たまたま見聞録
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2012.1.3(火)晴れ 引き脚練習

この数日は暖かく、クロナガアリは巣から出て活発に動いている。巣のある地面に霜柱が立っているような日には全く姿が見えなかった。さすがに土の中の水分が凍るようでは外出する気にもならないと見える。いっぽう、生き残っているジョロウグモも健在だ。おそらく彼女に明日はない。次に冬の風雨が来れば巣から落ちて命も落とすだろう。

どういう加減か虫たちは繁殖しなければ長生きする。このジョロウグモは体も小さく、産卵していないと思われる。その点ではここまで生き残ったとしても負け組かもしれない。ただ劣等であったわけではない。おそらく運がなかっただけだ。去年、私の庭で生まれ育ったジョロウグモは100匹ほどで、そのうち成虫になったメスは数頭だけだ。残りは夏の早くに姿を消した。こいつも、けっこういい線いってたのだ。あと数匹のトンボか蛾かなにかが巣にかかっていれば首尾良く産卵にこぎつけたかもしれない。

昼からナカガワで境川。上ハン高トルク練習はもちろんだが、ちょっと134号線にも行ってきた。5分でも10分でも100rpmで目一杯に走り込んだほうが、脚の可動域にオイルが回って高トルク練習に役立つような気がしたからだ。

境川では46×13Tというトップギアにして3.5倍でやってみた。ケイデンスは60rpm程度だ。どうしても下死点でひっかかる感じが取れず、全体にスムーズではない感触があった。それをなんとかすることを重点的にやってみた。ギアを重くしたのもそのあがきの一環だ。

向かい風の場合はやっぱりうまくいかない。いっぽう、追い風のときにはそれなりに回る。喜んではいけない。軽ければごまかしがきく。今日はペダルが一番前にあるときに力を抜いて「置く」感じにして、下死点でずるっと引く方法を試してみた。いずれ、高トルクで360度全体に力を加えるのでは数分で力尽きる。どこかで休む必要もある。あえて、もっとも力が入り、もっとも無駄に力を使う部分で休む作戦だ。引っかかる感じはなくなった。ただし効率がよいかどうかは不明。フロントアウターを50Tに上げ、もう1段重くして引き続きこの方法をやってみよう。

西に傾いた日を覆う高積雲が彩雲になっていた。太陽から10度ぐらいの場所が色づいていた。


2012.1.5(木)晴れ クモの死

ジョロウグモ

朝、庭に出てみるとその場所にジョロウグモがいなかった。正月は生存を確認していたが、ついに落ちたのだと思った。念のために巣の周辺を見渡してみると端のほうにぶら下がるクモを見つけた。明らかに生きていないようだ。念のために触れてもみた。死んでも5本の脚で巣にひっかかっている。

気になったのは死んでいるその場所だ。そこはクモが巣を張りはじめる場所に当たる。巣作りは最上部に糸を渡すところからはじまる。まさにその場所だ。ジョロウグモが巣の中央から離れるときは何らかの意図があるはずだ。彼女は命のかすかな残り火を使って何をしようとしていたのだろう。巣の補修だったのかもしれない。危険を察知して逃げようとしたのかもしれない。もしかしたら、ジョロウグモは夜間に巣を離れるのかもしれない。

じつはさっきまで、ジョロウグモは夜間も日中同様に巣の中心で獲物を待っているものだと思い込んでいた。あえて夕方に巣を張り夜明けにたたむクモもいるぐらいで、ジョロウグモが夜に活動することになんら疑問を感じなかった。このことは来年になって夜のジョロウグモを観察すれば解決する。このクモの本心はあきらかにならないにしても。


2012.1.6(金)晴れ 生きている不思議

今朝、惰性でジョロウグモの屍を確認に行った。興味は、いつやつが糸から落ちるのかということだ。今朝はまだ糸にひっかかっていた。が、それだけではなかった。驚いたことに、昨日の場所から10cmばかり移動していたのだ。糸にぶら下がる体勢もしっかりしている。巣の修復作業をストップモーションで止めたかのような姿勢だ。昨日は3本の脚が力なく糸から離れて、いかにも死体然としていた。どうして様子が変わっているのだろう。

巣が破れている様子もなく風などで動いたわけではなさそうだ。では、まだ生きているのか。24時間で10cmは歩いたことになる。触っても動かかなかったのは死んだわけではなく、余力がないか気温が低かったため、身を守る反射が起きなかったからだ。蝶なんかを弱らせずに移送する手段として、氷で冷やして仮死状態にするのがある。ジョロウグモも昨日の朝は仮死状態になっていたようだ。日があたって体が温まり歩くことができたのだ。

庭の最低気温は連日氷点下になって、睡蓮鉢は結氷したままだ。今朝も老女らしい張りのない腹に触れてみたが、やはり動かない。虫けらだけに呼吸や拍動もよくわからない。カマキリなんかだと腹の動きで息を確かめられた。そういえば、クモの類で腹を動かして息をしている様子を見た覚えがない。


2012.1.8(日)晴れ シジミ

経営方針がかわったのか、スリーエフ白旗店の従業員が全員かわいらしいお嬢さんというわけではなくなった。それで少しばかり足が遠のいて、高鎌橋のたもとにあるセブンイレブンに通うようになった。今日もセブンイレブンでおにぎり2個を買い店の裏手で食べることにした。そこはすぐ先が境川になっており、いつも通っているサイクリングロードが見える。店と境川の間はねこの額ほどの小さな畑だ。そしてセブンイレブンの敷地と畑の間にはコンクリート水路がある。いつもその水路に腰掛けておにぎりを食う。

水路はまあひどいものだ。幅は1m、深さも1mほどで水田用らしい。冬の今は全く水がなくからからに乾いている。底にはところどころ砂泥が厚く溜まり雑草がまばらに生えている。ゴミもひどい。ほとんど人通りがないところなのに水路の底はゴミだらけだ。おまけに水路と畑の間にある狭い道には数台の自動車が放置されている。車内はゴミで満載だから廃棄されたものだろう。ここまでなら珍しくもない神奈川の田舎の普通の光景だ。

私がこの水路にひかれているのは、底に溜まった砂泥におびただしい数の貝殻がまじっているからだ。貝殻はシジミらしい。それはゴミではない。もっとも大きいもので小指の爪のサイズで食用として流通するものではない。平成の貝塚というわけではないのだ。3面コンクリートばりの用水路に大量のシジミがあるのが面白い。どうしてこの殺風景な水路にシジミがいるのだろう。

境川の右岸に水田はいくらかあって春から夏には水路に水が流れている。ただしセブンイレブンの裏の水路は水田に水を運ぶものではなさそうだ。水を引く水路は春先に掃除をするはずだ。それにしてはゴミが多すぎる。概算して足元のゴミの数は100個。ひと秋でたまる量ではない。おそらく、田の排水を境川に流すだけのもので、何年も顧みられてないのだ。

底の砂泥を少し観察して見るならば、水底の泥が乾いたときにできるひび割れの跡もある。去年も利用されたはずだ。泥の厚いところには、背の高い一年草のアメリカセンダングサが生えている。これは根元が水につかるぐらいのところでもよく育つ丈夫な草だ。ただし完全に水没しては発芽成長はできないだろうから、水が流れていたときでも水量は多くないのだろう。見渡してこの草が見つかるのは水路の底だけだ。水路がイエネコ、タヌキ、ハクビシン等に通路として利用されているらしい。

シジミはかつて水があったときに生まれ成長し世代交代を繰り返し、水がなくなって干上がって死んだのではない。そのサイズからしても成長期間は1年未満のものばかりだ。上流から幼生が流れ着いて夏の間だけ成長し秋に死んだのか、貝殻が流れ着いて溜まっているのだろう。いずれにしても、おびただしい数の貝殻は上流にシジミが生息する豊かな水世界を想像させるのだ。

子どもの頃、シジミやドブガイはあこがれの貝だった。生家の前の千丈川に淡水二枚貝は生息していなかったからだ。私は入念に千丈川の生態調査、つまり生き物相手の川遊びをやっていた。シジミを掘り当てたことはただの1度きりだった。それも5mmばかりの稚貝である。子どもながらに、千丈川はシジミの生息地ではなく、その稚貝も上流のため池あたりから流れてきたものだと結論した。千丈川は少し雨が降るだけで濁流になって水底の砂礫が撹拌される。二枚貝が安定して生息できるような場所ではないのだ。

シジミが確実にとれるのは入寺にあるため池だった。ある日、そこからひとつかみのシジミをとってきた。食用ではなく飼育観察用だ。シジミが砂にもぐる様子なんかを見たかった。飼育セットを準備するあいだ、シジミを生かしておく必要があった。私はシジミを網に入れて川岸の石に結びつけて千丈川に浸しておいた。一晩おいて川に行くと、網もシジミもなくなっていた。盗まれて食べられたのだろう。日本中に物が行き渡らずホンモノの貧乏人がいっぱいいたころのことだ。私はシジミが消えたことにショックを受け、以来二枚貝の飼育には手をださなかった。


2012.1.14(土)晴れ 引き脚練習

今日もナカガワで境川へ。高トルク低ケイデンスの練習だ。ギア比は50×13Tで4倍弱。このギアを使って60rpmぐらいだと時速30kmになる。上ハン持ってひたすら境川を行ったり来たり。これだけ重いギアだと引き脚を使わないと60rpm回らない。境川には障害物が多く減速加速を余儀なくされる。加速時には全力で引き脚を使わないと自転車は進まない。立ちこぎする人も多いけれど、あれは傍目にかっこわるい。その加速の引き脚を使い続けることが今日のテーマだった。

引き脚がないと登りを超人的な速度では走れない。これは物理的に明らかだ。ただ、引き脚にもいろいろある。重点的にやったのは上死点手前の引き脚だ。感覚的にはペダルを蹴り上げる感じ。深めに入ったサッカーボールをボレーするような、ふとももでリフティングするような、そういう感じに力をいれる。足の甲でシューズをひっぱっている。

初心者であればとりわけ、この引き脚は使えないと思うだろう。技術的に高度で疲労も早い。下手をすると3分で脚がつってしまう。しかし、なにごとも正解は常識からちょっと離れたところにある。ダメそうでも工夫は怠れない。夏への扉は絶対に存在し、開かれるのを待っているはずだ。

水路

今日も例のセブンイレブン裏のコンクリート水路脇でおにぎりを食った。水路のシジミ殻が気になってその発生地を知りたいと思っている。周辺は幾度か自転車で走っており、まるっきり知らないわけでもないが、良好な水環境に心当たりはない。水路の周辺環境を概観するにはグーグルの航空写真が手っ取り早い。さっそく一覧したものの、それらしいものは見つからなかった。水路は50m上流で広い道路にぶつかり暗渠になる。水のないこの季節は調べようがない。

地図を見ていてひとつ驚いたことがある。当の場所のストリートビューが存在していたのだ(写真)。セブンイレブンではなく、そば屋だからちょっと古い写真だ。たかだか50mしかない畑の脇の泥道まで撮っていたとは、グーグル恐るべし。

ところで、問題のシジミであるが、この辺には新参者のタイワンシジミというのが幅をきかせているらしい。みかけでは在来のシジミそっくりなのに増殖力がはんぱないらしい。在来のシジミだと思い込んで素敵な水環境を期待していたけれども、そういう事情であるなら、水路にある貝殻はおそらくタイワンシジミなんだろう。いくぶん落胆した。


2012.1.15(日)くもり 路傍の水路

半原越をうまく走る練習として最も効果的なのは半原越を走ることだ。古来より言い尽くされたことであるけれど、冬の寒さにめげて半原越に行く気がしなかった。なにしろ湘南は冬でも温暖だ。境川や134号線で遊んでいればつらい思いをしなくて済む。源頼朝がいい国作ろうと幕府を鎌倉に置いたのも分かるような気がする。ただし、北日本のつらさも分かってはじめていい国が作れると思うが。

寒さに負けてばかりじゃ悔しいと、決戦仕様の半原1号で半原越に行った。方法は28×19Tしばり。1.5倍程度のギアだ。私は赤城レッドサンズの高橋涼介の公道最速理論にならって、上級者は普通の坂で速いと結論している。7%の坂は1.5倍のギアを使って75rpmで走るのが最強である。それがいまの私の半原越最速理論だ。半原越は波打って緩いところもきついところもある。緩いところ、きついところで無理をしてはいけない。本来はギア比を変えて全体を同じトルクの75rpmで走るのが最速だ。にもかかわらず、1.5倍しばりにしたのは境川で練習している引き脚の効果を確かめるためだ。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'34"4'34"+1415.516383195
区間29'47"5'13"+2313.717673203
区間314'52"5'05"+1514.017875195
区間421'08"6'16"+1611.518361210
全 体+6813.517672201

予想通り、7%の区間では境川の引き脚練習の感覚に近い。平均で8%以上ある区間4でも平均して61rpmだから回転数では境川と同じだ。それにも関わらずうまく回せている感じはない。引き脚も使えていない。1.5倍の重いギアだと10%程度のところではいわゆる座り立ちこぎになる。もっとも強力な踏み込む力に頼らなければならないからだ。強い踏み込みから引き脚へと受け渡せれば60rpmでもいい。めいっぱいに踏み込むと、その筋肉の緊張を解いて引き上げる筋肉にバトンタッチさせるのは難しい。きっとそこにロスがあるはずだ。だかこそ、ギアを落として75rpmで行くのが最速になるのだ。ギアを落としたくなかったら筋力アップの修練を積まなければならない。

リシア

半原越を降りて適性ギアに変更して登り直し久々に愛川側に降りる。中津川の右岸の道路ができているという噂を聞いて走ってみた。そして普段通り座架依橋をわたって座間へ。1時半をすぎて腹が減るといけないから、ミニストップでおにぎりを買って、さてどこでたべようかと場所を探していると、路傍の水路が目に入った。きれいな水が流れて○○名水みたいな看板が立って散歩道みたいになっている。米軍の座間キャンプの崖から水がわいているらしい。100回も通った道だけどその水路に気づかなかった。

水路はコンクリートで固められ、花壇で飾られ、流れにはショウブか何かが植えられている。だからといって馬鹿にしてはいけない。見れば水草雑草もある。リシアの黄緑が冬の水路に鮮やかだ。アブラナ科らしい水草はミズタガラシだろうか。先日、転がっているシジミの貝殻からこういう水環境を想像してしまったのだが、境川にもこんな場所があるのだろうか。


2012.1.16(月)くもり ユッカル

ユッカルはバルサがスーティランにのって洞窟を行くときに使った植物だ。その葉を擦って足に塗っておくと氷のように冷たい地下水にも耐えられる。私もユッカルが欲しい。冬の峠でなにがしんどいといっても指先が凍えるのが一番だ。下りで足先が痛くなって戦闘意欲がなえてしまうのだ。そのせいで半原越のタイムも30秒は落ちると思う。

つま先の寒さ対策としてシューズカバーというやつもあるが、あれはいろいろうっとおしい。この冬は自転車競技界のユッカルともいえるナキウォームジェルコンペティション2を使っている。氷雨と強風の本場ベルギーの薬だけあって、一塗りするだけでぽっかぽっかにほてってくる。11月の龍勢ヒルクライムに参加するにあたり、雨対策として買ったものだ。買ってすぐに試しに使ってみた。10月だったが、あのときは後悔するほど熱くなり、効果てきめんだと感心した。幸い龍勢は好天で使う必要もなかったが、冬の寒さには防寒よりも血行促進だと考えた。

12月からは走る前に膝下にナキウォームジェルコンペティション2を薄く擦り込んでいる。耳や手は手袋と帽子で十分耐えられるから足にだけ使う。ふんだんに使うわけにはいかない。ナキウォームジェルコンペティション2は高価なのだ。そのおかげか、今年はまったく足がつらくなかった。冷たいけれど痛くて自転車が嫌いになるほどではない。

と思っていたのは昨日までだ。日曜にこの冬はじめて半原越に行って、やっぱり下りは痛かった。5℃ぐらいで脚も回さずに30km/h以上で走り続けると、さすがのナキウォームジェルコンペティション2でも間に合わないようだ。これまで快適だったのは境川にしか行ってなかったからだろう。かくなる上は2月まで半原越には行かないとか、もうちょっとたくさん塗ってみるとか、もっと熱くなるというウォームジェルコンペティション3を買うとか対策をこうじなければならない。


2012.1.28(土)晴れのちくもり 落合川

落合川

東京の落合川(写真)は、水草の繁茂する川としては東京一のビッグネームだろう。大和市からは片道40kmほどしかなく自転車で出かけて行くにはちょうどいい。半原2号で行ってきた。

ルートは町田まで境川。町田から府中に出て小金井街道をまっすぐ北上すると落合川の源流付近に出る。町田から府中はけっこう迷ったが、それはいつものことだ。これまで町田で迷わなかったことは一度もない。小金井街道はかなり狭く自転車で走るのはつらい。さいわい、路駐はできないし、脇から飛び込んで来るものもないから車の流れに乗って走る。バスには降参だ。新小金井街道ってやつのほうがいいかもしれない。

落合川はすぐにわかった。黄緑色の水草が流れに揺れる川などめったにないからだ。小金井街道の橋から上流はほとんど水がない。冬場の渇水ということもあるのだろう。下流を見ると草ぼうぼうである。丸い葉の水草(カワヂシャまたはオオカワヂシャ?)が水をうめつくさんばかりだ。これはさっそく期待大と川に沿って自転車で走る。落合川は両岸が自転車歩行者道になっている。右岸は雪が凍って滑るから左岸を行く。

少し下ると明るい色の小さな葉をびっしりつけた水草が点々と見られるようになった。ミズハコベらしい。河原に降りて確かめることにする。ミズハコベはともかくカワヂシャっぽいのは種名がわからない。いわゆるクレソンのような気もする。ただ正真正銘のクレソンもあってそれとは葉の形がずいぶんちがう。試しに1本食べてみたがクレソンの味はしなかった。柔らかい普通の草である。ちなみに川の水はなまぬるい。水温は15℃以上あるだろう。さすが湧水河川だ。

今の興味はもっぱら水中イヌタデである。ギシギシはけっこう水中に根を下ろしている。完全に水没したものは見つからなかった。夏場ならあるのかもしれない。落合橋の付近にはヤナギタデが多い。写真は落合橋から撮ったものだが、手前の方の色の悪い水草はヤナギタデだと思う。もちろん食ってみた。あの辛みがあった。


2012.1.29(日)くもりのち晴れ ホームコース

昨日の100kmはいわゆるサイクリングで乗った気がしなかった。今日は境川。おあつらえ向きに朝から強い北風。アスファルトの上を枯れ葉が転がっているから相当なもんだ。追い風だと35km/hでも前から風を受けない。ペダルをこがずにゆるゆる走るときもある。向かい風を使ってナカガワで50×16Tで高トルク低回転練習。

今日はかかとを上げない方法を試してみた。風の抵抗が大きくて弱ったあげくの措置だ。これまでかかとは上げた方が引き脚からスムーズに踏み込みに移れると考えてきた。高回転ではそうかもしれないけれど、60rpm程度の低回転になると下げてもよいらしい。ただし、かかとは下げても膝は上げなければならない。ペダルの回転する円周上をこするような感じて全周で力がかかるように意識を集中した。続けていればそれなりに効果はあるもので、30秒ぐらいはいい感じが続くようになってきた。

境川はホームコース。動かない物は知り尽くしている。ペダリングや姿勢の工夫に集中できる。走り慣れない所ではそうはいかない。腕を磨くにはホームコースが必要だ。藤原拓海もプロジェクトDの遠征試合を重ねてホームコースの重要性に気づいている。

もう1月も終わりで冬も終わりだ。風が当たらない日だまりに座っていると太陽の力強さを感じる。カワセミやシジュウカラもこころなしかそわそわしているように見えた。


2012.2.4(土)晴れ 境川の水草

さすがに立春で手袋をしようかどうか迷うぐらいの陽気になった。ただし峠は敬遠して半原2号で境川。続けている高トルク低回転型の練習だ。今日は50×16Tを使った。70rpmで28km/hぐらいになる。今日の南風はそれくらいの強度でちょうどよかった。心拍数は160bpm。

ただその心拍数のマネージメントは難しい。160bpmぐらいに一定させようと意識しているのに、すぐにがんばりすぎたり力を抜きすぎたり。自分自身がどれだけ力を出しているのかを知ることは簡単ではないようだ。私はタイムトライアルの専門家である。心拍数のコントロールは完璧にできないとだめだろう。

水草

ところで、境川の本流は私にとってそれほど面白いものではない。その水の半分は生活排水を処理したものである。残りの半分は農業用水の余り物だ。護岸は傾斜のきついコンクリートの壁だ。流れの中では大きなコイが腹をこすりつけるように泳いでいる。カワセミやらサギやらが物欲しそうに水をのぞき込んでいるから、小魚もいるのだろうけど道路からは見えない。コイさえいなければ、つんつん泳ぐ小魚の群れも見られるような気がする。ちょっと残念だ。水草など影も形もないのはいうまでもない。境川では水中化したタデ科の雑草なんて探しても無駄だ。

ただ、境川にも泉が湧く特異点がある。遊水地公園として工事中の鷺舞橋の下にはかなりの勢いで湧く泉がある。泉とはいえコンクリートの穴から境川の地下水が噴出するだけのものだが、その存在はよく知られており、遊水地情報センターで泉のヒキガエルの産卵情報が掲示される。

私はかつてあまりの殺風景さにがっくしきたことがあり、その湧水は気に止めていなかった。ところが、今日鷺舞橋から見下ろすと、なにやら水草らしいものが目に入ったのだ。落合川で見たカワヂシャ(オオカワヂシャ)によく似ている。さっそく降りて近くで見てきた。泉の下流のコンクリに泥がたまっている部分に根を下ろしているようだ。クレソンらしいものもまじっている。オオカワヂシャのように見える。夏になって花が咲けば特定できるだろう。

境川だって泉があれば水草も生える。近くの泥地にはギシギシのロゼットもあった。現在は神奈川県が遊水地公園を増設中だ。県は泉をどうしたいのだろう。泉の周囲には遊歩道もある。川底のコンクリートをひっぺがして沼にすればさぞかし愉快な場所になろう。そこまでは期待できないが、今のままでも来年あたり水中タデが生えるかもしれない。


2012.2.5(日)くもり 一度に一人

お日様が雲に隠れ少し寒い日になった。風は北から弱い。引き続き半原2号で境川。風がそれほど強くないものだから高トルク練習には適さない。ギアはちょっと軽めの50×17Tに固定してケイデンスは80rpmにした。いつも往復する部分は片道7キロあまりある。そこを15分ぐらいかけて4往復するのがメニューだ。

ペダリングではペダル位置の違いで力の入れ方が変わるという当然のことを自覚できるようになった。押すとき、踏むとき、ひくとき・・・青木裕子(アナじゃないほう)やイケクミ(仮)や田代さやかがそれぞれのパートで活躍してくれる。クランクは1秒弱で1周する。その間に彼女らがバトンタッチしてがんばってくれればけっこうな出力になると思う。ところが、彼女らは仲が悪く協調してくれない。1周のうち意識できるのはどれか一人だけなのだ。そこんとこをなんとかできないものかとがんばった。むりだった。お付き合いできるのは一度に一人。たぶん軽いギアで高速回転しているときは無意識に全員を動員していることになるのだろう。

午前中は北風だったが、午後には南寄りになった。境川では風は北か南かしかない。東風なら南風と北風がばらばらに吹く。どうやら低気圧が近づいているようで、明日はやっぱり雨なのだろう。下半身ばかり意識していたら、右腕にいやな感じで力が入っていることに気づいた。意識して抜かねばならない。サドルの座り方もいろいろ工夫した。


2012.2.6(月)雨 東大の入試問題

円周率

何年か前に出題された東京大学の入試問題を誤解していたことがある。その誤解は「円周率πが3よりも大であることを証明せよ」というものだった。本当は「πは3.05よりも大」という問題だったようだ。

その問題が小田急線の車内で話題になっていた。会話の主は学生らしい若者たちである。なんでも当時、東京大学は小学生に円周率を約3であるとゆとりっぽく教えることに抗議して、あえてゆるい出題をしたというのだ。若者たちの話によると、2ちゃんねるでも騒動になったのだという。そうしたことを満員電車の耳元でツイートされ、入試問題が私に届いた経緯がようやく明らかになった。どうも教育事情とか2ちゃんねるとかに精通している友人が、私に不確かな情報をもたらしたようである。

あのとき私は5秒で解けた。3なら中学入試レベルである。東大も楽になったもんだと皆で笑い物にしていたのだが、3.05となると事情がちがう。難易度が上がるわけではないが、暗算ではまるっきり歯がたたなかった。1引く3の2分の1乗の2乗割る4というような計算ができないからである。けっきょくその問題は解かないままに放っておいたのだが、ときおり思い出してもいたので、この機会に解いておいた。じつは計算を何度か失敗してやむなく電卓を使った。


2012.2.8(水)くもりときどき雨 炎

いうまでもなく子どもの頃から火を見るのが好きだった。火を見るのが仕事だったともいえる。はじめの頃は井戸からバケツで水を汲んで、上水道が整備されてからは蛇口をひねって水をため、廃材を炊きつけて風呂をわかすのが私の役割だったからである。子どもでも火の番はできる。火事を恐れるなら火は絶えず監視しておくにしくはない。

火を特徴づけるのは炎である。炎は明るく熱い。ゆらゆらはかなくても存在感は十分で効果は抜群だ。炎の触れたものは木でも紙でも炭でも速やかに燃える。

炎には様々な形相があった。丸いもの尖ったもの。赤いもの青いもの。風呂をわかしていてときおり見られる緑の炎はとりわけ印象深かった。

ほのおの正体はずっと不明だった。ちょっとまじめに考えるぐらいではつかみどころがない。ライトを当てても炎には影ができない。鏡に写らないドラキュラ伯爵よろしく光の中で存在を消してしまうのだ。正体を明らかにする必要にもさして迫られず、かといって忘れさられるような謎でもなかった。

それが今朝、自転車に乗りながら、みの味のシールをめくる加藤シルビアの指を思い出しているとき、ふと炎とは高温になって発光している気体なんだと確信した。気体の分子もしくは微粒子が炎の実体だ。つかみどころない炎には確かな物質がある。

およそ物質は高温になると発光する。物質が温度に応じて発する光の色は一定らしい。黒体放射は高校の地学で知識として習った。黄色い太陽は6500℃ぐらいで、青いシリウスはもっと熱い。鉄を熱すると赤く光る。さらに熱すると鉄は溶けてオレンジ色に光る。鉄は個体でも光る。液体でも光る。気体でも光ることが期待できる。熔けた鉄をさらに熱すると蒸発して青く光るのだろうか。プラズマの大槻先生が作った火の玉は青い炎みたいだった。

風呂で廃材が燃えるときには炭水化物が水と二酸化炭素になって発熱する。私が見ていた炎は高温の水蒸気と二酸化炭素、あるいは分解結合をしつつある炭水化物の微小な破片なんだろう。


2012.2.10(金)晴れ そわそわの春

去年の秋に東京の矢川に行った。イヌタデの中のイヌタデであるアカマンマが花ざかりの頃である。矢川の源流部は住宅地の中の沼として保全されていた。浅い沼の中に木道が作られ、歩きながら水の様子を観察することができる。そこには結構な数のアカマンマの花があった。ただし水中ではなく水の上の花だ。水中部にはほとんど葉が見とめられない。さらに水に浸かっている部分が多いほど勢いがないように見られた。

アカマンマが水中生活に弱いというのは定説だ。実験でも確かめられている。どれほど弱いかは気になるところだ。矢川の状況を見るかぎり水中に落ちたアカマンマの種は水中で芽吹くことが予想される。どれほど芽吹くのか、新芽はどこまで成長できるのか。

春になると私のアカマンマが一斉に芽吹く。発芽率100%とは思わないが、手のひら程度の面積に10〜20個、密集といえるぐらいには芽吹く。アカマンマは芽も葉も花もかわいくて、この数年は芽吹いたときから毎日観察と撮影を続けてきた。場所は日当たりが悪く湿った庭だ。いうまでもなく水中ではない。私のアカマンマを見るかぎりではそれが水草とは思えない。それでも水中で芽を出すならば才能はある。

小学校では種が芽を出すには水と空気の両方が必要だと習う。私も半世紀前に実験した記憶がある。学校の授業だから、その実験に主体性はなく意味を考えるでもなかった。たしか種は豆だったが結果は覚えていない。ともあれ学校の試験の正答は「発芽には水と空気の両方が必要」ということだから、水中で芽吹く種は特殊なはずだ。

思えば、田植えが完了した水田には草の芽が相当目に付く。それらがじゅうぶんに成長しないのは除草剤の力ばかりではないだろう。芽吹いたものの水面までの深さに力尽きるものも多いことだろう。果たして私の好きなアカマンマは水底の泥中から芽を吹くのだろうか。芽を出して、どれぐらいの深さまでなら生き残れるのだろうか。

私はアカマンマが水中で成長し水中花をつけた例を一つしかしらない。それは流れの速い湧水河川らしく、特殊な環境である。湧水はなぜかイヌタデに優しい。環境や個々の能力に差もあろうからなるべく多くの場所で多くの個体を見たいと思う。毎年、春になるとこういう野心を抱き、たいていは挫折してしまう。矢川にだって1回か2回行くのがせいぜいだろうが、行けば見どころはあるはずだ。庭のアカマンマからも毎年新しいことを教わっているぐらいだから。


