たまたま見聞録
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2011.01.03(月)晴れ しいな

枯れ稲

冬の荒起こしをしていない田んぼでは水稲が穂をつけている。収穫時の切り株から芽を吹いて花をつけ実を結んだのか。たくましいものだと感心する。ただし、その穂をつまんでみるとすかすかで肝心の米は入っていないことがわかる。しいななのだ。そのつもりで田を見渡すと、どの穂も虚空をつくようにまっすぐ伸びている。昭和55年の冷害のときに仙台のたんぼで見た光景に似ている。あのときは9月だったから大ごとだった。

これらの2番穂も早いものは米が入っている。10月にアリへのプレゼントとしてつんできたものは、つまめばかんかんで、触れると重い手応えがあった。冬の穂がしいななのは、やはり冷害にあっているのではないかと思う。冷害で不作になる大きな原因は、花粉の成長期にあたる6月に気温が低くて花粉ができないことにあるという。同じように、10月の花には花粉ができないのかもしれない。

半原越は前回と同じ調子でやってみることにした。これからしばらくは同じ方法で腕を磨くつもりだ。

ラップタイム目標km/hbpmrpm
区間14'36"4'36"+615.415779
区間29'55"5'19"+913.317077
区間315'11"5'16"+613.417277
区間421'41"6'30"+010.917673
全 体+2113.1 - - -

今日はやたらと心拍数が低くてびびった。心拍計が壊れたかと思ったのだ。全体的に5、6拍低い感じだが、その原因はわからない。押さえているわけでもなくケイデンスも変わらない。体も楽だった。体調ってことなんだろう。いつもこれぐらいだといっぱしだ。

この秋から美登里園の丘が精神的通行止めだ。半原越を降りて最近流行の神奈川県央正方形コースへ。鈴川まで出ると、晴れわたる日には田んぼの上に富士山がでっかくみえる。今日は雲が多くて残念。サイクリングコースの所々に富士山ポイントがあり、その美しく勇壮な姿を楽しみにしている。

箱根駅伝の興奮がすっかり冷めて寒々しい134号線をすっ飛ばして境川へ。ここも寒々しい。1月だと100km コースは11時出発ではちょっとしんどい。4時には薄暗い。東名高速の下の田んぼで水稲のしいなを撮る予定にしていたけれど間に合いそうもなく、モデルとしてぱっとしない田んぼでお茶を濁した。


2011.01.05(水)晴れ ケセランパサラン

枯れ稲

朝の番組でケセランパサランの特集をやっていた。ちゃんとした学者も出演していて、興味深く見た。ありふれた下等妖怪のたぐいも研究のしようで妙味が出るものだと感心した。

そして、アリでも見ようと庭に出て、植え込みに放置してある植木鉢にふと目を落とすと、そこに立派なケセランパサラン。タンポポの種子系の普通のものだが、発生源におぼえはない。どこから来た? と周辺を調べてみた。すると、その種はほかにもたくさん落ちていて、種が入っていたサヤらしきものも見つかった。メビウスの帯みたいにねじれたテープ状のものだ。私はそのサヤの主を知らない。しかし、そいつもすぐに見つかった。

サヤの落ちていた所にはアルミのフェンスがあり、名も知らぬ蔓系の木が巻き付いている。隣のおばさんが気を利かせてわが家のフェンスに生やした市販の木だ。そのおばさんは植物育成の専門家で、ちょくちょく観賞用の草や木をもらっている。その木は夏には白い花をたくさん咲かせ独特の芳香を放つ。ただし、その花には虫も来ず葉を食べる虫もいない。アオバハゴロモがたかるのと、丈夫ぐらいしか取り柄のない凡庸な木だ。その花や葉の形状からチャノキのたぐいかなあと想像していた。

ところが、今日それがケセランパサランの木だと判明して驚いた。枝先から、20センチほどの茶色く枯れたテープ状のサヤが2枚伸びている。一つめを見つけたときは、どうしてもそんなサヤの主がその木だとは思えず、別の植物の進入か、寄生のたぐいを疑った。どうやら通常の実らしく枝にはまだ5つばかりついていて、枯れ落ちたものもかなりある。2枚のサヤの間に冠毛をつけた種がけっこうな数残っているのもあった。写真は種が1個だけひっかかっているサヤをあおって撮ったものだ。

私はこの木にこんなりっぱなサヤがあることに気づかなかった。まさかあの花からこんなものが成長してこようとは、思いもよらなかったのだ。どんなやつでもばかにしていると恥ずかしい思いをするものだ。


2011.01.08(土)晴れ しゃかしゃかせかせか走法

「春のうららの境川〜♪」と歌いたくなるような陽気だ。ちなみに春の浦和の隅田川〜♪って、あれ荒川じゃんといった人もいるとかいないとか。北日本はともかく、この辺はずっと暖冬だ。境川には北風が吹かない。今日も真夏のような南風。寒風ついてカンチェラーラ爆走ごっこができない。となるといまいち物足りない気がする。だいたい4時間走れば、それなりにやった感じがあり自転車にも飽きてくるものだが、風も登りもないとなると、いまいち物足りない。この冬は物足りないものだから新しい遊びをはじめた。それはハイケイデンスごっこ。

今日は、走っているときはずっと110rpmぐらいだった。それは向かい風でも追い風でも変わらない。向かい風で下ハン持って110rpm回していると気分はすっかり40km/h。じっさいは24km/h足らず。脚の回転は速いがスピードは遅い。追い風のときには健康のために走っているおじさんたちにばしばし追い抜かれる。自転車のことをよく知らない人だと、このおやじはシャカシャカやってどこに向かっているのかといぶかしがるだろう。

そのペースだと心拍は130〜140bpmで楽だ。ふだんは境川でも心拍を150bpmぐらいにしているから、かなり押さえていることになる。ただし、それだけのケイデンスを維持するのはけっこうな技術も忍耐力も必要で、やっているとどんどん楽しくなる。遅いから年寄り子どもが多いサイクリングロードでも安全。息も切れていないから判断も正常。だけどけっこう本気モード。

境川では交差点や歩行者などの障害があってしょっちゅうブレーキをかける必要があり、そうなると数十秒の間はケイデンスが0になる。100rpm巡航でも平均すると90rpm以下になる。今日は意識的に上げているから2時間走っていると平均値で97rpmになっていた。どうせなら100以上にしようとがんばった。2時間半ぐらいで99rpmになったが、それからが長かった。3時間に達する頃ようやく100という数字を確認して、記念にラップボタンを押した。

その後、平均102rpmで1時間走って今日のサイクリングを終了。4時間90km。こういうのもやってみると意外に面白く、力を使えないそよ風の境川でもいい練習になると思った。ちなみに左右あわせて5万回ぐらい脚を回したことになる。


2011.01.10(月)晴れ 北風来た

さあ今日は半原越に行こうと、半原1号で出発すると、風は北からけっこう強く吹いている。5分だけ西に走って引き返し、境川へ。いよいよこの冬もカンチェラーラごっこができる日が来た。

じつはこの体、いろんなところが痛い。土曜日にしゃしゃかをやったダメージは予想以上だった。とりわけ右の脇腹の深いところに筋肉痛が来ているのには驚いた。たぶん脚を持ち上げる筋肉なんだろうけど、そういう強力そうな筋肉も痛くなることがあるのだろうか。

境川は南向きに進むとゆるい下りである。川の水が時速8kmで波打って下るぐらいの下りだ。今日のような追い風では自転車は楽だ。半原1号は内部抵抗が極めて小さい自転車で、東名高速を越えてから相模鉄道まではペダルをこがなくても進んでいく。体も痛いことだし、追い風区間は徹底的にさぼることを決意した。速度は23km/h 、心拍は120bpm。

問題は上流に向かう向かい風区間だ。下ハンで頭を下げて90rpm以上で爆走。しかし速度は24km/h。北風もやや強いという程度。いまいち風の中を突っ切って50km/hで進んでいると錯覚できるほどには力がわいてこなかった。風に遊ばれる感じ。いくらかやれば調子も上がってくるかと、立石の橋と高鎌橋の間を往復。4本やってみたけどカンチェラーラ気分にはなれなかった。


2011.01.11(火)晴れ 伊達直人とアスペルガー

伊達直人からランドセルが届くというニュースを苦い気持ちで見ている。アニメのタイガーマスクが嫌いだったからだ。タイガーマスクの初回放送時、私は小学校の5年か6年だったと思う。あのアニメは私以外には好評だった。家族も毎週見ており私ももちろん見ていた。プロレスも大人気で、あの頃はNHKではなく民放が放送していたはずだ。大スターだったジャイアント馬場選手はスポーツ界の長者番付でダントツの一位だった。売り出し中の巨人王選手ですら目ではなかったのだ。

タイガーマスクを嫌いだったのはひとえに私に原因がある。私は今でいうところのアスペルガーで些細な矛盾にひっかかる子どもだった。アニメのタイガーマスクはジャイアント馬場の団体に所属する正義の選手で、悪役レスラーを次々にやっつけるヒーローという設定だった。どんなにひどい反則をされても、じっと辛抱して最後には必殺技でやっつけるという力道山伝来の正統派だった。

その設定に忠実にアニメは毎週進行していく。しかし、オープニングのタイトル曲をアスペルガーの私は受け入れることができなかった。

タイガーマスクのタイトル曲は「ルール無用の悪党に正義のパンチをぶちかませ〜♪」と高らかに歌い上げる。その歌詞はタイガーマスクが悪役レスラーの顔面に空手技の正拳突きをみまっているようなシーンにのせられていたのだ。顔面をグーで殴るのはプロレスでは反則のはずだった。いくら相手が悪いヤツでもタイガーが反則をやっていいのか? それを正義といってよいのか? というのがアスペルガー少年の疑問だった。

この問題の大きなものとしては、第2次世界大戦末期の日本軍の必死攻撃やアメリカ軍の民間人標的の空爆があった。それらの戦略は目的と動機は善意であったという。そして、その暴挙の結果として、日本に過去10万年の人類すべてが夢に見て死んでいった地上の楽園が誕生している。しかしどうだろう。たとえ動機と結果の両方が善であったとしても、行為自体が地獄絵図を描くものであれば正義と言うべきではないかもしれないのだ。

日米双方が戦争でやらかしたことは両親、祖母からよく聞かされていた。学校の先生も戦争を引き合いに出して、何が良くて何が悪いのかを話していた。それを私がどう理解していたか、一言で言うと「日本軍はむちゃくちゃで、日本人は狂っていたが、アメリカもあんまりだ」ということになる。

プロレスは戦争体験者への、そしてタイガーマスクは子どもだましのカタルシスであったはずだが、思い詰めがちなアスペルガー少年は残念、オープニングタイトルでひっかかってしまったのだ。ひねくれて星をにらむ少年であったのは貧乏だからというだけではない。現代なら病気と診断されているかもしれない。ちなみに、いまはやりの伊達直人さんたちに対しても、寄付したいならもっと賢いやり方をとるべきだ、と冷淡である。

ただし、ランドセルのセイバンのCMをやっている元体操のおにいさんが伊達直人さんだというなら、つじつまが合う。美談として後世に語り継ぎたい。

さらに蛇足するならば、伊達直人というのは伊達な男のしゃれだったらしい。ただ、40年前の当時ですら伊達政宗は仙台市あたりでしか人話に登らず、伊達男も伊達者も瀕死語であったから、世間の気に止められることはなかった。


2011.01.12(水)晴れ 風邪馬鹿屁理屈

コホンコホンと咳が出ていた。普通なら風邪ということでもよい。ところが、私自身は成人してからは風邪をひいた覚えがほとんどない。そういえば去年、一週間ほど下痢気味だったことがある。あれが風邪だったのかもしれない。咳とか発熱とかのどの痛みとか、いかにも風邪らしい風邪には何十年もあっていないのだ。かくて、私の回りでは「丁akedaは風邪をひかない」が定説になっている。

一般には「馬鹿は風邪をひかない」ということになっている。こうして「丁akeda=馬鹿」という答えが導き出されるかもしれない。中学校の数学でも習うように、x=pかつy=pならばx=yなのだ。数学でもそうやって証明されるぐらいの動かしがたい事実に見える。がしかし絶対にそうとは言い切れない。

「フランス人は西洋人である」「ドイツ人は西洋人である」この2つから「フランス人=ドイツ人」という答えになるかというと、そうではない。数学なんて社会に出るとてんで役に立たないものだ。

「カエルは虫である」「ミミズは虫である」この2つから「カエル=ミミズ」という答えになるかというと、決してそうではない。それどころか、ミミズにとってカエルは恐るべき猛獣、不倶戴天の仇敵なのだ。そう考えると、丁akedaは馬鹿どころか、馬鹿の真逆にあたる賢人という可能性だってある。

以上のような論旨は常識的に間違っていることが明白だ。しかし、どこがどうまちがいなのかを論理的に指摘することは、それなりに難しい。「他人の忠告なんておいそれと聞くもんじゃないよ」という忠告は常識的には間違いではないし、破綻していないことを論理的に証明することもできる。「丁akeda≠馬鹿」はこれと同種のギャップを逆手にとっている屁理屈だ。


2011.01.15(土)くもり 自転車ベルは凶器だ

自転車のベルは端的に言って凶器だと思う。まさにきちがいに刃物。私はやつに2回ぐらい殺されそうになった。

場所は境川のサイクリングロード。すでに1000往復ぐらいしている勝手知ったる道。正式名称は神奈川県道451号藤沢大和自転車道線。俗に境川CRなどとも呼ばれている。全国的にサイクリングロードの主役は老人である。自転車の老人ではなく歩行者の老人だ。彼らの間で歩くのが大ブームらしく、推定75mに1人の割合で老人がいる。自動車進入禁止のサイクリングロードでは、老人と子どもはわがままである。そのわがままさは境川でも同じだ。

むろん、老人や子どもはサイクリングロードでわがまましてよい。道の真中で、ゆらゆらしたり、犬を連れて立ち話をしたりするのもかまわない。ディフェンダーを振り切るインザーギのように、右に行くとみせかけて左に進んだってかまわない。老人の速度はインザーギの百分の1なのでセンターバック未経験の私でも対処可能である。

そうした障害物への対処方法は、前を完全に塞がれている場合は障害物と同じ速度で走る。立ち止まっている障害物はスタンディングを披露することになる。実はこれがけっこう得意なので望むところだったりもする。すり抜けられる場合は、敵さんが奥歯にある加速装置のスイッチを入れない限りぶつからない距離と速度を保ってかわす。境川だけでも、インザーギ、ラウールクラスの選手も含め、のべ10万人以上の猛者を無接触でやりすごした実績が私にはある。

こういう私ですら、背筋が凍ったことがある。背後からベルを鳴らされた時だ。お年寄りが、道路の真中を蛇行して歩いている。30m前から観察していると、右に行くような意思を見せつつも左に動き・・・どうやらまっすぐ進みたいだけらしい。珍しいことではない。いつものように彼が左に動く瞬間を見定めて、右側から抜く作戦をとることにする。そのとき悲劇は起こった。老人の3m後ろに迫ったとき、いきなり後方からチンチンと自転車ベルの音。

その合図でのどかな境川が一気に三すくみの修羅場に変貌する。老人はギクッとして歩みを止めた。その次の動作がもう読めない。止まったままなのか、左へ行くのか右に行くのか? 一般に自転車のベルや自動車のクラクションは「どけっ!」という命令だと誤解されている。歩行者は反射的に避けるのだ。老人までの距離はもう2m。ブレーキをかければ止まれる距離だが、そうすると背後にいるベルを鳴らしたやつに追突されるおそれがある。そんなことをするヤツが上手なわけがないのだから。

いっぺんに3人を不幸のどん底に突き落とした凶器のベルは、私の記憶では道路交通法で着用が義務づけられ、使用する場合は「やむをえないとき」という制限がついているはずだ。やむをえない状況に陥った自転車がチンチンベルで改善できるのはどんなときなのか、私にはピンとこない。境川サイクリングロードなら、200人ぐらいのジョギング集団が迫ってきて、そのうち180人ぐらいが盲人だった場合は、ベルを鳴らすのもやむをえないと思う。端に止めてベルを鳴らし続けるかしかないだろう。境川サイクリングロードは両脇が高いフェンスで囲われており、自転車が盲人の集団に道を譲ることは不可能なのだから、彼らに避けてもらわなければならない。それよりも、引き返すほうが手っ取り早いんだが。


2011.01.16(日)晴れ 雲はなぜ流れるのだろう?

境川の雲

じつは私は雲が流れるわけを把握していない。ちゃんとした説明を見たことも聞いたこともない。またそのことを意識してしまう雲を見た。

境川サイクリングロードの脇にある遊水地の施設で水鳥を見ながら昼飯を食っていた。南北に流れる境川の上空を雲が流れていく。写真は北の方を向いており雲は画面左から右に流れている。地上も高空も強い北西の風が吹いているのだ。雲は珍しくもない冬の積雲だ。雲底は丹沢の上空高い所にあり、高度は2500m付近だということがわかる。そして雲一個の直径は1000mぐらいということになろうか。

風が弱い日には、こぢんまりしたシュークリーム状の積雲ができる。積雲ができるのは上昇気流があるところだ。積雲の中では雲ができることで下降気流も生まれる。それであのモクモクした形になる。ここまでは学校で習う。その積雲はいつだってふわふわ流れている。どうしてだろう。雲が流れるのは風があるからだ。煙も風で流れるし、風船もシャボン玉も風で流れる。子どもの頃は積雲もそれと同じように風に乗っているのだと素朴な思い違いをしていた。

もし、積雲の雲塊ができたとたんにベルトコンベアーのような水平の風に乗ってしまうのなら単純でいいが、そういう都合のいいことは起こらない。おそらく上昇気流自体が巨大な横風に流されることが積雲の流れる原因だと思う。横風は上空に行くほど強くなる。最初は真上に昇っていた熱い空気塊が昇れば昇るほど強い風に流され風下に曲がっていく。

したがって、積雲のモクモクは真上ではなく横に向かって発達することになる。雲ができる雲底と雲が消える雲頂は地上から観察すると両方とも風に乗って移動するから、結果的に雲が流れるように見える。流れる雲はいずれも30分ぐらいの寿命で生まれては消えている。たぶんそんなところだろうと思っている。

今日の雲はそんな単純な仮説では説明できない。積雲ではあるけれど、雲底も雲頂もはっきりしないものばかりだ。よっぽどの強風にあおられて上昇気流もむちゃくちゃになっていることだけは想像できる。なにがどうむちゃくちゃなのかが分からない。そして上の仮説も見当外れに見えてくる。雲の寿命も長いものもあれば短いものもある。凝結したり蒸発したり忙しいことだ。あの高度だと氷と水が混じっているだろうか。氷の方が寿命が長くなって標高の低いところまで霧のように降りてくるのが氷なのだろうか。あの白いモヤモヤしたところで何が起きているのか知りたいものだ。


2011.01.19(水)晴れ 迷うこと

自転車を降りていると、「向かい風を突っ切って走ったからってなに?」とか「白線を外さずにまっすぐ40km/hで走れたからってなに?」とか「半原越で30秒早くなったからってなに?」というような疑問がふと首をもたげることがある。いわゆる迷妄だ。答えがないこの手の問いは問題ですらない。私は仏教徒、臨済宗妙心寺派の在家として、サイクリング=禅問答と位置づけているから、こうした迷いにはめっぽう強い。

臨済宗の禅坊主はよく「人間は糞袋だ」などという。ひどい言い方だが、これは彼らが得意とする拈弄というものではない。つまり、あえてひねくれた言いようをしているわけではなく科学的な客観事実としてヒトの実体を端的に述べているにすぎない。そもそも仏教というのはその立脚点が唯物論である。物と物の存在感は認めるけれども、スタート時点から心の所産は認めない。絶対的な愛とか普遍の真理とかそういう好都合なものなんぞ知ったことではない。無常ではないそういうものは諸行の中に入らない。諸行でもないものを考慮する必要なんてないと私も思う。

人間世界を、人間ではないものの視点、たとえば人語を解さず道路や建物が意味をなさないアリやハコベが見るならば、われわれは何を生んでいることになろうか。人間を静かに眺めている縄文杉の目には、個々人が作っている最大の意味あるものはうんこだと写る。植物目線ならそうなる。人は主観的には何かを思い何かをしているのだけれど、その主観を離れたら作っているものは、うんこである。うんこが出てくる物はうんこ入れなのだから、人間は禅坊主が言うとおり糞袋ということになる。

そういう単純なことを2000年にもわたって繰り返し繰り返し、手を変え品を変えて坊主が言い続けているのは、人が迷うからだ。本当の自分は糞袋以外の何か、と錯覚することを迷妄という。人間は本性として迷う。これはもう地球の動物の進化の必然と断定できる。迷いが深いものほど繁栄し生き残るのだから。万物の霊長として人は迷う。悟っている人も迷う。迷いをつど解消しなければならない。仏教の立脚点は唯物論なんだけど、仏教は物の世界を探求するものではなく、あくまで涅槃がテーマである。だから人間のことを糞袋とかいって簡単に切り捨てられる。迷い事を言っている者に対して禅坊主が「ごたいそうを言う糞袋だわい」と笑うのだ。そして愚かな糞袋が人も羨む立派な糞袋になれるようにと、指導マニュアルにあたるのがお経や公案だ。

ところで、それらのマニュアルの最初の方に必ず書かれている注意がある。迷いの中でも「人間は畢竟糞袋」とか「私なんて結局は糞袋にすぎない」という発想は手の施しようがない最悪の迷いだということだ。同種のことを西洋人のキルケゴールも不治の病ということばで指摘している。キルケゴールは禅とは無接触のキリスト教徒だと思う。そんな哲学者でも気づくほど、フツーに簡単に人類を冒す悪質な迷いなのだ。

「結局は糞袋」という発想では、寒風の中を5時間も6時間も走ることはできない。ましてや、自転車以上に入れ込んでいるフリーセルなんてバカバカしくてやってられない。これまでに自転車で1万時間走って千時間では想像もできなかった世界が、地球に、人の身体に、精神に、見えてきた。じゃあ試しに10万時間の世界を見てやろうじゃないか。フリーセルを4万個解いて、1万個のときとは違う世界が、人の頭脳に思考構造として、あることがわかった。じゃあ試しに10万個ぐらいは解いてみよう。

人の生きる意味と喜びはこの世界は何であるかを知ること以外にない。迷っていても狂っていても新世界の発見にはそれなりに喜びがある。ただし、糞袋以外のたいそうな何者か、というところからスタートすると手っ取り早くつまらぬゴールに着いてしまう。そういう手頃な精神世界でぐるぐる回って喜んでいる修行者を見た先賢は、涙目になって「おい、糞袋」と声をかけたのだ。だからといって、ゴールを糞袋だと思い込むようではDNSってことなんだろう。


2011.01.23(日)くもり 残念な製品

去年の9月7日に公開したローラー台のアイデアであるが、それに似たものが市販されたということでさっそく購入を検討した。その製品はレモン・レボリューションという。後輪を使わずローラー台が後輪の代わりをする。ロードレーサー用のローラ台はどうあるべきか、普通に物を考える頭があれば当然の仕様だ。こうあるべきだし、こうでなくてはならないはずだ。値段も5万程度で妥当だ。

そして、このタイプのローラー台なら組み込むことが可能なクッションはどうなっているかと調べてみたところ、レモン・レボリューショにはそれが見あたらない。耐震ビルに使われている素材を組み込むだけで画期的なローラーになるはずだ。従来の仕様では望むべくもなかった8気圧の後輪と前後左右に微妙に揺れる乗り味が再現できるのだ。レモン・レボリューションのエンジニアにはそれが思いつかなかったようだ。もしかしたら扇風機を抵抗に使っているから、そこで設計が難しくなったのかもしれない。ちょっと残念な製品として今回は見送ることにした。ここまでくればどこかがきっと2年以内に作ってくれるだろうから、それを待てばよい。

ところで、レモン・レボリューションのグレッグレモンというのはたいへんかっこいい選手だった。空力のよさそうな低い姿勢と脚を開き気味にしたパワフルなペダリングで圧倒的にTTが強かった。現役と比較すれば、小柄なカンチェラーラといったところか。日本で大人気で、私も彼が大好きだった。国内では入手できなかった著書をわざわざアメリカで探して入手したほどだ。最近はスピリチュアルな方向に進んで私の女房と気があうようになっているらしい。

レモンのファンとして彼の使っている製品、彼のアイデアで開発した機材は積極的に使っていた。ゴーグル、サイクルコンピュータ、ハンドルetc。いま思えばそれらはみな残念な物ばかりだった。設計、施工ともにつめが甘いのか、アイデアや目指す方向はよく分かり、すばらしいのだか、使えない。いまでも25年ほど前にレモンが使っていた同モデルのゴーグルを使っているのだけど、極めつけのボロ製品だ。1万円もするつるが簡単に折れてしまうのだ。板はひどいものではないから1000円の老眼鏡のつるを流用して使い続けている。

自転車の機材は、信じられないぐらい高価なものが信じられないぐらいひどいことがよくある。よくこんなものが設計製造の網をくぐって世に出たもんだと感心することもしばしばだ。レモン・レボリューションも成熟にはもう2、3世代必要だろう。


2011.01.26(水)晴れ一時雨 通り雨の雲

積雲

午前中、東京の気温は低くゆるい風が吹いていたものの、雲一つない快晴だった。正午ごろから青い空にぽつぽつと綿をちぎったような積雲のかけらが出始めた。写真のようになったのは午後の3時頃だ。黒い雲はやや発達した積雲の雲底だ。高度は100〜200mほどしかない。雲底が平らではなく垂れ下がるようになっているのは雨粒が落下しているからだ。

画面右下には東京のスモッグ越しに赤く染まる積雲の峰が見える。方角からして東京ディズニーランドの上あたりだろうか。おそらく、その赤い雲は目前の黒い雲と同じ形のものだろうと思われる。厚くて密度が高く日が通らない。今日は、積雲が発達して所々通り雨が降る天気となった。こんな感じの天気は金沢あたりでは珍しくもなんともないのだが、東京ではまれである。

こういうプチ夕立のようになったのは、大気が不安定になったからだろう。不安定というのは気象用語では下の空気ががんがん昇っていくことを指す。その不安定の原因をテレビの解説では「上空に冷たい空気が入ってきた」からだとしばしば解説する。あれは不親切だからやめた方がいい。冷たい空気が上空にあるときに活発に地上の空気が昇って対流ができることは自明ではない。一般人は軽くて冷たい空気というのも考えるからだ。

気象現象は、温度と圧力と体積の3すくみに流体が加わる複雑怪奇なメカニズムによって引き起こされる。それにくわえて、熱というつかみ所のない幽霊のような概念に水の三態が絡んでくる。説明も理解も一筋縄ではいかない。


2011.01.27(木)晴れ 雲が流れる図

雲の流れ

雲が流れるわけについてこのような図で考えてみた。発想の源は水だ。海、川、沼では底からぷくぷくとわいてくる気体をよく目にする。メタンであったり生物活動にともなう空気であったり。あぶくは水の流れに乗って水面に向かって斜めにわいてくる。水面に達するとあぶくは芥となって漂っていく。漂う芥を雲として、水中のあぶくを高温高湿の上昇気流だと考えてピンときた。

これまで雲が流れるようすをうまくイメージできなかったのは、上昇気流を一つながりの柱と考えていたからだ。よくよく頭を使ってみるならば、地面から雲まで無間隙で続いている気流を仮定することのほうが難しい。風は息をするのだから、風による揺らぎも受けるだろう。上昇したあとの空間は空気で補填されるのだから、周囲から空気が巻き込んで来るだろう。勢いよく立ち昇る工場の煙突の湯気ですらもくもくと強弱がある。雲を作る上昇気流も直径300mの風船のようなものとみなしてよいのではないか。そういう着想でこの図を描いた。

この概念図が的外れでなければ、雲が流れるわけもイメージしやすい。図では斜線のおわんが積雲だ。積雲1個の寿命は30分ぐらいとして、時速30kmの風に乗れば、誕生から消滅まで15km移動することになる。高さ1000mにそういう雲があれば、ちょうど空の半分ぐらいを流れていくことになるだろう。


2011.01.29(土)晴れ 27日の空の変化(東京)

1月26日の東京は午前中、雲一つない快晴だったにもかかわらず、午後からは積雲が発達して降水もあった。27日も同じような感じの天気が見込まれたので雲の変化を記録することにした。

空

午後1時30分の東京の空。世田谷区から東の方を見ている。午前中は雲一つない快晴だったが、正午頃には丹沢や秩父の山間には積雲が発達していた。湘南の上空にも積雲がみられた。午後1時半になると東の空にもこのサイズでは確認できないほどの微少な積雲の卵が現れている。

空2

午後2時30分。東の方にも無数の積雲が育つようになった。雲底は500mぐらいだろうか。画面は左に切れているが、このときすでに埼玉県川口市のあたりには大きく発達した積雲があり、降水しているもようだった。その雲の雲頂は3000mに満たない感じ。雲底も雲頂も低いが密度が高い。雲は北から南(画面では左から右)に流れている。速度は時速20km程度の自転車並みか。

空3

午後3時00分。積雲はぐんぐん発達する。ふつう晴れ積雲は雲底が平らで雲頂はもくもくしたシュークリーム状なのだが、上も下もすぐに毛羽立ってくる。雲底は暗く底が抜けるように雨が落ちている。この時点で世田谷の地面には雨は達していない。

下は3時05分からほぼ5分おきに連続撮影したもの。

空4


2011.02.02(水)晴れ 梅のにおいに思う

梅は姿が大変美しく、においも良い。ただ、そのにおいに気づいたのは高校生のときだったと思う。しかもそのときは良いにおいと感じたわけでなく、まず最初に「ああ、これが梅の花のにおいだ」と感じただけという記憶がある。

どうやら花のにおいを良いものと感じるようになるにはけっこうな年季が必要らしい。蜂蜜を青臭くしたようなレンゲやさわやかに甘い椿、雑草でもオドリコソウなど、幼い頃から良いにおいのする花に囲まれていたはずだ。それなのに、それらの臭いを良いものと思い始めるのはすっかり大人になってからなのだ。

クチナシは強烈な臭気を放つ。夜の住宅地を歩いていると嫌でもそのにおいにぶつかることになる。私はようやく去年になってクチナシの花の臭いをけっこういいものだと感じるようになった。花弁の形が特徴的で大きく白く目立つ花でもあるけれど、そのときはその花の名をしらなかった。その花が冬になって、これまた特徴的な形の実をつけているのをみて、ようやくクチナシだと知った。

クチナシは、その名前を知らなくても旧知の木だった。子どもの頃、近所に立派な木があって、ときどき実を失敬していたからだ。腕白どもの間には、クチナシの実を割ってその汁を独楽に塗ると独楽が強くなるという俗説が浸透していたのだ。なんで独楽を強くしなければならないかというと、ぶっつけ独楽という学校では禁止されていた乱暴な遊びがはやっていたからだ。糸を反対に巻いて、独楽もひっくり返して握り、地面に向かって思いっきりたたきつける。すると、空中で独楽が半回転して、首尾良くいけば地面に立って回る。相手の独楽に自分の独楽を叩きつけて遊ぶから、ぶっつけ独楽という。当然勝負はぶつかって回っていた方が勝ちとなる。

どうしてクチナシで独楽が強くなるのか。独楽が固くなるのか、ひもの掛かりが良くなるのか、理由があるのかないのか不明ながら、今頃の季節には、あのつんつんしたつのがあるオレンジの実をせっせと独楽に塗りつけていた。あの木の花も夏には強い臭気を放っていたはずである。独楽の実の名がクチナシだと知って、これまでにクチナシの木はほうぼうで目にしてきた。それなのに私は去年までクチナシの花のにおいを知らなかったのだ。


2011.02.03(木)晴れ 電子書籍を普及させるために

アイパッドや電子書籍リーダーを買って「失敗した・・・」と感じている人も多いことだろう。あのような代物は、本を読むという点では全く実用に耐えない。という私は一度もその類のものを触ったことがないからそう断言できる。ともかくあんなものは触る必要すらない。

とはいっても、電子書籍というコンセプトはすばらしい。いまの失敗にへこたれずに開発は進めるべきだと思う。開発のヒントはもう出そろっている。なにも次世代型の巻物のようなコンピュータの登場を待つまでもない。いま、もう一つのざんねん作になりつつある3Dを組み込めばよい。

携帯電話のサイズで4倍ぐらいのモニターサイズが実現できれば電子書籍も持ち歩こうという気になる。いまの携帯電話や電子書籍リーダーは、モニターの実サイズでしか紙面を再現できない。それでは本を読む用途には届かない。3Dの技術をつかえば、あたかもモニターの背後に掌大の紙があるかのような視界を作ることもできるだろう。そういうものなら私ですら買うと思う。いまの携帯電話は老眼にはきつい。3D奥行きケータイなら老眼にやさしいものもできるんじゃないかと、副産物にも期待している。


2011.02.05(土)晴れのちくもり 国技と言い張るのはやめて

これを機になんとか相撲界を解体して欲しいものである。そもそも身体能力の高い若者をあの狭い世界に閉じこめておくのは罪であるし国家的な損失でもある。ゴルフとか競輪とか個人の才能で世界に羽ばたけるプロスポーツはわんさかある。協会とか部屋とかに引きこもらずに、外の世界にトライさせてやるべきだ。

少なくともあれが国技であると主張するのはやめて欲しい。世界に対して私が恥ずかしいから。国辱であり、国家的な損失であるから。

プロスポーツ一般で八百長はありだろう。少なくとも私に損はない。インチキをして大金を稼ごうとするのは人の属性だ。勝つために卑怯な手を使うのもかまわない。トッププロとはいえ人の子だ。薬に手を出し買収を考えることもあるだろう。そして、そういうことが発覚すれば追放。大金と名誉を手にするか、すべてを失うか、ぎりぎり限界で生きる姿を見せ物として面白がれる。

相撲の八百長はしみったれている。義理人情だかなんだかしらないが、互助会みたいな内輪のちまちましたやりとりは単純に不愉快だ。そして、私がもっとも嫌なのは、相撲は八百長が当たり前とみんなが思っていることだ。で、その空気が外国人に理解されないことを恐れている。スカッと白黒つくことが醍醐味のはずの勝負事。あやふやな判定競技ではなく、勝ち負けがはっきりしているはずの相撲。そういう勝負事の裏でちまちました取引があり、それも含めて観客は喜び、やってる選手たちは「国技」と嘯き、勝利者に天皇杯が渡される。なんでそんなシステムが許容されてきたのか、不可解にはちがいない。せいぜいが相撲は「本音と建前を使い分ける日本人」の典型程度に写るのだろう。

日本人の言ってること本気で相手にしなくてもいいよね。「北方四島は日本の領土」って口では言ってるけど、内心はあきらめてるよね。試しにつついてみようか? 「戦争は永久に放棄する」っていってるけど、けっこう軍備してるし、内心ではまた攻めこもうとしてるっていうことにしてプロパガンダに利用できるよね。「非核三原則」なんていってるけど、本心では核兵器持ちたがってたし、我が国の核の傘に入る密約結んだし、広島長崎に行く必要ないよね。というような感じ。

本音と建て前を使い分けるのは国際関係で必須のテクだ。だからこそ、世界中のだれもが日本の本音は別のところにあると勘ぐる。で、なかなか本音らしきものが見えないものだから、政治家の個人的な保身であるとか経済人の目先の利益であるとか、そういうがっくしなところが本音と邪推されてしまう。まさに相撲の八百長は表面上はそれにぴったりフィットする。それを恐れる。大統領に来てもらって「ごめんなんぼなんでもやりすぎた」とただ単に言って欲しいとか。主義とか宗教とかやめてのんきにやりゃ平和じゃんとか。子どもじみた無邪気さが相撲の八百長が選手からもファンからも容認され、国技と主張しても許される原因だ。そんなことを米中露の住民が理解できるわけがない。

私は日本人は本音と建前を使い分ける国民だとは思わない。おそらく本音を持たない国民だ。正確には、数少ない本音があまりにも建前くさく、だれも信じてくれないのだ。幕末から太平洋戦争、公害もなんのそのの経済成長のはての空虚、3世代続く度重なる失敗から本音も建前も区別がつかなくなって、心技体ともに充実しいまの境地に到達したのだ。天皇陛下、総理大臣からその辺のニートな若者に至るまで、本音を見せない。持ってないものは見せようがない。たまに見せても建前と見分けがつかない。しかしながら、こうしたメンタリティーこそが地球市民に求められるもののはずで、そこんとこの理解が相撲=国技のせいで滞るのは勘弁だ。


2011.02.07(日)晴れ ニコルとスンヨン

KARAが出ているワイドショーを見ていると、女房から「ずいぶんうれしそうね」と嫌みったらしく声をかけられた。私は日頃、うれしそうな顔をしない。悲しそうな顔もしない。憂鬱そうな顔ばっかりしている。最近では、うれしそうな顔をしているといえばカウンタ−ドライブが決まったときぐらいだろう。見かけはむっつりでも、内心ではうれしいこともいっぱいある。勝った相撲取りは憂鬱そうな表情をするが、あれと同じメンタリティーを私も有しているのだろう。また、峠を登っているときはうれしいのだが、見かけはたぶん苦しそうだと思う。

KARAを見ているときは確かにうれしかった。最近の騒動のおかげでワイドショーにたびたびKARAが出て、しかも、5名が分離して名前入りで紹介されることも多い。KARAは衣装もよく変わっているし踊りのときの配置も激しく入れ替わる。本来はだれがどれと特定することなぞ不可能なはずだった。

騒動の初期に、メンバーにはニコルとスンヨンという人がいることが明らかになった。そのどちらかが「最強童顔」という衝撃的なキャッチフレーズを有していると解説された。童顔マニアを自認する私には、どっちもかわいらしく甲乙つけがたいのだが、うっかり確認し忘れた最強といわれるほうを特定したかった。1番が、ニコルなのかスンヨンなのか。ニコルが1番でなければ、ニコルは何番なのか。

日を追ってワイドショーでは、ニコルとスンヨンが別集合にくくられることが増えた。確か、4人か3人が抜けることになって、そこにニコルとスンヨンが入っていたからだ。母集合が小さくなれば区別がより容易になる。どちらかの父兄も出てきて、よりニュース性が高まり露出機会が増えたのも幸いした。そうした訓練を経て、にこにこしてワイドショーを見ていたその時点では、ニコルとスンヨンを他のメンバーから一瞬にして区別できるようになっていた。まだ、ニコルとスンヨンを区別するには至っていなかったが、進歩の自覚がうれしかったのだ。

むろん本気でやれば、KARAのメンバーを識別するぐらいはたやすい。これが昆虫とか雑草だとかなりの訓練を要することになる。やつらは収斂で似た生活をするものは似た姿になったり、ミュラー型に擬態していたり、かといえば同じ種類のもので色や形がまるっきり異なったりしている。本物の図鑑をめくれば、こんなやつらとうてい見分けられるわけがないと絶望的な気分になる。それなのに、虫でも草でも1秒で見分ける達人がいっぱいいる。達人とはいかなくても、少しできるようになれば、けっこううれしいものだ。私がそのへんでうつむいてにやにやしていたら、きっとコケか虫を見つけてその名を首尾良く思い出しているのだ。


2011.02.11(金)雪 贅沢とは言わん

電車の中に掲載されているサントリー缶コーヒー広告のキャッチフレーズ。

「長期的視野をもて!」と言われた。翌日、「いまが勝負だ!明日はない!」と言われた。わかりますよ。どっちも大事ですが。ぜいたく言うな。

これを見て共感したり面白いと思った人は気をつけたほうがいい。頭が悪いおそれがある。また、仕事ができない理由を外因転嫁して鍛錬を怠り脱落者になっているおそれがある。「長期的視野」と「いまが勝負」は矛盾しているように見える。しかしそれは言葉の上のみのことだ。見かけ上の矛盾に騙され早とちりしてしまうことはよく起きる。たまたまこの場合はわかりやすい。「長期」と「いま」が二者択一どころか表裏一体の関係にあるからだ。長期的視野がなければ「いまが勝負」ということがわかるわけがない。未来は今の積み重ねで決まり、過去すらも今の積み重ねで変えることができる。

自然界には矛盾も対立も反対もない。人の頭の中に判断としてそれがあるだけだ。なんらかの法則を見いだそうとして、仮に貼ったレッテルだ。人生や社会も根元には矛盾も対立も反対もない。よりよく生きようとしてレッテル貼りに精を出しているだけだ。判断でいかようにもなる。矛盾という単語の元になった最強の盾と最強の矛の逸話だってちょっと考えればおかしな話ではないことがわかる。うわべの形式にまどわされず、実になるレッテルを貼ることだ。


2011.02.12(土)雪 八百長なしの相撲をするために

何を血迷ったものか、大相撲を存続させるには形に見える改革が避けられないことになってきた。たしかに、八百長がだめというのなら、抜本的に改造するほかはない。現状のシステムでは八百長の根絶はできないからだ。だれも八百長をやってなくても疑惑は絶対に残る。つまりは改革したことにならない。根本的な解決としては八百長の無効化。八百長しても得にならない、しても意味がないシステムに変更するしかないのだ。損得がない不正は疑惑を生まない。そこんとこはだれもが理解しているけれど、既得権益を守るために手をつけないのだろう。いや、もしかしたら気づいていないかもしれないから、そっと教えてあげてもよい。以前には瀕死のプロ野球の改革案を出したこともあり、公平を期す意味もある。

相撲の諸悪の根源は部屋にある。相撲の部屋には親方というチーム監督兼オーナーがいるが、あいつらが変だ。監督が、協会の運営にも携わり、試合では勝敗も決めている。「あんた何様?神様?仏様?」状態である。協会運営、勝敗決定、チーム監督は別人が三すくみの状態でやらなければならない。それがあたりまえの大前提だ。

相撲では、ある監督に見いだされた若者は原則そのチームで一生の選手生活を送る。体格はいいが適正を欠いている中学生が相撲界に入った場合は地獄ではないのか。やり直しはきくのか? 知的な訓練やその他の職業訓練は相撲部屋でできているのか? 基本的人権や職業選択の自由からみて日本国憲法違反すらも疑われる。最低でも選手の移籍は自由にすべきだ。相撲は個人競技であるけれど、練習面では、一人で稽古して強くなることは不可能で、やはりどこかの部屋に所属しなければならないだろう。よりやりやすい、力を発揮しやすい、契約条件のいいチームに所属したいのが当然だ。

選手の収入は原則として部屋からの年俸によるべきである。スポンサーからの金や、勝敗に応じて提供される賞金は選手が受け取るべきではない。そうした金はチーム収入として部屋で分配する。親方がチーム監督兼オーナーならば、親方はスポンサー契約も取ってこなければならない。部屋はより強く人気がある選手を獲得しようとする。そのために指導者にふさわしい者が監督になり、チーム運営も全うになるだろう。ただし、スポンサーのつきにくい外国人力士が不利になるとは思う。

こういうシステムでは星の貸し借りや勝負に無用の人情相撲なんてものが意味をなさなくなる。人気のある前頭10枚目のほうが大関よりも年俸が高い、なんてこともありえる。星の貸し借りなんて移籍によってはちゃらになる。無気力相撲なんてやってる場合ではない。勝ち越したって自由契約になって試合に出られない選手もでる。無気力を許してると、親方だって解雇になったり、スポンサーが降りてチーム運営ができなくなったりするからだ。それでも起きる八百長は十中八九賭博がからむ犯罪だ。

で、そういう相撲が面白いかどうかは別問題である。もともと奇妙な閉鎖社会が歌舞伎にも似た約束事満載の興業を売りにしているのが相撲である。約束事の中には八百長も含まれている。八百長は相撲にとって非自己ではない。それをまるで癌組織であるかのように忌み嫌い切除しようとするならば、相撲を異質のスポーツにするほかはない。そうまでして続ける相撲に意味があるだろうか。私の願いは別にある。国技なんて世迷い事は言わず、国技館は卓球に明け渡し、相撲は一般の格闘技として、32年後に静かに息を引き取ってもらいたい。


2011.02.18(金)晴れ 菅さんとわたなべさん

ワタミの渡邉美樹さんが東京都の知事選に立候補するらしい。経営感覚抜群で強力なリーダーである渡邉さんが都知事になった暁には、今まで見られなかった都政が実現するかもしれない。少なくとも、東京はビジョンのある都市になるだろう。

候補者としてのわたなべさんは、テレビ放送で都民を幸せにすると主張している。対して、菅総理は国民の不幸を最小にすると宣言した。二人の主張は政治家のありかたとして真逆になる。少なくとも公衆が政治に受ける印象はまったく違うだろう。

不幸最小の政治が成功すれば、公衆は政治家なんているだけ無駄と思うだろう。最小不幸社会というのは行政のルールに乗っかっていれば死なない世界の事を言う。爆撃機がやってきて爆弾を落とされることがない社会。多少天候がわるくても飢饉にならない社会。伝染病が蔓延してバタバタ人が倒れることがない社会。そこで暮らす無能者は明日のビジョンもなく、自ら幸福のために努力することもない。楽しいことが降ってくるのを待って行政がこしらえた切り株に座っている日々。それでもなんとか家庭も財産もできて、一生を終えることができる。無能な怠け者でもごまかしごまかし笑って生きられる世の中。

いっぽう、幸せ政治が究極の成功を収めれば、公衆は喜んで税金を払う。政治家は尊敬を集め高収入で、子どもたちはこぞって政治家を志すだろう。幸せ政治の社会を想像するに、近世のポルトガルとかイギリス、近代のアメリカなんかがそういう国家だったのかなと思う。戦をすれば連戦連勝で、次々に新発見と新発明があり、公衆は大きく口を開けておればおいしい物が空中から降ってきた。いまの日本で、国や都道府県をあげて幸せに向かって邁進するとして、実際に何をすればそうなるのかは分からない。無能である私には思いつかないのだが、わたなべさんが見せてくれるかもしれない。

私は正直なところ不幸最小の政治の方が好きだ。国家一丸となって取り組めば目前の幸福を手中にすることができるということもあるだろう。ただし、その実現に犠牲が伴う場合、たとえば戦争が必要で10万人の戦死者がでるのなら、不幸最小の政治家は幸福の獲得に尻込みすると思う。年金で不遇な立場に追い込まれて、何を思ったのか八十八か所行脚に出向いた菅さんも同様なのではないだろうか。

アメリカは反省知らずにそこを突っ込む。アメリカはポジティブな幸福邁進型の政治をやっていると思う。キリスト教には犠牲という考え方があるから、近年イラクやアフガニスタンでやっていることも犠牲なのだろうか。私には理解しがたいものがある。


2011.02.20(日)くもり 10秒を10万円で買うか

春の雨も降ったことで、そろそろ山のカエルは産卵をはじめているころだ。そういうことも考えて昨日今日は半原越だな、と決意していたはずが、けっこう寒くて挫折。たぶん路面の雪は消えて凍結の心配もないはずだが、あの下りの寒さに躊躇した。だんだん意気地なしになる。というわけで境川へ。川に出るとけっこうな北風だ。時速30kmでも前の風をほとんど感じないから、6mぐらいの風なのだろうか。目で見えるような風ではないのだけど。

坂道をさぼっている代わりに重いギアで乗ることを心がけている。70rpmでちゃんと回せるぎりぎり限界のギアを選択する。今日のような追い風だと、ぎりぎり限界だと40km/hぐらいになるから、それは危険でNG。向かい風でがんばる。半原2号のギアを50×17Tにいれて70rpm、25km/hぐらいになる。こういうやり方をしていると100km走ったアベレージが27km/hぐらいになる。冬にこういうことをやって、けっこう練習になったつもりで半原越に行くと、ぜんぜん太刀打ちできなくてがっかりする。登り坂は必要なパワーがぜんぜん違うのだ。これまで十分思い知ったから次はだいじょうぶだ。

ちかごろまた、金で時間を買おうという欲にとりつかれている。Shimanoが新型のホイールを発売していて、それが思いのほか安いのだ。高級品のデュラエースでも10万円を切っている。使ってみたいのは規格が従来とは違うチューブレスタイヤ仕様だからだ。自動車やオートバイではもうずいぶん前からチューブレス一色だが、ここに来て保守的な自転車業界もチューブレスに乗り出した。アイデアとしては、チューブレスがベストだと思う。そのアイデアを実用できるかどうかが問題なのだが、それは使ってみないとわからない。チューブレスデュラエースを買えば確実にタイムがアップするだろう。半原越で10秒は違うと思う。10万円で10秒は妥当な線だが、どうしようか。


2011.02.23(水)晴れ 他人とつながりたい

「他人とつながりたい」という欲求があるらしい。無縁社会などということばも発明されている。他人とつながりたいという気持ちのない私にもその欲求の意味はよくわかる。私は他人とつながってない。それで不自由を感じないからつながりたいという気持ちが起きない。むろん、人付き合いを利用しているし、私を利用してもらってかまわない。こんな者で喜んでいただけるなら、努力はいとわない。ともかく精神的な連結には無用感がある。

私は他人よりもむしろ風とか虫とか草とつながっている。風にはいつも機嫌のわるさ良さ、そっけなさ、ある種の不自然さを感じている。あれはめったにやさしくはない。虫とか草も同様だが、接触を試みればそれなりのリアクションがあり、風よりはいくぶんか手応えがある。むろんやつらには感情はないのだから、その感覚は自問自答によって生みだされたものだ。私がつながっているのは本物の風虫草ではなく、心の中に対象として仮に設けている風草虫にすぎない。

そういうつながりを作るにはけっこうな能力と努力が必要だ。まず相手の存在を意識的に知らなければならないし、その存在に厚みと深みを感じなければならない。自然は自然に好きになれるものではない。ただし、つながることができれば退屈がなくなる。もっとすばらしいことに嫌われる心配がない。風は私のことを知らないから。

ヒトは群れ動物で、人は人と自然につながることができる。本能的能力と言って良いはずだ。自分が欲求を持っているのと同じに他人も欲求を持っている。いわば生まれついての相思相愛だ。そこんとこがややこしくて、だからこその疎外感、孤独感がある。愛し合って当然の対象が手中にないものだから、失ってもいないのに喪失感が心の奥からむくむくとわき起こる。

さらにやっかいなことに、本能は生まれ持ったつながりたい欲求の実現方法までは面倒を見てくれない。乱暴に言えば「感情の赴くがままに行為せよ」というプログラムを持って生まれて来るだけなのだ。で、非常にまれに、人生の微細な局面で二者がそのプログラムのままに行動して「ああ、私の生きる意味ってこれね」と感じることができる。それが神からロハで与えられているひとかけらの喜びだ。同様の恋愛プログラムは虫だって持っている。虫の一生は短い。本能のみに従って幸福に天寿を全うできる。と、私とつながっている虫が言ってた。

ヒトは残念なことに、人と人がつながることにおいても、努力を払わねばならない。対象がヒトというだけのことで、直接につながっているものは、心の中に仮に設けたものであることに変わりはないのだ。私が風とつながるために払ったぐらいの努力を払わなければ、人は人とつながれないはずだ。その努力ってのはどれぐらいかというと、3000時間ほど山野で野宿し、5000時間ほど自転車に乗り、毎日1カット10年ほど雲の写真を撮り続けるぐらいだ。まあ、空を飛んでいる人もいるくらいで、この程度では緊密とはいえない。人付き合いに換算すれば、週1回で10年ぐらい酒を酌み交わす程度のことだろうか。そういうつきあいは全くしないから想像で言ってるだけだけど。

そしてさらなる不運がヒトにはある。つながる欲求を本能で持っていることは、端的にはリアルな人間関係に「つながり」の表現型を見る能力があるということになる。それっぽい現象をつながりの典型と認識してしまうのだ。ヘビがはじめて見るカエルを明確に獲物と認識できるようなものだ。さらに悪いことに、人は「つながり」を画にすることもできる、テキストにすることもできる、フィギュアにすることもできる。画に描いた「つながり」は本質であるかもしれないけれど本物ではない。そこから証明できるように、巷にかいまみる「リアルな人間関係」が事実本物のつながりである保証は得られない。

そこんところの入り組んだ誤解が、隣の芝生的な愚かしい悲劇を生む。手練手管をつかって努力して結んだ人間関係のつながりが本物っぽく見えないということだ。美女であれば、恋人がいれば、お金があれば、正社員であれば、学校に受かれば・・・というような枝葉末節にとりつかれ、人間関係不全の真の原因を発見できない。99%(1%は詐欺)は不完全ではあっても本物には違いないのだから、半径5mのつながりをしっかりつかんで育てればいいのに。

私と風のつながりなら、告白するまでもなく嘘くさい。ところが、ある人とある人のつながりが、私と風のつながりよりも、より確かで豊かである保証はこの世のどこにもない。再度言うならば、人がつながるのは自分の中の仮像なのだから。お互いが求め合っている衝動と次世代に命をつなぐ最低限の心理的プログラム程度を頼りにがんばって作り上げる仮像だけなのだから。


2011.02.24(木)晴れ フリックした玉の挙動

フォア前に来る下カットの玉をレシーブするのに、フリックという技がある。かなりいやらしい技らしい。石川佳純ちゃんは名手らしいから、私も真似しなければならない。まずは理屈ということで、フリックした玉の軌道を分析することにした。

玉1

左の図は下カットの玉が垂直のラケット面に当たって跳ね返る場面を画いている。下カットだから、角度θで下に落ちる。漫然と打てばネットにかかってしまう。そこで、フリックという技を使うのだが、打点については、玉が卓球台に当たって跳ね上がっているところ、いわゆるライジングと、最高到達点を過ぎて落下しているところの2種類がある。

玉2

左の図は落下している玉が垂直なラケット面に当たって跳ね返るようす。下回転がかかっているから、通常の軌道よりもθの角を持って下に落ちる。これをフリックで持ち上げてネットを越えさせるのは難しそうだ。とりわけ打点が遅くなって玉が低い位置にあるときは絶望的だ。

玉3

左の図は上昇している玉が垂直なラケット面に当たって跳ね返るようす。下回転がかかっているから、通常の軌道よりもθの角を持って下に落ちるものの、もともと上がっている玉だから、前向きに飛ぶ。フォア前の下カットサーブはフリックで持ち上げて、玉がもともと持っている下回転とあわせてドライブをかけるのが良さそうだ。打点については、サーブはネットよりも高く跳ねるのだから、ちょうどネットの高さぐらいで叩くのがよいと思う。

私には週に1時間ぐらいしか玉を打てない。こうやって物理的な原理をにらみつつ、イメージトレーニングを重ねることで、座して上達するしかないのだ。


2011.02.25(金)晴れ 春になる朝

今朝、窓をあけて春の息吹を感じた。春の息吹というとポエジーでぼんやりしたシロモノだが、空気に春の臭いを感じたのだ。春の臭いといってもまだポエジーだ。臭いがあるということは、私の体が何かの化学物質を検知したことになる。空気の中に昨日まではなかった化学物質が混入しているといえばけっこうポエジーではなくなる。

では、昨日まではなかった化学物質があるのはなぜかと考えてみる。昨日と今日で劇的に変わったのは気温だ。暖かい空気が入ってきた。気温があがれば微生物、植物などが眼に見えない活動をはじめるだろう。微生物が有機物を分解して化学物質を放出する。かびはかび臭く、きのこはきのこ臭く、水中の苔は苔臭い。冬の間眠っていた草木が気温の上昇で目を覚ましているかもしれない。芽吹きの準備の化学反応によって余剰生成物が空中に放散されているのかもしれない。

この季節に感じる春の息吹は化学反応だ、といっても、やっぱりポエジーのような気がする。体の化学反応によって引き起こされるのは、春の喜びであることに変わりがない。その喜びというのは私が1億年にわたって生命として引き継いできたものだ。生体の仕掛けは似通っており、ほかの動植物にも人間同様の化学反応があるからだ。この世界で生きるには、環境を形成する生物群集の動きを検知することが必須事項だ。暖かくなって動きを活発にするには、まず心がうきうきしなければならない。下等な動植物のうきうきはピュアに鬱病の薬みたいな化学物質によって引き起こされる。気温の上昇によって、微生物や植物から始まって末端の私まで連鎖的に春気分がもえあがっていく状況は、けっこうポエジーだ。

この辺まで考えて「今朝から春だ」と力強く女房に宣言した。女房は「そんな大事なことを勝手に決めていいのか」といぶかしがって相手にしない。近年とみに信用がなくなっている。


2011.02.26(土)晴れ そわそわする

半原2号のステムを換えた。1cm遠く、1cm低くした。変更理由は単なるスタイルの問題だ。ステムの変更に伴いポジションがけっこう変わる。サドルも5mm前へ、3mm下に変更した。じつはそのサドルの位置がぴったりだったらしく、なにげに快調だ。上ハンで後ろに座る、ブラケットで中に座る、下ハンで前に座るという感覚がしっくりきた。

境川に出てずっと50×18Tで流す。80rpmそこそこ。ペダルになるべく長い時間トルクをかけることを意識した。立ちこぎでもなるべく早く力をかけるのがポイントかなとふと気づいた。「引き脚も使え」と解説している指導書もあるけれど、さすがに立ちこぎで引き脚はしんどいだろう。上死点の直前のトルクのことではないだろうか。

境川の遊水地公園には25日(昨日)にヒキガエルの産卵が始まったと掲示されていた。境川は日当たりがよいぶん春も早いのかもしれない。わが家に来るヒキガエルはいっこうに現れる気配がない。まだ生きているだろうか。ヒキガエルは産卵場所から50〜300m程度離れたところに住み着いて一年中動かず生活しているという研究があった。わが家のは近所のゴルフ場か宇都宮公園由来の個体群だろうが、絶滅に瀕している群れだというのはまちがいない。

カエルの産卵がはじまればいよいよだとこちらもそわそわする。何をあせっているのか不明なのだけど、居ても立ってもいられない気分になるのが早春だ。

ところで、カダフィ大佐って20年ぐらい前から大佐のままなんだけど、なんで昇進しないのだろう。大佐ってのは軍人の位では上の中ぐらいのはずだが。もしかして、カダフィ大佐っていうハンドルか芸名なのか。大佐のときに国のトップになってしまったもんで、彼を昇進させる上司がいなくなったからなのか。


2011.02.27(日)晴れ 川と庭の雑草

ギンゴケ?

