たまたま見聞録
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2010.1.3(日)晴れ 元旦は高野地TT

高野地

12月31日には、上須戒から日土に至る新ルートを走って、鞍掛山一周サイクリングをやろうと目論んでいた。ところが、天気は大荒れで八幡浜には珍しい積雪になってしまった。照葉樹林に雪という美しい光景が見られたのはラッキーだけど、サイクリングどころではなくなった。しかたなく、日が暮れるまで室内でもんもんと過ごし、家族で紅白歌合戦を見て、八幡浜チャンポンを年越しそばにして、新年を迎えた。

元旦はなんとか走れそうだった。ただし、いろいろ用事もしなければならず、一日中遊ぶわけにはいかない。せいぜい2時間程度だが、今回の帰省ではこの一発しか走れない。昨日の積雪では標高が高く日当たりの悪い道が続くコースは難しそうだ。選択肢は2つしかない。海沿いに三瓶あたりまで行くか高野地に登るか。登りは暖かいから、というまっとうな動機から高野地周回コースをやることにした。ルートは松尾→古谷→高野地→大平→入寺→高野地→古谷→松尾で、高野地に2回登ることにして、正午に出発した。

松尾から古谷に至るルートの序盤にご先祖様の墓がある。新年早々素通りともいかず、墓の脇に自転車を止めて第一回目のお墓参り。後で女房子どもを連れてこなければならない。ゆっくり走って鳴滝までは15分。鳴滝神社の初詣は帰りにすることにして素通り。八幡浜にいる以上は墓と神社は外せないのだ。古谷を過ぎて高野地まで30分。やはり長谷小学校ぐらいの標高になると、路面には雪がシャーベット状にべったり残っている。幸い凍結はなく自動車の轍を選んでゆっくり走れば車輪をとられることもない。長谷小学校からは5kmの下り。毎度のことながら冬のこの下りがつらい。路面が悪いこともあって徐行するものの体を動かせないことにはどうにもならず寒い。西風をまともに受けて冷たい。大平まで下って桧谷まで来たときには足先がかじかんで痛くなっていた。とりあえず缶コーヒーなんぞを飲んで暖まる。

下りは寒くても、入寺からはまた楽しい登りが待っている。登っていれば足の冷たさは残るとしても寒くはない。八幡浜高校の前を通るとなぜだか気合いが入ってきた。せっかくだから力を入れてTTをやってみようかという気になって来たのだ。入寺→高野地コースは500回以上走った道だ。自転車は数回で残りはランニング。陸上競技の選手ではなく、あくまで趣味として毎日走っていた。その4kmの登りを力を出して走ると20分ぐらいだった。自転車では、2006年の夏にTTをやって17分半かかった。そのときは、同じ鉄パナだけど、ペダルはミニサイクル用のプラスチック、後輪のスポークも折れてホイールがぐだぐだだった。今度はビンディングペダルだ。ホイールも交換した。たとえ足がしびれていても路面に雪が残っていても3年半前の記録は楽々更新できるはずだ。この先、八幡浜で楽しく自転車に乗れるのは10回もないだろう。高野地TTだって二度とやれないかもしれない。ガツガツ走るのは不本意だけど、この機会に記録を塗り替えたっていいじゃないか、人間だもの、というノリだ。

入寺の石灯籠についたときはすっかりその気になっていた。液晶が半分かすんで見えなくなっているキャットアイのボタンを押して、2倍ぐらいのギアでスタート。1km地点の「橋」までは緩い。3分50秒ぐらいのいい感じで過ぎる。橋からはそれなりに斜度もでてくるから、38×23Tを使う。このコースの特徴は知り尽くしている。全てのコーナーのアール、傾斜。38×23Tでダンシングすべき場所は3つ。そこだけ全力であとは回していけばいい。のどが痛くなることもなく15km/h以上を維持できている。足のかじかみは全然とれないけれど、ダンシングでくる太ももの痛みはすっととれる。快調だ。

新年だからか意外にも車が多かった。2台は乗用車、1台は年賀状配達のオートバイ。交差点は皆無だが、杉林とミカン畑を縫う視界の悪い道路だ。自分の息と自転車のほかで、音をたてるのは風と鳥ぐらいなものだけど、上から降ってくる自動車の気配は直前までつかみづらい。自動車にしてみれば、自転車が来ることはもっとわからない。さらにわからないのが、なんで自転車が走っているかだ。さらに深い謎は必死の形相で路面をにらみつけてゼイゼイ走る中年おやじの心中だろう。自転車遊びは文化として存在していない地域だ。

ゴール地点はおきまりの鎌田家前。レコードを1分20秒縮めて16分10秒で楽々フィニッシュ。といっても2回目のTT。道ばたのミカン運搬用のモノレールに自転車を立てかけて記念撮影(写真)。鎌田家付近から西本家を望むポジション。この先、長谷小学校まではぐずぐずに雪が残っているからTT走りは無理だ。ゆっくり走りで高野地から古谷へ抜けて松尾に降りていく。途中、鳴滝で自転車を止めて鳴滝神社へ初詣。滝の脇にある急な階段を歩くためにクリートカバーも持ってきた。

帰宅して、女房子どもを連れ出して、一家5人でもう一度鳴滝までのコースを登る。今度は歩き。一家でお墓参りに初詣というちゃんとした元旦の行事だ。二十歳になった娘は私の黒タイツを少し嫌がっている。ただし、あからさまに離れて歩く女房ほどではない。


2010.1.4(月)晴れ 半原越19分39秒

元旦には高野地をいい感じで走って来たので、その勢いをかって半原2号で半原越に出かけることにした。庭の池が結氷しているぐらいだから気温は高くはないが1月としては穏やかだ。風が弱く日も薄く射している。いつもの棚田脇にいるのはやはり1匹のモズ。電線に止まって獲物を物色しているようだ。鳥よりも今日は初半原越。走ることに集中しようと、1分でホットレモンを飲んで早々に再スタート。

スタートラインまでの所要時間は棚田脇休憩を除いて1時間5分。心拍計つきのV3のスタートボタンを押してゴー。もともとTTをするつもりはなかったけれど、走り始めると軽い。半原2号はよい自転車で、とりわけ緩い坂でよく伸びる。他の自転車よりも1枚重いギアを使える感じだ。速度計を見ると20km/hを越えている。追い風でもないのに珍しい。1kmいかないうちに心拍計が183bpmなんて値を出しているが、それは見なかったことにする。

半原2号はシマノの手元変速機も装備している。斜度に応じて21Tから25Tまで、こまめにギア比を変えてケイデンスを落とさない走り方ができる。半原越は道路が波打っている。短く急な坂にぶつかるたびにガツンガツンと勝負していると終盤の力を失ってしまうのだ。2km地点では7分30秒。20分を切るペースだ。竜頭蛇尾の捨て身アタックではなく、アベレージで20分を切れるかどうか試してみる気になった。区間4に入ると、4km地点でまた泣きそうになる。遅かろうと速かろうとあそこがいつも一番つらい。あと1分目安の簀の子を越えるタイミングで25Tにかけているチェーンをカシャンと21Tに落としてラストスパート。V3の細かい数字を見る余裕はない。ただ体が覚えている感覚では、全力を出し切れば区間4は6分を切るペースで来ているはずだ。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間13'59"3'59"17.816869
区間28'55"4'56"13.918664
区間313'48"4'53"13.918365
区間419'39"5'51"11.518959
全 体 19'39"14.418266(1297)

2010.1.5(火)晴れ 幹を貫く竹

木と竹

愛媛県の八幡浜市に帰省したときに、裏山でゆかいなものを見つけた。初見では樹木の幹を竹が貫いていると思った。ただ、そういうことが起きる条件は極めて限られている。木に穴が開いており、そこにぴったり竹の子がはまりこんでしまう場合だ。作為があれば簡単に(手間はかかるぞ)できる。しかし、場所は池田川(裏の川)のほとりの急斜面で、廃棄された野壺わきの藪だから、あえてそんなことをやる人物はいないだろう。

竹は孟宗竹である。樹木の種類はヌルデだろうか。私が想像するに、写真の状況は、樹木が幹の分かれ目で竹を包み込んでできあがったものだ。股になっているところに、竹の子が伸びてきて、固い竹になった。たまたま股の伸び具合と竹の立ち具合が絶妙で、いつも股に竹が押しつけられていた。竹の節の所はけっこう固く鋭い。風に吹かれて竹が揺れると、股がこすれて傷がつく。傷は木の生命力によって癒される。そこをまた竹が削り傷がつく。さらに治癒し、傷つき、癒合する。そうしたことを数年間続けるうちに、木はこんなに太い竹を包み込んでしまったに違いない。状態からみて、完全に包み込んでからも10年はたっているものと思われる。

おたがいにずいぶん迷惑な思いをしてきたと思う。彼らの葛藤は、井伏鱒二の山椒魚や中国故事の漁夫の利を思わせるものがある。竹はすでに枯れている。一個の竹の天寿は10年程度らしいから、にっちもさっちもいかぬこの状態が竹の寿命に影響があったかどうかはわからない。

私は小さい頃から自分の回りにある木や石の観察に余念がなく、この木の存在は40年ぐらい前から知っている。けれども、こんなことになっていることは気づかなかった。この10年を振り返っても、数年に一度、回数にして5回はやつらに一瞥をくれていたはずだ。もっと早くに知っておれば過程を見届けることもできた。それは残念だが、この物語はこれで終わりではない。やがて竹は枯れ崩れて、竹の棒が刺さった樹木という光景になるだろう。それが30年ほど続いた後、竹は完全に腐ってなくなり、幹にまあるい穴があいた樹木ができることになる。

進行が早ければ、私もその状態を目にすることができるかもしれない。普通に考えればこちらの寿命が先に尽き、私は死んで木が残っているはずだ。半世紀後のあるとき、偶然この木を発見した若者が、穴のあるわけについて考え込むかもしれない。そいつが様々な仮説を立て検討した果てに、偶然この記述を見つければ、かなり笑ってもらえることだろう。


2010.1.6(水)晴れ 人面樹

人面樹

写真は初詣の鳴滝神社で発見した人面樹である。太さは私の脚ぐらいで、まだ若そうな木だ。生えているのは参道の石段のすぐ脇だから、すぐに見つかるだろう。幹にできた模様は一見して人の顔に見える。娘の見立てによると私に似ているそうだ。その真偽は別としても、それほど面白い顔とはいえない。面妖さに欠けるのが弱点だと思う。

一時期、山形県の鯉をかわきりに人面○○というのが流行したことがあった。それらも単に顔があるだけでは面白みがない。ヒトの顔検知力はたいへん高い。どうやら生得的な才能である上に繰り返し鍛えられる技能だ。丸の中に3つの点が逆三角形に並んでいれば、それはもう顔だ。だから、錦鯉の頭にも蛾の背にも人面が浮かび上がる。人面○○とはありふれたものなのだ。自殺の名所を撮った風景写真なら、心霊、地縛霊の10匹や20匹は写っているはずだ。そんなものはつまらない。ウイスキーグラスの底に顔があってもいいじゃないか、という見解に異論はないが、はっきりそんなものはつまらないと言う。

俗に人面樹というものは、いずれも妖怪変化の類で不気味だ。その辺に生えている木に浮かび上がる人の顔も恐ろしげになることが多い。これには明確な理由がある。木の幹の色はどす黒く暗い。皺が寄っている。膚がカサカサ。眼は空洞、鼻と口は引き攣り崩れている。というように、自然とデスマスクの特徴を備えてしまうのが人面樹の宿命なのだ。であるならば、むしろその特徴を際だたせて不気味であればあるほど妙味も増すというものだ。

いっぽう、樹木が作る顔にはかわいらしいものもある。落葉樹の葉の落ちた跡が顔に見えるということはよく知られている。こちらの顔は死人ではなく、赤ん坊や動物のようなほのぼのした印象を受ける。2006年1月15日のたまたま見聞録に取り上げたサンショウはおさるさんの顔のようだ。ただ、その顔は1mmほどしかなくて、肉眼ではちっともわからない。細かすぎてインパクトが薄いのが弱点だ。


2010.1.7(木)晴れ 最後の一葉?

最後の一葉?

最後の一葉をなんとか目撃したいものだと願っている。この写真はそのつもりで元旦に撮った。場所は松尾の西にある丘である。木の種類はわからないが、畑の中に植えられているものだから何かの作物か植木だろう。写真にも写っているように、木の半ばに枯れ葉が一枚だけひっついている。これは最後の一葉に違いないと即座にワンカットを撮った。動植物の撮影にあたっては、撮れるときにシャッターを押すのは基本だ。このシーンだって、3秒後には葉が落ちてしまうかもしれないのだから。そして、もっと情緒的また説明的なアングルを見つけるために木に近づいて調べると、最後の一葉という確信はもろくも崩れてしまった。ひっかかっているのは枯れ葉に違いないのだが、葉の付き方がどうもおかしい。ふつうに葉柄で枝についているわけではなく、枝の間に挟まりひっかかっているだけなのだ。そこに気付くともうそれを最後の一葉とは呼べなくなる。

一方、庭での挑戦はムクゲとイチョウに引き継がれているが、こちらも具合が悪いことになっている。イチョウにもムクゲにもイレギュラーな葉がついているからだ。樹木は幹の太い部分には葉をつけないのが普通だ。ところが、剪定などのかげんで幹にも直に葉がつくことがある。困ったことにそういう葉がみょうにしぶとく木にしがみついているのだ。わが家では細い枝につく通常の葉がとっくの昔に落ち葉となって土に還ろうかというのに、幹には葉の原形を失ったくしゃくしゃの小さな固まりがいくつかくっついている。それもあえて葉と呼ぶならば、最後の一葉を見るためには、そのかさぶたのようなものの最後の一個を見極めなければならない。

さようなわけで、「最後」の定義、「葉」の定義が揺らいでしまい、最後の一葉を目撃することはいっそう困難になってしまった。枝にからみついた葉は認めないのか? 虫が糸を使って枝に縛り付けている葉は認めるのか? 絵描きが煉瓦塀に描いた絵は認めるのか? 認めようが認めまいが、そもそも樹上にある葉がどのように枝についているのかを見極めるのは容易ではない。さらに、かさぶたのようなものも葉と認めるならば、幹の裏側、枝の陰にそいつが隠れているかもしれないという疑念はぬぐいきれない。

どうやら私はソクラテス以来の哲学の難問に逢着したようである。ソクラテスは美や善など明解にみえる言葉も確実な定義はできないことに気づき、どいつもこいつもぜんぜんものを知らないまま生きていると主張した。400年前にデカルトは絶対確実なものをベースに確かな筋道で考えればよいという、数学的思考法を発明した。それは一筋の光明であったものの、凡人には判明明解とは言い難く、「いいじゃないか人間だもの」という一言で捨て置かれている。葉っぱの一枚ですらこれほど不確かなのだから、どこまで行ってもにんげんは確固たる肉体に曖昧模糊とした心を宿して、理解と誤解を繰り返して場当たり的に生きていくしかないのだろうか。

私が最後の一葉を見つける場合は極めて限定的にならざるをえないようである。たとえば、庭の実生のムクゲのように背丈ほどの高さしかなく、葉も50枚ばかりの小木でしか確信は持てないだろう。そんなちまちました木が相手では、発見!の爽快感は得られないはずで、最後の一葉を見つける意味がない。かといってちゃんとした大木ならば、本当に最後?とか、本当に葉?とか疑念が起きて、発見!の爽快感が得られないだろう。智はいつも情の邪魔をする。アダムとイブに遡る根の深い問題だ。


2010.1.8(金)晴れ 冬のクマバチ

クマバチ

中央林間駅に向かう途中でクマバチを見つけた。日の当たらないブロック塀にしがみついて、いかにも寒さにこごえているという風情だ。越冬の途中で何かのアクシデントにみまわれ姿を現してしまったのだろうか。さっそく胸のポケットから携帯電話を取り出して撮影する。カシオのG'zOneは200万画素の簡易なカメラを備えている。低機能なぶん操作がしやすい。携帯電話のカメラは割り切った使い方をしたいから、あえてこの機種を選んだ。マクロもボタン操作が不要で、機能上ではクマバチサイズの虫ならば画面いっぱいまで寄れる。実地にはオートフォーカスが信用できないので、そこまでは寄らない。

さて、このハチはおそらくクマバチだが、ちゃんと調べるまではマルハナバチだと思っていた。ハチの名前当ては全く自信がないのだけれど、クマバチはもっと大型だという思い込みがあり、大きくて丸くて黒くて黄色いからマルハナバチだと判断した。マルハナバチにもいろいろあるから、もっと詳しく調べるうちに、どうやらクマバチらしいということになった。

クマバチもマルハナバチも庭にも良く来る虫だ。どちらも大きな羽音をたてて飛び回り花の蜜を吸っていく。ある春の午後にマルハナバチが地面に降りて、なんの逡巡もなく落ち葉の下に潜っていくのを見て、何をするつもりか気になったことがある。コガネムシの幼虫に寄生するようなこともあるのかと思ったが、実際はモグラやネズミの空き巣を利用して巣を構えミツバチのような社会生活を営むらしい。

マルハナバチもクマバチも大型の虫にしては、この住宅地でよく見かける。花壇や庭木などの季節の花をうまく利用して命をつないでいるのだろう。


2010.1.9(土)晴れ 半原越22分37秒

風はゆるい南風。気温は10℃ぐらいはありそうだ。暖かな冬の一日になった。今日は半原2号で半原越。朝飯はたっぷり食べているから、山田商店の自販機で飲み物だけを買う。今日は冷たいほうがいいなと、ウルトラマンサイダーを選んだ。ウルトラマンシリーズは嫌いだが、100円という価格のよさと、先日見た「はじめてのおつかい」で小さい子どもがウルトラマンサイダーをずいぶんうれしそうに買っているようすが印象に残っていたからだ。

むむ、ぜんぜんかわり映えしないなあ、というのがいつもの棚田わきの正直な感想である。モズはカラムシの枯れ枝に止まって尻尾を回しているし、猫が田の向かいの小道を歩いている。青空に積雲が流れ飛行機が飛ぶ。毎回毎回、そうそう楽しいことが起きるわけもない。今日は写メもしない。

半原越はゆっくりやってみようと決心した。それほど汗もかかないだろうから、ウインドブレーカーも毛糸帽子も冬グローブもつけたままだ。最初から39×25Tの最軽ギアにいれて、心拍計をチェックしながら170bpmぐらいで走ることにする。区間2の丸太小屋の坂では、そのギアだと10km/hで進むにしても脚を使ってしまい176bpmにあがってしまう。こうなると多少緩い所で力を抜いたとしても心臓は落ち着かない。ただし、酸欠で息がはあはあすることはないレベルで走れるから、筋トレをやれば劇的に速くなるのかなと、ふと思った。たぶんいつもの幻覚だ。とりあえず今日の22'37"は楽勝ペースである。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'58"4'58"14.315673
区間210'29"5'31"12.817065
区間315'53"5'24"13.117267
区間422'37"6'44"10.517653
全 体 22'37"12.516966(1493)

2010.1.10(日)晴れ カメラのジレンマ

桜

境川の終点の大清水高校の向かいにある桜の木が、最後の一葉をつけているようで、ブレーキを引いて引き返すことにした。自転車を止め、近づいてよく調べる。これまでに何度も裏切られている。一枚の枯れ葉はちゃんと葉柄で枝につながっている。その近くに葉柄だけがついて、葉の本体がとれている枯れ葉もあるが、それは無いことにする。よし、とばかりに携帯を取り出してアスファルトにしゃがみ込んで撮ったのがこの写真だ。大清水高校もあり境川の自転車道路らしさもあり、自転車を入れ込んで木のサイズもわかる。

まあ、それなりだな、と携帯電話をしまって、念のためにもう一度ほかに葉がついていないか調べた。すると残念なことに、この写真の裏側にあたる下の方にもう一枚ついているのを見つけてしまった。それは破れて3分の1枚ぐらいになっている葉だった。とはいえ、それを無いことにするのはいくらなんでも卑怯だ。でも残念だ。一瞬、そいつを手でちぎってやろうかと思ったぐらいだ。また来週あたりに来るだろうから、まだチャンスはあるということにして正々堂々離れることにした。

そのとき、木の奥を飛ぶ綿毛が目に入った。ずいぶん多い。川面に落ちて流れているものもある。境川のほとりに根付いた10株ほどのガマが種を飛ばしている。茶色いソーセージ状のガマの穂が開くと、もこもこした綿毛の種が現れて風に乗って飛んでいくのだ。すでに半分ほどの種は離れている。まさしく旅立ちの最盛期。いいときに立ち会ったものだ。

これはラッキーと、再び携帯電話を取り出した。しかし弱った。G'zOneのカメラで20m先のガマが撮れるだろうか。しかも黒い川の水を背景にした順光の白い綿毛。どんな高級カメラでもオートでは写らないシチュエーションだ。いつも使っているニコンなら2段ほどアンダーにして穂が白飛びしないようにできる。F11で500分の1秒ぐらいだろうか。などと考えてもしかたがない。携帯しているのは携帯電話カメラ。ピントから何からオートで露出の補正機能も(たぶん)ない。

カメラは私の気持ちをわかってくれない。穂に向けてシャッターを押したとしても、カメラには水を撮りたいのか穂を撮りたいのかわからない。黒い水か白い穂か? 私の意図が伝わらずジレンマに陥ってしまう。そして、水はつぶれ、穂は飛ぶという両方とも写っていない写真ができあがる。

私はカメラのそのジレンマがよくわかる。よい騎手が馬の気持ちがわかるように、よい写真家はカメラの気持ちがわかるのだ。わかってはいても「お前が撮るのは穂だ」と教えてやることができない。唯一の方法はガマに近づいていって、穂を画面の80%ぐらいまでおさめることだ。しかし、クリートの靴でコンクリートの護岸を降りていくのは自殺行為だ。すべって転んで境川に転落するのは目に見えている。1月の川に落ちるのはごめんこうむりたい。G'zOneは撮影はだめでも落ちたときは大丈夫。防水は万全なはずだ。ただし、今はそれを発揮して欲しいときではない。


2010.1.11(月)くもり一時晴れ 心象風景の観察

午前5時ぐらいだと思う。軽い悪夢で目が覚めた。気温の低さで体がかじかんであちこちが痛い。これは毎度のことだから気にしないようにして眠ることにした。それにしても寒い。速やかに眠るに若くはなし。眠りに入る秘訣は夢を見ることだ。首尾良く、瞼の裏に浮かぶイメージが一人歩きをはじめ、すぐに眠りに落ちることができそうだった。ところが、見えているものが眠っている場合じゃないぐらい重要なものだと気付いて、思考力を保ったまま、次々に現れるイメージを見届けることにした。

瞼の裏のイメージになぜ驚いたかというと、はっきりと文字が見えたからだ。いつも見える光の揺らぎがたまたま文字を形成しているわけではない。主に短い直線で構成された文字が山と積まれている。文字だとわかったのははっきりと判読できるカタカナがけっこう混じっているからだ。中国の金石文字のようなものもあり、くさび形文字のようなものもある。直感的に金脈を掘り当てたと感じた。これは、ヒトの心の中にある文字の源泉だと思った。文字が、文字としてこの世に現れ機能できるのは、誰の心の中にもこうした泉があるからだ。ものまね師の夢のラテン語名、ロンサムボーイ○○○○のスーパーインポーズはここからわき出してきたものらしい。

イメージのカテゴリーでは文字の他にもいくつかあることが観察できた。とりわけ興味深かったのは女の顔というカテゴリーだ。それは、大理石の塊を彫って作った一体の彫像のようだった。ざっと100個ぐらいの大小さまざまの顔がびっしりと浮き彫りされている。松本零士の漫画に同じような絵があったと思う。彼のものとちがうのは、個々の顔が明らかにちがうこと、髪の毛がないことだ。彼の作品ならば皆同じ顔にストレートのロングになりそうだ。どの一体も誰かと特定できないぐらいはっきりしないものだったが、ともかく女の顔だということは一目見て明らかだった。私は自分の心の中に住んでいる女は一体だけだと思いこんでいたから、顔に関しては複数だということに驚いた。イメージも成長を遂げるのだろうか。

最後に確認したのは、風景というカテゴリーだ。これがほかものと決定的にちがうのは視界の全体を覆うイメージだということだ。文字も女の顔も背景は漆黒の闇だ。風景は背景と一体で、現れ方はスライドショーのように入れ替わり立ち替わりだ。色彩もコントラストもあり、かなりの現実感をもっている。ある部分に注目して詳しく見ることもできる。特筆すべきは、全て現実に見たことがある場所ばかりだということだろうか。ただし、微妙に異なる場所が合成されたり、デフォルメが入っていたりする。観察しながら、「こいつはあの谷にあそこの鶏小屋を持ってきたな」「この景色では、あの建物はこんなに大きくは見えないぞ」などと間違い探しもできる。夢の中にも風景や背景は存在する。子どもの頃、「蜃気楼」と名付けた風景を現実のものとして強く信じていたことがあったが、とうとうその出所を見つけたようだ。

風景を見て、イメージの観察は終わった。次は見たものを吟味する番だ。イメージがカテゴリー分けされて心の中に格納されていることは知らなかった。まずそこが発見だ。ヒトはおそらくカテゴリーを持って生まれ、そこに整理して経験したイメージを溜め込んで行くものらしい。直感的に記憶とは異なる機能のように思える。

今朝、私が見つけたのは夢物語の単語に相当するものだ。夢には夢の単語があり、その単語をつないで夢ができる。おそらく夢にはオリジナルな文法が存在している。今は手がかりもつかめないけれど、その文法を解明できれば、人の夢がわかり精神の基盤が明らかになる。

私は今日の体験で、虫けらの心に一歩近づいた気がする。あわれな虫けらどもが複雑で巧妙な行動ができるからくりを経験した。彼らの心の中にも私と同じように、カテゴリー分けされたイメージが格納され、彼らなりの文法によってストーリーが紡ぎ出されているのだ。経験と学習に依ることなく見たものが分かり、見たとおりに体が動く。あの本能とよばれる不可解な行動も可能だと素直に承諾できる。やつらの日常は、いわば正夢を生きているようなものなのだ。


2010.1.14(木)晴れ カエルの心

どうしてカエルは蛇が天敵だと知っているのだろう。どうして蛇はカエルを食べ物だと知っているのだろう。この程度の疑問であれば、おそらく人類は私が納得できる解答を見つけることができるだろうと思う。残念ながら、私はその解答を知らない。まだ発明されていないのかもしれないし、私が知らないだけかもしれない。

私がアマガエルをヒバカリに会わせてみたところ、両者は特異な反応を示した。カエルはパニックに陥り全力で蛇から遠ざかろうとする。蛇は目の色を変えてカエルにねらいを定めている。カエルの反応は、何か危なそうなものから逃げるという程度のものではなかった。野外で捕獲しようとしたり、飼育ケースの中に手を入れたりすると逃げるけれど、そんなものとは明らかにレベルが違う。鉛筆サイズの蛇のほうが、100倍は強力なはずの私の手足より恐いものなのだ。両者とも、相手を目で見て反応しているのだろう。蛇のほうでも、アマガエルと同サイズのコオロギなんかには目もくれない。文字通り見もしない。頭の上を歩かれても気にしない。小さな動く虫に反応するというわけではないのだ。

気の毒な私のアマガエルは生まれてこのかた蛇を見たことがなかったと思う。上陸してから1週間ほどの若者でもあり、蛇が襲ってくるものだという経験はないはずだ。それなのに、細長い体につぶらな目をした蛇の恐ろしさを知っているというのが謎だ。

どうしたってカエルの中には蛇のイメージが巣くっていると思わざるを得ない。そのイメージは、いざ蛇の実物を目の当たりにしたときに「この顔にピン来たら逃げましょう!」という指名手配書の役割を果たすのだ。むろんカエル自身には、そうした過程は一切意識されない。心の中にあるイメージもおそらく見ることはできないだろう。蛇を見たら体は逆方向にピョンと跳ね、心はどきどきするという反射ができあがっておればよいのだ。

それでよいのだとしても、ではなぜ一度も見たことのないイメージを持てるのか、という疑問がわく。そりゃあ自動的に形成されるのよと思うしかない。オタマジャクシは、彼の意志や経験にかかわらず、自動的に足がにょきにょき伸びてきて、尻尾が縮み、手がにょきにょき生えてくる。骨と肉と神経でできている体がそうやって発生するのであれば、蛇のイメージを作り出す部分になっている肉と神経(たぶん脳)も自動的に発生し、反射運動や判断をつかさどる部分と連結するとしても不思議ではない。カエルの体がほとんど無の状態からぐんぐん成長することは観察可能だからよくわかる。同じように心、つまりヒトでいう記憶や経験みたいなものが外からの刺激がなくとも形成されると考えればよい。


2010.1.16(土)晴れ 最後の一葉ゲット

最後の一葉

さあ自転車に乗ろうと準備万端整えたところで、テレビ東京の大江アナの番組に釘付けになった。大江アナは声がきれいで好きだが、番組内容はいっそう刺激的だった。政界と政府と与党民主党と検察との権力闘争がまさに佳境という本日昼前に、原口総務大臣が生出演し小沢も鳩山もとりあえずおいといて、来世紀の初頭あたりに実現できるかもしれない地方分権のありかたについて熱く語りはじめたからだ。放送として異様だ。スタジオのテーブルには自動車の模型なんかが並べられ、床には猫がごろごろしている。その中で、今日の状況で、国家百年の計を語る大臣。すごい。これは一本とられてしまった。自転車どころではない。またテレ東さんには負けたわいと番組を最後まで見届けてしまった。

正午になって、すがすがしい気持ちで快晴の境川を走り始めた。出発が遅かったから、ちょっとスピードを上げて強めに100km未満でがんばることにした。大清水高校の向かいに来て、写真の木に気付いた。「お、そういえば最後の二葉の桜だったな」と10日に撮影した木の前で立ち止まった。はじめに目についたほうの葉が首尾良く落ちている。ならば後で見つけたよけいものの3分の1葉が残っていれば最後の一葉の目撃だとそのあたりを見れば、前の通りにしっかり残っている。かくて私は期待通りに最後の一葉をゲットしたわけである(写真)。

胸の中で小さなガッツポーズを作ったことは言うまでもない。だが、間髪おかずに「だから何?」という声が返ってきた。まさかそんな初歩的な問いが私自身から発せられるとは思わなかったが、そこは私も素人ではない。速やかに自問に自答した。

このたびの最後の一葉を見つけようプロジェクトは、抽象的に表現するならば、以下のようになる。日常の中に埋もれている課題を発見し、その課題が解決可能であることを科学的に見極め、解決のためにかかるコストとリスクを検討した上で、妥当なリソースを投入し行動した結果、幸運もあってわずか1か月たらずの期間で目標を達成した。さらに、未発見の効率的な手法をも提示したのである。

最後の一葉探しを実際にやってみると、葉が一枚だけ残っていそうな木を見ていくのは素直だが効率が悪いことに気付く。葉が残っているような木なら、1枚ではなく、おおむね2枚、3枚の葉がついているからだ。確率からしても当然のことだ。うまいやり方は全部葉が落ちているらしい木を調べて、じつは残っていたのかという1枚を見つければよい。その1枚を見つけたら、すみやかに満足し、それ以上の詮索はさっさと止めるべきだ。私はこの方法で解決をしたのではないが、そのやり方であれば、ずっと効率よくほぼ妥当な結果が得られることに思い至った。これが、今回のプロジェクトから予想できる効率的な手法である。

最後の一葉を目撃するなんてことは些細なことだ。そのために費やした時間は1日あたり10秒未満だ。しかし、些細とはいえ、問題の解決の筋道を立てて行動し結果を得るのみならず、未経験の筋道の妥当性まで検討するなんてのは、仕事のできるヤツである。私はそういう部下が欲しいし、そういう上役から業務を振って欲しい。ただし、その手のやつとは友達づきあいはしたくない。どれほど気だてがよくて艶っぽい美女であろうと、カノジョにはしたくない。まかり間違って女房なんかにした日には、半年で離婚か一生の生き地獄か、いずれかだ。

このようなわけで、私は付き合うと腹立たしいが、仕事はできるヤツだから、政治家としてはだめでも官僚としては優秀であったろう。かといって、官僚としてよい日本作りに貢献できていたかというとそれは怪しい。この30年の国作りは私の好みに合わない。地方にいても東京にいても人の幸福がない。貧乏人はきゅうきゅうで、金持ちはもっときゅうきゅうしている。国民あげてキョロキョロおろおろ、どこに向かっているのか知らないまま、とにかく進むだけ。「国やぶれて山河なし。国富んでも山河なし」である。私が官僚であれば、苦悩しながら現状そのままの日本作りに力を注いだことになったはずだ。もしかしたら10年前に首をくくって死んでるかもしれない。今朝の原口総務大臣のような、まともなビジョンのあるリーダーの下で働けたなら話は別だ。彼の主張する地方分権社会は、坂本竜馬から小沢氏、東国原氏といった明治〜昭和の古いリーダーシップが一掃され、貨幣経済の停滞結構、GDPなんて今の10分の1ぐらいでいい、中国無視、アメリカ知ったことか、温暖化なんかほっとけ、自分が足を着き見渡しているこの地を豊かに、そこから国家世界を語ろう、という気風が国民の間に100年かけ醸成されてはじめて出現する国の姿だ。


2010.1.17(日)晴れ 半原越21分6秒

ずっと効率よくほぼ妥当な結果が得られる方法には、邂逅自体の喜びがない。そもそもなんで最後の一葉が見たいのかということを思えば本末転倒である。本来あるべきなのは、すなおに庭のジューンベリーの木の前で粘って最後の一葉を見ることだ。風が強くなりそうだったあの夜は、30分ごとに見回る必要もあったろう。じつはそれをやろうかとも考えていた。そうやって最後の一葉が見られたならば、相当の喜びが得られることを経験上知っているからだ。ただ自分に対する甘えもあり、他にもある次もある、という人間にだけ許される時空拡大の術を使って易きに流れた。

子どもは皆そうなのかもしれないが、少年の私は効率を毛嫌いしていた。作業自体、行動自体、生きること自体が喜びで、なにがしかの結果をより早く出すことに価値を見いだせなかった。早くなってもつまらないのなら楽しく長くやったほうがよいというのは真っ当な発想だ。同様に、つまらない仕事ならば早く終えたほうがよいから、効率的にやったほうがよい。白状するけれど、私は頭を使うこと体を使うことで、つまらないと感じることが滅多にない。

本末を転倒させてでも、効率を追求したくなるのは報酬がある場合だ。企業なんかはその理屈で動いているような気がする。最後の一葉を一つ見つけるごとに30万円という仕事があれば、私でも引き受けると思う。その場合は、桜の苗木畑などの確率の高い落葉樹が密集する場所をあたり、今回見つけた方法でやっていくことだろう。その結果、3日で何十万かの報酬を得ることは喜びだが、それでは水族館のイルカやオタリアと同じだ。最後の一葉を見つけることそのものの楽しみが奪われるのは不幸なことで、きっと後悔することになる。後悔している間はいいが、その感覚も麻痺するかもしれない。報酬を得る喜び、他人に勝つ喜び、業績が伸びる喜びは強いのだ。利益欲しさに効率を追求し、その結果利益が生まれ、あげくには利益を生んだ動因としての効率追求自体が善だと勘違いする。この無間地獄から抜け出すのはけっこう難しい。

半原越は半原2号で行ってきた。今日はスタートから一気に180bpmぐらいまで上げ、その強度を維持してゴールするというやり方をとってみた。どうやっても無酸素域全開になってしまう立ちこぎは使わない。この乗り方なら、太ももが痛くならないし息も切れない。ゴールに倒れ込むぐらいの全力でタイムを追求するのもいいけれど、やっぱり、今日の走り方で速いのが本当にかっこいい自転車おやじという気がする。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'22"4'22"16.216276
区間29'32"5'10"13.717664
区間314'41"5'09"13.717864
区間421'06"6'25"11.018455
全 体 21'06"13.417663(1329)

ところで、棚田脇でコーラとアイスというのが癖になっているのだが、今日はちょっと変えてみた。コーラが最近あまり甘くないようで、知らぬ間に砂糖が少なくなっているような気がしているからだ。だとすれば脱コカコーラも検討しなければならない。ということで選んだのが、なぜかセブンイレブンプレミアム炭酸水というやつだった。私は炭酸水のあの無機質な苦みがけっこう好きだ。88円という価格も良い。アイスも、いつものチョコレート入りモナカではない棒のついたやつにしてみた。

風を避けて南斜面に腰を下ろして、炭酸水を一口ふくむと、あの苦さがない。むしろほのかに甘い。いったいどうしたわけかと説明書きを読めば、口当たりよくストレートでもいけるように作ったというようなことが書いてある。いや、それ大きなお世話ですから、と成分表を見れば水と二酸化炭素だけしか記載がない。なにか画期的な製造法が発明されたのだろう。

そこで冷静になった。植物でもあるまいに私は水と二酸化炭素を体に入れる必要があるのだろうか。エネルギーの元は呼吸で、炭水化物を水と二酸化炭素にする過程で体の力が出るのだ。これから半原越に登ろうかというときに呼吸の老廃物を飲むのは有害ではないのか。しかも、今日はけっこう寒くて、アイスと炭酸水で腹が冷え、ちょっとつらい。夏ならこれでリフレッシュという気分にもなるが、かえって力を削がれたかもしれない。水分補給なら暖かい飲み物もある。休憩にも工夫が必要だ。


2010.1.18(月)晴れ ヘビの中のカエル

ヘビはカエルを食べるものが多い捕食者だ。しばらく飼ったヒバカリはアマガエルに執着した。ヒバカリの子は卵から出てきたときに自分でエサを探さなければならない。何を食べるべきなのかを教わることがない。きっと、ヘビの中にカエルが獲物だという仕掛けが備わっていることだろう。カエルの中に「ヘビが来たら逃げろ!」という仕掛けが備わっているように、やはり、ヘビも「こいつは要チェック!」というカエルの人相書き付き手配書を持っているのだ。

私がサイクリングの途中で拾ってきたヒバカリは主に3つの獲物を食べた。カエル、ミミズ、金魚。それぞれ異なる獲物だから、それぞれに対応する手配書があるのだろう。その全部を持って卵を割ってこの世界に出てきたのだ。3種の中で気になるのは金魚だ。ヤツを拾った環境から推理するに、ヤツはそれまでに魚を食ったことがないはずだ。ヤツの環境には魚がいなかった。小川も沼もない貧相な水世界で、田んぼにはフナやメダカはおろかドジョウすらいない所で生きていた。水の中で捕れるものはオタマジャクシだけだったはずだ。それでも、オタマジャクシとはやや異なる色と動きの金魚に対してなんの躊躇もなくアタックした。

地球上の全てのヒバカリはその3タイプの獲物の手配書を持っていると確信している。そして、生まれてこの方、見たことがない動物でも手配書に合致すれば、獲物だと気付くことができるのだ。その手配書の人相書きはどのようなものか、ヒバカリの心を覗くことができないから見ることはできない。もし、覗けたとしても見られないかもしれない。想像するに、無色だとは思う。動きもインプットされているような気がする。テクスチャはあるのだろうか。子どもが粘土細工で作るような、カエルやオタマジャクシのようなものだろうか。針金細工のようにフレームだけだろうか。もしかして、最近脳科学と称してテレビでやってるような、ドットの集合で描かれているものかもしれない。いずれにしても、外の世界で獲物を見つけたときに「あっこれ!」という反応を起こす元になるイメージを持っているはずだ。


2010.1.20(水)晴れ カエルのイメージは変わる

ヘビがカエル探知に使うのは視覚像だけではない。音、体温、臭いなどがあるだろう。それらのものも視覚像と同様に体内に手配書があるに違いない。ヘビには赤外線センサーを備えたものがいる。カエルは種ごとに独特な臭みがある。たしか11月ぐらいだったが、高野地の林道脇の赤土斜面でヤマカガシかなにかの中型のヘビがカエル(シュレーゲルアオガエルか?)を捕獲したのを見たことがある。それは、越冬のために赤土に深く潜っているカエルをヘビが頭をドリルのように使って土を掘り捕まえたものだ。幸いその一部始終を観察することができたが、あれは視覚による探知が効かないハントだった。どうやって探り当てたものか、いまだにこれといって思い当たるものがない。

ひとまず、視覚以外のものも役割としては同じとして視覚に絞って考えを進めよう。ヘビの中にあるカエルのイメージがどんなものかを明らかにするためには実験によって推理するしかない。孵化したばかりのヒバカリにシンプルなカエル模型を提示して反応を調べればよいのだ。とはいっても、かなり難しい実験になる。カエルを立体的に映し出せるホログラムが欲しい。ヒバカリは水中の魚を狙える蛇だから、視覚的に似たような雰囲気のあるホログラムの映像も使えると思う。針金細工状のカエルホログラムに反応を示せば、ヘビが生まれ持っているカエルのイメージには面がついていないという推理ができる。

ヘビはずっと手配書を使い続けるわけではない。手配書にしたがって、1匹2匹とカエルを仕留めるうちに、新しくカエルのイメージを持つだろう。それはわれわれもよくやっている記憶学習のレベルだ。仕留めたカエルの色彩や動き生息場所などの記憶は探知力アップにつながるはずだ。ヒトだってカエル捕りはどんどん上達するものだ。カエルを捕ったことのない人でも、他の何かからで類推できると思う。きっとヘビにも同じことがあるにちがいない。

ただし、元の手配書が経験によって塗り替えられるとは思わない。カエルとミミズと魚と、3種類の手配書を持って生まれたヒバカリでも、たまたまその生息地にはミミズしかいないかもしれない。どうせいないからといってカエルや魚の手配書を消す必要はない。操作可能なものですらないはずだ。ミミズばかりを食うヒバカリも魚や蛙を見つけ次第に獲物として認知するだろう。手配書のイメージと獲物の記憶は、きっと格納されている領域が違っている。ヒトであれば記憶の領域にあるものは、意識して思い出すことができる。ヘビはどうだろうか。

記憶の像は個々の経験に応じて作られ、より使いやすいように変えられる。ヘビの行動範囲には、少数の種類のカエルしか生息していないだろうが、複雑な環境の中ではカエルの見え方も変わるはずだ。カエルはカムフラージュの名手でもある。アマガエルだって、一つの個体が、白、黒、緑、茶色、それらのまだら模様に色を変える。ヘビはプロとはいえ、カエルは緑だと思いこんでいるようでは茶色いアマガエルを見過ごすかもしれない。経験にあわせて柔軟に探索イメージは変わるのが自然だ。一方、手配書の像はちょっとやそっとでは変化しない。体の外見が変化しないのと同じレベルで不変だ。


2010.1.21(木)くもり ヤドクガエルと擬態

ヘビがもっている、アプリオリな手配写真とアポステリオリな記憶像の2つのイメージの関係は複雑だ。そこには解かねばならず解けるかもしれないいくつかの謎が含まれている。問題のややこしさが表面化したものの一例として被捕食者の擬態がある。中南米にはヤドクガエルと一括される毒ガエルがいる。皮膚に強い毒を持つというから、捕食者であるヘビや鳥にはやっかいなカエルだろう。私はコロンビアの山中でいくつか見かけたことがある。模様の毒々しさ以外はトコトコ歩きピョンピョン跳ねる普通のカエルだった。ヤドクガエルの模様は無数といってよいバリエーションがあるようだ。しかし皆なんとなくよく似ていて、1匹見れば全部がわかる。ミュラー型なりベーツ型なりの擬態関係になっていると思う。

ヤドクガエルの擬態の成因はおそらく解けない謎だ。それがいつごろどのようにして成立したのかを語る証拠は永遠に失われているように思う。ただし、どんな力関係が働きどのような過程でできあがったのかを計算することは難しくはない。この世界には事実は不明でも数学的な問題に落とせば解決可能になることは星の数ほどある。

ヤドクガエルの模様がお互いに擬態になっていることは間違いない。その正しさは視覚的捕食者であるヒトの私がそう感じることで保証される。ヤドクガエルの毒々しさは、カエルの身体能力と捕食者であるヘビの目の協調の賜だ。いくらヤドクガエルたちが創造性を発揮してサイケデリックに体を飾っても、ヘビがそいつらをやばそうだと感じて見逃さなければ擬態は生まれない。ヤドクガエルを作ったのは鳥だと思うけれど、いまの話の流れから、ヘビに限定して考えを進める。私が問題にしているのはヤドクガエルの模様が手配写真としてヘビの間に出回っているのかどうかだ。

擬態者であるヤドクガエル群とそれを忌避するヘビという関係が一発で生じたことはありえない。その関係はじょじょにできあがったはずである。その過程はいくつか考えられる。まずはヤドクガエルがこの世に誕生する以前に、ヘビが赤黒、黄黒、白黒、青黒の縞やブチからなるいわゆる警戒色を手配書として持っていればどうだろう。この場合は、カエルのなかで芸術性を発揮して警戒色っぽい体を作ったものが生き残ることになる。ヘビにお目こぼしをもらえるグループは大繁栄してヤドクガエルグループが成立するだろう。実力(毒)はともかく見た目の第一印象で勝負だ。

これはちょっと考えるだけでもいろいろ不都合にブチ当たってしまう。一番の問題はヤドクガエル群がベーツ型の擬態者になってしまうことだ。つまり、たまたま警戒色をまとうだけで見逃されることになり毒を持つ必要がなくなるのだ。ベーツ型の擬態者は原理的に日陰者でなければならず、この仮定は不合理になってしまう。ヤドクガエルは本物の毒ガエル群、すなわちミュラー型だと思う。また、そうした「食べるな危険」という警戒色を手配書に持つためには、ヘビはヤドクガエル以前に同じような模様の被捕食者との関係を地質時代の長きにわたって築かねばならない。たとえばヤドクサンショウウオみたいなものを仮定することになる。それでは無限遡及するだけだ。

次に、いまなおヤドクガエルの毒は効果を、カエルが生き残るためだけでなく警戒色を維持発達させるためにも、持続しているとして考える。こちらを前提にするならば、ヘビは警戒色を手配書に持っていてはいけない。毒が毒として機能することが擬態の肝だからだ。

警戒色を知らないヘビは、ヤドクガエルに出会ったときに、ぱくっと噛み付く。そしてヤドクガエルの毒に当てられてひどい目にあう。かつて試しにカメムシを口にふくんだことのある私は、その哀れなヘビの気持がちょっとわかる。食べられるほうのヤドクガエルはヘビの一撃で致命傷を負うだろう。相打ちになるヘビもいるかもしれないが、ヘビの多くは生き残る。そして、二度と同じ色目のカエルには手を出さないのだ。自分は死んで仲間を助ける。人間では自己犠牲の死が種の保存にまで功を奏すことはないが、動物には死んで花実が咲くやつがけっこう多いのだ。

ちなみにベーツ型が日陰者でなければならないのは、○○○○●○○●×××××××××・・・・という理由で、ベーツ型が多ければ1匹のヘビが警戒色を学ぶまでに8匹ものヤドクガエルが犠牲になってしまうからだ。「○=やられるヤドクガエル(ベーツ型) ●やられるヤドクガエル(ミュラー型) ×=見逃されるヤドクガエル」

この辺は擬態の説明として一般に普及しているものだ。ヤドクガエルもうまく説明できると思う。では、こちらの方向でもう一歩考えを進めてみよう。このヘビはヤドクガエルが毒ガエルであることを経験で知った。つまり、毒入り危険の食べてはいけないヤドクガエルの姿を学習と記憶の領域に保持することになる。その領域にはすでにさんざん食べてきたおいしいカエル図鑑も入っている。一方で、生得的な手配書領域にはカエルのイメージは生きているから、未知のカエルに出会ったらひとまず食べてみるだろう。

あるヘビは1、2匹のヤドクガエルを試食するだけで、ヤドクガエル群を避けることを学ぶ。ヤドクガエルのデザインは何十何百とあるのに、ヘビは少ない経験でヤドクガエル色のパターンを学べることになる。だからこそミュラー型の擬態が現象として成立する。黄色い縞のヤドクガエルも赤い斑のヤドクガエルもヤドクガエルとしてひとくくりにする能力を持っていることになる。思うに、ヒトである私もそれができるのだから、ヘビにだって不可能ではないだろう。


2010.1.22(金)晴れ ヘビとクマのお伽話

ところで、第一の仮定では、ヤドクガエルを食べる前のヘビが警戒色というイメージを生得的に持っていることを否定した。そして、今はヘビがヤドクガエルの体色に共通するパターンを警戒色として認知することを仮定している。ということは、色彩のパターンを学習できる能力を認めることになる。そっちの能力ならば生得的に持っているということだ。カエルを見て獲物だと気づけるのと同じような仕組みで、けばい色合いの縞や斑を一括りにできる能力がある。類型化されるパターンが結びつく感情や行動は決まっていない。あくまでニュートラルで経験と学習次第だ。経験した模様がカテゴリー化されるときに、経験した感情が付加され条件反射が形成される。学習による記憶は意識化もできるし、その後の経験によって変更も可能だろう。

ここであらためて考えておかねばならないのは、学習したことは世代を越えて伝わらないということだ。進化論には「獲得形質は遺伝しない」というセントラルドグマがある。それに対する反証は見つかっていない。私もそれに逆らうつもりはない。形質といっても、肉体ばかりでなく心の進化にもそれは適用されるはずだ。記憶も条件反射も絶対遺伝しない、と言い聞かせながらヘビとカエルを考えるといろいろ難しい問題が出てくる。ヘビが生まれながらにして、カエルを獲物だと知っているなら、その起源は大問題だ。

ヘビということで思い出したが、動物園のヒグマがヘビを恐れるという事実はよく知られている。強力なヒグマがヘビを恐がる理由はないから、そのおかしな様子はテレビ放送されたりする。ヘビなんてどう考えてもヒグマの餌だ。噛み付かれても丈夫な毛皮には牙が通らず痛くも痒くもないだろうから学習によってヘビを恐れるということはあるまい。あの行動は動物園のヒグマの文化としても継承されている可能性がある。獣や鳥などは、親に保護されている間に敵を学ぶ。親元を離れた後にも仲間から様々なことを学べるかもしれない。あるヒグマがたまたまヘビがいるときにパニック発作を起こし、その空気が子どもたちに伝染して残っている可能性もある。本能だと思える反射も、じつは文化的な所産に過ぎないということはよくあるのだ。

もしヒグマが本能的にヘビを恐れるのならば、それはそれでたいへん面白い問題になる。現状のヘビとヒグマの関係ならば、ヘビが恐れられる理由はない。どうしたって両者の立場を逆転させなければならない。実際に6500万年ぐらい前には両者の立場は逆転していたと思われる。中生代には、ほ乳類は皆小型で、は虫類や恐竜のほうが羽振りが良かった。今のヘビの祖先はウワバミ、ヒグマの祖先はネズミみたいなものだろう。ネズミグマはウワバミのエサで、カエルとヘビのような関係が1億年にわたって続いたと考えられる。

中生代の終わりには陸上動物で大型のものは死滅し、恐竜が消えた跡の空間をほ乳類が占めることとなる。ネズミグマは北に生息地を拡大しつつ急速に巨大化して今のヒグマになる。その間、生き残ったウワバミの仲間は赤道付近で細々と命をつないでいた。新生代もたけなわの現代になってやっと地球も温暖化、ヘビもヒグマの生息地にまで生息地を広げることができた。そうなると、ヒグマはヘビと再会することになるのだが、5000万年にわたってヘビとヒグマとの関係は途絶えており、ヒグマの心中に刻み込まれていたヘビのイメージは触られずに残っていた。かくて、今だにヒグマはヘビを恐れるのである。というようなお伽話のようなことまで考えなければならなくなる。


2010.1.23(土)晴れ 半原越20分3秒

ジョロウグモ

自転車に行く前に先日見つけたジョロウグモ(写真)を撮りに行った。1月にジョロウグモを見ることは珍しくないけれど、大寒を過ぎてから見た記憶はなかった。この個体は成熟したメスで、サイズはざっと普通のものの半分しかない。おそらくはエサがあまりとれずに成長が遅れたものと思う。私の庭でもそうだが、この住宅地はけっして獲物に恵まれた環境ではない。ぜんぜんエサが捕まらずに餓死してしまうジョロウグモも多いと思う。このメスは成熟まではしたもののオスがおらず卵が熟さずにこうしてなすすべもなく網にとどまっているのかもしれない。破れた網を修繕するでもなく、このまま静かに命の終わりを待つのだろう。

今日の半原越は、半原2号で39×25Tでやってやろうと決心していた。データのラップタイムとケイデンスを分析して、最も有効なギアは39×25Tではないかと思いついたからだ。半原越はいやらしく波打っている。最高斜度のところでも、立ちこぎしてでも、60rpm を保持できるギアを使いたい。かといって軽すぎるギアだと、最もゆるいところでは空回しになってしまう。39×25Tであれば、60〜100rpm でその両方を満足させることができそうだ。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'19"4'19"16.416883
区間29'15"4'56"14.418473
区間314'06"4'51"14.618674
区間420'03"5'57"11.919161
全 体 20'03"14.118772(1444)

予定通り39×25Tでスタートして、軽い軽いと区間1を快調に飛ばすけれど、ふと心拍計に目をやると170bpmを軽くオーバーしている。1kmも行かずにこれだ。先が思いやられる。脚に力を入れているわけではないのに、緩い坂でも90rpmだと負荷は相当かかる。区間2ののっけのきつい坂でも力を入れすぎないように注意する。それでも180bpmを軽く越える。そんなにしんどくないのに、なんかへんだあ、とそのままのペースを維持する。

心拍計は嘘はついておらず、区間4になるとおもいっきりしんどくなってきた。ずっと最大心拍数の193bpmに張り付いている。久しぶりに死ぬのではないかと思った。そのかわり、ギアは重くはなく、力一杯という感じはしない。立ちこぎでは太ももの前、座ったら田代さやか、と交互に使って死ぬ一歩手前ぐらいでゴール。20分を切ってないのを知ってちょっと微妙な気分。このやり方は重いギアを使うよりしんどい。ただし、筋肉への負荷は小さく回復は早い。帰宅してジョロウグモの写真とキャットアイV3のデータを確認していると走り足りない気分になって境川に行った。


2010.1.24(日)晴れ 半原越24分34秒

くねくねと曲がる林道脇の風の当たらない日だまりを見つけて休憩することにする。雲一つない空に太陽が力強く照っている。南斜面だから3時間以上はこの調子で日が射しているのだろう。腰を下ろすと吹きだまった落ち葉が驚くほど暖かい。ことしは冬がなかったと思う。11月になってさあいよいよと覚悟を決めたら春になった。寒波が来ても春先のあがきのようなものばかりだ。

死ぬほどしんどい思いをして走るだけが半原越ではないと反省して、半原1号でやってきた。半原1号は36×27Tの軽いギアがついている。今日はこれでゆっくり走ることにした。ひとまず25分ぐらいかけて1回登る。息も脚もどってことない。寒いときは一度下ると体が冷え切って気力もすっかり萎えてしまう。とうてい登り直すなんてことはできない。今日はだいじょうぶ。何回かハーフができそうだ。どこでペダルに力を入れて、どこで抜けばよいのか。それとも、抜かない方がよいのか。いろいろ工夫して走ることにした。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間15'37"5'37"12.6-75
区間211'37"6'00"11.8-70
区間317'28"5'51"12.1-72
区間424'34"7'06"10.0-59
全 体 24'34"11.5-68(1671)

2010.1.25(月)晴れ 動物としての宿命

動物を食べるのはよい生き方とはいえない。食べられることを避けて食べたほうが生き残る、という方法は愚かだ。数からいうと、食べられる方が多いに決まっているのだから、地上の楽園は原理的に存在しないことになる。30億年ぐらい前らしいけど、光合成という画期的な方法が発明され、この生き地獄を克服する光が天上からさした。いまや、その方法が生物の主流である。植物を筆頭に光合成生物が勝ち組としてこの地球に君臨している。海も地上も彼らの天下だ。われわれ動物は数量からいえばいないに等しい。いなくなっても地球の姿はあまり変わらないだろう。

日陰者、負け組とはいえ、人類とこの私が他ならぬ動物という理由から動物のことも無視するわけにはいかない。食物連鎖は宿命的関心事ですらある。動物界を見渡してみると、食物連鎖にも漠然と秩序がみられる。Aが食うのはB、Bが食うのはC、Cが食うのはDというように、だいたいきまっている。行動を見ると、食べるにもルールがあるようだ。なぜか動物は自分のサイズとスピードを知っており、大きな影から逃げる。高速で近づいてくるものから離れる。追いかける対象は遅くて小さいもの。というような基本ルールができあがっている。この秩序は何十億年かの間に無秩序の中から生まれてきたのだろう。

食べられないものが生き残り、食べるものが生きながらえる、となれば当然、逃げる技、追いかける技が洗練されていく。動物は他者に出会ったときに「こいつは食えるだろうか」「こいつには食われるのではないか」と反射的に考える。生命の歴史と同じだけの時間を、そのことに費やしてきた。世の中が複雑化(種分化)するにつれて食う相手を絞る方法もとられる。クロアナバチとツユムシなどのように狙うべき対象と1対1の関係を結んでいるものもある。多くの動物が、何をどうやって食べるのかを知って生まれてくる。彼らの意図は生まれながらに外見に現れ、内面に秘められている。内面に秘められているものとは、カエルの中のヘビ、ヘビの中のカエルのようなものである。どうやってそんなイメージを持てるのか、全く頭の痛いところである。


2010.1.27(水)晴れ 手配書はどうやって作られたか

生きとし生ける者はこの世の中で出会うべき者の手配書をご祖先から引き継いでいる。その辺の虫けらを観察すれば、理屈の上でそうなっていることは明らかだ。ヘビは卵から孵ったときにカエルの姿が書かれた手配書を持っており、それをもとに食料を探せばよいのだ。

残念ながら、私は私の中にあるはずの手配書そのものはけっして見ることができない。人相書きの本人にあって「あっこいつだ!」と感じても、なぜそいつのことを知っているのかは分からないはずだ。何を見ることができたか、どんなものを見て衝撃を受けるかで、手配書の存在を推理するのみである。先日は半分眠った意識から勝手にわき出してくる文字・女の顔・風景などのイメージを観察し、それらカテゴリーごとに分類格納されているイメージの根っ子に手配書があることを直感した。あの臨死体験のような状態で体験した記憶像と同じようなものがヘビやカエルにもあると考えるならば、彼らの天敵vs獲物という本能行動も理解できる気がする。

生物だってもともとは無機物から合成されたというから、最初の食物連鎖は化学反応と同値だったにちがいない。アミノ酸や核酸から単細胞になり、多細胞生物になっても食べることは最終的には化学反応である。味も臭いも化学反応である。どんな捕食者にとっても、被捕食者はいい臭いのする旨い物に違いない。そうした経緯に思いを馳せるならば、生物の心にはまず味のイメージが有り、次に臭いのイメージが有り、うまいから食べる、いい臭いがするから近づき食べるという行動が発達する。光を感知する目という器官が発達すれば、いい臭いがして食べたらうまい物の姿が見えるようになる。臭いがわからない距離でも、そいつが見えたならば襲えばよい。それをベースに視覚像のイメージが誕生し、より獲物の発見に巧みな捕食者が生き残っていく。虫けらたちが生まれつき持っている手配書はそんなこんなを10億年続けてできあがったはずだ。進化論の文脈ではそうなる。

