たまたま見聞録
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2008.1.1(火)晴れ コケの名前

ひとまず東海大学出版会のフィールド図鑑コケなどを参考に、身の回りに生えているコケの名前をしらべてみた。ぜんぜん正確ではないがひとまず記録しておこう。目につくものを徹底的に覚え、あらゆる状態でその種名を即断できるようになっておくことが、こういうものを覚えるこつだ。

この3つは自宅の庭に生えている。
ハマキゴケ ハネヒツジゴケ ヒロクチゴケ
ハマキゴケ ハネヒツジゴケ ヒロクチゴケ



この3つは近所で見つけた。
ヘラハネジレゴケ ギンゴケ スナゴケ
ヘラハネジレゴケ ギンゴケ スナゴケ


2008.1.2(水)晴れ 半原越23分21秒

半原1号ツーリング仕様で半原越。フロントフォークをミズノのカーボンに変更した。これまでのチタンフォークはフロントセンターが短すぎた。ハンドルを切ったときにタイヤがつま先に当たってぎくっとすることもあったが、このフォークではその心配もない。普通のレーサーのサイズになった。

    距離  斜度  タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.0km 6.5% 4'30" 13.3km/h 70
区間2 1.0km 5.8% 5'05" 11.7km/h 66
区間3 1.0km 6.2% 4'17" 13.2km/h 73
区間4 1.0km 8.4% 5'23" 11.3km/h 63
区間5 0.7km 9.1% 4'06" 10.5km/h 61

リッチランドまでの区間の半原越はコケワールドである。道路脇のコンクリートには各種のコケが生い茂っている。自転車に乗りながら、ざっと眺めただけでも5種類ぐらいは区別がついた。ちゃんと調べればいろいろ見つかるだろう。

リッチランドを過ぎてからは、黒っぽいぐすぐすのコケが多くなる。ハリガネゴケであろうか。南向きの斜面のコンクリートにモザイク状に生えている。そのコケの多寡はどうも日の当たり具合によるらしい。広葉樹はすでに葉を落としているが、その枝の影がちょうどコケに落ちている。どうやら樹木の影になるところに密生しているようだ。あまり日当たりが良すぎるとコケの生育には適さないのだろう。昨日のギンゴケは「校庭のコケ」によると、ホソウリゴケのようだ。ギンゴケはあんなに葉が開かないらしい。


2008.1.4(金)晴れ 半原越22分29秒

コケ

コケが気になるとはいえ、この辺の住宅地でこそこそコケを探し回ることは女房から禁止されている。不審者の嫌疑がかかるから。そこで撮影はもっぱら自宅の庭のコケになる。数少ない被写体を撮り飽きるほど撮って、だんだんコツもつかめてきた。

今日の写真は、カメラ市場で買ったジャンク品のマニュアル式 Nikon 28mmF3.5 を逆さまにつけて撮った。いまの私の手持ちの仕掛けではこのレンズがもっとも大きく解像感も高く撮れる。この写真はトリミングはしていない。ピントの合うところで画面の高さは5mmだから、葉の長さは2mmほどになる。ぶつぶつに見えているのが個々の細胞だろう。コケの葉は単純で厚みは細胞1個分しかないという。その葉の薄さと透明感も十分に表現できている。一般的な機材で野外で手軽に撮る方法ではこのあたりが限度か。

地面に寝そべってコケを撮っていると目の前にアリが現れた。トビイロケアリか。寒くはないが、まさかアリが活動しているとは思わなかった。凍りつきそうなのろのろ歩きではなく、それなりにエサを探してけっこうなスピードで歩いている。風がなく日が当たる地面は20℃ほどにもなっているのか。大あわてで3枚撮ったけれど、どれにもアリの目は写ってなかった。ワイドレンズ逆さま方式の接写でF22まで絞り込むと、たとえ日の当たる屋外でもファインダーは真っ暗なのだ。

    距離  斜度  タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.0km 6.5% 4'10" 14.3km/h 70
区間2 1.0km 5.8% 4'39" 12.8km/h 63
区間3 1.0km 6.2% 4'09" 14.4km/h 70
区間4 1.0km 8.4% 5'26" 11.0km/h 54
区間5 0.7km 9.1% 4'05" 10.4km/h 51

午後は半原越。風がなく暖かくて絶好のTT日和だ。しないけど。今日は26×16Tで臨んでみた。ノーマルレーサーの39×24Tと同じギア比だ。6%程度の斜度であれば70rpm までなんとか回せるが、8%以上だとがつんと足に来て、てきめんに回転数が落ちる。


2008.1.5(土)晴れ わが家にあるコケじゃないっぽいコケ

藍藻 ゼニゴケ ヒロクチゴケ
A B C

Aはたぶんラン藻だろうと思う。その昔、水槽で水草をやっていたときはずいぶんラン藻に悩まされた覚えがある。庭にはびこるぶんには問題ない。去年まで犬がいたあたりで富栄養でもあり、朝夕しか日が当たらず湿っぽいところだからラン藻もはびこるのかもしれない。最初は「これがコケの原糸体ですか?」とちょっとどきどきしたけれど、撮影してみると絡み合う糸のような体は直径0.1mmもあった。原糸体にしては太すぎる。

Bはおそらくゼニゴケの一種。蘚苔類だけど、やはりコケといえばふさふさ感が欲しい。

Cは門のコンクリートの上面を覆っている。ダイダイゴケという名前の地衣類らしい。生きているのかいないのかはっきりしない。コケ以上に生命感の薄いやつだけど、色あざやかなので存在感は相当なものだ。ちゃんと光合成をしている生き物だということは、しばらく皿をのせていた部分が円く抜けている(枯死したらしい)ことからわかる。


2008.1.6(日)快晴 半原越23分00秒

空は快晴、風は微風。いつもの棚田はすっかり日陰になっているけど、ぜんぜん寒くない。向かいの尾根の広葉樹はすっかり葉を落としている。わずかばかり残った枯れ葉も一陣の風を待つばかりだ。冬枯れの雑木林の中に数本だけ葉を残している広葉樹はカシワだろうか。葉を落としにくい種類の木のようだ。また、常緑広葉樹も数えられるほどあることに気づいた。大半は背の低いものでツバキの類だろうけど、シイかカシと思われる高木もある。

半原越の尾根の上にはトビが3匹舞っている。その遙か高空を白く光る飛行機が2機飛んでいる。一機は垂直翼が赤いからJALのものだろう。空の青が均一で、飛行機はゆっくり飛んでいるように見える。よくよく注意してようやく爆音が聞こえてきた。このあたりは羽田から西への航路にあたり、いつも飛行機が見つかる。

    距離  斜度  タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.0km 6.5% 4'17" 14.1km/h 74
区間2 1.0km 5.8% 4'57" 12.0km/h 70
区間3 1.0km 6.2% 4'14" 14.1km/h 73
区間4 1.0km 8.4% 5'33" 11.0km/h 66
区間5 0.7km 9.1% 3'59" 10.8km/h 48

とにかく回すことに神経を集中した。リアは17-19-21を使い、踏まないよう踏まないよう、それだけを考えた。区間4はおおむね21T。筋肉に余力を感じたので区間5はアウターを使って踏み倒した。26Tのインナー換算では14.4というやや重いギアだ。ただし、守備的な立ちこぎで、パンターニやシモーニが得意とする攻撃的ダンシングとは似ても似つかない。


2008.1.12(土)雨 雨のダイダイゴケ

ダイダイゴケ雨 ダイダイゴケ晴れ

朝から冷たい雨がそぼ降って半原越に行くにはかなり辛い。雨なら雨で今日はコケの観察日にしようと決意した。まずは私の一番近くにいるコケ。玄関の門柱に生えているダイダイゴケをみる。写真の左の方が今朝撮ったもの。比較のため先日撮ったものを右におく。縦の長さが約5mmだ。

撮影しようとカメラを持ち出して、肉眼で一見し、コケの部分が多くなっているように思えた。色もこころなしか緑っぽくみえる。ファインダーでのぞくと、コケの一つ一つがふくらんでいることがわかった。晴れ続きのときは赤血球のように中央がくぼんだ形をしていたが、今日は餅のようにまるくふくらんでいる。色のちがいは、太陽光の色温度が原因かとも思うが、コケ表面の透明度も増しているようで、それが差を生んでいるのかもしれない。

ダイダイゴケ雨 ダイダイゴケ晴れ

これまではずっと門の上のダイダイゴケを撮ってきた。上の写真のオレンジに見えている部分だ。しばらく皿を置いていた所はまるくコンクリートの地肌が見えている。その側面のコンクリート部分を2平方センチぐらいカメラで切り取ってみると、けっこうコケがついていることがわかる。こんな具合に地衣類はいないようでもいろいろな所にいるようだ。

15日にゼニゴケといったのはシダの前葉体かもしれない。


2008.1.13(日)晴れ ヒナノハイゴケ

ヒナノハイゴケ ヒナノハイゴケ

コケの名前調べは想像以上に難航している。難しいことは覚悟していたけれど、これほどとは思わなかった。各種の図鑑が整備され、インターネットでは玄人および好事家がコケを図鑑的に公開してくれているからなんとか当たりをつけられるものの、一時代前ならすぐにあきらめていたことだろう。ともあれ、本当にやろうとすれば顕微鏡的調査と長期的な観察が必要なことは変わらない。

写真の右は、先日雨上がりに撮影したもの。近所の公園のケヤキにちょっとだけ張り付いていたのをみかけて何の気なしにスナップしておいた。それほど、きれいなものでも大きなものでもなく特徴もないので名を調べるのはあきらめて放っておいた。そして左は今日撮影した同じコケ。昨日の雨は夜には上がっており、再び何の気なしにケヤキのコケを見に行ったら、先日よりもずっと貧相になっていた。ルーペでのぞくと葉が閉じた状態になっている。これで、名前も調べられるかなと撮影してみた。どうやらヒナノハイゴケというのが該当するようである。ヒナノハイゴケならばサクがつけば確認できそうだ。また一歩「コケのわかるおやじ」に近づいた。


2008.1.19(土)晴れ 半原越24分12秒

    距離  斜度  タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.0km 6.5% 3'55" 15.3km/h 78
区間2 1.0km 5.8% 4'38" 12.9km/h 67
区間3 1.0km 6.2% 4'06" 14.7km/h 65
区間4 1.0km 8.4% 5'54" 10.1km/h 52
区間5 0.7km 9.1% 5'39" 07.3km/h 49

半原越に行ってきた。13時だといつもの棚田はもうすでにかなり日が高い。風がなくて暖かい。どうやら今日から春のようだ。

やはり春になれば気分も高揚するのだろう。ちょっとオーバーペースになった。スタート1キロで4分を切るのはTTペースである。とうてい最後まで持つはずもないが、区間3までは重いギアでぐいぐい行ってしまった。区間5はほとんど死にかけだ。事実、両脚がつっていた。

ずっと気になっていた半原越のコケを採取してきた。最も多い黒いコケは「ハリガネゴケ」であろうと当たりをつけていたので、それを確かめたかった。コケ採集用のフィルムケースを持っていると思いこんでいたが、はたしてサドルバックには入ってなかった。しかたなく財布の小銭をズボンに移し替えて財布にコケを入れて持ち帰ることにした。


2008.1.20(日)晴れ コケ撮影用カメラ

カメラ

今日は走り始めてから北に気が向いたので多摩川へ。年に何回かこういう日がある。多摩川に行くには、境川を北上し、戦車道路から60号線の八王子バイパスを下って湯殿川から浅川を経ればほとんど自動車に悩まされずに済む。ただ、このルートは毎回うんざりする。多摩川は大河で広々と気持ちがいいはずなのだが、なぜか道中がっかりするものばかりを見せられるのだ。東京の近郊はこの地球上で一番つまらない地域かもしれぬ。

4時間走って距離はたぶん80kmぐらいだろう。

今日の写真は写真機。手持ちでコケをスナップするコケ観察専用機。本体はニコンの古いデジタル一眼で、このセットで横12mm、たて7mmぐらいの範囲が撮れる。それ以上も以下も撮れない。というのはレンズがフィルム時代の古い28mmをひっくり返してつけているからだ。ピントが合う距離は、レンズ前数センチで固定だ。その距離は本来はフィルムとレンズの距離である。このレンズで撮る限り被写体のサイズが容易に把握できるというのが唯一の利点。昨日のたまたま見聞録のように物差しを写り込ませなくてもよいのだ。貧乏だからこういうレンズを使っているというわけでもなく、最新型のマクロレンズはどうにも魅力的に見えないのだ。

ストロボはパナソニックのもの。数少ない下の方まで首を振ってくれるやつ。世の中のストロボはなんで上ばっかりしか向かないのか? というのはこの10年来の疑問。光量はマニュアルで32分の1から16分の1ぐらいで使う。このニコンはかつて30万円もした高価なものなのに外部ストロボ用の汎用接点がない。それでホットシューにあやしげなアダプターを装着している。カタログではX接点だと250分の1秒まで同調するとのことだが、パナとニコンの相性のせいか、250分の1秒だと上が5%ぐらい蹴られるため、200分の1秒にしている。ストロボは1灯でかまわない。コケに近いところで発光するため、影が目立たない。

レンズはF22かF16に絞って使うのでファインダーは真っ暗だ。太陽光が期待できないコケが相手だとピントがとれない。そのため白色LEDの強力な懐中電灯は必須だ。コケが全部地べたに生えているなら懐中電灯を転がして置けばその方が手っ取り早い。コケは木の幹にもブロック塀にも生えている。それに先日、ファインダーに突然現れたアリを撮り逃したのが悔しくて意地でカメラに固定することにしたのだ。撮れる場所が1点しかなく懐中電灯も固定でよいから工作は楽だ。家具用の金具と文房具のクリップを組み合わせただけ。ファインダーにはしっかりピントがわかるように拡大鏡を装着している。ゴムを目にしっかり当てれば屋外でも外光が入らないのがよい。ただの目当てゴムだけでもあるとないでは大違いだ。

接写は高価な機材を投入すればうまくいくというものではない。最低限の機材があれば、あとは腕がすべてといって過言ではないだろう。コケの撮影の妙味は写真をパソコンで見てからでないと良し悪しがわからないところにある。ファインダーや液晶モニターでは細部は見えず、ピントの確認もできない。コケだと慎重に画面を構成したつもりでも、ピントの位置が1mmの半分ずれただけで、ぜんぜんだめになってしまう。逆に、ずれてくれたおかげで良くなったことはまだ一度もない。また、コケの体はおおむね光を吸収するのだが光を反射する部分もある。黒につぶれたり白にとんだり、光の計算もちょっとできない。


2008.1.26(土)晴れ 半原越23分40秒

走り始めて、丹沢の峰をみあげるとすっかり雪景色だ。半原越の上の方が凍結していたらやだなとおもった。今日はあまり日が差さない。ただし風がないので寒くは感じない。もう1月の終わりで冬も終わっているのだ。途中のコンビニでコーラとアイスクリームを買って、いつもの棚田脇で食う。風がゆるく南から吹いているので、北斜面に少しくだって風を避ける。足下にはハコベやヒメオドリコソウが咲きはじめている。

    距離  斜度  タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.0km 6.5% 4'17" 14.0km/h 83
区間2 1.0km 5.8% 4'58" 12.0km/h 83
区間3 1.0km 6.2% 4'23" 13.7km/h 82
区間4 1.0km 8.4% 5'40" 10.6km/h 77
区間5 0.7km 9.1% 4'22" 09.8km/h 56

今日は80rpmを目安に回すことに徹した。そのため、後輪は25Tをつけてきた。26×25Tだとほとんど1対1だから、80回まわしても 時速11kmに届かない。逆に考えると、60rpmで時速10kmで走っているところを25Tを使えば80rpm出せるということだ。

カメラ

帰りに橋1の手前にある新しめのコンクリート壁にはえているコケを拾ってきた。今日はちゃんとフィルムケースを持ってきた。壁はコケの展覧会の様相をていしており、各種のコケが美しさを競っている。その中で見栄えはそれほどでもないが、一番大きなコケをとってきた。

東海大学出版会のフィールド図鑑コケでしらべて、名前は「ナガヒツジゴケ」ということにした。わが家にもこれと似て貧相なコケがあるが、それはハネヒツジゴケということにしている。アオギヌゴケの一種だ。これからしばらく、半原越のこの手の立派なコケはナガヒツジゴケと呼ぼう。


2008.1.27(日)晴れ 半原越25分36秒

今日は飛行機雲が発達する日だった。時間が経過した飛行機雲は横に拡がって高積雲の太い帯が幾本もできていた。半原越で青い鳥を見る。それほど派手ではない鳥であり、サイズからしてジョウビタキのメスかな? と思ったが羽が妙に青い。腹は白くサイドに赤い模様がある。私の知る限りではそういう鳥はコルリのオスなのだが??? 不明だ。

    距離  斜度  タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.0km 6.5% 4'46" 12.5km/h 79
区間2 1.0km 5.8% 5'22" 11.1km/h 77
区間3 1.0km 6.2% 4'53" 10.1km/h 81
区間4 1.0km 8.4% 5'54" 09.8km/h 74
区間5 0.7km 9.1% 4'41" 09.3km/h 71

回して軽く乗ったものの、久しぶりに25分を越えてしまった。半原越ではコケが気になってラップどころではない、というのを言い訳にしておこう。半原越ではコンクリートの側壁に赤茶けたコケが張り付いている。それにボトルの水をかけるとみるみるうちにみずみずしい緑に変色していく。くしゃくしゃにねじれていた葉が水を得て一瞬のうちに開いていくのだ。水の垂れた跡が緑の線になり、傾いた日を正面から受けて水滴が光っている。魔法のような光景だ。

不明 不明

今日拾ってきたのも地味である。これは清川村のいつも休憩する棚田の側溝に生えていたもの。その側溝には少なくとも3種のコケがあり、こいつは最も底に近いところに生えていた。水のあるときにはいつも濡れている環境だ。

拾ったときから、こいつの名はわからんだろうな、と覚悟していた。いろいろ調べたもののやはりわからなかった。左が乾燥状態。右が洗ったもの。葉の長さは1mm程度である。


2008.2.2(土)晴れ 半原越22分21秒

ギンゴケ?

あまり日が照らず、涼しいというよりも寒いぐらいの一日になった。比較的脚が良く回っているから、今日は26×17Tの固定でやってみようと思った。「回している」とみなせる回転数をひとまず60rpmにおいて、60よりも下がると守備的なダンシングに移る作戦だ。

区間4にある南端コーナーあたりからはやはり回すのが難しくなり、区間5は全面的にダンシングになった。回せなくなるのは自転車が悪い(つまりギア比が高い)のでもなく、道が悪い(つまり斜度がきつい)のでもなく、体が悪い(つまりスタミナ切れ)であることは明らかなので、タイムトライアルなれば、あれこれとギアをいじるよりも、17〜19Tぐらいに固定しておくほうが効率は良さそうである。

    距離  斜度  タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.0km 6.5% 4'07" 14.4km/h 75
区間2 1.0km 5.8% 4'36" 13.1km/h 67
区間3 1.0km 6.2% 4'14" 14.1km/h 73
区間4 1.0km 8.4% 5'17" 11.3km/h 58
区間5 0.7km 9.1% 4'07" 10.4km/h 54

コケは美登里園下の県道歩道のガードレールの下にある緑白色のものを拾ってきた。おそらくギンゴケだろうとねらいをつけての採集であったが、あまりに簡単にはがれ、あまりに簡単にバラバラに分解することには驚いた。


2008.2.3(日)雪 ギンゴケ?

ギンゴケ?

昨日拾ってきたコケは、フィルムケースの中でばらばらになって砂まみれになっていた。そこで、水をはった瓶の中に取り出してピンセットを使ってじゃぶじゃぶ洗って葉の様子を調べてみた。予想のギンゴケならば、葉の先端半分に葉緑素がなく白く透けて見えるはずだ。さてこれはどうだろう?


2008.2.6(水)雪 ギンゴケ

ギンゴケ?

この10日ばかりの私のタスクはギンゴケを見つけることといって過言ではなかった。朝の通勤時に、いくつかギンゴケであろうと当たりをつけているコケがあり、その中の一つを採集して写真に撮った。

今日は雪も降り、道ばたのコケは濡れている。コケは乾いたときと湿っているときはその姿が異なる。おおむね、乾いたときは縮れたり茎にくっついたりしているが、湿ると葉を開き遠目にも美しくみずみずしく見えるようになる。

ギンゴケは幸いなことにこの決まりが当てはまらず、濡れても葉が開かない。しかも葉の先端半分は葉緑素がなく白く透けて見える。だから、こうして写真に撮って、今日の状態で棒のようになっているコケはたぶんギンゴケなのだ。無性芽らしいものがたくさんついていることもギンゴケの図鑑記述と合致する。

そして写真に写っている葉の開いたコケは、ギンゴケと混生しているという噂のホソウリゴケなのだ、と言いたいところだが、どうも開いているほうはホソウリゴケとは葉の形が違うように思う。12月30日に撮った近所のコケがホソウリゴケだと思うのだが、それよりもずっと葉が細くて尖っている。このタイプの葉を持つコケは近所のいたるところにある普通種である。草でいうとメヒシバみたいなものだ。しかしながら、どうにも名前のわからない難易度の高いコケなのだ。もちろん、それらが同一種なのかどうかすらわからない。

さらに、本日ギンゴケと特定したものよりももっとギンゴケらしいコケも12月30日に撮っている。乾燥状態とはいえ、今日のギンゴケよりもずっと葉がしまってずっと緑白色である。あれをのぞいてギンゴケはないだろうと断言できるぐらいギンゴケなのだが、じつは今日の写真のコケのそばにもそのタイプの「ギンゴケ」が生えており、肉眼ですらその姿は異なって見えるのだ。


2008.2.7(木)晴れ ギンゴケ。

ギンゴケ?

今日はついにとっておきのコケを採集して写真に撮った。これをギンゴケとよばずに何をギンゴケとよぶのか、というぐらい銀色のコケである。

採集地は先日もコケを採った渋谷の石がけである。見た感じ昨日のギンゴケと同じものがその石がけにはあり、昨日の採集場所にもこれと同じような白緑色のコケがあるからややこしい。同じギンゴケでも年齢差で姿が変わるのか? 湿度などちょっとした環境で姿を変えるコケなのか? 個体変異の多いコケなのか? 全く別種なのか? こういうわからないことだらけだからこの世は楽しい。


2008.2.8(金)晴れ 毛

ギンゴケ?

今日の写真のコケは6日に公開したものと同じである。距離にして5mmほどしか離れていない。それをあえてもう一度のせるのは、不愉快な「毛」というものをお知らせしたかったからである。

この写真は道の脇に生えているコケを採ってきてそのまま撮影したものだ。おびただしい数の毛がまとわりついている。その数は10本を下らないであろう。面積からいえば1平方センチに満たない範囲に10本の毛がある。毛の多い部分をあえて撮ったわけではない。それどころか、なるべく少ない所を撮ったつもりでこれである。

毛の落とし主の大半が犬であり、残りの大半が猫であることは疑いようもない。コケはあつらえたように毛をからみつかせる構造になっている。こうしてひとたびコケがからみついたら風に飛ばされることも、雨に流されることもない。動物の毛というものは非常に強固で分解されないらしい。形がなくなるまでに10年以上もかかり、コケには毛が溜まる一方なのではないだろうか。近年は狂気のように犬猫が飼われており、そういう社会の病理が路傍のコケに集まっているのだ。

いうまでもなく、コケの生えている道ばたは犬猫の糞尿の溜まり場でもある。そうしたところにはいつくばってルーペでコケを見たり写真を撮っているおやじは、争って犬猫を買い求める人以上に変人に見えるらしく、女房子どもは他人のふりをして寄りつかない。

通報されない程度であれば変人でも不潔でもかまわないけれど、写真に毛が入っているのは我慢がならない。砂粒や落ち葉のかけら、コケの枯れた茎や葉はじゃまでも味がある。毛というやつには微塵も色気がないのだ。娘さんの陰毛ですら、カーペットあたりにからみついているものは不毛である。この写真は数枚の試し撮りの中の1枚だが、ここまでやられると手の施しようもなく修正する気にならなかった。即座にデスクトップのゴミ箱に放り込み、被写体のコケのほうはルーペとピンセットを駆使して取れるだけの毛を除去して撮影しなおした。それでも1〜2本の毛は各カットに入り込んでおり、そういう毛はデジタル技術を駆使して消去している。老眼で目もよく見えず、集中力も持続力も弱くなり震えの来ている指で取り除くよりもPhotoshopで消すほうが早いかもしれない。

フィルムだと毛が写り込んでいるコケの写真なんてどうにも救いようがない。一時代前なら現像したフィルムを全部ゴミ箱に投げ捨てて、二度と町なかのコケを撮らないと決意していたことだろう。技術革新ってどうよ? というような話をすることもあるけれど、こと写真術に限っては、社会の変化と自分の楽しみが合致した数少ない例といえよう。


2008.2.9(土)くもり一時小雪 ナミガタタチゴケ

ナミガタタチゴケ サク

左は近所の家の軒先にあるコケ。近所の砂利をしいた駐車場にも同じ形のコケがある。そちらのほうはこれまでスナゴケとよんできた。同種だと思うのだが、写真の軒先のほうは乾燥して縮れた状態を見たことがなかったので別種かもしれないと考えていた。

今日また女房の冷たい視線に耐えながらこのコケを撮影して図鑑などで名前を調べ、どうやらナミガタタチゴケにたどりついた。スナゴケとよんでいる駐車場のやつもナミガタタチゴケの可能性が高い。

コケの同定には普通の草なら花にあたるサクという胞子の入れ物の形が決め手になるそうだ。今日のナミガタタチゴケのそばには写真右のコケがあり、秋からサクをたくさんつけていた。今日見るといっそうきれいなサクがついており、これできっと名前もわかるに違いないと、大喜びで自慢の撮影セットを持ち出して気合いを入れて撮影してきた。

カビのような繊細な葉をつけている非常に特徴あるコケなので専門家が見れば種名も一瞬で判明するのであろう。ところが、手元の図鑑(フィールド図鑑コケ、校庭のコケ)とインターネットを使っても検討すらつかないのだ。どうにもこうにもならない。名前調べの手強さはいよいよ増すばかりである。


2008.2.10(日)晴れ 北風の境川へ

雪

コケを撮ろうと庭に出ると、昨日降り積もった雪が解けておらず、コケが見えなかった。雪をどかしてまで撮影するほどでもなく、もてあましたカメラでツタにへばりついている雪を撮った。

関東地方で雪が降るということは南の海上を低気圧が発達しながら通っていくということで、つまりは春がめぐって来たということなのだ。今年も苦手な季節をうまくやりすごすことができた。昨日から小さなハエらしき虫が部屋の中をぶんぶん飛び回っている。あれも私と同類だ。

太陽は強く屋根やアスファルト道路の雪はみるみる解けて乾いていく。冬の北海道では積もった雪は解けることなく春を迎え、3月には1年ぐらいは解けそうもない量になる。それが驚くことに4月には魔法のようにあっさり消えてしまうのだ。神奈川県の2月の太陽をもってすれば数センチの雪なぞものの数ではないだろう。

春の日が気持ちよく、午後3時から自転車に乗ることにした。さすがに半原越は雪が残っているだろうから、境川に出かける。もう強い北風もつらくない。気持ちがざわざわするのはやはり春なのだ。


2008.2.11(月)晴れ ヤノウエノアカゴケ

ヤノウエノアカゴケ

1月13日に見つけた近所のコケは「ヤノウエノアカゴケ」と判明した。確実ではないが図鑑の記載等とあわせてそう判断した。こいつは、集合住宅の脇にある形ばかりの広場の小石混じりの地面に生えている。その広場はかつては広大な屋敷林に隣接していた。現在住人のゴミ置き場になっていることと浮浪者の寝泊まり場となっていることもあり、いつもゴミをかき分けながらの撮影となる。ゴミを膝と肘にあてて置けばクッションになる。ずっと肘膝を酷使しないなまった生活を続けている身にはちょっとありがたい。ちなみに9日のサクをつけたコケはツチノウエノコゴケと見ている。

今日は昼頃に東京で仕事があり、あまり遊べなかった。帰宅してからわが家のハマキゴケを観察していると、赤黒い毛虫が見つかった。ツマグロヒョウモンの4センチほどに成長した幼虫である。幼虫を見つけたところはあまり日があたらず、寒さのためか動きも鈍い。終齢ではなさそうだから、もうちょっと食べなければならないだろう。食草になるスミレ類も見あたらない。この先、わずかばかりのタチツボスミレが芽吹くまで半冬眠状態で生きていかれるか、あるいは暖かくなって隣家のパンジーのところまで這って行かれるか、かなりぎりぎりの線であろう。

関東のツマグロヒョウモンは幼虫で越冬するようだが、はっきりした越冬態が定まっているわけではないと思う。今年の冬はけっこう暖かかったものの、けっこうな積雪もあった。多少の雪はやりすごせるようだ。いずれにせよ、けっして好適環境とはいえないわが家で幼虫が生きているということは今年の関東平野では相当数のツマグロヒョウモンが生き残っているはずだ。


2008.2.16(土)晴れ 半原越23分

ヤノウエノアカゴケ

ぼわんとでも表現しようか。青空に浮かぶのは冬の雲である。上空はかなり西風が強いらしく小さな雪片まで落としている。丹沢の上の方では雪なのだ。天気予報では気温は5度ぐらいまでしか上がらないというが、2月半ば午後1時の5度といえばぽかぽか陽気だ。こうして棚田の草むらに座って風を受けていてもちっとも寒くない。足下にはオオイヌノフグリが咲きそろっている。

田んぼの用水の脇には緑の餅のようなコケのかたまりが少しだけある。ふとそのコケ餅をみて、すくなくとも3種類がモザイクを作っていることがわかって思わずにやける。ギンゴケ・ホソウリゴケ・ハリガネゴケ。ひとまずそれらに似ているものはそうよぶ。しかもギンゴケはわずかながらサクまでつけている。

    距離  斜度  タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.0km 6.5% 3'51" 15.5km/h 83
区間2 1.0km 5.8% 4'56" 12.1km/h 78
区間3 1.0km 6.2% 4'12" 14.3km/h 82
区間4 1.0km 8.4% 5'55" 10.5km/h 72
区間5 0.7km 9.1% 4'11" 10.0km/h 77

半原越は今日も回して23分。膝から下、ふくらはぎにはぜんぜん力を入れないギア比と走り方に全神経を集中した。2かしょばかり、解け残った雪が道いっぱいに凍りついているところがあり、けっこう滑った。今日ぐらいの回転数で脚に負荷をかけずにあと3分短縮できれば、いっぱしの自転車乗りだろう。それはできないことではないようにおもう。

自転車に乗っていてもやはりコケは気になる。帰りに、コンクリの防護壁に生えているきれいなヤツを拾った。匍匐型で頻繁に枝分かれする繊細なものだ。たまたま赤いので、この写真でみると枯れた杉の葉のようだ。ただし、写真の幅は8mmほどである。

コケは拾ってみたものの、どうせ名前はわかるまいと半ばあきらめていた。この半原越の道ばたにある全部のコケを記録できたら、いっぱしどころかひとかどであろう。とはいってもこの一生の残りの時間を全てつぎ込んでも無理だろう。あと、2サイクルぐらいの人生を用意しなければ間に合いそうもない。というようなことを下りながら考えていた。


2008.2.17(日)晴れ 半原越24分3秒

オオイヌノフグリ

久しぶりにカメラをもって半原越へ。コケのある風景なるものを撮影しようと目論んだからだ。いっぱい撮ったものの整理が追いつかないまま深夜を迎える。コケは撮影も処理も難しい。というわけで写真はついでに撮ったオオイヌノフグリ。この季節の定番。いつもコーラを飲みながら休んでいる棚田の脇の草むらに咲いている。一見どってことない写真だが、これはこれで普通には撮れないカットだと詳しい人にはわかる。

半原越では今日も回すことを心がけた。ふくらはぎに力をいれないように。昨日の疲れが残っているようで、思ったほどに脚が回らなくなると、自転車に接触している部分、つまりペダルのほうに神経がいって踏みつけてしまう。たちが悪い間違いだ。自転車はふとももの裏と尻の連結して動かすことを思い描かなければならない。今日はそれに気づくと、田代さやかの驚異的なハムストリングを意識することにした。ばかげているようで、これが意外と効果的で内心驚いている。

    距離  斜度  タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.0km 6.5% 4'07" 14.5km/h 77
区間2 1.0km 5.8% 5'07" 11.7km/h 71
区間3 1.0km 6.2% 4'22" 14.0km/h 74
区間4 1.0km 8.4% 5'43" 10.2km/h 69
区間5 0.7km 9.1% 4'44" 09.2km/h 66

途中、ルリビタキを2度見た。今日は至近距離から3秒も見たので間違いない。前は0.5秒ぐらいだった。さらに、トラツグミらしいのが前を横切っていった。これは0.5秒ぐらいしか見ていないから、いまいち自信がない。

復路は写真機のテストもかねてコケの写真を撮りながら帰った。普段から数打つ方ではないが、ついつい100カット以上も撮ってしまった。


2008.2.18(月)晴れ 水路脇のコケ

ギンゴケ

それなりにコケの種類がわかりなおかつ環境も表現するとなると、普通の写真機ではなかなか難しい。簡単にそういうスナップをものにしようとすれば、ちょっとした工夫が必要になる。この写真はニコンのCOOLPIX 990 という旧式のカメラに魚露目8号という特殊なレンズをつけて撮った。魚露目8号は小型の円周魚眼レンズで、COOLPIX 990 の望遠側でならけられなく撮れる。レンズが被写体に触れるぐらいまで近づいてもピントが来る。この写真ではレンズがコケのサクに触れている。COOLPIX 990 には純正の円周魚眼レンズがあって画質は圧倒的によいけれど、首からカメラをぶらぶら下げてロードレーサーに乗る場合は不向きだ。でかすぎるし、レンズ前1cmではピントが来ない。軽快さで魚露目8号に軍配があがる。