プリキュアを見て、毎週ちょっと楽しみにしているドラゴンボール改にチャンネルを合わせると、マラソンになっていた。げっとなったが、気を取りなおして境川に行くことにした。近年花粉症がひどくなりつつあるのだが、境川だと南風のときは花粉も少ないかな、と期待した。海には花が咲かないから。

半原2号はステム変更に伴ったポジションチェンジで絶好調といっていい。南風は10m近いかんじでぴゅうぴゅう吹いている。多少がんばっても25km/hぐらいしか出ない。50×16Tを使って登り坂の練習だ。とはいえ心拍計の数値は160bpmほどで、すっぽり有酸素域にはまっている。本当はこのぐらいの力で半原越を21分20秒で登らねばならない。登りでは無酸素域の力を使うことはNGらしいからだ。道はかなり遠い。

ドラゴンボールがなかったせいで早く出てきたことと日が長くなってきたことから、いつもよりたくさん乗ってしまった。時間は6時間、走行時間は5時間。4時間を越えるあたりから体の各所に痛みが出てけっこうしんどくなってくる。

境川では新しい遊水地の建設が進んでいる。どんだけ金あるんだ神奈川県と疑問に思うぐらい立派なものになりそうだ。そこの道路の真新しい法面におびただしい数のコケのサクがあった。どうもギンゴケっぽいのだが、正確なことはわからない。サクがずいぶん目立っているものの、その本体らしいのはくしゃくしゃの見栄えがわるい葉しか発見できない。ギンゴケってこんなにサクを群生させるコケなんだろうか。とりあえずケータイで撮ったのが今日の写真。ケータイでコケを撮ろうというのはちょっと無謀か。こういうことがあるから境川通いはやめられない。こういうことがなくてもやめないと思うけど。

帰宅して、自慢のスーパーマクロを持ち出して庭のノミハニワゴケをチェック。庭を見るのも久しぶりだ。クロナガアリは巣口を閉ざしている。明らかに周囲とちがう土が盛られており、彼らが意図して閉ざしたことが明白だ。メダカが元気に泳ぎ始めた。この春最初のエサをやる。テトラミンはそれほど喜んで食べる様子がない。ドイツ製の高価なエサなのに。コケの写真を撮ったついでに見たハコベにはもう花が咲いていた。ただし花びらがない。もともと花びらがない花なのか、花が散ったあとなのか、迷ってしまった。ハコベだってさんざん見ているようでちゃんと見ていないことに気づく。こういうことがあるから庭通いはやめられない。こういうことがなくなればやめると思う。


2011.03.2(水)くもりのち晴れ バルサとタンダ

守り人シリーズは琴線に触れるシーンが満載だった。中でも「天と地の守り人」第3部のバルサがタンダの家を訪ねる場面。家のまわりの雑草がきれいに刈り取られていることにバルサは胸騒ぎを感じる。雑草好きのタンダが草をかたっぱしから駆除するはずがなく、異変が起きているにちがいないからだ。常識的には、長いことあっていない恋人の家を訪ねて、雑草ぼうぼうだったら心配になるはずだ。その逆手をとっているのがまずうまい。そして、わが家も雑草茫々なのだからこたえられない。

この物語で一番思い入れがあるのがタンダだ。物語の興味の半分はタンダとバルサがどうなるのか、ってことで読み進めてきた。タンダはやることなすこと、うんそうだよ、そういうように僕もしたいよ、という感じでものを考え行動していた。バルサとかジグロとか武闘派にあこがれはある。けれど、自分の身体能力を思えばファンタジーとはいえ薬剤師ぐらいが私の性に合っているのだ。バルサみたいな強烈な女の子が好きだし。

で、雑草茫々のわが家であるけれど、あまりにも伸び放題すぎる感はあった。近所にはこの夏に引っ越してきた人々がいる。彼らからは、あの家の住人は凶人ではないかと心配されるおそれがある。せめて変人程度に思われるべく、冬の間に枯れ草を片付けてしまったのだ。

さっぱりするのも悪くはない。しかし弊害が起きた。タンダとちがい、わが家の主人が死んだのかと心配される恐れはないが、ねこが集まって小便をしているのだ。今は犬がいないからねこもやりたい放題。ねこが何をしようと、するまいと、死体になって転がっていようとかまいはしないのだけど、ただ一点、コケがねこの小便に弱いらしいのだ。枯れ草の根元の地面にはほんのちょっぴりコケも生えている。何も対策とてないが、ひとまずは、夏になってトゲだらけの雑草が茫々に伸びて来るのを待とう。それを片付けるのをやめよう。


2011.03.4(金)晴れ カンニング事件の反省と分析

今回のYahoo!知恵袋カンニング事件は私にとってたいへん残念なものとなった。松本サリン事件で得た自信を和歌山ヒ素カレー事件で粉々に打ち砕かれ、以来、何をやりたいのかその目的が犯人にもわからない事件があるということを、つどつど自分に言い聞かせてきた。そのかいあって秋田連続児童殺害事件をはじめとする虐待物なども見誤っていないつもりである。しかしながら、今回はまた完全に事件の真相を見誤ってしまった。まさか犯人の目的が入試の突破だとは思わなかった。深く反省するとともに、事件をしっかり分析して過ちを二度と繰り返さないようにしたい。

私は、知恵袋に入試問題が投稿されたというニュースに接して、「これはカンニングではない」と3秒で断定した。知恵袋に投稿した時点で、入学は放棄したことになるからだ。たとえ試験で合格点をとり入学しても、後日試験問題がネットに掲載されていることはばれるのだから、足がついて除籍になるのは確実である。インターネットの通信では履歴は詳細に残る。そのことはさんざん報道されている。警察もネットには神経質で、その執念たるや空恐ろしいほどだ。2ちゃんねるに業務妨害や殺人を匂わす投稿をするだけで履歴を追跡され突き止められてしまう。カンニングなら知恵袋を使わずともインターネットが使えれば十分である。知恵袋を使う目的は逮捕前提で世間を騒がせること以外にないと思った。

テクニックはけっこう必要な犯行だから周到な準備を行ったにはちがいない。予備校の模試でも自前の模擬テストを行ったろう。試験の成績もよかったというから1年がかりの練習だったのかもしれない。ただし、数学だけは知恵袋でも使わないとダメだったのだろうか。このあたりも誤った推測かもしれないが。腕を磨いたわりにずさんである。攻撃力は高いが守備力は低い。学生だから、携帯電話のUIDのことまでは知らなかったとしても、あまりに無防備だ。

私はこの事件の背景に、ネット通に見えて意外に情報弱者な若者像を見る。おそらく犯人は秋葉原の歩行者天国無差別殺傷事件とか、尖閣ビデオ流出事件、各種詐欺、自殺幇助、偽計業務妨害などマスコミが好んで報道する一連のネット関連事件を知らなかったのだろう。だからこそ、入学にもっとも不適な行動をとってしまったのだ。知恵袋に投稿するぐらいなら、試験を受けないほうがまだ入学の可能性は高いのに。

私は新聞を全く読んでいないし雑誌も少年ジャンプ以外は読まない。テレビも自転車や卓球などを除けば一日20分ぐらいしか見ない。インターネットは天地無朋を書くほか、いくつかのブログを見回ったり、コアな調べ物や通販に使うけれども、ニュース記事は全く読まない。いわゆる情報弱者組に入っていると思っているが、想像以上の情報虚弱者がいるようだ。もしかしたら、この事件を全く知らない者が国内に数千万規模でいるのかもしれない。なかには学生もいるだろうから、知恵袋を使ってカンニングする受験生がまた現れたらかわいそうだ。


2011.03.10(木)晴れ 花粉症がひどくなると

年々花粉症の症状がひどくなる。今年はとりわけ杉花粉の飛散量が多いそうだ。先週の日曜日に多摩川サイクリングロードをポタリングした夜から、鼻水、くしゃみ、かゆみがものすごいことになって、月曜には薬を飲んだ。それがよく効いて劇的な改善があった。なんだか一つまた負けた気がする。これまでは、けっこうしんどいときでも薬なしで済ませてきたのに、ついに薬のお世話になったからだ。

40年ぐらい前には花粉症という言葉もなかったと思う。あのころはけっこう症状が重い花粉症は、夏風邪、鼻風邪などとよばれていたのではないだろうか。夏風邪が治りにくいといってもアレルギーなのだから当然だ。それに、ちょうど今頃の季節は体調を崩しがちだ。昔から気温や湿度、気圧の急変が体調不良の原因とされてきたけれど、一部は花粉症だったのかもしれない。花粉は五感で感覚できないから原因としては排除されたはずだ。さらには、平安時代から伝統の物憂げな春ってやつも、いまどきの表現で言えば不定愁訴、文学者は性欲に帰すかもしれないが、これだって軽度の花粉症が疑われる。味も素っ気もない無機質の考え方だが、感覚できず人体に著しい影響をもたらすモノはたくさんある。そういうモノは無縁の物が原因と疑われたり妖怪やお化けの類が仮定されてきたはずだ。

ともあれ、私の花粉症を治す手立てはない。となればうまく付き合うしかない。まずは心構えとして、花粉症のそもそもを考えた。

花粉は植物の精子入れだ。オスの杉は、野にも山にも海にも自分の精子を撒き散らす。花粉はメスの杉のメシベにくっつき花粉管を通じて受精が行われる。花粉は同種のメスにとってはかけがえない貴重なものだ。ただし、余分な量はいらない。ましてや、他の植物の花粉を受け入れるわけにはいかない。その仕掛けはよくわからないけれども、花粉とメシベの間には化学的な合言葉ができているはずだ。その杉花粉の合言葉が私の体によく響くものになっている。私の体にとって杉花粉は狼の皮をかぶった羊だ。花粉自体は無害なのに、狼の皮を着てガウガウ吠えているものだから、狼来襲〜っと体がパニックに陥っている。

杉は確実な受粉の仕掛けを発達させてきた。他人の迷惑なんぞ顧るわけがない。ヒトはヒトで危ない病原体から防衛する手段を身につけた。両者が使える化学的材料は限られており、たまたま杉と人間が衝突したわけだ。

私は精神的に感知する杉は好きだ。立派で美しくいい匂いがする。花粉が詰まったオバナは少年時代の遊びの道具だった。カラダの相性が悪いからといっていまさら嫌いになれる相手ではない。


2011.03.12(土)晴れ 晴れ積雲

積雲の卵

写真は昨日の正午頃のものである。千葉の海岸線には積雲があるものの東京の上空は雲一つない快晴であった。そうした空に、写真のような微細な雲が現れては消えている。高度は1000mもないぐらいだろう。雲は1分ほどで最大に達し、それから1分ほどで消滅する。ひじょうにめまぐるしい。

その雲をどういうものに分類してよいのか迷った。成因と言えば熱上昇する気流によるものだろう。積雲の卵と言っていいのかもしれないが、発達する見込みがぜんぜんなかった。また、どういう塩梅でその雲ができ消えるものか、今ひとつイメージがわかなかった。

そして1時間後になると、立派な積雲がいくつも浮かぶようになった。積雲の一部は発達して降水雲になっているものもある。わりと低い高度にもやのようにかかる層雲もでている。それらの積雲を見ていてピンと来るものがあった。

正午頃に出ていたものはやはり積雲の卵だ。昨日は雲ができる条件も整っており、水蒸気を供給する上昇気流もあった。ただし、正午には上昇気流の勢いが足りなかった。おそらく、写真の雲ができているあたりが、上昇気流の頂点だったのはないか。そして、雲ができる下限の高度が、その頂点にあたっていたため、小さな雲がほうぼうでぽつぽつと生まれては消えしたと思われる。消えるのは気流が下降しているか、あるいは上昇が止まるからだ。1時間前の間違いは、上昇気流が雲の高度を越えて昇っていると仮定していたことだった。

午後1時になると、地面が暖まったことによる上昇気流が強くなり、雲ができる下限を大きく越えて昇るようになった。それで普通サイズの積雲ができたのだ。

また、今回の観察で、下降気流が雲の形に大きな役割を持つことに気づいた。積雲が発達しているところでは、水蒸気が水に相転移しているのだから、大きく2つのことが起きている。一つは、気圧の減少。水蒸気は水になるとき1000分の1に縮むからその分の気圧は低下する。もう一つは、温度の上昇。この両者は空気塊の上げ下げには互いに補完する関係にあるはずだが、それが平衡して安定に働くとは限らない。狭い中で空気塊の一部は上昇し、一部は下降している。積雲のもくもく感は、こうした空気のダイナミズムによってもたらされているはずだ。

上昇気流が起きると、下降気流も起きなければならないはずだ。下降気流のあるところでは雲が消失する。積雲のない部分は下降気流があるのだろう。気流は細く早く上昇して、下るときには太くゆっくりだと思う。上昇気流が勢いを増すには下降気流も発達しなければならない。午後になって下降気流が地上付近にまで降り対流が盛んになってはじめて立派な雲ができるのだ。


2011.03.17(木)晴れ 自分に負けること

おじさんは、ずっと山(半原越)に行ってない。寒さと花粉を恐れているからだ。こうしてぐずぐず逃げているのは悪いことだ。自分に負けているような気がして不満がたまる今日この頃である。痛みや苦しみに打ちのめされるよりも自分に負けることのほうがいっそうつらいことが、これまでの経験からわかっている。

ただし、かんたんに「自分に負ける」といってもそれがどういうことなのか、そこははっきりしておく必要がある。自分に負けたときに勝ったのは誰なのか不明で、自分に勝ったときに負けているのは他ならぬ自分であったりする。自分との戦いでは勝敗の行方は不確かになりがちだ。

自分というのを、自我と自己にわけることにする。自我というのは恒常不変である自分。そういうものがないことは理論上明らかなのだが、こころはそれがあることを前提に成立している。非科学的であっても、そういう前提には逆らわない方がよい。自己というのは環境の中で変化する自分。時間につれて変わる。物事を経験したり、覚えたり忘れたり、成長もすれば衰えもする。諸行無常の存在。自分という意識にはこうした階層構造があり、自己には時間的階層がある。

自分への勝ち負けの判断は自己が行う。「自分に勝つ」という場合は、必ず過去の自分に未来の自分が勝つということを意味している。過去の自分に未来の自分が勝つことは、完勝といってよい。なぜならば、過去の自分は非存在者だからだ。もうすでにいない者が負けたからといって悔し涙を流すことはない。いくら負かしたってかまわないのだ。自我としては自分であっても自己はその実在を否定している。「自分に負ける」という場合は端的に勝負から逃げることを指す。未来には負けた自分はいないが勝った自分もいない。

半原越の区間4は非常に苦しい。いつも勝つか負けるかの勝負になる。負けそうな日には、あらかじめ言い訳を考えて勝負を避けることにしている。それでもこと自分に対しては異常に負けず嫌いなのか、しょっちゅう勝負がはじまってしまう。結局は体の痛みや呼吸困難、めまいに打ちのめされてしまうのだが、勝負から逃げるのはいっそうつらい。目の前が暗くなっても景色が回りはじめるまではだいじょうぶだと言い聞かせて走っている。こういう遊びは体に悪く、いずれぽっくり死ぬかもしれない。たとえ死んでも負けたことにだけはならないはずだが。


2011.03.18(金)晴れ ハイリスクな海外通販(1)

自転車の部品などは通販で購入することが多い。とりわけ海外通販は関税や中間マージンの関係か、物によって非常に安くなるという魅力がある。これまでに100回以上も快適に通販を利用してきたが、ついにトラブルが起きた。それも海外通販であったために非常にめんどくさいことになった。そのトラブルで困ったのは私よりもむしろ相手の通販会社だ。

買った(買おうとした)のは自転車のローラー台だ。イタリアのElite社のものだ。値段は国内だと5万、けっこう利用しているイギリスのwiggleだと3万ちょっと。重量が12kgもあるので、送料が1万ほどかかる。それでも国内で買うよりは安い。どうしようかと迷っていたところ、wiggleと同じイギリスの通販会社のCRC(Chain Reaction Cycles)だと送料が無料になることがわかった。wiggleの送料無料は7000円ぐらいからでローラー台には適用されない。CRCは3万ぐらいから無料でローラー台にも適用される。このあたりからすでにめんどくさいが絶望的に難解というほどではない。さっそくCRCで購入することにした。

ところで、Elite社のローラー台は種類が多くてその区別がよくわからず、ほぼ絶望的に難解だ。そもそも名前が長い。私が買おうとしたのは、Elite SuperCrono Fluid ElastoGel Digi Trainer - Digital Wireless である。名は体を表すということなのだが、その名を見ているとある種のアブラムシを連想する。ハクウンボクハナフシアブラムシはハクウンボクエダサンゴフシという美しいゴール(虫えい)を作るアブラムシだが、その名を見ればハクウンボクについている花のようなかっこいいゴールの形成者であることが一目瞭然だ。ただし長い。Elite社による Elite SuperCrono Fluid ElastoGel Digi Trainer - Digital Wirelessという命名がおそらく失敗の始まりだったのだ。

注文して2週間程度で物は届いた。その箱を見る限り間違いはないと思った。梱包を解き、内容物を取り出しても間違っていることには気付かなかった。いろいろチェックしていると、不足している部品がありそうだった。しっぽについている - Digital Wireless の部分が見あたらないのだ。ドキドキしながらイタリア語やベルギー語やドイツ語や中国語や英語で書かれてある説明書を解読してはじめて間違った品が届いていることに気づいた。それは Elite SuperCrono Fluid ElastoGel Digi Trainer - Digital Wirelessではなく、Elite SuperCrono Power Mag ElastoGel Trainer だったのだ。名前も似ているが、形も色も何もかも似ている。こういう命名だと発送のときに別のものを掴んでしまうのも仕方がないと思った。さんざん迷って購入を決意した私ですら取説を読むまで間違いに気づかなかったのだ。CRCあたりの巨大な通販会社だと、発送担当者は商品知識もなく字もあまり読めない人たちだと思う。紛らわしいラインナップをもっているElite社が悪い。とはいっても日本の箕浦をはじめ、世界中のローラー台会社のラインナップが紛らわしいという事実がある。レモン・レボリューションだって一種類しかないにも関わらず、その製品の全容をつかむのは楽ではない。

間違いの原因究明をしてほっとしている場合ではない。届けられたのは、製品名がちょっと短いことからも明らかなように、2万円ちょいの廉価モデルだ。湖に落としたのが金の斧なのに、現れた女神様が持ってるのは鉄の斧だったようなもので、具合が悪い。申告しなければ泣き寝入りだ。

CRCはイギリスの会社であるけれど、ホームページには日本語版もある。返品交換のしかたがわかりやすく記載してある。問い合わせの所を英語版と合わせて読んでみたが、翻訳も間違っていない。メールでの問い合わせも日本語でかまわないということで、メールも出してみた。すると、クリスマス休暇を挟んで回答が来た。内容はほとんどホームページのコピペであったが、生身の担当者がいることで安心はできた。

CRCは誤配送は必要事項を記入して国際郵便(EMS)で返送すれば、正しいものを再送するという。返送にかかる郵送料金はひとまず立て替え、後日クレジットカードの口座に振り込まれる手はずだ。そこで、はじめてEMSなるものを利用することになったのだが、これがけっこうめんどくさい。英語を解読していろいろ英文で書かなきゃなんない。税関用に返品だとわかるようにしてインボイスを書かなきゃならない。それはまあいいとして送料が2万円ほどもかかる。私はさらなるドキドキに直面することになった。


2011.03.19(土)晴れ ハイリスクな海外通販(2)

イギリスまでの送料が2万円。CRCは無料だが wiggle は1万円をユーザーに要求する。通販業者は送料も安くできるのだろうが海外通販だと送料はバカにならない。私にとって2万円は決して安くはない。それだけの追加費用を使って、ローラー台を送ってそれっきりになってしまったら、ローラー台+2万円を失ってしまう。しかし、トライしなければ場所ふさぎな廉価版のローラー台が家の中に転がっているだけになる。意を決してEMSで送ることにした。

EMSでもすったもんだがあったが、それは省略。EMSだと送ったものが、どこにいるのかをネット上で追跡できる。日本を出るまでは比較的スムーズに行ったのだが、イギリスについてからが妙に時間がかかっている。いろいろなところで通関手続きなどの名目で何日も止められている。うまく届かなかったらどうしようかと、またドキドキが大きくなった。

2週間もすると、居ても立ってもいられない気分になって、私の荷物が向かっているCRCってのはどこにあるのか調べてみることにした。今ではグーグルアースやストリートビューという強力なツールがある。CRCの住所をもう一度見返してみると、Kilbride Road となっている。また、あっと息を飲んだ。早合点して Kilbride ってのを Kilbridge と書いて送ってしまったのだ。「キル橋通り」なんていかにもありそうな名前なんだが。その程度の宛先不明で送料2万円の荷物が戻ってきたりしたら、最大級のしょんぼりだ。

グーグルアースで調べると Kilbride Road はすぐに見つかった。いやはやものすごい田舎だ。その通りは2〜3キロあるみたいだが、その間に家が5件ぐらいしかない。春小麦の畑か牧場を突っ切る道で、通りに面する建物といえば農家と小さな教会みたいなものしかない。日本でそれだけの僻地は北海道の音威子府村しか知らない。いやそんなことを言えば音威子府の人が怒るかもしれない。とにかく、よくそんな田舎の人間が極東の島国にまで自転車の部品を発送する会社を興したものだと感心する。というか、イタリアで作られた部品がイギリスの田舎に集められて日本にまで運ばれてくるのかと思うと、けっこうな悪事に手を染めているみたいなうしろめたさを感じてしまった。

やっちまったものはしかたないとして、ストリートビューで Kilbride Road を何往復してもCRCらしい建物が見つからない。CRCのホームページにある写真は巨大な倉庫みたいな建物とか山積みの商品とか発送専用ジェット旅客機らしきものとか、なかなか華々しいのだが、住所の Kilbride Road は緑の草原ばかりなのだ。なんだか詐欺にあっているみたいで、またドキドキが大きくなる。きっとCRCができる前にストリートビューが撮影されたんだと自分に言い聞かせた。

そうこうするうちに1か月ほどが過ぎ、CRCから連絡が来た。「ヘンソウヒン、タシカニトドキマシタ。モウシワケアリマセン。ザンネンナガラ、ゴショモウノ Elite SuperCrono Fluid ElastoGel Digi Trainer - Digital Wireless ハシナギレデス。アキラメテクダサイ。ダイキントソウリョウハカエシマス。」というように英語で書いてあった。いきなり、品切れだからあきらめろってのもなかなかの言いぐさだが、ちょっと考えてそれもしかたないと思った。

CRCは普通だと2万円もかかる送料をタダにしてくれている。通販業者でもおそらくは1万ぐらいかかるのではないだろうか。たまたま間抜けなイタリアの Elite社がふざけた名前のローラー台を作っているために、間抜けな社員が極東にまで間違った商品を送ってしまった。CRCはその返送料の大枚2万円を払わなければならない。どれだけの損になったか概算してみる。商品は35000円。そこからマイナス送料が約8000円。さらにマイナス返送料が19000円。すでに27000円のマイナスだから、手元には8000円しか残らない。ローラー台の卸値はしらないが、8000円以上はするだろう。すでに損をしているはずだ。さらに追い打ちをかけて、日本にまで8000円の送料をかけて正規の品を送るのは、かなりつらい。もしかしたら欠品ではないのかもしれないけれど、快諾することにした。CRCの対応は一貫して誠実だった。海外通販ってのは業者にとってハイリスクだ。CRCには誤配送をなくしてがんばって欲しい。


2011.03.20(日)晴れ あいすまんじゅうがない

少なくとも寒さだけはないぞと半原越へ。2か月以上あいてしまった。美登里園のパスはまだ工事をしている。無駄にでかい道路を造っている。律速段階ってものが交通にもあることぐらいは先刻承知のはずである。清川村のいつものコンビニに行って丸永製菓のあいすまんじゅうを探すがやっぱりない。北海道の牛乳を使っているかもしれない九州銘菓を神奈川の山中で食おうという了見はまちがいだ。何かあれば真っ先に消える贅沢品なのだ。

これを機に牛乳というものが貴重な食材であることをみんな知った方がいい。炭酸塩で味付けした地下水がガソリンや牛乳よりも高価格で売られているが、あんなものは買ってはいけない。経済だなんだと騒ぐ前に物の価値をしっかり考えなければならない。

ラップタイム目標km/hbpmrpm
区間14'40"4'40"+1015.215575
区間210'00"5'20"+1013.317570
区間315'20"5'20"+1013.317370
区間422'07"6'47"+1710.417866
全 体+4712.8 - -1545

半原越はやっぱりだめだった。スタートして2秒でだめだとわかった。腰が痛くならない力の入れ方にだけ注意して登る。尻を中心にして半径60cmだけを使う走り方だ。半原越を降りて今日も神奈川中央正方形コースを行く。今日は「みんながんばれ」を選択した。


2011.03.22(火)雨 半減期の誤解

放射性物質の半減期について世間でずいぶん誤解があるようだ。今から30年ほど前のことであるが、私も半減期というものを完全に誤解していた。それはいま世間に出回っているらしい安全性に関わる誤解とはちょっとちがっていた。 私が義務教育を受けていたころは声高らかに原子力の平和利用が歌われていた。戦勝国の間では戦争利用も推進されており、原水爆はのどかな太平洋上やユーラシア大陸でばんばん炸裂していた。

そんな中で、子どもの耳目にも放射性物質の知識がいろいろ入ってくるのだが、半減期というのがどうにもわからなかった。ウランなんかは放射線を出しながら自然になくなっていって、半分になる時間は物質によって決まっているという。私にはその半分になるっていうことの意味がわからなかった。まず、本当にそうなのか、何でも半分になるのが本当に決まっているのか。半減期は何億年とかいう物質もあるのだが、そんなものは誰も観察したことはないはずだった。半減期1年の放射性物質が100kgあったとき1年後には半分の50kgになる。10kgの場合は5kgになる。50kgなくなるのにも1年、5kgなくなるのにも1年・・・・? 物がなくなるって1年に5kgとか定数なんじゃないのか。食べ物だってお金だってそうやってなくなる。

半減するといっても、雪だるまが融けるように痩せ細るわけではないことは知っていた。ウランは最終的に鉛になるのだ。たぶん見かけ上はそれほど変貌しない金属塊ではあるが、ウランはどんどんなくなっていく。そのなくなるスピードが次第に遅くなるというのが合点がいかない。最初の1年で5kgなくなれば次の1年でも5kgじゃないのか?

そして、あわれな少年は、物質がなくなってエネルギーになる、それが原爆の原理だということを聞きかじっていた。いわゆるE=mc2。そして、そのへんにある物は決して消滅することはなく、本当になくなるのはウランなどの放射性物質だけなのだ。ウランは鉛になるときに一部がエネルギーになって消える。一部とはいえ、物質が消えるときには莫大なエネルギーになる。

私は生半可な知識で推理した。半減期が決まっているということは、量が多ければ多いほど時間あたりになくなる量は多くなる。放射性物質はたくさん集めれば集めるほど爆発的なエネルギーを出すのだ。原爆はウランなんかを1トンぐらい寄せ集め、一気に10kgぐらいを消滅させる装置だと結論したのだ。

この微笑ましい誤解は物質を延長を有する塊としかとらえられないことが元になっている。デカルト的な誤解、というとたいそうに過ぎるか。よくよく自然界を見渡してみると指数関数的に増減する現象は稀ではないことがわかってくる。水草アクアリウムに没頭していたときに、数株しか買えない高価で増殖も遅い水草が、5年ぐらい育てて100株ぐらいになると、履いて捨てるほど増えることを経験した。雑草から指数関数が腑に落ちることもある。


2011.03.23(水)くもり コバルト60の思い出

予算本線の八幡浜から千丈の間に線路が切り通しになっているところがある。細く突き出した岬を削って線路を引いたのだ。線路で切られた岬はすぐに道路でも切られ、線路と国道に挟まれた小山になっている。高さ10mに満たない変成岩の塊だ。そこにはクヌギなどの木も生えて子どもたちの遊び場になっていた。小山の上からは汽車を見下ろすことができた。

ある日、貨物列車が運んでいる魅惑的な荷を目撃した。荷車には天蓋がなく荷が丸見えだ。その荷というのは鉱石のようなものだった。やや緑味を帯びた青白く半透明な石で燐光を放つようにぼんやり輝いていた。一つ一つの大きさは握り拳大で、それが荷車からこぼれ落ちんばかりに満載されているのだ。

その鉱石らしきものが何なのかすごく気になった。似ている物だと理科室の硫酸銅がある。石ではなく、そういう化学物質かもしれなかった。水晶や翡翠のような宝石の原石ならすごいと思ったけれど、そんな高価なものを運ぶにはあまりにもずさんだった。もしかしたらコバルト60かもしれないと思った。テレビの漫画かなんかで、コバルト60を見た覚えがあったからだ。光る石を博士が取り囲んでおり、彼らの一人が差し出したペンが石の上に浮いていた。コバルト60は極めて貴重な物質という扱いだった。今でいえばラピュタの飛行石かカンバル特産のルイシャだ。

きれいな石に興味を持つのはいいけれど、当時の私はよからぬことを考えていた。その石を盗もうとたくらんだのだ。たくさんあるのだし見つからなければ問題はない。走行する列車から一つ二つ石を失敬することはできそうだった。また、荷の行く先は八幡浜駅の脇にあった工場だろうと思った。いまはないが鉄の精錬所だったのだろうか。当時、そこには石炭なんかが山と積まれ、何か化学的なものが作られているはずだった。その工場に忍び込んでも盗めそうだった。いま振り返れば、ずいぶんすさんだ少年だが、それぐらいの悪事はなんとも思っていなかった。

幸いなことに、その犯罪が実行に移されることはなかった。二度とその石を積んだ貨物列車に出会わなかったからである。私は何度も同じ形式の列車を見たが、どれも魅力のない石炭なんかを運んでいるだけだった。塀の隙間から盗み見した工場にも当の鉱石はなかった。

現在、放射性物質が話題になって、ふと、この「コバルト60」のことを思い出した。そしてあれは現実ではなかったらしいと疑っている。あんな美しい鉱石?が荷車に満載されて四国の片田舎に運ばれていくこと自体がどうにも非現実的だ。おそらく夢で見た光景を実体験と思い誤ったのだろう。あのころは美しい鉱石が大好きで、飽きることなく図鑑を眺めていた。それらの石は姿がよいだけでなく、記載されている性質も驚異のオンパレードだった。鉱物はまさしく錬金術の世界の住人だった。輝安鉱や方鉛鉱なんかは、いつかその鉱山に行ってこの手で掘り出そうと夢見たものだ。


2011.03.24(木)くもり もういちど半減期

さきほど報道ステーションを見ていると、放射性物質の半減期についての解説があった。毎度のことながら「ちがうな。また誤解に誤解を上塗りしたな。」と思った。とにかく半減期という単語がよくない。悪魔くんに限らず命名というのはしっかりしておかないと後々予期せぬ災厄をもたらすことになりかねないのだ。半減期と聞けば「放射線量が半分に減ずる時間」と読んで字のごとくに思ってしまう。それが常識というもので、テレビは毒舌も含めて常識的な発言しか許されないから、本人たちは違和感を感じているとしても常識的にそう説明するのだろう。その説明からは、放射能の毒性は半減期を過ぎれば半分になる、ということが自然に導かれ、ヨウ素131の半減期は8日だから、ちょっとの辛抱で安全になるかもしれないと帰結される。それが普通で、常識的な考えというものであり、しかも誤っていない。誤りがなくて世間に受け入れられる表現は好んで使用される。

半減期というものを完全に誤解していた私は、それじゃあダメだと不安になってしまう。この先ずっと放射線や原発と共に生きる我々は、放射能や放射線や半減期などの意味を個々人がしっかり把握しておくべきだと思う。少なくとも現状の説明法では「なんで決まった時間で放射線量が半減するの?」という初心者の疑問を解く鍵がない。そうした知識なしに、この先起きる放射線の一次二次三次被害に対し国民が主体的に対応できると思えない。

放射性物質の原子1個には天寿がある。その天寿は物質によって決まっている。確率的に生死が半々といえる時間が半減期だ。ヨウ素131の原子1個が生まれてから8日たっておれば、50%の確率で生きているといえる。ちなみに放射性物質の原子が死ぬときに放射線を出す。生きているときはいいやつだが、最後屁が恐いのだ。死んだ原子は別の原子として生まれ変わる。なかには輪廻をして別の放射性物質に生まれ変わるものもいるが、めでたく解脱して涅槃に入るものもいる。こう説明されると「半減期≒放射線量が半分に減ずる時間」ということを自分で導くことができる。

専門家の指導を受けたわけでもない素人考えとしてはこんなところだ。こう説明すると非常識であり、わからない。こんなことを言い始めるテレビはチャンネルを変えられるだろう。不謹慎だと抗議の電話が来るはずだ。ただ半減期を20年以上も誤解し続けた私にとっては報道ステーションをはじめ、すべてのテレビで聞いた説明よりもこっちのほうがしっくりくる。

蛇足であるが最近の市川寛子さんは魅力が半減したと感じている。いぜん天気予報を担当していたときは、10時35分ぐらいになると、こちらもテレビの前で身構えていた。スタジオでサブのキャスターとなったいまではそういう態度をとれない。こちらのトーンダウンが大きく反映した魅力半減だと思う。また、屋外からの中継という生々しいシチュエーションが彼女の魅力を高めていたかもしれない。ニュースを見る目的の大半は女子アナ見物というあわれなオヤジにとっては極めて残念なことだ。さらに蛇足であるが、市川さんは魅力半分でもトップを独走していることはいうまでもない。


2011.03.27(日)晴れ ヒキガエルが死んでいた

庭でヒキガエルが死んでいた。今年、やってきたのはこの一頭きりだった。ささやかな池の中で仲間を持ちくたびれて力尽きたのだろう。ヒキガエルにとって早春の産卵は命がけのビッグイベントだ。産卵を終えたばかりのものは半死半生で触ろうが蹴ろうが反応がない。毎年1、2頭は命を落としている。冬眠を一時的にやめて産卵するという彼らのやり方は私が考える限り理不尽だ。しかし、いつの頃からかそれを続けているのだから、きっと何かのっぴきならない理由があるのだろう。

ヒキガエルが成長して産卵にまでこぎ着けるのは難しい。こいつもこの住宅街で何年か生き続け何回かは産卵できたのかもしれない。できなかったとしてもヒキガエルのなかのスーパーエリートにはちがいない。いつものように、軽く埋葬しておく。すぐに虫が食うだろう。やつがさんざん食ってきたやつらの仲間がこんどは彼を食う。理にかなった死に方だ。私の体にはそうできる自由はない。死ねばすぐに水と二酸化炭素に分解されてしまうことだろう。

今日は半原1号で半原越へ。清川村のコンビニのあいすまんじゅうが復活していることに昨日気づいていた。あまりにも北風が冷たくて食う気にならなかったが、今日は買った。昨日にくらべて5つぐらいは減ってた。けっこうファンがいるらしい。いつもの棚田はずいぶん花が咲いている。オオイヌノフグリとかペンペン草とか田の草花なんて地味だ。それでも春の彩りにはじゅうぶん。向かいの山も萌えてきた。湘南の海岸線にくらべてかなり遅いが、こうなると進行は早い。

半原越は最近のやりかたでやってみることにしていた。心拍数を180bpm以下に押さえて70rpmぐらいを保って目標タイムをクリアーするというやつだ。ぜんぜんうまくいってない。そう簡単に上達するわけもないが、見える目標があることは大事だとおもう。ただし、区間4の6分30秒なんて私の素質で届くのかとだんだん疑心暗鬼になってきた。

ラップタイム目標km/hbpmrpm
区間14'33"4'33"+315.615480
区間29'50"5'17"+713.417271
区間314'57"5'07"-313.817569
区間421'29"6'32"+210.818166
全 体+913.2 - 1525

昨日は半原1号は修理中で半原2号で走った。半原2号はギアが重くて今のトライアルはきつく、はなっから楽をする気でいた。最も軽いギアで34×25Tでは半原越の3割ぐらいは回せない。60rpmぐらいに落ちてペダリングがぎくしゃくする感じがある。下は昨日の記録。

ラップタイム目標km/hbpmrpm
区間15'00"5'00"+3014.216183
区間210'30"5'30"+2012.917575
区間316'01"5'31"+2112.817575
区間422'58"6'57"+2710.217859
全 体+1'38"12.3 - 1653

半原1号が壊れたのはリムだ。リムはアラヤの RC-540 を手組しているから定期的に振れ取りをしなければならない。それが最近はどうやってもすぐに振れるようになり、振れ取りそのものも不能になってきた。ハトメも浮いてきている。あきらめて通販で新しい RC-540 を買った。ただし、アノダイズ処理のは製造中止で、一般自転車みたいな銀色アルミが安っぽい。昨夜届いて付け替えた。換装するときに、新旧2本をあわせてみると、5ミリも隙間ができた。古いのは横だけでそれぐらいゆがんでいたのだ。あれじゃあまっとうな車輪にはできない。 RC-540 は軽量なぶん弱いとみえる。10000kmは走ったから寿命だろう。

最近は手組リムがはやらない。完組というできあいのホイールばかりが出回っている。有力メーカーがリムもスポークも一括設計すれば軽くて高品質なものができる。それは確かだ。しかもチューブレスタイヤ仕様の完組ホイールもある。手組リムが弱くて重くなる最大の原因はあの32個もあいているスポークの穴だと思う。穴のいらないチューブレス仕様なら、きっといいホイールができるにちがいない。ロードの愛好者で、この先もずっと手組主体なんてのは変人だけになるだろう。


2011.03.28(月)晴れ 難解な国語の問題にぶつかる

蛍光灯が落とされて昼なお暗い京王線の車内。広告も少なくて自粛ムード満点だ。ぜんぜん春らしくない。唯一春らしいのがMAQUIAの吊り広告。最高にうまくいったときの福笑いみたいな綾瀬はるかがかわいらしい。綾瀬はるかの右手にあるのは日能研の中学入試問題からひいた広告。こいつにはときどき頭をひねらされる。今回はとりわけ難解だった。

それは国語の問題で
「じゃあ、退屈の色ってどんなの?」と『彼女』が『私』をからかった心境を解析せよ
というものだった。

小説の一部らしい短い文章から推察するに『彼女』はどうやら盲目で『私』は『彼女』のカレシのようである。少なくとも好意はよせている。『彼女』は盲人ゆえの特技で、耳から聞いた色の言葉をその場の触感や臭いとして解釈している。本来、色は目でしか見えないものだけど、発話が惹起する盲人なりの色感がある。目は光を受けることができなくても、脳は色を解釈できるのだ。

常人では色に関連付けられるのは文字通りの色である。色の言葉から派生する感覚や感情は盲人のほうが豊かかもしれない。常人にとって赤いスイートピーというと、そのままスイートピーの赤いの(私はそんな花は見たことがないが)に過ぎないが、ある盲人にとっては、赤いのは春色の汽車であったりタバコの臭いのシャツだったりする。レトリックでもなんでもなく通常の感覚としてそれがある。さらに、盲人の連想は色がないものの色彩におよぶ。春はいうまでもなく、汽車にだってタバコにだって退屈にだって色がありうる。問いは、色覚以外では親密な男女ゆえに交わされる盲人と常人の色彩感覚の齟齬を考察させるものだ。

これは私にとっては刺激的で面白い問題だ。言語の色と物理的な光の波長との関係、また色感と感覚の連関とは? 盲人にとって色とはなにか? というようなことを考えるのは人が人として生きる上で必須のことだ。しかしながら、問題になった小説らしきものの文体は、学生が英語を直訳したような感じの極めて灰汁が強いものだ。さような文章を引いて、色と言葉の意味合いや男女のかけひきの機微を問う問題が中学校の入試にふさわしいとは思えない。盲人とのつきあいや恋愛経験なしに妥当な回答をすることは不可能に思えるからだ。難解がコンセンサスだった慶大文学部の国語ならさもありなんと思う。

日能研の車内広告問題では算数ですら意図がわからぬものがある。理科・社会・国語では無意味で有害な問題もあった。そういう問題でも、振り分け目的で出題する中学校があってもよい。私立には校風というのもあるだろう。しかし、広告として適切かどうかが社会問題としてある。けったいな中学校があることは広告でわかる。京王線の車内はそのことを伝える場として不謹慎ではないのか。子どもが学習するに値しない愚問をあえて広告にする者の心は難解である。ただでさえ東京の電車はいらいらさせられる。いまは本数少ないし暗いし寒いし鼻水止まらない。おせじにも春色とはいえない電車に乗って、つまらぬことを考えてしまった。


2011.04.2(土)晴れ 二次方程式の解の公式が復活する

めったに読まない新聞記事で、こんどの指導要領改訂で中学校数学に二次方程式の解の公式が復活するとあった。現状ではあれを中学で教えていないということを知ってちょっと驚いた。ただ、思い起こせば高校受験のレベルでは二次方程式の解の公式を使ったことがなかった。大学受験の、数学というよりはパズルでは判別式を多用するから、解の公式をちゃんと勉強しておかないと点がとれない。

ところで、10年ほど前にふと思いついて、二次方程式の解の公式を導こうとした。ざっと過程をかんがえてみても、簡単そう。あれを習ったときにもそれほどややこしいことではなかったような記憶もあった。しかし、いざ始めてみると、これが意外に難しかった。中学生レベルの因数分解を使ってできないはずがない・・・とずいぶん苦労した。そして思いついた鍵は解が無理数になることだった。それさえ押さえて進めば簡単な道だ。

二次方程式の解の公式は、ものを考えるときは初期設定が大切という好例だ。初期設定を間違っているばっかりに、休みにも似た試行錯誤をくり返すことは少なくない。その意味では、社会に出てからも大いに役立つ公式であるといえよう。


2011.04.3(日)くもり イタ車でぶっとばす

早朝から冷たい北風が吹き低い雲が空を覆っている。雲底は波打ち、ところどころ毛羽立ち垂れ下がっている。空は冬の様相だ。今日は半原越に行くつもりだったが寒さに負けて境川へ。めったに目をやらない境川を見下ろすと浅瀬で大きな魚が背を見せている。数匹がからみあって波飛沫をあげしゃかりきに上流を目指しているようだ。とっさに、鮭だな、と思ったが3秒で反省した。境川にはめったに鮭はのぼってこない。しかも今は4月。北海道の秋みたいな空気で錯覚したらしい。

魚はコイだ。野生のものではなく放し飼いにされているものだ。ただし再補はしていないようで、誰が何の目的で境川でコイを放し飼いにするのかは知らない。家畜化されたコイとはいえ恋の季節には色めきだつのだろう。彼らはちょうどソメイヨシノが咲く頃に産卵期を迎える。境川では遅い桜がようやく咲き始めたところだ。

春だからというわけでもないが、境川だけをピストン運動していてもつまらないと、134号線に出かけていく。134号線は湘南の海岸線に沿ったでかい国道だ。箱根の駅伝競走にも使われ全関東的に知られている。鎌倉から小田原へ西行するときは交差点に煩わされない。信号機はT字路ばかりで行儀の悪い自転車は信号無視していく。そんなことをしても安全だ。

134号線にわざわざ行くのは、恥ずかしくて大きな声では言えないが、ぶっとばすのが気持ちいいからだ。湘南海岸を速度制限を無視してイタ車でぶっとばすなんてのは、文字面だけならそのへんのあんちゃんみたいだ。ただし、イタ車はイタリア製の自転車。速度制限は30km/h。自分ルールで134号線は路側帯の白線上を走ることにしている。舗装は極めてよいのだが、白線の上のほうがさらに滑らかでスピードに乗れる。さすがにいい大人として信号無視なんてことはしないが、信号無視までして勝負を挑んでくる自転車をからかって遊んだりする。自転車に乗ってると、いくつになっても子どもみたいなもんだ。境川でメスを追うコイたちの心境もそんなものか。昨日も100km今日も100km。いい大人として腹八分目で。


2011.04.6(水)晴れ 悲しい処分

相撲の八百長の処分は、個人に対しては極めて重く、組織にとっては極めて軽いものである。まあ、正気の沙汰とは思えない。若い相撲取りが相撲界にいられなくするのは、鳥籠のジュウシマツを野に放ち、金魚鉢のランチュウを川に放つに等しい。グルジアだかウクライナだの若者はどうしているのだ。おそらく彼らは、一般教養も乏しく職業教育も受けていないだろう。彼らの生まれ持った身体能力をもってすれば、勉強とか世渡りとか、そんなちまちました努力など不要だったはずだ。

処分された若者たちは、八百長をする以前に「八百長をした者は追放になる」というルールを示されていたのだろうか。もし、そのルールがあり承知の上で八百長を行ったのであれば追放もやむなしである。それがなかったのであれば処分は不当だ。

周知があったとして、それはいつのことなのだろうか? 今回処分された件はこの1年ぐらいの取り組みのはずだ。ならば、ちょうど1年前にお達しがあったのなら、それはそれで理解できる。ちょうど22か月の過去と思われるころの八百長は処分の対象外だ。

そのルールも周知もなかったとすれば、八百長は永久に遡って処分がなされなければならない。20年前も30年前もだめだ。半年前の取り組みで処分され、30年前の取り組みでは処分されないという根拠はない。さらに、30年前に八百長をやった者が未だに相撲界にのさばっているのならば、半年前に十両だった者よりも、より大きな利益を得ていることは疑いなく、より大いに八百長をやったという疑惑は濃いだろう。協会から給料をもらっているなら現役である。その者も追放にならなければおかしい。1年前に1人殺した犯人が死刑になるのなら、30年間で30人殺した犯人も死刑だ。それは済んだこと、で済まされるものではない。

