たまたま見聞録
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2018.1.1(月)晴れ 失った夢

夢を見たはずだった。初夢だからちゃんと記憶しておこうと夢の中で気づいて反芻した。それはとても単純で具体的で平凡な夢だった。ただしキーワードになる英単語だけはしっかり覚えておかないと忘れるにちがいないと、その綴りのアルファベットを1つずつ思い浮かべて覚えた。目を覚まして記憶するまでのことではないと二度ばかり筋をなぞり、その英単語が示す対象もすっかり掴んで、もう大丈夫だと安心して眠り続けた。

そしてまた夢を見た。私たちは競馬に来ていた。場所は東京だが競馬は長野で開催されるものだった。TV放送があるビッグレースで久しぶりに馬券を買ってみようと思っている。連れの一人は村山君。それほど親しくはないがお互いTV仕事でのつきあいがある。彼はしばらくテレビから離れていたが最近また仕事が入り、その競馬中継も仕事の一つだということだ。

私は自身の仕事の先行きによい展望をもっていない。内心ではそろそろ転身が必要だと思っている。アメリカでTVプロデューサーをやってた村山君にアドバイスを受けることにした。「あっちのほうのやりかたはNHKなんかとは全然ちがうんだろうね」と尋ねると、やはり組織もハードもまったく違うというこたえだった。

日本で仕事を続けるにしても渡米するにしてもそれなりだろうが、それよりも競馬だと、もう一人の連れの中野君にどんな馬券を買ったのかと尋ねた。「本命の5番から流していくつか」という返答だ。「それじゃあ何が来ても交通費も出ないじゃないか」とおちょくる私に「このレースはそれでいいんだよ」と中野君。

このやりとりには既視感があった。じつは学生時代に福島競馬場で同じやりとりがあったのだ。立場は逆で、私が3倍ぐらいの配当しかない手堅い馬券を連勝単勝4種類ばかり買って中野君にダメだしされたのだった。確かに計算してみるとどの投票券が的中しても全体ではマイナスになるという残念なことになっていた。競馬の先輩として中野君からは「大本命を買うときは、最悪それが来て元になるか、一本にしぼって大金を賭けるかどちらかだ」というアドバイスを受けた。興味本位の競馬で賭け金も1000円程度だったが、そのアドバイスを聞いて、なるほどみんな配当金のことまで考えて買ってるんだなと感心したものだ。オグリキャップが生まれるずっと前のことである。

久しぶりだしちょっと大きく勝負してみるかと馬券売り場を探すがイマイチ見つからない。もしかしたら締め切りが過ぎてしまったかと少し焦ってしまう。そういや競馬もいいけど夢のことも忘れないようにしなければと、英単語のキーワードを思い出そうとした。キャロライン?ハンプシャー?どっちでもないような。少なくともキャロラインではなさそうだった。まさか・・・と単純なはずの夢の内容を思い出そうとして唖然とした。まったく記憶がないのだ。明確だったはずの全体の筋も、ささいな断片すらも思い出せない。夢を見たという印象だけしか残ってないのだ。

というところで目が覚めた。日はすでに高く昇って障子の上のほうに初日の光が射している。夜半に目覚めることもなく、いつもより長めに眠ることができた。これ以上なく素敵な初夢だ。


2018.1.2(火)晴れ 戻ってきた夢

 オオカワヂシャ

もう二度と取り返せないとあきらめていたキーワードがあっけなく復活した。それはハンプシャーであった。なんでそんなことを思い出すことができたかというと、今朝に初夢の続きを見たからだ。

競馬に行く前に見ていたのはアクアリウムのブリーダーになっている夢だった。私は海水アクアリウムのプロである。とくに海藻、海草の育成が専門だ。淡水の水草アクアリウムには天野氏が発見したヤマトヌマエビというスターがいる。それに匹敵する海生のエビを見つけたのだ。

それがハンプシャーだ。ハンプシャーは磯に生息するエビでけっこう大きく、サイズはテナガエビぐらいになる。非常に温和でアクアリウムに入れても植物をかじらず、魚や貝を襲うこともない。もっぱらコケと残滓を食べるという海藻アクアリウムの脇役にぴったりなエビなのである。ただ一つ問題があって、常に穴蔵に隠れてないと落ち着かず長生きできない。私はある工夫によってストレスなくハンプシャーをオープン環境に引き出す方法を編み出した。これで海藻アクアリウムに飛躍的な発展が望めることになった。

という素敵な夢を競馬なんぞにかまけてすっかり忘れたのだ。

今朝にはなぜか夢の続きがはじまった。私はハンプシャーの人工養殖に成功して大々的に売り出すことになったのである。まずは普及促進のために特典をつけることにした。特典は500円のタグだ。新発売のハンプシャーにはもれなく青い500円紙幣から500円と印刷されている部分を切り取って貼り付けることにした。

この商売自体はうまくいきそうだった。しかし行政指導の横槍が入った。紙幣の切片は半分以上のサイズがないと金券として認められないというのだ。したがってハンプシャーに貼ってある500円という切れ端は景品としては無価値で詐欺の疑いがかかる。当局の言い分では、切り取った残りの部分を貼るなら問題ないというのだが、そんな生々しいエビがいるアクアリウムはこっけいなだけだ。はてどうしたものかというところで目が覚めた。

思い出そうとしても全くかなわなかった夢のストーリーが心の奥でナチュラルに継続しているとは面白いもんだ。

庭でジョロウグモのご機嫌をうかがってからウィリエールで境川。快晴で風も弱く暖かい。いっぺんにオオカワヂシャが芽吹いて川の観察に気合いが入る。今日の写真は定点観察のもの。鷺舞橋の欄干から遊水地の湧水付近を週一ペースで撮り続けている。今日はついにオオカワヂシャの芽吹きを見ることができた。浅瀬に多数ある。暮れの30日にはまったく発見できなかった芽吹きだ。冬期はこの浅瀬を二分するように鷺舞橋の日影ができる。今日見た限りでは影の部分には芽吹きがないようだ。水底の温度なんかの影響なんだろうか。

自転車は左足の回転がしばらくおかしげなことになっていた。下死点付近でかかとが外を向くのだ。痛みが出るとか力が抜けるとか実害はない。以前にサドルを高くすることでこの症状が消えたことを思い出して、ダメもとで3mmほど上げてみた。乗った瞬間に高いっ!とは感じたものの左足はまっすぐ回るようになっている。しばらくこの高さで乗ってみることにする。


2018.1.6(土)晴れ オオバン

 オオバン

写真は境川遊水地公園にある湧水のところにいたオオバン。しきりに潜水して何かを食べているようだ。冬枯れした抽水植物の根ぐらいしかなさそうだが、そういうものでも食べ物になるのだろうか。

4年ほど前のこと、オオバンをはじめて見たのは東京湾だった。新木場の海辺にあるテラスから海を見物しているとオオバンの姿があった。海風に波立つ水面を数頭のオオバンが小刻みに上下しながら泳いでいた。図鑑でオオバンの特徴は知っており、その名もわかった。そのときはまだオオバンは珍しい鳥だという印象がありいいものが見られたと喜んだものだ。その海には口元が赤いバンもいた。コアジサシがダイブしてアカエイが繁殖行動を見せていたりと豊かな東京湾の風景があった。

そして気がつけば境川あたりでもたくさん見られるようになっている。私の印象ではこの2、3年のことだ。

子どもの頃、バンはカモやキジと並ぶ狩猟鳥だったという記憶がある。鳥撃ちをしていた父親がときどきバンを撃ちに行くと言っていたことを覚えている。おそらくオオバンも対象だったのだろう。キジやマガモは獲物としてよく食べていたがオオバンを食ったことはなかった。


2018.1.12(金)晴れ 秋の終わりと春の始まり

 空き巣

12月3日には、もしかしたら間に合うかもしれないと期待していたジョロウグモがいなくなった。庭に生き残っていた最後の個体である。間に合うかもしれないというのは産卵のことだ。24時間ごとに巣にいることを確認しているから産卵していないと結論していいだろう。

私は冬のジョロウグモがどのようにしていなくなるのかを見ていない。普通に考えれば死に場所に向かうとも思えず、かといって最後の力をふりしぼって産卵場所に向かうとも思えない。きっと足場の糸からぽとりと落ちるに違いないのだと想像している。今朝もいつもと同じように巣の直下をかなり丹念に探してみたもののクモの姿はなかった。

ジョロウグモの不在で秋の終わりがはっきりした。その一方でシジュウカラはツピーツピーと春の囀りをはじめている。太陽の力強さ、土からのわき出す春の臭いを感じる日も遠くないだろう。


2018.1.14(日)晴れ 惚けてシャンシャン

 ナカガワ

写真のナカガワで日曜午前の境川。今日はすばらしい快晴で境川CRからも富士山が大きく美しく見えた。もしかしたらこれまでに境川で見た最高の富士山かもしれない。じゃもっとよく見ようと海まででかけた。

海からの帰りは向かい風だ。こんなに強い冬の風は珍しい。風が北東寄りだからだろうか。湘南では西よりの風は富士山や丹沢でブロックされ厳しい季節風にはならないようだ。

向かい風を受けるととたんにペダルが重くなる。それはいつものことだが、今日はいつもより重い。風はギア比2.5倍ぐらいでいい案配のはずだが、2枚ぐらい重いギアを無理に使っているような感じだ。この不調の心当たりといえばクランクの交換がある。昨日の午後、見た目が良いからと発作的にトップラインに交換してきたのだ。デュラエースに比べると精度、材質、設計が遙かに劣るクランクだ。それにしても重すぎる。他にも原因を探るならばBBにあるかもしれない。

じつは前回トップラインで使っていたBBがわからなくなっている。20年ぐらい前のデュラエース7400のものが推奨だけど、BBはメーカー推奨ではないものがよりフィットすることもある。四角テーパーのBBならではの面白みなんだけど迷いはじめると深みにはまる。昨日は5個以上は現物あわせしてみた。けっきょくぴったりフィットのものはなくて、未使用買い置きの丹下をつかった。3mmばかりQファクターが大きいぞという不満を抱えての出航だった。たかだかBBでペダルが重くなるわけはないのだが、うまくいかないときは疑心暗鬼になる。

という経緯はあったものの、ちょっと仕様変更したからいつものセブンイレブン裏で記念撮影。撮ってみれば、フロントインナーギアがやたらと大きい。いつの間にか45Tがついている。つけたのは私自身にちがいないのだが、わすれていた。おそらく向かい風練習用に退路を断つ決意での45Tだったのだろう。それはいいとして、さすがに自分にあきれてしまった。39Tのつもりで45Tを踏んでいればギア2枚ぐらい重く感じて当然だ。走っているときに良く気づかなかったものだ。

向かい風練習をする気はなかったので重いペダルをいやいや踏んで帰ってきた。じつは出がけにトップライン用デュラエースとおぼしきBBが暫定パーツ入れに入っているのを見つけた。前回換装したときに、どうせすぐに使うのだからとBB箱にしまわなかったものとみえる。一日走ってみて丹下の具合が悪ければ換えようと思っていたのだ。BBはそれなりで無実だが、ぴったりフィットのほうがいいから速やかに交換することにした。

さて自分にあきれるのは昨日今日何度目かとその回数もわからなくなっているが、あきれたことにそのBBはカンパニョーロのコーラスだった。フレームにセットしてからコーラスだと気づいた。なんでコーラスが暫定パーツ入れに入っているのかなんてのは思い出す気すら起きない。そのかわりメーカー推奨のデュラエースは10年ほど前に新潟の中学生にあげた自転車につけており、もう手元にはないことも思い出した。

この手のボケを最近連発している。職場でも同様だ。幸いなことにたいして責任のある仕事ではないものだから、シャンシャンみたいなマスコット的笑い物として人気を博しているのだ。


2018.1.20(日)晴れ 消失したオオカワヂシャ

 オオカワヂシャ

ナカガワに乗って境川。いつものように上和田中学校前の川面をのぞき込んで驚いた。おびただしいほど芽吹いていたオオカワヂシャが見あたらないからだ。今週は雨が降ったもののオオカワヂシャが流失するほどではないと思っていた。想像以上に根ばりが弱い草なんだろうか。

自転車は体重をかけつつ踏み込む練習。今日はフロントを50・39Tに変更してある。リアは13-19のクロスレシオだ。風は北寄りに20km/hほどで普段の境川CRだ。

ケイデンスは80-90rpmにして追い風でも向かい風でも同じトルクにすることを意識した。引き足は無理に使わず早めに前足に体重をかけつつ太ももを押し下げる。速度は追い風のときは32km/hで向かい風だと27km/hぐらいになる。

ずっと同じ感覚で走っているといろいろセッティングの不都合が見えてくる。サドルの角度は細かく調整した。ブレーキブラケットが近くて窮屈だ。フロント50Tは大きすぎる。追い風でも50×16Tで十分だ。小さめのチェーンリングでいいだろう。

帰宅して自転車のセッティング。フロントを46・38にした。これでリアの1枚小さいギアが使える。フロントシフターのプレートとチェーンの間があきすぎることには目をつぶろう。ブレーキブラケットは1cmほどずり下げてみた。

横浜市水防災情報のページで境川の増水履歴をチェックしてみると、17日(水)に最大75cmの増水があった。それなりに水が出た時間は3時間に過ぎない。やはり根ばりが相当弱い草にちがいない。今日の場所は13日にも撮っていた。その写真で一番大きいオオカワヂシャが今日一つだけ残っていたものだ。12月から1月にかけて降水がなかったせいでたくさん芽吹いていたのだ。


2018.1.27(土)晴れ 堰堤のオオカワヂシャ

 オオカワヂシャ

最低気温こそ低く給湯器が未明に凍結してしまったものの日中の気温はあがった。チネリに乗って境川にでると日差しは晩冬の力強さをもっていた。風も弱い。絶好の練習日和だ。

境川のオオカワヂシャは今季最初に確認した新道大橋下のものも、おびただしい数に驚いた上和田中学校前のものもことごとく消失している。先週よりも少ない感じで、もしや降雪による増水?と横浜市水防災情報のページで確認したが、40cm未満の増水に留まっていた。

ともあれ順調な生育を見せているのは宮久保橋堰堤の個体群だけである。写真は堰堤のすぐ上流にあたるところ。堰堤と同じぐらいの生育の良さである。堰堤のコンクリに貼りついているものは、おそらくヤナギゴケの密集に助けられ、また、もともと急流に耐える根ばりをしているために増水の影響を受けにくいのだろう。そして写真の個体らも堰堤のコンクリがよいブロックになって流速が抑えられる場所に根付いたのかもしれない。

この先梅雨入りまでは大きな降水がないことが期待される。境川本流のオオカワヂシャ復活はあるだろう。


2018.1.28(日)くもりのち晴れ 境川の柑橘

チネリに乗って日曜午前の境川。日曜午前に境川に行くのはスリーエフ白旗店の売り子に会うためだと思ってきた。あそこのお嬢さん方はとてもチャーミングで愛想がよかった。いざスリーエフ白旗店がなくなってみれば実はお嬢さん方のことも口実で単に快適なサイクリングが好きなだけだったと気づいた。

今日の天気は予報に反してどんよりくもり。気温は5℃以上あるとはいえ時速30kmの風を受けているとつま先が痛くなる。この冬はじめての経験だ。厳冬期にも半原越を登っていたときは毎回感じていたつま先の痛みだった。湘南は冬暖かい。1月も終盤となれば太陽は力強く日差しさえあれば快適に走ることができる。いつの間にかつらいことを避けたくなっている今日このごろである。

境川を走れば沿線にけっこう柑橘の木が多いことに気づく。キンカンと実が大きな夏みかん系の樹木だ。それは果実の収穫を目的に栽培しているものではなく観賞用として育てられているようだ。もしかしたら南の出身の人たちが故郷を懐かしんで植えている庭木だろうか。湘南であれば越冬はたやすく維持は簡単そうだが、今年は例年以上に冷え込んだ。元気そうに見える黄色い実だってすでに凍っていて死んでいるのかもしれない。八幡浜にひどい寒波が来た年に冬に熟すタイプの柑橘類がことごとくやられた。よく熟れているはずの実を食べると飲み込めないほど苦かったことを思い出した。


2018.1.29(日)晴れ 山羊と鳥と老人

朝の電車の中では本を読む。新しく買うのは金が惜しいし保管するスペースももはやないのでもっぱら手持ちのものを読むことになる。幸いなことに頭がたいへん悪くなっている。目で文字を追っていても内容を読み取っていないことにしばしば気づく。そして、読んだ内容をかたっぱしから忘れられるようになった。この数年で10回ぐらい読めている本も10冊ではきかない。

この一月ほどは学生だったころ好きだった串田孫一を読んでいる。いま手持ちは30冊ほどあり全て当時に購入したりもらったりしたものだ。それをランダムに手当たり次第に電車に持ち込む。作品の性質上もあろうが内容の大半を忘れており、新鮮な気持ちで読めてうれしい。むろん覚えている部分では甘酸っぱい懐かしさがこみ上げてくる。元カノにあてた手紙が串田孫一の文章みたいだと笑われたこともあった。それだけ入れ込んでいたのだ。今こうして書いているものも真似っぽいだろう。ただしセンテンスは意識して短くしている。

「山羊と鳥と老人」がいま読めば大傑作である。40年前はあまり好きではなかった記憶がある。ファンタジーの中にある些細な理屈がよけいだと感じていた。私も若者だったのだ。

串田孫一は正法眼蔵とかコーランとかカントとかに比べるととっつきやすい。それでも30冊読む頃には前半分はすっかり忘れてしまっているだろう。どうやら今の職を退くまで、電車の友は手持ちの串田孫一だけで事足りる勘定になるようだ。


2018.2.1(木)くもりのち雪 獲得形質の遺伝

獲得形質が遺伝すれば・・・というのは払拭し難い誘惑である。それさえ受け入れてしまえば生物の進化はなんでも説明ができるようなきがする。進化は合目的であり定向的でありスピーディである。感覚的にそう見えることもあり、ランダムな突然変異を前提として統計的に処理するのはしんどいこともあって、獲得形質の遺伝という禁じ手を使いたくなってしまうのだ。

モナークの秋の大移動は個体の記憶が母親から子どもに伝わらなければ無理だと決めつけている。もしすべての個体に地球上の1点が刻印されていないということであれば。

また、蛇と蛙のような生まれつきの天敵関係も条件反射が親から子へ伝わるものであれば簡単に理解できるのだ。


2018.2.2(金)雪のちくもり 心の遺伝

獲得形質の遺伝といった場合に、目に見える体の構造であればそれが遺伝しないというのはよくわかる。鍛えて太くなった自転車選手の筋肉とか事故で失った指が形質となって子どもには伝わらない。肉体はDNAというある意味強固な設計図をもとに作られる。その図面は複雑かつ精細でそうそう変更はきかないものらしい。むやみな変更は致死的であるはずだ。

肉体のほうは置いとくとして、問題は心の方である。普通にいう記憶が遺伝しないことはわかる。条件反射もだめだ。ベルを聞いてよだれを流すパブロフの犬とか梅干しを想像して口の中が酸っぱくなる私とか、その手の反復刺激によって培われる条件反射は遺伝しない。

検討してみたいのは、反射と条件反射の間にあるような条件反射だ。アマガエルははじめて会うヒバカリに激しい忌避反応を示す。アマガエルには蛇に会った経験がないのだから、それは反射行動だ。それでも形式的には条件反射と見える。

そもそも完全に反射とみなせる行動の起源は自明とはいえないのだ。ヒトの反射行動がいかにして身についているのかを解明することはたやすくはない。たとえば爆裂音に身をかがめる行動はミミズでも同様のものが見られるようにヒトがヒトである以前からの反射なのだ。ヒトがまだ海中にいるミミズ程度の虫だった頃から現代まで無限の時間を費やしてランダムな刺激―行動をもとにした適者生存の結果、爆裂音―身かがめ反応が発達したという説明は一応の筋は通る。


2018.2.3(土)晴れのちくもり いよいよ立春

 オオカワヂシャ

女房と二人で境川。自転車はナカガワを使った。前ギアを52×42T、後ろギアを15〜22Tのクロスにしている。

境川の大清水橋付近にオオカワヂシャが復活している。先週はあまり目立っていなかったのに、けっこうなサイズと株数が見られた。

写真は鷺舞橋の湧水付近。遠目にもはっきりわかるぐらいオオカワヂシャが大きくなっている。コサギが小魚を狙っている。この湧水付近は小魚が群れるポイントでもある。そうした魚をカワセミやブラックバスも狙っている。このコサギはしきりに歩き回っていた。やや水深があって枯れ草なんかが堆積している所で足をぶるぶるふるわせている。水面の波立ちでそれとわかる。どうやら魚やエビなんかを追い出して捕まえる作戦のようだ。

午前中は日があってやや暖かかったものの、午後になって日がかげるとすぐに寒くなってこごえてしまった。ゆっくり走るのには慣れてきたが、寒さはいけない。過酷なサイクリングになってしまう。


2018.2.4(日)晴れ 電池切れ

 オオカワヂシャ

日曜午前の境川。自転車はナカガワ。昨日、新道大橋上流にオオカワヂシャを確認したので、さっそく撮ってやろうと自転車を止めTG-5を取り出した。電源を入れると電池切れの表示。痛恨だ。このところ根をつめて撮るものがなく一日の撮影枚数は少なかった。それで油断して残量表示の確認を怠ったのだった。しかたなく、今日は撮影なしと決めて自転車を進めた。

スマホを持っていたことに気づいたのは3分ほど走ったときのことだ。ためしに鷺舞橋の湧水をスマホで撮ってみる。全然ダメな感じが如実だ。たぶんピントも来ていないだろう。私のスマホは環境写真には無力だ。

自転車は相変わらず体重をかける乗り方の練習。ブラケットでの30km/h巡航だ。前足に全体重を一瞬だけかけるのが私の30km/h巡航。今日は南風が強い。良く晴れて海風が入ることと低気圧が近づいていることもあるだろう。時速にして35km/hぐらいの南風だ。向かい風を利用して52×20T付近を使って80〜90rpmで走る。前足に全体重をかける場合に注意することは第一に体を足で支えないこと。歩行時並みの圧力が足裏にかかるとNG。がんばりすぎだ。つぎに後足が体を支えていないことを常に意識すること。後足がすっと上がって、手でハンドルを支えず、サドルに体重がかからなければ前足に全体重が乗っている道理だ。そのペダリングを維持するためにはギア比の選定が大事だ。追い風なら52×16Tで同じ調子になる。35km/hだ。その速度でも風が前から来ない。

心拍計に目を落とすなら170bpmを超えている。あまり力をつかっていない感じでもATオーバーになっている模様だ。息が続かないという感じではなく、太ももに力がはいっているわけでもない。こういう感じで登りも走れて半原越を22分程度なら万全じゃないだろうか。体重だけじゃダメなことは思い知っているのだけど。