COOLPIX 990 は今でも優秀なカメラだと思う。ニコンの最高級機でありながら300万画素というのが時代を感じさせるが、使い勝手の良さは特にマニュアルで圧倒的である。レンズ部が可動式なのは、地面すれすれとか目線以上から俯瞰する場合に威力を発揮する。ねじ込み式の円周魚眼レンズなんて付属品があるのもすごい。ピントの合わせやすさとか画質とか感度とか電池の持ちとか手ぶれ補正とか、テクノロジーの部分ではカビが生えたような代物であるけれど、デジカメはこうあるべきというコンセプトはぜんぜん古くないと思う。なぜニコンがこのタイプの開発をやめたのかはけっこう謎である。


2008.2.19(火)晴れ いつもの棚田

ギンゴケ

いつもの棚田はこういう場所だ。奥にはこの田んぼのオーナーの住む清川村の主たる集落とメインストリートがある。さらに小鮎川の谷を挟んで向かいの山が半原越がある尾根だ。半原越の峠はこの写真では左の上のくぼみのあたりだ。後ろは道路をはさんで数件の集落があるほかは、畑に杉林といったこの地域らしい山林が広がり丹沢の奥山まで続いている。

この田はおそらく自家用米を作っているのだと思う。米の作り方はオーソドックスなものだが、秋にはさをかけて天日干しをしているから丁寧に作っておられることは確かだ。これだけの田があれば一家5人の一年分の米が取れるだろう。左のほうは草ぼうぼうで、この数年は田をやっていない。しばらくは草も刈っていなかった。ここだけではなく清川村の田んぼはふるわない。転作したらしい茶畑や休耕田の草むらばかりが目につくのだ。

私はこの数年、1週か2週に一度はここに来ている。週2回来ることも少なくなかった。半原越に行くには清川村のメインストリートである県道60号線を行った方が楽で近い。しかし、その道路は生活車、工事車、行楽車、暴走族でごったがえしている。当初はそのけたたましい車列からほんの少しでも逃れるために、この奥の道に入ってきた。そして、私の習い性となっている「水を見たらのぞき込まずにはおれない」という習性にしたがってこの田を見て、思いのほかの虫の多さが気に入って毎回立ち寄るようになった。

12月から1月は午後1時ともなるとすでに日陰で、風があたるとけっこう寒いからそうそう長居もできなかった。この冬、ここでアイスクリームを食う気になったのは1回だけである。飲み物もコーラではなく、ホットレモンなんてものにしたことすらある。もうその辛苦の季節も終わった。春の清川村はまるで桃源郷である。村の人達は木の花がずいぶん好きらしく、3月から4月には梅、桜、桃、ツツジなどが咲き乱れる。この田の周辺でも菜の花や各種雑草がいろどりを添え、広葉樹が多い向かいの山は七色の新緑に包まれていく。田に水が引かれると、アマガエルやシュレーゲルアオガエルが集まって産卵し、田はオタマジャクシでごった返すようになる。同時に、ミジンコやらゲンゴロウやらヤゴやら正体不明の虫けらがうようよわいて、つかの間の楽園が出現する。半原1号をごろんとねころがして、草むらに座ってコーラを飲みアイスクリームを食いながらカエルの声を聞くのだ。


2008.2.23(土)晴れ 半原越23分28秒

春らしい低気圧が近づいているようで、暖かい南の風が極めて強い。半原1号で半原越に向かう。今日は、コケを1種採取してこようと決めている。目的のものではないが、いつもの棚田から少し行った路上にハイゴケのかたまりが落ちていた。けっこうコケははがれやすく、コンクリ壁の泥の集まる部分に生育するものは育ちすぎるとぼろぼろ落ちるものである。ハイゴケはそういうタイプでもなく、こんなものをわざわざむしる人もいないだろうに、と不審に思った。ハイゴケの周辺には落ち葉や木の枝も散乱しており、どうやら風で飛ばされたものと結論づけた。ここのハイゴケはコンクリ壁の上部から側面に垂れ下がるように生えているものが多い。そういうやつは下から吹き上げる風に引きちぎられて落ちるかもしれない。突風でもきたのだろう。

    距離  斜度  タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.0km 6.5% 3'56" 15.3km/h 63
区間2 1.0km 5.8% 4'48" 12.5km/h 51
区間3 1.0km 6.2% 4'40" 12.7km/h 72
区間4 1.0km 8.4% 6'18" 09.5km/h 55
区間5 0.7km 9.1% 3'46" 11.1km/h 45

そろそろTTの練習もしておかねばと、かなり重いギアで乗ってみた。その結果、区間3でもうだめだ〜とばかりに力尽き、区間4はだらだら走った。区間5は気を取り直してダンシング。重いギアを使いこなすことはTTには必要だ。

予定通り、2連橋の先にあるコンクリ壁のコケを拾ってきた。縮れた葉をつけ、ひものように垂れ下がっているのが気になったからだ。うまい具合に路上にたくさん落ちており、壁からひっぺがす必要がなかった。ここも風が強かったらしく木の枯れ枝なんかが散乱しているから、なにかにあたって落ちたのかもしれない。その近くにある黒っぽくて細長い直立型のコケもついでに拾った。さらに、30分前には捨て置いたハイゴケもポケットにいれて持ち帰ることにした。

帰宅して写真を撮り、名を調べたが2つともわからなかった。チョウチンゴケのグループかな?と当たりをつけるのが精一杯だ。


2008.2.24(日)晴れ 近所のナミガタタチゴケ

ナミガタタチゴケ

昨日は春一番が吹いて、今日は快晴ながら強い風が非常に冷たい。目を覚ますやいなや今日はだめだ、と観念した。だめだというのは自転車のことだ。こんな日にはもう乗れない。一度春気分を味わっているのに、こんな冷たい風の中なんて楽しく走れるもんじゃない。

魚露目8号とCOOLPIX 990の取り合わせが思いのほかよく写ることに気をよくして、近所のコケをいろいろ撮った。被写体のシチュエーションとしては悪いものばかりである。その悪さは住宅地でのコケの生息環境を良く物語る。そうした写真としては極めて難しいシチュエーションを、どう料理してコケの種類と環境を一枚に収めるかがカメラマンとしての腕の見せ所だ。

写真は近所の家の軒下にあるナミガタタチゴケ。てのひら2枚程度の群落である。北側の道路に面しており、杉の木もあってほとんど直射日光はささず、かなり湿った環境にある。葉を巻いているものと開いているものが半々だ。この数日の乾燥状態を思えば、これらが全部ナミガタタチゴケ一種とすれば、全部が巻いていそうなものであるが。


2008.3.1(土)晴れ ノミハニワゴケのサクがふくらむ

ノミハニワゴケ

午前中に時間があったので風呂に入って近所のコケを魚露目8号で撮ってくることにした。この辺でもホソウリゴケとかギンゴケとか、都市の住宅街で普通に見られるというコケが都市っぽい姿をして生えている。そういう姿を撮っておくのも面白いものだ。

今日の収穫は、近所の公園の浮浪者の寝床のそばにあるノミハニワゴケだ。写真にあるように、冬の間棒のようだった胞子体のサクが乳房のような風合いにふくらんできている。こういうサクが2つ見つかった。じつは、このコケは1月に見つけてからどうにも種類がわからなかったものだ。2月11日のこの日記では「ヤノウエノアカゴケ」といったこともある。それは近所のアパートの駐車場から拾ってきたのがヤノウエノアカゴケで、いろあいがよく似ているために口が滑ったのだ。冷静に見ればこの2つはあまり似ていない。ノミハニワゴケはポピュラーな種類なので手持ちの図鑑にもちゃんと出ているのだが、季節の違いか何かで写真がちっとも似ていないので候補にも上らなかった。インターネットでコケのファンサイトをいろいろ見てようやくそれらしい名前が判明したのだ。この先、サクが熟せばもっとはっきりするにちがいない。

ついでに、住宅地で道ばたにかがみ込んでコケを愛でるのはかなり後ろめたいものである。愛媛県八幡浜市の山道を自転車で走るぐらいの後ろめたさがある。何をしているのかと尋ねられ、ストレートにコケを撮っているのだと答えると、だいたいはコケの名所を教えてもらえる。愛川町のどこそこの谷の岩にはきれいなコケがついていたからあれを撮るべきだ、とか。それもいいけど、大和市の犬の毛まみれのこれもいいと納得してもらうのはちょっと難しい。今日はたまたま浮浪者が別のベンチで収穫物の雑誌の整理をしていたので、このコケを撮影をすることができたが、たとえ相手が浮浪者であっても後ろめたい気分にはかわりがない。彼が定位置に転がっているときは、後ろ髪を引かれる思いで引き下がってきたのである。



2008.3.2(日)くもり 半原越22分10秒

ナミガタタチゴケ ナミガタタチゴケ
ナミガタタチゴケ ナミガタタチゴケ

コツがわかって魚露目8号+COOLPIXでの撮影が面白くなってきた。午前中は近所のコケの撮影。左上から時計回りに、軒下のナミガタタチゴケ・通路の石の隙間のハマキゴケ(たぶん)・駐車場の敷石のスナゴケ・道ばたのブロック塀のギンゴケ。

魚露目8号はもともと円周魚眼で180度の画角を持つ。それをズームのテレ側で撮ることでけられをなくしている。そうしても歪曲はかなりうるさい。人工環境では縦、横の直線が多く、直線はまっすぐに写っている方が気持ちがよい。魚露目8号で直線をまっすぐに写すには、中央にもってくるしかない。今日の写真はぜんぶそうやって魚眼っぽさを薄めている。縦横の比は2:3でトリミングはしていない。全部中央から放射状の構図ではまぬけに見える場合も多いから、3:4や正方形で撮って、トリミングして掲載するのがよいだろう。

    距離  斜度  タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.0km 6.5% 3'41" 16.3km/h 75
区間2 1.0km 5.8% 4'32" 13.2km/h 61
区間3 1.0km 6.2% 4'09" 14.5km/h 66
区間4 1.0km 8.4% 5'39" 10.6km/h 49
区間5 0.7km 9.1% 4'09" 10.1km/h 46

午後は半原越。26×15Tという重いギアで登った。途中で変速しようと、コンピュータを見たらケイデンス計が動いてなかった。センサーがずれて磁力をキャッチできていないのだ。あとあと計算ができなくなるから、そのまま上まで行った。

COOLPIXも持ってきて前回失敗したコケを撮り直した。リッチランドのコーナーの清水の出る岩壁には各種の美しいコケが生えているが、撮影は難しい。支えがなく手ぶれする。急斜面なので上の方には近づけない。前回は手ぶれでひどかったが、今回は露出がオーバーだった。前回一段半アンダーにして、それで良かったのに、補正なしで撮ってしまった。明るいところは白飛び、暗い生息地の感じもでていない、どうにもうまくない。自転車でくたびれていて手は震えてるし、頭がぼうっとしてどうでもいいやという気分になっている。酔っぱらいみたいなものでたちが悪い。それに、COOLPIXの液晶モニターはこの老眼にはほとんど見えないから、現場でとれだかを確認することができない。また撮り直しだ。


2008.3.4(火)晴れのち雨 赤い胞子体

胞子体

コケの胞子体が火のように赤い。胞子体は普通の草でいうと花に当たる部分で、春に成長するものがけっこうあるようだ。こうやって見つけるコケの大半は名前がわからず、わからなくて当たり前という気になっているものの、胞子体が見つかれば名前に行き当たる確率は大幅にアップする。普通の草木も花に種の特徴が現れるのとよく似ている。


2008.3.6(木)晴れのち雨 ハマキゴケの痛み

胞子体

夜にけっこうな雨が降った。日中はそんな気配が全く感じられなかったのでいささか驚いている。まだ春の天気になじんでいない。

渋谷の道ばたの花崗岩で作られた石がけに張り付いていた茶色のコケを拾ってきた。採集したときは名前の検討はつかなかったが、拡大してみるとすぐにハマキゴケだろうと推測はついた。ハマキゴケは乾いたときには葉は水牛の角のような形に巻いて、両手の掌をすぼめたように萎縮するから、肉眼では汚らしいぶつぶつにしか見えない。このコケもほとんどただの土塊であり、拡大してみると無数の毛が絡まって非常に汚らしい。それだけゴミが多く葉も古いということは、かなりの年数を経ているということが推測できる。

写真を撮って気になったのは、その葉の痛み具合である。どうも虫に食われたように見えるのだ。植物に虫の食痕があることは珍しいことではない。しかし、それがコケとなるとあまりお目にかかったことがない。しかも採集場所が殺風景な道路脇で、微小な虫ですら生息していそうもない所だ。ハマキゴケを食う虫がいるのか、それとも食痕ではなくこの傷がついたのか。虫が食っているならばそれを目撃すれば良いだけのことだが、この写真の横幅は5mm、葉の長さは2mm程度であるから、そう簡単なことではない。


2008.3.8(土)晴れ ネズミノオゴケという名前

ネズミノオゴケ

半原越のリッチランドコーナーの岸壁を広く覆っているコケである。なんの因果でこういう姿になってしまったものか。名前もそのままネズミノオゴケという。まさしく大きさ形といい模様といいねじれ具合といい、ネズミの尻尾と形容されるべくしてこの世に生まれたとしか言いようがない。これが一面に密集している様子は少々おぞましいものがある。もしネズミノオゴケという名でなければ、アオミミズゴケとか、もっとろくでもない形容のされ方になったであろうと想像する。


2008.3.9(日)晴れ 半原越23分35秒

ケヤキ

朝起きたときから、水のような鼻水が止まらない。手の指が腫れたようにむくんでいる。のどが痛い。花粉症の症状だ。半原1号で走り始めると目が痛くて涙が止まらない。鼻水と涙でぐしゅぐしゅで、春になったことがうれしくて感涙に咽ぶようにも見えなくもないが、ただのアレルギー症状である。目、鼻が痛くても、まいいか、と走り続ける。目の痛みもずっと続くわけではなく波があるから、どうしようもないときは放っておいてやりすごせばいい。途中、この春初記録のモンシロチョウを見る。暖かくなったから、グローブもシューズも夏仕様に変えた。

今日は、回すことを心がけた。半原越では、おおむね15分ぐらいの所から脚が上がらなくなる。脚というのは片方で15kgもあるそうで、15分というと、それを1200回も持ち上げていることになる。つまりは、この脚を持ち上げる力を鍛えることがタイムアップにつながるのだ。今日は、3.8kmのところで、もう脚が上がらないとギブアップした。そこからは軽いギアでくるくる回すことはあきらめて、アウターに入れて守備的ダンシングに移った。

    距離  斜度  タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.0km 6.5% 4'25" 13.6km/h 81
区間2 1.0km 5.8% 4'59" 12.0km/h 77
区間3 1.0km 6.2% 4'17" 14.0km/h 81
区間4 1.0km 8.4% 5'35" 10.6km/h 69
区間5 0.7km 9.1% 4'19" 09.9km/h 52

今日の写真は1kmのケヤキ。スタートからちょうど1kmの道路左わきにけっこう立派なケヤキがたっている。北側は各種のコケがびっしりついて、なかなか勇壮だ。


2008.3.15(土)晴れ 日本の野生植物 コケ

平凡社から出ている「日本の野生植物 コケ」という図鑑を買った。2万円もする大型本で、すでに絶版になっていることもあり、入手は楽ではないが購入に迷いはなかった。

図鑑のタイトルはかねてから方々で見聞きしていた。しかし、内容がかなり専門的なので必要はないであろうと思っていた。使いこなすには修練が必要で、私にはそこまで躍起になってコケの名を特定する必要はないからだ。それが一月ほど前、たまたま図書室で見かけてぱらぱらと開いてみて驚いた。書物を開いて魂がぶっとんだのは久しぶりである。即座に「これはもう買うしかない」と思った。

もちろん、図鑑としての内容はオーバースペックで私には必要ない。欲しくなったのは写真のせいだ。写真は昆虫図鑑によくあるような標本写真を切り出すタイプではなく、野外の生態写真が使われている。その写真がことごとくすばらしいのである。図鑑であるから写真の役割は種類の同定であろう。その種の特徴が良く写っていればよく、それが必要十分条件のはずだ。「日本の野生植物 コケ」の写真はそんなものではない。いわばそれはコケのお見合い写真とでもいうべきもので、個々のコケがもっとも美しく光り輝くときを見計らって撮影している。しかも、丁寧にお化粧をほどこし、種々の撮影技術を駆使して、本人が逃げ腰になるんじゃないかと心配になるぐらい綺麗に撮られている。そういうのが1枚や2枚ではなく、全てのカットがそうなのだ。これだけの写真をものにするためにどれほどの労力がかかったことだろうと想像するとめまいがしてきた。しかも、それだけのお値打ちものが「きれいなのあたりまえじゃん」といわんばかりに無造作に並んでいるのも好印象だ。世にいう写真集なるものは複雑なレイアウトが施されている。そこにちょっとでも破綻があると、それはもう手元に置くには耐えないしろものになる。

1986年に山と渓谷社から出た「野外ハンドブックシリーズ13 しだ・こけ」を手にしたときも、同様の衝撃を感じた。あれはお見合い写真だとは思わなかった。芸術写真だと感じた。コケの種類や生態を説明するためのもので、その用途を満たしているのに芸術的であった。普通、石碑が写っていれば石碑の写真になり、樹木が写っていれば樹木の写真になるのに、そういうカットでも主役は地衣・蘚苔・シダだった。スチール写真でそういう表現も可能なのだと目から鱗が落ちる思いがした。ちなみに、2つの図鑑には撮影者として同じ写真家の名前が記載されている。


2008.3.16(日)晴れ 半原越21分47秒

ホウオウゴケ

午前中はいつものように庭で過ごす。わが家にもようやく遅い春がめぐってきてハコベが咲いた。ハコベの花は何回開閉するか? ということを突き止めようとしてから2年が過ぎてしまった。簡単なことも間の悪さや怠慢で解決できないことがある。

半原越はシッティングで最も速く走れそうなギア比でやってみた。回転数にはこだわらずスピードを重視した。途中、カナブンの轢死体を見たような気がして帰りに探してみたけど見つからなかった。この季節にカナブンの成虫がいるはずもなく、カナブンと間違えるような虫も珍しいから、あれはなんだったのかと気にかかる。

    距離  タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.0km 3'47" 15.9km/h 79
区間2 1.0km 4'42" 12.7km/h 66
区間3 1.0km 3'58" 15.0km/h 77
区間4 1.0km 5'22" 11.1km/h 68
区間5 0.7km 3'57" 10.8km/h 60

リッチランドを過ぎたところの並木の下に、ホウオウゴケらしいものがあったので拾ってきた。詳細に調べるとはたしてホウオウゴケには間違いないのだが、種名は特定できなかった。ホウオウゴケは難しいらしい。

昨夜から庭でアズマヒキガエルのカエル合戦が始まった。庭に水たまりを作ってから3年以上たったが、ヒキガエルが産卵場所にこの水たまりを選ぶのははじめてのことだ。この1、2年でも近所の宅地開発はかなり進んでヒキガエルの生息が難しくなりつつある。私の庭で産卵できたとしても、その子どもが親になる可能性は極めて低いだろう。ただ蛙には蛙としての喜びを味わわせてやりたいと思う。


2008.3.18(火)くもり 地衣類

地衣類

半原越には地衣類も多い。写真は、橋1手前右手に生えている桜に着生している地衣類だ。ウメノキゴケかムカデゴケか、その類だと思う。地衣類の同定は端からあきらめている。

地衣類は影の薄い存在だった。子どもの頃からこのたぐいのものがあることは意識していたが、それが生物なのか無生物なのか、生物としても生きているのか遺骸なのか、判別はつかなかったしつけようという気にもならなかった。とくだんじめじめしているところにあるわけでもなく、からからの日差しが照るところにもなく、なにやら「古い」臭いのするところになんとなくあるもの、という程度の印象であった。

ところが、そういうあっけらかーんとした地衣類に牙をむかれたことがある。四国の四万十川の源流の一つに滑床渓谷がある。中学生の頃から滑床が好きでよく遊びに行った。蘚苔類にはじめて好感をもったのも滑床だった。

滑床渓谷には沢沿いに美しい原生林が続いている。四国では極めてまれな場所だ。その登山道のない雪輪の滝のある沢をつめて尾根に登っていくのが毎回の楽しみだった。最初は川の中を歩き、ときどき藪をこいで尾根が近づくと、やや緩やかな場所に出る。表面はごろた石が敷きつめられ、沢は伏流して見えない。雨で増水するとけっこうな流れになるらしく石は研磨され角がとれている。空は木々がまばらに覆い明るい。山深い山中とは思えない奇妙な場所だ。

多少、足下が悪いものの、藪をこぐのとルートを失うのを嫌ってそのごろた石の上を歩くことになる。その石はことごとくなにかに覆われていた。ちょうどペンキを塗ったように、石の地肌が見えなかった。いま思えばあれは地衣類の一種だと思う。少なくとも白と青白いのとの2種類は区別ができた。

その地衣類がくせ者であった。たしか、白いのはぜんぜん滑らないのに、青白いのが魔法のように滑るのだ。青、白は逆かもしれない。東京人のお約束として、冬の札幌を革靴で歩いてこけたことがあるが、そんなものは比べ物にならないぐらい良く滑った。アイススケート場なんて、あれに較べれば砂場みたいなものだ。 あそこで転ぶと周辺はごろた石である。肘だの尻だのいろいろな所を打ち付けて痛い。幾度となく痛い目にあっているから、青白いのは踏まないように細心の注意を払うのだが、いかんせん青白いのと白いのは極めてよく似ており、その中間のものもある。3度4度と滑るうちに疑心暗鬼となり神経症の様相を呈してくる。おそるおそる万全の態勢で臨んで、しっかと踏みつけ、一安心と思った矢先にすってーんと滑っちまうと涙もでてくる。かかわりたくない生き物ってのはあまりいないのだが、あいつばかりは苦手だ。


2008.3.20(木)雨 ハコベの開花回数

地衣類

今日は雨で観察ができなかったものの、ちょっと集中して調べて、ハコベの開花回数は1回だということが明らかになった。1回しか開かない花をすくなくとも1つ見た。ハコベは草のてっぺんに次々とつぼみをつける。それが順番に開いていく。花は午前中に開き、同時に葯が割れて花粉がむき出しになり、アリやアブなどの虫によって受粉されるようである。花は、夕方には固く閉じ、同時に花柄が伸びて花は垂れ下がるようになる。翌日の明け方には水平よりも下向きになっている。そうして花の中で種が熟していく。

今日は、春分。1年のはじまりのめでたい日だ。残念ながら昨夜から冷たい雨が降っており外に出るのがつらかった。カエルたちも同じように辛かったのか、今日はまったくなりをひそめている。今のところ数頭集まっているのはオスばかりのようで、気合いは空回りするばかりなのだが、メスも来るのだろうか?


2008.3.23(日)晴れ 半原越22分57秒

ネジクチゴケ

いつもの棚田の向かいの山の木々はぼうっとけむるように色づきはじめている。広葉樹の新芽の赤や黄の色合いだ。そうした林を眺めていると、これからは楽しいことばかりだ、と素朴に明日を信じる気になった。

半原越はとにかく回してみることにした。緩いところもきついところも、90rpmを維持してみようと思った。ギアは26×27Tという1対1よりも小さいものがあるから激坂でもなんとかなるのではないかと考えていた。しかし、15分ももたずに断念した。それなりの強度で高回転を維持するのは、高強度で低回転を維持するよりも難しい。トレーニングが必要な乗り方だ。

    距離  タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.0km 3'58" 15.1km/h 90
区間2 1.0km 5'04" 11.8km/h 81
区間3 1.0km 4'10" 14.4km/h 81
区間4 1.0km 5'29" 10.8km/h 54
区間5 0.7km 4'16" 10.3km/h 56

帰宅して、近所の集合住宅の歩道のコケを撮りに行った。昨日、ケヤキの下の砂地でナミガタタチゴケが夕日に光っているのを見つけて驚き、歩道のコンクリートブロックの隙間にたまった土に5種類以上ものコケが生えていることに気づいてまた驚いた。写真はその中でも黄緑色が鮮やかで美しいコケ。どうやらネジクチゴケのようだ。サクがつけば名前もはっきりするだろう。

ネジグチゴケのついでに近くのハリガネゴケも撮っていたら、ファインダーの中で何かが動いた。コケの中にはトビムシなどの微小な生き物がけっこういる。ただし、屋外の自然状態で写真にすることは難しい。よいチャンスだと、その虫にピントを合わせて撮っておいた。パソコンで見ると、とうの虫はちゃんと写っていた。ダニだろうか? ところが、その右上にもっと大きくてかわいい虫も写っている。そちらは撮影時にはまったく気づかなかった。残念。千載一遇のチャンスだったのに。


2008.3.29(土)晴れ 半原越22分12秒

ネジクチゴケ

午前中はハコベの開花をしっかり見極めることにした。日曜も休みなので、今日ちゃんと記録をしておけば開花の回数を確認することができる。わが庭では日当たりが悪く、午前11時ころにはまだハコベは開かない。11時になってようやく半開きだが、そのときにもう葯はすっかり開いて花粉はむき出しになっていた。

ハコベのついでに近くのコケも撮っておいた。冬に見つけて成長を楽しみにしていたのだけど、霜柱なんかにやられて息も絶え絶えな感じでもうだめか、とあきらめていたやつだ。それが、少し緑が回復しているようなので、魚露目8号つきのクールピクスで1枚だけスナップしたのだ。

その画像をパソコンで見て驚いた。なんとサクができているのだ。小さな球形のもので、この形のサクということはヒロクチゴケらしい。じつはわが庭でのサクは記念すべき初記録なのである。

午後からは半原越。サンツアーコマンドーの8Sを使って、9段のデュラエースをXTRでシフトさせるというマニアックな仕様にした。けっこううまく動いている。スタートから38×24Tを使って攻め気味に走ってみた。区間2までは快調だったけれども、後半おもいっきりたれてしまった。

    距離  タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.0km 3'38" 16.4km/h 84
区間2 1.0km 4'36" 13.1km/h 70
区間3 1.0km 4'05" 14.6km/h 72
区間4 1.0km 5'42" 10.4km/h 59
区間5 0.7km 4'11" 10.0km/h 51

帰宅してもう一度、ハコベを見に行く。5時前にはもうすっかり花は閉じている。このまま開かずに、花柄が伸びて花が垂れ下がるようであれば、ハコベの開花は1回ということになる。ハコベを撮ったついでに、ヒロクチゴケのサクをレンズでのぞいてまた驚いた。なんとサクに小さな虫が登っているのだ。先日撮り逃したあの虫と同じ種類のもののようだ。思いも寄らぬシャッターチャンスの到来だ。どうやらマルトビムシらしい。本来だと、こういう虫は撮ろうと決めて周到な準備をしないとものにならないものだ。


2008.3.30(日)くもりのち雨 ホトケノザの群生

ホトケノザ

午前中はハコベの開花におつきあいするつもりだったが、庭のハコベが開かない。気温が低く太陽もあたらないから咲かないのだ。こういう日でも開けた畑なんかだと咲いている。わが家ではお手上げだ。

ぐずぐずしていると冷たい雨が来そうである。正午前にはハコベはあきらめて荻野川に撮影にでかける。じつは昨日、荻野川の堰堤に謎の草を見つけており、速やかに撮影する必要があるのだ。というのも、ちょうど田んぼに水を引き込む季節であり、可動式の堰堤がどうなるものかわかったものではないのだ。「どうなるものか」というのは具体的には掃除されて草が撤去されるということに過ぎないが、そうなってしまっては私としては悲しいのである。数時間後には雨になるらしく空は厚い雲に覆われ暗い。もしかして帰路あたりで降られるかもしれない。風景を撮るにはぜんぜん光がないがしかたがない。ともあれ、丹沢大山の頂が見えることだけが頼りだ。もしかしたら雲のきれた所から薄日が差すかもしれない。

ひさびさに自転車を移動の手段に用いて目的地にやってきたものの、雲は切れずどうにもいい写真にはならなかった。ただの証拠写真を数枚撮った。昨日、ホトケノザが群生する畑を見つけており、そこにも寄ってみた。学校のグランドほどの広さをピンクの花が覆い尽くしてなかなか壮観である。ホトケノザはいわゆる畑の雑草だから広範囲に放置されることはない。これを最初見たときはレンゲかと思った。ただし、ぜんぜん光が足りなくて見られる写真にはならない。こちらも謎の草とどうように人の都合で消えてしまう光景だから、証拠としてしぶしぶ撮っておいた。


2008.4.5(土)晴れ 半原越24分15秒

ホトケノザ

今日は一眼レフカメラを携帯した。この季節はいろいろ撮りたいものがある。風景の移り変わりが速く、週に1度の頻度でしか遊べないこの身では、数少ない機会を逃すと5月に悔やむことになるから。

いろいろなポイントで撮影しながら、ゆっくり半原越の入り口に入った。走り始めると、妙に気がせいて重いギアをぐんぐん踏んで2kmのチェックポイントを8分で通過した。いくらなんでもやりすぎで後半だめだろうな、と覚悟はしていたが案の定、久々のギブアップ状態になってしまった。区間4からは両足ともふくらはぎがつってペダルが踏み込めない。26×27Tを使ってだましだまし息も絶え絶えに頂上にたどり着いた。

半原越では中腹のソメイヨシノが満開だ。下りはキブシやコケを撮りながら下った。カメラはニコンのD70sでレンズはフィルム時代のシグマの24ミリをつけた。ちょうど、35ミリの標準のように撮れる。かなりの接写が効くレンズでコケもいける。軽量コンパクトでウエストバックにちゃんと収まる万能セットだ。さいわい例のホトケノザの畑はそのままで、撮り直しをすることもできた。

じつは、D70sで風景を撮影するのははじめてで、しあがりだけは「鮮やか」にして、なるべくオートで露出補正もしないようにやってみた。おおむねきれいなのだが、数枚だけ、色温度や絞りがあり得ない写真が出てきた。バッグの中に入れたり首からぶら下げて自転車にのっておりいつの間にか設定ダイヤルが動いてしまったのだろう。


2008.4.5(土)晴れ 半原越23分17秒

今日も昼から半原越。昨日のやり方とは全く変えて、かるくゆるく登ってみることにした。2キロのチェックポイントで昨日よりも1分半ほど遅い。それだけ押さえていることになる。区間4・5でもふくらはぎやふとももを使わない走り方をこころがける。けっして速くはないけれど楽だ。クランクの回転数は60〜80rpmぐらいでなるべく一定になるようなギアを使う。けっきょく、ギブアップした昨日よりも1分ほどタイムがよく、疲労感もない。これが賢い乗り方であるが、非力な人はかなり軽いギアを装備した自転車を用意しなければ練習ができない。半原越だと私の力では26×24Tが必要である。一般的なロードレーサーではトリプルにしてもっとも軽いギアでも30×27Tだから、それでもまだ重い。

    距離  タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.0km 4'23" 13.7km/h 74
区間2 1.0km 5'01" 11.9km/h 78
区間3 1.0km 4'11" 14.3km/h 75
区間4 1.0km 5'27" 10.9km/h 70
区間5 0.7km 4'17" 10.2km/h 70

帰宅しても日が高く、先月に見つけたコケのポイントを撮影しておくことにした。この辺ではちょっと珍しいスギゴケらしいコケが生えている所だ。撮影してアップでみると、どうやらメインになっているのはナミガタタチゴケらしい。コスギゴケらしいものも一部あり、葉が著しく萎縮している。発見時は湿って葉がひらいていて美しかった。


2008.4.10(木)雨 コケハコベ接写専用カメラ

カメラ

これは、コケやハコベを撮影するのに大活躍しているカメラである。軽量コンパクトで接写なのに失敗がない。普通は1〜2mmぐらいのものを撮る場合は特殊なレンズとストロボ、三脚が必要になる。そういう大げさなことをせずに、手軽に撮影ができるようにこのセットを工夫した。毎朝出勤前に庭に寝ころんでハコベを撮ったり、近所で公園の浮浪者に紛れてこそこそコケを撮ったり、自転車のバッグにこいつを入れてちょっとした遠征をしたりする。

一番の特徴はレンズに水道管を縛るバンドでとり付けた三角の半透明プラスチック。一番長い斜辺の内側には、アルミのテープを貼ってある。内蔵ストロボから発せられた光は微妙に計算された角度のもと、アルミテープに反射してレンズ前数センチにほぼ真上から落ちる。いうまでもなくそこに被写体がある。この写真ではカエルの右前足の爪あたり。ピントが来る場所は、レンズ前2センチ〜4センチ程に限られる。反射板がレンズ前に突出している長さが最も遠い焦点にあたる。逆に言えば、その範囲しか撮れないので、アルミテープ反射式の照明でじゅうぶんなのだ。

レンズも改造(壊)したものである。といっても前玉を外しただけだ。ケンコーの1.4倍テレコンをつけて、35ミリ換算で等倍から6倍ぐらいまで楽に撮れる。昆虫写真の海野さんがホームページで紹介されていたのを見て感激し、すぐさま使い道がなくなったニコンのフィルム時代の旧式ズームレンズでやってみた。ケンコーだったか、市販品にも同じ構造のものがあるが、中古・ジャンクのものを改造するほうが楽しいと思う。

このレンズはもともとはオートフォーカスにも対応している電気製品である。ためしにいろいろなネジを外して分解しようとして、電気の配線がぞろぞろ出てきたのにはびびった。もはや素人はカメラレンズの中を見てはいけないものになっているらしい。そういう複雑なテクノロジーのおかげで、撮影は極めて楽である。露出はマニュアルで絞りはF22〜16。シャッター速度は160分の1秒。内蔵ストロボが同調する上限だ。ストロボはTTLという涙が出るぐらいすばらしい仕掛けが使える。ファインダーは解放のF3.5で覗けるので明るい。ピント合わせの補助として強力な白色LEDのライトをクリップオンしている。日影の撮影が多いコケには重宝する。花が閉じた夜間のハコベもこれで撮影した。

こいつを手持ちでパシャパシャ撮って、ピントと構図以外でNGカットがぜんぜん出てこない。今は庭にぜんぜん虫がいなくて試す機会がないが微細な虫にも軽快に対応できると思う。まあ最近のデジカメはたいしたもんだと感心しきりだ。


2008.4.12(土)くもり 半原越23分12秒

午前中にハコベB(ビニールで印をつけたほう)が開いていることを確認した。葯がムラサキに見えているから今朝開いたばかりだ。ハコベAは花開く気配なし。そして昼から半原1号で半原越。

しばらく雨が続いており、コケはたいへん綺麗になっている。いつもは灰色の道路脇のコケも膨満して緑があざやかだ。なんとなくそういう一般的なコケは名前の見当がつくようになった。雨上がりの半原越はコケの道になる。速く走るよりも回すことを心がけて登る。

    距離   タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.18km 5'07" 13.8km/h 84
区間2 1.22km 5'55" 12.3km/h 83
区間3 1.14km 5'18" 12.9km/h 78
区間4 1.20km 6'52" 10.5km/h 77
全体  4.75km 3'12" 12.2km/h 80(1860)

今日は、ラップの計測法を変更してみることにした。今までは1キロごとにラップをとって区間5は720mぐらいになっていた。その方法に特段の意味はないということに気づいたのだ。どのみち、ラップをとる場所は覚えておればよいのだから、1.18kmごとに4等分するほうが合理的に思われた。

帰り道、荻野川を渡る橋の手前のガードレール下には、ギンゴケがいっぱいはえている。ギンゴケの中にとりわけ色鮮やかな緑の餅型コケ群落があった。ホソウリゴケでもハリガネゴケでもないようで、よくわからないものだから採集した。どうやらエゾスナゴケであるらしい。

帰宅して通勤途上で見つかるコケで気になるものをスナップしてきた。ヒョウタンゴケっぽいサクをつけたコケ。オレ的に新種。だけど状態が悪くて画にならない。小さいゼニゴケ。クレーターのような円形の無性芽器がついているのが面白かった。


2008.4.20(日)くもりのち晴れ 初夏

ムクゲ

ここのところずっと午前中はハコベの観察に明け暮れている。開花の回数問題に決着をつけたいのだ。まだ一度も2回以上ひらくという可能性はみていないものの、1回だけだという確信ももてないでいる。この4月は天気の移り変わりが激しく、花が開かない原因が雨によるものなのか、ハコベの性質によるものなのかが今ひとつはっきりしないのだ。そうこうするうちに季節は初夏である。ハコベの季節が終わってしまう。

午前中は風がつよくて雨もぱらついていた。半原越はあきらめて境川に行くことにした。半原1号はアウターを36Tに変更している。その調子も見たかった。行きは追い風でかるく30kmを越えるので、力を入れないようにした。帰りは正面から北風。36×17Tで90rpmでちょうど気持ちよかった。夕方には快晴となり、開きはじめたムクゲの葉が逆光で綺麗だ。


2008.4.21(月)晴れ ハコベは2度開く?

