たまたま見聞録
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2006.1.1 夢と現実

いうまでもなくこの天地無朋という日記のテーマは、夢とは何か、あるいは同じ意味で逆の言い方として現実とは何かを追求することにある。昨日の昼間、チネリで境川を散歩しながら、黒沢明監督の「夢」という有名な映画のことを考えていた。あの作品は10分ぐらいしか見ていないけれども、希代の傑作であることはすぐにわかった。人間の見る夢のシーンがきわめて忠実に表現されているからだ。

一般に夢の画を描くことは簡単ではない。自分のイメージを再現できる才能に恵まれている人は多くはない。誰もが思い描けると信じている真円すら描くことは難しいのだから、夢で見たワンシーンを形にするのは天才的な能力が必要だ。「夢」という映画は途中から見はじめた。ちょうど富士山の火山礫の斜面みたいなところに巨大なタンポポが咲いて亡者がおろおろしている場面だ。私はそれを一目みて、夢の映像が映画のカットとして再現されていることに気づいた。タンポポも人物もおそるべく作り物っぽかったからだ。演出や撮影の技術の高さに比して、タンポポの葉のビニール感は狙いとしか思えなかった。また、次に水車小屋の風景を見て、この映画は夢で体験したシーンをどれほど忠実に再現できるかへのチャレンジだということを確信した。とってつけたお花畑、機械として機能していないことが明らかな水車...そうしたものは現実の再現ではなく夢で見る風景を模したものでしかありえない。

無能な作家は夢を表現するときに、安易に被写体をぼやかしてしまう。物の輪郭をあいまいにし現実感をへらすことが夢の表現になるとかんちがいしてやっちまうのだ。よくあるスモークやドライアイス、逆光でつぶしたり、露出オーバーで白トビさせたり、ぼやかした枠をつけたりすることで非現実を表現したつもりになっているカットをいやというほど見せられる。それらは被写体こそぼやけているものの、現実を隠すはずの煙や光がかえって生々しい現実感を出している。煙の動きのそのリアリティはどうやったって夢に出てこないものだ。

夢で見る映像には夢特有のリアリティがあって、それはけっしてぼやけた現実などではない。タンポポの葉がビニールであったり、田舎の水車小屋の風景のなかに、くたびれた鉢植えのスミレがびっしり敷き詰められているような、ミスマッチのリアリズムだ。そのミスマッチにはきっと法則があって、そのきまりを忠実に再現できるかどうかが夢のシーンとして説得力を持てるかどうかの決め手になると思う。

もしかしたらセットや照明や撮影の人たちは、ああいう作り物感満載の画面を作りたくなかったのかもしれない。舞台ではないのだから作り物感は今の映画ではたぶん御法度だろう。私は黒沢明監督の作品を全く見たことがないが、評価の高い有名な映画監督だということだ。あれだけ忠実に心象を表現できるのなら、みんなに受ける映画を作るのも得意だろう。巨匠だからこそ「夢」のような個人的な作品を世に出せたのだ。

「夢」は私の知る限りでは、夢の風景を形にしたものとして最高の作品だ。様々な絵画や小説、芝居、テレビ、漫画などで夢を扱っているものを見たけれども、「夢」には全く及ばない。この先、たかだか夢の映像化ということに、あれだけ力強い映像表現は出てこないかもしれない。もちろん、黒沢明の「夢」を陳腐なものにする映像が出てくる可能性はある。あの作品で不満だったのは水の表現だ。水車小屋を流れる水が色合いこそ夢っぽかったものの、やはりその動きは現実のリアルな水でしかなかったからだ。陳腐な作品のスモークが現実に私を引き戻すように、「夢」の水もやはり現実から借りてきた水でしかなかった。夢の水は流れる氷のように固くなければならず、よどんだ水素のように重苦しく、澄み切った透明なアスファルト道路のように全てを閉じ込めてしまう。夢の水の特徴は、あることとないことを瞬時に行き来できるところにある。コンピュータグラフィックを使えばそんな表現も可能になるだろう。

飛行機雲

そういうことを考えながら、日没前に帰宅した。庭でちょっとじゃまになっているアジサイを抜いたら日が暮れた。空を見上げるときれいに飛行機雲が並んでいた。「もしや...」と思った正月はやはり天気が悪くくもって寒かった。

朝、色彩のある生々しい夢をみた。トリノオリンピック会場に仕事に来ていて、開幕前の撮影禁止区域に殺到するカメラマンたちをさばくのに苦慮している。選手の姿を撮ってはならない建物が決められているのだ。頼りの同僚は、本番はまだだからとオリンピック選手といっしょに水泳なんぞをはじめる。

本部からの命令があり、いちど東京に戻ろうとバスに乗るも間違えて反対側の長野市についてしまう。あわててバスよりも早い汽車で帰るべく同行スタッフに駅の方向を尋ねる。「長津田駅はどっちかなあ。歩いてすぐ行けるよね?」見覚えある神奈川県の夕暮れ風景に駅の方向を指さす彼女は長野出身で、おやきなんかのみやげに詳しい。青紫の袋に入ったお菓子が気になるが買わない。長野に用がある彼女と別れ一人で歩き始める。

そもそも行く先を確かめずに彼女について来たのが間違いだ、などと反省しながら森の道路を歩いている。すると観光客らしい群れに出会う。その中に懐かしい娘さんがいた。だれだったか不明だが、彼女は当時の若いままだった。彼女は「行こうよ!」と私に呼びかけ、海岸の急な階段を飛ぶように駆け降りる。何か名所があるのだろうと、階段の降り口までいって覗くとはるか眼下に砂浜がある。砂浜の一部が囲われて群青のお湯をたたえ湯気がたっている。数人の裸の人が入っているので、露天の温泉らしかった。彼女も私に会ったのが嬉しそうだったので、いっしょに行きたくなるけど思いとどまる。

口の中に違和感を覚え、指をいれてつまみ出すと奥歯が二本抜けた。30年も前に抜いた歯のかわりにレゴという外国製のおもちゃを詰める治療をしていたのだった。抜けた痕を探りながら「面倒なことになったが、まあそれほどでもないかな」などと楽観している。



2006.1.4 並ぶことの苦手さ

年末はビックカメラも混んでいた。クリスマス用に子どものゲームソフトを買うのはともかく、ちょこっと電池を買うにも並ばねばならずおっくうだ。そういう喧噪を避け、ようやく今日になって電池を買うことができた。そもそも私は行列が苦手だ。何を思って福袋やラーメンや万博やアトラクションに並ぶのか、その心境はとんと理解できない。

この苦手意識は今にはじまったことではなく、じつに40年以上も前から私はうまく並ぶことができなかった。私の通っていた保育園では昼の弁当の時間に脱脂粉乳を幼児に飲ませていた。そのミルクをある時刻になると、ならんで受け取るのが毎日のきまりだった。脱脂粉乳とはいえ私にはごちそうで毎日楽しみだった。ミルクもそうだが、その入れ物が私の大きな関心事だった。

今にして思うと保育園では子どもをすみやかに並ばせるために巧妙な手を使っていた。それは、金びかの容器を上の方に置いておくという単純なものだ。容器の大半は傷つきへこみアルマイトのはがれたアルミの容器だ。ちょうど犬の餌入れのようなものでかっこよくない。金ぴかつるつるのミルク入れは、上の4つぐらいだから、早く並んだ幼児はその特権的な容器でミルクを飲める。保母は大きなバケツからしゃくしで1杯ずつくんで順次幼児に分け与える。その量も味も同じでも、子どものことだからきれいな入れ物に入っていた方がずっと魅力的で、当たりの容器を受け取るうれしそうな子がとてもうらやましかった。

私も一度はそのきれいな容器で飲んでみたいと思っていた。ところが毎日、並ぶ時刻には何か別のことに夢中になっており、容器のことをすっかり忘れている。20人ぐらいがわいわいと並んでようやくはっと気づく案配だ。私が列の後に加わるころには先の方に並んでいる連中は金ぴかの容器があたってうれしそうに、もしくは、もうちょっとではずれたやつは悔しそうにしている。そういう様子を列ごしに見ながら、次こそはきれいな容器で飲みたいものだと毎回思っていた。たぶんそういうことを1年ほどは続けたと思う。

保育園では、子どもに速やかに並ばせるためにさらに巧妙な手を使っていた。高く積まれた容器の塔の半ばあたりに2つほど金ぴかの容器を混ぜていたのだ。つまり18番と21番あたりの子どもは、早く並んだ子に匹敵する容器で飲むことができる。最初の数人しか当たりがないとわかれば、子どもだってあきらめてちゃんと並ぶ気がない者が出てくる。ところが、真ん中あたりに当たりがあるとなると、それなりに早く並びながら指折り数えて当たり外れをどきどきしながら待つことができる。そのイレギュラーな当たりがあるのも、私はなんら意図があるものではなく自然現象だと思っていた、いずれにしても、私はおそろしく計画性と先見性のない子どもで、真ん中あたりに並ぶことですらかなわなかった。

そういう保育園の作戦に気づいたのは、それから30年もたってからだ。わけがわかって思わず苦笑してしまった。ビックカメラでは、100人に1人がただになるという無茶なキャンペーンまでやっており、いっそう並ぶことにいらいらさせられる。あれは買う前には楽しみだが、いざ当たり外れの段になると勝っても負けても虚しいのではいだろうか。結局、43年前に当たりの金ぴか容器を一回でも使ったのかどうかは定かではない。おぼろげながら、何とか当たりをとったものの味が全然ちがわないのでがっかりしたような記憶がある。


2006.1.5 ザクロとカマキリ

わがやのささやかな庭には、それにふさわしくザクロの潅木がある。背丈は胸ほどしかなく葉は小さくてまばらだ。アシナガバチがこの木を気に入って、毎年巣を作る。女王がたった一匹で数個しかない部屋をじっと守っている様子は涙ぐましいものがある。残念ながら、それらの巣は一度も成功したことがない。幼虫が育つ前にアリかなんぞにやられてしまうのだろう。わがやのザクロはアシナガバチの嗜好には合うようだが、環境が悪いようだ。高いところで、軒に作った巣はけっこううまく行くのだ。

また、そのザクロの木はなぜかカマキリに人気があって、毎年卵が産みつけられていた。春にはぞろぞろと子虫が孵り、庭中がカマキリで賑やかになったものだ。残念ながら今年はザクロにカマキリの卵はない。ザクロだけでなく、他の木にもない。秋には腹が膨れたカマキリのメスを何頭か庭で確認することはできたのだが、どういうわけか産卵には至らなかったようだ。

私の庭はささやかながらも3匹ぐらいのカマキリを養うだけのキャパシティはあると思う。それだけの自然の豊かさはキープしているつもりだ。今年は卵がないので、カマキリがやってくるかどうかはわからない。カマキリの子どもは生まれたてにはしきりに遠出したがるもので、ザクロの木から壁づたいに二階の屋根までどんどん登ってくる。さて、同様によそから私の庭にやってくるものだろうか。

環境が整っていれば生物がいるかというと必ずしもそうではなく、なんらかの事情でぽっかり穴が空くこともあるだろう。特に、肉食の動物は一度いなくなると長い空白が続くかもしれない。一時期、秋になるとわがやにもずいぶんジョロウグモがいたものだが、この2年ばかりは全くいない。その原因は環境ではなく、何かの偶然でしかないようにも思えるのだ。


2006.1.8 この冬の寒さについて

この冬は寒さが厳しいようで、私が住んでいるあたり以外ではずいぶん雪も降っている。12月の平均気温も例年より低い。ただ、私はそれを体感していない。いまわがやにはまともな暖房がない。女房の体が悪いので石油ストーブが使えず、床に電気カーペットを敷きその上で毛布にくるまっている。簡易式のこたつといえよう。そういういいかげんな暖房なのだから寒いのは当然で、特に今年の気象が異常だという感じはない。自転車で走っていても強風の日がないから思いの他暖かい。今年は秘密兵器として毛糸帽子をかぶっているのが効いているのかもしれない。そういえばまだ水道すら凍っていない。

私は特段寒いと思っていないけれども、動植物にはこの異常がダイレクトに響いているのだろう。例年だと窓の外にある梅は年末にぽつぽつ咲き始め、1月の半ばには半分ぐらい咲きそろうのにこの冬は咲く気配すら見せてない。正月ごろに必ずやってきていたツグミやシロハラやアオジがいっこうに姿を見せない。鳥のほうは気温がどうのこうのというよりも餌の関係か、あるいは大陸と日本海と日本列島をとりまく気流の関係でこの辺りに飛来することを避けているように思える。ツマグロヒョウモンの大発生、11月まで鳴いていたアブラゼミとか、なかなかスリリングな秋から冬だ。


2006.1.9 日記才人にちょっと感謝

調子をこいてナカガワで多摩川まで行ってきた。90キロコースだ。境川に出て北に向かい、桜美林大学の所から戦車道路にはいって、鑓水から16号線の八王子バイパスの脇の歩道とも車道ともつかない道をおりる。そのままバイパス沿いに八王子市街を走り、浅川を渡って再び16号にのって少し走れば拝島橋にでる。拝島橋を渡って多摩川の左岸のサイクリングコースを上流に向かうと玉川上水の取り入れ口があって終点だ。多摩川はなんといっても広々しているのがいい。無粋な柵がなくて開放的なのがよい。拝島橋から上流は河原に木や草がぼうぼうに生えているのも和める。境川ばっかり走っていると気がめいる一方だ。ただ、ちょっと遠いのが玉にきず。90キロもあると昼から出ると帰りは5時ごろになる。もうかなり日も長く、真っ暗というわけではないがもっと明るいうちに帰ってこなければならない。

日記才人がリニューアルということで、ブラウザがFirefox しか使えなくなった。いまはずっとPismo をOS9で使っているのに、Firefox だけとなると、マックではOSXにしなければならない。それも持ってはいるけど、Pismo には無用の長物だと思っていた。最初にOSXがでたときのPowerBookG4 が非常に重たくて印象が悪く、G3 400 Mzという貧弱なPismo ではとうてい使い物にならないだろうと予想されたからだ。

とりあえず、Pismo にはRAMもROMもメモリーだけは潤沢に載める。駄目もとで、ハードディスクを6ギガから30ギガのものに交換し、手持ちのPanther を入れ、順次各種のソフトをOSX用のものに変えてみた。すると、驚いたことに何から何まで快調だ。iTunes もブラウザも画像処理ソフトも、エディターも安定して早く動く。もちろんファインダーも十分軽快だ。ずっと、Pismo にはOS9が最適だと思い込んでいたのは誤解だった。このチャンスをくれた日記才人にはちょっと感謝だ。Pismo が最新機種によみがえったみたいだ。液晶は赤いけど...


2006.1.15 荒技。前玉外し

サンショウ

昆虫写真家の海野さんが小諸日記でカメラのレンズの前玉外しという荒技を披露している。細かいものを撮影するのに、フィルムのサイズの等倍以上に拡大して撮影しようとするとけっこうおおごとになる。そういう用途にカメラを使うのはプロばかりだから機材も限られ高価だ。先日のクロスジホソサジヨコバイだってけっこう苦労して撮った。海野さんによれば「前玉外し」をすれば簡単に2倍、3倍の撮影ができるという。ただし、それはかなりの荒技だ。

カメラのレンズは前のほうのレンズで風景を小さくまとめたものを後ろのほうのレンズで拡大してフィルムに投射するようにできている。その前の方のレンズ、通称前玉を外せば簡易な接写レンズのできあがり、ということらしい。ただし、当然のことながら市販のレンズは前玉を外して使うようなことは想定外なので、レンズを壊す覚悟は必要になる。

さすがにしばらく躊躇していたのだけれど、そういうすてきな話を聞いてはじっとしてはおれない。ついに、15年ほど前に買ったニコンの28-85 というズームレンズを引っ張り出した。これは最短撮影距離が大きいこと、オートの挙動がくるってしまうこと、描写が甘いことなどでさすがに時代遅れの感があり、使わなくなっていたものだ。そのレンズをしげしげ眺めていると、前玉を止めているらしい3本のねじを精密ドライバーではずせば前玉を取ることができそうな気がした。壊さなくても大丈夫かもしれないと、さっそくそのねじを外すとあっけなく取り外すことができた。

さっそく、S1proに取り付けてのぞいてみる。かなりクリアーに見える。35ミリ換算だとズームのワイド側で等倍、テレ端だと3倍ぐらいになっている。ワーキングディスタンスはあまりとれないので、半透明の白い板を拡散板としてレンズにセロテープで貼付けた。そういうアイデアも海野さんはホームページで公開している。なんて偉い人なんだ。

室内でいろいろ試したところ画質もよく、使えそうなので庭で何か撮ることにした。今日の写真はそうやって撮ったサンショウの先端だ。こいつは夏でもアゲハに食われておおむね丸裸だが、冬にはすっかり葉を落として枝と刺だけになっている。鉛筆の先程の所にこんな模様があることは写真にしてはじめて気づいた。どうやら葉の脱落した痕らしい。ストロボのあてかたを変えるといろいろな表情になって面白い。

荒技の前玉外しレンズは、倍率は28ミリの逆さレンズと同じぐらいだ。ワーキングディスタンスもほぼ同じ。画質は若干28ミリが勝る。最大の長所は「明るい」ことだ。28ミリの逆さレンズは絞り込んだ状態になるので、F22にすると真っ暗でピントも構図も何も見えず、めくら打ちになっていた。前玉外しレンズはF22でもF3.5の明るさで見えるから歩留まりが圧倒的によい。しかも、ズーム付きなのでサイズも変えることができる。動く虫なんかにはあまり使えないけれど、動かない相手にはうってつけだ。去年から凝っているハコベの撮影に重宝しそうだ。


2006.1.21 カンパ

またカンパを買ってしまった。自転車屋に注文していたコーラスというペダルが届いたのだ。私はいまさら自転車のペダルなんて買わなくてもよい。たくさん持っている。しかも最近のペダルはメーカーによって互換性がない。スキーとおんなじだ。シマノとルック用の靴は持っているがカンパニョーロの靴は持っていない。どれかをカンパニョーロ専用にしなければならない。

そのカンパのペダルを手に取ってしげしげと眺めてみる。一見して、ルックのものとシマノのSPDというシステムの間の子だということがわかる。近頃のカンパニョーロはシマノの後を追うばかりで全然オリジナリティが出せないでいた。さらに悪いことはオリジナルなものがことごとく失敗している(ように私には見える)ことだ。

それでも私はカンパが好きだ。

とてもきれいに軽く回る。ペダルの最も基本的なことをしっかり押さえている。分解してみる。説明書にはちゃんと分解の方法が出ている。自分の手でメンテができる、やる気になる、パーツが私は好きだ。自転車ぐらいは、構造をしっかり把握して自分の責任で整備調整をやりたい。自転車にブラックボックスの部分はいらない。かつてルックがやったような、ねじを逆に切ってペダル本体が心棒から抜けてしまう設計ミスがあったとしても、構造さえ把握しておれば未然に事故は防げるのだ。

説明書に日本語がないのもうれしい。確かにヨーロッパで走る一流選手に日本人はいないが、カンパの高価なパーツを買うのは日本のアマチュアが一番多いのではないかと思う。たとえそのことが確かでも、きっとカンパは説明書に日本語はいれないのだろう。その説明書には靴に部品をねじ込むには必ず付属のカンパのボルトを使えと書いてある。ほかのを使うと死亡事故を起こす危険があるということだ。私はそんな警告は無視して平気で日本のボルトを使う。頭の形状が同じならば問題ないだろう。日本製の極低頭ボルトがイタリア製に負けてたまるか、という自負があるからだ。それで死ぬなら本望といってもよい。


2006.1.22 新春

今日なんかはまさに雪解けで、春の気配がいっぱいだ。もうこの季節だと雪は春を予感させるものだ。しかし、梅はいっこうに咲く気配がない。赤い殻が割れてつぼみの白いのが出てくるのを今か今かと待っている。私が体感している以上にこの冬は気温が低かったのだろう。梅の花は地球の回転よりも気温のほうに反応する。シジュウカラなんかはもう春の気分満々だ。ひさしぶりにあのツーピーツーピーという声を聞くと、いくら寒い朝でも冬の気がしない。鳥は気温ではなく時間で春がくるんだろう。いわゆる新春というのはちょうど今頃のことだ。


2006.1.28 氷を撤去

雪になった先週の土曜から、スイレン鉢は厚い氷が張り続けていた。今日は寒さも緩んで、氷が一部融けて鉢に浮かぶようになっていた。そこで冷たい水に手を入れて氷を持ち上げた。厚さは5センチもあり、まあ立派なものだ。

ところで、この氷の下にはいくらかメダカがいる。一週間も厚い氷の下にいて大丈夫なのかと気になっていた。はたして、秋に生まれたメダカの稚魚は大半が息も絶え絶えで、死んでいるものもいた。氷が張るぐらい寒いときに動き回るのは得策ではないはずだ。親たちは半分泥に埋もれるようにして全然動かない。それなりに知恵もあるのか。何かの拍子に驚かしてしまうと、びゅっと泳ぐから冬眠というわけではない。

昼からは小鮎川、荻野川にいってフィルムで写真を撮る。しばらく前から「写真の面白さはフィルムのほうが上だな」と思いはじめて、フルマニュアルのカメラで撮っている。すると、駄目なものばかりができあがってくる。F4やS1proなどのいいカメラばかりをつかっていて露出やピントをいいかげんにする悪い癖がついてしまっていた。


2006.1.31 数字のパズルにはまる

やっと梅が咲いた。去年よりも2か月ほど遅い開花だ。奇しくも今日は雨、庭の雪も氷もすっかり融けた。雨に濡れるのもそろそろ苦にならない。春本番だ。

ところで、いまNHKのオリンピックデータ放送でやっているパズルにはまっている。なめくじベースの虫型キャラクターの絵を並べ変えるやつだ。この2日ばかり、田園都市線の車内では少年ジャンプあるいは正法眼蔵を読むか、そのパズルの数字配列を頭の中で思い浮かべて、よりよい解法を探っている。同じパズルは40年ぐらい前に薬を買ったらおまけでついてきたような記憶がある。横4縦4の計16マスに1番から15番までのパネルがバラバラに並べられており、一つずつ隙間に動かしていって1から15番まで並べられたら完成だ。マキロンだったろうか? 

私はかなりぼけが進んでいるとはいえ、IQで150ぐらいある頭のいいやつなので2分で解ける。肝心かなめの自転車乗りの素質は欠いているけれども、こういうゲームならばプロにもなれたろう。ただし、ただのプロでトッププロではない。パズルの仕組みはけっして複雑ではなく、あきらめず10分かければ誰でも解けるので2分程度では自慢にならない。いま私が思いついているのは、ひとつひとつ馬鹿正直に並べる方法で、習えば誰でも理解できてしまう。

天才ならば、私の思いも寄らぬ方法で解くはずだ。このデータ放送パズルは理論上は30秒でできる。実際にそれができると豪語する友人がいる。理論的にはそうだが私には複雑すぎて計算が追いつかない。かのルービックキューブも複雑なようで実は最短の解法は十数手ぐらいのはずだ。凡人は理屈で理解できるようにまず一面とか4隅をそろえる。それはかえって乱れを大きくして解決までの道のりを遠くしているにすぎない。このパズルもいま私がやっている1.2.3.4.5.9.13.6.7.8.14.10の順で並べるのは合理的なわかりやすい方法ではあるが、それでは1分すら切れない。その限界を意識しつつも、理解できるような形でないと解決できないのが凡人の悲しいところだ。いそがばまわれは凡人向けの格言だ。

ちなみに、16のマスに1から15までの数字をでたらめに配置しておくと絶対に解けない配列があらわれる。それは無数といっていい全配列のうちの50%なのだという。その問題は先の友人から聞いたのだが、それを数学的に証明するぐらいのことはたちどころにできた。あえて説明はしないがクイズの好きな人は考えてみるとよい。大学のセンター試験よりちょっと難しい程度の簡単な問題だ。


2006.2.5 源流を訪ねる

データ放送のなめくじパズルはおおむね1分45秒でできる。最速で54秒という記録を打ち立てた。私の方法でも「読み」ができ、数ある定石を駆使できれば常時1分を切れるはずだ。そこまで行く気はない。ひとまず満足。

以前から気になっていた境川の源流に向かうことにした。源流探検なんて子どもじみた遊びはいい大人のやることではない。大人はもっとまともなことを川から感じなければならない。境川はダムの放水路であり都市河川でもある。沿って自転車で走ると、昭和の終わりから平成にかけての日本の生活環境のすさみを如実に知ることができる。川は地域住民の品性を映す鏡で、道は地域住民の知性を映す鏡だ。境川はけっこう大きいにもかかわらず、どこまで行っても川らしい姿を見せない。住宅地を引っ掻いた溝の底を水が流れているだけだ。境川には延々50キロに及ぶ鉄製の無骨なフェンスが張り巡らされ、住民は川に気づかぬふりをしている。きれいでない水と散乱するゴミから目を背け、移動の邪魔物として疎ましく感じているようにすら思える。

なるべく境川にそって上流に向かう。もともと人間の性として川に沿って道はあるものだ。大きな川でも小さな川でもそれは同じだ。そうした小道は、都市開発による道路と住宅で寸断される。川には人の歴史があることが忘れられている。新旧つぎはぎの道は必然性を欠き方々で入り組み行き止まる。このサイクリングは始まったとたんに混沌の中に身を置くことを覚悟することになる。

ようやく境川が川らしい姿を見せるのは源流の杉林の中だ。幸い、幾本かの支流を探ると林業のための立派な杣道がついた沢があった。入り口には営林署の人たちがいて、歩けば尾根まで出られると教えてくれた。自転車で乗って行くわけにはいかないので、源流まで押して歩く。ひとまず水がとぎれて見えなくなる所を源流と呼ぶことにした。10分も歩くと目的の場所は見つかった。細い川底に自転車を置いて、杉の林の中に身を置いていると静かで気分がよい。

よく「黄河の最初の1滴」などとしょうして川を遡るテレビがあるがあれはインチキだ。情緒的には受け入れられるが現象を言い当ててはいない。川の源流とは流域のすべてをさす。降る雨の1滴も源流の1滴。私のかいたあせも最初の1滴。もっと大事な最初の1滴は地中にあって見えない。山の源流あたりだと川の本流は地下にある。ついでにテレビのインチキで、ブナの木なんかに耳をあてて幹の中を水が流れる音を聞くというやつがある。誰が言い出したものか。あれと同じ調子で、源流の川底に耳をあてて地下水がわき出す音を聞くというのも、情緒的な共感をよぶインチキとして使えるかもしれない。


2006.2.8 治水

境川は治水者にとって頭の痛い川にちがいない。川に沿って走っていると、大小多数の遊水地を目にすることができる。特に大型のものが中流で建造中だ。私が境川で遊び始めたこの数年で少なくとも2回氾濫を見ている。堤防から水が道路や田畑にあふれ出ていた。ふだんの温和な境川からは想像もできないことだ。境川流域の地形をみるならば、けっして大暴れをする川のようには見えない。東は鶴見川、西は相模川という立派な川に挟まれた狭い地域の「溝」であり、源流になっているのは標高200mに満たない丘陵でしかない。その狭い地域に多少雨が降ろうとも、それほどたいしたことはなかろうと思われるからだ。

ところが、私はある夏の日に恐るべき光景を目にした。時間30mm程度の集中豪雨が極めて短い時間降った後で、境川の水が一気に増水したのだ。単に水かさが増えるというより、津波のように上流から水が押し寄せてきた。増水の先端は高さ1mの水の壁ができており、大小のゴミを伴った濁流が一気に押し寄せ、いまにも堤防を越えそうな勢いだった。

いくらなんでも、集中的に雨が降ったぐらいであんな鉄砲水のような増水が起きるはずがないと思った。おそらく上流にあるダムが警戒水位を越え放水したのだろうと、そのときは結論した。むろん放水の警告はなかったので、逆に、境川に無骨な鉄柵が張られて人を近づけなくしていることに合点がいった。なんの予告もなくあんな大放水をするならば、川原で遊んでいるすべての人は溺れ死ぬ。普段から川に近づけないようにし、学校でも口をすっぱくして境川では遊ばぬように子どもを注意しているのだろう。


2006.2.12 利水

境川のダムといえば、有名な本沢ダムでありダム湖は城山湖である。私も当初は、境川は城山湖の放水路だと思っていた。しかし、城山湖に出かけて見物してみると、境川方面には放水の設備が見当たらない。そもそも、よく知られているように城山湖は揚水式発電の人造湖であるから、大雨によって水があふれる危険性も少なく、あえて都市河川の境川を排水路にする必要もなさそうだ。かくて、あの集中豪雨のときの増水はいったいどういう要因で起きたことかと考えこむ。

町田市などの流域に降った雨はすみやかに境川に流れ込む。流域は大半が都市化されているので地面にしみ込む分は少ないだろう。市街を流れる雨水は汚染されているので一部処理場に入るだろうが、多くは境川に直接入るはずだ。また、境川を観察するとすぐわかるように、中流から水量が圧倒的に増え、水もきれいになる。それは、相模川水系から水を引いているからだ。境川は一部農業用水に利用される程度で周辺の都市の水をまかなうのは相模川の上流にあるダムである。そうした使い古しの水が浄化されて境川に流れ込んでいる。だから、本来その水系から集まるぶん以上の水が境川に入ってきている。


2006.2.17 フィルム写真

源流

今年になってから、自転車遊びにフィムルカメラを携帯することが多い。それも、ニコンの大昔の完全機械カメラだ。写真はそのカメラで撮った境川の源流だ。フィルムを直接スキャナで読み込んだ。いまのデジカメなら画質という点ではフィルムに負けない。いまの最も普通に使われているフィルムは富士の400ネガだろうと思う。この写真もそのフィルムだ。場所が杉林の山中で真っ暗なので色がよく出ていない。粒子のざらつき、コントラストの不連続も気になる。この程度のものなら、かえって小型のデジカメのほうがよく写るぐらいだ。しかもフィルム代と現像代がけっこうかかる。

あえてそういう不便をしているのは面白いからだ。まず、ファインダーをのぞいたときに被写体との一体感がある。小型デジカメの液晶モニターを見ながらの撮影はちょっとよそよそしい感じがある。つぎに、緊張感がある。記録という点では何でもかんでもカメラ任せですんでしまうほうがよい。作品という点でも楽にきれいに写っているほうがよい。プロならば低コストで歩留まりがよいほうが好ましい。その点では最近のカメラの優秀さはありがたい。ただの素人としてカメラを持っている限り、効率も歩留まりも問題にならない。楽しみは撮るということ自体にもある。一枚一枚をカシャッと撮ることそのものが楽しみならば制約が大きく腕が要求されるカメラのほうが面白い。自転車は移動のための手段ではなく、ただ乗るために乗っているのだからカメラも同じ理屈だ。さらにはポジのフィルムを手にする慣れ親しんだあの感じはちょっと捨て難いものがある。


2006.2.19 意識がとぶ不安

胃の腫瘍の具合を見るために胃カメラを飲んだ。前回担当のお嬢さんは大変すてきだったので、淡い期待をもってこの日を迎えた。けど、ざんねん、ちがう人だった。こういう場合はチェンジを申し出るわけにもいかない。思わせぶりな黒い口紅もいくぶん疲れ気味の職業的笑顔も考えようによってはそれなりにかわいらしいので、まいいか、と気持ちをいれかえた。娘さんはそういう男の軽い失望と心の揺れ動きを敏感に感じとるものだ。さてその揺れは病気と診療への不安なのか、女への肉欲によるものなのか。そこにコスプレナースと客の間にはない看護士と患者ならではの緊張がある。

胃カメラというものは無抵抗な状態で横になって口腔に異物を挿入されるというある種性的な行為でもある。しかもマゾヒステックだ。まっとうなオヤジとして、倒錯的趣味に踏み込むのは気が引けるが、胃カメラなら医療行為だということで大手を振って受けられる。かわいらしいお嬢さんに、あれやこれやとずぶずぶされるのは望む所だ。

カメラを飲む準備として蠕動を押さえるための薬を飲み麻酔の注射がある。診察台に横になって腕を差し出すと、もう覚悟をきめた生娘の心境だ。「いやあ最近の注射は痛くないんだよね。針がよくなったのかなあ。腕がいいのかなあ」というお決まりのつかみをかます。そして次に気がついたとき、廊下の椅子に座っていた。その間の記憶がとんでいる。食道あたりに違和感があるので診察は終了しているようだ。終わったときに、少し休むことをすすめられて廊下を歩いたような記憶もおぼろげにある。

残念なことに麻酔が効きすぎたことと日頃の睡眠不足がたたって気を失ってしまったのだ。私は泥酔することがないので、記憶を失った経験がほとんどない。人生に空白の時間ができることは非常にうしろめたく不安なものだ。知らぬ間に目がくりっとした色の黒いお嬢さんに無茶をしでかしたのではないかと心臓がどきどきする。ま、やっちまったことはしょうがないし、イタズラされたとすればそれも望む所だ。

ところで、毎日毎晩睡眠時の意識の喪失は不安なく受け容れている。今回のような失神と睡眠の違いはどこにあるのかちょっと気になった。入眠への心構えのあるなしか、それとも連続性か。意識が回復したときに注射を受けた診察台の上に乗っていれば不安はなかったのか? なかなかこれだという回答が見つからずちょっともやもやが残る胃部検診になってしまった。


2006.2.21 カーリングの腹立たしい実況

源流

NHKのテレビでカーリングを見て、どうにも実況に我慢がならなくなった。私はストーンは1回しか投げたことがないという素人でファンですらなくルールなど全然知らない。それでも、交互に投げて結果的に真ん中に一番近い所にストーンがあれば勝ちという基本的ルールはテレビで見て知っている。あの実況者はそのルールすらも自分の口で言っていても頭では理解していないようだった。イタリア戦の最終局面、日本チームのスキップ小野寺は難しいショットを決めようとしていた。ストーンを中心に置ければ勝ち、ちょっとでもずれればイタリアに大チャンス。大失敗すればイタリアの最終ショットを待たずに敗退という局面だ。結果は、一番近いところにストーンを置くことはできたものの、狙いとは50センチもずれて、イタリアにチャンスを与えてしまった。ミスはその場の選手全員がわかっていたことで、エースの小野寺も人気沸騰中のまりりんも「私たちはせいいっぱい戦ったのだから」とあきらめているように見えた。ただ一人解説者だけが、まるでミラクルショットを決めたかのようにはしゃいでいた。あれはイタリアが最後の1投でよっぽどのミスをしない限り負けになる局面だったはずだ。イタリアは右側からストーンを中心に入れさえすればよく、強く投げても小野寺が投げたストーンで止まるので力加減も簡単だったはずだ。結果的にはイタリアの失投で勝ちを拾ったから、ミスがミスに見えなかっただけだ。

春もいよいよ本番で、わがやの庭にも日の射す時間がながくなってきた。地面が暖まると草が芽吹いてくる。日に日に増える草の芽吹きを観察するのが楽しみだ。今日はレンゲの芽を見つけた。レンゲは数年前に種をまいてほったらかしている。毎年一つか二つがほそぼそと成長して花をつけている。今年はこの芽の花を見ることができるだろうか。


2006.2.22 萌え

芽

今日も萌え画像をうpした。「萌え」ということばは草の芽吹きに使われることはあまりない。私が物心ついたときにはこの単語自体が死語で、一部のフォークシンガーが使っている程度だった。それが何がどうなったものか、最近では全く違う意味のことばとして使われはじめている。もしかしたら日本語として定着するかもしれない。

私は萌えといわず「すてき」という。そのほうがずっと心にしみる。新しい意味での萌えには違和感を感じるので使わない。かといって、萌えに反感をもつわけでもない。伝統的な使い方の萌えにしてもこれまでに数回しか使ったことはないので、どうなろうと惜しくない。まあ、どうにでもなれ。

ことばの意味には国語の試験で点になるかならないか、あるいは馬鹿と思われるか賢いと思われるか、あるいは使用者が特定のグループに属するかどうか、というような判断があるだけで、正解も不正解もない。従来の用法に固執するのは頭が固くなってきたことの証拠で、誰にでもやってくる老化現象の一つだ。平安時代だって「近頃はなんでもかんでもうつくしうつくしという若者が増えてきた。かなしあるいはすがしというべきところをうつくしというのは日本語の乱れだ」などと騒ぐオヤジがいたはずだ。


2006.2.25  美姫

日本人で美姫という漢字をあてることは珍しいのだろう。その名のついた人はまだ2人しかしらない。どちらもその名のとおり美しく、かわいく、元気な娘さんだ。ミキティにとってはトリノオリンピックは屈辱の大会になった。彼女はジュニアの世界チャンピオンであり日本一にもなっている。これまで幾度か負けは経験しているだろうが、今大会ほどの敗北は喫してないだろう。

敗北感はいっぱんには弱い者が味わうものだと勘違いされている。しかし凡庸な人間があじわう敗北感なんてものは所詮は平凡なものである。世界の頂点に立つだけの素質がありそのための努力を積みぎりぎりの勝ち負けの舞台があってこそ味わえる敗北感がある。トリノでも、もし荒川や村主が負けていればミキティの敗北感もまた違ったものだったかもしれない。彼女が、かつては打ち負かしたライバルたちが最後の舞台で勝ったことがより大きな衝撃を与えたことだろう。大きな敗北には強力なライバルが必要なのだ。

彼女は惨敗のあと逃げることなく、荒川、村主両選手がオリンピックの舞台で勝ち残る姿を観客席から見つめたのだと思う。そして最高の技を持っているコーエンと無敵のはずのスルツカヤ、おそらくはミキティが4回転サルコウを決めていても勝てない選手たちがもろくも敗れ去る場面も目の当たりにしたはずだ。

ミキティは自分が勝負している舞台がいかに過酷で恐ろしい所であるか、そのぶん勝者がどれほど大きな栄光をつかみ取るのかを心に焼き付けたろう。彼女は近いうちにこれまでの人類がなし得なかった技を身につけて世界の頂点に立つだろう。私もかつて、ささやかな舞台でしかなかったが、世界チャンピオンの座から引きずり降ろされたことがある。その時点で自分の限界を思い知り再び立ち上がる気力はなかった。ミキティはそんな弱虫ではなく本物の天才なのだから。


2006.3.3  炭素は物が燃えるとできる物質ですか?

