たまたま見聞録
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2004.1.1 年始

朝起きてなんとなくテレビを見ていたが、いまいち面白くない。昔は正月しか見られない燻銀の芸人がたくさんでてきて、2級の手品や漫談を披露していてそれなりの見ものだったような覚えがある。

娘を起こしてイヌの散歩に行く。正月用の飾りもほとんどない。玄関や自動車に藁と羊歯で作る飾りを付ける風習は次第にすたれていく。子どもの頃は山の子があれを作って町で販売して小遣いにしていたものだ。そういえば祝日に国旗を掲揚しなくなったのはどういう経緯なんだろうか。住宅地の道の両脇に日の丸が並ぶ光景はそれなりに愉快だった。正月らしさといえば人が少ないことか。

散歩のあと雑煮を娘が作る。もちだの鮭だのれんこんだの何でも入れてまさに雑煮だ。女房が汁の仕込みを済ませているので味は悪くない。

午後からは天皇杯を見て、自転車で1時間ほど走ってきた。10年使っているハブで新しく組んだ後輪はそれなりにうまくいっているのだが、昔から振れがでやすい。その原因はオチョコ量が多すぎるからだろう。同じだけ使っている前輪はオチョコ量が0なのでほとんど振れない。ためしに126ミリの芯を抜いて130ミリに入れ換えてオチョコ量を減らしてみた。


2004.1.2 24分20秒

レンズ雲

下界では無風だけど写真のような雲がでていることは2000m上空に強い風が吹いていることを示している。丹沢に当たった風が作る雲だから風は西風だ。

今日は西に向かった。いつもの半原越だ。ホイールを換えたりして好調になったはずのナカガワを持ち出した。この冬は実に暖かく風が弱いので、防寒対策が何もいらない。さすがにいつものTシャツでは寒いが、女房のお古の20年前のウインドブレーカー一枚あれば事足りる。

20分で相模川にでると強い向かい風が吹いていた。風は海から来る。南風だから気温は高い。冬の河原につきものの「ぼくはなんでこんなことになってるの?」という辛さはない。今日は山にはいっても日陰の霧がかえって涼しくて気持ちいいぐらいだ。

半原越ではタイマーをリセットして時間を計ることにした。前回は15分走ったところで足がつりそうになり引き返している。今回同じ計測ポイントで15分30秒。到底新記録は期待できないタイムだ。脚にはやや張りがあり軽くは回らない。それでも最近乗りなれているせいかフィニッシュタイムは24分20秒。上出来だ。

さすがに下りは寒い。半原越の途中にはいかにも貧乏臭い名のリッチランドという温泉保養所らしきものがある。そこに平べったい赤いスポーツカーが駐車してあった。名前はしらないけれどイタリアのフェラーリだ。どうもあいつは温泉とか渋滞とか郊外のパチンコ屋とか日本的な光景に似合わぬ自動車だ。車といえば私のサイクリングコースの途中にランボルギーニが寄り合う旅館か料亭がある。25年ほど前に大はやりしたスーパーカーの代名詞にもなったカウンタックLP400Sらしいのが10台ほど駐車してあるのを見て目をむいたことがある。いずれも丁寧に整備されている古い車だった。ああいうものを何十年も維持するのはどれほどの労力が必要なのだろう。気持ちはわからんでもないが酔狂な人がいるものだ。自転車なら何をどうやってもたかがしれている。ただ、気持ちよく乗り続けることができる心と体の維持は誰にでもできることではないと思うが。

日が傾いて寒くなってきた帰路、相模川に吹く南よりの強い風を、追い風として利用するために、大回りして南のほうから川に降りた。冬の河原で追い風にのって無風状態でぶっとばすのは痛快至極なのだ。ところが、川に降りてみると風は北西に変わっていた。どうやら小さな低気圧がものすごいスピードで関東を通過したらしい。やれやれまた向かい風である。自転車に乗る前は天気図ぐらいチェックしておくものだ。そして日没頃に出ていたきれいな雲を撮った。上のがその一枚。


2004.1.3 犬のうんこ

犬を飼っていて面倒なのはうんこの始末である。我が家の犬は一日平均4回うんこをする。2回の散歩で2回ずつだ。糞の処理でいやなのは臭いだ。そこであの臭いについて考えてみた。つまり、うんこは先天的に臭いのか後天的に臭いのか。

犬は私と違う臭い世界に生きている。臭いをかぎわける能力も高いらしく、行動パターンを観察しても臭いを利用する比率が高そうである。歩くとき鼻を地面に擦りつけるようにして何かを探している。そして私にはなにもわからぬ物をかぎつけて気にとめている。

犬を見ていると自分のもの、ほかの犬のものに限らず糞をいやがる様子が全くないことに気づく。そもそも糞の臭いというのは生物の体臭の一つだ。犬が鋭敏に人間の体臭をかぎわけるには糞の臭いも大きな役割を果していることだろう。少なくとも糞の臭いは犬にとっては嫌なものではないのだ。そうやって考えてみると、糞の臭いを嫌う生き物はそれほど多くないことに気づく。ヒトにとってもうんこの臭いを先天的に嫌う決定的原因は見あたらない。


2004.1.4 鳥の来ない正月

メジロ

きょう年が明けてはじめて庭でメジロを見た。4羽の群れで来てみかんの枝をしきりにつついていた。梅も咲いているので、少しだけ蜜も飲んでいった。

今年の正月は野鳥が極めて少ない。咋冬は梅のつぼみが開く前からメジロの群れがやってきて、待ち遠しそうにつぼみの間を飛び回ったり、ヒヨドリがつぼみをついばんだりしていたのだ。メジロにかぎらず、シジュウカラやツグミも少ない。ヒヨドリやキジバトですら1時間ほど姿が見えないこともある。

当初、この鳥の少なさは今年の秋に近所の林や庭木が伐採されたことが原因だろうと思っていた。冬の間はこのあたりでもメジロやシジュウカラ、オナガ、ムクドリなどが小さな群れを作ってせわしなく移動しながら餌をつついていく。近所の樹木がなくなったことで野鳥の採餌コースが変わり、私の家がそのコースから外れたのだと想像していた。

ところが、神奈川の他の住宅地でも野鳥が少ないという報告がある。であれば、今冬は暖かいので山や北で餌をとりやすいから、いかがわしい住宅地にやってくる必要がないのかもしれない。


2004.1.5 肩をよせあう冬

nato

写真はペットのカマドウマの日中の様子である。私は小型のプラケースで彼らを飼っている。丸い3つのものはトイレットペーパーの芯だ。ちょうど赤塚不二夫の漫画に出てくる空き地の土管のような案配にして、彼らの隠れ家にしている。

お気づきのように、右下の土管がやたらと気に入られている。昼間で活動をしないときはおおむねこの状態である。9月に20匹ほどが生まれ、最初は思い思い別々の土管に隠れていた。それが、11月あたりからこの写真にあるように1つの土管に集中しはじめたのだ。

しばらくは、「寒くなったのでカマドウマとはいえ体を寄せあっていれば少しは暖かいのだろう」と、ぼんやり考えていた。しかし、その考えは違うということに気づいた。

写真を撮ってよく観察してはじめて気づいたのだが、彼らは土管の中を一周するようにキチンと体を寄せているのだ。頭の向いている方向も同じ。けっして漫然と土管の中に集合しているのではない。ちょうど中央付近に一列になってきれいな円を作っているのだ。

そうなると必然、暖がとれるからではないと思えてくる。暖まるためならなにも土管の円周に沿って円を描く必要はない。冬のミツバチのようにごっちゃりと集まり体の冷えたものが群れの中に入って行くような形勢でよいのだ。

カマドウマは体の左右に(おそらく上も)何かが当たっているような場所に隠れるのが好きなのだ。そういう性質によって、土管の中で一列になって円を描く結果になっているのだと予想している。


2004.1.6 スキーと自転車

いまの自転車はミニサイクル程度の軽いギアしかついていない。それでも清川村の下りでは50キロぐらいでる。たった50キロとはいえ、コーナーもあり族が多いこの辺では一般車両も好戦的でけっこうどきどきする。私はいい年こいたおやじなので、どきどきも度が過ぎないようにしっかり手綱をしめている。そもそも下りのスピードに魅力を感じなくなってしまっているのだ。

いまではそれほど人気がないそうだが、私の若い頃はゲレンデスキーはすごく人気があった。私も誘われ何度か出かけたことがある。スキーをしにいったわけではなく、目当てはもっぱら女の子だった。スキー自体は雪の上での活動にはすばらしい道具で、ほんとうに雪が好きな連中はスキーを担いで新雪の山に登る。私は山スキーから入ってずいぶん苦労したので、はじめてゲレンデに行ったときは拍子抜けした。ゲレンデを登るにはスキーよりも長靴のほうが楽である。わざわざスキーを持ち出すまでもない。下りも体を浮かせてちょっと腰をひねるだけで容易に曲がったり止まったりできる。ゲレンデは技術の低い者でも快適に遊べるように雪を固めてあるのだ。ゲレンデスキーは運動にもならなず、どきどきもたいしたことがない。お目当ての美女がいなければ、あんなものにわざわざ行くヤツはいないだろう。

自転車にくらべゲレンデスキーの良さは転んでも痛くないことだろう。他にはよい所が見あたらない。自転車でこけるとそうとう痛い。打ち身もあれば、擦過傷もありしばらく辛い目にあう。北海道にいたころはロードレーサーに重いギアをつけ80キロオーバーですっとばすのが好きだった。交差点のない下りがけっこう続くのでコーナーで躊躇している自動車をびゅんびゅん追い越していたものだ。そんなことをしてて一度もこけなかったのは幸いだった。


2004.1.7 大和市のインコ

ケヤキ

近所に巨樹がある。大きさは圧倒的で他の木のゆうに2倍の高さがある。そのケヤキはとある神社の所有で当然のことながら名木になっている。一度そばまで見に行ったことがあるが、カメラをもったついでにもう一度行ってみた。

境内にはいると、なんだか聞きなれない甲高い鳥の声が聞こえてきた。声の主は梢のほうでうろちょろしている。尻尾が長いので最初はオナガかと思った。近づいてみると、体色が緑なのですぐにインコだとわかった。遠目で種類まではよくわからない。ワカケホンセイインコにしてはスマートな感じもする。4、5頭いてつがいのような行動もしている。

ケヤキ

インコは10年以上前、世田谷に住んでいたときはよく見ていた。群れをなしてよく飛び、電線などにも並んでいたものだ。よく見るのはワカケホンセイインコやダルマインコで、原産地はインドかオーストラリアらしい。渡ってきたわけではなくペットとして輸入されたものが籠抜けしたものだ。当時はそれらのインコは東京に定着するだろうと見られていた。また、分布は拡大しており山梨県に到達することも懸念されていた。

その後、東京を離れたこともあって、インコの噂はきかなかったのだが、こうして神奈川県大和市で見つかるということは元気に生き抜いているのだろう。写真中央上のインコが止まっているところは幹がこぶになり営巣には格好のうろになっているようだ。カラスに負けずにヒナを育ててほしい。


2004.1.8 ミノムシが見つからない

枝

すでにご存じのように私が今の仕事につき、このようなところでうろうろしているのはNHKの自然のアルバムで「みのむしの季節」というやつを見たからだ。当時はまだ白黒フィルムの画面で、枕草子を引用してコメントしているのがイキであった。枕草子ぐらいは誰だって読んでいるだろう、またはこの番組をみたからには枕草子ぐらい読むだろう、というすがすがしい傲慢さはひたすら見る者にへつらう今の番組では考えられない。さような傲慢な番組だからこそ当時小学生の子どもの心にちゃんと届いていたものだ。そういう心意気はテレビ局の人間は忘れないで欲しい。

そのミノムシであるが、代表選手ともいうべきオオミノガが絶滅の危機にあることは周知の通りである。最近仲間内でオオミノガが話題になり、やはり各地から見られないという報告を受けた。ところが、茨城県のある地域ではたくさん見つかっているのだ。ならば神奈川のこの辺でも少しはいるかもしれないと、年末年始の休暇をすべて使い脚を棒にして探してみた。大和市のほかにも清川村、愛川町、厚木市、相模原市、藤沢市、学校とか公園、神社、墓場、街路樹、栗や梨、梅の畑などオオミノガのいそうなところは入念にチェックをいれた。

そのおかげで、インコなんかを見つけたりしたのはよかった。しかし、かんじんのミノムシは一匹も見つからなかった。それらしく見えても、どれも皆いじけた枯れ葉が落ち残っているだけなのだ。この辺では絶望的かもしれない。ところでオオミノガはおろか小型のチャミノガですら見あたらないのだ。数年前にはチャミノガはけっこう見つかったものだ。あれはどうしたんだろう。全国的にチャミノガが減っているという話はきかない。もしかしてミノムシさがしの腕が落ちているのか。


2004.1.10 目に入れると痛い虫

群れ

冬でも川べりなど水気のあるところでは写真のような虫の群れにぶつかることがある。今日も境川の土手はこの虫が無数に飛び交っていた。風にのって上がったり下がったり回ったり。いったい何をしているのか、詳しいことは知らない。ただ、こういうものがそういうことをしているとだいたい繁殖行動だということに相場は決まっている。

自転車で走っているとこの虫が顔にばんばん当たってくるので不愉快だ。ウインドブレーカーにあたるとぱらぱらと音もする。まるで雨のようだ。当たるだけならよいけれど、こいつが目に入るとけっこう厄介だ。しばしばさせて涙で流し出すまですべての精神がこいつに支配されることになる。涙にまみれて頬や指についたこいつを見ると虫も人間も双方が哀れに思えてくる。

群れ

ところで、その虫の正体を今まで気にもとめなかったので今日は捕まえて帰って名前ぐらいは調べて見ることにした。ちゃんとした写真機で撮るとなかなかきれいな虫である。黄色と黒のストライプなんてぜんぜん気づかなかった。この顔つきはユスリカのようだ。特徴のある種なのですぐに名前がわれると思ったけれど、手持ちの図鑑には出てなかった。ネットで検索しても見つからなかった。


2004.1.11 飛行機雲

飛行機雲

私の所では飛行機雲はけっして珍しいものではない。このあたりは羽田から西へ向かう旅客機の飛行ルートに当たる。だいたい富士山を過ぎる頃には水平飛行をしているから写真の飛行機は上空4000〜8000mぐらいの所を飛んでいることと思う。飛行機雲はジェットエンジンの水蒸気や塵芥によって発生する。燃料が燃えるときに二酸化炭素と水とすすができ、飛行機が飛んでいるところに飽和に近い空気があれば水蒸気が即座に凍って雲になる。

飛行機雲

立派な飛行機雲ができることはあまり多くない。一番多いのはちょうどほうき星のような案配の短い飛行機雲だ。うまく夕焼けと重なれば太陽に輝いてすこぶるきれいなものになる。まったく飛行機雲が出ない場合も多くそんなときは飛行機が飛んでいること自体気づかない。悪天の前触れと言われるもくもくと成長する飛行機雲は極めてまれだと思う。長く残るので発見する機会が多いはずなのにいつも見えているわけではないからだ。なにしろ私の視界の中にはいつも飛行機がいるはずなのだから。

飛行機雲

昨日の夕方の飛行機雲もちょっと珍しいタイプだった。長く白く延びながらたよりなく数分で消滅してしまうものだった。写真の左下のほうには白い点がある。実はその点は飛行機である。飛行機雲を作っているものとは高度が違うのだろう。全く飛行機雲が出ていない。

飛行機雲

消え方も特徴的だった。小さく波打って山か谷か(おそらく谷のほう)のほうから消えていく。飛行機が飛んでいるところで気流が波を打っているのだろう。まったくの快晴の日だと高空も穏やかなように思ってしまうけれども必ずしもそうではないようだ。北海道のほうで低気圧が発達中でそれと関係があるのかもしれない。


 
2004.1.12 目的論的理解について

アレチウリ

写真はアレチウリの巻きひげである。アレチウリはヘチマのようなつる植物で、巻きひげを使って回りのものに捕まりながら成長していく。近年、河原や空き地などにはびこって人間からはかなり嫌われれている雑草の一つだ。毎年秋には枯れてしまうが夏の成長の勢いはすさまじいものがある。

巻きひげは葉の変化したものだろう。おそらくは回転しながら不定の成長をし、何かに触れた側のひげの成長が遅くなり、触れてない側の成長が早まることで、触れたものに巻きつくことができるものと思う。

その巻きひげはかなり巧妙なデザインになっている。いっけんして、ただの線ではなく螺旋になっていることはわかる。しかし、それは尋常な螺旋ではないのだ。螺旋をよくよく観察すると、その向きが一方だけでないことが明らかになる。途中から右巻が左巻に変化しているのだ。

アレチウリ

こういう形の仕掛けは両端を固定して中央からよじるとできる。ということは、この螺旋ができるのはどうやら巻きひげが何かにしっかり巻きついた後である。アレチウリは何かに巻きついた後で仕上げとして螺旋を作るのだ。

とうぜんのことながら疑問がわく。なぜアレチウリは巻きひげに螺旋を作るのか? その答えは非常に明解なものが用意されている。

細く弱い巻きひげで巻きつくだけでは不十分だ。風が吹いて揺れたときなどには簡単にちぎれてしまう。それを防止するのが巻きひげにできている螺旋だ。巻きひげにできた螺旋仕掛けはバネのようによく延び縮みして、多少引っ張ったくらいではちぎれなくなっている。巻きひげの螺旋は強度と安定性を約束するバネだったのだ。つまり、アレチウリはせっかく巻きついたものから容易に引きはがれないようにするため螺旋を作っているのだ。
 

こういうわかりかたを目的論的理解という。ふつうの人ならそれでよいと思う。ありふれた雑草の知恵のすごさに驚き感動しておればよい。ただし、本気でアレチウリの身になってバネ仕掛けのことを考えるならば目的論的理解では不十分である。本当の意味で目的を持てるのは人間だけ、それも一個人に限定される。アレチウリは目的をもたないし他の動植物も同様だ。

同じく国家や企業などの組織も目的を持たない。組織には記憶も感覚も感情もないから。個人以外のものに目的を持ち込もうとするならば畢竟ある超越的精神をみつけざるをえなくなってくる。それは発見ではなく敗北を意味する。哲学者なら安易な目的論を持ち込まずにアレチウリと対話しなければならないのだ。


2004.1.13 奈々ちゃん萌え〜

餅でも買おうかと立ち寄ったコンビニのショーウィンドウに飾られていたSEVENTEEN(集英社)の表紙の女の子におもいっきり一目ボレした。いわゆる萌え〜というやつで、みょうに気恥ずかしい。


2004.1.15 つる

花の美しさ、花の季節に集まる昆虫の多さからすっかりアレチウリのファンになっているので、アレチウリの巻きひげのことを私なりにもう少し考えてみたいと思う。

そもそも、つる植物ということ自体がたいしたものだ。マメとかウリとかアサガオとかいろいろな植物が同じような方式を発明しているのだからすぐれたアイデアなのだろう。植物は太陽の光の奪い合いをしている。熱帯のイチジクでよく言われるように、つるは他人の成果を利用して高いところに登りうまい汁を吸うしかけだ。ただし、つるの利もまじめにこつこつがんばっているフツーの樹木あってのものだねだから、きっと地球史のなかでは比較的新しいやり方なのだろうと思う。

また、つる植物はすごいけれども植物界の王者として君臨することはできないようだ。アレチウリやクズが巻きついたせいで日陰になり枯れ死したらしい樹木を見ることができる。杉や桧の林が捨て置かれて山じゅうがクズに覆われているようなところも見る。しかしながら、つる植物が主役になっている場所は知らない。東北のブナ林でも熱帯雨林でも、安定している森林ではつる植物はあくまで脇役なのだ。林道わきや植林地など人工的に開発された場所や河原で一時的に主役になれるだけにみえる。つる植物が樹木を圧倒できないわけはよくわからないけれども。


2004.1.17 茎と葉

朝顔は茎でまきつき、アレチウリは巻きひげでしがみつく。ひとしくつる植物だけど全然ちがう方式を採用している。私は茎で巻きつくよりも巻きひげを使うほうがずっと手が込んでいると思う。巻きひげは葉であるなら、葉というものはそもそも巻きつくものではないからだ。

気を楽にして目的論的に理解するならば、茎というのは植物にとって体をささえ大きくするためのものだ。そして葉というのは太陽の光をたくさん浴びて光合成をするためのものだ。植物は茎だけでも葉だけでも生きていかれる生物だ。それなのに朝顔やアレチウリぐらいの花も実もある高等植物ともなると、根茎葉花がそれぞれ役割分担をしている。つまり体が部分に分かれて機能を分割しているのだ。各部に機能を持たせるからには、その機能に特化した発達をするのが筋だろう。ひとたび葉にきまったなら支持機能は捨て光合成に邁進するのが自然だろう。

くわしくは知らないけれども、葉というのは茎が変化したものだと思う。より光合成ができるように広く薄くなった茎の一部と見て間違いないと思う。その葉を巻きひげに変化させるのは並大抵のことではないはずだ。ひとたびは薄く広げるようにしたものを再び細くなおしたのか、それともアレチウリの葉は細長く延びるのと広がるのと2タイプが共存していたものか。いずれにせよ容易にまねができない無理をはらんだアイデアだと思うのだ。


2004.1.18 螺旋のバネという発明品

無理といえば、巻きひげのバネなんか無理の骨頂だと思う。ヒトが使っている鋼鉄製のバネは発明という言葉ができあがる前にどこかのだれかによって発明されたものだ。その発明も巻きひげのような自然界のバネがヒントだったのだろう。いまだバネ仕掛けを持たないつる植物に強度と柔軟さをあわせ持ったシンプルな巻きひげを教えてあげるとすれば、まさにアレチウリの巻きひげになるだろう。あれ以上にうまい仕掛けはちょっと考えてみたけど思い浮かばなかった。というよりも、アレチウリやヘチマの巻きひげを知らなかったら、あのバネの工夫に思い至ることはなかったと思う。

アレチウリがバネをどうやって発明できたのかは永久に解けない謎かもしれない。もしかしたら解けるかもしれない。少なくとも何が分かれば解けたことになるのかという目標を人類は決めることができるかもしれない。アレチウリ自身は自分が何をしているのかをしらない。巻きひげがどのような役割を持ち、どれほど優れた仕掛けであるかを知らない。植物の謎を解けるのはヒトだけなのだ。

ヒトはバネがどういうふうにでき上がるのかをよく見る必要がある。外から見ただけでわかるのは、何かに巻きついた巻きひげの途中が山のように盛り上がって、その山がまるで海の波が巻き込むように回転しながら螺旋を作ることだ。単に巻きひげの途中が成長するだけなら、ほつれてこんがらかった毛糸のような不定形のごちゃごちゃした固まりになることだろう。それでもクッションの役割は果すに違いない。しかし、現実には非常に規則正しく巻きひげの内側外側が成長し前後で方向のちがう螺旋のバネができあがる。できあがってみれば、少ない努力で最大の効果をあげているように見える。人間がそうした成果を得るためには目的と見通しを持つ必要がある。アレチウリはビジョンを持たずに成功している。いったいどうやったのか?

まずは巻きひげのどの部分がどれだけの速度で成長するのかというデータを取ることだ。成長の早さは細胞分裂の早さだろうから、バネを形成する細胞相互の分裂の調整がどうやって行われているのかを知らなければならない。全てはそこから始まる。


2004.1.20 主観と客観

一般に使用されている主観と客観ということばは元々の意味を失っていると考えていいだろう。私が知る限りでは、主観の定義は客観の逆というものであり、客観の定義は主観の逆でしかない。対立することばによってはじめて意味を持つようなことばは両者とも無意味なはずである。

ところが、主観と客観ということばはいまだに力を失っていない。何かを主張するに十分な含意あることばなのだ。主観ということばで何を言わんとしているか、よく注意してみたことろ、それはどうやら「誤った客観」というほどのことであることがわかった。「これは主観であるが...」というのは「誤りを恐れずに言うならば」と同義であり、「それは主観に過ぎない」といえば「あなたは間違っている」というのと同義なのだ。

いまの日本語では主観というのは否定的なニュアンスを帯びたことばである。それはとりもなおさず客観が肯定的に受けとられていることを意味する。本来「観」には主も客もなくただの「観」であったはずだ。その観というのは客観ではなく主観である。禅坊主の問答を聞くまでもなく。間主観などというむつかしげなことを持って来なくても。

主観がすでに負のパワーを持っていることに気づいたので、ニュートラルな意味での「観」に値することばは何であろうかと探してみたが、いかんせん見つけることはかなわなかった。


2004.1.21 エースをねらえ!とシュールレアリスム運動について

映画あずみとちがい、テレビドラマエースをねらえ!の主題が少女のふとももでないならば、それは笑いをとることを狙って制作されたものである。その作品は以前はテレビアニメであり、もともとは漫画であった。現在私はケーブルテレビでアニメエースをねらえ!を見て笑っている。25年前の放送でも笑わかされた覚えがあるが、アニメエースをねらえ!は笑いを狙って制作されたものではなかった。言うまでもなく漫画エースをねらえ!はシリアスなものとして世に出ており、私は漫画エースをねらえ!ではいっさい笑えなかった。同じ作品が、笑いを前提にテレビドラマとしてプロデュースされている。時代が変わったのである。

25年前に当時大学生だった私がアニメエースをねらえ!を笑ったのは宗方コーチがタバコを吸うシーンだった。マジシャンのように胸のポケットからタバコを一本だけ引っ張り出してマッチで火をつける場面だ。設定としては逡巡とか決意の心理描写であるから普通は笑わないシーンだ。それを笑ったのはそうやってタバコを吸うのはありえないからだ。普通はタバコのケースを取り出してからタバコを抜き、ケースを元にもどしてからマッチを取り出して火をつける。その手順を省略した意外性が笑いをよんだ。誰のたとえか忘れたが、バナナですべって転ぶのを見てイヌイットが笑うのと同種の笑いであった。

いま現在私がアニメエースをねらえ!を見て笑うのは表現が稚拙だからだ。絵が下手で動きが悪いからアニメの世界に飛び込んでいけない。岡や竜崎などの名のある登場人物以外の部員に対する手の抜き方などは噴飯物である。それは苦笑だ。作品を鑑賞することはなく30秒でチャンネルを変えている。

私自身はドラマエースをねらえ!では笑わない。全然見ていないから笑えるわけはないというのは当たり前であるが、そんなもので笑うほど暇ではないのだ。「そんなもの」というのは時代と作品のギャップのことだ。放送は見なくても、TVガイドや15秒CMを見ればなぜドラマエースをねらえ!がウケるのかは明確に分かる。その笑いは数ある笑いのうちでも最も品のないものだ。現代なら、ドラマ巨人の星でもドラマアタックNo.1でも笑いをとるように作れるだろう。そういう下品な笑いをねらってドラマを制作するテレビには怒りを禁じ得ないし、そういう物を見ている暇があったら、時代が変わることと芸術作品の意味をあらためて解析し記録しておくことのほうが先決だと思われる。


 
2004.1.24 釈由美子ミラクルボディ

聞き捨てならないことばを見つけて週刊プレイボーイを買った。そのことばとは「さらば牛丼」ではない。ちょうど吉野家が話題になっているので、女の子を誘って通勤途中にあるはずの吉野家に出向いたら、どうやら半年以上前にその店は消滅していたことが明らかになって愕然とするぐらい吉野家の牛丼はどうでもよい存在である。ましてや「モー娘。の未来はどーなる!?」ではありえない。 牛はモーと鳴くように、私にとって吉野家とモー娘は等価交換なのだ。「濃密ビキニ井上和香」はかなり気になるが買うほどのものではない。

そのことばは左上のほうにある「ミラクル・ボディが最終進化!釈由美子」である。私も常々釈由美子のボディは人類としての最終型であろうと信じている。このコピーをみて私と同じことを考えている者がもう一人いたのかと、一瞬信じてうれしくなった。それは完全な誤解であろうとすぐに気づいた次第であるが、念のために買い求めて記事を確かめてみたのだ。やはり、私の思い違いで記者は釈由美子の女体についてそれほど深く考えているわけではないことはすぐに見て取れた。


2004.1.25 釈由美子は進化の所産か

女体も生物的な現象の一つなのだから、進化論の対象である。問題を明らかにするためには「そもそも女体の進化とは何であるか?」ということを押さえなければならない。ひとまず、それが変貌しているのは明らかである。母から娘、娘から孫へとその形は一定ではないからだ。ただし、それを進化とよぶには変化しているだけではいけない。変化の方向がなければならないと思う。花が大きく色鮮やかになるにつれてより多くの虫を引きつけるとか、インパラがどんどん速くなってライオンから逃げおおせるとか、特定の方向が定まらない限りはあえて「進化」という意味がない。

釈由美子のミラクルボディはどんな方向性のもとに現象したのであろうか。ことばを変えれば、いかなる加速度を受けているのか。いまわれわれが問題にしているのは見た目の美しさ、女の色気である。正直に言うが、釈ちゃんの体は私の親しい友人であるAさんBさんCさんに比べてずっと魅力的である。釈ちゃんのようにごっくんなまつばボディを有する女性とそうでもない女性は現存する。その弁別は文化的に今の日本でたまたま起きているに過ぎないのか、それともプレイボーイにあるように方向性のある進化の結果ヒトに起きているものであるのか。そこが第一の疑問である。

まず、釈ちゃんの色気が文化的な所産を含んでいることは疑いようがない。かつて、山口百恵という色気に乏しい娘が人気を博していたときに、これまた山口氏に輪を掛けて色気がない私のクラスメートが人気者だったことがある。その理由は単に彼女が山口百恵ふうだったからだ。女の容姿の良し悪しは世間の評判でどうにでもなるものだ。

さらに恋というものは、恋人を人類最強の美女にまつりあげる力を持っている。世の女性方は若者の狂気を大目にみてあげなければならない。あまり好きでない男から激しく言い寄られたとき、「私はそんなに美人じゃないのに」などと冷静に自己批判しないで欲しい。よしんば貴女がどちらかというと美しくない部類であったとしても、彼の狂った言明は判断力を欠く知能の低い男だということの証ではなく、正常な男が正常な判断を下している結果なのだ。少なくともその時点とあと数週間は彼の謂いは嘘ではない。もし1年経っても同じようならその男はたぶん詐欺師であるが。


2004.1.27 第三種接近遭遇とは

世間の評判と主観と、ひとくちに女の色気といっても一筋縄ではいかない。その2つについてもう少し詳しく考えてみよう。釈ちゃんは世間の評判を勝ち得ている美女である。そう滅多には出合えないセクシーボディの持ち主である。しかしながら、私は釈ちゃんの100倍ぐらい美しく、1000倍ぐらいセクシーな娘さんを知っている。まっとうな男ならだれでもそういう女性の1人や2人はいるはずだ。田舎の港町の初恋の同級生だったり、現在進行形の片思いの相手であったり。つまり、恋の悪戯は世間の評判、客観的な評価を凌駕するということだ。その現象はどう解釈すればよいのか。

その昔、未知との遭遇という映画があって、第一種接近遭遇、第二種接近遭遇ということばが流行った。それは、人間と宇宙人とが電波で知り合ったり、肉眼で確認したり、触ったりするという付き合いの親密さを一種、二種とカテゴライズしたものだ。私は男と女の恋愛にも人間と宇宙人と同様の段階を見ている。恋愛感情の高揚は一定ではなく段階的なものである。階段を登るようにステップアップして強くなる。第一段階と第二段階では異次元の差がある。第一種接近遭遇だけなら惚れるにも限界がある。

普通の男共は釈ちゃんを写真やテレビなどを媒介として間接的に知るにすぎない。宇宙人でいえば第一種接近遭遇である。それではいくら釈ちゃんに色気があろうとも恋心の成長には限界があるというものだ。それにくらべ、隣の席の女の子は生々しい実体である。夜一なみに黒い肌は美白とはいえないが、けっこういいチチをしている。ときに誘うような仕草があり、臭いがあり、スカートの裾がひじを掠っていく。はずみで触った横っ腹が信じられないほど柔らかかったりする。そのへんで第3種接近遭遇に入っている。次々に扉を開いて抜き差しならぬところに落ち込んで行くと、もはや世間の評判など目に入らなくなるものだ。


2004.1.29 美女は選ばれるんだけど

文化的な所産に重きをおく客観的な世間の評判というものと、文化が経験に置き換えられる他人にはわからぬ主観的な判断と、美女は客観主観に分けて考えたい。まず次のことは押さえておこう。前者の美女はことわるまでもなく後者の美女でもあること。でもあるどころか容易にそうなるものであり、後者の美女は滅多に前者になることはない。釈ちゃんは前者であり、みんなが無理なくええなあと思える女性である。そういうものの誕生の経緯を問題にしているのだ。

美女が進化する、ということを当世主流のダーウィン流の進化論によって考えることもできる。チョウチョや花がきれいになるのは美しいものが選ばれるから。より色鮮やかな花に虫がひかれて受粉し子孫を残して行くのだから、花はより昆虫の視覚に映えるように鮮やかに大きくなる。たまたま人間も蝶や蜂と類似の感覚を持っているので花はよく目立ち美しいのだ。そうした原理は花の改良にも使われており、ランやバラは美しい形のものを選んで交配してうまくいったものを残して名品が生まれるのだ。

花とおなじように人間の美女は人間の男から選ばれる。美女は裕福で力のある男を選ぶことができる。同じ中身ならきれいな容姿のほうがよい。自分が思うだけでなく世間も認めている人がよい。美女のほうが早めに売れてきれいな子を生んできたので人間も徐々に美しくなっているんだろう。

というようなことは、嘘っぱちである。根も葉もない妄想にすぎない。花や蝶がきれいになるのはたぶんその通りだとおもう。美女のほうがいい男を獲得できるというのもきっとそうだと思う。たしかに美女のほうが圧倒的にセックスの機会は多い。私も釈ちゃんふうの美女を抱きたいしお嫁さんにしたいと思う。すっかり分別臭くなった今でも、欲情した釈ちゃんに迫られれば断わるのに苦労しそうだ。高校生ぐらいの若者なら、100人のうち50人は裸の釈ちゃんに抱きつかれた日にはまず逃げきれないだろう。50人のうち45人は中だしするのではなかろうか。みんなに好かれる女の子はセックスに不自由することはない。そういう事情はじゅうじゅう承知しながらも、淘汰や選択の原理によって美女の割合が増えたり、時代とともにより美しい女の子が生まれてくることはないと思う。人間の場合は恋と愛と性が一直線に並んでいないから。


2004.1.31 進化論が嫌われる理由

ダーウィンの進化論を教会の坊主は快く思っていなかったといわれる。私が聞いたところによると、その理由は「生物はすべて5000年ぐらい前に神が全部作ったと聖書に書いてあるから。」だという。たしかに旧約聖書にはそのような記述がある。ただ、私はそれは本当の理由ではなく、進化論にはもっと深刻な問題が潜んでいるからだと信じている。

進化に類することはダーウィンの時代にも知られ、応用されていたはずだ。よく実をつける麦の種からはよく実をつける芽がでる。乳をたくさん出す牛の子は乳をたくさん出す。速い馬の子は速い。糸をたくさん出す蚕の子は糸をたくさん出す。以上のようなことは単純ではないにしても百姓ならみんな経験的に知っていることだ。親から子へ子から孫へ優れた能力を意図的に伝えることができる。野性生物の世界でも進化が起こって不思議ではない。そのような単純明解で無害にみえる思想を、坊主たちはなぜ嫌がったのか。

進化論のアイデアは容易に人間社会に転用される。血統は人間の家系によく言われることだ。しかしながら、血すじのせいにされる現象の大半は後天的なもので、しつけや教育の結果にすぎない。ダーウィン派は進化論の概念を人間社会に転用されることを恐れて来た。獲得形質は遺伝しないことを必要以上に宣伝したのもその過ちを防ぐためだと思う。

ところで、支配階級にとって進化論は好都合に悪用できると思う。貴族と平民と奴隷と、系図によって生まれつき人間にランクがあることにすればよい。坊主も支配階級であるからには利用できるものは利用したかったはずだ。坊主がそうしなかった理由は、単に自らが進化論を信じられなかったからではないだろうか。

進化には進歩、つまりだんだん良くなっていくという誤解がつきまとう。牛の乳はたくさんでる方がよく、バラはより赤いほうがよく、馬は脚が速い方がよい。人間ではどうなるのが進化なのだろう? 坊主だとどうなればよいのか? 坊主は聖人であることが良いことだ。聖人というのは生まれつきの素質か努力できる才能なんだろう。坊主であるからには霊的に高いたましいをもっているのが人間として優れたことであり、たましいがより高貴になることが進化だ。しかしながら、彼らは高位の坊主の子のたましいが必ずしも浄くないことを嫌というほど知っていたのだと思う。とりわけ、自らが子を持つ坊主は霊性が遺伝しないことを思い知らされていたはずだ。それはそれは惨憺たる有り様だったのではないのか。いっそ教義で高位の坊主は子を持つことを禁じたくなるぐらい。

人間は神仏の御心にかなうようにたましいを鍛え精進しなければならない。それは確かなことである。私は時代と共に浄いたましいの人間が増えて欲しいと願っている。ただしそれは絶対に進化によってもたらされるものではない。進化は進歩ではなく、ましてや人間性は進化と無縁である。そのことを理解し腑に落ちさせるためには科学的な訓練が必要だ。ダーウィンのころの坊主にそれを求めても無理だ。彼らは以下のように考えたのではないだろうか。もし、人間が進化するならば、その進化は坊主にとっての最高の価値であるところの神の御心に応じたものでなければならない。すでに聖人は何人もいるのだから、そのたましいは次の世代に引き継がれ、人類全体が漸次キリストに近づかねばならぬ。そういうことは気配すらない。ゆえに進化論は誤りであり衆生を迷いに導く危険な思想なのである。


2004.2.3 進化論のいう勝ち組とは

進化論、あるいは進化ということばが人々に受け入れられる以上、社会的な概念として使用されるのは避けられないことである。われわれが女性美と進化ということを考える上では、その進化ということばがどういう文脈で語られているかにはじゅうぶんな注意をはらわなければならない。

ダーウィンの進化論がかたるところの勝ち組は多く子孫を残したものである。その主語は種である。そしてそれ以上でも以下でもない。そのアイデアを個体で使用すれば進化論の文脈を離れることになる。ましてや人間に使用すると笑い話にもならない。

いまの日本では子だくさんな人が勝者ではない。あの百恵ちゃんだって、ささやかに三浦友和氏の子をちょこっと産んだだけだ。財をなした著名人がおかまであるという理由で負け組には入ることはない。人の幸福の秘密を解き明かし人類に愛と希望を与え、自らは子を残さなかった聖者は社会文化的には最高の勝者であるが誤った進化論的に敗残者になる。

個体と種にはずれがある。ヒト以外の動植物ですらも、その求める幸福、切望される価値は種の勝ち負けとは無縁だ。社会的な、文化的な、あるいは個人の経験的な意味での美女はダーウィン流進化論の対象ではない。数多くの男に求められ避妊の上でやりまくる美女は社会的勝者で個人的敗者かもしれない。オナペットになる巨乳グラドルは生物学的にはオバケだ。貧乏子だくさんの母は個人的勝者で生物的勝者で文化的敗者かもしれない。時代を経るにつれて女性がどんどん美しくなるというようなことがなくとも、それは進化論の考え方がへんだということにはならない。進化論の使い方がへんなのである。

以上のようなことを踏まえてなおかつ私は女性の美しさ、女の色気というものが純粋に生物学的な意味の進化において極めて重要だと思っている。そこが私の理論恋愛学の基幹でもある。


2004.2.4 セックスは社交的に

性行動においてすらヒトのいわゆる本能は隠ぺいされて、よく見えない。もっとも普通に行われているセックスは避妊を前提にしたもので、もはや性交とはいえない。あれは個体間のコミュニケーションであり儀式化された社会行動といえる。人間ではセックスに輪をかけて繁殖は計画的に行われる。人間だけが意図して、願って、子をもうける。「高田の優秀な遺伝子を残したいから」という向井さんの意思は生物的なものではない。純粋に社会的なものか個人的なものである。子を残したい、産みたい、という欲求を生物は持たないから。

私は人間に関してはセックスと繁殖を別けて考えるべきだと思っている。ヒトはセックスを楽しむ頃には何をどうすれば子ができるのかを知っている。ペニスをインサートして射精すると子ができるということを知るのは完璧に学習による。学習する能力は生物的なものであるが、学習対象は社会的である。とくに原因と結果の連鎖というものは人の心に特有のもので、何がどうつながっているのかについて、人はそれを後天的に学ぶのだ。人は言語により、また他人を観察し推理して妊娠の原因を知る。

ヒトの男女もただただ自然に妊娠することだってできる。そもそもどういうことをすれば子ができるのかを知ったうえでないと子ができないのなら、人間自体がこの地球に誕生した道理がない。この世の中の9割の生物種は自分が産んだ卵から子が出てくることを見届けることすらなく命を落とすさだめなのだから。

ヒト(あるいは類人猿も含めて)以外の生物の繁殖行動を見ていていつも感じるのは、それが極めてシステマティックに進むことだ。けっして単純淡白という意味ではない。虫けらですら、オスが発情してフガフガして、メスはそっけないふうをして、オスはいらいらして盛んに愛撫を繰り返すのに、メスの反応はいまいちで、それでもオスはがんばって愛撫するものだから、メスはしょうがないわねえ、というふうにオスを受け入れるかとおもいきや、そこにライバルのオスが現われて、オスオスの大喧嘩がはじまっているのに、メスはお好きにどうぞ勝ったほうが来てね、などと冷静に構えている、というような人情豊かな様子を見ることができる。

虫けらにできる恋愛を人間ができない道理もない。たとえば安室さんは生物的な行動をした人かもしれない。若者たちのできちゃった婚はおめでたくほほえましいことである。それが事故でなければ。

人間の男女の繁殖行動もエッセンスだけをみれば極めてシステマティックなものだが、時間がかかること、よけいな思惑がからむこと、行動に文化的な枠組みがつけられることなどから、そのエッセンスを見つけ出すことは容易ではない。誰もが経験しながら意識できない性質のものであって、私もそれがあることに気づいてから体系的にまとめるまでに15年を要したのだ。


2004.2.5 利己的な遺伝子

作家なのか生物学者なのかくわしくは知らないけれど、リチャードドーキンスという人がいいはじめた「利己的な遺伝子」が一世を風靡したことがある。ドーキンスはたくさん本を書いており、私も彼のファンで日本語になったものをいっぱい買って読んでいる。主脈をなす論理こそ根拠と結論がたがいに支え合い循環する空疎なものに過ぎないが、そこを辛抱すれば、驚愕の実験観察記録と鋭いアイデアが満載なのでぞくぞくわくわくしながらページを繰れる。

空疎とは言ったが「利己的な遺伝子」という考え方は間違っていないと思う。と、同時に彼の書物の遺伝子ということばの半分を全知全能の神に置き換えてもなんら問題は起きないと思う。タイトルも「利己的な全知全能の神」でよい。私は「利己的な全知全能の神」という考え方も間違っていないと思うから。ただ、最近は西洋や日本で神の値打ちが暴落しており、本を売ることを考えれば遺伝子あるいはDNAのほうがよい。その辺は彼のセンスであろう。

肝心の遺伝子が利己的かどうかという点では世界的に支持された反面、痛烈な非難も多かったという。なるほど人間も動植物も遺伝子の乗物に過ぎないという言い方はずいぶん挑発的である。攻撃したくなる人もいるだろう。私は無意味なアイデアは無視するたちであるからそんなことはどうでもよい。気になったのは、賛否両論の熱狂ぶり自体だ。空虚な観念はクリーンヒットは飛ばせない。絵空事なのに人の感情をかき乱す力をもっているのは、そのことばが大切な何かにかすっているからだ。反対する人も賛成する人も、何か身に覚えがあるのだ。利己的遺伝子については、人間は何か得体の知れぬものに突き動かされているという漠とした自覚が誰にもあるからだと思う。


2004.2.7 本当の自分

利己的というのを問題にするのは西洋人の伝統芸能だ。今をさること2500年ぐらい前にソクラテスが「汝自身を知れ」ということをテーマに哲学を自然科学から分けて人間学としてはじめた。そして、500年前にはデカルトが「われ思うゆえにわれあり」といった。哲学の復興を記念することばだ。私の恋愛学も自分自身、すなわち身の程を知ることから始まる。

自分の身の程とは何であろう? 私の身体は身長170センチ、体重60キロの物体として厳然とある。そして、自己として意識している身体は物体としての身体とぴったり一致していると思っている。誰もが自分の体は自分が一番良く知っていると思い込んで疑わない。本当だろうか? 