いつものセブンイレブン裏で昼飯。スマホを持っているのは電子マネーで支払うためだ。セブンイレブンではナナコってのを使えばコーヒー5個につき1個がタダだと書いてあってちょっとだけ気持ちが動いた。だけど複数の電子マネーを使い分けるのはうっとうしいなと反省して水路の脇に座った。

5メートルほど前の畑のわきをハクセキレイが千鳥足で歩いている。右に左に跳ぶように揺れている。どうやら何かを食べているらしい。私の目にも土の上に何か小さいものがハクセキレイに追われて跳んでいるのがときおり見える。立春を迎えて太陽は力強さを増している。地面は強い風の影響は受けずかなりの温度になっているだろう。小さな虫が活発に動いているのかもしれない。

水路に目を落とすならばおびただしい数の貝殻がある。死んだシジミたちだ。この水路には外来のシジミが繁栄している。稲の季節が終わって水が落とされて乾いて死んだのだろう。こいつらを庭のスイレン鉢に誘致したらどうなるのだろうとふと思った。

さてスマホを持っていることだから駄目元で新道大橋のオオカワヂシャを撮ってみようと自転車をガードレールに止めた。この場所は午後には日が当たらない。おまけに川向こうの建物は日が当たって明るく水面に反射している。川の中に沈んでいる草を撮るには絶望的なシチュエーションだ。電池切れには注意しなければと反省した。

この暖かさならもしやクロナガアリが出ているかもしれないと庭に出た。日当たりの悪い私の庭もさすがに残り雪は少ない。クロナガアリの巣口は積雪の影響ですっかり塞がれている。雪が解けた今も閉ざされたままだった。


2018.2.7(水)晴れ 条件反射の生理

アトリが今年も来ているかと代々木公園を回ってみた。残念ながらアトリの群れを見つけることはできなかった。

経験をもとに条件付けされた反射(うめぼし)とアプリオリな条件反射(ヘビとカエル)との間にある生理的な違いとは何だろう。ヒトでいえばその差は明確だ。心に自覚があるかないか記憶にあるかないかという大きな違いがあるからだ。しかしながら経験による条件反射は記憶されなくとも形成されるはずだ。

わが家の犬は東日本太平洋沖地震を体験した。家屋が揺れて随分怖い思いをした。あのときは緊急地震速報が機能して、テレビの警報音に続いて揺れが来ることが多かった。その恐怖体験から犬は緊急地震速報の警報音だけでパニック発作を起こすようになった。

犬が東日本太平洋沖地震のことを記憶し想起できるかどうかは心もとないものがある。ましてや犬よりも頭が悪そうな魚なんかでも条件反射は身につくのであるし、ミミズ程度の虫でもできるということだから、条件反射に記憶と想起は必須ではないのだろう。

ということなら条件反射の形成には脳を含む複雑な神経システムは不要とみていい。複雑怪奇な大脳皮質のシナプスが・・・といった部分は切り捨ててもいいのだ。


2018.2.9(金)晴れ 対象像の形成

ぞぞぞっとする、ぞくぞくする反射には階層があることは自明だ。反射は客体あってのものだねであり、イメージの客体としての表象も含めて、習い覚えて強化されるものと生まれつき身についているものの2種ははっきり区別できる。

この「はっきり区別できる」ことが私には疑問なのだ。

ヒバカリの、アマガエルを見つけて襲うという条件反射は生まれつきだ。その引き金になっているアマガエル像が精細に決められているということに注目しなければならない。コオロギには全く反応しないからには、漠然とした・・・例えば口に入るサイズで動く虫という程度の・・・大ざっぱなものではないのだ。

反射の引き金になる対象像がはっきりしているということは、それが徐々に形成されたものだということを物語っている。進化は動物の外見に作用する。アマガエルのみかけも進化によって変化するならば、ヒバカリにとってのアマガエル像も刻々と変化するはずだから。

これらの前提を受け入れるならば、アマガエル像の記憶がヒバカリの体内に刻印として次世代に引き継がれるという驚くべき結論が導かれてしまう。


2018.2.10(土)晴れのちくもり オオミノガ

 オオミノガ

ナカガワに乗って境川。高鎌橋のところで写真のオオミノガらしいミノムシを見つけた。私にとっては恩人であり、こうして冬枯れの桜にぶら下がっている光景はかけがえない風物詩でもある。

オオミノガのミノムシは20年ぐらい前に全く見つからなくなっていた。中国から進出してきた寄生バエにやられたというのが定説だった。日本からの絶滅まで心配されたほどだった。しかしこの数年ではけっこうな頻度で見つかるようになっている。どうやって復活してきたものか、ハエとの競争はどうなっているのか、虫の消長はそんなに単純なものではなさそうだ。

境川はお年寄りたちのウォーキングイベントがあるらしく三々五々の歩行者でごったがえして自転車の練習どころではなくなっていた。それでかねてから行きたかった三浦半島の大判焼き屋に行くことにした。

江ノ島から三浦半島への134号線も厳しい道である。ここに入り込んで後悔しなかったこともないなと慎重に走る。しかも目当ての「和楽」で大判焼きを買うことができなかった。「予約のみ販売中」というちょっと意味のわからない張り紙を見てあきらめた。

和楽からの帰りも厳しい道である。左折しなければならない所を直進して逗子駅の方に入り込んでしまった。以前にも同じ所で迷って嫌な思いをしてしまった。神奈川の住宅地には迷い込んで後悔しなかったことがない。


2018.2.11(日)晴れ 虫が動く日

 オオカワヂシャ

けっこうな雨を降らせた低気圧は東に去った。暖気は残り穏やかな一日になった。

ナカガワに乗って日曜午前の境川に出るといい感じで南風が吹き込んでいる。午後には気温が15℃以上にもあがったろうか。テントウムシが道路を這いキタテハが舞っていた。暖かいからそういうこともあるだろう。思えばこの冬は虫を全然撮らなかった。越冬組との出会いがなかったから。

さっそくナナホシテントウを撮ってやろうとTG-5を取り出して顕微鏡モードにして撮った。慌てたことにTG-5には2か月ほど前の設定が残っていたのだ。ピントマニュアルの連写モード。どうやらジョロウグモ用の設定だ。これじゃだめだと普通のモードに戻そうとしたが、操作法を思い出すのにちょっと時間がかかってしまった。

いくら暖かいとはいえモンキチョウを見たときはたまげた。自転車から2秒ほどだったけど足元を飛んでいたから間違いない。モンキチョウは確か成虫越冬ではないはずだ。羽化したのだろうか? 帰宅してネットで越冬態を調べると幼虫と出ていた。ほんまかいなと疑わざるを得ない。今年の冬はそれほど寒くはなかったけれど、最低気温が氷点下になったこともあり積雪も2度あった。庭にはまだ融け残っている雪餅があるくらいなのだ。

もしかしたらとクロナガアリの様子を見に行けば巣口があいて働きアリが活発に動いている。地中の巣の中にいても気温の上昇は敏感に感知できるらしい。ミズヒキ、チヂミザサ、アカマンマの種を盛んに運んでくる。よく見つけられるものだと感心してしまう。巣口のそばに若いカナヘビがいた。さすがに動きはのろかった。腹も減っているのだろう。

自転車は回す練習をやった。1年ぶりぐらいかもしれない。体重をかけ踏み込むだけではどうしても速度にリミッターがかかる。有効なベクトルを意識して全周にわたって弱く長く力をかけるほうがスピードは出る。ただし続かない。その回転ペダリングと体重かけを同時に案配良くできれば絶対速くなるという確信はあるが、いかんせん両立させるのが難しい。幾度もトライしてそのたび挫折してきたのだった。


2018.2.12(月)晴れ 奥は深いか浅いか

昨日は富士山近辺にレンズ雲吊し雲がみえていた。それらの雲を作った上空の強風が下に降りてきた。湘南とはいえ季節風が吹き込むとけっこう寒い。向かい風もいいもんだとナカガワで境川。回す練習を続けたかった。

向かい風の強さは52×21Tを使ってちょうどいいぐらいだ。これで360度で足に掛けることができる。20分ぐらい90rpmを維持できるならそれでよい。できないから問題だ。

全体重を前足に乗せることはできる。回すこともできる。ただそれを同時にすることができない。もしかしたらそれは物理的に無理なんじゃないだろうか。というのは、体重が右足に100%乗っている状態は手とサドルと左足に体が乗っていないということだ。このことは間違いない。そのとき同時に左足はペダルを後ろに引きながら上げる動きをしている。引き足はサドルにしっかり体重を乗せるのがコツだ。ここで私の体はアンチノミーに陥ってしまうのだ。いっそサドルに乗っける体重は50%ずつってことで中道をいくべきなのか。

目標とする動きはできるかもしれないしできないかもしれない。これまでやってきたように回すことと体重をかけることを使い分けるのが正解なのだろうか。まったく自転車というやつは奥が深いのやら浅いのやら。


2018.2.17(土)晴れ 新ナゾノクサ

 堰堤

ナカガワで境川。気温が高く日差しも強い。早春だ。

新道大橋付近のオオカワヂシャは2月になって繁茂の勢いを増している。まさにわが世の春という感じだ。一足先に芽吹いた新和田中学前のものは増水にやられてしまい、すぐに見つかるぐらい大きいのは一株だけになってしまった。

写真は246下の下水処理場付近にある堰堤。ここにナゾノクサがあることは先週に気づいていた。ただ光の加減が悪くてうまく撮影できなかった。今日は堰堤の水平部分に大きな草が見える。どうやらオオカワヂシャではなくイネ科の草のようだ。もしかしたら水稲かもしれない。堰堤の垂直部分にある緑はオオカワヂシャだろうと思う。この堰堤にはヤナギゴケが覆っていることを確認しており、オオカワヂシャが定着することはありそうだ。


2018.2.18(日)晴れ 165mm

 ウィリエール

ウィリエールで日曜午前の境川。昨日ほどではないもののけっこういい陽気だ。殺風景な境川周辺でも梅やロウバイが咲いてずいぶん春っぽい感じになっている。

ウィリエールはクランクを換えた。背の低い女の子をロードに乗せる計画が進行中で、ひとまずこの自転車を調整して試乗させようという算段だ。背丈で問題になるのはサドルとハンドルの距離だ。そこはぎりぎり何とかなるとしてクランク長も大事な検討事項だ。さっそくヤクオフで165mmのカーボンクランクを落札して今日はその試走。

これまでにも何回か165mmは使ったことがある。ずっと170mmを使ってきたこともあって最初は少しつまった感じがある。ただ短い方への適応はやさしく3時間もすれば違和感がなくなった。もしかしたら165mmのほうがいいんじゃないかと思えるぐらいだ。

いまは回す練習にしているけれどもせっかく気づいた上半身の体重をかけることも捨てがたい。そこで中道をとって半分ぐらいの体重を前足のペダルに乗せようとしているのだが、その案配がなかなか難しい。たまたま風の具合とギア比があって好感触の時間が数分ぐらいはあった。

市販のロード用クランクでは最短で165mmが一般だ。小柄な女子だと165mmでも長くて160mmぐらいがいいんじゃないかと思う。ひとまず165mmで女房に試走してもらおう。彼女が165mmで走れるならなんとかなるだろう。ちなみに彼女の24インチには150mmのフランス製高級クランクがついている。

帰宅して陽気がいいからクロナガアリが出ていないかとTG-5をひっさげてアリの巣を見に行った。アリの姿はなかった。手ぶらで引き下がるのも残念でアリの巣の側にあるタネツケバナを顕微鏡モードで一枚撮ってみた。チェックしてみればピントが全くダメだ。こういう被写体はオートアイリスオートフォーカスまかせだと失敗する。オートならではのテクも必要だ。

他人を乗せるならしっかり整備しておかねばならない。デュラエースC24ーTLのリアが振れているので自力で修正しようと試みたところ全然ダメだった。そもそも付属のニップル回しが使い物にならない。アルミ製のやわなもので簡単になめてしまう。こりゃプロにお願いしなきゃだめだと近所の自転車屋に駆け込んだ。


2018.2.24(土)晴れ 女子用ロード

女子用に改造を施したウィリエールに乗った女房といっしょに境川。

天気がよく南風が入って暖かい。境川に出るとすぐに白いチョウが目の前を横切った。一瞬、モンシロチョウかと思ったけれど、すぐにモンキチョウの特徴ある斑紋が目にとまり、モンキチョウの白いタイプだとわかった。さてモンシロチョウの初見はいつになるか。ちょっとわくわくする季節だ。

境川のオオカワヂシャは一斉に繁茂している。大和南高校の手前でもけっこう大きな株が育っている。私のサイクリングコースではほぼ全域にわたって根付いているといっていいだろう。面白いのは上和田中学校前にほとんどないってことだろうか。あそこは芽吹きが早すぎたんだきっと。

女房のウィリエールはサドルの高さ、ハンドルまでの距離はぎりぎりセーフだがサドルが合わないらしい。今日のは20年ぐらい前に買ったフライトチタンで柔らかく細いものだ。サドルだけはどこをどう直せばよいのか他人にはわからない。


2018.2.25(日)くもり 南高校前のオオカワヂシャ

 オオカワヂシャ

ナカガワで日曜午前の境川。スリーエフ白旗店がなくなっても日曜午前の境川。私には中道を行くペダリングの練習がある。

写真は昨日発見した大和南高校前のオオカワヂシャ。都合がいいことに階段のすぐ下で根を張っている。今日はこいつを撮影する目的もあった。近づいて見れば根は地面ではなくコンクリートに下ろしている。おそらく割れ目があるわけでもあるまい。コンクリートに活着しているヤナギゴケなんかにひっかかった種が芽吹いたものだ。足元不安定な状態でここまで大きくなってはいるけれど、次の増水であっけなく流されてしまうだろう。

境川でオオカワヂシャが芽生える条件を考えてみた。私の観察では芽吹きはおおむね12月から2月といっていいだろう。いまも冬だとすれば、芽吹きは冬だ。今季は上和田中学前の芽吹きが早かった。おおむね2週間ほど先行したようだ。比較は水質がよく水量が安定している鷺舞橋湧水だ。湧水での芽吹きは1月2日で上和田中で見つけたのは12月30日だが、上和田中の個体は大きくならないと見つからない。道路から遠いことと濁り水が深いからだ。そして1か月ばかり遅れて新道大橋をはじめ境川の全域で急成長をとげている。

芽吹きが冬であるならば水温が下がることが必要なんだろうか。播種は夏だから種が熟すまでに時間が必要なのかもしれないし、水温が高いときは芽吹きにストップがかかっているのかもしれない。


2018.3.3(土)晴れ 久々の多摩川

細工をしたウィリエールに乗ってひさびさに多摩川に出かけた。宮崎台に住む女子をそのウィリエールに乗せようという算段だ。それで自転車を気に入ってくれればよいがという思惑がある。

彼女はドロップハンドルの自転車は一度も乗ったことがないという。それなのにいざ乗ってみるとバランス良く力強く走っている。34×21Tで馬絹神社の8%を軽々登っているのをみて、こいつはいけると確信した。

宮崎台からスタートして多摩川を回って20kmほど走った。宮崎台は多摩川に出入りする道が狭く交通量が多い。かなりシビアな道路で初級者にはつらいものがある。そこが難点。


2018.3.4(日)晴れ 花盛りの境川

ものすごく気温の高い日曜日になった。チネリに乗って境川。沿線の梅が見頃、畑の上ではヒバリがさえずる。いい感じの春なんだが南風がものすごく強い。これではモンシロチョウは飛ばないかもしれないがと蝶に気をつけて走る。キタテハらしきタテハチョウとモンキチョウはけっこう目についた。

ちょっ気になっていたのが先日の増水だ。木曜の早朝にわりとまとまった雨が降った。高鎌橋の増水状況を調べると最大で150cmとあった。これまでの観察からオオカワヂシャに大きな影響がでる増水ではない。ただ、ここのところは安穏とした日々にあまえた個体がずいぶんはびこっている。ひとまず新道大橋付近のものをみれば草体に若干の傷があるものの大半が残っていた。

自転車は向かい風を練習して回す練習。最初はあまりうまくいかない。太ももを使った踏み込みは封印してあくまで尻で踏むように。2時間ぐらい集中してようやくそれなりになる。

ホトケノザがいい感じに咲き誇っておりついでに撮影しておいた。境川では真冬でもホトケノザはややいじけた感じの花をつける。春になればきれいさ100倍だ。そういえばと大和南高校前のオオカワヂシャもチェックした。護岸のコンクリに根を下ろしている個体が流されていることが予想できたからだ。思いのほか被害は少なく半数ぐらいは残っていた。先日撮影した個体は流されてしまったようだ。


2018.3.10(土)くもりのち晴れ リセット

 遊水地

チネリに乗って境川。昨日金曜未明にけっこうな降水があった。横浜市水防災情報のページによれば高鎌橋では最大で4m超の増水だ。4mだと越流堤を越えて遊水地に水が入ってくる。

私のオオカワヂシャたちは全部流されてしまっただろうと予想して南高校前の川をのぞき込んだ。探すまでもなかった。河床の全ての土砂が入れ替わっているのは一目瞭然だ。根ばりの悪いオオカワヂシャが耐えられるはずもない。新道大橋付近でも全滅。宮久保橋堰堤でもヤナギゴケごと流されて灰色のコンクリートが生々しく見えている。

残るは鷺舞橋下の湧水付近の群落だ。比較的小さい個体群が薄く堆積した泥に根を張っていた。橋からのぞき込むと写真のようにまだ水の濁りが取れておらずオオカワヂシャのあるなしは確認できなかった。ともあれ、これでひとまず境川はリセットされた。この後、春から夏にかけてオオカワヂシャが芽吹いてくるのかどうかが観察の焦点になる。

それにしても、私のオオカワヂシャたちは速やかに相模湾まで流されていったことだろう。いまごろずいぶん息苦しい思いをしているに違いない。きっとやつらにも海水は塩辛いはずだ。

淡水の水草が海に適応していくことはできそうもない。逆はどうなんだろう。そもそも植物は海中で誕生したはずだ。海から陸にあがって、陸上に適応した植物がもう一度水にはいったのが水草だろう。オオカワヂシャのような花も実もある高等植物は全部その過程をへたはずだ。

この先も、10万年をかけて湾が潟になって汽水湖を形成し、汽水湖が海から隔絶されて淡水湖になれば、元の海中で生育していたアマモのような海草が淡水性のセキショウモのようになるかもしれない。いや、待てよ。セキショウが茂る淡水湖が汽水化していくことがあったなら、セキショウがアマモみたいになるかもしれないじゃないか。


2018.3.11(土)晴れ オオカワヂシャは残った

 遊水地

すっかく春めいた境川に女房とサイクリング。彼女にはシート長さ480mmのフレームはかなり大きい。

遊水地に入った水の濁りがとれて気になっていた湧水のオオカワヂシャの姿が見えるようになった。遊水地の中は水流が弱いから2mほど浸かったとしても全滅はないだろうと予想していた。思いのほかよく残っている。湧水のそばというちょっと特異環境とはいえ、境川のオオカワヂシャの通年観察には欠かせない。本流の対照になる。

女房はちょっと大きめの自転車で快調に走っている。追い風だとごく短い間ながら25km/hも出せる。向かい風でも20km/hだ。最近のシフトレバー内蔵型のブレーキは大きすぎるからと30年前のアルテグラショートリーチなるものを引っ張り出した。それがけっこういい感じのようだ。クランク長165mm、ハンドルバー幅40cmでもかまわないみたいだ。シフトはダブルレバーを使っている。ウィリエールにはシマノのWレバーがちゃんと付かないという弱点があるので、サンツアーのシュパーブプロにした。8段のシュパーブレバーと9段のデュラエースリアディレーラーは好相性で9段のデュラエースカセットが使える。最大か最小のギアが1枚使えないだけだ。

ウィリエールと同等ぐらいのフレームが3万円ほどで買えるがはてどうしたものか。最近のできあいフレームを買うとWレバー台座がなくこういうセッティングができなくなる。小型のブレーキブラケットが開発されるのを待つか、レバーまでの距離を小さくできる昔のSORAで辛抱するか、シマノのバーエンドシフターを使うかということになる。


2018.3.17(土)晴れ まさかキブシを

 キブシ

ナカガワで境川。というか平塚まで行ってきた。高麗山を撮ってやると約束したからだ。

藤沢の海まで出て134号線を走る。134号線のような広くて車が多い道は35km/hぐらいで走る。境川ではありえない速度だ。境川では25km/hぐらいでけっこうな速度だと感じているけれど、134号線では30km/hでも遅すぎる感じだ。自動車列の追い風効果もあるにしろ奇妙なもんだ。

高麗山は南から見るとどってことない山並みだが、東から見るとこんもりしてかわいらしい。高松の近辺にある山みたいだ。仙台にも太白山ってのがある。あんな感じだ。浮世絵と同じポイントで撮った。

湘南はすっかり春でモンシロチョウがずいぶん飛んでいる。ちょっと早めに出ていたモンキチョウは交尾なんかしてる。コンビニの水路脇はアリが右往左往。来週にはハナアブなんかのハエ、蜂系がぶんぶん飛び始めるだろう。

246そばでキブシの花を発見。まさかキブシを境川で初見するとは思わなかった。半原越からずいぶん遠ざかったものだ。春爛漫の清川村を見る気も起きなかった。いくらなんでも山桜は見に行くだろう。


2018.3.18(日)晴れときどきくもり ついに戦力外通告

 ドクダミ

朝に庭を見回ってみた。タネツケバナとかヒメオドリコソウは撮っておきたかったからだ。ニコンD100のスーパーマクロを持ち出してみたものの、使い物にならなかった。去年までだましだまし使ってきたスーパーマクロもいよいよ戦力外通告する日が来たようだ。

しかたなく撮る楽しみという点では劣るTG-5を持ち出した。トウダイグサは茂みを作り、ドクダミはしっかり葉を広げている。夏の希望だ。

境川は女子のコーチとして40kmほど走ってきた。ハナアブなんかもかなり飛び回っている。香川照之の昆虫すごいぜ!を楽しみに見ている彼女もリアル虫けらは嫌っている。オオカワヂシャよりも黄色いぼんぼりをつけるミモザなんかを喜んでいる。そりゃまそうだ。道路を歩くイモムシを愛でる女子はめったにいるもんじゃない。家庭内に2人、職場に一人いるだけだ。ガールフレンドに風変わりな好みを押しつける気はない。


2018.3.24(土)晴れ 新フレーム購入

ツバメは川の上で群れ飛び畑の上空ではヒバリが歌う。春爛漫の境川にウィリエールで出かける。ウィリエールはいろいろあってブルホンバーに変更している。いろいろといってもたいしたことはなく一番セットしやすいのがブルホーンバーだったのだ。

