たまたま見聞録
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2013.1.5(土)くもり チネリ

チネリ

今朝はかなり冷え込んでおまけに太陽も顔を出していなかった。それでも湘南は世間よりずっと暖かい。チネリで境川に出かけた。行きは右岸。境川を左手に見て進むことになる。とちゅう、カワウが魚を捕っているシーンを目撃した。カワウは数匹の群れになって魚を追い詰めて捕まえる。カワウの活躍するそばで岸から虎視眈々とおこぼれを狙うコサギが5、6羽。すてきな光景であるけれど、残念なことに境川を代表する魚は巨大な放流鯉。クマかアザラシでもないかぎり餌にはならない。

遊水地公園の鷺舞橋からは湧水を覗き見ることができる。湧水のそばには境川唯一といっていい水草スポットがある。帰化植物のオオカワヂシャがこの真冬に青々と葉を茂らせている。湧水だからそれなりに暖かい水なんだろうかと、噴出口に眼をやって唖然としてしまった。ちょうど人間がすっぽり入ってしまうほどのその穴にコンクリート片が敷きつめられている。もわもわと青黒い水が出る様子はそれだけでもよい見ものだったのに、いまやその面影すらない。一体誰が何の目的で穴を塞いだのだろう。じゃまになるわけでなし、その意図は理解しがたいが、工事関係者のなかに湧水を快く思わない者がいるらしい。

いろいろと残念なことばかりの境川であるけれど、サイクリングコースの幅だけは日本一だろう。普通乗用車が楽々すれ違える幅のある自転車道なんてめったにあるもんじゃない。それだけの設備を設ける神奈川県の意図も不明だが。

今日の写真のチネリは私の自転車の原点とも言えるものだ。このチネリの前に5台ぐらいのロードレーサーを乗り継いできた。こいつを手にしたときにもう自転車はいらないと思った。しかし、その後もオーダーメードをしたくなったり、チタンやカーボンなどの新し物も使ってみたかったり、26インチロードもいいなと勘違いしたり、まあいっぱいロードを手にしてきたけど、やっぱりこいつがピカイチの自転車だ。最近のカーボン自転車はとんでもなく良いものだが、じつはこの鉄のチネリの乗り味はカーボンにひけをとらない。25年も前に鉄でこういうものを作っていたとは。イタリア自転車界恐るべし。たまにこいつに乗ると、やっぱり自転車はもういらないと思う。


2013.1.12(土)晴れ セルフ体罰

レンズ雲

幸いなことにこの辺ではレンズ雲は珍しいものではない。チネリに乗って境川に出ると湘南にレンズ雲がかかっていた。おそらく相模湾の上空だ。今日は南よりの風が強く空にはほとんど雲がなかった。どうやら西風と伊豆半島と相模湾の三者が作り出したレンズ雲のようだ。

レンズ雲でも明らかなように境川は風が強い。南北に流れる境川では、西風はおおむね南風になる。1月の半ばでも南風が吹くと暖かい。それに今日は快晴。いまじぶんにはもう太陽はけっこう強い。

向かい風のときはインナーの42Tを使って100rpm以上で激走する。そうすると息が切れ体のあちこちが痛くなる。とくに脚の付け根が耐えられないぐらいに痛い。セルフ体罰といえよう。あえて体罰を与えるのは指導を入れるためだ。どうしても平地だと甘えが出て登りに匹敵する練習ができない。そこで風を使って全開にするのだ。全開にすると痛みが出てどこに力が入っているかが自覚できる。

脚の付け根に来る痛みはうまくいっている証拠とみなしている。ただし右脚の付け根が痛くなるようでは指導が入りきってはいないことになる。右の頬を殴られたら左の頬を差し出すように、右の付け根が痛いのなら左の付け根も痛くしなければならない。そうやって30〜40発ぐらいは殴っておかないと仮想半原越にはならないのだ。

私には理想とするペダリングがある。力がいつもペダルにかかって体がゆがんではいけない。力を緩めていると理想通り走っているような錯覚に陥ってしまう。そういうときは、ハンドルを操作せず手放し運転のようにして自転車が傾かないかどうか確かめる。力を入れてよい場合は全開にして体を痛めつけ自覚をうながす。自転車はいいかげんな乗り方でもそれなりに進んでいくから上達が難しいのだ。


2013.1.13(日)晴れ 波状高積雲

波状高積雲

今日は昨日よりも暖かい。風は南よりで昨日よりも弱い。レンズ雲が出ていた空にはきれいな波状高積雲が出ている。いそいそとナカガワを持ち込んでの境川だ。ナカガワはチネリに比べるとごつごつした感じがある。向かい風下ハンでちょっと力を使う他はステムの中央付近に手を添えて仮想手放しの練習に終始した。

手放しでまっすぐすいすい走れないようだとどこかおかしい。自転車の設計が悪いのか、セッティングが悪いのか、ポジショニング(とくにサドル)が悪いのか、ペダリングが下手なのか、あるいはそれらの複合したものなのか。とりあえずの現状レベル確認としてうってつけの方法だ。とくにビンディングペダルを使って登り坂を手放ししてみるのがよいだろう。ただし人目があるところでは嫌われるので実際には手を離さず仮想手放しにしたほうがよい。

クロナガアリ

昨日よりもちょっと遅いペースで手放し100kmの練習を終えて帰宅。気温が高いからきっと動いているだろうと、クロナガアリを見にいった。巣の拡張工事で捨てられた赤土は黄色くなっている。ここしばらく雨が降らず乾燥しているためだ。働きアリは数頭が巣から出ていた。すでにササガヤも草体には種が見あたらない。しかし、アリはそれなりにササガヤの種を運んでいる。こぼれた種は地面にいくらか残っているとみえる。アリは数こそ少ないものの動きは敏捷だ。気温が高いせいだろう。

この冬、庭のスミレは地上部分が早々と枯れた。冷え込みの影響はそんなささいなところにも現れる。こうなるとこのあたりではツマグロヒョウモンの越冬はないのかもしれない。今日の気温の高さは低気圧の接近によるものだろう。真昼に出ていた波状高積雲は日が傾くと雲片のサイズと厚みがまし、くっついて一つになった。


2013.1.19(土)晴れ チネリとナカガワの差

チネリに乗って境川に出て下水処理場を過ぎたところの林に見慣れない色鮮やかな小鳥がいた。ソウシチョウだ。半原越でその声はよく聞く。ただ藪の鳥らしく姿を見ることは少ない。

今日はナカガワ用に組んでいるホイールをつけてみた。これまでにチネリでそのホイールを使ったことはない。というのは、そのホイールは幅が130mmで、チネリのエンド幅は126mmだからだ。使えないことはないはずだけど、無理に使う意味もないと試さなかったのだ。今朝やってみるとあまりにあっけなく入って驚いた。多少は力をいれてエンド幅を広げる必要があると思っていた。

あえてそんなことをしたのはチネリとナカガワの乗り味に大きな差があるからだ。ホイールはマビックのクリンチャーで同じ銘柄であるけれど、乗り味に差をもたらすパーツであるから念のために同じものでやってみた。その結果、ホイールの差ではないことがわかった。やはりチネリはチネリだ。

そうなると違いを生むのはフレームなのだが、どこがどうということはぜんぜんわからない。サイズもスケルトンもパイプもぜんぜんちがう。まったく別物といっていい。だからといって何がどうちがうから差が生じていると指摘することはできない。

唯一明らかに違いがわかるのはフロントフォークの挙動だ。チネリのフォークは路面のガタに応じて極めて細かく振動している。ナカガワは鷹揚だ。その違いは小さなものではないと予想できる。


2013.1.21(月)晴れ 不必要悪

体罰は不必要悪である。これは、しつけ、勉強、スポーツ、子どもの遊びの諸局面で体罰を受けて育った私がはっきりと言えることである。スポーツの上達に必要な指導は単に心技体の鍛錬である。基礎的な技術を反復練習しつつ戦術を練る、その技術と戦術に耐える体を作ること、そしてその達成に必要な精神力を作ることである。

勝利至上主義を標榜するなら体罰は逆効果である。スポーツで上達するための方法は科学的心理学的に明確化されている。技術を子どもの成長期の短期間で習得させるためには殴っているひまなどない。桜宮高校バスケットボール部のようにスポーツ専門の運動部で勝利を目指すならば、部のスローガンとしていまだにサイトで公表しているように選手も指導者も一丸になってがんばることだ。指導が入らず目標レベルに達しない部員がおれば、そいつは単に素質がないのだ。スポーツでは素質にまさる努力はない。勝ちたいならそういう部員は試合で使わなければ良いのだ。他の部員の足を引っ張り練習の邪魔になるようなら退部させるのがよいだろう。代わりにアメリカあたりの中学校から子どもを買ってくればよい。

なのに、勝つためには体罰も必要悪かもしれないなどという幻想がまかり通っている。なにかのかんちがいがそこにあるはずだ。原因の一つは、現在の日本の成功者は全員が若いころに体罰を受けたからっていう程度のことだろう。人間は自分の目で見たことは信じてしまう弱い生き物だ。

勝利に関係のないことなら体罰にも効果はある。指導者が手っ取り早く優越感を得られるのが第一だ。指導する上で優越感は必須だから、なんらかの方法でその感触を得る必要がある。部員と顧問の関係では支配関係あるいは愛情を端的に叩き込むこともできる。せいぜいが人格形成程度の効果しか期待できず、勝利に対しては遠回りでしかない。

体罰を受ける側が確実に学べることはないこともない。ありとあらゆる教育の場で体罰を受け、体罰を目にして育った私が体罰を通して学んだことはたったひとつ、目下の者を支配したがる保身第一無能人間のあしらい方だけである。ただし、幸いな事に中学校卒業以来その手の人物の下にいたことがなく、そのテクは使う必要がなかった。

桜宮高校の体育科を廃止するとか入試をやめるとかいうのも、形を変えた行政による体罰(いじめ)である。行政も体罰顧問と同次元の発想でしかことを起こせないのか。あわれである。ある大学のラグビー部かなにかが集団婦女暴行事件を犯した処分として、大学側が運動部に試合出場を辞退させるという決定を下したときと類似の悲哀がある。あのとき私はもっと無力感に襲われ寂しい思いをした。弓道とかバレーボールとかの女子部員も強姦の連帯責任ありとして処分されたのだから。


2013.1.26(土)晴れ 入試中止の理由

桜宮高校体育科の入試をやめる判断にはただ一つの理由が挙げられる。それは入学試験では体罰事件を発生させる生徒の入学を阻止できないことである。生徒さえいなければ体罰事件の発生はない。短絡的だが明快だ。入学試験は本来だめな生徒をはじくためにある。それが桜宮高校では不可能なことが確実になったらしい。

ではなぜ入試の選別が無力なのか。現状では受験の過程で内申書、学力テスト、実技テスト、面接などが行われている。そういう作業では生徒の素養の判断ができないのだ。他の学校では生徒の選別不能が理由で試験中止になったことはあるまい。大阪市立桜宮高校体育科にオリジナルな問題はなんだろう。

入試が悪いという場合、具体的に悪いのは受験する側か選ぶ側かどちらか一方あるいは双方ということになる。まず選ぶ側について考えてみる。選ぶ側はざっと二種類に分けられる。桜宮高校と高校を管理する教育委員会などの行政側だ。入学試験を執り行う責任はこの両者にある。確かに高校側はかつてはダメだった。そもそも体罰事件を阻止できなかった。事件が起きた後で生徒が自主的に記者会見を行っていたぐらいで管理体制はむちゃくちゃのはずだ。入学試験もちゃんと行っていなかっただろう。しかしながら今回の事件を受けて校長以下旧来の職員を更迭し有能な職員を配置したのだから、新・桜宮に入試を行う資格なしと判定するわけにはいかない。もし、高校に問題ありとするなら新職員を選んだ行政が悪いことになる。

では、行政側が悪いのだろうか? こちらはない。そもそも入試をやめる判断を下したのが行政だ。行政が悪いから入試がうまくいかない、だから中止しようでは理屈が通らない。行政がアホだというなら、入試中止という判断自体までもが無意味となり命題自体が偽問題になってしまう。

選ぶ方に問題がないとすれば、消去法によって問題は選ばれる方にあることとなる。市立桜宮高校体育科に入ろうとする生徒たちはやがて体罰事件を引き起こす恐れがあるのだ。当事者でない私にはその判断の根拠は不明瞭で、生徒が潔白とも断言できない。ともあれ、15歳やそこらの少年たちに体罰事件の原因ありという判断が下されたことだけは事実だ。


2013.1.27(日)晴れ メジロが来る

メジロ

境川白旗の休憩所でパンくずや米粒やモナカの皮をまくとスズメが集まってくる。私が境川に通い始めた頃にはすでにそういう状態だったから10年以上になるだろう。今日も栗まんじゅうの皮をつぶして投げるとめざといスズメが数羽集まってきた。第一陣が来てついばみはじめると二陣、三陣とスズメが来る。

そしてメジロが二羽やってきた。しばらく前からスズメに混じってメジロがいることには気づいていたが、そのときは実験を行えず、餌に寄るという確信はなかった。メジロは近くのキンモクセイに止まり躊躇なく地面に降り立った。ついばみながらスズメよりも近くにやってくる。メジロは雑食で栗まんじゅうの皮を食ってもおかしくはない。ただここまで懐くものなのかと軽くショックを受けた。メジロ以外にもムクドリも二羽やってきた。こうした行動の変化はおそらく餌をもらうスズメたちの様子を見て学んだものと思う。野鳥の文化は刻々と変化する。

今日はナカガワで手放し上ハンLSD。ちょっと飽きて下ハンの練習もやった。重いギアはどうだろうと50×16Tに入れて向かい風を受け30km/hで走っていると、腰に例の痛みが来た。50×19Tぐらいに軽くして90rpmぐらいにすると、下ハンでも腰は痛くない。姿勢ではなく力の入れ方の問題ということを確認した。こうやって90rpm巡航でだんだん重いギアを使えるようになるのが上達だというのだが簡単ではない・・・けっこう無理っぽい。

すでに1月末で日は長く太陽は力強い。境川ですらかなり汗ばむ。真冬の装備をしなくても走れるようになってきた。そろそろ半原越にも行かなくては。


2013.1.29(火)晴れ 常識

「最近は脇の下だけで自転車に乗ってるんですよ」というのはとある競技選手の弁だ。自転車を脇の下で乗るというのは変だ。足腰とちがって脇の下はぜんぜん動かないから、脇の下が自転車の推進力になるわけがない。これは非常識な発言、世迷い事といっていいだろう。

しかし私は彼の言わんとするところがはっきりわかる。私も脇の下(のあたり)の重要性に気づいているからだ。境川に住むといわれる自転車の神様にそっとなでられたのは脇腹だった。そして犬走りに目覚めたのだ。

本物の犬が走るとき、後ろ足で地面を蹴って、前足をいっぱいに伸ばして地面を捕まえて、体を縮めて後ろ足をぐっと前に運んでくる。そして後ろ足で地面を蹴る。犬の体の部位で脇の下に当たるところが使われるのは、体を縮めるときだ。ペダリングにも犬の縮めに相当する運動があるのだ。

ペダリングでは、いっぱいに伸びた脚が縮まりながら前に出てくるとき、一番働くのは腸腰筋とハムストリングであるけれど、上半身が連動すればよりスムーズにその運動ができる。犬のようなダイナミズムはなくとも、脇の下の緊張と弛緩によって上半身と連動した引き上げリズムを作り、補助的な力を加えることができる。これが犬走りの核心だ。

人間は事実を直視できないようになっている。誤った認識で問題が起きないようなら、むしろ見誤ったほうが生きることに都合良ければ、誤るべきだ。ヒトは100万年前からそういう進化の圧力を受けている。もともと歪んでいる人間が生きる指針としてもっているのが常識だ。だから常識は科学からいくぶん離れざるをえない。


2013.1.30(水)晴れ 非常識

すでにお気づきのように私は常識的な言明を潔しとしない。女房やガールフレンドの機嫌をとるためであっても常識的なことはあえて言わない。のりちゃんは美人で賢いがイマイチつまらない娘さんだった。絵に描いたような常識人で、常識はずれなことをまったく受け入れなかったからだ。彼女に非常識なことを信じさせることは可能か?という命題が私のプチテーマでもあった。

のりちゃんはそのころ水泳教室に通っていた。常識人であるから、当然のことながら競技や記録のためではなく健康とかプロポーション作りという私には受け入れがたい目標のためだ。そういう彼女からクロールをうまくやる方法の相談を受けた。フロートを使ってのバタ足だとうまくいくのにクロールだと数メートルしか泳げず溺れてしまうらしい。遅くてもいいから長く泳ぎたい、うまいやりかたはあるのか、というのが彼女の問いだ。

そういう相談を受けるのも常識的な理由があった。ニセコあたりのホテルのプールで彼女と泳いだことがあるのだ。私は水泳がからっきしだが彼女よりはうまかった。クロールもそれなりだ。

のりちゃんは美人だが体は細く並の体力しかなさそうだった。おそらく息継ぎがうまくできないのだろう。右手で水をぐっとかくときに体をひねって顔を水面に出して息を吸う。筋力まかせでそれをやっているとすぐに力尽きてしまうはずだ。そのことを指摘すると、顔を上げることはちゃんとできているらしい。さすがに水泳教室で習っているだけのことはある。ただし、顔が上がっている時間が短くて息を吸うことができないのだという。さもありなんと思った。のりちゃんは腹や胸の筋肉も貧弱で、びゅっと息を吸い込むことは困難そうだ。それでも体をおおきくゆっくりひねることで一吸いの時間ぐらいは確保できるはずだ。

私は畳上水泳よろしく腕をかき体をひねり実演しながら説明を加えた。こうやって顔を上げたときに、大きく口をあけてばっと息を吸って、左腕といっしょに顔を水中に入れてゆっくり息を吐いて・・・・というところで常識人である彼女は心を閉ざした。だましてはいけない。水中で息を吐けるはずがないと彼女は主張する。水中で息をすれば吐こうが吸おうがおぼれるに決まっているというのが彼女の常識だ。私はそういう彼女の反応をおかしいとは思わなかった。それまでに40回ぐらいは同種の状況に陥って慣れっこになっていたからだ。

いくらなんでも生徒に水中で息を吐く指導をしない水泳教室はないだろう。のりちゃんはせっかく水泳教室に通いながら、先生からの指示をスルーしていたのだろうか。たしかに非力な彼女なら水中で息を吐くのは困難かもしれない。そこの殻を壊して科学的に考えることができれば未来は開かれるのになあと、いつも通り残念に思った。


2013.2.3(日)晴れ 上半身の力

今日は節分のぽかぽか陽気。風もなく日差しは強い。草むらに座っておにぎりを食えば足元でナナホシテントウが活発に走る。オオイヌノフグリは満開でハコベもぽつぽつ咲いている。また春を迎えられることが素直にうれしい。

境川は無風で午後からは海風がそよそよと吹く程度だ。どうしたっておもいっきり走るわけにはいかない。半原2号を持ち出して軽いギアでクルクル回しをすることにした。目安は100rpmで27km/h。それぐらいだと楽だ。心拍数でいうなら150bpm。ただし今日のクルクル回しにはテーマがあった。上半身のつかいかただ。

犬走りはハンドルを引くことを重点にする。その逆にハンドルを押さえることをやってみた。ベルナールイノーの教科書にももっとハンドルを押すことを意識すべきだと書いてあった。上ハンを強めに握って肩と背中が緊張するように、ぐっと押しつけて脚を引くと、若干引き脚が軽くなっているように思える。上半身の力は直接的には推進力にならないのだが、それで少しでも足腰の負荷が軽減されるならタイムにも反映されるだろう。ともあれプロ選手たちの異常に発達している上腕外側の筋肉の意味を確かめなくては。

それにしても私はつくづく自転車の才能がないと思う。半原越のタイムで20分弱というのは大学入試のランクでいうと近所の神奈川大学ぐらいだ。目一杯工夫して練習してここがやっとだ。人間やっぱりだめなものはだめ。下手の横好きってほんとにあるんだと感慨深いものがある。大学入試のほうなら素質に恵まれており、もしいま自転車に入れ込んでいるぐらい中学高校と勉強してたらやすやすと東大に現役合格していたろう。やる気と能力が不一致だ。英語の成績なんか抜群だったが、英会話はからっきしだし、なんで英会話学校が商売として成り立つかもイミフだ。


2013.2.9(土)晴れ TG-1を持って境川へ

オオイヌノフグリ

半原2号で境川へ。今日のサイクリングは一味ちがう。というのは新しいカメラを買ったからだ。いわゆるコンデジはニコンの990以来まったく買う気になるものがなかった。そのなかでオリンパスのTG-1だけは絶対に使えると思っていた。このたび、TG-2にモデルチェンジがあってTG-1が安くなったものだから衝動買いというわけだ。

TG-1はお任せカメラである。絞りもシャッタースピードもピントも完全に自動で手動の機能がない。つまり写真を撮ること自体の楽しみは皆無である。そのかわり機械的なできは相当なものらしい。合焦速度が速い。やたらとマクロが効く。水中もOK。衝撃にも強い。たぶん魚露目との相性も良い。ともかく自転車に積んでいって写真を持って帰るには最適のカメラだ。

というわけでカメラテストとしてオオイヌノフグリを接写。この写真はマクロモードテレ端でトリミング方式と思われるズームをいっぱいまで使ってアップにしたものだ。デジタルズームは使っていない。花とは10cm以上も距離がある。これまでの常識ならぶれぶれでとても見られたものにはならないはずだった。それがいざやってみると、手ぶれ補正もオートフォーカスもぴったりだ。

新製品のTG-2はちょっと日和って絞り優先モードなんてものも追加されたらしいが、きっぱりと全部カメラ任せでいいじゃないかと思える。なんでもそつなくこなす優秀な部下を持った社長気分である。「よきにはからえ」とだけ言っておればそれなりに業績があがってくるような。思い起こせば、3か月分のフィルムと現像代でTG-1の代金が消費された頃もあった。あのころはこの程度の花の写真をものにするのも難しかった。

じつはオオイヌノフグリよりもハコベを撮りたかったのだが、ハコベは花が見あたらなかった。今朝はくもりがちで気温も低かったから開花しなかったのだろう。ハコベは慎重派らしい。


2013.2.11(月)晴れ くるくる回し

3日連続で境川へ行った。走ったコースも距離も休憩した所も食ったものも飲んだものも撮った写真もほとんど同じ。だけど練習の質は変えた。じつは土曜日に左膝の外側がかなり痛くなった。その痛みは日曜にも取れていなかった。ただ関節ではなく筋肉の故障らしかった。普通の筋肉痛ではない。膝の小さな筋肉がちょっとだけ壊れているらしい。その程度のことはよくある。日曜は練習を続けることにした。

走ってみて膝に力を入れるとけっこうな痛みが来る。一計を案じて膝に負担がかからない走り方にすることにした。いわゆるクルクル回し。まったく踏んでる感じはなく引きあげる感じもなく空回しのようにペダリングする。軽いかわりに高回転で100rpm以上を維持した。それで4時間100km。

予想通り、今朝には膝の痛みはすっかり消えていた。3日目、オリンパスのTG-1と魚露目をもって境川へ。両者の相性はいいはずだが、いかんせん私の庭は狭くて暗黒だ。魚露目には厳しすぎる。いちどは明るい日の下でテストをしてみなければならない。TG-1ならF11とかまで絞らなくてもかまわないはずだが、フルオートなので庭では絞ったときの画質がわからない。

自転車は今日もクルクル回しで行くことにした。巡航時は110rpm程度。私が無理せずに続けられる限界の回転数だ。ギア比は2倍以下なので25km/hほどしかでていない。下ハン持って頭を下げてハイケイデンスでやってくるロードレーサーってのはけっこう本気っぽい。遅いけど。

午後からは天気が一転おかしくなった。北寄りの風が強くなり低い雲がどかどか流れて太陽が隠れた。まるで真冬である。こうなるとカメラのテストはできない。おまけにクルクル回しも難しくなった。追い風では完全にペダルが足にかからない。これはこれでけっこうしんどい。尻も痛い。足にかかるぐらいにして110rpm出せば40km/hだ。境川では危険行為の反則だ。ギア比は上げないことにする。向かい風は向かい風でペダルがかかりすぎてしんどい。登り坂を等倍ギアで練習している感じだ。心拍数は気をつけておかないと170bpmを越える。

風は強くなる一方だがこちらも意地になってきた。4往復はともかく帰りの20km/hはずっと向かい風である。体のあちこちがむずがゆかったり痛かったり呼吸だけは楽だが手腕肩背中尻脚の筋肉は限界だ。空回しでも90rpmぐらいしか出ない。正直つらいけれど100kmまでは回して行こうと決めてしまった。最後の3kmなんか涙目だ。けっきょく4時間20分ほどかけて100km走り平均ケイデンスは99rpmだった。なんだか惜しい。


2013.2.16(土)晴れ 北風とダンプ

境川工事

今日は北風の日だった。境川で北風に吹かれるのは今季はじめてだ。風速はおおむね時速30km/h、通常の秒速表記なら8mぐらいだ。向かい風になるとかなりがんばっても22km/hぐらいしか速度がでない。追い風では休んで向かい風で勝負するいつものやり方で走った。

力を入れるとどうにもギクシャクしてしまうのはいつもの通り。風の無いときだとかなり上手に走れている気分なんだが、それは気のせいだということをあらためて思い知る。寒さに負けて峠に行ってない。こうして風に吹かれることも必要だ。

向かい風といえば気になっているのが今日の写真。境川の河床をなんとかするらしく、河砂利を積んだダンプが行ったり来たりしている。写真は上流に向かって進む場面。流れの比較的ゆるいところを車は時速10kmぐらいで走っている。気になるのは車の進行方向数メートルの所にできている波頭だ。自動車に押されて逆流する流れがそれを作っているのは疑いがないけれど、こういう状況は素朴概念に反している。

ぼんやり考えれば車のすぐ前に波頭ができるはずである。実際、流れの速いところを進む場合はちゃんと川が車にぶつかる形で波が起きる。川を下っていくときにも同様である。写真のような波頭は水深もあって流れが緩い所に限られている。現象がこうであるから物理学的には計算が立つものなのだろう。ただ目の当たりにしないと容認しがたいものだ。

こういう現象が気になるのは自転車にとって空気抵抗が大問題だからだ。自転車は時速35kmぐらいから相当の風圧を受けて速度を上げることが難しくなる。空気の抵抗は加速的に増大するようにみえるけれど、自転車速度と空気の関係で、ある所に特異点が存在するかもしれないという気になる。競輪の中野浩一選手が「速度を上げるときはズバッといかないとかえってばたばたしてしんどい」というようなことを言ってた。また、ロードレースの選手が団子状態で走っているとき、集団が逆流する風を起こして先頭であっても空気抵抗が軽減されているんじゃないかという気もする。