自分の姿を自分はどのように思い込んでいるのか。それをあらためて考えてみるのも無駄ではない。心の中にどういう仕組みで自分の身体の地図が描かれているのかを注意深く考えてみよう。第一に思いつくのは、自分の体を観察して経験的にその姿を知っているということだ。いうまでもなく、そうした学習はある。自分の体でなくでも他人の姿、自動車やオートバイなどの物だって見て触って学んで形を覚える。

それだけでは済ませられない謎が自己にはある。事故で手足を切断した人が、いつまでたってもすでにないはずの指に痛みやかゆみを感じる。その現象は単なる記憶の忘れ形見として説明がつくとは思えない。精神的に「本当の自分」があるように身体的にも「本当の自分」を持っているのだと私は思う。

ときどき何かの間違いで温泉なんぞに行くと大きな鏡で自分の姿をみることになる。ビデオやテレビに映る自分を見ることもある。そんなとき、常にがっかりさせられる。もっと脚は長く、肩幅が広く、背筋がすっと伸びているはずなのだ。画像としてうごめく貧乏臭いオヤジが自分であるはずがないのだ。たしかに私のプロポーションは坂道を転げ落ちるように崩れているけれども、落胆の理由はそればかりではない。小学生のときは、こんなやせっぽちで頭でっかちのはずがないと思えたし、青年のときはあんな疫病神みたいなものでなく、もっと長身で筋骨隆々のはずだと思っていた。どうして見るたびちがうと感じるのか。なぜ学べないのか。そうした意識と現実のずれはどのようにして生じているのであろうか。


2004.2.8 自分のサイズを知っている

自分が何者であるか、どれほどのものであるかを知る力を持っているのは人間だけではない。そういうことを教えてくれる生物でわかりやすいのはカブトムシだ。カブトムシのオスには立派な角がある。南米のヘラクレスなどになると、体の長さに匹敵する角を2本も持っている。カブトムシの角はメスの獲得競争から発達したと言われている。カブトムシのオスは餌場に他のオスがいるのを嫌い、すぐにけんかを始める。角はけんかの道具だ。ライバルの体の下に角を滑り込ませて投げ上げるか、角で挟んで持ち上げ木から投げ捨てる。カブトムシにとっては角の立派さは繁殖の機会の多さに直結する。だからあれほどの角が発達しているのだろう。

ところで、カブトムシ自身はどれほど自分の一物のことを知っているのだろうか。私は彼らは角の長さをミリメートル単位で完璧に把握していると信じている。カブトムシは自分の体を鏡で見る機会がない。活動も夜が多い。それでも彼らは違いのわかる男なのだ。

カブトムシは地中で蛹になる。蛹を掘ったことのある人なら誰でも知っているように、蛹室は非常になめらかで美しい楕円型をしている。そして、蛹の体はぴったり部屋のサイズに合っている。どうしてだろう? メスならば幼虫と蛹の長さはほぼ同じなので納得がいく。ところが、オスは蛹化してから角がにょきにょき延びてくるのだ。部屋を作るのは幼虫のときだから、幼虫は自分の角がどれほど延びるかをあらかじめ知って、部屋を大きめに作っておく必要がある。カブトムシのオスには日本のものも熱帯のものも短角グループと長角グループがある。その長さはコーカサスだと5ミリから5センチまで様々だ。それなのに、どんなオスも蛹室はちょうど角の長さが収まるサイズなのだ。

蚊に食われるのを辛抱しながらカブトムシのけんかを見ていると、面白いことに気づく。大喧嘩をするのは必ずサイズの拮抗したものたちなのだ。それは勝負が長引くというだけではない。角の長さが著しくちがう者が出会ってもけんかにならないのだ。向き合って、ちょんと角が触れた時点で、短いヤツはすごすごと引き下がって行く。自分とライバルの一物を比べることができるように見える。また余談だが、角で戦わない種類のカブトムシもいる。南米の高地にいるノコギリタテヅノカブトは角が非常に細長い。頭の角はまっすぐ前に延び、胸の角は垂直に立っている。茶色の体は大きく優雅なカブトムシだ。彼らの戦いぶりも面白い。角をお互いの体の下に差し込んでがっぷり四つの体勢をとり、びりびりと体を震わせる。振動の時間は数秒から十数秒ぐらいで、交互にやるところが儀式的で笑える。勝負の決着はどうつくのかよく分からない。意気地がなくなったほうが逃げて終わるようだ。ともあれ、あの細い角であの太った体なら角を戦いに使うと折れてしまうだろう。

このようにカブトムシは分かりやすいのだけれど、その視点で眺めてみると、たいていの動物が自分の体の大きさを良く知っているように思える。魚でも虫でも。それは学習の成果だとしてもよいが、生まれつき分かっていると考えたほうがより自然なのである。ちなみに戦いで角を折ったカブトムシは哀れである。ない角をあるつもりで振りかざし、虚しく空気を投げるばかりなのだ。


2004.2.10 身の程知らず

自分の体を見て観察して知ることができることのほうが生物として稀有なことである。人間はいろいろなことを学んで身の程を忘れ、自然体でいることができない。

カブトムシは完全に身の程をしっている生物だと思う。角が長い短いといって悩むこともなければ、自分の一物に対して錯覚を持つこともあるまい。彼らには自分の体について学ぶチャンスがない。余計なことを知らなければ自分の体のことを過大にも過少にも評価しようがないはずである。不幸にも角が短く生まれついたら普通のものとはちがった人生観を持ってそれなりに生きるだろう。

ところで、カブトムシだって何億年も前から角があれほど発達していたわけではあるまい。カブトムシの角がメス争いによって発達するとして、必ず発達しなければならないというわけではない。オスとオスが喧嘩するからといって角を持つ必要はない。カナブンのようにガチガチと頭突きで押し合いへし合いする戦い方でもかまわないのだ。角が伸びる方向へ最初の一歩を踏み出すためにはなにがしか角が伸びるような内的な圧力が必要であろう。

そうした圧力、あるいは加速度をカブトムシはどう感じていたのだろうか。素直な曇りのない心には、体の内面から沸き起こってくる角が伸びようとする力がどう映るのだろう。夢だろうか憧れだろうか、それとも焦燥だろうか。


2004.2.11 虫の理解法

私は分別くさい中年おやじである。その分別ということばのもともとの意味は理解するということだ。もう一つの意味は別々に分けるということだ。もちろんこの2つは無関係ではなく、両義性は「分ける」=「分かる」ということ、つまり理解するためには分解という作業が必要で、分解したということは分かったということだということに起因している。このことを言いだしたのはインドの坊主で、ヨガとか座禅とかをしているとそんなことも気づくらしい。また、西洋では対象と観念が一致することをわかるという。そういう西洋流の考え方をとるにしても分かるということのためには2つのものが必要になる。

そういう分かり方は七面倒臭く回りくどい感じがする。いんちきに見えることもある。しかしながらその作業によってわれわれは事実上世界の全てのことを頭で理解することができる。分類は強力な分かりかただ。集合論は人間の得意とするところで、あるグループに属するかしないかということを決めるだけで何でも分かることができる。グループをある観念、たとえば美女として、ある対象を特定の娘、たとえば釈ちゃんでとして、釈ちゃんを美女グループに入れることで分かった気がする。時系列による変化を分かること、つまり記憶と対象の一致不一致を決めることも分かることになる。原因と結果を決めつけることも強力な分かり方だ。

私は虫をみていていつも思うのは、虫たちはそのような分かり方をしないのではないかということだ。そういう気がするのなら、どのような分かり方が虫流なのかを知りたくなる。ヨガの得意なインドの坊主たちは人間流の分かり方を熟知した上で、そんなものは全部インチキだと言っている。観念だの感覚だの記憶だのと勝手に分けたものを合う合わないなどといって喜んでいるようではダメだというのだ。ヒトの能力に沿って手前勝手にこじつけた上でようやく理解したようなことに意味はない。彼らは結局のところ虫のような分かり方ができるように修行しなければアノクタラサンミャクサンボダイを得ることはないという。というように私は般若心経を読んだ。奇抜な考え方である。私自身、もしヒトが虫と共通の分かりかたもしていることに気づいていなければ、坊主の言い分を世迷い言だと誤解したと思う。


2004.2.12 分かる喜び

分かるときに2つのものが一致することが決め手になる。しかし、それだけはダメである。一致したときに喜びが起きなければだめなのだ。漫画で描かれるように頭の中に豆電球がポッと灯るような喜びの気分が起きたときに分かったことになる。その喜びがない限り、記憶と観念、観念と感覚、観念と観念、何が一致したとて分かったことにはならない。

私は虫を完全無欠の快楽主義者だと思っている。喜びを見出し、不愉快を避けるだけでまったき人生を送れるはずだ。そのかわり彼らの喜びは少ないだろう。その強さ弱さは別として、ごくごく少ないことからだけ喜びを得ることができると思う。人間は違う。人間の喜びの対象は事実上無際限である。食い物一つとっても、よりよい食材があり、よりよい調理の方法があると知っている。この世に究極のメニューなど存在しない。

端的に言うと、人間は名前と感覚が一致しただけで喜ぶことができるのだ。名称だけでも無限に想定可能だから喜びも無限にあることになる。そうした際限のない喜びを追求するように生まれてくるのが人間だ。人間にとって分かること、理解することはそれ自体で喜びだ。理解したことが役に立つとか自慢できるとか、そういうつまらないことを気にしなくても学習は快感なのである。ただし、記憶と観念、観念と感覚、観念と観念の一致による喜びはそれほど強烈なものではない。思い出せない歌の名前を思い出したからといって感動に背筋がふるえるというわけにはいかない。そうした喜びは所詮原因が分かっているからだ。本当に強烈な喜びは無原因である。なぜ嬉しいのかが分からない類の喜びが人間にもある。


2004.2.13 恋はいわば無条件反射

カブトムシのオスの勝敗には原因がある。それは角の長さだ。長いのと短いのがちょこっとぶつかっただけで、短いのはすごすごと引き下がって行く。実際にぶつかり合うわけではないので、勝敗を決めるのは角の長さであることがわかる。それは私が傍目でみているからわかることだ。当人たちがわかってやっているかどうかは真面目に考えなければならない課題だ。カブトムシのオスが自分の角の長さを知っているのは確実だ。それこそ角ができる前から知っている。では、角が短いとけんかに負けなければならないということをどうやって知るのか。経験ではありえない。自分より短いのとやったときには勝つが長いのとやったときには負けてばっかりだから、長いのとは戦うまえに引き下がってしまおう、などという合理的な考えは彼らには全くない。虫けらには因果も予想もない。それなのに、見かけ上完全に合理的な戦闘システムがあることが驚異なのだ。

カブトムシは、角の長いオスに会ったときに無原因の不愉快さを感じるのだろう。それは、人間に追われるゴキブリの気分といっしょだ。彼らは人間が恐るべき敵であることを知らないけれども、素早く近づいてくる大きな影からは逃げるのだ。おおよその気の利いた生物が無条件反射としてもっている能力だ。そういう類の不愉快さが、角の長いオスに会うことを契機に発動するのだと思われる。

そういうことを独断するのは私にも無原因の喜び悲しみがあることを知っているからだ。経験的に、あるいは合理的に説明のつかない衝動が人間にもある。もっとも切実でわかりやすい例が恋である。恋はいわば無条件反射だ。一般には恋に原因も目的もあると信じられているが、それは大きな誤解。誤解であったとしても実用的(心理学研究あるいは売名行為、書籍の出版も含めて)には全く問題がないから始末におえない。ともあれ、恋の原因といわれるものは全てきっかけに過ぎず、目的といわれるものは、後から付加した言い訳でしかない。


2004.2.16 色気づくとき

角が短く生まれついたカブトムシのオスの気持ちはよくよく考えておく値打ちがある。人間なら、数回も引き下がれば「角が短いことが敗走の原因だ」と悟ることができる。そういう解釈ができることが人の合理性だ。そして「なぜ角が短いとだめなのか」ということを考える。そして「戦っても無駄だから逃げるのだ」ということに思い至る。本当に論理的に考えるなら、その辺ですでに誤っている。しかしながらその誤りは、よりよく生きるためには必要なものである。およそ、人間がだれでも誤りにいたる思考の道筋は、そこで誤るほうが合理的だからつけられているものだ。

そういう合理的な誤りとは無縁のカブトムシはさて、どう感じているのか。やつらは人間のようにくよくよ考えるということはない。カブトムシの心に原因をさぐる能力はない。未来を予測する能力もない。原因のない、おそらくはきっかけすらない違和感によって角の長いオスから身を引くのだ。

そういう無原因の衝動は人間にとっても非常に印象深いものである。男は思春期に入ったとたん熟れた女性におそるべき色気を感じるようになる。4つぐらい年上の高校生なんか、だれでも美しくかわいくてしょうがなくなるものだ。そういう衝動も当初は無原因である。自分の心の揺れの意味がわからない期間が数か月続く。そのとき彼はヒトではなく、虫けら並の心を有する生き物になっている。

13歳の男といえばかなり賢いものである。その賢さは生後10か月のカブトムシのオスの比ではない。すぐさま自分の揺れ動く心の「原因」を発明することができる。恋と言ってもよいし、性欲といってもよいし、第二次性徴といってもよく、たんにやりてーっと欲してもよい。無原因の衝動をある種の概念とすることで意識的に操作できればよいのだ。少なくともわけのわからぬ気分が外界の女によって引き起こされているのだと「誤解」することは必要だ。


2004.2.17 女の魅力は単純明解

それができると同時に少年はひそかにあこがれを寄せているガールフレンドが色気ある女グループの一員であることに気づいてびっくりする。まさに驚天動地の大事件なのだ。その後の彼と彼女の物語も面白いが今回のテーマではない。私はあくまで釈由美子のミラクルボディを考えなければならない。釈ちゃんは隣の席の女の子ではなく、テレビや雑誌から一方的にやってくる女の子に過ぎない。そんなものがなぜ色気があるのか。

本物の女の子と写真の釈ちゃんは全然別物だ。犬が本物の骨つき肉と写真の肉を取り違えることはありえない。本物と写真の女の子をみそくそにできるというのはヒトの能力なのだ。人間は写真に映った女の子、高さ15センチ、幅2センチ、厚さ0.1ミリのインクのグラデーションを正しく女と思うことができる。その理由は写真に女の特徴が現われているからだ。「写真になっても女は女」力説されても脱力するぐらいふつうの理由に見える。しかし、そんなことができる生物は滅多にいるもんではない。

人間の女の魅力は絵にかけるということだ。そのことをもう少し考えてみるならば、動きもいらない、臭いもいらない、音もいらない、重量もいらない、色もいらない、ほとんど何もいらずに女が女であることを表現できるということがわかる。で、釈ちゃんという人は、そのような間接的接触による魅力にあふれた女なのだ。上記のように何もかもが必要でないことを明らかにするならば、見かけ上の女の魅力というものは非常に単純明解な物であることが分かってくる。


2004.2.18 体が女の魅力を知っている

見かけの女の魅力について未だかつてまともに語られているものを目にしたことがない。殊にその単純さは存在しないかのように忘れさられている。じじつ、女の魅力は歳をへるごとに複雑になっていく。その複雑さが恋愛学者たちの目を曇らせてしまい、真の女の魅力を見えなくさせているのだと思う。

本当の女の魅力をしっているのは男の体だ。男が女を感じはじめるのは思春期以前である。体と心とどちらが見かけの女を認識するかというと、体が先だ。そのことは男ならだれでも知っている。小児のペニスは接触刺激でも勃起するけれども、10歳ぐらいから視覚刺激だけで立つようになる。その視覚刺激は実物の女体や性的な行為の目撃だけでなく、女の裸の写真でもOKだ。少年は自分の固くて痛くなったペニスと目の前の写真との関係がわからずとまどうばかりだ。心が女を知る前に、体は映像としての女をしっており、女に対してすべきことを正しく実行しているのだ。

そのころの小児の反応はカブトムシと同じ程度のものだろう。たぶんカブトムシもメスの何かの刺戟によって、性器を伸ばしメスの体に挿入する。その性器がメスの性器を感覚することによって射精する。ヒトではまだ射精する力がつく前の小児のときから勃起は起きる。そして、射精できるようになる思春期の頃にはわけもなく立ちまくることになる。そのころようやく女とは何かを心でも知ることになる。

心が女を知ることが、女の魅力の複雑さを招くことになる。体は女の魅力を忘れないのだけれど、後から追いつく心の成長は体を抑制するようにはたらく。刺激の弱い写真だと立たなくなる。もったいないことに、心が女にあれこれ注文をつけはじめるのだ。それ以降の心身葛藤の恋愛学も生物学的な意味あいから面白いものだが、今回はあくまで釈ちゃんの魅力を進化論の立場から語ることがテーマなので割愛せざるをえない。

ただ一点、心がどれほど性をじゃましているかは誰もが注意をはらって欲しい。中年になると小児の純粋さなんぞ跡形もなくなる。私はものすごい分別臭い45歳のおやじで、下半身は100%近く精神によって制御されている。もはや藤源紀香の体では立たない。浜崎はゆみでは咥えられ舌でしごかれても柔らかいままかもしれない。松浦亜耶で中出しする自信はない。クリントンはなかなか射精しなかったので大した精神力だなどと言う向きもあったけど、私にとっては逆である。よくあの相手であの歳で出せたもんだ。さすが大統領だとおどろくばかりであった。


2004.2.19 恋のきっかけについて

ところで、理論恋愛学では恋は無原因としている。もっとくわしくいうと、恋の原因は女であることそのものなので、あえてそれを原因とよばぬだけである。普通に原因と思われていること、なぜ好きなのかという問いにこたえとしてでてくること、たとえば目がきれい、乳がでかい、性格サイコー、ウエストがしまってヒップが丸い、笑顔がすてき、というようなことは全てきっかけにすぎない。原因ときっかけを取り違えては何も考えることができなくなる。原因はそれを取り除くと結果が生じないことのみに適用できる。きっかけならば、それを取り除いても別のきっかけによって同じ結果が生じる。世の恋愛学はその区別すらできていないものばかりであるから、この先これを読まれる方は従来の恋愛論をきっぱり捨てることをおすすめする。

まだ研究中で全てを洗い出せてはいないのだが、恋のきっかけになる現象の数は視覚的なものだけでも50や60できかないようだ。写真や絵、漫画のような単純な女の像でも、立たせるポイントは複数指摘できる。ただ、そういうきっかけ群の役目はただ一つ、対象が女であることを伝えることにある。女といっても観念的な女ではなく、体にダイレクトに響き精神的な抑制を剥奪する真の女だ。私の恋愛学では「女を知ること=恋」なのである。

経験豊かな男にとっても、極めて希に体の真ん中にずんと響く女が現われるものだが、ふつう女の姿は体か、または心のフィルターを通した上で味わうものだ。思春期のただなかと、以前と以後と、そして中年になった今と、視覚的に捕らえている女の像は客観的に同一と言ってよいと思う。同一であるのに、その反応、感じ方が違う。その違いは女のサインとなるきっかけを受け取る側の体の違いと、心の違いから来ている。

女の姿の感じ方を体が変えるのが思春期である。6歳のときと11歳のときでは女に対する意識は同じでも体の反応が違う。同じものを見ているつもりなのに体の反応が異なってくる。それは体の作りが変わって起きることだ。それから3年、5年と経るうちに女に対する体の反応は弱くなっていく。体の変化というよりも心の変化がその原因であろう。心の変化というのは、いろいろ性的な言葉、行為を覚えることで自分の感覚を外化、あるいは異化(伝統的な心理学用語ではない)できるようになることだ。

小児がそうであるように、女の裸の写真に対して何も思うことがなければ体の反応はダイレクトだ。しかしながら、「ええからだしちょるのお、たまらん、やりてー」というようなことを意識したとたん、それはその思いの中身に反して反射を抑制することになる。「ええからだしちょるのお、たまらん、やりてー  → だからうまいこと酔わしてやっちまおう」とか「ええからだしちょるのお、たまらん、やりてー  → だからひとまずこすっとこう」とか「ええからだしちょるのお、たまらん、やりてー  → だけどいまは見るだけにしとこう」などなどと考えること自体がクッションとなって体の反応を鈍らせることになる。


2004.2.20 発情のサインについて

そしてまた、今回のテーマでは分別して切り捨てておかねばならぬことがある。それは発情のサインだ。動物、鳥の中には視覚的なサインをつかって発情していることをアピールするものがいる。ヒトもその一種であると考えてよいが、事情はずいぶん複雑だ。ヒトが本来もっている発情サインは非常に微妙なもので遠目には効果がない。そのかわりヒトはそのサインを人工的に拡大延長して大きな効果を発揮している。だからこそ、ヒトではそういうサインが発達しないとも考えられる。

ヒトの場合、発情サインは極めて複雑である。女がまつげを描いたり、乳を寄せて上げたりするのは生物的な発情のサインを人為的に演出しているのだ。受け入れOK!というそのサインは男に対して強力にアピールする。いうまでもなく男女ともそれが発情のサインだと認識することは無用だ。男がその気になって「やりたい。やりやすそう」と思えばそれで用は足りるのだ。それだけならことはまだ単純である。実は女が使う無数のサインの大半が生物的なものを起源としていないのだ。性交、繁殖に本来無縁である物でも発情のサインとして機能している。それは文化的なとりきめとして特定の社会の枠組みで使用されるものだ。

それだけなら、まだ単純と言ってよい。サインの中には極めてパーソナルなものがあるのだ。誰でも、ある種異様な姿をしている女性を見かけたことがあると思う。石膏のように厚く白い化粧品を顔に塗っている女とか。コスプレ会場でもXのコンサート会場でもないのに奇怪で派手な衣装で出歩いている女とか。はためにはいったヒトに見えるけれども本人はセックスアピールのつもりなのである。男の側でもフェチズムにとらわれた者がいる。観念と連想と快楽の回路がショートして特定のものに対して発情する条件反射を身につけた者たちだ。よくある物では皮革の衣類とかパンプス、ハイヒールなどがフェチズムの対象となりやすい。むろん普通の男は多かれ少なかれフェチといってよい。だれもが特定の刺戟に強いインパクトを与えられ、トラウマ(心的弱味)をもっている。女の所有物であるなんらかの物、女の体の部分、特定の動作などに言い知れぬ偏愛を有しているものだ。

釈由美子のボディを語るうえでは、生物的・文化的・個人的なそれぞれの発情のサインは十把一絡げに無視して差し支えない。市井には「女の魅力を考える」と称して、上のような各種のサインを無秩序に取り扱って、しかも性格だの見栄だの知能だのを話の都合でかき集めて、何か意味あることを言っていると信じている輩が横行している。そういうことをするやつは売れっ子かもしれないが、はっきり言ってばかである。理論恋愛学を志す諸君は無意味な循環論をこれ以上増やさないように注意されたい。


2004.2.22 女の見かけの本質を語ろう

ポルノグラフィックな写真やビデオなどの視覚刺激には、生物的・文化的・個人的な鍵刺戟が混然となって含まれている。そうした刺戟がトリガーとなって男の欲情をかきたてる。ポルノから性的な興奮を語るにはそれのみでじゅうぶんである。たとえば文化的なものは裸ということだ。男の面前で肌を露出することは受け入れ準備OKということの社会文化的な表明である。生物的なものは、膨満した乳房、潤んだ眼、紅潮した頬、開いた鼻孔、上向きに反り返った上唇etc、常態と劇的に変わるものではないが、トリガーとしてヒトオスに強力にはたらくものだ。

生物的・文化的・個人的な刺戟があるように、ヒトオスには生物的・文化的・個人的な抑制がそれぞれ組み込まれている。今回はテーマから外れるので詳述はさけるけれども、一例をあげれば、恋心というものは特定の娘に執着しつつ、その娘にたいして安易に性交に至らせない、つまり性行動を抑止する機能がある。上記のようなトリガーはそうした抑制を取り払うものである。

私はあくまで「きっかけ」といい原因とは言わない。そこにこだわるのは、ヒトの場合、男と女がであうことがそのまま発情になるからだ。それだけが原因である。なぜならば、抑制を取り払ったとしてもそもそも男女が磁石のS極N極のように引き合うものでなければ、くっつくわけがないからだ。いま問題にしている視覚的なきっかけを一個ずつ無い物と考えても最後に残るものがあるだろう。それが女そのものだ。

こうした表明からも明らかなように、私は科学を信奉するものであるが、同時にプラトニストとしての恋愛観をもっている。とうぜん生物においても性がある以上、プラトニックラブによって進化を解釈したいと思う。プラトンはイデアという様々なものの本質をつかって人間精神を解釈した。一種の帰納法によって導かれる大半のイデアはその実在が怪しい。しかしながら私は視覚像としての女のイデアは実在すると考える。


2004.2.23 色っぽく美しい女は生物として有利なのか?

グラビアで見る釈ちゃんの乳房、眼、頬、鼻孔、上唇etc、それぞれいろっぽい。一言で理由を言えば、それらが女が発情したときに示す特徴をふだんから有しているからだ。健全な写真であれなんだから人間国宝級の色っぽさだろう。しかしながら遺伝生物学的には「それがなんぼのもんじゃい」といえる。人間の情動は生物的進化に大いに関係するように見えて効いていなことがいくらでもあるような気がする。遺伝のことを考慮するならば、そうした別々のパートはそれぞれの遺伝子によって形が決まっている。おおざっぱに言えば、きれいな乳房を作る遺伝子とか、潤んだ黒目がちな眼を作る遺伝子が別個にある。それらのパーツは大いに男を引きつけるのだけれども、子を残すことに有利にはたらくかどうかは疑問だ。それらのパーツは捕まえた男を放さないようにすることに使えるのだけれども、子を多く残すことに本当につながるのかどうかは疑問だ。

夫婦を中心とした家族単位で生きることが人間の定めである。妊婦は弱く妊娠期間は長い。赤ん坊は極めて弱く成長は亀より遅い。人間にとって、子孫を残すのに大切な要件は第4次接近遭遇以降の甲斐性である。つまり継続的につがい形成をして、そのつがいをどれだけ男女が協力して緊密に維持できるかに関わっている。それには女の乳房、眼、頬、鼻孔、上唇のようなパートはほとんど役にたたない。ある女のそういう部品が多少色気を欠いていたとしても、女が女であるかぎり、男は彼女を抱くのに躊躇しない。しかも、いざ抱き寄せてみるならば、そういうビジュアルなものよりもずっと魅力的なものがあることに順次気づくのだ。

生物的に成功するためには、数多くの男を欲情させることよりも長期にわたって男に奉仕させる甲斐性のほうがずっと必要なのだ。そして繁殖に直接効いてくるような性質は進化する。繁殖に不利な性質は淘汰もあるだろう。ビジュアル系で多くの男を引きつける女は妻としては警戒されることもあるかもしれない。夫は誰の子かわからない赤ん坊の世話なんかしたくないものだ。私は「利己的な遺伝子」の説をそれほど信用していないが、その考えかたからするとそうなる。なによりも、私自身が不貞な美人妻をもってそういう心配をするのはごめんこうむりたい。したがって私はビジュアル系のパーツが本質的に女が女としてあるために必要であるとは思わないし、世代を重ねてより魅力的な方向に際だってきたとも思わない。


2004.2.26 奇跡のボディも猫に小判

釈ちゃんのきれいさは確率によって求められる。乳房、眼、頬、鼻孔、上唇etc、それぞれがみっともないか色っぽいかどちらかだとする。ピックアップする要素が24あって、釈ちゃんが24点満点だとすれば、釈ちゃんは1700万人に1人の幸運な女ということになる。各パーツのできで美しさが決まるというのならそうなる。もちろん各評価は主観で決めるべきだ。

ただし、私がひっかかっているのは、そもそも人は女をどうやって女だということを知るのかだ。たかだか一枚の小さな写真でどうやってあの愛すべき存在を認識できるのかということだ。とくに女とは何かを知らない小児の体は女のヌードのどんなところに反応しているのだろう。女の写真なら全てに反応するわけではない。スーパーのちらしのモデルでは立たない。モデルがどこまで脱げば立つのか。また、人間の体のラフな模式図を描き、男と女を弁別する境界はどこにひかれるのだろうか? 四角が男で、三角が女などとひとまず決めることができるのはなぜか。

さらに、私の記憶が確かなら、小児は女のパーツの色っぽさをぜんぜん知らないものである。膨満した乳房、潤んだ眼、紅潮した頬、開いた鼻孔、上向きに反り返った上唇などという色っぽさと小児の体は無関係なのだ。そういうものは、思春期を過ぎ経験を積んでから心で感じるものなのだろう。パーツの色っぽさはおそらく生得的に女を決定付けるものではない。女を女として認知させる気づかれないサムシングが純粋に視覚的な像としてもある。

大人の心は女の体にやたらと難癖をつけたがる。それが分別というものだ。その辛い評価を難なくクリアする釈ちゃんは人類の宝である。小児には分別がなく、女に対しておどろくほど平等な評価をくだす。1700万人に1人という釈由美子の奇跡のボディも小児には猫に小判だ。24の要素が全部マイナスで、非常にみっともないと「大人である私の心には」感じられる女体でも「小児であった私の体は」きっと反応する。それがサムシングXによって女と認識される限り問題ないのだ。


2004.2.27 女性の外見と内面のギャップについて

人間の女とチンパンジーのメスはずいぶん姿が違っている。かたつむりとかコイの目には両者の区別はつかないのかもしれないが、私には一目瞭然だ。それなのに、ヒトとチンパンジーの内面はそれほど差がないらしい。DNAや蛋白質はほぼ同じで見かけほどの差はないという。ということはこの500万年ぐらい人間の見た目は生理を置き去りにしてものすごいスピードで進化して来たことになる。今回のテーマの美女の進化がヒトの外見の独走的進化と無関係ということはありえない。

内外の差は性選択で生じたものではないと思う。数百万年前のヒトオスが今と同じように、いつでも誰とでもやれる、やれるものならやりたいと思う一方で、特定の女性を数か月から1年以上もの長期にわたっておもいっきり愛し、二人の世界を作りたがるのならば、性選択で外見が変化して行くものとは考えにくい。小児ぐらいの心しかないヒトオスなら毛深いメスと毛の薄いメスがいれば、とりあえず両方とやるだろうし、その一方で毛深くともかわいい女房などといって毛深い子を一生懸命育てることになるだろう。現代と変わらず、500万年前も毛が薄く乳と尻がやたらと大きなメスが子を残すのに有利だったとは思えない。

外面の違いがさらに大きな外面の差を生じるというのが性選択のアイデアだ。人間ならば美男美女がより多く性交をしてより多く子孫を残せばよい。だが、人間ではそういう事実が全くない。ならば、外面の違いを生じる原因を何か別のものに求めなくてはならなくなる。


2004.2.28 究極の女を探そう

私は女を他のもの、たとえがばチンパンジーのメスと区別するような何かがあるのだと思う。それは部位としての名がないから見えないだけで、意識されないだけで、明確に認知できているものだと思う。その形態をつかさどるような遺伝子があるのかどうかはよくわからないけれども、そのサムシングこそがヒトの外見の根にあると思っている。

カブトムシの角はオスとオスの戦いで発達する。ただし、それは発達するだけの素質が今日カブトムシとよばれている甲虫のグループにあったからだ。どれほど戦いに有利であろうと伸びる素質のない角は伸びない。ヒトの背中に目ができないようなものだ。さらに必要以上に伸びているものもあるのは素質あればこそと思う。けんか目的で伸びるのは日本のカブトムシのように頭部の1本だけで事足りそうなのに、ヘラクレスやゴロファのように2本、あるいはコーカサスのように3本、5本と大層な格好になっている種もある。

そこで考えてみたいのは、角がどんどん進化して伸びているときのカブトムシの気持ちだ。カブトムシ自身は角を持つ自分の形態を知っており角の意味を意識せずとも知っているはずだ。長ければ誇らしく、短かければ劣等感を持つ。本来はもっと長くあるべきだというようなことがあるかもしれない。オスの角が遺伝の加速度を受けて長く伸びて来ているのなら、メスの心も同じような力を受けているかもしれない。カブトムシの角の長さが現在の半分くらいだった頃、もしオスだったら長い角を持っていたであろうような当世流行の美人メスは短角型を相手にせず、角の長いオスをかっこいいと思っていたのかもしれない。

ヒトの目に見える形態は必ずしも競争や適応の結果作られたのではない。体毛を失った理由などわからない。猿人や原人はけむくじゃら(たぶん)で、猫背で短足O脚だ。そんな形態から急速に今日の女性の形態に変わって来たのだから、いまだに内発的に変化して行こうとしている方向があり、そのことを男も女も感づいているのかもしれない。

女は女として向かうべき方向があったとしても、それは実現できないものだ。そもそも生物の体は妥協の産物だと思う。不必要なものでも致命的でないものはなかなか消滅しない。生き残るために必要な体と恋愛に有利な体は別物だ。そういう妥協案をとりつつも目指す形により近い女というものはいるだろう。経験的にすら最高に女らしい女というのは、現存している女を平均したものではない。釈ちゃんが算術平均による女性像に近いとは思えない。

幸いなことにわれわれは女の肉体がなりたがっている究極の女、男の精神が欲している究極の女がどのようなものかを探ることができるはずだ。人間には素敵な能力があり心象を形にすることができる。美女を描いたり彫ったりできるのだ。もしかしたら天才的な芸術家の手によって100万年後の女性像があからさまになっているかもしれない。性的な興奮をともなわないのに、美しかったり、懐かしかったり、生きる意味や目的そのものであったりするような女体を見かけたら要注意である。


2004.2.29 チタニウムの自転車

チタニウムのフレームを買った。金属がむき出しで溶接で火を入れた跡などもよくわかる。パナソニックの旧式のできあいのものだけどパイプの角度や長さ、サイズはぴったりだ。あつらえてもこれほど私の体に合せることはできないと思われるぐらいしっくり来ている。フロントディレーラーがバンド式で、Wレバーが直付けなのがいい。乗り味はとにかくソフトで素直。一生仲よくやっていけそうだ。

午前中に強い雨と風をもたらした寒冷前線が午後には去って予報通りいい天気になった。そこで予定通り半原越に出かけることにした。チタンの新車は写真のものとは仕様を変えてある。クランク長は167.5ミリ、ギアは前が46×34、後が13×28。半原越のTTを意識したギア比だ。近ごろずっとトレーニング不足でしかも今日は弱い向かい風でタイムトライアルには条件が悪かったけれども、記録は思いのほかよくて24分20秒。25分を切ったのは2回目だ。とちゅう、右のふくらはぎがつったが倒れることなくリカバリーすることができた。登りもすいすい行けるフレームだと思う。


2004.3.5 教祖になりたい

教祖になりたいと思う。理系の人間なら、自分の名前が単位になったり、月のクレータになったり、法則や現象の名になったりするのは最高の栄誉だろう。文系の成功と言えばやはり教祖であろう。釈尊とかレーニンのような教祖になるのが出世の頂点と言える。教祖になったからといって理系の出世をあきらめねばならぬということもないだろう。いっそのこと素粒子に自分の名を記すと同時に教祖になることもできる。

そういうわけで教祖にはなりたいものの、いま話題になっている小野さんのように、いざ教祖になるといろいろな物が付属してくるならちょっと勘弁という気がする。

小野さんが持っているものをちょっと拝見するだけでもずいぶん余計なものをもっていらっしゃるようだ。まず私は体重がいらない。フリーセルを解くことと、自転車で峠を早く登ることが人生の喜びであるから体は軽いほうがよいのである。つぎによけいなお金がいらない。最近よぶんな私財をなげうってチタニウムの自転車を購入し、特に買いたいものがなくなった。欲しいものができたとしてもきっと6万円ぐらいで買える。3億とか6000万とかあったとしてもせいぜい金ぐらいしか買えるものが見当たらない。金しか買えないような金は無駄なのでいらない。女房なら若村さんはいやだ。私は女性の外見、特に下半身には極めてうるさく、不細工な女性とは業務外のつきあいはしない。小泉(きょんきょん)さんや若村さんのような臀部、脚部には我慢ならないのだ。それと、熱狂的な信者もいらない。テレビでいろいろ見ていると、信者というものは煩わしそうだ。

よくよく考えてみると教祖になりたいのではなく、たんに出家したいだけのようである。


2004.3.6 23分12秒

チタン2

風こそ強いものの、空気は澄みきれいな片積雲が飛んでいる。というわけで、いつもの半原越。体調がけっこういいのでタイムトライアル。今日は軽いギアを使ってシッティングでやってみることにした。心掛けたのは上半身の力を抜くことだ。体に余計な力が入っていると速く走れない。かのベルナールイノーの解説書にも「手はピアノをひけるほどリラックスさせるべし」とある。サドルに腰を落としてペダルをこいでいても気をつけていないといつのまにか手や腕や肩に力が入ってしまう。試しに上半身に力を入れただけで心拍数はあがり呼吸も早くなる。前に進むことに無関係な力を使わないのが速く走るコツだ。私はなにをかくそう、かつてマラソンの増田明美さんに「上半身の使い方がうまい」と誉められたほどのアスリートである。脚運びは下手でも肩や腕の力を抜くことの大切さは知っている。

結果は23分12秒。最高記録を8秒短縮した。私財をなげうってチタンを買っただけのことはあったといえよう。

ところで、イニシャルDの峠の走り屋のなかではナイトキッズの中里が好きである。R32に完敗して、とにかく速く走りたい一心でプライドを捨てて自分でもR32を買う。何をしようが速い者が勝ちだと主張しながら、反則気味に高性能なR32を使っていることに劣等感をもっている。そのくせ負け続けているのだから救いようがない。私も赤城レッドサンズの高橋涼介に「チタン? おかしいなあ、俺の知っている丁akedaは確か鉄のチネリに乗っているはずだが」などと嫌味を言われてみたい。


2004.3.7 フリーセル14000

フリーセルが14000個を突破した。とにかく、少しでも余裕がある限りフリーセルに時間を使うように心掛けているが、テレビでイニシャルDやヨーロッパのチャンピョンズリーグも見なければならないし、自転車のタイヤを洗ったりブレーキを拭いたりしなければならない。スポークのテンションも大事だ。それと、3年間使わなかったホイールを使ってみたら、フリーが空回りするようになっていた。逆転では空回りするから「フリー」ホイールなのだが、正転では爪でひっかかってもらわないといくらクランクを回しても車輪は回転しない。原因はどうやらフリー内部の油が固まって爪が戻らなくなっていることらしい。ひとまずKUREのCRC5-56を隙間から吹きつけて回復させることができた。その時間を充当すれば8個は解けたと思う。

というような次第なので、思うようにはフリーセルが進んでいない。ただ、ここまで来てずいぶん上達したように思う。けっこう先まで読めるようになって解決のスピードが上がった。おおむね2分以内で解ける。ただしもともと慎重なほうではないので10個に1個は失敗し、途中で止めることも多いので勝率は極めて悪い。


2004.3.8 鶏インフルエンザ

鶏のインフルエンザがえらい騒ぎになった。国内でも数か所でレグホンやチャボがインフルエンザで死んでいる。非常に殺傷力も感染力も高いタイプのウイルスのようだ。感染経路は鶏の移動に伴って飛散するものや最近は野鳥が運んでいる可能性も指摘されている。今のところ人間にうつるタイプの物ではないようだけど、いつかやられることが心配だ。

テレビのニュースを見ていると、鶏小屋やその周辺を消毒したり、鶏は生きた物も死んだ物も土の中に埋めて処分している。あれは、経済的な理由からそうしているのか、それとも医学的な理由から完全シャットアウトを狙っているのだろうか。

鶏も人もウイルスのことは良く知らないのだけど、あれは動植物の生きた細胞の中でしか生きられない生物か鉱物のはずだ。侵入した動植物の遺伝子をあやつって細胞の中で増殖し、自分のほうでも遺伝的な性質を変える。

鳥インフルエンザウイルスはある程度弱くならないと、鳥から鳥へ移っていけない。すぐに鶏が死んでしまえばいっしょに死んでしまう。鶏をすぐに殺してしまうような強力なタイプは長生きはできないはずだ。今、鶏を殺しているやつだって、しばらくすれば弱いタイプに変わってなにくわぬ顔をして生き残るかもしれない。強力なタイプに耐性のある鶏だっているかもしれない。鶏のウイルスはけっこうはびこっていて、ときどきおっかないのが出て養鶏場を全滅させたり人間にうつったりするような状況が何百年も続いているのではなかろうか。

結局、ウイルスには完勝することができないのなら、ウイルスと共存できるような家畜の使い方を考えなければ養鶏家が不憫である。これは社会構造の問題なのだから、大臣は「もうけっこう」などと言ってはいけない。


2004.3.10 現代文学に親しむ

私も物書きの一人なのだから現代文学にも親しんでおかねばならない。とりわけ大江健三郎氏は日本を代表する小説家でノーベル文学賞を受賞している話題の人なので、彼の作品は読んでおかなければダメだと思った。それで飛行場の売店で小品のエッセイを買って読んだ。読んでちょっとばかり衝撃を受けている。

これまで小説とかなんとかそのような類の物は登場人物に共感したり、ストーリ展開のおもしろさにひかれたり、世界観のすごさに驚かされたり、表現の巧みさに心打れたり、気づかなかった美に目を開かされたり、要するに私にとってはどうでもいい快楽を提供する物でしかないと考えてきた。ところが、大江氏の作品はそういうものとは一線を画した異次元の物語のようである。彼がノーベル賞を受賞したのも文学界を一新する独特の手法をあみだしたかららしいのだ。

ただたんに自転車に乗っているだけで、また、たんにフリーセルに入れ込むだけで、さらに、地球大気ゲームで世界記録をねらうだけで、もしくは受験勉強に根を詰めるだけでも人は喜びを得る。当初はけっして届かないと思われたレベルに達っしたとき、さらには目標よりもはるかに高い所に到達したことを自覚したとき。ゲームでもスポーツでも勉強でも初心者は達人の境地が理解できない。「天才なのか? 努力で到達できるものなのか?」 誰にもどんなことにも言えることだけど、非凡な技は退屈な基本の反復練習と、創意というひらめきと工夫というトライアルによって生まれる。

で、そういう境地、一段成長した自己を手に入れた喜びは自分が直接成長することによってしか得られないものだと思ってきた。ぼうっとしている者にはそういう喜びは縁がない。それは時間と労力と汗と退屈という代償を払わなければ手に入れることはできないと考えてきた。映画や文学作品なんてものはしょせんは暇潰しのなぐさみもので、そういうものに思い入れるヤツは白痴だと信じてきた。小説を読むひまがあるのなら、フリーセルの一個でも解いたり勇者のレベルアップをはかるほうがよっぽど人生につやが出ると考えてきた。

大江氏のエッセイは私が知っている文学とは全く異質であった。言葉を追うのが退屈で、苦痛で単調で.....まさしく峠を自転車で登り降りしたり、フリーセルのカードを動かしたりするのとさほど変わりないのだ。しかも随所で反復感がある。はじめて読んで「これは作品として失格ではないか?」という感想をしばしば持った。ところが9割ほど読み進めたとき、それまでの意味不明でばらばらだったパーツが突如として有機的に結び付き、鍛錬ともいえる退屈な読書が自分の栄養であり身になっていることに気づくのだ。そして読後、一回り成長した自分を自覚してたとえようのない気持ちの良さを味わった。まさか単に本を読んだくらいで地球大気ゲームで新しい技をあみだして限界を越えるスコアを叩き出したときと同じ喜びを味わえるとは思わなかった。いうまでもなく、その快感は計算され想定されたものであり、私は大江健三郎という天才のてのひらの中で気持ちよくもてあそばれているのだ。


2004.3.11 カマドウマうごめく

帰宅して部屋に入って電気をつける。カマドウマたちがやけにざわざわしている。それもそのはず、部屋はむっとしており温度計をみると室温が22度もある。西日が入るとはいえ午後10時でこの気温は異常だ。満州の低気圧がやたらと発達しており暖かい南の風が吹き込んだからだろう。

そのカマドウマでは、成長のばらつきが気になっていた。ほとんどの個体が8月に生まれでそろっているのに、大きさがまちまちなのだ。去年のうちに成虫になったものも1匹いるかと思えば、5ミリほどしかない小さなものが何匹もいた。明らかに成長の具合に差があるのだ。餌のせいではなさそうだ。あまり与えていないのだけど飢えるほどではない。争って食う様子もなかった。2月になってからはぽつぽつと最後の脱皮をして成虫になる個体が増えた。小さい物も急速に大きくなっているようだ。このまま春の陽気とともに交尾産卵にうつるのかもしれない。そうすると、カマドウマは年に2回か、または数回の不定期発生ということも考えられる。気になるサイズのばらつきも年一回発生でないのなら合点がいく。


2004.3.13 23分24秒

ナカガワ

半原越のタイムは23分24秒だった。記録の更新をねらったわけではないので余裕をもって走った。余裕を残したぶん最後のつらいところが短く感じた。無理をすれば新記録を出せたかもしれない。

ただ、無理をしなかったので良いことに気がついた。これまで半原越は最後の1キロの斜度がきついと思ってきた。しかし、現実には斜度は中盤のすいすい行けるところと変わりなさそうなのだ。ということは、後半がきつくなるのは坂のせいではなく私のスタミナ切れのせいなのだ。こういう単純なことに今まで気がつかなかったことにも呆れるが、それよりもまだまだ記録を短縮できる可能性があることがわかってうれしい。

私は45歳の中年おやじであり体は時とともに弱って行く。サラリーマンなので自転車以外にもやらねばならぬことがいっぱいある。計画的なトレーニングなんてできない。そんなことをやるひまがあったらフリーセルにあてる。そういう怠惰な半原越タイムトライアラーでも、単にペース配分の工夫をするだけで終盤の速度の落ち込みを押さえられるのだ。私のタイムはもっとのびる。

今日使用した自転車は写真のナカガワである。ナカガワは国産のレーサーで最高に美しい。一番はサムソンだという人もいるけれど、私はナカガワが最高だと信じて10年以上使い続けている。ホイールは前回のチタンと同じ物を使っている。前のギアの小さいほうが26Tなので、ローだと1対1よりも小さくなる。さすがにこんな小さい物はいまの私の力でも必要なかった。かえって時速14キロぐらいのギアが使えないほうがいたい。


2004.3.15 ホモについて

同性愛的傾向はある程度の強度でどの個人にも遺伝的に入っていると思う。それに気づかないのはたんに鈍感だからだ。私もホモいわゆる男色の嗜好をもっている。子どものころ萩尾望都ふうの少年愛の経験がある。ああいうものも純粋な恋であってそれ以外の物ではない。男女の恋と同様、美しくもなければ貴重でもない。少年愛にはまった経験のある人も多いと思うが、そういう嗜好は通常のちにやってくる女への性欲にもろくも破れてまう。簡単にいえば、私は小学生のとききれいな男の子が好きだったが、中学生になると体がふっくらしてやわらくて、とろけるような声をもち、いいにおいがする女の子のほうが断然好きになったのだ。

簡単に考えればホモは子を残すことをしないから、遺伝的には同性愛者は絶滅すると思われるかもしれない。しかし、遺伝というものはそれほど単純ではあるまい。生まれつき強度の男色者にとっても、女というのはかなり魅力なのだ。男っぽい女を抱くかもしれない。女も同様だ。ついつい魔がさして男に抱かれるかもしれない。心がいくら同性を欲していても体は精子を作り卵子を作るならば子をもうけ育てることができる。子を持たないのが異性を完全に受け入れることができない極度の同性愛者だけならば、遺伝的には同性愛の傾向は死滅することはないし、生物学的に同性愛者が変態だということにはならない。

ただし、いまの私の住む社会ではホモは変態としてしいたげられている。そのさげすみは「同性愛が通常の傾向であり、生まれつきそういう人もいるのだ」という理解で解消できるとも思えない。なぜなら、同性とのセックスを嫌う性向は同性愛以上につよく遺伝的に定められているはずだからだ。それゆえ人間の中の生物的なものに任せておけば、つまり自然には同性愛の対処はできないと思う。「好きだからしょうがない。嫌いだからしょうがない」と放っておくべきことでもないだろう。同性愛を社会でどう扱うかは、生物的な人間とは完全に無縁の哲学的見識によって処理すべき問題なのだ。

プラトンのギリシャのまっとうな市民の間では少年愛が推奨されていた。男のなかにある程度の割合で存在している男色の傾向が社会的に認められ、その嗜好を実現する手段方法が文化として取り決められていたのだ。それをみだれ退廃している文化として廃棄すべきものでもない。今の日本やアメリカのようにホモを抑圧する社会がより発展的なのか、ギリシャのほうがより健全なのかそれはよくわからない。おそらくどちらでも可能なのだろう。

唯一いえることは、いまの私の社会で強度のホモとして生まれた男はかなり気の毒だということだ。ホモの大衆文化を一瞥するに、みょうに画一化されたうすっぺらいものを感じる。性的な欲求は具体的な対象を得てはじめて個人に認知されるものである。それゆえ、痴漢の原因は薄着の女であるなどと誤解されているのだ。今の私の社会ではホモがホモであることを自覚し社会的にアピールする方法が極めて限定されていると思う。おすぎとぴーこのように才能やセンスのある人なら文芸的な分野での活躍ができる。その世界を全く知らないので、雑誌等からうける印象でしかないのだけれど、単なる男色家は、特定の飲み屋にいってあかふんを身につけるぐらいしか性的なアピールができないのではないだろうか。同好の士を探すのに限定的な場しか用意されていないのは文化的貧困であって、やはり気の毒といえよう。ましてや女の同性愛者の苦悩は....


2004.3.17 南空ナオミ

私はいろいろな有名人に似ていると言われる。最近は横浜マリノスの安貞桓。その前は、中井貴一、明石家さんま、ずっと前はブルースリー。ようするにいかにも東アジア風のイケメンがでてくると似ている事になってしまうようだ。で、一時期は旭川出身のシンガーである玉置浩二によく似ていることになっていたが、最近ではちっともそういうことを言われない。彼がいつの間にか姿を消してとんと見られなくなったからであろう。

「そういえばしばらく見なかったね」といわれる程度のものは最初から不必要なものである。週刊少年ジャンプに連載中の漫画は2つを除いて目を通している。連載漫画という性質上、ある週にはいきなり落ちていたりすることがある。ところが、無くても無いことに気づくのはまれだ。よっぽど続きを楽しみにしているものでないと無いことに気づかない。あるときぷっつり連載が中断されてもわからないことだってある。しっかり読んでいるつもりなのに気づかないのは、はなっから不必要だからだろう。

そういう漫画程度のものでなくて、もっと大がかりなものが消えていても気づかないこともある。カネボウが久しく目に入らなかったことに全然気づかなかった。どうやらああいう会社も最初から不必要なものなのだろう。おそらくソニーやホンダが無くなっても私は気づくまい。

それはさておき、夜神月は簡単にだまされすぎであった。間木照子こと南空ナオミ(これも偽名のはず)のしかけたわなのかかりかたに小さな矛盾もある。月の焦りを強調してはいるものの、あの程度の心理描写だけでは破綻をまぬかれないのではないか? この先作者がどう取り繕うのか見ものである。こうやって読書感想文も書いて復習しておけば、落ちていると気づく。


2004.3.18 なぞの思惑

これまでも「表現」とか「自由」とかに類することは極めて些末なことが取り上げられてきた。しばらく前には、ビニ本やら裏本やらの巨大なマーケットはまるで無いが如くに、つまらぬ週刊誌のどうでもいいモデルのヘアがどうのこうのといってた。いわば、過熱しているパチンコやスロットはまるで無いが如くに、ポーカー賭博をしている野球選手をしょっぴくようなもんだ。ヘアではなしくずしに現在のピンナップがあり、それで性風俗がヘア以前より悪くなったとも良くなったともいえず、裁判所の目のつけどころがさっぱりわからなかったりする。

今回の騒動で得をした人は反田中派と文芸春秋だ。損をしたのは圧倒的に田中氏とその一派だ。そういう線に落ち着くことはちょっと考えてみればわかることである。田中氏からのうったえがあったとはいえ、裁判所はなぜあのタイミングで販売差し止めという判断をくだし文芸春秋に追い風を与え、田中氏を必要以上に貶めたのだろう。それがわからない。あまりにも気の毒ではないか。田中氏は政治家になるつもりはないそうだが、いつか気が変わったときに今回の騒動がけっこうな痛手になるかもしれない。まさか東京地裁が田中氏への私怨とあてつけでやったわけではあるまい。裁判所というのは一般に考えられているよりもずっと賢い人たちの集まりである。きっと深い思惑があるはずだ。


2004.3.21 鈴木宗男とQちゃんと私の関係

ここは虫けらサイトなのでカマドウマの生活や人間精神の起源について興味のある方ばかりが訪れていることと思う。だから、丁akedaはそこそこ走れるんじゃないか? と誤解している人がいるかもしれない。もちろん自転車のことである。半原越のタイムがどうのとかギア比がどうのとか、相当入れ込んでいることには間違いない。「好きこそものの上手なれ」と係り結びの法則まで用いて言われているように、好きだから強いという実例もあるだろう。しかし、私の自転車についてはまったくそれは当てはまらない。私は本当に「死ぬほどおせーぇ」のだ。そのことを納得していただく好例を今日発見したので詳しく解説したい。

すでにご存じのように、鈴木宗男元衆院議員(56)が「東京シティマラソン」の10キロコースに参加し完走した。タイムは47分台である。彼のそのスピードと私の半原越のスピードを比較してみよう。半原越は5キロ弱で、私のタイムは23分台である。ということは、数学的に複雑な処理を施さねばならないので詳述は避けるけれども、私は鈴木氏とほぼ同じ速度で走っていることになる。私と鈴木氏が半原越でデッドヒートを演じている場面を想像してみられたい。いかに私が遅いかを納得していただけると思う。

「ランニングと自転車、しかも半原越は登りなので比較はできない」と、懐疑的な人は思うかもしれない。ところが、半原越ぐらいの斜度であれば自転車の速度は平地のランニングぐらいになるのだ。補足しよう。半原越の坂のきつさはちょうどツールドフランスのアルプスぐらいだ。もしテレビで見たことがあれば、ツールドフランスの登りのシーンを思い出して欲しい。熱烈なファンが声をかけながら選手に並走しているやつだ。相当いっしょけんめい走らないと選手と並ぶのは無理だ。ああいう選手は勝ちに来ているので特別速い部類だ。ルークスはラルプデュエズの14キロを時速24キロで走り抜いた。中程度のプロ選手は時速20キロで走る。時速20キロの自転車はどれくらいのものかというと、マラソンの中継でQちゃんのうしろの歩道をせかせかはしっている子どもの自転車ぐらいだ。自転車の選手はQちゃんの速度でアルプスを登っている。しかもテレビに映る先頭からはずっと遅れて。

数学的に複雑な処理を施しているので専門的な解説はしないけれども、私と競技選手との差は、鈴木宗男氏とQちゃんの差に相当する。鈴木氏はマラソンの選手ではない。しかも胃ガンの手術をしたばかりの56歳である。以上のことからよくわかるように私は平々凡々であるばかりでなく、どちらかというとのろい自転車乗りにすぎない。もし、鈴木宗男氏がまともな自転車に乗る練習をして、半年後、半原越で勝負をしかけられたら、負けそうな気がする。


2004.3.22 適性と職業

先日、ごく若手のファッションモデルと仕事をしたとき、写りの感じがきわだってよかったので「このままいけばSHIHOに勝てるよ」とおだててみたら「えーっそれだれですかぁ」と意外な答えが返ってきた。彼女は素質はあるのにトップモデルになる気なんてさらさらないみたいだ。そもそもモデルになりたくてなったのではなく、体がきれいなのでてっとりばやく儲かるからやってるらしい。家が貧乏で働く必要があり、はじめてみればけっこう仕事カンがよかった、という経緯なのだ。

私は持久運動が好きで、ランニングや登山や自転車に熱を入れてきたのだが、まったくものになりそうになかった。自転車なんか25年もやってきて他の人よりも強いと感じたことがないから競技に出る気が起きない。日本一周をやろうとか、東京青森をやろうとか糸魚川に行こうかとか、乗鞍に登ろうとか、そういう野心が起きない。他の人といっしょに走ることなんて考えられない。負けるのが嫌で一人で走ることを旨として、それでもときどき速くなりたいと歯ぎしりしてしまう。

持久スポーツは完全な下手の横好きで、客観的に見れば青春のエネルギーの大半を無駄に使ったことになるだろう。私が1000時間がんばっても、練習をしていない上位1%の才能ある人に勝てないのだ。そのかわり私はとても頭がよかった。適性からすれば私は法曹界か官僚向きである。無駄に運動にかけたエネルギーを勉強にまわせばけっこう出世したことだろう。しかし、テストでいい点をとったり模試で他人に勝っても毛先ほどもうれしくなかった。役人を職業として認めておらず、「東大に行くひまがあったら階段を登る」などとうそぶき、ぎりぎりふつうの高校や大学に入れるだけの偏差値で満足していた。

どんなに好きなことでも適性を欠いておれば職業にはできない。ぎゃくに、べつに好きでなくても適性があれば仕事にできる。もしうまく誘導されて裁判官や外務官僚になっていたら、鈴木宗男氏とは本職で勝負できたかもしれない。ただし彼とは政務や裁判では勝っても負けてもちっともうれしくないと思う。自転車で半原越競争をして勝てればすごくうれしい。考えただけでけっこうぞくぞく。


2004.3.23 表現の自由の問題なのか?