今朝、ハコベがどうやら2度開くらしいということを発見してけっこう驚いた。ここしばらくは、ハコベA・ハコベBと名付けたハコベを観察してきた。ハコベAのつぼみはすでに全部咲き終わっており、ハコベBが最後の一つのつぼみを昨日咲かせたところである。今朝も、いつものように庭のハコベを見に行った。ハコベBは昨日開いていたので今日は咲いておるまいと予想していたため、その白い花を見たときは目を疑った。他のハコベをとり違えているのではないか? 見落としたつぼみが残っていたのではないか? という疑念もあった。とりあえず証拠写真を撮っておいた。

今夜にもハコベBを観察した。今朝開いていた花は閉じており、他のハコベの花も一切開いていないことを確認した。そして、この3日間のハコベBの記録を以下の表にまとめた。

     
19日(土) ハコベ1 撮影せず
午前午後
20日(日) ハコベ2 ハコベ3
午前午後
21日(月) ハコベ4 ハコベ5
午前

19日は午前中は天気が良かったがハコベBは咲いていない。写真ではわかりにくいけれど、3つの花が咲き終わって実を結ぶ段階にあり、最後の1つのつぼみは固く、19日には開きそうもなかった。写真では画面一番下に見えるつぼみである。ハコベBがまさかこういう異常事態になるとは思わず、とうのつぼみにはピントを合わせていない。午後には雨も降り帰宅は夜で、夜の観察は怠った。

20日は気温も高く晴れており、午前の遅い時間にハコベBの開花を確認した。早朝から開いていたらしく、葯もすっかり裂けて花粉も少なかった。午後3時過ぎにもう一度観察したときに、花は閉じ始めていた。ハコベBがまさかこういう異常事態になるとは思わず、アングルも適当に撮影している。おまけに夜の観察も怠り、この花が完全に閉じていることの確認は怠った。

今朝も気温は高く晴れており、午前9時にハコベBが開花していることを確認した。この異常事態に念のため夜の観察も怠らなかった。花は閉じていた。19日からの写真を見比べて、確かに20日に開いていた花が今日も開いていることを確認した。


2008.4.22(火)晴れ 再び開いたハコベ

今朝、またまたショックを受けた。ハコベBのあの花がまた開いていたのだ。オシベはつんつるてんで、いかにも3回開きました!という風情である。昨夜は閉じていることを確認しているから、開きっぱなしではなかったことは確かだ。ハコベは数日にわたって開閉するらしい。まだ私の庭にはハコベの花が少しだけ残っているから、株を変えて引き続き観察してみよう。

 
ハコベB ハコベB
午前9時夜9時

2008.4.25(金)晴れ ハコベの謎

引き続き別の株を選んでハコベの開花状況を調べているが、2回開くような気配は全くない。3度開いたハコベBの例はかなり特殊なのだろうか。特殊ならばそれなりに原因もあるはずだ。仮説として思い当たるのは、ハコベBの3度開いた花が、ハコベBの最後の花だったことだ。ハコベは枝分かれしながらけっこうな数の花がつき、一枝では順繰りに一つ一つ花を咲かせては実を結ぶ。もしかしたら、最後の一つは次の花分のエネルギーまわってきて複数回開くようなことになるのかもしれない。

また、雨の朝には花が開かない。その理由は漠然と「暗いから」だと思いこんできた。わが庭でも朝からよく日が差すところのハコベの開花は早く、午後になってようやく日が当たる場所の開花は遅れるからだ。それだってまだ確かめたわけではない。もしかしたら湿度かもしれないし、雨の当たる刺激が開花を抑制するのかもしれないし、気温の上昇が必要なのかもしれない。そういうことは実験できないことではないけれど「そこまではなあ〜」とおっくうだ。


2008.4.26(土)雨 雨の日の庭

庭

気象庁のレーダーを読み間違えて、スタートして30分で雨だ。それもけっこうな降りである。今年はじめての雨のサイクリングになった。もうすでに雨が気持ちのよい季節になっていることに気づく。チネリという自転車は乗るたびにうれしくなる。まっすぐ走ること、思うように曲がること、力を入れただけ進むこと、という楽しく乗るための基本がしっかりしている。境川は雨の日はすいている。酔狂な自転車乗りと、ランニングのトレーニングをしている人ぐらいしかいないからだ。犬と子どもがいないのはありがたい。今日は境川には珍しく無風で、行き帰りともに30km/hのペースですいすい走れた。

帰宅して自転車と体を洗って二階の窓から庭を撮った。冬の間から、オリーブの枝に数個のカマキリの卵らしいものを見つけており、新しいものならばそろそろ孵化しそうなものだと気になっているのだ。この付近もどんどんカマキリが生息できない環境になっているから、今年もカマキリが見られるかどうかは微妙だ。

周辺の事情はともかく、庭は順調に森林へ遷移しつつある。カエデやイチョウや柑橘類などが勝手に生えてきたり、女房がいろいろと木を植えたり。下草は日の光が必要なものはどんどん衰退し、ツタ、シダ、チヂミザサなどがはびこっている。レンゲも今年は消えている。


2008.4.27(日)雨 半原越21分58秒

庭

ハコベの撮影のついでになんとなく庭を撮ってみるのシリーズ第2弾。4種類のぐらいのコケがいつの間にか生えている。毎日観察しているつもりのコケ群落もめまぐるしい変化を見せる。心が現象についていけないのだ。

コケの回りには、ハコベの茶色い種がばらまかれている。ついでに種の容器になっている萼も落ちている。おそらくはハコベを食べているなにかの幼虫も落ちている。こいつはアマガエルを飼育していたときに貴重なエサになってくれた。

ハコベは2度開いた花を確認した。昨日の朝、曇り空の下で開いてるのを撮影した花だ。撮影後、ちょっといたずら心をおこして、開いている花の周辺にある咲き終わった花をはさみで切り取った。花が終わると花柄が伸びて垂れ下がることでつぼみとは区別できるのだが、どれが最後に咲いていたものかが特定しづらくなるのが嫌で、切ってみることにしたのだ。午後からは雨になって、どうせ早々に閉じているだけだろうと観察を怠った。

それが今朝、再び開いているようだ。写真で比較して2個の花で確認した。それらの枝にはまだつぼみがあるから今後も観察を続けられる。

午後からはチネリで半原越。21分58秒は最近ではとてもよいタイムだが、TTをしたわけではない。チネリは車体も重いがギアも重く、ちょっとがんばって走る分にはタイムがよくなるのだ。いつもの棚田ではシュレーゲルアオガエルが鳴いていた。今年もいよいよだと思う。何がいよいよなのかはわからないけれど、なにかが始まる季節だ。その希望とはうらはらに、春という季節の節目で年々体の衰えを自覚する。

    距離  タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.0km 3'55" 15.3km/h 81
区間2 1.0km 4'35" 13.1km/h 69
区間3 1.0km 4'25" 13.6km/h 72
区間4 1.0km 5'00" 12.0km/h 63
区間5 0.7km 4'03" 10.4km/h 55


2008.4.29(火)晴れ 半原越22分53秒

ナミガタタチゴケ

とくにこれといったあてもなく半原1号で半原越。いつもの棚田でやすんでいるとウスバシロチョウが飛んでいた。初見。登りはこれといったあてもないので普通に走る。だらだらでもなくがんがんでもなく。なんとなく物足りなくてもう一度登る。26×19Tを60回ぐらいまわして力が均等にかかっていることに気をつけた。

    距離   タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.18km 4'54" 14.5km/h 77
区間2 1.18km 5'40" 12.5km/h 72
区間3 1.17km 5'31" 12.7km/h 68
区間4 1.19km 6'48" 10.5km/h 66
全体  4.74km 2'53" 12.4km/h 70(1610)

近所のナミガタタチゴケが少し変な形に見えたので自慢のカメラで撮影してきた。もしかしたら雄花なのだろうか。ツボ状の形をしているため、真上からのぞき込むときに、自慢のカメラではストロボ反射板の角度の関係でツボの中に光が回らない。よいカメラではあるが、こういう弱点もある。


2008.5.3(土)雨のち晴れ シュレーゲルアオガエルが鳴く

ナミガタタチゴケ

ナミガタタチゴケのツボ状の葉の中が気になって開いてみた。すると、写真のような房状のものが出てきた。普通の葉よりも広くまるまるとした葉に包まれているような形状になっている。どうやら葉は包葉であり、この房状のものは造精器らしい。写真の幅は3ミリほど。

今日も雨がちで湿った一日になった。窓の外ではカエルが鳴いている。この声は、一週間前から家の周辺で聞かれるようになったもので、気になっていた。そのケロケロという声は私の知る限りではシュレーゲルアオガエルなのだが、どうみたってこの住宅地はシュレーゲルアオガエルの生息地ではないからだ。へんだへんだと思いつつ、確認できるチャンスを待っていた。

昨日はけっこうな雨が降って、それにうかれたかとうのカエルもやかましいぐらいに鳴いている。懐中電灯を持って出かけ、その鳴き声の主を捜してみると、運良く隣の住宅造成地のビニールシートの上で鳴いており、すぐに見つけることができた。やはりシュレーゲルアオガエルだった。

どうして周囲1kmにわたって田んぼも自然の池も沢もないこの乾いた土地にシュレーゲルアオガエルがいるのか、それは大きな疑問だ。わが家に来るのはうれしいけれど、それほど歓迎すべきことではない。数が増えて新天地を求めてやってきたというよりも、本来の彼らの生息地が壊れ、住処を追われてたどり着いた結果という公算が大きいからだ。

鳴き声を聞いていると、ときどきケロケロという澄んだ声の直後にゲエエエ、またはゲッゲッゲッゲという低く濁った声が続くことがある。場所も1mぐらい離れているように聞こえるので、最初は「もしかしたらオスメスの鳴き交わし?」などと期待した。この2日ばかり観察していると、その濁った声が発せられるタイミングは毎回同じで、どうやら同一個体が腹話術のように鳴いていると結論してよいようだ。


2008.5.6(火)晴れ 硫化水素が臭い理由

スギゴケ

夏になると午後の境川は南風が吹く。今日は低気圧の影響もあり10メートルぐらいの風が吹いていた。追い風だと30km/hでもまだ後ろから風を感じる。向かい風では30km/hを出すのも容易ではない。その向かい風を利用して、ぎりぎり70rpmが維持できる程度の3倍の重いギアに入れて、踏まずに回すことに専念した。膝から下を使わずに、腰の回転だけでクランクを回すイメージだ。半原越の普通の斜度の所の練習のつもりなのだ。今日は積年の課題であった重いギアを回すコツをついにつかんだような気がした。しかし、境川の練習は半原越では通用しないことを過去何度も味わっているので、また幻覚を見ているだけかもしれない。

半原越に行かず境川でおとなしく走っていたのは、ずっと原因不明の下痢と腰痛におそわれているからだ。どうも悪い物を食ったか、菌かウイルスかなにか悪いものにとりつかれたらしい。ばい菌といえば最近話題の硫化水素。あれは猛毒でとても臭い。毒であって臭いのは、ヒトと硫化水素の長い歴史を物語るものだ。ヒトがヒトになる以前から硫化水素は恐ろしいものなのだろう。硫化水素は嫌気的に腐敗するときに発生するから硫化水素に無神経な動物は死んでしまう。ヒトがまだ単細胞生物だったころから、あの臭さは「相当やばいぞ。これは食わないほうがいい」というサインなのだ。

写真はスギゴケの一種。女房子どもが山梨の友人の所に遊びに行って、隣人から大量にコケをもらってきた。ゴミ袋で2杯ぶんぐらいある。造成の都合で庭一面に生えていたコケを全部持って行っていいという話になったらしい。スギゴケが数種、アオギヌゴケ類、コツボゴケ、ハイゴケなど普通の種類ばかりだが量が圧巻だ。芽の出たドングリをくるんでコケ玉にしたり、コケを鉢植えにして売ると言っている。


2008.5.8(木)晴れ 謎の死体

キノボリトタテグモ

朝恒例の庭回りをしていると、草の茎にぶら下がっている小さなクモが目に入った。昼間から草むらをうろつくタイプのクモではない、何か異様だと感じた。逃げられないようにそっと近づくと、動く様子がない。大胆に手を出しても動かない。草にぶら下がったままこときれているのだった。体に目立った外傷はない。アリもまだ見つけていないから、そう長い時間ぶら下がっているわけではなさそうだ。

写真を撮りながら、種類は庭に多いジグモのメスだろうと判断した。念のために図鑑と写真を見比べてみると、どうもジグモではなくトタテグモの一種らしかった。庭ではまだトタテグモを見ていない。どうやらクモは他所で殺されてここに運ばれてきたのに違いない。

そういうことをしそうなヤツの心当たりはまずはカリバチだ。クモを捕まえて幼虫のエサにするハチはいろいろいる。ハチが獲物を運ぶ途中で何らかの事件に巻き込まれてクモを庭に落としたのだろうか。いま庭ではひっきりなしにシジュウカラがヒナのエサを運んでいるから、シジュウカラがハチを襲ったのかもしれない。もしそうだとしても私はその種のハチをここでは全く見ていない。トタテグモの生息地も近所には心当たりがない。そう遠くないはずの彼らの巣はどこらへんなのだろう。こうしてぼんやり日々の生活を送っていると、それらを確認するチャンスがめぐって来ることはない。


2008.5.10(土)雨 花の水たまり

ハルジオン

朝から小雨が降っている。こんな日に庭に出るとひときわめだっているのがハルジオンだ。暗い中で背の高い薄いピンクの花はいやでも目に入ってくる。ただその花の様子がきのうとはちょっとちがう。なんだろうと目をこらすと、花に雨水がたまっている。強くないとはいえ風も吹いて、ハルジオンは左右前後によく揺れている。運よくこぼれなかったものだと、他の花も見れば、むしろ水がたまっている花の方が多い。ハルジオンの花は水をよくはじき、花びらの間からこぼすことなく受け止めるようになっているようだ。

こいつは撮りようによっては面白いかもしれないと、コケハコベ接写専用写真機を持ち出して撮影したのがこの写真。期待したほどではなかった。


2008.5.17(土)晴れ こいつはいったい何者だ?

境川に行った。川に沿った道路を走っていると、大きな白い蝶が視界の端をすっと横切った。巨大なスジグロシロチョウという風情だ。あまりのことにブレーキをかけて引き返し、蝶の姿を追った。幸いにも蝶は産卵をしたがっているようで盛んに植木の葉を物色している。その姿は大きいスジグロシロチョウというよりも、むしろ小さいオオゴマダラである。こいつはいったい何者だ? としばし考えて、アカボシゴマダラに思い至った。鎌倉や藤沢ではけっこう増えて川崎にもいるということだから、境川にいても不思議ではない。ただ、アカボシゴマダラはゴマダラチョウのような翅に深紅の斑点が特徴のはずだ。こいつは、余計な色のない白蝶で、黒い筋が細く色も薄い。また、そのある種緑味をおびた白の風合いも私がしっているどの白蝶にもない独特のものがある。まあそれでも蝶だから種名調べは簡単だと思われた。

帰宅してからも庭で虫を見たり金魚やコケの世話をやいた。枝に小さな虫がとまっていた。じつは私の目にはそれが虫なのかなんなのか、そもそも生物なのかよく見えない。左右対称らしいことから虫らしいと結論して写真に撮った。

あらためてその写真をみてまた困った。翅があるから昆虫の成虫にはちがいないのだろうが、なにがなんやらさっぱりだ。こいつはいったい何者だ? としばし考えるも、科や属はむろんのこと目の見当もつかない。手持ちの図鑑を最初から最後までくって似た虫を探すけれども近いものすら見あたらない。

ところが、その種名探しから思わぬ収穫があった。4月29日に撮影した不明の虫の名前がわかったのだ。うかつにもずっとアブハチの類と当たりをつけていたそいつはカメムシだったのだ。そこさえ見当がつけば、オオメナガカメムシを引き当てるのは難しくなかったはずだ。


2008.5.18(日)晴れ 半原越22分51秒

    距離   タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 2.37km 10'10" 14.0km/h 68
区間2 1.18km 5'42" 12.4km/h 61
区間3 1.17km 6'59" 10.0km/h 56
全体  4.73km 2'51" 12.4km/h 63(1430)

2週間以上も半原越に行ってなかった。いつもの棚田はすっかり田植えが終わって短いイネが濁った水から顔を出している。田んぼの生き物はアメンボ以外は見つからず、シュレーゲルアオガエルの鳴き声が元気に響いていた。

今日は、26×16Tという重めのギアで乗ってみることにした。ひとことで言って「やっぱりだめか」という印象だ。シッティングで時速10km程度なのに、丸太小屋の300mで心拍数が190オーバーになっていた。そんなことでは後半がどうにもならなくなる。夏のスキー、畳の水泳みたいなもので、半原越もしばらくやってないと強くなっているという妄想にかられるのだ。やはり26×19Tあたりが適当だろう。

半原越ではヘビと出会える季節になった。今日は2頭見た。1頭は赤くて美しいジムグリだが無惨に轢死していた。1頭は飼育していたこともあるヒバカリ。思わず捕まえてビニール袋にいれ持ち帰ろうとしたけれど、思い直して田んぼの草むらに放した。子どもたちもそれほどヘビを喜ばなくなっているから。


2008.5.19(月)雨 同定の姿勢について

謎の虫

17日の全くわからないやつというのはこの写真の虫である。いまだにわからない。まったくわからないとは言いつつも、当初はミミズクとかツチカメムシとかの類だろうと当たりはつけていた。ところが手元にある学研や保育社の図鑑をくってみてもぜんぜんヒットしないのだ。

むろん、虫の名前を見つける必要は私にはない。やらなくてもよいが、それなりに楽しい作業だからやる。もともと図鑑が好きだ。ひまにまかせてとっかえひっかえ眺めたり、ポケット版を通勤電車に持ち込んでいる。図鑑で覚えた動植物の実物を目の当たりにしたときの喜びは図鑑好きにはわかるだろう。

私の庭には微小なハエや甲虫もいるけれど、そういうやつの名前調べは最初から放棄している。自己満足のレベルのマッチングも絶望的だから。こいつは決して希な虫ではないだろう。わが家の庭で私の目にとまるぐらいで、ごくごく普通にその辺にいるものにちがいない。サイズだって5ミリほどもあり、決して小さいものではなく、それなりに高級な私の図鑑で調べきれないはずはないのである。

もしかしてガの仲間かもしれないと、原色日本蛾類図鑑上下を最初の1ページからめくってみた。かすりもしない。ガというのは標本の写真や図絵と生態写真は異なって見える場合がほとんどだ。ガだとすれば長期戦を覚悟して運に期待するしかない。

図鑑好きといっても所詮は下手の横好きで、検索の専門的な手ほどきを受けたこともなく、どういうところがポイントになるのか、図鑑の記述をどう読めばよいのか、という基本がぜんぜんなっていない。下手な鉄砲、あるいは犬も歩けばという感じで運よくヒットすれば、それはそれでけっこううれしかったりする。この虫は、やがておとづれる「あっ、これか!」という喜びをプレゼントしてくれた愛すべき同胞なのだ。


2008.5.20(火)雨のち晴れ クロヒラタヨコバイ

さて当の虫がクロヒラタヨコバイであることはわかったが、図鑑で何度も見ながら見過ごしてしまったことがいくぶんショックである。クロヒラタヨコバイに行き着いたのはインターネットだ。googleでは画像検索があり、カメムシとかヨコバイで検索すると、クロヒラタヨコバイの写真を見るのは容易だ。その写真が自分の撮ったものにそっくりで、それとわかったのである。

ではなぜ図鑑では見つからなかったのか? 中学生の頃から使っている「保育社の標準原色図鑑全集2 昆虫」にはそもそもクロヒラタヨコバイは載っていない。これで用は足りるからとプロに勧められ、メインに使っている「学研生物図鑑昆虫III」にはクロヒラタヨコバイは載っている。基本は標本写真で構成される図鑑であるが、なぜかイラストである。そのイラストが生態写真をうまく反映しておらず、よっぽど確信を持って眺めなければ、それが写真の虫だと断定するのは困難であろう。黒い虫だから難しいのかもしれないが、今一歩がんばって欲しかった。

それにしても、クロヒラタヨコバイのような「つまらない」虫の写真が何十枚もインターネット上に置かれている日本は、まだ捨てたもんじゃないと思う。


2008.5.25(日)雨のちくもり ノミの心臓

胡蝶蘭

午前中は仕事があって東京に行かねばならなかった。夕方から半原1号で境川。5時でも日が高い。いつもの調子で走る。今日はほぼ無風で、ギアは36×16Tの固定にした。ケイデンスを90rpmにはり付けると時速27kmになる。心拍は140bpmあたりをうろうろしている。風を受けないときは、130ぐらいで向かい風になると150近くまであがる。

この心拍数は高すぎるのではないか? とよむ人もいるかもしれない。自転車のトレーニング教科書によると最大心拍数を求める簡易式は220-年齢で、私の場合は170になる。そして、LSDトレーニングが最大心拍数の70%程度だというから、120bpmぐらいになる。そういう心臓のライダーだと150bpmなんて値はAT領域といってよい。

私はちがう。140bpmぐらいだと呼吸はまったく平常で、頭の中をめぐっている永井真理子の「レインボウ」を口ずさんでも走っていられるだろう。じっさいに歌えないのは単に音痴だからだ。私が「さあ、ここからだ苦しいぞ」と感じるのは170bpmだ。半原越ではいつも190bpmを越えている。安静時はさすがに60bpmを下回るけれど、立ったり座ったりしていれば100bpmから下がることはない。もしかしたら最大心拍数は200に達するかもしれない。

数値にしてみると、どうやら途方もないノミの心臓らしいことがわかる。動物は生涯拍動数が一定で、寿命と拍動ピッチは反比例するそうだから、長生きは期待できない。そういえば体力測定のときに踏み台昇降運動があって、女子生徒が脈をとってくれるのだが、200bpmを軽く越えるため「測定ミスか?」と心配させたものだ。

今日の写真は胡蝶蘭の部分。ドラクエっぽい。ちなみにこの花はつきあいの広い女房が極道の妻からもらったものだという。あまり手をかけず年々小さくなっているものの花はつけている。胡蝶蘭は高価なぶん頑丈らしい。


2008.5.29(木)雨 マフェトン理論

なんだか変な心臓だなあ、と思いつつ、自転車のトレーニングについていろいろ調べてみた。ちゃんとひとの言うことを聞くことが、楽して結果をのこすことにつながることが身にしみている49歳である。

そんな中でマフェトン理論なるトレーニング法があることを知った。一言でいうと「楽して速くなる」というものらしい。理屈はともかく、やりかたは簡単で、マフェトンゾーンという心拍数を維持して1回30分以上、週に数回のトレーニングを行うだけで画期的に強くなるらしい。私のマフェトンゾーンは130〜120bpmであるから、経験的にそれはかなり楽だとわかっている。ただし、それを維持して30分以上自転車で走り続けるのは容易ではない。道路には坂があり、信号があり、車があり、人がいる。そこで、頼りになるのはローラー台だ。

さっそく半原1号を固定ローラーにセットしてやってみることにした。はじめてから後輪がパンクしていることに気づいたけれど、直すのも面倒なので負荷をかけず空回し状態でやることにした。まずは、15分かけてマフェトンゾーンまで上げるということだ。そして、ゾーンに達したのち、120bpmを維持するためには93〜95rpmで回し続けることになる。空回しなのでけっこうせわしない。ものぐさせずにパンク修理して負荷を強めれば低いケイデンスでも120bpmに達するはずだが。

ひとまず30分間やってみた。この強度だと、締め切った部屋でのローラーにもかかわらず、汗すらしたたらない。息も普通で「本当にこんなに楽でいいんだろうか(ただし退屈)」という感想だ。同じように物足りなく感じる人はけっこう多いようだ。とりあえず実績ある人のアドバイスは聞くのが近道なのでしばらくマフェトン理論でやってみようと思う。

それにしてもついに「トレーニング」か。いったいなにを焦っているんだろう。ちょっと自分を見失い気味である49歳。


2008.6.1(日)晴れ 半原越28分50秒

    距離   タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.18km 6'25" 11.0km/h 69
区間2 1.17km 7'02" 10.0km/h 70
区間3 1.17km 6'46" 10.4km/h 70
区間4 1.20km 8'37" 08.4km/h 67
全体  4.75km 28'50" 09.8km/h 69(1990)

半原越も久しぶりの感がある。いつもの棚田にはすでに小さなオタマジャクシが泳いでいる。ちょっと大きなもので死んで浮いているものがけっこういるのが気にかかる。除草剤か何かをまいたのだろうか?ミジンコはまだそれほど発生しておらず、水中は閑散としている。

半原越の今日のテーマは、はあはあせずに登ることだ。心拍数でいえば170を越えないようにして登りきることだ。ちゃんと26×26Tという1対1のギアも用意してきた。タイムは28分50秒とかなりかかっているけど、体は余裕綽々である。もとはといえばこういう走りを夢見ていたような気がする。

今日はずいぶんイチモンジチョウが多かった。モンキアゲハも見た。季節はもう真夏である。南風は涼しいが、日差しは焼けるように暑い。そういえば半原越の春を象徴するウスバシロチョウやツマキチョウは見なかった。そのシーズンに来られなかったのだ。路面にはところどころ、ピンクのラッパ型をした落花が敷きつめられている。すでにタニウツギの季節もすぎていたのだった。


2008.6.4(水)雨 ヘビイチゴが食われる

ヘビイチゴ

梅雨は虫たちの活動の最盛期に当たる。ささやかな私の庭もいくぶん賑やかだ。毎朝の観察ではちょっとした発見が相次いで、いまの関心事は「クモの子のボール」がこの後どうなるか、ということだ。これまでの経験では、ボールのようなかたまりは巣の中でお互いが距離をおくように散らばり、次第に数が少なくなるように散っていくという記憶がある。実際はどうだろう。観察3日目、まだボールのままだ。このクモの子は、おそらくは去年近くに巣を構えていたジョロウグモの子だろうと思う。

今日は、ドクダミにトビイロケアリらしいアリが来ているのを見つけた。ドクダミは花が極めて美しく、この季節にはなくてはならない彩りだ。花の美しさと形状から見て虫媒花なんだろうけど、虫と絡んでいる記憶があまりない。ドクダミのそばにはジャノメチョウやコウカアブが飛んでいるという印象があるが、蜜を吸っている場面の覚えがない。どうやら、アリは蜜をなめるらしいから受粉にも一役買うのだろう。

写真はヘビイチゴの実。なにかが齧った跡が歴然だ。はて、何者だろう? ヘビイチゴはカメムシの類に人気があって、私の庭でも少なくとも3種が来ていることを確認しているが、カメムシはこういう食い方はしない。


2008.6.9(月)雨 クモが散る

もぬけ

今朝、ジョロウグモの子どもの巣はもぬけのからになっていた。巣は原形をとどめており、脱皮殻もそのまま残っているから事故ではない。どうやら昨日から今日にかけて散っていったらしい。私は、しばらくはボールではない状態で巣の中にとどまるものと考えていたがそれは誤りのようで、旅立つ気になれば一気に分かれてしまうようだ。

この子グモボールを見つけてから一週間目、クモたちは一斉に脱皮した。一昨日のことである。そして昨日は2齢とみられる子どもが同じ位置でボールを作っていた。そのボールがいつはじけるのかが興味の焦点であり、それが今朝であった。

こうした虫たちの速やかで合目的な行動はいつみても感動物である。おそらくは、孵化まもなくの風雨にも耐えられない体のときは互いに寄り添い、最初の脱皮を契機として分散するプログラムなのであろう。しかも、脱皮直後ではなく1日置いて体が硬くなってから、決して楽とはいえない一人旅に出向くのである。

私は虫たちを動かしているのは、われわれと同種の「感情」だと思っている。快不快、好き嫌い、なんとなくいらつく、どうでもいい、というような非人間的な心が彼らを突き動かしているのだ。子グモたちは最初はお互いが触れ合うようにかたまっているのが気持ちよく、離れると不安でしょうがないのだと思う。それが、最初の脱皮から1日たつと、それまで愛し合っていた仲間たちの体臭やもぞもぞ感が我慢ならないものになってしまうのだ。それはヒトの恋愛に必ず起きる心変わりと完全に同種のものである。


2008.6.10(火)くもり 秋葉原の殺人事件

秋葉原の殺人事件の報道をテレビでみた。小学校を襲うとか、隣のお嬢さんをばらばらにするとか、この類の事件に必ず感じることが2つある。一つは精神鑑定についてだ。今回のように犯人が明らかに心神耗弱状態とはいえない場合、彼が精神疾患であるかどうかが問題になる。で、そのために専門家が調査を行う。その調査はどんなものなのだろう? 歩行者天国にトラックで突っ込んで次々に人を刺す、ということ以上に狂気を証明する方法があるのかどうか、それを知りたい。

また、犯人の育ちを調べたり、親の顔をみたがるようであるが、それが何か意味を持つのだろうか?  イデオロギーもドグマもなしに歩行者天国にトラックで突っ込んで次々に人を刺す、というような人物を作り上げる教育を、親や学校がやろうとしてもできるとは思えないのだが。

そして、とある人物に歩行者天国にトラックで突っ込んで次々に人を刺すかもしれないという臭いを感じ取ることはできるかもしれないが、思想があるテロリストとちがって、そういう人物を監視したり隔離したりすることは不可能である。私はこの日記で2000年5月30日に「渋谷のセンター街の雑踏に自動車でとび込んでくるヤツが出るはずだ」と予想した。冗談ぬきで、いつそういう事件が起きてもおかしくないイライラ感があそこにただよっている。