ヒバカリは、うまい具合に、異なる対象を主な獲物としている。カエル、ミミズ、金魚、そしてコオロギは全く相手にしない。ナメクジもだ。これらの共通項を見るだけでも、どうやって獲物を認識しているのかがわかる。水中の金魚では臭いに頼れないだろう。金魚でも動いてないものは獲物と認識しない。視覚が重要な役割をはたすらしい。カエルと同サイズのコオロギは全く相手にしない。体の上に登ってもピクリとも反応しない。私の目では、カエルとコオロギは似ている。少なくともカエルとミミズよりは似ていると思うから、カエルとミミズは別種の獲物として認識されているのだと思う。そうしたカテゴリーはどうやって成立するのだろう。


2010.1.28(木)晴れ一時雨 手配書はどう使われるか

動物が持っている手配書が機能するようすは二次元バーコードを携帯電話で読み取るようなものだろうか。携帯のカメラをバーコードにかざして被写界に入れば直ちにURLが表示されてリンク機能が発現する。動物たちは食う者も食われるものも、みなが種ごとに決められている二次元バーコードを持っている。ちょっとちがうのは全てのケータイでそのコードを読み取れるわけではないということだ。動物ケータイは読めるコードが決まっている。コードを読みとれる動物には、それは機能するけれど、ほかの動物には意味不明な市松風模様にすぎない。

たとえば、ヒバカリのケータイ(目)ではミミズのバーコードは読み取れるけど、コオロギのバーコードは読み取れない。カナヘビの目には、ミミズのバーコードもコオロギのバーコードも獲物として読み取れる。でも、カナヘビの目には金魚が読み取れない。そして私の目には、ヘビもトカゲもひっくるめて、かれら虫けらは「いざとなったら食えるかもしれないけれど、いざとはなりたくないな」という対象として写る。ヒトはおそらく草食基本の雑食系であること、また高い学習能力が本能にとってかわっており、捕食すべき対象を自動的に判定する能力は薄れているのだと思う。

こうした対応関係は、両者が出会ってはじめて発現するものである。飼育環境では速やかに茶碗の金魚に餌付くから、ヒバカリの心のなかに魚の手配書があるはずだ。しかしながらその辺の山里環境をみれば、一生魚に出会うことがないヒバカリも少なくないと思う。魚の手配書はいつの日か魚に出会うまで交番の掲示板に張り出されたままだ。もしかして、魚を食べたことのないヒバカリが魚の夢を見るようなことがあるのだろうか。食ったらうまそうだけど、思い当たる対象がない。なにやら運命を感じる不思議な生き物。水中をゆらゆら漂う魚を夢に見て、よだれをたらして目が覚めて、はてあれはなんだろうといぶかしがることがあるのだろうか。

こういう疑問をもつのは、私自身の心の中にある手配書が作出したらしい夢を見て強い衝撃を受けたことがあるからだ。一度、心の中に手配書ができあがってしまえば、強い恒常性があるはずだ。少なくとも消す原因が見あたらない。ヒグマとヘビもそうかなと思う。ヒトの中にも1億年前の天敵や獲物の手配書が残っているかもしれない。本来は、そのものに出会って心と体が動き宿命に気付くものだけれども、何かの拍子にひょこっと意識に上ってくることもあるはずだ。ヒトは創作力があるから、そうした衝撃的なイメージを絵画彫刻として表すこともあるだろう。龍やリバイアサンの出生地もそこかもしれない。


2010.1.29(金)晴れ 種の起源がわからない

いろいろな書物をひもといても、どうやって種が進化するのかについて納得できる解説が得られない。そもそもダーウィンの「種の起源」には種の起源については書かれていないらしい。種の進化は事実であり化石記録や状況証拠ならいろいろある。孤島や洞穴など、隔離された所では固有種とよばれる独特な種がいる。ガラパゴス島では、一種の小鳥がさまざまなエサに応じて分化し数種の鳥になっていることをダーウィンが見つけている。密林に蜜壺までがやたらと長いランの花があれば、彼の予言通りにやたらと長い口の蛾が見つかる。

そうした数々の事例は目を引く。しかし、それが本流ではないとやはり思える。環境の変化に対応するように、あるいは他の動物に打ち勝つように、という理由で進化するというのはどこか嘘くさい。孤島に閉じこめておけば、類人猿が人類になるだろうか? エサの種類がたくさんあれば、いろいろ食べようとして類人猿が人類になるだろうか? 森がなくなったため草原で暮らさざるをえなくなった類人猿が人類になるだろうか? トラやライオンの口を逃れようとして、類人猿が人類になるだろうか? 同じ星の下で同じ地球に住んで、ゴリラになった類人猿もおれば、オランウータンになった類人猿もいる。彼らは絶滅に瀕しているけれど、進化をミスったわけではない。ヒトになった類人猿さえいなければ、今でもきっとうまくやっていたんじゃなかろうか。

動物はどうやって変化していくのか。進化論の考え方ではランダムな変化、突然変異が積み重なる結果だという。鳥や昆虫のようなきわめて洗練された美しいデザインですら、ランダムな変化の賜だという。クロアナバチとツユムシのような奇跡的な関係ですら、ランダムな試行の積み重ねであるという。小さな変化でも1億回積み重なれば全然変わったものになる。きっとそれは正しいのだと思う。ただし、カブトムシの角がランダムに伸びたり縮んだりしていれば、1億年後も0mmにしかならないのが道理だから、そこに適者生存という理屈が必要になる。角が長いほうが強く、強いものが子孫を残すのだ。長い角を持つ父からは長い角を持つ子が生まれる。なるほどなと思う。じっさいにカブトムシを観察すると、長い角を持っている方がケンカに強くエサ場で威張っている。確かにそうだなあと納得する。

じつは動物の姿なんて速やかに変わっていく。イヌは人の手で改良されて100〜1000世代しかたっていないと思う。その時間は地質時代では無だ。それなのに、各品種の見かけの姿は、タヌキとキツネ以上に異なっている。チワワなんてのはイヌ目よりも半翅目に近い。自然交配できないチワワとセントバーナードは100万年後には別種になっているだろう。

淘汰圧という一定の力が加わり続けると種は劇的に変化するのだ。では、ゴリラとヒトを分けるほどの淘汰圧とは何だったのか。あのすばらしい翼をトカゲに与え鳥に変えた淘汰圧とは何だったのか。クロアナバチにツユムシだけを食べるべしと旧約聖書の神のような命令を下した淘汰圧とは何だったのか。それがわからないうちは種の起源がわからない。


2010.1.30(土)晴れ コーサスイ

向かい風の中、ナカガワに乗って時速28kmで走っていると、この単語が唐突に浮かんできた。コーサスイ。なんだ? 黄砂の季節だからコーサスイでもあるまいに、と反射的に心の中でおやじギャグをとばしてみたものの、全く聞き覚えのない単語でもなかった。まだ調べてはいないけれど、コーサスイの出所は有名な哲学用語のはずだ。デカルトかスピノザか、そのあたりが「コウザスイ」という用語を使っていた。現代ではそのみずみずしい力は失われ、その単語で物思う人はいないかもしれないが、西洋哲学史には永久に残ることばだ。自発的に使ったことはないが、10年以上前に読み飛ばしていた書物でキーワードとして見たはずだ。この程度のことは10秒で思い出せた。

そこで終わればよくある愉快な想起話に過ぎなかった。ところが、コーサスイというのが「ロンサムボーイコーサスイ」として実にピッタリはまるのだ。しばらく気になって、懸命に思い出そうとしていたロンサムボーイ○○○○の○○○○に入るのがどうやらコーサスイのようなのだ。これは大事件だ。「ロンサムボーイコーサスイ、ロンサムボーイコーサスイ、ロンサムボーイコーサスイ」と心中で復唱すれば、ますますしっくりくる。もはやコーサスイ以外に○○○○を埋める単語はあり得ないという気になった。

ここで終わればよくある「思い出せてすっきり話」に過ぎない。しかし待て。私はコーサスイという単語の意味や使い方はすっかり忘れているとはいえ、それが西洋哲学の用語だと指摘できるのだ。もしかしたら全然違ってて、化学薬品とかかもしれないけれど、それなりの自信をもってそう言える。だのにあの夢を見た朝、1時間にわたって○○○○の意味を問い続けたのに、ぜんぜん思い当たるふしがなかったではないか。勝手造語だろうけど念のためにググってみるか、ぐらいの気持ちで寝床から立ち上がったのではなかったのか。しかもその3時間後には単語そのものをうっかり忘れてしまい「いや、全然記憶にないことばですから」などと自分自身に言い聞かせたではないか。

ここまで書いてきて、やっぱりあの映画監督の名前はロンサムボーイコーサスイだったと確信した。それはそれですっきりだが、なんでコーサスイに思い当たる節がなかったのか。ちょっとした悶々は残る。


2010.1.31(日)晴れ 半原越20分58秒

あちこちの田畑からかぐわしい臭いがする。どうやら土にも春のスイッチが入ったようだ。今日は半原2号で半原越。いつもの棚田はちょっと避けて、何年か前に休憩場所にしていた休耕地に行ってみることにした。ぼうぼうの枯れ草に座って景色を眺める。杉の葉の赤さは冬の終わりだ。落葉樹の芽の赤さは春のはじまりだ。この休耕地はずいぶん広い。造作からしてかつては棚田だったらしい。今は一部が大根なんかの畑になっているだけで、何年も雑草の生い茂る荒れ地のままだ。草刈りだけは年に数回あるからこうして入っていられる。

この雑草畑をちょっともらえれば清川村で生きていかれる。米と豆と芋を作って暮らせばよい。いまは農業技術がしっかりしているから素人でもなんとかなるんじゃないか。法論堂川には上流の釣り堀から逃げてきたニジマスも野生化して住み着いている。ときどきあいつらを捕まえれば食べ物に不自由ない。この清川村だけでなく、日本全国にこういう土地が散在している。私の明日はかなり明るいような気がしてきた。

今日はあまり元気がなくてゆっくりにしようと思った。39×25Tにかけてスタートしてから、ただ単にゆっくりでは無策にすぎる、ここはいっちょ攻撃的なゆっくりにトライだ、などと言い訳がましい考えが浮かんできた。これまでは、4.7kmをバランス良く走っているつもりでも、いつのまにかオーバーペースになって、15分で燃え尽きていたように思う。燃え尽きた焼けぼっくいで10%超が連続する区間4に入るのは自殺行為だ。攻撃的なゆっくりとは、必要以上に力を入れすぎて無意識に無酸素パワーを使っているのを止めることだ。力を入れれば速くはなるけれど反動のタイムロスが大きい。むろん、半原越で39×25Tなら無酸素パワーを使わなければ前に進まない所も25%ほどある。それ以外のところでの勝負だ。これは意外と難しい。自分の脚と相談しながら注意深く走る必要がある。心拍計で気付いたときは手遅れなのだ。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'50"4'50"14.614775
区間210'14"5'24"13.817070
区間315'01"4'47"14.017571
区間420'58"5'57"11.918561
全 体 20'58"13.517068(1426)

区間4が 5'57" で奇しくも先に20分ちょっとでフィニッシュしたときと同タイムだ。あのときは死にかけていた。ずっと最大心拍数を表示していた。今日はそれほどきつい感じはない。この調子で20分なら、ようやくホンモノではなかろうか。


2010.2.1(月)雪 突然変異

種の起源は分化だろう。ある種が分かれて新種ができるのが種の起源だ。あまたある進化論の書物をひもとけば、いろいろな理由が述べられている。私にはそれらがどうも面白くない。そこで扱われている進化はどうしても受動的で、いつまでたっても画期的なことをやってくれそうにないからだ。私の回りにいる生物はどれもこれも創造的で画期的な産物としか思えないのに。

生物は1世代ごとに、微少だけど、進化している。親からみれば子はほんのちょっと進化しているはずだ。それは確かだ。とりわけ有性生殖するものは顕著だろう。5000万年ぐらいでコガネムシの角がにょきにょき伸びて5センチになってカブトムシが誕生する。その場合、1世代では 0.000001 mmだけ伸びれば良いことになる。きっと細胞1個分よりも小さい変化だろう。いま生きているカブトムシは画期的だが、それは突然現れたものではなく、ぜんぜん気付かない変化の積み重ねなのだ。その調子でやれば、翼だってヒレだって人間精神だって、何だってできるという論調もある。

種分化の直接の原因は突然変異だというのは全面的に賛成だ。がんばって変われるはずがない。努力でなんとかなるのは個人の幸福とか社会の平和とか、そういう些細なことだけだ。実体はあくまで個体だ。生き物はなんとか生きて子を残すだけだ。種だの進化だのの出る幕は現実世界にはない。変異の積み重ねに失敗した種は、一瞬の寿命しかもたぬ個体の死とともにあっさり絶滅すればよい。その辺は人間社会とちがってさばさばしている。

1世代あたりでは、いかなる変異も 0.000001 mm伸びた角程度のものだろう。そこんとこのコツコツ100円貯金は大事だと思う。ただし、角だのヒレだのの発達を手助けするのは、適応とか適者生存とか、いくぶん歯切れの悪いトートロジーふうの説明になっている。冷静にみれば角を伸ばさない方向でうまくやっているコガネムシの方が多く、どちらかというとそっちのほうが繁栄している。地球に生き残れるよう、という視点ではカブトムシという種が生まれる必然性は見あたらない。そもそも、いま生きているやつはどれも40億年命をつないできた勝者ばかりなのだから、適者に決まっている。

もうちょっといかした突然変異はないだろうか。サイエンスファンタジーでは、突然変異の子は耳が聞こえないけどサイコキネシスを持ち、目が見えないけど未来を予知し、口がきけないけど他人の心を読み、長生きできないけど知能指数が10000ぐらいあったりする。そういう者が結託して新人類を作るか作らないかということになってしまう。じつは、ヘビやカエルにもかつて、そんな劇的な突然変異が起こったと考えてはだめだろうか。


2010.2.2(火)くもり 虫けらの二元論

「馬鹿の考え休みに似たり」というけれど、これからあえてその馬鹿の考えをしなければならない。これまで二元論で展開される考えは概して馬鹿の考えであった。話は作りやすく理解もしやすく何でも説明できてしまうが中身がない。馬鹿が利口のふりをしたいときの道具が二元論だと感じている。とりわけ、心と体、精神と身体、魂と肉体、その2つを行き来して物を考えているものは全部インチキだとみなしている。それらがいわゆる癒しになっているのなら休みに似ているからだろう。そういう私は唯物主義者だ。

そういうガチガチの唯物主義者である私も虫けらのことを考えるときには、彼らの心を想定せざるをえない。一寸の虫にも五分の魂があるからには、虫けらの半分は心でできているはずだ。「ヒバカリは生まれつきアマガエルが大好物で、見つけると一飲みにして食べる」という記述の半分は心でできている。そして進化の直接原因である突然変異はとうぜん心と体の双方に起きるはずで、心を抜きには進化の研究はできない。ここでいう心、魂というのはいうまでもなく手配書のことだ。もう少し大きくは手配書を元に自動的に展開される反射も含めて心という。

進化につながる突然変異は手配書にも起きる。それは実際に何が変わるのだろう。くやしいけれどヘビの体にどうやってカエルのイメージが書き込まれているかを、私は想像することもできない。私はえせ唯物主義者である。カエルの知覚があり、手配書との照合があり、狙い襲撃の捕獲の反射が起きる。そのときに起きている化学反応を全然知らない。唯物主義者失格だな。そのかわり、そのときの心がどう動くかは同じ動物としてなんとなくわかる。それだけが頼りだ。

私は手配書のイメージがどのようなものか見たような気がしているし、想像もできる。しかし、それは歪んでいるものだ。ヨーロッパ人と日本人が異なる臨死体験を持つように、心の奥にあって見ることができるものは見たいものだけだ。禅坊主ではないけれど、自分の目で見たものを信用してはならない。あくまで仮の表現としてのイメージと割り切るべきだ。

その意味では手配書なんてあるかどうかもわからないものだ。ただし、一度それがあることを想定すれば、その効果はありありと見える。ヒバカリは魚と蛙とミミズに対して劇的な反応を見せる。カナヘビはミミズとコオロギに劇的な反応を見せる。試してないけど、カナヘビは水中の魚は食わないし見えもしない、視界に入っても石ころぐらいにしか見えてない、と思う。

私はヒバカリとカナヘビはおなじ虫に見える。顔つきも頭のサイズもそっくりだ。ヘビとトカゲなので体つきはぜんぜんちがうけれど、物を食う頭部はそっくりなのだから、おなじ物を食って良いと思う。ヒバカリだってコオロギを食っても良いと考えた。げんにヒバカリを拾ってきたとき、とうぜん食うものだとコオロギを投げ込んだのだ。


2010.2.3(水)晴れのち雨 心変わり

心も体も、どちらも同じように突然変異が起こると考える。次に、そのどっちがより進化に有効か、ということを考える。おそらく突然変異ってのは99.9%ダメなことなんだろうと思う。生物はどれも精巧にできていて40億年も生き続けているのだ。それだけの歴史にはそれなりの重みがある。極端な突然変異はだめだというのは想像に易い。突然、背中に目ができても困る。体の各器官は相互に補完しているのだから、勝手なことをする器官は使い物にならない。腹筋だけがやたら丈夫でも人としてどうだろう。肉体では、ゆるされる突然変異はほんのちょっとしたことか、皮肉なことに、役立たずだけど邪魔にはならないものだったりする。

心の突然変異について考えてみる。心は変わりやすいもの、というのは意識・記憶の方の心。そっちは全然無視して、そうめったには変わらないはずの手配書で考えてみる。ヒバカリはカエルの手配書を持っており、その人相書きにしたがって誰にも教わることなくカエルを襲って食べる。コオロギを無視するのはその人相書きを持っていないからだ。本人も気付かない心の奥底の突然変異。いわば無原因の心変わり、好みの急変がいまは問題だ。

私がみるかぎり、カエルとコオロギはよく似ている。丸っこくて地べたをとことこ歩きぴょんと跳ぶ。カエルの人相書きがあるのなら、それがちょっと変われば、コオロギはカエルの仲間になるんじゃないかという気がする。人相書きの突然変異によってコオロギも食うヒバカリができあがるとしよう。昆虫食のヒバカリなら水辺から離れても生きていかれるかもしれない。それら0.1%ぐらいのヒバカリは餌の多い乾燥したところでも生きられるようになる。生息地が分かれれば、島に新種が生まれるように、ムシクイヒバカリという種が誕生する。

手配書の突然変異は、体の変異に比べて圧倒的に有利である。まず第一に失敗の危険が小さいこと。コオロギもカエルにみえる人相書きであれば、コオロギのいないところではカエルを食えばよい。そのヒバカリは全く通常のヒバカリとして生きる。カエルがカビ病なんかで絶滅して、本来はヒバカリも一蓮托生になるところをコオロギを食えるグループは生き残るかもしれない。また、不幸にしてコオロギが口に合わない場合も中毒死の危険は回避できるはずだ。ヤドクガエルを学べるのなら、コオロギもその一種だと思えばよい。ある種の毒ガエルだと学んで避ければ良いからだ。人相書きが変わるというのは、人でいうところの好奇心の芽生えみたいなものだろう。私は進化の本当の原動力はそのような心変わりだと思っている。適応も淘汰も適者生存も種の起源を説明せず、実況見分を並べているだけだ。

ただし唯物論者の私は人相書きがどうやれば書き変わるのかを知りたい。おそらくは発生のとき、脳の神経の何かが変わればよいのだろう。それは大きな変化ではないと思う。少なくとも外から観察して違いがわかるようなものではないはずだ。肉体の変化が小さいほど突然変異も起こりやすいのじゃないだろうか。個体に起きた変異が原因で寿命が縮まなければ、その心変わりは子孫に伝わる。それこそ変な変化があったとしてもそれは発現しないまま延々と引き継がれ、100万年間、運命の出会いを待ち続けるのかもしれない。


2010.2.5(金)晴れ 意志と表象としての世界

いまはだいたいこんな所かなと思う。ちょっと気になったのはヘビの起源だ。ヘビのことを考えるたびにヘビの起源が気になる。あのさっぱりと美しいデザインはどうやってできたのか。どうして手足を捨て去ることができたのか。ひとたび発達させた手足を捨てることの難しさから、ヘビはトカゲから分かれたものではないと結論したこともある。トカゲのレゾンデートルは手足だといってもいいぐらいだからだ。さらに今回では、昆虫を食うヘビが見あたらない(当社比)ことから、いっそうトカゲ祖先説の疑問符が大きくなった。

トカゲというヤツはとにかく昆虫を食う代物である。コモドドラゴンのように巨大なものはどうか知らないけれど、昆虫を食えるサイズの口を持ったトカゲは等しく昆虫を食うものである。ワニはトカゲではないけれど、ワニだって生まれたばかりの小さいやつは昆虫を食う。ヘビがトカゲから分かれたならば、ヘビも昆虫を食っていいはずだ。そういうことを考慮してなおかつヘビはトカゲの一種なのだとするならば、よほど手足が不要で昆虫のいないところに入り込んで行ったトカゲを想定しなければならない。

こう来れば、答えは一つ。海だ。中生代の、珊瑚が群生し無数の魚が群れていた美しく澄んで暖かい海だ。トカゲは両生類から進化して乾燥に耐えるすべを身につけながら昆虫を追って陸の深いところに進出していったはずだ。敵なしで手当たり次第に虫が食える大陸というフロンティア。当時のトカゲの心はそっちに向かっていたはずだ。ところが、その一派がもう一度ふるさとの海を目指すことになる。遠い祖先が海から川へ遡上しやっとこさ手足をゲットし、乾燥に耐える卵を得て、ようやく上陸を果たしたというのに、あるトカゲは海に帰ったのだ。

海では手足はなくてもよい。珊瑚や岩場の隙を動き回るにはない方が好都合だろう。現在でも珊瑚礁にはウミヘビがいる。海には昆虫はいないかわり、珊瑚礁にはうんざりするぐらい魚がいる。しかも夜には珊瑚のかげで眠っているから、食い放題だ。だからこそトカゲはもう一度海に入ったのだ。そうこうすること1千万年。ウミヘビの中から、もう一度陸を目指すものが現れ、それがいまのヘビになった。

これはかなり無理がある。無理があるといえば、心(イメージ)が進化を牽引するという考えを、夢うつつの臨死体験状態から拾って来て、なんだかんだと理屈をこねているうちに「意志と表象としての世界」を思い出した。ショーペンハウエルの名著であり、20年ほど前にずいぶん感心して読んだ覚えがある。なんだか私の発想がその影響を受けているように思われたのだ。今一度読み返してみる必要があろう。思えば私が仏教のおもしろさを知るきっかけになったのもショーペンハウエルである。お釈迦様の掌で得意げに跳ね回った猿の心境もこんなだったろうか。


2010.2.6(土)晴れ ヘビモトトカゲ

中生代の当時、トカゲがヘビになった経緯についてもう少し妄想してみよう。ヘビになったトカゲは1種類である。その名をヘビモトトカゲとしよう。いまのヘビの大成功を思えば同時多発的にいろいろなトカゲからヘビが誕生したように直感するけれど、それはきっとまちがいだ。さらに、1種類が1か所でヘビになったと考えるべきである。世界中に分布するヘビモトトカゲが一斉にヘビになるかもしれないが、ならない方が自然に思える。

さて、その場所であるが、大陸辺縁の熱帯にある島嶼だと思う。大陸棚に珊瑚が作った島々だ。どの島にも高い山はなく砂漠のような荒れ地に背丈の低い植物が生い茂っていた。海は遠浅で珊瑚礁が発達している。空から見れば、コバルトブルーの海に白い砂と緑に覆われた島々が点々と浮かぶのが見える。島の大きなものには、恐竜やワニのような大型の爬虫類もいたけれど、たいていの島で支配的な動物は小型のトカゲであった。

そのころ、地球は温暖化をはじめていた。極の氷が溶けて海進が起きる。ヘビモトトカゲの島は最も標高の高いところで50mぐらいしかない。1000万年続いた温暖化の結果、島の90%は海に沈み、無数にいたトカゲたちは小型の数種が生き残っているだけだ。その中でヘビモトトカゲだけは元気だった。海進に歩調を合わせて海に進出することに成功し、珊瑚礁を新たな住処として繁栄を築いたのだ。

やがて地球は寒冷化し海退がおきる。同時にヘビモトトカゲの島がある大陸棚は隆起が起こっていた。100万年後、島は大陸と完全に地続きになる。ヘビモトトカゲは海沿いに広がる珊瑚礁をたどって、南へ西へ広く大陸全体に進出していった。中には川を遡上して大陸の奥をめざすものが現れる。かつて大陸棚であったところは広大な湿地になって無数の川が蛇行している。そこはヘビモトトカゲにとって極めて好都合な場所だった。泥や水苔、浅い水辺はトカゲにはそれほど住みやすい所ではなかったのだ。トカゲは泳ぎが得意ではなく、手足がじゃまして泥や水苔に潜るのも上手ではない。トカゲ以外でヘビの脅威になりそうな大型の魚も入ってこれない。

陸と水の狭間はトカゲが過去の遺物と馬鹿にしている両生類の天下だった。そこにヘビが現れた。オタマジャクシ、カエル、サンショウウオは食べ放題だ。ヘビを丸呑みする体長1mの巨大ガエルもいた。しかしながら巨大ガエルは成長が遅く、オタマジャクシや幼ガエルのときは格好の獲物にすぎなかった。彼らはほどなくして地球上から絶滅するのだが、ヘビの進出がその一因であったといわれている。

ヘビの中にはさらに内陸へ進出するものも現れる。本来は海への適応だったが、そのシンプルでしなやかな体は陸の上でも無敵だった。静かに確実にあらゆる獲物をしとめることができた。ヘビにはスピードがないことが他の動物にとって唯一の幸いだった。地面に穴を掘ってうまく隠れるものも、木の上に住むものも、新たな脅威を迎えることになったのである。


2010.2.7(日)晴れ 半原越20分43秒

やっぱりモズがいる。ここを縄張りとして一冬を過ごすのだろう。今日も暖かい。気温は10℃もなさそうだが、棚田わきの南向き斜面は風が当たらず日だまりになっている。100円という表示につられて買ったコーラがうまい。田をみると草かげに鳥がいる。なにかをしきりについばんでいる。キジバトのようだ。さて何を食べているのか? 近くの田を探ってみるが、めぼしいものは見あたらない。ハコベのつぼみがずいぶんふくらんでいる。それだろうか。キジバトはハコベの種はけっこううまそうに食う。

半原越は、チェーンホイールを変えた半原2号でやってきた。5000円で買った中古のコンパクトに34Tをつけている。区間4をもうちょっと回してもバチは当たるまいと思ったのだ。そしてギアを変えてケイデンスを一定にする方法を試す。前回と同様に前半は押さえた。TTをやったわけではないから20分43秒は悪くない。区間ごとにあと10秒。距離にして25m。ここまで来ると近そうで遠いな。いまのままの練習ならば届かない目標かもしれない。前回に見つけた中間点のひだまりに座ってホットレモンを飲みながら、そんなことを考えた。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'27"4'27"15.916567
区間29'36"5'09"13.717864
区間314'36"5'00"14.218066
区間420'43"6'07"11.618465
全 体 20'43"13.717865(1347)

帰宅して軽く食って境川へ。ナカガワのチェーンはしばらく9段用のデュラエースを使ってきた。高級品ではあるが、いまいちディレーラーやスプロケットとの相性が悪くしゃらしゃらうるさい。8段用のシュパーブプロとジュラだから当然の不一致ではある。それをコネックスに変更した。コネックスのチェーンは素手で切れるというアイデア物で、最初はびくびく使ってみたが、非常に具合がよい。シュパーブとの相性も悪くない。値段も安くたいしたもんだ。

境川の風は南だった。午前中は北で、それが午後から南になった。北日本に大雪を降らせた低気圧がいなくなったのだろうか。半原越に行くときと帰るときで、どちらもけっこうな向かい風になる区間(善明川沿い)があって、サギにあったような気がした。そのかわり、どちらも追い風になる区間(相模川沿い)もあるから文句は言えない。境川のいつもの道を追い風では32km/h、向かい風では30km/h。無酸素域まで上げず継続して動ける強度だ。半原越のゴール前でもういっぱいなのにギアを重くしてラストスパートをかけてみたり、向かい風をにらみつけてまっすぐ走れるのは非常に幸福なことだ。極めて人間的なこうした行為をひたむきに続けられるのは幸福なことだとつくづく思った。


2010.2.9(火)晴れ 梅にスズメ

スズメ

通勤途上にある梅の木に毎朝スズメが群れている。その数は5から10羽といったところだ。木の上を飛び回ることはせず、なにやらしきりに会話をしている。撮影のために木の真下まで近づいても逃げない。そのかわり、会話はぴたっとやめる。それ以上近づくと逃げますよ、ということだから、さっさと離れる。10mも離れればOKだ。

動物が群れるには何かの意味がある。スズメはわりと群れで生活する鳥だ。冬には竹林などにねぐらをもって数百羽が一か所で眠ることもある。この木はねぐらではない。夜明けと共にこの梅に集まってくるのだ。餌場にはスズメも群れるが、この近くに餌がある様子はない。もともとこの地域は水田もなくスズメは少ない。メジロやシジュウカラ並みの野鳥だ。境川の大清水高校向かいの休憩所のように、自転車乗りから食べ物をもらえる場所では、近くの木に群れて様子をうかがっていることがある。そういう群れはせわしなく飛び回っているものだ。この木にいるスズメの数は冬が多いけれど一年中見られる。時間帯は朝が多く、昼にもわりといる。いまの季節なら婚活パーティーかもしれない。ただし、それぞれ微妙に距離をとっており、こいつとこいつはできてるなというカップルが見あたらない。

梅の木はようやく花がほころびはじめたところだ。しだれタイプでドーム型の枝には毎春ピンクの大粒の花がきれいに咲く。平屋建ての民家の庭にあって、背丈は屋根よりちょっと高いぐらい。周囲にはこの木を見下ろすような高い建物や木はない。見晴らしの良さは、それほどでもない。ムクドリは民家から突き出たアンテナなどに好んで群れている。スズメもそういう所にとまるけれど、この梅の木の群れの落ち着きようは見晴らし用でもないように見える。近所には100mも行けば背の高い木の林はある。そこはいろいろな鳥の餌場にもなっている。

何が良くてここに集まり、なにを話しているのだろう。この木は高くもなく、低くもなく、見下ろすでもなく、見上げるでもない、ごみごみしているわけでも、がらんとしたわけでもないという微妙なスタンスとしか言いようがない。直感的には、ご近所さんがお互いの顔を見て「やあ、お早う」「さあ餌でも探しますかな」「ところでどこかいいところを知りませんか」「いや、こっちはあきまへんわ」という、もうかりまっか?コミュニケーションをする場のような気がする。餌が少ない季節だからお互いにいい情報が欲しいはずだ。追跡しないとホントのところはわからない。


2010.2.14(日)晴れのちくもり 自転車の練習

半原越は敬遠した。昨日は平野部でもこまかい雪が降っていた。峠は気温も低く日影も多い。先週もそうだったが、きっと路面が凍結しているだろう。つるつるの路面はやっぱり恐かった。そこでいつもの境川。4時間100kmぐらいなら午後からでも大丈夫だ。日曜の朝恒例のワンピース(矢口真理ちゃんの歌がいい)を見て、今日はオリンピックも見て、ゆっくり出かけた。

境川はほぼ無風だ。30km/hぐらいでいろいろ試してみる。いまの目標は回すペダリング技術の習得だ。おそらくペダリングの胆は、上死点付近でなるべく早く力をかけること、そして、下死点付近でなるべく早く引き脚を使うこと、この2つに尽きると思う。その両方ができないと、登りを高速回転で乗れない。高速回転で乗れないと回して20分切りという目標は永遠の彼方になってしまう。

もう30年もやってるのだから、上死点で早めに力をかけることぐらいはできる。下死点から引き脚を使うこともできる。70rpmぐらいの低速であれば両方ができているという感触もある。ただし、ここに踏みとどまっていては、あのプロたちの信じられない速度には近づけないはずだ。90rpmでその胆の両方を満たすことは容易ではない。クランクの1回転は0.7秒ぐらいだから、上死点で力をかけている時間は0.2秒。次の0.2秒で脱力して、続く0.2秒はちがう筋肉を使って引き脚に力を使い、次の0.2秒は脱力。これを左右の脚をあわせて3000回ぐらい正確に続けられれば目標の達成だ。いまは10回ぐらいしかできない。

回転は自転車の基本だ。90rpmを1時間というのは初心者には遠い目標かもしれないけれど、1年もやれば誰でもできるようになるだろう。私も無風の境川で2.5倍のぐらいのギア比であれば鼻歌まじりでこなせる。ただしそれはほとんど空回し状態だ。意識としてはどこにも足がかかっていないし、どこでも脱力していない。尻と太ももでぐるぐる回しているだけという感覚だ。風を受けて4倍のギアで高速巡航しているプロも傍目にはそうやっているように見えるけれど、きっと力を使っているのだと思う。空回しでそれができているなら、もっと大きなギアを使ってもっと速く走るだろう。

3時間ぐらいやってみて、その難しさにあぜんとした。ここに生まれついた天分の壁があるのか。ホントにダメかどうかは本気で1000時間ぐらいはやってみないと分からない。最初は90rpmなんて無理だと思っていた。引き脚なんてないと思っていた。70rpmでも踏みと引きと両方できるとは思えなかった。まあやってみることだ。4時間で110キロ乗った。


2010.2.15(月)雨 クランクとBB

半原2号についているクランクはMOSTというものだ。台湾のFSAが製造し、イタリアのピナレロが自社の廉価版ロードレーサーに取り付けて販売している。これが非常に評判が悪い。ピナレロを買った人がシマノの105やアルテグラに変更しヤフオクで投げ売りする。私が5000円で買ったのもその手のものだ。で、使用インプレであるが、これがなかなかよい。カンパニョーロのコーラスから変えて、皆さん何が気に入らないのかさっぱり分からない。変速性能が悪いという人もいるが、それはクランクよりもギアとフロントディレーラーの問題。そもそもフロントを2枚にすれば、どうやったって悪夢は生まれるものだ。私はそう割り切る。アームの精度が悪くギア歯がぶれるという人もいる。それだって、20年前の超高級品のほうがずっとひどかった。コーラスだって1mmぐらいは揺れるからずいぶん良くなった。デザインが気に入らないという人もいる。カーボンクランクなんてかっこわるいに決まっている。シマノはもっとかっこわるいと思う。私の美意識では、もはやいまのロードレーサーでは何をやってもOKだ。少なくともMOSTをシマノに変えても劇的な改善は望めそうもない。

MOSTの課題はBBとの相性にあると思う。そこんとこが極めて繊細なのだ。MOSTは設計上、左クランクをシャフトに目一杯ねじ込む方式だ。そうなるとベアリングの当たりはBBの幅のみに依存する。BBハンガーシェルの幅は68mmだが、塗装がついたりフェイスカットをやり過ぎたりで、0.1mmぐらいの違いは出てくる。MOSTのQファクターは一定なので、おのずとシェルの幅が広ければ渋くなり、狭ければガタが出ることになる。一時代前のカップでベアリングを包んで縦横の当たりを調整する方式であれば0.1mmの狂いは命取りだから、絶対にそういう部品は使えない。ところが、シマノの発明したホローテックII 方式であれば、わりといいかげんでもよい。特に締めすぎには問題が起きないようだ。MOSTクランクをシマノのBBに取り付けると、これでいいのか?と感じるぐらい渋くなる。昔の方式のBBだとカップが削れるぐらい重いのだが、乗ってみると全然抵抗を感じないからそれでよいらしい。使用者が当たりを手探りする余地がない。

本家のシマノはMOSTと全く異なる方法でクランクを固定しており、玉(シール?)当たりの調整が簡単にできる。実は自転車屋でホローテックII のクランクやBBを見たとき、正直いってその構造が想像つかず、玉当たりをどうするのかが分からなかった。シマノの説明書を読んで、ちょうどアヘッド式のフォークとヘッドのようなものだと合点した。つまり、シマノのBBにシマノのクランクをつける場合はステムをフォークコラムに固定するのと同じ要領で、クランクをシャフトに2個のボルトで締め付けることになる。BBの玉当たりはクランクをシャフトに軽くねじ込むことで調節できるから、0.5mmぐらいはハンガーの幅が変化しても対応できるはずだ。

ところが、シマノのBB自体の評判が良くない。悪評はただ1点「渋い」というところにある。それはあくまでチェーンを外して手で回しての渋さだ。もともとシマノは渋いメーカーだ。カンパニョーロなんかの回転部のなめらかさは異常といってもよいぐらいだった。完成車の状態(チェーンつき)でペダルを手でもってクランクを逆回転させると5周は回ったものだ。シマノだと1周ぐらいか。いまの半原2号は手を放したところでペダルが止まる。

それが気に入らないという人や店があるようで、シマノと互換性のある台湾のTOKENというメーカーのBBが軽く回ると好評である。ウェブ上のインプレッションを見ると、シマノをTOKENに変えると登りでギア1枚違ったなどという記述もある。ギア1枚といえば婦人用軽快車とロードレーサーの差ぐらいはありそうだ。それほど違うのならTOKENがすごいというよりも、元のシマノがひどすぎる。気のせいでなければ調整がおかしかったのだ。BBの抵抗なんて、たとえ0にできたとしても自転車のスピードにそう違いはないだろう。トルクがかからない状態での軽さにそれほど意味はない。

ところが、私はそういうインプレをいろいろ読んでTOKENを注文した。TOKENはBBの幅をスペーサーで変えることができるからだ。通常のシマノホローテックII の幅を0.5mm単位で2mmまで短くできるのだ。シマノは構造上、BBの幅を変える必要がないからその設計にはなっていない。私のMOSTは幅調整ができないとジャストフィットにはならない。予測では、BBの幅を0.5mm短くすればもっとよいはずだ。現状のMOSTが渋くて使い物にならないというわけではないけれど、これって絶対ジャストフィットじゃないよね、と思いながら乗り続けるのは精神衛生上よくない。MOSTがBBの幅でしか玉当たりの調整ができないからにはTOKENも使ってみなければならないのだ。


2010.2.17(水)くもり チリモン

メガロパ

娘がチリモンをやりたいというので、さっそく和歌山の「かね上」から、チリモン用のちりめんじゃこを取り寄せた。さすがにチリモン用というだけであって、カタクチイワシの中にアジ、イカ、甲殻類などのチリモンたちがたくさん混じっている。写真のものはおそらくメガロパとよばれるカニの幼生だろう。体長は4mmぐらいある。

私がチリモンのなかでまず見つけたいのは「ワレカラ」だ。地味でなじみのない虫だけど、古典文学の世界ではメジャーなはずだ。枕草子の「むしは・・・」という段でも枕になっている。おそらく平安時代の文化人たちは実物を見たことはなくてもその名は作品に使っていたことだろう。私がワレカラの存在を最初に知ったのは、古語辞典か広辞苑かでイラスト付きの解説を読んだときだ。子どもながらに「けったいな形の虫だなあ、こんど海にいって見つけよう」と胸躍らせた覚えがある。

枕草子では『まあ、コオロギ、ワレカラ、ホタルなんかはけっこうメジャーだけど、じ〜んと来るのはミノムシだよね。秋口になると父よ父よと親をよんで泣くんだもん』とある。ミノムシの話は枕草子を読む前から耳にしていて、ミノムシが鳴くのならその声を聞いてみたいものだと思っていた。ただし、ミノムシは鳴かない。オオシモフリスズメあたりとの勘違いなんだろう。

で、肝心のワレカラであるが、今回ゲットした資料からはきれいなものがまだ見つかっていない。それらしいものはあるが、破片ばかりできれいな標本とはいえない。これはっ!というのもいくつかあったけれど、みんな子エビかシャコのようだ。まだはじめたばかり、おいおい見つかるだろう。


2010.2.18(木)雪のちくもり クロスカントリースキー

クロスカントリースキーのスプリントを食い入るように見た。もちろんテレビだ。クラシカルが力強く美しい夏見円選手を応援してきたのだけれど、彼女のピークはとうに過ぎており、バンクーバーでの活躍は期待できない。それでもがんばって欲しいと手に汗握る。

クロスカントリースキーは体全体を激しく使う。腕も強くなければならない。相当疲れるだろうなあ、と感じてふと我に返った。「自転車も腕を使った方がいいんじゃないだろうか。」半原越のTTなんてたかだか20分だ。腕も肩も背中も使える力は使えるうちに全部つぎ込むほうがいいように思われた。クロスカントリースキーの選手は何十分も腕を使う。そういえば、車椅子レースの選手は車椅子でも時速30kmで駆けていく。あれは腕で走る自転車みたいなものだ。鍛えれば腕だけでもあんな出力ができるのだから使ったほうがいいに決まっている。

ここまで考えて、半原越にずいぶん明るい光が射してきたように感じた。ただし、これは幾度となく訪れた妄想の可能性が高い。いざ、腕を使うつもりで半原越にいった日には「あっ、今までもけっこう使ってたのね」と思い知らされてがっくり肩を落とす姿が目に浮かぶようだ。それでもやらないわけにはいかない。


2010.2.20(土)晴れ 春来る

タネツケバナ

コンコールライトというサドルと絶版になって久しい16T、15Tのギアを手に入れて、ナカガワで境川にでかけた。今日もほとんど無風でポカポカ陽気。白いチョウが視界の隅をかすめていく。モンシロチョウか? 黄色いチョウも視界に入る。モンキチョウか? そんな虫が飛んでいてもおかしくないぐらい暖かい日だ。

コンコールライトはかのアームストロングが愛用していることで有名なサドルだ。私も新発売になったときに鉄でできた一番安いのを買った。15年ぐらい前だろうか。コンコールライト以前のコンコールシリーズは非常に高価だった。私にフィットしそうだったけど、ちょっと手がでなかったのだ。そのときのコンコールは確か6000円ぐらいで本当に安かった覚えがある。ライトというのは軽量というよりも廉価版という意味かとも思ったぐらいだ。そのときのコンコールは八幡浜に置いてある鉄パナにつけてある。カーブがきついサドルだから、微妙なセッティングが必要だ。どんなに高級な自転車でも、サドルの高さ、前後位置、傾きの3つがうまくいっていないと走ってはくれない。5回ぐらい調整し直してベストポジションを出した。幸い私はどんなサドルにも合う体をしている。ただ、どちらかというとコンコールライトのようなカーブのあるタイプのほうがしっくり来るようだ。古いものだけど良いサドルだと思う。

後ろギアはこれで15・16・17・18・19・20・22・24という8段の仕様になる。一人で走る私には12・13・14は必要ない。最近のギアは12から始まることを思えば事実上の11段仕様という超高級車になった。というのは冗談にしてもフロントアウターと後ろ真ん中やや下にチェーンをかけてちょうどいいギア比にできるというのがうれしい。

帰宅して久々に庭に出てみると、もうタネツケバナ(写真)とハコベが咲いていた。しばらく冬っぽい天気が続き、庭の観察は敬遠していたから、これが最初のハコベとは断言できない。しかし、普通は1回しか咲かないハコベの花の様子からすると、どうやら初咲のようだ。これでわが家にも遅い春がやってきたことになる。


2010.2.21(日)晴れ 半原越20分37秒

ナカガワ

ワンピースはイワンコフというキャラクターが嫌いなので、オープニングの歌を聴いてさっさと出てきた。相模川の流域では田起こしがはじまっている。私の庭でもタネツケバナとハコベが咲いて、田んぼの季節の到来だ。なんと季節の移りの早いことか。主観的な時間経過のなんと早いことか。この先、死ぬまでまたたくまに過ぎていくことを思えば、そのへんのムクドリやカワラヒワも愛しく思えてくる。彼らは私なんぞよりも、もっと生き急ぎ死に急ぐだろう。

いつもの棚田は殺風景にはちがいないが、田起こしで攪拌された土の臭いが新鮮だ。毎回見ていたモズが今日はいない。さてどうしたものか。近くで耕耘機の音がする。田起こしで土が掘り返されると虫が出てくるから、そこに行ってたらふく食っているのだと思うことにした。あのモズもすっかり友達気分だ。今日は、半原2号でやってきた。テーマは腕を使うこと、に決まっている。走り出してすぐに18日の予想が妄想だったことに気付いている。クロカンスキーも車椅子も腕力がそのまま推進力になる。しかし、自転車ではいくら腕に力を入れても進んではいかない。腕に込めた力を脚に伝えて回転力にしなければならないのだ。このことは何年も前に気付いていた。そして上半身と下半身を連動させることの難しさも思い知らされていたのだった。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'29"4'29"15.816574
区間29'37"5'08"13.818068
区間314'35"4'58"14.318270
区間420'37"6'02"11.718763
全 体 20'37"13.717971(1464)

半原越のタイムは判で押したように前回とほぼ同じ。シマノのBBだから、これをTOKENに換えてギア1枚分速くなるのなら18分台ということになる。そんなはずはない。帰宅して日が高く、かっこよさに使い勝手の良さも加わったナカガワで境川にもでかけた。半原2号に比べてしなやかさや反発には不満があるけれど、ちょっと乗ってすぐに「あ、ぼくの自転車だ」と感じるところはうれしい。よせばいいのにけっこう力を出してしまい、100kmを越えたあたりから完全にエネルギー切れをおこして、ひさびさにつらい思いをしてしまった。


2010.2.24(水)晴れ テキスト庵に登録したこと

ブログというものが輸入される前に、日本にはウェブ日記があった。そして、あまたあるウェブ日記を趣向を凝らして一覧化するサイトもいくつかあった。10年以上前のことだろうか。それがどういう発展をするものなのか、興味深く眺めていた。インターネットは素人が手軽にテキストと画像で表現者になることができるという従来にないツールだった。ウェブ日記のサイトはボランティアが運営するもので、それを利用することで個人サイトの宣伝が簡単にできるようになった。2年ばかりその手のサイトを見ていると、数千人の登録者の中から、腕利きの表現者が次々に現れスターになっていた。ウェブ日記は広さと奥行きをもって個人の世界を構築できる。それは掲示板やネットニュースでは届かないところであり、日記のスターたちはみな表現者として尊敬できる人物だった。

スターたちの日記は命がけでやっていることぐらいは読むだけで分かる。「こりゃなかなか魅力的な文化だな、参加する事に意義あるな」と、天地無朋をいくつかの日記サイトに登録した。いざやってみると、ROMでは気づかない面白みもいくつか見つかった。ウケる素材を扱ってみようかというチャレンジ精神も起きた。人気日記の傾向はすぐつかめた。エロははウケが良かったが、それは経験不足で無理。個人攻撃をしあう喧嘩もウケがよかったが、それをするだけの心の余裕はなくて無理。せいぜいが時事ものだったが、他人(テレビ等)が流した情報に意見感想をつけるなんてのは、とても恥ずかしくて無理。時事物をひねって笑い話でも作ろうかと時折やってはみたものの息切れした。ウケる難しさに気付くのにそう時間はかからなかった。

また、当時フォントいじり系とくくられていたという記憶があるが、横書き縦スクロールというブラウザ上の制限とフォントのサイズ・色の自由さを使った表現方法が流行した。巧みなものは、読み手がテキストの内容に対してどういう感情をもつかを読み切って、それに乗ったり逆手に取ったり、融通無碍に楽しませてくれるものだった。当然、まねするべきだと、やってはみたものの、すぐにあきらめた。あれは表現手法なので、オリジナリティーがなければただのひとまねにすぎない。いくつかやってみて、ものまねの域をでなかったので早々に退散したのだ。

そんな感じで、ひとかどにはなれないことは思い知らされつつも、魅力的な文化だと正直感じていたから、ちょっとぐらいは貢献できるならとウェブ日記のサイトに数年間は参加していた。それに、参加してみると書くこと自体の意欲は想像以上に上がることがわかり、そのことが一番ありがたかった。日記でもエッセーでも、自由作文は多少無理してでもヒトとしてやっといたほうがよいからだ。

ただ残念なことに、ブログが輸入されて、あっというまに個人サイトの世界を侵食してしまった。当初は、「アメリカ人のすなるウェブログなるもの如何」「不是。わがくにウェブ日記あり。ウェブログはやらざるべし」というようなことを真面目に言ってた人もいた。口調からもわかるとおり、今は昔、二度と帰らぬ古典文学の世界だ。じつは私もそういう意見に同調していた。いまだに私はブログの仕掛けに何の魅力も感じない。友達が一人もいないことが一番の原因だが、それに加えて無限のはずの創造性にふたをするのが気に入らないからだ。私の好みと世間の動きはずれているのが常で、そうなんだふ〜んブログね(含むついった)、ぐらいの気分でいるのだけれど、ブログの隆盛のせいかウェブ日記のサイトは次々に閉鎖された。

なくなるものはしょうがない。そういう場からは撤退して、この天地無朋(そもそも日記のサイトに参加しなけりゃタイトルなんて考えない)を続けていたのだけれど、昨年12月、ひょんなことから以前参加していた「テキスト庵」がほとんど昔のままに生き残っていることを知った。シーラカンス、イリオモテヤマネコ発見時の喜びもかくやと思うぐらい感動を受けてすぐに登録した。

登録にはつまらない目論見もあった。数年来、天地無朋は虫けらが自転車に乗ってるみたいなものになっている。想定される読者は明日の自分だけだ。作文意欲の低下も明白で、一週間ぐらい書かなくても気にならなくなっている。ヒトとしてまずい状況だ。そこで、登録を契機にがんばって書いてみれば、自ずと毎日やるだけの意欲が起きるんじゃないかと他人事みたいに期待したのだ。残念なことに効果はそれほど上がらなかった。まさに他人事みたいだ。ただし、「報告」があるから、書き始めれば気合いは入る。今日は何か書こうと朝から決心していた。かといって素材はない。テレ東の「イナズマイレブン」はあと一歩。オリンピックでも、ましてや政治経済でもない。私が政権後退を語っても・・・困ったあげくにこうなった次第だ。


2010.2.26(金)雨 TOKENのBB

TOKENのBBを入手してさっそく半原2号に組み込むことにした。価格ではシマノの2倍もするが、さてそれだけの値打ちがTOKENにあるだろうか。BBシェルにねじ込むわんは軽いがやわらかい。ベアリングはかなり回りそうだ。シール部分はクランクのシャフトに対してきつくプラハンマーで打ち込んでやっと入る。シマノのアルテグラの方がフィットするようだ。これはMOSTとの相性でもあるだろう。

私がTOKENのBBを買った理由は、ただ一点、その幅を0.5mm単位で2mmまで狭くできるからだ。この調整がかなりシビアだということはやる前から予想していた。まずは、右わんに規定どおりの1mmスペーサーを入れ、左わんには全体の幅を短縮するために、0.5mmを1枚かませることにした。シールのプラスチック部品がMOSTとの相性の関係か、きつすぎてうまくシャフトが通らない。なんだかんだとやっているうちに、そのプラシールが歪んでしまった。もしかして、シールなんていらないのかと、試しにシールを外してセットしてみると非常に大きなガタが出た。どうやら、このはかない小さなパーツが全ての快適さを担っているようだ。その固さに辟易しながら無理をしてはめ込んだものの、まだ回転が渋い。幅をもう少し短くしたほうがよいように思われた。

狭くするには、左わんの0.5mmスペーサーを外すか、左右とも0.5mmにするか、2つのやりかたがある。ここで一計を案じ、いったん全部とっぱらうことにした。最初にはさんだ1mmスペーサーをとるには右わんを外さなければならない。そのとき思いのほか力が必要だった。入るときは軽かったのに、わんの塗装かアルミの柔らかさのせいで渋くなったようだ。こんなに締まらなくてもかまわないと思う。スペーサーを外して右わんを組み込む。次は左わんだが、シールがきつくてどうせうまくいかないだろうと、TOKENではなくシマノにした。右TOKEN、左シマノという混成になる。ただし、右のスペーサーを外しているから幅は1mmだけ小さい。クランクシャフトを通して、左クランクを最大までねじ込む。ホローテックII に代表される現在のラインナップではちょっとありえない方法だ。でも、これがMOSTの設計思想のはずだ。

チェーンをかけずにペダルを手でグンッと押すとぐるぐる回る。一時代前のBBみたいだ。混成にしてこれだけ回るってことは、シマノのBBが渋いってことでもない。そもそもたかだかBBである。ベアリングの精度や設計が回転に有意な差を生むわけがないだろう。ただし、この回転の軽さは幅を規定よりも1mm短くしていることで生じたものだ。左右の遊びが大きくてガタがでるようでは本末転倒だ。クランクを手で押し引きしてみるが、まあ大丈夫のようだ。乗ってカクカクすればあと0.5mm長くしてみよう。それができることにTOKENの真価がある。

今回、新型のBBを投入してみて、ついにBBも消耗品になったかという感慨を持った。いまのBBの核心は、一番大きなパーツのわんでもなく、回転の心臓部のベアリングでもなく、シールである。使ってみるまでは、まさかそんなパーツが核心を担っているとは思いもよらず、BB自体の設計思想がつかめなかった。いまでもしっかり把握できているという自信はない。ともあれ、小さく薄っぺらいプラスチックのシールがBBの重い軽いの「味」を決め、それが摩耗すればBBを交換しなければならない。しっかり乗る人だと、タイヤやチェーンみたいに年に数回の交換が必要なはずだ。シマノのBBがたいへん安価であるのも、ちょっとおかしくなったら割りきって交換せよということなのだろう。

もともと自転車なんていいかげんなもので、回転部は手触りで絶妙な位置を探りつつ調整するものだった。そこが自転車というハードウェアの楽しみのかなり大きな部分を占めていた。20世紀なら、気に入った部品を何十年もだましだまし使って「お前は走らなくなった。私も走れなくなった。」と笑って共に年老いていけばよかったのだ。いまや、車輪のハブ、ペダル、変速機、ヘッド小物、BBも調整不要になった。今世紀の自転車には気持ちが染み込まず、走らない自転車はただのゴミでしかない。


2010.2.27(土)雨 春雨だ

メジロ

朝からいっぱいテレビを見た。録画しておいたチャンピオンズリーグのバルサVSシュツッツガルト。去年のパリツールの5、6ステージの再放送。オリンピックはカーリング女子のカナダVSスウェーデン。アイスホッケーのカナダVSスロバキア。クロスカントリースキーのリレー女子は終わっても見応えある競技はまだある。かといって部屋でうだうだするのもなんだし、ぐずぐずした天気でもやもやしていてもあれだから、ナカガワを引っ張り出して境川に行くことにした。雨は降るかもしれないが、ひどいことにはならないはずだ。

やや北風はあるが暖かい。アスファルトもほとんど乾いている。自転車に乗っていて、風というヤツは地面の上ぎりぎりには吹かないものだと気づいている。というのは、向かい風をびゅうびゅう受けるときでも、アスファルトに転がっている落ち葉は動かないからだ。きっと地面の上の1センチぐらいは風が吹かず暖かいにちがいない。2月も終わりになって日差しが強くなると急速に土が暖められる。雨が降ると土がいっぺんに軟らかくなる。地べたの虫たちはいち早く春を感覚するだろう。この季節の土の軟らかさは単に雨に濡れただけではない何かがあるように思う。

100分ほど走ったときに、ウインドブレーカーをポツポツたたく音が聞こえはじめた。雨だと思ったが顔には雨粒が落ちない。腕を見ても水滴がついていない。音は気のせいではない。ユスリカの蚊柱を抜けるときに同じ音がするけれど蚊柱でもない。どう考えても雨だ。まだアスファルトには黒い雨の跡ができていないけれど雨だ。雨だと思いたくないのだけど雨だ。音は次第に大きくなり、道ばたの水たまりを見ると波紋ができはじめた。アスファルトも濡れてくる。ほっぺたもぽつぽつしはじめた。自分ルールとして、アスファルトが全部濡れてしまわないうちはまだ雨ではないことにしている。だからといって何かの意味があるわけではないけれど。

暖かい雨に打たれて帰宅し自転車を片付けていると、庭のほうからカエルの鳴き声が聞こえたような気がした。気のせいかもしれない。今日の雨なら、カエルの声の幻聴をひきおこしても不思議はない。念のために庭に行けば、なにかが水に飛び込む音がした。あわてて池と地面の隙間に頭を隠すヤツもいる。やはりヒキガエルが来ていた。それも2頭。目覚めたばかりで人慣れしていないのかびくついている。ひとまず証拠写真を1枚。

風呂から出て、流しに置いてあるプラケースを見るとヤモリが貼りついている。冬眠させていたペットのヤモリも目が覚めた。メジロ(写真)やシジュウカラもつがいらしいのがずいぶん騒がしい。


2010.2.28(土)雨のち晴れ 半原越20分27秒

午前中はけっこうな降りで、東京マラソンも雨の中だった。その雨も昼にはやんだ。さて津波の見物で湘南に行こうかとも思ったけれど、ハワイで1mというニュースを聞いてやめることにした。この辺だと目で見えるほどの波は来そうにない。では、予定通り半原2号で半原越だ。1時半の出発。30分走った所で後輪がパンク。雨上がりの濡れたアスファルトを走ったのだから、しかたがない。最近は予備のチューブも高性能の空気入れもまじめに携帯している。パンクもあわてることではない。5分ほどで修理できる。ただし、予備のチューブは厚いタイプだ。携帯ポンプでカンカンに入れるのはしんどいからいい加減に済ます。6.5気圧ぐらいだろうか。やや重くなるのは仕方がない。

今日、半原越に来たかったのは棚田脇に置き忘れたゴーグルを回収するためだ。予定通りゴーグルを見つけ、ホットレモンを飲む。出発するときに空を厚く覆っていた雲は消えた。白っぽくかすんだ青空が広がっている。上空を一羽の小鳥がフィギュアの選手のように舞う。ツバメだ。今年は早い。モズは見あたらない。西に傾いた日を浴びて向かいの山もなんとなく暖かそうに見える。半原越の付近に白い雲塊が林に接してゆっくり流れている。シータたちが到着したときのラピュタのようだ。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'24"4'24"16.116575
区間29'24"5'00"14.218066
区間314'24"5'00"14.218269
区間420'27"6'03"11.718757
全 体 20'27"13.818167(1370)

BBを換えたが、その効果は当然のことながらなかった。ただ、力を入れずペダルにちょっと足をかけているときなど軽さを感じる。「これでジャストフィット」という自信を持つことがなによりだ。また、後ろ用のシフトワイヤーも交換した。半原2号は構造上からけっこうワイヤーの抵抗が大きくなる。おそらくそのせいでチェーンがギアにかからないことがあった。シマノのXTR用という高級品に換えたら、さすがによく動くようになった。値段ではなんと10倍もするワイヤーだ。効果がないとちょっと悲しい。


2010.3.2(火)くもり コウガイビル

夕食を食べていると、娘が「イモムシ!」と叫んだ。反射的に「ヤモリのエサ!」と思った。しかし、イモムシというのは見間違いでコウガイビルだった。コウガイビルではおそらくエサになるまい。じゃまだからと女房が箸でつまんでゴミ箱に捨てた。コウガイビルはサラダボールに半分ほど残されているレタスに紛れていた。そのレタスは女房が友人たちとやっている畑で作った物だ。見栄えは悪いが味は悪くない。固くなっている部分も甘みがある。野菜は畑にあるものなのだから、いろいろな虫も混じるだろう。目で見て分かるものは間違って食わないよう注意しなければならない。