田中氏の件は一部では「私人と公人」のプライバシーの問題などと言われている。彼女が公人であり公共の福祉のため国民の知る権利のためにそのプラベートな事象が記事としての価値を持っているというのなら、すくなくとも国家公務員、国会議員など国政にかかわる人の娘さんのことは公平に数ページの記事にしなければならない。そんな取材がコストに見合うのか。おそろしく分厚く退屈で高価な週刊誌を誰が買う。

「表現の自由」からも程遠い。ウェブ日記じゃあるまいし商業的に成功している週刊誌が「自由」になにがしかを表現しているわけがあるまい。そもそも自由は一個人にしか存在しない、人間個人以外のいかなるものにも自由を認めない、というのが私の持論だ。自由とは端的には目的設定とその達成以外のなにものでもないと思うからだ。出版社は会社であり、会社の商品は会社の都合で世に出てくる。その過程に百の不自由がある。全員一致で「これでいいのだ」と思って出してくるのなら土下座して謝ろう。私が想像するに、あの会社で働くおおかたの人はああいう記事を世に出すことを嫌がっていると思うのだが。


2004.3.24 写真を撮り忘れた日

思い詰めている事柄があって、今朝は空の写真を撮るのを忘れてしまった。2年に一度ぐらいの割合で起きることだ。会社にいってから誰かのデジカメを借りようか、女房に撮っておいてもらおうか、いろいろ思案しているうちにそのことも忘れてしまった。思い詰めている事柄があるからだ。

最近は自分で天気図をとることもなく、もっぱら日本気象協会の提供してくれるものを眺めるだけになった。天気図で読む季節は冬から春への変化がとりわけスリリングだ。冬の天気図は極めて単純で描きやすいものだが、春になると低気圧や高気圧が入り乱れ、前線は方々に現われ消え、標準になる等圧線は南北東西に複雑にうねるようになる。春の天気図は最初の2、3年はまったく勘どころがつかめず、ラジオの気象通報を写して等圧線を引くのに冬の10倍の時間がかかっていたものだ。

ここ数日は天気もぐずつき気温が低い。今年、神奈川県には冬が来なかった。その帳尻を合せるかのように春のはじめの長雨がはっきりしている。結局、空の写真は撮り忘れたので、街灯にてかる濡れたアスファルトと、地上の光を反射して黄土色にけむる雨雲の風景を写して雨の日の写真にした。思い詰めている事柄はまだ解決していない。


2004.3.26 まずいウナギを食って杉に腹をたてたこと

きわめてまずい鰻丼を食った。たとえて言えば石油がかびたような味のするウナギだ。「かびた石油」の味はある種の有毒化学物質の混入が疑われる。幸いなことに、私はその味の正体をしっている。十中八九シアノバクテリアであろう。シアノバクテリアはどちらかというと毒だろうが、致命的なものではなさそうなのでとりあえず平らげた。

シアノバクテリアは泥や水やエサに混じってウナギの体に混入する。ウナギの住む池が富栄養であったり、酸素不足であったり、水質のバランスが崩れているとシアノバクテリアは大増殖する。少量でも悪臭を発するが、食えるか食えないかぎりぎりまで臭いが染み付くのは、あきらかに養殖場の管理が失敗しているからだ。値段は半額だったということなので、確信犯(新しい用例での)で、そういう不良品を出荷したのだろう。

シアノバクテリアは単細胞にも満たないいわゆる下等生物である。われわれがシアノバクテリアとコケをいっしょにしているように、シアノバクテリアにしてみれば人間と杉はほとんど同類に見えるはずである。ヒトとスギでは体内のDNAや生化学的過程は同一物といっていいほど似ているからだ。

ヒトとスギが見分けがつかないほど似ているのはかなり最近に分かれたからだ。ヒトとスギが太古の海の中で、お互い後戻りできない決定的な1歩を踏み出し決別したのは、10億年ぐらい前のことだと思う。その1歩とは、そのときすでに20億年前から繁栄している大先輩のシアノバクテリアと仲良くするかしないかの選択だ。シアノバクテリアと折り合いをつけなかった単細胞は動物になる。一方、仲良くしたものはやがて植物になる。シアノバクテリアは光合成という技を持ち、単細胞の中で葉緑体となった。シアノバクテリアと仲良くする単細胞生物は自力で生きて、10億年後の地球ではミドリムシになり、ワカメになり、スギになっている。私はスギを生物の最高傑作と思っている。なにより大きくて堂々とし、動かざること山の如しである。

一方、シアノバクテリアと折り合いをつけられなかった生き物はかなり悲惨な末路をたどりつつある。せこせこして落ち着かず、いつも飢えておろおろ歩き回っている。そういう動物の行き着いた果てはいうまでもなく人間である。人間くらいになると、食うことはもちろん、セックスや金や権力の心配までしなければならないのだ。動物という生き方はヒトとして現象することで、地球上に「幸福」と「不幸」を発明することになった。人間が抱えている不安や不幸は他の生物を食って生きることから生じる必然であったと言えるかもしれない。

たかだかセックスにあくせくする人間とちがってスギの繁殖行為は泰然としたものだ。彼らは機が熟せば花粉を空中に放ち、めしべに受粉して種をばらまけば事足りる。そこに苦悩が生じる原因はない。この季節に人間を悩ませる杉花粉というのは、杉の精子である。われわれは杉に顔射され、くしゃみ鼻水咳頭痛倦怠感というアレルギー症状に悩まされている。他人のセックスのせいで苦痛を味わう人間という生き方はまったくもって理不尽としかいいようがない。


2004.3.28 ばらついた開花

東京とその周辺にはおびただしい数のソメイヨシノが植えられ、この季節になると人々はこぞって花の開花状況の観察にでかけ、テレビでも雑誌でも開花の観測をよびかけている。さながら壮大な植物生理学の実験をおこなっているかのようである。

今年はそうした研究者たちにとっても興味深い年となった。ちょうど東京で開花宣言が出されたときから寒の戻りがあり、開花が遅れたのだ。そして現在東京とその近辺では例年にないばらつきが見られている。すでに散り終え葉桜になっているものがあるかと思えば、まだ2分咲のものもある。

ソメイヨシノは良く知られているように、全ての木がクローンであり、どれほど数が多く見えようとも生物的には1匹である。それゆえ環境が同じなら同時に開花する。植物は同種でも地域の個体群によって遺伝的な特性が異なるものだ。たとえば野性種では、遺伝的に隔離されている北方の山桜と南方の山桜を一箇所に集めて育てれば、成長のスピードや開花時期に著しい違いが見られるだろう。ソメイヨシノなら北海道育ちと九州育ちを東京に集めてもたぶんいっしょに咲くだろう。

ソメイヨシノの開花は気温に左右される。今年はちょうど開きはじめるときに太陽が出ず気温が低かった。咲くか咲かないかのぎりぎりのところで待たされたので、場所によってちょっと気温が高い所はすぐに咲き、低めだったところはストップがかかったという状況だったと思う。すでに満開になっているところは東京地方では局地的に暖かい場所だということがわかる。


2004.3.29 22分58秒

自転車はパナソニック。クランクの長さは165ミリ。使用したギアは前が28T、後が17、19、21、23。途中、向かい風がきつく脚には昨日の走りの重たさがまだ残っていた。記録は意識していた。途中15分の計測ポイントでこれまでの最高よりも40メートルほど先に進んでいた。記録はねらったけれども、15分以降は時計を見ないようにしていた。あまり頭を上げずアスファルトをにらんで走った。


2004.4.4 カシミール3Dで遊ぶ

カシミール3Dというすばらしいソフトがある。日本中の5万の地図が用意されていて、パソコン上でいろいろ計測したり、風景の「写真」を撮ったりして遊ぶことができる。

上の地図は高校生のときのランニングコース高野地だ。毎日高校から「かまだんち」という目標まで往復していたのだ。あまり記録にはこだわっておらず計測も数回しかしていないが、ベストでも20分を切るか切らないかぐらいだったと思う。

そのコースをカシミール3Dによって分析してみた。距離は4キロメートル。ずっと登りで斜度は5〜6%であろう。特別に急な登りはない。20分で走れば速度は時速12キロになる。平地を走る鈴木宗男氏よりもじゃっかん遅いが、高野地から自転車で通っている高校生よりはずっと速かった。


2004.4.6 植物の力は強い

日清オイリオの星野真里に言われるまでもなく、植物の力は強い。その柔軟な生命力は驚嘆に値する。たとえば世界に無数に存在しているもっとも有名な桜、染井吉野。あれは300年前の江戸に現れた1本の桜の小枝がここまで増殖したものだ。パッとさいてパッと散るあざやかさが人気の秘密だと思う。私も好きな植物の一つだ。ただし、いくら人気者とはいえ、種もつけずに一本から100万本にまで増え、いまだに衰退の様子もないのだから、その生命力はわれわれ動物界のものには計り知れない。

歴史をひもといてみても、6500万年前、白亜紀の終わりに地上にいた体重25キログラム以上の動物はすべて絶滅したといわれている。地球に衝突した小惑星が大量絶滅の引き金になったという説が有力だ。それほどの天変地異であっても、植物が絶滅したということは聞かない。隕石衝突時の火災、洪水とそれに続く異常気象などで、植物だってすさまじいダメージは負ったと思う。ただ、そういうダメージも10万年とか20万年とかの短期間で何事もなかったかのように復旧し、歴史にその記録を残さなかったのだ。


2004.4.7 生きる目的はわからない

植物の生きる目的はよくわからない。はかりしれないといったほうがいいか。問うこと自体にすら意味がなさそうだ。植物も生きているのだから、何かそこにありそうでなさそうだ。もともと目的とか意味とかいう観念だって、歩き回り、走り回り、泳ぎまくり、飛び回って生きること、つまり移動する、変化するということをしない限り発生しないのかもしれない。で、そういう面倒事から超越してる植物はやっぱり強いと言わざるをえない。

もし、一個の人間の生きる意味とか目的とかが、人の役に立つとか何かに貢献する、というようなことであるなら、その人は植物にかなわない。杉一本と勝負したって負ける。人間だと他の命に迷惑をかけるか貢献するか差し引きを計算すれば、せいぜい0がいい所であろう。

数が多いこと、ボリュームがあることが成功ならば、植物にはかなわない。飛行機にのって地上を眺めるならば、人間の集団はぜんぜん見えないかわり広大な植物の群落が広く地上を覆っているのがわかる。

人間だって余計なことを考えずやらず、眠って過ごせるならそれは最上級の生き方だろう。眠ったまま成長し繁殖できればそれで生物としての生をまっとうできる。まさにそういう生き様をとっているのが植物だ。植物は根を張って動けないのではなく、動かなくてもいいのだ。体の中にいる葉緑体とうまく協調しているので余計な心配がいらない。もし、乾いたり暗がりになったり、寒くなって枯れたとしても、たぶんそれはそれでいいのだろう。

そして、「そんなものはただ生きてるだけだろ?」と嫌味を言うような人に限って「ほうぼうに迷惑をふりまいてただ生きている」だけだったりして哀れを誘う。


2004.4.9 セックスを克服すること

なにが哀れといって動物のセックスほど哀れなものもない。いっぱんの方々はそれほど獣や虫のセックスシーンを見たことがないだろうから、それほどの哀れを感じることがないかもしれないが、あれはホントになさけないものだ。

その点では植物は圧倒的にクールで賢く強い。

植物のセックスを人間に置き換えてみると、生殖行為はオナニーだけでかたがつくことがわかる。男のほうの条件は精子を飛ばすことで、女のほうの条件は濡れていることだ。たとえば私が井上香和とやっているつもりでオナニーをして射精したとする。私のかわいい精子たちは1000万分の1の確率で香和ちゃんの卵子に受精するだろう。しかし、おおむねそういうことはない。たまたまそのとき近所に発情した松鳥菜々子がいれば、彼女が私の子を身ごもることになる。それはちょっといやだが断わるのは無理だ。そもそも、植物である私は香和ちゃんをはらませたのか、松鳥さんをはらませたのかを知るすべがない。同様に、彼女らも子の父親が誰なのかを知ることはない。植物は生涯に10万人も100万人も子ができるのだから、もともと問題になりようがない。

そういうセックスだと、愛も恋もへったくれもない。喜びも悲しみもない。けっきょく、生殖のご褒美としての快感すら生まれる余地がない。せいぜいが放尿ぐらいの気持ちよさで事足りるのだ。それでは寂しいと思うのが人の浅はかさといえよう。植物は究極まで割りきる強さを持っている。一部、先進的なキク科などは、「どうせ面白くないんだったら、いっそやめりゃいいじゃん」と考えた。せっかく獲得した「性」という複雑怪奇ではあるが進化という点ではダイナミックで優れた方式を捨てにかかっている。それでけっこううまくやっているのだから嫌になる。なんとしなやかで強靭な生き物であることか。


2004.4.11 自転車の技術を磨く

イラクの話はちょっと書いてみたけど、3時間で速攻削除した。誰か有名人が同じ事を言いそうだったからだ。案の定、翌朝のテレビで猪瀬氏が同じ事を言っていた。あぶないところであった。私はいわゆる恥知らずである。恥ずかしいということをあまり感じない性格であり、恥と矜恃ということを行動の指針にはしない。しかし、この天地無朋で他人の受け売りを書いたと誤解されるのだけは勘弁だ。同じような思い付きを有名人がしそうなときは黙っておくのがよい。そもそも猪瀬氏のような人が公言するようなことを書くなんて、いくら恥知らずの私でも恥ずかしすぎる。ちょっと気が動転していた。

自転車でもうちょっと速く走りたいがばかりに、今日はまじめに練習した。私は競技選手として専門的なトレーニングをしていないので自転車に乗る技術ができていない。速く走るためにはそれなりの方法があることを知っていても、真面目にやる気がなかった。たんに速く走る気がなかったのだ。峠のタイムトライアルにはまって発奮したのだ。

自転車の技術は9割9分がペダリングだ。ベクトルで考えるとペダルが円を描くような方向の力だけが推進力になる。それ以外の方向の力は自転車を変形させたり膝を痛めるために使われる。ペダルが上のほうにあるときには前に、ペダルが前にあるときは下に、下に行くと後に、後に行くと上に、というように力を加える方向を常に変化させて、円を描くことをイメージするのがよい。円周方向の合力を大きくするのがこつだ。しかし、理論は理解できてもじっさいにやるのは難しい。自転車は無茶苦茶なフォームでも一応前に進む。ゴルフやテニスとちがって根本的なまちがいがあっても回りの人に見えず、本人にもわからない。スピード以外では下手と上手の見わけがつかない。

自転車遊びは上達するのが難しい。競技用の自転車でなければ自転車の練習をしたことにはならない。普通車はペダルに靴が固定されていないので、クランクが上から下に行くところの短い間しか推進力を得ることができない。並のライダーは右足で踏み込むとき、同時に左足もペダルに力をかけているという。つまり、自転車を前に運ぶ以外に、自分の脚を持ち上げる力も使っていることになるのだ。しかも悪いことに、人間の脚は円を描くようにできてはいない。ふだんはありえない筋肉の使い方になっていらいらする。なれない運動は疲れも早い。疲れるとばかばかしくなってやめたくなる。

まじめにやってみると、スピードの乗りが違うことがわかる。向かい風のなかを時速30キロぐらいで走っていても息があがらない。慣れない動きのため脚に違和感はあるが疲労の溜りは少ないようだ。技術がしっかり身につけば見違えるほど速くなれるだろう。問題はこの練習はスピードが出すぎておっかないことだ。川に行って向かい風でやるか、山に行って登りでやるか。


2004.4.12 もののあわれ2件

早大の植草氏がつかまった。女の子のパンツを覗いた。気持ちはわかるが行動はわからない。田代まさしとは芸風は異なるものの、テレビでよく見る人だ。あわれである。屈折した性欲にかられてしまいかわいそうだ。我が家の犬はかつての野良犬根性がぬけず、隙あらば拾い食いをしようとしている。あの犬並にあわれである。

イラクでは誘拐が頻発しているのに、フセイン釈放の要求が聞こえて来ないのがあわれである。自衛隊は日本には大事だが、イラクにとってはそれほどの大事でもあるまい。そういう些細なものまで取り上げられているのに、フセインの名がでてこない。彼の心中をおもんぱかって、あわれである。


2004.4.13 重力に逆らう

平地を時速40キロ程度でしか走れない私は、8%の登りでは時速12キロになる。15%だと時速5キロ。20%だと前に進めなくなる。軽いギアをつかえばどんな急坂でも登れるような錯覚があるけれども、脚力以上のスピードはでないし、登れる角度にも限界がある。重力に逆らうってことはたいへんなことなんだ。

重力といえば、子どものころはアポロ計画や人工衛星打ち上げのニュースがあって、宇宙がたいそうなブームであった。それで月までの距離が38万キロあるとか、光は1秒で地球を7周半するのだとか妙な数字を自然に覚えていた。また、宇宙に行くためには地球の重力に打ち勝つだけのスピードが必要で、それは1秒間に11キロ、時速でいえば4000キロという超高速ということだった。時速4000キロといえば、弾丸の数倍のスピードだ。

とうぜんのことながら、私はその話をいぶかしく思っていた。というのは、おもちゃの打ち上げ花火だって空を飛ぶからだ。時速60キロぐらいで、時間も3秒ぐらいだけど、重力に打ち勝って宙を舞うことに変わりはない。であれば、火薬さえたくさんあれば時速60キロという低速でもゆっくり宇宙まで飛んでいけるのではないだろうか? 時速4000キロなんて必要ないんじゃないか。それとも空高く昇ればどんどん地球が引っ張る強さが大きくなって、引きづり降ろされるように落ちてしまうのだろうか? 加速度という概念が判明でない子どものほほえましい迷想といえるだろう。

もう少し成長すると、ニュートンの万有引力の法則というものを習う。全ての物は距離の2乗に反比例して質量に比例する力で引き合っている。りんごが地球に引かれて落ちるとき、同時にりんごも地球を引いている。いうまでもなく、私はその話をいぶかしく思っていた。いまにして思えば、その疑念は必ずしも子どもらしい迷いというわけではなかった。とうのニュートン自身が万有引力の法則には気味の悪さを感じていたろうと思う。

なぜなら万有引力の法則は何を意味しているのかさっぱりわからないからだ。たしかにその法則は物理現象を正しく記述している。りんごや天体の動きを的確に説明できるし、法則通りに新惑星もみつかった。しかしながら、誤りない正確な記述が真理を把握しているとは限らないのだ。実生活、あるいは人文哲学の分野では99%がその類だが、物理学でもけっこうそういうことがあるみたいだ。


2004.4.18 22分42秒

この美しい初夏の日にタイムトライアルというのは無粋であろうか。いつも通り、1時間15分かけて半原越のスタートラインに立った。速く走ることと楽しく走ることは根本的にちがう。どれほど長い時間がんばっても遅いスピードで走っているかぎり速くはなれない。短い時間でもいいから力を出してより速く走ることを心掛けなければならない。そして、高速度を維持できる時間を延ばすのだ。

ということを考えているので、最近は最初の15分をがんばることにしている。15分で走れる距離をのばすことを目標とし、15分以降はゆっくり流す。今日はその距離が30メートルほど伸びた。流しながらも余裕で新記録が出せそうだったのでラストスパートをして記録を16秒短縮した。

記録はだしたけれども流しているので、アオダイショウやウスバシロチョウをしっかり見つけた。ウスバシロチョウはこのあたりではちょっとした山に入らないと見つからない。好きな蝶の一つだ。


2004.4.19 自分探しの旅を終えるとき

私はすでに本当の自分とはどのようなものかを知っている。いうまでもなく毎日本当の自分に出会っている。人間は眠っているときがもっとも自分らしく、人間らしく、動物らしく、生物らしいのだ。生きとし生けるもの全て、無理をせずにすませるならそれでいいはずである。植物に精神があるとしてもたぶん眠っているのだろう。ジョロウグモはいったん網を張ると一日の大半をまどろんで過ごしているように見える。網にガガンボがかかると、体にスイッチが入りまどろみから目覚め、せかせかと獲物を巻きにかかるのだ。

もし、本当の自分、本来あるべき姿の自分をあえて見つけ出そうとするなら、それは無駄というものだ。覚醒時の人間はどこかしら無理をしているから。かといって熟睡している自分なんて幻滅の対象でしかない。それが本来の自分だとしてもだ。

「なぜ山に登るのか?」という質問の正しい答えは「そこに山があるから」ではなく、「私が動物の霊長だから」というものだ。動物はいつしかあくせくと動かなければ死んでしまうようになった。たぶんこの地球に生まれた当初はもっと気楽だったと思う。いまでもケヤリムシとかフジツボなどは成功者で、一生をまどろみの中で過ごしているのだと思う。ヒトを筆頭に哺乳類や鳥類はどうも分が悪い。飢える心配、食われる心配がなくなってやっと眠りに就き、本来の生き方を取り戻すことができるのだ。

植物はわれわれ動物よりもより進化した生物であり、合理的で進歩的な生き方をしている。彼らの生き方を選択できなかったのは我々の苦労の原因であり、反面、植物たちが優れた生き方を発明できたおかげで動物も無理をしつつ命をつないでこれたのだ。

フリーセルや大気ゲームにいれこんだり、半原越タイムトライアルという暴挙にでたり。そういうことは金にもならず名誉にもならない。それどころか、そういうことに熱中していることが中年おやじとして少々うしろめたくすらある。いまさら植物をうらやんでもしょうがない。こうなっちまったからには「本来あるべき姿」につばをはきかけ、そいつからどれほど離れたところまで到達できるかで勝負しなければならない。それが動物の生きる道であり、万物の霊長らしさだと言い聞かすことだ。


2004.4.20 よく通る高い声

クビキリギスというのはキリギリスのなかでいっぷう変わった存在だ。成虫で冬を越し、春一番に鳴き始める。ちょうどいまごろ、ビーという甲高い連続音が茂みの中から聞こえてきたら、それはきっとクビキリギスのオスがメスを誘惑してる歌なのだ。

音というのは不思議なものだ。それは物理的には単なる空気の粗密の波なのだが、それを聞き分ける人間が不思議だ。LPレコードの溝を見るならば、それは単なる凸凹の一本道だということがわかる。その単なる筋がスピーカの幕を前後に振動させ、その振動が気圧の粗密を生み、耳に届くとなぜかフルオーケストラとして、ビオラやピッコロを聞き分けることができるのだ。

同じ音量なら、人間の耳にはより高い音のほうが通ってくる。騒音の激しい所での実験に立ち会ったこともある。それは音波の物理的な性質なのか、人間の心理的特徴なのかはわからない。

クビキリギスの歌声は極めてよく通る。帰りの電車にガタゴト揺られながら本を読んでいると、数か所でクビキリギスが聞こえてきた。いずれも線路からは30メートル以上離れているようだ。その音がドップラー効果を起こしているところをみると、電車もかなりのスピードで走っている。疾走する急行電車の騒音をものともせずに通ってくる声だからたいしたものだ。

クビキリギスは昼間でも鳴いていることがある。日曜、息子といっしょに子カマキリの餌用にアブラムシを探しにいったら、クビキリギスが近所の笹の中で鳴いていた。鳴いている姿を見せてやろうと、しずかに近づいていった。よく聞こえるわりに、近づくとなぜか方向が特定できなくなる。おかしなものだ。


2004.4.22 ふつうに死を考える年頃

わたしもそろそろふつうに死を考える年ごろになった。父は49歳のとき末期ガンで死んだ。私にもいま小さな腫瘍ができている。ひまさえあれば高級外車(自転車)を乗り回し、活発痩躯の見かけは元気そうに見えるけれども、内心ではいつ倒れるかもしれないとおびえている。子どものころから心肺は強いほうではなかった。今年は心肺系の発作にたびたびみまわれるようになっている。運動をすると、呼吸ができなくなるタイプの発作だ。駅の階段を歩いたぐらいで起きることもある。じつは前回、記録を樹立した半原越タイムトライアルでも中盤その発作が起きて目の前が真っ暗になり落車しそうになった。

そういう発作も慣れっこになっているので、たいしたことはないと思っている。深刻なものならもう何年も前に死んでいるはずだ。それに、林道の脇で生き倒れるのはそれほど悪いことではないと思う。見つけた人にはちょっと迷惑をかけるので、いまはやりの自己責任という点では問題があるかもしれないが、そのぶん結構な話題を提供するのだから勘弁してもらおう。ひき逃げでなければ事件性はなく、自殺でもないことを確認しておきたい。

ガンだって、父のころは大騒ぎだったが、いまではそんなたいそうな病気でもない。さくさく切って抗癌剤を使えばじゅうぶん生き長らえることができるだろう。問題は私に生き長らえる値打ちがあるかどうかだ。

白状すると、生きていることにそれほど未練はない。まさか半原越で23分を切れるとは思わなかった。カマドウマの生態もいろいろわかった。やりたいこと、できることはおそらく全てやった。これからもそういう楽しいことにいっぱい出合えることは確率的にも明らかだけれど、生き続けることの積極的な理由にはならない。おそらくはそれらは偶然の産物であり、願うのは欲張りであろうから。

寿命がないとフリーセルの解けない配列に出会えないかもしれない。それはそれでしょうがないとおもう。確率の問題でしかないからだ。もしかしたら今日これから開く配列が当たりかもしれないし、このペースではヒットするのが1000年後なのかもしれないから。大気ゲームで世界チャンピョンになれそうもないのは残念だ。私が倒れても、中村君の記録にはセカンドサイドの皆さんが挑戦して欲しい。

歌にあるように、告白できなかった恋心を秘めたまま死ぬのが残念だということもない。そっちのほうでは、わりとあからさまな性格である。その逆もありえないだろう。女でも男でも、私が死んで心底から泣く人は作っていないという自信がある。

私が死ねば女房と子どもが迷惑するかもしれないが、彼らは彼らでそれなりにやっていくだろう。生き長らえている私につきあう苦労と、いなくなった苦労は、前者のほうが大きいかもしれない。それほど気に病むことではない。私は僧侶なみに、いやおそらくそれ以上に、節制をしている。長生きしたいからではなく、いわゆる遊びや付き合いというものに何の価値も見出さないだけだ。それで死ぬならあきらめてもらえるだろう。

こうやって考えていくと、近々死ぬのとけっこう生き長らえるのと、どちらがいいとも悪いとも決められないことがわかる。死というものは人生の動機としては使えない。年老いた母には孝行らしいことを全くしてこなかったので、いざ自分が死ぬとなれば、その点だけは申し訳ないと思う。いますぐ心を入れ換えなければならない。ただ、それだって明日死のうが10年後に死のうが、いまやらなければならないことには変わりがない。ほかのことも同じだ。


2004.4.23 ミノムシへの疑問

近所の庭木でオオミノガを見つけたことは2月7日のたまたま見聞録で報告した。毎朝の通勤のとき、そのミノムシ観察を怠らなかったのはいうまでもない。3月になり、4月になりしてもそのミノはまったく動かない。いまや枝には薄緑の葉がすっかり展開しているのに、まったく動く気配がない。オオミノガの生態には詳しくないのだけれど、ご本尊はすでに死んでいると結論している。

目立つ蓑ばっかりに気をとられていて近くの枝が不注意になってしまっていたようだ。今朝のこと、オオミノガの木から5メートルほど離れた木の葉がずいぶん食べられているのに気づいて足を止めた。2本とも同じお宅の木である。食い跡はかなり豪快だ。何が食ったのか? 探してみると、そこにいたのはミノムシだった。体長は3センチぐらい。若いオオミノガらしい。もちろん、りっぱな蓑をまとっている。数も多かった。ざっと10匹はいる。かの木のご本尊はこちらの木に移動して卵を生みつけていたのだ。と、まずは素直にそう解釈した。

ただ、彼らの様子がどうも腑に落ちない。状況を説明すると、ミノムシがたかっていたのは小さい木で、私よりも背が低い。その木と道路の間には私の腰までの高さがあるコンクリートのブロック塀がある。木にたかってまさに葉を食おうとしているミノムシがたくさんいる。こちらは問題ない。ところが、コンクリートを必死に登ろうとしているミノムシもいる。5匹ほどだ。もっと目を下にやると、さらに5匹ほどがブロック塀の直下に生えた雑草の所に転がっている。ただ転がっているだけでなく、どうやら上を目指しているようだ。木にたかっているものも、塀のものも、地面のものも一様に上を目指している。

雰囲気としては、食べ物のある木から叩き落とされて、必死で復帰しようとしているような案配だ。しかし、そんな奇天烈 なことが起きるだろうか。枝にとまっている数十匹のミノムシをわざわざ下に叩き落とす酔狂な人がいるだろうか。いったい彼らに何が起こったのだろう。彼らは誰の子なのか? 葉を食ったのは本当にミノムシたちなのか? なぜ地面にいたのか? まじめに観察し、冷静に推理しなければならない。


2004.4.24 ミノムシ調査報告

今朝、さっそくミノムシの調査に行ってきた


(1)ご本尊

(2)子ども

(3)収穫物

今回見つけたミノムシの幼虫たちは写真(1)のミノムシの子どもに間違いないと思われる。よくよく調査してみると、ご本尊の木にも幼虫がいた。周辺の木にかなりまんべんなく幼虫が散らばっているのだ。昨日見つけた幼虫は写真(2)の木についているものだ。この木が一番数が多い。体長は1〜3センチぐらいまで。今日はコンクリート塀を登っているものはなく、塀の下には2個体がころがっていた。家の人に聞くと、殺虫剤はまいていないとのこと。特にミノムシに興味はないというので、珍しい虫だけど害虫でもあるので、駆除をかねて採取していいかと頼んだら快諾してもらえた。簡単に20個を捕獲した。まだたくさん残っている。

今日の調査である程度の推理ができた。

・2月に見つけたヤツが幼虫の親であること
・幼虫は、春先に孵化する。
・幼虫は葉を食べながら木を移動していく
・5メートル離れた地面やブロック塀は移動途中のものだった

オオミノガの若い子虫が糸を使って風に乗ったり、木からぶらさがってターザンのように移動する方法もあるけれども、歩行で拡散するのが一般的ではないだろうか。もともといたはずの木にそれほど食痕がなく5メートル離れた木に最も食痕が多い理由は2つが考えられる。
(1)生まれた当初はまだ葉が展開しておらず、やむなく移動した。
(2)幼虫は親木に固執することなく分散したがる習性がある。
彼らはいろいろな木を食えるので後者である可能性が高いと思われる。ちょうど5メートルほど移動してがぜん食欲も旺盛になってきたのではないだろうか。

ところで、捕まえた幼虫であるが、わが家の庭に放すことにした。ツツジ、ヤマブキ、ムクゲなどが食草候補だ。庭木を食わせるのは管理人がいい顔をしない。ツツジなんか食わせずに勝手に生えてきたジャガイモでも食わせろ、という命令なのでジャガイモにとまらせてみた。食う気配がない。ツツジやヤマブキを歩いているときとは目の色がちがう。残念ながらミノムシの口にジャガイモは合わないようだ。


2004.4.25 オオミノガではないのか

昨日採取したミノムシはオオミノガだとばっかり思っていたのだが、どうやら他種らしい。というのは三枝先生のオオミノガヤドリバエの話を見ると、オオミノガの産卵は5月で、幼虫が成長するのは盛夏だということだ。いまごろ3センチもある幼虫がうごめいているのは記録に合わない。

去年の秋にオオミノガの文献はずいぶん調べていたのに、迂濶なことをしてしまった。 そうすると、ご本尊とよんでいるミノムシが生きているオオミノガならば、これからうまくいけば繁殖できるということだろう。もう家人に見つかってはいるが、消毒されないことを祈りたい。また、ご本尊がオオミノガであれば採取してきたミノムシはチャミノガかなにかで、ご本尊とは無関係ということになる。わざわざチャミノガかなんぞを庭に放してしまったということは女房にはだまっておこう。


2004.4.28 同じミスを2度やる

ツールドフランドルの放送時間は3時間半である。前回の放送のときは放送時間を3時間だと誤って3時間分のビデオ録画しかしてなかった。つまり、本当の勝負の残り15キロが見れなかったのだ。そういう失敗は私のせいであるけれども、JSPORTSの番組表の見づらさも原因だと思うので改善を望みたいところであった。

幸い、JSPORTSでツールドフランドルの放送が3回もあるので、今日もビデオをセットした。今日の放送は15時からであった。今度はまちがえないように、ちゃんと自分に言い聞かせていた。「放送時間は2時間半だから、後半の1時間を撮るように、16時30分から17時31分まで録画予約をいれよう。」

残念ながら、ビデオは59分の放送を残してストップする。当然である。放送時間は3時間半なのだ。一度、痛い目にあっていながら、再び放送時間をまちがえるのは番組表のできが悪いのではなくこちらの頭が悪いのだ。

ほんの数年前にはこの手のことで同じ過ちを2度繰り返すことはなかった。かつてはそういうことをしがちな人の頭の中身がよくわからず、あんな状態でよくのんきに楽しく生きていられるものだと不思議であった。いざ、自分がそうなってみると、おばかさん状態もそんな悪いものではないことがわかる。これはこれで、日常のささいなことでしょっちゅう大事件がおこり、事件のリカバリーに邁進したり、失敗したり成功したりして、それはそれでけっこう明るく楽しく暮らせるものだということが明らかになった。のんきの秘訣は事件の質、レベルが些細なものでしかないだけに、どっちに転んでも影響度が軽微ということだ。うっかりさんには重大な案件は回ってこないのである。


2004.4.29 悪魔のささやき

休日出勤というのは好きである。電車が空いているのがまずよい。職場にも人が少ないのがまたよい。難点はセンター街がごったがえすので歩行スピードが落ちることだ。また、私は休日の手当てというものがないのでタダ働きになるのが少し残念である。働くのも働かないのもいわゆる一つの自己責任なのだ。

ともあれ、帰りの電車で座れるというのはすばらしい。この連休はタダ働きのでずっぱりであるが、電車に座れるというのはものすごく得した気になれて、しかも静止姿勢を余儀なくされるから、いろいろなことを考えられて元は取れるかもしれない。ただ楽をしていると悪いことを思いつくものらしく、今日は悪魔の考えがわいてきてしまった。

私は半原越に1時間15分かけて到着するのだが、もしかしてその時点でかなり疲れているのではないか? 競技選手ならともかくただのオヤジなのだから、ウォーミングアップのつもりでも疲れてしまっているのではないか? 疲労の自覚はないけれども25キロも山越え谷越え走っているのだから、疲れているのではないか? 自動車で近くまで行ってスタートすればもっと好タイムが期待できるのではないか? そうしなけばもう記録は伸びないんじゃないか?

実際にそんなことをやってしまったら、勝っても負けても虚しいに決まっている。これまでまったく脳裏に浮かんでこなかったさような悪魔のささやきに悩まされたのである。


2004.5.1 きゃしゃやん再び

「新造人間キャシャーン」がテレビで放送されていたのはいまから30年ぐらい前だ。私の家族はあのアニメが好きでみんなで見ていた。私も、死んだばあさんも好きだった。すなわち中学生から老婆まで幅広いファンを獲得していたアニメなのだ。私が特に好きだったのはキャシャーンが雑魚ロボットの群れと戦うお約束のシーンだ。キャシャーンは全身が凶器で、大きく頑丈そうなロボットを手刀で叩き割ったり、回し蹴りで真っ二つにへし折ったりする。あれがなんともいえず痛快だった。ばあさんは犬がオートバイになるところが好きらしく、変身シーンでよく「およよぉー」という奇声を発していた。

ばあさんは佐田岬半島の生まれながら尋常高等小学校を卒業しているという俊才であった。東京の裕福な家庭に生まれていれば、お茶の水か東大を出ていただろう。ただし英語は苦手でどうしても「キャシャーン」といえずに「きゃしゃやん」といってしまう。はじめのうちは、みんなでなんとか矯正を試みたけれども無駄であった。彼女は戦争で痛い目にあっており、アメリカ嫌いだから無理もない。

きゃしゃやんといえばずいぶん弱そうな感じになる。「やん」というのは全国で通じるのかどうかしらないけれど、人名に親しみを込める接尾語だ。酒井法子さんをのりぴーといったり、曽根純恵さんをすみえたんと言ったりするようなものだ。最近キャシャーンが映画になったらしく、ずいぶん宣伝している。あのCMを見るたびに、きゃしゃやんきゃしゃやんといってたばあさんを思い出して、ほのぼのした気持ちになる。見る気が全くおきない映画だけど。


2004.5.3 半原越最速理論

赤城の白い彗星、高橋涼介はパソコンの前に座って速くなるという風変わりな走り屋だ。秋名のコースCGや、自動車のエンジンや足回りをパソコン上で計算して最も速く走れる方法を編み出しているらしい。そして、「馬力を落としたほうが速い場合もある」というような数々の名文句を残している。その極め付きが最速理論というものだ。「直線で速いのは初心者、コーナーで速いのは中級者、上級者はふつーのところで速い。」どこが理論だ? という意見もあろうが、言ってることには間違いがない。峠の道路で距離が長いのは直線でもなく、ヘアピンでもなく、ふつーの道だからふつーの所で速い自動車が速い。

その高橋涼介の最速理論を自転車で応用して半原越に挑めばもっとタイムが短縮できるはずだ。登りの速度で問題になるのはコーナーではなく傾斜だ。すなわち、「緩斜面で速いのは初級者、急斜面で速いのは中級者、ふつーの坂で速いのは上級者」というわけだ。さっそく、カシミール3Dを用いて半原越の断面図をとって傾斜を計算してみた。半原越のタイム短縮をねらっている人にはこれが参考になると思う。

ふつーの傾斜とは7%の登りをいう。私の脚にはちょっとこたえるけれども、半原越のふつーは7%なのだ。スタートから1700mのリッチランドまでは、橋1をはさんで2か所の激坂がある。最初のは短いのでさくさくっと越えれるが、2つめの「山小屋」とかの看板があってユキノシタの花がきれいなところは長くてまっすぐできつい。リッチランドから南端コーナーまでの橋3を挟んだ2000mは想像以上に緩い坂だ。ここはけっこう楽々走れるので油断しがちだ。ここで休むと元も子もない。逆にこの緩斜面でタイムを稼ごうとあせったら、残りの1500mで反動が来て脚が止まってしまう。力を温存しつつ油断をしないペース配分が必要といえよう。最後の1500mはずっと急坂でどうしようもない。残り200mのところに一瞬だけ緩斜面がある。そこでダッシュしてゴールまで力尽きずにスパートできればOKだ。


2004.5.4 きついときもゆるいときも休む

もし、半原越を20分でクリアーしようとするならば平均時速は14.4km/h に達する必要がある。いまのところ、23分かかっていて時速は12.5km/h なのだから道ははるか遠い。まずは現在の記録をもっと楽に出すことを最速理論で考えてみよう。

ざっとみたところ、半原越には10%以上の激坂が500mほどある。5%以下の楽に走れる登りは1500m、ふつーの7%が2800mである。私はそれぞれの坂を7km/h、19km/h、12km/h で走っている。すなわち以下のようなペース配分で23分を走っている。

10%以上   500m  7km/h  4.3分
 5%以下  1500m 19km/h  4.7分
 7%    2800m 12km/h  14分

これまでは激坂でペースが落ちるのが最大のタイムロスだと信じてきた。時速10km/h から落とさないようにがんばって、毎回挫折してきたのだ。その無理が実は全体的にタイムを悪くしているのかもしれないのだ。もし激坂を無理せずに5km/h で走ってもよいならずいぶん気が楽になる。計算してみよう。

10%以上   500m  5km/h  6分

1.7分、つまり1分42秒のタイムロスになる。しかし、無理をして力を使い果たすよりは、もっと楽なところでペースアップをするほうが速いかもしれない。失った1分42秒を1500mの緩斜面で取り戻す方法を計算してみよう。19km/hで4.7分走っている1500メートルを3分で走るためには時速30km/h 出さなければならない。これは途方もないスピードだ。登りで時速30km/h まで1回でも加速したりすればその日はもう終わりだ。緩斜面でがんばるのはどちみち止めた方がよい。

高橋涼介の最速理論ではヘアピンを遮二無二速く抜けるよりもふつーのところを速く走るほうが結果のタイムはよいという。では、彼にならって、ふつーの7%で1分42秒をとりもどすことを考えてみる。2800mを12.3分で走るには平均時速が13.7km/h であればよい。12km/h から13.7km/h に上げるのはできない相談ではない。ちなみに、緩斜面も休んで時速17km/h におとせば、ふつーの所を14.4km/h に上げることになる。これは夢の20分の平均スピードだ。

10%以上   500m   5 km/h    6分
 5%以下  1500m   17km/h   5.3分
 7%    2800m 14.4km/h   11.7分

「きついところもゆるい所も休んで、ふつーの所でがんばる」ってのがこれから目指すべき方向かもしれない。


2004.5.5 コイの季節

奇しくも鶴見川で鯉が大量に死んだ。コイヘルペスウイルスのおそれがあるという。もともと鶴見川の鯉は死んでいるも同然で、鶴見川だけでなく多摩川でも境川でも鯉は死んでいるようなものだ。というのは、あれだけ大量の鯉がいながら鯉の子どもがちっともいないからだ。

鶴見川の鯉が産卵していないわけではない。人間の春は鯉にとっても春で、この季節には盛んに放流鯉が産卵している。大きな鯉が何頭も群がって水しぶきをあげながら泳ぎ回っている。あれが産卵行動だ。よく観察すると、群れの中心は常に同じ個体だということがわかる。がたいのよいメスである。産気づいたメスにオスが追随しながら産卵放精するのだ。川では鯉の卵が大量に見つかり、拾って育ててみればちゃんと孵化する。なのに鯉の稚魚の姿が見当たらない。ちょっとした謎だ。

ところで、鯉のああいう産卵生態を見ていると「鯉には美女も不細工もいないのだなあ」としみじみ感じる。とにかくメスは腹に卵を持って産めるばかりになっておればよい。オスは回りのライバルを蹴落としてメスに最も近づいておればよい。鯉の恋は体力勝負といってしまってよい。それだからきれいなメスがいなくてもよい。人の目にも鯉の美醜の区別はなく、鯉の目にもそれはないのだろう。

人間のメスには美醜の区別が厳然とあり、多くの女性にとってそれは重大な問題となっている。しかしヒトメスの美醜の差は極めて小さいものでしかない。犬猫など他の動物には人間の美人不美人の区別はつかないことだろう。この微妙でありかつ重要視される違いの発生原因はオスメスの接近が漸進的であることと、繁殖期間が十数年と極めて長いことにあると思う。


2004.5.6 パンターニ

パンターニの追悼番組を見た。半原越は彼ぐらいのスーパーマンが本気で走ると10分切るかもしれない。彼は重いギアをぐいぐい回してぐんぐん走るタイプだ。パンターニやヘレラなど私が知っている山岳に強い選手は、42×21Tの重いギアを1分間に90〜80回まわして時速25キロぐらいで山を登っていく。

逆に軽いギアをびゅんびゅん回して、するする駆け上がって行く方法もある。理論上は39×23Tの軽いギアを1分間に110回まわせば時速25キロ出る。その方が脚に疲労も残らない。アームストロングはそのタイプだ。ただし、そんな走り方ではすぐに心臓がパンクしてしまうはずで、アームストロング以前にはそれができるクライマーは存在しなかった。

ギア比というのはくせ者で、人間のエンジンは高トルクと高回転の微妙な限度というものがある。もしかしたらもっと重いギアを回せるのに軽いギアであきらめているとか、そういう思いもよらない失敗をしているものだ。プロとして活躍できるような超人たちはその限度の幅も広いだろうが、私のような非力なものはギア比をちょっとでもまちがうと命取りなのだ。どれぐらい非力かというと、半原越で28×21Tのちょー軽いギアを70回まわして時速12.5キロ、ちょうどプロの半分の速度で息も絶え絶えに走りきることができるという按配だ。


2004.5.7 まねをする

そもそも自転車に乗る動機は、タイムレコードを出すことではなく、ヨーロッパのプロ選手のまねをすることにあった。だから、一度ぐらいはパンターニのスタイルも真似なければならない。運良くパンターニは非常に個性的なライディングフォームをとっている。登りでアタックするときに、ハンドルバーの下を持ちものすごく深い前傾姿勢を保って顔を上げ前をにらみつける。ペダルにかかる足はハイヒールを履いているようにつま先だって腰がものすごく高い。まるで疾駆するチーターだ。

どういうわけか今までパンターニのまねをしたことがなかった。というわけで、部屋のローラー台をつかってまねてみた。彼のように42×21を90回まわして、時速25キロで走るというわけにはいかないので、私向きの強度を設定した。70rpm で15km/h 。7%の半原越5kmを20分でこなすという夢のスピードだ。やってみると、個性的なわりに無理のないフォームだということがわかる。引き足をつかって重いギアをぐいぐい回すのに適している。上半身が軽いひと向けだと思う。このスタイルを20分維持できれば半原越20分は楽勝だ。しかしながら1分で腿が熱くなり、3分で息が切れてきた。今のところもって5分がいいとこである。


2004.5.9 雨の日曜日

ガガンボ

雨の日曜日。午前中はいつも通り庭の観察をした。女房は園芸家で、ブルークローバーなど各種の園芸植物を育てている。ただし虫や雑草に寛容で除草剤も殺虫剤も使わない。ハルジオンやドクダミはなぜか好かれていて駆除を免れ、ヘビイチゴは近所から移植されてきたぐらいだ。かくて我が家の庭はけっこうな虫世界なのだ。カナヘビ、クモなどの数の多さがその豊かさを物語っている。大事な園芸植物が正体不明の虫によって穴だらけにされるが、それは私のミノムシのせいではなくヨトウガの仕業である。写真はツツジの茂みに止まっているガガンボ。雨宿りというわけでもないだろう。この種のガガンボはこの茂みでよく見つかる。生活史は全くわからない。水辺は必要ないのだろうか?

