たまたま見聞録
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2009.1.4(日)晴れ 冬の芽吹き

芽

庭のムクゲの木の下にどういう加減か落ち葉が積もらず土がむき出しになっている所がある。写真はそこに出ていた植物の芽。おそらくハコベだと思う。去年の春もこの場所で少し貧相なハコベの開花状況を調べた。

この芽は成長のようすから見て、一週間ぐらい前に芽吹いたものだろう。この冬に発芽するのはせっかちだ。例年だと今頃は庭に初氷が観測される。そして2月にかけて、2週間ぐらい融けないこともある。この場所もあまり日の差す所ではないから、頻繁に霜が降りる。この芽が春まで生き残って花をつけ実を結ぶことはないだろう。

ただ、私の目から見れば、このせっかちさも必要なのだろうと思う。ハコベの種はそれこそ無数にできて無数に蒔かれるのだから、個性は広い方がよい。多少寒くても芽吹くヤツ、暖かくて湿った土でも芽吹かないヤツ。いろいろあってこそ100万年にわたって繁栄できるというものだ。もしかしたら、この冬は歴史的な大暖冬で、来週から春になるかもしれない。そうなればフライング気味に芽吹いたこいつの勝ち。並み居るライバルを出し抜いて大穴万馬券ゲットである。

3年ほど前から、人類が二酸化炭素で気候を変えているといわれるけれど、そんなものはたいていの植物にとっては取るに足らないゆらぎなのだろう。


2009.1.8(木)晴れ ビンディングペダルの快感

八幡浜に置いてある自転車のペダルをビンディングタイプに変更した。ありえないぐらい速く走れた。夜昼峠でも、金山の郷の峠でもすいすいだ。何十年も徒歩やぼろい自転車で苦労していた道だけに、その違いがはっきり感じられたのだろう。これまでも、半原越ではビンディング有りでゆっくり走れば26分、無しだと29分という経験もあり、ビンディングの威力は感じていたが、再認識することとなった。

これまで、自転車に乗ってみたいという友人にはひたすら高価な自転車と周辺機材一式を勧めてきた。高価なというのは、その人の経済力に応じた最大という意味である。おおむね30万円ぐらいだろうか。それには私なりの理由があって、競技用に製造されたロードレーサーに乗ってはじめて自転車に乗ることの快感が得られると信じているからだ。いろいろ使い勝手がよいからと、クロスバイクのようなものを選択したり、シティーバイクや折りたたみ式のものに乗っていても、面白みはない。軽快に走れるし、風も心地よく、運動にも、減量にもなるかもしれないが、そんなもの長続きするわけがない。続けられるようなら真性マゾヒストだ。サドルにまたがり、ハンドルを握って、ペダルを一踏みしたときに、ビビッと来るものがあってこそ妙味というものだ。また、凶暴さも必要だ。速度を出せば出すほど安定し、さらに速く走ることを要求してくるような、嫌みが必要だ。しゃかりきになってペダルを踏み倒して時速40kmぐらい出したときに車体がぐらぐらしたり、曲がれなくて恐い思いをするような自転車では話にならない。

一般にプロ用の機材というものは素人には使いこなせないものである。高価なものではフォーミュラーカーから安価なものでは、Photoshop(けっこう高価だが)のようなアプリケーションまで、選ばれた人だけがその良さを堪能できるのがプロ用機材だ。プロが競技で使っているロードレーサーは例外である。ロードレーサーはしょせん自転車で、競輪用のものとは異なり、だれでも乗れよく曲がりよく止まるから危険もない。ただし、ビンディングは慣れが必要だから、全くの初心者には勧められない。高いサドルと前傾姿勢に慣れればビンディングも使えるようになる。

はじめてロードレーサーに乗った人は速く走れることに驚く。普通の自転車はせかせか走って時速19kmぐらいだ。テレビ中継があるようなマラソンのビッグな大会のとき、選手の奥の歩道を走っている自転車の子ども状態がそれだ。ロードレーサーだとおなじぐらいの気分で時速22kmぐらい出る。超一流マラソンランナーだって楽々置き去りだ。ビンディングを使いこなせるようになると、それが時速25kmぐらいにはね上がる。登りだとその効果はもっと大きい。

となれば、もし買い物用の自転車にビンディングを付けたらどうなるのだろう? 時速25kmで巡航できるのではないか? という興味がわいてきた。娘が通学用に使っていたボロボロの婦人車にビンディングを付けて試してみようか。


2009.1.10(土)晴れ 記憶とは何か

ハウル

ビンディングペダルのことを考えていたのは、羽田空港からたまプラーザに向かうバスの中だった。夜の横浜の町並みを眺めつつ、ペダルのこと以外にも、SQLを使っているデータベースのこととか、とりとめもないことを次々に考えていた。そのときにふと頭の中に浮かんだのが左の写真の風景である。ハウルの動く城のような奇妙な建物だから写真にも撮っておいたものだ。ただ、頭に浮かんだのはこの建物ではなく、正確にはその脇の水路だった。コケの生えたコンクリートの狭い水路に、青いミカンがいくつか転がり、水深1センチばかりの水がちょろちょろと流れている。四国の西のほうではごく普通の光景だ。その光景とともに、「あの水はこうしているいまでも流れているんだろう」などと意味もないことに考えが至った。

その想起は唐突だった。ぼんやり見ている景色とも、考えている内容とも全く関連がない。理由のない想起だ。こういう経験はけっして珍しいことではなく、以前から気になっていたことだ。「どうして脈絡も意味もないことがふっと心に浮かぶのだろう?」今回、その仕組みの解決に見通しがたってきた。

その答えは、記憶のメカニズムを解くことで得られる。どうやら、ヒトの記憶は脳の中に書き込まれているものではないようだ。コンピューターの記憶装置は、ある場所に記録が書き込まれており、それを随時読み出すことで記録が再生される。つまり覚えていることを思い出すことができる。なんとなく、ヒトの記憶もそのようなものだろうと思いこんでいたが、もっとダイナミックなものであるらしい。

人間はその個人の記憶の全てを常に読み出しているのだ。読み出すとはいってもそのデータは膨大であるから、そのほとんどを意識する暇はない。全記憶を走査して確認する作業は意識下で行われている。全記憶とはいえ、その走査には数秒とか数分とかしかかからないのだと思う。

こう考えると、羽田発のバスの中で、田舎の道ばたの水路がふと思いだされたわけもわかる。単調な景色の中で身動きもとれず数十分もつらつらと考えているうちに、意識が半分眠った状態になり、記憶走査中のデータの断片が意識に顔を出してしまったのだろう。


2009.1.11(日)晴れ 古い記憶と新しい記憶

記憶は地層のようなものではない。過去の記憶の上に新しい記憶が積み重なっているような代物ではない。古い記憶はどこかに保存されており、使用されないと次第に風化して曖昧になって忘れ去れていくようなものではない。どうやら、何十年も前に経験したことであっても、記憶は「今」と考えたほうが良さそうである。記憶は一巻の絵巻物だ。生きている限り、秒単位で繰り返し繰り返し読まれている絵巻物だ。その作業によって、個人の同一性と継続性が無努力で保たれている。

記憶には当然、古いものも新しいものもある。古いものは古いと知っており、新しいものは新しいと知っている。古い記憶について次のように考えるのは誤りである。「古いものでもありありと覚えているのは、その印象が強烈であり、よりくっきりと脳内に刻み込まれているからだ。」そういう風に考えると、いろいろ不都合が生じてくる。そして、その仮説には利点もない。

記憶の鮮明さとは、おそらく想起の頻度である。絵巻物は意識下で走査されることによって、気づかれずに保持されている。その保持されている断片を意識する、つまり思い出すことは記憶の機能にとっては体験したことと同じになる。思い出すたびに絵巻物の中には、断片が書き込まれることになる。ヒトはそれらを同じものだとみなすけれども、記憶の絵巻物の中には、別の物として記録されている。同じことを10回想起すれば10か所に書き込まれることになる。意識下の走査は1から100まで忠実に馬鹿正直に行われているから、同じことが何度も何度も引っかかってくることになる。それが古くても鮮明さと強烈さを失わない体験が存在する真の理由だ。

ちなみに記憶の絵巻物には時間的な幅があるだろう。その幅が何年なのか何か月なのか何日なのかはさっぱりわからない。それは自省によって知りうることではない。聞きかじった知識によると、脳には無数といってよい神経細胞があって、日々ネットワークを広げつつ、これまた無数といってよい数が死滅しているという。絵巻物の幅は細胞の寿命に等しいかもしれない。細胞の死滅は記憶の消滅と対応つけられるのだろう。ただし、記憶は毎秒毎秒読み出され複製されているはずである。しかも、その断片のうちの重要なもの、つまりは意識上に登ったものは複製されるだけでなく、新規に書き加えられているのだから、原初のファイルが消えていても、そのことに気づくことはない。


2009.1.12(月)晴れ 半原越24分38秒

久しぶりに半原越。思い返せば1か月ぶり。下りの寒さにおびえて敬遠してた。今日は新型のサイクルコンピューターV3を搭載した半原2号だ。V3は心拍計もついているのがウリだが、さっそく心拍の信号を受信しない。前のモデルでもちょくちょくあったIDの不一致だろうと、IDをよませるとあっさり受信した。これからも頻繁にこの問題は起きてきそうだ。ID照合の作業が若干簡単にはなっているものの、バッテリーの消耗や接触不良など、ほかの原因と区別がつかないのには弱る。

この1か月も自転車には乗っていたが、金山やら境川やらでお茶を濁していただけのことはあって、半原越にかかるともういけない。「半原越ってこんなにしんどかったっけ?」状態だ。心拍は1kmもいかないうちに170bpmを超えている。今日はターゲットゾーンを170bpmにセットしているから、アラームは鳴りっぱなしになる。有酸素域に収めて170bpm以下で走りたい。そのために、前は24T、後は27Tをつけている。軽いギアでもついついケイデンスをあげて無理をする。あとで記録をみると、区間4での平均心拍数は180bpm。最高は193bpmだった。ずっとATは超えているのだろう。

    距離  タイム 平均時速 心拍数 ケイデンス
区間1 1.18km 5'50" 12.1km/h 168     
区間2 1.18km 6'17" 11.3km/h 172     
区間3 1.18km 6'20" 11.2km/h 173     
区間4 1.18km 6'47" 10.4km/h 180     
全体  4.72km 24'38" 11.5km/h    77(1897)

こうやって心拍数が記録として残るとますます半原越の難しさが明らかになってくる。半原越は私の出力ではAT以下の強度では満足に進むことすらできない。だけど、力を出す練習はけっこう難しい。たとえば境川あたりでも、けっこう力を使って走れるのだが、170bpmを超えることはあまりない。かなりの向かい風に戦いを挑んだときだけだ。しかも20分も連続することは無理だ。ましてや、向かい風のないときは、とてもじゃないけど危なくて170bpmなんかには上げられない。言わずもがなではあるが、普通に遊んでいるだけでは速くはなれないのだ。


2009.1.15(木)晴れ 自分に自信がなくなるとき

アメリカザリガニのタカハシは最近ちょっと変である。12日にまさかの脱皮をしたのだが、事件はそれだけではなかった。なんと、脱皮に失敗があり、はさみが1本もげてしまったのだ。以来、行動がおかしい。

以前は水槽の主(といっても彼しかいないのだが)として君臨していた。腹が減っているときには、人が近づくと、餌をよこせとばかりにはさみを振り上げ、水替えでがさごそしているときも泰然とした姿勢を崩さなかった。そして、この1か月ほどは、隠れ家にしている筒に入ったっきりで、ほとんど外界に興味を示さなかった。わが家は暖房をほとんどしないので、タカハシの水槽も冬眠最適温度にまで下がっているのだろうと思っていた。ともかく、人にも良く慣れ自信満々の雰囲気がありありだった。

それが今では、落ち着きなく歩き回ることが多くなった。腹が減っているのかと餌を投げ入れても、以前ほどがつがつ食べるようすがない。水面にまで登れるようにと設置してある煉瓦の影にこっそり隠れている時間が長い。死にかけているのではない。というのは、餌をやろうと水槽のふたを開けたときなどに、驚いてびゅっとばかりに隠れ家に逃げ込むからだ。死にかけたザリガニはあんなに元気に逃げない。しかも、あれほど執着していた隠れ家にあまり入らない。まるで、これは私のようなものが使うものではありませんと遠慮しているかのようだ。

その明らかな行動の変化の原因について、はじめは、脱皮後で体が柔らかいから慎重になっているのだろうと思っていた。今日になって、ますます弱腰だから、もしかしたらはさみがもげてしまったことで、ザリガニとして生きる気力が失せたのかもしれないと心配になってきた。オスのはさみといえば、アメリカザリガニのシンボルである。闘争にも交尾にも欠かせないアイテムだ。その片方がないのだから、オスとしての自信も半分なのか。


2009.1.17(土)晴れ 半原越24分29秒

コケ

春の雰囲気である。いつもの棚田脇に腰掛けて、腰掛けたその瞬間に枯れ草が暖かい、殺風景な田んぼを眺めている。まだ動くものの気配はないものの午後2時の太陽は力強い。あっけにとられるほど空は青く風がない。冬用の手袋が無骨に見える。さて、今日も半原2号でやってきた。前回よりもハンドルの高さを3.5cmほど下げたが、この方がよいようだ。自然に脚に力が入るようなポジションになった。ハンドルが高いと中程度の力を出すのに少しの決心が必要だ。

今日の作戦は24×21Tという軽いギアで普通に回して登り切ることだ。区間1の7%以下の所だとほとんど空回し状態で100rpmぐらいで回っている。ただし、これまでの経験から、このギアでも15分を経過するとけっこう重く感じることがわかっているから、力を過信しないようにする。

区間2のはじめのほうにある丸太小屋の坂も70rpmぐらいで楽々登っている。ところが、心拍の数値をみると180bpmを超えているから、息も脚も苦しくなくても強度は高いことがわかる。ここが心拍計のいいところだ。もし、調子に乗って時速にして1kmほど上げただけでも1分後には息が絶えてしまう。

区間4に入るとずっと185bpmぐらいだ。このギアで70rpmならちょうど時速10kmだ。区間1の空回し感覚が嘘のようにペダルが重いが、これより落とす気はない。どのみち5分もすれば体が動かなくなるのだから、ゴールまで行けばよい。

    距離  タイム 平均時速 心拍数 ケイデンス
区間1 1.18km 5'41" 12.5km/h 161 87  
区間2 1.18km 6'01" 11.8km/h 177 82  
区間3 1.18km 5'59" 11.8km/h 176 82  
区間4 1.18km 6'48" 10.4km/h 185 72  
全体  4.72km 24'29" 11.6km/h    80(1967)

冬はやはりコケの季節だ。清川村の道ばたにコケのかたまりが落ちていたので拾ってポケットに入れる。畑の脇にたくさん生えている一般的なものだが、きっと名前はわからないだろうなあ、と半分あきらめモードだ。図鑑がたよりの疑心暗鬼自己流同定には限界がある。こういうものも、屋外の生息地で専門家からこれは○○と教わればあっけないほど簡単に覚えられるものだ。葉が良く光っており、中肋がないからツヤゴケかな。


2009.1.18(日)くもりのち雨 半原越24分02秒

ハリガネゴケ。コバノスナゴケ

丹沢の頂あたりに雪を降らせているはずの雲が厚く覆い、昨日とは打って変わった寒々しい天気になった。いつもの棚田のあぜにモズがいて何かを食べている。草むらに潜んでいる虫だろうが、ああいうハンターたちの獲物を見つける能力にはいつも舌を巻く。人の目であれば、この季節に食いでのある虫などそう見つかるものではない。もっともモズと人間の体の大きさ比べをするならば、人間がサルとか猫とかを見つけるようなものかもしれないが。

今日の作戦は24×17T〜21Tを使うものだ。区間1は17Tしばり。2、3は19Tしばり。4は21Tしばりだ。半原越は波打っているけれど、その波にあわせてこまめにギアチェンジをしていくのは、あわただしくて賢い方法とはいえない。それよりも高回転で回す方法と、低回転で踏む方法を併用したほうがよさそうだ。それでもベースにすべきは高回転式のほうだ。ベースは超がんばって90rpmでいける程度のギア比で、それが17〜21Tあたりだ。

    距離  タイム 平均時速 心拍数 ケイデンス
区間1 1.18km 5'18" 13.4km/h 161 75  
区間2 1.18km 5'51" 12.1km/h 174 76  
区間3 1.18km 5'48" 12.2km/h 176 77  
区間4 1.18km 7'05" 10.0km/h 181 69  
全体  4.72km 24'02" 11.8km/h 174 74(1779)

昨日よりも30秒ほど早いが、ひとえに区間1の空回し時間が減ったためである。この程度の差であれば、全区間21Tしばりも悪くないように思う。

今日は、半原越入り口付近にあるでっかいコンクリートの吹きつけ護岸にたくさん生えているコケを拾ってきた。コンクリート壁に付着している土が凍り付いたり融けたりしてはがれたものか、壁のコケがずいぶんと転がっている。けっこうきれいなので名前でも調べてやろうとポケットに入れた。

コケの葉は螺旋状に巻いて萎縮していたが、水をかけると開いた。少なくとも2種の混合だった。葉の丸い方がハリガネゴケ、とがったのがコバノスナゴケかなと思うが、例のごとく確信は持てない。


2009.1.19(月)晴れ ものまね師になった夢

かなり長編の夢を見た。以前、夢の研究をやっているときは、しっかり記憶する習慣がついていたが、この20年ばかりは夢など気にもとめないようになっていたため、それほど記憶に残ることがなかった。しかし、たまたま記憶のメカニズムを考えており、内容も非常に印象的で、目が覚めてからも夢のストーリーをかなり思い起こすことができた。

前半部もかなり長いストーリーがあったが覚えていない。記憶にあるのは、とあるバーの一室のようなところで、うさんくさい導師から憑き物を落とす術をかけられるところからだ。私はかなりの能力者であったが、しばらく力が使えないでいた。それをバーの美人ママ紹介の老導師が治療してくれるというのだ。その治療は、導師の両手から放出するオーラを含んだ気を全身に受けるという荒療治だった。容赦のない気のパワーで皮膚がもぎ取られるかと思われるぐらいだったが、痛みはない。ストロボ閃光のようなオーラのまばゆい光に照らされ、私のひずんだ顔が他人事のようによく見える。内心では憑き物なんかじゃないんだけどなあと、疑っている。

憑き物落としはうまくいったようだ。うっすらと力がみなぎっている自覚がある。では試験、ということで、黒板に向かい、そこに書いてある字を読むことにする。黒板は各種の言語が殴り書きされており、消されたり重なったりで、ほとんど判読できない。中に1行、動物の学名らしきものがラテン語で書かれてある。それを集中して読むことにする。しかし、Kで始まるその20字ほどの綴りは目でも確認できず、どの動物を指すものかも記憶にない。

しかし、私にはできることがわかっている。手をかざすとものすごい勢いで指先がその綴りを宙に描いていく。その指の動きが正確にイメージの中に書き留められる。黒板のかすれた元の文字と合わせて見れば、まさにその単語に他ならなかった。同様にして他の判読が難しい字も、私の右手はすらすら書ける。すでに消されて痕跡すら見えないような字ですら書ける。私はついにものまね師になったのだと自覚する。

そして、すぐにこの力は世のため人のために使えると確信する。その第一歩がある少女の治療だった。その娘は優秀なピアニストなのだが、スランプに陥っており演奏がうまくできず自分を見失っている。私は彼女を救えると思った。まず、彼女にピアノをひく指の動きをやってもらう。その通りに私の指が動く。数秒もすれば彼女が指をどう動かしたいのか、その意図が読める。私が意識してそれを読むのではない。私の指が勝手に彼女の気持ちを汲んで反射のように動くのだ。

私は彼女に、私の指の動きをまねしてやってみるように促す。私の指は彼女が理想としている動きを忠実に再現しているはずだ。それに合わせることで、カンが取り戻せるだろうという期待がある。私の指の動きはどんどん速くなる。すぐに残像しか見えないレベルになる。彼女の指はそれについてきている。どうやら私のものまね師としての能力は、相手に自分をまねさせることまでできるようだ。彼女の表情を見ていると、どんどん弾き方を思い出しているようであった。

目が覚めて、なかなか良い物を見たという充実感があった。記憶の実体は繰り返し読み出される絵巻物みたいなものだというアイデアを思いついていたときでもあり、夢に出てきたシーンの出生地を洗っておこうと思った。というのも、絵巻物は無意識に走査されるものであり、睡眠中もその走査によるイメージがわき上がり、それらのイメージの断片のつじつま合わせの結果が夢になるはずだからだ。

私が憑き物落としを受けたのは、「もやしもん」に出てくる酒屋の2階のバーである。「もやしもん」には菌が見えるという主人公がその力を一時的に失うというエピソードがあるが、それに影響されたストーリー展開であるらしい。「ものまね師」というのは、週刊少年ジャンプのコピー忍者カカシかドラクエ?の最終職業からだろう。治療のイメージは、ナショナルジオグラフィックTVで見た、ハリケーンの強風体験の実験映像。なんと、秒速50mの烈風を体に受けるというとんでもないものだ。リポーターである被験者のむき出しの顔の皮膚が波打って飛ばされんばかりだったのが印象的だった。

力試しの黒板は、国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)の結果をプレゼンしたときに使った資料。かすれて判読できない文字には、金山サイクリングの途中で見かけた「←出石寺」が入っている。ものまねして書いたラテン名は、これまた「もやしもん」の欄外にたくさん出てくる菌類の学名から来ているようだ。

ピアニストの治療というのは、米子空港で「漁り火丼」なるものを食べながらちらっと見たNHK?のニュース番組。左手しか使えないピアニストがドイツに渡ってプロになる修行をするというもの。片手だけで演奏する指の動きを見て、すごいと息を飲んだ。

夢判断ではキーになるイメージを突き止めるのが第一歩だ。この夢では、それらのキーイメージは夢を見る前1週間程度の体験が出生地になっているようだ。


2009.2.7(土)晴れ ねばるハコベ

ハコベ

写真は正月から観察を続けている庭のハコベである。1月4日にもハコベを取り上げたが、今日のものはそのすぐ近くで兄弟のように仲良く生えていたものだ。残念ながら、4日のハコベはある寒い朝に根っこから抜けて枯れてしまった。こいつもそう長くはあるまいが・・・と、毎朝ようすをみて写真を撮ってきた。

わが家の庭は日当たりが悪く寒い。しかし、例年にくらべるとずいぶん温暖なようで、池が凍結することがない。氷が張っても2日もすれば融けている。それでもこのハコベが根を下ろしている地面はしょっちゅう霜柱がたっている。草体を見れば、3分の1はむき出しになった根だ。これは霜柱によって土ごと草体が持ち上げられて、そのまま露出してしまったものらしい。土から出てしまった根からも分岐した根が伸びて土の中に入って行かれるものかどうか、それはわからない。ハコベは茎から根が伸びて地面をとらえることができるのかどうか、それも知らない。そういうことができなければ先行きは暗い。

ハコベはそれほど寒さに強くないようだ。開いたばかりの葉で、地面に近いところにあるものは凍って枯れてしまうようである。こいつも4対の葉が枯れている。霜が降りた日には、翌日になると明らかに葉に精気がなくなる。そういう姿をみて「ああ、ついに」と何度かあきらめたが、そのたびに復活し今日をむかえたのである。


2009.2.8(日)晴れ 半原越22分39秒

半原越は久しぶりだ。もう下りの寒さを恐れるような季節ではない。午後2時になってもいつもの棚田にはかろうじて日が差している。風のない日だまりに座っていると毛糸の帽子も冬用グローブも不要に思える。モズが電線に止まってしきりにさえずっている。おそらく前回もみかけた個体だ。センダイムシクイかキビタキか、歌のうまい鳥の鳴き真似にいそしんでいる。ということはオスか。彼女はどこかでそのものまねを聞いているのだろうか。春である。杉の木が赤い。

    距離  タイム 平均時速 心拍数 ケイデンス
区間1 1.18km 5'00" 14.2km/h 164 82  
区間2 1.18km 5'37" 12.6km/h 178 73  
区間3 1.18km 5'04" 14.0km/h 183 59  
区間4 1.18km 6'58" 10.2km/h 186 43  
全体  4.72km 22'39" 12.5km/h 179 62(1404)

半原越はちょっと余計なことを考えて、前半は26×19T、後半は36×19Tで行ってみようと思った。区間4をダンシングするにあたり、2倍ぐらいのギアが使えるのではないか?と錯覚したからだ。

タイムをみれば区間3が速い。区間3はかなり緩く、2倍のギアだと20km/hぐらい出せるところもあるから、倍数をかけた方がタイムは良くなる。ただし、183bpmという数値を見落としてはいけない。区間4は7分ぐらいかかっているから全然だめだ。登ってから降りて引き返し、ギア比を変えてダンシングの具合を確かめてみた。やはり10%超のところは1.5倍、36×24Tぐらいがよいようだ。


2009.2.9(月)くもり 半原2号

半原2号

カーボンモノコックという自転車をはじめて見たのは、いまから20年以上前のことだと思う。ジロデイタリア(たぶん)のTTにビアンキが持ち込んだものを雑誌で見た。その自転車にはシートチューブがなく曲線で形成された平行四辺形をしていた。自転車の基本はダイヤモンド型とよばれる三角形を組み合わせた形状で、剛性と軽量化のバランスをとるのに最適だとされる。当時はカーボンのフレームはその伝統にのっとり、鉄と同様の丸パイプを接着剤でつぎはぎするものが主流だったから、ビアンキのモノコックにはずいぶん驚かされた。軽くしなやかな理想のフレームが自由な形状で作れるのがカーボンのウリと聞いており、その最先端がビアンキだった。当時は自転車にも、新しいというだけで興味がもてた。プロトタイプから市販品まで、雑誌でライディングインプレッションを読むたび、いつかはカーボンに乗ってみたいと思っていた。どうせカーボンならモノコックにだ。ただし、ビアンキのフレームはレギュレーション違反とかで、生産される見込みもなかった。ついでに、当時のカーボン車は信じられないぐらい高価で、市販されても買えるわけがなかったのだ。

写真の自転車も正真正銘のカーボンモノコック車である。台湾の聞いたこともないメーカーのもので、日本にはほとんど出回っていないと思う。おそらく世界で最も安価なカーボン車。安くとも軽くてソフトでスタイリッシュ。もくもくと半原越を上り下りするにはぴったりだ。部品はほとんど半原1号から流用し、半原2号と名付け、すでに数回半原越を走ってポジションが決まり、フレームのしなりが体に馴染んできた。


2009.2.10(火)晴れ サンツアーコマンドー

コマンドー

自転車も普通ではつまらないから、半原2号にはいろいろなオリジナリティーを盛り込んでいる。その一つがこのシフトレバーだ。現在のロードレーサーのシフトレバーは、おおむねシマノのSTIタイプになっている。こいつは、STIの黎明期、まだSTIが海の物とも山の物ともつかなかったころに、サンツアーが市販していたものだ。名はコマンドーといい、使用していた選手も少なくはなかったが、STIの流行に押されて消えてしまった。

このコマンドーは20年ほど前の発売当時から愛用しているものだ。もともとはサンツアーの7段式のものだから現行のギアには合わない。工房赤松がコマンドーをシマノの9段に対応させる部品を作っており、それを取り寄せて組み込んだ。そのほか、ちょっとした改造を加えてある。STIも使って、その楽ちんさには舌を巻いたが、ブレーキレバーがぐらぐらするのにはいまいちなじめない。しかも大げさだ。重量がかさみ構造が複雑で高価なSTIは、1秒の何分の1かで勝負をしているレーサーのみに必要な部品だと思っている。最大でも4回ぐらいしかシフトチェンジをしない半原越ならコマンドーのほうが良い。たんにハンドルから手を離すことなくシフティングしたければ、安価で軽いコマンドーのほうがずっと優れている。第一にかっこいい。

今にして思えば、私はコマンドーの正常な進化に期待していた。使いながら若干の改良が必要だと感じていたのだ。リターンスプリングを内蔵して引きを軽くすることとか、ケーブルをハンドルバーに沿わせることとか、あと一歩で使い勝手がぐんと良くなり、世界中の自転車乗りに愛用される可能性をもっていたのだが、はかない夢に終わったようだ。


2009.2.11(水)くもり 不格好なチェーンホイール

チェーンホイール

半原2号のチェーンホイールは正直言ってたいへん不格好である。PCD74のローギアをつけ、なおかつQファクターをダブル相当のものにするとこうなった。チェーンホイールはスギノのコスペアで、BBはシマノのデュラエースオクタのW用だ。この取り合わせでコスペアはフレームとのクリアランスがとれるほうだが、それでもたいていのインナーでは、ボルトやギア歯がフレームに当たってしまう。インナーはシマノのXTRの26Tをつけているが、数あるインナーを現物あわせして、唯一収まったのが、それだけだったのだ。しかも、BBに1mm厚のスペーサーをかませてある。そのスペーサーは、シマノの10段のリアカセットを9段のフリーに装着するためのものだ。たまたま内径がBBに一致しているのを幸いに流用した。もしそのスペーサーを見つけなかったら、この組み合わせにはできなかった。フレームの塗装を削りはしたものの、カーボンに達するぎりぎりに収まっている。

フロントディレーラーはシマノのトリプルであるが、これがまたぶざまだ。機能的にも問題がある。インナーがフレームに寄りすぎているものだから、なかなかチェーンがインナーに落ちていかないのだ。そのぶん、少なくとも内側への脱線はさけられる。外側へは脱線防止用のガードを付けている。これも怪しげな代物で、もともとはスギノのチェーンホイールだったものの歯を削ってガードにしているらしい。自分でやったのではないから詳細はわからない。フロントギアのチェンジは1日2回しか行わない。つまり、半原越の登りでしか26Tはつかわないのだから、本当はフロントディレーラーなどなくてもかまわない。自転車を降りて手でチェーンを移動させれば済むことではあるが。

ここまで不格好でめんどくさいものにしているからには、それなりに思うところがある。じつは、コンパクトギアの48×34Tでも実用上は充分である。大きい方の48Tは必要ないから34Tのシングルでもかまわない。ただ、半原2号は単に半原越を速く走ればよいという自転車ではない。2倍から1倍までの多様なギア比で、いろいろな走り方を試してみたいのだ。やってみたくなるとその衝動を抑えきれずにこんなことになってしまった。


2009.2.12(木)晴れのちくもり 「適応」は本当に進化に必要なのか

なんだか気持ちがざわざわしている。適応という考え方を一切使わないでも進化を説明できるのではないかという疑念が浮かんでいるからだ。ダーウィン流の進化論(ランダムな突然変異のうち、より子孫を残すことに適した変化が積み重なって進化が起きる)というのは、適者を生存させる原因となる「適応」を無視しては成り立たない。ひとたび適応という視点を受け入れるならば、さまざまなことが説明可能である。進化の原動力ですら、そこから説得力をもって説明できる。だからこそ主流の考え方なのだが。

いま息づいている動植物の形態、行動の説明について「適応しているから」「より適応するものだから」というのは原理的に無敵だ。その理屈は一種のトートロジーを形成するから反駁は難しい。動植物に不可解な形態や行動が発見されたときに、「これはどういう適応なのだろう」という設問を立て、何でも証明することができる。20年ぐらい前に話題になった利他行動については、自分を犠牲にしても確率的に自己の遺伝子を残すことができるから適応的な行動であるという結論が数学的に導かれたはずだ。これはプトレマイオス流の難解な天動説を思わせる、素人目にも気持ちの悪い説明である。

むろん、生きているからには適応している(これもトートロジー。なにしろ不適応=絶滅であるから)ことは間違いないし、異性の獲得競争や環境への適応によって生物の形や行動が変わっていくだろう。それは人の目に大変感動的かつ合理的に写る。オスクジャクのしっぽは無茶であるし、鳥の目を逃れる昆虫の擬態は驚くべきものであるし、陸から海に戻っていったというイルカは本職の魚類を凌駕する遊泳力をもっている。動植物の適応が人目をひくのは、それを見ている人間個人がそれぞれの創意工夫によって環境に適応することを強いられているから、というのが原因だろうと思う。自分の身につまされることは、たとえ相手が獣や虫けらであったとしても共感しやすいのだ。その手の感動は科学的にインチキであり、注意深く扱わねばならない。感動的な適応例はいくらでもあるけれど、それだからといって適応を進化の原動力に祭り上げるのは無理がある気がする。もし、その視点から全てが説明可能であるとすれば、まちがった道から引き返すことができないではないか。適応を十分条件から必要条件に格下げして進化を説明してみる必要があるのではないだろうか。


2009.2.14(土)晴れ 昆虫の起源

キリンの首が長いのは高いところにある枝を食べるのに有利だから。有利な体を持った個体がより多く繁殖し、100万世代を経るうち今日のあの立派なキリンができあがった。こういう説明は本当だろうか? キリンの首がまだ短いときに樹木はきっと高かったろう。世界中に高い樹木があり、世界中に木の枝を食う動物がいるのだから、キリンの他にも収斂によって首が長くなった動物がいてもよさそうではないか。また、無理して高いところの枝を食うよりも足下の草を食う方がずっと簡単であり、キリン以外の動物はみなそうしている。キリンというのは、不幸にも首がどんどん伸びてしまう宿命を背負った動物であり、その異変になんとかやりくりをつけて絶滅せずにすんでいる動物だと考える方がずっと自然なように思う。

ともあれ、いま困っている昆虫の変態の起源について、どうにもうまい説明が見つけられずにいる。当面専門家から納得いく説明が聞けそうもなく、ここは自分勝手にへりくつを考えなければならない。

昆虫の変態の起源を探るためには昆虫の起源を決めなければならないと思う。昆虫はムカデとかダンゴムシと同グループの節足動物から進化したことは間違いないだろう。100万とも1000万ともいわれる種類の多さ、形態、生態の多様性を思えば、この地球の歴史上で、昆虫の祖先は何回も誕生したように見える。チョウとバッタとカブトムシは別の節足動物を祖先に持つと思うのが自然だ。ところが、昆虫は6本の脚をもち成虫には翅がある。この特徴は多足類、クモ、ダニとずいぶんかけ離れている。あんなに種類が多く多様な生態を持っている昆虫が共通の仕組みを持っているのは奇妙なことだ。もしかしたら昆虫の起源は、もとはたった一種類であり、その節足動物は基本的な構造を除けば、体が非常に変わりやすいという特徴をもっていたのかもしれない。


2009.2.15(日)晴れ 半原越21分51秒

暖かいということはこんなにもうれしいものなのか。半原越にもついつい力が入ってしまう。今日は久しぶりに16Tを用意したのでそれで行ってみることにした。標準なら39×24Tという私としては大変重いギアだ。

    距離  タイム 平均時速 心拍数 ケイデンス
区間1 1.18km 4'38" 15.3km/h 170 75  
区間2 1.18km 5'17" 13.4km/h 184 65  
区間3 1.18km 5'14" 13.5km/h 184 66  
区間4 1.18km 6'42" 10.6km/h 187 65 (推定)  
全体  4.72km 21'51" 13.0km/h 182 68 (1486)

区間1をすぎて、丸太小屋の坂をすいすい越えていくが、力がみなぎりもっともっとびゅんびゅん行けそうな気がする。ただし、これは1.5倍程度のギアを使っているとき毎度おなじみの錯覚だ。すぐさまがつんと反動が来て体が動かなくなる。丸太小屋の坂はダンシングで越えたほうが楽だが、それはずっと無酸素域の運動を続けることになる。心拍数は190bpmを超えている。

気持ちははやっているけれど、今日はタイムトライアルの日ではないから区間3はかなり押さえた。そして、区間4で迷いが生じた。16Tだとほとんど回すことができず、踏みの走りになってしまうから、19Tに落とした。そうすると、ダンシングのときに19Tでは軽いから、16Tに戻すか、それとも23Tで回すか、などと余計なことを考えて、走ることに集中できなくなってしまった。たかだか数分のことなのだから、踏むなら踏むで押し通した方がたぶん良い結果が得られるだろう。


2009.2.17(火)晴れのちくもり 翅の起源は?

翅があるというのは、昆虫類の顕著な特徴で、しかも変態の最後の成虫だけが翅を持っているのだから、どうやって昆虫が翅を持つに至ったのかを考えなければならない。すくなくとも昆虫の翅がいきなりこの世に登場したわけではないだろう。いま、わが家にはタカハシという名のアメリカザリガニがいる。ある日、そいつの背中がぱかっと割れて、中から翅を持った虫が現れ、ぶ〜んと飛んでいった、なんてことはありえない。事情が4億年ぐらい前でも同じことだ。昆虫の祖先である節足動物にいきなり翅が生えるわけがない。

トンボ類はザリガニに翅をはやすぐらいの離れ業をふつうにやっている。ヤゴとトンボとアメリカザリガニをくらべるならば、のけ者はトンボだろう。ヤゴが進化してザリガニになることはあってもトンボになることはありそうもない。それぐらい昆虫の翅はオリジナリティがあり完成度が高い。翅をうまく使って飛ぶための目や脚などの体の装備も良くできている。この地球上に昆虫が現れたときに、翅がトンボほどの完成度だったということは考えにくい。それは漸進的に発達したはずだから、あまり使えない翅の役割ということも考えなければだめだ。

昆虫というのは翅の生えたムカデみたいなものだとしても、私は今のムカデサイズの虫が翅を持つことを想像できない。ムカデは大きすぎて、10%しか完成していない翅みたいなものは単なる邪魔でしかないはずだからだ。ひ弱な翅であれば、それに見合った小さな虫がふさわしい。ヒトはビッグサイズの動物だから、空気の抵抗なんて自転車にでも乗らないかぎり意識しない。しかし、1mmぐらいの虫にとっては空気は相当に粘っこいものにちがいない。薄め?の水みたいなもので、魚がひれのひとかきで水中をびゅっと進めるように、脚で空気をひとかきすれば体がふわっと浮くことを感じるかもしれない。クモ類もごく小さいときは糸を使って空を飛ぶ。最初に翅で空を飛んだ節足動物は微少な昆虫だったと思う。


2009.2.19(木)晴れのちくもり 海生昆虫?

もし、最初に翅を持ったのが大きめの昆虫であったなら、その翅は昆虫の祖先が別の用途に使っていたモノだろうと思う。別のモノとしてもっとも可能性が高いのは水中を泳ぐことに使っていたヒレだ。古生代の海中では、ちょうど昆虫のような生態を持った甲殻類が誕生した可能性もあったと思う。三葉虫の時代には外骨格の水中生物は大繁栄しており、脱皮によって成長するという方法も当たり前に普及していたはずだ。甲殻類には大小様々なものがおり、水中をすいすい泳いだり、岩をはったり、泥に潜ったり、まさに我が世の春として地球の海の隅々を利用していたにちがいない。

海中で昆虫のような生態を持つというのは、幼虫期と繁殖態である成虫で生態を異にする生き方の発明だ。幼虫期はひとまず食って育つことに専念し、成虫になると大幅に移動能力をアップし、異性との出会いと生息地の拡大をはかるという生き方だ。たとえば、ゴカイのような体の幼虫は海の泥の中にいて藻類や他の動物の死体などをあさっており、成虫としての脱皮をすると、いきなり翅のようなオールが生えて巧みに水中を遊泳し、海中で交尾をして潮の流れにのせて卵をばらまくというようなやりかただ。そういうものもありと思う。

やがて、陸上が植物に覆われるようになると、海中生物たちはやおら陸を目指しはじめるだろう。ナメクジやミミズのようなやわらかいものは、比較的簡単に湿地に上陸できたろうが、乾燥と重力はけっこうな足かせになるはずだ。それにくらべると、甲殻類はまるで地上で生きることを想定していたかのような丈夫で乾燥にも強そうな体を持っている。現在のアメリカザリガニですら常に陸地をうかがっているから、水槽にはちゃんとふたをしておかないと台所でザリガニの乾燥標本を作ることになりかねない。

海生昆虫のようなものがいたとして、それが上陸を果たした暁に、昆虫の祖先としての栄冠を勝ち取れるだろうか。成虫のそのヒレは使えるだろうか? けっこうな力でかくことはできるが、水と空気では勝手がちがう。甲殻類が水中を泳ぐ場合は、オヨギピンノやガザミのようにけっこう大きくてもすいすい進むことができる。しかし、空は飛べまい。せいぜいがグライダーのように滑空する程度だろう。地球最初の陸の王者は、慶応ではなく、節足動物だったと思う。ダニ、フナムシ、ワラジムシ、ヤスデ、ムカデ、そのたぐいの祖先が、コケ、シダ、藻で覆われた見渡すかぎりの大地を埋めつくさんばかりにうごめいていることを想像する。他に動くモノはいない。両生類の上陸なんてものは、あと1億年も先の話だ。そうした虫けらどもの大地でシダの枝や岩場の高いところから滑空できるということがどれほどのアドバンテージになることだろう。のちのちトカゲやイモリが現れたとしても、モモンガのように滑空できるムカデなんてものは、際物として消え去るのみではないだろうか。


2009.2.22(日)晴れのちくもり 半原越23分28秒

走り出してから気づいたのだが、左の膝が痛い。昨日はそれほど無理をした覚えもないのだがどういうわけだろう。ともかく痛みがあるのは弱ったことだ。それに追い打ちをかけるように後輪がパンクする。アスファルトの角に打ち付けたようでもあったが、一気に空気の抜けるパンクではなく小さな穴があいて徐々に漏れるものだ。今日は、イタリア製のNANAという、チタンとカーボンでできている小型軽量の空気入れを持ってきている。はからずもそいつの実戦投入ということになってしまった。

ロードレーサーのタイヤは高圧でないと面白くない。8気圧ほどは欲しいところだ。その親指ほどの太さのNANAは、小さいが9気圧まで入るとカタログには書いてある。気体に関しては中学校で習うパスカルの原理というものがある。つまり、空気入れは小さいほど高圧にできるのだ。正確にはピストンの面積が小さいほどよい。その点ではイタリアらしからずきちんと設計してある。実際使ってみると、7気圧ぐらいでも余裕でピストンを押し込めたから実用上はじゅうぶんだということがわかった。あとは耐久性だ。

    距離  タイム 平均時速 心拍数 ケイデンス
区間1 1.18km 5'10" 13.7km/h 159 75  
区間2 1.18km 5'39" 12.5km/h 176 69  
区間3 1.18km 5'39" 12.5km/h 178 69  
区間4 1.18km 7'00" 10.6km/h 185 56  
全体  4.72km 23'28" 12.1km/h 176 68 (1549)

半原越の主目的は18Tを試すことだ。今日は、デュラエースとアルテグラをブレンドして18Tをつけてきた。26×18Tが、急坂部分でのダンシングとシッティングに好バランスのような気がしていつか試してみようと思っていた。ただ膝が痛いのではどうしようもない。とくに最後の1kmのダンシングを試せないのでは意味もない。出直そう。


2009.3.2(月)晴れ ハコベが咲いた

ハコベ

庭のハコベが咲いた。この1か月あまり、ほとんど惰性で写真を撮り続けたハコベだ。毎朝、まだ生きているということだけを確認し、死を看取るつもりだったハコベだ。厳寒期に芽を出して、幾たびかの霜柱攻撃によって地面から持ち上げられ、葉を枯らしつつも芽を伸ばして息も絶え絶えだったはずのハコベだ。

いっしょに芽をふいた兄弟はとっくの昔に跡形もなくなっている。こいつも春までもつまいと達観していたけど、この世にはまだまだ不思議があるものだ。こうして花が咲いたいまでも、ちょっと強い風が吹けば茎はよじれ、いまにもねじきれそうである。おそらくは、細い1本の根でかろうじて土にしがみついている状態だ。

こうなれば、この花が実を結ぶかどうか、さいごまでしっかり見届けねばなるまい。

人生の目標のSuperMac Freecellであるが、先日ついに「これこそ解けない配列だ」と確信するものに当たった。31084番である。ただし、解けなさそうで解けるのであれば、それを解けないと発表することほど恥さらしなものはない。万全を期して、数日をかけて見込みのなさそうな解法も試み、最後には中村君の援助も得て満を持して不可解宣言を行うつもりだった。土日のパソコンに向かえる時間は全部31084番につぎ込んだといって過言ではない。日曜日は半原越をめざしたものの、体が思うように動かず清川村で引き返すという屈辱的な敗退をしてしまったが、それも31084番が気がかりだったからにちがいない。すくなくとも、31084番のせいで飯を食わずに飛び出してしまったのだから。

それが、日曜の深夜に解けてしまった。一般に、フリーセルというのはスタートから何十本もの道筋があって解法に至るものだ。上手な者は、確率的に道筋が増えるコースを選ぶことができる。その選択の余地が少なければ少ない配列ほど難しい。31084番は第1手からようやく30手ぐらいで解決の見込みが出るまで1本道といってよい。しかも序盤の数手は悪手と思えるトリッキーなものを選ばねばならない。直接的には数時間かかったにすぎないが、これまでに最も手強いものだった。


2009.3.4(水)晴れ 海生昆虫は昆虫になれるか

古生代の地上にすんでいた最初の昆虫がムカデ大であった場合は飛行できそうもないというのが私の結論だ。卵から生まれた幼虫が脱皮して成長し、成虫になると翅を得て空を飛ぶというスタイルを、陸に上がってから獲得するというのはどうにもありそうにない。その方法が適応的だというのは明らかだ。しかし、よいこととできることは違う。どれほど想像力をたくましくしても、どうすればそんな素敵なことができるようになるのか、その条件がわからない。少なくとも、そのスタイルを水中にいる間に確立しておかねばならないと考えた。

三葉虫の時代はたぶん今よりずっと豊かだったことだろう。浅いところの海は植物プランクトンで緑茶状に濁り透明度はなかったろう。その濁り水の中を柔らかいもの固いもの得体のしれぬ生き物がひしめき合い、甲殻類もびゅんびゅん泳いでスピードを競っていたのではないかと思う。その中に昆虫そっくりにぱたぱたと水をかいて泳ぐエビがいただろうか?