子ども向けのテレビ番組を見ていると「炭素は物が燃えるとできる物質です」とコメントされていて、なんとむちゃくちゃなことを言い出すものかとショックを受けた。番組は発明王エジソンが電球を作るとき、フィラメントに苦心し様々な金属を試したのち日本の竹からつくった炭素に行き着いて成功したというものだ。そこでいきなり「炭素とは・・・」と解説するのも唐突だが、その内容がでたらめだ。21世紀、科学の時代に生きる者として、また一時期、テレビの科学番組の監修で生活費をかせいでいたこともあり、ここは一つ番組制作者に苦言を呈するべきではないかと思った。

ただ、私は科学に関して世間とのずれの大さをいつも感じており、テレビコメントの正誤を自分の感覚で判断するのは危険だと思っている。念のためにまわりにいる常識人と思われる者たちに「炭素は物が燃えたときにできる物質ですか?」と聞き取り調査をしてみた。結果、東大を卒業している成績優秀な人も、早稲田を卒業したそれほど優秀じゃない人も、全員がテレビを変だと感じなかった。逆に、そういうわかりきったことをあえて聞いてくる私は変人だと思われたようだ。ともあれ、この件ではテレビ番組のほうが正しく、そこにひっかかる私のほうがおかしいという結論を得た。

事実、火事で燃え残った家屋の柱は炭になっている。さんまを焼きすぎると炭になる。炭とは炭素にほかならないのだから、炭素はものが燃えてできる物質といわれても気にならないのだろう。死体を燃やして骨ができるというのも常識的には正しい。

となれば私は黙って世間に従うべきだろう。よくよく考えてみれば「炭素は物が燃えるとできる物質です」というのは科学的にも正しい。この宇宙の常識ではものがもえるというのは核融合のことであり、地球上の酸化反応など無いのと同じだ。われらが母なる星、太陽の中では炭素や酸素ができているというようなことも聞きかじったことがある。いまはテレビに意見したところで謝礼がもらえるわけでなし、聞かなかったことにしておこう。


2006.3.5  ハコベの観察

芽

春の遅いわが庭でもようやく花が咲き始めた。一番最初の花はハコベだ。去年からこのハコベに入れ込んでいる。今年は2、3のことが確認できた。まず、ハコベの花は数回開くこと。朝に開いて夜には閉じている。この日周運動がどういうスイッチによるものかはまだ調べていないが、一個の花が何回の開閉をするかを調査中だ。また、最初に花が開くときには、オシベにはカプセルがついていて、花粉がむき出しになっていないようだ。途中でカプセルが破れて花粉がでてくる。最初は自分のメシベに花粉がつくことを嫌っているのかもしれない。花粉の媒介者はアリを確認している。こういう調子でいろいろ調査していくと、ハコベから大いに学ぶことがありそうだ。

ハコベの花はとても小さくて直径が5ミリほどしかない。もはや私の肉眼ではオシベの数さえ確認できない。やはり、デジカメで接写をして記録をとっておくのがよい。何気ない写真でも何十、何百と見ているうちに思いもよらぬ発見がある。今のところ、ニコンの古いレンズを改造したデジタル一眼が大活躍しているが、それにも増して威力を発揮しているのが、ニコンのクールピクス990だ。このデジカメはハコベを撮るにはもってこいである。334メガもあるCCD、置きピンで2センチまで寄れる接写、回転するレンズ部、とすべての条件を満たしている。地面に置いて小さな花をあおりで撮るのも簡単だ。今日の写真はただ撮っただけで背景の処理もまずく、うまい写真ではないが工夫次第でかっこよくなるだろう。

ところで、クールピクス990はもう数年前に製造中止になったモデルである。このタイプはしばらくクールピクスの最上位モデルであったのに今はもう開発がされていない。しかも、995以降は電池が専用のものとなり使い勝手が悪くなった。デジカメはモデルチェンジでバッテリーが入手できなくなると、壊れてなくてもゴミになる。なんだかんだといっても、990が単三型の電池が使えるので安心だ。念のために、現在2台所有している。


2006.3.6  ハコベはやりたい放題

いやなことばかりがあってとぼとぼ帰宅している深夜、梅の花が臭ってくるとがぜんこの世はまんざらでもないという気がしてくる。梅はよい植物だけど私には高嶺の花なのでよその家の物を指をくわえて眺めるのにとどめなければならない。

その点、ハコベは良いところに目を付けたと自分で自分をほめてやりたい気分だ。わが家だけでなく、それこそどこにでもある草なので屋外にいれば見放題。ちょっとでも時間があれば観察できる。花にはアリとかハエとかどんな虫が来たか来なかったか、いつごろどんな天候でどの向きに花が咲いているかとか、それなりのデータはとれる。花の期間も比較的長い。花が終わっても草体自体は年中あることがわかっているので、それがいったいどのような経緯であるのか、毎年の実生なのか多年草なのかとか、調査のネタは尽きない。

さらに良いことにはハコベは単なる雑草なので、道ばたでも庭でも抜き放題だ。私の庭には一見雑草のようだけど、じつは女房がよそから注意深く誘致したものもあるのでうかつには抜けない。「雑草のようにたくましい」などと言われることがあるけれど、あれは雑草を知らない者のいいかげんな言い分だ。雑草は集合としては年中所かまわず茂り、刈っても抜いてもどんどん伸びる印象がある。しかし、個々の草体はおどろくほど短命なものが多い。よく見る雑草でも近所に供給元がないと生えてこない。ギシギシやスズメノテッポウなんて10年待っても我が家には来ないだろう。欲しくても日照や水の条件が合わないと定着しない。環境があっているはずのものがいつの間にか消えてしまったりする。種類ごとに繁茂競争が熾烈なようだ。わが女房は数年前にオオイヌノフグリ、ヘビイチゴなどを移植してきた。オオイヌノフグリなんかはしばらく順調に生い茂っていたけれど、去年は衰退した。ひとまずハコベは勝手に生えている雑草で庭で観察し放題。今年もけっこうな勢いで育っており、小さな芽があちこち土の中から顔を出している。

こちらはしょせん素人なので、まじめにやれば調べられることはすぐに尽きてしまうのかもしれない。ただし、私は東京に通うサラリーマンである。ハコベには一日平均数分しか時間がとれない。したがって、こちらが飽きるまでテーマは尽きない自信がある。たとえば目下は一個の花が何日にわたって開閉するのかを突き止めることにある。しかし、午前中出勤前に見るとつぼみは開いていない。夜に帰宅して見るとつぼみは閉じている。はたして昼間に開いていたものかどうかがわからない。そうなると、次男あたりをやとうのがよいのだが、これがまた忘れずに見るかどうか心許ない。かくてぐずぐずしている間に春は終わってしまうのだ。


2006.3.7  花が伸びた

ハコベの花を調べるのにきわめておおざっぱで手軽な方法を用いている。つぼみの一つに針金を巻きつけて目印にしておくだけだ。針金は一方を地面に挿して、一方をつぼみに巻いておく。ハコベの花は小さくて弱いので、糸やテープを巻きつけておく方法はとれない。また、花は動いているので、そばに目印を置いているだけでは調査対象のつぼみが変わってしまうおそれがある。

そうやって一つのつぼみにしぼって毎朝継続的にチェックをかける計画だ。早くも2日目にしてちょっとした発見があった。つぼみと茎をつないでいる花柄とよばれる部分が伸びているようなのだ。日曜に針金を結んだときには、5ミリぐらいしかなくけっこう結び難かった印象があった。それが今朝みると針金がほどけかかっているようなので、なにげなく巻き直そうとして、花柄が1センチぐらいになっていることに気づいた。

開花の前に花柄が伸びるのはハコベに特異なことではない。よく知られている花では桜がある。ハイスピード映像で花柄が伸び花びらが開くソメイヨシノの映像をよく見ている。珍しいことではないが、手をかけてはじめて見つけたことなので面白さもひとしおだ。


2006.3.11  7個のおしべ

ハコベ ハコベ

朝から晴れて暖かく、絶好のハコベ日和であった。そそくさとクールピクスをさげて庭に出ていくつか撮影した。パソコンでその画像を見ていると、おしべが7個もある花があることに気づいた。はじめ、ハコベのおしべは5つが基準で、4つや3つのものは途中で脱落したのだろうと思っていた。しかし、その数は個体差があって一定ではないらしく途中から脱落するものでもないようだ。今のところわが庭では最大が7、最小が1の花を確認している。

今日の写真は同じ花をとったものだ。左がクールピクス、右がデジタル一眼のファインピクス。左の写真を撮って、おしべが7つあることに気づき、もっと大きなカメラでアップにしたのを撮ってやろうと撮りなおしたものだ。この2つを比較すると、画面一番右のおしべの形が違うことに気づく。私はハコベのおしべは当初は紫色のカプセルに入っていて、花が開くとカプセルがはずれて中の花粉が露出するのだと予想していた(一回目の開花で全部とれるとは思っていない)。はからずしもそのことをちょっとおしべが多い花のおかげで確認できた。ちなみに左と右の写真の時間差は30分ほどだ。


2006.3.14  早合点

針金

かなりひどい思い違いをしていたようだ。というのは、目印をつけた「つぼみ」が待てど暮らせど開く様子を見せないのだ。写真のものがその対象の「つぼみ」である。すぐにでも開きそうだったから、針金を巻いて印にした。その後、花柄が伸びたので、開く前にそうなるものだと思い込んでいた。しかし、「つぼみ」は一週間たっても開かない。さすがに何か変だと反省した。

結論はどうってことない。この目印をつけた花はもうすでに咲き終わって種を作る段階に入っているらしいのだ。花柄が伸びたときにちゃんと観察すればわかったことだが、まさに咲いているときの花の花柄はこんなに長くないのだ。花が咲いた後に伸びるらしい。何に浮かれたものか、思い込みで盲目になっていた。

というわけで、花の咲き方については新しく目印を付け直して研究しなければならなくなった。怪我の功名とでもいおうか、もっと効果的に花に目印を付ける方法がありそうな気がしている。それを見つければ、やってよかった失敗になるというものだ。花びらをハサミで切っておくとか、マジックインキで花びらに印をつけるとか。本格的に植物学をやる人たちには定番の方法があるのだろうが。


2006.3.19  雨のサイクリング

通行止め

とにかく坂を登りたくなって、半原1号を引っ張り出した。向かう先はとうぜん半原越だ。崖崩れが起きたこともあって、先の冬は一回も半原越に行かなかった。ちょっと山と体の様子をみたい。木がどれぐらい芽吹いているか、春の花は咲いているか。しばらく登りを休んだために増長して強くなっているような錯覚も起きている。

相模川を渡る所でいきなりの雨になった。時雨だ。ちょうど北陸地方の晩秋のような感じの冷たく大粒の雨が落ちてきた。クールピクスを持っているので先に向かうのはためらわれたが、気温もそれほど低くないし春雨だからとかまわず進むことにした。カメラも大丈夫だろう。ウエストバックを腹に巻いて前傾で乗っているとそれほど濡れないものだ。いざとなったらコンビニで袋をもらおう。

清川村の春はとてもきれいだ。白梅、紅梅にレンギョウ、キブシ。雨でも来てよかった。さて、肝心の半原越は2kmをすぎたところのゲートが品のない看板とロープのバリケードになっていた。へたな字でなにやら書きなぐった注意書きを読むといくつかのことがわかった。昨年は岩が落ちて車が通れなかったために通行止めの表示があっただけだが、いまはわざわざ自転車も駄目、登山者も駄目と書いてある。その理由は、岩を谷に落としているから、というものだ。たしかにそれは危険だ。また、工事は3月いっぱいで終わるということなので、4月を楽しみにしよう。アスファルトを割ってスミレが咲いていたのでせっかく来たのだからと撮影しておいた。

雨はどうもいけない。雷まで鳴っている。顔にあたる雨粒がやけに痛いと思ったらあられが混じっている。背中が肌まで濡れるとさすがに寒い。特に足がいけない。道路にたまっている水を前輪が巻き上げ容赦なく靴にかかる。中まで水浸しだ。冷たい。あられといえば氷で、氷の融けた水がかかっているのだから冷たいはずだ。帰宅して半原1号を拭いて、風呂にはいって散髪にいった。


2006.3.21 立春

庭でハコベの撮影をしていると、いろいろ動き回る虫が目につくようになった。クロナガアリが何やら種を運んでいる。ぶんぶん飛び回るのはハエとヒラタアブだ。ヒラタアブの動きはどうやら産卵のようだ。シャッターチャンスを狙う。このアブは全然人を恐れないので実に撮影がしやすい。卵は白くて細長い。1mm程度のサイズで、肉眼では卵なのか抜け殻なのか、幼虫なのかさっぱりわからない。ただ、緑の草の上で白は目立つ。注意して探すといくらでも見つかる。草の種類を選ばずたくさん産みつけている。草を接写した写真にはときおり微小なアブラムシも写っている。こちらは目立たないけれども、すでに無数といっていい数がわいているだろう。これからアブラムシは爆発的に増え、ヒラタアブやカマキリやクモの餌になる。

午後からは境川にでて向かい風の中を40km走ってきた。ちょうど1時間走った所に100円のコカコーラの自動販売機がある。100円というのがありがたくいつもそこで買う。工事現場の空き地のような場所で、柵の中に販売機があり人を寄せ付けない雰囲気がただよっている。私以外に客を見たことはない。今日は首尾よくコカコーラを買ったつもりが、良く似た色のネクターピーチのボタンを間違って押してしまった。仕方なくコーラとネクタ−と2本飲むことにした。腹がたぷたぷだ。本当はペプシの方が好きなんだけど、この自動販売機の100円ペプシは残念ながらレモン味なのでいただけない。

前回、コカコーラをポケットにいれて自転車に乗っていたところ、するりと缶が落ちてしまった。コーラの缶はやわでアスファルトに落下すると穴があいて中身が吹き出してしまう。慌てて拾っても半分がこぼれてしまった。半分では飲み足りず、かといってコカコーラをもう1本買う気もせず、しかたなくレモンペプシを買って飲んだ。やはりまずい。自転車に乗っているときにあれはちょっと味が濃すぎる。

立春といえば、私の元旦にあたる。一年の始まりの日なので身だしなみを整えようと思った。2回風呂に入って頭を4回洗い、すね毛をきれいに剃った。


2006.3.28 魅上はノートで操られているのか?

朝、空き地でキジバトがなにかをしきりとついばんでいるのを見つけた。どうやら、ハコベをつついているらしい。くちばしでぐっとかんで、首をふって引きちぎって食べている。食べているのは虫ではない。どうも、ハコベの種らしい。ハコベは極めて小さい腎臓型の種をつける。種は茶色でつぶつぶがある。花の咲いた後の萼片に数個がつつまれている。簡単には落ちないように萼片は口を上に向け、種が熟すまではとがんばっているように見える。キジバトはその種をつついて食べているように見えるのだが、はて、あんな小さな種でも腹の足しになるのかとちょっと気がかりだ。単に野菜としてハコベを食っているのかもしれない。また、キジバトが意外にもハコベの播種に一役買っているのかもしれない。

デスノートは予想通りノートのすり替えという展開になった。ニアが魅上の持っているデスノートをすり替えることは物語の展開上すぐに読めた。もちろん夜神もそのすり替えに対しては策をこうじているはずで、その勝負を楽しみにしていた。ところが、今週号はそのからくりの一切合切があまりにもあっけなく披露されていた。こうなると、もう一波乱起きなければならなくなる。どうあっても、ニアがもう一度はどんでんがえしをおこなって夜神を窮地に追い込まないと面白くないからだ。そのどんでんがえしの方法は一つしか思いつかない。魅上がニアに操られて、夜神の忠実な僕を演じつつ、自らがノートの二重すり替えに気づかないという設定だ。先週、今週のシーンは魅上が正気を失ってデスノートで操られていることをそれとなく示している。ところが、これまでの展開では魅上がニアによって操られるかもしれないと臭わせるような伏線はなかったように思われる。またデスノートが心配になってきた。


2006.3.29 コップの中の種

種

4日ほど家をあけて能登のほうを旅していたので、庭のハコベもしばらく観察できなかった。久方ぶりにのぞいてみると、いろいろな草が伸びてがぜんにぎやかだ。特に、タチイヌノフグリが咲き始めていて驚いた。というのは、家を空ける前にはハコベの群落の中でタチイヌノフグリは確認していなかったからだ。この草が庭にあることは知っており、思えばハコベの場所にもあったはずなのだけれど、ぜんぜんその存在に気づかなかったのだ。疑いの目で眺めてみると、同じ草むらにヘビイチゴも見つかった。こんな大事な草に気づかないとは....ハコベに目くらましをされた心境だ。そういえば、ヒメオドリコソウはこの4日で背丈も数も2倍になった。そんな中でハコベだけが前とまったく変わりなくみえているのは人間精神の何かを示しているような気がする。

たぶん植物学では咢でできたコップのことを外花被とよぶのだろう。写真はハコベの外花被を上から覗き込んだものだ。中には茶色の種ができている。このように、器で守っているみたいな格好で種が熟すのだ。ハトがつついていたのはこいつに思えた。考えてみると、体の大きさの比だって私とキジバトでは10倍以上あるのだから、彼らにとってみればハコベの種は、大豆とかピーナッツに相当するサイズに見えているのかもしれない。そうなればこの季節の食べ物としてけっこう重宝されてもおかしくはない。


2006.3.31 種

種



ハコベをちぎってきて取り出した種だ。下の方にある黒い影はプラスチックの物差しで、サイズを測るために置いた。直径は1mmもない。まだ熟しきってはいないはずだ。もう少し熟すと、継ぎ目が開いて腎臓というかクロワッサンというか、そういう形になるのだと思う。


2006.4.1 半原越はまだ通れず

先週に訪れたとき、工事期間は3月31日までとなっていたので4月1日の今日、いそいそと出かけていった。もちろん半原越だ。1時間乗っても上半身と下半身、左脚と右脚がばらばらに動いているような違和感がある。自転車は繊細な乗り物である。今シーズンは半原1号にまだなじんでいないのだ。顔に当たる風はまだ冷たいけれど清川村はアカヤシオが咲き始め、ずいぶんきれいだ。周辺の木々が芽吹けばほんのひとときこの世のはほろば、桃源郷のおもむきになる。

半原越の入り口でいつものようにタイマーをセットした。今シーズン1発目のタイムを取っておこうと思った。もう1年ぐらい記録をとっていないことになる。41×17Tでぐいぐいと橋1まで2分強で行く。リッチランド手前の急坂でちょっとばてる。2km の緑電柱チェックポイントでは7分49秒。まあこんなもんという感じだ。

さて肝心の工事はまだ終わっておらず、通行止めは解除になってなかった。うしろめたさのためか、工事期間の看板は3月31日までという部分がしっかり消されていた。新たな日付はない。証拠隠滅の臭いがする。この調子だとあと半年ぐらいは駄目かもしれない。そうすると半分しか遊べない。ハーフ半原。帰りにリスを2匹見つけてうれしかった。リスは普通のけもので、けっして少ないものではないのだけど、見つけるとみょうにうれしい。


2006.4.2 濡れて気持ちよいか

すぐにでも雨粒が落ちてきそうな天気だ。こういう日はちょっとためらう。うらなう意味でも午前中は畑に行って農作業を手伝うことにした。イチゴの苗を抜いて移植する作業。イチゴは地中にランナーをのばしてランナーの途中からまとまった根を張り茎を伸ばして花をつける。去年植えて伸びるにまかせていたのをばらばらに抜いて畑の畝に植えかえる。しばらく畑仕事をしていても雨が落ちてこない。気温もけっこう高い。ならばとナカガワを降ろして境川にでかけることにした。

私は雨のサイクリングが好きだ。気温さえ高ければ濡れても気持ちがよく景色もぐんときれいだ。しかも道がすいているのがよい。雨の日は人気の境川とはいえ散歩をしている人が少ない。犬と人間のペアを後ろから抜くときはいつも気を使っている。どうにもいまどきの犬は危険を察知する能力が落ちているようだ。動物的カンとやらはどこへ行ったのだ。

向かい風が非常に強い。南よりの風だから低気圧は西の方にあるのだろう。天気予報通りだ。風に向かって時速30km弱で走る。ちょっと風が冷たい。寒いのは苦手だ。ちぎれたような黒い雲が南西の風に流されている。ぽたぽたと鼻水がたれてトップチューブに落ちている。もう濡れるのはやだなと思った。温暖前線だからいきなりがつんと降ることはあるまい。雨の最初の1滴が顔にかかるのを合図に引き返そうと決心した。


2006.4.4 冬と春と春と冬

雨上がりの夜明けの桜がやけにきれいだ。珍しく空気が澄み、花びらは昇ったばかりの朝日に赤く染まる。宣長の大和心は山桜であったけれども、ソメイヨシノも今なりの大和心をうつしている。やはり春、花といえば諸行無常だ。ぱっと咲いてぱっと散る。花も人もとどまることはないけれども季節は巡りまた冬が来れば春が来る。

今年の春は輪廻転生のひと巡りをいくつか見た。まず、オニグモ。数年前に観察していたちょうど同じ場所にまた巣を作っている。近所の広い庭がある住宅の家屋と植木と電線の合間だ。見つけたときに強い既視感があった。このあたりではオニグモは決して多くはない。それが全く同じ所に巣を作っているのだから、よっぽど巣作りに適した場所なのだろう。かといって何が彼らの造巣意欲をかき立てるのかがさっぱりだ。オニグモは幾度か誘致を試みて失敗している。彼らに何かのこだわりがあるというのなら、安易に連れてきても定着は難しいだろう。

つぎに境川のミノムシ。寄生バエにやられたものか、ミノムシはひところは少なかった。本当に絶滅してしまったかと疑うぐらい少なかった。それが昨冬から俄然目につくようになった。いつも走る境川の20キロの片道ですら2か所も発生木を見つけている。驕れる者も久しからずで、栄華は決して長く続きはしないが、衰退だって必ずしも永続するものではない。諸行無常とは敗者が復活することも言うのだから、諸行無常といって達観しているようすではまだ青い。


2006.4.9 半原越の桜

半原越

半原越の山並みを東側から見ると、白い花をつけた木がやたらと目につく。どうやら山桜のようだ。毎年4月になると「東京というところはこんなに桜が多いのか」と感慨を新たにするけれども、周辺の山だって負けていない。

しばらく通行止めになっていた半原越が開通している。入り口の坂下バス停付近で清川村の風情を撮影していると、数人の自転車乗りが半原越からおりてきた。それで開通が予想できた。

半原越の西端コーナーとよんでいる付近は桜が植えられている。ちょうど今日が満開のようだ。ソメイヨシノにしては花がすくないのは、木が弱っているからだろう。花の終わった後でないことは散った花びらが少ないことでもわかる。ツマキチョウやウスバシロチョウには若干早いらしく、天気がよくて気温も高いのに一匹も見つけることができなかった。

ガードレールに自転車をとめて花だの何だのを撮っていると、ロードレーサーが快調な速度で登ってきた。一番きついあたりなのに、にこやかに「こんにちわ」と挨拶ができる強者だ。半原越が開通して神奈川一円の自転車乗りはみんなうれしいのだ。



2006.4.10 手強い老人

幸いにして私はそういうことを考えなくてもよいのだが、私の会社でも商品を開発して売らなければならないグループがある。とりわけたいへんなのが隣の部署だ。いま現在、老人向けの新商品を開発する責務を負っているからだ。その商品が服だの靴だの食い物だのの「物」であればまだよいかもしれないが、残念ながらある種のイメージ、夢を売る商売だからたちがわるい。夢を売るというのは、悪い言い方をすればだますということだ。

1対1で接していかがわしい商売をするのなら、若者よりも老人の方がだましやすいかもしれない。老人は詐欺にあいやすい。悪質リフォームとか振り込め詐欺だとかはもっぱら老人をターゲットにする。私の会社はそういう類いではないから苦しい。おおざっぱに言えば、テレビ、インターネットを使って、100万人の老人から年間1000円いただき10億円儲けようという算段だ。あくまで実質の物ではなくデジタルのテレビとインターネットが媒体だ。たとえば、老人向けのホームページサービスは可能なのか? 携帯でなにを売れば老人が買うのか? テレビでどういう宣伝をすれば老人の間にトレンドが作れるのか?