筋を通して八百長問題を解決するというのなら、昔のことはお咎めなしとするしかなかったのだ。過去はもう消せない。メールや自白という証拠は涙を誘うぐらい哀れなものだ。単に悪知恵が足らない若者が無邪気で無防備な姿をさらけだしたに過ぎない。ひとまず、いまある証拠は単なるきっかけと割り切り、相撲界で飯を食っている者のうちで身に覚えのあるものは全員が白状することだ。八百長は一人ではできないし、ことの性質上、やらなかったものも必ず持ちかけられてはいるはずだ。役員クラスの大物数名が本気で白状すれば全容把握もたやすいだろう。過去の八百長を認め、次回からは一切やらない、やったら全経歴を抹消した上で永久追放というルールにするしかない。それが筋というものだ。八百長を根絶すると主張するならば。

ところで、心底から八百長問題を解決したいのは誰だ。そんな者がいるのか。力勝負をしたい相撲取りはいるだろう。でもそういうやつは「腐りたいやつは腐れ、わしの知ったことか」ぐらいの気概ではないのか。関係者一同がその場しのぎの建前発言を繰り返すばかりだから、建前がぐるっと回って全員を緊縛しているだけではないのか。協会も文科省も売り言葉に買い言葉のけんかで気がついたら全員が崖っぷちにたってるというだけのことではないのか。けっこう頻繁に見る悪夢の一種だ。

いまの状況は食感も喉ごしも後味も悪すぎる。私は八百長こみで相撲をおもしろがり、ときに手に汗握り、ときに笑いものにもしてきた。そんなことだから、トカゲの尻尾になった若者いじめに加担したような嫌な気分にさせられている。もはや心底から相撲に嫌悪を覚える。


2011.04.8(金)晴れ 孤独な被害者

いま人生の岐路に立ってるんですよ。これを決めてバーデーなら優勝、はずしたらプレーオフ。おれ、もう40歳。人生最初でたぶん最後のビッグチャンス。ちょっとビビってます。

いちおうトーナメントプロってのを20年ほどやってきたんで、ゴルフはうまいほうなんだけど、まあ、一言でいって並だったんだよね。メジャーに手がとどくのなんてはじめて。イイトコまでいっても決めきれなかったり。こんくらいのパットはずしてずるずる崩れたことも、ああ、けっこうありましたね。今の成績じゃレッスンプロでも2流だよ。だけど、とうとうチャンスをつかんだんだ。今回は絶好調なんですよ。ツキもありました。強いのが軒並みさがって、今朝だって2位に5打差つけてトップだったんだから。ああ、それなのに、なんでこんなことになっちまったんだ。

コレはずしたらホントまずいよ。プレーオフの相手が悪い。よりによってあいつだよ。天才っているんでね。石川くんが。佳純ちゃんじゃないよ、遼くん。あいつが、もうあがってんだけど。なんせ最終日に猛チャージ。9アンダーのコースレコードで圏外から一気に首位ですよ。このコースで63なんてありえねぇ。ずうっとギャラリー大騒ぎ。ねばるオジさん、オレ、ずっと引き立て役。こういうゴルフになっちまうってのは、もってるんだね、あいつは。わかりますよ。オレなんかよりも、遼くんに勝ってほしいんでしょ、世間も。これがアウェーってやつですか。

やりにくいよね。やつは今年の賞金全部寄付するって言ってるし。いまごろテレビはどんなこと言ってるかね。オレだってね、寄付ぐらいしましたよ。泡沫プロが100万ぐらい寄付したってテレビが来るわけでもなし。そんなこと世間じゃだれもしりゃしない。盛岡出身だけど、小学校は大船渡にいってて、友だちも被災したし。ここでオレが負けりゃ、その分寄付が増えるってことかな。勝てれば2000万ぐらい惜しくないんだけど、いまさら寄付しますなんていえないよね。もしかして、いっそ負けたほうがみんなのためになったりして。はぁ。

クラブ1本ぐらいのこの距離がはずしごろなんだよ。ただでさえ痺れるとこに、なんでこんなよけいなこと考えなきゃなんないんだ。いや、遼くんはいいやつだよ。悪気があって言ったんじゃない。ええわかってます。オレだってプロだ、あいつの力量もわかってますよ。あいつにとっちゃ、こんぐらいのは数あるなかの1賞かもしれんけど、オレには先がないんだよ。一個ぐらい国内メジャー取ってもバチ当たらんよな。賞金寄付なんて、なんで、やる前に言ってくれたかねえ。せめてシーズン終わってからにして欲しかったなあ。


2011.04.10(日)晴れ 停電対応テレビの提案

まるで発泡スチロール製の模型ででもあるかのように、船も家も自動車も巨大な石油タンクですらもやすやす流されていく。そんな場面を目にしても人的な被害は多くないだろうと思っていた。

地震のときには東京の建物にいた。振幅の大きな揺れが長く続いた。ボルト留めしていないテレビや棚がばたばたと倒れる。NHKはすぐに地震モードに切り替わった。最初、震源を関東だと言っていたようなおぼろげな記憶がある。あったとしても1分もすれば震源は東北の太平洋になっていたと思う。大津波警報がすみやかに出されNHKのアナウンサーは海から離れろと絶叫している。画面は仙台や石巻などに設置されているリモコンカメラのものを写している。東北太平洋の地震で東京が長時間大きく揺れたのだから、どう考えても巨大地震だと思った。津波の高さは4mほどと予告され予想到達時間も放送された。

地震の被害はテレビでわかるほどではない。仙台も倒壊した建物は写っていない。窓の外では東京湾の方面で火災が発生し黒煙が上がっている。アナウンサーは津波が来るから避難しろと叫んでいるもののテレビ画面の石巻や気仙沼は平穏だ。港の海面は全く波打っていない。地震発生から最初の予想到達時間までは20分ぐらいだったろうか。それを過ぎても宮城、岩手の海岸線に津波は来ていなかった。

ほどなくして、テレビは津波が港町を飲み込む様子を中継しはじめる。学生時代によく遊んだ仙台郊外の家田畑が無惨になぎ払われて行く。その様子から三陸海岸がどうなっているかは容易に想像できた。それでも私は人的被害は小さいと思っていた。三陸の港町は津波をよく知っている。世界で最も津波対策のできている地域だ。発生から津波の到達までに時間があったから、住民はじゅうぶん避難する時間があったはずだ。どの町でも日頃から津波の訓練をしており、全住民が地震発生と同時に高台やビルに登っているはずだった。

今回、警鐘という意味でのテレビの役割はとても大きかったと思う。東京、神奈川では緊急地震速報が効いた。外した速報も多かったが、2つ3つ当たったものでずいぶん助かった。

テレビが震災の被害低減に役立つことは実証された。しかし、それも電気あってのものだねだ。東北の沿岸は停電してたろう。肝心なところでテレビが役に立たなかった。ここは一つ停電しても写り続けるテレビを開発すべきだ。簡単なことだ。自動的にバッテリー駆動に切り替わればよい。いまは高性能な電池がつくられている。停電後1時間耐えればじゅうぶんだろう。停電で廃炉になった原発の教訓を生かそう。テレビは地デジの電波が空から降っているから電気さえあれば写る。一般テレビもワンセグ対応にしたほうがよいかもしれない。夜なら補助明かりにもなるぞ。

「自分にできることをしよう」ってのが全国的なトレンドである。私には金がなくて寄付ができない。私には権力がなくて自衛隊もゼネコンも動かせない。日頃から節電している。買い占めない。店の水なんか買ったことすらない。できれば放射能汚染された物を買って食べたいが、近所に売ってない。こんな私にできることといえばバッテリーテレビの思いつきを総務省に提案することぐらいだ。


2011.04.13(水)晴れ 五十京五百京

五十歩を以て百歩を笑はば、則ち何如・・・・という故事にならえば、五十京ベクレルを以て五百京ベクレルを笑はば、則ち何如・・・ということになろう。われわれはソ連を笑うことはできなくなった。そして世界の笑いものへの道を突き進んでいる。

しかしながら、一歩のあゆみをとめて考えてみよう。現実には五十歩が百歩を笑うべき状況が多い。放射線源からは五十歩離れるよりも百歩離れるほうが被曝量はずっと少なくなる。線量は、旧式な表現でいえば、等比級数的に減少するからだ。一歩でも二歩でも逃げたほうがよい。これは百歩が五十歩を笑う場合。

半原越では、もし「15分を以て20分を笑はば、則ち何如?」と問われたら、そりゃあ笑われてもしょうがないでしょう、とこたえなければならない。20分はフツーのおじさんである私のベストタイム。15分で走れるAさんはその辺の草レースなら優勝争いができるレベルだ。レベル7のカンチェラーラからみれば、私もAさんもレベル1の五十歩百歩、どんぐりの背比べにすぎない。だけどやっぱり、スダジイにはマテバシイは大きく見える。15分で走れる人は私からみればバケモノで、いっしょに走ればこっちが先に笑うしかなくなるかもしれない。

では逆に、20分の私が30分のBさんを笑うかというと、決してそのようなことはない。Bさんの力はただちに影響があるレベルではないにしても、明日は神のみぞ知ることだ。Bさんが並みの男で、ちゃんと練習すれば、半年後には私に勝てるはずだ。この低レベルまで落ち着いて正真正銘の五十歩百歩といえる。もののたとえも使いようだ。


2011.04.15(金)晴れ 老いる

老いるといっても油のことではない。といってもなんのことやらとぽかんとする以外にリアクションの方法がない。そういうボケをかますのも老いの特徴であるが、そんな表面的な事象よりも、もっと根本的に老いを感じている。この世界に夢も希望もなくなっているからだ。

もう10年ばかり、私が目にしている光景はまるで荒地だ。毎日神奈川から東京に通勤しまっとうに仕事をしてまっとうに給料を得てまっとうに社会生活を営んでいるおやじであるから、表面的に目に映っているのは町田の市街であったり、オフィスであったり、幸せそうな家庭であったりする。半径10mぐらいの生活に関わる範囲は意味をもっている。それは現実として対処すべき相手だ。ただし、その外に広がっているのは不毛の荒野である。そこから私は何も拾い出せない。取りに行こうという気にならない。

45年ほど前に、私がこの世界をはじめて意識したとき、世界は半径1kmほどしかなかった。その中で全人類が生活していた。外は未開の荒野で、杉や樫の森林が果てしなく広がり珍しい鳥や獣が自由気ままに生きていた。そこは私にとってのフロンティア、冒険と新発見のめくるめく世界にやがては飛び込んで行くだろうと想像していた。

発作的に、目に見える丘の頂上に立つことからはじめて、めったなことでは行けない場所にも足を運んできた。それはそれで愉快な体験だった。新しい山道を歩き、新しい集落を見、新しい人に会うだけで心は躍った。当然のように行動圏を拡大し、地球上の様々な所、人の心の様々な所、半径2万kmほどの物と心の世界を見てきた。

さまざまな生物種の中には若いときに憑かれたように新天地をめざすものが多い。彼らを動かすものと同じ情熱にかられて地球の反対側、心の裏側にまで旅をしてきた。いまそれらの記憶は他人事のように私の中にしまいこまれ、放置されている。けっして抗うことのできないこの心根を老いると言わずしてなんであろうか。人は生きれば老いる。意地を張って自転車のタイムを年々更新し続けていても老いる。向上心を持って卓球の技をマスターし続けても老いる。あの晴美ですら老いて寂聴になった。チョウチョウが脱皮したら、驚くなかれ、サナギになったようなものだ。あれは悟ったなんてものではない。ふつうに女が老いたのだ。


2011.04.16(土)晴れ 茶番

私はテレビで東京電力の記者会見を目にするたびに悲しい気分になっている。あれはたちの悪い茶番に見えてしまうからだ。記者会見というのは、新聞テレビが横並びで一時に情報を得るためやむなく開かれるはずのものである。歌番組のリハーサルみたいなもので、本来はわれわれが目にするものではない。今回のものは原発の事故であり専門家の説明を素人が聞いて理解できるものではない。私はけっこう頭がよいので、記者会見の内容も理解できるし、記者たちがまとめたテレビニュースや記事などを見て、さすがにプロはうまく説明するもんだと感心したりしている。個人的にはそれなりに楽しんではいるのだが、会見を中継することの是非はまた別問題として考えなければならない。

茶番といえば、ほとんど永久機関といえるエンジン「ノストラダムス2」の記者会見があった。機関は中松氏の発明であり、スポンサーであるアントニオ猪木氏が会場に立ち会っていた。当然のことながら、水だけで動くというその機械はうんともすんともいわずぴくりとも動かず、猪木氏のひきつった笑顔が印象的だった。最近では猪木氏は「デマにまどわされるなよ」とACの広告で言っているぐらいだから、そうとう嫌な思いをしたのだろう。その次には「頭が真っ白になりました」という名台詞で一世を風靡した船場吉兆があった。

その手の茶番は晒し者として中継もありだ。しかし、原発の事故は中継が社会不安をあおる恐れがある。会見で発表される内容が正しく伝わった結果で民衆が不安になったりパニックが起きるのは仕方がない。しかし、会見の中継で表現され伝わるものは内容だけではない。発表者の言い間違い、言いよどみ、資料の不備、自信なげな姿・・・負のニュアンスがことごとく伝わってしまう。地下の水位のあがりさがりだとか、どうでもよさそうなことをくどくど言ってるだけで相当うさんくさい。

私が見る限りでは、それらマイナス要素は、東電の怠慢や隠蔽が原因ではないと思う。原子炉は白日の下にあり、周囲は何百という計測器が稼働している。逃げも隠れもできる状況ではない。東電としてもデータを得るのが難しく、そのデータを解析するのはさらに難しく、それを素人である記者陣にそつなく説明することも簡単ではないのだ。説明責任(嫌なことばだ)を果たしていないといえばそうだが、たんに説明力がないのだ。

テレビはおどおどした人をありありと写してしまう。対面するよりもテレビ画面のアップのほうが、どういうわけか人の心が読めるような気がする。そうした錯覚も考慮するならば、よけい記者会見は大衆に見せるべきものではない。記者にも、武士の情けというかプロの矜持があるだろう。船場吉兆やミートホープなんかとちがって原発事故の記者会見を茶番にしてはいけない。船場吉兆はグルメなお金持ちだけが当事者だったが、原発事故は視聴者全員が当事者なのだ。東電の説明力のなさは補って記事にすべきである。会見の質問に対して「それはデータがありません」「現時点で不明です」という回答があって、それが嘘ではないという確信があれば、その質問と回答は放送にならず紙面にのらないはずである。そのへんの呼吸や駆け引きを知らない大衆に、そのやりとりを見せるのはちとやばくねと感じている。「そんなことも知らないの・・・」と、余分な不信感をもたせてしまうから。


2011.04.22(金)くもり 風評人気

この世の中に根も葉もない風評による被害が起きるのならば、逆に根も葉もない好評だってあるはずだ。私がそのことを強く意識したのは、35年ほど前、キャンディーズの絶頂期である。キャンディーズというのは女子3人組のボーカルで、同じく2人組のピンクレディーとで国民の人気を二分していた。キャンディーズの支持層は若い男の子であり、ピンクレディーのほうはお色気とダンスの面白みから、より広くおじさんや少女にも受けていたという記憶がある。私は当時若い男の子であったが、キャンディーズはさっぱりだった。もうなにがなんやらわけわかめ状態である。

いうまでもなく女性タレントは大好きだった。ヌードモデルの関根恵子はもうどうしましょうというぐらい美しかった。ピンキーとキラーズの今陽子は小学生が勃起するほど女の色気をぷんぷんさせていた。都はるみは怪物のように歌がうまかった。太田裕美の声は体がとろけそうだった。その他にも魅惑的なタレントはいっぱいいた。

キャンデーズにはこれっぽっちも魅力を感じなかった。声も歌も平凡。顔もとくだん美人ではない。体も色っぽいとはいえない。たいして動かない。ドリフとやってるコントも気が利いたものではなかった。私と世間の評価には大きなギャップがあった。

ようやく私はキャンディーズの人気を根拠のないものだと結論した。風評人気というのもよくあることだ。他ならぬ私がその渦中にいたこともあった。一時期ひょんなことから学校の人気者になった。校庭を歩けば窓に鈴なりになった女の子が手を振り振り声援を送るというありさまだ。高校生の私はそれなりにかわいくスポーツもできたが、そこまで騒がれるはずはなかった。私の人気放射線なんてものは、せいぜい郷ひろみの1000万分の1ベクレル程度で、ただちに女の子に影響が出るレベルではないという自覚はあったのだ。

キャンデーズの人気が無根拠と気づいてからは、ありとあらゆる高評価を疑う癖がついた。たとえば、田中康夫や村上龍は1ページ読めばその先に進む価値がないことが明らかだった。村上春樹は念のために3回読んだものの小物感は否めず、その人気は風評によると結論するしかなかった。宮本輝や大江健三郎は巨人だと思った。

いまだにキャンデーズのパロディーがテレビCMになっていたりする。55歳ぐらいのおじさんが昔を引きずっているのだろう。そこに私は思い込むことの空恐ろしさを見る。今日はワイドショーやニュースで古いビデオがさかんに流れている。やっぱりたいしたことなかったんだなと再確認した。


2011.04.29(金)晴れ 1か月ぶりに半原越

ガード

なんと驚いたことに1か月ぶりの半原越だ。庭の野生イチゴ2種の実はすでにふくらみタネツケバナは種を飛ばす季節だ。とうぜんのことながら清川村の花はしおれた花びらすら見あたらず、裏山の広葉樹は青々としている。唯一白いヤマザクラが春のなごりをとどめている。水を引き入れる準備が整った田んぼを見つめていると、なんだか大損をこいた気がしてしまった。

足元の草にははじめてみる黒いコガネムシがたかって盛んに交尾なんかをしている。シュレーゲルアオガエルがかすかに鳴き、ウスバシロチョウが飛ぶ。高く伸びたギシギシの花もつぶつぶにふくらんだカラスノエンドウも夏の訪れを告げている。夏が来るんだからまあいいかと慰めつつも、年寄りらしく来年の春を迎えられるかどうかちょっと不安になる。

半原越に入ってみると、この美しい道を元気に走れることに感謝の気持ちがわいてきた。今日は少し力を入れて軽いギアを早く回して走ってみようと思った。

ラップタイム目標km/hbpmrpm
区間14'28"4'28"-215.916378
区間29'35"5'07"-313.818177
区間314'40"5'05"-513.918277
区間421'04"6'24"-611.118776
全 体-1613.4 - 1643

心拍数は高いが脚は楽だ。目標タイムを少し下回りケイデンスも一定だ。これぐらいの回転数と速度であと1時間走れればいっぱしなのだ。そのためには心拍数をあと10拍下げなければならない。

今日も金目川沿いに海の方に降りて、神奈川中央正方形コースを行く。134号線はいつも追い風だ。35km/hで巡航する。引地川をのぼって1号線を通って境川へ。湘南から帰ってくるのはこのルートが正解。境川はあいかわらず人が多い。自転車は年々多くなる。へたくそも増えているが、それはしょうがない。そのぶん散歩のお年寄りが減ってる気がするが気のせいか。先日、荒サイに遠征し、あの広さがうらやましかった。

境川には、道路の下をくぐったさきがレンゲの花畑になっている場所(写真)がある。その四角いトンネルの先にある明るいレンゲ畑はちょっといい絵になると思えたが、携帯電話ではちょっと力不足。100mmぐらいの望遠レンズと露出を設定できるカメラが必要だ。


2011.04.30(土)晴れ 神降臨

今日はチネリを持ち出して境川へ。目的地は境川ではなく134号線。4月はずっと嫌な目にあってきた。とはいえ嫌な目が給料だ。その給料を使って昼飯を買って自転車を走らせることができる。嫌な目の腹いせに湘南海岸をぶっとばし、ちょっと気分を回復して金儲けにもどる作戦だ。

境川の川縁を走っていると脚に違和感。故障ではなく、左足がうまく回っていない感じ。クリートがずれているような感覚。じつはこの感じは今までに幾度もあった。単にいいペダリングができていないだけだ。気をつけて2時間も走っていればとれることが多い。

予定通り湘南海岸の134号線に出る。松波と書かれてある信号機に海のちか道という地下道がある三叉路がスタートラインだ。いつも小田原方面、西へ向かう。反対の江ノ島方面はごちゃごちゃしておっかない。昨日と同じように 35km/h ほどで走る。チネリは力がうまく伝わりまっすぐ進むのが最大のうりで 35km/h からでも力をかければ無理なく加速していく。ただし、力をかけることには身体的に無理があって高速では走れない。相模川にかかるところで予想通りの渋滞。渋滞もめんどくさいから、相模川の手前の歩道橋にのぼって134号線を横断して引き返す。ずっと無風だと思って走ってきたのだが、引き返すとやや追い風になった。風は西よりだったようだ。

片瀬江ノ島駅前のコンビニでおにぎりを買って海辺で食べる。江ノ島付近は人がやたらと多いが、何をしに来ているのかは正直わからない。海水浴客は多い。まだ寒いのだが、彼らは一様にアワビを捕る海女のような服を着ているから寒さは感じないのだろう。昼頃には風が強くなってきた。巻き上げられた海岸の砂が脚に当たって痛い。

そうこうしているうちに湘南海岸が砂塵嵐の様相を呈してきた。134号線を何往復かしてみるつもりだったが、とても自転車に乗れるような状態ではなくなった。海からの風は防風林を抜けて容赦なく吹きつけてくる。風はともかく砂と埃がつらい。目が痛い。口の中がざらざらだ。たまらず海岸線を離れて境川に帰る。

境川でも南風は強く、追い風だとこがなくても走っていくほど。向かい風だと25km/h がやっとという感じ。向かい風では切れ目のないペダリングが克服の秘訣だ。いつの間にか最初の違和感は消えている。力を入れつつ 85rpm ぐらいで脚をスムーズに回すことを意識していると、上半身と下半身がぴったり連動する感覚があった。何百万回とまじめにペダルを回したが、あんなにいい感じなのははじめてだった。自転車の神様が降臨して肩胛骨から脇腹をそっとなでていったのだろう。わずか30秒ほどでしかなかったその感触を取り戻そうといろいろやってみたが、今日はそれっきりだった。


2011.05.1(日)くもりのち雨 夢の話はつまらないか

他人の夢の話ほどつまらないものはないと言われるが、それは正しくはない。正確にいうならば、夢の話をしている人がつまらないのだ。ここで、つまらない人という場合、それは表現力のない人という意味だ。もとより、おもしろがらせたいだけなら表現力は不要だ。つまらない人のブログがウケているのは、誰もが知っていることを誰もが考えているように誰もがやっている方法で書いているからだ。そこには表現がなく発見もなくて共感だけがある。

誰も知らない何かを表現するのは極めて難しいことだ。テクニック一つにも才能と努力が必要だ。たとえば真円はだれでも見たことがあり、だれもが想像できるけれど、それを紙の上に鉛筆の軌跡として表現するのは極めて難しい。何か目にしたものを文章として表現するのは円を描くのと同じくらい難しい。考えていること、思いついたことを文章にすることはいっそう難しい。紙に描いた円がゆがんでいることを見抜くことはたやすいが、自分が考えたように文章にできていないことを見抜くのは難しい。過ちに気づかないものは修正のしようがなく上達もない。書く意思があっても書きたいように書けるわけではないのだ。

SF小説というジャンルは誰も見たことがない宇宙や未来の世界が舞台となる。見たことのない生物や機械のオンパレードだ。それがどういう姿、形をしているのかは作者の表現力にかかる。いろいろ想像をふくらませた怪物や宇宙船の挿絵はめったに想像通りのことがない。「なるほどこういうものだったか、一本とられたな」と感じることもあるが、「こうでなくてもかまわないよな」と自分の想像の方に軍配を上げることも少なくない。同床異夢でもかまわない。問われるのは、その物語がどこまで想像させてくれるかだ。上質のサイエンスやファンタジーが書ける人の夢の話はきっと面白いと思う。

世間の評価とは反対に、私は黒沢という人をルーカスやスピルバーグ程度の凡庸な映画監督だと思っていた。それが八月の狂詩曲を見て一変した。あの作品で展開されている薄っぺらくとってつけた光景は、夢のリアリティーを見事に表現したものだった。実写にしろCGにしろ私にはあの映像表現は五百生を重ねてもできない。

いまは本物の夢や人間を表現する必要がない時代だ。小説や詩が共感だけで成功をおさめられる時代になった。ウケのよいモチーフをウケの良いフレーズと単語で飾って並べておけば売れる。というよりも、そうしなければ商業的な成功がありえない。思いもよらぬものを読み取り味わうためにはそれなりの能力を要するのだ。もしかしたらルーカスも本性を現していないだけで、夢を語らせればすごいのかもしれないが。


2011.05.3(火)くもりのち雨 雨のサイクリングロード

ガード2

7時頃に朝飯を食ってジロの再放送を見ていたら眠くなった。自転車競走のビデオは入眠効果があるらしい。反射的に布団に入って次に気がついたときは11時近くになっていた。これはいかん、と急いで着替えて半原2号で境川サイクリングロードへ。

今日はスタートからいい感じ。半原2号ではペダリングの違和感がめったにない。初心者に優しい柔らかいカーボン車だからだろうか。ちょっとした追い風の中を境川に沿ってまずは白旗まで。レンゲ畑の先のガードを通る。今日はおあつらえ向きにどんよりした曇り空。振り返って、これならレンゲが写るぞ、と自転車を止めて携帯電話を取り出す。ピンクの色が出ると自転車でこのトンネルをくぐるときのわくわくがちょっとだけ写真になる。それにしても脇の白い鉄柵は下品だ。この柵が延々と30kmにもわたって切れ目なく続いているなんて、狂気以外のなにものでもないと思うのだが。

スリーエフ白旗店にはあいすまんじゅうがない。それにもかかわらず入り浸っているのは売り子のおじょうさんがかわいいから。コーラとアイスモナカで一休み。1号線に登って引地川に降りて134号線へ。松波の三叉路から西進。風はほぼ無風で時速35kmをキープして走る。50×18Tで100rpmなら35km/hになる。このぐらいが自転車に乗っていて一番爽快感がある。134号線は連休だからといって特に車が多いわけではない。ただし、今日も相模川あたりで渋滞しており、敬遠して引き返す。134号線は海岸の道で東進する場合は信号にかかりやすくなる。運良く全信号に引っかからないタイミングってあるのだろうかとばかなことを考えた。

来た道をそのまま引き返して境川へ。スリーエフ白旗店によってポンジュースを買う。かわいいおじょうさんがいなくてもやっぱりスリーエフ白旗店を使う。そういえば境川沿線であいすまんじゅうを売っている店を知らない。境川を往復してちょうど100kmほどのところで雨が本降りになってきた。休日になると老人と自転車でごったがえす境川が貸し切り状態だ。自転車の神様の教えを呼び戻そうと一心にペダルを踏む。脇の下から脇腹にかけて力がぐっと入って膝の先からすぅっと抜けて行く感じ。あれが連続してできれば自転車マスターだ。

水たまりを越えると一拍おいて後輪が跳ねあげた雨水が背中にかかる。ポケットの中の携帯電話は防水だし1000円札はさっきスリーエフでエディチャージしておいた。雨中を走る私に死角はない。最近は天気予報が発達して、雨が降り始める前から潮が引くように人がいなくなる。日本人の雨嫌いは米ソの核爆弾実験による被爆の恐怖がきっかけなのだろうか。自転車だって散歩だって体が冷えない程度なら雨中も気持ちがいい。インドネシアの人はジャランジャランという散歩が大好きで、雨の中でも人里離れた山中を子どもたちが楽しそうに歩いている。いまの日本ではまず見られない光景だ。


2011.05.4(水)晴れ どうする腰痛

いつもの棚田脇から見る向かいの山は緑一色になった。前回にはずいぶん咲いていたヤマザクラはすっかり消えて緑の中に埋没した。もうどれがサクラなのか全くわからない。唯一、薄紫の彩りがあるのはフジだろうか、キリかもしれない。今日は半原2号でやってきた。半原越だけでなくヤビツなどこの辺の山道を巡ってみる気でいる。

半原越に入っても調子が上がらない。それなりにすいすい進んでいるけれど、心拍数が上がっていない。速度計は忠実に15km/hあたりを表示している。いつもより3km/hほど小さい。これでいいとは思えない。半原越は勝負の場なのだから、もうちょっとがんばらないとダメだとふんばった。区間4で腰に痛みが来た。半原2号の最小ギアである34×25Tでは重すぎて10%ほどの斜度に太刀打ちできず座り立ちこぎを使ってしまったのだ。重いギアを無理に踏むとたちどころに腰に来る。この痛みが出ると登坂どころの騒ぎではなくなる。

ラップタイム目標km/hbpmrpm
区間15'04"5'04"+3414.014675
区間210'42"5'38"+2812.616370
区間316'11"5'29"+1912.916372
区間423'00"6'49"+1910.417161
全 体+1'40"12.3 - -1610

半原越では力を出せない分余裕が残っている。ひさびさにヤビツに登ることを決心した。いったん伊勢原の方に降りて、浅間山林道へ。じつは浅間山林道は入り口に着くまでが難所だ。清水屋の駐車場までにいくつかきつい坂がある。そこでまた腰に痛みが来た。いくじなしになった、もうやってられないという気持ちになった。引き返そうとして思い直した。今の私が最もやらなければならないのは、この腰の痛みが来る直前の最大出力を出す練習のはずだ。この痛みの元は故障でもフォームでもなく力の配分のミスだと分かっている。上半身を使うと、とりわけ腕でハンドルを引っ張ると腰が痛くなるのだ。だったら、浅間山林道とヤビツを腰が痛くならないような方法で乗り切ってみようではないか。がぜん攻撃的な気分になってきた。スピードは遅いけど。

浅間山林道は入り口のがたがたの部分がきつい。そこは無理せず守備的な立ちこぎで。立ちこぎでも腕を引くと腰が痛くなることが分かっている。昔、体力測定でやった背筋のような運動がダメなのだ。浅間山林道は勾配が緩いからなんとか乗り切った。ちょっと下るとヤビツ峠の蓑毛バス停にでる。缶コーヒーと清川で買った大福で休憩していると自転車が次々に登っていく。さすがトレーニングと力試しのメッカだけのことはある。

今日はトレーニングでも力試しでもない。研究のためのヤビツだ。上半身で引かないように力を加えるには、太ももでこねくり回すようにペダルで円を描くのがよい。押しつけるだけではだめで積極的に引き足も使う。やり過ぎると太ももの裏が攣ってたいへんなことになる。引き足も休み休みだ。とにもかくにも、腰に負担がかからないやり方をいろいろやってみる。どれぐらいまでなら腕で引っ張れるのか。速度は12km/h ぐらいしか出ていない。去年の夏、このコースを平均時速15kmで駆け抜けたことが信じられない。もっともあのときも腰がいたかった。なんとか腰をかばってヤビツの頂上へ。遅いけど楽だった。いままでで一番楽してしまった。重いギアだとどうしても腰に来るから、長いコースを乗り切るのは難しい。軽いギアをぶん回す練習をするしかないというのが結論だ。

名古木に降りて246を渡り海の方に向かう。62号線を使っていつもの134号線に出る計画だ。平地になると妙に元気が出てきた。なんだかいつもより走れる感じがする。金目川河口の花水川橋あたりでちょうど100km。例によって134号線を35km巡航。なぜか楽々。たぶん追い風なんだろう。


2011.05.5(木)くもりのち晴れ 三浦湘南LSD

昨日は山3発130kmやったから今日は平坦で行こうと思った。女房のおかゆを食ってメダカにエサをやって雑ゴケ畑にかぶった雑草を抜いて9時にスタート。まずは三浦半島に行こうと決めている。いつものコースで境川から1号線、引地川を下って湘南へ。134号線に出たところで今日は左折。いつものことながら三浦半島には車が多い。半島の先の方までいっても車列がとぎれない。その車が何をしているのかがさっぱり分からないのが悔しい。やつらの目的とは? 三浦半島の先端の城ヶ島で昼飯。途中のコンビニで2個入りのおにぎりセットというのを買ってきた。造船所や風車を眺めながらおにぎりを食べ、家から持ってきた水道水を飲む。

三浦1

自動車の多さと道の悪さにぶつくさ文句を言いつつも三浦に来るのは、先端付近の景色がすばらしいからだ。狭いながらも神奈川離れした爽快感がある。そしてこのキャベツ畑あたりは信じられないほど車がいない。完全な農道状態だ。調べていないけれど、この辺は海が比較的速やかに隆起してできたものではないかと思う。平坦な海底が盛り上がり、谷が刻まれた。その谷筋がけっこう手つかずに残されいるようで照葉樹の新緑が美しい。温暖な海岸線の植生を見るといつも胸の高まりを覚えるのだ。

三浦2

三浦半島の先の方を2周ぐらい走って(迷って)久里浜方面へ。ハマヒルガオらしき花の群落を見つけて記念撮影。けっこうな規模の砂浜だが自然のものだろうか? ワイキキみたいな人工物だったらやだなと思う。対岸に房総半島が見える。すぐ近くだ。

久里浜や横須賀あたりを走るのはつらそうで、途中から西進して逗子に。逗子ではなぜか道に迷ってアリーナなんかに出てしまう。迷いついでに細い道をたどって鎌倉へ。大仏の近くなんかはものすごい人出だった。やっぱり鎌倉はただの住宅地じゃなくて観光地なんだと再認識した。


三浦3

鎌倉や江ノ島は私の遊び場ではない。134号線に出て、いつものコースをひたすら西へ。35km/h巡航。ちょっとこれが癖になっている。終点は相模川の河口。何度見ても殺伐とした風景だ。相模川で引き返し引地川、境川を経て帰宅。170km、7時間のLSDだ。筋肉の痛いところもなく息があがるときもなかった。心拍数でいうと全般で160bpm以下におさまっている。いつもより早めに家を出て、たくさん乗ったのはいのだけれど、力いっぱいのアタックがないとちょっと不満が残る。こういう感じのサイクリングなら200km走ってもきっと楽勝だ。1日200kmは偉業のように思っていたけど、あえてトライする値打ちはなさそうだ。


2011.05.7(土)雨 雨で半原越

半原越

雨が降って気温が高く半原越日より。半原2号で出かけていく。そろそろ美登里園パスも開通しているかと、荻野川を行く。田んぼは代掻きがはじまり水が張られている。こうなるとカエルどもが騒ぎはじめる。ほうぼうからシュレーゲルアオガエルのころころした声が聞こえる。いい感じじゃないかと走っていると後輪に違和感。慣れ親しんだいやんな感じはパンクだ。晴れた日には子どもらがドッジボールの練習なんかをしているグラウンドに降りてチューブの交換。雨で泥や砂がくっつくタイヤやチューブを扱うのはちょっとめんどうだ。雨はいいんだけどパンクの確率が大きくなるのがやっかいだ。小型のポンプで空気を入れるのがしんどい。5気圧ぐらいで妥協することにした。

いつもの草むらは素通り。パンク修理で少しからだが冷えたから。こんな日にコーラでもないだろう。半原越は雨の景色を楽しむことを第一にした。フォームは腰が痛くならないように注意して。息も切れず、脚にも負荷がかからず。心拍は最大でも170bpmを越えない程度。道ばたのコケは緑鮮やか、センダイムシクイが鳴いてる。やっぱり雨の半原越は最高だぜ、と走っていると南端コーナーで鹿。いつもの調子で目を見開いてこっちをにらんでいる。雨のときには水汲みや登山の人が入らずひとけがなくなり野生動物がうろつくことが多い。半原越一帯は鳥獣保護区だ。

ラップタイム目標km/hbpmrpm
区間15'30"5'30"+6012.914663
区間211'25"5'55"+3512.015764
区間317'22"5'57"+3711.915764
区間424'17"6'55"+2510.216860
全 体+2'37"11.7 - -1700

帰宅して、半原2号をじゃぶじゃぶと水洗いして、パンク修理。食べさしのスイカの皮のような形をした微細な金属片がチューブに刺さっていた。なぜかタイヤは貫通して穴だけがあいている。金属片やガラスはタイヤに刺さったままになることが多く注意が必要なのだ。自転車を洗って風呂に入った。


2011.05.9(月)晴れ 通販でホテイアオイ

庭の池や瓶の水質浄化とメダカの産卵床にはホテイアオイが最適だ。しかし、近所に売っている店がない。花屋には売ってることもあるのだが、年に数日しかないもよう。たくさんある場所は知っている。ただし、取りに行くのが面倒で交通費もかかる。というわけであきらめていたのだが、通販という手段を思いついた。そういえばエサ用金魚とか水草も通販で買った。あまりにも雑草すぎてそこに思い至らなかった。というわけでまさかこんな雑草を、というホテイアオイを通販して池に数個ずつ浮かべた。

その庭はどんどん森林化が進み虫がいなくなっている。トビイロケアリとかシロヘリツチカメムシ、マルガタゴミムシみたいな陰気なヤツらばかりになってしまった。陽気なやつらが集まっていた4月、5月がちょっと懐かしい。

今日は半原1号で半原越。こちらは森林の中の道ではあるけれど、一部開けた所もある。したがってニホントカゲとかウスバシロチョウなどの陽気系もちょくちょく顔を出す。道ばたにやけに黄色いウスバシロチョウが落ちていた。気になって拾い上げてみた。交通事故ではないようで息はあった。前翅の一部が縮れたままになっている。羽化不全なんだろう。

ラップタイム目標km/hrpmbpm
区間14'23"4'23"-716.980158
区間29'36"5'13"+313.672176
区間314'35"4'59"-1114.270178
区間420'47"6'12"-1811.468183
全 体-3313.61517 -

半原1号だとやっぱり気合いが入ってしまうのか。目標タイムより30秒ほど早いが、心拍数を見ればあきらかにいっぱいいっぱいだ。帰りは今日も神奈川中央正方形コース。みんながんばれで134号線へ。63号線がいまいちで、もう少しましな道はないかと迷ってみた。


2011.05.10(火)くもりのち雨 サラリーマン自転車乗りとして

お盆に行ったときは車が多かった。ゴールデンウィークに行ったときは車が多かった。普通の休日に行ったときも車が多かった。それなら平日はどうだと三浦半島に出かけていく。自転車は半原2号。今日は午後から雨の予報。自慢の500円雨合羽を背中に刺しておく。泥よけをつけ忘れたのがちょっと残念。

境川を使って藤沢へ。いつもなら1号線から引地川に入るのだが、今日は藤沢市街から鎌倉大仏へ向かう道を選んでみた。道の所々で草の臭いがする。クサイチゴだったりクリだったり。クサイチゴはそれほど臭いの強い草ではない。クリの花のシーズンにはちょっと早いと思う。夏のはじまりに植物たちがいっせいに甘ったるい臭いを発散させているのだろう。

鎌倉を抜けて三浦半島に入るとやっぱり車は多い。平日らしくダンプも多い。もしかしたら・・・のあては完全に外れてしまった。とりあえず突端までいって周回コースを確認する。さすが半島。海からの風が強い。畑の砂粒が飛んできてすねに当たると痛い。三浦半島はアップダウンがけっこうきつい。道路が段丘と谷を縫っているのだから当然だ。帰りは由比ヶ浜のあたりから本降りになった。雨に濡れた134号線をすっとばすのも危険と、来た道と同じく大仏脇を通って藤沢へ。

昨夜のジロの放送でエキップアサダの浅田監督がすごいことを言ってた。集団で40km/h走行することはプロ競技選手にとってはサラリーマンがデスクワークをする程度のことらしい。また、走るだけなら250kmも軽いものらしい。職業選手ってのはすごいもんだ。今日は距離は130kmで時間は6時間。平均時速22kmぐらいだった。プロの3分の1ぐらいの強度なのだろうか。私でもこの程度ならふだんのデスクワークより心身は楽だ。むろん、こんなことで給料をもらえるわけはない。


2011.05.14(土)晴れ 足柄LSD

酒匂川

そういえば神奈川県民でありながら、足柄という所を知らない。箱根の上のほうにあるなあ、とか金太郎だよな、などとイメージはおぼろげだ。これはよくないとさっそく地図を広げてみると、なかなかラブリーな雰囲気だった。平野部は酒匂川という主流があって、それにそって無数のクリークが流れている。昔はさぞや良い感じの所だったにちがいない。こういう地形だとたびたび氾濫したろうから、今では、どの流れも飼い慣らされているにはちがいない。それでもまあ一見の価値はある。そして山の方を見れば、足柄峠という、これまたラブリーな道がある。静岡の御殿場に降りる峠らしい。

金曜のうちに今日は足柄峠と決めていた。往復で150km以上になるから、早起きしてでかけないと日が暮れてしまう。でも大丈夫。最近は朝に強い。ジロの放送の途中で眠気に耐えられなくなって午前0時頃に眠っても、ちゃんと5時には起きている。睡眠持久力が落ちているのだ。連日その調子で寝不足でも朝には強い。

今朝もちゃんと5時に目を覚まし、朝ご飯を作って食べて、メダカにもエサをやって、半原2号をちょいちょいと整備してゆったり7時に出発した。ルートは、境川→引地川→134号線→1国→きっとまよう酒匂川周辺→足柄街道。

寝不足のせいか、連日の過酷なデスクワーク(藁)のせいか、体が重い。ただ、走っていれば治りそうな不調だ。向かい風のなか順調に134号線に出て、茅ヶ崎のサザンビーチ(南浜)あたりから調子が出てきた。国道1号線に入るとやたらと舗装が良くなっていることに気づく。しばらく1国にも来ていなかった。ただ、道の感じは覚えている。地図で調べたところでは酒匂川の数キロ手前、ちょっとした下りを降りきった所で右折するのがもっとも良さそうなルートだった。

ただし、予想通りそのルートをロスト。気がつけば酒匂川に出ている。普通なら川にそって道があり、その道を北上すればよいはずである。しかし、酒匂川は一筋縄ではいかない流れ方をしている。ゴロタ石の並びをみても若い頃はそうとうの暴れ者だったとみえる。左岸を走っていくと道が行き止まり。回避のルートもよくわからない。あらかじめ地図でそうなることは予想していたが、すぐに迷ってしまった。これも想定内。山の方に適当に向かい、ぶつかった道で西進すれば酒匂川がある。そして酒匂川には中流にサイクリングコースがあって、その終点まで行って、大回りをしつつ、足柄街道に出るルートがある。

迷ってたどり着いた酒匂川青少年サイクリングコース。じつはこれも想定内。左前方の山並みの奥に雪をいただいた富士山が見える(写真)。松並木の風情もあって広重の東海道五十三次みたいだ。この景色は想定外。これでこの先何があっても後悔のないサイクリングになった。


2011.05.15(日)晴れ 夏の向かい風練習

足柄峠は素敵だった。舗装がよくて自動車が少ない。植生は植林されたものが主体で、美しさはそれほどでもないけれど、単に登りを楽しみたい自転車乗りには最高の道だ。その点では今のところ神奈川トップだと思う。峠の途中でパンクして空気が抜けはじめ、どうしようかと迷いつつもそのまま登り切った。峠の上も途中も、俗に何もないと言われる状況だ。上には社があるだけで、信仰心の篤い人以外には縁のない所なのだろう。そこが自転車乗りにはありがたい。神奈川だとせっかくの山中にも水汲み場とか釣り堀とかバーベキュー場みたいなものがあって、交通量が多いのだ。

べこべこに空気のない後輪を引きずるように機嫌良く走ってきた帰り道、いつものスリーエフ白旗店についたところで、距離計は150kmを表示している。まだ4時前で日も高い。家まで20kmだから、得意の立石橋ー高鎌橋往復運動を2回やればちょうど200km走ることになる。

というわけで生まれてはじめて200km走ったのだが、これはやはりというか、たいした達成感もなかった。今朝はふだん通り、メダカにエサをやってワンピースを見てから支度をはじめた。女房が「今日も足柄にいくの?」とたずねるから、「たぶん境川」と答えておいた。昨日のコースは昼に出ると明るいうちには帰ってこれない。そして、走り始めるとやっぱり境川だった。

空は薄い水色に晴れて巻雲が幾筋も走っている。風は南西から。教科書通りの低気圧の接近だ。渤海湾あたりに低気圧があって2日ぐらいあとに雨だと予想できる。境川にでるといい風が吹いている。5月の大凧を揚げる風だ。向かい風を受けて下ハンの練習。これは境川で2年ぐらいやっている。去年の8月ぐらいから、なんとか形になってきたかな、という感触がある。いまだに体の左右の不均衡は気になり、ペダルへの力の加え方にむらが大きい。道はまだ遠い。

サドルの前後位置をいろいろ変えながらフォームを作る練習をした。タイオガのスパイダーツインテールは大変よいサドルだ。プラスチックベースのサドルが誕生してから、これまでに数百のモデルが作られたろう。そのすべての努力をあざわらう新発想のデザインで、安くて軽くて快適だ。いい風だなあと、得意の立石橋ー高鎌橋往復運動をやっているといつのまにか100km走ってた。冬とちがって夏の向かい風練習には悲壮感がただよわない。


2011.05.19(木)晴れ 文系の二次方程式

解の公式

職場に来ている還暦オーバーのアルバイトおばさんが中学校の数学を勉強しはじめた。先日は福島の原発事故に刺激されて、原子の勉強をはじめ、オービタルについて質問してきた。どうやら、核物理を理解するには数学が必要だと早とちりしたようだ。今日は二次関数をはじめたところだという。そういえば、俗にゆとり教育といわれる改訂で消えた二次方程式の解の公式が復活するという噂も聞いた。

私はいわゆる文系人間で数学に嫌な思い出がない。ツールとして使う必要がなかったから数学で痛い目にあうことがなかったのだ。物心ついてから今まで、数学はパズルであり哲学の対象でしかなかった。大学受験生としても文学部に受かるには理数科目で点をかせげると有利で、数学は私の味方だった。

その楽しい思い出を胸に、いっちょ二次方程式の解の公式でも導いてやろうかと、やってみたのが写真。中学か高校のときに導き方を習った記憶があるが、たぶんそれと同じ方法だと思う。


2011.05.20(金)晴れ 初志貫徹はけっこう難しい

うまく手を抜く走り方が身について、ちょっと手強いはずの足柄峠だってハァハァせずにとことこ登れた。ただ、こんなことをしてても半原越のタイムは縮まらないな、と反省してしまった。反省すると、反省したこと自体を反省することもある。楽してては速くなれないのは確かだ。だがしかし、なぜ私は半原越で速く走らねばならないのだ? というのが当然の疑問だ。

しばらく忘れていた。あれは、10回目ぐらいのときか。セルフいろは坂つかいまくりで半原越を登ったある日、もっとすいすい楽に走れたらすごいな、それも25分ぐらいで、などとふと思いついたのだ。あれが初心だった。それからチャレンジの日々が続き今日に至っている。

そういう個人史を振り返ると、あの初志なんてすでに実現し、実現したことすら忘れている。はじめる前は偉業だと感じていることもやってみるとたいしたことなくて、もっともっと自分に可能性があることに気づいた。そして、よっぽどフィットした初志でないかぎり貫徹できるものではないことにも気づいたのだ。

「なぜ速く走らねばならないのか」という問いの答えは「もしかしたら、想像以上に速く走れるかもしれないから」ということになる。かくて半原越では初心を忘れ無茶も必要だと、今日は2倍のギアで攻めてみた。想像よりもちょっと遅かったのは少し残念だ。

ラップタイム目標km/hbpmrpm
区間14'15"4'15"-1516.716566
区間29'11"4'56"-1414.418057
区間314'07"4'56"-1414.418157
区間420'22"6'15"-1511.318745
全 体-5813.917855(1124)

2011.05.21(土)晴れ 私は犬になるのだ

今日も半原越。いつもの草むらに腰掛けて田植えを待つばかりの田を見ながらすっきりした気分でいる。初心なんてものはきっぱり捨てたとはいえ、昔日を思い出したのがちょっと良かったかもしれない。この先何をどうやればいいのかはいまいちはっきりしていないのだけれど。

田はコンクリートのあぜにくぼみを作って水を引き入れている。くぼみには流量調節のためか握りこぶし大の小石が置かれている。棚田脇を下る水路はけっこうな傾斜があり水が勢いよく流れている。その水路にも石がある。ちょうどくぼみのところ、流れを田のほうに誘導するための石だ。山から流れてきた水は2つの石にぶつかって波立ち田に波紋を作りながら流れこんで来る。代掻きが終わったばかりで水面には埃やらわらくずやら草切れやらがごまんと浮いている。そうしたゴミが波紋の作用で集められ、あるいは流されて同心円状の縞もようを作っている。それがなかなか美しい。紅白梅図屏風の流れのようだ。泥水をアメンボが泳いでいる。6月の中干しまで、今年も虫けらたちのつかの間の楽園ができた。ひとまず今日も半原越を登ろう。何をどうするというわけでもなく。

今日は2倍なんてことはやらない。34×19Tあたりから入ってみる。斜度に応じて19Tから25Tまで使って、けっこう力を使って最速で走るつもりでやってみる。

区間3の途中、泥橋をわたって2連橋にかかる左コーナーを越えたあたりで、これまでと何かちがうものを感じた。力強く脚が前に出ている。下ではなく前だ。その原因は腕の引きにある。引いているから前に出せる。これまでも腕を引いて上半身を使ってきたが、それはあの腰の痛くなる引き方で、足を踏みつけるために引いていたと言えよう。今日のやり方は弱い腰をかばうための方便のつもりだったが、もしかしてこれが正解なのか。ポイントは腕ではなく脇腹だ。境川で出会ったあの自転車の神様が半原越にもやってきたのか。

ラップタイム目標km/hbpmrpm
区間14'25"4'25"-516.015671
区間29'34"5'09"-113.717666
区間314'28"4'54"-1614.417867
区間420'37"6'09"-1111.518560
全 体-4313.717466(1355)

なんかいい感じはあったものの記録には何も反映されていない。20分37秒は普通にがんばった数字だ。もやもやした気分を抱えてもっと簡単に海に出る道があるんじゃないかと、厚木あたりを迷ってうんざりしつつ134号線へ。最近の正方形コースを発見する前に迷い込んでひどい目にあった道をまたなぞっただけだ。相模川のわきのスリーエフ下戸田店のバイトのお嬢さんが美人系だったのが唯一のなぐさみだ。

うんざりもやもやに拍車をかけるように、半原2号にはきしみが出ている。どこか割れてるのか?と探ってみるが割れ目は見つからない。まあいいかと134号線を走っているうちに気分も良くなってきた。さくさくと境川に出るといい南風で、追い風だけで済ますのはもったいないと、高鎌ー立石往復をやってみる気になった。

向かい風を受けて、下ハンではなくブラケットを持って風の中を走っていると、またあのいい感じがやってきた。そういえばもう何年もブラケットを持つ練習をしてなかった。これまではブラケットを持った腕を引いたりすると体が浮いたり前輪が揺れたりして、百害あって一利なしと考えてきた。しかし、まったく不都合なく引くやり方があったのだ。40年以上自転車に乗ってきて初体験の感覚だった。なんだか手でも地面を蹴って推進力を得ている感じがする。4本脚の動物にでもなったかのようだ。もしかしてチーター? 馬? トラ?ってのはおこがましいから犬ぐらいにしておこう。

試しに信号待ちのよーいどんで力を使ってみた。すると10歩で無理なく時速30kmに加速できる。サドルに座ったまま自転車も振らずにだ。この力を使いこなせればもう一皮むける。あの田代さやか以来の大発見だ。私は、人類が百万年前に捨てた前脚走りを呼び戻して犬になる。


2011.05.22(日)晴れのち雨 左足をお仕置きする

夜明けから強い風が吹いていた。ではと半原2号で境川。昨日気づいた犬走りの練習だ。風は南から。日が照って気温も高い。ただし通常の海風ではない。天気予報通り午後は雨だろう。向かい風の中をまずは白旗まで。最初は調子があがらない。1時間ぐらいはいつもだめだ。

スリーエフではバイトはかわいらしくなければならないという規則でもあるらしく、白旗店のお嬢さん方もかわいい。白旗でコーラを飲んで、さあ練習だ。北に向かう追い風ではとりわけやることもないなと23km/hぐらいでするすると走っていく。北の端の高鎌橋で折り返して勝負。ブラケットを握って犬走り。80rpm、28km/hぐらい。向かい風のほうが速い。ただし、心拍は150bpm以下のLSD。1回目はいまいちだった。

