たまたま見聞録
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2015.1.2(金)くもりのち晴れ 霜柱

 霜柱

今朝はかなり冷え込んだ。屋外の水道管が凍っている。クロナガアリの巣の回りはびっしりと霜柱が立っている。背丈は5センチほどもある。子どもの頃はこんな立派な霜柱を見ることがなく、うわさの存在でしかなかった。いまでも霜柱が立っているとちょっとうれしくなる。

ただこうなるとアリは外に出てこない。この霜柱程度で巣口が埋まることはないだろうから、いつ閉ざされるかについては引き続き観察だ。

チネリで境川をひとっ走りしてきた。52×17Tだけを使って100kmだ。ここしばらく冬には3倍のこのギアで走っている。巡航速度は30km/hぐらいだ。

境川は冬の季節風が吹かない。いまは西高東低の冬型で日本海側は吹雪になっているはずだ。境川は午前中はほぼ無風。午後からは南風が強くなった。季節風ではなく海風だろうと思われる。日本列島の形を考えても、丹沢など周辺の地形を考えても、日本一季節風の来ない場所になっているのは確かなようだ。自転車乗りとしてはありがたいのかありがたくないのか。


2015.1.3(土)晴れ 腐ったみかん

 メジロ

みかんはすぐに腐ってしまう。たくさんあると腐る速さに食べる速さが追いつかなくなる。腐ったみかんは周辺のみかんも腐らすというのは金パチ先生いらいの日本の定説だ。とにかく早めに食うのがみかん生活の核心だ。しかしながら腐らすのがもったいないからと食い過ぎるのもよくない。下手すると腹を壊すことがある。

というようなジレンマに陥って、多少腐ったものでも味の悪さをがまんして食べていた。しかし、それではいかんと昨日思いついた。私は貧乏人ではない。腐ったみかんぐらい捨てればいいのだ。私は貧乏人ではないが貧乏性だ。腐っているとはいえみかんを捨てるのはしのびない。ならば、庭に置いてメジロにでも食わせようと思いついた。これまではただ庭に投げていたけれど、木の枝に刺しておけば野鳥の餌台みたいな風情にもなる。貧乏性が一転して都会のインテリっぽいじゃないか。

みかんをナツツバキにさせばすぐにメジロがやってきた。それを撮影すればいっそうインテリっぽい。庭にはほとんど日が当たらず、いい写真にならないけれど、餌台も写真も所詮はまねごとだ。


2015.1.4(日)晴れ ヒヨドリとの距離

日曜午前は境川。チネリに乗って出かける。ギアは52×17T。判で押したようなこの習慣。境川は今日も温暖で風は南からゆるい。このギア比だと追い風でも向かい風でもペダルに足がかかる。これがけっこう気持ちいい。この気分良くペダルにかかる感覚が大切なのだと信じている。半原越では常にペダルがかかっているから境川でもかけようというだけのアイデアだ。本当に信じていいものかどうかはわからない。誤謬だとしてもたんに速くなれないだけだ。ハンドルに手を置いて80rpmで走ると時速30kmになる。爽快な快走。いいじゃないか冬だもの。

境川での練習の帰りにジョウビタキ♀を見た。まさか初見か?と気づいてぎくっとした。半原越はジョウビタキが多い。ごく普通の冬鳥だ。この冬はそのジョウビタキを見た記憶がない。寒さにひるんで峠をさぼっている証拠だ。境川をすいすい楽しく走って乗れるつもりになって春に半原越で打ちのめされるというこの10年の体験をまた繰り返すのだろう。ジョウビタキに気づかされた。

いよいよみかんも残り少なく、昨日くさったやつは3つしかなかった。メジロの餌にして撮影してやろうともくろんだが、そううまくはいかなかった。ヒヨドリがついたからだ。ヒヨドリは大食いでみかん程度のものはすぐに食い尽くしてしまう。それにけっこう賢いのか警戒心が強くあまり近づけない。被写体としてもメジロより難しい。しかもかわいさで劣る。

ヒヨドリは白旗の休憩所でもスズメを押しのける強引さがはなにつく。私はスズメをひいきにして、スズメが寄ってヒヨドリが寄れない距離に飯粒をまいている。白旗でもヒヨドリは3m程度にしか寄らないのだ。スズメは逃げ腰ながら足元まで寄り私の投げた飯粒を争ってゲットする。ヒヨドリはキンモクセイとタニウツギを行き来しつつチャンスをうかがう。スズメの口から奪うほどの強引さはないようだ。

私はヒヨドリも好きだ。あいつは大きくて器用で素敵な鳥だ。だけどどうしても小さくてかわいくて群れているほうをひいきにしてしまう。庭のみかんを前にカメラを構え、ヒヨドリは来ない距離に立ってメジロを待った。されど待ち人来たらず。寒さにひるんで引き上げた。


2015.1.5(月)晴れ ツチイナゴ

 ツチイナゴ

すばらしく暖かくて良い天気だ。チネリにのって境川に出かける。きょうは練習の日ではない。サイクリングにしようと昨夜から決めていた。しゃかりきに踏むようなことはしない。ギアだけは52×17Tを使う。ただどこに行くかは決めてなかった。海の方か山の方か。山の方にしようと決めたのはいつもの白旗休憩所だ。

北に向かって走り、鷺舞橋の手前で見つけたのが写真のツチイナゴだ。こいつは境川に多い。あまりに普通でこれまでわざわざ足を止めてみようとは思わなかった。真冬になって他の虫がいなくなりようやく撮影でもしてみようという気になった。

クリートの靴でカツカツ近づきケータイを10cmまで寄せるとさすがに緊張しているのが分かる。下手な動きをすると少し逃げる。その逃げ方もぬるい。気温が低くて動けないのか、動かないのが戦略なのか。

ツチイナゴの体を見れば見事に冬枯れのイネ科雑草だ。動かなければ腹をすかせた鳥の目をかわせるかもしれない。素早く逃げるよりも隠れる方を重視しているデザインのように思う。

八王子のほうにいって浅川、多摩川に出てみた。5時間100kmちょっとのサイクリング。境川の100km練習とちがいまったく疲労感がなかった。たまに楽をしたくなる。


2015.1.6(火)くもりのち雨 1月のクロナガアリ

 クロナガアリ

昨日今日と気温が極めて高い。午前中は風が強く雨はまだ落ちてこなかった。クロナガアリが活動しているだろうと庭に降りていくと鳥が飛び立った。夫婦者とおぼしきキジバトだ。

このところ庭は野鳥の楽園を呈している。腐ったみかんを投げていることと水稲をばらまいていることが大きいだろう。水稲はクロナガアリにやるつもりだったがアリの前にキジバトなんかがつついてしまう。それもまたいいだろうと鳥除け(極めて簡単にできるはず)は作ってない。もともと庭の土には虫が多いし、スイレン鉢には水も張ってある。アオジ、シジュウカラ、メジロ、ヒヨドリ、ヤマガラ、キジバトは常連化している。ときおりスズメ、ジョウビタキを見る。

クロナガアリは予想通り11月のように活発だ。動きが速すぎてカメラで追うのが難しいぐらい。ササガヤを集めたり巣内のゴミを捨てたり。活動は気温によるようだ。今日の庭は15℃近くまで上がっているはずだ。いっぽう、クロナガアリの巣は深いところだと、冬でも夏でも15℃ぐらいだろうか。今日これだけ活発に動き回っているということは、巣内では、冬でも普通に卵が孵って幼虫が育つのだろう。


2015.1.7(水)くもり時々はれ フユシャク

 フユシャク

冬型の気圧配置で北日本は吹雪の所が多い。いっぽう神奈川のこのあたりは例によって穏やかだ。今朝は放射冷却がなくクロナガアリが動いているだろうと庭に出てみた。予想通り何匹かが地面にでてササガヤの種を運んでいる。

朝出かけるときと夜帰宅したとき玄関の壁をチェックするのは日課だ。今朝は壁に三角形の蛾のようなものが貼りついており、土くれかと思った。先日、同じような物をみとめて蛾だと寄ってみると土くれでがっかりした。場所も近い。で、今日はだまされないぞとよく見れば本物の蛾だった。このあたりでもフユシャクは少なくない。自転車で雑木のある道を走っているとひらひら舞う姿が目に止まる。玄関でも年に1、2度は来る。

フユシャク類は面白い生態を持っており虫の好きな人たちには冬期の観察対象になっている。分化の面でも興味深い。私も惹かれるものはあるけれどあえて寒い夜の林に出かけるだけの根性がない。出会いは偶然あるのみだ。この蛾もフユシャクの一種であることは確かだが種名がよくわからない。同定は虫判定器にお願いすることにした。


2015.1.11(日)はれ 故郷の御手次寺

 故郷の御手次寺

「故郷の御手次寺」(写真)というレトロなパズルを解いた。飛騨高山の木工芸品で大小4種類ある駒はブナなどの数種類の木材で作られており、木目や色合いが異なっていてかっこいい。ゲーム自体は駒を手順に従って動かし問題を解決するという単純なものでしかないが、その哲学はけっこう深い。

このゲームで極楽浄土に渡るのはお地蔵様である。他のメンバーは極楽、つまり彼岸に足を踏み入れてはいけない。これがポイントだ。

お地蔵様は菩薩で、修行のランクからいうとかなり高いところにいる。もうちょっとで解脱し仏陀になる偉いお方だ。しかし、その辺の道ばたで埃まみれになって佇んでおられるのは、慈悲のお心からだ。煩悩まみれの民衆を哀れむあまりこの娑婆世界に留まり、自分のことは棚上げして当面我々を救うことに腐心されているのだ。

しかるに「故郷の御手次寺」は、お坊さん、小僧さん、檀家、信徒がこぞってお地蔵さんを彼岸に渡そうとするパズルだ。いわゆる他力本願を捨てて「われわれのことはわれわれで何とかしますから、お地蔵様はどうぞお先に成仏なさってください」という高潔な覚悟の物語なのである。ただし、姉妹品の「飛騨高山の箱入り娘」は商家の娘さんを手練手管で表にひっぱり出すという下世話なパズルだ。


2015.1.12(月)はれ 水星

 水星

水星を最初に見たのはもう35年ほど前のことだ。そのときは仙台の学生だった。大学生になったという意気込みから天文年鑑なんていうアカデミックなものをゲットして、いろいろな天体ショーを見るのがちょいとした楽しみだった。水星はその気にならないと見つからないと聞き、天文年鑑で東方最大離角にあたる日を調べた。その日の夕方、アパートの近くの丘に登って水星を探した。杉が林立する西の丘の山の端に小さな星が見えた。それが水星を見た最初で最後の体験だった。

幸い今は関東平野に住み、空は比較的開けている。水星は見ようとすればチャンスは多い。ただそれなりの準備をすることすらおっくうで見逃してきた。何年か前、富士山がきれいに見える世田谷の高層ビルに勤めており、二度ばかり東方最大離角のときに水星を窓越しに探したことがある。夕焼けも富士山も見事な日であったが水星は見つからなかった。現在はたまたま金星と並んでいることもありたいへん見つけやすくなっている。季節も冬。雲が少なく空の見通しがきく季節でもある。

写真は昨日撮ったもの。女房が水星を見たことがないというから綾瀬の市役所近くまで足を伸ばした。せっかくだからとカメラと三脚を持って記念撮影をしてきたのだ。


2015.1.18(日)はれ 共生と進化

良く晴れて風の強い境川を走っていて、生物が進化するのに決定的な役割を果たすのは共生であろうと思った。そういうふうに自分なりに結論づけた。

共生というタームは一般的には情緒的に用いられている。最たるものが「人と自然の共生」というものだろう。動物群、植物群の間にはおおまかな共生関係がある。種レベルでは厳密な共生を観察することができる。アリとアブラムシとの関係なども共生の好例だ。クロシジミはクロオオアリがいなければ滅んでしまう。そうした種間の共生がのっぴきならぬところまで来ている例も珍しくない。

種や群にかかわる観察可能なレベルの共生は生物の進化に関わってくる。花と昆虫の共進化なんてものは、すんなり納得できる。

もう一段深いレベルでの共生がある。個体の体内での共生だ。ヒトも含めてありとあらゆる個体が体内に異生物を宿している。それは共生であったり寄生であったりする。寄生の例としてハリガネムシを宿すカマキリは秋になるとハリガネムシに操られ水泳の衝動に駆られるという。寄主になったカマキリは普通ではない行動をとることになり、それは広義に突然変異と言っていいものだろう。

カマキリの場合は宿主必滅の寄生であるから、変異は個体にとどまり、種の進化にはつながらない。これが寄生ではなく、双方に利益がある相利共生であればどうだろう。


2015.1.19(月)はれ 共生と進化(シロアリ)

シロアリは木材の内部に社会を作るという画期的な方向に進化してきた虫である。その起源はゴキブリと同族らしい。ほかのゴキブリと一線を画せたのは木材を食べるからだ。木材を食べられるように体内には木材を消化する菌を宿すという。

シロアリの進化を想像することはたやすい。森のなかで落ち葉や木材や動物の死体や、その他もろもろを食べていた元祖ゴキブリがいた。その中には腐った木もろとも木材を食べる菌を食べるものもいただろう。その菌の中にシロアリの体内が生息にマッチしているものがいた。シロアリの消化機構をかいくぐれるなら、温度湿度などの生息条件は野外よりもいいくらいかもしれない。

体内に消化菌を宿すシロアリは同種の他個体にくらべてより材木嗜好が強まることになる。体が材木を欲するからだ。消化菌はシロアリの体内にあって木材を消化し糖などに変えてシロアリに渡す。シロアリは木材が消化される過程でなんらかのフィードバックを受けるだろう。木材がおいしい食材だという意識を目覚めさせるフィードバックだ。シロアリの中に木材をより欲する突然変異を起こしたグループの誕生だ。

枯れた木材は普通の虫にとってはおいしい食材ではないから、材木の中はシロアリ天国になる。木材を食べる行動は遺伝しないけれど、材木の中に群れるシロアリの間では世代を越えて消化菌が引き継がれる。古生代も中生代も新生代も枯れ木資源はおそらく無尽蔵だ。1億年もたてばシロアリは生物界有数の成功者になれる。

シロアリのこうした「進化」は空間的にも時間的にも広がりを持つ。体内に消化菌を宿したシロアリはニュータイプといえよう。その時点で遺伝子に革命的な変化が起きるわけではない。木材生活を100万年も続ければDNAが変わり体が変わり化石記録が残るだろう。その変化は「適応」「淘汰」などで説明がつくと思う。古生代の100万年の変化は生命誌では一瞬の跳躍にしか見えないだろう。


2015.1.25(日)はれ 共生と進化(細胞とDNA)

生物間の共生寄生には複数のレベルがある。DNAレベルにもあり、細胞内にもある。細胞内の共生では幾度か跳躍的な進化が起きた。真核生物の誕生、植物の誕生なんてものは生命史の金字塔だろう。10臆年前に葉緑体を取り込んだ動物は最高の勝ち組だ。殺伐とした食いつ食われつの世界から一抜けすることができた。人間でいえば解脱である。他者を食わなくても済めばそれに越したことはないが、動物は宿命的に食物連鎖のスパイラルから抜けることはできない。植物の誕生のような大進化は共生なしでは起こりえなかったと想像する。

細胞内に細菌のようなものが入り込む形の共生がどのように実現するのかは知らない。けっこう立派な生き物、昆虫とか蛙とかヒトとかそういうものにも細胞内共生は起きるのだろう。なかなか想像し難いものであるが。実際に起こっていることであり、そのメカニズムも解明されつつあるのだろう。

滅多にないとは思うけど、細胞内共生が起きれば、種は進化するだろう。たまたま相性のいい種の細胞と菌が共生をはじめる。個体が対峙している環境が海山草木や他の動物であるのに対して、新細胞が対峙する環境は個体の器官だ。新細胞は個体の体と心に作用して新生活を開始する。その生き様が外的環境にもマッチしておれば適者生存となる。

おそらくは細胞内に細菌のようなものが入る状況は多発的なものだ。ある地域に生きるある種の多数が感染することになるだろう。この場合もいわゆる獲得形質であるけれど、共生が卵細胞に引き継がれるならば次世代に引き継がれる。つまり遺伝することになるのだ。普通の突然変異なら同時多発というよりも散発だろう。画期的な変異でも1個体であれば次世代につなげるのは難しい。それこそ何万世代もかけながら同じ突然変異を繰り返す必要があろう。

DNAレベルの共生はよく起きるようだ。普通にはインフルエンザのように寄生関係で終わってしまうようだけど、悪いこともあれば良いこともあるだろう。DNAレベルでたまたま画期的な共生が起きればもっと速やかに進化が起きる。DNAが対峙する環境は細胞であり、細胞が対峙する環境が器官であり、器官が対峙する環境が個体であり、個体の対峙する環境が種であり、種が対峙する環境が地球であるとすれば、それぞれのレベルすべてで適者生存がクリアできればいいのだ。


2015.2.7(土)はれのちくもり 飛騨高山の箱入り娘

 箱入り娘

飛騨高山の箱入り娘というパズルを買った。先に紹介した故郷の御手次寺の姉妹品だ。こいつをやっていると、ある疑念が浮かんできた。私が見つけた故郷の御手次寺の解法はインチキで、もっと愚直な方法があるかもしれないということだ。

あれはルールへの抵触はなく、エレガントな方法だとは思うのだが、作者すら知らない解法のような気がしてきた。そんなことが気になったのは、私のやり方だと箱入り娘は簡単すぎるからだ。きっともっとややこしい方法でも解けるにちがいないと、箱入り娘の解き方をネット検索してみれば、案の定、見つかるのは馬鹿正直な解き方ばかりだ。そっちのやり方だって楽しいだろう。再出発だ。

私はひねくれ者でパズルにしてもクイズにしても作者が想定している解き方では満足できない。想定された答えしかない問いは、考えるに値しない愚問と切り捨てている。

箱入り娘のような実体あるパズルは知育、脳トレ、ボケ防止になり、デジタルのゲームはプログラムにしたがって遊ばされるだけでプレーヤーの創造性がない、などと言われることがある。それは頭の悪い人間が想像で言っているだけだ。私は有能なプレーヤーであり、いくつかのコンピュータゲームで作者の想定を超える解法を編み出してきた。パズルやロールプレイだけでなくシューティングでも長く遊べるのはそれが可能なものだった。ゲームの質は実体のあるなしにかかわらない。

私が一番はまっているパズルは、うまく自転車に乗る方法は存在するのか、あるならば私はそこに到達できるのか、という命題だ。その問題を解くために今日もチネリで乗り出した。自転車で私が勝たなければならないのは自分だ。昨日の自分に今日の自分が勝つ。この自転車パズルを解く鍵は自分に勝つことだ。そこまでは解けている。

才能ある者が自分に勝ったときは世界チャンピオンの表彰台に立つことができる。私の場合、自分に勝って最高のパフォーマンスを発揮できれば乗鞍で1500番ぐらいになるだろうか。走っているとき、そういうとりとめもないことを考えているなら快調とはいえない。上手くいっているときは頭の中で歌が流れている。中村あゆみの「Don't Stop Love」がリフレインしているようなら、最高のパフォーマンスが発揮されているといえよう。


2015.2.8(日)くもり一時雨 氷雨の境川

朝はくもり。天気予報は昼から雨。2月の雨はかなり冷たいけど日曜は貴重な練習日だ。ちょっとだけ防寒対策をして半原1号で境川に出かける。

練習の目的は無理のないペダリング。全身を上手く使って自転車をこいで進める練習。ギアは40×13T。上ハンを押さえて引き足を使う。踏み足は脚の重量をいかす。13Tだと北寄りの向かい風で少し重かった。ケイデンスが60rpmでは上死点下死点でひっかかりを感じる。14Tに落とすと65rpmが70rpmにあがる。

レースで勝ちたいなら重いギアで練習する必要もあるだろうけど、私の目標は最高効率のペダリングを身につけることだ。私は半原越TTのスペシャリストである。半原越では1.5倍程度のギアだと60rpm以下にケイデンスが落ちるところがある。その区間でもパワーを絞り出してシッティングで乗り切り、段々ケイデンスを上げていくというのが上達のポイントだと思う。ただそれは選手的な方法で私ができることではないような気がする。ギア比さえ落とせば半原越は75rpmで乗り切ることができる。その75rpmでひっかかりがなくなるようにしたいのだ。

正午頃から雨はけっこう強くなった。予想よりも冷たい雨だ。シューズと手袋は雨を素通しして風を受けるとけっこう冷たい。ナキを塗った分の効果はあるだろうけど。本格的に冬の雨で遊ぶならスキューバダイビングの素材を使った防寒具などを使用するのがよいのだろう。雨だからといって練習を休むほど弱虫ではないけれど、雨の境川でいつも通り5時間練習できるほどの根性はない。中村あゆみの「Don't Stop Love」はついぞ聞こえなかった。


2015.2.11(水)晴れ 春近い境川

所によっては春一番になろうかという陽気だ。チネリに乗って境川。ここのところ境川が好き過ぎる感がある。好きでかまわないような、他にも行った方がいいような。これ以上好くのはたぶん危険だ。

川に出れば南の風がやや強く気温が高い。いつも通りの52×17Tで75rpm練習。こころなしかこの17Tが軽くなってきたように感じる。

今日気をつけたのは握り。ステムの近くを握る上ハンで、手で押し引きするのはいつもと同じ。ただ、単に交互に手に力をいれるだけの犬走りでは本末転倒だ。腰から背中から肩へと力が伝わってきて前に傾こうとする上半身を腕で支えるのが犬走りの極意だ。握りはあくまで上体を使うためにあり握るためにあるのではない。そういうことを考えながら白旗と高鎌橋を往復。

今日のような暖かくてほどよく風の吹く日は良い練習になって、何往復したのかわからなくなる。往復距離は15kmで白旗までは23kmなのだから足し算すれば見当がつきそうなものなのに、走っていると冷静な思考ができなくなる。


2015.2.14(土)晴れ 宇徳敬子

チネリに乗って境川。いつも通りの52×17Tで75rpm練習。昼頃になれば南の風がけっこう強い。海風が入っているのだ。2月の半ばともなればどれほど風が吹こうが気温が下がろうが冬という気がしない。太陽は力強く、自転車の上で向かい風を受けていてもぽかぽかとそのエネルギーを感じることができる。札幌ですら雪祭りが終わって大通公園に雪像の廃墟が広がる今頃には春を感じたことを思い出す。こうして今年も私に春が来た。

スズメ、ヒヨドリ、カラス、キジバト、境川の野鳥がずいぶんせわしない。冬の終わりでもっとも食料が枯渇する季節だからだろうか。いま見かける野鳥は皆、成鳥として少なくとも半年生き抜いた勝者だ。生きるすべは知り抜いている。それでも食料の確保は差し迫る課題だろう。ほんのちょっとしたことで命を落とす季節でもある。

冬鳥の姿をちらほら見かけた。シメ、ルリビタキとおぼしきやつらがこんな所で見つかるのは渡りの途中だからだろうか。落ち着かない様子だ。冬鳥が繁殖のシーズンに入るのはまだ先のことだと思う。北に帰ってから彼らの恋が始まるはずだが、もしかしたら移動しつつカップルが形成されるようなこともあるのかもしれない。

白旗の休憩所の少し下流の桜の木にミノムシを見つけた。じつはその並木の桜には数回だまされている。くしゃっと巻き込んだ枝の枯葉がミノムシにそっくりなのだ。自転車のブレーキを引いて転回して、やはり枯葉か・・・と二度三度と苦笑いをしてきた桜である。今日も駄目元で引き返し、鉄フェンスに登ってミノムシだということを確認した。

こうして春を迎えても自転車はイマイチ。ずっと頭の中で流れていたのは宇徳敬子の「FARAWAY」だった。うまくことが運んでないのだ。ことというのは集中とがんばり。自転車を走らすこと以外の余計なことをぐるぐると考えてしまっている。さて私が春が来たことを感じることができるのはあと何回か。10回かせいぜい20回だろう。人生は短い。野鳥の20倍は生きるとしてもだ。そういう愚にもつかぬことばかりを考える。死ぬほど力を入れてペダルを回せば雑念は吹っ飛ぶはずだけれど、ぽかぽか陽気の境川でそれはやれない。


2015.2.15(日)晴れ 海風と傾度風

 海風

今日もチネリに乗って境川。昨日と同じく52×17Tで75rpm練習。昨日と違うのは午後から東京で仕事があるため、少しショートバージョンでの練習にしたこと。

境川で昨日と違うのは風の向きと強さ。今日は北寄りの風が強い。昼頃になっても丹沢の方からびゅうびゅうと風が入ってくる。昨日は逆に相模湾の方から南風がびゅうびゅう吹いてきた。昨日の風は海風で今日の風は傾度風だろう。この違いがどのように生じたのかを考えた。

図は傾度風と海風のイメージ。昨日も今日も傾度風は丹沢を越えて相模湾の方に吹いていた。天気は共に快晴。丹沢の南斜面は良く暖まって上昇流が起きていたことと思う。差は傾度風の力強さにある。今日は北海道付近にある低気圧が発達し傾度風は昨日よりも強くなったのだ。

図の上の方が昨日のイメージ。丹沢を越えた傾度風が南斜面の上昇流に吹き上げられる形で藤沢に降りてこなくなった。傾度風は上昇流よりも重いはずだけど強い吹き上げで上空を海に向かうことになった。この上空の風はいわゆる「海風」である。地上では山の方に吹き、同時に上空では海の方に吹く。昨日は傾度風が海風の発達に一役買ったかもしれない。

図の下の方は今日のイメージ。上昇流の強さは昨日と同じだが傾度風が圧倒的に強かった。丹沢南斜面の上昇流を押さえ込んで藤沢に入ってきた。

こういうことを考えつつ4時間走った。頭の中に響く曲は宇徳敬子の「夏の日の恋」だから、快走とは言えない。


2015.2.16(月)晴れ 明け方の木星

布団に入って右を見れば窓の向こうに星空がある。0時ごろ、西に傾いたベテルギウスは樹木の陰だ。ちょうどよい角度にシリウスが見える。これはかなり贅沢なことだ。

歳をとって眠りが浅くなるせいか、早朝まだ暗いうちに目が覚めてしまうことが多い。そしてけっこう苦しい時間を1時間2時間と過ごすことになる。0時なんて早い時間に眠らずにもっと遅く眠ればよかった・・・などとつまらぬ後悔までしてしまう。ただ私にとっては早く眠れるに越したことはなく睡魔に負けて眠り込むことは幸せだ。若い頃から寝付きが悪くてしばしばつらい時間を過ごしてきたからだ。

女房は若い頃から寝付きがよく、早く眠って程よい時間に目を覚ましてきた。さすがに近年は深夜早朝に目を覚ますことが多くなっている。同時に私も起きていることがあるけれど余計な気を使わせるだけだから眠ったふりをしている。

いまは4時ごろだとでかい星が見える。シリウスは青くて立派だが、それ以上にでかく光る黄色い星が見える。木星だ。覚めなくてもよい目が覚めてしまってもこんなにきれいな星が見えるからまあいいかという気になる。

日没には金星が見える。金星は木星よりもさらにでかい。金星が大きいのは地球に近いせいだろう。木星が大きいのも同じく地球に近いからだ。同じ近くでも金星は太陽の方向にあり、木星は太陽と反対の方向にある。方向が反対なのに同じく西の空にある。そんなことに気づいてちょっと面白いなと思う。

眠りにつけず面白くもない夢を反芻したり、考えてもしょうがない取り越し苦労をしてみたり。木星金星で気づく面白みは精神の暗闇に一瞬だけともるかすかな光だ。


2015.2.21(土)晴れ 春風の境川

 フユシャク

チネリに乗って境川を訪れ川面をみればもうアカミミガメがいる。自分の体よりも小さな石の上で甲羅干しをしている。アカミミガメとはいえまだ冬眠している頃だろう。春の日差しにうかれて早く出過ぎてしまったのか。

いつも通りに52×17Tを使って75rpm練習。あまりうまくいっていないことはすぐわかる。頭の中を流れている曲が宇徳敬子の「あなたの夢の中そっと忍び込みたい」だったからだ。昨日は半原越に行こうと思っていた。しかし朝目が覚めるといつも通りに体が冷えて疲れ切っていた。峠を登るのはおっくうだ、半原1号も調整しなきゃなんない、なんていう消極的気分がこみあげて境川になってしまった。

境川でプチ休みをするのが鷺舞橋だ。鷺舞橋の休憩所にはトイレと水汲み場がある。広場は設計上のミスがあり自転車の往来がスムーズに行かない。少しでも事故を防止すべくプラスチックのドラム缶を並べて自転車が通行できない部分を作っている。ちょうどブラインドになる所であるから設置者の気分もわからないではない。ただ、もともとちゃんと設計すれば今4つもあるブラインドをゼロにすることだってできたのだ。

それはともかく、通行止めのプラドラム缶の蓋は水が浅く溜まる設計になっており、たばこ吸い殻ポイ捨て場になっている。その水たまりに小さくはかない蛾が浮いていた。仰向きに腹を見せ裏翅を見せている。白っぽい翅に小さな点と細いラインがある。どうやらフユシャクのようだ。表面張力のせいか翅は展翅したように伸びてきれいだ。こうした光景からも春を感じる季節になった。


2015.2.22(日)くもり 2月の湧水

 湧水

雨は覚悟していたが降ってはこなかった。リアディレーラーをデュラエースの9Sトリプルに変更した半原1号で境川。デュラエースにしたのはXTRのメンテナンス性が悪いことと位置決めに若干の狂いが生じるからだ。

3倍ぐらいのギアを選んで75rpm走をするのはいつもといっしょ。今日は終始ゆるい北風が吹いていた。1本目の向かい風練習はややギアを軽くして75rpmでやってみた。くるくる回す感じで時速は26kmぐらい。これが思った以上にしんどかった。自転車がぼろじゃないかと疑ったほど。たしかに半原1号はチネリよりぼろだが体感できるほどではない。2本目はやや重くして速度は同じにして70rpmでやってみた。すると息が切れることがなく楽だった。多少脚にはこたえるもののその方が良さそうに思えた。私は半原越のスペシャリストなので20分だけ上手に乗れればいい。最適トルク、最適ケイデンスをしっかり把握する必要がある。

鷺舞橋の休憩所でコーラのペットボトルに水を汲んでいるとハクセキレイとおぼしき小鳥が近づいてきた。しきりに何か細長い虫をつついて食べようとしている。その様子を見れば上手く飛べない感じだった。近づいても逃げず人を恐れる様子はない。なんらかのトラブルをかかえこの休憩所で人から餌をもらって生き延びているのかもしれない。

写真は今日の境川遊水地公園の湧水。湧き水の周辺にあるみずみずしい緑はオオカワヂシャ。一般に水中の春は早く訪れる。ただこれは湧水ゆえの萌だろう。境川とはいえ湧水は冬でもけっこう温かいにちがいない。オオカワヂシャの地上部は寒さで冬枯れしても、水中部が低温で枯れることはない。


2015.2.23(月)晴れのち雨 カメの話

こどものころ、クサガメやイシガメはあこがれの希少動物だった。メジャーな動物なのに近所にいなかったからだ。田んぼを含め湿地河川で遊ぶのは好きだったが、カメの生息地は見つかっていなかった。山間地にある溜池にならば生息しているかもしれないと空想はしていた。ばあさんから昔はたんぼにいっぱいいたと聞いていたが、ばあさんは同種のデマをばらまく名人であり、真偽は怪しかった。いま考えても千丈はイシガメやクサガメの生息に適する環境ではない。

ところが家の前の千丈川では数年に1回ぐらい憧れのカメが見つかった。当時はまだミシシッピーアカミミガメがおらず、クサガメあたりであったろう。誰かがどこかから拾ってきて川に捨てたものらしかった。

そんな捨てられたカメを捕まえて飼育していたことがある。あのころはカメといわず何でもペットにしたかった。魚や虫は手当たり次第、ウサギや野鳥も捕まえた。

カメの飼育は極めていい加減なもので、半ば虐待であった。家の中にあるコンクリートでできた井戸水受けに入れ餌も自分ではほとんど与えなかった。カメは日光浴が必要と聞いて、ときどき散歩はさせていた。越冬は芋蔵だった。家の床下には広い地下室があり、さつまいもなんかを保管していたのだ。冬になるとカメをその地下室に入れ冬眠させた。最初の越冬はうまくいったものの、2回めの越冬でカメの存在を忘れてしまった。数年後に干からびたカメの甲羅を発見してやっとそのペットのことを思い出すという体たらくだった。カメはいざ飼ってみればそれほど面白いものではなかったのだ。

その頃、カメについてのある虚偽を信じていた。自分の手で野生のカメをたくさん捕獲した体験だ。その場所は夜昼峠の先にある大洲の肱川の河原だった。ある冬の日、肱川がゆるくカーブして土砂が堆積している場所を掘るとカメがたくさん出てきたのだ。まさかカメが河原の地中にいるとは思えず、かなり衝撃的な体験だった。

しばらくは肱川の該当箇所と思われるその場所を確認していた。鉄橋をわたる汽車から見える場所だったからだ。しかし数年後、冷静に考えてみればそういう体験はありえないことが明らかになった。大洲がカメの生息地であったことは確実で知識としてその情報は得ていたろう。小学校の理科の教師あたりから蓮池や田んぼの泥からカメを掘り出すような話を聞いたかもしれない。しかし私自身はそれをやれたはずがなかった。カメ欲しさのあまりに見た夢を現実と思い込んだのだ。


2015.3.1(日)雨 どっちが楽?

