たまたま見聞録
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2002.1.3 帰省

12月28日から今日まで四国に帰っていた。一家5人、飛行機を使って八幡浜まで行くと、往復の旅費だけで25万かかる。あそこにはそれだけかけるだけの値打ちがある。

実家にいると電話をかけない。パソコンも持たない。本も読まない。字も書かない。人にも会わない。金も使わない。5日間でこづかいを使ったのは、ペプシコーラ2本と週刊少年ジャンプ1冊。じつに気楽で愉快な日々だ。

あそこでは退屈ということを知らない。残念ながら、今回は雨と雪の日が続いて、一回しか自転車に乗れなかった。かつてクモのしゃしゃ漬けを作ったり、カエルをいじめて遊んだ末広をたずねた。30年もたつと里の様子もずいぶん変わるものだ。私が記憶している全てのたんぼがなくなり、果樹園などになっている。探検した洞窟の入口など、こまかいところはもう見つからない。

雨、雪だと冷たくて自転車に乗る気がしないので、もっぱら歩くことになる。子ども3人を連れて、みかん畑や杉林やシイカシ林の中を歩く。長女は小学校6年で、次男は小学校2年。弁当は持たないので、一回4時間ぐらいの行程を設定する。適当にやぶこぎを入れる。林が手つかずで残されているのは必ず急傾斜の照葉樹林だ。林内は暗いうえに地味が悪くて笹や柴が生えず、ちょうどいい手がかりになる細い樹がまばらに生える。どの方向にも歩いていける。雨粒があまり落ちてこないのもうれしい。

四国の山をやぶこぎするなら冬だ。そういえば、北海道だって森に入れるのは雪のあるときだけだ。夏場は林床をびっしり笹が覆うので歩けやしない。その笹がヤブ蚊とダニの巣だからさらにいけない。無理に歩くなら相当の覚悟が必要だ。

1月の四国の林をいくと、ずいぶん赤い実が多いことに気づく。下の方には甘酸っぱいイチゴやヤブコウジがある。ヒヨドリがうるさいので、なにかと近づいてみると、びっしり赤い実のついた木がある。取り残された柿の実には、メジロが群れでやってくる。実家からの半径3キロは完全に土地勘があり、この30年の環境の変遷もよく知っている。林の中にはずいぶんタヌキのため糞があり、沢筋に降りるとイノシシが泥浴びした痕跡がある。食痕やけもの道からも野性動物は数を増やしていることがわかる。子どもらも、今は環境から何かを見出す遊びを楽しんでいる。長女は来年からは遊んでくれまい。

日が暮れると、ひたすらテレビを見続けた。セイントフォーがいまいち売れなかったということを当のメンバーの一人が気づいてないことに驚いた。立花理沙がまだタレントやってるのも驚きだ。パパパパパフィーの正月スペシャルは女房といっしょに見た。二人でテレビを見るなんて滅多にない。内容は釈ちゃんたちが、金沢の料理を食べるという企画だ。二人ともよく知っている料理がずいぶん高価なので驚いた。同じ番組で、巨人の松井が10年前にカラオケで良く歌っていた女性アーチストは? というクイズに永井真理子と答えようとしたはしの!、きみは偉い。ちなみに答えはWINK 。はしのと釈ちゃんが正解。

テレビを見すぎたその夜、ある女性タレントの名前が気になって、小一時間ほど思い出し悩みをしてしまった。「そういえば、あのタレントは今年、見ないなあ」「名前なんていったっけ」「この前マネージャと車に閉じこもって微妙に揺れてたって、書かれた」「三菱石油のイメージガールで、最近は体をウリにするのを嫌がってるみたいで」「どうせ歯を直すんだったら、前歯に隙間を入れたら、もっとブラジルのロナウドに似るのに」とか。


2002.1.4 冬至の昼時間

【冬至の日の12月22日の昼間の時間が9時間45分、12月21日と23日が9時間44分になっている理由がいまだに理解できないのですが。】

という長谷川先生の疑問を受け、「そりゃたまたまでしょう」という答えでもって、先生に安心していただくために左の表を用意しました。

これは冬至の前後の日中の時間を表しています。周知のように冬至の前後に日の入り、日の出のピークがずれ、南中時刻も変わりますので、理科年表などをみても昼間の時間の変化は一目瞭然とはいかなくなります。そのために手動計算機を導入して表の数字を出しました。

図の左側の数字列は(南中時刻-日の出の時刻)右側は(日の入りの時刻-南中時刻)ということをもって、午前、午後と表記しています。単位は時間・分です。元データはたぶん去年の理科年表の東京都だと思います。

この表をながめるかぎり、冬至の前後の方が日中時間が1分短くても、それは無意味と済まして差し支えないと思います。御指摘通り、四捨五入のいたずらでしょうから。ちなみに、暦上では遅い日の出のピークも、早い日の入りのピークも冬至ではありませんが、南中時刻からみると、昼午前も昼午後の時間も冬至の付近でゆるやかに極小になっていることが認識できます。

私は暦の上の冬至の日に日中の時間が一番短くなっているかどうかは知りません。冬至の頃は黄道の端っこを太陽が行って来いしますし、一日に直径2個分も移動するので、秒単位で計算すればもっと面白いことが出てくるのでしょう。暦のことはちんぷんかんぷんで、おまけに中学高校と数学苦手で理科アレルギーだった私には、到底手に負える問題ではないのが残念です。

ついでに、なんで冬至のずいぶん前に日の入りが最も早いかということについては、「人工的な時間割に無理やり太陽を合わせるようなことをするから」と文学的に理解しています。それ以外の解釈を受け入れる寛容さは持ち合わせません。


2002.1.5 裏の川

古谷と松尾は一本の小川で結ばれている。古い地図をみると、その川は「池田川」と名づけられていることがわかる。その名を知っている人はいま何人いるだろう。とくに、なんということもない川だが、私にはとても大切な川だ。

池田川は古谷で生まれ、松尾で千丈川に合流して終わる。私の家は、南側で一本の道路を隔てて千丈川に面している。北側はそのまま池田川に接している。そのため、家族も私も「裏の川」とよんでいた。

30年前、今のようにコンクリート護岸になる以前、裏の川はけっこうな遊び場だった。千丈川よりも水が冷たく、サワガニやゲンジボタルの宝庫だった。夏にはオニヤンマが往復し、カエルが鳴いた。かなり魅力的な川だった。子ども心に、裏の川の源流を訪ねてやろうという気が起きなかった。考えてみると奇妙なことだ。


2002.1.9 鳴滝 Narutaki

裏の川の源流は古谷にある。古谷という所はわたしの気持ちの中でとても遠い所だった。じっさいは子どもの足でも歩いて1時間はかからない。それでも遠かったのは、一つには松尾と古谷の間に人家がないことがあるかもしれない。松尾から古谷まで2キロぐらいは、畑と山林が続く。人が歩く道と、自動車が通る道がそれぞれ一本あるきりだ。両方の道に電灯はまったくなくて、夜には真っ暗闇になる。そういう集落の存在は山がちで温暖な四国では珍しくない。北海道ならいざしらず、何キロもの山道を経て突然10戸ぐらいの集落が現れることは、日本では普通のことだろう。

古谷が遠いことの、もう一つの理由は「鳴滝」にあると思う。松尾と古谷の間には、鳴滝がある。岩盤が切り立った20メートルほどの滝だ。子どものことだから、当然、裏の川にそって上流を目指す。鳴滝まではなんとかこぎ着けるものの、あれは越えられない。つるつるして取りかかりがなく、ほぼ垂直の滝なんて登れるわけがない。挑戦しようとしたやつさえいない。

鳴滝には神社がある。急斜面の岩盤を削って階段を作った一本の道が神社に続いている。終点は鳴滝のその脇にある小さな社だ。神社があるくらいだから滝の回りの木々も大切にされている。カシや杉のでかい樹が茂り、岩はマメヅタが覆い、昼なお暗い。巨大なヘビの言い伝えもきいており、子供心にはけっこうおっかない所だった。

ちょうど鳴滝の下は私の家の土地であり、段々畑を作って果樹を栽培していた。だから、鳴滝まではしょっちゅう出かけていた。良く知っているのはそこまでで、鳴滝を越えてその上に行くことはなかった。鳴滝の上にまだ人の住む世界があることを、精神的に受け入れられなかったのだ。目でその実物を見ても鳴滝の上にまだ裏の川が続いていることを信じていなかったと思う。裏の川は鳴滝ではじまるのだ。


2002.1.10 神木

松尾から古谷にかけて、もっとも多い樹木はミカンだ。ミカンの畑を主として、松杉の人工林、竹林、そしてシイカシ林がパッチ状に山の斜面を覆っている。このあたりは、遷移の考え方からは極相が照葉樹林であるといわれている。その目で眺めると、シイカシのうっそうとした林があるのは、段々畑すら作りにくい急斜面であることに気づく。

松尾の西の丘は60度はあろうかという急斜面である。そこに大小さまざまのシイカシが生えている。おそらく数百年は斧が入っていまいと思われるが、けっして木は太くない。地味も日当たりも悪いので、木が大きく成長できないのだ。林床は極めて暗く、低木はほとんどない。だけど、歩くのはおっかない。足を踏み外して落ちようものなら百メートル下の道路まで一気に落ちそうだ。木はあっても止まるまい。釘にあたって跳ねながら落ちていくパチンコ玉のように、幹や根っこにぶつかりながら落っこちるだろう。

わりと小柄な木が多いなかで、ひときわ大きく広く枝を伸ばしている一本の木がある。私はその木をみあげながら育った。その木の周囲には近寄りがたい雰囲気があった。神や妖怪や、そのたもろもろこの世のものではないやつらの住み家だと真剣に思っていた。

ある人が、縄文時代以降に西日本の照葉樹林が急速に開発され失われたのは、気色悪さを一掃するためではなかったかといった。確かに化け物の住み家を放置しておきたくはないだろう。しかし、斧を入れるとこ反撃をくらうことになる。祟りだ。

30年ほど前に、その急傾斜の林が切り払われたことがある。一年もたたないうちに地滑りが起きて、あやうく下の家が土砂に埋まってしまうところだった。そうした災害の因果関係は明らかだが、この世では原因がわからず、人の力ではどうしようもない不幸がごく普通に起きる。その原因は何か尋常ではない行いの祟りとしか言いようがないだろう。化け物の住み家を荒らすからには慎重でなくてはなるまい。

小さな森が残っていれば、そこは大抵いわくがある。災害かたたりか、またはその両方を畏れて、シンボリックなものをまつることになる。そして、もともと不気味な場所がいっそう不気味になってくる。

まだら模様の太くて立派な木を見つけたら神の住み家だったりする。こういう世界が私の自然観の根本にある。ふるさとの木や岩や水、それらと古い時代の人との関係がつくりあげた景観によって私の心は育てられている。


2002.1.11 棚田

裏の川がつくった平地はごくわずかだ。松尾にある平地のうち、幅50メートル、長さ200メートル程度が裏の川によって堆積した平野だとおもう。その平野は現在、宅地とみかん畑に利用されているが、30年前まではかなり田んぼがあった。

裏の川にも数本の支流がある。幅50センチ、深さ3センチぐらいの流れだ。そうした流れをたよりに、非常に斜度のきつい山にも棚田を切った。田植えや稲刈りなどのときには子どももかりだされた。非常につらくて非効率な仕事である。ああまでしても、戦後の食糧難回復のため主食である米の増産は望まれたのだ。

ところが、1970年代から状況は一変し、米があまり生産者米価が消費者米価を大きく上回るようになってくる。そして、政府は減反を命じ、転作を奨励する。八幡浜で転作に向いていた作物はみかんだ。かくて棚田を段々畑に変え、みかんを栽培することになる。私の家でも、農地のほとんどを各種のみかん類で埋めている。

写真のみかん畑も、かつては田んぼで、しんどい田植えをやった覚えがある。春の代掻きのときは、ケラやクモやドジョウやらで田んぼがわきかえり、命の息吹を感じたものだ。また、写真の中央を斜めによぎる水路はゲンジボタルの宝庫で、水路に沿って光の帯がみえたほどだった。


2002.1.12 雑木林

裏の川の流域にはいわゆる雑木林はない。

雑木なら松尾、古谷にもある。私はよく落ち葉集めをやらされた。一年中緑の濃い松やシイカシだって定期的に葉を落としている。よく意味もわからず、ワラで編んだ篭に松やコナラ、カシなどの葉を積めて山から持ち帰っていた。ばあさんはそれと鶏の糞を混ぜて堆肥を作っていたのだ。裏の川の流域に住む人間はざっと百人、戸数では30戸ほどであるから、わざわざ雑木林を作らなくても、普通の二次林があれば薪や堆肥の用途に足りるのだ。

関東地方では農村の利用のほかに、都市の燃料として大規模な林が必要だった。関東平野はおそらく、夏緑樹林と照葉樹林の境にあたるはずだ。それなのに、コナラの純林かと思われるような林が残っている。人が作らなければ、こうはならない。薪炭用にはコナラやクヌギのほうが適しているらしく、照葉樹は捨てて選択的にコナラ、クヌギが植えられている。江戸がなければ関東平野には雑木林という人工林は不要だっただろう。

写真は一番下がみかん畑、散水機もモノレールも完備した最新式のもの。中央が雑木の二次林。上が30年ぐらいたっている桧の植林地だ。雑木のなかでひときわめだっているのがコナラ。八幡浜あたりでは、紅葉は12月ぐらいにもっとも赤くなり、コナラも同じころに茶色くなる。個体差はあるが、コナラの葉はおおむね冬の間は木に付いたままである。夏緑樹の葉の落ち方には緩やかな規則性があり、寒冷な地域のほうが速やかに落ちるようだ。

有名なブナは東北の山野では11月にはすっかり裸になってしまう。関東地方の平野に植えてあるブナは、強い風にも負けずに冬中葉をつけている。関東のコナラはもうすっかり裸になっているが、四国では葉が残っている。個性にバリエーションがある集団は強い、ということは何も人間社会だけに限らない。


2002.1.13 折り返し点

いよいよ、鳴滝の上に立った。私は裏の川が鳴滝で始まっていると信じているので、この写真中央を流れている川は裏の川とはなんの関係もないと思っている。だから、その川はここからは池田川と言おう。この奥に見える緑の丘を越えた所に古谷はある。それまでは畑も乏しい山林だ。この景色が古谷を遠く感じさせている一因でもあろう。

私は夏になると、奇妙な情熱に突き動かされて松尾を一周するのが日課だった。ときに捕虫網と三角紙をもって、ときに虫篭をもって、ときにヤクルトの空き瓶をもって。ちょうど、この景色で見えている範囲が折り返し点だ。八幡浜でも、少し標高が高いところではミヤマクワガタがよく捕れるようになる。チョウも特段面白いものはいないが、少しずつ見つかる種類が増えるだけで楽しかった。そしてここには特別な期待をいだかせるスポットがあった。

ここの左手に、池田川に合流する流れをせき止めたため池がある。30年ほど前に作られたもので、目的は鯉の養殖であったらしい。今年は久しぶりに訪ねてみたが、鯉の姿はなかった。この池は私にとっては非常に貴重な場所だった。松尾には乏しい止水棲の昆虫が捕れたからだ。なかでもゲンゴロウの大型のタイプはこの池でしか捕ったことがない。八幡浜市ではナミゲンやガムシは数年に一度、灯火に飛来しているのが見つかったので生息はしていると思われた。しかしながら、ほぼ絶滅状態で多産する池は見つかっていなかった。ちょうどこのような山中の小さなため池でほそぼそと命をつないでいたのだろう。私は期待に胸踊らせて何度も何度もこの水を覗き込んだものだ。


2002.1.16 古谷の子ども

古谷は10戸ほどの部落で、子どもは千丈小学校に通っていた。3キロほどの山道は子どもの脚にもそれほど辛いものではないだろう。ただ、当時の私は古谷がひどく遠く感じられていたから、ずいぶんたいへんだなあと思っていた。ちなみに、私の家から小学校までは歩いて30秒である。玄関を出て、幅8メートルの道路を渡り、さらに幅20メートルの千丈川を渡れば、そこは小学校なのだ。

概念図にあるように、古谷からは高野地の長谷小学校に通う方がはるかに楽だ。距離は1キロほど、標高差もあまりない。写真は古谷と高野地の中間から高野地方面を撮ったもの。中央左の青い屋根の建物が長谷小学校だ。近い学校があるのに、古谷の子どもはなぜか千丈小学校に通う。

古谷はけっして貧しい所ではなく、過疎ですらない。全戸が古くから続く家系で広い山林と畑をもっている。過疎化しようにも商店や学校などといったものがもともとないのだ。南向きのよく日が当たる丘の斜面は果樹の栽培に適している。古谷に産まれれば人生勝ったも同然だ。

古谷の子どもたちは面白い通学をしていた。鳴滝を越えて家に帰るときに、ショートカットの山道を歩かず、くねくねと遠回りする自動車道路を歩くのだ。そうすると、一時間も歩いているうちには、誰かが車で通りかかる。古谷は全員が知り合いだから、大人はどこの子でも拾って古谷に帰る。そうしたことは、古谷だけでなく松尾でも普通のことだった。池田川の流域に住む人たちは全員が私を知っている。だから、昆虫採取や山登りのトレーニングで、その辺をうろうろしていると、車が来るたびに「乗っていかないか」と誘われる。あれには、ちょっと閉口していた。


2002.1.17 年賀状

私が年賀状を毛嫌いしていることはいうまでもない。年々その傾向が強くなっているのは言わずもがなだ。今年は年賀状を一枚も出さなかった。出さない年は何回かあった。ただし、来たものに目を通さなかったのは今年がはじめてだ。


2002.1.19 感じ方は人それぞれ

感じ方は人それぞれであると断言しよう。たとえば「赤」は、誰にも同じ赤に見えているのか、という問いには否と答えよう。人それぞれの色の見え方には、肌の色ほどには差はないが、背の高さぐらいの個人差はある。私にはそう断言する資格がある。

なぜなら、私自身で、同時に同じ対象を見ても色が違うから。私の左目はものを青く見る。対して右の目はものを黄色く見る。左右の目でトーンカーブが違い、色温度も違う。同一個体でこれほどの差を呈しているのだから、個体間の差はもっと大きくても不思議ではない。

虹の色数が民族によって異なるのは有名な話だ。また、色の知覚が言語に依存して発達することもありそうだ。日本語は緑と青の中間の色にめっぽう弱い。青緑や緑青は日常では使用されない。コバルトとかターコイズとかいわれても、「ああそう」ってなもんだ。「きみどりみどりあおみどろ」というのは混沌を象徴する呪文だ。

現代国語には青と緑の混ざった色を区別する単語がないから、信号は青か緑かわからない。セーラムライトのイメージカラーを青という人もいれば、緑という人もいる。ハイライトの上に貼ってある紙を緑という人もいるが、あれはパッケージが青だから緑に見えるだけで、緑の中にあの紙を置けば全員が青といった。

ところが、その微妙なところを完璧に見分けることができる人がいる。わが美人妻もその一人である。下の写真を見て欲しい。我が家5人の使っている歯ブラシを撮ったものだ。これらは似ているが全部ちがう製品である。家族の個性を吟味して彼女が用意した結果こうなったのだ。よーくみると色も違うことがわかる。ただし、普段は薄暗い洗面所で乱雑にコップに挿してあるだけだから、私にはさっぱり区別がつかない。一番上と一番下はなんとかわかるが、不幸なことに私のは中間のやつなのだ。右目で見ればいいのか左目で見ればいいのか。

歯ブラシ

歯ブラシをこういう風に買ってくるからには、彼女にはきちんと白黒ついているに違いない。彼女には青緑と緑青なんて、黄と赤ぐらいに違うのだろう。まあ、買い換えなきゃなんないほどのことでもない。何か印をつけるとか、工夫をすれば次回からは迷わずに済むはずだ。というように毎回迷い、毎回むっとして、毎回決心して、毎回忘れている。そんなことをもう一か月も続けてしまった。

三つ以上のことを記憶できない私。いつのまにジェイル・ハウス・ロックのスタンド攻撃をくらったのか。いますぐ左手に書いておいたほうがいいかもしれない。歯ブラシに印をつけろ! その前にこれをプリントアウトしておこうか。そういえば、プリンターはつながってなかったな。たしか、スキャナをつないで片づけたんだ。ケーブルをどこにしまったかな? そういえばさっき水をこぼしたぞ。ところで、なんでプリンターがいるんだっけ?

かくて、明朝、歯ブラシを前にイライラする私がいる。


2002.1.20 中央構造線

飛行機に乗って福岡まで日帰りで遊びにいく。まずまず天気の良い日で、雲がよく観察できた。今回はとくに巻層雲が見られたのがよかった。羽田から飛び立った飛行機は高度1万メートル以上に昇っていく。高度9500メートル付近にぼんやりした雲の層がある。横から見ると灰色のベールのようだ。高度や形から見て巻層雲に違いない。1万1000メートル、雲の上にでて見下ろすと、雲が透けて地上が見える。雪をかぶった山脈があるので、下が透けていることがわかる。この雲の厚みは200メートルほどだろう。

地上からではいまいちはっきりしない雲の高度が、飛行機からだとはっきりわかる。特にJASがよい。私はスッチー目当てで必ずJASに乗る。スッチーがハズレでも、JASの777型機なら雲観察キットがついている。座席の背もたれに、もれなく小さな液晶モニターがある。そこには、地図に合成されて飛行機の現在位置が表示される。さらに、高度、速度、外気温が刻々と写される。チャンネルを変えれば、飛行機から下を撮っているカメラの映像も見られる。そういう設備があるから、高度700から900メートルに積雲、9500メートルに巻層雲というように、雲の層構造がはっきりわかる。

福岡からの帰りのコースは圧巻だった。佐田岬半島の北から、松山、西条をへて吉野川の上を真っ直ぐ飛んで、淡路島の南をかすめ、紀ノ川、伊勢神宮、知多半島を通る。まさに中央構造線の遊覧飛行だ。座席のモニターは選んだように、石槌断層崖、吉野川、紀ノ川をつぎつぎに写して流れていく。ヘリコプターをチャーターして、これをやったらいくらかかるかを計算してずいぶん儲かった気になった。

中央構造線はナイフで切ったようにまっすぐ大地を削っている。あまりにも不自然で人工の臭いさえする。地上で暮らす人間の時空感覚ではとらえられない大地のダイナミズムの極端な現れだ。日本列島の下で地球のエネルギーがうごめいている。ジェット旅客機のスピードと高度によって、その一端を垣間見ることができる。


2002.1.21 下位日記なのか

日記才人では、マイ日記才人経由で登録日記にたどり着いた数を今日のアクセスランキングとして発表している。それを見て複雑な心境になった。

私はこの一年ほど、天地無朋の日記才人経由アクセス数を記録し続けている。日記の値打ちは得票数とアクセス数で決まると信じているからだ。天地無朋の「今日のアクセス」は10件ぐらいで一定している。そのデータから、天地無朋をマイニッキ才人に登録しておられる方は7人と断定している。また、readmej.comでのアクセス数は20件ほどなので、マイニッキ才人に登録せずに天地無朋を読む人が一日あたり8人はいると断定している。得票数に至っては平均で1日5件もある。毎日2人は投票してくれていると断定できる。日記才人のランキングでは天地無朋は200位ぐらいで、数年前から変わっていない。

これらの数字はまずまずと言ってよい。天地無朋は成功していると思っていた。

日記才人はものすごく繁盛している。登録数は16000以上、日々の更新報告は1000件もある。だから、ウェブ日記というのはけっこう人気があるんだと思っていた。天地無朋が段違いに面白い読み物なのに200位なのは日記才人隆盛の証拠、どの世界にも上には上がいるのだから、現状でOKと思っていた。

それが、「今日のアクセスランキング」をみて愕然とした。上位日記の得票数でも100ぐらいなのは仕方がないとおもう。つまらないからだ。特にこの半年ほどは、それはそんなもんだと思っていた。投票可能で投票に値する日記が少ないことは納得できるが、上位のアクセス数が小さいのはどういうことだ? 一日200件というのはあんまりじゃないか。これは、面白いとかつまらないとかで片づけられる問題ではない。

それに、「今日のアクセスランキング」の総数の小ささは何だ? 目算したところ、一日3000件である。3000件ならば、日記才人にかかわっている25000人のうち、マイニッキ才人を使うマジな人は200人しかいないと断定できるだろう。新作リストから順繰りにたどるというのはもはや実用的じゃない。得票ランキングからたどるのも馬鹿らしい。マイニッキ才人が一番使えるツールのはずだ。それなのに200人。

私は思い直さなければならない。天地無朋を楽しみにする人は絶対にマイニッキ才人を使っていると断定できる。ランキング上位の人は当然使っているだろう。ということは、200人のうち200位なので、天地無朋は下位日記といわざるをえない。どこかで計算を間違えていると信じたいが。


 
2002.1.24 オオミノガ

ふつうにミノムシというと、オオミノガの幼虫とその蓑を指すことが多い。私が今の職についたのも、オオミノガのおかげと言って過言ではない。8才のときに、「ミノムシは鳴くときいて、ずっと観察をつづけたけれども、ついぞその声をきくことはなかった」というのをテレビで見て、いたく感激したのだ。

ミノムシが鳴くというのは、枕草子の四三「みのむしいとあわれなり....」というところで有名だ。いまでは別の意味で哀れなことになっている。どうやら日本から消滅しかけているらしい。困ったものだ。

ミノムシは私にとって、命の恩人である。今の私があるのは、いろいろな虫のおかげだ。なかでもミノムシはベスト3に入るビップだ。おそらくなるだろうと思っていた百姓にはなれないことを早くに知り、あこがれの競輪選手やプロゴルファーの道も13歳になる前に手が届かないことを思い知らされた。商売人は私の天分からは最も遠い職業だ。職人は天分もありそうだったが、根性が足りなかった。父親は私に軍人になることを勧めたが、戦争は嫌だった。

結局、なんとなく日々の生活に流されて、高校に進学した。大学に行って「うまくいっても田舎大学の教授ぐらいがせいぜいかなあ」と覚悟を決めかけたときに、35年前に見たミノムシを思い出したのだ。職人の天分とミノムシで勝負できる仕事もある。

やつは恩人である。その恩人がひどい目にあっている。虫けらのこととはいえ、ちょっぴり悲しい。


2002.1.25 ベニシジミを見ない年

オオミノガが急速に姿を消したのは、この10年のことだという。無数に生息していたはずの虫が数年でいなくなるというのは異常なことだ。私もこの20年ばかりオオミノガを見た記憶がない。確かにいなくなっているという実感はある。

ただし、「見ないからいなくなった」と決めつけてはいけない。なにしろ、私は去年ベニシジミを見ていないのだ。ベニシジミなんてチョウはそれこそ普通にいるチョウで、姿も特徴があって、いれば絶対気づくチョウだ。去年の5月頃、ベニシジミを見ていないような気がして、注意してみた。しかし、それ以来ずっとベニシジミに会うことなく冬をむかえている。どうやら、この大和市ではベニシジミは珍蝶らしい。ミノムシも注意して探しているのだが、見つからない。オオミノガはおろか、小さいミノムシもみつからない。

オオミノガの消滅はとてもミステリアスだ。その理由を知りたいものだ。オオミノガがいなくなるなんていう異常事態がそばで起こっていながら、また、薄々そういう噂を聞いていながら調査できなかったのは残念なことだ。今となっては調査をすることは難しい。


2002.1.26 ミノムシの基本生活

大和市は乾燥したところが多いせいか、ギシギシが少ないので、ベニシジミを見ないのもそのせいだと思っていた。京都盆地でも少なくなっているということだから、もっと注意して見ておく必要がありそうだ。

ミステリアスなオオミノガ消滅の秘密を知るには、とうぜんオオミノガ自体のことを知っておかなければならない。ミノムシ一般は非常に特異な生態をもっている。ミノムシの特徴はメスにある。メスは成虫になっても、翅ができない。蓑の中で交尾をして、蓑の中に千個の卵を産む。交尾産卵期は初夏だという。オスはメスの臭いをたよって遠くからも飛んでこれるらしい。ミノムシは一生一年という日本の虫らしいサイクルを持っている。夏に生まれ、秋まで育ち、蓑の中で越冬して、春に蛹になり、夏に羽化する。

オオミノガは極めて広い食性をもち、多様な植物を食べるという。私の記憶では、バラ、柿、クヌギ、桜、ハンノキなどがある。特に、ビワにもミノムシがついていて驚いたことがある。

以上のようなことから、ミノムシはけっこうたくましいが機動性はない虫だということがわかる。メスは飛べないから、分布の拡大は難しい。もっぱら脚に頼る移動では、一年に100メートルほどがせいぜいではないだろうか。基本的には移動したがらず、母親の食べていたのと同じ木をせっせと食べるのだろう。ただ、千個の卵から孵った千匹のミノムシが一本の木にたかっているのは見たことがない。記憶では、一本の木に数個の蓑、という感じだから、死亡率が高くなければ、けっこう移動したがり屋なのかもしれない。


2002.1.27 寄生虫

ひとまず、伝聞でミノムシ消滅の原因を考えてみる。 オオミノガがやられたのは、Nalosomya rufella(オオミノガヤドリバエ)のためだ。もともと日本にいなかったのが、10年ほど前に海の向こうから渡ってきた。オオミノガヤドリバエは寄生虫(内部捕食者)で、オオミノガを体の中から食ってしまう。ほかの寄生虫の例にならって、オオミノガ専門でチャミノガは食べない。そいつが、ものすごい勢いでオオミノガを食いつくしたのが、ミノムシ消滅の原因だという。

寄生虫は大抵のイモムシ、毛虫、青虫にとって脅威だろう。体の中に入られたら万事休すだ。やられたら絶対に助からない。そこが、人間や牛豚の寄生虫とはちがうところだ。キャベツ畑のモンシロチョウは、ほぼ100%蜂に食べられている。あれだけ食べられてもモンシロチョウは無数にいるのだから、それなりにバランスは取れているのだろう。エゾシロチョウは集団で発生する。寄生虫にやられないときには、それこそ木に白い花が咲いたように群れる。それも1年か2年で、すぐに寄生虫がやってきて、真っ黒になった幼虫の死体が枝という枝をびっしり覆うことになる。青虫、毛虫の消長には寄生虫が大きく関係している。

オオミノガの天敵、オオミノガヤドリバエは新しい寄生虫だから、オオミノガの備えもなかったろう。オオミノガヤドリバエの天敵もいなかったろう。それが、オオミノガ消滅の原因であることは間違いない。ただ、10年で消えたことには、数々の悪条件が重なったはずで、新聞などで報告されていることだけでは消化不良が起きる。


2002.1.28 成功の理由

何億といたはずのオオミノガをわずか10年で消滅寸前にまで追い込んだのだから、オオミノガヤドリバエの寄生の方法は非常にすぐれているはずだ。ミノムシは防御にたけた虫だから、その守備のすきをうまく突破する方法を持っているのだろう。そこが今一つよくわからない。

そのハエのことはウェブや新聞では詳しい解説が得られない。一般向けではないからだろうか。ウェブの写真を見る限りでは、普通のハエのようだ。一匹のミノムシは30匹のハエを養うらしい。高知大学で行われた研究のサマリーによると、オオミノガが若い幼虫のときに寄生し、7月の早いうちに蛹になるということだ。

寄生の方法は、九大の研究などによると、食草に産みつけるものらしい。簑を持っている虫が相手なのだから、簑の中にでも産みつければよさそうなものだが、そうはしないという。食草に卵を産んでおいて、ミノムシが草と卵を一緒に食べると体内で孵化してミノムシの体を食う。

ハエのライフサイクルは、夏から秋に羽化で、年一回発生か、またはミノムシの簑の中で蛹がちゃっかり冬を越して春に羽化だろうか。産卵のタイミングは難しいが、秋か春先のミノムシが草を食べはじめる直前だろう。秋産卵だと、卵越冬、春産卵だと成虫または蛹での越冬ということになる。

一般に寄生虫の大勝負はなんといっても産卵だ。オオミノガヤドリバエの場合は、ミノムシに直接産むのではなく、食草に産むということで成功したのではないだろうか。直接産むためには、オオミノガをピンポイントで探し出さなければならない。かなりの鼻が必要だろう。また、鼻がいいならいいなりに、ミノムシの生息密度を考えると、一匹のミノムシに多数のハエが殺到して共倒れにならないとも限らない。


2002.1.29 産卵のタイミング

高知大学の報告は、ハエが春のミノムシに寄生していることを示している。食草への産卵ならば、ミノムシがハエの卵を食べるのは春だ。この出会いは確実にある。そして寄生バエが産卵するタイミングは2回あることになる。前年の秋〜冬か、その年の春〜夏か。

この2つのどちらを選ぶかによって、オオミノガが年一回の発生で幼虫越冬だから、大きな違いが生じる。秋に産むとすれば、そのときオオミノガはずいぶん大きくなっている。そのミノガに食べられるわけではないのだから、オオミノガが食べるのをやめて越冬に入ってから産むのが合理的だ。寄生バエは越冬中のオオミノガを見つけ、その周辺に産卵することになる。そのミノムシはメスがよい。メスならば、その蓑の中に卵を産み、春には千匹の子が孵るだろう。あとは葉っぱといっしょに卵を食ってくれるのを待つばかり。

秋〜冬産卵で問題になるのは、ハエがどこに卵を産むかだろう。オオミノガは落葉広葉樹を食べることが多い。常緑樹を食べるとしても、若くて新鮮な葉を好むだろう。ミノガが越冬状態にあるときには、そういう葉はない。産卵場所がなければ秋〜冬の産卵は難しいかもしれない。

寄生バエが春〜夏に産卵するとしよう。産卵の場所は、当然のことながら新鮮な葉っぱだ。いかにもミノムシが好みそうな葉っぱだ。タイミングはいくつかに別れる。

1)ミノガが蛹のとき
2)成虫のとき
3)卵のとき
4)幼虫のとき

1)、2)のときはメスのオオミノガを見つけるのが合理的だ。オスのオオミノガはメスを探してどこかに飛んで行ってしまう。3)4)ができるならそれに越したことはない。 寄生バエがオオミノガを見つけるのはどうするのだろう? もっとも合理的なのは臭いだ。ミノムシは鳴かない、目立たない。ハエはオオミノガに特有の臭いを辿って見つけるのが容易だろう。もともとハエは臭いを嗅ぎつけるのが得意だ。

ミノムシは特異な臭いを使う。メスとオスが出会うために、メスはフェロモンを発散する。オオミノガヤドリバエはそのフェロモンを感知すればいいのだ。ミノガにとっては不幸なことにメスに移動の能力がない。オオミノガでは、冬〜春にメスがいる木で子が生まれるのだ。ハエは何者にもじゃまされることなく、ミノムシの回りに卵を産み放題である。もしかしたら、狙っていないミノムシだってそばにいるかもしれない。おそらくハエの産卵数も多いのだろう。その99%は無駄になるかもしれないが、寄生する相手の虫に直接産むよりはずっと楽な仕事のような気がする。


2002.1.30 弱点

昆虫が翅をなくして生きているというのはよほどのことだ。昆虫は節足動物で唯一翅を持ち、翅によってムカデやエビと一線を画している。オオミノガのメスはいったん翅を持ち、その後、翅を捨てたのだろう。翅を捨ててもけっこううまいことやれている。やつには蓑がある。

広く動物界を見渡せば、昆虫は素早さと繁殖力で勝負する生き物だといえる。個々の昆虫はドラクエのキャラと同じく、種ごとに、すばやさ、防御力、かっこよさなどの数値が異なっている。そんななかで、オオミノガはあえて防御力を鍛えた虫だ。動きはのろいが着実に生きるやりかたを選択している。蓑を作るという習性はけっこう特異だ。メスが羽を失っても生きてこられたのは、蓑のおかげだろう。蓑は内外の捕食者から身を守ることにも役立つだろう。そして、何でも食えるたくましさをあわせ持つことで、成功した生命デザインの一つになった。

昆虫のメスが翅を失うということは大英断である。飛ぶことをあきらめれば、卵を産むことにそのエネルギーをつぎ込むことができる。しかし、外敵によって生命を失う危険は大きく、食物不足はすぐに致命傷になる。ミノムシは結果的に見れば、機動力がなくても生きる力を身につけていることになる。その生き様は過去数万年にわたって、日本で成功をおさめてきた。特に最近では、自然の山野よりも庭木や畑、街路樹のほうでその姿が目立つように、人工的な環境にもみごとな適応をみせていたのだ。

それが今や瀕死の状態だ。専門家によると昆虫が寄生虫によってこれほど急速に衰退することは類がないという。オオミノガが消滅することは、オオミノガヤドリバエにとっても不本意で、彼らは彼らなりに、ミノムシには繁栄してもらわなくては困るのだ。ハエの祖国では、お相手のミノムシもそれなりにうまいことやっているからこそ、ハエも生き残って来られたのだから。いまの消滅騒ぎは日本のオオミノガに特有の弱点があるから起きたのにちがいない。


2002.2.1 アドバイス

寄生バエはミノムシを見つけるのが大変上手らしい。しかも、ミノムシにくらべ圧倒的な機動力を持っている。帰化動物ならば上陸点は多くないだろう。それが10年で西日本一帯にくまなく拡がるためには、一回の繁殖で百キロは分布を拡大しなければだめだ。生まれた所から100キロも離れた場所に飛んで行って、そこでミノムシ(フェロモンを出しているメスのオオミノガ)を見つけるのだから、たいしたやつだ。ミノムシはそうとう分が悪い。

日本のオオミノガには、見つかりにくいメス、寄生バエにたいして透明なメス、というのがいないのだろう。ハエとの軍拡競争を経て進化したわけではないのでしょうがない。さらに悪いことに、ミノムシの宿命として、復活に時間がかかるという弱点がある。メスは自分の育った木でしか産卵しない。ひとたび寄生バエによってある地域から全滅させられたなら、そのぽっかりあいた空間を埋めるのに何十年もかかってしまう。

ミノムシにシンパシーの強い私としては、ここいらで一つミノムシに踏ん張って欲しい。何でも食うこと、蓑を作ること、という得意技をフル活用して勢力挽回をはかって欲しい。

翅を捨てたオオミノガにも、ただ一回、大移動の旅に出るチャンスはある。あんな立派な蓑を作れる彼らなら、子虫のときに糸を使ってクモのように大空を舞うだけの器量はあるはずだ。幾多の植物食昆虫なら、生まれた食草から離れるのは飢え死にを意味する。しかし、オオミノガは何でも食えるのだ。新天地を目指して飛んで欲しい。いまや、生まれた所の食べ物には恐ろしいハエが地雷のような卵を産みつけている。生まれてすぐにそこを飛び立てば自分が助かる確率が高くなるだけでなく、確実にハエを殺すことができるのだ。