2012.2.11(土)晴れ もしかしてこれ

境川は今日も穏やかで北よりの風がゆるく吹く。あいかわらず半原2号を持ち出して高トルク練習。風が弱いからギアはやや重の50×15Tにして北も南も休まないことにした。65から70rpmが目安だ。

やや重で重点的にやってみるのはやっぱり引き脚。上死点にかかる直前にペダルを蹴り上げる技に終始した。そのとき活躍する筋肉はイケクミ(仮)と青木裕子(アナじゃないほう)だ。どうしても田代さやかは休みになる。引っ張り出そうとしてもダメだ。とりわけ青木裕子との仲が悪い。双方とも巨乳が売りのグラビアガールだったからキャラかぶりなのだ。ちなみに、あまり知られてないけれど、彼女らは運動性能的にもいい体をしている(はずだ)。

わりといい感じで乗れて、気がついたら100kmになっていた。気づかずに5往復やったらしい。ふだんより早く出てきて日も長いから調子が狂った。軽い休憩をして立ちがあろうとすると太ももに痛み。いつもよりダメージがきている。それで帰りの20kmは軽く回していこうと19Tにかけた。たしかに軽いのだが回らない。80rpmがやっとだ。65rpmで4時間乗って回さないくせがついたのか。高回転もなかなか深い。それでも10分も続けておれば楽に90rpmは越えるようになった。ただし回転ムラは気になる。ともかく軽回し乗りでも上死点前の蹴り上げは意識した。

境川から出るには必ず急傾斜を登ることになる。どこでも10%程度のけっこうな坂がある。インナーに落とすのも面倒でアウターのまま23Tに入れて立ちこぎで越えることにした。試しに立ちこぎでも蹴り上げてみた。それが意外にも好感触で驚いた。「もしかしてこれがいわゆる引き脚も使うダンシングってやつ?」と目から鱗の気分だ。「これが続けられたら半原越は15分だな」とありもせぬ夢が見える。立ちこぎの引き脚は指導書にあったから、幾度か試してはみた。しかし、いつもぎくしゃくして疲れるばかりで無理だと感じていたのだ。重点的に蹴り上げ練習を積んだのが立ちこぎに生きてきたのか。15秒だけエラスやランスに並んだ気がした。


2012.2.12(日)晴れ 田代さやかを動員

田代さやかはかなり意識しないと登場しない。出てこなくたって自転車は進む。むしろ普通に巡航するなら、田代さやかをはじめ3美女を召還する必要なんてない。しかし半原越で好タイムをたたきだそうとすれば、どうしたって彼女らの力を借りなければならない。てなわけで、さやかと裕子は仲が悪いから・・・なんて世迷い事は言わず、二人に協調してもらうのを今日の課題とした。

昨日よりもちょっと強めの風が吹いており、北向きはかなりいい感じだ。50×16Tにして仮想半原越でやってみた。かなり力を入れても、ケイデンスが60rpm程度ならば、さやかと裕子は協調した。ただし、時間は長くて10秒程度、せいぜい10回連続といったところだ。できない相談ではないことは分かるし、達人はできているはずだ。2〜3分もできるようになれば強力な武器になるだろう。

これまで田代さやかも青木裕子(アナじゃないほう)も引き脚の筋肉としてきたが、明らかにちがう部位を使って同じく引き脚だと用語として具合が悪い。田代さやかは下死点通過後だから「引き脚」とし青木裕子を使う方は上死点直前だから「上げ脚」として区別することにした。

シジミ

昼飯はいつものように高鎌橋のセブンイレブンの裏。白い壁に太陽が反射していい具合に暖かい。メインストリートを離れた道ばたにごろごろ放置されている犬の糞を見ながらの昼食ってのはまあ残念だが、ここは神奈川県だ。ついでに水路のシジミ殻を撮ってきた。写っている最大のもので1cm程度である。この調子で水路の底にいっぱい転がっている。泥は湿っており、以前と若干様相が違う。どうやら先週降った雨水が流れたようだ。雨の排水路としては冬も機能しているとみえる。

高気圧が北西の彼方にあって日本に張り出しているのだから、境川では気圧傾度風は北である。ところが、南端の白旗あたりになると午後は南風が吹いて来た。自転車で往復していると風向きが逆転する場所が変わる。気温があがって海風が入って北風とぶつかっているのだろうか。その特異点は海から5kmほどの所である。

走りはじめて4時間。体のエネルギーがなくなった。すっからかんだ。手はしびれ脚にはぜんぜん力がはいらない。走行距離にして90km。走り慣れた境川でエネルギー切れを起こすとは思わなかった。ペースはいつもと変わりないのだが、田代さやかと青木裕子の二人を動員する走り方は予想以上に消耗してしまうようだ。


2012.2.13(月)晴れのちくもり 量子化するマライアキャリー

マライアキャリーがホイットニーヒューストンを称して「世界最高の歌声を有する一人」とコメントしたという。それは、ホイットニーが単独で1番ではなく、マライアも1番だという主張だと思われる。ただし、誤解してはいけないのは、マライアは単に自分が1番だと言いたかっただけではないということだ。なにしろ、マライアの言語世界には、自分の歌声が1番という表現自体がない(あったとしても私の知ったことではない)から、言いたくても言えないのである。

日本語では習慣的に、量と質の双方で大小関係をつける。それは誤っている。科学的判断として、質には順位がつけられない。現実を感覚で説明する質の世界では1番を一つに決めることはできないのだ。ちゃんと順位がつくのは数量の分野だ。現実を数字で説明する数量の世界では、1番は必ず一つに決まる。2次方程式の極大値は常に一つだ。

日本語では質のほうにも順番をつけることができるから、アナじゃないほうの青木裕子は世界一美しいとか、永井真理子の歌声は日本一とか、自然に表現することができる。だから私は「世界最高の歌声を有する一人」というマライア発言に気味の悪さを感じ、世界一はホイットニーの他にもいるという悪意を含んで受け取る。日本人である私の弱点だと言えよう。

ところが、この1世紀ばかり、物理学の世界は量子力学が席巻してきた。エネルギーでも空間でもなんでもかんでも量子化して数学で処理すりゃ、宇宙の秘奥義を記述できるかな? と考えたんじゃないかなあと思う。そしてこの半世紀ばかりは電子計算機がどんどんパワーアップして簡単に使えるようになり、感覚までも量子化するのが流行りである。いわゆるデジタルってやつで、歌声だって数量の世界の仲間入りさせ計算することができる。

じゃあ、感覚の量子化は母国語として自然に大小つけてきた日本人の方が得意なのか、それとも習ってはじめてできるようになるアメリカ人のほうが得意なのか。その辺も量子化すれば甲乙つけられるかもしれない。


2012.2.15(水)くもり 名称決まらず

石井香織というグラビアガールが股を見せることを売りにしているらしく、それではと探ってみたが、残念ながらぴんとこなかった。股開きが持ち技といっても太ももの内側が美しいとは限らない。

というわけで、イケクミに換わる名称は見つかっていない。そもそも池田久美子を思いついたのが失敗だった。彼女に伍する太ももなんてめったに見つかるはずがない。そこに思いを至らせるべきだった。

そもそものそもそもとして、筋肉に名前が必要か?という猜疑もあろうが、それは経験から編み出した技なのだ。ひょんなことから太ももの裏側の付け根に田代さやかと命名し、半原越の区間3あたりを走りながら「いくぞさやか」「目覚めよさやか」「いいよさやか。最高最高」「もう終わりかさやか」などと、心の中で叱咤激励し相談しながらりきむと効果的だった。経験的事実である。ペダリング時にどの筋肉を使っているのかを把握するのは必修科目だ。ハムストリングの一つである田代さやかは目に見えず意識しにくい部位である。意識化のためには良い名称が必要なのだ。

ペダルの位置によって意識される(固くなる・痺れる・痛くなる)筋肉は変わる。引き脚での代表が田代さやか、上げ脚が青木裕子(アナじゃないほう)、踏み脚がイケクミ(仮)である。

筋肉に力が入っているからといって速度に効いているとは限らない。全く無駄な出力もあることは考えただけでわかる。踏み込む右脚を左脚で持ち上げることもあるだろう。単にタイヤをへこましたり、フレームを歪ませる力も出しているだろう。

私の3美女が無駄にりきんでいるだけという恐れもじつはある。そこんとこは自己流の悲しさだ。たとえば、脚を上げる筋肉は腰から腹部にあるはずで、上げ脚でもっとも効くのが青木裕子のはずがないと思う。目に見えて動く部分に無駄に力が入るというのは初級者や無能者にありがちな了見違いだ。いっぱんに、ペダルに接しかつ最も動きが大きい足に意識が集中しがちだ。だからといって足首付近であがくのは最悪の了見違いなのだ。

もう一歩考えを進めるならば、上げ脚で青木裕子が無駄働きしているならば、そうした無駄をなくすためにも意識化が必要だ。上げ脚で本当に効いているのは秘められた部位の可能性が高い。尻だの腹だのの強力な筋肉ほど疲れなくて意識されないことも考えられる。上げ脚時に青木裕子が受け持つ出力は10%程度に過ぎないのに、真っ先にオールアウトして主要部位の足を引っ張ることがあるのかもしれない。青木裕子にオーバーワークさせない上げ脚を練習する場合は、「おっと、裕子は休んでてね」という声掛けが有効なのだ。いずれにしてもTTのゴールでは一緒に昇天していただくことになる。

というように名称問題は繊細である。イケクミはかなりまずい。自分の太ももに呼びかけるのに池田久美子の名を使うのは僭越で気後れする。恐れ多いのだ。想像するだけで自己嫌悪に陥り、やれていない。近々、踏み脚の練習も開始しなければならない。性欲をつかの間紛らわす用途で出まっている連中の中からとびっきりの美女をみつけ、目的外使用するとぴったりフィットのはずなんだ。


2012.2.18(土)晴れ オーバーワーク

今日は強めの風が北から吹いていた。半原2号を持ち出して境川。太もも使いがなかなか面白くて、この一週間は自転車に乗らないときにもときおり太ももを動かしてみた。椅子に座って、脚は動かさないようにして、太ももの例の3つの部位を順番に緊張させ弛緩させる。これがなかなか難しかった。もしかしたらペダリングよりも高度な技かもしれない。

ともかく自転車に乗れるのはうれしいことだ。最初からちょっと張り切りすぎて、太ももの前奥に痛みが来た。青木裕子(アナじゃない方)の腹側のほう、腰骨につながる筋肉で上げ脚に使う部分だ。筋肉を痛めてもまずい。以後は上げ脚を自重しながら走ることに決めた。

北風は時速30kmぐらいある。追い風は完全に休むとして、向かい風の4本はギアを変えてやってみた。まず50×21Tで90rpmぐらい回してみる。軽々進み脚にがつんと来ることはない。呼吸にはかなり来るが脚の疲れはじょじょにたまってくる感じだ。つぎに15Tにかけてやってみる。これはかなり重い。60rpm程度しか回らない。この回転数だと、踏み脚、引き脚、上げ脚のすべてを意識できる。重いと踏み脚がうまくいかなかった。18Tにかけると田代さやかを登場させるのに苦労する。彼女は小さい回転数のときで本領を発揮するのかもしれない。ちなみに18Tが一番速い。

という調子でずいぶん気合いを入れて練習した。100kmちょっとをずっと太ももと相談しながら走った。帰宅してからも太ももが痛い。脚全体に張りがある。満足に歩くこともできない。楽しいのはけっこうだがオーバーワークになりそうだ。


2012.2.19(日)晴れ エラスの秘密が見えた

今日も暖かくて風もない。ただ、昨日がんばりすぎて太ももにダメージが残っている。LSDだなと50×18Tに固定して80〜90rpmで走ることにした。注意することは3美女のいずれにも力が入らないように。力を入れないというのは使っていることを意識しないようにという意味だ。

この冬は境川で重点的に上げ脚の練習をした。そして、上げ脚がダンシングに関係しているんじゃなかろうかと思いついたのは先週のことだ。ダンシングというのは立ちこぎであるけれど、全然別物だ。エラスのダンシングは異様で空中に透明なサドルがあるかのようだった。姿勢は座っているときと変わらない。上体が前後にも左右にも揺れない。ケイデンスは80rpm以上。

エラスの乗り方の秘密は上げ脚にある。それを今日確信した。予感が確信になった。立ちこぎはふつう体重をペダルに乗せて推進力にする目的で使う。いわゆる守備的な立ちこぎというやつで、ケイデンスは50rpmぐらいに落ちている。そのつもりのままケイデンスを上げるならばギア比を小さくしなければならない。その結果、足がすこすこ落ちる。落ちても下死点で蹴って持ち直せばよい。その動作を続けるには怪物のようなスタミナが必要で、私は20秒ぐらいしか続かない。エラスはそんなぎくしゃくした乗り方はしていなかった。

じつは、同じ蹴るにしても下死点ではなく、上死点手前で蹴り上げる方法がある。それが上げ脚だ。下死点で蹴る場合は、そのまま足が流れる感じで次の動作に移れない。左足が終われば右足が来るまで一時休みだ。しかもペダルを踏みつけると、タイヤをへこましたり自転車をゆがめたりしてロスも大きいと感じていた。ぎゃくに、踏みつける足は無視して、ちょうど反対側にある足を蹴り上げることに集中するとそのへんの不具合が一挙に解消される。足をペダルに乗っける感じが消滅し下死点通過がスムーズになる。理論上は90rpmでも足が回るはずだ。高度なテクで疲れも早いが練習を積めば1分ぐらい行けるかもしれない。これまではダンシングは練習のしようもないと諦めていたのだ。

今日はこころみに、2倍付近の軽いギアを使って平地でその方法をやってみた。足が落ちる感じもなく高速で回せる。そしてそれがエラスの秘密だと確信した。そうすると、座り立ちこぎとよんでいる方法も誤りだったと思えてきた。腕でハンドルを思い切り引いてペダルを足で踏みつけ急傾斜に対処するやりかたなのだが、やり過ぎると腰に来て涙目になる。それをやらない座り立ちこぎもあるかもしれない。ただし、腕の引きと上げ脚を同時にやることは無理だった。

こんな感じで開眼したつもりになって、いざ半原越にいくと完璧な勘違いだったと思い知らされたことが100回ある。犬走り以外の思いつきは全部ダメだったと言って過言ではない。上げ脚ダンシングも100個の汚点にシミを1つ追加するだけかもしれない。それはそれで愛嬌というものだろう。


2012.2.20(月)晴れ 諸法実相

道元さんの正法眼蔵は難しい。とりわけ「諸法実相」というのが難しい。増谷文雄さんの講談社文庫本を中心にいろいろな現代訳を読んでみるのだが、じつによくわからない。訳者によって書いてあることがぜんぜん違う。原書と翻訳書でこれほどずれるのも面白い。そもそも仏教や禅のタームが凡人にわかるわけがないということもある。

ともかく私は自転車乗りとして正法眼蔵は無視できない。道元さんは只管打坐といって座布団に座るが、私はサドルに座る。また虫けらや水草の心を知る上でも正法眼蔵は学ばなければならない。「諸法実相」は難しいけれども、ここを腑に落とさないとさっぱりだから、自分語に訳す必要を感じた。

道元さんという人は宗教者だが、哲学者として科学の素養を持った人だと思う。自然に対しても、自分の無意識に対面しても、ありとあらゆる見方考え方をとって論理を構築できる人だ。多角性と的確な表現は禅者の得意とするところだが、道元さんはそれにとどまらない。無数の視点の一つとして現代でいう科学を持っていて、科学の論理を宗教的に解いて再構築している。

たとえば水については、その三態と循環を理解しており、大気にも地中にも水が行き渡っていることを知っていた。蒸発して雲を作り雨になることは勿論のこと、火の中に水があることを見破っていた。それは実験をすれば明らかになることであるし、知識を持っておれば種々の観察事例で気づけることだ。しかし、それを独力で気づくのは天才である。鎌倉時代に水が火の実体であることを看破するなんて、ありえないと思う。ましてや、道元さんは水と火は独立する元素だと仏典で学んでいたはずだ。

という次第であるから、科学者としてしかもの思うことができない私なりに「諸法実相」を読んでおきたいのだ。

「諸法実相」
仏祖の現成は究尽の実相なり。実相は諸法なり。諸法は如是相なり。如是性なり。如是身なり。如是心なり。如是世界なり。

(訳)「物理の法則について」
仏になることは、有形無形の万物において、それはそもそも何であるか、まずはそのものを極めることだ。そのものを統べる法則に応じて現象がある。現象は法則のままにあり、あるべきようにふるまう。人の体も心もこの宇宙もそのようなものだ。

釈迦牟尼仏言、「唯仏与仏、乃能究尽、諸法実相」
唯仏与仏は諸法実相なり。諸法実相は唯仏与仏なり。唯仏は実相なり。与仏は諸法なり。乃能究尽といふは諸法実相なり。諸法実相は如是相なり。
如是相は乃能究尽如是性なり。
如是性は乃能究尽如是体なり。
如是体は乃能究尽如是力なり。
如是力は乃能究尽如是作なり。
如是作は乃能究尽如是因なり。
如是因は乃能究尽如是縁なり。
如是縁は乃能究尽如是果なり。
如是果は乃能究尽如是報なり。
如是報は乃能究尽本末究竟等なり。

(訳)お釈迦様は「唯仏与仏、乃能究尽、諸法実相」とおっしゃった。
唯仏与仏というのも諸法実相、つまり有象無象のあるようにある存在である。また、諸法実相も唯仏与仏である。あるいは唯仏とはものの本質であり、また、与仏はもろもろの存在であるといえよう。また、極めつくせるといっても明らかになるのは有象無象があるようにあるということほかならない。
有象無象のあるがままというのは、まずはその姿にほかならない。その姿も生物ならばDNAという設計図があるように潜在特性あってのものだねだ。その潜在特性は原子分子配列に代表される内部構造による。その構造が器官を作りエネルギーがはたらく。そのエネルギーは特定の契機から、ある場で決まった対象にはたらく。そして、作用した結果があらわれる。なんでもかんでもこんな感じだ。


2012.2.23(木)雨のちくもり 理解無理?

順調に算数を学んでいた子どもが最初につまずくのは比、すなわち数量の関係の記述、つまり分数である。あれは難しい。理解困難だ。もし分数は関係ということを理解できないうちは進級できないとすれば、小学校を6年で卒業できる者は千人に一人だろう。ただそこはうまくできている。たいていの教師は数学の素質を欠いている。分数のことを割り算のかっこいいやつぐらいにしか思ってないから、子どもが理解できていないことに気づかず進級させてしまうはずだ。橋下案が通っても心配はいらない。

比を乗り越えて中学生になり、算数から数学に移行して最初につまづくのは等式である。すなわち、x=aということの意味がわからない。等号は等しいであるから、左辺右辺は同じもののはずである。あえてそれをx、aと違う表記にする意図がわからないのだ。私はそこで数学がわからなくなった。これは自慢である。その8年後に、かのカールグスタフユングも同じところでつまづいたことを知って、そのつまずきが好ましいものとして記憶に残った。

人間の頭脳はx=aを真理だと判断できる。いうならば、みかん=りんごを納得できる。実はみかんが10個あり、りんごも10個あるのだから、みかん=りんごは等式として成立する。また、みかん5個=りんご3個も真である。つまり、みかん5個が1kgであり、りんご3個も1kgであるというわけだ。ここんとこがせっかくカントが気づいたのにうまく説明できなかった総合判断というやつである。

目に映る実体はみかんやりんごであるとしても、その現象から数量という人間しか理解できないアイデアを見出して等式を立てる。ひとたび扱う数量を決めたならば、その後は演算規則によって計算した結果は正しいことが保証される。みかんにとってはライバルであるりんごといっしょにされて不本意かもしれないが、数学界とはそういう約束の世界である。その勘所をつかまえないと、x=aを習う意味がわからず数学につまずくことになる。立て続けに現れる因数分解とか一次方程式とか、なんでそんなことになるのかさっぱりで迷いは深くなるばかりだ。

正法眼蔵には数学の等式不等式のような表現がやたらと出てくる。しかも、最重要そうな場所で必ずそういう表現にぶつかる。諸法実相の巻でも「諸法実相は唯仏与仏」とある。諸法実相がわからないのにそれを唯仏与仏というもっとわからないものと等しいと説明される。仏様だけが仏様に与えるとか、いや、「与」は与えるではないから、修行を極めた者と極めた者だけがというような意味かなあと読み進めると、間髪おかずに「唯仏与仏は諸法実相」と来る。こうなると理解無理?と諦めたくなる。

ただ、形式でいえば、そういう表現方法は道元さんに限ったことではなく、仏教の世界では普通である。日本でもっとも有名なお経には、色即是空 空即是色とある。しかもそこが般若心経の、ひいては仏教の勘所らしいのだ。常識的に考えても、確実な実体とみえる物が本当は空っぽなんだというのは、まあそういうこともありかな、と思うけれど、それを反転させて、空っぽのものはちゃんとした物なんだと言われると、もう理解無理。無念。と思われる。少なくとも、カントが定義した分析判断ふうの理解は無理である。単に修辞的な勢いにかられた同語反転反復の言語遊戯。広辞苑並みの定義の循環。笑止。と思わざるを得ない。

理解は無理のところを無理に理解するならば・・・色即是空は、科学の言葉でいうと、物質は空間ということになる。空間も電磁力や重力などの力を伝えるという点では物質よりも確実な場であるといえるし、見かけ上強固な物体の中も重力なんかは素通しであることを思えばスカスカの空間だ。物質は空間、空間も物質であろう。

無論、お釈迦様のおっしゃる色と空は物理学のタームではないと思う。しかし、常識的見解を超えた時間空間物質エネルギーを扱う物理の世界ではあたりまえに「色=空⇔空=色」である。この宇宙がそのようなものであるのなら、人の心体もそのようなものと理解するのが本当かもしれない。私は自分の心体のことを知っているようで、じつはその実態を知らない。お経が私の手の届いていない心体の秘密に迫っていることだけは確実なのだ。

数学の世界ではx=a、a=xとふつうに言ってよいこととされる。道元さんとその仲間たちは「諸法実相は唯仏与仏、唯仏与仏は諸法実相」とふつうに言って、みなでうんうんとうなずいているふしがある。その寄り合いは2500年続き、無数の賢人がそこに在籍しているのだ。彼らの間には、空気を読んで話を合わせること(いわゆる以心伝心)を超える人間関係があることが想像される。数学でいう数量や演算規則に匹敵する確かな技法が共有されているようなのだ。


2012.2.24(金)晴れ 堂々めぐり

矛盾満歳で常識が通用しない理屈がどうして生きているのだろう。お釈迦様や道元さんやその仲間たちの世界では、定義も論理も循環している。形式論理的な破綻は明らかである。宗教界でも、単なるバカ者とか富に目がくらんでいる者とか、偉人として奉られたいと願う者とか、困っている人を助けたいとむやみにあがく困った人とか、そういう者共が言うわけのわからんことの、その意図はありありとわかる。上記のいずれにも当てはまらない、世捨て人のようにただ上手に座る道元さんたちが珍妙なことを言う。

お釈迦様が何を思って修行されたかというと、どうして人は苦しいのだろう? 苦しみから抜け出すにはどうしたらいいのだろう? というじつにシンプルなことだった。私だったら一切皆苦の原因を人がたどってきた生命進化の必然とみなして放置するところだが、お釈迦様はそんなことはなさらない。いろいろな局面での喜怒哀楽を分析してその原因をたどられたに違いない。そして死にものぐるいの苦行をされ、ひたすら瞑想して座って、金星の下で悟られた。

どんなことでも、どうして、どうして、どうして、と問い続けると3回ぐらいで行き詰まる。だれもが簡単に追試できることだ。10回ぐらいそれをやろうとすると堂々めぐりをせざるをえない。お釈迦様だって人間だ。そうとう堂々めぐりされたろう。

いっぱんには堂々めぐりから得るものはないとされる。孫悟空でなくても、循環すれば一周ごとに出発点なのだ。馬鹿の考え休みに似たりとも言われる。じゃあ、そもそも堂々めぐりってなんだろう、とそのことも考える。

宇宙を見れば、太陽は昇り沈み月も昇りまた太陽が昇って月が沈む。夜が来て朝が来て花は咲き散って雨が降り葉は開き紅葉して散って雪が降りつもり溶けて花が咲く。川は流れ水は海に行き海の水は山に降って川を流れ海に至る。人も含めて生きとし生けるものは輪廻している。前世があり今生があり来世がある。時間にも過去があり今があり未来がある。未来の今にも過去があり未来がある。現象には原因があり結果を生む。結果となった現象もまた原因となる。

思考論理でなくても、万物すべてが堂々めぐりしてるんじゃないかとふと気づく。森羅万象と人間のことを極めようとすればそこらじゅうめぐる輪だらけだ。どうやら自分のしっぽを飲み込もうとして輪になっているウロボロスの蛇みたいなものが諸法実相らしい。お経はやたら繰り返しが多い。その冗長感も論理がめぐるのもまさに諸法実相を記述しているからではないのか。定義の循環なんて恐れるに足りない。いや一歩進んで、矛盾で森羅万象を言い切ってやろう。というようにお釈迦様や道元さんたちが考えている、かどうかはわからないけれど、私は諸法実相の巻をそう感じる。

それでは、因縁でがんじがらめの前世現世来世の輪廻から抜ける方法はあるんだろうか。苦の循環を断ち切る方法はあるのか。

何千年前かに、前百丈山のお坊さんが「悟ったら因果の連鎖に陥らない」と不適切発言をして500回ぐらい野ぎつねをやったという。当時の常識では人間に生まれて坊主になれば解脱寸前である。あと一歩というところでしくじってきつねになっては残念なことだろう。私は不適切発言も恐れない。前世では魚や山椒魚をやったはずだ。その頃の記憶はちょっとある。といっても、それは単なる科学的事実にすぎなくて生まれ変わりには若干疑問を感じている。けれど、まだやっていないハエやイヌタデにもなれるなら、ちょっとやってみたい。

心体が巨大な輪をなしているならば、その輪が苦の原因なのだ。ウロボロスの頭に噛まれている尻尾は痛いが、噛んでいるせいで尻尾が痛いと感じる頭が痛い。苦しいのはきっと無限の過去と無限の未来のどこかで痛い目にあってるからだろう。しかも自分のせいで。それを発見して除けば楽になるかもしれない。と言っても未来と過去は手に負えない。ただ、現在のこの心体が無限連鎖の過去や未来の苦しみを生んでいるなら、それは何とかなるかもしれない。いまこの局面でビシッとすることだ。ひとまず、心が時系列のどこに居るのか、体が因縁のどこにあるのか、ウロボロスの頭にいるのか胸にいるのか腹にいるのか背にいるのか尻尾にいるのか、そこで何をしているのか、しっかとつかむことからはじめよう。

というように正法眼蔵を読んでいるのだが、そうとうずれているだろう。禅の仲間内では、ひとまず30年も座れば悟るよ、などと言うみたいだ。私も30年座っているのだが、そこはサドルだ。サドルと悟るは文字面だけにている非なるものだ。スタートから間違ったものに座って、ひたすら女の子の太ももを考えている。


2012.2.26(日)くもり 雨のあと

シジミ

今日の境川は風がなかった。ステムをチネリの80mmに換えたナカガワでひとっ走り。風がないから上りも下りも50×16Tにいれて巡航練習。心拍数は160bpm、速度は30km/hぐらいでちょうどいい感じ。ペダリングに引っかかりがないように、力を抜かないように気をつけた。

写真はシジミの水路。昨日は雨が降っていてこの水路に水が流れていた。今日は水がたまっているだけだ。水が流れ水底の泥が撹拌されると比重の小さいシジミの殻が泥から浮いて出てくるのだろう。黄色くなった殻がずいぶん目立っている。

この季節に雨が降ると山のカエルが産卵しているだろうなと思う。思うだけで何もしないのは例年のことだ。今年は新刊のカエル図鑑を買った。農山漁村文化協会の「カエル(田んぼのいきものたち)」は一般的なカエルの生活史が網羅されているお値打ち品だ。鳴くのはオスだけだと明記してあった。たぶんそういうことだろうとぼんやり考えていたことがはっきりした。庭にひしめく冬枯れの雑草を半分ぐらい片付けた。


2012.2.27(月)くもり 雲の衛星画像

晴れた日の積雲が空を流れて行くわけがよくわかっていない。それを考えるのに気象庁が出している雲の衛星画像はぜんぜん役に立たないと思ってきた。役立たずどころか有害だとみなしていたのだ。その理由はいくつかある。

  1)積雲は小さすぎて衛星画像に写っていない。
    画像に写っている白い雲は地上では単にくもり空のはずである。
  2)衛星画像は広大すぎる。地上から見渡せる範囲は
    せいぜい100kmしかない。
  3)雲画像は早回ししているので、天気ではなく
    雲が動いてると錯覚する。

以上のようなことだが、それが全く誤解で衛星画像が立派な資料になることに気づいた。今朝まではテレビの衛星画像を見て雲の動き、とりわけ低気圧付近の渦とか雲のかたまりの東進速度、にばかり目を奪われていた。言わば木を見て森を見ずの状態だった。雲がないところも同じように風は吹いているのだ。

積雲が流れるのは上空の風の影響である。これは間違いない。そして上空の雲の衛星画像をみていると大気の流れを反映していることがわかる。低気圧では反時計回りに渦を巻きながら上昇するのが大気の流れだ。また、日本付近では、たぶん偏西風のせいで、低気圧も高気圧も1日で500〜1000kmも移動してくる。つまり地上に対して上空大気は時速20〜40kmほどで東進していることになる。雲がないところも速度と方向が見えないだけで同じような大気の流れがあるだろう。

