たまたま見聞録
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2005.01.02 正月のオリオン座

オリオン座

正月の良いところは空気がきれいだということだ。昼には富士山を眺め、夜には星を見る。いつも鳥や雲を見ている自宅の窓からオリオン座を撮影した。


2005.01.03 目的と占い

物の世界では原因と結果の鎖は強力だから、それをうまくたどれば予知もできる。カマキリがその冬の最大積雪量よりも高い枝、つまり雪をかぶらない場所に卵を産む習性を身につけているならば、カマキリが産卵時に感知できる自然現象を利用しているにちがいない。新潟の学者はそのサインを木の振動ではないかと考えている。どういうわけか、木が持っている微弱な揺れと数か月先の積雪量には意味ある相関があるらしい。カマキリならその振動を感知して産卵場所を決めることができるだろう。

未来に人の心がかかわるともういけない。タイムマシン内蔵のスーパーカメラでも人の未来ははっきり写らないように、明日のことはわからない。わかるのは符号化されたことだけだ。人は競馬の予想のようになにがしのかの符号化されたものをたよりに明日を予測できる。カマキリがたとえ正しく4か月後の気象に対処できているからといって未来を符号化して、つまり雪の降り積もった林から「最大積雪量」という符号を得ているわけではない。もしそれができているのならば、我々の知らない何かを秋のうちに検知しているのだ。カマキリは目的を持たない。カマキリには雪から子どもを守ろうという目的があるわけではない。彼女は雪を見たこともなければ、子どもを見たこともないのだから。目的というのは霞のようにぼんやりとしか存在していない未来の事象を原因として今を生きることだ。物の世界では原因のあとに結果が続く。しかし、心の世界ではいまだに存在しない未来を原因として結果という現在の行動がある。目的をもつのは人間だけだ。

完全には知り得ない未来に対処するのに完璧な行動はありえない。しかも明日のことはあまりに不確定で推理することすら容易ではない。何がしかの重大事が待っているはずなのに、何もできることが思いつかないならば、いっそのこと確からしい手順で行われる占いに頼って指針を得るのが手っ取り早い。「占う」ということは符号化されたこの世の事象の連続を異次元の符号の連鎖に対応づけて行われる推理である。それは無意味だが、解釈しだいで正しい結果を招くことだろう。人の行動には、カマキリのように見えざる真の原因はなくてもよい。心の世界では、ジンクスでとられる行動のように原因と結果の連鎖から独立した事象をたよりとすることもできるのだ。そうすれば、自然界が1000万年かけて作り上げるピンクのカマキリなどという傑作を一瞬で作ることだって可能だ。


2005.01.04 占いは非科学的である

もとより占いは非科学的である。星の巡りにしろ、血液型にしろ、手相人相画数、算木などなどなんであれ非科学的である。そもそも科学的であれば占いとは言わない。確率とか期待値とかそれにふさわしい言いようがある。占いに科学を期待する方が間違いで、科学というのは人の発想を制限し狭めることが面目だ。科学者は自由な発想でものごとにトライする。そして科学者は凡人の思いもつかないことを次々に発見し、発明したけれども、アイデアを他者に伝えるときには誰もが認めている法則、方法だけを用いてきた。未確認の力、法則をそこに持ち込んだら誰もが納得でき、使えるものにはならないから科学ではない。逆に、そういう神秘性のない占いは魅力がない。

科学の方法でものを考えることは通常はできない。科学者だって日常は非科学的にしかものごとを考えていない。現在の日本では明日の天気の予想に下駄をなげるのは不適当だが、昼飯をラーメンにするかそばにするかは、スーパーコンピュータで計算するよりも下駄をなげる方がコスト的にも時間的にも適切だ。人の生活は下駄をなげるやり方で成り立っており、その中には個人の死活問題すら含まれている。

血液型の相性診断を信じてうまく生きられるなら信じないよりもずっとましである。しかし、しかしだ、仲良しの恋人との血液診断が当たっているという理由で血液型による相性診断を信じるなら話は別で、そんな危険なことはやめたほうがよい。あくまで、信じることで救われるなら信じた方がましなだけだ。人と人がうまく付き合えない、つまり相性が悪くなるもっとも簡単な方法は、お互いに「あいつとはうまくやれそうもない」と先入観を持つことだ。人間関係での齟齬は生活の必然で、それを宿命的な相性の悪さとお互いに納得し合う二人がうまくいくわけがない。血液型でそういう先入観を持っていれば、そのこと自体で相性診断が当たってしまうことになる。信じれば信じるほど当たることになる。「不思議に当たる」ことで事を起こすのは占いよりもむしろ科学のほうだ。