昨日は卓球の試合見物。石川佳純が平野早矢香に逆転負けするというちょっとしたびっくり場面をみることができた。今日は境川で自転車練習の日だが、午後からは仕事がある。運良く冷たい雨も降っている。午前中の50km足らずの練習で切り上げることにした。

半原1号で境川に乗り出すとやや弱い北寄りの風。海に向かうときは軽く30km/hで走る。いつもの白旗まで行ってあとは帰るだけ。弱い向かい風を利用してケイデンスの確認をする。まずは40×14Tで75rpmで回してみる。少ししんどくなる。つぎは40×13Tにあげてケイデンスを70rpmぐらいにしてみる。速度はだいたい同じで出力も同じぐらいのはずだ。

やはり40×13Tのほうが心肺には来ない。感覚的に楽だ。さてこれは何の練習なのだろうか? 弱い向かい風の境川を楽にこなす練習なのは確実だが、本番の半原越でいかせるのか。そもそもこのトルクで半原越を走れるのだろうか。走れても相当遅いのではないか。いろいろな疑問をはらみつつぐっしょり濡れて2時間だけの練習を終える。


2015.3.2(月)晴れ 青黒ドレス

今話題の「青黒?」「白金?」ドレスは私には白金にしか見えない。ただ、ドレスの明るい部分で目に入って来る色は青であることは間違いない。青だとしても、それは影の部分にある青だから、色かぶりが起きて青になっているだけで、本当は白なんだと解釈して色を見ている。この解説は後付けのものであるけれど、ドレス写真を見て自動的に起きている。

もともとは青黒のドレスらしい。青黒に見える人の割合のほうが高いという。私と反対の解釈によって青黒のドレスに見えている人も多いだろう。もともと暗い青黒のドレスに黄色っぽい光が強く当たっていると解釈すれば、実際の写真よりも暗い青黒ドレスに見えるだろう。白昼光での黄色かぶりを前提とした見え方だ。むろん私はそういう風に見ようとしても白金にしか見えない。私の場合は晴天日陰の青かぶり解釈が強く働いているようだ。

対象物が日陰にあるか日向にあるか、相反する2つの見方はヒトとして双方共にナチュラルだ。日常的にはどちらか一方に偏るはずだ。このたび青黒ドレスがこれほど話題になったのは、黒部分が絶妙だからだと思う。おそらく黒部分は透ける黒なのだろう。地の青が黒を透かせて見えている。それが黒の部分の青かぶりを演出している。

もう一点、裏の青を透かしている黒は真っ黒ではないようだ。拡大して黒部分を切り出してもやはり黄色味がある。どういうわけか青の補色の黄色が入っているように見える。そのわずかな黄色味はもともとあるものか、デジタル処理による偽色か、どちらか不明だけれども、その黄色を偽か本物かという解釈で黒青だったり白金だったりするだろう。本物なら白金だ。

思い返せば、私は錯視の名人だった。錯視の分野はいまでは脳科学などとけっこうな名称がつけられているが、私が大学生の頃は心理学の狭い一分野として細々と研究されていたものだ。その研究のモルモットとして重宝されたのである。

そういう特異な存在として子どもの頃から見間違い(いわゆる錯視)には敏感だった。あるはずのないものが見えるとか、見ているうちに見ているものが変化してしまうような経験は頻繁だった。それが客体のせいではなく自分のせいだということは論理的に確認できるから、そうした錯視の起きる原因についても考えを巡らせていた。


2015.3.12(木)晴れ 植木鉢の春

 植木鉢

今朝の植木鉢。タネツケバナとカタバミが萌えてよいあんばいに寄せ植えになった。冬の葉と春の葉の対比がおもしろい。わが家では貴重な午前の日が当たるところに放置してあるだけに春が早い。

この植木鉢は数年観察を続けているものだ。もとはコケが優占だった。できればコケ鉢にしたかったけれど、思うだけで実際の管理はできない根性なしである。今のタネツケバナの優勢は2年続いている。来年はどうなるだろう。白い花が咲く春先にそんなことを思うけど、思うだけでいつしか忘れている。植木鉢自体が8月ごろに撤去されたとしてもおそらく気づくまい。


2015.3.14(土)晴れのちくもり 境川のナマズ

 ナマズ

半原1号に乗って境川。リアシフトのワイヤーがゆるんだ感じがあって調整しようと畑の小道の脇に自転車を止めた。ふと足元の枯葉に目をやると、数匹のナナホシテントウがいた。本格的に活動をはじめたのだろう。そこは枯葉に薄日があたって暖かそうだ。他にも虫がいないかと見渡せばハサミムシが見つかった。畑の土止めに使っている鉄板の上をはっている。ハサミムシは日中から表に出てくることは少ないだろう。撮影のチャンス到来だとカメラを近づけるとはさみをもたげて威嚇してきた。

自転車はわりといい感じで練習できた。左脚の上死点からの踏み込みを重点的に練習した。50キロあまり走って白旗の休憩所で昼のにぎりめしを食うことにした。すぐに鳥が集まってくる。スズメの群れに混じってヒヨドリとムクドリも数羽。以前はヒヨドリ、ムクドリはあまり近くまで寄ってこなかった。いまではスズメを押しのけるように足元まで近づいてくる。一冬で人慣れしたのだろう。しばらくするとハクセキレイもやってきた。鳥だかりを見つけて興味津々に見物に来たという感じだ。ハクセキレイはまだ慣れている感じではなかった。

鷺舞橋から覗き込むことができる例の湧水を見物していると、ナマズが見つかった。以前にも同じようなナマズを見たことがある。同じ個体かもしれない。ナマズが日中にふらふらと泳いでいるのは珍しいのではないだろうか。春だからいろいろなむしが騒ぐのかもしれない。撮っているとたまたまコイと並んだ。


2015.3.15(日)くもりのち晴れ ナズナのがんばり

 ナズナ

ナズナ(ぺんぺん草)はつまらない花の代表格だ。つまらない花でもいっしょうけんめいに咲いているとたとえられる代表格でもある。むろん私はナズナがつまらないとも思わず、ましてや懸命に咲く可憐な花とも思わない。長寿と巨体を誇る杉とか花の中の花として国民的ヒーローである桜と同ランクのものとしてみている。雑草好きな私があえてナズナを語れば、日当たりの良い田畑の脇に咲く白い花ということになる。

私はナズナがなぜつまらない花なのかを理解している。それは白く小さいからだ。牡丹のように豪勢であればつまらないとは思われない。私はナズナがなぜがんばって咲いているのかを理解している。それはナズナの花を見る人ががんばったからだ。ナズナ程度の花だと花と認識するのにいくぶんか努力を要する。通常の人が努力までして花を見るからには心に無理強いをしているのだ。ちょいとした努力で見つかったものは価値あるものだ。花ががんばっていると思うならば必ずそう思う人ががんばっている。すくなくとも尋常ではない心持ちにある。高揚しているかもしれないし、落ち込んでいるかもしれない。そのいずれでもナズナに気づくだろう。

さて、あらためてナズナをうまく表現しようとすると、かなりのがんばりがいる。そのがんばりは「懸命に咲いているなあ」などととぼけた感想をもつていどものではだめだ。芭蕉はあの有名なナズナの句で尋常ならざるハイテクを駆使した。私は今日芭蕉にならってナズナの写真をものにしたいと思った。

ナズナは今日の写真よりも引いたサイズで認識される。畑の脇のうすぼんやりした白と緑のひとかたまりだ。群落のまとまりとして存在感があるほど密生したならば、ナズナらしさがない。まばらで気づかれない程度がナズナにはふさわしい。もしその程度のどうでもよさをそのまま写真にしたならば、たんなる畑の脇という写真になろう。せいぜいが春の雑草ってなもんだ。

白い花の写真として見られる程度には花が写っていなければならない。かといってアップにしすぎるとナズナではない。花の細部まできっちり見えるぐらいだとちゃんとした白い花、名も知らぬきれいな花という写真になってしまうからだ。ナズナらしくつぼみがあって花があって、ぺんぺん草のいわれとなる実になりかけの部分があって・・・よく見たときにその細部が認識できるぐらいのアップでなければならない。

写真だとまあ中途半端なしろものである。だからこそナズナの写真だ。私が語ろうとしているナズナのナズナらしさは、テレビの表現であればズームインとパンダウンで簡易にこなせる。


2015.3.16(月)くもりのち雨 コブシのかんちがい

 コブシ

写真は近所のまばゆい街灯である。蛍光灯がLEDに変わって近所の街灯が眩しくてしようがない。眩しいのにけっこう暗い感じがする。理不尽だ。LEDでも、もうちょっとましな光源にできるだろうに。目に焼き付きができるたびにそう思う。

昨日の帰宅は深夜11時になってしまった。そんな時間にわざわざ写真を撮ったのは、街灯に照らされて白い花が見えたからだ。これはコブシである。毎年早春に花をつける立派なコブシだ。

花は2個だけである。この光景を見た瞬間にLEDの街灯とコブシの開花に思いが至った。「街灯のせいでコブシの開花が早まったのではないか?」そういう仮説を手に入れたのだ。ひとまず記録に残しておこうとスマホで撮った。

そして今朝はくもりである。あいにく曇り空では開花状況も確認しづらい。写真の2個以外にも花はありそうに見える。ただほかにあったとしても今朝になってようやく咲いたという可能性は残る。それよりも胸に手をあてて冷静客観に評価するならば、私の早とちりの可能性が高い。昨夜はたまたま街灯の光があたっているところの花だけが目立ったのだろう。ひとまず曇り空でも記録はとっておくべしとスマホをかざせば、バッテリー残量不足でカメラが強制終了になった。


2015.3.16(月)くもりのち雨 境川のヒヨドリ

 ヒヨドリ

境川の白旗休憩所に座るとすぐに野鳥が集まってくる。ここでおにぎりを食いつつ鳥に分けてやることが習慣になっている。鳥たちもそのことを知って集まってくるのか。もしかしたら鳥たちは白旗休憩所で待機しているのかもしれない。鳥に餌をまく習慣をもつ人は少なくないようなので。

写真は私の半原1号に止まっているヒヨドリ。飯粒がこぼれれば先駆けてかすめ取ろうと見晴らし良い場所で待機しているのだ。私との距離は2mあまり。ヒヨドリがここまで近づいてくるのはこの冬からだ。まいた飯粒にはもっと寄る。スズメよりも近く大胆に寄るようになって来ている。

そもそもヒヨドリのDNAはヒトに近づくことを避けるように命令しているはずだ。大きくて強力な動物はヒヨドリにとって総じて敵だ。実際私は昭和45年ごろまではヒヨドリの敵であった。あわよくば捕まえて食べる対象だったから。そのころヒヨドリは山の鳥であり人家の近辺で見ることは稀だった。

DNAが有する障壁を乗り越えるためには個体の創意工夫が必要だ。私の自転車に止まっているヒヨドリは、その工夫を持っている。ただし、それは個体オリジナルの創意によるものとはみなしがたい。やはり、スズメの群れ、他のヒヨドリの行動から学んだものだろう。野鳥の群れ行動は野鳥文化と言えるものだ。白旗休憩所付近の、スズメ、ヒヨドリ、ムクドリたちは人から食べ物をもらう文化を共有しているのだ。

人は文明の中で生き、個々人が剥き出しの自然と対峙することがない。そこがヒトの強みである。野生動物もヒトとはレベルが違うけれども文明を持つ。文明というのは言いすぎだが文化を持って生きている。彼らにはそうした文化を発達させるだけの動機がある。より楽して生き残ることだ。

写真のように自転車に止まられるのはちょっと迷惑である。うんこを自転車に落とすからだ。私はヒヨドリの糞を嫌がる程度に狭量であり、ヒヨドリを追い払わない程度に寛容である。文明動物の極致にある人類としての余裕であろうか。チタニウムで作られる半原1号は文明の利器である。きれいに舗装された道路があれば楽して移動できる。自転車のエネルギー効率は鳥類を凌ぐらしい。


2015.3.19(木)くもり一時雨 冬のクロナガアリ

 クロナガアリ

深夜から時折雨の降る天気だった。気温は低くない。今朝庭に出てクロナガアリの巣をチェックすると数頭の働きアリが外に出ている。雨でしっとり濡れた地面で土塊を運んでいる。けっこう活発だ。

この冬は1月の初旬まで巣外の活動が続いていた。むろん毎日ではなく断続的なものだ。冬季の活動は条件のよい日に限られる。入り口付近が凍ると出てこない。巣の出入り口はときおり塞がれた。それはアリたちが自発的に閉ざしたものには見えなかった。雨雪であったり霜柱であったり、そうした自然現象によるものだった。そして1月の中旬から2月終わりまで1か月あまりは外に出ることはなかったようである。

いま春を迎えて暖かくなり巣外の活動を再開している。先日はササガヤの種を集めているものもいた。その様子は秋の行動と変わりない。ただし、集めるべき種はあまり残っていない。これから先は活動好適温に恵まれる日も多くなるだろう。しかし、種がなければ外を徘徊する意味もない。そうなれば自発的に巣口を閉ざすはずだと予想して観察を続けている。


2015.3.21(土)くもり 春分

 清川村

明日は春分の日、一年の始まりのめでたい日だ。というわけで何をおいても半原越に行かなければならない。昨日の夜からそう決心していた。目が覚めたのは7時半。普段ならそこからもう眠りにつくことはできないのに、今朝はあと2時間眠ることができた。ちょっと疲れがたまっているこの頃だ。

10時を大きく過ぎてから半原1号で半原越に向かう。天気は曇り。東から冷たく湿った風が吹いてくる。これはまさしく天気予報通り。冬の装備で出てきたのは失敗ではなかった。

写真は半原越をのぞむ麓の清川村。里はいつもの春をむかえている。散り残った梅なんかがきれいだ。足元のコツボゴケのグリーンがみずみずしい。ウグイスが縄張りを宣言している。いろいろなところで林が切り開かれ、新しい道路ができている。しばらく遠ざかっているといろいろ変わっているところに気づくものだ。

今日は1回だけ登って帰るつもりだった。シーズン1発目で調子も上がっていないだろう。冬の境川練習で登りが上手になっていると錯覚するほど脳天気ではない。最適ギア比を意識して普通に回して走る。ゴールして区間4のラップを見れば6分40秒。そのタイムから概算すれば22分半ぐらいだろう、まずまずだなと思った。犬走りが決まっていると感じるところも少しはあった。それで降りてもよかったけれど、早春の林道に後ろ髪を引かれハーフを1回だけやった。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'47"4'47"+1414.8-73180
区間210'24"5'37"+3312.6-69181
区間315'42"5'18"+1313.4-65188
区間422'25"6'43"+2510.7-62192
全 体+8512.7-67185

半原越は葉よりも先に咲く木の花の盛りである。フサザクラ、キブシ、ハンノキは幾度撮っても全然うまく写ってないような気がする。地面から萌えるものだとテンナンショウもうまく写らない。TG-1のマクロのオートフォーカスが壊れてきているようなのは単なる気のせいだろうか。これもまた難しいカヤの花を撮っていると登ってきた自転車乗りに「何か動物でもいるんですか?」と声をかけられた。今日は7人ばかりのロードとすれ違った。春分である。


2015.3.22(日)晴れ一時雷雨 モンキチョウとモンシロチョウ

 境川

天気が良く気温が上がっている。半原1号で境川に乗り出すと南の風を受けた。風力階級でいう和風程度。北の低気圧によるものか海風か。境川では春から夏にかけてけっこう強い海風が入ってくる。

今年はじめてモンキチョウを見る。モンシロチョウかモンキチョウか、どっちを先に見るかは例年の楽しみだ。モンキチョウの白いタイプはモンシロチョウによく似ており、自転車で走りながら2秒程度見ただけでは確実に判別できないことがある。ただし今日のは確実にモンキチョウだった。なにしろ黄色だから。子どもの頃に心の中で黄色いモンシロチョウと呼んでいたやつだ。

続いてモンシロチョウも見る。畑の上で2頭がからんで舞っている。求愛のダンスかもしれない。モンシロチョウは今日の陽気でいっぺんに羽化したのだろうか。春分を過ぎてからのモンシロチョウ初見は遅れた方だ。モンシロチョウの羽化が遅れたのではなく、晩冬の陽気のよい日に遊べなかったせいだと思う。私の運が悪かったのだ。

写真は境川。いかにも雑然として面白くもなんともない神奈川の郊外である。モンシロチョウやモンキチョウはこういう景色によく似合う。あまりに整然とした畑地も、逆にごみごみした住宅地もこの蝶には合わない。半原越のような林道脇にも似合わない。畑と住宅と林とが無秩序に混在する場所がいい。


2015.3.23(月)晴れ一時雨 通り雨

仕事を終え外に出ると風が強く小雨が混じっていた。変な天気だと思う。昨日は一日晴れと予想していたのに午後雷雨があった。突風も吹いた。静岡では竜巻である。今日も寒気が入って冷たい風が吹くことまでは予想していたが雨は想定外だった。

東京で仕事をしているのだから雨用の靴も買わねばならない。子どもの頃によく使っていた安物の雨靴はどこの靴屋にも見あたらない。いっそ高級な登山靴みたいなものにしようかと迷っている。買い物は苦手だ。中央林間駅前のお菓子屋でゴールドミックスという堅果の詰め合わせを買った。値段を確認せずに買ったら410円で、けっこう高いなと思った。3つまとめ買いすれば1000円以下の表示があったことを思い出した。

19時ぐらいでも空はやや明るい。日が長くなってきた。西の空には細い月がかかっている。オリオン座はやや高いところにあり、木星は天頂で光っている。


2015.3.28(土)晴れ 心拍計で半原越

 キブシ

心拍計をつけて半原越に行くことにした。ちょっとはトレーニングじみたこともしなければと少し焦っている。

いつもの棚田に腰を下ろしてアイスとコーラ。アイスを食べることに全くためらいが生じない。今年初だ。それほど気温が高い。

田んぼの上には大きな黒い虫。冬眠からさめたクマバチだ。花の蜜を探って低空飛行をしている。重そうに飛ぶ。花に止まるとやっぱり重いんだと思う。ナズナやオオイヌノフグリ程度では満腹にならないだろう。

さて肝心の半原越は「やっちまった」感が強い。区間1で心拍数は180bpmを越え、区間4では息も絶え絶え、7分をオーバーしてしまった。登りでは禁じ手の序盤オーバーペースになってしまった。死ぬ覚悟のTTならそれでもいいかもしれない。今日はそんな暴挙を企てたわけではない。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'26"4'26"-716.117173201
区間29'52"5'26"+2213.318370192
区間315'23"5'31"+2613.218369177
区間422'34"7'11"+5310.118361174
全 体+9412.818367183

自分の失敗をよそに半原越はすばらしい活気に満ちている。足元からは地味なチョウが自転車を嫌がってつぎつぎに飛び立つ。今年もテングチョウが多い。去年やたらと目立ったチョウだ。占有行動をしているとおぼしきオスを撮影しておいた。クモは巣を張り、トカゲは轢かれて死んで、タヌキが道路を横切り、コケが萌え、キブシは花魁の髪飾りのような花を咲かせている。

帰りに寄り道して春のご機嫌伺いに善明川に行った。流れを覗き込めば水中はまだ冬の装いだった。水草には赤っぽいコケがびっしりついて流れに揺れている。このコケが消滅して水草が葉を広げれば善明川は一年で最も美しい季節をむかえる。田んぼの水が流されるまでのつかの間のまほろばだ。上手く写らないのを承知でオイカワの群れを撮った。やつらは敏感でなかなか撮らしてもらえない。とくに大きくて立派なのがセンシティブだ。びくびく生きてきたから大きくなれたのか、大きくなればびくびくするのか、そんなことを思った。


2015.4.4(土)くもり 低ケイデンス

 ヤマザクラ

半原越には桜が多い。ヤマザクラはきれいだ。遠目にぽつぽつとたくさん見える。ソメイヨシノは道ばたにいくつか植えられているものの、樹勢がわるくきれいには咲かない。ソメイヨシノは人にかわいがられていないと機嫌を損ねるのかもしれない。ヤマブキの黄色が目にあざやかだ。地面の花はスミレがいくつか咲いている。来週にはムラサキケマンなんかも目立ってくるだろう。

今日はまず回して走ろうと決心していた。最小ギアのリア23Tを使うことをためらわない。平均して1.3倍のギアで76rpm回し23分ぐらい。ここまで回すとけっこうしんどい。区間4の185bpmがそのしんどさを物語る。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'54"4'54"+2114.315978166
区間210'35"5'41"+3712.617676183
区間316'06"5'31"+2612.917880176
区間422'51"6'45"+2710.818572186
全 体+11112.517576178

ふと重いギアを使ってみようと思いついた。じつは私にはぬぐい去れない妄想がある。重いギアをぐいぐい踏んでびゅんびゅん走る自分の姿だ。ハイケイデンスでひょいひょい登るよりもずっとそのほうがうまくいくような気がしている。あくまで想像上のものに過ぎず、じっさいやってみれば3分後には力尽きた自分を発見してきた。そのたび妄想は妄想に過ぎないとあきらめたのだった。

それでも今日またそれをやってみたくなった。36×23Tは約1.5倍のギアだ。それを最小としてハーフをやってみる。ケイデンスは60rpmにも届かないが、区間3が6分、区間4が7分。2回やって2回ともそのタイム。平均心拍数は170bpmで非常に楽だ。回すよりも楽な感じがある。むろん楽なぶん1回目のタイムよりも45秒も遅い。しかも、もう少しでもスピードアップをはかるならば一気に反動をくらうのは確実な気がする。

私は競技選手ではない。体は衰える一方で年々弱くなっている。衰えに合わせた走り方をしなければならない。低ケイデンスはその候補だ。半原越を24分で走る場合、60rpmのほうが70rpmより楽ならそれでいい。ゆっくり回すことでペダルにかける力を十全に推進力に変えることができるのかもしれないのだ。


2015.4.5(日)雨 境川の桜

 桜

境川にも桜の名所がある。今日の写真はその名所。大きなソメイヨシノがトンネルを作っている。川岸にある桜並木は川に向かって枝を伸ばしているものが多い。おそらく水面の反射光を求めているからだろう。花はすでに半分散って、今日は雨。この桜を見物する人も少ない。

すでに習慣化した日曜午前の境川。チネリは濡らしたくない。半原1号で出かける。正直言って冬の雨はつらいこともある。やはり濡れると寒いのだ。4月になってそのつらさがなくなった。

境川に出るとすぐにツバメの群れを見た。雨の中でしきりに川面すれすれを飛び交って虫をあさっているようだ。雨の中でも虫は飛ぶと見える。ユスリカあたりだろうか。私には全然見えない。思い返せばツバメは今年の初見だ。ずいぶん遅れた。油断していたのだろうか。

もう10年以上も前のことになるが、わが家の玄関にもツバメが巣作りの物色に訪れたことがある。ツバメは水田がある環境でなければ住めない。水から生まれる虫と泥が豊富に必要だ。ツバメは特例としても、わが家の周辺からは多種の虫が消えている。私が生きているうちにあの頃の環境に戻ることはないだろう。

自転車は引き脚のかかりを重点に練習した。同じ出力でも妙に脚が痛くなったり呼吸が苦しくなって続けられない走り方がある。踏み込みだけで走るのはダメだけど、引き脚の使い方を間違えるともっとダメだ。

帰宅してまずは洗車。フレームにもスポークにも桜の花びらがいっぱい貼りついている。雨の中を走れば洗車は必要だ。そうでもしないかぎり自転車を洗わないのだから、雨は歓迎すべきものだ。

風呂に入って庭のタネツケバナを摘んで、種を飛ばすバネ仕掛けを確認した。


2015.4.11(土)雨のちくもり いろいろ萌える

 萌える

午前中の雨は冷たくてちょっと出かける気にならなかった。予報でも予想でも雨は午後には止むはずだ。止まずとも小降りになれば半原越に行くことにした。それまでは庭の撮影とチェーン磨きだ。

写真は今朝の庭。ハルジオンやヤエムグラが葉を広げてきれいになってきた。もっと密集感があればよいのだけど、日当たりの悪さと落ち葉の堆積が障害になっているのだろう。きっと落ち葉の影では種が芽吹かないのだ。もしくは芽吹いても成長できないのだ。庭には空っぽの田んぼ水槽をセットしている。いつもより早く泥を入れ水を満たした。水に手を入れて水槽壁の泥を落とそうとして水の冷たさに少々とまどった。

今日の走り方は決まっている。低ケイデンスで一歩一歩確実に登るのだ。しかも1時間ぐらいは続けられるぎりぎりの力で。ギアはフロントを36Tにした。リアは23Tまでしかないから、全般で20%ぐらいの所はシッティングで回しきれない。そこはためらわず立ちこぎを使う。ただし攻撃的な感じではなく一歩一歩確実に登るのだ。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'59"4'59"+2614.116266165
区間210'30"5'31"+2712.817861180
区間315'51"5'21"+1613.218160178
区間422'23"6'32"+1411.018856194
全 体+8312.717860180

区間4の6分半は終盤まで余力があったことを示している。心拍数は188bpmと高いが、呼吸ができないとか体が痛いとか目の前が暗くなるとか、もろもろのギリギリ感はなかった。タイムは先週よりも良くて体が楽だ。もしかしたら登りの最適ギア比というものは体重と斜度だけで決まるのかもしれない。もし体重60kgの怪物が半原越を走ったとしても、今日の私と同じギア比でケイデンスだけが高いのではないだろうか。ギア比を落としてプロのケイデンスに合わせるのはいたずらに苦しいばかりではないのだろうか。そんなことを妄想した。

 萌える半原越

春、雨上がりの半原越はあきれるほどきれいだ。花も木もアスファルトもコンクリートの壁も絵になる。あれもこれもとたくさん写真を撮ってしまった。OLIMPUS TG-1は風景に向いたカメラではないけれど。

霧が晴れつつある丹沢の深い山肌に鮮やかなライトグリーンの塊を見つけた。標高にして800m程度の斜面に間をあけてぽつぽつと4つばかり確認できる。単に萌えた樹木といってしまえばそれだけのことだが、あれはおそらくブナであろう。この季節に他の樹木に先駆けてライトグリーンに萌えるのはブナしかない。数キロ先のブナを見つけることができるのは今だけだ。


2015.4.12(日)晴れのちくもり 半原1号割れる

昨日のこと、半原1号に違和感を感じていた。ハンドルに体重をかけて押し引きすると、やけにしなるのだ。はて、このハンドルはこんなに軟だったろうか?と疑いつつもそのまま走ってきた。そのときはフレームが割れていることに思いがいたらなかった。

フレームの割れに気づいたのは今朝だ。一度割れて溶接修理した部分がぱっくり割れている。フレームの半周ぐらいにあたるだろう。やはりこの部分は力がかかって歪む部分であり、チタンのパイプが薄すぎるのかもしれない。ともあれ2度目とあってはもう修理は諦めた方がいいだろう。とりあえずナカガワを降ろして境川に行くことにした。

半原1号とナカガワではずいぶん感触が異なる。セッティングもちょっとちがう。ナカガワのほうがハンドルのブレーキブラケットが高く近いのだ。半原1号はシマノ105のブレーキブラケットの上を持つ犬走りと立ちこぎに合わせる攻撃的なセッティングだ。このところ半原1号ばかりを使っていたこともあり、ナカガワに慣れるのに時間がかかった。

昨日とちがってよい日和である。北東のひんやりする風がやや強い。モンシロチョウが本格的に飛び始めた。田んぼでは半雑草化しているレンゲが咲いている。1匹だけイワツバメを見る。境川では初見かもしれない。ここで繁殖するのだろうか。

走っていても気になるのは半原1号のことだ。半原2号は八幡浜に置いてある。半原1号の代車はとりあえず黒パナしかない。25年前に通勤用に買ったクロモリじゃないかもしれない廉価版鉄レーサーだ。すでに半原越タイムトライアルへの執着はなくなっている。近々ハルヒルにも出場するのだが、もとより勝ち負けするつもりはない。ただ、鉄の自転車は重くて輪行がつらい。かといって軽量なカーボンを乱暴な私流輪行に使うと傷ができるのが嫌だ。あわてて新フレームを買わない方がいい。黒パナでハルヒルも行って半原越に通うのがいいだろう。まさかこいつを登りの試合で使うようになるとは。いろいろな玉突き現象で思いも寄らぬことが起きるものだ。


2015.4.18(土)晴れ 黒パナで半原越

 萌える半原越

半原1号が割れたもんだから、黒パナで半原越ということになってしまった。室内トレーニング用仕様から変更するひまがなかった。ホイールだけはデュラエースにしたものの、シフトレバーはカンパのフリクションである。

いつもの棚田から向かいの山をみれば、ヤマザクラとおぼしき木の花が満開である。清川村のヤマザクラの季節は終わっているものと思い込んでいたから少し驚いた。思い返せば山形の山中では5月のやや汗ばむ頃にヤマザクラが満開だった。ヤマザクラの季節は長いのだろう。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'43"4'43"+1015.116169189
区間210'06"5'23"+1913.317664190
区間315'25"5'19"+1413.417866188
区間422'03"6'38"+2010.918458194
全 体+6313.017664190

黒パナは半原1号と比べてもなにか悪いということがない。普通に走って普通に登れる。少しばかり重いというだけのことだ。タイムもこの春一番だった。

写真はいつも昼食をとっている沢の向かいの山。ここは一年中あきれるほどにきれいだ。足元に芽吹いたイタドリを見つけて一つ食ってみた。やや薬品っぽい苦みがあった。杉の枯葉が堆積する富栄養の沢筋だからだろうか。イタドリはやせた場所のほうがうまいのかもしれない。


2015.4.19(日)くもり 黒パナで境川

 黒パナ

今日の境川は黒パナで行くことにした。パーツの組み合わせがいまいち決まっていないからだ。何時間か走って具合をみるなら日曜午前の境川が最適だ。昨日の半原越とはハンドル回りとチェーンホイールを換えてある。ハンドルはまずまずいい感じだ。修正するならばブレーキレバーをあと5mmほど前に出すぐらいだ。登り用だから腕を下げる必要はそれほどない。ブレーキブラケットを握ったときの押し引きがスムーズに行くかどうかが問題になる。クランクは165mmでフロントの2枚は45T、26T。ツーリング仕様だ。これはこれで悪くはないがやっぱり半原1号のギア比のほうがよさそうだ。

こうやってみるとけっこう精悍な感じがする。もともと札幌で通勤に使っており、東京に転勤して自転車通勤できなくなってからは八幡浜に置いて年に1回ぐらいの割合で山中を走っていた。ぼろだけど愛着のあるフレームだ。むろん今でも境川だろうが半原越だろうが走るぶんには問題ない。

