いつかドジョウの姿を見る機会もあるだろう。

境川に出かけたのは自転車の練習だ。ペダリングコーチ・フランキーたけさんの動画をたくさん見る必要があり何百本か鑑賞するうち気づくことがけっこうあった。とりわけ楽で進むダンシングにピンときて真似したくなった。

楽で進むダンシングのコツは足を上げる方の骨盤を上げ、同じ側の肩胛骨を下げるというものだ。そのとき重心は足を上げる方に寄って、そっちの方向にハンドルを切る。ためしに登りではなく平坦でやってみると、動きは私の30km/h巡航と同じだ。ただし、私は足が落ちるときに体の力を抜き自転車を傾けない。

という次第で、私の30km/h巡航は楽ができてもその先のスピードアップはないと思い込んでいた。ただフランキーさんにならって、太ももを上げるときに肩胛骨を下げ自転車を傾けることに注意していると、体を浮かせなくても上体の重量がペダルにかかることに気づいた。そうすると逆の足はペダルを踏んで下死点で引けることになる。これはたいへんな発見だ。上半身の重量を加えつつペダルを回すためには大きなギアを使って高速走行しなければ無理だと思っていたけれど、30km/h巡航の3倍ギアでもできそうだ。

はてこれはいかに、と自分の尻にかかる体重に意識を向けると、尾てい骨の左右にかかる重量が不均衡なことに気づいた。右足を上げて上死点を通過するときに、右側の尾てい骨にかかる重量が抜けているのだ。ペダルの回転にあわせて上体の重量は左右の尾てい骨に交互にかかる。右の尾てい骨が浮くなら右足のペダルが前に行ったときに上体の重量がかかることになる。骨盤を上げ肩胛骨を下げる動きで骨盤が傾くのだろうか。もしや自転車の傾きか? 自転車が右に傾けば、右の尾てい骨はサドルから浮くことになる。なんという盲点。なんて素敵なんだ。ありがとうフランキー!

初回なのでまだ本当のところはつかめてないかもしれないけれど、新しい技ができそうでわくわくが止まらない。


2022.7.8(金)晴れときどきくもり 首相の辞任

英国の首相が辞任に追い込まれた。これはちょっとうらやましいことだ。

首相の主な仕事はEUを抜ける選択だった。部外者ながらそれは間違っていると思う。短期的な損得のことは別にして、生きた化石として余生を送りたくなければ、英国はEUに留まるべきだった。古色蒼然とした王国を世界の一等国にするためにEUに留まるべきだった。EUはユーロとかメートル法導入への第一歩だったと思う。広い世界に度量衡を合わせない国に文化も産業も興るわけがない。首相は国民を誤った方向に導いたばかりか、人品卑しいとなればその地位にあるべきでない。

うらやましいと思ったのは、首相を辞任に追い込んだのが身内だったことだ。英国は、議会も体制も国民の了見にもおかしな所がある。それはEU離脱からもあきらかである。ただ、国に害をなした首相を身内の者が引きずり降ろしたのはあっぱれだと思う。

我が国も英国ほどではないにしても首相がいいかげんなことをやってる。しかし身内からは更迭の動きすらない。自浄作用ぐらいはある英国がうらやましいと思った。


2022.7.9(土)晴れ 夏のジョロウグモ

ジョロウグモ

いま庭のザクロに6本脚のジョロウグモがいる。雄か雌かはまだわからない。なんらかの事故で脚を2本失ったはずだ。

今年は庭にジョロウグモが多い。おそらく100頭は下るまい。そこここに小さな巣をかけて密集している。密になれば喧嘩が起きやすいだろう。私はジョロウグモが脚を失う主因を種内闘争だと踏んでいる。ただし、その現場を押さえたことはない。

この6本脚は希望である。ジョロウグモは怪我して失った脚を脱皮によって回復させることが可能なのか? という命題を解くチャンスなのだ。もう10年ほどもこのことを気にかけてきただろう。そんなに知りたいのなら飼育すればいいじゃないかという心の声が年々大きくなる。

6本脚が巣をかけている場所は稼ぎがいいらしい。巣のゴミが日ごとに増えている。今朝はなにかの虫を食っていた。この調子でいけばチャンスはある。夏の間は脱皮の間隔が狭いはずだ。

タマムシ

ウィリエールで相模川に行って体側で踏み込む練習をしてきた。帰り、座間駅近くの路上にタマムシが落ちていた。娘たちがまだ生きたタマムシを見たことがないというのを聞いていたもんで拾って持ち帰った。せっかくだからと学研の昆虫図鑑でみんながやっているあれを家族総出でやった。


2022.7.11(月)晴れ 乗っ取りか?

ジョロウグモ

朝、真っ先にザクロの6本脚を見に行った。そこにいたのは写真の8本脚だった。脱皮したものではないとすぐに分かった。巣に脱皮殻がかかっていないからだ。いったい何が起こったのか。

巣自体は6本脚のものか同じ足場に作られたものだ。それはまちがいない。6本脚は行方不明である。近所に巣を張っている様子はない。状況から判断するに、6本脚の巣に別のジョロウグモが居座っているようだ。これまでの観察経験から、ジョロウグモで巣の乗っ取りは珍しくないと思っている。

ジョロウグモ

いっぽう、こちらの写真は昨日撮ったものだ。6本脚を撮るついでに、その隣のジョロウグモを撮っておいた。じつはこちらのほうが稼ぎがよいようでゴミがたくさんかかっている。脱皮殻もある。6本脚もこんな調子でがんばってもらいたいと期待していたのだ。

この写真の巣は消失している。想像するに、8本脚の巣が災難にあい、逃げ出した主が隣の6本脚の巣に侵入して闘争に勝利し巣を乗っ取ったのではないだろうか。

今となっては全ては想像でしかない。また脚の謎を解く鍵を失ってしまった。これだから昨日のうちに確保しておけばよかったのだという心の声は明朝には消えているだろう。


2022.7.19(火)雨 ノコギリクワガタを拾う

今年の夏は雨の中を走るタイミングがなかった。昼からはけっこう降ってくるという天気予報に勇んでサイクリング。境川に群青ででかける。川に出るとすぐにミンミンゼミを聞く。鷺舞橋の花壇にはモンキアゲハが来ている。歴戦の勇士なのかもう翅はぼろぼろだ。

ノコギリクワガタ

道路に上にノコギリクワガタが落ちていた。初見ではクワガタだとは思わずに通り過ぎた。2回目で待てよと近づくと、後胸以下がなくなっているオスのノコギリクワガタだった。

おそらくカラスか何かに食われたのだろう。一応記念撮影して、いつものように草むらに放っておこうとつかんだ指を噛まれた。ちょっとたまげた。すでに死にきっていると思い込んでいたからだ。けっこう力が強く痛かった。

ノコギリクワガタ

もうひとつスルーした虫がいた。クワガタ♀かもしれないけれど、つぶれているように見えたからだ。念のために復路で自転車を止めてチェックすると、こちらもノコギリクワガタだった。小型のメスだ。

すっかり途方にくれて仰向けになっている。すでに脚の動きに力がない。何度か飛ぼうとしたらしく下翅がはみ出ている。アスファルトに転がってしまい起き上がろうと足掻いて力尽きるのはよくあることだ。

去年の夏も「もしかしたらこの先でクワガタが途方にくれているかもな」と走ってノコギリクワガタを見つけたことを思い出した。あのときは首尾良く復活させることができた。

これも一つの縁と拾って行くことにした。帰宅して娘にノコギリクワガタの死にかけを拾ってきたことを告げると「さては味をしめたな」と言われた。1年前の奇跡の復活劇を覚えていたのだ。


2022.7.20(水)晴れ カブトムシ

樫

写真は去年見つけたカブトムシがたくさん集まる樫の大木だ。大賑わいは今年も続いている。このスナップの中には3頭がいる。その他はカナブンとスズメバチが常連だ。

今朝、この木に通りかかると道路に3頭のカラスがいた。さてはと自転車を進めるとカラスは飛び立って後には彼らがつついていたものが散乱している。

カブトムシ

やはりそれはカブトムシだった。その全てに腹部がない。食われてからそう時間がたっていないと見えて皆動いていた。集めて記念写真を撮ろうと指でつまめば引っ掻いたり角で挟んだり、強い拒否反応を示す。去年はこういう状態を見なかった。今年になってカラスに見つかったのだろう。

まもなく夏休みで子どもたちがカブトムシ捕りにやってくる。カラスとの競争になるかな。

昨日拾ってきたノコギリクワガタ♀は死んだ。蘇生を試みたものの時すでに遅かった。


2022.7.29(金)晴れ 夏山

夏山

中津川にかかる橋から望む奥多摩方面がまさしく盛夏だ。入道雲が何本も立ち上がり、昼には積乱雲に発達しているものもあった。昨夕はこの場所の積乱雲がきれいな乳房雲になった。一度は見たいと望んでいた雲だった。

今日は久々に半原越で登りの練習。フランキーさんの推奨する方法で登りを試してみたかった。河川で練習する限りではたいへん良い乗り方だと感じているけど、登りではどうなんだろう。試すには半原越が一番だ。

いつもの棚田にも寄った。年を追うごとに生物感が乏しくなった棚田だ。いまでは厳重に害獣防護柵を張り巡らした殺風景な水田になり、気持ちが離れていたが、気にはなる。ネット越しに覗きこむ水中にはカエルや水生昆虫の姿はなかった。一番気にしているのはミヤマアカネだ。梅雨の中頃に相当数が羽化し、盛夏には真っ赤に成熟する。例年夏から秋にかけて稲をすり抜けるように飛んだり、葉で休む姿が普通に見られた。今日、探して見つかったのは3つ4つだった。この田は耕作法を変えて生き物が少なくなったのだろうか。ウスバキトンボも舞っていない。

半原越はギアを1.5倍に固定して登ることに決めていた。フランキー流の効果を試すにはギアを変えないほうがいい。ケイデンスが落ちる10%超の区間は迷わず立ちこぎを使う。

確かに楽で進む感触がある。体側での踏み込みだと前ももに負荷がかからず踏み切ることができる。立ちこぎでも同様だ。TTの記録に興味を失ってからは踏み込みのダメージを嫌って軽く回すことに注力していた。フランキー流なら踏んでもいいと感じた。タイムは25分台。同じぐらいのしんどさで、30分かかっていたからずいぶん早い。


2022.8.8(月)晴れ クモとハチ

ジョロウグモ

朝、庭仕事をしていて見つかる虫がめっきり減っている。夏枯れなんだろう。頼りになるのはオンブバッタの幼虫と写真のジョロウグモぐらいだ。

まあジョロウグモでも撮っておこうと、こいつにD700を向けてピント合わせをしていると、いきなり逃げていった。脱兎のごとく支持糸を伝わってクワの葉裏に見えなくなった。はて、それほど驚かしていないはずだけどといぶかしがる間もなく、そこにハチが飛んできた。黒とオレンジの色合いからすぐにベッコウバチの類だとわかった。ジョロウグモはこのハチを嫌がって逃げたのだ。