現在の海には、海生昆虫とよべるような生活スタイルをとっているエビやカニはいない。彼らは見事に変態するから、その点では昆虫になる資格はある。ところが翅がない。昆虫のように左右に開いてはばたいて水中を進むヒレをもったエビカニがいない。この点は断言したけれども、私はエビカニの超素人で確信はない。いてくれればもちろんうれしい。とりあえず私の知っているエビカニはみんな脚や尻尾で泳いでいる。びっくりして後ずさりするタカハシのスピードはかなりのものだ。ただしエレガントではない。エビカニは流線型のマグロやイルカ、ジェット推進の発明者であるイカに比べると泳ぎは専門ではないな、という感じがする。生活スタイルを維持したまま上陸して昆虫になるような甲殻類なら、泳ぎ専用の器官をもって、イカに負けないぐらいエレガントに泳いでいて欲しい。そういうヤツが昆虫になるのはおとぎ話としては面白いのだが、その遊泳器官がそうやすやすと陸で使えるとは思えないのだ。


2009.3.5(木)雨 海面から飛び立てるか

現在、昆虫は地球上に軽く100万種はいると見積もられているらしいが、そのおおもとは1種類の節足動物だったのだろうと想像している。古生代のあるときに、ただ1種の甲殻類が翅をもって空中を飛行することに成功した。その子孫が驚くべき繁栄をとげ、陸の王者として君臨しているのだ。その前後数億年にわたって、何種類もの甲殻類たちが大空に挑戦したかもしれない。しかし、それらははかなくも敗退し、ひとり昆虫のみが生き残ったのだと思う。そのように想像する理由は、生態の多様さに反して、昆虫の形態的な共通性が高すぎると思うからだ。全昆虫の脚が6本でなくともよいであろうし、翅は4枚でなくともよかろう。そうなっているのは、たまたま最初に空を飛んだ甲殻類が6本脚で4枚翅だったからだ。かつて、2枚翅で10本脚の甲殻類が空を飛んだかもしれないがそいつは古生代に滅んだのだ。

私は、最初の昆虫は地上から飛び立ったと信じているけれども、海から直接飛び出す方法だってある。その方法は現在の鳥類が行っている。空を飛ぶための翼はちょっと改造を加えれば、水中を泳ぐヒレとして立派に機能するようだ。いくらかの水鳥は水陸両用であり、ペンギンにいたっては水中を飛ぶスペシャリストだ。その逆だってじゅうぶんありえるはずだ。

甲殻類だって、あのペンギンと同じようなヒレを持てば、水中をすいすい泳げるだろう。泳ぐことにかけては、現在多くのネクトンが行っている尻尾を左右か上下に振る方法が優れているのだと思う。その方法では時速100kmで泳ぐことは可能になっても、空は飛べない。揚力を得ることができないからだ。水中ではどんなに大きな生物でも体重は0kgだから純粋に水を蹴った反動で進めばよいけれど、空に飛び立つには揚力が必要なのだ。トビウオは滑空の名人で、胸ビレは揚力を生んでいるようだが、彼らが飛行する日は来ないだろう。推進力と揚力が同時に得られる羽ばたき方でないと空は飛べない。ひとたび水中で尾を振る推進方法を身につけたなら永久に空への窓は閉ざされるはずだ。

左右に伸びる突起物をぱたぱたさせて泳ぐ方法を身につけた甲殻類がいたとすれば、かれらを原始海生昆虫と名付けたい。彼らは他の甲殻類を圧倒して素早く泳いだかもしれない。アマエビなんか目じゃないくらいに、流線型の体でびゅんびゅん泳いだかもしれない。体だって大きくできる。ヒレはどんどん強くなる。泳ぐ勢いで水から飛び出せば何メートルも飛び上がれるだろう。ヒレは揚力を得て滑空もできるだろうし、羽ばたけば飛べるようになるかもしれない。空中を飛ばなくても良いが飛べる。飛べればより明るい未来が開けるというのは進歩へ妙薬だと思う。

それでも私はかれら原始海生昆虫が現在の昆虫の先祖になったとは思えない。昆虫の翅が4枚というのもひっかかりだが、そればかりではない。海上を自在に飛び回れるほど成功しているエビがあえて陸上動物になるのか? という疑念がぬぐいきれないのだ。イルカは、地上で生きていたほ乳類が海に帰っていったものらしい。その陸イルカが、サバンナを時速100kmで疾走できるチーターのような動物であれば、まちがっても水生動物にはならないだろう。陸イルカは陸上ではどちらかというと愚鈍な獣だったのではないだろうか。


2009.3.7(土)晴れ 半原越22分56秒

久々に暖かく日も差して春の陽気になった。春の遅い私の庭でもコツボゴケの春芽が立ち上がり、タネツケバナがようやく咲き始めた。玄関のタチツボスミレもつぼみをつけている。春のキリギリスであるクビキリギスが路上で息絶えていた。誰にも平等に春が訪れるわけではない。こういう住宅地で大型の昆虫が生き続けることは困難だ。

午後からは絶好調の半原2号で半原越。毛糸の帽子も冬のグローブも暑苦しくて、つけたりはずしたり。いつもの棚田ではアイスモナカを食う。今日は、26×18Tで行ってみることにした。前回にできなかった区間4の立ちこぎは、18Tだとやや軽い感じだった。15か16あたりのほうがよいかもしれない。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'58"4'58"14.316578
区間210'24"5'26"13.018672
区間315'49"5'25"13.118572
区間422'56"7'07"9.918755
全 体 12.318266(1514)

2009.3.11(水)晴れ 海生昆虫、陸へ

古生代の海は多種の甲殻類が栄えていた。後にヒトによって発見されてヒーローとなる三葉虫やアノマロカリスのような大型のものもいた。甲殻類よりももっと巨大化し繁栄していたのは、外にも中にも骨のない生物だ。クラゲとか、コケムシとか、アメーバとか、そういう輪郭すらはっきりわからないふにゃふにゃしたものが、古生代の海の主役だったのだと思う。海というところは骨格を持たない生き物に優しい所だ。現在の海は洗練された種が増え、殺伐としているけれど、それでも、先鋭かつ殺伐の代表であるヒトの目から見れば、ずいぶんのほほんとしたやつが生きながらえている。

私の想像する昆虫の直接祖先は、4枚のヒレと6本の脚を有して、古生代の海中をへらへらと泳ぎ回っていた。いまでいえばブラインシュリンプやミジンコのようなミリ単位の小さなプランクトンだ。岸に近い浅いところをすみかに、ゴミのようなものをあさる、特段見所のある生物ではなかった。ふにゃふにゃしたもの、固いもの、そのほか多くの動物に手当たり次第に捕食されるあわれな餌生物だったろう。

そのうち陸にあがるのが古生代の動物のトレンドとなる。藻類の後を追って、柔らかいものも固いものもどんどん陸を目指すようになる。ミミズやムカデの先祖にまじって、海生昆虫も上陸を果たした。いうまでもなく、最初の住処は汀線か干潟のような所だ。甲殻類は当時もっとも陸に適応した生物だったにちがいない。それでも、重力への対処と空気呼吸、それに乾燥と紫外線対策も日本のお嬢さんがた並に難しかったと思う。それでも、1万〜10万世代も経れば、けっこう陸でも様になっていったのではないだろうか。無数の生物がひしめきあう海中に比べ、無人の上に無尽蔵の食べ物がある陸は、とっても素敵なフロンティアだったはずだ。


2009.3.15(日)晴れ 蛙合戦

ヒキガエル

低気圧が通過しても冬にならない。気温は高くないけれど昼の風は南から吹いている。ポタリング仕様の半原1号をひっぱりだして相模川にでかけることにした。川も早春が一番きれいだと思う。斜光のもとで枯れた荻と芽吹いたばかりの柳のとりあわせが絶妙だ。ルートはいつもの通り相模川の左岸に沿うぎりぎりの道を行く。相模川沿線の道路はどこも車が多く、他のルートはけっこううんざりするのだ。

写真は、小倉橋の下500mぐらいのところで見つけたヒキガエル。相模川の左岸に湾処のようになっている水たまりがあって、そこで産卵していた。真っ昼間というのに20匹ぐらいがあつまって蛙合戦だ。昨日の雨に浮かれて集まったやつらのうち、欲求不満組が居残ったのだろう。どの個体も大きくて手足が太く、わが家に来るものの2倍以上はある。何年か前に半原越の川で超ビッグサイズのヒキガエルを見つけて驚いたことがあったが、あれに次ぐ大きさだ。周辺には、田畑と無縁の藪もあり、餌もたっぷりありそうだ。そばの道路はほとんど車も来ず、特に夜間は皆無だろうから、大型に成長できるのだろう。わが家に来るものは全員が明日をもしれぬ運命だ。産卵場所も餌場も年々減少している。猫のおもちゃにもなる。木曜の雨の夜に若いのが1匹車に轢かれた。

今日見つけたのは、アズマヒキガエルのビッグサイズのものにちがいないと思う。ただ、八重山ではオオヒキガエルという外国の種類も移入されて野生化しているらしいから、もしかして・・・と思った。相模川流域では、そういうカエルをわざわざ持ち込む理由もなく、オオヒキガエルが蛙合戦をやるようなことにはなるまい。


2009.3.20(金)雨のち晴れ 海から陸、陸から空へ

特段みどころのなかった昆虫の祖先は、他の甲殻類とは一線を画す武器をもっていた。4枚のヒレである。そのヒレは水中では遊泳に力を発揮した。そして、地上に出るとそのヒレでジャンプすることができたのだ。ジャンプは地上を瞬間移動するのによい方法だ。すばやい移動のためには脚を鍛えて走行速度を上げるか、ジャンプするか、そのどちらかの選択をすることになるはずだ。

現在のエビも水中ですばやく逃げるときに尾ビレで跳ねる。タカハシの跳ねもなかなかのものだ。同じ動作によって、陸上で跳ねることだってできる。いまの陸上甲殻類では、トビムシが跳ねのスペシャリストだ。トビムシは林の中にやたらといる。地面の石とか木とかをめくると無数に見つかる。見つかるが次の瞬間消えている。トビムシは腹の下に跳躍器というエビの尻尾のようにたたまれた器官をもっていて、跳び上がることができるのだ。そのスピードはすさまじいもので、体の小ささとの相乗効果によって、目で追うことは不可能だ。加速装置をつかったサイボーグのようなものだ。

陸に上がった昆虫も、ちょうどトビムシのように跳ねていたのだと思う。陸は海に比べるとほんのちょっとのことで環境が激変する。温度も湿り気も食べ物も一定のものが保証されている海中とはえらいちがいだ。汀線ともなれば、数十センチメートルの違いが天国と地獄になるはずだ。甲殻類はそんな環境に強い生物だと思う。古生代でも、柔らかい生物は上陸したとしても、植物遺骸や土壌に潜り込まなければならなかったろう。もしくは貝がらをかぶって乾燥や日光から体を守らなければならなかった。甲殻類自体が海と陸の境で生まれた可能性だってある。

昆虫が乾燥や空気呼吸に適応しながら上陸を果たして行く上で、4枚のヒレで跳ねることができたのは、大きなアドバンテージになったにちがいない。しかも、そのヒレは跳ねることに留まらなかった。彼らが水中で行っている動作を空中で行うと、体を浮かせることができたのだ。トビムシ型のジャンプ虫には絶対にできない芸当だ。どれほど速く尾を振り続けても揚力は生まれない。ひとたび陸に上がったなら、左右に伸びる翅を上下に振る者たちだけにその神秘の力が与えられる。自力で飛行できるなら、地上生活においてそのメリットは計り知れない。別の方法で脊椎動物が空を飛ぶまで、あと1億年。空は昆虫のためにあった。クモという彼らの隣人が網を発明し、飛ぶ虫を捕まえはじめたけれど、そんなものは脅威のうちに入らなかった。


2009.3.21(土)晴れ いも虫とは

昆虫のうち、完全変態をするものをざっと見渡してみると、チョウ、ガ、ハエ、ハチ、アリ、甲虫といった感じで、みなそれぞれ美しく洗練された生物ばかりである。その生態は多岐にわたり複雑怪奇なものが少なくない。彼らは昆虫のなかでも最近になって出現したグループだろうと思う。

多種多様な完全変態昆虫であるが、その根本には共通した特徴がある。そのもっとも際だっていることは、幼虫は食うこと以外に芸のない能なしばかりだということだ。その形態は、青虫、毛虫、ウジ虫、いも虫、地虫であり、やっていることは身の回りにある無尽蔵の食物をひたすら食いあさるばかりだ。アリやハチのウジにいたっては、ごろんと寝転がっているだけで、おねえさんたちが口元まで食べ物を運び体を拭いてくれるというまことにうらやましいやつらだ。

いかにしてこの世に完全変態なる奇天烈な技が生まれて来たか、幼虫のそういう姿が一つのヒントを与える。つまり、進化史上では、最初に成虫ありきで、幼虫は後から生まれたのだ。このことは考えるまでもなくあたりまえのことに思えるけれども、これを押さえておかないと、考えは袋小路に入ってしまう。ポケモンではないのだから、いくら成虫のほうがより美しく複雑で洗練された形態をしているからといって、完全変態昆虫の幼虫が成虫に「進化」することはありえないのだ。

生きる上での特段の技能もなく、ただ食べるだけでよいのなら、そのままそこで生き続ければよい。そこで交尾して卵を産んで死んで永久に世代を重ねればよい。そういうやつらから大空への渇望が生じるゆえんもない。幼虫というある意味うらやましい生き様は、不器用でも成長の短期間ならじゅうぶん耐えていかれる場所を成虫が発見してくれているからこそ許されているのだ。


2009.3.25(水)くもり 脱皮と成虫

昆虫の変態は脱皮によって行われる。この脱皮という成長の方法は甲殻類の登場と共に隆盛を極めたにちがいない。 その大元は殻をもった卵と同時であったと思われるから、かなずしも節足動物がその発明者というわけではないだろう。ともあれ、昆虫をはじめ節足動物は脱皮によって成長する。昆虫は脱皮の回数がきっちり決まっているけれども、カニやエビはあまりはっきりしない(たぶん)。

脱皮は諸刃の剣である。脱皮に失敗して、あるいは無防備な脱皮時の事故により命を落とす虫は少なくない。アメリカザリガニのタカハシは1回目の脱皮によって、はさみを1本失った。2回目の脱皮で回復するかと期待もしたが、そうはいかなかった。クモでは、2本脚になってしまったやつが2回の脱皮によって、正常な8本脚にまで回復した例をみている。脱皮という生き様は致命的なけがですら回復させる可能性があるのだ。まさに、人生のリスタートには最適な方法であり、完全変態の基盤も脱皮にある。

大人だろうと子どもだろうと、生きているのなら脱皮をして大きくなることが悪いということはないはずだ。タカハシはじゅうぶん大人の顔をしているのに2回も脱皮したが、昆虫は成虫になるともう大きくはならない。空を飛ぶ翅も成虫しか持たない。不完全変態ならば幼虫に翅を禁止する理由が見あたらない。カゲロウは例外的に亜成虫という極めて短期間の奇妙な段階があり、翅の生えた虫から翅の生えた虫が出てくる。少なくとも1例はそういう昆虫もいるのだから、絶対ダメというはずはない。

昆虫は、幼虫を成長マシーン、そして成虫を生涯の最終段階として徹底的に無駄を省いた繁殖マシーンと位置づけているようである。成虫たちは新天地を求め子孫を繁栄させることのみから幸福が得られるようになっているらしい。エビ、カニ、クモは(たぶん)卵や子虫を新天地に送り込むことが一般で、ムカデやダンゴムシなど脚の多い虫は、幼虫と成虫では移動能力において不連続な差は認められないから、昆虫は特殊である。おそらく、昆虫の直接祖先となった甲殻類が特異な虫であり、昆虫の目は地球の生物史上で幾度か別々に誕生したというわけではなさそうだ。


2009.3.29(日)晴れ 半原越22分8秒

ようやく私は自転車をつかみかけているという気がしている。つまりはペダリングのことだ。少なくとも栗村修さんのいう「シッティングとダンシングはまったく別の筋肉を使う」ということを今日ははっきりと理解できた。とりわけシッティングで回しているときにどこの筋肉を使っているのかを自覚できている。座っていてもダンシング時に使用する筋肉を動員する場合もあるが、それは別の運動だと意識できている。

昨日はそれがわかったことがうれしくて、今日の半原越を楽しみにしていた。ところが、うかつにも眠れぬ夜を過ごしてしまった。ドキドキすると眠れないという悪い癖があるのだ。体調は悪かったものの、理解したことを半原越で試せることへの期待感は高く、チェーンを26×17Tという1.5倍よりやや重いギアにかけてスタートラインにたった。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'47"4'47"14.716577
区間210'13"5'26"13.117968
区間315'37"5'24"13.217968
区間422'08"6'31"11.018856
全 体 12.817966(1461)

タイムは平凡だが、前回よりも速くて前回よりも心拍数が低いということが、今日の乗り方の正しさを証明しているように思う。

スミレ

写真はいままさに我が世の春を謳歌している玄関のスミレ。機材はニコンのクールピクス990という300万画素ぐらいの旧式デジカメと魚露目8号という際物レンズの組み合わせ。こんな楽しい写真が、オートフォーカスで手軽に撮れるところがすばらしい。

被写界深度が深いコンパクトデジカメとはいえ、魚露目8号だとf11ぐらいまで絞らないと見られた絵にはならないから、ざらざらには目をつぶってiso400にしなければならない。それでも、シャッターは4分の1秒でしかきれないから通常のレンズではアウトだ。超ワイドな魚露目8号はそれぐらいのシャッターでもぶれない。もしかしたら、庭の植物を記録するには最適なセットかもしれない。


2009.3.30(月)晴れ 雑草根性

スミレ

今日の写真も引き続き魚露目8号で。1月に芽吹いたハコベが種を結びつつある。相変わらず髪の毛のように細い1本の根だけで地面にくっついており、少し強い風が吹くたびに右によれ左に転がってなんともこころもとない。それでも、ここまで来たのだからたいしたものだと思う。いわゆる雑草根性というのはこういうことをいうのであろうか。



2009.4.4(土)晴れ 半原越22分2秒

今日の半原越はちょっと重いギアで乗ってみようと思った。ここしばらくは重いギアを回す練習をしており、36×21ぐらいのギアなら回しきれそうな気がしているからだ。やってみれば、田代さやかの太もももさえて、練習の成果は出ているように思う。膝から下に無駄な力を入れてペダルを踏みつけている感じはなくなってきている。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'37"4'37"15.316471
区間210'05"5'28"13.017960
区間315'24"5'19"13.317962
区間422'02"6'38"10.718749
全 体 12.917859(1300)

平均して22分で60rpmならば、力にも余裕がある。半分だけ降りて、車止めの柵があるところからもう一度登ることにした。勝手に半原ハーフとよんでいる区間だ。ギアは同じく36×21T。今度はゆっくり走ることにした。速度でいえば最大で10km/h。ケイデンスでは40rpmぐらい。そういう方法を試みたのは、36×21Tならハアハアせずに走りきることができるという確信があったからだ。

首尾良く頂上まで行って、次は軽いギアで同じくらいの強度で登ってみようと思った。26×19Tに入れて半原ハーフ。心拍は150bpm台だから、強度は80%程度。それなら2時間ぐらいは行けそうな感じだ。ところが、西端コーナーあたりから、その強度では回せなくなってきた。しかたなくギアを落とそうと、下をむくと、前ギアが36Tにかかっていた。軽く登るつもりが、逆に1段重いギアを選択していたことになる。走っていれば気づきそうなものであるが。

今日は久しぶりにハアハアせずにゆっくり登ってみて、その乗り方もいいなと思った。心拍数をAT領域の170bpmまで上げずに25分程度で登れたらなかなかだ。


2009.4.5(日)晴れ 広角接写で虫を撮る

コツヤエンマムシ

ニコンのクールピクス990+魚露目8号の組み合わせが楽しい。以前同じセットでコケを撮影していたときには、ライティングに工夫をこらそうとして深みにはまってしまった。今回はノーライトで撮っている。今日も庭に出て、いろいろな虫や草を撮った。

虫といってももともとろくなものはいなくて、写真のものはコツヤエンマムシだろうか。他にはハコベに来ていたハエを撮った。ハエがハコベの受粉に一役かっているというのは新発見だ。

クソムシとかハエとか、そういうものしかいないわが家の庭がどういうところか想像がつきそうであるが、もっとましなものも来ている。耳元で「ホーホケキョ」がやたらと響くので、何事かと窓をあければ、芽吹いたばかりのムクゲの枝にウグイスが来ていた。この辺ではウグイスは珍しくはない。ただ、庭に降りたのは初記録だ。メジロはすっかりメダカの池に馴染んでしまった。私が庭にいても恐れる様子がない。小鳥もいじめられなければ人に慣れるようだ。

写真のエンマムシは、75%ぐらいにトリミングしてある。5mm以下の虫であるから、ほとんどレンズに触れるぐらいまで寄っている。魚露目8号は被写体がレンズに当たっていてもピントは来る。データによるとシャッター速度は1/27秒だが、それぐらい寄っておれば手ぶれも目立たない。小さなカメラだと、虫の呼吸をはかりながら手を伸ばしていくと相当近づけることもある。これぐらいのサイズまであげてもかろうじて背景にコツボゴケが生えていることが確認できるのは魚露目8号の威力だ。


2009.4.8(水)晴れ 素振り

自転車を上達させるのには素振りが欠かせないと決心した。素振りというのは固定式ローラー台での練習のことだ。これまでの経験から、ローラー台での練習は畳上の水泳のようなもので、半原越ではちっとも生きないと感じてきた。ただ、それはやりかたが悪かったのかもしれない。卓球だって野球だってみな素振りをする。一番よいときのラケット、バットの軌道と力の入れ具合を確認しながら素振りを行う。素振りの通りに玉が飛んできて素振りの通りに振り抜けることはないかもしれない。それでも素振りをする。それはよいイメージを体に叩き込むためだと思う。ならば、自転車だって素振りをするべきだ。

自転車というのは極めて簡単な原理で動く。すなわち、重いギアを速く長く回せるやつが強い、というただそれだけのことだ。ほかには何もない。素振りの場合でも、つまるところはそこだけ考えればよい。

じつは自転車に乗るに当たって、これまで全く意識しなかった運動がある。それは、重いギアをきれいに回すことだ。半原越は上り坂なので、いやおうなくギアは重くなる。重いギアはきれいに回らず、畢竟タイムの増減は体力気力勝負になる。そんな運動は次につながらず、1000回やっても空虚な達成感がのこるだけだ。かといって軽いギアをつかって時間をかけて走れば、そもそもなんで半原越を登っているのかが不明瞭になる。つまり、軽いギアをたくさん回すということは、坂を緩く長くすることと同じ、というものすごいことに気づいたのだ。私の目的は坂を登ることであって、坂の向こうに行くことではない。

私はローラー台を使って体力増強をするつもりはない。あくまで、重いギアをきれいに回す感覚を体に、とりわけ田代さやかの太ももに叩き込みたいのだ。田代さやかが覚えたことは軽く速く回す場合にも生きるはずだ。練習時間は1時間程度。もっとも重い負荷をかけて、最高でも40rpmぐらいでゆっくり回す。心拍は130bpm台だから私としては中程度の運動になる。練習中には、スピードを落とさずにより楽をすることを目標にするが、一時的に楽なだけで結果的には長続きしないやりかたになっている恐れがままあるから、心拍計からは目を離さないでおく。こういうことができるのも屋内だからで、路上では気が散って、というか気を配ってないと5分で交通事故だから無理な相談だ。路上は常に実戦であり、野球でいえば敵投手の都合に合わせてバットを振るようなものだ。

そして、もうひとつ。よいペダリングの目安に「音」がある。ペダリングは踏み込むときにもっとも力が出るから、出力に波ができる。ローラー台は負荷の増減にあわせて、うわんうわんうわんうわん、といううなりを上げる。ギアが重ければ重いほど、力不足また技量不足によってうなりが大きくなる。いまやっている練習の強度は、出力や心拍計から推測するに、半原越を30分で登る程度のものである。もし、半原越を楽々20分程度でこなせるならば、60rpmで回って、うぅぅぅぅぅ〜っという音がしているはずだ。←道は遠いぞ。

ちなみに、いまでは自転車のしなりから出力を計算して表示するハイテク装置が市販されている。それを使えばもっとよい練習ができると思う。いかんせん、その装置は20万円もするからちょっと手がでない。あれは0.1秒のちがいが数千万のちがいになる競輪選手のツールだと、指をくわえて見ておこう。


2009.4.10(金)晴れ 元祖完全変態昆虫

完全変態を考えるにあたり問題になるのはサナギだ。当然至極だ。サナギはいかにしてこの世に誕生したのか? という問いに答えれば、完全変態の謎は明らかになったといえるだろう。

サナギの出現原因については、環境への適応という考え方は全て捨て去って良いと思う。寒さに耐えるため、乾燥に耐えるため、捕食を逃れるためetc。気候変動や他の動物との競争が原因ではないことは明白だ。サナギは昆虫自身の都合だけから生まれたにちがいない。その都合とはぶよぶよ能なし幼虫と成虫を結ぶことだ。そして、幼虫は成虫の後から出現したのだから、サナギの成立は幼虫と同時か幼虫より後ということになる。むろん、完全変態は不完全変態よりもずっと後に誕生したことも自明だ。

いま、完全変態をする昆虫を見渡してみると、全然違う姿と生き方をしていることがわかる。それにもかかわらず、私は完全変態する昆虫はもともと1種類しかいなかったと考えている。アゲハチョウとカブトムシとニクバエはわりと近い親戚なのだ。これは明らかなことではないけれど、そういう直感がある。

そうであるならば、現在あまたいる完全変態昆虫のうちで、どいつが一番元祖完全変態昆虫に近いのだろう? という疑問はすぐに起きてくる。これは難問だ。いろいろな動植物には、こいつはこいつと同類で、かつこいつはこいつより古そうだ、などとと感覚的に思えるものがけっこういる。ところが、完全変態昆虫となると、どいつもこいつもエレガントで、どれも古そうな感じがない。ヒラタクワガタはミヤマクワガタより古そうだが、これはクワガタの中での話だ。もしかしたら、元祖完全変態昆虫は今の昆虫とは似ても似つかない虫で、それがまたたくまに現在の昆虫に進化したため、元祖の痕跡はすっかり失われてしまったのかもしれない。


2009.4.11(土)晴れ 半原越21分53秒

今日は先週にまちがって入れてしまった36×19Tで半原越。重いギアを回す練習をしているので、ちょっとぐらいはその成果もあるかなとあえてそのギアを選択した。実は、この2倍ぐらいのギアが楽である。脚は重いけれど呼吸が楽なのだ。区間4に入っても息が切れている感じがしない。ただし、心拍計は192bpmなどという絶望的な値を表示している。

坂が緩かろうがきつかろうが、結局のところは3つの走法を組み合わせるしかないのだなと気づいた。3つというのは、「くるくる回し」「田代さやか」「座り立ちこぎ」である。くるくる回しというのは、腰だけでクランクを回している感じ。ギア比2倍で半原越だと、半分近くはそれでもいけそう。速度にすれば15km/h、ケイデンスでは70rpmぐらいになる。

田代さやかは、太ももの裏を使ってペダルをぐいっぐいっと押し下げる方法。くるくる回しはペダルの位置にかかわらず推進力をかけている感じだが、田代さやかになると、上死点から水平点のところに重点が置かれる。ケイデンスは60rpmは保持したいところだ。田代さやかはあくまで太ももの裏だ。太ももの表やふくらはぎを使って踏みつける感じがあるとNG。そちらは、青木裕子(アナじゃないほう)になってしまう。

4分の1ぐらいは、座り立ちこぎを導入しなければならない。サドルには座っているのだけれど、上死点のときに上体をつかってぐっとハンドルを引きつけ、左右交互に半身全体でペダルを踏み込む感じ。出力は大きいが多用は無理。腕なんてすぐに疲れ切ってしまう。15%ぐらいの坂で40rpmにまで落ちても、しかたがないなあとあきらめて力を出しすぎないように注意する。坂が緩ければくるくる回しの時間が長くなるし、坂がきつくなれば座り立ちこぎの時間が長くなる。田代さやかを鍛えて、緩いところをもっと速く、きついところをもっと楽に走るべし、というのが半原越最速理論である。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'29"4'29"15.816766
区間29'56"5'27"13.018254
区間315'20"5'24"13.118255
区間421'53"6'33"10.819045
全 体 12.318154(1182)

2009.4.12(日)晴れ 半原越28分45秒

昨日はちょっとがんばりすぎた。気合いを入れて100km以上走ってしまって満腹状態。走る意欲がわいてこない。ならばゆっくりやってみようと半原越。ギアは普通に走れるはずの36×21Tを選択した。これで、AT未満で走ったら何分かかるかのチェックだ。素振りをした感触では30分を切るぐらいのはずだ。

とりあえず、ケイデンスも心拍数も見ずに素振りと同じぐらいの強度で走ってみる。もちろんハアハアもなし。区間1でラップをチェックすると6分だったから、6+7+7+8=28分ぐらいだなと、そのままのペースを維持する。21Tだとどれだけゆっくり走っても坂がきついところでは田代さやかが必要になることは変わりない。それでもゆっくりなら余裕のゆうちゃんだ。丸太小屋の坂では、溝にある旧知のコケを見る余裕。ゼニゴケが造卵器をつけていた。

このゆるゆるペースは主観的にはハンガーノックになってずるずる下がるコンタドールだ。しかし、客観的には、志高くザンクのニーサンのロードレーサーを買って、そのままの勢いで峠に来てしまった初心者オヤジである。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間16'05"6'05"11.514154
区間212'54"6'49"10.415448
区間319'32"6'38"10.715549
区間428'45"9'13"7.715536
全 体 9.915245(1294)

いまの季節、半原越も清川村もきれいである。清川村には春にピンクの花を咲かせる木を植えなければならないという規則でもあるのだろうか。今日も非常に暖かい。そろそろウスバシロチョウが飛んでいないかと注意しているけどまだ見ていない。あれは私にシーズンインを告げるチョウだ。

さきほど珍しくテレビで自転車のCMをやってた。7段変速でアルミの通勤自転車とのことだ。上り坂も他の自転車をぶっちぎってすいすい走れるらしい。そういう表現はいいとして、正面からの映像はイケメンのサラリーマンなのだが、後ろから撮った脚には田代さやかが入っており、きれいに回っていた。明らかに別人である。アイドル系でもCMなどで脚だけをみせるときは別人を使うことが多い。自転車もきれいに乗るのは思いのほか難しいから、そんなめんどくさい撮影になったんだろう。


2009.4.13(月)晴れ 成虫のいさぎよさ

昆虫の変態を考える上で、絶対に見逃せない点がある。それは成虫の寿命の短さだ。昆虫の成虫の寿命はほかの節足動物に比べて短いように思う。正確なデータをとっているわけではないけれど、おおかたの昆虫は成虫になると数日から数週間で死んでしまう。おおむね動物は小さいものほど短命だ。その中でも昆虫の成虫はそろって命が短く、数年生きるものは例外中の例外だ。野外では老死した動物を見ることは極めてまれだが、ケバエ、羽アリ、カゲロウの類は掃いて捨てるほどの死体にお目にかかることができる。彼らは来る日が来ればせっせと繁殖しさっさと死ぬ。

ダーウィンも言うように、ぱっと開いてぱっと散って、次の世代に命を託すのが成功の秘訣だ。体が強いことも、賢いことも進化の上では無力で、変化するものだけが勝ち残れる。昆虫は、その決まりをきっちり守っているようだ。だからこそ、地球上でもっとも成功している動物になっているのだと思う。

残念ながら、動物にとって力への意志と長寿への執着は避けがたいものがある。そのことは動物の一員として身に染みて理解できる。ようやくにしてヒトは、ただ強く生きることの無意味をおぼろげながら悟ることができるが、他の畜生どもはそういう心境にはなれまい。

そうした悲しいパッションも理由のないことではない。強く長く生きようとすることは、進化という点でも半分の利にかなっている。ある程度強くないと繁殖するまで生きられないという制限が根源的に存在するからである。くわえて、同種のうちでライバルと競争があるならば、より強くてより長命な個体が子孫を残すだろう。他種との競争でもよりライオンに食われにくいシマウマのほうが子孫を残すであろうし、よりシマウマをしとめられるライオンのほうがより子孫を残すかもしれない。そうなるとより速い脚を作るため、より強力な牙を作るため、個体が成熟するまでの期間は長くならざるをえない。おそらく少子化も進む。

強力で長命な個体ほど有利に生きられるタイプの動物は絶滅しているも同然である。ひとたび、そちらの方向に種の梶取りが行われたならば、引き返すことはもはやかなわず、次の進化へのチャンスを失うだろう。安定的な環境でその傾向は加速され、地獄へ向かって一直線だ。そして、100kgの巨体で、繁殖可能になるまで数年かかり、生涯に5〜6頭の子しか産まないような動物は天変地異があれば真っ先に滅ぶだろう。強力な爪も牙も狡猾な頭脳もむちゃくちゃになった自然環境の元ではじゃまなだけだ。現にこの1万年たらずの間、ヒトが天変地異を起こしており、弱肉強食の強グループの動物から先に滅びつつある。ライオンはかろうじて人為的絶滅から免れているのかもしれないが、もし、ライオンやトラなどネコ科の猛獣が絶滅したとして、この世にヒトのあるかぎり、イエネコあたりがライオン並の山猫に進化を遂げることはありえないと思う。

個体の強さと種の強さは動物には避けられないアポリアだという気がする。種の保存なんて知ったことではないと達観するか、気づかずに滅ぶか、いずれかの選択になるはずだが、虫たちはこれを1億年前に乗り越えてしまっているのだろうか。


2009.4.14(火)くもりのち雨 萎縮したコツボゴケ

コツボゴケ

写真は庭のコツボゴケ(たぶん)である。春に芽をふいてきれいな葉を広げたから毎朝楽しみに見てきた。コツボゴケに混じって、萎縮したビニールゴミか海草みたいなものも見えるが、これもコツボゴケで、同じときに芽吹いたものである。この場所には3種類ぐらいのコケが混在しており、しばらくはこの萎縮したのを別種かなと思っていた。ところが、この4、5日で萎縮組がぐんと増え、明らかにコツボゴケに覆われていたところもくしゃくしゃになっているから、これもコツボゴケにまちがいないと安心した。

写真をよく見ると萎縮組にも2タイプあることがわかる。色の濃いのと薄いのだ。薄い分は2日ほど前に萎縮したばかりのもので、濃いのはいつこうなったかわからないぐらい前のものだ。萎縮の原因は乾燥で間違いないだろう。この4月は雨が少ないから、どんどん萎縮組が増えてきたのだ。

萎縮のしかたは少し常識からかけ離れている。これでもかといわんばかりにくしゃくしゃになってしまうところもおもしろい。それに加えて中間段階がないというのも面白い。通常、植物がしおれる場合は、少しずつ元気がなくなっていくものだ。こいつの場合は、ピンと開いているか、くしゃんとつぶれているか両極端なのだ。そして萎縮して時間がたつと色が濃くなる。

コケが萎縮して乾燥をやり過ごすというのは常套手段だ。ここまでくしゃくしゃになっても、おそらく本人はいたって健康なはずだ。今夜の雨で水を吸って、明日の朝にはあっけらかんと開いた葉をみせているだろう。

ところで、今日から画像のファイルサイズを75キロバイトまで上げることにした。貧乏性のために前回までは40キロバイトに押さえていた。それだとJPEGのしわくちゃが目立ってしまい、特に今日のようなしわを見せたい写真には有害になるからだ。むろん写真の見栄えが悪くてへたくそに見えるのも前々から気になっていたところだ。


2009.4.15(水)晴れ いのちだいじに<がんがんいこうぜ

コツボゴケ2

予想通り、今朝のコツボゴケは葉をひらいていた。

さて、アリはそのアポリアを克服している数少ない動物の一つだと思う。大半の個体は成虫になっても繁殖しないが、女王だけは別格で、10年にわたって生き続け1万個の卵を産むという。アリは無敵だ。システマチックで強固な社会をつくっており、女王は産卵に専念して長生きすることができる。原理的には10年といわず、100年でも1000年でも生き続けてよいはずだ。女王が長命なことによるデメリットは思いつかない。中生代の女王アリも長命だったと思うけれど、恐竜を滅ぼした天変地異だってアリの快進撃の障害にはならなかった。

実は、長命が弱点にならないことは他の昆虫でも同じことで、成虫は繁殖の機会をうかがいながら何年でも生きればよいように思う。産まれた卵は1か月から1年ぐらいで成熟して繁殖に参加できる。さらには、卵から成虫にまで生き残れるのはかなり難儀で、せっかくそこまでいったのだからあえて早死にさせることもないだろう。私は昆虫が長命を自粛していることに適応的な理由は見いだせない。昆虫は恐竜を滅ぼした程度の天変地異だって幾度もその生き様を変えずに乗り越えてきたはずなのだから、いのちだいじにモードに入ってもよいように思う。

あえて長命禁止の理由を探すならば、昆虫の成虫という生き様が、細く長く生きることと真っ向対立しているということに思い至る。節足動物のうち翅を獲得したのは昆虫だけ、しかも、最終的(古生代には幼虫も飛んだかもしれない)には、成虫だけが飛ぶ。飛行は昆虫の存在証明だ。距離的に遠い所の異性にあうのも、子孫のために新天地を切り開くのも飛行のたまものだ。昆虫は4億年にわたってがんがんいこうぜモードに入っており、ごくありふれたミジンコみたいなものが、100万種類にわかれて地上を征服しているのだ。

飛ばない虫はただの虫だが、昆虫の中でも長命なものは隠れてこそこそしているように思う。アリの女王は巣の奥深く隠れて、飛ぶことはおろか地上に顔をだすことはない。オオクワガタのオスを丸3年飼育したが、徹底した隠者であった。部屋の明かりが消えてこちらが気配を消すまで巣穴から出ようとはしなかった。オオクワガタは飛べるはずだが、飛びたいという意志はついぞ見せなかった。

飛べば目立つ。捕食死も事故死も増える。無駄も多い。揚々と新天地に向かっているつもりで地獄への片道切符をつかまされている例も多い。そもそも、飛ぶことはエネルギーも使い筋肉や関節の消耗も激しいだろう。長生きしたいやつのすることではない。


2009.4.18(土)くもり 昆虫は自由だった

昆虫がはじめて飛んだ頃は地球の大陸は1つだったと言われている。その大陸のどこかで最初の昆虫が誕生した。それから昆虫が陸を征服するまでどれくらいの期間が必要だったのだろう? 私は1万年もかからなかったと思う。カタツムリはミミズよりも速い。ヤスデはカタツムリよりも速い。ゴキブリはヤスデよりも速い。トンボはゴキブリよりも速い。地球上で最も早く地上に完全適応したのはおそらく節足動物だと思うけれど、その中で昆虫は圧倒的に速く陣地を拡大することができる。不毛の岩山や移動の障害になる大河も昆虫は楽々越えていくのだ。1年に10キロも進めば、4000年で地球を一周してしまう。半分ずつ反対側に進めば2000年で地球の裏側まで陣地になる。この時間は生命史の中では一瞬にすぎない。昆虫に続いて動物は幾度も躍進の機会をもった。人類が文明を持ったとき、鳥が空を飛んだとき、は虫類が陸を歩いたとき。それらもけっこうなものだが、古生代の昆虫には及ばないと思う。

植物や藻類に覆われた古生代の陸地で昆虫は自由だった。当初は肉食性の節足動物すら少なかったのではないだろうか。もともと海でそれなりな生物が生まれたとき、そいつは肉食性だったはずだ。海は生命が生まれてこのかた、ずっと殺伐とした世界だったが、陸上はちがう。動物は植物の後を追って陸の奥へ進んだ。肉食動物あるいは雑食性のものは植物食の動物が栄えない限り生きて行かれない。

進化は自由な生物に味方する。他の動植物との競争や協力や、環境との摩擦で進化が起きるのではない。それらは進化への制約として働くのみだ。昆虫も最初に地球を席巻したものは植物食だったろう。食べ物は無限にあったはずだ。食べられることもなかった。卵から孵れば、足下の草を食い、脱皮をして変態をして、成虫になれば異性とであって卵を生む。昆虫は地球史上、本物の自由と平和を享受した唯一の動物かもしれないのだ。


2009.4.19(日)晴れ 半原越22分4秒

昨日は40kmほど走ってもうまく回す感覚がつかめなかったので、なんやらかやらと100kmほども走ることになってしまった。下腹と太ももを近づける感じにすると感触が良いのだが、その走り方は膀胱を刺激するらしく頻尿になってしまうのが面白かった。ともあれ、昨日の練習が功を奏したのか今日は走り出しからうまくペダリングできているように感じられた。やはり時々は1日に200kmほど走ってへろへろになって、そのときのペダリングをしっかり体に叩き込んでおくのがよいのかもしれない。

今日は、少し軽いギアで36×24Tの1.5倍を選択した。半原越の最終目標(達成の見込みはない)は1.5倍のギアを75rpmで回しきることだ。風は南東から吹いて暖かく快適である。南風は半原越では向かい風になるようだ。山荘みさきあたりの向かい風はつらいけれど、最後の最後では追い風になるから、ラストスパートの背中は押してもらえる。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'49"4'49"14.715778
区間210'17"5'28"13.017469
区間315'36"5'19"13.317670
区間422'04"6'28"10.918358
全 体 12.817467(1478)

タイムは22分程度でまずまず。1.5倍なら区間4はほぼ全域を田代さやかと座り立ちこぎを交互に使うことになってしまう。座り立ちこぎは立ちこぎとはちがって軽めのギアでも使える。21や19を使って同じぐらいのタイムで走ったときより心拍も低く、呼吸も楽だ。しばらくは1.5倍を目安にして乗ってみようと思う。

関東の山は一年でもっとも美しい季節だ。1回だけではもったいないので、軽いギアに落としてもう1回登る。歩く速さで走れば鳥もコケも虫もよく見える。蒼光りする体を引きずるようにしてツチハンミョウが道路を横切っていく。こいつはどくとるマンボウ昆虫記でずいぶん厚く扱われているあこがれの虫だった。最初に目にしたときはずいぶんうれしかった覚えがある。そろそろウスバシロチョウが出ていないかと、白いチョウを見かけると目をこらす。もう少し日にちはかかるようだ。


2009.4.20(月)晴れ サナギの誕生

ダーウィニズムの正統派が主張するように、進化はランダムな突然変異の積み重ねの結果であるならば、必然の帰結としてより自由な生物のほうがより多く早く進化することになる。自由というのは、より多くの子孫が生き残るということであり、それが意味するのは弱者が脱落しないということだ。粗食に耐え、すばらしく成長が早く、多産で、病気に強く、そのほかありとあらゆる良い素質をもったシマウマが、たまたま遺伝的に劣性のはずの鈍足が発現したために、生まれて半年でハイエナの餌食になってしまうようなことは普通に起きるだろう。現代のサバンナでシマウマが生きていくためにはバランスのとれた体が要求される。その高い完成度は、成獣になれるシマウマはどいつもこいつもしょせんシマウマで、より良いシマウマかちょっと悪いシマウマでしかないという八方塞がりを招くと思われる。適応度の低さは、親たちとは別の生き方を強いられるということだ。そういう個体でも生き残り、別の生き方が定着するようだと新種の誕生、つまり進化につながる。

古生代の昆虫はまさしく弱者生存とよべるような状態だったにちがいない。内からわき出るパッションにしたがって、地上のありとあらゆる場所に生息地を求め、あらゆるチャレンジと無茶を繰り返す。親とはちょっとちがったいびつな子でもじゅうぶんに生き残るチャンスがあった。いな、フロンティアであればむしろ親とはちがうほうが良い場合もあったろう。前翅が固くなってしまい、飛ぶ能力の低い不肖の子ですら、その落ち葉の中に潜り込むに適した体を生かして命をつなぐこともできたろう。

餌は地平線の端から端まで生えており、向かうところ敵は同種と自分だけ、という希有な世界の中で完全変態という生き方も成立したにちがいない。脱皮をして変態するという生き方は既に海中でも発明されていたけれど、それを好き放題に行えたのが昆虫だ。

ウジムシというのは、口と腸だけの化け物だ。卵の発生の途中で口と消化器系ができた段階で殻を破って出てくるのがウジムシだ。古生代の地面はその程度のやつでもじゅうぶん生きて行かれる自由があった。いくら食い太っても口と消化器だけでは大人にはなれない。手足と知恵と勇気と生殖器をもった大人にならなければ未来はない。彼らの世界での大人というのは、途方もなくエレガントで繊細な飛行虫なのだ。こればっかりは譲れない。羽化のためには、全身が腸の化け物は再び卵に戻って発生をやり直さなければならない。もともと発生の途中で殻をやぶって出てきて、手足を作るかわりに食いまくっていただけのことだから原理的には簡単だ。ただし、でかくなった分の時間はかかる。無防備にごろんと寝転がって動けない状態が何日か必要になる。それでも全然危なくない。サナギを食う輩すら登場していない頃の話だ。


2009.4.26(日)快晴 半原越22分45秒

まるで真冬のように空は青く澄み、風がびゅうびゅう吹いている。新緑に彩られた山は陰影が濃く、はるか彼方までくっきりと見える。田んぼのレンゲは盛りを過ぎて鋤き込まれるのを待つばかりだ。シュレーゲルアオガエルの合唱が聞こえ、いよいよ夏だ。今日は半原越。じつは先週から思い描いていた走法があった。しばらくギアチェンジをしなかったので、次の機会にはギアを変えて登ってみようと決心していたのだ。区間1を16T、区間2を18T、区間3を18T、区間4を21T、それで70rpmで回して22分ぐらいというもくろみであった。

ところが、走り出してふと気づくと、スプロケットの交換をしていなかった。16Tも18Tもついてない。けっこうショックを受けたけれど、とりあえず17-19-19-24で行ってみることにした。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'53"4'53"14.516175
区間210'32"5'39"12.517373
区間316'03"5'31"12.817474
区間422'45"6'42"10.618377
全 体 12.417474(1684)