 ナズナ

黒パナを撮るついでに足元の花だの蛾だのを撮った。TG-1は接写に強い。ただしオートフォーカスで液晶モニターなもんだからピントがあっているのかどうかが心許ない。老眼で液晶モニターなんて見えやしないのだ。

なにげに撮ったナズナ。春爛漫で開花期をすぎ充実期にはいっている。こうしてナズナは一世代ずつ進化を遂げていく。

ナズナの実を見て人類滅亡のことに思い至る。おそらく人類の末期はのどかな原始時代の様相であろう。文明は滅んで人々は小さな村を作って細々と生きるのだ。地球上に分散しているヒトは相互に連絡をとるすべもない。人類を脅かすような捕食動物はいないが貧しい。疾病や飢餓で赤ん坊はどしどし死ぬ。そして最後の1000人ぐらいになり人類滅亡が確実になったときも当人たちはその生命史の大事件を知ることがない。単に個々人の命が絶えいくつかの村が滅ぶだけだ。そこに映画や宗教が予言する悲壮感は全くないだろう。

というようなことを考えてナズナを撮った。黒いアブラムシがびっしりたかっているのが面白かった。パソコンモニターで見返せば運良くアブラムシにピントが来ている。つづいて水滴が見つかった。水滴がついているのは蜘蛛の糸だ。最初は糸の粘球かと思った。しかし徘徊性のクモの足場糸に粘球はない。今日はぱらっと雨がきたもののナズナを撮っているときには降っていなかった。雨でもない。しばらくしてふとアブラムシの甘露に思い至った。たぶんそれだ。


2015.4.20(月)雨 ワカバグモ

 ワカバグモ

どうもモッコウバラというのは苦手な木である。花の写真を撮ってもうまくいったためしがない。私の撮ったモッコウバラはどういうわけか本物の方がずっときれいなのだ。もともと花はきれいなものできれいに撮れて当然だと思うが、私の庭の各種花々は本物よりも写真の方がよいものが多い。とくに細かいヤツは圧倒的に写真の方がよい。大きくてもムクゲやツツジなら写真が勝ることがけっこうある。

そういう被写体としての不満、ある意味逆恨みもあってモッコウバラは嫌いだ。この花には虫も寄らない。虫も寄らないのに今朝はワカバグモが花で待機していた。ワカバグモは今季初見であるが、よりによってモッコウバラの花だった。おそらくワカバグモはモッコウバラの花を花と認識している。花だから獲物が集まってくるという発想はないだろうが、花を花として花で待っているはずだ。モッコウバラの花には虫がよらないけど。

モッコウバラの茎葉には虫が寄る。今はバナナムシがたいへん多い。モッコウバラの良さはバナナムシの餌になることといって過言ではない。バナナムシはけっこう敏感で写真に撮らせてもらえないからそれなりに良い被写体である。

先日のこと、庭のクサイチゴを見回っていたら頭上から虫の羽音がする。聞き慣れない音だけど羽音には間違いない。はて何の虫だろうと探ってみれば、音のする方向にバナナムシがいた。モッコウバラの葉裏に止まったまま脚を踏ん張って翅を強くばたつかせている。何かのディスプレイか?とよく注意してみれば、交尾だった。♂♀がつながったまま、片方が翅をふるわせているのだった。


2015.4.22(水)はれのち雨 虫の息のアオオサムシ

 アオオサムシ

庭で虫の息になっているアオオサムシを見つけた。これにはちょっと驚いた。うれしい驚きだ。美しいけれどアオオサムシはけっして珍しい虫ではない。10年ぐらい前には近所の林にたくさんいた。今でも半原越を走っていると頻繁に目にする。アオオサムシはいわゆる普通種である。それでも庭で見つかれば特別な存在なのだ。

アオオサムシが最後に庭で見つかったのは2002年3月30日である。実に13年ぶりの再発見ということになる。

今回奇妙だったのは発見時すでに虫の息だったことだ。目立った外傷はない。なんらかの事故なのか自然死なのか判然としない。アオオサムシのことだから越冬個体のはずだ。近所で冬を越えた個体が春の日にさまよって私の庭を訪れ、ここで息絶えようとしているのだ。


2015.4.25(土)はれときどき雷雨 雷雨の半原越

 黒パナ

じつは体の調子はいまいちだ。背中を伸ばして力を入れることができない。背がなぜか丸まってしまっているのだ。それにちょっと疲れ気味。天気はよくて暖かいのに気分がうかない。

いつもの草むらで新緑の半原越をバックに記念撮影。自転車は半原1号のパーツを移植して仕様が固まってきた黒パナ。フロントはトリプルでリアは9s。10sにもできるけどなんとなく9s。黒パナは半原1号にくらべてシートチューブがねているように思える。サドルの角度をいじらずに取り付けたから1度ぐらい前上がりになっているかもしれない。そうだとしたら背が丸くなるわけもわかる。

私の不調はさておいて清川村はうるわしの初夏だ。この草むらにはいろいろな虫が飛んでいる。今日のトピックはウスバシロチョウ。わずかな時間に3匹ばかり見た。今年もけっこう多いような予感がある。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'43"4'43"+1015.3-66184
区間210'06"5'23"+1913.8-63183
区間315'28"5'22"+1713.9-63184
区間421'55"6'27"+911.2-54191
全 体+5513.4-61185

今日の記録は参考値。区間2と区間3のデータがとれなかった。ラップボタンのかわりにストップボタンを押すという痛恨のミス。そんなことをやっちまったのは心拍計が誤動作していたからだ。それが気になってボタンを間違えた。

ハーフを3発やったところで雷雨が来た。雨が降り始めて雷鳴が轟く。そこでまよった。雨宿りをしてやり過ごすか、雨の中を走り続けるか。雨の中を下ったら登り返す気にならないと思った。雨がけっこう冷たいからだ。雷雨の雨滴は氷が解けたものだ。しかも雨は上空の冷たい空気も連れてくるだろう。濡れた体で下りはつらい。一度雨宿りをして運良く雨が止んだらあと1、2回登れるだろう。

区間4の道路脇の林にほどよいモミの大木がある。小一時間の雨宿りはできそうだ。枝振りを見て雨粒の落ちてこない所を選んで座り込む。雷は近く雨は激しさを増していく。左手の広葉樹に誰が取りつけたものか鳥の巣箱があった。枝葉が受けた雨粒が集まって木の幹をつたって巣箱にあたり、巣箱の側面からしたたり落ちる。見つけたときはぽつぽつと垂れていたのがやがて途切れなく流れ落ちるようになった。モミの大木とはいえ多少は体が濡れる。真夏用の出で立ちでは凍えてしまう。なるべく風を受けないよう体を小さくたたんでぶるぶるふるえるぐらいしか身を守るすべがない。思えばこの手のつらさはもう20年以上も体験していない。

この雨は私にはつらいけれど、あいつらには恵みの雨だとふと思いついて、あいつらって誰だっけ、とその正体が不明で苦笑いをしてしまった。30分ほどそうしていると巣箱の雨だれが途切れるようになった。小降りになってきたようだ。周囲の様子を見聞きする限りでは雨の降り方に変化がない。巣箱は信頼に足る雨量計なのか。しばらく鳴きやんでいた鳥たちが歌い始めた。ウグイスやセンダイムシクイの声にこころなしか山が明るさを取り戻していくようだ。雨は降っているけど出発することにした。

下り始めるとすっかり冷え切った体が雨風でさらに冷えて耐久走の様相を呈してきた。でもそれは10分ほどのことだ。麓は気温がぐんと高いだろう。半原越を下り終える頃には雨が上がり、そこは天国のはずだという確信があった。

その予想は的中し、清川村の集落を抜ける頃には青空が見えてきた。やれやれこれでまた快適なサイクリングだ、と30分ほど走るとまた雷鳴。2発目が来ることは予想してなかった。程なくして雨は強く降り始めたが、そこは平地、しかも初夏、雨もまた風情だ。

帰宅してそそくさと風呂を沸かし湯船に浸かった。温かいお湯がありがたいなあとぼんやりしていると、雨の恵みをうけるやつのことを思い出した。半原越の道路に出ていたシーボルトミミズだ。半乾きになってアスファルトでのたうっていたものだから自転車を降りて谷側に転がしたのだった。私はきまぐれにその手のことをしている。乾いた体に水をかけてやろうとしたけれど、持っていたのはコカコーラだった。しばらく雨も来そうにないから1時間後には乾いて死んでいるかもしれない。でも道路に放置すればもって3分、車でも来れば即死、二次被害のないそこで虫の餌にでもなってくれ、と放置していたのだった。あいつはこの雨でもうちょっと長生きできたかもしれない。


2015.4.27(月)はれ タネツケバナにつくアブラムシ

 アブラムシ

タネツケバナに赤いアブラムシがたかっている。初夏の庭はアブラムシの季節である。アブラムシは種類によって好きな草があるらしく、毎年のように同じ草には同じアブラムシがつく。ただしちゃんとアブラムシの種類を区別できているわけではない。ムクゲには黄緑のアブラムシ、カラスノエンドウには緑黒のアブラムシ、ツユクサには青のアブラムシ、タネツケバナには赤のアブラムシ、というように色と形で漠然と見分けているに過ぎない。もしかしたら同じ種類のアブラムシが、とりつく草によって色が変わったりすることがあるのかもしれない。

タネツケバナの赤いアブラムシにはちょっとした心配事がある。サヤのバネだ。うっかりバネに吸い付こうものなら、ある日ある時ピンッとはじき飛ばされるのがオチだ。じっさい、アブラムシを撮影しようとして私が種を飛ばしてしまうことも多い。勢いよくはじき飛ばされたアブラムシは戻るのに苦労するのではないだろうか。

それにしても庭のアブラムシたちの増殖ぶりはあきれるばかりだ。一本の草枝にびっしりたかるアブラムシたちは元は1匹だったのだろう。その1匹はどこで冬を過ごしてどうやって新芽を見つけたのだろう。翅のある成虫がどこかの物陰でひっそりと一冬を過ごしたのだろうか。


2015.4.30(木)はれ 鳥獣戯画を模写

 模写

写真は家族総出で模写した鳥獣戯画である。鳥獣戯画はずいぶん前に学校の教科書で見たことがあった。平安ごろのいわゆる漫画らしいのだが、ストーリーがさっぱりわからない。何を描こうとしているのか意味不明だ。なんでカエルやウサギが相撲をとるのか、そのシーンを見て誰がどう面白がっていたのか。なんでその程度のものが国宝になったのか。いろいろ突っ込みどころの多い鳥獣戯画である。

昨日のこと、女房子供が鳥獣戯画の展示会を見物したついでに図版の入った厚い本をゲットしてきた。中を見れば、その絵の技巧は確かにすさまじいものがある。作者は複数らしいが、トノサマガエルのデザインは秀逸であるし、ウサギの骨格や体の柔らかさの表現が絶妙だ。もうちょっとましな絵にその技を使えよ、という突っ込みはおいといて、今日の日本漫画の隆盛を予言するかのようなできばえである。しかもいまの漫画と違って、構図を一気に決めてさらりさらりと下書きも修正もなく筆を進めたにちがいないのだ。

これはひとつ真似する必要があるだろうと親子で筆ペンを取り出して模写したのが写真。模写に飽きて我が家の飼い犬も登場した。鳥獣戯画のカエルとウサギの相撲の見物人にうちの犬がいたらこうだったろうという想像画。

「原作家はカエルに投げられたウサギをどこから描いたか?」というのが娘の質問。私の解答は「顔の輪郭、右足のすね、背中」。娘の考えでは「右足のすね、背中、顔の輪郭」。娘は、最初は顔かと思って描いたが、それではどうにもバランスがとれなかったという。それを聞いて私は意地でも顔から描いてやろうと思った。最初の予想に従って、顔、右足、背中の順に描いたのだが、頭部が小さくなってしまい投げられたウサギの表情に力強さがなかった。


2015.5.2(土)はれ 黒パナで境川へ

 黒パナ

この3日ばかり左ハムストリングにかなりの痛みがあった。夜中に痛みで目が覚めるほどである。針で突くというほど鋭くはないが、びりびりする痛みにしばしば襲われる。手で押しても痛い。原因は自転車か卓球だ。先週末に半原越に行って思いっきり引き脚を使ったときにビシッと来た。ただ後を引くことはなかった。火曜に卓球をしたのでそのせいかもしれない。

今日は半原越はやめて境川を流すことにした。ギアは36×15Tという軽々でぐるぐる回す。そういう走り方は久しぶりだ。

境川は夏である。南の風がけっこう良い感じで入ってくる。その風を使って凧揚げをする人々がいる。アカボシゴマダラを今季初見する。あれはしょっちゅうアサギマダラと間違える迷惑なチョウだが、今日はウスバシロチョウと間違えた。赤点がなく白い部分が多いタイプだったから。おっ境川にウスバシロチョウ!と喜んで2秒後にがっかりした。

一辺が20メートルほどの三角形の空き地をナガミヒナゲシが埋めていた。すでに大半は花が終わって実になっている。2週間ほど前はけっこう壮観だったかもしれない。ナガミヒナゲシのお花畑は奇妙だ。ナガミヒナゲシは乾いた荒れ地のパイオニアではあるけれど、他の雑草を出し抜いて優占する植物だとは思えないからだ。

さいわいハムストリングの痛みは発生しなかった。平均84rpmで110kmほど走った。


2015.5.3(日)はれ 日暈

早朝にいつものように天気の具合を見ていると、虫をくわえて不自然な動きをするメジロがいた。餌を運ぶにしては枝に止まっている時間が長すぎる。さては誰かに餌を渡そうとしているなとオリーブの枝を見れば巣立ち直後とおぼしきメジロのヒナがいた。ほとんど動かずオリーブの葉に紛れている。親は子の近くを飛び交いつつ餌で誘っているみたいだ。

 日暈

小さな高気圧が上空を覆い西から低気圧が近づいている。上空には巻雲がある。さあ、環水平アーク日和だとナカガワで境川。環水平アークは一度は見ないとおさまらない気象現象だ。日の長い今頃しか見る機会がない。こんな日中を無駄にしてはいけない。

残念ながら今日見えたのは普通の日暈(写真)。しかもお世辞にも見事とはいえないような代物だった。日が沈みつつあるいま、西の空を見れば幻日もある。惜しい日だった。ただし、よく考えてみれば環水平アークのできる条件をちゃんと知らないのだった。

白旗の休憩所でおにぎりを食っていてもスズメが寄らなくなった。せいぜい1、2匹といったところ。物欲しげな10羽ほどに取り囲まれるということがない。やつらも繁殖期でにぎりめしは興味の対象外になっているのだろう。親は虫を集めなければならない。イモムシ毛虫も多い季節だ。

環水平アークを狙って立ち寄った鷺舞橋から習慣的に湧水を見れば奇妙な筋が目に飛び込んできた。緑色の藻が幅20cmほどに削り取られているような筋が浅い水辺を走っている。巨大なナメクジが藻を食い這ったらこんな跡ができそうだ。ただあの藻を好んで食う生き物はいないと思う。コイや亀があんな跡を残せるだろうか。一体何者の仕業かとしばし考えたがさっぱり思い当たるものがない。ついでに湧水に目をやれば水の吹き出し口がすっかりオオカワヂシャに覆われている。そのオオカワヂシャにも不自然な痕跡がある。犬かキツネ程度の動物が転げ回ったようにオオカワヂシャが倒されているのだ。こちらの跡もどうやって作られたものか、見当がつかなかった。


2015.5.4(月)はれ デュラエース

 日暈

ナカガワにデュラエースをつけて境川を走った。昨日のホイールは20年使っている手組のものだった。半原1号で快調に使ってきたものだ。ナカガワで使ったことはなかった。一踏みして「硬い」と感じた。明確に硬すぎる印象だ。そういえば自分で組んだときは柔らかめにしていたが、近所の自転車屋で後輪だけ硬く組み直してもらったのだった。

ナカガワはレース用フレームでもともと硬い。硬いフレームに硬いホイールでは非力な私ではどうにもならない。それではと、ナカガワに柔らかいデュラエースをつけて走り、これならいけるという印象をもった。あらためてフレームとホイールの相性は大事だと感じた。

デュラエースは工場出荷状態のまま軽く初期振れを取っただけで調整はしていない。かなり柔らかいホイールで、半原2号に装着すると笑っちゃうぐらい走らなかった。極端に言うと砂浜を駆けているようなものだった。もしフレームが半原2号だけだったら、デュラエースをぼろホイールだと思っただろう。しかし、デュラエースと半原1号との相性は悪くなかった。半原1号もダウンチューブが割れてしまうぐらい柔らかいフレームだが、半原2号よりはずっと硬い。しかも半原1号は硬い手組ホイールとの相性も悪くないというよくできたフレームだった。

半原越で使うことにした黒パナは手組ともデュラエースとも相性は良い。鉄のフレームだけどけっこう柔らかいのだ。フレームの硬さの順位をつければ、ナカガワ>チネリ>黒パナ>半原1号>半原2号ということになるだろう。

かつてはホイールは全部手組で、硬さを調整して使っていた。今は完組ホイールばかりになって、自転車乗りが自分で調整することもないだろう。完組でも硬軟いろいろあるはずで軽くて高価ならいいというもんではない。友だちに借りた幅広スポークのフルクラムはものすごく硬かった。あれをナカガワにつけたらまるっきり走れないだろう。


2015.5.5(火)くもりのちはれ くたびれても半原越

黒パナのセッティングを確かめる必要もあって半原越。走り始めてすぐに空腹を感じた。腹ぺこで出てきたわけではないから体のエネルギーが枯渇しているのだろう。エネルギーを使用しても食えば一晩で回復するような立派な体ではないのだ。

スタートラインに立ったときから、いやそのはるか前から、だめだろうと感じていた。案の定、登りはじめても心拍数が上がっていかない。いつもなら170bpmぐらいになっているはずのところでも150bpm。しかも北よりの風が向かい風になる。区間1ですでに5分をオーバーしている。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間15'04"5'04"+3114.014959160
区間211'13"6'09"+6511.615755166
区間316'54"5'41"+3612.616155168
区間423'47"6'53"+3510.517348180
全 体+16712.016154169

弱った体はともかく半原越は夏だ。ツマキチョウはまだいる。テングチョウも生き残っている。ミヤマセセリだって生きている。ウスバシロチョウも飛び始めた。緑のアオオサムシも赤紫のセンチコガネも道路で光っている。路面にオトシブミのゆりかごが散乱している。センダイムシクイとヤブサメが頻りに鳴いている。姿を見ることはまずない鳥だ。

ハーフを2回だけやって久しぶりに半原側に降りてみた。がつんと降りてゆるゆる下る。やっぱりこっち側は苦手だなと思った。

半原側に降りたのは善明川を見たかったからだ。カワムツとウグイの姿はあったものの、水草にこびりつくどろどろの藻は相変わらずだった。あれは夏にもとれないのだろうか。善明川は回復不能な程度に富栄養化しているのだろうか。ちょっとがっかりしたけれど、私の好みに合わせて川が流れるわけではないと開き直った。

帰宅してデュラエース前輪のミシュランプロ3を外す。それほど使っていないのにゴムがはげてしまった。ミシュランは耐久性に難がある。ついでに後輪に目をやって唖然とした。25Tまであるはずのギアが23Tまでだった。今日の半原越は1枚重いギアで走ってしまった。タイムは変わらなかったと思うが。


2015.5.6(水)はれのちくもり 境川今田遊水地

今田遊水地

境川には立派な遊水地がある。境川のような河川敷のない都市河川では絶対に遊水地が必要だ。私が知っているこの15年ほどの間でも境川は数回氾濫している。もし遊水地がなければ大災害が起きるはずだ。

写真は建設中の今田遊水地。15年以上の歳月と目もくらむような巨費を投じて建設しているのは神奈川県藤沢土木事務所。単なる遊水地であれば1年もあれば完成するであろう。それをあえて掘ったり埋めたり貼ったりひっぺがしたりしているのは、ただの洪水防止スペースにしたくないからだ。

今年になっていよいよ神奈川県藤沢土木事務所の魂胆が明らかになりつつある。どうやら今田遊水地はカエル飼養所にする計画のようだ。浅瀬の造成等を見るならば、ツチガエル、ヌマガエル、トノサマガエル、ダルマガエルなどの激減しているカエルの生息地を作ろうとしていることが明らかだ。やつらには春から秋まで浅い水があり、水田雑草が茂る開けた水辺が必要だ。冬には越冬用の潜り込める土も必要だ。おまけに人工的な流入河川まで設けて水質を維持させるようだ。アマガエルやヒキガエル、アカガエルにはこんもりとした林が必要になるが、今田遊水地の計画に林はなさそうに見える。ピンポイントでトノサマガエル系を狙っているのだ。

従来の河川管理はカエルやヘビなどの虫けらの生息は全く考慮しないものだった。この100年ばかりの効率重視の開発で失われたものは計り知れない。神奈川県の河川池沼も全国の例にならって壊滅的な状況にある。常識的な見地では境川は単純な排水路でしかない。現状の河川と水田の状態では流域にトノサマガエルを生息させるなんてまず不可能だ。

両生類の種類と数は淡水環境の指標となる。未来型の河川開発に先鞭をつけるのが境川の今田遊水地なのだ。計画通り各種カエルが多産する遊水地になれば全国に誇れるものになるだろう。基礎部分の完成にはあと5年ぐらい、安定的にカエルが生息するまでにはそれから20年ぐらいだろうか。


2015.5.8(金)はれ TRPブレーキレバー

今田遊水地

シマノのSTIは30年ぐらい前に開発されたときは0.1秒を争う選手用の機材であった。その点では私にはSTIは必要がない。今ではSTIはものぐさ機材でもある。変速機の意味すら理解していない初心者でも楽に確実にシフトできるからだ。その点でも私にはSTIは必要がない。

かく言う私はSTIをSORA、105、アルテグラ、デュラエースと6セットも持っている。高性能を毛嫌いしてレトロな自転車に執着する奇人変人ではないのだ。

自転車を走らせていれば、ちょっとした状況の変化にしょっちゅう遭遇する。3%の登りが50mばかりの間4%になるとか、ちょっとした風の変化、3mの向かい風が団地の建物の影響で4mの横風になるとか。STIで組んでいない自転車ではまずシフトレバーに手を伸ばさないシチュエーションである。そんな場面で手元でカチャカチャとギアを変えるのは気分がいいものだ。うまく変速したギアが合えば名人気分を味わうこともできる。

だけどそれはそれだけのことで、それだけのことに高価で複雑なメカのシフトレバー組み込み式のブレーキレバーは必要ない。私は境川を走るときは一日3回ぐらいしかシフトしていない。

STIのブレーキレバーには独特の良さがある。レバーを握る感触がとてもいいのである。ちょうどブルホーンバーのような感じでレバーの上突起を握れるのが絶妙だ。それだけでもSTIを使う価値があろうというものだ。ところが、肝心のシマノがその上突起の有効性を認めていない。自転車の機材には不可解がたくさんあるけれど、その最上位にある不可思議の一つである。

ブレーキのケーブルは40年ぐらい前にはレバー上からむき出しになっていた。それをシマノはハンドルバーに巻き込ませるように変更した。それは単にかっこいいだけの改良だった。レバーの形状は旧式と変わらなかったからだ。おまけに旧来のケーブル差し込み口を尖らせるという奇天烈なデザインが採用された。私はケーブルが無くなったのだから、ブレーキレバーの上に手を置く握り方もできるようにしたほうがいいと感じたが、シマノに追従した全てのブレーキメーカーがそうしなかった。そしてSTIが発明されて、ようやく突起部が握れるように改良されたのだ。

そのデザイン的革新は単にブレーキレバーで変速するための機構を組み込む必要からのみ産まれたものだった。いわば必要悪が握りの改善につながったのだ。どういうわけかシマノ自身は握り革命を認めなかった。いまだに認めていない。ブレーキレバーは細くて短く尖っている30年前のスタイルが最高でSTIは発展途上の不細工なスタイルと決めつけているのだ。

私がこう断言するのは、未だにシマノは旧来型のブレーキレバーをデザインの変更なく製造販売しているからだ。日本を走っているドロップハンドル多段変速自転車の99%がSTIシステムを採用している現状なのに、なぜ旧式ブレーキレバーもSTIの形状にしないのだろう。

私はSTIのアルテグラやデュラエースを使ってみて、その握った感触を大変気に入っている。いくつか難点はあって、オーバースペックであることとブレーキレバーが内側に動くことが未だになじめない。それで、しばらく使ってはまた旧式レバーに戻すということを繰り返している。旧式レバーにもいろいろな形状があり、なんだかんだと一番感触がいいのは30年前、シマノがSTIをレースに投入し始めた時期のカンパニョーロのCレコードだ。Cレコードはあからさまな失敗作であるけれど、握った感触がシマノに近いからという俗悪コントのような理由で手放せないのだ。

当然のことながら、旧来式でSTI形状のブレーキレバーの登場を待ち望んでいた。そしてついに見つけたのがTRPのブレーキレバー(写真)である。飛びついて買って使って、とてもよく考えられたナイスなレバーという感触を持っている。自転車業界ではこの程度のものが登場するまで30年かかる。その理由は簡単だ。

競技選手でもない、初心者でもない、新し物好きでもなく、レトロ好みの奇人(すでに絶滅危惧種?)でもない自転車愛好家は存在しないことが前提になっているからだ。TRPのブレーキレバー(写真)を誰が買うかと想像してみれば、いるかいないかわからない幽霊のような人間になってしまう。私にだって、TRPのブレーキレバー(写真)を喜んで買いそうな人間の心当たりは皆無である。


2015.5.9(土)くもり 半原越へタニウツギを見に

とりあえず、まさにとりあえずという心境で黒パナに乗って境川に向かう。とりあえずという心境は天気が原因だ。雲が低く厚くぱらりと雨が落ちてくる。たいした降りにはならないはずだ。ところが、めずらしくも半原越で濡れるのは嫌だと思った。どういう心境の変化だろう。それで境川。

境川の白旗で一休みして思い直した。休憩所のタニウツギが満開だったからだ。そうだ、逆ルートで半原越のタニウツギを見に行こう。境川から引地川に渡り、湘南海岸に出て、134号線、小田原厚木道路側道、玉川、清川村のルートで半原越に向かう。

棚田

清川村でいつも休憩させてもらっている棚田(写真)に水が入っていた。まだ生き物の気配はしない。水に浮く泥のあぶくが妙にきれいだ。

こういう場所でしか生きられないやつらがいる。ミジンコ、ガムシ、ガガンボ、トンボ、カエル、ツバメ。人はときに特定の生物に生息環境を提供する。人が生産するついでにちょっと気を配るだけでそういうやつらは増えていく。やつらが増えれば愉快だと思う。その愉快さがいつか社会の主流となる可能性は不明。天井に蜘蛛が這い、ハエが室内をぶんぶん飛び回り、寝床にヘビが入り、ムカデに食われる心配をしなきゃなんない。賑やかで驚きが多く、ときに迷惑で、うざい。ぜんぜん異なる生命観を持つやつらと生空間を共有する暮らしの方が愉快だと思う。私が生きている間は日本社会がそういう気運になることはあるまい。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'49"4'49"+1614.6-69178
区間210'03"5'14"+1013.5-66193
区間315'11"5'08"+313.8-66193
区間421'31"6'20"+211.3-60198
全 体+3113.2-65191

半原越は夏の花の盛りだった。ミズキってやたらとあるんだなとこの季節に毎年感じている。春にはサクラばっかりじゃないかと感じるのといっしょだ。目的のタニウツギは3本ばかりなじみのものがある。いずれの花もきれいとはいえなかった。半原越はいまタニウツギの名所とはいえない。白い花が多いなかで、エゴノキはひときわ豪勢だが、まだ花を見てない。うっかり見逃したか、切られてしまったか。


2015.5.10(日)晴れ シマサシガメとクサイチゴ

シマサシガメ

いま庭にはシマサシガメの幼虫(写真)が多い。その原因はクサイチゴの繁茂によるものだろう。クサイチゴは並みならぬ思い入れのある植物で、できる限り増やそうとしている。ちょうどおいしい赤いイチゴができているところだ。そのクサイチゴの茂みにシマサシガメが住み着くらしい。

この程度のことは今ではインターネットで簡単に調べがつくようになっている。日本は昆虫愛好家が多い。シマサシガメのような地味な虫でもちゃんと調べて写真に撮って公開されている。

ちょちょいと数分で調べた成果では、シマサシガメは肉食で幼虫越冬、クサイチゴの茂みを好むとある。いま庭にたくさんいるのは5齢幼虫のようだ。私もこいつが口吻で虫を刺して食べている様子を観察したことがある。春の早い時期から小虫が見られるから、幼虫越冬も確かだろう。

ここから先の調査は自力で行わなければならない。シマサシガメの食性が肉食に限るならばクサイチゴにこだわる必然性が薄い。孵化直後の弱いときにはクサイチゴの汁を吸う必要があるとか、なんらかののっぴきならぬ制約があってクサイチゴの茂みに住むのだろう。


2015.5.11(月)晴れ 毛虫とクロナガアリ

タテハ幼虫

昨日、境川のセブンイレブン裏の水路で毛虫を見つけた。細く長い毛のタイプではなく、宝石サンゴのような形状の鋭い刺が体全体を覆うタイプである。一見して凶悪な感じがする。イラガタイプの毛虫だからだ。

私はじつはこの毛虫は初見ではないと感じていた。いつどこで見たか思い出せなかったのだが、それなりに名のある毛虫で、見かけは悪いが実は無害だということも知っている。

私は毛虫について知識が乏しいから、うかつに触らないようにしている。ウスタビガとかフクラスズメなどごく一部のものを安心して触れるだけだ。ましてやこの毛虫のようにイラガに似ているものは、無害のはずでも触れない。無害のはずだけど・・・という程度のぼんやり知識では恐ろしいのだ。

ここまで考えて毛虫の毛の役割ということに少なからぬ疑念が生じてきた。毒毛虫の毒はかなり強烈である。私もけっこうひどい目にあった経験がある。あれはチャドクガあたりだったろうか。初夏の山歩きのさいに毛虫に首筋を這い回られた。その日の夜から腫れが始まり、2週間以上もの間にわたって痛み痒みに悩まされたのだ。

そういう経験もあり、これまで毛虫の毒は捕食対策であろうと考えてきた。しかしそれは本当だろうか?