2008.6.13(金)晴れ クモの隠れ帯

ギンメッキゴミグモ

今朝庭で撮影したギンメッキゴミグモである。このクモは数週間にわたってここで営巣しているおなじみの個体だ。今日、新たな発見があった。それは「隠れ帯」だ。時計の針にたとえるならば、写真の4時55分の位置に白く太い糸で作られた帯が見える。これまでも、ギンメッキゴミグモの巣は数え切れないぐらいの回数をみてきた。ただし、この帯の存在を意識したのは今日が最初だ。

隠れ帯はいろいろな種類のクモが作る。このギンメッキゴミグモのものははっきりしていないほうだ。幅広いX型にしたり、獲物の遺骸などのゴミの帯をもうけたり、渦巻き状にしたり、わりと普通にみられる。

この帯の意味についてはまだ定説がないと思う。少なくとも私は定説を知らないし、それほど研究されているものでもないのだろう。いちど、どこかの論文か図鑑かで、クモ本体を敵や獲物の目から隠すためという説を目にしたことがある。自分の体の縁取りを曖昧にして存在を消すという理屈だ。私はそれを読んで即座に誤りだと思った。

クモというのはけっこう目立つものだ。このギンメッキゴミグモも、てかてか光ってすぐに見つかる。赤や黄色に彩られたクモも多い。そもそもクモを狩るやつらが隠れ帯ぐらいで目くらましされるような気がしない。また、クモに捕まるチョウ、ガやアブはクモもクモの巣のことも知らないだろうと思う。「あ、あそこにクモがいるから避けよう」という行動様式を持っていないはずだ。

私は、隠れ帯というのは「あえて巣の中心を目立たせる」ものだと思う。アピールの相手は獲物だ。空飛ぶ虫は目がいいやつらばかりだから、空中に障害物があれば、うまくかわしてぶつからないように飛ぶだろう。隠れ帯をかわして飛んだ先は、網の罠がまっているという案配だ。強力な虫に闇雲に飛ばれて、クモ本体に体当たりされるもの困りものであろうし、もしかしたら空中に目印があるほうが虫にとっても近づきやすく飛びやすくなり、結果的に罠に呼び込む効果があるのかもしれない。


2008.6.14(土)晴れ 半原越23分42秒

    距離   タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.18km 5'15" 13.5km/h 77
区間2 1.18km 5'51" 12.1km/h 70
区間3 1.17km 5'36" 12.5km/h 72
区間4 1.18km 6'59" 10.1km/h 59
全体  4.73km 23'42" 11.9km/h 69(1630)

ドロップハンドル8段仕様の半原1号で半原越。いつもの棚田には小さいオタマジャクシが群れている。オタマジャクシの他にはヒルやアメンボがいるぐらいで賑やかさが今ひとつ、とがっかりしていると、ちょっと小さめのゲンゴロウのような甲虫がいた。もっとも好きな生き物はなにか? と尋ねられれば、それはゲンゴロウかもしれない。大きくシャープなゲンゴロウは少年の日のあこがれだった。そいつはけっこう素早く泳ぎ、イネの株から株へ渡っている。後ろ脚がオールになっていないから、ゲンゴロウではなくコガムシあたりだろう。

半原越は26×19Tで固定にして前半ハイペースにせずにそれなりにがんばってみることにした。リッチランド手前のコーナー付近に巨大なヤマカガシが轢死しており、ぎょっとした。ヘビもあれだけでかいとびっくりする。

2kmのところでメーターをみると10分近くかかっており、がっくりする。普通に走ればこんなもんだ。区間4はずっと185bpmぐらいに張り付いていた。息はしんどいが脚はかろうじて回りダンシングは必要ない。脚よりも肩と背中がしびれてしまった。

帰り道、県道60号線で白髪太郎(クスサンの幼虫)を拾う。来るときにアスファルトの路上にいたので、帰りにまだ轢かれていなければ道路脇に投げてやろうと思っていた。拾い上げるとずっしりと重みがありふさふさした毛が心地よい。毛虫のなかではもっともエレガントな部類だ。ただ、もう虫の息で死んではいないもののほとんど動けない状態だ。道路の反対側をみると、栗の木があり枝が歩道にかかっている。道路の下2mは栗畑になっているのだ。白髪太郎はどうやら蛹になる場所を探して枝から道路に伝わり運よく轢かれずに道路を渡りきったものの、完全に疲労してしまったらしい。

回復の見込みもないが、ひとまず栗の枝に止まらせて、他にもいないかと探してみる。すると、すぐに3匹見つかった。いずれも終齢でばくばく栗の葉を食っている。クスサン程度で栗の収穫に影響がでるはずもなく、農家もこの美しい虫は見逃してやってるのだろう。


2008.6.15(日)晴れ ゼニゴケの造精器

ゼニゴケ

今日は午前中に永田町で仕事があり、半原越に出かけるだけの時間がなかった。午後遅くから、ドロップハンドル8段仕様の半原1号で境川。たいへん涼しい南風が吹いて快適だ。後ろのギアを真ん中下よりにして、90rpmを維持すると24km/hほどになる。時速20キロ程度の向かい風を利用して下ハンで風の抵抗が少なくなるようなポジションを探った。下ハンでの走行は意識して練習しており、かなり慣れてきた。向かい風が強いと低速でも40km/hで激走しているような錯覚を覚えて楽しい。ただ、いまだに下ハンで風圧が少なくなるという実感がわくほどには走れていない。

帰宅して半原1号を片付けてゼニゴケの撮影に向かう。以前に見つけておいたゼニゴケの造卵器を昨日撮影しておいたが、その近くにはゼニゴケの雄株がないらしく造精器の写真が撮れなかった。この季節に撮り逃すと1年待ちになる。たまたま半原越の帰りに、ナシ畑のわきにずいぶんゼニゴケがはえているのをちらっと見かけ、今日はそこに遠征して撮影することにした。

遠征といっても自慢のカメラを首から提げて自転車で4分である。その場所はナシ畑の中央を突っ切る形の狭い舗装道で、左右は風よけなのか青いネットがかけており、ナシ畑の様子は外からほとんど見えなくなっている。畑と道路を隔てるブロックとアスファルトの狭い間に土があり、日当たりの関係か南側をゼニゴケが覆っているのだ。

そこにも造精器は少なかった。ゼニゴケの雄株はあまりないのだろうか? 感覚的割合からすると5:1程度だ。撮影にはプロ根性を出して、造精器と造卵器をワンカットに収めようと思った。ただ、造精器はずっと背が低いため、同時にピントがあうポジションが取れない。自慢の改造レンズには幅2センチ以上に引くことができないという弱点がある。それでなくても、両者が並んでいる場所は極めて少ないのだ。おもいのほか時間を食う撮影になった。

ところで、そこはけっこう良い裏道であるらしく、自転車や犬連れの人がひっきりなしに通る。道が狭く、地面にはいつくばっているおやじはじゃまである。しかも、大きなカメラをもってなにやら無意味な物を撮影している。フツーに考えて怪しい。意味不明の殺人事件が連発しているこのご時世である。じゃまでも関わり合いたくないのだろう。通りすぎる人全員が「どーもー」とか言って、腹も立てず問いかけるでもなく、見ないふりをして足早に過ぎ去ってくれるのはちょっとありがたい。


2008.6.16(月)晴れ ムラサキカタバミ

ムラサキカタバミ

写真はここのところますます入れ込んでいるムラサキカタバミである。わが家にも2株ほどがある。夜には花を閉じて、いわゆる日周運動をするようだ。その開花回数はどれぐらいか、ハコベのように調べることもできる。ただ、そうした調査すら無粋として手をつけないほど惚れ込んでいるのがムラサキカタバミなのだ。ましてや好いた理由など端から問題にはならない。


2008.6.22(日)雨 半原越23分33秒

    距離   タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.18km 5'05" 13.9km/h 83
区間2 1.18km 5'47" 12.2km/h 78
区間3 1.18km 5'43" 12.3km/h 76
区間4 1.19km 6'58" 10.2km/h 72
全体  4.74km 23'33" 12.0km/h 77(1810)

天気予報は雨、最高気温は25℃。そんな情報を見るまでもなく朝から雨が降っている。しかも風がない。絶好の半原越日和だ。500円の雨合羽を着て半原越に向かう。雨だと道路も空いている。車が少ない、日曜名物の暴走族もいない。自転車もいない。自転車乗りたちはもっと夏の雨の楽しさを知った方がよい。

いつもの棚田はまだ殺風景だ。貝類とオタマジャクシがでれーとしているほかは生き物の姿がない。去年のこの季節にはわさわさといろいろなやつらがうごめいていたような気がする。雨粒がむなしく水面をたたく。冬にこの田の水路のコケを採集した。夏には水が通って浸かる所に生えているコケだ。今日同じ所をのぞいてみると、薄緑の色鮮やかなコケがあった。見違えるようだが同じコケに違いない。手に取ると、水を強力にはじくらしく濡れていない。水に入れると発泡スチロールのように軽く浮いて流れていく。コケはふつうあんな撥水性をしめすだろうか? もしかしたら、夏は水に浸かり、冬は乾燥する特殊な環境に生育することと関係があるのかと思った。清川村の小学校を過ぎたあたりの道路にクスサンの毛虫が歩いているのを見つける。車にひかれるのがかわいそうで保護を試みる。自転車を降りて毛虫をつまんで栗林の方に歩いていって驚いた。ざっと10匹ほども道路に毛虫が落ちている。きりがなさそうでわずらわしく、3匹投げて他は放っておく。

予想通り半原越は美しかった。ふだんだと赤黒いコンクリートの壁が緑色に輝いている。コケが雨に濡れて葉を拡げているのだ。こんな日にハアハアするのは粋ではない。クリアーのグラスを外して、肉眼で景色を楽しみながら登る。雨は強くなる一方で道路は半分ぐらい川になっている。一度登って、もったいなくてもう一度登った。半原越えでは1対1のギアを装備すれば80rpmで楽々行ける。土砂崩れの恐怖さえなければこんなに楽しいサイクリングはない。


2008.6.27(金)くもり 群青2種

ヒナノハイゴケ ヒナノハイゴケ

朝、庭に出て、まっさきに気づいたのが左の群青である。ツユクサの花についた虫だと思った。何かな? と近づくとどうも様子がおかしい。明らかに左右対称ではない。よく見てそれは植物だと気づいた。ツユクサの花の終わったものがぐしゃぐしゃに巻いて縮んでてかてかになっているらしい。写真はストロボをたいた光線の加減か、赤っぽくなっているけれど、肉眼では群青だった。

そのすぐ近くには本物の群青の虫がいた。ルリクビボソハムシだろうか。群青のてかてか光る丸い虫は決して珍しくはない。それだけに昆虫がこうした金属光沢を普通にもっていることを不思議に思う。人類はこの輝く群青の謎を解くことができるのだろうか。


2008.6.28(土)くもり 引き続きツユクサ

ヒナノハイゴケ ヒナノハイゴケ

札幌への日帰り出張で朝早く家を出て深夜の帰宅になった。昨日撮影したツユクサの花が、今朝の観察でも咲いているようで慌ただしく撮影した。ツユクサの花は二枚貝の殻のような葉?に包まれている。写真はその貝殻を取り去ったものだ。ツユクサは同じ花が2回開くことはないはずで、昨日のしおれたのはどうなっているか気になって貝殻を裂いたのだ。貝殻の中には花が2つ入っているようで、咲き終わったぶんは種にあたる部分がふくらんでいた。その部分がぐんぐん大きくなって、数日後には再び貝殻を開いて艶めかしくむき出しになるはずだ。

忽然と姿を消したアゲハの幼虫がいた柑橘の枝にアブラムシが群れていた。アリも寄ってきて甘露をなめている。この枝は毎朝みていたはずである。昨日も見たはずだ。それなのに、このアブラムシの存在にまったく気づかなかった。アブラムシだから、群が一挙に押し寄せるわけがない。一匹が大きくなって少しずつ増えこうなったに違いない。はて、どうして見落としたものか。このように自分の眼力を疑う瞬間はかなり頻繁に訪れる。


2008.6.29(日)雨 半原越22分51秒

先週に引き続き今日も雨。そこでいそいそと半原越。とにかく自動車が少ない。もともと私の走っているコースと時間帯の自動車やオートバイは、貧乏な人達がすることがなくて乗っているだけだ。ガソリンが高くなって雨が降れば、彼らの気分も萎えるだろう。道路が貸し切り状態なのは歓迎だ。

いつもの棚田は目を伏せたくなる惨状であった。田の水が抜かれて今日の雨が水たまりを作っている。その水たまりには数か所深いところがあり、腐乱したオタマジャクシが折り重なっている。水が抜かれたのは先週で、オタマジャクシは水位が下がるにつれて深みに集まり息絶えたのだ。水底の泥土はひびが入っているから、数日間の乾きがあったろう。

この田は去年も同じ頃に水が涸れていた。そのときは事故だろうと思っていたが、どうやら意図的な中干しのようだ。ふつう中干しは梅雨明けにじゅうぶん成長した稲の根張りを促進させるために行うものだ。この田は私の知らない農業技術が投入されているようだ。

    距離   タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.18km 4'19" 16.4km/h 58
区間2 1.17km 5'23" 13.1km/h 51
区間3 1.18km 5'21" 13.2km/h 50
区間4 1.20km 7'48" 09.2km/h 51
全体  4.74km 22'51" 12.4km/h 52(1190)

半原越にかかると雨は小降りになってきた。尾根にかかっている霧がよく見える。どういう気分なのか重いギアでぐいぐい行ってみようと思った。1kmで時計をみると3分30秒。早い。ところが、2kmでは8分10秒。気分は7分半ぐらいだったからそこで一気に萎えてしまった。そもそもこういう走り方では15分で死んでしまうことは身にしみているはずだった。区間4では脚は生きている感じ。しかし心臓はだめだ。心拍計はつけていないが、おそらく1kmあたりで190bpmを越えているだろう。ウルトラマンよろしく190bpmを越えて生きていられるのは3分だ。

折角の雨なのにつまらぬことをしてしまった。口直しに等倍ギアでもう1回登る。70rpmで時速8km台だが、これなら楽しく走れる。途中、クスサンが道路に落ちていたので救助しようと近寄ると、体は扁平で内臓がでていた。轢かれたにしては原形をとどめておりけっこう頑丈なんだと感心した。

帰りに棚田によって、水路のコケを採集した。


2008.6.30(月)くもり 水路のコケ接写

水路のコケ

写真は昨日のコケである。いつもの棚田脇にある水路の水に浸かるところに生えている。水路はかなりの傾斜があり、水は音をたてて流れている。じつは冬にも採集しているが、あらためて採ってきたのはあまりにもこのコケが綺麗だったからだ。

そして、いつもやってるように写真に撮ってみると、様子が変である。まるで電子顕微鏡で撮った昆虫の体表写真のようだ。いくつかのコケを同じセットで撮ったが、このなまめかしさはただごとではない。

このコケが生えているコンクリートの壁面は主に2種のコケがついており、もう一種は水がかからないより広い部分を占めている。そっちは、ま、変哲もないコケだ。こいつも冬期には一般的なコケだと思っていた。夏になって水をはじくことがわかり、それは特殊だと感じた。さらに、こうしてストロボをあてて接写してみると、光線の反射についても特別な機構がはたらいていることが推理できる。

こいつに限らず、コケは見る角度によって微妙に色や明るさが変化するものが多い。半原越でも、自転車で通りすぎるある瞬間に光り輝くコケがある。そうしたコケの色や明るさの変化はミドリシジミに似ているところがある。その原理は相似なのかもしれない。

ちなみに、私のコケ同定力はいまだ弱いままである。こいつの名は冬に調べたときは引き当てられなかった。じつは今回も端から名前調べは手をつけていない。


2008.7.1(火)くもり ツユクサの受粉

ちょっと気になっているツユクサ。2つめの花が咲いているところを上からのぞけば、1つめの種がふくらんでいる様子もいっしょに見える。なかなかおもしろいアングルだと喜んで撮影した。

夜になって改めてその写真を見ると、小さな虫が写り込んでいるではないか。撮っているときは、種とめしべにピントを合わせることだけに集中していてこの虫に気づかなかった。儲けたといえばそうであるが、ちょっと悔しい。

ところで、この花のめしべをみるとちゃんと受粉していることがわかる。他の花も同様で、わが家ではツユクサの受粉は毎朝とどこおりなく完了している。ポリネーターはこんなヤブ蚊のようなやつではあるまい。おしべの形状がアリにはあっていないと思う。おそらく夜更かし?をした蛾ではないだろうか。とにかく、私はいまだツユクサにマッチする虫が来ているところを見ていない。朝寝坊の怠慢とツユクサに対する無関心が原因だ。ひとたび虫とツユクサの関係が気になれば無視し続けるわけにもいくまい。


2008.7.8(火)くもり フリーセル30000個

今日、SuperMacFreecell(フリーセル)を解いた数が30000個を越えた。それほどよいペースではない。もっとピッチを上げて、50000ぐらいは解いていないとやばいのだが、テレビを見たりパソコンで他のことをしたり、自転車にかまけたりして進まない。今日もこれからツール観戦だ。

ただし、腕はずいぶんあがったという自覚がある。おおむね1つ20秒ぐらいのペースで解ける。また、15000個ぐらいのときは小一時間も解けないヤツに頻繁に出くわしていた。この半年ぐらいはそういう目にあっていない。ともあれ、1から30000までの間には解けないものはないことが判明した。


2008.7.11(金)くもり 吉兆か凶兆か

クサカゲロウ

いつの間にか庭に生えていた柑橘に、いつの間にかアブラムシが住み着いていた。そして、いつの間にか透明感のあるライムグリーンの卵が写真のように産み付けられている。

この卵のことをはじめて知ったのは、もう40年近くも前のことになる。たしか「ウドンゲの謎を解く」というタイトルの絵本だった。ウドンゲとは科学的にはクサカゲロウの卵をさす。宗教的に優曇華と書けば、それは滅多に咲かない幻の花で吉兆とも凶兆とも言われるという。その本は、科学的にウドンゲの生態を解き明かすもので、内容のおもしろさにひかれて、さっそく自分でもクサカゲロウをとらえ、その一生をつぶさに観察した。この卵の行く末は本にあったとおりに面白く、書かれてなかったこともたくさん発見した。この写真の卵はその色形から見て、おそらくあのときのものと同じ種類だ。

こいつらは、あと数日で孵り、アブラムシを専食する虫になる。そんなことになっているとはつゆ知らず、アブラムシたちはのんきに枝の汁を吸っている。知ったとしても彼らの行く先はない。優曇華で吉凶を占うならば、アブラムシにとっては確実な凶兆といえよう。また、アブラムシにたかられていくぶんか葉がいじけはじめている柑橘にとっては吉兆である。さて、私に何か良いことがあるか、悪いことがあるか。この卵のしったことではない。


2008.7.12(土)くもり アブラムシ壊滅

ヒラタアブ

今日も柑橘の枝を見に行くと、ほとんどのアブラムシが姿を消し、壊滅状態になっていた。さては、クサカゲロウが孵化して食いまくったのであろうと、クサカゲロウの卵を見て回ると、確かに半分ほどの卵が壊れている。幼虫はどこかと付近を探すが、影も形もない。なにやら想定外のことが起きているようだ。

クサカゲロウの卵は昨日の早朝にチェックして、孵化間もないことを確認している。半透明な殻を透かして幼虫がぼんやり見えていたのだ。すぐに孵ったとして、今朝までは約24時間である。孵化したはずの仔虫は約10匹。かたやアブラムシは数百。孵化したての小さな幼虫が食い尽くしたとは思えない。じつは昨日の夕方にはテントウムシの姿も確認している。ただし、テントウムシに対してはアリが執拗な攻撃を仕掛けるから、やつが自由に食えるとは思えない。

アブラムシ消滅の原因を探っていると写真の虫が見つかった。ヒラタアブの幼虫である。こいつもアブラムシを食う。ちょうど食事中だ。枝にはこの幼虫が数匹いる。けっこうなサイズに成長していままさに食べ盛りである。それにしても、ヒラタアブだけでアブラムシの群れを食い尽くしたとも思えないのだ。


2008.7.13(日)晴れ 消えた写真

クサカゲロウ

柑橘を入念に探すとクサカゲロウの幼虫が見つかった。写真の虫である。幼虫は背中にゴミをまとっている。そのことを知っておればかえって目立つ。こいつはアブラムシだけでなくカイガラムシも食っているようで、純白の蝋質までまとっている。これはかなり大きくなっており、新しく孵ったものではない。ねらいの仔虫は見つからない。私の目ではとらえきれないサイズでもあり、柑橘の枝はアブラムシの死骸やら脱皮殻やらいろいろ類似物があって特定は難しい。しかも、クサカゲロウの卵を何者かが食った形跡まであるからことは複雑だ。

そうこうしていると、アゲハがとんできた。どうやら当の柑橘に産卵するつもりらしい。チョウと私の距離は30センチもないが、そんなことなどおかまいはない。よっぽど産気づいているのだろう。1分ほど葉を物色して私の目からもよく見える場所に卵を産みつけた。よい機会だからと、コケ専用のカメラを部屋に取りにいって卵のアップを撮ることにした。

2分後、カメラを抱えて卵を見ると、小さなハチらしい虫が卵に止まっている。アゲハの卵に産卵する寄生蜂のようだ。ハチは卵を慎重に物色し、産卵している気配だ。これはまた千載一遇のチャンスと大喜びでシャッターを切った。

どんな様子で産卵しているものかと、CFカードをリーダーに挿入して、フォルダを開くとファイルが1枚もない。カードが壊れたのではなく、記録してある数百枚とともに今日の写真も消えたのだ。フォルダは異常がなく、中のファイルだけが跡形もなく消えた。これが噂のファイル消失かとがっかりした。デジカメを使いはじめて10年になるが、この手の事故は初体験だ。

今日のカットは私のような行き当たりばったりの観察をしていると、もう二度とチャンスがないだろう。いつもは撮り直しのきくものばかりなだけに、こういう決定的なときに限って事故が起きるというのも教訓的だ。いつもと違うことをやったのは、このシーンは撮り直しができないからと、撮影直後にちゃんとピントがあっているかどうか,カメラ内で再生して確認したことぐらいだ。それもこれまでにいくどかはやったことなのだが、その際に、たまたまデータの全消去の命令を出してしまったのだろうか。


2008.7.15(火)晴れ 復活した写真

寄生蜂

日曜に消失した写真が復活した。PhotoRescueというソフトがあり、不用意に消した写真も取り戻せるというから、わらにもすがる気持ちで利用することにした。そのソフトの優れているところは、ダウンロード後に試用して、復旧見込みがたったところで購入手続きをすればよいということだ。ダメ元でやってみたところあっけなく解決した。値段もたいへん安い。ここのところ買い物には失敗続きだが、このソフトはよかったと思う。これで、ひとまずは同じトラブルに見舞われてもパニックにならずにすむ。

ところでそのシーンなのだが、この後、蜂は方向を変えて右手のほうから同じポーズでしばらく止まっていた。卵が傷ついているようには見えないけれど、産卵しているのだろう。


2008.7.17(木)晴れ 4日目のアゲハ卵

卵

産卵後4日たった卵。ストロボの当たり加減で、中の様子が透けて見えるようになった。わたしの素人見立てでは、中央にある影がアゲハの幼虫の頭部、そして左下のあかるい楕円の影が寄生蜂の幼虫ではないかと思う。


2008.7.19(土)晴れ 黒い卵

卵

庭の柑橘には、寄生蜂が産卵したらしいもの以外にも、アゲハの卵がたくさん見つかっている。大小多数の黒い幼虫もいて盛んに葉を食っている。アゲハだけでなくクロアゲハが産卵しているのも確認しており、この卵がそのときのものであれば産卵後5日たっていることになる。こっちのもついでに撮っておくかと、レンズを向けたら、たまたまアリが卵をつんつんしに来たところで、あわててシャッターを切った。

それにしても、この卵は那智黒のように真っ黒で異様だ。幼虫の色が黒いのだから孵化前には黒く見えるということもありそうだし、腐敗して黒ずんでいるとも考えられるし、寄生されてこうなっているとも考えられる。そういえば、いまだかつてアゲハ類の卵をちゃんと観察したことがなかった。


2008.7.20(日)晴れ 半原越25分28秒

今日もいそいそと庭に出て、れいの卵はどうなったかな、と柑橘の枝を見て、息をのんだ。卵が消えているのだ。卵だけがなくなったのではなく、葉自体が消滅している。

じつはこういう事態も想定はしていた。つまり、ほかの幼虫が食ってしまうことだ。その葉の近くには黒い幼虫が鎮座している。他の枝をみると、すでに緑色になった幼虫も2体いた。育ち盛りの食べ盛りだ。柑橘は腰丈ばかりの幼木にすぎない。いずれ彼らも食糧難に陥ることは目に見えている。卵のまま食われたものも、孵化したとて明るい未来があるわけではない。

午後おそくから、チネリをひっぱりだして半原越。乗った時点で疲れている。だめならだめでゆっくり走る手がある。1.5倍の重いギアを踏んで時速10キロで走る。こういうのも楽でいいわいと開き直った。

    距離   タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.18km 5'52" 12.1km/h 64
区間2 1.18km 6'10" 11.5km/h 61
区間3 1.18km 6'01" 11.8km/h 62
区間4 1.18km 7'25" 09.5km/h 51
全体  4.72km 25'28" 11.1km/h 59(1504)


2008.7.21(月)晴れ 内部捕食の起源

昆虫に多く見られる寄生(内部捕食)というのは、きわめて特異な生態だと思われる。人と回虫のように通常の寄生であれば、両者が仲良く生きていくことができる。お互いの健康を保証しながら生活を続けるという、いま流行の持続的な発展が可能な生き様だ。

しかし、これが内部捕食となると危険極まりない綱渡り人生に思えてくる。内部捕食を成功させるにはけっこう繊細な捕食計画が必要なようだ。ファーブルが観察したように、まずは脂肪などの生命維持に不要な部分から食って、食べ物を新鮮な状態に保つ必要がある。また、捕食者は被捕食者よりも優勢になることがない。被捕食者が滅んだ場合には必ず捕食者も滅ばなければならない。

こうした繊細で危険な方法が、蜂やハエの間にふつうに広まっていることがちょっと解せない。ファーブルのジガバチの例は、冷静に考えると実現不可能に見える。ファーブル自身は、ジガバチの一連の行動で、どの一つも間違いがあってはならないと指摘している。さらに、その行為には完全性が求められ、じょじょに進化することは許されないと断言している。

私もファーブルと同じ驚異を蜂やハエの内部捕食に接して感じている。しかしながら、人類の義務として、ファーブルが本能とよび、その起源の探求を断念したところに踏み込んで行く必要はあるだろう。内部捕食の生態は化石には残らず、DNAを調べてもらちが開かない。その歴史は完全に失われているから、プロの仕事の対象にはならない。さて、内部捕食は本当にいっぺんに成立しなければならないのか。じょじょに発展するのは無理なのであろうか。


2008.7.25(金)晴れ 卵にあいた穴

卵

ねらいの卵が消失してからは、近くの黒っぽい卵を観察していた。今日にはその卵に小さな穴が開けられていた。おそらくアゲハの卵に寄生する蜂が羽化して脱出した穴だろう。卵は小さいけれど、蜂はもっと小さくて数匹ぐらいは養えるのかもしれない。

それにしても、芋虫の内部捕食者に限定しても多種多様なやりかたがあるものだ。卵をねらうものもあり、幼虫をねらうものもある。

ヤママユガを室内で飼育していたある日のこと、終齢ぐらいの芋虫に微細な蜂が止まっているのを目撃した。当時は中学生だったが、すでに寄生蜂の存在はしっており胸騒ぎを感じた。しかし、とうの芋虫が蜂の存在を気にしないように見えたから、そのことはすぐに忘れてしまった。

幼虫は10匹ほどおり、その後もみな順調に生育しすべてがきれいな繭を作った。やがて、巨大なメスをかわきりに次々と立派な蛾が羽化してきたが、1つだけはだめだった。その繭を子細に見ると、小さな穴が見つかった。やはり寄生蜂か、と中を開いてみれば、はたしてサナギはぼろぼろの残骸となりはてていた。

ヤママユガの繭は極めて堅牢なものである。人の手で破ろうとしても破れるものではない。肥え太った終齢幼虫に卵を産みつけて繭を作らせ、そのシェルターの中で主人を食らうというのは、素敵な生き様にちがいない。しかしながら、それも繭から脱出する算段あってのものだねだ。中学生の私は、初めてヤママユガの繭を見たときに、その頑丈さ精巧さに感動するあまり、中のヤママユガ自体が絶対出てこられないほうに千円賭けたくなった。もちろんそんな心配は無用で、驚くべき手段で羽化してくるのだが、寄生蜂のほうでも、それに匹敵するぐらいの技を身につけていなければ、文字通りミイラ取りがミイラになるほかはないのだ。


2008.7.27(日)晴れ 半原越23分21秒

    距離   タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.18km 4'52" 14.5km/h 77
区間2 1.18km 5'41" 12.1km/h 64
区間3 1.18km 5'57" 11.9km/h 63
区間4 1.18km 6'51" 10.3km/h 55
全体  4.72km 23'21" 12.1km/h 64(1498)

チネリで半原越に行ってきた。赤城の白い彗星、高橋涼介の最速理論に倣って、普通のところでもっとも速くなるやりかたを追求してきた。最近ようやく、やるべきことの方向がつかめたように思う。上り坂でも、膝から下のほうに力を入れてはいけない。膝下を使えば力強くなるけれども持続しない。脚全体をつかったり、立ちこぎするのは激坂用のとっときで、基本は脚を回すことに集中すべきだ。

回す場合に、もっとも力が入っていると感じる部分は、太ももの裏側の付け根である。その部分をとりわけ意識するように、田代さやかのふともも、田代さやかのふとももと、心の中で呪文をとなえている。最速理論の神髄は、斜度に応じて田代さやかのふともも方式で1分間に80回転が維持できるぎりぎり重いギアを選択して回しきる技を身につけることにある。そして、そのトルクを上げることができればタイムも縮まる。

夕焼け

丹沢方面では午後の比較的早い時間から雷が鳴り始めた。半原越の頂上ではぽつぽつと雨も落ちてきた。その後、雨脚から逃げる方向に帰宅し、雨はずっと小降りだった。夕立はあったのだろうか。途中で振り返った丹沢山系は黒い雲に覆われていたが。

日没時、西の空が異様な赤に染まっているのに気づいてあわてて撮ったのが、この写真。ここしばらく、蟲師の大禍時を読んだせいで、夕方は寂しいものだと感じるようになっている。


2008.8.1(金)晴れ 長い産卵管の形成

他の虫の内部を食い破るタイプの寄生昆虫界を見渡してみるならば、ハエや蜂の類が非常に多いことがわかる。また、蜂類では極めて特異な生態が見られることがよく知られている。

まずは、宿主の得難さ。葉っぱの上にごろんと転がっている芋虫なら産卵も容易だろうが、水中、地中、樹木中に隠れている虫を探し当てて卵を生み付ける蜂も少なくない。よくこんな連中に卵を産むものだと感心する。そういう得難い相手とあえて密接な関係を結んでいる理由は、簡単に説明ができそうだ。

寄生するからには、その宿主が鳥などに食われてしまえば元も子もなくなるから、寄主にはしとめられるが、一般の捕食者には見つかりにくい相手がよい。ウマノオバチは信じられないほどの長さの産卵管を使って、樹木の深いところに隠れ住むカミキリムシの幼虫を探り当てて卵を産み付けるという。カミキリムシの幼虫は鳥に見つかることも希有だろうから、よい宿主である。

体の10倍から20倍もの長さの産卵管を持つハチは美しくも異様である。彼女がこの地球に誕生したときから、それだけの長さの産卵管を持っていたとは信じがたい。きっと、宿主であるカミキリムシと、逃げる追うを繰り返しながら百万世代を経てできあがったものだろう。

宿主と寄主が1対1で決まっている関係はかくれんぼのようなものだ。得難い虫を宿主としている寄生虫は、もともとは産卵しやすかった相手が少しずつ逃げて行くのを追いかけながら、深みにはまっていったのだと思う。もちろん、宿主がオニである寄主から逃げるというのは必要条件ではない。宿主が隠れる技を開発すれば、オニもそれなりの対処が必要になるはずだ。たとえば、もともと地面の植物を食べていた虫が、鳥から逃れるために地面を掘る能力を覚え、地中の草の根を食べるようになったり、夜にだけ地上に現れたりする生態を身につけた場合、その寄主である蜂も同時進行的に地面を掘る能力を発達させねば滅んでしまう。

現在、われわれが観察できる生態の複雑怪奇なものは、長い年月をかけて、さまざまな偶然と虫の体内に秘められた能力がたまたま合致して花開いたものだと思われる。カミキリムシが捕食者を逃れて、ぐんぐん樹木の髄を食べられるように進化する虫であったために、産卵管が伸びるという変わった宿命を持つウマノオバチが優美な姿を保って生き残ってこられたのだろう。


2008.8.2(土)晴れ 7000万年前のウジ

卵が先か鶏が先か? というのは、笑い話として有名なアポリアであるが、科学的には決着がついている。すなわち卵が先である。というように明快に内部捕食の起源も探れればよいのだが、そうは問屋が卸さない。卵のような確実な証拠はないからである。

私は、内部捕食が始まった頃の様子を想像してみる。時は7000万年ぐらい前の恐竜時代としよう。ハエ、ハチの幼虫すなわちウジの餌は豊富である。50トンもある恐竜の腐肉はどれほどのウジを養うことができるのだろう。100キロもある恐竜の糞はどれほどのウジを養うことができるのだろう。あんな大きな動物が化石になるぐらい闊歩しており、鳥類というかなり手強い敵もいない。その頃にもしハエ、ハチが現在のような飛翔力をもっていたならば、同類以外に敵はなかったろう。ぶんぶんぶんと飛び回り肉の臭いのするものにじゃんじゃん産卵して行けばよいのだ。白亜紀は恐竜の時代であったが、ウジだって数ならその1000億倍もいただろう。

私は小山のような恐竜の腐肉にウジがびっしりたかっているところを想像している。肉はよい食べ物とはいえ菌類だって黙ってはおるまい。死肉食いの恐竜ですら見捨てた肉は日に日に腐臭が強くなり食べるのに適さなくなってくる。腐敗に耐え、腐肉を餌とできるウジはよいが、内臓の弱いウジはすぐに餌がつきてくる。

ところが、遅かれ早かれ腐肉の中に極めて新鮮な肉が混じっていることが判明するだろう。それは、同類の生きた体である。新鮮な肉しか食えないウジにとっては、腐臭ぷんぷんのナントカザウルスよりも、ウジの方がよっぽど魅力的な食べ物に違いない。もともと奴らには相手が生きているかどうか、ウジなのか恐竜の死体なのか、そんなことを知るすべさえないのであるから。


2008.8.3(日)晴れ 半原越26分13秒

    距離   タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.18km 5'52" 12.1km/h 77
区間2 1.18km 6'18" 11.2km/h 64
区間3 1.18km 6'50" 10.4km/h 63
区間4 1.18km 7'13" 09.8km/h 55
全体  4.72km 26'13" 10.8km/h 63(1653)

今朝は起きたときから疲れていた。昨日眠る前にすでに疲れていたといっても過言ではない。それでも半原越に行こうと決めていた。しかし、暑かった。それでも半原越にはナカガワで行く気でいた。

スタート時点でもう負けていたといってよい。いつもと同じぐらいがんばっている感じなのに、速度にして3km/hぐらい遅い。先のない中年のおやじとしては、この先永久にこのスピードでしか走れないのではないかという恐怖を感じる日である。


2008.8.4(月)晴れ 擬態

アズチグモ

おそらくアズチグモらしいカニグモが、菊の花(たぶんユリオプス)で待機していた。こういうシーンを目にするたび、虫けらどものすごさに圧倒される。この模様の体でこの花の上で待機するのは合理的である。この花にはシジミチョウやアブがけっこうやってくる。花の色や形はクモの身を隠すのに好適である。で、その合理性を彼女はどうやって手に入れたのか? 白い花や、赤い花、あるいは葉上にくらべて黄色い花の上にいることが、圧倒的に有利であることを意識できているのかどうか。わからないのならなぜ? わかるのであってもなぜ?