2回目もイマイチで、ふと思いついて片足ペダリングを試みた。まずは右足。やっぱり片足だとしんどいなあとぐるぐる。次は左足。これがうまくいかない。ぎっこんばっこんして、押しても引いても両方でひっかかる。あれっこんなもんかなあと再び右足でやってみるとスムーズに回る。もう一度、左足。かくかくだ。軌道がぜんぜん円じゃない。どうやら左足は自転車に乗るのが相当下手なようだ。

「君は何十年も何をやってたのかね?」と思わず左足に突っ込みを入れた。生まれてこの方、こいつはずっとさぼってきたのだ。利き足である右足の足を文字通り引っ張ってきたはずだ。こいつには性根を入れ替えてもらわねば困る。お仕置きの方法は検討するとして、まずは今日の追い風区間は左足だけに仕事をしてもらうことにした。

ああでもないこうでもないと4回やって決断を迫られる時間になった。「いま止めて帰れば雨に濡れない。もう一回やれば確実に雨だ。さあどうする。」私は雨に強い。何しろ夏の雨が好きなのだから。むしろ望むところだ。しかし、びしょ濡れの自転車オヤジは、かわいそうなやつ以外の何ものでもない。そういう憐憫の情を一般国民の皆様方に与えるのはちょっと忍びないものがある。ただ、中年濡れ鼠を哀れむことしかできない人間もまた哀れなやつだ。市街地とはいえ、そのレベルの者に気をつかう必要はないように思える。けっきょく続けることにした。

5回やってもうまくいかなかった。犬走りっぽかったのは5分ほどだろうか。ただ、いろいろ課題も見えてきた。まずはアホな左足。どうやらこいつがこれまで悩まされてきた左右不均衡の原因だったのだ。まあ、今頃になって気づく頭もアホだ。そして犬走りの難しさ。無批判にがんばると従来型の上半身使いになってしまい、腰に痛みが来る。ひとたび痛みに襲われるととうまくいっているのかいないのかが判然としなくなる。

午後3時頃になると風がやんだ。練習も終わりだ。帰りは北上だ。風と雲の感じから、雨が落ちてくるのは30分後、ちょうど田植えが終わった高速道路脇の田んぼのあたりと検討をつけた。走り始めるとどんどん北風が強くなる。練習は終えたはずだが再び犬走りで向かい風の中速度を上げる。のんびりしていると高速道路の前で雨になる。せっかくの予想だから当てたい。まるで新約聖書じゃないかとちょっと笑える。はたして予定通りの所で雨に降られ、予言の成就とともにずぶ濡れになった。


2011.05.23(月)雨 シジュウカラの獲物

シジュウカラ

シジュウカラの親がひっきりなしにエサを運んでくる。夫婦で育児に励んでいるようだ。何を捕まえているのかと写真にとって確かめみると、シャクトリムシのようだ(写真)。シジュウカラはヒナのいる巣を飛び立つと、住宅の隙間をついて一直線に西へ飛んでいく。いつも同じ方向に向かい、すみやかに虫を捕まえて戻ってくる。西にはちょっとした林とゴルフ場がある。虫のわいている樹木があるのだろう。


2011.05.25(水)晴れ 最速理論の応用問題

私の最速理論では7〜10%程度の登りは70rpmぐらいで回して乗る必要がある。むろんただ70rpmというのではダメでそれなりのギアをかけなければならない。そのギア比は立ちこぎが同じく70rpmでできるギア比だ。そうすると、座っていても立っていても同じペースでクランクが回っていることになる。できれば、立ちこぎでも座っているときと同じようにスムーズにクランクが回っておればよい。

私のこの最速理論はけっこう核心を突いているという自負がある。全体重を交互に片方のペダルにのせることを立ちこぎと定義するならば、ペダルが落ちていく速度は斜度と体重で決まる。これは物理の法則だ。乗り手の体力とか技術とか持久力は全く関係ない。つまり、同じ重量の選手が同じ坂を立ちこぎすれば、速度は同じということになる。

いっぽう、シッティングの速度は選手の脚力と技術が大きく関係してくる。体重をかけるだけでなく、ペダルを押したり引いたり持ち上げたりして推進力を得ているからだ。楽して登りで速くなりたければ、まずはこちらのシッティングの技術を上げなければならない。

さあ、応用問題だ。7%ぐらいの登り(半原越)で体重60kgの私が70rpmで立ちこぎできるギアは24×15Tだ。ひとまずこれが物理的に決まっている値だとする。そして、現状では同じ登りで70rpmでシッティングできるギア比は24×17Tである。するとどうなるかというと、シッティングから腰を上げるたびに、ギアを2段上げなければならなくなる。

逆にいうと、ギアを変えずに腰を上げるとペダルがスコンスコン空回りのように落ちてしまうことになる。こういう不具合をなくして初心者から脱却するためにはシッティングでも24×15Tが使えなければならない。


2011.05.26(木)くもり 天才クライマー

要するに現状の課題はシッティングのトルクを上げることにある。半原越で2種の走り方を同じギア比、同じ回転数にできて、最速理論が実用化され本当の勝負が始まる。勝負というのは競技のことだ。そして勝負に勝つにはシッティングのトルクは立ちこぎを越える必要があり、立ちこぎは体重以上のトルクを加えなければならない。そのレベルは私には無用だと思っている。

現在最強のクライマーはアルベルトコンタドールだ。彼の登攀力は強者のなかでも桁外れである。その立ちこぎのスタイルは非常識だ。登りで勝負をかけたときの彼のケイデンスは90rpm以上だが、体重をかけるだけでなく、引きも使用して高い回転数ながら大きなトルクをかけている。だから速い。 しかし、そのフォームは素人っぽい。体も自転車も大きく揺れて、ペダリングも円というよりは三角形を描いている。上死点付近を通過する速度がやたらと速く、下死点では踏み込み過ぎに見える。まるでそのへんの30mぐらいの坂を登りっこしている中学生のようだ。

もしかしたら、コンタドールは幼児のときにむちゃくちゃなフォームで登りっこして勝って、子どものときにもむちゃくちゃなフォームで登りっこして勝って、ジュニアでもむちゃくちゃなフォームで国じゅうのライバルを置き去りにして、素人スタイルのままプロになって無敵の世界チャンピオンとして君臨してるんだと思う。不恰好でも勝ってるやつには何もいえない。負けなければやりかたを変える必要なんてない。

私はコンタドールのマネはすぐにできる。問題は、10回ぐらいで力尽きることだ。1000回続けられたらすごいのは分かるけれど、絶対にそんなことはできない。100mならマラソン選手に圧勝できるけれど、その速度では300mぐらいで倒れてしまう。40km続けられないことはやってみるまでもない。コンタドールからは、自転車の天才クライマーっているんだよね、という事以外には何も教われない。


2011.05.27(金)くもり 手本

自転車競技をテレビ観戦していて、二度ばかり「こいつの走り方はしっかり見とけよ」と画面に釘付けになったことがある。まずは、ジロでパレード的な集団走行の先頭を走っていたロビーマキュワン。トッププロとはいえども自転車に乗っていると、多少は前輪が揺れ蛇行するものだ。しかし、マキュワン一人が固定ローラーに乗っているかのようにまったくぶれずに走っていた。登りゴールで片手ウイリーを披露したり、ゴール前で集団の中を縫って順位を上げたり、ただ者ではないと思っていたが、普通に走るだけで化け物オーラを発散していた。

つぎはベルタの登りで逃げたロベルトエラス。シッティングとダンシングを交互に使いながらするすると登っていく。居ても立ってもケイデンスに変化がない。ペダルがどの位置にあっても角速度が変わらない。体は揺れない。自転車の振りも少ない。ダンシングのときには空中にある見えないサドルに腰掛けているかのようだ。

エラスは強かったがアームストロングのような無敵の超人ではなかった。想像するに、彼は素質ではかなわない怪物たちを倒すため、スピードの障害になる無駄な動きをどんどんそぎ落としていったのだろう。そして無類の美しさを手に入れたのだ。自転車に芸術点があれば、ロベルトエラスはドーピングなんかしなくても世界チャンピオンだったと思う。

スルツカヤのビールマンスピンは誰の目にも超人技だと写るが、自転車には超絶テクがあるようには見えない。自転車を走らすのに、柔軟性、バランス、反射神経はぜんぜん必要ない。だれだってプロ風のことができる。しかしながら、半原越でエラスを手本に走ろうとするとき、入りやすい自転車の奥深さに気づくのだ。


2011.05.28(土)雨 飼い殺しの刑

ヒル

いつもの棚田は田植えが完了していた。雨が降ってシュレーゲルアオガエルが盛んに鳴いている。そろそろオタマジャクシもいるかと畦を歩いて探してみた。するとまず目に入ってきたのはシュレーゲルアオガエルのクリームホイップのような卵だった。ここでこいつを見たのは初めてかもしれない。オタマジャクシも小さいのがいくつか見つかった。アマガエルかシュレーゲルアオガエルかどちらかだろう。

横腹から力を入れる乗り方がわかってきて自転車に乗るのが楽しくてしかたがない。今日の半原越は9割ぐらいの力でいってみることにした。半原2号で34×18Tで入る。ずっとブラケットを持って脇腹走りで行ってみる。すぐに心拍は170bpmを越えた。力を出していないようでも出ているのか。いい感じは長くは続かない。5分、10分と走るうちに苦しくもなり筋肉に痛みも来る。

アスファルトにピンクのラッパ型の花びらがひとかたまりに落ちている。タニウツギだ。もう満開を過ぎているのかと、木を見上げてみた。そのとき背中の力がすっと抜けて脚がぐいっと入った感触があった。苦しさのあまりフォームが乱れ力んでいたのだ。姿勢は大切だ。背中が縮こまると大腿が上がらない。今日はタニウツギの竹篦をくらった。

ラップタイム目標km/hbpmrpm
区間14'20"4'20"-1016.316469
区間29'19"4'59"-1114.218073
区間314'17"4'58"-1214.317970
区間420'25"6'08"-2211.518565
全 体-4313.917769(1405)

半原越を降りて、今日こそはR412、R246、R129という厚木の幹線を通って湘南に出ようと決意した。小雨で涼しく風もいい感じで鼻歌混じりの30km/h走行。歌は幹線から連想して中村あゆみのメインストリート。地図を見る限り、R246を走っていてR129をロストするはずはないとたかをくくっていたら、見事に迷った。結局、いつもの伊勢原交差点まででて、みんながんばれコースをとることになった。メインストリートを離れ歌う気は失せたが、ノーダメージだ。道はまた次に探せばよいのだ。

機嫌良く走って帰宅して、家にあがるべく靴下を脱いで足を洗おうとすると、そこに異物。たらふく血を吸ってまるまるふくらんで私以上に上機嫌になっているヤマビルだ(写真)。半原越あたりでは鹿も増えヤマビルも多いと聞いている。ただ、いくら雨だったとはいえ自転車でヤマビルを拾ってくるのは意外だ。オタマジャクシを探して歩いているときについたのだろうか。

ヒルに食われても痛くもかゆくもないが、血がだらだらと流れ続けるのは迷惑だ。犬がよってきて盛んに血をなめる。仲間のけがをなめて消毒する犬なりの習性なのだろうか。流血を放置するわけにもいかず、治療用のシールを貼った。それにしても、こいつには3時間以上もまったく気がつかなかった。痛みを感じさせず血を固めさせず、こっそり確実に血を盗むテクニックは渚のシンドバット並だ。

私は虫けらには甘いのだが、さすがに腹が立った。明日も半原越に行く予定だが、とうてい元の所に戻してやる気にはなれなかった。庭に捨てて飼い殺しの刑だ。


2011.05.29(日)雨 サイクリングモード

荻野川から小鮎川へ渡る道のわきに小さな谷戸がある。しばらく耕作放棄地になっていたが、5年ほど前から稲をつくりはじめた。それも、お年寄りたちがよってたかって趣味でやっているような特別な稲作である。食料生産と環境保全と趣味と三兎をねらっているのか。

今日、その田んぼにさしかかるとおびただしい数のシュレーゲルアオガエルが鳴いていた。田はまだ代掻きがなされておらず、荒起こしででこぼこの土に水が張られているだけだ。ここにシュレーゲルアオガエルがいることは個人的に有名だ。何年か前に満開のレンゲの中で鳴き声の主を捜したこともある。今日の様子ではあの頃よりも増えているみたいだ。

なんだかうれしくて、半原2号を止めてのぞき込んでみた。カエルの姿は全く見えないが、特徴的な卵が5つばかりすぐ見つかった。あぜにもあるが田の中にもけっこうある。あれじゃあ代掻きや田植えのときに殺されるだろうなあ、とがっかりして思い直した。この田はあくまでお年寄りの生きがい作りが主目的で、代掻きも田植えも人力かもしれない。人力ならば卵やオタマが土にすき込まれないだろう。その様子を見たことはないけれど、苗の並び方は手植えっぽかったような記憶もある。いずれにしても、いまのシュレーゲルアオガエルの隆盛を思えば彼らにやさしい田んぼなのは間違いないところだ。

ラップタイム目標km/hbpmrpm
区間15'39"5'39"+6912.513973
区間212'02"6'23"+7311.114665
区間318'26"6'24"+7411.114465
区間426'42"8'16"+1068.614750
全 体+5'22"10.614462(1653)

今日はけっこうな雨だ。梅雨入りに合わせて台風が来るという異常事態でもある。半原越の道路は浅い川となり、雨水が勢いよく流れている。こういう日はのんびり行くほうがいい。最初から34×25Tのサイクリングモード。上ハンでも横腹走りができないものかとやってみたが、その兆しすらつかめなかった。

厚木に降りて今日こそはとメインストリートを行く。R246を行くとR129に出るのがめんどうだと気づいたので、R246はさっさと横断してR129に出た。結論だけいうと信号機が多すぎて使い物にならない道だった。いつものように湘南から境川を回って帰宅。途中、後輪がパンクしてチューブ交換したのだが、掃除していて前輪もスローパンクしていることに気づいた。雨のサイクリングにパンクはつきものだ。100kmほどとはいえ念のためチューブを2本携帯したほうがいいかもしれない。


2011.05.30(月)雨のち晴れ 台風一過

雲

午後、台風一過の東京の空を雲が流れていく。雲はシュークリーム型の晴れ積雲の形をしているが、本当のところはどうなんだろう。層積雲とよぶべきものなのだろうか。いずれにしても雨雲がよわってちぎれたものにはちがいない。

悲しいことにいまだに窓の外を流れている雲の、その流れるわけがわからない。とうぜん風は吹いている。地上も空もどうやら同じく北東の風だ。ただわからないと困っていてもしかたがない。できるだけのことはしてみようと、雲の高さ、大きさ、速度、寿命を計ってみることにした。

どれも目測だ。東京ではスカイツリーができてから雲の高さが見やすくなった。東京タワーの300m、スカイツリーの600mはよい物差しになる。どうやら正面にある雲の高さは1000m、距離は2km、視直径は10°ほどだから実際の直径は500m弱というところか。その雲は雲塊がちぎれたもので、流れながら速やかに衰退していく。寿命は5分。その間に角度で70°ほど移動したから、移動速度は時速40kmぐらいになる。

雨雲からちぎれた直径500mの積雲が地上1000mの高さを時速40kmで流れて5分で消滅する。これが今日正午頃の観察結果の概算だ。(注)写真は観察した雲ではありません

夜になっても風は強い。四国沖で温帯低気圧になったはずの台風だが、中心の風は弱まって台風と呼べなくなっても、周辺の雨風は強いということもありえるのだろう。そもそもイレギュラーな台風だから、夏の終わりのものとは異なる性質をもっているのかもしれない。


2011.05.31(月)晴れ こころと心臓

最大心拍数を求める簡易式は(220-年齢)bpmとして出回っている。その式に従えば私の最大心拍数は、170ぐらいになってしまう。しかし、半原越では簡単に190を越える。20拍も多いが異常計測ではない。一般式のほうが誤っているからだ。ランニング状態で測る一般式ならそれでもよい。自転車は高い心拍数を出せる運動器具だから、自転車にセットした心拍計で測る最大心拍数ならば10〜20拍ぐらいは高くしておいたほうがよいはずだ。いずれ統計的に修正がされるだろう。それでも、おそらくは193bpmある私の最大心拍数は高いはずだ。この件に関しては、胸に手を当てて考えれば、思い当たるふしもある。

仮説に過ぎないが、体のつらさを私(こころ)が知るのに心臓からのフィードバックが第一に使われていると思う。筋肉の疲労感よりも先に、心拍数に代表されるような、心臓の運動量が脳に伝えられることで、つらいことが意識できるのだ。

なんでこういう仮説を思いついたかというと、私の場合、はっと気づいたときには筋肉を使い過ぎており、リカバリーが不能になっていることが多いからだ。私の心臓と脚は現政府と東電と国会のようにバラバラだ。心臓ががんがんいこうぜのときに、すでに脚のほうはいのちだいじにになっている。かくて心臓の情報を当てにしている私(心)は自分を見失い失敗することになる。数字でいうと170bpmあたりで私の脚はまいってるみたいだ。その段階では息があがって苦しくなることもなく、まだまだいけるぜ、みんながんばれと発破をかけている。この仮説が正しいならば、世の中には気弱な心臓を持っている人もいることになる。もうダメだと感じてから一伸びできるタイプだ。

感覚、感情をコントロールしているのは心臓だ。そこんところは古人の直感が正しいと思う。むろん心臓が思考判断の機能を司っているわけではない。無意識に発生する心臓のフィードバックを脳が受け取って意識しているのだ。

犬もヒルも頭の悪いあわれな生き物に過ぎないが、正しく生きるための判断力はちゃんと備わっている。ヒルには「人間に吸い付いたら危ない」ぐらいの分別をもっていただけるとありがたいが、高望みだ。異性の「きれい」たべものの「うまい」外敵への「おそれ」というような、生物のプリミティブな感情は生命として不可欠だ。感情としての自己意識はないにしても反射運動は単細胞のころから備わっているはずだ。心臓は循環系をになっている臓器というだけでなく、感情面の神経系の核という可能性がある。

人間の意識はもはや複雑怪奇である。なにしろ、テレビの中で踊るKARAが人間だとわかるのだから。わが家の犬には百年教え込んでもたぶん無理だ。人間だとわかるだけでなく、ニコルとスンヨンが区別できる。区別はおろか、スンヨンにはどきどきするがニコルはそうでもないという生物としてイミフすぎの条件反射を身につけることも可能だ。心臓のフィードバックを脳が後付けで判断しつつ習慣化できるのが人間の人間たるゆえんだが、そうしたインフレーションした意識を心の全てと早とちりしてはいけない。

心臓の移植手術を受けると、人の性格がガラっと変わることがあるという。まるでドナーの記憶や経験が移植されたかのような例もあるらしい。テレビ番組では、そうした現象が世にも奇妙な物語として扱われることがある。経験は移植できないが、心臓を取り替えれば刺激に対する反応が変わり、心変わりも起きるだろう。「人が知るのは畢竟自分の身体状況のみ」という主張は、いにしえの観念論者や坊主が見出した真理の一つである。心の肝は心臓だ。


2011.06.2(木)雨 一丁池

いまから35年ほど前のこと、愛媛県の北伊予あたりがずいぶんと気に入って徒歩や自転車でうろつき回っていたことがある。広い田んぼの風景が珍しかったこと、大学受験等で重苦しさを感じる生活のなかで、ちょっとした気晴らしが欲しかったのだと思う。

これといってあてのない散歩の中で唯一、一丁池という小さな、それこそ小さな、周囲が10mもない池に、憑かれたように惹かれていた。一丁池は小さいけれど深かった。底までは3mほどもあったろうか。おそらく冬、最初に見つけたとき、一丁池はインクのような深い藍色の澄んだ水をたたえていた。その水の美しさと対照的に底にはいろいろなゴミが沈んでいた。白い肥料のビニール袋が水の色に映えて印象的だった。魚の姿もなく殺伐とした感じに毒沼かと思った。

夏に見たとき、一丁池は全く違う姿をしていた。雨が降った後で水量が増し濁っていた。どこからか水が流れ込んでいるらしく、池の表面は渦になり、その渦にのって大きなオタマジャクシが回っていた。そして一丁池の奥、対岸は浅い沼になっていた。最初に見たときその沼はなく、ただの林に囲まれた草地だった。毒沼の雰囲気はもうどこにもなかった。

おそらく一丁池は泉なんだろう。松山市の郊外には同じような池がいくつもある。地下水がどういうかげんかで吹き出して、田んぼの中にありながら、透明度の高い藍色の水をたたえていたのだと思う。

最近、ふと一丁池のことを思い出した。あれはどこだったろうとインターネットの地図を広げてみた。小さい池だからその名前が記載されていることは期待できない。それでも、北伊予あたりの詳細図を記憶たよりに探せば見つかるはずだった。はじめてみればすぐに、地図上で当時どのあたりを歩いたかなんてたどるのは無理だとわかった。航空写真も使ってみたけれど、一丁池らしい影もない。それなりに危険な池だからつぶされたのか、もしかしたら北伊予ですらなかったのか、もやもやした気分が残ってしまった。


2011.06.4(土)晴れ 厄日

5時にぱっちり目が覚めて、今日こそ山中湖だなと思った。女房はまだ眠っているから、一人で朝飯を食って庭の掃除をして半原2号の準備を整えた。その頃になると女房も起きてきて、行き先をたずねるから、山中湖とこたえた。「そう、富士山見に行くんだ」と女房が言うから、今日は富士山記念日にしてやろう、できればいいが、ちょっと心配だ。なにしろすでに2回チャレンジして2回挫折している。

走り始めると、あちゃーという感じ。体もけっこう重い。先週までは絶好調だったのに困ったもんだ。半原2号もおかしい。ペダルが鶯張りになっちまって、踏み込むときゅっきゅっとかわいく鳴いている。もっと強く踏むと、BBかどこかがかっちゃかっちゃと鳴る。これはかなり前から。うっとおしいけれど、体も自転車もチャレンジをあきらめるほどの不調ではない。

412号線を使って青山交差点から413号線、通称道志みちへ。山中湖は42km先だと標識が出ている。自動車もオートバイも自転車も多い。雨の日のほうが快適そうだ。今日は晴れてハルゼミが鳴いている。あれが鳴くと暑くなると言ったのは利助さんだったか海蔵さんだったか。順調に両国橋を渡って山梨県へ。目立つのは白いチョウ。アカボシゴマダラが多い。ウスバシロチョウもまだいる。相変わらず好調とはいえないけれど、前回ほどの絶不調ではなく、ダメってことはなさそうだ。

両国橋の先にあるトンネルを抜けた所で後輪から異音。といっても空気の抜ける音。いやというほどよく知った音だ。ま、こういうこともあろうかと、今日はチューブを2本持ってきた。しかも、二酸化炭素ボンベ付きだ。さくさくっとチューブを入れ替えて二酸化炭素を入れ、再出発。

3分も走らないうちに、再び後輪がバースト。なんの因果だろう。前回引き返したまさにその場所だ。チューブを抜いて調べてみれば、バルブの付け根が裂けている。かなり劣化しているようで、バルブをつまんで引っ張ると簡単にとれてしまった。まあ、こんなこともあろうかと、もう1本チューブを持ってきたのだ。

今度はボンベがないから、携帯型空気入れをしこしこ押して空気を入れなければならない。それほど高圧にはできないもののなんとか走れるぐらいにはなる。ところが今日はおかしい、なんだかすこすこ空気が抜けてチューブに入っていかない。どうやらパッキンが劣化してしまっているようだ。これには参った。山中湖はあきらめ、引き返して被害を最小限にするしかない。

50kmの山道を3気圧ほどのタイヤでずるずる走る。カーブでの後輪の挙動が明らかに変だ。リム打ちしないように、ときどき空気を入れながら、だましだまし走って帰宅。ぺしゃんこのタイヤでべこべこ走るあの不愉快さだけは避けることができた。しかし、今回も山中湖に行けなかったばかりか、記録の更新すらできなかった。そもそもいろいろケチっているのがいけないのだ。空気入れのパッキンとか、チェーンとか、BBとか、手袋とか、ゴーグルとか、タイヤとか、チューブとか、消耗品をぎりぎりまで使おうという了見がよくない。チューブなんてせいぜい1年だろう。これに懲りて早めに交換するんだ。それにしても、なんで今日に限って。山中湖と相性悪いな。帰路、そういうことばかりぐずぐず考えて悲しかった。

帰宅して、パンクしたチューブは全部捨てて、雨の中いっぱい走ったチェーンは交換して、後輪に空気を入れてもまだ2時だ。いっちょ境川だな。まだ100kmしか走ってないし、距離だけは山中湖に合わて150kmにしとこう、と口直しのつもりで出かけた。

パンクしたのは5kmほど走ったときだった。こんなトホホな日もある。空気入れのアダプターは交換してきたから、それなりに空気は入れることができる。ほうほうの体で白旗まで行って、スリーエフ白旗店でポンジュースを買って、エディで支払おうとすると、残高不足だった。


2011.06.6(月)晴れ 科学は人生に必要か

私はいわゆるマスコミ業界人であるけれど、そういう仕事は向いていないらしい。頭が良くて器用なのでなんとかこなしているものの適性はないんじゃないかと自分を疑ってきた30年である。女房にも「あんたは物理学者にでもなったほうがよかったんだよ」と諭される。口を開けば理屈ばっかり言って心霊や超能力を相手にせず、人類がたよれるのは最終的に科学だけだ、と信じているからだろうか。ただ、そういう信念だけでは放送や出版よりも物理学に適性があるとは限らない。物理学の素養のある者がそういう業界に必要ということだってあるだろう。

電車の吊り広告で「科学的知識は人生に必要ですか?」というキャッチコピーが見つかった。かなり珍妙な問いだと思った。中国語で科学的知識というと、それは科学の知識ということになるけれど、日本語で科学的知識というと、科学の知識と科学風の知識の両方を含むことになる。科学と科学風を峻別することこそが科学であり、職業科学者が仕事の上で科学と科学風を混同させようものなら科学者失格である。そこを知ってか知らずか、あえて無用の「的」をつけるからには、その雑誌は読者を科学の素養のない者に限定しているようだ。業界人としてそこいらへんの嗅覚はある。

読者をわが美人妻として、その問いに私が答えるならば、素直に「科学知識は人生に必要ない」と思う。質量、エネルギーの保存則ぐらいは誰もが知らなければならない。それ以上は不要だ。天気は身近であるけれど、気象学抜きに天気予報に頼っておればよい。月の満ち欠け、太陽の運行も漁師や百姓以外は不要である。酸とアルカリなんて理科のための科学だ。重いもののほうが早く落ちると思っていたほうが人生にはプラスだ。小中学校の理科で学ぶ科学は楽しいけれど、必要ではない。

科学の知識は必要なくとも、科学風の知識は必要だ。原発事故のニュースなんかは科学風の知識がないと理解できない。この50年ばかりで科学風のマスコミ用語である「放射能」はすっかり定着した。私は核物理学者でも原子力のエンジニアでもないので、これまでに一度も放射能という言葉をその本来の意味で聞いたことはない。自分でも本来の意味で使ったことはない。科学っぽく「放射能」と聞けば、核爆弾や原発から出てくる毒物だと合点することが人生には必要なのだ。

科学の知識ではなく、考え方ともなると職業科学者以外の人には有害である。職業科学者だって、プライベートでは科学の手法は使わない。科学の考え方はどうしても狭量で堅苦しく回りくどい感じつきまとう。そういう雰囲気を身にまとうのはあらゆる人の人生に不利だ。反対に科学風の考え方はプラスになる場合がある。科学風を吹かせなければ、f分の1の扇風機とかマイナスイオンのクーラーは売れない。電気自動車も含めて、私の業界で宣伝されているエコな商品の約99%は科学的ではなく経済的にエコなだけなのだが、科学風の追い風があったほうが売れるだろう。そういうインチキっぽいのにどこまでだまされてよいかの線引きは人生に必要だ。

私は科学教を信奉するものとして、科学的知識は人生に必要ないけれど、科学と科学風を見分ける見識は人生に必要だと思っている。エコは人類にとって真に必要なものであるが、科学的に反エコで経済的にエコな商品は個人の人生に必要なことがある。幸運を引き寄せるために1万円の水晶玉なら買ってもいい。水晶はきれいで長持ちする。水晶のふりをしたガラスだと1万円でも高い。見分ける方法もあるが、そういう面倒はせずに信じきっていたほうが運は開けるかもしれない。だまされても1万円だ。しかし、50万円の値がついていたら、私の財力でも買うのはやめたほうがよさそうだ。そこまで貴重な石ではない。


2011.06.7(火)くもり 一つの光

ジョロウグモボール

金儲けと自転車を上手に乗ることに明け暮れて、そのほかのことがなおざりになっている。その怠慢が小さなわざわいとして次々に降りかかり、しだいに気分を圧迫してきた。

春先には、ヒキガエルが1匹だけやってきて池の中でこと切れていた。去年の秋から、ヒキガエルを迎えるてだてが必要と考えつつ放置した結末だ。カエルの棺桶を作ったわけではなく産卵がなかっただけなので、嘆くようなことでもないが、悔やまれる。

5月には庭先でクロオオアリの新女王候補を拾ってきて部屋で飼育している。これも幾度かやって失敗していることだ。今年もまだ子どもを見ておらず、うまくいっていないおそれがある。去年はここで焦ってダメにしているから今年は気をもみつつ静観する必要がある。

巣材運びから抱卵から育雛までふた月ほどみてきたシジュウカラが巣立ち目前でハクビシンに食われた。ハクビシンとて野生動物であり、わが家でうまいものが食えたのだと歓迎すべきことであろうが、やはりシジュウカラとの付き合いのほうが密であり、かわいそうなことをしたと悔いは残る。

卓球は今年に入ってから練習でも全く勝てていない。すっかり負け癖がついて勝つための戦術がとれずにいる。案の定、本番の大会では心の迷いから実力拮抗の相手にぼろ負けしてしまった。道志みちに出かけてみれば、前回と同じ場所で引き返すという屈辱の結果になる。

なんだか悪いことばかりが続いているようで不運といって片付けたくもなる。ただし、上記のことはいずれも予想された失敗であり、工夫しだいでなんとかなったはずだ。少なくとも、その手当をしておれば同じ結果となっても後味の悪さは違っていたはずだ。

今朝、いつものようにメダカの機嫌をうかがいながら庭を回っていると、足元のツタの葉にクモの子が作っているボールを見つけた。これは一つの光だ。ジョロウグモは毎年ほそぼそと庭に巣をかけている。獲物はけっして潤沢とはいえず、初冬になると産卵ができたのかどうかが不安になる。このボールがあるということは産卵にこぎつけたやつもいたという確固たる証拠だ。


2011.06.9(木)はれ 藍色の沼

ときどき暇をみてはYAHOOなどの地図で一丁池をさがしているのだが、いまだに糸口がつかめない。私はスタートラインを切っているのか? という胸騒ぎも起きてきた。つまり、もともとこの世になかったものを探しているのではないかという不安だ。私の人生の最終的な野望は「夢と現実に線引きをする方法」を見出すことにある。ばかばかしくも、この手の不安を放置してはいけない。データを整理して方策を練る必要がある。

現状で、一丁池の手がかりは私の記憶にしかない。当時は手紙等で一丁池のことを書き記したはずだが、それとても存在の物証とはいえないのだ。まずは、記憶の断片を集めて池の実在を確信したいと、35年前の当時のことを思い起こしてみた。こまったことに頭の中にある池の姿はきわめておぼろげだ。木があったとかポンプ小屋があったかもしれないとか、後ろは畑でビニールハウスがあったようだとか、道路は舗装してあって幅は3メートルぐらいだったとか、夢だとしても同程度の記憶になるほどのものだ。そもそも池自体が夢っぽいと当時も感じていた。だからこそ惹かれたはずだ。

じつは、夢ではないと自信をもって言えるのは一丁池というその名を知っているからだ。最初に見つけたときは、その名を知らなかった。井戸に毛のはえた程度のしろもので、名があるとも思えなかった。何回か通って、池のほとりに立て札があることに気づいた。立っていたのか転がっていたものかも今は不確かだが、白いペンキが塗ってある木の板に「一丁池はみんなの池です。ゴミを捨てないようにしましょう」というようなことが筆で書かれてあったのだ。私はそれで池の名を知った。一丁というのを辞典で調べ、昔の距離でちょうど池のサイズぐらいだということも納得したはずだ。その看板のリアリティだけが池の実在を保証しているに過ぎない。その記憶があるからこそ、池で見たウシガエルとおぼしきオタマジャクシや、雨で増水したときに奥に回りこんで水に浸かった草むらを見たことも現実だろうと思えるのだ。

さて、私は徒歩や自転車で池を訪れたはずだが、その経路にかかわる記憶がほとんどない。これもちょっとした驚きだ。当時は松山市街に住んでいた。一丁池が北伊予にあるならば、松山から汽車に乗って2駅だ。駅や駅前、周辺の風景の記憶がない。保育園があったようでもありお墓があったようでもある。いつも田畑のなかをあてどもなく歩き、なんとなく一丁池にたどり着いていたように思う。当時、自転車は親戚から借りていた婦人用車を使っていたはずだ。松山の市街から北伊予まで行くのはけっこうな苦行だったはずだ。ところが、自転車に乗ってどこをどう走ったという記憶がない。松山からだと重信川を越える。しかし、その大河を渡った記憶すらない。覚えがあるのは猛暑のなか、田んぼの一本道をひたすら走っている自分の姿だ。自転車で行ったのは夢の中だったと決め付ければそれまでだ。

そうやって松山の郊外をうろついて、何をしていたかも実はわからない。その動因らしいものを見つけようと、一丁池で連想されるキーワードをさらってみた。北伊予、西垣生、オキチモズク、ゲンゴロウ、たったの4つだ。オキチモズクは天然記念物になっている水生植物でゲンゴロウは松山近辺で採集できるという噂を聞いていた。当時も水辺を気にしていたと見える。ただし、ゲンゴロウの採集意欲もなくオキチモズクの自生地は訪ねようともしていない。西垣生はもうなにがやんやらだ。西垣生と書いて「にしはぶ」と読むということを知っているぐらいだから、何かで引っかかっているにちがいない。松山市の付近で西垣生という地名を調べてみると、空港の近くだということが判明した。意識して出かけた覚えのない場所であるが、読み方を知っていたり、重要な地名だと想起されたのだから繋がりはあるのだろう。

あとのキーワードは、中学生のときに読んだこなれの悪い幻想小説「世界でいちばんコワイ話(竹内 健)」にある藍色の沼だ。あのころは確か「この水の中に沈んで行ったら・・・こんなところじゃあ俗っぽすぎて、ただの身投げだな・・・」というようなことをぼんやり考えながら一丁池を見ていた。ようやく死というものを冷静に考える年頃になったのだろう。池に沈んでいる青い自分の顔を夢の中のようにありありとみることもできた。そのときの想像から短編を一つ書いてみたが、そいつの評判は私に好意的な人にもすこぶる悪かった。その悪評は確かな現実だ。


2011.06.10(金)はれのちくもり 危機管理の難しさ

危機管理能力ってのは危機管理ノウハウなしには発揮できない。危機管理ノウハウは危機管理の実績なしには身につかない。危機管理の実績を積むには危機に直面しなければならない。

東電の社長にも役員にも危機管理能力がないのはあたりまえだ。彼らは平常時にうまく立ち回る能力にたけているから、社長になったのだ。国会議員に危機管理能力がないのはあたりまえだ。彼らは平常時にうまく立ち回る能力にたけているから、代議士になったのだ。政府に危機管理能力がないのはあたりまえだ。彼らは平常時にうまく立ち回る能力にたけているから、大臣になったのだ。官僚に危機管理能力がないのはあたりまえだ。彼らは平常時にうまく立ち回る能力にたけているから、官僚になったのだ。今後も原発事故に対応できる人材は育たないと思う。原発事故が平常になるような世の中はいやだ。

その昔、ウルトラマンという劇画があった。そこには宇宙怪獣をやっつけるための地球防衛軍という専門家集団があった。その組織はウルトラマンが地球にやって来る前から存在していた。劇画の想定によれば、年に数回は地球は宇宙怪獣に襲われていたはずだ。しかも毎回ちがうタイプの怪獣であり、退治にあたっては高度な危機管理能力が必要だった。それぐらいの頻度と難易度でなければ地球防衛軍の存在は認められない。つまり、それなりの実績があり役目を果たしているから、予算もつけられていたのだ。いまの日本で、宇宙怪獣の攻撃を想定した組織をつくることは国民の支持を得られない。

電力会社にしても、メルトダウン対策を想定した人材を育成することは無理だと思う。高い頻度で見積もったとしても、その会社でメルトダウン級の事故が起きるのは100年に一度だ。あらゆる状況に対応しうる高度な能力を持った社員なのに、その大半は訓練だけで一生を終わることになる。

じゃあ、今後も原発事故は想定せずにいざというときにはあたふたするのかといえばそれは悲しい。やはりそれなりの準備はしておくのでないと、原発はやめたほうがよいと思う。

メルトダウン防衛軍は少なくとも国家組織でなければならない。日本中にあるありとあらゆる原子炉に精通し、いったん事故が起きれば、国家権限で事故対策にあたる。それなら10年に1回ぐらいは活躍の場があるだろう。日本中の原発で訓練をしなければならないから暇もつぶれる。訓練の過程で設計の脆弱さもあばいて電力会社にお仕置きもできる。もっと手広く国際組織でも良いかもしれない。

すでにわれわれはその手の大飯食らいの見本を持っている。日本には自衛隊という組織がある。みんな忘れているかもしれないが、あれは敵国の宣戦布告を想定した組織である。幸いなことに、自衛隊ができてから日本が宣戦布告を受けたことは一度もない。宣戦布告の可能性は宇宙怪獣の攻撃よりはぐっと大きいが、メルトダウンよりも小さい。その程度の危機管理に数十万人の専門家を育成し、年間5兆円ほどの予算がかけられている。表向きの意義からすると無駄な存在ではあるけれど、アメリカの手伝いで出兵したり、災害時には救助や復興に威力を発揮したりと、その存在感を出してきている。メルトダウン防衛軍の予算なんて自衛隊の10000分の1以下で足りるだろう。


2011.06.11(土)雨のちくもり ヒメジョオン

ヒメジョオン

今年はヒメジョオンが1本だけ咲いた。年々少なくなってついに1本だ。減っている原因は庭の森林化にあると思う。この1本も光を求めてか、やけに背が高くなって、弱い風で簡単に倒れてしまう。

かつてはヒメジョオンよりもハルジオンの方が好きだと思っていた。ハルジオンは華やかで若々しいみずみずしさがある。路傍に咲く春の喜びだ。最近では、そういう華やかさにちょっと気後れするようになった。ヒメジョオンのすっとしたすがすがしさもよいものだと思う。

午前中は、庭をやって半原2号の整備をした。雨用のホイールを準備してチェーンを古いものに戻して、リアディレーラーを換えた。力を入れたときのかっちかっちという腹が立つ異音の出所を確かめるためだ。リアホイール、ペダル、チェーンという具合に一つずつ交換して、いずれでもないことを確かめ、今日はリアディレーラーの番になったのだ。

出発は1時になってしまった。雨の中をどっちへ行こうかとちょっと迷って川に落ち着いた。どうやら異音もリアディレーラーだったようで、ひっかかりもなく無音で走るようになった。やはり自転車はこうでなくてはいけない。1時間ばかり走ると雨がすっかりやんだ。背中のポケットに雨合羽を突っ込んで、134号線を回ってくることにした。


2011.06.12(日)くもり 高校野球の女子マネージャー

女子マネージャー

久しぶりにいつもの草むらであいすまんじゅうを食べようと、背中のポケットからそいつをつまみ出して、ちとおどろいた。俗に萌え系といわれるのだろうか、女の子のイラストが描かれてある。丸永製菓が何かのアニメのスポンサーになったのだろう。タイトルでも確認しようと文字を読むと、何かのキャンペーンのイメージキャラクターだということがわかった。そのキャンペーンとは、もし高校野球の女子マネージャーがマルナガの「あいすまんじゅう」を食べたらキャンペーンというものだった。

意味がわからん。

裏面にはキャンペーンの詳細も書かれてあるようだが、老眼鏡を持っておらず、字が読めない。もし読めたとしても、内容は理解できないと思う。こういう突拍子もないことを発想できる人たちだからこそ、こんだけうまいものを作れたんだろうな、と納得した。

半原越は雨用ホイールを装着した半原2号でやってきた。ちょっと重くてかなり古いホイールに、太くて丈夫なタイヤをはめたものだ。転がり抵抗は空気の抜けた軽量タイヤよりはましな程度だ。パンクに関しては安心感が増すものの、きっと10秒ぐらいはタイムロスするだろう。こういうものを準備するのは何か一つ負けたような気もする。多少のリスクは覚悟して、常に最速、最快適で出発しなければならないとも思うのだ。

ラップタイム目標km/hbpmrpm
区間14'35"4'35"+515.415970
区間29'36"5'01"-414.117869
区間314'38"5'02"-314.117669
区間421'06"6'30"010.917864
全 体-213.417368 1430

今日は脇腹犬走りがけっこううまくはまった。腰を痛めずに上半身も使えた。データを調べてみれば、ザ・ソレナリって感じだ。これで一定ペースの200W走法ができているはずだ。ただし、このペースでは半原越がぎりぎりで、とうてい1時間以上は維持できないことも自覚できる。心拍をあと5〜10拍小さくできればそれでいい。ただし、脇腹犬走りに磨きをかけるだけでそこに行けるかどうかは疑問符もつく。


2011.06.14(火)くもり 想起について

たとえば林道を自転車で下っているときに「あっ、このコーナーのことは後で思い起こすだろうな」という奇妙な予感がすることがある。奇妙というのは、そのコーナーが何百回となく通った変哲もない場所だからだ。なのに何かがひっかかったのだ。そうした予感はまず的中する。後日ふとしたとき、予感の通りにその光景が脳裏をよぎる。それはサイクリングとも道路とも全く無関係な状況で起きる。たとえば、昼食でたくわんを箸でつまんだ瞬間だ。気になる現象だ。

予感がまったくない想起も頻繁に起きていることはいうまでもない。今日、電車の窓越しに向ヶ丘遊園駅のホームを眺めていたときに心に浮かんだのは、バリ島の海岸の光景だった。ツムギアリが多い草むらを突っ切る崖の上の細道だ。いつどういう契機で想起が起きるのか、どういう場面が想起候補になっているのか、そうした規則はわからない。ただし、意識されずとも私はその規則に感づいているのかもしれない。林道のコーナーで予感が走るのは、理由はわからずとも心が動いていることに気づいたのだろう。この心的現象はヒトの誕生以来、お告げ・心霊・異世界などのリアリティを保証してきたはずだ。

経験的事実として印象されている光景は意識して想起できる。いわゆる胸に手を当て思い起こすというやつだ。何百回となく走っている半原越や境川なら、現在では一から百までたどることができる。自転車で走っているので、見たものは動的なはずだ。しかし、想起される光景はスタティックで、まるでスナップ写真の連続みたいだ。記憶の写真は訪れる回数が増すに連れて増える。半原越でも全てのコーナーを想起することができない頃があり、20kmの境川を連続して思い描けない頃もあった。

既知感は心のなかにある印象と知覚をすりあわせ、合致したときに生まれる。日常生活でその作業は無意識に行われている。気にとめるでもなく光景を記憶し、半ば無意識に歩き電車に乗り自転車に乗りしている。その記憶写真の枚数はかなり多いように思える。数は膨大でもそれらの一枚一枚は常に知覚とのマッチングを続けていなければ行方不明になると思う。35年前に、私は松山市街地から一丁池にちょっと迷いながらも到達できていた。それ相応の道程スナップ記憶を貯めていたはずだが、その全てを失った。残っているのは、水の色とかオタマジャクシとか看板とか、インパクトがある事件として幾度か想起したものだけである。そうした数少ない対象が、一般的に記憶とよばれているものだ。

ほとんど意識されることもなく半自動的に貯められる道程のスナップ、そして、事件として記憶された光景。林道のコーナーは双方いずれでもない宙ぶらりんな世界の住人だ。私は理由がわからないまま、そのコーナーを特別なものと印象する。その理由を知っているのは私の無意識だ。無意識領域で自動的に起きている連想などの作用でそのコーナーがへんてこな意味付けをほどこされるのだろうか。


2011.06.15(水)くもり 一丁池ひきつづき

一丁池?航空写真

手元の地図と航空写真では一丁池の特定は無理だということが分かった。だとしてもあきらめることはない。一丁池がもし北伊予にあるのなら、それを特定することは難しくはない。現地に行ってそれらしい場所をあたるか、消滅していても付近の住民に尋ねてみれば情報が得られるだろう。

出かける前にいくつかは候補を持っておかねばならない。いまのところもっとも可能性があるのは写真の地点だ。写真はYahooがインターネットで提供している航空写真の断片で、中央に池がある。写真でみとめるのは難しいけれども、への字にまがっている道路の頂点にあたる潅木の茂みに紛れるように池がある。北伊予駅からの距離と池のサイズからして、これがもっとも一丁池らしい。ただ、確信は持てない。

断定できないのは周囲の印象が35年前とはぜんぜん違っているからだ。道路脇の潅木に囲まれた直径5mほどの池という状況はぴったりだ。しかし、当時は道路から見て池の奥は荒地だった。雨期になると一丁池があふれるような具合で荒地が沼になる。一丁池という名はその沼につけられたと思う。その沼はYahooの航空写真で見ると水田になっている。

北伊予周辺の変わり様は写真からでもよくわかる。東には高速道路ができ、インターチェンジで結ばれた松山市街をバイパスする道路もできている。その付近には当時はなかった工場などの建物もできている。一丁池の仲間である泉たちも悲劇的な末路を迎えたようだ。名のある泉はことごとく松前町の泉トピア21整備事業によって親水公園化されている。一帯の泉は当時すでに、不法投棄のゴミ捨て場であり、子どもが溺死する危険地帯であり、見通し悪く犯罪の巣窟になるおそれがあり、草ぼうぼうで蚊などの害虫の発生源だった。一丁池だって沼地部分はさくっと客土されて水田になったのかもしれない。

この数十年は北伊予ばかりでなく、居住区の水辺は何処も邪魔者扱いだった。少なくとも私が小学生のころに親しんだ池、沼、川の全てが息をひきとっている。水田になるならまだマシで、30年ぐらい前だとゴミを入れて土で蓋をして建物を建てるという乱暴な工事も行われた。同じようなことは全国で行われたのだろう。


2011.06.18(土)くもりのち雨 2ちゃんねるで

ムクゲ

庭の衣装ケース池をパワーアップしてプラ船を導入しようともくろんではや2年になる。しかし、ここに来て思わぬ敵が現れた。ハクビシンのやつが庭を巡回コースにしており、好んでスイレン鉢に糞を落としていく。ネコじゃないから糞はかんべんしてやるが、スイレン鉢に落とすのはやめて欲しい。富栄養になって水が腐ってしまう。プラ船に移行しても糞攻撃されては悲しさが増すだけだ。何か対策しなければ。

午前中はゆっくりして、昼頃から半原1号で境川にでかけた。午後から雨の予報で人が少ない。みんなの雨嫌いは放射能のせいだろう。いまは福島から放射能が出ているから若い者は雨に打たれない方がいい。

風もなくすいているコースを30km/hぐらいで走る。私はいわゆる2ちゃんねらーだ。先日のこと、境川CRの板に「境川なら4時間で100km走れる」と書き込んだところ、「おまえじゃむりっぽ」というレスがあった。弱っちろい若者が4時間で100kmを健脚自慢と勘違いしたようだ。根拠のない誹謗は2ちゃんねるの常だ。

そもそも4時間で100kmはたいした数字ではない。境川には1000回も行ってるから、もうすでにやっているはずだと記録をあたってみた。驚いたことに、一度も4時間で100kmを走ったことがなかった。すくなくともEDGE500で記録をとりはじめてからはない。2ちゃんねるでの誹謗に触発されたわけではないが、できると宣言したのだからいっぺんぐらいはやっとかなきゃな、とは思っていた。

境川は猛暑でも寒風でも人だらけだ。お年寄りの歩行者にしてみれば30km/hぐらいの自転車はかなりの脅威のはずで、背後から抜くときには相当減速しなければならない。加速減速はうっとうしいから普段は20km/hちょいで走っている。今日みたいに放射能雨の降る日はすいすい走るチャンスだ。30km/hを越えるぐらいのペースで4時間走り続ければよいだけのことだ。軽く100km行くだろう。

途中からけっこうな雨になり境川は無人になった。結果は3時間50分走って104km。楽勝だ。平均時速は27kmになる。思い返せばこの27kmというのも20年ぐらい見たことがなかった。札幌の真駒内にいて支笏湖に往復してたころはいつもそれぐらいだった。あの道は国立公園の原生林の中にあり、信号はもちろん交差点すらなく、下りだと50km/hで軽々巡航できる。この辺ではあんなコースはありえない。平均はどこに行っても20km/h程度だ。境川ではそれぐらいでいい。

帰宅して風呂に入って窓の外を見れば、ムクゲのつぼみがふくらんでいる(写真)。いよいよ真夏だ。雨脚をきれいに写したいといろいろ工夫したものの、今日の条件では無理だった。この先はムクゲの花が池に落ちて水が腐るからその対策も必要だ。毎年、ムクゲから遠い所へプラ船移行という案も含めて抜本的な対策が必要だと思いつつも、落花を網ですくって捨てるという場当たり対処で済ましている。


2011.06.19(日)くもり クサイチゴを食べてみた

今日は久しぶりに半原1号でやってきた。フロントフォークをミズノのカーボンに換えたが、いまいち良くない。かつて使っていたフォークなのに、そのときとなぜか感じがちがう。進路保持性が高すぎてコーナーがうまく回れない。そのかわり、まっすぐ走るときはピカイチで、マキュワンみたいだ。

いつもの棚田の一番上の田にはまだオタマジャクシが見あたらない。ここは6月中に中干しがあり、オタマは死滅してしまう。それにつれて成体が減り産卵数も減っているのだろうか。水の中で目につくのは巻き貝ばかりだ。貝は田ではいくらでもわいて出るその他大勢に過ぎない。しかし、巻き貝を4年5年と継続的に涵養するのは簡単ではないことが分かっている。私の庭でも最初の2年ばかりは掃いて捨てるほどいた。卵もいっぱい産んで順調に増えると思ったのに、いつしか姿を消してしまった。この田を見ていると越冬の工夫だろうかと思いついた。田は夏の終わりから春まではただの湿った荒れ地になる。田の巻き貝は越冬のためには、そういう所が必要なのかもしれない。巻き貝の生態もちゃんと調べるといろいろ発見があるだろう。

登りはちょっと自信満々である。それも根拠のないものではなく、脇腹犬走りに気づいて、巡航速度が500m/hぐらい上がっているような気がしているのだ。今日の半原越は雲の中、霧雨で絶好のTT日よりではあったが、TTは回避して脇腹犬走りの習熟に努めることにした。時計を気にしてがむしゃらに走って気づけることもあるけれど、いまは神経を集中して技を磨くことだ。

ラップタイム目標km/hbpmrpm
区間14'28"4'28"-215.915779
区間29'27"4'59"-1114.217775
区間314'19"4'52"-1814.517870
区間420'25"6'06"-2411.618465
全 体-5513.917472 1463

橋1手前のがけにクサイチゴの茂みがある。ちょっと遅いけれどいくつか大きな実が見える。こういう光景を見るたび、日本は豊かになったんだなあと実感する。私の子どもの頃は手の届く所のクサイチゴなんて競って採られたものだ。虫が食って半分ぐずぐすになってるやつを2つばかり食ってみた。虫のお下がりは不味い。かつては虫に先を越されたことがけっこう悔しかったものだが、いまその不味さすら懐かしい。私も裕福になった。

フロントフォークはやっぱりダメなのでまっすぐ帰宅して交換してから境川にでも行こうかと思っていた。クサイチゴを食ってるとそれももったいないような気がして、湘南回りで帰ることにした。自転車は日のあるうちにしか走れないけれどフォークの交換は夜でもできる。