空に旅立つのは勇気がいることだろう。糸の操作は難しいだろう。はじめはうまく飛べない子どもがどんどん死ぬかもしれない。それでも世代を重ねるうち、飛ぶのが上手な子が増えていくだろう。オオミノガは一齢幼虫のときにとりあえずみんな飛ぶ。そういう決まりにして欲しい。あとは寄生バエと追いかけっこしながら、仲よく暮らしていけばよい。


2002.2.2 超常現象に弱くなる

プラスチックのケースに入れられた干し柿が農家から届いた。今年はずいぶん乾燥しすぎて、小さく真っ黒になってしまった(笑)、というような但し書きがそえてある。確かに小さい、一見すると、プルーンかしなびてかびた巨峰のようだ。見かけは悪いが味はよい。私はどちらかというと、能登半島のころ柿のような柔らかくて甘いやつよりも固い方が好きだ。

さっそく1ダースほどを食って、ケースを放置していたら、こどもらが虫がいると騒ぎはじめた。どれどれと見ると、ケースの縁を1センチほどの虫が歩いている。小さなミノムシだ。ちょうどミノムシのことを考えているときに、ミノムシがやってくる。こういうのを暗合(シンクロニシティ)と言いたいところだが、最近めっきり超常現象に弱くなっている。このタイプのミノムシは柿でよく見る。秋の終わり、柿の実に尖った蓑を逆立ちさせ、キセルガイのようにしているのをしょっちゅう見ている。干し柿に混じっていても奇妙ではない。

ミノムシのことを考え、ちょうど連載が終わったところにミノムシが現れる。こういうことは確率的には起こりえないほど小さい。しかしながら、いくら小さくても、たかだか確率で説明のつくことなら奇跡とはいえない。


2002.2.3 庭に来る鳥

今日の雨はある程度予想がついていた。神戸からのぞみで帰る途中、夕方の雲が少し怪しかったからだ。数種類の巻雲が上空で交差し、帯状の雲が東西に伸びている。天気はよく、午後6時前に残照にはえる紫の富士山が見えた。もう少し早ければ、すばらしい赤富士が見られたかもしれなかった。ずいぶん日が長くなり、陽射しも一日一日力強くなっている。

朝からけっこうな雨なので、鳥達もあまり来るまいと思っていた。ところが、入れ替わり立ち代わり小鳥がやってくる。シジュウカラとメジロが主で、ときどきスズメも混じっている。メジロのめあては梅の花だ。雨に濡れた梅の花をしきりにつつく。ひとときもじっとしていない。飛び立つとき、盛りを過ぎた梅の花びらが、はらはらとこぼれる。

シジュウカラはヒマワリの種が目当てだ。エサ台から少し離れた枝に種を運んで、かつかつとくちばしで割って食べている。必ず、両足で種を押さえているようだ。暗すぎて写真にはならないので、もっぱら望遠鏡で観察する。鳥は濡れていないようで、濡れている。水は肌にまでは達していないのだろう。

大型のペットボトルに入れたヒマワリの種が目に見えて減っていく。パンなんかを置くと普段は来ないオナガが目ざとく見つけてやってくる。野鳥達にとってはいまが一番食べ物に乏しいときだろう。天気のいい日には、大きな桜の木に止まって、ヒヨドリやキジバトが羽づくろいをしているのに、今日は全然やってこない。


2002.2.5 寝不足

このところすっかり寝不足だ。ケーブルテレビがスペインリーグの放送をしっかりやっているからだ。あのサッカーは面白くていけない。FCバルセロナ、レアルマドリード、デポルティーボの試合は毎週放送するようだ。技術や戦術だけでなく、「これは見なくていいな」というカードがないので、週に3試合ぐらい見てしまう。

FCバルセロナは今シーズン、弱いのか強いのかさっぱりわからない。下位のチームに完敗した翌週にアウェイで6点とったりする。レアルマドリードはとんでもなく強いチームのはずが、最近またおかしい。特にフィーゴが良くない。ポッセやタムードが元気なイスパニョールに完敗をくらったりする。カードの当たりはずれの予想がつかないのがスペインの特徴か。

生放送だと、月曜の朝4時半とかのキックオフなので、ちょっと付き合いきれない。それで、ビデオに録ることになるが、見はじめるのが24時頃になるから寝不足だ。そういえば、またオリンピック。また飽きもせず見るような気がする。特に、クロスカントリーは美女ぞろいなので目が離せない。夏見 円がすごくかっこいい。


2002.2.6 はんかくさい

北海道にいたころ、横恋慕していた美しい女性から、しょっちゅう「はんかくさいヤツ」といわれたものだ。その「はんかくさい」ということの意味はよくわからない。あっちのネイティブではないので。どのみちいい意味のことばではないだろうが。

「はんかくさい」のはともかくとして、このごろ私は「うんこくさい」ので困っている。原因は鼻の穴のできものだ。ニキビのようなものができて、鼻くそができる。その鼻くそがうんこの臭いがする。かなりの悪臭にもかかわらず、すぐに順応して気にならなくなる。考えてみれば、ずっとうんこを鼻につっこんでいるようなもので、全くよく辛抱できるものだ。感心至極である。

ふだんは気にならなくても、顔を洗って鼻をこすったりすると、とたんにプーンと臭ってくる。その悪臭は一瞬自分のものとは思えないので、その出所を外に探してしまう。右を向けば右から臭い、前に進めば前から臭うので、やっと自分のことだとわかる。そうして妙に納得して感心している私がいる。

私のこういう行動と「はんかくさい」という単語がきれいに符合している。たぶん、こういう意味だ、きっと。


2002.2.7 クモが来る

クモ

何が苦手といって、寒さほど嫌なものはない。冬はつらい季節だ。今年の冬は短くて、3週間ぐらいしかなかったので助かった。ここのところ、まるで春も本番の陽気で、空気が白く、陽が黄色い。

毎年、夏が終わるたびに、春なんて来るんだろうかと暗澹たる気分になっているのだが、2月になると決まってぐーんと春めくから不思議なもんだ。春は、「なる」というよりも「来る」という表現がふさわしい。空気が冬から春に変わるのに、1日か半日、たぶん数時間ぐらいしかかからないだろう。

そして、ついに今日はクモが来た。年が明けてから、ぜんぜん虫が寄らなかった玄関にクモが来た。空気が変わったぐらいではちょっと不安なところもあったのだが、これで安心できる。冬は終わったのだ。これからは冷えても、それは寒い春。


2002.2.9 勝つが負け

私はとても知識があって知恵もあるのだが、口下手である。ものをちゃんとしゃべれないので、言い争いになるといつも黙らざるをえない。それでせっかくの知識や知恵を論敵のために活かしてあげることができない。私に勝つ人は哀れである。勝ち誇ったやつに何をいっても無駄だ。かれらも議論に負ければ有益な情報も得られただろうに。

というようなことを、いつもいつも感じているので、馬鹿には気をつけることにしている。この世の中には私より口下手なヤツがごまんといる。何をいっているのか要領を得ないヤツ、場の空気が読めないヤツ、質問に対してピンボケなこたえを返すヤツ、そういういっけん馬鹿に見えるヤツは要注意だ。

ちゃんと賢こく見えるヤツは、放っておいてかまわない。きちっと物を言うヤツは、言ったことの3割ぐらいの仕事はできる。先の仕上がりが読める。しかしながら、馬鹿を判定することは難しい。りこうなヤツも馬鹿なやつも馬鹿をするので、馬鹿をするヤツ=馬鹿ではない。

私の回りには、マスコミの人間が多い。舌先三寸で飯を食っている人間の屑みたいなやつらだ。そういう業界なので、ともすると弁の立たないやつを切り捨ててしまう。気をつけなければならない。「勝つが負け」ということもある。


2002.2.11 相模川左岸

なるべく素直に相模原左岸を自転車で走ってみた。出発点は相模原市の座架依(ざかえ)橋のたもと、相武台下駅の近くだ。ここから、上流に向かって走る。相模川は多摩川とちがって、自転車道はほとんどないに等しいから、トレーニングにはならない。つまり、カメラを持ってゆっくり走ってもイライラしなくてすむということだ。多摩川だとこうはいかない。あそこは人も多いから、自転車乗りの性として、いつのまにか競争になってしまう。

写真は、出発点から西を写したもの。左の奥に薄くけむっているのが丹沢山系だ。かなりの積雪があり、雲の感じからすると今日も降っているようだ。真ん中の青い山並みが、お得意の半原越のある尾根だ。杉桧の植林地と、広葉樹がほどよく混ざり、ハイキングコースとしても人気がある。ヒルが多いらしいので血を見るのが苦手な人はたいへんかもしれない。そういえば、ヒルがいる、ということは鹿もいるのだろうか? 猿ならたくさん見ているが、鹿はまだ見ていない。

中央の尖った山がおそらく経ヶ岳(633.3m)だろう。その左が華厳山(602m)。半原越は経ヶ岳と仏果山(747m)の間にある標高500m の峠道だ。こうやって山の名前を並べてみると、山伏の臭いがぷんぷんする。どうもあそこに行くと、サイクリングがいつのまにか修行っぽくなってしまう。それなりにきついところだからな。


2002.2.12 でかすぎると痛い

冬場の川辺の自転車道路というものは、いずこも殺伐としたもんだ。相模川左岸には1キロほど、写真にあるような殺風景な自転車道路がある。通行人もほとんどいないから、つっぱしれる。といっても1分ぐらいで終点だ。

多摩川でも相模川でも、オホーツク海に低気圧が発達した日は上流(写真奥)に向かって行くのがたいへんだ。死ぬほどクランクを回しても時速20キロぐらいしかでない。トレーニングには好都合だ。自転車でスピードを出すのはけっこう危険なので、平坦の一般道ではやらない。向かい風でマラソン選手並のスピードしかでなければ、いくらがんばっても迷惑にならない。そういう「もがき」というのも最近やる気がしなくなった。なによりも「宮崎美子19の春」と言われる下腹部が悲しい。ペダリングにあわせてぷるぷるするしたっぱらの肉が悲しい。もう前傾姿勢はとれない。

私は学生の頃、「いっしょに走った女の子が全て惚れた」といわれるほど美しい自転車乗りだった。そういう私が逆惚れするほど強くて美しい女の子がいた。彼女はすさまじく魅力的で、いっしょに走っていると、ペースを上げるまえから、どきどきして、はあはあさせられた。彼女となら競争に負けて後塵を拝してもくやしくない、というか好んで後についた。脚が長く腰が太くて、ウエストが細く肩が薄い。うしろから見るシルエットは絶品であった。半端な長さのぴちっとしたパンツに、半端にしわがよるあの自転車服というのは、おおむねみっともないものだ。しかし、彼女は肉感的で、自転車から降りても絵になった。

彼女の弱点は乳がでかすぎたことだ。自転車乗りとして、上半身におおきな脂肪の塊があるのは、重量の面でも酸素消費の点でも不利だ。しかも、かなり痛いらしい。彼女がハンドルバーの下を持っていると、脚があがるたびに膝が乳首を打つ。1回や2回当たるぐらいなら、どうってことない。それが1時間、2時間となると耐えられないくらい痛くなるという。

当時は若くて血気盛んだったせいか、そういう打ち明け話に気の毒度35%ぐらいあったと思う。


2002.2.13 過ちなき者だけが石を投げなさい

写真は鳩川と相模川の合流点から下流をみたものだ。相模川にはけっこうワイルドで美しい河原がある。多摩川とちがってススキやセイタカアワダチソウの草むらも珍しくない。相模川では石ころだって、たいしたものだ。川では石ころを投げる。これは必然の遊びだ。多摩川だと石ころがあまりに汚いので、触る気になれず石投げもしなかった。

そもそも、大きな川の河原にはずっとあこがれていた。私の生家の近所の川は幅が20メートルほどしかない。ちょっと本気で石を投げたりすると、小学校のガラスがパリンと割れたりする。割ったことは当然黙っているのだが、学校にばれてはいまいか、誰かにちくられやしないかと、びくびくしなければならない。

社会科では天塩川とか利根川とか、川幅が500メートルもある川があると習う。石投げ放題だ。死ぬまでにいっぺんそんな大河で思いっ切り石を投げてみたいと思う。男の子なら当然の決意だ。ひとまずその願いは学生のとき埼玉の荒川で果すことができた。川に目標物を浮べて投擲したり、水切したり、半日石を投げた。久方振りの石投げだったので翌日は肩が腫れて腕が上がらなかったが満足だった。

相模川でも、石を投げたいのだ。しかし、思うようにいかない。川は大きく、石ころも無数にあるのだが、石の数と同じぐらい釣り人がいる。あれがじゃまでじゃまでしょうがない。いつから川が釣り堀になったのだろう。川は本来石を投げて遊ぶ所なのに、こっちは少数派なので気後れしてしまう。私は人に石を当てるのが大嫌いなのだ。


2002.2.14 河原の木

河原は木があるかないかでグレードがずいぶん変わるような気がする。殺風景な感じが木で緩和される。ざんねんながら相模川には木が多いとはいえない。南方の河原に木がないのは洪水のせいだと思う。河川が台風で定期的に増水する地方では、若木がしっかり根づく前に流されてしまうだろう。四国生まれなので、私は河原に木はないものと思い込んでいた。それで、はじめてヤナギの類が生い茂って林を作っている東北の河原を見たときはびっくりした。

ヤナギの芽吹きは早い。仙台では青葉通りのケヤキに先駆けること一か月前に広瀬川のヤナギが淡い緑に包まれる。札幌では、まちなかにもまだ雪が残るうちに創成川のヤナギが芽吹く。春が待ち遠しい北の町に、河原のヤナギはたしかな希望だ。

ただ、風物としてきれいでも林を放置するわけにはいかない。洪水のときに木が流されると橋桁にひっかかり、氾濫の原因を作ってしまうということで、河原の木は定期的に伐採されていた。それでも、ヤナギなんかは根もとから切られたぐらいでは枯れない。ひこばえの成長が早く、10年もすると立派な林が再生し、コムラサキが飛ぶ。

定期的に氾濫し、水気も多すぎる河原は特殊な植物しか育てないだろう。数多い植物の中には、住みにくそうに見える河原を好み、河原でしか生きていかれないものもいるそうだ。ちょくちょく洪水が起きないとうまく生きていかれないのもいるというから、不思議なものだ。


2002.2.15 段丘

相模川の左岸は立派な段丘になっている。段丘から川の流れまでは幅も様々だ。写真は段丘の上から氾濫源を見下ろしたもの。だだっ広い田んぼになっているが人は住んでいない。これは中ぐらいの幅の氾濫源だ。広い所は立派な道路があり、電車が走り、住宅があって畑地がある。

また、崖がそのまま流れにぶつかって場所もある。そういうところでは、自転車は氾濫源を走れないので、いったん段丘の上に登らなければならない。田名にかかる所は、ちょうど崖の端がプロムナードになっている。かつてはどんな道だったのだろうか。川の上流と下流の村を結ぶ生活道路か、畑の脇の道か。崖の端ぎりぎりにある道の出生はちょっと気になる。


2002.2.16 地下水

相模川の左岸の集落がどんな歴史をもっているかは知らない。でも、かなり豊かな地域であったろうと思われる。相模川は夏には大きなマスが登り、アユなどの魚、カニやエビもたくさん捕れるはずだ。水田や畑にする広い土地もある。それに、このあたりは水管理も楽だったろう。段丘の崖には至るところから水が漏れ出している。地下数メートルの所に不透水層があり、その上を水が流れているのだ。井戸を掘るのも楽であったし、農業用水も枯れなかったはずだ。

澄んだ水が流れる町は文化の香りがする。水辺を見れば、その地域の民度もわかろうというものだ。捨てられたゴミは雨に流れ出て川によどむ。生活排水をじゅうぶん処理せずに外に出せば川が腐る。現代の日本では汚れた水、腐った水を見て平気な地域は民度が低いと結論してよい。かといって、どぶに蓋をして見えないようにすることはいっそう愚劣だと思う。コンクリートの暗渠は様々な生物の生存の場を奪い、水の汚濁はいっそう進む。

相模川はきれいな川だ。流域の下水道施設をしっかり作っているだけでなく、地下を流れる水の豊富さが澄んだ流れを保っているような気がする。川は水の見える部分だけではない。水が地下にもぐったり吹き出したりしながら海に向かうものだ。水は土の中で浄化されている。

相模川の左岸は自転車で走っていて、けっして面白い所ではない。それでも、本流や用水やわき水がきれいなので、気分が明るくなる。写真の崖は、水が流れる岩に赤いコケがびっしりついている。藍藻の類だろうか、西日に映えてきれいだ。相模川の左岸では、今年から、農業用水路を暗渠にする工事が方々で行われているが、あれは失政である。


2002.2.17 水路

写真は相模川の左岸、段丘崖と堤防の間にひらけている田んぼだ。この田んぼの真ん中にも立派な水路がある。今年、その水路はコンクリートで蓋をされて暗渠になってしまった。どういう了見なのかはよくわからない。

ここらあたりの崖は20メートルほどあり、途中から地下水がわき出しているから、崖に沿って小川ができている。この流れがけっこうきれいで魚も多い。流れの上を木々が覆って、ほどよく光が入り、常に新鮮な水が供給されている。メダカはいないようだ。すこし水温が低いかもしれない。また、いかにもイモリがいそうなのに、いないらしい。神奈川県の一斉調査ではイモリは発見されなかったという。もとからいないのだろうか? まさか、絶滅に瀕しているわけではあるまい。


2002.2.18 公園

高田橋付近は公園として整備されている。河川敷の施設というのはだいたい決まっていて、野球場、ゲートボール場、ゴルフの練習場、釣り堀、池を作って何となく彫刻を置いたりする。そういう公園も大田区や世田谷区だと、休日にはずいぶん混雑する。このあたりだと、閑散として寒々しいのか、広々として気持ちいいのか、よくわからない。

河原は放っておくと、オギやススキが茂って見通しが悪くなる。鳥にとっては営巣や渡りの集結地として重要な場所なのだが、人間にはうっとうしいところらしい。唯一、戦争ゲームのファンにとっては楽しい所なのだろう。その昔、二子多摩川の原っぱには、ガスマスク(偽物)や自動小銃(偽物)を装備して、米軍用缶詰め(本物)を食べる集団がうろうろしていた。キジの巣なんかを探しているときに、いきなりガスマスクに遭遇するとギョッとする。ああいうのも嫌われ者であるし、そうでなくても浮浪者や不良のたまり場になるといって、都市の草むらはすぐに刈られてしまう。その末路が、こういう公園だ。わずかに残る草むらで一人ゴミムシなんかを探している怪しいおやじとしてはちょっと寂しい。


2002.2.19 階段仕様の自転車

左岸を忠実に走るため、また、随所で写真を撮るために、今回の自転車はちょこっと改良を加えている。一番の工夫は、ペダルをシルバンに変えたことだ。シルバンロードのガードの爪を金のこで切って、やすりで磨いた。そうすると普通の運動靴でも自転車に乗れる。ただ、靴をペダルに固定していないと、ちょっと恐い。ときどきミニサイクルにも乗るので、あの要領で慣れるようにする。足を真下からうしろに引き上げるときに押さえ気味にして、力をセーブするのがコツだ。

なんで、そんな面倒をしなければならないかというと、自転車用の靴では歩けないからだ。特に、階段の登り下りができない。あの靴は自転車を降りたとたん、女の子のハイヒール並にうざくなる。相模川の左岸は統一的に整備されているわけではない。ところどころは自転車をかつぐことも覚悟して、入念な準備を施したのだ。また、自転車の乗り降りが簡単なので、写真を撮ることもそれほどおっくうではなくなる。

それなら、マウンテンバイクかオールテラインバイクかクロスバイクか、そんなものを持ち出せばすむはずだ。近ごろの自転車はじつによくできていて、30万も出せば信じられないくらい軽くて丈夫なMTBが買える。問題は単なる美意識にあって、クラシカルな鉄ロードのシルエットが捨てられないだけだ。


2002.2.20 パンプスに負けたこと

高田橋をすぎて、いちど大島に登り、なにやらキャンプ場や資料館のあるところに降りると、すぐに城山ダムだ。いっちょダムでも見物しようという気になった。ただ、川に沿った道はもはやなくなっているので、泣く泣く413号線に入る。写真がその413号線だ。この辺では、ちょっと郊外に行くと絶対にある道。車売り場なんかがいっぱいあって、看板がいっぱいあって、随所で渋滞している道。

こういうところを走るのは非常にしんどい。歩道の縁石とトラックのタイヤの間を、サーカス団の熊のようにバランスをとって走らなければならない。自動車がじわーっと幅寄せしてくると、背中がぞわーっとする。歩道でペダルをこすらないように、左足を上げて走る。こういうところにいるのはお互いに不幸だ。

今日の相模川とか、半原越とかのサイクリングだと平均時速は20キロとちょっとだ。東京でしばらく自転車通勤していたときは、平均時速15キロぐらい。札幌で10キロの道(大半は豊平川の自転車道路)を通勤していたときは、25キロぐらいだった。この速度は自転車としては非常に遅い。20キロといえば、高橋尚子クラス。25キロといえば、ソルトレークオリンピック随一の美女、夏見円クラスだ。ランニングやクロカンならすごいタイムだけど、自転車ではハエが止まる。じっさい夏山ではブヨを振りきれない。

自転車で速く走るのは難しい。ミニサイクルでも時速30キロを出すことはだれでもできる。だから、10分から30分ぐらい乗って、平均速度30キロを記録するのはわけないような気がする。それはまちがい。めったにタイムトライアルはしないけど、一度、渋谷から世田谷まで8キロの道を思いっ切り走ったことがある。そのとき、タイムは15分弱、平均時速でやっと30キロちょっとだ。信号やなんかがあるので、ストップ&ダッシュのくりかえしだ。快調にとばしているとき、メーターはずっと45キロ以上を指していた。よい子は公道でそんな遊びをしてはいけない。

いま10年ほど前のことを思いだした。グレーのリクルートスーツにパンプスでミニサイクルに乗って世田谷通りの歩道を疾駆する女の子がいた。こちらは車道で彼女は歩道。おもしろかったので、ストーカーになった。歩道だから、車道を横断するたびにびよんびよん跳ねる。しかもミニサイクル。歩道だから、いつ自動車が鼻を出してくるかもわからない。しかもタイトなスカート。スタンディングしても体の芯がぶれずに、5分も6分も走る。しかもパンプス。よほど急いでいたのだろうが、技術的にも体力的にも精神的にもただ者ではない。時速50キロで走る山姥伝説っていうのは、ああいうものだろうか。私はリクルートスーツにパンプスでミニサイクルに乗ったお嬢さんに振り切られたことを告白しよう。


2002.2.21 津久井湖

私はダムが好きだ。ダムというのは人間の英知の象徴といえる。そのサイズと重量は圧倒的な存在感をもっている。写真は重力式のコンクリートダム、城山ダムでできた津久井湖だ。

道は川に沿ってできる。川に沿って集落があるから、集落をつなぐ道は川に沿ってできる。川に沿った道をどんどん行くと、ダムにぶつかる。山の奥を目指して自転車を走らせているとき、二種の決着がある。一つは峠、もう一つはダムにぶつかること。そうでなければ道が消滅しないかぎり決着点はない。

ダムが決着点になるのは、むかしから、よくダムを見物にでかけたからだ。とくに、ロックフィルダムが好きで手取川ダムや御母衣ダムは幾度見に行ったかしれない。巨大な岩石の石積みは、黒四ダムのきれいなコンクリートのシェイプと対極をなす素朴な迫力がある。


2002.2.22 終点

水があれば近づいてのぞき込む、というのが私の習性である。津久井湖の回りをぐるぐる走っていると、湖面に近づける道が見つかった。古くからあった坂道がそのまま水没しているものらしい。この道はかつての相模川の川面、つまりこの湖の底まで続いているのだろうか。好都合、好都合。幸い靴も普通の物なので、自転車をおして石ころだらけの道を水に近づいていく。

私は風景としてのダム湖を好ましく見ている。曽野綾子か、串田孫一かが、ダム湖には奇妙な違和感をおぼえるといっていた。その理由は、水平のものが無いはずの所に現れる水平。山中に存在する水平面への不信ということだった。その感覚はよくわからない。風景はともかく、いずこもダム湖の水は緑に濁っている。水は周囲の土や木と完璧に不調和している。がっかりする水だ。200年ぐらい湖としてあり続ければ、環境にマッチしていくのだろうが。

さて、もう帰りのことを考えなければならない。津久井湖までくれば、もう少し足をのばして丘をまわり、中津川にそって下ると、もっと色気のあるサイクリングができる。ただし、そのコースをとるとトータルで百キロを越える。これまでに35キロほど走っているので、最短コースで帰ったとしても60キロになる。

もう2月も半ばで、日も長い。今日のような午後からのサイクリングでも時間的には百キロをこなせる。ただ、百キロ走ると疲れが翌日に残る。自転車乗りの体ではないので、どんなにゆっくり走っても3時間を越えたあたりから別種の疲れが溜まってくる。疲れるのはいやだ。駅の階段を登るときに脚がはって、ももが痛いのは勘弁だ。中年おやじらしく、まっすぐ帰ろう。今日はジーパンなので尻も痛い。


2002.2.24 フリーセルでけっこう負けている理由

最近、自分が本当にやるべきことは何かを見直し、ピッチをあげてフリーセルに取り組んでいる。まだやっと8000個を超えたところで、生涯の目標の10万には程遠い。あとどれほど生きられるか分からないのだから、もっともっとフリーセルに時間を振り分ける工夫をしなければだめだ。

ところで、今日、フリーセルの勝率を見ると60%ぐらいだった。これは驚きの数字だ。実感では98%ぐらいは勝っているはずなのに、どうしたことか。

フリーセルちょっと考えると、思い当たるふしがあった。写真は第8073番のゲームをスクリーンキャプチャしたものだ。じつは、私はここでゲームを止めている。なぜなら、もう明らかな勝ちだから。あとは機械的にカードを動かすだけ。全部解くのに30秒ぐらいしかかからない。時間の余裕がないときはこうして止めることが多いのだ。勝敗の行方さえ明らかになったら止めた方がよい。最後まで解くのは時間の無駄だ。ひまつぶしでやっているわけじゃないんだから。

フリーセルの勝ち負けは30手ぐらいで決まる。将棋や、囲碁なんかでも、私には勝敗のわからないところで、「負けました」とか「ありません」とかいって勝負が決まるらしい。そういうシーンが少年ジャンプの「ヒカルの碁」にはよく出てくる。という次第で、こっちはフリーセルで勝ったつもりになっているのだが、機械は機械の方で、「指し手はギブアップした」と判断しているのだ。それが勝率60%の理由。ちょっとくやしい。


2002.3.17 フラッシュがフルハウスより強いわけ

フラッシュの場合の数は135の4倍個、フルハウスの場合の数は52×51個なので、いっけんフルハウスのほうが強くなってよさそうです。しかし、フラッシュ崩れはどうしようもないものですが、フルハウスを狙う場合は2ペアや3カード、4カードの可能性もあります。ですから、この二者程度の確率の差ならどっちを強い役にするかは、どのようなゲームを好むかで決めて良いでしょう。(勝手な想像)

フリーセルはまだ8463個。

※フルハウスの場合の数の計算は完璧に間違っています

2002.3.21 年のはじめの日

今日は春分の日。一年のはじまりの日だ。とてもめでたい。天気は良かったが風が極めて強くほこりっぽい。この強い風でも桜の花びらは散らないのだから偉いものだ。夜、風呂に入るとサシガメらしき虫が死んでいた。こういうやつらが活発な季節になった。


2002.3.24 犬の糞

犬を飼っていると糞の始末に苦慮する。庭に積んで落ち葉とまぜて醗酵させれば、堆肥かなんかになるかなあ、と思って放置しているが、しょせんは犬の糞である。どうせろくなものにはなるまい。

ビニールの袋を下げて犬の散歩をするのはかっこわるいものだ。スイスがちょっと羨ましくなる。あそこは、犬好きが一種の政治的な圧力団体を形成している。盲導犬でない大型犬もレストランなどの公共施設に大きな顔をして出入りできるのだ。

糞ポスト

主だった散歩コースには緑色の郵便ポストのようなものが設置してある。写真はバーゼル市のライン川沿いのもの。ポストにはビニール袋も備えつけてあり、袋に犬の糞を入れて投げ込んでおくだけで市が処理してくれる。無料である。ここを早朝に1時間も歩くと、100人の犬好きに出会う。

面白いのは、これだけの設備がありながら無数に犬の糞が落ちていることだ。野良犬なんていないから、当然散歩させている人が放置したものだ。東洋系ツーリストが見ていてもかまう様子もない。その現場も何度か目撃した。観光客には親切で、やたらいい顔をしている国なのだが。

バーゼルは美しい町で、町中がディズニーワールドかと思うぐらいゴミがない。探して見つかる反社会的な行為は、不良少年たちの壁への落書きぐらいで、その内容も全然おとなしいものだ。東京は若者を中心にぐったりするぐらいだらしない街だけど、犬のウンコに関しては世界一マナーのよい所のような気がする。


2002.3.30 オサムシ

庭でオサムシを見つけた。茶色と緑に光るヤツ。ごくごく普通のものらしく、同じタイプは何度か見ている。ただ、庭では新発見なので写真を撮るために捕まえた。てのひらに閉じ込めるともそもそ暴れる。そんなに力は強くない。ただし、かなりの悪臭を放つので、手が臭くなる。

せっかく捕まえたのだから、小型のプラケースに泥と雑草を入れてしばらく飼ってみることにした。昼間はぜんぜん動かなかった。草の根っこにもぐり込んで姿を見せない。夜になるともぞもぞと動き出した。かなりのスピードで歩く。同サイズのクワガタよりも速く、ゴキブリよりも遅い。

餌はオサムシだから肉だろう。普通は昆虫とかミミズとかの死体を拾って食っているのだろう。ひとまず、夕食の豚しゃぶの残りを与えるとうまそうに食らいついている。ちょっとかわいいかもしれない。


2002.3.31 春の24インチ

24インチ

春たけなわなので、周辺にクサイチゴやスミレの花を見に行く自転車を組んだ。ロードレーサーだとゆっくり走るのが難しい。普通のミニサイクルだと、何をしているのかわからない。ということで写真にあるような24インチのチューブラー車ということになった。この自転車はシートとハンドルのポジションが自由なので、身長145cmから175cmの人間が乗れる。シートピラーは銀、サドルは茶のほうがかわいいが、その辺はごあいきょう。その2つを買い換えれば、また1万ぐらいかかる。

それにしてもずいぶん自転車に資金をつぎ込んだものだ。新型のものには興味がないが、ちょっと面白味のあるものはつい買ってしまう。なんだかんだと、この20年にわたって集めた部品がたまっているので、フレームさえオーダーすればあと5台ぐらい組める。

捕まえたオサムシはのんきに生きている。今日は味噌汁に入っていたアサリをやった。味が濃すぎるのも良くないだろうと、水洗いして与えた。うまそうに食っている。


2002.4.7 レンゲ

そろそろ子どもらも自転車に乗って遊ぶのもよかろうと、10キロ離れた相模川の河原に行った。段丘の坂をおりるとそこは田園地帯。最近の田んぼはレンゲの花がよくめだつ。肥料として利用しているのか、それとも減反用の栽培なのか。あのレンゲのにおいは甘酸っぱくせつない。まるで、日本の原風景を代表するかのように扱われる甘美な花だ。35年ほど前の愛媛県の宇和町は5月になると一面のレンゲのじゅうたんだった。予讃線の車窓からよくその光景をみた覚えがある。なぜそのような風景を覚えているのか、なんのために宇和町の田んぼを走る列車に乗っていたのかはとんとわからない。ともあれ、レンゲは私にとってはふるさとの花だ。私の子どもらにとっては、レンゲよりもセイタカアワダチソウのほうがずっと楽しく親しい花にちがいない。秋になったら一面の黄色い花で埋め尽くされる河原に行って、みんなで石をなげて帰ってきた。3時間コース、予算500円(ジュース4本)の遊びだ。


2002.4.28 トリプルの誘惑

nkagawa

あっというまに4月の終盤。恒例の夏自転車発表の日がやってきた。近ごろ体力がどんどん低下し、気力も萎えた。速く走ろうなんて野望はなくなり、遅く楽に走ることばかりを考えている。そこで、ペダルを軽くするため「前ギアを3枚に」という誘惑に負けてしまった。

これまで、前ギアはずっと2枚でやってきた。そのほうがかっこいいからだ。最近では前ギアが42×32Tなどというとんでもない組み合わせまで試した。もはや2枚でもかっこいいとはいえない。ならば、3枚でもいいではないか、というのがこの夏の結論だ。

じつは、トリプル用のクランクセットは以前から持っていた。世田谷の長谷川自転車で何かを買ったときに、おまけでもらったスギノのPXだ。それを今回はつけてみた。前3枚、後7枚の21段変速。そういえば大昔、世間では変速ギアの枚数で自転車の価値を代弁していたこともあったものだ。

前3枚にすると、後のディレイラーがキャパシティをとるために大げさなものになる。どうせならと開き直って、今回は最新のマウンテンバイク用のごついのをつけた。本来は9段仕様のディレイラーだ。私の後ギアは旧式の7枚なので、チェーンもシフトレバーも古いロードレーサーの7段のものを流用した。驚いたことに、位置決め機構がバッチリ働く。シマノもなかなか粋なことをする。なんかもうけた気分だ。しばらくフリクションばかりを使っていたのに。

で、生まれてはじめて前3枚の自転車にまじめに乗ってみた。「なんかややこしい」というのが正直な感想だ。相模川の周辺は河岸段丘の道ばかりだから、ところどころに激坂がある。それ用に前ギアのインナー28Tと後のロー28T、24Tの組み合わせが使えればよい。それ以外は前ギア46Tのアウターだけでいける。事実上9段変速の自転車でしかないのに、3×7通りの組み合わせがあるものだから、どこにギアがかかっているのかが分からなくなっていらいらする。


2002.4.29 花で死ぬこと

トキワハゼ

庭に咲いているトキワハゼの花で蚊が死んでいた。がくの所にはりついている。どうやらがくから出るねばねばにつかまって、そのまま息絶えたらしい。トキワハゼに限らず、こうして虫が花芽や新芽にくっついて死んでいる様子はよく見る。この花は食虫植物ではない。蚊が死んだからといって、この花に利があるわけではない。アブラムシであれば、殺すことに少しは意味もあろうが。

いろいろな植物が花芽からねばねばしたものを出すのは、進化論的な意味はなく生理的な帰結だろう。人間だってウンコをして、その下敷きになってアリが死ぬかもしれない。だからといってヒトの野ぐそがアリとの生存競争になんらかの意味を持つわけではない。

ただ一ついえそうなのは、こういうところから食虫植物が生まれたに違いないということだ。食虫の習性は時と場所の異なるところで様々な植物で多発的に起こっている。ある天才的な植物の大発明というわけではないのだ。植物が普通に持っている生理的な力が虫を殺し、虫を殺すことがたまたま生きることにより好都合だったのだ。


2002.4.30 仮定について

中学校の数学で習う「仮定」というやつは、なかなか納得できないものだ。日常感覚では「もし」というにはそれなりに必然性が必要なのに、数学の仮定には脈絡というものが感じられない。それどころか、「そりゃ絶対ちがうだろ」というようなことをわざわざ取り決めて、大げさに証明して、やっぱり間違いだった...などと、ひとを小馬鹿にしたような口をきく。

もし、-1が正の数であれば、-1=0これは矛盾、ゆえに...