また、ネイチャーガイド日本のクモの記述によると、これがアズチグモであるならば、体色は白から黄まで変異が大きく、斑紋も多彩らしい。そしてこの黄色いクモを隠すのならば黄色い花の上なのだ。純白のこの手合いを白い花で見かけた記憶もある。


2008.8.8(金)晴れ フーリッシュ

替え歌ではないのだけれど、しばらく考えていた「フーリッシュ」というタイトルの狂歌が完成したので、ここに発表したい。

 咲いた咲いた
 フーリッシュの花が
 
 並んだ並んだ
 赤白吉兆
 
 どの花みても
 期限切れ

もはや吉兆の黄色いプリンが記憶にある人もおらず、赤や白が何を意味しているか、ピンと来る者もおるまい。この狂歌の妙味は、歌自体がすでに賞味期限を超過していることにあると思う。


2008.8.9(土)くもり ハチの誕生

ところで、ハエやハチの成虫はどんなものをうまい食べ物だと思うのだろう。腐肉にしても皆同じではなく、少しずつ味も違うだろう。彼らの食性にも進歩の余地があるならば、それは幼虫期に食ったものの記憶が影響するかもしれない。つまり、幼虫のときにもっともよく食べたものを選んで産卵する可能性があるのだ。

はじめは恐竜の死肉を食っていたウジが、死肉が腐るにつれて、同類のウジを食い始め、それがとりわけうまかった場合、そのウジが成長し母親になると、自分が食ったウジの臭いのある場所を好んで産卵するかもしれない。

私はハチとハエはもともと一つだったと思う。それが分かれたのは産卵習性の違いだ。ハチはかつて産卵管が伸びるタイプのハエだった。腹をぐっと死肉に突き刺して、肉の内部に卵を産み込むことができたハエだった。それは、卵の孵化率があがるとか、仔虫の死亡率がさがるとか、けっこう有利な方法だったのだ。

産卵管が伸びる宿命を背負ったハエが、ひとたび餌の内部に卵を産み付けるようになると、食物と種との1対1の関係が生まれる。自力で餌を集めてどこかに隠してそこで幼虫を養うようなことも起きる。社会性もそこから生まれるだろう。

そして、ウジムシに餌付いたハチがいた場合、ウジムシの内部に産卵管を差し込んで卵を産み付けるだろう。それは最初から完成された寄生形態でなくともよい。たまたまハチのウジはウジムシが好きなだけで、そのウジムシが食べている死肉も多少のまずさを我慢すれば生きていくことができるのだ。


2008.8.10(日)晴れ 半原越24分9秒

105のクランクの175のトリプルが安く入手できて、さっそく半原1号にとりつけて半原越に出かけることにした。懸念は、トリプルだと自転車のセンターからの距離が80mmあってちょっと広すぎるのではないかということだった。ただ、乗ってみるとそれほどでもなく、私の脚にはちょうどいい広さのような気もする。175mmの効果は今ひとつわからない。平坦なところでも90rpm回せず、時速21kmぐらいでしか走れない。これは、いくらなんでもクランクや半原1号のせいではないだろう。体が弱っているのだ。

いつもの棚田もすでに出穂し順調に育っている。ウスバキトンボが稲の上を舞う。占有行動のようなこともしていたが、あんなにびゅんびゅん飛ぶトンボもそんなことをするのか、ちょっと疑問。今年はアブラゼミが静かだ。そのぶんかどうかニイニイゼミが目立つ。ツクツクボウシも盛んに鳴くようになった。キツネノカミソリもツユムシも秋の風情だ。

    距離   タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.18km 5'08" 13.8km/h 74
区間2 1.19km 5'45" 12.4km/h 72
区間3 1.17km 5'38" 12.4km/h 65
区間4 1.20km 7'38" 09.4km/h 69
全体  4.72km 24'09" 11.8km/h 70(1690)

新しいクランクは快調だ。びっくりするような変化はないけれど、悪くもない。今日のように脚が回らない日に24分なら自転車としては上出来だ。橋1の手前でへたくそな自動車に幅寄せされてコースアウトしたので15秒ぐらいのロスがある。

ぽかぽか陽気で風もあって気持ちがよく、もうちょっと走りたくなった。久しぶりに土山峠を通って、宮ヶ瀬ダムを回ってこようと思った。あの道の険悪さを忘れていた。自転車3Kのトンネルとか、暴走行為防止用のアスファルトがたがた嫌がらせとか。ツールのシャンゼリゼじゃあるまいに、道路の端いっぱいによって、路側帯の白い帯の上を走る。頂上近くのけっこう斜度のあるところで、ものすごいスピードのロードレーサーに抜かれた。こちらは10km/h、向こうは20km/hぐらいだろうか。私は何をどうやっても一生あのスピードでは走れない。


2008.8.11(月)晴れ ムクゲ

ムクゲ

この窓の外にはムクゲの木がある。梅雨のころからやたらと花をつける。盛夏はさすがに暑いのか中休みで、写真のような状態になる。ムクゲの花にはけっこう虫が来ている。甲虫類が花に潜り込んで花びらを食べたり蜜を吸ったりしているようだ。先日、大きな羽音が聞こえてムクゲを見ると、ハシブトガラスが花にくちばしをつっこんでいた。どうやらハナムグリらしい甲虫をくわえて屋根に降りた。強力な足で甲虫を押さえつけながら首を曲げてくちばしでつついている。ほどなくして、甲虫は2つにちぎれ、カラスは外殻を避けて中身をついばんでいた。ハナムグリ程度のものがどれほど腹の足しになるのかわからないけれど、甲虫類にとってカラスは脅威であるようだ。

庭はほったらかしである。そろそろ草がはびこりすぎて歩くのもままならない。このムクゲにもヤブガラシやカラスウリが巻き付いている。ムクゲにはそういうツルはじゃまかもしれないが、ヤブガラシはよい蜜源でスズメバチなんかがよく来ている。夕方、カラスウリがみるみるうちに純白の花を広げていくのは、よい見物である。


2008.8.12(火)晴れ 不安な性夢

場所はとある温泉の大きな露天風呂。夜間であるが照明があり、闇ではない。客はまばらに数名。その中に宮沢りえと本木雅弘のペアがいる。恋人か夫婦のようでたいへん仲よくしている。
「ここでやろうか」と薬丸。
同意する宮沢。
カメラ俯瞰引き気味になって、湯垢が浮く半透明な赤黒い湯の中で絡み合う二人。宮沢の乳首や本木の勃起したペニスがぼんやり見える。私はテレビにしちゃ大胆だな、と感じている。
宮沢が、吸って、というしぐさで乳房を差し出す。
本木、応じて顔を近づけ乳房を大きく口にふくむ。
本木の動きで白い乳房が柔らかな餅のように伸びる。
あえぐ宮沢。
「いいわ、来て」
シーン変わって、温泉場の湯のわき。こちらでも数名が酒を飲んでくつろいでいる。中に、浴衣の水谷豊とその連れの男たち。
「ところで、姫はどちらかな?」と男A。
「しばらく、みあたらんな」と水谷。
さっと不穏な空気が立ちこめる。どうやら姫とは宮沢りえのことらしい。
「探しに行きましょう」と一同立ち上がる。

高温多湿が生んだ今朝の夢である。極めて不愉快な気分で目が覚めた。というのは、このタイプの夢の存在が悪いことだと直感したからだ。夢の中で私は主役になるはずではないのか。しかるに、もっとも重要なセックスの部分が、縁もゆかりも興味もない第三者で、私はそれに立ち会うこともなく、フィクションのワンシーンであることを自覚している。通常の性夢であれば、本木さんか水谷さんの立場にいて、自分でセックスしようとするはずだ。どういうわけで夢の中で第三者を演じてしまうのか。作り物のビデオを見物するという、存在リアリティーが希薄な夢は危険ではないのか。

夢と無意識の関係がまじめに考えられたのは、いまから100年前、ユングやフロイトの頃である。ユングの功績は、無意識の自立性を世界に認めさせたことにあった。当時も、夢の中で事象を見物するタイプの夢もあったはずだ。ウロボロスやホムンクルスのような想像上の怪物が演じる夢などは、シンボリズムとのつながりが研究対象になった。

夢は荒唐無稽であっても象徴的に機能して、個人の無意識形成に一役買っているものだ。彼らの時代にはテレビがなかったから、ビデオ映像を鑑賞する経験もなかった。ウロボロスが出る夢も、少なくとも夢を見ているそのときは、作り物の映像を見物しているという発想が起きるはずがなく、リアリティー充分に見られたにちがいない。

私は「心」は体と同様に、意識とは自立的に成長するものだと思っている。無意識はどんな物をどう愛すべきかということを遺伝的に自覚しており、性夢は無意識がそれを意識へ伝達するものだ。ビデオの氾濫は、夢のたまものをテレビの中の作り物といっしょくたにする危険をはらむ。性のような人間としての根本的な生理ですら、リアリティーのないものとして意識によって軽視させる傾向を生んでいるかもしれないのだ。いうまでもなく、そうしたパーソナリティーの形成は無自覚に進行する。

いまや、ビデオ映像は空気のように存在している。そのことが、性にも何ものにもリアリティーを感じない若者の心を形成する原因になっていそうな恐ろしさを今朝の夢に感じたのだ。


2008.8.14(木)晴れ 半原越23分

午後2時頃ナカガワに乗って外に出ると、すでに空の半分は雲に覆われていた。八王子の方で発達した積乱雲のかなとこが、大和の方にも広がってきている。このきのこの傘のような雲を下から見上げるのは久しぶりだ。一部は乳房状になり、けっこう凶悪な感じがある。すぐに、稲光が走り雷鳴が響いてきた。風も積乱雲の方から強く吹いている。覆われ方からして、驟雨に襲われることはなさそうだが用心して走る。

それにしても疲れている。普通に乗っているだけで腰が痛い。右のくるぶし、左の膝が痛い。そして両太ももにけっこうな筋肉痛がある。そんな状態でわざわざ半原越を目指すのは、いまちょうど何かをつかみつつあるような気がしているからだ。何か、というのは筋力を推進力に変える技術である。これまで何十年も自転車に乗ってきて、太ももの筋肉痛という経験がなかった。その痛みが、鍛えるべき場所を示しているのだろう。いまにしてようやくどの筋肉をどう使うのかがわかったようだ。

    距離   タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.18km 4'52" 14.5km/h 76
区間2 1.18km 5'34" 12.7km/h 66
区間3 1.18km 5'34" 12.7km/h 66
区間4 1.18km 7'00" 10.1km/h 53
全体  4.72km 23'00" 12.3km/h 64(1479)

1.5倍ぐらいにギアを固定して、できるかぎり田代さやか方式を貫いた。このしんどい日にそれほど無理をせず23分は上々だ。


2008.8.16(土)晴れ 半原越23分46秒

今日はずいぶん暑かった。部屋の中にいるときから汗をかいていた。それでも半原1号で半原越。走り始めて1時間もたたないうちに腹が減っていることに気づく。空腹で出てきたわけではない。毎日遊びすぎて体内のエネルギーが枯渇しているようだ。

    距離   タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.18km 4'50" 14.6km/h 75
区間2 1.18km 5'45" 12.3km/h 70
区間3 1.18km 5'44" 12.3km/h 69
区間4 1.18km 7'27" 09.5km/h 61
全体  4.73km 23'00" 11.9km/h 68(1610)

前回と同じように、中程度のトルクで登る。区間4はパニックになっていてタイムが悪い。チェーンも落としてしまった。


2008.8.19(火)晴れ 原色日本蘚苔類図鑑

ついに保育社の「原色日本蘚苔類図鑑」を入手した。日本のコケのことを調べたい人間には必携の図鑑なのだが、残念なことに絶版であった。しかたなく、しょっちゅう図書館に足を運んでこの図鑑を見てはいたものの、やはりコケの検索は拡大鏡を使って実物と照らしあわせないと無理だ。

中古の「原色日本蘚苔類図鑑」はアマゾンなどでときどき見つかるが、どいつもこいつも「投機の対象ですか?」と言いたくなるぐらい高価すぎて手がでなかった。30000円ぐらいなら勢いでぽんと買うかもしれない。しかし、その倍以上の値がついているのだ。それがどういうわけか、だるま書店から発売当時の値段で出てきた。9刷が昭和62年とあるから20年ぐらい前で、定価は4400円である。一も二もなく飛びついて買った。そして届いた本を見てまた驚いた。新品同様で開いた形跡すらない。

さっそく、6月30日の水路のコケの標本を実体顕微鏡で見ながら照らし合わせることにした。ほどなくして、サワゴケのグループがひっかかった。おそらく、原色日本蘚苔類図鑑のよいところは、記述が正確でプロにはとっても使いやすいことだろう。一方、私にとってよいところは、図版が写真ではなく手描きのイラストで、標本が実物大から2倍程度で示されていることだ。これは見栄えとしてはたいへんしょぼいものだが、そのしょぼさが検索に適している。

サワゴケまでわかれば、あとは顕微鏡レベルで記述と照らし合わせることになる。いかんせん、私にはそこまでの技能がない。そこで登場するのが、平凡社の「日本の野生植物・コケ」である。こちらは極めて美しい生態写真で構成されている。サワゴケのグループをみると、カマサワゴケの写真がぴったりである。2つの図鑑の記述をあわせ読んでも、いつもの棚田の水路のコケはどうやら、カマサワゴケか、そうでなくともサワゴケの一種で間違いなさそうだ。


2008.8.20(水)晴れ 半原越23分31秒

かなり体はまいっている。どれぐらいまいっているかというと、明け方に左のふくらはぎがつった激痛で目が覚めたぐらいだ。それでも気分は絶好調で半原越もすいすい登って大記録が出せそうな気がしている。この根拠のない自信はいったいなんなのか。ともかく、12-21Tというちょっと重めのギアを装備した半原1号で半原越に向かう。

1.5倍よりも大きなギアを選んでスタートする。最初の20mの10%は攻撃的なダンシングだ。丸太小屋の坂も腕力まで使ってぐいぐいいって区間2までのタイムは9分台だから、そのペースを維持できれば新記録だが、そういうことが起きるわけもない。息があったのは南端コーナー手前までで、区間4では完全に息絶えた。

    距離   タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.18km 4'35" 15.5km/h 76
区間2 1.15km 5'17" 13.1km/h 64
区間3 1.19km 5'37" 12.7km/h 57
区間4 1.20km 8'02" 08.9km/h 51
全体  4.75km 23'31" 12.1km/h 60(1420)

確かに、私は力の入れ方がわかってきた。しかし、入れるべき力がないことをもっとちゃんと自覚するべきだというのが今日の教訓としよう。それにしても今日の区間1の快走をゴールまで続けられればいっぱしなんだけどなあ。


2008.8.23(土)くもり 捨てた仮説

内部捕食の起源はなんとなく想像がつくけれど、そこから現状に至るには途方もない道のりがある。あるハチはヨトウムシを狩り、あるものはクモを狩りして、極めて高い専門性を持っている。そのような状況に追い込まれなければならないような原因がわからない。どうしてクロアナバチはツユムシばかりを狩るのか? クロアナバチの獲物を横取りするハエはどうやって生まれたのか? また、クロアナバチはなぜそのハエが天敵であることを知っているのか? 私の10年来の疑問である。

そういう疑問を一気に解決する仮説として、クロアナバチはハチである前から、ツユムシがツユムシである前の、ある虫を食べていたということを考えていたことがある。寄生関係は、虫が昆虫になる以前に成立しており、その関係が種が変わっても維持されているという着想だった。

しかし、すぐにそれはありそうもない仮説として捨てることにした。クモになる虫と、ジガバチになる虫とがいっしょくたになって同じものを食べている、その一方ではやがてクモとはほど遠いツユムシになる虫と、ジガバチに近縁のクロアナバチになる虫がいっしょに同じものを食べているというような姿がどうにも不自然で受け入れがたいものだったから。


2008.8.24(日)雨 半原越23分11秒

けっこうな雨が降って、気温もそれほどあがっていないが、出てきてよかったと思った。日本には夏の始まりと終わりに長雨がある。この季節を過ぎるともう雨の中で遊ぶことは難しくなる。荻野川から見上げる半原越は山腹を霧が半分ほど覆っている。べったりしたものではなく、谷筋を駆け上がっている状態なので、降雨に伴うものだろうと想像した。

山中に入っていよいよ雨は激しく、法論堂川は濁流になっている。腕にあたる雨の一粒一粒を感じる。雨が木々と道路をたたく音をのぞけば半原越は静かである。野ウサギが出てきたのも雨だからだろう。ウサギはたくさんいるはずだけど滅多なことでは日中の道路に出てきたりはしない。

    距離   タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.18km 4'56" 14.4km/h 83
区間2 1.18km 5'32" 12.8km/h 75
区間3 1.17km 5'46" 12.7km/h 75
区間4 1.21km 6'57" 10.5km/h 67
全体  4.76km 23'11" 12.1km/h 74(1730)

今日は26×19Tをベースにしようと、水曜から決めていた。7%程度の平均斜度区間をどこまでその軽いギアで80rpm以上維持できるかが、現状のポイントである。今日は3kmの2連橋までが限界で、そこからはもっと軽いギアにしても回転を上げることができなかった。


2008.8.30(土)ときどき雨 雨と自転車

雨は降っているけれどたいしたことはないだろうと、出かけたとたん、けっこうな降りになった。引き返してクリアーのゴーグルと自慢の雨合羽を着ることにした。最近の雨は降ると土砂降りになるから準備はしといたほうがよい。

さすがに半原越は恐い。これだけ雨が降っていると土砂崩れの危険も高いだろう。境川に向かう。昨日の雨で境川がどれほど増水したかという野次馬根性もあった。こちらに来てからもう2回ほど境川は氾濫している。ある夕立の日に鉄砲水のように増水した様子を目の当たりにしたこともある。小高い丘の杉林を源流として住宅地を流れる境川は氾濫の危険が高い河川だ。要所要所に遊水池がもうけてあり、サイクリングロードの中間地点あたりのものは非常に立派で、野鳥の観察所まである。

今日も気温が高く、サイクリングは快適だ。乗っているときに雨はよいものだが、後始末はおっくうだ。雨で乗ったまま自転車を放置しておくといっせいに錆が出てくる。とりわけチェーンは一発でおかしくなる。また、フレームに水がたまるからそれを抜くのも面倒だ。

半原1号にはBB部に水抜き用の穴がない。おまけにどういうわけか、ダウンチューブに水がたまるというファニーな作りになっている。あるとき、フレームを振るとちゃぷちゃぷ音がするので、なんだろなと確かめるとダウンチューブの水だった。はて、どこから水が入ったものかと調べてもヘッド側にもBB側にも穴が見つからない。どうやら、ボトルケージのボルトをねじ込む穴から進入するらしい。しかたなく、そのボルトをはずして傾けると、コップ1杯分ぐらいの水がじゃあじゃあ出てきた。特筆すべきは、その水がきれいだったことだ。普通、自転車のフレームにたまった水は赤さび色になっているはずだが、さすがに半原1号はチタン。雨で錆びることはない。ただし、重量増にもなるからたまった水を放置するわけにもいかない。いちいちボトルゲージを外して水を抜くのはおっくうだ。私は自転車掃除が好きではない。

さて、乗ってるうちに雨はやみ日まで差してきた。そうなると自慢の500円雨合羽がじゃまだ。暑くて死にそうになる。前のジッパーを開けて風を入れると、落下傘のようになって向かい風をいっぱいにはらむ。境川から帰って合羽をおいて、走り足らないので相模川に向かう。アマゾンのようには行かないまでも、大河が濁流となって流れるさまは圧巻だ。


2008.8.31(日)晴れ 半原越23分11秒

そして、自転車への浸水で異例なのはリムだ。最初、ホイールを振ってたぷたぷ音が聞こえたときは何事かと思った。普通に雨の中を走っている分にはリムに水は入らないだろう。半原越のように川の中を走るようだと、リムの心配もしなくてはいけない。タイヤとリムの高さは5センチほどあるのだが、それよりも水が深くなると、ニップルのところから浸水するらしい。ニップルは防水対策はまったくなくて、一度入った水は出ていかないような構造になっているので、豪雨の半原越を楽しく走ったときには気をつけなくてはいけない。パンクするまで気づかずに水入りの重いリムで走ることになる。

今日はナカガワで半原越に向かった。落石の心配からヘルメットをしっかり装着した。久しぶりに初秋らしい気持ちのよい風が吹いている。積雲がぽんぽんと浮かび、その背景に高積雲が見えるのも秋らしい。いつもの棚田は水が落とされ、収穫を待つばかりだ。田んぼの水がなくなると、そこからはエンマコオロギの声が聞こえるようになる。

    距離   タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.18km 5'11" 13.7km/h 71
区間2 1.18km 5'40" 12.5km/h 65
区間3 1.18km 5'32" 12.8km/h 67
区間4 1.18km 6'48" 10.4km/h 54
全体  4.72km 23'11" 12.2km/h 64(1479)

今日はちょっとした作戦があった。区間1から4まで、それぞれ6分かけて24分で登ろうというものだ。いつも区間4で死んで、時速8キロぐらいになっている。それは賢い方法とはいえない。体力温存しつつ全体で力を出し切るクレバーな走り方をしたほうが結果的にタイムはよいはずだ。

結果は惨敗といえよう。今日は区間4で6分48秒かかった。区間3まではけっこうスローでいったはずだが、タイムは縮まらない。そういえば3年ぐらい前に、どんなに元気でもラストの1.5kmのスピードは上がらないということを確認していたような気がする。もうちょっと別のペース配分を検討する必要があろう。

心配した落石はなかった。土砂が崩れた形跡もなく、路上に散乱している石ころも思いの外少なかった。半原越にはそれほど雨は降らなかったと見える。


2008.9.02(火)晴れ ツマグロヒョウモン

ツマグロヒョウモン

毎朝観察しているスミレのそばにはではでしいお客さんがいた。まもなくサナギになろうというツマグロヒョウモンの幼虫である。ツマグロヒョウモンはここのところの温暖傾向で、この神奈川でも一年中みられる虫になった。成虫についても今頃から晩秋にかけては、キチョウなどを差し置いて、もっとも目立つ蝶という感がある。春から夏にも飛ぶ姿をみかけるが、やはり秋の蝶である。

こういう玄関先のスミレで育つのだから、ツマグロヒョウモンのたくましさは抜群といえる。この幼虫は、観察を続けていたこのスミレで今日まで見つからず、それほど食い跡もみられないから、もしかしたら近所のスミレを食い尽くして歩いてきたのかもしれない。だとすれば、少なくとも10m以上のアスファルト、コンクリートの荒野を渡り切ったことになる。

食草であるスミレ類もたくましい植物だ。自然の山野でも掃いて捨てるほど生えており、冬でも緑の葉を開いている。また、パンジーは花壇にも用いられる。そして、花壇から抜け出したパンジーが野生種かと思うような小さい花を路傍で咲かせている。私のスミレもおそらくアリが種を運んできて植えたものだ。芽生えから数年が経過しており、春の花が終わった今でも、ぽつぽつと種を結んでいる。

都市でも山野でもどちらでも生きられる食草と蝶という関係はそれほど多くはない。モンシロチョウやスジグロシロチョウですら、ある程度の緑地がないと発生できない。クロアゲハは渋谷の東急ハンズの傍らのミカンでも見かけるけれど、あの食樹も実生ではあるまい。ミカンはアスファルトの隙間では育たない。ツマグロヒョウモンたちの対抗馬をあげるならば、筆頭はヤマトシジミとカタバミであろうか。


2008.9.04(木)雨 馬鹿の定義

週刊少年ジャンプに馬鹿の定義が発表されたこの機会に、その定義の批判をしてみようと思う。同誌によれば、馬鹿とは「必死にノート取って先生に質問して帰っても勉強してるのに下の奴」ということであり、この定義はほぼ一般にも通用するものと思われる。しかしながら、この定義は不確かなものに過ぎない。なぜならば、「必死にノート取って先生に質問して帰っても勉強してて上の奴」もけっこう馬鹿だからだ。同誌に先の定義が立てられたあと、舌の根も乾かぬうちにこのことが言及されており失笑を買う。同じ条件で異なる結果が生じ、その両者が成り立つようではその定義は破棄すべきである。これは形式論理的批判。

また、この定義は前提条件選択にさいして誤謬を犯している。勉強における成績の上下とはテストの点数で決まるものである。一般に授業のノートとテストの点数はほとんど相関関係がない。また、先生に質問することと、テストの成績とは相関関係がない。家で勉強することとテストの成績も相関関係はない。むろんテストの成績を上げるためには、家で勉強しなければならないのだが、その勉強の内容が、学校で学んでいることを復習しているのならば、点数を取ることにはつながらないので、勉強しているというだけでは成績とは無関係といってかまわない。原因と結果が無関係なものを結びつけている命題は無意味である。

本題からそれて、ついでに頭がいいとはどういうことかを確認しておこう。人間としてものを考えるということは「○○とはそもそも何であるか?」ということの答えを見つけることと等しいのだが、

   そもそも苦とは何か
   そもそも罪とは何か
   そもそも自分とは何か
   そもそも力とは何か
   そもそも光とは何か
   そもそも時間とは何か

というような大それた問いにお釈迦様やニュートンやアインシュタインは立派な回答を見いだした。彼らは頭がいい。彼らのノートには学校の授業の内容など書かれていなかったろう。

学校で習う教科単元は、場当たり的で体系性を欠いている。体系化されていない知識は認識を生まない。場当たり的に知の所産をつまみ食いしても真にものを考える力は育たないのである。それゆえ、どうやって山ができたのかとか、風はなぜ吹くのかとか、なぜ異性を愛するのかというような、極めて基本的で簡単な疑問にまともな回答ができる者がいない。我が国では学習しても頭はよくならない。

また、学校の先生は彼が教えている単元のことについて何も知らない素人である。素人に質問したところで、満足できるような答えが返ってくるわけはない。試験の点数につながらず、人間としての知力があがりもしないことに対して努力を惜しまぬ者は馬鹿だと断定できるかもしれない。そいつは確かに馬鹿かもしれないが、それを馬鹿の一言で片付けるようでは、踊る阿呆に見る阿呆、五十歩百歩なのである。


2008.9.05(金)晴れ 必ず最後に馬鹿は勝つ

成績がよければテストも楽しいものだ。満点とか1番とかは誇らしい。そういう喜びを糧に勉強するものもあろう。それは馬鹿でも利口でもない。イルカや犬も褒美につられて芸を覚えるぐらいだから、動物にとっては普通のことなんだろうと思う。

「必死にノート取って先生に質問して帰っても勉強してるのに下の奴」にはその喜びがない。その対極の劣等感にさいなまれるかもしれない。勉強はその中身にぜんぜん面白みがなく、知的な好奇心が満足させられることはない。誰にでもできるように手加減してあり、中途半端なものにすぎないからだ。他人に優越する喜びも学ぶこと自体にも喜びがなければ、せめて勉強の課程でテクニックがあがったり、記憶がうまくいったりしなければ、楽しみもないだろう。ここで定義されている馬鹿には、それらの喜びがいずれも見あたらない。なんで彼らは勉強するのだろうか。

私にはその気持ちが少しだけわかるような気がする。私自身は「必死に半原越に登って、トレーニングの教科書を熟読し、テレビ放送されるプロのレースをかじりつくように観戦し、解説者の栗村さんのアドバイスを聞き逃さないようにして、家の中ですら自転車に乗っているのに下の奴」である。競走はせず、半原越でしかタイムを計らないから、どれほど遅いかは正確にはわからないものの、有名な乗鞍や富士山のレース、ヤビツ峠の勝手TTのタイムと比較するならば、かなり下位に位置していることは間違いない。大学受験の偏差値でいえば近所の神奈川大学に一浪でやっと受かるレベルである。この数年は年齢とともにタイムは悪くなる一方だということに心の隅で気づきながら、自転車に乗る時間は増える一方だ。日夜試行錯誤を重ね、もしかしたらまだ伸びるかもしれない、明日はもっと速くなるかもしれないと、淡い希望を捨てきれないのだ。

ただ、半原越にはカエルや蛇がいて、季節の花が咲き雨が降ってコケが育つ。体が動くということは、それだけで爽快感があり、中年おやじには希なシャープできれいな体をしている。それらの快感優越感は、遅いということを補って余りあるだろう。成績下位のガリ勉にはその手の喜びはなさそうだ。私は学生のころ、ひたすらがんばる劣等生の子が好きだったから、ごくまれにクラスのかっこいい異性から愛されるというサプライズがあるかもしれないが、おそらくは異例だ。奴らはなぜ勉強を続けられるのか。

われわれはここにきて馬鹿の定義なるものをひっくり返して検討する必要に迫られる。「成績が下位なのに、家でも勉強し、先生に質問して必死にノートを取る奴」ってのはいったい何者であろうか。無味乾燥でくだらないことに集中し持続できる人は馬鹿なんだろうか? 内容を理解できず、点を取るコツも身につかないのに勉強し続ける苦痛に耐えられる人が無能者であろうか? 誰もがうらやむ大それたことを成し遂げるのはそんなパーソナリティーを持つ者ではないかと今一度考えたほうがよいと思う。少なくとも私は要領のいい気の利くやつよりも愚直な馬鹿でありたいし、そういう者を友としたい。


2008.9.06(土)晴れ 半原越24分4秒

半原1号で半原越。もはや夏の名残は蒸し暑さだけである。いつもの棚田の周辺にある休耕田は草刈りがはいった。折しもフクラスズメの成長期であり、おびただしい数の毛虫が、食べ物を失って右往左往している。溝のコンクリートを這い、水の落とされた水田に入り、稲を登る。そんな努力の一切が無駄であることを私はわかる。彼らの唯一の食料であるカラムシは50mの彼方にほんの少し刈り残されているだけだ。毛虫たちの死に向かうあがきが暑苦しさを増加させる。

    距離   タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.18km 5'34" 12.7km/h 81
区間2 1.18km 5'46" 12.2km/h 79
区間3 1.17km 5'48" 12.1km/h 78
区間4 1.18km 6'56" 10.3km/h 66
全体  4.74km 24'04" 11.8km/h 75(1820)

今日は26×21Tという軽いギアで6分、6分、6分、6分というタイムを目標にしていた。区間4を6分で走りきるには死ぬほど無理をしなければならないから、区間3までは力をセーブする必要がある。それなのについつい80rpmで行きたくなって飛ばしてしまう。だましていけばタイムはよくなるけれど、このギアで80回まわせないうちは絶対に強くなったことにはならない。

このギアなら立ちこぎの必要はない。ペダルに全体重をかけなくてもよい。しかし、区間4では66rpmまで落ちている。回らないのは斜度がきついのではなく、力がなくなっているのだ。通常なら11km/hで楽々走れそうな斜度でも60rpmぐらいしか回せず10km/hを越えない。下半身だけでなく、腕や肩、背中にいたるまでむずがゆくなるほどの無力感だ。背中が火を吹いているように暑い。