その流れは積雲の動きに密接に関係しているはずだ。衛星画像で雲がない高気圧下では時計回りに風が吹き出しながら下降してくる。そのベクトルと大循環のベクトルの合力が積雲にかかるのではないだろうか。

地上付近を速めに飛ぶ片積雲は概算で40km/hだった。2kmほど離れた所にあって、見かけ上天に突き上げた握り拳大(視角10°)の積雲が1分でその雲の幅だけ動いたならば20km/hで流れていることになる。しかも上空1000mぐらいで雲を運ぶその風は地上の風とは趣がちがうもののような気がする。雲を吹き飛ばすのではなくごっそり運ぶような。


2012.2.29(水)雪 ツバメが実相を語るとき

道元さんの諸法実相の巻は、玄沙院宗一大師のエピソードを解説して終わる。そのエピソードはおそらく公案にもなっている超有名なものである。

玄沙院宗一大師、参次に燕子の声を聞くに云く、
「深談実相、善説法要。」下座。

(訳)玄沙院の宗一大師は説法のときにツバメが鳴いているのを聞いていった。
「ツバメがうまいこと実相をかたっているぞ。」それだけで玄沙さんの説法が終わった。

ということなのだが、そのエピソードを道元さんが以下のように解説する。

いはゆる深談実相といふは、燕子ひとり実相を深談すると、玄沙の道ききぬべし。しかあれども、しかにはあらざるなり。参次に聞燕子声あり、燕子の実相を深談するにあらず、玄沙の実相を深談するにあらず、両頭にわたらされども、正当恁麼、すなはち深談実相なり。

(訳)ツバメがうまく実相を語っていると玄沙さんは言った。でも、そうではない。説法しようとしていたときにツバメの声があった。ツバメが実相をうまく語ったわけではなく、玄沙さんが実相を語ったわけでもなく、そのいずれでもないけれど、まさにそのときその場所でちゃんと実相が語られている。

状況はありあり分かるけれども、そのエピソードに常識的な意味は見いだし難い。ただ、私には道元さんの言いたいことがなんとなくわかるような気がする。ヒントになるのは以下の一節だと思う。

実相の諸法に相見すといふは、春は華にいり、人ははるにあふ、月はつきを照らし。人はおのれにあふ。あるいは人の水をみる。おなじくこれ相見底の道理なり。

(訳)ものの見た目の中にその本来の姿があるとか、森羅万象には本質があってそれが現象しているとか、物理には法則があるなどというけれど、それの意味は、花は春をはらんでいて、人間は花を見て春を感じるとか、お月様は月が照らしているとか、人がたまさか本来の自分ってもんを意識するとか、人が水を見るときは水も人を見る、というような互いが見合う状態での理屈なのだ。

春とはる、月とつき、人とおのれというように漢字とひらがなで書き分けているところに表現の工夫がある。諸法と実相とにちがったニュアンスを含めているにちがいない。この一節のなかで、相見底の道理ということが私なりにわかるし、玄沙さんのツバメのエピソードはそこにかかると考えている。


2012.3.1(木)晴れ 人車一体の境地

「春は華にいり、人ははるにあふ」というところで言っていることは、現象面では単に人間と桜が対峙している、花見をしている人がそこにいるということに過ぎない。「参次に燕子の声を聞く」というのは現象面では、単に玄沙さんがお寺の廊下を歩いているときにそばの枝でツバメが鳴いているに過ぎない。だが、そのときに桜を見る人は春だなあと思っている。そのときに、玄沙さんは初夏の実相を感じている。

「月はつきを照らし」というのは、現象面では単に夜空にお月様がかかって人間がそれを見ているということだ。人はそのときまでに様々に月を見聞きしたろう。望月の欠けたる云々というような歌を知っているかもしれない。月の姿にもいろいろあって、かれの心体には月のイメージがある。それゆえに、人はイメージに彩られた月を見ることになる。その月を見たことで、また後日一味ちがう月を見ることになる。

「人が水を見るとき水も人を見る」というようなことは道元さんと仲間たちが盛んに言うことだ。彼らは“人|水”というように2者に線引きすることを毛嫌いしているみたいだ。そのままの意味で水が人を見るかどうかはわからないけれども、水泳の達人なら道元さんたちの真意がわかるのではないだろうか。

私は自転車に乗っているとき、自転車が消え失せて道路の上を飛行している気分になることがある。手垢のついた表現を使えば、つかのま半原1号と一体化しているのだ。人車一体とか人馬一体とかクラブは腕の延長とか、それぞれの競技で普通に使われることでもあり、達人にならなくても体験できることだ。

もし、心とか神経とかいわれるもののサイズを身体と同じと考えているなら、それは考えたらずである。心を身体の隅々まで行き渡らせるには鍛練を要する。逆に、使い慣れた道具には文字通り神経が通う。使われず眠っている筋肉よりは30年使い続けたスパナのほうが思い通りに動いてくれる。

また、気が入るとか気持ちが乗るというようなこともいわれる。野球のピッチャーはボールに気持ちが入っている。離れていてもボールと投手は一体。一発打たれたとたんにボロボロに崩れてしまうことはよくある。あれは、ノーヒットノーランがだめになって気落ちしたためではない。体の一部であるボールを打たれて、腕が切り落とされたのだ。打たれ強いといわれるのは、腕が切られてもピッコロ大魔王のようにすぐに再生できる投手だ。

半原1号とはごくたまに一体化することがあって、そのとき私は半原1号を意識していない。自転車乗りという実相と自転車という実相が融け合っているのだろう。半原1号のほうは、「こいつはなかなかうまいことやってるな」と感じているかもしれない。「私が半原1号に乗ると自転車もひとに乗る」という状態だ。

ただし、人車一体程度ではまだまだ途半なのだ。自転車の達人がベダリングとは何かと問われ「ペダルを踏むのは初心者。クランクを回すのは中級者。地球を回すようになればOK」といってた。半原越TTスペシャリストである私は、あそこの道路の中に神経を張り巡らせて、道路の皮膚から半原1号のタイヤを感じ、半原越に「こいつはなかなかうまいこと乗ってるな」と言ってもらって一人前といえよう。


2012.3.2(金)雨 イヌタデひとを見るとき

「人が水を見るとき水が人を見る」という、そのような呼吸がわからないかぎり、水中イヌタデの気持ちはわからない。空中にも水中にも生きることができるイヌタデの、その水中にいる気分は測りがたいものがある。空中イヌタデであれば、同じく空中で息をしている者として、その気分もわかるのだが、水中となるとやはり水の目でイヌタデを見なくてはならないだろう。つづいて、水中イヌタデの目で私を見てはじめて、水中イヌタデとはなにかをつかむことができる。

私は鎌倉時代の仏教者ではなく現代に生きる科学者であるから、植物の理解も必然科学的なものになる。研究のアプローチは科学の手法を使う。科学の方法は無際限にイヌタデに迫ることができるのだけれど、おのずと限界がある。限界を超えた勘所をおさえることが視点を広げ、研究意欲を持続させることになり、アプローチの幅を大きくすることになる。そのことを思い知っているから諸法実相を読む。

科学の限界を超える理解っていうのは説明が難しい。いわば、「それはそもそも何なんだ?」っていう問いへの回答のようなものだ。小学校に上がると勉強を習う。私は学校の勉強のなかに「あれは何?」の回答を期待していた。しかし、国語、算数、理科の中にその回答は一切なかった。そのかわり、万人に受け入れられる解答を可能にする巧妙な方法があることを学んだ。そのテクニックを習得することは退屈であるし欺瞞でもあるけれど役にはたつ。役というのは、難関大学に入って鼻高々になれるとか、お金持ちになるとか、偉くなるとか、人助けができたり他人を感動させたりできるということである。

なんだくだらないと軽く見てはいけない。そのテクニックは、地球上で命をつながんとして人類が鍛え続けた能力のたまものなのだ。文明のドライブフォースでもある。

「あれは何?」のあれに名前をつけ分類上の位置を示すのは解答の一つである。あれに含まれている原因理由動因動機をあげるのも解答の一つである。あれがどういう結果をもたらすのか、またはあれの目的はなにかを示すのも解答の一つである。あれに似ているものを指し示してもよい。あれは良いもの好きなもの悪いもの嫌なものと感情的レッテル貼りをするのも解答の一つであるし、無視する気にしないというように、あれに対する無関心を決めることすら解答の一つである。

解答はいくらでも創造できるけれども、そのときすでにあれは死んでしまっている。「あれは何?」とひっかかったまさにそのときには、そのての解答方法ではとどかないなにかが起きている。去年はひっかからなかったイヌタデに今年はひっかかった。イヌタデが変わったからひっかかったわけでなく私が変わったからひっかかったのだ。私がイヌタデを見てイヌタデが私を見る。イヌタデから見える私が変化しているからこそひっかかりが生じた。私とイヌタデの互いの実相がぶつかったんじゃなかろうか。

私もイヌタデも無常の諸行のひとつでふらふらしている。「あれは何?」と追いかけていっても、イヌタデの実相がつかめるとは限らない。イヌタデはイヌタデであっても、私にとってのイヌタデは変わる。どれがイヌタデの実相なのかはわからないかもしれない。

仏ならばイヌタデの実相はつかめる。イヌタデばかりか仏は諸法実相をつかみとれるという。だからといって私がイヌタデの実相を仏様に尋ねても無駄らしい。本当にその仏が正鵠を射ているのか、その判定が可能なのはかの仏だけだというのだ。唯仏与仏乃能究尽というからには、仏と仏がであえばぴたり一致する実相があるのだろう。しかもそのときの実相とは、360°回って諸法そのままらしい。「どうにもわからないんですが・・・」と質問しても、あまりにあっけらかんとそのまま見えているものだから、仏からは「そんなこと言っても誰も信用しないよ」と返されるぐらいなのだ。お釈迦様の悟りを追認するのが仏教修行である。そして修業して仏となる。悟りは仏から仏に伝わっていく。諸法実相もそうやって共有されているものらしい。


2012.3.4(日)くもり ダンシングの実相

アブラナ

写真は境川のわきに咲いていた雑草である。一見してアブラナ科は明白だが、とにかく巨大だ。草体はひと抱えほどもある。黄色い花はそれほど大きくなくて菜の花ていどのものだ。こいつの正体が分からない。境川でもときどき新参の植物をみかける。

今日も寒くて半原越に行く気になれずナカガワで境川。相変わらず低ケイデンスでの仮想半原越練習だ。50×18Tにかけて70rpmぐらいを維持する。そろそろブラケットも使った方がいいだろうと、向かい風はブラケットで犬走り。下半身は太ももをつかう。きっと効果的な練習なのだが筋肉へのダメージが大きい。昨日の疲れが全然とれてない。自転車の走り方がわかったのは偉いと自分をほめてやりたい。ただ、もう老人に手が届く年齢になっている。やりかたがわかっても長時間の練習はできず、回復にも時間がかかり、回数もこなせない。

やりかたといえばプロのダンシングの秘密が分かったような気がする。ツールドフランスでランスが初優勝した年のセストリエールでのアタックのビデオを見ていると、ランスの体のどこにどう力が入っているのかが実感できる。自転車では選手の動きは丸見えだ。その点では技を真似するのは簡単なように思えるけれども、力の入れ方抜き方を見破るのは簡単ではない。

もう何年も、ランスやエラスが登りで見せる高速ダンシングのコツが分からなかった。たかが自転車の技術なのに真似しようとしてもできなかったのだ。何十何百時間もプロの走りを見ていたのに、その実相は見ていなかった。この冬、境川で上げ脚に気づいてダンシングにも使えることがわかった。課題は体力にある。30秒もやるとオールアウト。反動で動けなくなる。ダンシングの練習は非常にきつい。反復練習しないと身につかないハイテクなのだが。


2012.3.7(水)くもり ペダリングの物理

ペダリング

人体は歩くことや走ることについて最高のシステムではないはずだ。ヒトの心がそうであるように、歩くこと走ることについても、当座なんとかなる程度に動き、なんとかなる程度に意識できるに過ぎない。ましてや人類は自転車に乗って誕生したのではない。人間の妙味は頭を使ってヒトと物理の溝を埋めるところにある。

自転車に乗っているときに、人は自分がしていることを正しく意識できない。たいていは、無駄足に気づいていない。または、ペダリングをかんちがいして難しいことをやろうとしている。悩んだときは、物理の基本にたちかえるといい。

図はライディングを模式化したものだ。ライダーは画面左に向かって進んでいる。扇形の中心はサドルに座った腰である。膝の軌跡は、A→P→B→P→Aと往復運動する。円はペダルの軌跡である。膝の動きとは(A、a)→(P、p)→(B、b)→(P、p)と対応する。

膝の上下運動は最大の推進力である。他の力はおそらく付け足し程度でとるに足らない。膝の動く範囲は角度π/4で、ひざ上が40cmとすれば、30cmほどを往復運動することになる。その運動から生まれペダルに加わる力は、赤と青の矢印で示したベクトルで示される。方向は円の接線であり刻々変化するけれども、概ね下げるときは赤の矢印、上げるときは青の矢印で示される。結局、この赤青のベクトルが推進力である。

膝を下げて踏み込むときの力のかかり方を図で見てみる。踏み込むとき、ペダルはaからbまで動く。前半の第1区では赤い矢印とペダルの軌跡が直角になり、クランクにかかる合力をみれば、力が推進力にならないことがわかる。ベクトルが一致するのは、第2区であり、図に描いたところの1点でのみ膝とペダルの方向が一致する。次に引き脚を見てみる。ペダルはbからaまで動く。踏み込みと同様に、第3区では力が推進力にならず、第4区で方向が一致する1点がある。先日は、この2区と4区の力の応用が攻撃的ダンシングだと理解したのだった。

膝の上下運動は色づけした部分だけで有効である。踏むとき有効なのはP→Bの後半部分ということになる。ここが自転車がもっともつよく推進力を得るところだ。次に有効なのは第4区のP→Aである。この冬はこの力をつけるべくやっきになって境川でペダルを蹴っ飛ばしている。以上が物理的に決まっている自転車推進の規則だ。何をどう工夫しようとここから逃れることはできない。

ただ、乗っている実感とはずれているだろう。たいていのライダーが有効な部分を第1区だと感じているはずだ。けっこう乗れるライダーなら、第2区で力を抜くことに腐心しているだろう。第1区では膝の上下運動以外に、膝を伸ばす力をペダルにかけている。その動きは物を踏む動作でもあり、力を出していることを意識できる運動である。第3、4区では休んでいることもあって、第1区でさあとばかりに動き出すということもあろう。脚の重さも加えてはりきって踏みつけるのだ。

ペダルを円運動させることは可能である。しかし、1区と3区では膝を伸縮する筋肉を使わなければならない。膝を伸縮する筋肉は出力が小さく疲れやすい。高速回転で軽く走っているときには円運動もOKだが、半原越ではそんなやりかたは通用しない。赤青のベクトルをしっかり意識することが第一だ。ただし、下げた膝を反転して上げるには筋肉に弛緩と準備も必要だ。最適ポイントで最高に出力できるとは限らない。


2012.3.8(木)くもり 春臭い

ペダリング2

昨日の図で、2区では膝とペダルのベクトルの向きが一致する1点があるといったが、それは自明ではなかった。そのことを感覚的に把握できるように今日の図を用意した。

左図は2区におけるベクトルの向き、つまり接線の傾きを時間を追って表したものである。赤いのはペダルの軌跡が描く円周に接するの接線の傾き。原点の0秒時にはpにペダルがある。0.2秒後ぐらいにペダルは下死点のbに達する。pでは接線の傾きはマイナス無限大で、時間がたつにつれて単調増加しつつ、bでは傾き0になる。

青線は膝の軌跡の接線の傾き。0秒のときPに膝がある。そのときの傾きは−1ぐらい。そこから単調増加して、0.2秒後にBに達したときは傾きは−0.5ぐらいである。

ベクトルの方向が一致するかどうかは、赤線青線が交差するかどうかをみればよい。いいかげんに引いた線ではあるけれど、交点が一つできることは明白だ。

雨があがって気温も上がり、朝の庭は春の匂いがぷんぷんである。しばらくふさがっていた巣口をあけてクロナガアリが姿を現していた。


2012.3.13(火)晴れのち雨 ウィギンス

最近、自転車にのるとへろへろである。境川で毎回ぐったりしている。先の日曜なんかは左の膝まで痛くなった。それは上げ脚の練習をしているからだ。無理にペダルを引き上げると筋肉にも関節にも負担がかかる。日常では使わない動きなのでダメージが残っても差し支えない。逆にいえば、普通じゃない動きだからこそ自転車でしか鍛えられない。ただのオヤジとしてはどれほど進歩できるか楽しみなところである。

今年のパリツール最終日は山岳タイムトライアルであった。コースの距離は9.6km、平均斜度は4.5%である。優勝したのはウィギンスだ。彼は変形ギアを使うことで知られている。私の図でいえば2区と4区の、太ももの押し引きがストレートに出力になるところで、ギア比が大きくなっている。合理的といえば合理的だが、そういう変形ギアを使う選手は決して多くない。ウィギンスはもとはトップクラスのピストの選手で、タイムトライアルのスペシャリストとしてロードに転向した。今では山岳も走れるようになり、グランツールの優勝に手が届くところに来ているという。

山岳TTであったけれど、ウィギンスは平地のTTと同じスタイルで走っていた。自転車は普通のものにTTバーを装着している。TTバーを握って前乗りで頭を下げ、90rpmぐらいのハイケイデンスで走っていく。ダンシングはほとんど使わない。

タイムは19分12秒であった。ためしに、ヒルクライム計算というサイトで平均出力を出してみると425Wになった。怪物である。私はその半分の200Wを同じ時間出すのに四苦八苦している。ちなみに、半原越で425W出すと11分30秒でフィニッシュできることになる。改めて世界のトップは雲の上にいるんだと感動する。

半原越で遊んでいる素人連中のトップクラスは15分で登る。たまにそういうライダーに会うが、彼らだってバケモノのように速い。なにしろ私が一瞬たりとも出せないスピードで走る強者だ。ウィギンスはそういうバケモノですら一瞬で置き去りにしてしまう。30秒で50mも差がついては勝負する気も失せるだろう。


2012.3.18(日)くもりのち雨 田代さやかに対する誤解

昨日も今日も上げ脚練習。絶対半原越の出力があがると信じて上げ脚練習。軽い向かい風の中を50×17Tを使って28km/hで走っているとき、上げ脚はともかく下げる方もいるよな、とふと思いついた。第2区での太ももを下げる方はずっとやってるから意識して練習することもないだろうと思っていた。それでも、「ところで、ペダルが2区にあるときどこの筋肉が使われるのか、確認する必要はあるよな」と思いついて、あえて力を入れてみた。

じつはかなり驚いたのだが、そのときの筋肉は田代さやかだった。今日の朝までは田代さやかは下死点通過後の筋肉だと思っていた。第3区で無理やり力を入れるときに発動するとっときだと思い込んでいたのだ。

自分の体の動きを認識する難しさは知っていた。それは科学者として理論で知っているだけだった。何百万回となくやってきたペダリングでこれほど大きなずれが起きているとは思わなかった。

私の脚には心的重心とでもよぶべき場所がある。それはおおむね膝のあたりだ。そこを自分の膝だと認知して運動している。自転車に乗るときではペダルの動きから心的重心は円を描くことになり、直線的に往復運動している膝も円を描いて動くと勘違いしている。その勘違いは放置して問題ないのだけれど、区と筋肉にずれがあると練習にならない。

今の練習は、第1区と第3区で力を抜くものだ。だから、田代さやかを3区の筋肉だと誤解していると、あえてさやかを封印してしまう。とにかく、田代さやかに力がはいってふとうつむいて、下死点のはるか手前にあるペダルを見たとき顔色を失ってしまった。本当は2区で最も重要な筋肉らしいぞ。


2012.3.20(火)晴れ 半原越はしんどい

春分は年の初めのめでたい日だから何をおいても半原越だ。2か月ぶりでちょっと張り切りすぎたかなと区間1で反省している。半原1号は決戦仕様、靴もクリートも新調しペダリングにガタがない。この冬、ずっと練習してきた上げ脚を試してみる。1kmのケヤキ坂では、上げ脚ダンシングを試してみる。パワーはでるけど一気にエネルギーを失う。上げ脚は諸刃の剣だ。塩梅良く使わないといけない。区間4で泣きそうになった。やっぱり半原越はしんどい。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'05"4'05"-1517.217273223
区間29'11"5'06"+1613.818273207
区間314'17"5'06"+1613.918464194
区間420'44"6'27"+2711.118366203
全 体+4413.618169205

半原越を降りてピストン式に帰宅。途中に見つけているミズタガラシ?を見に行った。恐るべきことに根こそぎなくなっていた。リシアもかなり刈られている。マニアが持って行ったとも考えにくい。たんに雑草だから駆除されたのだろう。花の季節にしっかり探せば1つぐらいは見つかるだろう。

昼飯食ってから半原2号に乗り換えて境川。こっちは遊水地のコケが気になっている。もう一つ、湧水のオオカワヂシャ?は健在だった。雑草だけど。


2012.3.21(水)晴れ 遊水地のツチノウエノコゴケ

ツチノウエノコゴケ

写真はツチノウエノコゴケだと思う。3月11日のたまたま見聞録に出したものと同じだ。ただ、11日のものは長く伸びたサクしか写っていない。こちらは葉のほうだ。採取して来て自慢のスーパーマクロで接写した。

このコケのサクはよく目立つ。遠目から薄い芝生のようだ。春の斜光のもとであわい黄緑がなんとも美しい。私は数年前からそのコケ群落が気になっていた。生えている場所がまず尋常ではない。境川遊水地の建設に伴って造成された法面である。どこからか土を運んできて新しく盛っている。カンカン日の照る道路脇だ。北向きに落ちる傾斜はつけられており、日中でも日差しはいくぶんか斜光になる。吹きさらしで乾燥は避けられない。一見してコケの生育に適するとは思えず、当初はすぐに普通の雑草に負けるだろうと思っていたが数年を経ても雑草は少なくコケが群生している。

せめてその名ぐらいは確かめてみようと、昨日一欠片を採取してきた。地面はどういう工法をとったものか妙に固かった。まるで表面を人工的に固めたかのようだ。草よりもコケが優占するのはそのへんに原因があるのかなと思った。

サクは長いが、葉は短い。せいぜい2ミリといったところ。とがって巻き込む特徴や生育場所からみてツチノウエノコゴケだろう。ギンゴケらしいものと混生している。肉眼ではそっちのほうしか見えないものだから、ギンゴケのサクかと思い違いしたこともあった。


2012.3.22(木)くもり 陸橋のコケ

陸橋のコケ

「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」ってのはよく聞くことだが、桜切る馬鹿が本当にいるらしい。全国の桜の枝を切り集め、その切り花を有楽町で展示しているとテレビが言ってた。その馬鹿な行為の意図は不明。

写真は小田急線の陸橋にたくさん生えているコケだ。陸橋の南側は日陰になって湿っぽくこのコケによい環境になっているようだ。まるで緑の餅のように道路の隅っこにぽこぽこ生えている。今はサクの盛りらしく遠目からも赤く萌えて美しい。いっちょ名を特定しようと、ひとかけら採取してきた。

ずっとホソウリゴケ、あるいはハリガネゴケだろうと思い込んでいた。道ばたに餅のように貼りついている深緑のコケなんてそのどちらかだ。ところが、いざ採取してしっかり葉をみると、中肋が先端から針のようにとび出している感じがない。どうやら、ホソウリゴケ、ハリガネゴケではないみたいで困ってしまった。いったいなんだろう。ありふれたやつなのに。コケは深い。


2012.3.24(土)くもりのち雨のち晴れ 走法が板についてきた

いつもの草むらに座ってコーラを飲みながら蕭々と降る雨を眺めている。いつもの年ならいまごろの清川村は桃源郷のようになっているはずだ。ロウバイ、梅、アカヤシオ、様々な庭木が競うように花をつける。今年はずいぶん遅いと思う。山の芽吹きもちょっとだけだ。

雨の支度はまったくしていない。雨雲が近くにあったのに降るまいと予想したのだった。幸い気温は高い。座架依橋の温度計は9℃だった。濡れても問題ない。

半原越は前回とおなじく決戦仕様の半原1号。張り切りすぎたきらいがあって、今回はアベレージで登ってみようと思っている。練習を積んだ上げ脚を優先して回すつもりでやってきた。半原越にかかると雨はいよいよ強く、路面を水が流れるようになった。

ハンドルバーの中央を持って上ハン犬走り。上げ脚が使えていることを自覚できる。数字に表れるほどではないけどうまくいっている。心なしかきつい区間が楽だ。この走法が板についてきたと思う。境川での練習が半原越で生きた。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'32"4'32"+1215.617069197
区間29'46"5'14"+2413.618175196
区間314'58"5'12"+2213.618174190
区間421'25"6'27"+2711.218665197
全 体+8513.318070194

降りる頃にはずぶ濡れだ。下りのことは全く考えてなかった。20℃下回ると合羽なしではしんどい。おもいっきり冷えてしまった。荻野川まで来て橋を渡り、やれやれ下りもここまでとほっとしてハンドルを切ると前輪に違和感。空気が抜けはじめている。あと15km。このまま行くか・・・とも考えたけど修理キットも持っているからと、雨を避けガード下でチューブの交換を試みる。

さて、ここで問題発生。イタリア製の超小型安物空気入れからぜんぜん空気が入っていかない。バルブの所がヤワなのは前から気になっていた。パンクはしかたない。雨の半原越を決戦仕様のタイヤで走ったのだから。にしても空気入れが使えないのには弱った。自転車屋なんていう気の利いたものは近所にない。しかたなしに前輪をガコガコいわせて走って帰ることにする。これまでの経験から、クリンチャーとはいえパンクしたまま走ってもホイールが壊れることはないことが分かっている。20km程度ならチューブもタイヤも致命的なダメージは受けない。落ち着いて走っていけばいいのだ。

寒さに震えながら帰宅して空気入れをチェックした。バルビエリのナノというタイプだが、交換可能なバルブのねじがゆるんでいたのが原因だとわかった。携帯型の空気入れはいくつも試しているけど決定版といえるものはまだない。あまりパンクしないというチューブレスタイヤを試してみようか。


2012.3.25(日)晴れ テングチョウ?