そもそも老人のムーブメントは最後がゲートボールではなかったか。近年の登山もトレンドといえるほどのものではない。若者であれば、ある程度宣伝に金を積めばそれなりの見返りは計算できる。サービスも当て方も公式がある。40代ぐらいまでの若者ならば、全体の50%ぐらいは流行っているということだけが理由でそこに乗ってくる。イワシの頭でも柿のヘタでも煽れば食いつく。薄利多売型で瞬間的な利益をあげる算段ができる。老人はそういう付和雷同性が薄い。年を経て自分の興味楽しみ趣味を深くもっている。彼らの指向は多岐に渡り細分化されている。「新しい」というだけで軽視する傾向もある。一気に100万人の老人を振り向かせる手だてがないのだ。


2006.4.13 クビキリギス

庭でクビキリギスが鳴いている。ジーッと一本調子で長く鳴く。この辺では多いキリギリスだが、庭では初記録だと思う。雨上がりにむっと暖かくなった夜にこいつが鳴き始めると、もうどうなっても寒くはならないという安心感がある。空気もそういう臭いだ。いつのまにか夏に忍び寄られた感じがした。


2006.4.15 ヒキガエル

半原越はまさに春爛漫で、吹く風は涼しく日差しは暖かい。登るだけだともったいなくて、道路からはずれて自転車をおして薮の中を少し谷へ下り、砂防ダムのコンクリートに座ってしばらく休んでいた。砂防ダムはすっかり土砂で埋まっており、水は細く浅く流れている。ただ、しばらく雨が降り続いていたので水量は若干多く濁りもある。キタテハがやってきて、流れから頭を出している石に止まって羽を広げ休んでいる。土砂の中からはいろいろな草が芽吹き花をつけている。アブ、ハチ、ハムシのたぐいやカゲロウがせせこましく動き回る。若いイタドリが途中からスパッと切られている。1本だけではない。ことごとくといっていい数だ。どうやら、シカかウサギか大きなけものもここにやってきているらしい。ふと上空を見上げると猛禽のたぐいが飛んでいる。幅広の明るい羽をもったハヤブササイズの鳥だ。名はわからない。なんと豊かな生物層であることか。

砂防ダムの下流側は3mほどの壁になっている。川の水は垂直に落ちて一畳ほどの滝壺を作っている。ごつごつした石で埋まり、深さは30センチもないだろう。水があると反射的に生き物の影を探す。この沢は急峻で砂防ダムが連続しているので、魚はいるわけがない。ただ、滝壺のなかに大きなカエルのシルエットのゴミが沈んでいた。頭があり、腹があり、脚がある、見事にヒキガエルに似ているゴミだ。遠目ではあるけれど、まあよく化けたものだ、あんなに大きくなかったら絶対カエルだと思う所だと感心してしばらく見ていた。

そのゴミには指があり、指の間には水かきのようなものまである。見れば見るほどヒキガエルだ。ただしその大きさが半端ではない。私が知っているヒキガエルのゆうに二倍はある。あの南米にいる電話機ほどのやつに匹敵するサイズなのだ。これは正体を確かめなければならないと、その算段をしていると、そいつはゆらりと動き始めた。水面から尖った鼻をだして呼吸をしている。1分ほど顔を出すと後ずさりに水に潜ってやや深い所に体を落ち着けた。まごうことないヒキガエルだ。褐色の明るい色合いで、頭や腰、背中に隈取りのようにベージュのラインがはいっている。腹がすっかりへこんでいるから、メスだとしても産卵は終わっているのだろう。私はヒキガエルが沢の中に潜むという習性があることを知らなかった。産卵のとき以外は陸にいるものだと思っていた。それにしても堂々たるものだ。


2006.4.18 もうひとつのヒキガエル

高校2年になる長女がアズマヒキガエルを拾ってきた。自転車での通学時に道路にでていたところをみつけて、自動車にひかれるとかわいそうだと捕まえてきたのだ。たまたま家には次男が拾ってきたアマガエルもいて、カエルが2匹になった。まあ、カエルというのは極めて飼育が容易で、かわいい生き物だ。すぐに容器にも慣れ、囚われの身を苦にしない。餌さえちゃんと確保してやれば虐待にならない。

ところが、ヒキガエルのほうはどうも慣れが悪かった。2日、3日とたってもぜんぜん餌を食べようとする意欲がみられない。クモ、ハエ、ミミズなどいかにもカエルが好きそうなものを入れてやっても見向きもしないのだ。そういうヒキガエルははじめてだ。ミミズを鼻先に突き出しても全然反応がない。人間を警戒して四肢をぐっとつっぱる威嚇のようなポーズをとっている。そのうちなれて餌も食べるだろうと、時折注意して観察していた。

そうこうするうちに一週間がたった。アマガエルの方は手からでも餌を食べるぐらいなついている。ヒキガエルはいっこうに食べない。痩せているように思う。ときどき口から泡もふくようで具合がわるそうだ。水浴び用の容器を入れてやると夜中に水浴びだけはしているようだ。全然餌を食わないのが気になるが、ヒキガエルは長期の絶食に耐えるはずだからと放っておいた。

かくてある朝、ヒキガエルは夜に見かけた姿のまま固くなって死んでいた。どうやらかなり体の具合が悪かったのだ。食べないのは環境に慣れていないからではなく、腹を壊していたのかもしれなかった。このあたりの住宅地では平気で毒物をまくので、そういう悪いものを食っていたのかもしれなかった。どうにも、ヒキガエルというやつは顔色から機嫌がわからないのがつらい。体調がいいのか悪いのか、生きているか死んでいるかすら触ってみないとわからなかった。いや、触っても本当に死んでいるのかどうか俄には判別できなかったほどだ。カエルの達人ならきっと一目見れば健康状態もわかるのだろう。つぎまた拾えたら注意して飼ってみよう。


2006.4.21 ムラサキケマン

種

いつのまにやら庭にムラサキケマンがはびこって花を咲かせ実を結んでいた。ムラサキケマンというちょっと奇妙な名のこの草は蝶の好きな人にはなじみだ。それは、値打ちが高い蝶の一群の片隅にあたるウスバシロチョウという蝶の食草になっているからだ。この草は野山に普通にあり、この辺りでも珍しくもなんともない。ただ、もっとも近い自生地からはちょっと離れているのでどのようにしてわが庭にやってきたのかが興味のある所だ。ススキを移植したからそのときに種を運び込んだのかもしれないし、単に風に飛ばされてきたのかもしれないし、動物が運んだのかもしれない。草体を見ていた覚えはあるが花を見たことがなかったのでムラサキケマンだと気づかなかっただけかもしれない。すると、花をつけるのに数年かかる草なのか? その見かけとは裏腹にけっこうはびこるパワーを持った草と見た。


2006.4.23 軽いギアで22 分38秒

予想通りくもりで気温は高かった。午後からは弱い雨になりそう。天気はどうあれ今日は半原1号で半原越に行こうと決めていた。ちょっと心を入れ替えて軽いギアと早いピッチの走法を訓練しようと思っている。167.5mmのクランクに34Tを1枚だけつけて、後ろは変わらず12〜27T。ひとまず最初から最後まで一番軽いギアで走ることにした。このギアだと1分間に90回まわせば(90rpm)時速14.3kmになる。70回まわしたら11km/hだ。

2kmの緑電柱のチェックポイントは9分ちょうど。84rpmということになる。いくらなんでもちょっと軽すぎるような気がする。15分目安の第2チェックポイントでも87rpm。ほとんどランスアームストロング並みのケイデンスだ。速度は彼の半分だけど。残りの1.3kmも80rpmでいければ大したもんだが、66rpmで7分38秒かかり、タイムは22分38秒。

昨日はチネリで来て、21分40 秒だった。ちょっと重めのギアを使って今日よりも1分早い。今日は遅かったものの疲労度はずっと軽い。ただ、場所によっては1分間に100回まわしているので、それはあまりにも効率が悪い。軽めのギアのバランスを考えながら練習する必要がある。


2006.4.24 かわいいからポニーテールなのだ

朝の連ドラは、和服の井川遥がいじめられるという息を飲むシチュエーションの連続でまったく目が離せないのだが、宮崎あおいも、ピアノを弾く姿なんかに非凡な演技の才能がかいまみられて大物の片鱗がある。

私はかねてから「ポニーテールがかわいいのではなく、かわいいからポニーテールなのだ」と事あるたびに口を酸っぱくして説いてきた。それも単にかわいいだけではポニーテールにできない。女の子はそのことを良く知っているが、男どもはぜんぜん気付いていない。宮崎あおいは間近で見ると気絶するほどかわいいだろうが、彼女ですらポニーテールは似合わないだろうと思う。

首、顎、頭蓋の骨格がポニーテールに向いている少女だけがポニーテールにできる。骨格が全てである。そうでないものは、いくら美しくとも若くとも、天使の輝きを持つ瞳を持っていても、チェリーの唇をもっていても、髪を後ろで結んだとたん「おばはん」のいっちょあがりだ。この世の大多数の女の子には、あの髪型をいっぺんは試してみて、鏡に映った我が身のおばはん臭さにいっぺんにあきらめた経験があることだろう。

骨格と肌のつやがあれば少女は無敵である。ほかのパーツは鍛えて頑張って、作り上げることができる。知性は目に表れ、品性は口元に表れる。ヘアースタイルもどうにか顔に合わせられるし、化粧術もそれなりに見栄えをアップさせることができるだろう。しかし、骨格が美しく生まれついた少女がつくる無造作なポニーテールには結局かなわない。あせだらだらで床掃除をする井川遥なんてものすごいんだけど、それはさておき、もう何年もポニーテールを見ていない気がした。


2006.4.26 ミノムシの写真

ミノムシ

毎朝、ニコンのクールピクス990というかなり古いデジカメを持ち出して、庭のいろいろな物を記録するのが日課になっている。写真はそのカメラで撮ったミノムシだ。サイズは小指の先程。曇りで日陰で、F3.5で1/60秒ぐらいだ。クールピクス990は風景やスナップはしんどいが、接写がすごくいい。発売当時、その画質のよさに仰天したものだ。富士やオリンパスのデジタル一眼を手に入れた今でも、けっこう重宝している。

さて、4月のこの季節にこのサイズのミノムシであれば、オオミノガではあるまい。ただ、種はどうあれミノムシはわが家での初記録だ。以前、ちょうど今頃に同じようなミノムシをたくさん見つけて誘致しようとしたことがある。残念ながら定着はしなかった。女房が大切に育てているなにやらきれいな花の咲く木をむさぼる害虫ではあるが、見逃しておいてやろうと思う。


2006.4.28 ツマグロヒョウモンの越冬

今日、東京でツマグロヒョウモンが越冬したことが確認された。場所は、渋谷の代々木公園。オスが一頭、公園の雑草に訪花していたところを私の友人が目撃した。羽は美しく羽化したばかりようだったが、ツマグロヒョウモンにしては弱々しい飛び方だったから、気温がまだ低いのかもしれないとのことだ。これまでも、関東地方でもいく例かは越冬に成功したという報告はあったが、身近な所でもあり、なんだかうれしい。

去年は関東地方でツマグロヒョウモンが極めて多かった。わがやでも一匹が10月の末に蛹化し、12月に羽化したがすぐに死んでしまった。日本海側では大雪が続き、ここでも梅の開花が1か月も遅れるなど今年の冬はけっして暖かくはなかった。その冬を命からがら越えた蝶がいたのだ。しばらくは「春」のツマグロヒョウモンに注意しなければなるまい。


2006.5.1 クモのようでありたい

ミノウスバ

薄紫の花が庭に咲いていたので何気なく撮った。あとでチェックしてみると、ミノウスバの幼虫が写っていた。気づかずに撮っただけに、ちょっと得した気がする。ミノウスバの幼虫は今ちょうど蛹になる場所を求めてうろついている所だ。こいつは先発隊にあたるだろう。まもなく後を追って百匹がわさわさとこの辺を歩き回ることになる。毛虫であるから、害がありそうで気味が悪いかもしれないが、その実、まったく無害である。こうなって歩き始めると植物の葉を食うこともない。刺される心配もない。たぶん生のまま食ってもそこそこうまいと思う。今朝は一匹だけつまみあげて、アマガエルの目の前に置いてやったところ、目で追うだけで食べようとはしなかった。アマガエルには大きすぎるとみえる。

けむしの他にもわが家はたまたまいろいろな生き物でにぎわっている。この数年の5月では最大の繁盛だ。大きいものではシジュウカラが風呂場の窓の下でひなを育てている。クビキリギスがやってきて暑い夜にうるさい。スイレンだけを育てている鉢ではミジンコがわんさかわいた。ボウフラの発生とともに、大半がメダカの鉢に入れられる運命だ。アブラムシのコロニーがいまいちだけど、今後は増えるかもしれない。

今日、次男が「大きなクモ」を捕まえて、プラケースに入れていた。アシダカグモの子どものようだ。なんでも、このクモが家中にわさわさいるらしい。アリかカマドウマかゴキブリかヤスデか、そういうものを食べているのだろう。まるまる太って栄養はよさそうだ。こいつが元気でいるようだと、わが家も安泰だという気がしてくる。

ところで、クモはこういう徘徊性のものでも、たいていはじっとしている。そういうとき彼の心のスイッチはオフになって、失神状態なのだろうと推測している。クモに退屈はなく不安もない。やがて来る繁殖の焦燥を前に、いまは食べ物さえあれば幸福も不幸も越えた幸福の世界にいるのだろう。私もクモのような生き様でありたいと願う。クモは性として、生きとし生けるものを捕らえて食わなければならない。しかし、彼の生涯はたいてい他の者に食われて終わる。死ぬ代わりに「ああ、おいしかった」と誰かを喜ばすことになる。クモだけでなく全ての生き物がそんなもんだ。私もいろいろな物を食らって生きているが、最後に誰かに「ああ、おいしかった」と思われることは難しそうだ。私が誰かに何者かに喜びを与える行為は概して間接的で作為的でひねくれているからなんだかむなしい。生命の本質に直結した喜びを与えることができない人間という生き様は結局さびしいものだと思えてくる。


2006.5.3 19分33秒

1933

空気はよく澄みわたり、日差しが強く風が涼しい。すばらしい日和だ。土曜日も、日曜日も半原越に行った。今日も行った。今日はギア比をどちらにしようかと迷いながら途中の30キロを走っていた。34×23Tという軽いギアで登るか、34×15Tという重いギアで踏むか。なぜ、そういう迷いが出たかというと、明らかに重いギアの方が登りで早く、楽だからだ。相模川、中津川を渡るときに10%の短い急坂がある。それを1分間に50回ぐらいクランクをまわして、時速18キロぐらいで快調にこなせる。そのペースで1キロぐらいなら、はあはあせずに行けそうに思えるのだ。ならば半原越でどれくらい通用するかやってみるのもよいだろうという迷いだ。

これまでの最高記録は19分45秒である。それは「踏んで」登ったものだ。そのときのギア比は41×19Tで固定だった。かなり重い。それと同じぐらいの16Tにチェーンをかけて、スタートラインに立った。あっという間に橋1をすぎて、なんなく丸太小屋の激坂をすいすいこなし、2キロの緑電柱では7分15秒。息もあがってなければ脚にも来ていない。あまりの快調さに15分のチェックポイントをいつの間にか通り過ぎていた。後から計算すると、12分30秒ぐらいだったはずだ。

「ここまで18分で来れれば...」といつも恨めしく過ぎている崖崩れのコーナーは17分30秒。さすがに無理がたまって一気に脚にも心臓にも来て体中がしびれている。「だから、あのとき、もう、このやり方は、よそう」と決心したのだと、過去一度だけ20分を切ったときのことがまざまざと思い起こされた。ただし、ここからは時速10キロで流しても2分そこそこだ。ラストスパートがかけれなくても20分を切れる。

最後の直線、こんなにしんどいのは久しぶりだ。タイムは余裕で気持ちは楽だけど体が死にそうになっている。結局、タイムは19分33秒で、これまでの記録を12秒も更新した。ゴールしたあと立ってられず、しばらくアスファルトに寝転がって空を見ながら呼吸を整えた。なんというよい日なんだろう。峠は切り通しになっているから、青葉の枝が左右から伸びている。雲が流れてからだが揺れるように感じるのか、はたまた目眩か。「このやり方は早いけど邪道だな」と思い直した。


2006.5.5 アマガエルとり

今日も一日中自転車に乗っていた。土曜日は半原越に行った。日曜日も半原越に行った。水曜日も半原越にいった。昨日も半原越に行った。さすがに今日は行かなかった。もっと大事な用事があった。息子がニホンアマガエルを飼っていて、一匹だと寂しいだろうと、いくつか捕まえてくることにしたのだ。アマガエルの確実な生息地は、わが家から自転車で30分ほどかかる。息子の脚なら1時間だ。

半原越方面の生息地に行くには登り下りが大変なので、境川のほうに行くことにした。もっとも近い所では田んぼに水が入ったばかりで、カエルは林から出てきてなかった。林というと高速道路の脇になり鉄柵があって入れない。入ってもよいが入らない決まりなのだろう。田んぼに出ていれば採集は容易だ。しかたなく、さらに下流に行く。いつも鳴き声を聞く所までは1時間かかった。息子はかなりくたびれた様子なので、店に入ってジュースと柏餅を食う。

その場所は、田んぼがあり、狭いアスファルト道路をはさんですぐそばに小さな林がある。幸い道路は自動車の交通量が少なくカエルの交通事故が少ない。林は地下水の水位が高く水に恵まれているのか、生物層が豊かで、思いがけない虫を見かける。カエルも多いはずだ。田んぼはまだ荒起こしがすんだところで水は入っていなかった。アマガエルはまだ林から出てきていない。林に入って探すとなるとやっかいだ。そもそも、神奈川の住宅地の林はおおむねゴミ捨て場と化している。いくら虫が多くても気持ちのよい場所ではない。

逡巡していると、アマガエルの声が聞こえてきた。林の木の枝のほうからだ。一匹、二匹。すぐに5匹の声を聞いた。こうなると行かないわけにはいかない。笹をかき分けて入る。近所の子どもらも全然入った形跡がない。多少の踏みあとがあるのはゴミを捨てた連中だろう。案の定、土地の半分が泥、半分がゴミ。よく湿った腐葉土が厚く、よい林なのにもったいないことだ。ほんの10分ほどで3匹捕まえることができた。林から出てくると二人とも体中に虫がついていた。毛虫、甲虫、小さいムカデ。ムカデはアマガエルの口には大きいので逃がしてやるしかないが、手頃なのを餌にしようと持ち帰った。


2006.5.6 夏

荻野川の田んぼの道を走っていると、見慣れたトンボの姿があった。巧みに風に乗り力強く飛ぶ姿はウスバキトンボだ。はて、5月のはじめにウスバキトンボはちょっと早すぎるのではないか? たった1匹だけだが、ウスバキトンボにまちがいなさそうだ。ここのところ南の風が強かったから、いっきに500キロぐらい飛んできたのかもしれない。

半原越は鳥の声がうるさい。キビタキのようでもあるけれど、姿が見えないのではっきりしない。沢からカジカの声がするので、スタートの橋から覗き込んで探してみた。カエルのかわりに大きな魚が見つかった。その大きな魚はときどき水面に口を出して何かを食べている。1匹だけでなく、見えただけで4匹いた。茶色っぽい体に縦縞と黒斑が見えるからニジマスだろう。法論堂川は小さな急流で500m先は堰堤になって行き止まりだ。堰堤直下にあるリッチランドといういかにも貧乏臭いレジャー施設から逃げ出したのか。それとも、その辺の釣り堀から逃走したものが法論堂川に登ってきたのか。そうだとすると、下流は小鮎川と魚が行き来できる程度につながっていることになる。合流点は県道の下なのでまだのぞいたことがないのだ。

とにかくゆっくり走ろうと決心していた。ナカガワのギアを42×24Tに入れて時速10キロを越えないようにした。歩くぐらいの早さを心がける。この夏の始まりの季節に慌てるのはもったいない。

土曜日もここに来た。日曜日もここに来た。水曜日もここに来た。木曜日もここに来た。その4日と今日はちょっとちがう。道路にはオサムシがずいぶん多い。半分は礫死体だ。オトシブミも少し落ちている。風が夏臭い。今日ははじめてウスバシロチョウを見た。とても元気よく、ツマキチョウを追いかけている。両方ともすてきな蝶だ。今日はとくにツマキチョウが多い。ちょうど最盛期にあたるのかもしれない。ツマキチョウが見えなくなると夏だ。


2006.5.10 花の美しさなんてない。美しい花がある

「花の美しさなんてない。美しい花がある」というのは、(おそらく)日本の高名な哲学者のことばだ。これはとくに深いところを指しているものではなく単純明快だから、この程度のことは哲学者でなくても、だれもが気づき注意しておくと人生にプラスになる。こうして一文を切り取っただけでは解釈にブレも出るだろうから、あらかじめ私の解釈をあげておく。彼は「花が物として存在していることは認めよう。人間が花を直感できることも認めよう。しかし、観念的にとらえられた花はまゆつば物だから注意して扱おう。」と主張しているのだと思っている。ちょっと考えることができる人ならすぐにその忠告は正しいことがわかり、感謝の気持ちが起きるだろう。ありがたいおことばだ。言われればすぐにわかるのに、自力では思いつけないことは多いものだ。彼にならって「花の美しさなんてない。美しい花もない」といってもよいだろう。「花はあるが花はない」と言ってもよい。皆同じことを言っている。ちなみに、最後の命題で前者の花は物としての花、後者はことばとして観念としての花一般のことだ。

最近の天地無朋は理屈っぽくなくなってつまらないと怒っている人も多いと思う。庭の花や自転車にかまけすぎたことを反省もしている。なにしろ、この2か月ばかりはフリーセルの時間までつぶして自転車にあててしまったのだ。生きているからには、人生の義務と課したフリーセルはやらねばならぬし、ウェブ日記をやっているからには読者サービスも必要だろう。「花の美しさなんてない...」をネタに、人が感じ考えること、すなわち感情的判断とは何かということを明らかにするので、この先楽しみに読み進めてほしい。


2006.5.11 美しい花は人知れずひっそり咲いたりはしない

さて、誰でも気付いているのは、美は恒常的なものではないということだ。花の色はうつりにけりな、というように、花のきれいなときはほんの一時だ。もうちょっと考えを進めると、美はけっして普遍のものでもないことに気づく。絶対的な「美しい花」なんてないのだ。ある人が美しいと思っている花も、かの人にとっては美しくないかもしれない。犬猫には花の美しさはわかるまい。まして、クジラやマグロには花と葉の区別がつくかどうかさえ怪しい。

だから、美しさは花の属性ではないと結論される。で、悲観的になりすぎないように、美ということをひとまず分析的に定義する必要がある。第一に、美は見る者と見られるものの双方があってのモノだということを基礎として押さえよう。花だけで美しいということはなく、花を見ることなしに人単独で花が美しいと感じることもない。ただし、一般に美しい花があるということになっているのだから、花には美しいと思われるだけの特徴がなければならない。その特徴はある意味「不自然さ」ということになる。無秩序乱雑を本分とする自然界にあって、花の形態は不自然だ。線や点のシンメトリーと円や放射線で描かれる幾何学模様は花の特徴である。さらに、植物の葉が緑ばっかりであるのにたいして花は赤白黄色でよく目立つ。不自然である。美は花の属性ではないが、その異様さは属性であると結論される。

不自然なまでに秩序ただしく、かつ目立つ存在は人の目にもよくうったえるだろう。犬猫はどうだか知らないが、人間はリズムのある対象を見るとうれしいものだ。人間は自然界から秩序を見いだしたときうれしいのだ。その快感の原因理由の源泉を探り当てることは簡単ではないにしても、人の精神はさようにできている。見た対象から喜びを感じることを「美しい」とはいうのだから、人は花を美しいと感じる素質を持っていることになる。花は幾何学的で目立つという属性をもち、人は花の属性に接して快感をもつことができる。その両者のハーモニーがあってはじめて美しい花がこの世に存在する。人に見られてはじめて花は美しくなる。美しい花は人知れずひっそり咲いたりはしないのだ。


2006.5.14 かっこよい自転車

土曜日は寒かったが雨だった。出かけるのはちょっと躊躇した。寒い思いをするのはかんべんだけど、いまは5月、雨の半原越は格別の美しさがある。雨合羽をきて半原1号を引っ張り出した。

雨でも登りであれば苦はない。寒くないからだ。登りだけを走る方法はないだろうかとムチャなことを考えながらぼんやり走っていた。半原越は生活道路ではない。ときどき食料を調達するふもとの山田商店のおばちゃんも一度も半原越を越えたことがないと言っている。登山も水汲みもいない。土曜日とはいえ、この降りしきる雨の中をこの道にやってくるのは、雨が好きな自転車乗りのおっちゃんだけだろう。おっちゃんと限定するのは根拠がある。雨の美しさを知るのは年期が必要だからだ。若者は雨に濡れた女子高生は好きでも、葉っぱや幹やこけには喜びを見いだせないのだ。

ちょうどヒキガエルを見つけたあたり、すっかり道路を独り占めした気になって真ん中をゆっくり走っていると、上からロードレーサーが降りてきた。まさかこんな日に自転車がいると思ってなかった。おどろいた。自転車は無音なのだ。オートバイや自動車なら遠くからも音でわかるので驚かされることはない。小柄で細身の若者っぽいので、きっとトレーニングに来た選手なのだろう。

頂上まで登って、下り始める頃から雨が一段強くなった。ゆっくり下ってはいても体は冷える。雨合羽がないとひどい目にあうところだ。ときどき水を汲む橋をすぎたところで、さきほどのレーサーが下から登ってきた。往復して練習をしているようだ。シッティングで速度は15km/hぐらい、ケイデンスは80rpmぐらいだ。アベレージでたんたんと登っている。フォームを一瞥しただけで強いことがわかる。それこそが私が夢に見ている乗り方だ。半原越でこんなかっこいい人にあったのは初めてだ。すれ違いざま、いったい何者だろうと振り返る。どうもその後ろ姿は娘さんのようだ。雨具やサングラスやヘルメットをつけていると性別が不詳になる。

2キロのゲートまで降りてきて、せっかくの雨を一回登って帰るのはもったいないな、と引き返すことにした。すると、先程のレーサーがまた降りてきてゲートで引き返して登っていった。こんな日に、たった一人で何往復もするからには自分に相当の強さを求めているのだろう。そんなやつに追いつけるわけがないので、美しい姿は見れないけれども、後を追うように登っていく。やっぱり10%程度の登りはシッティングでくるくるすいすい登るのがかっこいいのだ。そう確信しつつも、私にその実力はない。雨宿りをしているジャノメチョウやアスファルトを雨の流れに逆らって登るコウガイビルを見つけられる速度で登っていく。

という次第で、カッコよい走りを夢見て今日も半原越に行ってきた。麓から頂上まできれいに「回して」乗ろうとすると34×27Tは必要だ。それなら最後のほうのきついところを 時速11km以上、70rpm以上で行ける。もうちょっと速く走れないものか。もし34×21Tで、75rpm、14km/hでいければ、昨日の娘さん?に負けないカッコよい走りになるだろう。夢を持つことはよいことだ。


2006.5.20 花の美しさが自明なものたち

もとの立言者はとくに花のことを言いたかったわけではない。適当に軽い気持ちで花を持ち出したのだろう。だから、これからちょっと花のことに立ち入るのは遠回りである。遠回りを承知でそうしなければならないのは、○○の美しさというときに、○○が何かということで話が全然違ってくるからだ。そうはいっても、単に一般名詞としての花を不用心に引き合いに出しながら、「○○の美しさ」なんてものはない、と感情的理解の深みに言及したことに嫌みを言うつもりはない。せっかく花なので、花とは何かを押さえておきたいのだ。

花は不自然である。不自然に見えるのは、目立ちたいからだ。目立ちたいといっても花がそう思っているわけではなく、花と花を見るものの間柄を見て私がそう言う。花が意識しているのは人間ではない。人間に見せることが目的の花は一部の園芸品種に限られ、地球の上ではその数は無いに等しい。

アゲハは花がなければ生きていけない。花との出会いを運命づけられている。アゲハが花を見つけるからには、花にはアゲハが見てわかる共通の特徴があるはずだ。それは我々が見ているものとそう変わりはあるまい。蜜標だの紫外線の反射吸収だのはあってもちょっとした差だろう。花はアゲハの命を支えるものだから、全てのアゲハにとって花は美しいのだ。そのへんが人間とはちょっとちがう。

「美しい花がある」ことはアゲハにとっては自明だ。では、「花の美しさ」はどうだろう? ここは考えどころだ。花との出会いを運命づけられているアゲハではあるけれども、花の姿は一つではない。蛹の殻をやぶったら、姿形が何百とあるうちのとりあえず最も手近な花にたどり着かなければならない。近所に必ずヤマユリがあるとは限らない。ヤブガラシに行かなければならないかもしれない。そういうやつらだから、アゲハは生まれつき花とはいかなるものか、ということを知っているに違いないのだ。「点対称の放射状で、赤く光るドーナッツ型」というようなものが、花一般の定義かもしれない。人の目にはヤマユリとヤブガラシは全然違う姿に見えても、アゲハの目には花として自然に認められる。アゲハはその特徴をもった対象を目にすると植物の種の壁を簡単に乗り越えて近づいていく。その心境を尋ねるならば「だって美しいじゃないか」という返事でも返ってきそうだ。


2006.5.15 花の観念と本能

私は、アゲハにとっては「花の美しさ」があると断言する。あるというのは、彼にとって説明不要というほどの意味だと思っていただければよい。言語道断で求めねばならぬ相手は目に美しいのだ。「点対称の放射状で、赤く光るドーナッツ型」というのがアゲハが生まれつきもっている花の観念だ。その観念をアゲハが意識しているとは思わない。おそらく意識していないだろう。意識していないということは、以下のような気持ちをアゲハが持っていないということになる。

あそこに花があるから行ってみよう。

そういう人間臭い考えが存在しなくてもやつらには問題はない。花の美しさが心に備わっており、その美しさに一致するものが花で、美しい花があることが分ればよい。アゲハにとって、「美しい花がある」ということと「向かわねばならない場所」と「食料のありか」とは同一だ。人間は分析的にその3つを区別して使っているけれども、そういう区別はしなくてもアゲハが生きることに不自由はないはずだ。心の中にある観念に一致するものを認めたならば、迷いなく向かえばよい。向かえば、花が近づくに従って喜びが大きくなるだろう。

花に到着したアゲハは「なぜ私はここに来たのか?」などと自問する必要はない。「ここに食料がある」と意識する必要も無い。彼らは迷妄にとらわれることがなく、「花の美しさなんてものはない。美しい花がある」などと反省するアゲハはいない。花にくれば、次に何をすべきかは、また別の観念が教えてくれるはずだ。正しい行動をすればアゲハには快感が起きるだろう。

いわゆる本能的行動とよばれているものを解説すると以上のようになる。


2006.5.21 花の美しさの意義

人間にも花の観念がある。他ならぬ「花の美しさ」というものだ。花の観念はアゲハでは生まれつきのものだが、人間はそういうものを持って生まれてくるわけではない。人間にも生まれつきもっている○○の観念があることはいうまでもないが、それは何かというこには今回は言及しない。人間は花の観念を持って生まれて来るのではなく、後から作る。花に出会うことを運命づけられていないから、本当の意味では、美しい花もこの世には存在しない。美しい花の出生地は、その幾何学的な完成度と不自然さだ。人間の能力は自然環境の中にリズムを見いだし法則を作り上げることにある。その副産物として快感を得る。

花はインスピレーションを与えるに十分な存在だ。その色形だけでも人に小さな喜びを与える。ことばを変えれば花は美しい。しかも、何か奇妙なことがそこで起きている。近づけばよい臭いがする。なめると甘い。蝶が来る。ハナムグリが来る。蜂が来る。花の命は短くて、やがては種になり実になる。形態が特殊なだけに花は特別なことを予感させる。

人間が花を直接観察する機会はあまりない。生態を意識する花なんてせいぜいが数個だろう。しかしながら、人は数少ない経験からでも花一般の概念を作ることができる。経験が少なくても伝聞でも、論文でもよい。人が操作するのは経験そのものではなく観念だ。観念は観念を寄せ集め、いじくり回して形成される。かくて花の美しさという観念が大勢の人間の心に忍び込むことになる。

花の美しさという観念を持つことは人にとって極めて大切な能力だ。生まれつきその力を有していない動物は、ある一つの特別な花でよい思いができたとしても、別の花で同じ思いが可能なことが予想できない。ヤマユリがおいしかったら、ヤブガラシもおいしいだろうと想像はできないのだ。花の美しさを作りあげることで、人間は全く未知な花に出会ったとき、それが花であることを知り、その花もやはり蜜や花粉を有し実を結ぶことを確信する。


2006.5.22 分類で物事を理解すること

人間は直感を操作することができない。美しい花がある、というのは直感だ。その直感は長時間継続することはなく、変更することもできない。直感とは言語を絶する体験であるから意識的な操作は受け付けない。直感的な理解が持続するのは病的であり恐ろしいことでもある。見ている物の輪郭も色もはっきりして意味ある対象だということは確実なのに、そいつが何かがわからない。端的には名前がわからない。目にするもの全てが新鮮で、何の理由でなんのためにそいつが存在しているのかがわからない。そういう状態に一時的に陥ったのであれば、すぐにそれが自動車であったり、郵便ポストだということが明らかになるのだが。

ふだんそうした不安に苛まれることがないのは、なんでも理解する方法を持っているからだ。人間は物事を理解する上で、分類という方法を使う。物事をちゃんと理解することは必ずしも容易ではないし、それは何であるか? という問いに究極の答えはない。その不可能と困難にもかかわらず、分類することならば簡単にでき、何がなんだかわからないことの不安を解消できる。花の美しさの観念を持っておれば、花を他の物から区別して理解できる。知らない植物の生殖器の飾り付けも、ああこれも花だと分類すればひとまず通りいっぺんの理解が得られる。そういう理解に甘んじていると宇宙自然の探求を忘れてしまう。人間として生きている意味を見失うということだ。「花の美しさなんてない。美しい花がある」という主張は、ことばを変えれば「分類でもって物事を理解してはいけない」ということだ。


2006.5.25 観念の有害さ

分類は観念Xと非Xを作って手軽になんでも理解する基本的能力である。理屈でこの世界を理解するときに、観念は大活躍する。人間は人間の考え方のくせに応じたようにこの宇宙を理解する。陰と陽、善と悪、大と小、右と左のように相反するものを作り出したり、原因と結果を見つけ、フラクタル的入れ子構造や階層をつくる。それらは人間の頭の中でしか通用しないのだが、現実の宇宙の構造だと思い込んでいる。自然法則にしても、帰納的に規則をつくったかと思えば、その法則を演繹的に補強したりして、観念の中で循環運動をしている。

人間の得意とする理屈ももともとはその場しのぎの死なない工夫であり、楽して腹を満たしたりする用から生まれたのだから、当座の指針を得るのがせいぜいだ。「美しい花がある」という発見を集めて「花の美しさ」という観念を作り上げれば、花とは何であるかを専門家のアゲハよりも理解できる。すると、花はただ花ではなく何かの役にたつ「ツール」になる。ただ、いいかげんでやめておけばいいものを、観念は勝手に一人歩きをして成長してしまう。

「花の美しさ」があると認める、つまりはその観念がツカエルとわかれば、雲の美しさもあり、山の美しさもあり、空気の美しさもあり、自然の美しさもあり、美しさそのものすらあるような気がしてくるものだ。後ろのほうになるともうどうにもとらえようがない無意味な観念だ。無意味ですめばいいけれど、有害なものも無数にある。アメリカ人の愚かさ、イラン人のずるさ、日本人の卑屈さ、精神病患者の危険性、ブスのふかなさけ。そんなふうな、色づけれらたカテゴリーに人間集団を押し込める分類法は絶対に有害である。「アメリカ人は馬鹿だと聞いていたが、こいつもやっぱり馬鹿だ」「アメリカ人は馬鹿だと聞いていたのに、こいつは馬鹿じゃない」という判断は双方とも害ある理解だ。


2006.5.27 観念の有益さ

花の美しさという観念は、アゲハにとっては固定なのだが、人間にとっては定まったものではない。人間は花の美しさという観念を個人の心のなかに育くみ、花との心的関係をつくる。もともと花は幾何学的であり美しいとみられる可能性が高い。花を美しいと見る気持ちを鍛えて強くすることもできる。観念は言語的に手に取って操作することができるから人間はありとあらゆるものを美しいと思うことができる。感情と直感は観念をはさんで間接的に結びついている。そんなものが花と私の仲を取りもっていることなんて滅多に意識しないけれども。

観念を操作できることが人間の自由を保証している。対象になるものと人間の関係が固定のものであれば人間には絶対に自由はない。美しいものは美しく、醜いものはいつまでも醜い。嫌なものはどうしたって嫌で、好きなものは好き、気持ちの良いことはよいことで、しんどいことは悪いことだ。自由のない世界は静的だ。アゲハはそんな世界に住んでいるはずだ。人間はどんなことについても、「いや、待て、もしかしたら騙されてるかもしれないぞ」と考えることができる。自然な考え行動はときに不合理で、苦痛を引き起こしたり命を縮めたりする。人間にも生まれつき運命的な出会いを約束されている存在がある。そいつは絶対的に美しいのだが、がんばって退けることだって可能だ。ワラジ虫を美しいと思うぐらいの努力で可能だと思う。しんどいこと、嫌なことから楽しさを見いだすのが人生の秘訣で、楽しいことうれしいことの中に苦痛を見ることが死なない秘訣だ。