雨は相変わらず降り続く。ただ気温が高いので全く雨対策をせず、午後は自転車で出かけることにした。そろそろ丹沢のヤビツ峠に行きたいが、この雨で自重することにした。700m の峠だとまだ気温は低いだろう。寒いのは嫌いだ。乗りはじめるとすぐに雨は強くなった。事前に時間雨量5ミリ程度の雨雲が接近していることを気象レーダーの情報で確認していたので驚かない。ぐっしょり濡れてもあまり寒くない。こんなことならせめて半原越に行くんだったと、たしょう後悔した。

境川はもともと人が少ない。雨なのでさらに少ない。ものすごく自転車やランニングが好きそうな人たちがぽつぽついるだけだ。ちょっとばかりチャンスなのでスピードを上げてみた。42×14Tで90rpm を維持すると34km/h になる。32km/h から落とさないように走ってみた。その程度の強度なら1時間ぐらいはこなせそうだ。私は競技選手ではないので、ふつうはそんなスピードは出さない。雨ならではの楽しみだ。

寒くさえなければ雨は好きなんだけど、後始末がたいへんだ。とくにチェーンは雨でのるとすぐにしゃかしゃか音をたてはじめる。濡れたまま放っておくといろいろな所が錆びてくる。自転車の掃除はあまり好きじゃない。


2004.5.11 自己の内面と対峙する

自己の内面と対峙することは勇気のいることである。胃カメラのビデオを見せてあげると言われて、ちょっとどきどきしていた。末期癌とかになっておればいろいろと準備しなければならない。保険の手続きとか。保険会社に聞くと入院時の保険金はおりない契約だそうだ。げげっ。

で、その内面を見た感想であるが、けっこうきれいであった。よく絵にある通りのひだがある食道を降りて噴門を抜けとつぜんひろがる空間は胃だ。胃の壁はうすいピンクで濡れてつややかであり、くねくねとうねってなまめかしい。膣もあのようなものであろうか。ただ、玉にきずなのはじゃっかん炎症を起こしており、細い血管がみみずばれのようになっていることか。胃を越えて幽門の奥は十二指腸。やや暗いピンクで動きはゆるやかだ。

腫瘍は小豆粒大のものができている。組織検査のために一部切除したので、かなり血塗れになっている。「こんなに出血しているのに痛くもかゆくもないのは、内臓に痛覚がないからだろうか? それとも麻酔のせいだろうか?」と疑問に思った。最近の胃カメラはものすごくて、一度腫瘍を通り越して奥から見返るようにビデオ撮影することができる。しかも画像が精細で腫瘍の形がはっきりわかる。昔の内視鏡といえば、蜂の巣のような6角形の模様が目障りで、ライトがまともに当たる所が白飛びしてあまり綺麗に撮れなかった。低光量ではたらくCCDの開発が効いているのだろうか。これで、ハイビジョンの装置にでもなれば、さらに診断の精度が上がるだろう。

自分の内臓の画像をみているとだんだん人間を扱っているような気がしなくなってきた。単なるオブジェクトだ。かつて思ったとおり私は医者に向いていない。車でも修理するかのように切りまくる外科医になったかもしれない。「いやぁ〜はじめてだけど、けっこう気持ちいかったですよ。初心者とは思えないほど飲むのがうまいってほめられちゃったぐらいで。」などと興奮気味なのは珍しいものを見れたからというよりも、アシスタントの看護士がものすごくかわいかったからだ。まるで19歳のときの女房に再会したようだ。


2004.5.12 あわれなカマドウマ

ガガンボ

なにかの事故でもあったのか両足が不自由なカマドウマがいる。後足の一本は根もとからとれ、残りの一本もかろうじてくっついているような状態で全く力がはいっていない。太くて丈夫な後足がチャームポイントのカマドウマとしては、この不具合は痛いだろう。どういうものかと、2時間ばかり気をつけてみていると、どうも止まり木の高いところにいたがるようだ。その場所はカマドウマたちが脱皮する定位置になっている。さては、この不具のカマドウマも脱皮しようとしているのであろうか。両足が使えなくとも脱皮できるのか、できないのか。しばらく観察しよう。

我が家でもゴキブリを捕まえるべく、誘因剤と接着剤を装備した小型の捕獲器を設置した。するとひっかかったのはカマドウマであった。私のケースのカマドウマは大事にされているのに、そういう事故に遭ったものは冷たい仕打ちを受けることになる。「助けようか?」「だめだよ、ひっぱっても脚がとれるから。放っておくしかないよ」 またある日には中3の長女が犬の水入れで溺れかけていたカマドウマの幼虫を保護してきた。大事にかわいがっているペットのカマドウマは20匹もいるのでもう必要ない。そいつはすぐさま次男が飼っているカナヘビのエサになった。「運命って紙一重なのね」と女房は感慨深げだ。自分の身の上と重なり合うところを感じたのかもしれない。


2004.5.13 皮をぬぐ謎

カマドウマA

昨夜はカマドウマの脱皮につきあって午前2時になってしまった。途中、不具の個体が枝からおっこちてしまい、脱皮はないのかと思って目を離してしまった。再び目をやったときにはすでに定位置で脱皮が始まっていた。なんということか、脱皮をしているのが目をつけていた個体かどうかが不明になってしまった。脱皮殻に後脚が1本しかないのでおそらく間違いはないと思われるが。

左の写真が脱皮後のもので、抜け殻を食っているところだ。出てきた虫には後脚はついていなかった。後脚に見えるのは中脚。じつは内心脚が生えてくることを期待していたのだ。その期待はあるクモを育てた経験からだ。そのクモは失った6本の脚を2回の脱皮で完全に再生させたのだ。同じことがカマドウマでもあるかもしれないと思っていた。

クモの脚がもどったときは不思議がるばかりだったが、もっと深く考えるべきだった。外骨格を持つ節足動物の成長や変態という不可思議なシステムと密接にかかわる事件だと今になって気づいたからだ。

脱皮で脚が戻るからといって所詮は虫けらのことだから大騒ぎするようなことではないかもしれない。しかし、私はこの機構によって正常な脱皮がわからなくなった。虫が脱皮して成長する。一般に昆虫やクモやカニは脱皮によって脚が増えることはないから、もともとある脚が土台になって次の脚があると思われる。それが普通の発想だ。つまり、外殻の内側に薄い皮が発達して、来るべき日に古い外殻を脱ぎ捨てて新調するはずなのだ。私はずっとそう思ってきた。その考え方は合理的ではあるけれども、新しい殻の発達には古い殻が必要ということになってしまう。土台になるのは外殻だから失った脚は二度とはえてこないのだ。それはクモの観察結果に合わない。

根拠のない「常識」に反して、事実は以下のことを示唆している。すなわち新しい脚を作る「根」は胸にある。その根から脚が伸長する。正常に脚がついていれば、その脚の中に新しい脚ができる。脚がとれてしまっておれば、(おそらく)胸の中にたたまれて弱々しい脚が成長するのだ。

本当にそんなことになっているのか? カニを食べればわかるように、虫の脚には筋肉などの組織がぎっしり詰まっている。その組織があるのに新しい次の脚はどのように発達するのだろうか。胸の根からするすると糸のような脚が伸びてくるのか? つま先の爪や毛まで内側から育っていけるのか。使用中の組織の中をどうやって? ともあれ、卵から全く形のことなる幼虫が出てくるように、サナギが幼虫と同じでないように、成虫がサナギの形とはまったく異なるように、虫の成長は内面から変わるもので、外見とは本質的な関連がないと考えるべきもののようだ。

カマドウマB

そんな哺乳類の悩みを他所に当人はいたって元気で、4本足のカマドウマとして生きている。そういえば、脚が2本ももげてふつーに脱皮して平然と殻を食ったりしているのだから、それだけでも驚異といえる。


2004.5.15 22分5秒(参考記録)

もはやタイムトライアルコースに変貌した半原越。今日は22分5秒で、大喜びしていた。しかし、途中サイクルコンピュータの操作を間違えたので、ちょっと加算しなければならない。距離が4.77キロとなっていたので、100メートルずるしたとして、22分30秒から40秒といったところだろう。正確な記録はわからないけれども新記録にはちがいない

どうして記録が出せたかというと、もともと最初の2キロだけのトライアルだと決意していたからだ。スタートからダンシングで勝負した。ふだん13km/h ぐらいのところを20km/h で走った。タイムは7分30秒。前回のトライアルよりも1分以上縮めた。そこで体力を使い果たしたつもりで、2キロ過ぎの緩いところをそれなりに流していたら、元気が戻ってきたので気が変わってがんばってみたのだ。こうなると最速理論もへったくれもあったもんじゃない。とにかく最初から思いっ切り飛ばす。あとは何とかする。というがむしゃらが功を奏することもあるわけだ。

ところで、2キロを7分30秒だと、平均時速は16km/h にもなる。終わりまでそれで行ければ、19分を切ってしまう。半分ぐらいは26×15Tでダンシングだから、かなりのもんだ。そんな力があればいっぱしの健脚といっていいだろう。明日は雨みたいだけど、雨量も少なそうで暖かいので自動車に気をつけて遠くまで出かけよう。


2004.5.16 ヤビツ峠

昨日のタイムトライアルの疲れが残ってちょっとしんどいので、半原越はやめにした。清川村のいつも右折するところをやり過ごして、宮ヶ瀬ダムのほうに向かう。目的地はヤビツ峠だ。一回ぐらいは行かなければと思いつつ今日まで足を運べなかった。半原越に熱中していたことと、自動車やオートバイが多いと聞いていたからだ。

幸い昨夜から続く雨。日曜とはいえ、いわゆるハイカーは少ないだろう。チャンスだ。ヤビツ峠は、峠なのだから2通りの登り方がある。清川村からと秦野市からだ。秦野ルートは嫌だ。峠の登りにかかるまでのいいルートが見つからないから。清川村からのルートはずっと谷筋の森林の中を行く。道も細い。好みだ。また、カシミール3Dで見る限り、760mの峠とはいってもほとんど上りらしい上りもないようで楽だ。往復で100キロとちょっと、4時間半のコースになる。

想像した通り、美しい道だった。鳥も多い。車も少ない。オートバイなんか2人乗りをした若者の一台があったきりだ。道路はほとんど貸切り状態である。これだけ道が悪ければ自動車で恐い思いをすることもなさそうだ。自動車は前を向いてゆるゆる走るだろう。こっちから当たっていかない限りぶつかる心配はまずない。下りで調子こいてガードレールに突っ込むのはNGだ。谷底まで落ちてしまう。大事なフレームをつぶしてしまう。カンパニョーロのドライのときに効かないブレーキは雨でもドライと変わらない制動力を発揮するので信頼できる。

ヤビツ峠はサイクリングをする人も多いと聞いていたのに一人も出会わなかった。雨だからだろうか? 自転車遊びをするのなら夏の雨のサイクリングの快適さや雨の森の美しさを知らないと大損だ。自動車から濡れネズミになっている自転車をみると哀れに見えるけれども、それは数多い錯覚の一つだ。気温が25度以上にもなると、自転車は雨の日のほうがずっと快適だ。ただしパールイズミの出している雨専用のキャップと保温性のいい冬用ジャージは用意しておいたほうがいい。

雨が嫌なのは後の掃除と、パンクだ。雨の中を乗るならパンクは覚悟しておかなければならない。米粒の半分ぐらいのガラスの破片は無数に落ちていて、雨のときには極めてそれを拾いやすいのだ。今日もやっぱりパンクした。幸いなことに、家まで1キロの所だったので空気が全部抜ける前に帰宅できた。花崗岩の中にある石英の結晶のような2ミリほどのガラスがタイヤに刺さっている。残り40キロ、なんて所でパンクすると泣きたくなる。雨の日には運に自信がある人もパンク修理セットは用意しておいたほうがいい。


2004.5.19 Pismo 逝く

快調にフリーセルをやっていたら、画面が真っ白になって、空冷用のファンが回りはじめ、3秒で画面がフェードアウトした。焦げたような臭いがするので、ほうぼうを触ってみたけど特別熱くなっている所はない。臭いはファンの風が機械臭をもたらしたもののようだ。キーボードに耳を近づけると微かな音がする。電気は通っており、ハードディスクは空転しているようだ。どうやらCPUかRAMかなにかとんでもないものが吹っ飛んだらしい。もちろんモニターアウトも効かない。バッテリーやCPUの脆弱な機種だけれども、いきなり昇天するとは。数々のマックを見てきて、こんなのははじめてだ。コンピューターというのはいきなり壊れることもあるもんだ。とりあえず、ハードディスクを取り出して調べてみる。完全に機能しているので、最近作ったファイルをPowermacintosh 9600に移し、ハードディスクを元に戻して、Pismoは買ったときの箱に入れてしまい込んだ。RAMだけが壊れたのなら楽に治る。しかし、いきなり故障されて信用をなくした。もう修理する気も起きない。


2004.5.20 暗合

すっかり忘れていたのだけれど、昨日は会社のパソコンがNECからデルに変わった日だった。デルの新型なのでNECよりもずっと快適でうきうきしていたのだった。その夜にマックが壊れるというのも、なかなか面白い偶然の一致である。まるでマックが嫉妬して身を投げてしまったかのようだ。そうした偶然の一致というものは古くから人の心に強く印象づけられてきた。30年も会っていない友達の夢を見た翌日にひょっこり駅で出会うとか。じいさんが死んだと同時に100年動いていた時計が止まるとか。

ユングはそういう一致を意味あるものとして真面目に研究した。その対極にあるドーキンスはひとまずその手の偶然を単なる確率の問題として理解しようとする。ドーキンスに倣うなら、私がデルを入れた日にマックが壊れる確率は計算によって求められる。マックはこの4年で2回壊れた。昨日が2回目である。単純に確率計算すると700分の1である。また、私が新しいコンピュータをうきうきと導入したのは、この4年で5回あったとしよう。確率は300分の1だ。その日が一致する、すなわち、新型の機械を触ってうきうきする日にPismoが壊れる確率は、20万分の1、つまり「まあよくあること」ということになる。

ユングとドーキンスはそうした暗合について正反対の立場に見えるけれども、その解釈では軌を一にしているように思われる。すなわち、ユングは暗合の与える心理的なインパクトが人のターニングポイントに働く、またはその裏をとって転機にある心的緊張が暗合を呼び寄せると解釈し、ドーキンスは自然界の中で確率的に低い事象は「生物的」不自然であるという推理が適応的に意味があるから人は暗合に心引かれるのだと考えた。要するに、珍しい偶然はめづらしいのだ。


2004.5.23 サイクルコンピューター

キャットアイの最新型最高級サイクルコンピューターを買った。じつは私、こういうものがけっこう好きである。電磁誘導を利用して自転車の速度とクランクの回転数を表示することができる。ふるいモデルは有線だったが、こいつは電波を使うので電池の消耗が早いけれどもスマートになった。ふつうの計測とともに、ラップタイムがボタン一つで入力できるのがありがたい。これがあれば半原越でサイクルコンピュータを2つ用意したり、時間を人間頭脳で記憶したり、腕時計の微小なボタンを押し間違えたりしなくてすむ。

さっそく境川にでかけて様子を見た。やはりラップタイムをとったほうがいいだろう。たまたま無風だったので境川でいちばん長くすいすい走れるところで計測した。さすがにコンピューターという名がついているだけあって、ラップごとの平均速度も自動計算するという優れ物だ。

スプリットタイム   46'52"

距離         9.37km
ラップタイム     18'08"
平均速度       31km/h
クランク回転数 平均 92rpm

私の自転車は平地を時速30キロで走るように設計されている。ちょうど後ギアの真ん中にチェーンをかけて1分間に90回クランクを回すと時速30キロになるのだ。そのぐらいだとつらくもなくたるくもなく、乗ってるなぁという感じで走れる。普通のロードレーサーは、時速40キロぐらいでちょうど良いように設計されているが、そんな速度だと公道では危険だ。特にスピードを出しすぎて頭が馬鹿になり判断力が鈍るのがおっかない。

今日は何を血迷ったか、海まで行こうという誤った判断を下してしまった。江ノ島は有名な観音様があり、仏教徒でごったがえしている。人や自動車のほかにも、サーフボードを積めるように改造した自転車なんかも走っていて悲しくなる。曇天の黒い海というのもなかなかいいもんではあるけれども、海辺の広い道路を渡る気がせず海は見なかった。

全走行距離は68.81km、時間は3:03'54" で気温も低く風もなかったのでちょっと走り足りない感じ。いよいよジロだ。


2004.5.26 キャシャーンと美樹ちゃん

映画を見るヤツなんて一人もいるわけがないんだが、私とその周辺ではキャシャーンがブームである。映画は馬鹿にしていても30年前のアニメのDVDだかなんだかをついつい買いそろえたヤツがけっこういる。私はそこまでキャシャーンに入れ込んではいない。しかし、例の決まり文句をいまだに覚えていたのにはびっくりした。小林美樹ちゃんのデビュー曲、人魚の夏を1、2番ともに完璧に覚えていたことに匹敵するぐらいびっくりした。

たったひとつの 命を捨てて
生まれかわった 不死身の体
鉄の悪魔を たたいて砕く
キャシャーンがやらねば だれがやる

内容もリズムも講談調というか浪花節というか、けっこうアレである。詩は音楽であり、かつての日本人の文化ではこういうリズムは内容にかかわらず胸打つものがあったのだ。しかもわれわれ中年以上の世代は、自己犠牲のヒロイズムが大好きである。近年ではイラクの人質が不必要に冷遇されたりして、キャシャーン的なメンタリティが影薄くなってきている。併せて、飲み屋なんかの風情も様変わりしているのだろう。人間関係が冷えていくことはもろ手を挙げて賛成したい。この時代にいい若いもんが人恋しそうな顔なんてするもんじゃない。


2004.5.29 ヤビツ峠2

晴れてはいたけどヤビツ峠に行ってきた。今回も宮ヶ瀬ダムのほうから登った。心配していた自動車やオートバイも多くなく、自転車も少なかった。晴れだからと敬遠するほどでもないようだ。

宮ヶ瀬ダム側からのルートは、緩いのでタイムトライアルさえしなければ楽だ。距離が長く平坦な所が多いのでタイムトライアルの意味もあまりなく危険だ。前回の経験からたぶんフロントアウター(ただし42T)だけで行けそうな感じがあったので、試しにやってみた。思ったとおり、42×23Tもあればじゅうぶんだ。若くて血気盛んな頃に使っていたギア比だ。せっかく高級コンピュータがついているのだからラップを取った。

走行距離    18.16km
走行時間    1:03'53"
平均速度    17.4km/h
平均ケイデンス 64rpm

頂上ではストップせずに一気に秦野側に下ることにした。一回ぐらいは秦野の方も見といていいだろうと思ったからだ。展望台から頂上までは、半原越の中だるみの所にリズムが似ている。ずっとその調子ならもんくないんだけど、国道246号線のスタートからいやな感じの急坂が始まって、しかも長い。道路とその周辺も色気が感じられない。やはりわざわざ登りに行くだけの値打ちはない。自転車に興味を持った人が力だめしに登ってみるのはいいだろう。止まらずに登れるだけでもたいしたもんだと思う。

ヤビツ峠を下ってから246号線はやはり地獄だ。やたら信号が多くて自動車が渋滞してる。厚木の先も246を事故無しで走るのは原理的に無理だと感じた。やっぱり宮ヶ瀬側に下ればよかったと後悔したものの、下りの途中で見つけたアサギマダラだけは収穫だ。

全走行距離    92.53km
全走行時間    4:07'15"
平均速度     22.4km/h
平均ケイデンス  58rpm

2004.5.30 オオミノガその後

4月にオオミノガとチャミノガをまちがってしまい、喜び勇んでチャミノガを持ってきてしまった。その後わがやの庭ではミノムシは順調に育ってザクロなんぞを食い荒らし、まさにチャミノガらしい蓑を作っている。なさけない大失敗だ。

ミノムシ夏

そういう失敗にもめげず、ご本尊のオオミノガはしっかり観察していた。いや、しっかり観察しているつもりであった。じつは5月10日ごろ、オオミノガが動いていることを確認していた。葉にとりついて丸い穴を開けて食べている様子を目撃したのだ。すでに広い葉は厚く繁り、朝の通勤のときに十分な観察はできなくなっていた。そのあとはしばらく見失っており、先週にまた確認することができた。

ミノムシ冬

ただその再々発見は喜ばしいものではなかった。どうも、冬にいたところと寸分たがわぬ所にはりついているような気がする。これはぜひ確かめねばならぬと写真を撮ってきた。上の写真だ。2月に撮った下のものと比較すると、やはり同じ所についているように見える。動いているのならいくらなんでも同じ所についていることはないだろう。夏になって動きはじめたなら数日も同じ所にとどまるだろうか。

私のご本尊はただの抜け殻かもしれない。


 
2004.5.31 半原越のすすめ

神奈川に住んでいる自転車乗りなら絶対に法論堂林道いわゆる半原越に行くべきだ。半原越はわずか5キロだけど、いま私が走っている道のなかで最も美しい。南向きの沢筋から斜面を巻いて峠に至るのがよい。日のあたり加減や湿気と乾燥の具合、地形の複雑さによって多様な生物のすみかになっている。また、このあたりは林業がさかんとはいえ、山腹の大半が杉や檜になっているわけではなく尾根筋や急斜面には広葉樹が多い。それも、人造の雑木林ではないようだ。

道路は狭い。しかも、核心部は一般車両は原則として入れず、大型自動車は入れない柵がある。いまのはやりで言うと日本人はイラクに入れないようなものか。半原越を利用する車は清川と半原を行き来するためのものではない。ほとんどが遊びのものだ。とくに愛川側にある水汲み場で湧き水を汲んでいる人は絶えない。それほどうまい水とも思えないけれども、いつみても大型の容器を何本も置いて水を貯めている人がいる。

入口

写真は、半原越の入口。白線がタイムトライアルのスタートだ。半原越は美しい峠道だ。タイムトライアルなどという無粋なことをしないかぎり。


2004.6.2 杉木立

半原越はスタートからけっこう急な坂が続く。道は日当たりが悪く暗くて湿り涼しい。左手は切り立ったがけで新旧さまざまなコンクリートで補強されている。そのときどきに少しずつ必要な分だけ工事が行われたようだ。古い部分はコケやシダが生い茂って50年はゆうに経過していると思われる。古くからある道なのだ。

道路の両脇は太い杉の木立になっており、右手奥には法論堂川が流れている。三面護岸の川で水は少ないけれども流れが速く耳をすませばせせらぎが聞こえる。もっと注意すれば今の季節はカジカガエルが聞こえてくる。また今日も杉のこずえからけたたましい鳥の声が聞こえている。その鳥の声はきわめて特徴あるもので、半原越にかぎらず、このあたりの山に入ると必ず耳にする。その姿を見たことはまだない。未知の鳥だ。20年ほど前にはずいぶん野鳥にも入れ込んでいたのに、当時は聞いた覚えがない歌だ。最近、中国産の良く歌う鳥が篭脱けして定着しつつあるらしい。きっとその一種だろうと思う。最初はキビタキだと勘違いしたほど大きくてよく通るリズムのよい歌声は遠くで聞く分には気持ちよい。しかしこんな近くだと耳障りだ。屋外でこれなのだから、ペットとして愛玩するのは難しいだろう。よほど耳の悪い人でなければしんどいのではないだろうか。

入口

写真は半原越を500mほどいって法論堂川にかかる橋を渡るところ。その橋を私は橋1とよんでいる。橋1を渡るほんの一瞬だけ道路は平坦になり、気持ちは少し楽になる。タイムトライアルのとき、ここで息があがっているようだと先行き不安だ。まだ10分の1。


2004.6.3 難所

橋2

写真は「橋2」である。橋2を渡ると、半原越最初のきつい区間がまっている。まっすぐな急坂が視界のかなたまで(じっさいは300m)続いている。そこをどう越えるかが毎回のポイントだ。最初のころはもっぱら「セルフいろは坂」という技を使っていた。まっすぐに走れないから蛇行するだけなのだが、左手の側溝に前輪を落としそうになったこともある。初心者が競技仕様のロードレーサーで乗り込むとひどい目にあう。楽に走るためには1対1以上のギアは必須だ。今のマウンテンバイクなら問題ない。ビンディング式のペダルと靴があればもっと重いギアでもOKだ。今日は前26T、後28Tというマウンテンバイクとツーリング車をミックスしたギアで走っている。時速5キロで楽々楽々。

テレビでジロを見ていると、トップ集団の選手がものすごいスピードで登攀していた。ためしに時間を計ってみた。10キロを22分だった。つづら折れの最大斜度10%の登りだから、半原越ぐらいの坂だと思ってよい。10キロを22分というと時速27キロを超える。それはとんでもないスピードだ。ふつうの町の道をがんばって走っても、10キロを22分ではまず無理だ。もし信号や交差点や自動車がなかったとしても平均速度で27キロを超えることは簡単ではない。ちなみに先日下ったヤビツ峠から秦野の12キロの区間平均速度が32キロしかなかった。選手は私の平地よりも早く坂を登り、下りよりもずっと早く平地を走っている。彼らの背中には見えない羽が生えているのだろう。競技者でないふつうの自転車好きが彼らの半分の速度にたっせれば大成功だ。

入口

この区間がどれほどの坂かわかるような写真を用意した。私は自転車で斜度を測る方法を発明している。自転車のホイールベースは1メートルで車輪の半径は36センチである。すなわち、ホイールベースあたり車輪半分かたむいていると35%。半分だと18%、3分の1だと12%なのだ。この坂は10%程度だ。私にとって最も嫌らしい斜度といえる。登攀をあきらめるほど「激」ではない限界ぎりぎりだ。速度0キロに近い区間があることがタイムを増やす元凶だから、タイムトライアルのときは無理をしてぐいぐいと力ずくで走る。2回に1回はふくらはぎがつりそうになり、10回に1回はつってリタイアを余儀なくされる。


2004.6.5 21分28秒

橋2

難所を乗り越え、リッチランドのコーナーをまわって法論堂川から離れるようになると少し楽になる。ここから南端コーナーまでの1.8km はコーナーの多い緩い坂が連続する。リッチランドから300メートル行くと第一計測ポイント、2キロの緑電柱(写真)がある。最近は2キロのタイムトライアルにも熱をいれている。最高は7分30秒だ。たった5キロのタイムトライアルなので、とにかく最初からダッシュして遮二無二がんばるほうがタイムは良い。ただし、そういう走法では先がないことがわかっている。

実は今日、半原タイムトライアル最高記録を叩き出してきた。21分28秒である。意地も誇りもとっぱらって記録だけをねらったものだ。以下、キャットアイの最高級コンピュータに記録されている区間ラップを示す。

区間1  2.00km  7'35"  15.8km/h
区間2  1.47km  6'20"  13.9km/h
区間3  1.31km  7'33"  10.4km/h

区間2というのは、もともとクォーターレコード(15分で走れる距離)の目標で、南端コーナーよりやや上の舗装の継ぎ目が目安だ。15分でその継ぎ目を越えていないようだと23分は切れない。区間2は最後は急だけど、緩いところも多い。しかし、記録を見ると平均速度が区間1よりも悪くなっている。2キロのタイムアタックで力尽きているのだ。さらに、区間3はもっと落ちている。区間3は平均斜度も10%を越えるが、落ちすぎ。ほとんど死にかけているのだ。

この記録が出せたのは、重いギアを使ったからだ。いくら誇りを捨てるとはいえ電動アシスト自転車を持ち込んだわけではない。前が38T、後が最大で23T。普通のロードレーサーのギアだ。そんなに重いギアだと私の力ではケイデンスは50rpmぐらいにしかあげられない。体重を使ってごり押しで進むことはできるので記録は出せる。しかし、その記録は一時的なもので、すぐに限界に達してしまう。軽いギアだと20km/h ぐらい出せる区間2の緩いところでも今回は16km/h ぐらいだった。体重で踏み込む走法では速度とスタミナの限界が低いのだ。いくら遅くても80rpmを維持できる軽いギアで練習して、力に応じてギアをだんだん重くしていくことが、本当に速くなるためのたった1本の近道なのだ。


2004.6.6 夏の花道

ヤマカガシ

何度もいうようだが、夏も盛りの半原越でタイムトライアルをするのは無粋である。はりついたように路面ばかりを見て、ハァハァやっているだけだとろくなものを見ない。たとえば写真のようなものだ。これは車にひかれたヤマカガシ。このあたりではヘビをよく見る。タイムトライアルなんてことをしていなければ、ヘビが道路でひなたぼっこをしていれば自転車を止め、尻尾をつかんで谷に投げてやる。もしくは車が来てもひかれないようにしてやる。私もいっしょに轢かれるのならしかたないが、人間が道路に立っていればたいていの車は止まる。

ウツギ

路面を見ていれば、ヘビのほかにもオサムシとか蛹化の場所を探す青虫とか、何をしているのかミミズとかいろいろな生き物がいる。それよりも5月6月は道端が花盛りだ。夏は木の花、それも白っぽいものが多いようだ。半原越のひあたりの良い斜面は一面ウツギの白い花で埋め尽くされている。もうすこしたてばピンクのタニウツギも目立つようになる。

ウツギ花

花は蜜が多いらしく、いろいろな虫が来ている。良く目立つのはジャコウアゲハだ。4頭も5頭も集まって吸蜜していることがある。花の中には、マルハナバチやアブの類、甲虫のハナムグリなどもいる。

トラガ

写真はトラガ。日中活発に飛ぶ蛾だ。夢中で蜜を吸っているのでチャンスだと思い、自転車を降り、崖を登って撮った。半原越のウツギは急傾斜の崖の上に咲いているので虫の撮影には向かない。真下から見上げるようなアングルしかとれないので、シャッターチャンスがあまりない。


2004.6.7 南端コーナー

南端コーナー

私が南端コーナーとよんでいるカーブだ。ここにかかるころから、坂がきつくなり休むことができなくなる。はじめのころは、ここを越えるか越えないかで15分だった。最近かなり早くなって14分未満でこのコーナーに入れるようになった。特にトレーニングを積んだわけではない。私の調子があがっている主要な原因に息ができるようになったことがあげられる。15分のトライアルをはじめたのは冬だった。気温もけっこう低いので鼻水が出て、つまった鼻では息ができず口ばっかりで呼吸していた。夏になるとずいぶん呼吸が楽だ。そのぶんスピードもアップしているのだろう。

この先、残りは1.5km 。疲労はもう心肺にも脚にもきている。


2004.6.8 記念撮影

カーブミラー

南端コーナーから先はかなりの急坂だ。半原越に慣れない人には平坦に見える所がところどころあるかもしれない。しかし、それは錯覚。5%の登り坂である。まあまあの登りときつい登りが波打つ坂なのだ。ただ、そういう坂だってギアを選んでゆっくり走ればどうってことはない。半原越は越えるだけなら、どんな自転車初心者だって楽々だ。

非常に楽であることを証明するために、走りながらフロントバックから旧式のニコンを取り出し、片手でファインダーも見ずにカーブミラーを使って記念撮影をすることにした。写真はぶれているがスピードのせいではない。26×28Tをゆっくり回して、時速5キロで走っている。単なる手ぶれ、ぴんぼけである。このクラスのデジカメだと、カーブミラーに写った自分の姿を撮るにはなかなかコツがいる。少なくともミラーに写る前にシャッターを押さなければならない。シャッターを押してから記録されるまでゆうに1秒以上かかるから、シャッターのタイミングでカメラを静止させるのが難しくて手ぶれする。また、揺れと鏡でオートフォーカスに迷いが生じるというカメラにも厳しいシチュエーションである。シャッター音がしたときに、ミラーに自分が写っていればまあOKだろう。走りながら液晶モニターでチェックするものの、明るさと、揺れと、老眼と、運動中特有のある意味どうでもよさで、いいかげんに済ましてしまう。

いわゆる「写るんです」ならもっと上手に撮れただろう。落車で壊してしまう危険とか、雨とか、重量とか、さまざまなことを思えばいまだにサイクリングに最適なのは「写るんです」かもしれない。帰って現像してからもっとちゃんとしたのにしとけばよかったと後悔はするから、真面目に撮りたいときは何十年も前の全手動式の一眼レフをつかう。水にも衝撃にも強くて軽いデジカメができれば、そういうものも試してみたい。


2004.6.9 景色

厚木

半原越を登って景色を楽しもうとしても無駄である。たかだか500m の峠であり、谷に沿い森の斜面を巻く道だから、はるか下界を見下ろす眺望なんて望むべくもない。写真は半原越でもっとも開けたところから厚木方面を撮ったものだ。

華厳山

また西端コーナーでは桜の木越しに華厳山が見える。なかなか姿の良いピークである。この尾根は散策をする人がとても多い。特に中高年に人気があるようだ。半原越はそういう人たちのアプローチ用の道路にもなっていて、三々五々連れだって歩いているから注意しなければならない。自転車で驚かせるようなことは慎もう。特に下りは注意だ。登りのタイムトライアルで必死の形相で走っていくのはいい見せ物として歓迎されるだろう。


2004.6.10 ゴール

ゴール

西端コーナーを過ぎて、こまかいコーナーをいくつか越えるとわりと長い直線になる。写真の先を右手に回って10m 先がゴールだ。タイムトライアルをしていなければどうってことのない道だ。しかし、いざ記録をねらって、しかも時計を見ながら走っていたりすると、この100m が無限に遠く思えてくる。まるで動く歩道のようにゴールが遠ざかっているような錯覚すら覚えるのだ。さらに、秒を表す液晶の数字は狂ったようなスピードで8・9・0・1・2・・と切り替わっていく。心臓の鼓動に比べれば遅いものなんだが。


2004.6.12 法論堂と半原越

立て札

山登りは尾根に沿って縦走することが多いので、峠といえば底を意味する。下りが終わって登りが始まるところだ。自転車では、峠は一番標高の高いところだ。いずれにしても、峠は一休みする理由をつけやすい。水を飲み食べ物を食べて鋭気を養ったり、その先の行動を決めるために地図を広げたりする。半原越はそういう人たちでにぎわうちょっとした観光地といってよく、一日平均10人以上が立ち止まると思う。とくに登山をする高齢者が多い。490mの頂上には、そういう場所にふさわしくいろいろな立て札がたっている。その一つに、法論堂(おろんど)と半原越(はんばらごえ)の解説があるので、引用する。

法論堂: 昔、修験者(山伏・僧侶)たちがこの地で法(教え)を論じ合ったことから、この名が起こったと伝えられています。現在『宿(やど)』と呼ばれている旧家がありますが恐らく修験者達が宿とした所からでしょう。煤ケ谷(すすがや)の資料によれば『存円(そんえん)和尚、時々村舎に説法し村民をして輪回応報を聞知せしめ至法に遵わしむ。今の法論堂村是れ也』とありますが、存円(そんえん)和尚とは仏果禅師(ぶっかぜんし)のことです。
半原越:昭和の初期まで、煤ケ谷は養蚕が盛んで、当時糸の町として栄えていた半原へ、繭を背負ってこの峠を越えたことから、この名が付いたと思われます。現在は法論堂林道として、拡幅整備されています。


2004.6.13 ツーリング用ナカガワ

自転車

今回、半原越に乗ってきたのはこの自転車だ。もともとメカにこだわりはないので自転車の細部には凝らない。なるべく早く楽に走ってくれるものが良いと思い、ロードレース用のもので楽に乗れるポジションを確保できるようなスケルトンをオーダーした。ちなみにスケルトンというのは透明という意味ではなく、骨組みということだ。自転車のスケルトンといえばフレームの各チューブの長さや角度のことをいう。このナカガワは10年以上も使っているけど快調そのものだ。素材は鉄なので錆や傷、塗装のはがれは無数にある。

フロントバックはアタッチメント式でキャリアがなくてもつけられる。中にはカメラや地図や食い物を入れる。サドルのしたのバックにはパンク対応用に換えのチューブや二酸化炭素ボンベが入っている。前後のタイヤの色が違うことに深い意味はない。たまたまである。ちなみに青っぽいピンクはナカガワのテーマカラーだ。良い色と思う。

立て札

いまは10年前にくらべても格段によい自転車が出回るようになっている。ロードレーサーとマウンテンバイクを組み合わせれば最強の日帰りサイクリング車ができる。ロードレーサーのギア比は一般のサイクリングには不向きだ。マウンテンバイクのフレームやサスペンションやホイールは普通のサイクリングにはオーバースペックだと思う。フレームはロードで部品はマウンテンというのがよい取り合わせではなかろうか。

私はフロントギアに、マウンテンバイク用の3枚のものをつけている。46T、36T、26T。ペダルの幅が広くなるのを嫌えば2枚にすることもできる。じっさい26×28Tは歩道橋を登るときと半原越で走りながら写真を撮るとき以外は使ったことがない。


2004.6.14 半原TTスペシャル

自転車

この自転車は半原越タイムトライアル専用だ。この自転車で最高タイムの21分28秒を記録している。名前は「半原1号(はんばらいちごう)」という。フレームはチタンで総重量は8kg。美意識と財力の許す限りで軽量なものに仕上げている。ブレーキレバーで変速する最新型のシステムはきっとタイム短縮になるはずだけれども美意識が許さないので導入しない。最近のアヘッドタイプは確実に軽量になるはずだけれども美意識が許さないので導入しない。軽くてしなやかというカーボン繊維も美意識がゆるさないので導入しない。

半原1号の後のギアは13Tから28Tまでの7段。ほんとうは19Tと28Tの2枚で足りるけど、その2枚だと半原越まで走っていくまでに日が暮れてしまう。前のギアは38Tの1枚。大きなアウターギアは時速30キロ以上出すことがない半原越タイムトライアルでは必要ないので外している。クランク長は私に最適の167.5mm よりも5mm 長い172.5mm にしている。登り用の高トルク低回転型のクランクだ。

いうまでもなくタイムは機材よりも脚だ。私はかなりの金持ちなので、もっともっとスペシャルな自転車も作れるけれども、単に機材を改良するだけで20分が記録できるわけがない。いろいろ工夫するのは創意が形になり、うまくはまったときの気持ちの良さがなんともいえないからだ。自転車は高価で軽量であればよいというわけではない。


2004.6.15 フリーセル15000

かといって自転車三昧の日々を送っているわけではなく、夜になるとちゃんとフリーセルもやっている。最近、ウィンドウズの付録の難しいといわれる番号をやってみたら、ちょろかったので「ぼくってけっこういけてるかも」などとうぬぼれていた。しかし、スーパーマックフリーセルの15012番はけっこう苦戦して10回ぐらい失敗し、反省した。まだまだだね。とりあえず15000は越えた。目標まであと85000個。


2004.6.16 ムラサキカタバミ

ムラサキカタバミ

すでにご存じのように私が最も好きな花は写真のムラサキカタバミである。好きな理由はさんざん書いてきたので繰り返すことはしない。

そのムラサキカタバミがわが庭ではじめて綺麗に咲いた。この花がどのようにして種をまいているのかはしらない。ただ、これまで観察してきたところでは、ある種のイネ科の草のように大繁殖することはなく、くらがりにも乾燥地にも強いけれども、他の草との競争には必ずしも強そうでない。また、どちらかというと数株がまとまって散在する傾向にあると理解している。花は可憐であり、他の草を圧迫することがないのでまま歓迎されて良いと思う。

ちなみに、ムラサキカタバミは帰化植物である。原産地は南米らしいが、アンデス、アマゾンでは見ていない。インドネシアのジャワ島の山奥の村で出会って、旧友と出くわしたような懐かしさをおぼえたことがある。このこともいつか書いたことがあるようだ。


2004.6.19 ヤビツ3

風の中、半原1号で出かけた。半原越に挑戦する気は起きず、いつも右折するところを直進した。今日はおとなしくヤビツ峠の100キロコースだ。北側の宮ヶ瀬からのヤビツ峠の本線はよい道だけどアプローチがつらい。まず、宮ヶ瀬ダムまでの登りがひどい。公道でレーサーを気取ってすっとばす若者への当てつけだと思うが、路面に段々が付けられている。あれは不愉快だ。また、宮ヶ瀬ダムをぐるっと回るのがばかばかしい。あの広い道路が気に入らない。

その2点を避けるには、唐沢林道を行けばよい。ただ、唐沢林道は車両通行止めになっている。理由は産廃捨て場に目隠しするためではなく、ゴミ投棄の防止だという。じっさい、神奈川の山の道端には車で運んできたと思われるゴミが多い。ただし道路によって差が大きい。半原越やヤビツ峠にはあまりない。なら唐沢林道にも本当は少ないのではないか。ともあれ、ゴミ投棄の問題ならば自転車は入っても良いはずだ。

なんだかんだといいつつもヤビツ峠が好きだ。ダムの橋を渡って左折するところからのんびり走って頂上までちょうど1時間。アオダイショウもアサギマダラもいる綺麗な道だ。

ところで、またパンクしてしまった。ヤビツ峠には3回行って4回パンクした。つまり今回は2回やってしまった。帰路の残り15キロというところで、前輪の音が変わっているのに気づいた。指で押すと空気が抜けている。まだ、4気圧ぐらいはあるので、ピンホールによるスローパンクと思われた。前輪を気にしながら走っていると、後輪がバースト。2秒で全ての空気が抜けた。チューブを取り出して調べてみると、ゴムの劣化によるものだとわかった。巨大な穴が空いたのでもう使えない。交換して二酸化炭素ボンベでエアーを入れる。これはものすごく楽だ。前輪にも二酸化炭素を入れる。走り続けると、前輪の空気の抜けが早くなる。リム打ちしない程度にフレームポンプで空気を入れる。こいつはすごくしんどい。どんどん抜けが早くなる。しまいには100メートルももたなくなったのであきらめた。前輪を一周ごとにカコンカコンいわせながら3キロほど走ってきた。

前輪のチューブをしらべると2か所に穴があった。最初は小さい穴があき、低圧で走ったため2つ目のやや大きい穴はリム打ちでできたのだろう。ダメージは大きいかもしれないがひとまずパンク修理をして使うことにした。貧乏性なので使えるだけ使いたいが、チューブの劣化は案外ばかにならないようである。寿命は1年未満、1万キロ走れるかどうかだろう。


2004.6.20 円い雲

雲

見上げると青空にぼんやりした白い雲が浮んでいた。非常に珍しい雲だ。視角にして直径15度ほど、月の30倍だ。レンズ雲はよく見かけるけれども、こいつの捕らえどころのない透明感は高層雲が切り取られて丸くなっているようにも見える。大型の台風が接近し、高空は極めて強い風が吹いているのでできたのだろう。

しばらく動きを観察してみた。このレンズ雲の手前をちぎれた積雲がものすごいスピードで通過していく。レンズ雲自体の位置は変わらない。動かないように見えるだけで、本当は南の方では次々に雲ができ、北の方では速やかに消滅しているのだろう。きれいな円形をとどめていたのは20分ほどであった。


2004.6.21 風

強い風が3日も続いた。夏至に台風がやってくるのは年中行事でいえば盆と正月がいっしょにくるようなものか。

多摩川とか相模川とか、堤防にでるといつも風が吹いている。そのときの風向にかかわりなく、川の風は上流から下流、あるいは下流から上流と川に沿って吹いている。風はダイレクトに自転車の速度を変えるから、その向きや強さには極めて敏感になる。昨日の境川は時速29キロの南風が吹いていた。じつはその川風がなぜ吹くのかを良く知らない。もちろん、地形の影響があるのはわかる。風は自由に見えるけれども、地面や山や建物や木や草にぶつかって誘導されるのだろう。そうして上空の風向に関わらず、細長く障害物のない川に沿って地面の風は吹くのだろう。

ところで、そもそも風がなぜ吹くのかすら私は知らない。習ったけど覚えていないのではなく、そんな高等教育は受けていないから知らないのだ。知っているのはそもそもの原因が太陽にあることぐらいだ。太陽に温められた空気が上空に昇り、その隙間を補うために集まってくる空気の流れが風だ。台風だってもともとはポカポカ陽気で始まる。台風一家ともまちがわれるように、夏至と台風はもともと一つ屋根、つまり太陽の下の住人なのだ。わからないのは、太陽に暖められてゆるゆる昇る空気を補完するのなら、いつもゆるゆる風が吹いていればことたりるはずなのに、なぜときに風速50とか100とか、とんでもない風になるのかだ。

川には強い風が吹くように、風はなぜだか集まり強くなる。地球の自転のためだったり、水蒸気が相転移して雲になるときの熱エネルギーや密度の差であったり、もろもろの私には理解しがたい力学が働いているのだろう。いちどちゃんと習いたいものだ。


2004.6.27 私は死にたくない

「私は死にたくない。韓国に帰りたい」というたどたどしい英語の叫びが耳について離れない。戦争が長引き、社会がざわざわして落ち着かない。国内でも些細だけど異常な事件が相次ぐ。イラクの戦争は勃発当時に懸念した通りになった。もちろんそういう予測はとうのアメリカが一番よく知っていることだろうから、勝てない戦争を始めて尚且つあがる利益というものが何かあるのだろう。戦争でしか得られない何らかの利益、それが何かは私の想像力を越える。

ここまでざわざわしてくると、自分なりにも考えてみなければならない。その中に入り込んで経験的な解決をはからず、高位から見下ろしてつじつまを付けるような、その手の解決が必要な課題もある。

カマドウマの目から人間の戦争を見ると、それは種内の集団的な闘争と定義できる。それは頻繁であり人間に必須の属性にみえる。つまり人間は戦争好きだということだ。しかしながら私は戦争に適応的な意味を見出せない。自分の意思とはかけ離れた動機による闘争に個人が巻き込まれることが生きることの足しになるわけがない。戦争があったから人類史になんらかのプラスがあったとは思えないのだ。戦争なしに人口は増え科学技術は進歩する。人間社会は豊かになる。

ではなぜ不適応的なことがかくも頻繁なのか? どうしてマイナスの性向が500万年の人類史を経て排除されなかったのか? それは、戦争好きなその性向は種内間の集団的闘争を引き起こしても余りある適応的利益をヒトにもたらしたからだ。いくら戦争好きとはいえ、人と人が力と心を合せて戦いを挑む相手が同種の集団であることは極めてまれだ。一般に、われらの制圧すべき敵はバイソンやリョコウバトやウィルスや大腸菌である。また、あばれ川や異常気象、地震などの自然であったり、迷信や妖怪、個人の死などの空想物である。そうしたものどもは必ずしもわれわれに危害を加えるものでもなく、克服すべきものですらないかもしれない。もはや敵とはいえず、同音で「的」とでもいうべきものだ。

ヒトの繁栄の原因は個人の身体知性の能力を分析してもつきとめられない。むしろ、上にあげたような的に集団で立ち向かえる力が人類の繁栄をもたらしていることは明白である。ときに同種の集団もその的になり、その場合の闘争が戦争とよばれる。戦争はヒト本来の力の発露であるが、相手を間違っている。間違いとはいえ、ヒトにとっては些細なマイナスにすぎなかったので絶えないのだ。


2004.7.4 ツーキニスト

土曜日は最初からゆっくり走るつもりでヤビツ峠に登ることにした。睡眠不足などで体調がいまいちなので半原越を登る気力はなかったのだ。ヤビツ峠にはこれまで3回行って、4回パンクしている。さすがの私もそこまでやられると、思うところもある。そもそもタイムトライアル用の軽量で細いタイヤで山道を行くのだからパンクしても文句は言えない。今回はタイヤを丈夫なものに新調することにした。

700cという規格で太めのタイヤは昔からいろいろラインナップがある。どれも高級品ではなく頑丈なのがウリだ。それらのものの中で、いまの私が選択すべきはパナソニックの製品だ。パナソニックのタイヤは昔から愛用しており、これまで全く不満がない。現在使用しているパナレーサーの最高級モデルはイタリアやフランスのタイヤよりもずっと優れていると思う。しかも安価だ。

そのパナソニックが鳴り物入りで登場させたのが「ツーキニスト」である。よく転がりながらも抜群の耐久性があるという。おそらく宣伝に偽りはあるまい。ぜひとも「ツーキニスト」を試すべきであるが、私が買ったのは三ツ星タイヤのクルーズライン700×32cの新モデルだ。「ツーキニスト」ほどでないにしても必要十分だろう。

あえて「ツーキニスト」を使わないのは、「ツーキニスト」という名を受け入れることができないからだ。その名はおそらく通勤用に使い勝手が良いタイヤという意味だろう。通勤用自転車に良いタイヤは必要であるが、現在の日本の事情を考えると、自転車通勤が快適かどうかはタイヤ以前の問題だ。スイスのように自転車の交通事情がよくなれば、通勤用と銘打つものがあってもよい。いわゆる「町乗り」もできる700cという程度のことに「ツーキニスト」という造語は下品で浅薄に響く。そういう名をつけるヤツはどうせ自転車のことを本気で考えていないのだ。タイヤは自転車の性格を決める部品だけに、そういう品性のない名のついたものは使いたくない。

ところで、ヤビツ峠に持ち込んだ三ツ星クルーズラインはグリップもよく、重いわりによく転がる。林道に入ると、尖った石ころはごろごろしている。台風と梅雨の大雨のあとで、道路脇の斜面が崩落しているのだ。三ツ星タイヤのこのシリーズは旧型のものを10年も愛用している。八幡浜で古薮や高野地や佐田岬を走るのに使っていて、低圧でダートも走るのに一度のパンクもないというすぐれものだ。このタイヤならゆっくり走ればまあ安心だ。タイヤのチューブはもちろんパナソニックである。パナソニックの自転車部品が世界最高品質であることは疑いないから。


 
2004.7.5 ナスカの地上絵1

自転車のよいところは空を飛ぶ感覚を手軽に味わえることだ。それも自力でがんばって高速飛行しているあの夢の感覚である。手軽とはいっても、自転車が体になじんでいたり、ペダリングに違和感がなかったり、路面も風もよかったり、精神がよく集中できていたりと、いろいろな条件が重なる必要がある。

山道を行くとけっこう長い真っ暗なトンネルにたまに出くわす。空を飛ぶチャンスの到来だ。手がかりといえば、白くぼおっと光って見える出口。路面は入射光を反射してところどころで凹凸がみえるだけだ。タイヤはおろか手足も見えない。「まさか穴なんかあるまいな」とたかをくくってすっとばす。その5秒後、ふうっと飛行する感覚がおとづれる。あれはなかなか楽しいものだ。ゆっくり気をつけて走ればよいのに先を急ぐのはわけがある。道路はあるので落ちるわけはないのだけれど、一生懸命走っていないと闇の中へ落ちていくような錯覚があるからだ。船外作業のために漆黒の宙に出ていく宇宙飛行士もああいう感覚になるのだろうか。彼らも最初の一歩を踏み出すときには「落ちるのでは?」と躊躇するらしいのだ。


2004.7.6 ナスカの地上絵2

ナスカの地上絵には個人的にいつもひっかかる疑問がある。「飛行機からしか見えないものをなぜ2000年も前の人間が作ったのか?」という問い自体だ。その問いの意図するものは何か。見えないものを作ることはそれほど奇妙なことなのか? そもそも、人類は飛行機械を発明したからといってわざわざ大地に落書きする習性はないのだから、あの巨大な地上絵は飛行機とは無縁のものと考えて問題ないのではないか。

飛行が日常的になっている現代でも、空から見物されることだけを意図したモニュメントの存在を私は知らない。その手の落書きで有名なものはイギリスのミステリーサークルだと思う。あれは空から撮影されることを意図して制作されている。マスコミやマニアに作品を撮影してもらって、その写真を自分でも見て鑑賞する。いたずら程度のものだ。あれは恒久的なものではない。

ナスカの地上絵の面白味は、作った者が見物するわけではないのに、空から見ることを意図して真剣に制作されていることにある。で、私はその制作者の気持ちがなぜかよくわかるのだ。


2004.7.10 ナスカの地上絵3

見えないものを作るのは変だという発想がそもそもおかしい。空を飛ばなければナスカの地上絵を見ることはできない、というのはあまりにも想像力が貧困だ。私は自力で一度も飛行したことがないにもかかわらず、空を飛ぶということがどういうことかを知っている。それは夢を見ているからだ。夢の中では風景を電線や木を乗り越え、山のはるか高いところまで一気に飛ぶことができる。そのとき良く知っている地域を鳥瞰して見ていることに気づく。