2008.9.07(日)晴れ 半原越24分34秒

雷雨

昨日のコピーのように半原1号で半原越。夏の名残の蒸し暑さのなか、おびただしい数のフクラスズメが右往左往している。今日も6分ペース。最後のコーナーを曲がってからラストスパートをいれてみた。そのときの速度は11km/h台でしかないが、区間4が10秒ぐらい早くなった。ちなみに、それぞれの区間を6分で走るためには、11.8km/hで走る必要があるが、区間4でそのペースは相当きついと感じている。午後5時過ぎてから空が凶悪な感じになり驟雨があった。

    距離   タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.18km 5'48" 12.2km/h 78
区間2 1.18km 6'09" 11.5km/h 74
区間3 1.18km 5'53" 12.0km/h 76
区間4 1.18km 6'44" 10.6km/h 68
全体  4.73km 24'34" 11.5km/h 74(1810)


2008.9.13(土)晴れ 半原越24分28秒

さて、今日も半原1号で半原越。先週に引き続き、26×21Tでそれぞれの区間を6分で走ることにする。今日はかなり涼しくて気持ちよく、もっと回せそうでも自重しながら12km/h ぐらいで走る。1.18kmを6分で走るというコツはつかめてきた。

余裕がなくなったのは20分ごろ、距離にして4kmのあたりからだ。それまでは空回しのようにくるくる走れていたのに、ちょっとした斜度で踏みが入る。それまでは、もっと早く回せるなと感じていたのに、そこからはこれ以上回すと力尽きると感じている。速度は10km/hあたり。

なんとなく、もっと重いギアを回すことも練習しておいたほうがよいだろうと、36×21Tにしてもう一回登った。ケイデンスは40〜60程度になるが、重くて回しきれないというほどではなく、ゆるゆると楽にこなせる感じだ。こっちのやり方では速度を上げると数秒で限界に達する。

    距離   タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.18km 5'55" 12.0km/h 76
区間2 1.18km 6'06" 11.6km/h 74
区間3 1.17km 5'54" 11.9km/h 76
区間4 1.18km 6'33" 11.0km/h 70
全体  4.74km 24'28" 11.6km/h 74(1810)


2008.9.14(日)晴れ 半原越23分53秒

ハナグモ

写真はオオアレチノギクの花に止まっているクモ。おそらくハナグモと呼ばれているものの一種だと思う。じつは、しばらくはこのクモがいることに気づかず、オオアレチノギクを撮っていた。オオアレチノギクは花びらがぜんぜん目立たない。アップにしてはじめて満開の花の形が面白くみえる。そうした写真を見ていくと、このクモが頻繁に写っていることに気がついた。たいていはピンぼけで、妙な形の花があるなあ、というように見逃していたのだ。ところが、ちゃんとクモに焦点をあわせて観察すると、いつもこの写真のように、擬態していますといわんばかりの姿勢をとっている。偶然ではない頻度だ。この姿勢では花を訪れる虫を反転して捕まえる必要があるのだから、なんらかの不自然な力がクモの意識に働かないとこうはならないだろう。

今日の半原越は26×19Tでやってみることにした。21Tだと空回しの時間が多すぎてさぼっている感があるからだ。19Tだとかなり緩いところでも足にかかる感じがある。また、今日は6分を意識しないことにした。普通に登る感じでギア比によってスピードや疲労感がどう変わるかを確かめておきたいのだ。区間4では回すのは無理で、上半身も使って踏むことになる。激坂を登っているときに前輪が浮くということをときおり耳にするけれど、そういうことが起きる力の入れ方だ。今日は心臓に来る感じがなかった。この案配なら、21Tよりも19Tのほうが良さそうであるし、18や17も試したくなる。

    距離   タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.18km 5'30" 12.8km/h 75
区間2 1.18km 5'59" 11.8km/h 69
区間3 1.17km 5'44" 11.7km/h 71
区間4 1.18km 6'40" 10.6km/h 61
全体  4.73km 23'53" 11.8km/h 69(1640)

半原越をするすると下って、1台の自動車とすれちがった直後、路上にのたうちまわる蛇を見つけた。かなり大きなジムグリだ。頭から腹にかけて轢かれており動いているのは尾だけだ。半原越ではこれから冬にかけて、こういういやなものを見ることが増える。秋は虫けらたちも焦燥感にかられる季節で、道路には蛇やらカマキリやらがやたらと出てくる。


2008.9.15(月)くもり ヒナタイノコズチ

ヒナタイノコズチ

ヒナタイノコズチという聞き慣れない名の花だ。今日調べてこういう名前だと知った。草はブタクサのジュニア版という風情でいかにも雑草、庭のじゃまものという感じだ。ただ、この花にもずいぶんと虫が来る。とくにツチバチが好んでやってくるから、蜜も多いのだろうと思っていた。

そこで、自慢のコケ接写用カメラを持ち出して花を撮ってみた。意外や意外、けっこうシャープでかっこいい形をしている。肉眼ではぜんぜん見えなかったけれど、ヒメアリの類もよく来ている。この写真のアリは撮影にも全く動じることがなく盛んに蜜をなめていた。

ところで、庭の動植物の撮影はほぼ毎日行っているのだが、けっこうな苦行である。というのは、庭にはおびただしい数のヤブ蚊が生息しているからだ。風に揺れるヒナタイノコズチの花に向けて、カメラを構え、息をとめて風が止むのを待っていれば、それはもう蚊の餌食である。2分もそうやっていると、10か所ぐらいは食われている。手が空いているときは叩きつぶすけれど、毎回1〜2匹がせいぜいだから、まさしく我が庭はヤブ蚊天国といえよう。

蚊としても、一回人間の血をたらふく飲んでしまえば、あとは産卵に入れるはずだ。私の血を吸ったやつは他の人間は襲うまい。それに、蚊も資源である。スイレン鉢に産卵すれば卵をメダカが食うだろうし、成虫もクモの餌になるだろう。せいぜい血を提供して蚊にも繁栄してもらおう。

昨日発見した5本脚のジョロウグモは今朝には姿を消していた。昨夜はけっこうな雨が降ったので、どこかで雨宿りをしているのかもしれない。ただ、昨日の時点で腹はぺったんこ、ずいぶん長いこと餌にありついていない様子だから、生き残っていかれる可能性は小さいと思う。うまくすると、ジョロウグモのもげた脚も再生するのかどうか確認できるかと期待したのだが。


2008.9.19(金)雨 頭のいいヤツ

勉強のできるヤツには共通した特徴がある。それはしょっちゅう勉強のことを考えているということだ。本当に勉強をする姿をして寸暇を惜しんで勉強しているヤツもいるが、充分眠ったり部活をしたりゲームをしながらも1日に12時間ぐらいは勉強をしているヤツがいる。

勉強で最も効果が上がるのは、頭の中での想起と整理である。数学の試験の点数は9割方条件反射の結果で、パブロフの犬がベルを聞くとよだれを流すのと同じだ。反射を身につけるのは良問を繰り返し100回ぐらい頭の中で解いておくことが常套手段となる。参考書や鉛筆はないほうが効率がよい。あくまで学習の筋道を心中でなぞって叩き込んでいくのだ。勉強のできるヤツはもれなくこれをやっている。ほんの数秒間であっても日々幾度となくトライしている。それができるためには、思い出す契機になるポイントをいくつか保持しておく必要があるし、できないときに悔しい思いをする必要もあろうし、できるまであきらめない持久力も必要だ。

そういう勉強は思いもよらないのか、やろうとしてもできないのか、できないヤツはこれをやっていない。俗に言う丸暗記というのは似て非なるもの。目前のノートを頭に書き写す行為では勉強とはいえない。数学の試験が条件反射とはいえ、自分が覚えている解答をそのまま書き写して得点になることはまずない。しかも悲しいことに、できないヤツはどいつもこいつも勉強していない格好のときは本当に勉強していない。できないヤツは睡眠時間を削り、運動もせず、ゲームを我慢して12時間机に向かったとしても、いわゆる頭のいいヤツに勉強量で及ばない。机に向かっていても勉強以外のことを考えておれば、勉強していることにならないからだ。量で及ばなければ成績でかなうはずもない。そもそも大学受験程度の内容がわからないような者は論外として学校の勉強は量をこなさないヤツにはできないようになっている。

効果のあがる勉強ができるヤツには2タイプある。1つは、その勉強法ができるように生まれついている者だ。物心ついたときから、他人から聞くこと、書物で読むこと、テレビを見ることで、心に障ったことを何度も何度も反芻する癖を有するものだ。彼らはその手の見かけ上不毛な行為にどういうわけか憑かれ快感を感じている。そういう者が学校の試験で点をとることに喜びを感じるならば、実質12時間/日の勉強をこなし、フツーにガリ勉優等生になれる。もう1つのタイプはコーチによってその勉強法をやらされている者だ。学力試験程度なら天賦の才は不要で、プログラムを忠実にこなせば効率的に得点ができる。いずれのタイプであれ、勉強以外にも、人付き合いがよいとか、粋なジョークをとばせるとか、サッカーがうまいとか、美人だとか、取り柄があれば頭がいいヤツとよばれる。


2008.9.21(日)雨 半原越22分35秒

雨はしょうしょうと降り、半原越の頂上は雲の中だった。山腹から煙のように細く昇る霧が蟲師にあった描写のようだと思う。稲をはさにかけてあぜにはヒガンバナが咲きエンマコオロギの声が聞こえている。日本の秋の風景だ。いよいよ半原越が近づくと雨がやんだ。こうなると自慢の500円雨合羽がうっとうしい。雨で体が冷えるか、合羽でむれるかの選択を迫られる。これから登りになるのだからと、半原越の入り口にあるゴミ置き場に合羽を置いて登ることにする。

道路を走っていると、霧のかたまりがふわふわ浮いている。なんだか霧のしっぽをつかまえられそうな気がする。3キロほど走ったところで雨が強くなってきた。今日もギアは26×19Tだ。6分で押さえて走る作戦はとらない。昨夜のベルタでみたライプハイマーに影響されている。下りはずいぶん寒かった。雨の中で楽しく走ることができなくなってきた。

    距離   タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.18km 5'08" 13.8km/h 80
区間2 1.17km 5'31" 12.7km/h 74
区間3 1.17km 5'28" 13.0km/h 75
区間4 1.18km 6'28" 11.0km/h 64
全体  4.73km 22'35" 12.5km/h 73(1640)

ライプハイマーのような達人は登りでも90rpm出している。ダンシングのときも回転数が落ちない。物理学の法則によって、私にはそういう走り方はできないことが証明されている。軽いギアだと90回まわせるけれど、そのギア比だと軽すぎてダンシングがうまくいかない。1回踏み込むごとにすこんすこん落ちて、速度のわりに力を使いすぎてしまう。半原越ではダンシングはひとまずおいて軽いギアを回すことに専念しようと決意しているのだ。


2008.9.22(月)晴れ 半原越24分08秒

午前中、ナカガワをひっぱりだして境川にいった。40kmをだらだら走る。休日の朝は自転車が多い。しかも中高年。夫婦者らしいのがずいぶんいる。アサギマダラを見たようだが自信がない。というのはここのところずいぶんアカボシゴマダラが多いからだ。こちらは時速25kmぐらいで走っており、あっちも飛んでいる。視界にはいるのは2秒程度だ。アカボシゴマダラと自信を持っていえるのは3匹見たのだが。

日差しが強くて気温が低い気持ちのよい日で、午後もはしりたくなった。というわけで半原1号で半原越。いつもの棚田の脇には草刈り跡からカラムシが力強く伸びているのだけど、それを食うフクラスズメはいない。食い跡もない。黄色い田んぼのずっと上空をトンボがまっている。向かいの山はほんのりと黄色みがかってきている。半原越の道路にはずいぶん落ち葉が多かった。

    距離   タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.18km 5'43" 12.4km/h 72
区間2 1.18km 5'57" 11.9km/h 69
区間3 1.19km 5'48" 12.3km/h 70
区間4 1.18km 6'40" 10.6km/h 62
全体  4.75km 24'08" 11.8km/h 73(1640)


2008.9.25(木)晴れ 実生のムクゲ

ムクゲ

今日、実生のムクゲが咲いた。親木のムクゲは夏の初めと終わりに大量の花をつけて実を結ぶ。その種が庭に落ちて芽吹いて育っている。その数はざっと数本だから、それほど発芽率がよいものではなく、日陰だということもあって、芽吹いてもうまく成長ができないのかもしれない。とはいえ、この3、4年で私の身長程度の高さまで成長したものもあり、その最高に育った株が花を開いたのだ。

その花は明らかに親木のものとは異なっている。親は白の八重というべきものだが、こいつは赤が強く、花びらは一重と縮れが合わさったものになっている。近所には一重やピンクのムクゲもたくさん咲いているから、虫がその花粉をもってきたのだろう。より成長がよくいち早く花を開いたのは、他の血が入っているものだったということは、ちょっと注意すべきだ思う。もしかしたらムクゲにも自家不和合の機構が働いているのかもしれない。


2008.9.27(土)晴れ 半原越20分59秒

気象学的には今日から秋なのだそうだ。秋というのは夏と冬とが交互に来る状態で、冬はなめらかにやってくるのではない。秋も世間から認められれば一味ちがうのか、普通に走っていてもずいぶん風が冷たい。半原1号はじゅうぶんな手入れもせずに雨の中を乗りまくっているだけに、方々からいやな音がする。チェーンもBBもタイヤも替え時をとっくに過ぎている。左のペダルが踏み込むたびにきゅっきゅと鳴る。その原因がわからなくて対処のしようもないが、鶯張りということでこのまま気にしないで乗ることにしている。重大な故障の原因になるきしみとも思えず、抵抗になっている感じもないから。

今日の半原越は、ひさしぶりに2倍のギアを使ってみることにした。昨夜、田園都市線の車内で「ヒルクライムバイブル」を読んでいた奇遇な方がいらっしゃって、ちらっと盗み見した部分がちょうど「シッティングとダンシングをうまく使い分けましょう」の章だったからだ。

ダンシングを長時間やるためには、軽いギアでも重いギアでもうまくいかない。坂の斜度に応じたギアの選択が必要になる。半原越ではダンシングに適するギア倍数は、2倍から1.4倍ぐらいの間にあるはずだ。ひとまず2倍を使って、どこが重く感じるのか確かめておくこともよいだろうと思ったのだ。

    距離   タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.18km 4'17" 16.5km/h 65
区間2 1.18km 5'05" 13.9km/h 55
区間3 1.18km 5'03" 14.0km/h 55
区間4 1.18km 6'34" 10.8km/h 43
全体  4.72km 20'59" 13.5km/h 53(1120)

TTをやったわけでもないのに、区間1〜3がやたら速い。ただし、これは普通にロードレーサーを乗りこなせるようになった初心者のタイムだ。昔のロードレーサーは一番軽いギアが2倍だったから、そういう自転車でがんばればこの程度のタイムがでる。恥も外聞もかなぐり捨てて時計だけを気にするのなら、こういうギア比で死ぬ気でとばせばよい。区間4では死んでいても守備的ダンシングで6'30"ぐらいはなんとかなるから、4'00"、4'45"、4'45"、6'30"というラップを刻めば20分だ。ただし、そんなことばかりやっていると自転車が嫌いになるだろう。


2008.9.28(日)くもり ジョロウグモ

ジョロウグモ

毎朝庭のジョロウグモを見るのが日課になっている。ジョロウグモは同じところに巣をはってあまり移動しないから発見しやすく観察が容易だ。小型のカメムシ、ツマグロオオヨコバイと並んで庭で必ず見つかる虫だ。そんなジョロウグモの一つが妙な獲物をつかまえていた。灰色の枯葉のようなものだ。食らいついているようなので、なんだろと近づいてみれば、それはヤモリだった。捕まえてからずいぶんたっているらしく、もうすでに干からびたようになっている。クモにとってみれば思わぬごちそうであろうが、どんな偶然が重なればヤモリがクモの巣にかかるのだろう。世の中には奇妙なこともあるものだ。

また、このジョロウグモは左の第3脚がとれている。昨日まではそろっていたはずだ。これで、脚のもげたジョロウグモは2匹になった。クモにとって脚がもげることはよくあることなのだろうか。ジョロウグモの脚が復活するかどうか確認するチャンスの到来だ。ただし、こいつは先日脱皮したばかりで、終齢になっていればかなわぬ夢だが。

なにやら寒くて冬のような重苦しい天気だったが、午後からは境川に出かけることにした。気楽に90rpmで50kmばかり走った。風は弱く北寄りで、追い風で時速30km、向かい風で時速25km。

帰り道、サイクリングコースの路上に海の幸がぽつんぽつんと300mおきに落ちているのが気になった。カニが5匹と小魚が1匹。カニは一見したときモクズガニの小型のものかと思ったが、赤くて毛のない海のカニだった。魚はキスのようなやつで、どちらも食いでのなさそうな代物だ。まだ湿っており落ちてから時間もたっていない。いったい何者がいかなる理由でこういうことをやったものか、仮説を立てることすら不可能だった。世の中には奇妙なこともあるものだ


2008.10.1(水)くもり ジョロウグモの脚もどる?

ジョロウグモ

何の変哲もない今朝のジョロウグモであるが、何の変哲もないだけに異常事態なのである。というのは聡明な読者諸君はすでにお気づきのように、こいつは右の第4脚がもげてしまっていたはずの個体なのだ(28日に紹介しているのは別個体)。23日に撮った写真でそのことを確認し、毎日観察を続けてきた。26日の写真でもやはり脚がもげている。

じつは、昨日このクモはいなかった。雨が降っていたので雨宿りでもしているだろう、最悪の場合は今生の別れかもしれないと、空の巣の写真も撮っておいた。写っている小さなクモは、そいつのだんなさん候補である。後ろにピンぼけで写っているツマグロオオヨコバイの亡骸が位置関係を示す有効な証拠になっている。

この事態のもっともうれしい解釈は、昨日の朝、私が空き巣をみたときにはこのクモは脱皮のため、草陰に潜んでいた。それが今朝には元気に定位置に戻った。しかも、脱皮によってもげた脚が回復したというものである。うれしくない解釈は、これはぜんぜん別個体で、たまたま近くに巣を構えているものを私が気にしている脚のもげたクモだと勘違いしているという可能性だ。ただし、今朝の巣はかなりボロになっているから24時間以内に作られたものではないと思う。また、ジョロウグモに巣の乗っ取りがあるとは思えないし、2匹のメスが糸が絡まるほど接近して巣を構えるということもないと思うのだが、さてこの真相はいかなるものなのだろう?


2008.10.4(土)晴れ 活気ある庭

ショウリョウバッタ

午後、境川にでかけて40kmばかり走ってきた。今日は暖かくアブラゼミがずいぶん鳴いていた。わが庭でも、虫が最後の活気を見せている。写真はコムラサキの枝上で戦うオンブバッタのオス。一匹がメスの上に乗っているところにもう一匹がやってきて勝負が始まった。まずは、横恋慕のほうが触角にかみついた。やられた方も負けじと振り返って組み合いがっぷり4つの体勢だ。熱い抱擁に見えないこともないが、お互いがちがち噛みつき合っているのだから、殺伐としたもんだ。かなり力が入っており噛みつきにも容赦がない。こうして写真でみても両者共にずいぶん傷だらけである。あまりの剣幕にメスは早々に退散している。

カマキリも目立つ。昨日は窓の下に腹がぱんぱんになったハラビロカマキリがいた。今朝にはそこに卵嚢があった。家の壁にもムクゲの木にも、そこらじゅうにハラビロカマキリの卵がある。庭が森林化しているからハラビロカマキリの生育に適しているのかもしれない。また、コカマキリがジョロウグモの巣にかかっており、助けようかどうしようかと近づくと自力で脱出した。ごく普通にジャンプしてはねで飛んだのだ。簡単に逃げられるのなら、糸に引っかかって困ったような顔はしなけりゃいいのに。


2008.10.5(日)くもり 半原越23分18秒

どうも調子の狂う一日だった。チェーンが鳴るのでチェーンを換えて、ペダルがきゅうきゅう鳴くのはクリートがすり減ったからだろうとクリートを換えて、準備万端スタートしようとすると前輪の空気が抜けている。チューブを取り出して調べると小さな穴が開いている。仕方なく井上ゴムの丈夫なものに交換して走り出す。いまいちすいすい行かない。後輪にブレーキのシューが当たっているような気がするが、目視するとそうはなっていない。

朝から高積雲が広がりどうも秋らしい天気の崩れ方をしそうだと予想したが、思ったより雨が早い。相武台から丹沢を見れば山頂は黒い雲の中ですでに雨が降っているはずだ。目指す半原越の尾根筋はまだ見えている。荻野川を横切る道路にさしかかり、うつむき加減に車の列が通り過ぎるのをまっているとき、路面にぽつぽつと雨粒の模様がつき始めた。もう雨かと川を見る。水面をたたく雨粒の波紋が青黒い水に広がりきれいだ。可動堰でためられた水が深くよどんでいるのだ。問題は雨が降るかどうかではなくどれほど冷えるかだ。自慢の雨合羽は持ってきていないが、大丈夫そうだ。気温は高い。生き地獄にまではなるまい。

途中でメーターが動いていないことが判明する。キャットアイの無線式の装置であるが、混信を避けるためのID設定を促す点滅が出ている。どうやら送信機の電気が寸断されたらしい。無線式はこういうところが不便だ。なんでキャットアイは、有線式でラップの機能があるものを売らないのだろう。キャットアイ以外の物を買う気は全くないのだが、言いたいことは山ほどある。

それにしても煙い。神奈川の田舎はまさに稲刈り真っ最中で、ほうぼうでいろいろ焼いている。低気圧が近づき重苦しくよどんだ空気に煙がとけて、景色が青かぶりして見える。からっと晴れて煙がどんどん空に昇っていくときはたき火も風情なのだけれど。雨は強くならないまま、半原越のスタートだ。例のごとく、26×19Tで走ることにする。道ばたには成虫になったジョロウグモが目につく。ぺたんこになった蛇の死体も多い。あまりやる気が起きないががんばる。左の膝が痛いのは気にしないようにする。幸い、メーターはつつがなく動き、ラップも記録されている。ちゃんと動けばCC-CD300DWは便利だ。

    距離   タイム 平均時速 ケイデンス
全体  4.72km 23'18" 12.2km/h 70(1640)

記録は23分ちょっとだから膝が痛いにしては上出来だ。帰路、下り坂でクランクをくるくる回すと、1回転ごとにかくんかくんとショックがある。いよいよBBも限界か。まだ8割ぐらいは引っかからずにいけるのだが。さらにまた、メーターが動いていない。たぶん、送信側の電池にガタがあるのだろうと、道ばたに半原1号をとめて、500円玉でケースのふたを開けて電池をいじってみる。こういう程度のことで回復するのはよくあることだ。しかしながら、ぜんぜん無反応で、うんともすんともいわない。そのかわり、ブレーキのシューが後輪にこすっていることがわかってうんざりする。メーターも人間も焼きが回ってきたなと、あきらめて走り出す。5分ほどして、ID設定を促す点滅が出はじめた。警告にまかせてIDを再設定するとうまく動き始めた。もうちょっとだましだまし使えそうだ。ただ、そのときはIDを再設定すると、ラップのデータが飛んでしまうことに気づいていなかった。23分18秒はあやふやな記憶の数値だ。ラップはメーターを信用して走行時には確認していなかった。膝はますます痛くなり、普通に走っていても痛みが走るようになっていた。濡れ鼠にならなかったのが本日唯一の幸いか。


2008.10.6(月)晴れ 穴吹駅のクモ

プラットホーム

徳島線の穴吹駅のプラットホームはちょうど川の中州のように線路に挟まれている。単線の上下線がすれ違える構造らしい。空港からバスに乗って徳島駅に着いたとき、あいにく池田まで行く汽車がなかった。時刻表を見れば、一番近い時間の徳島線の汽車は穴吹が終点で、池田行きのものには30分の待ちがある。徳島で待つか、穴吹で待つか、迷うことなく穴吹で待つことにした。徳島ではよい時間つぶしができない。日のあるうちに穴吹まで行けば吉野川でも見物できるかと思ったのだ。もくろみはうまく当たった。穴吹駅は幹線道路をはさんで直下を吉野川が流れている。30分の待ち時間に改札を出て吉野川を見物してきた。日は四国山地に沈み残照があわく川面に映り、何の用途か手こぎの船が浮かんでいる。予想通り、いくぶんやんちゃなところが残っている青年というイメージの大河だった。

川を見て駅にもどり、プラットホームに登ろうと線路を渡っているときマツムシを聞く。思い返せば、マツムシを最後に聞いたのは30年以上前だ。ビービービーとやかましいのはアオマツムシだ。いつ四国の田舎にまで到達したものか、穴吹駅でもアオマツムシがうるさい。その騒音にまじってチンッチ、ロリンというのどにひっかかるようなマツムシの声がはっきりと聞こえる。線路の向かいはいくつかの集落がある斜面で、その草むらからだ。すくなくとも2匹が鳴いている。30分早くこの駅に着いてよかったとあらためて思った。

プラットホームには電柱が立てられ、照明のための蛍光灯が2つ取り付けられている。明かりに引かれて何か虫が来ていないかと見上げると、すぐに小さなクモが見つかった。目につくものだけでも4、5頭はいる。小型のオニグモらしい。ちょうど巣作りの時間で、いづれもせわしなく動き回っている。そのなかの1匹が観察最適な場所にいた。角度を加減すれば、青黒い空を背景にして蛍光灯に照らされた糸がはっきりと見える。池田行きの普通列車が来るにはまだ10分ほどあるから、それまで巣作りを見物することにした。

巣は、工事人が電柱に登り下りするための鉄製の足場を利用して張られている。長いほうの三角定規を電柱の足場にぶら下げるような格好の巣だ。三角形の外枠はすでにできあがって、巣の中心と外枠をつなぐ縦糸を張っている最中だった。クモはすでに張ってある縦糸を足がかりに中心と外枠を行き来している。後足を引きずる不自然な歩き方は、後足の先で糸をたぐっているからだ。腹から糸を出すだけでは、足場にも使っている縦糸にからまってしまい、新たなものが引けないだろう。けっこう繊細で計算が必要な作業に思われるけれど、クモの動きにはみじんのためらいも感じられない。外に向かうときも、中に向かうときも糸は繰り出されており、するすると3往復もすれば縦糸張りが終わった。縦糸は全部で10本ほどある。

引き続きクモは縦糸をつたわって巣の中心から渦を巻くように歩きはじめた。横糸張り用の足場の作成だ。渦巻きは4回転ほどで完了する大まかなものだ。続いて獲物を引っかけるための細密な横糸張りに取りかかるはずだ。たしか中心から外に向かって張り始めるはず、と予想しておれば、動きがおかしい。

クモが向かったのは巣の中心ではなく、一番下に突き出た部分だ。クモは縦糸間を往復しつつ巣の外側から順次中に向かって横糸を張っている。横糸の間隔は狭いから獲物を引っかけるためのものに違いない。横糸で埋められているのは、三角形の下の頂点から伸びる縦糸とその左右の計3本の縦糸で作られる隙間だ。相変わらず後足を巧みにあやつり、その動作には迷いがない。クモに焦りが見えるのは製造中の巣に虫が触れたときだ。巣作りの最中にも、蛍光灯にひかれてずいぶん虫が飛んでくる。特に吉野川で発生したと思われるカワゲラの類が多い。そうした虫が糸にかかるとクモの心中は穏やかではないようでいらいらした様子が見られる。早く巣を完成させて獲物をゲットしたいと焦っているようでもあり、作成中の巣を壊されることを嫌っているようにも見える。7、8往復でクモの隙間埋めは終わった。

ここにきてようやくその作業の合理性が理解できた。巣の三角形は縦長だから、中心から同心円の渦を巻くように横糸を張っていけば、最後の方では角のとがった部分が残ることになる。そこを空間のままにしておくか、埋め合わせるか、いづれかを選ばなければならない。埋め合わせる場合は、横糸の足場作りのときは中心から外に向かうのだから、やがて必要となる作業であれば、あらかじめ片付けておくほうが理にかなっている。このクモの場合、電柱の足場を利用した狭い巣だ。横糸の渦の大きさには好適サイズというものがあって、枠が小さい場合には角っこも利用するという設計図が引かれているのかもしれない。なかなかどうして賢いもんだと感心していると時間切れだ。観察を始めてちょうど10分。下りの池田行き2両編成の普通列車が来た。通学の高校生でにぎわう明るい車内に向かいながら、穴吹駅で待ってよかったともう一度思った。


2008.10.12(日)くもり 外来種

よい自然というものは確かにあるが、絶対的によい自然というものはなく、社会的によい自然というものもまだない。つまりひとりひとりの心の中によい自然があり、それはその個人が物心ついたときに彼の周囲に存在した自然であり、その時点で彼の想像の中にあった自然をいう。自然環境の悪化や保護を論じるときに、少なくともこの点だけは押さえておく必要がある。

外来種の定着は絶対的に自然環境の悪化と結論してよい。というのは、ある人がある種を外来と認めるからには、その人が物心ついたときにはその種は、その人の自然観の中に入っていなかったことを意味するからである。つまり、どの個人にとっても外来種の定着は自然環境の悪化となる。

こんなことを考えたのは、アサギマダラだかアカボシゴマダラだかわからない蝶をまた境川で見たからだ。自転車に乗って時速30kmで走っていると、左の視界の隅をアサギマダラと思われる蝶が横切った。アサギマダラは昆虫少年だったころに最も好きだった蝶だから格別の思い入れがある。白黒まだらと後翅の赤はアサギマダラの特徴で数年前には似た蝶はいなかった。ところが、今年あたりから私の周辺にアカボシゴマダラの夏型が飛ぶようになった。飛んでいるところを1秒程度見ただけでは、その両者を確信もって見分けることができないのだ。

アカボシゴマダラはどこかの誰かがいたずらで持ち込んだとも言われている。また、このまま定着すると他種に悪影響があると心配する人もいる。具体的にはゴマダラチョウが餌などの環境がかぶっているのでニッチの圧迫を受けるのではないかということだ。それは杞憂であるにしても、私にとっては迷惑しごくなことである。


2008.10.13(月)晴れ 半原越22分33秒

半原2号で半原越。前は48・34T、後ろは12〜27Tというコンパクトで軽いギアを用意した。ひとまず軽いギアで乗ってみないと新しいフレームの調子はつかめないと思ったからだ。コース全域を34×27Tで走る。半原1号なら26×21Tに相当する軽いギアだ。

    距離   タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.18km 5'10" 13.7km/h 86
区間2 1.18km 5'30" 12.9km/h 81
区間3 1.18km 5'24" 13.1km/h 83
区間4 1.18km 6'29" 10.9km/h 69
全体  4.72km 22'33" 13.5km/h 79(1785)

半原2号はカーボンモノコックのフレームだ。車体の重量を計測すると8.4kgあったからそれほど軽いものではない。乗った感じは独特のものがある。といっても未知の感覚ではないな、はてどの自転車に似てるんだろう? とよくよく思いめぐらせてみると、鉄のチネリだった。ペダルをぐんと踏み込んで、後ろに引いて引き上げる間、力がべたーっとかかっている感じがある。ペダルからクランク、クランクからチェーン、チェーンからホイール、ホイールから路面と力がどこかに逃げる感じがない。ひとこぎして即座に「半原2号」とよぶことにした。

22分33秒は平凡なタイムだけど、79rpmでこの記録はなかったように思う。ダンシングの感じも悪くないので、膝の痛みが消えたらチャレンジしてみよう。踏み倒したときにどうなるか楽しみだ。

今日の半原越ではアサギマダラをみた。目撃時間は0.5秒程度だったが、上空1mあたりで真下から見たから間違いはない。


2008.10.15(水)くもり アカマンマのクモ

赤まんまのクモ

またまたクモが困ったものを見せてくれた。写真は今朝撮ったもので、花はアカマンマ、その花穂の最下にクモがしがみついていた。これも8月4日のキクや9月14日のオオアレチノギクにいたのと同様にハナグモの一種と思われる。アカマンマは地味な花だが、これでけっこう虫が寄る。それで毎朝注意しているからこそ、このクモにも気がついた。この姿勢で写真の位置にとまっていればクモはアカマンマのつぼみの1つに見える。アカマンマにこの種のクモがいることは初見だが、これまでの観察からこの姿勢は偶然とは思えない。

この事象の意味するところは人間の言葉で言えば簡単だ。「アカマンマには獲物がけっこう寄ってくるし、私のこの体であれば、こうして逆さまにしがみついておれば、獲物もまさかクモが潜んでいようとは思うまい。動かなければカナヘビも素通りだ。まさに一石3鳥、4鳥。」ということになる。それは結果から見れば間違いではないだろう。だからこそ私は困るのだ。

このクモは絶対にそういう意識はないのだ。このはかない生き物がどうしてアカマンマにけっこう虫が来ることを知ることができるのだろう? こいつは自分の体の形、色模様が見えているのか? アカマンマのつぼみと比較して合同であると判断できるのか? トカゲや鳥の天敵を意識できるのか? できたとして、奴等が視覚的な攻撃者だと判断できるのか? そうした一切合切のことが無理に思える。無意識な行動の結果が極めて合理的な生き様を見せているところにただごとならぬ気配を感じるのだ。


2008.10.16(木)晴れ ジョロウグモの稼ぎ

ジョロウグモは稼ぎによってずいぶん成長に差があるようだ。私の庭にはざっと10匹のジョロウグモ♀がいて、そのサイズはざっと10倍の差がある。もっとも成長がよいのはムクゲとザクロの間の巣のものだ。先日、ヤモリを捕まえたり、脚が1本もげていたりと、この日記にもずいぶん登場している。思えば去年も同じ場所のジョロウグモ♀の成長が最もよかった。オオカマキリと見合いをしていたあいつである。