さようなひねくれた人間の性に嫌気がさすこともあるだろう。徹底的に合理的に「花の美しさなんてない。美しい花がある」という意識を貫きたくなる。そのためには花の美しさとは何かを極めなければならない。この立言は例として花を出しているだけで、本意は「観念なんてない」ということなのだから、感じるとはなにか、考えるとはなにかということを極めて、それを捨てなければならない。そうやって悟ってもいいことなさそうだけど、人間にとって主客の関係は流動的なのだということぐらいは注意しといた方がいいと思う。


2006.5.28 アサギマダラを見た

どういう具合か金曜の夜は眠れなかった。土曜日の朝に2時間ほど眠り、目が覚めると頭が痛かった。偏頭痛というのだろうか、頭頂の左の一点がときどきズキッズキッとする。せっかくの雨だったけれど気温がそれほど高くないこともあって自転車はあきらめた。

今朝は多少気分がよく半原越に行くことにした。スタートして20分、相模川に出る手前で後輪がパンクした。ここのところ、100キロに1回の割合でパンクしている。先週は前輪が画鋲を拾った。頭が白いプラスチックの板になっている新品のものだ。道のわきに止めて後輪をはずして、チューブを入れ替え、二酸化炭素のボンベで膨らます。たまたま自転車をたてかけた植木にシャクガがずいぶん止まっていた。白い羽がきれいな蛾で、通勤途中の道ばたでも同じ種類を見る。

パンクのリカバリーは5分ぐらいですみ、たいして面倒なことでもない。ただし、もう1回パンクしたらアウトだ。そういう不運も、レース用のタイヤを使っているのだからサイクリングの一部だ。

荻野川をわたって、小さな丘に登ると半原越のある山並みが目に入ってくる。右手にゴルフ場があり左手は田んぼだ。狭い谷にそって作られた棚田で、いわゆる谷津田である。しばらくは耕作が放棄されていて全面的に草ぼうぼうだった。この2年ばかりは稲を作っている。収穫が目的というよりも、田んぼを維持することに主眼がある。田んぼの作業をするのはリタイア組のお年寄りたちだということだ。田んぼをすぎると、右手に老人ホームがあり、老人ホームを過ぎると道路は切り通しになっている。

切り通しは粘土のような黄色い赤土だ。火山灰性のものだろうか。土は緑鮮やかなこけが広く覆っている。切り通しの周辺は杉が植えられ、昼でも暗い。その薄暗い木立のなかを大型の蝶がゆっくり飛んでいる。アサギマダラだ。アサギマダラは日本の蝶の白眉といっていいだろう。青白い羽に赤いすそ模様は暗い林の中でいっそう美しい。こういうささやかな幸運を夢見て自転車に乗っている。林を抜けると小鮎川への下りだ。


2006.5.29 内心おだやかではない

マッキントッシュ向けに新しいフリーセルが公開された。ウィンドウズのものと同じものかどうかはまだ確かめていない。それは重要な問題ではない。私がやっているSuperMacFreecell 1.5.1Jとは違うものだということが問題だ。ゲームとして同じであることはいうまでもないけど、ゲームの番号が一致していない。SuperMacFreecell 1.5.1Jのほうは、すでにご存知のように2万4000個ほど解いており、すくなくとも10万は解くつもりだ。それは、解けない配列の番号を見つけるためである。少なくとも、あと10年はかかるだろう。SuperMacFreecell 1.5.1Jは旧式のMac OS9以下の機械にしか対応していないから、新式のOSXのものを出してほしいのだが、もう無理そうだ。このたび「無料で」OSX用の似て非なるものが出た以上、有料のSuperMacFreecell 1.5.1JのOSX用バージョンアップ(たぶん有料)はあるまい。残念だ。

アップルがOS9を捨てたのにフリーセルのために旧式の機械を使い続けなければならない。ただ、私の心中が穏やかでないのは、そんなことのためではない。新しいフリーセルをダウンロードしてその解説を読むと「全て解くことが可能である」と明記してある。ちょっと調べたところ、ゲームの番号は42億9496万7295までふってあるから、それが全部解けるということだ。フリーセルのプログラムでは、絶対に解けるように作ることも100万個に数個の割合で解けないものを混ぜるように作ることも可能である。その2タイプにプログラム上の難易度の差はないだろう。制作者の胸算用一つだ。新しいものは「全部解ける」と主張している以上は、解けるタイプでプログラムを組んでいるのだろう。私のSuperMacFreecell 1.5.1Jの解説では、解けないものもあるということだったが、私自身はその真偽を確認していない。フリーセルには解けない配列が星の数ほど存在することを数学的に証明しただけだ。

新しいフリーセルが42億種類あって、私の古いものは20億種類しかない。この差は一見大きいようだけど、フリーセル全体ではごく一部に過ぎず、40億も20億も五十歩百歩だ。SuperMacFreecell 1.5.1Jが偶然的に解けない配列が混じるようにプログラムされているという保証は制作者の胸中にしかない。ちょっと疑心暗鬼になってきた。私は暇つぶしにフリーセルをやって楽しめるほど馬鹿ではない。もし解けないものがもともと存在していないのなら、いますぐSuperMacFreecell 1.5.1Jを投げ捨てたい。


2006.5.30 フリーセルについてあやまる

私はよく調べもせずに断定する程度の馬鹿である。昨日、フリーセルを全部解けるようにプログラムする苦労は、解けないやつを混ぜて作るのと大差ない、などと断定してしまった。ほんのちょっと考えを進めてみると、解けない配列を回避するプログラムはけっこう難しいことが明らかになった。というか、その方法を思いつけなかった。間違うなら間違うで、少しは考えてからのほうが、あやまったときにあやまるのも楽だ。

というわけで、20億も40億もフリーセル全体の数から言えば五十歩百歩というくだりが心配になった。感覚的に、50歩または100歩と地球の円周ぐらいの差(100万倍ぐらい)はありそうだと思っただけで実際に計算したわけではない。そこであわててやってみることにした。

全体の数の計算は簡単だ。いろいろ重なりはあるけれど、基本的に52の階乗でよい。トランプのカードを一枚ずつとってくると何通りあるか? という初歩の数学だ。52の階乗は1×2×3×4×・ ・・・・・51×52という式で表される。それを電子計算機ではじくと、おどろいたことに68桁の数字が飛び出してきた。これは予想以上にでかい。鯛をねらってクジラが釣れた。書き出したのが以下だ。

8065817517
0943878571
6606368564
0376697528
9505440883
2778240000
00000000

ちなみに、現行のフリーセルの種類は20億とか40億とか書いたけれど、あれは、それぞれ2の31乗と2の32乗である。プログラムの都合でそういう切りのよい数字になっているのだろう。2の32乗を書き出すと以下のようになる。

4294967296

10進法の表記の弱点は100以上の大きな数の実感がわかないところにある。40億だって十分大きいが、52の階乗はカホなサイズである。それなのに、こうやって並べてみると、2000倍ぐらいかな? などと勘違いしてしまう。実際は地球の円周と100歩なんて差ではなかったのだ。

たとえば、私が超すぐれたフリーセラーであるとする。なんと、1秒間に1億個のフリーセルを解くことができるというスーパーマンだ。私にかかれば、40億個なんてものの1分足らずだ。その私の力をもってして、この宇宙の終わりまで、100億年間フリーセルをやったとしても、約3153600000000000個しか解けない。これはまだ52の階乗の全体からみれば誤差の範囲で、1個しかやってないのと大差ないのだ。最低でも
5817517094
3878571660
6368564037
6697528950
5440883277
8240000000
00000
個ぐらい(これでも1000分の1以下)はやってないと、最近フリーセルにこっちゃって、なんて言えない。「ほんまかいな?」と思うけれど、今回はちょっと調べたので間違っていてもいいや。


2006.5.31 私の便所虫

隣室から漏れ聞こえるテレビニュースがさかんに「便所虫」を連呼していた。便所虫は報道用語として不適切であるし、便所虫の輸送とか便所虫の不足とかいってる。その文脈で便所虫は登場しないので聞き間違いだろう。

便所虫は標準和名ではないから、便所虫で誰もが同じ生物を思い浮かべるわけではない。ワラジィーのこともあり、カマドウマの場合もあり、ヤスデやチョウバエかもしれない。私が子どもの頃はセンチコガネやドウガネブイブイも便所虫とよばれていたような記憶がある。私にとって便所虫とよぶにふさわしいのはなんといってもコウカアブである。真っ黒な細身で小型のアシナガバチほどの大きさがあり、腹の白いストライプがアクセントだ。敏捷でもなく体も軟弱だが、見かけがなかなかシャープで、イエバエチームよりも一段高い地位にあった。

小学生の頃、私はコウカアブの生活史を漠然と理解していた。ひとかどの目を持った子どもだったというよりも、いつの間にかコウカアブのことを知っていたというのが真相だ。当時は生活環境の中におびただしい数のコウカアブがいた。日常茶飯にやつらと顔を合わせていたから、その名を知るのは40年後のことだとしても、コウカアブが何者かはよくしっていたのだ。

コウカアブの幼虫は蛆虫で、便壷の汚穢に住み汚穢を食べて育つ。成長すると壁を這い上がり、蛹になる場所を探し回る。蛹化の場所は湿った地面で、便所の脇の地面には蛇腹模様がある高さ2センチほどのコウカアブの抜け殻がびっしり立ち並んでいる様子が見られる。これが子どもの頃に私がもっていたコウカアブの知識だ。本当かどうかはわからない。

私は、汚穢にうごめく蛆をある種の驚異の目で見ていた。その住処、その食べ物、その姿、その群衆はたしかにおぞましいものであろうが、他がまねのできない生き様をとる虫の生命力にこころ打たれるものがあった。ぬるぬるするはずの小便器の垂直の壁を登っているのも驚きだった。尤も、その機構を確かめるまでの探究心はなく、やつのユーモラスなよちよち歩きを見つけしだい小便をひっかけて落として遊んで満足していた。また、その成虫はつり餌として全然だめだった。ニクバエ、キンバエなどのハエ類はハヤがよく食いついた。コウカアブはよくなかった。ハエ類も死んでから日にちがたって乾いたものでは吊れなかったが、コウカアブは新鮮なものでもよくなかった。当時はすかすかで肉がないからだろうと思っていたけど、もしかしたら魚にとってあまり良い臭いの虫ではなかったのかもしれない。

コウカアブなどいてもいなくても良いようなもので、お引き取りを願ってもどうせいるのだから、まあ、しょうがない、という程度のおつきあいだったが、驚くなかれ、この数十年、思い起こせばコウカアブを見ていない。見なくてもぜんぜんさびしくも悲しくもないが、見ればいとおしさがちょっとだけこみ上げてくる予感がする。便所虫ってそんなやつだ。


2006.6.1 カマキリタマゴカツオブシムシ

もう6月なので、誘致してきて孵化を見ていないカマキリの卵は駄目だろうと、開いてみることにした。触っただけでも卵嚢はもろく悪い予感がした。はたして、その中から出てきたものはカマキリの幼虫とは似ても似つかないものだった。茶色い寝袋状のものが数十個、卵嚢の中心部に不規則にびっしりとつまっている。それは明らかに別種の虫の抜け殻であった。

ひところだと、そういう虫は脱皮殻を見つけても、その名前や生態を知識として知ることは難しかった。専門の雑誌で細々と発表されるだけで、市販の図書に記載はなく、一握りの研究家の頭の中にしか存在しえない知識だった。今では、そういう普通に目につく動植物ならたいていは検索が可能である。どうやらそいつはカマキリタマゴカツオブシムシの脱皮殻らしいことがたちどころにわかった。カマキリ、タマゴ、カツオブシムシと、言葉の上でもインターネット検索でヒットしやすい対象であったことが幸いした。そして、ウェブ上での鮮やかな写真やくわしい解説を手がかりに、脱皮殻だけで種をほぼ断定できる。

カマキリタマゴカツオブシムシは秋にオオカマキリの卵嚢表面に卵を産みつけ、孵った幼虫は卵嚢の中に入って、カマキリの卵を食べて成長し春に成虫になって脱出するということだ。カツオブシムシ類は小さな甲虫で害虫になるものもいる。その代表はヒメマルカツオブシムシで私の携帯電話の待ち受け画面はそいつだ。


2006.6.2 手が届く謎

虫のことが簡単に調べられることは必ずしもよいことではない。特に、挑戦意欲をそぐという点で、自然勉強の途中にある子どもには危険な面もある。ちょうど私がコウカアブを見ていた40年ほどまえ、私たち子どもグループで蛍のことが話題になった。年長の一人が中学校の先生あたりから聞いてきたものだろう、「蛍がどうやって光っているのかを見つけたらノーベル賞ものだ」と騒いでいたのだ。蛍はたくさんいて、6月になると川に行って蛍を捕るのが年中行事だった。あんな珍しくもなんともないものが、お宝を腹に抱えて飛んでいるのだ。ちゃんと調べれば何かわかるかもしれないと、素朴にみんなで盛り上がった。私の仲間はけっして勉強ができたほうではない。半分が勉強的には知恵遅れで、当時は特殊学級とよんでいたクラスにかよっていた。理科の知識なんて皆無であったが、それでも何かできそうな気がしていた。科学のことに限らず、本気で大それたことができそうな気がしていたものだ。

そのころはまだルシフェラーゼという酵素も見つかっていなかったと思う。湯川博士が「これからは生物の時代です」と予言したにもかかわらず、みな半信半疑だったころだ。思えばその予言は正しく、この40年で生体の化学反応が次々と解明され、DNAが見つかり、遺伝子という概念が一般にまで普及していった。

こどもはみな、身近にある動植物に素朴な驚きと疑問を感じるものだ。当時はそうした私の疑問や驚きを理解し解決できる大人はいなかった。学校で教わる理科なんてものは退屈なだけだ。唯一、ばあさんだけが全ての質問に断定的に答えてくれた。「魚の呼吸の謎」「カエルの鳴く理由」「スズメバチの存在の意味」etc、それらの答えは科学的には全て誤りだった。それでも私はその怪しげな学説や昆虫の名前を信じ、自然というものは偉大なものだと感心していた。ばあさんが孫相手に苦し紛れに編み出す程度の学説であるから、明解であり、その程度の新発見なら自分でも手が届きそうだった。その調子で蛍の謎を解けばノーベル賞だと信じることができた。

ところが、今は子どもが思いつく程度の疑問にはことごとく解答が用意されている。しかもそれらはじゅうぶん難解で手が届きそうにないのだ。どんなことでも、誰かがもう答えを見つけているような気がするから、汗をかいて自然の謎を追いかけようという意欲がわかない。自ら本気になってチャレンジすれば、そのへんの生き物の謎は解き尽くされることのない無限の深みをもっていることにすぐ気づくことができるのだが。


2006.6.3 白い花の季節

昨日いきなり、PowerBook2000、愛称Pismoが起動しなくなった。通電はしているけど画面も真っ暗で、うんともすんともいわない。6年間使う間にバッテリーを2回交換し、CPUも自分で換装した機械でもあり、もろもろ手を加えて愛着もあるのだが、ついにお別れの時が来たと思った。ハードディスクを取り出し、それは問題なく動いていることを確認してPowerBookG4、愛称Titaniumに入れて本体は片付けた。

今朝、ふとPismoが起動しない原因として内蔵電池の完全消耗があったことを思い出した。しかも、この日のためにバックアップ用電池はすでに購入してある。もう一度、機械を引っ張り出して、やはり起動しないことを確認して、内蔵電池を取り出した。Pismoは幸い内蔵電池の交換がきわめてたやすい。ものの5分もかからない。雪だるま型の電池を取り替えて、起動ボタンを押すと何事もなかったかのように、ジャーンという起動音につづいてモニターが明るくなって正常に起動した。

電池を入れ替えて庭でギンメッキゴミグモを撮影。空中にいるので風でゆれてピントがこない。チャームポイントになっている背中の銀色がストロボの光を反射して白飛びしてしまう。どうにも難しいやつだ。

午後からはタイムトライアル仕様をもとに戻した半原1号で半原越。いまちょうど白い花の季節だった。


2006.6.4 収納ケースに託す夢

池のある家に住むのが子どもの頃の夢だった。川からとってきた魚がバケツに入れておくとすぐ死ぬので、池さえあれば殺さずに済むのではないかと思っていたからだ。いまはその夢に一歩近づいたところだ。2004年の7月にスイレン鉢を一個導入したのだ。スイレン鉢には、アサザかなにかのスイレンとこれまた種名が不明の水草を入れている。見栄えのする植物を育てるという名目がないと女房の許可が得られないのだ。植物の他にはメダカを入れている。メダカはボウフラ発生を防いでいる。女房は蚊が嫌いなのだ。

スイレン鉢ではミズムシがいつの間にか発生したり、ユスリカの卵が見つかったり、特に手を加えなくてもいろいろあってそれなりにみんな生きている。当初、メダカが全滅したことがあり、ショックを受けた。原因は、スイレンの葉が繁茂して水面を覆ったための酸欠だとわかったので、去年の夏は随時葉を撤去することにした。メダカは世代を重ねており、氷の冬も乗り切った。一週間にわたり厚さ5センチの氷が張って、全滅を覚悟した。幼魚は半分ほど死んでしまったが、生き残ったものがまた産卵し子どもが生まれている。

去年の夏にはシオカラトンボが来て産卵していた。ヤゴの姿もときおりあったが、しばらく見なかった。そのヤゴの脱皮殻があった。どうやら私のスイレン鉢から飛び立ったトンボ第1号である。もう一匹、同じ種類のヤゴが水面から顔を出しているので、そちらの方も羽化するのは近そうだ。

池のある家に住む計画はなかなかうまくいっている。それで今日、もう一個の池を買ってきた。1280円の白い半透明のプラケースだ。普通には衣類を収納するものらしい。今あるスイレン鉢は、アクアデザインアマノ製の数万円もする本物だ。そんないいもんじゃなくても、土に埋めるんだから水がもれなきゃいいんだろと思う。最悪、段ボールに丈夫なビニール袋でもいいのだ。しかしながら、女房が収納ケースみたいなかっこの悪い代物を庭に埋めるのはやだとずっと反対するので見送っていたのだ。

いまわが家には4匹のアマガエルがいて、アイドルとしての地位を確立している。とくに、奇形で片目のない「たんげくん」というやつは家族の心配と同情を一手に引き受け別待遇になっている。家の中でペットとしてカエルがいるのもいいけど、庭に池を持ってそこでアマガエルが繁殖すればもっとすてきなことだと思う。その夢へのささやかな第一歩を1280円の収納ケースに託しているのだ。


2006.6.7 汗をかくのは気持ちいいのだが

ごぞんじのように私は汗をかかない人間である。日常生活では風呂に入っているときにやっと汗を見る程度だ。気温が30℃になろうが40℃になろうが、汗が吹き出てくることはない。多少の運動でもだめだ。夏でも駅の階段とか、早歩きとかではだめだ。無理に厚着をして歩くか、疾走するぐらいでないとだめだ。それでも、部屋の中で自転車に乗っていると、15分ぐらいで汗まみれになる。汗をかくことは気持ちがいいのだが、床が汗まみれになるのは面倒が多いので、ちょうどいい調子になってきたころにやめなければならない。

同じ自転車に乗るにしても、屋外では汗をかかない。夏でも上り坂を思いっきり走ってやっと汗がぽたぽたと落ちてくる程度だ。平地だと風を受けるから体が冷えて汗がでないのだと思う。部屋の中でも風を受ければ汗をかかないのではないだろうか。床に汗が落ちない程度でやめればよいので、うまくいけば2時間ぐらいやれそうな気がする。もうわざわざ外に出て自転車に乗る必要がなくなるかもしれない。

そこで風を受ける方法だが、扇風機ではいまいち知恵がない。ためしに今日、パソコン冷却用のUSB扇風機を顔の前に持ってくればずいぶん涼しくて気持ちよかった。大型の扇風機を導入する手はあるが、せっかくペダルをこいで車輪を回しているのだから、その力で風を起こすのがスマートだと思う。屋内専用の羽付きホイール付きエアロバイクなんてのもいけそうだ。負荷は空気抵抗で増えていく。負荷が増えるに応じて風圧が増えるところがみそだ。痩身器具の一種として売り出せば良い。


2006.6.10 マスコミは破廉恥だから

サッカーのワールドカップにあわせて、テレビの録画装置をハードディスク搭載のものに変更しようと思った。しかし、ちょっと冷静に考えてみて、無駄だということがわかった。無駄だけでなく、いらいらのもとになるのであきらめた。というのは、私の場合、録画した試合の結果を知らずに一日過ごすことがほとんど不可能だからだ。マスコミというのはおせっかいで破廉恥だ。ゲームがあればその結果を流したがる。テレビ新聞はサッカーが好きでなくてもとりあえず上司やパートの女の子と話を合わせる為に結果ぐらいは知らなければならない無能なオヤジ相手の商売なのだから仕方がない。

というしだいで、早朝にゲームの多いサッカーのワールドカップは見ないようにしよう。サッカーでもブンデスリーガぐらいならマスコミも相手にしないので、毎週楽しめたのだが、しかたがない。そのかわり、明日からツールドスイスの放送がはじまる。そっちを見よう。

今日は、半原越に行く途中の路上で鳥の斃死体を2つも見た。一つはヒヨドリで、2キロも行かないうちにカラスが死んでいた。何か鳥にとってよくないことが起きているような嫌な感じがする。

半原越の林道では雨が続いていたこともあって、シーボルトミミズの死体が多かった。そしてミミズを食べていて轢かれたオサムシ。薄緑のぺらぺらのビニールの様な翅をした大きな蛾らしいものの死体もあった。スピードが出ていたときでよく見えなかった。オオミズアオかオナガミズアオか、それにしても緑すぎて変だった。本当に蛾なのかどうか、帰りに確かめればいいやとそのまま登り続けた。今日はなぜか大型のトビズムカデを2回も見た。半原越でムカデははじめてだ。ムカデが道路に出歩くなんらかの事情があるのだろうか。下っている途中でキビタキを確認する。

帰宅してから、いよいよ庭に埋めた衣装ケース池に水を入れた。池のそばに女房が買ってきたナツツバキという木を植えた。女房は蚊が嫌いなので庭に出てこない。「蚊に刺されてもいたくないんだ。だって蚊は友達だから」と思わず叫んでしまうぐらいサッカーが好きなんだけど、ワールドカップは仕方がない。いらいらするから。そういえば蛾の死体を確かめるのを忘れてしまった。


2006.6.11(日) メダカ投入

せっかくの雨の日曜だったが、東京に仕事に行かねばならず、自転車に乗れなかった。

昨日、池に水をはってスイレンを入れた。一日置いて水道水のカルキも抜けただろうからメダカを買ってきた。この辺だとメダカを採集するのはたいへんやっかいだ。もっとも手近なのが西武デパートの屋上だ。ボウフラの発生防止には魚は必須だからしょうがない。メダカといっしょにアナカリスも4本ばかり買ってきて植木鉢に入れて植えた。どうなることやら。最初に草や魚を入れるときはいつも心配だ。一日で死んでしまわないか、すぐに枯れてしまわないか。落ち着くまでは気もそぞろだ。

ところで、陶器のほうのスイレン鉢の水がぜんぜん澄まない。4月からやや濁った感じがしていた。それがアサザを抜いたり、ミジンコのわいた水を入れたりしたときに水底の泥土を巻き上げて思いっきり濁った水がそのままぜんぜん澄まないのだ。よほどの泥水でも止水であれば2〜3日で底が見えてくるはずなのだが、なにか変だ。アクアリウムでは水が澄まないのは壊滅の兆候だが、スイレン鉢でもけっして良いことではないと思う。


2006.6.12(月) ももがいたい

けっこう珍しいことなのだが、太ももが痛い。原因は明らかで、土曜日に走り過ぎたからだ。チネリという自転車はとっても変で、どんどん速く強く走ることを要求する。それで自転車の言いなりになって筋肉痛になる。自転車で首が痛かったり肩や背中がこったり、ふくらはぎが痛かったりする人は修行が足りない。尻の皮が痛いなんてのは問題外。いまは太ももの裏の、尻に近いところが痛いのだから、比較的よい筋肉痛だと勝手に思っている。

そもそも、自転車なんてものは歩くより楽だけど、速く走ったり坂を登ったりするのはしんどいものだ。がんばればがんばるほど楽しくなるってことはない。競争するわけでもなく、誰も見ているわけでもなく、ただその辺の山道を孤独にスピードを上げ続けることが楽しい。それは冷静に考えれば奇妙だ。

私は普通の平坦な道路では時速25キロぐらいでゆっくり走る。チネリでもそれぐらいだと面白くもなんともない。まあ、普通だ。そこからちょっと力を入れると、ちょっと面白くなる。もっと力をいれるともっと面白くなる。時速35キロからは別世界のように力を入れたときの自転車の反応が機敏で、しかもハンドルが安定し操縦が楽しくなってくる。この辺の道ではそのスピードだと3分以上は続かない。交差点、信号、自動車その他もろもろの障害があるので、速度を緩めては加速し、加速しては減速ということを繰り返すことになる。もっと力強く走れればもっと楽しいだろうと予感させるが、力がない。

この楽しさはいわゆるランナーズハイというものだけではない。機材が自分の体の延長として機能し、肉体がより力強くなったという錯覚を与えてくれるからだと思う。時代物では妖刀というものがあって血を吸いたがるという日本刀が登場するが、まああんな物だ。で、自転車の言いなりになっていると体を壊し身を滅ぼすわけだ。


2006.6.17(土) サクランボにつく虫

オウトウショウジョウバエ

今朝、サクランボを食っていると、目のいい女房がサクランボの箱をはっている小さなウジムシを見つけた。これはラッキーと、3匹ばかり捕まえて、アマガエルに差し出してみると、喜んで食った。体長は3ミリ程度だがアマガエルにとってはごちそうらしい。

ためしにサクランボを割ってみるとつぎつぎにウジが見つかる。前後が尖って透明感のある白い体をしている。オウトウショウジョウバエかなにか、小型のハエの幼虫のようだ。傷みの速いものが多くて変だなと思ってはいたのだが、どうやら犯人はこいつらしい。

サクランボから出ようとしているらしい1匹を見つけて撮影したのが、この写真だ。岡本太郎の太陽の塔のようでなかなかシャープだ。撮影前は頭部だと思っていた。成長しきって蛹になる場所を探すべく、生まれ育ったサクランボを後にするところだろうと思ったのだ。けれど、よくよく写真を見ると頭ではなくしっぽのほうらしいことがわかる。では、しっぽを外に出してなにをしているのだろう。もしかしたら呼吸かもしれない。サクランボは水気が多く果肉の中では呼吸ができないので、ときどきしっぽを出して空気を取り入れているのではあるまいか。2本の突起が空気の取り入れ口かもしれない。

ところで、虫がわくのはおぞましい薬を使わずまじめに作られた証拠だ。けっこうたくさんもらったのだが、そのほとんどにウジがいることがわかったので、おちおちしていられなくなった。傷みが進むと苦くなっておいしくないからだ。大急ぎで食ってしまわなければならない。ウジはよけてカエルの餌にするのもいいのだけど、小さくて食いでもないだろうからそういう面倒はしない。


2006.6.18(日) 雨なので境川に

仕事で東京まで行かねばならなかったが、せっかくの雨である。仕事は昼過ぎに切り上げて自転車に乗ることにした。ちょうど夏至の頃だから4時頃からでも3時間ぐらいは外で遊べる。

半原越に行くのはやめにした。昨日行ってみると案の定、小さな崖崩れがおきていた。危なくてしょうがない。土砂に埋まって死ぬかもしれない。大雨で地盤がゆるんでいるはずだ。そもそも半原越は道路をつけるべきところではないと思う。あんな急傾斜の岩と泥が混在している山を削れば崩れるに決まっている。土砂に埋まることはないにしても、ちょっと強い雨の後は大小無数の鋭利な石ころが道路を埋め尽くしているからパンクの心配もある。

こういう日は境川に限る。見渡す限り人がいないので気兼ねなくすいすい走れるからだ。多摩川のサイクリングロードほどではないが境川もけっこう怖い。1m後ろにぴったりついて走っていても気づかない馬鹿な犬とか、前を見ない自転車とか、道一杯に広がって歩く中学生とか、恐ろしくってしょうがない。多摩川ならいざというときは土手に落ちればよいのだが、鉄柵が張り巡らされている境川はそうもいかない。土手のサイクリングコースは雨の日がよい。夏であれば晴れよりも雨のほうが気持ちのよいものだ。


2006.6.19(月) アシナガバチの末路

蜂の巣

アシナガバチの女王はたった1匹で冬を越し、春に巣を作り始め、守り、拡張し、産卵して幼虫が生まれる。その子どもたちはやがて働き蜂となって女王を助け、巣を拡張し、幼虫を育てて兄弟を増やしていく。ただし、そこまでたどり着けるものは多くはないはずだ。わが家のアシナガバチの巣は全てが写真のような末路をたどっている。

毎朝観察してきたザクロの巣であるが、今日はついに女王の姿はなかった。そのかわり無数のアリがたかっている。どうやら肉食性のアリにやられてしまったようだ。アシナガバチも仲間が増えて働き蜂が日夜監視するようになればアリも防げるかもしれないけれど、女王1匹ではなすすべもないだろう。

様子をよく見て撮影するためにザクロの枝をつかむと、アリの群れはにわかに殺気立ち右往左往しはじめる。写真で観察すると腹を上に向けて蟻酸を発射している様子が見える。かなり気性の荒いアリで、去年はオオカマキリの幼虫が出現するときに、卵嚢の中に入って幼虫を大方食ってしまった種類だ。


2006.6.20(火) 体脂肪計を購入

半原越を速く走るには太ってちゃ話にならない。脂肪が少ない体が良い。体脂肪率を測って肥満に気をつけなければならない。そこで、ヤフオクを覗いてオムロン社の体脂肪計なるものを500円で買った。あまりに安くないか? 体重を測る機械でさえ500円では無理だろう。それなのに、体の脂肪のわりあいなどという微妙なものをたった500円の機械で測れるわけがない。では、この体脂肪計なるものは何を測ってどんな数字を表示するものなのか、それはちょっと興味がある。

その装置は腕を水平に延ばして両手でセンサーをにぎって測るタイプだ。軽量小型な本体にあらかじめ身長、体重、年齢、男女をインプットしておく。機械で測定するのは電流が体の中をどれほど流れるかだという。さっそく測ってみると脂肪は9kgで体脂肪率は15%ぐらいだという数字が出た。

おそらく、もっとも大事な数値は体重だろうと思う。体重と他のインプットデータとの関数があって、その曲線に沿った範囲で妥当な数値をはじき出すのだろう。ためしにいろいろな数字を打ち込んでみた。他のデータはそのままで20歳の若者だとしたら、私の体の電気伝導度(?)では、体脂肪率は11%ということになった。解説では脂肪の電気を通しにくい性質を利用して体脂肪率を計算しているという。なので、通ってきた電気の量が同じで値が小さく表示されるということは、電気がより通りにくい体のはずだということを示している。どうやら人間は年をとると電気を通しやすくなるらしい。身長体重からすれば、11%は東北大学野球部で7番を打っているセカンドぐらいか。また、もし私が20歳のうら若き乙女であったらどうだろう? ふつうの娘さんで身長170センチ体重60キロなら「わぁーおっきぃーっ」て感じだ。測ると体脂肪率は18%になり現実のこの中年オヤジよりも多めに出た。ただし、女の子の体のことはよく知らないが、18%というと比較的しまってる感じなんじゃなかろうか。水泳選手みたいな体型。千葉すずみたいだときれいでいいぞ。

というような妄想はおいといて、この装置は正式には腕を水平にして測るのだが、いろいろな体勢で試してみると、それなりに数値が変わることがわかった。たしかに、両手で握ってはいてもセンサー間の距離が短くなるような電気が通りやすい姿勢になると体脂肪も小さい数字になる。これが私の体脂肪率を本当に測れる機械かどうかは別にして、体の中を流れる電気を測るという点ではけっこう優れたもんだなと思う。たった500円だけに感心しきりだ。


2006.6.24(土) アサガオの起源

「およそ地より生えるものは全て太陽に向かうもの。日陰に伸びるタケノコなど笑止」というのは天才忍者カムイの言葉である。私はそこにアサガオの起源を解く鍵があると思った。 アサガオの特徴は、細いものに巻き付いて上へ上へと成長していくことにある。その巻き付きという画期的な方法をアサガオがいかにして獲得したのかが問題だ。

カムイも気づいていたように、草は太陽の方に向くものだ。朝は東、昼は南、夕は西。一昼でぐるっと首を振る。私は、アサガオはもともとこの首振り運動が大きかった植物なのではないかと思っている。太陽に敏感で成長が速い。そのかわり体質的に体は細く弱い。そういう体を太陽に向かって毎日振っていると、いつかは棒状の物にぶつかる。投げ縄をどんどん送って延ばすといつかは何かに当たるようなものだ。ぶつかれば避けて絡まないような成長をする選択もあるが、アサガオのどん欲さはむしろ棒を巻く方を選んだ。ひとたび、巻きつくことにすれば、太陽の光を受けるのにかなり都合がよいことも明らかになる。生来の技であった成長の早さ、体の柔軟さを遺憾なく発揮し、他の草を差し置いて高みへ到達することができたのだ。


2006.6.25(日) 日本のアサガオはなぜ太陽に反対するのか

小学校の理科のテストで、アサガオの蔓の巻く方向を問われた経験のある人も多いだろう。アサガオは右巻き。上から見ると左方向、つまり反時計回りに巻いている(とおぼろげな記憶がある)。もし、アサガオの起源が、日周運動で太陽を追ったことからというのならば、この右巻きという現象は仮説に反することになる。太陽と反対の方向にアサガオが回ることになるからだ。

現在、日本で栽培されているアサガオが何億年も前から日本のこの緯度にあったのなら、やはり変だと思う。北半球の高緯度では上から見ると、日周運動をする植物は右回転をし、南半球の高緯度では左回転をするはずだ。じっさいにそういう原始アサガオの中から今日のアサガオが生まれてきたと思う。

熱帯地方の低緯度ならば、太陽の方向を向いても右も左も関係ない。アサガオは熱帯起源かもしれない。また、地軸も大陸も移動するものである。ひとたび、ツルになって巻くという特質を手に入れたならば、その巻き方はもはや太陽の位置も速度もわすれてかまわない。とにかく速く強く巻くものが偉いのだ。もともと太陽に向かったものが、大陸や地軸の移動につれて1億年後の日本で太陽と反対に回っていても矛盾はおきない。この場合アサガオは変化せず、太陽の通路が変わったことになる。一方、アサガオのほうで気が変わることもあるだろう。ツルの巻く方向を決める遺伝子が突然変異すれば方向がひっくり返る。右か左かは等価のはずなので、ひっくり返ったやつが種の多さ、花のきれいさ、病気への耐久力など他の性質が優れているなら、そっちが優勢になることもあるだろう。


2006.6.27(火) アリヤシキ

仏教でいうアリヤ識とは心の核みたいなもんで、フロイトやユングが発見した無意識の一機能を概念化したものだ。一方、蟻屋敷とは、やたらとアリが出入りする家のことをいう。わが家がそれだ。

アリはイエヒメアリという微小なもので、老眼が進んだ私の目にはよく見えない。女房はそのアリが気に入らないらしく、見つけしだいにつぶしている。一匹ずつつぶすのでは追いつかないのでいろいろな戦術も開発しているようだ。石けんを塗ってバリケードを作るとか、わざと半死半生の手傷を負わせたアリを放置して警戒感を持たせるとか。

私の書斎の入ったところの床にはなぜか「天然だしの素」なるもののビニール袋が置いてあった。何事かと問うと、イエヒメアリは鰹節が好きだから、天然だしの素の臭いでおびき寄せて一網打尽にするのだという。なるほど、袋の中にはクズになった鰹節にまじって100匹ほどのアリがうごめいている。あらためてその様子をみると、その数の多さに感心しきりだ。ときどき液晶モニターの上を這っているのが目障りなだけだったが、知らぬが仏だったらしい。いつも体がちくちくしているのはアリが噛んでいるのかもしれない。

さて、わが家の人間どもは計画性に乏しいのが弱点である。私は一般の水準からみれば計画性のない方だが、そんな私が心配になるぐらい女房子どもは危ういところがある。せっかく設置した天然だしの素のビニール袋であるが、一週間以上たった今も設置したときのまま、そこにある。アリたちは好物の鰹節をすっかり巣に運んでしまったことだろう。

いくらアリが嫌いでも薬を撒いたりするのはもっと嫌いだから、わが家では人間活動の副産物として結果的にアリを育てていることになる。家の内外に無数のアリがいる。熱帯雨林では、全動物の重量の90%以上がアリとシロアリで占められるというが、わが家でも人間と犬も含めたペットを除けばそれぐらいの数値になりそうだ。ましてや数となると、クモ、ミミズ、ハエ、コウガイビル、ナメクジ、その他雑虫もアリにはかなうまい。いま概算したところでは少なくとも18万匹となった。


2006.6.28(水) 体脂肪率の謎

人体についてまともな知識がなく、体脂肪というのはいわゆる贅肉=脂身だと思っていた。肉の間にある例の白い脂だ。それがどうも認識違いのような気がしてきた。

最近、オムロン体脂肪計なるものを買って自分の体を計測している。説明書にあるとおり、数値として表れる体脂肪率はめまぐるしく変動している。その値がそのまま私の体の脂身の割合のわけはないと思う。毎日の計測によると、私はだいたい9キロから11キログラムぐらいの体脂肪があるらしい。それが、数時間自転車に乗ってから測ると7キログラムを切るぐらいになる。体脂肪率では15%から10%へいっぺんに下がるのだ。

自転車には一生懸命乗っている。私ぐらいがんばればシェイプアップできるに決まっている。しかし、たかだが3時間ぐらいで、あの脂身が3キロも減るとは思えないのだ。むろん体重も3キロぐらいは減っている。体脂肪計は体重を測らないタイプなので、減少の値は両計測器で一致をみていることになる。だからといって、3キロ減った体重の正体が脂身3キロだとは思えない。運動後の体重減少を「やせ」というのは痩身器具のめくらましだけで十分だ。

体重が3キロ減っているとき、体は細くなりげっそりして見える。明らかに私の身体の3キロ分は水蒸気と二酸化炭素になって神奈川県の梅雨空に消えていったのだ。その3キロの正体はなんだろう?