2011.06.20(月)くもり フロントフォークのちがい

朝目が覚めると首が痛い。右にも左にも上にも下にも曲がらない。優秀な整体師である女房にたのんで、ひとまず右にだけは回るようにしてもらった。

この首の痛みは自転車のせいのような気がする。初心者がロードレーサーに乗って無理に丸一日乗ったらこうなる。初心者ではない私がこうなっちまったのは半原1号のせいだ。というか、フロントフォークを換えたせいだ。カーボンのものは当初設計のチタンにくらべてハンドルを高くできるので、登り専用車の半原1号にはそのほうがふさわしいだろうと思った。

じつはそのフォークは2年ほど前に使っていたものだ。半原越のレコードである19分20秒を出したのもそのフォークだった。元々ついていたフォークを曲げてしまい、交換してつけたものだ。そのときはハンドルは今のと別物だが、それほど違和感はなかった。交換前のチタンとフロントセンターは5mmも変わらず、操作性はいっしょのはずだった。

ところが、フォークを変えて乗った瞬間に違和感を感じた。ハンドルが切れない。まるでタイヤにエッジがついてアスファルトを削っているかのように前輪が重い。とっさにボールベアリングを入れ忘れたのかとメカニック(自分のこと)を疑ったぐらいだ。

もともとロードレーサーは実用車にくらべハンドルが重い。専門的には進路保持性が高いという。高速で直進する時にふらつかず、進路変更はハンドルではなく体重でやる。絶妙のバランスをもった自転車だと、体を動かさなくても考えただけで選んだ進路を行ってくれるような気がする。私がこれまでに乗った自転車ではチネリだけがそうだった。そんなものがあることを噂ではなく体験することができたのはチネリのおかげだ。

半原1号はもともとは進路保持性が低くハンドルが軽く振れた。半原2号もナカガワも似たようなものだ。競技用とうたっていても、日本製の普及車はたいていそういう設計になっているかもしれない。もうずいぶん前のことになるが、イタリアの敏腕メカニックが日本のレースを見て「あんなに前輪がゆれてると無用な疲れがたまるんじゃないか」と指摘したという。

怪しくなった半原1号にもすぐに慣れると思った。土曜日に境川を100kmほど走ると、スピードの乗りはよかった。前輪がしっかりしているから上半身にぐいぐいっと力を入れて脇腹犬走りが容易だ。雨の境川をらくらく30km/hで巡航できたのはそのおかげかもしれない。ただし、そのぐらいの速度でも安定せず自転車が勝手な方向に行っておっかないから常に気を使って手綱を締めなければならなかった。夜になるとちょっと首が痛かった。そのときは半原1号のせいだとは思わなかった。

日曜も半原1号の挙動にはかなりの違和感があった。でも慣れるかもしれないと、ヘッド周りを微調整して半原越に向かった。登りはいい感じだが、下りは全然だめだ。もはや自転車版のじゃじゃ馬みたいなもので、40km/hぐらいでまっすぐ走っているとき以外は乗ってる本人が楽しくない。このフォークも以前はこんなではなかったはずだが。

ピュアレーサーだと、これぐらいの進路保持性を持たせたほうがいいかもしれない。ただし、その場合は自転車全体を硬くする必要があるだろう。もとより半原1号は柔らかいぐだぐだのフレームで、時速14kmで楽しく走ることを想定している。進路保持性だけが高く柔らかい自転車に思い通りの挙動を望むのは無理かもしれない。2日間乗っても慣れることはなく、初心者みたいな首の痛みが残った。


2011.06.21(火)晴れ 信号機程度のこと

2ちゃんねるの自転車板では定期的に信号無視の是非が論争になる。いいも悪いも低レベル。双方つまらない書き込みに参戦するのはばからしい。信号無視については、かつて上岡龍太郎が気の利いたことを言ってた。「人間は信号を守らなくていいんです。車は守らなければなりません。車は機械です。機械はどんなときでも決まり通りに動かないといけません。人間なら赤信号で渡っていいんです。」当時としてはもっともな意見であったが、そうも言ってられないご時世になった。

夏を迎え、ヨーロッパでは自転車競争の真っ盛りだ。1日の競争距離は200kmぐらい。レースは各地の町村をたどっていく。何年も見続けて、フランスならフランス、ベルギーならベルギー、スイスならスイス、イタリアならイタリア、スペインならスペインの風情が見分けられるようになった。オランダのマースレヒトなんていう自転車競技でしか知らない都市を知った気になっている。

ヨーロッパの道は日本とはずいぶんちがう。道端に看板がない。郊外型の店舗がない。中古車屋、パチンコ屋、ファミレス等が見当たらない。自販機なんて影もない。ヨーロッパにはアメリカの商業消費を馬鹿正直に体現したアジアの混沌がない。

そして、これまでにテレビで2000時間以上もヨーロッパの道を見てきたけど、信号機を見た覚えがない。むろんヨーロッパにも信号機はある。スイスのバーゼルという都市で少なくとも一つ見た。商業都市であり交通の要衝ということを思えばやっぱり少ない。日本ならバーゼルクラスの都市なら500機ぐらいはあるだろう。

バーゼルには市街電車も走り自動車も多い。渋滞だって起きている。それでも信号機がない。要不要というよりも好みの問題だと思った。やつらはきっと信号機が嫌いなのだ。信号機に指図されることが我慢ならず、あれは交通のさまたげでしかないと信じているようだ。

信号がなくても道路の横断に困ることはない。バーゼルを一人で地図も持たずうろついていたときにそれを感じた。12月の街は物珍しさ満載で、右でも左でも前でも、どっちに行っても楽しそうだ。もはや迷っているのか見物しているのか本人にもあやふやだ。するとなぜか自動車が止まるのだ。横断歩道じゃない所でも自動車が止まる。何事かと運転手を見れば、さっさと渡れというような所作をしている。ぐずぐずして3台ぐらい止めてしまい「渡りたいわけじゃない」と断るのも申し訳なく、不本意に横断したことも二度や三度ではない。バーゼルには信号機がいらないわけだ。人と人の暗黙の了解で交通は流れる。個々人のレベルが上がれば道路はより快適になる。やつらはそういう社会を作りたいのだろうと思う。

一方、信号機も決して悪いものではない。道路を利用するのが低レベルの集団であっても信号をしっかり守っておれば、事故も争いもなく整然と車が流れる。子どもには信号を教えるだけで交通教育は終了。指導は楽だ。バーゼルみたいに歩行者に気を使ったり、優先道路でも脇道の車に譲ったり、歩道や対向車線を自転車で走らない人格を養成することは簡単ではない。自転車も歩行者も、信号に従うかぎりケータイを見ていてよいから快適だ。数少ない弊害は、信号うっかり無視は高確率でまさかの死亡事故になることと信号機が想定外の故障をすると確実に大事故が起きることだ。

それと、必ずしも弊害とはいえないが、信号機を無数に増やす必要がある。秩序を機械にまかせれば人間は状況判断をしなくてもよい。判断力は経験で培われる。判断できない人間が増えると人の命を守るために信号機を増やさねばならない。信号が増えれば状況判断の場が減る。場が減れば愚鈍が増える。日本はすでに危機管理を機械と道路の構造にゆだねる交通馬鹿スパイラルに陥っていると思う。ただ、同様のスパイラルはありとあらゆるところで起きており、信号機のことぐらいは無視してさしつかえない。


2011.06.22(水)晴れ 日能研に負かされた

今日は、電車広告として掲載されている日能研の問題にギャフンといわされた。問題文の中に以下の句があった。

滝の上に水現れて落ちにけり(後藤夜半)

後藤夜半という人の作品ということだが、おそらくプロだろう。よまれた光景は大きめの滝を1時間ぐらい眺めていると起きる知覚だ。私はよくそういう体験をする。おそらく誰もがやっていることだと思う。しかしながら、それを言葉でぴたっと表現するのは難しい。どうしようもなく、やられたな、負けたなという気がする。勝負しているわけでもないのに。


2011.06.25(土)晴れ 小田原厚木道路側道を行く

先週末におかしくなった首は火曜の朝にはなんとかなっていた。痛いけれどまあ動かせる程度だ。ことの経緯をかんがみて、この痛みの半減期は30時間だな、などとたかをくくっていたところ、火曜の痛みはあまり減衰することもなく今朝まで続いていた。

ぜんぜん気分は良くないのだけど、ひとまず半原越だと半原1号で出発。いつも温度を見ている座架依橋では32℃だった。8月であればむしろ涼しいぐらいの好適温度なのだが、ずっと梅雨寒でだらけている身にはちょっとつらい。腰の方にも張りがあって、調子が出ない。

半原越に入って区間1はちょっと意地になってがんばってみたものの、区間2では力尽きた。西端コーナーのところでリタイアしたくなった。なんとか区間4も流して7分半。しんどくて脇腹も犬もあったもんじゃない。それじゃあダメだなとちょっと反省。

ラップタイム目標km/hbpmrpm
区間14'39"4'39"+915.216976
区間210'01"5'22"+1213.217776
区間315'27"5'26"+1613.017867
区間422'59"7'32"+629.417565
全 体+9912.317570 1615

半原越を降りてからのルートはちょっと気づいたことがある。七沢のほうから厚木の玉川ぞいに下って小田原厚木道路の側道を使う手だ。実際行ってみて予想通りの快適さだった。小田原厚木道路の側道は道路沿いに店も民家もなく、まっすぐ走る自動車しか走ってない。5キロほどの間に信号も3つぐらいしかない。もしかしたら134号線よりも走れるかもしれない。がんがんいこうぜで使える。


2011.06.26(日)くもり くるくる回してがんがん行った

昨日ちょっとつらい目にあった半原越を再チャレンジ。半原越個人TTスペシャリストとして一夜漬けもした。たんに今年のジロの山岳TTの録画を見ただけだが。コンタドールをはじめプロ選手はケイデンスが高い。コンタドールの90rpm以上ってのは異常としても、みな80rpmぐらいは出ている。最近のはやりだ。たとえ登りでもがんがん踏むのは伝家の宝刀で、平地と同じようにくるくる回せるのがプロだ。私が回すためには、ごくごく小さいギアが必要だ。そのために、半原1号には最小で24×21Tというありえないほど小さいギアをつけている。今日は後ろは17・19・21の3枚縛りでやってみることにした。

ラップタイム目標km/hbpmrpm回転W
区間14'46"4'46"+1614.914986410189
区間210'03"5'17"+713.416682433195
区間315'08"5'05"-513.916878402203
区間421'32"6'24"-611.117577480203
全 体+1213.2164801725196

前半の緩いところはケイデンスに比して遅い。緩いといっても全般に波打っているから、きつい所は17Tでも重く感じる。10〜20m程度でギアを変えるのは逆効果のようでもある。緩いところに合わせた重いギアで、きついところは脇腹犬走りでしのぐのが最速への近道だと思われる。区間4はほとんど21Tにしたが、楽な(180bpmを越えない)わりにタイムが良くて驚いた。

今日も、小田原厚木道路の側道を行くことにした。厚木あたりの道は、どこにいっても行き当たりばったりな感じで悲しくなることが多い。玉川や小田原厚木道路の側道も例外ではないのだけれど、それでもまだエアーポケットのように走りやすい。今日は日差しもなく涼しい。側道と134号はがんがん行った。


2011.07.2(土)はれ ブルホーン仕様

いつもの草むらに腰掛けて、ちょっとがっかりしている。田の中がひっそりして死の沼のようだ。オタマジャクシがいない。ゲンゴロウがいない。ミジンコがいない。赤虫がいない。なんだかよくわからない小さいゲジゲジみたいなのがいない。貝は底に沈んでいるものの這った跡がない。

この田が梅雨時にこれほど寂しいのははじめてのことだ。最初に見つけたときの、生き物がごちゃまんといた姿は別格としても年々泳ぐもの這うものが少なくなって、今年はついに瀕死だ。いったい何があったのか。この田独特の梅雨の中干しで蛙がダメージを受けるのは確かだろうけど、ミジンコまでいないのはかなり奇妙だ。

今日はちょっと仕様を変えた半原2号でやってきた。ハンドルバーをブルホーンタイプに戻してピラーをスパイダーツインテールにぴったり合うものにした。ブルホーンを使うのは、半原2号にシュパーブプロのWレバーが装着可能だということが明らかになったことが回り回った結果にすぎないが、おそらく犬走りに最適なんじゃないかという期待もあった。

ラップタイム目標km/hbpmrpm回転W
区間14'33"4'33"+315.615878355198
区間29'40"5'07"-313.817674379202
区間314'36"4'56"-1414.417770345209
区間420'46"6'10"-2011.518266407211
全 体-3413.6174721486206

全区間で犬走りは使えた。しかし、背中に張りが来た。背中の力も消耗品だという当然の結果だ。田代さやかと同じく、自転車でちゃんと走るためには意識して鍛える必要のある部位だと思う。

半原越を降りて最近見つけた玉川の道で後輪がパンク。後輪のパンクはもはや必然の臭いがする。穴のあいた所をチェックするとまたしても円周の内側だ。ということは何か刺さったわけではないことになる。念のために該当箇所のタイヤを見ても貫通した跡はない。もし、タイヤの中に異物が混入していないのならチューブに根性がないということになる。

ともあれ、パンク修理はお手のもので、さくさくっとなおして小田原厚木道路を40km/hで走って、134号から境川へ。登りでも平地でもブルホーン仕様でけっこう走れることを確認した。さすがに日中日が差し暑くなって境川の人影はまばらだ。ただし、いつもいるおっちゃん2人は今日もいた。向こうも同じことを思っているのだろう。


2011.07.3(日)はれ 境川っていいなと思う

いつもの草むらに腰掛けて、今日はちょっとおどろいている。田の水面に浮かぶ落ち葉の影にカエルが沈んでいる。そいつがどうやらアカガエルだ。顔つきはまさしくアカガエルだ。ただし、アカガエルがこの真夏の真っ昼間に水の中にいるのは奇妙だ。それだけならまだしも体色が変だ。全身真っ白である。迷彩風だんだら模様が薄くあり背中は緑がかったベージュにくすんでいるものの、石膏細工のように白い。もしくはこれから天ぷらに揚げられるかのように白い。

生物にはアルビノってのがあるけれど、そいつの目は黒い。アルビノでないとすると、アカガエルも体色が変わるカエルだということだろうか。ふだん見かけるのは冬の夜とか夏では林の中である。そういうアカガエルはその名の通りくすんだ赤色だ。カンカン日照りの田んぼの中では明るい色になるのかもしれない。いずれにしても体調はよさそうで、水底をのそのそ歩き水面にちょんと鼻をだして息をする。アカガエル独特の思い詰めて集中しているような表情は健在だ。田の中にいるわけは知りようがない。

今日もひきつづき半原2号だけど、ちょっと仕様を変えて、リアに28Tをつけた。7段時代の旧式のものだが、9段でも使えないことはない。やはり34×25Tだと重く感じる場所が多く28Tを試す必要を感じたのだ。

ラップタイム目標km/hbpmrpm回転W
区間14'27"4'27"-315.916480356186
区間29'39"5'12"+213.617572374189
区間314'39"5'00"-1014.217769345186
区間421'11"6'32"+210.818065425184
全 体-913.4174711500185

ハンドルやギアの仕様変更は良かったのか悪かったのか。結果を見る限り28Tの効果も無だ。ただし今日はかなり暑く最初からしんどかった。上手に乗れたともいえないから、何回か調子を見る必要はあるだろう。半原2号はクランク1回転につき1回ずつ、コクンという引っかかりが起きるようになった。耐久限度を超えたペダルのせいだろうと、それも変更してきたがなおらなかった。BBだったらやっかいだ。

今日も湘南回りで帰る予定だった。ところが、コーラを買ってコンビニから出たときに、空気入れがないことに気づいた。忘れてきたか盗まれたか。昨日、パンク修理で使ったあとダウンチューブに取り付けたまでは記憶にある。探しに玉川へ行く必要はない。最近はパンクが頻発している。最小不幸の原則に従い、湘南回りはあきらめ、まっすぐ帰ることにした。

空気入れは半原1号についていた。今日は半原1号に乗るつもりで昨日のうちに取り付けておいたのをすっかり忘れていたのだった。では、というわけで半原1号に乗り換えて境川へ。今日は北風が強かった。風が強いと境川が好きだと思う。日が傾いた景色を見ると境川っていいなと思う。

サイクリングの記録の取り方を変えることにした。出力の計算方法は「ロードバイクの科学」に従い、ガーミンのEDGE500のデータをエクセルで自動計算させることにした。同じコースでも、距離や標高が変わることは習知だが、それもいいかなと思う。また、「ロードバイクの科学」の計算方法では出力(W)が10ほど小さくなる。それもいいかなと思う。従来200Wだとみなしていた目標値では190Wぐらいになってしまうが、今回は目標タイムの修正は見送ることにした。


2011.07.10(日)はれ データ分析の導入

金曜日に庭で嫌なものを見つけてしまった。とっくり型の花瓶を逆さにしたような蜂の巣だ。モッコウバラの茂みの中にぶら下がっている。たぶんキイロスズメバチかなにかだと思う。蜂の巣にも放置して良いものと悪いものがある。キイロスズメバチは危険で、そのままにしておくわけにはいかない。まだ初期のもので、働き蜂は羽化していないようだ。今ならたたき落とすだけで事は済む。

ただ、蜂とはいえせっかく来てくれた虫への仕打ちとしてはむごい。もう少し早く気づけば女王蜂に与えるダメージも小さくできたろう。嫌な気分のまま土曜を過ごし、今朝、覚悟を決めてもう一度蜂の巣の前に立った。キイロスズメバチの巣にしてはちょっと汚い。しばらく待っても女王蜂が帰って来ない。もしかしたら、巣作りの途中で事故にあって死んでしまったのかもしれない。棒で巣を叩いても何事も起こらない。ただの空き巣のようだ。やれやれ。後ろめたい思いはしなくて済んだ。

梅雨は明けたようで、昨日の午後から快晴が続いている。多摩、丹沢には大きな入道雲が出ている。いよいよ盛夏だ。こうなれば自転車で走っているのが一番快適だ。境川、湘南には夏の日中、海から涼しい風が吹く。寒いと言えば嘘になるけど、海風を向かい風にすれば体感気温は20℃ぐらいになる。

久々にナカガワをセットして昨日は椿ラインに下見。麓まで3時間かかる。伊豆半島でも旧道らしき道を走れば、佐田岬半島のような風情があることに気づいた。みかん畑もある。お手軽に佐田岬気分を味わえてお得だ。椿ラインは標高にして300mほどしか登らなかった。登って降りれば2時間ちょっとはかかるだろう。ざっと10時間の200kmコースになるから、早起きしないとだめだ。今日は境川、引地川、134号線で相模川までと定番のコースをたどった。昨日今日で合わせて走行距離は250kmになる。

じつはこの1週間ばかりエクセルを使って自転車のデータ分析をやってみた。いつまでも、測定は好きだけど分析は嫌いという体育会系フィールドワーカーではせっかくのハイテク機器が無駄になる。

現状で、かなりがんばって出せるパワーはざっと200Wだと思っている。半原越を20分ちょいで登ると200Wだ。1年前に試しにヤビツ峠でタイムを計ったときの出力が平均して200Wだということも分かった。200Wは40分ぐらい維持できた。また、心拍数と出力Wは正比例になっており、私の場合では心拍数に1.14をかければおおむねWの値になるようだ。その値になるのは、平坦だと134号線とか側道とかで自動車の列に乗って40km/m弱ですっ飛ばしているときだ。道路事情をみればその状態を何十分も維持できるわけがない。力を出す練習は平坦では危険でやってられないことが数値からもわかる。


2011.07.13(水)はれ 蚊を育てているか

朝の日課は庭を見回ってメダカにエサをやることだ。その世話はいまや当然、朝の儀式のようになってしまい、ここにメダカがいることの経緯もわからなくなっていた。そもそも、私はメダカなんぞ欲しくなかった。庭に水たまりは欲しい。水たまりがあればいろいろな虫やカエルも来るだろう。何が起きるか楽しみだ。水たまりは欲しい。ところが、水たまりがあると蚊がわくからと猛反対を受け、水たまりを持つためには蚊の発生を抑える必要が出てきた。蚊の対策には、春に金魚を入れ晩秋に金魚を取り出して庭に埋めるのが手っ取り早い。ただし金魚は色気がない。たかが蚊のために毎年殺すのも気が引けた。魚類は虫けらたちが健やかに育つ環境を破壊する。妥協点として、たぶん赤虫やヤゴに無害で、安くて汚水に強いメダカを入れることにしたのだった。

ところが、メダカを飼えば飼ったで、そいつがけっこう可愛くなってくる。エサをやれば喜んで食べる。エサをやれば卵を生む。卵をとって隔離しておけば稚魚が増えてぐんぐん成長するのがまた可愛い。ボウフラ対策のメダカならエサを与えずに放置しておいても問題ないのに、いつのまにかペット化してしまった。さすが脊椎動物というべきである。

メダカの池は木陰にある。朝、メダカにエサを与えていると無数の蚊が集まってくる。蚊は池では食い尽くされて育たないけれど、水があって草むらがあれば、近所で生まれたやつが集結する。蚊も少数ならば叩くとかはらうとかの防御もする。しかし、無数の群れの中に腕を突っ込んでいろいろメダカの世話をやくのだから、食いつかれるままにするほかはない。かゆくても、蚊はクモのエサだとうそぶいて放置している。結果的にメダカの存在が蚊にエサを提供し彼らの繁殖を助長している。

さて、私はいったい何をしているのか、立ち止まって今の状況を整理し冷静に考えなければならない。私の存在は蚊に有利なのか不利なのか。蚊の繁殖に絶対必要な血液は惜しげもなく提供している。雑草かわいさのあまり蚊の住処でありオスのエサ場でもある草薮も作っている。ボウフラの育つ水たまりは提供していない。メダカの池は蚊の棺桶だ。ただし、ボウフラの飼養所はこの住宅地では無尽蔵といってよい。下水があり、空き瓶空き缶、サザエの殻など微小な溜まり水も無数にある。

数学的に計算すれば、私の池は蚊の数の増減には無関係だと結論づけられる。∞−10000(メダカが退治するボウフラ)=∞。いっぽうで、私が毎朝蚊のメスに血液を提供する行為は相当数の蚊を増やすことになっていると思われる。10(刺され/日)×200(産卵)×50(日)=100000(ボウフラ匹)。神奈川県下の社会状況で蚊に食われ放題というヒトは貴重品だ。そもそも蚊に刺されるのはメダカにエサをやるからだ。メダカさえいなければ蚊に食われることもなくボウフラを増やすことにもならない。ボウフラ対策だったはずのメダカが皮肉にもボウフラを増やす結果になっている。

直感と科学はこのように相容れぬものである。この緻密な計算を女房が受け入れて、私が本来希望していたボウフラわき放題の水たまりを持つことに賛同してくれればよいのだが、数学嫌いの彼女には難しいだろう。


2011.07.14(木)はれ 雑草のようにたくましい

「雑草のようにたくましい」という表現は正しくない。少なくとも的外れに使われている。たくましさで雑草が園芸種にまさるとは限らない。事実に反して雑草がたくましいと無批判に受け入れられるのは、雑草という言葉の定義上、彼らが束になって扱われるからだ。

わが家でも、植物にとってそれなりに多様な環境があるようで、種類によって雑草の生える場所が決まっている。日陰には日陰の草があり、日向には日向の草がある。その両者を雑草と一括りにするならば、雑草はどこにでも生えることができることになる。住み心地の良さそうなところ、悪そうなところ、あらゆる隙間にそこにフィットする雑草がある。かわいい花をつけるスミレなんかは道端のコンクリートの割れ目を得意としている。しかも多年草で、地上部がダメージを受けてもいつのまにか復活して実を結ぶ。人の目には、花=成功=勝利と写るから、歩道の割れ目で蹴っ飛ばされて生きるスミレはたくましい印象を与える。

園芸種がたくましさで雑草に劣るとは限らない。ただし、園芸種は必然的な逆境にさらされる。常に人が植えた所で生きることになるから、たまたまそこがフィットしなければ世話をやいても大きくなれず、その場所向きの草に圧迫される。数多い競争相手の中には、ちょっとぐらい贔屓にしてもらっても勝てないぐらいの猛者もいるだろう。そのかわり、戦わずして勝っている貧弱雑草もごまんとあるはずだ。

雑草は人に踏みつけられても立ち上がるかというと必ずしもそうではない。私が毎朝の見回りために踏みつけている所の草は息も絶え絶えだ。ヘビイチゴだけが細々と生えている。おそらくは他の草本の陰では生きられない陽性の草で、何日かに1度踏まれるほうが日陰よりましということなのだろう。踏まなくても、雑草個々を退治するのは簡単で、ちょっといじめるだけですぐいじけてだめになってしまう。もっとも、誰かがだめになるとすかさず次の雑草が伸びてくる。そのへん雑草は、庶民というよりもエリートっぽい。まあ、ぼんやりと草取りだけしておれば、やっつけてもやっつけても立ち上がってくるように見えるかもしれない。

日の当たる地面が年々少なくなっているわが家では、もはやハコベですら満足に育たなくなってきた。春の雑草がさっさと姿を消し、梅雨時に盛んに花をつけたドクダミが枯れ始めている。ドクダミは陰気なわが家にぴったりフィットのたくましい雑草だ。受粉もアリがいればばっちりのようである。やつらはもう有り余る数の種をまいたろう。1月ぐらいになると、枯葉の積もった地面に芽吹くタケノコみたいなドクダミの新芽が見つかる。その芽は一冬の間、ずっと動かない。なんで凍える季節にあえて顔を出すのかちょっとした謎である。あれをモグラたたきよろしく、一つずつ叩いて潰していけばかんたんに駆除できるはずだ。


2011.07.16(土)はれ 風は涼しいが日差しは強い

今日は比較的涼しくて、これなら峠もOKと、半原越に出かけることにした。自転車は半原越専用仕様の半原2号。前34T、後12〜27Tの9速だ。いつもの棚田に近づくと腐敗臭が鼻をついた。ちょっと遅めの中干しをやって貝などが死んで腐っているのだ。そういうものは眺める面白みがなく素通りする。

半原越は戦闘的な気分になれなかった。暑さは体に堪えるほどではなく、汗が腕や脚を流れるほどではない。それでも体は重く空気も重く感じる。梅雨が明けると半原越も静かなもんだ。真昼時は動くものも少なく、ニイニイゼミの声だけが元気に響く。

ラップタイム目標km/hbpmrpm回転W
区間14'43"4'43"+1315.116173344177
区間210'01"5'18"+813.417571376182
区間315'22"5'21"+1113.517470375178
区間422'11"6'49"+1910.617866450179
全 体+5112.9173701545178

帰りのコースは定番になりつつある、玉川→厚木小田原道路側道→金目川→134号線→引地川→境川。道中、けっこうキリギリスを聞く。いわゆるチョンギース型ではない鳴き方をするキリギリスだ。ウスバキトンボは一気に増えている。

境川には当然のことながら散歩の老人も犬も少ない。自転車も少ない。今日の最高気温はせいぜい30℃ほどのはずで、湘南には海から涼しい風が吹く。自転車なら30km/hぐらいの対空速度を楽々出せれば快適だ。そういうことを知らない人も多いだろう。

熱中症の心配はないが紫外線は大敵だ。ときどき月光仮面のコスプレかと思うようなお嬢さんがいる。ヘルメットに黒めがねにフェイスマスク。長袖にタイツ。むろん乗ってるのはオートバイではなくロードだ。見かけほど暑苦しくはないはずだが、そうまでして走るところは頼もしい。中年おやじだって日焼けはしないに限る。ただ、いろいろな対策が面倒で放置し、そうとうみっともない姿をさらしているだろう。まあいいけど。

紫外線といえば一時期、皮膚癌のことがけっこう話題になった。オゾンホールなんてものもあった。この数年はUV製品の宣伝ばかりで、皮膚癌もオゾンホールもさっぱりだ。オゾンホール自体がナチュラルなものに過ぎなかったのか、フロンは対策が済んでいるからもういいのか。環境問題にありがちな、一過性の流行に過ぎなかったのか。


2011.07.19(火)はれ シュロを処分した

5本ばかりが実生で育っている庭のシュロを処分した。隣家には数年前まで、実をつける立派なシュロがあった。重量感満点の淡黄色の花房には虫が寄り実はヒヨドリなんかが盛んに食べていた。食べたことはないからその味はしらないが、鳥にとっては初冬のよいおやつだ。わが家のシュロは彼らの糞に混じった種が芽生えたものだろう。シュロがあるのはムクゲの下だけだ。シュロの実を食べたヒヨドリはムクゲで一休みすることが多かったとみえる。

実生から育ったシュロには全く魅力がない。他の雑草にすれば単に日陰を作る敵でしかない。景観にも悪い。私はシュロは嫌いではないからずっと見て見ぬ振りをしてきた。それがこの10年ぐらいで、大きなものは葉の先端が背丈に達するほどになった。ここからの成長は速そうだ。もはやじゃまものである。星の王子さまにバオバブと勝負する男の物語がある。シュロは成長こそ遅いものの、大きくなったら手ごわくて、手で引き抜くことは難しく、駆除は大掛かりになる。もっと早くやっつけておけばよかったのだ。

シュロは私にとっては親しい木であった。そもそも、樹木としてほかの種とは一線を画す風格がある。まっすぐで強くて動かない感じが頼もしい。シュロは日常生活のいろいろなところで利用されていた。面白いものでは、枝を切り葉を刈りこみ縫ってハエたたきにしていた。ゆうに1年ぐらいは使える丈夫なものだった。また、皮を池に沈めて金魚や鯉の産卵床にしているのもよく見かけた。水中に浸けても容易に腐らない丈夫なものなんだろう。

一度、近所の悪ガキと組んで、シュロを使って隠れ家を作ろうとしたことがある。シュロの材としての頑丈さに目をつけたのだ。半永久的に使える立派な隠れ家の大黒柱にする算段だった。ある日、三人でノコギリを持って山に入り、あらかじめ探し出しておいた立派なシュロを切ることにした。シュロは暖地の愛媛には普通で、畑の脇なんかにもけっこう生えていたけれど、人目につかない山中のものを選んだ。しょっちゅう悪さをして叱られていたから、その辺の悪知恵は働いた。

切り始めると、さすがに硬いことが分かった。三人で交代して手の皮がすりむけるまで切っても半分も切れなかったのだ。結局、切り倒したとしても加工は無理と判断してあきらめてしまった。あのときの硬い幹の感触はいまでも覚えている。

わが家のシュロも、すでに我慢ならないぐらいのじゃまものだけど、ちょっと好きかもしれないから、今回も1本だけは残すことにした。うまくすれば花を咲かせ、実をつけるかもしれない。そうなればもう生涯の友だちだ。ただしそれは20年ほど先のことになる。実がつかないとわかったころは立派な巨木だ。シュロを切る難しさは経験済み。老人の手にはおえないにちがいない。残した1本も感情移入しないように見て見ぬ振りを続け、ある日突然その存在に気づいたかのように駆除するのだろう。


2011.07.21(木)雨のちくもり 「隕石」を拾ったこと

ありがたいことに、小学校の理科の先生は科学と教師の双方の資質を欠いていた。そのために理科が好きになった。なんせ彼の授業のほとんどは、怪奇現象と心霊と超能力の与太話だったのだ。その与太話の一つに隕石のことがあった。彼のいう隕石の特徴は、ブーメラン型をしていてぶつぶつに穴があいているというものだった。もちろん私はその話を信じた。

それから数か月あとの事だったと思う。私は佐田岬の大久の砂浜で、その特徴を満たした石を見つけた。それは子どものてのひらにおさまるサイズで、厚いブーメラン型をしておりゴルフボールのディンプルのようなくぼみが表面を覆っていた。色は黒褐色で金属のようでもあったし岩石のようでもあった。拾い上げてみると、石よりは重く鉄よりは軽かった。自然物のようでもあり人工物のようでもある。さびた金属みたいだがさびは浮いていなかった。

隕石だったらすごいと理科の教師のところに持って行った。残念ながら、彼はそれを一目見て隕石ではないと言った。理由は、大気との摩擦で溶けた形跡が見あたらないから、という科学的なものだった。だからといって、それの正体は彼にも分からなかった。どうやら隕石ではなさそうなものの珍しいものだからと、自分の岩石鉱物コレクションの一つに加えて、ときどき手にとって眺めていた。

いま思えば、あれは精錬所でできるカラミとよばれるくずだったようだ。サイトには、いろいろなカラミの写真があり、あの隕石に近いものも見られる。八幡浜の佐島には銅の精錬所跡があった。無人島で上陸はできなかったが、定期船上からその不気味な廃墟を見ていろいろ想像を巡らせたものだ。おそらく、あの佐島あたりの精錬所で出たカラミが佐田岬の浜に打ち上げられたものだろう。

もしかしたら、100兆分の1の確率で隕石だったかもしれないが、たぶん9分の8ぐらいの確率でカラミだ。そもそも、理科教師があげた隕石の特徴が怪しい。私は本物の隕石をいくつも見たが、その中に彼があげた特徴を満たすものはない。どこからブーメランの形とか穴があいているとかが出てきたのか、彼が亡くなったいまとなっては永遠の謎だ。しかし、その特徴は私とあの隕石の出会いの予言としては不気味なほどぴったりだ。

彼は私に一つの忠告を与えていた。「おまえは月の石をだまされて買いそうだ」というものだ。アポロが持ち帰った月の石が大阪万博で展示されていたころのことだ。その類のものが大好きな私を心配してのことだろうと思う。その件では私にはだまされない確信があった。大人になったら月や火星で働く計画だったからだ。

それから40年後の吉日、地球で働くしがない私の女房が恐竜の糞化石なる石ころ3個を3000円(笑)で買ってきた。糞化石だという証拠は形がいかにもうんこだからというシンプルなものだ。希少な糞化石がアンモナイト程度の値段で流通してちゃいかんだろう。そんなことでだまされるのが彼女のかわいいところだ。あれも100兆分の1の確率で恐竜の糞かもしれないが、たぶん9分の8ぐらいの確率でカラミだ。これで理科教師の予言はおおむね的中したことになる。富士山の大噴火を予言して伊豆で地震が起きたぐらいか。


2011.07.26(火)くもり 赤城山ヒルクライム試走

日曜に自転車友だちと二人で群馬の赤城山に登ってきた。今年は9月11日に第1回の赤城山ヒルクライム大会が行われる。当初はその試走という計画であった。ところが、そもそも抽選のハードルが高かったようで、二人とも落選して本番では走れない。ひとまずは来年の準備ってことで1回走ってみることにしたのだ。

コースの規模はちょうど乗鞍ぐらい。コースは前半がゆるく後半がきつい。10kmにわたって半原越以上の斜度の登りが続く。20kmの登りは乗鞍でしか走ったことがなくイメージがつかめない。安易に力を入れすぎてしまうと、後半が生き地獄になるおそれがある。かといってゆっくり走っていてはわざわざ登る意味もない。ガーミンの心拍計があるから、無酸素域の力を動員する(はずの)170bpmを超えないように、モニターとにらめってして165bpm付近を守って走ることにした。

ラップタイム距離km/hbpmrpm回転W
赤城区間121'30"21'30"5.715.9144741591153
赤城区間235'26"13'56"3.314.1163721003172
赤城区間31:12'21"36'55"6.310.2165662437157
赤城区間41:45'50"33'29"5.810.3163632109155
全 体11.9160677140157

走った結果では1時間46分で、乗鞍とほぼ同じだ。ただ、乗鞍と違って全体にマイペースを維持できたから、辛さは小さかった。出力は平均して157W。この解釈にはちょっと困った。もう少し出ているように思ったからだ。半原越で計算すると、心拍数と出力は正比例で、心拍数(bpm)×1.14=出力(W)という方程式が得られていた。ところが、赤城では出力が小さすぎてこの式がぜんぜん当てはまらない。やっぱり5kmと20kmは別物なんだろうか。5kmでも十分長いと思えるのだが。

ちなみに、157Wぐらいの出力だと半原越を24分足らずで登ることになる。その場合のことを考えながら胸に手を当てると、しんどさとがんばり具合は今回の赤城に匹敵する。数値は正しいように思う。

半原越だと、いつも半分以上は無酸素域のパワーを使い込んで走っている。なにしろ、半原越での心拍数の平均は174bpmである。15分ぐらいで力を使いきってボロボロになってあとの5分をただ耐えるなんてこともする。そこを考慮すれば、有酸素域では「低出力・長時間」を比較的高い心拍数でこなすことになり、「高出力・短時間」の無酸素域では、出力に比例するほど心拍数は上がらないということなのだろう。どうやら先の式の1.14は、半原越定数とでも呼ぶべきもののようだ。

今回の赤城山で、私が1時間以上維持できる出力の上限は157Wぐらいだということがわかった。これがベースである。それぐらいの出力だと、平地なら時速30キロで巡航する計算になる。それは日常感覚に合致している。そして、タイムトライアルのポイントはおそらく15分程度で限界に達する無酸素パワーをどう挟み込むかになる。15分の短距離TTであれば、上限157Wは考える必要がない。無酸素域での出力の大きさだけが問題になる。赤城山や乗鞍の100分級のTTであれば、物をいうのは有酸素域での出力の高さだ。どちらも90分フィニッシュをねらうなら、157Wを187Wに上げる必要があるだろう。半原越でのポイントは無酸素パワーをいかに効率的に使い果たすかだ。さらに、半原越でタイムをあげようとするならば、有酸素よりもむしろ無酸素での出力を上げるほうが効果的な気配が漂ってくる。ただし、そういう練習はしんどい。やれそうもない。


2011.07.29(金)くもりときどき雨 ホテイアオイの花

ホテイアオイ

ホテイアオイの花ははっきり見た記憶がない。初めてではないと思うけれど、どこかでちゃんと見た覚えはなかった。庭のホテイアオイには花が咲くと思っていなかった。どういうわけか、ホテイアオイは土に根付かないと花をつけないと勘違いしていたからだ。そういうわけで、朝の見回りでホテイアオイの花を見つけて驚いた。花が咲く兆候を完全に見落として、不意を突かれた形になったのだ。

ホテイアオイはかなりスピーディに花が咲くようだ。つぼみが伸びたりふくらんだりという兆候はあるはずだが見落としていた。色鮮やかな花びらは透き通るぐらい薄い。そのあたりも花が咲くスピードに影響しているものと思う。

このホテイアオイは初夏に通販で買って瓶に入れたものだ。しばらくは緩やかに成長し、あるとき突然に急成長をはじめて、ランナーのようなものを伸ばして株別れして、新株を作り始めた。もともと3株だったものが一気に増えて瓶からあふれんばかりになると、ぴたっと株別れが止まった。まさか目一杯になったのを感知したのか・・・などと思っていたけど、どうやら繁殖期に入った成長停止だったようだ。


2011.07.30(土)くもりときどき晴れ一時雨 ポジションを変えてみた

カラスウリ

雨は降りそうだったから背中に雨合羽を刺して出かけることにした。自転車は雨用のホイールを装着している半原1号だ。昨夜にステムを高く近くセッティングしてみた。赤城山の試走でブラケットまでがちょっと遠い感じがしたからだ。道すがらの景色、いつもの棚田はすっかり盛夏のおもむきだ。梅雨が戻ってきたようなここ数日だが、季節はちゃんと進行している。青々と伸びる稲にミヤマアカネがよく似合う。

近いブラケットは登りではそれなりに快適だ。腰を立てて背中を伸ばせる感じがする。今日は脇腹犬走りを多用してみた。姿勢が楽でも力をしぼり出すことができなければ意味がない。区間4でよい数字が出ている。どうやらこのポジションは悪くないようだ。

ラップタイム目標km/hbpmrpm回転W
区間14'35"4'35"+515.3-81371172
区間29'39"5'04"-614.0-80405194
区間314'39"5'00"-1014.3-76380190
区間420'52"6'13"-1711.6-69429197
全 体-2813.6-761586189

半原越を降りると、いろいろなところで雨が降っているのが見えた。丹沢は雨雲の中だ。湘南の海の方にも2つばかり赤っぽい降水雲の塊がある。いつものルートを行けば雨の中に突っ込むことになったろう。今日は、来た道をそのまま引き返し、午後からは半原2号で境川に行く。半原2号は1号とは逆にハンドルを低く変更してある。これはこれで平坦をすっとばすには快適だ。ポジションをいろいろいじって試してみるのも自転車の楽しみの一つだ。

ムクゲには毎年カラスウリが巻き付きこの季節に花を咲かせる。カラスウリの花は夏の夕方の白眉だと思う。ムクゲには迷惑なことかもしれないけれど、カラスウリを駆除する気にはならない。


2011.07.31(日)雨 半原越ゆっくり

半原越

今日は雨でミヤマアカネは飛ばない。稲の葉につかまってじっとしている。彼らのお目当ての小虫も飛んでいないようだ。裏手の林でニイニイゼミは元気に鳴いている。しばらくしてアブラゼミが出てくるとやつらの声はかき消されてしまう。

昨日に引き続き、またハンドルバーを変えてきた。締まりの悪いチタンのステムにTNIのアナトミックバー。ぜんぜん使う予定のない半端物のセットを接着剤で固めて、ステム一体型ハンドルにしてしまった。いわゆる国士無双型ダメ元である。

ハンドルはともかく、なんだか力がわいてこない。あえてゆっくり走る気がなくてもゆっくり走ることになる。半原越全体は霧に包まれて小雨が降っている。アスファルトは浅い小川になり崖のコケは緑鮮やかだ。わりきって先週の赤城山ぐらいのペースで走る。福島新潟は豪雨に襲われたが、法論堂川の濁りもなく半原越にはそれほど降っていない様子だ。もっとも恐ろしい崖崩れの心配はなさそうだ。といっても、握り拳大の新しい落石がけっこう散乱しているから注意は怠れない。半原越にはいつ石が落ちてきてもおかしくない場所がいくつかある。山側の音をよく聞いて致命的な直撃だけはまぬかれたい。

ラップタイム目標km/hbpmrpm回転W
区間15'05"5'05"+3513.814373371156
区間210'46"5'41"+3112.515471404174
区間316'25"5'39"+2912.715269390164
区間423'32"7'07"+3710.115970498175
全 体+13212.1153711663168

ハアハアせずに半原越を登り、さて久しぶりにヤビツでもと思ったけど、力がわかないのは相変わらずで、おとなしくいつものコースをたどることにした。湘南の134号線は雨で車は少ないと予想したけど、いつもと変わらない盛況だった。海とは関係なく自動車で来て遊べる所なのかもしれない。自転車はというと、134号線も境川もさっぱりだ。涼しくて気持ちの良い自転車日和なのに。


2011.08.1(月)くもり 「歩行者は右」の誤り

右通行

境川サイクリングロードの休憩所のテーブルにあった張り紙である。「自転車は左歩行者は右」と書いてある。紙に印刷してビニールで覆って貼りつけただけの代物だから、自転車道路を管理する県が作ったものではないだろう。きっと利用者の一人が気をきかせて貼ったものだ。 残念ながら「自転車は左歩行者は右」は誤りである。法律上はそうなっていても、自転車ではいくつかある有害無益な成文律の一つなのだ。この決まりは50年以上前、自動車がまだ日本国に珍しかった頃に決められたものである。おそらく成立当時は自転車のことは念頭になかったろう。歩行者と自転車が共存するサイクリングロードを想定したものでないことはいうまでもない。

境川で「自転車は左歩行者は右」を励行すると不都合が起きる。このルールでは歩行者の正面に自転車Aが向かってくることになる。そもそもそれでは歩行者が不安だ。大問題はすれ違い時に起きる。自転車は歩行者を避けるべし(自転車のほうが速いので自然にそうなる)という不文律に従って自転車Aは歩行者の右にハンドルを切るから、歩行者は進路を変更しなくてもよい。ところが、歩行者の後ろから自転車Bが接近していると進路変更によって自転車が正面衝突することになり進路変更は難しい。交通の流れからすれば、自転車Bの前は空いているのだがら、自転車Aがブレーキをかけることになる。そして歩行者の前を自転車Aが塞ぐ。歩行者は後方から自転車が接近していると気づけばよいが、そこまで判断できる人は少ない。最悪の場合、歩行者がじゃまっけな自転車Aを避けるために進路を変え、後方から来た自転車Bに追突されることになる。最良の場合でも、自転車Aに前を塞がれた歩行者は止まるか歩みを緩めるかしなけらばならず、自転車Bも歩行者の進路変更を予測してブレーキをかけることになる。「自転車は左歩行者は右」という規則によって、3者が不幸になるのだ。

いっぽう「自転車は左歩行者も左」であればこうはならない。同様な状況で自転車Aが歩行者を追い越すときに、速度を緩めるだけで済む。最悪でも歩行者と同じ速度で走って自転車Bをやりすごせば良いのだ。止まる必要はなく、歩行者と自転車Bは何事も起きない。

こうやってテキストにすると、私ほどの描写力をもってしても伝えにくいが、歩行老人と自転車で混雑する境川を100kmほど実走してみれば簡単に気づくことだ。

現状の道路交通法は自転車で走らない人が作っている。誤った法律と乏しい教育、幼稚な判断力があいまって、自転車=無法者で通ってしまっている。そろそろ自転車乗りも法律作りに参加し、実情に合うように成文法を整備した方がよいと思う。不文律に頼る道路事情の改善は利用者全員が頭が良く経験豊富という前提でしか期待できない。現在のように、法律が安全快適の足をひっぱり、まじめな歩行者・自転車がマナー違反の烙印を押されるようではかわいそうだ。自転車の交通事情は法整備と小学校教育でいくぶんかましになる。50年もすれば境川サイクリングロードは見違えるほど走りやすくなっているだろう。


2011.08.3(水)くもり一時雨 一丁池再探査計画

机上で一丁池探査計画を練っている。いつか北伊予を訪れるチャンスが来るかもしれない。そのときになって慌てるようではだめだ。松山の郊外で開発が盛んな地域であり、35年もたっているのだから、綿密に調査しないと痕跡すら発見できないおそれがある。調査のシミュレーションはできるかぎり行い、予想される障害は取り除くか、より小さくする方策を練るべきだ。

これまでに、重点的に調べるべき場所は幾つか洗いだしている。まずは、その地点に正しく到達することだ。地図を使えば難しいことではない。ただし、普通に地図を持ち歩いて失敗したことも何度かある。自転車で移動するときに背中のポケットに紙を入れておいて、いざ使おうとしたときに汗まみれで字はにじみ紙はぼろぼろになっていた。いまどきは紙の地図を持ち歩かなくても、高級なサイクルコンピューターや携帯電話ではGPSとともに地図を持ち運べるようになっている。そういうものも導入したいのだが、機械の料金が高いのとネットの通信料が高いことで二の足を踏んでいる。2年に1回ぐらいしか使わないものに10万円・・・・・。

そこで一計を案じて、手持ちの写メ用携帯電話で地図を持ち運ぶことにした。むろんケチな私がケータイでインターネットなどできるわけもないから、その地図はJPEGファイルだ。地図はGoogleを使う。必要箇所のGoogleMapをブラウザで広げ、スクリーンショットを撮ってメールに添付してケータイに送る。あらかじめ、Photoshop LEでポイントになる場所に目印をつけたり、メモを書き込んだりもできる。GoogleMapもこのような私的利用であれば権利上の問題もないと思う。非常に安価で賢い方法だと自分をほめてやりたかったのだが、作業を進めると幾つかの障害が見つかった。

私のケータイはカシオのG'zOne CA002というちょっと古いものだ。そいつは大きな添付ファイルは受け取れない。カタログ上は500キロバイト、実際に上限を測ってみると550キロバイトぐらいまでのようだ。だから、大きな地図は送れない。必要な縮尺の地図を切り貼りして適度なファイルサイズのものを作る。また、受け取ったとしてもG'zOne CA002では表示できない場合もある。ファイル容量300キロバイトほどのものでも、サイズの大きな地図は表示できない。こちらの上限は2000×1500ピクセル、画素数にして300万程度のようである。内蔵されているカメラが作るJPEGのサイズと同じぐらいまでらしい。

あとは実際に使用するときの障害を検討しておかねばならない。まずはG'zOne CA002の画面は暗い。メールさえ打てなくて慌てたこともある。もっともあのときは偏光サングラスをしていたことに後で気づいたのだが。肉眼でも屋外で地図がよく見えるかどうかが不安だ。老眼鏡も必須だ。あらかじめ実地練習をしておいたほうがいいだろう。

また、G'zOne CA002には簡易なGPSの機能がある。一丁池らしい地点の緯度と経度を記録しておけば、世界中のあらゆる場所から方角と距離がわかる。誤差は10mぐらいなのでけっこう使えることは分かっている。今回も場所登録はしておく。ただし、GPSの利用に1回10円ぐらいかかるから、使用は躊躇することになる。


2011.08.5(金)晴れ一時雨 一丁池探査に大進展

一丁池空撮

一丁池探査計画で大きな進展があった。どうやら最有力候補といえる場所が見つかったのである。なんと、驚くべきことに国土地理院は地図を作成するために撮り貯めた航空写真をウェブで公開している。しかも数千円で写真のデジタルデータが購入できる。写真は国土地理院のものだけでなく、私が生まれる以前に米軍が撮ったものもある。とにかく、たぶん数万点に達する日本中の航空写真が見放題なのだ。

私が一丁池を知ったのは1975年頃のことである。そのころの航空写真があれば、まず間違いなく一丁池を探し当てることができるだろう。期待に胸をふくらませ、北伊予周辺の写真を探すと、再び驚くべきことに1975年のカラー版の航空写真が見つかった。しかもその写真は300dpiぐらいの高精度で公開されているのだ。私は驚喜した。この写真の存在をこれほどありがたがる人間は空前絶後かもしれない。

ほとんどなめ回すように写真を見た。とうぜんのことながら、現在候補地にあげてある数か所を重点的に見た。そこが候補地に過ぎないのは、ヤフーなどの写真で見る限り当時の一丁池の名残をぜんぜん留めていないからだ。現在の航空写真では池の背景にあった窪んだ湿地はどこにも認めることができない。おそらく開発の手が入り水田かなにかになっていると判断できるから、1975年当時の航空写真と照合すれば湿地特定は可能なはずだった。ところが、候補地は1975年当時でも水田の脇にある小さな池に過ぎなかった。明らかに私の知っている一丁池ではないのだ。

もっとも恐るべき結論は、一丁池は北伊予にない、ということになる。そんなはずはないと、一から写真を見直した。携帯電話にも入れて暇さえあれば眺めていた。そして、今日の写真の矢印の所を見つけて息を飲んだ。直径5mほどの小さな池らしきものが写っている。池の南には小さな建造物らしいものがあり池に影を落としている。道路から見て池の奥は藪に囲まれた荒れ地になっているようだ。さらに詳しく見れば、池の北側には小さな白い点があり、その点の影もある。それは一丁池のあの看板かもしれない。もし1975年に一丁池が北伊予駅の東に存在していたのなら、ここ以外にはあるまいと思える。

さて、そこが現在どうなっているかというのが写真の右だ。窪地は見事に消失し道路が作られている。一丁池の本体も埋められて、Mapionという地図では「おやしろ花だん」という正体がよくわからない建物ということになっている。現状では、ここが池だったということは、地図でも写真でも絶対に読み取れない。見つからなかったはずだ。私はまた一歩一丁池に近づいた。


2011.08.7(日)晴れ一時雨 国土地理院関東地方測量部にいった

一丁池25000

そして残る疑問は、航空写真で池と認められるものが本当に池なのかどうかということだ。池みたいだけど池じゃないおそれもある。丸い芝生なのかもしれない。それを確かめるには古い地図にあたればよい。三度驚くべきことに国土地理院では古い地図を無料公開している。地図の中の地図、ザ・基本オブ地図の2万5千分の1は原則としてすべてのものを一般人が閲覧できるようだ。たぶん数万点におよぶアーカイブだ。さっそく九段にある関東地方測量部に出かけていった。