その気になって思いをめぐらせると、ジョロウグモ♀は毎年同じような場所に巣を作り、同じような成長を見せるような気がしてきた。私の庭では去年と等しくオリーブとイチョウの間の巣のやつはやっぱり中型で、犬小屋わきのものは小型だ。最も小さいものはオスと同じ程度しかなく別種かと思うほどだ。庭外でも、去年1月まで巣があったところには今年も巣がある。どうやらジョロウグモ♀はたまたま巣が張れる条件のところに巣を構え、あとは運任せでがんばってしまうのではないだろうか。

私の庭のジョロウグモ♀は全部がおそらく1つの卵塊から散っていったものだ。気流の関係などからどこにでも巣を張れるというわけではない。同様に草木の配置や気流によって餌になる虫の通り道もあり、そのコースにうまく巣が合致しているものは稼ぎもよく成長も早いのだ。ジョロウグモ♀の世界は不公平で、富めるものはますます富み、困窮するものは成り上がりの見込みもなく脱落していくものと思われる。というのは、よく食べるものはより大きい巣を作ることができるからだ。近所で見かける最大のものは、外枠の三角形が1辺3メートルに達する巨大なものもある。それだけのポテンシャルはどのジョロウグモ♀も持っているのだろう。ジョロウグモは一度張った巣は修復拡張しながらずいぶん長く使うようであるから、罠が大きく複雑になるにつれて懸かる獲物も増えていく道理だ。


2008.10.17(金)晴れ オニグモが集まるのは

私のかわいいジョロウグモたちは、正法眼蔵随聞記にある禅僧のように、稼ぎの多寡などはなから問題にせずに巣の中心で只管打坐をしているように見える。虫がかかればそれはよし、かからずともそれもよし、ひたすら座禅をすることがクモの道である、とでも言いたげだ。一方、穴吹駅のオニグモのように毎日巣を張るタイプのものは、巣を張る場所についてジョロウグモとは別の見解があるにちがいない。少なくとも一晩ぼうずだった所にまた巣を張るということは考えづらいものがある。

穴吹駅の蛍光灯の電柱にはクモが集まって競うように巣を張っていた。明かりのない場所に巣を作ろうしているクモはいない(見えないだけかもしれないが)。少なくとも、蛍光灯の下の密集度の高さには解釈が必要だ。解釈その1は、虫がぶんぶん飛び回っているのを見て、よしとばかりにクモが集結してきたというもの。これはちょっと受け入れがたいものがある。そんなに眼がいいか? というのが第一の理由で、他にもいろいろ理由があってこの見解はとらない。その2は、もともとクモはランダム均一に巣を構えていたのだけど、稼ぎの悪いやつから脱落していって、蛍光灯の下のヤツだけが生き残っているというもの。これもあの賢そうなクモにしてはあまりに間抜けで受け入れがたいものがあるから、結局は1と2の中間をとって無難な解釈に落ち着くことになる。

最初に網を張る場所は適当だ。そこで充分な獲物がゲットできた場合は、巣のそばに陣取って翌日も同じところで巣を張る。いまいち稼ぎが悪い場合は、ちょっと移動して新たな場所でやってみる。というように試行錯誤の上で費用対効果を勘案しているのではないかと思うのだ。そうすれば、穴吹駅の蛍光灯の下のように吉野川の水生昆虫やら線路脇のガやらが網を張る行為を邪魔するほどに飛んでくる場所には結果的にクモが増えることになる。


2008.10.18(土)晴れ アカマンマのクモの心得は

赤まんまのクモ2

写真は今朝撮影したものだ。15日にも同じような写真を掲載したけれど、そのときと同じアカマンマの同じ位置に同じ種類のクモがいる。じつは金曜の朝(観察不能だった)をのぞいて、毎朝同じ所にクモがいることを確認している。こうなると同じ個体がこのアカマンマにこだわっていると考えるのが自然だ。もしそうであれば、このハナグモもまた独特の人生観をもっていると想像したくなる。

ジョロウグモ♀は多少獲物が少ないからといって焦って場所を変えることはしないようだ。それは、体が小さいままのやつが同じ場所に居座っていることから推理した。ジョロウグモ♀の一度張った巣を使い続けるという方法も理にかなっている。逆に言えば、現在の虫で理にかなっていない行動をとるものは一種類もいない。虫の心理を考える上では、どれほどばかばかしく見えようとも、それこそが合理的なのだと受け入れるところから始めなければならない。ジョロウグモ♀の場合、虫が行き交う空中に罠を張っているのだから、獲物がかかるかからないは運が大きく左右するだろう。うまく虫の通り道に当たっているかもしれないし、当たっていないかもしれない。また、巣に近づく虫の動きを見ていると、ホウジャクなんかは完全にジョロウグモ♀の張った糸を認識して避けているから、虫だってそうそうかかるものではないはずだ。私が歩いたのに驚いてツマグロオオヨコバイが飛び上がって巣にかかることはよくある。そういうハプニングが必要なのかもしれない。

ジョロウグモ♀のひたすら運を信じる方法も成功への一つであるし、だめなら毎日巣を張り替えてより可能性の高い所に行き当たることを期待するのも成功への一つの方法だ。

では、このハナグモの場合はどうなのか。巣を張るタイプではないから場所を変わるコストはオニグモと同じようなものである。場所の候補は、けっして少なくはないように思う。アカマンマの花穂の一番下と限定した場合でも、アカマンマの花はたくさん咲いているから場所はよりどりみどりだ。また同種のクモらしいヤツが他の花で待機しているのもよく見るから、アカマンマでなければ絶対だめだということでもない。

それで、このクモが現在絶好調で、餌食べ放題でここに満足しているというのなら問題はない。しかしながら私が見る限りでは、あまり商売は繁盛していないようである。アカマンマにいつもいるのは小型のカメムシぐらいだ。私の目に見えないダニとかアリはともかく、駅の蛍光灯の下のように虫がぶんぶん飛び回っているという状況ではない。いずれにしても、他のアカマンマでも餌を獲得する確率は変わらないのだから、かなり頻繁に移動する方法をとっても良さそうに思えるのに、現状の観察ではなるべく移動しないことに決めているようなのだ。


2008.10.19(日)晴れ ハナグモの擬態

庭のジョロウグモたちは彼らなりにがんばっている。5本脚になりながらもちゃんと獲物をゲットして腹がぱんぱんに膨れたものがいる。いつの間にかまた1本脚がとれて6本脚になったものもいる。昨日から今日にかけて、大胆不敵にも玄関のドアの真ん前に巣を構えたジョロウグモ♀もいる。これはいくらなんでもそのうち退去命令が下されるだろう。アカマンマのクモは相変わらず同じ所にいる。撮影のためにカメラを近づけると、迷惑そうに3ミリだけ後ずさりする。

ハナグモにとっては移動をしない戦略が好適であるが、逆に移動をすることが好適なクモもいる。ハナグモと似た形態で、巣を作らず、しかも頻繁に動き回るタイプにハエトリグモがいる。これもまた違った人生観を持っているに相違ない。

ハエトリグモとハナグモは小型で巣を作らないという共通点があるものの、その体はずいぶん違っている。ハナグモの特徴はなんといっても花やつぼみに似ているということだ。その擬態の進化は待ち伏せ型の戦略をとっていることから生じた。擬態は捕食者の選択淘汰によって発達する。ハエトリグモのように動き回る虫にはめざましい擬態は発達しない。ある場所に固執するからこそ、そこに似てくる。似れば似るほど鳥、トカゲの目を逃れ、チョウやアブの目をくらますことができるようになる。

執着するためには2つの条件が必要になる。1つは、その場所が特別のものであることを認識できること。人間ならば、オオアレチノギクもヒメジョオンもサルビアもアカマンマもその花は、植物体の先端についたり、色形に特徴があったり、ある時期にだけ咲いたりするという特徴から「花」だとわかり花には虫が寄るということも予測できる。ハナグモも自分が待機する場所は人間がいう「花」にあたる所だと認識しているけれども、花を花として他のものから分ける要素はわれわれのものとは全然違っているはずだ。正確なところは実験するなりして、クモに聞いてみるほかはないけれど、花の明度、色、つや、丸まった形状、サイズなどから判断するのだろう。

2つめの条件は、その場所にしがみつくこと自体が人生の目的になっていること。気にめした場所が確保できれば、花が枯れたりして状況が変わるまではそこに居続けること。人生の目的は虫を捕まえることではなく、花に居続けること。虫媒花には虫が来るという法則はまったく知る必要がない。虫が来ればはっと気づいて虫を捕まえればよい。「ここはどこ?」「私はだれ?」なんて自問は無用だ。そうでなければ、擬態できるほどの体を手に入れることはできない。


2008.10.19(日)晴れ その2)半原越21分10秒

先週は風邪が原因と思われる下痢が続いていたが土曜に治まった。膝の痛みもない。という次第でいそいそと半原2号で半原越。予定通り、踏み倒してみることにした。ギアは39×21。ザンクノニーイチといえば、強い選手が半原越ぐらいの坂で使うギアだ。彼らはそれを80回以上回し、時速20キロ以上で駆け上がっていく。私はそんなことができるわけがないが、半原2号でその重いギアを使ったらどうなるかまずは試しておきたいのだ。

    距離   タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.18km 4'28" 15.9km/h 68
区間2 1.18km 5'03" 14.0km/h 60
区間3 1.18km 5'06" 13.9km/h 59
区間4 1.18km 6'33" 10.8km/h 46
全体  4.72km 21'10" 13.5km/h 57(1210)

区間1は無理しているつもりもないのに4'28"だから途方もなく速い。ただし、すでに区間1で心拍は180bpmにまで上がり、丸太小屋の坂では190bpmに達した。うまく脚が回るのでついつい行ってしまうのだけど、体は正直に反応している。それでも、これまでの経験から死ぬことはないだろうと行ける所まで行ってみる。区間4では心拍はずっと190bpm付近だ。193を越えないのはそれが私の最大心拍だからだろうか。まだ目の前が真っ暗にもならず、太ももに激痛も来ていないので限界には達していない。今日は限界ぎりぎりまで行く日ではない。こういうつまらない走り方はひとまずやめて、次回からは素直に39×27を使おう。

帰り道、登っているときには気づかなかったジョロウグモの面白い巣を見つけた。道路を横断する巨大な巣だが、単に大きいだけではない。半原越では道路をまたぐ巣はけっこうたくさんある。道路は5mほどの幅があって左右に樹木が生え、その枝を使って巣を張っている。高いところに位置するために、自転車や自動車に壊されず、獲物を待つことができる。

今日見つけたのは、なんと一つの巣を2頭のジョロウグモ♀が共有するものだった。とはいえ、獲物をゲットするための円網に2匹が仲良く並んでいるわけではない。両者は2m近く離れており、お互いの存在に気づいていないかもしれない。こうなったのは1頭が道路を横断する長さ5mの巣を張り、その後もう1頭が断りもなくすでに張られている外枠の糸をちゃっかり借用して巣をかけた結果だと思う。普通サイズの小さな巣でそんなことをやれば大げんかになるのだろう。2頭とも体が大きく腹も膨れているから稼ぎはよいようだ。


2008.10.20(月)晴れ 鳥はジョロウグモの敵か?

赤まんまのクモ3

今朝はアカマンマのクモが少しだけ場所を変えていた。写真のように花穂の花のとぎれたところに位置している。いつまでこの花にこだわり続けるのだろう。そして、この擬態の効果はどれほどのものなのだろうか。

巣を張るクモにとっては、たとえ移動を好まない種類とはいえ、擬態はそれほど発達していない。ゴミに隠れたり、だんだらまだらの木漏れ日模様であったり、隠れ帯をもったりと、それなりの工夫はあるようだが、驚くほどのものではない。そもそもジョロウグモがどれほど鳥に襲われるかということが疑問だ。

ジョロウグモは鳥に襲われることは少ないようだ。そのことはそもそもジョロウグモが目立つクモだということが証明しているように思う。ジョロウグモが鳥の標的になるのなら、清川村の道ばたに無数のクモの巣が並ぶわけがない。あれだけ堂々と巣を張ってこれでもかと目立ち、あれだけまるまる太っているのに、鳥にずっと見逃されているというのが不思議だ。なぜか鳥はジョロウグモを襲わない。たとえジョロウグモが鳥にとって有毒のまずい虫であったとしても、鳥は1回は食べてみないとそのまずさを認知できないはずだ。その試食ですら行われていないと思う。

また、鳥がジョロウグモを襲わないなら、ジョロウグモの脚がもげる原因が不明である。脚のとれたものは決して少なくはない。当初はその原因を鳥のせいにしていた。ジョロウグモが襲われたときにとる行動は「速やかに落ちて動かない」というものだ。草むらに落ちて脚を縮めているジョロウグモは意外に目立たないものである。私はそういう様子を見て、漠然と、鳥の攻撃に対する防御として発達した行動だろうと思っていた。しかし、無数のジョロウグモがこの世の秋を謳歌する様を見る限り、彼女等が鳥の標的ではないと考えるのが自然だ。それなら、どうしてクモの脚がもげるのか。ジョロウグモを好んで襲うハチはいるけれど、私の庭にはそんなスター選手はいそうもない。鳥が間違ってジョロウグモにぶつかるようなこともないと思うけど。


2008.10.21(火)晴れ ジョロウグモに新事件

玄関のクモ

玄関前のジョロウグモ(写真左)は腹がぺったんこで体も小さかった。わが庭でも成長のいいものはすでに腹には卵がいっぱい詰まってあとは産卵を待つばかりなのだから、もうこれから追いついて子を残すことは不可能と思った。こういう事態に陥ったのは彼女の不運としか言いようがない。夏に巣をかけたのがたまたま虫の通り道ではない悪い場所でじゅうぶんな栄養がとれなかったためだろう。ジョロウグモの世界では富めるものはますます豊かに、貧しいものはますます窮する。

しかも、秋たけなわの今頃になって流れ着いたのが、よりによって玄関とは。玄関は虫が少ない場所だということを私は知っている。この辺は灯火に虫が寄らない地域なのだ。さすがに哀れになって、昨日、月曜の朝に捕獲して庭のイチョウの木に移しておいた。今朝には、放虫したそばに同じぐらいのジョロウグモ♀(写真右)が巣をはって2、3の虫もゲットできているようだ。もしこれが玄関のクモであれば、少しは腹もふくらんでいるようだから、産卵は無理でも飢え死には避けられるかもしれない。

入れ替わったクモ

今朝はもう1件ややこしいことが見つかった。衣装ケース池の上のムクゲの枝には昨日の朝まで5本脚のジョロウグモ♀(写真左)が陣地を持っていた。脚が少ないとはいえ地の利を得て獲物は多く、この数日は腹もぱんぱんで、悲喜こもごもに観察を続けていた。

今日も、いつものようにその巣を眺めると、慣れ親しんだスタイルのクモの姿がない。そのかわり、痩せた五体満足のジョロウグモ♀(写真右)がいる。どうやら脱皮して脚が生えてきたわけではない。いくらなんでも突然立派な脚が生えるものでもなく、脱皮して小型化するはずもないから。

ところで、私はジョロウグモの脚が再生するかどうかについて、どういう観察事例を発見すれば再生を結論できるか心に決めているものがある。それは、巣に脚の数がそろわない脱皮殻がぶらさがっており、その近くにちょっと成長の悪い脚がついているジョロウグモを発見した場合、というものだ。この巣には脱皮殻は見つかっていない。ジョロウグモはどうやら巣内で脱皮するらしいということを掴んでいるから、その脱皮の証拠とともに見つかれば、再生するという結論が出せる。脱皮の現場に立ち会えれば最高なのだが、それは現状の100倍の観察時間が必要になる。脚のもげた幼虫を大きなかごに入れて飼えばいいのかもしれないが、それは現状の100倍の手間が必要になる。7月にジョロウグモの脚を片っ端から切り取ってしまえばいいのかもしれないが、それは友人にたいしてむごい仕打ちというものだ。

さて、このジョロウグモ♀入れ替わり事件の解決にあたって、ちょっと不愉快な仮説を導入する必要に迫られている。巣の乗っ取りだ。微妙に円網の位置がずれているようだから巣自体ではなく、巣をかける場所の争いによって交代が起きると考えるべきかもしれない。10月1日の日記に見つけたのも再生ではないという感触があった。

しばらく5本脚のジョロウグモ♀(写真左)の巣の1m下に陣取っていたちょっとスリムな♀が行方不明になっていることも仮説を裏付ける状況証拠になる。さらに、その手の場所取り喧嘩を起こしているならば、脚のもげる有力な原因になる。さて、乗っ取りがあるとすればいろいろなことが解決つくのだが、喧嘩の現場に立ち会うには現状の100倍の観察時間が必要になる。とりあえずは5本脚の彼女がどこかで見つかることを期待するのだが、生きてはいてもあの状態で新たに巣を張ることができるかどうかが心配だ。


2008.10.25(土)くもり 空き巣

空き巣

行方不明の5本脚のジョロウグモ♀に再会できないかと、近所を探しているものの発見できる見込みはなさそうだ。しかたなく、彼女のいたあたりをもう一度眺めてみると、空き巣が見つかった。半分以上が引き裂かれたように消失しているけれども、3点支持は切れておらず、かろうじてジョロウグモの巣だということがわかる。その空き巣の場所は、以前5本脚のジョロウグモ♀がいたところだ。彼女の作ったものにまちがいあるまい。

そうであるなら、この壊れ方では、ジョロウグモの巣の乗っ取りの結果というよりも何らかの事故を想定する方が良さそうに見える。いかにも、巣を破壊されつつ鳥の捕食にあった、という状況なのだ。それにしても、主を失った建物がとつぜん精気を失い、みすぼらしく見えてしまうことは人の部屋も虫の巣も変わらないようである。


2008.10.26(日)くもり 半原越22分5秒

重苦しい天気で、半原越の山並みがやけに近く見える。紅葉もけっこう進んでいる。気温も低く蝉も聞こえない。今日は半原2号で半原越。いつもの棚田の道路の壁に奇妙な卵を見つける。単なる垂直のコンクリートの壁に褐色の袋が同じ色の糸で貼り付けてある。最初は巨大なトックリバチの巣かと思った。袋のサイズは巨峰の粒ほどもあるのだ。子どもの頃この形状のものをずいぶん見た記憶がある。家屋にもあり、畑にもあった。これはクモの卵である。しかもこれだけの大きさのものを作るクモは多くはない。さて母親はだれだろう。

半原越はコケが一段ときれいだ。道路の壁に生えているやつが輝いている。路傍のコンクリの隙間に根付いているやつが緑に盛り上がっている。雨上がりということもあるけれど、気温が下がって元気を取り戻した感がある。

    距離  タイム 平均時速  ケイデンス
区間1 1.18km 4'54" 14.4km/h 79
区間2 1.18km 5'13" 13.6km/h 75
区間3 1.18km 5'14" 13.5km/h 74
区間4 1.18km 6'44" 10.5km/h 非計測
全体  4.72km 22'05" 12.8km/h 非計測

前回は重いギアで踏み倒したので、今回は適切設定でやってみることにした。前は39で後ろは21、24、27を使う。全体的に27Tを使えば回せるが、緩いところでは軽すぎる。27Tで回せず立ちこぎする場合は24Tがよいようだ。21Tはタイムアタックをするときに必要だろう。


2008.10.27(月)晴れ一時雨 私が誤っていることの数学的証明

球1

左の図は、球の表面積を求めるために私がフリーハンドで描いたものである。アイデアは、ちょうど独楽に糸を巻くように、球の表面に糸をびっしり巻いていけば、その糸が作る面積が球の面積に等しくなるであろうというものだ。これは、古くからよく知られている円の面積(π・r・r)の求め方を応用したものだ。

球2

そして左の図は、巻き上がった球の糸を、天から地への大円にそって切り開いて伸ばしたもの。糸はそれぞれの場所で球を一周しているから、それぞれの場所で水平に球を切った断面の円の半径をr'とすれば、糸1本の長さは円周に匹敵して2πr'となる。つまり、比較のために描いた半径rの円を図のように水平にカットすると、それぞれの場所で長丸の水平の長さは円のπ倍あるのだから、面積もπ倍となる。円の面積(π・r・r)にπをかけて、(π・π・r・r)が求める球の表面積となる。

この証明が誤っていることはいうまでもない。球の表面積は(4・π・r・r)であるから、私の求めた式では8割ほど小さく算出してしまうことになる。公式を知ってるにもかかわらず、どこが間違っているのか、1週間たってもわからない。つまり、球の表面積の公式すら求められないやつが、虫の心を正しく理解できているとみなすわけにはいかないのだ。


2008.10.28(火)晴れ 庭の虫を撮るカメラ

カメラ

写真は、毎朝庭で虫を撮っているカメラ。ちょっと旧式のニコンの一眼デジカメでD70s というモデルだ。レンズはフィルム時代のタムロンSP90ミリ。軽量安価できれいに写る。マニュアルでも使いやすく、とってもよい中望遠の接写レンズだと思う。ストロボはサンパックのPF30X。絞り込むことが多いので内蔵ストロボでは光量不足の場合がある。軽量コンパクトで安価なのがよい。

このセットは庭虫に対して無敵である。庭は午前中ほとんど日が差さないから全カットストロボを使用する。D70s は500分の1秒までストロボが同調し、タムロンはf32まで絞れるから、被写界深度は自由自在だ。露出はTTL測光で行われるストロボに完全に任せてある。しかも、色温度までオート。手動なのはピントと絞りとシャッタースピード、それにときおりアンダーに露出補正するほかは全部カメラ任せである。それで全くOK。写ったJPEGをフォトショップかニコンのCaptureNX でちょこっと補正をかければきれいな写真ができあがる。最近のカメラの技術はものすごいものがある。

レンズフードに取り付けてある紙はストロボの拡散版。最も寄るときは被写体がフード前10cmになり、拡散板なしではストロボ光がそこまで回らない。また、虫の接写では直接光が当たると影が強く出てきれいな写真にならない。なんらかのデフューザーは必須アイテムだ。しばらくはケンコーの影とりという市販品を使っていたけれど、あれは多用途に設計されておりちょっと大げさだ。私の場合は、タムロン90ミリ1本というか、レンズに組み込みなので、その画角に合わせた試行錯誤の結果このサイズになった。

拡散板は大きければ大きいほどよい。また、被写体に近ければ近いほど効果が大きい。しかし、相手が虫であると嵩張りが致命的な局面もでてくる。ジョロウグモの場合、下手をすると拡散版で巣を壊してしまうおそれだってある。それで、厚手のトレーシングペーパーを用意してあれこれと形を変えこのサイズに落ち着いた。レンズフードに穴をあけて、文房具のクリップをねじ止めして、クリップで塩ビ板を挟み、塩ビ版に両面テープでトレーシングペーパーを貼るという単純なものだ。ランニングコストは1コあたり4円ぐらいだろう。

最近の思いつきは針金。トレーシングペーパーだけでは腰が弱く、ぶらぶらするので応急措置で細い針金を使った。この針金がけっこう功を奏する場面があることに気づいた。2mぐらいの距離にいる虫なんかが相手だと拡散版は単なる光量落としでしかない。そういう場合は拡散版を外すのだけど、この針金のおかげで1つの動作でそれが可能になった。すなわち、紙をクリップから引きはがして、そのままレンズにぶら下げておけるのだ。地面に投げ捨てたのを忘れて踏みつけ作り直すなんてつまらない失敗がなくなった。つぎなる工夫は、クリップに蝶番みたいなものをつけて、紙を使わないときは手前にパタンと倒して「リトラクタブル!」なんてのもクールだなと、そういうアイテムを探している。


2008.11.1(土)晴れ 撮影で半原越

半原1号

風はややあるものの、空気が澄んで暖かい。今日は風景が撮れる日だ。という次第で、ニコンD100をもって半原1号で半原越。半原2号の登場以来半原1号は写真のようにツーリング仕様にしてある。ハンドルを上げてバッグを装着し、ペダルはシュパーブプロ改にして普通の靴で乗れる。これまでもTTをしない冬期はツーリングに使うことが多かった。

時計をまったく見ずに半原越を走るのは久しぶりだ。ジョロウグモだの道だの葉っぱだの、気になったものをどんどん撮りながら走る。スピードを気にせずゆるゆる走れば半原越ほど気持ちのよい道はない。いつの間にか道を外れてしまった自分を反省する日だ。ミンミンゼミの新鮮な轢死体があったのには驚いた。少なくとも今朝までは生きていた模様だ。アサギマダラに遭遇し、あわててシャッターを切るもピンぼけぶれぶれで見られる写真にはならず。

半原越にわざわざ一眼レフを持ち込んだのは、噂の二連ジョロウグモの巣を撮影するためであることはいうまでもない。しかし残念。巣はすでに壊れていた。そういう季節だ。なじみのやつもぽつぽつと空き家になってきている。半原越のジョロウグモ♀は大きいのが目立つ。電線の間とか、高い場所に漫然と巣を張っているようにしか見えないのだが、あれでけっこう虫がかかるらしい。

秋の日はコントラストが強くスナップ写真がおもしろい。夏の間はめったなことでは自転車にカメラを積むことはなくなったのだが、また何か月かは撮影用のサイクリングが増えそうだ。

途中、アメリカ軍の基地を突っ切る道路にシギらしき鳥が死んでいるのを見つけた。血を吐いているからおそらく自動車事故だと思われた。羽はまだ美しく体は原形をとどめている。これ以上轢かれるのもかわいそうだと、拾って草むらに投げた。思いの外羽毛は暖かい。何の気なしに鳥の死体に触ったけれど、渡り鳥であればインフルエンザのおそれもある。鳥の死体に触るのはもうやめよう。


2008.11.3(月)くもり ストロボ写真の工夫

ジョロウグモ

クモの写真にストロボは必須だ。よっぽど日の加減のよいときで情緒的なものをねらう他はストロボを使用したほうがよい。左の写真のように、青空背景でクモが日影に入っている場合でも、ストロボをあてれば糸が写ることもある。巣の補修をしているジョロウグモをねらっているのに糸が写らないのでは話にならない。しかし、ストロボが強すぎるとこの写真のようにクモの体が白飛びしてしまって失敗になる。何も考えずにTTLでストロボを使うとたいがいこうなる。右は対照として撮ったもの。同じ光条件でストロボを使わず、プログラムオートで撮った。いつもものぐさなものだから、光の条件が難しい場合はこのどちらかの写真になっている。いまのカメラは撮影後にモニターでチェックできるのだから、もうちょっと工夫して取り直せばよかった反省している。

スミレ

こちらは今朝開いたスミレの種。「親はなくとも子は育つ」などというけれど、スミレは花がなくとも種は育つ。この写真はうまく撮れていると思う。強烈にストロボをあてているが、それを感じさせず、普通のくもりの朝の種に見える。こういう写真が手軽に撮れるのが現在のセットの利点だ。自慢の影取りもどきを使い、絞り込んで、手ぶれを起こさない限界までシャッタースピードを遅くした。工夫といってもその程度のことだ。


2008.11.4(火)晴れ アメリカザリガニがやってきた

アメリカザリガニ

娘が学祭で釣ったというアメリカザリガニを持ってきた。1週間を経て、環境にもすっかり慣れて、人がちかづくとこうやって餌をねだるような仕草をするところがなんともかわいい。私はこいつが大好きだ。赤い体、堅い体、シャープな体、適度なサイズ、心技体がそろった健全さ。非のうちどころがない。子どもの頃にはあこがれの生き物ですらあった。愛媛県の八幡浜市は、どいなかだから都会の生き物であるアメリカザリガニはいなかった。テナガエビとかモクズガニとか親戚筋のものはいたけどアメリカザリガニはいなかった。こいつはテレビとか子ども向けの書物に登場する夢の生き物だった。いまでもアメリカザリガニは八幡浜にはいないだろう。こいつは淡水系の魚類の放流など、人為的な措置をこうじないと海山を越えることができない。

アメリカザリガニといえば、とある筋ではずいぶんな嫌われものだ。たしかにこいつは生態系を変える。それだけの生命力がある。非常に食欲旺盛で巻き貝なんかもぼりぼり食ってしまう。何万年かのあいだ、外部捕食者の脅威にさらされなかったその手のベントスは大迷惑だろう。ただし、私はアメリカザリガニひいきだから、彼らの生態系攪乱はわりと低いレベルで安定するだろうと思っている。こいつが住むのは人がいじりまくって、むちゃくちゃになっている所である。水田、水路、沼沢なんてところはこの2000年、何かが起きて、なるようになってきた。トキ、コウノトリ、カワウソはアメリカザリガニを食う前にそういう所から姿を消し、いまもカメ、ドジョウやアマガエル以外のカエルが消えつつある。しかしながら、彼らの餌であるミジンコやボウフラやモノアラガイはたくましく生きている。また、アメリカザリガニは草でも肉でも何でも食うから、その辺の水辺では特定の種に圧迫が集中することはないだろう。もしかしたらハッチョウトンボのヤゴのような、片隅の限られたところで細々と余命をつないでいるような虫はやられるかもしれないが、そういう所はごっそり水たまりごと消滅する危険のほうが大きい。

私は正直、アメリカザリガニがいるほうがよいと感じて育ってきた。それが私の自然観であるから、アメリカザリガニを守ろうとは思わないが養護する。かえってこの30年ばかり大流行している鯉の川流しには怖気を感じている。生物の息づかいがない都市や田舎の川で、大きな鯉が腹を川底にこすらんばかりにして群れているの見るたび、なんと無邪気で残酷なしうちかと悲しくなる。ベントスへの捕食圧など、鯉の自然破壊力はアメリカザリガニを凌駕するのではないだろうか。鯉は放流をやめればすぐに死に絶えてしまうだろうから、始末に困ることはない。だから、その筋の人も黙っているのだろうけど。


2008.11.6(木)晴れ カモフラージュ

ジョロウグモ1 ジョロウグモ2

上の写真は今朝庭で撮った2匹のジョロウグモ♀である。偶然ではあるがとてもよい比較写真になった。見所はクモでも糸でもなく、巣にひっかかっているゴミだ。

庭は11月の声をきいてますます寂しく、毎朝の観察でも動くものが見あたらなくなっている。もう頼りになるのはジョロウグモばかりだが、もっとも成長のよいものは早々と姿を消し、逆に成長の劣悪なものはひとつまたひとつと脱落していった。そして、いま残っているのは、この2匹を筆頭にほどほどのサイズのものたちである。彼女らも獲物に困窮しており、希望ある明日を迎えられそうにない。チョウもバッタもとうの昔に姿を消して、ツマグロオオヨコバイやカメムシすらいつの間にかいなくなっている。

さて、左側の写真でまず気づくのは、星はすばるのようなゴミくずである。これらはジョロウグモ♀がゲットした虫の亡骸だ。しかも、クモが主体的に配して残しているものである。ということを引っかかっている場所がいわゆる垂直円網の部分ではないことから推理した。ジョロウグモの巣は単純な円網の平面ではなく、複雑な三次元構造をしている。補強のためかなんなのか、円網からつなぎの糸を伸ばして、少なくとも私の目には、ただランダムに糸を張っているとしか見えない部分がある。ゴミがかけられているのは、そのランダムな場所だ。獲物がかかるのは垂直円網であり、クモはかかった獲物をその場所か待機の定位置である円網の中心部で食べるから、ランダム部分にゴミがかかっているからには、あえてそちら側に運んだと考えなければならない。

このゴミのことはよく知られており、いくつか学術的な解釈も書物等で見聞きしている。定説はカモフラージュというものだ。捕食者への目くらましという意見が大半であるけれど、獲物を導くための用途という線も無視できないと思う。いずれにしても、そういう説明では納得できないから、よい写真が撮れたこの機にジョロウグモのゴミ問題について考えてみたい。


2008.11.7(金)くもりのち晴れ カモフラージュ2

今朝、庭のジョロウグモが申し合わせたように横糸をはっていた。昨夜はけっこう雨が降っており、早朝まで続いていた。横糸張りは雨で痛んだ巣の修復作業と思う。気象台の予報は「雨のちくもり」で、私もそれを疑わなかった。ところが、午後からは快晴になって気温もあがった。久しぶりに庭で虫が飛んでいるのを見た。天気予報ではクモの勝ちか。そういえばクモが巣をはる時間帯で天気を予想する言い伝えがあったような気がする。

さて、ジョロウグモ♀が巣にひっかけているゴミには食うとか繁殖するというような生きることに直結する意味はない。しかしながら、なんらかのカモフラージュに役立っているのは確実だ。そして、彼女はあえてそうしているのだから、何か考えがあってのことだ。どういう気持ちなのだろう。そこんとこがわからないとジョロウグモのゴミの意味は理解できない。単純に以下3つの仮説をあげてみる。

1)カモフラージュのためにゴミをひっつけておこう
2)何かが回りにあると気持ちがよいからゴミをひっつけておこう
3)何かが回りにないと落ち着かないからゴミをひっつけておこう

1)だとは思わないことが大切だ。1)はあくまで人間がジョロウグモを研究して到達する境地だ。クモご本人はゴミの効果を絶対に知らない。意味など知らなくても、2)3)のような理由から同様の行為をし、生存価を高めることができる。ゴミを巣に架けておくことが無意識の行為であっても、それが有利に働くのであればやる値打ちがあり、ひきつがれる。


2008.11.8(土)雨 カモフラージュ3

クモとはいえ、何かやる以上は動機があるだろう。2)と3)はその動機が消極的か積極的かのちがいだ。その違いをあのクモの無表情から見分けることは難しい。そこで、右側の写真の出番だ。左右両者を比較することでジョロウグモの秘められた気分が読み取れる。ちなみに右側のクモは左側のものよりも若干大きい。両者はおそらく同じ卵嚢から生まれた姉妹である。