数学でこういう理不尽が平気で行われるのは、数学の体系は無矛盾だという約束になっているからだ。矛盾のない数学の世界の中ではどんなことでも勝手に取り決めてよい。不都合が生じたとき、悪いのは必ず仮定の方だと決めつけることができるからだ。

日常感覚ではこうはいかない。そもそもこの世の決まり事がよくまちがっていること、また、言語的な制約もあるからだ。たとえば「運動」や「時間」ということは言葉で説明することはできない。それらの説明にもっともらしい仮定がたてられたときはやっかいだ。「飛んでいる矢は止まっている」というゼノンのパラドックスでは、的と矢のあいだに1点を選ぶということを仮定している。その仮定を受け入れると同時に矛盾も受け入れることになり、奇妙な結論に同意しなければならなくなる。飛んでいる矢と的の間に静止された1点を選ぶことは日常感覚ではできそうに思える。けれども数学の世界では不可能とされるのだ。

ゼノンはしょせん屁理屈屋でソクラテスの敵ではなかったことになっている。ただし、ソクラテスの理屈の進め方はゼノンよりもたちが悪い。かれは理屈屋としては凡庸で、立派なのはその人柄と主張である。ソクラテスは論より証拠の哲学者だ。


2002.5.2 丹沢

相模川、中津川、小鮎川を結ぶ快適なサイクリングコースを見つけてうれしくてしようがない。ほとんど自動車や信号機にわずらわされることなく往復60キロも遊べる。このあたりは自動車で普通に行ったなら、うんざりするほど渋滞するところだ。休日ともなると、いったいどこに何をしに行くのかと心配になるほど、遊びの車であふれる道だ。そんな道路を自転車で走るのは難行苦行の一種だ。おおむね渋滞するのはその色合いからも新しい道で、この20年ばかりの間にできたものと思われる。その広くて新しい道によって分断されている古い道が、2年かけて少しずつ見つけ、開拓した私のサイクリングコースだ。よく曲がり、よく登り降りし、細いが、しっかりしている。作りというよりも、精神的にしっかり芯が通った感じがある。

レンゲ

私のコースは、神奈川県のほぼ中央部に向かって、西に向かっている。南北に流れる川を横断する格好だ。写真のレンゲ畑は最初に渡る川、相模川左岸の水田だ。そろそろレンゲも終わり。ほうぼうで農夫がトラクターを使ってレンゲの花を土に鋤き込んでいる。まもなく水路が開かれ田んぼに水が入るだろう。

写真奥に青く霞んでいる山は神奈川の秀峰、丹沢。丹沢は私にとっては全く縁のない山。自分には関係ない都会の趣味人が愛好するすかした山という印象しかなかった。ところが気が付いたら丹沢のふもとに住み着いている。私の子どもたちが最初に姿と名前を覚える山が、富士山、高尾山、そして丹沢なのだ。彼らにとっては丹沢が故郷の山として、いつかは登りたい対象になっているかもしれない。

今回はレンゲもあることだからと、写真機を持って出かけた。高曇りで空気の澄み具合もよい撮影日和だったのに、ひどい写真になってしまった。機械はニコンのクールピクス990というデジカメだ。毎度のことながら風景には全く使えないカメラだと思う。マクロに関しては信じられないぐらいきれいに撮れるカメラだが、スナップや風景では全てのカットに失望している。どうしてこんなに色が濁り、物がぺたんとつぶれ、輪郭がじゃぎじゃぎするのだろう。これは10万円ぐらいのデジカメ全般にいえることで、他の機種のサンプルでも風景がきれいに写っているのを見たことがない。平行光線を写し取るために最低限必要なCCDのサイズなんてものが、ガラスの特性などから物理的に存在するのかもしれない。


2002.5.3 謎の草

厚木市の郊外を流れる荻野川はやけに汚い川だ。流域は住宅も少ないのに水がおかしい。ゴルフ場だらけではあるけれど、周囲の風景からはきれいそうなのに、水が汚い。あきらかに富栄養化し、水は泡立ってねばつく感じがあり、水中には植物プランクトンが多く黒緑に濁っている。

その荻野川の中流、1キロほど続く土手道を自転車で走るのが最近のマイフェバリットだ。荻野川中流には、鉄板で作られた簡易な堰堤がいやというほどある。農業用水かなにかで、水を貯めておく必要があるのだろう。もともと富栄養の水を貯めるものだから、青茶色のコケが繁茂してぷくぷく浮いて、ますます不潔感がただよう。そういう水を眺めながら走るのが好きなのだ。

今日は懐かしいものを見た。堰堤の鉄板に着生している草だ。堰堤自体簡易なものだから、隙間からじょろじょろ水は漏れている。その植物は滝のような水に洗われながら育っているようだ。鉄板の隙間に根を下ろし、丈は70センチほどになっている。ヤナギのような細い葉をもつ草だ。

これはまさしくあの謎の草である。懐かしいやらうれしいやら。日本沈没かなんかで生き別れになった恋人にマナウスの魚市場あたりでひょっこり出会うと、こんな気分になるんだろう。残念、今日は草を観察するには準備不足。川の中にも入らねばならない。撮影もしなければならない。仕切り直して出直しだ。


2002.5.4 モンシロチョウのサナギ

いま、モンシロチョウのサナギがいる。とくに捕まえて来たわけでもない。いつの間にかここにやってきたやつだ。

女房は無農薬の野菜を買っているので、虫もいっしょに買ったり食べたりすることになる。4、5日前のこと、冷蔵庫から牛乳を取り出すと、小さな緑色のイモムシがついていた。モンシロチョウの幼虫らしかった。冷蔵庫の野菜室のなかに牛乳瓶もいれているので、キャベツから歩いてきた幼虫が牛乳瓶にはりついていたのだろう。

せっかくのお客さんだから、箱に入れて飼うことにした。オサムシのケースに重ねて置いた。そういえば、オサムシは飼育をはじめて一か月が過ぎた。成虫になっても長命な虫らしい。アジの開きとか、豚のバラとか、牛しゃぶとかを食って元気に生きている。

モンシロチョウはすぐに蛹になった。これにはちょっと驚いた。倍ぐらいのサイズになってから蛹化すると思っていたからだ。モンシロチョウの幼虫なんて子どものときに見て以来だから、サイズの感覚がおかしくなっていたのかもしれない。それとも冷蔵庫育ちの特異な生活が彼の生理を狂わせたのか? 羽化が楽しみだ。


2002.5.5 荻野川の謎の草

荻野川

さて、写真は問題の荻野川である。奥の丘は一番高いところでも標高600mほど。私の好きな「半原越」だ。あそこの峠を自転車で越えるのが夏の楽しみ。

この写真からも明らかなように、川の水が異様に汚い。今日はその水に入るつもりで準備してきた。もちろん謎の草の観察のためである。ところが、田んぼの作業はずんずん進み、ちょうど代掻きを待つばかりになっているから、堰堤も気合いを入れて水を貯めていた。というわけで、まったく水に濡れずに労せずして謎の草の写真を撮ることができた。

ここの謎の草は種類も様々。全部実生で、コケに根を下ろしていた。くわしくは謎の草第40話で。


2002.5.6 多摩地区3川の源流

テレビで、インテルとラツィオのすごい試合を見て、なんだかうずうずしてきたので、自転車に乗ることにした。昨日は、謎の草の観察のついでに丹沢の林道を70キロほど走ってきたので、膝にちょっと疲れが残っている。いくらうずうずしても、所詮は中年、今日はあんまりしんどくない道にしようと、20万の地図を広げた。

近ごろは西ばかり行ってる。東はどうだろうと、多摩地区を見る。「たりくまた」のかけ声とともに、右手の中指と人指し指で90度を作り地図に合せると、超能力が発動し、たちどころに20キロメートルの距離がわかる。

多摩川まではちょうど20キロである。登りといえる登りもない。そのかわりずっと、自転車では肩身の狭い一般道だ。直線で20キロといえば、実走で30キロ。時間にして1時間半である。薄暮の時間に帰って来れそうだ。

地図を読んでコースを考える。排気ガスと信号機のない道がいい。境川に出て北西に進路をとって、途中から北にあがり鶴見川の源流をぬけて、地図に名前のない川の源流あたりに出て、北東に川を下ると、勝手知ったる聖蹟桜ヶ丘の関戸橋に至る。

実際走ってみると、非常に簡単なコースだった。太陽が見えないとどっちの方角に向かっているのかも分からなくなる方向音痴だから、川があることはうれしい。困ったら、境川か鶴見川か、名の記載のない川(大栗川)にそって走ればいいのだから。

境川はけっこう散歩の道が整備されて、犬を連れた人が多い。鶴見川の源流はかつては美しかったろうなあ、と思わせる所だ。現在は都市の近郊の悪いところを一手に引き受けているようで、ちょっと寂しい。大栗川はさらに悲しい。右を向いても左を見ても、目に入ってくるのは焦りに焦った多摩丘陵の開発の成果ばかり。川だって源流から合流点まで、きっちり隙間もなくコンクリートできれいに3面護岸されている。「そこまでやるか?」と少々あきれる。土はおろか石ころすら見あたらないのだから。ただし、川に繁茂するぬめぬめ感のある、ホシミドロかアオミドロみたいな藻は好きだ。

スピードも出せず、力も出せないので、サイクリングとしての面白味はあまりないが、明日に疲れを残せない中年としては、妥当なコースだった。地図で心配したほどには車に煩わされなくて心理的にも楽だ。半原越がしんどそうな日にはこっちにしよう。

走行距離69.74キロ、走行時間3時間28分12秒、平均速度20.0キロ毎時、最高速度71.2キロ毎時。最高速度は何かの間違いだ。この数年はたとえ下りでも時速40キロ以上は出さないように注意している。


2002.5.9 いつも一人

自転車に乗るとき、私はいつも一人である。誰かよりも速く走るとか、遠くまで走るとか、上手に走るとか、そういう一切の競争から無縁だ。また、自転車には思い描くイメージがあり、自分のイメージに沿うように部品を選び組み立てる。しかし、そのことを自慢する相手はいない。

七沢林道は失敗だった。登りにいくつもりはなかったので、後ろのギアを13-21にセットしたホイールをつけていった。それが、走り初めて気が向いて、新しい道に入り、とんでもなく急な登りにぶつかってしまった。地図もまともに見ていない場所なので、どれくらい登れるのか、どこに向かうのか、なんで山の中に駐車場があって中年ハイカーがたくさんいるのか、さっぱり不明だ。

こういうときは腹が立つ。悪いのは道路ではないが「もう二度とこんな道に来るものか」と不機嫌な顔つきで、よたよたと坂を登る。下りでは勢いにまかせてブラインドコーナーに突っ込んで行く。事故を起こすのはこういうときだ。けがをしなくても、ペダルがアスファルトで削れて傷つき、ホイールロックでタイヤがすり減ってもったいない。

何が楽しくて自転車に乗るのかといっても、「今日のギア比は正解だった」「この路面でこのタイヤはちょっと」とか、「横からのシルエットなら、ハンドルはtttよりもNittoのほうが」などということが、ことの正否の全てである。私以外の人間にはどうでもいいことに終始する。痛快である。


2002.5.10 なぜ帰り急ぐのか

帰りは足早になる。競争しているわけではないのだから、帰宅に門限があるわけではないのだから、帰りだって悠長にペダルをこいでいいはずだ。すっかり黒くなったカラスノエンドウの鞘を見て、「ああ、これでカラスというのか」などと、感心するゆとりがあってもよいはずだ。なぜ帰りは早足なのだろう。

私の自転車遊びは、峠に向かうことが多い。峠の場合は帰りが下りだから早くなるのは当然だ。ただ、峠でない場合も、帰りは足早になっていることに気づく。一度通った道を引き返すのだから、新鮮さがなくて足早になることもあるだろう。ところが、往路復路が違うときだって、いつしか気持ちは急いでいる。

帰りには帰りというだけで目標ができてしまう。帰宅後にすることは絶対にサイクリングではない。現在の行為に区切りがつく、ということで急ぐのか。つまり、明解な見通しができて、「今」を楽しむだけの余裕がなくなってしまって、急ぐのだろうか。だとすれば、歳をとるにつれて、時間が速く流れているのと同じようなものだ。これもまた、すこし違うような気がする。

そもそも「帰る」ということはどうやって決まるのだろう。峠から引き返すときだって、回り道をして、途中の丘に登ってもよい。目標を定めていない遊びなのだから、行程70キロのうち、35キロまでが行きで、35キロからが帰りというわけでもないだろう。残り1キロからを帰りとしてもよいはずだ。

行きか帰りかは自分の気持ちで決まる。もしかしたら、気が急いてきたときから帰りが始まるのかもしれない。


2002.5.12 モンシロチョウが羽化

昨夜のこと、家族の間で賭が始まっていた。事の起こりは、モンシロチョウの羽化だ。先日、冷蔵庫の中から取り出した牛乳瓶に青虫がついており、野菜室のキャベツについてきた幼虫だからと飼育したら、ちゃんとモンシロチョウらしい蛹になったのだ。昨日の昼から、その蛹の殻が透けて翅の模様が見えるようになっており、羽化は間近と思われた。

長男が、その様子を見て「シジミチョウではないか」といいはじめたらしい。蛹の形はまさにモンシロチョウ以外にありえないのだが、体が非常に小さいことが気がかりなようだ。そこで、どういうわけか家族の間で賭が始まった。女房、長女、次男は「モンシロチョウ」、長男だけが「シジミチョウ」だ。掛け金は10円であるが、長男は自信満々で、金額を上げようとしている。次男がそれに乗って20円にした。

子ども達は羽化の様子を見るのだと、夜遅くまで起きていようとしたが、おおむね蝶の羽化は早朝だ。早く起きて見ればよいのだと寝かしつけた。

モンシロチョウ

最初に起きてきたのは長男だ。7時ごろにはもうすでに羽化は終わって、翅もすっかり伸び切っている。「モンシロチョウか...」と一言いって、シムシティをはじめた。喜んだのは次男だ。

ところで、蛹はすごく小さいものだった。成長の途中に冷蔵庫に入ってしまったので、その影響で小さくなってしまったのだろうと思っていた。ところが、出てきた蝶の大きさはまったく通常のもので、健康状態にも異常はない。先入観があって、蛹が小さいと見えたのかもしれない。殻は残っているのでそのうち確認しておこう。


2002.5.14 アリの卵

自宅の回りにも巨大なアリがずいぶんうろついている。小学生は見つけ次第につぶして遊んで喜んでいるという。むちゃくちゃでかいアリなので、殺すにしても「退治」感があって面白いのだろう。この種類の巨大アリが見られるのは年に1回。おそらくはクロオオアリの娘アリが交尾を終え、羽を自切して、新しい巣を作る場所を探しているのだ。

5日にその一匹を捕まえて、土をはったプラケースに入れた。彼女はしばらくはびくびくするばかりで、何もせず物陰に隠れていた。そのうち、一か所を掘り始め深さ3センチ、長さ5センチほどの部屋を作った。少しづつ土を運んで外に放り、部屋が大きくなると入口を閉ざした。

今朝、アリの様子を見ると、白い物をくわえていた。どうやら卵らしい。ニコンのテレスコマイクロでのぞくと、10個ぐらいのかたまりになっているのがわかる。卵は粘着性があり、お互いにくっついている。アリは卵をくわえたり、降ろしたり、落ち着かない。その動作がみな、スローモーションのように遅いのが面白い。プロレスのジャイアント馬場選手が太極挙をしたらあんな動きになりそうだ。


2002.5.15 イカ好きお寒し

あくまで私見ではあるが、今年は夏が早い。神奈川県東部地方の梅雨入りは5月6日であった。毎日梅雨寒の日が続き、朝に目が覚め「ここは北海道?」と思うことがしばしばだ。とにもかくにも5月になってもストーブをつけているのだから札幌並だ。私の寒がりも異常かもしれないが、この梅雨入りの早さも異常だ。

寒くとも、そこは夏。夜12時に終着駅を出ると、小雨にぬれた道路には夏の夜に特有の臭いがただよっていた。その臭いがしてくると、青いホタルの光がほうほうと漂っていないとおかしいような気がする。夜の臭いにひかれてついつい屋根のあたりを探してしまう。ここは神奈川の住宅街で、近所には小川も田んぼもないので、ホタルがいるはずもないのだが。

写真は機嫌よくイカを食うオサムシ。イカは生ゴミ捨てに落ちていた。このオサムシはもう一か月半ここにいる。おさむしと打って変換すると「お寒し」と出た。今年は梅雨入りが早かった。私見ではあるが。


2002.5.22 フリーセル9000

ようやく9000個のフリーセルが解けた。ここのところ、フリーセル解きが遅々として進まず、人生にかすかな絶望感をおぼえることもあった。とくに4月はリーガエスパニョーラが大詰めをむかえるなど、いろいろ忙しくてダメだった。2月に決意してから、余暇はほとんどフリーセルにつぎ込んできたはずだ。テレビでサッカーを見たり、虫の写真を撮ったり、虫にエサをやったり、自転車を組み立てたり、組み立てた自転車に乗ったり、通勤電車でぼーっとしたり、週刊少年ジャンプを読んだりするほかは、パソコンに向かっていることが多いのだ。

パソコンに向かって、フリーセルに伍す大事な用件といえば、フイルムの読み取りである。2年ほど前から、5000カットほど溜まったネガを順次スキャナで読み取っている。それが、まあごみ取りとかトリミングとか補正とか、けっこう大変な作業なのだ。はじめると、フリーセルどころではなくなり、本末転倒の感があった。その作業のために、じつは最近、ヤフオクでニコンのLS-2000というフィルムスキャナを買った。新品のときで20万。1年前、新宿の中古レンズ屋で中古が10万で売られているのをみて、ぐっときた覚えがある。それがどういうわけか5万だったので、あまりの安さにつられて「必要ないけどな... 」と後悔覚悟で買った。

そのスキャナがじつに良く働いてくれる。前のクールスキャンII より圧倒的にすぐれているのは画質でもスピードでもなく、勝手に仕事を進めてくれることだ。つまり、フィルムを読み取りながら、フリーセルができるのだ。工業製品は迷ったら買えばいい、という定説の証拠の一つとしてあげてよいだろう。

そして私は一日平均20分をフリーセルを解くことに充てることができるようになった。かくて、この3か月で1000個解き、9000個に達することができた次第である。


2002.5.26 雷雲

梅雨は雷で蒸し開けるというのが相場である。

雷雲

午後4時ごろ、みごとな暗雲が空いっぱいにたちこめた。20分後には車軸を流すような驟雨となった。これが夕立とはおもえぬが。


2002.5.27 角を3等分すること

角

定規とコンパスだけでは、角の3等分はできないことが証明されている。これは数学的な事実としての定説だ。私はそのことをいぶかしく思う。なぜ、できないのだろう。そもそも、2等分ならどうしてできるといいきれるのだろう。

角

角の2等分ができることは、線分の2等分ができ、三角形の合同から角が等しいことで保証される。ひっきょうその証明は2つの量が「同じということが自明」である、ということに依存する。ぴったり重ね合せることができる2つのものが同じということは直感でわかる。左右対称、あるいは上下対称ということは測るまでもなくわかる。

「自明」ということがどれほど信用に足るものなのだろう。直観で誰でもがわかるといえ、それは人間だけの能力ではないのか。それを理解できるのが人間を含めてごく限られた生き物だけだったら、角の2等分が定規とコンパスでできる、ということは宇宙の真理とはいえない。

もし、円弧の3等分が自明にわかる生物がいたらどうだろう。意識の基盤が3でできている生物ならどうだろう。たぶんオオバナノエンレイソウは「2」のことを割り切れない半端な数だと感じているだろう。

円弧の3等分が自明なオオバナノエンレイソウなら、角の3等分は「できてあたりまえ」に違いない。人間に分かるようには説明できまいが。そのかわりに、コンパスと定規で角の2等分ができるということをオオバナノエンレイソウに納得させることは不可能かもしれない。


2002.5.28 謎の死をとげた蛾

クロオオアリの娘は順調に卵の世話をしているものと思われる。私には「思われる」としか言えない。なにしろ、相手が小さくて場所が暗いものだから、はっきりとは見えないのだ。明るいところでさえ老眼が進み、物を読むのに腕の長さが足りない今日このごろである。17インチのモニターだって、1024×768よりも広くはできない。アリの観察はもっぱらカメラ頼り。ビデオは持っていないので、デジカメでストロボをたいて写して確認するというありさまだ。私のニコンは、暗いものを写そうとすると液晶モニターがはたらかない。ピントは置きピンで、ストロボはTTL測光にたよるしかない。

今朝撮った写真には蛾が写っている。アリの巣の通路の天井に頭をつっこんだ不自然な姿勢で息絶えている。私はこの蛾と旧知であった。日曜の夜に中学生の娘が捕まえてきたものだ。私は「虫を見つけたら捕まえておくように」と子どもを指導している。その指導に従って、1センチほどの小型の蛾を捕まえて持ってきたのだ。

蛾はメイガかイガの一種だと思われた。せっかく捕まえたのだから、アリを飼育しているケースに放り込んでおいた。うまくアリの子が育つようなことがあればエサになるだろう、というはらだった。そして、写真のような事態が起こったのだ。

さて、蛾は自分でアリの巣の中に入り絶命したのか? それとも、娘アリが蛾を引きずり込んだのか? 娘アリは一度巣を構えると自分ではエサを採らないと聞いている。アリは自分で掘った小さな巣が完成すると、蓋をしようと努力していた。しかし、ケースの中の不自然な環境なので不十分だった。いざ、卵を生むと半開きの出入口は気にかける素振りはない。外に出ている様子もない。ならば蛾は、自らアリの巣の中にはまり込んだのだろうか。蛾は狭い巣の中でアリと鉢合わせをし、格闘した末に斃死に追い込まれたのであろうか。謎の多い死である。


2002.5.29 問題・月が赤いのはなぜか

田園都市線の車内から、のぼったばかりの月を見る。まもなく満月になる太って赤い月だ。このページのてっぺんにあるぐらい赤い。東京の月日の赤さは、刑事くんの御指摘通りだ。

どうして地平線の月は赤いのだろう。それは、赤い光が、空中の塵芥などにじゃまされずに届くからだといわれる。青いほうの、波長の短い光は塵芥にあたると散乱してしまうので、私の目に届かないのだそうだ。

一方、遠くの山は青く見える。山から届く光にも赤い成分はあり、その成分が塵芥をすり抜けるので、山も赤く見えていいはずだ。しかし、じっさいは青く見える。へんだ。

山が青く見える理由は空が青いことによる。ちょうど、青いゼラチンを通して山を見るようなものなのだろう。ただし、同じような位置にある月や太陽はより赤く見える。青いフィルターはどうしたのだ?

私は以上のことの説明はできるが、テレビで自転車競争が始まっているので、もうやめる。とりあえず、今日の部分を注意して読み、考えていただければ答えは出るはずだ。ではごきげんよう。


2002.5.30 私がねむいわけ

ひとまず、サッカーのスペインリーグ2001-2002が終了したので、しばらくテレビでサッカーを見ることもなくなった。Jリーグは仙台の岩本が好調なので、放送があるときはまめにチェックしていたが、それもしばらくワールドカップのために休みだ。

やれやれ、サッカーも終って、これで一息ついてのんびり夜を過ごせる、とおもいきや、ジロのスタートだ。こいつのことを忘れていた。ジロが始まると、ツール・ド・スイス、ラ・ツール、ヴェルタと9月まで連続して毎日放送がある。これはまずい。ついでに、今年はクラシックの放送もある。自転車競技の放送は24時とか25時とか、帰宅して落ちついたとき、すなわちゴールデンタイムにはじまる。見ない理由もないので見ないわけにはいかない。

自転車競技がまずいのは、とても退屈で見ていられないことだ。選手は誰も知らないし、ひいきのチームも無い。日本人もでているけど、テレビに映るような活躍は期待できない。解説は毎回同じ事のくりかえし。ただただひたすらものすごいスピードで選手が走っている。それをえんえん2時間ぐらい見物するというのが、自転車競技のテレビ観戦だ。だから、午前3時ごろには眠りこけて、ふと目覚めると4時半だったりする。

今朝は夜明けから天気が良くて、カッコウがけたたましく鳴きわめいている。カッコウとは無関係に向いの家では戸袋の所有権をめぐって、3組のムクドリが争って鳴きわめいている。いいシーンなので、さっそくカメラを持ち出して撮影する。自転車競技は退屈だけど、思いもよらぬ副産物もある。静かな湖畔の森の陰でなくても、目覚めにカッコウはうるさすぎるということもわかった。こういう生活を続けていると一日中眠いということもわかった。


2002.6.1 オサムシを放す

オサムシはちょうど2か月飼育して、いろいろなことを教えてもらったので、庭に返すことにした。長居をさせ、無為に繁殖の機会を奪うのも気の毒だ。オサムシを飼育していたケースを庭に持ち出して、土ごとひっくり返して地面にあけた。土を採取するときにいっしょに入った小型の甲虫もとびだした。ぜんぜん顔も見せず、ひっそり2か月生きていたのだ。けっこう太ったコガネムシの幼虫もいた。土といっしょにカタバミやヒメムカシヨモギも入れていたので、それらの根でも食っていたのだろう。

5月も終わりになって、ささやかながら庭も活気づいている。見かけたチョウは4種類。モンシロチョウ、スジグロシロチョウ、ただのアゲハ、名前のわからない、青くて大きいシジミ。大型のハチも2種類。クマバチとオオスズメバチ。

ムクドリ

ムクドリは戸袋に盛んに巣材を運んでいる。ただ、すんなりと事が運んでいるわけではない。血のつながりがないカップルが所有権を争っているのか、それとも、あの戸袋で巣だったヒナが戻ってきているのか。あの戸袋は毎年こうだ。

キツツキもやってきた。このあたりで見かけるキツツキはコゲラだけだ。シジュウカラが巣立ったヒナを連れて、庭に虫探しにやってくる。ネズミモチの花のところにいる青虫をつかまえた。あの木には大きな薄緑の青虫がつく。庭に降りて、花壇の落ち葉の間から、ヨトウのような虫を捕まえてヒナに運ぶ。ヒナは羽を小刻みに震わせて機嫌よく食べ、もっとくれと催促する。体の色が薄いだけで、もう立派に飛べるのに甘えたもんだ。

さて、給餌のいいシーンを撮る前にフィルムがなくなっている。買い置きもない。よくあることだ。


2002.6.11 オークション

何を隠そう、ヤフーオークションにはまり気味である。そもそも、オークションなんてものは、いらないものしか買わないものだ。必要なものなら、そんな面倒な手続きを踏まない。

今日は2600円で、自転車のカセットスプロケットを落札した。うしろの車輪につけてチェーンをかけるぎざぎざの板の7枚のセットだ。20年ぐらい前の製品で、相場は600円ぐらいのもんだ。ただ、オークションというものの性格上、200円ぐらいずつ高い値をつけていった結果、2600円になってしまった。正直、後悔している。

私にとっては、そのカセットスプロケットなるものは欲しいものだ。とくに、そのセットのなかの2枚だけが欲しい。まともに買えるときなら、一枚200円の品だった。10年ほど前に必要を感じたときにはメーカーがすでに倒産しており、手に入らなかったのだ。

オークションでは自転車の部品は昔のものが妙に高い値がつくことがある。私のスプロケットのように、昔の部品をこだわって使う人間が、金に糸目をつけずに落札しているのだろう。それが、カメラやレンズになると、あれは中古の市場がしっかりしているので、相場の値段しかつかない。新宿あたりの中古屋ととんとんか、やや高めの値に落ち着くようで、全く面白味がない。


2002.6.12 ナンシー関

村田英雄氏が亡くなったという誤報を新聞が流して、新聞ネタを放送するテレビが追随してしまったらしい、という噂を聞いた。そういう楽しげなことを噂でしか知らないぐらい世間に疎い。放送や出版なんかにも関わっているギョーカイ人なのだから、もっとテレビとか雑誌とかを見てもいいはずだ。ただ、そういう類の99%はあまりにもくだらなくて、相手にする意欲がわかない。テレビはヨーロッパの自転車やサッカー以外は、NHKが午前中に放送している教育テレビを見るぐらいで、雑誌は週刊少年ジャンプしか見ない。あっ、NHK「みんなの体操」も気がつくと見ている。

というわけで、業界人の話の輪にうまく入れない。みんなが「フランスが予選敗退だよ」「アルゼンチンもだよ」と騒いでいるので、思わずしったかぶりをして「イタリアも絶望らしいねえ」などとほざいて、ひかれてしまう。大好きなディエゴトリスタンやラウルが活躍しているはずのワールドカップもジロデイタリアに重なっているので、見る時間がないのだ。

村田英雄、フランス・アルゼンチンに並んで、今日の大きな話題は「ナンシー関」という人の死去であった。その人を知らないギョーカイ人はもぐりらしい。ざんねん、私はその人を知らない。名前は何かで聞いたことがあるのだけど、どういう人か印象が全くない。会ったこともないと思う。トムクルーズという男優を知らないことがばれたのも痛かったが、ナンシー関という人を知らないのはもっとやばいらしい。なんでも、世界初の消しゴム版画家という奇妙な肩書きを持っている人らしい。

そういや、何かの有名人から年賀状が来ていたと女房が言っているけど、その人がどんな人なのか、私とどこでつながっているのか、名を聞いただけではとんと思い出せない。そもそも年賀状なんて半分ぐらいしか見ていない。

先日、吉本興業の芸人や舞台ダンサーと雑談していて、彼らが「ホリケンサイズ」を知らなかったので、優越感をもったばかりだった。今日のていたらくでは「ホリケンサイズ」を知っていても焼け石に水だ。もうすこし、世間について学ぶ意欲をもたなければ、給料にひびきかねない。ちなみに「ホリケンサイズ」は「ホリケンエクサ」とすべきと思っている。←だから何?


 
2002.6.14 協調心のみが利己主義を育くむ

毎年、この頃になるとカッコウのことを考える。あれはすごい鳥だ。6月になってカッコウのなく朝が少なくなった。今年のカッコウはうまく生き残れたろうか。このあたりのカッコウは卵をオナガに預けているはずだ。ときどきオナガと喧嘩しているような様子も見る。

カッコウが托卵の習性を獲得するに至った過程を推理するのはそれほど難しくない。おそらく古カッコウは同種の中で、集団保育のような習性をもっていたのだろう。その集団保育という方法はなかなか具合がよさそうに見える。仲間が協力して大きな巣を作り、みんなが卵を産んで、みんなでヒナを育てる方法だ。天敵に対する防衛の目も行き届き、不慮の事故で片親が死んでも、仲間が子を育ててくれるだろう。

集団保育は、いっけん有利そうに見えるが、今日そういうやり方をする鳥はごくごく少ない。とても難しい戦略なのだ。というのは、そのグループの中から育児を他人まかせにする者が必ず現れ、そういう利己的なヤツは必ず増えていくからだ。他の個体に自分の卵を預ける戦略は進化的に有利だ。長生きできて、産卵、交尾数も多くなるだろう。預ける戦略はかれのヒナが生き残るかぎり、グループの中にどんどん拡がっていくだろう。

問題は、預けるものが増えるに連れて、育てるものが少なくなることだ。育てる者が少なくなれば、ヒナ間の生き残り競争は激しくなる。ヒナにエサを運ぶのは総掛かりでやっとのはずだから、預けるに任せる者が増えると、生き残れるヒナが少なくなる。普通はそんなことをやっていれば、すぐに種自体が亡びてしまう。

ところが、カッコウはたくましかった。集団保育されるなかで、ヒナの間でお互いに蹴落とし合戦がはじまり、勝者が生き残ることになった。また、母親のほうでも、自分の卵を保育所に産み落とすときに、他の母親の卵を捨てるやつが現れる。

本来は相互扶助のはずの保育所は、いざ産卵となると戦々恐々となってしまう。そこまで行くと、仲間なんかに頼らず、別種の、ヒナを育てることに命をかけている鳥に托卵するのは当然の成り行きだ。今のカッコウはオオヨシキリやオナガに托卵し、他人の子どもを完全に排除するという、行くところまで行った鳥だ。超利己的で「じぶんさえよければ」という托卵の習性は、「みんなで力をあわせよう」という協調精神がなければ育たない。皮肉なことだ。


2002.6.15 カッコウとナマズをいっしょにしてはいけない

理屈の上では、巣を持ち卵やヒナを保護する動物なら、托卵される恐れはある。ただ地球上隅々まで見渡しても托卵は極めて少ない。親にとって、育児をする喜び、あるいは強迫観念を払拭することは容易ではないことだ。よほど巧妙に育児のすり替えが起こらない限り、托卵という習性は発生しないと考えられる。

鳥の他にも、托卵する生物は見つかっている。アフリカの魚だ。タンガニイカ湖には、卵を保護する魚がいっぱいいる。育児の方法も、ピンからキリまであり、すばらしくバラエティに富んでいる。魚が普通に巣を作り、普通に卵や仔魚を守るのだから、托卵する魚が誕生しても不思議ではない。ただし、魚の托卵とカッコウの托卵はいくぶん性格の違うものと考えなければならないだろう。

私は、カッコウの托卵は集団保育なしでは発生し得ないと思っている。いっぽう、魚の方はおそらくその過程を経なくても托卵できると思われるのだ。つまり、最初から別種の魚に育児を任せてしまうことも可能と考えている。その理由は、一つには産卵数の多さ、一個あたりの卵を生産するコストの低さにある。

魚というのはもともとは子どもを守らない生き物だ。水の中は非常識に豊かで、ばぁーと卵をばらまいて、さぁーと精子をかけておくだけで、ほとんど泳ぎもできない仔魚が、千匹のうち1匹も親になることができる。何かのきっかけで、飲まず(魚だからこちらはないが)食わずで、100個の卵を巣で守る魚の近くに産卵する習性を身につけられればOKだ。きっと自分の卵もいっしょに守ってくれるだろう。相手の卵より自分の卵が先に孵れば、我が子にはエサまで用意されていることになる。そうなるにも、いろいろ条件はあるだろうけれども、同種による集団保育を前提とする必要はなさそうだ。


2002.6.17 的を得たまちがい

週刊少年ジャンプのワンピースでも、「的を得る」という表現を使っているので、そろそろ、あれを正規表現として認めてもいいと思う。「的を得る」というのは、ふだんの会話ではほとんど使われず、なぜか、ウェブなんかの書き言葉で多用されることばだ。私はすでに、同じタイプの単語で「役不足」というのを謙譲表現として認めている。一年ほど前のことだ。ウェブの流行にともない、この先、書き言葉の意味は頻繁に変更して行かなければならないだろう。

ただし、「鈴木議員はやりまん」という誤解は許さない。あくまであれは「やまりん」である。


2002.6.18 恋せよカッコウ

カッコウのヒナは必ず一匹で他の鳥に育てられるから、自分がカッコウであることを客観的に知るすべがない。生まれてから巣立つまで、仲間のカッコウをみるチャンスがないからだ。そして、カッコウは夏が終われば親も子も南の国に旅立ってしまう。渡りの旅は一匹でやるのか、群れをつくるのか、それは寡聞にして知らない。そして一年がたてば、この神奈川県でも新しい雄雌が出会い恋をする。

このことは、当たり前のようで、よく考えるとすごく奇妙だ。カッコウは誰に習うともなく、自分の愛すべき異性を知っていることになる。私は鳥の研究家ではなく、人間の研究家なので、カッコウのこの点が最も気になるところだ。


2002.6.19 カッコウが覚えること

カッコウの母は自分が卵を産みつける巣を習い覚えることができるのだろうと思う。と、考えるのは、カッコウが托卵する鳥の種類が固定したものではないからだ。固定していないということは学習の幅があること、つまり、習い覚える余地があることを示している。サケマスが確実に故郷の川に帰ってくるわけでなく、種によってある決まった割り合いのものが故郷でない川に向かうように、冒険による繁栄の可能性を残しているのだ。

カッコウのヒナは、里親に育児されるときに、親の姿を覚えることができる。オナガに育てられたヒナはオナガを、モズに育てられたヒナはモズを、オオヨシキリに育てられたヒナはオオヨシキリを。そうして、いざ自分が卵を産むときには、育ての親を見つけて、彼らの巣を狙えばよい。それが一番確実だ。

現在、神奈川県大和市付近では、市の鳥オナガがかっこうの餌食だ。やつは体が大きく、カッコウが托卵しやすい形状の巣を作る。ただし、いつまでもうまく行くとは限らない。オナガだっていつまでもやられっぱなしではないだろう。カッコウが不倶戴天の敵だということは、じょじょに大和市のオナガの間に浸透し、カッコウ対策に長じたオナガが増え、しまいにはどいつもこいつもカッコウをうまく追い払えるオナガばかりになっていくかもしれない。

現在、普通のカラスはカッコウの里親にならない。大昔はあれもいい餌食だったが、カラスがなんらかの防衛法をあみ出しているのかもしれないのだ。オナガだって学習はできる。カッコウの方でも習うことができるから、オナガをあきらめて他の鳥を探すことができる。カッコウと里親の間には、ずっと緊張関係が続いていくことだろう。

以上のように概説すると、なんら難しいことはないようにも見える。しかし、カッコウの気持ちになってみると、「覚える」ということはそれほど単純なものではないという気になってくる。


2002.6.21 カッコウが習わないこと

 

私の目には、オナガは頭が黒くて体がうすい青と白のスマートなカラスに写っている。オオヨシキリは黄土色の鳥で、夏になるといつのまにやら河原にやってきて、ゲエゲエ鳴くやかましい鳥だ。二つの鳥はぜんぜん似ていない。共通点は、現在カッコウの里親としてポピュラーだということだ。カッコウの気持ちになって、そこのところに注意してみると、巣を作る木や巣の造作などに共通点があるようにも思う。カッコウがシジュウカラやスズメ、ムクドリのように穴の中に巣を構える鳥を里親にするのはどだい無理がある。かといって、オナガタイプの巣を作る鳥ならなんだってOKかというと、そうでもない。カッコウはカッコウなりに、里親にふさわしい資質をオナガやオオヨシキリたちから見い出しているのだろう。

カッコウが里親を選ぶときに、自分を育ててくれた鳥に決めるのなら何の問題もない。それは学習したものといってよいからだ。問題はオナガに育てられたカッコウがオオヨシキリを選ぶ場合だ。

サンショウの木とミカンの木はまったく似ていない。私の目には、サンショウはミカンというよりは南天の仲間に写る。植物学の知識のない人で、サンショウとミカンを同類にする者はまずおるまい。ところが、アゲハはその両者に差異を認めず、全く同一のものとみなしている。蝶はためらいなく両者に産卵する。サンショウを食べている幼虫に途中からミカンを与えても、嫌な顔一つしない。アゲハは植物のみかけに惑わされず、植物学者の分類をちゃんと心得ている。アゲハは食草を学習するのではない。化学的な性質をもとにミカン科をほかの植物から見分ける力を生まれながらにしてもっているのだろう。

カッコウは里親を見つけるときに、なんらかの直感を頼りにしていることだろう。それがどういうものかは、ちょっと私には想像できない。アゲハのミカン選びみたいな単純なものではなさそうだ。


2002.6.22 くるくる回す

この10年ばかり、クランクをくるくる回す乗り方を心掛けてきた。はんたいの、重いギアを使ってぐいぐい行くやり方は苦手だ。急な登りは、やや重めのギアを使ってダンシングするほうが速いのだが、そんな力技はからっきしだめである。

今日は半原越にでかけ、久しぶりに愛川方面へ抜けた。下りの途中にある泉の水が欲しかったからだ。今日は半原越ではじめて1対1のギアを使ってみた。前が28、後ろも28だ。非常に軽くて思いっきり回しても時速15キロぐらいしかでない。それでも半原越には、とちゅう20パーセントほどの勾配があるので、セルフいろは坂を使ってしまった。しばらく自転車にも真面目に乗っていなかったので、息もしんどい。

ところが、タイムが予想以上に良かった。記録は27分で、最高記録を一気に1分も縮めてしまった。これは単に機材の問題だ。ギアを軽くしたので、くるくる回せる区間が増えて、それだけスピードアップにつながったのだ。1対1でもまだ回せない所もあるが、これ以上軽くしようとすればマウンテンバイクでも買った方が早い。


2002.6.24 何様のつもりだ

てんぷら すでに周知のように私は八幡浜市の出身である。八幡浜で「てんぷら」といえば、写真のものを指す。他のものではありえない。俗にテンプラとよばれているもので、八幡浜には似たものがあるが、あれは「ほーたれ」という。ほーたれ、とは標準語で言えば、「捨ててしまえ」。分かりやすく全国共通語で解説すると、ホルモン焼きの「放る物」すなわち、「肉のうちで捨てる部位」と同義だ。ほーたれはたぶん、動物園のジェンツーペンギンか、水族館のマグロあたりのエサか、カルカンか畑の肥料になっている小魚だとおもう。臭くて小骨が多くまずい。ほーたれは普通に煮たり焼いたりして食われているところを見たことがない。頭と内臓をとって、衣をつけて油で揚げたもの、すなわちテンプラになっているものしか見たことがない。で、私は同様のものを、さつまいも以外で見たことがなかった。イカ天、エビ天などというものを知ったのは20歳を過ぎてからだ。つまり、テンプラとはてんぷらのことに他ならないのだ。

私はほーたれがあまり好きではなかった。今食えばうまいと思うかもしれないが、少なくとも子どもの頃は嫌いだった。量といい、味といい、値段といい、すごく貧乏人臭くて嫌だった。てんぷらだって貧乏人の食い物だ。原料は雑魚(じゃこ)で、骨から何からすり身にして、わらじのように平らにして安物のテンプラ油で揚げる。てんぷらにはアジとかサバとかタチウオとか名のある方々は入っていないだろう。だいたい何でもテンプラ油で揚げれば食えない物はない。八幡浜ではほうぼうにてんぷら屋があり、てんぷらを揚げる臭いが充満していた。てんぷらは一枚8円ぐらいで買えた。フライパンで焼いて醤油をつければ、ごはんが一杯食える。そういう飯もときどきあった。母は料理がすこぶる苦手だったからだ。当時、「てんどん」とか「てんぷら定食」などという言葉を知っておれば、子ども心にあの飯だと思ったことだろう。

あまり大きな声ではいえないけれど、私はてんぷらが好きだ。たくさん食うと粗悪な油のせいで胸焼けがするが、少なくともほーたれのように臭くはない。てんぷらはなにも手を加えずに冷えて油でぎとぎとしてるものを、ばくっと食うのが好きだ。ただ、八幡浜を離れるとそうめったに食える物ではなく、1年に1枚ぐらいしか当たらない。たまに、八幡浜に帰省しても、てんぷらつまみ食いのような貧乏臭いことをしていると家族が嫌がる。外で生まれ育った女房子どもは、とうぜんのことながらてんぷらには全くシンパシーを持っていない。

ところで写真のてんぷらは、徳島で買った物だ。きょう、徳島に日帰りで出張してきて空港で見つけた。いやはや、あのてんぷらが大した出世ぶりである。「手造りじゃこ天」などとたいそうな名前をもらい、真空パックになって5枚で600円だ。いったい何様のつもりか。30年前は、新聞紙に包まれ、この倍の大きさで一枚8円だったのだ。私も八幡浜の出としては、背広を来て東京の会社に勤めるほどの出世ぶりだが、てんぷらにはかなわない。てんぷらに匹敵する出世頭といえば、するめだろうか。あれは、昔は一枚15円で....もうやめよう。


2002.6.25 パンクのことを書いてはいけない

誰かの日記だったか、ウェブのニュースだったか、どこで読んだものか、うかつにも忘れてしまったのだけど、アメリカ人の論で「ウェブ日記(彼の表現ではパーソナルログ、あるいはウェブログというようだったと思う)」にタイヤのパンクの事を書くのは勘弁してくれ、というのがあった。わざわざパンクというのが面白い。他人が読んで面白くない書き物の例としてパンクの日記をあげるのが面白い。何が面白いかといって、私は他人のパンクの書き物を好んで読むからだ。むろん、パンクといっても自転車にかぎるが。

というような次第で、今日はパンクの話を書く。子どもの18インチの後輪がやたらと空気が抜けるので、中を調べてみたら、チューブもリムテープも腐食が進み限界に来ている。10年物で、お古の、お古の、お古を乱暴に使った結果だ。修理もパッチでは間に合わず、チューブを交換しなければならない。交換のためには位相幾何学の法則にのっとって、後輪を外さなければならないのだが、さて、一般子供用自転車の後輪は厄介だ。後輪を外すのにどれだけの障害があるかと、見るだけでうんざりしてくる。チェーンケース、ドラム式ブレーキ、荷台、スタンド、泥除け、これら一式が後輪を取り出すことのじゃまをしている。

そして、それらを外すために必要な器具が、これまたすごい。15ミリ、14ミリ、12ミリ、10ミリ、9ミリ、8ミリのレンチ。2種類のドライバー。タイヤレバー。しかも、ボルトナットはみな錆付いて、ちょっとやそっとでは動かない。素人だと、ねじの頭をつぶすのが落ちだ。

少なくとも、あのドラム式のブレーキだけは何とかならないものだろうか。いまの技術ではキャリパー式のほうが、よっぽどシンプルで軽量でメンテが楽なブレーキになる。前輪はそうなっているのだから、後輪にドラムが残っていることには利権絡みの腹黒さを感じざるをえない。

私はドラムブレーキのようなものを見るたびに文化の理不尽さを感じる。いわゆる文化的な所産は、そのものに関わっていない人にとっては捨てたほうがいいものばかりである。歌舞伎や相撲や落語などもないほうがいいに決まっている。なけりゃないで、それなりの楽しみを個人はみいだせるものだ。だけどまあ、劇映画や高校野球はあっても私の迷惑になるものではないから、存続を許してもいい。しかし、ドラム式のブレーキはだめだ。なんであんなものがいまだに大きな顔をしているのか、ほとほと悲しくなる。本来は世界に誇るべき日本の自転車の恥部、工業技術の汚点といってよい。

パソコン関連でもなさけない文化はしぶとく生き残っている。むちゃくちゃな配列のキーボード、行き当たりばったりの文字コード。英数記号にもれなく半角・全角があるのはなぜ? 全角の「@」って、メールアドレスを間違わせる以外の用途を私は知らない。そもそも「全角」って言い方はなんじゃらほい?