たまたまコウガイビルがいたものだからヒル談義がはじまった。コウガイビルのエサはなにか。山や川にいて血を吸うヤツとは違ってミミズなんかを食うこと。コウガイビルを食べる者は何か。カエルはミミズを食うがヒルはどうなのか。ミミズはうまそうで、ヒルは固くて苦そうだが実際はどうなのか。半原越でヒルに吸い付かれたヒキガエルを見たこと。カエルはヒルを防御できるかどうか。ヒルと鹿は寄生関係にあり、鹿の増加がヒルの増加も招いているらしいこと。以前はレタスにナメクジが混じっていたことから、ヒキガエルはナメクジを食ったこと。私はそのことを知らなかったが、娘が試して確認したらしい。

というように哀れなヒルも夕食に花を添えてくれたのであったが、そんなものを食ってはかなわないので、ヒルが混じっていないことを確かめながらレタスを食べた。「こういうのレストランで出てきたらたいへんだろうね」と女房が言う。長男次男は知らぬ顔。「大騒ぎだろうね」と私。「ほかの家庭だとどうなんだろう」と娘。「きっと全部捨てちゃうよ」と女房。「げーっとかいって吐いちゃう人もいるだろうね」と私。こういうときにお父さんはいつも悲しい目をしているのです。


2010.3.7(日)雨 ローラー作戦

春に長雨が来るのは毎年のことだ。それに期待しているヒキガエル。今年は少なくとも5匹が来て庭に埋めた収納ケースに産卵している。彼らのエネルギーはすさまじいものがあり、冬眠あけでなにも食わずによくそこまでやれるものだと感心する。やりすぎて死人がでているのもむべなるかなというところだ。卵塊はすでにざる一杯分が産み落とされた。去年は残念ながら孵化しなかったが、今年はどうだろう。一計を案じ、サルベージして夏から用意した瓶に移してある。うまく孵化すれば死んだヤツもうかばれるというものだ。

春の長雨に舌打ちしているのは自転車乗り。2ちゃんねるの境川スレが荒れているのも雨のせいらしい。それにしても「境川サイクリングロード」でスレッドが立って3万件の書き込みがあるってのはすごい。偉大なり境川と感心すべきか笑うべきか。私もこの冷たい雨の中を出て行く気はしない。そのかわりローラー台がある。いつでもセットしてあり、思いついたら2分で自転車だ。このローラーというやつがけっこうな気晴らしになる。フリーセルで壁を感じて生きる気力を失ったときに頭を冷やすのによい。最近、フリーセルについてはずいぶん天狗になっている。自慢できるぐらいの技量にあるとは思うが「おれってひとかど?」と過信するたびに、なぜか難しいのに当たり敗退する。

ローラーの作戦は仮想半原越だ。20分ほど90rpmの最弱の空回しでうっすら汗をかき、一番重くして25分回す。その重さは必死でがんばって90rpm出せる程度。それを80rpmで回す。半原越なら30分弱で登れる強度だと思う。仕上げは15分ぐらい空回ししてやめる。一回当たり1時間ぐらいのものだ。私のローラー作戦はあくまで気晴らし。トレーニングになるほどの量はしない。


2010.3.8(月)くもり フィロゾーマ

フィロゾーマ

かね上から取り寄せたチリモン用ちりめんじゃこの中から娘が奇妙なものを掘り当てた。どうやらエビのフィロゾーマ幼生のようだ。チリモンの中でもちょっと珍しい部類に入るようで、なかなかの人気者らしい。脚がすっかりもげているのが残念だ。

フィロゾーマはNHKのミクロワールドというテレビ番組で見たことがある。伊勢エビの発生の記録映像だった。そこに映し出されたフィロゾーマは薄氷か繊細なガラス細工という月並みな形容がピッタリの素敵な体と動きをしていた。いちどこの目で見たい生き物だ。私たちがゲットしたこの写真のものは長さ5ミリのうすっぺらいゴミクズのようなしろものだが、かろうじてそれっぽさは残っている。こうした海のプランクトンを手軽に見つけられるチリモンは愉快な遊びだ。

チリモンで子どもらに一番人気といわれるタツノオトシゴも2匹見つかった。タツノオトシゴもフィロゾーマも、それぞれいまいちきれいでないという点でいま一歩。次への楽しみを残している。


2010.3.12(金)晴れ 眠れぬ夜の妄想

気がかりがあると眠れなくなるのが私の弱点である。朝、5時に起床しなければならないときに、午前3時頃まで眠れないとかなり焦る。それも1日だけならよいのだけれど、2日も3日も続けばうんざりしてくる。唯一の救いは90分ぐらい熟睡すれば日常生活に支障はきたさないということだ。

眠れぬ状況を抜ける方法は知っている。気がかりを追い払うために、どうでもよいことを思い浮かべ、そちらに集中すること。考えるだけでなく、ビジュアルな展開を目指すこと。瞼のうらにちょっとでも「光景」が見えたなら、その光景を一人歩きさせることに全力を注ぐことだ。

実際には簡単でないことは、この3日で30時間も眠ってよい時間があったにもかかわらず、5時間ぐらいしか眠っていないことが証明している。その25時間のむなしい苦闘から、もしかしたら有効なのかもしれない妄想が浮かんできた。最初は「重量0kgにして自転車に乗れば登りで早いんじゃないか。」という唖然とするものだった。もちろん無理に決まっている。無理に決まっているのに、思いついたのは、自転車に乗ってほんの一瞬なら重量を0にできるからだ。私は30年ほど前に、当時アメリカから輸入されたばかりのBMXなどという遊びのまね事をしていたこともあり、ロードレーサーでひょいひょいジャンプができる。ホントに跳ねるとしんどいだけで登る役にはたたないのだけど、その要領を生かして、若干でも浮き上がる状態でペダルを踏み込めば登りが早くなるはずだと思いついた。

登りでは重いのは不利に決まっている。私は自転車込みで70kgの静止重量があるが、ジャンプの要領で45kgぐらいにして、その瞬間にペダルを踏み込めば軽く回せるはずである。できるかどうかは別として論理的な破綻はない。左足が沈む前に右足を上げ右足が沈む前に左足を上げれば水中には落ちないみたいな理屈だが、ラルプデュエズの8%の坂を時速25kmで走る達人はそれぐらいの奥義を持っているはずだ・・・と思いたいのだ。

それはまあ冷静に考えれば眠れぬ夜の妄想に過ぎない。一時的に重量を軽くできたとしても、その後には反動が来て重くなる。体重計に乗って体を揺するとその増減を数値で見ることができる。全てのエネルギーは等価交換である。国家錬金術師ですらこの大原則は免れない。重量を増減させる力は自転車を進める上で無駄な努力になるはずだ。

ところで、わざとやるのではなくても下手なこぎ手であれば、おのずと重量の増減を起こしているのではないか。しゃかりきになっているへたくそは左右のペダルを同時に踏んでいるという。つまり前足の踏み込みを後ろ足が邪魔しているのだ。中野浩一のような達人はそうなっていなかったらしい。同じように、ランスやエラスは重量の増減を極力減らすようなペダリングをやっているのかもしれない。だったらそこを追求すべきではないか? こっちは悪くないアイデアだと思われた。


2010.3.14(日)晴れ ステム交換

ナカガワ

先週から体調が悪い。あまり眠れなかったということもあった。気温と室温の差が20℃ぐらいあるところで仕事をしなければならなかった。のどが痛く、鼻が痛く、節々が痛く、咳が出て、鼻水が出て、軽い下痢。完全な風邪の症状だ。発熱と頭痛がないのがありがたい。

という次第で、とても半原越で楽しめそうにない。行くことはできても行っただけになるのは目に見えている。それではと、いつもの境川でお茶を濁す。ナカガワのサドルを変更し、ちょっとハンドルのポジションも変えた方がよいように思った。境川はこういう調整に好都合だ。これまでは10cm以上あるチネリステムにチネリのクリテリウムというハンドルバーをセットしていた。20年ほど前の機材だ。ハンドルバーは変える気がしないが、ステムは短いものでよさそうだ。昨日は9cmの日東をつけて走ってみた。もっと短くても良さそうだったから、今日は8cmのデュラエースをつけてみた(写真)。ちょっと近いかな、という気もするが、旧式のステムは交換するときに、少なくとも片方のブレーキレバーとバーテープを外す必要があって面倒だ。しばらくこれでいこうと思う。

昨日は異様に暖かい風がびゅうびゅう吹いていたが、今日は北風もよわく日中には海風になった。どういうかげんか人も自転車も犬も少ない。けっこう走れる日だ。しかし体の節々が痛く鼻水が出てのども痛い。あきらめてゆっくり走る。ナカガワは前の大ギアが48Tなので、後ろを20Tに入れると2.4倍。80rpmでは24km/hになる。そのギアで25km/hぐらいにしておけばまずまずいい感じだ。なんだかんだと100kmほど走った。


2010.3.15(月)くもり ヒキガエルの卵

さて、庭に産み落とされたヒキガエルの卵であるが、10日を過ぎても孵化する様子がない。ヒキガエルの卵は10日ほどで孵化するというから、今年もおたまじゃくし誕生は絶望的になった。庭に池を掘った者として、もっと責任をもって今後のことを考えていかねばなるまい。

まずは池の構造改革だ。収納ケースはヒキガエルが産卵するには狭くて深すぎるようだ。池はプラ船などの広くて浅い容器に変える必要があるだろう。去年は数回にわけて産卵行動があったが、今年は1回だった。ただし、連続して行われ少なくとも2頭のメスが来た。そのうち1頭の生んだ卵は土の上に落ちたため廃棄せざるをえなかった。また、池の中から死体で見つかったのはメスだという公算が高い。ほかの3頭も疲れ果てて、持ち上げてもまったく抵抗できないような状態だったが、1日休ませるとどこかに消えた。ヒキガエルはオスメスが抱き合って受精させながら卵をひりだす。産卵場所が安定しないと失敗が起き、死亡事故の危険も大きくなるだろう。

ヒキガエルの産卵行動については「トウキョウサンショウウオ研究会」などが詳細な調査を行っている。それによると、カエルは2年ぐらいで産卵できるようになり、寿命は数年あって毎年同じ所で産卵するという。普段の生活場所はほぼ決まっており、うろつかないカエルらしい。生活場所と産卵池は数十から数百メートル離れており、ほぼ直線的に移動する。産卵場所がどうやって決まるかは明らかではないらしい。

そういう研究とわが家に来るカエルの様子を合わせて考えると、いろいろ気付くこともある。まずは、ここに来るヒキガエルの出生地だ。この近所には、3年前まで小さな水たまりのような池があった。いまはなくなった向かいの空き家の池だ。そこでヒキガエルの繁殖は確認していないが、もしかしたらその池で生まれたカエルがわが家に来ているのかもしれない。そのほかには、数百メートル離れたゴルフ場の池と宇都宮さん宅の池が繁殖池と考えられる。どちらも自由には入れない場所で産卵は確認できていない。双方とも広い林があり、ヒキガエルを養うだけのエサも豊富そうだ。ただ、ゴルフ場など恵まれた条件のところで生きているヒキガエルがわざわざわが家に遠征して産卵するようなことはないようだ。

わが家の池には、非繁殖期にもヒキガエルが入っていることがある。トウキョウサンショウウオ研究会の調査によると、ヒキガエルは水辺に執着するカエルではなく、非繁殖期の生活場所と産卵場所は完全に分かれているらしい。非繁殖期に池に入っているヒキガエルは徘徊中の個体なんだろうと漠然と思っていたけれど、ほとんど移動をしない習性だとすれば、私の庭かその近くをホームにする個体がいるのかもしれない。


2010.3.16(火)晴れ オタマジャクシが生まれる

今朝、雨あがりのコケでも撮影しようと、カメラを持って庭に出た。あきらめ半分にヒキガエルの卵を入れてある瓶をのぞいた。この10日あまり毎朝続けてきた作業だ。卵の様子は昨日と変わっていないようだった。ところが、卵塊を保持するためにいれてあるケースの壁に貼りついている黒いゴミのようなものが二つ三つと目に入ってきた。それがオタマジャクシであることはすぐに分かった。衣類の収納ケースで池を作って4年、ついにわが家でオタマジャクシの誕生までこぎつけることができたのだ。

ところで、オタマジャクシの発生に気付かなかったことは反省しなければならない。これまでの知識で、チューブの中の黒くて丸いのが、ひょろ長くなってくることを知っていたから、毎朝そうなっていないかどうかを見ていた。水は濁っていることと、上から見ているだけで角度が悪いせいか、毎回同じような球形にしか見えなかった。どうやら形の変化は劇的ではないようで、もっと注意して観察しなければならないようだ。


2010.3.19(金)晴れ 芽吹き

ドクダミ

オタマジャクシの全滅はショックだった。ここのところ慣れぬ仕事をやって忙しかったことをいいわけにしたいぐらいだ。「王貞治でもいまバット持たして打席に立ったら高校生にだって負けますから」というのがこの2週間ばかりの口癖だ。もちろん野球をやらされているわけではないのだが。

ショックの理由は全滅させたことよりも、むしろ去年の失敗を繰り返したことにある。去年の失敗は死んだ卵が腐敗したことによる。今年は一計を案じて卵の腐敗が起きにくいように工夫したつもりだった。一度はダメかと覚悟した発生がうまく運んでオタマジャクシが生まれ、そろそろ水の管理をしなければ・・・と考えていたのに対応が後手に回り、いっぺんに死滅させてしまった。やっちまったことはしょうがないから、今年のような場当たり的な対策にならぬよう来年は根本的な改善をはかろう。というようなことをちょうど1年前に決心したような覚えがある。

そのように人の歴史は繰り返し、自然の営みも繰り返される。まもなく一年のはじまりの春分だ。親ガエルの死も卵の死滅も越えて、何事もなかったかのように庭には春の花が咲き、夏の花が芽吹いている。写真はドクダミ。日影になるわが家で最も威勢がよい夏の花だ。


2010.3.20(土)晴れ 強風の川べりを110km走った

午前中は相模川のほとりにあるヒキガエルの産卵場を見に行った。本流のすぐ脇の河原にある水たまりなのだが、ちょうど河原が土手になっていることもあって伏流水がしみ出して3畳ほどの池になっている。そういう池が3つばかりあって、そこにヒキガエルが産卵にやってくる。去年は3月15日が産卵の最盛期だと思われた。20匹ほどが入り乱れて産卵に興じ、おびただしい数の卵が水中に沈んでいた。

今日行ってみたところ、産卵は完全に終わってヒキガエルの姿はなかった。卵は完全に孵化しており、まだ遊泳できないオタマジャクシが黒々と群れていた。ちょうどわが家のものと(生きていれば)同じぐらいの発生段階らしい。産卵は2週間ほど前だったのだろう。去年より10日ぐらい早いのだろうか。ざっとみたところでは去年よりも卵は少ないようだ。

ヒキガエルの産卵場までは往復で50kmある。南西の風が強く帰りはけっこうな向かい風だった。とちゅうで飛んだ布団を見た。布団がふっとんだということは噂には聞くが実物を見たのははじめてだ。これだけの風であれば境川にも行かねばなるまい。帰宅して、ナカガワのステムを9センチの日東にもどした。相模川を走ってみて、ちょっと短いのは許せるとして、きしみがうるさすぎるのはがまんならなくなった。そのきしみはデュラエースの設計上の欠陥だと思う。自転車の部品には良くあることだ。

境川はみごとな強風だ。今年はじめて風が吹いたといって過言ではない。南向きはやや下りなのに時速25kmぐらいしか出ない。けっこう力を出して走れる。今日気付いたのだが、風が強いと境川サイクリングロードは空いている。子どもお年寄り犬がいない。自転車も少ない。まるで雨の日のようだ。それでも人だかりができているのは水道橋。アマチュアカメラマンの砲列ができている。どうやらチョウゲンボウは今年は2つがいが営巣しているようだ。今日は撮影もしやすいだろう。強風を受けてホバリングするとポーズをとっているようなものだ。あの人達の持っている巨大なレンズもちょっと欲しかったりする。ただし100万円以上するし、冷静に考えると撮るものもない。


2010.3.21(日)晴れ 前線の風で遊ぶ

境川に出かけるとけっこうな北風が吹いていた。低気圧が去ったのだから、そりゃそうだろうとゆっくり走る。境川では北風フォローだとスピードが出すぎるのだ。昨夜は未明まで強風が吹き荒れた。春先によくある低気圧のせいだ。日本海を通過するときに台風並みに急成長する。特に北海道ではとんでもない風になることがある。気温はやけに高い。寒冷前線の通過後は寒くなってもよさそうなものなのに奇妙だなと思う。北の空気も入っているはずなのに。

1時間ばかり南に向かって走って正午頃になったとき、風が突然アゲンストになった。とんでもなく強い南風だ。海風のレベルではない。なぜ今日南風?と面食らってしまう。風と共に視界が悪くなった。空気に埃が混じっているのだ。最初は黄砂かと思ったがどうもちがう。黄砂にしては白っぽい。それに、神奈川の黄砂にしては量が多すぎる。ここでこれだけ舞うのなら九州だと積もってしまうだろう。埃の正体は湘南海岸の砂埃のようだ。

ただ、せっかくの風なのだから練習相手になってもらうことにした。下ハンで風をなるべく体に受けないようにして、しかもリラックスして、うまくペダルを回す練習だ。ギアは48×20Tで2.4倍。それで時速25kmが出ておればよい。今日の風は手強くて20km/hぐらいしか出ないときもあった。今年最強の風だ。そのぶんサイクリングロードが空いているのがよい。追い風を受けつつ30km/hで走っていても背中に風を感じる。試しに脚を止めて腕を広げると風だけで加速していく。自転車が風だけで進むことは珍しい。

帰宅して気象庁の天気図をチェック。この低気圧は寒冷前線が2本できていた。どうやら南風は2本目に吹き込んだものらしい。


2010.3.22(月)晴れ 3日続けて境川

今日もあいかわらず境川。どんだけ好きなんだよ境川。どんだけ好きなんだよ向かい風。今日の風は南から。それほど強くはなく通常の浜風という感じだ。出かけてみると意外にも風が冷たく、引き返してウインドブレーカーを羽織った。境川の貧相な河原からクビキリギスの声がするのはさすがに春分だ。ウグイスのちゃんとしたホーホケキョは今日はじめて聞いた。いよいよ春もたけなわだ。こういう季節に半原越の清川村にでかけないのはいくらなんでも天の邪鬼。

ただ、ステムを変えたりサドルを変えたりカセットスプロケットを変えたりして、いまいちナカガワに乗り切れなかった。ステムの長さはそれほど影響はない。コンコールライトは癖のあるサドルだから使いこなすのに時間がかかる。カセットスプロケットはデュラエースをシュパーブプロでディレイルしているのだから、なかなかぴったりとはいかない。通常の構成で3枚目のスペーサーを9段のもの+1mmにしてぴたりとはまった。

土曜、日曜と200kmほど走って最後の20kmはいい感じになっていると思っていた。ところが今日走り始めてみるとどうもいけない。とくに左脚の動きに違和感があり力を入れると膝が痛くなりそうな不安感がある。あまり力を使わないようにして、向かい風で25km/h、追い風で30km/hを守って走る。いつも通り高鎌橋と大清水高校を行ったり来たり。ぜんぜん乗り切れない。ちょっとやめられないぞと100kmほど走ったところでようやく快調になってきた。左脚の付け根、股関節の動きがよくなり、脚がスムーズに回るようになる。そうなるとペダルに自然に力がかかるから膝が左右に振れない。前傾姿勢でも腰、背中、肩がよけいな緊張をしない。サドルに触れる部分も変な当たり方をせず痛みも起きない。なんで最初から回ってくれないかなあ、といつも思うのだ。

この3日間はおもいっきり自転車に乗れた。300kmといえばミラノサンレモの距離だ。日本だと神奈川新潟ぐらいだろうか。選手は6時間台で走りきるが私は3日かかる。


2010.3.26(金)晴れ 生き残るのは

ある女性が硬直化した財団法人を皮肉って「変われないものは生き残れない」というようなことを言った。彼女によると、それはダーウィンの進化論からの引用ということでオヤッと思った。彼女は進化論どころかチョウとトンボも区別できそうにない生物素人だからだ。きっと著名人が何か言ったのを真に受けたのだろうとずっと気になっていた。今日になって、小泉元総理が以下のように述べたことが、彼女がそのアイデアを得る契機になったらしいことが判明した。小泉氏の発言は「進化論を唱えたダーウィンは、生き残るのは力の強いものでも頭のいいものでもない、変化に対応できる生き物だと言った。」というものだった。進化論の一般的な誤解は「より強いもの賢いものが生き残る」という最適者生存の曲解からくるものだから、それに異を唱えた上でさらに曲解しているのだから面白い。

もっともダーウィン自身もその手のことを述べている。私の手元にある岩波文庫の「種の起源」下巻の50ページに「変化しないものは絶滅にいたる」と書かれてある。原文は不明だが言葉のあやで口を滑らせたみたいだ。ダーウィンの全発言をしらべれば、それに類するものは3つや4つは見つかるだろう。ただし残りの10000言ぐらいはその逆のことを伝えることに費やされている。彼が生涯をかけて力説したのは「変化するものは死ぬ」ということのほうだ。彼は進化はきわめて緩やかなものだと口を酸っぱくして繰り返し言う。子は親より孫は子より一世代分進化しているのは事実だが、その変化は個体差程度であって進化は目に見えるようなものではない。私は、親と違っている子は生き残れないということをベースに進化を考えたのがダーウィンの偉大さだと思っている。親というのは何十億年かの間、親のやり方で生き続けて来たのだから、それをそっくりまねるのが子の生きる秘訣だ。その最も確からしいことから目を背けることなく個体が変わり新種が生まれるというのはどういうことかを考えたのだ。

ちなみに「より強く賢いものが生き残る」というのも「変化に対応できるものが生き残る」というのも真理だ。似たようなのに「強いものが勝つのではない。勝ったものが強いのだ」というのもあるが、それも正しい。いわゆるトートロジーというやつで理屈では反論できない。小泉元総理のような勝ち組だけが使っていい無意味で力強いことばだ。みっともないから負け組は追従しないほうがいい。


2010.3.27(土)晴れ ダーウィンの偉いところ

コツボゴケ

ダーウィンの「種の起源」には親が子を産み子が孫を産みということの連続だけが書かれている。それ以外のことは書かれておらず、比喩や類推も極力避けられている。そこがダーウィンの科学者としての偉いところだ。進化論は人間の人生や社会とは無関係だという主張が慎重な言い回しから見て取れる。例外的に、多くの種類の生物でもまれる場所では種の変化が大きい傾向にあるという部分で、南米あたりでは海岸部に比べて山奥のほうに野蛮人が多いというようなことを言っている。200年前のことだから南米の土人は人間扱いしなかったからかもしれない。

思えば、ダーウィンの頃にはまだ恐竜がほとんど知られていなかった。中生代の終わりに全地球規模の天変地異があり、恐竜が絶滅したということをダーウィンは知らなかった。彼は種はおおむね緩やかに絶滅すると言っているが、アンモナイトのように突如消え去るものもいるとしている。環境の激変による大量絶滅よりも、普通の絶滅、種が新種に緩やかに置き換えられるというタイプの方に興味を示していたのだ。

当時、天変地異として知られていたのは氷河期だ。ダーウィンも氷河についてはよく研究しており、生物の地理的分布を氷河期との関係で鮮やかに説明している。ただし、氷河の成長によって海退が起き、地続きになる陸地があることは知らなかったようだ。また、ウェゲナーの大陸移動説が出されるのもまだ先のことだった。大陸移動説を使わなければ生物の地理的分布はなかなか説明のつかないことが多い。それでもダーウインは、大西洋を挟んでアフリカとアメリカに共通の軟体類がいることなどに、無理な仮説を持ち出すことなく地道に推理を重ねている。

「種の起源」を読んでも肝心の種の起源についてはいまいちよく分からない。それもしかたがない。当時はDNAはもちろんのこと、遺伝についての知見もようやく家畜の品種改良から得られるに過ぎなかった。いまでもどうやって種が誕生するのか、そのメカニズムが解明されているわけではない。ましてや、綱や門など古い時代に誕生したものの起源が明らかになるかどうかは心許ない。もし明らかになるときが来たとしても、私のような素人にもぴんと来るような解説にはならないような気がする。写真は今日午後の庭のコケ。


2010.3.28(日)くもり 今なら内藤選手に勝てるぜ

衛星放送でお遊びの企画として、内藤選手が箱根駅伝のコースを走るというのをやっていた。そういう24時間テレビ的バラエティー番組には全く興味がないのだが、真剣に見てしまった。というのは、マラソンではなく自転車だということ、それをボクシングの内藤選手がやるところに意義がある。箱根駅伝のコースは今回初めてしったが往路5区の23.4kmには登り坂がある。平均4%で20kmぐらいだ。その程度の坂になると自転車初心者にはけっこうきついからだ。

私は高校時代には高野地のランニングスペシャリストだった。高野地は5%ほど4kmの登りだ。当時ランニングで自転車に負けたことは一度もない。高野地に住み自転車通学をしていたバレー部の鉄人西本君ですら置き去りだ。ただし、無敗伝説も相手が自転車素人だったからだ。私は50歳の冬に自転車で高野地TTをやり、高校時代の私に大差をつけて勝っている。

番組の企画は内藤選手が駅伝選手に勝てるかというものだ。駅伝5区の記録は1時間17分というから、ちょっと走れる自転車乗りなら勝てるだろう。私が駅伝選手に勝てるかというと、そうとうしんどそうだがやってみないと分からないというレベルだ。内藤選手といえば一流のアスリートだ。まだ現役だからトレーニングは怠ってないだろう。ボクサーとしての反射神経やパンチ力だけでなく化け物じみた筋持久力と圧倒的な心肺能力があるはずだ。それに、体が小さいから体重が少ないうえに体脂肪率も低い。まさに登り坂むきの身体だ。

内藤選手は駅伝のコース通りに東京を出発して箱根へ向かう。総距離は108km。初心者でもたいした距離ではない。内藤選手はそれぞれの区間で駅伝選手よりも圧倒的に早い。平地なのだから当たり前だ。自転車はすごいのだ。そのへんのおばちゃんだってマラソン選手に3分ぐらいならついて行ける。ただし、内藤選手の走り方を見ればド素人だということはいっぺんでわかる。土踏まずでペダルを踏んで膝が開いている。脇見とケータイが似合うフォームだ。乗り慣れないロードレーサーだろうけど、サイズやポジションはまちがっていないから、それなりのアドバイザーはついている。はんぱねぇ身体能力の自転車ド素人。予想通り5区の登りは面白いことになりそうだった。

内藤選手は登りにかかるとからっきしだめだった。よたよたと蛇行して前に進めない。何度も止まる。1時間かかっても半分も行けない。雨が降って日も暮れる。並みの精神力ならリタイアするところだ。素人でビンディングも使えず、ペダルを力任せに踏みつけている。使った力が推進力になっていない。テレビを見ている女房ですら「ちゃんと乗り方教えてあげればいいのに。あれでは内藤さんかわいそうよ」と同情する始末だ。残念ながら、ことばで教えられてはいそうですかと乗れるほど自転車は甘くない。いいかげんで情けない番組ではあったが見て良かった。自転車に乗る技術がいかに大切であるかを内藤選手が身をもって教えてくれた。体力が急下降している私も技術を磨けば半原越のタイムが上がるかもしれないという夢も与えてもらった。

今なら私は内藤選手に勝てる。しかし内藤選手が本気で自転車に乗ればどうなるか。1か月後には箱根のコースを走りきり、3か月後には駅伝選手のタイムをやぶり、半年後には半原越でらくらく私を置き去りにするだろう。よーいドンから1分ぐらいしか彼の背中を見ることができなくなると思う。


2010.4.3(土)晴れ 半原越21分37秒

じつに1か月ぶりの半原越だ。春だから最小で26×27Tの軽いギアを装備した半原1号で出てきた。春だからレンゲが咲いて蝶が飛ぶ。ツグミも繁殖地への渡りを控えてそわそわしているように見える。やや冷たい南風が強い。長袖とタイツにはしている。けれど、アンダーウエアかウインドブレーカーを着た方が良かったと後悔した。コンビニで100円のコーラを買っていつもの棚田に着く。ちょうど雲で日がかげり風がますます冷たい。飲む気が失せ、缶をフレームに刺して半原越へ急ぐ。

半原越はいつもの春の景色だ。ただ、先日の嵐の跡はしっかり残っている。路上には大小の石が散乱している。大きいものは一抱えもある。角が尖っており踏むとパンクの恐れがある。風で折れたらしい木の枝も転がっている。西端コーナー付近のソメイヨシノは太い枝がバキバキ折れて哀れな姿をさらしている。最初から軽いギアを使って慎重に走ってきた。スタートは26×19Tだった。ところが、区間4に入るあたりでも妙に快調でわりと大きなギア比でもやれそうな気がした。そこで、区間4は26×17Tにしてみた。それでも良く脚が回る。もしかして、強くなってる?

ゴールしてCC-CD300DWでタイムを確かめてみる。21分37秒は平凡だが、区間4が6分を切っていた。いまだかつてこれほど楽に6分を切ったことはなかったと思う。いつの間に力がついたのだろうか。ちょっといい気分で頂上の咲き始めた桜を写メする。下りはじめると向かい風だ。それもけっこう強い。強くなったのは錯覚。5'57"は春風がプレゼントしてくれたタイムだったようだ。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間15'12"5'12"13.6-79
区間210'32"5'20"13.3-77
区間315'40"5'08"13.8-76
区間421'37"5'57"11.9-62
全 体 21'37"13.1-67(1448)

帰宅して、CC-CD300DWを操作してラップを記録しようとボタンを操作していたら記録を消してしまった。今日のデータは記憶を頼りの推計値だ。サイクルコンピュータというやつもしばらく使わないと、すっかり操作を忘れてしまう。パソコンなんかもそうだけど、ボタンに必然性がない機械は操作が全然身につかない。


2010.4.4(日)小雨 半原越21分13秒

シャガ

午前中、庭のヘビイチゴが咲いているはずだとカメラを携えて出かけてみるが、薄黄色のその花は紙風船のように閉じたままだった。寒い日が続いているからなのだろうか。そのかわりシャガの花を見つけた。こういう白い花は難しい。花びらをちゃんと写せば背景は真っ暗になる。色温度がちょっとでも怪しいと花びらに嫌な色がのってしまう。

テレビのドラゴンボールで「クリリンのことかぁ〜!」という名台詞を聞いて、なるべく早く出かけた方がよいだろうと、今日も半原1号で半原越。天気予報は雨は降らないと言っているけれど、どう見ても雨が降ってきそうな空だ。丹沢大山には黒雲がかかっており、すでに雨になっている模様だ。最近どうも週末の天気予報が甘いように思える。うがちすぎかもしれないが、予報が「経済」に配慮しているような、いやな気がする。近年の天気予報は非常に良く当たり、空よりも予報を信じてしまうという悪い習慣もついている。天気は自己責任でなければならない。

今日も寒いからコーラはやめた。紅茶花伝レモンティーホットをいつもの棚田で飲む。水路脇のホソウリゴケらしいコケが薄緑のかわいらしいサクをつけている。向かいの林もずいぶん萌えてきた、さて出発、とそのとき雨が落ちてきた。小粒だが数が多い。うっと一瞬つまってしまった。このまま雨の中を登るか、引き返すか、5秒考えてそのまま半原越に向かう。冷たいとはいえ春雨だ。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'42"4'42"15.1-76
区間29'56"5'14"13.5-71
区間315'03"5'07"13.8-66
区間421'13"6'10"11.5-60
全 体 21'13"13.3-68(1443)

区間4は昨日と同じく26×17Tだ。13秒ほど遅い。やはり昨日の快走は追い風がもたらした幻想であった。今日は無風。この1.5倍程度のギアでは、坂がきついところで若干踏み込み過ぎていることに気付く。しかも膝が左右に揺れている。まだまだ甘い。

1回だけ登ってとっとと帰ることにした。さすがにこの気温で濡れ鼠は勘弁だ。荻野川縁を下ハンですいすい走る。方々で田起こしが行われ、まもなく水を引き入れる準備が整う。荻野川では川筋にそって水田が作られている。田に水をひくために堰堤が作られ川の水をせき止めている。荻野川では可動型堰堤はけっこうな数になり、そこにはかなりの量の草が生えている。私流にいう謎の草だ。堰を完全に下ろす事が少ないから多年草が定着しているのだろう。堰で止められた深く静かな川に雨粒が波紋を広げている。そこをツバメが低く飛んでいる。冷たくても春雨。それなりの情緒があって、たしょう濡れてもまあよろしい。


2010.4.10(土)晴れ 半原越20分48秒

ついつい昼寝をしてしまい目が覚めると正午に近かった。日が差して気温が高く庭の動植物もけっこう動いているだろうとカメラを持って出ていった。カメラは自慢の改造レンズをつけた接写専用のニコンだ。庭に咲くのは例年通りの春の花。種類は変わらなくともその勢力は少しずつ変化している。去年の夏に壁の塗り替えをやったときにクサイチゴが壊滅的な打撃を受け、今年はどうなることかと心配していたけど、少しばかりは花もついて復活の兆しはある。プラケースの池は推定透明度10cmの青水になっておりメダカが生きているかどうかも確認できない状態だ。餌をまくとそれなりに食いに来る。全滅はしていない。青水が濃くなり過ぎない対策は必要だろう。池の上にはアシナガグモが巣をはっている。毎年1匹だけこうしてやって来る。いつの間にか現れて冬が来ると消えている。どういう生き方をしているのか生活環は不明だ。

花咲き誇る春爛漫の清川村を通り半原越へ。今日も半原1号。ひとまず26×17Tで通すことにした。ギア比を変えないで乗るならばこのギアが最適なはずだ。するすると普通に走って20'48"。緩いところは空回しの感じがあり、区間4ではちゃんと回ってないという自覚がある。先日、技術は大切だと内藤選手が身をもって教えてくれた。区間4はもう少し軽いギアの方がよさそうで、19Tと21Tで1回ずつ登りなおしてみた。その辺で回して6分切れればよいのだけど。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'31"4'31"15.7-81
区間29'37"5'06"13.5-72
区間314'35"4'58"13.8-74
区間420'48"6'13"11.5-59
全 体 20'48"13.6-68(1414)

今日はよく日が当たりチョウも見られた。ルリタテハが道路でひなたぼっこをしており、走っていると迷惑そうに飛びたつ。アスファルトに小型のシジミチョウが落ちていた。半原越では初見のトラフシジミだ。交通事故にでもあったのか、せっかくだから拾って帰ろうと翅に触ると動き始めた。生きているものまで持って行ってもしょうがない。携帯電話を取り出して撮影しておいた。トラフシジミは春羽化組。ルリタテハは成虫越冬組だ。


2010.4.11(日)晴れ 半原越20分31秒

天気予報ではくもりのち雨。では境川でお茶でも濁すか、と半原2号で出かけた。ところがやたらと天気が良くて暖かく風もない。これはやっぱり半原越だと転回して半原越に向かった。相模川の近くの田んぼでぽつぽつとアマガエルを聞く。彼らはこれからの天気の崩れに気づいている。空には青空が広がり飛行機雲ができている。私の感覚ではまだ雨の予感は全くない。田にはまだ水が来ていないものの、アマガエルたちはもうやる気になっているようだ。

いつもの棚田脇の草むらにごろんと寝転がって虫たちの羽音を聞く。草むらは春の花が咲き乱れ羽虫が這い飛び交っている。向かいの山はちょうど山桜が盛りだ。赤白緑にさまざまな木々が萌えている。なんだ、ちっとも心配ないじゃないか。日本も人類もぜんぜん問題ないとふと感じる。ちょうど去年の今頃も同じような気分になった。なんだか奇妙だ。花々の蜜の臭いに幻惑されているのかもしれない。

半原2号は反則的に乗りやすい。素直に脚が回る。今日は背中を使うことを特別に意識した。とりわけ左側がうまく使えていないようだ。ふだんまったく意識しない筋肉を急に使おうとしてもうまくいくものではない。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'31"4'31"15.716077
区間29'40"5'09"13.717774
区間314'31"4'51"14.618478
区間420'31"6'00"11.818969
全 体 20'31"13.8-72(1477)

半原越から帰っても日はまだ高かった。あの太陽がちょうどあの高さでヨーロッパを照らすころパリルーベが佳境を迎えているはずだ。ことしの注目はカンチェラーラが北のクラシックを連勝するかどうか。カンチェラーラは圧倒的に強いが、強いだけでは勝てないのがパリルーベ。そういうことを思うともうちょっと走りたくなって境川へ行った。暖かくなって人も犬も多い。ゆっくり走る。カンチェラーラごっこはもうできない。


2010.4.12(月)雨 気になる白斑

ヒメオドリコソウ

写真はわが家のヒメオドリコソウ。もちろん雑草で勝手に生えてきているものだ。今年はこいつの様子がちょっとおかしい。写真でもわかるように葉に白斑がついている。この株だけではなくわが家のヒメオドリコソウのことごとくがこうなっている。近くに生えているホトケノザも同様に白化している。

この白化は花が咲く以前、葉が広がると同時であったから、気にはしていた。遠目に見て「ああ、白くなってるな」ってなもんで、いわゆる斑入りの葉だと思ってきた。ヒメオドリコソウには斑入りのグループがあって、それがわが家にはびこったのだろうというぐらいの認識だった。

それなりに他所のヒメオドリコソウも注意しておいた。一例では、清川村の棚田脇の草むらにも同様の葉をもつヒメオドリコソウがある。その草むらの山側は水路があるコンクリートになっており、そのコンクリートのそばのヒメオドリコソウ群落は「斑入り」っぽく白い部分がある。いっぽう、田んぼに近い側の群落には斑が入っていない。そのことから推理して、コンクリートの影響、たとえば土壌のアルカリ化によって斑が入るようなこともあるんだろう、去年の夏にはわが家の壁を塗り替えたから、洗浄や塗装の影響でこうなったのだろう、などと考えていたのだ。

ところが、こうして写真に撮ってアップにしてみると様子が違う。白い部分は大福の粉をこぼしたような感じだ。いわゆる斑入りは脱色して白く見えるのだが、この写真ではカビか何かの病的なものに思える。いったい何が起きているのだろう。


2010.4.13(火)晴れ 邪魔者

ヤマブキ

雑草は伸び放題がわが家の建前ではあるけれど、いくつかは気に入らないものもある。写真のヤマブキはその数少ない害草扱い植物だ。ここに引っ越して来る前から生えていて2年ばかりは我慢していた。ある朝、それも限界に達して根本からのこぎりで切り、切り株はスコップで掘りだした。それで駆除したつもりだった。

ところが、半年もすると根っこのあったところから1mほど離れた地面から芽が出てあれよあれよという間に成長をとげた。これはうっとうしいとすぐにのこぎりで根元から切る。切ってもまたすぐに芽が出る。地上部をとっぱらっても地中に残っている根の部分から次々に発芽してくるようだ。札幌にいるときに、役所がアパートの近くのハリエンジュの林を皆伐したことがあった。翌年の春には地面から無数の芽が出て、速やかに成長し、もとの10倍ぐらいの密生になった。ハリエンジュの生命力にたまげたのだが、ヤマブキもしぶとい。

もともと辛抱強い方ではないから、2年ほども切った伸びたを繰り返し、いまは休戦状態だ。こうして花を見ていると、そもそも何が気に入らなくて駆除しようとしたのか、そのことを忘れてしまっていることに気づいた。かわいげはないが憎むほどのこともない。退治できないということだけで意地になっていたのだろうか。


2010.4.14(水)晴れ 日本のデフレを考える

評論家の勝間和代さんの講演を拝聴する機会を得た。内容は日本のデフレ対策。退屈な1時間半であった。私は彼女の発言の一片すら納得いかなかったから、デフレを自分で考えてみる必要が出てきた。オーソリティを否定するならば、自分を納得させられるのは自分しかいないからである。

もちろん私は経済素人である。経済学を学問と認めていないほどのもの知らずである。経済学をどれほど知っているかというと、ボクシングの内藤選手の自転車理解程度のことと白状しなければならない。私は現金やクレジットカードで買い物が不自由なくできるレベルの技能は持っている。知識としても中学時代に社会でインフレ、デフレを習った。そのときの記憶として、日本のような先進工業国ではクリーピングインフレーションという緩やかなインフレが起きるというのが定説のはずだった。それが現在の日本はデフレだというから、異常事態なのだろう。

デフレというのは、私の理解では、給料よりも速く物品の価格が下がる現象を指している。それが危険な状態だということはいくら素人でもわかる。デフレになって得ができるのは消費者だが、日本には純粋な消費者がいない。現在の日本人には生産者-消費者の区別はなく、ピュアな消費者といえるのは皇居に住む数名ぐらいしか思い当たらない。その一方の純粋な生産者も3人ぐらいしかいないと思うが。

士農工商の時代には百姓は生産者であった。自分たちの食い扶持の余剰を消費者に提供していた。現代の日本では士農工商の区別がなくなった。それは身分制度として消滅した(名称が変更された)だけではなく、全国民が商人になったからだ。農家ですら、石油等のエネルギーや物資を購入して土に投入し、商品作物を作り販売している。自分でつくっている農産物と近所とのぶつぶつ交換だけでは農家が餓死してしまう。椎茸が見かけは植物だけど、やってることは動物と変わりないのと同様に、日本の農家も見かけは生産者だけど実態は商人なのだ。そして武士(政治家、官僚)も商人だというのは説明無用だろう。いまや1億総商人時代であり、デフレの恐怖は日本人全員を包み込んでいるのだ。


2010.4.16(金)雨 デフレにどこまで耐えられるのか

もう少し詳しく商人の定義をしてみよう。商人とは経済で生きる人間である。有形無形の物を金で買い商品としてもっと高い値で売る。その利益で生きている。生きる価値は金だけで決まる。より安く仕入れ、より高く売ることだけを問題にする。取り扱っている物が何か、どう売るかは問題ではない。利益だけが問題となる。

この商人の定義とデフレの定義から明らかなように、デフレになると商人はかならず損をする。なぜならば、仕入れと販売にはタイムラグがあり、仕入れたときよりも売るときのほうが商品価値は下がるからだ。商売が大きくなればなるほど損は大きくなる。仕入れから販売までの期間が長ければ長いほど損をする。デフレでは商人は悲しむばかりである。

日本がまだ持ちこたえているのは、国民全体が商人であると同時に消費者でもあるからだ。いま脱落しているのは商売の下手な消費者たちだ。彼らにも失業保険や生活保護、年金などの経済的な保護制度がある。憲法はまじめな国民には最低限度の健康で文化的な生活を保障しているからだ。残る者たちも何年もは持ちこたえられない。商人は手を変え品を変えして、利ザヤを大きくする努力をするだろう。しかし、何をやっても時間とともに利益は落ちる。それがデフレ。有能な商人も消費者であるから、商売の先行き不安を抱えており消費を控える。こうして時間を追ってデフレは進む。

消費を控えることには限界がある。健康で文化的な生活には必要最低限の物が必要だ。日本は開発途上国とちがって、必要最低限の物資ですら経済に依存している。日常の食料をほぼ100%の国民が金で買っているという異常な国だ。けっこうな期間のデフレに持ちこたえられているのは潤沢に物が流通してきたからである。食料でいえば、現状では国民が食べているのと同じぐらいの量が人間の体を通ることなく土と空気にかえっている。つまり、いまでも皆が儲けすぎているのだ。食料は人が食べてはじめて値打ちがでるのが本来である。しかし、商売でいえば、それが売れるかどうかだけが問題で食糧の行方なんて関係ない。人が食べられる量には限度があるから、なるたけ多くのゴミがでるほうが経済としては善ということになる。

どこまでデフレが進めば立ちゆかなくなるのか。もし一人あたり一日に必要な食べ物の量が玄米4合と味噌と少しの野菜であれば、流通量はざっと必要量の100倍だろう。衣類は東京の様子を見ていると必要量の1000倍が売られているようだ。経済(金)的に行き詰まって死ぬ国民は自殺者も含めてまだ年間数万人程度であり、けっこう余裕があるから政府も抜本的な対策をとっていないのだと思われる。


2010.4.17(土)晴れ スパイダーツインテール

ナカガワ

夜明け前に目覚めるとしとしと雨の音が聞こえていた。「こりゃだめだな」とふて寝して次に目覚めたときは夜が明けきっていた。雨はやんでいた。毎朝恒例の庭チェックをするとけっこうな雪が庭に融け残っている。もう一度「こりゃだめだな」と思った。しかたなく録画していたFAカップ準決勝のビデオを見ていると日が差してきた。雲がみるみる消えていく。「こりゃだめだけどな」と希望が出てきた。だめなのは半原越に行けないことだ。昨夜の天気ではけっこうな積雪があるはずで、そういう場所に出かけていくほどの根性はない。ただし晴れていれば境川には行ける。

昼頃には完全に青空が広がり路面が乾いた。そこでいそいそとナカガワを引っ張り出して境川に向かう。今日のナカガワは一味違う。サドルを新調した。タイオガのスパイダーツインテールの赤だ(写真)。こういう物をつけると最近のあんちゃんみたいだ。それでも、このサドルは試してみたかった。乗らなくても個性的であることはわかる。乗ればどれほどの個性を発揮するのか楽しみだ。私はどんなサドルでも使えるという特異体質だから1万円の出費は無駄にはなるまい。

乗れば、まずは予想通りの感触が伝わってきた。座った感じが確かに網だ。プラスチックの堅い網だからけっこう痛い。むろん他のサドルだってけっこう痛いから、特別痛いわけではない。痛さの種類が変わっただけだ。特殊な反り方をしているから、ポジションは固定されると予想していたが、その予想は外れた。前後に座ってもだいじょうぶだ。特に前に座ったときに安定するのは意外だ。そして何よりも大事な脚の回り具合は満点といっていいだろう。確実に支持されながら、どこにも引っかからずに360度回っている感じだ。

ひとまず110km走ってみて、最良のサドルだという評価を下したい。もっと良い物は現状でもあるだろうけど、それはこいつよりもずっと複雑で高価なもののはずだ。スパイダーツインテールはチタンのレールとプラスチックを組み合わせただけのシンプルな構造だ。自転車の部品は同等の性能機能であればシンプルなほうがよい。製造にあたっても、プラスチックの素材や型を変えるだけで、柔らかいもの硬いもの広いもの狭いのもの長いもの短いものが簡単にできるだろう。皮革というデリケートな素材からサドルを解放する可能性をもっているのだ。これまで20個ぐらいのサドルを試してきたが、こいつで遍歴に終止符を打つ気になった。


2010.4.18(日)晴れ ナガミヒナゲシ

ナガミヒナゲシ

もうこいつは全国区になっているのだろうか。道ばたではナガミヒナゲシが今を盛りと咲いている。最初はヒナゲシが花壇から逃げ出して野生化したものだと思っていたけれど、どうやらもともとナガミヒナゲシという種類があるらしい。神奈川県の道ばたでも年々数を増やしている感じはある。けっこうたくましい花にはちがいない。

写真は今朝のもの。近所の道路までカメラをもって出かけて撮影してきた。大和市の消防署の前の街路樹の花壇?に密生しているナガミヒナゲシだ。ここが花壇かどうかは実はわからなくて、植えたらしい草もあるが、現状ではナガミヒナゲシなど外来の雑草に覆われている。花壇を管理している皆さんは、この手の意図せず生えてくる雑草は大嫌いだから、そのうち撤去されるのだろう。

ナガミヒナゲシは自転車に乗っているときに視界の脇をかすめる程度でしか見ていなかった。その花はけっこうかわいく愛嬌があるんじゃないかと思っていた。あらためて被写体としてじっくり見ると不細工な花だ。ぺらぺらの紙のような花弁がいけない。つやつやしすぎているのもいけない。色ののりがいけない。最初から脱色している感じがあるのもいけない。華やかさがないのは雑草だからしかたないにしても、清楚や可憐という感じからもほど遠い。ヒナゲシなんかは花もゴージャス、かつちょうど割れたつぼみが淫猥で魅力的だ。

また、ヒナゲシというとアグネスチャンの「ひなげしの花」を思い出す。その歌詞では少女が丘の上でヒナゲシを使って恋を占う。その花占いが桜田淳子ふうに花びらを「愛してる」「愛してない」「愛してる」とむしり取るものならば、ナガミヒナゲシではやめたほうがよい。花弁が4枚しかないので、「愛してる」から始めると何度やってもすぐに悲しい結末をむかえてしまう。


2010.4.20(火)雨 デフレは異常だ

経済は人の属性である。属性とは人の本質が必然的に有している性質である。人が人である以上、経済は必ずついて回る。じつは経済とは精神である。人には創意工夫がある。何かを作り出すときによりよい物を作ろうとする。人が欲しがり利益があがる物を作ろうという習性はよく考えれば奇妙だけれど、普通それは良いことされている。人には所有欲がある。何かを得るときによりよいものをよりたくさん得ようとする。それが過度になると嫌われるかもしれないが、正当なこととされる。その2つの精神が健全に働いていればインフレになる。人の世は本来インフレのはずだ。今の日本のようにデフレであれば何かが狂っているはずなのだ。

もしかしたら、デフレを当然のことだと思っている人がいるかもしれない。日本には必要な分量の10倍から1000倍の物が流通しているから物の値段は安くなってあたりまえ。無駄は省くのが自然だから、無駄な物を買わないようにすれば余剰物の価格が下がるようにも思える。それがデフレの正体だと勘違いする人もいるかもしれない。しかし、それはちがう。そもそもインフレ、デフレ以前に経済的なものは無駄、すなわち無くてもかまわないものなのである。経済は本来は無用であるけれど、人が人であるからには、経済が太るように突き進んでしまうものなのだ。ときに経済の有用性が説かれる場合があるが、そのときは商業のごく一部を占めている必需品の流通をことさらに強調してごまかしている。

たしかに今の日本が経済的に破綻すればいっぺんに1000万人ぐらいが死ぬかもしれない。日本は電気もガソリンも食料も商業に依存している。明日から日本円には価値がありません、預金も0円です、ということになれば生命線がずたずただ。その昔、ソ連が経済的に破綻したことがある。都市に物がない状態が続き、パン1個を買うのに半日も並んでいる、などという異常事態が我が国にも伝えられた。それでも餓死者があふれることはなかった。テレビの画像をよく見ればく、パンに行列を作っているおばちゃんたちはよく太っていた。そのからくりは不明だけど旧ソ連の人たちは経済に依存しなくても生きていかれたのだ。社会の体制によってはなんとかなるもんだ。

俗に人の心や愛は金で買えないといわれるように、経済は人に幸福をもたらすことはないし、安心を与えることもできない。幸福や安心は経済とはぜんぜん関係がない。もちろん経済は不幸と不安には直結している。不幸になる方法は星の数ほどあるけれど、貧乏は不幸と不安への最短コースだ。今の日本では金がないというだけのことでひもじく寒い思いをしなければならない。腹が減り寒くて死にそうな状態は不幸だ。そういうあからさまに気の毒な状態は金で解決できるから、生活保護の法をつくって憲法を守っているのだろう。しかしながら、食べ物が余って暖かければ幸福で安心というわけではないことは日本人の大半が自覚している。さらに一部の人は有り余る金を持っていても不幸で不安である(ように見える)。私はそこまで富貴ではなく長者の気持ちはわからない。


2010.4.23(金)雨 私はデフレに加担している

話はちょっとそれてしまったが、デフレを社会の成熟の必然などととらえるのは大間違いだと思う。人間は欲を拡大して喜びを追求するという本性がある。もちろん、その欲というのはいろいろな方向があり、経済を抑制する欲もあり得る。つまり、節制や節約への欲望だ。人の欲の本性はもともと物理的に無色透明である。何らかの目的を抱きその目的の達成から喜びを得ればよいのだ。だから、欲しがらないことや欲しくても手を出さないという経済的に負の欲望で喜びを得ることもあろう。

しかしながら、俗に「晴美なくして寂聴なし」といわれるように、人の欲望が節制に向かうのは、欲にまみれた暮らしに疲れ切ってからのことである。凡人が出家になるためには肉欲、物欲、名誉欲に踊らされる自分に辟易することが必要なのだ。しかも有能な人間はなかなか目が覚めない。新しい物を開発したいし、一番になりたいし、それを世間も賞賛する。大勢は経済発展に向かうはずだ。

だから日本がデフレというならば何かが狂っているのだ。勝間さんは政策の失敗だとおっしゃるが、経済学音痴の私は何が失敗なのかさっぱり理解できない。ただ自分のことを振り返るならば、確かに物は買わなくなっていることに気づく。自転車も私ほど入れ込んでおれば、50万ぐらいのフレームを買うべきである。しかし、最近買った半原1号も2号も5万円しなかった。昔は高級品を試したくてチネリを買いナカガワのプロミネンスをオーダーした。いまでは安物の自転車に乗っていることが引け目にもならず、高級車もうらやましくない。自転車はすでに寂聴に入っているかもしれない。

そしてカメラ。私は現在4台の一眼レフを使っている。しかし3台はタダ(自転車と交換)で、1台は2万円で買った中古だ。全部がちょっと壊れている4世代ぐらい前の代物で経済的な価値は無といってよい。私ぐらい写真に入れ込んでいる者は、50万円のニコンを所有すべきであると思う。ところが全然新型が欲しくならない。一眼レフカメラの進歩はあまりにも早く、旧モデルが色あせるような新型機が2年ぐらいで登場してくる。それらは確かによい機械だと思うが、私は10年前のもので事足りている。暗いところが写るとか、手ぶれを補正するとか、ファインダーが広いとか、魅力的な機能は満載なのだけど「どちみち2年もすれば・・・」という意識がはたらいて買う気にはなれない。そしてパソコン。かつてはモデルチェンジの1個おきにマックを買い換えていた記憶がある。それも5年前にやめた。いまは何というどんなものが最新モデルなのかを知らない。実機に触りに行く気もなければカタログを見る気すらない。ソフトもこの数年全く買っていない。カメラ、パソコン、テレビ(ブラウン管タイプ)などの電気製品はとうの昔にオーバースペックになってしまったのだ。


2010.4.24(土)晴れ 金が回って悲しみを生む社会

この10年の政府の経済政策は誤りだった。デフレが悪いというのであれば、政策が悪かったに決まっている。よい政策は悪い結果を生まない。よい結果を生んでおれば、それがどのような代物であれ、よい政策なのだ。ただ論理的な帰結として悪いことは明らかでも、私には何がどうだったから悪いということがわからない。政府や行政にアドバイスできないのが残念だ。ちょっとずつ考えれば何かアイデアも見つかるだろうか。

私が子どもの頃は経済は急成長し、無限大に膨張すると信じられていた。その頃によく言われていたことがある。「21世紀になれば仕事はロボットがやってくれるから人間は遊んでいられる。」私はそれを信じていた。今は押しも押されもせぬ21世紀である。そしてかつての夢がかなり現実のものとなったことを知って苦笑いをしている。

デフレでは製造業はたいへんだ。だいたいのメーカーはなくてもかまわない商品を作っているのだからたまったものではない。倒れそうになった会社がどこでもやるのが人員の整理だ。いまでは必要なことは機械化されており社員はいらない。仕事はロボットまかせで人間がくびきられる21世紀になった。

デフレでは商人への実入りが減るから会社は赤字になる。おおむね9割がたの会社は世間的にはなくともかまわないものだ。しかしながら社員、特に重役にとってはそういう会社でも大切で、倒産はいやだから人員の整理を行う。あまった人は失業保険や生活保護にたよって健康で文化的な最低限度の生活をしなければならない。

社員が減って会社が黒字になるってのは、どこか奇妙な気がする。その昔、ゴンドワのシータが「国が滅びて王だけが生きているなんて滑稽よ」といったが、それと同じことではないか。会社が黒字になれば、それで税金を納めて、その税金がくびきられた人々の福祉に使われる。そうやって金は天下を回る。その金は回るたびに悲しみを生む。


2010.4.25(日)晴れ 半原越20分38秒

相模川の流域では夏の始まりに凧をあげる風習があるらしい。相模川の河原だけでなく田んぼでもおじさんたちが大小様々な凧揚げに興じている。毎年この季節になると強い風が海から吹いてくるようで、その風を利用したものだと思う。ただこの風は自転車にはやっかいだ。

清川村のゆるい登りがずいぶん楽だ。強いフォローになっていることなんかすっかり忘れていい気になって走っている。これなら半原越も楽々だと2倍のギアで入った。2倍は重すぎるのはいうまでもない。しかも半原越では南風だとけっこう向かい風がきつい区間が多くなる。山荘みさきの前では風にたたきつぶされそうになる。今日もまた風にだまされた。何年やってんだと自分を叱りたい。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'28"4'28"15.916463
区間29'26"4'58"14.317963
区間314'28"5'02"14.117962
区間420'38"6'10"11.518756
全 体 20'38"13.717859(1217)

帰宅して庭の雑草を撮影して、自転車はちょっといまいちだなあと境川にも行くことにした。海からよい風が吹いているけれども戦う気力がわいてこない。50×21Tに入れて90rpmでゆるゆる走る。境川では暖かくなって強い風が吹くと競争する連中が多くなる。向かい風のほうがスリップストリームが効くので、競技では向かい風で車列ができて我慢比べと牽制が始まる。境川の素人たちがやってるのは逆で、追い風で車列ができる。歩行者も自転車も犬も多い境川ではしょっちゅうブレーキをかけなければならない。スタートダッシュストップアンドゴーで追い風でも35km/hぐらいしか出せないから、ちぎれた非力な者もすぐに追いついてしまう。向かい風だと力のない者はいったんちぎれると追いつけない。力のばらつきが大きい自転車素人集団では向かい風や登りだとすぐに勝負がついて競争にはならないのだ。たまに走って追い風でスピードを出せる快感はわかるが、自転車道路でしかも追い風での競争はみっともないからやめたほうがいい。


2010.4.26(月)晴れ お金儲けは悪いことですか?