2013.2.18(月)雨 OLIMPUS TG-1に魚露目

TG-1

OLIMPUS TG-1購入の動機に魚露目8号をしっかり使いたいというものがあった。TG-1の良さはコンデジでありながら40.5mmのねじ込み式フィルターが使えることにある。そのフィルターねじを利用すれば魚露目8号は簡単に装着できるはずだ。

私はすでに魚露ショップから28mmと58mmの魚露目専用アダプターを購入している。新たに40.5mmのアダプターを購入する前にステップアップダウンリングでやってみると、どういうわけか不具合が起きた。光軸の中心がかなりずれているのだ。そのままで使えないこともないけれど一計を案じて市販品よりもよいものを安価に作ってみることにした。

完成型が今日の写真。TG-1にはありがたいことに、レンズカバーガラスのところにレンズリングという黒いわっかがはめられている。40.5mmのフィルターやアクセサリーの魚眼レンズを装着するときには、その黒いわっかを外してコンバーターアダプターCLA-T01という大層な名称の別売りのφ40.5mmねじ付きわっかをはめることになる。なぜ最初からレンズリングなんて半端ものじゃなくねじ付きわっかで設計しないのだろう? という突っ込みはさておき、今回はその黒いわっかを利用することにした。

まず、わっかにニコンのプラスチック製レンズ裏蓋をボンドで接着する。レンズ裏蓋には自転車工具を駆使してφ20mmほどの丸い穴をあけておく。穴をあけたところにはM20の鉄製ワッシャを接着する。魚露目8号は強力な磁石を使ってカメラに装着できる。だからワッシャは安物の鉄製でなければならない。魚露目8号本体の直径は18mmであり、本体をねじ込む磁石の外径は22mmほどある。ワッシャはM18では余裕がなくM20が適当だと思った。

私らしく馬鹿げた失敗も起きた。遅乾性の強力接着剤を使ったせいで光軸が多少ずれてしまったのだ。接着剤が乾くあいだ、傾いた所に放置したため、丸一日のうちにワッシャがずれてしまった。しかしまあ許容範囲。5000円ぐらいする魚露ショップのアダプターを使うよりはずっと具合がいい←そのアダプター自体は無罪。またレンズリングさえ手に入れば300円ぐらいで作り直すことができる。


2013.2.23(土)晴れ OLIMPUS TG-1に魚露目でコケ

ホソウリゴケ

OLIMPUS TG-1に魚露目8号をつけて境川に出かけることにした。もう2月も終盤で気温は低くても日差しさえあれば暖かい。サイクリング冬用装備はもういらないと確信した。帽子は耳の出るヤツ、手袋は指切りだ。

魚露目8号でいろいろ撮った中で一番面白かったのが今日の写真。レンズの前2センチぐらいに被写体があり背景が開けている状態が一番絵になる。コケはおそらくホソウリゴケだと思う。コケマットのサイズは親指大だ。田んぼのわきの水路と道路アスファルトの間の割れ目に生えている。割れ目から水分が吹き出す環境なのだろうか。

魚露目は手前の被写体が小さいとオートフォーカスがきかずにうまくいかない。ホトケノザの花程度だと3割ぐらいしかピントが来ていない。シチュエーションを選ぶレンズだ。

TG-1を使い込んでいくとこいつの良さがよくわかる。それと同時にNIKON COOLPIX 990のすごさにあらためて気づく。内蔵されているコンピュータの演算速度や撮像素子のデキは比べようもない。手ぶれ補正に代表されるびっくり機能も満載だ。ただ、写真撮影本来の機能やデザインはむしろCOOLPIX 990の方が良くできている。防水カメラには無理だと思うけれどレンズ部回転式という発想がまずよい。TG-1のウリであるスーパーマクロはCOOLPIX 990ですでに実現されていた。撮影モードはマニュアルも絞り優先もありマニュアルフォーカスだってあった。実地にスーパーマクロを使い込んで行くとそれらの機能は必要だということがわかる。TG-2のモデルチェンジで絞り優先モードは追加されたものの、他の機能は見送られた。それがTG-2を見送った理由でもある。その程度の改善に2倍の金は出せない、早くCOOLPIX 990に追いついてくれよなと。


2013.3.2(土)晴れ 雑巾絞り

ノミハニワゴケ

もう完璧に春である。わが家の湘南ともよばれる南側の駐車場口ではカタバミやタネツケバナが咲いている。日陰のところにもノミハニワゴケがサクを膨らませてる。今日の写真もTG-1でさくっと撮った。TG-1でこれだけ撮れるということは、どんな素人でもワンタッチで接写ができる時代になったということだ。こうなるとフルマニュアルの改造レンズ付き一眼レフでがんばる私はうかうかしてられない。差をつけるためには超絶ビューティなカットをものにしなければならない。もとより差をつける必要はぜんぜんないのだが。

今日も半原2号で境川。北海道には凶悪な低気圧が発達している。その加減で境川も北風だが、これがもうすでに生ぬるいと言っても過言ではない。ホンモノの湘南ってのはすごい。

自転車はシューズの中を意識した。踏み込むときに足の裏のどこで踏むかもちょっとした問題だ。今日は内側、親指の付け根を意識してみた。上ハンの練習は相変わらず。今日は押す方の手を意識した。腕の押し引きをペダリングに合わせて交互にやる。ちょうど雑巾を絞る感じで手に力をいれてぐいぐいっと。リズムよくやるのは意外に難しい。


2013.3.3(日)晴れのちくもり 日能研からの難問

鏡の図

いま田園都市線の車内に掲載されている日能研の問題を図にして考えると左のようになる。目の位置を原点Oとして高さh1の鏡を見たときに、写って見える範囲(上限)はh2の高さまでとなる。これは鏡までの距離が変わっても変化しない。たとえば、B地点はA地点の2倍の距離にあるが、見える範囲はh2の高さまでである。

自分の体の全体を写そうとした場合、最低限必要な鏡のサイズは、高さ幅ともに体の半分サイズのものである。このことは小学校ぐらいから知識として知っている。また図のようにしてみればその理屈もはっきりわかる。日能研の問題もおそらくはこの理屈からの出題であろう。

本当に問題なのは、じっさい鏡で確かめてみると理屈通りにいってないように見えることだ。鏡が遠くにある方が少々広い範囲が写っているように見える。その理由がいまいちつかめないのだ。

鏡を動かすのが面倒だから、立ち位置を変えて試してみるのがよくないのかもしれない。両眼視による視差の問題があるのかもしれない。遠くにやれば鏡のサイズも小さく見え、あわせて鏡像も小さくなるけれど、小型化したことで鏡と鏡像の比率に錯覚が起きるのかもしれない。


2013.3.9(土)晴れ 半原1号の復活

半原1号

ダウンチューブがぱっくり割れてローラー専用になっていた半原1号。延命治療を施して復活させた。近所に溶接屋があり、駄目元で持ち込むと治せそうということだった。チタンの溶接は本気でやるときは酸素のないガス室でやるということだが、そこはたかだか自転車のフレームだから簡易な方法だ。その様子を見ていると、アルゴンかなにかのガスを吹き付けつつ電気を通してチタンを溶かして溶接しているみたいだ。炎も火花も無い溶接で、青くて眩しい火の玉がばちばち光る。外科手術みたいでかっこいい。かくてわずか30分で半原1号の復活となった。

いそいそ部品を組み付け境川へ。走り出してすぐに半原1号が戻ってきたことを感じた。ハンドル回りの頼りなさ、全体的なぐにゃぐにゃ感は独特だ。この乗り味は非の打ち所のない優等生の半原2号にはない。ぐにゃぐにゃ感だって古女房みたいなもんで慣れ親しんだ妙味というべきだろう。こいつは半原越の楽しさのすべてを知っている。ふたたび走れただけでも満足だ。無茶な延命策なのでいつぽっきり折れてもあきらめはつく。

黄砂が飛んで境川は春爛漫の雰囲気だ。いろんなチョウが飛ぶ。先週はヘビの目覚めの予感がした。田んぼのわきの竹材を積んであるところで越冬しているヘビがむずむずと起き出したように見えたのだ。今日は一段とヘビの似合う風景になっていた。遠くからアマガエルの声が聞こえる。田んぼのぜんたいからふくふくとした香りがする。

テレビは花粉と黄砂とpm2.5ではしゃぎすぎだ。気持ちはわからんでもないが下品に見える。杉は古い友だちである。杉は春を迎えた喜びで花粉を飛ばすのだ。私も目が痛くて鼻水じゅるじゅるなのだが、いまさら友人を呪う気はない。


2013.3.10(日)晴れ 毒をもって毒を制す

砂塵嵐

半原1号に乗って境川に出ると一面煙霧である。すぐ近くの林がベージュに煙っている。土色の砂塵が漂っているのだ。それは今はやりの黄砂ではない。写真にあるように、そのへんの田畑や海岸の砂浜から吹き上がった砂埃である。

春先の黄砂は5万年前から降っていたはずだ。そのころ日本にはまだ日本人はおろか八百万の神々すらいなかった。今日の砂埃は大半が日本人の発明品である。田を冬に乾かすこと、雑草の生えない畑を作ること、同様に土がむき出しになる更地を作ることで生じている。日本本来の自然環境では地面は速やかに草木で覆われる。

ともかく南西風は大歓迎だ。花粉が少なくなるからだ。境川近辺では杉花粉の発生源は多摩や丹沢といった北の方である。逆に南のほうは田んぼと宅地と工業地帯、そして海である。砂埃がちとつらいものの、そちらからの風が強く吹くならば杉花粉は少なくなる。

また、自転車に乗っているときは花粉症の症状はなぜか軽い。花粉は目にも鼻にも口にも入ってきているのだけど、体が花粉どころではないのかもしれないと思った。力を入れていると太もも全体が半端ない痛みにおそわれる。心拍数が上がって非常事態になっている。それに比べるともともと無害な花粉なんて当面の敵ではないと体が捨て置くのではないだろうか。いわば毒をもって毒を制す状態。夜になって落ち着くとたいへんなことになってしまうのだが。

ともかく強風は天の恵みだ。向かい風を利用して登りのペダリングの練習ができる。3倍のギアにして60rpmでぐいぐいと回す方法、2.4倍のギアにして80rpmですいすい回す方法。バリエーションを試してみた。

そろそろ境川を離れて半原越に行かなければならない。坂の具合はどうだろうと、試みに境川の崖を登る道路を走ってみると、やっぱりしんどい。やっぱりうまく回せない。向かい風の中を走る練習はしょせんは向かい風を走る練習なのだ。境川練習ではホンモノの登りには太刀打ちできない。半原越を上手に走る練習は半原越でやるにかぎる。


2013.3.12(火)晴れ OLIMPUS TG-1で魚眼

魚眼

TG-1を購入した動機にいろいろなレンズをアタッチできるというものがあった。TG-1には標準アクセサリーとして40.5mmのねじがきってあるコンバーターアダプターCLA-T01というものがある。それで各種フィルターやら別売のフィッシュアイコンバーターやらを装着できるのだ。

オリンパス純正のものを使っても良いが私の場合はニコンのCOOLPIX 990用に買ったおもちゃのような望遠・接写レンズや魚眼レンズを持っており、それを流用できるのがよかった。でなかったらTG-1を買わなかったろう。今日の写真はニコンの魚眼をTG-1につけたものである。この魚眼はけっこう高価であり画質も良い。当時のニコンはこんなものを市販するぐらいCOOLPIX 990に入れ込んでいた。その姿勢は間違っていないと思う。早く目を覚まして欲しいものだ。

装着にはあえてコンバーターアダプターCLA-T01を使っていない。コンバーターアダプターCLA-T01を使わないのは40.5→28mmステップダウンリングが市販されてないからだ。それも無問題でこの程度のアダプターは簡単に自作できる。

TG-1にはプラスチック製のレンズリングという黒いわっかがついており、ちょうど一眼レフのレンズのように付け外すことができる。そのレンズリングに接着剤で37→28mmステップダウンリングを貼り付けて、ニコンの魚眼をねじ込んだ。もともとは、COOLPIX 990のレンズ部にねじ式でぐるぐる付けるものだが、こうしてアダプターを自作すると、一眼レフレンズ風にくるっかしゃっとはめることができ、手早くてかっこいい。

レンズリングは普通には売られていないが、オリンパスプラザで入手できる。近所なので足を運んだ。そのときはたまたま1個しか在庫がなかった。しかも驚いたことに一度に購入できるのは3個までという、オイルショックのときのトイレットペーパー並みの売れ筋貴重品なのだ。価格は1個165円である。3個は予約購入で郵送してもらい総計で5個のレンズリング持ちになった。1個は魚露目、1個は魚眼など28mmコンバーター専用に消費したがまだ3つある。

TG-1はこういうこともできる面白いコンデジだ。さらに各部の作りをみるならば、レンズカバーのガラスとか、液晶のカバーとかもろもろのものがねじ止めされており、簡単に交換可能なようだ。傷ついたり壊れたりすれば修理がきく設計のようである。荒っぽく使いたおすのに向いているカメラとみた。

2013.3.16(土)晴れ いよいよ半原越へ

半原越

半原越にはキブシが咲いてテングチョウが吸蜜している。とはいえまだ春は浅い。清川村も思ったほどの花盛りではない。名残の梅がようやく集落に彩りを添える程度。桃源郷を期待していたので少し残念。途中、下の方ではかなりソメイヨシノが咲いていた。3月に突然暖かい日が何日もあったものだから木の花の開花がずれているのだろうか。

半原1号の復活といえばやはり半原越を走らなければダメだ。心配な自転車は絶好調。ダウンチューブを溶接して前より良くなっているような気がする。特に高速での下り坂の安定感が増している。それが気のせいでないとすれば、チューブに亀裂が入ったまま走り続けていたことになる。

人間のほうはというと不調である。11月からずっと登りの練習をしていない。心拍数だって170bpm以上にすることも少なかった。冬の間にけっこう脂肪がついている。走る前からダメはわかっていたけれど、その予想をはるかに上回ってしんどい。命の危険を感じるまで追い込んで22分33秒というのは初心者も同然だ。こっちは溶接のような一泊逆転の裏技は使えない。焦らずに回復させていくしかない。ハーフは3回しかやらなかった。


2013.3.24(日)晴れ 一番景色の良い所

境川

本当は半原越なんだが・・・と思いつつちょっとひよって境川へ。今日の写真の場所が境川で一番景色の良い所だと思う。小さく浅い谷がどこかの大学の実験農場になって牧草や水稲が育てられている。畑地の周辺はちょっとした雑木林だ。

Nikonimagespace が少しずつパワーアップしているようだ。いぜんはここから写真自体にリンクが貼れたのだが、現在はリンクもNikonimagespace を開くようになっており、古いマックでは見ることができなくなってしまった。パソコンの新しいのから興味が失せるに伴ってできないことが増えていく。できないことがちょっとぐらいあってもまあいいやとあきらめてしまう。

とにかく半原1号が復活したのがうれしい。現在の半原1号の組み付けが最高の自転車のような気がする。それは私にとって最高であるばかりでなく、すべてのホビーサイクリストにとっての最適という意味だ。遊べる自転車をまじめに考えるとこうなるはずなんだが、メーカーは半原1号スペックのものを作る気はないらしい。自転車がはやって財力のある趣味人は無駄にオーバースペックの高級ロードに乗る。かといって入門車なるものは見た目が安っぽくかっこわるいだけで、機材としてオーバースペックなのにはかわりがない。そろそろ素人に扱い易い高級品が量産されてもよい頃合いのはずなんだが。

いまの季節はなにかと忙しい。木の芽は膨らむ、木も草も花が咲く。春にしかいないなじみの虫もいる。うかうかしているとあっというまに夏が来る。


2013.3.25(月)雨 雨の半原越

半原越

朝目をさますと雨がしとしと降っていた。これは半原越だなと決めていそいそと半原1号の準備をはじめた。相模川を過ぎて半原越のある山並みを見れば霧に覆われている。麓ではほとんど雨滴を感じないほどの降りであるけれど峠のほうはそれなりに降っているようだ。ただし今日の天気であれば雨具は必要ないと判断した。

半原越のソメイヨシノはまだ開花したばかりだ。早春の木の花はひととおり咲いている。草の花盛りにはまだ早い。10日もするとムラサキケマンなんかが咲き始め、春にしか会えない蝶が飛び始めるだろう。道ばたでは雨に湿ってコケの緑が鮮やかだ。濡れたアスファルトに轢死しているミミズはたった1匹だ。ウソが数羽の群れになって木の芽をあさっている。すぐ前を横切ろうとしたリスが自転車に驚き慌てて引き返していく。リスを見るのも雨の日くらいのものだ。

ギアは38×19Tの2倍に固定して入った。TTでもなくなんとなくそうしてみたかった。体もつらいしタイムも悪い。完全に初級者の乗り方だ。発作的にこういう走り方をしてみたくなる。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'34"4'34"+1415.616761194
区間29'54"5'20"+3013.517953198
区間315'14"5'20"+3013.618153186
区間421'54"6'40"+4010.918452188
全 体+11413.217954191

ハーフは花だの霧だのの写真を撮りながら26×23Tの軽々ギアで3発やった。3回目の区間4、10%の登りでこれまでにない感触を得た。軽いギアとはいえ、境川の向かい風でやってるような、どこにも無理がかからない自然な乗り方ができていると感じたのだ。ついに登りの本当のスタートラインに立ったのかもしれない。


2013.3.31(日)くもり 腰を開いて前に突き出す

そろそろ暖かくなって欲しいものだと内心辟易しつつ境川に向かう。半原1号のホイールはC24TL。こいつはなぜか半原2号との相性はよくないように思うのだが、半原1号との相性は抜群である。その辺は自転車の妙として面白い。境川はけっこうな北風だ。雲は重く風は冷たい。海に向かうときはぜんぜん力を使わず、向かい風でがんばるのはいつもの通り。

じつは昨日思うところがあってビデオを自分撮りしてみた。OLIMPUS TG-1はビデオカメラでもある。これまでケータイやデジカメのビデオ機能は無視し続けていた。ビデオに手を出すといろいろ面倒なことが起きるのは目に見えていたからだ。ただ、最近のビデオモードは気楽である。それならば走っているところを自分撮りしてフォームのチェックをすれば気づくところもあるはずだと思った。

カメラを置いての自分撮りだから本格的な撮影にはならないけれど、それなりによく写った。フォームのチェック程度なら申し分ない。見たところそれなりにかっこよく乗れている。ただ、膝が内側に寄るのが気になった。膝下が曲がっているせいかもしれないが、膝がトップチューブに触れるぐらいにまで閉じることはこれまでも気づいていた。あらためてビデオとして見るとみるからに非効率そうだ。開くよりはましとしても理想とすれば膝は垂直に上下するのがいいだろう。

今日は一日、注意深く膝の矯正に終始した。意識して膝をすぼめて走るとき、イケクミ(仮)とよんでいる太もも付けね内側の筋肉が緊張している。その筋肉の緊張を解く。感覚として膝を開くよりも又を開く感じだ。従来の交尾拒否から一転して、入れて入れての濡れ濡れ女のポーズになる。又をすぼめていると力強く踏みつける感覚がある反面で下死点でつまずく気がする。逆に、入れて入れてと膣を開いて腰を前に突き出す感じ、または勃起したペニスを突き立てることをイメージしつつ膝を垂直に上下させると、踏み込みは弱く感じるけどより小さな力でスムーズに脚が回るように思う。あまり力を使わずスムーズっていう感覚は基本だ。ペダリングで使う筋肉の有効出力時間はせいぜい0.3秒ぐらいだ。それ以上は無駄な緊張になるから。

3時間ばかりそういうことをやってると、先日半原越でうまく脚が回ったときと同じ感覚がよみがえった。ただ、腰を開いて前に突き出すことを意識しすぎると、腰が立ってきて尾てい骨でサドルに座ることになる。それでもいいのかもしれないけれど、尾てい骨と恥骨の3点で支持するほうが理にはかなうのではないだろうか。こうやっていろいろ試していこう。ビデオもけっこう使える。


2013.4.5(金)晴れ 芽吹く雑草

雑草

庭の一角に一斉に草が芽生えてきた。この場所には冬の間も緑色の草は少しだけあった。ただし、それは成長するものではなく小さいままにとどまっているものだった。この季節になるとそうした小さい芽がグングン伸び、土の中からも新鮮な芽が吹いてくる。

写っている草がなんでもないものものだということは言うまでもない。このへんの住宅地であれば放って置くだけでいくらでも生えてくるものだ。撲滅しようとしても難しい。ある人にとってはやっかいな雑草であろう。

この一角は数年前から私が特別に目をかけているものだ。ただ見ているだけでなく、雑草を選別して好みのものをはびこらせようと目論んだ。もともとはコツボゴケとナミガタタチゴケの群落を作ろうと思った。女房が山梨からそういうコケマットを持ってきたからだ。コケの育成は噂通り難しく、とりわけずぼらな私の管理下では、どんどん面積が狭まり、4年ほどたったいまはほんのひとつまみのコツボゴケが残っているにすぎない。

夏が来れば優占するのはアカマンマとヒナタイノコズチである。意図したものではないとしても、いまアカマンマやヒナタイノコズチが大好きだ。もしそれがクワクサやツユクサであったとすれば、クワクサやツユクサを大好きだと言ったと思う。

ひとまず、生えてきたものを好きになって、それを贔屓にしてみる。ところが、私の庭のような環境は強い遷移の圧力にさらされており、私ぐらいの贔屓では対抗できない。贔屓の引き倒しになることだってあるだろう。遷移していくのならそれはそれでよい。

こうして生えて来るものは、その姿が美しいのだ。自分がかわいがっているこの一角ばかりでなく、どこであっても良いものとして目に映る。

こうした心持ちはかつて水草アクアリウムに熱中したことで培われたようなきがする。水槽のなかで水田雑草を健康に育てるのは並大抵のことではない。生命力の強い熱帯の雑草とはいえ屋内環境で長期にわたって群落を思い通りの自然風に維持していくのは不可能に近い。水槽環境では草たちが想像以上に美しく育つことはない。不可能であるかもしれない水槽の完成形のイメージが、じつはそのへんの雑草群落で実現していた。草むらには我が手の造形術では届かない洗練された美しさがある。手をかけても思い通りにはならないけれど、私の想像を上回る力強さで草たちが育つ。それがなんともすがすがしくよい気分がする。


2013.4.6(土)くもりのち雨 奇妙に枯れている雑草

雑草

午後から嵐になるというから、ちょっと早く境川に出かけた。出かけるときにはすでにけっこうな雨脚があったから念のために雨合羽を背中に刺した。雨でも嵐でもいまは休んでられない。又を開く走り方の練習がある。これはワンランクアップの予感がある練習だ。

おあつらえ向きに境川はけっこうな南風が吹いている。路面を落ち葉が転がる程度だから時速30kmはあるだろうか。追い風だと100rpmで30km/hで走っても、全く運動していない感じ。向かい風だと80rpmで25km/h。これでけっこうな強度になり心拍数は170pmぐらいになる。この向かい風を使って又を開く練習だ。

力を入れて2分3分と乗っていると痛みが来る部位がある。今日の又開きペダリングでは、鼠径部からぐるっと骨盤の外側までだ。この腰の外側部分のチリチリした痛みはあまり経験がない。おもいっきり走っているときには痛くなる部位ではあるけど、向かい風25km/h程度で痛くなる部分ではなかった。けっこう新鮮だ。

これまでの膝をすぼめるやりかたではイケクミ(仮)を使っていたということが自覚できた。今日はぜんぜんイケクミ(仮)が登場してこない。イケクミ(仮)が太ももの左右運動に関わっているのなら理論上は自転車の推進に必要ない筋肉ということになる。ではイケクミ(仮)には休んでいただいて、新たに痛みを感じる腰の外側部分の筋肉にがんばってもらうことにしよう。じつはこの部位の名称はとっくの昔に決まっている。優香だ。

今日の写真は横浜市市営いちょう団地のちょっと下流にある田んぼ。草の枯れ方が奇妙で目をひいた。一度通り過ぎたけど事件の予感がして撮っておくことにした。写真では2つ枯れた場所が写っているだけだが、現場では5つほど同じ状態のものがある。枯れ草のサークルの中心には背の高いイネ科と思われる草があり、そいつはすっかり黄色く枯れている。その枯れ草を中心にひと抱えぐらいの土地で草の成長が悪く立ち枯れもある。その立ち枯しているのは周囲にある青々と我が世の春を謳歌している雑草と同じ種類のようだ。こうなった原因はとんと見当がつかない。


2013.4.14(日)晴れ 踏み込み練習

今日は南風が強いという予報があり、いそいそと境川に出かけることにした。川にでれば予報通りの強風でおおむね10mぐらい、強い所は時速にして40km/hぐらいになっていた。

とにかくいまは又を開いてまっすぐ踏み込むことに集中している。強い向かい風を利用すれば安全に長時間力を使うことができる。心拍数は180bpm以上になっているものの、90rpmで23km/hぐらいしか出ていない。それなりの負荷をかける練習は1日2時間程度、距離にして50kmぐらいしかできない。体力的精神的な限界が低いからだ。今日は時間を追って風が強くなり、ようやく終盤にいい感じで回せるようになってきた。まっすぐ踏み込めて引き脚との連動も良い感じだ。一週おいて走ると元の黙阿弥になっていることが多いものの、少しずつ進歩している実感はある。

ところで、この冬あたりからは力を込めても全く腰が痛くならない。今日も向かい風練習はずっと下ハン背中水平状態で踏み込んで腰はノーダメージだ。数年前なら確実に仙骨あたりの筋肉に痛みが来て呼吸すらままならなくなるぐらいの強度である。やっと自転車乗りとしての力の入れ方がわかったということだろう。私はずっと何をやっていたんだろうとあらためて思う。若いうちに気づいておればもっとましな自転車乗りになれたにちがいない。という湘北高校バスケットボール部の三井みたいな反省をすでに10回ぐらいやった。

カンチェラーラはフランドルの終盤で10kmあまりを50km/h以上の速度で逃げた。彼は世界一の自転車乗りである。私の素質ではいくらがんばっても彼の半分にとどまるだろうから、ましといっても現状と大差はない。


2013.4.15(月)晴れ 電子

練習中とはいえ、気持よく走れていると自転車に乗ること以外のことを考える。昨日は電子のことを考えた。私は量子論はからっきしの素人だ。しかし現代に生きる科学者として量子や宇宙のことについても等身大のイメージをもっておくべきだと思う。電子はよく見聞きする概念であり親しみもあるけれど、昨日までその実態について的はずれな概念をもっていたことにはっと気づいたのだ。

その概念というのは「電子は原子核のまわりを回る微小な玉で負の電荷を持っている」ということに尽きる。教科書なんかにある(−)と欠かれた青球の図を思い出せるし、電流はその玉である電子の光速の流れであるという。そういうことでいいのかもしれないけれど、せっかく量子論というアイデアがあるから、もう一歩踏み込んで考えておいたほうがいい。

電気は発電所で作られる。100kmも離れた発電所で作られた電気が一瞬で送られてくる。送電システムは非常に複雑で、パソコンなんかの回路も非常に複雑だ。ひっきょう電気の通り道は何百キロ何千キロという曲がりくねった細い一本道である。発電所から私のパソコンまで1/100秒ぐらいで電気が届けられるという事実について、もし電線の中を電子の青球が飛んで来ると考えると「なんだか無理っぽい」という感じになる。

電線には鉄とか銅とかがたっぷり詰まって隙間なく見える。いくら電子が小さく軽くても、そんな中を超高速で飛んでこれるというイメージだとちょっとおかしいのだ。

そこで量子論でいう、質量=エネルギーとか、場とか、超ひもとかという概念が電流の解釈に役に立つ。電線の中は電子が活躍する「場」になっている。金属原子はたくさん集まると人の目には恒常な実体に見えるほど強固だけど、そのじつは電子を形成するのと同類の「ひも」が集まった一状態である。光を通さないほど隙間なくつまっているけれど、陽子中性子が銅や鉄ならば、原子核の近所は電子(とよばれる状態のひも)の波が光速で伝播する媒体になる。

電気は発電所で作られた電子の青玉が電線の中を猛スピードで飛んでくるわけではない。電子と観測されるエネルギーが電線を波として伝わっているのだ。


2013.4.22(月)晴れ アンクリング

土曜日曜の雨は4月の下旬とは思えない冷たいものだった。ただし、今は雨が冷たいなどと弱気なことを言ってはいられない。フォームの根本的な改造に取り組んでいるからだ。

先日、ビデオをチェックして膝を絞りすぎていることに気づき、又を開く乗り方を検討してみた。それが思いの外うまくいっている。膝を絞るには太ももの付け根内側の筋肉を緊張させることになる。その力は自転車の推進にプラスにはなってなかったようだ。その無駄な力をはぶいて又のあたりをリラックスさせることで、中程度の力で走るときは足の回転もスムーズだ。

また、足首の使い方にも課題があるように見えた。いわゆるアンクリングという動作が大きすぎるのだ。上死点の手前でかかとが高くあがり、前に踏み込んだときにかかとが下がる。それは引き脚を焦り、踏み足を焦っている結果と思われる。自転車の速度は畢竟は膝の上げ下げの速度に他ならないから、アンクリングはあってもなくても良いはずだが、要は重いギアを小さい出力で動かすことでもある。私のアンクリングは、ペダルに負けている結果とも考えられる。なくて済む動作ならないほうがよいに決まっている。

この2つのことをなんとかすべく200kmほど走ったのが先週末だった。境川では、冷たい風雨の日には人がいなくなって練習には好都合だ。ただひとつ面倒なのは自転車の掃除だが、雨で泥でもかぶらないかぎり洗うこともないからかえってきれいになっていいかもしれない。水をじゃばじゃばかけて掃除するほうが実は手早いというメリットもある。


2013.4.26(金)晴れ ホトトギス?