じつは毒毛虫の種類はそれほど多くない。ほとんどの毛虫は無害である。毛の意味が捕食者対策であれば無毒の鱗翅目幼虫が毛をもつ意味はベイツ型の擬態に落ち着く。ところがベイツ型にしてはニセ者が多すぎる感じがする。本物の毒虫の毒性がそれほどまで強力ということなのだろうか。ヒトが対象であるのなら、ベイツ型でも納得できるけれども蛾の毛はヒトの誕生以前に成立していた。対象はサルとかトカゲとか鳥とかカマキリだろう。

私がひっかかったのは、毒のタイムラグだ。触った途端に痛いというものではなく、私がやられたように時をおいて効果が現れるものなら、頭の悪い動物には効かないんじゃないだろうか。毛虫と体の障害の連想が形成されない可能性があるからだ。

どうやら私は毛虫の毒性を見誤っている可能性が高い。イラガやドクガなど人間の体に顕著な障害をもたらす毛虫だけが毒虫とは限らないだろう。捕食対策であれば、敵の皮膚をただれさせる必要はないのだ。捕食者は毛虫を食うのだ。皮膚ではなく舌とのどで毛虫を味わうことになる。イラガを食べれば、その瞬間、舌に刺すような痛みがあるのかもしれない。私が触ればふわふわして感触のよいウスタビガでも、食ってみればその毛は強烈に苦いのかもしれない。もっと鳥やトカゲの身になって毛虫を見なければならないだろう。もしかしたら、毛虫の毒は捕食者対策とは無関係の可能性だってあるのだから。

ちなみに、写真の毛虫はタテハチョウの幼虫のようだ。2007年9月に近所のホトトギスでルリタテハ幼虫を初見している。あの毛虫はもっと色が濃く赤かったが体つきととげとげの感じがそっくりだ。こいつは毒なしという印象はあのルリタテハで学習したものだろう。

クロナガアリ

今年はなぜか5月になってもクロナガアリがひんぱんに外に出ている。先の日曜午後には種を集めている働きアリもいた。巣内のゴミ捨てよりも種集めのほうに重点が置かれているようだった。

さてこれは好機と自慢のスーパーマクロニコンで撮影しようと思ったのだが、ふとオリンパスのTG-1だとどう撮れるんだろうと試してみることにした。TG-1ではツユクサにつくアブラムシとアリなんかを庭で撮ってみたことがある。クロナガアリには向かないはずで試したことがなかった。

オリンパスのTGシリーズはすでに4作が発表された人気機種だ。昆虫の写真を撮る人には必携のカメラだ。プロは皆持っている。水中でも撮れる防水機能。小型の虫を画面いっぱいにできる超接写機能。ズームを使ったマクロの画質の良さと歩留まりの高さは目を見張る。接写のさいの手ブレ補正が効いているのだろうか。マクロレンズ(ただしフィルム時代)&一眼レフよりもむしろ良く撮れる。最新の機種では深度合成ができるらしい。接写用の専用照明器もあり、簡易虫の目レンズの魚露目8号との相性も悪くない。手軽に虫を撮るには世界最高のカメラだ。私のは初期モデルでオートフォーカスやズームなどのパワーは劣るとはいえ、もともとの基本性能は高い。

そのTG-1であえてクロナガアリを撮ってみたのが今日の写真。ほぼ最大のサイズまで超接写で寄っている。ストロボは使わず晴天日影の自然光だ。

一見してだめだめ写真だと思う。被写界深度はやはり足りない。アリの動きが速くてぶれている。TG-1では絞りもシャッタースピードもオートしかなく、これ以上は改善の余地がない。またフォーカスもオートしかなくシャッターのタイムラグが発生する。最新型のTG-4であれば顕微鏡モード+ストロボの工夫もできそうだから、もうちょっとましな写真が撮れるだろうか。

しかし私にはこのTG-1でも十分だと思えた。日曜のような光で市販の一般カメラを使って小さな虫をきれいに撮れると思うほうがおかしい。だからこそ創意を尽くして庭のクロナガアリ用にニコンのスーパーマクロを作ったのだから。写っているものはクロナガアリだとわかる。クロナガアリが何をしているのかもわかる。日影のアリがこれだけ写ればたまたま出会う生き物の記録として十全なのだ。庭のクロナガアリをTG-1で撮ることは二度とないだろうが、境川のクロナガアリならば張り切って撮るだろう。もとよりそういう用途のカメラだと割り切っている。


2015.5.12(火)くもりのち雨 故郷の御手次寺の解法

1月11日に紹介した、飛騨高山の木工芸パズル「故郷の御手次寺」であるが、私の解法はどうやらインチキだということが確実になった。というのは、正しく解く方法が私にも見えてきたからである。それでネタバレの心配もないだろうと、インチキ解法を紹介する次第だ。

故郷の御手次寺では、横長の「檀家総代表」(写真焦げ茶色の駒)をかわして「お地蔵さん」を送り出すことが最大の課題になる。1月にはどうにもその方法が見つからなかった。そこで女房子供らが絶対に一休とんち話ふうの方法があるはずだと言い始めた。

「檀家総代表」を縦にしようと言い出したのは女房だ。そういえば中学校の漢文で、竿を縦にしても横にしても城壁の入り口を通れなくて途方に暮れたという中国故事を習ったことを思い出した。じゃあ回転させてみようとやってみれば、「坊守」とか「住職」とかは、けっこうギリギリの所で回るようにできていた。

かといって、3ブロック分横長の「檀家総代表」を回転させるのは不可能だということはすぐにわかる。スペースがその「檀家総代表」と同じブロック3個分しかないからだ。それをなんとかするのが一休とんち話だ。

故郷の御手次寺

左下に並んでいる「住職」と「坊守」をあらかじめ横に寝かせる。そして「檀家総代表」と「檀家」を写真のような配置にする。

故郷の御手次寺

「檀家総代表」は長すぎて単独では回転できないが、「檀家」と合わせて写真のように左回しにすればぎりぎり回る。3ブロック分のスペースで3ブロックの駒は回らないが、8ブロック分のスペースで5ブロックの駒は回るのだ。どういうわけか、「住職」と「坊守」をあらかじめ横にしておくほうが隙間ができる。理論上は縦でも横でもスペースが変わらないはずであるが、その辺が手作りの愛嬌といいうものだろう。しかも「檀家」と「檀家総代表」がいっしょに回るなんてところも現実を反映していてちょっと面白いではないか。

故郷の御手次寺

「檀家総代表」さえ立たせてしまえば勝ったも同然である。「お地蔵様」の花道が見える。もしかしたら「信徒」もあらかじめ回したかもしれない。半年前のことで記憶もあやふやだ。それに、手作りのおもちゃだから、物によってはこの方法でも「檀家総代表」は回らないかもしれない。それもまた愛嬌だ。

私はこうしたとんちができるから一部の者から天才と言われている。それは残念ながら思い違いだ。ちょっと頭がいいだけの凡人である。天才ならこんなことをしなくても、この程度のパズルを解く道筋は直感的に見通すだろう。あるいは、間違った手は二度とささないことで速やかに解けるだろう。後者は計算機の特技だが、そういう思考法ができる者はおそらく存在する。凡人でしかない私はそういう天才の頭の中はさっぱりわからない。

私ができるのは、不可能を排除することで可能性を絞り込んで、1点の可能性を実現する方法を試行錯誤するという普通の方法だ。それは誰にでもできる人間的な論法にすぎない。「檀家総代表」を縦にしなければ絶対に解けない。「檀家総代表」は縦にはできない。ここまではすぐにわかる。そこであきらめずに「なら2個か3個かいっしょにすれば回るんじゃない?」と、がんばれるかどうかだけだ。

この考え方を忠実にやって、このパズルの正式な解き方が見えてきたところだ。役人や医者や社長になって世間並みの成功をおさめるのにも使える方法だ。凡庸で将来ある若者はまねするといい。


2015.5.13(水)晴れ 結婚飛行

クロナガアリオス

今朝、いつものように庭のクロナガアリをチェックして驚いた。巣口の周辺が働きアリでごった返しているのだ。これは事件だ。まるで秋の収穫の最盛期のにぎわいである。かといって我先にと見つけた獲物を運んでいるわけではない。

この状況には思い当たるフシがある。ひとまず観察だ、と1分ほど見ていると、はたして翅のあるアリが現れた。クロナガアリのオスアリだ。庭の初記録である。ドクダミのつぼみを撮るために持ってきたオリンパスで記念撮影しておいた。

今年、私の庭のクロナガアリの動向は例年とちがっていた。春になっても巣口を閉ざすことがなく、夏が来ても地上でうろうろする働きアリをよく見かけた。これは何かあるかもしれないと気にしてきた。その何かというのは第一に結婚飛行だ。

確かクロナガアリは初夏に結婚飛行を行うはずだ。そのタイミングは非常に限られたもので、ある1日だけかなり広いエリアの巣から一斉にオスメスが飛び立つのだという。

羽アリがうろうろするまでに私の巣が成長してくれたのは大変うれしい。この巣の観察を続けて10年以上が過ぎている。これまでこの巣のアリは結婚飛行に参加していないはずである。春から夏は全く巣外にアリが出てくることはなくひっそりしていた。


2015.5.14(木)晴れのちくもり 駆除

蜂の巣

写真は昨夜撤去したアシナガバチの巣である。この巣を玄関の軒裏に作られやむなく駆除することにした。すでに10個ほどの部屋ができ、産卵もされている。日曜に巣がかけられた場所をチェックしたときには巣はなかった。女王は単独3日でここまでのものを仕上げたことになる。驚くべき技である。

今年、私の家はアシナガバチに大人気である。かけられた巣は5つ。そのうち2つは将来の危険を見越して駆除することに決めた。玄関のものはその一つで、1回目の駆除は5月4日だった。それに続いて2度目である。間があいているから今回のは別個体かもしれない。

何年か前も同じ場所に巣をかけられた。そのときは駆除に苦労した。2度3度と叩き落としても1、2日たてば同じ場所で巣作りを再開するからだ。体を指で弾いたりして痛い目にあわせれば懲りるだろうなんて馬鹿なことまでやってみた。それでもダメなら自転車で半原越あたりに捨てにいこうかとも思った。

この巣は最初に撤去してから数日間は蜂の姿がなくてちょっと油断していた。駆除はなるべく早い内がよいだろうと思っている。早々に玄関をあきらめて他所で作ってもらえばいい。この季節に2週間ほども巣作りが遅れれば、その女王にとっては致命的だろうという私なりの計算があるからだ。

蜂は当然のことながら自分の作った巣に執着している。巣を守る蜂の目は座っている。かなり離れているときからこちらの動きを注視し緊張しているのがわかる。そういう姿は虫けらながら健気だと思う。

昨夜は巣を棒でたたき落とすと、蜂は巣と一緒に落ちて玄関先に転がった。巣を記念撮影する必要から拾い上げても巣を離そうとしない。人間は相当恐い相手のはずだが巣は命よりも大事なのだ。

今朝、蜂はもともと巣があった場所に止まっていた。私が玄関のドアを開けて外に出ると威嚇するようにまとわりついてきた。普通ではない行動だ。5月の新女王に刺される恐れはない。もしかしたら昨夜の記憶があって、復讐を試みたのだろうか。いたいけな蜂をいじめてこんな悲しい思いをするぐらいなら、刺されたほうがましである。

この女王がたまたま大成功して9月を迎えれば、玄関全体が働き蜂の防空圏内に入る。私以外の人間が働き蜂に襲われることは明白だ。私には可能性の小さいその事故を未然に防ぐ義務がある。じつはこれまでにわが家でアシナガバチが世代をつないだことは一度もない。アリにおそわれたりして、梅雨明けをまたずにことごとく空き巣になってきたのである。


2015.5.22(金)晴れ 人生最初の記憶

私は寝付きが悪いという弱点を持っている。眠気を感じてふとんに入って、概ね1時間は寝付けない。ようやく加齢による早起き症のせいで睡眠不足となり、午前0時ぐらいには気を失ったように眠りに落ちることもできるようになってきた。それでも一月に1回ぐらいは特別な原因がなく4時間も5時間も眠りにつけない夜があるのだ。眠りが浅いせいで日中眠くてかなわないくせにだ。

こういうのは生命体としての不全なのだろう。体質であって努力で改善できないことの一つだろうか。心身を健常にするテクニックである座禅のようなことでもすればなんとかなるのだろうか。

とりわけ恐ろしいのがいわゆる、枕が変わる・・・という場合だ。山登りなんかは夜明け前に起床するために一睡もせず歩き続けるのがしばしばだった。入学試験でも苦労した。出張仕事でも無理をしなければならなかった。

そういうつらい状況であっても悪いことばかりではない。無理矢理ながらいろいろ考えを巡らせることはできる。ただじっと5時間もの間、ああでもないこうでもないと、とりとめなく物思うなんてことは寝付きが良い人にはとうていできない芸当だろう。

先の日曜は榛名山のヒルクライムレースだった。午前4時半に起きなければならない。きっとうまく眠れないだろうという予想は見事に的中し完徹でスタートラインに立った。自転車競争では3回めの完徹スタートだ。他のレースでは1〜2時間は眠っている。

寝付けずに悶々しているときには、取り越し苦労か、古い失敗のことをくよくよと思いわずらうものである。この2つは無駄が多い馬鹿の考えの中でも一番の無駄、避けたいことの代表だ。

さすがに私は眠れないことのプロであるから、取り越し苦労や余計な後悔をすることはない。かといって当座の考え事はない。もっぱら記憶を忠実にたどって昔のことを思い出していた。ちかごろやけに高校生のときに好きだった女の子のことなんかを思い出すことが多い。いまでも彼女があの若く溌剌とした姿で四国の田舎町で生きているような気がするぐらいだ。そんなことを手始めにどんどん記憶の地層を掘り返していった。

そうした試みによって新発見などあるものではない。身じろぎもせず目を閉じて寝転がっているだけで、すっかり忘れていたことを思い出すなんてことはまずない。ところが今回は違っていた。人生最初と断定できるほど古い記憶がよみがえってきたのだ。

これはすっかり忘れていたのだが、私は幼い頃屋外で小便をしていた。小学校の低学年まで、家の玄関を出てすぐの畑の脇で用を足していたのだ。その理由は子供用の小便器がないという単純なものだ。

その排尿のしつけをされている場面を午前4時に東横インの一室でありありと思い出した。それは忘却の彼方に葬り去られていたはずの体験だった。あれは2才か3才ぐらいだろうか。まだ草履も履けず歩行もおぼつかない私は、小便をしたくなると母を呼んで外に連れ出してもらっていた。そして母親に抱きかかえられて畑の脇で小便をした。母は「しーといといとい」という呪文のようなかけ声で励ましてくれて、私は安心し得意になって放尿するのだ。畑の土に小便が泡を残してしみ込む様子がたいへん面白かった。

素敵なことを思い出したものだ。一睡もせずに自転車競争に出るのは相当つらいものがあるけれど、こんな大事なことを思い出したのだから、差し引き計算すると儲かったといえるんじゃなかろうか。


2015.5.23(土)晴れ 36×23Tの半原越

ひとまずハルヒルのデータもあげておこう。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間124'23"24'23"-15.4-70168
区間224'06"48'29"-12.9-64163
区間322'18"70'47"-8.9-63164
全 体-12.5---

昨日は環水平アーク日和だった。しかし私は東京でいろいろ仕事をしていて空を見る余裕がなかった。女房はちゃっかり見物したらしい。茅ヶ崎で撮られたという写真はきれいだった。今日だって可能性はあるのだからと半原越。

神奈川県は夏である。田植えは半分以上が完了している。いつもの棚田も苗が風に揺れている。2週間あいて半原越の姿がものの見事に変わった。タニウツギはすっかり花の季節が終わってウツギが満開だ。エゴは大半が散った。白いチョウはアカボシゴマダラとウスバシロチョウ。黒いチョウはモンキアゲハとカラスアゲハ。テングチョウは新鮮なものが飛び始めている。その一方で色あせた個体が道路に落ちてアリを集めている。こちらはたぶん越冬組だろう。

西端コーナー付近でツキヒホシホイホイホイというサンコウチョウの声がした。ただしサンコウチョウにしては歌が下手だ。鳥の中にも物まねをするヤツがいるからサンコウチョウとは限らないだろう。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'27"4'27"-616.216474192
区間29'40"5'13"+913.817867173
区間315'03"5'23"+1813.617963172
区間421'45"6'42"+2410.917954187
全 体+4513.417663180

黒パナで一番軽いギアでも36×23Tということにしてまず登った。前半がんばりすぎて区間4に力が残らなかった。ハルヒル惨敗を引きずってしまった。

半原越はまあ36×23Tで行けそうな感じだ。それぐらいの重いギアで登らないと半原越の意味もないように思う。ハーフをそれで13分ぐらいだと楽なもんだ。それだけ遅くて意味があるかと問われると言葉に詰まる。4回ハーフをやって下っていると高校生っぽいかわいらしいお嬢さんがくるくる登ってきた。半原越に娘さんは珍しい。サイクリングで顔をさらしている娘さんも珍しい。自転車競技部なんだろうか。

注意はしていたものの環水平アークは見られず。日暈だけがうっすら出ていた。


2015.5.24(日)くもりときどき晴れ カエル飼養所

今田遊水地

境川のカエル飼養所がいよいよその形を表してきた。それはかなり異様なものだった。写真手前は浅瀬である。水深はひざぐらい。その浅瀬を細い不定型の曲線でくぎり植物を植えている。その植物は一見水稲のように見えるけれどたぶん違う。水稲は一年性植物で冬には枯れてしまい、毎年種から育てなければならない。きっと稲よりもずっと高価な多年生の抽水植物を手植えしたのだ。カエルを本気で呼ぶ気ならそれぐらいの手間ひまを惜しんではいけない。

今日はチネリで境川に行った。ちょっとデュラエースとチネリの相性を見ておきたかったからだ。その結果はイマイチといえよう。それなりに軽く33km/hぐらいで走れるのだけれど、バッチリ決まっているという感触がない。50kmほど走って、30年使っているボスハブの手組ホイールに換装してもう50km。手組のほうが良い感じがある。その感触は速いというよりもいつものアレといったところだ。ついでにフリーホイールを6段のものから7段に変更した。フリーホイールは外すのがけっこうやっかいだ。

いまちょうど前線の北の縁にあって晴れたりくもったりする空模様だ。晴れるときには層積雲が鱗状になる。その上空に巻雲があって細い糸の帯を垂らしている。落ち着きのない奇妙な空に見える。空気は乾いて風が涼しい。丹沢や富士山がやけに青く近く見えた。

ときどき休憩する高鎌橋のセブンイレブン裏にはアリの巣がある。おそらくクロヤマアリと思う。たまたま娘アリが1匹だけ外に出て草に登っていた。結婚飛行の準備だろう。イネ科の草を登ったり降りたり落ち着かない。ときおり草にしがみついたままで翅をぶんぶんとふるわせている。こいつは間もなくものすごく成功確率の小さい旅に出るのだ。そう思うとちょっと胸が熱くなった。ほかにはオスもメスも見あたらない。働きアリがいつもより多めに速めに行き来しているだけだ。今日は結婚飛行の日ではなさそうだ。


2015.5.25(月)晴れ 撮る感触

写真を撮るときに“撮った感触”ってものがないとつまらないと思っている。写真を始めたときには、ずいぶん撮ることに緊張していた。今思えばこっけいなくらいだ。写真機はマニュアルフォーカスで、マニュアル絞りで、マニュアルシャッター速度だった。幸いに写真機に照度計が内蔵されていたから、ファインダー内の目盛りでオーバー・アンダーの見当だけはついた。ついでに、フィルムでしかもスライドであったから、フィルムの巻き上げも手動で残り枚数も気にしなかればならなかった。そしてもっとも大きな違いはコストだ。あのころの写真1枚は今より1000倍も高価だったのだ。

マニュアル式の撮影方法は私の体に染み付いてしまった。現在のカメラでは、露出もピントもカメラまかせでマシンガンのようにシャッターを切りまくったほうが絶対に良い写真が得られる。そういう潮流に乗り遅れた感がある。ピントが合っていることを確認し、露出の数字を確認してシャッターを切ってようやく撮った気になれる。

毎朝の庭の観察記録は一眼レフを使っている。古いニコンか古いオリンパスだ。老眼に合わせられる光学ファインダーなので老眼鏡は使わないで済む。TG-1のような液晶モニターでは不安だ。ピントの確認が難しいからだ。老眼鏡をもっていたとしても気分が乗らない。こんなことばっかり言って、テクノロジーの進歩による恩恵から取り残されている。

ドクダミ

今日の写真はTG-1に魚露目8号をつけて撮ったものだ。このセットでは背の低いドクダミでも楽に横から撮ることができる。何から何までオートだから、レンズと花の距離と角度だけに注意してシャッターを押せばよい。じつは肉眼ではアリはよく見えない。アリがいるかいないかを視認するのが精一杯だ。とにかく花に近づけて目見当で何枚か撮ってみる。すると花でアリが栄養交換をしていたり、花の中に潜むアブラムシが見つかったりする。

こうやってTG-1で撮ってみると、アングルを自由に気楽にシャッターを押せることの利点が見える。一種の観察ツールとしての用途に気づくのだ。ドクダミの花の中にこういうシーンがあることを知ることは大切だ。知れば、解像感が良く撮る感触のよい一眼レフで狙うこともできる。


2015.5.27(水)晴れ ドクダミのアリ

 ドクダミとアリ

これまでの観察でもドクダミの花にはアブラムシが潜み、アブラムシの甘露を狙ってアリ(おそらくトビイロケアリ)がやってきていることは知っていた。それをTG−1&魚露目8号で撮ってみて、もうちょっとましなカットをものにしようと、ニコンのスーパーマクロを持ちだした。

スーパーマクロは2台ある。今回使ったのは接写用のストロボであるSB−29を装着しているほうだ。ストロボのアングルが可変であるから、雑草の花や種を撮るのに適している。

そして30枚ばかり撮ってみたうちの1枚が今日の写真だ。

これは決定的な写真とはいえない。ただ単にアリがドクダミにいるという写真でしかないからだ。アリは雄しべ雌しべに顔を突っ込んでアブラムシの甘露を得る。ちゃんとアリとアブラムシと甘露が写ってなければだめだ。この写真ではよくよく見ればかろうじてアブラムシもいることがわかる。別の写真ではかろうじて甘露が写ったものもあった。しかしアリとアブラムシがうまく写ってない。

撮る前から簡単ではないことは覚悟していた。アブラムシは凸凹の雄しべ雌しべの奥に潜み、雄しべ雌しべと同じ色をしている。アリはそうそう写る所に顔を突っ込むわけではない。写る所のアブラムシが甘露を出すわけでもない。決定的なシーンを撮ろうとすれば1日仕事になるだろう。1日で終わればまだいいほうか。日々の観察撮影は朝の10分に決めている。それでは難しい。好条件といえば庭にドクダミは掃いて捨てるほど咲いており、アリは邪魔になるほど生息していることだ。


2015.5.29(金)雨 アブラムシとアリ

 ドクダミとアリ

なるべくアリの多いドクダミを狙って決定的なシーンが撮れないものかと5分ばかり粘ってみた。この写真のドクダミでは、アブラムシの有翅虫がけっこう群がっている。有翅虫になると花に潜り込まなくなるようで、アブラムシの姿は撮りやすくなる。アブラムシにピントを合わせて運任せでシャッターを切っておけば、アリとアブラムシの2ショット写真になる。

さて、これでドクダミとアリとアブラムシの写真にはなった。ただしこれでは、アブラムシはドクダミの花から汁を吸い、あるいは(誤解だが)花の蜜をなめ、アリも花の蜜をなめにきている、という写真にしかなっていない。3者の関係がぜんぜん捉えられていないのだ。この先はちょっとした細工(めしべおしべの切断)が必要になるのかもしれないが、それはプロの領域だ。そこはNGにして引き続き僥倖を狙ってみる。


2015.5.30(土)晴れ 虫いっぱいの半原越

 ドクダミとアリ

いつもの棚田に水稲が植えられオタマジャクシが泳ぎはじめた。わずか一月足らずの麗しき淡水世界の出現である。今日目を引いたのは写真の虫。数ミリの小型のものだ。中央の白いのと左の茶色いのは同種だろう。田の中にこいつがやたらといる。けっこうな勢いでびゅっと泳ぐ。

さて私はこいつの正体を知らない。ヤゴのようでもあるけれど腹部のエラみたいなのがヤゴっぽくない。形はホウネンエビっぽいけど6本脚の昆虫なんだろう。カゲロウ類って速泳ぎするのか? これだけ数が多いのだからきっと名の通ったむしだ。正体はいずれ判明するだろう。こういう出会いが愉快だ。水中カメラを持ってって良かった。

半原越はいろいろなやつが出てくる季節だ。鳥はひそかに虫をくわえてヤブの中をそそくさと移動していたりする。育児の盛りのセンダイムシクイか。鳴き声が通るのはホトトギス。自転車で走っているとその声に叱咤されているみたいだ。狙われているのはウグイスだろう。

麓の清川村でオオルリを見たかもしれない。不確かなのは電線に止まっているのを下から見たからだ。鳴き声はオオルリっぽいんだけど電線に止まるあの姿はほとんどツバメだ。尻尾は割れてなかった。

それらしい声は良く聞くけど姿をみることがないキビタキを確実に見た。道路でつぶれて死んでいたからだ。自転車で走るついでの観察では見つかる鳥の種類に偏りが出るのはいたしかたない。

去年に引き続きテングチョウが多い。リッチランドの先の謎の建物がある所の砂利に群れている。犬猫の糞尿あたりが目当てなんだろうか。自転車が通りかかると30匹ほどが一斉に飛び立って壮観だ。白いチョウはぜんぶスジグロシロチョウだった。ウスバシロチョウの季節は終わっている。今年は数匹見ただけで終わった。予想外に少なかったのか最盛期を外したのだろうか。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'54"4'54"+2114.616074166
区間210'18"5'24"+2013.217766181
区間315'37"5'19"+1413.518064180
区間422'41"7'04"+4610.418155172
全 体+10112.717563175

自転車に乗っているとどれほど馬鹿になるかということを再認識した。1回目の登りの途中でキビタキの死体を見つけた。キビタキは見ておきたい夏鳥だから撮影は必須である。あいにくタイム計測中で止まれない。下りで撮影しようと走り続けることにした。ただし、これまでにも下る段になって肝心の死体のありかを忘れていることは珍しくなかったから、しっかり記憶しておかないとダメだと心に念を押した。西端コーナーのやや下である。

首尾よく下ってきて、西端コーナーの下にキビタキが見つからない。だれか(トビあたり)に先を越されたとも思えない。少し考えて「あ、そうだ、ゲートの下のリッチランドの上だった。いつもよりも多めに下らないといけないなと念を押したばかりじゃないか」と思い出しリッチランドまで下ってもキビタキはいない。運良くテングチョウの群れを見つけただけだった。しかたなしに下ばかり向いてゆるゆる登り返し、元の記憶の通り西端コーナーの下でキビタキを見つけたのだった。

これだけならまあよくあることだが、死体の場所の再発見用に目印になるものを3つばかり用意しておいたほうがよいだろうと、後から思えばアホな計画を本気で考えていたのだから恐れ入る。今日は、戦術としては、36×25Tの固定で登るのが最も効率がよさそうに感じたのだが、それもきっとまちがいだ。


2015.5.31(日)晴れ アブラムシの進化

 ドクダミとアリ

ドクダミのアブラムシとアリについてはひとまずここまで撮った。10分ばかり粘ったカットである。粘ったのはアブラムシが甘露を出すかもしれないという期待があったからだ。アリも同じ期待があるとみえて触角でアブラムシをしきりにつついている。いつもせわしないアリにしてはけっこうしつこいものだから、甘露の期待が相当高いのかと思った。しかし、アブラムシはいっこうに甘露を出さず、時間切れになった。

さて、ここで一考を要する。アブラムシが甘露を出さなかったことを残念でしたで片付けていいものかどうか。このアブラムシの有翅虫は甘露を出さないという可能性もある。私は無翅の個体が甘露を出しているのは目撃しているけれど、有翅虫が甘露を出すところを見ていない。であれば、有翅虫は甘露を与える振りをしてアリを操っているという可能性もあるからだ。

そういう可能性は小さいにしても、アブラムシの一種である以上は何をしでかすかわからない。疑り深い目で観察する必要がある。

アブラムシ一般の生活史は多種多彩複雑怪奇なものだ。どこをどうやって袋小路とも思える進化の道に迷い込み、行き止まりが見えているにもかかわらず繁栄を続けられるのか。もしアブラムシに理性があれば絶対に選ばないはずの生活を彼らは送っている。どうしてそんなことができるのだろう。

この疑問からアブラムシの単為生殖が進化に有利に働いていることを思いついた。アブラムシの子どもらの中に優生的で優秀な突然変異個体ができた場合。その突然変異は単為生殖で数を増やすことができる。春には1匹だったスーパーアブラムシが夏には100匹1000匹になるのだ。それならきっと突然変異を子孫に残すのに有利にちがいない。普通に有性生殖する虫であれば、突然変異によって生まれたスーパー虫は所詮1匹で、その遺伝子は半分が子どもらに伝わるだけだ。

アブラムシの食草のえり好みは私にとっては大きな謎の一つだが、単為生殖と進化の観点から解決の糸口がつかめそうな気がする。


2015.6.6(土)くもりときどき晴れ 甘露をねらった

 ドクダミとアリ

満開を過ぎた花にけっこうアブラムシがいてアリを集めていた。スーパーマクロのファインダー越しに観察すると、アブラムシの姿がよく見えている。もしやと少し粘ってみた。

粘ったのは甘露を撮るためだ。アリが甘露をもらうのは何度か確認しているけれど、肝心のカットはものにしていない。アブラムシの腹に焦点を合わせて粘ってみた。やはり今日もダメだった。とりあえず無翅のアブラムシとアリというカットだ。前からもう少し光を当てられるといいのだけど、スーパーマクロのレンズの構造上、それは簡単ではない。梅雨入りをむかえドクダミの花は最盛期を過ぎつつある。ドクダミとアリとアブラムシを撮影できるチャンスはあまり残されていない。

ぶらり途中下車の旅で三番瀬をちょっと懐かしく見て、黒パナあらためコキンちゃんで境川へ。3倍のギアをベースにして今日は軽めの練習。というのは明日卓球の試合があるため、コンディションを落とさない作戦だ。

重点的に練習したのはペダルが前にあるときの体重のかけ方だ。ペダルは踏みつけてもけっして落ちていかないから、無駄に踏みつけないように。引き脚と合わせて踏めばよいのだが回転ムラが生じたらだめだろう。リズムが大切だ。無風で3倍のギアで80rpm。巡航速度は30km/h。キリギリスを聞いたようだが聞き間違いかもしれない。ニイニイゼミを聞いたような気がするのは幻聴だ。


2015.6.10(水)晴れ PLフィルターを使ってみる

 ホウネンエビ

PLフィルターはいくつか持っている。しかし、ほとんど使うことがない。効果はそれなりにあると思うけれど面倒だからだ。水中を撮るときはTG-1という優秀な水中カメラのほうがいい。水中にカメラを沈められない程度の水中写真であれば、水面の反射はあきらめがつく。

今朝はあえてそのPLフィルターを持ち出した。いま庭の田んぼ水槽にはホウネンエビがいる。なかなかチャーミングな被写体だ。そのチャーミングさをちゃんと写してやりたい。田んぼ水槽の実態はプラケースに泥と水を入れたもので、撮影環境としてはよくない。普通に撮っているとうすぼんやりとしか写らないものだから、PLフィルターでも使えばもっとクリアになるかもしれないと欲をだしたのだ。

何十枚か撮ってみて比較的よかったのが今日の写真。萌えはじめたシャジクモの中を泳ぐホウネンエビ。肝心のPLフィルターの効果という点ではダメだったと言わざるをえない。それなりには効いているが、じゅうぶんクリアーになったわけではない。フィルターなしでも大差ないだろう。写真の周辺には水面のてかりが白っぽく写っている。中央には丸くて黒いレンズが写っている。小手先で成功できるシチュエーションではないのだ。


2015.6.13(土)くもり 虫の名前を知らないこと

 蛾

コキンに乗っていつもの棚田に着けば、青い小型のイトトンボが数ペア産卵していた。まだ小さい水稲の葉の中に卵を産み付けているようだ。そのイトトンボの名は覚えていない。一度は調べて明らかになったという記憶だけがある。

田の中は寂しい状況だ。オタマジャクシは少ない。この数年、この田で世代をつなぐカエルの数は減少の一途をたどっているはずだ。この田はカエルには厳しい。一方、棚田脇の休耕田に虫が多い。バッタ、キリギリス、チョウ、甲虫、蜘蛛etc。目立つ虫でも名は半分ぐらいしか知らない。

半原越を下って西端コーナーにさしかかったとき、木から舞い降りて来たものがある。白っぽい枯葉のようだが、私は一瞬にしてそれが蛾であると見抜いた。2、3回でもはばたけば枯葉と区別がつくものだ。蛾は枯葉のように地面に落ちてその姿が隠れた(写真)。落ちた所は目に入っており再発見は容易だった。どのみち種名はわからないだろうけど、ひとまず写真に撮っておいた。

撮影のためにしゃがみ込んでいると、視界の片隅にうごめく虫がいる。半原越にたくさんいるヤマビルだ。ちょうど尺取り虫のように首を振りながらけっこうな速度で近づいてくる。カメラのアングルを変えようと動けばヒルも方向転換してくる。よく見れば3つほどが競うように追撃してくる。このオヤジの体臭を好いてくれるのはヒルぐらいなものだ。けなげなものだとちょっと感動した。その程度の感動で血をあげる義理はないが。