ブルホーンのウィリエールはまずまずよく走る。バーのちょうど曲がっているところに手をおくと楽でいい。上ハンはけっこう習熟が必要なテクだが、こちらだと練習もいらない感じだ。たぶん初心者用にはブルホーンバーが一番あっているだろう。

ウィリエールがブルホーンになったのは女房用に新しいフレームを買ったからだ。TNIのコスパ最強のアルミフレームだ。なんと3万円。余計な工作が一切ないそのさっぱりとしたデザインはとっても好感触。なんとフレームにロゴすらない。シールが付属しておりそれを自分で貼れというから笑ってしまう。フレームサイズでいえば440mmのを買ったが、こういう背の低い人用のものならヘッドチューブは120mmあったほうがいい。小さいフレームはハンドルバーを下げるのが難しいからと100mmになっているのだが、そんな選手的なライダーが3万円のアルミを買うとも思えない。リアセンターもフロントセンターもぎりぎりまで詰まっている。その辺の乗り味もちょっと興味がある。

かつては自転車の組み立てが得意だった。TNIは雪の春分に丸一日かけて組み立てられずちょっと自信喪失してしまった。そもそも準備が悪い。持っていると思い込んでいたコラムスペーサーがなかったのがまず敗因。現物をチェックしとけばよかった。フレームなんてヘッドコラムを切ってしまえば半分できたも同然なのだが、スペーサーなしでは現物合わせができず、肝心なスタートラインが切れない。

できるとこだけやるにしても気が乗らない。何をするにも作業の段取りが悪い。時間の半分以上をパーツ、工具を探すことに費やしてしまう。集中力が持続できない。そういうところにも老いを感じてしまった。春分の日にはウィリエールのパーツを半端に移してゲームオーバー。挙げ句の果てに、今日走るためにセットしたウィリエールのハンドルバーを逆さまに組み込んでしまう。

境川を90kmばかり走って早めに帰宅して作業の続き。今日は、必要な部品と工具をあらかじめ揃えて作業に臨んだ。そのかいあってまずまずスムーズに事が運んだ。やれやれといったところだ。


2018.3.25(日)晴れ 春の半原越

 半原越

ウィリエールで半原越。もはや日曜午前の境川になんの魅力もない。後ろ髪を引かれることもなく半原越。

全然登れないだろうなと覚悟していた半原越だが、犬橋を過ぎたところで通行止め。体力的にも道路的にも登れない。崩壊した路肩の工事に伴う通行止めだ。崩れたところは想像が付く。きっとあそこだ。素人目にも補強したほうがよさそうな場所があった。

問題なのは工事の期間だ。行政が腐敗しているせいだとうがっているのだが、神奈川県はときとして、どうでもよい目立たない土木作業に対して信じられないぐらい時間と経費を費やす。さて半原越の開通はいつになるだろう。半年か一年か。通れないではしょうがない。下って通行止め区間までのハーフ。

半原越は春爛漫。風のない日だまりはぽかぽか陽気。エナガやヤマガラがせわしなく鳴きながら枝を飛び交う。蝶も多い。目立つのはテングチョウ。この数年春の半原越はテングチョウのラッシュだ。せわしなくてとまっている時間が短く撮影させてくれない。シジミチョウも多い。一見した感じはヤマトシジミなのだが何かが違う。いったいなんだろう? と交通事故にあったらしい個体をしっかり撮影しておいた。翅裏の斑紋で調べればシルビアシジミらしい。

それにしても登坂力がぞっとするぐらい落ちている。いぜんなら春先だめでも夏にはけっこういけてた。さて今年はどうだろうか。ただ、走れなくても無事に春をむかえることはできた。素直に春を喜ぼう。

相模川の近辺をいろいろ回った。善明川はおそらくいまが一年で一番きれいなときだ。まずはカワムツのご機嫌うかがい。水路に出ているやつはどうにも敏感で撮影させてくれない。さすがはキングオブフイッシュと私に言われるだけのことはある。善明川の水草はもはやクレソンばかりと思っていたけど、ミズハコベもあった。ただし妙な凶悪感があってミズハコベらしくない。少女が不良になった感じだ。

相模川の河原はヤナギが緑に萌えてきれいだ。中学生ぐらいの少女がビキニになって川に浸かっていたのには驚いた。鳩川との合流点になり深く淀んでいるところで魚かエビかなにかを捕まえているようだ。まだ水は冷たかろうに。

田んぼの脇にはレンゲが咲いている。肥料用レンゲが籠抜けしたものだ。レンゲは代掻きに合わせて花が咲くように種をまくから咲くのはひと月後だ。野生ではソメイヨシノと同じころに咲くものらしい。ソメイヨシノといえば、毎年わが家のジューンベリーはソメイヨシノに合わせて咲いていたが、今年は遅れている。ソメイヨシノがフライング気味に早いのだ。


2018.4.4(水)晴れ 渋谷のクジャクチョウ

ソメイヨシノにはずいぶん遅く、マテバシイにはずいぶん早いが代々木公園に花見に行った。

その道すがらよくわからないタンポポなんかが咲いている土手を中型のタテハチョウが飛んでいた。敏捷で黒っぽいそのチョウは羽化したばかりとみえるクジャクチョウの完品だった。

四国生まれ四国育ちの私がはじめてクジャクチョウに会ったのは仙台の八木山だった。もう40年前のことになる。その後、山登りに入れ込んだり札幌に住んだりもして、クジャクチョウはわりと頻繁に見かけるチョウになった。それでも美ヶ原あたりでクジャクチョウがマツムシソウに群れる様子は格別だった。

北のチョウがなんでいまごろ渋谷なんかを元気に飛んでいるのだろう。温暖化で南の虫の北上はさまざま確認できる。その逆の北のチョウの南下となると温暖化では説明が難しそうだ。


2018.4.7(土)くもりときどき晴れ 強風の境川

チネリに乗って境川。今日は風が強い。昨日の深夜は嵐のだった。朝には雨が上がっていたものの強い南風が残っていた。境川は逆流するかのように波立っている。追い風を受けるとこがなくても自転車は進む。向かい風はともかく、横風を受けるとけっこう恐ろしい。幸いなのは夜の雨で地面が濡れていたことか。砂塵が軽減される。

境川沿線はあっというまに夏の気配がしている。気がつけばハルジオンがいっぱい咲いている。カラスノエンドウのサヤがふくらんでいる。川岸ではクレソンもオオカワヂシャも満開だ。目の前を黒いチョウが横切る。一瞬だけしか視界に入らず、種名の特定はできなかった。そのサイズからしても夏型のクロアゲハに見える立派な個体だった。


2018.4.15(日)雨のち晴れ 早すぎる

 コシロカネグモ?

早朝に寒冷前線が通過し強い雨が降った。9時頃には晴れ間が出たのでウィリエールで境川。しばらく風邪の症状が強くて昨日のサイクリングはあきらめた。本当はまだおとなしくしているほうがいいのだけれど、いてもたってもいられなかった。

特に練習することもなく、何かチェックしなければならないものもない。境川は増水がおさまって水の濁れもとれはじめている。水が出るのは早いが引くのも早い。そこはさすがに都市河川。本流のオオカワヂシャはこうした頻繁な増水で定着できないのだろう。きっと種はいつもどこにでもあって、年中発芽しているのだけど増水で撹拌されて私に見えるサイズには成長できないのだろうと思った。

いつもの鷺舞橋で湧水をチェックすると、オオカワヂシャは深い水の底に沈んでいる。もしかして越流堤を水が越えてきたのかと土手を観察してみてもその痕跡はない。黄色い花をつけた菜の花はすっくと立っている。泥を被った様子はない。あとで高鎌橋の増水を検索してみれば120cmとあったから越流堤を越える増水はなかったのだ。本流があふれなくても遊水地に水が溜まることはあるらしい。

いつものセブンイレブン裏で小休止。水路をチェックするとクモの巣があった。角になっているところに水平に円網を張っている。体長は5mmほど。一見してジョロウグモと思って驚いた。ジョロウグモがそのサイズまで成長するのは梅雨時だ。いくら何でも早すぎる。今年の春はそれだけ異常なのか? ただ、よくよく見れば腹の模様が違うような気もする。TG-5でしっかり撮って確認するとジョロウグモじゃないことははっきりした。どうやらコシロカネグモのようである。


2018.4.16(月)晴れのちくもり 条件反射の遺伝

パブロフの犬的な条件反射はいわゆる獲得形質であって遺伝するわけがない。母から子へ伝わらないはずなのだ。

しかし、全ての条件反射が個人の一生涯に限定されているものなのだろうか。ずっとそのことでもやもやしている。ある程度の遺伝があったほうが進化の説明がしやすいのは確かだ。ただそれは進化に宇宙人の作為を持ち込むようなもので思考停止のそしりはまぬかれない。

条件反射には不随意なものもある。進んで身につけようと取り組む条件反射もあれば嫌でも身についてしまうものもある。意思どおりにはいかない。私は条件反射がどういう過程を経て始まって強化され定着するのかがわからない。感覚して体が動く一連の反射の奥で起きている神経・精神の仕組みがよくわからない。それは器官が複合してはじめて起きることなのだろうか。それとも細胞レベルの微小な単位でも起きるものなのだろうか。

たとえばアメーバのような単細胞生物が条件反射を獲得するのなら、それは細胞分裂した2体に引き継がれることになるのではないだろうか。単細胞から少し飛躍して哺乳類の母体が獲得した条件反射が胎児に引き継がれていることはないのか。胎児にあれば卵子はどうなのか。

刺激反応系の強化は単細胞の時代からわれわれ生物の課題であり続けているはずだ。そして私が情動の遺伝の有る無しにこだわるのは進化ドライブフォースとして重要だと思うからだ。

たとえば鳥が空を飛ぶようになるとき、もし彼らが漠然とはねをバタつかせているだけでは進化は停滞するはずだ。はねを無用の長物として持て余す期間が少なからずあったとすれば進化の停滞は許されないだろう。飛行のような突拍子もない進化が起きるには、母から子へ飛ぶ喜びが強化されつつ遺伝する必要があったのではないだろうか。


2018.4.22(日)晴れ 背の高いカタバミ

 カタバミ

2週間以上も風邪だか花粉症だかで不調だった。それもまずまず回復した。この土日は天気が良く暑くなって気持ちがいい。ナカガワに乗って境川。

境川の雑草はハルジオンやギシギシがわが世の春を謳歌している。でも私が気になっているのは写真の黄色いカタバミ。いまこいつが境川でブレーク中らしい。従来の背の低いやつはまったく見あたらずこいつばかりだ。

去年の観察では新旧が共存していたが、勢力の問題か季節の問題か、いま境川サイクリングロードの無骨な鉄柵下で花をつけているのはこの背の高いタイプばかりである。

こいつもカタバミらしく日周運動をする。午前中にはしっかり開いていることを確認していたセブンイレブン脇の個体が2時頃には花を閉じていた。こいつの夜はかなり早いようである。

帰宅して近所をちらっと見回ってみれば従来見ていたカタバミもちゃんと開花していた。境川は少し特異なのかもしれない。


2018.4.28(土)晴れ イモムシが多い

 シャジクモ

写真はもう5年か6年ほどやっている田んぼ水槽。今年は屋内でやってみることにした。大学生の娘がミジンコの飼育に使っていたガラス水槽を使っている。貧乏臭いプラケースにくらべてぐっとおしゃれ。セットからひと月近く経過して落ち着いてきた。

メインになっている水草はシャジクモ。つぎに多いのがマツバイ。いわゆるヘヤーグラスだ。葉の幅が広いライトグリーンの草が目立つがこれは水草ではない可能性が高い。水草ならウリカワあたりなのだが、元の水田でウリカワは見ていない。動物はいまのところミジンコが何種類かわいている。過去にはホウネンエビや貝がわいたこともあった。拾ってきた土くれには当たり外れがある。

最近はさまざまなテクニックを駆使しておしゃれな水草水槽を作るのが流行っているらしいけど、これほどシンプルできれいな水槽を作れるやつもいないだろうと鼻高々の今日この頃である。なにしろ濾過器も照明もなく掃除水替えさえ週一程度なのだから。

すっかり初夏の装いになった境川にナカガワででかける。とくにこれといって練習することもない。

アスファルトにはけっこう大きめのイモムシが目立つようになっている。すぐに種名のわかるのが緑のアヤモクメキリガ。いま一番多い。名前がわからない茶色のやつも何匹か見た。そして立派なモンキアゲハ。あいつが飛べばいよいよ夏本番だ


2018.4.29(日)晴れ 犬走りを思い出す

 シャジクモ

小さな田んぼ水槽でも撮りようによってはジャングルみたいになる。今朝はハエトリグモがついていた。水槽の中で泳いでいるカイミジンコを狙っているのだ。何度も飛びつくけれどガラスの向こうにいるミジンコは捕まらない。ハエトリグモは何度トライすれば学習するのだろうか、それともしないのだろうか。覚えたとしても一回眠れば忘れてしまうんじゃないだろうか。

私も自転車の走り方を忘れていた。昨日も今日も境川はけっこうな風が吹いている。夏の初めに恒例の南風だ。その向かい風を利用してがんばろうとするとギクシャクしてスピードに乗れない。足とか腰とか背中だとかが痛くなってくる。ハンドルだって明らかにちゃんと握れていない。たしかに時速30kmほどの向かい風を受けて25km/hで走るのは簡単ではない。だけどそんなにたいへんだったろうか? もうちょっとましに走れていたのは幻か。

3時間半ほど格闘してようやく犬走りを忘れていたことに気づいた。ずっと踏み込みだけで走っていたのだ。最近は初心に還って初心者走りの練習ばかりしていた。その癖がついてしまってせっかく到達した犬走りを忘れていたのだった。


2018.5.03(木)雨のち晴れ ドクダミが咲く

 ドクダミ

朝、玄関に出るとドクダミの花が開いていた。わが家でドクダミが咲くのは5月の末である。いくら日のあたりがよい玄関先とはいっても早すぎる感がある。今年は春がなかった。季節の進みが早く一つまた一つと毎年恒例になっている春の確認をする楽しみがなかった。

やや強い雨があがってウィリエールで境川に乗り出すとノバラの花があった。ノバラも毎年楽しみにしている花の一つだ。先週までは見あたらなかったのに今日には盛りを過ぎている風情だ。いろいろ調子が狂う夏の始まりだ。

自転車は犬走りを思い出したのでもっぱら犬走りの練習。とりわけ南進は時速30km/hの風を利用してペダルのかかりを気にかけた。上死点で膝を伸ばす力を使い、下死点で膝を曲げる力をつかってペダルを後ろに引く。踏み込み時に力を使わないように意識する。それが犬走り。

上死点での膝伸ばしも下死点での膝曲げも少し早めに始めなければならない。私の筋肉の動きには0.13秒ほどのタイムラグがある。0.13秒は1周が0.8秒ぐらいしかないペダリングではかなり大きい値だ。足が一番前、一番後ろを過ぎたときに始めるタイミングでないと間に合わない。そのためには大きく踏み込んでいては間に合わないのだ。


2018.5.06(日)晴れのちくもり 境川に黒曜石!

 溶融スラグ

写真は境川で拾った溶融スラグである。

女房と一緒に境川にでかけてクサフジを見るついでに河原に降りると、スズメバチの女王が水を飲んでいた。いいシーンを見ることができたと、周囲を見渡せばけっこうきれいな石ころがある。ちょっと奇妙な感じがした。境川の流域は関東ローム層の泥ばかりで見所のあるような石ころは落ちていないという思い込みがあったからだ。

礫岩とか片麻岩とかいろいろ物色していると、てかてか光るガラス質の黒い石ころがあった。割れ目はするどくシジミ貝のような模様がある。これはもしかしたら黒曜石ではないかと胸ときめいた。黒曜石といえばカンパネルラが持っていた銀河鉄道の地図であり、弥生人の包丁にもなるという石ころ界のVIPなのだ。

しかし、黒曜石が境川にあるのは変だ。河原には他にも変な石がある。東北あたりで産する庭石になるやつとか、深いところでできる火山岩だとか、礫岩に擬態したコンクリートブロックのかけらとか。

思い起こせば境川というところは護岸工事の盛んなところである。その工事はコンクリートだけでなく、何百キロもかなたから運んできた自然石も使われている。なんで護岸工事に自然石が必要なのかは今一つわからない。コンクリートの増量剤なのか景観のためなのか。それが増水でけっこう崩壊するのだ。そのせいで河原の石ころから地学的な推理をすることはできなくなっている。する人もいないだろうけど。

もし黒曜石を拾えるならことは重大だ。人工的なものであることは確実なので、他所から運ばれてきた岩石のなかにたまたま混じっていたという可能性はある。ただしけっこう数が多いのが解せない。古代宇宙飛行士説の提唱者ならば、こういうガラス化した石が転がっていれば縄文時代ぐらいに神奈川県で核爆発があったのだと主張するだろう。

ひとまず証拠として3つばかり持ち帰って石に詳しい娘に見せた。娘のいうことには神奈川では箱根が黒曜石の産地で、かつては河原でも拾えたが今は見つからないそうで、ブツは99.99%の確率で溶融スラグだろうということだ。ゴミを高温で溶かして固めた代物で、その筋では黒曜石に擬態していることで有名らしい。私の隕石がカラミであるのと同じぐらいの確率で溶融スラグみたいだ。またつまらぬものを拾ってしまった。


2018.5.13(日)くもりのち雨 ミズキの毒蛾

朝、いくぶんみのりの悪いクサイチゴを3つばかり食ってウィリエールで女房と境川。午後からはけっこうな雨という予報で境川の人出は少ない。そのかわり多いのがキアシドクガ。去年に多かった下水処理場のミズキに今年も発生している。ほか境川沿線のミズキにはけっこうキアシドクガがついている。

女房が気になるのはミズキよりもクワみたいだ。養蚕をやっていたからではなく貧乏なころに実を食べていた思い出があるのだろう。クワも境川には多い。養蚕の木が逃げ出して定着したのだ。クワにはスター昆虫がいくつか発生する。サイクリングは自転車の速度や技術向上はさておいて虫や草木の見物にシフトしつつある。かといって本格的に虫を見ているわけではない。クワだってクワカミキリを見つけた程度。我ながら半端者だ。

女房のTNIはキシキシという異音が発生するようになっている。一番の原因と思われるチェーンを交換して治らない。ではBBかとBB小物を換えても治らない。ではクランクかとクランクを換えても治らない。ペダル、ディレーラー、ホイールの交換もヘッドの掃除も効果なし。2日ばかり手をつくせど改善の見込みなし。


2018.5.14(月)晴れ いらいらすること

去年の1月までカ計さんが国家戦略特区に名乗りを上げることを知らなかったのは痛恨の極みだった。第一の責任は安部さんにある。カ計さんが以前から獣医学部を作ろうとしていたことは感づいておくべきだった。知っておれば特区の立候補を制止できたろう。首相ともあろう人がプライベートはかなりまぬけである。ただ、全責任が御本人にあるかというと、必ずしもそうではない。やはりカ計さんも悪い。友だちがいのない人ということになる。国家戦略特区はアベノミクス主導者たる首相の案件だ。特区で新学部を作ることになれば、学部新設にあたって利益誘導があったとゲスの勘ぐりを受け、安部さんは痛くもない腹を探られるに決っている。賢い政治家なら首相がそんなあからさまなことをするわけないと心中では理解していても、政争の具としてもってこいだし、話題の欲しいマスコミは飛びつくのだ。それぐらいのことは政治経済の通ならわかりきったことである。友達なら国家戦略特区への立候補は遠慮するのが筋だ。安部さんも3年ぐらい前に知ることができれば、せめて任期中はカ計さんに辞退するようお願いもできただろう。秘書は安部さんとカ計さんが浅からぬ関係にあることを知りつつ岡山理大が今治に色気を持っていることを安部さんに報告しなかったというから、ずいぶんまぬけだった。特区でカ計さんが新学部を作るとなれば、安部さんは無駄な攻を受け、例によって国会が空回りするに決っている。おりしもこのくそ忙しいときである。秘書はカ計さんの目論見をいち早く安部さんに伝えて善処しなければならなかった。友にも部下にもめぐまれない首相は気の毒な人なのか身から出たさびなのか。


2018.5.16(水)晴れ ハラビロカマキリ

 ハラビロカマキリ

今年も庭でハラビロカマキリの幼虫を見ることができた。13日にアジサイで1頭、14日には同じアジサイに3頭、そして今日は少し離れたドクダミでも2頭。

おそらく初齢とみられるハラビロカマキリがこれだけの数見つかるのはきっと近くで産卵があったにちがいない。わが家は幸いにして継続的にハラビロカマキリが生息している。年々虫の種類も数も減って、いまやハラビロカマキリはVIPの地位にある。

写真の個体は腹がけっこうふくらんでいるから稼ぎはよいのだろう。さてやつらはいま何を食っているのか。アブラムシはそれなりに発生している。ドクダミの花穂にもわいてアリを集めているところだ。


2018.5.17(木)晴れ コナギ

 コナギ

田んぼ水槽が写真のような状態になっているのに気づいたのは昨夜の10時頃だった。手前に生えている草からなにやら細い茎のようなものが伸びている。初見では花かと思った。しかし茎の先にあるのは葉だ。どうやら水上花ではなく、水上葉を展開しようとしているみたいだ。となれば細い紐状のものは葉柄なんだろう。

驚くべきはその成長の速さだった。昨日は朝に水槽の撮影をしている。メインになっているシャジクモを撮った。外道とはいえ、これほど葉が伸びていたら気づかぬはずがない。最初の発見者は長女だった。午前10時にはこの状態になっていたのだという。ということは2時間あまりで20cm以上伸びたということになる。それはなんぼなんでもあんまりだ。わたしの迂闊な見落としでなければ、折り畳まれて成長している葉のバネがほどけるような仕組みになっているんだろう。そのつもりで観察すれば確認は難しくないはずだ。

ところでこの草の種類だがコナギではないかと思っている。葉の形状からサジタリアかな?とも思えたけど、サジタリア類はもとの田では見たことがない。かといってマツバイにしては立派すぎるので、なにか水上雑草が無理してるんじゃないかとも考えた。

コナギであれば若芽はロゼット状で、根を張り力を蓄えてから水上葉を伸ばすことはあり得る。この数年の田んぼアクアリウムでは毎年1本はコナギがあった。ロゼットになっている葉を注意して見るならば色あせて透明になっている。すでに役割を終えて枯れ始めているように見える。


2018.5.24(木)晴れ一時雨 ドクダミ

 ドクダミ

白い花をつけたドクダミが庭一面を覆っている。それを見て女房がきれいだという。その半面で彼女は庭のドクダミを大量に抜いて乾燥し食べようと企てている。つくづくよい妻を持ったと思う。