芽

春になって各種の種が芽吹いている。クロナガアリの巣のまわりにもかわいらしい葉がひらいた。その芽の同定はにわかにはできないが、1か月もすれば花も咲いて正体がわかるだろう。そもそも我が家に生える雑草の類は数種類しかない。

この芽は、アリのゴミ捨て場に根付いており、どうやらアリが捨てた種が芽吹いたものである。クロナガアリはいったん運び込んだ種をゴミとして捨てることがよくある。

種の種類によって捨てられがちなものがあって、この写真のホトトギスやツユクサなどは、ゴミの山に無造作に捨て置かれるのをよく目にする。運ぶ者の努力を無にする行為でありもったいないとも思える。巣の中で活動する方にしてみれば、餌としては食べられたもんじゃないっていう感じなのだろうか。どちらも種の形状に特徴がある。この芽もホトトギスかツユクサのようである。


2013.4.27(土)晴れ マムシ?

ヘビ

あっというまに初夏の風情で新緑のなかに藤の薄紫があざやかだ。荻野川のわきにあるクレソン畑からはシュレーゲルアオガエルの鳴き声が聞こえる。毎年いつも同じ場所で最初にシュレーゲルアオガエルの声を聞く。

今日はほぼ1か月ぶりの半原越。登りの練習を境川でやっているつもりだったけどホンモノの登りはやっぱりちがう。あらためて言うまでもないことだ。一冬さぼったつけを払う日になった。半分ぐらいまではなんとかがんばってみたものの、区間4では集中が切れて気がつくと漫然と走っているというていたらくだ。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'23"4'23"+316.316983203
区間29'27"5'04"+1414.118376201
区間314'35"5'08"+1814.018376196
区間421'22"6'47"+4710.618361183
全 体+8213.418073194

道路の上空にクマバチがホバリングしている。メスを待つオスだろう。クマバチのいるところには藤の花があるように思う。それは記憶のねつ造なのか。偶然その取り合わせになってるだけなのか。子育てなどの必然があるものなのか。アスファルトにはぺたんこになってしまったヘビの死体。一見してマムシの子のように見えるけれど、ヤマカガシにも見えるし、もしかしたらアオダイショウの子かもしれない。マムシだと初記録だ。

ハーフは4回やって、自分撮りのビデオ撮影。登りのフォームをチェックするためだ。シッティングもダンシングもそれなりに決まっている。ただし遅い。


2013.4.28(日)晴れ いろいろな鳴き声

半原越

写真は清川村から望む半原越である。中央のV字型をしたくぼみが峠の頂上になっており、そこを越える道の通称が半原越なのだ。こうしてみると藪山のささやかな峠道にすぎない。ただし美しく豊かな道である。

昨日は冬のさぼりを思い知る日だったが、今日は冬の練習の成果を試す日である。ちょうどATあたりの強度で、ギアも26×16Tに固定してイーブンペースで登ってみる。20kmぐらいの長い登りだと最速になるはずの走り方だ。

リッチランドを過ぎたところでカジカガエルを聞く。良い声だ。中盤あたりでは盛んにヤブサメが鳴いている。シシシシという直翅目系の虫の声みたいだ。じつは半原越ではヤブサメを聞かなかったため、もう耳が悪くなって聞こえなくなっているのだと思い込んでいたのだった。どうやら半原越にはヤブサメが少なかったというのがオチらしい。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'53"4'53"+3314.615570177
区間210'26"5'33"+4313.016962184
区間315'58"5'32"+4213.016763176
区間422'34"6'36"+3611.117653196
全 体+15412.816861183

今日はハーフをやらずにすごすごと引き返すことにした。というのも、駆動部からピヨピヨと鳥の声のような擦れる音が聞こえるからだ。これまで聞いたことのない異音だ。昨日からこのノイズは聞こえており、またペダルだろうと交換してきたのに、昨日よりも音が大きくなってしまった。放置するとろくなことにならないはずだ。

ひとまず帰宅して走り足りないので、ホイールを半原1号からナカガワに移して境川へ。快晴の初夏の休日とあって自転車が多い。ぜんぜん見ない顔ばかりで、こんなにたくさん自転車乗りがいるものかとあきれてしまった。

異音の出所はホイールでもないことがわかった。やはりBBとあたりをつけて、境川から帰宅してすぐに交換した。交換してペダルを持ってクランクを回してみるとやはり同じ音がする。BBではなかったのだ。ただしこれで完全に原因が特定できた。ディレーラーのプーリー部分だ。アルテグラのセラミックプーリーが擦れて鳴っているのだ。手で回してみると大きな抵抗がある。部品の交換をしてもよいが、ひとまず分解掃除して使ってみることにした。

ついでにBBの分解掃除もしておいた。シマノのオクタリンクのBBはぞっとするぐらい掃除がたいへんだ。72個の小さなベアリングをばらして洗って組み立てるのはけっこうな苦行である。ニードルは後からボールは先に、という呪文を覚えるまでは何回か涙目になったものである。

カエルから鳥からディレーラーから、いろいろな鳴き声を聞いた一日だった。ちなみに女房にはシジュウカラの声がspeak speak speak と聞こえるらしい。


2013.4.29(月)晴れ やっぱり魚露目

レンゲ

写真は私の庭に咲いたたった一つのレンゲである。レンゲは10年ほど前にひと抱えほどを植えていた。庭が次第に暗くなるとレンゲの数もすぐに減ってこの数年は全く花を見なかった。すでに絶滅したのだろうと思っていたが今年突然花が咲いた。去年の梅雨に庭の雑草一斉駆除が入り、レンゲのあたりを覆っていたツタが撤去されて陽光が入り眠っていた種が目覚めたのだ。すぐ近くでアカメガシワが芽吹いているのも同じ原因だろう。

この写真はオリンパスTG-1に魚露目で撮ったものだ。今朝、海野さんのブログを見ていて「TG-2の絞りはNDフィルターと割り切る」というような記述が笑えた。TG-1では絞りはフルオートで、魚露目だと解放側によりがちなのに深度は大きい。絞ればどんだけ〜と期待していたのだが、海野さんの「ヒメギフチョウの卵」を見て、絞り優先は必要ないと思った。一眼レフだと絞り効果は歴然なのだが、TG-1には関係ないみたいだ。

さっそくTG-1に魚露目を装着し、庭に出ていろいろ撮ってみた。フルオート、ノーファインダーでOK。一眼レフでは実現できないアングルも自在。肉眼では確認できないアブラムシなんかの小さな虫が勝手に写る。ぜ〜んぶお任せでいいんだけど、唯一、キュウリグサ程度に被写体が小さいとピントが来なくていらいらする場合もある。マニュアルフォーカスだけはあってもいいかな。

で、肝心の被写体だが、わが家の庭は森林化し周辺は宅地化して、生き物は減少の一途である。越したときに普通だった虫の大半は消えている。ヒキガエル、アカガエル、シュレーゲルアオガエルなどの大物から、ビロードツリアブ、アオオサムシ、マルハナバチ、スズバチ、トウキョウヒメハンミョウ等々の小物、カメムシの類や徘徊性の小蜘蛛など掃いて捨てるほどいたヤツらも姿が見えなくなった。期待できるのはアリやアブラムシぐらいのものだ。アブラムシはこの季節に爆発的に増え、テントウムシ、アブ、クサカゲロウを集めて活気が出る。

午後からは仕事があるので、早めにチネリで境川へ。とちゅうカラスが小鳥を襲うシーンを目撃した。境川の上空2m程度の所を弱々しくはばたく小鳥がおり、それに向かってカラスがターンを繰り返し急襲をかける。五回程度はそのくちばし攻撃をかわしたがついにがぶりとくわえられた。一噛みで絶命したのだろう。くちばしの間に見えるそれはもう小鳥と認識できなかった。カラスは河原に降りて川の水で小鳥を洗うようにしながら食い始めた。あの状況で小鳥が助かる道があったとすれば、人間に向かって飛ぶことだけだったろう。強気なカラスもさすがに人間のそばに来てまで小鳥を襲うまいと思った。

今日の境川は歩行者も自転車も多かった。さすがに欲求不満で久しぶりに134号線に行ってすっ飛ばした。


2013.5.3(金)晴れ アオオサムシの季節

アオオサムシ

ちょっと寒いけど半原1号で半原越へ。初夏になってまた路面に虫が出てくるようになった。アオオサムシはきれいでよく目立つ。赤っぽいセンチコガネとアオオサムシが半原越で轢かれる甲虫の双璧だろう。アオオサムシはどこにでもいる虫でかつては私の庭にもいた。ここ10年ほど見ていないのがちょっと寂しい。

半原越は26×17Tに固定して登ってみた。ギアを固定すると斜度がよくわかる。「ここは16Tだな、とか、ここを回すのは21か23は必要だな」ということを確かめることができる。また、トルクのかけかたを使い分けるロードレーサーならではのテクを磨くこともできる。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'38"4'38"+1815.415879188
区間29'44"5'06"+1614.117872202
区間314'53"5'09"+1914.017771191
区間421'13"6'20"+2011.618358204
全 体+7313.617569197

自転車に乗っているときから嫌な頭痛がしてきた。それが夜までずっと続いて眠気にも襲われた。自転車で力を使いすぎるとよく起きる現象だが、いつもよりひどかった。


2013.5.4(土)晴れ 花畑?

ハルジオン

嫌な頭痛は目覚めたときにも残っていた。体を起こして背中を伸ばしてじっと座っているとだんだん正常になってきた。昨日よりもかなり暖かく、庭の雑草をトリミングしたり撮影したりしていると気分がすぐれてきた。じゃ、半原越にと半原1号にまたがった。

昨日かなりがんばったぶん今日は最初からいい感じだ。自転車に乗る姿勢や力のかけ方は数日休んでいるといい感じを呼び戻すのに1時間ぐらいはかかってしまう。

半原越はギアを固定しない乗り方でやってみることにした。トルクをかけなければならない登りで引き脚と踏み脚の両方をいっぺんに使うのは無理があると感じたからだ。クランクが1回転する1秒足らずの間に強く踏んでなおかつ強く引いて、右が引いているときに左は踏んで、そのとき左腕は引いて右腕は弛緩・・・というような神業ができるほど運動神経が良くなくて筋力もない。

であれば、12%ぐらいは立ちこぎで、10%程度のところは前乗りの踏み込みで、5%程度のところは引き脚重点で踏み込む筋肉を温存する、というやり方でいってみようと思ったのだ。きついところでもギアを落とせば引き脚で走れるし、余裕があれば(理論の上では)重いギアを踏んで速度を上げることができる。結果は悪くなくてタイムは昨日と同じだが楽な感じはあった。プロはどうやっているか知るよしもないけれど、なんでもかんでも回せばいいというものでもないのかもしれない。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'41"4'41"+2115.115879182
区間29'53"5'12"+2213.617571188
区間314'58"5'05"+1514.017673195
区間421'15"6'17"+1711.418266202
全 体+7513.417472192

半原越を降りて久しぶりに小田原厚木道路の側道から134号線を回ってみようと思った。30〜35km/hですいすい気持ちよく巡航するには良いコースだ。藤沢からはいつも通り引地川と境川に沿って北上する。今日の写真は境川遊水地公園向かいにある日本大学(ショベルカーに大学名が書いてあった)実験農場。ゴージャスな花畑が出現している。あえて植えたかのようなこの花畑は普通のハルジオン。この季節に群生は見るけれど、ここまでのものはちょっと珍しい。どういう加減でこうなったんだろう。


2013.5.5(日)晴れ アバカムを覚えたい

庭は春の花のみのりの季節である。タチイヌノフグリ、カタバミ、カラスノエンドウなんかの種はよく目立つ。草を撮影しようと腹ばいになると、タネツケバナの種がぱっとはじけとぶ。元気があってたいへんよろしい。雑草の隙間にタネツケバナはいくらでも生えている。ムラサキケマンの種は一足先にとび尽くした。

今日は半原越には行かず。休養をとろうとチネリで境川を100km流すことにした。ちょうどこの5月のはじめには相模に強い南風が吹く。その風を使って凧を揚げる風習があちこちにあるようだ。私はその風をつかって軽く負荷をかけてペダリング練習をする。ギアは52×17Tで80rpmだと30km/hになる。そのぐらいの速度で風に向かう。

2回目の高鎌立石往復のとき今までにない感覚があった。ペダルを踏んでいない、上げてもいない、押してもいない、引いてもいない。クランクの360度にわたって均等に力がかかり等速度で回転している。かといってクルクル回しではなくかなりの力はかかっている。回転数は70rpmだからたいした速度ではないけれど、30km/hほどの向かい風だ。かなり力をいれないとその速度は出ない。だけど力を使っている気がしない。心拍数は150bpmに満たない。この調子なら1時間でも2時間でも続けられると感じた。

この感じならはあはあせずに半原越を22分だ。ついに私は最後の鍵を手に入れ、ペダリングの秘奥の扉を開けて一丁前自転車乗りの仲間入りをするのだろうか。もはや魔法だ。アバカムだ。ペダルは踏むんじゃない回すんだ、とよく言われるけれど、完璧に回すことは不可能だと思い込んでいた。それはじっさい可能だったのだ。人類は地面を蹴って進むのではなくクランクを回すように進化してきたのか。

そんな絶頂感で走れたのは数分だけ。3時間ほどかけてその感覚を呼び戻そうとしたけれど、どうもうまくいかない。3回もまわせばどこかで引っかかってるしどこかで抜けている。あきらめることはない。無理なく1分できる運動なら訓練すれば1時間継続できるようになるだろう。


2013.5.6(月)晴れ 力を出さずに走れば遅い

昨日の感覚を半原越で再現してみようと、半原1号で半原越。出発のときにそろそろパンクするな...という気分になった。案の定、30分ほど走るとパンク。道ばたでチューブの交換。これは簡単だ。作業のときにサングラスを外して草むらに放置する。こいつは忘れかねないな...という気分になった。再スタートして案の定、サングラスを置き忘れたことに気づいたのは美登里園の坂を下るところ。引き返すにはちょっと遠い。風さえ強くなければそれほど目も乾かない。パンクも忘れ物も、その手の予知はいつものことでさほど驚かなくなっている。

半原越は昨日の感じ、ということで力をセーブした。心拍数170pmをこえない程度で、ケイデンスは70rpmぐらい。となるとかなり手抜きに感じるのだけれど、意識だけは集中してペダルをうまく運ぶことにした。結果のデータは以下の通り。力を出さずに走れば遅い。当然のことだ。あらためて考えると、これはいつもハーフでやっている練習なのだった。4日にやったように、強めに出力しないとこの先のスピードアップはないだろう。さらにあらためて思い起こすと、数年前の初心者だったときにはおもいっきり走ってこの程度だった。進歩はあるもんだ。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間15'13"5'13"+5313.615069161
区間211'15"6'02"+7211.815967162
区間317'03"5'48"+5812.316069167
区間424'30"7'27"+879.716668167
全 体+27011.716468164

半原越を降りてサングラスをピックアップして帰宅。パンクしたのはパナのR-airというチューブだ。まだ寿命ではないから修理をして使うことにした。空気を充填して穴の位置を確かめて、紙ヤスリをあてて驚いた。軽くこすっただけで大きめの穴が2つも開いたのだ。こんなにもろいチューブなら異物が刺さらなくても普通にパンクするはずだ。以前からR-airは原因不明のパンクが頻発しているが、それは仕様と考えるべきもののようだ。


2013.5.11(土)雨 半原越の白い花

ムシカリ

雨なので服装に気をつかった。雨合羽は使うとしても、それ以外の防寒着は冬用のものにするか、夏用のものにするか。結局、ジャージ、レーパンそれぞれ1枚ずつの夏仕様に脚にはナキのオイルを塗った。オイルは雨に濡れたときの防寒になり3時間はもつというふれこみだ。使い始めたときはポッカポッカしていたけれど、最近はその効果がイマイチわからない。麻薬っぽい慣れなのか薬の劣化なのか。服装以外は気遣いがいらない。ケータイもカメラも防水型だ。

いつもの棚田は水が入っている。代掻きをしてまもなく田植えだ。半原越では白い花が盛りである。とりわけミズキは高木でよく目立つ。遠目にはミズキに似ているけど、黄色っぽい感じがないのは今日の写真のムシカリだ。この木は花びらのバランスがへんなことになって、モンシロチョウのようなシルエットだ。道路の崖にはウツギ。足元にはカキドオシ。リスが前を横切った。雨の日にはリスもよく見る。静かなのがいいのだろう。

走り方は14T〜17Tをバランスよく使って強く踏むことと引くことを意識した。斜度のあるところは踏み込み、斜度のないところは引き脚重点で、踏む筋肉を温存した。その両者をいっしょに使うのが難しいならば交互に使って行けばよいと考えたのだ。ハーフはギアを落として19Tと21Tで回す感覚でやってみた。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'42"4'42"+2215.116169182
区間210'00"5'18"+2813.417764190
区間315'28"5'28"+3813.217662176
区間421'57"6'29"+2911.218258192
全 体+11713.017572185

2013.5.12(日)晴れ 昨日は雨今日は晴れ

午前中はチネリで境川。チネリのカンパチェーンホイールとサンツアーの6段ボスフリーと、コネックスのチェーンがいまいち相性がよくない感じだから、デュラエースの9段チェーンに変更して様子を見た。それでかなりの改善があったのだが、何がちがうのだろう。ピッチや幅に差があるとは思えない。歯の間に入っていく鉄のわっかのサイズが100分の5ミリほどちがうのかもしれない。

午後からは半原越。いつもは先に半原越だけどよんどころなき理由から先に境川に行くことになった。いつもの棚田に水が入ってカエルの緊張感が伝わってくる。地面の中でシュレーゲルアオガエルがしきりに鳴いている。脇の草むらにはハルジオンなんかの花も咲いて、ちょっとしたチョウチョポイントになっている。ベニシジミがいてTG-1を持って追いかけた。この10年ほどベニシジミを撮っていないなどと余計なことを思ったからだ。敏感な個体で5秒ほどしか止まらず、ちょっと技を使って近づかなければならない。予想通りTG-1は撮りやすい。フルオートなのにちゃんとチョウの目にピントのあったアップが撮れる。4枚撮って4枚とも外れじゃなかった。チョウの写真がこんなに簡単でいいのだろうか。優雅なウスバシロチョウもいたが、そっちは撮る気にはならなかった。

半原越は楽に走った。昨日は雨で今日は晴れ。それぞれに初夏の美しさがある。こんな日にハアハアするのは粋ではない

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間15'11"5'11"+5113.715373158
区間211'07"5'56"+6612.016173163
区間316'48"5'41"+5112.616168170
区間423'30"6'42"+4210.717462185
全 体+21012.216369170

2013.5.18(土)晴れ テントウムシの幼虫

テントウムシ

私の庭で期待通りの発生を見せているのはアブラムシぐらいのものだ。そのアブラムシをたよってテントウムシが徘徊している。成虫はもう姿が見えなくなっているから、成虫越冬して産卵すれば死ぬのかもしれない。テントウムシのライフサイクルはよく知らない。

いま目につくのは終齢になった幼虫である。黒とオレンジのいがいがの体はひじょうに目立つ。木の幹、葉、家屋の壁など至る所を這いまわる。すでに蛹になっているものも2、3ある。

今朝見たのは写真の光景だ。幼虫が同種の蛹を食い破っているようだ。テントウムシでもこういう共食いはあるのだろうか。幼虫の感じだとアブラムシのいそうな所を這いまわり、食えそうなものは手当たり次第に食いまくる感じだから共食いが起きていても不思議ではない。ただし、もしそうであれば蛹化の場所はアブラムシのいないような所を選ぶであろう。それはこれまでの観察とも合致する。

昨日からのどが痛い。女房の診断では体温も高いらしい。ちょっと風邪をひいたのかもしれない。それでも少し動いた方が体調もすぐれることがある。というわけで半原1号にC24-TLを装着して境川へ。半原1号とC24-TLの相性は抜群である。アスファルトの上をねと〜と走っていく。C24-TLは柔らかいほうのホイールではないだろうか。

境川周辺の田んぼでは田植えの盛りである。今年も近所の稲作農家に一握りの泥をわけてもらった。プラケースに入れてメダカの青水を入れて放置することにする。またいろいろなものがわいてくるだろう。


2013.5.21(火)晴れ 引き脚練習の先

日曜の境川では主として引き脚の練習をした。引き脚にも2種類あって、下死点で後ろに引く方の引き脚だ。この数年は重点的に引き上げる方の引き脚を練習しそれなりに使えるようになった自覚がある。同じように後ろに引く方も練習しなければならないと思った。

私は半原越を速く走りたいと思う。けれども筋力のアップ、持久力のアップという選手にとっては必須の練習をする気がない。それはつらいからだ。自転車でつらい思いをしてもよいと思うけれど、成果のために、目的を持ってつらい思いをする気がない。

もともと私の自転車の素質は並以下だ。どんなにがんばったとしても才能ある者にはかなわない。才能ある者が物心ついたときには凡人が到達できる最高点の上にいるものだ。無能者には無能者にふさわしい努力の方法がある。

私は小学校のときにソフトボールを50m投げることができた。それは右手で投げたときで、左手で投げれば15mほどしか飛ばなかった。それが奇妙だと思った。確かに左手は握力なども劣っていたから右ほどのパワーは出ないはずだ。それでも弱いなりに30mは飛ばなければおかしいと思ったのだ。原因を思い起こせば、それまで左手ではほとんど物を投げる動作をしていなかった。投擲の一連の動作で、下半身の踏ん張り、腰のひねり、肩から手首の振りの連携が左手だとばらばらでむずがゆくなるほどのもどかしさを感じた。筋力のポテンシャルからすれば30m投げられるとしても運動神経ができていないから力を使えないのだ。

自転車だって今ある筋力と心肺持久力をフルに使えば半原越を楽に20分で走れる力があると確信している。げんにあの台風の翌日に理想とする走り方ができたのだ。現状の工夫と練習はあの走行をもう一度取り戻し意識的に再現できるようにするものだ。

引き脚は高度な技術であると思う。ただし誰にでもできる技だ。子どものときに、左手で投げる練習をやってそれなりの上達があったように、引き脚も10万回ぐらいやればそれなりに使えるという予感はある。


2013.5.24(金)晴れ 乳房雲

乳房雲

写真は4月30日の夕刻の東京上空に出た乳房雲である。こんなにちゃんとした乳房雲は珍しい。もし、低い西日があたって雲底を照らすようなことがあればもっともっといい写真になったろう。

いまごろあえてこの乳房雲をもちだしたのはNIKON IMAGE SPACEにブログリンクというサービスがあることに気づいたからだ。ブログリンクはmy Picturetownにも実装されていて便利に使っていた。その機能がNIKON IMAGE SPACEに引き継がれていることに迂闊にも気づかなかったのだ。これまでツィッター利用のリンクとか余計なことをやってうまくいかなかった。じつにありがたい。これからは大きな写真がちゃんと貼れる。その記念写真だ。

この写真には一つ大反省がある。こういう珍しいものを撮るチャンスもあろうかといつもTG-1を持ち歩いているのに、この日に限って忘れていたことだ。3世代ほどまえのケータイで撮ったものだからいまいち迫力のない写真になってしまったのだ。


2013.5.25(土)晴れ 後の祭り

アサギマダラ

TG-1を持っていても反省がある。昨日の朝のこと、通勤途上で花弁が6枚のドクダミを見つけた。一瞬、撮ろうかと逡巡したものの歩みすら止めることなく先を急いだ。「明日の朝撮ればいい」という油断があった。ドクダミの花は長く咲いているから慌てる必要はないはずだった。