運動のエネルギーを得る呼吸とは炭素を二酸化炭素にし、水素を水にすることだ。もとになる炭素、水素の供給源の一つが脂肪だということはまちがいない。脂肪というのは脂肪細胞という特別な細胞があってその中に蓄えられ、呼吸の材料として使われるらしい。脂身を作っているのも脂肪細胞だろう。脂肪細胞のなかの脂肪が溶け出して水と二酸化炭素になるかわりに運動のエネルギーを得るのだ。それはあるだろうが、それがメインか?

自転車に乗ったあと、体重は3キロ減っている。それは水分の減少ではない。体脂肪計の説明によると、水分量が減ると体脂肪は多めに計測されるという。体脂肪率も下がっているのだから体内の電気を通しにくい物質がなくなっているのは間違いない。体重および機械のいう体脂肪を同時に減少させているそいつの正体が不明だ。そしてその減少分は一両日のうちにスムーズに回復する。少なくとも贅肉=脂身がそんなに簡単に増えたり減ったりはしないだろう。体のどこかにいるブドウ糖とかなんとか、もっとスムーズに消費され蓄積されるやつが体重減少の主原因じゃないかと思う。そして、体脂肪計はそいつの動向にも反応するのではあるまいか。


2006.7.2(日) 半原越のヒキガエル

昨夜というか今朝はサッカーの試合を2つも見てさすがに眠い。今日は昨日よりも一段重い34×21Tのギアを試してみようと思った。朝から雨だ。天気予報、天気予想どおりだ。昨日の雨はしとしと降って体が全部濡れてしまうことはなかった。今日の雨はときおり大粒が落ちてきて風も強い。すぐにずぶぬれだ。気温が高いので雨具はなにもつけていない。

中津川に降りるところであまりに雨が強いので木の下に自転車を止めて雨宿りをしていた。足下に青い光が見え、すぐにムラサキシジミだとわかった。翅の表側にはよく光る紫色の鱗粉がある。閉じるとカシの枯れ葉そっくりだ。カシの新芽のところに卵を産みつけていた。このチョウはとても親しいチョウだ。子どもの頃、夜中に部屋に飛び込んできたこいつを見て、はじめて蝶を欲しいと思うようになったのだ。

半原越の登りにかかっても相変わらず雨は強い。2kmのチェックポイントではちょうど8分だった。ケイデンスは73rpmになる。途中、路上でははじめてヒキガエルを見た。雨に誘い出されたものらしい。頂上でのタイムは21分21秒。昨日よりも1分ほど早い。ただし、65rpmにまで落ちている。34×27Tだと80rpmぐらいにはなるから、そちらのほうでトレーニングすべきだろう。

頂上にかかるころからとんでもない降りになってきた。折り返して下りはじめた道路は川になっている。深いところでは水はリムまでたっして、ブレーキをおもいっきり握っても止まらない。たいていは雨でリムが濡れていても、ブレーキとの摩擦で水が乾いて数秒で効きはじめるものだが、10%を越えるところでは加速を押さえるのがせいいっぱいだ。自動車が来たらめんどくさいなあ、と音に注意してびくびく下った。

2kmのゲートの先のところに大きなヒキガエルがでていた。登るときに見つけたやつよりも2倍も大きな堂々たるやつだ。体は馬糞のように黒くいぼいぼで深紅の斑点がある。もっとよく見ようと自転車を降りた。近づいても逃げる様子もなく落ち着いたものだ。握っても慌てることももがくこともない。ためしにひっくり返すと、4本の脚を縮めてまるまったまま路上に寝転がっている。ほとんど置物だ。皮膚に毒があるカエルにすれば、抵抗しないのが防御でもあろうが、よくなついた犬みたいでたいへんかわいい。犬にはなつかれてもそれほどの感慨はないが、はじめてあった野生のカエルだから格別だ。

ひっくりかえったカエルの腹や手足にはカエルのものではないイボができている。柔軟でぐにょぐにょと動いている。ヒルだ。同じ種類のものが5匹ほどもついている。陸にいるタイプではなく水中のヒルのようだ。いずれにしてもカエルの血をすっているのだろう。ひっくりかえってヒルの吸い付いた腹を見せている様子は「こいつらをとってくれ」と甘えているように見える。ダニにくいつかれた犬がそんなしぐさをする。

カエルとヒルとどっちがかわいいかという答えは明白だ。ヒルには気の毒だが、ひっぺがしにかかる。けっこう強く吸い付くのではがすのは力がいる。その間もカエルはおとなしくなすがままにされている。カエルとはいえヒルに吸い付かれるとかゆみもあるのだろうか。ヒルをとったあと念のために、カエルは道路の谷側に投げた。自動車にひかれるとかわいそうだ。いつの間にか雨はあがって青空に白い雲が見えている。


2006.7.3(月) わが家のアマガエル

飼育ケース

わが家にアマガエルが来てから、かれこれ2か月になる。アマガエルは極めて飼育の容易な生き物だ。最高にやさしいのがカマドウマとしても、その次に容易だと感じたアシダカグモ、カナヘビ、ヤモリ、カブトムシよりも易しい。片目のないたんげくんも含めて4匹とも大変元気で、ぴょんぴょん跳ね餌もよく食べ機嫌良くみえる。

写真はその飼育ケースだ。中には3匹のアマガエルがいる。止まり木にしているのが、左のアロエの鉢で、たいていそこにとまってのどをひくひくしながら餌が落ちて来るのを待っている。たまたま左の鉢の縁に座っている1匹が写っている。右の植木鉢は近所から雑草を引き抜いてきて植えたもの。土と草があると落ち着くだろうと思って入れている。緑がないと体色がくすんでアマガエルらしさがなくなり、健康そうに見えないということもある。左前の容器は長女が焼いた陶器で、もとは芸術的な茶碗だったらしい。いまでは、カエルのプールだ。体が乾くのが大敵なので、ときどき水浴びをしている。その右は、ジャムの瓶のふた。非常用食料にしているミールワーム入れだ。ふだんは、庭や室内で目についた蛾やハエや野菜くだものにまぎれてくる青虫蛆虫をやっている。そういうものが入手できなかったときに市販のミールワームを与える。

みんな元気で不満はなさそうに見える。しかし、私はいまいち満足していない。そもそもケース内で繁殖させるのは困難だろうから、将来の工夫と努力にゆだねるとして、一つ気に入らないことがある。未だにケロッともゲロッとも鳴かないことだ。そもそもアマガエルはオスが鳴くのかメスが鳴くのか両方が鳴くのか、何のために鳴くのか、さっぱり知らないのだけど、機嫌が良いのならちょっとぐらいは鳴いても良さそうなものだ。自然状態では、雨が降っているときや降りそうなときになると、遠くからでもよく聞こえる大きな声で鳴いている。鳴かないからには十分には満足していないのではないかと思う。



2006.7.6(木) なつかしのテポドン

最初に北朝鮮が日本の方角にミサイルを発射してからもう8年がたったという。思えば、そのころすでにウェブ日記なるものを熱心に書いており、ロドンやテポドンが飛んで来るたびに、よけいなことを考えていたものである。1998年9月2日には以下のようにある。

驚くべきことに才ヒ卓月魚羊はあれは攻撃用ミサイルではなくて、あくまで有人ロケットであると主張している。今回のものは一人乗りで、搭乗者は有名なイリュージョニストの引田天功氏であるという。引田氏は才ヒ卓月魚羊の国家創建50周年の記念行事のイベントでアメリカより招かれ、得意のスーパーマジックを披露していることは世界の周知のことである。氏は興行のフィナーレとして才ヒ卓月魚羊からロケットで「脱出」するという離れ技を行いたいと申し出たという。才ヒ卓月魚羊側もちょうど宇宙旅行用の液体燃料ロケットを開発中であり、1500キロ程度は航続可能な実験機が完成していたので急遽有人用に改造し、世紀のスーパーマジックに提供することとした。もちろん、このマジックが成功すれは引田氏はフーディニを越える今世紀最高のマジシャンとして名を残すこととなり、才ヒ卓月魚羊側もロケット技術の高さを国際的にアピールすることができ一石二鳥であるわけだ。
今回の計画はアメリカには報告していたが、当事国である日本に事前に伝えなかった。その理由は、一般に言われているように小渕政権やのほほん日本をナメまくっているからではなく、単に「あっと驚かしてやろうと思った」だけだから誤解のないようにということである。

そのころの日記を読みかえすと、鶏卵論争を取り上げて楽しむ才能とは何かを熱く語ったりしている。いまでは失いつつあるインターネットに対する期待や夢を思いだして、ちょっと胸が苦しくなった。あのときはまだ20世紀だったんだ。


2006.7.8(土)くもり 温存の結果

いつものように半原越に行った。今日は少し思うところがあった。34×27Tという半原1号でもっとも軽いギアで、80rpmを維持すれば約22分30秒でフィニッシュできる。これまでは、最初は90rpm、終盤は60rpmというように、最初から飛ばしてしまった感があった。ふと、「3.5キロぐらいを押さえていったら最後のタレがなくなるんじゃないだろうか?」と思いついた。34×24Tで80rpmだと時速にして13kmもでていない。その調子だと中盤までの7%程度の坂ならばほとんど何もしていないも同然である。ずっと休んで最終決戦に臨めるわけだ。

さっそくやってみた。序盤は快調そのものだ。息もあがらない。丸太小屋の激坂だって余裕があるから楽々こなせる。時速12kmから落ちないように注意してらくらく走れば良い。第二チェックポイントのところまでは快調だった。ところが、最後の1kmになるとどうも駄目だった。16分を過ぎたあたりからエネルギーがなくなって、まるで別人のようだった。タイムは以下の通り。

     距離 タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 2.0km 8'45" 13.7km/h 87rpm
区間2 1.4km 6'30" 12.9km/h 81rpm
区間3 1.3km 7'11" 10.5km/h 69rpm

区間3については、これまで100回トライした経験から、どんなギアを使っても、どんなに元気があっても7分ぐらいかかることが判明している。ちなみに今日はじゅうぶん休んでから区間3だけを同じギアで登り直してみた。タイムは6分53秒で、あまり変わらない。私の体は地球上のウルトラマンよろしく15分しか走れないのかもしれないし、力不足で、10%超の登りは軽いギアを回すやりかただと時速12キロを出すことすらできないのかもしれない。


2006.7.9(日) 温存の結果その2

今日も昨日と同じアイデアで半原越に行った。3.4kmの第二チェックポイントまでは34×27Tで80rpmを維持することにした。その後はちょっと考えを変えて、重いギアにして登山方式にすることにした。10%超の登りだと34×27Tでも回す方法ではせいぜい0.3km程度しかもたない。回すのは無理で、サドルから腰を上げて体重をかけて階段を登るようにしたほうが速くて楽だ。ただし、軽いギアだとペダルがスコンスコン落ち、かえってしんどい。割り切って重いギアを選ぶことにした。結果は22分10秒でフィニッシュし、ラストの1.3kmのタイムも6分49秒と、休んで体力を温存して回すよりも速かった。今日のタイムは以下の通り。

     距離 タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 2.0km 8'57" 13.4km/h 85rpm
区間2 1.4km 6'24" 13.1km/h 83rpm
区間3 1.3km 6'49" 11.4km/h 45rpm

昨日もそうだったが、今日もタイムトライアルをしているわけではない。22分程度のタイムだと、普通にややがんばってる感じだ。この普通にがんばっている感覚を維持しつつ、80rpmでより重いギアを回せないと強くはならない。現在は第二チェックポイントまでは34×27Tで楽勝だから、それを24T、21Tとどんどん重くしていければ、強い自転車乗りになる。

34×27Tだと1回転で264cm走るから、第二チェックポイントまで1288回まわす必要がある。80rpmなら16分ちょっと、これなら楽勝だ。半原越を20分で走るとして、終盤の1.3kmはどうしても7分かかるとすると、第二チェックポイントまでは13分だ。1288回を13分とすれば99rpm必要だ。ランスアームストロングでもあるまいし目眩がする回転数だ。34×24Tだと298cmだから88rpmで済む。80rpmで行こうとすればリアは21Tである。日々研鑽を積むことで、できない相談ではないような気がする。ただし、34×21T、80rpmで半原越の4.7kmを乗り切れるとは到底思えない。それができる人なら他人と競争しても楽しいだろう。私の体は凡庸なものでしかなく、それは高望みだ。一山ずつ超えて、届きそうな目標をみていけば良い。


2006.7.10(月)くもり 魚眼

カマキリ

私は魚眼レンズが好きだ。魚眼レンズは視界以上の180°の世界が写るレンズだ。大きくいって魚眼には2種類あるらしい。撮った写真が丸くなるものと、四角くなるものだ。四角くなるのは対角魚眼という。丸くなる魚眼レンズは中心から周辺にかけて一様にひずむ(収差がある)が、対角魚眼のものは四隅のほうがぎゅーんと伸びるようにひずむ。

レンズメーカーのシグマは昔から安価な魚眼レンズを販売している。私は古い14mmの対角魚眼が好きで一時常用していた。最近15mmが発売され、こちらは被写体にぐんと近づけるというので喜んで買った。ファインダーを覗いてみると、前の14mmのようなゆがみではなく、円周魚眼っぽく周辺が丸くひずむレンズだということがわかった。14mmが気に入っているだけに、今ひとつ好きなゆがみかたではないけれど、寄れることと安いことはなにものにも代え難い。それに、画質もぐんとよくなっている。

今日の写真はそのレンズで撮ったものだ。草ぼうぼうのわが家の庭木にカマキリの幼虫がとまっている。まあ、普通のシーンだ。ただし、これは標準のレンズでは撮れるようで撮れない。覆いかぶさり囲むような植物と虫の一体感があり、奥にある塀や建物が住宅街の一角だということを表現している。じつは、レンズの先からカマキリまでの距離は20cmぐらいしかない。警戒され逃げられる寸前で、しかも足下なのでカメラのファインダーは覗かず、フォーカスも露出もフルオートでカメラまかせに撮っている。魚眼は画面がひずむのが宿命だけど、被写体と撮りようによっては、肉眼よりもずっと広い180°分の世界が写っていてもひずみが感じられない自然なカットにできる。このレンズは庭でこういうカットを撮りたくて買った。


2006.7.15(土)晴れ一時雷雨 雨とパンクのサイクリング

梅雨があけたような天気のもと、半原越に行ってきた。タイムトライアルしたわけではないが、記録は以下の通り。今のところ、34×24Tの一回転で3m進むギアがもっとも適しているというこを確認した。3.4kmまでなら回せる。

     距離 タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 2.0km 8'15" 14.5km/h 81rpm
区間2 1.4km 6'05" 13.8km/h 77rpm
区間3 1.3km 7'18" 10.7km/h 47rpm

雨は半原越に入るあたりから降り始めた。大粒で冷たい。ということは熱対流でできた積乱雲からの雨であろうか。果たして、頂上あたりで驟雨がきて道路は川になった。踏み込むと後輪が空転する。体が冷える。半原越の山は雷雲に覆われているかとおもわれるほど雷がちかい。稲妻に間髪おかずに雷鳴が飛んで来るとやっぱりこわい。

雨はふもとに降りるころにはすっかりあがって、カンカン照りになった。すいすいと下っていると後輪にいやなショックを感じる。パンクだ。このところ100kmに一度のハイペースでパンクしている。雨の半原越を走るのだからパンクは覚悟の上だ。交換チューブは用意している。5分で済むことだ、どうってことない、と思って携帯バックからチューブとボンベを取り出して愕然とした。なんと、タイヤレバーを忘れているのだ。いくら自転車とはいえ指でタイヤははずれない。4mmと5mmの六角レンチをごりごり使って無理矢理タイヤを外した。タイヤレバーにもなる六角レンチって売れないか? などとばかなことを考える。あとは、チューブを交換して二酸化炭素ボンベで空気を充填すれば解決だ。握力が強いので、タイヤをはめるのにタイヤレバーはいらない。

ひとまず事なきを得て、修理の終わった後輪を置いて、雨に濡れたTシャツを脱いで絞っていた。そのとき、ブシュッという不吉な音とともに交換したばかりのチューブがバーストしてしまった。タイヤで噛ましたり、押しピンが刺さったままにしておくようなへまはやってないはずだ。不審なパンクだが、ま、駄目なものな駄目でしょうがないので、そのまま乗って帰ることにした。

20km以上あるけれど、帰り道であるし、気温が高く蝉が鳴いてトンボが飛んでいる。稲は青々として久しぶりにみる白い雲との対比がきれいだ。ホイール1周、2.1mごとにバルブのところがカクンカクンいって不愉快なのと、何かあるごとにずるずると後輪が滑ることを除けばまあ快適だ。

交換したチューブがバーストした原因はおそらくゴムの劣化だ。高圧に耐えられずゴムが裂けたのだ。今後、IRCのチューブはなるべく避けるとしても、パンクが頻発している原因は高過ぎる空気圧かもしれない。8.5気圧ぐらいにしているけど、少し落とした方がパンクは少なくなるだろうか。いや、そもそもチューブを半年も1年も使おうという貧乏性が災いのもとなのであろう。


2006.7.16(日)晴れ 無益で恐ろしい戦いはいやだ

イエヒメアリ

この写真は横幅が1cm。アリは2mmもない。体中がかゆいのはこのアリに食われているからだ。イエヒメアリは肉食のアリで、どん欲だから人間の体も食うようだ。もともと日本にはいないアリらしいから、ひさびさの本物の大型不快害虫の登場と言ってよいだろう。

物を考える力のある人は気付いているように、ゴキブリは害虫ではない。あれはふつうの家屋ではふつうに共存できる虫である。人間に害を与える虫ではない。あれを害虫にしたてたのは殺虫剤を売らんとする者の策略であった。テレビであいつをわざと不気味に放送し、母から子、子から孫に、悲鳴が受け継がれることによって、ゴキブリは完全な害虫として定着してしまった。どんな対象でも母親の悲鳴を聞いた幼児はトラウマを持って恐れてしまうものである。これは人間、獣、鳥類に普遍の本能による学習だ。残念ながら日本でゴキブリがその本来の地位に戻ることはあるまい。

ゴキブリとちがってイエヒメアリは本当に害虫だ。噛み付くから。さて、不快だからといって、防御する方法は目下のところ私にはない。食いつかれたら指先でぐいぐいすりつぶす。そうとう強く擦らないと死なない。けっこう丈夫で数が多い。私はこいつらはもうあきらめようと覚悟している。ダニを食ってくれるかもしれないし、クモの良い餌になるかもしれない。室内生態系のなかでしかるべき位置をしめてあまり噛み付かないでくれればよいのだが。

さて、世間はイエヒメアリを放っておくだろうか。微小で生命力と繁殖力を兼ね備えたやつらである。無益で恐ろしい戦いにならないことを祈る。


2006.7.17(月) こういう日もある

雨は一日中ポツポツと降っている。自転車にのって全身が濡れるほどではない。早朝は気温が低く、もしかしたら冷たい雨になるのではないかと心配したくらいだが、さすがに7月の半ばである。走り出してみるとちょうどよい。今年の梅雨は神奈川のほうではそれほど雨量が多くない。ここのところサイクリングは雨の中が多いが、腹まで濡れるほど強く降るのはほんの一時だけだ。雨好きには良い夏になった。

涼しい雨でコンディションは悪くなかった。体もよく動いているような気がしていた。しかし、それは錯覚でスピードメータの速度が上がっていない。ある程度までは速度を上げれるのに、もう一息のファイトができない。結局、上まで26分以上かかってしまった。腹が減っているわけでもなく、ミニサイクルを持ち込んだわけでもない。昨日は同じくツーリング仕様の半原1号で、無理せずに22分半で走りきったのだ。

あまり疲れていないという気はしていても、体は疲れているのだろう。3日連続で走って回復していないのだ。脚に疲労感はなくても、息がちゃんとできていない感じがある。大きくハァハァして、心臓がトクトク動けばそれなりにしんどくてもパワーは出てくる。今日は、しんどいところまで持っていけないような感じだった。蛇もカエルも見つからず、ウスバキトンボが今年はやたらと多そうだという感触がたったひとつの収穫だ。こういう日もある。


2006.7.23(日)くもり カブトムシが来るぞ

カブトムシ

フォナックのランディスがマイヨジョーヌを獲得した頃、窓ガラスに何かが当たってベランダに落ちたような気配を感じた。心当たりがあって、懐中電灯を持ち出して調べてみた。予想通り、ベランダのアルミニウム床にカブトムシが転がっている。大きな、日本のカブトムシとしては最大級のオスだ。

カブトムシは現在飼育中のものがいる。去年の夏に産卵されたものがケースの中で蛹になって成虫として出はじめている。去年の夏はそのケースめがけて近所からカブトムシが盛んに集まって来たのだ。今年も続いているのか? と、さっそくケースを調べてみると、もうすでに5匹が来ていた。メスが4匹にオスが1匹。ケースのふたの金網に取り付いて、明らかに中に入ろうとしている。ふたを開けて中をみると、すでに成虫になっている1匹の小さなオスが市販の虫ゼリーを食べていた。

わが家の灯火は非常に寂しくて梅雨の最中のこの季節に蛾やヨコバイすら飛んで来ない。それなのに日本最大級の甲虫であるカブトムシだけはわんさかと集まって来るというのは愉快ではないか。

この日記では去年の8月4日に、カブトムシが集まってくる謎について書いた。その謎についてはいまだもって解けておらず、カブトムシの発生源も特定できていない。ただ、今年はまだケースの発生個体が少ないことから、カブトムシは虫ゼリーに引かれている可能性が高いと思われる。

そうするとカブトムシの放し飼いが可能になる。わが家の駐車場に虫ゼリーをまいておけば、それが畑の脇のクヌギの樹液の役割を果たし、近所の発生源からカブトムシが自然に集まって来るだろう。自然状態でも、カブトムシは堆肥と樹液を往復するだけだから、この住宅地でも自然状態でカブトムシが生息できることになる。

ちなみに、ケースに集まっているカブトムシの様子をニコンのクールピクス990で撮影したつもりだったがCFカードに記録されていなかった。最近は撮った後ですぐ見るとか、モニターで確認するという作業を怠ることが多く、ときどきこういう失敗をしてしまう。


 
2006.7.29(土)くもり 風邪の2週間

先々週の月曜の26分はそれなりの兆候であったらしく、ずっと風邪気味である。症状は重くないがたちは悪い。鼻腔の極一部だけにウイルスが取り付いているような感じだ。血の混じった鼻水がやたらとたくさんでる。顔の左側にずっと鈍痛があり、歯痛、眼痛、偏頭痛を伴っている。熱はなく全身症状は軽いので行動できないほどではない。同種の風邪にかかっている人がけっこう多い。

熱はないが不愉快で蒸し暑く夜に寝付けない。そこで「はたして人類は科学の根本的な定義を理解できるのか?」というようなことを3時間ほど考えていた。熱とか力というものは物理的に定義され記述し計算することができる。そうした数学的な処理ができることと、わかることはまた別物だ。けっきょくそうした営みは「非常識」であって感覚、実感に沿っておらず、数学的に無矛盾、あるいは自然現象や実験結果に反しないということから間接的にわかる所に留まっていると思う。


2006.7.30(日)くもり 熱があるとは

たとえば熱というものをわれわれはどれほど理解できるのだろうか。経験によってどういう場合に物があたたまり、どういう場合に物が冷えるのかを知ることができる。その条件は一定しているから法則化もできる。もう一歩踏み込んでその原因までわかりたいものだと思う。

空気は圧縮すると熱を持ち、膨張させると冷える。現代は物の世界は分子、原子、素粒子で説明する。熱だってきっとそういう説明があるにちがいない。幸い私は熱力学も量子力学も全くの素人だからいろいろ想像をたくましくすることができる。空気の圧力については中学校の教科書にあるような分子のモデルで説明される。注射器の中に閉じ込めた空気の分子を玉であらわす例のやつだ。玉がたくさんぶつかるほど圧力が高いことになるので、体積が小さくなればより多くの玉がぶつかり圧力も高くなる。

熱はちょっと難しい。おそらくは分子の特別な状態、ぶるぶると振動するような状態が熱の原因ではないかと思った。分子は1秒とか2秒とかの短時間ぶるぶるする性質があり、その振動は分子の衝突でも伝染し、空間の震えとして離れた分子間にも伝播していく。そういうことにすればいろいろ分るような気がした。


2006.8.1(火)くもり 水の100℃、空気の100℃

100℃の水にどぶんとつかれば、まず即死だ。しかし、100℃ぐらいの空気の中ではけっこう平気だ。私はサウナが大嫌いでほとんど入ったことはないけれど、あのサウナというものが100℃ぐらいだったような気がする。水の温度と空気の温度は同じでもなにか違いがありそうだ。

温度というものは手軽に温度計で測ることができる。昔、小学校ではアルコールの温度計を使っていた。細い真空のガラスパイプに赤いアルコールを入れ、その膨張収縮を目安に温度を測る装置だ。水も空気も温度が100℃を示すならば、そのアルコールが感知している熱は同じだということになる。人間の体感温度はちがってもアルコールの体感温度は同じだ。

水も空気も温度があがった状態は分子のぶるぶるで説明したい。アルコール温度計が同じ値を示すということは、薄いガラスを隔ててアルコールが受ける影響は、外界が水だろうが空気だろうが同じだということを示している。サウナやお湯の中に温度計をつけると、水のぶるぶるが温度計のガラスにぶつかり、ガラスがぶるぶるして、そのぶるぶるがアルコールに伝わって、アルコールがぶるぶるすると、そのぶるぶるがお互いのアルコール分子を押し合いへし合いして膨張し、温度のメモリを上げていると考えた。もし、同じ温度の水と空気でぶるぶるの度合い、すなわち振動の大きさ強さ、が違うと仮定するとどうもうまくない。いろいろ考えて同じ100℃なら同じぶるぶる具合だとするのが便利な気がしている。分子のぶるぶる度合いは分子から分子へ同等に伝わるとするならば、水・空気、ガラス、アルコールへの伝導が統一的にわかる。水のぶるぶるは小さいけれど数が多いからというような条件を設定しようとすると面白くないのだ。

水の100℃と空気の100℃で体感がちがうのは、やはり皮膚に当たる分子の数のせいだと思う。水蒸気の分子も水の分子も同じ温度のときは同じだけのぶるぶるだけど数が1000倍ぐらい違うのだろう。温度計のアルコールぐらいならガラスも薄く小さいので空気でも100℃まで上げることができるけれど、人体の活きた血肉の部分は100℃の空気程度ではそれほど温度を上げれないのではないだろうか。

空気の100℃の分子もそれなりの強さで皮膚に当たり皮膚の分子をぶるぶるさせるけれども、いかんせん数が少ないので皮膚のぶるぶるはすぐに止まって、タンパク質に化学変化を起こさせるまでにはいかないのだと思われる。その点、水だと次から次へとぶるぶるの分子が衝突してくるので、速やかに死んだ皮の部分を通り越して血肉の分子までもぶるぶるさせてしまうのだと思う。100℃の水分子に取り囲まれた肉がどうなるかは煮魚を見れば一目瞭然だ。


2006.8.5(土)晴れ 暖まること

電子レンジという道具の知識は「天才バカボン」からのものが全てだ。「電子レンジとは?」という質問にバカボンパパが「何でも焼ける魔法の箱」と苦し紛れに答えたのに対して、彼の次男のハジメちゃんが「電磁波をあてて水の分子を振動させて物を熱する機械」というように答えたという記憶がある。ちょうど日本中の家庭に電子レンジが普及しつつあるころの話だ。当時、小学生か中学生で、振動で暖めるという発想は面白いなと思った。

熱するにはいろいろな方法がある。経験的に思いつくままあげてみよう。化学変化もある。摩擦もある。熱い物を当てる方法もある(伝導)。閉じ込めた空気に圧力を加える方法もある。熱というのは一筋縄ではいかない。電磁波にしても、暖める物に応じて暖まりやすい波長があるのだろう。それも数種類。

熱することに共通なのは、分子原子をなんらかの方法でぶるぶるさせることにあるようだ。ぶるぶるしている分子をしていない分子に直接当てると、ぶるぶるは伝染する。間接的な方法もある。分子のぶるぶるは空間もぶるぶるさせて、熱の「場」のようなものを作り、場の中にある同類の分子が共鳴するようにぶるぶるする。そのときの空間のぶるぶるはいわゆる赤外線として検知されるものだと思う。分子のサイズに応じた波長の赤外線が同じサイズの分子をぶるぶるさせる。分子をぶるぶるさせるのは赤外線だけではあるまい。分子の中の原子核とか中性子とか、そういうものをピンポイントでぶるぶるさせる専門家の電磁波がいて、その電磁波で揺すられて分子全体があたたまって赤外線を出すということもあるはずだ。太陽とか原子炉の中ではそんなことが起きているのだろう。