2002.6.27 恋愛と育児は別腹

カッコウの第一の謎に、配偶者の認知をあげる人もいる。彼のいいぶんでは、他種の鳥に育てられ、カッコウの仲間を全く見ずに育つのに、恋人選びに支障をきたさないのが不思議だというのだ。私はそのことをあまり驚異とは思わない。なにしろ、突然美しいメスカッコウにであったときのオスカッコウの気持ちは明解に「わかる」のだから。かえって、里親を記憶できるらしいことのほうが信じられないくらいだ。

鳥の中には生まれてはじめて見る動く物を「親」と認知するものが多い。アヒルの親に育てられたハクチョウは自分の親がアヒルであるかのように振舞う。ただし、時が来て大人になれば、ハクチョウは問題なくハクチョウを恋人にする。それはなにも、水に写った自分の姿を見て、ハクチョウとしての自覚ができるから、というわけではない。親を知ることと恋人を知ることはまったく独立した能力なのだ。

動物は学習することができる。ハクチョウは誰が親であるかを学習によって理解する。ところが、こと恋愛に関しては学習能力は封印されているかのようだ。ハクチョウやカッコウの恋人選びには彼の経験はなんの力も貸さず、なんの障害も与えない。

もてるタイプは生まれつき決まっている。動物一般でそれは固定されたものだ。人間ですら、心の中に巣くう「最も女らしいタイプの女」というイメージを変えることは不可能だ。動物に生まれつき内蔵されている恋人選びの能力がはたして適応進化によって発達したものかどうか、興味深いところだ。カッコウの過酷な一生を考えれば、オスメスが出会うという、それだけで双方じゅうぶんに配偶者として資格があると思う。それでも、器量の良い娘、悪い娘がいて、やたらと持てる男がいたりすることだろう。

つらい幼年期をすごし、青年期を過酷な旅に明け暮れ、恋人と運命の出会いをしながらも、いざ繁殖となると自分とは縁もゆかりもない鳥に頼らなければならないカッコウ。因果な生き物である。


2002.7.5 前言撤回

親の認知と恋人の認知について、もう少し補足しなければならない。ハクチョウは学習によって「親」を知る一方で、「恋人」を知るには学習の必要がないといった。この事をもうちょっとだけ詳しく見ておく必要がある。

哲学には伝統的に唯心論とか観念論というような立場がある。人間が見ているのは、あくまで心に写った物体の影だということを貫く立場だ。歪ではあるが、正しいに違いない。しかし、そういう立場をとっても何かの足しになるものではないので、普通は相手にされていない。

さて、ハクチョウであるが、彼が「親」「恋人」をどう見ているか、ということを科学的に考えようとするならば、観念論のお世話にならなければならない。なぜならば、人間がみるかぎりハクチョウの「親」と「恋人」は「メスハクチョウ」という同一物だからである。

ハクチョウのヒナが親と思うのはハクチョウの成鳥だけではない。アヒル、アヒルのおもちゃ、人間、自動車、セスナをためらいなく親と認める。彼にとって何が親かということを人間的に表現するならば、「ウロウロ動く、まとまりをもった物体。ただし兄弟ヒナは除く」ということになる。いったん彼が成長すると、いくらセスナや自動車に育てられようと、そんなことはすっかり忘れたかのように、メスハクチョウに夢中になる。時が来て潮が満ちれば、この世の中でメスハクチョウだけが持っている特徴X(特徴Xなどとぼかすのは、単に私が研究していないから知らないだけである。)を無経験に見い出してメスハクチョウを認知するのだ。

ハクチョウは成長に応じて、客観的には同一の「メスハクチョウ」を「親」「恋人」と見分ける。見分けるための鍵は、メスハクチョウがもっている属性だ。その属性は親としてのものは「動くかたまり」であり、メスとしては「特徴X」である。その両者の属性をもっておれば、たとえ我々がハクチョウが本質的にもっていると思っている特徴、空を飛ぶとか白い大きな鳥とかいうもの、がなくても、親になり恋人になる。

こうなると、科学者を自認する私としては子ハクチョウの心の中には、親や恋人をこの世の中にある無数のものから見分けるために利用できるイメージを創出する機能が備わっていることを認めざるをえなくなる。そして、そのことを認めるならば、先に、「親」を知るには学習が必要で、「恋人」を知るには必要がないといったことを改めなければならないことに気づく。


2002.7.6 学び

いま問題にしている状況のような場合、何をもって学ぶというのだろう。たとえば、一部の猛禽を除いて、鳥はヘビを嫌い恐れる。その様子を見て、鳥は遺伝的にヘビを嫌うものであると推理する人がいる。私は多少そのことに疑問を持っている。なぜならば、ヘビを恐れる程度のことは学習によっても身につくからだ。遺伝子はヘビ程度のものに関わる暇はあるのか。それほど暇ではないのではないか。

ヘビを天敵として認知するためには、ヘビに襲われる必要はない。ヘビの姿を見て、鳴き叫ぶ親や仲間がいればよい。警戒の声を聞いて、ぞくぞくするいやあな気分が起きれば、その声を起こさせた対象が危険なものであるという認識ができる。この学びは幼い方が効果的だろう。いわゆるトラウマである。そして、また自分もヘビを見たときに、声をあげれば仲間や子どもにヘビが外敵であることを教えることができる。そのように、代々学んでおれば、ヘビごときに遺伝子などというたいそうなものを持ち出してこなくても済むのだ。

ただし、警戒の声に接してゾクゾクする能力、ゾクゾクしたら警戒の声をあげる能力は備わっていなければならない。特に前者は遺伝子に書き込まれていなければならないだろう。

ハクチョウでいえば、卵から出て数時間の間に見た動く固まりに対して、エサねだり行動を起こし、その固まりの姿を深く記憶する能力が遺伝的に備わっていなければならない。また、自分が成熟した暁にはメスハクチョウの特徴Xに接して、えもいわれぬ恋心をかきたてられて、一連の求愛行動を始めなければならない。以上のように考えると、どちらも同じ意識の過程によって起きる行動だということが明らかになる。ただ、この世の中にメスハクチョウの特徴Xを備えるものは、まずメスハクチョウなのだが、動く固まりは無数にあり、いたずらや実験によって親ハクチョウ以外のものを、親として教え込むことができる。その可塑性ゆえに学習があるように思ったのだ。


2002.7.7 あいまいな図鑑

ハクチョウは図鑑を持って生まれてくるようなものだ。彼の図鑑の最初のページには親の姿が記載されていることだろう。心の中の図鑑と、外界にある何物かを照合して親を決める。親の図鑑が彼の心象に現れるのは極めて短い間らしい。そして、ひとたび親が決まれば親の図版は消去され、二度とそのページ開かれることはないらしい。

おどろくのはその図鑑のあいまいさだ。親なんて、とっても大事な相手なのだから、その姿がもっとしっかり記録されていてもいいような気がする。ついでに、ヘビは天敵なのだからニョロニョロする長いものは敵だと記録されていてもよいように思える。そのほうがより適応しているのではないか、というのは当然の疑問だ。

親の像のあいまいな理由の一つには、ヒナの幼さがあると思う。目が開いたばかりで脳も未熟なときに、詳細なイメージと視覚像を照合するのは無理がある。ヘビについては進化の掟で、「失敗からは学べない」というのがある。ネガティブな情報を学ぶのはあくまで個体で、彼の学習したことは子孫には伝わらないのだ。天敵に関するなんらかの行動が生得的に受け継がれているならば、それは種の存亡を左右するほどの重大事で、しかも幸運な偶然によって生じた行動にちがいない。対して、成功する行動様式、とくに繁殖に直結する行動は速やかに種の中に拡がって行く。このことが突然変異の速さや、まるで進化の道筋に目的があるかのように誤解されるゆえんである。

念のために断わっておくが、直前のアイデアは進化論の定説でもなんでもなく、丁akedaが通勤電車のなかで思いついたものにすぎない。若い諸君は覚えても試験で合格点は取れないので、読み飛ばして欲しい。また、頭のいい人なら、そのアイデアは真であるけれどもトートロジーに過ぎないことがおわかりであろうとおもう。同じく、擬態などの適応様式をまるで奇跡であるかのように扱うのも馬鹿げたことだ。誤謬を正すのにインチキも必要だという例だ。

「目を開けたときに見えた動く物=親」という観念連合は、それ以上詳細なものになっても効果に影響がなければ進歩するわけがない。よりよく親を見分けるものがより多く餌をもらるなら話はちょっと別だ。

ハクチョウでちょっと遠回りしてしまったが、子どものときと親のとき、その時々に持っている図鑑の内容が異なることが、カッコウの托卵には絶対に必要だということが明らかになる。


2002.7.8 パソコンでうんだめし

この1週間ばかりは、パソコンで運だめしをする日々だ。電源のスイッチを押して、起動すればよし。起動しなければダメ。起動しないときは、ボタンを押すとカチッという小気味のよい音がしてそれっきり。ボタンを押し続けると、1秒に1回ぐらいカチッカチッカチと鳴り続ける。それだけ。一発で起動することもあれば、3〜5回鳴らせば起動が成功することもある。何度トライしても、1日だめなときもある。ちなみに、今夜は起動しないので別の機械でこれを書いている。

いうまでもなく、いろいろな修復を試みた。内蔵電池を変えたり、ロジックボードを交換したり、ハードディスクを換えたり、CPUを抜いたり刺したり。そのような手だてを加えると何をしてもしばらくは1発で起動するようになる。そういう手だてがどのような効果を与え結果的にしばらくは調子がよくなるのか、その理由がさっぱりだ。ただ、最大公約数をとってみると、悪いのは電源というところに落ち着く。

この機械は1年ちょっと前に1万円で買った中古のPowerMacintosh8100/100だ。同じ機械は今3000円ぐらいでネットで買える。金額的には買い換えにためらいはないのだが、問題は筐体その他諸々のゴミをいっしょに買わなければならないことだ。すでに、ハードディスクだのリムーバブルのストレージだの、4〜8メガバイトのメモリーだのの各種カード、動くはずだけど使い道のないゴミがわんさかとたまっている。PowerMacintosh8100の電源だけを買えるチャンスはあまりない。電源だけ手に入れたとして、もし、それ以外の不具合だったら、電源ゴミが1つ増えてしまうのだから。

ともだちが、PowerMacintosh8100よりも少し新しいPowerMacintosh9600をくれるというのだが、山梨だというのがおっくうで1年以上のびのびになってしまった。この機会に意を決するのがいいかもしれない。山梨から神奈川は1泊2日でちょうどいいサイクリングだ。途中の峠を、15kgもあるパソコンを担いで登るのはしんどいだろうな、とついついそこまで想像してしまう。そういうシミュレーションをする人はあまりいないと思うが、やってみるとちょっと面白味もありそうに見えてくる自分がかわいい。


2002.7.11 母と恋人の概念

われわれはごく普通に、母親と恋人は別物と思っている。その理由なんて考えもしない。その分別が心の深い所に根ざしているのかもしれないなどとは思わない。ようやくカッコウの気持ちを考えることで、いろいろな発想が湧いてくる。そうして少しずつ自分の心の闇の部分に光を当てることができる。

認知についてはわれわれはとても豊かな世界に住んでいると思う。そうした世界の豊かさは、進化の過程を経て人間が獲得したものだ。プリミティブな生物はプリミティブな感覚で生きていたろう。感覚の古さは意味分節の貧しさからも伺い知ることができるかもしれない。触覚や嗅覚なんてわれわれには暗闇も同然だ。臭いを使って、「これは○○である」と認知するものはすくない。ただし、それは臭覚の世界自体が貧相なのではない。臭いに名をつけて訓練すれば酒とか香水とかを細かく分類することもできるのだから、人のやる気の問題なのだ。

ふつうには触・臭・味・聴・視という分類で五感という。五感は言語的に意味分節される。中でも視覚はダントツに言語的に意味付けされやすいので、人間は五感の内で視覚を最もよく使っている、などと誤解される。この五感にくわえて、観念論の考え方をする人は、「概念」というようなものを並べて置きたがる。「思っていること」も彼らにとっては感覚するものなのである。

概念は完全に言語的な対象だ。「赤い花」とか「好き」とか「世界平和」とか「無」とかいうのが、概念の世界だ。それは外界に対象を持っているらしきもの(たとえば赤い花)から、内的な状態をあらわすもの(たとえば好き)、対象のないもの(たとえば世界平和)、対象がないことをことさらに協調するもの(たとえば無)というような感じだ。何が何やらさっぱりで渾沌としてつかみ所がない。つかもうと思ったらカッコウの助けでも借りないとだめだ。

人に対して「概念」って何だろう? という問いかけは無駄も同然だが、カッコウはちがう。少なくともカッコウのもっている「母」「恋人」という概念は完全に別物であることがわかった。ハクチョウなんかの行動もあわせてみれば、鳥の中では母親と恋人という両概念が別々に自動的に心の中に生じて来ることは明らかである。だからこそ、カッコウがカッコウとして現在の托卵という戦略を手に入れることもできたのだ。


2002.7.13 むしろ雨

いくら、暑いのが好きといっても、体温より気温の方が高くなるともうだめだ。7月ともなると、むしろ雨の方が気持ちがいいことが多い。雨で嫌なのは第一に体が冷えることだ。これは何よりもいけない。つぎに、服が濡れて体の自由がきかなくなること。これは、ぺらぺらの安物の服ばかりを着ているのでどうしようもない。次に滑ること。いまはスリックのつるつるのタイヤにしているので、雨にはからっきし弱い。相模川の河岸段丘のきつい上りでダンシングすると、後輪だけがアスファルトの上を空転し始めた。調子に乗ってびゅんっとコーナーを攻めると自爆は必至だ。


2002.7.16 レンズ雲

レンズ雲

日曜日には、台風が近づいていることから、すばらしい雲がたくさん見られた。とくに、西の空に見えた数枚のレンズ雲は圧巻であった。午後の早い時間から日没まで、数時間にわたり空に張りついたように動かない。高度は2000から2500メートルぐらいだろう。その雲の上空には高積雲や巻雲があり、はるか下、高度500メートル付近には、ちぎれた雲が強風に吹かれてつぎからつぎに猛スピードで流れていく。たぶんこのレンズ雲は丹沢山系にぶつかった西風が大きな波を作り、その風の山に当たるところにできたものだろう。このあたりではたまに見られる。


2002.7.22 

レンズ雲

先週の土曜日になんとなく撮った雲が現像してみると妙に力強く写っている。雲はデジカメじゃないと撮れないと確信しているが、フィルムでも適度にはいけそうな気がしてくる。


2002.7.23 なまけもの、月を見る

満月に近い赤い月が天を照らしている。空は白み、朝が近いことを告げている。この明るさでは時計の文字盤は見えない。くたびれているのに、なぜか目がさえて眠れず、やがて月は西の山の端にさしかかっていく。私は今朝のように、満月の付近で眠れないことがある。雲のベール越しの赤い月を見ながらそのことを思い出した。

今から25年ほど前のこと、大学の教養部のとき、おもいっきり怠惰な生活をしてみようと決意したことがある。まだ19才、おもえば、人生でもっとも怠惰なくらしが可能なときだった。あれほど、だらだらした生活はもう二度とできないだろう。取らなければならない単位もほとんどなく、実験もなく、締め切りの迫った論文もない。生活のために働く必要もなかった。そのほか時間を拘束するありとあらゆるものから私は自由であった。ファミコンはこの世に誕生していない。テレビもラジオも電話も持っていない。家財道具といえば、冷蔵庫と自転車があるきりだ。パソコンなんて気のきいたものは大学の研究室にすらなかった。そして何よりも幸いなのは友達がいないことだった。男も女も、私を誘い出して遊びたがる者が一人もいなかった。

最初はふつうにだらだらと過ごしていた。眠りたいときに眠り、目が覚めると起きて、食べたいときに食べる。そうこうするうちに、日周リズムがずれていくことが自覚できた。ずれが溜まっていくと、かなりしんどくなる。そうした体験が妙に面白く、本気でだらだらしたらどうなるかを試してみたくなったのだ。

やり方は私の環境からすれば簡単だった。まず、目が覚めてもなるべく起きないようにする。無理に起き続けるようなことはせず、無理に眠ることもしない。食事は最低限しかとらない。ひたすらだらだらすることに行動の焦点を合せた。たまたま起きている時間と授業があえば大学に行く。夜明けに目が覚めれば、これ幸いと、川にヤマセミやサンコウチョウの観察に行く。夕方に目が覚めれば、クレヨンで絵をかいたり、レポート用紙を切り貼りして宇宙ステーションの模型を作ったりして眠くなるまで過ごす。そういう怠惰な生活を4カ月ほど続け、心身の記録を取った。

特筆すべきデータは、入眠と月の出、覚醒と月の入りのシンクロだった。特に上弦から満月にかけてがぴったり一致する。満月でちょうど昼夜が逆転して、しばらく怠惰な生活が辛くなる。満月から下弦にかけては入眠と月の入りが一致しなくなり、一気にリズムの崩れる日が来る。リズムの乱れは、起きられないことではなく、眠れないことから起きる。頭の芯だけが眠っているような状態が一日以上続き、体調もすぐれない。新月ぐらいからようやく不調を克服して、睡眠と月の運行が一致してくる。

その後、体内時計やサーカディアンリズムのことは貝類やゴキブリの研究者以外にもよく知られるようになった。ヒトも体にある24時間よりも少し長いリズムと、社会の24時間ちょうどのリズムとの兼ね合いをうまく取って生きているということがいわれている。

私は退屈しないことにかけては誰にも負けない。怠惰にかけてはプロフェッショナルである。しかし、今では諸般の事情から、だらだら生活は許されず、24時間ぴったりの周期で生きている。今朝のように満月に目が冴えていても、あと2時間もすれば満員電車に乗らなければならない。それはそれでしんどいが、あのころよりはずっと気楽な毎日だ。


2002.7.27 宇宙の起源を考えるわけ

鳥もヒトも概念を持つ。概念は経験による記憶によって作られているものあり、記憶によらず自動的に体の中からわいて出てくるものもある。ヒトがものを考えるときには概念を構成する。概念も自由につくれるわけではないように、構成も好きかってにできるわけではない。どのようなタイプの構成力があるかは種によって決まっている。

人間に独特といっていい構成力の一つに「因果」がある。何事かには、それが起こった原因があり、また、何事もなにかの結果を引き起こす、という考え方だ。これはなかなか有力で、この世のありとあらゆるものに適用できるように思われる。たとえば、鳥の巣。木に鳥の巣があれば、何者かがそれを作ったに違いない。巣があるからには、卵を産んでヒナを育てるに違いない。というように考えることができる。ごくごく自然にそういうことができるので、人間は巣を作る鳥もそのように考えているのではないかと誤って連想してしまう。

鳥が巣を作るときには巣でヒナを育てることを予測する必要はない。卵を温めるときに、その卵がヒナになることを予測する必要もない。じっさい彼らの頭の中には、そういう因果の考えはなさそうなことが、ちょっとした実験観察から明らかになる。

因果という構成力を得て猿はヒトになったのだろう。化石人類がチンパンジー程度の文化しかもっていなかったころ、因果を構成する力は強力に生きることをサポートしたに違いない。栗の花があればやがて栗が実り、栗の実があればやがて芽を出し木となり花を咲かせる。同じことがおいしい実をつける植物全般に適用できることを知れば、ほかの猿の百倍の食料を得ることができる。

原因結果を見誤ることはある。果実の実りやサケの塑上の心配だけをしておればよかったものを、ありとあらゆる概念に対して因果の構成を適用してしまう。真の意味で原因結果を追求することはじつはできない。しかし、それは単に未熟や無能によるもので、ものごとに原因結果があることは揺るぎない事実だと素朴に信じている。しかもその信念を反証する事例は見つからないから始末におえない。そうして全ての概念の因果に思いをめぐらせてしまう。森羅万象の原因、すなわち宇宙の起源や死後の世界の心配までしてしまう。他の猿の百倍の食料を手にする能力の副作用だ。


2002.7.31 理系が負けるわけ

私はこてこての理系頭をしているので、文系の人とつきあうのがおっくうだ。夏目漱石とかニイチェとかドストエフスキーの話が嫌いというわけではない。大槻教授よりも鴨長明のほうが好きなくらいだ。苦手なのは文系の彼らの発想や物言いである。

理系の人間はいつも間違った事を言う。これは良く知られていることだ。その間違いは必ず明白なものだ、というか、彼らは正しいか誤りか決められないことは口にしない。こてこての理系頭には確かめようのないことなど、はなっから興味ないのだ。

理系頭は何を考えるにしても、すでに明白と思い込んでいる法則から説明を組み立てる。未解明の仮説など持ち込む気はさらさらない。だから、彼らのいうことがその法則に合致しているかどうか検証するだけで正誤が判明する。そもそも、法則の組み立てで説明のできることなど滅多にあるものではない。したがって、理系の人間は黙っているか、口を開くと、いつも間違っている。彼らは100の間違いの末に1つの正解にたどり着けたら御の字なのだ。

文系の連中はそうはいかない。彼らは滅多に間違ったことを言わない。少なくとも間違いかどうか確かめられるようなことを、彼らの口から聞いた覚えがない。彼らの興味はもっぱら相手を説得できるか、とか、人を引きつけられるか、とかに向けられているように思う。私はそういう無駄口を聞く暇はない。そんなとき、いつもこう思っている。「君には負けるけど、勝っても虚しいから」


2002.8.3 50円の髪飾り

さて、写真は髪飾りである。近所で盆踊り大会があって、次男がどうしても祭りに行きたいというので、連れていった。次男のめあてはいうまでもなく屋台である。祭りとなると、風船やら金魚やらの屋台がでる。そういうところの商品は子どもの目には異常に魅力的に写るものだ。

さて、肝心の屋台であるが、それがしょぼかった。風船や金魚はおろか、イカ焼きすらない。くじ引きのテントが一つあるっきりなのだ。しかも、町民のボランティアらしく、安いものばかりだ。という次第で、次男には「どれでもやっていいよ」といって、好きに選ばせた。そして、50円で当たった(はずれた)ものが、この髪飾りなのだ。

プラスチックと鉄でできたこの髪飾りが50円以上の値打ちのものなのか、以下のものなのか、それはよくわからない。ただ、こういう物は確実に無意味である。存在しなくても誰も困らないだろう。こんな物を作る暇があったら、もうちょっとましなことができそうなものだ。存在していても誰も喜びそうにない。なにゆえに、こういうものがこの世に存在するのか、いくぶん不可解である。次男にも無用の長物らしく、いらないからと言って私にくれた。

むろん、これも工業製品であり商品であるからには、デザイナーが形を描いて色を考えて、工員が型を作って製造ラインにのせ、プラスチックを成形してペンキを混ぜて色を塗り、どこかのパートのアルバイトがピンとプラスチックをはめ込んだに違いない。そこには損得勘定をしている営業もあり、何を運ぶとも知らずに車を運転している運送業者もいる。この50円で当たった(はずれた)髪飾りが私の手元に来るまでのことを一通り考えれば、もう少しましなことに知恵と力を使えないものかと、改めて思った。


2002.8.4 フリーセルを1万個解く

ひとまず、フリーセルを1万個解くことができた。今日は100ほど解いた。もうすぐ1万になると思うとついつい足早にがんばってしまったのだ。これで、1番から1万番までは全部解けることがわかった。目標の10万まではあと9万個もある。道のりは遠い。


2002.8.6 アブラゼミはなぜ鳴くか

アブラゼミはやかましい。いまは午後11時であるが、昼間とかわりなく激しく鳴いている。他の音がないぶん余計にうるさい。昔はアブラゼミは夜には鳴かなかったように思う。鳴いたとしても、電柱の明かりのところで、申し訳程度に鳴くのが関の山だった。ところが、いまでは深夜でもよってたかって大勢で鳴く。じつにやかましい。

これだけ異常な鳴きかたをされると、「なんで?」という疑問もわく。よくいわれるのは、「都市は夜でも明るいから」というのがある。これは誤りである。なぜならば、いまアブラゼミが大合唱している大和市下鶴間は真っ暗だから。「ヒートアイランドで夜でも暑いから」というのは怪しい。あいつが鳴くから暑くなるだけのような気がする。

私は夜でもアブラゼミが鳴くのは、「アブラゼミが増えたから」だと思う。私はかねてより「アブラゼミのオスが鳴くのはメスのため」というのは誤りだと思っている。あいつらは鳥やコオロギとはちょっとちがう。セミが鳴くのは集まるため、仲間うちで密集していることの確認のためだと断定している。その仮説と夜に鳴くのは密接な関係がある。

深夜のアブラゼミの合唱を観察していると、その始まりは、独唱であることがわかる。1匹がじりじりじりっと、例の歌を始める。最初は他のアブラゼミは黙っている。1匹の歌がすぐにやめば他が鳴くことはない。それが、歌を3回、4回と続けるうちに唱和するものが現れ、すぐに大合唱になる。ひとたび合唱がはじまると、かなり長い。もう10分以上続いている。この合唱が朝まで続くことはない。これまでは、せいぜい1時間とかからずに静まりかえるのが常だった。

アブラゼミは仲間の声が聞こえると、鳴かずにはいられないのだろうと思う。その理由を彼らは知らないし、意味も分かっていないだろう。声さえ聞こえれば、たとえ飛ぶことのかなわない夜だろうとお構いなしだ。やつらは飛ぶのにどうしても目と明かりが必要だから、夜に鳴いたからといってメスが来るわけでも、行けるわけでもない。とにかく声を聞けば鳴くしかない。深夜の独唱が始まるのは、ある一匹がたまたま明るい所で鳴き始めるからかもしれない。そして、それに応えるのは群れの密度が高いからだ。密度が高ければ、それだけ合唱は長く続くことになる。

いま11時8分。私の家の近くの群れが鳴き止んだ。ざっと数を数えると10から20匹ぐらいだったろうか。独唱が始まってから20分ほどが経過している。離れた所では、合唱が続いている。聞こえる範囲で、3グループほどが鳴いているようだ。

午後11時25分。聞こえる範囲の全てのアブラゼミが黙り、風の音だけが聞こえている。


2002.8.8 安藤仁一に逃げられた

島袋光年逮捕。とても残念なことだ。これで、安藤仁一やヒロシの謎は永久に闇の中ということになる。残念なことだ。

ところで、島袋が金をやったのではなく、もらっていたのなら、つまり女子高生相手に売春していたのなら、犯罪にはなるまいと私は思う。女子高校生が大金持の漫画家にわざわざ貢ぐぐらいなら、未成年者とはいえ恋心ゆえの買春に違いないと、誰もが思うからだ。

「金はもらってもいいが、あげてはいけない」 このたびの不幸な事件からの唯一の教訓である。


2002.8.10 風で恐い

この2、3日ばかりはやけに空気が澄んで空が青い。8月も半ばともなると、さすがに風は冷たくなって、日が落ちるのも早くなる。

7月、8月は境川ばかりを走っていた。なんだか山に行くのがおっくうだったからだ。境川は10分で自動車のない道に出るので手軽だ。交通量の多い道で、車の流れに沿って走っているときはそれほどでもないが、住宅地の交差点では、車が恐い。特に今日のような風の強い日はびくびくしながら走ることになる。

見通しの悪い交差点にさしかかるとき、車が来ているかどうかは、音で確認している。うしろからの車の接近も音でみえる。車はエンジンやタイヤが結構な音をたてるので、目よりも先に耳が役に立つ。ところが、今日のような風の強い日はだめだ。回りがざわざわしている。耳たぶに当たる風がごうごうとやかましい。まるで目隠しして走っているような状態だ。

北海道の森にカメラを持ち込んでいろいろな動物を撮影しているときに、動物学者から同じような話を聞いた。野性のシマリスは非常に警戒心が強いので、木ノ実を食べる所を撮りたければ、餌場に陣取ってひたすらしんぼう強く待たなければならない。風の強い日は特別に臆病なのだそうだ。キツネなどの接近が風の音に紛れてわからないかららしい。

鳥は音には過敏ではない。姿を隠しておけば結構な音をたてても全く警戒しない。クマタカは巣の近く100メートル以内に人がいると、上空から姿を見つけて警戒し降りてこない。ブラインドにさえはいっておれば巣の直下でも問題ない。逆にクロテンは姿を見せた方がいいらしい。隠れてこそこそ音をたてているとかなり警戒するが、姿を見せて音源をはっきりさせておけば安心するのだそうだ。


2002.8.11 台形賛成円周率反対

夜になって風がやみ、蒸し暑くなる。追い打ちをかけるかのようにアブラゼミの大合唱が始まった。

さて、どうやって数学や理科の教育をほどこすかは大問題になっている。頭の悪い子が多すぎて、大学教育もままならなくなっている。頭のいい子どもがちゃんと理系に進まないようになっている。これからの地球を支えることができるのは科学者やエンジニアしかいないのに事態は悪化の一途。というわけで、早いうちに数学や理科の勉強をさせねばならないのだ。

とうぜん、現在の算数・理科をもっと魅力的にしなければならないといわれる。その一案として、みんなに分かりやすいようにと、覚えねばならないことを3割削減した。そして小学校から台形の面積の公式が消えた。あれは大賛成である。よくいままであんな理不尽なものが生き残ってしまったものだ。本来は最初からあんなものはいらない。小中学校の図形の問題は数学ではなくただのパズルだが、台形の面積の公式はそのパズルを解くのに使えない。上底と下底と高さが分かっている台形、あるいは長方形、ひし形、正方形の面積を求めることにしか使えない公式なんて無意味だ。

せっかく台形の英断があったのに、円周率では大失敗をしてしまった。気の利いた子どもなら円周率は15ケタぐらい覚えるので、3割削減すれば、10ケタになる。普通の子は3ケタしか覚えなかった。つまり、3.14だ。それを3割削減すれば2ケタで3.1ぐらいということになるのだ。どうせやるなら、πを「およそ3」と不明瞭に記述するよりも、嘘でもいいから「3」と頭ごなしに決めつけた方が良い。直径1の円に外接する正方形の面積は4だ。内接する正方形の面積は2だ。とうの円の面積は3だ。わかりやすいこと請け合いだ。

物事は短ければわかるというものではない。物事は、習うことが少ないほどよく覚えられるというものではない。たとえば、5つならって4覚える子なら20ならって6覚えるだろう。5つならって6覚えるのは無理というものだ。5つならってやっと1覚える子なら、20も習えば2ぐらいは覚えるだろう。そもそも分かれば面白いのは、その対象を本物だと思い込めるときだけだ。しょせんはインチキだと思っていることを、勉強なんだからと覚えたり分かったりしても面白いわけがない。


2002.8.12 わかるということ

そもそも「わかる」というのはどういうことかをしっかり把握しておかないと、子どもに科学をわからせることなんてできるわけがない。まず「わかる」ということがどういうことなのかを知った上で、本当にわからせることが必要なのか、必要ならばどうやって鍛えるかを考えなければならない。

わかる上で、まず知るということがある。現象であれ概念であれ何らかの対象に接することからわかることは始まる。ただし、知っただけではわかったことにはならない。りんごが木から落ちるということを見る、あるいは話できく。そのことだけではだめ。ある時あるりんごが木から落ちたことしかわからない。そういう個々別々の体験をわかるとはいわない。わかるためには一般化が必要だ。一般化というのは、何らかの対象に意味付けすること。原因理由をつけたり、判断をつけたりすることをいう。

1)地球の引力に引かれたから
2)落ちることを「落下」という
3)りんごが落ちるのはすごいことかもしれない
4)りんごが落ちたのは台風が来たから。農家はたいへんだ
5)落ちたりんごはタヌキが食べるだろう
6)りんごが落ちるのは下向きの意志があるから

上にあげた例はいずれもラブリーなわかり方だと思う。人間はいろいろなわかりかたをするものだ。6)は微笑を誘う。ただしこれは私の思い付きでもなんでもなくて、大哲学者ショーペンハウエルが本気で主張したことだ。彼のいう「意志」は江戸時代、質量保存の法則が一般化されはじめた頃に彼が独断的にあみだしたアイデアだ。ショーペンハウエルの理論では、「この世にあるものは全て下に行こうとする意志を持っている。重い物ほど強い意志をもって下に行こうとしている。りんごよりは岩石のほうがより強い意志で下に向かっている。」というのだから筋は通っている。彼は科学者としての実績は皆無だが、自然現象のバックボーンを考えるために量子論的な着想を使っていた。直観ではニュートンやアインシュタインに伍する人物だったのだろう。

要は、個々別々に知ったことを、心の中で一般化することが「わかる」ということだ。それは主観を作ることでもあり、客観を作ることでもある。主観客観の別は、一般化するときに使ったアイデアの出所による。みんなが使っているよそ物のアイデアを使用したなら、それは客観といえよう。真偽のほどはひとまず問題ではない。


2002.8.13 科学的にものがわかるということ

科学的にわかるということは、現象の真理をつかむとか、正しく考えるということとは無関係である。そこだけはしっかり押さえておかないといけない。じゅうぜんな理解というのは、昨日の2)にあげたように、体験した現象、心に浮んだ観念を一般的なことばでいい換えるだけでも得られる。人生の大半はそれで事足りる。それを商売にして成功している人もいる。感覚的な理解はその種の立場の人には完璧な真理であるばかりでなく、科学的な理解と等価以上のねうちをもつ。

科学を学ぶということは、科学的なわかり方を訓練するということに他ならない。科学でつかえるのは、みんなが認めて使っている法則だけだ。未知の概念を持ち込むとアホといわれる。それらの法則のうち、自分が使えるものだけでわからなければならない。法則を知らないと考えることができない。つまりアホである。

科学は普通のわかりかたを排除する。科学は生理や経験と矛盾するわかりかたを要求する。科学的な考え方を身につけるためには、普通のわかりかたに逃げがちな心をしじゅう竹刀でしばいて矯正し、同時に法則をなるべく多く頭に詰め込まなければならない。この窮屈だけど最高の普遍妥当性が約束されている世界に魅力を感じるエリート(変人)だけが科学の道を歩むことができる。科学的な力は官僚や会社人には無用であるばかりか有害ですらある。この世界の99.9%を占める一般人に必要なのは、あくまで科学の知識であって、科学的な力ではない。