貧相な庭ながら虫のダイナミックな営みに遭遇できてうれしい。

それにしてもジョロウグモのあわてようはただごとではない。ベッコウバチサイズの虫はたいてい獲物だ。本来なら期待に胸ふくらませて待つべき相手だ。しかしジガバチは特別な天敵。その姿を確認するやいなや一目散に退散すべき相手である。ずっと巨大で強力なヒトである私がうっかり巣に触れてもそんな反応はしない。逃げるにしてもゆっくりだ。定位置に留まったまま巣を激しく揺することもある。威嚇行動なのだろうか。ベッコウバチが相手だと可及的速やかに逃げるのみらしい。

ジョロウグモは生まれつきのこの反射をどうやって獲得したのだろう。きっと数億世代前、ジョロウグモがまだ巣をはらない頃からこのハチとの関係が続いてきたことだろう。生き物がみんな持っている反射ってのはどんなメカニズムでできあがるんだろうか。

そんなことをつらつら考えていると逃げたジョロウグモが定位置に戻ってきた。腹がこっちに向いちゃったけどまあいいかと撮ったのがこのカット。この場所は例年かせぎがいい一等地だ。


2022.8.10(水)晴れ 天敵のイメージ

私のジョロウグモはどうしてベッコウバチの接近に退避行動をとれるのだろう。それがいわゆる習い性じゃないことは確かだ。クモにはハチが天敵だということを学ぶチャンスがない。さらに数学的帰納法っぽくクモの歴史を遡ってみると、ジョロウグモがジョロウグモになってからではハチを天敵と学ぶことができない。ジョロウグモがジョロウグモになる以前、樹木とか地面で獲物をあさっていた頃からの本能だろう。さらに進んで海でミジンコみたいなものだった頃からの反射だとしなければならない。

ジョロウグモが単細胞生物だったときにも外界とのやりとりはあった。光から逃げるとか音に身をすくめるとか、化学的な刺激に寄る避けるという反射があったろう。そしてジョロウグモが多細胞生物になったのは海の中だ。海の中で目ができて手足ができた。すでに海中で糸を使ってたかもしれない。多細胞生物になると、体の発達に伴って神経も発達する。平行して心が発達する。繊細で美しく機能的な虫なのだから、その見た目にふさわしいだけの緻密な心があるはずだ。

陸に上がってクモになり巣を張るようになると、その体と行動に応じて神経が発達する。平行して心には巣の設計図ができ、獲物や敵のイメージが発達する。大きくてまっすぐ速く近づいて来るやつは敵という海の中で培ったベーシックな心は、今のジョロウグモなら、鳥&ほ乳類=敵というイメージに発達しているのだろう。

クモを専門的に狩るハチとの関係はもっと緻密なはずだ。ベッコウバチはどういう者を狩るべきかというイメージを持っている。クモの方では近づいてきたとき逃げるべきハチのイメージを持っているだろう。アシナガバチ、ベッコウバチ、ハナアブ・・・というように種を区別しているわけではないと思うけれど、ベッコウバチの探索行動はジョロウグモが持っている天敵のイメージと速やかに合致する。そして退避行動という反射が起きる。

そして進化の契機が突然変異であるならば、心変わりこそが重要因子にちがいない。体よりも心変わりの方が低リスクで費用対効果が大きいはずだ。近年では心の遺伝子も研究されているんだろう。


2022.8.16(火)晴れ クロスフェード

群青でホームコースをサイクリング。登り練習は鳶尾山。ギアは主に34×25Tを使う。インナーは必要ない。というのは最近はフランキー流の練習をしているからだ。フランキー流だとペダルを踏みきることができる。回して踏んで体重をかけることができる。上死点でもも前を使って、3時までは臀筋を使って、6時までが体側を使うイメージ。体側で踏めば下死点での踏みつけが無駄にならない。他方の上死点にあるペダルに体重を乗せることができるから。

フランキー流で鳶尾山を普通に登って10分。特にいい時計が出せるというわけではない。これまでもちょっとやるかな、ぐらいの感じで出てたタイムだ。ただ楽で無駄な努力感がないところがいい。

風がいい感じなので登り練習を早々に切り上げて相模川へ。向かい風をフランキー流で2本。いい感触が得られた。登りと平坦を同じ感触で走る方法があったんだ〜と感動している。ありがとうフランキー。

フランキー流の欠点は「かっこ悪い」ことだ。体が揺れる、自転車はふらつく。なまじ向かい風で速いもんだから傍目には年寄りの冷や水。1分後に足が終わる老ライダー感満点になる。やってる本人は絶好調なのに。

気温はそれなりに高いけれど太陽光に凶悪感はない。7月初めのあの灼熱はもうない。季節は秋に移る。相模川でも小鮎川でも荻野川でもエンマコオロギを聞く。ああ秋なんだと思う。そう思うとアブラゼミの声も秋だ。水稲の穂がふくらんできた。

夏が好きなもんで秋へクロスフェードしていくこの季節はいくぶん寂しい。ただその寂しさが年を追うごとに麻痺していると今日は思った。


2022.8.19(金)晴れ セミ

鳶尾山

秋の風が吹いた。群青でいつものコースをサイクリング。中津川の道路に大きなトンボが転がっていた。オニヤンマかと拾い上げてみると、そうではなかった。コシボソヤンマだろう。死んでいるものと思ったが命の灯火は消えきってなかった。

川べりの公園で水を汲んでいると、植木のソメイヨシノにアブラゼミがいた。目の前に3頭だ。TG-5で撮影し放題。アブラゼミだって発生初期には撮影させてもらえない。今日はすっかり無防備だ。夏の間にやるべきことをやりきったのか、個体数が多いからか「もう種の保存は確実だからね」という余裕を感じた。

相模川の河口付近で日中にもかかわらずクマゼミが鳴いている。一昔前は三浦半島の先の方にいかないとクマゼミシャワーを聞くことはかなわなかった。少しずつ湘南を北上しているのだ。クマゼミには夏を感じる。

登り練習は鳶尾山で。森が深く涼しい。おまけに雨上がりの増水で道路に水が流れいっそう涼しい。「蝉時雨 山の細道 水流る」自転車の練習をしていても俳句的な文句が浮かんでしまう。私のDNAには俳句が組み込まれていると思う。作品としてのできは悪いけど。路面にミンミンゼミ♂が腹を見せてひっくり返っている。いかにも生き抜いたぜ!という風情だ。セミのシャワーを浴びて4回登った。

涼しいと自転車が楽だ。夏の暑熱はサイクリングの障害になる。だけど、暑い中をうんしょうんしょと走るのが好きだ。夏のサイクリングはいい思い出ばかりだ。私は人生の終盤に入っている。楽しく走れる夏はもう数えるほど。


2022.8.22(月)くもりのち晴れ バッタ、キリギリス、コオロギ

キリギリス

夏の終わりの真っ昼間、バッタの類がやたらと目についた。すっかり草むらになった荻野川のバタフライロードを歩けば、トノサマバッタやショウリョウバッタ、そのほか小さなバッタ類がぴょんぴょん跳びでてくる。川べりを走っていると道路の真ん中にキリギリスがいる。はは〜んと止まって近づけば、やはり産卵しようとしている。この割れ目はなぜか人気だ。数年前にはトノサマバッタが産卵していた。今日はこの道で連続して3頭のキリギリスを見た。

キリギリスにはちょっとしたひっかかりがある。鳴き声だ。例のギース・チョンというのとギリギリギィというのと、神奈川のこの辺では2種類あるように思っているけど、本当にそうなんだろうか。四国の八幡浜にいたころは、チョン・ギースだったと覚えているが、正しい記憶だろうか。キリギリスはニシキリギリスとヒガシキリギリスの2タイプあるそうだけど、そのせいだろうか。

相模川に出て日も射してきたことだしと、ソメイヨシノの木の下で休憩。ソメイヨシノは黄葉した葉をずいぶん落としている。冬の前に一斉に紅葉して散るのではなく少しずつ枯れていくようだ。わが家のジューンベリーも似た感じがある。

ソメイヨシノの木を見上げキリギリスを探してみた。というのは半世紀ほど前、八幡浜の千丈小学校のソメイヨシノでよくキリギリスを見ていたからである。キリギリスを見つけたいならソメイヨシノという記憶がある。今日はそれらしい気配すらない。東の方のキリギリスは木に登らないのだろうか。種差があるんだろうか。などとしばし勘ぐって思いをあらためた。あの頃はやたらとソメイヨシノを見ていた。憑かれたようにセミやタマムシを追っていた。そしてなによりも学校の勉強に全く身が入らず、教室の開け放たれた窓からソメイヨシノを眺めていたから。

道路脇から聞こえてくるのはキリギリスからエンマコオロギに移りつつある。夜には庭でコオロギが鳴いている。4種類のうち一番大きい声がエンマコオロギだと思う。まだ姿を見てなくて断言する自信がない。それに大好きなコロコロリーという鳴きかたではないから。


2022.8.27(土)晴れ 老眼

老眼は困ったもんだ。望遠レンズを眼球に装着しているようなもので手の届く範囲は合焦範囲外だ。しかもオートフォーカスが使い物にならない。その対策として老眼鏡を10個ぐらい常備している。置き忘れるに決まっている老眼鏡を持ち運ばなくてすむよう、行く先々に置いとくのだ。場所によるけれど、書斎、居間、職場・・・に最低2つを置きっぱなしである。

これを書いているモニターの前にも2つある。1つはデスクトップPCのモニター用で、一つは昆虫図鑑用だ。昆虫図鑑用が3.0、モニター用が2.5という度数で同じメーカーの色違い製品で見分けがつけやすい。3.0の手元用が青、2.5のやや遠いモニター用が赤である。間違って青でモニターを見ようとすると、近づく必要から視野が狭くなる。そして運良くすばらしいことに気づいた。

青でフリーセルをやるとよく負けるのだ。赤に比べて負け率は2倍ほどだろうか。敗因はやはり視野の狭さだろう。私のフリーセルは旧式なので画面は横640pixだから、青の狭い視野でも全体はとらえているはずだ。それなのに負けが増える。

フリーセルを解くのは簡単で、大半のものは考える必要なんてない。解く道筋は何十通りもあるからだ。妥当な感じのカードを考えなしにめくって行くのが手っ取り早い。

私はすでに12万7000個のゲームを解いているベテランだ。ゲームを開いて2秒ぐらいでカードの配列を見て、妥当そうな数手を判断する。または「これはやばい、考えねば」という判断をする。どうもそのスタート時の判断が青の老眼鏡の方が多く誤っているようだ。赤なら見ていないはずのところが見えていて、自分自身で「よくこんな手に気づいたもんだ」と感心することがある。青だとそうはいかず、見ているようで見えてないことがある。視野が狭くなるからだろう。フリーセルは思考ゲームだと思っているけど、現実には無意識のほうが主みたいだ。宇宙人の番組をビデオで見ているとき、1時間11分11秒とか1時間23分45秒なんてときになぜかビデオデッキのタイムカウンターに目が行くようなものだろう。