2006.8.6(日)晴れ ピーブイイコールエヌアールテー

アメリカは熱波に襲われているそうである。昨日は久々に神奈川県も暑くて、真っ昼間に自転車に乗るとつらかった。暑さには強いのだが、この夏はずっと雨の中ばかり乗っていて全然暑さに慣れていなかった。半原越のタイムはどうやら28分以上かかったようだ。測る気もしないぐらい遅く、数字を忘れてしまうぐらい頭がぼーうとしていたのだ。体を冷やす必要を感じ、麓のわき水をくんで頭からかけた。冷たすぎて気持ちよくなかった。冷たいよりは暑苦しいほうがましだからプールや海は大嫌い。35℃になる日中に自転車に乗るのは自殺行為だという人もいるけれど、風を涼しく感じるうちは死なないと思う。

アメリカの熱波についてある気象予報士が原因を高気圧だといってた。上空から降りてくるのが高気圧で、空気塊は地上に降りて来て圧力が高くなると熱くなるのだ、という説明をしていた。それは間違いではないもののテレビ的なインチキ解説でしかない。専門家はいつもその手の説明を余儀なくされている。

空気の圧縮と温度の関係は、有名なピーブイイコールエヌアールテーという公式がある。受験ではピーブイイコールエヌアールテーを使えば気体の温度の問題はすべてが解決するという魔法の呪文だ。その公式の意味は単純で、圧力と体積の積は絶対温度に応じて一定、というものだ。普通に学校を出ている人はその公式で大気のことを考えるはずだ。そういう視聴者を相手に、アメリカの熱波の原因になっている高気圧の解説で、あえて「圧力」に言及すると混乱を招くことになろう。気圧が高くなるに応じて空気塊が小さくなればむやみに気温は上がらない。高気圧の中には体積の減少によって空気圧が高くなっているものもある。圧力と温度の関係に言及した以上はもうちょっと詳しい解説をたほうがいい。予報士は専門家だからアメリカの熱波のメカニズムはよく理解していて、一般の人にも知ってほしいのだけど、テレビは難しいことは禁句だから半端にならざるをえないのだ。


2006.8.7(月)晴れ 熱くなる空気入れ

夜の雲

ごくまれに夜でも低くて厚い雲が湧き出ることがあり、今日がそんな天気の日だった。台風が近づいているのでその影響かもしれないし、東京のヒートアイランドと太平洋のせいかもしれない。そういう説明の前に、そもそもなぜ雲がわくかとか、なぜ風が吹くかなんてことが分らない。きわめて手強い謎のままだ。

実は今、風が吹くわけについてちょっとしたヒントを手に入れていると思っている。自転車に空気を入れていると空気入れが熱くなるが、その同じ理屈で風が吹いているような気がしているのだ。

空気入れはシリンダで空気を圧縮してチューブに空気をいれる装置だ。ロードレーサーだと7気圧も8気圧も入れるのでけっこうな仕事になる。仕事が終わったときには空気入れはかなり熱くなっており手で触れないぐらいだ。熱くなっているのは当然のことながら空気を圧縮したからだ。けっしてピストンとシリンダの摩擦熱だけではない。その発熱がじつは一筋縄ではいかない。

ピーブイイコールエヌアールテーは空気の温度を記述する科学的な真理だ。その公式に従うならば、空気入れでは圧力を加えたぶん空気の体積も小さくなっているので温度は上がらないはずだ。じっさいに高圧になっているタイヤの温度は気温に等しい。それにもかかわらず空気入れが熱くなるのはなぜか。この手の問題は大学受験では出てこない。


2006.8.8(火) 発熱の理由

空気入れが熱くなるのは、空気が圧縮されるからだと思う。もともとピストンはシリンダの中の空気の体積を小さくするように動く。同時にそれは圧力をかけることになる。その積が一定なので温度があがらないというのが原則だ。しかし、現実問題として温度は上がっている。私はその齟齬を圧縮のされかたが一様でないからだと考えている。ピストンをぐっと押したときにシリンダの中の空気圧は一様に縮まるわけではなく、平均値以上に圧力が高くなる部分ができるのだと思う。ピストンは空気を圧縮したり膨張させたりするけれども、その都度ひずんだ部分の気温が上がり、温度が上昇するのだろう。


2006.8.11(金)くもり 運動と熱

30年ほど前に見た高校の物理のテストの問題。「20℃の水1トンが10mの滝を落下したときに、仕事が全部熱に変わったら水温は何度になりますか?」なかなかラブリーな問題である。仕事や熱の定義を知らなければ、オヤジギャグかなんかで片付けられるところだ。

加速度運動をすれば発熱する。逆に(可逆ではないが)熱は分子原子を動かす。そのへんはなんとなくわかる。中学理科で習ったところによると、絶対零度というのは気体の体積が0になる理論上の値で、原子が運動をしていない状態だという。等速度運動ではぶるぶるはやむから、この広い宇宙空間を飛んでいる原子だとその大半は絶対零度なのかもしれない。太陽系内ではそうはいかない。原子は硬球ではなくて、中から外からぶるぶるするはずのものだ。そのぶるぶるは運動すると必ず起きる。重力とか磁力とか熱とかの場に入っているときにもぶるぶるする。ぶるぶるは発熱だ。

個体でも気体でも、熱をもつと膨張する。個体では原子がぶるぶるすると押し合いへし合いになって全体が広がる。ぶるぶるは分子の位置は変わらないものなので、気体の膨張は事情がちょっとちがう。気体は分子がぶんぶん飛び回っている状態だから、その速度が増して膨張する。きっとぶるぶるどうしの分子がぶつかり合うと個々の速度が増して、その結果気体は膨張するのだろう。


2006.8.13(日)晴れ 冷めること

一般に液体を気化させるには火にかける。プロパンガスの火は、極めて激しくぶるぶるする水や二酸化炭素の分子だ。その分子がやかんの鉄をぶるぶるさせて、鉄のぶるぶるがやかんの水に伝わって、水が沸騰する。つまり、やかんの水は力を与えられて空中に散っていくのだ。

気化させるのに圧力を下げる方法がある。携帯型の空気入れは液化二酸化炭素を使う。小さな鉄製のボンベに20グラムぐらいの二酸化炭素が詰まっていて、チューブにねじ込んで一瞬のうちに空気を充填することができる。液化二酸化炭素のボンベは100気圧ぐらいの高圧である。その高圧条件下で二酸化炭素はお上品に常温の液体でおとなしくしている。ピンでボンベに穴を穿つことで、一気に暴れ始め蒸発してタイヤチューブの中に入っていく。そのときにすぐ気づくのは、ボンベが一気に冷えることだ。おそらく−20℃ぐらいにもなり空中の水蒸気が霜になって凍り付く。素手でつかんでいると危険だ。 実はなぜそんなに冷えるのかがよくわからない。「気化熱を奪う」などといっても、それが何を意味しているのかがわからない。

やかんの水も沸騰しているときには温度はあがらない。沸騰しないように圧力をかけると、200℃、300℃になる。熱という点で、液体と気体の状態ではずいぶん性格にちがいがある。


2006.8.14(月)晴れ 沸騰とは

気化は熱が運動に変わることだと思う。熱というのは原子分子がその場でぶるぶるすることだ。固体はぶるぶるはしているけれど運動をしていない。液体はかなり不自由な状態で運動をしている。気体は自由に運動をしている。常温ではそれぞれ得意な状態があって、水は固体、液体、気体の三態をとる。20℃の水塊は、個々の分子のレベルで見れば主に液体の状態と固体、気体の集合だと思われる。

水分子のぶるぶるが大きくなると水蒸気になる。それはぶるぶるの振動が原因の運動が大きくなった結果と考えればいいのだろう。ぶるぶるが大きくなっていけば、水温はどんどん上がる。200℃にも300℃にもなる。ただし、1気圧ではぶるぶるが大きくなると、ぶるぶるする分子の衝突による運動の速度が上がりすぎて、分子が自由に動き始めてしまう。それが沸騰だ。水分子が液体の速度で運動している状態と気体の状態には中間がなくて、どちらかでないと具合が悪いらしい。液体水分子は100℃の状態以上にぶるぶるすることができない。本来100℃以上に水温を上げるはずの熱は、水蒸気が空中に持ち逃げしていることになる。

水蒸気の体積は水のときの1000倍もあるから、分子がぶるぶるが大きくても、速度が大きくても許容できるだろう。水分子のぶるぶるはひとたび気体になると、液体のときよりも大きくなることができる。つまり1気圧でも高温になることができる。ただし、ぶるぶるが大きくなると、運動速度も大きくなり圧力が高くなる。そのとき体積が増えることができれば圧力が一定で、水蒸気の温度が上昇する。ピーブイイコールエヌアールテーの公式にはそういうことが書かれてある。

しかしながら、やかんを暖めた二酸化炭素や水蒸気は1000℃もあるのに、沸騰して蒸発した水蒸気は100℃程度のぶるぶる具合だと思う。液体が気体になるってことは、つまりは分子の振動が運動にかわるというのは、劇的に冷えるということなのか。


2006.8.16(水) 液化二酸化炭素

ナベの沸騰する水については最後の詰めを残してわかるような気がする。さて、液化二酸化炭素ボンベに同じ考えがすみやかに応用ができるかどうか。やってみよう。まずは通常時のボンベの状態を考えてみる。ボンベの液体二酸化炭素は高圧下にあるが、温度は20℃ぐらい、絶対温度では300度である。

液化二酸化炭素はきっと火力発電所などで作るのだと思う。石油や石炭やらをじゃかすか燃やしてでてくる二酸化炭素で作るのだ。作るには圧縮するか冷やすかのどちらかだと思う。冷やすのは、ものすごく冷たいものに当てるとか、冷蔵庫風に二酸化炭素を詰めた容器の回りの空気を膨張させるような方法がある。ただ、そういうのは鏡でガマの油を集めるのにも似て、コストがかかりそうだ。がつんと圧力をかけてしまうのが手っ取り早いのではないだろうか。あくまで想像だが。

高圧製法であれば、できたてほやほやの液化二酸化炭素はけっこう熱いはずだ。そのボンベにさわるとやけどするぐらい。ただし、小型ボンベに詰め分けて私のもとに届くときにはすっかり冷えて常温になっている。そのボンベの圧力をとるといっそう冷えるのだから、まだ常温のその状態に何か秘密がある。私は固体だろうと液体だろうと高圧だろうと低圧だろうと、同じ温度にある同じ分子は同じぶるぶる具合だと決めつけている。温度計のアルコールが気体でも液体でも速度はちがえど同じだけ伸び縮みするから。ボンベの中の液体二酸化炭素と、まわりの大気に0.03%ほどある二酸化炭素は同じ程度にぶるぶるしているにちがいないのだ。

その両者に何が違うのかといえば、運動速度だ。空中ではびゅんびゅん飛び回っているけれども、ボンベの中では満員電車の乗客よろしく手枷足枷の不自由状態だ。ひとたび、ボンベに穴が開けられると、囚われの身の二酸化炭素は自由になって大空めがけて飛び立っていく。おそらくは極性等の関係から、水は群れて生きるのが好きで常温で液体なのだが、自由を愛している二酸化炭素は好機とみればすぐに一人旅をはじめるのだ。


2006.8.21(月)晴れ 気化と分子の運度速度

液化二酸化炭素のボンベに穴をあけて、二酸化炭素が気化して温度が下がるのはきっと体積が増えるからだと思う。液体から気体になると体積は1000倍ぐらいになるはずだ。気体では体積が増えると気温がさがるから液体でも同じメカニズムがあるにちがいない。ただし、液体から気体へは不連続に相転移するから、液体と気体の違いは私の考えが絶対に及ばない領域がある。外から熱を加えると、気体では体積が増えるが、液体ではそれほど体積が増えない。液体は体積が増えないかわり、沸騰する。分子のぶるぶるが嵩じて液体でいることができず気体になってしまう。そのへんのメカニズムは私には絶対にわからない。

液体では単位体積あたりの分子の数が圧倒的に多い。1000倍だとすると単位面積あたりの分子の数は100倍になる。気体と液体の状態の分子が同じ速度で運動しているならば圧力は100倍になるはずだから、同気圧だと液体分子の速度は100分の1なのだろう。鍋の水圧はほぼ1気圧だから単位体積あたり水蒸気の1000倍の数の分子が100分の1の速度で運動していることになる。

一方、液化二酸化炭素のボンベは100気圧ある。1気圧の空気に比較するならば、単位体積あたりの分子の数は1000倍で、単位面積あたりは100倍と、なべの水とかわりがない。それで100気圧なのだから、運動速度が100倍ということになる。鍋の水はガスの火でその分子の速度を100倍に上げると沸騰して気化するが、液化二酸化炭素はもともと運動速度が高いので、穴をあけるだけで沸騰して気化する。そして体積が1000倍になって冷えるのだろう。次の問題はどうして膨れると冷えるかだ。


2006.8.22(火)晴れ 水と空気の壁

断熱膨張、つまりは熱が加わらないで気体が膨張するときに、気温が下がる。これは経験的な事実として私も受け入れている。極端なことを言って、真空になれば絶対0度ぐらいになるはずなので、理屈のてんでも気圧が下がれば気温は下がるはずだ。仮に20℃の空気があったとすると、空気の分子は20℃なりのぶるぶる具合で運動している。その空気が引き延ばされて膨張すると、気温が下がる。ふたたび圧縮されてもとのサイズになると気温は20℃にもどる。それは実験したことがないので経験的な事実ではないけれどそういうことになっている。その理由についてははっきりしたイメージを持てないでいる。

温度の高さはぶるぶるの強さだと仮定している。20℃のぶるぶるの分子が、10℃のぶるぶる分子と衝突すると20℃のぶるぶるが弱くなり、10℃の方が強くなる。それが冷える暖まるということだ。20℃の空気の中に温度計を入れたときに、温度計は20℃になる。その空気が膨張して単位体積あたりの分子が少なくなると、温度計に当たるぶるぶる分子の数も減るので温度計のメモリは20℃まで上がらない。これは十分考えられる。逆に圧縮して数が多くなると、20℃のぶるぶる具合というのは実はもっと温度が高いものだったので、気温も上がるということも考えられる。

そうなると、ぶるぶるの強さだけで気温が決まるのではないと考えなければならなくなる。強さと数を考慮しなければならないことになる。それとも、断熱膨張による気温の低下は、分子の数が減ること以外になにか原因があるのだろうか。密度と温度の関係でひっかかっているのは、水との関係だ。20℃の水分子は20℃なりのぶるぶる具合で、それは20℃の空気と変わらないと思っている。そう仮定してずっと考えを進めてきた。液体は単位体積あたりの分子の数が圧倒的に多いのだから、実はぶるぶる具合も小さいのかもしれない。そんなことを考慮しなければならないのだろうか。気体と液体の壁はどうにも厄介で私の手に負えない。


2006.8.23(水)晴れ 高野地TT

千丈

写真は八幡浜市の千丈という地区である。夏休みをとってここに帰省していた。ちょうど台風が来ていたこともあって雨がちで涼しく、自転車で走り放題だ。写真でもわかるように、家を一歩出るとそこは上り坂だ。この辺りだと3キロ以上の平坦を走ろうと思ったら谷底を往復するしかない。

そこで、お約束の高野地TTをやってきた。高校生のとき八高の近くの入寺から鎌田家までランニングで20分。6%の登りで4kmだ。当時は自転車でそのコースを走ったことがないので、自転車の記録はない。半原1号を持ち込めば14分ぐらいで行けそうなのだが、移送が面倒でパナソニックの安いロードフレームの通勤仕様のボロにした。もう5年ほど乗らずに放置してある自転車だ。ギアは前が38T、後ろの一番大きいのが23Tなのでちょうどいい。重量は10kg以上、太くて頑丈だけが取り柄の空気圧が低いタイヤ、プラスチック製のペダル、スポークが1本折れて振れ振れの後輪。だけどまあそれなりに走る。同じコースを走る高校生、32年前の自分に挑戦だ。

入寺→高野地のランニングコースには第一チェックポイントがあり、「橋」とよんでいた。文字通り橋なのだが、約1kmでスプリント的にタイムを測っていた。今回は橋まで4分30秒。単純に4倍しても18分。楽勝である。まったく無理することもなく、懐かしい杉林やミカン山の景色を楽しみながら登って行った。途中、おばさんを乗せたタクシーに追い抜かれる。道が狭いので自転車を追い抜くのもけっこう大変だ。運転手もおばさんも笑っている。この道をしゃかりきに走る自転車は珍しいのだろう。

結局、鎌田家までは17分30秒。ちょっと足を伸ばして長谷小学校までは23分30秒。高校生ランナーをぶっちぎるスピードだ。けっこうやるじゃん!と思った。


2006.8.27(日)くもり 今年のセミ

クマゼミ

写真は大洲市のお城の桜にいたクマゼミだ。いままさに求愛しているところだと思われる。四国では珍しくないセミだ。もともと東京や神奈川には分布していなかったと思うが近年ではすっかり定着したようだ。この大和市でもかなりの数が鳴いているのを確認している。ただし、年によって数に波があるように見受けられ、私はクマゼミ3年寿命説を唱えている。2003年がとても数が多かったので、そのときの卵が今年成虫になり、この夏はクマゼミがずいぶん鳴くだろうと予想していたのだ。残念ながら大当たり年というほどではなく自説を確認するほどではなかったが、まあまあの当たりなのでまずは良しとしよう。

セミの異常といえばクマゼミの北上とともにアブラゼミの夜鳴きがある。かつてから照明のある所では時折観察できたことだが、最近では暗闇の中でも鳴くという。今日も盛んに鳴いていた。もちろんソロではなくコーラスだ。

セミが鳴くのはメスをよぶためというという説を唱える学者もいるが、私はそれを誤りだと思っている。あれはそんな高尚なものではなく、自己の存在主張につきると考えている。彼らはお互いに近くで生きていたいのだ。地中生活が長いので、種の保存のためには短い地上生活で群れを小さくしておく必要がある。あの大音響はそれに役立っている。オスだけが鳴くのは性的な行為というよりも、鳴くコストが大きすぎるからだ。メスは卵を産まなければならない。内臓をしっかり作っておかねばならず声を出す余裕がないのだ。

近年、なぜアブラゼミだけが夜に鳴くのか、という疑問について、同じく夏の夜にうるさいアオマツムシの存在が気になった。アオマツムシは樹上コオロギだ。良く知られているように、この数十年で関東の都市を中心に繁栄し続けている。今年は八幡浜でも確認できた。そのアオマツムシの声のトーンやリズムがアブラゼミを刺激しているように思う。ちょっと似た歌なのではあるまいか。それでアブラゼミも黙ってはいれず夜でも鳴いてしまうという可能性もある。


2006.8.31(木)はれ なんでそんなことをわざわざ言うの?

私はテレビニュースをほとんど見ず、新聞は全く読まない。雑誌も買わない。見せ物としての犯罪報道を全く否定するものではないし、古館さんがやっているようなニュースショーもありだと思う。しかし、たまたま見た今日の放送はちょっと心にひっかかった。内容は北海道で母親を殺した少年が父親も殺そうと思っていたという警察発表だ。当該事件では、少年が友人を脅したか依頼したかで母親を殺害させたらしいのだが、実行犯は「30万なら引き受けよう」と約束した、というような報道もあったと思う。

犯罪者にも権利がある。それは成人、少年を問わないが、少年ならばよりいっそう注意が払われるべきである。警察の取り調べにおいては不利なことは話さないでもよいという権利もある。被疑者が少年ならば、弁護士が立ち会って少年に不利になるような誘導尋問がないかどうかチェックする必要もあるだろう。

また、報道者の方も警察発表であるからといって何でもかんでも出せば良いというものでもない。明らかに少年に不利になるような自白内容は極めて慎重に扱うべきだ。「両親の殺害計画」とか「金目的で殺害」とか、警察や検察の利益になって被告には不利益にしかならない話が、ポンポン飛び出してくることを疑うだけの頭は必要だ。重ねて言うけれども、興味本位のニュースが教養番組、歌やバラエティー、映画、ドラマ、甲子園中継に劣っていると思っているわけでは決してない。容疑者、警察、テレビ局の3者が「なんでそんなことをわざわざ言うのか」が気になっただけだ。


2006.9.3(日)はれ ツクツクボウシ最盛

半原越に吹く風はもうすっかり秋だ。ヘビたちが落ち着かないらしく、ずいぶんたくさん道路に出てきている。轢死しているのも2つや3つではきかない。はじめてツマグロヒョウモンを見る。南から少しずつ北上してきたものがようやく夏の終わりになって目につきだしたのだろう。まだまだこの辺の冬はあのチョウには厳しい。

いまだにアブラゼミは多い。しかし晩夏のセミ、ツクツクボウシが最盛期のようで、ツクツクボーシ、ツクツクボーシという声が耳につく。窓の外の桜の木が好きなようで、毎日そこで鳴いている。1匹が鳴くと、そばでシューウーシューウーという、歌の終わりのところのフレーズにも似た陰気な声でなくツクツクボウシがいる。学者によっては、その鳴き方は普通に鳴いているオスを邪魔するものだという。メスを寄せない効果があるというのだが、さてどうだろう。詳しい研究はしらない。ただ、それは非常に頻繁であることは確かだ。

夜は夜でアオマツムシがうるさい。セミからコオロギへオーバーラップする季節なのだが、こちらはその風情をじゃましていることは、やはり確かだ。


2006.9.11(月)くもり 秋

昨日の日曜はとても暑かった。土曜の疲れもあってまともに走れそうもなかったが、半原越に向かった。あまりにも天気が良かったからだ。ただ晴れているだけではない。恐ろしく空気が澄み宇宙の彼方まで見通せるような青い秋の空だ。日本にはこういう天気の日は年に数日しかない。

清川村の東斜面は彼岸花が咲き始めている。途中で水を補給しつつ30分もかけて峠の頂上についた。ときとして強い風の吹く半原越の切り通しは無風で木の葉すら揺れない。不気味なぐらい静かだ。ガガンボのようなスリムな蜂が2匹、ミズヒキの咲く木陰をゆっくり飛び回っている。ふもとでは、ミンミンゼミやツクツクボウシがうるさいのに、頂上では音を立てるものすらなく、自分の息だけがやかましかった。

時間がたてば夏から秋に変わるのではない。夏は南にあり、秋は北にある。日本列島では前線を境に、秋の空気と夏の空気がせめぎあっている。明け方に前線が通過し雷雨をもたらした。風が吹いて雨が過ぎれば秋になる。まちがいなく昨日は夏で今日が秋だ。


 
2006.9.18(月) この夏のカエル その1

アマガエル

この夏のはじめに庭に穴を掘り、安物のプラケースを埋めて水をはり、水稲やカナダモを植えた。目標はアマガエルの繁殖だ。草が順調に育ち水が腐らないことを確認して、近所の水田からオタマジャクシを誘致してきた。数は20匹ほどである。アマガエルのオタマジャクシの成長は早く、みな元気に育ち小さなカエルになって池を飛び出して行った。

アマガエルは水辺に拘らないタイプのカエルだ。一度、水を飛び出すと周辺の林に散らばってしまう。アマガエルの繁殖地は水田が一般的で、夏のはじめには無数のオタマジャクシが見えるが、水稲が青々と育つ盛夏になると水田の稲ではアマガエルを見かけない。それはなにも農薬のせいだけではないのだ。

わたしの庭でもしばらくは子ガエルの姿が見られたものの、8月ともなれば20匹はどこに行ったものか、生きているのか死んでいるのかも定かではなかった。元気ならば来年の夏にこのささやかなこの池に戻ってきてゲロゲロ鳴くかもしれないと楽しみにしている。

雲

夕方、雨があがってから2時間ばかり自転車に乗ってきた。台風が北西にいるらしく強い南風が吹いていて全然前に進まなくて面白かった。土手でも力を入れて自転車に乗れる。強風は冬にも吹くが、あれは冷たいので別の意味で面白くなってしまう。日没のころ、雨を降らせ風に吹かれてすっかりしぼんだ乱層雲が赤く染まっていた。


2006.9.19(火)晴れ一時雨 この夏のカエル その2

オタマジャクシを誘致するにあたっては、その食料を確保することが必要である。とくに、小さいカエルが生きていくためには小さい虫が必要だ。微小な昆虫やトビムシなどが多数生息する環境がなければ子ガエルは生きていかれない。その点でも十分な配慮をした。

わが家の庭は基本的に人が足を踏み入れない。虫の生活を邪魔してしまうからだ。歩く所は飛び石にしている。また、なるべく草をとらない。美観その他の点でどうしても抜かなければならなかった草は庭に放置して腐るにまかせる。枝打ち剪定した木もひとまとめに転がしておく。こうすることで、大きい虫ではムカデやヤスデ、ダンゴムシから小さいものではトビムシ、ダニなどが生息する健康な庭になる。

それだけではちょっと物足りないので、積極的に食料を与えて虫の増殖を手助けした。果実、野菜類の生ゴミをコンポストという容器に放置しておくと無数のウジがわく。小さいものはショウジョウバエの類で大きいのはミズアブだ。ミズアブは成虫だけでなく、幼虫が蛹になるときにけっこう動き回るので、大きなカエルの良い餌になるだろう。この住宅地ではカエルの餌を増やすにはハエ、アブ類を誘致するしかない。また、この夏は屋外でゴキブリの姿も多かった。それらを食べるクモ類が大はアシダカグモから小はハエトリグモまでわさわさとわいた。

蚊もどんどん増える良い餌だ。ただし、ユスリカはよいがイエカやハマダラカは害虫であるので増やすわけにはいかない。無害なハエやゴキブリはいくらいてもよいことになっている。しかし、蚊は女房が許さない。収納ケースカエル池を作るにあたっても「ぜったい蚊の発生源にならないように」と強く釘を刺されていた。それでしぶしぶ池にメダカを放さねばならなかった。ただし、私の池でボウフラが湧かなくても、あんなものはいくらでもその辺から湧いてくるものだ。そして草の多いわが家に集まってくる。私は毎日庭に出てカエルや虫や草の様子を観察しており、そこで蚊に血液を供給するはめになった。刺されると痛いのでつぶすのだが、いかんせん撮影やなんやらで動けない状態のことが多いので、8割がたの蚊は吸い逃げである。それでも「こいつらもわが家のカエル生態系の一員だから」と許すのが日課になった。


2006.9.20(水)晴れ この夏のカエル その3

そうしたある朝、いつものように池をのぞき込むと、なにか大きなものがバシャンと水しぶきを上げて潜っていった。反射的にカエルだと思った。水草をかき分けてのぞき込むと、果たして水底にはヒキガエルが張り付くように潜んでいた。どうやら水が欲しくて池に浸かっていたらしい。かつてはヒキガエルは産卵のとき以外は滅多に水には来ないものだと思っていたけれども、半原越で渓流に沈んでいるヒキガエルを見てからは、その考えも改めた。

ヒキガエルは年に1〜2度は顔を見せており、どうやらこのあたりを徘徊している個体がいるようだった。都市環境にもっとも適応したカエルなので、水辺はおろか田畑もない住宅地にいても不思議ではない。


2006.9.21(木)晴れ この夏のカエル その4

ヒキガエルでは、驚きはそれほどでもなかったが、アカガエルが見つかったときには心底びっくりした。いつものように池に歩いていくと、ヒキガエルよりもずっと小さい生き物がはねて水に潜る気配があった。池にはスイレンやカナダモが繁茂して底までは見えない。どうもカエルらしいが、かき回して驚かせるのも気の毒だからそっとしておくことにした。しばらく蝶や毛虫を観察して池をのぞき込んでみると、そいつは、水面からとぼけた顔を出していた。どうやらアカガエルらしい。

アカガエル

写真は今朝のそのカエルである。すっかり落ち着いて水の中に沈んでいる。近づいても写真を撮ってもあまり驚かなくなった。アカガエルも産卵のとき以外は水辺にこだわらないカエルだと思っていたけれど、こいつを見る限りではすっかり気に入って落ちつているようで、意外と水が好きなカエルとも思える。

実は私はアカガエルのことはあまり知らない。子どもの頃は近所に生息していなかったので、図鑑の中でしか知らないあこがれのカエルだった。そのうち仕事でエゾアカガエルを観察したり、冬の産卵の様子を見たり、卵からカエルになるまでを記録したり、それなりに見てはいるけれど断片的な知識でしかなく、どこかまだ他所のカエルという気がしていた。

しかも専門家によると、この関東地方の里では田んぼの構造改革などによって減少の一途をたどっているという。ここに引っ越してから5年、周辺の林でアカガエルを見たことはなく声も聞いたことはなかった。半径100m以内でアカガエルが産卵できそうな水たまりを知らない。住宅地に住めるようなカエルではないので、まさか収納ケースに水を貯めたぐらいでやってくるとは夢にも思わなかったのである。


2006.9.24(日)晴れ この夏のカエル その5

近所の田から3匹のアマガエルを拾ってきたのは5月のことだ。息子がカエルを飼ってみたいというので、もっとも簡単で楽なアマガエルを捕まえてきたのだ。いっぱんにカエルの飼育は易しい。ショップでは南米やアフリカのカエルが売られており、そちらを入手することもできる。ただし飽きたときや飼育に行き詰まったときには殺すしかなくいくぶん嫌な思いをする。また、日本には伝統的に野生のカエルを飼育する風習もある。主に声を楽しむカジカガエルだが、専用の飼育箱までが工夫されていた。いまでもそういう風習があるのかどうかわからないが、私のじいさんはカジカガエルのあの哀感がある澄んだ鳴き声が好きでよく飼っていたという。

アマガエルは4か月飼育した。アルフレッド、丹下、半蔵、いずれも飼育環境にすぐ慣れ元気で健康だった。次男はえさの確保がたいへんだったはずだが、泣き言は言わずよく働いた。毎日、家の庭で蛾やはえやヨコバイを捕まえていた。飼育してみると、アマガエルのいろいろなことに気づいたはずだ。エサについては、ハエ型の昆虫に極めて高い嗜好性を示す。小便は悪臭を放ち、植物を枯らす。体色は速やかに変化する。飼育下で観察できるそんな習性が野外でどのような意味を持つのか、いずれはそういうことを考えることができる人間になるかもしれない。

さて、いよいよ秋風が吹き始めて冬の準備にはいる季節になった。アマガエルを室内で越冬させるのは危険だ。暖かいままだと冬でも活動するだろうが、カエルの生理からするとよいことではないだろう。室内で寒暖を繰り返すのはもっとよくないだろう。屋外で越冬用の容器を整えることもできなくはないがめんどうだ。アマガエルは私の観察例から推測するに、10月ぐらいに地面のかなり深いところにまで潜って眠るはずだ。

結局次男を説得して、いちばん安易で確実な庭に「放す」という方法を選択した。エサはちゃんととれるのか、ヒヨドリやカラスに食べられないのか、いろいろ心配はあるけれど、いまは元気にやっているようだ。姿は全く見えないが、台風が近づいた夕方など、木の上からゲッゲッゲッゲとアマガエルの鳴き声が聞こえる。半蔵かアルフレッドか、わが家で一夏を過ごしたアマガエルであることはまちがいない。


2006.9.25(月)晴れ 鹿と蛇

土日の半原越はすこしムキになりすぎたかもしれない。風がよいのと空気がよいのと光がよいので走りすぎたかもしれない。今日はかなり疲れが残っていた。

今年は半原越にジョロウグモが多い。あれがいないとイマイチ秋がさびしい。路面には小さなヤマカガシが轢かれてぺったんこになっているのが悲しい。ウスタビガも轢かれて息絶え絶えになっているのが秋らしい。走っているとろくなものを見ないが、自転車を止めて10分ほども静かにしていると、カマキリやらバッタやらイナゴやらオサムシやらが草むらから飛び出してくる。秋はみんなあわただしい。

ゴール前200mの直線で、目の前に大きな鹿が飛び出してきた。私と同じぐらいの体重がありそうな立派なやつだ。半原越は鹿は多いが間近でみる機会は滅多にない。右手の斜面を一気に駆け下り、アスファルト道路を二歩で渡り、谷側のガードレールを軽々と飛び越えて藪の中に消えていった。あれあれと見送ったら3秒後にもう1頭、どうやらメスらしい一回り小さな鹿が同じコースを通っていった。これもあれあれと見送ったら、また同じ間隔で次は子鹿が転がるように落ちてきた。親の後を追っているようだが、子どもはガードレールをひとっ飛びとはいかなかった。一瞬その高さにたじろぎ、下をくぐっていった。あわてて走っているものだから、鉄製のガードレールの下角でゴリッと音が聞こえるぐらい背中を強く打ち当てていた。

半原越は急斜面を無理に切って、しょっちゅう崖崩れが起きているような道路だ。路面に降りることもさることながら、ガードレールを飛び越えて谷に降りようものなら、3〜4メートルは落下することになる。人間ならただではすまない。何をあわてたものか。このあたりは鳥獣保護区だから鹿撃ちの漁師も犬もいないはずだ。いったい何が彼らを驚かせているのかと、斜面の上の方に注意を払うと、なにやら動物の気配がする。別の鹿か、猿か犬か。熊だったらちょっと勘弁だ。知らぬが仏を決め込むことにした。それにしても鹿の筋肉があれば、自転車も早いだろうなあ、と思う。半原越なんか5分で上ってしまうだろう。などと妄想しながら25分ぐらいで上った。