そして今朝、いそいそとその場に出かけて息を飲んだ。道ばたの塀の下のドクダミ群がきれいさっぱり撤去されていたのだ。抜いた亡骸すらない。この辺では草を抜くとビニール袋につめてゴミとして出すという悪習があるのだ。ちょっと珍しいはずの6枚花弁のドクダミが何かの見間違いだったかどうかの確認すらできなくなった。ドクダミばかりでなくきれいに咲き誇っていたマーガレット群も刈られている。そっちはまあいいとして、ドクダミはちょっと残念だ。

かつて動植物の撮影で給料を得ていたときに「まあ、後でいいか」と油断して、後でよかったためしはなかった。気持ちにピンと来たときはシャッターチャンスである。動植物の姿は後日絶対に状況が変わっている。どんなカットも千載一遇の機会という覚悟がないと痛い目にあうものだ。

その反省を胸に半原越に向かった。今日は素人じみた走り方をしようと決めていた。つまり、踏み込みだけの引き脚なし走法だ。その方がきっと早いはずという根拠のない確信があった。美登里園パスの20km/hオーバー狙いも軽々こなして確信は強くなるばかりだった。

じっさいやってみると区間1がかなり速い。踏み込は楽に高い力が出せるから油断してしまう。後半になるにつれて筋肉の疲労はたまり、区間4では感覚的には6分を切っているはずが19秒もオーバーしていた。おまけにしばらく忘れていた仙骨あたりの痛みと再会することにもなった。素人の走り方で速い体なら練習も工夫もいらない。そうじゃないからいろいろなトライアルをやっているのだった。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'09"4'09"-1117.117481205
区間29'09"5'00"+1014.218478203
区間314'07"4'58"+814.518378194
区間420'26"6'19"+1911.418366197
全 体+2614.018175199

だがしかし、写真は油断しなかった。いつもの棚田ではもわもわっと上がった水底の土煙を見逃さずツチガエルを発見できた。ついにTG-1が水中カメラとしてその真骨頂を発揮できる日が来たのだ。半原越で花も見逃さなかった。タニウツギが好きといいつつこれまで写真を撮っていなかった。タニウツギの花期は短いらしく、絶頂期にお目にかかれなかったのだ。今日も数日遅かったようだけど念のために撮った。エゴノキも撮った。

撮影を後回しにして後悔したことは半原越でも何度かある。それはおおむね道路で死んでいるむしだ。登りで見つけて、下ってから撮ればいいと後回しにして、そのまま忘れてしまったこともある。下ってみればせっかくの死体が自動車に轢かれて粉々になっていたこともあった。はっと気づいたときは後の祭りである。

ハーフの2回目、アサギマダラを見つけた。あいつは飛翔力が大きく半原越のような環境ではまず落ち着いて撮らせてもらえない。しかし、登っているにもかかわらず自転車を止めて撮った。いまは玄人ではないのだからチャレンジ自体に意義がある。冒頭にボケボケ写真を後日の教訓として貼っておく。半原越でアサギマダラを見るのはせいぜい2秒ぐらいのものだ。こういう写真のほうがかえって状況をとらえている。

水場にいたカワトンボも撮った。きれいで大好きなトンボだが珍しい虫ではない。しかも半原越では絶対にカワトンボらしいカットにはならない。それで今日までは撮る気にもならなかった。カワトンボなら清川村の小川で撮ればそれらしい写真になるはずだ。だが、そういう心構えは誤りだ。カットが使えるとかうけるとか表現力があるとか考えるのはプロの仕事だ。アマチュアにはアマチュアの生きる道がある。


2013.5.26(日)晴れ いろいろ登場してきた

カマキリ

年々寂しくなる庭ではあるけれど、ことしもカマキリとジョロウグモの幼虫が確認できた。カマキリは1個体のみなので卵はけっこう離れた所に産まれたものと推測される。ジョロウグモは2個体である。こちらも私の庭生まれの子かどうかはわからない。ジョロウグモの卵も、子蜘蛛のボールも見ていない。

こうした捕食者系が姿をあらわすと庭も賑やかになる。ムシヒキアブはぶんぶん飛んでいるし、ちょっと困りもののシマサシガメはテントウムシを食っている。よくあんなものが食えると感心する。私には無理だ。珍客ではクビキリギス♀が見つかった。やはりジーーーッと鳴いているのはクビキリギスなのだろうか。こうしていつもの夏が始まった。今年の夏の庭の特徴はカナヘビが極めて少ないことのような気がする。それが真なら他の虫の個体数に影響するだろう。

今日は逆ルートで半原越に行ってみた。境川→134号線→小田原厚木道路側道→半原越である。134あたりですっ飛ばしてしまい、いざ半原越に着いたときにはへとへとだった。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間15'35"5'35"+7512.514965148
区間211'48"6'13"+8311.316159154
区間31808"6'20"+9011.216061155
区間425'19"7'11"+719.917352172
全 体+31911.116259158

半原越を降りて帰宅しながら神について考えてみた。神とはどのような存在であるか、ということなのだが、いろいろ考えてみて結論は「人は一人で生きるのではない」と前田敦子が思っているのかどうかが気になる、ということだった。ぼんやりもの思うときによく起きる失敗である。


2013.5.27(月)晴れ 神についての考察

神とは如何なる者かを考えてみた。キリスト教、神道、バラモン教などの情報によれば、宇宙を作った張本人であることと全知全能であること、この2つが神の神たるゆえんの大前提となる。

そしてこの2つの前提から、神にとっても唯一宇宙作りだけは思い通りにならないという結論が導き出せる。だれそれがなにがしか作るというときには、必ずミスがあったり望外の幸運が起きたりするものである。何度やっても同じ結果をもたらす行為に対しては「作る」あるいは「作れる」などとわざわざ言うことがない。神は宇宙を作ること以外のことは何でも思い通りなのだが、宇宙作りでは不確定原理が作用するらしい。そこんとこの創意が彼のモチベーションになっているみたいだ。

宇宙を作るにあたっては、光の速度とか宇宙定数とか電子の質量とか、そういう細々とした設定を盛ってビッグバンを起こすはずだ。全知全能でも運不運がある。神はちょっとだけサイコロを振るのだ。これまでにも作ったはいいが気に召さない宇宙も数多くあったのだと思う。5分しかもたなかったり、1000億年続いたけど小さかったり、大きいけど陰気だったり。

私にとっては運がいいことに、この宇宙はわりといいものらしい。推定年齢150億年、直径1000億光年以上で、いまなお時空サイズを更新しつつあるこの宇宙はできとして悪くないようである。聖書の記述にも宇宙の創作後わずか200時間後ぐらいに「かなりいいかも」と満足されたとある。少なくとも私の生きている間ぐらいは、かんしゃくを起こしてリセットされる心配はないと思う。

さて古来より問題になるのが神の人間にたいするふるまいである。結論を先に言えば「あんまり気にしてない」ということになろう。その昔、ヨブが「神を信じ、愛と正義を貫く私がどうして悲惨な目にあうのか」と神に直接質問したことがあった。神の答えは「宇宙作りにはそんなの関係ないし。それともあんた地球とか月とか作れるの?」という(人類にとっては)恐るべきものであった。けれど、そう言われてみればそうなのである。庭木の剪定をするときにはアブラムシの住処は枝ごとはらってしまう。それでアブラムシが提訴しても相手にする人はいない。人は神の本音の前にはひれ伏すしかない。

むろん救いもある。人も虫に同情するように神はヨブにはかなり親切であった。その全知全能の技で、ヨブを健康長寿にして家畜を増やしたりしている。神はその類の奇跡をよく起こす。神の奇跡はいずれもたわいないものばかりである。海が割れるとか石がパンになるとか。宇宙のサイズや寿命に影響が起きるほどの奇跡は起きたことがない。ビッグバンの初期設定は変更不可というのが宇宙製造のルールらしい。

神は宇宙のできばえは気にしている。神仲間と製造競争をしているのかもしれないし、仕事のノルマかもしれないし、内面より湧き上がるパッションなのかもしれない。ともかく宇宙のできのみが神の関心事である。私は個人的には、大きくて、きれいで、寿命が長い宇宙がいいと想像するけど、神ご本人の意向は神のみぞ知るとしかいえない。

ともあれ、この宇宙のできを悪くするような者がいれば絶対に排除するだろう。だれかが宇宙の寿命を短くしたりサイズを縮小させたり色を陰気に変えるようなことを画策すればすみやかに天罰が下るはずだ。そのぐらいのだいそれたことをしでかさないかぎり「こまけえこたあいいんだよ」と見て見ぬふりをすると思う。個人の幸福なんぞにいちいち関わる義理はない。

神は人類に対してかなり好意的である。その理由は我々がこの宇宙のことをいろいろ知って感動したり賛美しているからだと思う。花火職人は大曲の大会にあるように、花火職人仲間で作品のできや製造法を競っている。花火のできを真に理解できるのは本物の花火職人だけである。そんな職人にも観客の歓声は誇らしいだろう。観衆は花火の作り方など全く知らず、最高の花火を夢見ることもない。そういう輩による応援だって職人の励みになる。人間も神の自尊心をくすぐるレベルにまで来ていると自負してよい。

どこかの宇宙人はわれわれに先んじて、宇宙の秘密をぐんぐん解き明かしつつあるだろう。別の恒星系から地球にやってくるほどのヤツラなら知恵も技術も半端ないはずだ。だが悲観することはない。ミミズは星空に思いを馳せることがなく、神の御技を無視しているように見える。でも、ミミズなりにこの宇宙の神秘を肌と毛で感じているだろう。その心を神の全知が見過ごすはずもない。神目線ではミミズも人類も宇宙人も、この宇宙に発生した愛すべき住人として大差がないはずだ。


2013.5.28(火)くもり ドクダミ

6枚花弁のドクダミ

花びらが6枚のドクダミを撮り逃したのが悔しくて、ドクダミの花を注意して見ていた。今朝、首尾良く24日(金)に見つけたのと同様の花を撮影することができた。花の咲き方を見れば、開花から数日はたっていることがわかる。場所は、私の庭のイチョウの奥である。あまり目をやらないところであり見逃していたのだ。こんなに目立つものですら注意不足の目には止まらないものだ。

花びらの数がおかしいドクダミはけっして珍しいものではないらしく、私の庭でもすぐに3つ4つが見つかった。近所の園芸が好きそうな家の庭には八重のドクダミが咲いている。そういう変わり種はおそらく選別改良されて市販されているのだろう。

花びらの変異はともかくドクダミは強靱でその姿が美しく花はきわめて有用である。私の庭にはおそらく1匹しかいないカマキリの幼虫はドクダミの花の上でしか見つかっていない。きっとアブ、ハエの類がドクダミに来るのを期待しているのだ。テントウムシもよく花に止まっている。それは花見の酔狂ではなく、花序に潜むアブラムシを狙ってのことだろう。アリもドクダミの花蜜を求める。梅雨のこの季節にドクダミは虫けらたちのよりどころになり、私のよりどころにもなる。


2013.6.01(土)はれのちくもり アサギマダラ

アサギマダラ

いつもの棚田では2段目以降でオタマジャクシが泳ぎはじめている。中型のゲンゴロウの姿がありホウネンエビも見える。ホウネンエビはいまたまたま私の所にもいる虫だ。

夏をむかえてぐっとモンシロチョウの数が増えたように思う。春に生まれたものが成虫になったのだろう。これから育つ青虫には寄生蜂がつくことが多い。モンシロチョウとコマユバチの関係はちょっと面白いなと思った。草むらのヒメジョオンに来たモンキチョウやモンシロチョウを撮影。

今日の半原越は26×17Tに固定。17Tだともっとも緩い所では90rpmいける。きついところでは60rpmを下回るから立ちこぎを使う。1.5倍のギア比がいまのところ半原越に一番あっている。変速なしで持てる技のすべてを使って走ることになるから。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'36"4'36"+1615.416380179
区間29'38"5'02"+1214.117973197
区間314'45"5'07"+1713.817772189
区間420'51"6'06"+611.618361202
全 体+5113.617675192

ハーフも17Tで登った。3回4回と登るうちに境川をチネリで走っていたときの全体にかかる乗り方ができてきたような感じがした。タイムも尻上がりに良くなり、4回目のタイムが11分42秒だった。そのときの平均心拍数が170bpm平均ケイデンス56rpmというのは非常によい値だ。楽に登っていてそれなりに速い。

ハーフの1回目の途中、ウツギに来ているアサギマダラを見つけた。今日は迷いはなかった。すぐに半原1号を止めてカメラを出して撮影。そうとう腹がへっているとみえて10分ぐらい同じウツギに執着していた。写真もたっぷり撮ることができた。ただし飛んでいるのでなんとか写っているのはこの一枚だけだった。


2013.6.03(月)はれ モンシロチョウとコマユバチ

モンシロチョウ

いつもの棚田脇で丸永製菓の白くまを食べながら田んぼを見ていた。暖かくなって虫が増えた。よく目立つのはモンシロチョウだ。清川村のこの畑地で白い蝶はいろいろいて一瞬で同定するのは難しい。ただ最も多いのはモンシロチョウで、30秒も見れば遠目からもモンシロチョウであることは確信できる。あれはもっとも見慣れた蝶なのだ。

ちょうど梅雨のころにモンシロチョウは一年中で一番数が多いような気がする。その数というのは成虫の個体数に限った話だ。モンシロチョウは昆虫であるから生活環では成虫のときに一番数が少なくなる。すくないメスが数多い卵を産み、幼虫、蛹と時を経るうち捕食や病気で急激に数を減らしていく。目立たないけどモンシロチョウで一番数が多いのは卵である。

モンシロチョウは年に何回も羽化する。神奈川県では一年間に4〜5世代が繰り返されるのだろうか。それなのに成虫の数が梅雨にピークになるなら、夏には数多く卵が産まれるかわりに数多く死ぬことを意味する。その夏の死亡原因として、私は寄生蜂に思い当たった。その昔、小学校の夏休みに採取したアオムシはほぼすべてがアオムシコマユバチに寄生されており、羽化にこぎつけたモンシロチョウをみることは皆無だった。むろん手当たりしだいのいい加減な研究であり、数えられるほどのデータ量ではあったけれど、その寄生率の高さに驚いたものだ。

モンシロチョウ

もし、あの小さな繭を作る蜂の寄生がないとすれば・・・という模式的グラフを左に描いてみた。極小値は成虫で極大値が卵である。モンシロチョウは夏期には4態が混在しているけれど、そこは省略した。

清川村のとある棚田付近では、去年越冬に入った蛹が4月に羽化してワンペアだけが首尾よく産卵にこぎつけた。1匹の♀は50個の卵を産み、その卵が様々な危機を乗り越えて10匹が蝶になった。そのうち5匹が6月に250個の卵を産み(いまここ)、その卵が様々な危機を乗り越えて、50匹が蝶になった。そのうち20匹が8月に1000個の卵を産み、その卵が様々な危機を乗り越えて、200匹が蝶になった。そのうち100匹が10月に5000個の卵を産み、2000匹の蛹が越冬に入る。というように寄生蜂がいなければモンシロチョウは爆発的に増えていく。アカボシゴマダラはここ数年、このぐらいの勢いで隆盛しているはずだ。

モンシロチョウ

モンシロチョウの数はこんな絵空事にはなっておらず平衡状態にある。清川村の観察区でも年ごとの個体数に当社比で顕著な変動は見られない。成虫だけをみても安定的に数が多い。左図はその模式的なグラフである。夏までは順調に数が増えていくけど夏の終わりに一気に数を減らし、秋から春にかけては漸減しながら羽化の日を待つ。

モンシロチョウ

この2つの図の違いは寄生蜂が原因だ。左の赤いグラフはコマユバチの数を示している。じつは私はアオムシコマユバチの生態を全く知らない。夏のアオムシからは数十匹のコマユバチ幼虫が出てきて繭を作るということだけを観察事実として知っている。年何化かも知らない。越冬態はおそらく繭の中で蛹だろうとふんでいるが無根拠である。

ともあれ、今回はひとまず年2回産卵することに決めた。初夏にモンシロチョウの幼虫が爆発的に増えるころ、蜂は小さな繭からおもむろに羽化してきて1回目の産卵を行う。2回めの羽化では春の10倍以上の数になっており、夏のモンシロチョウに大打撃を与える。モンシロチョウは秋にも産卵するけれど、秋のアオムシには寄生せずコマユバチは一足先に越冬に入る。

そう考えたのは、夏の一時期にはコマユバチの数がモンシロチョウを圧倒するはずという印象があるからだ。100匹のアオムシのうち90匹が20匹のコマユバチを養育しているとなると、両者、とりわけコマユバチの絶滅は間近な問題になってしまうだろう。

モンシロチョウ

このお伽話の3つのグラフをあわせて左図にした。青線がコマユバチがいない場合のモンシロチョウの数の変化。赤線がコマユバチの実態の個体数。黒線がモンシロチョウの実態の個体数。赤線と黒線はダイナミックに平衡している。初夏に青線と黒線の分かれ目がある。そこがコマユバチの1回目の産卵点だ。

私はモンシロチョウを年4化、コマユバチを年2化とした。春一番と秋最後のアオムシを見逃し資源を確保することで寄生蜂は余裕をもって生き続けることができると予測したからだ。そうでもしないと、あの夏休みの異常に高い寄生率ではすぐに大切な宿主を失うことになりかねない。なにしろコマユバチは穏やかな寄生者ではなく宿主必殺の内部捕食者なのだ。

彼らを見ているとその将来が心配になる。アオムシコマユバチがモンシロチョウだけに依存するなら、その未来はけっして明るいものではない。モンシロチョウは農作物への依存が強い種である。いまでこそ人類の隆盛によってモンシロチョウの食草は大繁栄しているけれど、この状態は長くは続かない。ヒトの文明は少なくともモンシロチョウやアオムシコマユバチが種分化するよりも早く滅ぶ。文明が続いたとしても、1万年もすれば農地でキャベツをのんびり育てるなんてことはできなくなっているだろう。余計なお世話だが。


2013.6.08(土)はれ トンボ

モノサシトンボ

夏だというのに雨があまり降らない。庭ではアカマンマの様子がかなり不穏である。日陰にあって堆肥的な養分を得ている群れは順調に葉を茂らせている。もうすこし日陰で土が湿ってい所のものは、それなりに育っている。良く日が当たり、最初に芽吹いたところがどうもいけない。葉は数枚出ただけで葉の色が赤かったりする。例年、アカマンマがぐんぐん育つ場所なのに乾燥のせいなのだろうか。女房は明日雨乞いにいくようだから期待して待とう。

いつもの棚田に行くと植えたばかりの水稲にイトトンボが何頭か止まっていた。どうやら全部同じ種類でモノサシトンボのようである。ほかには、アメンボがちょっと泳いでいてミジンコと巻き貝がぽつぽついる程度だ。じょじょにいろいろ増えていくだろう。これから1か月足らず、中干しまでつかの間の虫たちの水辺だ。

半原越はすっかり夏の装い。まもなくウツギの花が終わる。ミズキの実がふくらんできた。いつも水をくむ渓流ではカワトンボが縄張りをはっている。流れを背景に撮ったりもしたけれどビューティとはいえない。今日はハーフを5回やって5回目の感触が一番良かった。登りが長くなれば無理に踏まない方が結局タイムはよい。やはり区間4は26×19Tが良さそうだった。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'20"4'20"+016.516876201
区間29'32"5'12"+2213.718171188
区間314'47"5'15"+2513.718170182
区間421'18"6'31"+3111.118457188
全 体+7813.517967188

帰宅してなんとなく10段仕様にしたくなって、ハンドルからチェーンからブレーキから総取っ替え。ついでにスパイダーツインテールが割れていることも発見して、もう一個のスパイダーツインテールに変更しようとしたら、そちらも同じ所が割れていることに気づいた。いいサドルなんだが耐久性に難ありだ。なんだかんだと3時間もかかったが、コネックスのチェーンとBBBのギア板の相性が悪そうな予感がしてちょっと気が重い。


2013.6.13(木)雨 ポアンカレ予想の番組

NHKハイビジョンスペシャルのポアンカレ予想の放送を見た。もともと科学数学系のテレビ番組は大好きである。「考えるカラス」とか「高校講座数学」とかもたまたま見つかれば見る。映画の「博士が愛した数式」だって5回ぐらいみた。ただし、いつも途中からなのではじまりの方は知らない。ハイビジョンスペシャルのポアンカレ予想は名作と名高く、ちゃんと録画して最初から最後まで見た。ただ名作と言われるわりには説明に抜けがあってちゃんと楽しめなかった。

番組中、ポアンカレ予想が問題になっているトポロジーがどういうものかを説明するのに、ロープの回収のアナロジーが頻繁に使われる。地球は丸いのでロープを結んで裏側まで行った船が戻って来ればロープの両端をひっぱってロープが回収できる。もし地球がドーナツであれば、ロープは回収できなくなる。そのことはCGや模型を使ってうまく解説されていた。これはなるほどと感心した。

同じようにロープを結んだロケットで宇宙空間を一周してきても、もし宇宙が丸ければロープは回収できるが、宇宙がドーナツのような形であれば回収はできない。宇宙を外側から見ることは不可能だけれど、そうやって宇宙の形を確かめることができるはずだ。という命題が嘘か本当かというのがポアンカレ予想の核心らしかった。

私はそこで、番組の最初のほうで、つまずいた。というのは丸くない宇宙でもロープは回収できるはずだからだ。私が想像しているのは、丸い宇宙空間のなかにぽっかりあぶくのような空間がある構造だ。ロープ付きロケットはあぶくの向こうに飛んでいってもあぶくならばロープがひっかからずに回収できる。

「数学者たちはあぶくのある宇宙とあぶくのない宇宙をトポロジー的に同一とみなしているのだろうか。それともポアンカレ予想に限っては宇宙の外側の形だけを問題にしているのだろうか」という疑問にひっかかり番組を楽しむことができなかったのだ。これは、ロープ回収のアナロジーを多用すればするほど起きる疑問であり、数学の素人向けにそれを解決しないのは演出の不備であると感じた。

ポアンカレ予想は純粋なトポロジーの問題で宇宙とはあんまり関係ないんだろうと割り切って番組を見続けると、なんと驚くべきことに、ポアンカレ予想はトポロジーではない方法で解かれたという結論だ。証明の中に温度やエントロピーなどの物理学の概念が使われている。そう言われるともうダメだ。物理のアイデアがどこにどうやって滑り込んで来るのかインチキな想像すらもできない。そもそもロープのロケットが必要なかったってことにもなる。テレ東でもないのにもやもや。

数学的真理は現実の反映でなくてもかまわない。この宇宙が無からうまれ超高速で拡大しているような代物であれば、ドーナツのような構造はきっとあるだろう。この宇宙には大小無数の穴があると考えるのが自然だ。本当の宇宙の地平には手が届かないとしても、近場にあるあぶくならば発見する方法があるかもしれない。事実上はそれが宇宙の果てといっていいはずだ。その発見に立ち会える未来人がちょっとうらやましかったりする。


2013.6.16(日)雨のち晴れ 早い中干し

昨日は半原越へ。いつもの棚田はもう中干しが行われていた。いつもより早い。あの田はどんどん早くなる。おりしも田にはアマガエルなどのオタマジャクシが泳いでいたが、これで全滅することになる。今年はこの田でカエルが世代をつなぐことができないのだろうか。ともあれ、はからずも夏のさなかにアマガエルが産卵するかどうかをチェックする機会を得ることになった。

さすがにけっこう暑くなって登りはしんどい。勝負する気が起きない。おまけに右ふとももの膝の近くに刺すような痛みが起きた。筋肉がぷち切れているようだ。軽く登ってハーフは4回。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'53"4'53"+3314.716370170
区間210'11"5'18"+2813.717972187
区間315'34"5'23"+3313.617870174
区間422'30"6'56"+5610.618160178
全 体+15013.017667177

今朝は雨。ただし昼からは止むという予報で服装に気をつかった。とりあえず雨に合わせて長袖に合羽を着て境川へ。カメラは持たなかった。じつは昨日のこと、半原越で路面に転がっているムカデの死体を撮ろうとしたときバッテリー切れがおきた。ムカデの死体はそれほど惜しくないけれど、こういう迂闊なことをしていると決定的なシーンで臍をかむことにもなりかねない。決定的なシーンというのは、この季節では環水平アークを指す。梅雨の晴れ間の環水平アークなんていかにもありがち。

境川でも雨の日はすいている。ハンドルとサドルを変更したためポジション合わせを主に調整した。セライタリアのSLRはちょっと前下がりにセッティングするとしっくり来る。いまのチタンのステムはハンドルをそれほど下げられない。上ハン、下ハンそれぞれの姿勢でサドルの角度や前後位置をちょっとずつ動かしてベストポジションを探らなければならない。

建設中の遊水地のところで小さなカエルが道路を横切った。今年生まれの個体らしい。色は暗褐色。アズマヒキガエルだろうか。境川本流でヒキガエルの産卵があるとは考えにくいから、建設中の池か私の知らない水たまりかで発生したものだろう。池はそれなりにチェックしていたつもりだが見落としたのか。

境川といえば遊水地公園では藤色の花が盛りである。あれはバーベナというのだろう。数年前にぽつんと1本だけ見つけたが、あれよあれよという間に増えて境川を代表する夏の花になりそうだ。また、自然なんたらと名付けられている湿地に黄色いスイレンみたいな草の花があった。アサザだろうか。遠目にヒツジグサのような水草も見える。いずれもわざわざ手植えしたのだろう。そんなことしなくてもいいのに。


2013.6.21(金)雨 エクセルでモンシロチョウ

ふと思いついたモンシロチョウとコマユバチのことを3日に書いてみた。引き続き考えて、モンシロチョウのことはエクセルにまかせればもっと楽しくなることに気づいた。そして作ってみたのがこの表である。1年を10日単位で分割して、それぞれの10日にモンシロチョウの卵、小幼虫(3齢まで)、大幼虫(4と終齢)、蛹、成虫が何匹いるかを書きだして、それをグラフでビジュアル化したものだ。

あえてこれをやったのは、コマユバチの寄生圧では夏季のモンシロチョウのステージごとの数が大きな意味を持っているからだ。夏季にはモンシロチョウは4ステージが混在している。終齢幼虫が食い破られてはじめてその寄生が確認できるが、コマユバチが産卵するのはたぶん4齢幼虫だけである。たとえ、8月に4〜終齢幼虫全部が食い殺されるとしても、他ステージのものが生き残ればモンシロチョウは途絶えないかもしれない。そういう実態をふまえて考えようとするとどうしても数学的、機械的な処理をスムーズに行う必要が出てくる。

エクセルはたいへんありがたいソフトで、計算式を埋め込んだセルのコピペとパラメータの設定で自動的に表とグラフを作ってくれる。いったん表を作ればこっちのもので簡単な操作でさまざまな仮説の検証ができるのだ。