2002.8.16 デジカメ壊す

ウエストバッグにデジカメを入れて、立ちごけして壊してしまった。こけたときは気づかずに、いざ撮ろうとしてうまくいかず、「おや? 暑さでおかしくなったか」などと、こけて強打させたことなどすっかり忘れている。間抜けだ。どうやら、オートフォーカス関係のモーターとレンズ可動部の連結が壊れているようだ。ただいまCFカードのチェックにしか使えない状態だ。これは困った。

このデジカメは毎日使っているから、さっそく明日の朝から困る。たかだか空の様子をチェックするのに、フィルムカメラを使うというのも、あれだ。しかし、空を写すのをやめるというのもあれなので、新しいものを買うか、修理に出すかで思案のしどころになってしまった。

壊れたデジカメはニコンのクールピクス990というちょっと古いタイプのものだ。ところが、今もってこのクールピクスシリーズは新しくなっていない。というのは、ニコンが発狂してクールピクスのフラッグシップモデルの失敗作を2つも続けて出してしまったからだ。クールピクス5000と5700は世間の流行におもねて、売るためだけに作った無意味なカメラだ。実際よく売れたが、売れない方がユーザーのためでも、ニコンのためでもあったと思う。あんなものはわざわざニコンが出さなくても、フジやオリンパスがもっと良いものを先に出しているからだ。ニコンはクールピクスのスタイルを崩さずに、5000や5700の機能を持たせることも可能だったはずなのに、無駄な遠回りをしている。というわけで、私の壊した990から2世代もたっている4500はなんの魅力もないクールピクスになっている。990よりも使い勝手がよくなっているのは、スピードライト増灯用のブラケットが上に来たことだけ、という体たらくである。

私はいまだに、クールピクス990シリーズのデザインが最高だと信じている。最高のデザインだから、D1シリーズと平行してこのデザインを踏襲した高級機の開発がなされなければならないと思う。ニコンもそのことを分かっているから、4500などという半端なものを市場に出してしまったのだろう。液晶のファインダーやスピードライト回り、マニュアルフォーカスの使い勝手など、新規に5000や5700に採用した機能を990シリーズのデザインの中で実現させなければならなかったのだ。

990を壊してしまった私としては全く別物の5700は新規購入する意味がない。ただ、あまりにも4500は代り映えがないので新品を買う気にならない。D1シリーズはまだ私の使うタイプではない。たぶん4500の実売は6〜7万だろうから、修理代との相談になってしまう。3万以内に収まってくれればいいのだが。


2002.8.17 Powermacintosh9600/233

友達にもらったマックが絶好調である。パワーマック9600というずいぶん前の機械なのだが、これにちょっと手を加えると、最新型を凌駕する「使い勝手の良さ」が手に入ることはよく知られている。最新型の機械は、単に動画や音を何とかしようと改良されているだけで、私用のパソコンとしてはとっくの昔にオーバースペックになっている。私が9600で手を加えたのは、

1)ATAカード+2.5インチHD10ギガ
2)グラフィックカード TwinTurbo 128 8M
3)USBカード
4)メモリ増強+256メガ
5)ZIPドライブ内蔵

現在なら、ごくごく一般的な仕様であろう。それぞれ、中古品をオークションで買ったり、8100で使っていたものを再利用したものばかりだ。G3カードはもとからSONNET社の高級品がついていた。いただいたときに絶不調だったのだが、その原因は物理的にメモリーの一部が壊れていたことによる。マックメムテスターでその故障が判明したので、取り除くと見違えるように快調になった。普通に小さいサイズの写真をいじったり、テキストを打っている分にはこれほど快適なマックを触ったことがない。

ATAカードに刺した2.5インチのHDは、もともとパワーブック用に買ったものだが、作動音がきゅんきゅんうるさいので、すぐに流体軸受けのものに変更して捨て置いたものだ。それを9600に内蔵すると、あれ不思議、全く騒音が気にならない。9600自体が相当うるさい機械なのが幸いしているのだ。 牛のように図体でかいし。

今の最新型マックはかなり中途半端で、ビデオに関しては高価な機械をそろえてかんばれば扱えないことはない、というレベルだ。一時代前の256色しかでない機械で写真を何とかしようというぐらいの感じか。ビデオに関しては規格や権利が錯綜しているので、落ち着くまでにはしばらくかかるだろう。現行のビデオデッキ並に使えるマックが出ないうちは新型には用がない。


2002.8.18 貧乏人の食い物

隣の人が、アシナガバチを退治した。家の中に巣を作っていたので、たまらず巣を撤去したのだ。フタモンアシナガバチらしく、巣はてのひらほどある大型のものだ。幼虫は巣の周辺部分まで終齢に達しており、半分ぐらいは蛹化している。とうぜん、巣の中心部分には羽化が終わった部屋もたくさんある。

その巣をまるごといただいてきた。何にするかというと、ヤモリのエサだ。この数週間2匹のヤモリを飼っている。ケースに幼虫を放り込むと、ヤモリはハチの幼虫に興味を示して噛み付いてはみるものの、飲み込めない。ハチの幼虫はヤモリが一生かかっても巡り会えない旨い食い物だと思うのだが、大きすぎるのだ。アシナガバチでも終齢になるとヤモリの口のサイズを超えるのだから無理というものだ。

もともとヤモリにやるからという名目でもらったものだが、ついつい幼虫を食ってしまった。子どものころはハチの幼虫はうまいものだという意識があり、大きいのを見つけると万難を排して取って食ったものだ。あのころは確かにうまく感じていた。ところが、今食うとちょっとぷりぷり舌触りのいい脂肪の固まりに過ぎないのだ。ハチでも山菜でもクジラでも、いまの日本で野性の動植物を取って食うのはなんだか貧乏臭い。

貧乏臭いといえば、近ごろ喉が渇くので飲み物を携帯している。紅茶花伝やアサヒのミルクティーが好みだ。ただし、ああいうものを1本130円も出して買うのはもったいないような気がする。それで、空のペットボトルに給水器の水を入れて飲むようにしていたのだが、それが貧乏臭く思えてきた。ちゃんと給料をもらっている者のやることではないような気がする。

そこで、いろいろ思案した。

ミネラルウォーターのペットボトルならうまくごまかせるのは明らかだ。ところが、もともとそんなものは買う気が起きない。ただの工業水を金出して買うのは言語道断だ。いろいろ試した結果、聞茶というアルミ缶のボトルを買うことが多くなった。あれは、ただの麦茶みたいなものなのだが、デザインが中国の陶器風で高級感がある。水を入れても中が見えないので貧乏臭くない。ただし、ながらく使ってベコベコになったのを持ち運んでいると最大級に貧乏臭いので、そこは注意している。


2002.8.19 死に馬に鞭を打つ

壊したデジカメを修理に出そうとして、袋から取り出したところ、するりと抜け落ちて床に落ちてしまった。床がこれまた石のように固いので、「カーン、カラン」という硬い音をたてて、カメラが転がっていく。死に馬に鞭を打つとはこのことか。落とす前は見えていた液晶表示も見えなくなった。故障個所が増えたらしい。よわったもんだ。そんなことをやっても、外から見える変形はないのだから、けっこう頑強なものらしい。そういえば、ニコンのF401をコンクリートの階段で落とした事がある。踊り場まで跳ねながら落ちていったが、フィルターの角がへこんだだけで、本体は無故障無傷であった。

デジカメは毎日使うので、代替品を用意する必要がある。この際だから思い切って、130万ぐらい(円ではなく画素)の単焦点のものを一台買おうかとも考えた。デジカメはズームをつけることで無数の悪夢が生じる。あれが操作や設計の大きなネックだということは定説だ。クールピクス990以外のデジカメならズームはいらない。ざっと見渡したところ、高級品でズームのないヤツを出す気概はどこのメーカーにもないようだ。しかもどいつもこいつもズームが35ミリ換算で30ミリから200ミリぐらいなのが笑える。ズームにするなら、通常のユーザには20ミリから50ミリぐらいが最も使い勝手がいいと思うのだが、商品というやつは奇妙なものだ。とかなんとかぶつぶつ文句をいいつつ、なるべくベーシックなものを探すが、130万ぐらい(円ではなく画素)のやつは妙に割高感があってうまくない。せっかくシンプル設計にしながら、外見が「おしゃれ」だったりするのでげんなりだ。

ひとまず、新しいのを買うのは止めて、その辺でゴミになっているのを一台拾ってきた。コダックのDC80という一時代前の80万の(円ではなく画素)モデルだ。画質以外は、現在の私の要求を全て満たしている。図体が弁当箱のようにでかく、持ち上げると妙に密度が小さく、すかすか感があるのもなんだかうれしい。こういうシンプルな機械がもっと見直されてもいいはずだ。


2002.8.22 ガラスを磨く難しさについて

スピノザがレンズ磨きの達人であったことは良く知られている。世界のニコンを支えてきたのはレンズ磨きの名工であったことも有名だ。何千年か前に作られた水晶の髑髏はオーパーツとして名高い。古墳時代の勾玉は翡翠を磨いたり、穴を開けたりして作られている。ガラスだの石英だのを磨くのは崇高な仕事で、とても私なんかの出る幕ではない。

というようなすばらしいことに気づいたのは、パソコンのモニターに傷をつけたからだ。私のモニターは写り込みが少なくなるように、グレーのコーティングがしてある。汚れをとろうとして何げなく紙で拭いたところ、そのコーティングが一部とれてしまった。わずかな傷だが、見苦しい。しかも、コーティングなんてないほうが明るくてきれいに見えるので、どうせなら全部とってしまおうということになった。

洗浄剤をかけて何げなく拭いたぐらいで落ちるのだから、簡単に取れるだろうと思ったのが間違いの元。最初に傷がついたときと同じ薬、同じ紙で拭いてもほとんど落ちない。しばらくがんばってようやく10分の1ぐらいがはがれただけだ。そうなると今度は、コーティングの残っているところが、すすけたように黒くて汚らしい。全部落とすべく手元にある各種の溶剤、研磨剤等を試したがちっとも効果があがらない。

そこで腹をたてて紙やすりを持ち出したのが運のつき。もちろん、最初から全面をごしごしやるほど脳味噌腐ってはいない。隅の方でちょっとだけ試してみた。これまで、アルミやマグネシウムの合金を磨いた経験はある。しかし、ガラスは始めてだ。削れて欲しいときには削れず、削れて欲しくないようには削れるのがガラスの真髄と見た。隅っことはいえ、ガラスにやすりでついた傷というのはまあ汚いものである。斑になっているコーティングの100倍は見苦しい。

あわてて東急ハンズの研磨剤売り場に行った。金銀銅鉄アルミ、各種金属の研磨剤はいっぱいある。そういうのがかなり優れ物というのは経験済みだ。しかし、ガラスのは見あたらない。売り場のおっちゃんも「ガラスばっかりはねえ」と否定的に小さな袋を渡してくれた。聞いたこともない放射性物質のような名前のついた、怪しげなピンクの粉である。ガラスとも研磨剤とも書いてない。物質名と900円という料金だけが書かれてある。「これしかないんだよ。あんまり落ちないけど、わたしもメガネいっちょうつぶしたからねえ。」できることなら売りたくないようだ。

さて、その怪しげな粉をダメもとで試す。やはり、いっこうに埒があかない。まったく磨かれているような様子がないのだ。この作業のせいで新しい傷が増えなかったのが幸いというべきなのだろうか。その粉自体は優れた研磨剤には違いない。なにしろ、かきまぜ棒がわりに使ったステンレスのピンセットについた粉を拭きとっただけで、ピンセットがぴっかぴっかになったのだから。

いやはやガラスを磨くというのはたいへんなことなのだ。水晶の髑髏といわんでも、卑弥呼のころの翡翠や黒曜石の細工物だってオーパーツだと思えてきた。さて、こうなるといよいよダイヤモンドの登場か。先ほどけっこう値のはるダイヤモンドの粉をネットから注文しておいた。←懲りないやつ。


2002.8.24 知っているのに説明できないこと

塩は必要だけど大量に摂取すると危険な化学物質である。そんなことをどうして私が知っているのか。

どうしてそのことを知ったかというと、まずは、塩をいっぱいなめることができないからである。適度なら食い物がうまいので、汗をかいたあとにはいっそううまいので、いいもののような気がする。ところが、さじ一杯なめようとするとかなりの苦痛である。自動的に大量摂取できないようになっているのだ。

戦時中には、徴兵を逃れるために醤油の一気のみなどという無茶がなされたという。塩を大量にとって体を悪くして、甲種合格を逃れようというはらだ。そういうことを聞いて知識としても塩の大量摂取は体に悪いことを知った。

そうなると、こう考えなければならない。「塩の大量摂取が人体に害を与えることは科学的事実である。私は生まれたときから、そのことを無意識に知っていた。」

奇妙なことに、塩が体に悪い理由なんて全く知らない。その毒性をどこで覚えたのかも全然思い当たらない。


2002.8.31 無欲の勝利

ふと思ったのは、無欲の勝利の値打ちである。

勝利の喜びは勝利への熱望に応じるものではなかろうか。勝ちたいという欲がなければ、勝ってもうれしくないのではないだろうか。はて、欲があって勝つ方がうれしいのか、欲がなくても勝てばうれしいのか。いずれも、いまだに勝ったという覚えがないので実感として納得できない。


2002.9.1 無欲の勝利その2

風は涼しいのに、陽射しは強い。体が焼ける。空にはまるっこい積雲がぽこぽこ浮んで風に流されている。空を眺め、風の来る西の方に足をのばすことにした。神奈川は北から南へ川が流れるので、西へ向かう道は小さくて鋭いアップダウンの繰り返しだ。軽いギアを使っているので、登りでも足腰に来ることはない。足が回らず、思うように進んで行かない。こういうときはフレームやホイールが悪いような気がするけれども、それはあくまで気のせいで、悪いのはエンジンの方なのだ。

萩野川にそって拡がる田んぼはすっかりみのって、稲穂のじゅうたんだ。おびただしい数の赤とんぼがその上を飛びかっている。今年は平年並みの数だろう。ウスバキトンボは不思議なやつだ。彼らが生きているのはせいぜいあと2世代。この地域からは確実に絶滅する。熱帯アジアに行くといつでもどこでもこのトンボは見つかる。気温の低下には弱いが、飛翔力、繁殖力は抜群だ。冬には死に絶えても、また来年の夏に再挑戦してくる。もし、越冬できるウスバキトンボの一群が日本で誕生すれば、アキアカネのような新種になるのだろう。

ちょこっと人里を走るのに水筒は必要ない。小銭を用意しておいて、自動販売機から飲み物を買えばよい。決まりのコースには指定席になっている自販機がある。昨日と同じようにMIUを買う。最近はこれみよがしの釈ちゃんのポスターが貼ってあるMIUは150円。「いやあ、おいらの若い頃は釈ちゃんといえば完全に釈迢空(折口信夫)だったもんだよ」などと受けないギャグを考えつつボタンを押す。すると、電子音とともにガコンとペットボトルが落ちてくる。

電子音はくじである。20年以上前から自販機のくじはある。そういえば、これの当たりを期待したことがない。20年ほどまえに一度は当たったこともあるはずだが、うれしかった覚えがない。昨日の天地無朋に書いた無欲の勝利のことは、自動販売機のくじのことだった。じつは昨日ああ書いたものの、なんでそういうことを思いついたのかはきれいさっぱり忘れていたのだった。同じ事をやって思い出した次第。

20年ほどまえに当たったときは、うれしいどころか迷惑だったような微かな記憶がある。じゃんけんで負けたとか、先輩の言いつけだとかで、マージャンかなんかの買い出しのときにでも当たったようだ。自動販売機のくじなんていつも無欲だから、当たれば無欲の勝利なのだ。サイクリングのときだって当たると迷惑だ。水分は一回に100ccぐらいしかとらない。ボトルは夏だと30分もすればお湯になる。MIUだって、最後の一口は暖まったやつをほとんどいやいや飲んでいる。自販機のよさは冷たいのが飲めることにつきる。くじに当たって2本も持ち運ぶと、まるまる1本ホットMIUを飲むことになる。ありがた迷惑である。というわけで、勝利は欲があってなんぼのもんだなあ、などと感じたのであった。


2002.9.5 暗くてじめじめしたのを好む

カマドウマは暗くてじめじめした所を好む虫だ。といわれるし、じっさい軒下や味噌蔵などで見つかる。ところで、おおむね暗い所は太陽の光が届かないところなので、じめじめしている。じめじめして明るい所は水際、つまり湿地だ。明るくて湿った場所を好むのならカマドウマは水辺にもいるだろう。

さて、カマドウマは暗いところが好きなのか? 湿ったところが好きなのか?

私の家では、軒下が彼らの住み家だ。そして、よく犬の水入れで水死している。ちょうど、軒下から近いところにいつも水入れを置いてある。その水入れにちょくちょくカマドウマの死体が入っているのだ。死んだカマドウマは水を求めるうち誤って落ちるのだろうと思っている。

話は変わって、カマドウマとは別に飼育しているオオクワガタで最近発見したことがある。彼は体が乾くと、やたらと水を飲むということだ。私はそのオオクワガタをかれこれ1か月飼っているが、その姿をついぞ見たことがない。いつも木っ端の下に隠れているので、ときどきご機嫌伺いのために木をどけるとき以外は、彼の姿を見ることはない。ところが、そのオオクワガタが一度だけ、人目をもはばからずに真っ昼間から出てきた事がある。でてきて、ペットボトルの蓋に入れた水をごくごく夢中で飲んでいたのだ。大きなあごは水を飲むには不便で、ほとんど頭を全部水中につっこんで数分にわたって飲んでいた。

虫、クモ、ムカデ、爬虫類などを飼うときは、新鮮な水が飲めるようにしておかなければならない。彼らとの長いつきあいから経験的に学んだ鉄則だ。それで、カマドウマにもペットボトルの蓋(なぜか我が家ではこれが水入れの定番)に水を入れてケースの中に入れて置いた。すると、さっそく溺れ死ぬヤツがでてしまった。たかだが2ミリの子虫なので、ペットボトルの蓋とはいえ、水死するには十分な広さがあったわけだ。

そこで、蓋に脱脂綿を入れて水に浸して水死を防止することにした。すると、全員がその脱脂綿にとりついてほとんど動かない。ときどきエサに入れる蛾の死体とかを齧っているほかは脱脂綿にしっかとしがみついて離れない。物陰が好きだろうからと入れた隠れ家に入るヤツは全くいないのだ。


 
2002.9.6 死について

私は仏教徒(臨済宗妙心寺派)なので殺生は禁じられている。たとえ虫けらといえどもむやみに殺すわけにはいかない。蛾をつぶしてカマドウマのエサにすることは戒律に反する。戒律を破るからには「理由」を設けなければならない。理由さえつけてつじつま合せれば、たいていのことはやっていいことになるもんだ。

というような次第で死というものを考えてみなければならなくなった。

まず、死を意識しているのは人間だけだ。虫は生きたいと思っているかもしれないが、死にたくないとは思わないだろう。もう少し詳しく言うと、生きたいと思っているわけはなく、具体的に行動したいとだけ思っているだろう。食うとか寝るとかを指して具体的な行動と言う。虫は直截な気持ちは持っても、反省を起源とする抽象思考は持たないと思われる。彼らにとって(人にとっても)死はあくまで抽象で、死という行動や状態が存在するわけではない。

私はそうした独断を下すけれども、虫が抽象的な思考を全くしないと思っているわけではない。花の観念、捕食者の観念、時空の観念は抽象であったとしても、虫の生き様に大きな役割を果す。そうしたものは彼らなりに緻密なものをもっているだろう。一方、死の観念を虫がどのように利用できるかを考えてみると、なんら彼らの生き様に益することがないことはすぐにわかるのだ。何の役割も果さない観念が、あんなに生き急ぐやつらの心に育つとは思えないのだ。


2002.9.9 死のおぞましさの起源

人にとって死という観念はどのように生じているのだろう。ひとまず、死の忌避衝動は放っておきたい。死にたくないから死をおぞましいのだといえばそれっきりで前に進まないから。そんな休みに似た考えはやめて、もっとまともに死のおぞましさの起源について考えてみたい。

まず、死は経験ではないことが明らかである。この経験ではないということの意味については、ちょっと突っ込んで考えておく必要がある。人が死を体験できないことは確実だ。だからといって、体験しなければ絶対に分からないというものでもない。人には人特有の連想という能力がある。それゆえ、人には体験として知れないことも知り、語ることが許されている。そして、他ならぬ連想こそが、人類の巨大でとりとめもない文化をつくる原動力なのだから。

そもそも、仲間の死体に興味を示すのは人間だけではない。たとえば昆虫類なら同種の死体はたとえ兄弟であっても、食い物かそれ以外の無意味なものかの2つの意味しか持たない。それが、互いに心理的なつながりがある集団を作る動物一般になると仲間の死体は特別な意味をもっている。ゾウ、ゴリラといわずとも、カラスですら仲間の死体を恐れる。より詳細には、仲間の死体の近辺には危険を察知するのか警戒して近付かない。その性質を利用して、農夫はよく畑にカラスの死体を吊るしておく。同種の死体への興味は人間的精神よりもいくぶん深いところに根ざしているものだ。

人はカラスからもう一歩進んで死を認識する。集団をつくる動物が根源的に持つところの死体に接したときの怖気は、人では単に危険に対する反射を起こさせるだけに留まらない。人の心は構造的に、精神内部の興奮を感覚にフィードバックし、感覚を起こした客体、すなわち見聞きした対象に投影するという欠陥を抱えているからだ。

人は体験しなくても、連想と想像によって死を知る。この意味で、死者本人よりも死を詳しく知ることになる。死後のおぞましさは、死者に属するものではなく、生者に屬するものだ。生者は、腐乱し虫が湧き崩れた死体に接して怖気を感じる。その怖気は昇華して、その対象は死体そのものを越えて死という観念に向かう。怖気の起源はカラスレベルのものであるけれども、その怖気は数限りない観念を呼び起こす。その中には無意味で邪魔なものも少なくない。


2002.9.18 虫けらを殺してもいい理由

私は霊の存在を信じない。一般に幽霊というのは魂の不滅、死後の個性の持続を意味する。私はそんなものは信じていない。仏教徒(臨済宗妙心寺派)なので当然のことである。と同時に、輪廻、つまり生まれ変わりということなら信じている。仏教徒(臨済宗妙心寺派)なので当然のことである。この2つの信念に即して死というものを考え、蛾を殺してもよい理由を導かねばならない。

私は仏教徒(臨済宗妙心寺派)なので、この世のすべてのことは因縁によって生じていると信じている。よく知られているように「袖振り合うも他生の縁」というのは、ちょっとした出合いだって生まれる前からの自覚できない関係を引きずっているからこそ起きたのだ、という意味だ。このことから、殺生は止めようという仏教の発想が出てくる。そのへんの虫けら、畜生が、もしかしたら死んでしまった恩師や御先祖様の生まれ変わりかもしれないからだ。大事な御先祖様を虐めていいわけがない。もっとも、霊魂の持続はないので、虫けらは虫けらであって御先祖様の魂が虫けらに宿っているわけではない。こっちの気持ちの問題である。

さて、もしご先祖様が何かに生まれ変っているとすれば、それはどんな生き物だろう? 私はカマドウマに心引かれているのだが、この「どういうわけか心引かれる」ことには、何かの縁があるに違いない。もし、御先祖様が虫けらに生まれ変わっているならば、カマドウマであろうと考えるのが自然である。エサにしているニカメイガにはあまり魅力を感じないので、蛾はたぶん縁の薄い存在なのだろう。

御先祖様はいまこの現世で人間としての記憶を失い、カマドウマとして蛾を欲しているならば、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで蛾をつぶして食べさせてあげることも私のつとめではあるまいか。小さな蛾を爪でつぶして、カマドウマの飼育ケースに入れるたび、「こんなことをしていると往生も解脱も期待できそうにないな。」と思ってしまう。仏教徒(臨済宗妙心寺派)なので当然のことである。ま、このけがれによって、虫けらに生まれ変るなら、それもまた佳しと思われるのだ。


2002.9.20 偉いぞ SiliconFilm

2年ほど前、私はフィルムカメラをデジカメにするアタッチメントが販売されることを知って、驚き、あきれた覚えがある。販売元はアメリカの SiliconFilmだ。驚いたのは、だれもが思いつくアイデアをわざわざ形にしたこと。あきれたのは、ほとんど売れる見込みも無いのに商品化したこと。

そして、その商品は時代の徒花と消え、SiliconFilmは倒産するであろうと思っていたのだ。じっさい、カメラ通の多い私の回りですらほんのちょっと噂になっただけで、だれも注文しなかったし、その製品を見たことがある者すら一人もいなかったのである。

ところが、今日。SiliconFilmは、よりパワーアップした新製品を発表した。なんと1000万画素で35ミリフィルムと同等サイズのCMOSを積んだアタッチメントと、カメラに装着できる記録部(液晶モニタ付き)を合せて売り出すという。

私はそういう製品が本当に開発されていることを信じていない。単にみんなを驚かせてやろうと思って、ウェブに宣伝をのせたのだろうと思う。前の製品もそんなこったろうと考えていた。ただもし、これが単なる冗談であったとしても、その心意気やよしと思う。製品スペックを見ると、私の用途には明らかにオーバーである。しかし、私は猛烈に感動している。SiliconFilmの心意気、あるいはジョークのセンスにうたれた。ニコンのF4で使えて20万円程度なら笑い話のネタとして買ってみよう。が、そういうわけにも行くまい。値段だって冗談みたいなものになるはずだ。


2002.9.22 境川の狂人

今日は小雨が降っていたので、喜び勇んで多摩川に出かけた。ここからだと、境川→大栗川→多摩川という行程になる。多摩川というと東京なので、東京にでかけるからにはちょっとおしゃれをしようと、イタリア製の高級車を引っ張り出した。

多摩川はよいところである。とにかく川幅が広くて、そらがすうっと抜けて気持ちが良い。私はなんだかんだと多摩川の自転車道路は10000キロほど走っている。多摩川の唯一の難点は人が多いということだ。人が多いと気を使う。特に前を見ずに走っている小中学生が一番たちが悪い。そういうやからも高校生ぐらいなると、すでに衝突したり川に落ちた経験があるので前を見ている。ただし、3列になってふらふら走るのは相変わらずだ。

というわけで、今日のような雨の日が多摩川では絶好のサイクリング日和ということになる。なにしろ人がいない。自転車道路は500メートル先までずっと見渡せる。人がいない。子どももおばさんも、勝負をしかけてくるロードレーサーもいない。好き勝手に走り放題である。もうすぐ寒くなるので雨の日には走れなくなる。今のうちだ。

日野の百草に野暮用があって、小さな丘を登ったり下ったり、いろいろ寄り道していたので結局100キロ以上走ってしまった。100キロ走るのは久しぶりだ。自転車に乗らない人なら100キロという距離にはびっくりするかもしれないけど、走ってみるとなんてことないものだ。初心者だってすぐできる。普通のミニサイクルでもサドルとハンドルの高さを合せて、水と食い物の補給を間違わなければ、100キロぐらい走っても翌日に疲れを残すことはないだろう。今日はおにぎり2個、あんぱん1個、サイダー1本、水2本の500円コースだ。

多摩川はよいとしても、変なのは境川だ。20キロ以上の自転車道路を用意しているのはいいのだが、とぎれとぎれなのもいいとして、橋の所は自動車優先なのも許すのだが、フェンスが変だ。自転車道路の脇は、150センチほどの高さのフェンスがずうっと続いている。道路の両脇に色気のない鉄製のフェンスが切れ目なく設置されているのだ。私は仕事柄、沖縄から北海道まで、山陰をのぞいて日本中の川を知っている。南北アメリカやヨーロッパの川だって知っている。境川のような気味の悪い川を他には見たことがない。

境川を自転車で走っているとハムスターになったような閉塞感におそわれる。カゴの中でカラカラ車を回しているようないやあな気分だ。何のための自転車道路なのだ。爽快さと安全指導のない自転車道路とは何なのだ。私にはあのフェンスの意味が全く分からない。たぶん人を川や畑に落とさないためだろうが、操縦を間違ったり、ふざけていたり、前を見なかったり、スピードを出しすぎると、自転車は川に落ちるものなのだ。それは極めて自然で当たり前のことなのだ。そのことが頭で分からない人は一度落ちなければならない。

延々と20キロ以上も、金網や鉄棒のフェンスで囲うというのは、どういう了見だろう。それも腰の高さのガードレールではなく、よじ登らないと越えられない柵なのだ。たかだか自転車道路にフェンスを張ろうというのは狂人の発想である。狂人は1000人に一人ぐらいしかいないのだが、この辺ではその狂人がたまたま指導的な地位にいたらしい。私にとっては不運極まりなく、とても残念なことである。


2002.9.23 境川の狂気

昨日の天地無朋について、まさかそんなことはありえないだろうと思っている人(特にオランダ在住のあなた)へ、その証拠をお見せしよう。

境川  境川

というわけである。神奈川県をなめてはいけない。この調子で、相模原から大和をへて藤沢まで、ほぼ神奈川県を真っ二つにして、南北30キロにおよぶ鉄棒、金網フェンスが切れ目なく張り巡らされているのである。私は大和市民の名誉にかけて、これが狂気の結果ではなく、単に市長の親戚が小さな鉄工所を経営しているとか、そういうまっとうなことが理由であって欲しいと切に願っている。


2002.9.24 AXIA eyeplate

いま、AXIA eyeplateというデジカメを持ち歩いている。名刺サイズでちょうどカード電卓のようなカメラだ。先月、ニコンを腰にしばったまま自転車で転んで壊してしまった。その修理代が15000円。むむむ、と思うところもあって、最も小型軽量で安価なデジカメはこれ!ということで買ったものだ。

買って随分重宝している。昨日の鉄格子の写真もこれで撮った。AXIA eyeplateは30万画素ぐらいで、640×480ピクセルの荒くてピンぼけの写真が撮れる。電池の交換も不要(できない)であり、メモリーカードも不要(使えない)であり、ピントの山がわからない液晶モニターでイライラさせられることもなく、こっそり撮影していて、いきなりストロボが発光する危険は皆無である。まさにいいことづくめのデジカメだ。

強いて不満をあげれば、300万画素ぐらいはあって、1024×768ピクセルぐらいで鮮明な写真が撮れればうれしい。充電の心配もあるので、ニッケル水素電池は使えたほうがいい。何十枚も撮らなければならないことも多いので、CFカードは必要だ。撮った写真をその場で確認するために、大きな液晶モニターは欲しい。あとは暗いところでも写せるようにオートストロボが装備されていれば、完璧である。


2002.9.25 道頓堀川はどうなった?

今年度、テレビのプロ野球中継は3試合ぐらいみた。合計時間は4分ほどであった。昨日の阪神巨人は圧倒的にたくさん見た。9回から11回まで、30分以上も見た。巨人の胴上げがある試合だからだ。最後まで見たかったが、11時前にスタジオに入らねばならず、結果は見られなかった。

リーグ戦はときに残酷である。試合経過を見ながらの、私の予想では結末は阪神の押し出しフォアボール勝ち。そして、両監督が等しく苦笑いしている表情のアップ。3塁から、だらだら歩いてきて、ぴょんと飛び上がってホームインするタイガースの選手。悲喜ばらばらで迎えるナイン。ピッチャーしょんぼり。さよなら負けしたにもかかわらず、にやにやして引き上げてくる巨人ナイン。ペナントの行方などすでに念頭になく、巨人に勝ったということだけで優勝したかのように騒ぐ阪神ファン。巨人の負けが決まって1分後、気を取り直して巨人優勝の描写を始めるテレビのアナウンサー。というような間抜けさでは世紀的な大イベントが見られるものと期待したからだ。

仕事が終わったのは、1時間後。まことに残念ながらその歴史的な幕切れに立ち会えず、どういう状況だったかが確認できなかった。それはいいとしよう。もうひとつ、私にとってはスタジアムよりも気になることがあった。道頓堀川だ。巨人の甲子園での優勝決定で、しかも試合がずるずる延びて感動もなにもあったものではない結末を迎えて、しかも深夜、果たしてあの川に飛び込む人間はでるのか? 期待して見に行く者もいるのか? テレビは照明をセットしてスタンバっているのか?

私は側にいた友人と賭けをした。もちろん、飛び込むほうに百円かけた。道頓堀川ダイブそのものはみっともないと思うけど、昨夜の状況でそれをやるのが私の笑いの壷である。テレビが気にはなったんだけど、帰宅すると、たまたま玄関に小さな蛾を見つけたので、そいつを撮影しなければならないし、カマドウマのえさにする蛾をつかまえなければならないし、朝撮った雑草の花の名前も確認しなければならず、次に組み立てる自転車の設計を始める必要にせまられ、そういえば自転車のスポークも磨いたほうよさそうで、なんだかんだと3時ぐらいまで忙しくて、テレビを見る余裕がなかったので、道頓堀川のことはおろか、夜中のニュースすら全く見れなかったのだ。

朝も眠かったので、頭がはっきりしたときにはワイドショーも野球のニュースはとっくに終わっていて、宮沢りえの新恋人は真田広之であろうというコーナーになってしまっていた。新聞やネットで道頓堀川のことを調べるのもまじうざいので、だまって賭け金百円を差し出した。

結局、あの試合の結末もわからず、道頓堀川もわからず、気になっていたことは全く解決がつかなかった。野球がらみの世情には、まあいいかぐらいのレベルの興味しかもてないので、まあいいかなと思っている。ただ一つ、昨日は巨人のユニフォームが「YOMIURI」になっていることを見つけたので見てよかったと、ちょっとだけ思った。たぶん今シーズンからなのだろう。


 
2002.9.27 新しい自転車が欲しくなる

新しい自転車が欲しくなった。身体が衰えたからだ。ちかごろ目が見えなくなるとか、反射神経が鈍くなるとか、瞬発力がなくなって跳び上がれなくなるとか、頭が悪くなるとか、かなりぼろぼろ状態だ。自転車遊びで一番困るのは、筋肉が高い出力を維持できなくなることだ。短い間ならかなりの力も出せる。弱い力を維持することもできる。平地なら時速30キロで1時間走るのは楽々だ。足に負担のかからない軽いギアをくるくる回すのはまだできる。心臓はまだなんとかいけそうだ。身体の衰えはしかたがない。いつまでも若くて強力な身体でいられるわけがない。

どうにかなるのは、自転車のほうだ。かといって、最新型の自転車が欲しいわけではない。近年は素材の進歩が著しいらしく、軽量なものがとても安く市販されている。チタニウムの7kgの自転車がたった50万なのには目を剥いた。私はいくら安くてもそういう自転車はいらない。そんなものを買っても、今の鉄製の12kgの自転車より速く、楽に走れるとはかぎらない。

自転車も乗ってみなければわからないもので、軽いからいいとか、評判のいい職人が作ったものだからいいとか、一概に言えるものではない。私のチネリは10年以上前のモデルで重いのだけど、はじめて乗ったときからビビビッときた。運良く私の体にあっているようで、自分の力以上に走るような気がする。先日、しばらく他の自転車を使っていて、乗り換えたときに後ろから押されてるような錯覚をおぼえたくらいである。

軽く走るためには、自転車や自分の体を軽くしたり、走行抵抗を減らしたりする他にも簡単な方法がある。クランクを長くすれば、てこの原理で踏む力は弱くてすむ。ギアの歯数は同じでもホイールを小さくすれば踏む力は軽くてすむ。歯車の原理で、前のギアを小さくすれば、踏む力は小さくてすむ。後ろのギアを大きくするのも同じことだ。自転車は何から何までもろもろのバランスをとって走る車なのだ。


2002.9.28 ギア比が最適な自転車を作る

というようなわけで、いま持っているチネリのフレームを使って踏みの軽い自転車を作るのが目標なのだ。

クランクを長くする方法は使えない。踏みが軽くなるかわりに、脚を動かす距離が増してしんどさ10倍になる。それ相応の技術がなければ長いクランクは使えない。私のクランク長は167.5mmがベストで、170mmだと少し長い。ホイールを小さくする方法は使えない。自転車はホイールサイズを変えると、フレームも変えなければならない。

では、ギア比は? これはうまく行かないわけがないのだが、どうもいろいろ気に入らないことがあってうまくいかない。何が気に入らないかは次回に明かすとして、今日作った2002年秋バージョンの自転車をご紹介しよう。

自転車1  自転車2

これは、ヤフオクで入手したフレーム、サドルをはじめとし中古の部品を寄せ集めたものだ。費用は10万ぐらいもあれば同じものが作れるだろう。ユニークで軽快な自転車に見えてかっこいい。ギアは前42×28、後13×23、クランク長165mm 、ホイールは700c×25mmだ。

ギア比は最大が3.23で最小が1.22。これが今の私には最適なギア比だと思っている。


2002.9.29 ロードのギア比というもの

というようなわけで、いま持っているチネリのフレームを使って、最大が3.23で最小が1.22のギア比の自転車を作ればよいことになる。

ところが、そこにフレーム設計上の制約があった。チネリはもともとレース用に設計されているフレームなので、時速40キロで巡行するようになっている。時速40キロだとギア比は3.6ぐらいがちょうどいい。フレーム設計の当時は後7段だったので、後のギアが歯数15、前が54というのが常用するギアということになる。

7枚の組み合わせなら15をサードにして、13・14・15・16・17・19・21というのが標準だろう。登りを考慮して、13から26という組み合わせもできる。その組み合わせだと、私の必要なギア比は、前の歯数は大きいのが42となる。

そこで、問題が起きる。ロードレーサーには前ギアの大きいほうに42なんてのはそもそも存在していない。そんなにゆっくり走る設定ではないからだ。大きい方が52、小さい方が42というのが市販車の標準だ。私にも脚力があった25年前ならそれでもよかったけど、今はダメなのだ。はじめから、大きい(重い・スピードの出せる)ほうのギアは付ける必要がないということになってしまった。


2002.10.1 ロードにツーリングのギアというのも

現在市販されているロードレーサー用の前ギアは最小でも38T(TはたぶんteethのT)なのだが、マウンテンバイク用なら小さいのがある。ただし、それはだめだ。マウンテンバイクのクランクはクランク自体も歯も幅広で、私の美意識に真っ向対立する。たとえロードであっても、トリプルは勘弁だ。前にギアが3枚もあると煩わしくてしょうがない。さらに、ペダルの幅が5ミリほど広くなって踏み具合がよくない。というわけで、ツーリング用のダブルのやつを探すことになる。

それが一筋縄ではいかない。20年前なら、スギノがツーリング用にプロダイというそれなりの製品を出していた。私もダブル用とトリプル用のものを1本ずつ買いだめてある。ギアも何枚かある。いま、プロダイ風のものを買おうとすれば、フランスのT.Aになる。フランスの製品は、それはもう高いのだ。フランスをまねて作った互換性のある日本製部品の20倍の値段がする。実売価格はせいぜい日本製の2倍程度なのだが、性能が10分の1ぐらいなので、体感値段は20〜30倍だ。