荻野川

写真は荻野川。ちょっとだけ好きな川だ。オオカナダモと思われる水草もある。可動式の堰堤には謎の草もある。ささやかながら谷戸との連結もある。写真では川岸の草が沈んでフェイク水草状態になっている。どうやら可動堰がつかのま上げられているらしい。ギシギシも、花をつけているタネツケバナも沈んで、ちょっとだけいい感じになっている。インチキだけど。

さあ今日も半原越だ。風は冷たいが天気はばっちり。青空に積雲が浮いている。春らしくなく空気が澄んで視界がきく。芽吹きはじめた林の前をトンビとカラスが絡んで飛んでいる。向かいの山の木々の間に獣がいるような気がして目をこらした。

日の下を自転車で走るのも久しぶりだ。半原越に入ると道ばたを蝶が飛んでいた。ヒオドシチョウだ。この辺の3月に普通の蝶だ。1分ほどしてまたヒオドシチョウ。また1分して今度はぼろぼろになったヒオドシチョウ。越冬の苦労がしのばれるなあ、と目で追うと・・テングチョウなのか? いまいち特徴的な頭の形を認められなかった。

今日はチョウが気になるぐらいの力で走っている。境川を向かい風でがんばっているぐらいでやっている。それぞれ目標値よりも30秒ほどオーバーすることになる。なるほど、この冬は半原越を22〜23分で登る練習を積んだようなものだ、と思った。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'50"4'50"+3014.616066185
区間210'15"5'25"+3513.117068192
区間315'37"5'22"+3213.317069180
区間422'12"6'35"+3510.918063189
全 体+13212.817166186

半原越を降りて久しぶりに271側道と134号線を回ってきた。たまには力いっぱいすっ飛ばすしてもいいよなと134号線では40km/h。境川に入って終盤あたりで今日は後輪がパンク。雨でもないし、空気入れはばっちりだし、さくさくっとなおして再出発。

パンク修理をして気づいたのだが、リムの中にけっこう水が入っている。雨の中を走ると、リムとシートチューブとダウンチューブにたぷんたぷん水がたまる。水抜きは面倒だが半原1号はそういう自転車だ。帰宅してたわしで水洗いしてフレームの水抜き。本当は、BBやヘッドも分解掃除しといたほうがいいのだけど。


2012.4.8(日)晴れ WH-7900-C24-TL

この2年ほどうじうじと迷っていたホイールを買った。WH-7900-C24-TLはチューブレスタイヤも装着できる高級ホイールである。ただし今日は半原1号の古タイヤを移植して試乗だ。高級ホイールにすると走りが変わると言われる。踏み出しが軽い。気がついたら30km/hを越えてた。巡航速度が2km/hあがった。登りでギアが1〜2枚ちがう。一日に200km走っても疲れない。それらは全部嘘。初級者の気の迷いである。

グラム1000円の激重安物ホイールとグラム6000円のWH-7900-C24-TLにそんなに差が出るはずがない。ましてや、半原1号の旧ホイールは私が創意工夫のもと手組して10年使ってきたものだ。近所の自転車屋に「素人にしてはよくできてる」とほめられたほど高い技術が注入されているのだ。重量、空気抵抗、剛性、転がり抵抗などすべてにおいてWH-7900-C24-TLが勝っていることは確かだけど、そんなもの結果の数字にすればわずかなものだ。

ブラインドテストをして乗りくらべればたぶん違いはわかる。とくに音がちがう。今日はPRO3ライトをかんかんにして走ってみたが、タイヤがアスファルトをこするシャーという音に混じって、フォォーという聞き慣れない音が聞こえる。なんかいいんじゃないと思ってしまった。

境川と134号線を100kmちょっと走ってみた。よく転がりよく伸びしっかり40km/hで走れた。自分が組み立てたホイールが最高級品にひけをとらないこともわかったし、パフォーマンスが上がる予感もある。期待は半原越での10秒短縮だが、それは裏切られないだろう。


2012.4.21(土)くもり 花盛りの境川

オオカワヂシャ

WH-7900-C24-TLがうれしいものだから今日も半原1号で境川。半原越に行かなかったのはしばらく乗ってなくてひよったから。そしてパンクも予想しているから。パナソニックのR-airというチューブの特性が分かってきてパンクの予想もできるようになってきた。だったら交換しとけばいいんだけど。

ホイールはけっこういい音をたててくるくる回り、半原1号は快調に川縁を進んでいく。境川は百花繚乱の花盛り。大半は外来種でムラサキハナナとかアブラナみたいなのとかナガミヒナゲシとか。南へは追い風で、ゆっくり走り1時間足らずで白旗に到着。予想通りゴール手前200mでパンク。

さくさくっとチューブを交換して134号線へ。西進は追い風。信号待ちで止まっている背中にかすかに感じられるぐらいの強さ。それぐらいでも追い風っていうやつは自転車には追い風で、35km/hぐらいで楽々走れる。134号線は疾走すると決めている。相模川の手前でUターンして東進はおもいっきり。40km/hまで速度アップ。ダンプなんかに猛スピードで追い越されると強い追い風になってうれしい。134号線では自動車にひっぱってもらえる。

境川にもどっていつもの所を2往復。鷺舞橋に寄ってオオカワヂシャ?をチェックすると、こちらも花盛りで青紫の花がたくさんついていた(写真)。ということはやっぱりオオカワヂシャなんだろう。


2012.4.29(日)晴れのちくもり 夏が来た日

夜明け前だというのに鳥がうるさい。なんという鳥なのか知らないけれど、窓のすぐそばにある木に止まって縄張りを宣言しているらしい。ほかにも遠くから2羽ばかり同じ鳴き声が聞こえる。夏が来たのだ。

この数年、夏が来ることの喜びよりも春が去ることの寂しさのほうを感じるようになっている。もちろん夏が来ることと春が去るのは同じことで、この時節を期待の中で過ごせるかどうかという問題だろう。夏冬は安定した季節だ。日が昇るたびに何かか新しいということがない。春はあわただしい。激変する環境を受け入れることができれば、夏を希望することができるのだろうか。それとも、変化に富む世界をじゅうぶんに味わうことができなくて行く春を惜しむのだろうか。いまひとつ自分がつかみきれないでいる。

今日は同じ仕様の半原1号で境川。めずらしく元気がなくておとなしく走ろうと決心している。走り始めてすぐに腰が痛い。この1年ばかりは犬走りを覚え腰痛グッドバイだったはずなのに奇妙だ。どうやら自転車に乗る方法を忘れているらしい。この体は頭が悪くて困る。1時間乗っても3時間乗ってもいい感じにはならず90kmほど走ってとぼとぼ引きあげた。


2012.4.29(日)晴れのちくもり チューブレスタイヤ装着のこと

WH-7900-C24-TLの本領はやっぱりチューブレスタイヤで発揮されると思い、IRCのFORMULA PRO Lightというのを買った。チューブレスはその売り文句が本当ならばすばらしいシステムだ。

一番大事な走るという問題についてはチューブなんてものはない方が良いに決まっている。チューブの抵抗なんてのは微細とは思うけど、あれはいろいろな悪夢の元だ。また、雨でも浸水しないんじゃないかと期待した。しかし、それは期待はずれで、WH-7900-C24-TLにはスポークねじからじゃばじゃば水が入ってくる。ただし、リムに水抜きと見られる小穴があって、走っているうちに水が抜けるようになっているようだ。

チューブレスタイヤは装着が難しいという。しかし、リムとタイヤの構造をみれば合理的になっている。理屈通りにやれば、通常のクリンチャーリムよりスムーズに着脱できる。それは何度かPro3を着脱して経験した。なにしろ、3度走って3度パンクしているのだ。チューブレスタイヤでも着脱は簡単そうだ。今回、WH-7900-C24-TLにFORMULA PRO Lightをはめてみるとあっけなく入った。使い古しのPro3よりも簡単だ。ただし、入った状態をみるとすかすかで、絶対に空気が充填できないと思った。タイヤの規格が合っているのか、本当にチューブレスタイヤなのか念のために確認したほどだ。

じっさい、どれほど素早くポンピングしてもスカスカと空気の抜ける音がして石けん水のあぶくがぷくぷくするばかりだ。ビードを上げてもだめ落としてもだめ。そもそもつまんで引っ張り上げれば1mmも隙間ができるのだ。一計を案じ、中にチューブを入れた。チューブ入りのチューブレス。どうしてもダメならこれで行くとして、最後の手段も考えていた。

チューブドチューブレスにしてビードを上げ、放置すること3時間。最後の手段は二酸化炭素ボンベである。片方のビードを上げておいてから強力にエアーを送り込めばなんとかなりそうだった。コンプレッサーは手元にないので、二酸化炭素ボンベを代打に起用した。チューブを外し専用のバルブを取り付け二酸化炭素を送ると、パキパキッという音とともにビードが上がりかんかんに空気が入った。これで一晩放置して抜けていなければ良し。抜けていてもビードがリムサイドに引っかかっているぐらいならフロアーポンプで補填することも可能だろう。


2012.4.30(月)くもり ニューホイールで半原越

半原1号

さあいよいよニューホイールで半原越だ。いつもの草むらはいつの間にか菜の花畑に変貌し、クマバチやらウスバシロチョウなんかが蜜を求めている。向かいの山はとっくの昔にヤマザクラが散って広葉樹の新緑と杉檜林がコントラストを強くする季節だ。今シーズン開幕!てなことで半原越を背景に半原1号の記念撮影。

ニューホイールはなかなか良い感じだ。くどいようだが、こんなもので劇的に速くなったりはしない。チューブレスとクリンチャーの差もわからない。音は全然違うが速度や操作性に差はないと思う。ともあれちゃんと走ってちゃんと曲がるだけでOKだ。もちろん1%の速度アップは期待している。それは体で感じるほどの差ではない。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'09"4'09"-1117.116367205
区間29'12"5'03"+1314.017962203
区間314'16"4'54"+414.618064199
区間420'18"6'12"+1211.618562205
全 体+1814.017864203

けっこうまじめに走った。シーズンインのタイムとしては高得点といっていい。ホイールは一言でいって忠実という印象だ。力がかかっただけ進む。引き脚も使うダンシングですいすい進むのは快感だ。ただしその走法は15秒ぐらいで力尽きる。

午後からはニューホイールを半原2号に載せ替えて境川。ホイールとフレームに相性というものがあるのかもしれないが、半原2号ではニューホーイールの恩恵は皆無といってよかった。デュラエースは半原2号には少し固いのかもしれない。2万円のA-classのほうがしっくり来るようだ。


2012.5.3(木)雨 ダイナミックな記憶

仏教の考え方のなかで、この世界も自分も刹那の間に壊れ作られして絶えず更新しているのだというのがある。それはかなりむちゃな考え方だ。突拍子もない発想が出てくるからには経験がなければならない。突拍子もない発想が生き残るためには、経験は多くの人間に追体験できるものでなければならない。座禅によってその手の経験ができるのだと思う。

私は半原越を自転車で下りながら、少なくとも個人の記憶は刹那の間に更新されていると確信した。個性の大半が記憶に依存するからには、個人は刹那の間に生まれ変わっているという発想も出てくるだろう。

記憶は脳の中にハードディスクのような記憶装置があって書き込まれていると考えてはいけない。記憶はそういうスタティックなものではないのだ。生理学者がいくら記憶の部位を探しても無駄である。個人の全記憶はダイナミックに頭の中を駆け回っているとした方が理にかなう。記憶は生きているのだ。そして、意識下で刹那の時間に読み出され、書き換えられている。古い記憶が意識されたときに、それは新しい記憶になる。つまり思い出したことは、思い出した時点の経験として“記憶”されるのだ。


2012.5.4(金)くもりときどき雨 上げ脚を思い出す

さてと半原2号で境川。走り出しから調子が悪い。全体にしっくり来ていない。サドルの高さと角度があっていないような感じがする。尻が痛い。ハンドルを持つ手が妙に突っ張っている気がする。

境川は初夏の風情である。代掻きがはじまっている。オオヨシキリがあの声でげえげえ鳴いている。タイワンシジミの殻が転がる水路は昨日からの雨で増水して、いかにもシジミが生息しそうな流れになっている。新設の遊水地の土手はハルジオンの花盛りだ。そういうのはたいへんけっこうなのだがこっちはどうにもうまくいかない。ちょっと力を入れるとすぐに腰が痛くなる。もう1年ほど忘れていた痛みだ。本当に自転車の乗り方を忘れてしまったのだろうか。

2時間ばかり走ると雨になった。テレビでは低気圧の通過で上空に寒気が入ってくると言ってたから、積雲からの雨だろう。大粒だがそれほど冷たくない。この雨は予想して長袖で出てきた。千円札もエディチャージで問題ない。雨はむしろ人払いになって好都合だ。ただ3時間乗ってもしっくり来ない。

3時間半、90kmばかり乗って腰も痛く遊水地公園で休憩した。遊水地公園の自販機はエディで買える。缶コーヒーを飲みながらこのままじゃ止められないなあ、などと心配になった。

再スタートして、はっと気づくことがあった。上げ脚を使ってなかったのだ。この冬ずっと練習して来たことがぽっかり抜けてしまっていた。上げ脚にぐっと力を入れると、あら不思議、すいすい進む。腰の痛みもまったくない。サドルの高さも角度もばっちり、尻の痛みも消えた。100km過ぎてからのほうが速度の乗りがいい。雨はちょっとした豪雨になったが止める気にはならなかった。


2012.5.5(土)晴れ もう忘れない

いつもの棚田は今日が代掻きだった。水が入り生物にとっては特殊環境が生まれることになる。シュレーゲルアオガエルがケロケロと鳴いているけれど、さてうまい具合にこの田でオタマジャクシが育つことができるだろうか。近年は6月に中干しをしており、ごく初期のオタマジャクシしか生き残れない。

今日は気温があがって初あいすまんじゅうだ。菜の花やハルジオンの上をウスバシロチョウが舞っている。かすかな春の名残だ。

半原越は回すことにして、28×19Tから入った。スタートから強いアゲンストでなかなかスピードに乗れない。15km/h程度でも風はけっこうこたえるものだ。いろいろ走ってきてニューホイールの特性もわかってきた。低速域であれば特段のメリットもないが、40km/hを越えると信じられないぐらい転がりかつ安定する。これは未経験の感覚だ。やはりレース用の機材なんだろう。集団走行することのない私には宝の持ち腐れといったところか。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'40"4'40"+2015.215581181
区間29'58"5'18"+2813.417174188
区間315'10"5'12"+2213.717172191
区間421'40"6'30"+3011.117868191
全 体+1814.017073188

21分40秒というタイムは最近では遅いほうだ。無理しないで回して登ったにしてはよかったことにしておこう。これまでなら22分かかっていたことにして。

いったん帰宅して半原2号に乗り換えて境川。自転車は乗り方を間違うと拷問器具になってしまう。今日は走り方を思い出して快調そのもの。これでもう二度と忘れない気がする。境川流域には5月に特有の南風が吹き凧揚げが盛んに行われている。立石風神会とかの人は凧に勝負をかけているのだろう。半原越で勝負する者もいれば凧で勝負する人もいる。


2012.5.10(木)晴れ一時雷雨 パンクの原因と対処

自転車のパンクが頻発している。半原越で新品のFORMULA PRO Lightをやったのは痛かった。関東に竜巻をもたらした積乱雲は半原越でもかなりの雨を降らせたらしく、道路に大小の石ころが散乱していた。半原越の岩石は柔らかく、しかも鋭利な角を作って割れるという特徴がある。雨後ともなると、崖が崩れて転がり落ちた無数の石ころが自転車のタイヤを切ってやろうと手ぐすね引いている。そういう罠を避けて走るのはけっこう得意だ。しかし多勢に無勢で、たまに乗りあげてタイヤを裂く。一瞬で空気は抜けタイヤは廃棄処分になる。FORMULA PRO Lightはけっして安いものではない。貧乏性の私としてはちょっと半原越が嫌いになるときである。

半原越の手前で金属片が刺さった日も痛かった。後輪に違和感を感じた。一周ごとに微かな引っかかりがあるのだ。自転車を止めて調べてみると、タイヤに刺さった5mmほどの釘のかけらのようなものが見つかった。悪魔の呪いがかかったようなものだ。チューブは貫通していなかったが、傷ついていることは明らかで、ひとまず金属片を抜き引き返した。案の定3km先でバーストしたから半原越に向かっていてもダメだったろう。Pro3 Lightもけっして安いタイヤではない。

5月の3回目の半原越は区間3までで引き返した。前日に強い雨が降ったらしくアスファルトいっぱいに新しい石ころが散乱していたからだ。並のPro3だって安物ではない。もうパンクはいやだ。転ばぬ先の杖。こうなると自動車が石ころを細かく砕いてくれるのを待つしかない。

そういう石ころとか金属片とか、原因が明らかなパンクはいいが、原因不明のパンクも100kmに1回ぐらいの割合で頻発していた。タイヤに異常が見つからずチューブの不良を疑ったこともある。どうやらそれもタイヤのせいだったらしい。

自転車のタイヤは微小なガラス片などを拾ってしまうものだ。走りこんだタイヤ表面にはけっこうな数の異物が刺さっている。ゴムの部分が傷ついたものは廃棄してしまえばよいのだが、貧乏性の私にはそういうことはできない。タイヤには内側に繊維の部分がある。異物がそこでブロックされてチューブが傷つかなければ走行に支障はない。

私はパンクの原因を特定しやすいように、タイヤとリムの位置関係がいつも同じになるようにタイヤをセットしている。もし、タイヤに異物が刺さったままでチューブを交換するとまた同じ所でパンクするからだ。原因不明のパンクをよくよく調べてみると、チューブの近い所で穴が空いている。タイヤのゴム部分に傷はあるが異物は刺さっていない。さらにタイヤの傷をよくよく調べてみると、ゴム部分だけでなく繊維のところまで微小な穴が貫通していた。タイヤをひっぱってようやく確認できるサイズだ。原因はどうもそいつらしい。

思い起こせば、原因不明のパンクは空気圧が高いときのほうが多かった。タイヤの穴からチューブが飛び出して、それがアスファルトとこすれてチューブに穴が開いてしまうようだ。

穴あきのタイヤなんて廃棄してしまえばよいようなものだけど、私は尋常ならぬ貧乏性である。なんとか使えそうなタイヤは廃棄したくない。できれば1年、5000kmぐらいはもたせたい。そこで一計を案じて、タイヤの内側にパッチを当てて走ってみることにした。1層目にステンレスのテープ、2層目に接着式のリムテープ、3層目に写真撮影で使う手でも切れるテープ。これでパンクせずに走れれば万全だが、さてどうなることか。


2012.5.12(土)晴れ 回しきる

棚田の水中にはまだ動く物の姿がない。水面を2種のアメンボが泳いでいるだけだ。ただ、畦にはアリやテントウムシが歩き、ぼろになったツマキチョウのオスが飛び、シュレーゲルアオガエルが1匹だけケロケロと鳴いている。着実に夏が来ている。

半原越は回していこうと昨日から決めていた。やはりあの台風の後の走り方がベストだ。75rpm以上で20分。いまの力ではできない相談ではないと自分に言い聞かせる。ギアは前が28Tで後ろが23Tまである。28×23Tを使えば全区間で回すことができた。区間4で75rpm、181bpm、6分10秒はよい数字だ。回しきった自信もあり体も楽だった。今年の夏は回して勝負だ。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'32"4'32"+1215.815780193
区間29'49"5'17"+2713.617178194
区間314'43"4'54"+414.417477196
区間420'53"6'10"+1011.818175208
全 体+5313.717277198

半原越を降りても今ひとつ271側道や134号線を突っ走りたいという気持ちになれず、そのまま帰宅。美登里園の坂でモンキアゲハを見る。夏のはじめのためか小さい個体であったが、出会うとぞくっとするチョウだ。モンキアゲハは神奈川で定着しそうだ。

昼からは半原2号に乗り換えて境川。珍しく無風で、南も北も30km/h、90rpmで流した。午後遅くには北風が冷たく通り雨もあった。大きくてヒヤッとする雨粒だった。北海道に雪を降らせているという寒気の影響だろう。


2012.5.13(日)晴れ 人気スポット

いつもの草むらに腰掛けて昨日と変わり映えのしない田んぼを眺めている。昨日とちがうのはシオカラトンボが飛んでいることか。今年の初見だ。青くて弱々しいイトトンボが産卵をしている。こちらは先週にも見ている。この田を見ていると45年ほど前にあった近所の田を思い出す。今では信じられないぐらい豊かな田だった。水を引いて代掻きをするとケラが泳ぎクモが水面を走った。田植えが終わるころには、ツチガエルがごちゃまんといてゲンゴロウやタイコウチが泳ぐ。あぜからのぞき込むとドジョウが一斉に逃げ水中に土煙があがった。

あの豊かさはいったいなんだったんだろう。田んぼってのは全部あんなもんだと思っていたから、数年後に見た松山の田の殺風景さにはあぜんとした。現在では日本全土の田に動物の気配がないことを知っている。当時と今と何が変わっているのだろう。畑に生ゴミを捨てなくなったからだろうか。田の構造だろうか。清川のこの田が変わったのは農法の転換のためだろう。

休耕田の草むらには虫が多い。よく日が当たってギシギシ、カラスノエンドウ、ハルジオンが咲き、チョウ、ハチ、カメムシ、羽虫、アブラムシなんかの陽気系がたかっている。昔日を知らなければ清川村も自然豊かな里に見える。

半原越でやることは昨日と同じ。75rpmぐらいで回しきる。乗り方を覚えて腰に余計な負荷はかかっていないものの、ふともも、特に田代さやかに疲れがたまっている。かなりの追い風だけどスピードの乗りはいまいちだ。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'34"4'34"+1415.515278185
区間29'36"5'02"+1214.317376205
区間314'38"5'02"+1214.117376190
区間420'49"6'11"+1111.717768206
全 体+4913.717074197

今日の半原越はやたらと自転車が多かった。1往復する間に5台ぐらい見た。自動車も多かった。3台ぐらい見た。ちょっとした人気スポットじゃないか。みんな5月の半原越が好きなんだな。


2012.5.19(土)晴れ Fusion 3 で半原越

FORMULA PRO Lightを一発で裂いてしまい、HUTCHINSON Fusion 3 というのを買った。フランス製とはいえ、自転車のタイヤなら悪くないものもある。それにFORMULA PRO Lightよりも1000円ぐらい安いから。リムにはめてみるとちょっと固い。その固さがうれしい。フロアポンプでも空気を充填できた。FORMULA PRO Lightは、はめるのは楽でも空気が入らなかった。それで二酸化炭素ボンベを使ってしまったのだが、次はもっと別の方法を試さねばなるまい。二酸化炭素ボンベだってけっこう高価だ。

Fusion 3 とFORMULA PRO Light で乗ってみて違いがあるかというと一言で“無”といっていいだろう。長持ちしてくれるといいな。

いつもの棚田は田植えが終わったばかりだ。田植えのついでに休耕田の草も刈られさっぱりしてしまった。草ぼうぼうのほうが好みなのだが、私の好みで農作業が進行するわけがない。これはこれで半月もすれば新しい草でぼうぼうになる。定期的に刈っていると草の種類も増え、虫も増えるかもしれない。

この夏は回すと決めた。リアのギアは12-25Tをつけている。回すために25Tを使うことをためらわない。スタートは19Tを使い、以降は斜度に応じて細かく変速した。急坂区間でどれを使うかがまずは勘所だ。1kmのケヤキ坂は23T、丸太小屋坂は23T、南端コーナーから区間3終わりは21T、区間4は23Tベースでラストスパートは17Tにした。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'28"4'28"+815.915979180
区間29'36"5'08"+1813.817675195
区間314'33"4'57"+714.517771200
区間420'46"6'13"+1311.718271205
全 体+4613.817474195

脚も呼吸もけっこう楽々だった。ニューホイールはとにかく力が逃げない。立ちこぎにぶれがない。この感じで20分切ればけっこうなものだと思う。すぐ手の届くところにある目標のような気がする。


2012.5.20(日)晴れのちくもり ウスバキトンボを見る

善明川のわきに開けた田んぼの道を走っているとウスバキトンボの姿があった。1匹だけで田植えを待つ水田の上を低く飛んでいる。たまたま自転車と進行方向と速度が一致して10秒ぐらい見ることができた。ウスバキトンボらしくない飛び方だが、その姿は見間違えようもない。5月のウスバキトンボは早い。昨日から南風が強くそれに乗って一気にやってきたものだろう。

半原越は昨日はウスバシロチョウが多かったが今日は1匹もいなかった。そのかわりハンミョウがよく目についた。道ばたにはウツギの花が多いけれど虫は来ていないように見える。通りすがりの数秒の観察で今季は何が多い少ない早い遅いと言ってもそれほど意味はない。環境ではなくあくまで私と虫けら間の記述だ。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'32"4'32"+1215.615678187
区間29'43"5'11"+2113.817279191
区間314'49"5'06"+1614.117277191
区間421'08"6'19"+1911.517772198
全 体+6813.817076192

半原1号でとにかく楽に登ってみた。ときどきこれをやるけれど前は22分かかっていたような気がする。最終的には20分にしたいのだが、それには5%のパフォーマンスアップが必要だ。たとえば今のギア比、今のしんどさで80rpmで走らねばならない。そう考えると5%って大きいなあと道の遠さをあらためて思う。


2012.5.21(月)くもり 金環食

金環食

今回の金環食は曇り空のもとで起こった。しばらく肉眼で見ていたけれど、うまく撮れそうに思い、毎朝空と庭を撮影している富士の一眼レフを取り出した。たまたま金環状態のときに雲の厚さがばっちりで今日の写真になった。ズームレンズのテレ端300ミリでの手持ち撮影。マイナス3段の補正でうまくいった。ただし、こういうのは自殺行為だ。よい子は絶対に真似してはいけない。金環食とはいえお日様は強い。雲のないところでそんなことをやればファインダーを覗いたとたんに目がつぶれるだろう。

前回の沖縄のときは快晴だった。あれはあれで楽しかったが、撮影にはこうして雲が出てくれたことが幸運だった。テレビを見ていると、スカイツリーと金環食を合わせた写真をねらっている人もいたようだ。その手のカットを撮ろうとする人たちは、雲があってラッキーだったのではないだろうか。晴れのつもりで入念な準備をしておればかえって慌てたかもしれないけれど。


2012.5.24(木)晴れのちくもり 初夏の矢川

初夏の矢川を見ておこうと出かけていった。矢川はどういうわけか水草が少なくなっている。流れの中にポツポツと見られるのは色の悪いセキショウっぽいのやオオカワヂシャだ。花を見る限りではカワヂシャはなかった。ミズハコベも見あたらず、水中タデなんて期待もできない感じだ。この貧相さが季節のものなのか人的な環境変化のせいなのかは不明だ。秋にヤナギタデをみつけた朝顔の里というところはやたらと水量が多く水が濁っていた。水田の季節だから多摩川あたりから水を引いているのかもしれない。黄色い花をつけたミゾホオズキが数株見られたのが収穫だ。

この季節に矢川に出かけたのは、アカマンマの様子を見たかったからだ。去年の10月に行ったときには、矢川の水源になっている沼に群生するアカマンマが花の盛りだった。あのアカマンマの芽吹きの姿を確認しておきたかった。アカマンマはわが家では数センチに成長している。もしかしたら矢川では水中から芽吹いているかもしれないと思ったのだ。

目的の水源域は湧水公園として保全されているとはいえ、実態は腐臭漂う沼地である。去年も今年もそれは変わりない。木道の際にはそれっぽい雑草が群落を作っている。これはっと思ったのもつかの間、それはミゾソバでがっかりした。秋にアカマンマを見つけた所を入念にチェックしても、見つかるのはミゾソバばかり。ミゾソバは水辺の草で水中からも芽吹くようだ。しかし水中葉はつけないようだ。水際のものは青々と元気がいいが、水深いところに生えているものは赤い葉がまばらについている。

春の芽吹き競争では、アカマンマはミゾソバの敵ではないようだ。少なくとも1本も見つけることはできなかった。しかし、去年の秋の隆盛を思えば、ミゾソバを押しのけて成長することがあるのだろう。それはいつ頃だろうか。ときおり訪ねる必要はあるだろう。


2012.5.26(土)晴れのちくもり 夏の虫草

ドクダミ

わが家でもやっとドクダミが咲いた。ドクダミは日陰の雑草で、その点ではわが家にぴったりフィットしている。それでも、比較的日の当たる所のものだけしか咲いていない。日当たり悪いからな。クサイチゴもいつの間にかみのっていた。今年は成長がイマイチで実が小さい。カマキリがいてちと驚いた。どうやらハラビロカマキリの幼虫だ。冬の観察ではカマキリの卵は見つかっておらず、今年は期待していなかったのだ。どこからか紛れ込んできた可能性もある。3匹がまとまって見つかったから、近所から来たのはまちがいない。

半原2号で境川に出かけるとやたらとアカボシゴマダラが目についた。1匹は風にあおられて道路を転がっていた。翅がしっかり伸びきっていない。羽化不全らしい。わりと近い区域でまとまって見つかるということは今朝一斉に羽化して来たのかもしれない。

境川遊水地の泉近くにあるオオカワヂシャはぐんぐん伸びて我が世の春とばかりに花満開だ。その近くに巨大といっていいサイズのカエル。たぶんウシガエルだろう。ただし、遠くてよく見えず断定はできない。誰かがウシガエルそっくりの置物をおいているのかもしれないのだ。オオカワヂシャのそばにあるオランダガラシも花をつけている。米軍基地の崖のわき水で育っていた雑草はオランダガラシらしい。ミズタガラシ?と期待していたがその可能性は低い。矢川で見たオランダガラシの水中の葉はあのミズタガラシ?そっくりだった。


2012.5.27(日)晴れ 気合いの入った田

棚田

この田はちょっとした希望である。水が入り代掻きの準備が整った。右手の小さな田はまもなく水が引かれるのだろうか。その右手はずっと休耕田のままだ。この田が希望だというのは6月の中干しをしないからだ。今日はかなりの数のシュレーゲルアオガエルがこの田のそばで鳴いている。また、撮影をしている道路はコンクリートの断崖の上にあり、カエルがあまり道路に出ないかもしれない。いろいろと好条件がそろっている。ここは確か5年ぐらい前には休耕田であったが、耕作を再開してからは、夏の日中でも草取りをしている。かなり気合いの入った田とみえる。

半原越はゆるく行った。ゆるさを反省することもなくゆるく行った。上りでシマヘビ、下りでアオダイショウを見る。ヘビは半原越の楽しみの一つなのだ。シマヘビは多いはずだがあまり見ない。今年はさい先がよいなと思う。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'29"4'29"+915.815373187
区間29'42"5'13"+2313.617072187
区間314'40"4'58"+814.417467198
区間420'59"6'19"+1911.317868199
全 体+5913.817070193

今日も素直に帰宅して半原2号に乗り換えて境川。かなり強い南西風が吹いて境川が面白そうだったからだ。向かい風を受けて30km/hで巡航。それぐらいの強度が爽快感もあって気持ちいい。帰りは追い風なので力を出せず25km/h。のんびり走ろうとすると尻が痛い。ハンドルを持つ手がうまく決まらない。ロードレーサーというのは不自由な乗り物だ。


2012.5.29(火)晴れ一時雷雨 魑魅魍魎

最近テレビで定型句になりつつあるのが「上空5500m付近にマイナス18℃の寒気が入り込み大気の状態が不安定になってます」というやつだ。私はお天気お姉さん見たさにテレビをつけるという正統派のおやじである。つまり、本来の興味の対象はお姉さんの容姿や声色であり、言っている内容に注意を払うことはない。それでもさすがに「上空5500mにマイナス18℃の寒気が入り込み大気の状態が不安定になってます」という表現にはひっかかる。ふだんなら、馬鹿にされてるんじゃないかと腹が立つくらい馬鹿親切なテレビが、ことお天気に関しては「上空5500mにマイナス18℃の寒気が入り込み大気の状態が不安定になってます」と平然と言ってのける。かわいらしさ満点のお嬢さんが明るくさわやかに「上空5500mにマイナス18℃の寒気が入り込み大気の状態が不安定になってます」という突っ込みどころ満載なことを言う。

なんで上空5500mなんですか。切りよく5000mじゃだめなんですか?
なんでいつも「付近」とぼやかす必要があるんですか?
5500mでマイナス18℃って低いんですか。ふつうは何度なんですか?
寒気でなんで雷雨になるんですか?
不安定ってなんですか?