やってみると、区間4が平均ケイデンス77rpmで一番回っている。タイムも6'42"だから、このあたりのギア比が最適のように思う。21Tも選択できたけれど、それだとたぶん重いのでけがの功名とでもいっておこう。区間2と区間3で19Tだと、丸太小屋の坂とラストの500m以外はずっと休むことになり、80rpmぐらい回っていても余裕がある感じだ。たぶん緩いところは16Tぐらいにして、10%超のところで21なり23なりを使うのがよいのだろう。ギアを変える走法も研究しておかねば。

風があまりにも強く楽しそうだったから、チネリをひっぱりだして境川にも行ってきた。向かい風の中を52×19Tにかけて25km/hぐらいで走る。風は30km/hぐらいあるから、対空速度は55km/hだなどとつまらぬ計算をして楽しく走る。追い風でも速度は同じぐらい。意識してゆっくり走る。


2009.4.29(水)晴れ 半原越21分35秒

日曜日にはスプロケットの選択をまちがったので、今日はうっかり忘れたりしないようにちゃんと昨夜に交換をしておいた。で、12〜21Tのホイールでいそいそと半原越。気温は20℃、南西の風がやや強い。半原越は夏には夏の風が吹く。高気圧にすっぽり覆われると日中は海風が吹くのだ。相模湾と丹沢の間にある南斜面の谷をまく林道だから風はややフォローになる。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'36"4'36"15.416075
区間29'57"5'21"13.217773
区間315'14"5'17"13.417774
区間421'35"6'21"11.118771
全 体 13.117772(1554)

全体的に踏まずに回しきるという思惑通りの走法ができた。区間3までのケイデンスは判で押したように、前回といっしょ。ギアが1枚重い分だけ速度があがり、心拍数も上がっている。それでもけっこう余力を残しながら区間4に入っているから、あと0.5枚ぐらいギアをあげてもよいかもしれない。現実問題としてどれほど余力を持って最後の1.5kmに入ったとしても、それほどのタイム短縮にはならないことが判明しており、TTでは前半の余力は無用だ。区間4は6'21"で71rpm、ペダルが脚にかかって無駄なく力が入っている感触もあり最適のギア比のようだ。このケイデンスを維持して26×19Tが使えるようになれば自分で自分をほめてやろう。


2009.5.2(土)晴れ ペダリング

夏草

つい先だってまで冬枯れだった庭がすでに夏草ぼうぼうになっている。足下を手探りするとなにやらぱちぱちはじけ飛ぶものがある。タネツケバナの種だ。春の花は一足先に種をまいているのだ。

ここしばらくやっかいなウイルスにつかまっているらしく体調がすぐれない。喉は痛いは、鼻水は出るは。そのくせ普通に動けるところが中途半端だ。おとなしくしているのも性に合わないから、午前中は庭で草や虫の観察をして、午後からは境川に出かけた。

軽く50キロほど流すだけのつもりだったが、境川には挑発的な南風が吹いている。追い風だと楽々時速40kmが出せる風だ。結局がんばってしまった。向かい風をうけて52×16Tに入れて時速25kmで走るとき、ケイデンスは60rpmになっている。これは座り立ちこぎの練習のつもりだ。今日もペダルへのかかりが悪い。2時間ほどやってようやく体と自転車がシンクロしてくる感じだ。

高トルク低ケイデンスのときに注意しているのは脚の力を抜くことだ。膝下だけでなく脚全体を弛緩させる。上死点から踏み込んで、ペダルが一番前にいったときに、すっと力を抜いて、下死点を過ぎたときにぐっと力を入れ直し、上死点の直前でもう一度力を抜く。特に、下死点で下に踏み込むことは百害あって一利ないから気をつける。力を抜くのは10分の1秒程度だからほんとに一瞬だ。だけどそれができれば持久力が増すように思う。向かい風や上り坂で力を抜くのはスピードが落ちるという不安があるけれど、速度はあくまでケイデンスに比例し、加えた力とは直接的関係はないことを自分に言い聞かせる。

自転車理論では引き脚なんてものはないのではないかということが20年ほど前から言われている。選手はけっこう引き脚を使っているつもりでも、測定してみると引き脚は仕事をしていないという結果が出るのだそうだ。私は、それでも引き脚は使っているはずだと思う。

もし、スーパー上手な自転車乗りがいて、ベクトルが円を描く理想的なペダリングができたとする。彼の場合でも、人間であるからには、もっとも力とスピードが出せるのは踏み込むときだ。脚は蹴るようにできているし、脚自体にけっこう重量があることも大きい。そういう事情があるから、100%の配分で仕事をしている場合は、サイクリストの自覚としては踏み込むときに軽く、引き上げるときに重くなるはずだ。引き脚は余計に力を入れるようでないと、踏み込み脚と同じ仕事をできないのである。その結果として、うまく回っているときは引き脚を使う感覚があるはずなのだ。そういうことを考えながら、ペダルを押したり引いたりして走っていた。


2009.5.3(日)晴れ 強く正しい自転車乗り

乾いたコツボゴケ

写真はおなじみ乾燥して萎縮しているコツボゴケ。今朝は写真にちょっと色気を出してストロボを当ててみた。ここしばらく使っているセットは、FujiのS2proにレンズはタムロンSP90、ストロボはニコンのSB29というリングタイプだ。それだけでじゅうぶん写る。もう少し色気が欲しいなとスレーブ発光式のストロボを用意したのだ。このカットには乾いた感じがあるから、それなりに効果的といえる。しかしながら、全体的にはわざとらしさが鼻につくカットが多い。今朝はくもりで日差しがない中で太陽光を出そうとしたが、なかなかプロがやっているようにはいかない。コケなどの小さい植物を撮るにはしっかり三脚をすえて自然光をつかうのが王道だ。

午後は昨日と同じく境川。今日もよい風が吹いており同じくペダリングの練習。私は運動選手ではなかったからトレーニングというものをしたことがない。筋持久力が足りないことは明らかであるが、そこを強化せずにタイムを上げようという不遜なことを考えている。筋持久力をあげるにはインターバルだとか高負荷だとか、自転車が嫌いになるようなトレーニングが必要だろう。それはいただけない。ただ自転車が好きなだけで競技に出るつもりもない並の中年おやじにはそれにふさわしい練習があるだろう。

幸い、まだまだ自転車に乗るのがへたくそで、とくに高トルクのペダリングが全然なっていないという自覚がある。そこを矯正するだけでも、10%程度は速くなるように思う。今日は向かい風も追い風も52×18Tを使ってともに時速30kmで走った。数年前には平坦でも52×18Tは重くて使えないと思っていたのだから、素振りをはじめとする練習がきいているような気がした。しかしよくよく考えると、そのギアで時速30kmなら80rpmでしかない。数年前に重いなと感じていたのは90〜100rpmを出せないという意味だった。進歩しているとは言い切れない。ただ、向かい風練習のおかげで下ハンを使うのはうまくなった。また、時速50kmの向かい風の場合、ステム近くを持つDHポジションをとれば時速にして3〜4キロは速くなることもわかった。速く走る才能は皆無だけれど、清志郎さんの遺志を継いで、強くて正しい自転車乗りになるのだ。

向かい風を3本やったあと、帰りに追い風にのってすいすい走っていると、とつぜん軽い目眩におそわれ、全身から力が抜けた。一瞬、循環器系の発作かとたまげたが、ただのハンガーノックだった。空腹感もなくハンガーノックに陥ることもあるようだ。朝昼食べずに、コンビニのゼリー2個で80kmもがしがし走ればそりゃだめだ。


2009.5.4(月)晴れ 半原越21分45秒

走り出してみるとどうにもうまくいかない。ペダルに足がかかっている感じはいいのだが、体のなかからパワーがわいてこない。昨日、ハンガーノックをくらってしまった影響がでているのか。3日連続向かい風練習をしたことで疲労が貯まったのだとは信じたくない。

この5月のはじめに南から強い風が吹くのは例年のことらしい。というのは、相模川の流域一帯で、凧揚げが盛んだからだ。相模川ではおそらく子どもの日の行事として相模の大凧祭りというのがあり10畳敷ほどもある凧をいくつも揚げる。その準備は3月ぐらいから始まるらしく、河川敷や田んぼで骨組みだけの凧が転がっているのをみる。境川でも凧揚げをやっている。そういう風習も風があってのものだねだ。

あわよくば走っているうちに好調になってもらえないかと期待していたがだめだった。中津川の坂もよれよれで老人ホームの坂もふうふうだ。清川村の緩い坂もいつもより5km/hほど遅い。今日はもともとねらいがあったわけではないから、開き直って2倍のギアで行ってみることにする。36×18Tは相当重いのだが、TTのときはそれぐらいのギアを踏み倒している。坂を登るだけでよいなら、素振り練習の要領でゆっくり回せば重いギアのほうが楽なはずだ。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'49"4'49"14.715258
区間210'10"5'21"13.217153
区間315'18"5'08"13.817355
区間421'45"6'27"11.018044
全 体 13.117051(1109)

やってみると、これが予想以上に楽で、心拍計を見て「これ、誰の心臓ですか?」というぐらい値が小さい。丸太小屋の坂でMAXが180bpmを超えない。区間4でもMAXで190bpmを超えない。脚に力は入っているけど呼吸は楽だ。ともかく効率よく回すことだけを考えて走る。急坂で踏み込むときに力をいれる座り立ちこぎと、田代さやかのふとももと、緩いところで引き脚に力を入れるくるくる回しをバランス良く使う。田代さやかとくるくる回しを同時にやり続けることができれば上手い自転車乗りになれると思うが、短時間で力を抜いて方向を変える必要があり、50rpm程度であっても簡単にやり続けられるような技術ではない。

脚にはきてても呼吸が楽だと不完全燃焼っぽい。ギアを1.75倍ぐらいに落としてもう一度ハーフをやった。じつは、坂の斜度とライダーの体重によって最適ギア比というのが物理学的に決まるのではないかと疑い始めている。それは個人の力によらない。ツールで優勝争いをする選手も私も同じだ。そのギア比は、半原越を私が走る場合は1.5倍から2倍の間にある。今日のように不調な日に重いギアで楽に登ったりするとそういう迷いが深くなる。今日は路上にオサムシが多かった。どいつもこいつも妙にせわしなく歩き回っていた。


2009.5.6(水)雨 草むらを撮る

 雑草

庭の草はひさびさの雨を歓迎しているようだ。コツボゴケも水を吸って葉をひらいた。雑草もぐんと成長するだろう。写真は、そういう庭の一画。半日影にあるコケのマットの中からオオアレチノギク、ドクダミ、ハコベなどが芽吹いて成長している。私はこういう生物たちの奔放でありながら整然とした様を美しいと思う。そして、しょっちゅう写真機でスナップしているのだけど、ほとんどの写真は失敗している。その失敗は、ピンボケとかブレとか露出とか色温度とか、写真術の基本的なものではない。そういう失敗は10年以上も前にデジタルカメラが登場したことで起こらないようになっている。

失敗の原因は一言でいうと構図の問題だ。肉眼では漫然と広く風景を見て、集中して部分を見ることを交互に無意識に行っている。茫漠とした草むらのきれいさはその作業と無縁ではない。この作業をできあがった写真では行うことができない。光景を切り取ってしまえばそれが全てだ。写真はある意味固体である。確固とした対象が被写体としてある場合は、失敗と成功も明らかで構図も作りやすいかもしれない。草むらのよさは被写体がはっきりしないことに良さがあり、写真にするときの難しさがある。私は、いわゆる風景写真でもなく植物生態写真でもないところに美しさを認めているのだから、そこが表現されねばならない。

草むらには明るいところと暗いところがあり、その配分で全体の画面構成が決まる。その画面構成の中で、近いところと遠いところがあり、どこにピントを合わせるかを決める、植物群落で市松模様のようなぺたんとしたものなら正対しても奥行きをもたせても難しくはない。でこぼこした画面構成のなかで、中央部が最も近くてコントラストが明確だとそこにピントを持ってくれば失敗はないだろう。特定の植物の生態、環境写真ならば最初からその構図をねらえばよいが、そうしたくない場合が多い。なんとなくいろいろ生えて、それでいて各個体が絶妙の位置を占めているのがよいのだ。そんな意図通りに撮った場合はまさしく雑草がただ写っているという漫然としたつまらない写真ができあがってくる。シャッターを押したときには成否はわかならないのだけど、あがってきたものが良いか悪いかはよくわかる。こっちの葉っぱにピントがあってればなあ・・・などといつも後悔している。

この雨は草木にも、草木ファンの写真家にもよいのかもしれないが、自転車乗りにはありがたくない。ふだんならこの程度の雨は歓迎だ。ところが、しばらくわが家の風呂が壊れたままだ。マイコン制御の湯沸かし器が無反応になってしまい湯が出ないのだ。雨の中を3時間も乗ってると体が冷え、湯船にでもつからないとやってられない。せめてシャワーでもないと雨の中に出かけていく気がしない。この雨は気持ちを切り替えて部屋の中で3時間ばかり素振りだ。技に集中して練習する好機だ。


2009.5.7(木)雨 雨のカタツムリ

 雑草

この季節には珍しく雨は三日三晩降り続いた。それにうかれたものかどうか、今朝、庭でカタツムリが交尾していた。軟体動物らしさを存分に発揮して、珍妙な交尾体勢だ。ずっと観察したかったけど、仕事に行かねばならず、証拠写真だけを撮って、その場を離れた。

種類はおそらくミスジマイマイだと思う。私の庭にはカタツムリは少ない。ナメクジはたくさん生息しており、雨の夜なんかはうるさいぐらいだが、カタツムリは少ない。唯一、キセルガイの一種が、探せば見つかる程度。ミスジマイマイは木に良く登っている目立ちたがり屋にもかかわらず、年に2、3度目にする程度だ。いつも見つかるのは最大級と思われる個体で、何年生きるものか知らないけれど、もしかしたらロンサムボーイではないかと心配していたほどだ。とりわけ、幼体と思われるものは目にしてない。子どもと見えたのは、小さくても巻き数が多い別種だった。これで産卵が行われれば小さいのもぞろぞろ生まれてくるかもしれない。


2009.5.9(土)晴れ 半原越21分10秒

今日は半原2号で半原越。強い南西の風が吹いて暖かい。代掻きが至るところではじまって、シュレーゲルアオガエルの声が聞こえる。アマガエルもぽつぽつだ。はて、しばらく雨は降らないはずだけど、田んぼの泥水の臭いをかぎつけて胸が騒いでいるのか。

半原越のスタートにたってCATEYE V3のスタートボタンを押すも、ぜんぜん反応がない。以前にもこのトラブルはあった。もともと押しにくいボタンで、困ったものだ。しかたなくATモードにして出発。このモードだと全区間の平均ケイデンスと心拍数が記録できなくなる。

スタートしてすぐは右手に法論堂川を見ながら走ることになる。川沿いにある杉林のシャガは年々増えている気がする。今日は前回と同じく、36×18Tの2倍で行ってみることにした。やりかたはちょっと変えて、最初からがんばり気味に走ろうとしている。1kmのケヤキの坂なんか、ダッシュで突入して最初の10mを稼ごうというがんばりやさんだ。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'18"4'18"16.516465
区間29'28"5'10"13.718254
区間314'41"5'13"13.618154
区間421'10"6'29"10.918743
全 体 13.418054(1148)

タイムは30秒ほど縮まっている。これは序盤に飛ばした貯金が効いているだけだ。後半はだめだめでタイムどころではない。丸太小屋の坂に入る前に心拍数は180bpmを超え、以降180bpmから落とせなかった。区間4の平均は187bpmで、ほとんど自殺行為といえよう。しかも、最初のがんばりのせいでいまいちペダリングへの意識が散漫となり、うまく踏めないままゴールしてしまった。こういう力任せではいけない。前回は2倍で楽々だったから調子に乗ってしまった。下りでヤマカガシの若いのを轢きそうになる。半原越に蛇の季節が到来だ。今日もウスバシロチョウは見えず。今年ははずれ年かもしれない。


2009.5.10(日)晴れ 半原越22分56秒

今期はじめてアスファルトの照り返しを感じる。今日はチネリで半原越。重いギアで登る練習をしており、ならば、重いギア、重い自転車でもよいだろうとチネリを持ってきた。インナーが42Tだから、一番軽いギアでも42×23Tで、昨日の2倍よりもやや軽い程度。今日はこれで行ってみようと思う。チネリにはCATEYE V3がついていないから、ケイデンスも心拍数も記録できない。ゆっくり走るつもりだからそれでも問題ない。ラップ用にCC-CD300DWの本体だけをつけてきた。

いつもの棚田から眺める向かいの山の斜面はすっかり夏だ。2本ばかり花をつけているらしい木が白っぽく見える。若葉のさいごの名残りは椎だろうか。自転車を転がして草むらに座っているとアリをはじめとしていろいろな虫が体にも自転車にもはい上がってくる。噛みついてくるやつもいるから、巣の上にでも腰掛けているかもしれない。こういうところにも夏が来ている。

棚田を過ぎた道路脇にやけにきれいなコケのかたまりを見つけた。ビッグサイズのスギゴケふうなのだが、葉が丸く、なによりも薄黄緑色の鮮やかさが尋常ではない。この道路脇はいつも注意していたはずなのにどうしてこんなに目立つコケを見落としたものかどうか、やや自己不信に陥る。この手のコケには心当たりがない。名前調べのため、帰路に採集していくかどうか迷うところだ。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間15'00"5'00"14.262
区間210'31"5'31"12.856
区間316'00"5'29"12.956
区間422'56"6'56"10.244
全 体 12.354(1249)

半原越はまあこんなもんかなと軽く登って、やっぱり例のコケを拾っておこうと道ばたに自転車をたてかけて、コケをつまんだ。その茎はやけに柔らかい。その瞬間にコケではないことがわかった。丸く肉厚の葉を持つコケはない。かといって、それが何かは見当もつかなかった。


2009.5.12(火)くもり クサイチゴ

クサイチゴ

今年、ついにわが家の裏庭にクサイチゴが大きな赤い実をつけた。この家は30年ぐらい前に薪炭林をひらいて建てられたものだ。近所に残る林にはクサイチゴも生えているから、開発時に地面に残っていた種から芽吹いたか、近所から種が運び込まれたものだろう。数年前まではタヌキがけっこう生息していた。そういう動物や鳥によって種が運ばれたのかもしれない。

私はこの実をこの世で2番目にうまいものだと思っている。小学生の頃は、この季節の最高の楽しみがクサイチゴ採りで、近所のガキどもと競って集めた。当時も栽培イチゴは出回っていたが、高価で酸っぱく、食べられたものではなかった。栽培イチゴがクサイチゴを入手しやすさと味で凌駕したのはこの10年ぐらいのことだ。私はいまでもクサイチゴを毎年一つ二つとかじっている。半原越をはじめとして、この辺の道路の脇にはずいぶん実がなっているから採取にはなんの苦労もない。イチゴを食べるというよりも郷愁をつまんでいるようなものだ。

いまこの家にはクサイチゴが実り、庭の片隅にヒキガエルが眠り、睡蓮鉢にメダカが泳いでいる。なんと豊かな生活だろう。年齢を重ね、子どものころには願いもしなかったような高価な市販品をいくらでも手に入れることができるようになった。それでも、少年の日に欲しかったものの価値は別格だ。


2009.5.17(日)雨 風雨のサイクリング

クサイチゴ

けっこうな低気圧が近づいているらしく台風のような烈風が吹いている。風には雨も混じっており、本格的に降り出しそうな気配も満点である。喜びいさんで自転車で出かけていく天気なのだが、風呂がない。濡れ鼠になったらあとが嫌だなと躊躇してしまう。それでもこの風を放っておくのはもったいない。これこそ天然の風洞ではないか。一生縁がないはずの風洞実験ができる風ではないかと、半原1号を担ぎ出して境川に行くことにした。

走り出してみると、境川で経験する最強の南風だ。川の水が逆流しているのではないかと錯覚する。川下から外洋を思わせる波が寄せているのだ。田んぼへ供給するために可動堰をあげて水をためてプールのようになっている場所だ。

いくら向かい風が強くても時速20kmは楽々維持できる。ギア比を2倍に落として90rpmを維持すればよい。その点は上り坂とは負荷がちがう。風を体に受けるだけでは進んでいかないのだから当然だ。坂だと1%ぐらいでも自転車は勝手に進んでいく。

向かい風が楽しいのは、バーチャルに時速50kmの激走体験ができることだ。プロ選手がやっている個人TTの風圧を手軽に受けることができる。時速30kmに届かない速度とはいえ、下ハンで頭をさげて空気の壁に体当たりしていくのは楽しいものだ。しかもこういう天気の日には境川もすいている。犬は1匹もいないし、女子どもの自転車もいない。境川を歩くことが習慣になっているらしい御老人とランニングに人生をかけている中年が1kmあたり1人いる程度だ。全力を出してもはた迷惑にならない。普段のサイクリングロードや一般道で時速50kmを出すのは自殺行為だ。

いつも通り藤沢までいって折り返す。今度は追い風になる。時速40kmを出しても風が顔に当たらない。こんな強風は久しぶりだ。多摩川で時速50kmの風を経験したが、あれは厳冬期、追い風でも寒かった。今日は南風、しかも夏だ。そういえば太田裕美に南風 -South Wind-という名曲があった。あれほどのさわやかさはないものの追い風の良さも再発見した。集団走行の中は無風だから、プロ選手はいつもこんな感じで走ってるんだなと思う。

雨は折り返しのあたりからだんだん強くなり始めた。最初は霧雨のような感じで体半分がしっとりぬれるぐらいの降りだった。夏山で雲がかかっている尾根を歩いているときの懐かしい感覚だ。ずぶ濡れにはなることは避けられそうもないが、雨粒は暖かくて、それほど悲しい思いはしなくてすみそうだ。


2009.5.23(土)晴れ 半原越20分55秒

昨日から背中が異様に痛い。寝違えたような感じで、左の肩胛骨の下が痛い。体を左右上下にねじることもままならず、左腕までもしびれるようだ。おそるおそるローラー台にセットしてある自転車にまたがると、幸い違和感なく乗れるようだ。女房は素人ながら優秀な整体師なのでちょっと見てもらうことにした。5分ほど押したり引いたり骨をぐるぐる回したりして、軽傷だから自力で治すようにという診断が下った。それではひとまずというわけで、久々に半原1号で半原越。

走り出すと背中はどうってことない。ただし、ラップ計測用のCC-CD300DWをつけ忘れていることに気づき引き返す。よけいなことを気にしているとだめだ。それにしてもどうも靴がぶかぶかするなあと再スタートして、途中で中敷きを入れてないことに気づく。先週は雨の中だったから中敷きを取り出して干していたのだ。また、引き返す。

半原越は2週間ぶりだ。いつもの棚田は田植えが完了している。水の中をのぞいても、田植えのゴミが見えるだけで動物は見あたらない。オタマジャクシもミジンコもまだだ。田植えから1週間はたっていないようだ。どこから飛んできたものか、アメンボはたくさんいる。毎年のことだが、この棚田の上を走る道路は凄惨なことになっている。おびただしい数の蛙が轢死しているのだ。その数は、田んぼを挟むわずか30mばかりの間に10や20ではきかない。上の林から田んぼを目指して道路を横断しているときに轢かれるものらしい。まだ生々しいものもあれば、紙のように薄くアスファルトに張り付いているものもある。最も多いのは、影のような赤黒い痕跡になっているものだ。そうなると蛙の死体だと気づく人はまずいない。この道路は10戸ばかりの地元民と、上流にある釣り堀の客ぐらいしか利用せず、交通量はけっして多くない。それを思えば、かなりの数の蛙が田んぼを目指してくるようだ。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'23"4'23"16.264
区間29'26"5'03"14.062
区間314'35"5'09"13.761
区間420'55"6'20"11.262
全 体 13.562(1293)

半原越は正統派の走り方にしてみた。前は34T、後ろは17Tから23Tまでフルに使ってケイデンスを一定に保つ。区間4が6'20"なのは重いギアを太ももで回す練習が効いているのだと信じたい。

今日の半原越は自転車が多かった。小柄な娘さんもいた。けっこう強いがほれぼれするほどきれいな走り方でもなく、あの雨の中を走っていた人とはちがう。途中、ウスバシロチョウを見、アオダイショウの轢死体を見る。走りながら背中の痛みはまったく感じなかった。帰宅後、ナカガワをひっぱりだして境川へ。屋外で走れるときには100kmぐらいはやっておいた方がよいだろうという算段だ。


2009.5.24(日)雨 夏の雨

コツボゴケ

今日はさすがにまよった。雨の中を自転車で遊びに行くかどうか。雨は昨夜から降り続き、ときおり強い。気象庁のレーダーは一日中この調子だと言っている。昨日から玄関に起きっぱなしにしてあるナカガワのチェーンに油をさしてもまだ迷っている。家の前のアスファルトはしっとり濡れて小雨が降り続いている。門柱に立てかけたナカガワのサドルにもスピードメーターにも小さな水滴がつく。やっぱり今日はやめようと、タイヤの空気を抜いた。

気が変わったのは、フロントフォークにこびりついた汚れを見たときだ。そろそろ掃除をしたほうがよいが、そのきっかけとして雨の中を走ることに勝るものはない。それに、もう残り少ない人生で、たかだか濡れ鼠になって風呂に入れないという程度の理由で楽しみな自転車をあきらめる必要はない。思い起こせば雨のサイクリングを悔いたことは一度もない。

出てきてやはりよかったと思った。田植えが終わったばかりの田んぼや道路の水たまりをたたく雨粒の波紋を見ているだけで愉快だ。畑で餌をあさるカラスの羽に白い部分が見えるのは幼鳥だからか。カラスも独り立ちする季節か。そういえば先日、わがやからシジュウカラが巣立った。そのとたんに一羽のカラスがしつこく家の回りを飛び回り、シジュウカラの神経質な鋭い声が響いていた。ヒナがカラスにつけねらわれているらしい。カラスから逃げ通したヒナは強い親になるだろう。捕まればカラスが1日生き延びられる。鳥も虫も草木も自らの気持ちの赴くままに生きて死んでいく。私もいまは感情にまかせ、よりしっくりくるようにペダルを踏むことに全力をかけている。人にとっても動物に対しても、気持ちの良し悪しの起源を探るのはかなり難しそうだ。感情の起源も数学的に記述することなら可能だろうけど、その説明ではきっと私が納得しない。人間が得意なのは、感情のままに生きることの意味づけ程度に限られる。シジュウカラの親子がカラスを嫌悪しなければ死ぬことになる。私が最高に気持ちよくペダルを踏むことができたときには半原越を1分30秒ぐらい速く登っているはず、という程度のことなのだ。

雨は強くならず止みもしない。風はゆるく北から吹いている。そうか、今日は雨だから夏の午後の名物の南風が吹かないのだと気づく。水たまりをタイヤが切るたびに背中に飛沫がかかって冷たい。今日の気温と降りではかえって不快なはずと、自慢の500円雨合羽は着てこなかった。それも正解だった。

この夏の雨を望んでいるやつらもたくさんいるはずだ。毎日見ているコツボゴケ(写真)が造精器らしきものをつけている。かれらの繁殖形態はよく知らないけれど、文献の記述などから推察するに、造精器で作られた精子が雨水の中をメスの草まで泳いでいって造卵器にある卵子に受精して胞子ができるはずだ。ずいぶんややこしいことをするもんだと思う。

ところどころ道ばたの茂みからアマガエルの合唱が聞こえる。やつらも体が乾くのを嫌うから雨を歓迎しているはずだ。あと1億年ぐらいたったら、カエルが進化して文明を持ち、現在のヒトに相当する地位を得ることができるかどうかと考える。そうなるには、ヒトがいてはだめだろう。ヒトどころか哺乳類、鳥類、爬虫類(とりわけ蛇)がいてもだめだ。地上が暖かくて雨ばっかりで水浸しでカエル以上に気の利いた動物がいなくなってはじめてカエル文明の誕生だ。やっぱり無理でしょうなカエルさんと腹の中でつぶやいた。


2009.5.30(土)くもり 半原越20分4秒

コツボゴケ

夏草ぼうぼうの庭で今いちばん目立つ生き物は写真のササグモのような気がする。物欲しげなようすでドクダミやらヒメジョオンやらの葉にとまっている。私の存在もそれほど苦にするようではなく撮影はしやすいが、あまりにも多く写す意欲も薄い。写真のクモはたまたま写しやすいところにいて、何となくレンズを向けた。マクロレンズを通すと肉眼よりもクモがよく見える。モデルとしてはチャーミングじゃないなあと思う。

ピントを合わせていると、ヤブ蚊かなにか微少な虫が飛んできてクモに近づいた。その瞬間、クモは見事にその虫を捕らえていた。いくらでも見つかるクモだけど、思えば、こいつの生活環を私は知らない。ほんのちょっと注意を払うだけでいろいろなことを教わるだろう。これまでに100枚ほど撮ったこいつの写真は何かを食べている場面が多い。けっこうな捕食名人でもあり、この庭はやたらと虫が多いということだ。そろそろヤブ蚊天国になって毎朝食われまくることになるが、ササグモのおかげで被害がちょっと少なくなる。

昨夜は寝付きが悪かった。7時ごろに目が覚めたものの気分もすぐれず昼まで眠ってしまった。ぐずぐずしていると2時を過ぎてしまい、自転車をどうしようかと迷うことになった。けっきょく、前が42T、後ろが12〜27TというTT仕様の半原1号で半原越に行くことにした。

走り出してみると妙に体が軽い。清川村までの緩い坂を2倍のギアですいすいだ。いつもの棚田ではオタマジャクシが泳ぎはじめた。ほかにも水中には小型のガムシが泳いでいる。意外にもミジンコが見あたらない。これからだろう。虫の少なさが心配になるのは、このしばらくの天気で、すでに梅雨入りしていると錯覚しているからか、年をとったせいか。ただし、今年は庭にはジョロウグモとカマキリは期待できそうもない。

半原越は21Tに架けてスタート。やっぱり体は軽い。区間1はギアを変えず、区間2以降は24Tと27Tを使い分けた。重いギアだから、全体的に引き脚が使えず踏む感じにはなってしまうけれど、膝下に余計な力を入れないことには気をつけた。区間4で6'00"はレコードだ。立ちこぎは24Tを使った。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'12"4'12"16.9-67
区間29'13"5'01"14.1-(推定)61
区間314'04"4'51"14.6-(推定)63
区間420'04"6'00"11.8-(推定)58
全 体 14.1-(推定)62(1252)

ゴールして、20'04"というタイムを確認して微妙な気分になった。今日ほど体の軽い日は人生最後かもしれない。TTの日ではなかったけれど、その気になれば2年ぶりに20分を切ったろう。走っているときにはほとんどタイムを見ないが、もし見ていたら、区間4を昨日のディルーカのようにしゃかりきに飛ばしたはずだ。そうすると、死ぬほどしんどい目にあう。つらい思いをしなくて済んだと喜びつつも、チャンスを逃したことを悔やむ気持ちもある。悲喜こもごも。


2009.6.7(日)晴れ 半原越21分9秒

サイクリングコースは栗の花が盛りで、ほうぼうからあの特有の臭いがしている。清川村のガソリンスタンド近辺の栗林は丸裸だ。何者かが葉を食い荒らしたらしい。花穂だか、食い残された葉の葉脈だか判然としないものがつんつんと空しく天を指している。それをやったのが、クスサンではないことを祈ろう。ちょうど先週と同じように半原越にやってきた。違いは体の重さだ。明らかに重くてだるい。今日はたいして面白くないだろうなと、いつもの草むらにこしかけてコーラを飲む。

久々の晴れ間で虫もよく騒いでいる。やたらとモンシロチョウが多い。春に羽化した成虫の子が蝶になるピークを迎えているのだろう。春のアオムシは寄生峰の被害も少なくよく育つらしい。田んぼの中はまだ寂しい。カノコガが一匹ふらふらと現れて、まだ小さい稲に止まった。再び飛び立とうと葉を登ると、葉がしなり水面に落ちそうになる。蛾はあわてて飛び立ち別の葉に止まる。そして、同じことを2度3度と繰り返し、けっきょく私の座っている草むらに落ち着いた。

半原越は先週と同じく21Tに架けてスタート。同じ仕様の半原1号で、同じようにやってみることにした。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'21"4'21"16.3-65
区間29'32"5'11"13.7-(推定)59
区間314'42"5'10"13.7-(推定)60
区間421'09"6'27"11.0-(推定)54
全 体 13.4-(推定)59(1255)

毎回20分で走れるはずもなく、この程度が普通なんだろうなと自覚する。半原1号は駆動部からキシキシといやな音がするようになった。奇妙なことに立ちこぎをするとその軋みが消える。かといってシート部がおかしいわけではない。ペダルのベアリングか、チェーンの劣化か、ギアか、原因不明だ。


2009.6.13(土)晴れ 半原越20分57秒

今日はクスサンの厄日であった。清川村ではところどころおびただしい数の毛虫が道路を横断している。大きな薄緑の体に白い毛がびっしり生えているクスサンの幼虫だ。生まれ育った栗林から蛹化の場所を探すための移動をしているのだろう。自動車はクスサンの横断を待つでも避けるでもなく、あっけなく轢いていく。同じヒトとしてちょっともうしわけないなと思う。

草むらに座ってコーラを飲みながら、あいかわらず殺風景な田んぼを眺めていると、水底をのたうつ肌色の生き物が見つかった。誤って入水したミミズのようだ。日が落ちる前には命を落とし、まもなく生まれるオタマジャクシの餌になるだろう。ミミズは焦っている。田植えのときの踏み跡の深みにはまって進退も極まった。尋常ならざる事態だということはわかるらしい。ただ、どうなんだろう。ミミズにとって死とはなんだろうか。それは意味をもつことなのだろうか。ヤツには主観と客観の区別はないだろう。おそらくはその場の主観のみで生きていられる。まもなく死のうという今でも自分が陥っている事態やその顛末が把握できているとは思えない。必死のあがきと見えるのは単なる違和感につつまれて体が厭々と反応をしているのか。田んぼに落ちたミミズの心境なんて、主観と客観を行き来して「ものがわかる」としたり顔のヒトという生き方をしている私にはなかなか想像に難いことだ。

川底をちょっと探せばミミズの水死体はすぐに見つかるものだ。ミミズが水中で死ぬことはごく普通のことだろう。その普通も彼らの性根を変えるほどには普通ではなかった。たくさんの同胞が水死しても問題ではないのだ。水なんかに気をつけなくとも、人類よりも遙かに長い時間を生き抜いてきたし、人類が滅んだ後も当たり前のように水死を続けるにちがいない。

ミミズなんぞにシンパシーを感じるのはこの1週間ばかり調子が悪いからだ。仕事の関係で心身ともにまいっている。今日も自転車をやめようかと思ったぐらいだ。私が自転車に乗らなかったら鬱病と診断して良いと思う。いざ、走り出しても先週以上に体が重い。25km/hぐらいで走っている荻野川べりも20km/hそこそこ。清川の登りもいつもより5km/hほど遅い。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'36"4'36"15.4-61
区間29'42"5'06"13.9-(推定)62
区間314'46"5'04"14.0-(推定)62
区間420'57"6'11"11.5-56
全 体 13.5-(推定)60(1261)

うかない気分のわりにはタイムはよい。帰宅して風呂に入り、いつもと同じように体重計に乗って驚いた。58kgで体脂肪率12%。しばらく測っていなかったが、2kgほど体重が落ちている。しぼった覚えはない。やつれているのだ。気分が重くても体が軽ければタイムはあがるのか。

駆動部のキシキシはBBとクランクが原因だった。チェーンを換え、ホイールを換え、ペダルを換えても軋みはとれなかった。残るはBBかディレーラーだ。50%の確率だが、BBとクランクを同時交換してヒットした。あとは、BB自体か、BBとクランクとの接点なのかどうかだ。


2009.6.14(日)晴れ やつれて境川

いやな軋みはなくなった。少しは気持ちよく走れるかと境川。体が重くて半原越に行く気がしなかった。昨日は100kmほど走ってその疲労もとれていない。夏らしく海へ向かうときはやや向かい風。約28km/hで走れる風だ。しかし、今日は23km/hがやっと。いくら何でも遅すぎると、半原1号を道路脇に止めてハブが壊れてないか、BBがきつすぎないか、リムにブレーキが当たっていないかと調べた。そんなわけがない。そして、走り出して45分で腹が減って体がしびれてきた。「そんなはずない。朝飯も食った」と言い聞かせても確実にハンガーノックだ。

1時間ほど走って、大清水高校の向かいの休憩所でコーラを飲む。いつもたいていこうしている。ちょうど半原越の田んぼの草むらみたいなものだ。モナカを食っているとめざとく見つけたスズメが2羽近づいてくる。2つ3つかけらを与える。ここのスズメはヒトとの距離がどんどん近づいている。ひときわ小さい個体がいちばん近づいてくるのは今年生まれの幼鳥だからだろうか。コーラを飲みながら乗り切れない言い訳をあれこれ考えてみる。前輪がパンクしていたからスペアのホイールをつけてきた。パナレーサーツアラーという太いタイヤがよくないのか? 軋み取りのために、20年ぐらい前のカンパニョーロのコーラスをつけてきた。50Tが重すぎるのか? 今日は暑いのか? いずれも違う。

北に向えば追い風だから、すこしはすいすい行くかと思ったがダメだ。風の具合では軽く32km/hで走れるはずが26km/hぐらいしか出ない。ケイデンスも70rpmだ。「あ、そうかスピードメーターが変なんだ」と最終言い訳を思いついたが、これもダメだ。げんに、どう考えても速くなさそうなおじさんたちがどんどん追い越して行く。そもそも1時間ももたずにハンガーノックになるのは、昨日の100kmで体内に蓄えられていたエネルギーが枯渇し、もどっていないからだ。やはりやつれているらしい。


2009.6.15(月)くもり 夏川りみ 涙そうそう

iTunes Store から楽曲が安価手軽に入手できてたいへんうれしい。レコード屋に行くのがおっくうな私には大助かりだ。とはいっても、年間3つぐらいしか買わないプアなユーザーだ。最近、買ってよかったと思っているのは夏川りみの涙そうそう。唐突におもひでぽろぽろのエンディングのThe Roseの都はるみバージョンが聞きたくて、検索してYou Tubeに当たって、都はるみ→手嶌葵→夏川りみというThe Roseつながりのあげくのはてが涙そうそうである。

涙そうそうのプロモーションビデオは衝撃であった。最初見たときこれはいったい何事か?と思った。場所は霞ヶ浦のような池の畔の葦原である。川漁師ぐらいしか立ち入らないような草むらで、純白のドレスを着た少女が朗朗と歌い上げている。ステージ衣装としか見えないその衣装は効果の風が強く当たりひらひらとたなびいている。歌い手は新人っぽい少女なのにやけに堂々としている。かわいい顔も不敵である。太っているし。

私はその少女がいっぺんに好きになってしまった。目元から沖縄の子かなと思った。楽器も沖縄チックな音がしている。ただ楽曲も注意して聴くと変だ。私は曲よりも歌詞にひかれる。歌詞のつまらない歌はつまらない。涙そうそうの歌詞ははっきり言って陰気だ。なのにメロディやアレンジはずいぶん陽気で軽い。そのパラドキシカルな歌を表現するには、バケモノのような歌唱力で正々堂々で勝負するしかあるまい。有無を言わせず。ともかく、何もかにもがばらばらで突っ込みどころ満載のビデオがたいへん気持ちよかったのだ。

りみちゃんはすぐに人気者になってテレビで見る機会も増えた。その活躍を横目でみながら今頃になって涙そうそうをダウンロードした次第。ちゃんとしたファンとはいえない。


2009.6.16(火)くもり ヤセ止まらず

今の日本では美女はやせているということになっているらしい。しかし、美女のうちでやせているものは少数派だと私は思っている。やせていても美しさを振りまける女なんてのは希少種と言って良い。東京で生活していると毎日2000人ぐらいの女性を目にすることになるが、やせ美女にはめったにあわない。見かけたとしてもたいてい芸能人かモデルだ。すれ違う2000人のうち10人ぐらいは美女であるが、やせてはいない。私の女房は美女でやせ型ではあるが標準には入っている。

つまるところ、とんでもなくきれいな娘だけがやせていても美女なのだ。私はそういう女の子も好きである。ただし、標準まで太ればもっと好きだと思う。やせ美女がやせていることを良いと思っているようなら思いっきり否定することにしている。←よけいなお世話だ。

こういうくだらないことを言っている本人はただいま激やせ進行中である。体脂肪率はついに10%台になってしまった。体脂肪率一桁なんてのは30年前の数字だ。俗に言うところのダイエットなんてものはしていない。半原越TTのためにやろうかと思ったけど、夜中にチョコレートをむさぼる習慣をやめただけだ。それも3年ぐらい前のこと。いつも腹が減っているのはつらい。つらい思いをしてまでも体重を落とす必要は感じなかった。そういう状態で走って楽しいかも疑問だったから。

鏡に映すと鎖骨が浮いて首にかけて筋が走っている。大胸筋にもカットが入り、周囲に肋骨が浮いている。ヌードモデルの肋骨ってのは、みょうに生活感があって興ざめなのだが、自分の肋骨はいっそう見たくないものだ。体調に違和感はないけれど胃と十二指腸がボロボロになっているんじゃないかと不安になる。病気でなくとも、このまま痩せ爺一直線かと悲しい気分になる。


2009.6.20(土)晴れ 半原越20分33秒

今日の目標はやつれていても走れるかどうかにつきると言えよう。クランクも交換して、ペダルの鶯張りをのぞけば絶好調になった半原1号で半原越。梅雨の晴れ間で青空がのぞけば、もう盛夏の趣だ。川縁のススキ群落からはキリギリス類の声がしている。今日は少し早めに午前中から半原越にやってきた。すると、ルートの途中でいっぱい自転車乗りに出会う。私の走っているのは、けっこういいルートとはいえ、1kmあたり1人ぐらいの割合でいそうな気がする。半原越まで25kmだからその間を25人が走っている計算だ。というようなことを考えてもしかたないのだが。

例の田んぼではようやくミジンコなどのわけのわからない生物がうようよするようになってきた。田植えの踏み跡が均されたように薄く泥をかぶっているのは、そういう生物たちの活動が活発になっている影響もあるだろう。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'10"4'10"17.0-67
区間29'05"4'55"14.4-57
区間314'03"4'58"14.3-(推定)63
区間420'33"6'30"10.9-59
全 体 13.8-(推定)59(1213)

半原越は最近こっている2倍のギアで入ってみた。区間3の後半まで2倍で行った。区間2と3で5分を切っているのは近年にないがんばりだ。区間4に入るところでラップを見ると、14分とちょっと。「区間4であなた6分切れますか?」と自分に尋ねたら「無理です」とそっけない返事が返ってきた。

午後は境川に行くことにした。久しぶりにマイヨを着る気になった。私は通常、マイヨもレーパンもヘルメットも使わない。500円の短パンとTシャツだ。たまには、みんなと同じ格好もいいだろうと思った。10年ぶりに着るマイヨは、アリオステアのものだ。20年ぐらい前にあったイタリアのチーム。ソレンセンという選手の活躍に刺激されて買った覚えがある。鉄のナカガワといい、なかなかどうして、枯れた渋さがあるではないか。

ちゃんとした格好で走れば、それなりに空力もよいものだ。向かい風でもなんなく30km/hで走れる。やはり短パンとかTシャツとかがぱたぱたしているとうっとおしい。それに背中にあるポケットがなかなか便利だ。いまさらそんなことに気づくなよ、というようなことばかりだが。


2009.6.21(日)雨 嘘は嫌いだ

気持ちの良い雨が降っているから半原1号で境川へ。境川に行ったときに飲み物を買う自動販売機には福山雅治さんの写真に「嘘は嫌いだ」と書いてあるポスターが貼ってある。キリンのFIREという製品のものらしい。最初に見たのはずいぶんと前だった。見るとそのコピーが気になって、すぐに忘れ、また見ると気になっていた。気になる原因がちょっと考えて明らかになった。

「嘘は嫌いだ」という言明について考えてみると、正直をモットーとする人がそう言った場合、それは文字通りの意味でよいだろう。では、その反対に病的な嘘つき、嘘が好きで好きでたまらない人が、同じく「嘘は嫌いだ」といった場合はどうか。少し考えるとわかるように、その人は「嘘が好きだ」とは言わないのである。本人のモットーとしてそうであると同時に、その言明を受ける者もそこに矛盾はないとせざるをえない。正直者の村と嘘つきの村への道を尋ねるパズルみたいなものだ。

このように、俗に抽象的とよばれる言明は、それが強い調子ではっきり宣言された場合でも無意味である。それでも問答として成立する理由は、聞き手が内容を補完しているからだ。抽象化された一つ下の階層の具象を発言者と聞き手が共有しておれば正しい補完も可能である。敷衍すれば、「嘘は嫌いだ」という場合では「○○さんが、△△について××と言ってるのは嘘であり、その行為は気に入らない」というように、言明の元になった事象の共通理解があるからだ。そうなれば、○○さんの発言を聞き手が吟味することによって、言明者が正直者か嘘つきかを判定することができる。

おそらく缶コーヒーと思うが、キリンのFIREという飲み物のキャッチコピーの場合では、具象が何かという推測がまったく不可能なのであるから、その発言は命を持たない。たとえば、他社の缶コーヒーが「コーヒー農家が厳選した高品質の豆だけを原料にしている」ようなことをウリにしているのを、暗にキリンが嘘だと告発しているのだなどと穿った見方をしなければ、意味がない。FIREが正直なのであれば、愛媛のポンジュースのように「まじめな缶コーヒーです」と素直に宣言すればよいことである。このあたりのことがしばらくひっかかっていたようだ。


2009.6.23(火)晴れ オタマジャクシが降ってくること

最近、オタマジャクシや小魚が空から降ってくる現象が、新聞テレビを賑わせた。実はこの類の話はそれほど珍しいものではない。私も何年かに一度は耳にしている。歴史的には、飛行機が飛ぶ前からたびたび報告されている。

テレビを見ながら、そういう現場に一度は立ち会いたいものだが確率的に難しいだろう、などと空想していた。ところが、今日になって、その現象を目撃していたらしいことに思い至った。この日記の2008年9月28日の記述に次のようにある。

帰り道、サイクリングコースの路上に海の幸がぽつんぽつんと300mおきに落ちているのが気になった。カニが5匹と小魚が1匹。カニは一見したときモクズガニの小型のものかと思ったが、赤くて毛のない海のカニだった。魚はキスのようなやつで、どちらも食いでのなさそうな代物だ。まだ湿っており落ちてから時間もたっていない。いったい何者がいかなる理由でこういうことをやったものか、仮説を立てることすら不可能だった。世の中には奇妙なこともあるものだ。

そのときは完全に人為的なものと考えていた。彼らの本来の生息地である海からは15kmも離れた内陸である。風や鳥が運ぶにしては遠すぎる。しかしながら、人が運ぶに足るような、言い換えれば捕獲して持って行きたくなるような魚介ではなかった。どうやら、あの海の幸もオタマジャクシたちと同じく気象現象の一つと考えるほうがよさそうだ。

私は犯人はおそらくつむじ風だと思っている。本物の竜巻ほどではないにしても、つむじ風の力はすさまじいものがある。子どもの頃、川で遊んでいたときにつむじ風が発生し、その渦によって川の水が1mほども持ち上がったのを見たことがある。砂漠ではつむじ風は日々いくらでも発生していた。遠目に見る分には砂煙の柱が立ってよい見物であったが、近くで起きると、そのすさまじい音と風で恐怖を覚えたものだ。それでも、水中にいる生物が水もろとも巻き上げられて、何キロも運ばれていくということはちょっと信じがたいものがある。


2009.6.27(土)晴れ 半原越19分58秒

久々に半原2号で半原越。走り始めてすぐにウスバキトンボを見る。こいつが現れると夏本番だ。夏のサインは数あれどウスバキトンボほどはっきりしているものもない。荻野川あたりにもいるかな?と探してみたが、見つからなかった。よっぽど気のせいたやつがジャンプするように何百キロか飛んできたのだろうか。

わりと快調なペースで清川村にはいり、いつもの棚田脇に腰掛ける。ずっと一番上の田んぼを見続けている。意外にもオタマジャクシがまったくいない。先週は数匹いて、今日あたりがピークだろうと思っていた。何が起きたのだろう。アマガエルは近くで鳴いている。田んぼの中は閑散だ。この田がこれほど寂しい梅雨を迎えているのははじめてだと思う。唯一のなぐさみものは、田の上を舞う2匹のトンボだ。たぶんオオシオカラトンボとウスバキトンボ。田の上の空間はほとんど無尽蔵だろうに、なぜか近づきすぎて追いかけっこをしている。お互いに相手の存在が気に入らないとみえる。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'10"4'10"17.017073
区間29'04"4'54"14.418468
区間314'00"4'56"14.418567
区間419'58"5'58"11.919260
全 体 14.218465(1298)

今日のギアは前が39T、後ろが14〜25Tである。区間1は21T、区間2と3は23T、区間4は25Tで行こうと決めていた。区間3までのラップは最近の傾向通りの4分、5分、5分で来ている。区間3で14分。新記録をねらってスタートしたわけではない。しかし、半原2号はペダルの掛かりがよくて行けそうな気がした。区間4を死ぬ気一歩手前までがんばって、ラストスパートのスノコを19分で越える。これなら楽勝で20分を切れると確信し少し力を抜いたら、19分40秒を過ぎたあたりから冗談のように時計の進みが速く感じて思いっきり焦ってしまった。調べてみれば、20分を切ったのは実に3年ぶりだ。ただし、区間4の192bpm は自殺行為だ。最大値が197bpmというデータが残っており、それは何かのまちがいだとしても、最大心拍数で5分も6分も走れば心臓も困るだろう。梅雨の半原越でぽっくり息絶えるという死に方は理想ではあるけれど。


2009.6.28(日)雨 寄生卵?