左側のクモは円網の中心に待機してゴミのすばるを背負うかっこうになっている。多数のジョロウグモ♀を見てきた印象から、このスタイルはもっとも一般的なものだといえる。ゴミのないものは巣が新しいもので、複雑に増改築されているものはこの形でゴミがひっかかっている場合が多い。右のクモの巣にもゴミがたくさんひっかかっている。そのゴミは枯葉だ。ゴミはしとめた獲物の亡骸である場合が多いが、枯葉などが飛んできてひっかかっていることもある。

右側の巣に枯葉が多いのはムクゲの木の下にあるからだ。秋も深まり、ムクゲは小型の葉をぱらぱらと落とし、その葉がクモの巣にひっかかっているのだ。左のクモの巣は常緑樹であるオリーブの下にあり、あまり葉が落ちてこない。右のクモにとって、枯葉ゴミを片付けることは造作もないことだと思う。それでもついているということは、クモがあえて枯葉を残しているのだと考えるべきである。

右側の巣はけっして新しいものではない。左右の巣は同程度の期間利用されているものだ。右側の巣をさらによく見ると、遺骸がかかっていないことがわかる。どうやら右側のジョロウグモ♀は、ゲットした虫の遺骸を次々に廃棄して巣には残さないようにしているらしい。となれば、もっとも単純な解答は、右側のジョロウグモ♀は巣に枯葉がかかっていることで満足し、あえて遺骸を並べておく必要を感じていないということになる。つまり、星はすばるのように亡骸を配置する動機は消極的なものではないかと思われるのだ。

また、クモが自分の気に入る場所に枯葉をもっていって貼り付けるかものかどうか、そういう行動はまだ目撃していない。つまり、遺骸は積極的に利用するけれども枯葉を積極的に利用している例を私は知らない。


2008.11.10(月)くもり アゲハ・キアゲハ

少しはカモフラージュの勉強もしなければと、30年ぐらい前に出版された書物を再び開いてみた。エドムンズ著の「動物の防衛戦略」というものだ。15年ぐらい前に読んだときには見逃していたのだけど、中にアゲハチョウについて眼をむくような記述があった。アフリカオナシアゲハ(Papilio demodocus)というアフリカのチョウは、ミカンまたはセリを食う。その幼虫には2タイプあって、記述によると日本のアゲハのようなものとキアゲハのようなものらしい。キアゲハタイプの幼虫は、おそらく鳥の補食によって、ミカンの上では生き残るのが難しいらしいということだ。

以前から気になっていたことの答えがそこにあるよう思った。それは、「アゲハとキアゲハは似すぎている」ということだ。どう見てもあれは同じ蝶から最近分かれたものに違いないのだが、生息地も重なっているし、幼虫の食い物も人参と蜜柑では隔たりが大きいし、幼虫の姿が全然違う。ミカン系のアゲハは幼虫がけっこう似ているのに、蝶はけっこう違う姿をしている。その辺の事情の整理がつかなかったのだ。

もし、アゲハとキアゲハをたばねる祖先がまさしくアフリカオナシアゲハのようなものであれば簡単に解決がつく。アゲハもキアゲハも体質的にはミカンとセリと両方食えるのだが、ひとたびセリを食った♀蝶はミカンを食って育った♂蝶を、柑橘系の香水がキショイという理由で愛せなくなるとか、遺伝的にキアゲハ型のほうはやっぱりセリが好きで、セリに産卵する傾向が強く、しかもセリの葉が隠蔽的に働くので生き残りやすい、などということがあるのならば、アゲハからキアゲハが分化するのが自然だろうと思われる。


2008.11.15(土)くもり 半原越晩秋

半原越紅葉

天気は悪いが暖かく、雨の心配もなさそうで、ニコンD100をもって半原越へ。レンズはシグマの旧式24mm。風景も虫も撮れる万能レンズだ。半原1号はマニアックな(ただし安価)ツーリング仕様にしてある。

まだまだジョロウグモはたくさんいる。産卵のための最後の一稼ぎを待っているのだろうか? 走り始めてすぐのジョロウグモが多いポイントで、はからずも二連♀の巣を見つける。ジョロウグモの人口密度は粗密のばらつきが激しく、やはり一つの卵塊から生まれた子蜘蛛たちがそれほど遠くへ散らないと見える。二連♀の巣もそれほど珍しい現象ではなさそうだ。モズがしきりに鳴いている。

走っていると暑い。15年使っている自慢の500円ウインドブレーカーをバッグに入れる。今日はやけに自転車が多い。いつもコーラを買うコンビニには高校生の男女の集団までたむろしていた。それもレース指向ではなくツーリングだ。30歳ぐらいの若者はけっこう走っているけれど未成年は珍しい。コーラを飲むのは例の棚田脇だ。すっかり農作業は終わり、水路の周辺もきれいさっぱり掃除されている。コンクリの壁に貼りついていたクモの卵も跡形もなく撤去された。草むらは夏のようにカラムシが繁茂している。もうフクラスズメはおるまいと探してみれば、簡単に数匹見つかった。カラムシは強そうに見えて寒さには弱い。来週に来るという寒波でいっぺんで枯れるかもしれない。

ぽつぽつ雪虫が飛んでいる。半原越の入り口でジョウビタキのオスを見る。冬はそこに来ている。と、そこにぽつんと不吉なものが落ちてきた。日のあるうちは雨にならないという天気予報を素直に信じていた。11月の半原越で雨に降られるとは。気温は高いので生き地獄にはならないけれど、D100を濡らすのはまずいだろう。雨がつよくなった場合、小雨で済む場合、いろいろシミュレーションをしながら走る。途中、エノキの葉がいい感じに色づいているのを撮ったりして休み休み登る。休んで登れば体も楽で、走り足りないまま頂上だ。雨は相変わらずだから、少しでも雨脚から逃げようと、ひさしぶりに愛川側に下ることにした。写真は愛川側で撮ったもの。葉が小雨にぬれて美しい。


2008.11.22(土)晴れ 半原越30分

半原1号

中央林間から半原越へ、私のサイクリングコースは古くからある狭い道をたどって続く。先週の寒波で沿線は一気に冬の風情だ。クズが枯れた。アレチウリが枯れた。イタドリも枯れた。中でもカラムシはあきれるばかりだ。焼けて灰になった紙みたいなくしゃくしゃの葉が茎にひっかかっている。いつもの棚田脇も殺風景この上ない。午後の1時だというのに日は山際に近く、風を遮るものもない。風下にあたる棚田の法面に降りてアイスクリームを食べる。小春ではあるけれど、さすがにこういうものを食べる日ではないなと後悔する。新発売になった白いペプシを飲んでみるもいまいちだった。

半原越は全然風が吹かず、日影でも寒くはない。ゆっくり登っていても汗をかく。どんなに暑い日でも汗がしたたり落ちることはないが、着込んでいる冬はだめだ。額をつたわる汗が目に入って痛い。汗といっしょに何かのアレルギー物質が流れ込んでくるらしい。

今日の半原1号は輪行仕様、ということにしている。峠のふもとまで電車でいって、登って降りてくるのに便利なように組んだものだ。ただし、一度もそういうことをやったことはないし、当面やる計画もない。ギアは最小が26×19Tで、歩道橋でもないかぎり楽々座って登れる。ペダルはロード用のシュパーブプロをマウンテンバイク風にアレンジしてハーフクリップを装着したものだ。引き脚がきかず、田代さやかのふとももが使えない。正確な時間ではないけれど、頂上までは29分半ぐらいかかった。ふだんはよっぽど手を抜いても26分だ。あらためてビンディングペダルの威力を感じる。


2008.11.23(日)晴れ 半原越23分42秒

    距離   タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.18km 5'10" 13.7km/h 70
区間2 1.18km 5'39" 12.5km/h 64
区間3 1.18km 5'39" 12.6km/h 64
区間4 1.18km 7'16" 09.7km/h 50
全体  4.72km 23'42" 11.9km/h 61(1441)

ちょっと重いギアを装着した半原2号で半原越。今日は天気もよくて暖かく、虫も多かった。モンシロチョウ、赤とんぼ、ゴミムシ、アオダイショウらしい幼蛇の轢死体など。今日の半原2号のもっとも軽いギアは39×25T。私の力ではとても回しきれるものではない。特に区間4に対応しきれない。緩いところを回して、きついところをダンシングで、というような技を使いこなせる筋持久力がないと、このギア比では楽しくない。区間4を6分で走りきる方法を考えなければ。

11月も下旬になって、秋の山道の風物詩といっていいカマキリもろとも轢かれたハリガネムシというやつを見なくなった。半原越付近で交通事故にあうカマキリのうち、ハリガネムシの寄生を受けているものの割合は相当な数値になりそうな気がする。ただ、その数字がそのまま半原越カマキリの被寄生率というわけではないだろう。一説によれば、ハリガネムシに寄生されたカマキリは秋になると水を求めてさまようようになるという。それは、沢に戻らなければならないハリガネムシに操作されての行動だということだ。さまよい歩いておれば、道路に出て轢かれる危険も高くなるはずだ。


2008.11.24(月)くもりのち雨 オーバースペック

ハリガネムシがカマキリを操作して水辺に向かわせるとして、それは騎手が馬を操って歩かせる方法とはぜんぜん違うものだろう。そもそも、ハリガネムシ本人に水辺の方角を知る手だてがない。おそらく、カマキリの感情を操作し水への渇望を最大限に高める方法にちがいない。その方がシンプルだ。また、ハリガネムシはカマキリの前は、アブの腹の中にいるのだから、そのときはアブを操作してカマキリに食べられやすいようにしているのだろう。その操作もカマキリ同様に、外敵への警戒心をなくすほどに花への渇望感を最大限に高めれば、カマキリに捕食させる確率を上げることができる。

明らかに雨になる空模様で半原越は断念。境川で2時間だけ走ることにした。半原2号は快調そのものである。昨日39×25Tでは重すぎることがわかったので、コンパクトクランクに変更して、34×27Tを最小のギアにした。海に向かっての行きは追い風で48×17・19Tを使用した。そのギアで90rpmなら30km/hぐらいになる。心拍数は130〜140bpmだ。

帰りは向かい風だ。来るときには気づかなかったが、これがけっこうな風速だ。雨雲が近づいて強くなっているのかもしれない。山に向かうのだからごくごく緩い登りでもある。これはチャンスだ。けっこう力を入れてもスピードがでない。しかも、雨まで落ちてきたから、もっとも効率のよい方法で1時間走ろうと決心した。

選択したギアは48×19T。それを70〜80rpm、23km/hぐらいで走る。そうすると心拍は160bpm台になる。風が強くなったら回転数を落として170bpmを越えないようにする。いわゆる有酸素域ぎりぎりの走り方だ。半原越では1対1以下のスペシャルな軽いギアで止まりそうな速度で走ればこれぐらいの強度になる。「これって、半原越で手抜きをするための練習?」という疑問符が点灯したものの、上手にペダルを踏むトレーニングということに気持ちを切り替えた。

ところで、半原2号は私にはオーバースペックである。高級過ぎる自転車というわけではない。もう先が見えて、それでも速く走りたい中年おやじであれば、30万円で時速300mが買えるなら迷わず札ビラを切るべきだと思う。オーバースペックなのはギア比だ。もう下りで回すことはない。追い風で踏み込むこともない。集団で走ることもない。どう考えても48×17Tよりも大きなギアは必要がないのだ。12・13・14・15Tはただの重りでしかない。そういう無駄なものがあると我慢できない性分である。競走用の自転車は大きなギアを使いこなすことを前提に設計されているから、アウター42Tを標準にするクランクを作らないメーカーにも文句は言えない。半原2号も半原1号のように、前のギアを36×26Tにする方法を自分で考えよう。すんなりと移し換えれればよいのだが、フレームの違いでそれはうまくいかないはずだ。Qファクターをダブルと同程度にしてトリプルの小中ギアだけを使えるようにするのはけっこうやっかいな問題だ。それが可能になった半原1号は奇跡の自転車だ。


2008.11.26(水)晴れ コペルニクス的転回

フード

写真はレンズフードである。毎朝クモたちを撮っているタムロンの90ミリについてきたものだ。フードには錐で穴をあけてちょうねじで文房具のクリップを止めてある。そのクリップにトレーシングペーパーを挟んで簡易ディフューザーにしている。

距離の近い被写体であれば、ディフューザーは有効だけれど、2〜3メートルも離れた対象であれば、効果がなく無駄に光量を落とすだけになる。それで、この1か月ほど、ワンタッチでトレーシングペーパーを倒せるリトラクタブル方式にすべく幾らかの工夫を施してきた。しかし、特段うまくいったものはなかった。

今日は今日で、魚露目8号という簡易魚眼レンズとニコンの旧式リングストロボSB-29を組み合わせることにトライしたものの、いまいちうまくいかなかった。あきらめて風呂に入って、ぼんやりSB-29の処置のことを考えていると、突然、タムロンのリトラクタブル方式のほうにすばらしいアイデアがひらめいた。まさしくアルキメデスのユリーカ!である。

そのアイデアとは、フードの下の方にもクリップを取り付けて、ディフューザーを使わないときには、下向きに付けとけというものだ。これはいわゆる180度のコペルニクス的転回といえよう。いや、なんとすばらしいひらめきであることかと、アルキメデスよろしく風呂を飛び出して、レンズフードを外して、工具箱の中の錐に手を伸ばした、そのとき、いっぺんに熱が冷めてしまった。レンズフードを外すとき、180度回して反対向きにも装着できることに気づいたからである。


2008.11.27(木)雨 雨のジョロウグモ

雨のジョロウグモ

雨もこれだけ冷たいと、ジョロウグモたちのことが気になる。朝、目が覚めると真っ先にジョロウグモのところに駆け下りていった。このひと月あまりは餌もとっておらず、そうとう体は弱っているはずだ。これまでの観察から、彼らは雨宿りをしないようであった。こんな寒い朝でも巣にいるだろうか?

はたして今朝も、ふだんと変わりがないようであった。ほぼ定位置に止まって動かない。雨脚は写真に写るほどではないにしても、巣や巣にかかっている枯葉の水滴は写っている。ちょっと変わったところがあるとすれば、それは彼らの姿勢だろうか。前足をいくぶん下に垂らすように伸ばしているように思う。こうすれば雨滴を速やかに落とすことができそうだ。たしか、ジョロウグモの体は防水機能完備で水ははじくはずだ。雨はこれから本番で明日まで降り続くと、市川寛子ちゃんが言ってた。


2008.11.29(土)晴れ 半原越23分35秒

昨日の朝には、2匹のジョロウグモが雨にもかかわらず巣の修繕を行っていた。そして、今日になるとその巣をはっていた2匹だけになり、残りの2匹は姿を消している。天候から考えても産卵の移動ではなく力尽きたのだろう。ジョロウグモがいなくなるとコケぐらいしか見るべきものがなくなる。冬には冬だけに見られる生物がたくさんいることは知っているけど、そういうやつらはこちらからアクティブに見に行ってはじめて出会えるものだ。いまの私のすることではない。

昼から半原2号で半原越。半原2号は半原越専用の自転車であるから、それらしく前のギアを28T、36Tの2枚にした。清川村まで走らなくてよいのなら28Tだけでも充分である。28Tを使うために、クランクはトリプル仕様にできるSuginoのコスペアにした。BBは四角テーパーのものを5本ぐらい現物合わせして、SuntourのCBU501-68Eに決めた。手持ちでもっともQファクターが小さくできたからだ。これだと、Qファクターは5mmばかりダブル仕様よりも大きくなるが違和感がない範囲に留まっている。

    距離   タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.18km 5'03" 14.0km/h 非計測
区間2 1.18km 5'43" 12.4km/h 非計測
区間3 1.18km 5'53" 12.0km/h 非計測
区間4 1.18km 6'55" 10.2km/h 非計測
全体  4.72km 23'35" 12.0km/h 非計測

前を28T、後ろを12〜27Tにするとありとあらゆる練習ができる。今日は斜度に最適と思われるギアを選んで普通に登った。シマノのSTIはシフトチェンジがおっくうでないというのが唯一の利点だ。とにかくがちゃがちゃと10回以上変速した。この自転車ならケイデンスを75rpmにはりつけて速度だけを変えて登るなんて練習が、体力面からも理論上からも可能である。

思いの外、下りが寒かった。あまりの寒さに途中で嫌になって、引き返してもう1回登った。ただし、登ったらまた降りなければならない。2回目の下りのほうがよけい寒かった。


2008.11.30(日)晴れ 半原越23分52秒

昼から半原2号で半原越。天気がよくて暖かく、北よりの弱い風が吹いている。いつもの棚田脇でコーラを飲みながら、今日はどんな作戦でいこうかと考える。ケイデンスを75rpmにはりつけて速度だけを変えて登る方法はかなり高度で、かえってつらくなるように思う。坂の緩いところは回して、きついところは立ちこぎというのが普通だが、逆に、緩いところを重いギアで立ちこぎして時速20kmぐらいで無理して、10%超のきついところを軽いギアで時速5kmぐらいにして休んでみるのはどうだろう? などといろいろな妄想が浮かぶ。だいたいそういう妄想はやってみたとたんに単なる妄想にすぎないことが明らかになる。

結局すなおに28×21Tにギアを固定して走ることにする。ゆるいところは80rpmぐらいにして、きついところは60rpmぐらい。区間4に入るまではセーブして力を温存しておくことにした。心拍数が180bpmに行かないように気をつけた。

    距離   タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.18km 5'33" 12.8km/h 76
区間2 1.18km 5'54" 12.0km/h 71
区間3 1.18km 5'51" 12.1km/h 72
区間4 1.18km 6'34" 10.8km/h 64
全体  4.72km 23'52" 11.9km/h 71(1686)

半原越の難しさは斜度では測れないものがある。平均斜度は7%弱だから普通の峠だ。しかし、全区間で傾斜が波打っているため、ペースの維持が難しく、多様な走法ができなければならない。また路面が荒れてタイヤがきれいに転がってくれないのもかなりタイムに響いていると思う。区間4をなんとか6分で回し切りたいという野望があるのだが、速度計は最高でも11.8km/hぐらいを表示している。その数字は平均でなければならない。また、今日のギアだと1分間に70回まわす必要がある。それもけっこう難しい。6分半を6分にする持久力と技術を身につけるのは並大抵のことではない。

帰宅して、まだ明かりがあったので、魚露目8号でいろいろなものを撮ってみた。この手のレンズは栗林さんが使い始め、その圧倒的な表現力にたまげた写真家たちがこぞって追従したものだ。その特徴は被写界深度の高さにあるが、魚露目8号はドアスコープのレンズを応用したおもちゃで、深度という点ではいまいちだ。かといって本物は目が飛び出るほど高価で買えるわけがない。


2008.12.3(火)くもり 冬は寂しい

魚露目

12月の声を聞いて、庭はますます寂しい。ジョロウグモを撮った写真を確認して、日々寂しさはつのる一方である。しかしながら、その寂しさこそが私の目を節穴にしている原因かもしれない。

というのは、なにげなく枯れ草や植物の種を撮った写真を見て、虫が写っていることに気づくことが増えているからである。この写真は、ストロボと魚露目8号という特殊なレンズのテストのために撮ったものだ。被写体は枝についたまま枯れているザクロの実だ。で、写真をモニターに映して見るならば、ザクロになにやら虫がぶら下がっているではないか。シャッターを押したときにはこいつに全然気づいていなかった。私にはなじみのない虫で、それゆえ貴重な虫だ。残念ながら、この写真でこの虫を調べて行くことは難しい。ザクロを撮っているときに虫の存在に気づいておれば、虫の写真にできたはずだ。近年、非常に目が悪くなっていることもあるけれど、冬になって、期待感をもって虫を探してはいない。ただただ寂しくなったと、眼に鱗を貼り付けて世界を見ているから起きた失敗だと思う。

私の写真はあくまで記録で、庭にあるときあるものがいたことを留めておければよい。だから「これはつまらない虫だから撮るのをやめよう」などとは思わない。蜘蛛だって、ジョロウグモというスター選手だけではなく、クサグモやギンメッキゴミグモも見つかれば撮っている。草だって同様だ。芽があったり、つぼみがあったり、花があったり、実があったり、とにかく気がつけば、気がついたことが記録になるように撮っている。そうした記録を幅ひとまたぎの狭い庭で7年も8年も続けていると、おのずと歩留まりも見えてくる。それに加えて、冬は寂しいなどと凡庸な感傷に酔っておれば、鱗の上にまた鱗を重ねるようなものだ。


2008.12.4(水)晴れ ハリガネムシがはやまらないために

さて、ハリガネムシは宿主であるカマキリに水辺に向かわせることはできると思う。ハリガネムシは沢の方角を知ることができなくても、カマキリは水とは何かを知っているし、水も飲む。だから、カマキリの水への渇望を高めるだけで、カマキリは沢に向かうだろう。具体的にどうだというのは見当もつかないけれど、カマキリの腹の中に住む虫ならばそれをやってのけそうである。

ただし、カマキリの体内から脱出するタイミングは難しそうである。出ること自体は、彼らの体は硬く意外と力強いのだから、内臓や腹の膜ぐらいは一瞬で破くことができるだろう。問題はいつ出ればよいかだ。

カマキリの水への渇望を高める方法で沢に誘導できるならば、カマキリが沢に着いて安堵しているときが脱出のタイミングだと思う。カマキリの「安堵」もまた、化学的に知るすべはあるだろう。また、実際にカマキリが水を飲んだときはもっとよい脱出のタイミングになりそうだ。水を飲んだことぐらいはハリガネムシなら簡単に察知できそうだ。私が見る限り、ハリガネムシは歩くのが非常に下手だから、沢に近ければ近いほどよいのだろう。

私がハリガネムシだとすれば、上記のようなことだけではかなり不安である。カマキリがゲットした水がハリガネムシの生息に適したものかどうかがわからないからである。カマキリはおそらく、ハリガネムシの生息に適した沢がどんなものかを知らない。さすがに、腹の虫もそこまで宿主に教えることは無理だと思う。あの灰色の虫が住み着いたとたんに、ハリガネムシのふるさとである森の浅い沢の風景が、この世の楽園としてカマキリの心に忽然と現れるというのはありそうもない。のどの渇ききったカマキリに必要なのは1ccの水である。雨でもよいし、朝露でもよいかもしれない。そういう類の水ではハリガネムシの生息には適さないから、その場合はハリガネムシは出てきてはいけない。

ハリガネムシはなんらかの手段で、カマキリが飲んでいる水がヤクルトジョアの空き瓶にたまった雨水ではなく、自らの生息に適した沢の水であることを確かめるにちがいない。


2008.12.6(土)晴れ 半原越25分14秒

昨日の寒冷前線の風雨でムクゲの葉は一気に落ちて丸坊主だ。明日の朝からは収納ケースで作った池にたまる落ち葉を取りのぞく作業から解放される。最後に残ったジョロウグモがどうかと心配したが、今朝はまだ巣に留まっていた。すでに主がいなくなった巣は撤去した。ジョロウグモの巣の糸は思いの外強い。特に、外枠になっている糸は少々引っ張ったぐらいでは切れない。この弾力と強度であれば、支えの枝が風で揺れてもふんばれる。

ふんばるクモにくらべて、こちらはいまいち乗り切れない。寒くなると自転車に乗るのもおっくうだ。半原越に入っても、やる気がでない。28×21Tの軽いギアを使ってハアハアしないで走る。ゴールしてメーターを見ると、25分をオーバーしている。そこまでゆっくり走った覚えはなく、ちょっとショック。そんなこと寒いからもういいやと、すみやかに半原越を後にした。小鮎川から荻野川に向かう下りの浅いコーナーで、曲がるつもりが自転車に直進されてゾクッとする。コーナリングに影響がでるまで前輪のスローパンクに気づかなかったのだ。1年以上パンクはしていなかったように思う。パナレーサーの軽量チューブは高性能だが穴があきやすいのか、やる気のないときはこんなものなのか。

    距離   タイム 平均時速 ケイデンス
区間1 1.18km 5'50" 12.1km/h 72
区間2 1.18km 6'17" 11.3km/h 67
区間3 1.18km 6'20" 11.2km/h 67
区間4 1.18km 6'47" 10.4km/h 62
全体  4.72km 25'14" 11.2km/h 67(1686)


2008.12.8(月)晴れ 木の芽

芽

葉が落ちれば、葉の落ちた痕跡や冬芽が面白い。ちょうど、ジョロウグモの張った糸が芽から伸びているのを見つけて撮ってみた。S1/100、F11ぐらいだから、風のないときに、よっぽどうまくシャッターを切って、アングルを考えないと見られる写真にはならない。それと、こういうものを撮りたくなったら、三脚は必須だ。この写真では手ぶれはともかく、いくらなんでも暗すぎる。背景に日があたっていないだけで、夜ではないのだから。


2008.12.9(火)雨 ギンメッキゴミグモ

ギンメッキゴミグモ

ギンメッキゴミグモは私の庭ではもっとも普通に、しかも春から晩秋まで長く見られるクモだ。小型であるけれど、巣の造作が多彩でなかなかの存在感をみせている。頭を上にする止まり方もちょっと異質だ。

こいつは被写体としてけっこうくせ者である。銀色の体は本当に銀色で、光線をよく反射する。直射光が当たっても、ストロボをたいても、「飛んで」しまうのだ。今日の写真は比較的よくできたほうだ。条件は晴天日影で、ほぼ無風。ストロボはTTLオートだが2段階(ー1EV)光量を落とし、絞りはF16、シャッタースピードは1/60....というようにしたのは、銀の反射をなるべく押さえて巣の糸も写し、しかも背景の生け垣をなるべく明るくしたかったからだ。そのためには三脚が必須なのだが、手抜きをして一脚ですませた。1/60ぐらいならぎりぎりいける。ためしに1/20秒もやってみたが、被写体ぶれ、手ぶれがひどく、見られたものではなかった。

ギンメッキゴミグモ

デジタルカメラでは、そういう撮影データが逐一残っているから、無駄なシャッターを切ることが減ってありがたい。


2008.12.10(水)雨のち晴れのち雨 「顔」

顔

昨夜は雨だった。日中はよく晴れて、今夜も雨だ。朝の観察に行くと、いつも最初に挨拶するジョロウグモがいなかった。巣の下に落ちていないかと、まだ水滴の残る草むらをかき分けてみたが、発見はできなかった。これで、私のジョロウグモはすべていなくなってしまった。通勤途中で見かけるものもすべて姿を消している。わが家のジョロウグモたちが卵を産んだかどうかは確認できていない。最初にいなくなったやつには期待大だ。今年孵化した卵塊は推定1コだった。来年はどうなるだろう。

クモもいなくなって、葉の落ちた跡でもと撮ったのが今日の写真。枝先に「顔」を探すのは、その道のプロにとっては冬の定番である。私も自分の庭の「顔」ぐらいは集めておいてじゃまにはなるまい。庭ではサンショウの「顔」がとびきり面白かったが、いつの間にか木自体が消滅している。今日のはムクゲ。それほど面白いとはいえない。


2008.12.21(日)晴れ サイクルコンピューター

金曜日に市川寛子ちゃんが、着ていく服に悩みそうです、とせっかく言ってくれてたにもかかわらず、全く悩むことなく冬至用の格好で出かけていってしまった。暑かった。境川は非常に強い南の温風が吹いて、風に向かって走っているとふうふういってしまう。

今日は、半原2号に新型のサイクルコンピューターを導入して試運転だ。キャットアイ社のV3というやつで、速度計、ケイデンス計、心拍計が一体になったものだ。残念ながらワイヤレス。有線式のものもあるが、値段が2倍もする超高級品なのでちょっと買えない。それでも、CC-CD300DWにくらべて、装着やセッティング、電池の持ちなどが洗練され、買い換えどきかな?と思わせるに充分な仕様だ。思うに、キャットアイの新企画品はことごとく買っている。それも、あまり壊れないので古いタイプがごろごろしている。廉価版のものにラップ機能がつけばそれも買ってしまいそうだ。

さっそく、境川で計らなくてもよいラップをとってみる。この機械はボタンがやたらと小さくて固く、指が痛くなるぐらい押さねばならないから、ちょっとぎくっとした。ラップボタンもその操作性だと捨てるしかないのだけど、ラップだけは軽く押せるから安心した。画面の文字が小さいのも老眼にはきつい。ケイデンスはぎりぎり見える。また、ラップデータの読み出しに意外とてこずった。2回とったはずなのに1回のデータしかない。私の常識とは少しずれた仕様になっているみたいだ。すぐに慣れるだろうけど。


2008.12.22(月)くもり 性

性というものがどういう風にしてこの世の中に誕生したものか、皆目見当もつかないけれど、一度できてしまえば、それを持った生物は一気に他を駆逐することだろう。

細胞分裂をして増える単細胞生物でも、単為生殖をする多細胞生物でも、それはそれでかまわないはずだ。彼らは死に変わり生まれ変わりしてゆるやかに生きていけるだろう。いわば無限の命を持っているようなものだ。そんな不死身の生き物でも、動物であれば、生きている上でいろいろと思うところはあるだろう。もう少し足が速いほうがよい、とか、もう少し背が欲しいだとか。環境の中で物を食い食われして生きる以上はそういう野心からは無縁ではない。しかし、単為生殖する場合は、生きている間に特に何かできるわけではない。生まれ変わるか、生まれ変わらずに死ぬかしかない。生まれ変わったとしても、おおむね自分だ。やはり同じくらい足が遅くて同じくらい背が低い。どんなにがんばっても獲得形質は遺伝しないらしいから、原則的には1万年たっても背が低い鈍足のままだ。

しかし、性というシステムがあれば、生きているうちに策を講じることができる。背が高くて足が速い異性をゲットすれば、次に生まれ変わった(産んだ子)ときには自分よりましになっているかもしれないのだ。じっさいましになるからこそ、性を持った生き物がこの地球を席巻しているともいえる。一目惚れというのは、ゲットすべきイメージを体現した異性に出会ったときに発生する感情だ。その辺の虫も一目惚れにどぎまぎしているはずだ。

ヒトも性の動力に突き動かされ進化した動物だ。ただですら、進化の袋小路に追い詰められて、頭の中であれやこれやとシミュレーション(取り越し苦労)して、あくせく死なない工夫をしなければならない動物なのに、恋という名の、よりましな異性を求める渇望にも囚われている。しかも、その異性たるや、もともとの動物として持っている最適イメージに、個人的社会的に育成されたイメージが複合し、本当に良い相手なのかどうかも自信が持てない。結果、そこここに不定愁訴がヒトの皮をかぶって歩くことになる。


2008.12.23(火)晴れ 長津田に行った

長津田

今日は長津田駅にJRの切符を取りに行った。えきねっとというので申し込んでいるから、切符の受け取りには最も近所でも長津田駅に行かねばならない。東急線の定期で行けばすぐだけど、天気もよいからD100を持って自転車で行くことにした。長津田というのは、都心から25キロほど離れたところにある住宅地である。東急田園都市線ができてから畑と雑木林の中に住宅ができたのだろう。そういう歴史はよく知らないが、この写真が私が長津田に対して抱いているイメージだ。

歴史は知らなくても、自転車で走れば、どういうところか思い知らされる。とにかく迷う。随所に10%超の短い坂がある。行き止まりになる。道がループしている。パッチ状に漫然と住宅開発を行い、その都度道路を造ったのだ。もともと方向感覚が悪く、太陽の方角と地名だけをたよりに走っている。迷わないわけがない。泣きそうになる。北から行ったはずなのに、なぜか十日市場に出て、だったら北だろうと「南長津田台」と名付けられた住宅地に出た。こういう名前はありがたい。長津田駅はきっと北、すぐ近くにあるのだ。かくて、駅に向かうらしいお嬢さんの自転車を発見して、こっそり後をつけ、ようやく長津田駅についた。ほとんど彩雲国物語の李 絳攸である。

長津田駅のみどりの窓口には3人が並んでいた。けっこう待たされることになる。しかし、自販機でえきねっとの切符を受け取るのはかなり難しい。えきねっとは予約も受け取りもトリッキーで、いまだかつて一発で成功したことがない。時間がかかっても窓口にしようと並んでいた。すると係のお嬢さんがやってきて、自販機の利用を勧めてくれた。「機械が苦手だから・・・」と断っても、大丈夫だからとほとんど手を引かんばかりに誘導された。実は、向こうは覚えていないだろうけど、そのお嬢さんとは旧知である。たぶん3度目。えきねっと受け取りは初。彼女に自販機を操作してもらえば、恐いものなしだ。ものの30秒ほどで発券できた。自分でやると、受け取れなかったり(6回買って1回やってる)余計な切符を買ったり(6回買って2回やってる)余計なキャンセル料を払う羽目(6回買って2回やってる)になったり、さんざんな目に遭うのだ。


長津田2

さて帰りは、太陽を左前方に見ながら進めばよい。来るときはたかだか直線5キロの行程に1時間以上かかってしまった。今度は、その反省をふまえ、なるべく線路に沿って行こうと決意した。やっぱり、長津田・中央林間の最短は田園都市線なのだ。スタートしてすぐに、電車がいっぱい並んでいるのが見つかって、なんだかうれしかった。その喜びもつかの間、この辺の道路はまったく線路にそってないということに気づいた。すぐに行き止まりになるは、ループはあるは、10%超の上り下りは頻発するは。それでも大きな幹線道路の誘惑を振り切って、なんとか線路を外さずに走っていった。その線路が東急田園都市線ではなく、JR横浜線だということに気づいたのは日が暮れかかった頃のことである。

 
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