ドクダミは梅雨を目前にしたこの季節の白眉だ。花は美しくいろいろ陰気な虫が寄ってくる。ハエ、カメムシ、カマキリ、クモ。そして私の関心事はドクダミに集まるアリにある。花が下からどんどん開いて最盛期を迎えると、アリがたかるようになる。アリの目当ては花序に巣食うアブラムシだ。そして私の目当てがアリがアブラムシから甘露を受け取るシーンの撮影にある。

これまで好感触のカットをものにできていない。アリの執着はものすごくて、しきりにアブラムシを叩くのだが、肝心の甘露がなかなか出てこないのだ。甘露が見えなければアリが甘露を食べるカットにはならない。去年撮れたのはかろうじてそれとわかるかもしれないぐらいのレベルのものだ。この難易度はけっこう高いように思う。私程度の工夫と根性では幸運に恵まれない限りものにできない写真だ。


2018.5.26(土)晴れのちくもり ドクダミのアブラムシ

 アリ

午前中は女房と境川。雲が多く日差しが弱くて涼しい。女房は少しだけ速度を上げられるようになってきた。TNIが体にあっているようだ。しかし、原因不明の軋みは取れない。今日はディレーラーとチェーンをいじってみたが効果なし。これは最初に試したものだった。ダメならダメで、9段のデュラエースカセットにアルテグラディレーラーにしておいた。山に行かないのでリア27Tもあれば大丈夫だろう。

観察を続けている鷺舞橋の湧水を今日も覗いてみた。少し日があいてしまったせいか、前回とくらべてはっきりした違いがあった。オオカワヂシャが満開になっているのだ。春にはオオカワヂシャがいち早く花をつけたものの、すぐにクレソンが追い越してクレソンの白い花ばかりが目立っていた。今日になってオオカワヂシャはクレソンを圧倒し、その薄紫の花がよく目立つ。そしてなぜか湧水が止まっていた。

さんざん自転車をいじってからアリの撮影。満開のドクダミにたかるアブラムシとアリ。去年とおなじくアリはアブラムシをしきりに叩くのだが甘露は見えず。それらしいシーンを目撃することもなかった。ひとまず100カットほど撮って何か写ってないかとパソコンモニターでチェックしても甘露のかの字もない。今年もこのまま過ぎ去ってしまう予感。


2018.5.28(月)くもりのち晴れ プラトンの国家

プラトンの「国家」を読んでいてある一節にどきっとした。話の流れでは人の快楽とはなにか、快楽を追い求める人生の是非とは?というような部分であるけれど、人の快楽の分析で臭いへの言及があったのだ。

いったん快楽を経験すると、その快楽が消失することは不快を生む。ただし臭い快楽は別だというのだ。よい臭いはうれしいのだけど、それが消えても惜しくはならない。そういわれれば確かにそうだと思う。

もしこのことが科学的事実であればその意味をしっかり考えなければならない。虫の意識やさもありなんと感じたから 。


2018.6.3(日)晴れ 夏の半原越

 ミノムシ

実に久しぶりの半原越。もう峠を攻めるような根性もなく心身ともに半原越から遠ざかっている。

半原越はすっかり夏だ。ホトトギスがけたたましく鳴いている。気温はけっこう高いが風があって涼しい。路面になにか落ちていないものかと注意して走っているとミノムシを見つけた。どうやらオオミノガらしい。一応タイムは計っているから、ひとまず頂上を踏んでから調べてみようと先を急いだ。

引き返し拾い上げたミノムシは軽い。明らかに中身は入っていない。調べてみると、すぐに下の方に小さな穴が見つかった。写真のようにきれいな穴だ。何者か小さいのがこの穴から脱出してきたようだ。もしかしたら噂のオオミノガヤドリバエかもしれない。

いつものショートカットはガラスが散乱していたので敬遠して東京工芸大のほうを回って帰ることにした。ずっと利用していたコンビニが2件ともなくなって具合が悪い。しかたなく厚木のローソンで昼飯を買って田んぼの脇で食べることにした。

広めの休耕田に水がはいっている。草ぼうぼうで今年の耕作はなさそうだから、他の田が水を引いたついでに冠水したという様相だ。そこにコガムシらしい虫がいたから驚いた。私の生活圏内でこんなラブリーな虫は見つからないとあきらめているからだ。2cm近くもあるガムシなんて貴重品だ。飛び込んで捕まえたい衝動にかられた。道路をはさんだ田には1cmほどの中型のゲンゴロウが数頭見つかった。ヒメゲンゴロウだろうか。厚木もばかにしたものではない。

ラップタイムkm/hbpmrpmW
区間15'46"5'46"12.3-73138
区間212'42"6'56"10.2-73142
区間319'51"7'09"10.0-70130
区間428'26"8'35"8.5-59142
全 体10.0-68138

2018.6.10(日) 梅雨の境川

雨の境川は貸し切り状態。昨日はけっこう暑くて36分で登った半原越もしんどいぐらいだった。今日の気温は20℃ほどだろうか。絵に描いたような梅雨日和だ。

普段はぜんぜん力を出せない境川も雨の日曜なら追い風でもけっこう走れる。心拍計までつけて上手なペダリングの練習。30km/h巡航の走り方ではちょっとさびしいから、ケイデンスを上げて回す。上死点で足を前に運び、その直後に足を引きずり下ろす感覚で90rpm。体重をかけることよりも筋肉で自転車を進めることに終始する。

イメージするのは脚を折りたたんで叩きつけることと、筋肉は外側のものを使うことだ。とりわけ尻の外側の筋肉を使って脚を上げ下げする。

追い風時に速度は32km/hで、心拍をみれば130bpmあたり。ぞっとするほど低い。向かい風時に速度は27km/hぐらい。心拍を見れば140bpm。あきれるぐらい低い。そろそろ私の心臓も回らなくなってきているようだ。


2018.6.15(金) ホイール整備

いま主として使っているホイールは、9段時代のデュラエースFH-7700とアラヤのRC540を手組したものだ。軽量でだましだまし使っていけるところはなかなかかわいいが、性能とか使い勝手はきっと現行の完組のほうがいいと思う。

後輪はちょっと面倒なトラブルを抱えている。ロックナットがゆるゆるで気を抜くとホイールにガタが出てしまうのだ。後輪をちょっと持ち上げて地面に落とすだけでガタはわかる。リアエンドで締め付ける部分だから、つど指で締めておけば致命傷にはならない。抜本的に修理しようとすればそれなりの面倒事だ。ハブシャフトとロックナットの構造は素人考えとしても理不尽で、もうちょっとましに設計できるはずだと思っている。リアエンドに接するシャフトのネジ山がつぶれるのを放置していた設計者の気はしれない。いまの完組ホイールは分解図をみれば改善があるようだ。

先週の日曜日はそのかわいい後輪のスポークが切れてしまった。スポークの交換はホイールを分解して行う。タイヤ、チューブはもとより、ギアスプロケットも外さなければならない。切れたのはフリーホイール側だったから。おまけに日曜は雨だった。雨の中を走るとリムに水が貯まる。水抜きして乾かさないとニップル、ハトメのサビがひどくなってしまう。リムに水を入れて走るのは重量の面でも不利だ。雨の中を走ったときはタイヤ、チューブ、リムテープをはずしてホイールを乾かさないといけない。それを思えばスポーク切れと雨が重なったのはかえって好都合かもしれない。スポーク修理のついでにスプロケットも洗うことになる。チューブレス仕様のC24-TLはリムに水が貯まらない構造になっていて楽だ。

面倒なスポーク交換のついでにフレームの水抜きをすることにした。フレームを持ち上げて振ると、ちゃぷちゃぷ音が鳴る。1回分とは思えないだけの水が溜まっていた。ものぐさをして水抜きを怠っていた結果だ。ウィリエールはBBに水抜き用の穴がないから、雨の中を走れば可及的速やかに水抜きをしたほうがいい。チタンのフレームなら水が溜まっても致命傷にはならないけれど、アルミ、鉄、カーボン(のアルミ部分)はどんどん腐食が進んでしまう。フレームを買うなら水抜きと部品交換が楽じゃないとだめだ。私には現行の高級カーボンフレームにはきっと腹が立って扱いきれない。チタンフレームをフルオーダーすることになる。


2018.6.16(土)くもり サンツアー&シマノ

えらい寒い日で、長袖をひっぱりだして境川。いまいちウィリエールの仕様が決まらない。うまくいかないのはリアシフトだ。決まらないのもしょうがなくて、8段のサンツアーと9段のシマノを合わせているからだ。バーをブルホーンにして、サンツアコマンドーをシフトレバーにしている。コマンドーは30年ほど前に発明され開発途上で消え失せた(と私が思っている)パーツである。それで9段のシマノをシフトさせるとおおむねうまく行くのだ。

おおむねというのがくせ者である。コマンドーのクリックリングに穿たれた位置決め穴はロー側の2段の間隙が大きいかったような記憶がある。そのせいかシマノXTRのラピッドファイヤーリアディレーラーはリア13Tの位置に止まってくれない。14Tから1段シフトするとトップの12T(11Tはただの蓋と割り切る)に落ちてしまう。フロント38Tだと13Tは多用するギアだから少々具合が悪い。

この不具合の対処法はいくつかある。シマノはかつてワイヤーの張りをデジタルで楽に変えられる小物を製造していた。そいつを使って13Tを使うときだけ手動でワイヤーの張りを強くすればよい。もっとスマートなのはギアの間隔を広げることだ。13-14Tの間にある9段のスペーサーを8段のものにすれば、0.5mmほど間隔が広がってチェーンが13Tをとばすことがなくなるかもしれない。ひとまずこの両方を試してみることにした。

第3の選択肢は工房赤松にシマノ対応のクリックリングを作ってもらうことだが、出費が大きい。


2018.6.17(日)くもりのち晴れ 夏の一歩手前

日曜午前の境川。大好きだったスリーエフ白旗店がなくなっても日曜午前の境川。ウィリエールで出かける。昨日のギア入れ替え作戦はばっちりで13Tがうまい具合に使える。

境川ではキリギリスが鳴いて、路上にはゴマダラカミキリが多い。まさしく夏の風景なんだが、一つ欠けたものがある。まだウスバキトンボを見ていないのだ。今年の湘南はずいぶん早く飛来があったという信頼できる情報があった。そのつもりでそれらしいところを注意してみているもののまだ目撃できていないのだ。

この夏は太平洋高気圧の具合がイマイチのような気がする。早めに梅雨前線が発達してウスバキトンボの北上を阻害しているのかもしれない。原因はともあれ、ウスバキトンボを見ないうちは本物の夏は来ないのだ。

自転車は30km/h巡航のやり方は封印した。あくまで回して乗る。上死点と下死点で推進力を得るペダリングの練習だ。今朝、テレビでフリーパワーというクランクの紹介があった。ペダリングのできない人でもビンディングの感覚を味わえる画期的なクランクだ。体重をかけて踏み込む無駄な力を貯金し回転方向に吐き出すことができる仕組みだ。反力を出すのはシリコンでチェーンホイールにフリーを組み込んでいるようだ。森永さんという私と同い年ぐらいのキャスターが6%ぐらいの坂をすいすい登っていた。たいした発明だ。

ただし無駄な力を装置で推進力に変換できたとしても、走り続けるにはそれなりのエネルギーを使う。一般人だとせいぜい30秒ぐらいしか続かないだろう。そのへんの住宅地にある坂なら、1mしか登れないのが100m登れるようになればじゅうぶんである。私があれを使っても半原越のタイムアップは期待できないだろう。そして正式の試合ではペダリングを補助するバネは使用禁止のはずだ。

自転車は踏み込まないで回す無駄のないペダリングをマスターすべく昨日今日とがんばった。3時間もやるとへろへろだ。


2018.6.18(月) 隠れ帯?

 隠れ帯

写真は日曜に境川の鷺舞橋で撮った蜘蛛の巣である。遠目からでも大きな隠れ帯が見つかって驚いた。これはただ者ではないと近づいてもその帯を作ったはずのクモが見つからない。さて何が起きているのかと詳細に探索すると、巣にいたのは変哲もない小型のクモ、ギンメッキゴミグモだった。

ギンメッキゴミグモがこのような立派な隠れ帯を作っているのは見たことがない。うわさに聞いたこともない。では隠れ帯に見えるのはなんだろう?

最も可能性が高いのはコナラの花穂である。この巣はサイクリングロードの脇にあり、道路向かいは崖になっている。崖の上にはコナラが緑の葉を茂らせている。4月には花が咲いていた。その花が枯れ落ちて巣にかかったままになっていることが想像できる。

花であればずいぶん前にかかったに違いない。クモにとっては巣にかかる大きなゴミは迷惑だろう。小さなギンメッキゴミグモにはゴミを捨てることが難しいのだろうか。それとも外す必要を感じないのだろうか。この隠れ帯が元は花だとしても、しっかり糸が巻かれておりクモはその存在を意識しているようだ。

そもそも隠れ帯の機能を私は知らない。その起源もわからない。ただこうして巣にかかったゴミらしきものがクモに意識されつつ放置される状況を見れば、そこに隠れ帯誕生のヒントが隠されているような気がする。

念の為、巣の下の道路を探ってみれば、コナラの花の残骸はあらかた土に還っているようで、はっきりした花穂は見つからなかった。


2018.6.23(土) 一歩ずつ盛夏に

午後は本降りだという予報を受けて、長袖の背中に合羽を刺して境川。川辺の茂みからはっきりとセミの声が聞こえてきた。ニイニイゼミだ。毎年梅雨のさなかに初鳴きを聞く。一歩ずつ盛夏に近づいていく。ウスバキトンボはいつ初見できるだろう。

境川では例によって回す練習。雨だからサイクリングロードは空いている。雨だからいつもより多めに走った。いつものセブンイレブン裏でコーヒーを飲みながら草むらを見物。ユスリカが草間を低く飛び交っている。さして広くない草むらに数百の群れだ。上下左右にぶんぶんぶんぶんせわしない。むろん羽音は聞こえない。雨粒はけっこう大きいけれどやつらには関係ないらしい。雨粒に当たって墜落するやつは見つからない。たとえそうなってもすぐに飛び立つんだろう。

帰路、なにげに宮久保橋から上流の堰堤を見れば黄緑色の草がぽつぽつ見つかる。増水ですっかり流されていたオオカワヂシャが復活しているのだ。空中オオカワヂシャはまもなく夏枯れするころだ。水中オオカワヂシャは夏場にも芽吹くことが再確認できた。それにしても今日まで気づかないのは迂闊だ。ぼうっとしてこの芽吹きを見逃すところだった。近々梅雨の増水があるはずだ。

帰宅して網戸やアジサイの茂みや隣のお宅の壁をチェック。なにかというと21日の夜からおびただしい数のクサカゲロウが飛来しているからだ。20匹ぐらいが灯火を中心に飛んだり這ったりそれはもう賑やかだ。クサカゲロウは群れる虫ではないだろう。何らかの偶然が彼らを呼び寄せているはずだ。どういう条件でこうなったものか。近所にアブラムシとクサカゲロウの楽園があったのだけはたしかだ。ちなみに寄っているのはクサカゲロウだけで他に虫はいない。


2018.6.24(日)晴れ 雑草の交代劇

日曜午前の境川。女房と出かける。午後からは日が射すという予報でウスバキトンボを期待している。走り出してすぐに目にとまったのはツマグロヒョウモン♀だった。春産卵夏羽化組だろうと思う。

午後遅く出てきたものだから、すぐにセブンイレブン裏で昼食にする。女房はユスリカの群れをみつけてあれは何者で何をやっているのかと聞いてきた。ユスリカの繁殖行動だとこたえておいた。ああいうものに目を止めるのはさすがわが女房だ。

いつもの鷺舞橋に寄った。すきっと晴れて昨日の撮影のやり直し。湧水付近ではオオカワヂシャの夏枯れが始まっている。交代して勢力を伸ばしてきているのがミゾソバだ。雑草の消長を見ているだけでもけっこう楽しい。

遊水地の水たまりはすっかりアオコに覆われ緑色だ。水の循環はよくないようだ。黄色いアサザが花盛り。おそらく人為的に移植された雑草だ。鷺舞橋の休憩所ではコジュケイがけたたましく鳴き、タイワンリスが枝をつたっている。境川には大物もいる。

湧水雑草の交代を目にしてわが家でも交代をはかるべく半分ほどドクダミを抜いた。ドクダミが居座ると夏草の成長が悪くなる。庭の雑草を駆除するにも一本ずつ手で抜かなければならない。庭のクサイチゴは抜かない決まり。抜こうにもクサイチゴのトゲはたいへん痛いので触らないように気をつけている。


2018.6.30(土)晴れ 梅雨明け

日暈

梅雨も明けて南風も強いことだしとウィエールで境川へ。今日は絶対にウスバキトンボが見つかるだろうと期待していた。川に出るといきなりウスバキトンボが3、4頭いた。さい先いい。大和東高校の上流でオオカワヂシャを確認できた。コンクリート護岸に活着しているヤナギゴケにひっかかって根を張っているのが多い。成長は早いが危うい。いずれ境川本流のオオカワヂシャの長生きは難しい。梅雨の豪雨で流される心配はないが、ちょっとした夕立でも2mの増水がある川だから安心はできない。この先どれほど成長できるだろう。

空を見上げると写真のように日暈の虹が鮮やかに出ている。これは環水平アーク日和だとますます期待がふくらむ。

自転車は相変わらず回す練習。いい案配に南風が強く、ペダルがよくかかる。80〜90rpmぐらいで脚を引きずり降ろしつつ後ろに引く方法を練習した。体重をかけるとか前に蹴り上げるというやり方もあるけれど、全部いっぺんはとても難しい。

折り返しの立石橋で環水平アークを確認。ただしよっぽどの環水平アーク好きでないと見つからない程度のものだった。巻雲のできも悪くなって今日はここまで。

帰宅してウィリエールのパーツを新フレームに移植。25年使ってきた手組の後輪は限界を感じていた。もうあきらめようとタイヤ、チューブ、スプロケットを外して新品のアルテグラに移植。手組の車輪はけっこう振れが出ている。もう使うことはないにしても振れ取りはしておくことにした。すると「もうちょっと走りたい」という車輪の声が聞こえてきた。リタイア目前の私自身に重なるものがあって哀れを感じてしまった。もうちょっとだけ使おう。


2018.7.01(日)晴れ ニューフレーム

ライトサイクル

先週の月曜にライトサイクルからニューフレームを引き取ってきた。注文してから完成まで半年ぐらいかかった。材質はチタンでスケルトンから色からなにからなにまでフルオーダーだ。フロントダブルのQファクターでトリプルにできるようにとかWレバーの台座をつけるとか一般的ではない注文も出したが快よく応じてくれた。

いま私の欲しい自転車は市販されていない。そうすればオーダーするしかないのだがカーボンは無理となるとチタンになる。ライトサイクルが格安でチタンのオーダーをやってると聞いて店を覗いたのが冬1月のことだ。見るからに職人肌の店長と軽く自転車談義をして、知識もポリシーもしっかりしている人物だとすぐにわかった。客あしらいは得意ではないかもしれない店長のかわりに事務作業なんかをやっていのは若い女の子だ。自転車が大好きでいっしょうけんめい勉強しているもののいまいち素人っぽい。そのコンビの呼吸が絶妙だ。

面白い店があるもんだとフレームオーダーを即決した。心の中で仕様は決まっている。実現可能かどうかが問題だ。店員の女の子と相談して具体化していく。ダブルレバーとかフロントトリプルとかイマドキのロードではあり得ない注文なので彼女に理解できないこともある。話がかみ合わなくなると、作業中の店長からぼそっと突っ込みが入る。その突っ込みは鋭いけれどときどき間違っているらしい。そんなとき店員の女の子は容赦なく切り返している。まあ愉快な店だ。

そんなこんなで図面をひいてもらって製作にかかってもらったのだが、万事がとにかくゆるい。フレームオーダーだと料金と納期を決めて5万だか10万だかの手付け金を支払うのが普通だろうけど、そういう事務手続きの一切がない。どういうものができるという事だけが明らかなうちに3か月たち5か月たって、さすがに心配になってきた。納期は漠然と1〜2か月ということらしいが、フレームなら半年ぐらいかかっても不思議じゃない。でも本当に私のフレームは製作にかかっているのだろうか? 発注忘れってこともあるんじゃないか? そもそも追加工作とか塗装の料金はいくらなんだろう? メロスを待つセレヌンチウスだってかすかな疑念を抱いたのだ。

そろそろ進捗確認をしなけりゃと決心した翌日、私の心中を見通したかのように携帯電話が鳴った。フレーム完成の連絡だった。取り急ぎ店にうかがって引き取ることにした。女の子が「見たら絶対、おぉって言いますよ」というだけあってものは予想以上に良くできている。サービス精神も発揮して、口に出しておぉっと言った。フォークコラムはカーボンで(電話で知っていた)できているから自分では切れないが、店長がその場で切ってくれるという。それじゃあとお願いすると、まるで竹でも切るように金のこでさくっと切断してしまった。カーボンなんてダイヤモンドの電動工具かなんかで切るもんだと予想していたから、ちと驚いた。それを見ただけでも注文したかいがあったというもんだ。ちなみに追加工作は0円だった。

部品はウィリエールのものを移植した。各種ワイヤーの交換すら必要なかった。ウィリエールはハンドルバー、ブレーキ、変速機を結線したままごそっと取り外せる仕様だ。新フレームもその思想で設計してある。唯一どうしても買い足さなければならないのが前ブレーキの取り付けナットだった。フォークが太いので32mmのナットが必要なのだ。手持ちには15mmぐらいのしかない。土曜日にヨドバシカメラに注文して今日の午前中に届いた。自転車のパーツ購入先第一候補がヨドバシカメラになっている今日この頃である。


2018.7.07(土)くもり アブラゼミを探す

ライトサイクル

ニューフレームに乗って境川に出る。周辺の林からはずいぶんニイニイゼミが聞こえる。林から声が浸みだしてくる感じだ。そのなかにアブラゼミが1匹混じっている。たしかにアブラゼミなんだがシーズン初めのセミはいまいち確信が持てない。これは近づいて確かめる必要があろうと、境川を渡って林に近づいていく。

近づくと肝心のセミの声が消えてしまった。ニイニイゼミも鳴かない。しばらく粘ってみるかと道ばたのクモやらチョウやらを撮影してみた。写真はなにげに撮ったカンゾウ。遠目にはオニユリに見えるちょっと困った花だ。ただ私がオニユリをひいきにしているから困るだけで、こいつは無罪。この田にはまだオタマジャクシがいる。サイズはアマガエルなんだが、それにしては遅いように思う。しばらく待ってもアブラゼミは聞こえなかった。