アゲハの卵

昨日なんとなく撮ったアゲハの卵に寄生蜂らしい小さな蜂が写っていた。すでに老眼が進み、こういう数ミリの生き物はその存在すら認めることができなくなっている。撮影時に気づかなかったのはちょっと残念ではあったが、今朝、気を取り直して写真も撮り直しておくことにした。すると、昨日と同じ場所に同じように蜂がいた。どうやら息絶えているらしい。

産卵後に力尽きたものか、うまく産卵できたものかどうか不明だ。また、この近くには3つ4つアゲハの卵があるから、それらにも産卵が済んでいるかもしれない。いずれにしても経過を見守りたいと思う。

しかし、去年のような事故もある。ほぼ1年前にも同じような蜂がアゲハの卵に産卵したところを目撃し、その卵の経過を見届けようとしていた。ところが、ある日、当の卵が葉っぱごと消え失せていた。その原因は十中八九アゲハの幼虫による捕食だ。卵が葉ごと食われたものと思う。今日もすでに幼虫がすぐそばに来て、この写真にも黒々とその姿が写っている。この卵の明日もしれたものではない。かといって幼虫を除去するのは、たまたま見聞録のポリシーに反する。


2009.7.4(土)晴れ 半原越20分40秒

ニイニイゼミが鳴いている。ちょうど梅雨の中休みの晴れ間に鳴く。例年通りだ。今年はあきらめていたジョロウグモが見つかった。玄関のところに1匹。道路を隔てた向かいと、隣家にはけっこういる。ジョロウグモの子グモの拡散の仕方を思えば、どうやら向かいに産み付けられた卵からかえったやつが私の家にやってきたものらしい。網にはすでに1個の脱皮殻があるから、少なくとも3齢ということになるだろう。

今日は半原2号で半原越。39×24Tしばりで行ってみることにした。今週はいろいろとつらい日々を過ごしており、全く練習ができていない。半原越までのウォームアップもいまいち乗り切れてないなあと感じている。タイムは気にしないで、普通にがんばってどんなもんかと試すことにした。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'31"4'31"15.716377
区間29'36"5'05"13.917868
区間314'38"5'02"14.117969
区間420'40"6'02"11.718757
全 体 13.717868(1398)

前回よりはずいぶん遅いが、私としてはよい時計である。心拍数は6拍ほど少ない。いずれも無酸素域に入っているとはいえ、この領域の6拍はしんどさに天地の差がある。平均で184bpmならば、上げたくても上げられない最大心拍数でかなりの時間を走っていることになる。178bpmであれば、上げようと思えばまだ上げられる強度でこなしていることになるからだ。しかも1度も立ちこぎを使わなかった。けっこうきついところでも、39×24Tですわって60回まわっている。区間4も座り立ちこぎと田代さやかを交互に使って6分だ。この登坂力アップについては重いギアを回す練習が効いてきたのだと思ってきた。しかし、それはちょっと違うようだ。というのは、平地のスピードはぜんぜん上がっていないからだ。

めざましい変化は急坂で起きている。坂が緩く感じられるのだ。その原因はただ一つ、体重の減少である。この夏は体重で3キロ減って、体脂肪率で5%落ちた。軽いということが登りで有利だということは知ってはいても、じっさいに違いを体感すると、驚きも新ただ。やつれるのは勘弁だが、60kgには戻りたくないと思う。

今から30年ほど前、体重がいっしょで体脂肪がたぶんもっと少なくて、ぴょんぴょん跳ねていた頃があった。筋力、持久力は今の比ではない。あのとき半原越を走っていたらどんだけ速かったんだろうと、ふと思ったが、それはなしとすぐに考えないことにした。私はそう遠くない将来に、去年までは半原越を休まずに登ったもんだとか、自転車で半原越を登ったころもあったとか、そういう回想をしなければならなくなる。肝心なのは、今本当に楽しめているか、最善を尽くしてチャレンジできているか、ということに尽きる。それは30年前の今も10年後の今も変わらない。その時々で手にした数字を陳列して比較して、最後に手に入るのはむなしさだろう。

ところで、痩せた原因だが、食事制限はしていないと思いこんでいた。しかし、それは誤り。思い起こせば、この数年、毎日昼飯の後すぐに菓子パンかうどんを食っていた。夕食後に、まんじゅう、かりんとう、スナック菓子などの甘いものを食っていた。6月から生活環境ががらっと変わり、そういう習慣をぴたっとやめたのだから痩せるのも当然といえば当然だ。「半原越を軽快に登りたくば体重を落とすべし」という、この数年の試行錯誤創意工夫をあざ笑うような結論が出た。いや、これはあくまで経過発表の一つに過ぎない・・・・と信じたい。


2009.7.5(土)晴れ 半原越21分44秒

昨日は棚田の脇でラミーカミキリを見た。今朝は庭でマメコガネを見た。両方とも、私が虫というものに興味を持ち始めた頃に、四国の片田舎の夏の草っぱらを席巻していた昆虫である。とにかくやたらと多かった。二種ともそこそこきれいなのだが、あまりにも数が多く、あまりにも捕まりやすいために、特段相手にすることもなかった。それがいつの間にか数が減って落ち着き、大発生することもないようだ。見つけると級友に会ったような懐かしさをおぼえる虫だ。

今日も半原2号で半原越。区間1は39×23T、それ以降は25Tで走ろうと思っている。ただそれだけ。速くもなく、遅くもなくてまあいいかな、という感じだ。今年の半原越にはオトシブミの数が少ない。しばらく前には道路一面敷き詰めるようにオトシブミが落ちていたものだが、今年は数個しか見ていない。ラミーカミキリやマメコガネといい、私のあずかり知らぬところで虫も消長している。

区間4の中間あたりでニホンザルの比較的大きな群れに合う。道路を挟んで食べ物を探しているようだ。昨日も同じ所にいた。同じ群れらしい。1歳と思われる子も多く50頭ほどもいるのだろう。自転車が近づくと速やかに逃げる。人慣れはしていない。半原越は鳥獣保護区であるが、区を一歩離れると駆除の対象にもなっており、人にいい思いは抱いていないのだろう。ニホンザルとわれわれとのあいだには、近づきすぎたことによる悲劇が多く生まれている。ちょうど半原越ぐらいの距離感がよいのだ。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'40"4'40"15.2-71
区間210'02"5'22"13.2-67
区間315'23"5'21"13.2-67
区間421'44"6'21"11.1-57
全 体 13.0-66(1424)

午後は境川を流す。ここのところはいつも午前に半原越、午後は境川と100kmほど走ることにしている。ただ、どうも境川がいけない。今日のように晴れた休日はもういけない。私はサイクリングロードは子どもと年寄りのもので、私のような元気者はじゃまだと自覚している。相当注意を払って事故がないように気をつけているが、向こうからぶつかって来られるともういけない。追い越すときは20km/hぐらいに落として、歩行者や自転車から最大の距離をとるようにしている。それでも、後方確認をせずに道路の端から端へ進路変更をされたりするとかわしようがない。前を見ずに蛇行されるとこっちが止まっていても正面衝突だ。昨日今日で1回ずつ子どもに肝をつぶされた。これまで一度もぶつけたことはないけれど、それはラッキーだっただけだ。多摩川ではとっさに土手から落ちることで事故を避けてきた。しかし境川には両側に鉄のフェンスがあるから逃げ場もない。

また、この数年でロードレーサーに乗る人間が一気に増えた。それはそれでよいのだが状況はわきまえなければならない。今日はけっこうな南風が吹いており、その追い風にのって35km/h ほど(全然速くないですから)でふうふういいながら追いかけっこをしている5人ほどの車列ができていた。抜きつ抜かれつしているうちに熱くなったものだろう。気持ちはわかる。しかし、子どもと年寄りのためのサイクリングロードで、しかも追い風で力を出すのはかっこわるい。自殺行為であり、殺人未遂でもある。たとえぶつからなくても、歩行者には相当恐い思いをさせているはずだ。私も彼らと同じ格好をしているので同種の危険人物と思われる。たのむから駆けっこしたいのならヤビツ峠にでも行ってくれ。


2009.7.7(火)晴れ アオバハゴロモの幼虫

アオバハゴロモ

早朝、ムクゲに小鳥が来て枝から枝へ飛び渡っている。メジロだ。目当ては餌だ。花の蜜ではなく枝にたかっている虫を探している。メジロはちょこまかと枝を歩きながら、その鋭いくちばしで枝をつつく。時折、パチッという鋭く小さい音がして、純白の塊が放物線を描いて落ちていく。同時にメジロも飛び立ってその後を追って落下していく。白い綿のような塊は虫で、メジロはそれを狙っているらしい。そのことに気づいたのは数年前だが、怠慢をしてそいつの正体をあばかなかった。

幸いなことに、今年の庭はやたらとそいつが多い。ムクゲにもナツツバキにも、オリーブにまで枝が真っ白になるぐらい蝋質がついている。メジロはその蝋質の中に虫を探り当てているようだ。さっそく、メジロのまねをしてナツツバキをつついてみることにした。ムクゲは背が高くて木登りが必要だが、ナツツバキならまだ幼木でちょうど胸の高さに純白の蝋質がついている。足元のシダを折ってメジロのくちばしの代わりにする。蝋質の盛り上がっている部分をつつくと、はたして白い虫がぴょんと跳ねて柑橘の葉に落ちた(写真)

さて、こういうものの正体を突き止めるのはそれほど簡単なことではない。蝋質を大量にまとって枝に吸いつくなんてのはカイガラムシの類かと思うけれど、カイガラムシだとピンピン跳ねたりしないように思う。アブラムシはどうか? アブラムシも跳ねないだろう。それにアブラムシには1センチほどもある巨大なものはいない。一昔前なら、その辺で頓挫したところだ。ところが今はインターネットがある。Googleの優秀な検索エンジンがあり、日本人はそのへんの地味な動植物の写真を撮ってインターネットで公開するのが好きという愉快な国民性を持っている。ほどなくして、当該の虫がアオバハゴロモの幼虫らしいことが判明した。

アオバハゴロモならば思い当たる節が2、3ある。パチッと跳ぶのは成虫の得意技だ。幼虫時代にもそれができるらしい。しかも、翅ではなく脚でジャンプするということになる。「パチッ」という撥音は虫からのものか、メジロのくちばしからのものか今一つ確信がなかったけれど、これで、虫のせいにすることができる。また、私の庭でのアオバハゴロモ成虫の発見場所は、白い蝋質のついている枝によく一致している。

それにしても、近年のインターネット事情はものすごいことになってきた。10年以上前に「日本産アリ類画像データベース」に出会って大きな可能性を感じた。それは、専門家集団が構築している本格派で、同様なものはありとあらゆる虫や雑草や鳥などで可能になると期待していた。その期待は大きく喜ばしい方に外れた。現在では素人が勝手に上げた写真とコメントが検索エンジンの元で巨大な図鑑を構成している。素人丸出しのいいかげんなもの、素人ゆえに玄人では追いつけないレベルにまで達しているもの、玄人が片手間にやっているもの。玉石混交だけど私程度の愛好者にとってもっとも有効な自然図鑑がインターネットの蜘蛛の巣の一部を形成している。

となると、心配になるのが書籍として市販されている図鑑だ。あれはちゃんとした人たちが寄ってたかってしっかり作るものだが、いかんせんページ数や信憑性、価格と利益などのしばりがある。今日のように、アオバハゴロモの幼虫を速やかに引き当てられる程度のスーパーな雑虫図鑑を作ることはおそらく非常に困難で、それが市販され利益を上げる見込みはない。何だがよくわからないどうでもいい虫をちょいと生半可に調べたい人に書籍は不向きだ。

私は図鑑が好きで、自然関係のものは200冊ほども所有している。これからは、図鑑作りが技術的にもアイデア的にも難しくなって、普通のものが新刊されなくなるのではないかと心配になる。


2009.7.8(水)晴れ 系統樹って

系統樹

生物の進化(種分化)について、系統樹というもので示されることがある。まさしく、それは樹木のアナロジーである。図は1本の幹から順次枝分かれして樹木を形成する。木の頂点が現在で、根元の近く下に行く方が時代が古くなる。まあ、なるほどよくできているなと感心できる図だと思う。しかしながら、よくよく考えると現代の結果論でみたご都合主義的な臭いがぷんぷんしてくるのだ。

まず、一目で直感できるのは、種類がどんどん増えているということだ。大昔は生物の種類も少なく地味だったのが、界・門・綱と種類が別れて現在の絢爛豪華な生物界ができあがったかのように見える。それは図が引き起こす目の錯覚だ。古生代のはじまりに昆虫の直接祖先が誕生したとして、それは確かにたった1種類の節足動物に限定されるかもしれない。ただ、そいつと似たような節足動物は何万種もいて、わさわさとうごめいて多様性のある海中世界を作っていたにちがいないのだ。確かに鳥や桜は古生代、中生代にはいなかったろう。それは新生代を彩るグループだ。けれども門や綱だって、大昔にもたくさんあって、途中でごっそり絶滅したり、新しいものが生まれたりしたのではないだろうか。先カンブリア代以降は生物環境こそ陸上から空へと多様化したものの、肝心の生物の門や種の数が増えたかどうかは自明ではない。

どんな樹木も最初は1個の芽から始まる。そのアナロジーそのままに系統樹を形成する生物種も最初は一つだったと考えられる。「最初」というのが私にとってまず問題である。冒頭の図で示したように、完全変態をする昆虫が出現したのは古生代の石炭紀らしい。完全変態昆虫群の石炭紀を最初とするならば、そこには(将来、蝶や蜂や甲虫になる)完全変態する昆虫がたった1種類いたことになる。その1種類だけが、他のバッタやゴキブリやトンボと一線を画する珍妙奇天烈な突然変異体であったとすれば話は簡単だ。天から落ちる無数の白い雪片の中に深紅の雪が混じっているようなものであれば、単純に理解できる。しかし、おそらく事情はそんなものではないのだ。

たしかに現在の蝶や蜂や甲虫の共通の祖先は1種類に限定されると思う。種は分化するけれども結合はしないという大原則を考えれば、近似のものを過去にたどっていけば根は1つになるはずだ。しかしながら素直に考えて、そのオリジナルとみられる1種に近い種類は100万種ぐらいいたに違いない。そして100万年ぐらいの時間の幅をとるならば、その中には当然、その種類と見分けが難しい、交雑も可能な亜種が何千何万といたはずだ。系統樹のどこの幹、どこの枝をとっても、1種1種を判別できるまでにズームインするならば、きっとその図は大木を描いた絵のように見えるだろう。それはまだ完全変態昆虫が出現していないデボン紀のある瞬間を切り取ってきても同じはずだ

カブトムシ亜科

甲虫目カブトムシ亜科だけをとっても、絶滅種も含めれば何千種もいるはずだから、その系統樹はケヤキの大木にも比するようなものになるだろう(左図)。現在日本に生息している虫の王様であるカブトムシTrypoxylus dichotomusはその先端に伸びた1本の細い枝だ。ところがその枝が無限の広がりを見せたとしよう。つまり、かつて甲虫が何かの虫から分かれたように、Trypoxylus dichotomusが遠い未来に甲虫目から一線を画する10万種の巨大なグループに分化するのだ。仮に日本列島をカブトムシ天国にして、他の生物からの圧力を徹底的に排除して、1000万年ほどカブトムシの好き勝手にさせてやれば、それも夢ではないかもしれない。他の甲虫は繁栄と衰退を繰り返しながらも100万種ほどいる現状を維持しているものとする。そうなった状態を系統樹で表現する場合は、甲虫目の枝からカブトムシ目という枝を1本はやせばよい。しかしながら、全種が見える図ではケヤキの細い1本の枝先に、サクラの大木を接ぎ木するような奇妙なことになるのだろうか。その辺が系統樹に不満であり、何かいい方法がないものかと思案しているところだ。


2009.7.12(日)晴れ 半原越21分25秒

アゲハ

なんだかいろいろなものが重いなあと感じている。体も重い。自転車も重い、チネリだから半原1号、2号と比べて2kg 以上重い。ギアも重い。もっとも軽いので42×23Tだから2倍とちょっとだ。それよりも重いのは頭だ。午後の授業のジョバンニのように、頭の芯がぼうっとしている感じがする。この違和感はここしばらく続いている。たぶん睡眠不足。

いつものように棚田の脇に座ってコーラを飲む。田んぼはあまり見ないようにする。今年も中干しがあって、干からびた地面と稲しか見えないから。私は水が見たいのだ。この中干しは去年よりもやや遅い。

半原越は最初から最も軽いギアで走る。といっても42×23Tだからけっこう重い。どのみち今日はダメだろうとチネリでやってきたような気がする。チネリだと遅くても自分に言い訳ができるとずるい計算をしているふしがある。そんな理由でチネリを引っ張り出してはいけないと反省する。

区間4で親子らしいタヌキに遭遇する。親が1頭に子どもらしいのが3、4頭いる。半原越にはタヌキも多いはずだが、真っ昼間の道路に出てくるのは珍しい。自転車が来たから親はさっさとガードレールをくぐって藪に消える。子らもそれを追ってわらわらと藪に向かって歩き出す。1頭だけがうなって威嚇してきた。腰はおもいっきり引けているけどたいしたもんだ。元気に生きろよと声をかけようとしたが、息が苦しくて声もでない。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'43"4'43"15.0-65
区間210'00"5'17"13.4-58
区間315'10"5'10"13.7-60
区間421'25"6'15"11.3-49
全 体 13.2-58(1244)

午後からは、同じくチネリで境川。ゆるい南風が吹いている。52×18Tと19Tを使って下ハンで走る。境川ではここのところ無理なく下ハンのポジションを取れるように練習している。腰が固くていまいち感があるもののだいぶん楽になってきた。特に首がすわってつらくない。これで上半身もつかってペダルに力を伝達できるようになれば、35km/hぐらいで余裕の巡航も夢ではないだろう。今はせいぜい30km/hをちょいと越える程度だけど。

帰宅してチネリを拭く。自転車掃除はあまり好きではないのだけど、いかがわしい理由でチネリを引っ張り出した後ろめたさもあった。CRC5-56を吹き付けてボロ切れでこする。こいつもずいぶんサビ傷が増えた。思えばずいぶん乗ったもので、もう20年以上になる。こいつがボロボロになるのと私がボロボロになるのと、歩調が合っていてお互い様だ。

そんなことをしていると日もすっかり傾いて暗くなってきた。1匹のアゲハがねぐらを探してうろうろしている。目の前にある植木がずいぶん気になっているようで、止まっては風に吹かれて飛びたって、戻って来るという動作をしばらく続けている。どうやら、その木をねぐらにしたいようだ。当の木は赤トンボやツマグロヒョウモンがねぐらに選んだこともあり、なにか虫を引きつけるものがあるらしいと気になっている。


2009.7.13(月)晴れ ピンと来ない

今週の週刊少年ジャンプに、ユーラシア大陸の面積が6桁ぐらい小さく記載されていた。巨大なものは思い描くのが難しいものだ。1億2000万平方メートルといえば大きいような気がするが、ユーラシア大陸の2倍どころか、1辺が11kmの正方形ぐらいしかないのだから愛媛県の八幡浜市ぐらいだろう。

巨大なもの、極小のものは数字にしてもわからない、ピンと来ないのだ。時間のスケールも同様だ。山ができる仕組みもよくわからない。地層ができる仕組みもわからない。地層の中に入っている化石ができる仕組みもわからない。系統樹といって、進化といってもそこで起きる実態はなかなかピンと来ないものだ。


2009.7.14(火)晴れ 虫も殺さぬ

私は虫も(を)殺さぬヤツとして有名である。特にクモは殺さない。地獄に落ちてもお釈迦様が糸を垂らしてくれるかもしれないという最後の希望がある。そもそもクモは有益無害だ。かみ付く毒グモもいるけれど、それは非常に珍しいもので、よっぽどがんばらないと咬まれないものだ。

わが家ではクモは大事にされている。アシダカグモなどはアイドル扱いで室内を歩くと、家人の注目と笑いを誘う。あれはあれで愛嬌のある動きをするから。嫌われているのは、ゴキブリとアリと蚊だ。もちろん、私自身はそいつらにもシンパシーを抱いている。アリとゴキブリは見て見ないふり。やつらは見つかると殺されることになっているからだ。ゴキブリは無害だと思う。アリにかみ付かれるとうっとうしい。そういうときはためらいなくつぶす。蚊はたらふく血を吸うとおとなしくなることがわかっているので、殺すのが面倒なときはそのまま血を吸わせる。夜に眠ろうとしてるときなんかはそうだ。毎朝、庭で10か所ぐらい刺されるけれど、最初のチクリで殺すチャンスを逃したときは放置したほうが無駄がない。数が多くていちいち相手にしていると撮影や草むしりの作業がはかどらないのだ。

そういえば、日曜の半原越でミミズを救出した。青くて大きく重いやつ。シーボルトミミズという奇天烈な名前がついている種類だとおもう。道路の真ん中でうろうろしているから自転車で踏みそうになった。そのままだと轢死か干からびるか、いずれにしてもろくでもない運命が待っていそうだった。ちょうど餌を探しているタヌキの親子を見たこともあり、ちょっともったいないと思った。ミミズはタヌキの好物でシーボルトミミズはかなりの食いでがあるだろう。拾いあげると、すでにかなり乾いていることが分かったので、谷側の草むらに投げてボトルの水をかけた。虫を殺さないのはたぶんに節約心のあらわれのようだ。


2009.7.15(水)晴れ ツールのまね

ツールもたけなわであるけれど、今年の勝負は「ところで、アスタナの誰が勝つの?」みたいなところに落ち着きそうで嫌だ。自転車競技は結局個人戦であるから、怪物を集めればそのチームの誰かが勝てるに決まっている。サッカーではカカとロナウドを買ってくれば勝てるかというとそうでもないところが面白い。ともかく、ツールは総合優勝よりもレースシーンそのものを見ることに楽しみをみいだしている。

テレビでレースを見れば、遅くてもいいからせめて見かけだけでも選手のように走りたいと思う。それができないのは自覚している。だけど、なぜできないのかがいまいち謎だ。プロ選手と体型が違うのは当然だ。横から見たときの尻、胸、背中の厚みは走り込んではじめて身につくものだ。それは無理としても基本的な体のアングルは簡単になんとかなりそうな気がする。体格が似ている170cm、60kgの選手よりも手足が数センチ短いとしても、そこは目をつぶる。自転車はペダル、サドル、ハンドルの3点で体を支える。その位置はプロと同じものにできる。固定された位置でペダルを回すだけの動作なのだから、誰がやってもそうかけ離れたものにはならないと思える。型を作る上でダンスや体操のように死ぬほど柔軟性が必要なわけではない。基本動作に瞬発力や筋力が必要なわけでもない。ゴルフのスイングなんかは無理だ。石川遼のようにびゅっとクラブを振るのは難しいに決まっている。だけど自転車だ。レーサーとはいえしょせんは自転車なんだから。

股下寸法×0.895 までサドルを上げて、サドルをいっぱいに後ろに引いて、ハンドル高さを5cm下げて・・・と指導書通りにセットして、彼らのポジションをとったつもりで下ハン持って走ると悲惨である。体の各部がばらばらに動き力が入らない。3分で腰やふくらはぎがつっぱってくる。痛い首を振って「ぜってームリ」と叫びたくなる。10年前にそう確信した覚えがある。ところが、なんだかんだと練習するうちに、今はそれに近いポジションで普通に走ることができている。しかも、それができないと、私の素質では52×16Tを90rpmで回せないことも理解できるようになった。プロの型は効率よく力を出せるように収斂していった結果なのだから、それも当然だ。

よくよく考えてみれば、モデルの歩きとか、日本舞踊の立ち方とか、お坊さんの座りとか、実は簡単そうに見えるありとあらゆるものが難しく奥が深いものだということがわかる。プロレーサーのまねごとも結局は届かない目標のようだけど、あきらめずにがんばることで発見もある。


2009.7.16(木)晴れ アゲハ幼虫が消えた

柑橘にいっぱい群れていたアゲハの幼虫がことごとくいなくなっている。はてさてどういうわけだと原因を考えるけれども、忽然と消えうせたあとでは本当のことはわからない。アシナガバチにやられたかもしれないし、鳥にやられたのかもしれない。彼らの命なんてはかないものだ。だれにやられるにしても、この数年は私の庭からアゲハは飛び立っていないように思う。順調に育っている終齢幼虫を見たことがないので、そう考える。

アゲハの幼虫は体が大きくなってからは嫌な臭いで敵を遠ざけ、若く小さいときには鳥の糞に擬態しているといわれている。鳥の糞に擬態するということは身を隠す手段として大変優れていると私は思う。私が思うぐらいだから、私と同じような目を持ち、鳥の糞とはいかなるものかを見分けることができる動物からも身を隠す効果があるということだ。その主たる対象は鳥だろう。

いうまでもないことだが、アゲハは鳥の糞に似て身を守るために、そういう体を発明したわけではない。きっと自発的には何もやっていない。きっと自分が糞に似ていることを知らない。そもそも鳥の糞など見たことも聞いたこともないはずだ。それでもあんなに鳥の糞に似ているのは、もともと鳥の糞に似る素質があったからだ。黒と茶のつやかかな体に白いラインを入れる粋な体になる素質があったからだ。その素質は、蝶の幼虫を食べるけれど鳥の糞は食べないという目の良い動物の圧力で開花した。その点ではアゲハの糞擬態は鳥が作ったものと言える。

アゲハに限らず、昆虫の擬態はほぼ100%鳥が作ったものと結論してよいだろう。鳥から逃れられなかったものは絶滅し、何らかの方法で鳥の攻撃をかわした虫だけが生き残っているのかもしれない。その勝負は人類がこの世に誕生する以前に決しており、昆虫の形態は確定したはずだ。


2009.7.18(土)晴れ ハラビロカマキリ幼虫

ハラビロカマキリ

朝、二階の窓からジューンベリーの木をみると、その葉にカマキリが止まっていた。ハラビロカマキリの幼虫のようだ。これには驚いた。実は昨日の朝にも同じ場所、同じ姿勢でとまっているハラビロカマキリの幼虫を見ているからだ。まあ、同じ個体と見るのが自然である。昨日の朝は雨が降っていた。それから24時間以上も同じところにいたのだろうか?

ハラビロカマキリは樹上性であまり歩き回るタイプではないらしい。ただ、このジューンベリーはどうだろう? それほど稼げる場所ではないように見える。私の庭なら、ムクゲかそれに巻き付いて花をつけているヤブガラシのほうがずっといい狩り場だと思われるのだ。なにがこの幼虫をこの葉に固執させたのだろう。

午後は境川を流してきた。4時間走って100km。向かい風が強いとついつい勝負してしまって疲労困憊してしまうのだが、今日の風はゆるかった。下ハン姿勢をいろいろ試しながら、52×19Tか18Tを使って終始30km/hペースだった。ケイデンスは80〜90rpmだ。これぐらいだと息も苦しくなく疲労感にもおそわれない。下ハンで腰や首が苦しくならない秘訣は、肩を下げつつも胸を反り気味にする姿勢ではないかと思う。そして、背中の下の方から太ももの裏まで、体の中心の裏側の筋肉を意識して出力すれば、強い力を長時間維持できるような気がする。それ以外の部位、肩、腕、手、ふくらはぎ、足首などは下ハンでもできるだけリラックスさせることだ。

梅雨が明けて盛夏とはいえ、今日は日差しもなく気温も低かった。こういう日よりだと汗もかかず日焼けでひりひりすることもなく、目がちかちかすることもなく快適だ。たったひとつの問題は朝から軽い頭痛に見舞われていたことだ。体が揺れなければどうってことはないのだが、路面のギャップにのってがくんと来るたび、頭の芯がずきっと痛む。これにはよわった。ステージレースならばこういう体調の日でも素知らぬ顔をして走りきらなければならないのだと耐えた。死ぬまでステージレースに出るようなことはないのだけど。


2009.7.19(日)晴れ 半原越22分00秒

午前中までは半原2号にしようと思っていたが、思い直してチネリにした。理由は半原2号に空気を入れるのがめんどくさかったから、という消極的なもの。昨日と同じ52×18Tを踏み込んだ瞬間、重いと感じた。こんなギアを90rpmで回していたのが信じられない。それほど自覚はないのだけど、昨日の4時間の疲れが残っているのかもしれない。とにかくチネリで半原越だ。効率的に出力する姿勢を練習しているのだから、重いギアでそれを試してみよう。

善明川から東の空を見れば、けっこういい感じで乳房雲が発達している。輪郭はややぼんやりしているものの、けっこう大きなかたまりが丸く垂れ下がっている。カメラを持っておればと軽く後悔した。羽田から西に向かう飛行機が雲の下を通過していく、そうすると乳房雲は高度2500m ぐらいの高層雲にできているということになるのか。

いつもの棚田にはまた水が入った。中干しの影響で水の中には動くものは見あたらない。ノシメトンボとおぼしき黄色いトンボが稲の上を低く飛んでいる。ノシメトンボだとすればまだ成熟前なのだろう。時々吹く強い風が稲の葉裏の白い波を田んぼに作る。葉がこすれ合ってさわさわと硬い音がする。向かいの山も森全体が揺れている。乳房雲はまだ残っており、その中に旅客機が突っ込んでいくのが見えた。乗客にちょっと嫉妬した。ただし、一人でもその幸運を自覚した人がいるだろうか。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'42"4'42"15.1-65
区間210'11"5'29"12.9-56
区間315'23"5'12"13.6-59
区間422'00"6'37"10.7-47
全 体 12.9-57(1250)

22分は悪い時計ではないけれど、タイムを気にして少し焦っていたように思う。半分下って口直しに半原ハーフ。背中を丸めすぎないように。背中と太ももをハサミのように使う要領で、力むことなく力強く。それにしても42×23Tは重い。半原2号にすればよかった。

半原越は強風のときでもタイムにはそれほど影響しない。どんな風でも終始向かい風、あるいは追い風になることもない。ただ今日のように山鳴りがするほどの風だと少し恐い。というのは自動車が来る音が聞こえなかったり、木の鳴る音が自動車に聞こえたりするからだ。下りのコーナーは特に注意して走らなければならない。


2009.7.20(月)くもり ハラビロカマキリ再び

ハラビロカマキリ

ハラビロカマキリの幼虫がまたジューンベリーの木の葉にいた。先日の葉とは少し離れている。どうもこの辺がやつにとっては快適らしいのだ。今回は姿勢が気になる。先日と同じく頭を下にする体勢で、腹を反っている。こうやると、腹の先が頭にも見えて前後があべこべになる。前後を不明確にしている昆虫は少なくないが、ハラビロカマキリがそういうことをして何か適応的な意味があるのかどうかはわからない。

午後はチネリで境川。今日も風は弱く、しかも西から吹いているようで、境川は上っても下っても逆風だったり順風だったり。というわけで、52×19Tに入れっぱなしで鼻歌混じりの30km/hペース。歌は永井真理子の最新アルバム Sunny Side Up から。夏川りみではないことが快調さを物語る。ただし、まだ歌詞を覚えておらずあくまで心の中で同じフレーズを繰り返すだけ。

向かい風は80rpm、追い風は95rpm(推定)ぐらいにして力を入れずひたすら姿勢(カマキリのではない)を気にして下ハンで走る。ついに下ハンの極意は胸にあると見つけた。チネリはサドルとハンドルの落差が25cmぐらいになるから、下ハンだと背中は水平になる。これまでは、不覚にも低い姿勢をかんちがいして、肩を丸め胸を縮こまらせていた。その姿勢で首を上げるのは非常につらく何分も継続するのは無理だと思っていた。確かにそれではダメなのだ。

肩は下げなければならない。それでも胸はなるべく開いて反るのがよい。青木裕子(アナじゃないほう)のように腰を折って、ぐっと胸を突き出して巨乳を見せびらかせ、にっこり顔をあげるのがよい。パイレーツのように胸をしぼめて乳の谷間を強調するような乗り方はだめなのだ。青木裕子ふうだと首が楽だ。感覚として背中は水平なのに、垂直に立っているような感じで首を反らなくても前を向ける。境川では、向かい風で前を向いたり下を見たり、はりこの虎のように首を上下させているライダーが多い。あれは姿勢が悪く首がつらいからだろう。ロードレーサーではブレーキブラケットを持っていても胸がパイレーツだと首が相当つらくなるはずだ。

また、下ハンだとデビュー時の優香のように上目遣いになってしまいがちだ。ツールの個人TTで頭も下げて60km/hで勝負をかけるのなら優香でよいが、25km/hで走る境川のおやじには無用だ。せっぱ詰まった感じを周囲に振りまくのが粋ではない。おっちゃんなにそんないきがっとんのや? というはた迷惑な目線だ。目は井川遥ふうの上から癒し目線で大人の色気を漂わせながら余裕しゃくしゃくで走ろう。そうできないようだと姿勢が悪いのだ。

ライディングフォームを語るとなぜかグラビアガールになってしまうが、イグナチェフやカンチェッラーラを手本にしよう!なんて思ってもまず無理。私のレベルではあんなバケモノは参考にならない。胸は青木裕子(アナじゃないほう)、目線は井川遥、力を入れるときは田代さやかの太もも。これで4時間100km走って体のどこにも痛みもこりもない。乳も太ももも豊かなお嬢さんが好きで、いつかは半原越を20分で、と志高い中年おやじ諸君は参考にして欲しい。ちなみに私は立位体前屈が0cmの腰がかなり固いおやじである。

ついでに、レーパンってのはやっぱりいいもんだ。パールイズミのかなり高価な新型レーパンを買ってはいたものの、選手じゃあるまいにと1年ほど使ってなかった。この3連休を走りっぱなしで、短パンがなくなって、しかたなくタンスの奥から引っ張り出した。使ってみると脚は回るは尻は痛くないは、良いことずくめだ。私はどんなサドルどんなパンツでもOKという希有なライダーだが、さすがにぺらぺらの短パンで1日中走ると尻の皮がむけてひりひりしたこともあった。


2009.7.25(土)晴れ 半原越20分24秒

月

今日も風が強かった。風があると走るのが難しくなる。一定のペースがつかめないのだ。それは起伏のある登り坂と同じだ。今日は半原2号で起伏の激しい登り坂の半原越。

途中、荻野川あたりでおびただしい数のウスバキトンボを見る。視界にはいる数でざっと500。この爆発的な数の増え方の原因はなにか。南から飛んできたものか、近所で羽化したものか。見ているだけでは判断をつけられない。しかし、調べる方法はある。例年ウスバキトンボが発生する場所をつきとめておいて脱皮殻を数えればいいことだ。本格的に全国調査をする場合、各県単位で2か所ぐらいはそういう所を押さえておきたいものだ。

半原越は39×25Tで行こうと決めていた。タイムよりもうまくクランクを回すことに集中する。青木裕子(アナじゃないほう)のポーズで余計な力が入らないように注意する。区間3までは押さえて走ったが、区間4はがんばってみた。時速10kmから落とさないようにしようとすると立ちこぎを使う必要が出てくるから、もう1枚ぐらい軽いギアのほうがいいかなと思った。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'21"4'21"16.316376
区間29'15"4'54"14.418168
区間314'10"4'55"14.418067
区間420'24"6'14"11.418553
全 体 13.917866(1348)

20'24"はまあまあで、今日ももっとがんばれば20分切ったろう。といっても、走り出してすぐに180bpmまで上げて、そのまま落ちないのだから、ぎりぎりいっぱいにはちがいない。ハンドルの角度が決まっていない感じがして、少ししゃくる感じにして半原ハーフ。区間4でいまいちかなとなにげにリアを見ると、チェーンは23Tの歯にかかって25Tが余っている。まちがって1枚重いギアでやっちまったらしい。ま、いいか、それよりもハンドルだと、次は下げて半原ハーフ。やはり水平のほうがよさそうだ。などと走っているうちに何回登ったか分からなくなる。これで、沈んだはずの月がまた昇っていれば蟲師だが、月はまだ沈んでおらず高積雲が広がる天頂にかかっている。

帰りは鼻歌まじりの30km。今日の歌も当然永井真理子のSunny Side Up。ところが、いつの間にか「七つの子」になっている。いったいどういうわけかと注意してみるならば、鳥の雛がしきりに鳴いている。川沿いを走っているからカルガモかなと思う。ところが、その声がずっとついてきて離れない。ピョーィ、ピョーィと音もテンポも雛の鳴き声なのだが、どうやらその音の出所はBBだ。クランクを回さなければ音はしない。ゆっくり普通に回しても音がする。いったいぜんたいどういう仕組みで鳴る音なのか理解に苦しむ。これも軋みの一種なのか。こんなのははじめてだ。

カラオケ屋、飲み屋の次に嫌いな風呂屋から帰って、窓の外をみると月がまさに沈もうとしている。この月は午前中からよく見えていて、撮ろうかどうしようかと迷った末、そのときは撮らなかったものだ。昼だろうと夜だろうと、いまだに月がきれいに撮れたことがなく、どちみちうまくいくわけがないと敬遠していた。ほのかな赤みと、薄い雲がかかる風情に負けて撮ってみた。あえて言うまでもなくうまくいかなかった。研究して月が撮れるようになろうか。結局、無限遠をまともに撮りたきゃ高価な望遠レンズをゲットすべし、などという所に落ち着くと寂しいが。


2009.7.25(土)晴れ 半原越23分47秒

脚をみると汗をかいている。暑いとき登りだと汗が顔を流れることがあるけれど、めったに脚や腕がだらだら発汗することはない。どうやら今日は相当暑いらしい。しかも、まだ半原越にかかっていない。わずかな日影を見つけて、いつもの棚田わきに座り込む。青々としげる稲の上を連結したウスバキトンボが飛んでいる。精子を受け渡す体勢の輪を作ったままだ。うまく風をつかむもんだとその姿を見ていると、ふと疑問が起きてきた。ウスバキトンボは移動したがるトンボだけど、そのタイミングがいつなのか。トンボは羽化してしばらくは成熟期があるはずだ。まだ産卵ができない成熟期に一気に飛んで、産卵できるようになると落ち着くのか。それとも、産卵しながらも移動するのか。

今日こそは39×25Tで行こうと決めていた。体の汗を見ていると、どう考えても速くは走れそうにないから、余裕を持って走ることにする。4つの区間を5・6・6・7分だ。この24分がゆったりペースのつもりだ。しかし区間4では平均心拍数が180bpmを越えている。39×25Tでシッティングだと全然進まなくて、立ちこぎしてしまう。それでもたいした強度ではないと心では思っているが、体はゆったりではないと主張している。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間15'08"5'08"13.815876
区間210'55"5'47"12.217268
区間316'32"5'37"12.617667
区間423'47"7'15"9.818253
全 体 11.917359(1403)

半原越からの下りに清川村でアカボシゴマダラを見た。清川村にもいるとなれば県下全域に分布しているのだろう。鎌倉あたりで見つかったのがつい数年前のような記憶がある。フロンティアスピリットにあふれる蝶のようだ。

暑い中、じゅうぶん走った感じはあったけど、南風が良さそうで境川にも行く。半原2号で境川はいまいち快調感がない。重くてもチネリのほうが速いのか、単に体がバテているのか。北に向かうとき、前方に積乱雲を見る。多摩の山間部だ。吹き上がった雲がきれいに金床状にひろがっていた。夕立はあったのだろうか。下水処理場の丘でカラスがオスのカブトムシを咥えているのを見る。カブトムシはけっこうカラスに食われるという話は聞いていたが、じっさいに見たのははじめてだ。


2009.7.28(火)雨 三日月

月

日曜日に撮った月、いわゆる三日月だ。手持ちの機材ではここまでだなという気がする。これ以上のものを撮る必要はまずない。このレンズは安価な、というか、もらったタムロンの望遠ズームにケンコーの1.5倍テレコンをかませて、35mm換算で1000mmぐらいの倍率で撮った。それをこのサイズに合わせてトリミング縮小したものだ。私の用途では安いレンズで充分だ。

そういえば、先日ヤフオクで落札した1600円のニコンのプラスチックズームレンズがそれなりに写るのでびっくりしている。高価なレンズなんて使ったこともないので比較する対象がもともとチープなのかもしれないが、手持ちのレンズの写りにぜんぜんひけをとらない。壊してスーパーマクロにする予定だったのだが、壊すのがもったいなくなった。しばらくは普通のズームレンズとして活躍してもらおう。


2009.8.2(日)雨 自転車の筋肉

スズメ

この季節にしては思いもよらぬ冷たい雨だ。今日は自転車はやめようと決めた。冷えた体を温める風呂がない。昨日は100km走っている。

窓からムクゲに降る雨をぼんやりと眺めていると5羽のスズメがやってきた。夫婦とその子どもらしい。巣立って間もないらしく餌をまだ親からもらっているのだ。5月に春の子育ては終わっているはずだから、今年2回目の子どもなのだろうか。このあたりではスズメは比較的少ない。ウグイスのようにけたたましく鳴くこともない。めだたない鳥だ。

今年は梅雨が明けても雨が降り続き、気温が上がらない。毎年、8月はムクゲの花が一休みする。7月にはこれでもかというぐらいに咲き続けるけれど、梅雨明けとともにぽつぽつとしか咲かなくなる。秋になってまた涼しくなると幾分か挽回してくる。これまでは気温が高すぎると花芽が作られないのだと単純に思ってきた。ムクゲは短日性らしく、花芽の形成には春の高温が必要ということだ。その気温も高すぎると抑制に働くのだと思ってきた。今年は気温が高くなくても例年のようにぴったり花がなくなった。ムクゲの開花の機構は単純なものではないらしい。

ツールで選手を見ていると、腕の筋肉が発達していることに気づいた。上腕の外側の筋肉の盛り上がりが異常だ。ハンドルを引くのは、いわゆる力こぶをつくる筋肉だが、それは、力こぶとは逆にハンドルを押して体を支えるほうの筋肉にあたる。ためしに下ハンを持って走っているときに、その筋肉を触ってみると、固く緊張していることが分かる。スプリントを得意とするようなー部選手だけではなく、世界のトップの選手のことごとくについているのだから、自転車に乗るのに相当大切な筋肉のはずだ。

私にはその筋肉がない。そもそも腕を曲げて体を支えるような運動をした覚えがない。ブラケットを持って腕を直角に曲げ前傾姿勢で走ろうとしても、肩や腕がかゆくなってきて長持ちしない。上体を見ても、自転車選手に必要な特殊な筋肉が鍛えられていないということに改めて気づいた。