私はリム、タイヤ以外のフランス製品ははなっから信用していない。ボルトとナットを11個買えば1個はネジ山がうまく切れてなくて使えなかったりする。モノの設計自体もおかしい。T.Aのシクロツーリストのボルトナットは素人目にも、もっとマシな形状が考えられる。どうしてわざわざあんなに壊れやすく設計しているのか理解に苦しむ。

ひとまずいろいろな問題に目をつぶって、T.Aの42Tと、プロダイ28Tのギア板をスギノのクランクにつけて、チネリに取り付けてみることにした。ボトムブラケットは、シマノのデュラエースとカンパのCレコードがある。試行錯誤の結果、スギノPXトリプルのロープロファイルデザインのクランクがデュラエースのBBにぴったりあうことがわかった。たぶん、純正のT.AのBBとクランクよりもしっくりくるに違いない。

とりあえず、前42-28T/後14-24Tにして、100キロほど走ってみた。川べりと、日野の小さな丘をいったりきたり。非常にぐあいがよい。このコースなら、前アウター42Tだけでいける。まったくインナーは使わずにすんだ。半原越とか丹沢とかに入らなければ、42×24Tで十分なのだ。


2002.10.2 フロントディレーラーで困る

以上のようなことで十分なら、なにも新しい自転車を欲しがる事はない。しかし、私には美意識、あるいは(誤った使い方での)美学というものがあって、スギノをつけたチネリに満足できない。最も気に入らない部分がフロントディレーラーだ。私のチネリはフロントディレーラー直付け式というタイプで、シートチューブにディレーラーをねじ止めできるように耳たぶが溶接されている。見栄えが良くて、調整が容易で、緩みも少ないというすぐれた工作なのだが、構造上、前ギアのサイズが限定される。チネリはもともとイタリアのプロ級選手のために設計されているフレームなので、前ギアは54Tでちょうどよくなる位置に耳たぶがある。54Tなんて、私の脚力では全ての道が下り坂でも必要ない。

小さい前ギアをつけるにしても、チネリでは50Tが限界だ。小さいギアを使うとディレーラーの構造上、変速のときにチェーンが落ちやすくなる。走っていてチェーンが落ちるとガックシくる。48Tだと、ギア板によっては変速すらしない。それでも、前のアウターに42Tを使いたいなら、方法は一つしかない。耳たぶはないものとして、バンド式のフロントディレーラーをつけることだ。スギノをつけるにあたって私はそうした。耳たぶがシートチューブの上の方に溶接されていることが幸いして、耳たぶに干渉することなく、42Tに最適な位置にバンド式のデュラエースを巻きつけることができる。そうして100キロほど走って非常に具合がよかった。

ただし、早く快適に走れるだけならただの自転車で、私の自転車ではない。美意識にしっくりこないようなものに乗る意味がない。直付け用の耳たぶあるのにバンドのディレーラーを巻くのは気分が悪い。

この葛藤を解決するにはいくつかの方法がある。

1)耳たぶをとってしまう
溶接されている耳たぶをやすりで削り落として、再塗装する方法がある。これは大がかりで、もともとのデザインと色に戻すのは事実上不可能になる。今のドバト色が結構気に入ってるので、これはやりたくない。

2)アームの長いフロントディレーラーを探す
これは簡単だと思った。マウンテンバイクのものなら、アームも長そうなのでいけると思った。ところが、マウンテンバイクのディレーラーには直付けタイプのものがない。ロード用で内外主要メーカーのものはほとんど試したが、直付け式のはどれも似たり寄ったりのサイズで、いずれも短い。バンド式のアームの長さはモノによってばらばらだが、直付け式は統一されている。改めて考えると当然のことだ。

3)トリプルのディレーラーを使う
最近ではロードレーサーにも前トリプルのギアを使うタイプが市販されている。ギアの歯数が53-40-30Tをシフトできるディレーラーだ。チェーンラインのことを考えても、48-38Tは動かせそうな気がする。試してみる価値はあるだろう。


2002.10.3 自分の美意識が全て

私は自転車のハードウエアについて、自分の美意識以外の価値基準を持っていない。高価だからいいとか、使いやすいからいいとか、軽いからいいとか、タイムの短縮に繋がるからいいとか、そういうことは気にしない。もちろん、メーカーや国籍も不問だ。美意識にピンとくれば、割高感2000%のしょーもないフランス部品も使う。独断かつ刹那的なアメリカすら排除しない。

私はカンパニョーロの部品が大好きだ。カンパニョーロのアイデアとデザインセンスには驚き、共感することが多い。性能についてはカンパニョーロもしょせんイタリアである。しかもプロのレーサーやプロのメカニックがレースで使用するものだけに、私が使うにはヲイヲイなことが多い。それでも、カンパニョーロの部品には、不便を覚悟で使いたいものが多いのだ。

自転車好きには考証にこだわる人もいたりする。チネリの部品には同じイタリア製のカンパニョーロでなければならない、とか、1990年のフレームなら、カンパニョーロでもCレコードでなければならない、とか、そういうこともおもしろそうだが、その世界に足を踏み入れる気はしなかった。

たとえば、私のチネリのブレーキにはカンパニョーロのCレコードデルタというタイプを使うのが筋かもしれない。当時から高価で、今では入手も難しいが、10万も出せばどっかで買えるだろう。私はあのブレーキの性能はどれほどのものか知らない。とにかくデザインだけで使う気がしない。デルタブレーキはかっこわるい。見てくれの奇抜さは限度を超えている。しかも、同じデザインならシマノのデュラエースAXの方が気迫がある。サイドプルキャリパーブレーキという、しょっちゅうレンチでセンターを出す事をユーザーに強いるヲイヲイなブレーキを世界に定着させたカンパニョーロなのだから、レコードでセンタプルはないだろう。カンパニョーロの当時のシリーズだと、もっと安いコーラスが面白い。コーラスのデザインにはある種のばかばかしさの中にイキが感じられる。チネリのフォーククラウンや後ブレーキのブリッジによくマッチするデザインでもある。

チネリに、デュラエースのトリプル用フロントディレーラーをつけて、インナースギノ、アウターサンツアー、チェーンセデス(フランス製なのに割安)をがちゃがちゃすることは、私の美意識ではセーフである。


2002.10.5 サイクルショップナンバーワンに助けられる

前ギアはシマノデュラエースのトリプルを使えば、48-38Tを使うことができそうだ。前を48-38Tで、ギア比3.0-1.16を実現することができれば、チネリも私の自転車になる。3.0-1.16にするためには、後ろのギアは16-33となる。これはたいへんな困り事だ。現在は、ありとあらゆる自転車が後ろに小さいギアを付けるようになっている。おそらく、素材の進歩で小さいギア、細いチェーンでも壊れなくなっているのだろう。壊れなければ、ギアは小さいほど軽量でスタイリッシュなので、いいことずくめだ。

ところが、前のギアを小さくできないことの制約から、後ギアを16-33にセットしたいときは大騒ぎである。いまのレーサー、マウンテンバイクのギアは普通は11または12からはじまる。最小16のセットなんて作られていない。イタリア、レジナのツーリング用のものですら、14から26のものしかない。

20年ぐらい前には、いまは亡きサンツアーが、17や16から始まる6段のセットを作っていた。そんなものは、すいぶん前にどの店から注文しても、オールドパーツがありそうな店を探しても、入手できなかった。ところが、サイクルショップナンバーワンという自転車がホームページの通販で「在庫がある」と明示している。もちろん、ホームページにあるからといって在庫があるとはかぎらない。自転車屋だって、そうそう細かく在庫をチェックしてホームページの更新なんてやってられないからだ。

サイクルショップナンバーワンには以前、チネリのシートピンというややこしい部品を注文したこともある。だめもとで、調べてもらったら、17から始まるギアは組めないけど、16からならできることが分かった。さっそく注文して、目の前が明るくなってきた。


2002.10.6 トップラインのクランク

宅配で届いたギア板をさっそくフリーにねじ込む。フリーについているギア板を外すのはけっこう力のいる作業だ。外れてしまえば取りつけるのは簡単だ。16-17-19-21-23-26というけっこうロマンチックな後輪ができた。さて、あとは前ギアだ。

前ギアに使いたいチェーンホイールは決まっている。トップラインのクランクに、シマノやスギノ、サンツアーのギアだ。トップラインはうさんくさいメーカーで、しょうもないものをバカ高く売っていると思う。このクランクもべらぼうに高価だったおぼえがある。それでも、クランクシャフトが丸いこと、サイドからのシルエットが細身だということが、一目で気に入って選んだ。

このクランクはなぜか、ペダルを取りつける穴が貫通していない。昔からある仕様でもあるし、普通は気にならないところなのだが、シマノのXTRがつかない。XTRはねじを8ミリの六角レンチだけで締める仕様で、普通のペダルスパナが使えないからだ。いまもっとも気に入っているペダルがつかないので、このクランクはひとまず見送って、昔のデュラエースを使うことにした。


2002.10.12 学閥を意識したこと

私が勤めているのはおそらく日本一学閥のない会社と思う。学歴による派閥のコネとか昇進とかは皆無だ。だからふだんから学校の話題が出ることもない。私自身もじまんに足るような学歴もないので、卒業した学校への帰属意識も薄い。

東大とかハーバード大なら有名人がけっこう同窓にいるものだ。大東大や早稲田、山梨学院などは運動部が強いので見物のしがいもあるというものだ。そういう学校をでていると、自然と帰属意識も育つのだろう。八幡浜高校卒業の金バッチは佐田岬半島など一部地域で根強い威力を発揮するが、神奈川県東部地域ではだれも知らない。

ところが、ノーベル賞の田中さんはたまたま私と同い年で、同じときに東北大に通っていたことがわかった。あの学食であれを食ったのか、とか、あの坂を青いバスに乗って登りながら、医療短大や宮教の女の子を見て、「ええのお〜」と思ったんだろう、とか、いろいろ思いめぐらせて楽しかった。そして、彼のおかげで自分もレベルアップしたような気がしてきた。

職場で田中さんの放送をみながら、「いや〜、こういう気分なのかあ、はじめてわかったよ」としみじみ感動していたら、たまたまいっしょに見ていたのが小柴さんといっしょの東大理学部出で、「そうなんですよ、それってあるんですよ。ついにわかりましたか」と、みょうなところで連帯感が生まれた。

ところで、田中さんは富山のご出身らしい。当時、東北大(トンペイ)には富山出身者が多かった。がり勉タイプで、まじめ人間が多い東北大の学生のなかですら、富山出身者は抜きん出てがり勉ぽかった。「富山には予備校がないので、現役で受からないと県外で浪人しなければならない。その金がもったいないので、秀才でも東大は避け、楽々受かる東北に来るのだ。」と分析されていた。本当の所は知らない。


2002.10.15 ツーリストとして

注文しておいたデュラエースのトリプルが届かないので、チネリに前52-38Tというギアをつけ、あわせて後には16〜30Tというギアをつけてみた。これなら、私の満足できるギア比に近い。リアディレーラも、カンパニョーロの古いレコードだとキャパシティの関係でうまくはたらかないので、Cレコードに変更した。Cレコードは縦型最後のモデルだ。リアディレーラは縦型の方がきれいだと思うが性能は横型がいいらしい。

そうした試行錯誤の結果、走るには具合がよくなったものの、美的によろしくない。やっぱり後に巨大なギアをつけるのはどうも格好悪いのだ。だれが見るでもなく、見てそれを変だと思う人間は千人に一人しかいないはずだが、本人が変だと思う以上、他人の目は関係ない。

前に小さなギアを付けるのもダメ、後に大きなギアを付けるのもダメ。かといって、52×14Tなどという重くて早いギアを使うような脚力はとうの昔に失っている。

そもそも、ロードレーサーに乗って時速30キロぐらいでとろとろ走っていること自体が格好悪いことかもしれない。ならば、いっそのことこのあたりで覚悟を決めて、見た目もツーリストになってしまえば気が楽だ。ツーリング用の自転車なら大手を振って時速15キロで走れる。

ただし、近ごろでは手頃なツーリング用自転車は絶滅の危機に瀕している。そのかわり、ビンテージっぽいやつは生きた化石よろしく生き残っており、50万ぐらいかければ、ちょっとかっこいい気が利いたやつを作れる。いかんせん私はそこまで趣味人ではない。自転車にはいくらでも金はつぎ込めるが、方向が違う。自転車がまっとうな若者の趣味の対象であった古きよき時代への懐古趣味はない。現行のすぐれた機材によって、安くて楽でスマートなツーリング自転車ができるはずだ。というわけで、目に留まったのがPanasonic のFSC1というフレームだった。


2002.10.18 欲しい自転車を買えないわけ

Panasonic のFSC1 はまさにいま私が望んでいるスペックの自転車だ。マウンテンバイクでオーバースペックと感じているのは、太く頑丈なフレーム、横に広がるハンドル、手元の変速機、長くて広いクランク、不必要なまでにワイドなギアレシオなどだ。FSC1はマウンテンバイクベースのツーリング車だけど、芯からツーリング仕様として設計されている。

これまで、ホイールはずっと700cを使ってきたが、26インチも扱いやすいかもしれない。各チューブのサイズをみても、サイズ460ミリでベストポジションが得られるに違いない。しかも安い。フレームだけの定価で35000円である。ホイールやカセットスプロケットなど、いま未所有のMTB用部品を買い込んでも7万ぐらいで一台作れそうだ。

気に入ってるなら、買っちまえばよさそうなものを、半年もちゅうちょしているのはちょっとした理由がある。

まず、自転車は乗ってみないとわからないこと。いくらよさそうに見えても部品を組んで乗ってみるまでフレームの味はわからない。先日、写真を出したあのミネルバはとんでもなく固くてごつごつしている。鉄のチューブ自体がごついこと、フレームのサイズが小さいこと、BBがやたらと高いことがその理由だと思う。BBが高いと、フレームサイズが小さくても重心は高くなる。重心が高くなると直進性が増すかわり、自転車の挙動が思うよりもワンテンポずつずれていく。フレームサイズ460ミリで700Cという無理な自転車にはちがいないが、こういう自転車は苦手だ。フレームの制作者と私とでは自転車観に大きな隔たりがあるようだ。

ミネルバはもとから期待していたものではない。それでも、100キロ、200キロと乗り込んで行くうちに愛着も生まれる。持っているのも煩わしいので、鉄屑として捨てようと決心しているものの、ちょっともったいないような気がしている。

というように、ゴミクズですら一度使った道具は捨てられないのが私の弱点である。先史時代の遺物のようなマックやその周辺機器が山のようにたまっている。しょうもない本や雑誌もたまっている。思い返せば、この20年、自転車を捨てていない。折れるとか曲がるとか、決定的な故障をしたフレーム、部品以外は捨てていないのだ。


2002.10.19 江ノ島に渡る

捨てていないのに、いま10台未満の自転車しか所有していない。この20年、友達にあげたものは5台ほど。他は全て盗まれた。私の作る自転車は他人の目にもけっこう魅力的にうつるらしい。通学も通勤も、買い物もなにもかにもロードレーサーを使っていた。珍妙で扱いにくそうなロードレーサーを盗むという心境がいまいち理解できないので、盗まれるわけがないと思い込んでいて、盗まれた。それはそれは頻繁に盗まれた。原因、動機は不明でも事実としてそういう経験を積んだので、この10年は自転車から1分以上離れないようにしている。

いらなくなったものなら盗まれていもいいが、いらないものをわざわざ外に持ち出したりはしないので、盗まれない。盗まれない Panasonic のFSC1 を買ったとして、それが気に入らなかったらどうしよう? というのが悩みの種だ。フレームが固すぎるとか、トップチューブが短すぎるとか、ホイールベースが長すぎるとか、そういう欠点なら、改めてどっかにフルオーダーしなおせばよい。そのためのデータ収集のための自転車と割りきることだってできる。というか、最初の26インチツーリングなのだから、パーフェクトなわけがない。使えなくても捨てきれずに、二度と組みつけるあてのないフレームをごろんとおいておくのはもの悲しい。

こういうことをずっと半年も考えている。FSC1は欲しいのだけど、結局買わないだろう。

今日は、江ノ島にいってきた。往復70キロの平地だから、だらけたサイクリングにはちょうどいい。江ノ島は全国的には名は知られていまいが、このあたりではけっこうな名所である。それで一度くらいは行こうと思いついた。観光ポスターでみるかぎり、島といっても砂洲ができていて陸続きなので、自転車でも渡れるはずだ。

私は海の腐臭がけっこう好きだ。海岸の町はどこも汚くて、魚や海藻の腐った臭いが漂っている。あの不潔感がなぜか甘くせつない。海の住人は腐敗をあまり気にしない。腐敗物や汚物は全部海が処理してくれる。生物の遺骸は海に流せばきれいさっぱり蘇るもんだ。

江ノ島に着くと、なぜかいっぱい人がいる。うろうろと探し回るも、なにを目当てに人が集まるのかとんと分からない。有名な神社とかがあるのだろうか。不思議な島だ。生臭さを求めて観光客の多い細い路地をふらふら走っていると、道端に落ちている大きな魚の頭がみつかった。鱗は乾いて、櫛のような白いエラにハエがたかっている。こういうのがなくちゃ海じゃない。ま、江ノ島は良い所である。私の家から最も近い海。


2002.10.21 日本経済の深い闇

そのむかし、江戸時代のころ、西洋の大哲学者カントが「馬鹿の考え休みに似たり」といった。わかりやすくいうと、「いっしょけんめい考えるだけでは何にもならないんじゃない?」といった。昔のやりかたでそれっぽく言うと「純粋理性批判」となる。カントはそのことをみんなに諭すために百万言を費やした。当時はよっぽど皆がいろいろ考えまくっていたのだろうか。愚にもつかぬことを、客観データもなしにああでもないこうでもないと考えていたのだろうか。今読むと滑稽ですらあるあの書物で、彼はいったい何を勝負していたのか。あの熱意の起源と矛先はどこなのか。

現代はカントが夢見たような唯物主義・科学の時代になった。「真理=科学」が当世流のものの考え方だ。彼のころの混乱状態がいまも残っているとすれば、政治・経済であろうか。たとえば打つ手がない日本経済。再建策について私にはなんのアイデアもない。私にないのは当然として、経済学者や官僚、政治家などその道の専門家にもない。もちろん彼らを非難する側にもまともな考えがなさそうだ。共産党の立候補者すら「経済再建」を第一の公約にあげるぐらいだから、混乱ここに窮まれりの感がある。

経済は科学の対象ではないから、と簡単に片づけてはいけない。科学が得意とする対象だって、「いっしょけんめい考えるだけでは何にもならない」のだ。考えただけでもなんとかなるのは数学くらいのもんである。数学の威力はユークリッド以来かわらない。矛盾=偽と割りきれる数学なら演繹も帰納もあるが、結果が判明でないもの、先行き不透明なことは考えても無駄、論理は無力である。

科学では先行き不透明はごく普通である。科学では全ての物、あるいは時空ですらコロコロ変わるということが常識だ。同じものからなるAとA’が全く異質であることはあたりまえのことだ。そして、Aをいくら研究してもA’のことは分からない。水の研究で得た経験は水蒸気や氷には無力だ。水をいくら研究しても水蒸気の性質はわからない。

水温15℃から30℃までの世界しか知らなければ、水は熱を加えると200℃でも1000℃にもなると思い込めるだろう。過去2000年ぐらいの経済の事しか知らない人間に来年のことが見えるわけがない。いまは日本の経済の相自体が変化しているのではあるまいか。世界の商業、サービス業はめまぐるしく変化している。量的なものではなく質的な変化が急だ。私には日本の経済、より端的には「金(かね)の商業」というものが今、沸騰して水蒸気に変わりつつあるような気がしてならない。改革堅持の小泉首相は早めに水蒸気になるのが日本のためだと考えているのだろう。その一方で、水のままでいないと利益があがらず死んでしまう人も多い。私は死ぬまでのことはないからいいけど。


2002.10.24 負け組電車

渋谷から中央林間まで、普通電車では1時間かかる。急行だと35分だ。これまでは、ずっと急行を利用してきた。一度も普通を利用したことはなかった。というのも、どの普通に乗ろうとも、どこかで一回急行に抜かれるから、どんな状況でも急行を利用することができるから。午後11時にもなれば早く帰宅したいだろうから、急行を利用するのは当然のことである。東京の汽車は急行料金もないので。

私は今週、普通電車にはまってしまった。一回乗って病み付きになった。それも、渋谷をでて10分先の桜新町で急行に追い抜かれる電車がもっともよい。その普通に乗っている人は、急行を利用する気が端からない人だ。だから、運がよければ桜新町あたりで座れる。運が悪くても、20分も乗っていれば座れる。

私は普通電車に乗る人には2タイプあることを見抜いている。家賃の高い世田谷に住んでいるから、急行を利用しなくてもよい人と、時間なんてどうでもいいやと達観している人の2種類だ。私は後者で、終点まで行く。

普通の車両だと、ターミナルの中央林間に着く頃には10人ぐらいしか乗っていない。四国あたりのローカル線の様相で、妙に寂しい。その顔ぶれもじつに冴えない。全員が私と同じぐらいの中年オヤジでかなりくたびれて見える。将来のある若者とか、金持ちっぽいオヤジはその車両にはいない。いわゆる「負け組」っぽさが満点なのだ。

急行電車は戦々恐々としている。けっこう言い争いが起きていたり、とんでもなく込み合ったなかで新聞や書物を読んでいたり、ケータイを使っていたり。時間に追われる勝ち組っぽさがよく出ている。その点、普通の車両では、ひろびろとした中にゆったり座っていながら、なにをするでもなくぼうっと宙を見ることがトレンドのようである。諦念っぽさが満点なのだ。

その昔、少女買春で捕まった島袋光年が「駅の階段をトントントンとリズミカルに降りる人って、悩みなさそうだよね」といっていた。深夜の普通で帰る人は、人生楽しいことがなさそうに見える。今週、普通で帰宅する私の存在はその中にみごとに溶け込み、車両内の負け組っぽさを増長させていることだろう。


2002.10.25 私には真理が必要だ

純粋理性批判を読み終えたので、今朝からニーチェの「善悪の彼岸」を読み始めた。ご存じのように、ニーチェはまじめで穏当な哲学者たちをくそみそにけなす。西洋哲学界の板荒しナンバーワンだ。彼によると、ソクラテス氏ね、カントもスピノザもプラトンも逝ってよし、となるらしい。「そもそもあんたらのいう『真理』なんてものが必要なのか?」とニーチェは言う。

ニーチェはすばらしい霊感と表現力を持っている人で、その著書は上にあげた人たちのものに比べ百倍おもしろい。私は、神がとうの昔に死んでいることについては完全に彼に賛同している。なにしろ私は根っからの仏教徒(臨済宗妙心寺派)である。絶対神から現人神、打撃の神様まで、神々は全員死去してもらっていっこうに差し支えない。ただし、私は仏教徒であると同時にプラトニストでもあるので、「『真理』は必要なのか?」という問いにはイエスという。

いうまでもなく、万能の真理なんてキッパリしたものはこの世にあるわけがない。あっても、あまりに無意味でだれも気づかないに違いない。必要なのは「これは真理かもしれない」と思う気分だ。真理という光り輝く立派な概念によって、その気分は高揚する。「誰がなんと言おうとこれは絶対正しいのだ」という気分になれるのも、真理に類する概念があるからだ。そういう思い込みができるように人間は生まれついている。

その手の概念の有用性はいくらでも指摘できる。たとえば、どらえもんの道具。どらえもんは○○を××する道具をもっている。実際世界では○○は××することに結びつかない。人は時間旅行できない。光線で物体は拡大できない。どこにでも行かれるドアはない。○○と××が結びついているところを誰も見たことがない。結び付きが観察できないことを空想するには、結びつけるための概念が要る。それが「道具」という概念そのものだ。

「○○を××する」ことの不可能はみんな知っている。つまり、「○○を××する」と言うことは嘘つきなのだ。ところが、「○○を××する」ことを可能にする「○○を××する道具」なら論理上無矛盾にでっちあげることができる。このでっちあげはとてもたいせつな能力だ。

じっさいは可能なことでも、経験上不可能と思い込んでいるのが並の人間だ。江戸の人は、石油を燃やした熱で氷を作ることなんて想像だにしなかっただろう。見たことも聞いたこともなく、理屈の上で筋が通っていないことに人は本気で取り組むわけがない。

さて、道具という一般概念はまさに最強の道具である。「石油を燃やした熱で氷を作る道具があれば石油を燃やした熱で氷を作ることができる」という命題は完全に真である。少なくとも理屈の上でのでっちあげが成り立ってはじめて、人は何とかする気になるものだ。


2002.10.26 飾らない人柄と飾れない能無し

飾らない人柄と飾れない能無しの両者が見かけ上同一であることはいうまでもない。おんなじ中年サラリーマンでも、ノーベル賞の田中さんは飾らない人柄といわれ、パソダ賞の私は飾れない能無しといわれる。飾らないか飾れないかの分かれ目は見かけ以外のところにある。

飾れない能無しの私は「飾れる能だけあり」をかなり尊敬している。飾れる能だけありのトップといえば、叶姉妹やチリのアニータさん。彼女らはゴージャスかつデラックスである。彼女らの才能と努力、その希少性は、超一流の野球選手や科学者、芸術家に匹敵すると思う。商人や政治家として成功したければ、彼女らの半分ぐらいの才能は必須だ。

ありとあらゆる手だてを尽くして自分を飾りたてたり、偽ったり、他人をだましたりする技は努力で身につけるには限界がある。その道のプロになるには天賦の才が必要だ。そうした情熱を維持するには才能に加え、並ならぬ精神力が必要だ。私は、そういうことが人並みにすらできないから、アニータさんたちに感服する。


2002.10.28 ものがなしさ

私の中に秋のもの悲しさが住みこんだのはいつのことだろう。きがついたら、秋らしい風物のなにもかにもに哀感をみるようになっていた。澄んだ空から斜めにさす秋の光、冷たい空気、杉の黒、柿の実のオレンジ、葉の赤、するどいモズの高鳴き、ひなたの地面をゆっくり歩くカマキリ...そうしたもののいっさいが、ある種もの悲しい。いつごろからこうなっているのか、その記憶はない。

悲愁

写真は蜂が来ているヒメムカシヨモギ。私の心の秋の風景はこんな感じ。


2002.10.31 難しい自転車とは?

理論のうえでは新しい自転車FSC1は必要がないことがわかった。必要がないばかりか、じゃまになる可能性が大きいことがわかった。にもかかわらず、わたしはいまFSC1を買おうとしている。それは、仕事に行き詰まり、能力の限界を感じ、先行きの不安が大きくなったからだ。こういうときアーチストは自殺をしたり、宗教モドキに走ったりする。中年おやじは酒を飲んだり、女房にあたったりする。OLはカラオケをやったり、香港に買い物にいったりする。彼らと同じように私は自転車を組み立てる。

新しい自転車は自転車のための自転車ではないので、特殊なコンセプトが必要である。「世界にたった一台のワンダフルなマイサイクル」であるのは当然のことながら、不可欠な条件がいろいろあげられる。

(1)難しいこと
簡単に作れるような自転車は作る意味がない。できれば半年ぐらいかかって完成するものがよい。製作途中でなにがしかの困難に遭遇して半ば挫折しつつも完成するような盛り上がりが必要。
(2)安いこと
FSC1は安い。新しく高価な部品を購入するなんてもってのほかである。できるだけ手持ちの部品と工具で組み立てなければならない。
(3)凡庸であること
FSC1というおとなしいフレームであるから、全体的に質素な美しさが必要である。どこにでもある並の自転車の風貌でなければならない。
(4)かわいらしいこと
スマートに乗りこなすためにコツが必要な自転車でなければならない。かといって、腹が立ってイライラさせられるような自転車ではいけない。手がかかるところがカワイイと感じられるものでなければならない。

この自転車ははじめから不純である。組み上がった時点で無価値になるにちがいない。ベースのフレームがフレームなので「思いのほかよく走って病みつき」などという奇跡的なことは期待できない。どうやっても「泥道も歩道も楽々走れて、荷物も運べ、急な坂も軽々登れて、パンクもしない。けっこう便利じゃん。るんるん。」という程度のもんだろう。

一般に趣味のツールは不便さから妙味が生まれる。自動車でたとえればMGやフェラーリのような不便でカワイイ自転車なら高価で美しいパーツを寄せ集めるだけで簡単に作れる。それにひきかえ、便利なくせに、手がかかる所がカワイイ、という自転車を作る困難は、ほとんど四角い丸を描くにも匹敵する。不可能を可能にするぐらいの意気込みは不純な動機から無駄な自転車を作るのだから必須であろう。


2002.11.1 アイハブ ア ハブ

FSC1号(仮名)を作るに当たり、設計書は書かないことにした。行き当たりばったり、創意と才能と思い付きで勝負することにした。そのほうが、失敗も多く手間も時間もかけられるからだ。

写真はハブである。FSC1号(仮名)のためにフレームよりも先に用意したのが、この後輪用のハブである。ハブは軸とベアリングとフランジからなる。糸巻き型のフランジはスポークを介してリムに繋がる部分。フランジにもラージとかスモールとか、いろいろタイプやサイズがあってややこしい。軸にはベアリングの球押し、ワッシャ、スペーサー、ロックナットがねじ込まれてある。ハブを選ぶにあたって気を付けなければならないのは、オーバーロックナット寸法だ。それは、自転車の後輪の幅と思って良い。オーバーロックナット寸法にはいろいろあって、年々長くなっている。FSC1のサイズは135mmである。

私が持っている10年前のハブは126mmのものばかりだ。オーバーロックナット寸法が合わない車輪はつかえないので、新しいハブは必要だ。とりあえず、300円の135mmサンシンハブをヤフオクで落札した。そのハブをそのまま使ってもいいのだが、さすがに300円だけあって回転になめらかさがない。それを分解して135mmの中空軸を取り出した。そして、シマノの600アルテグラというロードレーサー用のハブに入れ換えた。アルテグラは10年前に製造中止になっている旧式の7段用だ。たまたま、サンシンのスペーサーが15mmで、シマノのスペーサーが5mmとワッシャが1mmだったので、126-5-1+15=135という計算になって、世界でたった一つの、シマノ旧式アルテグラ135mm幅7段ギア用ハブができあがった。

最近はマウンテンバイクが人気で、軽量頑丈な部品が安く売られるようになった。普通のマウンテンバイクは9段ギアである。9段の新型ハブ、どころか前後セットの車輪を買っても2万円もしない。わざわざ手間をかけて、10年前の低グレードな7段を使うところがコンセプトに合致していてうれしい。野望へ一歩前進である。


2002.11.3 サドる

写真はサドルだ。スペシャライズドというメーカーの意欲作である。みため非常にかっこよくて軽量、科学的に考え抜かれた独特なデザインは痛みを軽減するというのがウリだ。価格は2万(USドルではない)以上、という設定。アメリカだけあって無責任で、刹那的な部品だ。FSC1号(仮名)につける予定である。

自転車を作る上でもっとも難しいのはサドルだ。まったく尻が痛くならないサドルはないといわれてきた。自分にあったものなら、乗りこむとすぐに痛みはなくなる。もちろん、尻にはあざができる。私はすでに脱げない体になってしまった。ヌードモデルに自転車遊びは勧められない。

「自分に合うサドル」に会うのはたいへんだ。この20年、いろいろ試した。何個買ったか数知れない。けっきょく一番しっくり来ているのは、4番目に座ったイタリア製のサンマルコロールスで10年以上使っている。ロールスも年式によってずいぶん形や固さが変わっているので、同じ名前でも微妙にちがう。ちなみにロールス2というのは全く別物のサドルだ。私は5個のロールスと1個のロールス2を買ったが、使えているのは1個だけである。

サドルで面白いのは、尻どころか自転車にすら合わないものがあることだ。自転車とフレームはシートピラーという部品でつながる。シートピラーによってサドルの高さ、前後位置、角度が変えられる。この3点の調整はとても大切で微妙。どんな自転車でもこの3点がだめだと全く乗れない。

なんだかんだと、レース用のサドルを作ってきたのはイタリアである。ところが......たとえばセライタリアのフライトチタンという軽くてかっこいいサドルは、カンパニョーロのCレーコードにつかなかった。当時もっとも高価だったピラーだ。フライトチタンはかっこいい形状を追求するあまり、チタニウム製のレールの角度がありすぎて前下がりになり、適正な角度を取れないのだ。Cレコードのほうでも、かっこいい形状を追求するあまり、調整の幅をとっていないのだ。また、サンマルコのリーガルというトカゲ皮の最高級品で5万(リラではない)以上の値がついていたサドルグループは最初アルミニウムのレールをつけていた。そのレールの高さがありすぎてCレコードのピラーにつけられているボルトが届かず適正に締めることができなかった。すぐに、リーガルにはCレコード用の特性ボルトがおまけにつくようになったのはほほえましい。マイナーチェンジのあと、レールが鉄やチタンになった。ところが、今度は妙にレールが後よりで、適性な位置までサドルを引けなくなった。ピラーのやぐらをやすりで削って、笑いながらなんとか使っている。また、サンマルココンコールのアルミのレールは、太った友人(すもうとりほどではない)が乗るとポキッと折れてしまった。どうもイタリアというところは物を作って売ってから考えるのが常識らしい。

というように、まあ悩み深い部品である。写真のスペシャライズドであるが、こういう形状のサドルがいま大流行している。その端緒の物であるので、敬意を表して買った次第だ。つかってみた感想は「ま、どうってことないな。」であった。この独特の形状はこいつにしても、他のにしても、私には必要ないという結論だ。座り慣れたサンマルコロールスのフィーリングとは全く別物だ。当たる位置が微妙に違っており、一回目は処女尻だったので皮がむけて血がでた。サドるってのは血まみれになって遊ぶという動詞でもある。最大の売り文句の尻の下が抜けてすうすうする感じは悪くない。使い込めばそれなりに使えると思う。

ちなみにこのサドルは調整がものすごくシビアである。前後位置が1センチ、角度が1度ぐらい狂っていると座ってられないくらい尻が痛くなるだろう。一回使って捨てる人が多いんじゃなかろうか。「アメリカってやつは、やっぱこれかい」とか、悪態つきながら。


2002.11.4 毒舌

もう何年もこういう日記を書いてきて、ひそかに人気者になりたがっているのだが、ぜんぜんブレークする気配がない。サドルやクランクのことばかり書いていて、人気を集めようとする了見はそもそもまちがいなので、ここいらでひとつ、読者にこびようと思った。

ReadMe! JAPANなどで人気のある日記には2タイプある。「エロ」または「毒舌」である。何も考えずに私でもできるのは、エスプリのきいた知的なやつしかないのだが、見渡してみると、そういうタイプのものは不人気で閑古鳥がないている。かといって、エロは無理。宗教上の理由もあるし、「なにもそこまで...」とひいてしまう。「毒舌」ってのは、まあ簡単だからすぐにできそうだ。

毒舌について世界で最初の生理学的な研究はコンラートローレンツによるものであろう。一般向けの解説書に『毒舌(邦訳名「攻撃」)』がある。彼は毒舌を考える上で、言ってることの内容よりも、毒舌を言う者と言われる者の順位に注目しなければならないことを発見した。その発見により彼は1973年にノーベル賞を取っている。

順位が下の者を口撃するのは「いじめ」であって、毒舌とはいわない。上への口撃が真の毒舌である。対象が上位であっても、あまりに順位の差があると、毒舌とはいえない。ハイレベルの者は、底辺の者の動向など全く気に留めないからである。たとえば、山城新吾がテレビでやっている閣僚の悪口なんかは毒舌とはいえない。日刊ゲンダイが朝日の悪口をいうのは遠吠えである。菅直人が小泉純一郎の悪口を言っても毒舌とはいえない。菅直人が毒舌を吐ける相手はいまや鳩山由紀夫ぐらいのものであるという。

となれば、ウェブ日記で人気を集めているあの「毒舌」とはいったい何であるか。テレビなんかで聞きかじったことにいちゃもんをつけてもしょうがあるまい。ましてや報道そのものに悪口を言ったら、それこそ曼陀羅華である。あれは毒舌もどきでしかない。

いわゆる「毒舌」というものは、仲間あるいは下位の者に対するおべっかだということは山城新吾やピーコの芸を見るまでもない。口撃をしているようで、それが当の相手に届かないことぐらいは、本人も観客もみんな知っている。届いたって、反応がないことも周知だ。そうした心得をもった上で楽しむエンターティメントのいちジャンルだ。「毒舌」ショーでは有力者あるいは名を上げた者、人気者が攻撃されるさまを、実際に血を見る心配なく楽しめる。

さて、「毒舌」がさいきんで言うところのネタ、つまり一人漫才のような物だということが分かった。ところで、私はそういう芝居ができるのだろうか? 全ては人気のためである。試しにやってみて、自分の胸に手をあてて恥ずかしくなければ........2回目もやる。


2002.11.5 苦手な計算

ラクダのバナナはありとあらゆる問題の中で私がもっとも苦手とするタイプの問題。「音楽・芸能の10」と同じぐらい難しい。小学校のころから、ああいう計算をしていると頭が煮えてくる。算数や数学の試験の点数が悪かったのは、この手のやつを必ず間違っていたからだ。帰りの満員電車のなかで、必死の思いで暗算して出した答えは533個。あまりに素直な計算なので、もっといい方法があるような気がしてしょうがない。あと1個増えそうな裏技があるような気もしたが、気のせいのようでもあり、あるようでもあり、頭から湯気が出てくる。鷺沼で車両がすいたので、悪循環から抜けて週刊少年ジャンプを読むことにした。すると、ハンター×ハンターが無意味に同じような小難しい計算をやってるので、だんだん腹が立ってきた。


2002.11.6 劣等感について

計算に必要なのは、短期記憶の書き換え能力と見てよい。覚えなければならないのは数個の数字、それも1秒ほど頭の中に浮んでおればよい。そして、その数字を使う計算のワンステップは簡単なものだ。どんなに巨大で複雑な計算であろうとも最小単位は一けたの足し算、引き算程度のものと考えられる。書き換える能力はその小さなステップを正確に素早く積み重ねるのに必要だ。

計算力は数字をきれいに忘れつつ覚えて、単純作業を繰り返す能力だ。その力は数の演算で最も典型的に現れるが、日常的にも必要である。いわゆる事務処理能力だ。数字を扱うだけが事務処理ではなく、スーパーで買い物をしたり、ゴミ捨て、料理、掃除などの家事も同様の能力を必要とする。