さらに下って道路の真ん中に落ちている大型のカタツムリを見つけた。殻に引っ掻いたような筋がたくさんあり、茶色の殻には黒いラインが入っている。おそらくヒダリマキマイマイだろう。殻が割れて虫の息だ。殻が壊れた原因は不明だ。自動車事故にしては半端な壊れ方である。

カタツムリを撮っているとアスファルトを這う甲虫が見つかった。黒い翅に4つの赤い星がある美麗なものだ。キノコムシかハムシかテントウムシダマシか・・・美麗でも小型の甲虫は名前がわからないことが多い。保育社の原色日本甲虫図鑑には入ってるだろう。ただし図鑑をひくにはそれなりの知識が必要だ。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'32"4'32"-115.517076184
区間29'57"5'25"+2113.118174184
区間315'18"5'21"+1613.218272173
区間422'15"6'57"+3910.318359176
全 体+7512.718069178

自転車はペダルに体重を乗せることを意識した。ちょっと重めのギアで、踏みつけないように体重を乗せていくのは簡単そうで簡単ではない。前半で体力が尽きた。走り方は間違っていないと思うが、思いのほか体力が必要な乗り方なのか、エンジンが悪くなっているのか。

区間4の序盤の所に崖崩れが起きている。礫と土砂が道路の大半を埋め、自転車なら降りて押せば通れるぐらいの隙間しかない。法面の補強が必要になるぐらいの崩壊だ。工事が始まればしばらく通行止めだろう。


2015.6.14(日)くもり 夏色濃く

コキンで境川。デュラエースC-24-TLに再びチューブレスタイヤを装着したこともあって試し走り。とくにチューブレスだからどうということは何もない。ただ、チューブレスという方向は自転車の進化のありかたとして正しいと思っている。

近ごろはぜんぜん速く走れないようになっている。南向き少しの向かい風、時速にして20km程度を受けて巡航練習。42×14Tにして80rpmだと脚にかかりすぎる。今の課題は前足に体重をかけることだが、かけすぎるとすぐにへたってしまう。今日の風の具合であれば42×15Tで85rpmのほうが断然楽だ。

一方、追い風の北向き区間であれば、おなじく42×15Tを使ってぜんぜん体重をかけない感じで32km/hぐらいで走る。体重がペダルに乗っているという感覚がありつつ90rpm程度を維持するのはもしかしたら不可能事なのかもしれないと思った。

今日は一日中くもりでかなり涼しかった。ただし夏の虫たちが騒ぎはじめている。草むらではキリギリスが鳴き、路上にはゴマダラカミキリがつぶれて死んでいる。そしてウスバキトンボを確認した。

梅雨前線はまだ太平洋沖にあるけれど、風は南から吹いている。その風に乗ってウスバキトンボが北上してきたのだろう。最初の1匹はハチかもしれないと思った。視界を0.1秒だけオレンジの虫がかすめただけだったからだ。2回目の目撃は明らかにトンボで、オレンジ色だった。それでウスバキトンボの存在を確信しそのつもりで田の上、川の上を注意しつつ走った。3回目の目撃は追い風併走するかっこうになった。間近に3秒も見れば間違えようもない。この世にウスバキトンボよりも間違えようがない虫なんてほとんどいやしない。夏の主役登場だ。


2015.6.15(月)晴れ ササグモの季節

 ホウネンエビ

いま一番目につく虫がササグモだ。とげとげが目立つ小さな徘徊性のクモである。ハエトリグモのようにアクティブだ。庭ではドクダミの花穂に陣取ったり、クサイチゴの葉に隠れたりしている。ハエトリグモよりも植物の上を好んでいるようで、陣地を分けているのかなという感じがある。

ササグモが植物で待つのは、むろん他の虫を狙っているのだ。私の庭に多いヤブ蚊やツマグロオオヨコバイの幼虫を捕まえているのをよく見る。

今朝はちょっとした大物を捕まえてるやつがいた。犠牲はウスチャコガネであろうか? このシーンを目撃する直前に田んぼアクアリウムに浮いているウスチャコガネを見つけた。田んぼアクアリウムには虫が落ちていることがけっこうある。あえて小さなプラケースに落ちるのは走光性が原因なのかもしれない。毎朝、虫の生息調査をかねて溺死しかかっているやつを救助する責任もある。

発見したとき、ササグモはクサイチゴの葉にぶら下がって仕留めたコガネムシを食べようとしている様子だった。通常であれば、足でがっしりと獲物をつかんで花葉の上で食べていることが多い。この写真のように獲物を抱えたまま糸をつかってぶら下がって食っている姿を見たのははじめてだ。

力が強いコガネムシが相手では並みのやり方では暴れられてやっかいだという判断があったのだろう。空中であればコガネムシの足は虚しく宙を掻くだけだ。だとすればさすが糸使いの名手クモ、うまいもんだと思う。

ササグモは脱皮のときに同様の糸の使い方をする。植物の上で待機し、ぴょんぴょん飛ぶだけの業師ではないのだ。

土曜日に半原越で見つけた甲虫がひょんなことからヨツキボシハムシらしいということがわかった。ネット検索の成果である。昨日も「ヨツボシ ハムシ」という画像検索はやってみた。おおむねこの手の虫はヨツボシという名がつくだろうというあたりをつけてのことだ。そういういかにも有りそうな名で引っかかることも多いのだ。昆虫は図鑑を引くにもテクニックが必要だが、ネット検索にも類似のテクニックが必要だ。ちなみに学研生物図鑑甲虫IIに掲載されているヨツキボシハムシの写真は、斑点が薄い黄色のものだった。これではとうてい検索は不可能だ。それにしてもヨツキボシハムシ程度の虫がこれほどネットで出回っているとは・・・あきれを通り越して頼もしい。


2015.6.20(土)晴れ 乳房雲?

 境川

コキンで境川に乗り出す。梅雨の晴れ間はすっかり盛夏の装いだ。

道路脇の草むらではしきりにキリギリスが鳴いている。先週はじめて見たウスバキトンボはわざわざ探さなくても目にはいるようになった。さすがに南からの風はやや涼しい。太平洋高気圧にすっかり覆われる真夏とは空気が一味違う。

海からの風は時速20kmぐらいだ。南向きのときはけっこう力を入れてみる。42×15Tあたりを使って体重をペダルにかける練習。踏みも引きも強すぎてはギクシャクする。80から90rpmでひっかかりなく回すことに専念している。

自転車は脚の重さだけでも進む。ただし、それはちょうど体重だけを使う立ちこぎと同様に速度に限りがある。脚の重さだけで平地を進もうとすれば時速20km程度で頭打ちになるだろう。2倍のギアで80rpmだ。

軽いギアで速く回せば踏まなくてもスピードは上がる。ただしその場合は別の消耗が発生する。後ろ脚を前脚の重さで持ち上げられないことは明らかで、後ろ脚は筋肉を使って上げなければならない。片脚15kgもあるという脚を持ち上がるにはそれなりの力がいる。持ち上げるスピードをさらに速くすることは容易ではない。

自然に前脚が落ちる速度で後ろ脚を上げてバランスをとらなければならない。それが2倍のギアで80rpm、時速20km程度だ。

今日のような天気の日には環水平アークを期待する。しかし今日もダメだった。そのかわり乳房雲化した奇妙な巻雲を見た。よくある一筋に伸びる巻雲が丸く垂れ下がっている。雲は細いから乳房の一個が雲の幅になっている。けっこう珍しい雲だ。本当にそれを乳房雲とよんでいいものかは確証がない。


2015.6.21(日)雨 ムクゲとドクダミ

朝から小雨が降っている。ムクゲが花の最盛期を迎え、ドクダミの花が終わっている。夏至だ。

今日もコキンで境川に乗り出す。梅雨の雨は好都合で、境川はすいて涼しい。泥がけっこうこびりついているコキンを洗うチャンスでもある。昨日に引き続き前足に体重をかける練習。南の風がゆるい。やはり42×15Tがよい感じだ。ためしに3倍の14Tを使って80rpmで走ってみれば思いのほかくたびれてしまった。

高鎌橋の近くにあるセブンイレブンのいわゆるコンビニコーヒーが良い感じだ。その手のものはシステムがよくわからずに敬遠してきたがいざやってみればどうってこともない。1回間違ってみれば次からはいろいろうまくいく。熱いのと冷たいのがあるとか、LとRがあるとか、蓋があるとか、ストローがあるとか、ミルクがあるとか、専用のゴミ捨て場があるとか。

帰宅して窓からムクゲを眺めていると花にクマバチがやってきた。花の元のほうをかじって蜜をなめている感じだ。じっさいにそうやっているのかどうかは調べてみなければわからない。ムクゲの花にも虫がくるけれどヤブガラシに比べればいまいちだ。ただし今年はヤブガラシの繁茂は許していない。

三脚も持ち出してD700で花の終わったドクダミを撮る。雨がたくさん降って雨とドクダミのカットを期待して三脚を持ち出したのだ。雨は小降りで味わいあるカットにはならなかった。


2015.6.23(火)はれのち雨 マクロ撮影

 ヤマトシジミ

ヤマトシジミとカタバミは50年前から旧知のコンビだ。見飽きたシーンとはいえ、出会いのときにはわずかな高揚感がある。両者は今の生活でも目にする機会が多い。朝の庭か東京渋谷の会社への行き帰りが虫の観察のチャンスだ。いまもっとも目につく虫はヤマトシジミだろう。まだ渋谷にウスバキトンボはいないから。

この写真は今朝庭で撮ったもの。産卵に来た感じではなく日なたぼっこをしているふうだった。こうしてみてもやっぱりヤマトシジミにはカタバミが似合う。翅のサイズもまるまり具合もまさにカタバミに止まるべくして止まっているという具合だ。

カタバミは日当たりに気をつけておけばけっこう簡単に生えてくるし、ヤマトシジミも年に数回はやって来る。同じ個体が数日にわたって留まっているような気もする。こういうカットを撮るチャンスは多い。

使用したカメラはオリンパスのE-30で、もっぱら光学ファインダーで撮影している。液晶モニターはぜんぜん使い物にならない。中古で買ったものだから元々調子が悪いのかもしれない。調子がよくてもたぶん使わない。老眼で液晶モニターを見るのはいらいらするから。そうなると足元低い両者であるから、ちゃんと撮ろうとすれば伏せて肘を三脚がわりにするのが手っ取り早い。ただし今朝のように通勤用衣装だと雨で湿った地面に寝そべるわけにはいかない。秋のクロナガアリ用のマット(つぶした段ボール)を取りに行くのもめんどうだ。

そこで活躍するのがオートフォーカスだ。光学ファインダーは手をいっぱいに伸ばしても中心部の狭い部分なら見える。オートフォーカスで中心部にピントがあえば、E-30はぴぴっという音がなるから、そこで思い切ってシャッターを押すという荒技が使えるのだ。E-30のオートフォーカスでもじゅうぶん信用に足るのだけれど、最近のカメラは虫のプロ写真家でもオートフォーカスを使っているぐらい進歩しているらしい。

レンズは50mmのマクロである。E-30との組み合わせで今朝のようなカットであれば、F4あたりがよい感じだ。E-30は手ぶれ補正の機能があって、3タイプの設定ができる。ひとまずタイプ1で試したけれど、正直効果は感じられない。庭の接写限定なら補正しない方がよい結果が得られるように思われる。


2015.6.28(日)はれのち雨 夏の証拠

 神奈川沖浪裏雲

毎年土をもらっている田の上に昨日からおびただしい数のウスバキトンボが舞っている。例年ウスバキトンボの多い場所ではあるけれど、これほど多いのははじめてだ。青々とした稲が風になびきウスバキトンボが群れ飛ぶ。真夏の景色だ。

今日は久々にナカガワを担ぎおろして境川。ホイールはデュラエースを使った。またいで一漕ぎでコキンちゃんと違う自転車だとわかる。ナカガワには芯があるというか縦の面がしっかりしているのだ。ペダルに力を伝えるときに左右にたわむ感じが全くない。

風は南からやや強く、いつものように3倍ぐらいのギアで体重をかける練習。ギアは50×16T・17Tでケイデンスは80rpmを目安にする。体重はかけるだけだとダメなので引き脚も加えてなるべく軽く前足を落とすようにする。体重をかけるのは理論上、0.2秒ぐらいのわずかな時間だ。簡単な運動でも、それを持続させるのはかなり難しい。

境川の草むらからはキリギリスの声がする。段丘崖の茂みから、あるいは浄水場の植木からニイニイゼミの声がする。ニイニイゼミなら初認だ。毎年のことながら、最初に聞いたニイニイゼミの声は幻聴っぽい。幾度か聞こえたから幻聴ではないはずと納得させようとしてもイマイチ自信がない。そこで、川を渡って林に近づいてしっかり聞き取ろうと思った。3度ばかり声のする林に近づいてみたものの、側によると声がしない。セミの声の逃げ水みたいで面白かった。

セミ探索のついでに川を覗き込むと見慣れぬ魚が目に入ってきた。サイズは鯉なのだがスタイルが鯉ではない。動きに野生感がある。下流のほうの下水処理場付近にけっこう群れていた。あれは何だ? 他に鮎っぽい形のしなやかな魚の群れがいた。縄張りを作らず群れ行動をしていたようだが、あれは鮎?

午後になると積雲が発達してきた。積雲の上にある高積雲が神奈川沖浪裏(北斎作)のようになっていた(写真)。これは一雨来るなと撮影しておいた。


2015.7.5(日)雨のちくもり クロマルハナバチ?

朝から弱く雨が降っている。今日はナカガワで境川。ギアをちょこっと変更して具合のチェック。フロントは52×40T、リアは15・16・17・18・19・21・24・26T。フロントの小さい方は42Tにしたかったけど、手元に42Tが見つからなかった。インナーはともかく今の練習方法だと52Tと16・17・18の3枚でちょうど具合が良いだろうと判断した。

走り出せば雨具の具合がイマイチだ。さすが夏の雨、ビニールの雨合羽は蒸れて暑い。小降りなら濡れた方が快適だからと雨具を脱いで走れば向かい風がけっこう冷たかったりする。合羽の着脱が面倒なサイクリングになってしまった。脱ぐ分には道路ががらがらだから自転車に乗ったままで大丈夫だ。両手離し運転で合羽をぬいでたたんで背中のポケットに入れておけばよい。着るほうは難しい。プロは簡単そうにやってるけどちょっと真似する気になれない。

近ごろは蒸れない雨合羽なるものが1万〜2万円ぐらいで売られている。あれは本当に蒸れないのだろうか? サイクリングで風も雨も防いで蒸れないなんてウソだと感じるし、洗濯はどうするのかとか、いろいろ疑念があって使ってみる気にならない。今の使い捨て風ビニールぺらぺら2000円合羽のほうが私にはふさわしいのであるまいか。

せっかくの雨だから梅雨の雨っぽい写真を撮りたいなと考えていた。花の終わったドクダミに雨が降っているなんてのは梅雨らしい。雨の写真なら雨脚が写らないと話にならない。どれぐらい降って、どれぐらいのシャッタースピードでといろいろ考えをめぐらしていると、もっと本降りになって欲しくなってきた。しかしなかなか上手いこといかないもので、サイクリングが終わると雨も上がってしまった。

チェーンを外してナカガワを洗い、後輪の一番大きなギアを28Tに変更した。10s用だと思いこんでいたチェーンがじつは9s用だとわかった(虫眼鏡を使って見れば9 speedと刻印があった)から、ロー側1枚目のスペーサーを9s用に変更した。10s用で走ってチェーンが擦るからもしやとは思っていたのだ。

自転車の整備が一段落して風呂に入り窓の外のムクゲを眺めていると大型のハチがやってきた。あまり観察することもなくムクゲに来るのはクマバチだろうと思い込んでいた。ところが今日は黒いのに加えて小振りな黄色いのもやってきた。手元に常備の学研昆虫図鑑をひいてみれば、クマバチだと思い込んでいたのはクロマルハナバチのメスらしい。黄色いのはクロマルハナバチのオスっぽい。ただし、脚には花粉を貯めた袋みたいなものがある。一瞬、これはっと思った。夫婦で子育てをやってるというのならすごく楽しいけれど、ハチのオスが子育てに参加するとは思えないのだ。

クロマルハナバチは時間をおいて頻繁にやってくる。花に体をつっこんで蜜を吸っているのだろう。ムクゲにもそれなりに蜜はあるらしい。ヤブガラシを片っ端からちぎっていることがちょっと申し訳ない。


2015.7.11(土)晴れ 久々の半原越

今日は心拍計もつけてナカガワで半原越。すでにニイニイゼミの声は普通だ。コンビニに立ち寄ると壁にルリボシカミキリがいた。四国には少ないのか、子どもの頃には見なかったカミキリで、見つけるとけっこううれしい。いつもの棚田は中干しのさなかで殺風景だった。中干しに負けないのがミヤマアカネ。一枚の田に100匹ぐらいが羽化している。まだ体の色が薄い。

暑くなってくると自転車もしんどい。遅くなる一方のタイムがいっそう悪くなる。ただ梅雨の晴れ間でいろいろ見られるだろうと期待はしてきた。

一番大きいのがアオダイショウ。つぎに大きい収穫がキビタキ。声はけっこう聞くけど姿を見ることは少ない。今日は3回も見た。生きたのを見るのは今期初だ。これでじゅうぶん。来てよかったと思う。

道路に出ている虫は予想よりも少なかった。歩いていたクワガタ♀を2頭拾って帰ることにした。

半原越の懸念は土砂崩れ。前回に道路を覆っていた土砂は片付けられていた。そのかわり、ひと抱えもある岩が当たり前のように道路に転がっている。きっと上から落ちてきたものだろう。ある日ある時、どどどっという轟音と共に岩が転がってくるのが半原越ということだ。直撃だと死んでしまうかもしれない。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'43"4'43"+1014.916772176
区間210'01"5'18"+1413.418264186
区間315'11"5'10"+513.718467180
区間422'11"7'00"+4210.218657172
全 体+7112.818164177

2015.7.12(日)晴れ アブラゼミを聞く

今日はナカガワで境川。相変わらずの重いギアで体重をかける練習。南の風は5m程度。向かい風のときは52×17Tを選択した。それで30km/hぐらいを維持して走る。

前足で体重をかけながら後ろ足で引くのが理想だと思う。ところが、もう100時間も練習しているのにちっともうまくできない。体重をかけることと引くことが同時にできているという感触はまだないのだ。右足で踏むことを意識すれば、左足の引きを忘れている。両方を塩梅良くやる方法なんてあるのだろうか。もしないのなら、プロがあんなに重いギアを使ってするすると走れるわけがないのだけど。

いよいよ梅雨明け間近でアブラゼミの声が聞こえてきた。距離は100mほども離れていそうだ。確信はあるけれどもっと確かなものにしておきたい。ブレーキを引いてUターンしてその声の場所に向かう。最初は境川の段丘崖にある林からの声だと思ったが、じっさいは運動場脇の建物の植木からだった。ソロだけどちゃんとしたアブラゼミの鳴き方だった。

北向きはけっこうな追い風で、52×15Tも使ってみた。ためしに時速30kmではなく40kmに上げてみれば脚の懸かりはよかった。踏むことも引くことも意識しなくてよいギア比とケイデンスがありそうだ。15Tで40km/hであれば時速30kmなら19Tが同じような踏み引きの感触になるのかもしれない。それならその力加減を体に覚え込ませて速度でギア比を決めるのが正解ということになる。


2015.7.19(日)晴れ 夏の終わりっぽい

 カブトムシ

ナカガワで境川に出ようとするとミンミンゼミの声が聞こえてきた。これで主要なセミはクマゼミを残すだけになった。ミンミンゼミやアブラゼミの声に夏の終わりのような寂しい気分になった。いくぶんかせわしない主観の季節感。

写真のカブトムシの死体は境川の路面に転がっていた。場所はこんもりした茂みのある鷺舞橋休憩所のあたり。夏の終わりの風物として100点満点といえよう。ただしこれは一夏の寿命が尽きたのではなく捕食にあった可能性が高い。おそらくカラスあたりにやられたのだろう。腹部が完全になくなっている。カラスはよくカブトムシを食うようで、境川では1件だけその様子を目撃したことがある。

カブトムシを撮ろうと自転車を止めると、林の中からチャッチャと動物の声がする。枝が揺れて何者かが駆けている。2頭のリスだ。おそらくはタイワンリスであろう。大きなシイの木をするすると登っていく。立ち止まっては追い、追っては鳴き交わす。求愛行動のように見える。境川でリスを見るのははじめてだ。鎌倉あたりではタイワンリスが多いらしいから、それが北上しているのか。

自転車は昨日と同じ練習。ギア比が大事だ。腰を中心にして駆けるように前足で体重をかけ後ろ足を蹴る。ギア比が大きすぎると踏み過ぎて腰が痛くなる。小さすぎるとせっかくの体重を生かせずスピードに乗れない。今日は南風が強く、52×19Tでもギア比が高すぎたようだ。腰が痛くなり、へとへとの脱水症状気味になってギア比に思い至った。帰宅してブレーキブラケットを少し近くセッティングし直した。


2015.7.20(月)晴れ 真夏っぽい

 キアゲハ

朝8時ごろクマゼミを聞く。1頭だけだった。

今日もナカガワで境川。トラブル続き。まずガーミンの突起がとれて台座にはまらなくなってしまった。台座に置いて90度回転させて突起で引っかける仕様で、その突起がとれてしまってはどうしようもない。なんらかの対策を立てなければならない。ただ、サドルバックの中に入れておいてもケイデンスなんかは拾うようだ。

次はチューブレスタイヤの空気抜け。空気を多めにいれて一日置いて抜けてなければ今日使うつもりだったが後輪がだめだった。チューブレスタイヤは使っているうちに空気の抜けが大きくなっていく。延命策として石けん水で洗い直すというのがあるがスマートではないと思う。チューブレスが主流になるためには抜本的な改良が必要だろう。

次はパンク。チューブレスがだめで交換したホイールで発生。タイヤの劣化が主な原因だろう。チューブも劣化しているから修理はできなかった。

境川はおそろしく気温が高く、昼頃になると自転車も歩行者もまばらになった。オニユリが咲いているのを見つけており、せっかくだからと撮影しているとキアゲハがやってきた。望外の幸運だ。ユリとアゲハなんてプロみたいな写真だ。こういうのは真夏っぽくてたいへんけっこうだ。

練習は引き続き体重をかけることと引き脚を使うこと。ただし今日は早々に引き上げて自転車の修理と再セッティングをすることにした。ナカガワの仕様は決まったから、コキンちゃんをSTIにすることにした。10段のシフトだが、シュパーブプロのリアディレーラーと組み合わせて9速で使ってみることにした。

ステムから、ブレーキケーブルからシフトケーブルまで面倒なところを一切合切いじる必要があり、まるまる3時間かかってしまった。自転車いじりは素人で、作業台とか工具箱の整理とかいろいろな改善点は放置している。それが作業の効率を悪くしている。ただもっとも時間を食うのが貧乏性ゆえの中古パーツの活用だ。ケーブルとかアウターとかバーテープとかバーテープを止めるセロテープに至るまで消耗品でもできるだけ長く使いたい性分で、いろいろ現物合わせをしていると作業のやり直しが増えるのだ。


2015.7.25(土)晴れ シオカラトンボを撮る

 コキン

今日はコキン(写真)で境川。仕様を大幅に変更した。大きなのはSTIの導入。シマノ105の10sレバーにシマノデュラエースの9sカセット、サンツアーシュパーブプロ8sリアディレーラー、コネックス10sチェーン。この組み合わせがぴたっと決まることはやる前からわかっていた。

境川に出てハンドルバーの高さ、角度などを調整しながら走る。コキンは柔らかくてぬるぬると走る感じ。海風が入ってくるから南の風はやや強い。上りも下りも30km/hぐらいで走った。気温は35℃にやや届かないぐらいだろう。湘南は涼しいのだ。夏の境川は関東一のサイクリングロードだと思う。

いつもの白旗で昼飯を食べているとそばに止まっているシオカラトンボ♂が目に入った。撮影チャーンスとばかりにTG-1を取り出して記念撮影。シオカラトンボは里に多いトンボだ。水路でも川でも池沼でもOKの生息環境を選ばないたくましさがあるのだろう。私はこの身近なトンボにいろいろな思い出がある。全部下らない思い出だと言い切れるけど、人生の終わりを迎えようとする今、そういう些細な思い出こそ貴重に感じられる。


2015.7.26(日)晴れ チョウトンボを見る

今日もコキンで境川。風は昨日よりもやや強いぐらい。気温は昨日よりも一段高い。

高鎌橋の手前でチョウトンボらしい影を見た。目撃時間は1秒程度だが、青光りする幅広の黒い翅を持つトンボはチョウトンボだけだ。チョウトンボは最近では福岡の大濠公園で見たっきりだ。私の生活圏にはいないトンボだと思い込んでいたからちょっと驚いた。

その場所は堰堤があって水田に引くための水が貯められ、境川が止水のようになっている。ちょうどいま長く伸びた夏草が土手を覆ってちょっとした沼のような風情だ。それならチョウトンボが生息していてもよいように見えるけれど、この環境は一時的なものにすぎない。境川の近くに隠された生息地があるのだろうか。

さすがに暑さにまいって4往復するところを2往復であきらめた。暑くて汗をかいているせいか脚が攣りやすくなっている。重いギアを使って体重をかける練習ができない。ちょっと長くやればてきめん太ももが攣りはじめる。

このところいわゆるコンビニコーヒーというのをよく利用している。高鎌橋のセブンイレブンでアイスコーヒーとガリガリ君なんかを買って、コンビニ裏の水路脇に座って休む。畑の脇の水路は3面コンクリート貼りで色気もへったくれもないが、底に泥がたまりジュズダマなんかの水好き雑草がぼうぼうだ。水があれば虫が多く、ナガコガネグモが何頭も巣をかけている。溶けたガリガリ君がコンクリートに落ちればさっそくアリが寄ってくる。ちょっとした虫観察スポットでもあり、コンビニの白壁は自転車を立てかけて記念撮影するのに適している。

ただ、体を冷やすのにアイスコーヒーとガリガリ君はむいていないような気がしている。今日はトマトに塩をかけて食う方がずっと清涼感が得られると思った。


2015.8.1(土)晴れ 雪輪の滝

雪輪の滝は四万十川の源流にあたり愛媛県にある。中学から高校にかけて幾度か遊びに行った。高校のときは宇和島から鬼が城の山系を越えて食料テント持参1泊2日で行くことが多かった。雪輪の滝はそのコースの帰り道にもあたっている。滑床渓谷から雪輪の滝をつめて三本杭(さんぼんぎ)に出て宇和島に降りるのだ。

雪輪の滝は花崗岩の一枚岩でできている。多少のクラックはあるけれど滑り台風に遊べる滝だ。ただし普通のズボンで滑ると簡単に破けてしまう。

その雪輪の滝が昨日NHKのテレビに出ていた。画面を見て3秒で雪輪の滝だとわかった。正確にはその名を忘れていて滑床のあの滝だとわかった。番組は旅系のもので、村おこしに一役買いましょうというような趣旨らしい。音声を聞いておらず詳細はわからない。

番組中、雪輪の滝で気になったことがある。それは雪輪の滝の向かいの斜面に道路が造られていることだ。駐車場があり雪輪の滝を見物できるテラスもある。かなり残念な状況と思う。

私が滑床に通っていたのはもう40年以上も前のことだが、当時から自然環境の保全にはうるさかった。滑床渓谷を形成する谷は急峻で林業には向かない。四国では残り少ない原生林が広がり、11月に雪輪の滝をつめて三本杭に出ると正面の高月山に全山紅葉の景色を見ることができた。開発は谷川やコケや紅葉を見物するためのキャンプ場程度のものしかなかった。そのころ造っていた渓谷沿いを散策する遊歩道は機械を使わず全部人力でやるという自慢話を聞かされた。あの日本全国イケイケドンドンの当時ですら、建造中の鬼が城山系を縦断する林道に反対する人がいたぐらいだ。道路は造って良いところと悪い所があると思う。愛媛県はまた一つつまらぬミスをしてしまった。

かく言う私は自転車乗りであるから山中に舗装道路があるのは大変うれしい。大洲の新谷から長浜に通じる壺神山の西斜面を通る道があることをグーグルで知った。驚くべきことにユニークユーザー100人未満と思われるそんな道をストリートビューで見ることができる。その道から白滝に降りることもできる。細くて杉の枯葉が堆積しているけど舗装はしっかりしているようだ。名所の白滝があり途中にきれいな棚田のある集落もあり半分観光目的で維持されている道路かもしれない。一度は走っておきたい道だ。


2015.8.2(日)晴れ 秋を感じた境川

 セブンイレブン裏

昨日今日と境川を200kmほど走った。けっこう気温が高く運動強度は上げられない。日中午後でも湘南の涼しい海風が入ってくるから30km/hほどで走っておれば空冷がきく。荒川あたりだとこうはいくまいと思う。

昨日のこと、境川に出るといきなり夏の終わりと秋の訪れを感じた。何かを見聞きした一瞬にその感覚が起きた。それが何かはすぐに忘れてしまい思い出せない。

ススキの出穂は秋を感じるのに十分だ。不法投棄のゴミ捨て場を覆うクズが鮮やかな紫の花を咲かせている。それも夏の終わりを感じる光景だ。林の暗がりにキツネノカミソリがかたまって咲いている。オオマツヨイグサの薄黄の花がくしゃっと茎にはりついている。午後の黄ばんだ斜光にソロで鳴くセミ。そんなものではなくて、もっともっと象徴的な何かを見て夏から秋への季節の変化を感じたはずだ。それが何かを今日になっても思い出せない。

写真はよく利用するセブンイレブン裏の水路脇。ジュズダマなんかの雑草が茫々でちょいとした虫スポットであった。今日になってこれでもかと草が刈られてあっけらかんとした殺風景になってしまった。イモムシ毛虫アブラムシはこの程度でもけっこう死ぬ。少しばかり思い入れのあるナガコガネグモは生き残る。けれど稼ぎは減るだろうから未来は暗い。


2015.8.8(土)晴れ ぎっくり腰のとき

ナカガワに乗って走り出せばずいぶん涼しい。台風の影響だろうか、東から冷たい風が入ってきている。やはり季節はもう秋。夏ってやつはいつも短い。

しばらくぎっくり腰なんてものをやっちまってるから、自転車遊びも注意しなければならない。自転車は腰にやさしいが、やりようによっては腰に来る。背中を丸めて腕を引っ張ってペダルを踏みつけるような動作をすれば一発で腰が痛くなる。腰というのは仙骨の所の筋肉だ。私はそこがウィークポイントだ。

という次第で今日は52×19Tを主に使って軽く腰に負担のない乗り方を心がけることにした。まずは背中の力をうまく抜くこと。抜くだけではだめで効果的に使わなければならない。自転車は体の左右で交互に反対の動きをする。上半身の筋肉も左右交互に力を入れ、交互に脱力しなければならない。体の中央部にある背筋も左右交互だ。背筋は随意筋のはずだが、悪いことに力を入れていることが全然わからない。そこがわかるようになれば犬走りが完成すると思う。

腰を痛くしないためには姿勢が大事だ。背中を弓なりに丸める姿勢は悪い。サドルの後ろに座って、下腹を突き出す感じ、太ももと腹がくっつくぐらいのコンパクトな姿勢がよい。そうすればうまい具合に体重が使え引き脚がスムーズになる。


2015.8.9(日)晴れ Wレバーに戻す

 境川

今日はコキンで境川。連日暑いためか境川は静かなものだ。路面にはほとんど虫の姿がないのだ。セスジスズメが1匹横断していたり、モグラらしきものががぺったんこになってアスファルトに貼りついていたり、まあ静かなものだ。秋本番となればコオロギやらカマキリやらで大賑わいになる道だ。いまは雑草だけがぼうぼうなのがちょいとしたなぐさめだ。