2009.8.8(土)晴れ 半原越22分6秒

トンボ

久しぶりに半原1号で半原越。なんとなく軽く走ってみたかった。今年は、かぁ〜と来る暑い太陽をほとんど受けずに夏が終わってしまった。こういう年もあるんだろうなと清川村の緩い坂をくるくる走る。気温は30℃ほどで、けっこう涼しいが汗はかいている。朝青龍のCMにひかれて新発売のファンタを買ってみる。サイダーということだが砂糖が入っていないのが残念。

今年の作況は全国的に良くないらしい。私が見る限り神奈川県はひどいことにはなっていないようだ。いつもの棚田はまだ花が咲いていない。天候不順の影響というよりも、平野部より2週間ほど田植えが遅かったからだろう。境川の周辺ではすっかり出穂していた。8月ともなれば田んぼの水の中は殺伐としたもんだ。稲の葉に害虫やカマキリが目につく程度だ。田んぼのそばを赤トンボが低く飛んでいる。翅にバンドがあるミヤマアカネだ。今日は6〜7頭もいる。若いのも成熟したのも混じって賑やかだ。ウスバキトンボは1匹しかいない。あれは気まぐれだ。

半原越は予定通り軽いギアで普通に走る。半原1号はインナーが26Tだから、リアの真ん中の17Tにかけてもかなり軽い。36×24Tに相当する。区間3までは15〜19Tまでを使って、区間4は21Tを使った。そのギアなら回して乗りきれる。71rpmで6分半なのだから、重いギアをダンシングするよりも効率はよいだろう。今日選択したギアを使って80rpm以上で行けたらいっぱしだ。疲労もなくハーフを2回やる。今日は自転車も虫もいなかった。夏枯れか。イチモンジチョウ、モンキチョウ、スジグロシロチョウ、ジャコウアゲハ、ウラギンシジミが物欲しげに路傍の草むらを物色しているのが目についた程度だ。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'48"4'48"14.8-72
区間210'13"5'25"13.1-72
区間315'40"5'27"13.0-71
区間422'06"6'26"11.0-71
全 体 12.8-71(1579)

6時を過ぎて帰宅すると、玄関の前をウスバキトンボが低く飛んでいる。さては、と気配を消して目だけでその姿を追う。ウスバキトンボはやはり例のねぐらの木に止まった。なぜかこの木なんだよなと近づいたら、先客が目に入ってきた。シオカラトンボらしい。この近くには水がなく見かけないトンボだ。


2009.8.9(日)くもり 足の裏が痛くて

なんだか半原1号はスピードの乗りがいまいちのように思う。境川をいい感じで走っているから、30km/hほどかなとメーターを見れば、27km/hを表示している。いくらなんでも遅すぎるのではないか? と不安になる。車輪の周長の入力ミス....26インチに設定しているとか、キロとマイルの設定ミス....いろいろ原因は考えられる。そんな間違いならいくらなんでも気づいているだろう。念のために、ケイデンスとギア比で暗算してみる。前が36T、後ろが16Tで95rpm、これはぴったり27km/hだ。安心しきってよいが、遅い。追い風だと、健康のために自転車をはじめたおじさんと同じ速度だ。低いポジションでしゃかしゃかとペダルを踏み、クロスバイクのおじさんを振り切ろうとやっきになっているロードレーサーというのは境川らしいほのぼのしたいい感じの絵だと思う。半原1号は小さいギアがウリなのだ。そのケイデンスで、いい風だなあなどと息も普通に楽々100kmをこなしているのだから、遅くて当然だ。もし前を52Tでそれがやれればプロの領域だ。時速は40kmに達する。

この2年ばかり、半原越と境川しか走っていない。ちょっとだけ金山にいったりしただけだ。前はもっといろいろな所にいってた。ヤビツ峠周辺の丹沢とか多摩川とか、それなりに名のある所にも出かけたけど、そんな気もなくなった。自転車はますます面白く、同じ所をぐるぐる走っているだけで楽しい。体に負担が少なくうまく出力できるポジションを追求するだけでも奥が深く、徐々に腕が上がっていることを自覚している。特にこの夏は腰と首にまったくこりがこない下ハンポジションを見つけた。

現状、唯一の課題は足の裏の痛みだ。境川は非常に舗装が悪く、風のある水面のようにさざ波がたっている。波頭をがこがこ、あるいはぼよんぼよん越えるたびに、足の裏に振動がびんびんと来て痛い。SIDI純正のインナーソールだと4時間も乗ってるとかなりつらいことになってしまう。インナーソールは各種市販されている。高いの安いのいろいろよさげなものを試しているが、いまだに決定打は見つかっていない。そもそも自転車のシューズというもの自体、メーカーは決定的な思い違いをしているのではないかと思う。シマノなんかは、足に合わせた形状にできる高価なシューズを市販している。とてもじゃないがそれが最適解とは思えない。足に合う合わないの問題以前にペダリングに適した形状は今のものとは根本的に違うはずだと確信している。シューズはもっとも重要な部品だから全力で開発したほうがよい。


2009.8.10(月)雨 靴の設計者への助言

文句を言うばかりではあれなので、少しばかりメーカーに助言をしてみよう。普通の靴と自転車のシューズは全く異なるものと考えるのは当然だ。そこを出発点にしなければならない。靴は歩行やランのためにあるが、サイクルシューズはペダリングのためにある。ペダリングに不要なものは一切いらない。

ペダリングの力を考慮するならば、もっとも重要なのはペダルに接触する部分。その部分の靴底は堅牢でなければならない。その部分から踵にかけては一体感があり剛性が高い方がよい。土踏まずの部分がしなる必要はなく、むしろ踵で引き上げる場合に力が逃げないほうがよい。また、前に押し出す場合に甲の部分はしっかりホールドしなければならない。締めたときに甲とシューズがすれたり伸びたりするようではいけない。この点は一体設計のシェル状にするなりして見直した方がよいと思う。個人的には今のシューズは踵が上下に動き過ぎるから、その動きを制限してでも、くるぶし部分を高くしてホールド感をあげるほうがよいと思っている。以上は、ペダリングに絶対必要な部分であり、現在市販されているシューズはこの課題をクリアしている。だからこそメーカーは現状のものを改良していけばよいのだとかんちがいしているのだろう。必要十分条件を満たしているものが完全とは言えない。

ペダリングの動きは前後と上下のみである。左右への足の動きは無駄、つまり推進力にならない。したがって、足が左右に動くときは、シューズはそれを支える必要がなく、動きを逃がしてやればよい。逃がすというのは、足がシューズ側面にあたるストレスを軽減することにもつながる。現在のシューズは、普通の靴と同じく固定された「幅」がある。私が思うに、足の一番幅広の部分にあたるシューズの「幅」は必要ない。横の動きも支える普通の靴とちがって、サイクルシューズは踵と土踏まずを支えに甲が固定されるならば、サイドの強度は不要だ。特に横幅を制限する要因となる親指の付け根の内側には丈夫な皮がいらない。また、シューズの内側の皮を薄くすることはQファクターを小さくすることにもつながる。

そして、つま先がおそらくいらない。普通の靴につま先があるのは、走るためであったり、指を保護するためである。自転車以外の靴には非常に重要な部分である。しかし、自転車にはその機能がいらない。現状では指の下も堅牢な靴底になっている。自転車では足の指で大地を蹴る必要がなく靴底はいらない。現状では指を保護するかのように、トウが固くなっている。自転車では指をぶつける心配がなくトウはいらない。ペダルを前に押すときに、つま先は使わないと思うのだがどうだろうか。むしろ、指は上下フリーに動く方がペダリングには向いているように思う。

つま先は靴を設計する上では不可欠ゆえにありとあらゆる悪夢がそこから生まれる。指は人によって形状の変異が大きい。万人に合う靴を作る難しさのかなりの部分を占めている。また、靴のサイズなるものが必要なのはつま先が必要だからだ。自転車のシューズであれば、現状の靴が靴紐やベルクロで締め加減を調整している高さ・幅と同様に、つま先に自由度を持たせることが可能だ。そうなればサイズがなくなる。自転車のシューズには幅も長さも不要になるから、S・M・Lの3種類ぐらいで事足りるはずだ。数年後にはそういうシューズが主流になっていることだろう。


2009.8.12(水)晴れ 半原越21分10秒

青空に積雲が浮かび南風に乗ってツバメが舞っている。その下にはウスバキトンボ。さらにその下には伸び放題のカラムシ。夏はこうでなくてはと思う。今日も半原1号で半原越。やっぱり70回ぐらいは回して軽く登るのがいいよね、と思い直している。田んぼを見る気もせずに、農業用水の水路のふたになっている鉄製のスノコにすわってコーラを飲む。水は渓流から引いているものでけっこう冷たい。田んぼにはあまり良くないのかもしれないが、すわって休むぶんには気持ちがいい。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'31"4'31"15.7-77
区間29'32"5'01"14.1-73
区間314'33"5'01"14.1-69
区間421'10"6'37"10.7-69
全 体 13.4-72(1520)

半原越の入り口までは距離にして25kmあり、時間にして1時間あまりかかる。それぐらいがウォーミングアップによいのだと思ってきたが、少し短いのではないかとも思えるようになってきた。ここのところ、まず半原越に行って、境川に行って、ということを続けているが、3時間ほど走ってからようやく脚が無駄なく回っているという感じがするようになってきた。1時間程度ではペダリングにどこか無理があり、乗り切れてないなあという気がしている。


2009.8.13(木)晴れ 半原越22分18秒

いつもの棚田も出穂していた。田んぼは7段あって、いつも見ているのは一番上のものだ。下の方に目をやると、やや黄色みがかった穂が天を指しているのがわかる。下の方に行くほど穂が多く、しかも右手のほうに多い。その偏りの原因は明らかに水温だ。この棚田には、左手上から水が入り、左手下から出るようになっている。田んぼの水は入るときはほぼ沢から直接落ちてくるので冷たい。その冷たい水も田んぼで温められて順繰りに下に降りていく。2段目から下の田んぼにも直接沢水は入るけれども、上の田の排水分が混じってくるから、下に行けば行くほど、右手に行けば行くほど水温が高くなっているはずだ。ちなみに、最上段の冷水があたるところの稲は他のものに比べて半分ぐらいしか成長していない。一番上の田で出穂しているのは奥の方の2株ほどだけだ。

半原越は昨日と同じ調子でやってみることにした。ただし、心拍計をつけている。せっかく買った物を使わないのも惜しいと、昨日もつけてはいた。ただし途中で電池が切れて使い物にならなかった。おまけに単なるストップウォッチとして使っているCC-CD300DWの区間3のラップを押し忘れてデータがとれず推定値を入力していたが、それが誤りだと気づき修正した。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'51"4'51"14.6(推定)15071
区間210'11"5'20"13.3(推定)16569
区間315'33"5'22"13.2(推定)17066
区間422'18"6'45"10.5(推定)17567
全 体 12.7-69(1538)

22'18" は回して乗ったとしては普通の時計だ。ただ、心拍数が私としては極めて小さい。おそらく最大でも180bpm を越えなかったと思う。押さえて走ったわけではない。どうやら疲れているらしい。ステージレースに出る選手も疲労が蓄積すると心拍が上がらなくなるという。ここのところ連日100kmほど走っているから、いつの間にか心臓に来ているのだろうか。


2009.8.15(土)晴れ 半原越21分4秒

今日はウスバキトンボが多い。ざっと100匹ほどは飛んでいる。風に乗ってつんつん、つぃーと飛ぶ様子にしばし見とれる。ときどきすっと上下に動くのは何か獲物を追っているのだろうか。私の目には虫らしいものは見えない。ツバメも虫を追っているらしくさかんに田の上を飛び回っている。矢のようなスピードでびゅんびゅん飛ぶ。自由自在だ。こちらもときおり予期せぬ動きを見せるのは虫を捕らえようとしているときだろう。ツバメはウスバキトンボを狙うものかと、15分ぐらい見ていたけれど、いっこうにその気配はなかった。お互いに関心を示していないように見える。田んぼの稲に多いミヤマアカネもツバメとは関係ないようで、ひらすら同種の動向ばかりを気にしている。

心拍計はどうもだめだ。最初は快調に動いていたけど、すぐにデータを拾わなくなり、表示も消えてしまった。もともと安物で以前から不安定であった。もうあきらめた方がいいだろう。こういう機械は調子が悪くなると捨てる以外にどうしようもない。

半原越は目標70rpmで、なるべく重いギアでやってみることにした。スタートは15Tに架ける。きつい坂も19Tでしのぐ。最後の400mは16Tに入れてダンシングをやってみた。タイムアタックのときは、ラストスパートも必要だ。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'41"4'41"15.169
区間29'56"5'15"13.570
区間315'01"5'05"13.972
区間421'04"6'03"11.764
全 体 13.7-69(1449)

一時帰宅して、チネリに乗り換えて境川。30km/hペースで普通に走る。気温が低くて風が涼しく秋の気配が満点になってきた。走りすぎると後々つらいことになりそうだけど、走れるうちに走っておこうと120kmばかり乗ってみた。


2009.8.16(日)晴れ 秋の空

巻雲

今日は涼しかった。ただし、日向のコンクリートの上に六角レンチを5分も放置しておくと触れないぐらいに熱くなる。8月の中旬とはいえ日差しはまだまだ強い。

午前中、部屋で過ごしていると盛んにスズメの群れがムクゲにやってくる。お目当てはアオバハゴロモだ。物欲しそうに首を振りながら梢を飛び回って、ときおり飛び出すアオバハゴロモを追いかけている。見つかればかならず捕まえているというわけではないようだ。毎回しつこく狙っているわけではなく、うまく捕まればOKという調子だ。うまくいってもいかなくても、すぐに立ち去って何十分かおきにやってくる。そのたびに私はスズメたちが気になって窓からムクゲに目をやることになる。スズメやメジロがアオバハゴロモを食べている様子を見ることは少ないが、今日はたまたま屋根の上におりたやつをスズメが捕まえて食べているところを観察できた。かなり好きな虫のようだ。

午後からは半原2号で境川に行った。少し思うところがあって、半原2号は登り専用というよりも、オールマイティな自転車として使うことにした。ハンドルもドロップバーにしてSTIも装備した。久々の半原2号で境川に行くと、その良さを再認識した。路面のデコボコががつがつ来ないのだ。最初はタイヤの空気が抜けているのかと心配したほどだ。ホイールも堅めのはずなのに、がたがた道の上をぬめーとまとわりつくように走っていく。チネリも半原1号もこうはいかない。これがカーボンの特性なのだろうか。スピードが落ちているわけでもないのだから、そうだとすれば、いくら高価でもカーボン以外は買う気がしなくなる。

走り始めてしばらくして気づいたのだが、風が北寄りだ。それも一定しているわけではなく、ところどころ追い風になったり向かい風になったりしている。このかんかん照りの日中に海風が吹いていない。いつも入道雲が出ている北の山間部には積雲のかけらさえない。青空には筋を引いた巻雲が浮かんでいるだけだ。あれは氷の雲で、白い筋はすさまじい風に吹き飛ばされている氷晶や雪だという。

それにしてもどうして積雲ができないのだろう。触れないほど地面が暖められているのだから、対流は起きているはずだ。それなのに対流に伴う雲がない。上昇した空気を補うはずの海風も吹いていない。どういう気象条件ときに今日のような天気になるのだろう。巻雲をみれば高層は強風だということが分かるけれど、関係があるのだろうか。それはともかく、日が落ちる頃の雲がきれいで何カットか撮ってみた。写真の巻雲はホウネンエビのようだ。

この部屋は西日が差し込むから、けっこう暑くなる。今でも室温計は35℃をさしているが、今夜は涼しく感じる。湿度は40%しかなく、それがしのぎやすさの原因だろう。スズメが飛び交っていたムクゲからは夏の終わりを告げるカネタタキの声がする。この夏は自転車ばかり乗って、他は何もしなかったと45秒だけ反省した。


2009.8.22(土)晴れ 半原越20分2秒

蒸し暑さだけはいっちょまえに夏である。腕にも脚にもだらだらと汗をかいているのは気温が高いからだ。もしかしたら、普通に汗をかく体質に変わっているのかもしれないが。

今日はオールマイティ仕様の半原2号で半原越。走り方もオールマイティ風にすることにした。ギアは一番軽いものでも39×25Tだから、1.5倍よりも重い。ちなみに前が39なら後ろは26で1.5倍になり、そのギア比で80rpm回せば時速15kmになる。5%ぐらいの坂を快調に登っているときの目安だ。スタートは21Tにかける。波打つ短い急坂はダンシングで軽く登る。丸太小屋の坂はシッティング。区間2からは23と25を併用した。

あと1分ぐらいでゴールというところでV3の数字を盗み見ると18分38秒と表示している。20分は楽々だなと、にやつきながら走る。ところが、ゴールしてからチェックした数字は20分をオーバーしていた。これにはちょっとがっくり。何を間違えたのだろうか。V3の小さい字を見まちがえたか。そろそろ遠近両用のゴーグルが欲しくなる。下の方が老眼用になっていて、ハンドルあたりと先の路面の両方にがピントが合うヤツ。東国原知事風の老眼鏡でもこの問題は解決できるけれど、それじゃあまりにもかっこわるい。とりあえず、区間4の平均速度が12km/hを越えたのが新境地ということで満足しよう。区間4を6分切るためには? という問いの答えは、体脂肪率を10%ぐらいにして、1.7倍のギアでダンシングするべしというところに落ち着いた。ただし、平均心拍数は188bpm。目の前が暗くなっただけのことはある。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'18"4'18"16.516770
区間29'15"4'57"14.317964
区間314'10"4'55"14.418064
区間420'02"5'52"12.118859
全 体 14.117961(1291)

半原ハーフをやって、愛川側に降りた。愛川側は風流さに欠けあまり好きではなく2年に1度ぐらいしか行かない。その昔、ブレーキをおもいっきり握っても止まらなかったコンクリートの坂を登ってみた。39×25Tあれば普通に登れる。


2009.8.23(日)くもり 境川というところ

午前中はいろいろと用事があって、午後から境川に行く。自転車は半原2号だ。境川は大和藤沢自転車道ということで整備されている。北は町田の外れまで、南は藤沢の町中にまで伸びている。大和市から北の方はあまり行きたくない。幅が狭く混んでいるからだ。南の方は半分ぐらいは自動車の走る公道になっているけれど、川沿いで交差点が少ないからすいすい走りやすい。いつも、国道246号線を過ぎたあたりから自転車道に入り、大清水高校の前まで走ることにしている。

他の自転車に比べて速めに走っているから、抜かれることは少ない。今日は川沿いの公道を走っているときに「暑いですねえ」と声をかけられざま抜かれてあっという間に置き去りにされた。60歳ぐらいのおじいさんライダーだ。向かい風で時速35kmほど出ているからけっこうな乗り手だ。しかし私は彼を知らない。たぶん相手は私のことを知っているのだろうと思う。おそらく私はけっこう知られている。この5〜6年ばかり、かなりの頻度で休日の午後に出没し、一人ストイックに走り続けている。いわゆる自転車乗りの格好をしなくて、冬は長ズボンの裾を縛り、夏はTシャツ短パン、ヘルメットもかぶらず、布きれを頭に巻いている。ちょっと変なおじさん入ってるライダーだ。私が知っているライダーは3人程しかいない。全員が「こいつぁ速ええな」というほぼ毎回目にする人なのだが、正体不明で何が楽しくて境川でくんだりでうろうろしているのかがちょっと謎だ。

今日は南風が弱く行きも帰りも30kmペースだ。ただし、鼻歌まじりではない。何か考え事をしているときは歌が頭の中を巡ることがない。ここしばらく、私にとって、日本人にとって、人にとって良い自然とは何かということを考えている。今日もそのことを考えていた。

終点は境川を挟んで大清水高校の向かいにあるたまり場だ。近所のコンビニでコーラとアイスクリームを買って、そこで1回だけ休む事にしている。コーラが好きだが、家で飲むと女房が悲しそうな顔をするので隠れて飲む。たまり場にはおじいさんが多い。休日の午後ともなれば3〜4人は自転車を止めてたむろしている。たまり場で自転車好きが集まっていろいろな世間話をするのが楽しみなのだろう。元プロの競輪選手というおじいさんも何人かいる。私はそういう輪には入らずに、スズメなんかと遊んでいるのだが、ごくまれに話しかけられる。今日はその希な日だった。半原2号はカーボンモノコックで、詳しくない人には高価なスーパー自転車に見えるのだろう。「これは何十万するんだ」とか「軽いだろう、持っていいか」などと興味津々だ。ただし、明らかに健康と長生きのために自転車にのっておられる方のようだ。ロードレーサーに乗ることはなさそうだから適当に相づちをうっておいた。半原2号は高価でもとびきり軽いわけでもない。境川には、ピナレロとかキャノンデールとかの目玉が飛び出るぐらい高価な自転車に乗ったおじさんがいっぱいいる。

大清水高校の向かいのたまり場から自転車道は北に10kmほど続いている。そこを往復する。2本やれば80km、3本やれば100kmコースになる。近頃は、2時間ほど乗らないとしっくりこなくなっている。なんだかんだと工夫しながらがんばっているうちに100kmコースになることが多い。今日は1本やったところでいい感じに回るようになった。80kmコースで完了だ。境川を走る目的はいい感じで走ることに尽きるといえよう。


2009.8.24(月)はれ一時雨 8月の蜘蛛

ジョロウグモ

春の心配をよそに、ジョロウグモはたくさんいる。少なくとも6頭が見つかっている。どこからわいて出たものか、卵を見落としていたのか、近所からやってきたのか、そのいずれかだろう。

その中には脚がもげているものが2頭いる。写真のものはその一つで、2本の脚が脱落している。この写真では右後方に脱皮殻も写っている。脱皮後1週間から10日というところだろうと推測しており、この調子だとジョロウグモの脱落した脚が再生するかどうかの検証がこの個体でできるかもしれないと期待している。

確実にそれを調べたいのなら、この個体を隔離飼育すれば一発だ。当初はそのことも考えた。ジョロウグモの飼育となればけっこう難しそうで、やればそれなりに楽しいにちがいない。以前、NHKの教育番組でコガネグモ科のクモをケースで飼育しているおじさんを特集していた。それはインドネシアの話で、農薬依存に疑問を持ったそのおじさんが、クモを使って害虫駆除を奨励し効果を上げているというような内容であった。おじさんは、一抱えほどしかない小さな塩ビケースのようなものに数頭を密育して成長させ、田んぼに放すのだ。網グモをそのような方法で飼えるとは思っていなかったから、そのシーンが非常に新鮮だった。もしかしたら、ジョロウグモも同じようにやれるのかもしれない。

ただ、飼育研究は最後の手段ともいうべきものだ。いまは素直に毎朝観察を続け、この個体が次に脱皮するのに立ち会えればそれでラッキーぐらいに構えたいと思う。これまでの経験では、そんなやり方ではまず確実な証拠は得られないことは承知している。きっと、クモの移動や行方不明の発生など不確定な事件に悩まされるにちがいない。しかし、そのやり方が今の私にあっている。ものぐさでもあるし、それほどクモの脚の再生に入れ込んでいるわけでもないから。

クモといえば春から初夏にはやたらと多かったササグモやワカバグモがぱったり姿を消している。夏休みをとるクモなのだろうか。それとも、庭に花がなくなったため、花のあるところに移動したのだろうか。現在、虫の来る花はムクゲを覆うヤブガラシに尽きる。ヤブガラシの花にササグモが潜んでいるのはまだ見たことがない。たかだかクモとはいえ、確かめたいことは次々でてくる。


2009.8.25(火)はれ一時雨 良い自然とは

私にとって「良い自然環境」というのはどういうものだろう。そもそも私だけが良いと思っているだけではだめで、回りのみんなもそう思わなければならない。自然環境は一人で作れるような代物ではないからだ。すくなくとも大和市レベルで考えるべきことだ。

「爽快さ」は良い自然の指標にならない。なぜならば、人によって爽快、不愉快の幅がありすぎるからだ。私は線路の脇にヒメムカシヨモギやクズやススキがこれでもかと勢力争いをしている様子を爽快だと思う。そういう雑草を不愉快だと思う人もいるだろう。私は街灯にマイマイガがぐるぐる飛んでいる様子を愉快だと思う。虫のいない大和市の街灯を死後の世界のように不気味に思っている。今日、岩手県ではマイマイガが来るのを嫌って街灯をつけない地域があるというニュースを見た。その理由は蛾をいじめないため、ということでは絶対にないと思う。境川自転車道には鉄製のフェンスが張り巡らされている。それはクモに対して網を張ってくれと言ってるようなものだ。その網を丁寧に除去してまわっているおばあさんがいた。クモをいじめるのが趣味だというのなら大いに共感できる。そういう趣向の人間だっていていい。しかし、おそらくは単に美観のために掃除をしているだけなのだ。私にとっては暴挙と見え、たいていの人には無意味に見え、本人にとっては善行に見える行為なのだろう。芥川を読んだことがないのか、絶対天国に行けるという自信があるのか。

不愉快な虫けらなんて文化的にいくらでも捏造できる。たいていの虫や草は無害なしろものであるけれど、それらを害虫、雑草として教育することは簡単だ。今の日本ではそうしているのだから、虫がうごめき夏草がはびこる景色は爽快なものではない。しかしながら、虫や草がない自然は、それが住宅地としても、けっして良い自然とはいえない。存在しない方が爽快だと感じる人が多いのは教育の過失というべきだろう。普通に良い自然と考えられているものが全然爽快とはいえないことぐらいは誰でもちょっと考えれば分かることだ。だから教育の過失という。ともかく、「爽快さ」という不確かな指標をひとまず脇においといて、よい自然というものを考えてみたい。


2009.8.26(水)はれ 手つかずの自然

人と自然がかかわる環境をテーマにする場合は、手つかずの自然をどう位置付けるのかが問題だ。全く手つかずの自然を最もよいものだとするのは、それこそ自然だが無理がある。神奈川県大和市下鶴間に人の手が入っていない場合、どういう自然環境になるかはわりと容易に想像できる。おそらくは全域が森林である。照葉樹、広葉樹がある塩梅で生えて土壌の条件等で針葉樹が混じっているだろう。神奈川一帯の鎮守の森や急峻な崖など斧が入っていないところでは現状でもそうなっている。大型の獣は、クマ、シカ、サル、イノシシなどが生息しているだろう。

そういう原始自然の状態を理想として、なるべくそこに近い環境が良いとする考え方もある。悪くはないが最高のアイデアとは思わない。堅守絶対でカウンターが下手なサッカーみたいなことになって面白くないからだ。現状からそこに向かってスタートするならば、風致地区を増やすこと、住宅の庭には手を入れないこと、そこにあり得ない動植物(家猫も含む)を持ち込まないこと、入っているものは駆除すること。というような、よっぽどのものぐさで猫嫌いか、我慢強く猫嫌いの人向きの行動計画を立てなければならなくなる。そのプロジェクトが大和市の住宅地で実現し、雑草も樹木もみごとに原生のものに置き換わったとしても、クマ、サル、シカは戻ってくるわけではない。鳥や昆虫なども際立った増加は期待できない。その計画が実現するころには、住民たちは猫が嫌いになり、そういうもろもろと一緒に暮らしたいと願うように教育されているだろうから、なんだこんなもんか、と落胆するかもしれない。

現状をざっと見渡すならば、このあたりは二通りの方向で環境が作られているようだ。一方は、上記の理想を追ってかどうか、緑地や空き地、庭に手を入れず成り行きに任せてあるもの。私の庭はけっこうこれに近い。一方は、外国にある砂漠か草原環境を目標にがんばっているように見える。砂漠や草原はからっと爽快な植生かもしれないが、夏の高温湿潤、冬期の低温乾燥とその間にもかなり雨が多い気候下では難しい。それらを大和市で実現するためには莫大なエネルギーがかかる。草の種はどこからともなく侵入し、初夏の高温多湿で一気に成長して茫々だ。たとえコンクリートやアスファルトで固めようと、雑草はその隙間をひろげて芽吹いてくる。そのへんの道路ですら、50年も放置すれば立派な林に変貌するだろう。砂漠風の環境は絶えず手を入れて光景を維持することに喜びを感じる人むきだ。

住民たちが、自分の立っているその場所がもともとどういう自然環境にあったのかを意識することは大切だ。自然の、その遷移の力は強いので、それに逆らった環境を維持しようとすれば、それに見合うだけのエネルギーを注がなければならない。原生自然の知識はその努力の大きさを量る目安になる。


2009.8.27(木)はれ 多様性

自然あるいは環境保護で「多様性の維持」というのがトレンドになっている。種のなかで遺伝的変異は多いほうがよい、ある範囲で生物の種類は多い方がよい、ある範囲で生態系は輻輳しているほうがよい、というようなことだろうか。それはきっと正しい考え方だと直感できる。

「多様=良い自然環境」という視点で大和市の住宅街を考えられないものか。どんな自然環境が生物の多様性に富んでいるのか、わかりやすいのは大型獣、希少種がいるかどうかだ。日本なら、クマやシカやサルがいるような環境は良いものだ。ツキノワグマが持続的に生きていくには大きなスペースが必要だ。この近辺で見渡せば半原越のあるあの山塊ぐらいは最低限必要だろう。それぐらいの面積でクマを養う区域には山あり沢あり木あり草ありで必然的にいろいろな自然環境に恵まれているだろう。クマがいれば、シカもサルも、もっと小粒のリスやネズミは無数に生きている。クマ1匹の後ろには1万匹の獣がうろついていると見て間違いない。

クマがいる自然環境を大和市の住宅地に求めるのは難がある。そもそも道路をクマやシカがうろつくようではアラスカや奈良ではないのだから迷惑このうえない。ただ、クマがいなくてもクマが住む自然環境に匹敵する多様性を持っている場所がある。四国、九州ではツキノワグマは絶滅しているらしい。環境はあっても歴史的に人間が追い詰め殺したのだろう。クマがいないからといって、四国九州ひっくるめても自然環境で半原越にかなわないのか、というと決してそのようなことはない。また、良い環境とはいってもそのスケールの問題でクマやサルの群れを養うことができないエリアもある。クマを養える環境がぽつぽつと離れ小島のように点在していてもクマは生きられない。日本の平野部のほとんどがそういう環境であろうと思う。大きな獣がいれば、その周辺の自然環境は多様性に恵まれているといえるが、逆は必ずしも真ではないのだ。


2009.8.28(金)はれ 開発で失われる自然

ぼんやりと「開発で自然が失われる」などといわれることがある。私の住むところでも、そのようなことが起きている。目立つ生物のうち、この数年で姿を消したのはタヌキとカッコウだ。両方とも宅地開発で住みかがなくなった。森が切り開かれ動物が追われるというわかりやすい現象だ。カッコウはたぶんオナガに托卵していたのだろう。林がなくなりオナガの巣もなくなった。両者とも移動を余儀なくされた。オナガとカッコウは飛んで渡って行かれるけれど、タヌキの方は生き続けるのに厳しいものがある。ドングリを拾いミミズを掘れる緑地は近所にはない。もっとも近いところは国道246号線を越えなければならない。移動の途中で車にひかれる危険性は大きい。ゴルフ場ならなんとかやっていけそうな気がするけれど、うまく入りこめるものなのだろうか。

ここ数年でそうなのだから、私の家が建った30年ぐらい前だと、もっと多くの動物がいただろう。キツネ、イタチ、ウサギ、ムササビ、リス、鳥だとオオタカなんかもいたはずだ。私はそういう動物がいなくなったからといって、この大和市の自然環境が悪くなったとは思わない。生息場所が分断され、餌がとれなくなり、♂♀が出会えず繁殖できなくなり、少ない子どもは交通事故で死ぬといったことで動物は滅ぶ。ただ、それは当の動物にとっての環境が悪いだけで、人間にとっても自然環境が悪くなったとはいえない。

タヌキたちだって、人間をむやみに恐れたり、逆に無批判にすり寄ってはいけないとか、食っちゃまずいものを拾い食いしてはいけないとか、道路を歩くときは気をつけるとか、育児用の穴を用意してもらうように市役所に働きかけるとか、そういう甲斐性があれば現状の自然環境でもきっと生きて行かれるはずだ。タヌキにそれができないようなら、ある程度までは人間のほうで用意してやることもできる。ツキノワグマのように人間の住宅がない20平方キロの山林などを要求されると無理だ。大和市から住民がいなくなってしまう。

大和市下鶴間では、どの動物を排除して、どの動物と共存して行くかは人間の算段にかかっている。問題は、だれも算段していないところだ。そもそも、どの動物と共存したいかというぼんやりとした意識もないだろう。


2009.8.29(土)はれ 半原越21分23秒

いつもの棚田脇から向かいの山を眺める。ちょうどバリカンの最初の一撃のようになっている部分がある。数年前に皆伐されたところだ。幅は30m、長さは300mほどだろうか。おそらく、紙の原料のために二束三文でうっぱらったのだろう。伐採後も植林するでなしほったらかしだ。この辺の林は大半が何十年かごとに更新されてきた二次林だ。一昔前なら杉や檜を植えるのがよかったが、今ではどうなんだろうか。

現状では伐採跡の全体は低い樹木で覆われている。薄いピンクに見えるのは成長の早いクサギだろうか。ずいぶん数が多い。クサギはパイオニアで、開けた所にいち早く入り込み成長をとげる。クサギ以外にも樹種は多いようだ。遠目にも枝振り葉の色がずいぶん異なっていることがわかる。最初は赤茶けた土と切り株と枯れ枝しかなかったところが、速やかに緑の林に変貌しつつある。あと30年もすれば周囲の林と区別がつかなくなるだろう。

この一週間ばかりは明らかに体調不良だった。今日の半原越は最初からもっとも軽いギアだけで普通に行こうと思っている。自転車は半原2号。ギアは39×25Tで1.5倍よりやや重い。半原越ならこのギアがあればダンシングは不要だ。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'40"4'40"15.215277
区間29'56"5'16"13.416868
区間315'06"5'10"13.716870
区間421'23"6'17"11.317657
全 体 13.216768(1457)

丸太小屋の急坂を過ぎてV3の心拍数を見ると170bpmにしか上がっていない。そのまま、180のレッドゾーンに上げないで行ってみようと思った。かつてAT以下で登ったらどうなるかやってみて29分ぐらいかかった覚えがある。区間4で今日もニホンザルの群れに会う。ここは君たちの場所だと胸の中で言う。心情的にもそうであるし、法律的にもそう定められている。私は週に1時間ぐらい自転車でおじゃまさせてもらう。

180bpmに行かなければ楽なもんだ。ひとたび180を越える強度でがんばってしまうと止まるまで心拍数は落ちない。170程度であれば、ちょっと力を抜くと数字もすすっと落ちていく。その辺でやってくのが上手な走り方なのだろう。TTのときはそんなことは言ってられず、燃え尽きる寸前でゴールできる案配でやらなければならない。ところで次はいつ半原越TTをやるのだろう? それはともかく、この心拍数でこのタイムはけっこうやるじゃんオレッと感じた。


2009.8.31(月)雨 人が作る多様性

人が生活すれば生物の多様性は小さくなる。アマゾンなどの熱帯雨林はテレビで見るほどではないけれど、獣、鳥、昆虫がうようよいる。スマトラ山中の一泊500円ぐらいのバンガローだと、それこそ信じられないぐらいの数の虫けらが部屋に入ってくる。飛び回るもの、かさこそ這うもの、くっついているもの、さすがに私もうんざりし、巨大ムカデにおびえることになる。そういう場所に比べると神奈川の住宅地は寂しいかぎりだ。部屋の中にいるのはゴキブリ、クモ、カマドウマ、ショウジョウバエ、メイガ、迷い込んだヤモリぐらいのものだ。

人のせいで生物多様性は必ず損なわれるかというと、そうでもない。人の生活によって多様性が増す場合もある。近年、里山という奇妙な名称がついている「里」はその例だ。人が住むと森を切り開き、田畑と住宅を作る。動植物には森林には適応できないものも多い。氾濫原や焼け跡、地滑り跡などの草地、灌木林に細々と生きているものどもが、人が森を切り開くことで大きな生息地を得ることになる。田畑や住宅にはえさ場もできる。人為的環境は農業害虫であったり、ゴミだめや富栄養の水をすみかにする陰気系の虫けらの住処である。そういう陰気系を狙って陽気系もやってくる。スズメ、ツバメは里を住処とする生き物の代表格だ。

人の生業にともなって多様性を増す環境の最たるものは田んぼだろう。北海道と愛媛県の一部地域をのぞけば、日本の里ではもれなく田を作り稲を育てる。田は山から水を引き一時的に浅い止水ができる。すると、もともと数限られた水たまりで生きていた虫けらが田に集まってくる。浅い止水は危うい環境で、彼らは危うさに適応し、耐久力、移動力、環境発見力にたけている。水辺という、もともと存在しなかった特殊な環境が作られるのだから多様性は増す。森林棲のものたちは少しばかり里から山へ追われることになる。ただ、日本の田の面積からすれば、田によって失われる自然は多くないと思われる。里から山に追われたものも、里の環境になれて山から下りてくる場合もある。シカやサルは近年では半分害獣である。キジバトやヒヨドリは今ではすっかり都市鳥だが、つい50年ほど前は山里の鳥だったという。


2009.9.1(火)くもり一時雨 ビオトープ

人が息づけば環境が変わる。それは何をどうしようと必然として起きる。変わった環境には、そこに適応した生き物が住む。適応とは、その場所を見つけそこで命を繋いでいくことをいう。最近つかわれているビオトープという言葉はそういう意味だ。人の目線から環境を見れば、それは裏山であったり里であったり都市であったりするけれど、虫けら目線で同じものを見たときに、それをビオトープという。

田んぼは、アマガエルビオトープであり、ウスバキトンボビオトープであり、イチモンジセセリビオトープであり、ツバメビオトープである。かつてはドジョウビオトープでもあった。農家のゴミ捨て場はダンゴムシビオトープ。排水路はイトミミズビオトープ。住宅はゴキブリビオトープになる。

大和市のような都市の住宅街でも同じ事が言える。どんな環境であれ生物は適応してくるから、そこはビオトープである。ただ、それを普通はビオトープと言わない。かんかん照りのコンクリートは放置しておくとダイダイゴケという地衣類がつくが、それをダイダイゴケビオトープとは言わない。日影のコンクリートは放置しておくと緑藻がつくが、それを緑藻ビオトープとは言わない。ビオトープと言うか言わないかは意識するかしないかだけの差だ。生物を意識して呼び、守れば、何がいようとそれはビオトープだ。私の家の門柱はダイダイゴケビオトープであった。日の当たる庭の土を耕してどんな草が生えるかな? と楽しみにしておればそれはきっとメヒシバビオトープになる。

水たまりを作って草を植えたものをビオトープとよぶけれど、それは効果がよく見えるからだ。微生物は移動力にすぐれ、環境発見力がある。水は瞬く間に植物プランクトンでいっぱいになり、ミジンコが泳ぐようになる。すぐにカやユスリカ、ガガンボ、アブが産卵し、こまかい虫けらがわいてくる。トンボもすぐにやってくるだろう。カエルも来るかもしれない。見栄えがよいから、そういうものはビオトープとよばれやすく、業者もそれを売り込み、行政も業者に乗っかる。かくて、学校やら公園やら企業やら一般家庭やらに水田雑草とメダカの池が広まることとなる。


2009.9.2(水)くもり一時雨 わが家

私にとっては家屋も庭もビオトープだ。雨水タンクとか気のきいた池とか誘致樹なんてものはないけれど、草木も虫もそれなりに寄って来る。アマガエルが欲しくて雨水を貯める収納ケースを庭に埋めた。降水量を蒸発量が上回る場合は砂漠気候になるというが、わが家では日本各地と同様に降水量が上回っており水は涸れない。アマガエルの誘致は実現していないが、トンボやガガンボはそれなりに発生し、アシナガグモが巣を張り、アズマヒキガエルが産卵している。浅い水たまりというのは非常に危うい環境だ。人工的に水をためて草を植えた環境は不安定で刻々と変化する。だからこそ、水辺ビオトープは商売にもなり面白くもある。私は微小な費用と取るに足らぬ手間で、水たまりからさまざまなことを学んだ。

生ごみビオトープも愉快だ。野菜や果物のくずをコンポストに入れ、密封せずに出入り口を確保してやると無数のショウジョウバエ、コウカアブがわく。当初の目的はカエルの餌の確保であったがカエルがいないこと、ときどき野菜くずを補充するのが面倒で1年で中断した。こちらはやる気になれば速やかに再開できると思う。枯れ木ビオトープも愉快だ。ムクゲやモッコウバラは年に2回ぐらい剪定が必要だ。コケとハコベの観察用に背の高くなる草を除去する一角がある。ヤブガラシは1本を残して他の芽は引き抜く。チヂミザサはズボンに種をつけることに腹をたてて抜くことにしている。アサザは夏場はすぐに水面を覆うから、週に一度は除去しなければならない。そういう木の枝やら草やらを積んでおくと、その中に虫けらが住みつく。ねらいはハサミムシということにしているが、本当のところは草木をゴミとして捨てるのが面倒なのだ。

古い航空写真を見るならば、この敷地は平地林だった。その時点のレベルの生物多様性は確保できない。建物は一度さら地を作ってから建てるものだ。道路は地面を削ってアスファルトを敷いて作る。水路はパイプを通すかコンクリートで作ってふたをして太陽光が届かなくしてある。住宅街は生物多様性が根本的に失われたところから出発する。そこに人が住み活動を始めることで、対応した生物が住みつくことになる。中には住人から歓迎されないものもあるだろう。生垣には蜂が巣を作り、芝生には雑草が混じり、くぼみの水たまりから蚊がわき、台所にゴキブリが住まうだろう。

「良い自然」と言ったときに、それを最大の多様性を追求することとすれば、感情的な反発がある。もちろん論理的にも破綻している。無理な生活を強いられる環境が良い自然なわけがない。人はパンのみに生くるにあらぬように、虫けらの幸福を第一に生きることはかなわないからだ。


2009.9.3(木)くもり よりよい自然

住宅地の自然は、完全に人の選択による結果だ。人は自分の都合と爽快さをもとに自然環境を作る。多様性は0からスタートして、住民の都合と爽快さに応じてどれほど大きくなるかが決まる。近所の宇都宮さんのように広大な庭をもっておれば、1戸の私邸でもタヌキが繁殖しカッコウが巣立つことも可能だ。わが家にやってきたアカガエル、シュレーゲルアオガエル、アズマヒキガエルの供給源だったかもしれない。

タヌキはともかくとして、ヒキガエル程度の虫けらであれば、たいていの住宅地では努力によって共存可能だと思う。やつらが必要とするのは、繁殖用の小さな水たまり、トビムシ、ワラジ、ヤスデ、ミミズが豊富にわく茂み、隠れ家となるくぼみ、越冬用の柔らかい地面だ。それはあきれるほどささやかなものでよさそうだ。コウモリより大きな哺乳類は難しいかもしれないが、爬虫類、両生類ぐらいはうろついていたほうが住宅地にも艶がでると思う。

私が物心ついたのは高度経済成長期にあたる四国の片田舎だった。ちょうど人間と虫けらが手を取り合って生きた時代の末期で、風景はいまとそれほど変わりなくとも、住宅周辺の生物多様性は異次元の大きさがあった。そして、昭和40年代の半ばから、生産活動、生活廃棄物の処理、上下水道、電気、交通手段など人のライフラインの変化が、ことごとく虫けらを追いつめて行くのを目の当たりにしてきた。

人にはおそらく物心ついた頃の環境がよいものだという意識があるだろう。間接的な体験も加わり、原体験として自然観の根底を形成していることと思う。私には、いま里山とよばれている田舎の環境も半端物としか思えない。ましてやヘビもカエルも見当たらず、蛾も飛ばない大和市の住宅地は居心地が悪くてしょうがない。きっと今の若者たちはこの自然環境を悪いとは思っていないだろう。私の想起するよい自然ですら、江戸時代の住人からすれば殺風景なものでしかないように、次世代は私が物足りなく感じる現状の自然環境をスタンダードとして生きていくことになるのだろう。

生活空間なのだから、そこに虫けらがいなくてもよいのだろう。自然環境は、人が意識しようとしまいと、人の活動にともなって形成されるものだ。これまではそれで良かった。もしかしたらこれからもそれで良いのかもしれないが、どうにも気持ちが悪くてしかたがない。他の生物の存在を無視し人の都合のみで造った環境にたまたま適応できる虫けらとだけ共存していくのでかまわないのだろうか。自然のことは自然に任せればよいという発想は仏教でいう悪取空みたいなもんだと思う。なぜならば、ヒトがヒトらしく生きる原点は自然の理解にあるからだ。農業がまさしくそうであるように文明は自然を理解し利用することを礎にしている。自然を理解した上で、特定の動植物を不必要あるいは有害と決めつけて排除するならかまわない。それは万物の霊長であるヒトの特権だ。けれども、虫けらの存在を無視している間に生物多様性が小さくなってしまうのは悲しいことだと思う。いてもかまわない虫なら意識していさせてやればよいではないか。アオダイショウやヒキガエルなんかはまさに無害で愛嬌のあるよき隣人だ。住宅地の生物多様性を大きくするためには知識も技能も必要で、民度も高める必要がある。挑戦しがいのある事業と思うのだが。


2009.9.5(土)晴れ 半原越20分48秒

ステムとハンドルバーを換えた半原1号で半原越。最初は、あれっと思った。なんだかずるずる後輪を引きずる感じがする。ブレーキがかかっているわけでもなく、空気が抜けているわけでもない。タイヤはすり減って扁平だ。タイヤかフレームによる気のせいかにして気にしないことにする。ところが、登りにかかると異常に調子がよい。力が出すぎて速すぎると感じる。この1週間ばかりステロイド(ただし塗り薬)を使っているから、もしかしてドーピング? などと疑う。