寄生なし

左は上記の設定で、コマユバチの寄生を考えない場合のグラフ。こちらでは上の表にあたる。3日にも同じグラフを考えたが今回は極大極小の波打が目立たない。パラメータの産卵数を多くし10日基本生存率を下げれば波打が目立つようになる。産卵数を10日で16個、10日基本生存率50%の設定だと、16個の卵が4ステージ経て1匹のチョウになり、なんとなくよさげだ。それでも増えて行くのは、10日以上生き残ったチョウが産卵するからである。この設定ではモンシロチョウの数が毎年毎年10倍になっていく。神奈川のアカボシゴマダラ並みだ。

寄生あり

そして左はコマユバチの寄生を考えた場合のグラフ。下の表にあたる。今の設定ではモンシロチョウは年5化する。表ではセルを黄色く塗って示してある。そしてコマユバチの寄生はピンクと赤で塗ったセルで示してある。今日は3日の考え方とは変えて、5化する幼虫すべてが寄生の対象になるとした。春一番の幼虫は寄生率が小さい実感があるので、パラメータは0.3(半減した上に3割が寄生される)としてけっこう生き残らせた。夏の4回は寄生によって95%が脱落することになる。コマユバチ成虫の活動期間をそれぞれ30日としてある。セルを赤で塗ってその期間を示した。

けっこうな寄生捕食圧をかけたつもりであるけれど、グラフを見る限りではモンシロチョウもしぶとく生き残るようだ。ただし、冬の終わりの蛹の数は半減しているから、この調子だと数年のうちにどちらかが絶滅することになろう。

以上、絵空事ではあるけれど、いろいろ楽しめた。パラメータをちょっとずつ変えるだけでモンシロチョウが滅んだり栄えたり。1年経て同数にもどる動的平衡のパラメータをそれらしく探ったり。こういう遊びがほんの1時間エクセルをいじればできるってのすばらしいことだ。30年以上前、私が学生をやっていたころはこういう計算はお手軽ではなかった。研究室に1台あった最新型のパーソナルコンピュータを動かすには、少なくともBASICでプログラムを書く必要があり、予約しないといじれなかったから。


2013.6.22(土)はれ一時雨 棚田に水もどり

シオカラトンボ

いつもの棚田は再び満々と水をたたえていた。水中に動くものは見あたらないものの梅雨時の普通の田の姿になった。シオカラトンボらしいトンボがしきりに腹を水面に打ち付けている。オスはメスにまとわりつき、ときどき腹でメスの首根っこをつかんでいる。それは産卵に余念がないメスを守るためではない。むろん、自分の子孫を確実に残すためでもない。

トンボといえば、この田は毎年ミヤマアカネを多産している。ちょうど梅雨中頃に羽化してくるはずだ。すでに1週間ほどの中干しがあった今年はどうなるのだろう。ヤゴは水がなくても生き延びるものだが、ミヤマアカネはどうか。楽しみである。

今日はホイールを変えた半原1号で半原越に来た。手組で太くて重たい国産のタイヤをつけたホイールだ。ハンドル操作に重い感じがあるものの登りの決定的な障害になる感じはしない。涼しかったせいかハーフの登りは快調だった。上り下りしている間に回数を忘れていた。5回だということはガーミンの記録をみてわかった。このところハーフは尻上がりに快調になる。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'24"4'24"+416.116878194
区間29'28"5'04"+1414.118373196
区間314'43"5'15"+2513.718171185
区間421'29"6'46"+4610.618361183
全 体+8913.317970188

半原越のアスファルトできらきら光る青いシジミが散見される。懇意のヤマトシジミではなさそうだ。自転車に乗っているときは2秒ほどしか見えない。青いシジミは多く種名を知りたくても私の眼力では見当すらつけられない。いっそ轢死体でもあれば・・・と思いついて、それは不謹慎だろうか?などと心のなかで苦笑いした。今日もアサギマダラがいた。今年の夏はアサギマダラをよく見る。ほかはコミスジ(たぶん)とかイチモンジチョウとかダイミョウセセリとか、似た者系が目立つぐらいで、チョウは多くない印象がある。

半原1号のホイールを換えたのは前輪の空気が抜けるようになったからだ。タイヤはチューブレスのフュージョン3。1日走る分には大丈夫だけど、ためしに1週間ぐらい放置しておくとすっかり抜けてしまう。帰宅して空気を入れ直して抜けをチェックしたけど原因は特定できなかった。ピンホールはないようだ。もう1年ほど使ったものだからサイドの空気保持力が衰えているのかもしれない。抜けの速度が速まればチューブを入れて使う。貧乏性だから。


2013.6.23(日)はれ シュパーブプロ

シュパーブプロ

紆余曲折あってサンツアーシュパーブプロを半原1号につけて境川にいった。写真のディレーラーがシュパーブプロだ。20年ほど前の部品だろうか。じつはこいつが今ちょっとした貴重品になっている。というのは、シマノの10速シフトで9速のスプロケットが使えるようになるからだ。

ひと月ほど前のこと、安かったものだから、ついつい10速用のアルテグラSTIを買った。でもなかなか自転車を10速化する気にはなれない。じっさい問題として10速になったからといって何かが変わるわけでもない。まあせっかく買った10速アルテグラなんだからと、チェーンとスプロケットは安い物を買い足し、ディレーラーは3年ほど前に買って放置していた105をつけてみた。

その感触として、まあ悪くはなかった。ただ、今のところは9速で問題はないのだから、9速の部品を使い続けようと思った。そこで登場するのがシュパーブプロだ。

じつは私、シュパーブプロのデザインが好きである。というか、大げさなバネが組み込まれているシマノがイマイチ好きになれない。3年ほど前にシマノの10速シフターとシュパーブプロの組み合わせでシマノ9速のスプロケットが使えることは確認済みだ。その実験用としてシマノの10速用ダブルレバーを入手したようなものだ。

そして、今朝シュパーブプロを組み付けて走ってみると、調子は良かった。10速用のチェーンでも9速用のデュラエーススプロケットは問題なく使える。シュパーブプロは8速用だが、こちらも10速チェーンで問題ない。8速9速用チェーンよりもいいくらいだ。20年の時を経て部品が思わぬ機能を見せた。当時の設計者が夢にもみなかった組み合わせだ。こういう現象は、宗教では「神の計画」、進化生物学では「前適応」とそれぞれ誤って説明される。

ところが、唯一の不具合があった。右ペダルを踏み込むたびにカクンカクン鳴るのだ。相当気分が悪いことはいうまでもない。同様の不調は過去に経験している。その原因はディレーラーだった。2011年6月11日の天地無朋に記録しておいた。今回も、ホイール、BB、ペダル、チェーンと順に交換してそいつらの無実は証明されている。犯人は9割9分ディレーラーなのだが、シュパーブプロは1個しか持っていない。なんらかの劣化だろう。ダメもとで整備して次回試してみよう。


2013.6.24(月)くもり 夏の風

入道雲

昨日、境川に出たのは午前9時ぐらいだった。風は北より。梅雨前線が太平洋上にあるために、北からの空気が流れ込んでいるのだと思った。北寄りの風は涼しい。

午前中に60kmほど走り、ペダルに力をかけるたびにカクカクするのがうっとうしくていったん帰宅。昼飯ついでにチェーンやペダルを交換して再スタートした。

午後2時ぐらいになると一転風は南寄りになった。いわゆる海風である。湘南と丹沢を南北に一本でつなぐ境川は海風がスムーズに通るのだ。境川の海風は夏の日中に自転車で走る助けになる。けっこう強めで気温が低くなるから、向かい風を利用した練習にうってつけなのだ。

そして空を見上げると、写真の入道雲が出ていた。昨日は上空に寒気が入ってくると天気予報で言ってたから、そのせいでできた雲だろう。上空の温度によっては雲ができにくいということを意識して空を見る必要がある。


2013.6.29(土)晴れ コケが輝く坂道

半原越

今週も適度に雨が降り、半原越の壁面がコケで緑に輝いている。梅雨時の半原越の美しさは半分コケにかかっている。そしていまミズキにそっくりなうす黄色の花の盛りである。ヤブデマリという木らしい。

半原1号はまあ好調なのだが、右ペダルを踏み込むときにカクンとするのは相変わらず。必ずというわけではなく、それほど大きなショックでもないから、気にしないという処置にすることにした。ついでにサドルとシートピラーがキシキシ鳴るのだけど、それも気にしないという処置にすることとした。サドルのおかげでディレーラのカクンがごまかせるという利点もある。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'51"4'51"+3114.816475176
区間210'14"5'23"+3313.417669182
区間315'36"5'22"+3213.617570181
区間422'29"6'53"+5310.617854179
全 体+8912.917466179

半原越を降りて相模川にかかる前の丘でウスバキトンボの後ろ姿を見た気がした。トンボなのは確実なのだが、いかんせん0.3秒ぐらいしか見えなかったものだからウスバキトンボだという確信は持てなかった。あれなら2秒も見れば絶対に間違えないんだけど、といっそう注意して相模川脇に拓けた田んぼの道を走っていると、やはりウスバキトンボ。1秒ぐらい目に入ったから確実だ。昨日渋谷の道玄坂あたりで、今年はウスバキトンボが遅いなあと気になっていたところだった。


2013.6.30(日)晴れ ウスバキトンボ飛来

マイマイが?

私の庭もなにげなくムラサキカタバミが咲いていたり、ツユクサがつぼみをふくらませていたり、ハラビロカマキリの初齢とおぼしき幼虫がいて、え!この季節に?と驚かされたり、秋田から送ってもらった水稲の苗が2週間も捨て置かれて枯れてしまっていたりといろいろな事件が起きる。

今朝はいろいろな状況に対処できるよう、ひとまずコモチマンネングサの種をTG-1でうまく撮る方法を検討した。コモチマンネングサの種は小さい。しかも枝分かれした細い茎の先につく。TG-1のスーパーマクロで撮ることがむずかしい対象だ。ピントはオートしかないため、私の撮りたい物が茎の先にあることを認識させるためには構図が問題になる。漠然とカメラを向けてシャッターを半押しすると背景の草むらか茎の枝分かれ部分にピントが来ることが普通だ。そこんところを、2つないし3つの種にピントを合わせる構図をとるのに腕がいる。さらに老眼で種も液晶もよく見えないものだからいっそう難易度が上がる。さあチャンス到来とばかりに集まってくるヤブ蚊をどうするかも問題だ。そのまま血を吸わせてやるか、息で吹き飛ばすか、つぶしてしまうか。写真の手応えしだいだ。

庭の観察を終えトリコを見てナカガワで境川に出るとウスバキトンボの群れがあった。まだ小さい群れで視界の中に数匹が入っているに過ぎない。こいつが来てニイニイゼミが鳴き始めるといよいよ梅雨が終わって盛夏だ。ほうぼうの草むらからキリギリスが聞こえる。夏至は過ぎた。夏の時間経過は冬よりも早い。春ほどではないにしても。

日曜日の午前中に境川に行く目的は白旗のコンビニで丸永製菓のアイスを買って食べることといって過言ではない。その休憩所で見つけた中型の蛾。うさみみをもっているからオスだろう。大きめの蛾は今年ほとんど見ていない。この数年、私のサイクリングコースの半原越とか赤城山で大量発生をしていたクスサンも今年は皆無だ。

蛾の図鑑は高級なものをけっこう持っているけど、同定は必ず苦労する。蛾は同種でも色彩や模様が異なるものが多い。また蛾の生態写真と標本はぜんぜん印象が違うことが普通だ。こいつはマイマイガあたりだろうか。マイマイガなら並の害虫である。ただしこうして写真に撮って眺めると背中にムンクの叫びが描かれていることが判明した。ちゃんとアートしてるじゃないか。私もこうしていい夏を迎えることができた。


2013.7.6(土)晴れ 不快指数100

田

どうもシュパーブのディレーラーが怪しいということで、プーリーも新しくしたアルテグラに換え、チェーンも換え、境川に出かけた。境川を選んだのは朝から強い風が吹いていたからだ。境川は風が吹くとがぜん面白くなる。半原1号の乗り出しは非常に良かった。サドルもピラーにグリスを塗ってしっかり締めたせいかきしきし音が消えた。走りながらディレーラーのワイヤーの張り具合を調整し、サドルの高さを2ミリ、1ミリと変更しつつ、向かい風の中を快調に走っていった。

おかしくなったのは、折り返して追い風になったとき。あの右ペダル踏み込み時にかくんかくんする異常が再発した。なさけないことに原因はディレーラーではなかったのだ。シュパーブプロは無実の罪を着せられたことになる。どうも2π回って最初に疑って調整を施したBBが怪しい。おまけにサドルのきしきしも再発した。

その程度なら不快指数も50ぐらいだけど、ハンドルが切れなくなった。まったく動かないわけではない。もともと自転車はペダルを踏み込んで車体がぶれても勝手に立ち直るものだ。その立ち直りがなくなる程度の渋さが出た。まっすぐ走っているとき、いちいちハンドルに添えた手に力を入れるのはばかばかしい。先日グリスアップして快調になったばかりのはずだ。ベアリングの硬球でも割れたのだろうか。あいつは表面が剥離するように割れることがある。硬球ぐらいならまだましで最悪、フレームが割れているのかもしれない。そっちは前例がある。こうなると不快指数もMAX100になってしまう。いったん帰宅して調整しなおすことにした。

今日の写真は帰宅途中に撮った田。毎年土をいただく田んぼの近くだ。青い稲に風が渡るのを見ているとほがらかな気分になる。写真を撮りながら習慣にしたがって足元の水路に目をやると、大きなドジョウがいた。ドジョウだけでなくオタマジャクシもいた。これはうれしい。おまけにハヤの子がいた。これにはちょっと驚いた。

境川付近の田は境川本流から導水していない。この田も山水とポンプの汲み上げ水でまかなわれているはずだ。魚類が行き来するならば排水路を遡ることになる。境川への排水は急傾斜のコンクリ護岸を流れ落ちる。排水路の出口には可動式の扉がつけられ、大水のとき田に川水を逆流させない仕組みになっている。そういう構造であるから、ドジョウならともかくハヤの類が田の水路に入ってくるのは無理だと思い込んでいたのだった。どうやら境川魚類の水環境は私が思っているよりずっとダイナミックらしい。

昼に帰宅してひとまずヘッドパーツをゆるめる方向に調整。念のため目視でフレームが割れていないことも確認。再スタートすれば、それなりにいい感じだ。こうやってだましだまし半原1号に乗っていくのだろう。


2013.7.8(月)晴れ一時雨 謎多い第9ステージ

境川

土曜の夜に半原1号のBB小物を換えて、日曜日に境川に出かけた。梅雨明け宣言が出されて、空は良く晴れ南の風が吹いている。境川の上空を見れば不完全ながらレンズ雲がぽんぽん浮かんでいる。どうやら上空の風が強いらしい。

けっこうな暑さにはなるけれど、例年通り境川は涼しい風が吹く。向かい風ならかなり力を使ってもうだる心配はない。追い風はけっこうしんどい。暑さで頭も悪くなるのか、いつもの4往復をやったつもりがガーミンの記録をみると3往復だった。

かくんかくんの不調はやはりBBだったようで、換装後はまったく異常がなかった。BBBの10段ギア板とコネックスのチェーンの相性も悪くない。11段用というBBBのプーリーを9段ディレーラーに入れて10段STIのアルテグラでシフトさせているが、快調そのものといっていい。

昨夜にはツールでたいへん面白いものを見ることができ5時間ほどテレビの前から離れることができなかった。峠を5つ越える厳しいステージだ。スタートからガーミンが自滅覚悟の猛烈なアタックをしかけた。その攻撃でスカイの選手がどんどんちぎれ、前にはマイヨジョーヌのフルームだけが残された。その集団にはコンタドール、アンディなどの優勝経験組が勢揃いし、フルーム大ピンチの様相を呈していた。

それなのになぜかコンタやアンディにフルームをけ落とそうとする動きがない。バルベルデのいるモビスターが目の上のたんこぶであるはずのフルームを守っている。フルーム以外のスカイの選手は全員楽々走って体力温存できたろう。おまけに優勝は、レースをかき回したガーミンのマーティンだった。本来総合をねらうはずのヘシェダルもマーティンのアシストで力を使い果たして完全に脱落だ。

自転車競技は意味不明なことが数々起きるけれど、これほどわからないレースははじめてだ。なぜスカイのアシスト陣は全力でフルームを守らなかったのか? なぜモビスターやサクソがフルームを助けるのか? アンディやエバンスはなぜ存在感を示そうとしなかったのか?

ところで、織り姫と彦星は一年に1回しかデートできないが、それでも全く不自由していないであろう。彼らは恒星であるから寿命を考えると50億回ぐらいできることになる。年一回でも充分に飽きる。


2013.7.14(日)薄くもり ミヤマアカネの登場

ミヤマアカネ

昨日はさんざんなめにあった。けっこう暑かったものだから、ちょい日和って境川にでかたけのがまちがいだった。予想通り例年の湘南らしく暑さはそれほどでもなかった。日差しもふとももに水ぶくれを作る程度でしかなかった。ところが、4時間ばかり走ったところで息ができなくなった。気管と肺が空気を受け付けていない状態だ。エベレストにでも登ればこんなもんかと思われるぐらいだ。コロンビアのボゴタについて道路を渡ろうと走ったときに同じような呼吸困難にみまわれたことがある。

午後1時ぐらいに藤沢市の広報車が、○○注意報で屋外運動しないようにと呼びかけていた。その○○が聞き取れなかったが、高温程度のもんだろうとたかをくくっていた。ところが、いきなりの呼吸困難である。そのまま走っていると気を失いかねないから、ゆっくり走って境川遊水地公園に駆け込み、遊水地の役割を鷺の親子が紹介するビデオを見た。

帰宅後、夕刻になって大和市の広報車が光化学スモッグの注意報が解除になったとふれ回っていた。どうやら光化学スモッグにやられたらしい。同じ症状は15年ほど前に多摩川で経験している。あのときは喘息の発作で片付けていた。あれも光化学スモッグだったのだろうか。まさかこの文明の進んだ時代に光化学スモッグとは。風がないときは境川はやめよう。

今日も風が弱いので境川は敬遠して半原越へ。いつもの棚田にはいつものようにミヤマアカネの姿があった(写真)。ざっと見渡した感じで個体数は平年並み。水底のひび割れが中干しが遠い過去ではないことを物語る。稲の茎には脱皮殻もあり、水中写真をとってみると水稲の株に止まっているヤゴも写っていた。ミヤマアカネは中干し程度では死なないことがわかった。また、水中には少しの貝のほかは動物の姿がない。どうやらアマガエルらは夏のはじめにしか産卵しないようだ。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間15'12"5'12"+5213.815666158
区間211'06"5'54"+6412.316759164
区間317'00"5'54"+6412.416759155
区間424'24"7'24"+849.817047164
全 体+26411.916657160

半原越は記録が示すように軽めに登ってハーフも軽く4回。昨日の呼吸困難に暑さも相まってかなりへばっている。


2013.7.15(月)晴れ 薄っぺらい言葉

言葉とは薄っぺらいものである。立体に当たった光でできる影のようなものだ。影は二次元になったぶん単純だ。単純なものほど扱いは楽だ。複製して記録し伝えるにしても単純なものほど好都合である。影になればもとの立体の色や質感は木っ端微塵になってしまうけれども、元の形状だけならば影の取り方と組み合わせによって示唆可能だ。

その薄っぺらい言葉がヒトの文化の根底にあることは疑えない。ヒトは印象や知覚や思考をことばに落とす。それはおおむねたどたどしくいつも誤っている。誤っているというのは、本人だけがうまくいっていると自覚し、じっさいは的外れな表現になっていることが多いからだ。むろん、うまくいえなくて煩悶している場合もある。

言葉は薄っぺらいだけに、使うこと自体は簡単である。彫刻よりも絵のほうがハードルが低く、絵でもスケッチやデッサンはよりやりやすい。竜宮城を表現するのに絵では無理であっても言葉で表現することは可能であったという。「絵にも描けない美しさ」というのは否定的表現を用いた裏技だ。否定を使えば絶句することだけはなくなるはずだ。

言葉の軽薄さはとても重要である。ヒトはもともと、何かを言葉にすることに快感を覚えるものだ。よりぴったりフィットであればあるほど快感は強いといえよう。逆に、言葉から元の思考や知覚や印象を再構成すること、その作業自体も快感を伴う。これらの快感はヒトがヒトであるゆえんといって過言ではない。文化の根底に言語があるのなら、文化もその快感に支えられることになる。


2013.7.21(日)晴れ 出力できない日

土曜日はひさしぶりに涼しくて自転車のスピードがあがった。快調に半原越のスタートを切ってびゅんびゅん行く感覚で区間1のチェックポイントを迎えた。ラップタイムは4分23秒。目標値の4分20秒をわずか3秒オーバーしている。まあこんなもんだろう区間2で挽回だと、丸太小屋坂を力を抜かずに登っていく。法論堂林道のゲートを越えて緩い区間に入り、区間2直前のきつい所20mもなんなく越え、区間2のラップを見ると5分10秒。目標を20秒もオーバーしている。なんだか変だと自分を疑いはじめた。

区間3はまじめにリカバリーを狙ったのにラップは24秒オーバー。区間4に入って疑いが確信に変わり悪寒が走った。自分では追い込んでいるつもりだ。息があがりスピードも出ているような気がする。だけど時計は遅いと主張している。心拍数を見れば180bpmほどにしか上がっていない。区間4でのその数値は力をおさえて走っていることを意味している。

つらいわりに心拍数が上がらず出力できていないのだ。いよいよ老化の魔手に捕まってしまったのか。夏の午後の日差しをあびる山道は私にとって青春の光景である。あの頃は同じこの光と影の中で焦燥と不安と希望を抱いて進むべき方向が見えずに闇雲にあがいていた。人はいつまでもあの甘酸っぱい感覚を反芻できるわけがない。いつかは記憶にしまいこむ時がくる。その明解な現実を突きつけられているのか。区間4のラップの6分41秒を認める勇気がない。今週は午前1時に帰宅して2時までテレビを見て眠り、朝は6時に起きる生活が続いていたじゃないか。この不調は仕事のせいだ、きっと。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'23"4'23"+316.316578193
区間29'33"5'10"+2013.917773195
区間314'47"5'14"+2413.917667179
区間421'28"6'41"+4111.017961185
全 体+8813.517569187

ひとまず体のことはおいといて季節は盛夏である。アブラゼミがじりじり鳴いてモンキアゲハが飛ぶ。何度見てもあの黒いチョウにはどきどきさせられる。殺風景な例の棚田にアカトンボが飛んでツチガエルが泳いでいる。アスファルトでミミズが焼け死んで亡骸をオサムシが引きずっていく。そういうものを見ながら半原ハーフで登ったり降りたり。オニヤンマとカラスアゲハはこの夏の初見だ。ハーフの4発目、10%超の登りは170bpmで楽々立ちこぎ。あ、そうか、これが休むダンシングってやつだ。


2013.7.27(土)晴れ一時雨 まれな幸運に恵まれた日

空気の抜けががまんできる限界に達した半原1号で半原越。清川村にはいったところでハクビシンが轢かれているのを目撃した。ちょっと胸のすく思いがした。直後に不謹慎だと思った。それでもやっぱり悪い気はしない。わたしはあれが嫌いだ。ハクビシンから50m行った所でキリギリスらしいやつが轢かれていた。それだけなら珍しくもないがそばに茶色くのたうつひもがあった。もちろんそれも既知の虫。ハリガネムシに相違あるまい。そのまま行き過ぎて慌てて引き返した。

ハリガネムシがキリギリスに入るのはめったにあることではない。キリギリスは肉食系であるけれどアブを捕まえられるほどの器量があるだろうか。寝込みを襲うとか他の虫がしとめたものを横取りするとか、不自然な状況でアブを食ったはずだ。そのハリガネムシのサイズからして、やつはキリギリスの幼虫期に腹に入ったのだろう。幼虫のキリギリスが立派なアブを食えるとすれば死体の拾い食いかもしれない。

そもそもハリガネムシがカマキリの腹に入るのですらけっこう小さい確率のはずだ。それがキリギリスとなると天文学的に小さい確率となる。ましてやそのキリギリスが自動車に轢かれ直後に私の目に止まるとなると宝くじの1等も色あせるほどの幸運と言えよう。すごく得した気分になったものの、うしろめたさは否めない。キリギリスとハリガネムシの交通事故を喜ぶのは不謹慎だ。でもうれしい。

半原越は認めたくないが不調だ。春にはじめ、梅雨どきにいったん絶好調をむかえ盛夏をやり過ごすという計画だったのに、梅雨の絶好調がなかった。今日は焦りもあって26×14Tで区間3まで走ってみた。ギアの重さに耐えられず区間4から17Tに落としたが、時すでに遅かった。重いギアだと15分で体が動かなくなるという過去に得た教訓を再確認する日になった。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'45"4'45"+2515.016663173
区間220'20"5'35"+4512.917754174
区間315'59"5'39"+4913.017654167
区間423'19"7'20"+809.917751161
全 体+19912.417555167

帰宅してチューブレスタイヤの空気抜けの原因を特定した。リムとタイヤの間から盛大に空気が漏れている。タイヤがへたってリムとの密着度が落ちたようだ。こうなるとチューブを入れCRタイヤとして余生を送ってもらうのがよいだろう。チューブレスに可能性は感じるが、現状では趣味の道具としては使いにくい所が多い。

自転車点検のついでに庭の余計な雑草を撤去。半分いやいやだ。だがいつまでもヌルデやヒメムカシヨモギやドクダミやミズヒキやヤブガラシを放っておくわけにもいくまい。ドクダミをずぶずぶと気分良く抜いていると、手元からごそごそと大きなヒキガエルが這い出てきた。わが家にまだヒキガエルがいたのだ。ただの移動途中としても、まずはうれしいことだ。雑草の茂みはいろいろな人から白い目で見られる。それでもカエル一匹を養うぐらいの環境は確保しときたい。


2013.7.28(日)晴れ 「回す」の先へ

ペダリング

昨夜は丹沢方面にも強い雨が降った。半原越は地盤がゆるんで崩壊する恐れもある。ちょっと警戒して今日は境川へ。

じつはここ数週間ばかり思うところがある。自転車はペダルを「回す」べしと異口同音に指導される。それは正しいと思う。私も実際そのように意識してきた。「踏む」というのが大間違いであることは疑いがない。回せるようになることが上達への必須条件である。ただ、そこに留まっていていいのだろうか?というのが最近の疑問だ。

私はペダルを回しているように思い込んでいるけれども、それは錯覚だ。じっさいに推進力として大きいのは、今日の図にある扇形の部分、太ももの往復運動によるものだ。このかなり可動域の狭い運動でほとんどの推進力が発生する。しかも、踏み込むときのPからBに行く部分(赤矢印)、下の図ではpからbにペダルが移動する部分(第2区)と引き上げるときのPからAに行く部分(青矢印)、下の図ではpからaにペダルが移動する部分(第4区)だけが太ももの上下運動を推進力にできる。第1区、第3区は膝を曲げ伸ばしする運動である。意識は強いけれど力は弱いはずだ。