良く知っているものを全く経験のない角度から想像して思い描く能力が人間にはあるらしい。飛行の夢は、実際に飛行機に乗る以前の幼児の頃から見ることができる。また、子どもでも「地図」という形で風景の鳥瞰図をつくることができる。あらためて考えてみると、地図を描くことはけっして簡単なことではなく、心的に高級な作業だということがわかる。それなのに、その力はあらかじめ人間に備わっているようなのだ。


2004.7.12 マックの故障1

半年に一回の割合で致命的な故障を起こす我が Powermacintosh9600 という機械である。そのつど、もうだめかと思ってきた。今回は2日間に渡ってほぼ徹夜の作業にもかかわらず、復帰のめどがたたなかった。いよいよだめかと中古の豊富な新宿ソフマップにでかけ、「OS9起動可」とラベルのあるiBookやPowermacintoshG4クイックシルバーなるものを触ってきたのである。

ことの起こりは、7日(水)の夜、新しいソフトをダウンロードして、解凍している途中に機械がフリーズしたことだった。かつてこいつが第一線のマックだったOS7のころにくらべるとフリーズは格段に少なくなっている。それでも3日に1回ぐらいは起きるので、あわてず騒がず再起動ボタンを押して、テレビを見に行った。ツールドフランスの途中経過の確認である。3分後に戻ってきたら、電源は入っているものの画面は真っ黒で嫌な予感がした。慎重に再起動ボタンを押して経過を観察する。電源は入るけれどもボワーンという起動音がせず、画面に変化がない。ハードディスクは回転し読み出しは始まっているようだ。

この先同じような故障には見舞われるはずなので、とりあえず備忘のためにも、今回の故障と復旧のことは記録しておこうと思う。


2004.7.15 マックの故障2

故障はソフト的なもの、つまりハードディスクのシステムファイルが壊れたようなものではなく、ハードの故障だと思われた。画面は表示されないが、モニターの故障ではないようだ。なぜならモニターの設定や入力選択の画面は正常に動いているから。つぎにビデオカードを疑う。現在2枚のPCカードを利用して3系統でモニター出力している。コネクターをいろいろ抜き差しして確かめると、どの系統もまったく同様な症状であることがわかった。ビデオカードでもないようだ。

そうすると故障は本体の中身だ。電源は動いているのでメモリー、CPU、マザーボードをチェックしなければならない。内蔵電池のへたれも怪しい。原因を特定するには順列組み合わせで起動を繰り返していけばよい。

私はもう1セット予備のPowermacintosh9600を持っている。念のため、予備の機械にデジタル出力のビデオカードを刺して動作を確かめてみる。正常に動作している。壊れたのはビデオカードではない。そのままにして、CPUを入れ替えてみる。予備のは純正のPowerPC233Mz なので半分ぐらいのパワーしかない。CPUも正常動作した。続いて予備機のメモリーを全部抜いて、故障機のメモリーを2枚ほど差し替えてみる。問題なく起動した。これで、故障はマザーボードであることがほぼ断定された。

そこで、故障機と予備機のPCカード、CPU、メモリー、ハードディスクを総取替えすることにした。残りのメモリー6枚、USBなどのPCカード、ハードディスク(これらはネジ止めが必要でちょっとめんどうだ)を差し替えて起動スイッチを押す。起動しない。壊れたときとまったく同じ症状だ。むむむ、もしやPCカードか? と、それぞれのカードを取り外してみるも改善は見られない。メモリーかと、8枚あるものを端から1枚ずつ外して起動させようとしてもうまくいかない。もうわけがわからない。ちなみに、壊れているはずのマザーボードの予備機を起動させようとすると、電源すら入らない。これは当然か。症状は悪くなっている。内蔵電池の関係かもしれない。もう金曜日になってしまった。


2004.7.18 マックの故障3

使えるマックがなくなってきたので急遽 Powerbook1400 を引っ張り出した。ハードディスクにはシステム以外は何も入っていないので、よそのハードディスクを持って来なければならない。Pismo のを入れて起動しようとしてもうまくいかない。 Powerbook1400 はOS9.2.2 には対応していないのだった。そこで、PowerMacintosh 9600 に内蔵しているのをひきはがして入れた。こちらはうまく使える。ただし、 Powerbook1400 はメモリーが64MB しか搭載できないので、いろいろ不自由が生じる。いまではほとんどフリーセル専用機といってもよいだろう。

そろそろ私の機械達も寿命だろうからと、金曜午後に新宿のソフマップにでかけて中古品を物色することにした。iBook は8万ぐらい。Powermacintosh G4 は15万ぐらい。それぞれメモリーを増設すれば本体だけで事は足りる。安いものなんだが、壊れて安易に買い換えるのはポリシーに反する。ひとまずは内蔵電池だけを購入して帰宅する。

さて、予備機の方の電池でも交換してやろうかと、機械の中をあけて愕然とした。ハードディスクが入っていないのだ。この機械にはもともと2個のハードディスクをつんであるが、残してあるほうは起動可能なシステムフォルダが入っていない。これでは起動するはずがない。取り急ぎ、ハードディスクをインストールしてボタンを押すとあっけなく立ち上がった。

冷静にならなければならない。いま問題なのは、本機の起動だ。ボタンを押して電源は入るけれども、ハッピーマックもなにもでずにモニターが真っ暗なままの本機だ。いろいろ反省して、完全にチェックしていないのはメモリーだということが明らかになった。そこで、いまは正常な予備機のメモリーをそのままスロット番号も変えずに移し換えてみることにした。

すると、本機が何事もなかったかのように立ち上がる。どうやら悪さをしているのは、取り出して転がしてある8枚のメモリーの一部らしい。こうなるとことはそれほど難しくない。手間がかかるだけだ。結局、128MBの一枚が死んでいることがわかった。そのメモリーを挿すスロットによっては起動できなくなり、別の所に挿せば起動できるというあやふやな故障であった。

私はメモリーをチェックするソフトを3種類持っている。「マックメムテスター」「いかくん」「アップル・システムプロフィール」である。マックメムテスターは故障しているメモリーがあると教えてくれるが、今回のものはその故障が発見できないタイプのものらしい。いかくんではそのメモリーが刺さっていないかのごとくに無視される。アップル・システムプロフィールではそのメモリーが刺さっていると、システムエラーを起こしてしまう。

今回の故障は奇妙な挙動のメモリーの不具合だったから原因の究明と対策に手間がかかってしまった。故障したメモリーを外して今は快調である。ちなみに、まったく同じような症状で起動しない Pisumo もメモリーかもしれないという一縷ののぞみにかけてテストしてみたが、まったくだめであった。こちらはもっと深刻である。メモリーの交換ですめば安いのだが。


2004.7.19 ナスカの地上絵4

実際に飛行することがなくても生活圏の風景を夢で鳥瞰できることを認めるならば、ナスカの地上絵が描かれたわけをしることはたやすい。

あの奇妙な地上絵は死者のために描かれたものだ。いま死んでいる人か、もしくは未来に死体になるべく生きている自分か、そのいずれか双方か。とにかく私はナスカの地上絵は死者に見せるために描かれたと断言する。

私はときどき死者の夢を見る。とうの昔に死んだ肉親であったり、天災で命を落としてしまったらしい人たちであったり。そういう死者のイメージはいつも浮遊している。手の届くほど近いこともあれば、雲に達するかと思えるぐらい高空にいるときもある。いっしょに風景を楽しみながら途中まで飛行することもある。また、自分の死体を見ることもある。水死したり、轢死していたり。そういう自分の死体をいつも空中から見ている。逆に夢の自分が地に足をつけて、死んでしまった自分を空中に見ることはない。

ともあれナスカの地上絵は空にいるはずの普段は見ることができない死者たちのために描かれているのだ。お盆か何かで帰ってくるときの目印かもしれないし、単に楽しませるためかもしれない。その理由まではわからないけれども、意図は死後にある。ただし、その絵を描いた人たちも生きているときに自分達の絵を夢で空中から見ているはずだ。巨大な絵を描くために設計図もあったろうし、イメージスケッチも作るだろう。それこそ、完成形と死者が見て喜んでいる場面を想像しながら嫌というほど下書きを見るのだ。そういう執念がこもった絵が夢に現れないわけがない。そして、死者といっしょに飛行しながら夢で見て、ますます自分たちの仕事の意義を深く感じいることになるだろう。


2004.7.20 ナスカの地上絵5

以上のようなことは完全に正しくとも、ナスカの地上絵が作られた理由については何ものべていないに等しい。なぜなら、特殊な事象を一般論に還元しているだけだからだ。非常に特異で人の目を引く巨大な地上絵の作られた理由を死者は空にいるもんだとか、だれでも空を飛ぶ夢を見るものだとか言っても説明にはならない。人類普遍の特徴から地上絵は生まれない。

異常なことの説明を普遍なことに求めるのは、まともな思考力を有する者の間ではもっとも恥ずかしいことだとされている。事象は疑いようのない事実としてあり、その説明のために用意された普遍性はこれまた誰もがよく認知していることだ。その二者を結びつければ絶対に間違ったことにはならない。意味のある場合は極めて少ないがあえて過ちを指摘されることもない。つまり相手にされないのだ。テレビの解説者はそれを重々承知してあえてその愚をおかす。それはテレビというものの性格上、過激なことや容易に理解できないことは言えないからだ。つまらぬ矜恃を捨てて収入になればそれが何よりだ。彼らは小学生が殺人事件を起こしたりすると、子どもは命の重みを知らないとか個人と社会との軋轢とか埋もれがちな個々人の暗部であるとかそういう解説しかできない。これまでの歴史上子どもが経験豊かな大人より命の重みを知っていたことはないし、サルの時代から個人にとって集団が安穏としたユートピアであったためしもないのに。


2004.7.22 ナスカの地上絵6

特別なことを説明するには特別な原因がなくてはならないということだ。で、その特別なことの原因の原因も特別であってもよいが、それがどこまでも続くようではいけない。どこか普通のことに落ち着かなければならない。でなければ説明したことにならない。たとえば、奇跡や天変地異を宇宙人や精霊の仕業だと澄まし顔するようではだめなのだ。

水利農耕のための施設が制作者の思いもよらぬほど美しい幾何学図形を描くことがある。三瓶や八幡浜のみかん畑、能登の千枚田なんてかなりのものだ。星や月や太陽の観測のために引いた線分は必然的にきれいなリズムをもった図形になる。私はナスカの地上絵はそうした功利的なものが出発点だったと思っている。

あそこにある多数の絵は千年かけて、さまざまなレベルの複数の文明人によって作られたものだ。最も古い線は飲料や農耕用の水路だったかもしれない。それが地震で水源が消失したり、都市が滅んだりすれば水がなくなって溝だけが残る。水を引いて作物を作り豊かになった都市では春分を決めたり、次の日食月食を計算するために天体観測を行ってデータを集めるようになる。地面に引かれた放射状やマス目の直線は天体観測の施設だ。そうした設備もデータが集まり暦ができたり、その意味を知る科学者がいなくなれば、当初の制作意図が失われてしまう。

文明は千年で栄え滅ぶのが常だ。もともとは科学的に意味のあった地面の溝も後世の人々にとっては何かよくわからぬ魔術的なものに見えるものだ。文明の滅亡と共に意味を失ったナスカの溝は、300年後の人々に不思議な地上絵としてみられるようになる。いまから2000年ほど前に溝を再発見した人々も、現代人と同じように悩んだに違いない。「いったいこの奇妙で巨大な図形は誰が何のためにつくったのだろう?」


2004.7.26 ナスカの地上絵7

わけのわからない建造物をいぶかしがるのは今の人間も昔の人間も変わらない。昔の人はだだっ広い地面に描かれた幾何学図形を見て、空にいる者へのメッセージだとすぐに思い至ったことだろう。そういう図形がある所は聖地なのだ。とうぜん新たにメッセージを送りたいと思うだろう。直線や放射線だけではつまらない。自分達は「昔の」人間ではないのだから、もっと愉快で美しい模様を作ろう。そう決心したに違いない。ひとたびそういう決意の元で何かが描かれたならば、いろいろな御利益や禍がその行為に付随して起こるだろう。そしてますます描画は盛んになる。

うわさはうわさをよんで、ナスカの近郊に住む人だけではなく、アマゾンや大平洋岸の住人もやってきたろう。なかには相当富貴な王もいて、死後の自分のためにひときわ美しい鳥を描かせたかもしれない。そういう文化は1000年にわたって南米に栄えたのである。


2004.7.29 10%の登り坂とは

半原越の残り1300mでスピードが落ちるのは、はじめの頃は坂がきついからだと思っていた。途中から、傾斜のせいではなくスタミナ切れだと気がついた。カシミール3Dで調べたらせいぜい8〜9%程度しか傾斜がなかったからだ。

ならば、もし元気満々であの1300mにのぞめばどれぐらいスピードがでるのかと試してみた。結果は6分50秒。平均時速11.4km。ばてばて脚ぱんぱんのときの記録が7分30秒だから、わずか40秒の短縮。1割ほど速くなったに過ぎない。じつは、2分は少なくなるだろうと予想していたのでショックを受けた。

とにかく1300mの間、脚がまったく「回らない」のだ。ペダルに体重を乗せて重力たよりにようやく前進するという案配だ。ばてばてで死にそうなときとぜんぜん変わらない。なにかおかしい? もしかしたら、傾斜の測り方を間違えているのかもしれないと、カシミール3Dでもう一度調べてみた。沿面距離1300mで標高差130m.....なんと平均斜度10%もある。これでは「回る」はずがない。

普通の自転車は10%の登りを時速15キロでは進めないということが物理的に証明できる。体重をペダルにかけただけではペダルの落下する速度にかかわらず自転車は時速5キロぐらいでしか前進できないのだ。これは体重の大きさ、自転車の性能にかかわらない。上半身で体を押しつけてペダルを踏んでもスピードのノリには限界がある。ところが、プロレーサーは10%の登り坂でも時速20キロですいすい登っていく。あれを見れば、自転車に乗ることと自転車で速く走ることは物理学的に異なる運動だということに気づくことができる。


2004.7.31 プロの技をまねるか

自転車と徒歩で坂を登る競争をするとき、だんだん坂をきつくして行くと自転車が勝てなくなる点がでてくる。たとえば角度30度の坂は斜度にすると50%になり、自転車は登ることができないが、歩いてあがるのは容易である。自転車は坂を登るのに根本的な弱点を抱えている。

そういう自転車なのにプロが10%の坂道を時速20キロで走れるのは、彼らが特殊な乗り方をしているからだ。彼らはペダルに足を固定して、前脚で踏みつけるだけでなく後ろ脚を引き上げている。それどころか、上では脚を押し、下では引いている。普通にペダルをこいでいるように見えるけれども常人とは全くちがう運動をしているのだ。登り坂でダンシングをするときでも重力だけにたよらずペダルが円を描くように力を加えているから、1分間に80回も90回も回せるのだ。

ペダルを回す運動については私もやっている。ただ、後脚の引き上げを推進力にするのは困難で、後脚の重量を打ち消すぐらいがせいぜいだ。意識してペダリングをしていない人はペダルで後ろ脚を持ち上げている。せっかく前脚で踏み込んでも後脚をがじゃましているのだ。そこんとこを意識して回転にマイナスになる重さを打ち消すだけでもずいぶん気持ちよく走れる。平地のサイクリングならそれでじゅうぶんだ。登りもごまかしごまかし走ればよい。しかし、このままでは半原タイムトライアルの記録更新が限界に来ていることも明らかになった。

ランエボ軍団の須藤恭一もいうように「楽しく走ることと速く走ることは根本的にちがう」ことなのだ。私の脚は生涯にわたって自分の脚の重量以上のものを持ち上げるような運動を経験していない。プロの技を真似ようと思えば、非日常的なトレーニングをしなければならなくなる。なかなか決心がつきにくい。


2004.8.1 禅の自然観

禅者が自然をどう見ているか、ということはわれわれ科学者にとっても気がかりな所である。彼らはむちゃくちゃをいう。「山が歩き、山が流れる」とか「鳥が空を飛ぶ様子はまるで鳥のようだ」とか。わざと無意味なことをいっているようにしかみえない禅者の間でもちゃんと意味が通じているらしい。座禅の修行により、日常の刺戟-反応系とちがう精神を鍛え、あたらしい言語操縦法を会得するのだ。修行は禅者の団体で定まったマニュアルによって行われているはずなので、新しい言葉の操縦法も外部の者からはむちゃくちゃに見えても、組織の中では整合しうるのだろう。

科学者もときにむちゃをいう。いわゆる常識というものは1cmから100メートルでしか通用しないことだから、1億分の1mmとか100光年とかを問題にする科学者はあえて常識から離れる必要もある。禅者が「水はまるで水のようだ」というとき禅者の心に水はどう写っているのか。

水をビーカーに入れて回りの空気を一気に抜いて水を真空にさらす面白い実験がある。私は常識的に考えて、その水は沸騰して水蒸気になると予想した。その通り、水はすぐさま激しく沸騰をはじめ、急速に蒸発していった。ところが、全てが蒸発したわけではなかった。かなりの部分が氷になったのである。

常識では水は熱いときに沸騰し、冷たいときに凍る。沸騰しながら凍るという状況は常識に反している。ところが、真空の実験をもとに科学の目で水をとらえなおすならば、そのへんにある水はまさしく水蒸気と氷が混在しているものだということがわかる。常温常圧のもとで水は禅者のいうように、まるで水であるかのように見えているのだ。


2004.8.2 リシャールヴィランク

リシャールヴィランクはツールで7回も山岳チャンピョンになっている。あまり好きな選手ではないが、まねしないわけにもいかない。今年のツールはラルプドゥエズがタイムトライアルのコースになっており、テレビでは各選手の登りでの走り方をじっくり見ることができた。どいつもこいつも8%の登りを時速20キロで走る怪物たちだ。素人目にも上手だ。遅いのにウイリーでゴールを切るおしゃまさんもいるし。リシャールヴィランクはそんな中で突拍子もない走り方をしていた。サドルに座らないのだ。最初はともかく10分たっても15分たっても座らない。ゴールまでの40分をずっとダンシングで行くのではないかと思わせるほどだった。

ダンシングは体重が軽いヴィランクのような選手に適した乗り方だ。クランクの回転を落として重いギアでぐいぐい行く。かっこいいではないか。ぜひまねしよう。と半原越でやってみた。

どこまでダンシングができるかに挑戦だ。スタートは当然トップギアだ。34×13Tという時速32キロで走るギアを使う。メーターによると回転は60rpm以下で、16km/hぐらいでている。まあ快調だ。どこまで行くか? 調子よく橋1を越え、丸太小屋の坂はギアを落として、15Tで何とか乗り切ったが、リッチランド手前で力尽きた。1500メートルといったところか。100メートルほどいってリッチランドを過ぎてすぐ気を取り直し、2kmまではもう一度ダンシングにしてみた。

もともとタイムトライアルをする気はなかった。ヴィランクの真似さえできればよかった。ただ、南風が乾いており涼しい日だった。走れば走るほど気分が良くなる。

2キロのタイムは7分50秒。早くはないが遅くもない。遮二無二2キロのTTをやったわけではないので、むしろいい記録だ。そこから15分計測ポイントまでは23Tを使ってシッティングですいすい走り、脚を休める。15分計測ポイントから10%超の1300メートルをどれだけダンシングできるかやってみる。ギアは中間の17T。ちょうど2倍なので42×21Tという選手のギア比といっしょでちょっと無謀だ。それでも頂上まで何とか脚を止めずにいけた。2キロ以降の平均速度は11.6km/hだった。

トータル時間は22分05秒で新記録には程遠い。しかし、大きな可能性を感じた。今回は3キロしかダンシングできなかったが、ヴィランクのようにやれれば絶対に、しかも手っ取り早くタイムを短縮できるはずだ。ほんの20分だけ無理をすれば記録が更新できるのだ。邪道のような気もするけど、誘惑には勝てそうもない。たった20分辛抱して腰を上げ続ければよいのだ。上半身の筋トレからはじまって練習メニューが心の中で組まれはじめている。右膝は痛いような気がするけど気のせいだと言い聞かす。20分を切ればこんな馬鹿げたことはいっさい止めるのだ。だからここんとこだけちょっと無理をしてもいいのだと自分に言い聞かす。


2004.8.3 P900i

ドコモのP900iという携帯電話を使用している。この機械はケータイでできることは何でもできるというのがうたい文句だ。基本的な電話やテレビ電話やメールやiモードや目覚ましや電卓やTVリモコンやファイナルファンタジー、およびビデオカメラにはなんの文句もないが、1点だけ悔しいことがある。

ミノムシ

P900iでは静止画で1280×960というとんでもないサイズの写真が撮れるということになっているが...とうてい撮れるといえない対象がこの世の中に存在しているのだ。左にあるように、そいつは何枚とっても、写真撮影の知識を総動員してがんばっても、ちっとも鮮明に写らず、ピンボケぶれぶれなのである。

P900iは絞り固定で露出はシャッタースピードかCCDへの電気的な露光時間かで調整していると思われる。晴天時でも日陰だとシャッタースピードが8分の1秒程度しかないようだ。ピントはオートで近距離にめっぽう弱いようである。30cmぐらい離れたものにむけてシャッターをきると、必ず後ピンになっている。超マクロにはめっぽう強いが、そいつは寄りすぎるとなにがなんやらわからない相手である。

とにかく私はこのカメラでミノムシが撮れないのがくやしくてしょうがないのだ。通勤途中にミノムシが多い柿の木があり冬から観察を続けている。夏になってかなりわいている大型のミノムシがオオミノガかどうか大いに気になるところだ。たまたま手が届くぐらいの距離にいて通勤途中にもシャッターチャンスにめぐまれるのだが、せっかくのP900iがどうもうまく働いてくれない。木陰で手ぶれし、風で被写体ぶれし、相手との距離はもっとも苦手な領域らしい。斬鉄剣がこんにゃくを斬れないように、P900iはミノムシを撮れない。これまで数回トライして「またつまらぬものを撮れなかった」とがっかりしている。ミノムシの撮影は「ケータイでできること」の範囲外かもしれないが、次の機種には虫の幼虫を撮るのに特化したケータイを加えてもらえないものだろうか。


2004.8.4 オークレイのサングラス

テレビでツールの中継を見ていたら解説の今中さんが「サングラスは絶対した方がいい。まぶしいだけでなく、目への風当たりがなくなるので、目が乾かない。つけたほうが快適に早く走れる」と強調していた。思い当たるふしがある。最近、走った後目が痛く、頭痛がひどいのだ。頭痛は熱中症の関係でもあろうけど、目が痛いのはサングラスで防げるかもしれない。雪山で雪盲になって頭痛もひどかった覚えがある。もしかしたらサングラスで頭痛も軽減されるかもしれない。今中さんの忠告に素直に従い、さっそくサングラスをするべきだ、だめでもともとだ、よしやろう、と決意した。

自転車のプロ選手がサングラスをし始めたのは15年ほど前だ。流行らせたのはグレッグレモン。レモンは自転車界にサングラスとスピードメーターとDHバーとアメリカその他を持ち込んだ。私もスピードメーターやサングラスを買った。レモンのしていたアボセットのメーターとオークレイのサングラスを選んだのは当然である。レモンはあまり好きな選手ではなかったけれどもチャンピオンなので真似をしない理由もなかったのだ。

当時、オークレイのサングラスは非常に高価であった。ただし、物そのものはとてもチープで適性価格は500円ぐらいとしか思えなかった。鼻あてがすぐとれる。フレームに板がうまく入らない。つるがもげる。そして何よりも私の顔に全く合わず、常に傾き、ちょっとあばれるとすぐにうれしいときの大村崑みたいになるのだ。それでも快適なのは確かで、各種の板をそろえだましだまし使っていた。

そんなやっかいでかわいいオークレイも1年ほどで壊れてしまい、買い換えるのももったいなくて、持ち運ぶのも面倒だから以後ずっとサングラスはしてこなかった。現在、手もとには15年前の名残のオークレイがある。板が3枚、予備の鼻あてが5個、壊れたフレームの残骸が1本。そいつらをしげしげ眺め、変身するウルトラセブンみたいに板を目に当ててみると、視界がおもいのほか良好である。高価だけあって板はよさげだ。まともなサングラスは2万ぐらいする。これをなんとかリサイクルして使えないものかとしばし知恵をしぼっていた。


2004.8.5 オークレイのサングラス2

オークレイ

簡単なことだ。ものすごく安いつるを買ってきて板を止めればよいのだ。最近は安売店でいろいろなタイプのサングラスをみかける。さっそく物色しにでかけた。

本気で探してみて驚いたのはサングラスの種類の多さだ。高価なものはいろいろなデザインがあるのは良いとして、1000円以下の使い捨てと思われるものでも、ものすごく多彩なのだ。いったいあれはどういうことだ? わからないのは、単にみてくれがちがうだけでなく構造的なものが根本的にちがうことだ。板とフレームでできていることには変わりがないが、ネジの本数とか板の厚味とかが全部ちがうのだ。安物サングラスのメーカーが20社あってそれぞれが3種ずつ作っているのか? ちがうだろ。そしてその大半が明らかに下品だ。その多彩さの目的は板の色や面積を変えるためでもなく、顔面の形状に合せるためでもない。しかも、同じ構造でタイプのちがうものが用意されていないのだ。必要があってのデザインではなく単に気まぐれでメガネを作っているとしか思えない。5万円のメガネならデザインがいろいろでもまあそうかなと思うが、1000円でそれなのだ。どこか狂っている。安物サングラスは工業製品として不合理だ。

今回必要なのは、板の端っこにネジ止めできるつるだ。材質はプラスチックが良い。で、100種類あっても意外とそういうものが少ない。とりあえず、1個買ってきて作ってみた。精細ドライバーでネジを外して新品のサングラスを分解する。取り外したつるをオークレイの板に仮あわせをしてうまく鼻に乗りそうな位置を確認する。場所が決まればキリで板に穴を開け、ネジ止めして接着剤で補強して終わりだ。簡単なものである。

簡単なものであるが、できはものすごくよい。もともとのオークレイの10倍は良い物になった。たまたま顔に合うようなメガネになったから、すごいもうけ物をしたような気がしてうきうきしている。


2004.8.6 晩夏

今夜はじめてカネタタキを聞いた。こいつを聞くといよいよ夏も終わりの感が強くなる。カネタタキに触発されて耳をすまし虫の声をたしかめてみる。夜鳴く虫たちも秋のメンバーが出そろってきたようだ。ニイニイゼミを聞いたのがつい先日のような気がするのに、年々私の夏は短くなっていく。今年は東京神奈川でクマゼミを聞いていない。


2004.8.8 秋のサイクリング初日

昨日半原越に行って帰宅後、ものすごく後輪が振れていることに気づいた。気づいたもなにもリムが波打ってブレーキのシューに当たるので後輪が回転しないのだ。自転車のホイールはすごくヤワで横方向の力にはめっぽう弱い。ためしに車輪を外してそこいらに寝かせてリムを押さえて少し体重をかけるだけで1センチや2センチは振れてしまう。ただ今回は振れるような事故に思い至らない。ミステリアスだ。

リム自体が曲がっているのならアウトだが、スポークの張力だけがおかしくなっているのならなおせる。この一月ばかりこのホイールのフリー側のスポークを15番に変えてやろうと準備だけはしていた。そのチャンス到来かもしれない。ひとまず、リムを外してチェックする。チェックは簡単だ。曲がってないリムにあわせてみてぴったり一致すれば曲がっていない。検査は合格だった。まだ使える。

ホイール組はもう手慣れたもんだ。というわけには行かない。多少の振れは容認してしまうので、年に数回しか振れ取り、ホイール組みはやらない。そのつど、新田真志さんの教科書をひっぱりだしてスポークの組み方を確認している。相変わらず、リムを右に寄せなければならないところで左に寄せたりするおしゃまさんなことをやらかした。以前のように1ミリ右に寄せるところを2ミリ右に寄せ、修正のために4ミリ左に寄せてパニックになるというおばかさんはやらなくなった。アジアカップの開始1時間前からはじめて、ハーフタイムをつかったので1時間半ぐらいで完成。

そのホイールをつかって境川を45キロ走ってきた。もう秋風でずいぶん涼しい。気温は32℃ほどだろう。ひさびさに「あったかくて気持ちがいい」という感覚を味わった。やっぱり夏は終わってしまったのだ。同じ条件では「涼しくて気持ちがいい」と思うのが夏。


2004.8.9 真夏のオオミノガ

オオミノガ

写真はp900iで撮った毎日観察を続けているミノムシだ。やはり後ピンだが日が入るとこれぐらいには写る。今日このミノムシはオオミノガだという確信をもった。ここのミノムシにはすでに3回ほど確信を覆されているが、ひとまず確信し発表する。

いま同じ柿の木にもう一匹別種らしいミノムシを見つけている。たまたま見聞録7月23日にミノムシ大としたやつだ。このミノムシ大は発見の日から微動だにしていない。緑の柿の葉にくっついたままだ。ミノムシが眠りにはいる場所として葉は不安定なような気がする。他の虫がその葉を食うかもしれない。そしたらどうするつもりか。そいつのミノはいまオオミノガと確信しているミノムシたちとは形式がちがう。棒状のもの(柿の葉柄?葉脈?)をかき集めたものだ。ただし私が連れてきてザクロで羽化したミノムシも同じタイプの蓑だった。同種にしてはサイズや成長の時期がちがう。オスメスの差とも考えられる。小さなオスがずっと早く羽化して飛び回り、蓑の中で羽化したメスを探すという寸法だ。

当時、その回りにたくさんいた小さいミノムシは葉を巻くタイプの蓑をまとっていた。それらの「ミノムシ小」はいまやぐんぐん成長して「ミノムシ大」をはるかに凌駕するサイズになり、私はオオミノガであるという確信をもったのだ。7月から8月にかけて成長することは他のオオミノガ学者の観察とも一致する。

また、私はオオミノガの生まれたての子虫が糸を吐き風に乗って移動するかもしれないという仮説を立てたことがある。この近辺には冬期にオオミノガの蓑を見ていない。いま、その柿の木以外では50メートルほど北にあるフジの木にオオミノガらしきものを見つけている。1匹だけであるから柿の木から移動してきた可能性大だが、歩きか飛行か、微妙な距離だ。

オオミノガの飛行行動は習性であると断言する学者もいる。その証拠はみていない。合理的に考えればそうでなければならないはずなのだ。有名な行動なのかもしれないがひとまず自分で確かめたい。柿の木には少なくとも20頭のオオミノガがいる。この調子だと、来年の5〜6月に生まれたての幼虫を採取できる可能性もある。これほどの食害を見逃してくれるその家の人には感謝したい。


2004.8.10 プロ野球改造計画

深夜から早朝にかけて渋谷で仕事をする機会があったので代々木公園のクマゼミを聞くことができた。じつは今年になって東京のクマゼミを聞けないのでどうしたのかと心配していたのだ。やはりクマゼミを聞きたければ午前7時に林にいないとだめだ。代々木公園ではクマゼミ定着宣言を出してよいと思う。

いっぽう大和市ではクマゼミを聞かない。聞かなくて当然だと思っている。私はクマゼミ平均寿命3年説とクマゼミ小移動説をとなえている。その根拠が大和市で最初にクマゼミを確認したのが2000年、その次が2003年だったからだ。植林などでクマゼミの卵、幼虫が人為的に運ばれないかぎりクマゼミ個体群が数年で1キロ以上移動することはないと信じている。次にここでクマゼミが聞けるのは2006年だ。

私がこうしてクマゼミの観察ができるのも読売のオーナーである渡辺恒雄氏のおかげである。私のクマゼミ観察のフィールドは近所の林地だ。その土地は渡辺氏の所有である。彼のご厚意により私はその林に生息するセミの声を自由に聞くことができる。また、その林の樹木が手をいれられずに放置されているのも渡辺氏が私のセミ研究に配慮してくださるからであろう。

そういう御恩があるのでプロ野球に全く関心のない私も瀕死の危機にあるプロ野球再生のために重い腰を上げ、一肌脱いでアイデアを提供してあげたい。

当然のことながら私は渡辺氏がおすとされている1リーグ制に大賛成である。ただ、球団を整理統合してセパを一つにするだけでは根本的な解決にならない。それだけなら銀行を統合して行員をリストラすることで一時的な業績アップをはかるのと大差ない。1リーグ制にして6球団からなるプレミアリーグを新設すべきである。

プレミアリーグは日韓合同である。日韓の有力6チームがペナントを争う。日韓のプロチームが優勝争いを繰りひろげるリーグ戦は新鮮だ。日韓の人の行き来も盛んになり経済効果も上がる。ナショナリズムも入ってホーム意識も国際的なひろがりを見せる。東京ドームの開幕戦でペヨンジュンとチェジウが始球式をやるだろう。そのときまで皆が覚えていれば。

プレミアというぐらいだから当然、下位リーグもある。JAリーグとKOリーグだ。それぞれは各国だけの国内リーグで、それらの優勝チームはプレミアリーグに上がることができる。プレミアリーグが日本あるいは韓国のチームだけになることを避ける意味もある。プレミアのチームも下位2つになったら降格だから必死だ。人気があるといわれている巨人だって降格するかもしれない。それでも日テレが巨人戦の放送を続けるかどうか見ものだ。10年後には台湾と中国も入れよう。始球式に金城武も呼べる。


2004.8.11 3で割りきれるミノムシの解像度

123456789に限らず各桁の数を足したものが3で割りきれれば3の倍数ということは中学程度の数学で簡単に説明できる。たとえば上の数は1×(99999999+1)+2×(9999999+1)+3×(999999+1)・・・・・+9であるから、それを展開すると9の倍数の部分と1+2+3+4+5+6+7+8+9の部分を足したものになる。右の方が3の倍数ならもとの数も3の倍数だ。いまの学校の通常の解法がどうなっているのかは知らないけれど、このていどのパズルなら昔数学の天才かもしれないと言われたほどの私なら朝飯前である。

オオミノガ

それよりもずっと難しいのはミノムシの撮影だ。機材の特性をじゅうぶんはかってP900iで再再々挑戦したのが左の写真である。実際は1280×960というびっくりサイズであるが、90%ぐらいに縮小してミノムシだけをトリミングしたから、ずっと広い風景として撮れている。これ以上アップにしようと寄ればピンボケがひどくて見られなくなるようだ。ちなみに1280×960の90%の数は3で割りきれる。そんなこと計算しなくてもわかるのは標準的なモニターの横縦比率が4:3であることを知っているからだ。


2004.8.11 ロッテガーナ

ガーナ

私の生活圏にあったミニストップなどのコンビニがものすごい勢いでセブン・イレブンに変わっている。今日はそのセブン・イレブンでチョコレートを買ってきた。店内を物色していると「復刻版」と称するロッテのガーナが目に付いたのだ。はて、復刻って、いつのまに製造中止になったんだろう?

ともあれ、ロッテ社のミルクチョコレート・ガーナは私がもっとも好きなチョコレートだ。甘いものに目がなくて、スイス、オーストリア、アメリカと内外の超高級と折り紙つきのチョコレートは行き当たりばったりに食ってきた。しかし、「これってドル?」と聞き返したくなるほど高価なチョコレートも味でガーナに勝ったものはない。

今日これを買ったのは久しぶりにガーナを食べたかったからではない。かといって「復刻版」ガーナに懐かしさをおぼえたからでもない。懐かしいといえば10年ほど前、ガーナが本当に懐かしくて買ったことがある。それは北海道か四国の片田舎の小さな雑貨屋だった。すっかり曇ったガラスケースの隅にそいつはあった。赤いガーナの包み紙は柔らかかったり固かったり数回変更になっていると思う。その当時珍しかった柔らかい包み紙だったので、製造年月日を見たら5年か10年ほど前の製品だった。いうまでもなく賞味期限も5年か10年か、途方もないくらい前に過ぎている。そういう珍品に巡り会ったうれしさもあいまって、旅の思い出に1個買った。賞味期限のことは店のばあさんには内緒だ。

おそるおそる包みを開けると、白いチョコレートが出てきた。いうまでもなくガーナは生まれてこのかたずっとチョコレート色のチョコレートだ。白いのは何かの成分が染み出したのか化学変化を起こしたのかカビなどの付着物があるかだ。手で触り臭いをかぐ。致命的な変化は起きていないようである。食えそうだ。ちょっとだけ食ってみる。普通のガーナであった。どってことない全部食う。むしろその辺のよりうまいかもしれなかった。

私がガーナを最もうまいと思いこんでいるのは、幼い頃に食ったチョコレートだからだ。当時はまともなお菓子は滅多に口にすることができず、ロッテや森永の板チョコなんて最高級の食品だったのだ。食い物の味についてはそういう経緯をいやというほど思い知らされているので、いまさら復刻と称するガーナを買ったりはしない。卑しさまるだしのセブン・イレブンの挑発にもげんなりだ。今日これを買ったのは単にレジの女の子がかわいかったからだ。その手の攻撃にはイチコロで、ちっとも悔しいとは思わない。


2004.8.13 強いぞバナナ

ガーナ

写真は近所にあるバナナの木である。花実こそついていないものの青々として立派な姿は威風堂々といえるだろう。ところが打ち明け話、このバナナはその命を私以外の誰にも望まれていない不幸な子である。バナナは近所の空き家にあり、じつは去年の8月に一度根もとから切断されている。根こそぎにしなかったのは単にめんどうだったからだろう。バナナと同時に庭のものがすっかり整頓されたので買い手が見つかったのだと思っていた。

新しい住人はまったく来る気配がなかった。そのかわり切り株は1か月もするとかつて紹介したこちらの写真のように薄緑の葉を出して急成長をはじめたのだ。冬には葉の先端が枯れてしまったものの、一年たったこの夏、ついに左の写真のところまで復活したのである。

バナナはいわゆる木ではなく草だということらしい。一株(ラメット)の寿命はどれほどなのだろう。四国で見ていたものは毎年実をつけ、すくなくとも10年は元気だった。バナナの産地に飢餓はないといわれる。その実が栄養豊富で量も多いからだが、その前にバナナという植物がものすごい生命力をもっているおかげだと思う。バナナは熱帯に行くと農地で栽培されているほかにも、道路端、畑の脇、山中などいたるところにある。食い物の足しにと住民が植えるのだろう。日本の柿のようなものか。

そういうバナナにウイルスかなにかの深刻な病気がはやって全滅するかもしれないという噂も聞く。なんでも、世界中のバナナはクローンで、もともとは数タイプしかないので病気には極めて弱いということらしい。動物ならともかく植物でもそういうことがあるのだろうか。もし、壊滅的な打撃を一地域、一国家、一大陸がこうむったとしても、バナナならきっと復活できるような気がする。


2004.8.14 カンタン撮影

カンタン

カンタンが鳴いているところをはじめてみた。数日前からセブン・イレブンの前の電柱の下の茂みからいい声が聞こえていて、気になっていたのだ。近づくと鳴き止むのだが、そっと近づいて動きを止めているとまた鳴き始める。あたりも明るく、声の方向から距離も近くて見えそうな所にいる感じだ。

カンタンは緑色で小さく細身。鳴くときには広い葉に穴をあけて顔だけ出して鳴く習性があるという。その噂通りの虫だった。少し見上げるぐらいで手を伸ばせば届くほどの葉に止まっている。葉の中央部に穴があり、上向きに顔だけ出して羽を震わせている。りゅりゅりゅりゅりゅりゅ.....といくぶんせつなげな綺麗な声だ。

せっかく見つけて、ケータイカメラも持っているのだからと、P900iで撮ったのが左上の写真。ストロボはないがライトはある。ちょうどスカートの中を盗撮するような案配でモニター確認できずにめくら撮り。相手は2センチの敏感な虫である。寄ればピンボケ、離れれば点。トリミングはせずに縮小だけしている。葉の形、穴と長く延びている2本の後ろ脚が確認できるのでOKということで。


2004.8.22 マック絶不調

この1年あまりだましだまし使ってきたPowerMacintosh9600 であったが、この1か月ばかりは不調も最高潮になってしまった。電源スイッチをいれて一発で起動するなんてことはまずない。平均3回ぐらいやらないとOS自体が立ち上がらない。立ち上がってもなにかにつけてフリーズする。

パソコンなんて忙しい時に限って致命的な故障を起こすというのは本当だ。気持ちに余裕のある時には多少の不具合は放っておける。しかし、今回は不調が許せなくてなおそうとした。それが間違いだった。とりあえず故障の原因は電池かメモリーだとあたりをつけてまず電池の交換を行った。すると画面が真っ暗なまま何も進行しなくなってしまった。症状はまた一歩悪くなったのだ。

何をやってもダメである。機械を「干す」ということまでやってみた。なんでも、全く電気のない状態で半日ほど放置すると治ることもあるらしいのだ。水道水は天日に干すと塩素が抜ける。コンピュータでもそういうことがあるのか。それともまじないじみた民間療法の一種か。にっちもさっちもいかなっくて予備のPowerBook1400c と9600 を使って凌いではいるが、1400 もメモリー不足と細かい不具合がある。また壊れた機械でメインにつかっていたハードディスクが読みだせなくなっている。2週間程の間の新規データが鉄箱の中に埋もれて発掘できないのだ。これは困った。

今は忙しい。ただでさえ徹夜の連続で睡眠時間は一日3時間ぐらいしかとれない。マックの不調に対するいらいらが最高潮にたっして新しい機械を物色しはじめている。


2004.8.25 ヤブガラシの好感度

アゲハ

窓の外にはあまりきれいとはいえないムクゲの木がある。盛夏にはほとんど花をつけないで、ここのところの涼しさでまた花が咲き始めている。そのムクゲの木に今年はずいぶんヤブガラシが巻きついた。去年までは木が弱ると困るのでちょくちょく引っこ抜いていた。ことしはずぼらをして、キャノピーが半分ほど覆われてしまった。

ヤブガラシに気づきながら駆除しないのはいろいろな虫が集まるからだ。極めて地味な花はこの季節のよい蜜源になっている。ハエやミツバチ、アシナガバチ、大きなスズメバチに蝶類。もっと放置していれば葉にはスズメガの黒い巨大なイモムシがわくかもしれない。いま夜の仕事が続いている。夜明けを迎えて床に入るまでの午前中の1時間を庭の虫観察にあてている。こうしてパソコンに向かいながらも、ときどき窓の外に目をやり、ヤブガラシに来る虫を眺めるというぜいたくを味わえるのだ。こうなるといくら手ごわい害草とはいえ切る気にはなれない。

おもえばヤブガラシやこれから咲くクズやアレチウリもやたらと虫に人気のある草だ。草仲間のあいだでは乱暴者で嫌われているかもしれないが、虫には好かれている。好感度がないと自然界では繁栄できぬものだ。


2004.8.26 カメムシ

カメムシ

相変わらず P900i で虫を撮ろうとしている。接写が得意な機械なので今日のようなものはよく写る。写真はカメムシの幼虫。白いのは規則正しく産みつけられた卵だ。母親はしばらくこの卵を守っていたのだろう。こどもらはしばらくこうして集団をつくりやがて散っていく。虫の体長は3ミリ程度で、カメラではちょっと寄りすぎてピンボケになっている。ぼけていることが撮影時にはわからない。

カメムシ2

こちらの写真も同じ木にいたカメムシの類。グンバイとかミミズクとかに近縁のものだと思う。はじめて見る虫ではないはずだけど名前がわからず調べてみた。図鑑でもネットでも判然としなかった。ミミズクの幼虫か? などとありえない予想が頭をよぎった。幼虫がこんな立派な翅をもっているわけがない。徹夜続きで頭がぴんぼけになっている。

こいつの体長は1センチに満たない。このぐらいのサイズの虫だと近寄れば P900i の接写にぴったりの射程になる。運良く距離も当たってピントもよい。ちなみにこの写真は若干縮小してトリミングしている。同じ木にはアオバハゴロモもいて撮影してみたが、例によってぼけていることと体が白トビしてどうにも見られる写真になっていない。この近所には蛾の類がきわめて少なくて寂しい限りだ。カメムシやアブラムシなどの翅を持ち草の汁を吸うタイプのものだけが繁栄している。


2004.8.27 Power Mac G4

ついに腹に据えかねて Power Mac G4 の銀色ぴかぴかのやつを買った。新品をショップで買う気はしないのでヤフオクで高めの価格で落札した。この機械だとOS9から起動できるので継承性が良い。ほかにも図体のでかさ重さ、ファンの音のうるささも見事に継承されており、たいへんよい。

キーボードはファンクションやらなにやらいろいろキーのあるやつでいまいちだ。US式でないのにくわえて、矢印キーがリターンキーよりも右に位置しているのがかなりつらい。小指で矢印キーを操作することを身につけるのにかなりかかりそうだ。ずっと使い込んでいるやつと同じタイプでUSBのものも市販されており、それを買ってきても良いのだけど、そんなことをすると今でも6つか7つ、それこそ数も覚えてないほどあるキーボードがまた一個増えてしまう。新しいものを買うのはいいのだけどずぼらで古いものを処分できないことが問題だ。


 
2004.8.29 音楽は何の役に立つのか

商売柄、三角関数は何の役に立つのかというような質問をうけることがある。その問いはむろんまじめなものではない。少し詳しくいえば「どうして受験勉強で三角関数を覚えなければならないのか」ということだ。人生に何かの足しになるのなら覚えてもよいけれども、なんの役にも立たないのならそのことを理由に覚えることを避けたい、ということだ。私はその問いに対してうまい答えを持っていない。そのかわり、そういう了見の受験生はまともな大学は早めにあきらめることをすすめている。

高校生のとき、三角関数が何に使われるかさっぱりわからなかったけれども、三角関数は好きだった。それを自由自在に使えるわけではないけれども好きだった。なにやらすごみのある美しさを感じていたからだ。ちょうど、楽器もひけず声もうまく出せないのにシューベルトや浜崎あゆみや長渕剛が好きなようなものだろう。私は数学が好きなかわりに音楽に感動できないように生まれついている。だから、数学の存在は自明だけれども音楽の存在理由については多少なりとも悩まなければならない。なぜ人は iPod なんてものをこぞって購入するのか? 桜島くんだりまで出かけて夜通し歌い聴くという愚行がなぜまかり通ってしまうのか?