自転車はとてもいい感じだ。低速で力をかけるとスズメが跳ねるように進む。高速で力をかけるとバネを引き絞る感じで進んでいく。これまでで最高の自転車と確信した。ライトサイクルの店長が「絶対にチネリよりいい自転車になる」と豪語しただけのことはある。

梅雨前線の雲は大量の雨を降らせている。八幡浜の千丈川すら氾濫したらしい。千丈川の氾濫は私の記憶にない。境川の流域の雨量は少なくて、増水は少なく今朝には濁りもほとんどとれていた。オオカワヂシャへの影響はないようだ。


2018.7.10(火)晴れ 田んぼ水槽

田んぼ水槽

今朝の田んぼ水槽である。この数年間、春に近所の田から泥をひとすくいもらってきて、プラケースにいれ水道水を注いて様子を見てきた。当初は日のあたりかたとか換水とか肥料とか、様々な条件が必要そうでどうなるものかと興味津々だった。

5年もやっていると、数時間の直射日光を当てて換水は基本雨にまかせるというやり方でもそれなりの水景ができることがわかった。余計なことは考えなくてもよいのだ。

そうして室内インテリアとしても十分なアクアリウムにできる自信がついて、今年からやってみることにした。

水槽は娘がミジンコやエビや水草をやってたやつを再利用した。土と水は例年通り。明かりは早朝にだけ日光が直射する2階東側の窓際に置いた。人工光は使用していない。水換えは10日に1度ぐらい。水面に油膜が張るのと水が白濁するのを見つつ換水のタイミングをはかる。実際の田はもっと頻繁に水が入れ替わっているはずだ。肥料は一切使わない。実際の田の土はずっと富栄養のはずだ。

そして今日の写真が3か月あまりたったその田んぼ水槽である。生えてくる草の種類は毎年違う。ことしはシャジクモとキカシグサっぽい有茎草とマツバイにコナギだ。アミミドロ、オオトリゲモなんかが発生した年もあった。動物ではいま目につくのはミジンコの小型のやつばかりだ。当初はカイミジンコもいたが姿を消した。今年は貝もホウネンエビも出なかった。そのあたりの虫は泥の量が少ないから外れることが多い。

居間に置いておけば観察する時間も増える。少しずつマツバイが密になり、キカシグサ系の有茎草が伸びていく。コナギの葉の数は増えるが太くはならない。明らかな栄養不足だけど、インテリアとしてはそれもよい。

朝の水換えをして日光があたると酸素の泡がぷくぷく水面に昇っていく。逆光の中でミジンコがちかちかゆらゆら泳ぎ回る。もし1mぐらいのサイズのもので本格的にやったら1日何時間見物についやすかわかったもんではない。


2018.7.14(土)晴れ ドロップハンドル

ライトサイクル

ブルホーンだった新フレームをドロップハンドルに変えた。もともと両方で具合を見るつもりだった。ハンドルバーとブレーキレバーは新規に廉価版のものを買っている。両方とも慣れない形状でそこはかとなくイマイチ感は漂う。こういうものはむやみに変えるものではないな。

走っていてまずハンドルが近すぎると感じた。第一の原因はかつてない高さにハンドルがあること。第二の原因はハンドルの形状に合わせて短めのステムを使っていること。これは調整できる範囲だ。たぶん同じ高さで2cmほどステムを長くすればよい。

下ハンはこれまで水平のを使ってきた。今日のはアナトミック型だ。握った感じはずいぶん近い気がする。適正まで上体を倒せば肘が曲がりすぎる。いっそ下ハンを封印するという選択肢もある。

セブンイレブン裏で休憩をとっていて、ふとサドルを引いたらどうだろうと思いついた。サドルを後ろにすれば相対的にハンドルは遠くなる。ただし、フィッティングで複数箇所を同時にいじるのは悪夢の元になることが多い。だめもとでひとまず1cmほど引いたところ、ハンドルの近さが改善されただけでなくペダリングも良くなった。自転車は第一にサドルの位置を決めておくのが鉄則なのだった。

境川の虫はすでに夏枯れ感がしている。ウスバキトンボはそれなりに増えてアブラゼミの声もけっこう聞こえるようになっているけれども、虫の活動は鈍化しているみたいだ。きっと気温が高すぎるのだろう。風を受けて自転車に乗っている分には死ぬほど暑くはない。さすが湘南だ。


2018.7.20(金)晴れ 蝿が歩く

会社のデスクになぜだか蝿が居着いていた。ごくごく普通のニクバエだ。蝿は軽快だ。なんであんな小さく軽い体であのスピードが出せるのだろう。飛行速度だけでなく歩行速度も半端ではない。しばらくその歩きを観察して、ふと「こいつは歩いているのだろうか」と疑問がわいた。軽快に歩くのは歩くのだが、とても歩いているとは思えない速度で瞬間移動している。飛んでいるにしては体が浮いていない。歩いているにしても、その脚の動きは見えないし、ましてや翅の動きなんて見えるはずもない。もしかしたらたった1回の羽ばたきで3cmほど水平にジャンプできるような技を身につけているのかもしれない。

もし昆虫が陸にあがってから飛行を身につけたのなら、瞬間移動的に地面を歩くこの蝿のやり方が起源なのではないだろうかと思った。


2018.7.21(土)晴れ セッティング

新フレーム

新フレームは写真の仕様で境川試走。気温は猛暑的に高いだろうが南風が強くてけっこう涼しい。日中に走ってもたいしてしんどいことはないだろう。

自転車は相変わらずいい感じで向かい風も追い風もよく走る。ペダルの懸かりがとってもいい。新しく買ったステムもいい感じだ。ただしブレーキブラケットが前過ぎ。

いったん帰宅してセッティングのやり直し。ブレーキブラケットを手前に、ハンドルバーを少し寝かせて、サドルを5mmほど後退させる。ひとまずこれでどうだともう一度境川へ。

今度は北へ向かう。多摩美大までの往復試走だ。ちょっと登りも試してみようと思った。尾根緑道にはいい風が吹く。木々が茂って日影が多い。とっても快適な道なんだが、舗装の問題がある。がたがた振動を拾って足の裏が痛くなる。

梢で鳴くニイニイゼミの他は虫が少ないが、ときおり道路に派手目の虫が出てくる。何をあわてているのか、ミミズをくわえてアオオサムシが走る。カメラを用意して撮影にかかると、慌てて引き返す。せっかくの獲物を盗られてたまるかという動物的な行動に見えた。邪魔してすまん。その点、ゴマダラカミキリは堂々としている。こいつも暑苦しい盛夏の虫だ。そろそろ峠に行かなければ。


2018.7.22(日)晴れ 馬鹿も休み休み走れ

ムラサキシジミ

昨日に引き続き境川。走り始めてすぐに気づいた。今日のほうが暑い。海風があまり入ってこない感じで体温と同じぐらいの空気がまとわりつく気がする。こうなると自転車でもしんどい。練習時間はいつもの半分。水を被りつつ休みながら走ることにした。馬鹿も休み休みだ。

サイクリングでの休憩はもっぱら虫の撮影になる。境川にだって人が来ない木陰の撮影ポイントがある。畑と道路に間にある崖にいろいろな樹木が生えて虫が集まるのだ。狭いけれど距離は100mほどある。

エノキがあってアカボシゴマダラの幼虫でもいないかと探っていると成虫が来た。チョウはそれとなく私にまとわりついている。ときおり攻撃するように頭上に突進してくる。アカボシゴマダラは縄張り意識のあるチョウなのだろうか。

ムラサキシジミが下草を落ち着きなく飛び回っている。止まると地味な裏翅しかみえないけれど飛び立つと青紫に輝く表翅がきれいだ。ちょっと表も撮ってやろうと、慣れないTG-5のプロキャプチャーモードを試してみた。日影だし速いしでまともな写真にはならなかった。かろうじて雰囲気だけでもわかるのはたいしたもんだTG-5。

カラスウリのつぼみをマメコガネが食べているようで撮影しておいた。パソコンモニターで見るといろいろやばい感じがあった。前翅にはしわがあり、ダニがついている。おまけに寄生虫の卵らしきものがある。ほんとに卵だろうか? カラスウリの花のパーツだろうか。もっとまじめに撮っておけばよかった。

マメコガネのそばに緑のと黄色いのと2種のクモがいた。これもまじめに撮らなかった。それぞれ1カットだけの撮影。パソコンモニターで見ると緑のクモはぶれているし、黄色いクモはピンぼけだ。しかも黄色いのは腹の上になにやら小型のクモが乗っているみたいだ。まさかこんなおまけがあろうとは。撮ったときには全然気づかなかった。オスメスなんだろうか? それとも何かの事件に巻き込まれているんだろうか。ピンぼけ写真1枚しかないのは正直がっかりだ。

不純な動機で漠然とシャッターを切っても失敗写真を量産するだけなんだ。倒れそうに暑いサイクリングは終わってもげんなりだ。


2018.7.28(土) よくわからない虫

よくわからない虫

ウィリエールで境川。今日は台風接近でサイクリングロードはすいている。走っていると写真の虫が見つかった。体は節が多く丸くてつややかだ。けっこうな速度で歩く。一見してヤスデだと思ったけれど、並みのヤスデよりもでかい。なんだろなと近づいてみた。

歩く様子をみればずいぶん慌てているようだ。なにかの目的をもって道路を横断しているようではない。イモムシ、毛虫だって道路を歩くときは一直線に進むものだ。彼らにも目標があるんだなと思う。

こいつはオープン環境に出てしまって当惑しているといった風情だ。まっすぐ歩くのはせいぜい30cmほど。すぐに方向転換してしまい道路から抜け出せない。目は見えないのだろうか。歩いていて草とか石とかにぶつかると著しい反応を見せる。体全体を激しく伸縮させて路面を転げ回るのだ。ちょうどミミズみたいだ。その回数が頻繁で、絶対に歩き慣れてないのだと思う。

やはりヤスデではないようだ。脚は明瞭に6本が認められる。腹のほうには尖った毛のようなものがあるが歩行には使用してない。腹足があるかどうかはわからない。なんとなく朽ち木の中に穴を掘って住んでいる昆虫のように思う。

こういう姿はいかにも「原始的」で、ミミズの属する環形動物から多足類が生まれ、多足類から昆虫が進化した見本だとみなされるかもしれない。それは大きな誤解だと思っている。昆虫の本性はあくまで成虫にあるのではないだろうか。

そんなことはともかくこいつは何者なんだろう? こんな正体不明の大型虫がみつかるのだから境川サイクリングロードだって侮れない。


2018.7.29(日)晴れ一時雨 胸に激痛

新フレームで境川。朝の通り雨はやり過ごして午前遅くの出発。けっこう気温が高くて南風が強い。境川まで出て心拍計の数値を見ると150bpmを越えている。ちょっと力の出しすぎ。向かい風に遊ばれたか。出だしはもうちょっとセーブしないとだめだなと思っていると胸に激痛が走った。

無経験タイプの痛みではない。最初チクッと来てガツンとやられる。まずは蜂だと思った。ただ蜂にしては胸にもぞもぞの虫感がない。ジャージの中に飛び込んだとして、その飛び込むところが見えないのは変だ。蜂じゃなければなんだろう? これが噂の心筋梗塞か? もしくは心拍の送信計が発火したのか? そのいずれでもないことは心拍計が妥当な値を出していることからわかった。やはり蜂だろうかと注意してみれば、なにやら胸を這う感じがあり続けて2か所同じ痛みにみまわれた。激痛である。とうていやり過ごすことはできない。

虫ならば一刻も早くジャージを脱いで追い出さなければならない。悪いことに30年ほど使っているジャージは前全開にすることができない古いタイプだ。けっこうぴっちりして汗もかいている。脱ぐことがいっそう虫を刺激しかねない。でも痛みに耐えられない。放置しておくわけにはいかない。自転車を止めてままよとジャージを脱いだ。

幸いなことにそれ以上痛むか所は増えなかった。なにか虫が飛び出してくるか、ジャージの裏に止まっているかと探ったが見つからなかった。虫じゃないとして心臓だとしたら死ぬかもしれないなと死んだときのことをシミュレートした。30秒ほど考えて私が死んでもたいした影響はないことが明らかになってそのまま走り続けることにした。

4時間ばかり走って、痛む所、胸の真ん中を探ってみると痛いのは表面だ。じゃあ心臓ではない。腫れてないから蜂でもなさそうだ。おそらくハネカクシあたりだろうか。虫ならばかえって申し訳ない。やつらは毎秒毎秒懸命に生き抜いている。人を害するなんて余分なことだ。驚かしてすまんとこちらから謝らねばならぬ。


2018.8.1(水)晴れ 罰は教育に有効か?

私はフリーセルを10万個解くことを目標にしている。いま8万4000ほどだから達成の可能性が高い。

ただ数年前はどれほどの期間がかかるか不明であった。速やかに腕を上げ解く速度を上げる必要に迫られていた。正確には、フリーセルの目的は解くことではなく解けないものを見つけることにある。したがって時間短縮のために解ける見込みがたてばそこで手を止めて次のゲームに移ることにしている。

フリーセルで負けるのは、配列の関係で解けるルートが限られている場合だ。あまり考えることなく漫然とカードを移動していても大抵のものなら解けるのだが、1%ぐらいはトリッキーな手を駆使しないと行き詰まるゲームがある。ひっかけ問題になっているものも10%程度はある。そういうのは先を読んで考えつつカードをくらなければならない。

数年前は、引っかかって負けると悔しかった。それで負けた自分に活を入れるために罰を科していたことがある。

罰と言っても簡単なもので、一度失敗したゲームは最後まで解くというものだ。最後まで解くのは屈辱である。しかも20秒ほどを余計に費やすことになる。そもそもの目的が生きている間に解けないものを見つけることであるから、解けることがわかったゲームに時間を割くのは避けたい。それをあえてやるのだから重い罰といえる。

私は罰を受けないようにしっかり考えなければならない。そして罰を避けるためにより真面目にフリーセルに取り組む自分ができるとそのときは考えていた。

ところが、その罰則を決めて数か月たったころ、失敗確率がぜんぜん落ちてないことがあきらかになった。胸に手をあてて考えると、そもそも私はフリーセルに真面目に取り組んでおり、漫然とゲームを進めるなんて、よっぽど飽きているか他のことが気になっているときなのだ。

全力で取り組んでミスを犯した場合、その結果に対して与える罰は無効なのだ。その罰は本願成就の障壁にもなる。下手な罰は逆効果になることを教育者は肝に銘じておいてほしいものだ。


2018.8.4(土)晴れ 秋の気配

仕様が決まってきた新フレームで境川。出発時に女房が「新しい自転車になったんだっけ」ととぼけたことをきいてきた。さすがである。

走り始めるとツクツクボウシを聞いた。気温が高いと世間は騒いでいるけどもう秋の気配だ。セイバンモロコシが咲いている。ナナホシテントウがミントの花に来ている。きっとアブラムシを物色しているのだろうが、さすがにナナホシテントウが出歩くのはまだ早くないかと思う。ミントは清涼感があるから盛夏じゃないと勘違いしているわけでもあるまい。じっさい気温は高くても太陽の凶暴さはなくなっている。境川では海風も入り自転車は全く問題なく乗れる。ただ追い風のときは背に太陽を受けてけっこううだる。

自転車はビンディング使いの練習。一番出力できるのは脚の重さ。下死点でペダルを後ろに引くことと上死点でペダルを前に出して、自由落下以上の初速度を与える。足が落ちているときには脱力を意識する。ハンドルバーを下ハン水平タイプ(シャロー)に変更してみよう。


2018.8.5(日)晴れ チョウトンボを見る

新フレーム

ツクツクボウシが普通に鳴き始め、境川縁の下草にはキツネノカミソリの花がある。南から吹く風の気配は秋だ。今年は秋の虫の活動がずいぶん早い感じがある。ゆく夏を惜しんでもしかたない。ハンドルバーを変更した新フレームで境川へ。出発時に女房が「行こうかな?」と言ってきたけど初級者に今日の気温は高すぎる。秋の気配は私のような夏好きの年寄りだけが感じることだから。

境川の遊水地にある湧水付近をのぞき込むのはもはや習性だ。今日もまたナマズが泳いでいる。遊水地公園はナマズが命をつなぐのに最適な環境に見える。今年2回目の葉を広げているオオカワヂシャが花をつけていた。背の低いままの開花だ。岸辺にある空中オオカワヂシャとはちがう生活環を持っているようだ。水草ならではの特殊なメカニズムなのだろう。

オオカワヂシャを見ていると、ひらひら舞う黒い影。すぐに正体がわかった。チョウトンボだ。たいへんきれいなトンボで神奈川県でもそれなりに生息地は知られているけれども、私の生活圏にはいなかった。以前に境川でそれらしいものを1回だけ見た。あのときは1秒ぐらいの目撃で断定はできなかった。今日のは確実だ。TGー5を向けて撮ってみるぐらい余裕があった。まともな写真にはならないことは分かってるんだが。ナマズが生きて行かれる遊水地公園はチョウトンボにとってもいい環境のはずだ。定着して欲しいものだ。

いったんいつもの白旗まで行って、引き返して帰宅。やっぱりハンドルバーを変更しようと決心した。下ハン水平が捨てきれない。デザイン的には少々ださくなるんだがしかたない。

さくっとハンドルを変えて女房のパスタを食った。「洗濯物を干しにベランダに出ただけで自転車なんかに行かなくて良かったとしみじみ思った」とは女房の弁。禿同してもう一度一人で境川へ。多摩美大まで行って尾根幹で少し遊んだ。


2018.8.7(火) 海に降る雪

太田裕美の歌う「海に降る雪」は大傑作である。もう一つ太田裕美の歌う「冬の蜂」も傑作である。

私は音楽のことはからっきしだ。歌謡曲の良さはもっぱら歌手の声と歌詞で判断している。というていたらくなので、世間的に正しい評価はできていないと自信をもって言える。

概して歌謡曲の歌詞は情緒である。気分、雰囲気のみを追求するものだ。「夏が過ぎ風あざみ、誰のあこがれにさまよう」というようにあ列で韻を踏んでいけば内容無意味でも心地よい。曲に詩を合わせるセンスがあれば基本的なテクニックのみで良い歌が作れる。

歌謡曲には風景であれ心象であれ、写実の力は必要ない。その意味で「海に降る雪」は大傑作だ。あれは実体験があれば書けない歌詞だ。インチキだからである。単なる想像とインチキはちがう。タイトルこそ情景描写であるが、海に降る雪は実景をまったく描写していない。いろいろ情景描写らしき表現はあるものの、どのワンシーンも成功していない。心象の描写すらありえないものである。もとより事実なんてものは糞食らえという気持ちで書いた詩なんだろう。描写を嘘で積み重ねることは普通の人間にはできない。その困難を打ち破って心地よく共感をよび起こす言葉を連ねることができるのはたいしたもんだ。

「冬の蜂」はその対極にある傑作である。あれは実体験がなければ書けない。情景を見ていなければ書けないのだ。歌謡曲であるからには借り物の描写なのかもしれないけれど、すくなくもと元は写実だ。いずれその目の付け所、言葉の選択、技巧がすさまじい。見なければ書けないけれども見たからといって書ける詩ではない。私は写実であって面白い歌謡曲を「冬の蜂」以外には一つも知らない。


2018.8.11(土)晴れ ナガコガネグモ

よくわからない虫

境川に自転車の練習に行っていつものセブンイレブン裏で昼を取った。探すでもなく目の前の草むらを見ていると、ナガコガネグモが見つかった。おそらく成虫♀だろう。腹はけっこうふくれている。この草むらでナガコガネグモが安定的に世代をつないでいることを知っている。

このナガコガネグモは子どもの頃は雑魚だった。たいした虫ではなく捕まえたりいじめたりする対象ではなかった。迫力に欠けるからという子どもらしい単純な理由だ。八幡浜にはもっと大きくてどぎついコガネグモが多数生息していたのだ。

近年ではこのクモですらもいい虫になってきた。目に付くものは総じていい虫である。

この用水路脇にはジョロウグモも多い。ただこの夏は見あたらない。この場所のジョロウグモの消長は草刈りが大きく関係している。水路の中に伸びるジュズダマなどの雑草が適度にあるとジョロウグモの生息に適しているようだ。それが刈られるとジョロウグモはいなくなる。逆にぜんぜん草刈りが入らないと底が見えないぐらいに枝葉が密集してジョロウグモが巣をかけるのに適さなくなる。今年は悪いことに全然刈られていない部分と完全に刈られた部分が水路を二分しているのだ。


2018.8.12(日)くもり 晩夏の蝶

イチモンジセセリ

境川に自転車の練習に行っていつものセブンイレブン裏で昼を取った。昨日と同じだ。いま写真の蝶が多い。境川でも庭でも必ず見つけることができる。晩夏の蝶イチモンジセセリは私のなかではかわいい動物ナンバーワンだ。正面顔がとってもいい。

この水路脇はハリカメムシとかナガコガネグモとか、それなりに虫の宝庫だ。イチモンジセセリを撮って遊んでいると、ツバメシジミらしい蝶が来た。あんまり撮った記憶のない蝶なので一枚撮っておこうとTG-5のセットをしていると、クロアナバチがやってきた。オヒシバの茂みを物色している。ぶんっと飛んで茎をするする歩きすぐに飛ぶ。せわしない。きっと獲物になるキリギリスを探しているのだ。

クロアナバチは境川では初見だ。撮れるものなら撮っておきたいと追いかけることにした。けっこう気が強い個体で近づくと威嚇するように飛びかかってくる。探索行動を続けてくれればよいのだが、すぐに飛び去ってしまった。この貧相な茂みではキリギリスをゲットできる見込みがなさそうだと判断したのだろうか。ではツバメシジミはと振り返るとそこに蝶の姿はなかった。久しぶりに二兎を追って一兎も得なかった。

また何か来ないかしばらく待ってみようと座り込んでぼうっと畑を見ていた。いま正面の畝にはニンジンが育てられている。葉は15センチほどに伸び青々している。そこにキアゲハがやってきた。産卵に来たようでニンジンの葉に止まって腹を大きく曲げている。栽培種のニンジンでもキアゲハは育つようだ。そういえば買ってきた泥付きニンジンの葉にキアゲハの幼虫がついていたこともあった。


2018.8.16(木)晴れのちくもり一時雨 解けないフリーセル

83872番

ついに解けないかもしれないフリーセルにぶつかった。SuperMac FreeCellというOS9時代の古いフリーセルゲームで番号は83872番だ。番号1から順に解いていって、まあようやく解けそうもないのに巡り会った。