恒例の日曜朝の境川練習は相変わらず3倍のギアを何とか軽く回すことを心がけた。やっぱり体重のかけ方が一番の胆になるような気がしている。左右交互に脚腰に負荷がかからぬようにリズムよく回せるかどうかだ。

しばらく走っていて、やっぱりSTIはいらないと思った。今日はフロントを42・38・26の3枚にして、アウターとミドルをうまく使い分けることで、42×12.5T、13.5T、14.5Tという中間のギア比を使えるようにしてみた。42×14Tの3倍が標準でちょっと軽くしたい場合は38×13T、ちょっと重くしたい場合は38×12Tということになる。STIなら手元変速で、スムーズなのだが、ほんの数秒程度のスムーズさなんてやっぱりいらない。

帰宅してからWレバーに戻した。ハンドルバー、ブレーキ、変速機は組んだままの状態で保管してあるから交換は簡単だ。


2015.8.15(土)晴れ 環水平アーク

 環水平アーク

いかさまっぽい写真だが、今日境川でとらえた環水平アークである。油断してTG-1を持っておらず携帯電話で撮ることになってしまった。そのことがちょっと残念。ただ、こいつを見ないうちは死ねないとかねてから思っていたのだから見られただけでも感慨ひとしおである。

環水平アークといってもちょいと巻雲に色がついているだけ。虹みたいな鮮やかなのならともかく、常人に発見できるものではない。その気配のある空のそのあたりをその気になって見るものにしか見えない代物だ。

今日は午前中はコキンで境川、午後はチネリで境川の日だと朝から決めていた。午後、再スタートするときに、TG-1は必要ないと思った。

というのは午前中に大きな発見があったからだ。毎年土をもらっている田んぼの近くを通りかかり、ふと稲をみればちょうどシオカラトンボが羽化して翅を伸ばしたところだった。珍しくもない光景だがひとまずTG-1を取り出して撮影することにした。3枚ばかりとって、トンボの近くの水をのぞき込んでぎょっとした。メダカがいたからである。

この辺の田んぼは実際豊かである。虫もいれば魚もいる。ヒバカリを拾ったこともあるぐらいだ。ただし、メダカは見たことがなかった。生息しているといううわさも聞かない。

本当にメダカか? と疑いつつも記録に撮って置くことにした。シルエットも泳ぎ方もメダカに相違ない。奇妙なのはやたらと白いことだ。市販のシロメダカみたいだ。メダカは1頭だけでなく2頭いた。藻がはびこる水中を仲良く泳いでいる。

この大和市の東名高速脇の水田はもともとメダカの生息域なのだろうか。それともペットの籠抜けなのだろうか。ともあれ「こんないいものが見つかったのだから午後はTG-1はいらないな」とカメラをもたなかったのだ。幸運もほどほどでないと・・・という貧乏性がものにしたのが上の写真である。


2015.8.16(日)晴れ 救いはナマズ

 ナマズ

恒例の日曜午前の境川。まず向かうのはいつものコンビニ、スリーエフ白旗店。いつものおじょうさんがちょっと疲れ気味。こっちはちょっと腰が痛く、自転車で何をやっているのか迷うばかり。腰を痛くしない乗り方の練習・・・ってのはいったいなんなんだろう? 力いっぱい走れないから体力増強にはならない。もともとそんなことをする気もないが。効率的なペダリングの追求? それはしなければならないが、腰をかばうのがはたして効率的に出力できる練習になるのだろうか。疲れたおじょうさんと腰の痛いおやじ。日曜午前の境川サイクリングロードの存在意味を根本から問い直さねばならない非常事態といえよう。

しかしながら、境川の上空には夏積雲の上に巻雲も見える。積雲の発達はそれほどではない。では、もしかしたらの環水平アークが期待できる。そのために、パンク修理キットを置いてもTG-1を持ってきたのだ。多少腰が痛くても100km走る理由が空にある。

残念ながら午前中は環水平アークの気配はなし。昼飯を買うためにスリーエフ白旗店に行けば相変わらず疲れ気味のおじょうさん。ついついいつもより多めに食品を買ってしまった。

午後はそれなりの巻雲が出たけれど雲の角度が悪い。環水平アークなんてほんの数分の僥倖みたいなもので、狙って見つかるものではない。かといって狙わなければ発見確率は2桁落ちるだろう。腰の痛いオヤジには運の良いことに、環水平アークの出る高さはロードレーサーのブレーキブラケットを握って背を伸ばし首を上げたときの目線に一致する。その姿勢で踏み込み過ぎないように走るのが腰を痛くしない方法その1でもあるのだ。

けっこう気温が高く空気は湿っぽい。走れど走れどいっこうに空の気配は良くならない。境川サイクリングロードの存在意味がどんどん希薄になる。ひとまず空の写真でも撮っておこうと鷺舞橋に立ち寄ると、路面に転がるミンミンゼミの死体があった。ミンミンゼミは神奈川では珍しくない。けれど八幡浜では希少で、見つけると虫撮り少年の捕虫網を握る手が震えたものだ。ちょっとは走った甲斐もあったかと、習い性になった湧水をのぞき込めば、そこにナマズ。前にも見た個体だろうか。最大クラスの立派なナマズが午後の日差しに影を落としてゆらゆらと泳いでいる。ナマズが日中、透明度の高い浅瀬を泳ぐのは希だと思い込んでいたけれど、よくあることのようだ。大地震の前触れなどと心配することではない。他にもオイカワとフナの生息がシルエットで確認できた。

やはり境川はけっこうな所だ。自転車にもちょっとした収穫があった。昨日、チネリには硬めに手組してあるホイールを装着した。ナカガワと同じく路面のショックをかなり感じた。境川の舗装は軽く風吹く湖のように波打っている。硬い自転車で空気圧高めだと足の裏までが痛くなる。

今日は前輪はそのままで、後輪は柔らかいデュラエースC24-TLにしてみた。その違いははっきりわかった。ホイールとフレームの相性が確実に理解できるようになった。

そのデュラエースC24-TLであるけれど、チューブレスタイヤが限界になった。Fusion3は半年も使えば空気がすかすか抜けるようになる。一日放置して完全に抜けるようならあきらめるのが自分ルール。シーラントなんて使う気が起きない。発展途上のチューブレス。まだまだレース用機材の域を出ていない。転がりは悪くないタイヤだからチューブ入りタイヤとして余生を送ってもらうことにした。


2015.8.17(月)雨 ミシシッピーアカミミガメ

 亀

このミシシッピーアカミミガメに関しては、右上の水着イラストの作者であるロサンゼルスのデザイナー、マクフェトリッジさんは何も言及していない。


2015.8.21(金)くもり時々雨 夜

いきなり気温が低い雨の日が続き、季節はすっかり秋だ。帰宅の夜道にふと臭いにひかれて足元を見ればオシロイバナが咲いている。この花の臭いだけが夏の夜の風情を残していると思う。

コオロギがしきりに鳴いている。ツヅレサセコオロギやカネタタキは住宅地にも多い。そういえばアオマツムシはどうした? とふと気になる。例年いまごろは盛んに鳴いていた。この秋は渋谷のパルコ前で一度聞いたっきりだ。中央林間ではまだアオマツムシを聞いていないのだ。何かのっぴきならぬ事件が起きたのだろうか。クロアナバチの大群が押し寄せて全部狩ってしまったとか。

アオマツムシの大合唱はあまり歓迎できない。ツヅレサセコオロギやカネタタキならいくら鳴いていてもかえって静けさが引き立つぐらいだが、アオマツムシはけっこうな騒音だ。

近所の電灯の下にある草におびただしい数のコガネムシがたかっている。おそらくアオドウガネだ。最初は街灯にひかれたのが集まっているのかと思ったが、違うみたいだ。1種類の植物にたかっているからだ。それは私の知らない園芸植物だ。ちょっと珍しい形状をしている。どうやらそれにとりついて食っているようだ。


2015.8.22(土)晴れ 昼

午前中はコキンで境川。午後はナカガワで境川。

境川でも朝のうちにはずいぶんクマゼミの声が聞こえる。三浦半島にあるような大合唱というわけにはいかないけれど、この数年で定着している感じはある。午後にはツクツクボウシをよく聞くようになった。あの声はたいへん良く通りソロでもインパクトがある。アブラゼミの合唱をベースにしてミンミンゼミとツクツクボウシが境川の晩夏の音だ。そこに小さくキリギリスが割り込んでくる。

気温が高く日差しが強く午後はけっこう消耗した。いつものコンビニ裏に座って雲をみていると白い半月が見つかった。真昼の月は珍しいものではない。でも、見つけるとけっこううれしいものだ。TG-1で撮影を試みたが全然ダメだった。青空に白い月ではオートフォーカスがきかない。液晶モニターがぜんぜん見えず、方角も画角も決められない。撮った写真が確認できない。

デュラエースのギアを3者ハイブリッドにして、14・15・16・17・18・19・21・24・27の9段にしたのに伴って、SISにしてみた。ダブルレバーの位置決めがぴったり動けばSISはいいもんだ。


2015.8.23(日)晴れのちくもり 2.5mm

 ナカガワ

ナカガワの駆動系を総入れ替えした。前ギアは50/39Tのコーラス。しばらくデザインの関係からトップラインを使っていたけど、コーラスもかっこいい。後ろ変速機は105の10S、シフターはデュラエースの9S。パチンパチンとギアが決まるのはそれなりに便利だ。デュラエースのスプロケットにフリクションのカンパでやってるとチェーンの移動がよくわからなかったりする。ときに音もショックもなくチェーンが移動するのだ。それが粋と言えば粋だが、ギアを確認するために下を向いたりするようではそうとう格好悪い。

境川に出て試走すればナカガワは絶好調である。だいたい仕様をいじったときは絶好調だ。チェーンなんかもきれいに油をひいたりするから。

ところがしばらく走っていると、腰が痛くなってきた。例の仙骨付近の筋肉だ。姿勢や力の入れ方を変えてみてもどうもうまくいかない。力を使えばすぐに痛くなる。

思い当たるふしはあった。トップラインのクランクは167.5mmでコーラスが170mmなのだ。コーラスの方が2.5mm長い。クランクが長ければそれだけサドルが高くなる。このことはもとから気づいてはいたけれどペダリングに何か支障があるわけではないからサドルの調整はしなかった。

4時間ほど走って試しに下ハンにしてみるとハンドルが低く感じた。ハンドルが低いのは2つ原因があって、ハンドルが低いかサドルが高いかだ。今回はハンドルはいじってないからやはりサドルが高いのだろう。念のためにちょうどクランク長分の2.5mmだけサドルを下げてみれば、嘘のように腰の痛みがなくなった。たかが2.5mm、されど2.5mm。サドル調整の大切さを再認識した。


2015.8.29(土)くもり 半原越のヨウシュウヤマゴボウ

 ヨウシュウヤマゴボウ

暑さに負けてぜんぜん行ってなかった半原越に行ってきた。境川→134号線→271側道→玉川→半原越という、がんがんいこうぜ逆回りコース。自転車は黒パナあらためコキンちゃん。

いつもの棚田はみのりが良く収穫を待つばかりに見える。すでに水は落とされている。稲の植わっている地面にはヘヤーグラスとよんでいる雑草がびっしりだ。今年、私の田んぼアクアリウムではこの草は発生しなかった。よくみれば葉の先に白いものが付いている。小雨は降っていたから最初は雨粒だろうかと思った。ところが、雨粒はまた別についている。どうやら花らしい。ヘヤーグラスの花を見るのははじめてだ。水を落とすタイミングとか花期の短さとか出会うためにはけっこうなハードルがあるのかもしれない。

半原越のタイムははなっから期待していない。24分であればまあいいやという心境だ。過ぎた夏を惜しんで雨に濡れた路面をゆっくり走ることにした。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'54"4'54"+2114.3-68170
区間29'57"5'37"+3312.6-72181
区間315'18"5'32"+2712.8-67173
区間423'04"7'01"+4310.2-59175
全 体+12412.3-66174

気温が低く走るのが楽しい日だった。雨に濡れたコケがきれいだ。足元からコオロギの声がする。道ばたのヨウシュウヤマゴボウが不自然にカットされている。人間の仕業ではない感じだ。鹿が食ったものだろうか。ヨウシュウヤマゴボウには毒があるようなことを聞いたような記憶があるけれど。


2015.8.30(日)雨 秋雨の境川

 エビガラスズメ

いまちょうど秋雨前線が境川の上にかかっており一日中雨になるのは確実だ。TG-1を持とうかなとは思ったけれど置いていくことにした。いざとなれば携帯電話がある。まさかこの雨に環水平アークとか乳房雲とか、カメラがないことを悔やむ被写体はあるまい。

けっこう冷たい雨で雨合羽を着てコキンで出かけた。風は弱い。ギアは42×14だとちょっと重い感じで、38×13Tにした。80rpmでぐいぐいと行くよりも、前足の体重を軽くかけて回す感じの練習だ。平坦ならその走り方が最も効率的であるし、7%ぐらいの登りでもその方が速いように思える。

境川周辺の稲がみのりはじめている。そうなると落ち着かないのがスズメだ。群れになって田んぼに入り穂をついばむ。彼らも米を盗むことには後ろめたさがあるようで、自転車で近づくといっせいに飛び立って田んぼから離れていく。

雨は弱く虫は普通に活動していた。道路に人が少ない分かえって活発なぐらいだ。自転車で走っていても聞こえるコオロギにエンマコオロギが混じるようになってきた。毎年、稲がみのるころにエンマコオロギが鳴き始め、収穫のころに最盛期だ。アスファルトにこげ茶地に赤い斑紋のあるチョウをみとめてどきっとした。新鮮なウラギンシジミだ。境川にも少なくないチョウのはずだけれど、見かけることは少ない。続いてモンキアゲハ。このチョウも境川で見かけることは滅多にない。この夏はあまり見なかった。半原越に行かなかったからだ。

雨の日は道路がすいてすいすい走れる。歩行者も自転車も少ないせいか、路面を歩くスズメガが頻繁に見つかる。未だに種名が判然としない緑の固いやつとセスジスズメだ。写真のものはエビガラスズメだと思う。イマイチ美形とはいえない。なんだか巨大ウジ虫みたいだ。携帯電話だとアングルを決めてピントを合わせシャッターボタンを押して、写るまでに3秒ぐらいかかる。近づいてくるイモ虫の足でもじゅうぶん後ピンになるタイムラグだ。うまく写らないのもまた愛嬌だと割り切る。撮影後はつまみ上げて進行方向の草むらに放してやる。幼虫にとっては迷惑なことだ。ただ、こんな雨の日でも踏みつぶされた幼虫が2つ3つと転がっている。撮影に協力してもらったからには放置できない。


2015.8.31(月)くもり 今年の田んぼ水槽

田んぼ水槽

今朝撮った田んぼ水槽である。今年のできはあまりよくなかった。ロタラ的な有茎草の伸びはいまいち。シャジクモの繁茂もいまいち。ひょろりと伸びているロゼットタイプの草はおそらくコナギである。田んぼで幅をきかせているあのホテイアオイみたいなコナギの姿からは想像もつかない。ヘヤーグラス(おそらくマツバイ)は芽吹かなかった。もう秋で草は成長を止める。これ以上のはなやかさは期待できない。

貧相になった原因はもともとの土にあるのだろう。隣り合った田ですら雑草の植生がけっこう違っているものだ。ちっぽけな泥の塊から芽吹く雑草に年ごとの偏りがあるのは当然だ。肥料分も少なかったみたいだ。


2015.9.9(水)雨 壺神山サイクリング

夜昼峠

9月5日、千丈小学校裏から夜昼峠(よるひるとうげ)に向かう。夜昼峠の山々には霧が薄くかかっている。大洲盆地で発生した朝霧が峠を越えて千丈の山までやってきているのだ。この霧は昼ごろにはすっかりあがるだろう。

今日の目的地は大洲の壺神山(つぼがみやま)の西斜面だ。壺神山は1000m級の堂々たる山塊である。その山腹は広く杉などの人工林で覆われている。山頂にはまだ立ったことがない。高校生の時に一度登山計画を立てたものの断念した事がある。また、西の山麓には地元で有名な白滝(しらたき)という観光名所がある。50年前に部落のイベントで白滝を訪れ「紅葉狩り」をした楽しい記憶があった。

今回も自転車だから山頂を目指すわけではない。山麓の肱川べりから壺神山を眺めると中腹に集落があることがわかる。四国では山中深くに数件の集落が点在することは普通だ。平家の落人が隠れ住んだ村という言い伝えは四国の各地にある。壺神山にそういう言い伝えがあるかどうかは知らない。ただ深い山中に道があることがありがたい。集落があれば道路が通じていて自転車でも行けるだろう。きっと楽しいにちがいない。この30年ほど、壺神山を走る機会をうかがっていた。

夜昼峠への旧国道197号線はまったくいつもの感じだ。前に走ったのは1年半前の冬だけれど、それが昨日のことのようだ。道路の感じも草木も岩石もすっかりこの体に馴染んでいる。28分ぐらいで峠を越える。大洲側に少し下ったところにお地蔵様がいる。挨拶をしていくつもりが見落としてしまった。ちょっと後悔。帰りに寄ることにした。

夜昼峠の大洲側の路面はあいかわらず荒れている。しばらく続いている雨で路面は濡れ、小石が転がり、杉の枯れた枝葉が積もっている。生活道路ではなくなっており整備状況が悪いのだ。クヌギのZヘヤピンを過ぎたところにある水飲み場で一口だけ水を飲む。これも習慣だ。

野田本川

平野のローソンで昼飯を仕入れて野田本川の脇で休憩。野田本川にはカナダモらしい草がびっしり生えて白い花を咲かせている。川面から突き出す草にも川岸のカラムシにもハグロトンボが多い。縄張りをはったり求愛をしたり、群れた数頭がせわしない動きを見せている。

壺神山の西山腹を走るにはいくつかの登りルートがある。新谷(にいや)、五郎、白滝、長浜それぞれを地図上で比較すれば一番貧相で走りでがありそうなのが五郎ルートだと思われた。まずは五郎からだ。

五郎という地名にはちょっとしたおもいでがあった。小学校のインチキ理科教師が子供の頃に五郎か新谷で暮らしていたらしい。五郎と新谷の子どもはよく喧嘩をしたという。川を挟んで罵り合いながら石つぶてを投げあっていたのだ。危険な遊びだが大河肱川のことで子供の石つぶては対岸に届かず全部川に落ちるばかりだったそうな。五郎の子は石といっしょに「新谷にんじん焼きなすび」というセリフを投げた。新谷の方も聞いたはずだが忘れてしまった。そっちはリズムが悪かったのかもしれない。

サイクリングロード

現在、五郎の土手にはあきれるほど立派な自転車道路が作られている。八幡浜の人間が大洲のことを言うときに必ず「あそこは土地がある」とうらやましがる。その後に「でも霧が出て洗濯物が乾かない」と付け加えることを忘れない。サイクリングロードの続く先に見えているのは標高600mあまりの感応寺山。壺神山はその奥に隠れている。今日は感応寺山の右手を巻くルートだ。

五郎にある自動車教習所の脇を入るとすぐに登りに入る。道は狭い。先に畑か何かあるらしく、すぐに乗用車とすれちがった。1.5kmほど登った所に分岐があり「雲海展望公園→」と書かれた小さな案内板がある。予定の道は雲海展望公園の方向なので案内板の通りに進む。その分岐からの坂は険しい。短い激坂まじりの10%級の登りだ。道路の舗装はあるものの杉の枯れ葉がうず高く積もっている。道路一面に割れた変成岩の小石が散乱している。半原越がホームの強者とはいえ油断は禁物だ。道半ばの山中でタイヤを裂いたら涙も出て来よう。並みの自転車乗りにおすすめできる道ではない。

林道

道路は主として林業のためのものらしい。とにかく暗く陰気な杉林の中を延々と進む。聞こえるのはセミの声ばかり。それもコーラスではなく独唱だ。じつはこの雰囲気が好きであえて五郎コースを選んだのだ。

どれほど経験を積もうと、林道を自転車で進むのは心細いものだ。林業のための道であるから行き止まりも多い。メインストリートでもはっきりした道路とはいえず標識もない。集落を結ぶ道の目安になる電柱もない。走っているうちにどんどん疑心暗鬼になってくる。「この道であっているんだろうか。行き止まりにならないのだろうか・・・」今日は目的地と決めている集落がある。迷ってリタイアは避けたい。

コース

今回は転ばぬ先の杖として強力なガイドを用意してきた。ガーミンEdge500にCourseというものがあることを知ったのはつい最近のことである。Courseはあらかじめ地図でコースを作れば、そのラインがEdge500のモニターに映し出されるというすぐれものだ。しかも走りながら方向とサイズを自動修正してくれる。地図がないだけで立派なカーナビである。

コース

Courseを外れれば10mほどでOff Courseの表示が出るのはもちろんだ。どっちの方向にどれだけ外れているかを教えてくれる。老眼で細かい数字とアルファベットは見えないが、どのみち走行中は画面をしっかり見る暇がないので問題はない。Off Courseと表示されれば、「さよなら〜さよなら〜♪」と心の中で歌って道と分かれ引き返せばよい。深い林の山道であればGPSの精度は落ちるだろう。コースを外れているのは精度によるものか、本当に迷っているのかの判断だけは要求される。ともあれ、Courseのライン上に自分の自転車があればどれほど凸凹がたがたの細道であっても疑心暗鬼にとらわれることはなく安心して前に進むことができる。

雲海展望公園

麓の五郎から7%級の坂を小一時間かけて500mほど登れば雲海展望公園に着く。がらんとした広場があって大洲盆地が展望できる。どうやら宝くじのあがりで造られた施設らしい。雲海展望公園から道は下りが混じるようになる。しばらく登り降りしながら走ると愛媛県道330号藤縄長浜線に入る。330号線は一般県道であるけれども未供用というレッテルがふさわしく、枯れ葉と小石が散乱する細道であることに変わりはない。330号もしばらくアップダウンが続く。

樫谷

今回の目的地は樫谷(かしだに)だ。壺神山の西、標高550mくらいの中腹にある10戸程度の小集落である。目標地点にしているのはコースの最高点に当たるからだ。山道でも集落や畑があれば視界がひらけ気分が晴れ晴れする。おまけに樫谷には水田がたくさんあってみのりの季節をむかえている。山を越え谷を渡ってこの景色を見に来たといえば世間への通りはよさそうだ。

さて樫谷から330号線を使って長浜に降りる手もあるけれど、それは時間切れになる。こんな事もあろうかと、樫谷-白滝もCoursesで作っておいた。がつんと白滝まで降りて肱川の右岸を通って平野に向かうことにした。樫谷-白滝は道が広く路面状態も良かった。樫谷の住民の生活道路なのだ。そして驚くなかれ、白滝のメインストリートはおしゃれな石畳風である。さすがこの辺りでは屈指の観光地である。

八多喜からは肱川を渡って左岸を通ることにした。手持ちの水が樫谷で尽きたからローソン八多喜店でスコールを買うことにした。スコールは神奈川では入手しづらい南日本酪農協同が製造販売している飲料だ。われながらローソン八多喜店に入ったのは成功だった。売り子のお嬢さんが驚愕の美少女だったのだ。各種芸能人、モデルは見慣れている私でも背筋が震えた。あまりの違和感にテレビのロケでもやってるのかとカメラを探してしまったほどだ。

定番のカメラポイントから肱川の鉄橋越しの大州城を撮影し、勝手知ったる道をたどって平野(ひらの)に着く。ラーメン豚太郎から夜昼峠への旧道に入る。世界一の道だ。舗装ガタガタで小石と小枝が散乱しコケが生えて滑るけれども夜昼峠が好きだ。平均斜度は5%に満たず傾斜が波打たない。つづらの峠道を一定の斜度で造るのは人間業とは思えない。夜昼峠の道は天才によって設計されたものと思う。半原2号で34×21T、70rpmですいすい登った。

お地蔵さん

夜昼峠を最初に通ってから50年が経過している。その50年の間に夜昼峠を越えたのは10回に満たないだろう。最近の数回は夜昼峠を走るためだけに自転車で夜昼峠を走った。平野から25分で峠のお地蔵さんに到着してご挨拶。私的ランキング第1位のお地蔵さんだ。お地蔵さんは私が生まれる前からここにいて私が死んだ後もきっとここにいる。私が夜昼峠に来ようが来るまいが、そんなことにはかかわりなくここにいる。


2015.9.10(木)雨のちくもり アワマイマイ

アワマイマイ

9月3日、讃岐山脈を経て香川から徳島へ向かった。目的は「かずら橋」を渡ること。小歩危大歩危と車を走らせつつ「なんでこんな山奥に住むかねえ」とつぶやいていると、「あんたの生まれたとこもここと大差ない」と女房。祖谷の集落は平家の落人が・・・という言い伝えもあるけれど、八幡浜にも「平家谷」という地名や「平家」という姓があった。小中同級のY君なんかは落武者の末裔と宣言してはばからなかったものである。

かずら橋に着いてまず驚いたのは巨大な駐車場があることだ。空港とかモールとかを差し置いて四国一の規模じゃないかと思えるぐらい立派な駐車場が谷の急斜面に造られている。駐車料金もその立派さに合わせて高額だ。さすがに9月の雨続きの平日だけあって車は3台ぐらいしか見当たらないが、どうやら想像以上の観光客がかずら橋を訪れるらしい。

かずら橋は駐車場から歩いて数分の上流にある。歩き始めてすぐに道路の側壁コンクリに巨大なかたつむりを見つけた。雨にうかれてコケでも食べに出歩いている風情だ。これまで見たことがない色とサイズである。半原越あたりではけっこう大きなミスジマイマイがいる。あれらが私の知る最大サイズだが、それよりも一回りは大きい。 徳島の山奥という場所からして、あの有名な巨体日本一といわれるアワマイマイだろうと思った。これで殻の長さは5センチほどしかなく、アワマイマイとしては大きいものではない。なんでも6.5センチになるというからサザエサイズのかたつむりだ。

かんじんのかずら橋は駐車場の造りからしても、がっかり名所化している恐れがあった。どんなことになっていても、かたつむりが見つかったからはるばる来ただけのことはあると思った。


2015.9.11(金)晴れ カワゴケ

カワゴケ

9月4日の朝、雨がやんで仁淀川の支流にあたる中津渓谷の遊歩道を散歩することにした。この秋の長雨で高知の仁淀川本流は濁りがひどい。いわゆる仁淀ブルーはなく本来の顔色をうしなっている。仁淀川にはダムもあって濁りが引くのが遅いのだろう。

昨日もけっこうな雨が降り山から水が流れ出てくる。さすがの中津渓谷もけっこう濁っていたものの、一夜明ければ水量は半分ほどになり濁りがとれていく。

中津渓谷の流れは、濁っているからといって、一般のベージュではなく色合いが緑青だというのがなかなかおもしろい。まるで緑青の顔料を流しているようだ。伊予の青石で名が通っている緑泥片岩の粉が混じってその色が出ているのだろうか。

中津渓谷の遊歩道は宿泊施設のゆの森から雨竜の滝までの2kmあまりである。急峻な谷底の道でとても楽しい。とにかく岩が大きい。伊予の青石は私にとっては目に新しいものではない。紅簾石石英片岩も私には普通の石だが、ここにあるのは巨岩である。谷底に家ほどもありそうな赤い巨岩が転がって水しぶきが上がっているのだ。大きな赤い岩はとても珍しい。

さらに中津渓谷は日常では見られないコケの宝庫だ。ごうごうと水が流れる深い谷であり、斜面からの湧水も豊富だ。日当たり、地質、湿度などに応じて各種のコケが美しく育っている。

半分水に浸かっている紅簾石石英片岩にうれしいコケをみとめた。カワゴケである。カワゴケはショップではウィローモスといって、出所の分からないものが安価に売られているけれども、自然状態のものを目にすることはない。常々水中のチェックを怠らない私も東京神奈川では見たことがないのだ。

ある所にはある水草で、北海道のとある湖の湖底は一面のカワゴケで覆われている。自然度の高い地域が専門の植物かというとそうでもなく、金沢の私のアパート前の排水路とか、八幡浜川之石の田んぼの用水路とか、意外に身近な所に群生していたりする。そこいら辺の水辺でもカワゴケ風のコケはたくさんあって、そういうのがたまたま水没すればカワゴケになるような気もする。どんな水でも期待を持ってのぞき込むから、けっこう見誤まってぬか喜びすることが多い。つかみ所のない謎の植物である。


2015.9.13(日)くもり 体重を使う

ナカガワに乗って境川へ。雨が降りそうであったが濡れてもかまわないと思った。関東地方には台風と秋雨前線の影響で記録的な降水があったが、境川の流域では降水量は少なかった。昨日今日の河原の様子を見る限り、遊水地の越流堤を越えることすらなかったようである。

境川は南向きの風がやや強い。50×17・16Tのやや重いギアを使って体重のかけ方の練習をしてみた。今は踏み足に体重を乗せる練習をしている。力強く踏むためには、腰を伸ばす力をつかって踏みつけるか体重を乗せるかの2つの方法がある。踏みつけるのはすぐに疲れてしまうから体重をうまく使う方が得策だと思っている。体重を乗せるには足が上死点にあるときにサドルから腰を浮かせてペダルに乗せた足に体重をあずければよい。簡単なことだ。

一方、引き足のときには全体重はサドルに乗っていた方がよいはずだ。脚を縮める動きと太ももを持ち上げる動きの双方を使ってペダルを引く。そのとき体が浮いていると、腕と反対の足の踏みつけを使ってしまう。攻撃的なダンシングの様相だ。楽に引き足を使う場合は体は浮いてない方が支えがしっかりして効果的なはずだ。

この2つの合わせ技として、踏むときはサドルにかかる体重は0kg、引くときはサドルにかかる体重が60kgという動作を意識してやってみた。

ところがまったくうまくいかない。どうしてだろう?と5秒ほど考えてすぐに原因がわかった。右足で踏むとき、左足が引いているのだ。踏み引きは同時であるから、右足が60kg、左足が0kgという量子論みたいな真似はできないのだった。

であれば、この思いつきはまったく無駄であったかというとそうでもなかった。力強く踏むためにはサドルに座っていても体重を動員したほうがよい。ある一瞬にペダルに全体重をかけるようなペダリングもありである。そのときには引き足を使わなければよいのだ。逆に完全に座ってサドルにかかる体重が60kgの状態で引き足だけで進むこともできる。通常はその両者の案配をとりながらペダリングをしている。これまでも無意識にそうやってきただろう。しかし、体重を使うことを意識して練習するのとまんぜんと走るのとでは効果に大きな差がでるはずだ。いまどんな動作をやって体重はどうかかっているかを意識化することは無駄ではあるまい。


2015.9.19(土)晴れ 秋空

ミヤマアカネ

どこへ行こうかちょっと迷っていた。朝から秋空が広がりいい日差しが降り注いでいる。ひとまずコキンに乗って境川に乗り出した。風は北よりやや東で弱い。境川を走っていてもそれほど楽しい風ではなかった。それならと時計回りに神奈川中央一周コースだ。

134号線に出て海岸を西へ。花水川から北へ。271側道から東へ。玉川べりを北へ。

清川村のいつもの棚田で昼飯。セントラル神奈川は稲刈りがまっさかりだ。この棚田も一番上の成長が遅い田を残して稲刈りが済んでいた。ヒガンバナのつぼみにミヤマアカネが執着していて撮り放題だ。飛翔力に自信があるのか、けっこう近づいても逃げない。

半原越はゆっくり登った。壺神山以来の本格的な登りだ。やはり登るのは難しいなというのが正直な感想だ。もっと力を入れて走ったとしてもそれほどタイムは変わらなかったかもしれない。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間15'22"5'22"+4913.1-78151
区間211'06"5'44"+4012.3-75171
区間316'46"5'40"+3512.5-71167
区間423'52"7'06"+4810.1-68171
全 体+17211.9-73165