荻野川の田んぼではヒガンバナが咲いている。稲も色づきすっかり秋だ。気温は32℃。私にとっては涼しいほうだ。昨夜は、26×19Tで行こうと思っていた。やってみると軽すぎる。まずは16Tにかけてスタートだ。それでギア比は39×24Tに相当する。とりあえず、区間1は16Tのままで過ぎて、区間2の入り口の丸太小屋の坂は19Tを使う。やっぱりこれぐらい軽いギアがあると楽だ。坂の出口は左右を秋海棠のピンクの花が埋め尽くしている。秋海棠はどんどん増えている。丈夫な花なのか、誰かの好みか。15T、16T、17Tを適当に使って、区間4は19Tで通す。20'48"と72rpmは悪くない数字だ。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'33"4'33"15.6-76
区間29'37"5'04"14.0-73
区間314'31"4'54"14.4-73
区間420'48"6'17"11.3-65
全 体 13.2-72(1491)

帰宅してから、こちらもハンドルバーとステムを換えたナカガワで境川。苦労した甲斐あって、ものすごくかっこいい自転車になったと思う。ポジションもばっちりで、向かい風を32km/hほどで快走していると、左の膝が痛くなってきた。「ちょっとがんばりすぎか、ドーピングの副作用か?」ぐらいの感じであまり気にせず、折り返し点で自販機のアミノサプリなんぞを座って飲んだ。さてと立ち上がり、ひとこぎすると激痛だ。左脚に全く力が入らず右脚だけで回す。力を入れなくても伸縮だけで痛いのだから困ったもんだ。ピキッと来たのではないからおっかない故障ではないと思う。

今日はスタートから左右の脚がばらばらに動いているような違和感があって、その修正のためにいびつな膝の使い方をしたかもしれない。過去に同様の痛みといえば、30kg ぐらいの荷を背負って山を縦走しているときに感じたことがある。札幌時代に、重いギアで無理に支笏湖に通っていたときも同じ箇所に同じ痛みが来た。普通に歩く分には支障がないが、ペダリングはだめだ。自転車も1日3時間ぐらいに止めておいた方が健康面ではよいのだろう。


2009.9.9(水)くもり 代々木公園のアオマツムシ

次男がこの夏生まれのヤモリを飼育している。そいつ用の餌をいつも探している。餌はメイガなどの小さなガが主なものだ。田舎の田んぼあたりではいくらでも手に入る虫だが、住宅地ではめったに見つからない。

たまたま午後7時ごろに渋谷の代々木公園に行く用があって、ついでに虫を捕まえようとフィルムケースを準備した。代々木公園ぐらいの面積の草木があれば、小さな蛾ぐらいはいくらでも手に入るはずと皮算用していた。ところが、代々木公園ですら街燈の下には全く虫が回っていない。蚊もたかってこない。

かといって代々木公園に虫がいないわけではない。姿は見えないけれど、おびただしい数の虫が鳴いている。木の葉にすむアオマツムシだ。そのやかましさは恐るべきものがある。右からも左からも前からも後ろからもビィービービーッという耳障りな連続音が鳴り響く。鳴き声の主がどの木、どの枝にいるのか特定することは全く不可能で、もはや虫が鳴いているというよりも林が鳴いているという様相だ。

市街地で夜に鳴く虫ではコオロギがいる。コオロギのうちの数種類は都市環境にも良く適応している。代々木公園にはコオロギが少ない。公園管理の方針からか大木の下草は短く疎で、土は固くなっている。食べ物や隠れ家の不足からコオロギの生息に適さないのだろう。代々木公園でも背の高い草や灌木が茂っているところではエンマコオロギなどの声が聞こえる。アオマツムシとは音域が違うためか数が少なくても声は通って来る。コオロギの声は足元から1つか2つ聞こえてくるぐらいが風流だと思う。

アオマツムシの、もっぱら樹木を住処にするという生き方は、土も草も穴も少ない都市にマッチしている。活発に飛び回ることもないから交通事故の心配もない。明りに集まる習性もないから光害の心配もない。街路樹等にはクモやカマキリ、スズメバチなど食虫性の虫は多くはない。鳥から身を隠す方法も心得ているようである。アオマツムシの幼虫〜成虫期の梅雨から秋にかけては、ちょうど都市の鳥は子育てが終わって梢の虫をやっきに探索しないシーズンのようにも思う。

アオマツムシの隆盛を脅かすものとしては、アオマツムシを内部捕食する寄生虫ぐらいのものであるが、そいつが吸蜜する必要があるとか街燈に寄ってしまうとか、都市に不向きな虫であれば、代々木公園のアオマツムシは手がつけられないことになってしまうかもしれない。数さえ多くなければおじゃま虫ではないはずだけど。


2009.9.13(日)晴れ 半原越20分18秒

ヒキガエル

空はすきっと晴れて青く風もない。半原越のある山並みの空をトンビが飛んでいる。いや、遠すぎて尻尾の形が見えずトンビかノスリか自信がない。あちらにはこっちの目の動きまで見えているだろう。すっかり秋景色になってしまった神奈川のいなかを半原2号に乗って半原越。いつもの棚田の一番上の田もようやく花が咲いている。稲にはちゃっかりイナゴがはりつき、イチモンジセセリもいる。いわゆる害虫だけど、農家が気にする数でもない。ミヤマアカネが連結したまま穂の高さでホバリングして腹を振っている。用水の取り入れ口で、ちょうど一株分の稲がなく空間がひらけているところだ。きっと産卵しているのだ。しかし、私の目には卵らしいものはさっぱり見えない。ミヤマアカネはまだ赤色ののっていない未熟な個体もちらほら見える。発生期が長いのだろうか。

半原越は普通にやってみる。39×25Tに入れてシッティングだ。ときどき短く(3秒ぐらい)ダンシングを入れてインターバルをかけるほうがタイムが良くなるかもしれないと妄想したが、つらそうでやめた。今日のような調子で20分台をうろうろしておればまずまずだと思う。体力増強をはからずに技だけでタイムを縮めようという目論見はどこまで通用するのだろう。道路をアオダイショウやらカマキリやらがぽつぽつとうろつくようになっている。半原越も秋である。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'32"4'32"15.616279
区間29'37"5'05"13.917771
区間314'25"4'48"14.817975
区間420'18"5'53"12.018761
全 体 14.0-72(1454)

半原越から帰って庭をチェックすると、ヒキガエルが見つかった。朝に池の中に入っていたやつだ。昨夜の雨に浮かれてミミズでも食べにやってきてそのまま池に浸かっていたのだろう。メダカの子にエサをやるのにじゃまだから手ですくい上げて池の脇に置き、たまたま枯れたスイレンの葉が2枚あったから、いたずらしてカエルの上にかけてやった。そのまま放置し4時間後に再び見に来ると、まだその場所にいる。半分土に埋まっているから、どうやら潜ろうとしたらしい。危機感のなさはさすがヒキガエルだ。この庭にはこんな感じで常時何匹か潜っているのかもしれない。


2009.9.19(土)くもり 素人写真

ハナグモ

庭のヒナタイノコズチにクモがいた。ハナグモの一種だと思う。ヒナタイノコズチは地味な花だがよい蜜が出るらしく各種の虫がやって来る。このクモがこの花にこの姿勢で待つのは理にかなっている。いかにも「擬態しています!」という表情がなんともユーモラスであるけれど、クモにしてみれば大まじめでこういうポーズをとっているのにちがいない。この花には虫が多いこと、このポーズは気付かれ難いこと、私にはそのことがわかる。クモの気持ちがわかるというのも不思議なもんだ。

私は毎朝30枚ぐらいはこんな写真を撮っている。デジカメになって撮影コストが下がり、フィルムのころの100倍ぐらい撮るようになった。数を重ねれば歩留まりを上げるコツもわかってくる。この写真はニコンD100にタムロンの古い90mmマクロで撮った。常用している取り合わせだ。ストロボは自作デフューザをつけたものを正面から1灯。手持ちだからぶれないように1/160秒で、F22まで絞っている。暗くなりがちなスポット測光でも、この距離だと花が白飛びするから、1段ほどアンダーにしている。

プロはこういう写真は撮らない。同じシーンを撮ったとしても、こういう写真にはならない。とくに背景が真っ暗なのは不自然で陰気だから、三脚をつけてシャッタースピードを落として背景も明るくするだろう。それができなくても、ストロボをもっと増やして朝の太陽光を演出するだろう。もしかしたら、背景にピンぼけの草むら写真を置いて雰囲気を出そうとするかもしれない。そういうわざとらしいことをやった方があがった写真は自然に見えるからだ。いくら花とクモがちゃんと写っていても、夜のように雰囲気の悪い不自然な写真では売りものにならない。プロにとってはそういう写真は手持ちに無いことに等しい。

素人でもプロのまねをしてプロっぽい写真を撮ることは難しくない。機材だって素人のほうが高価なものを揃えていたりする。運が良ければ感動的に綺麗な写真があがるかもしれない。できあがった写真でプロと素人の区別をすることは不可能だと思う。だけど、プロと素人は決定的な差がある。

プロは自分の写真の隅々まで、なぜそういう風に写っているのかを説明できる。自分のカメラやレンズの特性を熟知している。たとえば、ニコンD100+タムロンSP90mmマクロの取り合わせだと、レンズ前25cmというように、そのセットが最も得意な撮影距離というものがある。もっとも綺麗に写るシャッタースピードと絞りの組み合わせがある。それを外せば画質がどう変わるのか熟知しているのがプロだ。私もこのレンズで10000カットぐらいは撮っているから漫然と相性のようなものがあることは気付いているけど、その原因を理論的に説明できないし、相性をいかした撮影をしようとも思わない。永遠に素人であり、それでいいと思っている。


2009.9.20(日)晴れ 半原越20分5秒

ハナグモの気持ちがわかると言っても、それは独断に過ぎない。私個人の独断ではなく人間の独断だ。そもそもわかるということの全てが人間の独断である。科学でもそれはまぬかれない。わかるというのは、悪い言葉でいうならばつじつまをつけるということに等しい。カントは物自体のことはわからないといった。それは真理だ。しかし、カントが何を指して物自体と言ったかということもわからない。物自体が何かということをわからずに、その言葉を発明したのだ。結局人は物自体が何か永久にわからない。どこからが物自体の世界か知ることができずに、物自体の世界に向かって無限に遡及して行くことになる。

8月はちっとも夏らしくなかったのに、9月はこんなに秋らしくていいのだろうか。空の青さも筋雲も台風も秋だ。いつもの棚田も水が落とされた。いよいよ収穫だ。ミヤマアカネはあれっ?という感じで黄色くなりかけた稲の葉に止まっている。

今日は半原1号だ。スタートは26×16Tに架ける。軽いのか重いのかいまいちわからない。区間1はそれで行って、区間2の入り口の丸太小屋の登りは19Tを使う。その後は15Tか16Tを使ってそれなりに。区間4は19Tか21Tかと予想していたが、入ってみると17Tで行けることがわかった。この1.5倍くらいの少し重いギアで行けるというのは、そのままのギアで立ちこぎができるというメリットがある。区間4で5'42"は新記録だ。登る秘訣はやっぱり体脂肪を落とすことか。3%で時速1km。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'28"4'28"15.9-77
区間29'31"5'03"14.0-71
区間314'23"4'52"14.5-70
区間420'05"5'42"12.4-64
全 体 14.1-70(1421)

帰宅して軽く昼飯を食って半原2号に乗り換えて境川。半原越でけっこうがんばったので40kmだけ走る。1.5倍でいいのならと、半原1号のフロントを34Tのシングル、リアを12〜27Tに変更した。


2009.9.22(火)晴れ 半原越19分23秒

いつもの棚田は下の6枚が刈り取られ稲架がけされた。成長の悪い一番上のだけが田に植わっている。その稲の間をタンデムになった赤とんぼが飛んでいる。どうもナツアカネらしい。タンデムのまま腹を振っているのは産卵だろう。色づいた稲が立っている田に水はない。卵は乾いた土の上に落ちることになる。ナツアカネならば土の中で冬を越して、春に水が入って孵化すればよいから、彼らの産卵は無駄にはならないだろう。

水田に象徴されるように湿ったり乾いたりすることは、浅い水たまりのさだめといえよう。そういう環境を利用するトンボも多い。問題は乾いた所に産卵する親の気持ちだ。彼らが羽化したときは、そこには水があったはずだ。通常であればトンボの産卵は水があるところに行われるべきである。水がなくても、つやつや光る自動車とかビニールシートとか、水の属性を有するものに産卵するべきである。それなのに、乾いた場所に産卵できるのはなぜか。この地上の大半は乾いている。その乾いているところの大半はヤゴの生育に適さない。産卵のときには乾いていても春には水がたまるという、ごく限られた場所だけが利用可能なのだ。

いうまでもなく、トンボはやがてそこに水が来ることを知らない。それどころか自分が産卵していることすら知らない。稲の間を飛び交うナツアカネを眺めているうち、その気持ちは二通りが考えられることに気付いた。一つは、自分が生まれた場所に忠実に産卵することだ。水があろうとなかろうと、生まれたところに帰ってきて卵を産み落とす。そういう習性であれば命をつなぐこともできる。一つは、田んぼには水があるもんだと感づいていることだ。いまは乾いているが、数週間前には水が張られており湿り気は残っている。少し雨が降れば水はたまるだろう。ナツアカネがその辺の山から下りてきたときはまだ水があったはずだから、水田と水は連結して意識されているということもありえる。しばらく観察していたけど、刈り取りが終わった田では産卵していないようでもあった。その観察が正しいならば、後者が可能性として高いかもしれない。

半原越は半原1号のギアを変更したのに伴って、重いギアで攻めてみることにした。スタートは34×17T。2倍だ。スタートの10mの急坂をダッシュ。橋1までのうねり道路で重いギアを無理に踏んでスイッチが入り、完全にTTモードだ。丸太小屋の坂も2倍のままダンシング。心拍数はたぶん190bpmに達しているだろう。今日は測ってないけど。私のTTモードというのは、行けるところまで力一杯やって、動けなくなったらあきらめる、というシンプルなやりかただ。時計だけ欲しければ一番手っ取り早い。区間3を14分以内だから20分は切れるペースだ。ただ、区間4で死んで完全に脚が止まるかもしれない。ともかく17Tではぜんぜん踏めないから19Tに落とす。そのままほとんどダンシングでゴール。時計は19分23秒。新記録だ。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'12"4'12"16.9-67
区間28'59"4'47"14.8-59
区間313'44"4'45"14.9-59
区間419'23"5'39"12.5-56
全 体 14.6-60(1165)

帰宅して半原2号に乗り換えて境川。南風が強く小雨もぱらついて来た。いくらか青空も見えており軽い通り雨だ。それなのに雨粒は大きく冷たい。上空はけっこうな上昇気流があるのだろうか。100kmほど走って、風もないところでどれぐらい出るかと回してみた。瞬間最大速度で46km/hだった。これにはちょっとショック。衰えるものだ。若い頃は通学用のミヤタの黄緑色カルフォルニアロードで踏めば50km/hは越えていた。当時はサイクルコンピュータなんてこしゃくな物はなかったから、オートバイとの併走だ。もう30年も前の話である。


2009.9.28(月)晴れ ぼけ連発

この3日ばかり、ぼけ症状を連発した。銀行の現金自動払い機でキャッシュカードを使えば、出てきた現金を取り忘れて、紛失。新宿駅で定期券とパスモを使って乗り越し精算をすれば、定期券を紛失。あきらめてその日のうちに定期を買い直したところ、すぐに紛失定期が見つかり駅で保管してあると連絡が入った。しかし、買い直して重なった分は戻らない。けっこうイタイ出費となってしまった。

女房はやさしいから「そんぐらいぼけたほうが普通になっていいんだよ」というけれど、この頭の悪さはかなり深刻なものと自覚している。現金等の紛失はよけいな損失であるし、昼間に東急ハンズで買ったものを夜には覚えていないというのもまずい。同僚の名前をど忘れしているのも気まずいし、話題になった新しい人物の名前を30分後に思い出せないようだと、これで社会生活が営めるのかと不安の入道雲がむくむくとわき上がる。

ぼけるとか頭が悪くなるのは年齢のせいか、何かの病気のせいだ。だからしかたがない。としても致命的なミスは避けたい。現金や定期券の取り忘れは、現状程度のぼけなら防げるミスだ。それは何十回、何百回と行っている単純な作業で、そこに心がなかったために起きた失敗だ。禅でいうところの、迷いがあるからそういう失敗が起きる。この2つの取り忘れには共通点がある。現金の場合は領収書をとって、それに気をうばわれた。定期券では精算券をとって安心していた。領収書や精算券に気を回すのは普通のことだが、そのとき私は未来のことを考えていた。思考内容は、券を見ながら心捕らわれるような筋合いのものではなかった。現金や定期券を回収した後にやればよいことだ。そういう迷った行動をしていても頭がしっかりしておれば痛い失敗にはつながらないものだ。いまや頭のよい人間ではないのだから、これからは簡単な作業でも指さし確認風にこなしていかなければひどい目にあうはずだ。


2009.9.29(火)雨 9月のジョロウグモ

ジョロウグモ

9月も終わりになって、庭のジョロウグモがジョロウグモらしい姿になってきた。横から見たときに腹が四角形になり、赤い色が目立つようになってきたのだ。ジョロウグモといえば秋のクモ。今年も私の生活圏ではこのクモが無数に育っている。ただし、私の庭ではメスはこの1匹だけである。

夏の初めにはけっこうな数がいた。そのうち何匹かは脚が欠け落ちていた。うまくすれば脚が再生する様子を確認できるかと甘い考えも持って、毎朝観察をつづけていた。ところが、台風が最接近したあの日の朝、彼らはことごとく姿を消してしまったのだ。雨風によって巣が破られ、木陰に避難したものの、そこで何かに食われて命を落としたか、生き延びても巣を再建するだけの体力はなかったものと見える。成長したジョロウグモの巣はかなりの風雨に耐える。クモ自身も堂々と巣の中心に居座って、風に揺れ雨に濡れて悪天候をやり過ごす。それが彼らのやりかただ。丈夫な巣を作れないやつは小さな台風程度でも命取りになる。

今年は、彼らのあっけない失踪をうけて少し反省するところがあった。クモの死は私の敗北でもある。ジョロウグモの欠けた脚が再生できるかどうか見届けるには実験的環境を用意し彼らの事故死を防がなければならない。


2009.10.1(木)くもり 禅と悟り

現金や定期を取り忘れたことからもわかるように、私は悟っていない。今朝も、駐輪場に自転車が見あたらず、盗まれたのだとがっくりしていたが、夕方になっていつも駐輪しているのと少し離れた所に当の自転車を発見して、ほっとするとともに、朝には見つけられなかったことにいっそうがっくりしてしまった。やはり禅でいう悟りの境地は遠い。

禅のことをいろいろ調べてみると、悟りというのは理論的には全然難しくないことがわかる。もとより、禅は無意味である。昔からある公案という有名な禅問答のなかで意味のあるものは一つもない。無意味なはずの問答を普通の人間のことばで解釈すると極めて難しいものになる。

普通には、わかるわからないということは、その対象の理由や目的を明らかにすることをいう。または、何かのグループ(集合)の包含関係を決めることをいう。たとえば、このチョウはアゲハの一種だな。というとそのチョウがわかったことになる。そういうわかり方の一切を禅は拒否しているように見える。そういうわかり方をしないように厳しい訓練を積んでいるのではないかと思う。禅問答とはそんな境地にある人達のものの理解のしかたなのだとすれば、難しいことは何もない。難しいのはそこに至ることだ。

物自体はわからないというが、理由や目的、包含関係を使えば、それはわからないに決まっている。過去のこと、未来のこと、空間的に離れた所にあるもの、そういう異次元のものから、その対象を浮き彫りにしたとて、その対象自体が何かがつかめるわけがない。つかめないからといって、それが無であるかというと、決してそうではなく生々しい存在感は、まさしくそのつかめない対象そのものとして、そこにある。それこそが物自体。ほんとうはそれのみが意味のあるもので、実際に日常に形成しているものなのだと禅は気づき、それをダイレクトにつかみ取る、つまり、悟りの結果があの荒唐無稽な問答になったのだと私は解釈している。


2009.10.3(土)くもり 半原越20分25秒

ハラビロカマキリ

空模様も天気予報も雨が降る気配満点だ。雨の日は自転車が少ないなあと、半原1号で半原越。それほど気温が低いわけでもなし、みんなもっと雨の楽しさを知った方がよい。車輪は滑るけど。立ちこぎするだけで後輪が空転するけど。

いつもの棚田は下の6枚の稲がもう撤去されている。先週来たときは、稲架に掛けられていたのだが、今日はその稲架だけが残っている。大工仕事に使うような鉄製のものだ。木や竹のものよりは作りやすいのだろうか。情緒はないなと思う。

半原越は34×21Tの固定でやってみることにした。区間1ではこのギアは軽すぎるように思う。軽ければ90rpmぐらいに上げれば良さそうなものだが、そうは行かない。なぜだ?としばし悩む。おそらくトルクの問題だろう。中程度の負荷をかけなければならないとき(今日の例では5%程度の登り)では80rpmがやっとだ。時速16kmぐらいしか出ていないのに脚が綺麗に回っておらず力が逃げている感じがする。回転数を上げればもっと悪くなりそうだ。前回の2倍のギアでは、同じ所を同じ速度でもうまく足にかかっている感じで踏んでいけた。私の場合、半原越では60〜70rpmで走るのが最適らしい。無理にスピードを出したわけではなかったが、区間4は6分を切っている。立ちこぎもラストスパートまで使わない。この秋、一皮むけた走りになっているという自覚がある。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'44"4'44"15.0-73
区間29'42"4'58"14.3-70
区間314'37"4'55"14.4-71
区間420'25"5'48"12.2-60
全 体 13.9-68(1397)

降り続いた雨で路面は濡れて落ち葉がアスファルトにはりついている。秋の風情である。ときおり目につく緑のものは自動車に轢かれたハラビロカマキリだ。ハリガネムシもろともやられているものが多い。ハリガネムシにとっては「秋まで来てこれかよ。もっとしっかり生きてくれよ」と文句の一つもいいたいところだろう。ただし、カマキリにとってはハリガネムシが腹に入った時点で死んだも同然なのだから、自動車に轢かれることで来年の脅威を減らす結果になっている。無自覚な自己犠牲だ。


2009.10.4(日)くもり 半原越24分1秒

今日も道路にはカマキリが多い。ひきつづき半原1号で半原越。カマキリが増える善明川あたりから半原越の頂上まで、カマキリの轢死体を拾っていったら100や200は簡単に集まるだろう。道ばたではコオロギが鳴き、木々ではミンミンゼミ、ツクツクボウシ、アブラゼミが鳴く。稲刈りが最盛期の田の上にはウスバキトンボが舞っている。いつもの棚田ではヒガンバナが不稔の実を結び、ナツアカネとミヤマアカネがしきりに産卵している。

棚田の上には道路を一本隔てて一軒の民家がある。その家がなかなかうらやましいことになっている。毎年のことだが、家の周囲がジョロウグモの巣で埋められるのだ。庭木の茂り具合、電線の伸び具合、屋根のアンテナの張り具合が絶妙なのだと思う。蜘蛛の巣の数は10や20ではきかない。とにかく、家全体が巣でくるまれているという案配だ。クモはまるまる肥えている。獲物が多く稼ぎがいいらしい。わが家のクモは10月というのにまだ貧相でちょっと気の毒になる。その家にもわが家と同じようなムクゲがあるのだが、巻き付いているつるが違う。私のところはしょぼいヤブガラシ。そこはアケビ。でかいインゲンマメみたいな実の殻が道路に散乱しているのを見つけて気付いた。アケビはちょっとだけ甘くて好きだった。それほどうまくはないけれど、子どものころには貴重品だった。山形の人はけっこうアケビの殻を食べる。いくらかもらって食べてみたがうまくもまずくもなかった。

半原越はがつがつ行く気が失せてしまった。カマキリの亡骸を見過ぎて諸行無常モードに陥ったのか、本来の自分に帰る季節だ、などと後ろ向きな気分になった。道路にアオダイショウの小さいのが転がっていたので捕獲。ただし、蛇入れを持っていないからその場で放した。こういう行為が本来の自分だと思う。

ともあれゆっくり走る。ギアは34×24T。6分、6分、6分、7分目安で楽に走る。しばらく雨が続いて道路脇のコケがきれいだ。二連橋手前の橋(犬小屋のあるところ)には道路を流れる雨で集められた泥がうず高く積もっている。そこに1本だけ新しいロードレーサーのタイヤ跡があった。今日も一人はここを行ったらしい。近年、自転車乗りは爆発的に増えているように思う。それでも半原越に来る人数は増えていないようだ。レース指向の連中にはもの足りず、健康のためというにはきつすぎる。そういうところが不人気の理由だろうか。私にとってはちょうど良い具合の峠道だ。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間15'40"5'40"12.5-70
区間211'39"5'59"11.8-66
区間317'35"5'56"11.9-67
区間424'01"6'26"11.0-62
全 体 11.8-66(1590)

これぐらいのタイムだと楽だ。半原越TTをはじめた頃は、生涯の目標が25分を切ることだった。それを思えば化け物のように強くなった。下りの途中でアサギマダラを見る。足下にいたから見間違いはない。もう一度見ようと、ブレーキを引いて自転車を止め、振り返った。そこにはもう蝶はいなかった。


2009.10.8(木)雨のち晴れ 新しいマック

PowerMacintosh G4の通称MDDというのを自分的最強のマシンとして使っていたのだが、そいつが壊れてしまった。電源ボタンを押しても白いランプがつくだけでうんともすんとも言わない。もちろん、バッテリーの交換など簡単な手立てはすみやかに講じた。どうやら電源部の故障らしい。同様のトラブルは激発しているらしく、ちょっとググるだけで山のように事例が集まった。「MDD=電源が故障する機械」は定説らしい。このMDDはOS9で立ち上がる最後の機械ということなので、数年前にちょっと無理して中古で買った。12万ぐらいした。うるさいとか光学ドライブのメディアの取り出し方がわからないとか、いろいろ文句はあるもののけっこうなパワーがあり、一生こいつでいいかな、と思ってきた。

さて、MDDの電源修理ならば14000円という驚くほど安価でやってもらえるショップがある。しかし、このさいだからと新型の機械も探してみることにした。すると、PowerMacintosh G5というワンランク高級なのがずいぶん安く出回っていることに気づいた。MDDに毛が生えた程度の最低ランクのものなら2万以下で買えそうだ。OS9起動の必要性は相変わらずあるものの、それは友人からG4の通称DigtalAudioというやつを引き取っているので問題ない。近頃はOSXにも慣れてきた。だったら、MDDを修理するよりG5の方がいいだろうと、山形のショップから送料込み2万でG5の最低ランクのやつを買った。

届いたG5はやたらと大きい。しかしいまさら驚くようなことでもないはずで、心の中で知らぬふりをする。さて、機械の移行というのはけっこうな手間である。これまでずいぶん苦労した。ハード的には、MDDとG5の最低ランクのやつはけっこう互換性がある。メモリの種類が同じ。DDR-PC2700である。残念ながらハードディスクはIDEとSATAで種類が違うから、MDDに入っているのを取り出してG5に入れるだけではことがおさまらない。G5が内蔵IDEで起動できるようにするATAカードは高価すぎて買う気がしない。

そうなると、ソフト的な移行が必要になる。OSのインストールからはじめて、アプリケーション、データ・・・とやると気が遠くなる。中身を移すのにMacOSは基本コピペだけで済んでいたが、OSXはそうはいかない。幸い、Personal Buckup X4というバックアップ用の優秀なソフトを持っている。そいつには、クローンという完全に同一のハードディスクを作ることができる機能があるから、それでやることにした。じっさい、2回ほどクローンを作った経験もある。

まずはMDDからハードディスクを取り出して、外付けハードディスクに入ってるやつと入れ替えようと、外付けケースをあけてIDEケーブルを外そうとしたら、ケーブルを破壊してしまった。ピンから抜けるよりも小さい力でケーブルが切断されるという奇妙な仕様であった。どうやらこいつにハードディスクを入れることはできても出すことはできないようだ。安物のケースだからしかたがない。そうなると、DigitalAudioとG5をFirewireでつないでターゲットディスクモードでコピーだ。これがけっこう時間がかかる。コピーは37ギガバイト程度なのだが、たっぷり4時間かかった。

作業終了して、さあ起動だ、とG5の電源ボタンを押すと白にリンゴマークのある例の画面が出る。そして、1秒、2秒、10秒、1分、2分、変化がない。しかも冷却ファンが途方もない勢いで回りだしてMDDを上回る爆音がとどろき始めた。これは絶対おかしいと、もう一度電源ボタンを押して終了。何が悪いのか? DigitalAudioをFirewireでつないでG5で起動させるとか、インストールDVDを使って、そこから起動させてみるとか、トリッキーな試行錯誤も改善なし。

1時間ばかり格闘して、以前にも同じ目にあったことがあるような気がしてきた。所有権とアクセス権がどうも変なことになっている。クローンの作り方に問題があるのだ。冷静になって操作マニュアルを読み返す。コピーの前に「ディスクの情報を見て、所有権を無視するというのにチェックを入れる」という手順が抜け落ちている。思い起こせば、同じ失敗を半年くらい前にやって痛い目にあっていたのだった。ケーブルを切断するという馬鹿げたミスをやって頭に血が上っていたのだろうか。さあ、あと4時間。もう眠ってあとはマックにまかそう。


2009.10.11(日)晴れ 半原越20分40秒

いよいよ寒くなってTT気分も抜け、チネリで半原越。稲刈りが最盛期の相模川流域をゆっくり走って清川村に向かう。ギアはもっとも軽いもので、42×23T。時速は25km/h。アウターの52Tは必要ない。秋は気のせいか音がよく聞こえる。とりわけ風景のベースになっている環境音の一つ一つが体の中に入ってくる。鳥の声、虫の声、稲刈りのコンバイン、喫茶店の風鈴。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'28"4'28"15.9-69
区間29'36"5'08"13.8-60
区間314'38"5'02"14.1-61
区間420'40"6'02"11.7-51
全 体 13.7-60(1245)

42×23Tはやっぱり重い。ハイケイデンスは私には無理と思い直して、重めのギアを使って70rpm付近で登ることを目指しているけれど、2倍あたりでは難しい。10%超が断続的に現れる区間4では、立ちこぎを多用しなければ10km/h以上出せなくなる。

帰宅して一休みして境川。ゆっくり目に走る。境川で速いのは初級者。私のようなベテランは、ぴしっとした姿勢で一定ペースでまっすぐ走るのだ。境川のような、お年寄り、女子供、犬がひしめくところでは、美しく走ることが第一だ。残念ながら、我が国の自転車文化はまだ幼児並だ。自転車という機材の扱いも、乗り方も、もうちょっとなんとかならんもんかと寂しくなる。境川のサイクリングロードでは、自転車は走り方(歩行者をよけさせてはいけない)を知らず、歩行者はよけ方(自転車をよけてはいけない)を知らない。あれでは互いにぎすぎすする。事故も起きる。

それにしても、こんなに自転車に入れ込んでいていいものかと、ふと疑問に思う。競技選手でもなく、なにか自転車に関係することをやっているわけでもない。ただの素人、サンデーサイクリストというやつだ。それでも暇さえあれば自転車に乗り、ひたすら半原越を楽して速く登る方法を考えている。こういうオヤジの存在も自転車文化の向上にちょっぴり寄与しているにはちがいない。


2009.10.16(金)晴れ すごいニコンだ

ニコンから発表された新型カメラのスペックを見て目をむいた。いったいこりゃなんなんだ。パチカメってのはどこまで進歩するんだ。こんなカメラがたかだか60万ぐらいで入手できていいのだろうか。もう一声の進歩を期待するならば、100分の5秒前ぐらいのパスト録画機能とか、拡大機能付きの電子ファインダー(ボディの液晶はどれほど大きくても老眼のためよく見えんのです)か。こいつの電気系が強化されてそれらが搭載されればカメラに求めるものがなくなってしまうと思った。

とはいえ、私は新型ニコンを買わない。今のカメラは私にとってとっくの昔にオーバースペックなのだ。デジタル一眼なんて最初の機種から私の要求を遙かに超えている。はじめに手にした富士フイルムの S1-pro にはファインダーが狭いとか、黄色がすぐに飽和するとか、雲が白飛びするとか、ストロボ同調速度が遅いだとか、いろいろ不満をもったけれど、そんなものは重箱の隅をつつくようなものだ。これでもかと、次々に売り出される新型を横目で見ながら、ま、次のは買ってもいいかな、と S1-pro を使い続けた。そうこうしながら、プロの使い古しを自転車と交換したりして新しいものを買うタイミングを逸した。

いまや、私が買おうかなと心動かされた3世代ぐらい前の中古カメラが発売時の10分の1の価格で買える。現状もっとも気に入っているカメラは19000円で買った S2-pro だ。一部壊れているけど修理は不能。する気もない。この感じで古いのを使い捨てながらやっていくんだろう。いまの調子でカメラを使い続けていれば、ニコンD3Sは15年後、65歳ぐらいのときに順番が回ってくると思う。この進歩の早さだと5年後かもしれない。本当のところ、画素数は200万もあれば十分であるし、オートフォーカスも、オートアイリスもいらない。TTL測光も不要で、ストロボなんてマニュアルだけでもよい。いわば全手動のフィルムカメラと同じぐらいの機能で十分。その場で写真の確認ができるだけでも夢のようなのだから。


2009.10.17(土)くもり なぜ走るのか

あまり知られていないが、境川は坂である。自転車がかってに転がるほどではないが、水がけっこうな勢いで流れ下っていく程度には坂である。それゆえ湘南から緩い風が吹いているときには行きも帰りも同じ強度で同じスピードで走れることになる。

今日は半原2号で境川。得意の90rpm 走行だ。半原2号のフロントアウターは50Tだから、後ろを19Tにすると時速30kmになる。これが今の私のちょうどいい強度だ。1時間ぐらいは余裕で続けられる(はずだ)。今日の風だと行きも帰りもそのペース。風がちょっと強いときには力を入れて90rpmを維持する。

平坦なところで1時間も同じペースで走ることは実際問題として不可能だ。境川は歩行者、ランナー、自転車、犬がひしめく自転車道だ。時速30kmを維持できるのは数分に過ぎない。やってもいないのに、1時間ぐらい楽勝と言えるのは心拍計があるからだ。いわゆるサイクリングペースでは心拍数は130から140bpmぐらい、90rpmで時速30kmにすると、数値がぐんぐん上がり160bpm付近で落ち着く。普通のおじさんならそれはほとんどMAX、でなくても無酸素域かもしれない。しかし蚤の心臓を持つ私には有酸素域、「けっこう乗ってるよね」くらいなのだ。道路ではだめでも、ローラーならその強度で1時間やれている。この平坦90rpm走法は、今のところ50×19Tまでしかできない。52×19Tでもぎりぎり行けるか。このギア比をすこしずつ上げて、最終的には50×17Tでできるようになるのが目標だ。

ところで、さまざまなしがらみによって「あなたはなぜ走るのか?」という質問をVIPの自転車好きに投げなければならないはめになった。他人に尋ねるのだから自分でも答えられなければならない。それが筋だ。本当の答えは禅問答風になる。有名な、なぜ山に登る? 山があるからだ。みたいなことが本当のところだが、人間にわかる言葉で説明が求められるのがつらいところだ。

私が人間の言葉で説明するならば「自転車は乗れば乗るほど強くなる気がする。進歩する自分が愉快だから。」ということになるだろう。50年も生きていると、ありとあらゆる事で限界を感じて無力感にさいなまれてきた。勉強でもスポーツでもゲームでも、やり込むうちに限界が見える。伸びるときは楽しいけれど、すぐに伸びは止まり飽きてくる。私は大学生のときもロードレーサーに乗っていた。あの頃は、今よりはるかに速かったにもかかわらず、強くなれる気がしなかった。ところがこの数年、自転車では限界を感じない。いま、この時点が生涯最強だという確信がある。たんに馬鹿なのだろうか?

自転車というのは不思議なもので、好調の波が頻繁に訪れる。乗るたびに「うん、昨日より上達した。明日はもっと強くなる。」という気がしている。ちゃんと練習すればコンタドールにも勝てるんじゃないかという気がする。それは幻覚だ。私には競技選手としてはもちろん、その辺のおじさんにも勝ち負けできるほどの素質はなく、年々老化は進む。それが現実だ。でも、ハンドルをぐっと握ってペダルをぐんと踏み込むと、そんな現実は置き去りだ。私の自転車には何かの呪いがかけられているかもしれない。


2009.10.18(日)晴れ 向かい風練習

朝起きると電線か何かがぴゅうぴゅう鳴っている。かなりの強風だ。寒冷前線を伴った低気圧がずいぶん発達したらしい。ということは半原越ではなく境川の方がおもしろそうだ。半原TTの気分も萎えている。昨日の続きで90rpm走行を試してみたい。

風は南風だ。海に向かうときは50×21Tを使う。そのギアで90rpmだと時速27kmになる。風は一定ではないからところどころ楽でところどころしんどい。心拍数にして140bpmから170bpm。問題は170bpmまであがったときだ。そのときうまくいってないような気がする。気がするぐらいだからうまくいってないに決まっている。体から絞り出す力の半分ぐらいしか速度に変わっていないように思う。動きがスムーズでなく、腰に痛みがきて太ももが熱くなる。

自転車は重いギアを速く回せば速く走るというシンプルな乗り物だ。向かい風や上り坂では重いギアを使っているのと同じことになる。ただ、坂は風に比べて圧倒的に抵抗が大きい。何もしなくても風下に走っていく風は滅多に吹かないが、何もしなくても下っていく坂はそこらへんにいくらでもある。だから、向かい風程度でがんばることは、たんに愉快なだけで、半原越TTの練習にはなってないと思っていた。しかしそれは早合点のようだ。

たしかに半原越では90rpmというケイデンスにこだわっていてもらちはあかない。わざわざ90rpmで回せるギア比で半原越を走る意味がない。ぎりぎり90rpm回せる強度は半原越まで行かなくても容易に実現できる。今日の程度の向かい風だと時速27kmでOKだ。風がなくても時速35kmを出せるならOKだ。実際問題としては怖くてできないけど。

また、登り坂にはその斜度に応じて最適なギア比は決まっていることがぼんやりと見えてきた。ライダーの力ではなくてあくまで斜度に応じてそのギア比は決まるのだ。そして強いライダーは同じギア比で高いケイデンスを出せる。そう考えるのが合理的という結論だ。

平均斜度7%の半原越ではそのギア比は1.6倍程度だ。いまはそのギア比では70rpmに達しない。それを90はともかく75ぐらいにまでは引き上げたい。であれば、平地でも75rpmを維持できるぎりぎりのギア比で練習すれば良さそうに見える。たとえば、50×14Tで時速34kmを目標にすればよいように見える。ところがそれだと10分ぐらいしか続かないのだ。それぐらいの時間しか継続できないと体がその動きを覚えない。毎回、毎回やるたびに動きがぎこちなくしんどくてがんばったというだけのことに終始すると思う。上達につながる練習は、何十分も維持できるレベルで強く速く回すことを体に覚え込ませることのほうだと思う。


2009.10.24(日)くもりのち雨 半原越19分20秒

雲は低くたれ込めて風は北から弱く吹く。空気が澱んでいるようでけむい。田畑のたき火の煙が空に登って行かず地上付近にとどまっているらしい。昨日の夜から半原1号で半原越に行こうと決めていた。その決心が変わらないように、フロントフォークをMIZUNOのカーボンに変更した。デザインの関係ではフォークもチタンの方がいいから、しばらく使っていなかった。MIZUNOにすると、フロントセンターが20mmばかり大きくなり、やや操作性がよくなる。ショックの吸収もよいようだ。

半原越は34×17Tの2倍で入った。最初から力を入れて回す。区間1では20km/h近くでる。1kmの激坂をダンシングで越えて快調に飛ばす。速くて気分がよい。いくらなんでも後半もたないだろうと、丸太小屋では21Tを使う。あそこでいっぱいになって、区間2の後半の緩いところで失速するのが通例だった。区間2から3にかけても15km/h以上を維持する。新記録が出そうだけど、こんな調子で最後まで行けるわけがないと、自分を信じる気になれない。いくらなんでも区間4で2倍は無理だろうと、19Tを使う。斜度のある所で短く攻撃的に立ちこぎを使った。シッティングは座り立ちこぎという感じでもなく、田代さやかで行けた。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'10"4'10"17.0-67
区間28'55"4'45"14.9-67
区間313'33"4'38"15.3-63
区間419'20"5'47"12.2-55
全 体 19'20"14.6-63(1221)

19分20秒は新記録だ。しかも、これまで20分を切ったなかで最も楽だった。半原越を速く走りたい一心で食事制限をして体重を落としている。ついに体脂肪計は10%を割る数字を出し始めた。測りはじめたときは15%ぐらいだったから落ちたものだ。境川に行っても、かなり重いギアを使って前を見据えて黙々走る。友人にそそのかされ龍勢ヒルクライムという秩父のレースにも参加登録してしまった。山岳での個人TTスペシャリストのはずが、ヒルクライムとはいえマスドスタートのレースに出るとは。己を見失った私はどこに向かっているのだろう。半原越の頂上でぽつぽつと降り始めた雨が、帰宅すると本降りになった。


2009.10.28(水)晴れ サイクルスポーツを買う

本屋に行くと、サイクルスポーツが目を引いた。ダンシングが上達するひけつが書かれてあるらしい。すぐさま購入した。サイクルスポーツは数十年ぶりだ。さっそくホテルに入って読んでみると、いろいろと役立ちそうなことが書いてある。

私は常々ダンシングが下手だと思っている。もともと自転車には天分がない。普通のぺダリングだと無能がわかりにくい。つまり、体力不足で遅いのか、技術不足で遅いのかがはっきりしない。ダンシングのような派手な動作になってはじめてうまくいっていないことを自覚できる。登り坂での80rpmぐらいを維持したダンシングが全然できないのだ。ギア比を高くして、50rpm以下でなら25分(半原越全部)は続けられる。ところが、ギア比を小さくして、70〜80rpmに上げようとすると、ペダルがすこんすこん落ちて、体がぎくしゃくしてしまい続けられない。大きなギア比で全身の力を動員すれば、スムーズにできないこともないけれど、それは30秒ぐらいしか続かない。7%ぐらいの上り坂で、75rpm、170bpm。それを持続時間20分は無理としても5分ぐらいはこなしたい。その練習をするとしても、なぜできないのかがはっきりしていないと、間違った方向に進んでしまうだろう。私には間違った方向に進む時間がない。

なぜできないのか、原因その1)物理学的に不可能である。この可能性も考えた。人は自転車で空を飛べないように、登り坂で高回転型のダンシングを有酸素域で行うことは不可能かもしれない。しかし、これはアーティスト、ロベルトエラスや怪物ランスアームストロングたちがあっさりと否定してくれる。彼らは鳥でも鹿でもない。あくまで人間である。

原因その2)持久力がないからできない。裏返せば、持久力を上げればできるようになる。この原因であるならば、1分続けることは無理でも10回ぐらいはできるはずだ。でもできない。ちなみに、アルベルトコンタドールは現在最強のクライマーといってよいけれど、彼のダンシングはぎくしゃくしてカッコ悪くまねしたくない。あんなヘンテコなダンシングでめっぽう速いのだから、彼には次元の違う天分があるのだろう。

3)何かの秘儀があるのにそのことに私が気づいていない。←こいつの可能性が高い。

サイクルスポーツは秘伝の書とはいえないけれど、600円ぐらいで何かがつかめれば安いものだ。その記事に書かれてあるようなことは、まあまあできていることだった。上半身を力ませないこと。グリップはゆるくし、自転車を振りすぎないこと。重心を前に運ばないこと。腰の高さを一定にすること。これは基本だ。それでもランスやエラスみたいにできないから困っているわけです。彼らは10%ぐらいの登り坂を90rpmですいすい走っていく。シッティングならともかく、ダンシングであれができるわけがわからんのです。

サイクルスポーツには、まず試しにハンドルから手を離してダンシングの姿勢でペダルの上に立ってみよとある。サーカスの玉乗りのようなものだが、ペダルは前後にしか動かないのだから、ずっと簡単なはずだと思った。帰宅して部屋に常設してある固定トレーナーでやってみると、意外にも難しい。10秒ぐらいしか立っていられない。前後、上下だけでなく左右にもけっこう体が振れる。なるほどこれは基礎がなっていない。体軸がぶれて重心が決まっていないようではぎくしゃくになるのも当然だ。手放しスタンディングでの重心を維持したままクランクを回せるのなら、ハイケイデンスダンシングも行けそうだ。ロベルトエラスもそうなってるように見える。

記事によると、そのためには体幹の筋肉を強化する必要があるということで、効果的な体操も紹介されていた。腕立て伏せのような姿勢で耐えるというやつは、まずは10秒からはじめて1分できればまずまず、とのことだが、最初から楽々1分できた。あとは、ペダルに立つのに必要な動きを筋肉に書きこむことだ。それができて、まだエラスみたいにできないようだと、さらなる奥義を求めなければならない。

ところで、5分も10分も持続可能なハイケイデンスダンシングの意味を改めて考えておきたい。筋肉の負担だが、余計に踏みつけたりしないという前提で、サイクルスポーツが指導するように踏むよりも「置く」感じでペダル操作するという前提で、なぜハイケイデンスのほうが効率的かをしっかり自覚しておく必要がある。そうしないと、タイムが悪くなり、習得が難しい技の練習をまじめにする気がなくなるからだ。

私は60kg近くもの体重があるのだから、片足で立つだけでも負担である。ダンシングはその片足立ちを交互に続ける技だ。後足を蹴らずに早足で階段を登るのに等しい。その場合、片足立ちの時間は短いほうがよい。急な階段よりも緩いほうが結果的に高度を稼げるものだ。自転車でもケイデンスが大きくなればそれだけ片足立ちの時間は短くなるから、足の筋肉への負荷も小さくなるはずだ。市川さんの頃は、坂道ダンシングは50rpmぐらいだったらしいが、ランス以降は90〜100rpmで走る選手も珍しくない。私はできないけれど、きっとその方がいいのだ。

10%ぐらいの登りでアタックしたエラスの走りを見ていると、スタンディングもダンシングも90rpm。ギア比も速度もいっしょと思えた。両者を使い分けているのは、斜度の違いに対応するためか、筋肉の負荷を分散させるためかはわからない。私が彼のまねをしたことは言うまでもない。その結果、頭を抱えてしまった。エラスがそんなことができる理由がさっぱりわからなかったからだ。

10%を90rpmでダンシングするためには、ギア比が1ぐらいでなければならなかった。理由は単純である。全体重をかけても、ペダルがそれだけの速度で落ちていかないからだ。下死点までどんと落ちれば、ペダルを蹴るようにして脚を上げなければならなくなる。ばたんばたんして最悪のダンシングだと思う。しかも速度は時速10kmぐらいだから話にならない。体重を乗せるだけで90rpmになるくらいの軽いギアでエラスのように走るには、スーパージェッターの反重力ベルトを持っているか、見えないスカイフックで吊されるかしかない。それならと、ギア比を2倍ぐらいにしてペダルを重くして90rpmまで上げようとすると、もう全力疾走だ。体重だけではペダルが落ちないのだから、腕力も動員して踏みつけるしかない。座り立ちこぎの必死バージョンだ。それだと30秒ほどで限界だ。エラスがその方法をとっているようには見えない。上半身はあくまで支えで、腰と太ももを中心にクランクをぐるぐる回している。実際、エラスのギアは重いのだ。時速25kmぐらい出ているのだから、39×25Tか39×23Tあたりだろう。

そこんとこの謎を解明すれば、きっと一皮も二皮もむけた切れた走りができるだろう。残念ながらサイクルスポーツには、その奥義に通じる道は描かれていなかった。私には、その入り口に当たる「まずは立ってみよう」がうまくいかないのだから、その練習をしつつなんらかの光明を見いだすしかない。


2009.10.31(土)晴れ 半原越19分20秒

小春である。これは何をおいても半原越だ。半原1号でいそいそと出かけていく。サイクルスポーツの記事を読んで、イメージトレーニングは充分。すっかりダンシングがうまくなった気でいる。

ギアは1.5倍よりもやや重い34×21Tを選択した。これで最初から最後まで行く。回していくのが基本だが、斜度のあるところでは田代さやかを動員し、もっとしんどくなると座り立ちこぎ、さらにきついところは最近話題のダンシング。60rpm回せない所では積極的にダンシング。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'17"4'17"16.5-81
区間28'56"4'39"15.2-75
区間313'36"4'40"15.2-74
区間419'20"5'44"12.3-61
全 体 19'20"14.6-73(1404)

区間3を終えて13分半ぐらいだからかなり速い。ただし、ダンシングを多用して脚に来ている。しかも、このダンシングというやつがいまいちわからない。軽いギアだと、前脚がすこんと落ちる。重いギアだと、前脚がペダルに乗ってぐんと踏み込むことになる。さて、どっちがいいのだろう?