帰りの下りで、今度は大きな蛇に行く手を阻まれた。アオダイショウかと見まがったほどの巨大なヤマカガシだ。1mはある。しかも、ほとんどツチノコなみに腹がふくれている。大きなヒキガエルを呑んでいるようだ。あまりに腹が大きくて満足に這えない。「お、やったなあオイ」と声をかけて自転車を止めた。半原越もたまに自動車が来るので蛇が轢かれないための用心だ。道路の真ん中に人がいれば車は止まるが、蛇や蛙だけでは止まらない車がいる。ヤマカガシのほうは鹿のように軽やかにはいかない。えっちらおっちらとずるずる腹を引きずって、道路を越え谷に降りていった。ほとんど棒きれが落ちるように斜面を転がっていったのがけっこう笑えた。秋の半原越はなにかとあわただしい。


2006.9.26(火) 千丈川のオイカワ

オイカワ

数年前、八幡浜市の千丈川でオイカワを確認し、オイカワが生息するようになった原因をいろいろ検討してきた。今日、一つ思い当たることがあった。

写真は今年の8月の夕方に何の工夫もなく川岸から撮ったものだ。鮮明ではないがオイカワのオスだということはよくわかるだろう。このオイカワという魚は、30年ぐらい前には千丈川に生息していなかった。正式な記録はないけれど、私が見たことがないということがその証拠だ。小学校の夏休みの半分は千丈川の水に浸かって過ごす両生類のような子どもであったから、オイカワのように美しく立派な魚に気づかないわけがないのだ。千丈川のハヤ類で名前がわかるのはカワムツだけで、もう一種類いそうだが私では種名が特定できず、オイカワでないことだけが確実だった。

そのオイカワが生息するようになる原因は大きく2つが考えられる。一つは自然のもの。もう一つは人為的なものだ。自然のものとしては海からの遡上がある。千丈川は地形からいって、他の河川から魚が流入するためには山を越えるか海を渡るしかない。オイカワでは山は越えられないから、海を泳いでくることが考えられる。本来は純粋に川で生まれ、川で死ぬ魚なのだろうが、一部は耐塩性をもって海を泳ぐのかもしれない。それならばすばらしいことだと思う。

人為的な魚の移入はブラックバスやブルーギルでなくても大昔から堂々と行われている。アユ、ワカサギなど金になる魚が琵琶湖のような豊かな水系から全国にばらまかれている。当然アユに混じって雑魚も移動していく。琵琶湖のアユが放流される川だと琵琶湖のハヤが住むようになるだろう。さいわい千丈川では鵜飼いも釣り人も皆無で、ひまなおやじがウナギをとって食うぐらいが関の山だから放流は歴史上一度も行われなかったはずだ。だから、千丈川のオイカワは自然分布によるものだと結論していた。

ところが、アユ、ワカサギ、サケ、イワナ、ブラックバスの放流にもまさる暴挙が行われていることを見落としていた。錦鯉の放流だ。あれの意味だけはさっぱりわからない。人が金を払って放流された鯉を釣ってあそぶ川なんて多摩川ぐらいのものだ。錦鯉は全国隅々の小河川におびただしい数が放されている。その行為は金もうけにもならず、鯉のためにもならず、ましてや川のためにはならない。誰のトクにもならぬ自然破壊である。

文化果つる国、八幡浜市の千丈川でもその愚行は続けられている。八幡浜市では鯉の養殖は盛んではないから、どのみち宇和とか大洲のような水の豊かな所から買っているのだろう。どこかのオイカワがあの錦鯉にまじって放される可能性は高い気がする。そういう馬鹿なことが事実として行われた以上、オイカワが本当は海を泳いで来たのだとしても、放流の疑念を払拭することはできなくなった。はじめて見つけたとき胸ときめいただけに、うんざりすることに思い至ってしまった。


2006.10.1(日) 土曜日はカメラを持って半原越に

今日は雨。10月の雨は冷たくて、とうてい自転車に乗ることなんてできない。昨日の土曜は子どもの中学校の運動会で、写真機をもって出かけていった。そのまま自転車のバッグにカメラを入れて半原越に行くことにした。峠を登るためではなく、入り口のところにヌルデハベニサンゴフシがついているのを見つけており、それがちょうどいい具合に色づいているはずだから一枚撮っておこうと考えたからだ。

相模川

相模川の氾濫源にある田んぼは稲刈りの盛りだ。田んぼの中からアマガエルの鳴き声が聞こえていた。アマガエルは盛夏にはあまり鳴かない。初夏には雨の前や降り始めに盛んに鳴く。繁殖期の印だと思ってきたが、秋に鳴くのはどういうことだろうかと思う。わが家で放したものもよく鳴いている。

彼岸花

田んぼの脇のヒガンバナの実がふくらみはじめていた。「群生するヒガンバナの咲く田んぼ」という風景はどうにも写真にならないと思っている。あのどぎつい赤は殺風景な中で目障りだ。一株の中で花に早い遅いがあり、ちょっと古くなった花はやけに汚らしい。青空に白い雲とか、花に負けない何か強烈な被写体とからめて群落を切り取る必要があるだろう。そこまでして花を撮る気はなく、実ができ始めてようやく色気を感じた。

ジョロウグモ

今年は当たり年なのだろうか? そもそも当たり外れのように変動があるものなのだろうか? 私の生活圏の中でやたらとジョロウグモが目立つ。その数たるや無数といってよく、半原越に向かう道路脇の電線にはかならず巣がかけてある。毎秋こうなるわけではないから、このけっこう広い地域のジョロウグモの数を支配するなんらかのメカニズムがあるはずなのだ。

ヌルデハベニサンゴフシ

これが目的のヌルデハベニサンゴフシ。アブラムシの寄生によってヌルデの葉にできる。複雑怪奇な生活環を持ったアブラムシの複雑怪奇な働きかけによってできる虫えいだ。もちろん、どういう仕組みでこのようなものが形成され、いかなるわけでアブラムシがそうした生活をするようになったかなんてことは謎につつまれたままだ。この手の虫えいも、虫えいを作る虫もけっして少なくはないから謎はいっそう深くなる。

カラムシ

ついでに、荻野川のほうを回って謎の草を撮ってきた。堰堤に生えている雑草群を私は謎の草とよんでいる。3年前に荻野川の鉄製の可動式堰堤でも謎の草を見つけてずっと観察してきた。いまもっとも目立っているのは葉の大きなカラムシだ。謎の草は当初、川を流れてきた草が堰堤にひっかかって育つという可能性も考えたが、荻野川のものを見て種から育つということを確信している。

赤とんぼ

カラムシは川のそばにも多く、ちょうど種をつけ始めている。この写真は荻野川の堰堤のそばの護岸に生えているカラムシと赤とんぼとアマガエルだ。トンボはアマガエルには大きすぎる。トンボにもアマガエルは大きすぎてエサにはできず、お互いに知らぬふりだ。川べりという環境と秋という季節と雨が来そうな天気と、いろいろなものを一枚に盛り込むつもりで撮った。ちなみに、赤とんぼもヌルデハベニサンゴフシもジョロウグモもヒガンバナも、環境の中で赤が目立つという共通ポイントがあるが、その意味合いが同じとは限らない。

ミノムシ

おまけで撮ったのがこのお墓。墓石がちょうどひさしの形になっている。そこにミノムシが集中しているのがなんともユーモラスだ。雨がしのげるようになっているのが人気の秘密なのだろうか? 毎年この光景を見ている。この付近は樹木も人工物も少なく、高く登れて雨がかからず乾燥した場所は見あたらないことは確かだ。


2006.10.4(水)くもり 筋肉バトルの跳び箱

今ちょうどTBSの筋肉バトルという番組を見た。跳び箱で世界記録を更新するというのをやってた。ありゃ跳躍台をちょっとずつグレードアップするだけで引っ張れるな。くだらん。と思ってテレビを消した。


2006.10.5(木) クモとゴキブリ

玄関にプラケースが置いてあり、その中に1匹のアシダカグモとゴキブリの卵が入っている。子どもたちが何かの研究をしているらしい。

もともとは、そのケースにはアシダカグモとゴキブリが入っていた。当初の目的はアシダカグモは本当にゴキブリを食べるのかどうかを確認することだったらしい。見たところ、ゴキブリは成虫でかなりのサイズだが、アシダカグモも立派なもので、じゅうぶんゴキブリを食える体力がありそうだった。しかし、1週間たっても10日たってもクモはゴキブリを襲うそぶりがなかった。かなり腹がふくれていたので、捕まえたときには腹が減っていなかったと見える。ゴキブリにはエサとしてドッグフードを与えていた。2匹とも悠々としたものだった。

そうこうするうちにゴキブリが卵を産んだ。メスだったらしい。「もしかしてこのまま共存か?」とも思えたが、ある夜、ついにクモはゴキブリを捕らえ食べていた。一日たつとゴキブリはすっかりひからびた枯れ葉のようになり見るかげもなかった。残ったのは、いっそう太ったクモとゴキブリの卵である。

すでに3週間がたち、その間の観察で子どもらが何を学んだのかは定かではない。虫を教材にする気はないが、水を与えることだけは指導した。アシダカグモが水を飲むのかどうかは知らない。ただ、もし飲むのだったら与えないとかわいそうだ。どんな虫でも、水を飲めるようにしておくことは飼育の基本である。

女房のいまの関心事はゴキブリの卵が孵って幼虫が出てくるまでにクモが飢え死にしてしまわないかということだ。そこは母親らしい心配だが、クモはじっと動かず長期の絶食に耐えるので大丈夫だと思う。私の関心事は、クモの補食よりもゴキブリの繁殖のほうが圧倒的に優勢らしいということだ。想像以上にアシダカグモは小食で、家屋に生息するゴキブリの数を減らすことは期待できそうもない。ネコやイタチの類にあるような手当たり次第に弱者を殺戮する習性はない。このまま飼い続ければ生まれたゴキブリの中には成虫まで生き残るやつが出るかもしれないとまで思っている。


2006.10.7(土)晴れ ぜんぜん乗れてない

最近はぜんぜん乗れてないなあ、ということばかりだ。半原越のスタートラインに立って、タイマーをセットして、10歩ぐらい行ったところでもうあきらめている。そして23分ぐらいかかってゴールする。不調の原因は明らかで体調がすぐれないからだ。

この数年の100回の半原越トライアル、それにジロ、ツール、ベルタのトッププロの乗り方を検討した結果、もっともよい乗り方が明らかになっている。とにかく1分間に80回(80rpm)クランクを回すことだ。それが私にもっとも適した登りのペースだ。プロの選手も勝負のかからない所ではちょうどそのぐらいで走っている。

私の自転車にはスピードメーターがついているから、その表示を見て計算すればどれぐらいのペースかがすぐわかる。数学的に複雑な処理が必要なので詳述は避けるが、もし80rpmで回しておれば、前のギアの歯数を後ろのギアの歯数で割って10倍すると時速になる。42×21Tであれば20km/h。そのスピードで走れるのはごくごく緩い坂で、下っても摩擦と平衡して30km/hぐらいまでしか出ないような登りだ。10%以上の、70km/hぐらいで平衡するような坂では10km/h出すのがやっとのところだ。10km/hで80rpmだとギア比は1対1になる。

つまるところ、斜度に応じてスピードとギア比を変えて80rpmを維持するのがもっともよい乗り方だということがわかっており、半原越ではどこでどのギア比を選択するかもわかっている。この理論に従えば、私の力では半原越を登るのに2倍から1倍までのギアが必要だ。1対1のギア比のロードレーサーは市販されておらず、MTBの22Tというインナーを用意した。半原越でこの理論を実践して、自分の体でその正しさを証明し、理論にしたがって腕を上げようと目論んでいる。しかし、この中年おやじの宿命ともいえる体調の悪さがそうさせてくれない。


2006.10.9(月)快晴 影とり

影とり

「影とり」というとなんだか白土三平の忍者か忍術のようだが、じつはストロボの拡散板だ。ケンコーが販売している商品の名である。写真のものがそれを装着した状態だ。この製品は昆虫写真家の海野さんのホームページで知った。海野さんはこれまでにも、自作の拡散板を公開しており、それをまねて私も作っていた。自作のものもそれなりに効果はあったが、この市販品もけっこういけるということでさっそく買ってきて試してみることにした。

構造はシンプルで、ゴムと鋼と布でできている。鋼でピンと張った白い布にストロボがあたると布全体が光るから、20cmぐらいで接写していると、被写体の天井がぜんぶ光ることになって影ができないという寸法だ。レンズにはゴムバンドで止めるようになっている。ゴムは劣化するから、そのときの用心のためかゴムか紐を簡単に通せるような穴もある。また、鋼と布なので、ちょうどちょうちょやトンボを捕る捕虫網の要領で3分の1に折りたたんでおくことができる。まあ、さすがに市販品!といったところで、よくできているなあと感心しきりだ。

めばな

さっそく庭に出ていろいろ撮ってみた。ワーキングディスタンスをとらずに花や草を撮るにはうってつけだ。これは使う前からうすうす気づいていたことだが、「影とり」をつけて地面の花を撮ろうとすると太陽光をさえぎって影ができる。その点では「影とり」という名ではあっても「影つくり」である。日陰になることは接写ではそれほど不利なことではない。むしろ太陽光による明暗がじゃまになることが多い。日射の雰囲気を出す場合は、太陽に頼るよりも、もう1灯ストロボをたくのが手っ取り早い。

というような次第でツユクサのめしべ撮ったのが2枚目の写真だ。めしべや花びらの背後にも光がまわっている。この調子ならハコベの花を撮るのに重宝しそうだ。ちなみにレンズは、ニコンの古いズームレンズを改造したものだ。前玉外しという荒技を使うと、安物のズームレンズがハコベの花を撮るに最適なスーパーマクロレンズに早変わりする。そういえば前玉外しも海野さんに習った。著書の「昆虫写真マニュアル」から始まって、接写のテクはすべて海野さんに習ったといって過言ではない。


2006.10.11(水)晴れのち曇り 冒険すること

100回半原越を走って、気になっていることがある。一回も子どもにあっていないことだ。半原越では人間の子どもよりも猿、鹿、狐の子にあう可能性の方が高い。かといって半原越に人間がいないわけではない。あそこらは登山、サイクリング、水くみのメッカであって、うようよと人はいるのだ。ただし、自転車に乗っているのも山登りをしている者も、人生の落日を迎えている年寄りばかりなのだ。私はまもなく48歳になるが、半原越遊び人の中では若い方だ。登山者は60歳ぐらいが平均だろう。

近頃の登山者はお年寄りでもビギナーが多いようだ。30年ぐらい前だと、お年寄りの登山者は珍しかった。みな経験豊富で、ぼくら若造よりもずっとタフで頼りがいがあった。この秋は猛烈な低気圧と休日が重なったことで、山での遭難も多かった。奥穂や白馬でお年寄りが遭難している。この季節は北アルプスは荒れると降雪があり凍結もするから、決して易しい山ではない。ちょっとした冒険である。

山を歩いたり自転車に乗って遠くに出かけるのは冒険だ。ちょうど中学生ぐらいが一番そういうことをしそうな年代のはずだ。とりあえず、半原越ぐらいの所は手軽だから、厚木あたりの子が休みの日に「いっちょ通学に使っている自転車を持ち込んで...」てなことをやりそうなもんだが、そういう者を見かけない。とにかく、日本の田舎では歩いている者、自転車に乗っている者が皆無だ。たまにいるかと思えば「健康のため」に運動している中高年ぐらいで、かなり寂しい。

15年ほど前、札幌にいたころには支笏湖への山道でよく子どもにあった。なけなしの自転車道が整備されている往復70kmに及ぶ原生林の中の一本道で、通学ぐらいにしか自転車を使っていない子どもにはけっこうな冒険だ。あの道では命を落とした者も少なくないらしく、コーナーごとに花が添えてあったりする。ただし自転車でのたれ死んだのではなく、エンジン付きの乗り物で衝突して死んだんだろうけど。インドネシアでは「じゃらんじゃらん」といって散歩が若者の間でも人気の遊びだ。散歩といっても、ちょっとした観光地に行くと、とんでもない山奥を三々五々、中学生ぐらいの男女が歩いている。自動車でも麓の村から1時間ほどかかる山道を軽装でてくてく楽しそうに歩いているのだからあきれかえる。ただ、本来の子どもの遊び心、冒険心はそういうことで発揮されるもののはずだ。

最近、妙義山で4人ばかりの中学生が遭難したのはちょっとうれしいニュースだった。自転車で山の麓に行き、登山名簿にも記帳していた。仲間の一人が滑落して動けなくなり岩陰に寄り添って一夜を過ごしたという。賢明な判断だ。軽装で装備もないようだから「出来心」からの冒険だったのだろう。日本の若者全部が狂っているわけではなさそうだ。


2006.10.15(日)晴れ 雲に穴のあくとき

巻雲

強い北風に乗って境川を走っていると、高積雲にぽっかりあいた穴を見つけた。雲にあいた穴はこれまで幾度か見ているが、今日のはずいぶん大きくてきれいだった。しかも、先日岡山の長谷川さんが「大青斑」と名付けて紹介されていたのとちょうど同じタイプだったので特別に目を引いた。

走り始めたころは上空は8割方雲に覆われていた。太陽光を通さない灰色部分のある雲のかたまりがびっしりと空を覆っていたのだ。その雲片の一つ一つが大きいので最初は層積雲だろうと思っていた。しかし、穴があいた雲を穴の開くほど見ているうちに高度が高いことなどから、でっかい高積雲だということがわかった。問題の穴は長谷川さんの写真にあったように、完全に高積雲の群れが消滅してまるい穴となっている。その穴の中心に巻雲がでんと居座っていることも同様だ。

こういう特異な現象は、その成因の考察に妙味がある。数年前に読んだ解説書には、雲が雨になって落ちた跡が穴だと記載されていた記憶がある。たしかに、雲が消えるには2つあって、一つが雨になって落ちること、もう一つが蒸発して水蒸気になる場合だ。ひとまずいろいろな知識を動員して、しばらく空を観察することにした。

10分もたつと、空のあちこちに同じ穴が開き始めた。それと同時に高積雲はどんどん小さくなって、太陽光を遮る灰色の部分がなくなっていった。どうやら高度を上げて消滅しつつあるようだ。穴の中に見える巻雲はどちらかというと成長しているように見える。巻雲は高積雲よりも高い空にできるという思いこみがあるから、最初は穴の上空に浮いているのだろうと思った。であれば、巻雲から氷晶が落ちてきて、それを核にして高積雲の水滴が成長して雨になったのだろうかと思った。

しかし、程なくして、巻雲にあたる太陽の影が高積雲に落ちていないことなどから、同じ高さにあることが確認された。すると上の仮説は根拠のない妄想になる。巻雲を取り巻いて雲のない部分があり、その回りに高積雲があるのだ。すると、高積雲が高度を増しながら薄くなっていく状態で、たまたまある部分で、高積雲が巻雲に変化するような条件があり、その変化によって穴が開きつつ巻雲が作られたのではないかと仮説をたてた。

変化とは、水滴が氷晶になることだ。高度を増していく高積雲は過冷却だろうから、何かの拍子ですぐに凍るだろう。特別冷たい下降気流にぶつかるとか、核になる塵芥のかたまりにぶつかるとか。この仮説は有望に思えた。肝心の巻雲は私の仮説を支持するかのように発達し濃密になり、白い筋を引いて4000mの空で雪を降らせている。

写真は、発見から1時間30分後。中央に3つばかり並んでいるのがその巻雲で、周囲の高積雲はばらばらで、穴はよっぽどひいき目に見ないと見えない。サイクリングにカメラを携帯しておればきれいな写真が撮れたのに残念だ。こういう気象現象は年に何度もあるものではない。ちなみに、文献をあたって高積雲の穴の成因について専門家の考えを確認してみた。「高積雲の水滴が凍って巻雲になるから」という私の仮説は完全に間違いであることがわかった。


2006.10.17(火)晴れ うにうにくん

栗の虫

写真の虫は「うにうにくん」という。それは勝手にそうよんでいるだけで標準和名ではない。名を知らないぐらいだから、その生態は未知だ。わかっているのは、栗の中に住んでいるということだけだ。気づかない人も多いだろうが、大半の栗にはこの虫が入っている。小さいうちは普通に栗といっしょに食べられるが、大きくなると糞がたまったり腐ったりするためか、栗は苦くなりぱさぱさしてうまくない。だから栗はこの虫と競争するつもりで早めに食べなければならない。

この秋、思いのほか大量の栗をゲットすることができた。その結果、虫との栗食い競争に負け、かなりの数が残ってしまった。そして覚悟を決めて、ゆでるのはやめてうにうにくんにあげることにした。この2、3日は写真のようにまるまる太ったうにうにくんが、そこいらを歩き回っている。どうやら栗をたらふく食ってじゅうぶんに成長し、さなぎになる場所を探しているようだ。であれば、野外に放してもよいのだが、うまく飼育すればその生態の一端が明らかになるかもしれない。

さっそくプラケースに一握りの土をいれ藁をしいた。落下した栗から出てきた虫が蛹化する場所を探してうろついており、しかもウジ虫型なのだから、十中八九は土の中で繭か蛹室を作るはずだ。卓上のフィルムケースの中でいじけているうにうにくんを土の上に置くと、水を得た魚のように速やかに土の中にもぐっていった。

さて、秋のうちに羽化して成虫で冬をこすのか、それとも土の中で春を待つのか。楽しみであるが、じつはこういう虫をちゃんと維持して育てるのはそう簡単ではなかったりする。


2006.10.21(土)くもり ショウジョウバエ

ショウジョウバエ

わが家は機密性が高く虫が自由に出入りできない。アシダカグモやゴキブリなどの床下から入ってくるものはともかく、翅を使う奴等はなかなか部屋の中に入り込めない。数少ない例外がショウジョウバエだ。この微細なハエは、網戸なんぞはものともせず自由自在に入り込み食べ物を狙っている。30分もブドウの皮を放置しようものなら、わさわさとたかってしまう。いや、食ってるそばから顔の回りを飛び回っている。あの甘い臭いが彼らにとってはたまらない誘因物なのだろう。

ショウジョウバエはハエ類の中では愛敬がありかわいい。理科の教材としてもよく利用されており、昔よくよんでいた子ども向けの図鑑にはショウジョウバエが取り上げられていた。目の赤いの白いのの遺伝の図なんかがあって「研究」の臭いがぷんぷんしていた。しかも、アップで撮られているショウジョウバエの写真が高級な虫っぽかった。図鑑には飼い方ものっていた。本格的なものは寒天ベースにいろいろな栄養を加えるもので、そのレシピがそえてあった。寒天には止まり木として和紙を三角形に切ったものを刺してちょうど海に浮ぶヨットのような案配にするかっこいいものだった。わが家には寒天の材料のテングサもあったが、そちらの本格的な飼育装置はあきらめざるを得なかった。当時はまだ火を使えなかったからだ。そのかわり簡易な方法も紹介されており、それはバナナを餌にするものだった。その簡単さは呆れるほどで、ケースにバナナを入れて放置するだけでよいというものだった。大きな虫がこないように目の粗いネットを張った方がベターとも書かれてあった。

バナナだって高級品だったが、ショウジョウバエを飼育して幼虫や蛹を見たかった。半信半疑で、バナナを3分の1ほどケースの中に入れて放置しておいた。2日もたつとバナナは変色しどろどろになり、みごとに小さなハエがたかっていた。それがショウジョウバエだということは直ぐに理解できた。さらに、畑の生ごみ捨て場やごみ箱にたかる小さなハエと同一のものだと認識するまでにそう時間はかからなかった。科学の研究に寄与する立派な昆虫というだけで、ただ鬱陶しいだけだった虫がかっこよくも見えていたのである。


2006.10.22(日)晴れときどきくもりのち雨 影とりの弱点

ギンメッキゴミグモ

写真はギンメッキゴミグモだとおもう。ギンメッキゴミグモはわが庭に垂直円網を張るクモではもっとも多い。今年はジョロウグモも1匹だけいたけれど、ある日なぜか部屋の中で発見し逃がしてやった後姿をみない。ほかのクモもいないに等しい。こいつはチャームポイントの銀めっき色のぴかぴかこそないが、頭を上にして止まるところとか、体つきからしてギンメッキゴミグモにまちがいないだろう。

このカットを撮るにあたっては「影とり」を使用した。手持ちの90mmのレンズで最近まで寄ったので、レンズの先からは20cmぐらいだ。影とりからは25cmぐらいだろうか。

この写真をひとめ見て、影とりに弱点があることがわかった。クモの背中に漫画の三日月のような白い模様が見えるが、こいつは影とりが映り込んだものである。ストロボの映り込みはまず避けられるものではないけれど、四角や丸の点ならば普通に許せる。それがリングストロボのドーナッツ型になるとかなりみっともない。影とりは、レンズの上に半円形につける。このクモの腹は半径3mmの球体みたいなものだから、25cm離れた所で覆いかぶさるようになっている影とりが、このように小さく鮮明に映り込んでしまうのだ。甲虫類の背は同様の形状になっているから、うかつに撮るとみっともない写真になるおそれがある。下半分の細く切れ込む部分は昆虫の接写では不要なのかもしれない。


2006.10.28(土)晴れ 半原越21'45"

24×17Tで一歩3mのギア比

     距離 タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 2.0km 8'15" 14.5km/h 82rpm
区間2 1.4km 6'20" 13.2km/h 75rpm
区間3 1.3km 7'10" 10.9km/h 61rpm

切り株からはひこばえの瑞々しい芽が伸びて、まるで田植直後のようだ。土手にはアカマンマが咲き、田んぼは束の間の春の装いだ。気温が高く風も弱く、空気がかすんで空には巻雲がはりついている。

いま、もう一皮むこうとしている。上半身を使うことを考えているのだ。というのも、テレビで勝負のかかったベルタの登りを見ていると解説の市川さんが「この選手はハンドルに手をそえているだけですが、本当はしっかり握って引きつける乗り方のほうがいいんですよ。」というようなことを言っていたからだ。

これまでは半原越で、上半身は使わないことをあえて心掛けてきた。それだと重いギアを速く回すことに限界がある。上半身を使った方が、重いギアを回せるに決まっている。ただし、腕は疲れが早くそうそう使えるものではない。よっぽど効率よく練習しないと無駄骨折りだろう。

私は40年も自転車に乗っていながら、シッティングでの腕の使い方を良く知らない。右足を踏むときに右腕を引くのか、左足を踏むときに右腕を引くのか、それとも押すのか? もしかしたら両方いっぺんに引くのか? そういう力の入れ方のテクニックはテレビでプロ選手の走りを穴のあくほど見ていてもわからない。自転車というやつは見ただけではどこに力が入っているのか見当がつかないのだ。

ひとまず自然にやってみると、右足を踏むときに右腕を引くのがよいようだからそれで練習してみることにした。手足を連動させるのは思いのほか難しいものだ。1分間に80回もまわしていると、10回ぐらいでばらばらに動いてしまう。いらいらするけれど、やれば3〜5%ぐらいは速く走っているようなので、この冬の目標を腕を使うことに設定してがんばってみよう。


2006.10.29(日)晴れ 湘南に行った

夜半から雨になったが、朝にはすっかり上がっていた。午前中は庭で撮影をしたり、パソコンのデータのコピーをしたり、だらだら過ごした。昼からは久しぶりにチネリを担ぎ降ろして境川に行くことにした。

珍しくも風がなく気温が高い。うだうだと走るには絶好の天気だ。いつもは40kmほどしか走らないけれど、ちょっと足を伸ばして海まで行くことにした。湘南の海岸は水温が高く穏やかなせいか真冬でも海水浴客で大にぎわいしている変な所だ。今日も砂浜も海も人があふれている。

4時ごろになるともう日はかげり、夕日が赤く見える。土手には刈り込まれて小さくなったセイタカアワダチソウがちょうど満開だ。アマガエルがずいぶん鳴いているからまた今夜から雨になるのかもしれない。今年からあの声がいっそう好きになった。神社の茂みでアブラゼミが鳴いていた。たった1匹だけど、鳴き声は力強く夏のようだ。

無風だからすいすい走れる。チネリだと52×19Tで90rpm、31km/h がちょうどいいペースになる。乗るたびにやっぱりこいつはいい自転車だと思う。


2006.11.3(金)晴れ スイレン鉢のアカガエル

アカガエル

朝、いつものように庭を観察していて見かけたシーンだ。スイレン鉢にアカガエルがとまり、まるで陶器の置物のようだ。このカエルは夏からずっと庭に居着いているもので、もうすっかり友達気分になっている。このスイレン鉢を置いたときにはこういう光景は夢想だにしなかった。そもそもこの付近にアカガエルは生息していまいと考えていた。新しく設置した衣装ケースの池にこいつが居着いたときも、スイレン鉢の方には来るまいと思っていた。というのは、アカガエルは吸盤がなく、木や岩に登るのが苦手だからだ。スイレン鉢の壁は地面から20センチほどの高さがあり、オーバーハングしているからアカガエルは登ることができないだろう。水があることは臭いでわかるかもしれないが、無理に登ることはないはずだった。しかし、こうしているところをみると、フキなどの草木にしがみついて這い上がったものとみえる。ということは、滑り台のようなものを設けることで、アカガエルやヒキガエルがスイレン鉢でも水浴びできるということだ。

すばらしい陽気で、チネリをひっぱり出して半原越に行ってきた。上半身を使う乗り方を試してみた。タイムは20分50秒。チネリで20分台ははじめてだ。

39×26Tで一歩3.15mのギア比

     距離 タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 2.0km 7'41" 15.6km/h 83rpm
区間2 1.4km 6'00" 14.0km/h 74rpm
区間3 1.3km 7'09" 10.9km/h 58rpm


2006.11.4(土)晴れときどき曇り 繭のふしぎ

繭

庭で見つけたなんのものだかよくわからない繭である。長さは1cmぐらい。何かの昆虫のものだと思う。繭という仕組みは多くの蜘蛛や昆虫などいろいろな虫が採用している。その種も多種多様なら、そのしかけも多種多様であるから、おそらくは天才的な一種類の節足動物の発明によるものではなく、多発的に開発されてきたものにちがいない。

繭とまではいかなくても、糸を使う昆虫は多い。モンシロチョウでも蛹化するときには体を糸で縛る。そうした習性が風雨や外敵の防御に有利なものだから、どんどん進化するうちに、この写真にあるようなすばらしい繭を作るに至ったのだろう。また、みの虫も繭のようなものだが、あのやり方は水棲昆虫の中でけっこうポピュラーである。鱗翅目はトビケラのようなものが祖先というから、みの虫はそのあたりの前身から技を引き継いだのかと空想が広がる。また、蜘蛛は蜘蛛で昆虫とは全然違う糸を使うから、その両者に因果関係はないのだろう。

虫が糸を使う方法の多彩さ巧みさは人の想像力を越えている。あまりの巧みさに「道具を使う」というような表現を見ることもあるが、あれはあくまで「糸を使う」である。でないと虫を見る目がくもってしまう。


2006.11.5(日)晴れ ハラビロカマキリ

今日もチネリをひっぱり出して半原越に行ってきた。タイムは21分38秒。

39×26Tで一歩3.15mのギア比

     距離 タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 2.0km 8'18" 14.5km/h 77rpm
区間2 1.4km 6'12" 13.3km/h 70rpm
区間3 1.3km 7'08" 10.9km/h 58rpm

途中の道路でカマキリが多い。それも全部ハラビロカマキリだ。生きて歩いているものが2頭、自動車に轢かれてばらばらになっているいるものは5つや6つではきかない。カマキリほど道路をうろつく虫はいない。10月のはじめごろまでは、ハラビロカマキリも多かったが先々週ぐらいからコカマキリばかりになった。それで、すっかり交代したものだと思っていたので、最初ハラビロカマキリのみずみずしい緑を見たときに、数少ない緑のコカマキリかと思い、思わず自転車を止めて拾い上げたほどだ。翅には白斑があり明らかにコカマキリではない。腹が膨れているのは、産卵を控えたメスだからだろう。

道路に出てきているのが再度、コカマキリからハラビロカマキリに移ったのは産卵のためかもしれないと思った。前回にハラビロカマキリが多かったのは、メスを探すオスであり、今回は産卵場所を探すメスなのかもしれない。そうであればここまできて轢死してしまうのはさぞかし無念であろうと、余計なことまで考えてしまう。


2006.11.8(水)晴れ いじめが目的と化す

芽吹き

わたしの庭はずいぶん日当たりが悪くなり、今年はチヂミザサの天下となった。チヂミザサはわりときれいな葉を持つ草で見かけは悪くない。庭中を緑のじゅうたんで覆うような光景はいくぶんスカッとする。花も地味でかわいかった。ところが、その実があまりよくない。ねばねばがついており服にべたべたついて、はぎ取るのがやっかいだ。

わたしは雑草に寛大である。ヒメムカシヨモギやヒメジョオンが伸びてくると、蹴飛ばして倒れたりしないように注意して歩き、カタバミは踏まないようにつま先だって歩く。たった1本だけ弱々しく育っているセイタカアワダチソウの繁栄を心の中で祈っている。