地上で暖まった空気塊は軽くなり(密度小)上昇する。上空では冷えて(密度小)露点を下回り雲粒ができる。水蒸気が水に相転移するときに、潜熱を放出するから、空気塊は暖まる(密度小)。よって雲ができると空気塊が上昇するにつれて温度が下がる(密度小)割合が小さくなる。ただし、上空に寒気(密度大)があると上昇を続けることになる。高校で理科を学んだ私はこのような疑問にもある程度こたえられるのだが、雷雲が発達するところで何が起こっているかは正直わからない。空の上の雲ができるあたりは魑魅魍魎が跳梁跋扈するところである。魑魅魍魎というのは物理学的に言うと、流体・熱・相転移だ。

実験室とちがって、雲の中では温度と圧力と体積のからみは一筋縄ではいかないらしい。PV=nRTなんてことで割り切れるものではなさそうなのだ。そこに水の相転移が加わるともうだめだ。水蒸気は水になると体積が1000分の1になるから真空ができる。そうなると、空気塊は縮むのか、縮まず圧力が下がり温度も下がるのか、潜熱で温度も圧力も上がるのか、それとも温度があがらず体積が増えるのか。素人が想像しても無意味な世界なのだ。

空気塊が上昇するかどうかは相対的な密度の問題だ。水中では空気のあぶくは浮き上がる。水銀の中では石も浮く。気温と密度は密接に関係しているけれども必ずしも一意的ではない。温度が上がって密度が上がることがあれば下がることもある。冷たい空気がいつも密度大とはかぎらない。マイナス18℃という数字が絶対的な意味を持つわけではない。5500mという高度も直接には意味を持つわけではない。このごろはゲリラ豪雨とか竜巻とかの超常現象が多発している。そして気象観測の慣例と気象学者の経験があいまった文系的数字がテレビで一人歩きをはじめている。


2012.6.2(土)くもり 日暈日和

クモの隠蔽擬態の成立過程を想像するのはエキサイティングである。さいわいにしてクモはかなりヒトに近い生物であるから、自分の気持ちがクモの生態を考えるヒントになる。私はハナグモのように花のそばで待機してチョウをねらったことがある。そのときの心持ちから人間的なものをどんどん省いていけばクモの気持ちに近づけると思う。そうした共感がなければクモを見ようとも思わず良い研究ができるわけがない。

朝から薄い雲が全天に広がりつつあった。絵に描いたような低気圧の接近。日暈日和のなかを半原1号で半原越へ。どうしたものか空気がよく抜けるようになった前輪は保険をかけてやや高めに7気圧、後輪は推奨値の6気圧。ひさびさに風が穏やかで快調にいつもの棚田へ。今年もオタマジャクシ(たぶんアマガエル)が泳ぎはじめ、ミジンコや小さなゲンゴロウもいる。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'19"4'19"-116.316278195
区間29'16"4'57"+714.317675201
区間314'11"4'55"+514.517972198
区間420'19"6'08"+811.718366202
全 体+1914.017672199

半原越をすいすい登ってそれなりにいい感じで帰宅して前輪をチェックすると空気がほとんど抜けている。タイヤはチューブレスのFORMULA PRO Light 。まだ新しい。半原越を下りたあたりから前輪のタイヤ音が聞こえないような気がしてはいたのだが、ハンドル操作に違和感はなく、そのまま乗ってきた。チューブレスは低圧でオケーというのは本当らしい。

ピンホールができているのか、リムとの接着が悪いのか、はたまたバルブなのか。チューブレスはシンプルなようで、いざこういう不具合が起きると原因究明が難しい。見たところではタイヤに穴はなくビードも正しくかかっている。ひとまず8気圧まで充填し石けん水をタイヤにつけて(客観的にはホイール洗いの風情)空気漏れのあぶくをチェック。漏れは認められず、放置して様子を見ることにした。久々に手にしたIRC製品であるけれど、ちょっとした不運が続いている。


2012.6.9(土)雨 2ちゃんねるで出した問題

2ちゃんねるの自転車スレッドで意地の悪い問いを出した。ロードレーサーとクロスバイクのどっちがいいかという不毛の口げんかを繰り広げている板だ。問題は以下のようなものである。

ロードが時速30kmで道路を走っています。100m後ろをクロスが同じく時速30kmで追いかけています。クロスは何分後にロードに追いつくでしょうか。道路には300mおきに信号があり、赤信号の時間は1/3です。なお、加速減速は考えなくてかまいません。

どこであろうと自転車が走れば競争になるもんだ。すっ飛ばしたくて出かける134号線では、いつのまにか見ず知らずの自転車乗りが宿敵になっていたりする。実力拮抗の2人の勝負を分けるのは信号である。134号線には500mおきに信号がある。あそこで速く走る秘訣は赤信号にかからないことといって過言ではない。信号があるおかげで強敵とも引き分けに持ち込めたり、負けたときの言い訳もできる。その逆もある。勝負を面白く(つまらなく)しているのは信号機だ。

2ちゃんねるで、遅い自転車は絶対に速い自転車に追いつけないというゼノンのようなことをいうヤツがいて、路上バトルの勝敗を決するのは信号機だと主張するために上の問題を出した。数名からレスがあったが、だれも解けなかった。考え方として見所があるものすらいなかった。自転車板=馬鹿の集まりとしても、ちょっとはできるやつもいるような気がしていたのだが。

これは文系的数学である。平たくいえば、他人に勝ち他人を説得するための数学。自分なりに問題を解釈して自分なりに解答を捻出する力がいる。真偽は二の次に解答の説得力が問われる。他人の心を動かせば勝ちなのだ。ゆとりであれ詰め込みであれ受験用の問題しか解いたことのない者は手がかりすらつかめないかもしれない。


2012.6.10(日)晴れ 梅雨の入り際

いつもの棚田は水が落とされている。一番上の一枚はすでに水がなく乾きはじめている。下の方の田は出水口は閉ざしているらしく水が残っている。田の中には大小のオタマジャクシが不器用に泳いでいる。大きめのもので後脚が伸び始めている段階で空気呼吸ができるまであと一週間はかかりそうだ。オタマジャクシのほかにも動くものは見あたるものの浮き草が多くてじっくりと見ることができない。腰掛けている草むらに動くものが見えた。上陸したばかりのアマガエルだ。今年もこの田で一世代の命がつながった。

半原越はこの梅雨の入り口の季節が一番いいと思う。ウツギが満開で白い落花がアスファルトに散らばっている。ホトトギスがけたたましく鳴いている。昨日は雨で半原越に来なかった。雨は弱かったとみえて路面に特段の変化はない。前回と同じような調子で9割ぐらいの力で回して登る。今日はちょっと脚が弱っている。境川が雨で空いていて調子に乗りすぎたのだ。毎回同じような力のかけかたでは速くはならんだろうと思う。ほんのちょっとずつでもがんばれば10回で1秒ぐらい縮まるのだろうか、などと皮算用をした。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'27"4'27"+715.815976183
区間29'36"5'09"+1913.917874195
区間314'33"4'57"+714.417972195
区間420'52"6'19"+1911.418367196
全 体+5213.717672192

FORMULA PRO Lightの空気の抜けはだましきれない所まで来た。昨日は3時間ぐらい走ったところでタイヤがべこんべこんになって諦めた。帰宅して空気を入れ直してチェックした。今度は石けん水を使うまでもなく原因がわかった。音をたてて空気が抜けているからだ。タイヤサイドに微小な穴があるらしい。指で軽く押すだけで抜けが止まるぐらいの穴だ。ただその穴は虫眼鏡で見てもわからない。切れてる感じもなく異物が刺さった様子もない。原因不明のピンホールだ。チューブレスのこういうトラブルはやっかいだ。FORMULA PRO Lightが信用できなくなる。まだ新しく捨てるのももったいなくて今日はチューブを入れて走ってみた。


2012.6.13(水)くもりのち晴れ フェラーリと引き分けたこと

速度が同じクロスがロードに追い付くのは、ロードが信号待ちしているときだけだ。したがって、9日の問題ではロードの信号待ち時間だけを考えればよい。クロスはロードの100m後ろ、時間にして12秒遅れで走っている。信号をいくつか越えるうちにその距離も変わっていくだろう。追いつけないまでもロードが信号待ちをすればその距離は縮まるだろう。クロスが信号にかかれば距離は開く。しかしながら、クロスはいつも100m後ろにいるとみなしてかまわない。速度も条件も両者同じだから、10億回ぐらい走って平均をとればそうなるだろう。ロードが信号で12秒以上止まればクロスは追い付くのだ。

まずは、1個の信号でロードが12秒以上止められずに通過する確率をもとめる。信号はその3分の1が赤である。赤の時間をa秒にしよう。12秒以上信号待ちしなくてもよいのは、黄色と青を足した時間の2a秒と、クロスが追い付く前に再スタートできる12秒(a>12でいい)。それを信号1ローテーションの3a秒で割って、確率は(2a+12)/3aとなる。

この条件で連続してn個の信号を通過する確率p(%)はエクセル風に書けば p=((((a*2)+12)/(a*3))^n)*100 となる。これが0%になるn番目の信号までには、ロードはクロスに追いつかれていると考えていい。

これはとても難しい計算で私にはできないからエクセルにやってもらう。赤信号の時間aをロードの信号間走行時間と同じ36秒に設定すると、n=21でpは0.5%ぐらいになっている。その間の時間は1個の信号待ち時間を均して6秒とするなら、クロスがロードに追い付くには15分もかからないという結果になった。

15分というのは控えめな数字だ。最短の15秒ぐらいで追い付く場合もある。リアル世界でも、信号や老人などのシケインが多い一般道や境川サイクリングロードでは、ランデブー状態の自転車2台の力が拮抗しているとは限らない。遅い自転車が速い自転車に思いのほか容易に追い付く。じっさい、私は134号線で赤いフェラーリと引き分けたことがある。相模川あたりから松波まで、信号で抜きつ抜かれつして同時スタートで同着だった。フェラーリはトップスピードが70km/hほど出ており、実力的には完敗だったが。


2012.6.15(金)晴れ 近所のタンポポ

タンポポ

今朝近所で撮った写真だ。私が子どもの頃、タンポポはちょっと珍しい花だった。愛媛の特性だったかもしれないが、私が目にしたタンポポはすべてシロバナだった。セイヨウタンポポはなかったと記憶している。30年ぐらい前に東京に来るとタンポポはふつうの花になった。ただよく見かけるものは全部セイヨウタンポポで、在来のものは意識してそれらしい場所を探さなければ見つからなかった。

当時、セイヨウタンポポと在来のタンポポは見分けるのが容易だった。そもそも在来のカントウタンポポは桜の花の咲く頃にしか花をつけない。セイヨウタンポポには総苞が反り返るという形態的な特徴もあった。

しばらくすると、在来のタンポポが道路脇や中央分離帯、河川の土手などセイヨウタンポポの独壇場でポツポツと目につくようになった。土地の開発が落ち着いて在来のものも根を下ろしやすい環境になったんだろうと思っていた。

写真のようなタンポポが目立つようになったのはこの数年のことだ。道ばたに多く大きく立派である。梅雨のこの季節にも花をつけている。ただし総苞の反り返りははっきりしていない。花の形は一見して在来種なのだが、なんだかすっきりしない。セイヨウと在来の雑種なのだろうか、それとも、ニュータイプが帰化しているんだろうか。


2012.6.16(土)雨 梅雨の半原越

雨だから境川を走ろうと雨合羽を着て出かけた。1時間ほど走るうちに雨は小降りになって路面が乾いてきた。やっぱり半原越だと思い直した。雨は低気圧の接近で降っている。今日の雨は穏やかだが夜から明日にかけてはけっこうな降りになる恐れもある。そうすれば落石が起きて半原越の道路は危なくなる。梅雨の半原越を走るチャンスはそう多くない。今日のうちに行ったほうがよかろうと判断したのだ。

例の棚田は一番上にも水が張られていた。動くものがなく緑藻が沈んでいるだけの殺風景な水に雨粒の波紋が広がる。2番目から下は相変わらずだ。オタマジャクシはけっこう成長し、浮き草のかげで小さなゲンゴロウが泳ぐ。極めて平穏な水世界がある。

半原越はゆっくり走ることにした。何を思ったのかハンドルバーをドロップにしてステムを下げるためにフロントフォークをチタンに換えた。この仕様のほうがなにかと走りやすいのは確かだ。ウツギの季節もそろそろ終わりだ。ホトトギスがけたたましく鳴く他は雨で虫の姿も少ない。若いシカが3頭、草をくわえて道路に出てきた。兄弟なんだろうか。雨のときは人通りが少ないせいか野生動物に出会うことが多い。麓の清川村では猿が民家の屋根に登っていた。よそ者からすれば、のどかでけっこうとなるのだが、住民にはやっかいだろう。足元で白いものが動いた。小さな蛾が濡れた路面上を転がるように飛んだのだ。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'53"4'53"+3314.515980174
区間210'26"5'33"+4312.917377181
区間315'47"5'21"+3113.317579176
区間422'24"6'37"+3710.818069186
全 体+14413.717272179

ゆっくり走ると決めていたとはいえ、EDGE500の数字を盗み見して心中穏やかではなかった。22分以上かかるとダメになってるような強迫観念にかられてしまう。こまったもんだ。ポジションがしっくり来ていないせいにして、ハンドルを1cm上げてサドルを5mm下げ、もう一回登った。


2012.6.17(日)くもりのち晴れ 境川のヘリグロテントウノミハムシ

ヘリグロテントウノミハムシ

境川縁の白旗休憩所のキンモクセイが元気がないことには数年前から気づいていた。食い跡があるから何ものかにやられているのは明らかだ。わざわざその正体を確かめる気も起きずに昨日をむかえた。 今朝、コーラを飲みがてらにチェックすると、いままさに最悪で、新葉がことごとくぼろぼろになっている。さすがに何者の仕業か確かめようと思った。

葉には小型のテントウムシ型甲虫が群れている。ざっと視界に入るだけでも100匹は下らない。こいつのせいと見て間違いないのだが、さて、これはテントウムシだろうか? 黒い体に赤斑は一見してアカボシテントウに似ているけれどもサイズが小さい。撮影しようと近づいていくと、パシパシと音をたてて一斉に跳ねた。甲虫にしてそういう芸当をするやつはヘリグロテントウノミハムシだ。特徴のある害虫だから、うわさには聞いていたが見るのははじめてだ。

境川はいつものように100km。38×14Tをつかって追い風は上ハン、向かい風は下ハンで30km巡航。右足と左足がいまいちばらばらだ。とくに左の引き脚が甘い。上ハンは漫然とやると体のあちこちが痛かったり突っ張ったりして具合が悪い。意識して腕と背中を使う練習をした。いわゆる上ハン犬走り。

昼食はセブンイレブンの裏。田の季節で水路には多めの水が流れている。シジミの殻も冬場より増えている。この下にある水田の水路にもシジミの殻は多い。このシジミの正体も突き止めなければなるまい。まずはこのセブンイレブン裏に溜まっている泥にシジミが生息しているかどうかだ。水田に水がなくなる8月終わりごろが目安だろうか。いなければ上流から貝殻が流れてきたことになる。下流から流れてくる貝殻のことは考慮する必要はあるまい。水は軽く腐敗臭が漂ってくるがタイワンシジミならば汚水にも強いらしい。

帰宅して半原1号を洗い、近所の庭木をチェックしてジョロウグモを見つけた。一本の灌木に数個の巣がある。その木の近くに卵が生み付けられたようである。


2012.6.24(日)くもり 虫いっぱい

タイワンシジミ

昨日も今日も境川だ。まさかの台風上陸で半原越は敬遠せざるをえない。落石が敷きつめられて恐い思いをすることになりそうだからだ。新品のチューブレスタイヤを裂いたことがトラウマになっている。石ころは自動車に砕いてもらうことにしよう。境川は残念なことに風が弱い。ナカガワの50×17Tあたりを使って上ハン犬走りの習熟に努めた。ちょっと気を抜くと上半身によけいな力が入ってしまう。踏み脚と引き脚のバランスが悪く引っかかりを感じてしまう。下ハンよりも難しいかもしれない。

写真はすっかりおなじみになったセブンイレブン裏の水路。泥土の上に転がる白っぽいものは全部シジミの殻である。天の川の星くずにも伍す壮観さがある。台風の増水で流され溜まったものだろうか。なにをかくそう私はドブが好きだ。水洗便所とかママレモンとかができる前には腐敗臭漂うドブでもイトミミズの赤い塊がゆらゆら揺れていたものだ。河川とのつながりが良いところではドジョウやメダカ、フナの子がいた。大物ではウナギが見つかることもあった。

残念ながらこの水路には虫が少ない。アブの幼虫か何かのウジ虫がうねるほかは水面に2匹のアメンボが泳いでいるだけだ。巻き貝も見あたらない。全国どこに行っても同じようなもんだ。

帰宅して庭をチェックすると、ついにジョロウグモの子が見つかった。相当数が巣をはっている。今年も期待大だ。こいつらがいるだけで庭ランクがアップして楽しみが増える。風に揺れて落ち着かないジョロウグモを撮っていると、蚊の餌食になってしまう。仇はクモにとってもらおう。

毎年田んぼの季節になると境川の農家から田の土を一握りもらってくる。今年は秋のクロナガアリのために少しばかりの稲を育てようと、秋田の農家から土を送ってもらった。田の土は水に沈めて日に当てているだけでいろいろわいて面白い。小型のプラケースに入れた境川の土はミジンコの発生が悪く、はずれだな・・・とがっかりしていたが、なんと藻が生えてきた。横から写真に撮るとなかなかかわいい。たぶんシャジクモだろう。


2012.6.30(土)晴れのちくもり ムラサキシャチホコについて

アオダイショウ

高速道路をくぐって境川にでるといきなりウスバキトンボの群れだ。いよいよ真夏だ。あいつらは一気に増える。自転車道路のアスファルトにアオダイショウが寝そべっていた。まだ青年という感じの若い個体だ。半原2号を降りて携帯を取り出し、そっと近づいて撮影を試みた。足音を立てないように、速い動きを避けて、ヘビと呼吸を合わせて近づく必要がある。モデルは人通りの多いところに出てビクビクしている。よっぽどうまくやらないと、ケータイで正面からの顔なんてとれやしない。

海野さんの小諸日記を見ていて、『ハナグモの擬態』で考えていることの反証があることに気づいた。ムラサキシャチホコという蛾だ。ムラサキシャチホコは枯葉擬態の蛾であるけれど、海野さんの研究によると、休憩所として広い緑の葉を好むらしい。当然のことながら、緑の葉に枯葉ではよく目立ってしまう。

私は隠蔽擬態について、当の生物が執着する場に似ると予想している。だから、明らかに擬態昆虫であって緑の葉に似ていないムラサキシャチホコは私の考えに反することになる。

この矛盾はムラサキシャチホコの擬態の特異性で説明がつく。ムラサキシャチホコが真似ているのは枯れて一部がくるりとまきこんでいる広葉樹の葉だ。ケヤキなんかがモデルと思う。葉脈の感じや曲面の陰影再現など心憎いまでの擬態だ。じっさいあそこまで枯葉に似ていると枯葉の中に隠れるまでもない。石の上であろうと、花の上であろうと枯葉は枯葉なのだ。

ムラサキシャチホコの擬態は真上から見るかぎりではそれほどイケてない。勝負は左右どちらかの翅一枚だ。これは数ある擬態昆虫の中でも特異だ。蛾が擬態するさいにはどうにもならない壁がある。翅は第一に飛行のためにある。だから三角形で左右対称という不自然な形をとらざるをえないのだ。擬態する蛾はその不自然な輪郭を自らの生活環境にとけ込ませることになる。そうして、精緻を極めた擬態も別の環境ではかえって浮いてしまうことになる。

ムラサキシャチホコは環境から浮いても枯葉に見える作戦でスタートしているのだから枯葉の中に隠れる必要はない。初期のころはかえって目立ったほうがより擬態術の進歩に役立ったろう。沖縄にいるコノハチョウも同じタイプだ。同じ技を持つ捕食者には東南アジアのハナカマキリがいる。


2012.7.1(日)雨 脱力走法

休耕田

朝から雨がぽつぽつと落ちていた。境川に行こうと半原2号をセットして走り出してやっぱり半原越にしようと引き返した。雨の日の境川は穴場である。老人と自転車がいなくなり力いっぱい走れるからだ。ただ、雨の感じがまさしく半原越日よりだった。半原越なら雨合羽がいるだろうと引き返したのだ。山の上は雨が強い。下りで冷えるのはつらい。

雨は路面を流れるほどではなく快調にいつもの棚田につく。オタマジャクシはずいぶん減っている。この2週間で大半が上陸したのだろう。足元にオレンジ色のトンボがいた。羽化したばかりのミヤマアカネだ。まだ羽は伸びきっていない。近くには脱皮殻もある。その気で見渡せば同じように今朝羽化と見えるミヤマアカネが10匹ほど見つかった。稲やあぜの雑草につかまっている。今日はたまたまミヤマアカネの発生日に当たったのだろうか。

恐れていた台風の影響は杞憂だった。目立った崖崩れもなく、3か所ばかり注意して走ればタイヤを裂く危険もない。雨の日はゆっくり走ることにしている。とくに今日は上半身の力を抜くことに専念した。私の唯一のフィジカルトレーナーは女房である。彼女がしきりに肩と背中の力を抜くようにアドバイスをくれるのだ。脱力できれば出力がめざましく上がるらしい。この数年は半原越で上半身の力の入れ方ばかりを練習し脱力はやってなかったのだ。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'44"4'44"+2415.012574178
区間210'02"5'18"+2813.410871188
区間315'10"5'08"+1813.912271189
区間421'42"6'32"+3211.09864194
全 体+10213.711270187

今日はこの数年でいちばん楽だったような気がした。奇妙なことにタイムも前回よりいい。やはり無意識に無駄な力を使っているらしい。理屈の上では上半身の力を使わずとも自転車は走る。踏み脚と上げ脚のバランスを取れば重いギアでも回るからだ。この方法は真剣に検討していこう。ただし今日の心拍数の数値はガーミンの誤作動だろう。こんな心拍数で半原越を走ったら怪物だ。

半原越を下り、相変わらず小雨降る中を機嫌良く走っていると、写真の田んぼが目に入ってきた。いつも通るコースわきの見慣れた田んぼであるが変なことになっている。水面からぽつぽつ顔を出しているのはタデ科の雑草みたいだ。さすがに私の友だちのアカマンマではないだろうが。この田は毎年耕作されている。今年も他の田と同じように田植えをやるんだろうと思っていたら、代掻きしたまま放置され今日のような状態になった。なにか新型の農法を試すのだろうか。


2012.7.3(火)雨 フリーセル50000個

フリーセルを50000個解いた。目標は100000個だからちょうど折り返し点についたことになる。今日という折り返しタイムは本来の目標よりも遅れている。ただ先行きに不安はない。

今のところはだいたい20〜30秒で1個解いている。これは当初のスピードよりも圧倒的に速い。いくつか自分なりの定石もつかんで先読みができるようになった。去年あたりまでは、最初の2つか3つぐらいはペースがつかめずにじたばたしていたが、今では最初の1個から良い感じで解き進むことができる。ただし、20秒で1個のペースを維持するには集中力が必要だ。その集中力は20分ほどしか維持できない。気持ちが切れると考えなしにカードを動かしてミスが増え無駄な時間を費やすことになる。

もともといろいろ日々やらねばならぬこともあり、1日あたりフリーセルに当てられる時間は10分というところだ。その時間で20〜30個解けばじゅうぶんなペースだ。当初の想定は1日10個だったのだから。あと10年間、いまぐらいの余裕ある生活が続けられれば100000個の達成は余裕だろう。ともあれ、知力の衰えを差し引いても、後半は0〜50000個のペースを上回れると思う。


2012.7.6(金)くもりのち雨 ミノムシ

ミノムシ

庭のミズヒキは細長い花穂を伸ばしてゴマ粒ほどのつぼみが見られるようになっている。そのミズヒキの広い葉が何者かに食われている。けっこうしっかりした食痕であり、食った量も多い。一週間ほど前には見られなかった食痕だ。反射的に相当な大物が潜んでいるのだと思った。

はたして、葉裏をのぞいてみると、そこには中ぐらいの大きさのミノムシ。こいつがミズヒキを食ったとみて間違いないだろう。オオミノガだとかなりうれしい。ひとまずは、と携帯電話で一枚だけ撮影したのが今日の写真だ。チェックしてみると大幅な後ピンで、できれば撮りなおしたいと思った。

夜になって雨が強くなり、濡れ鼠で帰宅すると、女房から庭に手入れをしたと聞かされた。知り合いに庭師のあんちゃんがいるので定期的に仕事を与えねばならないのだ。健全な庭を保持するためには、蚊に血液を供給し、庭師には賃金を与えなければならぬ。住宅地にある庭であるから人手も自然である。公共事業のようなものか。「コンクリートから人へ」などときれい事のスローガンを掲げるだけでは庭の維持はできない。

さて、庭師にしてみれば私の虫けら雑草はみな敵、よくてゴミである。そういうもろもろが庭に残っておれば良い仕事をしたとは言われない。このミノムシはどうなったか。撮りなおしのチャンスはあるのか。たくさんいるジョロウグモの子はどうなるのか。ムクゲに巻き付いていたカラスウリはどうなったか。密かに愛玩しているシャジクモの水槽は、客観的には欠けたプラケースに雨水がたまっているにすぎない。今は夜、しかも雨で確かめる気にもならないが、もろもろの友人たちの去就が楽しみなところである。


2012.7.7(土)くもりのち雨 さっぱりした庭

さて、庭であるがパーフェクトにさっぱりした。これだけは残してくれと哀願したクサイチゴもごっそり廃棄された。アカマンマもオオアレチノギクもミズヒキもミノムシといっしょにごっそり廃棄された。大丈夫だとは思うが、あいつらが復活しなければクロナガアリの食料が少なくなるから対策を考えなければならない。ジョロウグモも刈った枝葉といっしょにごっそり廃棄された。ドクダミもチヂミザサもカマキリといっしょに廃棄された。枝を切り草を抜いてもその辺にほうっておけばクモやカマキリは復活するものだ。どうして刈った草を他所に捨てる意図は不明だ。奇妙なプラケースが廃棄されなかったのは、人工の臭いがするからだろう。ムクゲのカラスウリが残ったのは気づかれなかったからだろう。

ジョロウグモはおそらく全滅していない。ミズヒキとアカマンマはただ手当たり次第に引っこ抜かれただけだから、この先すぐに復活するはずだ。少なくとも来年の秋は大丈夫だろう。クサイチゴは根が残っている。10年たたずに元通りになるだろう。それまで知恵足らずな庭師を近づけないように工夫しなければならない。当面の対策としてシュロとツタとハーブとシャガと名を知らぬ園芸植物をごっそり引き抜き、バラとカエデとザクロとツツジを切っておいた。冬にはムクゲも切ろう。これまでじゃまな草木に情けをかけすぎてしまった。管理するものがなければ庭師もいらない。


2012.7.14(土)晴れ 善明川のコオイムシ

コオイムシ

夜半にはずいぶん強い雨が降っていたが、朝にはすっかりあがって日が差していた。昨夜から準備しておいた半原1号で半原越へ。とちゅう、2週間前に見つけた休耕田に寄ってみる。たいへん良い感じでイヌタデ類とおもわれる雑草も茎が太く元気に成長している。すでにオタマジャクシはわずかになっている。そのかわり水中を狂ったように回る小虫が多い。どうやらコオイムシのようだ。背に卵をもっている♂も一匹いた。撮影しようと近づくと、けっこう敏感で、すぐに水中にもぐってしまった。二度トライして二度失敗。水底にいる卵なしのヤツを撮ってあきらめた。それとて携帯カメラではうまく写っている保証はない。

半原1号はちょっとだけ仕様を変えている。フロントのインナーギアを30Tにした。一般的なリアの12ー25を使うならば30Tでもよいとの判断だ。BBあたりが、クランク一周ごとにカク、カクっと鳴るのだが致命的なトラブルではなさそうで放っておくことにする。

半原越を上手に登りたかったら半原越につめればよい。今日は慎重にギア比と最適ペダリング、上体の使い方の練習をすることにした。一発目、けっこううまく走れているようで、タイムは良くないし心拍も上がりすぎのような気がする。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'32"4'32"+1215.616878182
区間29'42"5'10"+2013.718273189
区間314'16"5'04"+1414.018372185
区間421'25"6'39"+3910.718663185
全 体+8513.318171185

とりあえず4回頂上をまわって区間4で30×23Tがいい感じに回せるようになったので半原越を下りた。途中、またコオイムシの休耕田を訪れると様相が一変していた。水がすっかり泥水になり雑草が姿を消している。数時間前に機械を入れたらしい。これから田植えでもあるまい。何かを植え付けたのだろうか。所有者は何をしたいのだろう。


2012.7.22(日)くもり シロマダラ

シロマダラ

先週はどうにも力がでなかったが、昨日は快調だった。30×17T固定でタイムも20分前半。先週の調子の悪さは気温のせいらしい。昨日は20℃以下だった。今日も小雨で20℃ぐらい。今日の半原越はギアを変えて区間1は15T、区間4は19Tベースでいってみようとおもっている。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'17"4'17"-316.416167194
区間29'17"5'00"+1014.217663201
区間314'21"5'04"+1414.117764189
区間420'31"6'10"+1011.718258201
全 体+3113.917563196