2015.9.20(日)晴れ アマガエルの無念

アマガエル

チネリで境川に乗り出すと、積雲の上に巻雲があった。環水平アークは期待できるだろうか? と太陽の南中高度を概算してみた。そういえばもう秋分である。

秋は路面にいろいろなモノが出てきて死体が転がる季節だ。今季初のハラビロカマキリは、境川の路上に転がっていた。そのそばに黒くて細いひもが丸まって落ちていた。ははんと思って撮影し、パソコンでチェックすると単なるゴム紐で笑ってしまった。

ちょっと笑えるのは今日の写真。アマガエルだと思うがたぶん自転車にひかれた死体。その様子がいかにも無念である。体全体で無念を表現している。かわいそうだけどユーモラスだ。

自転車は相変わらず前足に体重をかける練習。平坦無風で52×19Tだと体重の乗った感じがしない。18Tがまあいい感じで体重が乗る。軽い向かい風でもしっかり体重を乗せれば、引き足を使わず楽にスピードが出る。同じギアで追い風になれば体重を乗せることが難しく、前足は脚の重さで落として引き脚を使う。ペダルの重さで力の入れ方を変えるテクニックは半原越でも使えると思った。


2015.9.21(月)晴れ 秋の雑草

雑草

今日はまず善明川を見たかった。米作りの季節が終わって川の水が澄んできれいになっているのではないかと期待したからだ。善明川に出てみれば川の中は期待以下だった。水草の種類が少ない。ヤナギモとカナダモばかりがはびこっている。ミズハコベは見あたらなかった。そのかわり、人工的に造った遊水地的な水辺はかなり良い感じに草ぼうぼうだった。植栽した草は雑草に埋もれている。花の盛りのワレモコウはきっと植えたものだ。

写真は善明川ではなく荻野川縁の休耕地のもの。ヒガンバナ、マルバルコウ、ツユクサ・・・秋の雑草が花盛りだ。緑濃いのは忘れられたクワ。なんだかすごく良い感じだ。

半原越はナカガワで。39×27Tだけを使ってみた。ちょうど26×18Tに相当するギアで、半原越を固定ギアで走るのには最適だと思う。クルクル回し、田代さやか、犬走り、座り立ちこぎ、立ちこぎ、全てのテクをまんべんなく使う。体がくたびれていて攻撃はできない。23分をこの感じなら楽だ。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間15'17"5'17"+4413.5-73157
区間211'02"5'45"+4112.4-68172
区間316'39"5'37"+3212.8-70169
区間423'15"6'36"+1811.0-60187
全 体+13512.4-67172

2015.9.22(火)晴れ アカマンマ

アカマンマ

この2日ばかりアカマンマをうまく撮ろうと画策している。今日の写真はその花である。サイズやなんかは自慢のスーパーマクロでばっちりだ。いまやろとしているのは背景を明るくする小細工。小細工はしょせん小細工で、やった本人の目で見ればイマイチ感がただよってしまう。

あらためて撮ることで気づくことがある。アカマンマの花はどうやら日周運動をしているようだ。昨日の午後にアカマンマの花を撮ろうと庭に出てみれば、開いている花がぜんぜんない。午前中にはぽつぽつと開いていたから、たぶん午後に閉じたのだと思った。この写真は午前8時頃に撮ったものだ。ただ、2時ぐらいに境川で見たアカマンマの花は開いていたから、朝に開いて午後に閉じるという周期があったとしても、きっかりしたものではないかもしれない。

写真を見れば花粉の丸い粒が花の外にもついていることがわかる。何者かの仕業にはちがいない。はて誰だ? と推理する間もなく、花穂に止まっている一匹のハナアブを見つけた。開いていない花にも口吻を突っ込んで何かを物色している。花粉を食べているのだろうか。ハナアブにも花粉がけっこう付いていた。

アカマンマを撮ってナカガワで境川。境川でも秋の花がつぎつぎに咲きはじめている。ススキが咲いている。ススキによく似た荻はもう少し後で咲くようだ。セイタカアワダチソウは夏の草刈りが入って見事な花は期待できない。枯れたヒマワリが立ち並ぶ様子が見事に廃墟感をだしていた。


2015.10.4(日)晴れ 午後の半原越

このところクロナガアリの活動が活発だ。毎年、秋になると今年はもう出てこないんじゃないかと密かに心配している。庭の巣は最初に見つけてから10年以上経過している。活動はゴミ捨てと巣の拡張が主なようだが、種も運んでくる。ほとんどメヒシバだ。

しばらく半原越から遠ざかっていて、今日は行かねばならんなと昨夜から決めていた。ただ午前中は境川にも行く必要があり逆回りコースにした。逆に回ると半原越がなんだかおまけのような感じになる。自転車はナカガワ。クランクを旧タイプのデュラエースにした。BBもクランクも頑丈なモデルだ。こんな高級なものは必要ないけどね。

気温が下がって登りが楽だ。快調にすいすい走った。半原越にはジョロウグモが意外に少ない。カマキリもまだ出ていない。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間15'07"5'07"+3413.8-77162
区間210'52"5'45"+4112.8-73178
区間316'13"5'21"+1612.8-72170
区間422'44"6'31"+1311.0-62189
全 体+10412.5-71175

2015.10.5(月)くもり 油断できない半原越

 石ころ

半原越はかなり危ない道で、自転車で走るには相応のテクニックを要する。路面状況がかなり悪いからだ。道路の真ん中に大きな穴があって、道を知らないでびゅんびゅん下っているとひどいことになる。

スペシャリストの私はそんなへまはやらないが、どれほど経験を積んでも恐ろしさは消えない。もっとも恐ろしいのは尖った石ころだ。写真は先週、けっこうな雨が降った後に撮ったもの。雨が降ると半原越の急斜面からは雨水で土砂が流されてくる。大きな岩石が落ちてくることもある。それらの石は黒くて比較的柔らかく割れやすい。断面は鋭利である。岩石の種類としては泥岩にあたるのだと思う。柔らかいだけに崩れやすくちょっとした雨でも簡単に流されてくるのだろう。

柔らかいといってもなめてはいけない。自転車のタイヤを裂くには十分な強度があるのだ。ピラミッド、あるいはマッターホルンのような形状の無数の小石が路面に転がっている。そういう石ころを踏んでタイヤを裂き、パンク修理もかなわず、泣く泣く30kmの帰り道をリムでガコガコと走ったことも一度や二度ではない。

半原越はけっこう自動車も走るから、路面の石ころは次第に小さく砕かれて無害になっていく。ただ、同時にけっこう大きな石ころが自動車に砕かれてちょうど危険なサイズと形状になることもある。雨上がりでなくとも油断してはいけない。

秋は踏んで良いものと悪いものを見分けるのが難しい季節だ。これからは落ち葉が堆積して石と区別がつきにくくなる。落ち葉は踏んで良し。落ち葉に似た石ころは踏んではいけない。落ち葉に似たカマキリは踏んではいけない。もっと注意しなけばならないのが蛾だ。アケビコノハ、ムラサキシャチホコが落ち葉のふりをして転がっているのかもしれないからだ。あいつらはその気になって探しても見落としてしまう虫だ。自転車で走っていて見つかるようなシロモノではないだけに、見つかったら相当うれしいだろう。路面に細心の注意を払う理由はパンク回避だけではない。


2015.10.12(月)晴れ 発見!水中スイバ

 水中スイバ

写真は長年探し求めていた水中スイバ(ギシギシ)である。確実ではないけれどまずそう見てまちがいではないと思う。最初に水中スイバを見つけたのは、愛媛県八幡浜市(当時は保内町)の川之石だった。今を去ること15年以上前、湧き水を水源とするらしい田んぼ脇の水路でのことだった。ただその当時はそれほど川の水草にひかれているわけではなく、まあスイバが水中で芽吹くこともあるのかな、などとぼんやり考えていた。さらに、それが本物の水中スイバという確証もなかった。あとから冷静に考えて、湿った水路の土に生えたスイバが増水で沈んでいただけという可能性も捨てきれなかったからだ。

それで湧き水河川を覗くチャンスがあるたびに、水中スイバ(ギシギシ)がいないものかと注意していたこの数年である。

今日は静岡の友人に誘われて、静岡県東部のサイクリングだった。熱海峠を登って三島でウナギを食って柿田川を見物することにした。柿田川は30年ぐらい前にNHKのテレビでその存在を知って見物したことがあった。久しぶりに訪れるとその様相は一変していた。柿田川は今や日本で最も有名な湧水河川である。立派な駐車場ができ、遊歩道が整備され、湧水源には解説者まで常駐している。三連休とあって押すな押すなの行列ができるほどだ。

どのみち川の中には入れないからと、冷やかし半分でポイントAにクリートの靴で降りていった。ミズハコベとかカワヂシャ?とかバイカモとか普通の水草が澄み切った水の中にたんまり生えている。水から顔を出してピンクの花を咲かせている草の群落があり、アカマンマ?と一瞬どきっとしたけど、よく見りゃツリフネソウだった。

水中スイバは写真のようにぽつんと生えていた。やや緩やかな流れの中にあって草体の半分ぐらいが水没している。根付いたときは乾いていたという可能性はない。柿田川の湧水源だから水量の変化はないはずだ。こんなものが、観光地の展望施設から見下ろしただけで見つかるのだ。拍子抜けというかさすがというか、たいしたものだ、柿田川。

展望台から流れまでは踏み跡がついている。頻繁に人が入っているはずである。近づいて確かめようと、解説の人に、降りてもいいのか?と尋ねると、それは許可できないとのことであきらめるしかなかった。衆人環視の大観光地でルール違反はできない。川も立派すぎると不便だ。柿田川はあきらめるとしても、富士山の麓には名のない湧水河川が数え切れないほどあるはずだ。友人も子どもの頃は小学校の近くの湧水河川に入って遊んでいたという。私もどこかを思う存分探索したいものだと思った。


2015.10.15(木)晴れ 深まる秋

 雑草

写真は毎朝観察している庭だ。このささやかな庭でも植生の遷移はよくわかる。優先的な雑草の種類が年々変化するのだ。ことしの庭はアカマンマが多い。一頃とても多かったキツネノマゴは全然見えなくなった。クワクサはなにげに増えているようで、背丈の低いのが何本も見つかる。

季節の移り変わりも顕著だ。ツユクサが花を咲かせなくなってきた。それと同時にツユクサの葉は黄色く色づいている。ささやかな庭から日に日に秋の深まりを感じる。夜にはカネタタキが小さく鳴く。


2015.10.17(土)雨のち晴れ 雨上がりの半原越

 クロナガアリ

いつも通り、朝クロナガアリを撮っていると、奇妙な光景に遭遇した。普通の働きアリの半分ぐらいしかない小型の働きアリが巣から出てきた。何かをくわえていることは肉眼でもわかった。1mmたらずの青い玉である。なんだろなとスーパーマクロのファインダーで覗けば、どうやらアブラムシである。色からしてツユクサにつくやつだろうか。

さてこの行動はなんだろう。アブラムシは誰かが運び込んだのだろうか。それを異物と判断したこの小型の働きアリが巣外に捨てに来たのだろうか。アブラムシは餌にもなるように思われるけど、そこはどうなんだろう。いろいろわからないことだらけの行動だった。

アリを観察している間けっこうな降りだった雨が9時ぐらいには小降りになってきた。これなら雨合羽はいらないぞとコキンで半原越へ。秋の雨の日はたいへんきれいだ。半原越の雨は、梅雨がいいのか秋がいいのか、甲乙つけがたい。しかも今日は暖かいときている。

道路にはカマキリが出歩くようになっている。いつもよりは少ない感じだけど、やはり秋だ。コカマキリを今年はじめてみる。荻野川の路上だった。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'38"4'38"+515.2-82179
区間29'49"5'11"+713.5-79195
区間315'02"5'13"+813.7-76188
区間421'29"6'27"+911.1-65191
全 体+2913.2-75188

この数年、10月あたりで一番タイムがあがる。今日は体感では区間4が6分前半、全体では20分台だった。しかし区間4では6分半かかっており、全体でも21分半だ。この30秒を自転車のボロさのせいにしていいのだろうか。力が衰え感覚がずれているのだろうか。

半原越を降りて左ブレーキの調整のために自転車を歩道に立てかけると、そこにハコベの群落があり花盛りだった。秋の深まるこの季節に思いも寄らぬ春の便りだ。ハコベは普通に秋に咲く花だったろうか。ちょっと気温の低い日があって開花スイッチがはいってしまったのだろうか。


2015.10.18(日)晴れ 探索するアリ

 クロナガアリ

このところ、雨がちで地面が湿っているせいか、芽生えた雑草に朝露が多めについているようだ。せっかくだからその水滴とクロナガアリをからめたショットを撮ってやろうと思った。少し粘ってものになったのが今日の写真。ゴミを捨てるところか種を運ぶところならもっとクロナガアリらしいものになった。シーンを狙えば庭のアリでも楽にはいかないものだ。

アリを撮ってコキンで境川。日曜午前の定例。白旗についてコンビニでコーラなんかを買って休憩所へ。ベンチに座って足元をみれば、ここにもクロナガアリの姿がある。良く日の当たる白旗の草むらではすでに各種の種がみのって収穫の盛りだ。何を運んでいるのかと観察すれば、たいていニワホコリだ。白旗休憩所にも多い草だ。それに混じって目につくのは妙に大きな白い物をくわえている働きアリだ。

その白い物の正体がわからない。見渡してもそんな種をつける草がない。これは一つ撮影して拡大して確かめる必要があろうと、TG-1で狙った。TG-1は万能カメラだが、さすがに歩き回っているアリが撮れるカメラではない。何枚撮ってもまともに写っているものがない。かろうじて白い物が判別できるカットをみれば、パン屑らしくて拍子抜けしてしまった。パンはもともとイネ科の種だからクロナガアリが巣に運び込んでも不思議ではない。パン屑を運ぶかどうか確かめる実験は容易だ。やらないだろうけど。

今日はけっこうアブラゼミが鳴いていた。10月下旬のアブラゼミは記録の対象だ。


2015.10.21(水)くもりときどき晴れ しい

 マテバシイ

写真は境川の脇にある大和東高校のマテバシイである。マテバシイのどんぐりはとても大きくつややかで美しい。きれいなだけでなく、食用にもなる。

女房と境川にサイクリングに行って、例の白旗休憩所で休んでいると、マテバシイのどんぐりが2つばかり落ちていた。休憩所にマテバシイはないから鳥が運んできたのだろうと周囲をさぐった。近所には見当たらず、川を隔てた清流高校か運動公園だろうと思われた。

まずは遠目にもシイの木がたくさん見つかる運動公園にしいの実拾いに行くことにした。運動公園にはしいの木はたくさんあった。ただそれはマテバシイではなく全部スダジイであった。スダジイだって小ぶりながらけっこう美味しいらしい。

さっそく拾って2つ3つ食ってみた。しいの実の味がする。ただ私が子供の頃に食べていたしいの実に比べると甘みが足りない。私が食べていたのはツブラジイ。黒くて丸いどんぐりで実は透明感のある白いものだった。女房が食べていたのは高校の校庭に植えられたマテバシイだ。なんでも早朝まだ暗いうちに登校し、靴を枝にぶつけてドングリを落として集めたらしい。その頃すでに私の女房としてふさわしい資質が開花していたのだ。私はマテバシイを食べたことがない。マテバシイのほうがおいしいから是が非でもマテバシイの木を見つけようということになった。

四国ではマテバシイを見た記憶はない。関東地方にはマテバシイは多い。とくに房総半島では山一面のマテバシイ林がある。それは自然のものではなく人が植えたものだということだ。炭焼きのためとも海苔の養殖のためとも聞いた。この神奈川県でも公園などに植えられているのをみた覚えがある。

境川の周辺にも少し探しただけでマテバシイを植えている場所が3か所ばかり見つかった。とりわけ大和東高校のものが実りが良かった。さっそく拾ってかじってみた。それなりにうまいが、やはりツブラジイほどではない。45年前のJKとしてマテバシイを食べていた女房は懐かしい味だという。

いまでもしいの実を好んで食べる所はあるのだろうか。この神奈川の住宅地に植栽されているシイは食用ではないようだ。私たちにとっても空腹を満たす食品ではなく懐かしさを味わうものになっている。ひさびさにあのツブラジイを食べてみたい。


2015.10.24(土)晴れ セイバンモロコシ

 セイバンモロコシ

体重をかける走り方をもっと練習しようと、サドルを15mmほど前にずらしたナカガワで境川。今日境川に出かける目的はもう一つあった。写真の雑草の収穫だ。たぶんセイバンモロコシという名で、こいつをクロナガアリが好むのだ。セイバンモロコシは完熟すると落ちやすい。草は無数にあるけれど食べ頃の種は意外に少ない。練習をしながらセイバンモロコシの実り具合をしっかりチェックして効率的な収穫計画をたてる必要がある。

採集方法は種の熟してそうなところをちぎってスリーエフ白旗店でもらうコンビニ袋に入れハンドルバーに結んで持って帰るというシンプルなもの。むろん練習にはじゃまだから集めるのは帰路だ。しかもなるべく家に近い方がよい。じつは先週の日曜になかなかよいポイントを見つけて、今日あたりはけっこう採れるんじゃないかと期待していた。ところが、草刈りが入って全滅してしまっていた。となれば、ゴミ袋を縛り付けた自転車で20kmほども走ることになる。境川のセイバンモロコシポイントはかなり藤沢寄りなのだ。

セイバンモロコシ以外にもちょっとした収穫があった。トノサマバッタだ。秋になると自転車で走っているだけでもけっこうトノサマバッタを見る。道ばたの草むらから路面に出てくるものだ。ときおりアスファルトのひび割れに産卵するようなしぐさも目にする。そういうシーンもちょっと撮りたいな・・・と、この10年ばかりチャンスを狙っていた。

今日は首尾良く路上にでている交尾カップルを見つけた。すぐにブレーキを引いて転回して撮影を試みる。ポイントはトノサマバッタを驚かせないことだ。路面のトノサマバッタなんてまず撮れる代物ではない。自分でやっちまうミスはしかたない。問題は休日日中の境川を行き交う歩行者自転車だ。TG-1のマクロズームを最適にセットしながら近づく間にも1台の自転車が私の被写体のわずか15センチの所を駆けていった。車輪の風圧がバッタにかかる距離である。おいおいかんべんしてくれよと心の中だけで叫んで速やかに近づいていく。自転車に逃げないということは私が近づいても逃げないということだ。ついに訪れたチャンスである。

予想通りバッタのカップルは逃げなかった。ワンカットものにしたあとはそっと手を添えて道路の端に追いやる余裕があったほどだ。なにしろ自転車が行き交う道に座り込むバッタ撮影人ははた迷惑である。なるべく道路の真ん中にはいないほうがよい。場合によっては行き倒れと間違われかねない。

事実、半原越の道の真ん中でうずくまって撮影していて、上から降りてきた自動車が止まってドアが開き「大丈夫ですか?」と声をかけられたことがある。道路に自転車が転がって人間がうずくまっていれば普通は交通事故か行き倒れだ。申し訳なかったけど、あのときは車の接近に気づいても道を譲れない被写体だったのだ。「だいじょうぶですよ。ちょっと珍しい虫の写真とってただけです。すみません。」とにこやかに応えておいた。

ずらしたサドルは予想通りぴったりだった。下ハンで体重をペダルにあずけることができる。ただ上ハンだとちょいと体が立ってサドルが低い感じがある。ブラケットならきっと登りでもイケそうだ。全ての乗り方にフィットするサドルのセッティングなんてないと思っている。いまのは下ハン最適ポジションなのだと割り切る。


2015.10.25(日)晴れ 木枯らし1号

 田

昨夜は木枯らし1号が吹いた。今年の冬がまた来る。女房とゆっくり海まで行ってしばらく湘南の海を眺めてきた。真昼の太陽が海面に反射してまぶしかった。

写真は今日午後の境川周辺にある田んぼ。刈り取られた水稲の株から青々としたひこばえが生えて花が咲き穂が伸びている。ただし籾の中に米はない。木枯らし1号にあわせて空気はすっかり晩秋だ。午後には日差しが黄色くなりコントラストが強くなる。

日が落ちてこれから宇宙ステーションきぼうを二人して見ようという算段をしているところだ。


2015.10.30(金)晴れ 庭のウズムシ

 ウズムシ

今朝、ひとしきりアリを撮って巣の近くをみれば異様なものが目に入ってきた。まずはオカワカメ?だと思ったからだ。オカワカメはわずか10分でこんなに成長するものだろうか? そいつのやる気なさはまっとうな動物には見えない。サイズといい色つやといい、見た目まさしくオカワカメなのだが、きっと動物なのだ。

写真は一度つまみ上げて撮影のために置いたもの。つまめばやはり動物だ。ちゃんとイヤイヤという動きもすれば逃げもする。腹側?にはラインも見える。しかし私はこいつを見た記憶がない。こういう形状をしておればウズムシには違いないだろう。ウズムシなら近縁にコウガイビルがいる。真っ黒なコウガイビルは子どもの頃からの旧知だ。しかしどれほどコウガイビルに似ていようとサイズが全然違う。長さはいいが太さがそうめんときしめんぐらいちがう。コウガイビルはもっとしゃんとした動物という印象だ。しかもコウガイビルのチャームポイントの笄が見あたらない。

その正体を知ろうとネットで調べてみれば、一番近いウズムシが「ニューギニアヤリガタリクウズムシ」だった。世界的な困りもので、日本でも父島に侵入して陸貝を食い荒らしているやつだ。だったらやばい。

ざっと調べたところでは神奈川県では見つかっていないらしいからニューギニアヤリガタリクウズムシではないだろう。かといって在来の普通種ならこれまで見過ごしてきたとも思えない。私の庭でもけっこう生息しているあのコウガイビルが、なにかの都合で太って笄が見えなくなることがあるのだろうか。謎の虫だ。


2015.10.31(土)くもり 庭のウズムシ2

今日もウズムシを見つけた。昨日のとかなり似ているけど違う個体だろう。ちゃんと笄もついておりクロコウガイビルというやつで間違いないみたいだ。昨日のは今日のより2まわりぐらい太いが、餌を食った後とかで、そうなることもありそうだ。ひとまずニューギニアヤリガタリクウズムシという懸念は完全になくなった。はずみで触った指にかなり強いべとべと粘液がついた。ウズムシはのろまな動物であるけれど、この粘液を使えば捕食が可能だろうと思った。全身これゴキブリホイホイって感じで。

ところでウズムシが上陸したのはいつなんだろう。古生代だろうか。だとしたらけっこうな動物だと思う。いかにも海に適したその体のまま上陸をはたして、3億年の環境変化に耐えて同様の体で生き抜くことは並みの器量ではできまい。こういう原始的と評される形態の生物はウズムシ以外にもたくさんいる。最底辺で生きる地味な動物はたいていそうなんじゃないだろうか。やつらの完成度の高さとがんこさは尊敬したい。「生き残れるのは変化できるもの」なんて嘘だ。

ナカガワでひとまず境川にでかけ、セントラル神奈川を時計回りで半原越に行くことにした。今日はけっこう乗れた感じがした。うまく脚がペダルにかかっている。体重のかけ方も良かった。それほどつらい思いもせずに登り切った。ただしタイムは平凡。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間15'07"5'07"+3413.7-77160
区間210'31"5'24"+2013.1-74186
区間316'03"5'32"+2712.8-72175
区間422'35"6'32"+1410.9-62197
全 体+9512.5-71181

帰宅して、一夏の思い出の田んぼアクアリウムを撤去。プラケースの底を持って持ち上げると、ねとねとした嫌な感触があった。正体はすぐにわかった。ちょっとうんざりだ。ねとねとぬるぬるひも系はイマイチ苦手。それでも庭にいるというだけでウズムシもけっこうかわいく見えてくる。

毎日観察しているジョロウグモを見れば交尾しているようだった。はじめての目撃だ。これはっ!と、撮影しようとして不用意に近づき糸に触るとかんたんに解けてしまった。ジョロウグモの交尾はオスの命と引き替えというわけではなく、彼らなりの愉快な夫婦生活を営んでいるみたいだ。


2015.11.1(日)晴れ アリの餌

 エビガラスズメ

ナカガワで境川。自転車の練習とセイバンモロコシの収穫。セイバンモロコシの種はたいへん好評である。私が人間や動植物相手にやっているサービスで、もっとも受け入れられているのが、アリの餌やりであるといって過言ではあるまい。

11月の声を聞いて風は北より。やや冷たい。路面には秋の終わりの虫たちの姿がある。直翅目の類が多い。まだ草むらで鳴いているやつもいる。直翅目の中でもとりわけ目立つのがカマキリ。いわゆるカマキリやコカマキリは草むら系で境川にも多い。晩秋になるとコカマキリが特に目立つようになる。

写真はスズメガの幼虫。境川のサイクリングロードはいつでもこいつが横切っている。厳冬期を除くフルシーズンの風物詩みたいだ。エビガラスズメだろうと思うが、スズメガには似たやつが多く同種でも模様がいろいろで、いまいち断言する自信はない。

自転車はどうもいけない。快調に走ってスピードにものっている感じがしている。しかし数字が変なのだ。メーターに表示される速度が小さい。体感30km/hのとき29km/hと表示されている。100km走っているようで90kmしか走っていない。この感覚のずれには最近気づいた。やはり還暦間近ともなれば体は急速に衰えるのだろう。

秋の草刈りでセイバンモロコシの茂みは半分ぐらいが刈り取られている。ただアリの餌にする分には十分な量がある。走りながら実り具合をたしかめる。ここはあと3日、ここはあと1週間、ここは時すでに遅し。

種の採取は簡単であるし私のアリたちにも好評なのだが一抹の不安がある。はたしてアリに餌をやっていいものだろうか? 庭の生産力以上に食料を供給する愚は、現在の日本農業が行っている過誤を自分でもやってしまうことにならないか? 餌を与えることが本当にアリの幸せになるのか? 下手なODAを自分の庭でやっているようなものではないのか? いろいろな疑念は浮かびつつ、ま、楽しいからいいかで済ませてしまう。


2015.11.3(火)晴れ 庭のウズムシ3

チネリを準備して境川に行こうとしていると例のウズムシの姿があった。何をどうしたものかコンクリートの上を這っている。30日に見つけたのと同じ個体だろうと思う。今日はずっとまるまるしてオカワカメ感はない。黒いきしめん、あるいはほうとうである。あらためてみれば、やはりあの黒いコウガイビルとは違う動物のような気がする。

それにしてもこいつは何をやっているのかと気になった。雨の夜に出歩いたには違いない。今朝までけっこうな雨が降っておりまだアスファルトは濡れていた。ウズムシのいるところは不十分ながら庇のあるところでもう雨は乾いている。乾いたコンクリート上では具合が悪かろう。あと30分もしたら日が射してくる場所である。本人も気分が悪いらしくにょろにょろとスローペースで這っている。

ウズムシのことはウズムシにまかせてチネリで境川。ホイールは旧式ボスタイプのフリーをつけたやつだ。13-21Tの7段。北寄りの風がやや強く追い風だと52×16Tがクルクル回る。向かい風だと19Tで軽く体重をかけて回せる感じ。17Tでは体重がかかっている時間が長すぎるように感じる。ケイデンスは70rpm程度。

あまり追い込む気もなく。休憩を入れて5時間ほどで100kmを流す。このところガーミンEdge500が半日100kmの通常メニューでも電池切れを起こすようになっている。今日は一計を案じてGPSを切ってみた。新しい道を開拓するわけでもないのだからGPSはいらない。そういうことにもようやく気づいた。やってみるとやはり電池の消耗は小さいようだ。普通なら電池切れになっているところを残量60%以上と表示されている。Edge500は半分ぐらいの力をGPSに使っているのだろうか。そろそろ買い換え時期でもあろうが、新型のガーミンがぜんぜん魅力的ではない。小型の廉価版がかっこいいけど、バッテリー持ち時間がカタログ値で8hというのはちょっとこころもとない。今しばらくは5年使ってきたEdge500で走ろう。簡易な延命策も見つかったから。

境川の路面には虫の死体がごろごろ転がっている。トノサマバッタ、スズメガ、クビキリギス、カマキリ・・・まさしく犬死にだなと思う。天気が良く暖かくて飛んでる虫も多い。ユスリカの蚊柱がたってトンボが狙っている。ウスバキトンボの姿もあった。11月だから記録しておこう。夏の名残だ。

 ウズムシ

セイバンモロコシの種を集めて帰宅し、ウズムシのいたところを見れば、朝の場所から50cmほど離れた所にウズムシの乾いた死体があった。アリが2匹ばかりたかっている。もちろんクロナガアリではない。ウズムシはやはり乾燥に耐えられず死んだのだろう。こういう黒スルメイカ状態から復活できるなら驚愕だが、いかにも悶絶して力尽きました〜という余裕のない姿である。


2015.11.6(金)晴れ スリムになったジョロウグモ

 ジョロウグモ

この夏は6頭ばかりのジョロウグモ♀が庭に生息していた。そのうちもっとも羽振りがよさそうな個体が3日火曜日にいなくなっていた。私の庭ではクモの稼ぎがよいとはいえず、小さいメスから順々に姿を消している秋だから、羽振りがよいとはいえこのメスももしかしたら脱落組かもしれないと心配してた。

そいつがまた写真にあるように同じ巣に戻っている。メスは別人のようにほっそりしている。腹の中に溜まっていた卵を産んでもうひとがんばりというところだろう。巣の近くで卵が見当たらないかと探したものの見つからなかった。

ジョロウグモの卵は今シーズンすでに一つだけ見ていた。場所は高知県仁淀川の支流にあたる中津渓谷にかかる大きな橋である。その橋は歩道に沿って屋根がある立派なものだ。屋根と欄干をつなぐ柱を足場に多数のジョロウグモが巣をかけていた。そして巣からほど近い場所に卵があった。美しい黄色の糸でしっかりと橋の軒裏に産み付けられていた。それは9月の初旬であったから、産卵時期の早さに少し驚いた。と同時にジョロウグモの産卵は一生一度の大事ではなく、数回に分けて行うのだろうと予想できた。中津渓谷の橋のジョロウグモたちは皆稼ぎがよさそうでまるまる太っていた。メスのまわりにはオスだけでなく、イソウロウグモもあきれるほどたくさんいた。橋には照明器がついている。おそらく川と山から虫が夜間の照明にごっそり引き寄せられて巣にかかるのだろう。

さて、私のジョロウグモは隣家の壁とかビワの木の幹とかそのあたりに産卵したのだろうと当たりはついた。私にはもう1頭産卵にこぎつけそうなメスがいる。6本脚になっているけどそれなりに太ってはいる。ジョロウグモのようなビッグな虫が安定的に育っているのはちょっとした自慢だ。


2015.11.11(水)晴れのちくもり いなくなったジョロウグモ

 ジョロウグモの巣

写真は昨日の朝のもの。ジョロウグモが消えた巣に雨粒がついてその形がくっきり見えた。いくぶん寂しい晩秋の光景だ。この巣は私の庭で最も成長がよかったメスのものだ。1日あまり姿を消して元いた巣に復帰し、また1日あまりたつとその巣を放棄してすぐ近くに写真の巣を張った。そして3日ほどでいなくなった。行方不明の原因はわからない。事件事故の類であれば巣にあいている丸い穴が気になる。

同じく、もう1頭のメスもしばらく姿を消している。そちらは産卵であろうと当たりをつけていた。ただ行方不明から1週間がたち、復帰することはないだろうと思っている。その巣のオスはメス不在のあと3日ばかり巣に留まっていたが昨日にはいなくなっていた。見切りをつけたのかもしれない。主がいなくなった巣にはムクゲの枯葉がかかるにまかされている。

ジョロウグモはどうやって死ぬのだろう。巣からいなくなる場合、自然死いゆわる老衰ということはあるのだろうか。巣に留まったまま死んだらしいものは見たことがあるけれど、他の原因の死は見たことがない。卵を守ったまま死ぬこともあるのだろうか。事故はそれなりに多いようだ。巣が破られて行方不明になることが多い。鳥による捕食とか通りすがりの事故が考えられる。その他にも、脚がもげている個体の割合が非常に高い。こちらは同種による争いも考えられる。