私はその能力が著しく劣っていることを小学校のときに思い知った。私が小学生のころには算盤という木の球を動かして計算をする技術を訓練する課目があった。私は算盤が0点だった。3回以上指を動かして正解だったためしがない。「どうやるんだ?」と成績の悪い友人にきいたところ、「暗算との併用で反射的に指を動かせばよい」というような意味の、超人技としか思えないような答えが返ってきた。彼はどちらかというとバカの部類であり、算盤もいっしょに始めたのに、すぐに置き去りにされてしまったのだ。そして、よくよく胸に手をあてて考えてみると、算盤以外でも足し算引き算や日常の事務処理では特殊学級の友人にすらかなわないことに気づいたのだ。

私が計算力をつけるために血みどろの努力をしたことは言うまでもない。算数の計算ができなければ、入学試験に受からないからだ。田舎者の貧乏人が身を起こすには勉強しかなく、とりあえず東大か京大に行かなければ人生真っ暗だと信じていた。いまでも、野菜七とかフリーセルとか、数の演算に類するゲームを意固地になってやっている。それはある意味、劣等感の裏返しでもあり、弱点を補なうための訓練でもある。

もともとの能力を欠いている者は死ぬほどがんばっても、人並み程度になるのが精いっぱいだ。誰もがボールを100m投げられるわけではなく、40キロを1時間でサイクリングできるわけではない。頭の中身もおなじことである。私はけっして野菜七やフリーセルでひとかどの者にはなれないことを自覚している。私はこつこつがんばって、すでに10000個のフリーセルを解いている。中村君は解いた数こそ私より少ないものの、ずっと優れたフリーセラーだ。彼の解いている様子をちょっとみれば、逆立ちしたってかなわないことぐらいすぐわかる。


2002.11.7 米食う虫の好きずき

今の我が家のペットといえば、カマドウマである。夏には10匹ぐらいいたのだが、不幸な事故やらなにやらで、ついに一匹になってしまった。去年の飼育記録には、中型の幼虫のころは穴蔵を好み、成長すると隠れなくなるとある。今年は、去年よりも小さいときから飼育をはじめた。かなり小さいときには、隠れ家を用意しても中には入らず、水を浸した脱脂綿に止まっていることが多かった。そして、最近は脱脂綿にとまらず、隅に頭を突っ込むような仕草で、おどおどするようになった。それで、トイレットペーパーの芯を入れてやると、その中に隠れて日中を過ごすようになった。これが成長にともなう習性の変化なのか、密度の変化による心変わりなのか、結論はもっとまじめに研究してから下さねばならない。

幼虫

さて、写真は我が家の米の中にたくさんわいている虫である。女房はメイガの幼虫といっている。体長は1mmぐらい。こんなに微細でも見つかるのだから、よっぽどたくさんいるに違いない。この他にも、コクゾウがわいてくる。

女房の関心事は、それらの虫がいつ米の中に入るか、である。コクゾウは稲の花が咲いたあと、籾の中に産卵して、米粒の中で孵化して我が家にやってくる、というのが彼女の仮説だ。彼女は米につくコクゾウの様々なステージを観察しているので、そう考えた。コクゾウやメイガほどの名のある害虫のことは専門家に問えばすぐ判明するはずだ。こちらも、きいてわかるのではつまらないので、しばらくは推理をはたらかせてみるとしよう。

ちなみに、私のところに米を届けてくれる農家兼米屋は、コクゾウがどのタイミングで米に入るのか知らないという。コクゾウやメイガは米の中に入っていて当たり前なので、気にしたことがないらしい。おおらかなものだ。「虫がわくから、うちの米はいっぺんには買わない方がいいよ」と注意はしてくれる。その通りだ。ちょっと油断して米を食わないと、メイガが部屋をぶんぶん飛び回る。このあたりには小型の蛾が少ないので、どちらかというと歓迎されている。なにぶん、メイガはカマドウマの好物なので。


2002.11.9 時雨

今朝は快晴だったのに、昼頃急に空は雲に覆われ、ぱらぱらと雨が落ちてきた。この季節にこうした天気の変化で、北陸の時雨を思い出した。11月の時雨は表日本にはないはずなので、天気図で確認してみた。大きな低気圧がオホーツク海に発達して、気圧配置は冬型だ。低気圧からは、南西に寒冷前線が延びている。前線の西にも弱い気圧の谷がある。どうやら、その谷の影響であったらしい。夕方にはまた快晴となり、黒富士の真裏に日が沈んだ。

ラクダバナナで難解なのは、ラクダが1キロ歩けばバナナが一本必要なのか、すなわち1キロ歩いたラクダはそこでバナナを食べないと死んでしまうのか、または、グリコの「一粒300m」のようにバナナを1本食べると1キロ歩けるのか、あるいは歩きながらバナナを食べているのか、という解釈だ。この3つで正解が異なってくる。ラクダは1000キロ運べば逝ってよしなので、第一の解釈をとれるなら534本運べることになり、この解が最大となる。

ちなみに、長谷川先生の課題。このラクダの能力をもってすれば、バナナが無限本あれば、1)任意の数のバナナを一定の距離だけ運ぶことができます。距離を決めれば、何本でもOK。または2)無限の数のバナナを永遠の時間を費やして有限の距離だけ運ぶんだと言い張ることができます。または3)有限の数のバナナを永遠の時間を費やして無限の彼方に運ぶ途中なんだと主張することができます。

3)の場合は傍目にはバナナを積んだラクダが何をやろうとしているのか、さっぱり分からないと思います。できうるかぎり遠くに運ぼうという意志があるのですが、やっていることは100メートルぐらいの距離を行ったり来たりしているかと思うと突然100キロも運んだりして、これといった目標がみあたりません。これはちょうど、人類や生命の存在意義というか、生きる意味というものがよく分からないということに通じるものがあると思います。

11月10日の追記
もしかして、先に一本食ってから運ぶやり方でも534本運べるんじゃなかろうか。どうも自信がない。こういう問題はちょー苦手。


2002.11.10 なごり雪

まことに季節外れで、なんのタイムリーさもないのであるが、「なごり雪(ただしイルカバージョン)」という歌が頭の中を駆け回っている。昨日の夜、というか今日の未明からだ。朝5時に起きてスペインサッカーの中継を見ようと思っていたのに、「なごり雪(甘ったるい腐敗臭の漂う懐メロ)」なんぞが、ぐるぐるうごめくので、見逃してしまった。

「なごり雪」というのは今は知る人も少ないと思うが、私が子どもの頃にけっこうはやった歌である。25年前から指摘されているように、あの歌には謎が多い。昭和のはじめの歌ではあるまいに、なぜ「汽車」なのか? 25年前に大分あたりから出てきた田舎者は東京で電車のことを汽車と言ってしまって笑われているはずである。歌詞であえて汽車という以上は、きっとディーゼル機関車がやってくるんだろう。ディーゼルならばブルートレインか。駅はどこか。上野か。というように鉄道マニア、通称「てっちゃん」とよばれる人たちならちょっとは盛り上がることができるであろう。私は全くそういう趣味はないので、そういう中にいてもふんふんとうなずくだけである。

「東京で見る雪はこれが最後」というフレーズも謎である。引っ越しをする人間はなぜかそういう格好よさげなことを言いたがる。老人だけでなく若者も子どもも言う。そういう決め台詞を使うのは相当恥ずかしいことである。その恥ずかしさを補って余りあるだけの感傷があるのか、恥はかき捨ての開き直りなのだろうか。

ちなみに後ろ髪を引かれるように汽車に乗る場合は、進行方向逆向き、つまり後ろに進むように座るのが良い。新天地に希望を求める移動であれば、進行方向に向かうのが良い。自分で実地に試しても、前向きか後ろ向きかで駅を離れるときの気分がずいぶん変わるので面白い。テレビや映画で旅行者の心象を表現するさい、人物の向き、顔のアングルに注意しないととんでもないことになる。「去年よりずっときれいになった」おとなの女が前向きに遠ざかっていったら、コメディーになる。

こういうことを考えていて、サッカー中継を見逃した。せっかく夜明け前に起きたのに。そういえば、ラクダバナナでふと思いついて、午前2時にも1回起きていた。丑三つ時のラクダバナナ、未明のなごり雪。なんだか文化人のような暮らしぶりではないか。じっさいは日曜の今日も午前9時から東京で来年の私の進退を決める会議を仕切り、夕方には明日のイベントの段取りを詰めて来た。すなわちあくせく生きる小市民。


2002.11.11 結果が全て

その昔、モータースポーツのF1カテゴリーが日本で大人気だったことがある。日本グランプリには多くの若者がつめかけたものだ。そのころF1カテゴリーの日本での放送を独占していたフジテレビはなぜか日本グランプリを生中継せず、夜のゴールデンタイムで録画放送していた。その理由は、鈴鹿に来るファンも後で放送を楽しんで欲しいから、という宿題を忘れた小学生のいいわけのようなものだった。

さらに、フジテレビは日本グランプリの結果について各社各局に報道させないようにしていた。放送より先に結果がわかってしまえば、チケットが入手できず鈴鹿に来られなかったファンが気の毒だから、というのがその理由だったと思う。放送前に結果を知ったファンがかわいそうということには同意するが、フジテレビが本気でそんなことを考えていたかどうかは、宿題のいいわけと合せて考える必要がある。

一般にスポーツの放送は結果がわかってしまうと見る気がしないものだ。私はこれまでにたった一人だけプロ野球を録画予約しているという人にあったことがある。まあ、奇特な人である。北海道に住む巨人の大ファンだった。その人をしてすら、「これってもう結果の出てる試合だよな」と思うだけでビデオを見る気が失せるという。

野球というのは結果がどうなるかという興味で観戦するスポーツだと思う。結果というのは試合の勝敗だけでなく、投げた結果、打った結果、走った結果etc、その一瞬一瞬の結果の積み重ねが面白いスポーツだと思う。先の見通しが立たないこと、そして、途中経過と勝敗の関係なさも野球の特徴だ。9回表まで毎回得点を重ね、投手がパーフエクトに押さえ、10点リードしていても、負ける可能性がある。相手チームのファンは「もしかしたら歴史に残る大逆転劇が見られるかもしれない」などと内心ひそかに思っていたりする。

野球放送の録画なんて、もしその試合結果を知ってしまったらいくら好きでも見てられないだろう。しかしながら、普通の日本人中年男にとって、その日の巨人戦の結果を知らぬまま、無事深夜に帰宅し、無事ビデオを再生するのは至難の技である。少なくともテレビは見てはいけない。ニュースでは先を争って結果をいうし、一般番組でも平気でテロップで結果を流す。インターネットからも結果速報が飛び込んでくる。迂濶に日記才人を開くと、タイトルにプロ野球の結果を入れる人がいる。知らずにおくのにどれほどの労力が必要かを予見するだけで、プロ野球の録画なんてするもんかと思う。知らされない自由はないと言ってよい。


2002.11.12 結果が全てではない

テレビの速報というものは彼ら報道業界内部のスポーツだと思う。選挙の当落とか巨人戦の結果などが競技の対象となる。日本グランプリはその対象ではなかった。報道を早く出した方の勝ち。ただ、その競技には明文化されたルールがないので、観客(視聴者)である私には報道の論理というか、競技規則が今一つ飲み込めない。

一般にルールを知らない者には競技は無意味である。無意味でも無害なら許そう。囲碁のルールを知らない私は碁盤の白黒の石の並びをみてもちんぷんかんぷんであるが、囲碁を迷惑とは思わない。速報競争に対してはのんきに構えていられない。どういう競技規則によって、野球中継を中断したあとの徹子の部屋みたいな番組の中に(終了:巨人0ー3阪神)とスーパーインポーズするのであるか。他局も同じく、ニュースの生放送中にすら野球結果のスーパーインポーズを入れるのか、まったく謎である。唯一想像できるのは、報道のスピードを勝ち負けと思って楽しんでいる人がいることだ。10台ぐらいのテレビモニターが並ぶ部屋で、どの局が最初に速報を出すのか固唾を飲んで見守る人たちがいて、その日最初のスーパーインポーズが出た瞬間に歓声とかため息とかが出ていたりするんだろう。彼らが競技選手、またはフロントである。できれば私の関係ないところで試合をしていて欲しいものだ。

野球と違って、サッカーの放送は結果をしっていてもけっこう楽しめる。今週のマドリの得点経過と結果は、すでに見たバルサの試合の中で(知りたくもないのに)知らされていた。けれども、試合展開がドラマチックで90分間じゅうぶん楽しめた。自転車のロードレースの放送はサッカー以上に結果に関係なく楽しめる。競技自体が経過を見物するようにできており、結果はつけたしみたいなものだ。それに、私にはひいきの選手もチームもなく、競技に対する思い入れもあまりないから、結果があまり気にならない。それでも中継録画を見るには結果がわかってない方が楽しいに決まっている。

今年のベルタの放送は1か月遅れの録画放送なので、知ろうと思えば結果を知る方法はいくらでもあった。自転車雑誌とか、新聞とかインターネットとか。むろんスペインの自転車競技の結果なんて、知りたくなければ情報を退けるのはたやすい。満員電車で目の前に広げられたスポーツ新聞の大見出しにベルタがでることはない。TVニュースでの放送もない。ワイドショーでケルメチームのビールかけが出ることはない。三越デパートから、「オンセ優勝記念セール」などという垂れ幕が降りることはない。日記才人で放送前に「セビーリャ選手優勝おめでとう」なんてタイトルにつける危険のあるのは1人しかしらない。安心して1か月遅れの放送を3週間にわたって毎日楽しめる。

ところが、今年は不慮の事故によってベルタの放送半ばで結果を知ることとなった。というのは、サッカースペインリーグのマドリの開幕戦で、始球式のボールを蹴ったのがベルタの優勝選手だったからだ。まさか、ああいう形でベルタの結果を知らされようとは思いもよらず、あいた口がふさがらなかった。


2002.11.13 なさけないことば

立派なことばがいつのまにか本来の活力を失って、なさけないことばに成り下がってしまうことがある。その堕落は、そのことば自体のせいではなく、社会の変化によるものであろう。たとえば、「秘密兵器」ということばを考えて欲しい。「原子爆弾は北朝鮮の秘密兵器です」と言うと相当しょぼくないか? 「北朝鮮には核実戦配備の懸念がある」というようにしないと実感がわかない。

私はそういう時代を知らないが、「秘密兵器」が強いことばだったということは想像にかたくない。戦時下であれば「秘密兵器」が示す対象は強力なものであるはずだ。BCであれ、核であれ、SDIであれ。それが、この数十年間、秘密兵器が指示する対象は、半端者ばかりであった。いいとこまで行きながら油断して負ける悪のシンジケートの怪人とか、湘北高校のバスケ部の控え選手とか。あらわす対象が弱くなれば、それに引きずられてことばも弱くなるのは必然といえよう。

はなし変わって、私の世代なら誰もが「あのくたらさんみゃくさんぼだい(梵)」ということばを知っていることと思う。けれども、その本当の意味はだれも知らない。ばちあたりなことである。漢字をあてると「阿耨多羅三藐三菩提」。もとはサンスクリット語で、一切の真理を完全に知る仏陀レベルの悟りのことをいう(と辞典にあった)。

私たちは「あのくたらさんみゃくさんぼだい」というのを、インドの山奥に住むダイバダッタという導師の特訓を受けて超能力を得たレインボーマンという正義のヒーローが変身のときに唱える呪文として知った。その呪文に、私はインドのデカン高原にあるテーブル台地を見ていた。「アノクタラ山脈サンボ台」という字をあてていたからである。その台地のかたすみにある道場で、土にもぐったり体から水を出したりする技を修行している若きヒーローたちを想像していた。そして、ヒーロー物だから誇張はあるにしても、なんらかの典拠はあると信じ、いつかアノクタラ山脈に行ってみたいと夢見ていたのだ。

少年の日の私。ヒマラヤ山脈がインドにないことを知っていたのはさすがだが、残念ながら、単なる地名が呪文になり得るのか? というところまでは考えが及ばなかった。「おおうさんみゃくはっこうださんすいれんぬまおおうさんみゃくはっこうださんすいれんぬま」というのはインド人には呪文に聞こえるかもしれないが、日本人には単に八甲田山の観光名所を連呼しているとしか聞こえないのである。


2002.11.14 こんなもの

いったいなんじゃいと思う人が多いかもしれない。写真は「これなんだ?」のクイズではない。自転車のブレーキである。ブレーキとしてはゴムの部分(ブレーキシュー)がないので半端物だ。 最近、こういう物ばかりを買っている。よほど好意的に解釈しない限り人生には必要のないガラクタばかりだ。夢の中ですら、黄色いカーボンモノコックのむちゃくちゃ高そうな自転車(しかもサイズが合っていない)を知らぬ間に買ってしまって「どこに置くの?」と女房に非難され、冷や汗をかくしまつだ。

このブレーキはシマノ工業のデュラエースという。四半世紀前には国産最高級といわれ、当時貧乏学生だった私には高価で手が届かないものだった。アーチをかたどる三角の穴が独特で、自転車につけると他のブレーキとのちがいが一目でわかる。いかにも走り屋&高級車という感じで、それはそれはうらやましかったものだ。

学校を卒業して、月給取りになってすぐ自転車を買った。当然のことながらその自転車にはこのブレーキがついていた。気合いを入れた自転車で一生使うつもりであったが、3か月ぐらいで盗まれてしまった。とうぜん新車を買う余力もなく、ぐすぐす泣いていたら、デュラエースがモデルチェンジしてしまった。

思えばあのころ、日本人の工業製品の美的感覚は腐りきっていた。特に自動車が狂っていた。日本中の乗用車がセダンだろうがクーペだろうが何が何でも角ばり、スピードメーターがデジタル数字表示になっていた。美しい曲線をいかした自動車を買おうとすれば、ポルシェカレラしかなかったのだ。その直後、すべての自動車がまるっこくなり日産シーマとかがバカ売れしたのはお笑い草である。

その狂気は自転車部品にも及び、デュラエースはクランクから、ディレーラー、シートピラー、ハブに至るまで、根本的にデザインが変わってしまった。全体的につるつるでぽよ〜んとしてあそびが全くなくなったのだ。ブレーキも没個性でかわいげのないものに成り下がり、ピカピカ光っているのに輝きを失ってしまった。

このブレーキは今でもヤフオクに登場すると、けっこういい値がつくから、根強いファンがいるのだろう。私も思い入れのある部品だが、10000円を出す気はないので、今日まで手に入らなかった。これは中古であまりきれいでなく、シューとスプリングがない半端物だということで2600円で買えた。さっそく、2時間かけてばらばらに分解して綿棒で錆と汚れを落し油をさしなおした。カンパニョーロを外してしばらくこれを使おう。


2002.11.15 まことしやかな嘘

賢明な読者諸君はすでにお気づきと思う。私はまことしやかな嘘をつくのが好きである。そして、まことしやかな嘘をつかれるのはもっと好きである。気持ちよく騙して欲しいのだ。ちかごろは、その嘘をつかれるということがめっきりなくなってしまった。たぶん、マスコミと接することが少なくなっているからだ。

最後に聞いたまことしやかな嘘は「アナウンサーが『1日中、山道を歩く』と言っていた」というやつだ。テレビ原稿は縦書きで、数字は丸付きにするか漢数字表記にすることが原則なので、そういう読み違えは起こらない。まことしやかな嘘だと思う。

その前に聞いたまことしやかな嘘は「巨人の星の主題歌のせいで、グラウンドローラーのことをコンダラというのだと思い込んでしまった」というやつだ。あの歌はそういう誤解を起こしようがないように放送されている。

ちなみに巨人の星は作中でまことしやかな嘘を連発することで有名だった。もっとも知られているのは「ロウソクが消えるとき、一瞬炎が大きくなる」というものだ。なんの根拠もない嘘である。また、長嶋選手が練習場にランニングして通っていたというのは、巨人の星の中で捏造された美談だと言われているが、あれに限っては本当かもしれない。大田区田園調布の高級住宅街から巨人の多摩川グランドに行くには歩くのがいちばん早くて楽だ。しかも急な下りだから早足になってしまうのだ。この件はご本人に確認していないので定かではない。また、巨人の星は「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす」という台詞が好きだったが、あれは嘘。ライオンが殺すのはあくまで他のオスライオンの子供である。

「野球にタラレバはない」といわれるが、まことしやかな嘘にも、タラレバは禁物である。よく「坂本龍一は音楽をとったらただのスケベ親父」などといわれることがあるが、まったく当たり前のことで、そのいいようじゃ誹謗にはとどかず、中傷にもならず嘘ですらないと思う。

思うに、物心ついた私が最初に気づいたまことしやかな嘘は次のようなものだった。「キャラメル屋は砂糖の値段が上がると、キャラメルの表面についている筋を少しだけ深くすることで、気づかれないように量を減らして利益を保っている。」森永なんかはそういう面倒をするだろうか? そもそも気づかれないのなら、砂糖の値段が安いときも深くしておけばいいではないか。これは昭和40年代、庶民が砂糖の値段すら気にしていたころの話。小学校教員から聞いた。


2002.11.16 美しいブレーキ

さっそくデュラエースのブレーキをつけてみる。ほれぼれするぐらいかっこいいと感じるのは私だけであろうか。

このデュラエースは昔の部品だけあっていろいろと荒削りの部分もある。しかも前のオーナーが細かい部品を彼なりの創意で取り替えたりしている。ちょっと装着と調整に苦労する。シューはなかったので、カンパニョーロのコーラスのものを流用した。他にも3種類ぐらいシューを持っており、いろいろ合せてみたが、どれもしっくりいかなかった。特にタイヤリード(?)のつけかたが各社まちまちなのだ。

コーラスのシューは、本体に取りつける部分とリードが一体化しており、ゴムだけを交換できるようになっている。写真のゴムの部分を注意してみると、差し込み式なのが分かる。間違えてシューを反対向きにつけると、ブレーキをかけたときゴムが抜けてしまう。じっさいそれをやって、下りで死ぬ思いをした人を知っている。今はどうか知らないが、この頃までのカンパニョーロは皆この形式だったと思う。

プロのレースだと2、3日走るとゴムがすり減ってシューを交換しなければならなくなるらしい。ゴムだけ交換できると安くあげることができる。というのも、カンパニョーロレコードのブレーキシューは2個で8000円もしたのだ。ブレーキ本体ではない、あくまでシュー2個で8000円である。ちなみにゴムだけなら1個で700円ぐらいだった。

私は当初、カンパニョーロのブレーキはボロだと思っていた。値段が高いのにきかないから。ところが、ある日を境にカンパのシューを見直すことになった。国産メーカーの安くてよくきくシューを装着した自転車に乗っていて、頭から道路に落ちたからだ。

渋滞の世田谷通りの左端をのろのろと時速20キロぐらいで走っていたとき、右折車が右手前方の車と車の間を抜けて飛び出して来た。相手は私を見ていないし、こちらもその車が見えてなかった。前数メートルに車のボディを確認して、反射的に急ブレーキをかけた。みごとにブレーキはきき自転車は止まったものの、人間は慣性で前に進み前方宙返りの格好で転倒してしまった。自動車にはぶつからずにすんだが、ああいう状況では車につっこんだほうがダメージが少ないものだ。ブレーキがききすぎないと、反射的に思いっ切りブレーキレバーを引いても自転車はゆるゆると進んで行く。せいぜい後輪が浮くぐらいで操作不能になることはない。

最近のブレーキがどうなのか試したことはないが、ものすごくよくできているらしい。昔は、いろいろバラエティがあった。ぜんぜんきかずに絶対に止まらない(といううわさがあった)イタリアのモドロ社、ききすぎてすぐにホイールロックを起こしたサンツアー、いろいろあって性格がつかめない吉貝。たかが自転車のブレーキであるが各社それぞれの設計思想が感じられて面白かった。微妙なきき加減がカンパニョーロのブレーキはよくできていて、高価でも人気があったのだと思う。試しにカンパニョーロのブレーキをつけて、事故に遭った状況を再現してみたが、前方宙返りをすることはなかった。かつてのチャンピオン、グレッグレモンは「ブレーキは何を使ってもいいけどシューだけはカンパニョーロにしろよ」といっていた。その点は賛成だった。

ブレーキを写真のようにしているのも、紆余曲折あってのことだ。けっして使い勝手がよくない古びた機材もそれなりの物語を背負って美しく見える。


 
2002.11.17 「たとえ」としての言語表現

インターネットにおける言語表現とコミュニケーションについて論じたいのであるが、その前に言語表現というものの本質を押さえておかねばならぬ。言語は何を伝えるものなのか、伝達以前に人は言語によって何を理解するのであろうか。言語は数学の式や音楽、写真などにくらべて理解と伝達において本質的な差異を有しているのだろうか。

まず、言語表現はすべて「たとえ」であるということをかいつまんで説明したい。最近よい教材が手に入った。ソースはカートンネットワークで世界的に配給されているテレビアニメの一つである。そのアニメの中に苦悩する案山子がでてきた。彼はひょうきんな姿をした気の弱い男である。作物を植えつけたばかりの畑をまもるのが彼の仕事である。ところが、追い払わなければならないヘビやカラスに馬鹿にされ、いじめられている。彼の主人である農夫は彼を慰めるのだが、彼にも案山子としての誇りがある。そして言う。「恐くない案山子なんて、安くないもやしみたいなもんだ」

そのアニメはアメリカ製なので、もとの台詞は当然ちがうことを言っているはずだ。私は英語が不自由で、もとの語呂を想像することすらできないが、直訳すれば「恐くない案山子なんて、半熟以前のゆでたまごみたいなもんだ」というようなことを言ったんだろう。わけがわからない。ほとんど禅問答である。案山子の言葉は正しく翻訳すればするほど、意味不明になってしまう。英語で「半熟以前のゆでたまご」というところを日本語では「安くないもやし」と言う。または、いまいちセンスがないが、「辛くないからし」でもよいだろう。いずれにしても、まったく本来のものとは意味の違う言葉を選んでこそ、同じニュアンスが伝わる。

このことを単に翻訳のテクニック、あるいは異なる言語間での疎通ということだけで狭くとらえてはいけない。少し注意深く考えれば、言語の本質的な特性に気づくことができるのだから。自分で考えることも大事なので、今日はここで終わる。続きは次回。


2002.11.18 おやじギャグ

言葉というのは、個人の体験を概念の中に落とし込む力も持っている。その概念は言語の規則によって操作できる。操作は自由度が高く、なんとでもなるが、意味のあるものになることは希である。そのかわり、意味を超越した思いもよらぬ面白味がうまれることもある。

もしかしたら語呂あるいは地口に心得のない人がいるかもしれないので、老婆心ながら解説を加えておく。昨日のアニメの案山子は「恐くない案山子に存在価値はない」と言えばすむところを「恐くない案山子なんて、安くないもやしみたいなもんだ」と言うことでしゃれている。「恐くない案山子」と「安くないもやし」は存在価値がないことでは同じだ。ただ、意味が同じだけでは、しゃれにはならない。たとえば「恐くない案山子」と「半熟以前のゆでたまご」も意味は同じだが並べる価値はない。両者の語感が全く違うからだ。恐くない案山子と安くないもやしは姿のうえでは全く似ていないが、言葉にしたときの音が似ている。音が似ているから持つ意味の連想もおきる。連想によって実物はまったく似ていない2つの物が結び付き諧謔が生まれる。その面白味によって、「恐くない案山子に存在価値はない」という発言がより強い主張となって人の心に響く。ちなみに、語感が似ているだけで、ぜんぜん連想の起きない語呂を「駄洒落」という。近ごろではもっぱら「おやじギャグ」とよばれているようだ。

言葉は見かけ上全く似ていない物でも結びつける力をもっている。考えてみれば、その機能によって言葉は言葉として成り立っているということがわかる。私は恐くない案山子という言葉でアメリカ製のアニメーションの登場人物をみている。その人物自体は見ている人は少ないだろう。しかし、恐くない案山子という言葉から、どらえもんの案山子とか、へのへのもへじの案山子とか、各自それぞれの案山子を思い起こすだろう。どういう案山子かさえ示せれば、現在の私がやっている話の展開にはなんの支障もないのだ。言葉は実物体験を共有していない人と人にコミュニケーションを成立させる。


2002.11.20 あれはなに?

言葉を使わなくても、感じ、喜び悲しみ、行動でき、考えられることは明らかである。ただし、その状態がどういうものかを知ることは少し難しい。言葉を持たぬ動植物の気持ちになるのは凡人には無理だから、端的には夢を見るようなものだと考えればいい。あるいは断食とかヨーガとかの宗教的な修行をすればすぐに体験できるだろう。言葉抜きのビジュアルなイメージはとりとめなく、自力での操作ができない。人間らしくものを思うためにはやはり観念を操作できるよう固定した言葉、つまり単語と文法が必要なのだ。

なにやら遠回りをしているようだ。本題に入る前に力尽きるかもしれない。そもそもものの名とは何であるか。物心のつきはじめ、この世の中の物すべてに名前がついているということに感激した経験があるだろうか。「あれは何」となにかれなく問うたことの記憶は心の片隅に残っているだろうか。「赤毛のアン」の冒頭、少女のアンは何にでも名前をつけてまわる。それはそれは楽しそうに。彼女は何が楽しいのだろう。

名づけること、すなわち物と名とを一致させること。換言すれば、経験と概念を合せること。さらには、概念と概念をつなぐこと。そういう作業を人間は本質的に楽しむようだ。マロニエの木の根のような奇怪な物が、食べ忘れられて2日たったスパゲッティだと分かれば吐き気もとまるというものだ。その楽しみは人が生まれながらにもっているものだと思う。ぶどう糖、砂糖、果糖などの糖類一般を甘く感じるように、太陽に手をかざすと暖かいように、ハチに刺されると痛いように。


2002.11.24 矛盾した存在をどう表すか

物には名があるのではなく、人が名をつけるのだ。名は実体、つまり物そのものではないからたとえである。私がカートンアニメの案山子と言っているときには、イメージはアニメの案山子に一致している。しかし、当のアニメを見ていない人はその言葉だけでは誤ったイメージを持つことになる。アニメの案山子は私自身が案山子という言葉から思い浮かべるものとずいぶん違っているから、他人がどのような誤解に陥るかを想像することはたやすい。さて、では私はアニメの案山子をたとえるのにどれほどのことをなさなければならないのか。

案山子にもいろいろある。私は三角の笠をかぶり、顔は手ぬぐいでへのへのもへじ、手足は竹で体は藁、背には蓑、田んぼのあぜにたっている、というようなものを思い浮かべる。じっさいにそのイメージぴったりの案山子は見たことはない。案山子の最大公約数のようなものである。田んぼの中に立つマネキンのさらし首は案山子のイメージからは程遠いが、あれも案山子である。

もし、案山子という言葉を知らずに、案山子を説明するとどうなるか。「人形、ひとかた、木偶、マネキン、オブジェ」というように、一言で姿をあらわすわけにはいかない。やはり、その機能についての説明が必要になる。案山子とは田畑の害鳥を追い払うための人形、ということになるのだから、カラスにからかわれ、いじめられる人形は案山子ではないことになる。つまり、恐くない案山子は根本から自分の存在意義を見失うことになるのだ。

恐くない案山子は矛盾した存在である。ただし、四角い丸とか曲がった直線などのように言葉上の矛盾として片づけられるものではなく、実際に存在可能である。すくなくとも、四角い丸はアニメには描ききれないが、恐くない案山子はアニメで表現することができる。

そうした矛盾した不可解な存在を説明するのに普通の言い方では物足りない。「カラスにいじめられる案山子」「弱い案山子」「役に立たない案山子」というような修飾語による説明は近いが絶対にぴったりくるものではない。「もやしみたいな案山子」というとそれなりの連想はある。もやしのひょろひょろした感じはいかにもいじめられそうだ。だが、それだけのことで、たとえとしては考えすぎの感がある。もやしと案山子は物として遠すぎる。ところが、「恐くない案山子は安くないもやし」という表現は、意味内容では案山子をもやしにたとえているにもかかわらず、もやしのイメージに依存することなく、案山子の根元的な矛盾を浮き彫りにしている。


2002.11.25 初冬の稚内

しばらく東京にいてだんだん体が腐ってきたので、金曜日に発作的に飛行機に乗って稚内に行ってきた。旅行の季節は外れて飛行機はがらがら、宿もがらがら、みやげ物屋は閑散。「さいはて」がキャッチフレーズの稚内はそのまんま端っこらしさ満点だった。

11月の終わりともなると、北海道の最低気温は氷点下になる。札幌あたりですら一面の雪で、稚内は道路がみごとに凍りついていた。冬の北海道を革靴で歩き回るのは自殺行為だ。東京から出てきた中年おやじはつるつる滑るということを体験できた。

稚内あたりは悲しいところだ。もともと厳しい風土にくわえ、無茶苦茶な開発の手が入っている。人間はここまで自然を蹂躙できるのか...と、あきれるほど自然臭さがない。しかも、この初冬はありとあらゆるみっともないものがさらけ出される季節だ。広々とした大地に見渡すかぎり自然のしの字もないのだから恐れ入る。まもなく雪と氷に覆われ、5か月間この土地は人の手がつけられなくなる。その間に自然は回復していく。徹底的にいじめられ、しいたげられてもなお初夏には瑞々しい草木がある。6月の北海道の美しさの前には我が身が人であることを懺悔したくなる。

帰りは朝から雪だった。久しぶりに見る降雪なので、空港のコンクリートに落ちる雪も新鮮だ。雪片は飛行機にあたって融け、窓には水滴がついている。その水滴がどうなるのか興味がわいてきた。飛行機が上空を飛んでいるときに窓に水滴を見た記憶がないからだ。

滑走がはじまり、スピードがあがると、機体から落ちてくる水滴が窓にあたり、後方に向けて一列の破線を描く。高度600メートル付近の薄い雪雲を抜けると、もう水滴は落ちて来なくなった。ジェット機はわずか1分で高度5000メートルまで昇る。時速500キロ以上で飛んでいるのに、破線をつくっている水滴はまったく動かない。凍りついているのだ。氷の粒の大きさは5ミリぐらい。窓にびゅっと飛び散ってきたそのままの形で凍りついている。

氷ならしばらくついているのだろうと、観察をつづける。1万メートルまで上昇し、水平飛行に移ると、こころなしか氷が小さくなっているように思われた。目を凝らすと、わずかながら小さくなっているのがわかる。外は氷点下40度ほどになっているはずだ。どうやら融けずに気化しているようだ。 飛行機は北上川に沿って南下する。天気がよくて見晴らしが利き、宮古、早池峰山、遠野が見える。稚内まで行っただけのことはあった。


2002.11.26 100キロ先の雲

朝には空を厚く覆っていた雲がすっかり消え、午後からは快晴になった。ものすごく澄んだ青い空に白い綿雲が浮ぶ。典型的な東京の冬空になった。そして、新宿の高層ビルの後方に重そうな入道雲を見つけた。おもえば、いつの季節でも同じ所に立派な入道雲ができている。ちょっと気になったので、その雲のできる場所を計算でわりだしてみた。

雲の高さは3000メートルとしよう。ものさしは都庁がつかえる。雲の見かけの高さと、都庁までの距離から計算すると、実際に入道雲のできているところは100キロ彼方ということになった。いくらなんでも遠いのでは? 感覚的にはもう少し近く、40キロぐらいかなあ、とも思う。三浦半島からみた富士山の入道雲よりも近そうな気がするのだ。

ただ、渋谷から100キロというと筑波山があるので、入道雲もできやすいから計算があっているのかもしれない。ここからは筑波山は見えない。東京タワーにでも登って、筑波山と入道雲が同時に見られれば、雲の場所がはっきりするだろう。


2002.11.27 七色の文章

ことばはその出生からもののたとえであるならば、何をなんといってもよいはずである。それなのに、表現には良い悪いがある。「案山子はもやしである」というのは、ほとんどものになっていない。180度あっちの方向を向いたたとえだろう。それが「恐くない案山子は安くないもやしみたいなもんだ」といえば、さらに180度、結果的に360度回ってクリーンヒットになった。ピンとくる表現とこない表現はどこが分かれ目なのだろうか。

「恐くない案山子は辛くないからしみたいなもんだ」というのは意味のひろがり、意外性もいまいちだが、なにより語感が悪い。この語感というやつがくせ者である。文が事実を正しく反映しているかどうかはひとまず大事ではない。文自体のもつ受け手にものおもわせる力は真偽によらないからだ。誤った内容の上手な文は誤っていることもビビッドに表現する。悪い意味でピンピンときて、アホ臭さ満点か、逆に敬意をもってしまう。

内容が正しくても語感が悪いのはしゃれにならない。日本語は50音を組み合わせて勝手な単語をつくれるような気がする。単語は自由に組み合わせてどんな文でも作れるような気がする。ためしにやってみるとダメだということがすぐわかる。でたらめなことばは気持ち悪くて使えない。どうしてだろう。


2002.11.28 ちょべりばなおたまじゃくしと言ったなら

言葉には意味がある。英語のことを横文字と言えば、「私は外国語のできない中年です」ということを言外に表明できる。自転車をちゃりんこといってるなら、ちょべりばな自転車にしか乗ったことがない娘だということがわかる。同様に、音符のことをおたまじゃくしといえば、音楽がまったくわからないオヤジだということを公言できる。これが意味の味の部分だ。

ことばには意と味があるが、音楽には意がなく味だけがある。意がないだけに音楽はどうにも非科学的だ。ピアノのキーを3つ同時に叩く。気持ちの良い音になる組み合わせは確率的には0に等しい。その理由がわからない。聴けるリズム、聴けるメロディは極めて限定されたものだ。五線譜のおたまじゃくしは極めて整然と、しかるべき場所に配置され、一個を動かそうとすれば曲全体をいじらなければならなくなる。曲になっている音となっていない音はだれだって見分けることができる。その法則こそ経験的に見つかっているものの原因究明はまだ霧の中だ。

ことばの味の部分は音楽とおなじようなものだろう。語感のよしあしは音楽のよしあしと同じで、違いは明らかだけど理由をつけることはできない。わからないから私はこう言うしかない。人間は音を聴いたり、色を見たりするのに、そんなふうにしかできないように、人間はいいことばと悪いことばをなんとなく使い分けているらしい。

かくて、味の部分の解明は行き詰った。次は意だ。こちらは考えることも説明することもできそうだ。論理はどうやって人から人へ伝わるか。もしくは、なぜ過去の自分から今の自分に意を伝え、未来の自分に残すことができるか。それを理解するには「数学とは何か?」ということさえわかればいいような気がしている。簡単そうだ。


 
2002.11.29 分数の割り算は超難問

数学のつまずきは分数の割り算からはじまる、というのはおもひでぽろぽろ以来の定説である。子どもが2割る3分の1の計算をできないのは当然だ。なぜなら、四則演算の決まりと分数の定義だけしか知らない者には超難問であるから。分数の割り算はひっくり返して掛けるのだというやりかたを教えても、子どもからは「なぜ、分数で割るときはひっくり返して掛けるのか?」という疑問が少なからず出てくる。その疑問を額面通りに受け取ってよいなら、それこそ「放っておけばよい」と思う。中学に行って等式のきまりを習えば簡単に証明できるからだ。

ところが、子どもが納得していないのは、ひっくり返して掛けるということではない。もっともっと本質的な所で混乱が生じているのだ。

小学校の数学は、物と数を対応させることからはじまる。1、2、3、4という自然数はおはじきやみかんを使って覚える。足し算、引き算はおはじきやみかんをならべて数えて覚える。かけ算は足し算のくりかえしとして覚える。割り算は引き算のくりかえしと習う。そして、応用問題と称して、物と対応させながら四則演算を学んで行く。

そのうち分数が出てくる。分数も物と対応させて説明を受ける。リンゴを3つに切った1きれが3分の1。みかんを3人にひとしく分けると3分の1ずつもらえる。900メートル離れた学校に向かって300メートル歩いたときが3分の1。分数だって、現実の物と対応しているのだからちっとも難しくない。少数の書き方をちょっと変えた程度のものでちっとも心配いらない。という気にさせられている。

ところが、分数の計算になるとひそかに現実は忘れられる。3分の1と6分の2が同じとは恐い蟹? 3キロ先の灯台に1キロ行ったときが3分の1、6キロ先の学校に2キロ行ったときが6分の2。この2つがどこをどうやって同じなのだ。3分の1のりんごと3分の1のりんごをあわせれば3分の2のりんご。これはわかる。では3分の1のりんごと3分の1のみかんを足しても3分の2なのか? 小学校の分数は何か大切な物を置き忘れたまま進んで行く。そして、2割る3分の1は6という超難問に逢着する。


2002.12.1 分数の割り算が教えるもの

「なぜ、分数で割るときはひっくり返して掛けるのか?」と問う子どもたちの真意は「分数の割り算も、図やりんごを使って直感的に把握できるように説明してもらえないだろうか」ということだ。むろん、それらしきことならできないことではない。実際に模型や作図によって試みる熱心な教師もいる。しかし、残念ながらその説明はみな笑止千万なものである。彼らの図は分数の割り算が一目でわかるというには程遠いものだ。説明によってかえって混乱は深まるばかりである。

なぜ分数の計算は視覚化できないのか。そもそもの間違いは、3分の1と言ってりんごを3つに切ったことから始まっている。切りとられたりんごの一切片は3分の1ではないのだ。3分の1というのは切られる前のりんごと、切りとられた一片の量的な関係を示している。関係を目に見える対象として示すことができないということはご理解いただけるだろうか。「関係」は人間の頭の中にしかないのだから、「3分の1で割る」といって、りんごの切片でなんとか目に見える物にしようとしても無理というもんだ。

子どもたちは分数の割り算にとまどってはじめて数の本質にふれることになる。それまで、自然数は実体で、それを指し示すことができる対象はこの世の中にあると思い込んでいた。1個のりんごと2個のみかんを足して3個のくだもの。というように数を手で触って扱えると誤解させられてきた。自然数は人間の便宜のために発明されたもので、自然界にはその実体はないのだ。そして、人間の考えることの決まりにしたがって自然数から少数、分数、負の数、無理数などありとあらゆる数が必然に生じている。

数学が苦手な人は、量と数の区別がついていない人だと私は言いきる。量は数学的な実体だが、数は実体がなく便宜的なものだ。もしあなたが数学者になりたくて、それなのに3という数がきらいできらいで見たくもないとする。見るぐらいならなんとか耐えられても、触ると息が止まって死んでしまうぐらい嫌っているとする。それならば、3という数が出そうになるとかたっぱしから1+2とかルート9とかに置き換えてしまえばよい。あなたは立派であるがちょっと偏屈な数学者として一生を幸福に終わることができるだろう。数は身勝手に扱ってもなんら問題は生じない。


2002.12.2 割り算なんて引き算さ

せっかくだから分数をわかりやすく説明してみよう。説明によってかえって混乱は深まるばかりであることを承知で、まずは笑止千万なやつから。

引き算は足し算の反対だと習う。割り算は掛け算の反対だと覚えている。掛け算というのは、足し算を何回もやることだった。割り算も引き算を何回できるかだった。これは使えそうだ。

さて、2割る3分の1は6というのを「わかりやすく」りんごで見よう。りんご2個をりんご3分の1個で割る、つまり2個のりんごから3分の1個ぶんのりんごの切片は何個とれるか。何回引けるか? でもよい。図で描くともっとわかりやすいだろう。3分の1個のりんごは2個のりんごから6回取れるから、2割る3分の1は6だということがわかる。いやあ、あっぱれあっぱれ。

りんご2個

ホントか? それでいいのか?