こうした無意識の知覚は特殊な状況で顕著になる。卓球のプロは人間に取れるはずのない打球を取る。球が飛んできてから方向強さ回転を意識してステップを踏んでラケットの面を合わせるなんて芸当は不可能だ。何百万回のラリー、何千回の試合をこなすうち、無意識レベルの状況判断で反射できるようになるのだろう。観客では気づけない敵の動き、打球音などの情報を得て判断しているのだ。

私は庭で虫を見ている。虫はそれほど微小ではない。小さくても3mm程。虫ってのはゴミと違って左右対称で動きもある。ゴミみたいで動かない虫はいそうな所がわかっている。これをはじめた20年ぐらい前は老眼鏡が必要なかった。虫が見つかりさえすれば老眼でも撮影に支障はない。カメラは一眼レフなんで老眼は関係ないからだ。そう思っていたけど、老眼鏡に頼るようになり次第に度が強くなった。

悲しいかな、今は2.5度の赤を使わないと虫が見つからない。たまに間違って図鑑用の3.0青をかけていってしまうとイライラするぐらい虫がみつからない。庭の草むらを気配を殺して歩きながら視界の片隅でうごめいたり潜んだりしている虫を探す。虫は敏感にこっちを察知している。彼らが警戒体勢に入る前に発見できないと負けだ。フリーセルだけでなく庭の虫探しも視野狭窄は致命的らしい。

庭では年を追って虫がいなくなっている。これは目が悪くなっているからではなく、環境変化で本当にいなくなっているのだと信じたい。ヤブガラシが咲いているのに今日はスズメバチもアゲハも来ない。アシナガバチがときおり姿を見せるだけだ。庭だけでなく、その辺の草むらから虫がいなくなっている気がする。こちらは老眼のせいだと思いたい。私の虫は絶滅危惧種、希少種ではない。どちらかというと害虫たちである。じゃまなくらいそのへんにいなきゃおかしいやつらだ。自転車で走っているときの虫探しは老眼鏡を使うわけにはいかない。だから見逃しているのだと信じたい。


2022.8.30(火)くもり時々雨 休耕田

休耕田

こちらは境川にある休耕田だ。さすがに本物はすごいなとしばし見とれてしまった。私の田んぼ水槽とは異次元の立派さだ。ちょうど季節はオモダカの白い花盛り、コナギなんか私のアクアリウムのやついより10倍も大きい丸い葉を広げている。落ち穂から芽吹いた水稲のつんつんした葉が天を突く。

カルガモがなにやら餌をあさり、サギもいる。サギがいるってことは魚がいるんだろうか。

水路

こちらが導水路だ。3面コンクリで幅も深さも1mほどある。画面の中央に四角のトンネルがあって休耕田に水が引かれている。この水路には魚類がいることは確認済みだ。もしかして休耕田にドジョウなんかが住み着いているのだろうか。境川本流との連結が気になった。

水路

これが排水路。1kmほど水田帯を流れ排水が境川本流に帰る。排水路は低く造られており、本流から魚は容易に遡上できる。ただし、画面中央にある白い建物に水門があって流れが管理されている。そこで魚が行き止まりになる可能性がある。施設の中は見てない。

水路

こちらが入水路。画面左手の橋の下はゴム堰の堰堤になって春から夏は水田用に水を引く。画面中央に水門が見える。ここからかなりの水が休耕田のある用水路に引かれている。魚はここから容易に入っていかれるようだ。この休耕田の用水路は簡単に溢水する。ちょいとした雨で溢れることが普通だった。それを嫌って去年補修工事が行われた。この夏の溢水はみていない。

ともあれ、秋から春は水量が減らされ魚が本流から休耕田に入っていくことができなくなる。休耕田自体も冬には涸れる。水田耕作が止まったのは私の知る限りでは2年前からだ。ドジョウとかハヤとかの立派な魚が休耕田で世代を繋ぐことは難しいだろう。アメリカザリガニはけっこういるかな。

境川周辺にはぽつぽつ休耕田ができるけれど、数年で復帰することが多い。1か所だけ20年にわたって休耕田の場所がある。そもそもそこが田だったどうかを私は知らない。最初に見たときからヨシの群落だった。湛水型の休耕田は放置するとやがてヨシ原になるのだろうか。田んぼ1枚に満たない広さのささやかなヨシ原であるけれど、その近くはヌマガエルが多い。ヨシ原がカエルのよすがなのかなと思っている。


2022.8.31(水)晴 バーベナ群落

相模川

相模川の河原だ。写真の中央あたりがどうも怪しい。くすんだ薄紫色に河原が染まるのは異常事態だ。どうしたんだろうと自転車を止めて注視してみれば、どうやらバーベナが咲いているようだ。バーベナの帯は河原の中央付近を500mほどにわたって続いている。

バーベナ自体は珍しいものではない。私の行動域の神奈川県の河川ではどこででも見られる。花はきれいで蜜があるらしくいろいろな虫を集める。今頃ならセセリチョウなんかが多い。

強い草のようでこの10年あまり勢力の拡大に気づいていたけれど、大群落を作るタイプではないと思っていた。境川や荻野川では他の雑草の中にぽつぽつと入り込んでいるという感じだからだ。一時期のセイタカアワダチソウのような壮観な光景を作ってくれる草ではなさそうだった。それがなぜか大河相模川でこれほどの群落になっている。なにかバーベナに良い人為的な作用があったのだろうか。それはなんだろう。ここの河原は定期的にチェックしているわけでもなく仮説が立てられない。


2022.9.1(木)くもりときどき雨・晴れ 秋の庭

秋の深まりにつれて庭はがぜん活気を取り戻している。カメラを持って出ていくとすぐに蚊が襲ってくる。今年生まれのカナヘビが大きくなった。ちょっと残しているヤブガラシにはセスジスズメが2つ3つと見つかる。今年のヤブガラシは自由に繁茂できる場所を区切っているけれど、渋い色合いのセスジスズメが見つかると駆除を躊躇せざるをえない。

この秋は庭にコオロギが多い。草むらをかき分けると各種が跳び出る。夜にはエンマコオロギが聞こえる。20年前には庭で繁殖していたが、近年は他所からやってくるものだけだった。さあ今年はエンマコオロギが繁殖するだろうか。私の目から見て産卵繁殖はできる環境なのだが。

いよいよジョロウグモの季節だ。今朝新たに7本脚のメスが見つかった。これで2頭だと撮影しようとカメラを構えると、私の動きに驚いたのか、ツマグロオオヨコバイが飛び立って巣にかかった。ジョロウグモは電光石火でツマグロオオヨコバイに駆け寄りしがみついた。じたばたあがくはずの獲物はまったく動きをみせない。脚すら動いていない。一方、ジョロウグモは糸で巻くでもなく獲物をつかんだまま動かない。牙で噛みついて毒を注入したのだろうか。ファインダー越しにも私の目には見えなかった。

日当たりがよい南庭でチヂミザサが咲いた。こいつが咲くとクロナガアリの季節が近いと思う。いまのところ主食になるはずのササガヤの生育があまりよくない。


2022.9.2(金)雨 初秋のジョロウグモ

ジョロウグモ

小雨降る朝、庭に出て虫の観察。昨日発見した7本脚のジョロウグモ♀に異変があった。同じ巣に定位しているジョロウグモ♀(写真)が8本脚なのだ。これはあやしい。事件性がある。念のため、昨日撮影した高画質の元画像を見直して7本脚ということを確認した。

むろん脱皮して脚が生えてきたわけではない。主が入れ替わったと見るべきだろう。私はジョロウグモ♀が入れ替わる現場を目撃したことはない。ただその状況証拠はいくつか持っている。

おりしも今日、この隣の巣でメスにオスがついた。いよいよジョロウグモの季節が本番だ。オスは移動が頻繁だ。よいメスを求めてうろうろするのだろう。そしてオス同士の闘争も起きるはずだ。

メスは巣の移動を滅多にやらない。定位して巣を改修しながら使っていく。私の目には異様に写るのだが、ときに稼ぎが少ない場所に何週間も留まっている。初秋の行動は違うのだろうか。成熟をひかえた段階ではよりよい場所を求めメスも歩き回るのかもしれない。場合によっては他人の巣に入って喧嘩の末の乗っ取りが起きるのだろう。一度だけ、乗っ取った巣に新たに自分で巣をかけて、古巣を撤去したとおぼしき事例も見ている。

この巣ではもといた7本脚メスはどうしているのだろう。ジョロウグモ♀がメスを食っているシーンは代々木公園で目撃している。今回はそうなってはいないようだ。庭で巣を張り直すことがあれば、再会できるかもしれない。


2022.9.4(日)晴れ 田んぼ水槽が澄む

田んぼ水槽

居間に設置している田んぼ水槽に異変が起きている。水が澄んで動物の種類ががらっと変わった。それだけのことで異変といったらおおげさかもしれない。

今年の田んぼ水槽は設置してから半年以上も白緑色に濁っていたのだ。それはきっと植物プランクトンが原因だと思う。もしかしたらシルトが漂っていたのかもしれない。その濁りがとれたのはほんの数日のことだったと思う。天気の良かった8月31日の朝に逆光の田んぼ水槽を見て、ずいぶん澄んだなと驚いた。今朝はあのときよりも澄んでいる。

澄む水に同調するかのように、動物プランクトンが変わった。水が濁っていたときはカイミジンコばかりだった。カイミジンコは最初から多かったわけではなく、水槽が安定して水草が繁茂するのに合わせて増えてきた。ためしにミナミヌマエビ用に固形フードを投入すると爆発的に増え、見た目にうっとおしいくらいだった。固形フードの投入は数回でやめた。するとカイミジンコの数は一気に減って、底に白い貝殻が転がることになった。

今はカイミジンコがいなくなったわけではないが、主役がタマミジンコになった。数は決して多くはない。人為的な圧力の影響とするならば、餌の投入でカイミジンコが増え、餌のストップで増えたカイミジンコが植物プランクトンを食い尽くして水が澄んだ。そして間隙を縫って増えたタマミジンコはいっそう植物プランクトン食が強い、とか。ただ、こういう仮説にしがみついてはいけない。人は自然環境を変えたのは人だと思い込みがちだから。ひとまず固形フードを1個投入してみた。


2022.9.6(火)雨のち晴れ 巣の乗っ取り

ジョロウグモ♀による巣の乗っ取りらしき事件が発生したのでその経緯を記録しておく。

ジョロウグモ

写真は1日(金)のもの。このメスは脚を右第2脚をうしなって7本脚になっている。
庭には例年ジョロウグモが巣をかける場所があって観察ポイントにしている。このメスはしばらく前から目をかけていたものだった。