区間1は昨日よりもタイムがいい。1kmのケヤキ坂に入ったところで17Tに落として立ちこぎ。そのまま区間2の丸太小屋坂でも17Tでの立ちこぎ。南端コーナーを過ぎた所で19Tに入れて、区間4のきついところは立ちこぎ。19Tで立ちこぎだと若干軽い感じもある。

区間4は霧の中で小雨だった。水の流れるアスファルトにきれいなヘビの轢死体。夜行性のヘビ、シロマダラのようだ。昨日の昼間にはなかった死体だから昨夜から今朝の間に轢かれたのだろう。惜しいと思う。半原越を夜間に走る物好きがいるのだろうか。


2012.7.28(土)晴れ ベッコウバチ

ベッコウバチ

さすがに35℃ぐらいになると自転車でもかなり暑い。半原越はタイムどころではなく倒れないことを優先して登る。区間1は普通に4分半だったが次第につらくなり、区間4は8分以上かかった。ハーフも1回だけ。

帰路、善明川の段丘を登る坂の入り口付近で大きなクモを引いているベッコウバチを見つけた。ベッコウバチとしては中型で腹の先が赤い種類だ。ハチはクモを軽々と運んでコンクリートブロックの壁を軽々登っていく。

付近には同じ色合いで半分ほどのサイズのハチが3匹ほど群れている。オスかな?と直感したが、両者が深くからむことはなかった。

ベッコウバチはハチを引きつつ、疲れたというふうでもなく、ときおり立ち止まって体の清掃みたいなことをやる。余裕綽々に見える。コンクリの急斜面だからクモが落ちるんじゃないかとはらはらして見ていると、案の定、一陣の風がクモを吹き落としてしまった。たまたまハチはよそを向いており、落ちる瞬間を見落としてた。清掃が終わって反転してクモの所に戻ると獲物がいない。落ちたのは2m50cm下の道路だ。はっと気づいたハチは、それほど慌てるでもなく、すぐに落ちたクモを見つけてくわえなおし斜面を引っぱっていった。


2012.7.29(日)晴れ セスジスズメ

セスジスズメ

今日も気温は高いが昨日よりはましのようだ。けっこう強い南風が吹いていて自転車に乗っているとけっこう涼しい。半原越は半分が日陰で標高もある。下の気温で35℃程度なら死ぬほどつらくて走れないところまではいかない。

暑さで脚にまで汗が流れ、スピードは上がらない。とにかく上手に乗ることを心がけた。最近のやり方で、区間1は15T、2と3は17T、4は19Tに固定している。昨日はうまく乗れてなかった。今日はちょっといい感じだ。

少しずつコンタドールのダンシングの秘密をつかんできて、30×23Tでもペダルが落ちてギクシャクすることがなくなってきた。これは大きな進歩だ。また、その攻撃的な立ちこぎを座ってやる方法もあることに気づいた。座った方が踏み込みが弱くなるけれども、立ちこぎと同じ筋肉を動員して踏み込みと引き上げを同時に行い大きめのパワーを出すことができる。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'28"4'28"+815.916764183
区間29'53"5'25"+3513.118058175
区間315'22"5'29"+3913.018059171
区間422'18"6'56"+5610.418752175
全 体+13812.818058175

半原越の頂上を4回踏んで帰宅。最近は境川に行く気がしなくなっている。半原越を手抜きで登ることもできるから、いろいろと面倒な下界の道路をあえて走る必要がないからだ。

帰宅して庭でセスジスズメの幼虫を発見。今年はヤブガラシを育てない方針で、伸びたものから順番に摘んでいるけれど、こういうものを見つけるとヤブガラシを退治するわけにもいかなくなる。

そしてパンク修理。昨日使った前輪がスローパンクしていた。R-air独特の原因がわからないピンホールだ。まだそれほど使ってないチューブであるけれど、この症状は頻発することがわかっている。次に起きたら廃棄した方がいいだろう。


2012.8.4(土)くもり一時雨 クマゼミの動向が気になる

半原越にいくとツクツクボウシが鳴いていた。あれを聞くと夏も終盤という気になる。夏のセミのはじまりはニイニイゼミだ。梅雨が終わるころ、最初に聞くニイニイゼミの声はいつもか細くて耳鳴りかと疑心暗鬼になる。いまでは清川村あたりでうるさいぐらいに鳴いている。この夏、ふつうのセミでまだ聞いていないのはクマゼミだけだ。代々木公園では安定的に発生しているから、午前中に行けばきっと聞くこともできると思う。

問題はこの中央林間のクマゼミだ。クマゼミの幼虫期は6年という有力な情報がある。その情報をもって私の記録をみるならば、2006年にとても多かったとあるから、きっと今年も多いはずと予想している。この数年はせいぜい1、2匹を聞くだけだった。さてどうなるだろう。

この辺ではクマゼミが鳴くのは8月の中旬から下旬である。ただし気がかりなこともある。この6年間でクマゼミが多い林が開発されて住宅になったことだ。幼虫のとりついていた木がごっそりなくなっているおそれがある。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'20"4'20"+016.317466195
区間29'27"5'07"+1713.818562191
区間314'41"5'14"+2413.618663180
区間421'23"6'42"+4210.718957182
全 体+8313.318461186

2012.8.5(日)晴れ 美しい稲

稲

いつもの棚田で青々とした稲を見て、なんと美しいのだと思う。まっすぐな垂直線が重なり太陽に透けた葉は黄色く輝き影の部分と強いコントラストを作る。ときおり南風がひとかたまりに葉を押し倒しながら流れてくる。ちょうど田の真ん中あたり、背を向けて赤トンボが止まっている。場所も高さも計算してもっとも見栄えがよい場所を見つけたみたいだ。

盛夏の半原越は静かだ。虫も少ない。緑のオサムシ、赤いセンチコガネ、死にかけのミミズがアスファルトを這っているぐらいか。シカが目の前を横切っていった。この夏はまだ猿の群れにはあっていない。今日はいつもにまして姿勢に気をつけた。上ハンをぐっと握って顔を上げ背中を伸ばす。いろいろと執着していることもあり、自転車に乗っていても余計なことを考えてしまう。それじゃダメだと無心になろうとして、「趙州無字」の公案からひいて「州曰く無」を心の中で反復した。それで速くなるとは思えないがとりとめもない考えを押しのける効果はある。

5回頂上を踏んで帰りの下りでモンキアゲハを見た。大きな夏型だ。あのチョウを見るといつも心が躍る。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'58"4'58"+3814.316766168
区間210'55"5'57"+6711.917359162
区間316'39"5'44"+5412.317164163
区間423'25"6'46"+4610.618461180
全 体+20512.117462168

2012.8.11(土)晴れのちくもり一時雨 クマゼミを聞く

ぬけがら

今朝はじめてクマゼミを聞く。とても近い。庭のジューンベリーか隣家のモミか、耳元でわめかれている感じだ。はじめてのクマゼミがわざわざ私のそばに来てくれたのがちょっとうれしい。12年間クマゼミを気にしたご褒美みたいなもんだろう。

写真のように庭にもいくつかセミの抜け殻がある。毎年のことでおそらくアブラゼミだろう。アブラゼミについては例年ピークが遅れているように感じている。8月のはじめ頃には、今年はアブラゼミが少ないんじゃないかと心配している。今年もそうなのだが、まあ気のせいだろう。あと一週間もすればうるさいぐらいになっているはずだ。

半原越は前回とおなじように。1回目はちょっと無理してTT気味に登って、あとは軽めにハーフを3発ほど。この軽めのハーフが意外と練習になる。30×23Tを使うことが多く、おおむね回せるけど、いくつかしんどい箇所がある。そこを立ちこぎするとき、けっこう軽いギアなのにスコンスコン落ちる感じがなくなった。引き脚がうまくいっているのが理由だろう。座っても立っても同じぐらいの調子で淡々と・・・というのがいまのねらいだ。姿勢が悪くなってたり、力んだり、雑念が起きたりすると「州曰く無」と唱えるのも前回と同じ。意外にこれも効いている。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'18"4'18"-216.5-73197
区間29'22"5'04"+1414.0-67189
区間314'33"5'11"+2113.8-64180
区間421'11"6'38"+3810.9-54188
全 体+7113.5-63187

2012.8.12(日)晴れ 真っ赤なミヤマアカネ

ミヤマアカネ

例の棚田にはミヤマアカネが多い。梅雨のさなかにたくさん羽化しいまや真っ赤になって成熟している。一番上の田は奥の方は出穂している。手前の成長が遅れるのは毎年のこと。水温が低いせいだろう。私はちょうど一番上の田の入水口にあたるところの水路に両足を投げ出すかっこうで腰掛ける。足元をけっこうな勢いで沢からの水が流れており、それだけでもけっこう涼しいのだ。

涼しいといえば今日は秋を思わせるような冷たい西風が吹いている。そのぶん自転車は快適だ。汗をかくこともない。半原越は昨日と同じ調子で登ったり下りたり。今日はちょっとハンドルバーを高くしてみた。旧式のステムは上げ下げが容易なところが利点だ。登りはやや高めのほうがよい。ただし高すぎるとかっこわるいし上ハンで力が入らない。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'34"4'34"+1415.5-71175
区間29'57"5'23"+3313.2-63174
区間315'21"5'24"+3413.2-62181
区間421'54"6'33"+3311.0-60190
全 体+11413.0-64180

荻野川で見たアオダイショウは久々の1m越え大物だった。おまけにネズミか何かの獲物を飲み込んで腹がふくれている。半原越にも虫の死体が多い。一瞬、エゾヨツメ?と思うような黄色いガ、ノコギリカミキリ、カブトムシ、ヒグラシ・・・いづれも粉々寸前で判別は難しい。


2012.8.13(月)晴れ ナチュラルアクアリウム

アクアリウム

6月のはじめ、近所の農家から一握りの田んぼの土を分けてもらった。小型のプラケースに入れ水道水を注ぎ一日数時間だけ日が差す庭に放置しておいた。当初の期待はミジンコの発生ぐらいであったが、いまや想像以上に賑やかな水世界になっている。

設置して2週間ほどで緑色のはかない植物が生えてきた。それはどうやらシャジクモであり、かなり驚いた。土があったもともとの水田がとうていシャジクモが生育している環境には見えなかったからだ。

シャジクモが生えたとはいえ、この小さな水槽はすぐに緑藻やホシミドロ系のもやもやした植物に覆われてどろどろになるだろうと予想していた。その予想に反して、いまだにプラスチック面も水も透明で、ミジンコが泳ぐ様子を見ることができる。プラスチック面に藻がつかないのは小さな巻貝が一匹いたことが大きいと思う。最近見当たらないが死んだのだろうか。

ここしばらく目立つのは水底から芽をふいた2種の植物だ。これが水草とは限らないけれど、ウリカワやミズハコベのようにも見える。大きな草はじつは水稲で、セットしたときに1本だけ水底に置く塩梅で植え放置しているものだ。2か月を経てほとんど成長していない。

この小さな水槽は放置しているだけで全く管理していない。この2か月でやったことといえば、雨がふらなくて水深が半分以下になったときに1回だけ水道水を加えたことだけだ。コンラート・ローレンツの「ソロモンの指環」にはナチュラルアクアリウムの記述がある。はからずしもそんなものができあがってしまった。


2012.8.18(土)雨のち晴れ 蚊対策

アクアリウム2

水槽を横からも撮ってみた。ニコンのD700というカメラを中古で買って、ひさしぶりにシグマの24mmマクロという名品を引っ張り出して撮ってみた。古いレンズだがよく写っている。

こうしてみるとかつて市販の水草や魚を使って水景を作っていたときのことを思い出す。結局、私の目指していたのはこの方向だったのだとあらためて確認できた。春先に一握りの田んぼの土を水槽に沈めて水をいれて放置してできる箱庭的な水世界。たまたまこうしてシャジクモやオモダカのような水草が生えて美しくなることもあるのだ。これが10倍サイズになってヤゴやゲンゴロウやアメンボなんてものが勝手に泳ぎはじめると理想郷だ。挑戦したいが、ただの泥と水のままで一夏終わったり、緑藻でどろどろになることの方が多いだろうか。

こういうものを夢中で撮影していると夏は蚊の餌食だ。それもしょうがないかなと対策はしない。この水槽は貧栄養のせいかボウフラもアカムシもわかない。泳ぎ回っているのはミジンコばかりだ。蚊は屋内に入ってくることもある。寝ようとしているときにブーンと寄ってこられるとうんざりするものだ。しかし最近、最高の一手を思いついた。好きなだけ吸わせておとなしくさせるという作戦だ。屋内に来る蚊なんてせいぜい数匹だから抗わなければ無問題なのだ。

この方法を隣で寝ている女房に勧めてみたがとりあってくれなかった。彼女が蚊を嫌うのはかゆくて夜中に目が覚め、寝付きが悪くなるとしんどいからだという。それも一理あるかなと、網戸は閉めることにした。


2012.8.19(日)晴れ もう一つの水景

アクアリウム2

今日の写真は水中写真である。ケータイが水中対応なので田んぼの水中写真も撮れる。ただしどう撮っているかも撮った瞬間もわからない。水の中ではファインダーが全く効かず、合焦もわからず、シャッターが降りた音もよく聞こえないからだ。それでもまあなんとかなる。水の上から撮ったものよりもかなりましな写真になるのだ。本当は水面が写り込んでいたほうがいいのでまたやってみよう。

撮影場所は、清川村のいつもの棚田の水の取り入れ口付近。冷たい谷水が流れ込んで例年稲の生育は悪い。今年はもともとそこに稲は植えられず、ちょっと開けた空間ができている。今日は魚がけっこういた。ヤマメか何かの稚魚だ。昨日の夕立で流されてきたのかもしれない。

種類はわからないけれども水中に草が生えている。水草かどうかも不明。細い芝みたいなものはヘヤーグラスとよばれている水草のようだ。こいつは収穫がはじまって水を落とされても成長を続けるはずだ。また画面右の方にあるやつはわが家の水槽に生えているヤツによく似ている。

半原越は回して行こうと思った。気温はそれほど高くなくて強い西風が吹いている。半原越では向かい風になったり追い風になったりする。区間3まではそれなりに調子よくいったが、区間4で力尽きた。軽いギアでも回らない。30×19Tに上げてダンシングで進めばそれなりに行けるけど、長くは続かない。急斜面にかかれば、ギアを落として回転で行って、急坂が終わる直前でギアを上げてダンシングにして、上げたギアのままで緩斜面を回す、というやり方がいいのかと気づいた。ただし、ギアを上げて落として・・・と繰り返す乗り方は難しい。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'30"4'30"+1015.6-78186
区間29'44"5'14"+2413.5-75187
区間314'59"5'15"+2513.5-71186
区間422'17"7'18"+789.9-60175
全 体+13712.7-70182

頂上を踏んで、引き返してハーフをやるべく下っていると、後輪からピシッという鋭い音。音と共に後輪が車体に擦ってブレーキがかかった。原因は見なくてもわかった。スポーク切れだ。今日のは重傷で、スポークが切れた拍子にリムが曲がっていた。タイヤが半周ごとにチェーンステイに擦る。下りなので無理やり降りることを試みたが、タイヤサイドの擦れた部分が溶け始めた。走行は無謀と判断して女房に迎えに来てもらうことにした。


2012.8.27(月)晴れ ダンシング練習

何を隠そうこの夏はあまり暑くない。寒くないので眠るときもアルパカの靴下は不要である。裸でいるのがちょうど良くてそのまま眠ってしまい、夜明けに寒さで目が覚めてしまう。寒いけれど対策をするのが面倒で毎朝そのままだ。1か月ほどその繰り返し。今日は女房も寒さで目が覚めたらしく毛布をかけてもらった。

というような感じで半原越も気分良くかよっている。さすがに35℃近くになっているからタイムは出ないけれど、暑さにしんどいという思いは全くない。

ここしばらくはダンシングのやり方がだんだんわかってきた。ポイントは引き脚で下腹部の端っこに力をいれて自転車を前に蹴り出すイメージだ。

一本目は重めのギアを選択し、30×17Tに固定。60rpmぐらいでイージーペースでやってみた。斜度が10%を越えると17Tでは踏みつける感じが連続してしんどくなる。ハーフで19Tと21Tを試してみた。区間4は19Tがいいようだ。回すよりもダンシングにギア比を合わせてぐいぐいっと行く方がタイムは良くなるかもしれない。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'55"4'55"+3514.4-65168
区間210'31"5'36"+4612.6-57173
区間315'56"5'25"+3513.2-58178
区間422'32"6'36"+3610.8-49186
全 体+15212.6-57177

夜になるとコオロギ類が鳴くようになった。アオマツムシも鳴き始めている。あれも1匹ぐらいが遠くで鳴いているとけっこう風情があるものだ。しばらくアオマツムシだと気づかなかった。庭のジョロウグモにオスがついている。いよいよ秋だ。


2012.8.28(火)晴れ 今日もダンシング練習

今日も半原越でダンシング練習。思いっきりやるとしんどいから「休む」ダンシングというやつ。1回目は普通に。区間1を30×17T、区間2、3は17・19T。区間4は19Tというたぶん最速になるギア比。目標タイムだと、目の前の100m先あたりをちらちらと理想の自分が走っていることになる。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'37"4'37"+1715.3-70181
区間210'03"5'26"+3613.1-64175
区間315'20"5'17"+2713.5-63185
区間421'44"6'24"+2411.3-56195
全 体+10413.1-63184

2回目のハーフは区間4を全部ダンシングで乗り切ってみた。休むダンシングならば楽勝だった。TTであれば塩梅を見て攻撃を入れることになる。


2012.8.29(水)晴れ 虫とり

ウスバキトンボ

夏休みといえば虫取りだ。小学生のときは夏休みといっても何もやるあてがなかった。勉強とかなんとかまともなことをやる器量は全くなく、日々行き当たりばったり。山か川に行けばむしがひまな少年の遊び相手になってくれた。ふらふらと歩いておればそれなりに興味を引く対象が見つかったものだ。

夏休みのトンボといえば今日の写真のウスバキトンボ。ただ追いかけて捕まえるのに夢中になった。校庭あたりには無数にいるからどれだけ捕まえられるかはひとえに私の腕にかかっていた。トンボ網なんてすぐれものはなく、二股の木の枝にクモの巣をからめて、それを網がわりにするという荒技もやった。いまではさすがに偉くなったもので、てんこ(捕虫網の地方名)やクモの巣のかわりにデジタル一眼レフでトンボを撮る。

今日はタムロンの高倍率ズーム1本を持って虫撮りに出かけた。思えば虫撮りも久しぶりだ。場所は境川近くにある杉林と田んぼ。杉林の中にはやたらとジョロウグモが多かった。網を破らなければ歩行が難しい。獲物のかかりもよいようで、セミをゲットして夫婦で仲良く食っているヤツもいた。樹液を期待したクヌギは巨木ばかりで当て外れだった。サトキマダラヒカゲやルリタテハがクヌギ林っぽい蝶だ。

田に出るとシオカラトンボが多かった。とりやすくて子どもでもほとんど相手にしないトンボだ。ただ、写真にしてみると、思いのほかトンボの中のトンボという味がある。田の水路でメスが産卵しているのをねらった。トンボの産卵をねらうのははじめてだ。D700は連写がきくけれど腹で水面を叩いているシーンは全滅だった。シャッター速度が遅すぎたようだ。1/1000は必要。

ともかく、D700を得てトンボなんてものを撮る気になった。高速道路の風下でウスバキトンボをねらう。20匹ほどが群れてエサを狙っているようだ。数メートルの距離に無数といっていい被写体があり、シャッターチャンスはいくらでもある。それでも手応えがあるカットはめったに撮れない。半世紀を経て再びウスバキトンボとの真剣勝負になった。大金持ちになって持っている道具がいっぱしになってもやることは変わらない。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'48"4'48"+2814.8-68170
区間210'15"5'27"+3713.1-63177
区間315'38"5'23"+3313.3-62179
区間421'56"6'18"+1811.4-57192
全 体+11613.0-62180

2012.9.1(土)晴れときどき雨 コオロギ

ヤマノイモ

断続的に強い雨の降る日だった。およそ半月、雨がなくて庭の雑草にはしおれるものも出ていた。写真はムクゲに巻き付いているヤマノイモ。この数日で種のあるサヤが大きく膨らんできた。今年はムクゲにヤブガラシが巻き付くことを阻止している。その一方で、ヤマノイモとカラスウリは好き勝手にさせている。ただ、カラスウリには勢いがなく今年は花を見ていない。

今日もクマゼミを聞いた。遠くで1匹だけだ。今年は多いことを予想していたけれど当ては外れた。毎朝必ず聞かれたものの、せいぜい2匹というところで多いとは言えない。

虫の声を聞きながら眠りにつくのが楽しみな季節になってきた。いまコオロギ類はカネタタキとアオマツムシ、それにオカメコオロギのたぐいが聞こえる。残念なのはしばらくエンマコオロギの声を聞いていないことだ。10年ぐらい前には庭にエンマコオロギが多く姿も見ていた。住宅地にも普通の虫でいなくなることはあるまいと思っていたけれど、この付近が開発されるに及んで住処を追われたものと思う。


2012.9.2(日)くもりときどき雨 田代さやかと青木裕子

半原1号に乗って出かけると、何本も雄大積雲の柱が立ち上がっている。昨日からときおり驟雨が来る。もし半原越にあの積雲があればずぶ濡れになるだろう。むろんその覚悟はできている。

路面は生乾きの状態で気温は25℃程度。風はない。8月はずっと高温と強風の中だったことを思えばずいぶんと走りやすい。暑熱には強いと思っているけれど、やっぱり涼しいと体は楽だ。

今日のテーマは田代さやかと青木裕子(アナじゃないほう)。これまでも彼女らの連携を画策してきたがどうもうまくいかなかった。ひとまず今シーズンは青木裕子に焦点を絞って練習してきた。そして前回ひさしぶりに田代さやかを使ってみて、彼女も大事だと思い直したのだ。

田代さやかは私のいう第3区の引き脚である。下死点を通過した直後、膝を曲げる力を推進力にするべく引っ張り出す筋肉だ。青木裕子は、第4区の引き脚。膝を上げる力を推進力に変える筋肉だ。田代さやかはふとももの裏側、青木裕子はふとももの表側。田代さやかにぐいっと力を入れて、かかとでペダルを引っかける感じで後ろに引きつつ、膝を曲げ、曲げつつ上げて、田代さやかを休ませて青木裕子に移る。この間で0.3秒ぐらいの動作である。数分にわたってスムーズに行うのは簡単なことではない。

今日は、「田代さやかから青木裕子になだれ込む感じ」というのをつかんだ。すくなくともその感覚ならば、ぎくしゃくとひっかかるいやな感じにはならない。ペダリングには4区それぞれにポイントがあり、そのすべてを一度にうまく使えるのが名人なのだろうと思う。今日はそこに一歩近づいた感じがある。

さらに、ダンシングもわかってきた。半原越の区間4では、ギア比は1.5倍ぐらい。30×21Tを使うのがよい。そのギアで区間4の緩いところならばぎりぎり60rpmで回せる。12%ぐらいのきついところでは、そのままのギアでダンシングして65rpmだ。ダンシングで気をつけるのはやはり太もも。太ももの前側に力が入っているようではNG。ギアが高すぎる。その階段登り型立ちこぎではすぐにいっぱいになってしまう。膝を曲げるときには、脚の付け根の前側、膝を伸ばすときには、尻とハムストリングの連結部あたりに力を入れる。そこも田代さやかと青木裕子とよんで差し支えないだろう。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'42"4'42"+2214.9-77176
区間29'51"5'09"+1913.9-74195
区間314'57"5'06"+1614.1-73186
区間420'53"5'56"-412.1-67205
全 体+5313.7-72191

2012.9.3(月)晴れのち雨 半原越のミミズ

8月後半の半原越ではミミズをよく見た。見ようとして見たわけではなく、路上に勝手にでてきているから嫌でも目に入ってくる。灼熱のアスファルトでのたうつワインレッドのミミズは夏の暑苦しさを倍増させる。サイズは鉛筆ほどもあって大きい。シーボルトミミズという種類かもしれない。タイヤで踏むといやだから注意しなければならない。

生きているものばかりでなく死体も多い。日中のアスファルトは素手で触るとやけどするぐらいに熱くなっている。ミミズであれば数分で息絶えるだろう。一転がりだけでも致命傷になるかもしれない。そういう灼熱地獄のなかにあえて出てくる理由はない。おそらく何らかの事故だろう。

雨の降り続く日にもミミズは道路に出てくる。それは雨水が土壌に浸透し、ミミズが溺死を避けて地面に出てくるからと聞いたことがある。この8月の後半は全く降水がなかった。だから溺死回避が理由ではなく逆に地面が乾いて生息に適さなくなり新天地を目指して移動する途中でアスファルトに出てきたのかもしれない。

半原越の道路には側溝がなく道路と山林は直結している。もし側溝があって土が溜まっておればミミズにも生き残るチャンスがあろうが半原越ではどうしようもない。腐葉土からアスファルトに転がり出て数回のたうてばミミズの運命は決してしまう。

ミミズの死体は何日も残っていることはない。轍のところでは数日でただのシミと化してしまう。車にひかれないものはオサムシ、シデムシ、ハエなどの虫にたかられている。それに加えて私はトビがミミズの死体を結構片付けるのではないかと思っている。半原越では道路に沿って飛ぶトビとよく遭遇する。とくに西端コーナの手前付近で出会う事が多い。トビは車でひかれたむしをねらっているようだ。

半原越ではヘビやトカゲやヒキガエルなど大型のむしも交通事故にあう。そういうものの死体でも1週間以上残っていることはまずない。ヘビを片付けるのはそれなりに大物の鳥獣だろう。日中であればトビが有力候補だ。カラスは半原越では少ない。

数日前、我が家の庭でメジロの新鮮な死体を見つけた。どうなるかなと毎日チェックしていたが昨日になって忽然と消えてしまった。けっこう腐敗しているはずなのだが、そんなものでも欲しがる奴はいるのか。


2012.9.4(火)晴れ アカメガシワ

アカメガシワ

庭に見慣れぬ木が生えた。それも1本ではなく、10本ぐらいがまとまって生えている。非常に成長が早く1か月ぐらいで30cmになっている。その葉の風合いがさわやかで美しい。最初はクサギかとも思ったけれど、この木はどうやらアカメガシワである。

どういうわけでこんなものが生えたものか、少し考えていろいろ思い当たることがあった。アカメガシワが芽をふいたのは、それまでカエデやツタが茂っていたところである。夏のはじめにカエデもツタも撤去してさっぱりさせた。その更地に生えてきたのだ。種が新しく運ばれてきたのではなく、もともと地面に潜んでいたものが、太陽を得て芽吹いたのだろうと思う。調べたところ、アカメガシワの種は10年以上も地面の下で芽吹くチャンスをうかがうことができるという。パイオニアとして森林が更地になると、いち早く芽吹いて群落を形成するのだそうだ。

このへんの環境を見渡してみても、崖とか手入れのされていない庭先とか、パイオニアらしい環境で育っている。けっこうな大木にもなるようだ。10年ほど前に清川村の斜面が皆伐されたときアカメガシワが一斉に生えてきた。非常に成長が早く、その小さいながら大きい葉をつける樹形は数キロさきからもよくわかった。その斜面は年々緑が濃くなり、アカメガシワ以外の樹木も混在するようになっている。いまでは木が小さいことに目をつぶればけっこう立派な雑木林だ。

この芽はけっこうかわいいのだが、そのかわいさに負けて放置すると大変なことになりそうだ。ギンナンから芽吹いた銀杏をかわいがっているうちに情が移り、10年たった今、もてあまし気味になっている先例もある。アカメガシワはイチョウよりも成長が早いだろう。いまならつまんで引っ張れば簡単に抜ける。さあどうしようか。


2012.9.9(日)晴れ 最後の半原1号

昨日、半原1号が壊れて修復不能になった。乗ったときから、ずいぶんフロント回りががくがくするな、と不調を感じていた。もともと半原1号はぐにゃぐにゃする自転車である。そのまま半原越を登って降りて、いくらなんでもおかしすぎるとフレームをチェックして裂け目を見つけた。ダウンチューブのヘッド側数センチの所が見事に割れている。割れ目はチューブの半分以上に及んでいる。こりゃもうだめだ。

そこで今日は予期せず半原2号で半原越。自転車はかわってもやることは変わらない。主に田代さやかを使う引き脚。1本目は力を入れて登り、あと4本は34×25Tに入れハーフを13分以上かけてゆっくり。姿勢と力の配分に注意して走る。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'33"4'33"+1315.415975186
区間29'53"5'20"+3013.417370183
区間315'00"5'07"+1713.817469191
区間421'25"6'25"+2511.218061196
全 体+8513.317268189

1本目のタイムは21分半ぐらい。暑さのせいか心拍数も上がらない。心拍計もちょっとおかしいことになっている。ちなみに昨日のタイムは下。今日と変わらない。半原1号での最後のタイムだ。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'20"4'20"+016.216481197
区間29'31"5'11"+2113.717873189
区間314'43"5'11"+2113.817869185
区間421'17"6'35"+3510.918362187
全 体+7713.417770188

帰宅して半原1号の全部品をフロントフォークも含めて外してフレームを洗剤で洗った。一生乗るつもりだった半原1号なので、このまま分かれるのも忍びがたく、固定ローラー専用フレームにしてみようかと思っている。