事実としてペダルは円を描き、足も円を描くのだから意識も「回す」でいいかもしれない。しかし分析的に考えて行くと、もっとも有効なはずの太ももの上下運動、しかも踏み込むときの後半1/2、引き上げるときの後半1/2をしっかり意識して、上体も含めてどの筋肉が動員されどういう姿勢が効率的なのかが明確になれば、よりよい練習ができると思う。現状ではこの上下運動についてぼんやりした感覚しかないのだから、もう一レベル上がる可能性があるのだ。

今日は境川で4時間ほど、その上下運動を意識して走ってみた。見つけた扉はひとまずノックしてみるべきだろう。その練習の先には何もないのかもしれないけれど。

134号線で高回転巡航の練習をした帰り、引地川から境川にもどる湘南バイパスのゴミ焼き場坂でおもいっきり上下運動をやってたら太ももの内側が両方とも攣った。攣ることは少なくないけれど、太ももの内側を同時にやっちまうのははじめてだった。


2013.8.1(木)雨のち晴れ めざましじゃんけん

めざまし

先月はフジテレビのめざましじゃんけんで100点を超えることができた。美郷ちゃんに勝ちたいばかりに6時50分の第一部も5回ぐらいやったのが大きかった。100点を取れば自動車抽選に応募できる。さすがにそれはやらない。

私もプロとして、めざましじゃんけんにはいろいろと思うところがある。めざましじゃんけんは数少ない成功例である。データ放送は開始当初からさまざまな演出が試みられ、そのことごとくが失敗したといっていいだろう。歴史的大失敗は全国一斉知能テストだ。第1回は失敗で済まされたのに2回目もやるという愚を犯した。かくいう私も画期的なアイデアの持ち合わせはない。

じゃんけん程度の軽いコンテンツでも表に出ない工夫や試行錯誤がたくさんあるのだろう。当初は、プレゼント対象者を「最高」得点者にしていたが、それは大間違いだ。視聴者は自分か何位なのか、最高点は何点なのか知ることができないからである。現在は100点以上で応募抽選になっているからプレゼントには安心して応募できる。

また、インサイダーによる不正疑惑が起きないよう工夫しなければならない。こちらも上手にやっているようである。原則としてめざましじゃんけんは出演者が生で行う。しかし、出演者には出す手の選択権がない。目の前のモニターにでるマークに合わせてグーチョキーパーを決めているはずだ。もし出演者が任意に手を決めるとすれば、勝ち負け判定での致命的ミスが人為的に起きる確率が高くなりすぎる。また、出演者の知り合いはその手を事前に知ることができるため八百長疑惑が出てくる。グーチョキーパーはおそらく機械が乱数で出している。出す手を事前にチェックできる人間は少数であり、手が決まるのも数分前だと思う。

視聴者は機械相手にじゃんけんするわけだから、出演者もそれにあわせるため、手を提示するタイミングが秒単位で指示されている。先月はあるゲストの手出しが遅れ、視聴者の勝ち負け判定がなされた後でテレビ側の手が分かるというミスが一度起きた。それも愛嬌というものだろう。本放送上は失敗してもデータ上の勝負はつつがなく執り行われる。ウィークデーの毎朝2回、決まった時間にボタン一つで参加するめざましじゃんけんはデータ放送のすぐれたトライアルだ。


2013.8.3(土)晴れ 夏の終わりに

TT仕様であるブルホーンにした半原1号で半原越。いつもの棚田の水中はやはり殺風景なままだ。この調子で水を落として収穫をむかえるのだろう。トンボは例年とおなじく飛び回っている。ウスバキトンボは視界に20匹ほどが見える。ミヤマアカネは真っ赤に色づくとともに色気もついて、連結打水産卵している。卵は泥の中で越冬して春の水入りで孵化するのだろうか。だとすればずいぶん長い卵期になる。それともすぐに孵って夏の終わりに羽化するのだろうか。秋の深まった頃にもミヤマアカネをみるから年2化なのかもしれない。

半原越に入るとツクツクボウシの声が聞こえた。梅雨のような天気が続いているのに、はや8月。そろそろ夏が終わる。ツクツクボウシを聞くと夏の終わりを感じずにはいられない。アスファルトにはツユムシ系の轢死体が目につく。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'37"4'37"+1715.316779178
区間29'56"5'19"+2913.417971182
区間315'18"5'22"+3213.317969175
区間422'11"6'53"+5310.518159177
全 体+13112.917768177

調子はやはり上がらない。ブルホーンにして軽いギアで回して22分も切れない。心拍数は最大でも185bpm程度。疲労が溜まっているのか、必然訪れる老化なのか、単に気温が高いせいなのか。いずれにしても秋まで走り続ければおのずと答えは得られるはずだ。


2013.8.4(日)晴れ 秋でもないのに(本田路津子)

半原1号

ブルホーンにした半原1号(写真)で境川に行くことにした。今日はよい南風が吹いて気持ちよく走れそうだった。境川に出るとさっそくクマゼミの声が聞こえる。一か所だけでなく3、4か所で鳴いている。いよいよ境川沿いにクマゼミが北上してくるのだろうか。これでこの辺の夏ゼミは全部聞いた。クマゼミは午前のセミである。今朝はフジテレビのトリコがなかったのでいつもより早い時間に出てきたのだ。何かの特番で鹿児島のへたれカメラマンの失態にあきれ果てて出発したのが功を奏した。

半原1号はブルホーンにしてシフトは昔ながらのダブルレバーだ。ダブルレバーのよいのは軽量化とフロントの自由がきくことにある。半原1号はフロントトリプルの30段変速である。40年ぐらい前には自転車のランクは変速の枚数に比例していた。その計算式でなら半原1号は高級車の仲間入りだ。

ブルホーンだと犬走りが気持ちよく決まる。ハンドルの先のほうを握って小指の付け根をバーに当てる。脚の動きに同調してリズム良く、腕力を入れすぎないように腕も背中もリラックスして走るのがコツだ。犬走りができれば初心者卒業だ。軽々と30km/hで巡航できるから炎天下でもうだることがない。境川のように海風が入ってくるコースでは真夏でも快適に走れる。頭の中はなぜか本田路津子の「秋でもないのに」のヘビーローテション。そのぐらいのリズムでペダリングしているということか。

涼しい風の中を気持ちよく100kmちょい走ってサイクリングは終了。ブルホーンは犬走りと上ハンがばっちりだが、唯一立ちこぎが難しくなる。それだって技術の向上とハンドルへの何かの細工で乗り越えられるだろう。


2013.8.7(水)晴れ ジョロウグモの巣のゴミ

ジョロウグモ

今年もわが家の庭には数頭のジョロウグモが住みついた。まだ若い幼虫でとにかく食って太ることが彼らの使命だ。頭を下にして垂直円網の中心に待機して、いつかかるともしれない獲物を辛抱強く待っている。

ジョロウグモの巣は単純な丸い網だけではない。どこがどう繋がっているのか理解できないほど複雑な構造になっている。その構造だけでなく機能にも謎がある。写真にもあるようにジョロウグモの巣にはけっこうゴミがかかっている。ゴミがかかっているのは垂直円網ではない部分だ。ジョロウグモは巣を補強するかのような不定形で複雑な三次元構造をクモの背にあたるところに作る。その糸にも粘球があるのか枯葉などのゴミが引っかかる。また、糸でぐるぐる巻きにされた獲物の亡骸もかけられている。今朝の写真にあるように脱皮殻もかかっている。

巣の複雑さの理由がはっきりしない。単に巣の補強として複雑な構造を作るにはゴミの存在が気になる。ゴミは目立ち風の抵抗にもなり邪魔なだけだろうから撤去するのが自然だ。脱皮殻と食事ゴミがあるということは一種の休憩場所とも考えられる。垂直円網はあくまでハンティング用であり、腰を落ち着けて獲物を食べたり、しっかり足場を確保して脱皮するためにその休憩所があるのかもしれない。

無精にも私はジョロウグモの脱皮を確認していない。脱皮殻がみつかるのは必ずその場所なので、脱皮もそこでやっているのだろうと想像している。また、その休憩所で獲物を食べているところも目撃していないから円網部分で食べてゴミをあえて休憩所に運んでいるのだと想像している。採餌の観察は断片的なままで、行動の一連は未確認なのだ。

ゴミをわざわざ運んでくるのは不自然な行動だ。意味づけが必要になる。脱皮してその場に殻を残すよりも捨てるほうが自然な気がする。今のところは、問題のゴミは円網に虫を誘導することに役立っていると考えているが、根拠となるデータが脆弱すぎる。まずは脱皮や採餌のフィールドワークが必要だ。一言でフィールドワークといっても、夏の暑い日にやぶ蚊の猛攻を受けつつ何時間もクモを観察することは狂人にしかできない。たかだか変人クラスのフィールドワーカーとしては楽に観察する方法を考えるか問題を先送りにする言い訳を考えることになる。


2013.8.24(土)くもり 今夏の千丈川

カワムツ

千丈川は私のふるさとの川である。今夏、ざっとではあるが川の姿を観察することができた。写真はアシカキと思われる草の茂みに群れるカワムツの幼魚。千丈川でもっとも目立つ魚はこのカワムツである。どこでも水面をのぞき込めばカワムツを発見できる。カワムツによく似ている魚でオイカワがいる。数はずっと少ない。オイカワは近年千丈川に入ってきたハヤで、40年ほど前にはいなかった。ほかにもハヤの類がいるはずと思う。ただしカワムツの若魚そっくりで同定は難しく確実な目撃はできなかった。

千丈川の魚類相はこの10年あまりで劇的な変化を見せている。今夏も2年前とは明らかに様子が変わっている。まず驚いたのが「新田」とよんでいる堰堤にアユカケらしいものがいたことだ。アユカケは千丈川では極めて珍しく過去一度しか見たことがなかった。それが道路に自転車を止めて覗き込んだだけでみつかったのだから驚きである。

アユもいた。鳴滝川と千丈川の合流付近で3匹が盛んに争っていた。子どもの頃にはアユも希少種であった。アユの遡上は「新田」止まりであり、それよりも上流では全く見ることがなかったのである。またモクズガニが多かった。ちょっと覗き込むだけで3つや4つは容易に確認することができた。サワガニよりもずっと数が多い。モクズガニは子どもの頃は年に数回程度目にする希少種であった。モクズガニはよく知られているようにたいへん美味である。雨で増水した日にカニ籠をしかけることもあった。ただ、千丈川のものは風土病の中間宿主であり、あまり食べられてはいない。

ハゼも様変わりしている。今年はどういうわけかドンコが少なかった。そのかわりこのハゼがいくらでも目についた。種名ははっきりしないが、ヨシノボリとかボウズハゼっぽい細長いタイプだ。別種と思われる小型のものも多かった。そういうタイプのハゼはかつては「新田」止まりで、「新田」の堰堤を越えて遡上してくることはなかった。しかも「新田」にいたのは、青ドンコと呼んでいた3センチほどの小粒のものだけだ。

魚類相は河川環境の反映である。千丈川の環境はこの20年あまりで激変している。まずは河口付近のパルプ工場がなくなり厚さ1m以上に堆積して腐臭を放っていたヘドロが消えた。また広域下水道をまわして水質が改善した。近年、主として水洗トイレの普及によって全国の田舎の小河川が壊滅的なダメージを負っている。のどかで清らかな田舎の景色を流れる小川に魚も草もなくユレモがびっしりついているのは異様な光景である。千丈川流域でも入寺川は30年ほど前にその災難をくらったが、現状では人為的な富栄養化にストップがかけられている。

歓迎できない変化もある。本流のほぼ全域にわたって河原の両岸にコンクリートが貼られてしまった。かつては泥と砂利と岩があったところだ。その工事は防災のためではない。千丈川は私の知るかぎり氾濫や決壊のない河川であり、肝心の護岸は旧態依然であるから防災目的の工事ではないことだけは確かだ。

水量は40年前にくらべ若干増えているようである。かつては夏場になると全域が干上がってしまうのが常だった。今夏、千丈川流域の雨は少なかったという。それでも8月中旬まで水が流れていた。私が観察した一週間あまりでも雨は全く降らず「新田」はしだいに温水の水たまりとなり魚が浮いて腐臭を放ちはじめた。よくもったほうだ。

思うに、最近目につくようになっているのは海からの遡上組だ。千丈小学校の裏でもアユやハゼ類、モクズガニが目についたのは、そうした魚に千丈川の環境変化が好都合なのだろう。


2013.8.25(日)雨 千丈小学校のクロアナバチ

クロアナバチ

千丈小学校のクロアナバチは健在だった。50年ぐらい前に砂場だったところがいまでも砂っぽい地面になっており、数匹のクロアナバチを見ることができた。校庭にはほかの場所にも数か所でクロアナバチの巣があった。

写真は犠牲者をこれから運び入れるところだ。獲物はクサキリ♀かなにかの幼虫である。このハチには寄生バエがまとわりついて産卵のチャンスをうかがっていた。以前の観察ではクロアナバチが巣穴に獲物を運び入れた直後にハエが追いかけていくのが常であったが今回はちがっていた。ハチが巣の中に入って獲物を運び入れる最終準備をしている間に巣外に放置された獲物に卵を産み付けているようであった。ハエの卵は粘着性でキリギリス類の体に付着させることができるのだろうか。ハエのことだから針はなくて体内に埋め込むことは難しいのではないか。クロアナバチにも見極めたいことが山ほどある。

最近私のたまたま見聞録が日本屈指のクロアナバチサイトになっている。検索サイトで上位2、3位に並んでいるのだ。キーワード「クロアナバチ」で検索すると「クロアナバチの退治法」というサイトの次ぐらいになる。あんなものまで退治したい人がいるらしい。クロアナバチなら穴から出てきたところをはえたたきで叩きつぶせばよい。一番最初に思いつく手だろう。数が多い虫でもなく、人の住環境に執着する虫でもないから駆除は簡単なはずだ。


2013.8.31(土)晴れ 暑熱の半原越

温帯低気圧にかわった台風が南の風を運んできた。日差しが強く35℃もあるとけっこう暑い。いつもの棚田脇に腰掛けて今日はだめだなと半分あきらめ気分だ。水稲は黄色くみのりはじめている。上空にはウスバキトンボが群れ飛び稲の合間を縫うようにミヤマアカネが飛ぶ。稲刈り前のいつもの光景だ。今年もエンマコオロギが鳴いてヒガンバナが咲く頃に稲刈りだろう。

半原越は案の定だめだった。汗なんて登りでもそう出るものではないのだけど、腕も脚もびっしょりになる。19Tよりも重いギアは使わないようにしてとにかく登る。生き物の気配も少ない。キビタキが追いかけっこをしたり、2〜3歳と思われる青年のアオダイショウが横切ったりしたのがちょっとしたアクセント。カマドウマやサワガニなど湿っぽいむしがカラカラに乾いてアスファルトに転がっているのが暑さを増長させる。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'59"4'59"+3914.316784170
区間210'40"5'41"+5112.717675171
区間316'32"5'52"+6212.317571157
区間423'51"7'19"+7910.017760166
全 体+23112.117471165

今日のポイントは半原1号のハンドルに施した細工の具合を確かめることにあった。それも適当なまま、あまりの暑さのにひよってハーフは1回で切り上げた。タイムは24分ぐらいならまあがんばったほうだ。予想より2分ほど速い。


2013.9.1(日)晴れ 境川の積乱雲

境川

八幡浜に置いてある黒鉄パナはオーバーホールのタイミングを数年前に逸していた。ようやく持って帰ってフレーム以外の全部品を総入れ替えすることができた。今日は境川に持ち出して試走。

昨日ほどではないにしても気温が高く南風が強い。強風はむしろ願うところで中負荷で軽い登りの練習ができる。鉄パナのフロントアウターは42Tにしてあり、リアを14Tにするとちょうど3倍になる。その3倍のギアを使ってペダル全域で力が逃げないようにしてぐるぐる回す練習だ。もう2年ほど境川でこれをやっている。

70kmばかりやったところで引き脚にぐっと力をいれたとたん両脚が攣った。太ももの内側からふくらはぎにかけての広い範囲で両脚だ。かなり痛い。それほど高負荷にしているつもりはない。水分不足とかミネラル不足とか発汗が原因で起きる症状だろう。無理せずいったん自転車を降りて脚を休めて走る。

4時間練習して帰りがけにいつも寄る境川遊水地公園の自販機で缶コーヒーを買って飲むことにした。缶コーヒーの他にも目的があって、それは入道雲を撮ることだ。北の方の多摩地方にきれいな積乱雲が発達している。今日は南風が強かったが、低気圧以外にその積乱雲が南風を呼んでいるのだと思った。夏の午後のような入道雲はけっこうな見物だ。雲の動きは思いのほか速いものでシャッターチャンスは限られている。ピンと来たときに撮っておかないと後悔することになるのだ。

雲の写真を撮って缶コーヒーを飲んで、さあ出発と自転車にまたがると後輪がパンクしてすっかり空気が抜けていた。チューブ交換ならお手のものだ。芝生に座って外した車輪を膝で挟んでタイヤを外そうとしたそのとき再び太もも内側が攣った。慌てて膝を伸ばすとふくらはぎも攣った。たまらず芝生に寝転がる他はなかった。


2013.9.6(金)くもり 抜群の反響

大峠隧道

3Kは死語である。亡くなってから15年ほどたつであろうか。かつて自転車乗りの間で3Kといえばトンネルを指していた。曰く、「怖い暗い臭い」。

私も例外ではなくトンネルが嫌いである。峠は好きだから地図を見てトンネルを迂回できる道があればそっちに逃げる。神奈川では宮ヶ瀬や道志みちはトンネルを通らざるをえないコースである。三浦や伊豆もちょっと嫌だ。

そんな私があえてトンネルをくぐりに行く道がある。それは佐田岬の保内と伊方(現在は八幡浜市と伊方町)を結ぶ大峠だ。この夏、佐田岬の伊方原発を見物した帰りに大峠を越えてきた。大峠はその名に反して小さな峠である。標高は250mほどに過ぎず、道路は極めて狭く曲がりくねり、蜜柑作業車である白い軽トラがよく似合う。その頂上にあるのが40年来の知己、未完のトンネル大峠隧道(おおとずいどう(写真))である。土地柄からして蜜柑のトンネルといってもいいかもしれない。

大峠隧道もその名に反してささやかなトンネルである。年間通行者私的推定10人未満。長さは100mあまりしかない。特徴はその長さではなく幅にある。隧道の出入口はそれなりに立派であるけど、中央部の50mほどはいきなり狭く幅も高さも2m程しかない。自転車で走れば通常のトンネルとは違う意味でスリリングである。導坑に入るとき頭を打ちそうで恐い。照明もなく暗黒で路面に穴や落石がありそうで恐い。夏なお肌寒い湿った空気が澱み息苦しい。導坑が小さいから実際以上に出口が遠く見える。近隣の幽霊たちの集会所として最適だと思う。

未完にはその理由がある。隧道に設置された解説パネルによると、中央部の狭い導坑が開通したのは60年ほど前らしい。その後、完成に向け拡幅工事を始めたものの、国道197号線大峠トンネルができたりして、このへんでまあいいかということになったようだ。そうした残念な経緯が幸いし、大峠隧道は実用されている珍奇なトンネルとしてテレビでも取り上げられ、その名を全国に馳せることとなった。

この夏、大峠隧道に新たな発見があった。伊方から入って八幡浜に抜け記念写真を撮ろうと本坑と導坑のギャップに自転車を立てかけ撮影ポイントを探していた。そのとき、トンネルの方からパンッ、パンッと爆竹が破裂するような音が聞こえてきたのだ。その音の原因は明らかだった。私の足音に他ならない。アスファルトを踏むたびに一拍おいてトンネルからパンッという音が聞こえるからだ。

自転車レース用の靴底にはクリートというプラスチックが付けられている。歩くとコツコツと音が鳴る。コンビニではそれなりに嫌味だが野外ではさほど気になるほどではない。その小さな音が大峠隧道の入り口では破裂音のように響くのだ。私は入口付近をしばらく歩き回って一番効果のよい場所を探った。八幡浜側では入り口前2mぐらいがよさげだ。

一般にトンネルでは足音が反響し幽霊が迫ってくる気分になるものである。大峠隧道の反響は、幽霊よりもUFOがふさわしいほど常軌を逸して大きい。思うに本坑と導坑のギャップやその幅、長さが絶妙な取り合わせとなって抜群の反響をよんでいるのだ。


2013.9.7(土)くもり 秋

ヤマトシジミ

春からずっとアカマンマと信じていた雑草がキツネノマゴだと知ってかなりのショックを受けた。去年には一面のアカマンマだった場所が、今年には全部キツネノマゴに置き換わったのだから誤解もしかたない。しかも若芽のときにはそいつらはとてもよく似ている。ともあれキツネノマゴだってかわいげがありヤマトシジミなんかのよすがになっている。

今日の写真は久々にスーパーマクロを持ち出して撮ったものだ。TG-1はいいカメラに間違いないけど撮る楽しみは皆無だ。やはり創意工夫のかたまりであるスーパーマクロで撮ると断然面白い。というように撮る前は思っていた。

このヤマトシジミは失敗である。スーパーマクロのストロボは2灯あり1灯は背景用である。そちらの方がなんとバッテリー切れで使えなかった。それで主灯だけの黒バック写真になってしまったのだ。花を撮っているときに割り込むようにやってきて口吻を伸ばし吸蜜するというサービス満点のヤマトシジミだっただけに惜しいことをした。

午前中は境川を1往復。鉄パナのチェックだ。どうもハンドルが決まらない。午後は半原1号で半原越へ。この辺でもヒガンバナが咲いて稲刈りがはじまった。すっかり秋の気配だ。サイクリングコースのあちこちからエンマコオロギの澄んだ声が聞こえる。

しばらく雨がなかった私の生息圏にも9月になってようやくけっこうな雨が来た。半原越にもかなり降ったようで、棚田から見る向かいの山に森が歯抜けになっているところがある。おそらくは土砂崩れの痕跡だろう。半原越も荒れていないかと気になったが、走ってみるといたって平静だった。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'52"4'52"+3214.516485170
区間210'20"5'58"+3813.217678183
区間315'46"5'26"+3613.217476167
区間422'25"6'29"+2911.218164187
全 体+13512.917475177

秋は本番。涼しくなってタイムも上がって行かねばならぬ季節である。それなりにやっているつもりだけれど調子が上がらない。無理をしようとしても心拍が180程度までしか上がらない。その数値がタイムに反映されていて面白い。


2013.9.8(日)くもり 鉄フェンスのレゾンデトル

フェンス

私のよく行く藤沢大和自転車道線、通称境川サイクリングロードはその広さ、長さをみれば日本最高ランクにあると思う。といっても走ったことのあるのは札幌の豊平川、支笏湖、埼玉の荒川、東京神奈川の多摩川程度であるが、そのいずれも境川の足元にも及ばない。

境川で残念なのはフェンスだ。境川サイクリングロードには両脇に鉄製のフェンスが設けられている。写真のような光景でほぼ隙間なく数十キロにわたって続いているのだ。

私は当初からそのフェンスが嫌だった。それを設ける意図が分からなかったからだ。たとえば多摩川であれば、サイクリングロードの脇にバーベキュー場や運動場があるから、そこから歩行者がサイクリングロードに飛び込んできて自転車に体当たりすることがある。フェンスがあればそういう事故も防げる。ところが、境川サイクリングロードの片側は川で片側は田畑林住宅である。河川敷のない境川にはその手の気の利いた施設はありゃしない。

こういうものでよくある「自転車の安全のため」という主張はとれない。写真のようにフェンスにはちょうど人の顔に当たるところに出っ張りがあり、弾みでぶつかると顔を打つようになっている。このフェンスに衝突し頭部を強打して失神した例を少なくとも一件知っている。幸い死者は出ていないようであるが、流血の惨事程度のものは5万キロも走るうちにけっこう見てきた。安全をちょっとでも意識しているならもっとましなものを作るだろう。

いかなる理由でもってこの危険な柵があるのか、しかと思い当たるものがなく、この10年あまりもやもやした気分を抱えてきた。だが本日ついにこの鉄柵の役割が判然としたのである。

それは行政の責任分解点だ。サイクリングロードから転げ落ちた自転車乗りの死体が境川に転がっていたとする。本人にも過失があるだろうが行政の責任も問われかねない昨今のご時世である。川にある死体の原因は道路であるとも言えるし川であるとも言える。川に落ちるような道路を作るのが悪いとも言えるし、人が落ちて死ぬような川を作るのが悪いとも言えるからだ。道路なら神奈川県の道路係の責任が問われ、川なら国か県の河川管理の責任になる。自転車を川に落とすとちょっと面倒なのだ。多少の危険には目をつぶっても道路の事故は道路で収めておくのが好都合だ。

こう考えて晴れやかな気分になった。かつては鉄工所と県の癒着とか余計なことまで勘ぐったものである。


2013.9.14(土)くもり一時雨 マムシに会う

マムシ

マムシはぜひとも会いたいヘビだった。とはいっても山狩りをするわけでもなく、単に林道を自転車で走っているだけなのだから可能性は低い。今日は絶好のコンディションだった。蒸し暑くて空は低く曇り一時雨も降った。かんかん照りのときには虫も動かない。ましてややけどをするアスファルトにヘビは出てこない。

自転車乗りとしてのコンディションは相変わらずあがってこない。タイムは見ないようにして19Tから23Tを使って回して登った。とりわけ引き脚を意識した。下死点を過ぎてすぐに後ろに引く引き脚は脱初心者を目指すものが第一に越えねばならぬハードルである。ハーフを2回やって半原側に降りて水汲み場で昼飯をとった。

その水汲み場には小さく浅い流れがあって夏の間はオニヤンマが占有行動をとっている。どうやら産卵場所として使われる流れらしい。ライバルが進入してくるとサークルフライトやノッキングフライトまで披露してくれる。流れのそばに座っている私にもホバリングしてメンチを切るというサービスぶりだ。サングラスに写る自分の姿をめざとく見つけているのだろう。

TG-1を取り出して駄目元でオニヤンマの飛翔を狙ってみる。フルオートのコンデジでは無謀な挑戦だ。チャンスは少なくなかったものの、撮れた!という感触はなかった。やっぱり面白くない。ファイルをチェックするとやっぱりちゃんと写ってない。

マムシを見つけたのは、水汲み場からの登り返し。道路の真ん中にべろんと寝そべっていた。1分ほど前に乗用車が登っていったものだから、マムシ!・・でも死体?・・が頭をよぎった。つぶれた様子はなくあごも上がっている。奇跡的に難を逃れたようである。私は驚喜して自転車をその場に転がしTG-1を構えて近づいていった。でもヤマカガシかもなという疑いももった。幸運に遭遇したときよくあるあれだ。ともかくマムシにまちがいない。寸詰まりで柔らかくしなやかなボディ、逃げるにしてもいったんは攻撃姿勢で尻尾を振って威嚇する。素敵なヘビである。出会い頭はかんべんだけど。