2004.8.30 会話より先に歌があった

ウマオイは恋の歌を歌う。コマドリも恋の歌を歌う。ヒトだって言葉による会話をはじめる前に歌を使っていたことだろう。歌は感情の発露であり共感の道具だ。楽器も同じようなものだ。声帯を使って歌うよりもより大きく遠くまで響く方法でなにがしかのことを伝えるために楽器が利用される。ゴリラは自分の胸板をたたいて太鼓のような音を出す。キツツキはよく響く枯れ木を見つけ凄まじいスピードでくちばしを打ち付ける。共に楽器からの類推でドラミングとよばれている。この世の中は楽器の宝庫だ。竹、葦、石、木、皮...いろいろ工夫次第で大きく綺麗な音がでる。

鳥が歌う恋の歌はメスを催眠にかけ酔わせる作用があるという。おそらく、オスのほうでも麻薬的な快感にしびれて歌い続けるのだろう。鳥が歌を競うように、ヒトだって歌を競う。歌うことは自分にとって快感であるから、より気持ちが良いように歌う。歌を聴くことは快感だから、より気持ちがよい歌を求める。ヒトは言語を獲得したけれど、そうしたプリミティブな感情のやり取りを失ったわけではない。


2004.8.31 経験しか役に立たない

私は音楽と共に料理に対する興味も全く持ち合わせていない。だからこそ断言できるのだが、音楽は料理のようなものだと思う。無経験の調味料で料理を作れる人はいない。食べたことのないもので味を作り出せるコックはいないのだ。音楽も直接体験が勝負だとおもう。聞いたことのない音の楽器で作曲できる人はいない。未知のメロディも既知の楽器の音で作られる。音楽も料理も個人の経験が勝負だ。そしてその経験は自分の舌や耳が感じる快感不快感が物差しなのだ。

音楽に似ているけれど、数学はその点で音楽と完全に異なるものだと思う。数学は経験が何の尺度にもならない。中学校ぐらいでは「よくわかる」ためと称して、三角形を紙で作り、3つに切断してそれぞれの角を合わせて一直線にしようという愚を行う教師がいる。もちろん三角形の角を足すと180度で、そのことを信じるならば直線になるはずなのだが、じっさいに会わせた紙はかならずくの字型に曲がっている。直線を見分ける人間の能力は非常に高いので、「ほとんど直線」程度のものは絶対に直線とは認めないものだ。教室でのそういう経験は数学の勉強にマイナスだ。三角形の3つの角を足してもだいたい180度にしかならないということをその目で確かめてしまうからだ。

人は年寄りになるとなんだかんだと経験を持ち出す。「昔はこうだったが最近の若いもんはこうだ」という年寄りの決まり文句は、経験がなにがしかの意味を持つことを認めない限り無意味である。数学で経験を持ち出す人はいない。どんな年寄りでも、「最近は三角形の内角の和はぴったり180度らしいが、昔はそうじゃなかった。そういやあのころのsinθは1まではなかったもんだ」などとはいわない。


2004.9.3 音楽と創意

またアオマツムシのうるさい季節がやってきた。木の高いところにとまって一本調子でびぃびぃ鳴く虫だ。私の感性ではいい声の虫とは思えない。ところで、セミでもコオロギでも虫の鳴き方には個体差があまりないものだ。きっと鳴き方にそれぞれの工夫が入る余地はないのだろう。それが鳥になるとかなりの個体差がある。ウグイスでも上手に聞こえるのとへたくそに聞こえるのとがある。地域によって方言もあるようだ。また、鳥によっては自分の創意によって歌を変えることができるやつがいる。モズはほかの鳥の鳴きまねがうまい。オウムだと人声まで再現できる。それもこれも女の子をくどく熱情の賜物だ。

鳥はもちろん、虫でさえも満足のいく歌を歌っているわけではないと思う。きっと個々の目指すものの8割か9割がたのできで妥協しているのだ。ただ虫だと歌の最終形は計りやすい。現に今あるもの延長線上にそれはあるのだ。いっぽう人間にとっての究極の歌は存在しない。想像することすら難かしい。ヒトは生まれついて歌うべき歌をもっていないからだ。どの個人もそれぞれの快不快の感覚にしたがって歌を覚え作っていく。ヒトでは歌に対する感覚、表現力の個体差が極めて大きい。歌が人生に必須であればこれだけのばらつきはできなかったろう。


2004.9.4 音楽と実体

数学には実体がないが、音楽には実体がある。音楽の実体とは空気の振動である。音楽は音波である以上その媒体である空気なしには存在し得ない。空気の密度がかわれば音楽もかわる。極端な場合、ヘリウムの中で歌う歌はファニーだ。実体があるからこそ取り扱いがやさしいともいえる。とりあえず何らかの音を出して聞き修正を施しながら作っていくことができる。作品は空気の振動がすべてで、音楽の評価はその振動が快か不快かということになる。いわば成果を手に取って眺めることができるのだ。

数学には実体がない分、自由である。数学の方法に従う限り何をやってもかまわない。数学の対象はこの世の中に物理的に存在する必要はない。けれども普通には数学ほど不自由なものはないと考えられている。苦労して慎重に扱わない限り解が出ない。つまり不自由さがある。数学の制約は実体がなく経験的でないことにある。数式を一瞥しただけではそれが正しいのか間違っているのか、そもそも何なのかはわからない。つまり自由であるが扱いは難しいのだ。

純粋理性批判では数学は総合的だという。総合と分析は純粋理性批判の超重要な概念だ。しかしながら私は分析とは何かはよくわかるけれども、総合とは何かは理解できなかった。とくに、純粋数学が総合的だというくだりは10回読んでも100回読んでもさっぱり意味がわからないのだ。私はカントを専門的に研究しておらず独学でしかないのだが、それでもずいぶん重要そうなところなのでしっかり読んだつもりだ。カントはたぶん間違っていないのだろう。古今の天才たちが古典として認めているものなのだ。私は数学の本分は実体のないことにあると思う。カントは数学について指摘している総合的ということが同じ意味だとよいのだが。同じであれば、音楽鑑賞はすべて分析的ということなる。


2004.9.5 いろいろ干す

干す

昨日、半原越に行ってきた。仕事のしすぎで疲れているので、タイムトライアルをする気はなかった。案の定、登りはじめるとものすごく体がだるくて、ちっともがんばろうという気が起きない。ちょっと力を入れても10秒ぐらいで「ああ、だめだもうやめよう」という具合にぜんぜん意気地がないのだ。このまま、一生駄目なままなんじゃないかと不安にかられるぐらいだめだ。弱っているときでもなにくそと思えるならそれでいい。「だめだめ今日はこんなもん」などと開き直りはじめたら本当に駄目になる。

帰ってからコンピュータに記録されている時間をみると23分58秒。それでも25分を切っているのだから強くなったというか贅沢になったというか。登っているときは時計を見ていないので30分ぐらいかかっているつもりだった。全然がんばれない自分に腹が立ったので2回登った。

帰りはけっこうな雨だった。気温が高いので雨が気持ちがいい。ただ、あとで自転車を干さなければならない。チタンやジュラルミンでできている所はいいけれども鉄のパーツはさびるのだ。チェーンなんか雨で乗って放っておくと一発でだめになる。また、半原1号はフレームの中に水が溜まる構造になっている。BBの中の部分が鉄らしいので、それが腐食したらフレームもだめになる。それなのに眠ってしまって一晩放置した。いつも機嫌良く走ってくれている半原1号にもうしわけない。いろいろな意味でだめな1日だ。

干すといえば前の台風が来たときにも眠りこけていた。未明の驟雨で5時にはっと目が覚めて、やばいと思って飛び起きた。窓を開けっ放しにしていたのだ。案の定、机の上は水浸しになっている。買ったばかりの Mac G4 のマニュアル一式、図鑑に文庫本、その他もろもろ。キーボードも水が溜まっている状態、デジカメも液晶モニターもしぶきがかかっている。ひとまずそういう電器のものは水を切って電源を入れずに乾かすことにした。ホイールをねかせて、その上に濡れたものを広げているのが上の写真だ。


2004.9.6 裂けたパナレーサー

ストラディウス

半原越タイムトライアルはもっぱらストラディウスエクストリームというやつを愛用している。パナソニックの最高級タイヤだ。軽いのにしっかりした感じがとても頼もしい。次のタイヤもパナソニックの最上モデルを使うつもりだ。パナソニックはフレームなんかも作っているけどその本領はタイヤだと思う。自動車ではタイヤ専門メーカーのブリジストンはすばらしいフレームを作っている。タイヤのほうはさっぱりで、作る気はないようだ。パナソニックが自転車の電気部品でがんばっているかどうかは知らない。

ところで最近、ストラディウスエクストリームで走っていると、ホイール1回転ごとにクンクンと違和感を感じるようになった。気のせいではない。おそらくチューブのパンク修理のパッチが当たっているのだろうと思った。自転車のタイヤは繊細なパーツだから、ちょっとしたゴムの圧力の差も敏感に反応してしまうのだろうと、新品のチューブに交換した。しかし、その違和感は直らない。さればと、タイヤをよくよく観察してみる。バルブの近くがすこし盛り上がるような感じに歪んでいる。ほんの数ミリなのだけれども、クンクンするには十分だ。最近、同じあたりでよくピンホールのパンクもしている。

どうやらタイヤ本体が怪しいので取り外して調べてみた。タイヤの裏側に張ってあるゴムにいくつか細い筋状の亀裂が見える。そして、歪んでいるところは20センチにわたって裂け目が入り、ゴムが完全に切れている。内側が切れたタイヤを見たのは始めてだ。これではまともに転がらない。不良品ではなく設計上のものだとすると、ストラディウスエクストリームは耐久性には問題があるようだ。最近パナソニックはストラディウスエクストリームをモデルチェンジしてやや重量のある耐パンク性を高めたというものを最高級モデルにしている。このゴムを変更したのなら安心して購入できる。


2004.9.7 カルピスの影を見た

そろそろオリンピックのことを書いてもこの日記のポリシーに反しないころだと思う。女子マラソンで2位になったヌデレバ選手は以前から強い有名な選手だ。マックのことえりですら一発変換できるほどよく知られた選手だ。ということよりも、私は残り数キロ、1位の選手を猛追するヌデレバ選手にカルピスを見た。西日が落ち暗くなって街灯で逆光になった彼女のシルエットがカルピスに見えたのだ。誰も信じてくれないが私は確かに今は亡きカルピスのマスコットキャラを見たのだ。

子どものころ、カルピスのキャラが嫌いだった。なんだか不気味で怖かった。魔術を使って人さらいをやりそうな風貌に思えたのだ。どういう理由で飲み物のメーカーがあんな不愉快なものをマスコットにしたのかとんとわからなかった。

これまでに私はカルピスを2回思い出している。最初は松本孝美が出てきたときだ。あの目がカルピスだ。2回目は井上和香だ。あの口はカルピスだ。そして私は彼女らによってカルピスのトラウマを克服していった。ヌデレバ選手は強くチャーミングだ。思うにカルピスは彼女ら3美女の登場を預言していたのではないか。私は子どもで美女のなんたるかを知らなかったので怖かっただけなのだ。松本孝美・井上和香・ヌデレバの登場によってカルピスの預言は成就し、私が受けた傷は完全に治癒したと思う。


2004.9.8 ちびくろサンボ

カルピスのことに触れたらちびくろサンボを避けるわけにはいかない。カルピスとちびくろサンボはこの20年ずっとセットで使用されているからだ。ちびくろサンボがこの世から抹消されて久しく、私はそれを心から良いことだと思っている。あの作品はできがわるく、日本文学の汚点でしかないからだ。

私がちびくろサンボに接したのは40年近く前、小学校の教科書だった。カルピスのマスコットの意味がわからなかったと同様に、ちびくろサンボの面白みも謎だった。技術的には「るるるるるるる.....」という擬音語か擬態語の使用がわざとらしく媚びていると感じた。トラの回転速度の上昇を表そうという意図は小学生でも理解できたが、それ以上に作家の浅ましさが鼻についた。

私がなによりちびくろサンボを受け入れられなかったのは、あまりに荒唐無稽な内容があるからだ。トラが高速で走り回ったためにどろどろに溶解することがあってもよい。作り話のなかの出来事だ。トラのミンチをバターとよびたいならそれでもよい。そもそも虚構なのだから。そういうところは私もそれなりにがまんできた。

ところが、「大量のバターを手に入れたのでホットケーキを作る」というくだりは絶対にがまんがならなかった。当時、ホットケーキは高級食料でテレビの中でしか見たことがなかったのだ。テレビのコマーシャルによるとホットケーキを作るには「ホットケーキの素」というものを使うようだった。その素でまるいパンみたいなものを作って、直方体のバターと蜂蜜を乗せてナイフで切ってフォークで食うのだ。この世のものとも思えないほどうまいらしいが、東京の子どもか、町のお金持ちの子どもしか食えないだろうとあきらめていた。

四角いバターは給食にでていたので食べていた。マーガリンかもしれないが区別はつかなかった。蜂蜜は近所に養蜂家もいたくらいで、常時一升瓶にいっぱいあった。ホットケーキはそういう付け足しのものがあってもだめなのだ。私の家では蜂蜜が浴びるほどあってもホットケーキは作れない。当然だ。塩が大量に手に入って、おむすびを200個作る家庭は存在しない。結婚式で砂糖を一箱もらったからといって、だれが紅茶を1000杯いれるだろう。

ホットケーキはホットケーキの素が手に入らない限り作れないのだ。そこをないがしろにして、バターをゲットしたからといって食いきれないほどのホットケーキを作ってしまったちびくろサンボが許せなかった。私の家はサンボより貧乏なのか? そもそもホットケーキのくだりは蛇足感が強い。バターの始末をつけたいのなら、もっと気の利いたアイデアがいくらでもあるはずだ。ちびくろサンボは駄作だ。少なくとも教科書に載せられるほどの佳作ではない。この世から抹消されて毫も惜しいと思わない。


2004.9.9 20'39"の解釈

半原越に行ってきた。今回は暑かったのにがんばれたと思う。ただし、自己最高タイムは更新できなかった。22分31秒は1分以上遅い。

区間1  1.99km  8'12"  14.6km/h  58rpm
区間2  1.49km  6'19"  14.1km/h  56rpm
区間3  1.30km  8'00"  09.8km/h  39rpm

回転数が低いのは思うところあって重いギアを使ってみたからだ。38×19Tというのはクランクを一回まわすと4.2m進む2倍のギアだ。これまでは1.5倍ぐらいのを使っていたので、断然重い。

上の表で注目すべきは区間2でこれまでの最高タイムを記録していることだ。区間2はもっとも緩いところで、これまでは1.8倍ぐらいでこなしていた。そこはいまの私の力では重めのギアを使うのが早道ということなのだろう。

体調が万全でなかったにもかかわらず区間2で最高タイムをマークしたことで、とらぬ狸の皮算用をしてみた。これまでの区間ごとの最高の記録を寄せ集めたら20分を切っているだろうか? ということだ。もし切っていれば20分を切る日も近いかもしれず勇気がわく。

区間1は死ぬ気の2キロTTで7分30秒という記録がある。区間3は思いっきり体力温存して臨んだ6分50秒がある、それに今回の区間2の6分19秒を足せば・・・・・・20分39秒になる。なんて微妙な数字なんだろう。それぞれ実現している数字なのでできない相談ではないが、それでも39秒あまる。この数か月、23分前後でうろうろしていることを思えば、39秒の短縮というのは大仕事だ。しかしやってやれないこともないような気がするし、相当トレーニングしても到達できないような気もする。20分39秒の解釈は難しい。こんな皮算用やるんじゃなかった。


2004.9.11 20'38"という現実

朝、女房が喘息の発作で息ができなくなっていた。私も調子が良くない。自転車に乗りながらしばしば息苦しさに襲われる。なにか外的な公害様の要因があるのかもしれない。とはいいつつ、なんだか気合いが入っていて半原越に行ってきた。今回もがんばれた。自己最高タイムを1分近くも更新して20分38秒。奇しくも皮算用したタイムを1秒だけ上回ったことになる。区間1と2でラップの記録更新だ。

区間1  1.99km  7'24"  16.1km/h  63rpm
区間2  1.47km  6'01"  14.6km/h  66rpm
区間3  1.31km  7'13"  10.9km/h  46rpm

斜度のきついところは前回よりも重い17Tのギアを使った。完全に体重で進む方式だ。27Tを使って回すところと17Tで踏むところを使い分けることを心がけた。きついところは10km/hを維持できればよしと割り切って踏むことにした。

こういう乗り方をしていると、アスファルトしか見えない。幼い蛇がつぶされているのをずいぶん見る。夏生まれのものが大きくなって行動範囲が広がった結果かもしれない。ヒバカリらしいのが死んでいるのは悲しい。いちどは手元に置いて観察してみたいきれいな蛇だ。まるまるしたセスジスズメの幼虫もたくさん歩いている。蛹になる場所を探しているのだろう。車にひかれると派手に臓物を飛ばしそうだ。ヒガンバナは非常に多い。駆除しないのだろうか? それとも除草剤を使う季節にたまたま地中なので難を逃れているから目立つだけなのか。ヒガンバナには大きなアゲハがよく似合う。今日は3頭しか見なかった。この辺はミカン類が少ないからか。


2004.9.14 アスファルトと自転車の壁

道路の夢をみた。斜度にして30度はあろうかというとんでもない道路だ。アスファルトは黒々として滑らかに光っており、ぶつぶつと穴があいている。その道は見覚えがある。半原越の西端コーナーを過ぎた後の緩やかなS字の急坂だ。そこはいつも止まりそうな速度でゆるゆると越えている。幾度「今日も駄目か....」と思わされたことだろう。

夢の中で私は自転車に乗っていなかった。壁のような道路なのでまともに立って歩くことすらできない。両手をついて這って登っているのだ。ところが、いざはじめるとすいすい登れてしまうのだ。息は切れるけれども、思ったほどつらくない。

半原越の記録作りは夢に見るほど熱中しているのだ。とにかくあと38秒。なんとかなるだろうか。いま1秒あたり3メートルちょっとのスピードがあるので、距離にして100mから150mぐらい。ちょうど最後のS字を超えてラストの直線部分ぐらいだ。

日曜日に自転車を友達に渡した。デジタル一眼レフとの交換だ。慣らしのため、いっしょに30キロほど境川を走った。これがえらく疲れた。彼は中年にしては体力があるのだが、自転車は初心者で時速15キロぐらいでしか走れない。私も合わせて15km/h。そうすると、ペダルにもハンドルにも力を入れれないからサドルにどっかり座ることになる。2時間もそんな乗り方をしていると、いくら乗り馴れた半原1号とはいえ、ものすごく尻が痛くなって泣きたくなってきた。じつはこれまで尻が痛いという経験をしたことがなかったのだ。あれはつらい。3回もあんな目にあえば自転車なんて見るのも嫌になるはずだ。多くの初心者がこのつらさを乗り越えられなくて挫折しているのだろう。自転車にも壁があるのだ。彼の家は約1km続く壁のような9%の激坂の上にある。大丈夫だろうか。初回は登り20分もかかったらしいけど。


2004.9.17 イヤとしか言えない日本人

私は必ずイヤといってしまう。イアとは言えないのだ。中学校で習った英語でもYはヤ行の子音だったり、イという母音になったりしていたので、人類普遍のことかもしれず、日本人が特に苦手な発音だからかもしれず、または私が方言的に苦手だからかもしれないが、やっぱりイアはイヤになってしまう。

たとえば耳飾をイヤリングというが、あれはどっちかというとイアリングではないのか。アメリカ人の言うことは全く聞き取れないので、 earring にヤという音がないという保証はないけれど。地球上で最も硬い結晶として知られる diamond は日本語ではダイヤモンドのほうが正当だ。でもダイアモンドというほうがより近いのではないか。ダイヤの原語がどこの国のもので、また、元の音にヤのあるやなしやは知らないのだけど、つづりにYは入ってない。tire は日本語でタイアというと通用しない。タイヤである。もしかしたらグッドイヤー社の外人は「ぐっどいやーノたいやハべりーぐっどヤー (笑)...」というようにヤで韻を踏んで寒い洒落れを連発しているのかもしれないが、同社に友人がいない私に確かめようはない。

こういうご時勢でもあり、私の個人的な意見としてはイアだけでなく、できればイ列に続くアはすべてヤにすべきだと思う。カリフォルニアをカリフォルニヤといいイタリアはイタリヤといいたい。あたりまえのことだが、いかりや長介はいかりやだ。

なぜ、アメリカに対してノーと言えない日本人がイヤといってしまうのか、いろいろ疑問になってちょっと調べてみた。そもそも伝統的日本語では「いあ」という音を使う単語は極めて少ないようである。広辞苑を部分一致検索でひいても合成語のなかでしかたなく出ているものばかりだった。


2004.9.18 やせる苦労

この半年で体重を3キロほど落としたのは登りで有利だからだ。半原越で最高タイムをマークするには体は軽い方がいい。自転車の記録を作るためでなくても、みんなもっとやせた方がいいと思う。周囲を見渡せば太ったやつか、やつれたやつばかりだ。細くてシャープな感じの人は実に少ない。特に若い女性にいない。去年に市川雅俊さんからそのことを聞きあらためて確認し合点した。

シャープにやせるには運動するのがよい。発明大国アメリカでは各種の痩身器具が発明されており、テレビ通販を使って安価に購入できる。どれもよく工夫されていて絶対に効果があると思う。ただし、室内でああいう運動を30分もやると、床は汗が溜まって掃除が大変だとおもう。しかし、それぐらいやらないと効果もない。

私もかつて同じようなことをやっていたことがある。札幌では冬は全く自転車に乗れない。それで、室内でローラーにのる。二重窓の外側の空間は氷点下5℃ぐらいになって、ガラスを垂れた露が凍っている。そこでパンツいっちょうになってハムスターのようにローラーを回すのだ。1時間もやるとぽかぽかになって汗まみれだ。

私は病気なのかなんなのか暑さを感じず汗をかかない体質だ。夏でも気温が35℃ぐらいまであがったときに坂道を登ってはじめて汗が垂れてくる。平地だとけっこうがんばっても背中あたりがうっすらにじむ程度だ。それでも風があたらない状態だと氷点下の部屋でも汗まみれになる。普通の体質の人が室温22℃でアメリカ式の痩身器具をやったら相当悲惨なことになるだろう。フリーダイヤル(ダイアルのほうが近いのか?)に電話する前に汗のことを考慮してほしい。


2004.9.19 なぜやせられないのか

普通に生活していて太ってきたなら、やせるためには生活を改善しなければならない。それは無理をするということだ。その無理ができる人は限られている。私の周辺でいわゆるダイエットに成功した女の子は全員がもともと痩身の美女だ。20歳のころはさぞかしモテただろうと思う。彼女らは物心ついてからずっと男の視線を感じながら生きてきただろう。だからこそ体の崩れの危機感も人一倍強いのだ。そういう美女でなくてもやせたいという女の子は多い。かんちがいしてはいけない。「モテたい」ではなくあくまで「やせたい」だ。モテるようになるのは非常に難しくそのマニュアルはない。やせるのなんて簡単なことだ。モテるのに比べれば。

彼女らにはいろいろな下心もあって、やせる相談を持ちかけられることも多い。やせるのはそれなりに大変で、どうせ無理だろうから適当なアドバイスでお茶を濁す。どのみち彼女らがやせることに本気だったためしはない。女の子の間の競争に勝ち残りたいとか、たんに体重が増えてきたからやせたいという程度の軽い動機しかないのだ。

なぜその程度の動機ではやせられないのか、ダイエットコントロールさえうまくいかないのか、痩身化に失敗することの最も大きな原因はやせてもいいことが特にもありそうにない、あるいは何もなかったからだ。体重が少なければ峠では確実に速くなる。マラソンでは確実にタイムがあがる。脂肪を落として筋肉をつければ体が軽くなる。軽やかに歩いて行ける。そういう確実な目的はなく、彼女らは「かっこ良くなりたい」のだ。大きな声では言えないが、99%の女の子のかっこ良さは体重と無関係だ。

やせればモテるわけではない。そもそもやせててモテてる女の子なら、ちょっと太ったぐらいでもてなくなることはない。やせてるのにモテる女の子は標準まで太ればもっとモテるだろう。このことは断言してもよい。肉欲の対象にならない女の子はまれだ。よほどでないかぎり、太っていることが理由でぜんぜんモテないということは考えられない。モテない原因は他のところを探さなければならない。不純で不確かな動機でやせた先に闇を見るのではかわいそうだ。


2004.9.20 女子大生を見直す

私は女子大生が好きだったことがある。30年ほど前、大学生だったとき女子大生がすごく好きだった。卒業してからはOLのほうが好きになった。そのまますっかりおやじになった。さいきんでも仕事がら女子大生を雇うことも多いので、彼女らとの付き合いはある。中には彼女らにうつつをぬかすオヤジもいるけれど、そういうのは羨ましくも哀れである。そもそも20歳ぐらいの娘が美しくかわいいのはこの世の決まり事のようなもんだ。だからちょっとぐらいすてきな娘さんがそのへんにいたところで、あえて気にすることもない。

町田市を自転車で走ると必ず迷う。これまで迷わなかったことは一度もない。また迷った。面白いのはいつも同じようなところで迷い、同じ道に復帰することだ。今回は多摩美大からの尾根道を南下して、西に降りているつもりが東に降りてしまい修正がきかなくて迷った。鶴見川という看板を見つけ、はじめて迷っていることに気づき方向をただすことにした。頼りになるのは時刻と太陽、それに町田ではゴミ焼却場の大きな煙突だ。困ったときにはひとまず丘の上に突っ立つ煙突に向かって走れば良い。図師、小山田の方から煙突へ、何度リカバリーのためにあのきつい坂を登ったろう。

焼却場から境川へ降りる途中に桜美林大学がある。その大学の近くにある信号の前で止まった。私は交通法規をよく守り、他の自転車や歩行者には極めてやさしいライダーだ。いつもより早めにブレーキをかけ、早めにストップしたのは下り坂だったこと、そしてかなり素敵な一団が目に入ったからだ。木綿の白い道着に紺の袴の若い娘のグループは中年おやじの目をひき、ブレーキを引かせるに十分な力がある。

どうやら桜美林大で弓道の試合があったようだ。弓をもった娘さんが10人ほど信号が青にかわるのを待っている。私が止まるとすぐに信号が青になり彼女らが歩き始めた。弓道は静かな運動だが、あれでけっこう汗もかけば息も上がる。彼女らはじゃっかん髪も乱れ頬が紅潮している。大会の成績がよかったのか話しあう様子もいくぶん興奮気味だ。西風が女の汗の匂いをかすかに運んできた。

弓道部の女子大生、しかも試合直後、萌え要素満点じゃないか。道着にはお茶の水女子大とあったから、女子大・生だ。この20年間、ずっと彼女らを不当に低く見積もっていたことを後悔した。女子大生って本当にええもんだ。

彼女らが行き過ぎて、こちらの信号も青に変った。もう一度、その後ろ姿を確かめてから道路を渡った。すぐにバス停があり、そこにも二人組の女子大生がいた。どうやらバスを待っているようだ。弓道は静かな運動だが、あれでけっこう汗もかけば息も上がる。化粧も崩れる。それでも道着を着たままバス停のベンチでファンデーションを塗り直すのは都市の美化の観点からもやめてもらいたい。先ほどの見解は多少下方修正が必要になった。女子大生にはすてきな娘もいる。


 
2004.9.21 地動説を知らない子どもたち

天地無朋などというタイトルをつけていることからわかるように、私には子どもたちに天動説・地動説を教える義務がある。しかしまだその任を果たしているとはいえない。

一般に誤解があるかもしれないが、日本の小学生に地動説を教えてはならないというきまりはない。地球外に視点を置かないように指導しているだけだ。なるほど、あまり頭の良くない教材屋でも太陽、月、地球の絵をかいて、コンピュータでぐるぐる動かせば、夏冬で太陽の高度が変わり日夜の長短があるとか、月が満ち欠けする理由を説明した気になれる。しかし、それはあまりに不十分で天文の真の妙味のひとかけらも表現していない。

どうして春分の日だけ東から太陽が昇るのか? 太陽の出入角度が季節変動しないのはなぜか? どうして半月の光る面のまっすぐ先に太陽がないのか? そういう素朴な疑問の前にCGは無力である。地平や天体間のスケールは図示できない。地上から体験する天体の運行をモデルと結びつけるには天才的な想像力が必要だ。いまあるような図と宇宙の間を自由に行き来することは小学生では無理である。小学生だけでなく並みの人間には無理なのだ。

私は文部省とも、理科教育のエキスパートともそれほど親しくないので彼らの真意は知らない。ただ地動説の排除にかぎっていえば、それはありきたりなひどい解説の排除と同値だと思う。私は現行の指導要領を、科学教育に携わる者への挑戦だと解釈している。文部省は「子どもに地動説を本気で教えたいのなら安易に流れず実感を持たせる工夫をしてほしい」と私に依頼しているのだ。地球外に視点を置かせないことで、教材屋には「もっとよく考えて教材を作れ」また教師に対して「科学教育を手軽な解説で済ませてはならない」と(正面切ってはいえないので)暗に指摘しているのだ。この意地悪な挑戦には受けて立つだけの値打ちがある。勝負どころは、どうすれば地上での観察事実から地球が丸くて回っているかもしれないということを子どもに薄々でも感じさせることができるか、という一点だ。


2004.9.22 地動説の難しさ

これから私は文部省の味方をして、地動説を理解することがいかに難しいかを凡人でも理解できるように解説してあげようと思う。難しい数学は使わない。むしろ数学的に難しいのは天動説の方だ。私は天動説の数学がさっぱり理解できない。数学どころか、天動説の誕生自体が不思議だ。おそらくはガリレイやコペルニクスの3倍ぐらい賢く、10倍ぐらいまじめだったプトレマイオスがどうしてあんな複雑怪奇な天体の運行に固執してしまったのか、ちょっとしたミステリーといえる。

地動説でもっとも大切なのは地球の自転だ。見かけ上、視覚的にも視角的にももっとも動きが速いのが自転だからだ。おもちゃやで売ってる望遠鏡でも地球の自転を目で確かめることができる。で、問題は地球の自転によって天体がどういう動きをするのかをきちんと把握することだ。ひとまず公転や月や銀河系はおいといて、この宇宙で動く物は地球だけだとみなしてそのイメージを持とう。月や太陽の運行を無視するのには理由がある。月が公転してもどるのに1か月、太陽では1年かかる。見かけ上、それぞれ地球の自転の30分の1、365分の1のスピードでしかない。その程度のものは無視しても当面不具合は起きない。

この宇宙には地球とその他がある。宇宙はとんでもなくでかいゴムボールで、その中心に地球がある。その他の天体は地球から無限の距離にあるボールのゴムに全部張り付いて微動だにしない。動くのは地球だけ。しかも両極の軸を中心にコマのようにまっすぐ立って一日一回のスピードで回っている。これが神の視点からの基本イメージだ。

さて、地球の上に立っているあなたには星々はどのように見えるだろう。あなたが北極にいる場合、頭の上に北極星があり、それを中心に月日星がぐるっと回転しているだろう。水平線には白鳥座(私は天文にはほとんど興味がなく本当に白鳥座がそこにあるかは知らないが)があり、頭を水平線に沈めた体勢のまま回り続けているだろう。次に、あなたは赤道直下のボルネオに来た。北極とは全く違う星々の動きが見られるだろう。白鳥座は太平洋から真上に登り、天頂を通過して12時間で熱帯雨林のなかにまっすぐ落ちて行く。運が良ければ真北の木の脇に北極星が見えるだろう。北極星はいつもだいたいそのあたりにいる。昼でも夜でも、12月でも6月でも。

北極やボルネオでの星の動きを想像することは難しくなかったと思う。では、神奈川県ではどうだろう。北緯35度という半端なところでの星の動きが想像できるだろうか。正解は非常にシンプルで、教科書にでてくる北極星を中心にぐるぐるまわっている星々の、あのおなじみの写真が観察できるはずだ。北極とボルネオの中間地点なのだから、まあ傾いてぐるぐる回っていてもいいだろう。北極星の高さは緯度と一緒だ、といわれれば優等生なら図を見て理解もできるだろう。しかし、あなたはその正しく単純なことが「想像」できるだろうか。三角錐のロート型に回転する視点から宇宙を見れば、あの夜空の半端なところに北極星が張り付いて、その周りをカシオペアやらが回っている、あの写真になるというイメージを作れただろうか。神奈川県に立つ自分の視点の動きと星の見かけ上の動きを関連づけて直感することは不可能なのだ。北極やボルネオなら容易なことが、その中間にいるというだけのことでできなくなる。

これが地動説を教えることの決定的な障害である。人間は水平や垂直に回転するイメージは持って生まれ落ち、その後もちゃくちゃくとその力を伸ばしていけるけれども、傾いて回るイメージは持てないようなのだ。もし、そのイメージが人間に生まれつき備わっているならばけっして天動説は、とりわけプトレマイオスの天動説はこの世に生まれなかったと私は確信している。

冷静に考えてみよう。いくつもの天体がものすごい速度で歩調をあわせて日々刻々移動していながら、それぞれが固有の動きをもっている、なんてことがありえるだろうか。月は毎晩あんなに高度を変える軌道をとっていて、どうやればもとに戻れるのか。そういうことが天動説では説明がつかない。あんなにちゃんと物事を考える古代ギリシャの人間なら、北に行くと北極星が高くなるという事実を知っただけで「地球は回転する球だ」というアイデアを容易に手に入れることができたと思う。串刺し丸焼きでぐるぐる回されているブタの目には、あの北極星中心にぐるぐるまわる天体の軌道が見えているということが、自然に思い浮かぶのであれば。


2004.9.23 秋分の日と公転

というわけで地動説をちゃんと学ぼうとしても不可能だということがお分かりいただけたと思う。この人間精神の壁にはこの先も様々な諸局面で遭遇するだろう。自転の次は公転だ。

ガッツ石松は「日が昇るのはだいたい右」といってるが、それはまちがい。正解は「だいたい東」だ。緯度と季節によっては太陽は北や南から昇る。たまたま今日は秋分というたいへんめでたい日で、北極だろうと南極だろうと神奈川県だろうと、地球上のどの場所でも太陽が真東からのぼる。それは国民の祝日として十分な理由だ。また、このことを知っておくと海賊になってお宝を探すときにも役に立つ。

ドーラ ほとんど真東だね。飛行石の光が指した方向は。
    間違いないだろうね
シータ 私のいた塔から日の出が見えました。
    今は最後の草刈りの季節だから、日の出は真東よりちょっと北に動いています。
    光は日の出た丘の右端を指していたから....
ドーラ いい答えだ。

緯度によって日の出の北への移動幅はかわる。ドーラはベテランの飛行家なので、シータが育ったゴンドワとの緯度を補正してラピュタの位置を計算したりするのだろう。そろばんを使って。

秋分

公転を考えるため、こんどは、宇宙ボールの中心に太陽を置こう。太陽の周りを地球が回っていることをイメージする。あなたは太陽に立って地球の動きを観察している。左の図はあなたが見た今朝の地球だ。左の円弧上に神奈川県がある。ちょうど日の出だ。神奈川だけでなく左の円弧の上にある町ではすべて日の出だ。この図からわかるように、それらの地点で自転方向の接線がまっすぐ太陽を向いている。つまり、太陽が地平線真東にあることになる。これが春分と秋分に太陽が真東から昇る理由だ。この程度のことは(ここまで読み進めて来た人なら)容易に直感できるだろう。

秋分は太陽から見て、一番左に地球の自転軸が傾いているときだ。春分は右。夏至は一番手前、冬至は一番後ろ。緑色で「揺れ年一回」と書いてあるのがそれだ。私は天文にはあまり興味がないので、その揺れを専門家がなんとよんでいるのかをしらない。太陽から地球を見ていると、地球はスピードのおちたコマのように365回転で一回首を振っていることがわかる。この程度のことは誰でも直感できるだろうが、その先に困難が大きな口を開け待ち構えている。「公転によって太陽は神奈川県からどんなふうに見えるのだろう」

太陽から地球を観察するのは簡単だが、揺れている地球から太陽を見ることを想像するのはちょっと難しい。想像をやさしくするために地球の自転を止めよう。今日の秋分の日の出をきっかけに地球の自転を止めよう。さて、神奈川県から太陽はどう見えるだろう。

明日の朝、といっても24時間ずっと日の出なのだが、太陽は2個分ぐらい地平線の下に沈んでいるだろう。年一回転の揺れにより、太陽は日々刻々と沈んで行き、神奈川県は半年間の夜となる。つぎに太陽が出てくるのは春分の日、真西からだ。そして夏の間、ずっと太陽はさんさんと照りつけ(暑そうだ)秋分の日に沈む。

地球が自転をやめたときに太陽が西から昇って東に沈むことはわかった。その軌道はどうなっているのか、南極ではどうか、北極では、赤道では? 場所によって違うのだろうか。考えすぎると当たらない。正解はシンプルで、無限遠にあるゴムボール宇宙をすぱっとまっ二つに切る実線が引ける。いわゆる星占いの水瓶座や双子座を通って行く線で「黄道」とよばれている。黄道を見つけるには、地球も太陽も点と考えるのがこつだ。揺れる自転軸ぐらいではその実線に影響はない。

黄道は宇宙ボールにひかれた実線だが、観測地の緯度によって黄道の見かけの場所がかわるはずだ。太陽は黄道を移動しながら自転によって日々の運行もする。分析的に見て行くとなんとかイメージもできるけれども、それらを統一して観測事実に結びつけるのは難しい。

とりあえず、地球の自転がなければ「西から昇ったお日様が東へ沈む」ことがちゃんとわかっただけで大もうけだ。どこかで聞いたせりふだ。くどいようだが私は天文にそれほど興味がない。これまでの記述は30年以上前の受験勉強のうろ覚えで書いている。参考文献は「宮崎駿著 天空の城ラピュタ絵コンテ集」だけだ。もしかしたら完全にピンぼけしているかもしれない。ちゃんと勉強したい人はよその文献を当たってほしい。天才バカボンとか。


2004.9.25 天地を結ぶ

夏至

自転と公転の概要が把握できたところで、天と地を結びつけなくてはならない。左の図は最後の草刈りの2か月ぐらい前の夏至の地球を北極側から見た物だ。Nは北極点、Aは赤道のどこか、Bはゴンドワ、Cは北極圏のどこか。太陽は上にあり、それぞれの赤い矢印が太陽の方向を指している。

A、B、Cそれぞれの地点で、南北はNと結んでいる青い線の方向だ。東はそれぞれの地点を通る中心Nの同心円の接線。特別にC地点で緑の円で示した。この図でCの東は右になる。ほんとうは東西南北は各地点に接する平面に投影して見なければならないのだが、私にはそこまで描く余裕がないので想像して欲しい。

この程度の図からも地上から見る太陽のみかけの動きと、地動説とのつながりが見える。夏には北に行くほど夜明けが早くなる。AとCでは時差は6時間あるけど、夜明けは同時だ。しかもCはこの日、真北から太陽が昇り(現時点)一日中日が沈まない。Bでも、ちょっとわかりにくいけれど、夜明けの太陽の方向がずいぶん北に寄って見えることがわかる。Aですら地球の傾きのぶんだけ北に寄るはずだが、Bではもっとだ。もちろん、夜明けはAより早く日中の時間も長い。

想像力のある子なら、それぞれの地点から引っ張っている赤い矢印を上方向に固定して地球を回すことで、夏至のときの太陽が地上からどう動いて見えるかを思い描くことができるだろう。同様に春分や冬至も。そういうことが難しい子には、コンピュータを使った3次元のアニメーションを与えれば良い。


2004.9.26 地動説の意味するもの

地動説に限らず、常識に反するたぐいの科学理論が意味することについては一般常識としてどんな人も知っておくべきだ。地動説自体は職業科学者以外の人に意味はない。地動説を身につけるには丸焼きになる豚の気持ちがわからねばならない。その能力がなくても人生には何ら支障がなく、あらゆる仕事ができるから気に病むことはない。天文学者にだってなれるだろう。唯一、数学のある特殊な分野で活躍することをあきらめなければならないだけだ。

私は20世紀の科学の時代に生まれ、いまだかつて天動説を信じたことがない。太陽はともかく、天体の日周運動を知るよりも早く、地球が丸いとか動いているということを聞かされていた。また、谷間の部落で生まれ育ったので「地球がたいらである」という誤解すら生じなかった。

小学生ぐらいになって天体の運行を知った後でも天動説は無力だった。天が動くと聞かされていなかったからだろう。そもそも天動説は私の自然観に反している。月日星の動きは、もし彼らが動いているならば整然としすぎている。私は自然の運動はそろいすぎてはならないという確信があった。川ですら一部の水は下流から上流に流れるものであり、雪片には地から天へ舞うものがあり、風が西から吹くときでも竹の一部は西に傾いているものだ。星や月があれほど整然と動くからにはこちらが動いていると考える方がはるかに自然であった。ただ、地動説とて耳学問であり腑に落ちるものではなかった。地球や宇宙のサイズ、速度が想像力を越えているからだ。

理論を持っていれば、天体の運行についての経験は生きてくる。耳学問でしかない地動説、天動説であっても、そういう怪しげな非常識な理論の存在を知っておれば根を詰めて星や月を見る気になるものだ。また、運行の規則性を知っているなら理論はただの空論ではなくなる。

天体の動きは早いうちから実感していた。わが家では中秋の満月にはみんなで月の出を迎えていた。団子や飾りがあり、新聞で月の出の時刻を調べ、山の端が明るくなり、いいしれぬ高揚感のなか末広の杉林から煌煌と照る満月が昇ってくる様は荘厳なものであった。そういう日常体験は天体が動くことや日によって月の出の時間や位置が変わることを知るには十分だった。しかし、「地動」を体験することはスケールの点で困難だった。

ある日のこと、満月を眺めていると雲の切れ端が次々に前を流れて行った。それを眺めてふと、もしかしたら動いているのはこっちかもしれない、という感覚にとらわれた。雲が近く月が遠いので、こちらが動いていると雲の方がずっと早く動くのだ。それはもちろん錯覚でしかなかった。川の水を見つめていると定期的に流れているのがこちら側だと感じる、あれと同じ錯覚だ。あの観察は地動説と無関係だったけれども10年後、心理学の研究に結びつくことになった。


2004.9.27 コリオリの力のうさんくささ

私は子どものとき雲の流れが地球の自転によるものではないかと思った。もちろんそれは完全な思い違いだ。しかし、気象のことを学んでみると、雲が自転とは無関係ではないことがわかる。大気の大循環は自転を反映している。台風の渦は自転の影響による「コリオリの力という見かけ上の力で」できると説明される。有名な理論なので見聞した人も多いだろう。そして、あれをうさんくさく思った人も多いことだと思う。もちろん私もコリオリの力は万有引力の法則なみにうさんくさかった。

私は天文よりも気象の方に興味があり、どうしてもコリオリの力というものの正体を突き止めておかねばならなかった。いろいろ当たっていろいろ聞いて、それがどうもみなうさんくさい。やさしくしようとしてかえって難しくなっているのか、説明者に根本的な誤解があるのか、どうにも承知しかねるようなこじつけか難しくて理解できない説明ばかりなのだ。誰もが口をそろえるのは、北半球で移動する物体はコリオリの力によって右方向にずれる、というところだ。この現象はよくわかる。赤道の空気は時速1500キロで東に向かっている。中緯度の地面の移動は時速1000キロでしかないのだから、もし一気に中緯度までやってくれば、時速500キロの西風になる。これは「見かけの力」というより本物の力を空気が持っているような気がする。逆に、北から南に向かう空気は時速1000キロ速いベルトコンベアーに乗り移るのだから、猛烈な東風になるだろう。こちらは見かけの力っぽいが、それる方向はやはり右だ。

ところで、右に右にといいつつ右曲がりの螺旋を描いていると矛盾に気づく。いうまでもなく台風は左回りの渦だ。右にそれる風がなぜ左に吹くのか? 台風や低気圧の渦はコリオリの力に反するものなのか? 考えることのできる子どもが必ずつまづく所だ。まあ、その程度のことは、もうちょっと考えると正解を手にすることができるだろう。ただし、真東、真西に向かう物体も右にそれるか? というのは結構な難問だと思う。ウェブを回ると、遠心力との関係で右にそれるという解説もあった。正直、ほんまかいなと疑っている。あっても測定できないほど微弱じゃないのか。風が自転にあわせて正直に真西、真東に進む理由はなく、真東真西にある空気も最短距離をねらって北回りで吹くことはありそうな気がする。


2004.9.29 地動説が産むもの

私には子どもたちに地球が回っていることを教えるとともに、天動説が何者なのかを教える義務がある。天動説の類似品が理論のふりをして世の中にまかり通り、純朴な人々を罠にかけて喜んでいるからだ。

地球の自転は天体が動いていることがわかると同時に確認されていることだ。しかし、自転に伴う加速度を感覚できないから、天体の運行をただちに自転のせいにはできない。てっとり早くはコリオリの力を感覚すれば自転が分かる。もし、人類が季節とともに南極から北極へ渡りをする鳥であれば、コリオリの力を直接感じたはずだ。そうなっていれば地動説もあたりまえのことだったかもしれない。地球上に蔓延しているコリオリの力を理解することすら難しいのは、人類500万年の生存にまったく無縁な力だったからだろう。二酸化炭素が匂わなかったり、20000ヘルツの音が聞こえなかったりするようなものだ。

台風の渦の秘密を自転起因のコリオリの力を使わずに説明するのはプトレマイオス並の豪腕が必要だろう。江戸時代の人でも北半球のあらゆる所で嵐の中心に向かって反時計回りに風が吹き込んでいるという事実は気づけるだろうが、その原因の説明には地動説が必要だ。

ひとたびコリオリの力が発見され科学的に体系付けられると、台風だけでなくいろいろな現象に応用できるようになる。大は夜空のかなたの銀河から、小は浴槽の排水渦まで、渦を見たらいっぺんぐらいはコリオリの力を疑ってみるだろう。地球上のコリオリの力は大きさが分かっているので、排水渦の原因は別のものを探さなければならないこともわかる。もし銀河の渦の成因にコリオリの力があると特定できるものならば、その量を計算することで直接観測できない宇宙空間のひずみや運動が導き出せるかもしれない。私は天文があまり好きじゃないので銀河の渦の成因についてそんな仮説があるかどうかはしらないけど。

現象は感覚の原因でありつつ観念の原因である。科学の理論とはいえ人間の手にかかれば無数の妄想と袋小路の産みの親となってしまう。それは人類の必然であって、理論の価値とは無関係だ。理論はそうした諸悪を産み落としつつも一筋の正しいアイデアを積み上げていく可能性を持っている。そして些細でもそれができるのは、いわゆる真理や正義や愛や友情ではなく、科学理論だけなのだ。

プトレマイオスは彼の天動説によって当時発見されていた惑星の運行を完璧に記述していたという。であれば、それはいい加減な地動説よりもずっと正しく役に立つものだったろう。彼は名声を得、人々に感動と喜びを与え、経済効果も大きかったかもしれない。しかし彼の天動説は数学で描かれた美しい叙事詩にすぎない。そしてそれだけのものであった。天動説をとるかぎり冥王星は発見できず新彗星の軌道予測も不可能だ。たぶんそんなものだろう。くどいようだが、天文のことは良く知らないので断言はできないが。


2004.9.30 21分38秒

ひさびさに半原越にナカガワを持ち込んだ。半原越タイムトライアルを始めたときにはずっとナカガワを使っていたのに近頃では半原1号ばかりになった。ここいらでもう一度原点にもどってナカガワで走りたいと思った。以前と同じ自転車でも楽々25分を切れることを確かめておきたかったからだ。

鉄のラグ付きフレームはやっぱりきれいだ。バーテープも薄いてかてかのビニールを巻いた。すっかりクラシックなロードレーサーだ。ギア比も原点に戻している。フロントが53×39T、リアが13×24T。10年前の競技選手が使っていたようなノーマルなギア比だ。そういう重いギアに戻したのは、ちょっとあせりもあって力でぐいぐい走るトレーニングを始めているからだ。

区間1  2.00km  8'41"  13.8km/h
区間2  1.47km  5'49"  15.2km/h
区間3  1.30km  7'08"  10.9km/h

区間1のタイムが遅い。新記録は狙わず景色を楽しんでいた。ところが、区間2はレコードになっている。試しにかなり重いギアでコーナーを攻めてみたからだ。そういう無理をすればタイムは縮まる。区間3は全部腰を上げ「踏んで」登った。登山のボッカを思い起こすようなリズムだ。峠の上では21分38秒。余裕を持って楽々このタイムだ。


2004.10.1 衰えを感じること

またなんで半原越タイムトライアルなんぞを始めたのかというと、おそらく衰えたからだ。昨日、ナカガワを買った頃のことを思い出していた。このナカガワで一番走った道は支笏湖への山道だった。当時、札幌にいて毎日20キロ走り、休日はもっぱら支笏湖にでかけていた。札幌から往復で70kmとちょっと、最高地点は標高600mほどの峠越えだ。私が走る道路の脇は札幌市民に人気のサイクリングコースで、冒険気分でサイクリングをしている子どもがたくさんいた。

そのころも速く走る気はさらさらなかった。誰とも競争することはなく、競争して勝てる気もしなかった。支笏湖でもサイクリングの子どもには勝てたが、全日本クラスの選手には並ぶことすらできなかった。夏トレしているスケートの高校生ぐらいがいい相手だ。子どものころから体力や運動神経は平凡だと思い知らされ、あこがれのプロ選手になれる見込みは全くなかった。とにかく美しい北海道の森の中を走るのが楽しくて、ひたすら体力のあるかぎり走れるだけ走っていた。自転車で走りはじめれば速い方が気持ちいいに決まっている。速度を上げる練習はせずともコンピュータはつけていたので最高速度や平均速度は記録される。支笏湖では平均で27〜28km/hを記録していた。

いま思えばそれはとんでもなく速い。自分の記録とは思えないほどだ。ちょっと前に走ったヤビツ峠から246号線までのダウンヒルだけの平均速度が32km/hだったのだ。思い起こせば、支笏湖の登りで15km/hより落ちることはなかった。一番きつくてダメだ〜っと思っていたときに見たメーターが13km/hを表示していたという記憶がある。ただ一度、登りで降りて歩いたときだ。いま最大の目標は半原越で14km/hを越えることだ。

今朝、観察を続けているミノムシの蓑に穴があいているように見えた。手が届かない枝の先だ。たった30cmだからジャンプすれば届くと思って跳びついたらぜんぜんダメだった。しかも、腰がぐきっときてしまった。ソフトボールの試合に出ればジャストミートしても外野の手前までしか飛ばない。走れば足がもつれて転ぶ。老眼が進んで眼鏡なしでは5分も本が読めない。人間は衰えるのだ。

「年寄りの冷や水」などという嫌な冷やかしの言葉があるけれど、人と競争して勝てないような人間は病気になるか老化でもしない限りトライアルもしないだろう。つまるところ凡人が本気で勝負する気になれる相手は自分自身だけなのだ。


2004.10.2 穴のあいたミノムシ

昨日、ミノムシを取ろうとして腰がぐきっとなったりして体中だるいので、半原越に行く気がなくなった。それで、なんとなく相模川の左岸を軽く60kmほど走ってみることにした。相模川は堂々たる大河で水は澄み美しい。普通の道を普通に走るのも気持ちいい。やっぱり境川やなんかの檻は変だ。今回は運良く自動車をほとんど気にすることなく城山湖まで行けるルートを発見した。

城山湖は地図で見てて一度はいくだろうな、とそれとなく予感していた場所だ。地図を見るだけでも不思議なダムだ。丘の上に無理してあんな小さな水たまりを作って水力発電してどうするんだろう、とよそ事ながら心配になっていた。じっさいに出かけてみると、これがなかなかきれいだった。周囲は森で水は結構澄んで、プチ摩周湖という雰囲気がある。名所らしくハイキングの老人と行く当てのないカップルが集まっていた。

じつは、相模川近辺はものすごく渋滞し信号も多くほとほと嫌になるところなのだが、今日の道の調子なら、相模川を北上して甲州街道をうまく出入りして行けば山梨もらくちんだという気がした。自動車の渋滞さえなければ、1000mの峠を越える200kmのコースも恐れるに足りない。

ミノムシ穴

写真は穴のあいたミノムシだ。観察を続けている柿の木には期待通りおびただしい数のオオミノガと思われるミノムシが蓑をつけている。私が「ご本尊」とよんでいる蓑は半分とれかかっていた。たぶん1年ぐらいで自然落下するのだろう。今年生まれのほかのミノムシの成長は順調だと思うが、この穴のやつはだめだ。どうやら中は空である。

気になるのは誰が穴をあけたかだ。ミノムシ自身は蓑の中央に穴をあけたりはしないだろう。かといって、オオミノガヤドリバエなどの寄生虫にしては穴が大きすぎる。奴らならちょっと見ただけでは気が付かないぐらいの2mmぐらいの穴をあければ出てこられるはずだ。右下の角度を変えた写真をみれば、かなりの力で強引にあけたものと想像できる。とすれば鳥の仕業かもしれない。鳥なら、蓑を枝から外して足で押さえて蓑をやぶって食べないのだろうか。枝につけたまま、穴だけあけて中のミノムシを引っ張り出して食べるという、そんな器用なことをする鳥はいるのだろうか? シジュウカラはひまわりの種を足で押さえて食べることができるけれど、よくにた風貌のハシブトガラはそれができないということも思いだした。ともあれミノムシの蓑に穴をあけるのはかなりの手練だ。誰の仕業であれ、いちどそのお手並みを拝見したいものだ。


2004.10.3 OSXどうするよ

昨日の快晴が嘘のような雨。さすがに秋の天気だ。まったくもって冷たい雨なので自転車に乗るのもためらわれた。こういう日はフリーセルである。すでに17000個を突破して快調に進んでいる。難をいえばスーパーマックフリーセルは古いソフトなのでバグが多い。せめてOSXに対応させてもらえないものか。あまり大きな声では言えないのだが、現在野菜七ですらフラッシュとCのバージョンが開発中である。そうすれば世界中の人が野菜七を楽しめるようになる。繊細なソフトなので公開は数年後になるだろうが。