ただ、チヂミザサのやつは毎朝庭にでるたびに体のいろいろな所に張りつくものだから、ついに腹が立って歩く所だけ駆除することにした。つまんで引っ張ってみると、その蔓延りようとはうってかわって簡単に抜ける。匍匐するように生え、根張りが悪いので、ちょっとつまむと芋づる式にずるずる抜けてくるのだ。その抜ける様子が気持ちよくて、次から次に抜いていくうちにすっかりチヂミザサはなくなり、庭の大半は茶色い土が露出することとなった。

最初は気にくわないヤツだからといじめてたのが、そのうちいじめること自体が楽しく、いじめが目的と化した結果、うらみはそれほどなかったにもかかわらず、敵は壊滅状態になってしまった。チヂミザサが消えて現れた地面には積もった落ち葉をかき分けるように小さな丸い葉の芽がたくさん出ていた。今年の春にまかれたハコベの種が芽吹いているのだ。こいつらは日当たりが良くなって嬉しいだろう。チヂミザサは1年草のはずで、抜いたヤツも大半の種はまき終わっているから、来春にはまたいっせいに芽が出てくるはずだ。今度は夏のうちに抜いてしまいそうながする。それほどの恨みはないのだが。


2006.11.12(日)晴れ シロアリを育てる

シロアリ

写真は我が家の床下から採取してきたシロアリである。シロアリが発生していそうなので業者に頼んで調べてもらった。案の定、ずいぶんと柱は食われていたのだが、ただちに駆除しなければ家が倒れるという状況でもないので、しばらく放置してかまわないという。

その業者はシロアリの生態に詳しく、ある程度までは人間とシロアリは共生すべきで、シロアリと他の虫類が健全な床下生態系を作るのが良いと考えている。駆除のために薬品を使ったり無理な構造や建材の建物をつくることのほうが、住人への実害は大きいのだそうだ。至極まっとうな考えかただ。そういう常識もあり、しかもシロアリ飼育の技術を持っているから、他の業者にくらべ圧倒的にすぐれている。シロアリからも学ぶべきことはいっぱいありそうだ。さっそく床下からシロアリを採取してきてもらい、飼育法を教わった。

シロアリを育てるのはかなり難しく、いくつかのコツがあるという。まず第一に、外気に触れているとすぐに死ぬ。恐らく乾燥に極めて弱いのだろう。狭い所に閉じ込めるような形状の容器を用意する必要がある。餌は紙がよい。木材は防腐剤が入っているものが多く、シロアリの健康上問題が大きい。紙でもティッシュペーパーは毒入りなのでシロアリの餌にはむかない。ピュアな紙を湿らせて与えるのがよい。我が家では和紙を与えている。飼育をはじめてまだ2日ほどだがだんだん弱って死ぬものもいる。確かに難しそうだ。いろいろ研究の余地がある。

ものすごく天気が良く午後から境川を走ってきた。大きな積雲が発生している。雲底が平らではなく千千に乱れている。その雲は上空にものすごい西風と上昇風があることをものがたっている。今日、冬になったことを確信した。


2006.11.18(土)晴れ 半原越20分02秒

久しぶりにタイムトライアル仕様の半原1号で半原越を登ってきた。タイムアタックをするつもりはなかったけれど、重いギアを踏んでみたくなって、36×17Tで4kmを走ってみた。

     距離 タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 2.0km 7'23" 16.4km/h 61rpm
区間2 2.0km 9'09" 13.1km/h 49rpm
区間3 0.7km 3'39" 11.5km/h 未計測

やはりタイムという点ではこっちのほうがよい。それほどしゃかりきでもないのに20分だ。しかも、1回ブレーキをかけた。というのは、上から競輪選手が降りてきて道を譲ったのだ。プロのトレーニングのじゃまをしてはいけない。あれがなければ20分を切ったろう。今日から第2計測ポイントを変更して4キロメートル地点にすることにした。いまさらながら、1.4kmよりも2kmのほうが計算が楽だということに気づいたのだ。西端コーナーの杉の木が目印だ。今日はたまたま16分半、これが20分のいい目安になる。元気が余っており、24×22Tという軽いギアでくるくるともう1回登った。今日の半原越はやけに自転車が多く「こんちわー」と2人組の中年自転車乗りに抜かれた。


2006.11.19(日)雨 消えた繭

繭なし

11月3日にウキツリボクの葉裏で見つけた繭を見に行ってみると、繭は跡形もなく消えており、虫らしいものの残骸だけが残っていた。残骸は蛾の幼虫だと思う。見つけた当初から繭とこの残骸には何かの関係があるんだろうなと予感はしていた。

新開さんの昆虫ある記を見ていると、芋虫に寄生して蛹化のときに懸垂型の繭を作る蜂が紹介されていた。芋虫の体を食って育った蜂が蛹になるときに芋虫の体を破って脱出し、芋虫の亡骸のすぐそばで丸く美しい繭を作るというものだ。

繭の形状は全く違うので、別種のはずだが、状況はよくにている。ならば、ウキツリボクで見つけたものも寄生蜂の仕業であろうかと思い至りあわてて見に行ったら、繭は消えていた。ちょっともったいないことをした。


2006.11.25(土)晴れ 半原越22'33"

葉

庭は日を追って殺風景になっていく。もともと日陰なのが冬になるとますます日の当たる時間が短くなり、天気の良い日でも土が暖まらない。それでも、庭に出て日だまりを眺めているとアリが何か小さな食べ物を運んでいたりする。天気予報を裏切って思いのほか気温が高く、風もない。

やはり半原越に行くべきだろうと、半原1号を引っ張り出した。今日は、後輪に13-28というワイドなギアをつけた。前は24Tだから、最小ギア比は0.86になる。16Tを使うと1.5倍になる。この1.5倍よりも小さい(軽い)ギアで20分が目標だ。目下22分が限界。

     距離 タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 2.0km 8'28" 14.2km/h 非計測
区間2 2.0km 9'50" 12.2km/h 非計測
区間3 0.7km 4'15" 09.9km/h 非計測


2006.11.26(日)くもり時々雨 部屋でサイクリング

これからの季節は自転車に乗るのが嫌になる。寒いのが嫌いなので気温が10℃を下回ると風に当たるのがおっくうなのだ。外に出てもなるべく風に当たらないようにゆっくりゆっくり走ることになり、楽しいのは登りだけになる。登りがあると下りが待ちかまえている。その下りが最悪なので登りでさえもうんざりしてしまう。今日は東急ハンズ渋谷店の自転車用品売り場をのぞいて、手袋を物色した。普通の手袋は手を開いた状態を基本にしていると思うが、自転車の物は手をしっかり握った形状を基本に設計しなければならない。その点、アディダスのやつはバーを握って具合が良さそうだった。ただし6000円もする高級品なので、今回は敬遠した。

自転車

外が寒いのなら室内がある。私の部屋は常時自転車が固定式のローラー台にセットされ、靴はペダルに張り付いている。サドルにまたがり靴を履けば30秒で自転車に乗れるのだ。檻の中のハムスター状態であるが、じゅうぶん楽しい。

これまでは室温が高く、この自転車に乗れるのは30分が限界だった。まず10分ぐらい軽いギアで1分間に90回ぐらいクランクを回す。自転車には磁石センサーの計測器をセットしておりメトロノームは必要ない。つぎに20分ぐらいやや重いギアで80rpmぐらいでクランクを回す。半原越のゆるめの坂を想定した強度だ。その程度ではぜんぜんしんどくないのだが、いかんせん大量に汗がでてくる。室温が20℃もあると、さあこれからというときにタオルが投げ込まれて終了だった。これからの季節は室温が10℃を下回るので、窓を開け放ち、パンツ一丁になればそれほど汗をかかずに長く乗れる。


2006.11.27(月)雨 捕獲

ヤモリ

ふと机に目を落とすと、ゴムで作ったハ虫類のおもちゃがある。「はて、こういうものはもっていなかったはずだが?」と見直してみると、それは本物のヤモリだということがわかった。動かないけれども、その精巧な半透明感のある肌の質感や微妙な模様、手足のシェイプ、目の力強さは死んでいるものには宿れない。

それにしても小さいヤモリだ。パソコンのリターンキーぐらいのサイズしかない。この夏生まれの子どもだろう。とりあえず捕獲して保護することにした。こういうものを捕まえるのは慎重でなくてはならない。けっこう俊敏な動きをするから、何かの下に潜り込まれるとやっかいだ。崖っぷち犬ではないが、うまく机の端から落として、網の中に入れるのがよい。残念ながら近くに網はなくコオロギ飼育用のプラケースを準備して、手で進路を塞いでうまく追い落とした。

思いのほか動きが鈍く捕獲は簡単だった。動けないのならそちらの方が心配だ。長らく部屋に入り込んでエサがとれずに腹が減っているのかもしれない。室温が低いので動きが鈍くなっているのかもしれない。少し様子を見て必要ならエサも与えて放そう。ただ、いまはそれほどエサになる虫がいない。


2006.12.2(土)晴れ  原色日本クモ類図鑑

どうもクモは人気がないらしく、私のようなその辺でみかけるクモの名や性質を知りたいという一般人向けの良い図鑑が市販されていない。東海大学出版会のフィールド図鑑クモは唯一といってよいほどすばらしいガイドであり、一読しておけば、クモを見かけたときにそのクモがどういう種類のものであるかの検討をつけるのにたいへん役に立つ。そこからもう一歩踏み込むためには保育社の原色日本クモ類図鑑が必要で図書館に行くしかなかったのだ。原色日本クモ類図鑑は本格派のクモ図鑑で、この10年あまり年に3回ぐらいの頻度で欲しいと思い続けていた。しかし、おそらく絶版であり、書店では見あたらなかった。かといって、神保町まで出かけていってまで買うほど思い詰めているわけでもない。

それがどうした風の吹き回しか、ネットで検索していると新版が出回っていることがわかった。6000円もする高価なものではあるが、ほかに代わる物もなくさっそく購入した。1ページ目から読んでいると、八木沼健夫博士の序文のなかに素敵な一節を見つけ思わずにんまりしてしまった。本書の旧版は、啓蒙の意味で、また研究の手引きとして重要な役割を果たしてきたことと思っている。現在多数の若いクモ学徒が出ており、分類・生態・その他の分野においてクモ学に大いに貢献している。それらの人々が今回の新版の出版に際し、分化した専門の立場で手ぐすねを引いて待ちかまえている様子が彷彿され、批判の対象となるのは必至で、発行されるのがこわいような気さえする。しかしそれらの大部分の人達も、もともと旧版によって育ったのであろうと自負している。この一節に触れただけでも6000円の価値があったというものだろう。

ところで、これからの私の人生に原色日本クモ類図鑑をひきあわせて考えるならば、あきらかにこいつには役不足である。このままの調子でクモの観察を続けると、せいぜい10匹程度のクモを検索することにとどまるだろう。インターネットで簡単に購入できなければ、もうちょっと逡巡したかもしれない。この便利さは危険だから自重しようと思いつつ、気がつけば日本ローカル昆虫記を注文していたのであった。


2006.12.5(火)晴れ  冬の月

おおむね帰宅するのは23時ぐらいになる。この10年ばかり続いている毎日4時間の無給時間外も月3日の無給休日出勤もまあ妥当なところだ。普通の中年おやじの2倍の給料をもらっているのだから。駅からの道をとぼとぼと歩くと、月の影が濃い。見上げると、満月は天心に煌々と照る。それほど寒くはなくても、やはりこの月は冬だ。目線を南におろしていくとシリウスとオリオンが見える。冬の夜空の大スターたちも満月の蒼空では影が薄い。この月があるうちは辛抱あるのみだ。どうあがいても春の太陽が戻ってくるまであと9週間はある。


2006.12.6(水)晴れ  金魚すくい

東急ハンズに寄ってけん玉を買ってきた。競技用のしっかりしたものだ。というのはけん玉には「金魚すくい」という未知なる技があることを知ったからだ。金魚すくいはいわゆる大技でも荒技でもなく、ただの一発芸である。床に玉を置き、皿ですくい上げるという簡単明瞭な技だ。だからやってみる気になった。

最初は、無理ではないか? と思った。床に置いた玉の重心と、皿の中心はほぼ同じ高さになる。つまり、すくい上げようとしても玉が前に飛んでいくだけだ。頭で考える限りはできないはずだ。しかし、何度か試みているうちに、若干傾けた皿を滑るように玉が転がって上に登っているような気がした。そして、玉がはじかれるのがまっすぐ前ではなく、少しだけ上に角度がつくようになった。

創意工夫により数時間の格闘の末、かなりの頻度で成功するようになったのだが、未だにどうやってできているのかがわからない不思議な技だ。最初に感じたような皿を玉が転がり上がることは肝ではない。あくまで玉はまっすぐ前にはじき出して、飛ぶ玉よりも早く皿を下から回り込ませて、前方から受け止めるという感じだ。成功したとき、なぜか玉の重量を感じない。キックの鬼でいうところの「真空状態」に入っているような奇妙な感覚がある。ちなみに、剣で刺したり皿にのせたりする普通の技にくらべ、金魚すくいが成功したときの快感の強さは別次元である。興味のある方はトライしてみられるとよい。


2006.12.9(土)雨  心拍

最初に登ったときは28分かかった、3年ほどがんばって普通でも22分で登れるようになった。コンディション良くがんばれば20分だ。このタイムの短縮は体力の増強によるものではない。むしろ体は弱る一方、50歳間近の中年おやじだ。年々目は見えなくなり、耳は遠くなり、心臓には不整脈が現れ、胃腸には潰瘍と腫瘍がある。週に100キロほどサイクリングしているぐらいで体力がアップするわけがない。

それにも関わらずタイムが良くなっているのは工夫を巡らしたからだ。体重を3キロ落とした。自転車を1キロ軽くした。自転車に乗る技術を高めた。そしてなによりも、コースを知った。4700mの登りのすべてのコーナーを思い描くことができ、コースのすべての場所の斜度を把握している。

この先、トレーニングで体力増強をはかることなしにタイムアップできる余地がないものかと秘密兵器を導入した。心拍計である。心臓のところにあてた電極でキャッチした拍動を電波で飛ばして、腕時計のようになっている受信機に数値として表すものだ。半原越のどのあたりでどのぐらい心臓に負荷がかかっているのか把握することは無駄ではないと思った。もしかしたら、もっと速く走れるのに休み過ぎている場所があるかもしれないし、速度をちょっと落とせば体力を温存し結果的にタイムが短縮できる区間があったりするかもしれない。

購入したのはもっとも安物のやつで、心拍数を計る以外のことはなにもできない。胸に巻き付けてハイおしまい。スイッチすらない。さっそく固定ローラーでいろいろ計ってみることにした。普通にいろいろやっているときは70ぐらい。ごく軽く自転車にのると120。90rpmで2時間ぐらいは回せそうな負荷だと150。半原越の緩いところを想定して80rpmで走る負荷だと170。ダンシングだとどうあがいても180を越え、どこまで上がるかやってみると190以上になった。

まさか190も行くとは思っていなかった。私の心臓はけっこう優秀なのか? この調子だといつも半原越では185ぐらいになっているような気がする。やってみないとわからないが、結局は休む余地などさらさらなく、これ以上タイムを縮めるには高負荷に耐えられる体を作るしかないという寂しい結果が待っているだけかもしれない。


2006.12.10(日)晴れ  半原越22分52秒

12月も半ばだというのに信じられないほど暖かい。さっそく心拍計をつけて半原越に行ってきた。行きの25キロはサイクリングなので、おおむね130ぐらい、ちょっとがんばれば150ぐらいだった。150ぐらいなら普通に息をして、普通に話ができて頭も普通に回っている感じだ。所々の登りになると170近くまで行って、わざとダンシングをすると180にまであがる。半原越のスタートラインまではなるべく170を越えないようにセーブしておいた。

スタート時、ギアは1.5倍のものを選んだ。なるべく170を越えないように力を押さえることを心がける。スピードは14キロほどしか出ていないので、75rpmぐらいだ。丸太小屋の急坂まではなんとかやれたが、やはりそこで170を越える。リッチランドを過ぎて心拍数を落とそうとしたが楽に走っているつもりでも170から落ちない。2キロのチェックポイントは9分10秒。

区間2でも170から落ちない。ぜんぜん息も上がらず力を入れないようにしているのに心拍数は落ちてくれないのだ。そして南端コーナーを曲がって、いつも「ここからきついぞ」と思い知らされているところでは180にまで上がった。第2チェックポイントの西端コーナー手前の杉の木4キロでは19分20秒。心拍数は180から185ぐらいをうろうろしている。無理に力を入れているわけではないので脚に来ている感じはない。ただし、それ以上スピードを上げるのは無理だと感じている。速度は10キロぐらい。

ゴール前の100メートルはちょっと力を入れてみた。腕の引きも使った。比較的楽をして登ってきたので軽いラストスパートをかけてみたのだ。すぐに体はいっぱいいっぱいになり、心拍数は193まであがった。心臓が追いつかない強度に入ったのだ。タイムは22分52秒。

     距離 タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 2.0km 9'10" 13.1km/h 69rpm
区間2 2.0km 10'10" 11.8km/h 62rpm
区間3 0.7km 3'42" 11.6km/h 60rpm

感覚的に170程度なら30分はいける気がする。180を越えると10分以内でお終い。今日は6分だけ180を越えていた。これまでのやり方では、おそらく丸太小屋の急坂で180を越え、それからずっと落ちずに15分以上走っていたのだろう。それでは体が持つわけがなく、ラストの1キロは息も絶え絶えだったのだ。今日の注目点は最後の1キロも1.5倍のギアで60rpmを維持したところにある。心拍数とケイデンスとギア比をにらみ合わせて最適解を見つけよう。


2006.12.15(金)雨のちくもり  AT心拍数

9日に心拍計を購入して、いろいろ試して、こんなに面白いおもちゃだったのかと今更ながら感心しきりだ。たしかにこれはレーサーにとっては必携のアイテムだろう。レーサーでない私にとっても、体の状態が数字でフィードバックされると、知り得ないことも知れて面白い。ウェブで調べれば、いろいろな人のデータやトレーニング方法などが見つかる。最大心拍数、安静心拍数、AT心拍数などの基礎データを得ることも大事だとわかった。 私の最大心拍数はたぶん193ぐらいで、安静心拍数は56ぐらいである。一般に、「220−年齢(47歳)=173」が最大心拍数だという記述があるけれど、それはぜんぜん当てはまらない。173なんて、まだまだこれからという感じだ。不整脈のよけいな電気を機械が拾って高くなっているのだといやだから、もともと高回転型の心臓なんだということにしておこう。

AT心拍数というのはよくわからない。結構きついけど小一時間はがんばれるという程度の強さらしいが、運動の種類によっても変わるらしい。ここだ!と決めるのはなかなか難しいみたいだけど、その値がトレーニングの肝らしい。半原越タイムトライアルは20分で燃え尽きるようにうまく案配すればよいので、AT心拍数をちょっと越えるぐらいの強度を維持するのがよさそうだ。というわけで、私のAT心拍数を知りたいところである。

10日に半原越を走ったときは、180オーバーが6分で、170オーバーが8分だから、平均して170ぐらいになりそうだ。数十分のタイムトライアルの平均心拍数がAT心拍数だという記述もあった。しかし、AT心拍数が170というのは高すぎるんじゃないだろうか。170でも、もうちょっとはいけそうに感じていた。ローラー台でも170〜175ぐらいだと20分ぐらいは楽々回せるのだ。それほど私の心臓はお手軽にどきどきしてしまう。170を越えないような強度で半原越を走れば30分ぐらいはかかるはずだ。はてどうしたものか。こういう自己流ではせっかくの心拍計も宝のもちぐされかもしれないが、少なくとも「気づかないうちに無理して燃え尽きようとしている」ことは数字が教えてくれるので、それだけでも重宝だ。


2006.12.16(土)晴れのちくもり キチョウ

キチョウは黄色の鮮やかな翅をもつ中型の美しい蝶だ。子どものころはキチョウといわず「黄色いもんしろちょう」と心の中でよんでいたものだ。キチョウは成虫で冬越しする。真冬のキチョウはまだ見たことがないので、いちど見つけたいものだと思っている。海野さんは毎年この季節には小諸日記でキチョウが越冬している様子を逐一報告してくださる。蝶のまま冬を越すのだから寒さに強いように思えるけれども、どうもぎりぎりのところで生き抜いているみたいだ。

ところで、成虫で息も絶え絶えに冬越ししているとなると、いったい彼らは何者なのかという興味がわいてくる。専門的な研究は全くしらないが、いろいろなところで見聞きした情報をもとにキチョウのことを考えてみた。

キチョウは赤道直下のスマトラ島ではミカン畑や道ばたにはいて捨てるほどいた。本来は熱帯の蝶なのだろう。それが、ここ一万年ぐらいの地球温暖化と奇跡的な気候の安定のおかげで北上し、日本の本州にまで定着しているのだと思う。夏だと北海道まで行くことがあるのかも知れないが、北海道の冬は越せない。札幌の豊平川の土手にたくさんいる黄色い蝶はモンキチョウだ。

キチョウは成虫という定まったステージで氷点下になる気候の冬を乗り切るのだから、日本の蝶としての確かな生き様を持っているといえる。卵・幼虫・蛹とバラバラなステージで冬に突入し、たまたま寒気に耐えた成虫だけが生き残るというわけではなさそうだ。そうだとすると、それは熱帯のキチョウ群も同じ技を持っているのかどうか、それとも本州のキチョウ群に特異なのか? 本州のキチョウは日長に対応して秋型が生まれるそうだから、すでに本州のものは熱帯とは一線を画した耐寒性のグループになっているようにも思う。さて、熱帯の個体群を高緯度地域に移動させたら秋型が生まれるのだろうか? 冬を越せるのだろうか?

熱帯アジアの昆虫たちの中には、モンスーンに乗って北を目指すものもいる。スマトラ島でキチョウと同じくらい目についたウスバキトンボは夏にはその辺の川で大群になって飛び交っている。しかし、本州ではどれ一つとして冬を越せず、卵もヤゴも死滅してしまうという。あのトンボもキチョウに負けじとばかりに毎年毎年めげずにチャレンジを繰り返しているのだから、数万年後には耐寒性のグループが生まれる可能性はあるだろう。


2006.12.17(日)くもり 風情

庭

見渡せば(近所の家の)花も紅葉もあるわが庭であるが、殺伐とした感はぬぐえない。枯れたままの雑草も、散るにまかせている落ち葉も、のび放題の灌木もみごとに廃屋の風情をかもしだしている。さらには中央にでんと配置されたプラスチックケースの水たまりは異様な存在感を放ち意味不明である。夏草に埋もれているときならまだしも、こうして草が枯れてその全貌が目に入るようになってくると女房が4年にわたってこいつの設置に抵抗してきた理由もわかるような気がする。ただし、実用的である。庭全体のしょぼさに加えてこの水たまりの不気味さが貧乏と狂気を予感させ、泥棒に入ろうという気をそぐことだけは確かだろう。実際、家屋の修理と偽った詐欺師あるいは空き巣の下見が数回訪れているが、私に面会し庭と家の風情を見て、みなあきれかえって去っていったのである。

傍目にはまったく手入れがなっていないように見える庭でも、ここに私がたゆまぬ注意と心情を注ぎ込んでいることは読者の皆様には周知である。とくにケースの池は水が腐る一歩手前の富栄養状態を保つため毎日の監視と手入れを怠っていない。1000円あまりのプラケースは泥棒よけになるほど貧乏くさいが、中の水と微生物が生きておれば見栄えなんぞはどうでもいい。逆にトンボや蛙の住処を作るのにどれだけ手を抜けるかに挑戦する意義は大きい。あと100年もしない近いうちに、日本人は心を入れ替え住宅地は虫けらと共存するように改造されていくことだろう。この殺伐たる庭に風情を感じることがその第一歩になるのだが、そういう潮流の読みはともかく、春になって蛙が帰ってくるようなことがあれば、小躍りするくらい楽しい気分になれるのは確実なのである。


2006.12.20(水)晴れ 天然のクーラー

冬は天然のクーラーである。室温を下げるのに人造のクーラーがいらないから、部屋の中でも経済的に自転車に乗ることができる。神奈川県でも窓を開け放ち、裸になればじゅうぶん寒いのだ。それでも30分ぐらいすると汗が落ちる。床に落ちると部屋中が汗臭くなってしまうので、汗が落ちないような工夫が必要だ。私は、ランニングシャツをハンドルバーとトップチューブに掛けて頭から落ちる汗を受けさせている。ただ、トップチューブのところで細くなり、ちょうど逆三角形の形になって、そのしぼった所から汗がこぼれてしまう。

それで一計を案じ針金を買ってきた。針金を60センチほどの長さに切り、トップチューブに直角になるように乗せる。トップチューブに当たるところは筒状のウレタンに通し、チューブが傷つくことを防ぎゆるみなくしっかり止まるように工夫した。ついでに、ハンドルバーの2つのグリップのにひもをかけた。これでハンドルバーからトップチューブ前方まで、案配よくランニングシャツを広げて置くことができる。ちなみにタオルを使わないのは洗濯物をいたずらに増やさないためだ。

針金、ひも、ウレタンチューブ、ランニングシャツという手近な材料でこうまで完璧な汗受けを用意した私の創意はなかなかのものであるとおもう。しかし、それも冬という天然のクーラーあっての物種である。やはり自然は人智を越えて偉大なのだ。


2006.12.23(土)晴れ 半原越22分25秒

心拍計の案配が悪いので、線路脇の道ばたに自転車を止めて調整しようと思った。ブレーキを引いて、自転車を立てかける場所を探し、ガードレールを見た。ガードレールにはエンドカバーが取り付けられている。ガードレールの鉄板が道に張り出す格好になるので、人が鉄板に当たってけがをしないように厚さ5ミリほどの樹脂製のカバーがかぶせられているのだ。エンドカバーは私の股ぐらいまでの高さがあり、先はぐるっと丸められている。ちょうど中空の柱がガードレールの先端に取り付けられたかっこうだ。丸められた部分の断面は長方形。ふたはなく、何の気なしにのぞき込んでみた。

穴の底もないのだから、アスファルトが見えるはずだが、そうではなかった。入り口近くで何かベージュの物体が空洞のほぼ全体を塞ぐようにしているからだ。それは、すぐに蜂の巣だとわかった。アシナガバチらしい。支柱の内壁と巣をつなぐ支えもアシナガバチらしく一本だけである。場所が場所だけに、部屋の入り口が真横に向いている。よく知っているアシナガバチの巣は下向きだ。巣としてはうまく機能したようで、私の握りこぶしぐらいにまで大きくなり、全室もぬけのからである。もちろん蜂もいない。はて、アシナガバチはこういう空洞、しかも垂直のところに巣を構えるものだろうか。別の蜂なのだろうか。

せっかく、心拍計を買ったので、なるべく押さえて半原越を登る方法を模索しながら走った。ダンシングはだめでシッティングになるが、結局斜度が高すぎて180bpmを越えないで上まで行くのは無理だと判断した。頂上を越えてすぐのところに生えているハンノキらしい枝先でウスタビガの繭を見つけた。葉が落ちるとその色鮮やかな黄緑色の繭はよく目立つ。中身は50日ほど前に脱出しているはずだ。

     距離 タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 2.0km 8'45" 13.7km/h 非計測
区間2 2.0km 9'50" 12.2km/h 非計測
区間3 0.7km 3'50" 11.0km/h 非計測


2006.12.24(日)晴れ 冬のジョロウグモ

ジョロウグモ

ジョロウグモはこの数年庭でちゃんと育っていない。ぜひともわが家に欲しいクモである。そのためにはこの周辺でジョロウグモが繁栄しなければならないので、わが家の半径100mでジョロウグモがどうなっているのか気をつけて見ている。写真のものは東50mに巣を張っているメスで、10月からほぼ同じ所にいる。12月も終わろうかというこの冬にまだ生きてるのだから、長寿の部類だろう。しかし、こいつの場合は長寿を喜ぶわけにはいかない。

ジョロウグモの生態について詳しくは知らない。おそらく、メスは巣上で交尾し近くの葉などに卵を産み付けるのだろう。そして、ジョロウグモの産卵は命と引き替えになるはずだ。卵の数は多いだろうから一度しか生まないのかもしれない。産んだ卵を守りながらその場で息絶えるのかもしれない。いずれにしても、未だに巣を張って空中でまどろんでいるということは首尾良く産卵を終えていないことが予想できる。

オスは非常に小さくて、メスの巣に居候するような形になっている。数匹のオスがメスのご機嫌を伺うかのようにしている姿はほほえましい。いまのこのメスにはそうしたオスの姿が見あたらない。腹はそれなりにふくれているから栄養は足りているのだろうけど、もしかしたら精子をもらっておらず卵が熟していないのだろうか。あまり喜ばしい感じではない。

半原越は21分44秒。ケイデンスはちゃんと計っていないが、ラストの1200mは60rpmぐらいになっていると思われる。斜度とギア比は繊細な問題だ。急斜面で80rpmを維持するのがかならずしもよいとはかぎらない。斜度がきつくなればなるほど最適なケイデンスは下がっていくはずだ。半原越の頂上付近は24×17Tで60rpmでいくか、24×19Tで70rpmで行くか、思案のしどころである。

     距離 タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 2.0km 8'20" 14.5km/h 非計測
区間2 2.0km 9'30" 12.6km/h 非計測
区間3 0.7km 3'54" 10.8km/h 非計測


2006.12.30(土)晴れ 正月番組の思い出

日本から年末年始の風情が消えて久しい。この20年ばかり私も年末年始にかかわる一切の行事と無縁である。文化風習が消えることは寂しいことであるが、確実に良いことであり人類の進歩には不可欠である。

かつてはテレビにすら正月を象徴する番組があった。そういう番組では年に一度しか登場しない芸人が笑いの芸を披露したものである。この季節になると正月番組のあるシーンを鮮明に思い出す。当時、てんやわんやはけっこうの売れっ子で、正月番組でもVIPの地位にあったとおもう。漫才番組で元旦の放送であったが、てんやわんやが登場し、恒例の「あけましておめでとうございます」と挨拶したとたんに会場が爆笑のうずに包まれた。私はその笑いの意味がわからなかった。

奇妙なことに、その笑いにもっとも驚きとまどったのは当のてんやわんやである。彼らはプロ中のプロであるから舞台上で客を笑わせることはあっても、客に笑われることは絶対にない。いや、一度だけあった。どういうわけか相方の背の小さいほうがカツラをかぶって登場したことがあって、いきなり会場が爆笑した。彼の禿は一つの漫才ネタであったから、客はそのカツラもネタであり笑い所だと誤解したのだ。それがネタでなかったのは、てんやわんやが会場の反応をうまくフォローできず、舞台上でとまどっていたことから明らかだった。後から聞いた話では、禿をネタにすることに死ぬほど抵抗があり、転向をはかって失敗したということだ。

たんなる正月の挨拶で笑いが起きるのは、観客が正月気分でなかったからだ。その番組は12月の早いころに撮り貯められたものだったのだろう。会場には事前の説明ができていなかったから、まだ暮れの時期に「あけましておめでとうございます」と漫才師が挨拶したのをネタだと判断して観客は笑ってしまったのだ。収録であるのだから撮り直すべきであるが、どういうわけか放送してしまった。てんやわんやには気の毒でずいぶんひどい話である。


2006.12.31(日)晴れ ミツバチの進化

ミツバチの花粉袋の構造とその周辺装置の機構、およびその使用法は驚嘆に値する。どうやってあれほどのものがこの世に誕生したのかと空想するだけでめまいをおぼえる。人智を越えている。なにしろ花粉集めの装置は彼らにとって「道具」ではなく、利にかなうよう意識的に開発することができないのだから。そのあたりの認識が「より便利なほうに進化したに決まってるじゃん」なんて馬鹿けた発想をする、こずるいヒトという生物には難しく、ミツバチの花粉袋の本当のすごさが理解できない。

しかし、いくら優れたものであるといってもパーフェクトであってはならない。進化の余地がなければ滅んでいるも同然だ。ミツバチの花粉集めの仕掛けは完璧に見えるが、もしかしたらこの先、花のほうが変わるかもしれないのだ。ミツバチ以外の訪花昆虫に激変があって、虫媒花が一斉に滅ぶかもしれない。逆に画期的なポリネーターが誕生し花粉の媒介を一手に引き受け、花粉がその媒介者に合うように変化し、その変化の方向が今のミツバチにとって不都合かもしれない。そうした環境の変化にミツバチが対応しなければ彼らは滅ぶ。

さて、よくよく考えると、あれだけ巧みな機構の基幹はミツバチが社会性を獲得する以前に開発済みだったことがわかる。何千万年か前、ミツバチのご先祖の女王蜂が単独で花粉集めをして進化した体が、今日のピュアな働きミツバチに引き継がれていると考えなければならない。そしていまや花粉を集めるミツバチは繁殖しないから、その能力がダイレクトに次の世代に反映するわけではない。

分業体制が確立し女王やオスが花粉集めに従事することが無くなった今、花粉集めに適した体は繁殖とは縁が遠いものになってしまったのではないか。ミツバチの群れで繁殖に参加するのは一握りのオスメスだけで、彼らの繁殖成功を左右するのは花粉集めの技術ではあるまい。巣の遺伝子は一つで、個体の変異は全体の変異でもあるならば、巣の繁栄が数としてミツバチの進化にきいてくるけれども、よりうまく花粉を集める方向の突然変異がオスメスの繁殖に不利になることもありえる。さて、ミツバチはもっとうまく花粉を集めることができる体に進化できるのだろうか?

 
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