重いギアの方式だと、60rpmに達しない。これは物理的にそうなる。そうならないようにするためには、腕力と脚力を動員してスプリントのような格好にしなければならない。これはたぶん違う。軽いギアの方式だと全く前脚にかからず、つまり上半身にも太ももの表(まさしとは言わないことにした)にも負担をかけずに、70rpm以上が出せる。ところが、下死点を通過するときに、足を蹴るようなことをしなければならない。これもしんどい。重いギアがボッカの山登りだとすると、軽いギアは階段駆け登りだ。そのどちらもが最初の1歩から無酸素域に突入する運動のはずだ。本当に有酸素域のダンシングなんてあるのか。いったいどうすればいいのだ?

迷いにとらわれつつ、それまでダンシングを多用してきたことの反動を背負って、区間4はけっこうつらかった。久しぶりに止まるんじゃないか、ふくらはぎが攣るんじゃないか、と心配になった。タイムは自己タイでケイデンスは73rpmなのだから、たいへんけっこうだ。ただし、ダンシングは諸刃の剣だ。半原越では両足あわせて3000歩ほどになるのだが、その間に何回できるかの勝負となる。100回か200回か。


2009.11.1(日)晴れ 半原越20分30秒

昨日はダンシングに迷いが生じて、夜にツールドフランスの再放送を穴が開くほど見てしまった。たまたま、最難関と前評判の山岳ステージだったので、なにかダンシングの練習のヒントが得られるのではないかと思ったのだ。最大の収穫といえば、そんなにケイデンスを上げなくてもいいんだ、ということがわかったことだ。トッププロだって登りで90rpmなんてめったにやってない。勝負のかかっていなところでは、60〜70rpmだ。ダンシングだって、60rpmぐらいでわりと前足がペダルに乗っている感じだ。あれでいいんだと、ひとまず安心した。ただ、アルベルトコンタドールだけは、けっこう階段駆け上り方式で足を蹴り上げているように見える。あれはちょっと無理。試しにビルの10階、200段ほどを1分半ぐらいで駆け上がってみたことがあるけど、太ももが張ってしばらくぴくぴくしていた。

とにかく今日も半原越だ。昨日は小春、今日は南風が強く異常に暖かい。青空には巻雲。アブラゼミが鳴いてチョウが飛ぶ。いつもの棚田に寝ころんで向かいの山を眺めれば、強風に広葉樹の葉がめくれ、いっせいに白い葉裏を見せている。太陽の前を雲が通過するらしく、山の麓から陰が頂めざして駆け上っていく。この暖かさは今年最後かもしれない。風を吹かせている低気圧が太平洋に抜ければ、冬の空気が入ってくる。次にまた同じような低気圧がくれば、向かいの山は丸裸だ。

結局、ダンシングというのは、斜度とギア比と私の体重が奏でるハーモニーだ。その3者がぴったり合ったときにきれいに脚が回るのだ。軽くても重くても失敗だ。半原越の斜度と57kgの体重は一定なのだから、勝負はギア比。そして、ダンシングできる回数は体力の限界で決まるから、ダンシングを要する急坂の距離に応じて最適ギア比が求められる。では、私の最適ギア比とは。というわけで、今朝一番に、クロナガアリの撮影すら後回しにして、フロントを36Tに変更して1.5倍ぴったりのギアを作った。

半原越に着く前の20kmにもところどころ10%程度の登りがある。そういうところで1.5倍のダンシングを試してみる。緩いところでは落ちる感じがあるが、10%ならかかる。無理に力を入れなくとも重力で落ちて60〜70rpmになる。その調子で、シッティングで60rpmから落ちるぐらいの所でダンシングを使えばよいのだ。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'33"4'33"15.6-82
区間29'34"5'01"14.1-75
区間314'31"4'57"14.3-76
区間420'30"5'58"11.8-63
全 体 20'30"13.8-74(1513)

昨日よりも70秒遅いが、これは疲れているからだ。それも当然。昨日は調子に乗って半原越を2本やってしまった。20分切った上にそんなことをしたら翌日に残る。1.5倍は緩い所でも軽過ぎない。そういえば数年前、1.5倍で75rpmっていうのを最終目標に掲げていたような記憶もある。今ならそれもできるんじゃないだろうか。


2009.11.2(月)くもり一時雨 クロナガアリ

クロナガアリ

わがやのクロナガアリの巣はそれほど大きくはないと思うけれど、もう数年の寿命を維持している。いまちょうど収穫の真っ盛りで、巣口に張り込んでいると、次々に種を運び入れる様子が観察できる。

クロナガアリは中型のアリで、荷物を運ぶときでも、けっこうな速さで歩くから撮影はけっこう難しい。歩いているのを無理に追いかけても徒労に終わることも多い。こうして巣口で寝そべって粘っておればそれなりのカットも撮れる。機材は自慢のスーパーマクロカメラだ。改造レンズと自作デフューザー+内蔵ストロボという簡易な組み合わせでコケからアリから何でも手持ちで撮れる。むろん、アリぐらいのサイズになると、その背の上と下でピントがずれており、これはというシャープな写真は難しい。また、ストロボのチャージに2、3秒かかるからシャッターチャンスを逃すことも多々ある。

クロナガアリは私の事を気にしない。ピント用のライト、ストロボ、10cmの距離にあるレンズも全くお構いなしのようだ。集めてくる種は、アカマンマ、メヒシバ、チヂミザサなど。まあ、その辺にいくらでもある草の種である。クロナガアリはそういう雑草の種ばかりを秋に集めて、それだけを自らも食料とし、巣の中の幼虫も育てるのだという。

わが家には素人目で区別できるだけでも5、6種類のアリが生息している。その中にはけっこう悪さをするのもいる。人間を噛み、台所の魚にたかり、電気器具の中に巣くって故障も起こし、女房子どもの敵役だ。私はそういう悪さの一切を大目にみているけれど、アシナガバチの巣を襲ったりするアリには困りものだ。クロナガアリはそんな悪漢とは全く無関係で、イソップ的に良い奴らである。

雑草

しかもクロナガアリの気持ちになって、この草ぼうぼうの庭を眺めてみれば、けっこうお宝満載に見えてくる。お宝といえば人間にとっても本物のお宝、水稲の種がわが家の庭にある。今年も100粒ほどのあきたこまちが劣悪な環境の中でみのったのだ。彼らがどうするのか試すつもりで巣の近くに10粒ばかりまいてみた。米粒はクロナガアリの食料としては最上級の贅沢品だと思う。大きすぎるかもしれないが。


2009.11.3(火)晴れ 爆走ごっこ

クロナガアリ

雲一つない天気だが、冷たい北風が吹いている。いよいよ冬だ。こういう日にはこういう日の遊び方がある。というわけで境川。南に向かうと時速27kmでも風を受けず暖かい。そのままおもいっきりゆっくり走る。南は下り坂だから脚を止めていてもけっこう進む。刈り入れが終わった田には切り株からひこばえが伸びて緑の草むらになっている。その草むらに蟻塚のようにたてられているのは稲わらだ。相模川流域のこのあたりは、稲わらを束ねて田に立てて干すようだ。そう教わって作業を手伝ったことがある。

勝負は北に向かうときだ。36×15Tにかけてぐいぐいがんばる。下ハンで肩を下げて風を切る。時速30kmの向かい風の中を時速30kmで走れば、対空時速は60kmになる。主観的には爆走だ。時速60kmといえば、世界選手権のカンチェラーラと同じだ。今年のカンチェラーラは怪物のように強かった。テレビ画面を3秒見ただけで誰よりも速いことがわかった。まさに自転車競技史に残る爆走であった。あのカンチェラーラと同じ風を体に受けている。脚のスムーズな回転を徹底的に意識する。回りの景色があまり流れないのに目をつぶれば、気分はカンチェラーラ。脚だって100回まわっている。客観的にはばたばたがんばっている自転車好きのおじさん。これでも少しずつ上達している。主観的には他選手に圧倒的な大差をつけてゴールを目指すカンピオニッシモ。

写真は今朝のクロナガアリ。プレゼントした籾は全く相手にされない。アリまたぎである。やはり大きすぎるのだろう。


2009.11.5(木)くもり ダンゴムシを運ぶ

クロナガアリ

クロナガアリがかれらとしては大きな白い物を運んでいた。いったい何事かと注視すれば、それはダンゴムシの亡骸のようだった。正確には脱皮殻かもしれない。クロナガアリは植物の種を専食するアリだが、こうやってダンゴムシを運ぶ様子はしばしば見ている。殻だけでなく、死後間もないものを運んでいるのも見たことがある。

気になるのは、ダンゴムシの殻が食物として有効なのかどうか。そもそも巣の中に入るのか、ということも気になる。「こんなものを拾ってきてどうするつもりか」と叱られることはないにせよ、どうも異質だ。

おそらくクロナガアリは臭いで食べ物を感知している。熟した種が発散するなんらかの化学物質に反応しているにちがいないのだ。われわれの目には植物と動物は全く異なる物として写る。ピーマンと牛肉は同じ食べ物としても異質だ。そのスタンスからは、アリにとってもダンゴムシとメヒシバの種は異質なはずだ。しかし、植物と動物はかなりの化学物質を共有しているということだから、アリに運ぶ意欲を起こさせる臭いをダンゴムシが持っていることはじゅうぶん考えられる。その上で、形状やサイズが合っておれば運搬行動が喚起されるのだろう。ダンゴムシの脱皮殻は、少なくとも私が投げた米粒よりは雑草の種に近いということになっている。


2009.11.7(土)晴れ 米も運ぶ

クロナガアリ

プレゼントした米が昨日になって忽然と消え失せていた。はて何者が、といぶかしく思ったが、犯人はクロナガアリ以外に考えられない。まる2日相手にされなかったから、米は巣に運び込まないと決めつけていた。それならと昨日の朝、もう一度同じように10粒ほどの籾がついている稲穂をちぎって来て巣のそばに置いた。それが今朝にはなくなっている。巣を調べてみるとご丁寧にも1粒の籾がついた穂が巣の入り口にひっかかっている。これで状況証拠は万全だ。クロナガアリは籾を1粒ずつ切り取って運ぶらしいが、最後の1粒は軽くなったものだから切り取らずに運び込もうとして、穂の茎が巣口にひっかかってしまったようだ。

では、実験だ。まず、同じように穂をとってきて同じように置いてみる。すると、クロナガアリたちはすぐに興味を示して穂にやってくる。無視する者も多いが、数匹は執拗に穂にまとわりついている。彼らのやることは一つだ。写真のように、茎にかじりついて籾を切り取ろうとしている。人間でいうなら脱穀だ。

なるほど。次は脱穀した籾の運びかたを見よう。アリがかじりついている穂を取り上げて、籾をちぎってまいてみる。結果は拍子抜けするほどあっけなかった。1匹のアリが籾をくわえて後ずさると籾はずるずると引きずられていく。なんという力だろう。みのった籾を持ち上げれば10個でも指に重みを感じる。アリの10匹はまったく重さを感じないだろう。それでも米粒はアリに比べて巨大すぎるという判断は誤りだった。数匹が協調する形になることもあるが、それは必須ではないようだ。

こうなると問題は、どうして最初の籾が2日間にわたって放置されていたか、ということになる。私の仮説は、「まさかそんなところにこんな良いものがあると気づかなかったから」というものだ。穂はアリの通路に置いていたから、行くアリも帰るアリも穂をまたぐ。収穫して帰ってくるアリが穂をまたぐのは理にかなうが、これから収穫に向かうものが穂を無視するのは理に合わない。何か理由を考えるならば、彼らの心にはすでに目標が書き込まれているから、ということになる。

私の貧相な庭にもけっこうな数の種は落ちている。ただし、それは人間の目から見てけっこうな数があるというだけで、アリにしてみればどうだろうか。アリの心はより効率的に種を集めるようにできているはずだ。種は必ずまとまって落ちているものだ。草についているものもまとまっている。したがって、1粒の種を拾ってきたならば、もう一度その場所にまっすぐ向かえば、2粒目を拾えるのは確実だ。最初の穂をまたいでいったハタラキアリは、記憶と目標をもって庭と巣を行き来していたのだろう。そして、一か所で拾える種の数は無数ではないのだから、いつかはその場所を忘れて次の場所を探さなければならない。そういう探索モードオンのアリによって私の稲穂が発見されて運ばれていったのではないだろうか。一度、穂の場所を覚えたアリは速やかに新しい籾にも気づくことになる。

さらに、仮説を付け加えるならば、ハタラキアリ間で情報交換が行われているのかもしれない。各種のアリで確認されているように、有望な餌場は臭いの道がつけられる可能性がある。ただし、クロナガアリは栄養交換をしている様子がないし、いわゆる行列を作らないから、その可能性は小さい。また、巣に運び込まれた種を他のアリが知って、その臭いのする種を見つけに行くというようなこともあるかもしれない。


2009.11.8(日)晴れ 軽々運ぶ

クロナガアリ

クロナガアリがおもしろくて午前中はずっとアリと遊んで過ごす。巣のそばにしゃがみ込んで何を運んでくるのかな、と見ているだけで楽しい。運んでくるのはだいたいは庭に咲いた草の種だ。芒のついたイネ科のものが多い。ときどき虫の死骸とか、クモの脱皮殻とか、種じゃないものも運んでくる。

ただ見ているだけで楽しいけれど、私もいい大人なのだから、ちょっとした実験をしたり写真を撮ったりもする。好物のはずだからと、ススキの種をちぎってきて置いてみる。全然興味を示さない。ちょうど最初に米を置いたときの反応と同じだ。米はまだ100粒ぐらい残っている。穂を置くとやっきになって脱穀し籾を運んで行く。雑草の種だと軽々持ち上げることができる。今日のように気温が高い日には足が速くて撮影もたいへんだ。籾だとさすがに持ち上がらず、後ろ向きに引きずっていく。歩みも遅く撮影もしやすい。それでも、アリの目にピントを合わせながらフレームを決めるのはけっこう難しい。それぐらいのスピードは出ている。

クロナガアリの巣の中ではいったい何が起こっているのだろう。ちょっと考えただけでも、種運び、幼虫育て、ゴミ捨て、巣の拡張工事などの専門的な仕事が必要なはずだ。そういう分業体制はどうやって成立するのだろう。少しばかりアリと遊ぶだけでも奥深いこの世界の一端に触れることができる。

昼からはナカガワで境川に出かける。昨日もナカガワで走った。寸法を決めてオーダーした最初で最後の自転車だ。もう20年も前のことになる。当時は自転車は鉄のパイプを溶接して作っており、体の寸法に応じて、最適なフレームスケルトンは決まっていることになっていた。それが本当ならば、各人に合う本物の自転車はオーダーメードしなければ得られない。

実際は決してそのようなことはなく、フレームの寸法なんてだいたい合っていれば問題はない。いまのように、計算尽くに設計され、カーボンやアルミを機械が設計通りに加工してくれるようだと、どれでも走るフレームになっているのだろう。寸法なんてSMLぐらいでOKだ。しかも一昔前は御法度だった、ヘッドチューブからフォークコラムが突き出ることもやっていいことになっているらしい。さらに、ハンドルやサドルは星の数ほどの種類があるから、標準から多少外れた体型の人でもしっくりくる自転車を組み立てることは難しくない。さらにさらに、ちかごろのシートチューブを短く作るロードレーサーに目が慣れると、水平の直線がないものだから、自転車自体の美しさが変質する。

日本では競輪が盛んで腕のいい職人も多い。鉄パイプで美術品のような自転車を作れる人もいる。それはそれでたいへんけっこうで、欲しい自転車もいくつかあった。ところが、20年前に女房に説得され悟ってしまったのだ。自転車の美しさはあくまで人車一体のもので、乗り手がきれいでないと、また、乗りこなせてないと、どんな自転車もこっけいなだけだと彼女は言うのだ。自転車に50万も100万も使われちゃかなわんと苦肉の策だったのかもしれないが、それは正解だ。というわけで、ナカガワは私がオーダーした最初で最後の自転車になったのだ。


2009.11.9(月)晴れ 半原越グラフ

半原グラフ

そもそも天地無朋というのは、夢と現実の境界を見極めることを目途とした日記であった。夢と現実の境界を見極めるというのは理性の起源を探るということに等しい。理性とは人間の一面であり、夢とは生物の一面である。もちろん私が人間である以上は、その両面を知っている。知っているに決まっているが、それをどれほど自覚できるかどうかはわからない。自覚できても記述できる保証はない。というわけで、私のトライアルは、理性から夢を見、夢から理性を見る、ということで互いにそいつはなにものかと気づくことから始まる。それが手っ取り早い自覚の方法だ。実際の行動としては、アリを見たり草を見たり雲を見ることになる。彼らは人間精神にとっては鏡である。体を見るのに鏡が必要なように、心を見るにも鏡は必要なのだ。余計なことを言えば、人間を見ることは無駄である。他人とは、夢と現実の境を曖昧にする存在でしかない。

というような、非常にまっとうな日記であったのが、ふと気づいてみれば、自転車トレーニング日記みたいなことになっている。なってしまえば、なってしまったで、ならば、そのトレーニングみたいなものを振り返ってみようと、今日のグラフは天地無朋を見返して、2003年からの半原越のタイムを集めたものだ。2003年の夏は、がんばれば25分を切れるかもしれない、とふるいたったときだ。それいらいタイムを計測したときは、この日記に残してきた。最近はエクセルも使っている。ゆっくり走るときはタイムをとらず、とってあっても抜かして、それなりにがんばった100件あまりをグラフにした。

これをみると、最初から20回足らずで25分はおろか、夢(上の方にある夢とは違う意味での)の大台の20分も切っている。ものすごい進歩のように見えるが、実際は1年近くかかっている。その1年はタイムだけをねらってがむしゃらにがんばったような気がする。途中なぜか全然力が入らずに25分以上かかったときがあった。今思えばオーバーワークになっていたかもしれない。20回ぐらいに2回20分を切っているけれど、その2回の間には1年間の開きがある。その間は台風の影響で土砂くずれがあり、半原越が通行止めになっていたのだ。その間も何度も通っていたけれどタイムは取らなかった。半原越再開通記念にうかれてアタックしたのが2回目の19分台だ。以降、数年にわたって記録は横ばい。

私は自転車の素質がない人間なので、どうしても迷いが出る。その迷いがその後の数年間のグラフに現れている。本当の幸せとは何か? タイムだけが自転車だろうか? 記録が良ければうれしい。しかし、それは真の喜びだろうか。20分も切ったんだからタイムはもう気にしないでおこう、などと反省してしまうのは、無能の証明。それでもやっぱり時計が気になる下手の横好き。


2009.11.13(金)雨 ビックリ論法

お釈迦様は人類で最初に「因果」ということに思い至った。それが(たぶん)「大悟」。釈迦の時代には原因と結果の連鎖という考えは(たぶん)なかった。自然現象を原因→結果という視点で見ることがなかった。つまり、現象の原因、理由を求めなかった。あったとして、それを超自然にまかせて事足りていた。超自然は何でも一発で解決してくれる。あまりに便利だから原因追究の鎖がない。質問は一回こっきりで終わってしまう。「なぜ太陽は毎日同じように昇って来るのか」「なぜ雨が降るのか」「なぜ種は芽を吹きみのるのか」これらの答えは一つである。すなわち、超自然の存在者がそう決めているから。

人の営みも同様である。不幸も幸福も喜びも悲しみも超自然の仕業であり、畢竟人知の及ばないものである。なにせ超自然の存在者がそう決めているのだから。種をまくことはできるけれど、雨を降らせることはできない。沈む太陽をとどめておくこともできない。同じように人の幸福も不幸も人の手の届かない所で決められている。原因と結果という論法がないころには「なぜ私は不幸なのであるか」と問うことは無意味であった。なぜという問いに答えはあっても、その答えに対してもう一歩なぜと問うことは許されなかった。アリもスズメもサルもやっているように、父や母がやっていたことを繰り返しておれば命をつなぐことができた。そこには英知もあり工夫もあり文化文明もあり喜びも悲しみも不安も苦悩もある。むしろ漠然とした焦燥感、喪失感、疎外感(因果の誤った適用でこいつらは育つ)とやらが生じる余地がないぶん、現代人よりも大きな幸福感と小さい不幸感で生きていられたかもしれない。

原因と結果は自然に偏在しているものである。森羅万象に因果は見つかる。しかし、現象に内在しているものではない。驚くべきことにお釈迦様はそのことにも(たぶん)気づいておられた。原因と結果は自然現象ではなく、人が創作するものである。そして、創作するときに快感が生じる。快感が正しさの証拠であり、その能力を伸ばす原動力になる。因果の創作能力は生得的なものではない。訓練で伸びるものだ。体の動きも練習しなければものにならないものがあるように、ものの考え方も練習によって開発され鍛えられるものがある。カントは純粋理性批判で、さまざまなものの考え方を人間精神への生得的割り当てとしてカテゴリー分けした。しかし、それは(たぶん)誤りで(たぶん)不十分。考え方の代わりに体の動かし方のカテゴリーを研究するならば、人間の移動する能力は、這う、歩く、走る、跳び上がる、泳ぐ、自転車に乗る、自動車に乗るの7つのカテゴリーがあり、泳ぐはさらに細かく、いぬかき、平泳ぎ、背泳ぎ・・・・に分類される。こうなると明白に滑稽だ。同様な具合でカントは大まじめに悟性理性を研究したように思う。

おそらくはヒトの精神にはまだ発見されていない能力がある。1万年前までは使っていたけど、いまは捨てられている物事の説明法もある。そのときの社会事情によってどのような論法が実用的かが決まる。現代では、すべての因果にはそれをつかさどる法則があるという論法がもてはやされている。お釈迦様が発見した因果というものの見方は科学になった。仏教の教えは脈々と息づき巨木に育ったのだ。科学以前に発明発見された論法はもう全部ダメだ。神は死んで妖怪は溶解して久しい。「この科学の時代に」って言葉すら今や死語だ。ホンモノの科学的思考法を身につけるのは困難で、その思考法で現象を解釈できたときに生じる快感は(たぶん)強力だ。科学には目覚ましい実績もある。子どものころから鍛えられるし、私も含めてみんな真似する。

しかしながら、本当は現代社会事情にとっては、未発見のビックリ論法が科学よりも有効なのかもしれない。残念ながらそれに気づくことはできない。論理的に導き出せるものでもない。お釈迦様の時代に、物事は原因結果で説明すれば愉快だということに誰も気づいていなかったようなものだ。たまたま正鵠を射た考え方ができたとしても気づかない恐れだってある。それは非常識なビックリ論法であり、科学的に説明できなかったり、歪んだ科学の適用で説明されたり、従来型の神仏や精霊に頼る説明の類として見落とされるだろう。とにかく、現状ではそれがどういうものか予想することもできず、500年ぐらいたってようやく人類に浸透し、その暁には、21世紀の人間たちがその論法を知らなかったことが奇妙ということになっているはずだ。


2009.11.23(月)晴れ 湘南に行った

江ノ島

11月の陽気に誘われて、海に行ってきた。
コースは得意の境川。

携帯電話を持って写メしながらのサイクリング。

境川の途中には日本初の超高層ビルというのがある。
なんだろな、と近づいてみたことがあるけど、
大学の構内にあるようで

何に使われているのかは不明だった。
江ノ島



刈り取りの終わった田に斜光がさして
なかなかよい風景。

稲のひこばえが緑に萌えているのを見るだけでもうれしくなってしまう。


なんとなく。
江ノ島



秋のお約束はアスファルトを歩くカマキリ。

どうやらコカマキリらしいけど、
うっすら緑色が入っているのがちょっと珍しい。

緑のコカマキリを見たのはずいぶん久しぶりのような気がする。


特ダネの血液型選手権で1等だったが、
こんな所でいかされているのか。

江ノ島



海に出ても風がなくて暑いぐらいの陽気だった。

江ノ島



いつ来ても湘南海岸には海水浴客が多い。
いくら神奈川で水温も高いとはいえ冷たくないのだろうか。



寒がりな私は、真夏でも海水浴なんてかんべんなのだ。


2009.11.25(水)雨のち晴れ イチョウ

庭には二階の窓の高さまでに成長したイチョウの木がある。ここに移ってきたときから、そのイチョウはあった。雑草の中にその木を見つけたとき葉がわずか数枚だった。10年ほど前のことである。どんな経緯で銀杏が運ばれ芽吹いたものかも気にすることもなく、あえて成長のようすを気にとめることもなかった。他の草木と同様に一年に数回はカメラを向けて写真に撮ったはずだ。しかし、どんなカットがあるかも思いだせない。くるぶし程度の幼木がふと気付くと身の丈をはるかにこえる木に成長していた。

イチョウの木は毎日少しずつ伸びるというものではないはずだ。おそらくは、春先一気に数十センチ伸び夏に太る、の繰り返しだったにちがいない。伸び盛りであれば、朝晩でその伸長差が目に見えるだろう。ちかごろ折に触れてイチョウが気にかかるのはじゃまになっているからだ。2年ほど前の冬、すっかり葉を落としてあっけらかんと立っている木を眺めていると、ついに夏の日陰のことがうっとうしくなった。のこぎりを持ち出して背丈のところでばっさり切り、低いところにある枝を払った。その程度でイチョウがひるむはずもなく、いっそう速やかな成長をとげ、いまに至っている。

イチョウはつまらない木だ。どういうわけかイチョウを食べる虫がいない。葉に穿たれる穴もなく、新芽にアブラムシがたかることもない。イチョウは自然の山野には生えていない。地球上からは絶滅し虫や鳥からも相手にされない樹木のはずだ。となりに植えたオリーブですらまだましな評判だ。枝にはアオバハゴロモがとりつき、カマキリが産卵している。私のイチョウは単なる場所ふさぎだ。ただじゃまなだけなら切り払って根を掘ってしまえばよい。幹はまだ腕の太さ程度だから、のこぎりを使えば10分で終わる。情が移ってなければとっくの昔にそうしている。

イチョウは冬を感じる木だ。千丈小学校には大きなイチョウの木があり、12月の風が吹くと黄色い葉が一斉に舞い散った。休み時間には落ちてくる葉を空中でつかまえる競争になった。青空に舞う無数の葉の一つにねらいを定めるのは思いのほか難しい。ねらっても不規則に揺れながら思わぬ速さで落ちてくる。目移りするともういけない。十中八九は手に触れることもなく校庭におちたものだ。落ち葉は隅に吹き溜まり、踏みつけて歩けば、あの独特の弾力が足にここち良かった。イチョウの葉が散るたびに秋が深くなる。枝に葉がなくなり落ち葉が雨に濡れ色あせるともう冬なのだ。

小学校のイチョウは私の家にまで運ばれてきた。風の吹いた夜明けには屋根に黄色い葉が点々と張り付いていた。当時の私は小学校と家は全く違う世界だとみていた。小学校にいるときの私と小学校から出たときの私は別人格の子どもであった。屋根に張り付くイチョウの葉は、そんな子どもに学校と家がつながっていることを告げていた。イチョウの葉は学校と家を結ぶ特殊な存在者、二つの世界の媒介者として記憶されたのだ。


2009.11.26(木)晴れ 池のそうじ

今年は池が失敗だった。目に見える失敗は春先にヒキガエルが産卵したけれど、おそらくはそれが原因で水が腐敗し、高等動物(目に見えたものは金魚1匹)が軒並み斃死した。金魚が死んだ水からは嫌な匂いがして、底の泥をさらうと油膜が浮いてきた。それで一度池をリセットし、失敗を繰り返さない決意だけはしている。

池といってももとは衣類収納用のプラケースである。それを庭に埋めて水をため、換水することもほとんどなく、雨にまかせて放置しているだけだ。池には4年ほど育てているスイレンを沈め、ボウフラ対策にメダカを入れている。メダカは水質悪化の物差しにもなる。ただの溜り水だから、ムクゲの花やいろいろな葉が落ちると有機物がたまり腐敗が起きる。ある程度の腐敗は起きて当然だ。放置している水たまりが腐らない方がおかしい。メダカが生きているうちは腐りきってはいない。死ぬようだとリセットが必要だろう。

いまの季節はけっこうな量の葉が落ちてくる。池の汚染源になるから、さらっておいた方がいいだろうと、網を入れた。ひとたび掃除をはじめると、いろいろなことが気になって来る。スイレンもずいぶん痩せてしまったから捨てることにした。池の底には半年分の植物遺骸がヘドロ化してたまっている。それだけでなく、ドロドロした藻類もずいぶん生えている。匂いの感じでは藍藻ではなく緑藻の類だと思う。それもある程度は除去しておきたくなる。残すべきものを判断するためには水中の有機物がどのような過程を経て無機物に変わっていくのかという知識も持っておくべきだと思いつつ。

ゴミをさらうときに、注意しなければならないのはメダカだ。今年の春に入れたものの生き残りと彼らの子どもがけっこういる。やつらは網を入れるとゴミといっしょに簡単に掬えてしまう。メダカを入れずにゴミをすくうのは至難だ。子魚とはいえ、緑藻や植物プランクトンではないのだから庭の肥料にしてしまうのはちょっとかわいそうだ。ぴちぴち跳ねない植物はあっさり殺せるけど、メダカはできるだけ生かしてやりたい。

また、泥の中には数匹のヤゴも見つかった。シオカラトンボタイプのものだ。この池にはアブやユスリカが産卵するところを目撃しており、赤虫もいる。そういうものを食べて育っているのだろう。そうなるとヤゴも生かしておいてやりたい。かくて、安易にヘドロ掬いをするわけにもいかず、根本的な掃除の方法を考えなければならなくなった。この庭にはヒキガエルがうろついている。腐り水ではない水たまりを用意して、せめて産卵ぐらいはさせたいのだ。


2009.11.28(土)晴れ サロメチールを使ってみる

来春からプロとして走るという自転車乗りからサトウ製薬のサロメチールをもらった。サリチル酸メチルがはいっている筋肉への塗り薬だ。筋肉痛等の緩和に効果があるという。「○○止め」などをうたう薬品に対しては食わず嫌いの傾向が強い。しかしながら、いざ試してみると驚くほどの効果があり、早く使わなかったことを後悔するものもあった。先日は自転車に乗る前にベルギー製のウォームアップジェルを使ってみた。ぽかぽかしてなかなか気持ちよかった。1瓶5000円のサロメチールで何かよいことがあればもうけものだ。

ふたを開けると、あ、これねという臭いがした。30年ほど前に知ったタイガーバームという薬品に似ている。大学生のときに家庭教師をしていたお宅の主人がゴルフ好きで、タイガーバームを愛用していた。運動前に塗っておくと筋肉痛を予防し、攣ることもないとのことだった。ただし、あのころタイガーバームは国内では販売しておらず、香港で買うにしても目が飛び出るほど高価らしかった。1瓶いただいたものの、大事にとって置きすぎて一回しか使わなかったような覚えがある。そういうことも思い出しながら、サロメチールを脚に塗って出かけることにした。かなりの刺激臭がする。女房は虫や小鳥並にこの手の薬品に弱く、それは毒だと騒いでいる。

今日もナカガワで境川だ。気象予報士の三ヶ尻さんが、北の風が強いと言っていたから、向かい風インターバルをするつもりだった。川に出てみると、残念ながら風はそれほど強くないようだ。最初は南に向かうから追い風だ。踏み込めば楽に40km/hにあげられるくらいには吹いている。それではと、ギアは48×17Tに固定して、速度も30km/hに固定する。追い風では力を出さずに休憩、向かい風ではがんばる。80〜90rpmで、下死点のところだけでふっと力を抜いて引き脚も使って回すことを意識する。その動作がうまくできないようでは半原越のタイムもあがらない。

境川は寒くなってくると次第に人も少なくなって、今日はすいすい走れた。4時間ちょっとで100キロちょっと。この程度ではもともと筋肉痛になることはなく、攣ることもないので、肝心のサロメチールがどれほどの効果があるかはわからない。ベルギー製のウォームアップジェルの良いところは、塗るとぽかぽか熱くなるところだ。耳だの顔だのはともかく、脚が冷えると自転車に乗るのもしんどい。筋肉痛はかまわないから暖まるだけでありがたい、というかその効果をうたった薬品だ。残念ながらサロメチールにはぽかぽか効果はないようだ。


2009.11.29(日)くもり 掃除をする

チネリ

雨が降るのは夕方からという予報は信じてもよさそうだった。それでも、絶対に雨に濡れるのはかなわないと、午前中早めに出かけることにした。坂を登る気は失せており、今日も境川。チネリを使うことにした。川に出ると風は東寄りでやや強い。この風は北に向かうときが向かい風になる。昨日よりも強い風だから、52×19Tを使うことにした。向かい風では、そのギアで27km/hぐらいになる。ケイデンスは80rpm。

今日もサロメチールを塗ってきた。風に負けないようにとペダルを踏み込むと太ももが痛くなる。今日はその痛みが来るのが若干遅いように思う。サロメチールの効果だろうか。こいつが効かなければ塗る意味もない。効くとしても、その結果、脚が甘えてしまって薬なしでは走れなくなっても困る。いや、そうなっても死ぬまで薬を使い続ければ良いのだ。などと、しょうもないことを考えながら走っている。頭に血が回っていない証拠だ。

境川で面白いのは向かい風だ。残念ながら集中して走れるのは立石から今田の5km弱しかなく、15分程度で終わってしまう。やはり30分ぐらいは走りたいものだ。冬型になる季節はこの近くでは多摩川がよい。少し遠くて途中の道もつまらないので行くだけでうんざりしてしまうのが難点。いっそ、登戸か二子玉川まで輪行、いや246なら1時間足らずだなどと考えてもしょうもないことを考える。今日はどうも集中できない。自転車の錆も気になりはじめた。20年以上も使っており、錆るのは仕方がないにしても、汚れも目立つ。掃除がおっくうだというのはよくない。早めに帰って自転車と池の掃除をしようと決心する。

相鉄線の線路をくぐる手前の緩い坂でまた視線を感じてしまった。神社と寺がどういう加減か隣り合っているところで、以前はヤツデの木が老人に見えていた場所だ。そのヤツデも1年ほど前に切られて今は影も形もない。視線を感じたのは道路を挟んでヤツデの向かいに立てられている不法投棄禁止の看板だった。ヤツデとちがって、どこをどう見ても人の顔や姿になるような代物ではないが、たしかに凝視されている感覚があった。やはりあそこには「なにかいる」のだろう。

けっきょく池は水の中に手を突っ込んで、泥や藻をつかんで捨てるのが手っ取り早いという線におちついた。藻や汚泥を捨てるにしても、捨てきってはいけないと思う。目写りのすがすがしさと環境の良さはけっして一致しないということを胆に銘じている。汚らしいとしか見えない汚泥や枯れた藻も、そこは微生物の住処であり、水質浄化に重要な役割を果たしているかもしれない。少しだけ藻を捨てて水を入れ替えることにする。葉が落ちきるまでにあと1回ぐらいは掃除しなければならないだろう。

池のあとは自転車だ。ナカガワとチネリを掃除する。両方ともずいぶん錆も汚れも多い。こちらは池と違っておもいっきり掃除してもかまわない相手だ。オイルとボロ布で拭く。最初に手を付けるのはチェーンとギア。まず注油。そして最も汚れが強い所からきれいにしていくのが自転車掃除のコツだ。もちろんチェーン用とその他用のボロ布は別のを使う。午後の住宅街は静かだ。なにやらコツコツと音がする。小鳥が何かをつつく音のはずだとその方向を見れば、柿の枝をシジュウカラがしきりにつついている。なにか食べられる虫でもいるのだろうか。しばらくすると子どもたちがスケートの練習を始めて路地がにわかに騒がしくなり鳥もいなくなった。子どもたちがいなくなると前よりいっそう静かになり、今度は反対側から鳥の気配がする。わが家の庭でヒヨドリが水浴びをしているようだ。鳥の水浴び用にスイレン鉢を設置したのではないけれど、人の思惑をうまく利用することも、住宅地で野鳥が生きるためには必須のことだ。16時を過ぎるとあたりはどっぷり暗くなり、鳥の気配もなくなった。


2009.12.1(火)晴れ モーニンググローリー

モーニンググローリーは数年前にギャヴィンという人の著書でその存在を知り、どういう加減でそんな奇妙奇天烈な雲ができるのか大いに気になった。オーストラリアの限られた地域に限られた時にしか発生しない雲であるから、一生見る機会はないと思っているものの、その発生原因は知りたい。ギャヴィンの著書からは解明の手がかりすら得られない。運よく、先週の土曜日にたまたまNHKのワンダー×ワンダーという番組と、世界ふしぎ発見!でモーニンググローリーが取り上げられ、それを見ることができた。とくにワンダー×ワンダーでは成因についての解説もあった。残念ながら番組中の解説は不十分である。おそらくは未解明なことと、気象現象を視聴者に説明することの限界から半端に済ませたものと思う。それでも番組のおかげで発生原因解明の糸口はつかめ、今後の研究の方向は明らかになった。

ワンダー×ワンダーの取材は非常に運が良く、立派なモーニンググローリーを空と地上から写し、しかも交差するモーニンググローリーという珍種もとらえていた。飛行機乗りがらみだけでなく専門家のデータや解説もついているという豪華な番組だ。発生場所はヨーク岬半島の付け根の西側、季節は春先の乾期から雨期への移行期、時間帯は早朝、前夜の高湿、雲の規模や移動速度などはギャヴィンの著書を読んだ記憶と一致している。さらには、観測データとして雲の進行側では500m、後ろ側で1000mのところに空気塊の不連続面があり、上は湿度が高いとあった。また、オーストラリア全土にわたる規模の砂塵嵐を起こした風が南方から来る珍種のモーニンググローリーを生んだという新情報もあった。

以上のようなテレビ解説と私が受験勉強で培った気象学の知識を合わせると、おぼろげながらモーニンググローリーの正体が見えてくる。湿度の不連続面が階段状にできているというのは、湿った空気の下に乾いた重い空気が潜り込んでいるからだ。ちょうど寒冷前線のようなものである。数百キロに及ぶという規模からすると、それは前線なみの気団のぶつかりが想定される。ただし、前線でできた雲としてはやけに小さく鋭くまとまりすぎている。寒冷前線と同じような不連続面はできているけど寒冷前線ではない。

地上付近に湿った空気があることは、モーニンググローリー発生前夜は必ず露が降りるという住民たちの証言からも確かだ。湿った空気は海から内陸にやってくる。テレビで言ってたように海風かもしれないし他の要因かもしれない。ともかく春先のオーストラリア大陸北部を海由来の暖かくて湿った空気が覆うことは珍しくはないだろう。そこに、そのじめじめした空気を持ち上げる空気の塊が夜明けとともに時速60kmでやって来ればモーニンググローリーができるのだ。

その時速60kmの風の方が問題だ。その風の正体を突き止めることがきっと核心になる。時速60kmで移動する空気塊、つまり風というのはそれほど珍しいものではない。木枯らしも春一番も台風もそれぐらいの風は吹かせる。ただし、モーニンググローリーとそれらの風は決定的な違いがあると思う。木枯らしなんかは気圧傾度で吹く風で、低気圧が吸い込むことがその原動力だ。モーニンググローリーの風は吸い込まれているものではなく、直接的には、押されたものだ。押す風といえば南極大陸のブリザードを例に挙げることができる。オーストラリアに砂塵嵐を巻き起こした風も大陸に吹き下ろす高気圧が押す力が最も近い動因であろう。番組中では砂漠からの南風、おそらく冷たく重いその風でもモーニンググローリーが起きていた。しかも、通常の東から来るものと南から来る特殊なものとの交差もとらえていた。低気圧が吸い込んでいる風ではおそらく交差は起きまい。全く別の二つの空気塊によって別々に押されているはずだ。

冬のオーストラリア大陸は高気圧に覆われると思う。そうなると、ヨーク岬半島の付け根あたりでは南東の風が吹く。北半球とはちょうど逆方向の風だ。さらに、あの辺は貿易風帯にあたり南東よりの風が卓越するはずだから、その両者と、ヨーク岬半島の地形、気圧配置等がからみあって、幅1000kmにわたって時速60kmの風が突発的に吹くという条件がそろうかもしれない。問題はその条件なのだが、さっぱりわからない。私は満たすべき要件の中から「早朝に吹くこと」というものは除外してかまわないと思う。モーニンググローリーは必ず夜明けに発生するけれど、その風はいつ吹いてもかまわない。たぶん地上付近に湿った軽い空気がでんと居座っておれるのは夜間から夜明けに限られる。そこにたまたま烈風が潜り込んでくればよいのだ。

以上はテレビから聞きかじった知識と35年前に入学試験用として勉強した危うい知識をあわせて考えたものであるから信用には足らない。本当は、長江やアマゾンで知られる大海嘯に匹敵するような驚天動地のメカニズムが働いているのかもしれない。じつは、そうあって欲しいと願っている。


2009.12.2(水)晴れ くやしい話

この3日ばかり口の中が痛い。ほっぺたの内側に傷があってしみる。口内炎のような症状だけど口内炎ではない。誤って食べ物といっしょに噛んでしまえばこうなるが、その覚えもなかった。今朝、まだ夜明け前、歯茎の痛みで目が覚めた。右前歯の付け根の激痛だ。虫歯ではない。歯槽膿漏のようなものか? なにやら尋常ならざる事態である。

いったい何事かと、布団の中で胸に手を当てて考えてみる。どうも眠っているときに歯を食いしばっているようだ。数日前にはほっぺたの肉を挟んで歯を食いしばり、肉をかみ切ってしまった。今朝は、歯だけであったが、あまりに強く噛んだもので目が覚めるほど歯茎が痛くなったのだった。そうなった理由はけっこうはっきりしている。涼しい顔をしているけれど明らかだ。「龍勢ヒルクライム」での惨敗が、くやしくってしょうがないのだ。若い頃にはしょっちゅう同じ目にあっていた。

この20年ほど知らんふりを続けて来たけど、私は博打やスポーツ、ゲームなどの勝負事が好きである。自分でやるほうだ。ただし、その全てで下手の横好きを露呈して来た。惨敗するのはゲームそのものに才能がないからではない。器用であり頭も良い。向上心も創意もあってよく練習をする。しかしながら勝ち負けにこだわるあまり、とくに些細なことでも負ける自分が許せないあまりに、冷静さを失ってしまうのだ。勝負事での運は平等で、いくら強くても負ける事がある。拮抗した相手ならば勝ち負けあって当たり前で、失敗したり不運にみまわれても頭を切り換えて次に臨めないようでは、はじめる前から負けているのも同然だ。その弱さが克服できないことがまた悲しくて、勝負事は嫌いです〜なんて顔をして何事も避けて来た。なのに先月、ひょんなことから龍勢ヒルクライムを走ってしまったのだ。30歳の頃に較べると、ちょっとは成長もしているかと思いきや、もっとダメになっているかもしれない。

龍勢ヒルクライムは輪行で使った横浜線の電車ですでに負けていたのだが、一番大きな負けはレースそのものである。体調は万全であり、半原1号も絶好調。じゅうぶんアップして体も軽くスタートラインに立っていた。はじめてのレースでもあり、実力はビギナークラスであるが、ちょっと見栄を張ってシニアのクラスで登録した。シニアは、かつてばんばん走っていた選手が衰えても夢覚めやらずにがんばっているという、かなりいかすおじいさんのいるクラスだ。そういう人達を含めたシニア90人のなかで、最近はじめたらしいおじいさんと「いやぁ、ぼくは完走しかねらってないですから」「そんなこと言ってる奴は100人知っているよ。どうせスタートするとびゅんびゅん行くんじゃないの?」なんていうお約束の会話をしてにこやかに過ごしていた。シニアは、エキスパートという年齢関係なしの最速グループと、レディスというこれも年齢関係なしの女性陣ともいっしょのスタートだ。