OSXといえばファインダーはずっと旧OSのほうがよい。フォルダ・ファイルの整理は昔の方がやりやすかった。たとえば、フリーセルではフォルダー1個につき1000個のファイルを保存している。その中にはやっぱり4つぐらい脱落したものがある。たとえば16204番を飛ばしたりしているのだ。そういうのを探すには、横10個たて100個に並べればどのファイルが脱落しているか一目瞭然だった。それが横3個しか表示できないようではけっこうなストレスになる。それならとOS9から起動しようとすると何やら壊れているらしくて立ち上がらない。どうするよ。


2004.10.4 さようならヤブサメ

いろいろな所にがたが来ている私の体、今日の健康診断で耳が聞こえなくなっていることが判明した。すでに目の方は視力0.2まで落ちている。こっちはしっかり自覚症状があった。しかし耳はまだだった。目が悪くなれば耳も悪くなる。自覚症状がないのは高い音だけが聞こえなくなっているからだ。10000ヘルツの高音がさっぱりだ。音響関係の業務はやっていないので仕事に支障はなく放置することにした。

年をとると高い方の音から聞こえなくなる。普通の仕事の人はあまり気づかない老化だ。野鳥が趣味の人はこの老化をいち早く察知することができるらしい。年をとるとヤブサメがだめになるからだ。ヤブサメは薮の中にいる夏鳥でシシシシシシと極めて高い声でなく。夏薮のよい背景音。あまり鳥に関心のない人にはもともと聞こえない音だと思う。耳に入っていても虫の声と判断するだろう。

里の山に入ればたいがいいる鳥なので野鳥の好きな人なら聞き逃すまい。思い起こせば、この数年ヤブサメを聞いていない。そういう場所に行っていないからだと思っていたが、こっちの耳がいかれてしまっていたようだ。虫にしてもしばらく前から鳴く方向が特定できなくなっていて迷っていた。特に左がダメになっていることの影響か。今年はエンマコオロギとアオマツムシばかり鳴いていると思っていたのもこの耳のせいかもしれない。


2004.10.9 台風

ストラディウス

今年は日本に台風がたくさん来たのに、わが大和市からはずいぶんそれていた。今日のやつはどうやら直撃だ。午後5時、雷を伴ったすさまじい風雨になった。雷がおきる台風は珍しい。これだけ大型のやつなのだからいっそ目を体験させてくれないものか。明るさといい雨の吹き込みといい、ぎりぎりでモクレンの木が撮れた。

そして、午後7時を過ぎると雨風はすっかりやんで星空がのぞいている。足の速い台風だ。


2004.10.10 12ページの詩集

せっかくの休みなので集中してフリーセルに取り組んだ。この2日で、150個あまりを解いた。フリーセルはやればやるほど上達し上限が見えない。上達するにつれて解くのもやさしくなる一方で、解けないものに出会えそうな予感がますます小さくなっている。今現在で17188個。この先どうなることか。

ところで、ただフリーセルをやるのも芸がないので、CDをかたっぱしからマックに取り込んでいる。iTunesで1曲あたり20秒ぐらいでコピーできる。こんな荒技をやってもハードディスクの空き容量を気にする必要がない。数年前とは隔世の感がある。で、久しぶりに太田裕美の12ページの詩集を聴いた。12ページの詩集は作りも丁寧で太田裕美のアルバムの中で最高傑作といわれている。ただし、その味わいは30年前のノスタルジックな感傷あってのものだねと思っていた。17才の頃に聴きすぎたから。

今日、数年ぶりの彼女の声がやたらと色っぽい。高音部の聴き取りが怪しくなっている中年オヤジの耳にとても具合よく響くのだ。17才の子どもには聴き取れない音もある。


2004.10.11 ウォーターレタス

ウォーターレタス

写真の薄い色の草は商品名ウォーターレタスという浮き草だ。レタスの類ではなく食用にもならない。バッタすら食わない。東京のデパートでも売っており、その正体は東南アジアあたりの水田雑草だろう。こいつでちょっとした発見があった。

当初、わが家では水鉢の中のメダカの産卵床として導入した。評判では非常に良く増えるということだった。たしかに、写真の段階で1か月ほどが経過し数は20個になった。根元のところから子どもの株がぶくぶくできて分裂して増えるのだ。

あまり増えられても困るから、あるとき一個だけを残して撤去した。おりしもアサザなどの睡蓮が増えて水鉢は葉で一杯になっていた。睡蓮はオンブバッタが好物なのですごい勢いで食うけど、そんなことぐらいでやつらの成長は押さえられない。

睡蓮も摘んではいるけど追いつかない。常時水面は草で覆われている状態だ。睡蓮の葉はいくらでも増えて重なってしまうのに、ウォーターレタスのほうはずっと1個のままだった。8月の一か月で全く増えなかったのだ。そのかわり一個が丈夫に大きくなった。どうやら、ウォーターレタスは回りが何かに触れていると子どもを作るのをやめるようだ。隙間があればどんどん増殖し、水面を覆い尽くすと数を増やすことをやめ、折り重なって共倒れになることを避ける戦略ができ上がっているのだと思う。


2004.10.15 練炭

このところテレビで練炭のことをよく見聞きするようになった。七輪や練炭を使用する人が増えているようだ。私が物心ついたころ、四国の片田舎ではガスや石油が普及途上で、すべての家庭に七輪があった。プロパンガスは燃料自体も器具も高価だった。北海道とちがい石炭は一般的でなく、暖房の主役は炭だった。質の悪い軽い炭に自家製の消炭をまぜて使っていた。石炭を加工した練炭は炭よりも上等で、煮炊きに欠かせず暖房にも使えた。

練炭の灰を捨てに行くのが子どもの私の仕事で、それが結構好きだった。捨て場所は畑の脇か川だ。当時は川には何を捨ててもよいという決まりだったので、住宅地付近の川の護岸には灰の筋がいくつもついていたものだ。練炭の灰はかなり硬く、七輪をうまく返すと原形を保ったまま取り出すことができる。どれほどうまく取り出すかが第一の勝負どこ。そして川べりに立てた灰を川に落とす。灰は土煙を引いて川原に落ち破裂して四方に飛び散る。壊れやすいものを慎重に扱う楽しみ、壊れやすいものを派手に壊す快感。取り出したときの形が整っているほど壊す楽しみも大きかった。

また、近所に貧乏なばあさんが一人暮らしをしていて、ほとんどの家庭がガスを導入してもしつこく七輪を使っていた。毎日、夕方になると道にでて煮炊きを始める。ぼくらはときどきそのばあさんのところに取った魚を持っていっていた。うなぎとか鮎とか上等な魚ではなく、カワムツという西日本の小河川でもっともポピュラーな小魚だ。食用魚ではなく、肺ジストマという風土病もあったので、誰も食べなかった。ひとりそのばあさんだけが食べていたので大きなカワムツが捕れると持っていってた。ばあさんに魚をあげるのが誇らしく、自分でも内緒で食べたかったのだ。ばあさんは内臓もうろこも取らず七輪の網に無造作にカワムツを置いて焼く。さすがに魚だから焼けばそれなりにいい匂いがする。味は淡白でけっこううまかった。

いまではずいぶん出世したので、付き合いで高級な鮎や岩魚などの川魚を食べる機会もある。そいつらを食うたびあの味を思い出すけれども、七輪のカワムツよりうまいと思ったことは一度もない。


2004.10.16 いまいち不調

夕焼け

私は寒いのに極めて弱い。ここのところの冷え込みで風邪までひいてしまったので、今日は外で遊ばないことにした。外に出れないということはフリーセルのチャンス到来だ。ところが、風邪をひいて頭がぼうっとしていまいち調子が出ない。3番目にあたった17257番が解けない。もしや、と思ったけれど、まじめにあれこれやったら小1時間で解けた。かなり頭が悪くなってる。

また、この3日ばかり机の上にサンツアーコマンドーという自転車の部品を置いて分解したり組み立てたりして構造を確認して遊んでいる。老眼で小さいものは見えないし、集中力も落ちてうまくいかない。気が付かないうちに直径2ミリのベアリングを紛失しているかもしれない。せっかく外で遊べない状況でありながら屋内でも遊べない。

ずっと寝間着のままで過ごすつもりだったけれど、隣のおばさんが妙な毛虫に刺されたというので服を着替えて正体を確かめにいった。そいつは非常に派手ないかにも悪そうな面構えだ。センターをはしる赤いラインが特徴で、イラガらしい鋭い刺を誇示するかのように前後左右上下に突き立てている。食われたのはサルスベリの幼木でほとんど葉が残っておらず退治しても手遅れだった。もうこれ以上食われるものがない。写真をとって図鑑で名前を確認した。

夕方、染まった雲がきれいだった。この秋はじめてストーブをつける。


2004.10.19 コマンドーの改造

夕焼け

この数日こいつをいじっているのは、改造しようともくろんでいるからだ。これは、今は亡きサンツアー(前田工業)のコマンドーという7段変速のシフトレバーで、10年ほど前に購入したものだ。正直言ってとびっきり優秀なものではない。こいつの後の世代のシュパーブプロで導入されたオーバーシフトの機能もなく、固くて融通がきかないので調整は難しい。それでもこいつには愛着があって使い続けている。

改造は中の小さな鋼鉄のパネルを交換して9段用にすげかえるだけだ。パネルの制作は工房赤松というところに注文した。1か月かかるが5000円でやってくれる。分解組み立ては自分でやるので、そのパネルができあがるまでに構造を熟知しておきたいのだ。こういう単純なものでも、いざ分解して数個の部品にふれ、その意味や設計意図を読むとエンジニアの様々な工夫や気概を感じることができる。

で、そういう改造を思いついたのは島野工業のマウンテンバイク用最高級ディレーラーXTRがこいつと組み合わせるといい味をだすことがわかったからだ。コマンドーの弱点はレバーを前に押したときにギアが軽くなることにある。通常のWレバーは押すと重くなる。ところが、XTRは普通のディレーラーと逆の挙動をするので、コマンドーで使用したとき通常にもどる。中学校で習う-1×-1=1というやつの事象面といえよう。とりあえず、半原1号にジュラエースの8段用カセットとXTRのミドルゲージに8段用のコマンドーを組み合わせ、スムーズに働くことが確認できた。ならば、せっかく工房赤松が9段用を作ってくれるのだから9段用のセットも持っておかねばならない。これはコマンドーを愛用する者の義務だろう。

ちなみに、このプロジェクトで購入したXTR、ジュラエースの9段カセット、コマンドーの8段用は中古でそれぞれ1万ぐらいした。注文品のパネルと合わせれば4万円の変速システムになってしまう。4万あれば、競技選手が使っているシマノのSTIにだってできる。あっちのほうが優秀で具合の良い機械に決まっているのだが、どういうわけかお金がもったいなくてやる気がしない。好みというのは面白いものだ。ついでに、工房赤松にはぜひシマノ10段対応用も作って欲しいと思う。10個ぐらいしか売れないかもしれないけど。


2004.10.20 魚は目で見ているのだろうか

ふと思った。魚は目でものを見ているのだろうか? 人間は目で見ているから無条件に魚も目で見ていると思っている。ところがやつらは常時水の中にいて視界が余りよくない。光は周囲を探知するためのベースとなる「視覚像」を作るのに最適の材料とはいえないのではないか。水中なら光よりも音波の方が回りの景色や友人の像を作るのにずっと有効だと思えてきた。

そもそも光でなければ見えないと結論する理由は何もない。音波や匂いをもとに形や色を見わけるシステムがあってもなんら問題はないのだ。光も音も畢竟は脳へつながる神経の刺激になるにすぎない。生物はより安定に有効に利用できる刺激をメインに世界を認知するのが自然だ。もともと水の中で生まれずっと水から出ずに進化してきた魚たちが目でものを見る必然はない。

いうまでもなく光は世界を見るのに最も有効な手段だ。速い。曲がらない。反射しすぎない。波長が短く周波数が高いので詳細で大量の情報伝送が可能だ。利用する術さえ開発できれば他の波に比べてずっとずっと有効だろう。人間はそれを実現しているので、他の動物が同じように光を受信する「目」という装置を持っていれば、似たような視覚像をもっているんだろうと早合点しがちだ。

しかし、ほとんど光のないところや濁り水のなかで一生を終える魚もいる。普段は澄んでいる川が濁ったときでも魚がパニックになっている様子はない。もしかしたら魚の目はわれわれの耳に当たる器官で、台風で濁流になった川を見渡して「今日は静かだ。」などと思っているかもしれない。また、婚姻色といってカワムツのいけてるオスは腹が真っ赤に染まるが、あの色と動きはメスの目に小鳥のさえずりのように聞こえている可能性も高いと思う。


2004.10.21 田園都市線に乗った蛾

いつも通り超満員の電車に渋谷から乗りこむと、車内を小さな蛾が舞っていた。私が目撃したのはほんの2秒ほどで他に気づいた人はいないようだった。蛾は人ごみのなかにまぎれすぐに見えなくなった。もう二度と会うことはないだろうとそのときは思った。

ところが、溝の口で10人ばかりが降りると、再びその蛾は人影から飛び立ち、重そうに二度ばかり旋回すると私の二つとなりに立っているお嬢さんの背に止まった。毛羽立ったパーカーのフードに頭を下にして静止している。夜の田園都市線ではそれぐらいの並びでは近すぎて老眼鏡がないとピントが合わない。おもむろに眼鏡を当てて見る。その焦げ茶色の羽は枯れ葉が枝についたまましおれた形体を模している。トビイロトラガに近縁かもしれない。

生きている蛾に興味を持って、あとで図鑑をひいて名前を確かめようとしてもまず無理だ。蛾の仲間は一見しただけで種の歴史物語を感じ取ることができるほど個性的なものが多い。今日のやつもそうだ。しかし、展翅して標本写真になって図鑑に並ぶとたちまち輝きをうしなって没個性になる。オオミズアオでもないかぎり記憶と写真を合致させることなんてできない。生体と図鑑写真にこれほどギャップのある生き物も少ないだろう。

蝶とちがい蛾は生きているうちが花だ。そいつもこういうつまらぬ所で道に迷って死んでしまうのは哀れだと思った。私なら救済の手を差し伸べることができる。しかし、込み合う車内でいきなりお嬢さんの背中に手をかける中年おやじの末路も哀れ。放置するのが賢明だ。

蛾も私に劣らず賢明でずっとおとなしくしていた。そして幸いなことにお嬢さんはフードに蛾をとめたまま青葉台で降り、ホームに消えて行った。蛾にはささやかな未来が開けたろう。そのお嬢さんのうなじは程よく焼けてきれいだった。顔がどうかは確かめていない。


2004.10.22 とっても安い電池を迷って買ったこと

電池

電池の持ち時間が短くなっているようで、そろそろ新しいのを用意したほうがいいだろうと、センター街のさくらやに寄ることにした。店の近くでばったりえりこさんにあって驚く。彼女はとてもチャーミングだ。はじめて会ってからもう10年。ぴちぴちギャルもすっかり素敵なおばさんになった。ほんとうは「すてきなおばさんになったね」などとは言うもんではない。言うけど。

それはさておき、私はいくぶんケチな性分である。買い置いたリンゴやナシが腐ってしまうと泣きたくなるぐらい悔しい。あまりに私が悔しそうにするものだから、女房は油断を責められているようでいたたまれなくなるらしい。そういうケチな性分に輪をかけて特別電池にうるさい。子どものころ、電池は金銭的にも質的にも貴重なものだった。ちょっと油断すると無駄に使ってしまうし大事に使ってもすぐに切れた。しだいに力を失い弱って行くのがもの寂しく、すぐに死んでしまう祭りの金魚の風情があった。

数百万の自動車や数十万のパソコンとかは、気の向くままキャッシュでぽんぽん買ってしまうのに、電池には慎重だ。いまは充電式の単三、単四があるのでいくぶんかは気楽になった。そのタイプのものを物色していると、現在使用中のものと同じタイプのソニーが投げ売りされていた。「新発売」とあるシールはウソだから何かの手違いで一年ほど寝かされた商品ということは確実だ。しかし、2個で472円は「値下げしました」の範疇を逸脱していると言っても過言ではない。ときどきカメラ屋なんかでどこの馬の骨ともわからないような単三が「たぶん使えます」という断り付きで10個100円で売られたりしているけど、あれと同じぐらいの無茶だ。念のために店員に安い理由を尋ねたが知らないようだった。それとも彼には守秘義務があるのか。疑惑ぷんぷんの商品だけど「まさか盗品ではあるまい。これで500枚撮れれば元だから...」と自分に言い聞かせ、ひとまず4個だけ買うことにした。


2004.10.23 植物のせいで酸欠死?

メダカ

庭にひとかかえほどのサイズの水鉢を置いてクロモやアサザを植えている。そのままだとボウフラの発生源になり近所迷惑でもあるので、中に小魚を入れなければならない。最も適当なのはヒメダカだ。ペットショップでえさ用の物が20匹あたり500円ぐらいで手に入る。

ただし、いくら安価といってもメダカは私にとってとても貴重な魚だ。というのは子ども時代を過ごしたところが中山間地で、川にも田んぼにもメダカはいなかったからだ。メダカは八幡浜市では新和田より下流か八代にしかいない。いまでは新和田や八代の蓮畑も住宅地になってしまったので、市内では絶滅しているかもしれない。峠を越して川之石の水路にはまだいるだろう。ささやかな生き物でも居なければ貴重品だ。教科書やら雑誌やらでよく見るメダカやザリガニやゲンゴロウは、やはり手に取って見たかった。

だから、メダカもないがしろにせずにしっかり育てるつもりだった。6月の当初、ヒメダカは順調に産卵し子どもが増えて首尾よくいくと思われた。ところが、7月頃から死亡するものが増え瞬く間に一匹もいなくなってしまったのだ。買い足して追加しても死ぬ一方だ。先週も20匹入れたのに今では5匹ほどしか確認できない。

その死因をめぐって家族や近隣住民がさまざまな説を称えている。水が悪いのか。雨で流れているのか。何かが食っているのか。よそに分けた分は元気に生きているので、メダカ自体の健康に問題はないようだ。最も気になるのは酸欠死説だ。水鉢はほぼ全面を睡蓮の葉が覆い、水中はクロモがとぐろを巻いている。植物が多すぎて、空中から酸素がとけ込まず呼吸困難で死んでしまうというものだ。


2004.10.24 初夏の風情にかき回される

モズ

お昼頃、パソコンに向かってフリーセルに取り組む耳に窓の外から聞きなれない鳥の声が響いて来た。センダイムシクイのようでもあり、オオヨシキリのようでもあり、ウグイスの谷渡りのようでもある。そしてどれも中途半端でセンテンスが切れ目なく無節操に出てくる。いったいなんだろう?

私はそれほど鳥に詳しくない。神奈川の住宅地で普通に見られる鳥ですら、全種を見分ける自信がない。ましていまは渡りのシーズンで知らないやつがいっぱい来ていることだろう。窓を開けて鳴き声のほうを探してみる。そいつは桜の木のてっぺんにいた。姿を見れば種名ぐらいはわかる。モズのオスだ。しかし、いまはもう10月の終わりだから、モズが恋を歌う季節ではないはずだ。それとも、モズは秋にも鳴きまねを披露する習性があるのだろうか。

ちょっと調子が狂ったので、秋の風情を確かめたくなった。秋といえば黄色い柿、赤いカラスウリ。そしてなんといってもミカンだ。幸いこの近くにもミカン畑があることを知っている。西へ30キロほど行けば、猫の額ほどのミカン畑がある。本気の畑ではなく観光農園だけれど、ちゃんと段々畑になっておりモノレールもひいてあるという本格派だ。半原1号で出かけよう。

20分も走れば相模川だ。田んぼはもうすっかり刈入れがおわってはさがけしてある。レンゲを導入したり天日に干したり、高級をウリにしている百姓が多いようだ。しばらく前まで切り株ばかりだった稲にひこばえが出ている。稲は丈夫な草で根元から切ったぐらいでは死なない。このまま花を咲かせ実を結ぶ。20センチほどに伸びたひこばえの緑が曇り空にみょうにみずみずしい。なんだか田植え直後の風情がある。田んぼだけ見ているとこれから夏が来るかのような錯覚に陥る。いやいや妙な期待をしてはいけない。田んぼはすっかり干上がって、水路もカラカラなんだ。

とりあえず、ミカン畑まで走った。ワセの品種ではないらしくやっと色づき始めたばかりだ。ちょっと残念。ところが、道ばたではワセの黄色いミカンが袋詰めされて売られている。この辺でワセ?

気を取り直して、秋の風情を確かめれば農家の庭にはケイトウがある。柿もカラスウリもある。すっかり葉も落ちた柿の木にカラスウリの赤い実だけが巻き付いてるのなんてまさに晩秋ではないか。これで気分よく七沢林道を回って帰れる。山道に入ると、夏にずっと聴き続けた未知の鳥のさえずりがしてきた。まさかモズが鳴きまねしているわけではあるまい。一羽だけではなかった、方々で景気よくさえずっている。あれを聴くとまた気持ちが夏に引きもどされる。迷ってはいけない。モズはモズで高鳴きもし、ヒヨドリだって群れで甲高くわめいている。秋は確実に深まって行くのだ。これから夏になることを期待している者が私以外にもいるのかもしれないが。


2004.10.25 おぼろ月を撮る

月夜

月の写真を撮るならば、今日のような、いわゆるおぼろ月夜(春ではないが)が風情がある。20秒ぐらいシャッターを開けて、その間に月光に色づいた雲がつぎつぎに月の前を通過しているような、そういう時にうまく当たれば風情のある写真になる。最近はデジカメがずいぶんよくなって露出も決めやすく、フィルムの無駄にびくつくこともなくなった。


2004.10.26 傲慢な取材者

水鉢

最近とくに考えさせられる事件もなく、すっかり写真日記と化しつつある天地無朋だ。私は最低でも一日2枚は写真を撮る。写真の水鉢は定まった被写体の一つで、今朝撮ったものだ。これまでに100枚は撮っていて、いまだ写真からは面白みを見いだせてない。これまでの経験から、少なくとも1000枚そろえて何かが見えてくるのだろうと期待している。

もし、「数とは何か?」というように数学を哲学的にとらえたいならば、そのもっとも早い道はひたすら計算をすることだ。百マス計算のように2桁の足し算を単純に何千何万と繰り返すことだ。とりあえず気合いをいれて100万回ペダルを回せば自転車とは何かがおぼろげに見えてくるように、フリーセルも3万個ぐらい解けばたぶん面白くなってくるであろうように、数をこなさなければ到達できない境地はある。

という次第なので水鉢を毎日撮りつつも、内心ではすっかり飽きている。最初はそれなりに目新しくてまじめにやっていた。今では二階の窓から覗き込んで適当にシャッターを押しているだけだ。200ミリぐらいの望遠を使って手持ちの撮影。水面の反射があるから偏光フィルターは必須だ。そうしないと水中の葉の展開やメダカの姿が映らない。ただし、今朝のような雨の日だと、フィルターで反射をカットすると解放にしても15分の1秒程度の遅いシャッターしか切れない。あがった写真はぶれぶれ。当たり前だ。ぶれた写真にがっかりするぐらいなら近づいてワイドで撮れば良い。ぶれても許せる程度のものなら撮らなくてもいい。いやそれでも撮っていれば何かがあるはずだ。3年後にそんなことに気づくぐらいだと、もっとしっかりやるべきだったと後悔するのだ。きっと。それなら近づけばいいじゃないか...でも雨だし。いやはや被写体に対して傲慢なダメ取材者である。何がダメといってそれほどダメなことはない。


2004.10.27 プロの技をまねること

ニコンのF4というプロ用のカメラを手に入れたのがうれしくて、一週間ほどプロの写真家に同行させてもらったことがある。彼はその当時取材を続けていた植物の下見だった。こちらは物見遊山の気楽な旅で、花でも虫でも犬でも女の子でも何でも撮りまくっていた。彼も同じニコンを携行していたけど特別珍しい蝶が出て来たとき以外はほとんどシャッターを押さなかった。彼がシャッターを押すのは仕事だからで、仕事以外では写真なんか撮りたくないのだろうと思っていた。私も同じような思いがある。

そんな彼が「これはいい記念だから」と1枚だけ撮ってくれたスナップがある。私とかわいらしい娘さんとのツーショットだ。現像の便を考えてカメラはネガフィルムの入っている私の物をつかった。本当にふつーの記念写真で「はい、笑って。チーズ、パシャッ」てなもんだ。そのときは彼に撮ってもらうのははじめてだったのでちょっとありがたいなぐらいの感想しかなかった。

しばらくたってそのフィルムを現像して驚いた。普通のサービス版になった200枚の写真のなかで、そのツーショットだけが明らかにシャープなのだ。当然、私も彼とその娘さんのツーショットを撮っているけど、その質の違いは一目瞭然だった。同じ機材、同じ光、同じ被写体を撮って、腕だけでそれほどの差が出るものかと目から鱗の思いだった。それまでは、プロとアマの差は第一に被写体、それにレンズやフィルムによる機材の差が大きいだろうという漠然とした思いがあったからだ。

それよりも半年ほど前のこと。偶然いい写真が撮れたので彼に見てもらったことがあった。評価は上々で「これはいい写真だ。コンテストで僕が審査員なら絶対これを選ぶよ」という花丸をいただいた。そしておそらく見所のある写真だから付け足されたのだろうけど、ごくわずか手ぶれしているのが惜しいと指摘された。じつは、そう言われて穴のあくほどその写真を見ても私の目にはまったく手ぶれが分からなかったのだ。ツーショット記念写真を撮られてはじめてプロが気にするレベルの手ぶれというものがわかった。

以来、手ぶれをしないように猛練習を積んだのはいうまでもない。写真機にフィルムを入れずにシャッターだけひたすら押すのだ。テニスの選手でいえば素振りである。現在、手ぶれに対する目は多少良くなったと思うが、腕はあまり上がっていない。そのついでに余計な色気を出すようになってしまった。知らないおじさんおばさんにスナップのシャッター押しを頼まれたとき、一球入魂で極め付きのシャープな写真を撮ってやろうという野心である。何回かチャンスはあったがその顛末はまったくしらない。


2004.10.28 スナップしてあげたこと

そういえば最近スナップを撮ってあげたことがあるのを思い出した。8月のかなり暑い日、私はマミズクラゲが見たくて新宿に出かけた。マミズクラゲは珍しい生き物だ。子どものころからその存在だけを知っていて、一生に一度ぐらいは見ておきたいと思っていた。新宿御苑でなぜか大量発生しているというテレビニュースを見て居ても立ってもいられず、すっ飛んでいった。

はたしてマミズクラゲは御苑の池にたくさん、それこそゴミのように、浮かんでいた。これがあの珍種か? と疑うほどの増殖ぶりだ。想像していたよりずっと小さい。直径1センチぐらいできわめて薄く弱々しい。ふわふわ泳ぐ姿は確かにクラゲだ。

私の他にもニュースを見て3組ほどが見物に来ており、その中に趣味の写真を始めたばかりとおぼしきお年寄りの2人連れがいた。珍しいクラゲだからと写真を撮りに来たのだそうだ。ところが、彼には当のクラゲがほとんど見えないらしく、水面に浮かぶゴミを指差して「いるいる」と騒いでいる。よく見える場所に来たクラゲを教えてあげるけど、5秒後には見失っている。とうてい写真なんか撮れるわけがない。せっかくはじめた趣味の写真で珍しいクラゲをゲットできるチャンスなのに気の毒だ。自然発生のマミズクラゲなんてヌードモデルとちがい一生に2度会える保証なんて全然ないのだ。

お年寄りのカメラを見ると、ニコンの廉価版の一眼レフで、レンズは標準的なものがついているようだ。本当なら1センチのクラゲを撮るのだから、マクロレンズと偏光フィルターは必須だ。機材的にだめだが、私ならまだなんとかできるかもしれないと撮影を買って出た。ファインダーを覗くと80センチ以上離れないとピントが来ないことがわかった。マクロ機能もあるけれど、コンクリートの池の手すりから体を乗り出しているので、マクロが有効になるほどには近寄れない。帯に短くたすきに長い。しかも、植物プランクトンが発生した水は太陽光を散乱して水中でもてかるため、日陰にしないと白く半透明のクラゲは全く見えない。日陰を作れるのは自分の頭しかない。さあ八方塞がりだ。それでも滅多にないチャンスだし、せっかく趣味で写真を始められたのだからと、最高の条件をはかって10枚ほど撮ってみた。

初心者の方だから、後日現像した写真を見て「あの若造め、口ほどにもない。何も写ってないじゃないか」と憤慨されたことだと思う。ゴミが浮いた白い水面の中央に私の頭の影が深緑色に写っている。ただそれだけの写真だ。よくよく注意してみると、頭の影の20分の1のサイズで白いぼんやりしたものがピンぼけのように入っている。それがマミズクラゲであることに気づく人はいないだろう。また、あの条件ではほぼベストの写真だと気づいてもらえる可能性も小さいだろう。

未来のことを想像すると、やってるそばから絶望感に襲われてあせってきた。しかたなく、学芸員の人に頼んでガラスのバケツに撮影用のクラゲをまとめてすくってもらった。バケツさえ撮っておけば、中にはクラゲが判別できる写真もあるだろう。せっかくだから自力で撮っておくのが一番だ。やれやれだが、救いも1点。クラゲを見つけようと水面を覗き込んでいるおじいさんの横顔もこっそり撮っておいた。あのカットはかなり決まっているはずなので喜んでもらえたろうと自分を慰めている。


2004.10.29 偏光フィルター

月夜

水面から反射してくる光は偏光している。偏光というのはたぶん、光の波の向きが一方向ということだろう。だから、その方向にそろった光だけを通さない特殊なフィルターを使えば、水面からの反射を加減して水面が写せる。水のある撮影には必須のアイテムだ。写真は2枚を合成している。右のほうはフィルターの効果が最小のもの。左は最大にあげたもの。ニコンのCIRCULAR POLARというフィルターを使った。


2004.10.30 接写専用ストロボ

水面

午後、雨がやや強く降って来た。雨粒が水面に落ちたとき、丸くて白い水滴が1秒ほど水面を走ることがある。その水滴と、スイレンの葉にたまる水滴をいっしょに写せばかっこいい写真になりそうな気がした。水鉢の前に傘をさしてしゃがみ込んでタイミングを計る。水滴が走ってからシャッターを押したのでは間に合わないから、当てずっぽうになる。数十回トライして結局満足の行くものにはならなかった。いわゆるヤラセで狙えば撮れない写真でもないと思うけど、そこまでして欲しいものでもない。

今回は試みに接写専用のストロボ、MACRO SPEEDLIGHT SB-29 を使ってみた。レンズの先端に装着するもので、小物をとりあえずきれいに撮りたいときは大活躍する。光量は不足するようだ。また、カメラの角度によっては影のでき方の関係から、写真の天地がひっくり返っているかのようになってしまうことがわかった。上から普通のストロボを当て、補助光として使う分にはうまくいきそうだ。


2004.10.31 半原1号を片付けた

昨日は天気予報に混乱が生じていたようだ。秋には珍しいことではない。神奈川県あたりは、NHKに出てる魚の稚魚のようなファニーな顔でチチのでかい気象予報士の娘さんの予報がいち早く曇りと言っていた。雲レーダーの予想に説得力があった。

雨でも晴れでもどっちでも良かった。いずれ今日は半原越に行こうと決めていた。たぶんこの先しばらく雨だと自転車に乗るのがつらくなるだろう。雨が嫌いになると、タイムトライアルのシーズンは終了だ。寒いと鼻水がでて呼吸がうまくできないので記録が期待できない。タイムトライアルは体の調子に応じて最高記録を狙って雨だろうと晴れだろうと決行すべきだ。今日は気温が高いので降ろうが降るまいが半原越。雨でも楽しく走れるのは今日で最後だろう。

いつもの坂を登りながら、今年を振り返ってずいぶん充実していたと思った。速く走ろうという従来なかった目標も持った。機材も検討し、乗り方も根本的に改める決意を固めた。再開は3月だ。

半原越の紅葉は遅く、ようやく頂の方から降りて来ているところだ。今年もあまりきれいには色づかず落ちて行くだろう。気になるのはジョロウグモだ。妙に少ない。去年は掃いて捨てるほどいたのに今年は1匹しか見つからない。不思議だ。昨日雨だったためか大きなミミズならうようよいる。

帰宅していつものように濡れぞうきんでタイヤを拭いた。そしてぼろ切れで汚れを落とし、さびの出やすいところに油をさして天井に吊るした。


2004.11.1 熱帯の朝

昨夜のうちに今日は暖かくなることを予想していた。未明には強い雨が降っていた。しかし、8時頃には止み暖かい一日になるはずだった。はたして外に出てみると、湿ってむっとくるような、それでいて涼しげで動植物の息づかいが感じられるような奇妙な空気があった。反射的に「熱帯の朝のようだ」と思った。はっきりとは意識に上らない何かの感覚が、スマトラあたりの山の明けがたを思い起こさせたのかもしれない。

ともあれ、通常ではない暖気が入って来ていることは間違いがない。深夜にはほぼ快晴となり、間もなく下弦になる月が明るく照っていた。ただ、その輪郭がややにじんでいるのは霧が出ているからだ。街灯は遠いものほどぼんやりしている。よく晴れている日に夜霧がでるのは、この辺りでは珍しいことだ。


2004.11.2 負けるが勝ちのライブドア

ライブドアと楽天の野球喧噪は楽天が新球団を持つことで決着した。つまり関係者、関係機関一同でライブドアが一人勝ちするという結果だ。ライブドア勝利という根拠については皆も気づいていることだろうから詳しく書くことはしない。

「負けるが勝ち」などと言われる。しかし、この命題は矛盾しており、そう簡単に適用できるものではない。負けは負けであるから負けなので、敗退をバネにしてリベンジしたとて、負けたことが消えるわけではない。「負けるが勝ち」はたいていは慰めか負け惜しみでしかない。私が知る限りでは、今回のライブドアを除けば、負けるが勝ちと素直に認めることができた例はたった一つしかない。昭和後半の日本だ。

よく知られているように、日本はひどい目にあった。太平洋戦争での一般市民に対する殺戮は人類史上例をみない物だった。その大半が遠隔操作による殺戮であることを思えば、アメリカの日本への仕打ちはナチスドイツよりも質が悪いかもしれない。

それでも日本は上手に負けて勝ちを拾った。戦後、アメリカの手厚い保護のもと民主主義や安全やチョコレートをただでもらった。昭和後半の日本はさながら大規模な動物実験場の様相を呈していたと思う。実験のテーマは「人間は果たして幸福でありえるのか?」この世に人類が誕生して以来、群衆に全き平和や幸福がおとずれたことはなかった。昭和の後半の日本ではありとあらゆる不幸の芽は注意深く摘まれ、大衆の幸福に寄与しそうな物はすべて用意された。もし、日本人が幸福でないのなら、人類に幸福ということはありえないのだ。あの人体実験はひとり人類のためのものでなく、数十億年の歴史をもつ地球の動物(植物は除きたい)の願望をすべて叶えたものであったと言って過言ではないだろう。

ライブドアの圧勝は誰もが認めるところだが、日本での実験の評価は一様ではない。私は個人的には「国家は個人の幸福を保証できない。」という当たり前のものだったと結論している。あの日本ですら、社会は個人に対してあからさまな不幸を取り除くという機能しか果たせず、幸福建設はけっきょく個々人にゆだねるしかないということを再確認したことに留まったと思うからだ。


2004.11.3 龍状の雲

龍雲

科学的にはどういう名前がついているのか知らないのだけれど、ときどき龍の形をした巻雲をみることがある。写真のものはおそらく東から西へ伸びているもので、かなり雄大だ。芯が背骨のようにはっきりしており、腕やヒレが左右に伸びて青空を飛んでいるようだ。2日は午前8時から9時頃にかけて、この雲が多数見られた。気になってその中で最も形の良いものを選んで P900i で撮った。ケータイでこの種の雲を撮るのは2回目だ。

夕方まではよい天気だったのに、夜には道路が湿っていた。通り雨があったのだ。龍の言い伝えとこの雲に何らかの関係があるのだろうか。このようなはっきりして特徴のある巻雲は雨の前兆でもある。龍と水との結びつきもある。


2004.11.4 腰が痛い

今朝は猛烈に腰が痛かった。一歩踏み出すごとにずんっずんっと痛みが走り呼吸が止まる。原因はたぶん昨日の自転車だ。しかし、自転車に乗ったことの何が悪いのかがわからない。これまでもサドル高の調整不足などで腰が痛かったことはあるけれども翌日にまで引きずることはなかった。昨日は、何を思ったのか相模湖に行こうとした。ところが相模川の左岸を上り、沢を一つ間違えて宮ヶ瀬ダムに入ってしまった。出かける前に地図をしっかり見たつもりでコレだ。自転車に乗ると頭が悪くなる。

アップダウンの76キロのコースで平均22km/hはがんばり過ぎだ。上り坂でも引き足をつかってぐいぐいやった。それでも、こんなに腰が痛くなるほどのことはないはずだ。乗っているときから多少の違和感はあったものの「ほう、ちょうど大山の頂きに日が沈む季節か...」などと優雅に日没を楽しむぐらいの余裕はあったのだ。

129

写真はテストザネイションのデータ部分だ。あれはテレ朝の戦略的双方向番組だというので晩飯を食べながらもしっかりチェックした。最近は学校で毎年全員が知能テストを受けるわけではないという。それで新鮮味があるのか、子どもらのやっている姿を見ているとずいぶん楽しげだ。データ放送の使い方として悪い試みではない。ただし、あの手のゲームは好き嫌いがはっきりする。知能テストでは100以下という診断の人は誰になんと言われようと決していい思いはしないはずだ。90点ぐらいの人は次回はやらないだろう。

新規の知能テストであるからには被検者の半分が100以下になるはずである。つまり、まじめにやれば年々、視聴率・参加数は減って行かざるを得ない宿命を背負った番組なのだ。その点についてはスタッフは覚悟しているのだろうか? スポンサーは気づいているのか? 平均値は105あたりになっていたが、その辺りは操作なのか? 今年の視聴率は去年より下がっているという。次はないだろう。

ちなみに中学校の成績は下の中ぐらいの我が子の点数が129。高過ぎる。あまりにいい点なので記念撮影したぐらい。私はフリーセルが忙しいのでテストには参加しなかったが、途中の5問ほどを見た感じでは180ぐらいになると思う。かなり甘いのだ。ゲスト出演者で文化人っぽい人が120ぐらいだと公表されていたから「あの人もしかしてバカ?」とかなりの人が感じたのではないか。生放送であれは気の毒だった。山に登っているとき、水に潜っているとき、自転車に乗っているとき、テレビに出演しているとき、人間の知能は正常時の半分になるから。


2004.11.5 いい写真

129

いい写真が撮れた。こんなもののどこがいい写真なんだと思う人の方が多いかもしれないけれども、これはいい写真だ。この季節のこの空気の私の思い出の気持ちのある写真だ。


2004.11.7 日曜日

暖かくて気持ちのよい日曜日だ。このところ目が覚めると庭の植物や虫を観察して過ごすのが日課だ。ひなたぼっこをするカナヘビとかクモとかハエにアブ、ずいぶん活発だ。ひところ多かったオンブバッタは全部死んでしまったようだ。カマキリの姿も見ない。カメラでは記録するだけでなくきれいな写真を撮るように心がけている。最近は機械がものすごくよくなったから、ちょっとした工夫でみちがえるほどきれいな写真が撮れる。撮影したカットをパソコンで開いてチェックしながらフリーセルを20個ほど解く。

午後は自転車の世界選手権やスケートのNHK杯を見てのんびり過ごす。庭の小さい物の撮影でリモートコントロールのストロボを使うので、照明用スタンドをビックカメラで購入した。電車の中では中村元著の「龍樹」を読む。3度目だろうか。龍樹の中論は中村氏の解説なしには手が付けられない。戯れ言として片付けるのはしごく簡単だ。今日は龍樹のいう縁起とは何かがふとわかったような気がした。それがわかると、どういうわけで中論が哲学として今日まで生き残って来られたのかもおぼろげに見える。

すでに0時を回ったが、これからテレビでサッカーの試合を見よう。ブンデスリーガーとかチャンピオンズリーグとか。途中で飽きて眠るだろう。


2004.11.9 クリックリング

クリックリング

写真の部品は「クリックリング」というらしい。サンツアーコマンドーという7段用シフトレバーに入っていた。コマンドーをシマノ社の9段対応用に改造したため取り出した。

この親指のつめほどの小さな鋼鉄の板は変速機を所定の位置にぴったり止める役割を持っている。鋼板にあいている穴にばね仕掛けの2ミリの鋼球が入り込むことで、カチッカチッと変速機をギア板の真下に位置させるのだ。写真のものは7速用だから7個2対の穴が開いている。8速用は7速用と原則(同じメーカーのものでも製品によってけっこう違いがある)ギアの間隔が同じだから、穴を一個多く開けるだけでよい。コマンドーの中古市場は8速用と7速用は2倍ぐらいの料金の差があるけれど、ちがいはおそらくクリックリングの穴の数だけである。

9段への改造は穴が9個あいた物を用意すれば事足りる。ただし、本体のサンツアーコマンドーはとっくの昔に製造中止になっていて9段仕様は市販されていないため、一から作らねばならない。クリックリングの原板を切り出すところからはじめて、自転車の9速は従来の8速の幅のところに9枚のギア板を詰め込んでいるので板と板の隙間が狭いから、穴の隙間を計算しなおして穿つ必要がある。自力でやるのは設備の問題等で事実上不可能だ。新しい9段用のものはひと月前に工房赤松に注文して作ってもらった。そういうイレギュラーなものを求めれば価格も高くなる。1枚5000円もする。

新しく作ってもらったクリックリングはシマノデュラエース用だが、ダメもとでほかの変速機でもいろいろ使ってみるつもりだ。このクリックリングの穴の間隔や大きさが変速システムに合っていない場合、ほかの部品で再調節することは不可能だからけっこうデリケートな部品である。この部品を組み込んだシフトレバーと変速機とチェーンの相性が悪ければ、ギアとチェーンがどこかでカシャカシャ鳴る極めて不愉快な自転車ができあがる。


2004.11.11 雨上がり

雲

夕方、西から雲の固まりがやって来て雨を降らして去って行った。前線の雨のようでもあるけれど、天気図に前線は引かれていなかった。明日は湿った暖気が入って来つつも木枯らしが吹くかもしれないという。一気に冬か。

午後9時、雨上がりの雲がきれいだったので撮影した。雲が低いと月がなくても夜空はあかるい。都市の光が映っているのだ。


2004.11.13 鼻水

寒くなると、サイクリングに最も障害となるのが鼻水だ。鼻がつまると息がうまくできない。そこで、定期的にブシュッと息で吹き飛ばす必要がある。自転車に乗りながらだから、なるべく体や自転車には鼻水がかからないような姿勢をとらなければならない。私は体を左にひねって前屈みの体勢をとる。おおむね被害は左足ふとももだけにとどまる。

うまく吹き飛ばせればよいが、飛びきれなかったものが口の回りについていると、それはそれで気分が良くない。結局 、一日何回かは自転車を降りて拭うことになる。普段はサラ金屋のちり紙を持ち歩いているけれども、自転車に乗るときにはそういう余計な物は持っていない。もっぱら道ばたの草木を利用することになる。なるべく広くて柔らかそうな葉っぱを使う。

この季節ならまだまだ葉も多い。選り取りみどりだ。中にはかぶれる物があるので注意は必要だ。かつて利尻島でツタウルシの茂みを走り回って後でひどい目にあったことがある。ああいう草で顔でも拭こうものなら目も当てられない惨状に見舞われる。

鼻口をぬぐうと葉にもいろいろな味があり匂いがあることに気づく。クズやカラムシはあまり美味いとはいえない。これまで一番味がよかったのはカイコのえさになる桑だ。かなり固いのが難点だが。


2004.11.14 壊れたディレーラー

スーパーレコード

写真は自転車のフロントディレーラーだ。私は自転車の前の変速システムは種々の悪夢の温床だと思っている。変速システムが前にもあったほうがいいことはわかるけれど、調整も操作も極めてシビアだ。設計思想を改めればもっと良いものができるんじゃないだろうか。現状のフロントディレーラーはなるべくなら使いたくない。

写真のものはかつてプロレース用に供給されていたもので、イタリア製の高級品だ。しかし簡単に壊れてしまった。壊れたのはフレームとディレーラーをねじ止めするところだ。ネジ山が一部なめられて馬鹿になりがくがく緩む。あらためてその構造を眺めれば「壊れて当然じゃん」と思う。本体にある雌ネジは軽合金に切ってある。雄ネジはチタンにしては重いからたぶんステンレスだ。ネジは普通の規格で切ってある。かなり力が加わる部分だから弱い軽合金にネジを切るのは設計のミスといってよい。

この手の「?」は自転車の部品にはよくあることだ。軽合金のネジが馬鹿になったケースは私個人の経験でも3度や4度ではない。自転車部品は設計のときにちょっと考えれば回避できる不具合を平然と抱え込んでいるので、見極めはしっかりしておかねばならない。


2004.11.17 眠れぬ夜

スーパーレコード

京都に地衣蘚苔、いわゆるコケの観察にでかけた。京都には寺があり石崖や古木が多いので、都市の中でも各種のコケがよく見られる。ただ、コケの観察にはちょっと時期が悪い。京都は学会や修学旅行や紅葉見物でごったがえしていた。ホテルも空きがなくて、しかたなく駅前に泊まった。発作的に京都のコケなんか見るものではないと気づいても後の祭りだ。

私はホテルとか旅館とか民宿とかが苦手である。なかなか寝付けないのだ。とくに駅前のビジネスホテルでまともに眠れたためしがない。京都駅前のホテルはただでさえうるさいのに、夜の10時頃、でかい声で歌を歌う若者がいた。7階の窓を開けて覗いてもその姿は見えない。地下街で歌っているのだろう。独唱で声の大きさと下手さが半端ではない。選曲も最悪。ゴダイゴのガンダーラとか松山千春の大空と大地の中でとか歌謡曲の断末魔のようなものばかりを歌っている。その若者も11時にはようやく静かになった。こちらはすでに悪い予感がぷんぷんだ。1時頃には救急車やパトカーが走り回る。まあそれはしょうがない。4時頃には外はすっかり静かになった。

すっかり白んだ頃、私の頭の中は悪い考えに支配されていた。思考のスイッチをどう入れ間違えたのか、いつもサイクリングしている境川ルートの20キロの景色を全部思い出そうとしている。スタートから順に、橋とか工場とか田とか信号とかを思い起こしているのに全然思い出せない区間がある。押してもだめならとゴールから逆順に...田とか橋とか障害者福祉施設だとか.... でもだめだ。とくに真ん中へんの5キロぐらいの記憶がめちゃくちゃ曖昧なのだ。想像の中ながら、同じ景色の中をぐるぐる巡るのは気持ち悪い。思い出せないと悔しい。境川は似たような景色が連続する所だから覚え難いことは確かだ。でも100回は走っている。完全に思い出せるとたかをくくっていた。そもそもそんなもの思い出せなくても何ら困ったことは起きない。目下、最大の弱り事は余計なことを考えて寝付けないことなのだ。

結局、6時から7時まで1時間ほど眠れたようだ。駅前のホテルに泊まったのだから、ふつうといっていい睡眠時間だ。6時間ほど歩き回って東山界隈のコケを見て来た。


2004.11.21 穏やかな日曜日

西日

朝から快晴で風もない。非常に良い日和だ。冬になると自転車に乗って汗をかく。夏は気温が高いので薄着だから汗をかかないけれど冬には長ズボンにウインドブレーカーだからすぐに汗が出てくる。かといって半袖にするとすぐに鼻水が出てくる。そもそもそれは寒い。

この冬は重いギアを回すことができるように練習を積むことに決めた。それで、半原1号を片付けてもっぱらピンクのナカガワを使っている。前の大ギアは53T、もう15年も使わずにしまっておいたものだ。ナカガワは重いギアを回すとまっすぐよく走る。そういう設計なのだ。前を2枚にしたのに伴いクランクもこれまた15年使わなかったシマノデュラエースに変えた。デュラエースは世界一まっすぐ回るギアで、前のディレーラにチェーンがこすれる不愉快を若干軽減できる。そろそろチェーン自体も寿命だ。油を注してもシャリシャリ鳴るので交換する。作業が終ると西日が部屋に射し込んでいた。


2004.11.22 ヒヨドリは器用だ

ヒヨドリ

窓の外のヒヨドリをしばらく観察していた。枝からぱっと飛び立って同じ枝に帰ってくる。くちばしには何かの虫をくわえている。枝から狙いをつけ、空中の虫を捕まえたのだ。同じく空中の虫をとるにしてもツバメやアオバズクとは一風違った方法だ。こういう餌のとりかたをする鳥には専門家がいて「フライキャッチャー」などとよばれている。虫ではカワトンボが同じやり方をしていた。ヒヨドリはそれはできない鳥だと思っていた。桜や梅の蜜を器用に吸ったり、赤い実をついばんだり、さすが都市に適応しているだけあってたくましくも器用な鳥だ。


2004.11.23 ピアノコンチェルト

枯れ始めた葉

あんまり大きな声では言えないがいわゆるクラシックが好きだ。たしかに太田裕美を聴きながらフリーセルをやる時間が長く、永井真理子を歌いながら自転車に乗っているけど、実は私が持っているCDは大半がクラシックだ。そもそも葉が色づき終って散っているこの季節にショパンの Larghetto がよく似合うじゃないか。

ショパンなんかが好きなのを内緒にしているのは、ああいうもののファンはなにやら難しげなことを言わないとダメなような気がするからだ。私は音楽がさっぱりで、四分音符とか長調とかが何を意味しているのか全然知らない。そういう人間はピアノコンチェルトが好きなことは内緒にしておくべきだ。