その昔、「お金儲けは悪いことですか?」と国民に向かって問いかけた人がいる。欽ちゃんファンドなどと揶揄されていた何かのマネージャーだったと思う。お金儲けは悪いことだとは思わないけれど、それを後ろめたく感じている人も多いはずだ。商人は10円で仕入れたものを15円で売る人だ。できれば16円か17円かで売りたいだろう。そういう野心を抱かない者は商人ではない。商人にとってお金儲けは良いことで、成功者は立派だといわれる。日本では国民の100%が商人だといってよいが、その中にいくらか詐欺師が混じっている。詐欺師になるとお金儲けは悪いことになり、罰金を払わされたり牢屋に入れられることになる。問題は詐欺師と商人の境界だ。

500ミリリットルの水を120円で売る商売は微妙なラインだと思う。どう考えても利ザヤが大きすぎるし、相当うまくやらないと庶民には買ってもらえないからだ。ペットボトルの水売りに比べれば、多摩川で拾った石を売るほうがまともな商売に思える。多摩川にはチャートが転がっている。その中には磨けば光る物もあるから、一つ買おうかという人がいるかもしれない。多摩川で拾った雑草を売るのはさらにましな商売だ。世田谷のスーパーでは多摩川の水たまりに浮いている雑草を1つ150円で売っている。私はそれを2つほど買おうと思っている。その草がどのあたりに行けばいやというほど拾えるかは知っているけど、それをやるのはかなり面倒だからだ。多摩川の石だの雑草だのを欲しがる人は希有で、そのものの値打ちを熟知して購入するのだから、詐欺ではないような気がする。飲料水はどうなんだろう。

海外ではペットボトルの水を買って飲むけど日本では飲まない。25年ぐらい前に「六甲のおいしい水」というのを買って飲んだことがある。神戸の水はうまいという評判を子どもの頃から聞いていて、あこがれていたからだ。「六甲のおいしい水」は予想以上においしい水だった。しかし、いくらうまいといっても高価すぎて、とうてい2つめには手が出せなかった。いま各種売られている水もそれなりにうまいのだろう。表示を見ると、殺菌は薬品ではなく熱を使っているようであるし、炭酸塩を添加して味付けもしているようだ。海水の塩抜きをしたという水もある。

私は若い頃から日本全国のわき水を飲み歩いた。この世の中でいちばんうまい水は八幡浜市にある鞍掛山の標高550mあたりの杉林のわき水である。いまでも5年に一度ぐらいはわざわざその水を飲みに行く。その水に比べれば、さすがの「六甲のおいしい水」もふつうの水にすぎない。活性炭に通して冷やした水道水とタメだ。

ペットボトルの水を買う人はそんなに飲料水に困っているのだろうか。日本では行政が責任をもって安価な上水を国民に届けている。井戸やわき水を飲んでいる人もいるが、その水だって定期的に検査をしている。私は大和市の水道水を飲んでいるが、けっこううまい。私の生活圏では境川にある遊水池のビジターセンターの手洗い場の水がそうとうまずい。わが家と水源は同じだと思われるのになぜかまずい。2回飲んで2回ともまずかったのでもう飲まないことにしている。丹沢のヤビツ峠の水もけっこうまずい。わき水にはうまいものが多いけれど、ヤビツの水はわざわざ自転車を止めて飲むほどのものではなかった。半原越の水もまずい。沢になって流れているのはまあ飲めるが、水汲み場になっている所の水は飲めたものではない。ご丁寧にも「飲み水には適しません」という立て札が立っているが、同感である。蛇口からその手の水が出てくるみなさんは悩み深いだろう。それでも飲料水が500ミリリットルで120円というのは高すぎる。


2010.4.27(火)雨 まったく詐欺なんだかじゃないんだか

簡単にいうと、まっとうな商売と詐欺の違いは商品の料金が客観的に妥当かどうかで決まる。商人の主観で妥当であってもあやふやだ。買い手が喜んでいても怪しい。両者納得ずくの取引であっても詐欺ではないとは言い切れない。あくまで第三者が見て妥当な料金でなければならない。私はミネラルウォーターについて第三者で、あれは詐欺だと思っている。自分では買わないし、友だちが買っているとやめなさいという。そして、おおきなお世話とけむたがられる。よく考えると、私は第三者の総意の反映ではなく、変人その1に過ぎないのだ。ともあれ、日本では9割方は不必要なものが取引されているのだから、多かれ少なかれ商売は詐欺みたいなもんだ。詐欺も飲料水程度であれば見逃される。

競輪やパチンコや宝くじも現象面からは詐欺である。か弱い庶民の射幸心をあおりなけなしの金をくすめるふとどきな所行だ。あの手のものが詐欺になっていないのは、お上が許しているからだ。ちゃんと法律でルールを事細かく決めて、商売人たちはそれを守り、インチキをせずに妥当な利益をあげる約束があるからだ。

ただいくら国が許しているからといって、科学的には詐欺行為でしかないことを商売にしている人は、内心穏やかではないのではないか。パチンコ屋としても、儲かるのはよいとして、いい若者が朝から行列するのを見て、田んぼでも耕せよといらいらしているのではないかと心配している。

詐欺みたいな商売だと赤字になればそれこそ全く意味がない。利益のでない詐欺ってのは定義上の矛盾。丸い三角なみにイミフだ。逆に昔の国鉄みたいに赤字でも尊敬され愛されていれば商売人として誇りもあるだろう。地方の駅のホームを隅々まで掃き清めツツジやアジサイで飾る余裕もあるってもんだ。そういう駅があり、仕事があるというだけでも清々しかった。もとより公務員は原理的に赤字を出す人だ。税金を使って公民に奉仕をするのだから、詐欺ではないという自覚があるかぎりいかなる赤字も無駄ではない。商売上の赤字は相対的なもので、誰かが赤字になっているということは、彼らとつきあいのある誰かが黒字になっていることになる。その両者がお天道様の下で恥ずかしくなければそれでOKというもんだ。

いま盛んにやっている事業仕分けのあれも詐欺だから対象になっているんだろう。むろん、これまではずっと法律的にまた慣例的にまっとうとされてきた詐欺だ。お役人やその仲間たちがちゃんとルールに基づいて公金で商売をしてきたのだ。詐欺行為かもしれないけれど、競馬や宝くじみたいなもんだ。つい昨日までは必要悪っぽく扱われていたのに、急に掌をかえされたのだから「そりゃないよ」と文句の一つも言いたいだろう。


2010.4.29(木)晴れ一時雨 エコってうさんくさいからね

国民全員(数名をのぞく)が甘い汁を吸って(経済に依存して)生きている現状であるから、一部の特権階級(仕分けの対象者)がいい思いをしているからといって、怒りが噴出するものでもないだろう。むしろ、事業仕分けで無駄といわれるようなものごとを自社や自身にあてはめて、うしろめたさを増進させているのではないだろうか。東京オリンピックのプロモーションのようなものがまかり通りさらし者にならない(システム上の都合があるために)世の中において、国政に携わる者が彼らの内輪とはいえ、善良な商人もからんでいる事業をつるし上げさらし者にするような行為はカタルシスにはならない。国民は改革だの合理化だの無駄だのと聞くたびに「次はオレ?」とびくついているのだから。

子ども手当てというのも怪しい。少なからぬお金をもらえばうれしくなって物を買って子どもを育てようという気になるだろうというのが狙いらしいが本当だろうか。もし経済が伸びることが必須なのなら、人口と消費は伸びなければならない。だったらお小遣いをあげればよいということなのだが、肝心のお小遣いの出所が問題だ。お父さんがいろいろくれるのは良いのだけど、それが借金から出てくるらしい。お父さんは明日にはたいへんなことになるに決まっている。お父さんは子どもの目にも頼りなくて、のちのちにはその借金の肩代わりをさせられそうだ。そんなことに感づいている子どもが無邪気に喜べるはずがない。

環境問題は経済のカンフルだ。テクノロジーの開発と普及はこの200年の経済発展の原動力だった。近年、第2段階のエネルギー革命を迎え、新技術に立脚した文明が始まろうとしている。というわけで未来は明るいはずなのだが、なぜだかすっきりしない。どうもあの「エコ」ってやつのうさんくささが元凶のようだ。エコが経済にとって後ろ向きなのか前向きなのか、はたまたあっち向きなのかがはっきりしない。

エネルギー革命を進めるためのプロパガンダとして「エコ」だの「地球にやさしい」だのという甘ったるいスローガンは不必要であり有害だ。地球は温暖化しているのは確かなのだが、それが本当に恐ろしいことなのかがはっきりしない。温暖化の原因が二酸化炭素なのかどうかがはっきりしない。二酸化炭素を減らすとうたっている物や行為の中にはあからさまなインチキがまじっているため、何を信用すべきかはっきりしない。オゾンホールなるものがすっかり影をひそめ、二酸化炭素も同じなんじゃないかと疑いはじめている。国民の視界にはすっかり霧がかかってしまい、せっかくの明るい未来が見えなくなっている。

そのまま水と二酸化炭素にしてしまうには石油は惜しい資源だ。石油には石油のポテンシャルにあった使途がある。米や麦も燃料になるが食べる方が有効、みたいなもんだ。ガソリンを爆発させて進む自動車はばかげていると思う。かといって、石油を燃やして作った電気でバッテリーを充電させて進む自動車はもっとばかげている。電気自動車が量産化に入ったのは原子力や太陽光パネル、燃料電池の普及が必要十分レベルに達したと見られているからだろう。エネルギー革命ののちにも石油が地球の宝であることには変わりがないけれど、エネルギーの石油依存を押さえれば産油国を牽制することができる。私程度の者でもこのくらいの事情はわかっているのだから、政府はインチキはやめて本気のビジョンを示すほうがよいと思う。

カラスノエンドウ

午前中は庭の草撮り。草取りではないのがわが家らしい。カラスノエンドウは日陰が多いわが家では貴重品である。好きな草の一つなのに、これまで撮影するといつも失敗している。その特徴をとらえるのが思いの外難しい。

昼頃降ってきた雨はそのまま室内でやり過ごし、午後から半原2号で半原越。サドルをスパイダーツインテールに変更した。やはりスパイダーツインテールは最高のサドルだと確信する。考えてみればレーパンには皮だのなんだのでクッションがあるのだから、サドルにクッションは不要だ。スパイダーツインテールが誕生するまで、プラスチックベースに革張りが主流だったのは、もともと自転車のサドルが革製品だったことの名残に過ぎないことに気づいた。また、サドルの試行錯誤が続いているのは自転車乗りの間に「もしかしたら尻がまったく痛くならないサドルがあるのかもしれない」という幻想があるからだ。考えてみるとよい。上半身の体重を支えて1分間に90回、5時間、計2万7000回もこすり続ける尻が痛くならないわけがない。皮ぐらいはむけるのが当たり前で、痛くても集中力が持続できるレベルにあれば良いサドルだとみなしてかまわない。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'27"4'27"15.917078
区間29'32"5'05"13.918268
区間314'27"4'55"14.418371
区間420'31"6'04"11.718963
全 体 20'31"13.818268(1395)

2010.5.1(土)晴れ 半原越いろいろ出てくる夏の道

カラスノエンドウ2

さあ夏だ。いつもの棚田にはシュレーゲルアオガエルが鳴きチョウが飛び交っている。ほとんどはモンシロチョウのようだが、スジグロシロチョウ、モンキチョウがまじっている。小型でせわしない飛び方をしているのはツマキチョウかもしれない。今年はじめてウスバシロチョウを見る。この季節になるときまって、あれっギフチョウ?とだまされる。だいたいは春型のアゲハだ。今日もだまされた。清川村にギフチョウがいてもよいとは思うが、開けた田んぼの上をぱたぱた飛んでるとやっぱり変だ。それでも小さいアゲハが地面近くからびゅっと飛んでくるとどきっとするのだ。

今日の半原越はゆっくり行こうと決めている。ゆっくり走るために重いギアを選択した。半原2号の34×16Tだから2倍よりも重い。このギアだとラスト1.5kmは座れるところがない。ただし守備的なダンシングだから、階段を普通に登っているぐらいの感覚だ。ケイデンスは平均で50rpmを越えない。走った感覚では重いギアのほうが楽だが、心拍計の数値を過去の速度のデータと比べてみると正直に比例していることがわかる。楽なのは単に30秒遅かったからのようだ。あとほんの少しがんばるだけで死ぬほどしんどくなるのだろう。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'45"4'45"14.916056
区間210'09"5'24"13.117549
区間315'03"4'54"14.418454
区間421'05"6'02"11.719044
全 体 21'05"13.417849(1033)

半原越を下っていると、道路に大きめのアオダイショウが転がっていた。近づく自転車を嫌って道路脇のコンクリブロックの斜面を垂直に上がろうとする。「あんた、そりゃだめっしょ」と笑っていたが、蛇の方はほとんど手こずる様子もなく1.5mの壁を30秒で登ってしまった。急いでケータイを出してその勇姿を写メした。

昼頃に帰宅して女房が用意してくれたおにぎりを4つ食べて庭のカラスノエンドウに再チャレンジして境川へ。今日は夏の午後の風が南から涼しく吹いている。フォローもアゲンストも25km/hほどでひたすらのんびり走った。今日の走行距離は120km。終始ゆっくりでぜんぜん疲労感がない。


2010.5.2(日)晴れ 風神の思い出

午前中はドラゴンボールとワンピースを見て、そのあとPowerMacintosh MDDの調整をした。MDDは電源がいかれていてしばらく放置していたのだが、7000円で電源を売ってくれる業者が見つかり復活の運びになった。ところが、届いた電源をインストールすると通電はするのだが起動ディスクを認識しなくなった。いろいろ点検したものの原因が見つからす途方にくれていた。それが昨夜になってようやく動きはじめた。復調の原因もわからないが、どこかに引っかかりがあったようだ。ターゲットディスクモードで動かしてみたのがよいきっかけにはなったようだ。

さあもう12時だ。なんやかんやで半原越に行く気も失せて、境川を100kmばかり流すことにした。100km程度なら午後からでも楽勝だ。風は昨日よりもゆるく暖かい。浜風らしい。境川でも凧揚げをしている。大きなやつを太いロープでひっぱって勇壮だ。凧にはびよ〜んびよ〜んと音が出る装置がいている。白土三平の忍術を思い出す。音波の共鳴を利用してターゲットをノイローゼにするやつ。

境川で凧を揚げているのは、立石風神会という団体らしい。風神といえば40年ほど前に「風神」という愛称のついた電気掃除機を三菱電機が販売していた。なんでそんなことを覚えているかというとプロレス中継に頻繁に登場したからだ。マッチの合間にその風神なる掃除機がリング上に登場し、おもむろにマットの掃除を始める。実況アナウンサーも「ほんのちょっとしたゴミや埃でも試合に大きく影響しますからねえ」などと解説していた。

わが家にまだ電気掃除機がなく、あれはいったいどんな装置なのだろうと興味津々だった。あのころは掃除機もインスタントラーメンも欲しかった。ちなみに大人になってもプロレスラーにだけはなりたくなかった。外人はしょっちゅう卑怯な反則攻撃を行い、馬場選手たちがとっても痛そうだったからだ。ああいう辛い仕事はいやだった。まだまだ世間も私もおっとりしていた頃だ。プロレスラーというのは、恵まれた体をもち運動神経抜群で演技力があり、かつ物語構成力もある選ばれた者だけがなれるということを知ったのはずっと後のことになる。


2010.5.3(月)晴れ 風に向かってすすもう

強い南風を顔にうけていつもの棚田脇に座っている。田んぼは代掻き前の荒起こしが完了している。まもなく水が引き入れられるだろう。田の上をモンシロチョウが飛んでいる。前回は田にも少しばかりの春の花があって、いろいろなチョウがそこで蜜を吸っていた。いまはすっかり土になってしまったものだから、チョウは田には用がない。畑の菜の花を求めてさっさと渡っていくことになる。

渡るといっても、あのか弱い体で向かい風だとたいへんなはずだ。ところが、モンシロチョウが次々に渡っていく。驚いたことにあまり苦労している様子がない。いったいどういう技を使っているのかとしばらく観察していた。私の目にはその翅の使い方がよく見えない。ただ一点、ぱぱっとはばたいて上昇し、次の瞬間、翅を閉じたまますすっと前進しているように見えた。

今日の半原越は軽いギアで楽に登ることにした。半原2号で34×21T。1.5倍程度のギアで入る。区間1の終わり、区間2のはじめ、区間4では迷わず25Tを使う。心拍計の数値にも表れているように、かなり楽をした。区間4でもぐるぐる回して座り立ちこぎもいらない。ただし、タイムは22分。この感じで20分ならいっぱしだ。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'50"4'50"14.615572
区間210'16"5'26"13.016865
区間315'25"5'09"13.717169
区間422'04"6'39"10.617762
全 体 22'04"12.816966(1456)

帰宅してタケノコご飯を食べて境川。南から良い風が吹いている。90rpmで気持ちよくAT以下で走れるのは50×21Tだった。それで27km/hになる。モンシロチョウが向かい風をものともせずに進んで行くように、自転車でも風をうまくあしらう方法があるのだろうか。下ハンはかなり上達して体のどこにも無理がかかっていないという自覚がある。


2010.5.5(水)晴れ 半原越20分58秒

毎年のことながらこの季節の山の色の移りの早さに驚く。いつもの棚田から眺める向かいの山腹はもうすっかり緑だ。新緑の頃の赤や白はほとんどみられなくなった。草刈りの入った草むらに座っていると、ハネカクシやらアリやらが脚に登ってくる。噛みつくやつもいるからうっとうしい。この辺も夏だ。

今日は軽く回していこうと半原2号で34×23Tで行くことに決めていた。区間1ではやはり空回し感がある場所もあるけれど、そういうことに惑わされてはいけない。元気のあるときの空回しはすぐにいっぱいになるものだ。結局のところは、この辺のギアで75rpm回せるようになるのを目標にするのがよいのだろう。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'41"4'41"15.116081
区間209'51"5'10"13.717574
区間314'54"5'03"14.017775
区間420'58"6'04"11.718563
全 体 20'58"13.517571(1489)

午後からはチネリに乗り換えて境川。ときどきは本物のロードレーサーに乗らないと自転車の楽しさを忘れてしまう。ここのところ連続して毎日100km以上乗っており、しょっぱなから快調に脚が回る。チネリはまっすぐ走る自転車で、半原2号などと比べると2km/hぐらいスピードが出る感覚がある。また、速度が上がれば上がるほど安定するようになる。乗り手に速く走ることを要求する愉快な自転車だ。妖刀っていうのがあるけど、それに近いものがあるかもしれない。


2010.5.6(木)晴れ 仮面サイダー

仮面サイダー

仮面サイダーという飲み物が売られている。いつもサイクリングで使う境川の折り返し地点の自動販売機では100円で売られている。ネーミングも缶のデザインも鬼面人を驚かすものだけど、中身はサイダー以上でも以下でも以外の何物でもない普通のサイダーだ。仮面サイダーには何種類かあって、今日はついに当たりが出た。当たりは仮面ライダーV3デザイン(写真)だ。

私の場合、変身アクションシリーズ「仮面ライダー」ではV3がぴったりフィットだった。中学生であり、フィクションとしてストーリー展開や演出技術を楽しめた。カメラワークや編集は時代劇の殺陣とは一線を画してテレビらしいおもいっきりの良さが小気味よかった。そして戦闘シーンにモンタージュされるV3の前方抱え込み宙返りや後方伸身宙返りがかっこよくて、良い子ではない私は、おもいっきりまねをした。

本来ならトランポリンでやるべきだがそういう気の利いたものは近所にはなかった。私は当時垂直跳びで90cmを記録していたが、それではV3の跳躍力には不足だった。そこで少々お馬鹿な仲間とつるんで学校の砂場にダンプカーの古タイヤを引っ張り出して踏切板の代わりにして跳んだ。タイヤがあれば宙返りも楽々だった。上村愛子選手が昔やっていたコークスクリュー720が得意なやつもいた。そいつは前方宙返りが怖くていろいろごまかしているうちにできた技だと言ってた。後方宙返りは入り方に無理があってできなかったが、半ひねりの伸身宙返りは私のもっとも得意とする技になった。両手を広げて胸をはって脚をピーンと伸ばして宙に浮く。気分は仮面ライダーV3だった。

影

ちなみに中学校では英語の教科書にクラウンあたりを使っており、中にはボブだのトムだののイラストが入っていた。それを赤と緑のボールペンを駆使して仮面ライダーV3にしていたのは言うまでもない。一部、赤と青でキカイダー01にもしていた。

仮面サイダーをケータイで撮りつつたわいもないことを思い出して、ふと足下を見るときれいな脚線美があった(写真)。いうまでもなく私の脚だが、ちょうど日の当たり具合がよかったものと思う。こりゃ江角マキコなみだぞ、とついでに撮っておいた。残念ながら私の脚は長くもまっすぐでもない。ドラゴンボールの3つめの願いは、あと3センチ脚を長くしてください、というのにするかもしれないぐらい残念なので、影だけでも足長おじさんになるとちょっとうれしい。


2010.5.7(金)くもり時々雨 雨の半原越

予報でも雨だというので勇んで半原1号をひっぱりだして半原越にでかけることにした。去年の夏は天気に恵まれず雨の半原越を気持ちよく走った覚えがない。今年は梅雨入り前に早くもチャンス到来だ。1回目はキャットアイのボタンを押して時間を計りながらもゆっくり走る。半原1号はゆっくり走れるのがよいところ。22分半という最近では遅いペースで上まで登る。雨はまだ落ちてこない。何往復かするうちに雨になるだろうとすぐに折り返す。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'58"4'58"14.3-70
区間210'39"5'41"12.5-74
区間316'04"5'25"13.1-75
区間422'23"6'19"11.2-66
全 体 22'23"12.7-71(1589)

雲は重く林道は妙に静かだ。虫がいない。蝶も蜂も飛ばない。フジの花が満開なのにクマバチも来ていない。ただ、鳥だけがやたらと賑やかだ。縄張りを主張するウグイス、センダイムシクイ。ヒヨドリはヒヨヒヨといつも通りうるさい。ツツドリも少しだけ鳴いた。麓の方ではソウシチョウも鳴いている。木々の葉はすっかり広がって鳥の姿はめったに見えない。林の奥からアマガエルのような声が聞こえる。はて、半原越にアマガエルはいないはずだがと耳を澄ませる。やはりカエルではない。何というやつか知らないけれど鳥のようだ。

今日は平日、しかも午後からは雨の予報。半原越は貸し切り状態だ。2本目の登りでさあっと葉をたたいて雨粒が落ちてきた。背中のポケットに入れておいた自慢の500円雨合羽をはおる。杉木立を背景に雨粒が白い線を引く。半原1号の最も軽いギアは26×23T。時速6kmぐらいであればほとんど力を使わない。軽くしたり重くしたりいろいろギア比を変えて5回登った。


2010.5.9(日)晴れ きれいな娘さん

地球上で最も美しい森はこの季節のブナ林だと思う。ちょうどいまごろ、東北地方の奥山では深い残雪の中でブナの葉が爆発的に開いていく。連休にあわせて山に入ると、冬枯れの林の中を雪を切って歩いたはずが、下山するときには若葉の森を歩くことになる。残雪の白さと空の青さと、ブナ独特のまだらの幹と、この世のものとは思えない新緑の風景がそこにある。

東京で勤め人をやっていると東北の山に入るのは贅沢がすぎる。清川村の裏山だって捨てたものではないと、耕作放棄地の草むらに座ってコーラを飲みながら思う。今日は上空に薄く雲が広がっているわりには視界がきく。3km先の半原越の青葉もよく見える。足下はギシギシやハルジオンが満開でダイミョウセセリが飛んでいる。いまの私にはこの場所でじゅうぶんだ。

さて、今日は半原2号でやってきた。区間1を34×21T、区間2と3を34×23T、区間4を34×25Tでやってみようと決めている。スタートすると脚が重い。半原越にかかるまでは軽いのに突然重くなるのはいつものことだが、今日はとくに悪い。びゅんびゅんと脚が回るはずの緩いところでも80rpmぐらいにしかいかない。そのかわり、きついところがそれなりに走れている。心拍計の数値も異常だ。170bpmを超えない。毎日走り続けて心臓もいいかげんうんざりしているのだろう。

区間4の4kmのところでロードレーサーに抜かれた。当然追いかける気はない。後ろからもう一人、はあはあと荒い息づかいが聞こえてくる。わざと荒くしているしているにしてもそうとう追い込んでいる。どうやら登りっこをしてるらしい。抜いたほうの人もそれほどスピードが上がらず10mほど先にいる。息づかいはしだいに近づいてきて、10秒並んで、抜かれた。

2人目のロードレーサーにはちょっとたまげた。おそらく私の娘ぐらいの年頃のお嬢さんだ。小柄で細身、膝下なんかは野球のバットみたいだ。よくこんな華奢な体で走れるものだと感心する。白い自転車もぴかぴかだしギア比の選択も確かでフォームもきれい。スムーズに脚が回っているから息づかいほどにはいっぱいではないはずだ。少しは付いてみようかとやってみたら意外と走れた。今日は不調という思いこみからか、余力を残しすぎていた。きれいな娘さんを追いかけたのは20年ぶりだ。

今日のデータは特異だ。区間4は競争的な走りをしたから異例としても、ケイデンスがそろっていることと低い心拍数が異常だ。狙ってこの数字を出せるならけっこういい感じだと思う。次回からやってみよう。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'48"4'48"14.814772
区間210'13"5'25"13.116370
区間315'34"5'21"13.216471
区間421'14"5'40"12.517871
全 体 21'14"13.316471(1508)

午後はチネリに乗り換えて境川。やっぱりいい自転車だなあとゆっくり80kmほど流す。


2010.5.10(月)くもり ゴールデンウィークは安近短

10年ぶりぐらいに自由なゴールデンウィークだった。仕事も家庭の用事もない。しかも9連休。こうなるといきあたりばったりにのんびり過ごしてしまう。もともと極度の貧乏性で、まさに最近はやりの安近短という過ごし方になった。

安=安いというのは私にとっては鉄則ともいえる。とにかく高価なものには気後れする。食べ物なんか高いというだけでまずく感じてしまうという悲しい体質だ。たとえそれが接待等でただだとしても、たったこれだけで○万円・・・などと思っただけでつらくなる。ゴールデンウィークの期間中で使ったお小遣いは1日500円ぐらいの食費のみ。

近=近い。毎日外に出かけて遊んでいたのだけど、ぜんぶ自転車の日帰りで半径30km以内をうろうろしていた。毎日100kmほど乗ってトータルでは1000kmを超えた。京都に往復するぐらいの距離だ。京都に行きたいかというと全くそんな気は起きない。近頃は自転車で新しいところや遠くへ行きたいと思わない。

短=毎日昼ぐらいに家を出て日が落ちる前に帰ってくる。午後は毎日境川を走っていた。午後5時ぐらいに傾いた日を見て蟲師の大禍時を思い出すのが日課。6時間ぐらいの日帰り旅行。

項目数値備考
走行距離1000km半原越と境川
食費5000円コーラ、仮面サイダー、アイス、おにぎり、かりんとう他
交通費0円定期も使わず
ガソリン代0円いかなる車にも乗らず
かけた電話0本
かかった電話0本
受けたメール20件ほとんどダイレクトメール
送った写メ1本半原越で撮ったヘビをメル友に送って顰蹙
もらった写メ0本半原越で撮ったヘビをメル友に送ったのが失敗か
解いたフリーセル375個

2010.5.12(水)晴れ アメリカ軍基地誘致

普天間もこれだけ空騒ぎが続くと、アメリカ軍の基地を誘致したい自治体が手を挙げられなくなるのではないかと心配だ。どうしたかげんか、今は何が何でも基地に反対するのが正義みたいなことになっている。沖縄や徳之島が嫌がるのはわかる。特に徳之島なんかは知らぬ間に押しつけられるという格好だから嫌に決まっている。私だって沢尻エリカとはいわず堀北真希でもいつのまにか嫁に来ることになってたら嫌だ。いいお嬢さんなのかもしれないが、立場上は断固拒否せざるをえまい。

アメリカ軍の基地ってほんとに悪者なんだろうか。私はいま基地の町に住んでいる。アメリカ軍がいることを承知の上で、軍用機が頭上をぶんぶん飛び回るところに引っ越してきた。治安も悪く、ひったくりなんかは全国一らしいという噂も聞いて引っ越してきた。教育の荒廃も著しいと同僚におどされつつ引っ越してきた。そんなやつだから、普天間が俗に厚木基地と言われるところにやってきても、まいいんじゃない、と賛成できる。

基地より嫌なものはいっぱいある。今の家の半分ぐらいのを買おうとしても東京の世田谷だと1億円ぐらいする。たかだか住居にそんな金は使いたくない。極度の貧乏性だから基地があって土地が安い大和市のほうがいい。それに世田谷あたりは、漫画家がウォーリーを探せみたいな家を建てようとしたぐらいで反対する人々がいる地である。私はとうていそんな何を考えているかわからないような人の間では暮らせない。赤白縞の家を嫌う人の気持ちはわからないが、貧乏ゆえにひったくりをする人の気持ちはわかる。どちらかというと後者のほうが親しみを持てる。

堀北真希をお嫁さんにしたい人も多いように、アメリカ軍の基地を欲しい自治体もあるだろう。我が国には、産業が廃り人が流出し、事実上倒産している市町村もある。基地を誘致すれば、土建業も必要であり、基地に依存している商業も必要であり、インフラも必要であり、病院学校警察などの公共施設も必要になる。日本国は当然ながらそうした一切合切に責任を持たねばならない。

アメリカ軍の基地は町おこしのネタとしては三つ星、AAAの最高ランクといってよい。原子力発電よりも持続性が高い可能性だってある。もしかしたら悪魔に魂を売ることになるかもしれないが、イベント屋がしかける詐欺まがいの建造物やイベント、キャラクター、利用客の見込みがない飛行場などなどに比べればまだ可能性がある箱物ではないか。政府もそうした利点を売り込みつつ、返還と移設を検討すればよかったのに、普天間問題をあえて迷宮に落としこんでしまった。どんな腹づもりなのだろう。今では誘致に手を挙げるのは狂気の沙汰と言われかねない。


2010.5.14(金)晴れ インフレはだれのためなのか

今でも世界のかなりの部分がそうなのだが、つい数十年前までは日本でも健康で文化的な生活を営む上で最低限の物資が国の隅々にまでは行き渡っていなかった。そうした場合は経済成長は盲目的に善である。作れば作っただけ物が売れる。まだ我が国に経済成長が必要ならばインフレになっていなければおかしい。行政も国会も景気回復を唱えているのだから現状のデフレは悪だということは間違いない。では経済政策でインフレにできるのだろうか。勝間さんはインフレにするためには通貨の増刷が手っ取り早いとおっしゃる。そうすれば確実にインフレにはなるだろう。物も回るかもしれない。そこで私が疑問に感じたのは、物が回ってどこに行くのだろう? ということだ。食料が余っているこの国にさらに食料を回すのだろうか。お金は数字であり量であるからその質は問われない。食べずに捨てられた食品もそれが高額で取引されたものであれば、経済的な効果は大である。食品は人の体を通過しなければ無意味なのに。空虚に物が浪費されるならば、そのインフレは数字上の幻覚ではないかと思ったのだ。

日本国では全国民(数名をのぞく)が商人である。インフレで得をするのは商人だから日本人全員が得をする。逆に、消費者はインフレで損をする。日本国では全国民が消費者であるから日本人全員が損をする。こう考えると、インフレになれば賢い商人が得をすることになる。空虚なインフレであれば、ますます得をする商人が増えるだろう。もちろん損をするのは愚鈍な消費者だ。結果として賢い商人かつ愚かな消費者、すなわちガンガン儲けて無用な高級品を買い捨てる個人が一番インフレに合っている。

商人の利益はお金という数字で表される。10円の原資で1000円儲けるよりも1億円の原資で1億1000万円儲けるほうが値打ちがある。10円で1000円儲けることは誰もが今日からチャレンジできるけど、それはきっと難しい事だと思う。達成したら喜びは大きいだろうが、そんなことをやってるようでは商人として失格である。1億円で1億1000万円を買うほうがずっと簡単なはずだ。具体的な方法は知らないけれどそういう商売もあるようだ。そして、そういうことがあるのだったら、経済は安定するよりも不安定なほうがエリートたちにとっては都合がよいはずだ。順風逆風を嗅ぎ分けて、多くの人がやっちまった細かい損をかき集め、デフレもインフレも関係なく、物の回り方も無関係に利益を上げることができる。


2010.5.15(土)晴れ 半原越20分20秒

走り出してみると涼しいというよりも寒かった。これは早く登りに行かねば凍えてしまうと、いつもの棚田脇もパス。おりしも水が入り一番上の田の代掻きが行われているところだった。風は南からだから清川村の坂は快調だ。半原越でも大半の区間は追い風になる。ただし、清川村からもよく見える赤い屋根の山荘みさきの手前はかなりの向かい風だ。

先週の感触が良かったから、今日も34×21Tで入る。追い風もあって区間1は快調だ。区間2に入って23Tを使う。心なしか丸太小屋の坂が楽だ。ただし今日は心拍数は180bpm近くまで上がっている。しっかりと異常を感じたのは区間3の南端コーナーだった。いつもここが死ぬほどしんどいその1なのだが、今日はどうってことない。区間4に入りギアを25Tに落とす。落としながらも23Tで行けそうだと感じている。そして、いつも死にそうになる4kmの杉の木のコーナーですらすいすいと抜けていく。ここではっきりと異常を自覚した。これまでになく快調だ。体の状態とスピード感からいまだ見たことのない景色を見ている。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'19"4'19"16.416380
区間209'27"5'08"13.817574
区間314'28"5'01"14.117676
区間420'20"5'52"12.118470
全 体 20'20"13.917674(1505)

ケイデンスの数値にも表れているこの快調が9日連続合計1000kmの練習の成果なのだろうか。それとも追い風参考記録に過ぎないのか。近々結果はでるだろう。長袖に着替えて境川で軽く40km流す。


2010.5.16(日)晴れ 半原越20分39秒

神奈川の田舎道を走っているとほうぼうから夏の臭いがする。夏の臭いといっても、春色の汽車みたいなもので確たる対象はない。おそらく雑草の蜜の臭いなのだろう。例の棚田は今日田植えだった。濁った水の中で稲の苗が南風に揺れている。さっそくツバメのカップルが田に降りて巣作り用の泥を拾っている。風は昨日と同じく強い。半原2号で34×21Tに入れてスタート。今日は区間4も23Tで行こうと決めている。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'25"4'25"16.015879
区間209'37"5'12"13.617273
区間314'43"5'06"13.917275
区間420'39"5'56"11.918164
全 体 20'39"13.717271(1466)

昨日よりも各ラップで数秒ほど遅く心拍は数拍だけ少ない。心拍数というものは信用できる数字らしい。区間4でも64rpmになっているのだから23Tでも良いように思う。もしくは斜度に応じたギアを細かく選択して走った方が良いのかもしれない。


2010.5.17(月)晴れ 自転車操業とスタンディングスチル

儲からない商売=無駄であり、商人がやってはいけない事とされる。たとえ儲からなくとも世間に必要だからやっているのだ、というのは屁理屈だ。それは商売ではなくボランティアであり消費だ。たとえ必要であっても儲からない事業はカットだ。米を作ることは絶対善であるが、それを売っているからには利益が出なければならない。利益がでない以上は百姓ですらやめざるをえない。百姓というのは古来より代わりがいくらでもいるとされる産業だ。1個や2個倒れてもそれで困るのは数人にとどまる。社会の根幹を支える産業であっても個々の商売としては脆弱だ。

商売は利益を出すために自転車操業をしいられている。会社は赤字が続けば資金繰り不能となり商売ができなくなる。薄利でも売れないよりはましと安売り競争に走りデフレが加速する。安売りも行き過ぎると共倒れになる。会社の規模が小さければ誰も助けてはくれない。ビールはなくてもかまわない商品であり景気が悪いと売れなくなる。ビールは不用品であるというその商品の性格上、安売りに走ると危険だ。ちょっとしたミスでいっぺんに倒産しかねない。ただしビールは法的に大企業でしか扱えない商品であったから、今でも数社でしか製造販売していない。彼らはカルテルを結べば安売り競争を避けることができる。カルテルもすぎるとまずいというのであれば、いっそのこと合併すればよい。ビールを製造しているのが世界に一社だけとなると、ビールが好きな人も少なからずいるのだからそう簡単にはつぶれない。しかも尻すぼみにビール生産を縮小させることも可能だ。もともと独占商品であった日本のたばこはそうした経過をたどって消滅するはずだ。

自転車操業はもうたくさんだ、不用品をだましだまし高く売る競争なんてまっぴっらだ、という考え方もある。いわゆるニートという方向だ。つまりは自転車を止めて競走の群れから降りるということだ。経済の流れからはみ出した所で生きることは、世界ではまだ主流かもしれない。地球上の過半数の人間はお金を使わないでも生きている。いわゆる「貧しい」人たちだ。日本でいうニートはそちらの生き方とはまた違う。彼らはお金がないと1日も生きていられない。商人のしぼんだやつ、競走ならば回収車行きだ。

自転車操業ということばは、いっぱんに自転車は走っていないと倒れることからきている。ところが、スタンディングスチルという技を身につければすっくと立っていられる。初級者の私は坂を利用して1分ほど続けるのが精一杯だが、鍛えれば1時間でも2時間でも体力の許す限り続けられるという。すごい技なのだが、その成果となると意味不明だ。競走車の群れの中では自転車から降りた者もスタンディングスチルを続ける者も結果は同じだ。両者ともDNFの失格になる。

拡大再生産を余儀なくされる日本で経済的にスタンディングスチルをすることは可能なのだろうか。鎌倉時代なら出家という制度があって禅僧にでもなれば人々からの少々の施し物を受けつつ悟りをめざせばよかった。植物ではない我々が、解脱し生けとし生けるもの全てを救済しようなどという野心を抱けば、禅僧にでもなるほかはない。自転車に乗って進むよりも止まっているほうが難しいように、その世界は普通に商人をやるよりも厳しいはずだ。坐禅は高度な技であり絵的にもスタンディングスチルに似ている。真のニートたらんとすればそこを目指すべきであるが、平成の僧侶にそうできている人がいるのかどうか私は知らない。


2010.5.22(土)晴れ 半原越19分45秒

オニタビラコ

庭に生えているオニタビラコ(写真)が種をつけて意外な美しさを発揮している。午前中は庭に出てメダカに餌をやったり好みに合わない雑草を抜いて過ごす。クサイチゴの実の成長がいまいちよくない。近所の宅地開発が進んだせいか虫が少なくなっているのを感じる。

11時頃から半原越へ。今日はチネリで行くことにした。なんだかチネリの方が速く走れそうな気がしたからだ。チネリは乾燥重量が10kgもあり、リアの歯数は6枚しかない。前時代的な代物ではあるがまっすぐ走り、いつの間にか速度が上がる魔法の自転車だ。昨日までは最小ギアが42×23Tだったが、それではあまりにも重いだろうと前ギアを換装して50・39Tに変更した。じつは、後ろに25Tか26Tをつけようと試みたがねじが固くて断念した。一時代前の部品にはよくあることだ。

いつもの棚田に水が入って1週間。その気になったシュレーゲルアオガエルが田の脇で鳴いている。もちろん姿は見えない。静かに歩いて鳴き声のする地面のあたりに腰を下ろして、声の場所の特定を試みた。10分も息を殺しているとケロケロ鳴き声が聞こえてくる。そこにあるのは雑草の生えた地面。穴も見あたらず穴を掘った形跡もない。まるで草か土が鳴いているようだ。こいつの生活史を記録できたら楽しいだろう。

半原越は39×21Tで入る。回転数は上げられないけれど、スピードの乗りは良い。区間2からは23Tを使う。区間3のラップをみれば14分あたり。20分が切れるペースだ。そう思うとめったにないチャンスだからと無理をする気になった。 頂上についたときは息も絶え絶えだったがチネリで19分台ははじめてだ。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'19"4'19"16.4-70
区間29'17"4'55"14.4-67
区間314'04"4'50"14.6-69
区間419'45"5'41"12.5-58
全 体 19'45"14.3-66(1304)

下り始めるとすぐにアサギマダラに会う。今季初だ。ふと気づいて上を見上げるとずいぶん夏の花が咲いている。ミズキにはウスバシロチョウも来ている。帰宅して少し休んでから境川を40kmばかり流した。


2010.5.23(日)雨 雨のサイクリングロード

ドクダミ

暖かくて気持ちの良い雨の朝になった。こういうときには半原1号で半原越なのだが、午後早くに野暮な用事がありあまり自転車には乗れない。というわけで境川でお茶を濁すことにする。雨対策としてジャージの下に長袖シャツを着る。濡れた服でも素肌よりはましだ。脚はそれほど冷えないから通常のレーパン。そして自慢の500円雨合羽が活躍する。500円雨合羽はノースリーブタイプで両腕は完全に露出する。夏の雨ならこれで十分。写メもしないからケータイは置いていく。

雨のときに市街地を走るメリットはあまり感じず、これまでほとんど雨の境川を走ったことがなかった。来てみるとこれがなかなかいい感じだ。アマガエルはゲロゲロ鳴き、田植えがすんだばかりの田に雨粒の波紋が広がる。境川に圧迫感をもたらす白い鉄柵にクズががんがん巻き付いている。ちょっと応援したい光景だ。ときおりカタツムリがはっている。殻に角張った斑点模様があるタイプを見かける。サイズは通常のマイマイぐらい。これまで見たことがない種類だ。

雨だから境川サイクリングロードは人が少ないだろうと予想していたものの、まさか人っ子一人いないとは思わなかった。ここは生活道路ではないのだとあらためて思う。30km/hほどを維持して楽に走る。ブレーキもぜんぜん使わずすいすい走る。こりゃ快適だ。3時間走って、すれ違った自転車は3台、ランニングの練習をしている人は3人、犬の散歩をしている人は2人。いまや境川にもウシャウシャいるロードレーサーなど影も形もない。みんな雨にうかれて半原越に集結しているとも思えない。雨で走る習慣をつけておかないと梅雨どきには乗れないぞ。

今日は時間がなく60kmで終了。帰宅してざぶざぶ水道水をかけて自転車を洗う。バーテープも薄汚れているから石けんをつけてたわしでこする。自転車掃除はめったにやらない。雨で乗るとさすがにびちゃびちゃの砂々になるから洗わずにいられない。かえって自転車がきれいになる。掃除が済んでふとラベンダーかなにかを植えてある花壇を見るとドクダミが咲いていた。毎年この花に夏本番を感じる。


2010.5.25(火)晴れ サッカー日本代表を勝たせたいのだが

ワールドカップイヤーでわが代表もめでたく出場するのだが弱い。連戦連敗。本戦でも絶対だめだろうという臭いがぷんぷんしている。セルビア戦も韓国戦も完敗だ。それらの試合で気になったのは、スピードでも技術でも持久力でも戦術でも体力でも根性でもなかった。ベスト4に勝ち進むというからには、それらのうち1つぐらいは世界一でなければならないはずだが、そこまでは望むまい。代表監督のベスト4発言なんて最低でも県外議員でも金ぐらいのレベルなのだから。

こりゃあかんと私が感じたのは会場の雰囲気だ。代表選手がミスしたときに落胆の声があがったり、逆にピンチになったときに悲鳴があがっている。あれではホームアドバンテージがないばかりか、よけいなプレッシャーを選手に与えることになるだろう。

ワールドカップでベスト4を狙えるぐらいの国では会場の雰囲気がぜんぜんちがう。敵の攻撃のときには会場はし〜んと静まりかえり、味方の攻撃のときには思いっきり盛り上がる。味方の選手がいいプレーをしたらそれが得点に無関係な場合でも大きな拍手があがる。敵がハンドでもしようものなら、会場からはいっせいに「ハンドー」の声が上がり、汚いファールをした選手がボールを持つたびに容赦ないブーイングをあびせる。敵選手が死角からボールを盗みに来たら会場からも注意を喚起する声が上がる。選手が誤審に抗議すれば退場になるが、観客ならばいくら審判を非難してもOKだから容赦なくプレッシャーをかける。観客はまさにサポーターなのだ。

わが日本代表を強くするためには観客も鍛えなければならないなあと感じる。観客もサッカーを知り尽くさねばならないし、どこでどういう声をあげれば勇気づけられるのか、プレッシャーになるのか、そういうことを体験している者が大勢いなければならない。観客の育成はある意味チームを強くするよりも難しい。いい監督やコーチ陣ならばお金で雇えるかもしれない。選手の育成もそれなりの手法があるだろう。Jリーグがスタートしてからプロサッカー選手の地位も固まり、世界レベルの選手もぽつぽつ出ている。ホームチームを勝たせる観客育成は日本の急務であると思うけれど、大衆文化に属することだけに10年20年では無理かもしれない。


2010.5.26(水)雨 蝿たかり作戦は炸裂するか

もちろん岡田監督以下代表チームは自分たちが格下だということは承知している。ワールドカップではどのチームに対しても、ふつうに戦うと10回の内1回ぐらいしか勝てないだろう。ベスト4に行くためには、5連勝するとして10の5乗分の1つまり0.001%の奇跡に期待するしかない。サッカーはサイコロを振るゲームではないのだから、奇跡を起こすにしても一つ一つ試合をこなしていなかければならない。

先日岡田監督は「蝿のようにチャレンジする」戦術をとると言った。強いチームにはかならず何人か蝿のような選手がいるものだ。器用ではないけれど化物のようなスタミナがあり、死に物狂いでボールにアタックを繰り返す、私が好きなタイプの選手だ。そいつのハードワークで得点の芽が出たり、敵の反撃を遅らせたりすることができる。それを全員でやるつもりで、それができる選手を集めているのだろう。ワールドカップではどの国のチームも寄せ集めである。個々の選手が強ければ強いほど急造チームにならざるを得ない。メッシは世界最高のアタッカーだが、アルゼンチン代表で世界最高のプレーができる保証はない。つけいる隙はある。本番でその蝿たかり戦術をやれば万に一つの勝ち目がある。

もちろん一人一人の運動量やスピードは敵のほうが上なのだから、人数をかけて圧力をかけ、その回りでは敵の配置にあわせてパスコースやスペースを消す動きをしなけれならない。蝿のようにチャレンジといっても無駄な動きをしていればすぐに息切れする。選手全員が心を一つにしてはじめて成功する戦術だ。

気になるのはその蝿戦術がこのところの数試合で全く見られないことだ。最後にその戦術をみたのはオランダとの練習試合だ。あの試合の序盤では確かに全員が蝿のようにしつこくボールにからんでいた。私はテレビで観戦しながら「あんたらそりゃ無茶でしょ。続けられたらオランダにだって勝てるかもしれんけど・・・」と感じていた。あんな動きが90分できる選手は世界に5人ぐらいしかいなくて、日本には1人もいなさそうだから。あんのじょう先制点を許したあたりからはボロボロでボコボコにやられてしまった。

蝿戦術は動きが止まった時点で終りだ。飛べない蝿はただの蝿。あっさりたたきつぶされるに決まっている。たとえ2、3点リードしていても残り10分であっさり逆転を許したり、10対0の屈辱的な大敗を喫したり、失敗したときはたいへん惨めなことになるだろう。オランダ戦以後はあきらかに動きがちがうから、ハイリスクの蝿戦術はあきらめて何か別の方法を模索しているのだと思っていた。結局立て直しもうまくいかずに、ずるずるとスイスに出発しちまったんじゃないか・・・監督は口では蝿戦術でベスト4と言ってるけど、普天間で既視感があることだし・・・というのが最悪の結果なのだが、わが日本代表にかぎってそんなことはないと信じたい。

蝿戦術は奇策だ。格上の相手をまずは驚かせ、嫌がらせ、戸惑わせ、焦らせて成功する。いまはきっと隠しているに違いない。チェルシーだってインテルだってチャンピオンズリーグでは奇策にでることもある。カップ戦は一期一会。何をやっても本番で勝てばいいのだ。カメルーンは多少なりともなめてかかってくれるだろうから、本番で蝿作戦が炸裂し日本まさかの勝ち点3を期待したい。


2010.5.29(土)くもり 石川佳純をまねる

石川選手がかっこいい。彼女が中学生の頃からの大ファンである。去年から卓球を始め草試合に出たりするお調子者であるが、その意図は彼女のまねをすることに他ならない。石川選手のよいところは攻撃的なドライブ、とりわけフォアハンドは剣術の居合い抜きを思わせるような鋭さがある。私は卓球の妙味はスピードボールの打ち合いにあると感じている。前陣でカンカンカンと激しく打ち合っているとき、反射的に体が動いて返せないはずの玉が返せたりすると夢心地の高揚感を感じる。そんなときにテーブルの向こうにいる相手が自分の分身になったかのような不思議な一体感を感じることもある。卓球には格闘技に通じるおもしろみもあるようだ。私のようなスローな打ち合いでも愉快なのだから、ワールドクラスの選手たちは凡人には知り得ない境地を体験していることだろう。石川選手は今年の世界卓球でも大活躍している。世界卓球の中継はたまたまジロデイタリアと重なっていることが多いため、団体戦は彼女のゲームだけを選択して見ている。

半原越は半原1号で行ってきた。半原1号は乾燥重量で8kgほど。チネリよりも2kgほど軽いのはやはり魅力がある。登りの距離が長くなると効いてくるはずだ。

半原1号に装備している軽いギアを使って回す乗り方の練習をする。区間1をあえて26×19Tというマウンテンバイクのようなギアでスタート。80rpm以上で20分以下ならけっこうなもんだと勝手に決めている。ところどころ路面にピンクのラッパ型の花びらがかたまって落ちている。まずは走ることに集中して花びらの落ちてきた先には目をやらない。落花でタニウツギの満開を知る。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'30"4'30"15.7-91
区間29'28"4'58"14.3-85
区間314'18"4'50"14.6-85
区間420'14"5'56"11.9-75
全 体 20'14"14.0-83(1679)

全体で83rpmで20分台だからけっこうな記録といってよい。少し強くなっている気がする。区間4は6分を切っているけれども最後の1分は16T(ギア比にして1.6倍程度)に入れて立ちこぎしている。タイムが欲しくて焦ったのだ。26×23Tだと13km/h出すにも100rpm近く回さねばならず、無理があるからだ。そのへんはまだだめだ。


2010.5.30(日)くもり 半原越20分20秒

けっこう寒いなと感じつつ昨日と同じように半原越。スタートラインをきると左手からホトトギス、右手からカジカガエル、頭上にはタニウツギ。こんなすてきなロケーションを独り占めしてよいものかと思う。今日は回す作戦だ。昨日もそうだったが、ゆるいところで回しすぎ、区間4は我慢できずに立ちこぎをしてしまった。任意のギアを選択して80rpmで乗り切ろうとしている。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'25"4'25"16.0-85
区間29'26"5'01"14.1-80
区間314'18"4'52"14.5-75
区間420'20"6'02"11.7-78
全 体 20'20"13.9-79(1606)

おおむねこのぐらいの感じで80rpm20分で行けるようになれば完成だ。夕方には境川に行って40km流す。


2010.6.3(木)晴れ 新人類はどのように生まれるのか

樹型図

私が若い頃、日本には新人類といわれる子どもたちが育っていた。ちゃんと育っていればいま四十半ばの中年おやじ、おばんたちである。彼らは新人類とはいわれたが種としてはホモサピエンスである。私と交わり子を残すこともできる。単にコミュニケーションが正常にとれないから新人類などともてはやされただけで、科学的に新種と決められたわけではなかった。

この先、人類が生き残っていけばきっと新種の人類が生まれるだろう。100万年後には人類はすっかり滅んでいるか、いまの人類にけっこう似ている新人類に置き換わっているはずだ。運が良ければ3種類ぐらいに増えているかもしれない。そこで困るのは、もしホンモノの生物学的新人類が生まれるとすれば、それはどんなやつがどのように生まれてくるのかということだ。

ヒトの進化というのはおおむね左の図のように説明される。下から上に時間がたつにつれて、猿グループからヒトグループが分かれ、ヒトグループには何種類かの原始人が生まれ、その一つが現代人でいまだに生き残っている。オランウータンとヒトは何百万年か前には同種であったと言われるし、原始人には北京原人とかネアンデルタール人とかいろいろいたらしい。それが人類との競争に負けて滅んだとかなんとかで絶滅し、ホモサピエンスは一種になっている。こういう説明はもっともらしく、かつ間違ってはいないのだろう。しかし、実際のところ何がどうなったのかというのをアリアリと想像しようとしても無理だったりする。

種が起源するといっても、種という生き物がいるわけではないのだから、生まれるのは個体だ。それが新種だというのなら、親とは違う子が生まれることになる。トンビがタカを生むようなものだ。この図では、ある猿が原始人を生み、ある原始人が現代人を生むことになる。もちろん、毛むくじゃらで猫背の棍棒を持った原始人の母親からいきなり木村カエラのようなつるつるが生まれることは想定していない。毛むくじゃらの母親から生まれるのはやっぱり毛むくじゃらの子だと思う。ただし、それはどれほど親に似ていようと新種でなければならない。それは単に定義上「新種」だという理由からだ。ぎゃくに、木村カエラのようなつるつるが突然生まれて来て、それが同種の原始人ということはあり得ると思う。そのつるつるの子が普通に原始人たちと交わり普通に繁殖できるならば、どんなに変わり者であろうとそれは原始人だ。もし、原始人のなかから現代人ができたなら、それは原始人とは正常な交雑ができないものでなけれなばならない。そこがゆいいつ新・旧を分ける目安のはずだ。

種の起源は定義の上からはこうなってしまうのだが、私が知らない決定的な何かがあるのだろうか。いきなり母が別種の子を産まなくても新種は誕生できるのだろうか。ここんとこでひっかかっている。


2010.6.4(金)晴れ 進化に必要な条件なんてあるのか

原始人から現代人に進化した原因として、宇宙人のモノリス、神の御技、強力なウイルス・・・等々の説明がある。いずれも否定しきることはできないと思われるが、仮説として採用することは難しい。それら荒技に共通しているのは一気に成ったということだろう。まるで種から種が生まれるかのような説明は無理があると言わざるをえない。

広く支持されている原因(状況証拠)として、種が互いに交流のない複数の群れに分裂して進化(種分化)が起きるというものがある。これはダーウィンも気づいていたことだ。われらの日本列島にも固有種が多い。日本は新生代に大陸と地続きだったり島になったりしていた。それゆえ大陸と祖先を同じくする動植物が隔離されて独自の進化をとげているというものだ。沖縄では島ごとに違うハブがいたりいなかったりするらしい。さらに小笠原諸島には本土にすらいない希少な動植物が多いという。

では、地理的な隔離は進化(種分化)の条件といってよいのだろうか。地理的な環境が変われば生態系も変わり、それに対応して種も変わる。そのことは想像に易いが、その種がいつの時点で変わったのかということを知るのは簡単ではない。まず、離れ小島に隔離された時点の個体群は数こそ少ないものの体や生態は大陸のものと同じだとする。その時点から大陸のものと同じペースで世代交代を繰り返し、100万世代後には姿形も食べ物もすっかり変わった。遺伝子を調べれば200万年前は同種であることがわかるが、大陸と島のものは遺伝的に交配不能になっており種分化したと結論される。素人の創作ではあるが、ありがちな話だと思う。

さて、私が困るのは島に渡ってきた時点のやつと、100万世代後に別種とされたものがいつの時点で別種になったかだ。1万世代目だろうか132065世代目だろうか。島の個体群が別種の血を受け入れ交雑したのでないとすれば、彼らは自ら進化したことになる。島の環境に合わせて淘汰と適応があり化石を比較してもわかるぐらい体も変わるだろう。ただし、それは島に限ったことではないはずだ。島の群れに起きることなら、大陸の個体群にも起きるだろう。であれば地理的な隔離は進化(種分化)には必要でも十分でもない条件ということになる。種は多かれ少なかれ時間的な隔離で変わるのだ。孤島の固有種は希少で歴史も調べやすいために、進化したことが運よく目立っているだけとしか見えない。


2010.6.5(土)晴れ 半原越19分46秒

半原1号の仕様をちょっと変えてみた。フロントフォークをチタンにしてハンドルバーをブルホーンにした。カーボンからチタンにしたのはバーの位置を下げるためだ。ブルホーンではカーボンのフォークでは高すぎる。ならばフォークコラムをカットすればよいはずだけど、コラムの構造上いろいろめんどうなことが付随して起きそうで躊躇しているのだ。

ブルホーンバーの最大のウリは座り立ちこぎが全力でできることだ。その他のポジションは必ずしもフィットするとは言えないけれど、座り立ちこぎのときにバーをぐっと握って上半身の力を最大限に発揮できる。半原越のタイムアップにはまず座り立ちこぎだ。というわけで、今日の半原越は座り立ちこぎの日になった。

ギアは26×16Tを選択する。39×24Tあるいは36×22Tあるいは34×21Tに匹敵する。私にはちょっと重い。くるくる回しで行けるのは区間3まで。しかもその3割程度だろうか。区間4に入るとこのギアでは全編くるくる回しはできない。ゆるいところは田代さやか、きついところは今日のねらいの座り立ちこぎ。田代さやかの引き脚はイマイチ感がある。それは半原1号のせいというよりも技術の未熟さゆえ。あれは難しいのだ。座り立ちこぎはばっちりだ。試験は合格。サドルの角度とハンドルバーの角度を変えてベストポジションも得られそうだ。70rpmで19分46秒というタイムもなかなかよい。区間4で60回ほど回っていることはデータを見てから驚いた。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'17"4'17"16.5-81
区間29'06"4'49"14.7-72
区間313'54"4'48"14.8-72
区間419'46"5'52"12.1-59
全 体 19'46"14.3-70(1384)

いつもの棚田ではオタマジャクシがごっちゃりと泳いでいた。彼らは勝ち組だ。あと3週間ほどもすると中干しが入りオタマジャクシは干上がってしまう。ここでは最初に産まれたものしか生き残れないのだ。振り返るとカラムシが大きく成長しラミーカミキリの姿があった。半原越はウツギやエゴなど白い花の盛り。夏っぽいぞ。


2010.6.6(日)晴れ はじめてのヤビツ(表のほう)

神奈川の自転車乗りとしていっぺんぐらいはヤビツ峠にも登らなければならないだろう。今年は登坂20kmの乗鞍に参戦することでもあり、表ヤビツのタイムを持っていないのはやはりまずいのではないかと思い始めた。ヤビツ峠はプロアマ含めて健脚自慢がタイムを競う坂だ。プロだと20分台の後半。アマの健脚自慢は30分から35分というところだろう。むろん私には縁のない時計だ。半原越の記録から概算して50分から1時間ぐらいだろうなと予想していた。ま、とりあえずやってみようかと、ドラゴンボールとワンピースを見てから出かけることにした。

ヤビツを嫌っていた理由にアプローチのめんどくささがある。私は246が嫌いなのだ。俗に言う裏ヤビツは何度か行ったことがあり、表も浅間山林道からは入ったことがある。今日も246をさけて普段半原越に行くのに使っているルートで東京工芸大学の脇を走る県道63号線を使ってみた。そいつがトリッキーで道がよくわからない。行き当たりばったりの宅地開発が災いしているのだ。舗装が悪い。短くきついアップダウンが連続する。自動車が多い。さんざん迷ったあげく東名と246が交差する地点にたどり着いたときにはかなり参っていた。途中でひきかえそうかと思ったぐらいだ。

ヤビツ自体のタイムアタックは246からなので、最後は嫌でも246に出なければならない。ところが、しかたなしに走る246の善波峠が妙に気持ちよい。4%ぐらいなのだろうか一定した斜度で舗装がよい。最初から246にしとけばよかったと後悔した。善波峠を下るといよいよ名古木のスタート地点。キャットアイのスタートボタンを押して出発だ。今日は参考タイムを計る日だから、半原越を22分で登るぐらいの強度で走ることに決めている。

ヤビツ峠

区間1は名古木の交差点からコンビニのデイリーヤマザキまで。区間2は蓑毛のバス停先の橋まで。区間3は菜の花台まで。区間4はゴールの看板まで。

アプローチの疲労もなんのその、途中までは快調だ。なんだかんだといって登り坂はうれしい。うわさ通り自転車が多い。半原越とちがって若者がいる。さすがヤビツと感動する。そういう若者たちもおじいさんもすいすい追い越して快調だったのは菜の花台まで。区間4は笑っちゃうぐらい脚が動かなかった。呼吸が楽なのに脚が動かない。力のかかりもおかしい。知らぬまに座り立ちこぎを多用して筋肉がまいっているみたい。いつも仲良しの田代さやかちゃんはどこに行ったのですか? 平坦にしかみえないラスト3km。20km/hは出ないとおかしいはず・・・。いつも4.72kmで勝負している身に12kmのコースは長い。ヤビツなんて嫌いだぁ。

ほうほうのていでゴールして看板前に自転車を立てて写真を撮る。これはヤビツ峠のお約束らしい。3分後にやってきたお嬢さんもやってたぞ。これでヤビツ族の仲間入り決定。さっそくメル友に写メ。ただし圏外。

ラップタイム距離km/hrpm
区間15'09"5'09"1.5818.473
区間215'57"10'48"2.8215.774
区間332'55"16'58"4.0814.475
区間447'19"14'24"3.3113.871
全 体 47'19"11.8215.073(3454)