ジョロウグモ

その翌朝、前日となんら変わらぬ様子であったが、詳しく見ると8本脚になっている。脱落した脚がいきなり回復することはありえない。別個体だ。どうやら巣の乗っ取りが起きたらしい。観察を続けていた7本脚はこいつに巣を取られたのだ。この場所は例年ジョロウグモの稼ぎがいい。今年もメスが密集しており、巣の乗っ取りが起きやすかったのだろう。

ジョロウグモ

少し日数があいて5日にはこのメスはツマグロオオヨコバイを捕まえていた。オスもついている。順調な感じだが、巣の様子が変だ。写真ではよくわからないけれど、垂直円網が二重になっている。2日の段階では乗っ取った巣をちゃっかり利用していたが、5日までには新規に自前の垂直円網を設けたのだ。

ジョロウグモ

そして今朝になると垂直円網が一つになっていた。以前に別の場所で、巣を乗っ取ったジョロウグモ♀が新たに自分の垂直円網を張り、前の所有者がかけた垂直円網を撤去したらしき例を見ていた。同じことが起きたのだろうと思った。さらに何が起きたのか手がかりを探して写真を詳細に見ていると、脚が変だということに気づいた。1本足りない。

ジョロウグモ

あわてて脚の見える角度から撮りなおした。やはり7本脚になっている。失ったのは左の第2脚。もとのとは脚がちがう。乗っ取ったメスが再度乗っ取りを受けたのだろうか、それとも乗っ取ったあと事故があったのか。


2022.9.7(水)くもりときどき雨 モンクロシャチホコ幼虫

モンクロシャチホコ

午前5時頃に目が覚めた。窓に目をやれば雲の隙間に青空が見える。今日降るはずの雨はまだらしい。ふと外の様子が気になって寝床を出てすだれを上げ外を見た。

目前のジューンベリーの枝にシジュウカラがいる。何か大物をゲットしてテンションが上がっている。その獲物はすぐにモンクロシャチホコの幼虫だとわかった。墨色の体に黄色い毛がまばらに生えている。シジュウカラは食べるのに手間取っている。足で幼虫を押さえクチバシでしきりにつつく。ジューンベリーの枝をあちこち渡りながらつついている。そしてヒマラヤスギの枝の中に入って見えなくなった。

庭のモンクロシャチホコが鳥に捕食されるのは初めて見た。鳥たちはそれほど執着してないように思う。モンクロシャチホコの幼虫は人が食べてもそれなりにうまいらしい。鳥にもよい食べ物なのだろうか。

二度寝して朝飯を食って、ニコンを持って庭に出る。まずはジョロウグモだなと足元に注意しつつ歩を進めるとモンクロシャチホコの幼虫が歩いていた。蛹化の場所を探しているのだ。なにやら慌ててもぞもぞしている。たかってくるアリを嫌がっているのだった。アリも種類によっては大きな幼虫を仕留めることができる。モンクロシャチホコはアリを振り払いつつ枯れ草の中に潜り込んでいった。

地面にいるってことは旅立ちの日だ。モンクロシャチホコたちは一斉に蛹化場所を求めて木を下りる。ジューンベリーの幹を探れば、3つ4つと幼虫が下っていく。うまく生き残ってくれ。来年の夏に再会しよう。

午後遅く出発して境川サイクリング。雨が落ちてきて涼しく練習できる。例年土をもらっている田は今日稲刈りだった。湛水型休耕田で雑草化している稲の穂も垂れている。アレチウリとかクズとかヘクソカズラとか夏の間にエネルギーを蓄えた雑草が花盛りだ。こいつらももうあと一歩。みのりの季節だ。

帰宅してジューンベリーの枝をチェックするとモンクロシャチホコは一匹もいなかった。全員木を下りたのだ。枝にはやつらが暴食した葉の柄が残されている。今年はモンクロシャチホコは少なかった。1、2、3、4・・・と数えられる程度、終齢幼虫は20匹くらいだ。たしか去年は終齢にこぎつけたのを1匹見ただけだった。2年前の血を吐いて大量死する奇病の影響だろうか。

それにしてもなんで早朝に外が気になったんだろう。目覚めて窓を開けるなんてことは年に一度もない。まさか鳥にやられる毛虫の断末魔を感じたわけではあるまい。生き物に呼ばれる気がする事はままある。ともあれモンクロシャチホコがいつのまにか大好きな蛾になっていた。これは確かだ。


2022.9.12(月)晴れ 脱皮殻

脱皮殻

ジョロウグモの巣に脱皮殻が架かっていた。昨日か今日に脱皮があったと思われる。さっそく脱皮殻の足の数を数えた。7本あった。ということは観察を続けているこの巣のジョロウグモにちがいあるまい。ご本尊が8本脚に回復しているなら、ジョロウグモも脱皮で脚が治るということになる。

脱皮殻

こちらは脱皮後のはずのジョロウグモ。7本足なのは一目瞭然だ。ちょっとがっかりした。私はジョロウグモの欠損脚は脱皮で治らないという弱い状況証拠を手にしたにすぎない。もしかしたら次の脱皮で変化があるのかもしれない。「ないこと」の証拠をつかむのは難しい。


2022.9.19(月)雨 ナガエコミカンソウ

ナガエコミカンソウ

ナガエコミカンソウが咲いていた。木は玄関にある。門柱とアスファルト道路のわずかな隙間に根を下ろしているのだ。

その場所は歴代の雑草、とりわけ勢力拡大が著しい外来種たちが入れ替わり立ち替わり根を下ろして来たところである。カタバミ、スミレやナガミヒナゲシがよく記憶に残っている。そいつらはおおむね好きにさせて「次は何かな?」っていうのを楽しんでいる。

ナガエコミカンソウがわが家に侵入してきたのは10年以上前だったと思う。邪魔なだけの雑木であるが、ひとまず1本だけはゆるく保護して灌木になっている。大きく葉を展開してうざくなると、ちょきちょきハサミで枝を切る。根元のほうでばっさり切っても衰退する様子はない。とても強い木だ。

2年ほど前、ナガエコミカンソウが除草剤に滅法強いことがわかった。南の隣家は雑草に対して容赦ない殺戮攻撃をしかける。幅80cm、長さ8mほどのわずかな隙間でも雑草が生えるのが気に入らないと見え定期的に除草剤を使って殲滅する。しかし、半年ほどで雑草は茂ってくる。その中で一番元気がいいのがナガエコミカンソウである。根が残っている感じではないので実生だろうか。「こやつただものではないな」と感心しきりだ。

今朝は新しく買ったカメラのテストをかねてこの写真を撮った。新しいカメラといってもニコンの旧型でD300というやつだ。スーパーマクロとして使ってきたD70sはシャッターがガタガタだった。だましだまし使ってついに我慢の限界に達して、D70sより上等のD300を2万円弱で買ったのだ。

じつはD300よりちょっといいD300sをすでに使っている。間もなくクロナガアリの季節でもあり、スーパーマクロは3台が必要だ。でもクロナガアリ専用ならD300sじゃなくてもいいよねってことでD300にした。田んぼ水槽、コケ、庭の雑草、クロナガアリ・・・それぞれレンズやストロボのセッティングおよびカメラ本体の設定は異なる。撮影の度にいろいろ変更するのはわずらわしい。変更のせいで失敗するのだって目に見えている。

一眼レフの進歩は著しく高感度のすごいのができている。そういうのならストロボなしでスーパーマクロが作れそうだ。汎用性が高いだろう。しかしニコンのD3000だって中古で10万円以上する。まだ私の手の届くカメラではない。指をくわえて見ている。


2022.9.25(日)晴れ ジョロウグモの脱皮

ジョロウグモ

観察を続けていた7本脚のジョロウグモが脱皮している。朝、恒例の庭めぐりで真新しい脱皮殻が巣に架かっているのを見とめ、直ぐに脚の本数を数えた。やはり7本だ。

どうやらジョロウグモの欠損した脚は脱皮で回復できないことがほぼ確定だ。脱皮は昨日から早朝にかけてだと思われる。このジョロウグモはほかのメスとは離れて巣を張り観察しやすかった。獲物は小さいながらも毎日のようにかかって栄養状態は劣悪ではなかった。もし欠落した脚が胸の中で成長しているのなら、今回の脱皮で生えてきただろう。

これで積年の課題がひとつ解決をみた。ただ完全な解とはいえない。したがって今後もジョロウグモの観察は継続したい。そもそも多発している脚欠損の原因が不明瞭なのだから。


2022.9.28(水)晴れ クロナガアリ

クロナガアリ

昨日、クロナガアリが地上活動をはじめていることを確認した。庭で15年ほど観察している巣だ。巣口を開いてわさわさと働きアリがたむろしている。地上活動は初めてなのか、慣れないからか、私が近づくだけであわてて巣に入っていく者が多い。この写真はD300で撮った。クロナガアリ用にセッティングしてあるカメラではなく写りはイマイチ。コントラストはストロボのせい。色合いが変なのはアカマンマなどの草用にセットしているから。

食べ物になるものを運んで来る者、巣の中のゴミを捨てる者、ただうろうろ何かを探している者、いつもの活気がある。気温が高く活性がいい。どれも足が速くて撮影が難しい。

いま庭には彼らの餌になる種が少ない。写真のようにミズヒキなんかが少しみのっているだけだ。今年はササガヤの生育もあまりよくない。

という次第で今月に入ってからはセイバンモロコシの稔り具合をチェックしている。去年、いっぱい収穫した相模川河口近くの群落は9月の初めに草刈りが入った。回復するかもしれないけれど10月半ばには間に合うまい。境川もまだだ。穂に触ればふくらんだ種の感触はある。何か所か目をつけている小群落で少しずつ拾ってくるしかない。無尽蔵だった相模川河口で今年の分まで採っておけばよかったと気づいてもあとの祭りすぎる。

今朝、近所を歩いていてエノコログサがうまそうに稔っているのを見つけ採ってきた。エノコログサはクロナガアリの餌にはならないはずだが、駄目元だ。水稲の種籾もちょっとだけまいておいた。


2022.9.30(金)晴れ 相模川のクズ

相模川

静岡に大きな被害を出した台風の雨は神奈川ではそれほどでもなかった。写真の相模川でも土手に迫る増水ではなく河川敷の水没もなかったようだ。

左は戸沢橋から下流のほうを撮ったものだ。写真を撮ったのは増水が河原の植生に大きな影響をもたらすものだとあらためて気づいたからだ。手前のほうでは雑草が泥をかぶって枯れている。草は主としてクズだ。

クズはとても強力な草で、夏場の河原では大繁茂して地を這い木に登って全てを覆ってしまう。クズの茂るところにはアレチウリ、カナムグラ、ヤブガラシなんかも混じっているけれど、クズは圧倒的だ。クズは広く厚い葉で太陽を独占し、足元で他の雑草が育つのを妨害する。とくに登攀力でクズに太刀打ちできる蔓は河川にはいない。この写真でも泥をかぶらなかった奥の方ではクズが天下をとったままである。