関東地方測量部の9階に閲覧室があり、パソコンを操作して地図を検索閲覧できる。操作に不慣れでもかわいらしいお嬢さんが手取り足取り教えてくれる。ふつうのオヤジならわからないふりをして好意に甘えるところだが、私は日常かわいいお嬢さんに不自由していないので、ファイルの在処だけを聞いて自分で操作することにした。

目的の場所がのっているのは2万5千分の1の「松山南部」である。地図はすぐに見つかった。新旧10枚ほどが保存されている。古いものには確かに一丁池と当たりをつけた場所が池として表示されている。今日の写真の中央だ。1955年に発行された地図を再撮した。一丁池が記載されているのは、これが最後だ。1968年に改訂された地図には影も形もない。その7年後に撮られた1975年の空中写真には池が認められ、私も実物を目撃しているのだが、地図上からは消えている。その理由として、一丁池は1968年頃には深い部分だけに常時水があり、広い氾濫部分は涸れていたからではないかと思う。尻尾の消えた彗星みたいなものだ。

米軍などが撮影した不鮮明な古い白黒写真でもそのつもりで眺めるならば、一丁池は長径100mほどの全体が黒々と認められる。それぐらいのサイズであれば2万5千分の1に載る堂々とした池であるけれど、直径5m程度では残念ながら記載に届かなかったのかもしれない。

また、1991年の2万5千分の1には一丁池のあるところに新しい道路ができていることが示されている。つまり、それまでに一丁池は埋め立てられて消滅したことになる。そして、しばらくは水田として使われたようだが、1996年の地図にはいまの「おやしろ花だん」と思われる建物が描かれている。

国土地理院では地図の写しを500円でゲットできる。一も二もなく1955年の「松山南部」を求めた。その地図で一丁池の周辺をみるならば、かなりの数の小川が流れていることがわかる。図では波線で表されているものだ。地図上で一丁池に流入、流出する川がないのが気になる。私が見た限りではため池っぽくはなかった。土手が整備された様子がないからだ。一丁池が地下水脈が緩やかに自噴する泉なら、そういうものを埋め立てるときにどのような工法をとるのか知りたいところだ。

ついでに「裏の川」の名称を確認すべく八幡浜の2万5千分の1も開いてみた。ところが、どの時代の2万5千分の1にも池田川、樽井川双方の記述がなかった。どうやら私がかつて使っていた地図は国土地理院の2万5千ではなかったのだ。むろん5万や1万でもなかった。ただ、どうみても国土地理院の地形図をベースにしたと思われる地図にそれらの川の名が記載されてた。いまでも、地域高規格道路「八幡浜道路」の事業概要ルートを示す地形図には両方の川の名がある。また、MapFanWebにも両方の名をみとめることができる。

この点を国土地理院に尋ねてみると、ベースは2万5千分の1で各社それぞれが独自のデータを付け足してオリジナリティを出しているのではないかということだった。おそらくそういうことなのだろう。ローソンとかペットショップならともかく、地元民ですら知らないような川の名をどうやって調べるのか、ちょっと知りたいところである。もしかしたら古文書みたいな台帳が各自治体にあるのかもしれない。であれば一丁池という記載がある文書が存在している可能性がある。ただし、つぎにやるべきことは徳丸に出かけて、住民に「この辺にむかし一丁池ってのがありませんでしたか?」と聞き取り調査することだ。空振りの公算は大だが、まずは一丁池の真上にある「おやしろ花だん」からだ。


2011.08.10(水)晴れ 虚恋

瀧本美織ちゃんを愛している。片思いのベタぼれだ。数十年ぶりの恋心の芽生えといっていい。彼女を最初に目にしたのはてっぱんというドラマの番宣写真だった。感じのいい娘さんだと思った。その程度のことは、KARAのスンヨンや市川寛子ちゃんあたりでも起きていることで珍しいことではない。ただ、それでは済まずになにかひっかかるものがあったのだろう。ドラマをちょこっと見たり、ソニー損保のコマーシャルフィルムや車内広告をみたりするたびに、心の中にぐんぐん入り込んでいたらしい。ある朝、自分が彼女にメロメロになっているという夢を見た。その手の夢判断が得意な私は即座に観念してしまった。もう一生彼女の虜だ。

一般論として恋の過程は個人の意識とは独立して進行する。地下水脈のように日常の意識と無関係な流れがあり、気づいたときには病膏肓に入っている。そして、何かのきっかけで恋心が意識されることになる。注意すべきは、きっかけはきっかけであり決して原因ではないことだ。両者は似て非なるものだ。原因を取り除けば結果としての現象も消える、あるいはそもそも原因がなければ結果もない。いっぽう、きっかけはあろうがなかろうが事象自体に変化はない。

私は恋の意味と無意味を知っている。恋は動植物が10億年かけて磨き上げた極めて強力な情動である。その本質は非人間的なパッションであり、無色透明で強力な力によって動植物も人間も動かしている。恋自体は美しくもなくすばらしくもなく貴いことでもない。もちろん醜いことでもみっともないことでも悪いことでもない。誰かのなにがしかの行為を待ってはじめて恋に臭いや色がつく。

昔、UFOの映画で接近遭遇というコンタクトのレベルがあったが、あれはじつは恋の定型的行程の模倣である。人間を含めた全ての動物がその種に決められた行動様式にのっとって配偶行動を行う。その特異な行動のドライビングフォースを特別に恋という。第1種接近遭遇(片思い)は第2種接近遭遇がなければ、私が死ぬまでそのままだ。幸いなことに私が彼女と接触するおそれはなく、さしたる実害はないだろう。通販型自動車保険のソニー損保と契約する気もなく、ドラマだってわざわざ見にいったりはしない。画面を介してのたまたまの出会いに胸高鳴らせていればよいのだ。慣性の法則は人の心にもあり、動くべきときに止まっているのは、動くのに等しい力が必要だ。恋の相手が瀧本美織ちゃんで本当によかった。片思いの対象が接触可能なお嬢さんであれば、大きなエネルギーをさいて知らんふりをすることになる。

ちなみに、テレビの中や写真の人物も人間として認識し、恋の対象になるほどの個性を認めうるのは人類に特有の能力である。ちょっと古い時代には虚像はそれほど多くなかったと思う。ミロのビーナスは極めて美しいが、しょせんは彫刻だ。TVタレントよりもちょっと高いハードルを越えなければ、彼女に恋心を抱くことはできない。生の人間に直結する虚像は強いのだ。かつては確たる対象のない虚恋は珍奇な病のようなものだったろう。生物は人間となって、プリミティブな情動を客観視できることを発見した。虚恋はいまの人間の特異現象ともいえる。そのことに気づいている者もすくなく、その意味を研究する者もいない。しかしながら、私は虚恋が社会の落ち着きにたいして無視できないほど大きな役割を担っていると思っている。


2011.08.19(金)晴れのち雨 いっちょうじ(ぢ)

夏休みで八幡浜に帰省し、北伊予に行けることになった。北伊予は八幡浜からのんびり日帰りサイクリングでも行ける。自転車は老朽化が著しくてそろそろ長距離は厳しくなりつつある鉄パナレーサーだ。まずは夜昼峠を越えて大洲の平野へ。平野からは海風の吹く肱川にそって長浜へ。長浜からは伊予までは瀬戸内海沿いの夕やけこやけライン。ざっと20kmにわたって信号も交差点もなく左手はすぐ海というほぼ直線でフラットな道だ。

小さな峠を越えて伊予市に入って戸惑った。建物と道路が予想以上に多いのだ。そうなると道にも迷う。海沿いを30km/hぐらいで走れば涼しいが、迷う不安をかかえてゆるゆる走る田舎道では日射がこたえる。いまの開発は道路を軸に行われている。JR線は種々雑多な建造物が入り交じった中に埋没している。目標にしている北伊予駅が簡単には見つかりそうもない

記憶にある地図とケータイに保存してある地図をたよりに、なんとか北伊予駅を見つけた。しかし、なんの感慨もない。建物自体はおそらく昔のままと思われるが北伊予駅自体の記憶がないのだ。そして駅の周辺にも35年前の体験を呼び起こすものは皆無だ。

北伊予駅を出発点に、愛媛情報専門学校や光永産業を目印にして「おやしろ花だん」なる場所を探す。自転車で走っていると想像とはちがってゴミゴミした感じがする。35年前のあの広々した風景がないことは覚悟していたものの、このあたりの開発のスピードにあらためて驚く。GoogleやYahooの航空写真が撮られたときから較べても建物が増えているようだ。

おやしろ花だん

「おやしろ花だん」はすぐに見つかった(写真)。ただ、予想していたものとは違っていた。Yahooの航空写真では建物らしいものが写っているのだが、そこは一見するとただの荒地に見えた。注意してみるならば、桜が植えられ小型の鳥居が建ててあることがわかる。ということは「おやしろ花だん」のおやしろは「お社」で、花だんは「花壇」なのだろう。花壇とはいっても、目立つのは乾いた荒地に強いイネ科の雑草だ。

策に囲われたポンプもあった。これはYahooの航空写真でも確認できた正方形の建物の正体だ。ポンプがあるなら、ここが一丁池の跡地なのは確実だ。念のためG'zOne CA002のGPSでも調べたが16mの誤差で地図と一致した。ちなみに愛媛情報専門学校の筋向いにもポンプ場があって上水として利用されている。一丁池も同じように利用されているらしい。

かつて一丁池があったはずの場所に立って360度周囲を見渡してみた。何の感慨もない。幼稚園や墓地は見た覚えがあるようでないようではっきりしない。私が立っている地面も当時はなかった土が積まれているはずだ。

さて、残るは近所の住人への聞き取りだ。うまいぐあいに、すぐ近くに農作業をする老夫婦がいた。一丁池のことを尋ねてみた。まずおどろいたことにその名前が違っていた。かれらは「いっちょういけ」ではなく「いっちょうじ(ぢ)」とよんでいたという。どんな字をあてるかは不明。付近にはいっちょうじ以外には私が探しているような泉はなかったという。いっちょうじは30年ほど前の水田と道路の整備でなくなり、跡地はお年寄りが趣味で維持している花壇になった。鳥居はあるが神社の土地ではなく、いたずら防止のためにお年寄りが立てたものらしい。ポンプは上水道用ではなく農業用のものだ。周辺の田の水は砥部の方から引いているが、不足したときに汲み上げて使うとのことだった。

結局、現地を訪ねてみても当時の記憶は何も蘇らなかった。しかし、池があったことは確かで、あの水を二度と見ることができないことも確実になった。名称の違いは、私が看板を見たときに「一丁地」とあったのを「一丁池」と見間違えたのが原因かもしれない。

第二候補

冷静に考えるとへんなことをやった。あの老夫婦にとっても、自転車選手のような格好をしたおやじに30年も前になくなった取るに足らない小池のことを標準語で尋ねられるというのは奇妙な体験だったろう。まあ、それだけの収穫はあった。

ことのついでに、一丁池の第二候補(写真)も訪ねてみた。Yahooの航空写真にもはっきり写っている池だ。周辺の状況も池のしつらえも一丁池の印象とは全くちがうものだった。有刺鉄線で囲われ、立ち入り禁止の赤旗が立っている。そうされなくても池の水面はびっしり浮き草が覆って近づきたくない雰囲気がある。さすがの私もこの池をもう一度見たいとは思うまい。


2011.08.20(土)くもりのち雨 思ったより遅かった

軽い半原1号がかなり楽しい。一週間ほど八幡浜にデポしてある鉄のパナレーサーに乗り続けた効果だ。わざと負荷をかけておいて決戦のときには身軽になるという、ドラゴンボールでも多用される古典的戦法である。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'31"4'31"+115.715772185
区間29'39"5'08"-213.816977197
区間314'35"4'56"-1414.517273193
区間420'38"6'03"-2711.917768205
全 体-4213.816972196

風のようにびゅんびゅん進んでいるが、それが気のせいであることはラップタイムでわかっていた。区間2なんか4分半ぐらいだと思って、時計をみると5分8秒で・・・がっかりした。パナレーサーの鉄下駄効果は気分にしかでないもののようだ。ただし、タイムのわりには心拍数が低いのはちょっと注目だ。


2011.08.21(日)雨 にせ隕石再採集

カラミ

長浜町出海の海水浴場にカラミがあると聞いて出かけた。

八幡浜の最高峰である金山(おいずしやま)の金というのは銅鉱石のことだという。金山の西には銅が鳴(どうがなる)という鉱山そのまんまの名のピークがある。銅が鳴は高校のとき何度か登った。山頂のごく狭い部分にクマザサの群落があった。八幡浜のクマザサはちょっと珍しい。またそのころ使っていた地図には銅が鳴の近くにマンガン鉱山の印もあった。すでに廃坑になっていたはずだが、いつか訪ねてみたいと思っていた。

近所の稲ヶ市(いながいち)にも謎の洞窟があった。子どもの肝試しにはあまりにも危険な場所だが、数人で何回か入ったことがある。あれも山師の試掘跡だったかもしれない。また、私の生家の床下には誰が拾ったものか、黄銅鉱や輝安鉱らしい鉱石が転がっていた。

そのように、八幡浜にはささやかながら鉱物資源もあり、佐島などに精錬所があった。その時代の精錬クズ(カラミ)を小学生の私が海岸で拾って宝物にしていたようなのだ。じゃ、もう一度あの宝を探してみようと、いろいろ調べて、一番手近なのが出海の海岸だった。

自転車で夜昼峠(旧道)、肱川、夕やけこやけライン(378号線)を通って出海へ。夕やけこやけラインはずっと海岸線の崖上にある。道ばたにあるコーヒーショップの脇に階段が作られ、浜はささやかな海水浴場になっている。そこに降りると目的のものはすぐに見つかった。浜を埋め尽くすほどのカラミの石ころがあったのだ。八幡浜から佐田岬の海岸線はどこでも明るい青緑色の石ころで埋め尽くされている。俗に言う伊予の青石である。青石は水切りに適した平たい楕円形に研磨されることが多い。カラミは暗い色をしたまるっこい石で、青石の中で異彩を放つ。いくつか拾い上げてみれば、まさしくあのときの隕石だ。手触りも色合いも姿もまさしくあれだ。

付近の磯には黒褐色のカラミが自然石にべっとりからみついている。火山から流れ出た溶岩を思わせる。浜のすぐ上の崖に精錬所があって、廃棄物を海に投棄していたのだろうか。富国強兵とか高度成長とか、そういう無茶な時代にはそんなことがあって不思議ではない。ともあれ、このカラミが波で浸食され研磨されて浜に打ち上げられたものが、あの隕石にちがいないと思う。


2011.08.26(金)はれのち雨 ツリー・オブ・ライフ

女房に誘われて映画を見に行った。「ツリー・オブ・ライフ」というアメリカの作品だ。女房と映画をみるのは、難解で嚥下不能なアニメ「崖の上のポニョ」以来。アメリカ映画を見るのは、ボデイビルが趣味だった友人に誘われたアーノルド・シュワルツネッガーの痛快活劇「ラストアクションヒーロー」以来のことだ。

映画は聖書の世界を忠実に映像化したもので、タイトル通り、宇宙と生命ってこんなだよっていうのを淡々と描写している。人間部分のストーリーはヨブ記だ。誕生(ビッグバン)と終末(ハルマゲドン)ってのは世の東西を問わず宗教的おおごとで、しあわせと不幸っていうのも大問題だ。とりわけ、どの生き物にもふりかかる理不尽な不幸への対処法で教義のありようはガラっと変わる。キリスト教のように全知全能の創造主を前提とすると、不幸は神の仕業ということになる。仏教のように、個人が仏陀になろうとするならば不幸の責任は個人が負うことになる。ヨブは神と勝負し、お釈迦様は自己と勝負した。そして両者は同じところに行き着いたと思う。ヨブやお釈迦様ほどではないにしても、人間の誰もが、ヒトに限らずどの生物も、同じ理不尽にさらされて生命樹を形成している。

演出の都合と分かりやすさからどうしても人間部分に時間をさかねばならないのだが、そのせいで映画のテーマが家族とか親子関係だと誤解されるおそれがある。その誤解は、生活描写でありながら人間的な部分は排除して生物に共通のエピソードをかさねて解こうとしている。その工夫が裏目にでて、誤解したままの観客はいっそう退屈するかもしれない。

映像表現としては、カンブリア紀と思われる海中の描写がうれしかった。6億年前ってどんな世界だろう、やわらかいものが半濁した海を満たしていただろうか、などと想像していた通りに作られていた。その2億年ぐらい後に、コケとカビが手に手をとって上陸している様子も私の想像そのままだった。ただ、その崖の背景にそびえる巨木はちょっとじゃまだった。「ツリー・オブ・ライフ」っていうタイトルだから、さまざまな局面で樹木が象徴的に登場するのもしかたがないのだろう。最高にたまげたのは、母親がトラフアゲハと戯れるシーンだ。あそこの芝居はただごとでなかった。

作品は随所に笑いどころが隠されてそれなりに楽しめる。しかし、抱腹絶倒、手に汗握り時間を忘れるというものではない。もし私に演出力とセンスがあって映画を作れるなら、残念ながら同類のものになると思う。話も映像もいいけど退屈だよねと自分でも思うだろう。私には「男はつらいよ」とか「ラストアクションヒーロー」のような誰もが喜べる痛快物は無理。そんなものを見る暇があればフリーセルをやるほうだから。


2011.08.29(月)はれ ヨブ記

ヨブ記を読んだときにまずは変な物語だと思った。キリスト教の正典のはずが、その他の経典に逆らってキリスト教に不利なことが書いてあると感じたのだ。

律法上の必然として、神は悪を罰するものだ。つまり悪事をなすものは神の手によって悲惨な目にあわされる。それはわかる。幸福に暮らしているように見える悪人も、本当のところは心安らかではない気の毒な人なのだ、などとこじつけることもできるだろう。その逆はなかなか腑に落ちるものではない。不幸な者が皆悪人というわけではない。悪事をはたらくものは不幸になるが、その逆は必ずしも真ではないのだ。神は何をおもって善人をいじめるのか。キリスト者お得意の試練や犠牲で片付けるようでは無責任のそしりは免れないと思う。誰もが知りたいその点を直接神に問いただした最初の人類がヨブであった。

ヨブ記の神は、善人不幸の理由は人間の知るところではない、知りたければワニ似の怪物を倒してみろという。その無茶回答をヨブも受け入れる。ホンモノの宇宙の創造主と対面したなら、そうなるしかないだろう。だが、臨済宗妙心寺派に属する一読者としては、神の的外れっぽい弁明を素直に受け入れるわけにはいかない。カバ似、ワニ似の怪物にまさる言い様ってものがあるのではないだろうか。この宗教って無茶?と思わざるをえない。

神本人にはぐらかされた以上、だれもが思いつく解決策は問題を先送りすることだ。信賞必罰を来世、あの世に送ってしまえばよい。面白おかしく暮らした悪人は地獄で裁かれ、試練に耐えた善人は天の国の住人となる。そういう世界を設定すれば、今この世で坊主がすべきことは、絢爛な来世をイメージアップし愛の力で信者を安心させることだ。つまるところ、神と人をつなぐプロデューサー業務に徹すればよい。不幸問題の具体的な解決は個人の手にまかされ、結果判断は信心に委ねられることになる。人に類似の意思を持つ全知全能の造物主を前提するとなれば、理不尽への対処はそうならざるをえないだろう。もっとも、来世で再起動というお手軽なアイデアはキリスト教だけでなくあらゆる宗教で多発的に発明されている。仏教でも善人は如来に伴われ、悪人は地獄に落ちて閻魔大王が裁くと主張する一派がある。

そういうリセットをかたくなに認めない宗派もある。宇宙の創造主はいない。因果の連鎖は永遠に続き、命は無限に輪廻し、苦のスパイラルから助けあげてくれる絶対者などはいない。解脱には各個人の努力を持ってするほかはない。そこの坊主は、解脱できた人もけっこういるし、方法もわかっているから頑張ろうと主張する。で、そう主張するからには、自らが仏陀の姿を示さなければならない。グループの中に少なくとも一人は仏陀がいなければ説得力を欠く。単なるプロデューサーではなくアーチストが必要になる。宗教界のマイナーに陥るのもしかたないところだ。

ヨブ記には人類に対する重要なメーセージがある。宇宙も自分もその運命は絶対者の手中にあるとするのはキリスト教のセントラルドグマだ。それを信じる人生は、一種の緊縛プレイになりかねない。あきらめる言い訳が簡単に見つかるからだ。ヨブ記はそこを突破した。

ヨブ記は不幸に対する諦念は神の意思に背くと主張する。ヨブの不幸の直接的原因は、異端人の襲撃であり、自然災害であり、病気だった。そしてそれらの背後で糸を引くのは神に敵対する悪魔だ。神は悪魔がなすことを傍観する。そこにメーセージがある。やりすぎた悪魔の行為を放置するなら、その結果に対する人の行いも傍観するだろう。つまり、不幸最小へのトライアルをせよということだ。みかけは天罰っぽい異端人や自然災害や病気と戦ってもよいのだ。自分の義を信じるものは神に申し立ててもかまわない。物語設定の必然か、戦闘場面を省略してそれをやったヨブは現世利益を得ている。

不運を「神のおぼしめし」とか言って簡単にあきらめてるようではだめだ。震災のときの石原慎太郎みたいに軽々に「天罰」を口にすると神の不興をかうことになる。敬虔さでイマイチだったテマン人エリパズたちは神様に叱られ、ヨブに謝罪した。仏教徒である私はそれでいいと思う。しかし、そういうストーリーは聖書の世界に似つかわしくない。当時の人は納得したのだろうか。ともあれ、人類はいま、宇宙ステーションを作り、核分裂を利用し、遺伝子を組み替えるところまで来ている。


2011.09.02(金)くもりときどき雨 石鎚山を見た

石鎚山

8月12日に石鎚山を見た。といっても、見たときはかすかな疑いもあり、今日、カシミール3Dというアプリケーションを使って確かめた。写真の左が8月の証拠写真。携帯電話の写真で石鎚は影も形も見えないが、その位置は記憶しておいた。右がカシミール3Dで作ったCGの写真。カシミール3Dでは、地形図をもとに、ありとあらゆる場所と角度からレンズの画角にあった擬似風景写真を作ることができる。そして、視界の中にある名山はその名も表示される。

石鎚を見たのは八幡浜の田浪からだった。ふつうなら八幡浜から石鎚山を見ようとは思わないだろう。石鎚までは80kmほどもあり、両者の間にけっこう高い山があって見えるような気がしない。

しかし、私は田浪から石鎚が見えたという話を聞いていた。今から40年ほど前、その当時は中学生だった。田浪に住む女友達のYさんが、ある冬の朝、山にある畑で農作業をしていると、遠くの方に雪をいただいた峰が見えた。純白の雪が朝日に照らされてきらきらとまばゆく、たいへん美しい山容だったという。その山は彼女の父親の話では石鎚山だということだ。

石鎚山は当時の私にとってあこがれの山だった。四国で一番高い山として小学校でも習う。いろいろの人から噂を聞く。氷壁があるとか、原生林があるとか、枯れ木とクマザサの野原があるとか、鎖を使って岸壁を登るとか。一度は登ってみたい山だった。その頃にはぜんぜん山登りの経験もなかった。最も高いところに立ったのは金山出石寺(820m)で、それも自動車で登った。裏山にあたる鞍掛山(629m)にすら登ったことがなかったのだ。そんな石鎚を見たというだけでも特ダネだ。ただし、その目撃談を追試する気にはならなかった。よっぽど空気の澄んだときでないと見えないはずで、田浪というところもじゅうぶん遠く、気軽に出かけることはできなかった。

その数年後には愛媛のいろいろな山に登り石鎚山の山頂にも立っていた。噂に違わず他の山とは別格の迫力があった。石鎚山系には森林限界につながる高山の雰囲気があるのだ。そして、八幡浜をはなれ、東北や日本アルプスの名だたる山も登り、田浪から石鎚山が見えることもすっかり忘れていた。

田浪から国木に抜ける立派な道路ができたのは数年前のことだと思う。川之内から田浪の尾根を越えて国木に降りる農道だ。夜昼峠方面(写真左奥に見える集落)から、その道路の最後の急斜面の直線が見える。それはまるでスキーのジャンプ台のようだった。従来は田浪から国木へ自転車で抜けるのは、押しも担ぎも必要で難しかった。今でも自転車で行く人はまずいないだろう。車で行く人がいるかどうかすら怪しいルートだ。ともあれ、ちょっと好きな田浪と国木を結ぶ道ができたのだから一回ぐらいは行ってみようと、林道芝中線のついでに走ってみたのだ。スキーのジャンプ台みたいに見えたところに立つと思いのほか景色が開けていた。携帯電話で記念撮影をしながら、右手にある山並みを見ていると、大洲の神南山から延びる尾根の彼方に青白くかすんだ山があった。距離といい高さといい、なによりもその形が、石鎚山だった。

現在では、自転車旅行の足取りをGPSで記録することができる。しかも、任意の地点から見た風景をカシミール3Dによって再現することができる。「あのかっこいい山なんだっけ?」という疑問はまず間違いなく解決することができる。


2011.09.03(土)くもりときどき雨 鞍掛周回コース

鞍掛周回

じつは、パソコンを1台買った。カシミール3Dを使いたかったからだ。カシミール3Dはマックでは動かない。これまではバーチャルPCなるエミュレーターを使ってごまかして使っていたのだが、我慢も限界だ。カシミール3Dには専用機を用意するだけの値打ちがある。そのついでに、この宇宙で最も楽しい峠周回サイクリングコースを紹介したい。

これは愛媛県の八幡浜市と大洲市にまたがる名峰鞍掛山を周回するコースだ。クリックすると地図も開く。特徴は鞍掛山を最も小さく一周できるところにある。ロードレーサーの練習コースにもなるように、未舗装の林道やがたがたの農道は避けている。一周の距離は50kmぐらい。登りは3か所ある。夜昼峠、横野峠、高野地がそれぞれ300m程度だから、獲得標高は一周で1000mぐらい。信号なんて1か所か2か所だと思う。初心者でも一日でちょうどいい感じに遊べるはずだ。八幡浜の千丈地区に住んでいる自転車乗りの人は一度いってみるといい。

鞍掛山の周囲には迷路のように林道農道があり、現行の25000の地図ではそれらが正確に表されていない。上郷から平野へショートカットする郷峠や高野地から日土にショートカットする林道、梨尾から古谷に続く道など、あるようでないようで、迷い込んでみると楽しい。その場合はロードよりもMTBベースの自転車の方がよいと思う。じつは、このルートのログを取りながら林道にも入ったが、それは編集で落としてある。カシミール3Dはそういうこともできるのがすごい。


2011.09.05(月)くもりときどき雨 千丈から夜昼峠へ

末広方面

8月26日、千丈川を右手に見ながら反時計回りに鞍掛山周回コースに向かう。今年の夏、千丈川はちゃんと流れている。近年では渇水が多く、8月には水がないことが普通になっていた。2分も走ると千丈川を離れ旧197号線は登りに入る。千丈川流域の風景はみかん畑と杉檜の林と少しの住宅で形成される。このあたり、40年ほど前はかなり水田があった。当時の航空写真を見ると、谷の底にも山の斜面にも田が切られていることがわかる。戦後の食糧増産政策が終わると斜面を切って作った水田は換金作物であるみかんの畑に変わった。同時に松と椎の林が開かれみかん畑になった。千丈川低地に細々と残っていた水田も昭和50年頃には宅地に変わった。その頃から風景はあまり変わっていないように見える。ただし、山に踏み込もうとしても人が歩くかつての細道は失われている。

梨尾から上郷に向かう所に、郷峠から流れる上谷川を越えるヘアピンカーブがある。中学のとき、Y君という豪の者が上郷から自転車で通学していた。そのY君がペダルをこすって下っていたコーナーだろう。彼の話では、あまりにスピードが出るので、ペダルを上にしていてもこするほど自転車を倒しているとのことだった。自転車はそんなに倒すと起き上がれない。彼の話はいつもオーバーだ。そういえば、ある夜に梨尾から末広上空を飛ぶ球形のUFOを目撃したとも言ってた。そちらの方が自転車のコーナリングよりも信憑性が高い。

川之内

上郷から見下ろせば川之内から田浪に延びる立派な道がある。道路は田浪の尾根を越えて国木に抜ける。しんどそうだけど一度は行かんといかんよなと軽く自分に言い聞かせた。梨尾、上郷、夜昼峠にかけては断続的にソメイヨシノの並木がある。千丈小学校の校歌にもある名物なのだが、かなり老化が進んで、部分的に植え替えがされている。現在でもきれいな花をつけるのだろうか。思い返せば桜の季節に訪れたことは一度もない。

南裏に分岐するところに小集落があり千丈地区では残り少ない水田がある。水田を過ぎて桜並木を通り、左に回るとレンガのトンネルがある。トンネルを抜けて芋畑の中に立つカーブミラーに一礼しぐるっと360度転回して竹林を過ぎる。密集する竹で見通せないけど、そこはちょうどトンネルの上に当たっている。トンネルの上を越えるとすぐに夜昼峠だ。千丈小学校から28分。小中学時代、Y君とは何をやっても勝負にならなかった。今なら、松柏中学→上郷自転車競争で勝てそうな気がする。

お地蔵さん

杉林の切通しになっている峠を過ぎてすぐ右手にお地蔵さんがいる。夜昼峠を越える者の安全を見守っているのだ。軽く挨拶してつづら折れを下っていく。大洲側は路面が湿っぽくてコケが生え滑りやすい。小さな谷にあった猫の額ほどの田んぼがなくなっている。田だったのか畑だったのかすら分からないほどの雑草の群落になった。耕作をやめて3年以上は放置しているのだろう。集落を過ぎ、クヌギのZヘアピンを過ぎて、けっこう下ったところに水飲み場がある。利用する人はそう多くはあるまいと思えるのに、いつ来てもしっかり整備されている。この水はうまい。鞍掛山の水は世界一うまいと思う。体に染み付いたふるさとの味なんだろう。


2011.09.06(火)晴れ 平野

滝の宮川

夜昼峠を下って矢之地の集落を抜け予讃線のガードをくぐると国道197号線に出る。197号線は200mばかり走って川にぶつかるところで平野(ひらの)駅の方に折れればよい。ただ、このコース唯一のコンビニであるローソン平野店が197号線沿いにある。信号を渡ってローソンに入り補給用のおにぎり2個とコーラを買う。ローソンの壁にナナフシが張り付いている。さすが田舎だと感心する。ローソンから総合運動公園にむけて30mも走ると野田本川がある。流れを見ながらコーラを飲むことにする。野田本川は私には羨ましい川だ。千丈川にはない水草が茂っているからだ。私には夜昼峠を隔てて西東で川の様相が違うことがずっと不思議だった。平野の川は水量が安定しているのが水草によいからなのだろうか。

水草が水面から出ているところはびっしりと小さな白い花で敷きつめられている。オオカナダモらしい水草がちょうど花ざかりらしい。水草の茂みは流れにそって帯になる。茂みの中にはヤゴだのエビだのがごまんといるだろう。水草がとぎれたところではカワムツが見える。水の上ではハグロトンボが縄張り争いをしている。産卵が最盛期のようで争いが絶えない。こちらで決着したと思えばまたあちらで始まる。追いかけ合いのスピードは凄まじく、ときに目で追えないほどになる。セロハンのように華奢で軽いハグロトンボがどうやってあれだけの速度を出せるのか。魚やトンボに見とれていると日が暮れてしまう。

234号線

川沿いに平野駅を過ぎ、すぐに左折して予讃線を越える。横野峠に向けてしばらくは沼田川にそった田んぼの道路だ。234号線は大半を新しく作り直している。山を削って谷に橋をかけカーブをゆるく道幅を広くする工事だ。所々の谷には完全に打ち捨てられて草木に覆われた旧道が見える。蛇行する河川にできる三日月湖のような感じだ。道幅は自動車1台ぶんぐらいしかなく、かつての不便さがうかがい知れる。ただし、自転車で走るには古い道のほうがおおむね快適だ。沼田川に沿ってそのまま行くと沼田の集落に出る。沼田からも日土へ抜けられるが、今回は鞍掛山をなるべく小さく周回するのが目的だから、そのまま234号線を行く。集落を越えて林の中に入っても路面は良好だ。八幡浜、保内、大洲、長浜はいずこの道路も大変しっかりしていると思う。10年ぐらい前に来たときは一部崩壊したところもあって自転車を担いだ覚えがある。

長い林を抜けたところにある小集落から山に入る林道を見つけた。林道は鞍掛山頂を巻いて南に向かっているようだ。自転車には厳しそうな未舗装の道だが行ける所まで行ってみることにする。というのは郷峠で挫折した経験があるからだ。発作的に上郷から郷峠を越えて平野に降りようとしたのだ。あのときは峠を越えて少し下った所で引き返した。日没の没収試合だった。南へ向かう林道ならば郷峠のあの道につながっているかもしれない。望外の再挑戦チャンス到来だ。今回はGARMINという強い味方もある。迷ってもGPSのログがとれる。

林道は鶏舎の脇を過ぎ急傾斜の登りになる。石と赤土と雑草でかなり走りにくい。腰を上げ、なるべく走りやすい場所に前輪が乗るよう落ち着いて一歩ずつ走る。石に乗り上げないよう、滑りやすい赤土の斜面は避け、雑草で路面が見えないところは運を信じる。杉檜の中の道はとことん殺風景である。緑は多く小さな花は咲き蝉の声もうるさい。イノシシらしい獣の踏跡もある。それでも寂しいのはなぜだろう。

林道にはいくつもの枝道が伸びている。林業経営の時々の必要に応じて作られている道だ。少しずつ登っている主道はだんだん鞍掛山の尾根に近づいている。感覚では右手に50mほど登れば尾根に出るようだ。ならば道なりで郷峠につくか、郷峠から下ってくる道と交差するはずである。道の感じは郷峠の道の記憶に一致している。そのまま進んで間違いないようだ。ちがっていても郷峠の道はしっかりしているはずで、見落とすおそれはないだろう。

林道終点

林道はやがて下りに入った。ということは、道なりで郷峠という可能性は小さくなる。交差点を見落とさないようにしなければならない。いくつか分岐があったが、いずれもま新しく、何十年も前からある道には見えなかった。ただし、古い道が削られて拡張されることは珍しくない。ダメだったときに入る候補にする。

走ったのは2kmほどだろうか。道は行き止まりになった(写真)。それはそれでよしとして草むらに腰掛けて昼食にする。ローソンのおにぎり2個と夜昼峠の水。かなりの急傾斜を下ってきた。帰りの登りが思いやられるが、すくなくとも事故の危険は登りのほうが小さい。横野峠に向かって引き返しつつ、候補にした分岐を2つばかり当たってみた。いずれも極めて走りにくく立派な道ではない。行先への疑心暗鬼から、適当なところで引き返した。今回のトライアルは負けとして再起にかけよう。


2011.09.07(水)晴れ 横野峠から日土へ

「峠の一軒家」という言葉には童話的な響きがある。しかしながら、峠というところは住居としては立地が悪く、峠の一軒家など滅多にみられるものでない。あえてそれを見たい場合は横野峠に行くのがいい。八幡浜から宇和町に越える鳥越峠にもそれに近い雰囲気はあるが、横野峠には及ばない。

横野峠を越えると杉林の中を日土(ひづち)に下っていく。1分ほどで分岐が現れるだろう。右に行けば出石寺の郷の峠への近道になりそうに見えるから注意しなければならない。右に行くと大洲の沼田に戻ってしまうのだ。出石寺の周辺には同じような場所が極めて多く訪れるたび自分の居所がわからなくなってしまう。私はすでに3回ぐらい(4回来たうちで)この分岐で迷っている。

もちろん沼田から出石寺に行くルートもあるが、遠回りで道は険しい。その道行きの景色は伝統的に炭焼きが盛んだったことをうかがわせる。現在も継続していることは確認していないが林や道ばたにあった小屋の感じではやってるんじゃないかと思う。山奥の炭焼きの雰囲気を味わいたい場合はおすすめのコースだ。

杉のみち

1回目の分岐をやり過ごしてちょっと下ると出石寺へのホンモノの分岐がある。鞍掛山周回コースでは迷わず左に進む。そこから日土東までは立派な杉林の中を谷川に沿って下っていく。ここは何度来ても奇妙な場所だと感じる所だ。よく手入れされた杉林の中を水が奔放に流れているからだろうか。あまり管理されていない川と徹底的に管理された人工林はミスマッチだけれど、毎度味わう奇妙な感覚には他にも原因があるように思う。

スナップしようと携帯電話を取り出して川にかかる橋に降りて行くと、大量のゴミが目に入ってきた。最近急増のいわゆる不法投棄ゴミではない。食べ物の袋、飲み物のケースなど行楽で出るタイプのゴミだ。 私の好きな場所はどこもがゴミこっそり捨場になっている。美しさに祟の恐怖が加わり悪さなんてとてもできない場所ばかりなのに、私と異なるものを見ている人が多いということだろうか。

モニュメント

日土東小学校のあたりは街道筋という感じがある。宿屋も茶屋もないはずだが旅が似合う雰囲気がある。旅と言えば、日土はお出石さん詣の通り道にあたる。かつて、徒歩で千丈から鞍掛山を越えてお出石さんに初詣に行く人たちはここに降りてきた。横野峠のあたりにも「へんろ」という札がかかる道があった。かつての遍路道を保存する動きがあるようだ。日土東小近辺も遍路で賑わう集落だったのかもしれない。天然記念物になっているハゼの老木はそういう歴史を見下ろしてきたはずだ。道端には石で作られたつがいのモニュメントがある。お地蔵さんだろうか、道祖神というようなものだろうか。私は歴史や風土というものにとことんと疎い。今、人生の落日を迎えようとして、ようやくこの手のものがいつ頃どういう人の思いで作られたのかが気になってきた。

日土東小学校を過ぎて、出石川にかかる橋のヘアピンカーブをまがると、出石川と野地川が合流した喜木川に沿って走ることになる。道路は集落に挟まれて狭い。建物も川と道路と崖に挟まれて窮屈そうだ。窓を開ければ直下に喜木川というロケーションが少しうらやましい。左手に日土小学校の立派な建物が見えてくる。建物は立派なのだが、二宮金次郎の銅像が変なことになっている。校庭にも校舎にも背を向けて、狭い裏庭に立ち、道路に向かって本を読んでいる。その姿はまるで学校嫌いで漫画しか楽しみがない児童みたいだ。どうやら、かつては金次郎さんの像があるところが校門だったのが、学校か道路の改修で校門が遠くに行ってしまったらしい。

喜木川を左手に見ながら、保内に向かうと右手に青石(せいせき)中学が見えてくる。青石の女子の制服がたいへんかわいらしかったという記憶がある。しかしいま胸に手をあててよく考えてみると、かわいかったのは服ではなく、その中身だったかもしれない。

保内から八幡浜には名坂峠(なざかとうげ)がある。八幡浜では夜昼峠以上のビッグネームかもしれない。高校教師の思い出話によると、かつて(50年ぐらい前)は「名坂クラブ」というものがあったという。そのクラブは名坂峠を越えて八幡浜高校に通う生徒が半ば強制的に入ることになっていた。クラブ活動は「自転車を降りずに峠を登る」というシンプルなものだ。自転車を降りる部員は「すいません。降ります」と大声で宣言しなければならないという規則があった。峠の薮には先輩が隠れて見張っており、根性のない走りをするもの、無言で降りるものには容赦無い叱責が加えられたという。嘘みたいな話だが、あの時代の空気ではさもありなんと思う。小学生の一部では、名坂峠から保内までブレーキをかけずに降りることができれば英雄ということになっていた。峠の麓の一番スピードに乗る所で道路は左カーブする。舗装路とはいえけっこう恐い。私にはそんなこと到底無理だった。それができたと宣言する者すらいなかった。最も英雄に近い上郷のY君はホームコースが夜昼峠であり挑戦の機会がなかった。名坂峠は自転車の難所だった。頂上には短いトンネルがあり、狭くて暗い。へろへろになって登る峠のトンネルほど恐ろしいものはない。自動車だって自転車が嫌だったろう。今でも自転車で名坂峠を越える子どもは少なくない。登りの途中で自転車を降りて押す姿も見かける。でも安心。名坂トンネルの脇には自転車用に小さいトンネルが作られ、子どもたちも安全に越えられるようになっている。

こういうエピソードを並べてみれば、ものすごいところのように見える。じっさいは、その名に反して、名坂峠はたいした坂もない道路のうねり程度のものだ。峠と呼ぶことすらはばかられる。自転車乗りというへんなおじさんになった今では、息も乱さずスイスイ登ることができる。保内への下りは緩く、時速35kmぐらいで空気抵抗と平衡する。ノーブレーキどころか加速しながら鼻歌まじりに下れる。

鞍掛山周回コースでは、名坂峠を越えるときにトンネルを使うことを推奨しない。自動車用も自転車用も通らない。実は、名坂トンネルのすぐ上には自動車がほとんど通らない旧道がある。交通量が多い(お盆のせいだが)197号線を避け旧道を選ぶのが賢明だ。旧道を使えば、ほんのちょっと登りが増えるだけで名坂峠からスムーズに高野地に行けるのだ。


2011.09.08(木)晴れ 大平から松尾へ

名坂峠から大平(おおひら)へ降りると、下りきる前に左に入る道路がある。旧道を使えば道なりで分岐をロストする心配はない。津羽井(つばい)を経て高野地に至る道だ。津羽井というのはちょっと妙な地名だ。ドイツ語の2にあたるツヴァイではないだろう。戦時中には八幡浜にユダヤ人がかなりの数滞在していたらしいから、ツヴァイの可能性はヌルではないが、阿院(アイン)や土来(ドライ)という地名はついぞ聞かないので。

八幡浜市街

津羽井は山の急斜面にある集落だ。道路は最初からつづらでガツンと登る。八幡浜市街地の眺望はきく。みかん運搬用のモノレールに自転車を立てかけてスナップした。

南からは津羽井の全貌がよく見える。八幡浜高校の裏山にあたる尾根筋に、かつて萩森城址とよばれるちょいとした遠足スポットがあった。萩森城址から津羽井方面を見ると日本列島が見つかるという噂をきいて、見物に行ったことがある。初見ではそんなことはないと思った。じっさいナスカの地上絵みたいに意識的に日本列島が描かれてあるわけではない。ところが、夜空の獅子座とかへびつかい座みたいに、そのつもりで眺めていると、ふいに津羽井の集落の配置に日本列島の形が浮かび上がってきた。一度見えてくると、能登半島や佐渡島まで見つかるから面白いものだ。

津羽井を登り切ると傾斜は少し緩くなる。かつては高野地への中間地点に萩森城址へ行く道があった。自転車でも近くまで行けたはずだ。今でもそれらしい道はある。事前に地図で調べてみると、現在は萩森城址という地名も城跡の記号もなく、立派な浄水場が記されている。地図では萩森城址の場所はわからないが、浄水場方面に向かうと何かあるかもしれないと寄ってみた。残念ながら萩森城址の案内板もなく、浄水場の先は自転車で入ることは難しかった。徒歩なら今でも行けるのだろうか。そもそも、城址といっても戦略的な拠点とは思えないような場所だ。市街への見通しも悪い。40年ぐらい前には小さな広場と建造物の跡のようなものしかなく、子ども心に、城というよりも別荘みたいなもんじゃないかと疑っていた。いつのまにかなかったことにされても不思議ではない。

巣箱

高野地への途中にはもう一本分岐があって、何かの記念物があると案内が出ている。急激に下る道であり、尾根筋にある萩森城址に行くものではないはずだ。ねんのために下ってみた。案の定、すぐ行き止まりになる農道だった。途中に蜂の巣箱が置いてあった。このタイプの物は鞍掛山周回コースの道ばたでは100個ぐらい見つかる。かなり流行しているようだ。昔のミツバチの巣とはちょっと違う。もしやと観察してみると、出入りしているのはやはりニホンミツバチだった。

巣箱

八幡浜に典型的なみかん畑と林を縫う道をしばらく行くと高野地の長谷小学校に出る。日は西に傾いて、まもなく高野地の集落は黒い影の中に入る。高野地には今回の大平からと松尾からと入寺(にゅうじ)からの3本のルートがある。曲がりくねった山道で、3者の関係はイメージしづらいが、トポロジー風には大平と松尾を結ぶ一本の線からT字の分岐で入寺に降りるようになっている。その交差点を見つけるのがいくぶん難しく、一度外せばやり直しがきかない。

小学校のとき、入寺の県職員用住宅にK君という勉強のできる子がいた。あるとき数人で高野地に遊びに行ったところ、一人はぐれ行方不明になってしまった。幸い日が暮れる前に保護され、その場所が大平だった。私が今回走った道を逆方向に泣きながら歩いたことになる。人気のない道で心細かったろう。千丈小学校の児童には大平はとんでもなく遠いというイメージがある。K君が高野地から大平まで歩いたという、その話を聞いたとき、教室で大きなどよめきが起こった。ちょっとした冒険譚といえよう。

今回は鞍掛山を小さく周回するルートのため、入寺には降りず、まっすぐ古谷に向かう。古谷から松尾の間には、八幡浜で唯一の滝といわれる鳴滝があり、鳴滝神社がある。鳴滝の橋のたもとに自転車を止めて鳴滝神社に詣でる。私には鳴滝神社が神社ランキング第一位だ。鳴滝を過ぎて西に向かうと道路は岩盤にぶつかりヘアピンカーブを描く。カーブは橋をくぐっている。その橋を通る農道は松尾の西の尾根に出る。橋は40年ぐらい前にかけられた新しいものだ。橋が作られた原因は崖崩れだった。もとあった道が幅20mほどにわたってごっそりえぐられ修復できず廃道となった。現在では道の痕跡すら不明になっている。せめて尾根のみかん畑には行けるように無理やりな感じで作られた橋だ。

橋から尾根筋への平均斜度は推定25%。もちろん未舗装。最大勾配は推定30%。しかもそこは軽トラのタイヤで路面がえぐられ、滑りやすい千枚岩の岩盤が露出している。私ならできると言いきかせ、ロードレーサーベースのクリート付き自転車で登ってみる。こういう所は覚悟を決め自分を信じて全力で挑むことだ。覚悟が中途半端だと転倒して怪我をする可能性が高い。若い頃から幾度か自転車で挑戦し、一度も成功しなかったが、今回ついに登り切ることができた。湘南海岸の歩道橋をロードレーサーで登り降りしている成果だ。

ちなみにこの橋は「樽井橋」というらしい。そのことを知ったのは八幡浜市が発表している「八幡浜都市計画道路の変更(案)」の地図からだった。私は八幡浜も走る自転車乗りとして、今後できる道路には興味津々なのだ。その地図によって「池田川」と信じていた川が本当は樽井川だと知った。それは良い名だと思った。「たるい」という音からは平安時代あたりの古語で滝をさす「たるみ」が連想できる。鳴滝のある川という意味での「たるみがわ」に樽井川の字を当てたのだろうと想像したのだ。

そこまではたいへんけっこうな話だが、樽井橋には大きな疑問符がつく。まず、無理やりかけた橋が伝統的な橋を差し置き地図にその名がのることに合点がいかない。その名も変だ。樽井橋は樽井川にかかってない。樽井川を渡るちゃんとした橋は二つもある。樽井橋の下にあるのは道路だ。

松柏

尾根のみかん畑に出ると眼下に松柏中学、その奥に八幡浜の市街地、八幡浜湾、諏訪崎を経て佐田岬半島が見える。中学生になっても、私はここで「蜃気楼」が見えると信じていた。40kmほど先にある瀬戸町(当時)大久の変電所のあたりが松柏中学ぐらいまで近づいて手に取るように見えたと思い込んでいたのだった。その経験はすでに夢の中へ追いやってしまったが、ここに立つたびにちょっとした興奮を覚える。このときもかすかに潮騒が聞こえたような気がした。


2011.09.10(土)晴れ 半原越21分18秒

神奈川のこのあたりでは稲が黄色くみのってきている。いつもの棚田も下段の方からみのっている。田の水を渓流から引いているため、おそらく下段の方がより水温が高くなるからだろう。そして、毎年成長が悪い最上段引き込み口にある数株は驚くなかれやっと花が咲いたところだ。稲のみのりは毎年うれしいものだ。ただ今年は放射能汚染の問題もあり、すなおに喜べない。

今日はかなりの改造をほどこした半原1号でやってきた。フォークをミズノの進路保持性の高いものに。ハンドルをチタンステム一体型のものに。サドルをスパイダーツインテールに。ハンドルやサドルはともかくフォークへの慣れは必要だ。

半原越は回すつもりではいった。結果として平均ケイデンスは80rpm。私としては回したほうだ。70〜75rpmぐらいのほうが楽でタイムもよいだろう。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'31"4'31"+115.716082180
区間29'39"5'08"-213.718079188
区間314'38"4'59"-1114.318382193
区間421'18"6'40"+1010.718278186
全 体-213.317780186

いつものように、側道と134号と境川を通って帰宅。ちょうど100km。このフォークだとまっすぐ走るのはいいのだが、手放しができない。自転車が自分の決めた方に勝手に走っていってしまう雰囲気。それも練習でなんとかなるのかな。


2011.09.11(日)晴れ一時雨 佐田岬半島

佐田岬地図

佐田岬半島が好きだと言いつつ、先端の灯台まで自転車で行ったことがないのは奇妙だろうか。灯台に行くのはチャレンジか観光かのいずれかだろう。私の友人ではシゲちゃんだけが自転車で灯台まで行った。小学か中学のときだ。彼はなかなかできる子どもで、灯台まで行くために自転車を改造した。当時一般だったセミドロップのハンドルを本格的なドロップハンドルにしたのだ。中学の校則では違法改造であった。おまけに、名坂峠や夜昼峠を自転車で越えるときは届出が必要という規則もあった(ような気がする)。私にはないチャレンジングスピリットの持ち主だ。シゲちゃんは日常からして末広の山の上からの自転車通学者だった。体も人一倍大きく知力、体力ともに優れていた。そのシゲちゃんをもってしても灯台往復は苦難だったらしい。「やっぱいちんち(一日)やと50キロまでや。100キロはこえー(しんどい)で」と疲れ果てたようすだった。それを聞いて自分にはとうてい無理だろうなあと思っていた。

灯台までは高校のときに徒歩で行った。テント食料持参の二泊三日だ。八幡浜高校を出発して、まず萩森城址を越え、なるべく自動車道路を通らないように歩いた。辿るのは私の父がかつて鉄砲を担いで歩いたコースだ。そのころには佐田岬には尾根づたいに歩ける立派な道があったという。私が高校生のときですら尾根道は断続的で、薮をこぎみかん畑を歩いて、さんざん迷ってしまった。自動車道路がいっそう整備され、みかん山にはモノレールが張り巡らされたいまでは、徒歩ルートを行くのは不可能だろう。イノシシ避けの電気柵で感電したり、捕獲罠に足を挟まれたりする危険だってある。

挑戦する気も観光する気もなければ、灯台まで行く必要はない。今回は佐田岬の瀬戸内海側を走ってみたいと思った。瀬戸内海側にも宇和海側に負けない立派な舗装路があるらしい。瀬戸内海側にある伊方町(旧瀬戸町)の田部(たぶ)は私のばあさんが生まれ育った集落だ。遠い故郷ともいえる田部を一度はこの目で見ておきたい。

富士シリシア

8月17日午前9時半。クランク1回転ごとにカクンカクンと不調をうったえる鉄パナで佐田岬に向かう。当然のことながらメロディーラインは使わない。時間がかかっても旧197号線でなきゃだめだ。自転車でも自動車でも、いよいよ佐田岬だという気になるのは川之石の住吉鼻の登りにかかるところだ。

そこには富士シリシアの愛媛工場がある。いまでは写真のように現代風な工場にすぎないが、かつては高い赤レンガの壁越しに古っぽい金属のタンクや塔などが見えて、秘密研究所みたいだった。化学工場なんてものは八幡浜には珍しく、そばを通るだけで胸の高まりを覚えたものだ。

大浜

住吉鼻を回り、大浜、中之浜、仁田之浜と伊方の集落を下っていく。すぐに目に入ってくるのは尾根に並ぶ風車の列だ。佐田岬は風の強い所で、風車には立地が良い。ただ、風車なんぞ立てなくても原子力発電所があって電気の心配はない。