タイムは思いの外よくて47分台。50分を切っていた。ただ、区間タイムを見て?な気分になった。たしか表ヤビツは区間2が一番きついはずだ。そんなところで15.7km/hを出して区間4よりも平均速度が高いのはいかがなものか。無理に前半飛ばしたつもりはなかった。半原越のつもりで「これぐらいなら行けるはず」と押さえたつもりが、それでもオーバーペースだったらしい。長い登りの走り方がぜんぜんできていないことが区間タイムからも明らかになった。乗鞍の前にやっておいてよかった。

帰りは全線246を使う。追い風に自動車の列のスリップストリームもきいて35km/h以上で突っ走る。半原1号はフロントのアウターが36Tだからそれがほとんど精一杯の速度。246はコーナーもアップダウンもなくてスピードが出るのはいいのだが、調子に乗って交通量の多い道をびゅんびゅん走る自分が嫌だ。自転車を移動手段として割り切ればそれでもいいのだけど。


2010.6.7(月)晴れ ヤビツの斜度を計算してみた

そういえば、ヤビツ峠を登っていたときに菜の花台のあたりでハルゼミを聞いた。四国にいたときにはわりと普通種だったという記憶があるが東京、神奈川ではあまり聞かない。菜の花台は標高550m。ただし、あれは山地の蝉というわけではないはずだ。このあたりでは局所的に発生するのだろうか。

ヤビツ峠のラップタイムを見返してみて、やはり腑に落ちないところがあったため標高の記載がある地図を見て斜度を計算してみた。名古木が105m、デイリーヤマザキが165m、蓑毛のバス停が210m、菜の花台が550m、ヤビツ峠が761m。ということで、区間1が3.8%、区間2が5.1%、区間3が5.9%、区間4が6.4%。上の方が斜度があることになる。これは実感とずいぶんずれがある。蓑毛のバス停から降りるときはジェットコースターのようであり、同じ坂が登りのときは壁のようだ。

どうやらヤビツは下の方がけっこう波打っているらしい。たしかに区間2の終わりは激坂だが、そこまでには下りもある。蓑毛から菜の花台には短い10%超がある。下りや平坦から上りを見ると数値以上に急に見えるものだ。菜の花台から上はそれほど波打っていないから見かけ上は緩くなるのだろう。そういうアンジュレーションをしっかり頭にたたき込んで、冷静に出力するのがタイムアップの秘訣だ。


2010.6.11(金)くもり 現代人は宇宙人と原始人の混血ではないと思う

外国のテレビ局がヒトの誕生の謎について、宇宙人と原始人の混血説があると紹介していた。半分冗談の番組だと思うが、たまたま人類の起源のことを考えているから、それなりに注意をはらって見た。どうやら宇宙人混血説はよっぽどのことがないとこれほど賢いつんつるてんの猿が生じるわけがないという素朴な疑問が発想の元で、根拠を猿と原始人の中間型の化石が見つかっていないということに求めているらしい

中間型の化石が見つからないということはダーウィンの昔から反進化論者から指摘されている。ダーウィン自身もそのことにちゃんと反論している。おそらく今はその指摘に科学的な回答が用意されているのだと思う。私はその点はよく知らないのだが、人間の化石が少ないことは想像できる。そもそも原始時代はヒトの数が少なかっただろうと思う。現代の日本ですら少子化対策が必要なように、ヒトは根本的に繁殖力が旺盛な動物ではない。また、中型の動物なので死体は大型のイヌネコ類によってかじらればらばらにされることが多かっただろう。大群を作る習性もなく、かたまって死んで埋もれるような間抜けなこともまれだろう。

そもそもヒトと猿の中間型の化石ってのがよくわからなかったりする。素人目にはチンパンジーですらヒトと猿との中間の骨格をしているように見える。証拠はともかくとして、人類が100万年前に地球上に登場したのは確かであろうし、黎明期は猿みたいな動物だったと思う。

ダーウィン流の進化論からすると、人類も宇宙人との混血とか遺伝子工学とかでいっぺんに生まれるのではなくじょじょに進化したのだということになる。もちろん私もその考え方を支持する。ただその漸進的な進化というやつはどうにも歯切れが悪い。キリンの首が長い理由なんてのはまだ許せるとして、新種の誕生についてはなかなか納得できない。とりわけ人類の誕生はイメージが難しい。


2010.6.12(土)晴れ 半原越20分32秒

最近は正直言ってコカコーラをもてあまし気味であった。清川村のコンビニでは増量しているのに安いという私の琴線に触れる100円缶コーラがある。今年の冬からそれを買って棚田脇で飲んでいる。缶だから一度あけたらやっつけてしまわなければならない。残ったのを背中のポケットに入れて、というわけにはいかないのだ。半分ぐらいになると仕方なし感が漂う。飲み過ぎは先の勝負にマイナスになるのではという不安感もある。かといって、陳列棚の近くにある値段が高くおしゃれな缶を買うのはしゃくだ。だったら捨てればよいようなものだけど、量が多くて得だからと100円缶を買うぐらいの貧乏性がコーラを捨てられるわけがない。

その増量100円缶コーラが今日はすんなり腹に入っていった。体から水分がけっこう抜けているということだろう。気温は30℃ぐらい。1時間あまり走って汗はかいていないものの体は乾いているのだ。こういうところにも夏を感じる。田にはおびただしい数のオタマジャクシがわいて、水の上をギンヤンマが飛んでいる。あのきれいな水色のヤンマは少年時代のあこがれだった。

今日も半原1号だ。4.72kmで燃え尽きる走り方ではなくて、あくまで20kmの4分の1を走るつもりでやってみようと思っている。じつは昨夜までは26×23Tでぶん回してやろうと決心していた。それは死ぬほどつらいやりかただから先送りして逃げた。ちょっと手抜き気味の力加減で、75rpmでいける最適ギアを選んで走る。区間3まではそれでよかったが、区間4になるとけっこう全力だった。疲労がたまって出力できなくなったところに10%超だから手抜きでは前に進まないのだ。20kmをきっかり走るならばもっと手抜きでないとだめなのだろうか。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'27"4'27"15.9-74
区間29'31"5'04"14.0-75
区間314'24"4'53"14.5-75
区間420'32"6'08"11.5-70
全 体 20'32"13.8-73(1499)

帰宅して庭の目障りな雑草を抜いて、秋田の農家からもらった稲をスイレン鉢に植える。トマトの苗ももらったのだが、さあどこに植えよう。全体的に日当たりが悪くじめじめした庭だ。トマトにはちょっと向かない。ひとまず山梨県から運んできた土から芽生えたヌルデを2本抜き捨てた。そこに植えるにはシャガも3株ほど抜かねばならない。

庭をいじって半原2号に乗り換えて境川へ。南からよい風が吹いている。50×21Tに入れて100rpmにするとちょうど30km/hになる。向かい風の中、30km/hから落とさないように走っているといつの間にか185bpmなんていう数値になっていた。それほどムキになっていなかったのだが。


2010.6.13(日)くもり 2回目のヤビツ

さてもういっぺんということでヤビツ峠に行ってきた。今回は割り切ってずっと246を使うことにした。246ぐらいになると半端な道路よりはずっと走りやすい。右折車、左折車がない。歩行者自転車がいない。まちがっても交差点から何かが飛び出してくる心配がない。まさか脇見をしているドライバーもいないだろう。というわけで、時速35kmぐらいですいすい走る。ずっと横風区間、相模川を越えると向かい風。

表ヤビツも2回目だからコースの感じはおおむねつかんでいる。名古木から蓑毛の坂の下まで続くアップダウンも登りの距離をしっているからダッシュで行ける。ヤビツTTの記述を読んでいるとよくチェーンを落としたというのが出てくる。最初はイミフだったが、この下り区間でフロントアウターを使っているのだろう。インナー36Tもあれば40km/h付近までは出せるから、フロントのチェンジはしないほうがいいだろう。

ただし、半原1号はアウターが36T、インナーが26T。区間2の登りはインナーに落として、バス停前の12%でためらわず26×23Tを使う。半原1号はまずチェーンが落ちないような仕様にしている。あそこの坂は軽いギアを使って80rpmぐらいで越えた方がのちのち有利なように思う。半原越の丸太小屋(なくなったらしい)の坂で得た教訓だ。

今日は20km用のヤビツではなく、10kmを力を出して走りきるつもりだ。そうだとしても、蓑毛から菜の花台までが精神的につらい。22分ぐらいすると「あれ、もうゴールじゃないんですか?」という心の声が聞こえる。はっと気がつくとチャレンジする気が失せて漫然と走っている。

菜の花台からは正気を取り戻す。前回走ってラストの2kmほどがかなり緩いことがわかったから、2倍ぐらいのギアをつかってぐんぐん踏むことにした。10kmで終わりでよいのならそのほうがタイムは断然よくなるからだ。

ラップタイム距離km/hrpm
区間14'32"4'32"1.5520.580
区間215'05"10'33"2.8616.377
区間331'17"16'12"4.0815.173
区間444'06"12'49"3.2815.473
全 体 44'06"11.8316.175(3308)

時計を見ながら走ったわけではないけれど、今日は45分を切った。デイリーヤマザキからは40分を切った。コースを知った上での持ちタイムだ。下りは裏ヤビツを使う。路面は相変わらずがたがただけどこっちのほうが好きだなと思う。10台ぐらいの自転車とすれちがった。


2010.6.16(水)雨のち晴れ 新しい樹形図

10万年も前の地層から現代人とも類人猿とも異なる化石が出てくると、それは猿人とか原人とか、人類の祖先であろうということになる。世界の各地から同様の特徴を持った化石がいくつか発見されれば、それはもう大繁栄した祖先だとみなして間違いない。その場合、化石人は絶滅種である。化石人は日本のトキやカワウソのように独立した種であってもう二度と地球上には現れない生物ということになる。樹形図で示す場合、人類の幹から伸びて中空で終わる枝の1本だ。(※3日の図を参照)

私はその表現には問題があると感じている。進化の本筋を見誤っているかもしれないからだ。その樹形図がトキのことを表すのであればかまわないと思う。トキ(ニッポニア・ニッポン)はトキグループの中から刺のようにちょんと伸びた小枝だったと思う。日本海ができたことによって日本でオリジナルに進化したトキの一種だ。日本のトキは中国のトキとも交配が可能とされていたほど若い種であった。若いと言っても数万歳。互いに交配する可能性が小さいまま10万年を経た群は別種とみてよいだろうと思う。親類と交配の可能性がないのなら樹形図上で異なる枝として表現してもかまわない。

樹型図2

その一方で、亜種群がオリジナルな種群と交わりながら進化(種分化)することを無視するわけには行かないと思う。おそらく種は生き続けるかぎり変わっていくはずのものだからだ。地理的な隔離が起きなくても種分化は起きる。きっと日本のトキはその直接祖先である日本の古トキとも別種になっていただろう。こうしたことを考慮するならば、人類の進化の枝は左の図のように塗り分けるほうがイメージしやすい。

黒いのは類人猿に進化していく枝。人間に進化していく枝は上に伸びる形にしている。図は上に行くほど時代的に新しく枝の幅は個体数を表す。ヒトは猿人、原人、現代人として3色で書き分けた。現代人と猿人の中間が原人にあたる。すなわち、ヒトは猿人→原人→現代人と進化してきたことにしている。それが定説かどうかは知らない。それぞれの境界は斜めになっている。斜めにした理由は、ある世代を切ってみれば、原人の中に何パーセントか現代人が混じっていたことがあった、というような状況を表したかったからだ。たとえば線分ABは「10万年前には地球上に現代人と原人が半々だった」というようなことを示している。なお、このことがもっとも重要なのだが、種と種を区切る斜めのラインはあくまでデジタルの実線のつもりだ。


2010.6.17(木)晴れ 新種の定義

デジタルな実線というのは交配できないという意味だ。ここでは別種の定義を交配できないということにしている。つまり、原人と現代人は交配ができないという1点で別種になる。交配不可能性をもっと厳密に定義すると、受精できず発生できないということになる。現象として原人と現代人の間では性交しても子どもが生まれない。それのみをもって別種だということにする。そうでなければホンモノの新種とはいえないはずだ。私が問題にしているのはこの意味での新種はどうやって誕生するのかということ。それは本当に可能なのか? どうやれば突然変異で新種の子が誕生できるのだろうか。ただし、この命題は根本的に偽問題のおそれがある。

すでにお気づきのように、私が採用している種の定義は理にかなっているように見えても科学的な実用性はない。化石人Aと化石人Bが交配可能であったかどうかなど調べる方法はない。それは化石人に限らない。現代人としていま生きている世代のヒトと平安時代のヒトの交配可能性を特定することはできない。日本人とイギリス人が完全に交配可能かどうか特定することもできない。もっと極端には私の職場で隣にいるお嬢さんが私の子を宿せるかどうかすらもわからない。もしかしたら私は旧人類で彼女は新人類かもしれないから。

実用的な科学では厳密な交配可能性までは考慮しない。化石を比べて形態が違えば別種にするしかない。ふつう化石では骨の形しかわからないが、とりあえず原始人だとオランウータンと人間の中間ぐらいの体にして毛むくじゃらにして棍棒を持たせれば、それっぽい。そういう毛むくじゃらのお嬢さんが私の子を宿せるかどうかは神のみぞ知る。

今生きている動植物でも事実上交配しないのなら別種として扱うことがある。日本のトキと中国のトキは別種のはずだった。タイワンザルとニホンザルはよく似ているけれども数十万年の隔離があり形態、生態での差異も大きいから別種として扱われる。ところが両者は容易に交配可能で、現状ではタイワンザルとニホンザルの混血が生まれ、日本の山野でやんちゃをするものだからタイワンザルが駆除の対象になっているという。

人間の都合によって潜在的な交配可能性が顕現することもあるけれど、それは無視して10万年も別居しておれば事実上の別種として実用上は問題ないだろう。その間に両者には乗り越えがたい障壁が生じるはずだ。高等動物であれば「あいつには色気を感じない」という心理的な障壁がわりあい簡単にできるだろう。鳥ではあの男は歌や踊りのセンスが悪いとか、昆虫だとあれはババ臭いだとか、些細なことで交配ができなくなる。また、形態上の差異から交配ができなくなることもあるだろう。チワワとセントバーナードは同種だが、自然交配は不可能だろう。彼らはたかだか数百世代、時間にして1000年ほどの品種改良によって作られた犬だ。野生動物も離れ離れに100万年もすれば形態上から交配できなくなる。昆虫類では外見では区別がつかず交尾器の形態が同定の決め手になる場合が少なくない。交尾器の変化が種分化を生むことは容易に想像できる。


2010.6.18(金)雨 進化論の最難題

実用的な進化に目を向けるのもよいけど、もっとも大きな問題を先送りすることになってしまう。事実上の交配不能と遺伝的な交配不能では決定的な差があるからだ。くどいようだけど進化を重ねるうちに、いつかは遺伝的な交配不能の子が生まれるのだ。そしてその子が生き残り新しい種として分化する。大進化ではこのことは絶対に起きなければならない。また説明のごまかしもきかない。無限の時間と無数の試行錯誤に自然選択が働けば翼も眼球もできるだろう、という類のなんとなく理解できたような気にさせてくれる話では収まりがつかない。

いまの進化論では進化の大元は突然変異であり、変異した形質が自然選択によって種の中に広まっていくということらしい。私もその説を支持したい。宇宙人やウイルスによってある世代からいきなり新人類ばかりが生まれてきたというような考え方はロマンチックではない。ダーウィン流の進化論がトートロジーというだけでなく実情を正しく説明するというならば、その文脈で遺伝的な分化の起源も語る必要がある。

一般に突然変異は脈絡を欠き珍しいものだ。それはあるときある子どもに突然起きる。形に現れている形質かもしれないし、形になっていない性質の場合もあるだろう。原始人から現代人に進化するときに、毛が生えなくなってつんつるてんになっていったはずだ。1234・・・・という1からはじまって一つずつ増えて無限に大きくなる「自然数」というアイデアを使いこなすような進化も起きたろう。それらは形に現れる形質だ。現代人を象徴するでかい頭、裸の体、直立歩行などについては、たぶんよいものだったが、もしかしたらわるいものもたくさんあるだろう。

進化論の文脈で悪い突然変異といえば、交配不能性は第1級だと思う。どれほど力が強く、どれほど頭がよくても子を残せないものは負け組である。ある日ある所に突然生まれた時速200kmで飛行できるスーパーマンでも彼に子どもができなければ進化の敗者だ。種の誕生を過去の種と交わらない新種という点におけば必ずこのジレンマがついてくる。

新種になる突然変異とは、旧種とのあいだに子ができず、新種間だけで子ができる変異を指す。突然変異は(おそらく)脈絡なくある個体に起きる。原始人の10000人に1人の割合で新人類が生まれるとして、彼に子が残ることはほとんどあり得ないことになる。新人類は最適者どころか最不適者なのだから絶滅への道を一直線にたどるはずだ。原始人と現代人が交配不能の別種と主張するならば、そこに横たわる難題を解いて示す必要がある。ヒトに限らずこのことが進化の最難題だと思っているのだが、どうなんだろうか。


2010.6.19(土)晴れ 半原越から道志みちへ

いつもの棚田は中干しが入っていた。主水路から水をひくパイプが上げられて田に続く導水路はカラカラに乾いている。田には水がたまっているけれどそれは昨日までの雨水で、田の土にはひび割れが入っている。最初のオタマジャクシが上陸するにもちょっと早いからほぼ全滅したのだろう。見物するには値しない田になった。

今日の半原越は立ちこぎ縛りに決めていた。半原1号のギアを36×16T、2倍よりも重くセットしてスタート。立ちこぎといっても守備的なものだからケイデンスは低い。感覚的には階段を一歩ずつ登る感じだ。2.25倍のこのギアでは、もっとも緩いところではペダルがスコンと落ちるが、それは数十メートルに過ぎない。もっともフィットするのは4%ぐらいの緩いところだ。17〜18km/h出ている。区間2ののっけの坂や区間4では重すぎる。じゃっかん腕で引く必要もある。総回転数は980回だから、2000段ぐらいの階段をゆっくり登ったようなものだ。

「そういやしばらく立ちこぎってしてないね」というのがこの暴挙の動機だが、やってみて立ちこぎは体重と斜度とギア比のハーモニーだということを再認識した。立ちこぎのしんどさは緩いところも急なところもあまり変わらない。脚が落ちるスピードが変わるだけだ。だから、休みたいけど速度も落としたくないとき、塩梅良いギアを選択して使うのがいい。心臓も脚も売り切れたときのとっときにもなる。また、自転車初心者でも登りである程度のタイムは出せるので、体力自慢だけど乗りこなせていない人はやってみるのがよいだろう。ただし立ちこぎで出せる速度には物理学的な限界があるから、上達したい人は回す技術をマスターしなければならない。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'48"4'48"14.8-52
区間210'09"5'21"13.2-47
区間315'28"5'19"13.3-47
区間422'16"6'48"10.4-37
全 体 22'16"12.7-44(980)

実は先週、神奈川の自転車乗りに名高い「道志みち」にいってみようとして失敗した。ヤビツ峠から行こうとしたのだが、道を間違えてひどい目にあった。その心の傷もすっかり癒えて、半原越を下っているときに再挑戦しようという気になった。ちょっとくたびれているから土山峠は休憩登りだ。26×23Tに入れて60rpmぐらいだと平地を時速20kmで走っている感じで峠を越えられる。ちょっと嫌いな宮ヶ瀬ダムの周辺の道を通って、今日は間違いなく県道64号線をつかって鳥屋から青野原へ。非常に気持ちの良い道だった。道志みちも悪くない。ただ帰りは下り基調でスピードが出すぎるのが難点か。今日は半分のところで引き返したがいつか山中湖までいってみよう。

途中、アオゲラの雛をみつけた。巣立ち直後らしいが何らかのトラブルに見舞われたらしく、道路脇でばたばたしていた。放っておくと日が暮れる前にタイヤの下敷きになってぺしゃんこになるだけだろうから拾い上げて谷側の栗林に投げた。石のように落ちるとおもいきや、けっこう力強くはばたいて栗の木に止まった。道路で死ぬのは犬死にで二次災害も心配だが、畑で死ねば何かの餌になる。キツツキが落ちているとはさすが道志、山の向こう側ならムクドリあたりだなと妙なところで感心した。


2010.6.20(日)くもり ドクダミとアリ

ドクダミとアリ

朝目を覚まして笑ってしまうぐらい疲れていることに気づく。眠りについた昨日の夜の疲労をそのまま引きずっている。昨日はちょっと走りすぎちまったかという反省もありつつ半原1号で半原越に向かう。エリアリンクすすがや店の裏山でニイニイゼミを聞く。ちょっと早い気がする。あいつは梅雨の最盛期の蝉だと思っていた。棚田は今日は遠目に観察。例のやつはまた水が引き込まれた。2週間もすればまた賑やかになるだろう。ここも遠目に見れば、田は20枚ほど。かつては全域が田だったようだが、いまは半分になっていることがわかる。残りの半分は畑、半分は荒れ地だ。

多少は疲れが残っていても走っているうちになんとかなることもある。今日はそううまくはいかなかった。50%回復というところだろうか。朝見たドラゴンボールでいえば仙豆を半分食ったぐらいだ。半原越は普通に。おもに36×21T、36×23Tを使う。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'20"4'20"16.3-70
区間29'29"5'09"13.7-66
区間314'32"5'03"14.0-67
区間420'33"6'01"11.8-58
全 体 20'33"13.8-65(1336)

半原越から帰って性懲りもなく境川へ。多少しんどくても1日に100kmは走っておいた方がよいように思う。この疲れが8月にみのりをもたらすのだと信じておこう。

道路にはけっこう雀の死骸が多い。みな巣立ったばかりの雛である。十中八九交通事故だ。満足に飛べない状態で餌を探したり親を追っていて迫る危険を避けられなかったのだろう。

帰宅して庭のドクダミを見る。花にはアリが多い。数種類が来ている。おそらく蜜が目当てだ。ドクダミの受粉にはアリが一役買っているようだ。自慢のスーパーマクロで撮ったのが今日の写真。花穂の中にアブラムシも見える。虫世界は細かいところにある。


2010.6.21(月)くもりのち晴れ 世田谷のクマバチ

夕焼け

写真は今日午後7時の夕焼け空。日が落ちて勢いを失ない千々に乱れた層積雲が赤く染まってきれいだ。梅雨の晴れ間の夕焼けは格別に赤いような気がする。

まだ梅雨に入る前の6月初旬のことだ。世田谷のビルの10階で仕事をする機会を得た。窓の外をみると黒い大きな虫が飛んでいる。その正体はすぐに判明した。クマバチである。周囲をうかがいながら上下左右にゆっくり動いている。ときおり何かを発見し加速装置のスイッチをいれてビュッと飛んでいく。ヒヨドリにまで反応して追う仕草を見せる。どうやら窓の外20mの空間がやつの縄張りらしい。

夏のはじめ、丘の上空でクマバチが縄張りを張る姿をよく見かける。少年時代によく登っていた松尾の西の丘もクマバチの名所だった。青空を背景にホバリングしているその勇壮な姿は心に残っている。クマバチは東京周辺の住宅地では決して珍しいハチではない。私の庭にもよく来る。藤棚でもあればきっとその姿が見つかるはずだ。ただし、縄張りを張る姿はふだんは目にしたことがなかった。

仕事で入ったその建物は世田谷区の住宅地のなかにありひときわ高くそびえている。クマバチが縄張りを張っているところは地面からの高さが40mほどあり、下は芝生と駐車場になっている。風はどうかとその飛び方から想像すれば、建物を巻き込むようにやや強い上昇気流が発生しているようだ。ひらけて上昇気流がある場所という条件がマッチしているのかもしれない。

動物が縄張りを持つのはメスを待っていると相場は決まっている。メスが徘徊する時間帯と場所で待機して彼女をゲットしようと目論むのだ。当然、同じ目論見のオスもいるわけだから、喧嘩も起きる。この場所は少なくとも2頭のオスが競合しているようだ。数分おきに衝突して追いつ追われつしている。そのやり方を見ていると、下に回り込んで上空に追い払うのが基本のようだ。それが正しいのなら、メスが来たときには下に追って地表か樹上に降りて交尾するのかもしれない。

仕事をしながらときおり窓の外を観察していたが、午後にはハチの姿は見られなくなった。午前10時頃には終息するようである。いまの私はクマバチの生活にあわせて何時間も何日も観察することはできない。せいぜい10分ほど眺めるのが精一杯だ。


2010.6.24(木)晴れ 相撲と偏差値

私がリアルに知っている人に相撲取りはいない。アマチュアで成績を残した人もいない。それどころか、相撲が強そうな人すらいなかった。それもそのはず、テレビに出てくるような相撲取りは傑出した人物であってそんじょそこらにいるものではないのだ。全く相撲に興味がなく、なかば嫌悪している私が知っているほどの相撲取りであれば100万人に1人ぐらいの逸材であろう。

おそらく相撲の強さは正規分布をとる。年齢、性差を補正して国民すべて(多少のモンゴル人なども含む)が相撲取りだとするならば、私は国民の中間からかなり下あたり、偏差値でいえば40ぐらいになるだろうか。おおむね40から60ぐらいに大半の国民が入る。私が子どもの頃に部落対抗相撲で無敵の横綱だった「さまくん」という郵便配達の青年は偏差値60あたりだと思う。

ところで、正規分布のグラフというのは面白いもので、裾野が富士山のように伸びている。とりわけ上位の方はどんだけ〜と心配するぐらい伸びる。グラフは数学的な計算を視覚化したものだが、現実にも当てはまる。1億人のうち、幕内になれるのは100人、三役以上になれるのは10人。大横綱になれるのは0.5人である。問題はX軸と区別できないぐらい少数派の大横綱だ。私から見れば幕内でも怪物なのに、大横綱というのは幕内たちですら化け物と認め、がちでは絶対に勝てないと内心であきらめているぐらい力の差がある。しかも上位の相撲取りのレベルは等間隔で並ぶのではなく、大横綱は断絶的に強いのだ。上位の相撲取りの強さは完全に生まれつきといってかまわない。大横綱はいわゆる天才である。

相撲にかぎらず、スポーツや勝負事、文芸、学問の世界にはかならず天才がいる。100年に一度の天才がなぜか100年おきに生まれて来る。それはもちろん偶然ではない。正規分布の曲線が天才を予想している。天才の誕生自体はサイコロを振るようなもので、たまたま1ダースのサイコロが全部ピンになったのが、大鵬でありイチローであり羽生なのだ。ちなみにこのたとえでは、1個だけがピンではない今一歩の逸材は天才の6倍いる。相撲でいえば大乃国クラスだろうか。

天才が出ないタイプの勝負事は面白みがなく文化にはならない。相撲は単純な勝負であるがちゃんと天才の活躍の場がある。大関レベルの才能のものが天才レベルにしょっちゅう勝てるようなルールだったり、天才レベルのものが運悪く負け続けるタイプの勝負であれば文化として発展できない。まるで社会は手間ひまかけて天才が活躍できる土壌を作り天才を待っているようにすらみえる。

天才が活躍する構図はスポーツや音楽、文学などの目立つ分野だけでなく、社会全般にあてはまることだ。生活のなかのちょっとした知恵や道具であっても、もとは天才的な発明が複製され改善され伝搬したものである。天才ではない人間も天才のやることなすことに共感ができる。それもなかなかの能力であり、ヒトという種の強みがここにある。


2010.6.26(土)くもりときどき雨 半原越20分20秒

棚田

荻野川縁を走りながら、ふと「本当の種の起源はやっぱりダーウィン流の考え方では解決がつかないなあ」と思い直した。新種が突然変異でふいに現れるものならば、それは進化の上での最弱者であり何事も起こらなかったかのように淘汰されてしまう。そいつには配偶者がいないのだから。なにかランダムではない恣意的なメカニズムが遺伝には隠されているはずだ。ちょっと困り顔のダーウィン信者(私も含まれる)をあざ笑うかのように、この世界は数百万とも数千万ともいわれる種がいる。タイヤで踏みそうになったミミズも道ばたのカラムシも、なにやら未知のメカニズムによって現れてきたはずだ。

さて今日も半原1号で半原越。雨はぽつぽつと落ちているけれど本降りにはなりそうもない。雨の用意は全くせずケータイも背中のポケットに入れてきた。いつもの棚田で一枚撮影。被写体としてけっしてよい風景とは思えないが愛着がある。この写真を撮った場所の近くに自動販売機があり、仮面サイダーを売っている。最近いろいろな所で目にするようになった。それなりに人気があるのだろう。

半原越は26×17Tで行ってみることにした。帯に短したすきに長しというギアで、本当はかちゃかちゃ変速した方がいいのだろうけど、めんどうだから固定にした。半原越は梅雨時がきれいだ。ただ路面にミミズが出てくるのがうっとおしい。乾いたアスファルトはやつらにとってはサハラ砂漠も同じで横断なんて命がけの冒険だ。手遅れだろうが、半分乾きそうなシーボルトミミズを拾って谷に投げてやった。ミミズはカエルやヘビの餌になるのだから命を粗末にしてほしくない。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'25"4'25"16.0-83
区間29'19"4'54"14.4-75
区間314'15"4'56"14.4-74
区間420'20"6'05"11.6-60
全 体 20'20"13.9-72(1464)

達人は体重を使わなくても大きな力が出せる。体重をかけて無理やり登るのと同じパワーをシッティングで出せるから大きいギアを使うことができる。したがって、シッティングとスタンディングでギア比やケイデンスを変える必要がない。スタンディングをうまくやるこつは結局シッティングでの出力を上げることだと悟った。ヒルクライム計算というサイトによると、半原越での私の出力は200wそこそこだ。それはプロの半分ぐらいであり、最適な走り方をするならば、スタンディングのたびにシフトチェンジをしなければならない。今日のように1.5倍程度に固定しておくと帯に短したすきに長しということにならざるをえないのだ。この程度のことに気づくのに3年ぐらいかかっている。


2010.6.27(日)くもりときどき雨のち晴れ とるにたらない大切な命

今の若者が無気力であるのは、自分がどれほどでもないことを重々承知しているからである。おのれが取るに足らない存在であること、いなくなっても全然問題ないと感じているからである。そうして目先の何かと無理やりつながろうとしたり引きこもったり逃げたりし、通常はごまかしごまかしなんとなく生きている。そういうことになるのも無理からぬことだ。なにしろ本当に個々人には生きる値打ちがないからである。

無価値の自覚がなければ、ひとかどだと思っていられるかもしれない。40年前なら部落の相撲チャンピオンはひとかどであった。私は水切りを楽々30回ぐらいできる無敵のチャンピオンであったが、それも世界記録には遠く及ばないものであることが容易に明らかになる。今ではなんでもかんでも自分のランクが簡単にわかってしまう。竹を薄くはいでかごを上手に作れる人間は重宝されたが、今ではそれ以上の機能をもつプラスチックのかごを150円で買える。勝負事でも勉強でも普通の人は普通だとわかってしまう。生まれつきそうしたことができる者がいて、それは誰それということが皆わかる。俗に言う情報化社会だ。

情報化社会というのはよいことで天才を取り逃す危険が少ない。大横綱になれるかもしれない少年はアメリカやモンゴルからでも調達できる。日本であれば義務教育によってマラソンの天才は小中学校のころからその存在が広く知られる。残念ながら日本人にはマラソンの天才はまだ生まれていないが早晩見つかることだろう。科学や文学の天才も取りこぼさない。大江健三郎を殺さなかったことをわれわれは誇りに思って良いと思う。

人間社会を牽引する100年に1人の天才はいろいろな分野にいて、その分野では天才を引き立てる100人の逸材がいる。偏差値90以下の凡人たちは皆で力を出し合って、逸材と天才が活躍できるシステムを維持しなければならない。そこに凡人の役割がある。むろんそのシステムから凡人は楽しみを得ることができる。音楽を創ることはできなくても音楽を聴くことならできるから。

地球はこのままでは有限の時間の中で太陽系とともに滅ぶことが明らかになっているが、もしかしたら人類は地球を捨てて宇宙に進出できるかもしれない。それをなすためには天才が星の数ほど必要だ。天才は確率的な存在であって作ろうとして作れるものではない。母集団は1億人よりも50億人のほうが見つかる可能性が高くなる。どんなにしょうもないやつでも命を大事にして子どもを育てたほうがよい理由の一つがそこにある。


2010.6.29(火)くもり マニフェストとエベレスト

電話機のコマーシャルだが、選挙に立候補した犬の親族がマニフェストとエベレストを言い間違うというのがある。私の記憶が正しければ同ネタで2本以上のコマーシャルフィルムが放送されているはずだ。そのことが奇妙だ。マニフェストとエベレストはそもそも間違えるおそれがない。それは放送する前からわかる。少なくとも1回放送すれば設定が無理だったことぐらいはわかるだろう。どうして明らかな失敗作が放送されているのだろう。

地口には単語のあいうえおが似ている以上に語感の一致が求められる。大きい小さい、固い柔らかい、丸い四角い、強い弱い。マニフェストは丸くて柔らかい語感を持った単語だ。一方のエベレストは四角くて固い印象がある。それはエベレストという単語が指す山の印象以前に言葉自体がかもしだすにおいだ。日本語を操る者は無意識に感覚する味だ。イオン化傾向でいうならば、エベレスト>マゾヒスト>フェミニスト>マニフェストといったところか。

その昔、スケルトンデザインが日本ではやったことがある。あのときのスケルトンというのは「透明」という意味でとらえられていた。それは日本語だけで起きたことだ。英語圏ではスケルトンという単語で透明というニュアンスはないらしい。日本語でその誤解が起きたのはスケルトンのスケルを「透ける」と連想したからだという者がいた。それは意味の意の方に引きずられてうがちすぎた考えだ。言ってる本人の腑に落ちているかどうかすら怪しい。真の理由は、スケルトンが薄い、軽い、はかない、細いという語感を持っているからであった。

ふとした言い間違いには語感の一致が不可欠である。さらに地口は意味の不一致、一歩進めて意味的矛盾が思いもよらぬ諧謔味を出す場合がある。誰にも明らかなように、エベレストと聴いたときに起きるイマジネーションは、マニフェストと矛盾するものではない。その両者は互いに無縁の存在なのだ。

あの一連のコマーシャルは以前から理が勝ちすぎる懸念があった。そもそもエベレストが国民的関心事であったのは半世紀ほど前のことだ。日本語にとってエベレストという単語自体が瀕死語であり、年に一度心に浮かぶかどうかというところだろう。あの犬シリーズは桂浜に行ったり選挙に出たり・・・時事に頼ることは行事に走るちびまるこちゃんを思わせる息切れ感が漂う。無駄なあがきはやめて打ち切るほうがよいだろう。


2010.7.3(土)くもり GPSで半原越

GARMIN EDGE500を買ったものだから勇んで半原越に出かけていった。EDGE500はいわゆるGPSである。もともと測定系の機械が好きで、その手のものはずっと欲しかったのだがいかんせん高価だ。それがついに2万円になって手が届くところまでやってきた。EDGE500は賢い。私なら1年かかっても解けないかもしれない難しい連立方程式を毎秒毎秒解いて地球上での自分の位置を把握できる。だから原則的には速度も高度も道路の傾きもわかる。EDGE500にはケイデンス計や心拍計もオプションとして用意されているが、肝心の本体が本当につかえるやつかどうか信用できないものだからまだ買っていない。

さて半原越での実証実験だが、いまいちEDGE500の使い方が分かっておらず信用できない。まずはデータをちゃんと取るためのデータ(使用経験)が必要だ。ひとまずタイムとラップはこれまで通りキャットアイ300DWにまかせる。こいつは最悪でもストップウォッチにだけはなるというすぐれものなのだ。

半原越を走っていると、ところどころでEDGE500の示す速度が1km/hぐらいになってしまう。人工衛星からの電波をうまく拾っていないらしい。EDGE500は地図がないというあっけらかんとしたGPSで、どれほど正確なのかはリアルタイムにはわかならい。半原越の道路はこの季節だと樹木の葉で厚く覆われている。そうなると回折だの反射だのいろいろ面倒も起きるのだろう。急峻な山の斜面であるから使える衛星も少なくなっているかもしれない。その辺はGPSの宿命だ。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'15"4'15"16.7-76
区間29'07"4'52"14.5-75
区間313'55"4'48"14.8-77
区間419'56"6'01"11.8-61
全 体 19'56"14.2-73(1455)

帰宅してEDGE500のデータを表示させてみると、空が開けているところはかなり正確に位置が示されている。半原越でもグーグルアースに重ねてみれば道路とのずれは20mほどしかないことがわかった。そうなると猛レースでレースを開催して足跡を残したくなる。さっそくトライしたけれど、いくつかの細かい障害があってうまくいかなかった。次回またデータを取りなおしてチャレンジしてみよう。今日のはちょうど20分ぐらいで、好記録であったがしかたない。


2010.7.4(日)晴れ 夏草どもめ

アレチハナガサ

境川の自然も決して単調なものではない。梅雨の季節、境川サイクリングロードは両脇の白いフェンスが見えなくなるぐらいの緑の壁になっているところもある。暑苦しさと寒々しさの違いはあっても、様相としては雪国の除雪した道路のようだ。私は風が水稲の葉をたたいて渡っていくのを見るだけでうれしくなってしまうお手軽人間だが、道ばたの夏草がこれでもかとのびっこをして、ぼうぼうになっているといっそううれしさも増すというものだ。

最近、境川で目立つ花は写真のアレチハナガサだろう。見慣れぬフォルムで異彩を放っている。背が高く美しい花だ。おおむね目立つ草は外来種と相場が決まっている。ご多分にもれずこいつも外来だ。アレチハナガサは園芸種として移入されたものの溢出だろう。ナガミヒナゲシ、ハゼラン、ハナハマセンブリ、ヒルザキツキミソウ、メキシコマンネングサ、ツルニチニチソウ・・・境川でおやっと目を引く花はみんな外来種。私の庭の半分以上が外来種。この20年ほどは新着の頻度が上がっているようだ。最初はみんな羽振りがよいが、30年後にどれだけのものが強者としてはびこることができるか。私が子どもの頃の河原ではツキミソウやオナモミが天下をとっていたものだ。つわものや夏草どもがゆめの跡。ちょっと芭蕉パクリ。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'26"4'26"16.0-78
区間29'30"5'04"14.0-73
区間314'26"4'56"14.4-70
区間420'44"6'18"11.2-65
全 体 20'44"13.7-74(1534)

今日もEDGE500をつけて半原越にいってきた。2度目ということもあり、だいぶ機械にも慣れて存在が気にならなくなってきた。昨日の反省を生かしてスタートボタンとストップボタンを押す場所を変えてみた。終始データを取る必要はないばかりか、garmin connectというサイトでは部分的な切り出しに対応していない。EDGE500が最高に威力を発揮するのは迷ったときだろう。いつものコースでは特段必要なものでもない。ちょっとした試行錯誤をして猛レースに昨日と今日のデータを登録して競走させてみた。ちょっと笑える。


2010.7.10(土)晴れ 夏虫うごめく

半原1号は何を隠そう泥だらけである。今年の梅雨はタイミングが悪い。「雨の中を走ったら洗ってやろう」と決意しているのだが、天気とこちらの走れる時間が合わない。ちょっと降られて泥をかぶっても、また明日も走るからこのままで・・・などと無精を決めていると、雨が降らなかったりする。そうなると、まあこんぐらいならいいかな・・・などと無精を決めていると、今日も晴れたりする。日差しはけっこうなものだが涼しい風が強い。自転車日和だ。

ほうぼうから夏の虫の声がする。林からニイニイゼミ。草むらからキリギリス。いつもの棚田脇にぼうっと座っていると次第にいろいろな虫が目に入ってくる。ウスバキトンボもずいぶん増えた。オレンジ色はまだ浅い。シロテンハナムグリが草刈りがはいって芝生のようになっている荒れ地に飛んできた。草の上に降りて潜っていこうとしている。産卵でもする気なのだろうか。歩いたり飛んだり、しばらくうろうろして再び飛んでいった。潜り込める隙間がなかったのかもしれない。乾燥して背の低い草が生い茂るような環境は日本では多くないのだろうなと思う。百姓が草を刈り続けることで、その手の環境が維持され、その手の環境を好む虫が生きる。ベニシジミなんかも人間がいなくなったら希少種になるような気がした。

半原越はEDGE 500をゲットして以来、ちょっと無理して走った感がある。今日は無酸素パワーを使わないように注意して走ってみることにした。心拍計はつけていないけれど、平均して170bpm以下になるような感覚だ。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'44"4'44"15.0-68
区間29'58"5'14"13.5-66
区間315'00"5'02"14.1-69
区間421'23"6'23"11.1-54
全 体 21'23"13.2-63(1369)

この強度であれば90分ぐらいは行けそうな気がする。登りだと力を使い果たすと回復が難しい。20kmもある登りでは力をセーブする走り方も重要だ。2本目はさらにゆっくりで26×23Tを使って時速10kmで登った。さすがにその強度では登っている意味がない。昨日の雨に濡れたコンクリ壁のコケがきれいだ。


2010.7.11(日)雨 夏の雨といえば濡れた女子高生

ぎりぎりぎりぎりぎりりぃぃぃっと鳴いている虫は季節と場所と声の大きさからキリギリスだろうと思っていた。しかし、私が最初にキリギリスの声を確認したときは、いわゆるチョンギースと聞きなしされるシャープなものだった。声だけではその主の特定に不安がある。今日も半原越の途中の草むらでやつらはずいぶん鳴いている。半原1号を止めてその姿を確認するため近づいた。やはり声の主はキリギリスだった。歩きながら鳴いている。キリギリスは状況によって鳴き分けるのか、方言のようなものがあるのだろうか。

例の棚田は水がもどされ何事もなかったかのように虫が泳いでいる。オタマジャクシも数匹いる。もしかしたら上流から流れてきたものかもしれない。アマガエルなんかは数回産卵してもよさそうに思うが、どうやら年に1回の産卵のようだ。100万年続く伝統をかたくなに守り続けているのだろう。水の中にはコオイムシっぽいのやハイイロゲンゴロウもいた。ゲンゴロウはシャープに泳ぐかっこいい虫だ。聞くところによると、ナミゲンが東京の区部で絶滅宣言されたらしい。なにをいまさらという感がある。30年ほど前からいなかったと思う。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'44"4'44"15.0-71
区間210'02"5'18"13.4-73
区間315'03"5'01"14.1-71
区間421'21"6'18"11.2-65
全 体 21'21"13.3-70(1495)

半原越は昨日と同様にゆっくり。ただし軽いギアを使った。タイムはほとんど変わりない。ヒルクライム計算によるとこの速度でちょうど200wの出力らしい。ようはこの200wという出力を90分間維持すればよいのだ。できないことではない目標だと思う。

雨は半原越からぽつぽつ降り始め帰宅すると本降りになった。7月の雨だから合羽は必要ないと、そのまま境川に出かけた。泥よけだけはつけておいた方が良かったなとすぐに後悔した。時速25キロの南風を利用して200w(推定)走行を練習する。向かい風で時速28キロぐらいを維持すればよい。境川は人が少ない。ランニングの練習をする人がちらほら。自転車は少ないが、傘を差して併走するバカ中学生がいるから、ぶつからないように、キレないように気をつけなければならない。境川の主役はあくまでバカ者たちなのだから。

35年前なら、夏の雨の楽しみといえば、濡れた女子高生だった。さすがに今日は天気予報からして雨であり、境川サイクリングロードは場所も悪い。そんなものはまずおるまいと何の期待もしなかった。だから、濡れた女子高生が自転車に乗ってこっちに向かってきたときは目を疑った。イヤホンで音楽を聴き手で拍子をとってノリノリ上機嫌である。制服で、自転車のカゴには荷物もあるから、日曜とはいえ学校帰りだろう。午前中はくもりで、たかをくくって雨の用意をしておらず、いざ帰宅という段になって雨、というシチュエーションだったはずだ。さて彼女の上機嫌の理由とは? まさか夏の雨に濡れるのが好きなわけではあるまい。


2010.7.12(月)くもりのち晴れ 梅雨の臭い

センター街を抜けて渋谷駅でバスに乗ろうと思った。バス停に近づくとすでにバスは停車していたため小走りに駆け寄った。そのとき梅雨の臭いがした。梅雨の臭いというのはもう少し具体的にはビワの実の臭いだ。渋谷駅にはビワの木はなくビワを売る店もない。本物のビワが臭ったのか、ビワの臭いをまねた何か人工物なのか、幻覚なのかわからない。

私の家の畑には数本のビワの木があった。毎年、普通の農家がやるように新聞紙を袋にして実を包み夏の収穫を心待ちにしていた。今の季節になると私は毎日虫取りに山に通った。山ではそこらじゅうでビワを育てている。ビワは新聞紙の袋越しにも日々大きくなっているのがわかった。商品として売るために本格的に作っている畑のものは立派でうらやましい。40年前も「売っている」ビワは高価で私の食べられるものではなかったのだ。虫取りには暑い日もあれば雨の日もある。畑の中の道を行くとセミの声がやかましい。雨でもニイニイゼミは元気に鳴いていた。あいつは私と同じくビワの木が好きで、1本の枝に5匹、10匹と止まって鳴いている。セミの足下では筋をひいて雨が流れていく。そういうシーンとともに熟れたビワの臭いが梅雨のイメージを作っている。

蒸し暑さも雨も本質的に嫌うべき対象ではない。いまの程度であればじゅうぶんおつきあいできる。テレビでは揮発油を湿して体を拭く紙、汗を固着させるスプレー、室内干しでも衣類の臭いが取れる洗剤などを盛んにコマーシャルしている。そういう製品が悪とはいえないけれど、蒸し暑さや雨を悪者として表現する行為はあからさまな悪である。

生理的な嫌悪があったとしても冷静に対処すれば気にしないこともできる。その嫌悪の原因を科学的に明らかにし人体に無害だということを証明もできよう。梅雨程度のものはうまくやれば好きになることもできる。好きになる近道は梅雨ならではの何かを発見し、その何かをよく知り、その何かを好きになることだ。ヒトに特異のこの力をどれだけ伸ばせるかで幸福が決まる。生理的不愉快を嫌うことは犬猫にもできるのだから。


2010.7.13(火)くもり一時雨 近所に謎のお宅がある

近所に謎のお宅がある。といっても世間的にはなんらヘンテコなものではなく、違和感を感じているのは私だけだと思う。家屋は大きめの木造モルタル2階建て。50平米ほどの広めの庭がある。都内なら豪邸かもしれないが、このあたりでは珍しいものではない。毎日通勤でそのお宅の脇を通っており、そこの庭木でキリギリスを聴いた。清川村で確認したぎりぎりぎりぎりぎりぃぃぃと鳴くタイプだ。わが家の自慢はエンマコオロギが鳴くことだが、キリギリスとなると負けを認めなければならない。また、そのお宅では毎年同じ所にオニグモが巣を張る。どういう具合でオニグモがそこを気にいるのかまったく不明だ。しかし、たまの不在を挟んで10年近く続いているからには、特別の原因が秘められているに違いない。

キリギリスやクモが野生ならば、そこに虫がいる原因は庭の自然環境にあるはずだ。それも人間から見た環境のよさではなく虫から見た環境の良さだ。キリギリスにオニグモといったVIPが集う魅力はなんだろう。その庭には各種の草花が栽培されている。路地植えも、鉢植えもたくさんある。小さいガラス温室もある。ビニールネットで囲まれた畑もある。目立つ花ではタチアオイ、ケナフ、コダチダリア。木はタニウツギやクチナシなどの低木。鉢植えではセンニチコウやワタ。それらの管理をしているのは家の主人と思われるおじいさんだ。

彼には独特の庭哲学があるはずだ。その象徴が水槽だと思う。軒下の、ちょうど道路から見える場所に60センチのガラス水槽がセットされている。直射日光が差し込む屋外なのに青水にならずガラス面にコケもついていない。毎日メンテしないとあれは維持できない。装備も完璧で、エーハイム型の外部フィルターが取り付けられ、水槽の4面が保温のためか特製の発泡スチロール板で覆われている。しかし、その中で泳ぐのは20匹ほどの廉価な金魚。1匹10円ぐらいで売られているエサ金が大きくなって過密飼育されている。以前はドジョウが入っていたこともある。室内からは全く見えない場所にある金魚鉢。投入している器材と労力に全く見合わない駄魚。観賞用でもなく、銘品の作出でもなく、飼育器材の実験でもない。通行人Aにはその意図を推理することすら難しい。

そのお宅では水槽と同様に全ての植物がよく手入れされ完璧に育っている。いずれも注意深く管理されこぎれいだ。ただし素人目にもよくみかける普通の植物ばかりで、特別珍しかったり、高価だったりするものはないようだ。さらに、種類にも庭の設計にも統一感がない。キク科にこだわりがあるとか山野草を集めているとか、菜園として功利的に管理している、というような感じは全くない。全体の雰囲気も、オランダ風の花壇だとか、イングランドのナチュラルだとか、日本の庭園だとか、そのたぐいの設計思想はない。雑草の侵入は我慢ならないようだ。そういえば、敷石も美意識なく漫然と純白の玉砂利がしかれたり、レンガがおかれたりしている。

何を育てるかは、思いつきの手当たりしだい。そのかわり手がけたものは完璧に育て上げる。たとえ行き当たりばったりでも飽きっぽさや妥協は感じられない。木を見て森を見ないタイプの庭づくりと見た。

そういうお宅だから、キリギリスがいたりオニグモが巣を張ったりするのは不自然だ。オニグモは室内の明かりがもれる古ぼけた農家の軒が似合う。この付近は夜明かりに来る虫が皆無だ。キリギリスはススキに代表される背の高い草や潅木の茂る所を好む。遷移の途中の雑然とした場所だ。両者ともにこぎれいな家屋と完璧に管理された庭はふさわしくない。ただそれも私が人間目線で庭の環境を眺めての印象でしかない。殺風景で味気なく見えるあの庭が、虫けらにとってみれば案外豊かなのかもしれない。


2010.7.14(水)晴れ iで始まるアップル製品

いよいよ追い詰められて新しいパソコンを購入しなければならなくなった。よさげなアプリがどいつもこいつも私が使っている旧式マックに対応しないのだ。選択肢は2つ。いわゆるPC互換機を買ってウインドウズを使う。インテルマックを買う。新しいアプリをあきらめるのは選択肢から省くとしてだ。

これまでの流れからすれば当然インテルマックを買うことになろう。ところが、最近のアップルに感じる嫌悪から、マックを買う気が起きない。

私がはじめてマックを手にしたのは20年ほど前だ。モノクロ4階調表示のプアなものだったが、他のコンピューターとは異次元のおもしろさを感じた。マウスというハードとファインダーというソフトが生理的な感覚にフィットしている。記憶に頼ることなく、ファイルを見つけて開くことができた。小技を身につけることなくコンピューターの操作ができた。ファインダーとマウスのハーモニーがポインタとカーソルを通して目と指先に心地よく響く。カーソルがしかるべき位置にあり、ポインターが動いて欲しいように動く。平凡なことだが、やつらの仕事はそれがすべてだ。マックのファインダーは芸術的なセンスのある天才エンジニアによって創作されたものだ。95以来、ウインドウズもファインダーを模倣しているけれども、使用感は完全に似て非なるものだ。

iPod、iPhone、iPadおまけにソフトのiTunes・・・近年アップル社が次々にリリースしているiで始まる製品はどうにも具合が悪い。見た目や使用感に生理的な心地よさが感じられないのだ。iPod、iPhone、iPadについてはちょっといじっただけで「こりゃあかんわ」と捨ててしまったから食わず嫌いかもしれない。iTunesはリリース時から使い倒している。そのうち慣れるだろう・・・と使い続けているけれど、何かしようとするたびにいらいらする。時をかける少女のように「ここはどこ? あなたはだれ?」と何度も機械に問わねばならない。どうして曲を再生するだけの操作で小さくイラッとしなければならないのだ。マックのファインダー下で動いているのにあの気持ちの悪さは何なのだろう。10年使っていまだになじめないウィンドウズと同レベルだ。

ファインダーを発明した気概というか魂が引き継がれてないならアップルは見限ったほうがよい。であれば、投げ売りか?と感じるほど廉価なPC互換機を買って、必要なアプリを使うときだけ起動すればよいという気がするのだ。


2010.7.17(土)晴れ 長い登りをなめてはいけない

それほど暑くはないぞという印象で走り出す。いつものように西へ向かい半原越に行く予定だったが、すぐに気が変わりヤビツ峠に行くことにした。長い登りをこなすスキルがついてないという不安があるからだ。246号線を一路西へ。けっこう渋滞して走りにくいが他の道路よりはたぶんましだ。風は南からけっこう強い。

善波峠の登りは足慣らしにちょうどいい。Edge500は斜度を最も大きい所で5%と表示している。これぐらいだとおおむね15km/hで楽に登れる。名古木の交差点から県道70号線へ。デイリーヤマザキを過ぎるあたりまではアップダウンがある。今日は押さえてゆっくり登るつもりなので下りは力を入れない。蓑毛の急坂もインナーをつかってゆっくり。

蓑毛橋までは順調だと思っていたけれど、菜の花台が近づくにつれて妙な感じになった。ゆっくり登るには重めのギアを使うのが楽だと信じていたが、5kmも行かないうちに全然力が入らなくなってきた。善波峠だと2倍ぐらいのギアを使って時速15kmで楽勝なのだが、それを30分以上続けるのは無理らしい。やっぱり長い峠は難しい。こう反省したときには時すでに遅く、心拍数はいっぱい(たぶん)で、脚は他人のじゃないかと思うぐらい重い。楽々登るつもりが耐久走になってしまった。21Tにチェーンがうまくかからないという調整ミスにも腹が立つ。

10kmの登りをなめてはいけない。ちょっと歯車が狂うとペダリングががたがたになり、悪いペダリングは疲労と速度の低下を招き、さらに歯車が狂ってパニックになるという悪循環に陥る。結局、疲労困憊状態で到達したゴールのタイムは48分。ゆっくり登るつもりだったのだから50分でもよかったのに、あせって無理をしてこれだ。下りながらも反省しきりで、こんなことではダメだと、蓑毛のバス停からUターンして登り直し裏ヤビツに下った。


2010.7.18(日)晴れ ウエストがきゅっとしまった体

アレチハナガサ2

昨日の反省もあって、境川にでかけゆっくり走ることにした。自転車は半原2号を使い、心拍計もつけた。いつの間にか力んでたというのはよくあることで、心拍計の数字が力を押さえる目安になる。私の場合、回復走、いわゆるダイエット走りの場合は心拍数が138bpm以下ということになっている。それを守ってなるべく長時間走る。意識するのは上手なペダリング。90rpmが目安だ。南から時速25kmぐらいの風が吹いているから、ケイデンスと心拍計と相談して、ギアは50×23Tに決めた。今日はアウターが使えるぎりぎりの風だ。

梅雨が明けて気温は30℃以上あるだろう。こうなると境川の日中は私のものだ。自転車も少ない。とくに動きが読めないお年寄りと子どもがいないのがありがたい。犬もいないのがうれしい。あいつらは日中は足をやけどするからアスファルトを歩けない。実は何を隠そう境川は涼しいのだ。熊谷や高崎といった地獄とちがって、こちらは「湘南」である。海から冷たい風がびゅうびゅう吹いてくる。25℃の風が時速25kmで吹いてくれば涼しいに決まっている。直射日光にだけは気をつける。

138bpm以下と決めればホントに楽だ。この強度であれば、脚の重さだけで走るというやり方でOKだ。意識して使うのは腹の奥にあるはずの太ももを持ち上がる筋肉。動くのは太ももだから、太ももの筋肉を使っているのだろうと誤解して、ペダルを踏みつけるのはNG。脚を上げれば脚の重さでペダルは落ちていく。それぐらいの軽いギアでないと138bpm以下は維持できない。風と勝負して知らぬ間に150bpm近くまで上がっていると脚の付け根の外側が痛くなってくる。これが乳酸というやつだろう。

Edge500の記録によると、走行時間は5時間半、走行距離は130km。消費カロリーは3600だからやせたい人はこれをやるといいだろう。3600キロカロリーなんて定食4つ分だ。この間、腹は減らさないようにコーラ2本、アイス2個、おにぎり1個、大福1個を消費している。自転車を降りて体に痛いところもコリもない。腹も減っていないから特別たくさん食べたくない。運動の後のビールがうまいなんていう心境は30年ぐらい前にあったようなかすかな記憶がある。

ただし、こういう練習では足首とウエストがきゅっとしまったかっこいい体は手に入るが、登りには対処できないんじゃないかという焦りはある。低負荷と高負荷の走り方はぜんぜん別物のはずだ。200wの出力を無理なく90分間維持できるテクニックが欲しい。こんだけ執着しているんだから、川の中からペダリングの神様かなんかがふわっと出てきて画期的な技を授けてくれないものだろうか。自転車が嫌いになるほどのつらいトレーニング以外ならなんでもする。高価な機材が必要だっていうのなら買う。150万のデローザでなんとかなるってんだったらそれを買う。このさいだから、壺とかハンコとかでも買うから。できれば8月の中旬までになんとかならんもんですか?