今回はクズにとっては被害軽微のようだ。手前のほうでも根こそぎ流れている様子ではない。河川で生きるからにはこんくらいは想定内だろう。ただし相模川が氾濫危険水位に達するほどの増水ならただでは済まないだろう。たまにはクズも壊滅的打撃を受けたほうが他の雑草のためにいいんじゃないだろうか。

相模川

泥をかぶったクズを見て思い出したのはひと月前のこの光景だ。流れに近いところの河原にバーベナが大繁茂している。これはもしや増水のたまものではないかと思ったのだ。バーベナはパイオニアの素質があって、増水で更地になった河原にいち早く侵入し、他の雑草が根を下ろす前に地盤を独占したのではないかと思ったのだ。

流れに近いところでは土砂の入れ替わりが頻繁である。足の速さが繁茂競争の勝敗を左右するだろう。


2022.10.8(土)くもりのち晴れ あの7本脚

ジョロウグモ

朝、いつものようにジョロウグモの様子を見に行った。見慣れた7本脚である。ところがその場所にいたのは写真のジョロウグモだった。明らかに大きくなっている。あわてて脚を数えると8本だ。脱皮殻はない。

これは失態だ。令和初の大失敗かもしれない。じつは2日ばかりこのジョロウグモのチェックを怠っていた。脱皮で脚は再生しないというひとまずの結論を得て油断したのだった。

ただし脱皮で脚が生えたのにしては体が立派すぎる。左第2脚ももとからあったようにしっかりしている。もしや乗っ取りか?と巣の造作をチェックする。垂直円網が2重になっているわけではない。普通の円網と3次元に補強された感じがある。残念ながら判別がつけられるゴミは巣にかかっていない。事の真相を推理する材料は尽きたかに思えた。

ジョロウグモ

やっぱり1日一回は見とかんといかん。念のために見慣れた7本脚が見つからないかと申しわけ程度に見渡せば、そこにいた。1mほど奥、同じく私が張ったひもを足場にして7本脚がいた。いつもどおりの姿だ。どうやら乗っ取りだとしても平和裏に決着をみているようだ。もしかしたら7本脚がなんらかの理由で引っ越して、空き地に新しいのが入ってきたのかもしれない。


2022.10.11(火)晴れ 田んぼ水槽のコケ

たんぼ水槽

秋をむかえた田んぼ水槽の水草にコケがびっしりついている。写真のロタラ(キカシグサ?)にもマツバイにもコナギにもついている。まるで薄く霧氷がおりたみたいだ。

このコケには心当たりがある。先日、水槽のガラスを掃除した。とくに背面ガラスにはコケに覆われていたのでいっぺんにそぎ落とした。どうやらそのコケが水草に付着したようだ。このまま葉に定着するのかどうか確かめたい。

ミナミヌマエビがぽつぽつ落ちて2匹になっていた。こんなものでも元気に泳いでいる姿を見ていると愛着がわいている。寂しくなって5匹買い求めてきた。田んぼ水槽では繁殖を見ていない。


2022.10.21(金)晴れ ジョロウグモ大小

ジョロウグモ

10月も下旬になってジョロウグモが産卵をはじめる頃になった。幸いなことに今年も庭にジョロウグモがけっこういる。写真左のものはその中で一番成長のよいNo.1メスだ。日に日に卵を持った腹が膨張している。

毎朝ご機嫌うかがいをしているけれど、こいつが大きめの獲物を食べているのを見たことがない。アブぐらいがせいぜいだ。ユスリカみたいなのが良くかかるのだろうか。

庭では餌がたくさんかかる場所が決まっているみたいだ。左手のNo.1ジョロウグモはそこに陣取っている。もう10年以上も一等地はそこだ。年月を経てその場所の環境も激変している。隣の家は建て替えられ、山桜や梅がとっぱらわれ、ムクゲは枯れた。それでもやはりその場所が一番だ。どういう加減なのだろう。

今年は特にその場所が好まれて、左手のNo.1メスの半径2m以内に5〜6頭のメスが密集している。足場の糸は複数の巣で共有されている。よく喧嘩にならないものだ。

一番大きなメスから離れるほど小ぶりになる。稼ぎが悪くて成長が遅れているのだろう。写真右手のジョロウグモ♀は、左手のNo.1のほぼ真下にいる。ツツジの茂みの暗がりだ。いかにも条件悪そう。本来ジョロウグモは足元で網を張るクモじゃないと思う。庭で見つけているメスの中で一番成長が悪い。しかも6本脚だ。大きさも模様も梅雨時を思わせる。3か月成長してないのだろうか。成長を見守ってきた7本脚も小さいけれど、こいつよりは腹長で2倍はあり、腹は平行四辺形になっている。

成長の遅れた者たちにはオスもついていない。おそらく産卵にこぎつけられないと思う。この成長のちがいは素質なのだろうか、運なのだろうか。夏の初めにはメスの間で縄張り争いが起きて怪我人もでるようだ。そして盛夏になれば、メスが場所を変えることはまれみたいだ。稼ぎの悪いメスもなぜか悪い場所に甘んじている。


2022.10.31(月)晴れ 秋深まる

ジョロウグモ

今朝、ジョロウグモの様子を見に庭に出ると、最も成長のよいNo.1メスの姿がなかった。巣には異変の感じがない。写真のように彼女がしとめた獲物の亡骸が残っている。ということはこの近くで産卵しているのだろう。いよいよ秋が深まっていく。

このところ、庭でアオジの声がする。ただしくはアオジの声を聞いている気がする。姿はまだ見ていない。アオジが来れば庭に冬が来る。冬鳥の姿は見かけている。初物はジョウビタキのオスだった。尾をせわしく振って敏捷に飛び回っていた。里に多くてよく目立つ。

いま自転車は回すペダリングの習熟に努めている。今日は久々にWilierで境川。天気はよいがアブラゼミは聞けない。ウスバキトンボも見なかった。路面に見つかるバッタやカマキリもくたびれた感じのものが多い。ハラビロカマキリがハリガネムシもろともぺしゃんこになっていた。ふーんと通り過ぎて慌てて引き返した。ハリガネムシを見るのは今季初だった。今年、境川はハラビロカマキリが少なかった。そのかわりコカマキリが多い。

回すペダリングの練習を続けて、ペダルを回すためにはまず踏むことだと気づいた。正しく踏めなければ正しく回せない。踏むのは意外に難しくて、膝を使わず、太ももを下げる力で踏まなければならない。正しく踏むと脚への負荷が格段に減る。


2022.11.1(火)くもり 脱皮

ジョロウグモ

朝の定期巡回で最初に見つけたのは、ジョロウグモ7本脚の不在だった。産卵に出かけていると楽観はできない。とうてい産卵できるほどには成長しておらずオスすらついていなかった。巣の場所変更ならまた会えるかもしれない。

毎朝撮影している6本脚が脱皮していた。これには驚いた。成長が遅れているとはいえもう11月だ。季節の進行で脱皮するわけではないということか。やはり脚は6本のままだ。再生する気配もない。ジョロウグモの欠損した脚は脱皮で再生しないという状況証拠を1つ得た。

葉の上にジョロウグモ♂の死骸があった。自然死のようだ。こうしてこときれたジョロウグモの死骸を見たのははじめてだ。たまたま葉の上にあったのが幸運だった。ジョロウグモはオスから先に姿を消していく。冬が近い。

クロナガアリの3つめの巣口を見つけた。じつはこの巣口は去年に気づいていたところのものだ。今年はもっと奥の方に新規の巣口を発見していた。温和なクロナガアリとはいえ巣違いの働きアリが鉢合わせると大喧嘩がはじまる。その喧嘩を避けるため巣口を移動でもしたのかと思っていた。それはどうやら誤りで、どういうわけか地上活動が遅れていたみたいだ。となると新しい巣が奥に1つ追加されたのだろうか。狭い庭に3つの巣となれば密集感が増してしまう。無用な争いは避けて欲しいものだが。

午後からウィリエールで境川。R246の下の下水処理場向かいに手頃なセイバンモロコシ群落を見つけていた。26日にはそこから餌用の種をたくさん採ってきた。群落が大きいから1回では採りきれず、さあもう一度と昨日いさんで出かけると、すっかり刈られていた。油断も隙もあったものではない。

今日は境川の一番遠い所まで出かけてセイバンモロコシの種集めだ。巣が3つになったものだから多めに収穫しておかねば。回すペダリングの練習も必要だが今は種集めだ。


2022.11.4(金)晴れ ウロコアリ

ウロコアリ

クロナガアリのご機嫌をうかがっていると、巣口のそばにオレンジのアリがいることに気づいた。クロナガアリの巣の近くでよく見かけているアリだ。ウロコアリの一種だろう。

今日の様子はちょっと変だった。ずいぶんクロナガアリの巣に執着していたのだ。クロナガアリは収穫の真っ盛りで、セイバンモロコシ、ササガヤの種をどんどん運んでくる。ダンゴムシの断片を持ってきた者もいる。巣の中からはゴミ、泥を捨てに出てくる者がいる。

その間、ウロコアリはおとなしく巣口のほうを眺めている。時間といい姿勢といい何らかの興味を持っているようだ。

ウロコアリ

クロナガアリのほうはウロコアリにまったく興味がないようだ。その小さな部外者の上を平気でまたいでいく。クロナガアリが他種のアリと喧嘩をしているのは見たことがない。同種には我慢ならないようで、今朝も2mばかり離れた巣の近くで小さな諍いが起きていた。


2022.11.7(月)晴れ 立冬

キイロテントウ

エノキの葉裏にはキイロテントウが多い。ちょうど羽化のタイミングのようで、蛹、羽化殻、成虫が見られる。キイロテントウもいいんだけど、気になるのは葉裏にびっしりついている無数の生物。

黄色から焦げ茶まで色とりどりで白いふさふさしたものがついている。こうしてみればイソギンチャクみたいだ。これが虫なのか菌なのかもよくわからない。こいつがキイロテントウの餌になっていたりするんだろうか。病的なものかもしれないがきれいだ。

エノキから目を移してジョロウグモのコーナーに出向く。最初にチェックしている6本脚がいなくなっていた。巣は残っており行方不明だ。こういう日はそう遠くないと予想していたものの少し寂しい。

成長のよいメスは2頭がいなくなっている。No.1はすぐに戻ってくると予想していたけど行方不明のままだ。そのほか大きくなっている数頭は絶好調だ。ジョロウグモは冬場でもけっこう頑張る。年を越すメスも珍しくない。

今日は立冬だが、庭はまだ冬ではない。アオジが来ればあきらめて冬を受け入れるしかないが、まだ声しか聞いていない。その声だってカネタタキの聞き間違いかもしれない。カネタタキが鳴いているうちは秋。


2022.11.10(木)晴れ 回すペダリング

コカマキリ

群青で境川。このところ「回すペダリング」の習熟につとめている。峠TTのタイムを上げたいとか40km/hで走りたいとか・・・そういう野心はなくなってしまったけれど、ペダリングの技は極める必要がある。