目立つ風車にくらべて沿道の佇まいは変わってないように見えるけれど、埋め立てが進み湊浦には大きなビルディングが増えている。それに湊浦にはコンビニが二軒もあるらしい。その一つのローソン湊浦店を見つけて、コーラとガリガリ君を買った。小雨降るなか、コンビニ脇でガリガリ君をかじりながら、昼飯を買うことの是非を検討した。

用心としては持っておいたほうがいいのだが、山中を回るわけでなし、どこかの部落で何か売ってるだろう。今日は背中のポケットに保険屋のおばちゃんからもらった水羊羹も1個入っている。昼飯は後にしようと決めた。


2011.09.12(月)晴れ 伊方から大久へ

佐田岬地図

川永田からグンと登って九町に降りる。佐田岬は全部登りか下りだ。川永田はその中では長めの登りで、昔の道と現代の道が一部交差してけっこうきつくなる。それでもせいぜい200メートルほど登ればすぐに下りだ。

九町に降りるとしばらく平坦になり、右手に池が見える。亀ヶ池という汽水の潟湖だ(写真)。平地なんてものがほとんどない佐田岬半島にどういうかげんで潟湖ができたのだろうか。奇跡的な地形に思える。亀ヶ池はかつてウナギ釣りの名所だったらしい。なにかいるかな?と、立派な遊歩道から覗いてみれば、水がいまいち不健康そうな顔色だ。魚の影も見えなかった。だいじょうぶかなと、私が心配してもしかたがない。

亀ヶ池を過ぎて道は登りになり、海岸線の崖を回って塩成(しおなし)に降りる。同じようにして海岸線を回り、川之浜に降りる。川之浜には海水浴客で賑わう立派な砂浜がある。民宿なども多い。ただ、すでにお盆をすぎているからだろうか、浜に海水浴客は見当たらない。人気のない砂浜がちょっと新鮮だったりする。ふだんは一年中人が多い湘南海岸ばかり見ている。

みかん畑

川之浜を過ぎて同じように海岸線を回る。沿道はみかん畑だ。川之浜から大久にかけて、40年ぐらい前だと照葉樹林も少なくなかった。今ではかなりの急斜面も畑になっている。斜面を切って青石を積んで石崖をつくり、道をつけて畑を営む。普通のことだが難しい。モノレールを通すとみかん運びもできるようになる。慢性的な渇水は水道を引いて補うことができる。獣害は電気柵で防ぐことができるようになった。風景は変わらなくても質は変貌している。

大久

大久にも川之浜と同じように砂浜がある。人っ子一人いない。それも同様。母の生まれ育った部落でもあり、子どもの頃から夏と正月に訪れ、砂浜でよく遊んだ。肉牛の生産が盛んな地域でもあって砂浜に子牛を放して運動させたりしていたものだ。子牛に勝負を挑まれてずいぶん恐い思いをした。その牛の姿もない。観光客がいないにしても夏休みの子どもの姿もないのは寂しい。

じつは大久の砂浜にちょっとした異変を感じている。貝殻がまったく見当たらないことだ。かつて、浜には貝殻がごまんとあった。貝殻だけでなく、ウニやカシパンの殻、コウイカのフネなど正体不明なものがごろごろ転がっていた。山の子にとって砂浜はワンダーランドだ。貝殻は子ども目にきれいなもの、大きなもの、完璧なもの、ってのはなかなかなかったが、数はあった。タカラガイだって小さい普通種は履いて捨てるほどあり、拾う気にもならなかった。いまから20年以上も前になるだろうか。ひさびさに訪れた大久の浜で貝殻でも拾ってみようかと探してみた。そのときに貝殻がまったくないことに気づいた。潮の流れか季節の関係だろうと、そのときはそれほど気にしなかったが、以来数度訪れ同じ状況を確認している。

今回は大久から名取の方に登って県道255号線で田部に降りる。まちがって二名津(ふたなづ)方面に降りるとリカバリーが難しい。じっくり道を選ぶことにする。197号線からメロディーラインに合流して、すぐに255号への分岐がある。うまいぐあいに分岐の所に工場みたいなものがあり自販機もある。気を落ち着かせるためになっちゃんを飲もうと思った。コインを入れてふと自販機の脇を見るとナナフシが張り付いている。この辺のナナフシはコンビニや自販機が好きらしい。ルートを携帯電話にいれた地図で確認する。

10時前に走りだしてここまで3時間。本当は、ここで昼飯を食っておいたほうがいい。どういうわけか大久の店もスルーしてしまった。この先は店があるかどうかもわからない。昔ならあるわけがないが、今なら食パンぐらいは手に入るだろうと無理やり納得してなっちゃんを飲む。


2011.09.13(火)晴れ 月とコオロギ

部屋の窓を開け涼しい夜風を受けながらコオロギの声を聞く。この上なく贅沢な時間だ。澄んだ空には中秋の名月がかかっている。蒼い空をシアンの巻雲が流れる。ベランダの物干しの影は畳の上に黒々と落ちる。庭には数種類のコオロギがいる。りーりーりー、りーりーりーと鳴くのはたぶんツヅレサセコオロギ。ちんっちんっちんっと弾むように鳴くのはカネタタキ。アオマツムシはびーびーと元気があるのはたいへんけっこう。ただし、木の上にいて、二階でも耳元でわめかれるとかなりうるさい。こいつは年々増えているという印象がある。

庭には大好きなエンマコオロギもいるはずだ。残念ながら今年はまだちゃんと声を聞いていない。ころころというあの声は鳴く虫の白眉だと思う。

じつはエンマコオロギを増やそうと目論んで庭にすみかを作ってきた。たいそうなしかけではない。刈った柴や雑草を一か所にまとめて置いてあるだけだ。エンマコオロギは地面の物陰に隠れる習性がある。柴や雑草も効果的だろうとの作戦だ。

その成果を確かめるため、ときどき柴をめくって調べている。コオロギの他にはハサミムシも対象だ。しかし、これまでにコオロギとハサミムシが見つかったことがない。目立つのはアリばかり。アリが住むと他の虫が住めなくなる。アリがいなくても、見つかるのはナメクジとワラジムシにコウガイビル。いまいちだ。

さらにまずいことに、クロゴキブリがそういうところを好み、私の立場が悪くなるおそれがある。

私にとっては、クロゴキブリは悪い虫ではなく穏やかな隣人だ。クモの餌になる益虫でもある。ところが、どういうわけか女房はクロゴキブリが嫌いで、見つけ次第に退治しようとする。庭の柴山がゴキブリの住処になっていることは絶対に知られてはいけない。そんなものがなくてもゴキはいくらでも繁殖できるから、私の企みはゴキの数にさほど影響は与えてないはずだ。とはいえ、私がゴキのゆるやかな味方だということがバレるとまずい。それでなくても、時々庭に食べ物をまいてゴキを育てているんじゃないかという疑惑を持たれている。


2011.09.14(水)晴れ 田部から川之石へ

道路

瀬戸内側に降りてすぐに気づくのは森の深さだ。暖地の海岸を特徴づける照葉樹が生い茂っている。日当たりや傾斜の加減で田畑や山林への利用が難しく、崖崩れの防止と薪炭林として保全されてきたのだろう。木漏れ日の道路はきれいに舗装されて快適だ。ただ、瀬戸内側の道路は宇和海側にくらべても大きく蛇行しており、集落から集落へは直線距離の2倍以上かかる感じがある。

田部

神崎の鼻を回って田部の集落が見える場所に出た。たまたま255号線から田部の全体が見渡せる。思っていたよりもずっと広い。海から山の中腹まで建物が並んでいる。家屋のしつらえは立派だ。集落の中央に小さいながら谷川もある。陸の孤島の寒村という先入観は吹き飛んだ。集落の近くでは道路の拡張工事が進んでいる。田部では、道路のいたるところにお地蔵さんがいる。10mあたり一人はいそうだ。道路整備がされて法面がコンクリートになってもお地蔵さんの場所がしっかり確保されているのがうれしい。

田部で何か食べるものが買えるのでは?という期待までもってしまった。そこまでは無理だった。すくなくとも道路から見えるところに商業施設はなかった。当然だ。やはり、三机まで食料補給はできないようだ。

田部から小島まで、藤東鼻を回るときにかなり登ることになる。ちなみに、今回のサイクリングの最高地点は藤東鼻の250mだった。けっこう暑く腹が減った。昼飯の用意をしなかったことを軽く後悔しはじめている。路肩の車止めに真っ黒い蛇がいた。青大将のちょっと珍しいタイプでカラスヘビなどとよばれている。でれっと伸びてひなたぼっこをしている風情だ。ふーんと見送ってから、ふと思い直し、記念撮影をしようと自転車を止めて携帯電話を取り出して近づいていく。1mも離れているのに、蛇はギクッと驚いてさっさと逃げていった。近寄り方ががさつだったのだ。体が弱って判断力が鈍っていた。

こけた

藤東鼻から小島へは蛇行する道を下っていく。森が深く左右は暖地の海岸林の風情満点だ。日が差さず湿った路面にはコケが生えている。自動車の通行も極めて少ないようだ。思い返せばまだ1台も車にあってない。

道路の日当たりの感じがよくてスナップしようと背中のポケットを探ろうとしたその瞬間、前輪がすこっと滑った。1秒後、体はアスファルトを滑っていた。まずは体のダメージを調べる。たいした打撲はない。痛みは3か所の擦過傷のみ。走り続けるのに支障はない。路面のコケでこけっちまったのだと気づいたのは5秒後のことだ。続いてハンドル、ホイール、ペダル、サドルのダメージを調べる。左ブレーキレバーが衝撃で曲がっているだけだ。力ずくで直す。ちょっと高価な服も擦れただけで破れてはいない。ボトルの水で膝と肘の傷を洗い、こけた路面を予定通り記念撮影した。携帯電話のカメラで木漏れ日の道なんて、まずきれいに撮れないのだけど。

小島でも商業施設は見当たらない。コーラの自販機を見つけ秘蔵の水ようかんを食べた。体はコケと泥で汚れ、脚と腕に血が流れている。単なるおやつのはずの水ようかんが非常食みたいになった。

小島から大江への途中に志津(しつ)という小集落がある。佐田岬で猟をしていた父が好きだった所だ。山から見下ろす志津湾は絶品の美しさがあると何度も聞かされた。そして父は私の妹にその名をつけている。今回ようやくその志津湾を目にすることになった。コの字型の浅い湾はエメラルド色に澄んでいる。湾奥のやや緩やかな斜面に小さな住宅が行儀よく並び映画のセットのようだ。百年ほどタイムスリップしたような現実離れした風情がある。ただし、私はやっぱり湊浦が佐田岬では最高に美しいと思う。志津湾を随一とした父にも同様の心的背景があったのかもしれない。

小島を出て大江を経て三机を目指す。三机には須賀公園という遠足地があり、海水浴やキャンプの施設が整っている。臨海学校というのだろうか、中学校のとき泊まりがけで遊んだ楽しい思い出がある。40年も前のことだ。思い出といってもたいそうなものではなく、同級生のガールフレンドといちゃいちゃしたことが9割を占めているのだが、ふと、とある場所がいまどうなっているのか確認したくなった。

ともかく一刻も早く三机に着きたかった。保険屋のおばちゃんにもらった水ようかんではちょっと足らない。腹が減って自転車は進まない。ハンガーノック寸前で三机についた。三机は小学校も中学校もあるけっこう大きな町だ。商業施設もある。食料を買える店もすぐに見つかった。残念ながら握り飯はみあたらず、菓子パンとちくわを買い背中につっこんで須賀公園に向かう。

池

須賀公園は小さな島とそれにつながる砂嘴でできている。40年前にくらべてずいぶん整備されているようだ。淡水らしいプールも作られ家族連れが来ている。佐田岬半島に来てやっと泳いでいる人を見た。須賀公園で確かめたかったのは写真の池だ。長径が10mほどの陸上トラック型楕円形をしている。垂直の壁は3mほどだろうか。自然石とコンクリートで作られている。水の深さは1mほどあって海とつながっているのだ。

この池自体は40年前にもあった。しかし、そのときの記憶とはかなり様相が違う。当時は長方形型でもっと大きかったような気がする。時間帯によって水位が変化しているから、水面下で海とつながっていることが分かった。カニや小魚も生息しており、水路は砂泥の透水層だけではなさそうだったが肉眼で確認できるものはなかった。人工的建造物ながらも用途がさっぱりわからない池だった。

現在では橋のついた神社的なものがあって、宗教的な意味で保全されていることがわかる。もしかしたら、先史時代に地下水の湧き水と潟湖が連結した自然池があって、その地形の珍しさから祀られて今に至っているのかもしれない。

中学生の当時はこの池が祀られていることに気づかず歴史的な意味は読み取れなかった。それでも気になった。どういうわけか、昔からこんな感じの水たまりにひかれるのだ。

三机を出発して気力の萎えを感じている。ハンガーノックをくらっちまったのが失敗だった。足成から亀浦、伊方越と瀬戸内側を走ろうという意欲もなくなった。瀬戸中学校や立派な運動施設を見下ろしながら、宇和海側に逃げていると、塩成(しおなし)という標識が目に入った。唐突に「しかたなく行く佐田岬の町はどこでしょう?」というなぞなぞを思い出した。高校のときになぞなぞが全国的な大ブームになった。

Q 猟師が鉄砲で雀を撃ちました。弾があたったのに雀は落ちませんでした。どうしてでしょう?
A 弾に根性がなかったから

というように、そのしょうもなさは謎かけでもなんでもない。土地のことばで「よもだ」とよばれる苦し紛れの言い逃れみたいなものだ。で、先の問いの答えが塩成だった。八幡浜の方言で「仕方なく」ということを、「しよなし」あるいは「しょーなし」という。しよなしに行くのは塩成という語呂だ。

瀬戸内側はあきらめて近道の宇和海に逃げるのもしよなしだよなと自分を慰めはじめている。暑さとハンガーノックに落車の怪我、ちょっとした三重苦だ。ピークの付近で立派な橋をくぐる。橋に乗れば最短コースのメロディーラインだ。橋を見上げつつ、そんな道を使うほどはくたびれちゃいねーぜと塩成に下っていった。

九町

塩成から亀ヶ池を過ぎて九町に至る。九町からはちょっとだけ直線的に登っていく。目前の尾根に風車が見える。近づくにつれて風車は巨大化し威圧感すら感じるほどだ。右に曲がれば午前中に来た道だ。まっすぐ行けばメロディーラインに登る。ちょっと躊躇したが風車に引き込まれるようにメロディーラインに向かう。ちょっと登りはきついが、いったん乗ってしまえば湊浦まで一気だ。楽々時速40kmで直線的に下っていく。楽してメロディーラインを走るのもしよなしだ、と心のなかでしきりに言い訳している。塩成なぞなぞを思い出さなければ旧道を走っていたろう。

湊浦から保内へ抜ける大峠もメロディーラインを使えば楽々だ。上は農道の迷路まじりのけっこうな登りで、元気なときは楽しめる。峠の上には防空壕まがいの謎のトンネルもある。なんのために作ったものか、自転車で通行しても頭を打ちそうな気がするぐらい狭いのだ。

大峠もメロディーラインなら、まともな自動車用トンネルを抜けて保内に出る。味皇様の店のところから右折して寄り道だ。川之石には必ず寄る場所がある。それもやっぱり水辺だ。コンクリート護岸のへんてつもない農業用水路が目的地。私が故郷だと思っている八西(はっせい)地区で唯一メダカの生息を確認している場所だ。川之石は金山を水源とする川のおかげで、平地にも水にも恵まれている。数十年前は一面の水田であったが、宅地開発が進むにつれて田は急速になくなっていった。

少なくなっても田があれば用水路は大切にされる。30年ぐらい前に見つけた1本の水路は特異だった。両面はコンクリートであるが水底には泥がたまり美しい水草が茂っていたのだ。クロモ、カナダモ、エビモのような一般的なものばかりでない。普通の草が水没したかのような明るい緑色の水草もあった。ミズハコベやカワジシャかもしれない。その手の水草は湧水のある安定した流れで繁茂するはずだ。同様の水草は八西の他地域では見たことがない。残念ながら、その用水は当時も大部分が暗渠で湧水源は特定できなかった。ミズハコベの見られる範囲はわずか50mほどしかなく、そこにメダカが群れをなしていたのだ。

水路

今年、川之石を訪れると田は一枚もなくなっていた。住宅も増えた。案の定、珍しい水草があった場所は暗渠になり、殺風景で腐臭のただようただのドブになっていた。水草もメダカもまったく見つからない。水田がなくなれば用水にきれいな水が流れる必要はない。宅地の排水路として再利用されることになる。メダカは水質汚濁には極めて強い魚だ。繁殖に必要になるかんたんな条件さえ整っていれば排水路でも生きていかれる。今回は周辺をちょっと探しまわって、喜木川をはさんだ対岸のドブでメダカの生息を確認した。

メダカはいても水草の水路がなくなれば川之石に来る理由はなくなる。私が死ねば川之石の麗しい水路もなかったことになるだろう。そうしたことへのあきらめは早い。

さて、名坂峠を通って帰ろうとハンドルを切ったとき、後輪から大きな破裂音がした。タイヤサイドが裂けてチューブが破裂したのだ。原因は単なる劣化だった。前タイヤもいくつかたんこぶができ、破裂寸前だ。10年以上もほとんど世話をせずにただ乗りしている自転車だ。この夏の走行距離も500km以上になっている。芝中や平野の林道にも入った。よくぞここまで走ってくれたものだ。


2011.09.15(木)晴れ 美しい水路

水路

私が好きだった川之石の水路だ。撮影は1998年の8月12日。水路は画面奥に直線的に伸びて600mほど先で喜木川に合流している。このときはオオアレチノギクらしい草が生い茂り、水をかなりせき止めている。本来は駆け足ぐらいの速度の流れだ。撮影者が立っている橋からちょっと上流で197号線にもぐる。

肝心の水草はというと、一番目立つのがたぶんフサモ。黄緑色の水上葉が水面を広く覆っている。その手前にミズハコベらしい草の塊と、2種類の謎の水草がある。写真にも写っているのが画面右下の草だ。水槽愛好家がラージリーフハイグロという愛称で呼んでいるものにそっくりだ。多摩川の堰堤の裏にも生えるぐらい水辺が得意なイヌタデの類かもしれない。

もう一つはスイバ?。アマゾン川のほとりで見たアマゾンソードプラント(これも愛称)にそっくりの草が水に沈んでいた。その形で水田あたりに生える草は第一にスイバだ。スイバは水辺環境にも多いが水中葉になるという話は聞いたことがない。発見当初は、オオアレチノギクが水を堰き止めて、乾いた所に生えているスイバが沈んで、見かけ上の水草になっているのかと疑った。しかし、スイバとフサモの共存が説明できない。この2種はちゃんと調べておけばよかった。

そして見逃してならないのは、左手のコンクリートの水中に生えているコケ。これは緑藻ではない。愛好家がウィローモスと呼んでいるものの一種だ。日本名ではカワゴケというらしい。こいつがなかなかの貴重品で生息場所は限られているはずだ。水があればのぞき込む私も2か所でしか見ていない。

ここ以外では、4年住んだ金沢市の笠舞という所のアパート前の水路だけだ。玄関あけたら1秒の所に幅20センチ水深5センチの水路があった。出入りに必ずまたいでいたが、ある日、流れに沈んでいる緑が気になった。安全のために設置されている鉄製のスノコを持ち上げ、それがカワゴケだとわかったときは息を飲んだ。しかもどういうわけか、その水路のカワゴケは私のアパートの近辺10mにだけ繁茂し、上流にも下流にも見つからなかったのだ。

こんな感じで、この澄んだ水が流れる用水路は私のワンダーランドだった。暗渠になった今は、ユレモとかアカムシとか暗渠なりの生物が住んでいるのだろう。


2011.09.18(日)晴れ 秋

庭ではヒナタイノコヅチやチヂミザサが花をつけはじめた。いよいよ秋本番という感じだ。今日は、半原1号で久々の半原越。アスファルトの上には昆虫の死骸が多い。セスジスズメ、各種カマキリ、バッタetc。変わらぬ秋の光景だ。いつもの棚田も水が落とされて穂が熟すのを待つばかり。ミヤマアカネがコンクリートの畦に止まっている。

半原越に着くまでは超人的に走れるような気がしている。もう100回ぐらい抱いた妄想だ。2倍ぐらいのギアをぐいぐい回して時速20kmで駆けるイメージだ。じっさい相模川の7%ぐらいの登り200mを時速25kmで一気に駆け上がることができる。あの調子で4700mをいけるんじゃないだろうか、という妄想だ。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'21"4'21"-916.315876197
区間29'26"5'05"-513.917466188
区間314'27"5'01"-914.417564194
区間420'35"6'08"-2211.718258202
全 体-4513.917365195

半原越を降りて小田原厚木道路の側道を行く。今日は見事な向かい風。ちょっとした登りになると時速20kmしかでていない。側道脇のセブンでおにぎりを買って昼飯。運良くアイドリング駐車の自動車がいない。敷地内の昼飯ポイントで食べられる。ここのセブンの脇は荒れ地でイネ科の雑草が伸び放題なのだ。その草むらの上をウスバキトンボが群れになって飛んでいる。ネコジャラシとウスバキトンボは勝ち組だなあとしみじみ思った。秋だ。


2011.09.24(土)晴れ この世の終わりか

いつもの棚田は刈り取りが終わっていた。例年通りのことだ。向かいの山を見るとやはり台風の被害は少なくないようで、遠目にも樹木がなぎ倒されていることがわかる。所々あいている樹冠の穴で倒れた事が想像できるのだ。杉も倒れている。広葉樹も倒れている。

それはよいとして、木が枯れているのは気になる。9月も終わりで落葉広葉樹の葉からつやが消えるのは例年通りだけれど、今は異常な勢いで枯れている。清川村だけでなく、湘南から丹沢にかけて、私のサイクリングコース周辺では落葉広葉樹のかなりの葉が枯れている。とりわけケヤキは悪性の伝染病でもはやっているのかと疑うぐらいことごとく葉が茶色に変色している。草本にも枯れているものが多い。セイタカアワダチソウも怪しい。この異常な枯れの原因はなんだろう。夏の気温が高すぎたとも思えず、ここの所の寒暖の差が大きすぎたとも思えない。こうした光景を見ているとこの世の終わりかと思う。近々、専門家が見解を発表するだろうが。

倒木

半原越はずっと上ハンでやってみようと決意している。タイムアップの秘技は脇腹犬走りである。夏の初めにそれを上ハンでもやれないものかと半原越でトライして全くダメだった。単にできないことが悔しくて、それから意地になって上ハンの練習を積んできた。境川なんか3時間も連続して上ハンばかりを使ってきたのだ。その成果を試すべく今日は半原越にやってきたのだ。清川村までの短い登りでも上ハン犬走りを試し予想以上の好感触を得ている。いつもは無理しないと20km/h出せない坂で普通に21km/hぐらい出ていた。

心配はそもそも半原越が自転車で走れるかどうかだ。区間2の急坂では杉の大木が倒れ、電線にひっかかっている(写真)という危機的状況だ。ゲートでは半原越の向こう側200mで崖崩れ通行止めという看板が出ている。1年以上にわたって通行止めになった数年前の悪夢がよみがえる。まずは行ける所まで行くことだ。上ハンで。ゲートから上はとんでもないことになっていた。路面には大小の石ころが散乱し、落ち葉や枝が積もっている。ハンドルを取られないで走れるところを探りつつ進んで行くしかない。それでもずっと上ハンだ。1kmのケヤキ坂で立ちこぎした他は上ハンだ。

土砂崩れもあった。倒木もあった。かろうじて自転車が通れるぐらいには整備されており、頂上までたどり着くことができた。路面に気を使い、意地の上ハンでうまく走れたかどうか不明だが、なんとなく速かったような気がしている。弱点である腰はノーダメージだ。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'20"4'20"-1016.515879196
区間29'16"4'56"-1414.417478204
区間314'02"4'46"-2415.017577203
区間420'00"5'58"-3212.118276212
全 体-8014.317377204

帰宅してガーミンのデータを見ると、タイムはちょうど20分だった。そして平均ケイデンスは77rpm、平均心拍数は173bpm。じつはこれは何年か前に夢見た数字である。届かないかもしれないこの目標に向かって走りつづけたこの数年だった。


2011.09.25(日)晴れ 筋肉痛

今日は卓球の団体戦の日だ。朝、5時半に目を覚まして、筋肉痛があることに気づいた。自転車で筋肉痛なんて3時間100rpm挑戦以来の珍事だ。腰の奥と太ももの前。特に、青木裕子(アナじゃないほう)とよんでいる太ももの前から外にかけての筋肉が痛い。下手な自転車乗りと立ちこぎを多用する自転車乗りが痛くなる所だ。じつは上ハン犬走りは0〜80%ぐらいの立ちこぎである。傾斜のきついところでもペダルに体重をかけて高回転で走れるのが利点だ。やりすぎると青木裕子に負担がかかって回復が遅れる。体と相談して体重をどの程度かけるかが胆だ。

私は近年青木裕子をほとんど使っていない。平地を時速40kmぐらいのAT超で走っているときも、100〜110rpmぐらいを維持して腰を回す感じで乗っている。この筋肉痛はどこに負荷がかかっているかを示すと同時に鍛えるべき場所を示している。上ハン犬走りは出力と疲労度を比較すれば効率的なのは確実だ。無駄な動きを減らすとともに意識的に太ももを強化することで、もう一皮むけた走りができるだろう。

試合の結果は1勝1敗。チームも1勝1敗で予選トーナメント敗退。3年連続決勝リーグに進めていないのは、ド素人ながらちょっと残念。次の目標は卓球ではなくて自転車だ。卓球部のメンバーからも4人が11月の龍勢ヒルクライムにエントリーしている。今年は1時間切りを目標にする。


2011.09.26(月)晴れ 惚れましたの筋肉

真っ赤な顔をして「私、ほれちゃいました」といきなり告白されたことがある。彼女もあの頃は妙齢のかわいいおじょうさんだった。なんでも膝上の太ももの筋肉にカットが入っている男がたまらなく好きらしい。いわゆる青木裕子(アナじゃないほう)の部分だ。その筋肉が発達するのは自転車乗りとしては普通のことだ。自転車乗りでなくても、まあ普通にがんばる者にはついてくる筋肉だ。そういう脚が好きだというのは良い趣味だと思う。今、彼女はエベレストにまで登っちまうごつい山男の女房だ。

自転車乗りの下半身に特徴があるのは、まあ誰でも気づくことだ。じつは自転車選手ならではの筋肉は腕にある。いわゆる力こぶという腕を曲げる筋肉でもなく、その反対側の腕を伸ばす筋肉でもない。上腕外側の筋肉が発達しているのだ。自転車でも、ロードの選手の体はおおむね華奢である。手足も細い。それなのにテレビで見る彼らの二の腕の外側の筋肉は異常に盛り上がっている。それが数年来の謎だった。自転車で必要な筋肉と思えないのに、一流選手がことごとく発達している。つまり、私のほうが思い違いをしているのだ。まちがいはわかっても、何をしたらああなるのかがさっぱりわからない。

その筋肉の意味を確信したのは今日の夕方だ。世田谷の住宅街を通勤用ボロ自転車で走りつつ、上ハン犬走りを復習していた。ハンドルのステム付近を握って、ペダリングに合わせてみぎひだりと腕を引く。上ハン犬走りでポイントになるのは脇腹ではなく肩だ。肩から脇の下あたりに力が入っているときにうまくやれてる感触がある。そして、高出力のとき緊張するのが、ずばり二の腕のあの筋肉だった。

私は肩や胸にもけっこう筋肉がついてカットが入っている。じつは太ももとは別のお嬢さんに肩でほれられたこともある。肩や背中や下半身でくどけるいい体のおやじなのだが、見かけ倒しで女の子にもてても気分がいいだけだ。筋肉ってのは自転車を速く進められなければ無意味である。30年も自転車に乗ってきたのに、あのプロ選手独特の筋肉は完全なエアーポケットだった。無能者の独学の悲哀は自転車にもある。ああ気づいてよかった。


2011.09.28(水)晴れ 魅惑のタデ科

川之石の用水路で本来は水草ではない植物が水中生活している状況を見ていた。当時は水草アクアリウムをやっていたこともあって、そういうことができる植物は少なくないことも知っていた。

アマゾンあたりでは周期的に池と草原を繰り返す場所が広大であり水陸両用植物も多い。輸入され、あるいは国内で生産されてショップで売られている水草のほとんどは水陸両用のものである。そして、両用植物はどちらかというと空中生育を得意としていると思われる。程度の差はあるけれど、なんとか水中でも耐えられる陸上植物である。たいがいの水草は開花受粉結実は空中で行う。進化史をたどれば、シダを含め花も実もある高等植物の水草は、もれなく陸上生活者が再び水中に進出したものだろう。

さて、川之石で見た奇妙な水草が、スイバとヤナギタデであるなら、両方ともタデ科である。タデ科の水中生活について研究されている愛好家が何人もいて、インターネットではけっこうな量の実験観察事例の報告が見つかる。それらをソースに整理しまとめて今後の研究の手がかりとしたい。

まず、自然状態でもっとも水中に適応しているのはイヌタデ属のヤナギタデらしい。ヤナギタデは河原に多い。境川でもたくさん見つかる。ただし、通常は陸上生活者で、河原から水中に入っているものはいない。通常のヤナギタデは1年草であり、いまごろ花実をつけている。いっぽう、沈水ヤナギタデは多年草であるという。そして肝心の生息環境は、湧水源から流れだす河川に限られるらしい。

ヤナギタデの種子は水中でも発芽し成長するようだ。ただし、境川のような通常河川では定着ができない。水底の攪拌であったり透明度であったり水温であったり溶存二酸化炭素量であったり、なんらかの障害があるのだろう。水がごく浅いか根が浸る程度の水路や水田のような環境では並の空中草として一年草の生活を送る。

湧水河川の特徴は、まず水温がその場所の年平均気温に等しく、四季を通して一定ということがある。水が澄んで透明度が高い。水深が変化しない。水流が一定である。溶存酸素、二酸化炭素などの水質もおそらく変化がないだろう。正真正銘の水草が繁茂する環境だ。そういう水環境でならヤナギタデは沈水植物として数年間生き続ける。ただし、開花結実はしていないらしい。また、安定的な生息地でも主役ははれず、バイカモのような本職の脇役として細々と生きながらえているらしい。

イヌタデ属の中には環境を整えればヤナギタデのように水中生活できるものが少なくないようだ。ただし、その条件はほとんど特定されておらず自然環境で沈水草として発見されているものは少ない。特筆すべきものは、イヌタデ属のイヌタデ、私の庭で繁茂しているあのアカマンマが、ただ一例ではあるが水中で見つかっていることだ。自然保護協会のサイトに水中で開花しているアカマンマの写真が掲載されている。ギシギシ属でも水中で芽吹き沈水状態のまま成長しているものが報告されている。その場所も湧水河川だ。川之石で私が見つけスイバだと予想した草も正解でギシギシ属だった可能性が高まった。

植物が水中生活をするためには、まず第一に水を認識する必要がある。水と土あるいは空気の区別もできないようでは話にならない。水を認知できれば、次は水中に対応する体を作る必要がある。呼吸と光合成は空中と水中では異なる方法になるはずだから、それができるかどうかが関門になる。続いて、ずっと水中で生きるのか、それとも水上に顔を出そうとするのか、繁殖はどうするのか、という諸問題に直面することになろう。

タデ科は総じて水環境に親しい。現在、タデ科でくくられているものたちが、とある一種の元祖タデから分化したものであれば、その元祖タデはかなり本格的な水草であったことがうかがえる。日本にいるタデ科は、熱帯アジアで水陸両用生活を送っていた元祖タデの子孫に違いない。ひとたび水環境に適応した草が再び乾燥地へ進出しながら種分化をとげているのが、そのへんにいるアカマンマとその仲間たちだ。

何万年か前に必須だった水中生活のノウハウは彼らの体に封印されている。特別な状況下では封印が解け、段階的なノウハウが使用されることになる。どこで、どれだけの水中暮らしができるかは種ごとに決まっているだろう。人工環境下で実験ができればどんなに楽しいことだろう。


2011.09.30(金)晴れ コケと水草

われわれには空中と水中では決定的に異なる環境にみえる。水中ではほんの数分で溺れ死んでしまう。それは水中で呼吸する方法をもっていないからだ。ところが液体の中でも呼吸が可能だという実験もある。動物実験だが、人工血液の水槽の中で生きているネズミを見た記憶がある。肺の中が液体でみたされてしまっても、その液体を通じてガス交換ができれば、動物でも溺死しないのだ。植物にとっては葉が肺みたいなものだろう。水中と空中では異なる構造の葉を持って呼吸や光合成を行えば水陸両用植物になれる。ガス交換の方法という点では、水中と空中の切り替えはそれほど難しいことではないのかもしれない。

そのへんに生えている蘚類はけっこう水中でも生きられるという噂を聞いて、試したことがある。とりあえず近所の軒下に生えているホソウリゴケらしいのをひとかたまり拾ってきて、水道水を入れた小さなプラ容器に沈めて窓際においた。すると、数日で新しい茎が伸びてきた。あきらかに形態が異なる茎と葉をしている。細くて間延びし葉は広い。ちょうど、両用植物を水中に植えた感じだ。

コケというのはけっこう気難しくて植え替えをするとまず育たない。それほど環境を変えたとも思えないのになぜかいっぺんに枯れてしまう。水中に移植したホソウリゴケは、屋外で100m移動させるよりも見かけは快適そうだった。ただ、管理が悪くてやがて藻類に覆われ、育成をあきらめてしまった。蘚苔水中化マニアはもっとううまくやっている。私がアクアリウムをやっていたころに比べると、水草育成のノウハウは格段の進歩をとげているようだ。蘚類の水中化にも、同じテクニックが応用され様々な種類の水中コケが育成されている。

では、蘚類にも水草のような両刀使いがいるのだろうか。清川村のいつもの棚田の水路に生えているカマサワゴケなんかは長期の水没にも平気だ。水中葉は作らず、通常の姿で流れに沈んでいるように見える。

進化史では蘚類はかなり古いタイプの植物だろう。ただみるからに、ちょうどいま植物が陸上に進出を始めたところです、という湿っぽい姿をしている。受精は雨だのみの水中で行うらしい。陸上生活は数億年と想像できるのに、いまだに水中生活を引きずり人工環境では水草にもなれる。身近な蘚類とはいえ、その生息地は普通の植物が侵入できない間隙に限られている。しかも、そうした隙間にもれなく生えているところがまたかわいい。


2011.10.1(土)晴れ ウワハンマスター

サクラ

サイクリングコース沿線の枯れた葉が落ちはじめて、枯れた様子がよく見えるようになってきた。写真は境川に植えられている若いサクラ。この木でわかるのは右側のほうがよく枯れていることだ。右側は下流、つまり海の方向になる。この木ばかりでなく、神奈川県では海の側の枯れがひどい。

そうなると、犯人は台風が疑われる。台風15号の風は南よりだったからだ。原因は雨交じりの強風だけでなく、海の潮もあるかもしれない。ただ、清川村の南西斜面の葉が枯れているのが塩害によるものとはちょっと考えにくい。竜巻みたいなものが潮を降らせたわけでもあるまい。

半原越は今日も上ハン。ケヤキ坂でも上ハン。前回に比べて、はまらなかったな、という印象がある。ビシッとはまれば20分で行けるはずだが、走りながら腕と背中と脚の連動にイマイチ感を感じていた。それと、区間2入り口の丸太小屋(もうないが)坂で力を出しすぎて区間3をセーブした。パワー配分も良くなかった。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'22"4'22"+216.216877188
区間29'14"4'52"+214.718375208
区間314'13"4'59"+914.318067193
区間420'16"6'03"+311.918671203
全 体+1614.118072198

半原越を降りても上ハン。側道と134は平地巡航の練習だから下ハン。それ以外は上ハン。上ハンマスターをめざすのだ。ひとまず、力をセーブして登る練習は打ち切った。きれいに乗ることと、がむしゃらに乗ることをミックスして練習しないと、ホンモノの上ハン使いにはなれないから。半原越ぐらいは無理してもいいじゃないか。今日から目標タイムを4分20秒・4分50秒・4分50秒・6分00秒の20分にした。


2011.10.5(水)雨 解けなかった問題

いま小田急線の中で広告されている日能研の問題は難問である。難問だが良質である。私は電車に乗っている間に解けなかった。答えは4cm2だろうと予想はついた。しかし、その予想の正しさに自信がもてない。頭の中で描く図はぼんやりとして明確な説明が自分に対してもできなかったのだ。

問題は以下である。

三角1

任意の三角形にたいして左図のように1cm2と2cm2になる部分ができるように補助線を引く。そのとき(ア)の面積の最大値には限界がある。それは何cm2か?

三角2

一見して面白い問題だと感じる。頭の中で描いた図を順次描き直すと、左図のように、まず三角形の底辺を線分ABとして、ABに平行な青い線lとmを引いておく。lを越える高さの三角形であれば、かんたんに1cm2と2cm2の部分を切り出すことができる。問題になるのは斜線の三角形の面積だ。

三角4

斜線の部分は元の三角形の形によって変化する。例えば、左図のように三角形の頂点をCとしてBCをBC'に延長すれば、赤の斜線部分が該当三角形となり面積が増える。

また、頂点C'を任意に置くことで、すべての三角形を調べることができる。

三角3

斜線の三角形の面積は左図のようにC'を無限遠においた場合で最大になる。その面積は4cm2だ。

ここまでは暗算でもできたのだが、三角形にもいろいろあって頂点Cの位置によっては鋭角三角形だったり、鈍角三角形であったり直角三角形だったりする。はたしてどんな三角形でも4cm2と言い切ってよいのか? というのが電車の中での疑念だった。

ただ、こうして作図し平行四辺形の柱を左右にゆらゆらと動かしてみるならば、最大値4cm2は自明だった。

この程度のことでも、目で見える図がなければ考えることができない。はからずしも、こうして自分の構想力の限界を知る。天才ではないことを思い知らされるときだ。


2011.10.9(日)晴れ 強くなった自覚

モズの高鳴きが聞こえる。モンシロチョウとミヤマアカネが求愛行動をとっている。ほとんどのヒガンバナは花が終わり不稔の実をつけている。足元にある小さな1本だけが花の盛りだ。草むらでエンマコオロギとマダラスズが鳴いている。秋も本番だ。いつもの棚田脇まで走ってきて強くなっていることを自覚している。境川で自転車の神様に背中をなでてもらってからめざましい進歩があった。じつに5%〜10%も登りの速度が増しているのだ。

半原越はずいぶん掃除されてきれいになった。普段並みの感じだ。ゲートには新たに崖崩れ通行止めの看板が設置されていた。手前200m土砂崩れ通行止めはデマだ。ただ、奥の方で通行止めならあまり掃除もしないのではないかとちょっと疑っていたが、それは杞憂だったようだ。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'20"4'20"-016.315774195
区間29'09"4'49"-114.717769212
区間313'54"4'45"-515.217968207
区間419'53"5'59"-112.018369215
全 体-714.417570207

いまの力なら19分53秒も驚きではない。今回のケイデンスは70rpmだったが、もう一枚軽いギアを選んでケイデンスを上げるほうがいいかもしれない。

半原越を降りて、小田原厚木道路側道と134号線を回る。以前は、いのちだいじにやみんながんばれのルートも使っていたけど、側道の良さに気づいてがんがん行きっぱなしだ。ちょっと自転車がわかってきたからといって調子に乗るのは良くない。手綱を締めるところでは締めなければ。境川では最近のトレンドの上ハンだ。いまいち上ハンのコツが掴み切れていない感じがある。


2011.10.10(月)晴れ 矢川

矢川

神奈川には見物に足るような湧水が見つからない。もっとも、川之石のような所が世間の口の端にのぼることはまれで、運を天にまかせて水をみたらのぞき込むしか出会いの方法はない。この辺でもっとも有名な湧水河川は東京の矢川だろうか。有名所で公園にもなっている。半原2号で矢川に行ってみた。

残念なことにヤクルトの前から下流は圃場整備の工事中で川に近づくことすらできなかった。おそらく、そこが矢川の核心部のはずでちょっと残念である。川の水が止められており、無理に進入しても面白いものは見られそうにない。面白いものとは水草化したタデ科の雑草であることは言うまでもない。

矢川

矢川の水源近くはそれなりに保全され水も流れていた。お約束で市立国立第六小学校脇の水を飲んでみた。とびっきりきれいとはいえず、水温は20℃ほどあり、冷たい湧き水という感じではない。うまいともまずいともいえない癖のない軟水のようだ。

めあての水草では市立国立第六小学校がカワニナを育てているところの近くに半水中ギシギシがあった(写真)。根は完全に水の中にあり、草体も半分水に浸かっている。ただし、水中で芽吹いたものと特定するわけにはいかない。いまいちだ。

矢川

イヌタデ類は、地図に朝顔の里とある場所の近くのミクリの群落の中でみつかった(写真)。これはヤナギタデである。完全に水底に根を下ろしており、水中で芽吹いたものと決めつけてかまわないと思う。いまは普通のヤナギタデが種をつける季節だ。この水中ヤナギタデも花穂がついており、写真右端のほうに運良く写っている。来た甲斐もあったというものだ。

ちなみに、こういうこともあろうかと、持ち歩いている携帯電話は水中撮影もできるタイプだ。残念ながら今回撮影した水中写真はとても見られたものではなかった。川の中の接写はピントもなにも難しい。


2011.10.12(水)晴れ オスは移動するのか?

ジョロウグモ♂

10月のなかばになって、庭で撮影する時間が増えた。朝飯前に庭に座り込んで自慢のスーパーマクロで撮影だ。それができるのは、一つにはクロナガアリが盛んに活動をはじめたことと、蚊の攻撃がおさまってきたことによる。蚊はまだたくさんいるけれど、それほどくわれなくなってきた。夏の間とちがって今は数匹にくわれるともう終わり。いくらでも撮影に専念できる。

アリは撮ってて面白い。ただし今年の新発見はまだない。ちょっとした疑問が出てきたのは、今日の写真のジョロウグモだ。オスグモはおおむねメスの上に陣取っている。今年までは、ジョロウグモは一夫一妻だと思ってきた。若いオスはこれと決めたメスが見つかると、その巣に居座り、一生動かないものだと思ってきたのだ。

何らかの事情でメスが不在になっても、オスはその巣に止まっている。産卵で不在の場合もオスが見られるから、ジョロウグモでは交尾してもオスは殺されずに済むのだなどとも思ってきた。われながら素朴で素直な判断だと思う。

それが、ちょっとちがうのかな? と疑いはじめたきっかけが写真のオスだ。こいつは脚が2本ももげている。ジョロウグモの脚が再生するかどうかは数年来の疑問で、こうした個体を見つけるとそれなりに注意はしている。毎朝観察を続けていたはずが、このオスの所在がわからなくなった。その巣の定位置にオスがいることはいるのだが、そいつの脚がそろっている。脱皮で回復したかんじではなく、別のオスに入れ替わった感じだ。別の巣には脚のもげたオスがいる。ただし、そいつが写真のオスだという確信はまったくない。

庭には5つばかりの巣が接近して張られている。オスの入れ替わりはあっても不思議ではない。ただ、オスの移動は全く想定していなかったものだから、どの巣のオスがどんなだとちゃんと記録していなかったのだ。ないないづくしのなさけない観察だ。考えてみれば、なにがしかの事故で恋人を失う若いオスもいるはずで、そいつは岸壁の母よろしく帰らぬ彼女を待ち続けで朽ち果てるのみ、というのはかなり理不尽だ。また、1対1の関係ができる過程に闘争があっても不思議ではないのだ。


2011.10.13(木)晴れ ニコンクリーニングキットプロ

自慢のスーパーマクロにゴミが目立つようになってきた。スーパーマクロカメラの本体はニコンのD70sという古いもので、CCDのローパスフィルターに埃がつくのだ。一度付いた埃は自然に取れることは期待できない。以降、すべての写真にゴミが写り込むことになる。「気にしない」という最良の対処法もある。まあ、ためしに掃除してみようと、普通に推奨されているブロワーで空気を吹き付ける方法でやってみた。過去、何度かこれで大きなゴミがとれたこともある。

ローパスフィルターの掃除は諸刃の剣である。もとあったゴミがとれることもあれば、掃除の過程でもっとひどいゴミが付くことがある。今回は後者だった。肉眼ではゴミが見えないのだがチェックの写真では大量のこまかい埃が写っている。これはもうブロワーでは吹き取れないと思った。ニコンがクリーニングキットプロなるものを販売していることを思い出し、使ってみることにした。

昨夜、ヨドバシカメラでポチッたら今日の夕方には届いていた。さっそく無水エタノールも買ってきて、解説VTRにしたがって、レンズフィルターやレンズで掃除の練習をした。原理は簡単でアルコールで湿らせた紙で拭くだけだ。ところがフィルターで試してみると、これがなかなか難しい。アルコールでとれない汚れもあり拭きムラもできる。もっともフィルターなんてものはけっこう汚れていても問題ない。

10回ぐらい練習したらコツもわかってきた。いよいよD70s本体のローパスフィルターにとりかかると、手強いと思っていた汚れが簡単に取れた。2回拭いただけできれいさっぱりだ。レンズフィルターよりも、ローパスフィルターのほうがもともと汚れにくいだけによっぽど簡単だった。きれい好きではないほうだが、こんなに簡単ならもっと早くやってればよかった。今後は無精せずにちょくちょく掃除しよう。けっこう高価だったし。


2011.10.14(金)晴れのち雨 ニコンマイピクチャータウン

クロナガアリ

ニコンのクリーニングキットプロを買うついでに、ニコンマイピクチャータウンというのに登録した。そうするとニコンのサーバの中に写真を保存できる。その保存した写真に、このページからリンクを張って表示したり開いたりすることもできる。やりかたとしては、この天地無朋のHTMLに暗号っぽいリンク先をコピペして埋め込む必要がある。HTMLは完全に手打ちでやってるから、それほど面倒ではないのだが、古いマックに対応していないのがちょっとめんどうだ。

ただ、その面倒を押しても大きな写真を使いたいというスケベ根性がある。私がいま利用しているJ-COMでは、無料で使える領域が100メガバイトしかない。サービス開始時の10年前ならそれでも無尽蔵に思えた。20キロバイトの写真を500枚も使えたから。しかし、今時100メガってのはケチすぎる。500キロバイトの写真を20枚使ったら終了だ。J-COMに輪をかけてケチな私としては、多少のめんどさをこうむってもニコンマイピクチャータウンのように2ギガバイトを無料で使えるところに飛びついてしまうのだ。

ただし、ニコンマイピクチャータウンなんてものを常時使っていると、いろいろな広告が目に入ってくるので、カメラとかレンズとかいろいろ買わなくてもよいものを買ってしまって、結果的に散財するおそれも高いのだ。それと、いつのまにかリンク切れしていることも多々あるのだろう。


2011.10.15(土)雨のちくもり 落ち穂拾い

ジョロウグモ

昨夜から風雨が強くなった。朝、明るくなって庭に出てジョロウグモの機嫌をうかがう。雨風はまだ強い。丈夫なジョロウグモの巣がかなり壊れている。行方不明の♀も1匹いた。もっともそいつは、Eと名付けている新参者で巣の作りもまだ不完全だった。オスもいなくなったものがいる。強い風雨はジョロウグモの生活を脅かすものにはちがいない。ただ、彼らは風雨を避けることはしない。脚を伸ばした姿勢で定位置に陣取っている。その様子を傘を差して濡れながら撮影。写真だといまいち風雨の緊張感を写すことが難しい。

午後には雨もあがり半原1号で境川へ。今日は一日雨の予報だったせいか自転車はほとんど走っていない。風は南から強い。長い前線に夏の風が吹き込んでいるものとみえる。その風を感じているのかどうか、付近の林からアブラゼミの声がする。かなり元気な夏モードの鳴き声だ。

今年の庭にはチヂミザサが少ない。ちょっと頼りないササガヤばかりが目に付く。アカマンマやミズヒキもあるとはいえ、クロナガアリが好きらしいイネ科の種が少ないのはちょっと気の毒だ。境川の道ばたに生えている種をおみやげに持って帰ろうと思った。ススキとかオギとか、いかにも種がいっぱいありそうなものでも触ってみると穂が軽くて指先でつぶすとモミの中に種がないものばかりだ。その理由はよくわからない。雑草はあきらめて田んぼの落ち穂をちょっとだけもらってきた。


2011.10.16(日)晴れ 半原越20分7秒

ミズヒキを運ぶ

いよいよクロナガアリの収穫も最盛期をむかえている。写真のアリが運んでいるのはミズヒキの種。ミズヒキの種にはカメムシもたかれば、アリも運ぶ。アカマンマと同様、私の庭では貴重な花だ。

昼からは半原1号で半原越。いつもの棚田は耕起されて、でこぼこに土がむき出しになっている。そこに卵を産む赤トンボのカップルがいる。産卵行動はナツアカネっぽいけれど、やけに小型で同定に自信がない。むろん卵がみえるわけではなく、産卵行動とも言い切れない。

半原越は前回と同様に26×15Tからはいる。区間1はこの辺でまあ良い感じだ。けやき坂は立ちこぎで。ちょっとやり過ぎかな、と思ったけど力をセーブする気にはなれなかった。なまじ調子がいいだけに、最初から張り切りすぎてしまった。区間2の入り口では心拍は185bpmをカウントしていた。

自分の息づかいのほかに、鳥や虫の声が聞こえる。半原越でも一番多い鳴く虫はアオマツムシかもしれない。ツクツクボウシもアブラゼミもまだ鳴いている。路面にはカマキリ。今年はヘビを見なかった。2、3匹轢死体をみただけだ。

前半の張り切りすぎがたたって後半は力が出せなかった。ゴールして区間4のラップタイムを見て6分以上かかっていることがわかってちょっとがっかりした。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'11"4'11"-916.916777201
区間29'03"4'52"+214.718475203
区間313'56"4'53"+314.618370195
区間420'07"6'11"+1111.618669198
全 体+714.218172198

2011.10.17(月)晴れ 犬走りの秘密

犬走りに気づいたとき、目から鱗がぼろぼろ落ちていく思いがして、これは大変なことになったと思った。どんどんスピードアップするは楽になるはで、ものすごい秘技なんじゃないかと思った。しかしいま冷静に考えてみるならば、犬走りなんて基本中の基本、やらなきゃ自転車が進むわけないことが明らかになった。自転車で速く走りたいと大志を抱いてから約10年にもわたって気づかなかった方がむしろ奇跡かもしれない。

犬走りのポイントは腕を使うことにある。脚の動きに合わせて左右の腕を交互に引くのだ。それでなんでスピードアップできるのかを考えてみる。ハンドルバーをどんだけ引いたって押したって自転車は1mも進まない。言うまでもなく腕の引く力と脚の押す力を合わせればより力強くペダルを踏むことができる。だが、それは本質的に犬走りとは異なる運動だ。去年までもその手の引きは使ってきたけど、それでは1分ももたない。腰が痛くてかなわない。さいごのとっときでしかない方法だ。

人間は歩くときに普通に腕を振る。人間は走るときに自然に腕を振る。陸上競技の選手は腕の振り方を専門的に訓練する。ところが、腕を振ることは物理的には推進力にならない。ならば、エネルギーを節約して腕を振らない方がマラソンの記録が伸びるかというと、けっしてそんなことは起きない。その答えは簡単で腕と脚は連動して動くようになっているからだ。ヒトが4本脚で走っていたころのなごりかもしれない。腕を振ることが脚を出したり蹴ったり巻き込んだりする動きを誘導するのだとも言える。そこの生理学的な理屈はともかく腕を振らずには走れないことはすぐにわかる。