写真は境川縁のアレチハナガサ。伸び放題。オギやクズも伸び放題。海風を受けてわさわさ鳴る雑草の壁の中を走っていくのは夏の快感。ペダルを止めると安物ホイールのラチェットがジジジジジジジと鳴ってキリギリスのようだ。暑苦しいこの音がぼうぼうの草むらに効果音として合っている。


2010.7.19(月)晴れ エネルギーが枯渇した日

夕焼け

今日は気合いを入れて半原越へ。スタートからよく脚が回る。ちゃんと体と自転車が一体化している。ただし、力は出てこない。2日で200kmほど乗ってエネルギーが枯渇しているのだろう。筋肉痛などの嫌な症状はまったくないのだが、エネルギーがすぐに回復するような立派な体ではない。

それならそれで、あまり力を使わない走り方で半原越を登ってみる手がある。昨夜からそれをねらっていた。20キロもある登りはがんばるだけでは対処できない。ぎりぎりの所まで力をセーブする技も必要だ。ギアはまず26×19Tを選択した。これで75rpmを維持して走りきれば平均で200w出力できているらしい。半原1号には昨日のうちに心拍計もセットしている。今日は170bpm台のミドル領域を守る日だ。160台に落ちる心配はないが、180を越えないように注意を払う必要がある。区間3までは19Tでも良い感じで行けた。区間4ではきっと180bpmを越えてしまうだろうと思い、21Tに落とした。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間15'32"5'32"12.814774
区間211'22"5'50"12.116470
区間317'10"5'48"12.216971
区間424'30"7'20"9.717462
全 体 24'30"11.6-69(1691)

69rpmで24分半だから、目標には2分半ほど及ばない。この強度なら90分でも行けそうな気はするけれど、90分ではゴールを切っていないはずだ。無酸素パワーを使って走れるのは15分なのだから、いろいろ作戦も必要だ。午後からは境川に行く。今日も境川は涼しい南風が吹いている。自転車日より。ただし日差しは強くアスファルトの照り返しはつよい。汗が一筋顔を流れた。珍しいことだ。そういえば土曜日のヤビツ峠では脚にも汗をかいていた。サイクリングでも汗をかける体質になってきたのだろうか。LSDのつもりだったが1時間でエネルギーが切れてしまった。こういう経験も身の程を知れてありがたい。日が傾くと漂う夏の夜の臭い。その正体はオシロイバナ。


2010.7.24(土)晴れ ケセランパサランを見る

ケセランパサラン

近所の道路でケセランパサランを捕獲した。ケセランパサランはわれわれの世代にはたいへんなじみの深い妖怪だ。みんなが知っているものの、正体は不明であるし何を目途としているのかもわからない。毛玉のような風体でただふわふわしている。

ふつうケセランパサランと見えるのは、たいてい草の種だったりする。今日捕まえたのは最近やたらと目にする。この季節にその辺をふわふわ飛ぶ毛玉があれば、まずこいつと見てまちがいないだろう。アメリカオニアザミという巨大でとげとげでなんとも情緒のない草だ。やはりこれも外来で、歩道の隙間などの乾燥したところにも強いらしい。こいつの種が意外とかわいい毛玉になって夏風に舞っているのだ。

今日の写真のものもアメリカオニアザミの可能性が高いが、早合点は禁物である。ケセランパサランとて妖怪の端くれである。こっそり草の種に偽装することぐらいはできるだろう。ケセランパサランと草の種は、その出会いがターニングポイントになるかどうかで区別することができる。思い起こせば、私がいわゆるホームページなるものを始めたのも1998年の夏にケセランパサランをみつけたことが契機になっている。あいつは今日のに比べ、段違いにかわいかった。夏が来るたび、再会を期して野山を探し回っている。草の種であればとっくに似たやつを見つけているはずだ。見つからないのはちょっとしたミステリーだ。

半原1号で半原越にむかったが、このケセランパサランがたくさんいるあたりで気が変わってヤビツ峠へ。今日は心拍計を装備して、170bpmを越えない強度で登ってみることにした。最小で26×27Tを用意し、ゆっくり走ればできない相談ではなかった。ただし、やたらと遅い。これはこれでしんどいもんだ。ヤビツ峠だとけっこう追い越され、弱いやつだと思われるのはしゃくだったりする。そこも辛抱だ。ところで何の練習? というのは明確ではないのだけど、絶対に必要だという直感はあった。

小一時間走ると腰が痛くてやってられなくなった。これまでの経験で、この痛みはサドルが高すぎるからに違いないと思われたので、3ミリほど下げた。登りをゆるく長時間やれば、少なくともポジションやフォーム、力の入れどころは確認できる。それはまず第一の発見だった。

ラップタイム距離km/hrpm
区間18'23"8'23"1.5811.164
区間224'11"15'48"2.8210.963
区間349'19"25'08"4.089.762
区間467'35"18'16"3.3110.862
全 体 67'35"11.8210.562(4190)

2010.7.25(日)晴れ 本当はしんどいのでした

半原越に行こうと善明川沿いを走っていると、ギーッスという聞き覚えのある虫の声。40年ぐらい前に聞き覚えたキリギリスだ。こっちのほうにも四国風の鳴き方をするやつがいるらしい。ミンミンゼミは鳴き始めている。私の感覚では早いように思う。やはり四国での記憶によるがミンミンゼミは晩夏のセミだった気がする。もともと数が少なく声を聞く機会もあまりなかった。セミなんてものはその生活環境からするともっともっといて良さそうだが、どんな圧力がかかっているのだろうか。それにしても「アブラゼミの一生は何年?」という問いにいつ正解が出されるのだ。これってけっこう偉大なテーマだと思うが。だれもやんないなら私がやっちゃうぞ。

近頃いつもの棚田に行ってない。脇を通り過ぎるだけだ。あの草むらは太陽が照りつけいかにも暑そうだ。先にある墓場の木陰で休みながら作戦を練っている。作戦といっても簡単なもので、思いっきり行くか、ゆっくり行くか、普通に行くかという決心をつけるだけのことだ。今日はゆっくり。最近はず〜っとゆっくり作戦が続いている。さあ、今日は36Tのアウター縛りで、心拍数は180bpm以下でやってみよう。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'46"4'46"14.916062
区間210'16"5'30"12.917362
区間315'47"5'31"12.817462
区間422'54"7'07"9.917859
全 体 22'54"12.417261(1397)

このスピードでも自分に正直になるとそれなりにしんどい。90分続けられるかと問われると、言葉に詰まらざるをえない。午後は境川に行って南風と遊ぶ。今日もがらがら。その点では太陽ばんざいなのだが、上腕が日焼けの水ぶくれだらけになってしまった。


2010.7.26(月)晴れ一時雷雨 自転車はエコなんだろうか?

自転車はエコである。半原越を登るのに200kcalあまりを消費するようなのだが、これは麓でマルナガアイスクリームが製造販売している北海道産小豆を用いた九州銘菓の贅沢あいすまんじゅうという150円ぐらいする高級アイスを1本食べれば事足りる。贅沢あいすまんじゅうは袋の表示だと267kcal得られるらしい。150円で麓の煤ケ谷から上まで往復できるのだ。

自転車とはいえ走行時に二酸化炭素は排出する。燃料は主に炭水化物(体脂肪もたぶん炭水化物の一種)であり、呼吸によって炭水化物が水と二酸化炭素になる過程でペダルをこぐエネルギーが得られる。つまり私は吐息として水と二酸化炭素を撒き散らしながら走っていることになる。水はともかく二酸化炭素は温室効果ガスとして目の敵にされている。その点では用もないのに峠の山道でハァハァするのはエコではないかもしれない。

むろん自動車に比べればましなはずである。世間でも自転車のほうがエコというのが常識だ。たいていの自動車は石油という化石燃料を燃やして走るのだからエコなわけがない。自動車の燃料は1リットルあたり8000kcalのエネルギーがあるという。それを贅沢あいすまんじゅうの質量に換算すれば1500kcalとなり、実に5倍のポテンシャルをもつ計算になる。やるなガソリン。それだけのパワーがあれば環境負荷だって高いはずだ。

そもそも自動車は重い。人+自動車は人+自転車のざっと10倍の質量がある。それだけの装備がないとガソリンのポテンシャルを活かしつつ快適安全に走れないのだ。ガソリンというきわめてカロリーの高いものを食べながらも、デブな体のせいでアイス1本分の燃費で半原越を往復というわけにはいかない。標高差350m、距離は15kmほどであるから、乗用車でも1リットルは使うだろう。そうなると、ガソリンは贅沢あいすまんじゅうや体脂肪やグリコーゲンにくらべて炭素の割合が少ないとしても、10倍ぐらい(面倒なので計算していないが、もしかしたらもっと)二酸化炭素を出しているのだろう。やっぱり自転車はエコだ。

しかしながら、現代人ならば経済という視点をないがしろにしてはいけない。マルナガアイスクリームの贅沢あいすまんじゅうは、この時代にあえて瀕死語の「贅沢」とつけられていることからも明らかなように、贅沢品である。定価は150円。赤城乳業のガリガリ君60円に比して一桁上の贅沢である。ガソリン1リットルが150円に高騰した日には国民的一大事。贅沢あいすまんじゅう1コ150円で往復するか、レギュラーガソリン1リットル135円で往復するか。自転車で煤ケ谷と半原越を往復するのと自動車で煤ケ谷と半原越を往復するのと、経済的には同等かあるいは自動車が勝っているかもしれない。


2010.7.27(火)晴れ 計算ミスから来た焦り

近頃ゆっくり走ることに執着しているのは理由がある。焦りの裏返しだ。しかもその焦りがちょっとした誤解に基づいていたことを昨夜になって気づいた。私は卓球仲間に誘われて8月の「全日本マウンテンサイクリング in 乗鞍」というちょっと恥ずかしいタイトルのイベントにエントリーしている。コースは6%の勾配を20km走り普通に自転車で行ける日本最高点に到達しようってものだ。トップクラスは1時間で走る。そういう奴らは敵ではないとして、自分の実力を十二分に発揮できれば1時間30分では行けるのではないか、行けなくてもそれぐらいの高い望みは持った方がよい。乗鞍は標高も高ければ、旅費や宿泊料、エントリーフィーもけっこう高いのだから。

なにかにつけて高めの乗鞍なんて近づいたこともなく、6%の勾配を20km走った経験もない。どうなるかわからない。それでも準備は必要だ。練習には目安になるスピードが必要だ。乗鞍の20kmを1時間で走れば時速20km。そんな強度では3分しか走れない。乗鞍の20kmを2時間で走れば時速10km。そんな強度で短い距離を走っても楽すぎて意味がないだろう。目標タイムは1時間30分なのだから、時速20kmと10kmの中間の15kmで走り続ける必要がある。6%の坂で15km/hといえば経験上ぎりぎりっぽい力が必要だ。ぎりぎりで1時間半行けるのだろうか? 乗鞍で試せればいいのだが、旅費がもったいないから、手近でシミュレーションだ

半原越は5kmもなくて物足りない。幸いなことにヤビツ峠のいわゆる表ヤビツコンビニスタートってやつは距離が10km ほどで勾配も6%近くある。ちょうど乗鞍ハーフだ。半乗鞍といってもよい。これまでに3回走ってタイムを取った。最遅で1時間。息がハァハァしないレベルだ。最速で40分。こちらは10キロ完全燃焼モードであり、その強度で1時間半は無理だ。もしあれを乗鞍でやると後半の10kmは最遅の1時間以上は必至。合計したら1時間40分さえ切れないことになる。

ところで、手元のサイクルコンピュータによると、ヤビツの40分のときが平均時速15kmだった。わざわざコンピュータに見せてもらうまでもない簡単な計算だ。6%を15km/hでというのは短時間でもぎりぎりっぽかったが、どうやらその速度では行けても10kmだということが厳然と示されたことになる。これは戦力外通告にも等しかった。すなわち実力を出し切っても乗鞍を平均時速15kmで駆け抜けることは私には無理なのだ。

この結果に焦ったのはいうまでもない。ダメと知っても何とかならないかと模索するのが人情だ。その焦りから生まれた発想が「焦って自滅はダメだ。ゆっくり走って早く到達する方法を探るのだ」というものだった。矛盾しているようだが本気だった。登り坂でもっともタイムを失うのは高負荷をかけてしまい全然力が出ない状態になってしまうときだ。最悪まったく進めなくなったり痙攣を起こすこともある。ともかく1時間30分続けられる最大の強度を知って、そいつを体にたたき込ませて本番にのぞみたい。そして得られた結果が100%と信じるしかないと決意した。

まがいなりにも心拍計などをつけてAT値とかLSDレベルとか聞きかじって悪戦苦闘を続けた。真剣な苦闘とはいえ正直なところ楽だった。これまでは、半原越では毎回そのときどきに応じて力を出し尽くしていた。境川では向かい風になると、カンチェラーラごっこと称してぐいぐい踏み込んでいた。それが「ゆっくり走って早く到達する」というものすごい目標を掲げたものだから、じっさいは楽をしていた。何しろちょっとでも力が入っている自覚があれば「だめだめ押さえて押さえて。こんなんじゃ90分もたないでしょ」と心のリミッターがかかるのだ。100km以上走っても物足りないぐらいで、猛暑になってようやくその強度で帳尻があってきたのだ。

だけどこんな練習じゃだめだよなあ、時速15kmって早すぎね、1時間45分ぐらいに目標変更かな、などと毎晩もんもんとし続けていた。そして昨夜午前2時ごろ、20kmを1時間30分で走ったときの平均時速は15kmではない、という事実にはっと気づいていっぺんに気持ちが明るくなった。思えば小学校のときもこの算数が大の苦手だった。正解は13kmちょいなのだから、今の力でも届かない目標ではない気がする。それはそれでしんどいのだけど。


2010.7.29(木)雨 ホモとヘテロと劣性と

メンデルの遺伝の法則について、高等学校の授業以来(授業中も)まじめに考えたことがなかった。その気にならなかったのは、遺伝の法則が比の問題だからだ。一般的に比とか割合というものは小学校算数の最難関である。いまだに距離と自転車の速度で計算ミスをやらかしているぐらいで、そのへんはちっともできなかった。比とか割合について本質的で直感的な理解はできていなくても、大学に入学できる程度の理数の問題は解けるようになっている。そこはノープロブレムで過ごしてきた。だからなおさら遺伝が理解できない。

ところが、新人類はどうやって誕生するのかというような問題を解こうとすれば、遺伝の法則を無視するわけにはいかない。とりわけ優性、劣性についての理解は必須とみえる。

簡単に、人類の性質はAで新人類の性質がaだとすると、人類と新人類が交雑している集団には遺伝的にAA、Aa、aA、aaという体質をもった個体がいる。優性なのが人類の性質A(たとえば毛むくじゃら)で劣性なのが新人類の性質a(たとえばつんつるてん)だとすると、ホモのAAとヘテロであるAa、aAは毛むくじゃらだ。新人類の特徴であるつんつるてんの体をもつことになるのは劣性のホモであるaaだけだ。

劣性の形質は群れの中であまり表に現れず数が少なく見える。よく似た単語でいえば劣勢だ。もし、「人類にとって不利な環境変化」が起きた場合、淘汰されるのは優勢な優性のほうである。普通に人類といった場合は優性の方をさすからだ。そして、優性のほうが淘汰されるとなると、AA、Aa、aAがいなくなり人類全体に打撃となる。絶滅するか、数少ないaaの奮起に期待するしかない。逆に「劣性な形質の人類にとって不利な環境変化」が起きても、それは劣勢な群れに対しての淘汰圧だから、人類全体に大きな影響はないかもしれない。注意すべきは、劣勢なホモのaaが滅んでも、ヘテロのaは残るのだから、aという性質は残されることだ。氷河時代につんつるてんの体は不利で、生まれても生まれても死んでしまう状態が続いたとしても、生まれ続けることができる。適者生存ということばの印象とは裏腹に劣性はしぶとく生き残るのだ。

「新人類の母と新人類の父との交配でしか子どもを残せないのが本物の新人類」とした場合に、そんなものは速やかに滅ぶだろうと想像してきたが、遺伝の法則を考慮すればそう単純なものでもないという気になってきた。現代では遺伝子をDNAの実体として特定して操作したり、コンピューターを使ってシミュレーションをしたりして、遺伝の暗号がどんどん解かれているらしい。そういうエキサイティングな現場にいられないのは残念である。

むろん、比とか割合が理解できない者はその手の職に必要ない。小学校からこのかた周辺を見渡して思うに、比とか割合のことを直感的に把握できないほうが人類としては普通のはずだ。比のセンスを持った者は劣性らしい。


2010.7.31(土)晴れ 幻想のパワー感

夕焼け

午前8時頃、近くの林でクマゼミが鳴いている。少なくとも2頭いる。クマゼミは新参者で数が少ない。それほど移動するわけでもないだろうから、毎年数を数えておけばクマゼミの幼虫期間が推定できるのではないかと考えていた。最近では2006年に多かった。その後も聞けないわけではないが、数は少なかった。去年も決して多いわけではなく、私のクマゼミ幼虫期3年説は裏付けが得られなかった。今年多ければ4年説に変更しよう。そもそもこんなやり方ではどうにもならぬが。

半原越に向かうべく、半原1号で荻野川から小鮎川に抜ける丘の道を登る。すると、休耕地の草むらからけっこうな数のキリギリスが聞こえてくる。一様に、ギーッスという切れのいい方の声だ。ギーッスのあとにチョンをつけるやつもいる。どうやらキリギリスの鳴き方は変化するようだ。縄張り宣言、誘い鳴き、というようなことがあるのだろうか。

さて今日は快調である。体から力がわいてくる。奥さん、このパワー感ですよ。若返ったピッコロ大魔王の心境だ。ペダルへのかかりもよい。半原越なんて17分ぐらいで登っちゃうんじゃないかと、夢を抱いて36×19Tでスタート。区間1はいい感じ、区間2もいい感じ、区間3もいい感じ、区間4もいい感じ。けっこう追い込んだ。ゴールしてさてと時計を見ると21分を大きくオーバーしている。これには唖然。途中の予想より1分以上遅い。これほど狂ったのも珍しい。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'28"4'28"15.916666
区間29'42"5'14"13.518063
区間314'53"5'11"13.718163
区間421'21"6'28"10.918660
全 体 21'21"13.317963(1345)

ちょっと調子は狂ったが、気を取りなおして境川へ。こちらにもキリギリスがいる。鳴き方はぎりぎりぎりぎりぎりぃぃぃ。彼らには彼らの事情があるのだろう。最近の虫けらは「聞いた」ばっかり。自転車に入れ込んで虫の相手を忘れている。ともあれLSDで80キロほど流して終了。境川からみる夕景色は蟲師の大禍時っぽい寂しさがあってけっこう好きだ(写真)。


2010.8.1(日)晴れ はるかなる山中湖

朝目が覚めると笑っちゃうぐらい疲れていた。昨日の元気が嘘みたいだ。嘘だったんだけど。天気を見ると曇り空で雨にもなりそうな気配。じゃあ山中湖にでも行ってみるか。という気になった。なかなか手強い山中湖。けっこう遠いから早起きして行かないと日のあるうちに帰れない山中湖。天気がいいとオートバイやら車やらが多くて気疲れする道志みち。さてどこまで山中湖に迫れるか、と半原1号で出かけていく。

走り始めると、額から首筋にかけて冷たい一滴がつつっと落ちていく。「なんじゃこりゃあ」と海軍大将青キジみたいに叫んでしまう。登ってもいないのに自転車で汗をかくとは。先行き不安だ。

調子が悪そうでも走っているうちに攻撃スイッチが入ってがぜん元気になることもある。30分走っても1時間走ってもだめだ。清川村のゆるゆる登りでオートバイに腹が立つ。なんであいつらはつるみたがるんだ。10台も20台も。普段は、オートバイにも自動車にも無頓着だ。よっぽど参っているらしい。

半原越の分岐にきても右折する気になれず、そのまま土山峠へ。登れば気合いも入るかと期待したけど何事も起こらず。たまらず裏ヤビツの分岐の自販機で飲み物を買って休む。

とにかく道志みちまでは入るかと青野原へ。道志みちはゆるゆる登る。とにかく山梨県まではいくかとゆるゆる登る。「神奈川県内国道最高地点」という看板にすら腹が立つ。最高地点たって450mぐらいだろ。山中湖の前には1000mの峠があるじゃないか。それに神奈川にだって県道や林道ならその倍ぐらいの標高の所があるぞ。などと無意味な文句を心の中へ言い放つ。いよいよ焼きが回ってきたらしい。

道志みちの登りがきついわけではない。とにかく体に力がないのだ。これだけしんどいのはいつかの佐田岬半島以来だ。いつかったって渡辺由紀さんがフィリップモリスやってたころだから大昔だぞ。軽いギアを使って無理せずペダリングするとゆるゆるながら自転車は進む。ただそれだけ。ちっとも楽しくない。両国橋を越えてひとまず山梨県までは到達した。さて前回に引き返したところはもう少しだ。もう意地だけで走っている。半原1号に「おまえの知らない山梨県を見せてやる」と約束して自分に鞭を入れる。なにをやってんだか。


2010.8.4(水)晴れ 政治家と金は問題

浦沢直樹の思惑は無視して差し支えないとして、永井真理子の大ファンである私は谷議員がヤワラ(YAWARA)ちゃんと呼ばれるたびに悔しくなる。はなはだ遺憾である。内心忸怩たる思いを禁じ得ないと誤って表現するぐらいブルーだ。

谷議員は、谷でも金、最低でも金、ママでも金、と力強く宣言した。選手としてはそれでOK。その実力はある。一般には「政治家でも金」と宣言したということになっているが、それはないよねと思う。前の代表と幹事長が政治家と金のごたごたで退いている手前、誤解を招きかねないからだ。

谷議員は金のためではなく民主党の政策を実現するために議員になったはずである。民主党の政策の柱は、政治主導による国家の運営(政権交代つき)である。官僚主導による長期安定政権という戦後の伝統を覆す新しい国家体制を建設しようとしているのだ。仕分けも手当も無料化も廃止も移設その他もろもろもそのドグマ具体化の手段に過ぎず、それらに付随するぶれは過程に過ぎない。

政権交代があることを前提に政治主導で国家が作られるならば、その国は国民のハンドリング(投票)に任されることになる。民主党はその理想の実現に向けて着実に歩んでいると思う。政権交代は早くも次の選挙で実現しそうな気配がある。仕分けも手当も無料化も廃止も移設その他もろもろもうまくいってないようであるが、政策の柱である「政権交代。」だけは実現できそうだ。

ひとつだけつまずきがあったとすれば菅総理の消費税10%(自民党案に倣う)発言であったろうか。あれを聞いて国民は「政権維持でも10%。政権交代でも10%・・・」と疑心暗鬼になった。それで先の参議院選挙では国民新党をのぞく野党が意外な善戦を見せてしまったのだ。菅さんは無能ではない。国家が人にはたすべき役割を、不幸の最少化以外の何ものでもないと見抜いている希有な哲人政治家である。なんの掛け違いがあったのだろう。消費税がなければ、民主党はもっと追い込まれたはずと私は思う。

政治家と金は問題が大きい。そんなネタのために、それをエサにして、空回りさせられる政局国会なんてもううんざりだ。谷議員は政治家になった以上はひとまず金のことは忘れて国民のためにがんばって欲しい。「野党で政権交代。与党でも政権交代。」という民主党の中心政策早期実現に向けて、豪快な技でスカッと一本勝ちしてほしい。


2010.8.7(土)晴れ 手離し登り練習の成果

じつは通勤時にこっそり坂道手離し登りを練習している。厳密には道路交通法違反かもしれない。住宅地にある3〜5%程度で30mほどのどってことない坂だ。緩い坂でも手離しで登ると難易度があがる。ツールドフランスを見ていると選手たちはけっこうな坂でも平然と手離しをやっている。よい子ではない私が真似しないわけがない。

その両手離し登りが半原越で生きた。試しに今日は上半身をぜんぜん使わないでやってみた。感覚的には手離しだ。本当に手を離すと10秒でコースアウトするだろう。ところどころふらついたり引っかかったりするのはペダリングが下手だからだ。重いギアは使えずくるくる回しで行くことになる。26×15〜21Tだ。テクの向上にもなる練習だ。心拍は180bpmから上がらない。試しにゴール手前200mで軽い座り立ちこぎをやってみるとたちまち185bpmまで上がった。上半身を使うとパワーは大きいが疲労も早い。けっきょく前回よりも5拍ほど少なく20秒ほど遅い。この方法でもう少し押さえるのが20kmの登りを攻略する手だてだ。きっと。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'36"4'36"15.416070
区間29'59"5'23"13.217476
区間315'08"5'09"13.717780
区間421'43"6'35"10.818169
全 体 21'43"13.017574(1607)

南風が強く涼しい。午後は境川へ行く。向かい風を受けて下ハンで28km/h 巡航。36×15T、90rpmだ。海が近づくにつれて風も強くなり、その速度でも170bpmに達した。帰りも同じぐらいの速度で。すると無風状態だ。ジュズダマの群落を見つけてちょっとうれしい。以前からその群落は見ていたような記憶もあるが、探していて見つかるとまた格別。


2010.8.8(日)くもり 下半身のなめらかな動き

清川村のコンビニからあいすまんじゅうが消えた。バカ売れで品切れというわけではないようだ。丸永製菓が製造販売をやめたのでなければいいのだけど。ああいううまい物をたかだか100円ちょっとで売っているのだから、かなり無理をしてるんじゃないだろうか。

半原越は昨日と同じ調子だ。ただし新機材を導入した。手離し感覚でくるくる登るのなら頻繁にギアチェンジをしたほうがよい。Wレバーだといちいち手を離すのがめんどくさいのでSTIシステムを使うことにした。もともと所有しているSORAでも良いのだが、わざわざ重くしてさらに8段にすることもない。ここは一発デュラエースをイヤッッホォォォオオォオウ!した。ただし中古で10000円ほど。また魂を切り売りしてしまった。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'53"4'53"14.514971
区間210'26"5'33"12.816074
区間315'39"5'13"13.616679
区間422'05"6'26"11.017375
全 体 22'05"12.816375(1656)

昨日よりも10拍低くて20秒遅い。ギアは軽めになっている。この調子で1時間半走れればけっこうだ。しばらくはこの調子で下半身のなめらかな動きを習得しよう。STIも使い慣れないうちはしっくりこないものだが、使いこなせれば武器になるだろう。


2010.8.9(月)雨 不文律

「自転車は道路の右左どちらを走ってもかまわない」というのは厳然とした不文律だ。わが国の道路交通法はガチガチに思えるけれども不文律だってある。「傘を差して乗ってもよい」「飲酒運転も自転車なら可」というのもある。速度制限や一時停止、優先なども軽車両としての扱いはされない。夜間の無灯火だけは違反意識がある。これは警察から職務質問の上で注意されるからだ。無灯火は重大事故が多く警察内でも徹底されているのだろう。

「自転車は道路の右左どちらを走ってもかまわない」というのが不文律だと断言できるのは、ここのところの調査で、東京都世田谷区の住宅地ではおおむね50%の自転車が右側通行をしていることが判明したからだ。ただし、センターを走っているものも右側通行とした。ちなみに小雨降る今日夕方の調査では、右側通行3人、左側通行1人、傘差し運転2人であった。

これだけしっかりしたきまりがあるからには、自転車の右側通行は安全である。自動車のほうでも「自転車は右にも左にもいる」と思って運転している。オートバイや自動車が右側から突っ込んでくれば、飲酒・麻薬その他の犯罪を疑われるが、自転車ならば常態だ。

じっさいに社会を動かしているのは不文律だ。不文律を知っておかなければ社会生活が営めない。不文律を守れないものは社会に出てはいけない。これは法律vs不文律問題よりも一次元上の不文律だ。常識以前ともいう。とりわけ道路交通法は円滑な道路使用が目途であるから、法律に書かれているものと、書かれていないものとどっちを優先すべきかというのは、考察の余地なく不文律である。

では、右側通行は道路交通法違反であるが、それを守らなくともよいのか?という問いには「よい」と答える。一般に、法律ではそれを破った者の得になるものがある。税金を払わないなんてのはそれだ。一般に、法律ではそれを破られ損をする者が出てくるものがある。落書きをしてはいけないなんてのはそれだ。右側通行は、それを破ることが不当な利益になることも、他人に不利益を与えることもない。それで不利益を被ったというのなら司法の場で戦えばよいことだ。

で、私が右側通行をするかというと絶対にやらない。自転車の場合、道路交通法を守ることは利益にならないが、損にもならない。どちらでもよいのなら左を走れば十分だ。左端を走っていて右側通行の自転車が来た場合は、避けずにまっすぐ進む。法律では左側通行をしろと言ってるのだからお互いに左に動くのがよいはずだ。しかし、自転車でそれを期待すると事故になる。とりわけ右側通行の相手が左に動く確率は小さいと考えなければならない。彼が左に避ければ私の後ろから来ている自動車の前に出ることになり恐いからだ。まっすぐ進んでいよいよ正面衝突となれば直前で停止する。それが一番安全だ。私は時速3kmのチキンレースは得意なほうである。


2010.8.13(金)晴れ一時雨 いや一歩進んで迷ってみよう

城ヶ島

せっかく自転車用GPSを買ったのだから新しい道に行こうと思った。EDGE500に地図はない。これまで通り迷わずにいられない。しかし、迷った所は正確に記録され、あとで参照することができる。「迷うのけっこう、いや一歩進んで迷ってみよう」という禅の精神で自転車に乗れる。先日は聖蹟桜ヶ丘のいろは坂を目指して、境川のそばにある道路を北上しているつもりが南下して、横浜方面という看板を見てはっと気づくという荒技をかましたばかりだ。

ただ、いくらなんでも三浦半島では迷うはずがない。いつもの境川を移動手段として使い湘南海岸へ。来るたび感じるのだが、湘南海岸って自転車はアウェーだ。サーフボードを下げたあのかっこわるい乗り物じゃないと自転車じゃない気がする。人であふれる海を横目に鎌倉へ。海岸線はものすごい渋滞だ。電車が有名らしく、写真を撮る準備をしている若者がちらほら。そういえば聖蹟のいろは坂あたりにも印刷物と照らし合わせて写真を撮っている若者がたくさんいた。「耳をすませば」のファンなんだろう。自転車で名所めぐりしたっていいじゃないか、にんげんだもの。

鎌倉から見る三浦半島はずいぶん長い。どう見ても100kmぐらいあるような気がする。どっかの島とくっついてそう見えるのだろうか。もしかして房総? 三浦半島は30kmほどのはずだけど。出がけに女房から「暑さ対策はじゅうぶんするように」ときつく言われた。所ジョージをバカにした手前、ここで倒れるわけにはいかない。1時間おきに休憩。休憩はもっぱらコンビニでアイス。本当は丸永製菓のあいすまんじゅうがいいのだが、九州名物というだけあって神奈川県で置いてある店は少ないらしく、白くまになることもある。白くまさえないときは、赤城乳業のガリガリ君にする。あれはうまくはないけど無難だ。飲み物はコーラかポンジュース。実は、コンビニのポンジュースは偽物の味がするのだけど、愛媛県八幡浜市生まれの私としては応援しないわけにはいかない。

という感じでさくさくっと三浦半島の突端にある城ヶ島について写メ。「城ヶ島なう」とかいって。帰りは追い風っぽくてすいすい走る。ずっと150bpm付近のLSDペース。速度は30km/h程度。道路は悪くないけど車列がとぎれることはない。平日だけどお盆だからか。好んで走りに来るところでもなさそうだ。先端部の海岸段丘あたりの風景は神奈川離れしてけっこう好きなんだが。湘南海岸は素直に引地川から入る。境川の途中から夕立の雨。インターマックスのコルサイタリアに乗ったチームUKYOのバルカンジャージのおじさんにとんでもないスピードで抜かれる。向かい風を時速40km!。もしかして片山右京本人なのか? それはともかく三浦半島往復130kmの旅はずぶ濡れになって終了。


2010.8.14(土)くもり一時雨 行く先不明の南多摩尾根幹線

うん、なんの目的もないけど半原2号で出かけていく。さて、前輪はどちらへ向くか。まずは境川だ。定番だなと大清水高校前までの1時間。そこでコーラを飲んで、さあこれからどうしよう。海に行くか、三浦半島の反対で伊豆方面はどうだ。と、走り出すとなぜか前輪は北へ。境川を遡って尾根緑道から南多摩尾根幹線へ。尾根幹は高速道路っぽい。交差点が少なく路側帯がしっかりして自転車で走りやすい。車が怖ければ、しっかりしている歩道を走れる。が、何のための歩道かわからない。こんな所を歩く人は皆無。自転車で走るのも物好きだけだ。東京に行くにも神奈川に行くにも、途中で降りるにも中途半端な尾根幹。で、私は尾根幹に何をしに来たのか分からない。私は何をしようとしているのか。まるでソニンのように行く先不明だ。


2010.8.15(日)晴れ 炎のTシャツ

ものすごく暑い。背中が焼けるようだ。出がけに女房から「そのTシャツはアクリルだから暑いよ、やめたほうがいい」と注意されたのを聞き入れなかったのが災いしたらしい。確かに今日は真夏の暑さが戻っているけれど、布の素材でこれほど変わるものなのだろうか。炎のTシャツを装備すればこんな感じだろう。冬は重宝する炎のTシャツ。

半原1号でいつもの半原越に来たのだが、いろいろと障害が多い。一番はこの暑さ。二番は丸永製菓の製品がどこにもないこと。しかたなしに墓場のそばの木陰で銘柄を確かめる気にすらなれぬアイスを食ってコーラを飲む。セミの声を聞きながら、今日はもうどうにもならんとあきらめる。

スタートしても力がわかない。心拍数も上がらない。すべての努力が背中と頭の熱になって逃げているような気がする。じつは、昨夜は半原越でダンシングをやらかそうと決意していた。たまたま目にした、近所の自転車屋のpiccorienaさんが半原越を走っているビデオがかっこよくて、半原越スペシャリストとしてこれは負けられないと無根拠の競争心が芽生えたのだ。それもなし。この暑さではダンシングどころではない。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間15'09"5'09"13.7149-
区間210'53"5'44"12.3163-
区間316'26"5'33"12.8168-
区間423'13"6'47"10.4176-
全 体 23'13"12.216569(1602)

倒れない程度に登ってそのまま愛川側へ。ボトルの水をかけてもぜんぜん体が冷えない。そもそもお湯になっており、登りで風も受けない。谷の水をかぶろうって気になった。半原越に何百回となく来ているけど、そんな気になったのははじめてだ。炎のTシャツを装備しているのが効いているのだろう。ひとまず水をかぶって登りなおして頂上で休憩。清川村から吹くそよかぜが心地よい。登っているときは無風になる程度の風だ。セミがわんさか鳴いて、足元ではトックリバチが泥を集めている。アリも2つ3ついる。アリはたぶんこれ以上の密度で地上を覆ってる。人間がいくら無茶してもアリにはかなわんな、などと思う。

帰宅し少し休んで午後3時から半原2号に乗り換えて境川へ。暑いといってももう8月中旬、日が傾けば秋の気配がする。海風を受けて走れば涼しいものだ。ところで、半原2号にはタイオガのスパイダーツインテールというプラスチックの網サドルがついている。それにレーパンなしで乗れるのか? という命題がある。私の場合は「乗れる」。ただし下ハン前傾でハンドルとペダルにも体重を分散させなければならない。


2010.8.16(月)晴れ つらそうに走っているおじさん

この夏は暑い日が続く。今日も関東地方は40℃ぐらいになった。峠はしんどいから海の方へ向かう。行きの境川サイクリングロードはゆるい向かい風。50×21Tに入れて90rpm走行。湘南の海ぞい134号線にでると、かなり涼しい。気温も30℃ぐらいしかなさそうだ。交差点もないから路側帯の白線の上を滑るように40km/hで走る。普段はぼろぼろの舗装道路ばかり走っているからここぞとばかりにすっとばす。防風林があって南風はさえぎられが、走れば走るほど風を受ける。自転車は空冷がきいて走っていればかなり涼しい。日射を嫌って夏でもタイツに長袖という人もいるけれど、見た目ほどには暑くないだろう。無理せずに30km/hぐらいで走れる人ならまず熱中症の心配はないと思う。

心配なのは普通の自転車で上半身裸、汗まみれでゆっくり走っているおじさんだ。境川サイクリングロードでは盛夏の日中は、犬の散歩とかランナーとか子どもとか、もろもろの障害物がなくなる。そのかわり遅いおじさん、おじいさんがポツポツ目立つようになる。いくら境川には風がふくとはいえ、歩くぐらいの速度で走っていると、かなりしんどいのではないだろうか。彼らは何をしに来ているのか?あえてサイクリングロードを艱難辛苦の道にするからには、何か狙いがあるはずだ。精神修養でなければ、健康のためとか痩身のためとか、自転車で走ること以外の目的をもってがんばっているとしか思えない。

たしかに自転車に乗ってるとすぐにやせる。だぶついた腹や腰の脂肪をとるのには最適だ。心肺も強くなる。ただ、それは空冷が効いてほどよい運動を長時間楽しむことができるようになってからだ。私は今日ぐらいの日でも5時間100km走って平気だ。仕事さえなければ毎日それを続けることもできる。

初心者ではやせるほどの運動を続けるのは無理だと思う。境川をつらそうに走っているおじさんは、ほんとうにつらいのだろう。暑い中でふうふう自転車に乗って1時間ばかり汗をかいても、たいした運動にはならない。汗をかくこと自体は全く減量にならない。発汗はどちらかというと障害のサインだ。体重は吐息の二酸化炭素と水として空中に消えていくのみだ。できるだけ汗をかかずに楽しくハアハアすることを考えたほうがよい。つらい思いで残るのはつらさだけで百害あって一利ない。自転車をサウナにしても自転車に嫌われるだけだ。「やめたほうがいいよ」と声をかけてあげたいのだが、それも大きなお世話なんだろう。


2010.8.21(土)晴れ 晩夏

ひさびさに半原1号をかって半原越に行く。道路はいたるところに木片や土砂が散乱している。その様子を見る限り斜面が滝になり道路が川になったようだ。何か所か小さな土砂崩れもある。神奈川も下の方ではここしばらく夕立がなかったけれど丹沢の山間部ではけっこう降っているのだ。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'45"4'45"14.915377
区間210'08"5'23"13.216776
区間315'31"5'23"13.216576
区間422'02"6'31"10.917370
全 体 22'02"12.916574(1630)

もうすっかり晩夏の装いで、暑さもほどほどだ。それにもかかわらずパワーが出てこない。がんばっているわりには心拍数も10拍ほど小さい。今日ははじめてEdge500の心拍計を使ったことから、最初は機械のせいかとも考えた。どうやら体がくたびれているようだ。それほどしゃかりきに練習したつもりもない。来週はいよいよ乗鞍だ。どうしよう。

午後は涼しくなった境川で60kmほどのLSD。心拍計を従来のV3に付け替えてみた。やはり感覚的に10拍ほど小さい。機械の差ではなく体の問題。LSD強度までしかパワーが上がらない。

今日は清川村の道路にオオムラサキのメスが落ちていた。状況からすると交通事故だ。ただオオムラサキはわりと高いところを飛ぶ飛翔力の高いチョウだから車にぶつかることは少ない。産卵を終えて弱っていたのかもしれない。交通事故といえば、きのうはやたらとセスジスズメの大きな幼虫が道路を歩いていた。100km ほど走った間で見かけたものは10頭ではきかない。いっぽう今日も同じコースを同じ時間に走ったのに1頭も見ない。きのうは彼らを動かす何らかのスイッチが入ったのだろう。夜にはいよいよアオマツムシが鳴き始めた。


2010.8.22(日)晴れ 耐久走への野望

乗鞍を目前にして体がけっこう弱っている感じだから、しゃかりきにならないように気をつけた。今日は半原越に行かない。かといって乗鞍のために自転車に乗らないというのも本末転倒で精神衛生上よくない。ではと、専門用語でいう「脚を使わない」走り方で境川を100kmほど走ることにした。

自転車はひさしぶりのチネリ。今日も夏恒例の南風が吹いている。向かい風でも追い風でも25km/hぐらい。とにかく一瞬たりとも脚を使わない。今日はぜったいにがんばらない。血の気の多い若者やお年寄りが勝負を仕掛けてきてもぜんぜん無視。高鎌橋のアンダーパスは3秒ぐらい脚を使うから道路を渡る。1時間ごとにしっかり日陰で休む。日陰どころか、冷房のきいた神奈川県立境川遊水地公園情報センターに入って遊水地の役割を解説しているビデオまで見てしまう。

こういうことをやっていると、筋肉と心臓は楽でも、4時間5時間とたつうちに手足尻は痛くなる。とりわけ尻が痛い。何を思ったのか、絶対に脚を使わないことの形式的表明として、普通の短パンで出てきた。短パンも使い慣れていると問題ないものだが、たまにだと問題が大きい。体が痛くなって耐久走の様相を呈してくると、本当の耐久走をやりたくなってきた。ふりかえるとまだ1日200kmを走ったことがない。150kmぐらいは余裕で走っているから、そんなもん簡単だと思いこんでいるけど、やってみないと本当のことはわからない。プロの自転車競技でも250kmクラスのは最後の50kmが別物になるらしい。

痛い尻をかばって走りながら、どうしてこれまで耐久走をやらなかったかと原因を考えてみた。第一は友だちがいないことだろう。自転車仲間なんてものがいれば、糸魚川や仙台はノリでやってると思う。第二は旅行嫌いということだろう。遠い世界にはなんの魅力も感じない。第三に自転車を移動手段だと思っていないからだろう。こういう人格的に痛いヤツは耐久走をやろうという発想が起きなくても不思議ではない。しかし、ついに私にふさわしい耐久走があることに気づいたのだ。

遠くに行こうとするからおっくうなので、近所をうろつくだけなら気楽だ。家の近所をうろうろ200kmというのは私に向いている。宇都宮さんの家の回りを600周というのもけっこう笑えて良いかもしれないが、自動車に気をつかわずに済むという点では境川のほうがよさそうだ。境川なら一本道だから、迷って焦って自滅する恐れはない。早起きする必要すらない。日が暮れればいったん帰宅してライトを持ち出せばよい。昼飯も自宅だ。パンクしてもスペアはたくさんある。なんて手軽でさわやかな境川耐久ラン。6月の雨がしょうしょうと降る日にふとやっちゃいそうな気がする。

そんなことを考えているとスズメたちが妙にそわそわしていることに気づいた。稲がいいあんばいにふくらんで食べ頃になっている。スズメたちもいわゆる帰化動物にちがいない。稲作といっしょに大陸から渡ってきた鳥なんだろう。


2010.8.23(月)晴れ 近ごろ気にかかること

trancy



境川サイクリングロードを使っている人にはおなじみの建物だ。R246を渡る信号待ちのときに嫌でも目に入ってくる。会社の名は日本トランスシティ株式会社東京支店大和営業所。トランスシティと片仮名で書いてあるのに、ローマ字のほうはTRANCY。最初は看板の書きまちがいだろうと見過ごしていた。

trancy2



ところが、近寄って表札を見れば、やっぱりTRANCY。これでトランスシティとは読みにくい。ただし、トランスシティと書いてトランシィと発音するのかもしれない。日本語でも漢字表記なら黙字はたくさんある。前田日明とか。和泉雅子とか。片仮名のスとテも黙字にする人がいてもよい。

andy



コンビニにたくさん貼ってある伊藤園のポスター。かわいい女の子っぽい薄化粧の男の子。ルクセンブルク人のアンディシュレクに似ている。


ブログが更新されなくなったりしてネットの世界で見かけない人はリア充していることが多い。最近見かけないリアディゾン。CGキャラクターの実写版みたいなのに妙に生々しい娘さんだったが、リア充しているのだろうか。子どもが生まれたというワイドショーもみない。


2010.8.26(木)晴れ 2ちゃんねる

2ちゃんねるの「クロスバイクでロードを鴨る!!!」というスレッドが大賑わいだ。低レベルの罵り合戦がインターネットらしくてほほえましい。

自転車乗りというのは奇妙なもので、前に自転車がいれば抜かしたい、抜かれると悔しいという生物だ。自転車はクロスバイクよりもロードレーサーのほうが速いってことになっているから、クロスバイク乗りは、ロードに敵対して燃えるのだろう。その気持はけっこう分かる。一時代前なら、セミドロフラッシャー付きの子ども用自転車<ロードマン風のドロップハンドル車<ランドナー&キャンピングという序列か。そのころはロードレーサーは希少でほぼ全員が競技選手であり、勝負の対象ではなかった。ヨーロッパでプロとして活躍した市川雅敏さんはこの限りではない。中学生のとき、セミドロフラッシャーで実業団のチーム練に参加して峠で選手を置き去りにしたらしい。

今では石を投げればロードレーサーに当たる。峠でならちょっとした体力があればママチャリとよばれる買い物自転車でロードと勝負できる。買い物自転車は実は登り坂に対して適正なギア比とシート角を有しているのだ。登りの抵抗はほとんどが重力だから、体重+自転車重量と乗り手の力だけが勝負を分ける。買い物自転車はロードよりも10kgほど重いが、そのハンディは一般人が思うほど絶望的ではない。

「クロスバイクでロードを鴨る」のは峠ではない。通学途上や休日のサイクリングロードだ。そこでは買い物自転車は時速35kmでギアが空転するから勝負にならないけれど、クロスとロードの戦闘力に大差はない。峠では重量が最大の抵抗だが、その辺の道での最大の抵抗は歩行者・犬・自動車・信号機などのシケインであり、時速35kmだって30秒ぐらいしか出せない。クロスでロードをカモれるかどうかは根性の問題。やる気になれるかどうかだけだ。私も境川でしょっちゅうクロスバイクに抜かされて悔しい思いをする。いわゆる年寄りの「ろーどぃ」で時速30km以上は出せず、クロスバイクでロードを鴨る人たちのいい餌食なのだ。

むろん自転車のポテンシャルではクロスバイクはロードに劣る。クロスとロードでは乗車姿勢は同じようにセッティングでき、乗換の違和感は小さくできる。それでも漕ぎ出した瞬間のフィーリングは異なり、巡航速度にもけっこうな差がある。駆動系の内部抵抗、タイヤの転がり抵抗、空気抵抗の差は、スピードが高くなればなるほど大きく開く。

シケインのないコースを走り比べれば、時速にして1kmぐらいの差にはなるだろう。クロスで30km/hで走れる人なら、50万ぐらいの高級ロードに乗り換えるだけで31km/hで走れるはずだ。この1kmの差は大きい。競争なら絶望的な大差と言える。体感的には以下のような状態だ。よーいドンでスタートして30kmを競争するとする。5分ぐらいはなんとか粘れるかもしれない。しかし、10分後には「もう追いつけない」ことを思い知らされ、30分後には後ろ姿が見えなくなる。1時間後に息を切らせてゴールしたときには、敵は余裕のゆうちゃんで「よ!お疲れ」などとにこやかに語りかけてくる。乗り手の力に差がないだけにこれは悔しい。

その悔しさを50万円で買うかどうかの判断に迷う人もいるかもしれない。私は50万で1km/hを買えるならぜんぜん惜しくないほうだ。


2010.8.30(月)晴れ 乗鞍っておもしれーなぁ

一夏のすべてをかけたといっても過言のない乗鞍だった。なのに、どこでどうまちがったのか徹夜明けでスタートラインに立っている。ただでさえ高原の朝の太陽はまぶしすぎる。日曜の乗鞍の天気は快晴。午前7時半だというのに気温は20℃以上もありそうだ。しかも無風。気象条件は申し分ない。酷暑のお盆休みにはしゃぎすぎた疲労もとれている。足元がふわふわして体が揺れるように感じているのは完徹の影響だけではあるまい。4000人の自転車乗りの熱気に包まれて興奮しているのだ。さあ90分を切れるだろうか。

走り始めると、快調だ。絶好調ではないものの普段の力は出せている。スタート後しばらくは急坂が波打つように連続する。ここで意地になってがんばらないことが肝要だ。6月ぐらいから気をつけてきたことだ。8割程度の力で乗り切らねばならない。そして序盤の緩い坂へ。ここもいい気になって強い選手と張り合ったりすると自滅だ。あくまでマイペースで、時速17kmも出てればじゅうぶんだと言い聞かす。とにかく勝負は10kmを過ぎてからなのだ。どれだけ力を温存しつつスピードを最大限に上げるかにかかっている。上位をねらって飛ばす連中には目もくれずイーブンペースな集団に付いていく。

念のために心拍計をチェックすると、178bpm。高すぎる。上げたつもりはない。体感よりも10拍ほど高い。興奮状態でわれを忘れていたのか。この調子では30分で体が動かなくなる。今日は5kmの半原越の登りではない。10kmのヤビツでもない。20kmの乗鞍なのだ。しかしだ。この緩傾斜を時速15kmほどでこなしている集団に付いていけないようでは絶対に90分ではゴールできない。後半には10km/hも出せないはずの部分が数キロに渡って続くはず、きっとオーバーペースではない、オーバーペースでも行くしかないと選手の波に乗るようについていく。

体が動いたのはスタートから6kmぐらいまでだったろうか。中間地点の10km、手元の時計では45分をやや切るぐらい。明らかに力がなくなっていることが自覚できる。このタイムでは絶対に90分は切れない。それを達成しようとすれば、目に見える限りの200人ぐらいをごぼう抜きしなければならない。90分は無謀な目標だったことが明らかになった。ここから先の10kmは未知の領域だ。私は10km以上の本格的な峠を登ったことがない。

一番斜度のある所では何をしているのか意識ももうろうになっていた。目標は制限時間内に完走することになった。とにかく一歩ずつ前に進むこと。ギアは26×23T。これがあれば、どんなことになっても脚は前に出せると信じて選んだ最大のギアだ。

残り5kmからは1kmごとに残り距離の表示がある。ビブスをまとった係員の人が距離を連呼し応援してくれる。当初の予定では、ここまでは力を温存しておいて、13km/h 〜15km/hで駆け抜ける5kmのはずだった。もうキャットアイのメーターを見る余裕もない。ケイデンスの数値なんてただでさえ小さくて見えない。ただ、谷側を見ると快晴の空のもとにアルプスの雄大な連山が広がっている。足元に広がる緑はハイマツ、そしてすでに実が色づいているナナカマド。森林限界を超えたのだ。ふわふわと舞う黒い鳥はホシガラスらしい。

速度はどれぐらいなんだろう。6km/h か7km/hか。時間はどれぐらいたっているんだろう。まだ2時間は越えてないだろうか。降参して自転車を降りている人もぽつぽつ見られるようになった。私も選手の集団からずるずると後退している。残り4kmぐらいまでは、抜かれるたびに10分後にスタートしているはずの友人ではないかとびくびくして、後ろ姿の自転車やウエアをチェックしていたが、それもいつしかどうでもよくなった。

1km、1kmってこんなに長かったろうか。1人で走っていたらとっくに降りている。左足は痙攣の兆候を見せている。それでも乗っていられる。いっしょに参加している友人がいるから。同じようにつらそうな回りの選手がいるから。惰性か意地か奇妙な連帯感か、そんなものに支えられて、脚が回っている。はっとわれにかえったのは「残り50m」という声を聞いたときだ。一瞬、嘘だと思った。ただそれは繰り返され、回りの選手が一様にブレーキをかけ、止まって降りる人も出ている。ゴールは歩いて通過するきまりのようだ。

ゴールらしき所の道路にシートが敷かれてあるのに気づいた。計測のセンサーが置かれてあるらしい。越えたと同時に反射的にキャットアイのストップボタンを押した。1時間46分台だった。秒の数字なんてどうでもいい。係員がゼッケンを連呼して確認しているから本当にゴールなのだろう。

惨敗のはずなのに、やったやったと気分は空回りのように高揚している。身の程を思い知らされたはずなのに、なぜかうれしい。単純な達成感ではない。半原1号を押して歩きながら、半原越やヤビツ峠とは異質なあるものを感じていた。その違和感のもとは、体の元気さにあるようだった。峠のゴールで脚ががくがくで立ってられずに座り込んだことも何度もある。胸やのどが痛いほど呼吸ができなくなっているのは毎度のことだ。そういうゴールのお約束がない。さっきまでの30分が文字通りの悪夢としか思えないほど体が楽だ。走ろうとしても体は動かないはずだが、おとなしくしていれば風も日の光もじつに心地よい。空気の薄い高山の魔力なんだろうか。乗鞍っておもしれーなぁ、なんか化かされているぞ、と5分ほど歩くと穂高や槍のとんがった岩肌が目線に見えてきた。もう一度、乗鞍っておもしれーなぁと少し笑った。


2010.9.2(木)晴れ クイズ 本物はだれだ

乗鞍で、40年ぐらい前に放送されていた「クイズ 本物はだれだ」というようなタイトルの番組を思い出した。ゲスト3人ぐらいが「私は◯◯という技の達人です」というような紹介とともにさっそうと登場する。ただし、本物はそのなかの1人だけだ。役者や歌手などの芸能人回答者はゲストに1つだけ質問をすることが許される。偽物は完全な部外者なのだから、あえてそれらしい嘘を回答するが、本物は正答しなければならないという決まりがある。そのQ&Aや人物の見かけから推理して本物を当てるというものだ。番組としては偽物が本物っぽくて本物が偽物っぽいほうが回答者は混乱し視聴者には意外性があって面白い。

なんでそんなものを思い出したかというと、乗鞍のチャンピオンがぜんぜん強そうにないからだ。チャンピオンは20kmの登りを大会レコードの55分で駆け抜けた。私のちょうど2倍の速度といってもピンとこないかもしれないが、路線バスと同じ速度といえばわかるだろうか。乗鞍とか、富士山とかの登山観光バスのあとにぴったり自転車がついてきているのを想像すればよい。ふつう、そういう状態では自転車に乗っているのは幽霊か妖怪のたぐいのはずだ。

その化け物のようなことをしでかしたのは20歳そこそこに見える青年だった。背はやや高めでやや痩せ気味。色白で近視らしいメガネをかけて非常に頭が良さそう。化け物だとしても、妖怪よりは幽霊側に振れている。その風貌で自転車がそこそこ速くてもいいけど、全国から4000人集まった強者の頂点とは信じがたい。「本物はだれだ」のゲストになればきっとうけるだろうと思ったのだ。芸能人回答者の「競輪選手には見えませんが、本職はなんですか」という質問に「東大でコンピューターやってます。自転車以外のスポーツは中学で卓球やってましたが補欠でした」といわれてもまったく違和感がない。

自転車で速く走るために有効な方法は、それに適した体で生まれてくることに尽きる。おそらく96%ぐらいは素質で決まると思う。ただし、練習はこなさないと超人的なスピードでは走れない。で、色白で筋肉のない乗鞍チャンピオンの体を見ると、よっぽど効果的なトレーニングをしているんだろうなと思える。少なくともこのクソ暑かった6、7、8月には10時間ぐらいしか太陽にあたっていないんじゃないだろうか。冷房と扇風機の効いた室内のトレーニングマシーンを使って運動生理学に基づいたプログラムにそって最小努力で最大効果を上げているような気がする。それは妄想かもしれないが、速くはなりたいが辛いことはしたくないという私には、この世のどこかに秘術があるという期待が支えになったりするのだ。藁をもつかむ思いでアメリカ製の痩身機械を買って、つかんだのは(笑)だったという人の発想と同じだ。


2010.9.3(金)晴れ 時は金なり

自転車乗りの間では「時は金なり」というのはよく知られている格言だ。すなわちタイムは買えるのだ。乗鞍のチャンピオンの自転車は推定価格で100万円以上のものだ。重量は5.85kgだという。正式の試合では軽すぎて違反となり出走できない。かたや乗鞍で2500番ぐらいだった私の半原1号は推定価格12万円。重量は推定8.0kgだ。私だってチャンピオンの自転車で走っていれば、2分ぐらい短縮して1時間45分が達成できたかもしれない。それぐらい気迫を感じる自転車だった。

自転車競技なのだから、タイムが買えるのは当然だ。よく転がるホイール(30万円ぐらい)。力がストレートに伝わるフレーム(40万円ぐらい)。軽い車体(ホイール、フレームのぞいて30万円ぐらい)。どれもがダイレクトにタイムに反映する。問題は1分、1秒に何万円つぎ込めるかになる。

乗鞍の会場では国産のカーボンフレームの試乗会をやっていた。少しだけ乗ってみた。むろん悪いものではなかった。ヨーロッパのレースでは全く登場しないノーブランドのフレームを40万で売ろうってのだから、そうとう自信のあるものにはちがいない。さて、問題は半原1号から乗り換えた私がどれだけタイムを縮められるかだ。フレーム屋のおっちゃんとの会話だ。

いいフレームだなあ。昨日これ買って走ってれば1時間切ったかなあ
 おっ、何分やった?
1時間46分
 そんなら、楽々1時間切ったやろな(笑)
正直なとこどれぐらいやろ?
 これまで何回か出とるベテランがおって
ほう、
 その人はもう年やし、タイム伸びんやろうとあきらめてたけど
ほほ、
 今年、こいつを使って・・うふふ・・10分縮めたよ
10分! 40万で10分買えたら安いなあ

というようなほのぼのしたやりとりがあったわけだが、走り込んでいるベテランで10分縮まるというのは尋常ではない。私ぐらいの位置でも時速にして1km以上の差になる。嘘でないとすれば、何が起きたのだろう。私はすぐにそのフレームを予約するべきなのだろうか。ひとつ思い当たるのは、毎年お買い物用のミニサイクル(推定価格1万円)で出場していた名物おじさんが今年はいなかったということだ。彼もいよいよお金が貯まって40万円のフレームが買えたのかもしれない。ミニサイクルと世界最高峰のロードレーサーなら10分の差がついても不思議ではない。


2010.9.5(日)晴れ 灼熱の湘南

ドラゴンボールを見ながら、今日もそうとう暑いのだから境川あたりでお茶を濁そうと考えていた。ワンピースはオープニングの歌が変わってから全く見る気になれない。ひとまず庭のメダカたちにエサをやって半原2号に空気を入れて出発だ。

境川に出るとお約束のように南風が吹いている。やはり涼しい風だ。向かい風を受けて走っていると妙に快調で、ちょっと遠くに行ってもよいかなという気になった。引地川に回って湘南の海沿いに134号線を西へ。じつは134号線は夏の日中でも日陰なのだ。両脇に防風林があって、それが太陽の光をさえぎっている。左端の自転車1台分ぐらいがやっと影の中に入るていどだ。影に入れば涼しいのはさすがに9月というところか。

134号線は舗装がよく邪魔者がいないからけっこう飛ばせる。前回は時速40km付近でタイヤがこすれるような感覚があった。タイヤ面がサンドペーパーでできているような感じだ。やっぱり安いタイヤはだめなのかなと、さっそくミシュランプロ3を注文したのだ。今日はその感じがない。悲しいことに前回と同じタイヤ。パナソニックのクローザーは世界で最も安いタイヤだと思う。よく転がる感じは空気がちゃんと入っているからだろう。前回は6気圧ぐらいで、スローパンクもしていた。

134号線から1号線に入って小田原を目指す。けっこう自転車とすれ違う。彼らの目的は不明。ロードレーサーなら箱根の練習帰りあたりだろうが、そういう感じではなくツーリストの割合が高い。東海道はそれなりに人気のあるコースのようだ。

小田原まで来るとさすがにまいってきた。腹も減ってくる。コンビニで丸永製菓のあいすまんじゅうとミカンジュースとおにぎりを買って、小田原城入り口で食べる。小田原城背景に自転車を撮って写メ「小田原なう。暑い」

もう帰ろうと決心していたけど、時計を見るとまだ2時。引き返すには早いし、熱海まで行くと3時を回って日没ぎりぎりで帰宅することになる。とりあえず2時半まで伊豆半島を走って引き返すことにする。これがまた中途半端だった。伊豆半島はけっこう人気の観光地らしく自動車の列がとぎれることがない。道路のようすもけっして自転車で走って楽しいものではなかった。

帰り道はゆるい追い風。東向きは日陰がない。背中のほうから日が照りつける。これがけっこう罰ゲームの様相になる。ふだん快調に走っていると歌も出る。湘南といえば太田裕美の「湘南アフタヌーン」なのだが、今日はそんな牧歌的な雰囲気ではない。35km/h ほどで巡航している間は風も受けるが、信号待ちのたびに足元はもわっとして背中はかあっとする。ボトルの水もなくなった。変な電波を拾っているらしく心拍計が238bpmなんて数字を示している。最初見たときは「心臓だめなの、ぼくもう死ぬの?」と恐くなった。恐くなっただけで息が止まり景色が回り始めるから面白いものだ。自転車で死んでもしょうがないとはいえ、できれば半原越あたりにしてほしいものだ。


2010.9.7(火)晴れ 新型ローラーの提案

自転車のトレーニングは屋外でやるよりも室内でやるほうが絶対によい。ただし、いくつかの問題はある。風が来ないから暑い。これは冷房と扇風機で対処可能だ。床が汗まみれになる。これは床の工夫と掃除でなんとかなる。退屈だ。そんな人はやめたらよい。市販のローラー台にろくなものがない。これが一番の問題だ。

そもそも固定式のローラー台については、開発者もまじめに取り組んでいないようである。私がいま使用しているのは15年ほど前に購入したミノウラの固定式のローラー台だ。その後、内外のメーカーが新製品を次々に発売しているのだが、そのいずれも買い変える気になるほどの改善はなされていない。

固定式では、いかに実走感に近い状態に持っていくかが課題なのだが、その点での進歩はこの15年微々たるものだ。実際の使用はしていないが、外見だけで改善がないことがわかる。現状の固定式は後輪をしっかり挟み込んで文字通り「固定」する方式である。そうする限り、実走感を得るのは難しいだろう。3本式+フロントフォーク固定で、自転車を振れるようにしている製品があるが、あれは固定式の変種とは認められない。