難しげなことを知っている人は「音楽の理屈なんて知らなくていいんだよ」というだろう。私も「論理学なんてもの考えるのに不要だよ。恋は情熱、理屈じゃないよ」というのが口ぐせだ。そうは言いながら馬鹿な男の子はちょっぴり嫌いだ。やっぱりクラシックファンだというのは黙っておこう。


2004.11.27 ふるさとの山

末広

「ふるさとの山を見て何も言うことがなかった。ふるさとの山はほんとうにすばらしいものだ。」という有名な詩があったと思う。あの詩の山は東北の岩手山か岩木山か、かなり名のある山のはずだ。そういう名峰でなくても故郷の山はありがたい。私は周囲を山に囲まれた四国の片田舎で生まれ育って毎日山をながめて過ごした。それらは標高は150m程度のもので山自体に名すらついていない。山というよりもヤマ(=林)とよぶべきものだ。久しぶりに帰省してそんな山々を見ると、とってもうれしい。ただし、凡人は山のありがたみを明確に意識することはないだろう。詩人から「ふるさとの山ってのはありがたいもんだよ」とあらためて言われ、はじめていわれのしられぬ快感が故郷の山に接したことから来るものだと意識することができ、誰もが抱く快感なのだと気づくこともできる。

昨日、京都から新幹線に乗るチャンスがあり、ちょうど日没時に富士市を通過した。一面に霞がかかって視界は悪かった。湯気を吐く製紙工場の煙突が遠くのものほどぼんやりしている。ただ高い空に雲はないようだった。そのことがわかったのは富士山が見えたからだ。紺白色の夕暮の空中に富士山の頂きだけが島のように浮かんでいたのだ。全体が見えないだけに、かえってその圧倒的な高さと大きさが感じられた。いやはやなんと美しく迫力のある山なんだろう。富士山はいうまでもなく日本人全員のふるさとの山だ。でも富士山の麓で生まれ育った人が特別羨ましい。

富士山を過ぎると、伊豆半島の付根のあたりには名のある山はない。それこそ地元の人でなければ何の感慨もない山ばかりだ。ところが、相模川を過ぎたところで黒々とした丹沢の大山を認めたとき、ふと懐かしさを覚えた。「ああ、帰って来た」というあのありがたみをはじめて大山に感じた。一度その思いを味わうと、それはもう特別な山なのだ。


2004.11.28 26分30秒

半原越はきれいに紅葉していた。清川村の方から見る経ヶ岳の方向には広葉樹が多くこの季節には山の斜面は色のモザイクになる。ただ、半原越の林道の脇には植えたものの他は紅葉する木はあまりない。ソメイヨシノの紅葉は好きだが、半原越には少し遅かった。

ずいぶん天狗になっていたようだ。半原越をすっかりなめきっていた。夏の間にすっかりスキーがうまくなっているような気になってしまうようなもんだ。しばらく来ていなかったから、もっとすいすい登れると思い込んでいたのだ。しばらく重いギアを使って平地をぐいぐい行く練習を積んでいた。その調子で坂道でもぐいぐいと登れるはずだった。その証拠に境川近辺の坂道は重いギアでもすいすいこなしていたのだ。

ところが半原越に来てみると全然足が回らないことに気づいた。このコースが甘くないことは思い知っていたはずなのに忘れていたのだ。平地で「重いな」と感じて使っているギアよりも遥かに重いギアを回せないと半原越には太刀打ちできない。全力を出して1分間に60回まわすのがやっとのギアで20分走ってはじめて半原越対応のトレーニングになる。平地で楽してすいすい走ってイケてるように錯覚していた。今日はタイムトライアルをしようと乗り込んだわけではないけど、タイムは26分30秒。コンピュータの液晶のこの数字はしばらく消さないで戒めにしよう。


2004.11.29 流行らなかったモノ大賞

早いもので今年も恒例の「オレ的今年流行らなかったモノ大賞」発表の日です。

というわけで、さっそく大賞は野口みずき選手の逆さサングラスにケテーイです。あれ、あるいはあれに似たモノの実物は見たことがありません。オレ的には部品をそろえて似た感じのモノを自作しました。たしかにとっても具合はいいです。でも、ものすごくかっこ悪いと思います。サングラスにカッコ以外のモノだけを求める人におすすめです。

準大賞は僅差でコカコーラC2です。コカコーラ社はずいぶんがんばって「コカコーラ」の特殊な味を国民の間に浸透させることに成功しています。ということは、「コカコーラに似た味のものはまがい物である」という評価が定着していることを意味します。C2は紛れもなくまがい物です。大人気で品薄という風評を立てることには成功しましたが、策をろうしてもしょせんモノマネの味薄でした。製品開発から販売戦略全般にわたって反省すべきでしょう。ただし従来品をやめればC2が売れると思います。ペプシコーラ程度には。

大賞、準大賞とももしかしたら流行っているのかもしれません。ただ、そんなことは流行モノに全く関心がないオレにはどうでもいいことです。マスコミがやってる「流行語大賞」が流行に関係ないのと同様です。あと映画版の新造人間キャシャーンなどもノミネートの噂がありましたが、オレ的にはとくに言うことはありませんでした。


2004.11.30 イエローキャブ

イエローキャブの女の子たちを見ていると、自分が巨乳好きではないことが確認できてつくづくうれしい。私は一部の人から巨乳好きだと誤解されている。たしかに過去に巨乳とよばれてしかるべきモトカノが何人かいた。それはたまたまだ。また、アイドルとかグラドルとか、ましてや裏本←いまでもこんな表現でいいのか? なんてものに一切興味を示さない。無理に遠ざけているわけではなく、見る気にならないのだ。それでもたった一人だけ例外があって、青木裕子が大好きだ。この20年でアイドルとかグラドルとかがのっている雑誌は2冊しか(じつは釈ちゃんの表紙の週刊プレイボーイも買ったけどそれは単なる資料だ)買っていない。両方とも彼女が表紙を飾っているもので、ふと我に返るとゲットしていた次第だ。たぶん料金は払ったと思うが。

早いもので、もう5年以上になるだろうか。今でもときどき昔の彼女の写真を見ている。それはそれはまじまじと眺めているらしく、そういう姿をみとめた者は、例外なく私のことを巨乳好きだと判定している。否定しなければならないほどの誤りでもないので放っている。

青木裕子には隙がない。一般に出回った500枚ほどを入念にチェックして気づいたことだ。彼女には被写体として死角がないのだ。どこからどう写し止めても、証明、衣装、シチュエーションを間違えても美しくきれいで色気の漂う写真になっている。彼女の他にそういう人はいまいない。そこいらの娘さんは商品にするための定番の撮り方が決まってしまう。私のようなプロの目を持った者からすると、写真術で無理をしているものは鑑賞に耐えないのだ。並のグラドルの写真はいっぺんぐらいぐっと来てもすぐ飽きる。どう撮ってもエロいという奇妙な女の子はいるけれど、そういう写真は見疲れする。気づいたら200枚2時間見てた、なんてことにはならない。


2004.12.1 トーサク

トーサクしたっていいじゃないか
にんげんだもの。

いま飼育しているカマドウマは最初に捕まえた数匹の幼虫の孫にあたる。3世代3年にわたって小さなプラケースのなかで機嫌良く生きていることになる。飼育といっても何も難しいことがなく、ときどき水とドッグフードと野菜くずを与える他は掃除も洗濯もやってない。丈夫で温和な虫なので何も気を使うことなくお互い平和に暮らしている。

たったひとつの困り事は脱走だ。水換え餌やりは彼らが息をひそめている昼のうちにやることにしている。しかし、そうそう昼間は暇ではなくしばしば夜になる。そうすると、ケースのふたを開けたり手を入れたりすると驚いて、跳び出してしまうことがある。そうなると厄介で再補はほぼ不可能だ。

脱走したカマドウマにはあまり良くない運命が待っているはずだ。私の部屋は2階にあり、気密性が高い。彼らの本来のすみかである床下までたどり着けそうもないのだ。この殺風景な部屋の中でひもじい思いをさせるのはかわいそうなので、脱走者が出ると一週間ほどはドアを開け放しておくことで最悪の事態を回避したことにしている。

ところで今朝、そういう場当たり的なやりかたではなく、抜本的な解決策があることに気がついた。部屋の中に広い湿った土の部分を作り、野菜くずなどをまいておけば、逃げたカマドウマも幸せに暮らせるはずだ。いやむしろ、狭いプラケースの中で飼うよりも部屋で放し飼いするほうが彼らも楽しいに決まっている。天地無朋を書く足元でカマドウマが触角をふるふるさせてたりする光景はこころなごむ。本来人間が主である空間がカマドウマが主の空間に変わり、私は彼らの世界にときどきお邪魔してフリーセルをやったり自転車のチェーンに油をさしたりするのだ。

カマドウマの身になって眺めてみると、とつぜんこの狭い殺風景な部屋がきらきらと輝き始めた。なんて魅力的な住処なのだろう。人間が従でカマドウマが主になる倒錯空間。だが、自然と人本来のありかたに戻るだけだ。麗しきかな倒錯の世界。カマドウマには人並みのくらしはできないけれど、人はいくらでも彼らに近づくことができる。さっそく土を入れる浅いプラバットの入手を検討することにした。

トーサクしたっていいじゃないか
にんげんだもの。

しかし、完璧なはずのその計画も、すぐに致命的な欠陥が見えてきた。カマドウマが部屋から脱走することを防ぐのがおおごとなのだ。その脱走したやつがひもじい思いをするおそれがある。だからといって家の中、そこいら中に土や野菜くずやドックフードをまいておく許可はたぶんおりない。


 
2004.12.2 占いを断念したこと

その昔、家電占いというのが流行っていたころ「いっちょ僕らも占いのゲームを作ろうじゃないか」と盛り上がったことがある。ああいうのはIMの人工知能の簡易版みたいなもんで理屈は簡単だ。コツは、具象を集めて抽象すること。友達との約束を忘れることがある。よくルーズだと言われる。仲の良い友達ならちょっとぐらい遅れても怒られることがない。などという質問には簡単に○×で答えられる。事実だから。そういうのに○がついていれば「無責任な所があるあなた」にフラグを立てる。という具合に抽象的な文章を解として用意できる。あとは洒落っ気を効かせて「あなたはブレーキのゴムです」とか「ビニールのサドルです」とかこじつけて自転車占いなどとすればよい。簡単だ。

ところが、途中でわれわれは大きな疑問にぶち当たった。「これって、占いなのか? 単なる性格診断+アドバイスじゃないのか」ということだ。顔を見合わせてよくよく考えてもやはり半端なカウンセリング以外の何ものでもない。心理学では性格というのは、特定の行動をとる確率的な傾向の総和のことだから、性格の把握は個人の未来の姿や行動を占うためには必須といってよい。ただし、性格から行動を予測するのは単なる応用科学で、占いといえるほどかっこのいいものではない。私たちの開発意欲は急速に萎えてしまった。


2004.12.3 アナログテレビ

お互い更新日記でも触れられているデジタルテレビの件については、いくぶん誤解が多いようだ。デジタル化に伴って、テレビ局も電気屋もテレビは売りたいだろうから、どちらも新型の高価なチューナー内蔵型プラズマテレビを売り込んでいる。中には現行のアナログ式テレビ受信システムが使えないかのようなことをいう輩もいるだろう。たしかにデジタル放送はデジタルデータを増えるワカメのように戻す必要があるからチューナーは必須で、どうしたってチューナーを買い足す必要はある。今のテレビはチューナー内蔵のものが多いけど、さてどうだろう。チューナーの性能はけっこうばかにならないので、数年後にはたとえ内蔵テレビを持っていてもチューナーだけ買い足したくなる人がでてくるんじゃなかろうか。また、一般家庭で手頃そうな小型の液晶テレビは薄くて見栄えはいい。けれど、けっして画質はよくない。やつらはその昔、ブラウン管横長テレビなんていう物をせっせせっせと販売していた前科もある。まゆにいっぱいつばをつけたほうがいい。もちろん新型のどでかいテレビでスピーカを6つもつけてハイビジョン放送を受信すば、それはそれでアナザーワールドを体験できる。そんなものはいいに決まっている。ただしそれは、10万のパソコンと100万のパソコンの差程度のもんだ。

お金持ちは50万もする高級な40インチのテレビを買えばよい。貧乏人は古いテレビを使い続ければ良い。貧乏臭いことさえがまんすれば問題ないはずだ。私は高給取りだけど貧乏性なので去年買い替えたテレビは2万円の従来型ブラウン管テレビだ。ビデオは1万円の基本機能しかないやつ。でも、それなりにデジタルハイビジョンに地上デジタル放送、データ放送も楽しく使っている。EPGなんてほんとに便利だ。正直なところモニターの字がよく読めないので苦労はするが、そこは熱い湯を我慢する江戸っ子のべらんめぇ的やせ我慢で辛抱する。2万円でも新品のテレビだけあって、アナログのD端子入力はついているから、ケーブル会社からレンタルしているデジタルチューナーの機能がフル(ライン出力3系統)に使えて貧乏性としてはうれしい。さらにやせ我慢でいうならば、従来のアナログ放送を高級なテレビで見ると汚くてやってられない。地上デジタル放送でも旧態規格のVTRは一部電波に乗っているので、それを見るときはセレブな気分だ。もし、自前で撮った子どもビデオとか自分が出た番組の録画とかを持っている人は古いビデオとテレビもしばらくはとっておいた方がいいと思う。

たとえ計画通りに2011年にアナログ電波が停波になったとて、今のテレビやビデオが全然使えなくなるということはない。使えなくなるのは家庭にあるものだとVHFのアンテナだけだ。アンテナの支柱と支えの針金は使える。うまくすればUHFのアンテナは使いまわせるかもしれない。私の家は数年前に強い風が吹いたときにテレビアンテナが折れて倒れてしまった。貧乏性なので直す気はない。撤去にいくらかかかっただけでもったいなくて病気になりそうだった。2011年までアンテナ無しで行くつもりだ。


2004.12.4 よく当たる占い

いま問題になっているのは「はたして占いは当たるのか?」ということだ。そのことを考えるためには、用語の整理をしなければならない。現在「占い」という言葉は様々に使われていることが明らかになったからだ。おそらく「性格診断」「アドバイス」「予言」「予知」などとらえどころのない物だろう。それではまずいので、ひとまず占いという言葉を限定的に使うことにする。

占いに順があるように説明には順序がある。入りやすいのは「占い」とカウンセリングだ。まずそこから解説しよう。この手の占いは非常に良く当たることが知られている。血液型、星座、人相、手相、さらに最近では家電や動物などのパソコンを使うもの。家電占いが当たるわけは既に説明し終わった。血液型や星座も家電ほどではないが結構当たると言って良いだろう。当たる理由は家電と同じだ。また、経験者ならよく知っているように手相などの対面式の占いも非常によく当たるものだ。その理由は外れることは言わないことにつきると言って良い。

たとえば私は手相見であるとする。30才ぐらいの娘を見ている。二言三言交わせば彼女が結婚相談をしたがっている程度のことはわかる。私はそういう娘にはこういうだろう。「半年以内に運命の人に出会うでしょう。その人と結婚するかまたは、悲しい別れをするか、いずれにしても大きな転機が待っています。」私は誰に対しても同じことを言う。理由は水晶でも手のしわでも星の並びでも良い。占い師の力は説得力の演出と顔色をうかがうカンだ。


2004.12.5 当たる占いのやりかた

一人一人へのコストが小さく被験者集団が十分大きければ、その見返りの量によっては確率的に小さく滅多に当たらない種類の占い結果を出しても商売は成り立つ。テレビ番組なら120万人を相手にして12万人を喜ばすとか、400万人を相手にして160万人に当たっている! と思わせる作戦もとれる。街角の対面式の占いは一件ごとのコストがかかる。500円も1000円も払わせて血液型式占いをやっては評判がとれない。もっと工夫が必要だ。「運命の人との出会い」のようなやつは当然至極のことなのに被験者はオリジナルで希有なことだと思い込むものなので、対面式の占いでは好都合だ。

私が好きな言葉に「人間が理解できることは物と心のことだけだ」というのがある。この世界には物質と精神以外にも無数の事柄があるけれども、人が知りうるのはたった2つだけなのだ。たった2つとはいえ、ものごとを考えるときに、対象が物の世界なのか心の世界のことなのかをはっきりさせておくのは極めて重要なことだ。いっぱんには物の世界と心の世界を行き来するだけで物事を考えているという勘違いが横行している。

手相見のいう「運命の人との出会い」というのは物の世界のことだ。純粋に心的な決まりによって星月の運行のように秩序正しくどの個人にも必ず現れる現象だ。「あなたは春までに運命の人に出会うでしょう」というのは、「明日太陽が東から昇るでしょう」という程度のことだ。ただし、太陽が昇る姿は観察者の場所によっては見えないことがある。そのへんがいわば心の世界のことがらだ。

占いの基本は、物の世界で法則として決定されている事柄を示して、結果判定を被験者にゆだねるところにある。ものを考える訓練ができていない人に物の世界と心の世界を勝手に行き来させ納得させるわけだ。「たしかにあの占い師が言ったように、私は運命の人に出会ったわ。でも私は不細工だし、ヨン様はテレビスターだから結婚できなくてもしょうがないわ。」

誰もがしょっちゅう運命の人に出会っているけど、そのことを強く意識することは滅多にない。占い師の前に座るほど心の準備ができている人ならば、アンテナは目一杯張り巡らされているはずだ。彼女はきっと運命の出会いに気づくことができる。というか、占い師の指摘自体が原因となって、あたかも新約聖書の神の計画の実現のように、普通は見過ごすフツーの出会いを運命に変えるだろう。


2004.12.5 当たる天気予報

日没後、すかっと抜けた空の中、丹沢の山並みが青黒い屏風のように立ち並んで壮観であった。残念ながら、ここからは富士山は丹沢の上に頂上が少し見えるだけだ。今日は年に数回あるかないかの絶好の黒富士日和だ。黒富士だけでなく、今朝の雨は富士山では雪だったろう。おまけに日曜日。新雪とこの上なく透明度の高い空気。富士山の写真家はプロもアマも大挙して自分のポジションに駆けつけたことだろう。

今日の嵐は非常に珍しいものだ。それなのに気象台は何日も前から完璧に予測していた。富士山の写真家にとってはたいへんありがたいことだ。普通に生活していて誰があの嵐を予見できるだろう? 気象台は高空の気象観測とか、スーパーコンピュータによる計算とか、伺い知れぬ手法で予測できたのだろう。いやはやたいしたものだ。


2004.12.7 予知と自然

これだけ当たるようになっている天気予報でも長期予報が的中する確率は小さいらしい。それはデータが集められないのか、長期的な気象が決まるメカニズムが明らかでないのか、計算が追いつかないのか、詳しいことはわからない。ところが昔から経験的にモズのはやにえやカマキリの卵を観察して積雪量をはかることは行われてきた。新潟には統計を取り観測をしてカマキリの卵と積雪の関係を明らかにしようとしている学者もいる。

人間にできないからといってカマキリに雪の予報ができないと結論する理由はない。人に知られず、カマキリが知ることができる自然のサインを解釈すれば半年後の雪の量がわかるのかもしれない。私はカマキリたちには人の心がないと思っている。また、仏教徒であるから自然を見るときに人の心というものがどれほど邪魔になるかということを良く知っている。カマキリには物と心の混乱はない。あの10センチの体は我々にとってみれば自然のメカニズムそのものだ。カマキリは非常にピュアに自然を見ているだろう。また、カマキリに気象を左右する力はないだろうから、その行動が未来の気象現象に合理的に一致したならば、カマキリは天気を予知しているといって差し支えない。


2004.12.8 予知の限界

気象は物の世界の現象だ。物の世界のことであるからには、風が吹くにも雲ができるのにも直接の原因がある。その原因となった事象にも原因がある。というように無限に遡及できるように思える。本当にそんなことが可能ならば、逆方向に現在を起点として無限の未来まで見通せることになる。それができないのは能力が足りないからだ。全知の神ならそれもできる。というように江戸時代ぐらいの人たちは考えていたのではないだろうか。

ただ実際問題としては量子論的な不確定性にすぐに行き当たるだろうから、意外と低レベルなところに予知不可能の壁があるような気がする。明日の降水確率の有効数字が2桁になる日は永久に来ないかもしれない。最高度に観測データが取れたとしても、どれほど計算ができようとも、いま枝からはなれた桜の葉が地面のどこに落ちるかを確定することは物理学的に不可能だ、と私は思う。


2004.12.9 タイムマシン内蔵カメラで未来を撮ると

物理的に決定できないということは、それがそのまま予知の限界を意味する。私は唯物主義者であり、素朴な実在論者でもある。つまり、自分の経験から判断して、時間は過去から未来に向けてまっすぐに流れていると考えている。現在が生々しく存在すると同様に、過去も未来もちゃんと存在することを疑わない。ただし、過去と未来は別物だ。

古典的なタイムマシンが内蔵されたスーパーカメラを用意しよう。ダイヤルをセットすれば過去も未来も自由に撮れるというすぐれものだ。何億年も前のことも撮れるし、来年のことも撮れる。それは予知でも記憶でもなく、実際に写ると考えよう。タイムマシンの働きによってカメラが過去や未来に実在してフルオートで撮影してくるのだ。

実際にそのカメラを使ってみると、過去は実にきれいに撮れることがわかる。明治時代なんかあまりに鮮明なカラー写真ができあがるものだから、かえって嘘臭い。まるでスタジオセットだ。あのぼうっとした白黒写真のほうが明治っぽい。しかし、写っているのは本物なのだ。1億年前にセットすれば、うまくすると恐竜なんかもとれる。像の鮮明さは現在を撮るのと同じだ。オートアイリス、オートフォーカスがよく効いている。たとえ中生代でもカメラは像を一瞬で運んでくるので写真は色あせないのだ。

一方、未来はうまく写らない。明日ですらうまく写らないのだ。露出が狂って暗すぎたりあかるすぎたり。ビルなんかは比較的ピントがあっているけど、街路樹はかなりぶれている。町を撮っているはずなのに人や車が写っていない。未来に行けば行くほど像は不鮮明で、100万年も先のことになると何枚撮ってもぼんやりした一面灰色の写真でしかない。カメラが狂っているわけでないのは、月や太陽はとても良く写っていることが保証している。

完璧な予知能力というものがあったとしても、私はスーパーカメラで撮った未来以上のことは絶対にわからないのだと断言する。


2004.12.11 運命に逆らうもの

スーパーカメラが未来を撮れない原因は簡単だ。明日のことはわからないという、がっかりするほど当然至極の理由による。桜の枝から離れる枯れ葉の落ちどころの決定に最も大きく作用するのは空気の抵抗だろう。空気というのは酸素や窒素や水の分子だ。それらの分子の動きを100%把握できれば葉の落ちる所もわかるはずだ。しかし、原理的に知ることが無理な壁があるらしいので、どうがんばっても数ミリの誤差は出ることになる。

空気の動きをつかむのも難しいけれども、もっと面倒なものがある。生物だ。生命はこの地球に運命論と戦う宿命を持って生まれてきた。←笑う所だ。私のようなガチガチの唯物論者にとって、生物は物以外の何者でもない。ただし、非常に巧妙な仕掛けでもって自然に逆らうことができる。自然の本質は混沌だ。生物は混沌にさからう。エネルギーをシステマティックに使いクジラも象もライオンもパワフルに美しく動く。その動きの大元は小さな小さな生化学反応だ。「心」は神経をほんのちょっぴりだけ流れるイオンの信号で筋肉を動かし、体を移動させる。

逆に考えれば、ある生き物がいつどこで何をしているかを決定するためには、1ミクロンの細胞の中で起きている化学反応をすっかり把握する必要がある。ちょうど、枯れ葉の動きを予知するには空気分子の動きをすっかり知ることが必要なのといっしょだ。考えてみれば、意識的に自分の体を制御してミリ単位で動かすことなんて無理だ。巨人の星投手はボールがバッターに届くまでの0.8秒間のバッターの筋肉の反応を完全に把握していたという。あからさまなウソだ。

もし体重5トンの象が生物でなければ、その動きはビリヤードの玉のように作用反作用や慣性で説明でき、明日の位置ぐらいはわかるだろう。生きている象は無理だ。そして、生物にとっていつどこにいるかというただそれだけのことがじゅうぶん生死に関わるものであり、彼の運命を大きく左右する。生物の未来はわからないのだ。


2004.12.12 人間は何を予知するのか

以上見てきたように、未来をまざまざと見るタイプの予知はありえないということが明らかになった。「光景が見える」と主張する占い師に金を払ってはいけない。ならば予知とはサイコキネシスと同じく考慮に値しない超能力のたぐいなのか。しかし、未来を制する者は有利だ。昆虫などは淡々と、しかし先のことをすべて見通しているかのごとくに行動しているが、予見があるわけではない。昆虫とは逆向きに、人間は未来を予見する能力を育んできた。

人間が予知できることは、符号化されたもの、おおざっぱにいえば言葉になったものだ。符号化されているものは全て計算ができる。本来の用途からいえば予知のために符号化という能力が育った。現象と符号の関係は物理と数学のようなものだ。あたりまえのように見えて、このことは非常に繊細な問題を含んでいる。たとえば、競馬の当たりを予知するといえば、符号を当てることに他ならない。

競馬は真の意味での予知は完全にできない。来年の天皇賞の勝ち馬を物理的に計算することは、2億年先の小惑星と地球の衝突時間を決定するようなもんだ。スタート時間、ゴール位置、馬の番号、確定の電光掲示、投票券の価値などなど、競馬を成立させている要素はそれぞれ独立で、しかも恣意的で物理学的な事象としては小さすぎる。つまるところ競馬はおおぜいの人間の心の中で行われていることにすぎないのだ。競馬を占って勝ち馬を当てるのなら、掲示板を予知するのが手っ取り早い。予知でなくとも、20頭の馬が200メートルも走ってゴールを切るときのイメージを、帽子の色とともに鮮明に思い描くのはかなり高度な技だ。掲示板の番号ならば当てずっぽうでも言えるし、推理でも言えるし、念じて心に数字を浮かべることもできるだろう。それなら20回に1回当たるだろうし、3回に1回は惜しいだろう。もともと掲示板と馬の着順は物理的には全く関連がない。果たして掲示板のどの電球が光っているかを予知するという能力が人間に育つ土壌があるだろうか。

「野球は一寸先は闇」などという。現象に限ればそれは正しい。星投手のなげたボールがどこに行くかなんて全知の神すら分からない。ただ、野球ほど符号化され分かりやすいスポーツもない。投げたボールはストライクかボールか、ボールは打たれるか打たれないか、打たれたら、フェアかファールか、フェアならホームランかグランドに落ちるか、グランドに落ちるなら、野手が取れるか...符号になっているかぎり有限の記号で全ての場合を記述できる。野手が1万回エラーする場合などという馬鹿げたことを無視すれば、野球の1投で発生する事象の記述なんてせいぜい1千語で足りるんじゃないだろうか。


2004.12.15 唯物論者、心を語る

さあ、いよいよ占いを心の面から見て行こう。私は唯物論者であるから、当然のこととして心の実在をみとめ、心的過程は生理から独立していると確信している。あのデカルトですら我思うから始めなければならなかったように、心の実在を主張することは唯物論者の伝統でもある。唯心論者は物の実在をみとめないでもなんとかなるかもしれないけれど、唯物論者が心の存在を認めないわけにはいかないのだ。少なくとも「私は唯物論者である」という主張をするならば、その主張の意味を心の存在を否定しつつ説明することなど不可能であって立場が悪い。

心の世界ではよく「反対」ということが使われる。唯心論は唯物論の反対だといっても通用する。ところが物の世界には反対などというものは存在しない。「私は唯物論者である」と主張しているときと「私は唯心論者である」と主張しているとき、その立場は反対で対立するものかもしれないけど、別に血が逆流するわけでもなく、脳波の山と谷が反対になっているわけでもない。その言葉の意味を知らない人が彼を観察するならば、まったく同一の行動だと判断するだろう。

ともあれ、狭義の唯物論者とは「心のことは私の守備範囲ではない、そんなややこしいものはひとまずおいといて物のことを考える人なの」というほどのこと、つまり職業科学者という程度のことだ。以上見て来たように占いは心を無視するとまずインチキになってしまう。インチキはインチキであるというそれだけの理由で捨ててしまう必要はない。誰もが陥っているインチキなら科学の対象だ。そこを考えるには心という極めて扱いが難しい奴を持ち込まなければならないが。


2004.12.17 水の上を走るには

水の上を走るには「右足が沈む前に左足を上げ、左足が沈む前に右足を上げ」ればよい。こどものとき本当にプールで試したことがある。結果、何もしないよりもましな感じは全くなくて、じつに速やかに体は水中に沈んで行った。そんなことを思い出したのは同じようなことに心を奪われたからだ。

ちかごろ私が深刻に物思っているならば、それはきっと自転車で速く走る方法を考えているに違いない。「どうにかして半原越TTのタイムを上げたい」 自転車のスピードを上げるのは簡単ではない。時速35キロで走るのはそう難しくないが、時速40キロで走るのはかなりしんどい。たった5km/h とはいえ、風の抵抗がすごく増えるからだ。40km/h を45km/h に上げるのはもっと大変になる。風の抵抗の大きさの増加はスピードが速くなればなるほど大きくなる。逆に考えれば、スピードが遅いときは10km/h ぐらい上げても抵抗は増えない。10km/h を20km/h にしても風の抵抗は増えた気がしない。このことに気づいて目からポロリと鱗が落ちた。

「半原越で時速10キロで走るのも20キロで走るのもいっしょではないのか?」 これはものすごいアイデアだ。登り坂を一定のスピードで走るのは加速度運動だから力を加え続けなければならない。10km/h を維持するのは、平地だと30km/h を35km/h に上げ続けるぐらいの努力が必要だと思う。とにかく、登りではスピードを上げることにはものすごく力を使う。加速度の加速度になるからだ。半原越で20km/h に達するのに必要な力は平地で50〜55km/h にあげることに匹敵するだろう。

しかし、いったん上がってしまえば抵抗はないのではないか? 時速50キロなら風の抵抗が大きいだろう。しかし、時速20キロなら風の抵抗はないはずだ。なんてことだ。これまで10km/h でしか走れなかったのは、単にだまされていたのだ。なるほど10km/h からスピードを上げるのはかなりつらい。そのつらさのため、いったん上げたスピードを維持するのも無理だとあきらめていたのだ。一度20km/h まで上げてしまえば、その速度を維持するのは、10km/h、いや5km/h とだって変わらないのだ。げんに、速く走ったときよりも遅く走ったときの方がしんどいじゃないか。しんどいから遅かったのではなく、遅いからしんどかったのか。なんてオレは馬鹿だったんだ。よし次は20km/h で走ってやるぞ。

という次第で、水の上を走ろうとして失敗したことをまざまざと思い出したのであった。


2004.12.18 突拍子もないこと

私は唯物論者であるから、心は独自の発達過程をもっていることを信じている。人間の体の形が生まれつき決まっており、時間につれて勝手に成長をするのと同じぐらいに、心も生まれつき形が決まっており、独立の発達をとげるものだと思っている。その過程は非常によく解明されているので、カウンセラーは個人の未来を占うことができる。もちろん私はそんな退屈な占いには興味がない。意味を考えたいのは突拍子もない占いだ。

人間の場合、心の一部の機能が肥大化して、その部分が全体であることを主張しがちだ。その部分とは「右足が沈む前に左足を上げれば水の上を歩けるかもしれない」とか「登り坂は時速10キロで走るよりも20キロで走る方が楽かもしれない」などと突拍子もないことを考えている、その主体としての心だ。

心が常に体に縛られており、常にしっかりした感覚に縛られているならば突拍子もない考えが湧いてくる余地はない。私の体は半原越を時速10キロでしか走れないことを知っている。その体に相談することもなく、私の心は時速20キロで走れるかもしれないなどと空想する。心は体や感覚を考える対象にするけれども、もっと頻繁に心を対象としてもの思う。それが「心」の特徴だ。

また、心なしに突拍子もないことは起きないものだ。真夏に鳴くアブラゼミは非常にうるさく、ときにああまで鳴かなくても生きていかれるだろうにと恨めしくなる。あんな大声で鳴くことは突拍子もないことだが、その原因は心とはいえない。族の単車がうるさいのとはわけが違う。彼らなりにのっぴきならぬ合理的な原因と歴史があるはずだ。そういう原因の積み重ねをあざ笑いながら何かを発明するためには、ひとまずは突拍子もないことを思いついてやってみることが必須だ。


2004.12.19 理想のお嫁さん

占いは目標をはっきりさせモチベーションを高めることに利用できる。25年ほど前に「理想のお嫁さん占い」というものをやった。そんなことがわかるのならぜひとも知っておくべきだからだ。占いは紙面の10問ほどの質問に答えるだけで私にフィットする女性が明らかになるというすぐれ物だった。その結果があまりにあからさまだったので今でもはっきり覚えている。

私にフィットするお嫁さんは石川さゆりさんだった。その理由として「美人でやさしく奥ゆかしいけれども芯が強く、しっかりサポートしてくれる」からだという。私は彼女がデビューする前から石川さんのことは知っていた。知ってはいたけど特別な人ではなく、山口百恵、伊藤咲子さんなどと十把一絡げの歌手の一人にすぎなかった。

占いにでたようなタイプの女性は大好きだ。石川さんがそういう人で相性が良いのならぜひともお嫁さんにしたいものだ。彼女は当時すでに歌謡界のトップにあり、私はすでにいい大人だったから、まじめに結婚の相手として彼女を考えたことはなかったけれど、その占いのあとはお嫁さん候補としてテレビで見るたびちゃんとチェックを入れ、いろいろな評判をしっかりゲットしていた。たまたま近所に住んでいたときの「自転車に子どもを乗せて幼稚園に送ってる所をすれちがった」などという女房の目撃証言も貴重な情報だった。彼女は本当に素敵そうな人なので、お嫁さんにすれば楽しい人生になりそうだ。ちなみに星座、血液型の相性ももうしぶんない。

演歌の星、石川さゆりを嫁にしようという了見はよっぽど変なことがないかぎり尋常な大人の脳裏をよぎることはない。そういう突拍子もない夢をみさせてくれる役割を占いは持っている。30年後、どこかに二人で隠居して松山千春の『大空と大地の中で』なんかをいっしょに歌いながら「そういえば、占いでぴったりのお嫁さんだって出てたんだよ。50年前にいっしょになってればよかったね。」などというような現実が待ってる可能性もゼロではない。あの占いがなければ可能性は絶対ゼロだ。シュートを打たなければ点は入らないように、「嫁にしよう」と思わなければ嫁は来ない。


2004.12.20 ラッキーカラーにしてみた

朝のテレビでやっている当たり外れの判定ができないタイプの占いはいったい何が面白くてやっているのだろう。あれは明白な犯罪行為だと思う。どうせやるなら7月に恐怖の大王が降ってくるとか、石川さゆりさんをお嫁さんにするといいですよ、とか突拍子もないことばかりを言ってくれればよいのに、「恋愛運が悪い」とか「財布にイヤリングの片方を入れておくと吉」とか「交通事故で死ぬ」とかしょうもないことばっかりをいう。ひとたび占いで何かを指摘されたならば、気にするにしても気にしないにしても、余計な努力を払わねばならない。そういう番組は見ないよう意識するだけでもけっこうな損失だ。先日の占いで「水瓶座のラッキーカラーはピンク」と言っていたので、せっかくだからとそれっぽい服で出かけた。それほど良くも悪くもない一日だった。それを当たらなかったと言うべきか、それとも、占いを知らずに黄色の服で出かけたならば相鉄線で痴漢の疑いをかけられていたのかもしれないから良かったと考えるべきか。いや黄色の服でも途中にすれ違った犬がピンクの服を着ていたから守られたのだと判断するべきか。私の人生にはどのみち避けきれないささやかな困難が無数に待ち受けているのだから、真偽の判定もつかない占いならいっそ放っておいてもらいたい。

心の根っこは物理的に分析不可能といっていいほどささやかな化学変化だ。無邪気なインチキも言葉にすると心が動き力を持つ。言葉はシチュエーションで艶を増す。有能な占い師はよきカウンセラーであるとともにマジシャンでもなければならない。予言はその方法がイーファンついて科学的であったり、神秘的であったり、感動的であったりすれば強く人の心に訴える。星々の運行は美しく規則正しい。大空を統べる決まりが人生に適用されてもおかしくない、と考えてもおかしくない。質問に応じて指をのせた10円玉が動くなんて感動的じゃないか。運命は未知の法則で動いているのだから、未知の力で動く10円玉が何か大事なことを語ってくれるかもしれない、と考えてもおかしくない。血液型はどこかしら錬金術の匂いがして魔術的である。人血を採って呪文をとなえて皿の上で混ぜると赤血球が怪しげな文様を描く。その模様にしたがって秘密の個性が分類されるかもしれない、と考えてもおかしくない。性格が赤血球の型で分類できるという主張は変だが、性格が赤血球の型で分類できるはずだと信じることは変ではない。唯物論者ならわかるだろう。


2004.12.21 ピンクのカマキリ

カマキリ

日本のカマキリは緑か茶だ。同じ種類でも緑と茶と両タイプがいるカマキリもいる。カマキリがそういう色なのは植物のふりをして鳥の目をごまかし蝶にはこっそり近づくことにある。カマキリが獲物をにそうっと近づいていくときは、まるで草が風に揺れているかのような動きをする。隠蔽も擬態もなかなかのものだ。

カマキリは狭い意味での唯物論者なので、自分が緑か茶色をしていることの意味をしらない。それを知っているのは人間だけだ。人間はいろいろなことを知っているので、日本のカマキリだって本当は緑か茶ではなくピンクのほうが有利なのかもしれないと考える。マレーシアあたりには幼虫がピンクのカマキリがいて、ランの花にとっても良く似ている。草よりも花に似るのはいっそう有利だと思う。鳥の目には透明で、獲物の蝶は引き寄せることができる。一歩進んだ擬態だと思う。日本のカマキリはまだピンクの体を試していないのだろう。相手がカマキリだけに「今日の君のラッキーカラーはピンクだよ」と教えてあげるわけにも行かない。


2004.12.23 やってみないとわからないこと

カマキリとオンブバッタ

人間なら、体の色(服装)をいろいろに変えて世間の評判を試すことができる。カマキリはそういうわけにはいかない。日本のカマキリだってピンクの体が最適なラッキカラーかもしれないけれど、それを自分で試すことができない。しかしながら、虫だってなにもできないわけではなく、子が両親とちがった色で生まれてくることがある。いわゆる突然変異だ。

私は宗教的には臨済宗妙心寺派に属する仏教徒であるが、唯物論者としてはダーウィン派に属している。だから進化の原動力は突然変異だと思っている。突然変異した性質が適者生存によって保護されると種は進化する。ピンクのカマキリが突然変異によって生まれることは頻繁だと思う。虫を観察するのが好きな人は、羽化したての成虫に白いものが多いことを知っているだろう。アブラゼミもカマドウマもゲジゲジも白い。あのカブトムシだって最初はランの花びらのようにつややかな白い翅を持っている。体色をつける遺伝子に故障があればそのまま白いカブトムシになるかもしれない。マレーシアのハナビラカマキリはそういう突然変異の白化個体が固定されたものだと思っている。

カムイ伝を読んでいる人なら誰でも知っているように、オオカミの白化個体が生き残るのは抜忍が生き残ることに等しい。まず不可能なのだ。生物の体色には厳然とした意味と重い歴史がある。白化する突然変異は頻繁でも定着は難しいはずだ。ハナビラカマキリが生まれたとき、環境の中にたまたまカマキリによく似た白っぽいランの花が多かった。その花に集まる虫がやたらと多く、カマキリを狙う鳥がめっぽう多い所だったにちがいない。ものごとはダメもとでやってみないとわからないこともけっこうある。


2004.12.24 試行錯誤

虫の写真を撮ることを生業としている人たちの虫に近づく技は驚異的だ。虫に手の届く所までするりするりと近づいて行く。そのコツを尋ねたことがある。その秘訣は「虫の呼吸を読む」ということらしかった。虫は人が近づくと当然警戒する。その警戒が少しのときに動きをやめ、虫が安心したらまた動く。警戒がとける前に動いたらアウトだという。いわゆる「だるまさんが転んだ」を虫相手にやっているようなもので、話に聞くとできそうな気がするけれども、いざやってみると虫の息なんてそうそう分かるものではなかった。

その呼吸の他に服装も要注意ということだ。白や黒はよく警戒される。ブルージーンズの生地のものが最も警戒されないらしい。また、カメラも今主流の黒いカメラよりも昔の銀色の方がより近づきやすいという。その辺りは特に科学的な根拠がはっきりしているわけではないので、あくまで試行錯誤による経験則だ。そんな微妙なところまで量れる人はもはや常人とはいえない。

虫ならば親の技は必ず子に受け継がれて行く。人間はそうはいかない。昆虫写真家の発見したテクは文化として主として言語によって他人に引き継がれるに過ぎない。写真家の子は親の技をふたたび一から練習して身につけなければならない。

人の心のすごさは「やってみたらわかった」という所にもある。もはや人間の進化は止まっているのかもしれないが、進化より速やかで広い可能性をヒトは持っている。人間の体は虫といっしょで物の世界に属するので因果にがんじがらめだ。一方、人間の心はたとえ理屈がわからなくとも何がしかの法則を見いだすことがある。一歩進んで、自然の摂理に全く反していることでも経験上の正しさから信じられることが少なくない。そうした意味不明、あるいは誤った行動が人間社会には一般だ。


2004.12.25 無意識とは何か

ひょんなことから永井真理子さんの最新のアルバムを持っていないことに気づいて、レコード屋に買いにいった。ところが、中央林間駅前のレコード屋の棚にはすでにながいまりこのなの字すらない状況であった。途方に暮れつつもにこやかに帰宅したのは、太田裕美の「GOLDEN☆BEST」というCDを買ったからだ。「さらばシベリア鉄道」ってやっぱりすばらしいなあ、買って良かった。といま思っている。ちなみに、太田裕美さんは本気でお嫁さんにしたかった数少ない女性の一人だ。そういう占いがでたわけではない。そのときまだ私は子どもだった。

人の行動は冷静に観察するならば理不尽で無意味なものだ。永井真理子の「そんな場所へ」と太田裕美の「GOLDEN☆BEST」には何のつながりもない。しかし、私の心の中ではこの2つはほとんど同一物である。むしろ、ながいまりこのなの字がなくて良かったと感じているぐらいだ。どちみち「そんな場所へ」は買う。この2年間、いつか買うだろうと思ってきた。昨日それがなかったからこそいま、さらばシベリア鉄道を聴いている。やっぱ大瀧詠一よりいいよな〜などと思いながら。だれでも、かような行為にはなんら不都合なことを見いださないだろう。

「無意識」という概念は今から35年前ぐらいに一般にもずいぶん流行したようで、子どもながらずいぶん耳にした。それは伝統的な禅でいう無の意識ではなく、フロイトやユングの分析心理学で使われる無意識だった。人間は目覚めているときでも大半は無意識で過ごしていることが彼らによって発見された。ならば他の獣、魚、虫そして植物はどうだ。花から花へ舞う蝶は花に行きたくて飛んでいるのか、オスの蝶はメスを探して飛んでいるのか。それは自覚ある行動なのか?

私はたいていの動物は無意識に行動していると思っている。オスの蝶なんかは何かの衝動にかられて居ても立ってもいられず飛び回っているのだろう。そしてメスに出会ってはじめて「ああ、そうだ僕の生きてきたのはこのためだったんだ」と気づくのではないだろうか。その自覚はおそらく単なる強烈な快感のみだ。ただ、その快感こそが思考の原点だと思う。昨日、なんとなくレコード屋をさまよって「GOLDEN☆BEST」を見つけて「ああ、そうだこれをゲットしなきゃ」と感じた。オス蝶のレベルを一歩も踏み越えない無意識行動だ。


2004.12.26 無意識から意識へ

オス蝶の場合、首尾よく交尾行動を始めれば、メスとであったときの感動はきっとリセットされると思う。交尾が終ればまた新たな気持ちで、よくわからぬ衝動に突き動かされて飛びはじめるのだろう。そして別のメスとであって「ああ、そうだ僕はこの人と出会うために生まれて来たんだ」というような強烈な快感を感じ必死で彼女を追いはじめるのだろう。

人間はそういうわけにはいかない。人生で二度や三度は運命の出会いというハンマーで後頭部をがつんとやられるだろうけど、娘さんを見るたびに初恋をしていると身がもたない。運命の出会いの正体は女そのものの意識化だ。無意識だった女探索行動を意識化するときのショックだ。ヒトの場合、特定の個体と長期にわたって生活を共にしなければならぬ制約もあるので、巧妙に個体同士のつながりを維持できるシステムが発達している。無意識からエネルギーをもらう意識は恋心を持続させることに重要な役割を果たしている。裕美さんや真理子さんを女性一般から分け、彼女らオリジナルないいところ、素敵な所をつぎつぎと見出して行くことができる。そういった諸点は必ずしも普遍的な美点とはいえないものも混じっているだろう。真理子さんはなぜか顔にほくろの多い男の子が好きだったらしいけど、裕美さんの大ファンだった私にはけっこうその気持ちがわかったりする。ほっぺたのほくろみたいな個々別々の好みの対象は物の世界の住人ではなく、心の世界のものだから理不尽も許容される。

恋の原因はあいてが異性であることそのもので十分だけれども、それだけで恋を維持することは無理だ。無茶も必要、努力も必要、勘違いも必要。意識の力が必要だ。いっぱんには誤解されているようだが、性的な快感は恋心の維持に無用だ。あってもよいが、あってもなくても特定の個人に対して恋心を維持できる時間的な長さはそれほどかわらない。物の世界から見れば、人間の心はそれほどまでにねじまがっている。


2004.12.29 ジンクス

私たちの考えの正しさは妥当性で判断するしかない。その妥当性は理屈で保証されているけれども、理屈というのは極めて浅い限界を持っている。科学的なことならば、どんなことでも「なぜ?」と3回も問われるともう答えられない。限界があるからこそ科学と言えるし、信用もある。人は物の世界の本質を直感できるように生まれていはいない。物の世界と心の世界と、たった2つのことしかわからない存在に、物と心双方の世界の究極が把握できる道理はない。

私個人には思い当たるものはないけれども、ジンクスを信じて守っている人がいるという。ツキや運が人生に大きな比重を占める勝負師たちに多い。プロのギャンブラーやスポーツ選手などのインタビューを聞いているとよくそういう話が出てくる。ジンクスを守るということは、物の世界の法則に照らせば理不尽だけど幸運の原因と考えられる行為や物にすがることだ。幸運の因果などきちっとわからなくても生きて行ける。人のすべきことは、まずはよりよさげに生きることだ。当たっているかいないか分からなくても、当たっていそうな事にすがって生きることだ。ジンクスは人間ならではのわがままと言えよう。


2004.12.31 血液型と性格

意識のチャームポイントは因果関係を作り出すことにある。何事かめざましいことがあれば、そこに何かの法則を見出したいのが人間だ。星々がその質量に比例し距離に反比例する力で引き合っていることにすれば太陽系がうまく説明できるような気がする。ならば全てのものに同様の引力があると考えてはどうか? リンゴも地球も引き合っており枝を離れたリンゴは加速度をもって地上に落ちて行く。ニュートンの万有引力の法則はみごとに物体の運動を記述することができた。その説明で不都合が生じないかぎり、それを信じておれば良い。たまたま手袋を右からはめて打席に立ったときにホームランを打てたならば、また右手から手袋をはめれば良い。手袋とホームランにどんなつながりがあるかは不明だけど、リンゴと地球がどういうわけで引き合わなければならないかだって不明だ。なにか関係がありそうならまず記憶し試してみるべきだ。それが人の性質だ。

古くから「血は人である」という連想がある。血は争えない。〜の血が流れている。われわれの中には先祖から受け継いだ争えない血が流れている。物の世界でも血は大切だ。近代の医学は出血そのものが人の死の原因であることをつきとめた。そして、場合によっては輸血で死が回避できることが発見された。ただし、赤血球の型を合わせることは必須だ。赤血球の表面にある糖鎖にはちょっとした分子の配列の違いで3タイプがあり、タイプによっては混ぜると固まる。糖鎖のタイプを合わせなければ赤血球が固まって血管をふさぎ輸血が原因で死んでしまう。

糖鎖のタイプは遺伝できまる。血が人であるからには、血が合う合わないは容易に人と人が合う合わないということを連想させる。人と人が合う合わないというのは相性だ。相性の原因は性格だ。という自然な連想によって赤血球の型が性格を決めることになる。心の世界では血液型は性格と一致すると決めつけることは自然だ。では物の世界ではどうか。

唯物論者である私は人の性格は遺伝子によって決定されていると思っている。その性格の現れ方は環境で決まるけれども、性格自体は生まれつき固有のものだ。DNAさえもっていない赤血球の糖鎖が性格を作るとは思えない。ただし、赤血球の型を決める遺伝子と、性格、特に対人的な積極性を決める遺伝子になんらかのつながりがあっても不思議ではない。ただし、あっても考慮するほどではない。肌のつややかさとか頭の骨格とか足の速さとかバストのサイズとか腰のくびれとか光彩のサイズとか体臭とか鼻の高さとか頭の良さとか背の高さとか脚の長さとか歯並びとか声質とか髪の滑らかさとかを決定する遺伝子のほうがずっとパーソナリティには重要だ。少なくとも赤血球の糖鎖のタイプよりも影響大だ。人格は他人からのフィードバックがあってのものだねだから。

心の形を決める遺伝子は体の形を決める遺伝子と同様に何千何百とあるはずだ。糖鎖のタイプと関係があるかもしれないひっこみ思案な性格をつくる遺伝子を突き止める実験はたぶんおおごとだ。少なくとも二重まぶたを作る遺伝子を特定するよりも難しいだろう。もしかしたらまぶたの型が対人関係に与える影響はひっこみ思案遺伝子よりも大きいかもしれない。まぶたのプチ整形でひっこみ思案の性格が変わることもあるようだ。葉っぱで作った化狐のお札みたいなもんで一時的なものだとは思うけれども。

 
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