境川はすっかり晩秋の気配だ。じつは昨日今日とアブラゼミを期待していた。アブラゼミはまだいるはずで、暖かければ鳴くだろう。「ちょっと早かったか。まだ寒いな。他のやつらもいないし、早く夏になってくれ」などと、遅めに羽化してきたオスが困っているはずだ。

残念ながら、アブラゼミはその気配すらない。今週だめなら今季11月のアブラゼミはだめだろう。サイクリングロードにはカマキリばかり。コカマキリとオオカマキリが目立つ。カマキリがみられなくなって、カネタタキやエンマコオロギが聞こえなくなると境川は冬だ。

回すペダリングの練習はうまくいかなかった。どうも左足の踏み込みが怪しい。高回転でやっているとごまかせるが、高トルク低回転で回そうとすると引っかかる。踏む込みで引っかかれば、左すねが痛くなってすぐわかる。3時間やってもだめだった。

ユーチューブなどのネットコンテンツで回すペダリングのやり方が指南されている。私が見る限りその全てがダメだった。誤って解説してしまう理由もよくわかる。わかるのはできるからで、できない人が見れば迷うだろう。せめて私の弟子たちは迷子にならないよう正しい理屈をわかって欲しい。

自転車のペダリング程度のことは中学で習う幾何学の知識があれば基本はOKだ。ただそのことを的確に表現し、体で体現するのは簡単ではない。自分が言ってることがホントに有効なのか、自分で走りつつテキストを起こし、書いた内容で走ってみなければならない。それができてはじめて弟子たちの指導ができるってもんだ。


2022.11.11(金)晴れ 2枚の葉

葉

きょうも回す練習。負荷を強くするために鳶尾山も行った。負荷をかけることが矯正になる場合がある。筋肉がさぼっていることがあるからだ。

それでちょっとましになったものの、まだ左足の掛かりがおかしい。ああでもないこうでもないと姿勢を正しながら走っていて、なんだが足が傾いているような気がしてきた。ペダルに足の底がちゃんと乗ってない。外側への掛かりが甘いんじゃないか? という気がしてきた。

足の傾きを調整するのはそう難しいことではなく、シューズの底にちょいと何かを敷けばよい。ちょうど季節は晩秋で落ち葉は掃いて捨てるほどある。ひとまず道ばたにある葉を2枚、シューズの底に敷いてみた。

足の角度なんて迂闊に変えると膝を壊しかねないので、慎重に走ってみる。やってみれば驚くほどの改善を感じた。フィット感が5割増しだ。これはいい物を見つけた。ありがとう紅葉。

ちなみに今年の神奈川の紅葉はいい感じになっている。最近天気が良くていい冷え込みがあるからだろうか。台風による塩害がなかったことも大きいと思う。ただナラ枯れはちょっと残念だ。鳶尾山を走っていると、大木が突然落ちてくるんじゃないかという恐怖を感じる。


2022.11.13(日)晴れのちくもり雨 6本脚との再会?

ジョロウグモ

朝いつものようにジョロウグモを見に行って、ちょっと驚いた。6本脚のメスを見つけたからである。6本脚といえば、成長が遅れていた例のやつ。11月になって脱皮して、その数日後に行方不明になったメスジョロウグモだ。

欠損している脚の箇所は一致している。サイズ的にはあのときの2倍ぐらいになって、腹も太って見違えるようだ。久しぶりに見た少女が大人の女になろうとしているのか。

今日の場所は好適地である。No.1とNo.2が陣取った跡地に滑り込んだという案配だ。たぶんここが一番獲物がとれる場所だ。もし彼女があの6本脚であれば、トランプの大貧民のごとき逆転劇になるかもしれない。まだオスもけっこう生き残っている。


2022.11.15(日)雨のちくもり 現れるクモ

もしかしてあの6本脚が再登場したのか? と期待した当人は昨日はいなくなっていた。早々の退散だ。さらに、6本脚が歩いていたジョロウグモの空き巣が消滅している。巣の位置関係からして鳥がぶつかって壊れたことはなさそうだ。前後には接触しそうなぐらい近くに別の巣があるから。

ならばジョロウグモが撤去したのだろうか。それならそれで誰がなぜやったのか? 次から次へと問題が出される。

コシロカネグモ

ジョウロウグモがいなくなるかわり写真のクモが目につくようになった。ジョロウグモの巣の付近をざっと見渡して4頭が見つかっている。整った水平円網を張っている。コシロカネグモかなと思う。

冬も近くなって、新顔が増えてくるというのも変なので、夏場からいたのが目立つようになってきたのだろうか。

チュウガタシロカネグモなら、ジョウロウグモの群れのなかで頑張っているのを確認している。庭に少なくない美麗なクモだ。目立つクモに気を取られて、この小さなクモを見落としていたのかもしれない。


2022.11.17(木)晴れのちくもり 目は節穴

繭

境川で回すペダリングの練習。高回転低トルクにして30km/hほどで走っていて、ふと足元の草に白いものがついているのに気づいた。アワフキムシの泡より大きいが、蚕の繭よりは小さい。クモの卵嚢の形状ではない。カマキリの卵の色でもない。既知の記憶はない。

さて何だろうと自転車を引き返してTG-5で撮影。白く細い糸で編まれているものには違いない。やはり繭か。正体は気になるものの、私は正統な研究家ではない。繭は放置して自転車の練習を続けた。研究家としてはダメだけど、まあよくあんなものを見つけられたものだ、さすがだな。ちょいとうぬぼれルンルン気分だ。

帰宅してPCモニターで繭をチェックして息を飲んだ。繭に2頭の寄生蜂らしきやつがいるのだ。撮っているときになにやら黒いものがあることは気づいていたけれど、老眼であり、まともな研究家でもなくてスルーしてしまったのだった。これがいることに気づいておればもっと撮りようがあった。TGー5ならこれぐらいの虫はアップにできる。正統な研究家ではなく、ルーペは携帯してないから何をしているかはわからないものの。

繭

それだけで十分情けないが、さらに繭の左下のほうに小さな甲虫らしきものが写っていることにも気づいた。写真になっておれば見落とす対象ではない。

等倍で見ればやはり甲虫の一種らしく、葉を囓っているみたいだ。未知の虫なので、もし撮っているときに気づいておればきっとうれしかったに違いない。どんどん観察力が落ちているのか。目が節穴になっていることを思い知らされる今日この頃である。


2022.11.18(金)晴れ 昆虫の飛翔

NHKスペシャル超進化論で昆虫の翅の解説を見た。番組中では、昆虫の翅の起源はグライダーにあると言ってた。樹木の実を食べるトビムシっぽい昆虫がグライダーになったというのだ。

そんな説明では私は納得できないし、まともな思考力がある者の説とも思えない。かく言う私は科学を信奉するものではあるけれど、まともな研究家ではなく昆虫の翅についての学説を全く知らない。論文を見るのもおっくうだ。

超進化論のグライダー仮説が学会最有力ということは確かだ。なにせ制作がNHK屈指の有能ディレクター水沼さんだから。昆虫学的に定説で、グライダーなら視聴者にもとおりやすい。テレビの落としどころだろう。

昆虫が海の節足動物から進化したことは間違いない。節足動物はカンブリア紀から水中をぱたぱた飛ぶ(泳ぐ)ヒレを持っていた。昆虫が上陸する1億年も前のことだ。ならば昆虫の祖先が陸に上がったときには翅のシステムはできあがっていたと見るべきだろう。

私は昆虫の祖先は海中にいるときから昆虫らしい生態を持っていたと思っている。幼生のときはおとなしく太り、成体になるとヒレでがんがん泳ぎ、もしかしたら海上から空中に飛びだして伴侶を求め生息地を拡大していたのだろう。

グライダー程度の発明で翅が生えるなら古生代に上陸した節足動物には他にも飛んだものがいるだろう。無敵のフロンティアで飛ぶことのアドバンテージははかりしれない。ともあれ、本当のところは私の浅知恵など及びもつかない進化の不可思議が起きたはずだ。いつかあっと驚く素敵な学説に触れたいものだ。古生代の昆虫ともなれば化石での検証は困難を極めると思うけど。

番組では昆虫の翅のすごさを空力的解析で見せてくれた。私も昆虫の飛翔はとほうもない偉業だと思う。あの小型軽量な体でどうやったら目にも止まらぬスピードを出せるのだろう。へらへらで繊細の極みのハグロトンボが、縄張りを争うときは矢のように飛んでいく。

モンシロチョウは時速30kmの向かい風に逆らって畑の上を進んでいく。ちり紙のような体でどうやって強風に抗うのか。目視する限り、翅をすっとたたんだときにひゅっと前に進む。ふわっと上がるとき風にあおられで後退するけれど、降りるときにひゅっと進んでいるように見える。息をする風のエアーポケットみたいなのをつかんでいるようにも見える。いずれ私の目には見えない反応速度で風をいなすことができるのだ。

こちらの方の解析は昆虫の神経系の解明も含めどんどん進んでいくだろう。


2022.11.23(水)雨 初冬のコケ

コケ

朝から冷たい初冬の雨が降りしきっている。アリも地上に出て来ない。いろいろ作っているカメラのテストをかねて庭のコケを撮ってみることにした。

庭には近所から拾ってきたコケのついた倒木とか、コケ育成用スペースなんかがある。写真はコケ育成スペースのハマキゴケ。雨がかかって濡れた葉が開いてきれいだ。

コケ育成には20年ほどかけている。庭のコケ育成スペースはもともとは駐車場のコンクリだ。そこにコケが生えてきた。きれいなので放置して愛でることにした。微妙な日当たり雨当たりもあって数種のコケが共存している。最初はアオギヌゴケ系が主体だったが、いまはハマキゴケが多い。各種のコケが年を経てせめぎ合う様子は楽しい見ものだ。

コケ

コケ育成スペースは放置するまま手をださない。コケたちは勢力争いを続けている。コケは生育環境にあった所に勝手に生えてくるものの、その環境は恒久なものではないようだ。緑鮮やかで好きなハマキゴケの勢いは5年ほど前をピークに下降気味だ。コケ自体が環境を変え自滅することがある。

苔生せば土ができる。そしてこの数年、花も実もある高等植物が侵入してきた。写真にあるようにユキノシタの威勢がいい。コケに適した日当たり、湿り気がユキノシタにマッチしているようだ。皮肉にもユキノシタが入って来られたのはコケが土を作ったからだろう。コケはユキノシタの葉陰になり、ユキノシタはますます土を作る。さてこの先何がどうなるんだろう。


2022.11.24(木)晴れ 小春の境川

ヤマトシジミ

昨日は雨で一日寒かったが、今朝には一転して小春になった。群青で境川に出てみると風は南よりだった。低気圧が去って北寄りの風という予報だった。雲は南東側になびいているから、上空の風は北寄りなんだろう。