まだ不可解宣言を出すのには躊躇している。これまでにも3つばかり「解けないのでは?」と感じたものもあったが、それらも数時間のトライアルで解くことが可能なものだった。83872番はもっと精査してから不可解宣言を出さねばならない。とにかく黒の10とか黒の7とかが絶妙の場所にかたまっているから一目で苦戦は必至だ。こいつだってここまでは来て、あと1枚めくることができれば・・・一番下に黒の7とか赤の4とかがあってくれれば・・・・といったところだ。しばらく苦戦しそうだ。

さきほどから窓の外でエンマコオロギが鳴いている。庭では10年ぶりぐらいのことだ。エンマコオロギはとっても好きなコオロギだ。生息環境を整えて安定的に発生させようともくろんでいるのだが、環境の作り方がよくわかっていない。

エンマコオロギ自体は都市環境に強いコオロギで、今年の初鳴きは渋谷区宇田川町の春の小川を埋め立てた歩道脇だった。この近所の通勤途上でもけっこう聞いている。虫の足でもすぐに歩いてこれる距離にいるのだから庭に定着させるのはそう難しくはないはずだ。


2018.8.18(土)晴れ 秋一番

新フレーム

新フレームに乗って女房といっしょに境川。写真の仕様でひとまず落ち着こうと思う。ハンドルが高くなるぶんステムを長くした。あと5mmだけハンドルを下げればベストのように思う。やはり下ハン水平は捨てられなかった。長年親しんできたものはおいそれとは変えられないものなのか。

この場所の草むらには今日もクロアナバチが来ていた。きっと直翅系の虫がいるんだろうと少し探してみた。大きなものではショウリョウバッタがすぐに見つかった。ショウリョウバッタはクロアナバチの獲物にはなるまい。キリギリス類はいないものかとガサガサすると、小さな幼虫がぴょんぴょん跳びだしてくる。

2から3齢程度の幼虫だ。はて秋のはじまりに登場してくる虫って何だろう。もしかしたら成虫越冬組のクビキリギスとかツチイナゴかもしれない。こういうものの正体を飼育しないで突き止めるのは難しい。飼育は容易だろうから根気だけの問題なんだけど。

日差しは焼ける感じがあったが風は涼しい。この数日ずっと巻雲が良く発達している。夕方には幻日とタンジェントアークが見られた。まごうことなき秋だ。


2018.8.19(日)晴れ 命名 群青

ナナフシ

新フレームで半原越に行った。いつもと同じように荻野川で運良くオニヤンマを撮ったり、ミヤマアカネを多産する棚田脇でプロキャプチャーモードにチャレンジして大失敗したり、順調にスタートを切った。

予想通り好感触だ。小鳥が跳ねるような感じで進んで行くのは組み上げておそるおそる踏み出した最初の5歩といっしょだ。登りで強く踏んでもこの感触があるのはいい自転車にちがいない。とはいってもタイムはどうしようもなく、もう新記録を狙えそうもない。となると、この自転車は「半原3号」とするわけにはいかないだろう。という次第で命名「群青」である。

まったくもって気持ちの良い日でいつもより多めにハーフをやった。登りの途中、ナナフシらしきものが路面でつぶれているのを見つけて「ふ〜んナナフシね」と通り過ぎ、ふと思い直してUターンした。一度、枝切れをナナフシと勘違いした前科があるのだ。戻って確かめればちゃんとナナフシだ。まだこの目は節穴ではないぜと少し安堵した。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間15'00"5'00"-1214.216178169
区間211'06"6'06"+1811.717171170
区間317'15"6'09"+2111.716568159
区間424'42"7'27"+159.817356171
全 体+4211.616867167

半原越を降りて、小鮎川にある休耕田を見てくることにした。前にガムシやゲンゴロウの小さいのを見つけたところだ。ちょっと驚いたことに休耕田ではなくちゃんと水稲が栽培されていた。田植えが相当遅いだけのようだ。稲はすでに穂を垂れはじめ、茎葉は最盛期である。もうゲンゴロウ探しどころではない。

方向転換をして側を流れる幅2メートル三面護岸の農業用水路をのぞき込んだ。何かを期待したわけではない。水があれば覗くのは習い性なのだ。するとまた驚いたことに大きな魚がいる。どうやらウグイのようだ。けっこうな数が群れている。フナもいるし鮎っぽい顔をしたのもいるし、オイカワみたいなのもいる。砂泥をしきりに掘っているのはカジカの一種だ。きれいな流れに群れる魚を見ればテンションマックスだ。やっぱり馬鹿にしたもんじゃないな厚木。


2018.8.25(土)晴れ 台風20号の経済損失

台風20号は四国に上陸して日本海に抜けた。関東地方へのダメージはないと思われたが思わぬ所で被害があった。

木曜の夜、迂闊にも窓を開けたまま眠ってしまったのだ。雨はぜんぜん降らないと予想していたからだ。ところが午前3時ごろに目が覚めるとけっこうな風雨だった。「なんと珍しいこと」とまぬけ感想をもちつつ眠ってしまった。午前6時に起きるとやはり強い風雨だった。さすがに今度は戸締まりが気になって、パソコン部屋に来れば西の窓は全開で雨が盛大に吹き込んでいる。

これにはちと慌てた。カメラとかパソコンとか濡れてまずいものがいっぱいある。とりあえず窓を閉めて、その惨状を確認して乾かせるものは乾かす手だてをして、仕事にでかけた。

さて被害はどれほどか、けっこう気になる。完全に水を被っているのはオリンパスの一眼レフ、2台のキーボード、液晶モニター、各種充電器、改造したレンズ、CFカードなど記録メディアといったところだ。

いそいそ帰宅してチェック。最大の被害は液晶モニターだった。電源が入らない。画面が盛大に水を被ってたから液晶の隙間から内部に浸水したもようだ。次の被害は一眼レフ。電源は入るが、レンズとの連結がまったくきかない。レンズに電気がいかないとピントもズームもできない仕様で半壊とはいえ全損になる。幸いレンズは動くようだ。オリンパスの高級機は水に強いらしいが廉価版はダメだ。モニターも意外にもろいな。その他の細かいものは当座調べていない。結果は後からついてくる。

液晶モニターがないとどうしようもないのでひとまずヨドバシカメラから買って、この日記も打てるようになった。フリーセルもできる。キーボードのチェックもできる。驚いたことに逆さにして振るとじゃあじゃあと水が流れ出た2台のキーボードは無傷だった。人的被害はなかったものの、台風20号の経済的損失はかなりのものになった。ここは神奈川県である。

じつはこの被害は身から出たさびでもある。先日、台風が関東を通過したときに友人が骨折した。地下街の濡れた路面で滑って右足の親指をやっちまったのだ。台風の風雨とはほとんど関係ないけれど、通路が濡れていたのは雨のせいにはちがいなかった。「救急車を呼んでたら東京都で怪我人1とかテレビで出たかもね」などとからかって遊んでいたから、バチが当たったのだ。


2018.8.26(日)晴れ 灼熱サイクリング

ヒガンバナ

すさまじく暑い日だった。

群青に乗って今日は半原越。ただし相模川を渡る前にもうだめだと感じている。吹く風が熱いのだ。体温よりも気温のほうが高いかもしれない。

いつものルートを通って荻野川に出るとヒガンバナが咲いていた。ものすごく早い開花だと思った。荻野川の堰堤に大きな葉の謎の草を発見。アカソのようだ。イラクサの類が謎の草になることは荻野川で確認済みだ。

半原越はスタートするもラップを計る気もおきない。先日、私に経済損失をもたらした風雨は半原越にも爪痕を残している。道路には新しい石ころや木ぎれが散乱している。タイヤを裂かないように注意して走る。時速6kmぐらいのスピードだが集中力は落ちている。じつは止まりそうにえっちらおっちらと暑熱の中を登るのはけっこう好きである。走っているときは辛くても、すべてのサイクリングが良い思い出として残っている。

早くも区間2の手前にある細流で1回目の停車。水を浴びて体を冷やした。こうも暑いと虫の活動も鈍るだろう。めぼしいのはカラスアゲハが吸水してたぐらいだ。

愛川側にちょっと下った水飲み場で昼飯。ハーフはやめて早々に退散することにした。暑くて練習どころではない。意気地もない。

帰宅してたまたま見聞録でヒガンバナの初見日を調べてみれば、8月26日は格別早いというものでもないようだった。気温が高いものだから真夏のヒガンバナだと錯覚が起きたものか。暑熱以外は景色も音も間違いなく秋なんだ。


2018.9.6(木)晴れ 相性ばっちり

群青

群青のホイールをデュラエースにして境川を走ってきた。

自転車のホイールに何を選ぶかってのはけっこう難しい問題だ。高価で軽いやつなら早く快適に走れるというものではない。100万円のホイールでも、人+フレームの相性によってはゴミクズ同然だったりする。その辺がタイヤと違って悩ましいところ。

私が持っているので一番上等なのは写真のデュラエースだ。こいつはカーボンモノコックの半原2号との相性が悪かった。なんだか砂浜を走っているみたいでぜんぜんスピードに乗れない感じなのだ。ただ数字はそれなりに出ていたので感覚の問題が大きい。

ホイールはスポークの組み方と張りでずいぶん感じが変わる。これは昔ながらの手組ホイールで経験してきたことだ。現行のシマノ完組ホイールはこの調整がなかなか難しい。私の技量では太刀打ちできなくて張力を変えて試してみることができない。このデュラエースは近所の自転車屋にお願いして調整してもらった。

いざデュラエースを群青で試してみると、一瞬で相性ばっちりということが分かった。群青は力をかけると小鳥が跳ねるように伸びていくという特徴がある。その感じは今日が一番だった。境川はけっこうな南風が吹いていたけれど、軽々25km/hをキープをできた。


2018.9.8(土)晴れ 天気雨

雲

群青で境川にでるとけっこう強い南西風だった。時速30kmぐらいはありそうだ。風速でいうと8mぐらい。天気予報の風速はそろそろ時速にしたほうがピンと来るんじゃないだろうか。時速65kmの風が吹くと低気圧は台風に昇格だとか、街路樹が折れたときの最大瞬間風速が200km/hだったとか。

その風を利用して90rpmで向かい風練習。するとけっこう大粒の雨が落ちてきた。見上げると写真の雲。高度は2500m幅は2km距離は15kmほどだろう。積雲が強風にちぎられている感じで、どうにも名称が特定できない。よく見れば雲底から下に刷毛で引いたようなグレーの筋が伸びているのがわかる。あれが雨足だ。

高温で湿った空気が上昇気流で凝結して雲になる。水滴は雲の中でぐるぐる回って成長し雨になって落ちてくる。落ちる途中で蒸発しないのだから大粒なのだ。こんな小さな雲からの降水は珍しい。子どもの頃、天気雨と呼んでいた現象だ。


2018.9.9(日)晴れ 解けないフリーセル2

84057番

83872番に引き続き解けないかもしれないフリーセルにぶつかった。84057番だ。もしかしたら全部解けるのかもしれないと疑念をもっていたこの数年であるが、やはり解けないものが2万個ぐらいはあるんだろう。

それにしてもこう立て続けだと信憑性が問題になる。本当に解けないのだろうか。もしかしたらフリーセルの腕が未熟で解けるものを解けないと思い込んでいるだけかもしれない。そういう不安もあるから解けないものばかりに取り組むのではなく、未知のゲームも同時に進めている。もし83872番、84057番が解ければ、目標の10万個は早期に達成するにしくはないからだ。

ただそれも建前で、もしかしたらフリーセルがけっこう好きになっているのかもしれない。解けないゲームを見つけることがいつしかただの言い訳になっているようにも思うのだ。


2018.9.12(水)くもり 庭のジョロウグモ

ジョロウグモ

今年は庭にジョロウグモが少ない。2頭だけである。

先の月曜日に庭の草木を刈る必要から、その2頭の巣を壊すことになったが、24時間もたたぬうちに同じ場所に巣を張り替えていた。

今朝は大きいほうが首尾よくツマグロオオヨコバイを捕まえていた。このあたりは住宅開発が著しい地域で年々森が拓かれ虫が少なくなっていく。庭で安定的に発生しているのはツマグオオヨコバイとかアオバハゴロモとか、クモの餌としてはいくぶん心もとないやつらばかりである。

私は近頃、ジョロウグモの脚がもげるのは同種の喧嘩が原因だろうと考えている。喧嘩はおそらく偶発的なもので頻度は個体密度によるだろう。今年のように2頭しかいなければ、喧嘩も怪我もないのではないだろうか。


2018.9.16(日)くもり 白いヒガンバナ

ヒガンバナ

風邪をひいてだめだめだけどナカガワで境川。写真はいつものセブンイレブン裏の水路で撮った。白いヒガンバナは境川周辺でも珍しいものではない。それは人が観賞用に植えたもののようだ。セブンイレブン裏の水路を「鑑賞」しているのは世の中で私だけのはずなので観賞用に植えられたものではあるまい。ではなぜここに白いヒガンバナがあるのか?

ヒガンバナは種で増えることは滅多にないので種が運ばれたせいではないだろう。では球根となるのだが、球根は人為的にしか移動されないだろう。

となると上流にある土手に観賞用として植えられたものが、大雨の増水かなにかで流されて土砂ごと水路の中に溜まって芽吹いたというのが最も高確率だ。それもけっこうな綱渡りだが。


2018.9.17(月)晴れのちくもり 秋を迎えるために

アカマンマ

私の庭でもようやくアカマンマが咲いた。世間よりもずいぶん遅れた開花だ。日当たりが悪いのが原因だろうか。ミズヒキ、アカマンマ、チヂミザサなんかにせかされるように秋の準備をはじめている。

秋の最重要な作業はクロナガアリの世話だ。庭のコロニーは今年も健在ですでに巣口を開けて働きアリが出歩きはじめている。今年も庭は餌に乏しい。ササガヤの一畳ほどの茂みがたよりだ。それでは撮影の面でも厳しい。やはり境川から種を持ってこなければなるまい。

群青に乗って女房といっしょに秋のみのりを観察してきた。たよりのセイバンモロコシは夏の除草でけっこうなダメージがある。残されたものは大半が花を終えたところ。一部は種がふくらんでいるようで、詳しく見るためにつまんできた。

人間用のマテバシイは豊作だ。大和東高校の水路には例年よりも大きなドングリが大量に落ちている。どうもこの実を拾うものがいないらしい。子どもは当然のことながら、リスもネズミもいないようなのだ。

クズのきれいな花は良い臭いがする。アレチウリの花は相変わらず虫に大人気で蜂やらハエやらを大量に集めている。セブンイレブン裏の水路に巣を張るナガコガネグモはけっこうな数がいる。水路側壁にかけられている卵嚢も多い。草刈りとの相性がよかったみたいだ。


2018.9.23(日)晴れ 秋を迎えて

トノサマバッタ

すっかり涼しくなっていろいろな虫が道路に出てくる季節になった。境川のサイクリングロードには直翅類がよく目立つ。写真のトノサマバッタも多い。普通に道路に出てきている個体は臆病でなかなか撮影させてもらえない。こういうふうに交尾中だとけっこう近づくことができる。やつらには命よりも大切なことがあるのだ。

できれば自転車なんぞにひかれてここぞというときに命を落とさないことを願う。初級者には路面が見えず虫をひいたことすら気づかないらしいのだ。

群青はまさに絶好調で向かい風を受けてもぐんぐん伸びる。これだったら半原越だって風のように走りきれる気がする。昨日半原越に行ってやっぱり体が重いなと感じたことは今日には忘れている。


2018.9.24(月)くもり マテバシイ

女房と境川。気温も高くなくて風もほどほど雲が厚く自転車の練習には良い天気だ。今日はウィリエールを使った。ブルホーンにサンツアーコマンドー装備というちょっと変な仕様。群青があまりにもいい感触なもんだから20世紀のアルミウィリエールが悪いフレームに思える。ちなみに雑誌なんかで「踏んだだけ走る」と書いてあるときは好感触でなかったという表現だろう。ウィリエールは踏んだだけ走るフレームだ。

この季節のイベントにはドングリ拾いがある。毎年境川でマテバシイのドングリを拾っている。人間が食べるためだ。数個はそのまま歯でかみ割って食べている。わが家ではちょっと多めに集めてどんぐり味噌にする。

女房のTNIはキシキシという軋みがどうやってもとれない。ディレーラーハンガーの精度と組み付け設計が劣悪なので、そいつのせいだろうとボンドで固めたけど変化がない。最後に残るのはヘッドパーツだ。ひとまずタンゲのやつに交換してみよう。群青のタンゲは高級品ではないけれど快調だから。それでだめならフレーム廃棄だ。キシキシ鳴る自転車といっしょに走るのは勘弁だ。春と修羅でもあるまい。


2018.9.29(土) 雨の境川

ヒダリマキマイマイ

今年の秋雨前線は例年になくはっきりしていて朝からしとしと雨を降らせている。庭に出てみれば、クロナガアリは巣内のゴミをうずたかく積み上げている。たった1頭残ったジョロウグモ♀にオスがついている。大きな方のメスは行方不明でオスも姿を消した。そのオスではないかと写真に撮って確かめると別個体だとわかった。欠けている脚がちがうから。

午前遅くにウィリエールででかけることにした。9月の雨は冷たいということは45年ほど前からよく知られたことであるけど、そもそも雨のサイクリングはけっこう好きだ。それに、うかうかさぼってはいられないことになってきている。

女房は足を引きずり降ろすように臀筋を使うペダリングを試して25km/hで走りはじめた。内緒にしていた高度な技なのに自分で発見したのだ。

雨の日には境川さえも一味違う楽しみがある。それは普段見つからない虫が見つかることだ。写真のマイマイなんて雨のとき以外はまず見つからない。境川の無骨な鉄フェンスは蜘蛛ポイントになっており各種の蜘蛛の巣を見ることができる。中で最大の楽しみはオニグモだが、日中にご本尊が見つかることはまれだ。今日見つかったオニグモは2頭。大きなのが巣の中央に居座っていた。

この季節の境川サイクリングロードの恒例として、セスジスズメが何頭も道路を横切っている。さいわい雨の日は自転車が少なく交通事故も少ない。メスのノコギリクワガタらしいのが道路を歩いていた。境川の周辺にはノコギリクワガタが生息できる環境はあるので、なにかのまちがいで道路に出てくることがあるだろう。ただ今日は立て続けに2頭見た。そうなると何かのまちがいで片づけるわけにもいかないけれど、仮説も思いつかず、思いついたとしても検証できる見込みはない。

ママコノシリヌグイがかわいいピンクの花をつける茂みで運良く大きなシジミチョウが見つかった。クズの葉上で休んでいるようだった。遠目にウラナミシジミだとわかった。秋のヒロインのお目見えだとばかりに記念写真を撮っておこうと草むらに分け入ると、1頭また1頭とウラナミシジミが飛び立った。群れで移動する習性があったろうか? どの個体も敏感でなかなか近づかせてくれない。センダングサなんかで吸蜜する姿はいくらでも撮らせてもらえた覚えがあり、ウラナミシジミは鷹揚な蝶だと思っていた。状況によるらしい。

9月の雨はけっこう冷たい。自分にも内緒にしているけれど、しつこい風邪がまだ治りきっていない。大人らしく練習は半分で切り上げた。


2018.9.30(日)はれのち雨 台風24号

江ノ島

台風24号が接近している。ちょっと海の様子でも見てこようとウィリエールで江ノ島に行ってきた。写真は昼頃。波は高く風も少々あって飛沫で白く霞んでいる。じつはもっと荒れた海を期待していたものだから正直がっかりだ。

この土日は長野のサイクルイベントに参加する予定で天気の動向には注意していた。台風の進路が定まってからの長野地方の予想は、土曜夜に氷雨、日曜日中は日が射すけれど通り雨。これぐらいのことはTVを見ていれば予想が立つ。

私は気象予報士が大好きで、國本未華、奈良岡希実子、久保井朝美の3名のチェックは怠らない。とりわけ奈良岡希実子さんが朝の担当になっている日には3回ほど見る。場合によっては乗る電車を遅らせてでも見る。天気予報なのに録画なのでこちらの緊張感が削がれるのがちょっと残念だけれど。

私は山育ちで観天望気を得意とし、大学受験の理科は気象を選択し、気象予報士なる資格ができてからは自ら自称予報士となのるぐらい天気にはうるさい男である。それに加えて國本未華さんたちの追っかけをやっているぐらいだから嫌でも天気のことは分かる。最近では台風の進路なんて恐ろしく当たる。偏西風や秋雨前線の具合なんてものについても解説がある。天気予報の要素は複数あって、そのどれを選択して解説するかが彼女らの腕の見せ所であり、ひいては私のひいきを獲得できるかどうかのポイントである。

空を見ているだけで嵐の予想をするのは難しい。近年の予報精度の向上はひまわりや世界最高級のコンピューターの計算力によるところが大きい。24号についてはアメリカに一歩先を越された感はあったけれど、おそらく気象台も本土上陸は1週間前に予想していたはずである。忖度して言いたくなかったのだろう。

江戸時代ぐらいだとどうか。昨日雨が降って今朝にはお日様が照っていた。雲こそ層構造をなして中層の雲は北に流れていた。大気には水蒸気が多く風は少し暖かい。人間が感知できる気象はその程度である。女房は雨の接近が大気の臭いで分かるそうだが、それは超能力一種だ。今朝の観天望気だけで今夜の暴風雨を予想できれば怪物である。江戸時代でも鎌倉あたりに住んでいる古老であれば、江ノ島の波の具合を見て台風接近を予想するだろうけどまさか今夜だとは思うまい。


2018.10.1(月)はれ 中点連結定理

中点連結定理

面白い番組もないので所在なく放送大学を見ていた。非ユークリッド幾何学入門というような題で大学数学の初級講座をやっていた。40年ほど前に大学の授業で同じことを学んだこともあってそれなりに愉快な講義だった。

その講義の中で中点連結の定理が出てきた。三角形の各辺の中点と対する頂点を結ぶと1点で交わるという驚くべき定理だ。その証明は中学のときに学んだ記憶がある。放送の中では三角関数の導入用の興味付けだから詳しい解法はなかった。せっかくだからちょいと自分で証明しようと思った。

必要な補助線は番組の中で言及があった。非ユークリッド幾何学の入り口はユークリッドの平行線公準への疑念にある。中点連結定理は平行線を補助線で使うことで解決できるという。中学校幾何学の定番中の定番だ。そこまで行けば証明は容易なはずだが、比と合同で解けるはずという流れはつかめても暗算ではできなかった。

悔しさもあって紙と鉛筆を持ち出して解いたのが今日の写真。まさかこんなものでこれほどうれしいとは思わなかった。


2018.10.5(金) 魚は流れに逆らわない

けっこうな流速の川で魚は上流を向いて静止しているように見える。魚とはいえ何もしなければ流されるはずなので、何かをしているはずだ。確かに尾は振っている。しかし、その振り方は緩慢で、とても流速に対抗できるものではないように見える。