今日はマムシの他にも半原越のむしたちのざわめきを感じた。一匹のカエルがあわてふためいて道路を横切ったのが印象的だった。色と形はアカガエルだがサイズがやけに大きい。トノサマガエルを越えるぐらいに見えた。山のほうから道路に跳びだし、3歩で横切り、空中回転しつつ谷に落ちていった。けものにでも襲われてパニックになったのだろう。あいつはなんだ。ヒキガエルにもアカガエルにもない行動だ。ちゃんとしたアカガエルは一匹、いかにもアカガエルらしく道路にすまして座っていた。それも滅多にないことだ。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間15'14"5'14"+5413.515880156
区間210'53"5'39"+4912.717677176
区間316'34"5'41"+5112.717777159
区間423'38"7'04"+6410.317971170
全 体+21812.217376165

2013.9.15(日)雨のち晴れ いろいろ出てくる境川

遊水地

昨夜から降り始めた雨は夜が明けても弱まる感じがなかった。さてどうしたものかと気象庁の雨雲レーダーを見れば、なんと午後にはすっかり止む気配だ。少なくとも大和ー藤沢ラインは大雨にはなりそうもない。というわけで半原1号で境川。半原越は落石が恐い。

写真は11時40分の境川遊水地公園。鷺舞橋を渡って撮った。通常時は境川から越流堤を隔てて池とサッカー場が見えるけれど、完全に水没している。サッカーのゴールも見えないから、水深は2m以上あるのだろう。それでもまだ遊水地には余裕がある感じで、昨夜の雨が2倍降ってもなんとかなりそうな感じだ。

遊水地が機能し境川はアンダーコントロールである。安心してサイクリング。南からの向かい風はそれなりに感じる。ギアは36×12Tの3倍にして引き脚の練習に終始した。3倍のギアだと80rpmでちょうど30km/hぐらいになる。向かい風を受けてそのスピードを維持しつつ引き脚がペダルにかかることを意識した。水平に引く感じがいいのか、斜め上に引く感じがいいのか、いろいろ試してみた。天気予報が雨の日は境川は人がいなくなり、力を入れて走ることができる。

雨が降り、人がいないせいなのか滅多に見ない虫が路上に出てきていた。まずは小さめのツチガエル(ヌマガエル?)。境川でも半原越でも生息は確認しているものの、数が多いとは感じない。これまでにも数回、小さく黒いのがぴょんぴょん跳ねているのを目撃していた。どうやらあれらもツチガエルのようだ。続いて、ミシシッピーアカミミガメ。体長4センチの一口サイズだ。こいつは本流には多い。しかし路上に転がっているとは驚いた。昨日の半原越でもむしが騒いでいた。日が短くなったことを体で感じて虫たちもそわそわしているのだろうか。ヤマカガシも2匹見た。境川の路上でヤマカガシを見ることもそれほど多くない。

雨が止んで日が差してくると爬虫類両生類にかわってショウリョウバッタにトノサマバッタにコカマキリ。秋にはいろいろ出てくる。毎年の恒例だ。


2013.9.16(月)雨のちくもり コオロギの季節

鳴く虫の主役がセミからコオロギに移る季節である。夜半にコオロギの声を聞きながら眠りにつくのが楽しい。私はコオロギではエンマコオロギが一番好きだ。数年前には庭にもいたが今はいない。田舎道を自転車で走っているとエンマコオロギの声が聞こえる。そうすると夜にその声を聞きながら眠りたいという欲望がむくむくと起こってくる。

地面のコオロギでは2種が聞こえる。マダラスズあたりだろうか。その数は少ない。カネタタキはチンチンとかわいらしい声が小さいながらもよく通る。樹上性のコオロギで住宅地にもよく適応できるとみえて数は多い。

アオマツムシはうるさくていまいち好きになれない。あれは代々木公園などに行くともう気も狂わんばかりに鳴いている。とりわけ桜が好きらしい。夜でも、その木の下をあるくと、ああソメイヨシノかと気づくほどだ。このあたりは気も狂わんばかりにソメイヨシノが植栽されている。幸いなことに私の寝室のそばにはない。

アオマツムシは近年になって隆盛してきたコオロギである。その昔、北杜夫氏はそのエッセイでなかなか良い声とアオマツムシを評していた。当時は数が少なかったのだろう。生息地はこの数十年で東京、横浜から一気に全国に広がった。外来種には珍しく自然の山野にも簡単に進出できるようだ。半原越でもその声はよく聞く。四国の片田舎でもすでに普通になっているみたいだ。

唯一の救いはアオマツムシの鳴く期間が短いことだ。日数も短ければ時間も短い。けっこう気温に神経質なようで、暑くても寒くても鳴かない。昼間はあまり鳴かない。その攻勢も数十年のうちには落ち着くだろう。何が天敵となりうるのか。クロアナバチが狩っているところを見たこともあるが、その程度では焼け石に水、ぜんぜん追いつくまい。シジュウカラ、メジロあたりがしっかり獲物として認識してくれるのだろうか。それとも固有の病気が流行したりするのだろうか。


2013.9.21(月)晴れ ジョロウグモの季節なんだが

ジョロウグモ

今年は虫が少ない。ジョロウグモ♀で今確認できているのはたった1頭。その成長もけっしていいとは言えず、明日が危ぶまれる。その♀に昨日から♂がついた。今朝、その様子を撮っているとたまたまハエのようなものが網を叩いた。♀はすぐに反応しハエを捕まえに走ったものの間一髪で逃げられてしまった。一方、♀が動くのと同時に♂も動いて♀の方に走りより写真の状況になった。なんのつもりだったのだろう。♀は♂の接近を嫌がってすごい剣幕で追い立てたものだから、♂は速やかに定位置にもどった。

清川村の蜘蛛屋敷がまだジョロウグモの巣が一つしかない。10年ほど見ているがこんな寂しいのははじめてだ。10月ともなると、二階建ての家全体を取り囲むように巣が張り巡らされ、逆光に映えてそれはそれは見事なものだった。さてこれから増えるのだろうか。半原越の巣も少ないように思う。秋の半原越はクモの巣がないと話にならない。

自転車は相変わらず調子が上がらない。涼しくなってその分タイムが上がっているものの、心拍数が上がらず出力できない。今日はハンドルバーへの細工がうまく決まって立ちこぎが気持ちよくなった。19Tでの立ちこぎ練習に終始した感じ。立ちこぎでも170bpm、55rpmの守備的な立ちこぎ。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'39"4'39"+1915.516178178
区間210'09"5'30"+4013.117374177
区間315'28"5'18"+2913.717672176
区間422'02"6'34"+3411.118064179
全 体+12213.117371177

半原越からの帰り、誘惑に抗しきれず休耕田の草むらから数匹拾って帰った。荻野川縁の田んぼにはエンマコオロギが多い。自転車に乗っていてもその鳴き声が聞こえてくる。いつでも虫を拾えるようにコンビニレジ袋を持ち歩いているのだ。


2013.9.28(土)晴れ チネリで引き脚

昨夜はひどい頭痛に襲われ、ようやく眠りにつけば、2時間後に痛みで目が覚めるという有様だった。こりゃ明日はおとなしくするしかないな、と憂鬱な気分であったが、8時頃に目覚めると痛みはどこかに去っていた。心配した女房の全身マッサージを受けると普段通りの感じになってきた。風邪を疑ったけれども、のどや関節の痛み、熱もなくシンプルな頭痛だったようだ。原因は不明。

女房と二人で機嫌良くぶらり途中下車の旅を見て、朝食はりんご1個にして境川へ出発。せっかくの秋の日よりに自転車に乗れるのはたいへんうれしいことだ。自転車は久しぶりにチネリを使うことにした。たまに乗っても違和感なくすいすい走れるのがチネリのいいところだ。剛性としなりのバランスがよく、ペダルを踏んでも引いても力が逃げる感じがない。まっすぐ走り、曲がるときは考える前に曲がっている。そんな自転車だ。ただし、35km/hぐらいからようやく本領を発揮するため非力な私にはオーバースペックという唯一の難点がある。

境川はやや強めの北風が吹いていた。太平洋はるか東に抜けた台風のもたらす風のようだ。追い風も向かい風も52×18Tを使って引き脚の練習をすることにした。ギア比が一定で、追い風のときは高回転低トルクになる。その場合、引き脚は上死点手前から足の甲を使って前に蹴り出す感じにするのがよい。逆に向かい風のときは低回転高トルクになる。その場合、引き脚は下死点直後に後ろに引く感じにするのが力を込めやすい。自己流でもいろいろ工夫するのが楽しい。いつも通り100kmちょっと練習した。


2013.10.6(日)晴れ 乗り比べ

今日も引き続き引き脚の練習をすることにした。自転車はナカガワ。場所は境川。風は北からやや強く吹いているので、南向きは休んで北向きで勝負だ。ギアは50×16Tを使うことにした。そのギアだと80rpmあたりでも30km/hぐらいになる。登りで最も効率が良さそうなのは75rpm付近にあるとふんでいるので、向かい風で30km/h弱を目指せばよい。

引き脚はまずは下死点から後ろに引くやり方。水平に真後ろに引く感じでやってみた。ギアの重さに力が負けるとぎくしゃくして引っかかる感じがある。引きすぎるか踏みすぎるかのどちらかで、スムーズに行かない感じがする。風の感じでペダルが軽いときはスムーズに回る。ギアを落とせば楽に速く走れることはわかっているがそれはやらない。力を入れても高効率を維持するのが目標だ。

腕も意識した。上ハンにして引き脚のときはハンドルを押さえる感じで、踏み脚のときはハンドルを引く感じになる。ペダリングのその交互の動きに合わせて押し引きをやる。リズムが乱れると妙な感じになる。行進のとき、緊張して考えすぎて右腕と右脚をいっしょに前に出すみたいなものだ。

60kmほどそいつをやって、ふとナカガワとチネリの違いに思考が及んだ。その両車はもとよりぜんぜん異なるフィーリングをもっている。特にフロントフォークの振動吸収性とフレーム全体が一枚板になる感じはチネリ独特のものだ。それにくわえて今日はナカガワのほうがよりペダルが引っかかってしまう感じがしたのだ。

取り急ぎ帰宅してチネリに乗り換え境川を30kmばかり走る。やっぱりチネリの方がいい感じで、ごっつんごっつんしない。念のためホイールを交換してもう一度ナカガワで試してみる。3mmほどサドルが高いことは分かっていたので、それも補正。いろいろがんばっていると、もも裏が一気に攣ってこけるかと思った。


2013.10.12(土)晴れ 登り気分

朝起きてあまりの気温の高さにびっくりした。日差しもずいぶん強い気がする。気温が高いせいだろうか。ともかく半原1号で境川だ。川に出ると南風がずいぶん強い。良い練習日だ。日差しも気温も夏のようだ。ただし、モズの高鳴き、草むらのコオロギ、落ち着かないスズメの群れ、見聞きするものはすっかり秋の風情である。

練習するのは相変わらず引き脚。向かい風をうけて90rpmで回せるギアを選んで練習。下死点から引くやりかたを重点的にやってみた。あまり根つめてやると膝が抜けたように痛くなる。90rpmであればかかるかかからないかぐらいの感じで力を入れるのが良いのだろう。

立石橋から高鎌橋間の4往復目の向かい風ではトップギアを使ってみた。36×11T。そのギアだと時速30kmでも70rpmぐらいにしかならない。8キロ足らずの走行でも終盤はかなりつらくて嫌になる。川でも山の登り気分が味わえる。


2013.10.13(日)晴れ 秋の半原越

いつもの棚田は稲の収穫が終わって肥料を鋤込んで冬の準備が整った。凸凹の土塊の上にナツアカネのペアが3組ばかり産卵している。何度見ても、やつらがどうして不安に駆られることがないのかが疑問になる。ナツアカネの他はミヤマアカネとウスバキトンボ。ウスバキトンボはたった1匹だけだが元気に虫を追っていた。気温水温はまだまだ繁殖の可能性を残しているかもしれないけれど数は増えない。8月にはこのあたりの田んぼは水を落とすからウスバキトンボにとって魅力的な場所ではなくなる。

半原越はあきれるほどジョロウグモが少ない。成虫はたった1匹しか目に止まらなかった。例年ならそろそろ道路を横切る巣が作られてもいい季節である。泥橋の近くで見慣れぬヘビの死体があった。小型で固そうな褐色の鱗に覆われている。どうやらタカチホヘビらしい。私は初見だ。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'37"4'37"+1715.315675181
区間29'49"5'12"+2213.617269192
区間315'02"5'13"+2313.717269177
区間421'16"6'14"+1411.517962196
全 体+7613.417168187

もう10月だから自転車の方は20分を切るぐらいで走れなければならない。ただどうしてもコンディションが上がらず勝負する気になれない。21分そこそこがやっとだ。ハーフは34×23T固定で4本やった。緩いところはクルクル回し、中程度のところでは引き脚、きついところは立ちこぎと乗り方を変えた。引き脚がだんだん板についてきた感がある。スピードアップというわけではなく楽に登れるようになった。立ちこぎも守備的であれば170bpmそこそこのATレベルだ。腰の痛みは全く感じない。


2013.10.14(月)晴れ 境川は秋の花盛り

ヌルデ

今日はゆっくり走ろうと境川にでかけた。自転車はひさびさに半原2号。カーボンのこの自転車の良さも忘れがちになる。単に自転車で走ろうというのならフレームはカーボンがいちばんいいだろう。

境川縁は秋の花盛りである。ススキ、セイタカアワダチソウ、アメリカセンダングサ。これらがたいへんよく目立つ。捨て置かれている河川の荒れ地によい彩りになり、蝶や蜂が集まっている。境川沿いは台風の影響がかなりあったと見えて草木の葉がかなり枯れている。ヌルデの新芽が開いている(写真)のはそのせいだろう。

午前中は北寄りの風だった。気圧配置から見ても傾度風だろう。それが午後から南風が強くなった。たぶん海風だ。さて傾度風と海風がぶつかったときに、海風はもぐるのか浮くのか? そもそもぶつかるなんてことが起きるのか? なかなか難しい問題に思える。

5時間足らずで100km足らず。休みがちに走った。ローソン白旗店には3回も行ってしまった。あそこのお嬢さんらは元気でおちゃめだ。

半原2号のチェーンホイールは50×34Tにしている。最近では最も一般的な組み合わせだ。ところが直付けフロントディレーラのデュラエースが適性位置まで下げられない。半原2号のフレーム設計思想ではフロントアウターは52T以上を付けるべしということらしい。私には残念な仕様である。50×34Tはそもそもシフトに厳しい数字で、歯とプレートの間隙が多すぎるとチェーンが脱落しがちになる。しかたなくトリプル用のデュラエースに変更した。

昨日からクロナガアリが地上での活動を再開し、私も自慢のスーパーマクロを取り出して撮影を再開した。まだ10月でヤブ蚊の総攻撃を受けるのはけっこうしんどい。アリは収穫にかかっていない。いまは巣の整備と探索の段階のようだ。働きアリはクロナガアリと思えないほど活発で撮りにくい。気温が高いせいだろう。撮影に関しては三重苦である。ともあれ今年もクロナガアリが健在というのはありがたい。


2013.10.19(土)くもり 秋色濃く

ハラビロカマキリ

神奈川の田舎では稲刈りがほとんど終わり、切り株のひこばえが初夏の田植え後を思わせる。ただし水は入っておらずコンバインに裁断された稲わらが敷きつめられている。殺伐とした風景だ。北風が強く低い黒雲に冬の近さを感じる。

いつもの棚田はトンボもあまり飛ばない。アカトンボが2種類、畦のコンクリートに止まって風を避けている。私も同じく風を避けるべく畦の南斜面に座ってコーラを飲む。モズが電線に止まって尻尾を回しながら甲高く鳴く。往路の例年ジョロウグモが多い場所を思い返して、やっぱり今年はジョロウグモが少ないと確信する。うすうす感じていた数の変動がやっぱり存在しているようだ。

今日の半原越は久しぶりに気合いを入れて走ることにした。フロントを34Tにしてリアは19〜23Tを使う。34×23Tは26×17Tよりもちょっと軽い程度で26×19Tよりもかなり重い。半原越の1割程度はこのギアで立ちこぎすると少しばかり脚にかかる。26×19Tであればすいすい楽ができるけれど秋なんだから少しは無理もしなきゃいかんと思う。ひさびさに最大心拍まで上げた。気温が低く、力が熱になってこもるつらさはないものの、最後の数分は行くか休むかの葛藤におそわれる。その葛藤もまた半原越の楽しみだ。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'25"4'25"+516.017072188
区間29'33"5'08"+1813.918167204
区間314'29"4'56"+614.518366200
区間420'39"6'10"+1011.718562202
全 体+3913.818066199

いつもどおりハーフを4回やって清川村の帰り道、足元に茶色いカマキリを見かけた。ずいぶん大きなコカマキリだなと行きすぎてから記憶像にあるカマキリの前翅に白点を認めた。とすればハラビロカマキリの褐色型だ。あわてて引き返して当のカマキリを見れば確かに褐色型のハラビロカマキリだ。たまたま1mほど先に緑色型のハラビロカマキリで腹を半分つぶされて息絶え絶えのものがいて、並べて記念撮影を行った。つかめばけっこうな剣幕で怒って鎌で指を挟んでくる。後肢はまったく動かなくなっている緑色型もいっちょまえに鎌で挟む。いかした虫だ。

飼育しているエンマコオロギが皆死んだ。シーズンはまだいくらか残っているから、もう一度拾ってこようと思った。荻野川沿いの田んぼの脇に簡単に捕獲できるところがある。前回はそこで5匹ばかりをすぐに捕まえることができた。じゃあ今日も同じ場所でと探したものの、その場所が見つからなかった。楽に降りられてコンクリートの崖がせまりゴミの多い休耕地という特徴的な場所だけに、見つからないことが不可解だ。そうなると、荻野川縁でコオロギを捕まえたことは夢だったのだろうかと奇妙な気分になった。


2013.10.20(日)雨 奇跡の水景

水槽

朝から雨が強く降っていたが、気温はそれほど低くなかった。いそいそと自転車の支度をしてあきれ顔の女房に見送られて境川に出発。ここのところ引き脚のかかりがしっくり来ているのがうれしくて秋雨程度のことで引きこもる気がしない。

境川は閑散と静かなもんだ。雨の楽しさを知る自転車乗りは境川にはいない。すれ違うのは移動のためやむをえず乗っている人ばかり。そして2人ほどかけっこのトレーニングをしている人。

北風が強く思いのほか雨粒も大きかった。向かい風のときは雨粒が顔に当ってけっこう痛い。ただ、向かい風はありがたい。36×15Tを使って20〜25km/hぐらいの低速で走り引き脚のかかりを確かめることができるからだ。ぎゃくに追い風だとなんにもしなくても30km/h以上出てしまって練習にならない。ちなみに、今日はそれぐらいの速度で雨脚が垂直に見えた。

写真は春にセットした水槽。近所の田んぼから土を一握り分けてもらってプラケースに入れ水道水をついで放置したものだ。設置場所は裏庭。一日に数時間だけ太陽光が当たる。日本は蒸発量よりも降水量のほうが多い湿潤国である。雨はあたり放題だから足し水も不要。最初にセットしてからメンテは一切していない。

一番目立つのはコナギ。オモダカと並んでもともとの水田でも目立つ雑草だ。成長こそ悪いもののそれなりに育って花もつける。10月になって成長が止まり枯れ始めている。もちろん枯れるままに放置。コナギの他にもシャジクモのような純粋な水草にくわえてヘアーグラスなどの水中と水上の両方で生育する雑草も育ってくる。その手の雑草は水中と水上での形態が違いすぎて正体が分からない。ミジンコ、巻き貝、カブトエビなどの動くものも発生して自然消滅していった。

まったく奇跡的な水槽だ。真夏でも水は澄みきって、青水になったり腐敗でどろどろになったりすることはない。それに水槽面にコケがつかない。水底の方にあるもやもやした緑は藻である。この藻は去年には発生しなかった。こいつがない方がきれいだと思う。しかし、もともとの水田にも多い藻だから文句は言えない。

かつては手も金もかけたいろいろなアクアリウムをやってきたけど、結局作りたかったのはこの手の水槽である。人工光の元で濾過器を使ってこういう水槽を仕上げるのは至難の業であろう。それができたらすごいぞ。


2013.10.24(木)くもりときどき雨 蒼井優の考える練習

クロナガアリ

毎朝観察しているクロナガアリ。巣の修繕のピッチは上がって収穫する気まんまんに見える。しかし今年は彼らの食べ物が少ないんじゃないかと心配だ。去年はササガヤとチヂミザサのみのりが良かった。クロナガアリが最も好む種ではないかもしれないけれど、一応イネ科でもあるし、それなりに豊かだった。最盛期にはひっきりなしにそれらの種を巣に運び込んでいたのだ。今年はどうもその2種がいけない。

境川沿いにもイネ科の雑草は多い。無数の種がみのりつつある。そういう光景が目に入ってくると収穫してアリにやりたくなってしまう。これまでに数度試している。私のプレゼントはいつも評判が良くなくてがっかりしたのだけど。

NHKの教育テレビの「考えるカラス」を楽しみにしている。指折り数えて放送日を待っている唯一のテレビ番組といっていいだろう。その昔のテレ東の「七瀬ふたたび」以来だ。

コーナーの「蒼井優の考える練習」は秀逸である。無味乾燥な実験映像なのに優ちゃんが素敵な色気を与えている。問題の面白さ+優ちゃんの色気で見逃せない。問題はよくひねってある。手加減しすぎの感がある現在の理科教育の間隙をつく問題ばかりだ。裏理科という視点を持って解けばおおむね科学的な根拠とともに正答できる。しかし、第10回の転がる鉄球の重量の問題はだめだった。受験勉強風にとんちで正答はしても、その理由を妥当に説明できないのだ。

数か月前に、別コーナーの「考える観察」で回転するペンシルキャップの模様の見え方について妥当な説明ができなかった。あれ以来の難問だ。「考える観察」にしても「蒼井優の考える練習」にしても番組中で解答は示さないので、解けない問題は一生楽しめるかもしれない。


2013.10.26(土)雨のちくもり 偽装の社長

一般論として、社長という者は言うことなす事なんでも是とされる立場にある。社長というものは社員等にこびへつらわれる地位にあるからである。社外であっても社会的地位は保証され、保証されるグループで活動するのが社長であるから、一目置いてもらえる。たしょう奇妙なことを言っても好意的に受け取られる。あからさまに軽蔑や悪意を向けられることはない。

一般論として、記者会見の場は言うことなす事なんでも否とされる所である。それは社長であっても変わらない。あからさまに軽蔑や悪意を向けられる。ふだんの社長はありとあらゆる対人関係がうまくいっている。回りが合わしてくれるものだから、そうした悪意の場に慣れていない。

というわけで、偽装の社長が記者会見に臨むのは極めて哀れなことになる。普段から悪意と曲解にさらされておれば記者会見の空気も読めよう。しかしながら社長はその訓練ができていない。経験があったとしても遠い過去のこととして忘れているだろう。社長になってしまえば、芥川の杜子春よろしく調子の良いときと悪いときを往復するしか身の置き場がない。

社長もせめてアリの観察でもしておれば己がどれほどのものでもないことがわかるだろう。アリをみているとありのままに生きることの良さがわかるから。


2013.11.2(土)くもりときどき雨 アリの餌集め

クロナガアリ

いま田園都市線の車内にはりだされている算数の問題を暗算で解いた。四角を切り抜いた紙を丸める問題でそれなりに解きがいもあった。できたのがうれしくて職場でふれまわった。そういうことをしてもけむたがられない素敵な会社である。

今日境川をはしっていて7月28日の図が誤りであることに気づいた。どこがどうという先に根本的な考えが変だ。誤っているからといって訂正する必要すらないほど簡単なミステイクだ。学習院中学入試の算数を暗算で解けるほど頭のいい私ではあるが、よくこういう基本的な考え違いをする。普通ならこういう間違いはしないはずである。だからこそ間違いの原因をしっかり検討すれば何かが見つかるだろう。

今日の写真はササガヤの種をもぎ取っているクロナガアリ。庭のクロナガアリを10年ほど見てきて、一度は撮りたかったシーンだ。庭は日が当たらず情緒のない写真になってしまうのはしかたないとしても、このシーンを撮れたのがうれしい。

今年はアリの餌のみのりが悪いと思われるので、境川でいろいろな種を集めてみた。雑草の種ぐらいいくらでもありそうにみえて意外といいものはない。キバナコスモスやタンポポがよい餌だということは知っている。境川には背の高いイネ科の草がたくさんあっていかにもよさげだ。ただ、その花穂をつまんでみるとほとんど中身がない。花穂から大半の種が落ちているその穂をつまめば丸い種の感触がある。どうやらみのればすぐに種が落ちてしまう草のようである。いざやってみればアリの餌集めも難しいものだ。


2013.11.3(日)くもりときどき晴れ キバナコスモス

クロナガアリ

写真にもあるように私の持ってきた種はそれなりに利用されている。それに気を良くして今日も種を持ってくることにした。

場所は境川。目的は種拾いだけでなく自転車の練習もある。来週の龍勢ヒルクライムにエントリーしているのだからそれなりの練習はしておかねばならない。今年はコンディションが全然上がらずタイムは期待できない。それでも体調と自転車は万全にしておこうと、昨日は前輪のタイヤを交換した。へたったチューブレスタイヤをクリンチャーとして使ってきたがこの機会に新品のチューブレスに換えたのだ。相変わらず最初のビード上げに手間取り、CO2ボンベを2本無駄にした。けっきょくフレームポンプで地道にしこしこやってOKだったのには拍子抜けした。

境川は暖かく無風だった。40×15Tにして90rpmだと30km/hになる。そのペースでなるべく楽をするのが今日のポイントだ。楽の目安は心拍計で160bpm。踏み込みは腰を入れて、引き脚は脇の下からの連動を切らないように。小手先の踏み引きだと数分しか続かないものだ。この乗り方でリズムを維持して30分は続けられるようになってきた。

拾う種はキバナコスモス。イネ科の背が高いやつは今日の写真にもあるようにクロナガアリの評判がいい。ただし熟しているかどうかの見極めが難しい。熟して穂に留まる時間が短いらしい。じゃあまずは集めやすいキバナコスモスにしようと思った。境川の路沿いはキバナコスモスがけっこうあって無尽蔵の種がみのっているのだ。

得意のコンビニ袋を用意して種集め。非常にかんたんに種が採れる。やっているとおもしろくてそれなりに習熟してくるものだから、ついつい両手一杯集めてしまった。人は弱い生き物である。その弱点は私も共有している。キバナコスモスの種を集めれば、種集めが手段ではなく目的と化す。そして効率よく大量に集めることを成果だと思ってしまう。