一本足ローラー

私は図のような一本足式の固定ローラーを提案したい。最も大きな特徴は後輪のハブ軸の部分を一本の棒で支持していることだ。中央の円盤はシェル型で抵抗器を内蔵している。一本足にすることで、自転車は左右にも前後にも振ることができる。必要ならば上下にも振ってタイヤの空気圧を再現することだって可能だ。また、このスタイルからいくつかの付加的改善が可能になる。

一番はホイールが必要ないこと。クイックレバーの形状が合わずにローラーが使えなかった経験はないだろうか。エンドにつく傷が気になる人はいないだろうか。タイヤが削れてうんざりした人はいないだろうか。ローラー専用ホイールなんて実にばかばかしい代物だ。私の一本足式は後輪を外してローラー台をリアエンドにはめる方式だからホイールは不要だ。タイヤとローラーの摩擦もないから静粛性の改善もあるだろう。

二番目の特徴は出力計算が容易であること。はやりのパワートレーニングが手軽にできる。いま市販されている出力表示が可能なシステムは大げさで高価である。それは歪み計などの繊細な測定機が組み込まれているからだろう。私の一本足ローラーはチェーンの力が抵抗器にダイレクトに伝わるため計測が容易だ。抵抗器は発電機なのだからその発電量をもとにライダーの出力を測ればよい。ものすごく安価で耐久性の高いパワーメーターになる。また、現行の磁石式抵抗のローラーは磁石の距離を変えることで負荷を変化させていると思う。そのやりかたでは出力計算が難しくなるはずだ。私のは負荷調整は内装の歯車とギアチェンジで行う。ロードレーサーは20段ぐらいもギアがあるのだからそれを使えばいい。シフトの相性もあるから、カセットはあえてオリジナルにして販売コストを下げる。スペーサーを変えるだけでカンパニョーロにもシマノにも8段〜11段で対応できる。さすがにエンド幅は130mmのみにした方がよい。ピストやMTBはよそでやってもらいたい。

現状のローラーは後輪を床から浮かせる必要があるから、水平にするために前輪に下駄をはかせたりする。そんなコントのようなこともしなくてよくなる。地面からの高さが同じというのも実走感には大切なのではないだろうか。


2010.9.8(水)雨 濡れ手に粟はいつまで続くか

さいわいなことに私は濡れ手で粟をつかんだことがけっこうある。たしかに粟粒はたくさん拾える。払い落すのがやっかいなくらい拾える。つかむのが軽くて小さい粟粒ではなくもっと値打ちのあるもの、たとえば現金であれば笑いが止まらなくなるかもしれない。そういう状態から「濡れ手に粟」という慣用句も生まれたのだろう。

言葉は生まれただけでは生き残れない。その生命を維持するためには呼吸が必要だ。個々人がその言葉を聞いてピンと来て、使って納得することを言葉にとっての呼吸という。「濡れ手に粟」という表現に接してピンとくるためには、濡れ手で粟をつかむ体験は必要である。しかしながら今の人では小鳥でも飼っていないかぎり濡れ手で粟をつかむ経験はないだろう。粟なんて見たことない人も多い。粟のことを自由が丘あたりのこじゃれた店のおしゃれなビンに入っている高級食材だと勘違いしている人もいるかもしれない。すでに大方の日本人には、実際の粟と言葉の粟が一致しなくなっている。

それでも「濡れ手に粟」がみずみずしい命を失わないのは、濡れ手で泡をつかむ経験が豊富だからにちがいない。現代では泡立ちの良い石鹸が豊富に流通している。おそらく濡れ手に粟という慣用句が生まれたころには泡立つ石鹸なんてなかったことだろう。濡れ手に粟と聞けば文字通り濡れ手で粟をつかむことしか思い至らなかった。今では、この言葉を最初に聞いたときはだれもが、石鹸の泡を思い浮かべるはずだ。 この言葉が生き残るうえでラッキーだったのは、石鹸を使うときにたまたま手が濡れていることだろう。石鹸の泡は乾いた手でも容易に大量にすくいとることができるから、濡れ手という前提は本来不自然である。にもかかわらず、泡を触る手はいつも濡れているため、そこんとこはスルーされる。

たいていの人は、人生の途中で泡が本来は粟であることに気付かされるだろう。それは文字によって視覚的にもたらされるかもしれないし、おせっかいな物知りに教えられてのことかもしれない。おそらくそうした訂正はこの慣用句を使用するにあたって小さからぬ引っかかりになろう。濡れ手で粟をつかむ経験がなければ、本来の意味を知った後でこの言葉は使用しにくいはずだ。

この世に人のある限り、濡れ手に粟の楽々大儲けへの欲が尽きることはない。であれば、この世に日本人のある限り「濡れ手に粟」を意味する慣用句が途絶えることもない。そしてすでに我々は「濡れ手に粟」を手にしている。ただし、百年後はともかく千年後にこの慣用句が生き残った暁には表記は泡に変わっているはずだ。そして、粟が泡に変化して定着するならば、その意味は泡の連想から「楽々大儲けの野望なんてもろくも崩れ去るもんだよ」というように変わっているだろう。


2010.9.12(日)晴れ 身に覚えのあるコオロギ

しばらく前から自宅に見慣れないコオロギがいることに気づいていた。樹木や雑草の葉の上にいて目にとまることが多い。サイズはごく普通、体色が薄く後脚に長いとげがぴんぴんと生えているのが特徴だ。

実はその見慣れぬコオロギには身に覚えがあり、ちょっと嫌な気分になって、その正体を確かめるのをためらっていた。こんぐらいならと手を染めた小さな犯罪が大事件に発展したんじゃないかという不安に襲われたからだ。もしそのコオロギが身に覚えのあるやつなら、たとえ原因が私でなかったとしても、無実の証明は不可能だ。私は気の弱いおやじなのだ。

かつてアマガエルなどを飼っていたとき非常用としてコオロギを数回買ったことがあった。商品名は「ヨーロッパイエコオロギ」だったと思う。日本のコオロギではないのだから、そういうものは無視すべきなのだが、便利さに負けて買った後ろめたさがあった。買ったものは全部処分したつもりだったのだが、けっこうな頻度で見慣れぬコオロギを庭で目にするようになると「もしかして逃げたのが繁殖したのか・・・」と、後ろめたくなる。エサとして大量生産できるぐらいだから繁殖力も強いはずだ。全国規模で考えれば、私の買った数匹が逃げたとしても影響は微々たるものだ、などと言い訳を考えていた。私は気が弱いのだ。

そして今日、湘南でトンボをやってる尾園さんのブログを見ていると、ウスグモスズというコオロギが出ていた。それはまさしく私が庭で見ている正体不明のコオロギだ。解説によるとやはり移入時期が定かでない帰化昆虫であるらしい。これはまずいかな・・・。さらに解説を読むと、ウスグモスズは生態もいっぷう変わっていて、♂も鳴かないのだとあった。これで私の嫌疑も晴れた。私が買っていたヨーロッパイエコオロギは♂がけっこうかわいらしく鳴いていたのだから、少なくともわが家に現れるウスグモスズは私の責任ではない。

コオロギの件は無実だとしても、外国の魚や水草を買ったりして動植物の輸入に加担したことはまちがいがない。さらにもっと間接的な関与も含めると、この50年で帰化した動植物のすべてに潔白だとは言い切れない。見慣れぬ虫がうろうろするのは少なからず気分が悪い。せめて直接的に関与するのは避けたいものだ。


2010.9.17(金)晴れ カリスマドッグトレーナー

「カリスマドッグトレーナー」は家族そろって楽しんでいるテレビ番組だ。女房はそのカリスマドッグトレーナーという肩書きを持つシーザーなる人物が大好きだ。たしかに彼は傑出した人物だ。人間というよりも人語を解する二足歩行の犬みたいだ。本人は犬の気持ちが分かると主張しているが、番組を見る限り、本当に理解しているようだ。というのもシーザーは番組中で「犬には過去も未来もない、今があるだけだ」と繰り返し主張し、その信念に基づいて犬を調教し、成功しているからだ。彼には試行錯誤から得た経験則だけでしか犬を調教できないトレーナーと一線を画すものがあると感じている。

犬のような高等動物に過去も未来もないことを発見するのは難しいことだと思う。私もシーザーを知る前は、犬にも後悔や目的があるのではないかと思っていた。というか、犬の心なんて気にもしていなかった。私は一般に虫けらとか草とか呼ばれている、犬よりもはるかに劣等な生き物の気持ちならわかる。確かに彼らには過去も未来もない。内外に存在する今だけで生きている。そのことに気づけるのは彼らは人間的な表現力を欠いているからだ。虫けらの動きや表情から希望も後悔もないことを読み取るのはたやすい。ところが、犬のような超高等生物の心に目的や希望や後悔がないことを気づくのは困難だと思う。人は人間的なものに簡単に感情移入する。そして一度抱いたその感情を捨て去ることは容易ではない。曇った目には、その感情を否定する現象が写らなくなるからだ。

調教の天才であるシーザーが気づいたように、犬は今にしか生きていないのだろう。それは禅でいう悟り、無の境地に等しい。その昔、中国の超偉い坊さんが「犬は悟れんでしょうなあ」ときかれて「いや、悟ってるよ」と答えたというが、それは犬が生まれながらにして今に生きているということを指したものだろう。

むろん、本能として悟っているのでは無意味で、本来の悟りの境地は意識を研ぎ澄ました果ての無なのだと思う。それは犬には難しい。犬は動物だから、心身の奥からわき上がる根源的迷いにとらわれる。今だけにしか生きていない犬はそれが迷いであることに気づかない。人間だけがそれを知ることができる。迷いに気づいて、それを伝統的なテクを用いて無化するか、気づかずに本能的に無であるか、結果は同じにしても内容は異なるだろう。同じお坊さんが別の所で「犬も悟れるもんですかな」とたずねられたときに「あ、それ無理」と答えたというが、たぶんそんなところのことだろうと思っている。


2010.9.19(日)晴れ 腰が痛いとき

昨日今日と最も気にしているのは腰の痛みだ。もともと腰に弱点はある。ゆっくり乗っている分には問題ないが、力を入れなければならない状態だと痛くなってくる。痛い部分は背中と腰のつなぎになる部分。筋肉に痛みが来て腰からふくらはぎにかけてしびれるようになり呼吸も苦しくなる。そうなるとペダリングどころの騒ぎではなくなる。乗鞍のラスト5kmほどはプチ地獄であった。

この痛みの最大の原因は力の入れすぎだ。だから力を入れなければよい。強い向かい風に勝負を挑んで30km/h以上のスピードを維持しようとしたり、長い登りをアタックするようなことをしなければ全く支障がない。先週も100km以上乗っているし、調子に乗って45km/h以上のスピードを出したりしたけれど、一度も腰に違和感はなかった。無理に力を絞りだそうとしなければだいじょうぶなのだ。

だからといって、ずっと力を出さないわけにはいかない。私は半原越のスペシャリストなのだから20分の峠TTは必須だ。力を出す練習をしなければ上達はない。アタックのときにだけ力を出せば腰が痛くなってタイムどころではなくなってしまう。腰の痛みとうまくつきあいながら力を出す方法を身につけなければならないのだ。

今日はそのことを重点的に考えてみた。うまい具合に境川ではよい南風が吹いており、27km/h程度でもかなり力を使う。半原2号で50×21Tを使って90rpmでやってみる。その強度だと痛みが来た。どうにかごまかせないものかと強度を下げずにいろいろ工夫してみたがダメだった。痛いのを我慢してなんとかしようとしてもどうにもならない。ひとたび痛みに襲われたら強度を落とすしかない。25km/hに落とせば5分ぐらいで回復する。出力ダウンは峠のTTでは敗北を意味する。

試行錯誤して、ひとまず同じ程度の出力でも痛みが来たり来なかったりすることに気づいた。まずは、ギアを軽くしてケイデンスを上げること。速度は同じでも100〜110rpmでしゃかしゃか回せる程度のギアを選べば痛みは来ない。この方法では峠に対応しきれない。向かい風とは段違いの出力が必要なのだ。また、上半身の力の入れ方にもなにか秘密がありそうに思えた。背中にぐっと力を入れてペダルを踏み込むとダメなようだ。体を弓に反ってぐんぐんぐんと座り立ちこぎのようにすると最初はパワフルだけど、数分で痛みがやってくる。それに反して、背中を意識的に脱力させて腕で上体を支え、ふとももと腕力でペダルを回すようにすると、けっこうな出力でも痛みが来ないようだ。ただし腕力はけっこう使う。そして背中の脱力をしっかり意識しないといつの間にか力が入ってしまい、痛くなってはじめて気づくことになる。そのときはもう遅い。

なお、乗車姿勢はこの痛みに影響がない。下ハンで腰を折りたたむほうが痛そうに思えるけど、腕を曲げて背中を水平にして太ももをしっかり上げ腹に当たるぐらいの感じにしても、背中の力が抜けておれば痛みは来なかった。


2010.9.20(月)くもりのち晴れ ひさびさの登り

神奈川県のこのあたりでは稲刈りが最盛期。いつもの棚田も今日稲刈りだった。子どももくわわって一家総出の稲刈り。最近ではあまり見られない光景だ。この田ではコンバインなんてものは使わず、稲ははさに架けて天日で干す。丸永製菓のあいすまんじゅうを食べながらしばらく見ていたが、子どもはあそんでいるだけだった。私も子どもの頃はちょっとだけ手伝って、すぐにコオロギなんかを追いかけていたような記憶がある。

目の前を横切っていったのはアカボシゴマダラ。飛ぶのがあまりうまくない。たまたまアゲハと並んだものだからその差が歴然としてしまった。山側の広葉樹をしきりにつついている。どうやら産卵場所を探しているメスのようだ。ただし、つついている木はエノキではない。はずれだ。アカボシゴマダラはすっかり定着した感がある。もとは10匹とか20匹とかだったろう。たくましいものだ。このチョウが環境を悪くするとも思えず、すでにアサギマダラと見間違うことも滅多になくなり、いても迷惑ではないのだが、持ち込んだ人は非難されるべきだ。

半原越はちょうど一か月ぶり。こんなに間があいたのは久しぶりだ。そういえば棚田の稲に花が咲いたのすら見た記憶がない。8月が非常に暑くて、涼しい湘南に逃げていたのと、乗鞍の準備のために来なかった。涼しくなっていっちょやってみようと、半原1号のギアを26×16Tにかけてスタートする。このギアだと立ちこぎを混ぜないとつらいところがけっこうある。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'34"4'34"15.516176
区間29'35"5'01"14.117569
区間314'31"4'56"14.417870
区間420'25"5'54"12.018859
全 体 20'25"13.917767(1368)

ギアはずっと変えず。区間4で心拍計は最高値に貼り付いている。やっぱり半原越はこうでなくては。最大心拍数になってからどれだけ耐えられるかが勝負だ。区間4は6分を切った。終盤でスパートはしないが失速もなかった。境川あたりでも重いギアを回す練習を取り入れており、その感触が生かされているような気がする。平地と登りを同じ感覚で走れるのが理想だろう。

半原越でも腰の痛みはでなかった。時間が短いということもあるけれど、境川で練習した痛くならない力の入れ方でやってみた。まだうまくいってる自信はないものの方向は間違ってないと思う。また、今日は佐藤製薬のサロメチールを塗ってきた。塗った部分がものすごく熱くなる。とくに力が入ると熱さが増すから、力が入ったことを体温で感じることができる。血行のせいなんだろうか。面白いものだ。


2010.9.28(火)雨 軽量ホイールを買わない

私が軽量ホイールをもっていないのは客観的事象として相当奇妙だろう。普通、私ぐらいの財力があり峠に入れ込んでいれば30万円ぐらいのホイールは持っていて当然である。そうしていないのは、軽量ホイールが半原越のタイム短縮にほとんど効果がないことを帰納法によって証明しているからである。以下、その証明を公開する。軽量ホイールの入手を検討している自転車乗りの諸君は参考にして欲しい。

私は15年ぐらい前に組んだホイールを今でも使っている。ボスハブ6段仕様でリムは当時ようやく普及したクリンチャーである。当然重い。スポークの張りも自分でだましだまし調整しているだけで相当怪しい。そのホイールは鉄のチネリで使っている。そしてその仕様での最高タイムが19分30秒ぐらい。むろん、最近のそれなりに軽い完組ホイール(1.7kgぐらい)も持っている。そいつをカーボンモノコックの半原2号にセットして出したタイムが19分30秒ぐらい。重量にして2kgの差がある両車であるけれど、半原越でのタイム差は30秒ほどである。しかも、チネリでのタイムアタックは3回ぐらいしかやっていない。この30秒の差は誤差の範囲といってよいだろう。

以上で証明は終わりだ。念のため、数学が得意ではない人のために補足しよう。ぼろい重量級ホイールと普通のホイールの違いは誤差の範囲であるならば、普通のホイールと軽量級のホイールの差も誤差の範囲だ。結論として、いまの2万円の普及版ホイールでかまわないことになる。これは強がりではない。なにしろ一般ではホイール購入における最強障壁とされる女房が乗鞍惨敗でちょっと元気をなくしている私に軽量ホイールの購入をすすめているのだ。

50歳もすぎると生命保険の掛け金が高くなる。5000万の死亡保険+αで月々5万ほどだ。それぐらいは問題なく払っていかれるのだが、女房が反対している。

ところでお父さんが死んだら、なんで5000万もいるわけ?
 いや、学生やってる子どもも3人いるし・・いろいろ金いらないかな? 家のローンとか
私はそろそろ出家して坊主になるからなんにもいらない
 ・・・・出家は無論いいことだが、
いまでもけっこうお金とか野菜とか、お布施でもらってるし
 そりゃまけっこうだけど、子どもらは生きて行かれるかね
今は、親がいるからだらしないだけで、親が死ねばなんとかすると思うよ
 そういう気もするな
だから、保険なんかの詐欺師とは手を切ってホイールでも買った方がましなんだよ
 そうだなあ、パワータップってのがあって、ハブに内蔵された歪み計で出力が・・・

という次第で、死亡保険をやめるだけでも1年に1組ずつ最高級ホイールを買える境遇にある。しかしながら、数学的に無駄が証明されているところに資材を投入するのは科学者としての矜持が許さない。したがって、ひとまずは3500円ぐらいのちょっと高いタイヤと1000円ぐらいのちょっと高いチューブを揃えてプラシーボ効果によるタイムアップを画策しているのだ。


2010.9.30(木)雨 クマゼミ6年周期説

九州で自然写真家をやっておられるかたのブログにクマゼミのことが出ていた。数年前にクマゼミ卵を庭に放しておいたところ、今年羽化が確認された。そのクマゼミが他所から来たものでないとすれば、卵〜幼虫の期間は6年になるという。

そのつもりで私の記録を見直してみた。クマゼミが自宅周辺で多かったのは2000年と2006年だった。それ以外の年も鳴き声こそ聞かれたけれど、散発的なものでしかなかった。今年も去年も多くて2匹といったところだ。つまり、自然観察のプロが実験的に導いた6年周期は、神奈川での観察とも一致していることになる。

先月、久しぶりに真夏の三浦半島を訪れた。真昼といってよい時間帯なのにおびただしい数のクマゼミを聞くことができた。まるで四国の海岸線のようだった。ただし、三浦半島の油壺あたりのクマゼミは新参者とは限らない。今を去ること25年前、油壺マリンパークを訪れたときにも、先月に遜色ないクマゼミのシャワーを聞いた。東京にはまだいなかった頃である。あのときは、関東でも三浦半島あたりはずいぶん温暖で西日本のような気候なんだと単純に合点した。

この中央林間の林のクマゼミは、三浦半島ほかの海岸線からの北上組なのだろうか。私が見る限り神奈川県内の生息地は散発的で、温暖化しているとはいえ急速に分布を拡大しているとも思えない。少なくとも、たった数年で県内全域での普通種となってしまったアカボシゴマダラのようなフロンティアスピリットは感じない。だからこそ、ぼんやり聞いているだけで、確かに6年周期だなあ、などとまがいなりにも想像することが可能なのだが。


2010.10.4(月)雨のちくもり 才能とイメージトレーニング

「努力できることが才能に他ならない」などと言われるけれど、最近それを痛切に感じている。努力にしても、効果的なもの、結果の出る努力でなければならない。むろん才能のあるなしは努力の結果で明らかになる。やってみなければわからないことはいっぱいある。では、どこまでやればわかるのか。というような感じで、堂々巡りに陥っている人が多いのではないだろうか。

勉強やスポーツ、仕事、恋愛の鍵を握るのはイメージトレーニングだ。このことは、デキる人は皆知っているだろう。できない人はできる人がわからない。イメージトレーニングは外見には現れない。ちっとも勉強してない者がいざテストになると高得点を取ったりする。それは頭がいいということになるが、頭がいいというのはイメージトレーニングができているということに他ならない。ヤツはぼうっとテレビを見ながら、頭の中で数式をかちゃかちゃ動かして勉強しているのだ。

ただし、イメージトレーニングをたくさんやればよいというものではない。どうやら下手の横好きは確実に存在するらしく、私はぜんぜん自転車がうまくならない。自転車のイメージトレーニングはきっと最大限にやっている。「登り坂では、右足をこう使って、背中はこうで、腕はこうで・・・」というようなことを飽きずに考えている。ところが、いざ自転車に乗ってみると、イメージしたことがぜんぜん違っていることに気づく。

こんな私であるけれど、卓球はけっこうなものだ。実力的には東京の草試合の最下位Cランクに出場して1勝2敗という底辺に過ぎないが、練習量の割にめざましい伸びがあると自覚している。卓球のドライブやカットのイメージトレーニングもやっており、玉を打つイメージと実際の動きがマッチしているという自覚がある。少なくとも自転車よりは天分があるようだ。

もしかしたら、「正しいイメージトレーニングができることが才能に他ならない」のかもしれない。悲しいのはフリーセルだ。すでに40000個ほどを解き、そこそこの努力は積んだ。8割ぐらいは30秒で解ける。それなりの試行錯誤からいくつかの定石らしいものを発見している。しかし、その定石を頭の中に固定できない。場当たり的になんとなく使える程度のものに過ぎない。それはイメージトレーニングができないからだ。52枚の乱雑なトランプカード全部は無理としても、その一部ぐらいは頭の中に配置して練習できてもよさそうなものだ。10枚ほどのカードの配置をああでもないこうでもないと動かして基本の定石を確かなものにしていかなければ、いっぺんに10手ぐらい見通せる新たな定石の発見はない、つまりこれ以上技の進歩はないと、自分を見捨てるしかないと思う。


2010.10.9(土)雨 秋の庭

雑草

朝から冷たい雨が降っている。しばらく手を入れてなかった庭に出て冬の準備をすることにした。まずは、伸びすぎた雑草を刈るところからだ。じゃまにならぬものは放置しておけばよいが、雑草のなかにもチヂミザサのように毎朝ズボンに種をつけられるようなものもある。写真のようなアカマンマとツユクサの茂みはかわいくてしょうがない。うーん秋だねって感じがする。

しばらく1匹しかいなかったジョロウグモが2匹になっていておどろいた。いつの間に来たのだろう。しかも新参者のほうが大きい。うまいこと赤とんぼを捕まえて食っていた。ジョロウグモは2匹ともちゃっかり♂が居座っている。どうやってメスの巣にたどり着くものなのか、けっこう興味深い。

つづいてスイレン鉢のアサザの葉を摘む。アサザはすぐに丸い葉を水面に浮かせる。こちらも放置すると水中の溶存酸素が減ってたいへんなことになる。スイレン鉢はちかごろ環境悪化が著しいようで、メダカの子が見えなくなっている。メダカが繁殖しないということは何かが狂っているはずだ。

最後に瓶に水を張る。こちらはメダカのレスキュー用。本当は庭の池にメダカなんぞいらないのだが、女房がカの発生源になることを嫌っている。そろそろ彼女もカと池の関連を忘れているころだろうから、メダカを全部瓶に移しても問題は起こるまい。メダカがいると来春のカエルを迎える上での障害になるのだ。


2010.10.10(日)くもり 虫けらどもの交通事故

昨日から降り続いた雨がやんで、久々に半原越に向かう。半原1号はデュラエースのSTIを装備し、ちょっとハンドルを下げた。自転車は快調だ。人間はというと、しばらく乗っていなかったものだからイマイチ感がそこはかとなく漂う。

住宅地を抜けて相模川を渡り、田舎道にはいっていくと目につくのはカエルの死体だ。半原越までの20kmほどで10匹ぐらいは見たろうか。繁殖期に産卵場所の近くの道路でつぶれたカエルを見ることは珍しくないが、他の季節ではそれほど目につくものではない。昨日の雨で道路に出てきたミミズでも追っていたものか。冬眠を前に彼らにも焦りがあるのか。それにしても、握り拳大のカエルをひいたところで運転手は気づくまい。ほんの小さな後悔や悲しみや哀れみ、もしくは快感でもあればカエルの死も全く無駄ではあるまいにと残念に思う。

半原越はちょっと涼しくなってけっこうやってみた。区間1の4分9秒は速い。もちろんやりすぎ。区間1で185bpmまで上げてしまっては終盤もつわけがない。案の定、区間4は6分24秒。しばらく乗っていないから、ひさびさの登りに有頂天になったってことで。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'09"4'09"17.1173-
区間29'11"5'02"14.1183-
区間314'10"4'59"14.2183-
区間420'34"6'24"11.1189-
全 体 20'34"13.818274(1522)

帰宅してちょっと休んでから境川へ。境川にかかる高鎌橋のところは最も道路が広くて交通量も多いところだ。信号機もないから、自動車の切れ目を待って渡ることになる。今日もそのタイミングを待っていると、後ろからトノサマバッタが飛んできた。道路に降りなければよいがと心配していると、やつは片側2車線の道路のちょうどの真ん中に降りた。

そのまま止まっておればひかれることはない。しかし、青信号でスタートした車列が迫りダンプが近づいたとき、やつは飛んでしまった。こちら側にはまだ車は来ていないから、運良く手前に飛べば事故を免れるかもしれない。ところが、飛んだ方向は向こう側。ダンプのボディに当たり、腹の中に巻き込まれるかっこうになった。どこをどうしたものか、10mばかりダンプに引きずられて再び道路に落ちた。すっくと立っており後ろ足もジャンプの準備をしているから幸い無傷のようだ。ただし、こんどはもっと悪い所に落ちている。ちょうど轍になるところだ。

すぐに左手から白いライトバンが迫り、バッタはひかれる直前で飛んだ。間に合わなかった。無情にもバッタは重いタイヤに巻き込まれた。形は残っているが致命傷を負ったらしく横になったまま動かない。続いてもう一台の自動車が迫り、前後輪でひいていった。そうなると、もはやそこにバッタの死体があることにすら気づかれない。

交通事故はすべてこんなもんだ。ほんのちょっとした不運が重なって生き死にが決まる。1000万分の1の確率の事象が1000万回連なった結果1つの命が失われる。私はそうした光景を静かに見ている。傍目には車の列がとぎれるのを待っている自転車乗りだ。


2010.10.11(月)晴れ スーパーマクロの照明

雑草

昆虫写真家の新開さんに触発されて自慢のスーパーマクロの照明を工夫した。新開さんが最近のブログで公開しているやりかたはちょっとしたコペルニクス的転回だと思う。「あ、それでいいのか」という簡便な方法だ。基本は新開さんのアイデアを真似させてもらっているけれど、いくつかオリジナルな工夫もしている。

さっそく庭で試し撮りをしたのが今日の写真。一つだけ開いているアカマンマの花穂。これまでの方式だと背景が真っ黒になり夜のようだったが、新式だと背景にまでストロボの光が回る。カメラはニコンのD70s。ストロボは内蔵式のものだ。

写真もうまくいったってことで、いつもの半原越と境川に。半原越は36×23T縛りでやってみた。ちょっと重いところもあるけれど、そこは立ちこぎで。達人になるには、立ちこぎでちょうどいいギアで80回ぐらい回せなければならない。まだまだだな。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'40"4'40"15.216177
区間29'47"5'07"13.818270
区間314'56"5'09"13.718270
区間421'14"6'18"11.218957
全 体 21'14"13.318067(1453)

サイクリングで補給をするようになって、コンビニというのによく立ち寄るようになった。コンビニにも種類がいっぱいあって飲み物やアイスやおにぎりの品揃えがずいぶんちがうことがわかった。同じ種類の店でも場所によって異なる場合がある。私が一番気に入っているのはセブンイレブン(の新しくなったやつ)。清川村のセブンにあいすまんじゅうが復活したものだからうれしいのなんのって。


2010.10.13(水)くもり プロの立ちこぎ

夜中にぼんやりと今年の春に行われた自転車レースの再放送を見ていた。ヴィノクロフが優勝したクラシックだ。鋭く短い起伏のある250kmほどのレースで、残り約30kmあたりから本命の有力選手が登りで次々にアタックをかけている。勝ち負けやレース展開はもう済んだことなので興味は引かない。バルベルデやコンタドールが優勝争いに絡まないことも知っている。

登りでのジルベールやシュレックのアタックは信じられないぐらい爆発力がある。どこをどうやったらあんなパワーが出せるのか、世界七不思議の一つだ。せめて形だけでもまねたいものだと、フォームに注意して画面を見つめた。

最初に気付いたのは、腕の曲がりだ。立ちこぎのとき手はブラケットにあり、肘は常に直角ぐらいに曲がっている。それは私と違うような気がした。自分の走る姿を見たことはないが、もっと腕を突っ張っているような気がする。次に腰の位置だ。立ちこぎではあるが、選手の腰はそれほど高くない。サドルからやや高い程度で、サドル先端やや前に位置している。したがって、ペダリングに対応した脚の曲がり方はシッティングとほぼ同じだ。これも私のやり方と違うようだ。私は脚を棒のように伸ばしてペダルに体重をのっけているような感じがある。

もしかしたら、立ちこぎというものを根本的に誤っていたのかもしれない。選手の立ちこぎは、一言で表現するならば「シッティングと同じ体勢を保ったまま体を前に倒すことでサドルから腰を上げる」ということになるだろうか。私は逆に、体を起こして手足を突っ張ることで腰を上げていた。これはひとつまじめに立ちこぎの練習もしなけりゃいかん。この違いは、単に守備的な立ちこぎと攻撃的なダンシングの差なのかもしれないが、ちゃんとやればもっと楽に速度を上げられるかもしれない。いずれ、いまのつっぱらかってひっかかるやりかただとダメなのは明白なのだから。


2010.10.17(日)くもり アリに同情

クロナガアリ

今年もクロナガアリがせっせと種を集める季節になった(写真)。こうなるといよいよ秋も本番という感がある。このクロナガアリの巣は数年前から確認しているもので、今も女王様はご健勝の様子でたいへん喜ばしい。彼らはイネ科の種が好きだという。残念ながら、わが家にはイネ科の草が少ない。日当たりが悪く、オヒシバやエノコログサが生えない。チヂミザサとかササガヤとかあまりうまそうにない種で辛抱してもらうことになる。

昨日、今日と半原越に行ってきた。当然のことながらプロの立ちこぎを練習してみた。体重をぜんぶペダルにかけるつもりで、太ももの付け根の前側がもっとも緊張する。腕力はほとんど使わない。じゃっかん脇を締める感じで引きつけに上腕を使う。握力は使わない。確かにそれでよさそうではあるけれど、ちょうど手すりを使って階段を早足で登っているようなもので、それほど長持ちするものでもない。コツがつかめればよいというものではなく、鍛えなければタイムに反映されない技術だ。

下に昨日と今日の記録を併記する。だいたい同じぐらいがんばっている。昨日は半原1号で36×23Tしばり、今日は半原2号で34×23T縛り。若干今日のほうがギアが軽くなる。その差がタイムによく現れているように思う。すなわち、緩いところが多い区間1は重い半原1号の方がタイムがよく、逆に傾斜がきつい区間4は軽い半原2号の方がタイムがよい。たかだが前ギアの2Tと時間で10秒ほどの差に過ぎないが、感覚的な違いは如実だ。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'33"4'33"15.616477
区間29'41"5'08"13.818270
区間314'50"5'09"13.718270
区間421'20"6'30"10.918657
全 体 21'20"13.317966(1408)
ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'44"4'44"15.016280
区間29'55"5'11"13.717973
区間315'05"5'10"13.717874
区間421'26"6'21"11.118460
全 体 21'26"13.217771(1522)

半原越を下って、今日は新しいコースを行ってみることにした。相模川下流の右岸がどうなっているものか確かめたかった。相模川は246号線から下流も土手の上を自転車で走れるようになっている。ただし、大半が舗装されていない。小石と砂と雑草の道になって、ロードレーサーですいすいというわけにはいかなかった。がたごとのんびり走るぶんにはハンドルをとられたり、タイヤが裂けたりする心配はないが、MTBで走った方が気持ちはよいだろう。

帰路、クロナガアリのことを思い出して、少し気の毒になった。庭に草の実のいいやつが少ないことだ。見渡せば、道路脇のイネ科の雑草はまさに実りの秋。アリにとっては宝の山だ。本来、この住宅地近辺は乾燥し日当たりがよくてイネ科の天国、ひいてはクロナガアリの楽園のはずだ。それなのにわが家のアリたちときたら乏しい蓄えで冬を迎えなければならないかもしれない。本気でその辺の草を刈って庭にまくことも考えた。さらには水田の二番穂を摘んで行こうかとも思った。ミレーの落ち穂拾いみたいに。


2010.10.20(水)くもり いいカメラが欲しい・・のか?

アカマンマ

私が撮る対象は細かいものが多い。草の種とか花とかカメムシ、アリなど。そういうものを撮るには腕がいる。簡便に撮るために三脚は使わないから、手ぶれをしないようピントが合うように呼吸を止め、ファインダーを細心の注意をもって覗き込み、シャッターチャンスには0.07秒以内に反応することが必要だ。もっとも、三脚を用いたとしても、被写体は自ら動いたり少しの風で揺れたりするものだから、難しさは変わらない。かえって三脚を使うほうが難しいと思う。

カメラがフィルムだったころには、貧乏人も金持ちも、誰もが腕を磨くしかなかった。金持ちが有利なのは、フィルムの購買力ぐらいのものだった。写真1枚あたりに30円もかかっていたのだから、それなりに大きな格差ではあったが。

それがデジタルになって、全員がただで練習できるようになったばかりか、金持ちなら腕の悪さを機材でカバーできそうな時代になってきた。本体もレンズも接写用のストロボも高価ではあるが、無いわけではなく、金で買える。金でなんとかなることなんてあまりないのだから、欲しいのならさっさと買っちまったほうがいい。さて、けっして貧乏ではない私は何を買えるのか。

一つには高感度特性のアップ。ISO1600とか3200でもきれいに写るのだから、シャッターを3倍も4倍も速くできる。手持ちでカメムシを撮るのに8分の1秒だとゴルゴ13並の腕がないと写真にはならない。そこを高感度のカメラなら計算上125分の1秒で切れることになる。高感度がよくなるとストロボを使わずに済むかもしれないという気がしてくる。現状では、5ミリぐらいの被写体を画面いっぱいに写すときには、明かりはストロボを使う。シャッタースピードは60分の1秒以上に速くでき、手ぶれの心配はない。ただし、普通にストロボをたいただけだと、背景が真っ暗で夜のようになってしまうのだ。スポーツ報道で効果絶大という高感度のニコンを買えばもっときれいに普通にアブラムシが撮れそうなのだ。

一つには画素数のアップ。現在は1000万画素オーバーのカメラが普通だ。私のカメラの実に2倍以上。小さなものを撮る場合は被写界深度が大問題になる。アップにすればするほどピントの合う範囲が狭くなる。そこんとこをなるべくピントの合う部分を多くしたり、逆手にとってピンぼけを味にしたりするのが腕というものだ。ただし、相手も動く、こちらも動くなか、0.2mmの範囲の勝負だから、アリを画面いっぱいにした場合、目と触角と脚と腹に全部ピントが合うことは物理的にありえない。最後にものをいうのは運だ。それがちょっと引き気味にアリを小さく写すだけでピントの合う範囲はがぜん広がり、失敗がなくなる。楽をしたければ、画素の多いカメラで小さく写してトリミングすればよいのだ。

他にも、オートフォーカスとか手ブレ補正とか連写とか、テクノロジーの進歩は著しいけれど、そのへんは思考実験をしただけで効果がないことがわかるから魅力は感じない。

今のニコンもオリンパスもどれもこれも高感度で画素が多くてファインダーが良く見える。カメラ屋で触るだけでも優れものだということがわかる。欲しいけれど、いや待てよという気持ちがある。少なくとも今の機材でダメということはない。できは機械でごまかせるとしても腕と運はどこまでもつきまとう。20万円使ってゴミムシダマシをいま以上に見栄えよく撮ってそれが何?というシラけた気分もちょっとだけある。10年後も虫を撮っていれば、そのときに型落ちしている中古のニコンを3万ぐらいで買うってのが塩梅だろう。


2010.10.22(金)くもり とんちと算数

日能研の問題はけっこうな難問だ。いま小田急線の車内に広告として貼り出されているやつだ。日能研のやつはおおむね町田から東林間の間で解けるのだが、いま掲載されているのは電車を降りても解けなかった。問題は以下のようなものだ。

n=5x+7y-----(1)
上の式が作れない最大の自然数nを求めよ
ただしx、yは任意の自然数で、0でもかまわない

フェルマーの最終公理みたいだ。一見して、けっこうな難問のにおい。nに最大値が存在する事は自明ではない。なのに当たり前のように最大値を求めることを要求している。もともと小学生向けの受験問題なのだから、まともな数学ではなく、なんらかのとんちによって解が得られるにちがいない。これまで日能研の算数の問題はみなとんちだった。だからこそ電車内に貼り出す意味もある。これまでは3分ぐらいでとんちを思いつけた。しかし、今回はうまく行かなかった。とんちがうまくいかない場合はまじめにコツコツやるしかない。電車を降りてからも一つ一つ暗算を試みた。

じつは私は計算がかなり苦手である。いわゆる知能指数は高くてIQ150ぐらいはあるのだが、数、言語ともに短期記憶が弱点で暗算もできない。学業成績ははかばかしくなかったばかりか、職場では遅れをとり家庭では間抜けで通っている。こういう問題ですら、2×7引く5は9で、次に2×8は・・・とやっているうちに9のことを忘れてしまう。そういうことが何度も起きる。

得意のとんちが出てこないからといってギブアップでは気分が悪い。全部の数を順に当たることにする。5xがあるから、3けたの数は無視してよい。解があるなら2ケタの数だ。とっつきは0から9まである1の位。0から9まで全ての1の位の数でnは作れるのだろうか? あるのなら、式(1)を満たす(x、y)の組をコツコツ見つけ、そのときのnの最小値から10を減じたもののうちの最大の数が解であるはずだ。ちなみに、1から9までのうちのどれかでnが見つからなければ、無際限に大きな数が該当するから「解なし」が答えだ。

さて、まずは1の位が1の数で考えてみる。n=1を満たす(x、y)の組はない。n=11を満たす(x、y)の組もない。n=21なら(0、3)があるから、1の場合の最小値は21、すなわち解の候補は11ということになる。

以下同様に、
1の位が2の場合。12があるから、解の候補は2だが、これは1の場合に劣っているから無視。
3の場合は33が最小値だから解の候補は23。
4の場合は14があるが、3の場合に劣り無視。
5は5で即却下。
6は26があるが、3の場合に劣り無視。
7は7で即却下。
8は28があるが、3の場合に劣り無視。
9は29があるが、3の場合に劣り無視。
0は即却下。

かくて、三歩進んで二歩下がる暗算を地道にやって23という解を得た。これでいいかどうかはもはや問題ではなく日能研のサイトには行かない。行ったら行ったで、もっとエレガントでとんちのきいた解法が載ってそうでやだ。


2010.10.23(土)晴れ アブラゼミは珍しくもないが

久しぶりに自転車でどこに行こうかと迷ってしまった。ひとまず自慢のスーパーマクロカメラを持ち出して庭でアリやアカマンマを撮って、メダカにエサをやって、さてと半原2号にEDGE500を装着してタイヤに空気を入れる。まあ、やっぱり半原越かなあと前輪は西へ。相模川を渡り荻野川に出て、小鮎川へ。先週は美登里園の峠が工事中で泥だらけになってしまったが・・・とその工事区間にさしかかると、やっぱり工事中。タイヤもシューズも泥だらけ。山を削って道路を拡張する工事らしい。しばらくかかりそうだ。

美登里園の峠なんて避けりゃよかったと、後悔しながら下っていくと、路上に茶色のカマキリ。10月にカマキリなんて珍しくもなんともないが、どうやらハラビロカマキリらしい。茶色のは見た記憶がない。泥道越えてよかったと思い直す。すぐに携帯電話を出して撮影。日が当たると羽が金色に輝いたりして、なかなか精悍じゃないか。ただし写メはしない。私のメル友はそれほど虫けらが好きなわけではないから、茶色ハラビロカマキリの値打ちがわからない。

涼しくて気持ちのよい季節だ。いつもの棚田に座ってあいすまんじゅうを食べながら空を見る。太い巻雲がいくつもあって秋らしい。刈り入れの終わった棚田には切り株からつんつん芽が出ている。稲のひこばえと雑草ぼうぼうの水がない田にトンボが産卵している。連結して腹で空をたたいているからナツアカネだろうか。

半原越は34×21Tで入ってみることにした。前回の23Tは区間1には軽すぎかもしれないという反省があった。やってみると全般快調でゴールまで21Tで通すことになった。EDGE500測定で平均斜度8.5%の区間4でも、シッティングで行けるところは引き足が万全に使える。久しぶりに区間4で6分を切った。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'32"4'32"15.616877
区間29'31"4'59"14.218170
区間314'27"4'56"14.418170
区間420'26"5'59"11.818858
全 体 20'26"13.918068(1368)

帰路は美登里園の工事区間を避ける意味もあり、海の方に降りて国道1号線を使うことにした。小鮎川沿いの下りの道でアブラゼミを聞く。10月下旬のアブラゼミは一応記憶の対象だ。11月に聞いた記録もあり珍しいものではないが。厚木の産業道路とか一号線とかはゆっくり走って気持ちのよい道でなく、車の流れに乗るように35km/hぐらいで走る。ちょうど同じ速度のオートバイがいていらいらしたり、信号の多さにうんざりしたり、精神衛生によくない。

ちょうどスピードに乗ったところで黄信号。ままよと突っ込んだものの、やたらと信号の切り替わりが早いことに気づく。国道1号線を横断する歩行者の多い場所らしい。こちらの信号が赤に変わったとたんに歩行者や自転車がどっと横断歩道にくりだしてきた。急ブレーキも危なく、ABSを効かせてゆるゆる横断者の列に突っ込む形になった。ぺこぺこ頭を下げ「すいません」とか言って、かっこ悪いことこの上ない。カッカすると事故起こす。猛反省だ。


2010.10.29(金)くもり 宇宙征服のむなしさについて

クロナガアリ

早朝、庭に出てみれば、クロナガアリたちはせわしげに泥やもみ殻を巣から運び出している。昨日は雨が降り続き、巣も多少のダメージを受けているのだ。先日、こっそりプレゼントしておいたススキの穂は丸裸になっている。穂を立てておいたところに種は落ちてない。アリたちはススキの種を運び込んだようだ。

アリたちの生き方はあきれるぐらいちまちましたものだ。彼らの生活圏は半径20mぐらい。一生の大半を暗い地中で過ごし、たまに出てくるのは、種の収穫かゴミ捨てだ。

ちまちました生活が悪いかというとそうでもない。ちまちました発想が貧困かというとそうでもない。ちまちました心にロマンがないかというとそうでもない。このことは宇宙征服をもくろんだときに明らかになる。

人間が抱きうる最高にロマンチックな夢は宇宙征服であろう。見渡す限りの星空を我が物にすることに比べれば、何事も小さい夢に過ぎないと思える。ところが実際に宇宙を征服するための段取りを考えるならば、その行為は儚く虚しいものだということがわかる。

宇宙はあきれるほど大きい。征服をもくろんで他の恒星系に出かけるならば、一個の星に到達するだけでも100年はみなければならない。「宇宙を征服するぞ!」と人類に大号令を下したとして、事の正否の入り口にも達しないうちに寿命が尽きる。全人類をそうやって動かせるなら、ちょっとスケールダウンして、もっと賢いことができるんじゃないだろうか。

運良くワープ航法が発見され多数の恒星系を訪れることができたとして、そこにどれだけ所有欲をかき立てる代物があるかということを想像しなければならない。まずは「征服」に値するような相手がいるのだろうか。

生物はいるかもしれない。ただしろくなものは期待できない。目立つものでせいぜいクラゲ程度だろう。運良く地球並の惑星があって知的生命体を含む豊かな生態系があったとしても、たぶんそこの生物は私の口には合わない。彼らの体は私とは化学的な組成も全く異なり、オリジナルな進化をとげた生物なのだ。食ったら食中毒で死ぬだろう。食い物の他に求める資源もない。恒星間旅行を実現しているくらいだから、エネルギーも貴金属も我が手中に有り余っているはずだ。知的生命体はなにがしかの文化的所産を有しているはずだが、私にそれが理解でき感動できる保証はない。たとえば音楽。大気の組成や気圧、楽器の密度がちがうだけで音楽は無意味になる。漫画や映画では他の星には美女がいることになっている。真っ赤な嘘だ。女なんて、身長が50センチ、体重が20kg、髪の密度が40%、目の間の距離が1cm・・・・と各部のスケールがちょこっとちがっただけでも魅力を失うのだから。

なんらかの画期的なテクノロジーは手に入るだろうか。たとえば不老不死の技術。この宇宙には誰かがすでにそれを手にしているかもしれない。不老不死になれるのなら、宇宙征服にも意義があるというものだ。しかしながら、その技術がニンゲンである私に使える確率は0に違いない。たとえば、その辺に生えている杉は事実上の不老不死である。だからといってその方法はヒトには使えない。ましてや100光年も離れた星で発達したバイオテクノロジーがヒトに応用できることなど期待しても無理だ。

なんだかんだいって、私の欲しいもの、有益なもの、手に入れるべきものは半径1km以内に転がっていると思っておいたほうがいい。アリと同じディメンションで、アリのような幸福感をもってちまちま生きるのがふさわしいとみた。


2010.10.31(日) ホトトギスにマルハナバチ

マルハナバチ

ドラゴンボール改を見て庭に出るとホトトギスにマルハナバチが来ている。ホトトギスは殺風景なわが家に彩りをそえる数少ない花だ。花があれば虫も来る。マルハナバチは庭に出るたびに見つかる。二週間ほど前からここに入り浸っている様子だ。さっそく自慢のスーパーマクロカメラを持ち出して、マルハナバチをねらう。これまでは、それほどホトトギスに執着しておらず、まったくものにならなかった。今朝は、昨日の悪天候が幸いしたのか、長時間花にとどまっていた。スーパーマクロではカメラを3センチぐらいの所まで近寄らせなければならない。そういう邪魔も気にならないようだった。

マルハナバチは花の中にぐいっと体を突っ込んで蜜を吸うようだ。すると、反り返ったおしべの先にある葯につまっている花粉がハチの体につくことになる。教科書に書いてある一般的なことだけど、こうして写真に収めることができるとけっこううれしい。

もともと虫の少ない庭が寂しくなる一方だ。3匹いたジョロウグモは1匹が脱落し、残りは2匹になった。毎朝どうしているかと、その様子をみている。獲物がかかっていることが少ない。あってもツマグロオオヨコバイ程度のものだ。もうそろそろ産卵シーズンをむかえるというのに、体はまだ小さい。半原越のかせぎのいいやつに比べて半分ほどしかない。

クロナガアリは活動の最盛期。これまた乏しい雑草の種を集めている。巣穴からゴミ捨てに出てきたやつが持っているのは、泥でも種の殻でもない。どうやら仲間の死体のようだ。幸いに天寿をまっとうして巣の中で死ぬアリもいるのだろう。遺骸もゴミとして淡々と捨てるのだ。これも教科書に書いてあることだけど、この目で見るとちょっとうれしい。

天気は悪い。どんよりとした空からはポツポツ雨も落ちる。ホントに台風一過? しばらく自転車にも乗っておらず、このままだと体が腐ってしまうと半原1号で出かけていく。目的地は境川。びゅんびゅん乗る気は毛頭なく、作業着のジャージのまま。台風のなごりの北風を利用して、3倍のギアを65rpmで回して登りのときのスムーズなペダリングの練習をした。帰りがけにアリ用にススキの穂を積んで来た。ススキも種があるのとないのと見分けるのはけっこう難しい。


2010.11.1(月) 衰える睡眠持久力

暗いところ、近いところ、目もよく見えず耳も遠くなっている。持久力が落ちている。心肺も筋肉も、それなりに鍛えているつもりでも落ちている。もう老人に手が届くお年頃なのだから、それもしょうがない。 自覚的衰えは、なんとかすることでなんとかなる。自転車は内省的な遊びで絶対的評価によって面白みが決まるから、老いたほうが面白いという側面もある。心肺、筋持久力が衰えて、タイムが悪くなったからといって絶望することはない。速度は自転車の妙味のほんの一部にすぎない。

なんとも対処のしようがないのは睡眠持久力だ。長く眠り続けるのが年を追って困難になっている。このごろでは、最大で4時間半だ。加齢にともなって、この症状が出てくることは聞いていたけれど、いざそうなってこれほどウンザリするとは予想できなかった。

この1年あまりは仕事の都合で規則正しい生活ができるようになった。おおむね1時に眠る。すると目がさめるのは遅くて5時半だ。「たっぷり眠れる」という幸せな経験がなく、いつも眠くて23時ぐらいに眠ってしまうこともある。そうすると、目がさめるのは3時半だ。どういう仕組なのか知らないけれど、最長睡眠持続時間が4時間半というのはかなり強固らしい。

私は生物としてヒト本来の姿はぐっすり眠っているときだと思っている。ノンレム睡眠時だ。ヒトも植物同様に意識がないのが本来の姿で、生命のストラグルは本来の生き様を逸脱する悲しい性だ。他を食べ、他とまぐわうことで命をつなぐ動物はみなこのストラグルに囚われざるをえないけれど、いわゆる「高等」になるにつれて、ストラグルに付随して起きる悲劇もより惨めになっていくようだ。

睡眠はヒトに与えられた本来の自己にかえる時間だ。今の私は幸いなことに危機も不安もなくいくらでも眠っていられる境遇だ。人生の3分の1といわれるその権利を享受できる立場にある。その持久力が落ちているのは大損といえよう。ならば睡眠持久力アップに向けてなにかできるのだろうか。意識が無い状態を保持する訓練ってのはパラドックス。四角い丸の描写みたいで、できそうもないのがまた悔しい。

いつものように、まだ明けやらぬ早朝、はっと目を覚ます。目を覚ましたとたんに意識ははっきりしており「またやっちまったか」と後悔している。かといって立ち上がる目的もない。夢を反芻するが、よい夢なんて1000のうちに1つもない。「夢のような・・・・」というのは都市伝説に過ぎないということを毎度思い知る。

目覚めたときに足先が冷たい。この15年ぐらいはずっとこうだ。もしかしたら足が冷たいから目が覚めるのかと邪推するぐらいだ。ただし、そこは布団だから、姿勢を変えてゴロゴロしていると、それなりに暖かくて気持ちもよい。それなりに眠ってはいるし、それなりに暖かいし、それなりにだらけていてもかまわない、庭に出て虫を見てもかまわないが、二度寝してもよい1時間半。もしかして、それなりに楽しんでいる? ようでもある。


2010.11.2(火) 悪夢に追われチヂミザサ

チヂミザサ

あいもかわらず早朝にぱっちり目が覚める。カーテン越しに空をうかがうがまだ暗く、晴れかくもりかもはっきりしない。時計を見ると午前5時。やっぱり睡眠時間は4時間半だ。

目覚めの夢は良くも悪くもない。自転車で世界選手権とツールドフランスの両方を制したアメリカの両雄、グレッグレモンとランスアームストロングが夢に出てきた。ただ、その内容に疑問符がつく。二人してビキニの白人中年女性といちゃいちゃしているのだ。どうやら彼らの奥さんらしい。お世辞にも美女とはいえず、はためにイタいカップルだ。というところで目が覚めた。レモンらが夢に出る理由には思い当たるふしがないわけでもない。まあ1000個のうちの777個のフツーの夢といえるだろう。

まだ暗いし、ぐだぐだして眠ろ〜と決心して、そのままうとうと。もう一度夢を見る。こちらは1000個のうち222個を占める悪夢。登場人物は押尾学。なにやら悪い薬でも飲んだらしく、押尾がくしゃみ(咳ではない)とともに大喀血。胸から顔面が真っ赤に染まる。もう一人いる誰かも血を吐いている。これってけっこうやばいかも、と焦る。押尾が再び「ヘックショイ!」という加藤茶なみの間抜けなくしゃみで喀血。仰向けに床に倒れた。血の海に倒れて動かない押尾。冷めた目でその姿を見ながら、これは見殺しにするしかないなとあきらめている。なにしろ、こっちもすでに虫の息なのだった・・・・。

うんざりした気分で目を覚まし「あ〜ヤダヤダ、またやっちまった」という軽い後悔。時計を見れば時刻は6時半。なんでこんなくだらない夢を見ちまったんだ。また呼吸でも止まってたんだろうか。もうちょっと眠ってもよい時間だが、どうせろくな目にあわないという予感から恋しい布団に別れを告げ、庭に出る。

ここしばらく、接写カメラを工夫している。とくに照明だ。手持ちでコンパクトに撮れて、なおかつ、自然な感じに仕上がるのが理想だ。今日の写真はそのスーパーマクロで撮ったチヂミザサ。日陰に生えて実はひっつき虫で、腹立ち紛れに抜きまくったこともある。ただ、クロナガアリが集めているのはこのチヂミザサの実であることが多い。そのつもりでよくよく眺めるならば、ちょいとうまそうに見えてくる。


2010.11.3(水) チヂミザサとクロナガアリ

チヂミザサ

あらま天気の良いこと、と庭に出て虫の様子をみる。クロナガアリが盛んにチヂミザサの実を集めている(写真)。巣口で張っていれば、実をもってくるのは目撃できる。できれば、草に登って実をかじり取っているところも見ておきたいものだ。けっこう探しているものの、いまだに見つかっていない。巣の所帯も小さくチャンスは少ないかもしれない。

日曜にプレゼントしたススキには全く手をつけていないようだ。これまでの実験で、気づくのに2、3日はかかるということはわかっている。魅力を感じていないということもありえる。

半原越は半原1号で行ってみることにした。ギアは出発前から決まっている。区間1を36×19T、区間2と3を36×21T、区間4を36×23T。低ケイデンスでも良いから、少し重いギアを回してみる。登りもそうだが、平地でもこれまでよりは重いギアを使って上ハンでペダリングの全域で力をかける練習を積んでいる。上ハン体勢で無理なくペダルに力をかけ、なおかつ体のどこにもひずみがこないようにするのはかなり練習が必要だ。長時間乗り続けるために必要な練習でもある。自転車のポジションはいざやってみると無理っぽいのだが、やればできることが経験上わかっている。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'23"4'23"16.216268
区間29'30"5'07"13.817764
区間314'30"5'00"14.218166
区間420'41"6'11"11.518758
全 体 20'41"13.717863(1303)

2010.11.6(土)晴れ 相模平野正方形サイクリング

クロナガアリ

今朝は7時ぐらいから断続的にアリを観察した。気温のせいか早い時間は動きがおそく、9時半ぐらいから急に活発化して、いろいろな種を運ぶ姿が見られた。写真の種はおそらくササガヤ、アカマンマの種を皮付きのまま持ってきたものもいた。昆虫ではウンカのようなもの。10月17日の写真のものと同じだと思う。

10時から半原1号に空気をいれて半原越へ。いつもの棚田脇の草むらに踏み込むと、イナゴがぱったぱったと飛ぶ。こういう日当たりの良い草むらがちょっとうらやましい。私の庭は日当たりがわるいため草もまばらで、寝っ転がってアリの写真を撮っていると泥だらけになってしまう。田んぼはあいかわらず。稲刈りが終わって放置されたままだ。トンボの姿もまばらになってきた。ナツアカネらしきものとミヤマアカネが1匹ずつ。

半原越は今日はインナーを使う。スタートは26×16T。区間1はゆるいから、これぐらいのギアで80rpmぐらいを維持した方がよいようにも思う。区間2、3はギアを変えてみた。もっとも重いので16T、軽いのでは19Tまで使った。せっかくシマノのSTIなのだから、使うに越したことはない。立ちこぎしながらでもリアがカクンッと変わっていくのには驚いた。一時代前ならそんなことはしようとしてもできなかった。無理にでもやれば壊れかねない。区間4は16Tで通した。それはギアを変えずに立ちこぎを併用するため。

ラップタイムkm/hrpmbpm
区間14'23"4'23"16.279163
区間29'21"4'58"14.3-180
区間314'16"4'55"14.4-182
区間420'15"5'59"11.858189
全 体 20'15"14.063179(1276)

半原越を下りて、今日は金目川の方へ行った。金目川にはサイクリングロードもあるけれど、さすが神奈川県というべきか、ちゃんと舗装してあるところは不必要な鉄柵、鉄柵のないところはがたがた、しかもサイクリングロード自体が断続するというやる気のなさ。金目川からR134に入って境川から帰宅。ちょうど相模平野を正方形に回るようなコースになった。90kmだ。


2010.11.7(日)晴れ 60rpmしばり

クロナガアリ

クロナガアリは私のディスターブを気にする様子がない。むろん気づいているはずだ。目と鼻の先にあるレンズも嫌だろう。ストロボの光にドキッとしたそぶりを見せる個体もいる。そうした異変は本来は命の危険を示すもので、それを気にかけず、わが道を歩むのは死亡フラグだ。

彼らが私を無視する理由は簡単なことで、命よりもずっと大事な仕事があるからだ。草の実を集めること。ゴミを捨てること。巣穴を拡張すること。これはやつらの生きざまの問題。アリも種類によってはヒトのディスターブを極度に嫌うものもいる。ともあれクロナガアリのその性格のおかげで写真は撮り放題だ。

さて今日は半原2号で半原越。いつもの草むらに座って丸永製菓のあいすまんじゅうを食べていると既視感がおこる。昨日も先週もこの景色を見たような気がする。じっさいみたのだが、幾度となく見ているこの秋の風景で、あえて「見たことがある」という印象がわき起こるところがきな臭い。気分が、非日常と日常のボーダーで揺れ動いているとでも表現すればよいだろうか。近づいたアカトンボをみるとナツアカネではない。縄張りを張っている♂のようだから昨日と同じ個体かもしれない。マユタテアカネだろうか。それにしても、あいすまんじゅうはアイスを落とさずに全部食べるのが至難の技だ。落ちることを見越しておれば手で受けることができる。今日もそうやった。これも既視感。

半原越は60rpmしばりと決めてスタートする。高価なレース用機材のSTIを装備しているのだからギアチェンジの技を覚えよう。登りで60rpm以下でしか回せないギアではスムーズなペダリングはできない。プロのレースなら完全に脚が止まった状態。80rpm以上で行くのが最近の主流だが、それは私の筋力では難しい。できるように小さいギアを選択すると実力が正しく発揮できないような気がする。ひとまず前ギアが34T、後ろギアを18〜25Tとして、60rpmから落ちそうだとシフトダウン、80rpm以上いけそうだとシフトアップのルールで細かく変速してみた。