2012.9.15(土)晴れ一時雨 アカマンマが咲く

アカマンマ

待望のアカマンマが咲き始めた。さっそくスーパーマクロで撮影していると、花にアリ。おそらくヒメアリの一種だ。蜜を求めてくるのだろう。他の花にもたかっているのをよくみる。じつはアカマンマの花の咲き始めはしっかり見た記憶がなく、こんなに花粉があるとは思わなかった。アリも受粉に一役買っているのだ。

今日も半原2号で半原越。ホイールはデュラエースにした。気温がちょっと高くていまいち乗り切れない感じで走っていると、正午頃に通り雨が来た。朝から積乱雲がずいぶん立っていたから雨は予想していた。青空ののぞく空から大きな雨粒がまっすぐ落ちてくる。雨のせいかどうかわからないけれど、シマヘビとかリスとかヤマドリとかあまり見ない動物が姿を現した。

雨は10分ほどでやんで強い日差しが戻ってきた。濡れたアスファルトに太陽が当たるともうもうと湯気が立つ。湯気は小さな渦となってけっこうな勢いで登っていく。自転車でその中に入っていくと、もわっとする。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'20"4'20"+016.216779192
区間29'29"5'09"+1913.917868190
区間314'34"5'05"+1514.017967186
区間421'32"6'58"+5810.317959171
全 体+9213.217667183

体が濡れて気温が下がり調子も上がった。ハーフは4回やって最後のタイムが一番よかった。帰宅してフロントアウターの50Tは必要ないなと、半原1号の38×30Tがついたクランクを移植した。BBごとの交換でけっこう面倒な作業になる。カーボンフレームである半原2号のBB回りの形状のためにQファクターやシフトで課題は残るけれど実用の範囲だろう。


2012.9.15(月)雨ときどき晴れ 雨の半原越

アカマンマ

小さな小さなアカマンマの花であるが自慢のスーパーマクロで撮ればこれぐらいのものは楽々切り出せる。なんとつややかで可憐なおしべめしべであることかと思う。夏が過ぎ、庭はいろんな花の盛りになっている。ムクゲも夏休みあけで大量の花を咲かせている。春から見ている田んぼアクアリウムに突然青紫の花が咲いていて驚いた。どう見てもコナギなのだが、あのアヌビアスナナのような葉っぱは全く見あたらない。貧栄養で成長がうまくできなくても花だけはつけるようだ。コナギの隣では水稲もみのっている。そちらも貧相な葉が3枚ほどついているだけなんだが。

半原越は昨日も今日も雨だ。けっこう強い降りにはなるけれど気温が高く、雨合羽では蒸れる。下りが寒くないように体の前面だけ雨風をしのぐ自転車用の簡易雨具ででかける。ふもとではヒガンバナがちらほら咲いて稲の刈り入れがはじまっている。川沿いでは鳴く虫の主流がエンマコオロギになってきた。

雨の日はあまりがんばる気がしない。雨ならではの景色を楽しむ。天気がいいとツクツクボウシがいやというほど鳴いているが、雨だと静かだ。道路を通る者がすくないせいか野生動物が出ることも多い。リスとかアナグマとかめったに目にしない動物が出てきた。シカは7頭の群れが道路に出ていた。かまわずぐんぐん近づくと半ばパニックになって逃げはじめた。2頭は谷へ5頭は山へ。山に入ったのはまだ白斑が残る子ジカだった。すぐにピーピー鳴いて呼び合っていたから親子の群れかもしれない。


2012.9.22(土)くもり 秋分

ミズヒキ

秋分の日である。庭ではミズヒキが満開だ。ミズヒキもアカマンマもツユクサも順調に回復しつつある。いつもの棚田は最上の一枚を残してずいぶん前に刈り取りされている。頭を垂れている稲穂のそばでタンデムになって打空産卵している赤トンボがいる。ここにやがて水が来ることの確信を彼らはどうやって得ているのか気になる。連結したまま産卵する習性の起源も気になる。タンデム産卵の利点はいろいろある。その行動が種内に広がって定着する様子も想像した。田の端には水稲に罠をはっているナガコガネグモ。丸々して稼ぎはよさそうだ。ただし、トンボはめったなことではかかるまい。クモを撮ってメル友に写メ。

今日は改造中の半原2号で半原越だ。暑さ寒さもとはよくいったもので今日はずいぶん涼しい。座架依橋の温度計は24℃を表示していた。涼しくなればそれだけタイムも上がる。今日は21分ほどだった。気分的には30秒ほど遅い。ホイールが雨用の激重だったせいにしたい。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'36"4'36"+1616.116176181
区間29'47"5'11"+2113.517771190
区間314'48"5'01"+1114.217870189
区間420'57"6'09"+911.618460199
全 体+5713.517669190

半原2号はフレーム構造の問題で半原1号につけていたBBとクランクのセットは素直についてくれない。スペーサーをかまして右クランクを1.5mmだけ外にもっていった。その分3mm左ペダルを外に寄せている。そしてフロントのシフトに課題が残っていた。今日はもう1枚1mmのスペーサーをかまして右クランクを外に寄せた。フロントシフターはデュラの古いトリプル(改造)を使ってうまくいっている。たった1mmでずいぶんちがうものだ。あくまで部屋の中でのことだが。


2012.9.30(日)晴れのち雨 9月の雨は冷たくて

気温が高かったものだから雨の用意はしてこなかった。いつもの棚田わきにある梅の木で雨宿りをしてコーラを飲んでいる。小さい梅の木では雨宿りも心許ない。雨脚は強く大粒で、悪いことに冷たいときている。9月の雨は冷たいということは35年ほど前に習ったのだがそれを体感するのははじめてのことだ。

今日は台風の影響で強い南風が吹き込んでいる。下の方は晴れているものの、丹沢では雨だ。湿った風が山にぶつかって積雲を作り雨となって落ちてくるのだ。上空は風が強く黒雲は速やかに流れときおり日が差してくる。その日の中を落ちてくる雨粒がきれいだ。頭上に雨雲がないのに雨が落ちてくるのは、上空の雨が地上に到達するのに時間がかかるからだろうと試算してみた。雨粒が秒速20mほどで落下しているならば、地上に到達するのに2〜3分という値になる。ちょっと早すぎるかな。

半原2号は昨夜のうちに仕様を変えた。フロントは36×28T。ハンドルは半原1号のブルホーンだ。使い慣れたセットで違和感はない。雨は降ったりやんだり。降れば土砂降りずぶ濡れになる。日が差せばそれなりに暖かいものの、さすがに雨の冷たさに怖じ気づいてハーフは2回で切り上げることにした。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'37"4'37"+1715.316374186
区間29'52"5'15"+2513.517572190
区間314'58"5'06"+1614.117877186
区間421'23"6'25"+2511.218466196
全 体+8313.417670188

半原越ではジョロウグモが目立つ。いそうな所には必ずいるといって過言ではない。幅5mほどもある道路をまたいで巣をはっているものも珍しくない。わが家のジョロウグモはいまいち小さくてこの先が危ぶまれる。半原越のような虫の多い所のクモは幸せなのだろうか。蝶や蝉にとってみれば、いいかげんにしてくれということになろう。路面にはハリガネムシもろとも轢死したカマキリが目立つ季節になってきた。アブラゼミやツクツクボウシもいまや控えめだ。秋はいろいろ悲しいこともある。雲の切れ間から日が差して目前の手が届きそうなところに虹が出た。頂上ではエンマコオロギがか細く鳴いている。下は昨日のデータ。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'23"4'23"+316.217074192
区間29'26"5'03"+1314.018273194
区間314'35"5'09"+1913.918171184
区間421'09"6'34"+3411.018463186
全 体+6913.518070188

2012.10.6(土)晴れ クロナガアリ登場

クロナガアリ

庭ではクロナガアリが地上での活動をはじめている。巣口のまわりには巣の中のゴミやら泥やらがうずたかくつまれている。半年以上も土中にこもっていたのだからいろいろ捨てなければならないものもあるだろう。今はまず巣の補修が主な仕事のようで、種を集める者は見あたらない。

巣からゴミ捨てに出てくる働きアリたちはなかなかいいモデルになってくれない。外の世界に緊張しているためか気温が高いためか、クロナガアリとは思えないほど敏感で、さっさとゴミを捨てると速やかに反転して巣の中に駆け込んでしまう。今の季節は座り込んでファインダーを覗き息を殺して待つのもけっこうしんどい。無数にたかる蚊の餌食になってしまうからだ。

今日も半原2号で半原越。ホイールを12〜27TのものをつけているAクラスにした。こっちのほうが(デュラに比べて)走るように感じるのは気のせいにしたい。デュラエースは高かったのだ。

1回目は回してみた。平均でも80rpm近い。かなり息は上がるが心拍は180bpmぐらいに収まっているので負荷は小さいのかもしれない。ただし、この回転数では速度に限界がありそうに思う。区間4では28×24Tを使うことになるのだが、21Tか19Tでダンシングも交え回転数は70rpmぐらいでぐいぐいと行く方が速くて楽なようだ。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'25"4'25"+515.916186187
区間29'27"5'02"+1214.117878195
区間314'32"5'05"+1514.017878184
区間420'59"6'27"+2711.218075191
全 体+5913.617579189

2012.10.8(月)晴れ 秋の風情

いつもの棚田はすっかり片付いてしまってご隠居さんの風情だ。3つがいばかりタンデムで産卵している赤トンボがいる。そのようすからみてナツアカネだろう。ミヤマアカネは意外にも少ない。1匹があぜのコンクリートでひなたぼっこしているだけだ。一瞬、ミヤマアカネかと思ったのはノシメトンボだろうか。見慣れたミヤマアカネよりも二回りほど大きく翅の模様が先端にはいっている。稲の切り株に止まって虎視眈々という感じだ。しばらく寒い日が続いてウスバキトンボが群れなくなっている。今日は2匹ばかりが虫を追っていた。日が照って暖かい。青空を雲が流れる。

半原越は前回と同じ調子で。フロントは28T、リアは17・19・21を使う。全体として回すけれど、21Tで65rpmを維持できないようだとためらわずダンシング。半原越の斜度だと28×21T(1.3倍)よりも小さいギアは使う意味がないという判断だ。1年ぶりに20分を切った。涼しくなって力を出しやすいというのが一番の理由だろう。ただそれだけでなく、夏の引き脚練習が効果を出してきたのだと思いたい。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'21"4'21"+116.316780204
区間29'14"4'53"+314.518175207
区間314'05"4'51"+114.718274206
区間419'53"5'48"-1212.418873216
全 体-714.318075208

道路には無数のカマキリ(ほとんどが死体)。日が照っていてもアブラゼミは遠慮がちに。半原越で鳴く虫はもっぱらアオマツムシ。ときおり道ばたからコオロギの類。道路の真ん中に出てきたまだ若いアオダイショウがあわてて逃げていく。庭のクロナガアリもまだ青い種を運びはじめた。みんなじきに冬が来ることを知っている。


2012.10.13(土)晴れ ツクツクボウシ

クロナガアリの巣は長寿とはいえ、もう10年ほども庭にあるのだからいつ消滅してもおかしくない。一度なくなれば再び巣ができることは期待できない。今年はなんとか健在の様子でほっとしている。できるうちにしっかり見ておきたい。

さて半原越であるが、今日のホイールはデュラエースである。初見では半原2号に合わないと感じたが、それは錯覚と信じたい。例年この季節がもっとも速く走れることになっている。ところが今日は不調。というのは先日親知らずを抜いて、その痛みとか、うまく飯が食えないとか、痛み止め化膿止めを飲んでいるとか、いろいろ苦痛を抱えているからだ。抜歯程度のことでこんなにダメージを受けるのは悲しい。こういうことの繰り返しで人は老いて死んでいくのだなあと感慨深い。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'31"4'31"+1115.715777188
区間29'46"5'15"+2513.517170190
区間314'56"5'10"+2013.917168186
区間421'18"6'22"+2211.217660192
全 体+7813.417068189

半原越ではツクツクボウシを聞く。この季節にツクツクボウシは珍しい。下ではかなりアブラゼミが鳴いていた。10月中旬にアブラゼミは珍しいものではないが、数が多いようだ。今年は9月も暑かったらしいから遅く羽化したものも多いのだろうか。


2012.10.14(日)くもり やる気の起きない日

昨日と同じ調子で半原越に向かう。どうにも力が湧いてこないのは昨日と同様。それでも引き脚は大事だとスタートから第3区を意識していると左ふくらはぎが攣った。意気消沈して美登里園の20km/hオーバーを狙う気も失せて清川村に到着。空は重苦しく雨になる気配が満点だ。思い起こせば昨日はほうぼうでアマガエルが鳴き飛行機雲もバッチリ出ていた。温暖前線が近づいているのだ。気温は高く、雨が降ってもたいしたことにはならないはずで雨の用意はしてこなかった。

半原越にかかってもやっぱりうまくいかない。エネルギーが切れている感じで心拍数が上がっていかない。何とかいい感じになってきたのはようやく区間4に入ってからだった。途中から小雨が降り始めた。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'39"4'39"+1915.215273186
区間29'44"5'05"+1513.916870200
区間314'57"5'13"+2313.817068184
区間421'23"6'26"+2611.117465195
全 体+8313.316769191

一回目の登りで不吉なものを見つけた。アスファルトの上に落とされた動物の糞だ。サイズ、形状、内容物(アケビの種みたいなもの)からみてツキノワグマの可能性がある。昨日の昼にはなかった落とし物だから昨夜のものだろう。今年は山の実りが悪く熊が里に下りてきているらしい。猟犬に追われたクマなんかに遭遇したらひとたまりもない。ここは速やかに撤退だとハーフはやらずに下山することにした。久しぶりに小田原厚木道路と134号線を回って行こうかとも思ったけれど、すぐにその気も失せた。


2012.10.18(木)雨 メヒシバの水滴

メヒシバ

昨夜からの雨は早朝にはあがりきっていなかった。庭に出るとぽつぽつと細かい雨粒が顔に落ちてくる。その程度の雨ではクロナガアリは普通に活動を続けることがわかっているから、カメラと三脚にセットしたストロボはもって出てきた。

巣口を見ると廃棄された泥粒や草の実の殻の山は普段通りだ。雨はかなり強く降っていたけれどゴミの山を崩すほどではなく水たまりを作るほどでもなかった。毎朝やっているように、巣口の奥にストロボをセットし、2年間使っている段ボールの座布団を敷いてカメラを抱えてかしこまる。

肉眼ではアリがいることしかわからない。ファインダーをのぞいてようやく何をもっているのかがわかる。今はまだ運んでいるものは泥か殻だ。なぜか泥粒の取り合いがはじまったりする。そういうのが面白くて毎朝の撮影がやめられない。巣口は2つあいているから、一方で捨てたものが一方の巣口に溜まってしまったりする。ただし、その面白みは写真にはならない。ビデオなら表現も可能だろうか。いずれにしても面白がるのは見物している人間だけで、当人たちはいたってまじめで静かだ。まだ種を持ってくるものは少ない。その種も小さなメヒシバがほとんどだ。今年は梅雨に一斉草刈りが行われたせいでメヒシバが生えたのだ。

アリの活動も落ち着いて(撮影でディスターブするとしばらく巣に引きこもることがある)ふと脇を見ると、メヒシバに水滴がついていた。雨が落ちているのだから水滴もつく。ただその水滴が妙に大きいことが目を引いた。水滴をみると中に種が入っている。その種があるせいで水滴が大きいのだと直感した。


2012.10.19(金)晴れ 尖閣といじめ

そろそろ大津小学校に代表されるいじめや尖閣に代表される領土問題のことを書いても恥ずかしくないだろう。両者は無関係に見えるけれども問題の構造は同じである。同じ根を持つ一本の木の2つの枝でしかない。

学校というところはたてまえを学ぶ所である。たてまえ以外の一切は意味をもたない。勉強も課外活動も遊びですら学校内で行われるならばたてまえである。児童生徒はそのことに気づき、管理され手加減された環境の中でたてまえの使い方を学んでいく。たてまえをたてまえとして正面切って使うこともあれば、学園ドラマにあるような本音風たてまえもある。種々なたてまえを学ぶことは社会活動には必須である。

国家にとって領土問題はたてまえである。離れ小島の領土問題は端的なたてまえ使用例である。竹島や釣魚島が日本でなければ困る官僚や政治家はいない。ただ、立場上目前の業務をこなしていかなければならない。独島に領土問題は存在しないという決めごとも、魚釣島は固有の領土であるという主張も、歴史的に地学的に領土であるという主張も、たてまえである。内心ではどうでもよいと思っている事柄に対処するためにはたてまえが必要なのである。たてまえがないとぶれる。本音はその本性上、ぶれて矛盾するものであるから。官僚も政治家もより良く生き、明るく楽しい人生を送るために指針としてのたてまえは必須だと感じている。

学校や領土問題でたてまえを使えない者、見失った者は不幸である。たてまえで動く宇宙のなかで本気で生きてしまうと必ず不幸になる。いじめは残念ながら本気である。たてまえでいじめるやつもたてまえでいじめられるやつもたてまえで傍観するやつもいない。未熟者たちのいじめの現場では、止めるやつですら時に本気である。彼らには一種人間的な感情にかき立てられている。いじめ問題の渦中にあって数少ないたてまえは、いじめはないとする報告だけだ。中国の暴徒は本音でうごいている。釣魚島が中国のものになったとしても、彼らには一文の儲けにもならない。その程度の計算ができないのは本気で動いてしまっているからだ。

日常的な鬱憤であれ空腹感であれ、思春期の焦燥であれ不安であれ抑圧感であれ、それらの感情に言動をまかせると本音、本気であるといわねばなるまい。たてまえしか通用しない宇宙内では、本音で生きると損をする。後味の悪い思いをする。仲間内から浮いてしまう。下手をすると社会国家から悪人よばわりされる。最後のは恒例のたてまえでしかないのだけれど、そのたてまえを真に受ける者が周辺にいると恐い。二次、三次の被害をこうむることになる。


2012.10.20(土)晴れ 撮影も自転車もいまいち

クロナガアリの巣魚露目

朝目が覚めると9時を過ぎていた。8時間ぐらいは連続して眠っていたことになる。こんなに長く眠れたのは久しぶりだ。

今朝は魚露目8号でクロナガアリを撮ってやろうと決めていた。ひとまずはふだん使っているスーパーマクロのレンズだけを交換してやってみるという場当たり的方法だ。ISO200、F22、S1/250にストロボ3灯、本体はNikon D70s。やってみると案の定うまくいかない。魚露目8号を使うのは、巣口とアリとアリが作ったゴミのマウンドを一緒に写したいからだ。いろいろ工夫する以前にストロボが当たっているところしか写らないのでは魚露目8号の味がない。

シャッタースピードを下げるとアリが写らない。絞りをあけると写真が流れすぎる。魚露目8号は画質のざらつきも味であると割り切れば、D700をISO6400ぐらいにして、自然光のみかストロボを薄めに正対して当てる(D700のセットでは工夫が必要だが)か、そっちのほうが見られる写真になるだろう。今朝は失敗だ。

さていろいろやってるうちに出発は正午になった。半原2号で半原越だ。今日はサドルとハンドルを変えた。といってももともと半原2号につけていたセットなので違和感も目新しさもない。親知らずの不快感は和らいでいるものの、胃のほうがけっこうおかしい。噴門あたりの圧迫感が不愉快だ。もともと胃は悪いのだが、この数日十分に噛めないことと薬の副作用がでているのだろう。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'11"4'11"-916.916774206
区間29'12"5'01"+1114.118373200
区間314'03"4'51"+114.818673200
区間420'13"6'10"+1011.618862208
全 体+1314.118270203

10月なのだから軽く20分を切っておかねばならないはずだ。タイムを伸ばし続けようなどという野望はないけれど、まだまだこの季節なら20分を切る力はあると信じたい。11月の龍勢ヒルクライムには自転車仲間3人組でエントリーしている。


2012.10.21(日)晴れ ないものねだりの日

いつものように棚田脇の草むらに入っていくと、イナゴがぴょんと跳びだしてくる。ヤマトシジミも飛んでいる。ミヤマアカネが水路のコンクリートでひなたぼっこだ。もうウスバキトンボはいないだろうと空をみれば、2つ3つと見慣れたシルエットが小虫をねらっている。この豊かさにちょっと嫉妬する。私の庭は日当たりがわるく陽性の虫はとっくにいなくなっているからだ。気がかりはジョロウグモのエサだ。

さて半原越はどういうわけかゆっくり走ろうと決めてしまった。快晴無風で暖かく絶好の自転車日よりで体も元気なのにがんばる気がなくなった。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間15'11"5'11"+5113.715467160
区間211'06"5'55"+6512.116761169
区間316'49"5'43"+5312.516764163
区間423'36"6'47"+4710.517665181
全 体+21612.116764169

ゆっくり走れば沿道の草が目に入ってくる。花盛りは見慣れぬアザミ。ひょろりと背が高く花も細長い。きっと外来種なんだろう。谷の脇にムラサキケマンのような形の青い花の一群がある。はじめて意識する草だ。タマアジサイがいくつも咲いているのにはちょっと驚いた。まだまだ虫も多い。チョウはウラギンシジミやヒメアカタテハ。何度かスズメバチと衝突しそうになる。カマキリは踏まないように気をつけなければならない。とりわけコカマキリは枯葉っぽいから注意が必要だ。直前を一頭のシカが横切っていく。45度はあろうかという谷を一気に駆け上り、ガードレールをひらりと飛び越え、2歩で道路を渡って、あっというまに山手の茂みに消えていった。その身体能力には嫉妬する。こっちは時速10kmで緩い坂を登っているのだから。


2012.10.23(火)雨 半原2号

半原2号

棚田脇の草むらに立てた半原2号である。半原1号が壊れてからはこいつで半原越を走っている。これほど安くて個性的な自転車も珍しい。経験と創意の結晶であると内心自負しているぐらいだ。

個性といえば、ハンドルバーはブルホーンで十分で、そのほうが軽いのだが、渋谷あたりで見かけるあんちゃんの自転車と似たシルエットになるからドロップバーにした。自転車はカッコ二の次というポリシーがあり、素人目に彼らと一緒にされてはたまらない。

フレームは国内にそう多く出回ってないはずだ。しかも10年ほど前のもので、ヘッドは1インチ、シフトはダブルレバー、ダウンチューブを曲げてシフトワイヤーを内蔵するという、今ではありえない工作も施されている。

ギアはフロントが36×28T。トリプルのアウターをとっぱらってそのかわりにアウターギアの歯を削ってチェーンの脱落防止板にしたものをつけている。BBはトリプルのものだとQファクターが大きすぎるからダブルのものを無理につけている。そのためBB小物やペダル、フロントディレーラーでちょっとむちゃをすることになった。半原1号はすんなり入ったが、カーボンの車体では荒技が必要になった。リアのギアは11-23。最小で11Tであれば、フロントは36Tもあれば十分である。集団走行はしないので40km/h巡航でギアが足りなくなることはない。普通のギアを使っても良いのだが、いらない50Tはつけないという馬鹿げたポリシーからこうなった。

ホイールのデュラエースは別として他の部品は普及品である。ホイールだってA-classの安いのか昔からの手組のものでかまわない。一度高級品を試してみたかっただけだ。私のキャリアや財力からすれば、カーボン製の高級部品をかき集めることも簡単であるけれども、必要以上のものはつけないという馬鹿げたポリシーからこうなっている。唯一の例外はブレーキレバーかもしれない。カンパニョロのCレコードは20年前、レバーだけで2万円以上した。いまのシフトレバー組み込み式のものではなくただのレバーである。しかも、物としてははっきりいって粗悪でアイデア倒れ、設計ミス満載といっていいものだ。よくあるイタリアのがっかり部品なのだが、なぜか手になじみ、チネリもナカガワもCレコードである。別にカンパにこだわっているわけでもない。なにしろブレーキ本体はシマノのアルテグラである。レバーだって、いま発売されている台湾製の2000円ぐらいのやつのほうがずっと良くできており、使い勝手も悪くはないのだけど、Cレコードが耐え難いってことでもないからこうなっている。

その他にも知った人が見れば突っ込みどころ満載の愉快な自転車である。


2012.10.27(土)くもり 冬が近い

気温は20℃ほどあるのだが、天気が悪く風が冷たい。ちょっと暖まるというふれこみのベルギー製オイルを手足に塗ってでかけることにする。

「今日は22分ペースだ」と力を使わないつもりが記録を見れば20分台だった。涼しくなった効果だろう。いまは速度よりも力がうまく使えているかどうかに注意を払っている。3区と4区の引き脚重点なのだが、もしかしたら踏み脚重点のほうがいいのか?とか、ダンシングも引き脚重視でペダルを蹴飛ばすように乗っているのだが、それも無駄?とか、いろいろ迷いが生じてしまう。でもやっぱり360度なるべくまんべんなく力を使う方が速いはずだ。とにもかくにもリアを19Tに固定して5回ハーフをやった。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'31"4'31"+1115.717277190
区間29'36"5'05"+1513.918472200
区間314'36"5'00"+1014.218370194
区間420'48"6'12"+1211.618762203
全 体+4813.718264197

じつは半原越はとんでもないことになっている。道路から見える林は獣道が無数に走っているのだ。ニホンジカが増えているといううわさは聞いているが、ただごとならぬ予感がする。一時期、野生動物を圧迫しすぎたことは大いに反省しなければならないのだけど、増えすぎてもお互い困ることになる。半原越で外人らしい自転車乗りに会ったこともあり、ファーマーズデスライクゼム、デアーズイートゼアハーベスツ、などと無意味に英作文したりして。

今日はジョウビタキを見た。オスメス両方だ。もうすぐ冬が来るのだと感慨深く走っていたら路上にセミが転がっていた。夏の名残のツクツクボウシ・・・と写真を撮るついでに拾い上げてみるとまだ命の火は消えきってなかった。


2012.10.28(日)雨 種の強奪

クロナガアリ

予報通りの雨で半原越はあきらめた。冷たいのは嫌だ。小雨時をねらってクロナガアリの撮影。いよいよ種集めが活発になってきている。メヒシバ、エノコログサなどが主だ。巣口の近くに置いてある水稲は見向きもされない。数分に1匹ぐらいの感じで種を運んでくる。

写真はメヒシバの種の取り合いシーン。画面左の働きアリが巣の近くまでメヒシバを運んできた。右手のアリは巣からゴミをもって出てきた。ちょうどそのゴミを捨てたところで、種を運んできたアリとぶつかるかっこうになった。すかさずゴミと種を持ち替えたのだが、もとの所有者が黙っているはずがない。しばらく引き合いが続いたが、結局種は強奪されて巣に運ばれていった。

種の取り合いは幾度か目撃しているけれど、奪い取られたのははじめて見た。それも、巣の清掃要員が奪ったのだから、ちと驚きだ。清掃に当たる者は種運びモードになっていないと予想していたからだ。種運搬スイッチは思いのほか簡単に入るらしい。

夕方に1時間だけ自転車に乗って汗を流した。自転車は室内専用になりはてた半原1号だ。


2012.11.3(土)くもりのち晴れ 半原越のカニ

モクズガニ

いつもの棚田にトンボの姿はなかった。そろそろ冬の殺風景がここにもやってくるんだなと振り返るとまだ青いカラムシの群落がある。草刈りが入らない休耕田の一列だ。カラムシが青いうちはまだ冬が来ていないともいえる。あれは寒気に当たると一発で灰色のくしゃくしゃになってしまう。わかりやすい草だ。

半原越に入って300mほど行ったところで道路の真ん中に大きな甲殻類がいた。目を疑ったがモクズガニにまちがいはない。しかも最大級。モクズガニが流れから50mも離れたところをうろついていることに驚いた。私には水から出ないタイプのカニという印象がある。ちょっとかわいいので自転車を止めて撮影することにした。近づくとお約束の威嚇。ただし逃げ腰で横歩きしながら。日陰の道路で動かれるとまともな写真にはならないんだがしかたない。

このカニは相模湾から相模川、荻野川、小鮎川、法論堂川と遡り3面コンクリートの護岸を登って道路に出てきたのだ。その冒険心と活力も自動車の一轢きで粉々になってしまう。ひとまずつかまえて法論堂川の草むらに投げておいた。あとは勝手にやってくれ。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'23"4'23"+316.216378197
区間29'12"4'49"-114.718471217
区間313'56"4'44"-615.018873207
区間420'20"6'24"+2411.119060199
全 体+2013.918270204

今日はフルを一発とハーフを5発。フルは行程の半分以上が190bpmという自殺行為的な走りになってしまった。すぐに最大心拍まで上がってしまうのは体質だ。10分もそれだけの出力が維持できているわけではなく単に筋肉の酸欠を補っているのだろう。もっと低い強度で走った方がタイムは良くなるし長い時間練習もできる。ただ、最近では手抜きで楽々登る技術が身についてきたからときどき気持ちに鞭を入れないとダメだ。その反面、もうこんなしんどいことはやめようよという声も聞こえてくる。区間4の西端コーナーあたりには魔物が住んでいるからな。あいつのささやきには耳をかさないことだ。


2012.11.4(日)晴れ アリを撮るカメラ

クロナガアリ

今日は小春で午前中はもっぱらクロナガアリと過ごした。もう少しアップが撮れるように、正確に言えば同じサイズでディスタンスを確保するために、昔のケンコーの2倍テレコンを使ってみた。D70sに組み込むと絞りの数値が見えない(レンズの絞りを使うと機能はするはず)が、アリの撮影はf22でしか使わないから問題はない。