胸に手を当てて考えれば私のクロナガアリがキバナコスモスを好むかどうかはっきりしていない。人づてにキバナコスモスの種を運ぶと知っているだけである。ちゃんと幼虫の餌になるのかどうかも分からない。首尾良くいったとして大量の種を安易に供給して良いものだろうか。ちょうどアジアやアフリカの僻地に井戸を掘る慈善事業のように、やりようによってはアリたちに大きな不幸をもたらすことになりかねないのだ。


2013.11.16(土)晴れ 種拾い

種

残念ながら私の拾ってきたキバナコスモスの種は評判が悪い。代替品として背の高いイネ科らしい草の種を拾ってこようと思った。場所は境川であるけれど、今日はちょっと北上して貝取団地のあたりを下見して来ることにした。小田急多摩センター駅から貝取団地への通勤ルートを確かめる必要があるのだ。

まさに小春の日だった。風は北寄りで弱く気温が高い。つきみ野から境川に出て町田を通り桜美林大の脇から尾根緑道を登って尾根幹線へ。迷うことなく貝取団地に到着した。まず永山駅のほうも確認することにして左折か所を間違えて大回りし鎌倉街道に出てしまった。すぐに気づいて引き返し永山駅から貝取団地へ。ずっと登り坂だがそれほど急というわけではない。次は貝取団地から真っ直ぐ北に向かって乞田川まで出て川沿いに多摩センター駅へ。そして目的の多摩センター駅から貝取団地へ。道は登り坂だが永山からよりも緩かった。

再び尾根幹線に出て尾根緑道から境川へ。種のあたりをつけながら白旗まで走って折り返し。立石あたりの道ばたで種を拾ってきた。こいつは熟れ時を見極めないとうまくいかないはずだ。今日は準備よくはさみを用意した。試しに1コの種を切断すると、白い胚乳が見えた(写真)。これならきっとアリが食べるだろう。


2013.11.17(日)晴れ キバナコスモス

キバナコスモス種

今日の写真はキバナコスモスを運ぶクロナガアリである。キバナコスモスの種は小さく軽い。アリと比べて巨大にみえても、アリの力をもってすれば運ぶことはやさしい。ただしこの長すぎる種が巣の通路につかえやしないかと心配だ。いらぬお世話ではあるけれど。おまけに種の殻はたいへん固い。運んでいったものの、巣の調理係の牙で砕けるだろうか。ただの場所ふさぎになりはしないかと心配だ。余計なお世話だけど。

じつはこのキバナコスモスを運ばせるにはちょっとした工夫が必要だった。アリは意外と鈍感なのか、目標物以外は眼中にないのか、キバナコスモスや水稲の種を見向きもしなかった。キバナコスモスはせっかく大量に集めたものであり、水稲はアリの餌用に栽培したものである。わざわざ栽培した水稲をみすみすキジバトにくれてやるのも惜しい。

働きアリは私の好意など知るよしもない。自分たちの本能の赴くままに食料を収穫するのがやつらのつとめだ。そういうアリの注意を引く方法は既知である。種の殻に傷をつけるという簡単な方法だ。今日ははさみをつかって水稲の種もキバナコスモスの種も切断して撒いてみた。効果はてきめんでアリたちはこぞって水稲もキバナコスモスもくわえて運びはじめた。

さてこの方法でキバナコスモスも水稲も餌になることはわかった。ただし、種は固くてはさみをもってしても切るのにけっこうな力が必要だ。水稲ならまだしもキバナコスモスの種をいちいち切って与えるのはたいへん面倒だ。


2013.11.24(日)晴れ ススキ

今日は半原2号で境川へ。少し思うところあって佐藤製薬のサロメチールを塗ってきた。このところ太もも前に刺すような筋肉痛を感じることがあり、それなりの薬を使ってみようかと思ったのだ。サロメチールが筋肉によい影響があるかどうかはともかく、暖まることだけは確実だ。腰にも塗ってきたのだが、そこがものすごく熱くなる。そこは懐炉を当てると最も効果的な場所でもある。サロメチールは冬場の保温になることだけは確かだ。

2.5倍ぐらいのギアで90rpmを維持しながら境川を3時間ばかり走った。気になるのはサイクリングロード脇のススキだ。穂がふんわり開いてまさに風に運ばれようとしている。どうやら食べ頃である。クロナガアリの餌としてひとまず持って帰ることにした。やつらは好むだろうか。

しばらくサイトの移転に腐心することになってしまった。JCOMはいわゆるホームページサービスにまったくやる気がないので、もうちょっとましなところに間借りすることにしたのだ。ロリポップというのが一番安いようなのでひとまず1年使ってみることにした。

どのみち行き当たりばったりにHTMLとスタイルシートを手打ちで作るサイトだから、DBだのなんだの高級なものは必要ない。スペースさえあればいい。JCOMだと無料では100MBまでで、200MBにするのにけっこうな料金がかかる。それならいっそ、月々100円で10GBのサーバスペースを借りた方がいいと判断したのだ。いざやってみるとわれながらディレクトリの切り方にまずい部分が多く思いのほか手間取っている。


2013.11.25(月)くもりのち風雨 死んだ夢

死んだ夢を見た。

なにをどうしたものかにっちもさっちもいかなくなって一家心中をすることにした。女房も子どもたちもすっかり覚悟を決めている。私が家族皆殺しにして家に放火する段取りだ。そこいらじゅうに火を放てば壁やら障子やらを炎がなめていく。火と煙の中で娘だけでも助けておけば良かったとほんの少しためらいがあった。

シーン変わって私は目をさましたようだ。目覚めはいつになくさわやかだが体に少し違和感がある。ちょっとかさかさで軽い感じがするのだ。自分は死んだという自覚もあるが、それも夢だったのだろうかと思う。女房の姿は見えないが、とりあえず会社に行く支度をしなければならない。

顔を洗うが何かおかしい。やはり肉体の存在感が薄いのだ。状況から見て私が死んだのは疑いようもない。ただ火を放ったはずの家はしっかりしている。気持ちと体と環境がちぐはぐだ。

ふと鏡を覗き込んで自分の顔が写っていないことに気づく。私の体は全く透明で背景だけがしっかり写っているのだ。驚き慌てて鏡の角度を変えてなんとか自分の体を写そうと試みたが無駄だった。やはり死んだのだ。体は消滅して意識だけが漂っているようだ。

ただ自分の体にはしっかりした存在感がある。それはどういうわけだ。洗面台の調度もはっきりしている。自分の体にも物に触れることができるのだ。目には腕がしっかり見えている。洗面器は手でつかんで持ち上げることができるではないか。ところがどうしたことか、持ち上げて鏡の前にかざしているはずの洗面器が鏡に写っていない。視線を落とせば洗面器は元のままにある。はて私が持っている洗面器が幻想で転がったままの洗面器が実在なのか。そもそもこの世界に洗面器の実体があるのか。

なにもかにも実在感はある。私はこの先、これまでの生活を続けていくことになるだろう。腹が減ったら食わねばならぬ。電車に乗って仕事にも行かねばならぬ。肉体と環境に現実感があるなら痛みもつらさも変わりがない。ただわかっているのは私は死んでいるということだ。これから私が体験していくことは、すべて心の絵空事に過ぎないのか。中には現実のものもあるのか。それを確かめるすべがない。私は現実と妄想の区別がない世界をさすらうことになる。そしてそれが永遠につづくのだ。なんて恐ろしいことだ。

そう気づいたときに夢中に悪寒が走り、はっと目覚めた。


2013.11.27(水)晴れ アリの体温

クロナガアリ

写真はおなじみの、仲間を捨てに行くクロナガアリ。アリが死体を片付ける様子は頻繁に目にすることができる。そしてその半分ぐらいはまだ息のある仲間を捨てているのだ。この写真の個体もまだ死にきってはおらず、触角や脚を動かしていた。

同種のアリの死体は恐るべき危険物になることは私にも予想できる。死体を片付ける習性は巣を維持する上で必須だろう。問題はクロナガアリが仲間の死を認識する方法だ。どのようなサインをもって死と判断するのだろうか。

今朝ふと体温ではないかという仮説をもった。アリとはいえ生きているときは体温は高いだろう。その体温がなくなることと死は一致する。元気なアリと死んだアリとを区別するサインが体温だとすれば、アリが巣外で見せる奇妙な「あいさつ」行動も説明がつくような気がする。じっとにらめっこをするように、ときには肩に手を乗せて、10秒から1分ほどもじっと、お互いの存在を確認するような行動をよく目にする。あれは「こいつは仲間だけど暖かさがないぞ」と不審に思っての行動かもしれないのだ。

アリには目があるが巣の中は暗黒で普通の可視光は利用できない。もし体温が赤外線として「見える」ならばいろいろ便利だろう。食べ物とゴミとか不廃物とか、そういうものも臭い+温度で識別できるかもしれない。


2013.11.30(土)晴れ 晩秋の半原越

半原越

久々に半原越にいって、ぞっとするほどしんどかった。34×23Tというちょっと重いギアで通そうとしたのも良くなかった。それよりもずっと風邪なのかなんなのか体調不良が続いているのが悪い。区間4なんか息も絶え絶えだ。こんなにしんどいのは久しぶり。美しいはずの晩秋の道がちっとも心に響かない。

先週には会社の女の子に体調不良自慢をした。20分で走れる峠を25分かかってしまうくらい不調だよ。登り切れないほど悪くはないんだけどね・・・・半原越に執着していないものにはぜんぜんピンと来ない表現だ。そして今日走ってみれば案の定25分だ。のどの左を押さえると鈍痛が走る。北杜夫の幽霊で覚えたムスクルス・ステルノクライドマストイディウスも張りがあって痛い。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'49"4'49"+2914.816778182
区間210'34"5'45"+5512.517766179
区間316'34"6'00"+7012.117664165
区間424'56"8'22"+1428.717152152
全 体+29611.617363166

こうした不調は、しばらく前だと恐怖だった。もう二度と力いっぱい走れない気がしてぞくぞくしたものだ。それもだんだん気にならなくなってきた。自転車の上でじたばたしてもはじまらない。生きることと、成長することと、老いることと、死ぬことは同じことを違う言葉で表現しているに過ぎない。その実体はいっしょである。

同じものでもあえて異なる言い方をすることで、異なる情緒とともに異なる意味が生まれ、因果や類推というヒトに特有の心理作用が生じる。この機構は個人を生かす原動力であり人類存続のセントラルフォースでもある。

帰り道、荻野川の堤防の道をすたすた歩く黒い毛虫を見つけた。よく見かける種類だがその名を知らない。帰宅してアリの様子を見に行けば巣口の近くに同種と思われる毛虫がいた。ということは相当たくましくメジャーなやつらしい。


2013.12.1(日)晴れ 境川の湧水

湧水

すばらしい陽気の一日になった。朝から半原2号で境川。日差しが暖かくて風もない。力を入れすぎないようにかといって力を抜かないように、上手なペダリングを心がけた。

最も注意したのは膝下に力を入れないこと。ペダルを踏みつけるようにくるぶしが動くのは良くない。くるぶしを動かすのはふくらはぎの筋肉のはずだ。その動きは自転車の推進力としては不要で無駄に疲れるだけだ。次に注意したのは力強く踏み込むこと。自転車の速度はどれだけ速く膝を上下させられるかが全てだ。走っているとき、私は脚を回していると思い込んでいるけれど、それは素朴な誤解。本当は膝を上下させている力がもっとも大きな推進力になる。とくに膝をおろすときの力が大事だ。

力強く踏み込みたがいがために足をペダルに押しつけるような動作をしてはいけない。あくまで膝下は支えだ。しかも踏み込むのは時間にして0.2秒程度。それ以外のときは踏み込みに要する筋肉は休ませなければならない。小手先の動きにならないように、より小さな力で強く踏めるように腰を入れて踏み込むことを心がけた。ロードレーサーのペダリング技術はたいへん高度で習得は難しい。50×17Tを90rpmですいすい回せるようになりたいものだ。気持ちを集中させて4時間ほど練習した。

今日の写真は境川の遊水地公園にある湧き水。コンクリートを打った川底から水がもうもうと湧き出ている。こういう青々とした水を見ているだけで楽しい。湧水の近くにはオオカワヂシャが緑の葉を広げている。この緑は冬でも失われることがない。


2013.12.3(火)晴れ スキンダプサスアフレアス

「幽霊」のムスクルス・ステルノクライドマストイディウスを覚えていたのはちゃんとした理由がある。幽霊は中学生のときに読んだ小説だが、その主人公と同じような体験がいくつもあって並みならぬ共感をした。ステルノクライドマストイディウスの登場するくだりもその一つだった。ただし、私の場合はそのラテン名はステルノクライドマストイディウスではなくスキンダプサスアフレアスであった。

私の小学校の理科の教師は理科と教師との双方の資質を欠いていた。よく授業中に科学風のことを長時間にわたって話したが、いま思えばトンデモなことばかりで有害なものも少なくなかった。ハンセン病のよく知られた誤解もその教師は大まじめに子どもに話して聞かせたのである。そういう与太話をすることで、自分の教養に箔をつけたかったのだろう。事実その試みは当時の少年たちにはけっこう効果的だった。「スキンダプサスアフレアス」もその教師の口からいきなり飛びだした単語だ。

スキンダプサスアフレアスというのはおそらく今でいうポトスだったろう。ポトスも半世紀前の四国の田舎では珍しい園芸植物だった。私自身はポトスなんて見たことも聞いたこともなかった。教師は南洋に出征した経験もありポトスに思い入れがあったのかもしれない。ある日、花屋でポトスを見つけて「これの名はスキンダプサスアフレアスっていうんだが、寒さには弱いから気をつけるように」と花屋に忠告すると、専門家裸足の物知りと感心されたらしい。小学6年の私がその話を聞かされたのは一度や二度ではないはずだ。スキンダプサスアフレアスなどという無意味な単語を覚え、30年後にそれがポトスの学名と知り、ちょっとうるっとしたぐらいだから。

彼はもともと社会科担当だったらしいが、要員かなにかの都合で理科をやらねばならなくなった。それで1年かけて四国を回り植物のことを徹底的に研究した。そして理科を教えると、こんどは岩石の質問に答えられないことに気づき、また1年かけて四国を回り、とことん石の研究をしたという。わざわざ私たちを夜昼トンネルの工事現場まで連れて行って「この蛇紋岩は珍しいものだ。私が千丈蛇紋岩と名付けた」と解説したこともあった。隕石の特徴も熟知しており、私が持っていったカラミを隕石ではないと即座に見破った。それがカラミだと見抜ければ授業中の自慢の種が一つ増えたろう。

ある日われわれは、そのラブリーな教師から唐突に「好きな花は何だ」と質問された。児童が次々にそれなりの花をこたえるなかで、私は一言「シラン」と言い放った。教師もひどいが私のほうも相当扱いづらい悪ガキに違いなかった。


2013.12.4(水)晴れ 庭のプラケース

水槽

今日の写真はこれまでも何度か取り上げた庭のプラケースである。初夏の田植えの頃、10リットルあまりの小型のプラケースに近所の田んぼの土を一袋入れ、水道水を満たして放置した。そのまま何の手入れもすることなく今日に至っている。正確には夏にホウネンエビの死体を片付け、2週間ほど前にはホシミドロの類の藻を手で撤去した。

コナギの他はここに写っている水草の名を知らない。ただし芝みたいなのも直立してるのもなじみの草だ。いくぶん環境のよい水田であればいくらでも見つかる雑草だからだ。あの清川村の棚田でも初夏であればちょうどこれと同じような光景を見ることができる。

水草は秋を過ぎて一様に弱り枯れ始めている。水温が低くなったせいなのか寿命なのかはわからない。一年草であっても水温一定の水中では数年にわたって繁茂する例もあるようだ。

このプラケースの隣にはメダカの瓶がある。その水は透明度0の青水で、底には植物プランクトンが死滅したものと思われるヘドロが堆積している。その瓶もときおりメダカに餌をやるほかは放置しているままである。プラケースのほうは最初から水が濁る気配もなかった。直射光が当たるのにケースにコケがつかない。おもしろいものである。このまま春まで放置しておこう。


2013.12.8(日)くもり 脱力

昨日の朝にステルノクライドマストイディウスあたりの調子が悪いと女房に相談して1時間ほど全身マッサージを受けた。すると体中の力が抜けてこんにゃくみたいな体になってしまった。立ち上がるだけで気力をふりしぼらなければならない。おりしもゴミ収集車がいつもより早く来てしまったものだから、ゴミ袋を2つひっさげて収集車を追うことになってしまった。駆けるのはもっとたいへんだ。足がうまく動かなくて体幹を使い全身で脚を回さなければならない。

そういう経験があって、この土日は境川でちょっと違うことを試してみることにした。ナカガワを使い3倍ぐらいのギアで走ることはいつもと同じ。違うのは脱力することだ。とくに、下死点の脚が最高に伸びきったときに力を抜くことを意識した。これまでも、膝下の力は使わないように注意してきた。それに加えて太ももも脱力させる。ただし80rpmぐらいで回っているのだから、脱力といっても0.1秒程度のものだ。

力を入れねばならないときに力が入らないようでは自転車は進まない。力を抜いて良いときにも力が入っているようでは筋肉が疲れてしまう。そのメリハリがあるのが達人じゃないかと思ったのだ。

やってみるとかなり難しい技だった。踏み込む時間を短くして力を抜く。そこまではうまくいく。単に楽をしている感覚。ところが、引き脚に移り力を入れるとき、ゆるんだ脚にペダルがかかって、ふくらはぎやくるぶしにショックが来る。それはけっこうつらいものがある。肝心の筋肉の疲労という点では効果があるように思った。たんに力を出してないだけかもしれないが。

私の目標は半原越を平地のようにすいすいと走ることにある。こういう思いつきで練習を重ねても実地ではまったく無駄だったことが100回ほどある。脱力練習も101回目の無駄かもしれない。ただ気づいたことはなんでも試してみなければならない。いまのままの練習では腕が上がらないことが数学的帰納法によって証明されている。現状が最高点でないことを信じて僥倖を狙うことは必要だ。


2013.12.12(木)晴れ もぐらがやってきた

もぐら

わが家の庭にもぐらがやってきている。姿を見たわけではないが、黒々とした土のマウンドができていてもぐらの仕業とわかる。2〜3年前にも庭中がぼこぼこになるぐらい、もぐらのマウンドができた。去年はまったく見当たらず、死んだか引っ越したのだろうと思っていた。おそらくいま庭を掘りまくっているのは以前のとはちがう個体だろう。

もぐらがこういうマウンドを作るのは土中にほった穴の泥を捨てるためらしい。そして穴を掘るのは餌をとるためという。ミミズとかコガネムシとかが、地中からもぐらが掘った穴に落ちてもぞもぞしていると、それをもぐらが目ざとく感知して捕まえ食べるのだそうだ。

私の庭にはけっこうミミズもコガネムシの幼虫も多い。それらにたいしては思い入れはない。食べたいだけ食べてもらってもかまわない。

クロナガアリにはちょっと思い入れがあるから、アリの巣を分断するようなことはしてほしくないと思う。クロナガアリの巣は地面の中を垂直に深く入っているそうだから、巣の核心部は2mほどの深さになっているはずだ。そういう所にはミミズもコガネムシもいないから、もぐらが獲物捕獲用の穴を掘りまくってクロナガアリの巣をかき回して決定的なダメージを与える心配はない。

ただ、もぐらが河川の堤防に与える影響調査の報告で、堤防の深部を縦横無尽に走っているもぐら穴の石膏型を見た覚えがある。もぐらはじゅうぶんクロナガアリの脅威になりうる能力は持っているのだ。


2013.12.14(土)晴れ 不調の半原越

ひさびさに半原1号で半原越。昨日の朝から冬を宣言し今日は真冬スタイルでサイクリング。調子が悪いのは自覚している。夏からずっとよくなくて先週までは原因不明のステルノクライドマストイディウス付近痛に悩まされていた。それはすでに治っているが、体は重い。

半原越に入ってすぐにこんなに遅いはずがないというあせりに襲われた。無理して力を出したにもかかわらずラップタイムは悪い。時計を見るまでもなく感覚だけで遅いことがわかる。体が苦しいことはもっとよくわかる。久々に自転車で走っていて涙目になった。いったいどうしたものか。なにか悪い病気にでもかかっているのか。

病気以外には一つだけ思い当たることがある。体脂肪の増加だ。今年の冬はなぜか寒くない。冬宣言をした昨日になってようやく毛布を使って眠った。コートはまだ使っていない。これまでは冬の寒さにはからっきしだった。今年になっていきなり寒さを感じなくなったのは体脂肪が増えたせいかもしれないのだ。思い起こせばけっこう不摂生な食生活をしている。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'48"4'48"+2814.917782180
区間210'39"5'51"+6112.318578173
区間316'34"5'55"+6512.118180165
区間424'25"7'51"+1119.218161161
全 体+26511.818174168

区間3の路上に鋭く光る白いものがあった。その正体はすぐにわかった。ウラギンシジミだ。真昼とはいえ低い12月の太陽が真後ろから照ってチョウの羽をまともに光らせているのだ。ウラギンシジミははじめて出会ったときにドキドキしたチョウだ。羽の表裏の落差がただ者ならぬ雰囲気を醸し出す。ウラギンシジミの他にはフユシャクの仲間。冬の半原越らしい虫たちだ。路傍の落ち葉の中からコオロギの声が聞こえた。本当にコオロギなんだろうか。


2013.12.15(日)晴れ 引き脚の感触

ヒメアカタテハ

体のつらさに半原越はあきらめてナカガワで境川へ。しゃかりきにならずにきれいに走ることを心がけた。きのう涙がひとつぶふたつぶ流れたのは単にしんどかったからだけではない。必然やって来る老いと死をまざまざと見せつけられ無力を思い知らされたからだ。自転車の乗り方が次第にわかってきて面白くなってきたのに、肉体の衰えに上達を阻まれてしまう。日暮れて道遠い。何事においても道半ばで倒れることが人の世の常とはいえ、涙の一つもこぼれよう。

ちょうど半分、2時間50kmほど走っていつものコンビニで昼飯を買い白旗で休憩。そのときにナカガワのペダルに一匹のチョウが止まった。ヒメアカタテハは晩秋によく見るチョウだ。

50×19Tに固定して3時間ほど走ったところでかなりいい感触があった。下死点から後ろに足を引く動作がしっくりきたのだ。その引き脚はなかなか難しくてはじめた頃はぜんぜんうまくいかなかった。わざとらしいというか力が抜けるというか、ふくらはぎやもも裏がむずがゆくなるばかりで、まさに無駄な努力という感じだった。もしそういう動作を達人が武器として使っているという知識がなければ練習もしなかったろう。何万、何十万回とやってみれば神経も筋肉も次第にその動きを覚えてくるのだ。

ペダリングの動作で有効推進力になる割合は上級者でも50%程度だという。右足が踏んでいるときに左足が右足のじゃまをしていっしょに踏んでしまう。下死点にあるときに下向きにペダルを踏みつけてしまう。であればそういう無駄を省くだけで速くなるはずだ。


2013.12.21(土)晴れ クロナガアリのけんか

クロナガアリ

境川をナカガワで100kmばかり走って帰宅してからクロナガアリの観察をした。ここのところ気温が低くてクロナガアリの活動は鈍い。集めるべき種もあまりないので巣から出てこないのかもしれない。

カメラをセットして5分ばかり待機していると、巣からもぞもぞと働きアリが後ろ向きに出てきた。なにやら引っ張り出しているもようだ。引いている対象物は別の働きアリだ。ああ、いつもの死体捨てかと写真を撮り始めると、なにか様子がおかしい。引かれているほうのアリが抵抗しているのだ。

巣から出てくると状況がわかった。2匹のアリは何かをくわえて互いに引き合っているのだった。私の目にはその引かれているものが何か判別がつかない。ファインダーでは2匹のアリが画面いっぱいまで拡大されている。それでも彼らがくわえているものが判然としない。どんな大切なものなんだろう。泥にまみれた褐色の不定型のもの。たぶんただのゴミである。

外に出ても2匹はゴミを引き合って譲らない。優勢なのは最初に見た方、後ろ向きに巣から出てきたほうである。結局、後から引かれて出てきたほうが引くのをあきらめたかっこうになった。それでも口はゴミを離さない。ゴミごと運ばれていく。

およそ10分にわたる攻防であった。クロナガアリたちは何をやっていたのだろう。彼らは非常に温和で争いをしない。ましてやあの2匹は同じ巣の仲間である。取り合っているものもゴミでしかない。その状況から推理するならば、ゴミの捨てっこであろうか。たまたま同じゴミを同時に捨てる気になった2匹が押し引きするうちに引っ込みがつかなくなったという状況が考えられる。虫たちには一度入ったスイッチが切り替えられないことが頻繁に起きる。


2013.12.23(月)くもり クロナガアリのけんか2

クロナガアリ

またクロナガアリがみょうなことをしていた。触角にかみつくのはアリの喧嘩の常套手段だ。ではこれも喧嘩なのだろうか。喧嘩にしてもその原因も理由も想像がつかない。

今日もナカガワで境川。天気が悪く気温が低い。それでも5℃以上あれば快適なサイクリングができる。

この1年あまり境川ではやや重のギアを使って80rpm走行を練習してきた。じつはそれはけっこうしんどいことで脚へのダメージが大きかった。半原越の登り練習のつもりなんだが、もしかして間違っているんじゃないかと不安に駆られた。

80rpmで時速30kmで走るのも90rpmで時速30kmで走るのも出力は同じだ。ならば楽して90rpmで走ったほうが練習になるんじゃなかろうか。いや、半原越では75rpmが最適回転数なのだから、境川での半原越練習はつらくても80rpmじゃなかろうか・・・・。境川で90rpmが最適なら半原越でも90rpmで回せるギアを選べぶべきだ。いや、それじゃタイムが出ないことは既成事実じゃないか・・・

そういう迷いにとらわれ、とりあえず今日は90rpm走行で100km。90rpm回し続けるということは筋肉的な負荷がないことを意味する。空回しで90回程度だと楽すぎるから踏み脚、引き脚はかかっていることを意識できるぐらいのギア比を選んだ。今日は緩い北風が吹いていた。追い風は50×18T、向かい風は50×21T。くるくる回していても風の具合によっては心拍数は180bpmを越える。

4時間ほど走って平均の速度は25km/h、心拍数は160bpm、ケイデンスは82rpm。やや重練習にくらべると時間と速度は同じ。ケイデンスが10rpmほど大きく心拍数は10拍近く高い。この1年ばかりは境川の練習終わりの1時間がつらかった。こういうするする走りだとダメージが蓄積しない。明日満足に歩けないってこともないだろう。


カタバミ  テトラ  ナゾノクサ
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