ラップタイムkm/hrpmbpm
区間14'40"4'40"15.271156
区間29'59"5'19"13.371172
区間315'14"5'15"13.568170
区間421'28"6'14"11.466180
全 体 21'28"13.269172(1481)

タイムは平凡、楽だった。区間4で180bpm出てるのは立ちこぎを多用したから。終盤になると34×25Tでも60rpm回せないところがある。何年か前、1対1のギアで乗り込んで60rpm回せずに愕然としたことを思えば、けっこうな進歩だ。おそらく今日の方法が練習としてはオーソドックスなものではないだろうか。

半原越を下りて今日も南下して湘南へ。これも既視感。ただし、東名高速を過ぎてからのルートは61号線を使った。これまでに4本の道を試したが、どうもこの61号線を使うのがもっともスムーズに行くようだ。61号線の次は134号線。やっぱり1号線よりも134号線のほうがいい。ただし、がんばりすぎるのが難点。あの道では30km/hでのんびり流すなんてことは無理。

途中から、クロナガアリの撮影の続きをやろうと、一刻も早く帰宅することに専念した。日があるけれど境川のピストン運動はなし。午後4時までに帰宅して撮影するのだ。色温度とストロボの発光量をアリに合わせてちゃんとアリの色を出すのだ。いつも休憩するベンチも今日は素通り。いつも寄るコンビニも素通り。


2010.11.10(水)晴れ 生きる支え

私にとって、ロマンチックな意味での「生きる支え」とはなんだったろうと考えてみた。それは、そうしたものを失って久しいことにふと感づいたからだ。

夢があれば生きて行かれる、などと軽くいわれる。私にとっても夢は生きる支えであった。ただ、それは空虚なものではありえなかった。現実感がなければ確固とした支えにはならない。夢の出生地はあくまで現実だ。いくつか例をあげるなら、ガキ大将がもっていた手のひらからはみ出すほどの巨大なクワガタムシ、神業のようなコマ回し、だれかの鼻血で溶けたプラスチック。そんな些細だが刺激的な事々だ。

巨大なクワガタはおそらく70mmクラスのオオクワガタだったろう。希少な代物だ。コマ回しは、私の持っていた鉄ゴマとひもを使って、ある青年が見せてくれた技だ。ひもを複雑な形状で巻いたコマを手から離すと、コマはちょうどヨーヨーのように空中で安定し、ひもの両端を上下に操ることでコマが永久に回り続ける。そのコマを地面におろして普通に回すこともでき、再びひもで釣り上げて勢いをつけることができた。溶けたプラスチックは小学校の名札だ。40年ほど前、名札は四角いビニール容器に布を入れたものだった。そのビニールに鼻血がかかったとき熱で焼いたようにどろどろに溶けた。まるで劇薬である。とうの少年も驚き慌て、けがをしたそいつを囲んでいたわれわれもびっくりした。鼻血は珍しくないが、高度成長期に丈夫の代名詞だったプラスチックが血液なんかで溶けたことが衝撃だったのだ。

確かにそうした事々は少年の生きる支え、夢であり、明日への希望だった。心理学的事実としてそう言える。クワガタは欲しくて、探し回っていたけれども、70mmのものはおろか、普通のオオクワガタですら手にすることはなかった。それでも、あの場所なら、明日なら、来年なら、大人になれば・・・と希望をつなぐことができた。コマの技はそのときに簡単に手ほどきを受けたろうが、小学校にあがったばかりの私にはまねごとすら無理だったろう。しかし、コマを見るたび、いや見ないときでも、いつかきっとその技を習得できる日が来ることを信じていた。どういう訳かその達人には二度と会うことができず、できそうな大人にはかたっぱしから教授を願ったが誰もできなかったのだ。溶けた名札は科学的新発見にぶつかったときのおののきと歓喜だ。「血液はプラスチックを溶かす」ということは私にとってずっと科学的事実だった。以来一切、そうした現象を目撃できていないにもかかわらず、なにがしかの条件がそろえば起きるはずだった。そのメカニズムをいつかこの手で解明できるはずだと信じていた。

9歳のころの私には内外にそんなミニ奇跡がごろごろしていた。ことあるたびに「あれはどうしてだろう」「あれは何なんだろう」「あれはどうやったらできるんだろう」と反芻し、奇跡的な再会を願っていたし、再会を確信もしていた。

そして人生の落日を迎えようとしているいま、ミニ奇跡に出会うこともなく、少年時代のそれらの夢に頼ってもいないことにふと気がついた。上の3つは何千回も想起し、まさにまぶたの裏に焼き付いた事象だった。それがいまとなっては、もうどうでもよいように感じられ、夢でも見たんだろうで納得できるような気がしている。日の出の前に太陽が休憩している井戸、アザラシが群れる瀬戸内海の岩場、丘の下に雲海のように広がる蜃気楼、なんてものは少年にはリアリティーがあったけれど、さすがに30年前に夢の世界に追いやってしまった。公平に考えて実体験であるはずの奇跡もそっちの仲間でいいやと思ってるようだ。

「夢があれば生きて行かれる」などと軽く言われるけれど、夢なんてなくても生きて行かれるようだ。夢がないなら明日がなくてもかまわない。生きる支えはこの日常の分別くさい現実だけでいつしか十分になっていたことに気づいてしまった。


2010.11.13(土)晴れ 湘南をぶっとばす

クロナガアリ

妙に暖かいぞと外に出てみると、空も山もベージュにかすんでいる。そういえば、きのうのテレビは黄砂が来るといっていた。ほんとに来たんだ。風の生暖かさといい黄砂といい、ふと冬が終わったのかと勘違いする。いまごろの季節外れの陽気は小春というけれど、あちらは移動性高気圧がどんとのって、からっと晴れて風もない日のことだ。空気はつんと澄んでいなければならない。今日のような重苦しい天気ではいけない。

いつもの棚田は冬の荒起こしが入った。耕耘機で田んぼの土がかき回されている。暖かいせいか虫が多い。トンボもチョウもよく目につく。カラムシの茂みからオレンジのチョウが飛ぶ。ということは産卵したアカタテハだろうか。いまカラムシに卵を産んでも、次の寒波が来れば葉はぜんぶ灰色に枯れてしまうだろう。

田を隔てた向かいの畑から2匹の白いチョウが飛び立った。おそらくモンシロチョウのカップルだ。2匹は南風にのりつつ次第に高度を増していく。下の方の個体から押し上げられるような体勢でからみあっている。10m、20m、50m、私の目の分解能を超え1匹のチョウとしか見えなくなったころ、カップルは離れて急降下していった。

半原越は26×14Tから入る。リアのスプロケットを12-21にして半原1号で出てきた。普通のやりかたの練習だ。今日からは半原1号でもラップタイムやケイデンス、心拍数はガーミンのEdge500で測定する。ただどうにもうまくいかない。ラップを取っているのに計測がストップしたり再起動したり。機械が auto resume っていってるけどコンピュータ用語で再起動のことだよな。何で再起動かな? Edge500は何でもできて自由にカスタマイズできるのがよいのだが、使い方を覚えるのがたいへんだ。マニュアルが横文字で読むのがつらい。

ラップタイムkm/hrpmbpm
区間14'10"4'10"17.073167
区間29'02"4'52"14.567183
区間313'59"4'57"14.370183
区間420'11"6'12"11.463187
全 体 20'11"14.067180(1352)

最近、ストレス解消に湘南をぶっとばすことにはまっている。ぶっとばすったって、そこは自転車。35km/hぐらいしか出ていない。おらおらおらっと134号線をひたすらぶっとばして、境川で拾ったアメリカセンダングサの種を土産に16時前に帰宅。いそいそと庭に出てクロナガアリと勝負。いつしか観察よりも撮ることのほうに重点が移ってしまった。

今日の写真は巣の中で死んだ仲間の遺骸を捨てに行くクロナガアリ。プロレス技のパイルドライバー、脳天逆落としをやって遊んでいるわけではない。アリの群れには1割ぐらいさぼって働かないやつがいるという説がまかり通っている。あれは、いわゆるひとつの都市伝説にすぎない。アリが何もしていないように見えるなら、それは単に研究者の目がくもっているのだ。


2010.11.14(日)くもり 一皮むけたかな

判で押したように昨日と同じ生活。クロナガアリを見て半原1号で半原越へ。同じように26×14Tからスタートする。ちょっとちがうのはEdge500を調整してセンサーがホイールの回転を拾わなくてもタイムだけは計測できるようにしたこと。ただし、それも杞憂でコンピュータは忠実に動いているようだ。

すぐに気づいたのは、ダンシングがうまくいっていることだ。プロの見よう見まねであまり腰を高くせず、膝の伸縮を押さえ、かかとを落とさないように練習している。今日はついにスムーズに足が運べているという実感があった。ただし、太ももの前のほう、私が青木裕子(アナじゃないほう)とよんでいる筋肉に強い負荷がかかることがわかった。ふだん自転車に乗るときに青木裕子に頼ることはない。登りでも同様だ。3分もやると青木裕子に痛みが来て続けられなくなった。ただし負荷がかかるのは青木裕子だけだというのがこれまでとの差だ。これまではふくらはぎ、腰、上半身にもけっこう来ていた。座れば痛みはとれて、青木裕子を使わずにシッティングに移れる。

ラップタイムkm/hrpmbpm
区間14'12"4'12"16.972169
区間29'07"4'55"14.470183
区間314'02"4'55"14.469183
区間420'02"6'00"11.463189
全 体 20'02"14.167181(1342)

昨日から、サドルの位置と角度も変えている。これまでは前上がりにして後ろのほうに座っていたが、3ミリほど上げて後ろに下げ水平にした。座るのは比較的前の方だ。これまでは体重が座骨よりだっが、昨日から恥骨寄りにしてみた。これがかなり効果的なようで、スムーズに脚を降ろせる感じがある。また腰に来る重苦しい痛みがずいぶん軽減されたようにも思う。また一皮むけたかな、とぞくぞくした今日だった。


2010.11.15(月)晴れのち雨 ひっつき虫のトゲ

アメリカセンダングサ

アリの群れに1割ぐらいさぼって働かないやつがいるなどという主張は、どうひいき目に見てもインチキだ。そんなところであきらめてはいけない。したり顔をするにももうちょっと考えないとだめだ。

人類の存在意味は、他の生命がそもそも何であるかを上から目線で考えることにある。クジラはクジラのことを知らず、アリはアリのことを理解することができない。むろんアリはクジラを知ることができない。懸命に生きているものたちのことを理解してあげられるのは万物の霊長である人間しかいない。それをしなければ人間の存在価値は半減する。残りの半分の存在価値は宇宙とか石とか非生物がそもそも何かを考えることにある。余った誤差の0.1%ぐらいで人間とはなにかを考えればよい。それが人類の役割だ。

そして人類は何かといえば、その実体は個人でしかない。個人を離れれば文化も文明もない。人類の所産はこの世に生まれ来る個人が学び引き継いで増やしていくものだ。ときどきダーウィンやアインシュタインのような天才が現れ、真理の一片を見つけて、他がそのアイデアに追従する。凡才も人類の部分集合としてぼんやりしていてはいけない。下手は下手なりに、馬鹿は馬鹿なりに、私は私なりに精一杯アリや宇宙のことを考える。または考える人をバックアップしなければならない。

今日の写真はアメリカセンダングサの種。いわゆるひっつき虫でこの季節に河原の草むらを歩こうものならひどい目にあう。とげは結構痛い。服に食い込んでなかなかとれない。こうして写真で見れば、種の先には銛の返しのようなささくれがあることがわかる。なるほどこれは手強いわけだと納得する。

種の本体のほうにも細かいトゲがいっぱいある。こっちのトゲは銛の返しとは逆向きだ。なるほど、それで服についた種を取るときにちくちく不愉快な思いをするのかと納得する。そうやって人に外すのをためらわせて遠くまで運ばせるのか、と納得してもかまわない。また、それは人間的で身勝手な解釈として捨て去るのもよい。細かいトゲが逆になっているのは動物が種に接触したときにひっかかって種が草体から抜け落ちやすくする効果があると仮説するのもよいだろう。さらに一歩進んで、動物にくっついた後に先端の銛が劣化し、そのときには本体のトゲによって動物の体から外れやすくなっているかもしれない、などと想像するのも面白いだろう。その仮説には検証の方法もある。手の届くかぎり考えよう。にんげんだもの。


2010.11.19(金)晴れ 土下座して撮る

クロナガアリ顔

この写真は私の自慢のスーパーマクロカメラで撮れる最大サイズだ。体長5mmほどのクロナガアリがちょうど画面いっぱいになる。このサイズになると歩留まりは厳しい。アリの顔のどのあたりにピントがきているかで、できがまったくちがうのだ。

クロナガアリの動きはアリとしてはきわめて遅く、ファインダーでのぞきながらのピント合わせが可能だ。ここぞというときにシャッターを押すが、ねらい通りにピントがあっているのは20枚に1枚ぐらいだ。パソコンでチェックして、手応えがありながら失敗していると、けっこうがっかりする。数打ちゃ当たるからと、やたらめったらシャッターを切りまくるわけにもいかない。カメラの本体はFujiFilmのS2-proで、単写のときスマートメディアへの書き込みが3秒ぐらいかかる。その間はカメラは無反応なのだ。

この秋、気がつけば軽く1000枚はクロナガアリを撮った。毎朝50カット、休みの日には朝夕100カット。クロナガアリは夜間も活動しており夜に撮ったこともある。それだけアリを撮ったのは、ひとつにはクロナガアリが庭で最も面白く難しい被写体だから。アリがいなければ、コケとかハコベの芽とかアカマンマの実とかを撮る。それもなければ落ち葉か枯れ草でも撮るだろう。ただし、そういうものはいまいち撮る意欲がわかない。

庭にクロナガアリの巣がなければ、きっと撮れないだろう。撮影のときは、大岡越前の前に引き出された容疑者のような姿で地面にはいつくばっている。地面にクッションの段ボールを敷き、それに肘と膝を乗せて土下座をするかっこうだ。両腕を三脚がわりにして、カメラを地面すれすれに構えじっとシャッターチャンスをうかがっている。遠目にはかなり怪しい人物だ。午前7時ごろ、地面にはいつくばっている中年おやじがいて、ときどき鋭い光がぴかっぴかっとさす。もののわかる人ならこの季節にそういうやつがいればクロナガアリあたりの撮影と合点するだろう。しかし、一般人は晩秋に好んで活動するアリがいることを知らない。アリを撮影する意味もわからない。人里離れたところか、自分の敷地でなければやれない遊びである。


2010.11.21(日)晴れ ひさびさの20分切り

半原2号の弱点はたったひとつ、安っぽいということだ。もちろん、安めぐみのような自転車という意味ではない。見た目に全く高級感がない。じっさい安物だからそれもしかたない。その弱点をのぞけばとってもいい自転車だ。さて今日は半原2号で半原越に行きつつ相模平野一周の旅だ。天気もよくゆるい風が北から吹く。

いつもの草原から見る向かいの山は紅葉の盛り。きれいとはお世辞にもいえない。紅葉は人工的なものか、壮大なものか、いずれかの勝負だと思う。人工的なものであれば清川村のケヤキはかなり美しい。黄から茶まで木によって変化のあるその木の並ぶ姿は道路、家屋や杉などの人工物とよくマッチする。壮大なものでは東北のブナ林がある。全山紅葉の風景は神奈川ではちょっと無理だ。半原越では華厳山の山頂付近がけっこういい味を出している。

半原越は34×18Tで入る。無理せずに一番速くなるはずの方法で走る。急斜面では立ちこぎも使う。最近練習している、シッティングと同じシルエットで使う筋肉がぜんぜん違う方法だ。これが思いのほか効果的。区間4を走りきって好感触。ただしタイムはEDGE500の設定上すぐにはわからない。老眼鏡なしでは小さい数字はよく見えず、細かいボタンを押すのも面倒だ。帰ってからの楽しみにしよう。

ラップタイムkm/hrpmbpm
区間14'21"4'21"16.371164
区間29'11"4'50"14.672180
区間313'54"4'43"15.071184
区間419'51"5'57"11.959188
全 体 19'51"14.267179(1333)

海岸線に出て134号線を爆走。こういうところで半原2号はよく伸びる。いい自転車だ。安っぽいけど。100キロ4時間ペースで帰宅。いそいそとカメラを持ち出してクロナガアリの撮影。アリの合間に何の気なしに撮ったアカマンマで発見があった。アカマンマの種はつやつやした黒いものだが、熟す前は鮮やかなオレンジ色をしている。撮り飽きた感のあるアカマンマでもこういうことがある。じつはそういうことは撮っているときには気づかないことがある。ましてや肉眼ではまず無理だ。アカマンマの花ぐらいだとぼんやりしたピンクのかたまりにしか見えないのだ。


2010.11.23(火)雨のち晴れ 北風が吹いた

午後の遅い時間にはすっかり天気がよくなり、うかうかしてられないぞと半原2号に空気を入れる。念のために庭に出てクロナガアリの様子をみると、わらわらと種を集めている。私の庭は乾きは悪いが水はけはよい。帰宅してからの観察としてひとまずは自転車だ。

今日は半原越に行く気はもうとうなくて、境川に出て行く。昨夜の雨を降らせた低気圧はけっこう根性があったとみえて、北風が強い。雲は切れて青空がのぞく。まだ少ししめっているためかアスファルトの照り返しがけっこうきつい。海に向かえばまるで下りみたいだ。心拍計も100bpmそこそこの値を表示している。これではウォームアップにもならない。

134号線に出て西へ。金目川のあたりのルートを探ってみようと思っている。62号線とか63号線とか、もうちょっと楽しい道もあってよいように思う。なんだかんだとぐるぐる回って、鈴川のほとりの道がなかなかよいことを発見した。神奈川県では快適なサイクリングロードを期待してはいけない。鈴川はまだましな方で、それなりにつながっており、フェンスも暴力的ではなかった。でも微妙。好んで行くような所とはいえない。

折り返して金目川の河口から134号線へ。帰りは東向きに。自動車の列が作る追い風に乗って白線の上を快適に走る。引地川を避けて30号線を使い、境川に出ると強い向かい風。この風は序章だ。まもなく本物の北風が吹く季節になる。今年はどんな風に吹かれるだろうか。時速25kmの爆走、楽しみだな、カンチェラーラごっこ。わくわくすっど。


2010.11.24(水)晴れ 巻雲

巻雲

巻雲の季節は晩秋だと思う。今日は日中を通して巻雲のきれいな日だった。

巻雲は青空に高く絵を描いたように貼りついている。浮かぶとはいえない。肉眼ではその動きが見えず、一見して安定した雲かと思う。だけど、数分目をそらして再び眺めるならば、ずいぶん形も場所も変わっていることに気づく。低い雲は近くにあって動いていることがありありとわかる。そのせいでせわしなく見えるのだ。遠いものほどスタティックなのは、空間でも時間でも心象でも相似だ。実際は巻雲だって片積雲なみに動きの激しい雲なのだろう。そもそも、ゆったりのんびりしている雲塊なんてあるわけがない。

巻雲日よりの今日はどんな気圧配置なんだろうと、気象庁の出している天気図を調べてみた。昨日、境川に風を吹かせた低気圧はオホーツク海にあり、満州あたりにも低気圧がある。日本列島はその2つの低気圧に挟まれて、気圧の尾根にあたっている。ただし、尾根もいわゆるやせ尾根で心許ない。巻雲は天気の崩れる前兆といわれている。今日は理科の教科書的にも正統な巻雲日よりだったらしい。

はじめて雲に科学的な名前があるのをしったころ、巻雲は「絹雲」と表記されていた。いまでも絹雲のほうがしっくりくる。


2010.11.25(木)くもり 主留守の巣

巻雲

主のいなくなった蜘蛛の巣がなんともいい味を出している。寂寥感というか喪失感というか、やるせない気分をかもしだしている。巣の主はどこに行ったのだろうか。私の観察では彼女は1か月ほどほとんど食べていなかった。いっこうに大きくならないその腹を毎朝やきもきしながら見ていた。秋も深まり巣にはムクゲの縮れた枯れ葉が落ちてきてひっかかる。その数は日を追って増えていく。しかし、主は枯葉を架かるにまかせ片付けようとしなかった。古くなった糸は葉の重みで伸び、巣は力なく垂れ下がっていく。

巣にはいまもオスが残っている。主であるメスが巣を構えるのとほとんど同時にこの巣に居座っていた。いつもメスの少し上の方に陣取って、その時をまっていた。彼が巣に残っているところをみると交尾はうまくいかなかったのだろう。このままでは彼も自分の存在意味を知ることはない。メスが産卵して卵を守っている可能性は期待できない。とにかく今年は獲物が少なかった。

そういうせつない思いを込めて撮った今日の写真なのだが、こうしてみるとなんともつまらないものになってしまう。こういう被写体には本物の腕が問われる。偶然で撮られるはずがなく、撮れる対象でもない。

肉眼のほうが鮮明に見えるものがある。車窓を流れる美しい木立が車を止めたとたんに色褪せて見えがっかりしたりする。枯れ葉がたくさんついた蜘蛛の巣もその仲間だ。歩きながら2つの眼で見る蜘蛛の巣は、いわゆる3Dとして背景から浮く。枝に触って巣の全体が揺れれば、巣の全体像はいよいよ明らかになる。足場を移して逃げるオスは小さいながら動物としての存在を主張する。

写真はわずかなピントのズレをのぞいて2Dの世界だ。蜘蛛の糸は見えない。糸にかかる枯葉は背景に沈む。自分の存在目的にも気づけない哀れなオスは巣の全体に比べて小さすぎる。こうした難しい状況を写す方法はきっとあるのだろう。あったとしても学べそうにない。自分で実現するほかにはそういう写真が私の目に届くことはないだろう。


2010.11.26(金)くもり 彼女の帰還

クロナガアリのご機嫌うかがいに雨の上がった庭に出た。昨夜のうちにスーパーマクロに変更を加えてちょっと張り切っている。変更は本体をS2proからD100にしたこと。D100はなぜかストロボのX接点がないため、スピードライトと内蔵ストロボの併用がちょっとめんどうで使わなかった。その一方で、ファインダーの見え具合がよくシャッターのインターバルも短くできるという利点がある。つまりピンぼけの歩留まりを上げ、シャッターチャンスをものにしやすくなるのだ。

アリの巣は開いていた。昨夜ぐらいの雨なら、巣口は完全に雨水と泥で塞がっていたはずだ。夜明けには完全復旧したらしい。ポツポツと種集めにくりだすやつもいる。さてやってみるかと土の上にダンボールを敷いて、その前に・・・と、ふと昨日撮ったジョロウグモの巣を見た。相変わらず糸には枯れ葉がからまり寂しげなオスの姿もある。ほとんど昨日のままであったが、巣に重なるように真新しい円網ができていることに気づいた。そしてその中心にメスがいる。これにはちょっと驚いた。

去年までにも、この季節にジョロウグモ♀が巣を2日ほどあけて復帰するケースを観察している。その理由を何回かにわけて産卵しているためと推理してきた。復帰した彼女は母親になるには小さすぎると思った。栄養が足らず産卵は難しかろうと他人ごとながら気をもんでいたのだ。そこにいるクモを見れば、断言はできないものの、あのジョロウグモに違いあるまい。腹もへこんでスリムになっている。どこかに卵を産んでもどってきて、また栄養をつけて次の産卵に臨むという楽天的な見方もできる。オスも彼女の帰還に気づけば、交尾の機会をうかがってそっちの円網に移っていくかもしれない。


2010.11.27(土)晴れ 井戸端会議風

クロナガアリ

朝、庭に出るとちょうど蜘蛛の巣に小型のガガンボかなにかがかかったところだった。くだんの彼女はささっと歩み寄り、がぶっとかみついた(たぶん)。とにかく私の庭には気の利いた獲物は少ない。ユスリカとかガガンボとかがせいぜい。糸でぐるぐる巻きにしてしとめなければならないような大型の虫がいない。夏から秋にかけて、そのジョロウグモが糸巻きの獲物を持っているのを一度も見たことがないのだ。

ともかくクロナガアリの撮影は極めなければならないと決意している。いま手元にある機材で最高画質のカットを撮るのだ。ポイントは照明の工夫につきる。黒いアリが赤黒い土の上にいるという状況がやっかいだ。どれだけストロボをたいても被写体が光を吸い込んでしまい光量不足のような雰囲気になってしまう。ある程度の光量であきらめないとアリがてかってしまう。ぎらぎらしたところと黒い部分の差がありすぎる写真は情緒に欠ける。つやのある腹部にストロボやレンズが写り込むのもうざい。ここは創意工夫のしどころだ。

今日の写真は何か相談中のアリ。クロナガアリはめったに互いをつんつんしない。列を作ってエサを運ぶアリはしょっちゅう触角を触れあわせて何かを交信している。アリさんとアリさんがごっつんこと童謡になるほど一般的な行動だ。また、クロオオアリなどでは頻繁な、栄養交換をしている様子は数度しか見たことがない。それでもこの写真のようにけっこう長いこと、井戸端会議のような状況になることがある。その意味はさっぱりわからない。

100カットばかり撮影して画像をチェックして失意を胸に半原2号で境川へ。今日も湘南を回って金目川周辺の道をさぐることにしていた。朝の撮影が思うようにいってなかったから後ろ髪を引かれる思いだ。それはともかく、ちゃっちゃと134号線を走り、金目川、鈴川、63号線、62号線あたりをぐるぐる。丹沢から湘南へ至る最良と思われるコースを特定した。4時間100kmちょい走って16時前に帰宅。充電完了のバッテリーをニコンD100に入れてクロナガアリに再挑戦。


2010.11.28(日)晴れ がんがんいこうぜを選んだ日

クロナガアリ

これはササガヤの種を運んでいるところだと思う。イネ科の種は長い芒があって、そいつがけっこうひっかかるもんだから、よけいな苦労がつきまとう。こちらとしてはシャッターチャンスの到来だ。この写真のアリはひっくり返りそうになっているところをうまく押さえた。残念ながらストロボ主灯が左上からあたっているため、アリの体が影にはいっている。

アリの画質アップの件は難渋したけれどもゴールが見えた。D100には色合いや色温度、コントラストなど撮影時に設定できる項目があり、それらを一つ一つ試してみた。よい画を得る秘訣はホワイトバランスのプリセットにあることは常識だ。どういうわけだか(たぶん白紙相手に設定を試みているせいで)うまくホワイトバランスがとれない。そこを最後の課題としてJPEGでまずまずの画が上がってきている。

今日は半原2号で半原越。普通にがんばった。半原越を降りて海に出るコースは昨日計画したところを選んだ。「がんがんいこうぜ」「いのちだいじに」の2つを選択肢として用意している。今日は「がんがんいこうぜ」を選んだが、一部ミスコースがあった。がんがんいけるのは交差点が皆無の峠道とか、ばかみたいに交通量が多い巨大な道路に限られる。中途半端なところでがんがん行くと左折車や脇からの侵入車に突っ込んで命を落としかねない。つぎは2つをミックスした「みんながんばれ」で行ってみよう。

ラップタイムkm/hrpmbpm
区間14'30"4'30"15.772159
区間29'30"5'00"14.272178
区間314'27"4'57"14.367180
区間420'47"6'20"11.262185
全 体 20'47"13.667176(1392)

登りでもがんばって、向かい風を受けて海に出るときもがんばって、海岸線では追い風に乗って調子にも乗ってがんばって、けっこうくたびれてしまった。Edge500のデータを読み出して、Yahooの「猛レース」に上げて眺めていたら、途中で眠ってしまった。そういえば昨日もくたびれて、アリの写真をスライドショーで見ながら眠っていた。長時間ATあたりで運動すると眠くなるってのは本当だ。


2010.11.29(月)晴れ 空振りだった朝

子実体

午前7時頃に庭に出てクロナガアリの機嫌をうかがう。日曜の午後には活発に動いていたのに一匹も見つからない。昨夜から少し冷え込んだせいだろうか。

カメラの設定テストはアリがいなくてもできる。地面を撮って色合いやコントラストを見ればよい。ただそればかりでは虚しいから生き物らしきものにレンズを向けてみた。それが今日の写真。しばらく前からレンズの中をアリが横切るときにちらちら見えていて気になっていたやつだ。サイズは写真の縦幅が5mm程度だから2mmほどの高さということになる。この秋のものではない古い落ち葉から「生えて」いる。

これはたぶん菌類の子実体だろう。シイタケ菌でいえば椎茸にあたる存在だ。私の庭がいくら寂しいとはいえ、微少な菌類にまで観察対象を広げれば被写体にはことかかない。謎に包まれた魅惑の世界でもある。ただし、菌類なんてどうみても奥が深すぎて、その深淵に入り込むのはかなりためらわれる。名前が判明するものなど皆無であろうし、その生態も目で見える部分なんてほんの一部のはずだ。私には手強すぎる。


2010.12.4(土)晴れ 自転車の日ではなかった

クロナガアリ

午前8時頃にはクロナガアリは絶好調だった。昨日の早朝の雨だと巣口はすっかり塞がれていたはずだ。それなのに今朝にはすっかり復旧している。よってたかって半日ぐらいで直したのだろう。雨のなごりは巣の周辺に生えている草の根が露出していることぐらいだ。

一本の長い草の根らしいものが動いている。数匹の働きアリがそいつと格闘しているのだ。どうも復旧作業の名残のような気がする。その根は巣口を塞いでいるものではなく、もはやなんの障害でもない。なのに躍起になってどけようとしている。「修復がんばれ」スイッチがまだONなのかもしれない。そういうシーンの面白みはスチルでは無理。ビデオが必要だ。写真は、種の芒がひっかかったのを外そうとふんばっているところ。

快晴で気温が高くゆるい南風。アリもよいけど自転車もよい。半原2号に空気を入れて、さあ出発。ひとまず境川。スタート直後になぜかパンクのことを心配する。「いや、そういうことが気になったときに限ってパンクするから」と、あえて気にならなかったことにする。

境川にでて10分もしないうちに、後輪から「パンッ」という乾いた音。1秒で空気が抜けて気も抜けた。ゆっくり自転車を止めてタイヤをチェックするとサイドに2センチほどの裂け目。ナイフで切ったように見事に割れている。タイヤもチューブもおしゃかだ。さあ困った。チューブを交換してもタイヤからはみ出すようだと100mも行けずに破裂してしまう。

サイクリングロード脇の芝生にホイールを寝かせ、タイヤを外し裂けたチューブを抜いてしばし思案。こんなときはタイヤからチューブがはみださないようにパッチを当てなければならない。パッチの定番は丈夫な布のガムテープ。変わり種では千円札ってのもある。ガムテープは持ってないし、貧乏性がそんなことにお札を使えるはずもなく、何かその辺に落ちてないものかと見渡すと、アリがいる。クロナガアリだ。けっこうな数の働きアリが種を集めている。芝生の脇に巣があるらしく、芝生を横切るような列ができている。列の先にはススキ混じりの草ぼうぼうの小さな荒れ地があった。私の庭よりもずっと豊かそうだ。けっこう大きそうなアリの巣を見つけてちょっと得をした気分になった。

チューブを持ってぼうっとアリを見ている姿がいかにも哀れだったのか、親切なおじさんが声をかけてくれた。自転車乗りの間ではスペアチューブや空気入れの貸し借りはごく普通のことだ。パッチになるようなものを持っていないかと聞いたけれど、あいにく彼はもっていなかった。ロードに乗るときはテレホンカードに両面テープを貼ったものを持ち歩いているという。よいアイデアだと感心するが、彼が乗っているのはMTB。境川でMTBのタイヤが裂けることは想定せず、パッチ用テレカもなし。

気休めに工具入れのクッションに使っているウレタンを詰めて応急処置とした。おじさんに礼を言って慎重に走り出す。引き返せば10kmもない。びくびくしつつゆるゆる帰宅。運良く2度目のバーストはなかった。タイヤもチューブも交換して気を取りなおし再出発。

今日2度目のパンクは、1度目のパンクより1kmほど先だった。今度はスローパンクらしい。いちょう団地の草むらに座り込んで平静っぽく修理開始。草むらはもともと芝生らしかったが各種雑草が進入している。コツボゴケまで混じっている。コツボゴケを見つけたぐらいでは得した気分になれない。2度目であるし。

パンク修理の第一歩は原因の特定だ。チューブには小さな穴が開いている。その場所が不穏だ。サイドなのだ。タイヤが接地しない部分にあたる。念のために穴が開いたところにあたるタイヤの部分をチェックすると、刺さった異物もなければ貫通した穴もない。こういうパンクはすでに10回ぐらい経験している。すべてパナレーサーの軽量チューブで起きたことだ。といっても私の使うチューブは8割方はパナレーサーの軽量チューブだ。おそらく軽量チューブには普通のトラブルなんだろう。一度この穴が開いたチューブは修理してもまた別のところで穴があくことが多い。幾度も痛い目にあってからは、用心のため、使う前にカンカンに空気をいれて一晩放置して抜けがないことを確認するようにしてきた。今日は新品を未チェックで使った。外れくじをひいた気分だ。

タイヤに傷はなく、スペアのチューブに交換すれば走り続けることができる。スペアチューブは丈夫が取り柄の重量級パナレーサーだ。もう数年にわたってスペアのためだけに持ち歩いている。気分は萎えてしまったけれど、いつもの境川終点までいって引き返し日の高いうちに帰宅。今日は自転車の日ではなかった。庭のアリを見てからチューブの交換をする。穴の開いたヤツは捨てる。スペアは再びスペアに戻して新品のチューブを使う。じつは、しばらくパナレーサーはやめてイタリアのビットッリアを使ってみようと5本ばかり買いだめしておいたのだ。自転車に限ってはイタリア製でも良いものがないわけではない。


2010.12.5(日)晴れ 今日も自転車の日ではなかったのか

今日も暖かい。アリもよく活動している。午前午後と200カットぐらい撮ったけれど、50枚ぐらいは完全にファイルが壊れていた。こういうのははじめてだ。昨日は自転車の日ではなかったが、今日はカメラの日ではなかった。ちょっとがっかり。

今日は半原越だ。半原2号で颯爽とスタート。まずまず快調に半原越をこなして、下りに入った所でパンク。3連続ってのもなかなかだぞと勝手知ったるチューブ交換。今度のパンクの場所も怪しい。内側なのだ。だいたいこういうところに穴が開くのは、スポークのせいだということになっている。チューブに穴が開いたあたりのリムを穴が開くほど眺めても異常が見つからない。ますます怪しい。どうやら、なにか微少な異物が混入してそれがチューブに穴を開けていると結論しなければならない。ビットリアは軽量チューブではなく厚いタイプ。軽量なものに限ったトラブルでもないようだ。

ラップタイムkm/hrpmbpm
区間14'40"4'40"15.274152
区間29'47"5'07"13.870174
区間314'45"4'58"14.970178
区間420'36"5'51"12.166188
全 体 20'36"13.769173(1421)

帰宅してさっそくチューブのパンク修理。首尾良くつぎを当ててばっちり装着したはずが、1時間ほどするとすっかり空気が抜けている。さては失敗? とチューブに空気を入れて水につけても漏れが確認できない。穴の特定すらできないとはどういうことだ。この土日はやることなすこと、どうもうまくいかない。


2010.12.7(月)晴れ そもそも事件性が疑われるのだが

ハエ

クロナガアリの顔についている異物が気になっている。12月4日のクロナガアリのほっぺたにも透明感のあるオレンジ色の何かがついている。じつはこの物体がクロナガアリの頭部に付着していることはそれほど珍しいことではない。こちらの写真のアリは額の真ん中につけている。これまでに数例確認しているが、頭部以外についているものは見つかっていない。私はこの物体に何か恣意的なものを感じている。

この物体は一見して何かの卵のように見える。そうであれば疑われるのは他の虫による寄生だ。虫が虫に卵を託して、当の虫の体や蓄えを食ってしまうことはよくあることだ。クロナガアリの巣にうまく進入してアリの蓄えや幼虫などを食う生き方は魅力的だ。

もしそういう虫がいたとして、それが昆虫ならば心当たりは今日の写真のやつだ。ハエなのかアブなのかよくわからない。名前調べなどやる前から放棄している。サイズはアリぐらいで、てかるボディと赤目が特徴だ。こいつが巣から出てゴミ捨てや種集めに余念のないアリの顔にピッと卵を産み付けて去っていく。卵はやがて孵化し、巣の中でアリの幼虫や働きアリが集めて皮をむいて食べやすくした種を盗んで食うのだ。

このハエっぽい昆虫を見たのはたった一度きりだ。状況証拠もなく容疑者にするには不十分だ。そういうやつがいてもおかしくないし、いてほしいと願う気持ちはある。しかし、アリの顔についているその物体が卵かどうかも不明なのだから、容疑者以前に事件性があるのかどうかが疑わしい。


2010.12.10(金)晴れ グレースケールを作ってみる

グレースケール

クロナガアリの色を正しく出すことが難しい。最大の原因は拡散板として使っている塩ビとトレーシングペーパーが青のほうの光を吸収してしまい、ストロボ光が赤っぽくなってしまうことだ。ニコンのD100には、赤から黄色の色補正機能があるが、それだけでは、誤った用法での、役不足。その機能はたぶん日本人の顔色をきれいに出すためのもの。市販のカメラはアリを撮るようには設計されていない。アリ色を補正する場合はデジタルカメラではホワイトバランスをプリセットにすればよいらしい。

白い紙でやればいいのだろうと、やってみたもののぜんぜんうまくいかない。失敗の原因は紙が明るすぎるからだろうと思った。しめった黒土の上を歩くアリってのは暗いシーンだ。人間の顔色に比べて3段ぐらいは暗いような気がする。ならばと、ホワイトバランスを暗いグレーでとれるようにグレースケールを自作してみた(写真)。自作といっても簡単なもので、フォトショップで適当にグレーを作ってA4普通紙に印刷しただけのものだ。台紙はゴミ箱から拾ってきた段ボール。それでホワイトバランスをとってみると、白よりはいくぶんか良いものの、微妙に土の色が青紫がかっている。

どうもニコンのD100で作るJPEGの画像には秘術があるようだ。アリを撮ったときの影の部分には西洋の印象派が発見したような色がのっている。暗いとこは青く、明るいところは黄色くなるようにしているのだろうか。本当のところは知らないけれど、普通に撮って見栄えよい写真になるように設計されていても不思議ではない。それがいろいろな色がある並の写真ならばきれいになるのかもしれないが、緑や青系がない土とアリではカメラが色づけに迷っているふしがある。「いくらなんでもここはもっと青いだろう」というようなカメラの迷いが感じられるのだ。

その迷いを払拭するために一計を案じて作ったのが、グレースケールの左にある紙だ。これもフォトショップで暗い青紫を作って印刷しただけのものだ。アリの写真を加工するとき、グレーのはずの部分にのっている青紫を除くのと逆ぐらいに青紫色をつけたグレーの紙だ。文章で書くとめんどくさいことになってしまうけれど、要は暗い青紫はグレーにしちゃっていいんだよとカメラを安心させるための紙だ。

アリを撮るための試行錯誤も写真学校で基本を学んでいればやらなくて済むことが多いのだろう。反面、自己流の行き当たりばったりでうまくいったときの喜びもある。


2010.12.19(日)晴れ 種を奪い合う

クロナガアリ

起きないはずがないと思っていたシーンを目撃した。種の奪い合いだ(写真)。クロナガアリはとても静粛に種を運ぶアリである。獲物に興奮して早い者勝ちだなどと目の色を変える様子がない。生来、争う必要がないのだろう。植物食であり食物は無尽蔵に確保しているも同然なのだから。

それでもちょっとしたトラブルぐらいはあるだろうとねらっていた。今日は日中でも気温は10℃ぐらいにしかならず、庭はずっと日陰で虫の活動に向いていない。それでもクロナガアリたちはぽつぽつと巣から出てきて種を運び込む。一匹が皮付きのアカマンマを運んできた。巣口まであと一息というところで、手ぶらでうろうろしていたやつがやおら種につかみかかってきた。襲った方の本気度は低いようであったが、やられた方はかなりエキサイトしてガードしていた。引っ張り合いは30秒ぐらい続き、正統な持ち主の手に収まって決着をみた。やはり些細なトラブルでしかないようだ。

じつはこの5日ばかり下痢が続いている。いまいち自転車に乗る力がわかない。おそらく風邪だろう、と素人診断している。下痢以外には自覚症状がないから、ゆっくりでもいいと、半原1号で半原越に向かった。

ラップタイムkm/hrpmbpm
区間14'43"4'43"15.074155
区間210'04"5'21"13.270173
区間315'23"5'19"13.370174
区間421'55"6'32"10.866180
全 体 21'55"12.970171(1539)

弱っているときの22分はたいしたものかもしれない。今日は上死点付近から力を入れること、なるべく早めにペダルに力を加えて、なるべく早く脱力することを意識した。その辺がペダリングの極意のようでもある。


2010.12.21(火)雨 アリ専用カメラ

スーパーマクロ

今日の写真は写真機の写真だ。庭のクロナガアリ専用にセットし、スーパーマクロと自称しているカメラだ。あれもこれもと取り付けて、かなり大げさなものになってしまった。重くて取り回しも良いとはいえない。ただし、5mmのアリが画面いっぱいに写る、ピント合わせが楽、撮りたいときに必ずシャッターがおりる、JPEGで補正がそれほどいらない画像が得られる、満足できる機材だ。

単三4本の外付け式ストロボ2灯にも意味がある。明るくしっかり撮ることが第一で、シャッターチャンスを逃がさないことが第2だ。フィルム時代のニコンと、パナソニックのものを使っている。どちらもマニュアルだから、どのメーカーのどの機種でもかまわないはずだ。ちなみにパナソニックのほうは、マニュアルだとそれほど暗くできない。オートかマクロオートにすればけっこう暗くはなるようだ。

この2灯と色温度調整で、夜、夕方、晴れの日中、曇の日中など、自由自在に光が演出できる。このカメラはレンズ前の数センチしか撮れず、画面の広さは100円玉1枚、被写界深度は1mm。だから遠くまで照らす必要はなく光の管理は楽ちんだ。ただし、写真で物語を作るわけではない私には「日中薄曇り」以外の光で撮る意味はない。上からの主灯にしているニコンは、UN社のアダプターを介して前倒している。そのアダプターは持ち運ぶカメラに取り付けるものではないらしく、立て付けが悪くぐらつく仕様になっている。気分が悪いのでストロボに被せる白いふたを、レンズにしばりつけた半透明のアクリル板にネジ止めしている。ちなみに白いふたはこれで3000円以上もして、使ってすぐに後悔したが、もとからこの用途だったと思えばいい買い物だった。

レンズは、20年以上前に買ったフィルム時代の28〜85mmマクロ付きズームを改造したもの。いわゆる“前玉外し”という荒業を使った。これに、ケンコーの1.4倍テレコンをかまして等倍〜5倍ぐらいで写せる。28〜85mmズームはフィルム時代には大活躍だったが、デジタルになって全く出番を失っていた。改造を経た今は最も使われるレンズとして復活している。

懐中電灯はLEDの明るいもの。ピントを合わせるための補助光だ。実はこのライトがないと、ファインダーが真っ暗でほとんど見えないのだ。本体のニコンD100のファインダーはそれほど良いものとはいえない。基本仕様でも狭くて暗くて日陰のアリだとはっきり見えない。とりあえず像が小さいとどうにもならないから、拡大のためにファインダーの窓にニコンとオリンパスの拡大鏡を2枚かませている。ニコンの四角窓用の拡大鏡であるマグニファイングアイピース DK-21Mは、ゴムの部分をナイフで削れば2枚3枚と重ねて倍率を稼ぐことも可能なのだ。2枚は持っていないから、たまたま手持ちのオリンパスを重ねた。それでファインダーいっぱいに像が広がり、ピントは見やすくなったものの、それでは真っ暗になるから懐中電灯で照らすことが必須になっている。

クロナガアリ専用カメラの工夫はこれでほぼやり尽くしたと思っている。残るはニコンD100のとっときの機能として、Nikon Controlというソフトを使ってパソコンからガンマをいじるというのがあるらしい。ただ、もう10年ぐらい前の機械であり、Nikon Controlの配布もしていない。何かの機会に入手できればやってみるのでいいだろうと割り切っている。

昆虫の接写のイロハからレンズの改造まで、こうした工夫を私は昆虫写真家の海野和男さんから多く学んだ。20年来マクロの師匠だと思っている。残念ながら直伝というわけではなく、彼の著書やホームページを見て真似たに過ぎない。プロなのに秘術を気前よく差し出す海野さんは素敵だ。私も彼にならってうまくいったアイデアは積極的に公開したい。クロナガアリの撮影をはじめようという方の参考になれば幸いだ。


2010.12.22(水)晴れ 死亡フラグ

ゴミ捨て

冬至だというのに暖かい日が続いている。朝にクロナガアリの巣を見に行くと、2つ3つと働きアリが動いている。15分の観察では種を運び込むものは見つからなかった。

クロナガアリの活動を見ていると意外にもゴミ捨てを見ることが少ない。私の見ていないときに捨てるのかどうか、運びこむ種の数に比べて、捨てる種の殻の数が圧倒的に少ないように思う。種集めは集中的に行われることが多いせいで、見かけ上ゴミ捨てが少なくなっているのかもしれない。小田急線の階段は降りるほうが乗る方に比べて3倍ぐらいのスペースを確保しているけれど、電車を降りる人数が3倍あるわけではない。そんなようなものかもしれない。

今日の写真は仲間の死体を捨てに出てきた働きアリ。正確には死体とはいえない。まだ息があり触角や手足は動いていた。こういうシーンを目撃すると、アリの死亡フラグは何? という疑問がわく。巣の中で死体は種の殻とちがって危険なゴミに違いない。集団生活を行う彼らのことだから、互いの体は食物と認識しない障壁が発達しているはずで、死体は食べなければ危険なゴミとなる。働きアリは仲間の死亡フラグを感知して捨てる行動を起こさねばならない。死亡フラグとは臭いだろうか。行動だろうか。たとえば、触角でつついたときに特定の反応が返ってこなければ死亡というような合い言葉ができているのだろうか。また、昆虫一般と同様に、アリは死ぬ間際には足を折り畳み仰向けにひっくり返ると思う。その姿勢が死亡フラグになるのだろうか。完全死以前の段階でなんらかのフラグが立っているはずだ。

この季節になると、いつ引きこもるかが注目点だ。気温が低ければ低いほど彼らの歩みはのろくなる。巣から出ようとしても出れなくなる限界の気温があるにちがいない。ただし、引きこもったからといって、活動していないわけではなく、この秋の蓄えで子どもをしっかり育てるはずだ。クロナガアリの巣は深い。地面の下1mも潜れば温度は年平均気温ぐらいになる。このあたりではクロナガアリの巣内は夏冬通じて18℃ぐらいなのだろう。


2010.12.24(金)晴れ 目標を設定してみた

「もうそろそろあいすまんじゅうの季節でもないぞ」と自分に言い聞かせつつも、ひさびさにあいすまんじゅうを見つけてうれしくて、いつもの棚田脇で食っている。気温はまだ10℃ぐらいはあり、厳しい風も吹いていない。ぎりぎりセーフだ。かすかにモズの声が聞こえた。この冬の物足りなさはモズがいないせいかもしれないと気づいた。この草むらの魅力がなんとなく薄れてきたように感じていたのだ。毎年、この季節にはモズがいて盛んに獲物をねらっていたのだ。そのつもりで耳をすませば、またモズの声が聞こえてくる。しかし、その姿は見えない。遠くにいるせいかもしれないし、幻聴かもしれない。それほど小さな声だった。

半原越は目標とするタイムを設定してみた。区間1は4分30秒。区間2と3は5分10秒。区間4は6分30秒。それぞれ200Wを維持すればクリアできるタイムだ。計算では1秒につき1Wぐらいの低下となる。もし私がそれだけの出力をもって90分走れればいっぱしだ。おそらく届かないけれど、夢物語でもない値だと思う。まずは心拍数180bpmを越えず目標タイムで半原越クリアーを目指すのだ。

今日は半原1号で重いギアで入ってみた。36×21T。区間3まではなんとか行けたが、区間4では太刀打ちできず、1枚落とすべく26×17Tにチェンジした。この重いギアで180bpmを越えない強度であれば呼吸は楽だ。ただしウィークポイントである腰に痛みが来た。ギアが重すぎて上半身にも力を入れなければならないからだと思う。心拍数はよいけれど目標タイムには10〜20秒ほど及ばない。しかも腰が痛くなったとあってはギア比の失敗だ。

ラップタイム目標km/hbpmrpm
区間14'43"4'43"+1315.015869
区間210'05"5'22"+1213.217261
区間315'26"5'21"+1113.217461
区間422'17"6'51"+2110.317654
全 体22'17"12.717060 1342回転

ギアを軽くしていろいろ試して半原越を降り、湘南を回って帰ることにした。今日は「いのちだいじに」のコースだ。西高東低の気圧配置で北西風かと思いきや、風は南寄りだった。134号線に出ると、ものすごい追い風が吹いていた。停止していても背中を押される感じがする。40km巡航も楽々だ。心拍計は150bpm。LSDレベルだ。プロだと無風のときにこれぐらいの感じで走れるんだろうな。


2010.12.25(土)晴れ 魚露目8号

クロナガアリ

今日のクロナガアリはギョロショップが販売している魚露目8号というレンズで撮った。おそらくはマンションなんかのドアスコープを流用したものだろう。これがけっこうよく写る。地べたに咲いている小さな花なんかが力強い感じで撮れるのだ。

手持ちのカメラではニコンのCOOLPIX990と相性がよくて、ときどきそのセットを持ち出して撮影している。今朝のスイレン鉢の薄氷は予想以上の画が出てきて驚いた。写真は日陰でなおかつ超アップという、レンズにもカメラにも厳しい条件にトライしてこんな結果になった。

魚露目8号はF11ぐらいまで絞ってはじめてその良さが出る。それだけ絞るとシャッタースピードは1/2秒ぐらいになる。極めてゆっくり歩いているアリですら流れてこのありさまだ。この写真はとても見られた代物ではない。ただし、このレンズの深さとシャッタースピードの遅さは、シーンによっては味のある画になるだろうという期待が持てる。そういうシーンにぶつかるかどうかはわからないけれども。

さあて今日は風が強いぞと、午前中はアリを見たり年賀状を書いたりして過ごす。午後、ちょっとぐらいは乗らないとね、と半年ぶりぐらいにチネリを引っ張り出して境川へ。風はどういうわけだか南寄り。海へ向かうときが向かい風。境川では北風でないと本物の逆風にならない。南よりだとそれほど寒くもないし強くもないのだ。

どのみち今日は走る気はなかった。向かい風だろうと追い風だろうと50×19Tぐらいを使って80rpm程度でするする走った。心拍計も速度計も使わない。距離も計ってはいないが、いつものコースだから40kmだ。帰宅してチネリの掃除。そうだな、走らないと掃除する言い訳もないな、と納得した。


2010.12.26(日)晴れ 目標を確かめに

さっそく目標の具合を確かめに行くことにした。目標はヒルクライム計算というサイトのデータを参考に作った。ヒルクライム計算の方程式の完成度は高くないことがわかっており、鵜呑みにはしていない。データが正しければ4区間ともに200Wの出力だからしんどさも同値になるように思うが、さあどうだろうか。今日はケイデンスは70rpmに設定した。

ラップタイム目標km/hbpmrpm
区間14'27"4'27"-315.916173
区間29'46"5'19"+913.317669
区間314'54"5'08"-213.817672
区間421'36"6'42"+1210.618068
全 体21'36"13.117470 1513回転

体感では多少の問題が生じている。まず、区間1を良しとするならば区間4がしんどすぎる。いくらなんでも+12秒なのに180bpmはひどすぎる。それだけの実力がないからといえばそれまでだが、目標値が誤っているとしたいのも人情だ。そっちのせいにするならば、ひとまず原因は2つ思い浮かぶ。一つは、平均で200W以上出ているということ。ヒルクライム計算の式では9%ぐらいの坂で200Wの出力には対応できていないと、他人のせいにもしたくなる。もう一つはケイデンスの問題。9%ぐらいの坂で70rpmは重すぎるか軽すぎて不適切だということだ。後者はすぐに実験できる。とりあえず次回は75rpmでやってみよう。

というようにごちゃごちゃやってるけど、歪み計を内蔵したパーツを使えばパワーもはっきりわかる。ヒルクライム計算を中傷するひまがあったら機材を買えということだ。ただあれはちょっと高価なんだよな。


2010.12.28(火)晴れ 続・目標を確かめに

庭に来るメジロを見ながら気温と風の様子をうかがう。どうやら無風でぽかぽか陽気だ。半原1号で走り出してみると、丹沢はベージュにくもり、その上に富士山の頂上がちょこっと見える。富士山があることを知らなければ、それを山とは気づかず雲だと思うだろう。

いつもの棚田わきで100円コーラと丸永製菓の九州名物あいすまんじゅう。この夏定番だったとりあわせだ。相変わらずモズは影も形もない。縄張りの主がいなくなって新参者が来るとは限らない。それぞれのモズにはそれぞれの縄張りがあるだろう。どこかであぶれものが出て迷い込まないかぎり、ここにモズが来ることはないかもしれない。そういうことを考えつつ、あいすまんじゅうを食べていて発見があった。冬はあいすまんじゅうが融けないのだ。これまでは、最後の方になるとアイスがどろどろになってぽたりと落ちてしまいずいぶん気をつかってきた。それが今日は最後のひとかけらまですんなり食べることができた。ただし、暑いときのほうがうまいと思った。

今日の半原越は200W走法で回転数を上げることにした。ギアも斜度に応じて変えることにした。つまり急斜面をごり押ししないやりかただ。昨夜のうちに100回ぐらいイメージトレーニングして今日に望んだ。

ラップタイム目標km/hbpmrpm
区間14'22"4'22"-816.216274
区間29'33"5'11"+213.717774
区間314'48"5'15"+513.517771
区間421'21"6'33"+310.818073
全 体21'21"13.317472 1547回転

今日の方法が正解だと思う。ケイデンスもちょうどいい感じ。息も余裕があり、筋肉にも余裕があり、腰に痛みが来る気配もない。これでおそらく200W走法ができている。あとはこの感じで心拍数を落とせればよいことになる。この値ではせいぜいがんばっても40分を維持するのが精一杯。ヤビツ峠ではなんとかやれても乗鞍には太刀打ちできない。もっとも、乗鞍はおろかヤビツさえ行くかどうかは決めてないのだが。

ちなみに、ヒルクライム計算のように物理の式からWを算出する方法と、パワータップのように機材に歪み計を内蔵して直接計る方法ではずれが生じる。100kg重のものを1cm持ち上げるのはたいへんだけど、1kg重のものを1m持ち上げるのは簡単だ。人間が「仕事」をする場合は動かすのに適当な重量と速度がある。斜度が大きくなって、ペダルが重くなり、ケイデンスが下がれば、出力のわりに自転車が進まなくなるのではないだろうか。

自転車のギアも軽ければ良いというわけではない。半原1号は最軽ギアに入れれば170rpmまで出すことができる。しかしそんなペースでは10秒ももたない。しかも速度は20km/hそこそこだ。10g重のものを100m持ち上げるのは大事なのだ。どこに塩梅を見いだすかが自転車の楽しみ。こんなことを考えながら、もう6年も7年も半原越に通い詰めている。今日はふと、上空から眺めている自転車の神様が「不器用なやつめ」とあきれかえっているような気がした。


2010.12.29(水)晴れ アリの目

クロナガアリの目

クロナガアリの目をアップで切り出すとこうなる。スーパーマクロを使ってファイルサイズ中型で撮ってピクセル等倍でトリミングした。写真の幅が1mmほどだから、目のサイズは0.2mmぐらいということになる。アリの目も複眼で、ざっと数えてみると100〜200個ぐらいの個眼の集まりだということがわかる。

これだけのことで結論はできないのだけれど、アリはそれほど目が良くないのではないかと思う。トンボのような目が命の昆虫は個眼が2〜3万個もあるという(数えた人に拍手!)のだから。デジカメだって撮像素子の画素数やレンズの大きさだけが勝負ではないにしても、20万画素のトイカメラよりは2000万画素の一眼レフのほうがやっぱりよく写る。

アリの目は暗くてぼやけて近くしか見えなくても生活に支障はないのだろう。夜でも普通に動いている(トンボは夜はからっきしだ)し、暗黒の巣の中でも不自由していない。また、視野は広いと思う。アリを見ていると、真後ろからでも目が見える。きっと360°の視界があるのだろう。

庭

ところで、アリの目線から庭を撮ってみた。ちょうどアリの巣の近くの草10cmに登って見渡した感じだ。アリの目は魚眼っぽい感じだと思う。カメラは広く低く撮れる魚露目8号をセットしたCOOLPIX990だ。

こうしてみるとわが家の庭は荒れ地感満点だ。家人は全く庭作りに興味がないようにみえるかもしれない。ところがどっこい、蘚苔類から草本、木本に至るまでどこに何が生えていて、どんな虫がうろついているのかきっちり把握している。ただ私は彼らを信じて彼らの主体性を大切にしている。金八先生のクラスと学級崩壊のクラスが現象的にいっしょに見えるようなものだろうか。


2010.12.31(金)晴れ 水になれ

ノミハニワゴケ

魚露目8号のCOOLPIX990で庭のノミハニワゴケを撮った。ちょうど茎が赤いサクを伸ばしてこれから胞子を作ろうとしているところだ。このサクの高さが5mmから1cmぐらいだろうと思う。私は裸眼ではサクがあることを発見できないし、これがノミハニワゴケだということもわからない。こんな簡便な撮影機でこれほど迫力のあるカットが撮れるのだから驚きだ。ちなみにノミハニワゴケの同定は極めて難しいらしい。いまのところ動植物の名前に固執するつもりはない。虫やコケの名にしても、馬車に乗ったアンeが道すがらの樹木なんかにつけまくった名くらいのもんでかまわない。

今日も暖かく、昼ぐらいから張り切って半原越。いつもの棚田脇に座って美しい清川村の風景を眺めながら物思いにふけっている。「何の心配もいらない。そのうちこの身も心も水と空気と土に還っていくのだから」と、この場所でもう10回ぐらい感じたことを今日も反芻してしまった。さあ出発だと手袋をはめていると、田を挟んで向かいにある道路に沿った電線にモズが止まった。一目でモズとわかった。

今朝、フロントのインナーを24Tに変更した。区間4で75rpmまで上げて、なおかつ心拍数を180bpmに保つためには26×23Tでは大きすぎるからだ。今日はいい感じではなく、スタートからペダルが重かった。いつもよりも斜度が大きい感じだ。

ジクンドーの創始者であるブルースリーは「水になれ」と言った。それはきっと自転車にもあてはまる。美しい自転車乗りは最適なギアを選択して、最適なケイデンスで、水が流れるようにスムーズに走っているだろう。シマノのSTIをフルに使ってケイデンスを一定にすることを心がけた。

ラップタイム目標km/hbpmrpm
区間14'42"4'42"+1215.116678
区間29'55"5'13"+313.617773
区間315'07"5'12"+213.617977
区間421'40"6'33"+310.818275
全 体+2013.1 - - -

タイムは前回よりも悪いのに心拍数が高い。これは、調子の悪さだけではない。ギアを軽くしてケイデンスを高くしたからだ。心拍数があがっても筋肉へのダメージが少なければ回復も早い。そういう走り方もある。

 
カタバミ  テトラ  ナゾノクサ
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