このあたりでは冬型の気圧配置のときに南風が吹くことがある。昨冬は相模川に出ることが多く、そのことが体感できた。

南の方に積雲ができている。白く光る縁と、黒々した胴体がよい対照だ。正午なのに逆光だ。太陽が低い。積雲の峰は相模湾の上に東西に連なっている。厳冬期には雪をちらつかせる雲だ。あれも冬型の気圧配置と神奈川の地形のたまものだろう。

昨日の雨は富士山に大量の雪を降らせたらしい。丹沢の上に見える富士山が真っ白だ。今日も自転車は回す練習。100rpmを目安にCRを走る。

道路にはカマキリ、バッタの類が多い。ハラビロカマキリはすっかり見なくなった。今年はなんとハリガネムシを1回しか見なかった。珍しい年だ。バッタではショウリョウバッタが早々に姿を消している。オンブバッタとトノサマバッタはけっこういる。

気温が高くて虫の動きが活発だ。モンキチョウ、モンシロチョウが普通に飛んでいる。12月になるとモンシロチョウの要チェック期間だ。セブンイレブン裏の草むらでヤマトシジミが交尾している。見るからに暖かそうだ。

アマガエルが鳴いた。カネタタキは健在。ついにエンマコオロギを聞かなかった。対岸遠くアブラゼミを聞いたような気がしたが、速やかにスルー。幻聴に決まってる。


2022.11.27(日)晴れ インスタ映え

クロナガアリ

アリはたいへんかわいい。表情がある。触角と脚の動きで人間的解釈の感情表現をするのだ。

毎朝自慢のスーパーマクロでクロナガアリを撮影している。フィールドは庭、動きが遅いアリで簡単にスナップできる。ただ照明が若干難しい。

土が黒くて反射がなく、アリの体も黒い。露出を若干オーバーにしないとアリの体が浮かない。また影ができると輪郭が曖昧になるから、ストロボは2灯以上必要になる。

どうしようもないのは頭部だ。クロナガアリの頭部はざらざらの凹凸があってストロボの光を反射して白飛びする。虫らしく黒光りする腹や脚とぼんやり白飛びする頭部のバランスをとることができないのだ。

私のアリ写真はなるべく撮って出しで極力レタッチしないことにしている。たまたま見聞録では、コントラストや彩度をいじる。今日の写真の原板は落ち葉の反射があって露出オーバーだ。撮影時の露出変更はできなくてそこは折り込み済み。撮影後にレベル補正のスライダーをいじるが、ほどほどだ。商売写真ではないから。

せっかくかわいいアリだからと、数年来、いい感じのをインスタグラムに上げきた。インスタはデジタルネイティブの人たちの場で、インスタ映えするように写真を加工するのが常識だ。そろそろ私も加工を施そうと思いはじめた。郷に入っては郷に従えともいう。

今日の写真はこれまでやらなかった加工を施してある。向かって左の個体は頭部のテカリをレタッチでおさえた。Photoshop Elements 2.0という10年ぐらい前に買ったスキャナの付録ソフトで1分ほどかけた作業だ。これでずいぶんいい感じになったと自分では思う。右の個体は比較のためいじってない。

先の数年は、数千枚の料理写真なんかを最新版のフォトショップで加工公開してきた。金儲けのため費用対効果に見合った作業だ。しかし自分のインスタに加工したアリの写真を上げるのはかなりの抵抗を感じる。今日の写真のように撮った本人以外は気づかないレベルでもなんだか嫌だ。体に染みついた素人根性とでもいうものだろうか。


2022.11.30(水)くもり 11月の虫たち

ジョロウグモ

昨日は雨風が強かった。ただ気温が高く、生暖かい風に春が来たのだと錯覚した。

風でジョロウグモはどうしているかと見に行くと、3頭のメスのうち2頭がいなくなっていた。No.1とNo.3が見あたらない。そのかわり、小型のメスがNo.1の跡地にいた。体つきとサイズからして観察していなかった個体だ。円網はま新しい。昨夜から今朝にかけてはったものだ。オスも1頭ついている。たまたま小さな虫が網にかかり、メスはするするっと降りていって噛みつき、獲物をくわえてセンターに戻ってきた。

今日で11月は終わりだが、今年はまだ冬っぽい感触がない。鳶尾山のフユシャクが見られるだろうかと群青ででかける。

鳶尾山の入り口にアサガオが咲いている。前からちょっと気になっていた。夏の名残の狂い咲きというよりも異国育ちのアサガオなんだろう。葉の形がずいぶんちがう。荻野川べりに白花のタンポポとムラサキカタバミが咲いていた。帰化した植物は日本の季節というものをわかってないのかなと思う。ムラサキカタバミなんかもう古株といっていいのに。

川べりのキャベツ畑にモンシロチョウが飛んでいる。モンシロチョウだけではない。モンキチョウもキチョウもヤマトシジミもたくさんいる。チョウたちはまだまだ秋気分なんだろう。鳶尾山のフユシャクもまだだ。

昨日の雨のせいか路面にカマキリやバッタは出ていなかった。いなくなっているわけではないだろう。カネタタキはほうぼうで鳴いている。オカメコオロギも聞こえる。エンマコオロギも1回聞いた。アマガエルだって3回聞いた。さすがにセミは鳴かない。今年は11月のセミが聞けなかった。これは単にチャンスを逃したからだと思う。

やたらと暖かかった11月が終わった。明日から寒気がやってくるという予報だ。体感でも冬になるだろうか。


2022.12.6(火)雨のちくもり アオジとクロナガアリ

アオジ

アオジは毎日のように庭に来ている。チッチッチとよく通る声で鳴くからすぐにわかる。灌木の枝を飛び地面を歩いてせわしなく食べ物を探している。

今朝はたまたま近くに来て何かを食べていた。草むらに顔を突っ込んで落ち葉をどかしたり、枯れた草をつついたりしている。どうも草の種が目当てのようだ。

アオジがつついているのはクロナガアリNo.3の巣口に近いところだ。そのへんの種には心当たりがある。ミズヒキだ。庭ではけっこうミズヒキが茂って種をつけ、クロナガアリの餌になる。それで、離れた所のミズヒキは種ができれば刈り取ってアリの巣の近くに置くことにしている。そのミズヒキをつついているようだ。

クロナガアリ

一方で、クロナガアリのほうは私が置いたミズヒキの種をせっせと運んでいる。一時期は多かったササガヤもいまはわずかだ。セイバンモロコシは土手の草刈りとのタイミングが悪くあまり収穫できなかった。

庭のクロナガアリたちにとってはミズヒキも貴重な食料だ。アオジのほうは草の種ぐらいそのへんに無数にあるのだから、わざわざ庭のミズヒキなんか食べる必要はない。クロナガアリを愛でている私には害鳥だ。しかし来るなと言っても無理だ。来ないようにするには、雑草を刈ったり、スイレン鉢を撤去するしかない。元も子もないことになる。害鳥とはいえハクビシンや猫に比べれば腹もたたない。

最近は近所に野鳥がめっきり少なくなってキジバトやメジロはほとんど姿を見せなくなっている。アオジは殺風景な冬のかわいいお客さんだ。私の存在を警戒することなく庭をうろついている。


2022.12.7(水)晴れ ムラサキカタバミの花

ムラサキカタバミ

ムラサキカタバミは毎朝チェックしている雑草だ。夏の間はすっかり息を潜めていたものの秋になってから葉をどんどん伸ばして花芽を伸ばした。

11月29日の朝、つぼみは2つばかり半開きになっていた。ファインダーをのぞいてピントを合わせていると、花びらがみるみる反っていくのがわかった。すごい勢いで開くらしいが、写真の状態で止まった。気温は異常に高い日だったが午後から雨の曇天だったのだ。

ムラサキカタバミの花は日周運動をする。朝に開いて夕方に閉じる。雨の朝は咲かない。29日の朝はムラサキカタバミが花を開くには不適当に思えた。しかも天気予報どおり、午後は嵐のような風雨になった。そのまま開かずじまいだったが、途中までとはいえやつにしては迂闊だなと思った。

ムラサキカタバミの花は何度も開閉する。しかし開きかかった花は一度も開いていない。今朝はいかにも咲きそうな顔をしていた。12月になってから天気の良い日は幾日もあった。今日は一日よく晴れてこの時期にしては暖かい日だったが、開かなかった。

ムラサキカタバミが花を開くには日光の明るさだけでなく気温(あるいは湿度も)も係わっているのだろう。11月の下旬に花芽を伸ばしたのはフライングだと思っていたのだが、29日に開花しようとしたのを見て、本人としては間違ってなかったのだと思い直した。11月は暖かすぎた。日当たりのよい場所ではぽつぽつ花もあった。

もともと南米の花だそうで、日本に移住してきたムラサキカタバミは種をつけないらしい。それでもぐんぐん分布を広げた適応力はすばらしい。とはいえ、日本の四季に合わせることはないようだ。光・気温・湿度の条件が整えば季節を無視して葉を広げ花を咲かせる。さて予報はこれから普通の冬になるという。せっかくつけたつぼみはどうなるのだろう。


2022.12.9(金)晴れ アカボシゴマダラ

アカボシゴマダラ

小鮎川のそばに立派なエノキがある。胸高直径50cmほどの堂々たる樹木だ。回りは住宅地として整備されているが、どういうわけか伐採をまぬかれたらしい。

そのエノキのくぼみに数頭のサシガメを見留めて撮影してきた。近年幅をきかせているヨコヅナサシガメだろう。冬越し体勢になっているのだ。こういう生態にでくわしたのは久しぶりだった。

帰宅してパソコンモニターで写真をチェックしてあっと驚いた。画面の真ん中に大きなチョウの幼虫が写っていたからである。

幼虫はアカボシゴマダラだろう。これも近年幅をきかせている虫だ。エノキだからゴマダラチョウの可能性もゼロではないにしても状況から見てアカボシゴマダラのほうだと思う。

なんでこんな虫を見逃したかというと老眼だからだ。撮影はTG-5のオートフォーカスが頼り。液晶モニターで画像チェックはするけれど、露出が適正かどうかの判断しかできない。ピントまでは無理だ。まあ幼虫の色が樹皮にそっくりだから見逃したということもあるだろう。

幼虫としてはなかなか厳しい状況だと思う。冬を迎え、育った葉から地面の落ち葉に向かう途中だったはずだ。ヨコヅナサシガメのほうも集団越冬地として周囲からこの木の窪みに集まったのかもしれない。とんだことになったものだ。アカボシゴマダラは体液を吸われてないようだ。となるとヨコヅナサシガメのほうも越冬モードに突入して食欲がないのかもしれない。この先どうなるのだろう。

というスリリングな状況に接しながら全く気づかなかったのはちょっと悔しい。ただ頻発現象でもあり、悔しさの程度も時を追って減少してきている。

そもそもこのエノキにヨコヅナサシガメがいることに気づいたのは、真っ赤に熟れたクコの実が冬の日に照らされてきれいだったからだ。それを撮るために自転車を止めたのだった。そのクコの写真がまた悲しいことになっていた。見事なピンボケだ。TG-5は「ご主人様は背景の方を撮りたいんだ」と判断して気をきかしたのだ。じつはこれもよくある失敗で、もう10回以上やらかしている。