私の自慢のスーパーマクロニコンD70sは海野さんを真似たもので非常に重宝している。しかしこれで最終形とは思っていない。ただのマクロでしかないからだ。働きアリのバストショットが撮れるけど、そのときの被写界深度は1mmぐらいしかない。今日ぐらい引き目のサイズでもアリ2匹が並んでは写らない。まだまだ機能的とはいえないのだ。

この数年、デジタルカメラは私の予想通りの進歩をとげた。パスト機能も液晶式のファインダーも使えるレベルになっているようだ。ただレンズだけは私の思うような発達をとげていない。

15年ほど前、栗林さんに硬性内視鏡を組み込んだビデオカメラで撮ったクロオオアリやベニシジミを見せてもらったとき、私の求めているレンズはそれだと確信した。非常に面白いものだから数年内に同様のものが市販されるだろうと踏んでいた。事実、栗林さんのアイデアは各種の製品として実現しているのだから。

クロナガアリ

業務用としてはテレビ局が同じような高深度マクロを開発した。ただしBBCの望遠鏡みたいなのは100万円以上して買えるような代物ではなかった。NHKのレンズにいたっては巨大で使い勝手が悪く、花一本撮るのにも大騒ぎ、とうてい手持ちでぱちぱちというわけにはいかない。そもそも売り物ではなかった。

カメラやレンズメーカーが栗林さん風のレンズを開発しないのはおそらく売れないからだ。虫の撮影専用レンズ1本に10万円出す人間は多く見積もっても100万人ぐらいだろう。また、レンズの設計者には無限遠は絶対に撮れなければならないという強迫観念があるんじゃないかと思う。レンズの1cm前も無限遠も撮れるなんて無茶をしようとするとBBCやNHKのようになってしまう。無限遠さえ捨てれば安価に作れるはずのレンズである。メーカーはちょっと割り切って手元の虫が手軽に撮れる一眼レフ用レンズを作ってくれないものだろうか。

私にいわせれば、望遠レンズは近くが撮れない欠陥品である。それでも鳥写真の愛好家にはその手のレンズが売れまくる。川べりにいるチョウゲンボウやカワセミを撮るためにおじいさんおばあさんが50〜100万円もするレンズを買い求めるのだ。

今日の写真1枚目はミミズを運び込むクロナガアリ。クロナガアリは種食いだが、ときどき肉も運び入れる。小さなミミズらしいものを捕まえているのは何度か見ている。2枚目はネコジャラシの種を運び入れるところ。この体勢のまま後ろ向きに入っていくと禾がひっかかってたいへんだ。うまく回り込んで前向きに体勢を直さなければならない。穴の中でそれができるだろうか。


2012.11.17(土)雨 アカマンマを運びはじめる

クロナガアリ

この数日のクロナガアリは巣の中から泥を運び出していない。もっぱら収穫に腐心しているようだ。アカマンマの種も運びはじめた。これまではメヒシバやネコジャラシが主体だった。これからはバリエーションも豊富になる。ただし、ほかにはチヂミザサとかミズヒキぐらいしか餌がない。貧相な庭である。クロナガアリのために栽培した水稲はしばらく無視されていた。きっと気づかないだけだろうと、モミに傷をつけると、すぐに運びはじめた。米の臭いがすれば餌だとわかるはずだから、米=モミという臭いの連想がつけばモミ付き米も持っていくだろうか。

庭のジョロウグモ♀は一匹、また一匹と減ってついに一頭を残すのみとなった。今になって気づくのだが、1月に夜のジョロウグモを確認しておこうと決心していたのだ。ジョロウグモは夜でも巣の中央にいるのかどうか、その程度のことも見ずにずるずると今日を迎えてしまった。懐中電灯をもって数回庭にでれば解決するはずだった。

下は先週の龍勢ヒルクライムの結果。今年はしゃかりきにタイムを狙う気はなかった。ただし、区間2は目一杯。それでも去年よりちょっと遅い。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間124'12"24'12"-17.614974138
区間247'49"23'36"-13.218571195
区間363'31"15'42"-15.118872207
全 体-15.417072167

今日は一日雨で自転車で走る気がしない。11月の雨は冷たい。スポーク切れで壊れた後輪のリムを交換して組み直した。リムは前回と同じアラヤのRC540。ハンドルも低く遠いものに変え、ブレーキ、シフト系をデュラエースの7700に変更した。


2012.11.18(日)晴れ 夜のジョロウグモ

午前中はアリの観察。たしかに籾に傷をつけると米も運んでいく。ただし昨夜の雨で巣口が狭くなっており、ちょうど米粒がひっかかるサイズになってしまった。米を運び入れようとすると、出る者も入る者もつかえて大渋滞が起こってしまう。ちょっと気をきかせて拡張工事をしてから・・・というような発想はなさそうだ。

ちょっと風が吹いて暖かくいい日和なのだが頭が痛い。風邪気味なのだろうか。それでも半原越はいった方がいいだろうとハンドル回りを変更した半原2号で半原越へ。シマノのST7700は絶好調だ。レース用の機材としてシマノは良くできているとあらためて感心した。ハンドルの高さも遠さもちょうどいい。ブラケットの握りもしっくり来る。これでいいのだ、と思う。

いつもの棚田脇でコーラを飲んで半原越へ。今日はゆっくり走る。地面のギャップを拾うたびに頭が痛くて不愉快だ。とうてい死ぬほどがんばるなんてできそうもない。昨日の雨でまた落ち葉が増えたようだ。落ち葉が多くなると走るにも気をつかう。とがった石ころが落ち葉に擬態しているからだ。エジプトのピラミッド、スイスのマッターホルンにも似たその形状の石ころは簡単にタイヤを裂いてしまう。それで泣かされたことも二度や三度ではない。とにかくそれっぽい落ち葉も避けなければならない。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間15'46"5'46"+8612.4-64148
区間212'05"6'19"+8911.3-69157
区間318'10"6'05"+7511.7-71156
区間425'20"7'10"+7010.0-61177
全 体+32011.3-66160

区間3と4の合計で13分ちょっとだからハーフを普通にやっているぐらいの強度だ。こういう楽な感じでないと1時間以上の登りには対処できないと思う。乗鞍や赤城だと1時間45分ペースになるだろう。かなり遅い。

日が暮れてから懐中電灯を持って庭に出た。一応ジョロウグモも見ておこうと思ったのだ。予想通り彼女は昼間と変わらず巣の中央に静止している。オスもすぐ上で待機だ。だからといってジョロウグモは夜間も巣にいると結論するわけにはいかない。もう秋も深く彼女らは息絶え絶えの体で全盛期と同様の活動はできないかもしれないから。いっぽう、クロナガアリは活発に動いている。巣口で邪魔をしていた米も消えている。がんばって運び入れたものらしい。


2012.11.19(月)くもり 魚露目で撮るアリ

魚露目

一眼レフでは画質に限界があると感じて、もうやめようかと考えてた魚露目8号。今朝ふと思い直して小さい撮像素子のカメラを用意した。今では完全な骨董と化しているNikon990だ。何年か前にはそれでちゃんと撮れていた記憶がある。相性は良かったはずだ。

というわけで撮ってみたのが今日の写真。やっぱり手持ちのセットではこれが一番いい。990はiso400が最高感度である。庭は午前中完全な日陰で今日はくもり。明るさとしてはまあ並みだ。絞りは最高に小さくする必要があるから、f11.1。それでシャッタースピードは1/4秒。レンズとカメラの相性はけっして悪くないと思う。D700ではとてもここまでの結像は期待できない。ただし、地面にカメラを押しつけているからぶれずに済んでいるだけで、手持ちではとても見られた写真にはならない。あと3段、iso3200で1/30秒のシャッターが切れれば申し分ない。残念ながらそれができる魚露目用のデジカメが見あたらない。

思い起こせば、私はニコンを信用して、当時デジカメのフラッグシップだった990を買ったのだった。レンズが回転式でフィルター経28mmのスタイルは永遠だと勝手に信じ込んで、魚眼とかワイドとかその他もろもろけっして安くはない関連製品を買い集めていた。1年ほどするとニコンはきっぱり990のスタイルを捨てて一眼レフもどきに路線変更してしまった。瞬く間にフィルター経28mmのデジカメは日本から姿を消し、いまやレンズフィルターをねじ込めるコンデジすら絶滅危惧種になってしまった。ニコンの製品もすでに5世代ぐらいは「関係ないな」と見送っている。いま売り出し中のNikon1の設計も、マウントアダプターとかスピードライトとかイミフすぐる。あれをどう私に使えというのか。

ところで、スーパーマクロニコンのほうは絶好調である。今日は米粒にたかるアリを撮った。白い米と黒いアリでは露出が極めつけに難しい。ただ、その難しさも近々テクノロジーで解決がつくはずだ。白飛びも黒つぶれもない撮像素子もできるだろう。深度合成をする要領でオートマチックに露出合成する画像処理も一般になるかもしれない。そういうカメラが登場しても見送るとは思うけど。


2012.11.24(土)雨のち晴れ 冬色濃く

ヒヨドリ

雨が降り続くと部屋の中で過ごすことが多くなる。そうすると虫よりも鳥の方が目につく。写真はカラスウリをついばむヒヨドリ。ヒヨドリがあまりうまそうにない葉を食うシーンはしばしば目にする。あいつらは冬になるといっそう焦っているように思える。鳴き声がそもそも金切り声だ。飛び方もせわしない。こうやって葉をついばむにしても、せかされて怒ってでもいるみたいに激しく頭を振る。ごちそうに舌鼓という感じはまったくない。今朝はヤマガラも来た。ツグミ、シロハラ、アオジなんかも見つかるだろうか。この部屋から見える野鳥は年々数も種類も減っている。林が少なくなっているからだろう。

ジョロウグモはついに小さなメスを一匹残すのみとなった。それとても産卵できるような気配はもうない。庭に勝手に生えてきたセンリョウか何かが冬の赤い実をつけている。その実のそばに一週間ほどまえからワカバグモが潜んでいる。この実の赤さは彼女にとって動機付け、よりどころになるのだろうか。

午後には雨があがって半原2号で境川へ。少し強い北風を利用して3倍のギアで登坂練習。80rpmほどで引き脚も意識して走っているとけっこうな負荷がかかる。ちょうど半原越の区間3をアベレージ走行しているような感じだ。あらためて平坦でも登りの練習はできると思った。半原越のハーフだと10分かかる下りがけっこう苦痛になる。今年も冬の風が吹くときは境川かな。


2012.11.24(日)晴れ 萌えない虫

ササガヤ

この秋ずっとネコジャラシだと思っていた種が写真のササガヤだったことが判明した。クロナガアリが最も多く運んでくる種である。長く伸びた芒が特徴的で、それならネコジャラシだとぼんやり思い込んでいたのだった。思えばネコジャラシは庭に3本ほどしかなく、それほどたくさん種があるわけではない。また、クロナガアリの運んでいる様子を見れば、芒は細く柔らかくてネコジャラシの頑丈さはないこともわかる。ササガヤは私の庭にも多い雑草でこれまでも観察していたのだから、もっと速やかに気づくべきだった。種に入る緑のストライプに惑わされてしまった。

アリを撮っていると目の前にうごめく虫がいた。何かの幼虫かミミズだなと注視すれば同じ虫はけっこうな数がいる。ざっと100匹ほどだろうか。ケバエ幼虫の集団だった。どうにもこのケバエの幼虫というヤツは萌え要素がない。茶色のウジ虫、節くれだった全身に生えるまばらな毛、地面での集団生活。庭に常駐している貴重な虫の一つなんだけどいまいち好きになれない。昨日はそこにいなかった。なんらかの仕組みで絡み合ってその辺のゴミをあさりながら移動しているものらしい。

今日は半原越。だんだん寒くなってきた。つらいと快適の境目ぐらいの日和だ。登りは快適、下りはつらい。11月下旬とはいえまだ虫も目につく。相変わらずカマキリとハリガネムシは道路でつぶれている。アカタテハが飛んでいる。鳴く虫も2匹いた。登りの途中に路面にいるアオマツムシを見つけた。めったに見つからない虫だから下りで撮影しようと場所を確認して登っていると下る自動車とすれちがった。アオマツムシのいるところはちょうど轍だ。案の定、降りてきたときにはぺしゃんこにつぶれていた。下りは心理的にもつらい。石ころも恐いし。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'54"4'54"+3414.4-71182
区間210'27"5'33"+4312.8-68189
区間315'50"5'23"+3313.3-67185
区間422'18"6'28"+2811.1-61201
全 体+13812.8-66190

帰宅してからもう一度アリの様子を見に行った。盛んに種を運んでいる。ケバエボールは午前中の場所にはない。あえて行方を突き止める気にはならなかった。


2012.11.26(月)雨 アリの巣に入る夢

ちょうどクロシジミか、アリスアブか、奴隷アリのように他所のアリの巣に住み込む夢を見た。目覚めの印象として、部外者がアリの巣に入っていくならばそんな感じになるのかなあという夢だ。ただしそういう心境について正気で考えたことはない。

私は仲間と数人で東京湾を小舟で走っている。舟はボロの釣りボート。仲間は柄が悪い。ギャングかなにか半分食いっぱぐれているならず者たちだ。東京湾の最奥にある洞窟っぽい隠れ家にお宝があるらしい。それをちとやばい方法でゲットしようという腹づもりだ。海は極めて汚い。無数のゴミが流れ油が浮いている。真っ黒な海水がひたひたと打ち寄せる海岸にその入り口があった。夜らしく暗くて造作の細部はわからないが、トタンとベニヤのドアで洞穴を塞いでいるだけという風体だ。

かなり危険な臭いがするけれどお宝への期待もある。進まざるをえない。じめじめした穴蔵に一歩入るとそれは迷路だった。第二次世界大戦時の素堀りの防空壕のようでもあるけれど、木製の柱や壁もある。安普請ながらいくつも部屋があり階段もある。どれほど作り込まれているか広さ深さ高さはいかほどなのか検討もつかなかった。

そこの住人たちはけっしてフレンドリーではなくあからさまな敵意を投げる者もいる。全員が無関心を装いつつもこちらを警戒していることは明らかだった。われわれは別行動を取りながらひょんな所で出会ったり、お宝の情報を交換しながら当てもなく迷路をさまよっている。私はすでに入り口も帰り道もわからなくなった。いつ攻撃されるかもわからず、内心途方にくれている。

私はひときわ立派な作りの部屋にたどり着いた。腕のたちそうな男が大勢たむろしている広場がある。その広場には上にのぼる階段があり、そこに何か重大な物があることをなぜか知っている。階段をのぼっていくとそこに大男がいた。じつは、男か女かもわからない。人間かどうかすら判然としない。ただ、その派手な服装がほかの住人と異なるランクであることを示している。私には直感でそいつがキーマンであることはわかっている。いわゆるラスボスでないこともわかっている。

やつは2、3の質問をよこした。とくだん応えにくいものでもないが、こちらを警戒していることは明らかだった。歓迎する気もないようだ。私がここに来た目的は知らないようであり、教えてもこいつに理解はできないかもしれないと感じた。私が探しているものは私自身も知らないのだけど、見つければそれがそれだと気づくはずのものなのだ。そいつとの短いやりとりの間に、それはやはり迷宮のどこかに存在していること、そしてそれを手にするまで脱出もできないことを覚悟した。


2012.12.1(土)くもりのち晴れ 北風吹く

早朝のまだ寒いときにはアリの活動が鈍っている。巣に引きこもる時間が長くなる。そういうときは巣口でアリが出てくるのを待つことになる。または、がんばり屋が種を運んでくるのを待つことになる。その、アリを待つおやじの姿はかなり哀れに見えることに気づいた。草ぼうぼう(アリにとっては豊かな)の庭に段ボールをひいておやじが一人正座してうつむいている。ご飯もまだ食べていない。服装は極めてみすぼらしく寒そうだ。まっとうに考えるとボケ老人が虐待を受けているように見えるから通報されてもおかしくない。幸いなのは、庭が人目につかないところにあり、私の姿を目にするのは全員が知り合いだということだ。

午前中はアリを見て、バナナ食パンを食って午後から境川に行った。12月になってぴったり北風がふいた。昼頃にちょっとした寒冷前線が通過した感じで気温が下がり風が強くなった。こうなると境川は面白い。自転車は久々登場のナカガワ。半原越でゆがめてしまったリアリムを交換してタイヤも前後新しくした。ミシュランのプロ4という安いタイヤではあるけれどまずいい感じだ。ただし鉄のフレームはカーボンにくらべてごつごつするのはいたしかたない。

追い風は上ハンで25km/h。向かい風は下ハンで目一杯がんばって26km/h。手抜きで登る坂よりもずっとしんどい。とにかく回すことを意識して往復を3本。午後からだとせいぜい4時間しか乗れない。距離は100kmに満たない。


2012.12.2(日)晴れのちくもり 義務走

ナカガワ

ついつい多めに撮ってしまうクロナガアリの写真がある。それは仲間の死体を捨てるシーンだ。ユーモラスであり哀感が漂い、入れ込んでしまう。

そもそもアリはどれほど仲間のことを知っているのだろうか。自分のことは生まれつき知っていることにまちがいはないだろう。仲間が動いて行動を共にしているときには、仲間のことも知っているだろう。それが死体になったときに邪魔物だということはわかっても、それが仲間の遺骸ということを認識しているとは思えない。

いろいろと庭の撮影をしながら、ムカゴを1個、生のまま食べてみた。火を通すとかなりうまい食い物のようだが、生でもかすかに甘く、青臭さもなく、それなりにいける。こんなにうまい物が散らばっているのにかたづける動物がいないというのは寂しいことだ。人間が食ってもいいけど、犬は食うだろうか。

今日は100kmは乗ろうとちょっと早めに境川にでかけた。自転車は写真のナカガワ。古くてマニアックできれいな自転車だ。今日の風は北からのそよ風。日差しはそれほどなくて寒い。相も変わらず低回転(80rpm)で重いギアを回す練習。50kmほど走ったところでエネルギーの枯渇を感じた。ハンガーノックというほどではないけれど、疲労感があって体から力が湧いてこなくなった。こうしたことは年に幾度か経験する。じつは一番の恐怖である。このまま一生、力いっぱい乗れなくなるのではないかという不安感に襲われるからだ。「昔はもっとやれた」などと振り返るにはまだ若い。大空と大地の中で義務的に100kmちょっと走った。


2012.12.5(水)晴れ 消えたジョロウグモ

空き巣

昨日はけっこうな風雨があった。それでそろそろかなと庭に出てみるとはたしてそこにジョロウグモの姿はなかった。そのかわり毎年味わうあの寂寥がいつもの場所にあった。そのジョロウグモは数日前からだらんと糸にぶら下がる体勢になっており、そう長くはないと思っていた。もしかしたら直下の地面に落ちているかと調べてみたが見つからなかった。

ジョロウグモがいなくなったけれど、カマキリがいた。暖をとるつもりなのか白壁に貼りつくようにとまっている。今年は数匹のカマキリを庭で見ており、その中の一匹だと思われる。よく生きていたと感心する。ただしカマキリにとってはけっして喜ばしいことではないだろう。12月まで生きているということは繁殖に参加できなかった公算が高いからだ。こうしてまた来年に一世代進化したジョロウグモやカマキリに会えるかどうか心配になる季節を迎える。


2012.12.8(土)晴れ 謎の物体

謎の物体

朝から強い南風が吹いており暖かかった。クロナガアリも絶好調で次から次へと種を運んでくる。その中に見慣れないものを持っている者がいた。虫の蛹ではなく何かの種だろうとは思うのだが心当たりがない。色と形で一番近いのはハコベの種だけどやっぱりちがう。こういうこともあるからアリの観察は怠れない。

風があるから境川へ。所々横風を受けて恐いぐらいだ。自転車はナカガワ。前回のスパイダーツインテールを変更した。Cレコードのピラーだとサドルがボルトに当たってごつごつする。乗り味の悪さと疲労はそのせいじゃないかと思ったのだ。実際サンマルコのサドルにすると快適に走れた。毎度のお約束で追い風も向かい風も同じ速度で。20km/hぐらいしか出ない区間もあった。今日の体調は普通で100km楽々だった。ちょっと安心した。

帰宅してサドルの調整をしていると、隣家のテレビアンテナから聞き慣れない鳥の声。ツグミだった。この冬の初見だ。


2012.12.9(日)晴れ 冬雲

朝、クロナガアリの巣の周辺をチェックしていると昨日見た謎の物体が転がっていた。どうやらアリに捨てられたらしい。せっかく運んできたものだけど食うに値しなかったのだろうか。いらないならこちらがもらっておこう。何かの種らしいから手元に置いておけば何かのひょうしに正体が判明するかもしれない。まずは忘れないことが大切だ。

撮影用のストロボは、クリップオンタイプの物を上から1灯、左から1灯そしてリモートのものを逆光気味に当ててきた。昨夜にふと思いついて順光にしてみた。というのは、アリや地面のてかる所が青光り(色かぶり)していまいち美しくないと感じているからだ。残念ながら順光にするとべたっとなってしまって立体感に乏しい。それにてかりがなくなるわけでもない。午後の撮影は元の位置に戻した。

自転車は今日も境川。サドルはいろいろ迷ったあげく、CレコードのピラーにSLRをつけた。ベストとは思えないが悪くはない。しばらくこれで行ってダメならサンマルコがある。

良い天気で風も弱い。風が来ないせいか漫然と走ってしまった。こういうのも悪くないかなと思う。上空は強風らしく積雲が毛羽立ったり渦を巻いたりしている。関東の冬らしい雲だ。北の方には不定形のぼんやりした低い雲塊。あれも冬の特徴的な雲なんだが正体はなんだろう。丹沢山塊で作られた氷晶が西風に吹き飛んでいるんだろうか。


2012.12.12(水)晴れ 寒波

我が家にも寒波が押し寄せた。睡蓮鉢は一日中凍結している。草木にも顕著な影響が出る。ヤブガラシやアカメガシワはいっぺんに葉が枯れてくしゃくしゃだ。草木というのは凍ると一気に枯れるものだ。クロナガアリの巣口のところも水分が凍っている。こうなると外で活動する働きアリはいなくなる。

ところで、アリの餌用に水稲を栽培して実った穂を一本ずつちぎって巣の近くに放置している。肝心のアリは水稲には気づかない。籾に傷をつければ気づいて運んでいくという状況が続いていた。そして最近になって事情が変わっている。穂が食い散らかされた感じで籾と芯が散らばっているのだ。とうていアリの力で行われたこととは思えない。何かもっと大きな動物の仕業だと思われる。候補者としては、スズメやキジバトがいる。

ただし、鳥がやったにしては不可解なことがある。栽培した水稲は睡蓮鉢から引っこ抜いて一所に放置している。その場所はアリの巣から3m程しか離れていないのだ。巣の近くに置いてあるものを食べるのなら、そちらの稲の本体のほうに手をつけそうなものだ。何者がどのようにアリ用の稲を食い散らかしているのだろう。


2012.12.15(土)雨 ショーペンハウエル

カブトムシのオスがメスよりも大きな蛹室を作ることは人から教えられて気づいたはずである。カブトムシの蛹掘りは子どもの頃からやっていたから、その事実は目の当たりにしていた。しかし、それは見ているというだけで蛹室のサイズを意識することはなかった。そういう極めて大事なことも気づかなければ見ていないことと同じだ。

私がその蛹室のことをどこから学んだのか、20年ほども不明だったが、先日ショーペンハウエルの「意志と表象としての世界」を読み返していてその記述を見つけ息を飲んだ。まさか江戸時代の哲学者がそんなことを気にしていようとは思いもしなかった。

思うに生物進化を考える上でもっとも影響をうけたのはショーペンハウエルだった。今回の読み返しでそのことを確信した。私がダーウィニストであることはいうまでもない。けれど、どこか嘘くさく慎重過ぎるダーウィンよりもショーペンハウエルの生命観のほうがしっくりくる。ショーペンハウエルはダーウィンが気づかなかった、あるいは手に負えないと諦めた所を大胆にも問題にしていた。そしてそここそが進化の核心であるように思う。ショーペンハウエルの頃には遺伝子やゲノムという観念はなく生理学は胎児程度だかったから、確かめようもない彼のアイデアは誰も相手にしなかったはずだけど、現代のテクを使えば、彼が意志と呼んだ生命の基体が見つかるかもしれない。

また、彼はなぜか空観にも通じている。「意志と表象としての世界」はひとつの仏教書として見て良いと思うけれど、そのわかりやすさは異例である。現代人にも通用する論理を使っているからだ。私にとっては正法眼蔵の最適な注釈書であるともいえる。


2012.12.16(日)晴れ 小春

小春というよりは初夏のような陽気になった。白石びよりといっても過言ではないだろう。アリは活発に動きいよいよ少なくなりつつあるササガヤの種を集めている。ちょっとした疑問だった稲盗人はやはり鳥らしい。片付けてある穂もちゃんとかじっている。穂のちぎり方が鳥っぽい。鳥の白く小さな糞もけっこう散らばっている。そのうち現場を目撃することもあるだろうか。

久しぶりに瓶のメダカが動き水面に出てきている。少しだけ餌をやる。スイレン鉢の方のメダカは姿が見えない。スイレン鉢の方が水温が低いのと、警戒心が強いからだろう。スイレン鉢は鳥が水浴びに使ってメダカを驚かすのだ。

庭の観察を終え11時ぐらいからナカガワで境川。暖かいといっても12月。一応冬の装備で出かけたもののすぐに後悔した。春爛漫のころの陽気だ。風も弱い。子どもが3人境川に浸かって遊んでいる。大きなバッタがアスファルトにいた。頭は緑で翅が茶色の特大サイズといえばトノサマバッタだが、12月まで生き残るものなんだろうか。

前半の50kmは90rpm以上の高回転で、後半の50kmは登りを意識して75rpmの低回転トルク型で走る。今日は心肺に注意した。ATフィールドを越えないギリギリの心拍数が目安だ。しかしそれがなかなか難しい。気分と数字は一致しないものだ。20km級の長い登りだと165bpmぐらいの一定ペースで走るのが最も速いはずだ。それは簡単ではない。

呼吸は吐くことを意識した。吸うよりも吐く方が難しい。力を入れて吐かないと新しい空気が入ってこないのも道理だ。私の肺は小さいという根本的な問題もある。呼吸の練習が上達には必須だろう。


2012.12.23(日)くもりのち晴れ 生きていた

死体運び

朝から重苦しい曇り空でサイクリング日和とはいかなかった。半原2号で境川に出てみると風はそれほどなくて、何をしていいのか迷うことになった。とりあえず36×13Tにかけて80〜90rpmで100kmほど走った。結局はいわゆるLSD走行だ。

今日半原2号を境川に持ち出したのはクランクを167.5mmのものに変更したからだ。2.5mmしかちがわないけれど感覚的には大差がある。短くして掛かりが良くなったともいえるし、窮屈になったともいえる。しばらくはこの長さでいってみよう。ナカガワも167.5mmだ。

5時間ほど走って帰宅しクロナガアリをチェックした。気温もやや高く10℃ぐらいはありそうだ。何匹か巣から出ている働きアリもいる。動きはのろくササガヤの種を集めるのも効率が悪い。あと数週間で巣外の活動が終わる季節になる。

念のためスーパーマクロを持ってきてピント用の電灯で照らすと、死体運びをしているものが見つかった(写真)。いつものことで惰性で撮影していると、なんと死体だと思っていたアリが普通に歩き始めた。驚いたのは私だけで、運んだほうも運ばれた方も何事もなかったかのようである。アリってやっぱりおもしろい。

アリを撮って半原2号のメンテ。フロントシフトの調整が甘くてチェーンがインナーに落ちていかなかったのだ。トリプル用のクランクを無理にダブルで使っているせいでセッティングはシビアにならざるをえない。


2012.12.24(月)晴れのちくもり 負けないで

ナカガワで境川に乗り出したものの途中からおもいっきり不調になった。余裕綽々で100km走った昨日の自分が嘘のようだ。昨夜ほとんど眠っていないのが悪いのか? 向かい風ローテーションで張り切り過ぎたのか? 北から冬らしい風が吹いており、いつも通り向かい風練習を4本やるつもりだった。それが3本やったところで精も根も尽き果てた。3往復でやめたら100kmにも届かない。せめて数会わせに15分ほど流して100kmに届かせる手もあるけれど、その程度のことすらどうでもよくなってやめてしまった。こういうことを繰り返すと負けぐせがついてしまう。

「負けないで」というのは20年ほど前のZARDの大ヒット曲だ。当時、私はその曲を毛嫌いしていた。「負けないで」なんて楽曲に励まされてる時点で負けじゃね? という青臭い屁理屈を嘯きつつも真の理由は自覚してなかった。きれいな声で一生懸命歌うZARDを嫌う理由なんてなかった。彼女はとてもエロい体をしていたがそれほど美しいとは思えなかった。当時の私はこの世のものとは思えないほど美しい体の虜になっており、ほかの30億人の女性が凡庸に見えた。そのせいかもしれない。

あれから20年、生意気な若者が勝負してきたかというと全然そんなことはない。何をしても9割9分の努力にとどまり、あと一絞りができなかった。「絶対勝つんだ」というラインを踏み越えることを避けてばかりだった。本気を出せばフリーセルは10万個を解いているだろうし、半原越は19分で走っているかもしれなかった。

ぐったりして家に帰り着きつつも余力があることを感じている。かつてはこうした甘さに対して後悔し腹もたったものだが、なんだか許せるような気がする。正直なところ何に対しても「負けてもいいや」という諦念が先に立ち、気楽に過ごしたいと思う。そしていま素直にZARDの「負けないで」にはげまされている。

 
カタバミ  テトラ  ナゾノクサ
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