もちろん勝ち負けには参加できないけれど、それなりに走れるつもりでいた。16kmの登りのレースだが、コースプロフィールを見ると、じゅうぶん実力を発揮できれば1時間は切れると思っていた。そのために作戦も立ててきた。本当は試走をしてコースを見ておけばよいのだが「ふん、そこまでしなくても1時間切りなら」とちょっとなめた上での作戦だ。

地図上でコースを3つに分けた。スタートから龍勢名物の「大鳥居」までの緩い登りを区間1。大鳥居からピークまでの斜度のある区間2。ピークからの下りをふくんだゴールまでの区間3。区間1は集団はハイスピードで行くはずである。はじめてのレースなのだから冷静さを失って、そのハイスピードに乗っかると勝負の区間2を前にしてばててしまうだろう。ここは手綱をしめて最後尾にくっつくつもりで行こう。区間2は得意のはずだ。私は半原越のスペシャリストであるが、区間2の距離と斜度は半原越に近い。半原越よりは緩そうだから区間2を20分以内で走れれば1時間切りは可能である。半原越をやってるつもりでおもいっきり走ろう。区間3は下りや緩い所も多いから、区間2までのタイムを見てからの出たとこ勝負でOKだ。この作戦で走った結果は以下の通りである。

距離ラップタイムkm/hbpmrpm
区間17.225'40"25'40"16.7-61
区間25.247'59"22'19"14.0-64
区間34.065'52"17'53"13.6-47
全 体 16.51.5'52"15.0-58(3860)

2009.12.4(金)晴れ 区間1

区間1は当日朝にウォームアップを兼ねて試走していた。全体的にゆるい登りだから注意が必要だと思った。強い連中は、スリップストリームを利用して引っ張り合って高速で行くだろう。平均時速は30kmぐらいになるはずだ。私はおそらくそれについて行ける。けれど、ついて行っただけで終わりで、そこでばてて、区間2でとんでもない遅れをとって完走すらおぼつかなくなる心配があった。何もかも初めてだ。初レースで舞い上がってペースを崩してはいけない。とにかく、区間1はゆっくりと。800人で一番遅くてもいいからゆっくり行こうと決心した。

スタートから押さえたので、当然、三者混合の第一グループで一番後ろを走ることになる。60歳ぐらいだけどビギナーっぽいおじさん。20歳ぐらいの「カレシに誘われて来たの」的なかわいらしいおじょうさんと3人で最下位トリオを形成する。平坦でのパレード走行、時速25kmにもついて行け(か)ず中切れ。じりじりと差は開く一方。それでも私はあまんじて最下位集団を走る。

2車線の道路を右側通行できるのがレースの醍醐味といえよう。ちょっとうかれて、センターラインをまたいで、やらなくてもいいジグザグ走行をやっていると後ろからけたたましいクラクションが響いて車が迫ってくる。一般道ならこちらが悪いが、これはレース。当然関係車両だと思い、さては、けが人でも出たかと左に避け、追い越していった車を見れば、軽トラである。どうやら地元民のおじいさんが突っ込んできたのだ。それも怒って。そういや、スタート時の注意で、交通規制はしてるけど、車が入ってくることがあるから気をつけてね、などと軽く言われてたが、本当に来るとは思わなかった。参加規定を読んだときに「たとえ事務局のミスで死んだとしても訴訟はしないこと」と書かれてあって、はて、どうすればそんな事故が起きるのか?と悩んだが、このことかと合点がいった。腹をたててもしょうがないので、かる〜く笑って「ホントに車が来るんだねえ、あれ、審判が乗ってるのかね」とおじょうさんと話しながら、余裕を見せることにする。一般道では自殺行為のブラインド右コーナーのアウトインアウトをやってみようと目論んでいたところだったが、恐くてできなくなった。そのためにエントリー料の5000円を払ったようなものなんだが。

盆地の朝霧が晴れて青空から日が差し込んで谷間の紅葉を照らし出す。なんとさわやかな秩父の晩秋なんだ。そんなこんなでいつしか集団も見えなくなり、3人で(少なくとも私は)のんびり走っていると、3分遅れでスタートした男子A、6分遅れでスタートした男子B、9分遅れでスタートした男子Cと、つぎつぎに後続にも抜かれ、いよいよ焦る気持ちも高まってきた。それでも意地でがまんをつらぬき、おそらく参加選手中最下位から2番目ぐらいのタイムで大鳥居をくぐることになった。でも、区間2を20分なら1時間を切れると、そのときは思っていた。


2009.12.5(土)雨 区間2からは

区間2からは勝負だ。はっきりと声にも出して力も入れる。斜度も距離も気分も半原越TTで、前に進むことに集中する。じつは区間2のことはほとんど覚えていない。鳥居の下で36×21Tに入れて踏んだ。そのあと、どういう路面でどういう景色で脇にどういう木が生えているのか。当然、選手はいっぱいいるのだが、その人たちのことも覚えていない。坦々と最速で頂上を目指した。

頂上でキャットアイのボタンを押して、タイムを見て無情にも22分かかっていることを知る。ラップは48分だ。完全に息は上がり脚も回らなくなっている。残り4kmを12分で走れるか? 平均時速は20km以上だ。1km足らずの下りもあるが、3kmの登りはけっこう斜度があるはずだと計算して、というか計算が働いて、1時間以内は無理だとあきらめてしまった。

走ってみれば区間3はそれほど難しくはなく、あきらめなければ1時間2分ぐらいでフィニッシュできただろう。それにしたって負けにはちがいない。レースを終えて下ってからもサイクリング以外の事で大きな負けを喫してしまうのだが、この1時間切りができなかったことの方が悔しい。

あまりにも悔しくて次の土曜日に輪行して秩父に向かい再挑戦することにした。情けなくも朝寝坊して出発が遅れてしまった。それでもぎりぎり間に合う時間だったが、西武秩父線の車内から外の景色を見ていると、ずいぶん気持ちが良さそうで、正丸で降りて自転車で行くことにした。それがまた間違いで、正丸からは多少の登りがあるうえ、交通量の多い頂上のトンネルは地獄である。自転車が走っているとダンプだとセンターラインを越えて追い越すことになる。それは気の毒だからと、トンネルにはお約束の歩道みたいなところを走ると、嫌がらせのようにコンクリの蓋で車輪がガコガコ跳ねて不愉快だ。けっこう泥濘も多い。

這々の体で299号線を走り、45分ロスで秩父市内にたどりつく。もう大丈夫なはずだ。秩父からは龍勢ヒルクライムまでのコースは10kmほどで、一度は走っているところだから間違えるわけもない。ところが、何を焦ったのか市街地で299号線を離れ、荒川にかかる妙に立派な橋を渡ってしまった。はて、先週に渡ったときはこんな立派な橋だったかしらん、と疑問はおきたものの、まあ、橋1本ちがったぐらいで致命傷にはなるまい、とそのまま走ることにする。橋を渡れば登りだ。これは記憶と一致する。前回は下って降りてきたのだから、今回は登るのだ。ところが妙に登りがきつく長い。ぜんぜん覚えのない所を走っているような気がするものの、登っていれば楽しいという悲しい性もある。けっきょく、上まで登ってわけのわからん公園のような所に出て、リカバリーできるような道路はなく、引き返す他はないと知ったときに、龍勢ヒルクライムコースの個人TTをする時間もなくなっていることに気付いた。

というような次第で負け続けている。このままではいけない、ちゃんと練習しなければ。龍勢ヒルクライムでの失敗は明らかに区間1で押さえすぎたことだ。緩い登りでスピードを維持できるようなペダリングをマスターするんだ。ということで今日もいそいそと境川に出かけた。20kmも走らないうちにけっこうな雨が降り始め、あわてて引き返すも、時すでに遅く濡れ鼠になってしまった。午前中から雨が降るとは予想してなかった。雨雲レーダーをインターネットで確認し、3時間は降らないという自前の予報をしていたのだ。一方、気象予報士の三ヶ尻さんの「けっこう大粒の雨ですよ」という予報はぴったり当たっていた。12月の雨としては暖かく、どうせびしょ濡れになるのなら、雨の装備をして走ればよかった。


2009.12.6(日)晴れ 腹が減る

今日はすばらしい天気だった。暖かくて風もない。11月15日がこの秋最高の天気だと思っていたけど、今日の方がよい天気だった。こんなに暖かいと越冬を決め込んでいるはずのモンシロチョウなんかがうっかり羽化してしまわないかと心配になる。

陽気に浮かれて出かけていったのは境川。昨日は大粒の雨に降られて這々の体で引き返したのだが、今日はおもいっきり走れる。しかも境川ですら無風という年に数度の異常事態だ。52×17Tにかけて35kmで巡航、と思ったけれどそれはいろいろと無理があり18Tを使う。休んで30km/h、はりきって33km/h。サロメチールは塗ってないけど今日は快調。12月なのに鼻水の心配が無用。毛糸の帽子も無用。汗で発熱するというふれこみのパールイズミのアンダーウエアがなかなかよい。

好事魔多しとはよく言ったもので、90kmほど走ったところでふと寒気を感じてウインドブレーカーを着た。なぜ寒い? はっと気付いたときにはもう遅い。ハンガーノックだ。朝飯は食ったとはいえ、コーラとラクトアイスと缶コーヒー(微糖)で4時間は無理だ。あわててコンビニでいちご大福を買ったがもう遅い。休憩する気にもならず、そのまま走ることにする。さっきまでの快調が嘘のようで、力が完全に抜けて25km/hも出ない。これも一つの教訓だ。


2009.12.7(月)晴れ フリーセル35000

現在のところ、解いたフリーセルの数は35000個を少し越したところだ。ペースはどんどん遅くなっている。解く技術自体は上がっているのだが、当てる時間が減っている。これほど自転車に入れ込まなければ・・・と反省することもあるけれど、自転車をやっていなければ他にもやってることがあるような気がする。たとえばテレビを見たり彩雲国物語や精霊の守人シリーズを読んだり。フリーセルはやらねばならぬのだが、それはそれでけっこう辛いものがある。集中してやらなければ、いたずらにカードを繰るばかりで、無駄に時が流れていく。行き当たりばったりで何かを学べるレベルはとっくの昔に卒業している。残り寿命を考えれば、いまは集中を持続できる10分から20分の時間をうまく見いだして数を重ねて行く必要がある。

もともとフリーセルというものを知ったのは10年くらい前だろうか。数か月後に定年退職という先輩がパソコンでやっているのを見た。ウインドウズ2000か何かの機械だった。先輩の腕は傍目にも初級レベルで、たぶん1000個かそこらしか解いていない状態だったと思う。そのときに教わったことでは、フリーセルはOSの付録で、ゲーム数は32000個ほどがあり、うまくやれば全部が解けるようになっているとのことだった。そして彼は、退職したら本気で取り組んで全部解くのが目標なのだといった。解き方を教えてもらって、ひとつやってみた。たまたますぐに解けたものの、それを32000個解くのは易しくはなさそうだった。うらやましい人生目標だなと思った。

それ以来、ウインドウズのフリーセルにはほとんど触れていない。マシンは、2000からビスタまで職場で強制的に使わされてきた。フリーセルもついているはずだが自分の機械で起動したことがない。私のやっているフリーセルは今や遺物となってしまったMacOSのものだ。こちらのフリーセルはウインドウズに比べてかなり洗練されている。有料ソフトでしかもマックなのだから、デザインや操作感が優れているのは言うに及ばない。大事なのは、履歴が残せることだ。解いた後でもゲームを保存して第一手から振り返ることができる。その機能によって、技の研究もできるし難しいのも楽に解ける。解いた証拠も残るから何個解こうという目標も立てやすい。

だから、私はフリーセルを35000個解いたからといって、10年前に退職した先輩に勝っているとは思わない。ウインドウズのフリーセルは凶悪なしろもので、あれにつきあうだけでかなりの苦痛を強いられる。あんなものには触りたくもないのだ。そんな隙間があれば、階段登りとか漢字の書き取りとか、少年ジャンプを読むとか、もっと楽しいことでそれを埋める。ワードやエクセルにも通じるような、何か人を苛立たせるものが、あのゲームにはある。あれを32000個解くというのは、頭の体操かんたんパズルから喜びを見いだせない人、つまり知能指数の低い人には拷問であり、先輩のように知能指数が高くひまをもてあます人には真性の修行に他ならない。彼がいまいくつまで解いているかを私は知らないが、その決意を途中で投げ出すような人ではないことを知っている。つまり、変人だが尊敬できる人物ということだ。


2009.12.12(土)晴れ 多摩川へ

多摩川

朝、目が覚めて、こんなに暖かくていいのだろうかと思う。半袖にするか長袖にするか迷うぐらいだ。風も弱いようで、いまいち勝負の日ではない。それならと多摩川に行ってみることにした。まずは246を一路東へ。246は多摩川への最短コースだ。自動車にぶつかることを恐れなければ246は快適な道路だ。むしろ、神奈川の農道、林道よりは安全だ。少なくとも全車両が前を見て走っていることは信用できる。

45分走って多摩川に到着。二子玉川から登戸へ。途中、腹が減りそうだったから、宿河原あたりのパン屋で焼きそばパンなどを買って食べることにする。パン屋の向かいが焼鳥屋で、100円!の焼きそばをパックで売っていた。焼きそばにしようかパンにしようか迷って入ったパン屋に焼きそばパンがあった。どうもその焼きそばは焼鳥屋のものらしい。次の機会には焼鳥屋にパン焼き鳥なるものがあるかどうかを調べる必要があろう。パンは多摩川の河原に降りて食べる。本流と離れて池のようになっている水たまりがあった。小魚が群れている。大きな魚も跳ねる。鯉らしい。水が出たときに取り残されたのだろう。河原でトランペットの練習をしている人がいる。音が聞こえるけれど姿は見えない。枯れ草の背丈が高いのだ。

多摩川サイクリングロードは久しぶりだ。多摩川は広々と見晴らしが良い。天気のわりにずいぶん自転車が少ないように思う。サイクリングロードは何も変わったところがないようだったけど、府中のほうでは路面にガタガタの嫌がらせがずいぶんたくさん作ってあった。ここのところ、自転車が歩行者をはねて死なせたりする事故が多いから、その対策なのだろう。事故は他人事ではなくじゅうぶん注意しなければならない。ただ、ガタガタの嫌がらせは不愉快だ。自転車が少ないのもあの嫌がらせのせいなのだろうか。

浅川、湯殿川と多摩川の支流をさかのぼって八王子。16号線のバイパス沿いに多摩美大まで緩やかに登る。尾根緑道を通って桜美林大学へ下って境川のサイクリングロードに出る。境川の両側のフェンスはどうもいけない。やっぱり閉塞感がある。好きこのんで走るところではない。境川の嫌がらせは舗装のでこぼこではなく、道路に埋め込んだ鉄柱だ。でこぼこはがまんすれば減速しなくても走れるが、鉄柱は無理だから抜群の減速効果がある。ただし、あれで怪我をした人を何人か見ている。自転車道路は限りなく快適なものにして、自転車乗りのモラルと技術で安全を守るのが本来の姿だ。道路にわざわざ嫌がらせを作るのは狂人の発想だと思う。

ぐるっと1周して80kmほどのサイクリングコース。手放しで楽しめるわけではないが嫌でもなく、かといって毎週行く気にはとてもなれないビミョーなコースだ。


2009.12.13(日)くもり 向かい風インターバル

荻もセイタカアワダチソウもすっかり枯れて冬の装いだ。その白いふさふさの穂が揺れているから風はある。今日あたりは北風も吹くだろうと境川にやってきた。今年は今ひとつ冬になりきれない。低気圧が過ぎて、さあいよいよと覚悟を決めれば、高気圧が西の方から流れてくる。木枯らし1号が来たという記憶もない。冬の風に吹かれた覚えもない。追い風の中を28km/hぐらいで走っていると、ところどころ前から風を感じる。東よりの風らしい。そもそも荻の穂の揺れでそれと気付く程度で強くはない。

大清水高校前で折り返して、恒例の向かい風インターバル。追い風に乗っているときは弱い風だと感じていても、向かい風になるとそれなりの風圧を感じる。何度やっても「あれ、こんなに強い風だっけ」と感じて、前もそうだったと思い出すのがお約束になっている。ギアは52×19Tを選択。向かい風でぎりぎり80回まわせるギア比だ。30km/hまで上げることはできない。心拍計は壊れてしまって使っていないが、170bpmぐらいになっている感じ。9kmを20分ぐらいのペースで走る。

今日は日は射さないけれど、ぞっとするほど寒くはない。帽子も冬用の手袋もいらない。本格的に北風が吹くようになると、この向かい風インターバルは面白くなる。スピードはたいしたことないのに、目一杯の出力で、鼻水じゅるじゅる、よだれだらだら。見た目はかなり悲惨なことになる。やってる本人はかなり楽しんでいるから心配はいらない。


2009.12.14(月)くもり 1円を笑う者

大清水高校の手前にある「嘘は嫌いだ。」というポスターが貼られていた自販機で飲み物を買って、少し休んで、折り返すのも習慣である。自転車道路を外れて店まで行くのは面倒だが、往復路の脇で自販機があるのは、そこを含めて2、3か所しかない。走っている途中で止まるのもしゃくだ。製品ラインナップにコーラがないのは残念だが、12月なら熱い缶コーヒーも悪くはない。インターバル2本、1時間20分に1回の割合で休むことになる。

昨日はコーヒーの微糖ってやつを買うべく、財布から小銭を取ろうとしたときに、1円玉を落としてしまった。反射的にこれはまずいと思った。こういう状況で1円玉を落としたことを忘れてしまうのが最近の傾向としてある。キャッシュディスペンサーで現金を取り忘れ、改札で定期券を取り忘れ・・・そういう忘れ物で悔しかった記憶はありあり残っているが、かんじんの取ること自体は相変わらずぽっかり忘れている。ここでそのミスをもう1回積み重ねるのは無しとしたい。かといって、すぐに1円を拾うのもしゃくである。体はすでにコイン入れに向かっていることでもあり、ここは余裕をみせて「ふっ昨日までのオレじゃないんだぜ」と、缶コーヒーを買ったあとでおもむろに拾う方がスマートだと思った。

たまたま100円玉がなく、520円を入れて120円の缶コーヒーのボタンを押した。当然、頭の隅には足下に落ちている1円玉がはいっている。しっかり缶コーヒーをゲットしてから、確実に1円玉を拾い上げて財布に入れ、財布は背中のポケットに入れ、コンクリートブロックに腰掛けて缶コーヒーを飲む。顔見知りが幾人か通り過ぎていく。みなさん相変わらずがんばっておられる、負けてはおれないと立ち上がり、空き缶をリサイクルボックスにコンと放りこんで風に向かって走り出した。

80rpm、時速28kmで5分ほど走ると、腹が減りそうな予感がする。北の折り返し地点にあるコンビニで何か買おうと思った。自転車に乗るときには小銭しか持たないことにしている。理由は落とすのが恐いから。自転車に乗る度に何かを失っているこのごろである。自転車で走り出せば、うまく乗ることに比べて、たいていのことはどうでも良くなる。お金や携帯電話などは二の次になってしまう。財布にある小銭を概算して、さっきのおつりの400円もあるから、大福やにぎりめしが買えるだろう。そう思ったときに定例になりつつある不安感が心臓から肺のあたりに広がった。400円を回収した記憶がない。

「こりゃあかん。もう走れないのか」と青ざめるが、財布には折りたたんだ千円札も入れておいたことも思い出した。ひとまず安堵。せっかくよい向かい風なのだから、少々の金のことよりもしっかりペダルを踏む技の習得のほうが大切だ。食料は千円で調達すれば問題ない。さあ集中だと20分走って、コンビニに駆け込んでいちご大福を買ってゴミ箱の前で食う。

折り返すと追い風だから焦ってはいけない。あくまでゆっくり走って例の自販機に向かう。あの自販機は最近は人気がないはずだ。夏だと、リサイクルボックスがあふれて、売り切れも出るくらい売れているが、12月ともなればさっぱりだ。コーラがないのが敗因だと思うな。1時間ぐらいならなんとか。客が来てもおつりが出ない買い方だとOKだ。でも、誰かが先に釣り銭ボックスに手を入れてしまえばもうダメだ。120円とか130円とか半端な値段がまた良くないな。2年ぐらい前に釣り銭切れとかで買えないこともあったぞ。ああもうダメかもしれないなあ、とくよくよしはじめる。いや、そんなことで上の空になっていたら深刻な事故を起こしかねない。ここは一つ気持ちを切り替えていつものようにまっすぐ走ることを第一にしよう。早かろうが遅かろうが無いものは無いあるものはある、と割り切ろう。

われながら、しっかり走ったと思う。追い風の中、あせらず時速27kmを保った。いざ自販機が近づいたとき目の前が暗くなる思いがした。そこには3人組の自転車乗りがいて、何かを飲んでいたのだ。もうダメだとあきらめた。あきらめつつ自転車を降りて押しながら、平静を装って目標の自販機に近づいていく。無くなっていても、まさか「私の400円、知りませんか」とは聞けまい。後で考えると賢明な判断ではなかったのだが、人影を見つけた瞬間、まず釣り銭ボックスを調べるのは不自然だと思った。背中のポケットから財布を出して、自販機にコインを入れながら、ちらっと釣り銭ボックスを盗み見ると、なんと、透明なプラスチック越しに積み重なっている百円玉が見えるではないか。暗くなっていた視界がぱっと明るくなった。

半分の意識で自転車乗りたちの会話を盗み聞く。「張り切って飛び出すのはいいけど、目の前でタレないでくださいよ」「またアレだって、がっかりしますから」「黄金のタレってね」「そうそう黄金のタレ」。黄金のタレというのは、栗村修さんがベルギーのジルベール選手の走法につけた愛称だろう。そういうことはひとまず置いといて、今は奇跡の再会を果たした400円だ。ここは一つ、あくまで自然の流れでおつりを取るのといっしょに回収すべきだと思った。よりいっそう平静に130円を入れて120円の商品のボタンを押し、10円玉といっしょにしっかり400円を回収し、おまけの缶コーヒーも忘れずに取り出して、勝利を確信して指定席のブロックに腰をかけた。

そのときは気が動転していて以下のことにまで考えが及ばなかった。私のとった行為では、もし彼らが400円の存在に気付いて忘れ物だからと放置していたのなら、釣り銭といっしょに忘れ物をかすめ盗ったずるいヤツだと蔑まれる恐れがある。むしろ可及的速やかに釣り銭ボックスに手を伸ばすほうが賢明だ。その行為が、落とし主の証明になるはずである。なぜなら、そこに400円があることを知っているのは他ならぬ落とし主であるから。さらに、そこに400円がなかった場合でも、あわてて手を突っ込む行為は「私、ついさっきここで釣り銭取り忘れたんですけど・・・」と無言で主張する哀れな中年おやじを演出することになろう。ちょっと恥ずかしいかもしれないけれど、その哀れさは400円を拾ったかもしれない彼らの良心にうったえる可能性もある。「もしかして、これ取り忘れてません?」などと返してもらえるかもしれないのだ。自転車乗りはいいヤツ多いし。特に自転車に乗ってるときは。

ともあれ、昨日は事なきを得たばかりでなく、次におつりを取り忘れて戻ったときに人がいた場合の対処の方法も明らかになるという望外の収穫も得た。たかだか1円玉を落としたばっかりにずいぶん動転したものだ。この落とし物スパイラルから抜け出すことはできるのだろうか。


2009.12.15(火)くもり ロンサムボーイ○○○○

早朝の夢は奇妙だった。水オムニバスとでもいおうか。記憶にあるのはとある海のシーンから。港の海中で美男美女カップルが悪漢に追われている。それを果敢に潜水して誘導し逃がしてやる。当然、私は黒髪の美女を誘導する役なのだが、5分も素潜りできる超人である。お次は悲惨だ。他人妻を寝取ったと、彼女の亭主から疑われて追いかけられる羽目になる。ヤツはすでに1人の被疑者をショットガンで撃っている。身に覚えはないが、狂人の説得は不能と川の土手を走って逃げる。いよいよ追い詰められ、覚悟を決めて台風で増水している千丈川の濁流に身を投げる。ミルクコーヒー色の水中を流されながら、生き残るのは難しいかな、などと醒めている。次はなかなか気持ちがよい。どこか山奥の渓流をたくさんの人達といっしょに探検している。砂は真っ白。水は深く上高地の梓川のように澄んでおり、川の中には色鮮かなサケ科の魚類が群れている。

最後はかなりちんぷんかんぷん。ある映画の撮影現場。とうとうと流れている大河。護岸はコンクリートで固められ、テトラポッドも設置されている。そうした岸には数千人の老若男女がひしめいており、監督の合図で一斉に頭から川に飛び込む。人々は水泳の格好をしており、腹に浮き輪を巻いている子どももいる。飛び込むシーンは圧巻で、映画では多数のカメラを駆使していろいろなアングルから撮っている。引きも寄りもあおりも超高速度もある。それらのカットが次々に目の前に展開されるから、撮影現場にいたつもりがいつの間にかプロモーションビデオを見ていたことに気付く。監督は赤銅色に日焼けしたエネルギッシュな老人である。海パンにメガホン振って必死の形相で指揮をしている。画面にはその監督の名が「ロンサムボーイ○○○○」と2行になってスーパーインポーズされている。

私はなんという危険な演出をする監督か、といくぶん腹を立てて俳優たちを心配している。案の定、浮き輪をつけたまま飛び込もうとした少年2人が、川までとどかずテトラポットに落ちてコンクリートの上を滑っている。目視できる限りでは大けがをしている人はいないのだが、いくら刺激的なシーンが作れても、これを実写の一発撮りでやるべきではないとロンサムボーイ○○○○監督に腹を立て、そこで水オムニバスの夢から覚めた。

目が覚めたのは午前5時頃である。非常に印象深かったので、それから1時間ほどその夢について考えた。同じテーマの異なるシチュエーションで展開される連作の夢を見た記憶はあまりない。さらに、夢の中の文字(画面にスーパーインポーズされたロンサムボーイ<改行>○○○○)を読むというのも珍しい経験だ。しかも、○○○○の部分は全く意味がわからなかった。

目が覚めたときには○○○○は単語としてははっきりしていた。1時間の反芻の間に何か意味を見いだそうと心の中で100回はなぞった。およそ日本の人名とはほど遠く、フィンランド人をカタカナ表記したような感じだった。生涯のありとあらゆる局面でその単語に出会った記憶はなかった。結局、意味の手がかりさえ見いだせず、そのまま仕事に向かったりして、昼休みにその名を思い出して記録しておこうとして忘れていることに気がついた。4文字は確実なのだが、その中の1文字すら思い出せないのだ。

忘れたことは残念かもしれない。しかし、そのおかげで思わぬ楽しみが生まれたことにも気付いた。その○○○○とは、私の心が出生地である。何かで学んだわけではない。心で合成されて、心の目で読んで、なるほど○○○○か、と記憶したことになる。夢というのは、瞼の裏に浮かぶ光と影を解釈して記憶の像に合致させ、表象を次々に作り上げて行く部分もあるだろう。無意味な文字列にすぎない○○○○は、文字というよりは画像として現れた模様を字として表象した可能性がある。

そうなれば、真性に偶然の産物で、もう二度と会うことはできない文字列かもしれない。しかし、私は今朝の時点では明解にその単語を記憶していたから、何かの拍子に思い出す可能性もある。それを思い出したときに私がどう感じるかはまたとない見ものだろう。一般に、何かを思い出そうとして苦しんで、それがぱっと思い出されたときには晴れ晴れとよい気分になるものだ。いうまでもなく、それが誤った想起ではなく、正しいという確証あっての場合だ。私は、○○○○を正しく思い出せるか。

さて、○○○○を正しく思い出すというのはどういうことを指すのだろう。○○○○に意味は無いことは確かめた。経験にも無いことも確かめた。私の外には○○○○は存在していないのだ。すると、もし私が今朝覚えた○○○○を思い出したとして、それが本当に○○○○であることを私は確証するすべがないことになる。なにしろ、頼りになるのは朝の記憶だけなのだ。思い出そうとしてずいぶん苦しんだ○○○○だが、いざ思い出したときにユリーカ!となるのだろうか? なったらなったで興味深い。ならなかった場合は、誤想起と区別がつかず煩悶はより強くなる恐れだってある。これは滅多にない見ものである。


2009.12.18(金)晴れ 最後の二葉

多摩川

庭のジューンベリーは植えたときから毎日チェックしている。数年間にわたり夏も冬も毎朝その姿を見てきた。いよいよこの冬も今朝にはすべての葉が落ちた。これから2か月ほどは変わり映えのない冬枯れの姿を見ることになる。

この木は女房が植えた。観賞用というだけあって今年も期待通りきれいな紅葉を見せてくれた。ジューンベリーは9月になると、きまって何枚かの葉がフライング気味に色変わりする。夏が過ぎて全体の葉がややくたびれるころ、ひとつの枝につく数枚の葉が黄色くなって落ちるのだ。それは本物の紅葉ではないと思う。人間的に言うならば病死だ。

11月になると、すべての葉が半年の寿命をむかえる。つぎつぎに葉の紅葉していく様子は目を引くものがある。秋の浅いときには、まず葉の縁が真っ赤に隈取られる。緑と赤の境は明瞭でギザギザだ。日を追うごとに縁の赤は葉脈にそって中心部を侵食し、やがて葉の全体が赤くなる。秋の深まりにつれて紅葉にかかる時間は短くなり、その色合いはより鮮やかな真紅になる。12月になると枝に残る葉はまばらで、強い風が吹くたびに目に見えて数が減っていく。

14日、月曜日の朝、ジューンベリーは見違えるようにさっぱりしていた。たとえ少なかろうが、葉があるとないとではずいぶん印象がちがう。夜の風に全部落ちたのかと、梢をみわたし、いただきに残った3枚の葉(写真)を見つけたとき、ひとつの野心が芽生えた。もしかしたら「最後の一葉」が見られるかもしれない。

数学的には落葉樹の数だけ最後の一葉がある。落葉樹の数はほぼ無数であるから、最後の一葉も無数にある。かといって、それを見かけることはまずない。勉強嫌いの言い訳に「数学なんて生活の足しにならない」というのがある。それも一理あって、数学的には簡単に証明できる真理も、体験的に確認できることは無いといえる。たとえば、8+5=13というのはぎりぎり体験可能だが、687×2589=1778643ぐらいになるともう無理だ。1778643個の米粒を数えるのは1か月はかかるだろう。とてもそんなことはやってられない。人生を左右するのは、真理よりも生々しい体験である。体験ができない場合、その諦め材料としてやっとこさ真理が引きずり出される。人にとっての真理はどいつもこいつもネガティブ。俗に「百理は一験にしかず」と言われる(ようになるかもしれない)。ここんとこが、真理を愛し真理のみを行動の規範としている虫けらと人の違いだ。

話はそれたが、無数にある最後の一葉なのに、その1つすら見た覚えがない。なぜかというと、そもそもそんなものを真面目に見つけようなんてのは一番星探しよりも少ないこと、そして、最後の一葉が枝に留まっている時間は短いからだ。おおむね葉は強い風でいっぺんに落ちていく。少なくなればなるほど葉は落ちやすくなっている。実測データはないだろうけど、神奈川県の樹木を平均すれば、最後の一葉がある時間は数秒から数分という値がでるのではないだろうか。私の庭のジューンベリーやムクゲ、イチョウを見て来た感じではそんな気がする。小説のタイトルになるぐらい情緒的なその言葉の響きにひかれて、きまぐれに桜並木を眺めて最後の一葉が見つかったら、それはものすごく幸運なことのはずだ。いくぶん恣意的であっても、わが家のジューンベリーでそれを目にするならば、ちょっと感動ものだろう。

さて、最後の三葉になってから数日はその状態を保ち、昨日の朝には最後の二葉になっていた。よし、いよいよ最後の一葉を見るチャンスと気を引き締めていたら、昨日は冬型が強まり夜には冬の風が吹き、今朝には丸裸になっていた。そして、当たり前にあるはずのものがないという、すでに慣れ親しんだものになっているあの喪失感を味わった。一日30秒をつぎ込んできたこの一週間の努力は無駄だったかもしれない。しかし、私は明日に希望をつなぐことができる。ムクゲにバトンタッチして観察を続けよう。ムクゲがダメでもイチョウがある。今年がだめでも来年がある。希望の大きさに比べれば落胆など無いも同然だ。こんなささやかな野心など、いつしか忘れてしまうってこともありがちだ。野心のない者には落胆もないだろう。


2009.12.19(土)晴れ どぶ臭さ

朝、アメリカザリガニのタカハシが死んでいた。2週間ほど前に一度死にまねされたことがあった。つついても動かないときがあって、だめかなと取り上げようとすると、元気に動きだしたのだ。今回はちがった。触らなくても目から命の光がなくなっていることは明らかだった。タカハシは夏あたりからほとんど動かずエサも食わなかった。なぜ食わないのか。なぜ食わなくても生きていられるのか。ちっぽけな疑問符を残してタカハシは死んだ。

タカハシをジューンベリーの木の下に埋めて境川に出かけた。風は南から弱く吹いている。これにはちょっと驚く。冬の風が北から吹いていると予想していたからだ。見上げれば、青空を流れる積雲も北に向かっている。積雲にまじって不定形のうすらぼんやりした灰色の霧みたいな雲が空のあちこちに広がっている。冬にはよく見かける雲だと思うのだが、あいつの正体がいまいちわからない。積雲が発達して、上空の風の流れにまで達したとき、その風に吹かれて雲が分解しつつ落ちてくるものかと想像したことがある。つまりあのぼんやりした雲は、地上までは達しない雪というわけだ。今日の空を見ていると、発達する積雲が見つからず、その予想も的外れに思えてきた。

南風であれば境川は暖かい。海の暖かい空気が供給されているからだろう。今日はじめて使う毛糸の帽子と冬の手袋が場違いだ。短パンや半袖でランニングの練習をしている人もいる。それは皆、おじいさんだ。そういう格好の若いお嬢さんはいない。年寄りの冷や水とはよく言ったもので、だんだん彼らの気持ちがわかるようになってきた。年取れば、あえて無理して苦労したくなるのだ。しかし、今日はその日ではなかった。

風が弱くていまいち勝負!という気になれない、ということもある。それよりも、富士山で起きた片山隊の遭難のことが昨日からずっと気がかりだ。自転車で走っていてもついつい上の空になり、登山の意味なんかを考えてしまう。私が使っている境川サイクリングロードからも一か所だけ富士山が見えるところがある。7合目辺りから上は綿をちぎったような雲がまとわりついて山頂が見えない。下界は穏やかなのに山は相変わらず烈風が吹いているようだ。あの風が山男の命を奪った。心配事のあるときは全力で走ってはいけない。車にぶつかったり人をはねたりするのはこんなときだ。ロードレーサーに乗った30年の間に学んだ唯一の実用知識だ。意識して6割ぐらいの力で走る。子どもやお年寄りを追い越すときは、こっちにぶつかってくることを前提に走る。

イマイチ乗り切れず練習は60キロほどやって引き上げた。帰宅して風呂に入りながら、住人のいなくなった水槽を洗う。今朝、死んだタカハシを引き上げて食卓に置いておくと、女房が何を思ったかその臭いをかいで、臭い臭いと騒いでいた。まだ腐敗は来ていない。それはザリガニ臭さ、そして藻や汚泥のどぶ臭さだ。もちろん水槽もその臭いがする。私には、この臭いは不愉快なものではない。むしろ、虫けらたちとの楽しい記憶と共にある芳醇なものだ。どぶ臭さの中で魚や虫や貝やカニなど水棲の生き物はそれぞれが個性的な強い臭いを放つ。水槽を洗えばどぶ臭さは流れていくが、この臭いはタカハシの思い出と共に心に残る。そしてまたちょっとどぶ臭さが好きになる。


2009.12.20(日)晴れ 半原越20分34秒

半原越

おもえば11月のあの日から半原越に行ってなかった。龍勢ショックというのもわかるが、私は競技選手ではないのだからシーズンが終わったわけではない。今日は気を引き締めていろいろ重いチネリで半原越だ。

天気は良くて暖かくサイクリング日和だ。ところが、自転車乗りがさっぱりいない。いつもなら清川村から半原越の入り口にかけては5人や10人は見かけるのだが、今日はどうしたことだろう。もしかして月曜? 一日寝過ごした? というわけもないがひとまずいつもの棚田。モズが遠くで高鳴きして、すっかり冬景色だ。カラムシもすっかり灰色、向かいの山の広葉樹の葉ものこりわずかだ。草むらに座り込んでアイスクリームを食っていると、タイツの太ももが熱くなる。冬至のころの太陽はこんなに力強かっただろうか。

半原越のスタートライン手前で、毛糸の帽子をぬぐ。ゴーグルもとる。ウインドブレーカーも脱ぐ。手袋もとる。一切合切を背中のポケットに押し込んで、キャットアイCC-CD300DWのボタンを押してスタートだ。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'10"4'10"16.8-63
区間2・314'22"10'12"13.9-60
区間420'34"6'12"11.5-50
全 体 20'34"13.8-58(1190)

今日、感じたことは「ひさびさに来て再認識する登りのつらさ」という一言に尽きる。これまでに幾度となく味わった思いでもある。境川で風と戯れて遊ぶばかりでは半原越の練習にはならない。必要強度のレベルがちがう。半原越では、前に進むだけでも全力が必要だ。向かい風だとつらくなって、言い訳を考えて手抜きをしても、けっこういいスピードで前に進む。半原越では手抜きをすればそこで止まってしまう。どんなに取り繕っても止まれば残るのは後悔だ。


2009.12.23(水)晴れ 生命力不足

昨日は腰が痛かった。たいして気にするほどのものでもないが、立って電車に乗っているとけっこうつらい。全身がだるく多少のめまいもする。原因不明の不調だ。今日になって、女房から長男が新型のインフルエンザだったということを聞いた。それほど熱もなかったが、病院で検査すると新型のインフルエンザということになったのだという。ただし、簡易検査であって、A・B判定だけで新型という診断になったらしかった。それなら現状の日本では、なにもかにもA型=新型ということになっているのだろう。

新型は感染力抜群で、私もかかっているに違いないと思った。頭が重いから熱を計ってみると、35.8℃。熱があるどころか低体温っぽい。そうなると、腰の痛みだって、だるさだって身に覚えがある。きっと自転車のせいだ。日曜にはひさびさに半原越に行って高い強度のサイクリングをやった。ちなみに20分34秒というのはいろいろ重いチネリでは新記録だ。普段よりずっとがんばったのだ。無理をした日曜日の筋肉痛が火曜に来たのかもしれない。私には記憶がないけれど、年をとると筋肉痛が遅れてくるらしい。この痛みとだるさは、ウイルス性のものではなく、生命力=HPが少なくなったせいなのだ。


2009.12.25(金)晴れ 半原越20分41秒

ヒロハツヤゴケ

いつもの棚田から眺める風景は殺風景で、動くものといえばモズぐらいなものだ。なにやら獲物を探しているらしく、カラムシの枯れ枝に止まって草むらを見渡している。尻尾をぐるぐる回す仕草が上機嫌に見えてしまうのは犬の連想だろう。モズはぱっと草むらに飛び込んで程なくして飛び立ち、べつのカラムシに止まった。何かをくわえてるかと注視したけど何も見えない。食べているようにも見えなかった。

今日もチネリで半原越だ。いろいろ重いのだけど、なりゆきだ。スタートは42×21Tの2倍。区間3までそれで行くつもり。立ちこぎも多用する。また今回も区間2のラップを押し忘れた。あれっ区間2のポイントは? と気がついたときには200mほども先に行ってた。あまりに速すぎて見過ごしたわけではない。前に進むことにだけに集中していたのだ。

区間4の4kmの右コーナーでちょっと泣きそうになる。42×23Tでも重くて、ちょっとでも手を抜くと止まってしまう。泣いたぐらいでスピードが上がるのならいくらでも泣いてやるが、きっと力が抜けるだけなので泣かない。

ラップタイムkm/hbpmrpm
区間14'21"4'21"16.1-64
区間2・314'25"10'04"14.1-56
区間420'41"6'16"11.4-49
全 体 20'41"13.7-56(1160)

20分切りまで今回もあと40秒。各区間を10秒ずつ短縮すればよい。それだけのことだ。10秒といえば距離にして25mぐらい。小学校のプール。手が届きそうに近いようで遠い。しかし永遠の彼方ではあるまい。

下っているときに、山荘みさきの前でタヌキを見かける。半原越でタヌキに会うのは珍しい。日中にはあまり出歩かないけものだから。家を出るときに玄関のドアを開けると、そこにもタヌキがいた。まだ若い個体らしく小さかった。毛並みも悪く、あまりいい生活をしているようには見えなかった。下鶴間のタヌキは自然の山野や畑のエサを得るのも難しく、ゴミをあさるのも難しい。どこかでエサをもらいながら細々と命をつなぐしかない。ほどなくして交通事故で絶滅するだろうけど。

コンビニでアイスとコーラを買うときにレジ袋をもらったのはコケを採取するつもりだからだ。岡山県自然保護センターのサイトを見ていて、そこのヒロハツヤゴケが、ずっと気になっている清川村のコケと同種らしかった。それでは採取して確かめようと出てきた。写真のコケがそれだ。道ばたのコンクリートのいたるところにあって、しかも赤いサクを無数につけてよく目立つ。こいつはヒロハツヤゴケなんだろうか。

ヒロハツヤゴケ?とせめぎ合いながら生えていた別種のコケもついでに採取した。そっちは、非常に美しくコケらしいコケで、一応、ハネヒツジゴケということにしている。現状のようないいかげんな調べかたでは、このタイプのコケの名称が明確になることはない。ひとまず気にかけておけば、何かの偶然で明らかになることもあるかもしれない。冬になるとコケが目立つようになる。それでなくても清川村はコケの宝庫だ。名前ぐらいは少しずつ調べたい。


2009.12.26(土)晴れ 私の最速理論

今日はチネリで境川。境川のいいところはなんだろうと考えると、田んぼと雑草に落ち着いた。川なのに広々した開放感はなく、おまけに両側は鉄製のフェンスという檻の中のハムスターばりのしゃかしゃか状態だ。それでもけっこう好きなのは田んぼがあるからだ。多摩川には田んぼがない。私は田んぼが好きだ。稲がすっかり枯れていても田んぼが好きだ。ついでに雑草も好きだ。境川の両脇はクズだの荻だのの雑草が伸び放題になる。草刈りの手もあまり入らない。例のフェンスが草刈りを難しくしているから、けっこう背の高い草がはびこることができる。多摩川の雑草は背の低いおとなしいものばかりで物足りない。

今年は境川に風が吹かない。今日もほとんぼ無風。しかたなく、52×16Tか17Tかで重めにして、31km/hぐらいで走る。それでケイデンスは80rpm ぐらいだ。気持ちよく走る場合は、もうちょっと軽めのギアにしてくるくる回す方がよいけれど、半原越の練習だと思えば重いギアでケイデンスを低めにしたほうがよい。

自転車に乗って10%ぐらいの坂をダンシングする場合は12km/hぐらいになる。スプリント風のダンシングは別だけど、フツーのダンシングでは12km/hぐらいしかでない。物理の法則の壁があって、どれだけ練習を積んでもそれだけの速度しか出ないはずだ。体力の向上によって12km/hを維持できる時間は延びても大した時間短縮にはならない。10%で12km/h以上出そうとすれば、田代さやかを使うことだ。それなら理論上で20km/hぐらいは出せるはずで、私ができていないのは単に弱いからだ。なかなか結果に現れずあせるけれど、75〜80rpmぐらいのくるくる走りをだんだん高い強度でできるように練習することが王道だ。境川で重めのギアを回すのもその練習のつもりだ。私の最速理論ではフツーの坂で速いやつが上級者である。こうやってときどき言い聞かせないと道を踏み外す。


2009.12.27(日)晴れ 限界を知ろう

半原2号

今日は半原2号(写真)で境川。半原2号は当世風のとってもいい自転車だ。ハイテク装置の心拍計もついているから、どれぐらいがんばっているかを数値として確認することができる。私は170bpmあたりから息がハアハアし始めて、30分ぐらいで体が全く動かなくなる。その辺が有酸素域と無酸素域の境だろうと思っている。

低気圧が近づいているようで、境川は東よりの風がゆるく吹いている。南に下るときもときどき向かい風になる。昨日と同じく向かい風インターバルの日ではない。今日やるべき事は、自分の限界を知って、それを守って走ることだ。心拍数で最高を160bpmぐらいに押さえておけば、4時間ぐらいはなんなく走れるはずだ。ほんとうにそうなのか、ときどき心拍計をチェックしながら走る。回転数は90rpmが目安になる。そうすると、ギアは50×18Tになった。

向かい風がきつくなると無意識にがんばって、ふと気がつくと176bpmなんて数字が出ている。体のしんどさに気付く前に数字が出るから調整できる。追い風でちょっと脚が軽くなると、心拍数はすっと落ちて140bpmぐらいになる。止めれば30秒で120bpm まで落ちる。この上がり下がりがなんともうれしい。速度は30km/hを少し越えるぐらい。その辺が私の限界。平地で無風状態での巡航速度である。30km/hは境川ではちょうどいいスピードだと思う。

ちなみに、半原越ではこのぐらいの強度に押さえると25分ぐらいかかる。170bpmぐらいでがんばると21分半、160bpm以下にむりやり押さえると29分。普段はずっと180bpm以上になっている。ひとたびそこまで上げると、ちょっと力を抜いたぐらいでは心拍数も落ちず、脚の疲労もとれなくなってしまう。自転車でがんばりすぎると視野狭窄かつ頭が悪くなって危険だが、半原越なら死ぬほどがんばっても11km/hぐらいしか出ておらず、道路脇から飛び出してくるのは、サル、シカ、蛇ぐらいで危険もない。

 
カタバミ  テトラ  ナゾノクサ
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