クコのようにけっこう大きい被写体でも背景より圧倒的に暗ければ、被写体として認識されないみたいだ。それはTG-5の設計思想で、そのことをわかっているのだからマニュアルフォーカスにすればいいのだ。実に太陽が逆光で入っていたから油断した。そもそも、カメラモニターで写りをチェックしたときに、これほど豪快なピンボケなら気づいてしかるべきなのだ。それすら見えない哀れな老眼カメラマンなのであった。


2022.12.10(土)晴れ ジョロウグモのオス

ジョロウグモ

庭にはジョロウグモ♀が2頭いて、写真のメスにはオスがついている。庭に残るオスはこいつだけだ。

これまでの観察から、ジョロウグモは冬を迎えてオスのほうから死んでいくものだと思っていたが、そう単純なものではないと、このカップルを見ていて気がついた。

メスのほうは腹が平行四辺形っぽい。ということはまだ卵が育っていないことを示している。もしかしたら処女メスなのかもしれない。

成長が遅れているこのメスは不運にも餌を少ししか取ることができなかった。そしてオスがつかなかったのかもしれない。そして晩秋になって、羽振りのいいメスから産卵して命を落とし、空いたスペースにようやく巣を構えたのだろう。

秋のオスは若いメスを見つけて、彼女のマイホームに陣取って交尾の機会をうかがう。うまく交尾してメスが産卵のためにいなくなれば、オスのほうでも場所を移動する。メスの交尾は複数回行われ、オスも同様に複数回交尾するはずだ。

秋の深まりとともに巣を構えるメスの数が減り、さまようオスは定着する場を失っていく。受精卵を孕んで老成していくメスは何らかのサインでオスを引きつけないのかもしれない。そうして、オスは巣を失いメスのおこぼれにあずかることもなく命が尽きるまでさまようのだろう。

たまたまこのメスはよき伴侶としての条件を満たし、オスはもう一旗ねらって待機しているのだと思う。


2022.12.18(日)晴れ ムラサキカタバミの花

ムラサキカタバミ

朝、庭の定期観察でムラサキカタバミがつぼみをつけているのを見つけた。これにはちょっとおどろいた。16日にはつぼみの影も形もなかったからである。毎日観察していたのに昨日に限って油断したのが悔やまれる。

ともあれムラサキカタバミは丸2日もあれば最初のつぼみをつけることぐらいはわかった。

つぼみをつけているのは今年になって成長してきたものだ。夏場にサビ病が発生していったん消え復活してきた。庭では2番目に大きな株で、No.2としている。

ところで、ウィキペディアの情報では日本のムラサキカタバミは花はつけても種はつけず、繁殖はもっぱら地下の木子というもので行うとのことだ。ヒガンバナのようなものだろうか。

ムラサキカタバミ

こちらはNo.1のつぼみ。先月11月29日に花開きそうになったやつだ。結局開花することはなく、いまは写真のように青く変色し枯れている。花の元のほうがふくらんでいるが種のできはじめではあるまい。ヒガンバナでも花が終わればこんな感じになる。

庭にはこの2つの株以外にもぽつぽつムラサキカタバミがある。いずれも大きく成長することがない小さな株だ。ムラサキカタバミの株は、唐突にあらわれて小さいままいつのまにか消滅する。そんな消長をこの20年あまりにわたって見てきた。

この観察記憶から、ウィキペディアでみた繁殖はもっぱら地下にある根の木子で・・・という解説にはいささか疑問を感じている。なんらかの方法で10mばかりジャンプしているような気がしているのだ。私の庭は土壌の攪乱は最低限にしているから、ムラサキカタバミの木子が人為的にばらまかれることもないと思うのだが。


2022.12.23(金)晴れ 冬の毛虫

気温が0℃ほどになるとクロナガアリは地上に出てこない。20日に霜柱がたったときも出てこなかった。そして今朝がこの冬2度目だ。庭がちょっと寂しくなる。

群青で境川に乗り出すと、道ばたのカラムシがくしゃっと灰色になっている。カラムシはちょっと妙な草で、冬になってもみずみずしさを保つ。そのかわり一回の寒波でいっぺんに枯れてしまう。今日見たやつには新緑っぽい葉がずいぶん残っていた。枯れ葉との対比が幾分妙だ。

ナシケンモン

今日は快晴だったが気温が低く西風が冷たかった。道路に出てくる虫もいっぺんに少なくなった。唯一目に止まったのはナシケンモン一匹だけだった。歩く速度はヒトリガ毛虫に比べるとずいぶん遅い。道路を歩いて何をしようとしているのか。蛹化の場所を探しているのか、新しい食べ物を探しているのだろうか。

この冬はナシケンモンが目につく。私にとってはこいつも冬の毛虫の仲間入りだ。

交通量が多い道路で放置しておけば轢死は免れまい。おせっかいにもつまんで草むらに投げることにした。手袋をとって手をついたアスファルトがずいぶん暖かかった。


2022.12.24(土)晴れ カタバミの葉

ムラサキカタバミ

庭に霜柱の立つ朝がぽつぽつ出るようになって、いよいよ真冬だ。今年はムラサキカタバミの観察を続けている。今朝は写真のようにその葉が開いてなかった。撮影時刻は9時半である。

ムラサキカタバミの葉は日周運動をする。夜間には葉を閉じ、朝に開く。暖かい季節であれば、それは明かりに対する反応ということになるだろう。12月にも朝には葉を開いていたけど、霜柱の発生に合わせるかのように葉を開かない日が出てきた。冬至のころとはいえ、太陽が昇って直射日光を浴びても開いてないとなると温度の影響かなと思う。

葉が開くための第一条件が温度で、第二条件が明るさという推理ができる。どんなに明るくても温度が5℃以下程度に低ければ葉は開かないのだと思った。

写真のようにわが家のムラサキカタバミは、葉が小さく黄色い花をつけるカタバミと同居している。たぶん珍しいことだと思う。東京でこれらの同居カタバミを探し出すのに苦労した覚えがあるのだ。

この同居のおかげで、黄色い花のカタバミは朝の気温が低くても葉を広げる、少なくともムラサキカタバミよりは温度の幅が広そうだという予想がたった。


2022.12.25(日)晴れ ミミズとアリ

ミミズ

今朝の冷え込みはゆるかった。クロナガアリが地上活動をしてるだろうと庭に出てみると様子が変だった。巣口に数頭の働きアリがひしめいている。巣口が何かで塞がっている様子だ。

さて何事かとひっかかっているものを見れば、ミミズのようだ。すでにこと切れているらしく、肌は生気を失い動く気配がない。

クロナガアリの巣でミミズを見るのは初めてではない。記憶では巣に入り込む形でミミズがうごめいていたことがある。ミミズの死体をクロナガアリが食べているのを見たことも何度かある。好きな食べ物だとは思うが、別種のアリのように好きこのんで襲ったり、巣に運び入れたりするタイプではないと思う。

このところ庭で二度ばかりミミズを見ている。冷え込みが厳しくて途方にくれ、地表に出てきている感じだ。おそらく穴を見つけて巣に入ろうとしたまま死んでしまったのだろう。さてこの事件はクロナガアリにとって凶なのか吉なのか。


2022.12.26(月)晴れ しおれたギシギシ

ギシギシ

境川に群青で乗りだすと暖かすぎた11月のしわ寄せが目に入ってくる。写真のギシギシもその一つだ。

ギシギシ(スイバ)は春一番にぐんぐん成長し夏に花を咲かせるといったん休みに入る。水中ギシギシはともかく、普通のやつは秋には小ぶりになって今はロゼットだ。

ただこの冬は大きな緑の葉が立っているギシギシも多い。写真のものなんか花までつけている。花を咲かせてもその努力は水の泡だ。11月の高温が続けばよかったのだが、12月の寒波でしおれてしまった。

虫たちも少なからぬ影響を受けていると思う。今日は暖かくてモンシロチョウ、モンキチョウが飛んでいた。彼らはちゃんと日本の四季に対応できていて、蛹越冬するはずだから成虫がこの季節にいるのは異常だ。

素人の見立てで不確かな推理でしかないけれど、秋に蛹になったものが冬を越さずに羽化したか、秋深くに孵化した幼虫が春気分で育って羽化したのか、なんらかの尋常ならざることが起きたのだろう。

虫マニアたちは暖冬の年は春虫が少ないとよく言う。虫たちの生理が乱されてそんなことが起きているのかもしれない。


2022.12.31(土)くもりのち晴れ サドルが割れていた

SLR

写真はセライタリアSLRというサドルを裏側から撮ったものだ。ベースになるプラスチックが真っ二つに割れている。

じつはこれでちょっと安堵している。というのはこのひと月ばかり、サドルがしっくり来てなかったのだ。SLRはなかなかよいサドルだったもので、2つ買っていい感じで使ってきた。それが最近は違和感がひどくて、走る度にサドルの高さ、前後位置、角度をたびたび変更し、だましだまし乗っていた。こころなしかフレームが柔らかくなったようで、素材のチタン合金のへたれも疑っていた。

サドルのプラベースが割れてまともに走れるわけもない。サドルポジションの変更はまったく無意味だった。

この数年はペダリングがわかってきて、腰の痛みとはおさらばしていたのだが、それが秋から再発した。3時間ほどで背中に重苦しい痛みが出て乗り続けるのがおっくうだった。老境で持久力が落ちるだけでなくペダリングが下手になったのかと内心恐怖していたのだった。サドルが割れているとはとんと思いもせず。

大晦日の大掃除で群青を洗って磨いたおかげで、サドルの割れを発見できた。まだ使えそうな安くないサドルの廃棄処分は残念だが、ペダリングの違和感の根本原因がわかって良かった。大掃除もしてみるものだ。おっちゃんまだまだ楽しく乗れるぜ〜と一安心である。

ところでSLRは2つ持っているグッドなサドルだが、最高ではない。私はタイオガのスパイダーツインテールが至高のサドルだと思っている。設計思想で他の全サドルと一線を画している。ロードレーサーのサドルはすべてスパイダーツインテールに倣うべきだ。しかし、初代のモデルは2つ使って2つ同じ箇所が割れた。耐久性に難アリだった。穴あきのSLR同様に、穴があるプラスチックベースは劣化で割れることもあるだろう。ただへたりきる前に割れるのは勘弁だ。

私のサドルはスパイダーツインテールしかないと確信しているものの、現行の第2世代スパイダーツインテール2の購入は見送っている。その設計を見る限り成熟しきってないと思えるのだ。代替品のSLRが割れたんで、SLRにかわるナンバー2を探すか、30年前のサンマルコを使うか、スパイダーツインテール2をダメもとで買ってみるか・・・いましばし試行錯誤が続くことになりそうだ。


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