魚の体は水の抵抗を完璧になくしている。死んだ魚のしっぽを持って水中にポトンと落とすと速やかに水中に潜っていく。それほど魚の流線型の体型とつややかな体表は完璧な遊泳マシンだ。

川の流れに逆らって定位するためには抵抗がないだけではだめだ。時速10kmで環境全体が流れているのだから、対水速度時速10kmで前進しなければ定位できない。それは問題だ。

何かのテレビ番組(←おそらく宇宙人関係)で、流れに定位している魚は水流をその体でうまくいなし、ぶつかってくる水の流れを推進力に変えているという解説があった。

飛行機は翼断面を利用して推進力を揚力に変える。ヨットは帆と舵の操作で向かい風で前進していく。魚は尾を小さく軽く振るだけで体に回り込む左右の流速を変え推進力を得ることができるらしいのだ。

解説されるとそんなもんかなと納得できる。たしかに流れる川で平然と生きていくためには、それぐらいの技がなければ無理だ。

推進力といえば、弱虫ペダルでは超高価なカーボンディープリムのホイールは向かい風を推進力に変えるという解説があった。あっちのほうはあからさまな嘘だ。魚の話も嘘みたいだけれども本当なんだろう。


2018.10.6(土)晴れ 素人の自転車

ウィリエール

写真のウィリエールで境川。群青はいい自転車だが、ウィリエールも疎かにできない。一般の自転車乗りにとって良い自転車とはどういうものかを追求しなければならないからだ。私ぐらいのレベルになれば当然のこととして日本の自転車文化を育てる責任がある。機材は自転車文化の一要素だ。素人にふさわしい自転車がプロと同じなわけがない。素人向けの安価で快適で楽しいモデルがある。その一つの解答がウィリエールだ。速度だって悪くはない。こいつと重量半分の世界最高級レーサーとで半原越を走り比べれば30秒の差はつかないと思う。

じっさい神奈川在住の一般的なサイクリストにドロップハンドルはいらない。とりわけ握力の弱い女子にはドロップハンドルは厳しい。わが美人妻は夜昼峠の登りは普通にこなせても下りがダメだった。ブレーキが引けないからと下りを押して歩くという前代未聞の珍事を披露してくれた。

そして一般的なフラットハンドルよりもブルホーンのほうがよい。姿勢がより自然になるから。ブルホーンだけだと握りが厳しい局面もあり、あえてサンツアーコマンドーを装着している。30年前のアイテムで変速レバーとしてのできは良くない。発展途上で製造中止になったからだ。ウィリエールでは変速レバーとしてより親指をかける突起として重宝している。リアは8段になるがしかたがない。それぐらいあれば必要十分だ。じっさい境川の自転車はギアの使い方なんてむちゃくちゃだ。今の変速機が信じられないぐらい良くできているからかえってへんな使い方になっているような気もする。それでもいいのだけど。

初心者にはフロント50Tなんて巨大なギアはいらない。50と34だと境川を25km/hで流す健脚はアウターロー寄りとインナートップ寄りばかりで走ることになる。コントでなければ悪い冗談だ。フロントは40Tで十分だ。40×28Tのダブルで事足りるだろう。それができるクランクセットはたいへん高価で設計が悪いのが残念だ。しかたなくトリプルにしている。メーカーも考え直して欲しいものだ。

今日は新しく組んだリアホイールを試す日でもあった。さすがに一昔前のデュラエースハブは使い続けるのが煩わしく、ハブだけ最新型の105に換えたのだ。リムやスポーク、ニップルまで使い回しだ。デュラエースから105だとレベルダウンみたいだけど、そうではない。じつは一昔前のハブはありえない設計になっていた。デュラエースだけでなく世界中のハブが変だった。10年ぐらい前だろうか、ようやく改善がなされ、遅ればせながら最新版を入手した次第だ。

ひとまずぎりぎりまでゆるく組んでみた。走った感触はよかったけれど、いかんせん50km走ったら振れが出た。帰宅してニップル1回転半だけ増し締めした。


2018.10.7(日)晴れ 暑かった

昨日とはちょっと仕様を変えたウィリエールで境川。ハンドルバー、ステム、フロントホイールを変更。リアはちょっと硬めに組み直している。

今日はけっこう暑かった。アブラゼミもよく鳴いているけれど、やはり遠慮がち。エンマコオロギはまだまだ絶好調。モズの高鳴きやヒヨドリの金切り声はやっぱり秋だ。

相変わらずのペダリング練習なんだが、ひさびさの暑さにけっこうまいってきた。珍しくも脚を汗が流れている。3時間ほどであきらめて30km/h巡航に変更。しかし時すでに遅く、太ももから腸腰筋まで攣ってしまった。そうなるとサイクリングどころではない。すぐに自転車を降りた。

降りたところがたまたまクヌギの観察ポイントで、なにかいないかな?と探ってみるもめぼしいのは見あたらない。虫こぶがかなりできていること、糸を張って巣を作るおそらく蛾の幼虫が目につくぐらいだ。虫こぶはけっこうかわいいけれどその名は特定できないし幼虫もわからない。同じような虫が集団でヌルデにつくけど同じやつだろうか。クヌギの梢にはアカトンボが止まっている。遠くて特定は無理だ。アキアカネかと思う。そういやウスバキトンボを見なくなった。

ホイールの振れがでないのはいいのだけど、やっぱり硬い自転車になってしまった。太めの25cぐらいのタイヤを低圧で乗るほうが快適だろう。今日はコンチネンタルの廉価版ウルトラスポーツ23cを6.5気圧にしてみた。ちなみに同モデルのワイヤード27cはなぜか32cぐらいあってウィリエールには入らない。


2018.10.8(月)くもり一時雨 クロナガアリの季節

クロナガアリ

今日は軽く走っておこうと群青で境川。やはりウィリエールとは異次元の走行感であきれてしまう。なんてなめらかなんだ群青。予想通りセブンイレブン裏で雨にうたれながら昼飯。新発売のいもようかんはイマイチ。早めに帰宅することにした。

まずは台風で折れた庭木をなんとかしなきゃなんない。ちいさいノコギリしかなくて作業ははかどらない。腕ぐらいの枝を3本ほど切って、まとわりついたヤブガラシを束ねた。放置しておいて腐ってからまた切ろう。木がごろんと転がっているのも風情ということで。

庭のチヂミザサのみのりはまだだ。そのかわり昨日境川からセイバンモロコシの種を調達してきた。クロナガアリはぽつぽつと種を運んでいる。ひとまず一枚撮っておこうと自慢のスーパーマクロを構えているとヤブ蚊がちくちく刺す。木を切っているときからまとわりついて、ここぞとばかりに総攻撃をしかけてきた感じだ。まあ好きにやってくれ。


2018.10.13(土)くもり 上ハン犬走り

群青で境川。くもりでひんやりして北寄りの風がけっこう強い。先週はうるさいぐらい鳴いていたアブラゼミも今日は静かだ。おそらく低温のせいだ。道ばたのカラムシが灰色になっているのは低温のせいではなく塩害だろう。まだカラムシを枯らすほどの寒波は来ていないはずだから。路面にエンマコオロギの姿がちらほら見える。彼らのシーズンも終盤に入ったのだ。

今日は自転車には絶好の練習日和だ。3日前の天気予報どおり小雨でも降って人払いをしてくれれば・・・というのは高望みというもんだ。

境川での練習は向かい風を利用しての上ハン犬走り。体全体を使っていちにいちにとペダルを回す。登りのタイムトライアル用の走り方だ。実は過去半原越で一度だけ上ハン犬走りに成功している。2011年9月24日のことだ。もう7年が過ぎたのか。あれは台風の爪痕が生々しく残る異常事態の日だった。今に思えば、あれは路面の悪さが起こした僥倖だったのかもしれない。

恥ずかしいことにあれ以来カンペキと言えるような上ハン犬走りはできていない。あの成功で慢心して「この走りはいつでも再現できる」という空虚な自信を持ってしまった。龍勢ヒルクライムの目標達成もあって、半原越で荒い走り方をしても反省せず練習をさぼっていた。

今日は北風を使って38×16Tで90rpmを15分ぐらい。すげーうまくやれている、こんなに乗れたのは久しぶり!と思っている。無根拠に上手に速く走れるような気がするのが自転車の面白いところ。


2018.10.19(金)くもりのち雨 狂い咲き

桑

写真は13日に撮った桑である。境川には桑畑から逸出した桑の木がたいへん多い。戦前は付近で養蚕が盛んだったことをうかがわせる。

問題はこの桑の木に新葉が展開していることだ。秋に新葉がでてくるのはままあることだ。私はこの黄緑の葉が出ている原因は塩害によるものだと思っている。直接的影響は葉が枯れることだが、葉が枯れたことで新葉が開いたのだ。塩害で芽を吹く仕組みの解明にはちょっと推理が必要だ。

私のサイクリングコースにあたる境川や半原越は比較的台風による塩害を受けやすい地域のようだ。この数年は定期的に塩害に伴う異変を観察している。塩害は直接的には葉を枯らす。その後しばらくたってから、新しい葉が展開しているのを目にする。私は葉が枯れて木が慌てているのだと見ている。落葉広葉樹は秋が深まると葉の色づきと共になんらかの化学物質によって芽吹きを抑制しているのではないだろうか。

台風の塩害によって初秋に葉が枯れてしまった場合、冬が来ることを知らせる化学物質がちゃんと作られておらず、木は春が来たと勘違いして10月に冬芽を展開してしまう。つまり紅葉がないと木は冬が来ることに気づかない。冬を予想できなければ10月の気温は芽吹きにマッチする。実は紅葉の意味はそこにあると解しているのだ。

今年の塩害は関東一円で起きているらしく、樹木の葉枯れと桜の異常開花がテレビニュースになっている。桜の開花は葉とちがってよく目立つ。先ほども静岡の河津桜開花のニュースを見たところだ。桜の花芽も冬芽とともに夏の間に準備されている。花芽も紅葉を経ないとうまく冬眠できないのかもしれないと思った。


2018.10.20(土)晴れ 群青のある透視図

桑

なんとなく群青で境川に向かったもののちょいと違うこともやってみようと思いついて、久々の神奈川セントラル正方形時計回り。やっぱり半原越には通わないと自転車の面白みも半減だなと思う。群青だととっても気持ちよく半原越を走れるし。

ところで、群青を作ってもらったライトサイクルではオーダーチタン車の写真を募集している。素敵な試みだと思って、はて群青が似合う風景ってどんなだろうと考えた。もしかしたら駅前の駐輪場が一番しっくりくるかもしれないと撮ってみたのが今日の写真。

中央林間から東京に通うサラリーマンが奮発して4万円もするスポーツタイプの自転車を買った。日曜日には健康のためにこいつで境川あたりを走っている、という感じの写真だ。高級感皆無の群青は予想通り駐輪場の風景にしっくりとけ込んでいる。けれども写真自体の面白みは全くない。こんなものを応募したらライトサイクルの店主は怒るかもしれない。店主は写真好きなのだ。


2018.10.21(日)晴れ 残念な落書き

桑

女房といっしょにウィリエールで境川。とっても良い天気で暖かい。秋雨前線はもう来ないらしい。セイタカアワダチソウやアメリカセンダングサなど、境川の秋を彩る花が盛りだ。ウラナミシジミ、キタテハ、イチモンジセセリ、ニホンミツバチ、ツチバチなんかが集まっている。これぐらいの陽気だとアブラゼミが鳴くかと期待したけれど、それはなかった。

さて今日の写真は二つの意味で残念なものだ。

境川で歩行者が右側通行をするのは不合理である。理由は言わない。日曜に5分ほど歩いてみれば分かることだ。法律では境川のような車道では歩行者は右と決められている。しかしそれは過去の遺物にすぎない。

はじまりは身分制度がしっかりしていた頃の馬車交通の時代だ。馬車は貴族が乗るものだから道を歩く賤民は馬車が来たら避けるのが当然だった。そもそも馬車は進路変更が難しい。馬車が左側通行なら賤民は右を歩いたほうが避けやすい。とても合理的な規則だった。

その決まりは自動車が普及しても引き継がれた。60年ぐらい前まで自動車は身分が高いお金持ちが乗る物だった。しかも当時は舗装がなくて道路はぼこぼこに波打っていた。そこを走る原始的な自動車は進路変更が難しかった。自動車が来たら道路を歩く庶民は道路から出て道を譲るのがあたりまえだった。そのためには右側を歩いたほうがいい。それなりに合理的な規則だった。

そして時代は変わって現代の境川はきちんと舗装され、自転車も扱いやすい物が普及している。境川では自転車乗りは簡単に進路変更ができるのだ。したがって歩行者は自転車が来ても道を譲る必要がない。無理に譲ろうとしても境川は全面的に柵が張り巡らされている。すばやく道路を外れるには体操選手並みの身体能力が必要になる。すでに歩行者の中には自転車乗りよりも裕福な者がいるはずだ。『歩行者は右』は不合理な規則になって久しい。

ポールに書かれてある主張が誤りであることが残念その1。そして残念その2は主張の真偽はともかく、行為自体は落書きという立派な犯罪だということだ。本人は立派なことを言ってるつもりでもやってることは単なる犯罪だ。言うこととやることが違う、目的はともかく手段がなってない、ってことは世間では普通だ。分別ある大人として、こっちの残念には目をつぶりたい。


2018.10.28(日)晴れ アメリカセンダングサ

アメリカセンダングサ

群青で境川。ほどよく風のある良い天気で暖かい。写真はアメリカセンダングサの種。TG-5の接写深度合成モードで撮った。こういう被写体は深度合成が適している。

この種は河原遊びなんかをやっていると難敵になる。服にびっしりついて振ったぐらいでは落ちない。手で払って落とそうとするとけっこう指が痛かったりする。

はてなんでこんなに痛いんだろうと、こいつの種のトゲをよく見ればおそろしく良くできていることに気づく。もふっとした物が種に触れると、先端の又にあるトゲがもふに刺さって草体から外れるようになっている。抜けてついた種はしばらくの間、もふにくっついて運ばれる。そして時期が来ればトゲが弱って抜け落ちやすくなる。種の根元の方には逆のかえしがついていて、抜ける方向に引かれるという案配だ。

双方向についたかえしが指にかかって痛かったんだ。なかなかやるなアメリカセンダングサ。


2018.10.29(月)晴れ 3つめの不可解

86773

SuperMacFreecellは8万番台で不可解が連発している。No.86773は実に3つ目の不可解だと思う。以前の2つは、なんとか解けるんじゃないかと思わせるところもあったが、こいつは一見して難解だとわかる。なにしろ下一列にキング3枚クイーン2枚、2が3枚と揃っているのだ。9もジャックも10も・・・ことごとく配置がやばい。やってみれば案の定ほんの数枚を繰っただけで行き詰ってしまう。縦一列を開けるだけで精一杯だ。こいつに限っては正式に不可解宣言を出そう。


2018.11.7(水)晴れ マツバイ

600450

今年の田んぼ水槽はちょっとおしゃれなガラス容器を使い屋内でやってみた。やりかたは例年通り。春に近所の田んぼから土をいただいてきて水道水を加えて東の窓際に放置するだけだ。

庭と屋内で顕著な差が考えられるのは日照時間だ。2枚のガラス越しに水と草に日光が当たるのは朝の3時間程度だ。真夏でも水温はそれほど高くならない。庭の田んぼ水槽は夏の終わりに40℃以上になったこともあった。モンクロシャチホコ幼虫の糞爆弾を避けるために設置場所を少し移したことで日射を受ける時間が延びたのが原因だった。

泥から芽吹いてくる草は例年と同じものだった。シャジクモ、コナギ、キカシグサ、そしてマツバイ。11月を迎えた今、元気そうなのは写真のマツバイばかりだ。

屋外水槽でならコナギは例年花をつけていたが、今年はだめだった。明らかに草体の成長が悪い。これってコナギ?と疑うぐらい弱々しい体をしている。肥料的には差がないはずなので、日当たりの悪さがその原因だろう。キカシグサの成長も悪い。20センチほどの水深を越える成長はなかった。水面から顔を出せないとキカシグサらしさは発揮できない。元気なのはマツバイばかりだ。秋になっていよいよ密植感が強くなり葉が長くなっている。

マツバイは私のフィールドである境川や清川村の水田では初夏に水草として成長する。盛夏になって田の水が落とされると気中雑草の様相を呈し、やがて花をつける。そして真冬には姿を消している。原因は田起こしによる撹拌かもしれない。

この元気なマツバイは冬にどうなるのだろう。昨年までの経過観察では12月でも緑を保っていた。ただ、ある年に凍結によって水槽が破壊されたことがあり、初氷が来ると撤去してきた。屋内であれば凍結の心配がなく継続観察できる。1年で弱る草なのだろうか、2年3年ともつものなんだろうか。


2018.11.10(土)晴れ 酒匂川サイクリングロード

酒匂川の下調べにいった。境川→134号線→1号線のコース。酒匂川に到着して、まずは左岸から見ておこうと思った。酒匂川サイクリングロードなるものは右岸にある。しかし以前走った感じではけっしていいものではなかったから、左岸の具合を調べておきたかったのだ。ただし、左岸もけっこうトリッキーで少しばかり難航した記憶もあった。

やってみるとやはり面倒な道だ。最初こそ川に沿って快適な道路になっているものの、新幹線を渡るとセメント工場の敷地なのか道路なのか分からなくなったり、けっこう石ころの多いダートだったり、快適とは言い難いものがあった。ただし松田駅までの数キロは信じられないぐらい舗装がよくて広く快適だった。川は浅く砂地が多くて見所はあまりない。瀬になっているところで30羽ほどのサギが群れていたのは見物だった。けっこう魚はいるらしい。

ひとまず松田駅までは左岸を遡り、下りは右岸を使うことにした。右岸はスタートからサイクリングロードになっている。河川敷にはちょっとしたスポーツ施設があって本格的な女子ソフトボールの大会なんかが開かれている。一部、一般道に入るものの、その道路は舗装がよく一本道で迷う心配もない。以前来たときとは比較にならないぐらいサイクリングロードの整備が進んでいる。名物の松並木も健在だった。酒匂川を行くなら右岸がいいだろう。


2018.11.11(土)晴れ オオカワヂシャの芽吹き

オオカワヂシャ

今日も群青で境川へ。定点観察している境川遊水地公園の湧水ではオオカワヂシャらしい水草が芽吹いていた。宮久保橋堰堤のオオカワヂシャも健在である。やはり境川のオオカワヂシャは一年中芽吹いて通年成長できるようだ。

この場所には大きなカメラを持ったお年寄りがずいぶん集まっている。何かスターがいるようだ。私が見る限りではクイナぐらいしかいなくて、インスタ映えとはいかないんだけど、何が目当てなんだろう。ちょっと気になる。

境川でペダリングの練習をするつもりだったけど、なぜか変な気が起きて横浜川崎方面に向かってしまった。なんの面白みもなく練習にもならないつまらないサイクリングをすることになる。年に一度くらい起きる気の迷いだ。

白旗まで行ってなんとなく北東に向かって鶴見川に出て、なんとなくまた北東に走って登戸。尾根幹から尾根緑道を通って境川。境川をずっと走る気にもなれず、16号線を通って帰宅。自転車ってしんどいだけなんだと思ってしまう。


2018.11.17(土)晴れ 虫の多い日

オオカマキリ

群青で境川へ。北寄りの風はあるものの快晴で暖かく小春の一日になった。花桃まで咲いている。ただし塩害による狂い咲きだ。道路には虫が多い。ただしちっちゃいのがアスファルトを歩いているだけだから、歩行者自転車の目には止まっていない。

もっとも頻繁に目についたのはカマキリ。オオカマキリとコカマキリがいた。ハラビロカマキリは見つからず。さすがに晩秋で皆元気はない。発見したカマキリの大半が轢死体だ。傷ついて虫の息になったものも少なくない。コカマキリが翅を立てて威嚇のポーズをとり続けているので妙だと調べてみれば頭が半分つぶれていた。

暖かくて虫が多いとはいえ夏を感じる虫はもういない。さすがにアブラゼミは鳴かないしウスバキトンボも飛ばない。小さく鳴くエンマコオロギの声を数回聞いただけだ。

数からいえばもっとも多かったのはオンブバッタだろう。ちょっと珍しい褐色型もいた。ちいさい緑のもぴょんぴょん跳ねていた。遠目ではオンブバッタの幼虫だと思った。しかしいくらなんでも晩秋に幼虫はおるまい何だろう、と追いかけて撮影しておいた。撮った画像で見直せばオンブバッタの幼虫だ。同定違いとしても尖り頭とつんとした触角はショウリョウバッタの類だろう。いったいぜんたいどうしたことだ。

今日見つけた虫たちは遠からず死ぬ。産み落とされた卵から数えてせいぜい1年の命なのだ。彼らは近づく死をしらない。『みょうに体が重いのは気温が低いからさ。明日になればぶんぶん飛べるぜ』なんてことを思っているかどうかはしるよしもないけれど。オンブバッタやカマキリは翅がぼろぼろで艶を失っている。脚が欠けているものも多い。トノサマバッタに至っては自慢の後脚が2本ともとれていた。

ただ、ほんのちょっと想像力を働かせるならば、私の命もあと数年、もって20年といったところだ。さらに想像をたくましくするなら、私もオンブバッタもこの地球で40億年ほどの命をつないできた。40000000000と4000000020年の差は50歩100歩よりもかなり小さい。


2018.11.18(日)晴れ 晩秋のヒガンバナ

ヒガンバナ

梅や桃や桜が咲いているのはもう慣れっこでビワの花もやたらと早いのだけれど、ヒガンバナにはちと驚いた。

今日も群青で境川。引き足使いの練習の他にも目的があった。それはクロナガアリの食料を確保することだ。庭にある雑草で食用になるのはササガヤばかり。それではなんとも心細いのでなにかを調達してこなければならない。

例年たよりになるのが境川に群生するセイバンモロコシなんだけど今年はどうもいけない。塩害の影響をもろにかぶっているようで、みのりが非常に悪い。穂はしいなばっかりだ。そこで水稲を集めることにした。

水稲は刈り入れが終わって放置されていると、もう一度花が咲いて種をつける。今頃にはちょうど色づき始めてきっとアリにとっては食べ頃だ。ただし10月はじめの気温が低いときは実がつかない。

水稲

この写真のように逆光にすると穂が透けて見える。種が育ってないのだ。今年はうまい具合に1割ぐらい種が入っている。秋の高温が幸いしたらしい。こういう種とか、刈り忘れられた一株二株があればもっけの幸いだ。100粒もあればササガヤ5000個分ぐらいにはなりそうだ。ただし水稲の種は野鳥も大好きだから不用意に庭にまくと横取りされてしまう。