2002.12.3 2人÷3分の1個=6人

いつでも、りんごが2個あればいいのだけれど、4分の1個しかないと困るだろう。4分の1割る3分の1という計算だってしなければならないのに、4分の1個から3分の1個を引くのは4分の1個を3分の1個で割る以上に難しくなってしまう。とりあえず、1個から3分の1ずつ引いて3を出し、じつはもともと4分の1なのだから、その解を4で割って答えは4分の3、などとしらばっくれてもだめだ。物を持ってきたからには観念に走ってはいけない。そもそも、引き算の方法では「ひっくり返して掛ける」という所がピンとこない。

割る方と割られるほうが同じ物だというところに無理があるかもしれない。2は人間だと思って2人、3分の1はりんごを3等分した一切れとする。さあ、これは難問だ。文章にするとどうなるのだろう? 2人割る3分の1個は6人。その割るってのはなんだ。6人の意味も不明だ。ちょっと小学校のときを思い出そう。

りんご2人

××を○○で割った解、というのは「○○一つあたりに換算した××」という意味のはずだ。そうすると、右辺の6人の正確な表記は6人/1個、つまり(1個あたり)6人という意味だ。問題の等式は、2人で3分の1個のりんごを食べる能力があるので、1個のりんごを食べるのなら6人が必要だ。という意味になる。

りんご6人

なかなかうまく行った。数学というのはまったくもって爽快だ。「2人で3分の1個のりんごを食べる能力がある」という文章と「1個のりんごを食べるのに6人が必要だな」という文が同じだと言いきるのだから。


2002.12.4 分数の割り算は実生活に役立つか

こんどは逆に、2はりんご2個、3分の1は人間を3等分した一切れとするとどうなるのだろう? 2個÷3分の1人=6個。先のと同様に考えると、問題の式は2個のりんごを3分の1人に分け与えるので、1人には6個与えることになる、という意味になる。こういうことをしばらく考えていると、分数の割り算で練習問題を作るのですら苦労することも明らかになった。
上の式だと、

魔女は白雪姫を殺害するのに毒りんご2個を食べさせなければなりません。同じりんごを使って相撲の横綱を殺害するには何個必要でしょうか。ただし、毒の効き目は体重に比例し横綱の体重は白雪姫の3倍だということが分かっています。

さあ、分数の割り算というのがどういうものかが明々白々になった。今後私の読者とその仲間たちは分数で困ることはないだろう。ただし、私は行き詰っている。どうにもこうにも、一番肝心な「分数で割るときはひっくり返して掛ける」ということがうまく説明できないのだ。分数の割り算は分数の分数だから、分母の分数を整数にするために分母の分母の数を分母と分子にかけて、分母を1にすれば、分数の分数ではなくなるから、分母の数で分母と分子を割ればいい、ということは結局、ひっくり返して掛けるのと同じことなんだよ。というありきたりの説明しかできないのだ。その計算というか考え方の過程を日常感覚にある現象と対照させることなんてできない。

小学校の練習問題では2分の1リットルとか、3分の1キロメートルとか、単位を使って逃げている。逃げているというのは単位で示すと分数本来の意味が消えてしまうからだ。たとえば2分の1リットルといえば、単に500ミリリットルということでしかない。500ミリリットルは量であり2分の1リットルも量である。分数本来の意味は全体と部分の関係を示すことにある。そこを押さえることなく、分数を整数や自然数、小数などと同じように扱うようでは分数の文章題とはいえない。単位を分数で表す問題は作りやすいから愚かな教師がそうすることには同情するが、数字と演算記号を当てはめてただ式を解くだけの問題では分数は味わえないだろう。

ところで、味わいといっても、はて、日常生活で分数を使っているだろうか? 分数を目にするのはデジカメのCCDのサイズとか地図の縮尺とか自転車のタイヤの幅とか、まあどうでもいいようなものばかりだ。1と8分の1インチのタイヤの自転車に乗って、3分の2インチのCCDを搭載したデジカメ片手に、2万5千分の1の地形図をつかって近所の大きなケヤキの木を撮影に行ったからといって分数のお世話になっているわけではない。分数の割り算を使わなければならない状況なんて、毒りんごで横綱を殺害するときか、ウェブ日記のネタに窮したときぐらいだろう。どうやら、分数の割り算はこの世から抹消しても困ることはないようだ。

なにゆえに分数の割り算なんてものがこの世にあるのだろう。必要は発明の母として、人類の切実な願いから生じたアイデアではなさそうだ。


2002.12.5 数学ができなくても恥ではない理由

2÷3分の1=6 というような初歩的な式ですら現象に当てはめるのには苦労するように、数学は超(≠ものすご〜く)現実的なものである。分数の割り算はたぶん数学マニアがはじめたものだ。全く何もない世界でも自然数と四則演算と約2人の数学マニアが一同に会すれば、「分数の割り算はひっくり返して掛ければいいね」という合意は3日以内に生まれるだろう。

分数の割り算は全体と部分の割合や度、関係を考えるときにそれと気づかずに使っているものだ。数字に置き換えることはなくてもその考え方を知らぬ間に使っている。人間であるからには数学的作業は日常的なものだが、数字を持ち出してまでやる人はめったにいない。数学を役立てるためには現象(=りんごのかけらをほそぼそ食べている人たちがいる)から量(=人・=りんご)を取り出して数(=2人・=3分の1個)であらわし、数学的に処理(=2÷3分の1)し、解(=6人/1個)を得て現象を再解釈(=1個食べるのに6人必要だな)できなければならない。現象を数学的に解釈する技は高等テクニックの部類だ。野球なら、外角に鋭く曲がる時速138キロの高速スライダーをおっつけてライト前に運ぶことに匹敵する。

科学は現実的なものだが、科学の中で数学が担う部分は超(≠ものすご〜く)現実といってよい。また、そうでなければキッチリ素早く考えることはできない。数学の興味はひっきょう数の大小にある。いろいろムツカシげな概念を扱うけど、結局のところ数と数を比べて大きいか小さいか、大きければどれぐらいか、というようなことだけをやっている。それが何の数か(=のこと)なんてことは純粋数学は全く問題にしない。

数学はどこまでも観念である。だから、役に立たないと思っている人にはぜったいに役に立たない。市井当たり前の人は数学のことを独特の取り決めにしたがって数字をいじることだと思っている。それは正しい。それが数学のすべてなら数学が役に立つわけがない。一般になにがしかの観念が役に立つためには現象や感覚を解釈できなければならない。その観念を使うことで、わかった感が生まれなければだめだ。

科学では現象や感覚としての量を数で現わし数学の規則によって変形していく。数学的な処理で元の量が変わるわけではない。変わるのは、もとの量の扱われ方であり現象の解釈だ。数学の強みはまちがわないということだ。思いもよらぬ答えがでてきたときはしめたもの。その答えは正しいのだから自信を持って現象を再解釈すればよい。人の考え方は変わっても量はかわらず現象自体もかわらない。人の考えが変わっても変わらなくとも現象は変わらないことにはかわりない。だから、数学が解釈に必要ないと思う人には数学は役に立たない。


2002.12.7 数学と常識

数学では、考えの過程の正しさが肝心だ。現象がなんであるかについては気にしない。ちゃんと量を拾えているか、データはまちがっていないのか、ということも気にしない。そこのへんは自由で清い。ピュアな数学は人間のものの考え方の上澄みみたいなものだから、そのインスピレーションの豊かさ、思考の厳密さは目を見張るものがある。

数学の効用はいっぱんに常識とよばれているものに似ているところがある。常識は問題解決の最も信頼のおけるツールだ。問題→常識判断→解答。問題→数学的処理→解答。数学に誤りがないように、常識にも誤りがない。トートロジーであるが、誤っているものは常識とは言わない。常識がまちがったというときは常識の使い方を間違えているのだ。それは、数学で計算まちがいや定理のかんちがいが生じるのといっしょだ。

同じ効用があるにも関わらず、数学が非常識なのは矛盾をいっさい認めないからだ。常識は生活の根本体系でありながらいいかげんである。人は常識とは何かを日々学び使いこなしている。組織や場合によって常識を使い分けなければならない。永田町の論理とか、国民感情とか島国根性などなど。

日本人にとって最も根本的な常識は日本語そのものである。日本人はふつうに、日本語の雰囲気、空気を呼吸して、ことばの意をくみとり味を感じる。表現のよしあしは常識によって判断される。「恐くない案山子は役立ず」といえば常識的に筋が通っている。2÷3分の1=6という等式が数学的に間違いがないのと同じだ。「恐くない案山子は安くないもやし」というと主張は無意味ではないものの奇妙だ。通常表現からちょっと外れつつある点で受け手の精神に緊張を強いる一方で、語呂のよさから音楽的妙味を付け足している。この緊張と弛緩が面白味を産んでいるのだろう。


2002.12.8 数学と非常識

常識ばかりでは人の世はつまらない。普通のことばかり考えている人のみの社会につやがでるわけがない。本来はクリエイティブな職業に常識人しかいなければ困る。政治家がみんな主婦感覚だと国が滅ぶ。非常識を通そうとすればそれなりの力がいる。多数決がもっとも手っ取り早いが、科学畑では数学を使ってもよいことになっているので、一人でも非常識を通すことができる。それが科学の醍醐味だ。

数学の強さは、数学的に証明された概念が常識の解釈にゆだねられたときに思い知ることができる。たとえば、進化論でいうところの淘汰、適者生存、利己的な遺伝子というような考え方は数学を使わない限り無意味なものだ。それが科学のことばでなく常識のことばになったときに奇妙な意味をもつ。最近、面白いなと思ったのは毒虫だ。

自然界には少なからず毒虫がいる。クモ類やバッタ、蚊、トンボ、トカゲ、カエルなどの大半の虫はおいしいが、中にはナナホシテントウやマルカメムシなど苦味辛味がひどくて食べられない虫がいる。蜂みたいに毒針を持っている虫もいる。毒虫は色が派手でよく目立つ。たくさん集まっている。態度が鷹揚だ。総じて捕まえやすいという特徴がある。どうしてだろう。図鑑や辞書なんかで調べると「警戒色」という説明がある。

一般に有毒・悪臭・悪味などで他に害を及ぼす動物のもつ、目立つ体色・紋様。スズメバチの黒と黄色のだんだら紋様など。他動物への警告的な信号とされる。無害な動物によってこれが擬態されることもある。(広辞苑)

人間ではかぶき者とかやくざ者が毒虫のような一見してそれとわかる派手な服装をしている。週刊少年ジャンプによるとかぶき者が最も好むのは虎の皮の衣装で「タイガー」というらしい。最もかぶいているのがオールタイガーで、全身トラの皮、アシナガバチかトラカミキリの様相を呈する。その衣装を見るとその危なさを知っている人は警戒して遠巻きにするという。

常識的には、かぶき者の派手な衣装と鷹揚なスタンドプレイは毒虫と類推が起きる。そして以下のように思い込んでしまう。
毒虫は自分の毒性を知っているので鷹揚な態度をとってアピールしている。さらに、毒虫の様子を見物している無毒虫がちゃっかりその衣装を真似て虎の威を借りている。
これは明らかに誤った解釈である。しかしながら広辞苑の解説からじつに素直にこの誤解が生じてしまう。もちろん毒虫学者はこんなつまらない解釈によらず、もっとワクワクする秘密に気づいている。


2002.12.9 鳥の目を気にする

私が本気で鳥の目を意識したのは南米でスカシジャノメを見てからだ。スカシジャノメは小型の蝶で鱗粉のない無色透明の翅が特徴。南米の暗い森の中をひらひら舞う。最初の出会いは錯覚だと思った。何か虫らしいものが目の前を横切ったが、それが蝶だとは思わなかった。なんどか同じ体験をして「どうやらこの森には未知の生物がいるらしい」とそいつの挙動に注意を集中した。黒い体と、黒い翅脈、無色透明の薄い翅は森の草木の陰影にみごとに溶け込む。捕虫網ですくい、手にとってはじめて「スカシジャノメ」だとわかった。初捕獲の個体は名前にもなっている後翅の蛇の目模様がとれていた。

スカシジャノメには決まり文句といっていい解説がある。鳥はスカシジャノメの目玉模様を虫の本体だと思って攻撃を加える。鋭いくちばしで目玉模様が引きちぎられるかわり、翅全体が透明になるから鳥は蝶を見失い、まんまと逃げ果せるのだ。トカゲの尻尾切りのちょうちょ版みたいで面白い。ただ、俗説のようでもあり、学者の早とちりのようでもあるので、さほど気には留めていなかった。

そのスカシジャノメは日本でも図鑑や標本でよく見ていた種類だ。可憐で美しい蝶という印象はあったが「死ぬまでに一度は...」というほどの思い入れがあったわけではない。あのときはモルフォばかりに目が行って、スカシジャノメのことはすっかり忘れていたのだ。いくらでも採集できる普通種ということが透明な蝶をいっそう見えなくさせていたかもしれない。

その森にはスカシジャノメがたくさんいることがわかった。その気で探せば次々見つかる。ただ、発生期にドンピシャではないようで、どれもこれも翅の一部が欠けている。せっかくだから翅の壊れていないやつ、ちゃんと蛇の目模様のあるやつ、そのスジの人が「カンピン」というやつを見たかった。

しばらく歩き回ってカンピンにであったとき二度驚いた。妙に目立つのだ。翅が透明なので、裏からも表からも、前からも後ろからも蛇の目模様が見える。一対の点が翅の動きにあわせて森の空間に糸を引くように波形を残す。それが蝶とは見えずに、激しく波打つその波形だけが見えるのだ。その様子をみてはじめて解説を思い出し、蛇の目模様が実用品だと合点した。

スカシジャノメというのは種名ではなく蝶の1グループをさしている。それも多種の属の寄せあつめである。これは、透明な翅と蛇の目の模様が種を超えた有利さによって多発的に生まれたデザインだということを示している。私は日本の森に蝶を好んで食べる鳥がいるかどうかを知らない。目玉模様のとれたスカシジャノメがやたらと飛んでいるところをみると、南米の森には目がよく素早い虫好きの鳥がいることが予想できる。


2002.12.10 本能か経験か

現在生きている虫たちが、いつその形になったのかを私は知らない。ただしそれは人間が繁栄するはるか以前のことであったろうと思う。虫の翅の色模様は5万年、100万年、1000万年かけてできていったはずだ。鳥よりも先に虫が空を飛んだ。空を飛ぶデザインができ、虫と虫の競争に勝てるデザインができ、異性をよび同種のオスと競うデザインができ、最後に鳥から逃れるデザインが付け加わった。

私の目はたぶん鳥に近いと思う。私の目に鮮やかな虫は鳥の目にも鮮やかなんだろうと思い込んでいる。その独断は、他ならぬ毒虫たちの姿形から生じている。そして考えなければならないのは、私にとって毒々しい虫は最初から毒々しい忌避すべきものとして見えていたのか、それとも、経験によって習い覚えたものなのか、ということだ。鳥に聞く前に自分に聞いておくのも無意味ではあるまい。私は2対8ぐらいで経験論を支持する。

鳥は本能によって毒虫を色彩で区別できるのかもしれない。できるかできないかは実験によらなければならない。目玉模様については有名な実験がある。小さい目玉模様は鳥の捕食行動を誘い、大きい目玉は鳥を寄せない効果があるという。しかもそれは、学習に因らず本能的に鳥の心に組み込まれている可能性が高いそうだ。

目玉模様対鳥の心というのは、たかだか数千万年の付き合いではないだろう。鳥が鳥になるはるか以前、地球に目玉をもった食べる者と、目玉をもった食べられる者が現れて以来の関係だ。それを引きずって鳥もヘビも生まれてきたはずだ。どういうメカニズムであるかはさっぱり不明だが、生まれる前に目玉模様に対する反射ができ上がっていても、それほど驚きはしない。

毒虫のデザインは目玉模様ほどシンプルではない。めだつ色形という点で括れるけれども統一はない。世界最強の毒蝶であるマダラチョウのグループはおおむね似たデザインを持っている。どこがどうと説明は難しいが、なんだか似ている。そして、他の毒蝶は毒蝶で独自のデザインをもっている。たとえば、ヘリコニウスとマダラチョウは根本的な設計思想が違う。ましてや、マダラチョウとアシナガバチはぜんぜん別物だ。鳥が百も千もの「食べてはいけないメニュー」を生まれる前から身につけているということはちょっと考えにくい。


2002.12.11 毒を誇示する

私も鳥の気持ちになるためにいくつかの毒虫を味わったことがある。あれは強烈である。鳥だって、よほどのアホでないかぎり、一度毒虫を口に含んだら二度と食うまい。鳥が生まれつき毒虫を知っているかという問題は永久に残るとしても、鳥は必ず経験によって毒虫の姿形を学んでいると思う。同じように、虫は自分の姿形、さらには毒を自覚しているかどうかも結論はだせない。虫は自分が毒虫であることを知っているかどうか。知っているなら、生まれつきか学習か。こちらは虫の気持ちになれない私には難しい研究だ。

それはさておき私が興味があるのは、毒虫が自分が毒をもっていることも毒々しい体をしていることも全く知らないのに、まるで毒があることを誇示するように「さあ、食ってくれ」といわんばかりの鷹揚な態度をとれるかどうかだ。


2002.12.12 死んで生きる

門外漢の私には全く驚きなのだが、最近の研究では毒虫は鳥に食べられることに意味があるという。食べられるためによく目立ち、動きがのろくなっている。そして、食べられないために毒を持っているという説明だ。「ために」というのは悪い表現だ。虫がさような目的を持っているわけではないが、ことばにすると冗長になるので、ためにという。

「食べられるために目立っている」という発想は門外漢の私にとっては非常識極まりなく思われる。というのは、鳥の一撃は多くの毒虫にとって致命的だ。鳥が「まずいっ」と毒のあることに気づいたときには当の虫は死んでいるだろう。死んで花実が咲くことはないので、けばけばしい体をもつことが生存に不利になるのではないだろうか。毒虫は命が惜しくないのだろうか。

その疑問に対する研究者の回答はこうだ。鳥は餌のことをよく記憶している。うまいものもまずいものもよく覚える。毒虫を食べてひどい目にあった鳥は、その虫がけばければけばいほど、より鮮明に虫を記憶し、より容易に思い出すのだ。すなわち1匹が犠牲になれば、その鳥に食べられるかもしれない10匹が食べられずに済むので、グループ全体としては生き残っていくのだ。


2002.12.16 どうして不倫は悪いのか?

毒虫はひとまず食べられるためによく目立ち鷹揚に動くというよりも、毒の体に自信をもっているから態度がでかいのだというほうが常識的である。後者の考え方も否定できるものではない。もしかしたら、虫自身がそのように考えているかもしれない。虫に聞けない以上はその可能性は残る。ただ、科学者が前者の説をとるのはオカルティックな仮定をしなくても数学によって証拠付けることができるからだ。簡単な実験を行って、鳥の捕食圧と繁殖可能性、虫のデザインの変わるスピードなどを仮定し、数学的な処理を施して非常識な説を唱えるのだ。

常識的なことのためには数学はいらない。かえってじゃまになる。数学自体が非常識だからだ。普通の人は常識的な疑問を常識的に考え常識的な結論を見出すものだ。常識的に考えろというけれど、そこのところはかなり非常識なことも多い。それでも、常識的な疑問は常識的な結論を導く。考えることよりも結論を持つことの方が大切なのが常識問題だ。

たとえば、「なぜ自殺がダメなのか」「どうして不倫は悪いのか?」などというのは平凡な疑問だ。誰にでも普通に思い浮んでくる発見の容易な疑問がある。そうしたものも、科学的に研究し数学でちゃんと示そうとすると極めて複雑で難しい課題だということが分かる。ただ、それら常識的な問題には疑問の軽さと同じぐらい手軽な結論が用意されている。「とりあえず生きてみよう」とか「社会を維持するため」とか「なんとなく彼に悪いから」とか。もし、そういう問題がいちいち論理的な説明を必要としているならば、ほとんど生きることは不可能だろう。


2002.12.17 星占い・血液型占い

私は星占いや血液型占いを全く信じていない。だからといって、気にしないわけではなく、 大いに注意を払い、大いに情報を集めてきた。女の子と仲よくするには必須の技能だからだ。で、もともと女好きであるけれども付き合い嫌いなので、よっぽど好きな女の子にしか血液型や星座を尋ねない。

私は水瓶座のヒトである。水瓶座と相性がいいのは同じ風の属性をもつ天秤座と双子座だ。私はRh+A型のヒトである。A型がどの血液型と相性がいいかという点については、私が収集した限りでは定説はないようである。

ひとまず、この先女友達を作る見通しがなくなったので、星座・血液型相性占いの個人データ整理をしておこうと思う。ここ30年ぐらいの間で、ガールフレンドとか恋人とか女房などになった女の子のうち、8割が天秤座である。そして、2割が双子座であった。私が運命的な出会いを感じた女の子の全員が相性がいいと言われる天秤座と双子座の星のもとに生まれている。奇遇である。女性との付き合いがいかに少なかったかがバレてちょっと恥ずかしいが、相性などというものが全く存在しないとして、こういう人生を送る確率を試算するならば4億分の1くらいになる。

というような次第なので、星占いは信用できない。私は極めて身持ちのよい平凡な人間である。それなりに初恋をして、それなりに付き合い、それなりに楽しく、それなりに別れ、それなりに悲しく、それなりに出会い、それなりに結婚してきた。この凡庸さは女友達の全員が相性ぴったりという4億分の1の選ばれた者の生き様とはとうてい思えないのだ。

一方、血液型の方であるが、こちらも偏りがあって全員がB型であった。日本人のうちB型は2割程度らしいから、こちらも確率的な試算をすると、5千万分の1ぐらいになる。星占いと数が合わないのは、血液型を知らない相手もいるからだ。死ぬほど仲よくならないと血液型なんて聞けない。聞いても覚えているわけがない。そして、星占いと同様に血液型占いも全く信用していない。


2002.12.18 当たる星占い

私は星占いを信じないのだが、信じないからといって星占いが嘘だと思っているわけではない。どちらかというと正しいと思っている。たとえ真実であったとしても信じるに値しないと言いたいだけだ。正しくとも気にする必要がないことは無数に存在し、星占いもそのひとつだ。ついでに、星占いは間違っているとしても、信じて無害だ。どのみち「今週は友達と喧嘩するかもしれないので注意しましょう。」程度のことだから。

私はみずがめ座のヒトなので、理知的で独創性に富んだクールガイという占い結果がでる。それは正しいと思うが、だからといって、星占い自体も占いの結果も信じる必要はない。そもそも理知的で独創性に富んだクールガイが星占いなんぞに一喜一憂するわけがないのである。

「星占いは信じないよ、だってみずがめ座の人なんだもん」ということは、よく知られた笑い話にもなっている。ただし、私はそれを見かけだけの矛盾で、当たり前のことを言っているに過ぎないと思っている。「逆は必ずしも真ならず」と中学校で習う。上の命題は「みずがめ座ならば、星占いを信じない」が真で、その逆の「星占いを信じないならばみずがめ座である」が偽である。

逆に、考えなければならないのは、星占いで「星占いを信じるタイプ」という判定を出せるかどうかであろう。私が思うに、星占いを信じることができるのは無邪気素朴かつ頑迷な人で、しかも幸運な人である。5人の恋人が全員天秤座であり、6人目も天秤座であった際に、「300万回に一回の奇跡的なできごと」と思い込める人である。そういうタイプはあまりいない。たぶん24人に1人ぐらいだろう。たった12種類の性格分類で済む星占いにはちょっと入る余地がない。けっきょく、全部の星座の人が星占いを信じそうにない「普通の人間」ということになる。


2002.12.19 中村玉緒

テレビは美女鑑賞機だと思っているのに、最近は美女をみかけなくなった。この5年ばかりは定期的に美女が鑑賞できなくなったので、ほとんどテレビを見ない。昨夜はひさびさにドキドキできた。映画「王将」の中村玉緒を見たからだ。女房にいわせると、若いときの母が中村玉緒に似ているらしい。そんな感じはしないけど。

菊川怜なんかは元来大好きなタイプで、一目ぼれしないはずがない。でも、彼女にはぜんぜんもえない。もったいないことだ。ああいう人気者を好きになっていればテレビライフは無敵なのに。たぶん数少ない私のガールフレンドに菊川怜によく似た人がいたのが禍しているのだ。

19歳の彼女は、ばけもののようになめらかなうなじを持ち、怪物のように切れた足首をしていた。長身モデル体型で、人生に支障をきたしかねないほどの美女だった。私と気があったのは天秤座という希少な星の下に生まれたからだと思う。でなければ、美貌に見合う明晰な頭脳を持つ変人だったので、まじめ一本槍で修行僧のようにストイックな私のことを、なにか面白い生物とでも見ていたのだろう。

菊川怜を見るたびに、「惜しいなあ。あごの線がもっと強くて、腰つきがセクシーだと彼女に匹敵できるのに...」などとついつい余計なことを考えてしまう。それがいけない。おそらく「ドカベン」あたりから仕入れたうんちくだと思うが、強打者の弱点は狙い球からボール一個外れた所にあるらしい。きっと、そういうことだ。

PowerbookG4 からウィンドウズ98の入っているパソコンに乗り換えた。NECのバーサプロNXというちょっと古い機械だ。今日まで10年のパソコンライフで一度もウインドウズを使ったことはない。NEC特有のキーボードにはときどき殺意を覚える。800×600のモニターは狭い。遅い。常に遅いのではなく、早くなったり遅くなったりするのはなぜ? ポインターの挙動がカクカクしていやだ。1日10回落ちる。という程度の嫌らしさしかないので、予想よりはるかに快適である。これならば、がんばってマックを使い続ける意味もないので、ウィンドウズ派になろうと思う。

この心変わりは、今が旬のアップルコンピュータOSX移行騒動とは何の関係もない。たしかに、OSXしか使えないマックなら、まだウィンドウズ機の方がマックらしい。私がウインドウズに乗り換えるのは、マックに似たパソコンを求めているのではなく、会社が開発した社員専用ワープロソフトが思いのほか上出来だからだ。そのワープロは永久にマック対応にならないそうだ。


2002.12.22 ババアは文明の尺度である

私の主催する学会では石原君の野蛮な発言はしばしば顰蹙をかってきた。石原君は昔から言葉使いが乱暴だ。頭の悪い若者に受けることをねらってきた作家であり、その性向がふだんの言動にでてくるのだろう。彼が文明という言葉の意味を知らないわけはないから曲解しているのだと思う。東洋の一都市の行政的な秩序を文明と称したようだ。

理論恋愛学会での彼の悪評は単に感情的な反発によるものではない。彼はババア絶対悪説が科学的根拠に立っていると考えているふしがある。その点は救いようがない。百歩譲って、ほんの少しでも彼の言うところに科学的な真理があるのはババアが文明を滅ぼすという部分のみだ。しかしながら、文明はババアと中年オヤジが作り、やがてババアと中年オヤジが滅ぼすものであろうから、ババアは文明滅亡に半分の責任しかない。

文明はもともと繁殖から外れたところから生まれた。若い男も女も、繁殖に関わる行動は社会の日の当たらぬところでこそこそと行う。文明は人が本来持っている生物的な制約を超越してはじめて形となる。性に代表されるような生命のパッションは本質的に文明に向かうものではない。性の表われであるところの、逢い引きやセックスや育児をわざわざ文明とは呼ばない。地球上の百万種の有性生殖生物は文明をもっていない。文明は人類という進化の輪廻から解脱した生き物によってはじめて地球に誕生した。

ヒトは地球で唯一「自分の子孫を残すことが絶対善ではない」と思いこんでいる生物だ。ふつう、生物は社会や自然環境にあったものが生き残り、子孫を残していく。いっぱんに適者生存として知られる進化の基本概念だ。「子どもなんていらないわ」という発想はカマドウマには起こらない。起きても次に伝わらない。

ところが人間は社会で勝ち抜いた者がより多くの子孫を残すわけではない。より多くの子孫を残す者が勝者でもない。人間は生物体を変えず、社会自然環境を変えることで安定的に命をつなぐことができる。そして、社会で生き抜く行為や環境を変える行為、さらにはその所産をわれわれは文明と称している。

こうやって正しく文明というものを理解できるならば、若い男のぎらぎらした視線を受けることもなく身を焼く性の衝動に突き動かされることもなく胎児をあずかるわけでもないババアたちがどう生きているかで、その文明の質がわかろうというものだ。


2002.12.23 ツマグロヒョウモン

昨日はまたつまらぬことを書いてしまった。あれでは石原君と同レベルだ。彼は生き恥をさらすことで金を獲ているのだが、私は恥をさらして損するばかりなので自重しよう。

さて、メスの長生きといえば、気になっているのはツマグロヒョウモンだ。ツマグロヒョウモンは毒蝶のマダラチョウに擬態していることで有名だ。しかも、毒蝶に似ているのはメスだけ。オスは普通のヒョウモンチョウで、メスと同種だとは思えない。飛び方もメスはマダラチョウと同じように鷹揚だが、オスはヒョウモンチョウらしく敏捷に飛ぶ。

擬態するにはオス、メス両方似るよりも、メスだけが毒蝶に似るほうが有利だともいわれる。というのは、鳥は虫の味をしめる傾向にあり、食べてうまいと感じた虫をつけねらうというからだ。ツマグロヒョウモンはスミレを食う「うまい」チョウだから付け狙われやすいはずだ。オスがその他おおぜいのヒョウモンチョウとともに食われ、メスが毒蝶のフリをして生き残れるなら、より多く卵を残し子孫を増やすのに有利だろう。

ツマグロヒョウモンは四国では多い蝶で、30年ぐらい前はよく採集したものだ。関東のほうではあまり見かけない。日本では南の蝶で、エネルギッシュにどんどん北を目指しているようだ。生理が冷温帯にあっておらず、冬越しの形態が一定していない。関東地方でも冬に幼虫が見つかることが多いらしい。数年前の夏に多摩川で無数に見たので、このところの温暖傾向で定着しているのかもしれないと期待し、スミレやパンジーで幼虫を探してみたが、見つからなかった。親も今世紀に入ってからまた見られなくなった。

ツマグロヒョウモンの、凍え死にながらどんどん北をめざすフロンティアスピリットはオスメスで色彩が異なる擬態ができたことと無縁ではないような気がする。鳥による淘汰圧があったとしても、蝶自身に変われる力がなければ擬態は無理だからだ。変化することと新天地を目指すことは共に種のパワーを感じる。


2002.12.25 冬のモクレン

毎朝、西向きの小さな窓から空を眺めるのが日課だ。向かいには、20メートルほど離れてモクレンの大きな庭木がある。夏には大きな葉を茂らせ、秋には渋い黄色の枯れ葉を見せる。関東近辺の樹木だと、冬になってもしつこく枝に枯れ葉をつけているものが多いが、このモクレンはほとんど黄葉を楽しむまもなく葉を落としてしまう。11月の終わりに少し強い風がふくと一夜にして丸裸という案配だ。

背の高いモクレンの木は冬の鳥たちが寄りあって休むのにちょうどいいらしく、毎朝何かがとまっている。スズメであったり、ムクドリであったり、オナガであったり。さいわい枝が細く天につったっている木なので、鳥のシルエットもよく見える。

夏にはばらばらだったオナガが半月ほどまえから小さな群れを作りはじめた。5、6羽になって木から木へと移り渡っていく。窓から目と鼻の先にあるシュロの幹をしきりにつつくのは、シュロのけばのなかで越冬している虫でも探しているのだろうか。

オナガは他の鳥に比べてややせっかちに見える。30秒から1分も休むとすぐにどこかに飛び去ってしまう。ムクドリは一度みんなで近くに集まって、きゃっきゃと鳴きあっている。まるで、頭数でもかぞえて迷子がいないかどうか確かめるかのようだ。それにくらべると、モクレンで休んでいるオナガはぐずを待ちゃしない。まだシュロでエサを探しているのがいてもお構いなし。さっさと飛んで行ってしまう。


2002.12.26 下弦

下弦

今朝、モクレンの木の上に下弦の半月がくっきりでていた。この月を見ただけでずいぶん儲かったような気がする。しばらくのあいだ、下弦は上弦にくらべ神聖で気高いような印象をもっていた。普通は寝静まっているはずの未明の月で、滅多に見られないということから、そんな印象がふくらんだのだろう。珍しいというだけでものの値打ちはあがるものだ。

月といえば、私はいまごろ月で働いていたはずである。月はおろか火星にだって行ってたはずだ。35年前の宇宙観をおもうと、月はずいぶん遠くなったものだ。


2002.12.28 ムクドリ

35ミリ換算で100ミリ程度の望遠しかないクールピクスでは、この程度だ。400ミリの望遠があって、手ぶれ防止機能まであるパナソニックは魅力だ。ただ、スペックはいいのだが小さくてプラスチッキィーでファインダーが見えないのがいただけない。あれのうたい文句は野鳥の観察ができるということなんだが、たぶん、こういう木の枝の中の鳥を撮るときはフォーカスが合いそうもない。2倍の体積と3倍の重量があってもいいから、いいファインダーとダイヤル式の手動フォーカスは「鳥」には必須だ。

朝、ムクドリのようすを観察して、1時間ばかり自転車に乗ってきた。風さえなければ冬は暖かいものだ。


2002.12.31 年越し

低気圧が近づいているらしい。午前中はやけに暖かく天気が良かった。モクレンの木にはメジロにツグミもきた。冬用にセッティングした自転車に乗って境川に行く。しばらく走っていないので、尻が痛く、2時間ほどで腹が減って動けなくなる。

今年もいつもとふつうの大晦日になった。女房と子ども3人と、拾われた犬と、カマドウマ2匹、オオクワガタのオス1匹、カブトムシらしい幼虫1匹、キアゲハの蛹1個でにぎやかな年越しだ。もっとも犬以下はいないのとおなじぐらい静かだが。

 
カタバミ  テトラ  ナゾノクサ
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