自転車はどうか? 自転車では腕を振ることができない。ハンドルを握っているから左右の腕を振れば前輪も振れて一発でこけてしまう。だから腕は振らない。腕力を使うときも両腕をいっしょに使う。そうすれば前輪は振れない。じつはそれが人間にとっては不自然な運動なのだ。自転車という機械に乗る人工的な運動だからといって、腕と脚の自然な連動をぶったぎる必要はない。左右の腕の引きを使わずに自転車に乗るのは、リレーのバトンを両腕で握りしめて走るようなものだ。そんな走り方で速いわけがない。北京オリンピックのボルトはゴールのときに欽ちゃん走りを披露してくれたが、あれをスタートから続けていればボルトといえども最下位だろう。

自転車では腕を振ることができない。ロードのプロだって振ってはいない。じつは振らなくても振る振りをするだけでよかったのだ。ハンドルを軽く握って、腕、肩、脇の下、脇腹の筋肉をリズムよく緊張弛緩させるだけでよい。腕を振る筋肉の神経を働かせると、どういうわけか脚がその気になって気分良く回ってくれる。このことを境川に住むといわれる自転車の神様に教えてもらった。外見上は腕を使っているように見えないし、最初は難しい運動でもあるし、多少は走り込んでいかないと効果がわからない。私の自転車仲間もたぶん気づいていないから教えてやらねば。


2011.10.22(土)雨のちくもり サクラ咲く

雨の中を半原1号で境川に向かった。10月とはいえ雨粒が暖かく自転車に乗って苦痛はない。雨はすぐやんで合羽も必要なくなり、まるめて背中のポケットに入れた。雨の日の境川サイクリングロードは閑散としている。がんがん走る気分でもなく、手放しの練習をすることにした。ふつうの日だと境川には老人と自転車が多く手放しの練習なんてできない。手放しはゆっくりやるほうが難しい。あえて時速15kmぐらいで蛇行せずに走る練習を積んだ。半原1号のミズノフォークにも慣れてきて全く問題なく走れた。

サクラ

台風で葉が枯れて相変わらず境川沿線の風景は殺伐としている。ただ少なからぬ変化もある。セイタカアワダチソウは枯れた葉の中から花芽を伸ばし黄色い花をつけている。今が最盛期だ。サクラもちらほらと咲いている。秋咲きの種類はいうまでもなく、冬から春に咲く品種のものも咲いている(写真)。サクラの花芽は夏の間に完成しているはずだ。この秋は一度気温がぐっと下がり、そのあと暖かい日が続いた。それで開花のスイッチが入ったのだろう。葉の枯死も開花に作用したかもしれない。

中途半端に枯れた葉と花の取り合わせは奇妙なものだ。その昔、花咲じいさんは枯れ木に花を咲かせて褒美を得たというが、本当にやれば悪魔の所行に見えると思う。鋼の錬金術師でやってたみたいな。

境川のサクラといえば、台風で根こそぎ倒れたものが1本ある。その木もくしゃくしゃで開きが不完全な花をつけていた。また、新葉が地面から露出した太い根から芽吹いている。根から芽というのは珍しいと思ったが、よくよく考えてみると、あれは根ではなく地面に埋もれた幹というべきだろう。倒れても芽吹いて花咲かせるってのは安い感動物語に仕立て上げることもできるなあとケータイで写真を撮りながら思った。

サクラ

へんなことになっているのはサクラだけではない。葉が枯れている落葉広葉樹がけっこう新緑の葉を伸ばしている。写真はヌルデ。ほんらいはヤツらはこれから紅葉し葉を落とす季節だ。新しい緑の葉はほどなく晩秋の冷気にあたって枯れるだろう。

落葉広葉樹の葉はふつう半年使用される。それが1か月足らずで使用不能ではコストに見合う収益がないだろう。ただ、それも人間のこざかしい計算でしかない。彼らにとっては、花開き芽吹く条件が整ってそうしているだけだ。短期的にみれば不利だけれども、本当にたくましいのは自然に逆らわぬやつらのほうかもしれない。そっちの意味で秋のサクラと新緑が私の胸を打つ。


2011.10.23(日)晴れ オスの乗っ取り

ジョロウグモ♂

もしかしたらジョロウグモのオスはパートナーを変えるかもしれないと毎朝観察を続けてきた。今朝ついに接近した2つの巣にいたオスが一つの巣に同居しているのを目撃した。しかも、本来のオスではないほうがよりメスに近い位置を占めている。そして、夕方にもう一度観察したときには、もといたオスが行方不明になっていた。現象としては乗っ取った形だ。こうしたことがわかったのは、新たなオスの脚が欠けているからだ。こいつはもともとこのメスについていたような記憶がある。

クモやアリを見てからは半原1号で半原越。今日はどうも具合が悪い。エネルギーがわいてこない感じだ。半原越はやめようかとも迷ったけれど、こういう日も走っておこうと覚悟を決めた。半原越にはいっても案の定という感じだ。つらくなくてももっと速いはずというあせりが出る。焦って腕を引きすぎるときっと自滅する。ただ、上ハンだと引こうにも引ききれず焦り自滅を防止できるかもしれない。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'37"4'37"+1715.216078180
区間29'47"5'10"+2013.617778193
区間314'57"5'10"+2013.817873185
区間421'26"6'29"+2911.018162190
全 体+8613.217572187

区間3の計測ポイントを越えたところで赤いヘビをひきそうになる。ジムグリだ。半原越で轢死体はよく見るけれど生きているやつを見るのは年に1回ぐらいだ。タイムはダメでもいいこともある。


2011.10.29(土)晴れ ひっかかっているぞ

ジョロウグモ♂

庭ではクロナガアリの収穫が最盛期。一番多いのがササガヤだ。ササガヤにはクロナガアリへの嫌がらせじゃないかと思うほど長い芒がある。そいつがけっこう引っかかるのだ。写真の働きアリはこの種をあきらめることになった。ただし、あきらめるのも早くてさばさばしたもんだ。で、その転がっている種を拾おうとするものもいない。巣から出てくるやつは目的地に一直線だ。

集めている種は、ササガヤに少しだけミズヒキがまじる。土塊だかなんだかわからないような代物を運んでいるものがいて、はて、これは何かとしばらく考えツユクサの種だと思い出した。こっそり水稲の種も置いているのだが、相手にされない。みんなササガヤスイッチが入って米は運ぶものではないと思い込んでいるのだろうか。ともあれわが家ではクロナガアリが撮り放題。なんと贅沢なのだろう。

暖かい日差しの中、半原1号で半原越。ウォームアップジェルを塗れば短パンでOK。出がけに女房が山の紅葉はきれいかと聞くので、さっぱりだと応えておいた。紅葉どころか一部では新緑なのだ。

半原越は久しぶりに思いっきり走った。TTではないが、ありとあらゆる技を使って最も速く、頂上までぎりぎり到達できる方法でやってみた。結果は19分42秒。なかなかのもんだ。区間4の平均心拍数は190bpm。最高心拍数が193bpmぐらいだから目一杯で6分走ったことになる。プチ自殺行為といえよう。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'13"4'13"-716.817071204
区間29'03"4'50"014.618572216
区間313'45"4'42"-815.218868207
区間419'42"5'57"-312.019059208
全 体-1814.418467208

半原越を降りて七沢川の草むらで昼飯を食っていると、空には彩雲。西の方には低圧部があり、高気圧の片縁にあたっているはずで、空には巻雲がけっこう出ている。その雲を太陽光線が通過して色がついている。さっそく彩雲国物語つながりのメル友に写メ。彼女は雲には興味を示さなかった。271側道から134号線を使って今日もがんがん行った。


2011.10.30(日)くもりのち雨 まにあわず

クロナガアリ

朝にクロナガアリの撮影。昨日から気温が高く活動は活発だ。動きが速いとピント合わせも難しくなるがシャッターチャンスが多く、ものになるカットも多い。今朝は100カットほどが合格点。写真はアカマンマを運んでいるところ。アカマンマは色が良くて見栄えがする。左手にあるのは、芽を出した稲。アリが運ぶのを途中で放棄したものが根を張って芽を出した。

庭で遊んでから、女房の作った朝がゆを食って、トリコとワンピースを見てチネリで境川へ。ひさびさだとチネリも使い勝手がイマイチになる。半原1号よりもずっとハンドルが低い。サドルはぜんぜん違うタイプのもの。変速装置は昔のWレバーのフリクション。STIに慣れてしまって、ブレーキレバーをちょこっと動かして、ちぇっと舌打ちをして、Wレバーに手を伸ばす。そういうことを3回ぐらいはやらなきゃなんない。ただ、フリクションの感覚はそれほど鈍っておらず、これでもいいんじゃないか? と使うたびに思う。

境川は北よりの風が強く雲が厚かった。朝はよく晴れていたものの気温と雲の感じが雨を予感させた。雨中を走る気はない。長くは走れそうもない。境川の往復だけではつまらないと、134号線にもでかけて1往復してきた。低いハンドルバーも高速巡航にはそれなりに効く。ただし、犬走りを忘れてはいけない。下ハンで気合いを入れすぎて上体に力を入れっぱなしでは結果的に速度は落ちる。ランニングの腕を振る要領が習い性になるまで、上体の筋肉に意識を集中し続けることが必要だ。

134号線を回って境川で1往復。いよいよ雨粒が落ちてきた。今日は濡れる気がなく急いで帰ることにした。向かい風の中を下ハンで気張ると、ちょっと回りを刺激してしまう。勝負を挑んでくるおじさんたちがいるのだ。あまりお付き合いする気もなく引きちぎった。向かい風なら初級者をちぎるのも難しくはない。雨は予想に反して強くならなかった。急いで損したような、向かい風でがんばれてよかったような。まあ間に合ってよかった。

念のため庭をチェック。ぽつぽつ落ちる雨のなかでアリは活動していた。種を集めてくる方向を目で追うと倒れたミズヒキがある。その茎にアリらしいものがいる。私は肉眼ではクロナガアリの姿をとらえることができない。黒いぼんやりしたアリらしい影がミズヒキの種にはりついて動かない。まさに種をもぎ取ろうとしているところなのか。千載一遇のチャンスだ。走って2階に上がってカメラを持って駆け下りてくるとミズヒキの茎にアリの影はなかった。


2011.11.3(木)くもり ブルホーン

ジョロウグモ

観察を続けているジョロウグモの巣にまたひとつ異変があった。オスが1匹ぐるぐる巻きになって絶命している。SMプレイではなく食べられたのだろう。クモの世界では珍しいことでもあるまい。交尾の最中にメスに殺され、メスが腹一杯だと捨てられ、メスが空腹だと食べられる。それは合理的だ。ただこのオスが交尾に成功しているかどうかはわからない。昨日の朝には、この巣にはじつに4頭のオスがいた。彼らの間で争いが起き、メスを余計に刺激してやられてしまったというような事故もありえる。今日はその巣に死体も含めて3頭だ。ジョロウグモのオスはけっこう移動するとみなすべきだろう。

半原1号のハンドルをブルホーンにした。思えば、もともとブルホーンだったのを龍勢ヒルクライムに出るためにドロップにしたという経緯があった。今年の龍勢ヒルクライムはブルホーン可というレギュレーションを知って戻したのだ。ドロハンでSTIも悪くないけど、ヒルクライム専用という気迫はブルホーンのほうがある。

半原越はがんがんいった。どういうわけかガーミンがうまく動いておらず区間1のデータがとれなかった。しかたなく記録には前回のものを使っている。今日は19分31秒だが、本当はもっと早かったことにしておこう。ちなみにブルホーンにすると車重が推定400g軽くなるが、軽量化はそれほどタイムには効いてないだろう。ブルホーンは重いギアを座り立ちこぎで踏める。こちらの方がタイムに効いてくる。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'13"4'13"-716.817071204
区間28'58"4'45"-514.717869219
区間313'38"4'40"-1015.318167211
区間419'31"5'53"-712.218567215
全 体-2914.518468212

半原越を降りて、がんがんいこうぜコース。ブルホーンは低い姿勢をとりにくいと予想していいたけどそれはなかった。ブラケットを握って肘を直角にする要領で体を折りたためばよい。ただし、その姿勢はけっこう腕に負荷がかかる。とりわけ二の腕の外側が辛くなった。これまで全く練習してこなかったフォームだ。


2011.11.5(土)晴れ 最高記録更新

クロナガアリ

クロナガアリは巣外で栄養交換をほとんどしない。また、ごっつんこして何かの情報交換をすることもほとんどない。ただ、ときおり奇妙な挨拶をすることがある。今日の写真はそういう挨拶シーンだ。1頭の働きアリが死にかけているような格好で脚を折りたたんで転がっていた。写真左手の個体だ。すると、そこに慌てたようなそぶりで別の働きアリが駆け寄ってきた。そのとたんに転がっていたアリはシュリンクし、寄ってきたアリの首根っこを押さえるような体勢をとってしばらく何かひそひそ話でもしていたかのようだった。そして、1分ほどして何事もなく別れていった。

庭の観察も適当に切り上げて、半原1号でいそいそと半原越へ。今日もけっこう気温が高い。自転車には絶好の日だ。13日の日曜は龍勢ヒルクライムだからあまり力を出さないようにしようかとも考えていたが、半原越に入るとやはりそれなりにがんばりたくなった。それなりなのに、区間1でタイムをチェックすると、これまでにないような数字が出ていた。区間2も早い。ヨーロッパではサマータイムが終わった。それで欧米仕様のガーミンが何かの補正でもしているんじゃないかと疑ったぐらいだ。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'10"4'10"-1017.016571207
区間28'53"4'43"-715.018172217
区間313'29"4'36"-1415.718568215
区間419'11"5'42"-1812.619065218
全 体-4914.918169214

19分11秒はこれまでの最高記録だ。ねらって走ったわけでもなくこのタイムだからよっぽど調子もいいのだろう。区間4では195bpmなんていうエラーかどうか迷うぐらいの値も出ている。心臓がずいぶん機嫌良く動いてくれたのか。今日が龍勢ヒルクライムの日だったら良かった。楽勝で1時間切っただろう。


2011.11.6(日)雨 引き算思考で撤退だ

ジョロウグモ

小雨の降る中でジョロウグモが巣の補修をしていた。こいつは大きな蛾を食ったばかりでずいぶん腹がふくれている。このまま順調にいけば産卵ができるだろう。

注意しているオスの動向だが、今日は1頭も見あたらなかった。じつは昨日の夕方から行方不明である。対象はこのメスと、少し上に巣を構えているメスの2頭で、両方からオスが消えている。

巣が破れたのはオスが見えなくなった後だ。夕方にチェックしたとき、このメスの巣は破れていなかった。それが今朝になって大きな穴があき、それを修繕しているのだ。穴のサイズからしてヒヨドリあたりが突っ切ったのかなと思う。いろいろと事件が起きるものだ。

さて、小雨とはいえ気温が高く、自転車に乗らない理由がない。半原1号で境川にでかけることにした。自転車は雨用のホイールを装着した。今日は霧が濃い。神奈川のこのあたりでは珍しいことだ。どういう加減の霧なんだろう。注意報も出ているぐらいでかなり広範囲の霧らしい。境川は空いている。自転車はほとんどおらず、目立つのはランニングの練習をしている人ばかりだ。空いていてもがんがん走る気は毛頭なく、LSDを守って80kmほど流した。

練習のテーマはマイブームの上ハン。サドルの角度と前後位置を最適に調整した。上ハンで腕や背中をうまく使うと自然に脚に力が入る。力が入っていることに気づかずに力が入るのがポイントだ。上体を使えないと同じ出力でも太ももあたりの負荷が気にかかってしまう。

ちょっと早めに帰宅して庭の整頓。プラスチック池を撤収し、スイレン鉢のアサザを引っこ抜いた。2年ほど前からハクビシンが庭をうろつくようになり、なぜかそれら2つの池に糞を落としていく。それを放置すると水が腐敗する。毎朝チェックして糞があれば捨てる、ということを続けてきた。それに疲れてしまった。猿や猪にやられる農家の気持ちがちょっとだけわかる。また、その池はもともとヒキガエルの産卵をねらったものだ。春先になって、ヒキガエルがハクビシンに襲われるようなことがあれば腹が立つ。引き算思考の撤退だ。


2011.11.7(月)晴れのち雨 雨の予感

空

今朝7時頃に撮った西の空である。快晴の空に小さな雲片が浮かんでいる。この空を見たときに雨になりそうだと思った。根拠も何もない。直感だ。朝の天気予報でも東京で雨とは言ってないし、昼頃には雨の予想も忘れていた。

今夜は渋谷で仕事があり21時半ぐらいに帰途についた。乗った電車が飛び込みに遭遇したらしく経堂で止まってしまった。世田谷通りに出てバスに乗ろうと、駅を出た所で雨だ。世田谷通りまでは思いのほか遠く、東京農大を迂回するルートもよくわからない。雨の中を迷いながら小一時間歩く羽目になってしまった。渋谷で用事がなければ事故にも遭わず雨の中を歩くこともなかったろう。

ただし、単に夜に雨が降っただけでは、早朝の快晴の空に雨を感じたことも忘れていたかもしれない。様々な偶然が重なって、雨の降り始めに遭遇したことで、予感を記憶に留めることができた。


2011.11.13(日)晴れ 龍勢ヒルクライム

龍勢ヒルクライムに行ってきた。結果は勝ちといっていいだろう。タイムは手元の時計で56分ぐらい。区間1は18分。区間2は39分だった。2年前から目標は1時間以内だったから時間はかかったもののひとまずクリアーだ。

ただし反省点も多々ある。一番は力を入れすぎて上ハン犬走りができなくなった部分があること。マイペースを維持できれば結果的にもう少し早かったかもしれない。道のりはまだまだある。


2011.11.19(土)雨 紅葉の秘密

クロナガアリ

早朝は雨が弱かった。雨が降っていても水が地面を流れるようでなければクロナガアリたちは種を集める。今朝は気温が高くとても活発だ。いまではイネ科の種はめっきり少なくなって、もっぱらアカマンマを運んでいる。写真の種もアカマンマだ。熟すと真っ黒になるが初期には花と同じく赤い種だ。アリの背中に微少な雨粒が乗っているのがいい。偶然撮れた写真だが。

ぶらり途中下車の旅を途中まで見て半原1号で境川。今日の雨はとても暖かい。これから寒さが増すと雨の中では辛くて走れなくなる。龍勢ヒルクライムは圧勝だったけれど満足していない。まだちゃんと乗れてないからだ。現状では犬走りにもっと磨きをかける必要がある。それに、きっとまだ開けてない扉があるはずだ。未知の扉があるとしても、それはあがかなければ開かない。

境川の川沿いには葉が枯れた広葉樹が立ち並んでいる。その多くが新芽をふいた。青々としたヌルデの葉を見ながら走っていてぞくっと来るものがあった。軽いユリーカ体験とでも言おうか。紅葉の秘密を掴んだ気がしたのだ。

この秋にどうしてヌルデは新芽を伸ばしたのだろう? それは、台風にやられて葉が枯れたからだ・・・・。だけど変じゃないか。夏が終わって冬に備えるのなら枯れたままにしておけば済むんじゃないか。もしかしたら冬が来ることを知らないのか? そもそもヌルデはどうやって冬を知るんだろう。時計ではないだろう。だからこその秋の新緑だ。葉の生成が体内の時間であったり日照時間で決まるのなら秋に新葉は開かない。もしかしたら葉が鍵を握っているんじゃないか。葉は呼吸をしたり光合成をしたりする。そういう化学反応には気温や光量がダイレクトに反映する。光合成不適になる秋には葉が紅葉する。外見では紅葉している葉は、内面では樹木に冬のサインを化学物質で伝えているんじゃないか。そのサインを受け取れば葉が落ちても新芽を伸ばさない。そのサインがなくて葉が落ちたから、今年のヌルデは新芽を伸ばしてしまったんだ。


2011.11.20(日)晴れ 水滴

クロナガアリ水滴

庭にあるクロナガアリの巣口のわきに水稲が芽を出している。アリに食べさせようとして私が持ってきた種が芽吹いたものだ。アリが途中まで運んで運び込むのを断念し放置したものが芽を出した。その芽には毎朝水滴がついている。今日はその水滴を撮影した。庭は真っ暗で明かりはストロボしかなく、レンズも安価なもので情感ある写真は難しい。その意味で私には水滴が撮れないのだが、それでもいろいろ工夫しようと思った。背景は明るい方が良いのか暗い方が良いのか。水滴のピントは水面がよいのか、水滴にうつるハコベの新芽のほうがよいのか。工夫すべきところはたくさんある。3カットばかり撮ったところで水滴がなくなってしまった。蒸発したのではなくアリが茎をのぼってきて水滴を壊したのだ。かまって欲しい幼児に仕事の邪魔をされた感じで、そう悪い気はしなかった。

さて今日もすさまじい暖かさで半原越へ。シチュエーションは望むべくもないほど良好なのだが、いかんせん昨日張り切りすぎて脚がぼろぼろだ。清川村の棚田についたときはもう観念していた。半原越に入っても心拍数が180bpmを越えない。酸素不足になるほど脚の筋肉を使えないのだ。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'56"4'56"3614.215979169
区間210'30"5'34"4412.717171176
区間315'48"5'18"2813.517377180
区間422'32"6'44"4410.617769182
全 体15213.617174177

今日はずっと耳を澄ませていた。もしアブラゼミを聞けば記録の大幅更新だ。今日の天気ならアブラゼミが鳴いても不思議ではない。しかし、さすがに11月の下旬だ。カネタタキやアオマツムシの声は聞こえるものの、アブラゼミらしい声はなかった。ところが、100kmの練習を終えて下鶴間の住宅街を走っていると路上にアブラゼミの轢死体があった。新鮮で肉が軟らかく今日死んだのは確実だ。どうやらメスらしいのだが、どういう経緯でこんなことになったのかミステリアスだ。オスだったら鳴いてたろうか。


2011.11.23(水)晴れ一時雨 男子が死んだ

アリの巣の脇に大きなアメリカセンダングサが生えて花をつけている。いったいだれがこんなものを持ち込んだのだ? と考えるとすぐに犯人がわかった。私だ。自分でまいた種である。去年の秋にアリに食べさせようとして持ってきたのが居着いたのだ。アメリカセンダングサの種もアリは食わなかった。アリにだって好き嫌いがある。ただ、今年の水稲を食わない理由は不明だ。

さあ今日も半原越だと、決戦用ホイールを装着した半原1号で半原越。昨日から重いギアを試してみたくてうずうずしていた。ずいぶん前に発見したことだが、ダンシングの名手になるためには重いギアが使えなければならない。シッティングとダンシングをうまく使い分けるためにはそれが必須なのだ。ダンシングの最適ギア比は体重と斜度で決まるからだ。そのときのケイデンスは60rpm以上。

半原1号のフロントアウターは38Tだから区間1はギア比2ということでリアを19Tにかけて入る。それなりに良い感じだと思えるのも15分までで重いギアは一気にダメージが来る。心拍数は後半ずっと190bpm以上の値を示している。自殺行為といっていい。健康診断の心電図で毎回異常が見つかっていることは自分にも内緒だ。重いギアでも20分を切り、区間4の57rpmで6分というのは悪い数字ではない。190bpmに目をつぶれば。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'12"4'12"-816.716666202
区間29'06"4'54"+414.618360216
区間313'52"4'46"-415.118762209
区間419'48"5'56"-412.119057215
全 体-1214.418261210

きっと重いギアを効率よく回す技術もあるはずだ。この冬は集中的にそれをやってみようと決心した。さっそく午後はナカガワを引っ張り出して境川へ。ナカガワのフロントアウターは48T、リアは13〜19Tのクロスだ。16Tを使うと3倍になる。今日は3倍で60kmほどを80rpmで流した。強度は半原越の一番緩いところで休んでいるぐらい。ペダルがどこにあっても推進力がかかっていることに注意した。むろん上ハンだ。

帰宅して風呂から上がるとふと「男子が死んだ」という回文を思い出した。40年ぐらい前には回文もずいぶんはやったものだが、最近の子どもはやらないのだろうか。半原越のダンシングで死んだとしても自分でまいた種といえよう。


2011.11.26(土)晴れ 境川で重走り

今日も重いギアを回す練習。境川に半原2号で乗りだした。境川は珍しく無風状態だ。飽きもせず上ハン持って80rpmで30km/hを目安。イメージは電動アシスト自転車。あれは傍目には低ケイデンスで激重ギアをきれいに踏んでいるように見える。半原2号にモーターがついているかのような走りが目標だ。そればっかりだと鬱々としてくるから134号線にもでかけて100rpm走をやってきた。

練習は早めに切り上げて庭の観察。気温が低くなってきたせいか、早朝だとクロナガアリの活動が鈍いのだ。撮影には動きが遅いほうがよいけれど、いかんせん朝はゆっくり歩いているだけで見ていても面白くない。午後からは活発でアカマンマの種を集めている。今日も取り合いを見た。こんども正式な所有者の勝ち。といっても彼らに所有の意識があるとは思えない。2頭のジョウロウグモは相変わらず。いつ産卵するんだろう。産卵できるんだろうか。オスはとっくの昔に姿を消している。


2011.11.30(水)晴れ ジョロウグモのオスの動向

今朝、庭に2頭残っていたジョロウグモのうちの1頭が見えなくなっていた。巣が破れている形跡はない。事故ではなく自ら移動したものだろう。最も楽観的な見方をすれば、どこかで産卵して卵を守っていることになる。

そのジョロウグモはオスの動向が気になって10月から簡単な記録をとってきた数頭のうちの一つだ。知りたかったのは、オスがメスの巣を渡り歩くことがあるのかどうかだった。私には、太ったメスの巣に小さなオスが1頭だけちょこんと控えていている印象が強く、ジョロウグモは基本一夫一妻なのだと思い込んでいたのだ。

その思い込みが間違っているらしいことに気づき、10月13日から毎朝記録を取り続けた。その記録を一覧表にまとめた。

観察した巣は、ムクゲとザクロと家屋の間にかけられている。すべての巣が直径2mほどの球に収まるほど狭い空間だ。ABCDEという記号はメスとその巣を示す。グレーの記号は留守の巣だということを表す。ABC・・・の順は高いところからふった。ちなみにAの高さは1階の屋根、一番低いDは私の腰の高さだ。赤字の♂がオスを表している。

Aは観察の日の直前にその位置に巣をかまえた。AとCはあまり位置を変えていない。おそらく同一個体と思われるが個体識別しているわけでなく確実ではない。B、D、Eは落ち着きがなくたぶん取り違えはある。オスについては、脚の脱落しているものが数頭いて体のサイズもばらつきが多く、漠然と個体識別できていた。同じメスの巣に同じようにいても実際は入れ替わっていることも確認している。ただし、オスも確実な個体識別をしたわけではなく、今回あえて分別しないことにした。

このテーブルでメスのAとCに注目するだけでも、完全一夫一妻というわけではないことはわかる。ただ、Aについては一夫一妻ふうであった。そう言えるのは、Aについていた♂は、脚が2本欠けている特徴的なものだったからだ。Aについていたのはその脚欠け♂だけで他の♂はついていなかった。そして、Aの脚欠け♂は、メスBが行方不明になった22日に一度メスCのところに移動している。そして再び24日、25日にはAのところに戻り、26日からは再びメスCに付いている。

つまり、脚欠け♂はメスAに付いていたものの、うまくことが運ばずメスCに心変わりし、一度縒りを戻したものの、結局メスCに付いたということが想像される。むろん今の時点では想像の域を出ない。

メスCは典型的だと思いたい。14日から決まったオスがついていたようだ。そして、17日と22日に見られるように、近所のメスがいなくなるとオスの数が増えている。Aに一頭もいなくなった26日からはモテモテだ。とりわけ11月2日には4頭のオスに囲まれた。翌3日に、その中の1頭がメスCによって死体にされると潮が引くようにオスがいなくなっている。6日以降はオスの存在が確認できず今日に至っている。ちなみに今朝姿が消えたメスはAだ。

このメスA、Cの観察から以下のような推理ができる。まず、成熟具合はAのほうが良かった。もしかすると、10月13日の時点でAはすでに交尾する気がなかったのかもしれない。それでもなんとなく脚欠け♂はついていた。しかし思いは遂げられず有望なメスCに移った。10月の後半にCは成熟をはじめ、11月のはじめに交尾の準備が整った。そしてオスのラッシュがあり、そのうち1頭が首尾よく交尾できて死体になった。他のオスたちはメスCがもはや交尾する気がないことを知って他のメスを求めて移動していった。または、次々に交尾して捨てられた。そして、遅れて成熟しているCはAが産卵したいまも産卵の機会を待って巣にとどまっているのだ。


2011.12.03(土)雨のちくもり あるじがいなくなった巣

枯れ葉

連日降り続いた雨はあがってみると暖かかった。クロナガアリたちは雨が小降りになると活動をはじめ種を集めている。魚露目8号というレンズの照明の工夫を思いついてクロナガアリで試してみた。だめだった。そもそもクロナガアリは魚露目8号の被写体としては小さすぎる。クロコガネからカマキリぐらいのサイズが適当だ。

ジョロウグモがいなくなると網には枯れ葉がかかったままになる(写真)。主が死んでしまった部屋の風情があっていくぶんもの悲しい。魚露目はムクゲの枯れ葉を撮るには適している。しかし魚眼のそのレンズではもの悲しさは写らない。持ち主のジョロウグモ♀は近くの草葉の陰で卵を守っているのだろうと思う。冷たい雨が続いたから少し心配だ。

雨はあがったけれど自転車で出かける気にはならなかった。部屋にセットしてある半原1号でローラー2時間。重めのギアでゆっくり走る練習。おおむね70rpmぐらい。ゆるめに一定ペースでローラーをやっていると、15分ぐらいから汗がどっと出てきて1時間すぎるとそれほどでもなくなる。汗が止まったぐらいでウォーミングアップ完了という感じなのだろうか。


2011.12.04(日)晴れ やっぱりおやじだ

みょうに暖かい日で布団から出る気がしなかった。アルパカの靴下を保温用にはいて寝たのがよかったのかもしれない。ぐずぐずして布団から出たときにはトリコが終わっていた。

庭のクロナガアリの巣には11時頃になると日差しが入る。12月でも地面に日が当たるとアリのいるあたりは相当の高温になるはずだ。働きアリたちは張り切ってアカマンマの種を集めている。この調子で2月ぐらいまで活動を続けるだろう。

半原2号で境川に出たのはもう正午頃だった。冬型の気圧配置でやや北風が強く海に向かって走るときは無風状態になる。246号線から1号線の間の境川からも2か所ばかり富士山が見えるポイントがある。冬になると日中でもあの端正で力強い姿を見ることができる。あちこちでモンシロチョウが飛んでいる。秋の生き残りなのか、昨日今日の暖かさで羽化してしまった越冬個体なのだろうか。虫も騒げば自転車も増える。追い風で競争になって車列を作るのはかんべんして欲しい。ふらふら走る子どもに背後からベルを鳴らすのもかんべんして欲しい。

境川では引き続き50×18Tに入れっぱなしで80rpm走。ただし追い風のときは90rpmで休憩走り。勝負は北向き、向かい風のときだ。上ハンで呼吸と上半身を楽にして、背中の左右を交互に使って、クランク全周で力がかかるように走る。ちょっと風がきつくなってケイデンスが落ちると境川の風景に半原越が重なって見える。見えるのは区間2の終わりのゲートを越えてからの中間ポイントのあたりだ。どうやら半原越が体にインプットされはじめたらしい。

いつもの区間を4往復して80kmちょっと走ったところで・・・・良い感じで踏めているからもうしばらく走りたかったが、4時ぐらいには帰宅した方がいいだろうと、自重した。子どもの頃にはこうした分別がなかった。やっぱりおやじだなあとちょっと感慨深かった。


2011.12.05(月)晴れ 引退を決意するとき

ダニ

今朝も暖かく午前7時頃にはクロナガアリはけっこう歩いていた。ただし肉眼でそれを捕らえることは難しい。じつは地面にすわって巣の周辺を観察しているとき、そこにアリはいないと思った。ためしに自慢のスーパーマクロカメラを使ってはじめてアリの存在がわかった。

カメラにはピント用に小型のLEDライトを装着している。アリがいるとアリのつややかな腹にライトが反射して光点ができる。アリが歩くとその光点が移動してアリがいることがわかる。今朝のように気温が低いとアリの歩き方も遅く、光点の移動もゆっくりで捕らえがたいものがある。止まっているときは光点があっても気づかない。地面にはそれなりにてかるものがたくさんあるのだ。

ようやくアリがいることがわかっても、それは肉眼ではぼやけた黒い塊にすぎない。位相がずれて二線ボケした塊が動いているだけだ。自慢のスーパーマクロカメラのファインダーをのぞいてやっと、その姿が画面いっぱいになりアリの動きもわかる。

こんなていたらくでは職業としてアリを撮るのは厳しい。世の中には昆虫の写真を職業にしておられる方もけっこういるのだが、そういうプロが引退を決めるのはこういう日なのかなと思った。

アリを撮っているとカメラの下を素早く動く白い点があった。どうやらかなり頻繁に目撃しているダニの一種らしい(写真)。12月になってもけっこう元気で走り回っているものだ。微小なものでも白くて素早く動くものならば、まだ生き物として見分けることができる。


2011.12.07(火)晴れ 神経質な人お断り

インターネットを利用して自転車の中古部品を買うことが多い。ヤフオクでは注意書きに「傷あります。神経質な方の入札はご遠慮ください。」というような記述をよく目にする。困ったもんだと思う。あらためて言うまでもなく、私は自分を神経質な人間だと思っている。あらためて言うまでもなく、そういう注意書きがある品には手を出さないようにしている。あらためて言うまでもなく、その注意書きに従っての遠慮ではない。引くのは売り手が明らかに無神経な人間だからだ。あるいは頭の悪い人間だからだ。馬鹿か無神経かまたはその両方であることが明らかな人間にあえて利益を与える必要はない。いうなれば、その手の注意書きすら嫌悪するほどちょー神経質な人間なのだ。

「神経質な方の入札はご遠慮ください。」という記述はじつは誤りであって書き手の意図を反映していない。インターネットの向こう側にいる彼にとっては、入札者が神経質であろうと剛胆であろうと、そんなことは関係ない。単に、中古部品の小傷に文句をつけるなと言いたいだけであろう。神経質な人間でも文句を言わなければノープレブレムで、剛胆なやつからでも文句は言われたくないのだ。その程度のことにすら思い至らず、神経質=クレーマーという図式を作ってしまうのは、無神経の表れである。または物を考える力がなく、どこかで拾った注意書きを、思慮なく貼り付けているだけだ。

おもしろいことに「神経質な方の入札はご遠慮ください。」という記述はほとんど定型化しつつある。そろそろ文面の意味は消滅し「クレーム無用」と自動的に読み替えられているだろう。近年、単語や短文の意味の転換は速やかだ。頭の悪い人間が盛んに文字コミュニケーションの場に加わわるようになり、ある種便利な定型句の使用頻度が爆発的に増大している。かつては言葉の意味の転換は緩やかに進行しておりまれであった。「役不足」が本来の意味で流通しなくなって100年ほど経過しているはずだが、いまだに当世風の使い方に違和感がある者もいるようだ。

耳障りな新用法が爆発的ブームになっても、音声言語ベースであるかぎりはすぐに忘れ去られ消滅していった。「超(チョー)」という単語が「ものすごく」という意味に変化するのに3年かからなかった。それが日本語として定着するかどうかは微妙なところだ。音声だけでなく、視覚的に文字として使用されれば生き残る可能性大と思う。


2011.12.12(月)晴れ 聞き取れない歌

冬になると家の中で自転車に乗ることが増える。暖房を消して窓を開け、扇風機を回すぐらいの室温が自転車にはちょうどいい。そして自転車に乗るときはラジオを聞く。ラジオはもっぱらNHKの第一放送だ。手が空かないのでテレビでいうザッピングはしない。つけっぱなしだ。ラジオらしい用法といえよう。

先の土曜に自転車に乗って第一放送を聞いていると「エレうた!」の再放送をしていた。「エレうた!」という番組は機械で合成した歌唱の楽曲とDJで構成される音楽番組の一種のようだ。その歌唱の原音は人声で、それをライブラリーとして言葉を組んで音程や抑揚をつけているものらしい。有名な機械歌手に初音ミクというのがあることぐらいは知っていた。

で、その歌を番組中で10曲ばかり聴いて、かなりショックをうけた。一番驚いたのは、その歌詞がまったく聞き取れなかったことだ。歌の意味が分からないぐらいでは驚かない。単語が聞き取れないのだ。何を歌っているのか、ただの3秒も付き合えない。しみるとか感動するとかつまらないとかくだらないとか腹が立つとか、それ以前に完全に意味が聞き取れない。かろうじて日本語だとはわかるからカタールとかアゼルバイジャンの歌じゃなかったことは確かだ。むろん、どの曲も同一としか思えなかった。

同様に演歌とかJポップもつまらない。もともと歌謡曲や演歌の世界は平板で、海洋や砂漠のような光景にしか見えなかった。それらの歌詞を一つの詩として、あるいは文章として聞きとることは不可能だが、単語の一つ一つは判別がつく。「酒」「恋」「女」「別れ」「涙」「夢」「絆」「川の流れのように」・・・・内容のない空虚な単語を並べて勝手に感動してください〜というのが演歌やJポップの特徴なので、出すほうとしてはそれでもかまわないのだろう。

「エレうた!」の楽曲は、それに輪をかけて平べったい。より多く売れるための作であっても、伍代夏子や浜崎あゆみのように人間の歌であればどうしようもない個性がブレとして際立ったりする。個性を伸ばすなりつぶすなりするストラグルからより人の心に響く工夫がひらめくこともあるだろう。しかし、その弱点がないボカロは非の打ち所のない歌声になる。非を打たなければ修正もない。ボカロの歌はその世界全体が他の楽曲から一線を画す。しかし内部に個性が生じない。狂気も天才もそこに入り込む余地がなく、どれもこれも秀才官吏が書いた作文のようになっている。


2011.12.18(日)晴れ 4倍のギアで練習するのか

山へ柴刈りに行くか、川に洗濯にいくか。それは桃太郎の昔からのジレンマだ。私も境川に行くか半原越に行くかの選択で迷うことがある。今朝も家を出るまでは境川に行くつもりで心拍計もつけてこなかった。しかし、最初の交差点を曲がるところで前輪を2、3回左右に振って、結局半原越に行くことにした。自転車は半原2号だ。

半原越に入るとすぐに厳しいなあと思った。しばらく行かないと、すいすい登れるような錯覚に陥っている。そして最初の300mぐらいで打ちのめされ、すっかり意気消沈してしまう。まあ、それも幾度となく経験してきたことだ。区間2ぐらいからはまたいつもの調子にもどった。

今日まよって半原2号で半原越にやってきたのは、1号と2号と真に半原越で速いのはどっちだという疑問があったからだ。ギア比とか重量とかいろいろ考えていてなにがなんだかわからなくなってきた。そして得た結論が、半原2号の34×23Tしばりで登っておく必要があるだろうということだった。いま冷静に考えると、その実験に何の意味があるのかさっぱりわからない。

確実なのは区間4でも1.5倍ぐらいの重いギアを60rpm以上で回しきる必要があるということだ。そのために境川でも3倍ぐらいの重いギアで練習したつもりだったが3倍では軽いかもしれない。65rpmぐらいでぎりぎり回せるギアでいつものペースを維持しなければ練習にならないのではないかという気がしてきた。ギア比は4倍だ。なんだか迷いは深くなるばかりのようだが、ひとまず半原越を降りて271側道から134号線をがんがん行って、境川で80rpm走。半原2号に限らず、私の自転車には4倍なんてギアはついていない。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間1435"4'35"+1515.4-77195
区間29'39"5'04"+1414.1-68210
区間314'37"4'58"+814.4-66201
区間420'42"6'05"+511.8-63215
全 体+4213.8-68205

今日は天気が良く無風で比較的暖かかった。アリの様子を見ておきたくなって早めに帰宅した。午後4時ごろに庭に出ると、けっこうな数の働きアリがアカマンマの種を運んでいた。動きもやや速い。彼らのスピードは気温がダイレクトに効いている。早朝なんかは死にかけじゃないかと思うぐらいスローだ。巣の中なら安全快適であろうに、あえて巣外に出て活動する動因はなんなのだろうか。


2011.12.20(火)晴れ 適者絶滅

しばしば誤って使用される「適者生存」という用語は意味をもっていない。それは古典的な論理学でいう同語反復でしかない。「適者生存」の補強のためにどれほど論理を尽くそうと、難しい数学を駆使しようと、それは結局無駄な努力になる。「適者だから生存している」ということと「生存してるから適者なんだ」というのは同じ意味だからだ。ダーウィンの大発見は、生物は進化しているという事実と種には起源があるかもしれないという予想だった。その動因の説明ができなかったからといってダーウィンの進化論が変だってことにはならない。DNAのDの字ですら未発見のころのアイデアなんだからしかたがない。

ともあれ、研究する意味がある命題は「不適者なのに生きている」または「適者なのに絶滅した」でなければならない。私の直感は、それだからこその生物多様性であると告げている。

この1、2万年のヒトの躍進でけっこうな数の鳥や獣が絶滅したらしい。そいつらは進化という文脈での不適者とは言いがたいものがある。ヒトとの一時的な利害関係で滅んだにすぎないからだ。リョコウバトはヒトの嗜好とその生態が運悪く相補って速やかに絶滅した。先史時代に滅んだマンモスやサーベルタイガーや巨大なナマケモノなども同様の状況だったかもしれない。ニホンカワウソのように、現代になってヒトと水産資源を争い養殖の害をなすということで撲滅された者もある。それらはここ最近の風潮では手厚く保護されて生き延びていたはずの面々である。

ヒトの躍進は多くの種にとっては天変地異ともいえる環境の激変だろう。過去の地球には、それよりも緩やかで、しかし種の進化が対応できないほどに速やかな環境変動があり、大絶滅が起こったとされている。白亜紀の終わりに起きた大型陸上動物の全滅は象徴的だ。人為的な圧力や天変地異は「不適者絶滅」「適者生存」といえる。ただ、進化の本質はむしろ「適者絶滅」のほうにある。

種の起源というアイデアは曖昧で実証できないものだ。種を交配繁殖の可能性ということに限定するならば、時間的に100年離れて誕生した個体は別種か同種か判定しようがない。A-1の孫であるA-3とB-1が交配して子をもうけたからといって時間的に隔絶しているA-1とB-1が交配可能で同種という保証はできないからだ。私と紫式部の間では子ができないかもしれない。時間的隔絶が100年ではなく、地質スケールの100万年、1億年となったらもはや絶望だ。

いまの地球上ではヒトが万物の霊長として、また極めて強力な動物としてわが世の春を謳歌している。まさに最適者の哺乳類だ。いまからヒトがアメリカとユーラシアに別々に生存し互いに交流がなくなったとすれば、100万年後ぐらいには新アメリカ人と新ユーラシア人という別種となり交配できないはずだ。その暁には、いまのヒトと新アメリカ人、新ユーラシア人は外見上の特徴もかなり異なったものとなり、DNA的にも交配不能で別種登録になるだろう。すなわちホモサピエンスは適者絶滅したことになる。

じつは、ダーウィンが「種の起源」で多くの紙面を割いていたのは、適者絶滅のほうである。彼は恐竜を知らなかったように、中生代や古生代を終わらせた大量絶滅をしらなかった。化石から現在は生存していない形の生物が大量に生息していたこと、地理的な隔絶などで生物が、似通った多種に分化していることから、進化を発見した。科学的な根拠としては育種業程度の遺伝学があった。

そのような状況であるから、種が変化して分化していくことの方を強く意識していたにちがいない。その進化に働く力として渋々適者生存をもってきたように思う。彼は自分の理論が理解されないことを恐れていた。聖書に書いてある、種の起源に反している(かのように見える)からでもあったろうし、生存競争と適者生存というアイデアの世間的なウケの良さを嫌ったのかもしれない。


2011.12.21(水)くもり 美談

いまから40年ほど前のことになる。学校の教科書に「平頭銛の話」というものがあった。それは、クジラを仕留める銛の頭を平たくすることで、捕鯨の効率がアップしたという実話だった。銛はクジラに刺さってなんぼのものだから、普通の発想では先端を尖らすことになる。しかし、尖っている物体は水面で跳ねてそれる。先端を切って平たくすることで銛は海中に潜り込み命中率があがった。そして日本は世界に冠たる捕鯨国になったというのだ。

教科書にのっている話であり、当然のことながら美談として扱われている。クジラをたくさん仕留めることは正義であり、その効率を高めた者は英雄であった。私もすなおにそれを信じ、やがては国家の発展に寄与するような発明を行いたいと思ったし、南氷洋でクジラを捕ってみたかった。

いまではそうは思わない。鯨類はそのサイズという点だけでも地球の最高傑作として尊敬すべき相手だと思っている。私の庭にいるクモやアリに伍する資格のある動物であろう。クモ、アリは食料ではないようにクジラも食料でも資源でもない。他の人が食べたいというのなら、食べれば良い。そういう人が眼前に現れれば空気を読んでにこにこ同意するだろう。ただし、庭のヤツではなくよそのアリを食うように要請する。

こうした私の心変わりは教育によるものであるし、社会情勢に流されたものだ。アリやクジラの扱いに科学的(文化の時空を超えてだれもが受容可能な法則群)な決まりがあろうはずがない。だからこそ、時代の空気を読むことも、不必要な苦悩を背負い込まないように子どもを教育することも重要である。真の勝利を手にするためにも、不毛な議論、無益な争いは避けるにこしたことはないからだ。

平頭銛の話が英雄譚であったころ、南極犬の美談があった。犬がペンギンを貪り食ったことは明らかだが、そこは知らないふりをしたのか軽微な犠牲とわりきったのか、犬が生き残っていたことが美談になった。現在同じ事があれば国際的な非難はまぬかれまい。いまの決まりでは南極の野に犬を放つのは言語同断の暴挙、そもそも持ち込むことが違反だ。

犬の扱いに科学的な真偽はないにしても、半世紀前の美談は封印すべき社会情勢になっている。その空気を読まず南極犬を美談にすれば、日本国の品位を下げることになる。教育上も好ましくない。行政が外来種の排除やペットの放擲禁止を言ってるさなか、その典型例にあたる南極犬の放置を良しとするようでは、子どもの発達に悪影響があるだろう。


2011.12.22(木)くもり 反転と悟り

自閉症の子にありがちなのかどうか、幼い頃からものをじっと見つめる習性があった。そのせいで、ゲシュタルト心理学でいう図地反転現象は慣れ親しんだものだった。たとえば風力計。4つのお椀が風を受けて回転し、その速度で風力を測る装置がある。屋根の上に設置されている風力計は、見上げる形で右回りしている。それを注視していると、いきなり見下ろす形で左回りを始める。ただ、左回りは不安定でわりとすみやかに右回りに戻る。それでも永久に右回りで見続けることはできない。反転して見えることを止めることは努力してもできないもののようである。

それに類似の現象はいくらでも経験できる。ドーナツ型の図形の穴の中心に点をうって、その点を注視し続けるとドーナツ型が消滅する。半透明な板を半透明ではなく、実は透けて見えていると思い込んでいる背景が不透明な板に描かれてあるだけなのだと無理に思い込むことができると、背景がとつぜん異なる色と明るさで見えてくる。ゲシュタルト心理学は今では廃れてしまったけれど、50年ぐらい前には盛んに研究されていたのだ。大学にいたころ、その手の事例を集めるのが得意だった私はモルモットとして一級品だった。

いま、お経や公案をはじめ仏教関係の書物を読んでいて、仏教にある哲学は知覚でいう図地反転現象以外のなにものも言ってないと思えてきた。図地反転現象をありとあらゆる認識に延長すると、縁起や空観という仏教の中心教義になるのだ。たとえば、体と心も互いに認知しあうものであり、人間と環境も互いに認知しあうものであり、生と死も互いに認知しあうものであり・・・という具合だ。

仏教では図を実存として固定的に見ることを毛嫌いしていると思う。風力計はその構造上は右回りしかしない。だから、いくら左回りに見えたとしても、それは幻視として片付ける。それが普通というものだ。しかし、仏教者はそういう固定的な姿勢を嫌う。ヒト本来の知覚として左回りに見えるからには左回りするのも風力計。左回りが嘘なら右回りも嘘で風力計そのものが嘘、右も左もあってこその風力計、というような考え方をしているように思える。

人間の営みは環境を自己の外に置いて、環境から図を拾い出し、その図をより確かなものにしていくことにある。それが自然な生き方だと思う。ところが、お釈迦様がいうように、もし人生は苦を本来とするならば、図作りにこだわるその行為は必然苦である。そして、人の心の特性として図に執着しきることはできない。おのずとその図は反転することになる。執着し信じたものに裏切られるのは苦だ。しかも、反転して現れる新たな図に執着することも苦である。悟れないとにっちもさっちもいかない。Aにも非Aにも固定しない心持ちが悟りと言っているように私には思える。

それならA非A分別のない悟りとはどんなものか。図には必ず、その図が背景である地から浮かび上がる以前の認知がある。その時間は1分かもしれないし100分の1秒の刹那かもしれないが、その空白の時間は絶対にある。私の浅い理解かもしれないが、その空白時の認知をホンモノと主張する仏教者もいるように思う。そっちのほうなら私もわかるしできる。大方は、Aも非Aも認識しつつ、AでもないAでないでもないとしていっぺんにAをつかむのが悟りと言っているように思う。そうなると人間技を超えており、どんな修行をすればできるのか皆目検討がつかない。


2011.12.29(木)晴れ 生きているクモ

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'23"4'23"+316.216971200
区間29'28"5'05"+1513.918265209
区間314'38"5'10"+2013.818263196
区間421'26"6'48"+4810.618356189
全 体+8613.318063197

上の半原越の記録は23日のもの。データだけgarminから書き写してそのままになっていた。

ここしばらくは半原越に行かずに境川ばっかりやっている。自転車はナカガワだ。やっぱり3倍ぐらいの重めのギアで70〜80rpmのゆっくりペース。前回は太もものつけねの内側の筋肉(名称は未設定)をうまく使うことを発見した。今日もその再現をやってみようと3時間ほどトライしたけど、しっくりこなかった。難しいものだ。

ジョロウグモ

3時頃には帰宅して庭の整理をやった。手始めは2本残っているシュロの1本を引き抜くこと。つぎは、草木にからみついたまま枯れているヤブガラシを撤去すること。ジョロウグモがいる間は、クモの巣を壊すことになるため、ヤブガラシ退治はできなかった。ヤブガラシも廃墟になったクモの巣も片付けて、久々に庭の奥のほうまで入っていくと、いまだに原型を留めているジョロウグモの巣が目に入ってきた。

これも撤去だと巣の中心を見ると小さなジョロウグモがいる。ちゃんと成長できぬまま力尽きたのだと、弔ってやるべく指で触ると動き出した。なんとまだ生きていたのだ。ムクゲの枝も剪定しなければならないけれど、こいつの息があるうちは手がつけられない。


2011.12.30(金)晴れ クラゲ雲

クラゲ雲

引き続きナカガワの3倍で高トルク低回転型の練習。今日はけっこう北北東の風が強かった。3倍だと60rpmぐらいにまで落ち込む区間も出てくる。ただ、ゆっくり重いペダルを踏んでいると下手な部分がよく見える。力んだときに無駄に力が入る場所もよくわかる。筋肉はどうしても互いに邪魔をするように動くらしいから、無駄を省いていくことで10%ぐらいのレベルアップは期待できると思う。

今日は冬らしい青空が広がっていた。上空は風の流れが激しいらしくクラゲ雲が見られた。湘南の方では冬期にクラゲ雲が見られることが多い。地形の関係もあるのだろうか。クラゲ雲はめまぐるしく変化する。出る場所によっては彩雲にもなるから目が離せない。

雲を気にしつつも、上ハン高トルク練習を4本。太もも内側を特に注意。この部位の名称はまだ決まらない。端的な名前があると意識の集中が行いやすい。池田久美子が現役ならイケクミでもよかったのだが、いまとなってはそうもいくまい。早急に太ももの内側がきれいなお嬢さんを見つけ出す必要がある。グラビアガールを中心に見回ろう。

 
カタバミ  テトラ  ナゾノクサ
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