2018.11.19(月)くもりのち雨 アオジ

朝、クロナガアリを撮影しようと庭にでると、チッチと鳴きながら2羽の小鳥が草むらから飛び立った。アオジだ。アオジは毎年私の庭に来る。こいつが来ると庭の冬は本番だ。

アオジたちは庭で何をしているのだろう。スイレン鉢には雨水が貯まっていて何者かが水浴びをしたあとがある。アオジも水浴びをするのだろうか。食べ物であれば草の実ぐらいしかない。そうなるとクロナガアリと競合することになる。拾ってきた水稲の種はアリの餌なのでくすねられると少し悔しい。クロナガアリは庭でしか種をとれないが、鳥は他所でもなんとかなるのだ。

一計をあんじて100円ショップから金網式のゴミ箱を買ってきた。これで水稲の種に蓋をすることで、アリは出入り自由で鳥のくちばしは届かないようにできるはずだ。

こういうことをするけれど、アオジやキジバトも好きだ。半分ぐらいはわけてやろうと思う。多めに拾ってくればよいことだ。


2018.11.24(土)晴れ 晩秋

6000400

群青で境川。飽きもせずに引き足の練習。いよいよ秋も深く夏の名残の直翅類はカマキリとオンブバッタぐらいになってきた。少年の私はこの晩秋の虫たちに接して生まれてはじめて天寿の実在を確信した。あのときの発見はちょっと哀感を帯びていた。自分もやがて死ぬのだとうすうす感じたのだろう。

季節は日々推移している。写真はアメリカセンダングサの群落。一角を覆い尽くすとげとげは壮観だ。この中に入ってしまうとただでは済まない。この繁栄はまさしくわが世の春、望月の欠けることもなしといったところだ。

この場所は9月ぐらいにはクズが占有していた。まさにクズの春、望月の欠けたることもなしと思っていたかもしれない。

しかしセンダングサがクズに勝ったとはいえない。クズは夏が過ぎてさっさと枯れ、クズの枯れた後に茎を伸ばしたセンダングサがはびこったのだ。道長が清盛に座を奪われたようなものだ。道長がいなくても誰かが道長をやっただろうし清盛がいなくても誰かが清盛と同じ事をやったろう。清盛は傑出した才能と運でもって天下一になった。清盛のあと平氏一門からそれだけの人物が出てくる確率はほぼ0である。人間の血にたよる繁栄は続かない。

琵琶法師の歌う諸行無常盛者必衰のことわりは雑草群落の交代と変わることもない。哀感を込めるほどのものでもない。

今年は草むらをちょっと注意して眺めるならば、ヒメジョオンやタネツケバナの花が見つかる。季節の移り変わりに逆らっている変わり者のようにみえるけれども、それは私のくもった目が起こす誤解だ。タネツケバナは彼が根を下ろした所の環境に合わせて花開いた。他のタネツケバナと少しばかり違う素質をもっているのだ。素質のばらつきは草の強さの証明だろう。


2018.11.25(日)晴れ クモ

クモとクモ

群青で境川に出て引き足の練習。昼飯を食うのはいつものセブンイレブン裏の水路脇だ。

目の前の水路のコンクリ面にちょこまかうごめく者がいる。少しばかり庇がある垂直コンクリ面に巣を張っている小型の黒いクモだ。名前は知らない。その動きがあわただしく獲物を捕まえたのだと思った。

見ているとクモに近づく白いクモがいる。大きいほうの黒いので体長は1cmもない。小さいのは3mmといったところ。小さいのは慎重にするすると黒いのに近づき、前足で叩くような仕草をしている。黒いのは白を嫌って追い払っている。白は攻撃を受けると速やかに上の方に離れ、落ち着くとそそくさと黒に近づいていく。

私の目には詳細は見えないのだけれど、その両者の動きから求愛行動だと思った。黒がメスで小さい白がオス。メスが架けた巣に獲物がかかり、メスはその獲物を食べはじめ、その間隙をついてオスが交尾をしかけているのだろう。いまいちメスはその気にならないようで、本気で抵抗している。

そのうちメスの攻撃が止んで、オスがメスの背に乗った。そのままの体勢をしばらくとっている。交尾するのなら背からではだめで腹側に回らなければならないだろう。その通り、オスはメスの周囲を巡っている。でもなにか変だ。メスの腹に入り込む様子がない。何をしようというのだろう。もしかしたらこいつらは夫婦じゃないのかという疑念が起きた。

私はこのカップルの、ほのぼのとした愛の営みを見届けるつもりだった。しかし両者の動きが妙だ。黒は全然動かなくなっているし、白は糸を使って黒を巻くような動きを見せている。

クモとクモ

クモの観察もいいけれど、自転車の練習も大事だ。ひとまずその場を離れて練習に戻ることにした。時間をおいて観察すればその結果はわかるだろう。そしていつもの高鎌橋-白旗をさっさと2往復。

水路脇に戻ったのは30分後。そして目にしたのが2枚目の写真の光景。両者この体勢で動かない。交尾ならメスにも少しは動きがあるはずだ。おそらく黒は白の獲物になっている。

老眼の悲しさで、撮影しつつも何がどうなっているものか判然とはしなかった。帰宅して何十枚か撮った写真をチェックして、やはり白が黒を捕食したのだという結論に達した。

コンクリ側面に巣を張っていたのが小さい白いクモ。そこに黒いクモがかかった。どうやら徘徊性のクモのようである。網にかかってすぐに噛みつかれたらしく、黒の腹には水滴が写っていた。噛み傷から漏れた体液だろう。白は黒に致命的な一撃を与え、ヒットアンドアウェー戦術で黒を絡め取って捕食したのだ。2枚目の写真では黒の体はクモの糸でがんじがらめである。

いいシーンを目撃したつもりでいっしょうけんめい撮影したけれど、真相は平凡な捕食シーンだった。ドラマチックな場面なんてそうそう巡り会えるものではない。


2018.11.29(木)晴れのちくもり ぼけた夢

職場ではアクセス解析ツールを使っている。そこにログインできなくなって1時間ばかり無駄な格闘をした。できない原因は単純だ。パスワードが変更になっていたからだ。解析ツールは主に二人でつかっているもので、相棒がパスワードを変えていた。そのことを聞いていた気もするし聞いていないような気もする。いずれにしても相棒に腹は立たない。ぼけは自覚している。こういうトラブルには慣れっこでさほどショックを受けないのだ。

ぼけショックも夢となるとまた別であるようだ。今朝、ログイン不能問題から端を発したらしい悪夢を見た。

私は卓球の選手で、チームメンバーといっしょに大きな大会の会場に来ている。会場は選手でごった返し、筋肉隆々の学生チームもいる。あんなのに当たったら勝てないな・・・などと弱気だ。

試合までは時間があるので、裏山に散歩に出かけた。裏山でもスポーツイベント目白押しで、急斜面に大勢がたむろしている。のんびり見物しすぎて試合開始の時間が過ぎているかもしれないと不安になった。急ぎあわてて斜面を下る。山下りは得意で、墓場の脇の崖道なんかを飛ぶように駆けていく。

ギリギリ試合開始に間に合い、チームに合流する。相手チームは料理の平野レミさんがキャプテンのチームで、手強そうだ。まあひとまず間にあったということで小休止だ。ここでふっと目が覚めた・・・正しくは「目が覚めた夢」を見ている・・・そこは自宅の寝室である。胸騒ぎを感じて時計を見れば16時を回っている。とっくに試合は終わっている時間だ。

どうやら、寝坊して試合をすっぽかしたらしい。さすがに慌てた。とるものもとりあえず会場にだけは行くことにした。

会場に飛び込んでチームのメンバーと合流するが、たいへん気まずい。仲間もけっこう冷ややかだ。私は内心では、午前中にいったん来ていた可能性もあると思っている。だから「僕は何時からいなかったのでしょう?」という間抜けな問いをする。仲間も曖昧な返答しかしてくれない。みんな機嫌が悪い。記憶がはっきりしないのは困りもので、朝寝坊だったのか、昼寝が長すぎたのか判然としない。居心地が悪くてしょうがない。

そしてふと、そもそも自分の姿がおかしいことに気づいた。格好は明らかに卓球ではない。サッカーだ。しかもゴールキーパーで、大きなグローブまでしている。おまけにアンダーの上に着ているのはパジャマだ。寝坊してあわてているのが一目瞭然だ。しかもグローブなんかは自分のものではない。どうやら他所のロッカールームから知らぬ間に盗んで来たらしい。あらゆる面でにっちもさっちも行かない。ここまでぼけは進行しているのか、もはや戦力外、引退か、と途方にくれているところで本当に目が覚めた。


2018.12.01(土)晴れ 初冬の虫

群青に乗って境川。引き続き引き足の練習。今日から12月。冬だ。でも天気が良くて風も弱い。いわゆる小春だ。

境川に出るとまだまだ秋の虫の姿が目につく。路面にカマキリやバッタが出てくるのは相変わらず。黒い毛虫がすごい速度で道路を横切っていくのも相変わらず。ナキイナゴにカネタタキがまだ鳴いている。カネタタキなんか、もしや鳥では?とブレーキをかけ、引き返して確認したぐらいだ。

チョウもいろいろいる。アカタテハはこれらからの主役だが、ヤマトシジミとモンキチョウはけっこう多い。モンシロチョウ?に見えるのもぽつぽついる。でも、モンキチョウの白タイプと判別ができなかった。

一番調子がくるったのはカエルの死体だ。まだ若いヌマガエルみたいだ。大きな外傷はないが自転車にでも轢かれたのだろう。まさか12月に、しかも天気のいい日にカエルを見るとは予想だにしなかった。

鷺舞橋から湧水を覗いてみると、オオカワヂシャがけっこう伸びている。一足早い春という感じでまもなく開花しそうな勢いだ。


2018.12.02(土)くもり 初冬の境川

境川

群青で境川。引き続き引き足の練習。空は重くくもり北風が吹く。今年一番の寒々しさだ。日が照らなければ虫が動かない。蝶が飛ばずバッタが道路に出てこない。

写真は高鎌橋からちょっと下ったところの境川だ。もともと殺風景な境川が最高潮に殺風景だ。でも私はこういう景色がちょっと好きだ。生まれ育った八幡浜ではこの程度の平地と開けた空さえ望むべくもない。

冬枯れたクズや荻がなんともいい味を出しているではないか。風に穂をなびかせている荻は境川がまだ川として美しく生きていた頃の名残だろう。60年前の姿をちょっと想像して、すぐに考えることをやめた。境川は私の川ではない。この日本にかつての境川のような小河川はもうないだろう。往事を偲んでもしかたがない。ただのないものねだりでしかないから。


2018.12.08(土)晴れ 新城をまねる

246号線を使って多摩川まで出て尾根幹線。群青で出かける。

バーレーンメリダの新城選手のパワフルなペダリングを間近で見る機会があり、真似してみた。サドルを高くして踵を上げてクランク全周にわたって推進力を加え続ける走り方だ。たしかに速いが続かなかった。やる前からはっきり分かっていたことだ。


2018.12.15(土)晴れ 冬枯れのビオトープ

境川

写真は神奈川県自慢の境川遊水地公園ビオトープ。冬枯れの景色がたいへんきれいだ。神奈川県はわざわざ張り紙を出してヤナギを何本か伐採すると宣言している。そういう所にも並みならぬ矜持を感じる。

冬枯れのこの景色の中で、例の湧水ではオオカワヂシャがぐんぐん成長して開花している。あいつの生理はよくわからない。そもそもどの辺で生まれ育った植物なんだろうか。

体の中に四季のリズムは入っていないようにみえる。かといって熱帯育ちとも思えない。地上のものは夏枯れするから日本の盛夏は苦手なようだ。いろいろ総合的に考えてやっぱり暖かい地方の水草なんだと思った。水環境は気温や湿りけ日差し等の植物に必要な環境が安定的なのでそこに特化している草なんだろう。陸から水に戻っている途中なのか、その逆なのか、いろいろ考えさせられる面白い草だ。

境川は冬らしい北風が吹いて自転車の練習にはもってこいだ。寒いと道路もすく。相変わらず引き足練習。

ビンディングの胆は上死点の越え方だ。太もも前、いわゆる青木裕子(元アナじゃないほう)をつかって足を前に蹴り出さねばならない。難しいけれど、それができないようではビンディングを使う意味がない。

そんなことをしなくても自転車はそれなりに進んでいく。龍勢や半原越のタイムを気にしていた頃は思いっきりそのやり方を練習していたが、やめて5年ほどがたっている。すっかりなまってしまって、3時間も練習すれば太ももは痙攣をはじめるし膝裏が痛くなる。そんなこともちょっとうれしかったりする。自転車の練習は痛くてなんぼってこともあるから。


2018.12.16(日)くもり一時雨のち晴れ 小雨の境川

境川

メイクの下手さ加減にうんざりしつつも毎回録画している國本未華さんの天気予報では、境川近辺は昼にざっと雨が降るとのことだった。降っても本降りにはならないはずで、雨の用意はせず、昨日と同じに出発した。雨はすぐに降り始めた。思いのほか暖かい雨だ。

写真は小雨にけむる境川遊水地公園のビオトープ。しっとりして一段ときれいだ。江戸時代には境川沿線はずっとこんな景色だったと見てきたようなことを言う。

雨となれば境川はますますすいてけっこうなのだが、いかんせん脚が痛い。昨日やっちまった右膝裏の痛みを引きずっているのだ。謀らずしも、この痛みはどうやったら起きるのか、どういう動作で痛いのか、回避する方法はあるのか、という研究サイクリングになってしまった。

このプチ故障は幾度も経験している。ペダリングが下手くそゆえに起きることだ。練習強度が高かったためではない。昨日は速度を上げなかった。重いギアを回す練習をしたわけでもない。右だけ痛いのは左右の不均衡ゆえだ。どうして余計なところに力を入れてしまったのか、自分にがっかりだ。練習も短めに切り上げるほかなかった。雨に濡れた手足が痛くなっている。

新道大橋付近はオオカワヂシャの観察ポイントだ。微小な河原になっている浅瀬で多数の芽吹きがある。上和田中学付近の2つの堰堤では、イネ科とおぼしき草が堰堤の速い流れになびいている。境川で何度も目にしてきた草だ。近所の河川で群落を作っているのを見たこともある。きっと名のある草なんだろう。


2018.12.22(土) 雨とクロナガアリ

境川

粒の小さな雨が降っている朝だ。12月の下旬にしては暖かい。ちょっとのどがおかしい久保井朝美さんの天気予報では、今日一日はこんな感じらしい。雨のアリを撮影をするチャンス到来だ。庭に巣を作っているクロナガアリは多少の雨はぜんぜん気にせずに種を集める。

自慢のスーパーマクロをもって庭に出ると、首尾良くクロナガアリは盛んに活動している。しっとり濡れた地面に段ボールをひいて撮影開始だ。れいのごとくササガヤをよく運んでいる。チヂミザサや境川から持ってきたセイバンモロコシも少し混じる。

雨は降っていてもアリのことでなかなか濡れている感じはない。小さな水滴が体についているカットを狙う。できれば頭部にちょこんと水滴が乗っているのがいい。ファインダー越しに眺めていてもなかなかそれっぽいアリは見つからない。だめでも次の一瞬では雨粒がついているかもしれないのだ。運と偶然が結果を左右する。

それほどよい感触もなく500回ぐらいシャッターを押して、いちばんねらいに近かったのが今日の写真だ。


2018.12.23(日) 暖かい雨

蜂の巣

ずいぶん寝坊して床から出たのは10時を過ぎていた。外を見れば小雨が降っているようだった。空の感じでは本降りにはならないようで気温も高かった。自転車には悪くない日和だ。

群青に乗って境川。引き足の練習。走り出してみればやはり暖かく顔に当たる雨粒も苦痛ではない。2月の春雨みたいな感じがする。けむる林の色合いも、ぽつぽつ梅が咲いているところなんかも春っぽい。

右の膝裏はまだ痛みが残っている。強くは踏めない。回転重視で軽めに3時間をめどに練習することにした。

さすがに12月も末で路面に生き物の姿はない。コガネムシが1匹つぶれていただけだ。おやっと思ったのは写真の巣。アシナガバチの古巣のようだ。どうしてこんなものが道路に落ちているのだろう。カラスあたりが食べ物の気配を感じてちぎって持ってきたものの食えるものもなく投げ捨てたのだろうか。


2018.12.29(土)晴れ 境川のクロナガアリ

クロナガアリ

境川に群青で出かけていつものセブンイレブン裏。なにげに前の畑のほうを見ていると、なにやら動くものがある。そこまでの距離は6mほどあり脚も胴体も見えないけれど、動きは確かに生きているもの、しかも昆虫のものだ。何者かはわからないけれど数センチの虫が這っているはずだ。こんな冬になんだろうとTG-1を持って近づいた。

それはタンポポの種を運ぶクロナガアリだった。クロナガアリではプロがよく撮る光景だ。周囲をみればけっこうな数のクロナガアリが歩きまわり小さな種を運んでいる。セブンイレブン裏のクロナガアリは新発見だ。

いまは寒気が入って全国的に冷え込んでいるはずだ。わがやでも初氷が観測されたが、昼ともなれば日が射して地面はけっこうな暖かさになる。しかも境川は湘南とあってクロナガアリが普通に活動できるぐらい暖かい。

冷たい北風が吹き込むのも大和あたりまで。富士山や丹沢のバリアが効いているのか藤沢ぐらいまでくると日中は海風が入ってくる。自転車も快適だ。ぜんぜんつらくない。足先の冷えを軽減するために高価なメリノウールの靴下を買ってみたが、その効果を試せる日ではなかった。


2018.12.30(日)晴れ ピラーが壊れる

柿の木

境川に群青で出かけた。天気が良く微風であたたかい。とってもいい陽気なんだが、トラブル発生。シートピラーが壊れてしまった。サドルを固定する2つのネジのうち1本のナットがバカになった。なんとか直そうといじっているうちに、2本めのナットを紛失した。草むらに落ちて行方がわからない。やっちまった。これではサドルがまったく固定できない。家までの距離は約20km。

シートピラーのやぐらはよく壊れるもんだ。どうしても構造上の問題があり完璧な設計は難しい。耐久性を持たせつつ軽量でメンテナンス性のよいシートピラーを設計するのは至難の技なのだ。メーカーは決定版をめざして模索を続けているようで、いまだに新設計のピラーが市場に出てくる。

今日壊れたのはそもそもインチキなものだ。有名メーカーのふりをした激安の中国製である。何を隠そうそういう製品は好きである。既製品を真似て、いっそう良い物をこっそり作ることで自転車の部品は進歩してきたところがある。かつての日本製はそういうのばかりだったと思う。

元祖のヨーロッパ製だってけっしていいものばかりではない。信じられないような粗悪品が高価に流通しているのが自転車界の七不思議だ。近年では中国製のものがこれでもかというぐらい安価に売られている。玉石混淆で中にはいいアイデアのものもある。そういう風潮を歓迎する気持ちはある。ただし、シートピラーのナットをアルミで作るのはいくらなんでも無しだ。設計した人は自分で使う気はまったくなかったのだろう。

さて、ネジがないシートピラーにサドルを乗せて1時間ほど走らなければならない。やれやれという気持ちで記念撮影して、LINEしてふと見上げると写真の光景があった。

すっかり葉の落ちた柿の木にタモが縄で縛り付けてある。たもにはなにやら布がつけられ、細い棒が天を指している。これが現代アートでなく何か実用的なものであるならば、その意味はまったくわからない。

とほほな目にあって帰宅してピラーを交換して、さあ風呂にでも入ろうと自動給湯のマイコンボタンを押して、風呂が沸いたのを見計らって服を脱いで風呂場に行くと先客がいた。タイミング悪く息子が風呂に入っていのだ。これはしょっちゅうあることだ。自転車で帰ってきたとき、計ったように風呂に入る困った息子だ。

二階に上がって脱いだ服をまた着てぶつくさ文句を言っていると女房に言われた。「お茶でもあがりますか。」やられた!と思った。これぞまさしく趙州の喫茶去ではないか。痛快至極な禅話で、いつかやってやろうと狙っていたのに女房にやられてしまった。秋月龍ミン著「禅の語録II 趙州録」から引く。

師は二人の新至の僧にたずねた、「あんたは前にもここに来たことがおありか。」
僧、「来たことはありません。」師、「お茶をどうぞ。」
またもう一人にたずねた、「前にもここに来たことがおありか。」
僧、「来たことがあります。」師、「お茶をどうぞ。」
院主がたずねた、「老師様、前に来たことがない者に『お茶をどうぞ』とおっしゃるのはともかくとして、前にも来たことがある者になぜ『お茶をどうぞ』をおっしゃるのですか。」
師は「院主さん」と呼んだ。院主は返事をした。
師、「お茶をどうぞ。」

2018.12.31(月)晴れ 今年の重大ニュース

83872

今年も思い起こせばいろいろな事件があった。境川のオオカワヂシャの生態がなんとなくわかったのは大収穫だった。田んぼの泥と水道水で素敵なアクアリウムが作れるようになった。最高の自転車と最高の乗り方が明らかになった。

そうしたトピックの中でもとりわけ重大なのは、スーパーマックフリーセルで不可解なものが見つかったことだ。左は最初に発見した不可解と思われる「ゲーム」の83872番である。

この25年ほどの人生の目標はスーパーマックフリーセルの不可解を見つけることだった。今年はその目標を達成したことになる。

60年の人生で私はいくつかの目標を持った。それらはささやかものばかりで、たいてい成功してきた。最初の目標はゴマシジミの生態をNHKの自然のアルバムで放送することだった。今を去ること50年ほど前に抱いた少年らしい人生目標である。残念ながら肝心なときに自然のアルバムは打ち切りになっていたものの継続番組の生きもの地球紀行でやれた。山口進さんは大恩人だ。

東大に行って大臣か医者になるという目標もあったが、それは母が勝手に抱いたもので、私の知ったことではなかった。当時は立身出世より革新的養殖業や画期的生物農薬を発明するほうが立派だと思っていた。それらはただの夢物語に終わった。私がやらなくても世間の歯車は回っている。近大マグロが流通し、ウナギですらあと一歩の所に来ている。遺伝子工学は急速に発展するだろう。

そしておそらく人生最後の目標になるであろうフリーセルも今年達成できた。1つ見つかれば立て続けに2つ見つかった。84057番86773番である。

残るのは夢と現実の狭間に線を引くことだが、なにをやれば達成になるのだろう。私に手にあまる命題ではないのか。なんだか五里霧中の日常を漫然と生きながらえるだけになりそうだ。

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カタバミ  テトラ  ナゾノクサ
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