2015.11.15(日)雨のち晴れ ナイキと逆ナイキ

朝はまだ雨が降っていた。庭でクロナガアリを撮って雨具を着てコキンで境川へ。気温が高いから出発にためらいはない。とにかくペダリングの練習だ。体重をペダルにかけ、しかも無駄がないように。

 ナイキ

左の図は快適に巡航しているときのペダリングのイメージ。ペダリングで一番使っている力は脚を持ち上げる力だ。ペダルは脚の位置エネルギーを使い重さで落とす。その力だけでも80rpm、23km/hで走れる。スピードも欲しいときは落ちたペダルに引き脚を使って力を加える。ピンクで示した感覚だ。ちょうど靴屋のナイキのマークをイメージするといいだろう。ペダルが一番前を過ぎた所から力を加えて下死点から後ろにすっと引く。最も大事な、脚を持ち上げる力をじゃましないように、下死点から上死点までひっかかりがないように注意する。

 ナイキ

上のやり方では速度に限度がある。平坦を90rpm、30km/hで走るならそれだけでかまわない。風に対抗したり坂を登ったりもっと速く走ろうとすれば体重を使うことになる。ペダルが上にあるときに上半身も含めて全体重をくわえる。それは時間にしても一瞬、0.1秒ぐらいか。上半身の体重を動員するには体をほんの少し、尻の皮半枚ぶんだけ浮かせる必要がある。腕力、背筋力が必要になるのだ。体重はペダルが一番前に来る前に抜かなければ、無駄に力を使うことになる。

イメージは黄色で示した逆ナイキだ。体重をかけることはランニングや階段登りみたいになる。このペダリングはそういう動作と似ているようでじつは違う。階段登りでは体重を脚で持ち上げなければならない。地面は落ちていかないからだ。自転車のペダルは下に落ちるから体重をかけても体を持ち上げる必要がない。したがって体重を支えても膝に来ない。このペダリングで太ももが熱くなったり、ふくらはぎが痛くなるようではミステイクである。ここの所をしっかり意識するのがこのペダリングの胆だ。塩梅良くペダルが落ちるギア比を選択しなければならない。

この2つを状況に応じて使い分けたり、両方いっぺんにできればけっこうな乗り手になれる。両方やるのは難しいが半原越をかっこよく速く走りたい自転車乗りには必須のテクといえよう。ポイントは、ピンクと黄色の間に一瞬の空白があることだ。そこで脱力できてホンモノになる。相反する力のかけかただから一瞬の脱力がないとうまくいかず続かないのだ。私は同時に両方使うことはできていない。もしかしたらそれは机上の空論で不可能なのかもしれないが、やり込んでみなければそんなことは分からない。

もう一つ、ペダルが一番後ろにあるときから力を加えて脚を前に出す運動もある。これを無駄なくやるのは相当高度な技だ。もしこの3つを合わせもって半原越を走りきれるようなら達人といえよう。


2015.11.22(日)くもり ペダリングの基本

今日もアリを撮ったあとにコキンで境川。北からいい案配の風が吹いて絶好のペダリング練習コンディションだった。そこで俗に言われる「力を使わない」練習をしてみた。私が自転車初心者を指導するとき最初に教える走り方だ。どれほどベテランになってもないがしろにできない基本だ。

「力を使わない」といっても自転車は力を使う。脚は1本で15kgほどあるらしく、その脚を持ち上げるのは絶対に必要だ。脚を持ち上げる力はとても強くて持久力がある。強すぎて普段は使っていることすら意識できない。だから誤って「力を使わない」と表現される。

自転車で脚を持ち上げる高さは34cm(クランク長の2倍)である。持ち上げた脚の位置エネルギーで自転車が進む。それだけで20km/h以上になるだろう。15kgの物体を0.5秒で34cm持ち上げるのはまあたいへんだ。腕力でやれる人はめったにいないだろう。脚ならだれだってできる。それほど脚を持ち上げる力は強いのだ。

コツとしてはペダルを落とす力をぜんぜん使わないこと。下半身も上半身も脱力しきることだ。脚の重さで自然にペダルが落ちて自転車が進む。同時に逆の脚は持ち上げなければならないけれど、足がペダルに引っかかってはいけない。両足ともペダルに触れているだけのペダリングだと思えばよい。

この走り方で出る速度は技術とか体力の問題ではなく物理の問題だ。自転車乗りの最底辺でうごめく私とツールでマイヨジョーヌ争いをしているトッププロの速度は同じである。くどいようだが脚の位置エネルギーだけで走るからだ。

ペダルを落とす速度を物理的に計算してギア比を決めなければならない。単純計算すれば、脚が0.34mぶん自由落下する時間は0.26秒で、ケイデンスは110rpmになる。ただ、落ちた脚はすぐに持ち上げなければならず、ペダルは円運動している。落ちる速さに限ればペダルが一番前にあるときが最速で、下死点では0m/sである。ペダルが落ちるにかかる時間が0.26秒とはならない。上死点からペダルが一番前まで落ちる時間を0.19秒とし、その4倍をクランク1回転にかかる時間とすれば80rpmである。その辺のケイデンスが最適だろう。

というような理屈にもとづいて追い風でも向かい風でも力を使わず脚の重さだけで4時間ほど走った。ちなみに3時間ほどでペダルに足がかかるようになった。脚を持ち上げる力が尽きたのだ。そうなると自転車はぜんぜんダメ、そこで試合終了である。ともあれ15kgの物を3万回ほど持ち上げたのだから人体ってすごい。


2015.11.23(月)くもり 香巌上樹

坐禅とサイクリングは同一物だ。自転車界ではよく知られた事実である。不調の競輪選手は禅寺での修行が義務づけられている。「悟り」という名がつけられたトレーニング器具もある。

したがってペダリングは禅問答だ。昨日のペダリングの基本は凡人には理解できない。なぜなら、踏み込みのときに全身脱力することがポイントだからだ。一番力を入れるはずの所で脱力して重力に体をあずける。自転車上での全身脱力の境地を禅では有無を離れた絶対無として空という。現成公案にも「万法すすみて自己を修証するはさとりなり」とある。人体をただ一個の物としてペダルといっしょに落ちるのだ。大死一番絶後再蘇の境地を体験してから本当のペダリングが始まる。

古来より禅の達人がペダリングのヒントを残している。香巌上樹は公案になっている有名な問答だ。崖の上に突き出した木の枝に口でぶら下がっているとき「仏法の神髄は?」と問われたらどうするかというものだ。いくぶん回りくどい禅問答だけど自転車乗りなら絶対に通っておかねばならない。私なら「待ってました!よくぞ尋ねて〜」とでも答えて落ちて行こう。

自転車の技術を磨くことは、崖に登り、木に登り、枝を咥えてぶら下がるようなものだ。なんでそんなことをやるのか意味がわからない。苦行である。危険なことでもある。普通、そういう者に出会えば、見ないふりをするか降りるよう説得するだろう。ただ見るものが見れば、そこに何かを感じる。ホンモノならば、馬鹿なことはやめよと言うかわりに、こいつなら!と、全身全霊で祖師西來意を問うのだ。

自転車乗りもそう問われれば上々だ。そもそも人生には、その手の質問を受けること以上の誉れはないのだ。私には道のりはるか遠い。


2015.11.25(水)小雨 壊れかけているカメラ

 クロナガアリ

写真は今朝のもの。ササガヤの種をいっしょうけんめい運ぼうとしている働きアリ。クロナガアリがもっともたくさん集めてくる種はササガヤだ。私の庭にある種は9割以上がササガヤだろう。ササガヤには長い芒がある。その芒がよくひっかかるのだ。アリもそこはわかっているようで、ひっかかっても無理に引くだけでなく方向を変えてかかりを外そうとする。それでもにっちもさっちもいかなくなりあきらめて手ぶらで巣に帰ったのを何度か見たことがある。

このアリはじつは2匹目である。もともとこの種を運んでいた1匹目は、何度も何度も芒がひっかかって、そのつど苦労して外してようやく巣の間際まで運んできたところでまた引っかかってしまった。もちろん外す努力はしたもののさすがに嫌気もさしたようだった。そこに写真のアリがやってきて、どんな相談があったものか、速やかに交代して写真の状況になった。この後、苦労が実って首尾良く巣の中に運んでいったのである。

というような状況を毎朝自慢のスーパーマクロで楽しく撮影している。カメラはニコンD100といういくぶん古いもので数年前にプロから譲り受けた。そのときからすでに細かい故障はあった。使用年数は少なくても使い込んでいたのだ。スーパーマクロはピントも露出もストロボもフルマニュアルでの使用だからたいていの故障は問題にならない。ただ、最近シャッター回りがへたってきた。D100のシャッターは設計上15万回は耐えられるという。私が手にしてからも5〜10万回は撮影しただろう。連写はしないが、アリの季節には毎朝100回はシャッターを押すから、アリだけで年1万回だ。この数日はシャッターの不調に加えて、絞りが戻らなくなってきた。普段は解放になっていて撮影時にF22ぐらいまでに絞って適正露出を得るのが一眼レフの仕様だ。その戻りがきかなくなってきた。これまでの経験から、もう長くはもたないような気がする。

さてどうしよう。シャッター回りに寿命が来たデジカメは捨てるしかない。後継機の候補だがD100ならヤフオクで1万円以下である。撮影1万カット程度の使い捨てでD100にするか、もうちょっといいカメラでD300sであれば中古屋で5万円ぐらいだ。さあどっちにしよう。


2015.12.4(金)晴れ サイクリングとランニング

先週の土日は日光だった。温泉につかりながら卓球の練習をしようという豪勢な企画に乗ったものだ。ただ、自転車も捨てがたいので往復200km程度のサイクリングも盛り込んだ。中央林間から田園都市線・半蔵門線・東武線を使って利根川の手前まで輪行する。なんと乗り換えなし、始発から終点まで一気通貫の楽々輪行だ。

私は自転車を移動手段として使うことはめったにない。日光は数少ない自転車移動の機会だった。一般道を通ってトレーニングの意識をまったく持たずに目的地を目指す。日光の目的地は標高500mほどの所にあるが、登りとよべるような登りもない。20kmぐらいかけて500mあがるのだ。関東平野の広さに改めて気づいた。

そういうサイクリングだと進むための力を使わない。脚を持ち上げることだけに力を使うことを意識して楽に走る。25km/hから30km/hで何もやってない感覚で走れる。たまたまゆるい追い風基調だったこともあり、200kmがたいへん楽だった。ふだん境川や半原越でやっていることと全然違う運動にすら思える。

じっさい走ることに比べれば自転車は楽である。日光往復では、2.5倍のギアを80rpmが標準ペースだった。それはウォーキングに毛の生えた程度の運動だ。ランニングであればこうは行かなくなる。私がランニングに凝っていた高校生の頃の通常練習では10kmを50分ぐらいで走っていた。その1時間の疲労感は日光行きの100km、5時間に相当するように思う。

私がランニング最速だったころは、1500mを5分程度だった。オリンピックの女子マラソンぐらいの速度だ。それで計算すれば圧倒的にランニングのほうがしんどいことがわかる。ピッチは160rpmあり自転車の2倍。歩幅は1.5mほどで、自転車の5mに比べて3分の1以下しかない。2倍のピッチで3分の1の歩幅ならランニングは6倍の運動量になる。それにマラソンだと脚を持ち上げる力だけでは絶対に走れない。一歩ごとに全体重を足で支えて前に蹴らなければならない。自転車ならしゃかりきに登りのタイムトライアルをしているような状況だ。

ランニングでの高野地タイムトライアル20分は半原越タイムトライアル20分とほぼ等しいように思う。16歳の若者と55歳のおやじの比較ではあるが。

さらに、ランニングでは足首や膝にかかる負荷も半端なものではなく、ちょっと無理をすると痛みに襲われた。ランニングは故障の危険も大きい。


2015.12.5(土)晴れ 小春の半原越

 半原越のある稜線

まあ良い天気だ。暖かくて風も弱い。チネリで半原越。下りもあるからと真冬の装備をしてきたが、その必要はなかった。神奈川のこのあたりは紅葉がいま見頃なのだろうか。

いつもの棚田は冬の荒起こしが済んでいた。緑の雑草が斜光にはえてきれいだ。足元にはベニシジミがいる。きれいな個体だ。スイバに興味を示しているから産卵をするつもりなのだろうか。越冬態は幼虫らしいが、暖冬であれば卵でも成虫でもいけそうな勢いだ。

半原越は久しぶり。まだ冬の殺風景という感じではない。いろいろと秋の名残がある道だ。最近は登りを力強く走る練習をしていない。たまに半原越に来ないと天狗になってしまう。平坦な道をぐいぐい行けるからといって全然強いわけではないのだ。登りに必要な強度は次元が違う。このことはしっかり分かっているつもりなのだが、うっかり忘れてしまう。39×27Tで普通にがんばった。23分オーバーはちょっと遅い。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間15'07"5'07"+3413.8-74169
区間210'46"5'39"+3512.6-69184
区間316'16"5'30"+2513.0-70179
区間423'12"6'56"+3810.4-56187
全 体+13212.3-66180

半分過ぎたところでマウンテンバイクで走る長いひげのおじいさんを追い越した。私もあと15年も生きながらえればあれぐらいの年齢だ。さてそのときも半原越を走る元気があるだろうか。


2015.12.6(日)晴れのちくもり 庭前柏樹子

柏樹

今日は女房とサイクリング。鎌倉に行ってきた。鎌倉は過酷な道である。行き方が難しく道が混んでいる。車道も歩道も混んでいる。なんでわざわざ苦難の道を歩むかというと写真の木を見たかったからだ。

州云庭前柏樹子の柏樹とはどうもこの木らしい。丈夫そうな堂々たる巨木である。ふつうに柏(かしわ)というと子どもの頃ヤママユガの餌にしていた葉が広いあのカシワだ。しかし、禅問答の柏樹というのは写真の針葉樹、ビャクシンということだ。鎌倉の建長寺では750年ぐらいに前に植えたというようなことがプラカードに書いてあった。

私の敬愛する趙州のいう祖師西來意はこの柏樹ということだから、1200年ぐらい前から世界中のお坊さんがこの木になろうとしているわけである。それほど尊いものなら多少の苦労をしても一目見ておくべきだと思ったのだ。

建長寺はずいぶん柏樹がお気に入りのようで、写真の木のほかにもたくさん育っていた。門の外にある木も同種のようだから見物にはそれですむかもしれない。一番立派な写真の木を見るためには300円の拝観料が必要だ。


2015.12.13(日)雨 大臀筋

朝から雨は降っていたものの気温は高い。合羽を着てコキンで境川。日曜午前の境川も雨だとすいておもしろおかしく走れる。まずは体重をかける練習だ。

風は北から弱く吹いている。海に向かうときは33km/h、山に向かうときは25km/h。ごくごくゆるい登りと向かい風ではあるけれど、これほどスピードに差が出るものかとあらためて疑問に思った。

いまやっている練習は、踏み込みの時に脱力して、下半身+上半身の体重をペダルに乗せることだ。それだけでも20km/h以上の速度は出る。ただし今日のように向かい風になるととたんに速度が落ちる。まして登りは全然ダメだ。やはり体の重さだけでなく脚を押し下げる力もつけなければ自転車は速く走れない。

さて、脚を押し下げる筋肉は大臀筋であろう。間違いやすいのは太ももだ。太もも前の筋肉は脚を伸ばす働きがある。ペダルを踏むときには膝も伸びるから前太ももを使うと錯覚しがちであるけれど、本当に使っているのは大臀筋だ。太ももを下げるのがその筋肉だからだ。大臀筋も腸腰筋と同じく強力で意識できない筋肉だ。そいつらをちゃんと使っていることを意識しつつ練習しなければならない。

北向き向かい風で70rpm、25km/h。筋力はけっこう使っているのに呼吸はしんどくならない。これぐらいの力の使い方で半原越を14km/hで走れるとすごいんだけど。


2015.12.19(土)晴れ はからずしも半原越

境川に行こうと、重いホイールを装着したチネリで出かけていった。多少気温は低いものの天気がよい。やや強い北風も境川に向いている。いつものスリーエフでアイスとコーラを買っていつもの白旗休憩所でぼんやりしていると、気が変わった。やっぱり半原越に行こう。

134号線、渋井川、271側道、玉川をへて逆回りコースの半原越。半原越はすっかり冬の風情だ。路面で見つかる虫もいない。12月なら、ウラギンシジミとかフユシャクなんかが見つかることもあるけれど、頻繁ではない。

今日のギアは、39×25T。半原越を登るだけなら問題ないが、おそらく27Tの方が早いだろう。ペダルを押し込むのは大臀筋、ペダルを押し込むのは大臀筋・・・と呪文のように心の中で唱えつつ走った。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間15'17"5'17"+4413.5-68155
区間211'04"5'47"+4312.4-63179
区間316'45"5'41"+3612.8-64173
区間423'34"6'49"+3110.7-53187
全 体+15412.2-61174

2015.12.20(日)晴れ 謎の繭

 繭

12月の下旬を迎えクロナガアリは滅多に姿を見せなくなった。もう庭は寂しい限りだ。そんなときに軒裏に奇妙なものを見つけた。最初に見たのは18日(金)のこと。サイズからしてスズメガクラスの緑色のイモムシらしきものが、軒と壁が交差するところに貼りついている。どうやら蛹化場所に決めているようなのだ。この目で見ながらも半信半疑だった。暮れの押し迫ったこの季節に蛹化するスズメガなんているんだろうか? スズメガは地中での蛹化が一般ではないのか? かといって家の近所でヤママユ類は見たことがない。この大きなイモムシは何だ?

そして写真は今朝のイモムシ。遠目からでも糸を使って繭を紡いでいることが見て取れた。さてこの先どうなるものだろう。

玄関でひからびたカマドウマを見つける。この家でカマドウマを見るのは久々だ。10年ぶりぐらいかもしれない。以前はずいぶんいたものだが、風呂を修理して漏水がなくなったせいか姿を消していた。見つかったのは成虫のメスだから1年あまり生きたことになる。私の庭で無事産卵したのだろうか。

自転車は女房とサイクリング。湘南海岸にでかけた。良い天気で風もなく暖かかった。女房とだと時速20kmしか出せない。その場合でも楽しいサイクリングにするためには、下ハン持って38×23Tあたりを使って100rpm以上にする。20km/hでもけっこう難しく楽しく走れる。


2015.12.21(月)晴れ 壊れたガーミン

 ガーミンEdge500

5年ほど使っていたガーミンEdge500が壊れてしまった。試みに分解したのが今日の写真である。大きく4つのパーツからなる。液晶・基盤・バッテリー・蓋。分解は容易であった。

この数か月ばかり、電池の持ちが限界を超えていた。普通に使っていると一日のサイクリングでも電池が空になってしまうのだ。一計をあんじてGPSを切って使用していた。電池の使用量が半分ぐらいで済むからだ。難点は新しいルートをCourseを頼りに走ることができなくなることだ。南栗橋から日光に行ったときは途中で電池切れになり、案の定迷って20kmばかり遠回りしてしまった。

それでも、不自由ではあるけれど買い換えるまでのことはないな・・・としばらくは使い続けるつもりでいた。ところが、先の日曜日、雨の中を走っていると、Edge500の中に水が溜まっていることを発見した。画面の半分ぐらいが水なのだ。保護ガラスと液晶の間に盛大な水たまりができている。どうやら小さな穴があいているらしい。どちみち限界の機械だからと放置して3時間ほどそのまま使用した。

走っているときは運良く液晶と蓋に挟まれた部分への浸水だけで収まったと思った。走行中の表示に問題はなかった。ただ平均速度が小さいような気はしたが、それはきっと最近目立ってきた衰えの無自覚のせいだ。Macにつなげればデータも拾えた。

ところが、充電が全くできなくなっていた。電池は6時間ほどしかもたなくはなっていたけれど、いっぺんに充電できないとなると浸水による故障を疑わなければならない。ならば、浸水の影響でどうやって電池が故障したかが問題だ。

思うに、MacにUSBケーブルでつないで充電していたときも、保護ガラスと液晶のあいだにたっぷりたまった水が流れ出していたはずである。それなりにうまく流れだすようにEdge500を置く向きは考えたはずだが、USBケーブルと本体の接続部分に水が入ったものだろう。そしてショートしてどこかが焼けたのかもしれない。

原因はともかくどうやらもう使えない。浸水を発見したとき、故障しなければローラー専用機として余生を送ってもらう目論見だった。心拍計もあるし、パワーメーターだっていつか買うかもしれない。それもだめだ。Edge500は家庭用電源だけで動く仕様ではないようだ。ついでだからと、精密レンチ、ドライバーを使って分解し、故障箇所を特定しようと試みた。目視した限りでは故障箇所は見つからなかった。

ガーミンがないとサイクリングはさびしいから、さっそく新しい物を買わなければならない。しばらく前からいろいろと調べて、結局は同じEdge500が一番いいだろうという所に落ち着いた。ただし、英語版は入手が難しくなっている。何かの販売戦略であろうと思われるけれど、一般に売られているガーミンは日本語版ばかりになっている。英語版を手に入れるにはちょいとした策を弄する必要がありそうだ。そこまでして同じものにこだわるつもりもないから、新デザインの赤黒Edge500J購入に踏み切った。

ちなみにへたった電池は数千円で購入可能なようである。分解は簡単なので自分で電池交換もできるとは思う。しかしおすすめはできない。浸水対策用のゴムの扱いはかなりシビアだからだ。


2015.12.23(水)くもりのち雨 獣のように

今日はチネリで境川。確実に雨になりそうな曇り空。風は北風やや強い。52×16〜19Tを使ってLSD往復運動。追い風のときは時速31km、向かい風のときは時速25km。ふと心によぎった疑問は、このくらいの向かい風でこんなスピードだったろうか? ということだった。もうちょっと速かったような気がする。ところが、その速かったと思われるころよりもずっと上手に走れているような気がする。なかなか不思議なものだ。

練習の胆はやはり体重をうまく使うこと。前太ももを使わないように。引き脚を使いすぎないように。下ハンで良いギアを選んで全身の力を使って楽に走る。4本脚の獣のように。私も1億年前は確実に4本脚で走っていたはずだ。小柄で敏捷で、たったかた〜と木登りだってできたころもあったろう。その頃のことを思い出して4本脚の獣のつもりで走った。

冬至が過ぎて境川は殺風景だ。路面でつぶれている虫はキリギリスの類が1匹だけ。それしか見つからなかった。ただこの冬はけっこうな花盛りで、ハコベとかホトケノザとか春っぽい花がよく目立つ。アメリカやドイツではサクラが咲いているというが、そこまでは春っぽくはない。センダングサなんかの秋の花もけっこう咲いているし、ジュズダマの実は白くなっている。


2015.12.26(土)晴れ iCab

 朝顔

今日はコキンで境川。いつものスリーエフ白旗店を出て、ふと思った。境川ばかり走っていてもつまらないのではないだろうか。いっちょ知らないところにいって迷ってみよう。ガーミンも買い換えてたどったルートは記録できるようになっているぞ。

という次第で藤沢の白旗から、もっとも過酷と思われるルートを選んで走ってみることにした。

過酷というのは、道が悪い、交通量が多い、方角が分からない、景色がつまらない、アップダウンが多い、交差点ばかり・・・というような状態をいう。すなわち、藤沢から横浜方面へ住宅地を縫って走ればかなりの冒険になることは明らかだ。小さな丘と谷が連続する地域で、雑木林と畑と小川だったところを無計画に住宅開発した所だ。道路は迷走し行き止まりになり、方向がわからなくなる。幸い今日は快晴で太陽のありかははっきりしているからどこに向いているかだけは把握できる。

そうして100kmばかり、戸塚とか町田とか走ってきた。予想以上につまらない道ばかりだった。何の楽しみもなかったといって過言ではないだろう。ただ途中、境川の護岸に咲いていた朝顔(写真)が面白かった。たいていこういう異様な植物は外来と決まっている。12月の午後に咲く朝顔を朝顔とよんでいいものだろうか。

スーパーマックフリーセルと自作のハイパーカードゲーム「野菜七」が捨てられずにいまだにPowerPCのMacをメイン機として使い続けている。その2つのOS9以前ソフト以外にもOS]ソフトにだっていいものがけっこうある。ただブラウザはどんどんダメになって行く。Safari、FireFox、IE等々では諸局面で使用できなくなり、複数のブラウザを使い分けなければならなくなっている。また、動画やSNSは上記のブラウザでは全然動かない。 一般的なブログでも表示時間がアナログモデム時代を思い出させられるほどかかる。ネットのためにしばしばWindows10とかスマホを使うことになってきた。

一計をあんじてiCabというブラウザをインストールしてみた。10年ぐらい前だったろうか、そのデビューのときに使ってみて、日本語フォントの扱いに不具合を感じて使用しなかったブラウザである。それが今使ってみると実に快適である。各種の文字コードを読み取っているし動画が動くのには驚いた。Facebook、ツイッターすら表示できる。ブログも我慢できる程度には開ける。サファリでも可のサイトは10倍ぐらい快適だ。

iCabはシェアウエアだ。ただでも普通に使えるが、これだけまじめなブラウザを作ってくれたお礼にためらわず登録した。値段はたった8ドル、日本円で1000円ほどだ。


2015.12.27(日)晴れ 三浦半島

2台あるニコンD100をスーパーマクロとして使用してきたのだが、片方の不調が我慢ならぬ所に来てしまった。コマンドダイヤルはちゃんとは動かないが、フルマニュアルで使用するカメラなので問題にならなかった。設定ボタンが動いてしまったときにマニュアルに戻すのにコツと根気がいるぐらいだ。今回おかしくなったのはシャッター系だ。ときどき下半分しか写ってないカットがある。絞込みと開放ができなくなって、撮影後ファインダーが真っ暗になる。シャッター回りがおかしくなったらデジカメは寿命だ。

そこで、代替品となるのだが、候補は2つあった。同機種のD100か後継機のD300だ。この2つは持ってて楽しいカメラだ。機械としての使用感が良いカメラなのだ。D100は10年以上前の古い機種だが何の不満もない。ただ、いまさら中古で買っても長持ちしないはずなので、できるだけ安く買いたかった。ヤフオクで5000円で落札できれば買おうと決めた。D300は発売当時に一瞬だけ買おうかな・・・と迷ったカメラだ。X接点があるのがいい。さらに、改良型のD300sならSDカードが使える。D100は5000円、D300sなら50000円で落札すべく両天秤をかけた。

その一方で、わざわざ古い機械を買わずに最新型にすればよいという気もした。廉価版ならレンズ付きでもD300sの予算で買える。デジカメの心臓部は撮像素子と演算処理装置だ。廉価版といっても最新型ならD300より数段良くなっているはずだ。しかしそれはやめることにした。

というのは、私はデジタル一眼レフは従来式のミラーがある限り、所詮は開発途上品だと思っているからだ。電子ファインダーの進化は著しい。まもなく実用段階だろう。くわえて過去を撮ったり深度合成ができたりと、デジカメは正常に進化を遂げつつある。新品ならば、近いうちに出るであろうニコンFマウントのミラーレスを待とうという気になっているからだ。私はデジタル一眼レフを7台使ってきたが、全部中古品である。最新型のフラッグシップもD100も大差ないのだ。

土曜に引き続き、日曜も艱難辛苦の道を歩むことにした。三浦半島の城ヶ島に続く国道134号線の過酷度はワタシ的に3本の指に入る。舗装状態が悪く、マンホールが多く、道幅が狭い。そして何よりも車が多い。藤沢から三崎まで途切れることがない自動車の列がある。おまけにバス通りでもある。まさに神奈川を象徴する道だ。そういう道にも迷い込んでみようという気にもなる冬である。土曜に戸塚あたりの過酷な道を行って、毒を食らわば皿まで、という気分もある。

走ってみると、早くも三浦半島の付け根手前で後悔がはじまった。もはや後悔も風流である。過酷な割に自転車が多い。みな数名で連れ立ってのサイクリングだ。学生とか夫婦者とか。リピータもいるのだろう。もし三浦半島の134号線をホームコースにしている自転車乗りがいれば心から尊敬する。きっと真性の自転車バカだ。

 三浦

三崎を過ぎればうってかわって楽しくなるのが三浦半島である。住宅が途切れいっぺんに見渡しがきくようになる。三崎までのあのおびただしい自動車はどこに消えるのだろう。半島の先端付近はどういう地質の加減かのっぺりした平坦地がひろがっている。山がなく平地に鋭く谷が刻まれている。用水は乏しいらしく水田はなくてキャベツや大根の畠がひろがっている。まるで北海道の十勝平野のようだ。そういう神奈川離れした光景が好きだ。でなければ絶対来ないだろう。まぐろやさばはあえて食うもんじゃなし。

帰り、午後の134号線はやや空いて辛さが減った。冷たい向かい風は友だちだ。さらに、毒を食らわば二皿目と、海岸線ではなく鎌倉を貫通して藤沢に出ようと決心した。いやはやすさまじい人出だ。道路の渋滞は当然のことながら歩道をあふれた人まで車道に落ちてくる。はやくも鶴岡八幡宮の手前で後悔が始まったのはいうまでもない。


2015.12.30(水)晴れ 境川

チネリで境川に行った。午前中から快晴で弱く北寄りの風が吹き快適だった。虫もいろいろいそうな天気だ。モンキチョウやキチョウの姿はありそうでない。道路を歩くコカマキリがいてちょっと驚いた。記念撮影をして手に取ってみればさすがに元気はなかった。元気だったのは黒い毛虫。たぶんヒトリガ系の幼虫だろう。けっこうな速さでアスファルトを歩いていた。この気温でもたったか動けるのだからたいしたものだ。こいつとの出会いはいつもこんな感じだ。夏でも冬でもみょうにせわしない虫だ。

ひさしぶりに鷺舞橋の湧水を覗いてみれば、みょうに大きな魚がいる。シルエットはボラみたいなんだけど、あれは何だろう? ウグイだろうか。それにしては大きいような。オオクチバスのようにもみえる。他の小魚にアタックする様子もある。バスは境川にもいるのだろうか。遊水地公園の池でなら生息できそうだが、本流には住めないだろう。

自転車は相変わらず重め(52×17T)のギアを使って体重をかける練習。どうも最近楽をする癖がついてしまったという反省がある。そもそも楽に走る練習ばかりしているのだから、楽をする癖がつくのも当然といえば当然だ。しかししかし、ときどきは目一杯踏み込んで思いっきり回すこともやっておかないとダメな自転車乗りになりそうな気がする。楽に走っている自転車乗りがダメなはずはないのだけど。ひとまず10分ほど向かい風30km/hもやっておいた。


2015.12.31(木)晴れ 境川にブラックバス

ブラックバス

今日もチネリで境川。毒を食らわば3皿目の鎌倉探検。何の面白みもなし。ただ鎌倉あたりに行くと境川のありがたみがよくわかる。なんていい道なんだ藤沢大和自転車道線。

ついでに昨日見た湧水付近をのぞいてみた。大きな魚は今日も同じ所にいる。やはりブラックバスみたいなので証拠写真を撮っておこうと思った。TG-1のズームをいっぱいにして、魚が体側を見せる瞬間を狙った。残念ながらちゃんとは寝てくれなかったものの、撮った写真をチェックすると、ブラックバスの特徴がかろうじて写っていた。どうやら境川の遊水地公園はブラックバスの生息地である。

ヤフオクで天秤をかけていたスーパーマクロの代替品は結局D300sで落ち着いた。46000円ですばらしい美品が落札できた。

朝から暖かくてクロナガアリが活発に動いていた。さっそくD300s+SB29のスーパーマクロサブ機の実力を試してみた。内心では、D300sもD100と大差ないだろうと思っていたが、やってみると全然違う。色温度とカラーの調整がしやすい。ピントがよく分かる。これまではピントが合ってるつもりで外しているカットがたくさんあったけど、D300sなら合焦は撮るときにわかる気がする。

予算的には4万ばかり多いけれど、この性能なら安いカメラだ。新発売のときに新品で買っておけばよかった。


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