その昔、競馬で90%的中をする超能力者のテレビ番組企画を考えたことがある。実際に勝ち馬投票券を10レース全部単勝の一点買いで10万円ずつ買って次々に当たり、番組の最後には1000万ほどの現金をゲットするというものだ。90%というのは1レースぐらいは何かのアクシデントで予知が外れたということにしたほうが番組としても面白いし信憑性が高いからだ。もちろん実現性は100%とはいえ、そんな企画をテレビ局に売り込むほどの度胸はない。もしかしたら今後、その手の放送が出ることもあるかもしれないけど、良い子の皆さんはまじめに取り合わないほうが身のためだと思う。

テレビなら、予知でも透視でもその気で作れば当てる方法はある。くどいようだけど、占いで出たことが「当たった」ことを理由にその占い方法を信じることはばかげている。占いのやり方と結果には全然関係がないからだ。関係があることの説明には超能力の導入が必要で、ことはややこしくなる一方だ。本物の超能力者なら他人の占いなんかに手を貸すわけがない。渡辺由紀さんの大ファンで東京12チャンネルの「七瀬ふたたび」を食い入るように見ていた私には自明の理だ。もし、私に予知や透視の力があって馬券や相場の未来がばんばん分かるなら絶対に他人には教えない。こっそり儲けてひっそり暮らす。他人に教える理由は何もない。それを教えたことで自分が能力者であることが知られてしまったならば、不幸な未来が待っていることぐらいは予知能力者でなくともわかる。←笑う所だ。


2005.01.05 毛鞠巻雲みたいなんですが

巻雲

P900iという携帯電話を持っているのは電話の機能よりもむしろカメラに期待しているからだ。ガールフレンドとか虫とか雲とか、撮りたいものがふいに現れたときに重宝する。雲には撮っておきたいものが何種類かあって「毛鞠巻雲」もその一つだ。この写真のはその毛鞠巻雲かもしれないと思って、通勤途上で歩きながら撮影した。

山と渓谷社の「野外ハンドブック・5 雲」によると毛鞠巻雲は、巻雲のうちで浮かぶ高度が最も低く、巻雲の小さな雲隗が不規則に並び、それぞれの小雲隗は渦を巻いている。一見、巻積雲や高積雲と見間違うということだ。肉眼でみたところ、まさしく記憶しているその解説のような雲だったので喜び勇んで撮影したわけだ。

ところが残念。P900iにはうまく写っていなかった。巻雲とも高積雲とも、へたすると片積雲にだって見えてしまう。これでは記録の値打ちがあまりない。雲の細い筋が青空にすうっと伸びているところを携帯電話のカメラで撮ろうというのがそもそも了見違いかもしれない。もしくは雲を撮る設定にしておけばもっと写るのだろうか。ミノムシの場合はけっこう工夫してまずまずの所までこぎつけたのだが。


2005.01.06 被写体による得手不得手

カメラには被写体によって得手不得手がある。P900iはガールフレンドならけっこう上手に撮る。きれいとはいえないのはカメラよりもむしろ彼女らのせいだ。雲はいけない。そもそも無限遠がうまく写らないような設計のようだ。レンズやCCDが小さくなればなるほど、遠くのものが不得意になるのだろうか。遠くの被写体はレンズやCCDあるいはフィルムが大きいほうが断然よい写真になる。

一眼レフでも手を変え品を変え、雲はずいぶんたくさん撮ったけど、いまだに巻雲については満足したものを撮れたことがない。巻雲は輪郭がはっきりしていないので、オートフォーカスがきかない。ファインダーをのぞいてみてもピントがあっているやらあっていないやらさっぱりだ。刷毛で引いたような繊細な線も難しい。青空とのコントラストがあまりないのではっきり写らない。デジタルカメラだと色かぶりもある。フィルムも空の色合いによって得手不得手が生じてしまうようだ。専門的に研究すれば手持ちの35ミリの機材でももっとうまく撮れるようになるのだろう。今のところは写真より肉眼の方がずっときれいだ。こちらは私の責任だ。

これが星になると、目よりもデジカメのほうがずっとよい。いま使っている富士フィルムのFinepix S1proが大活躍だ。レンズも一番安いやつだし、赤道儀をつかっているわけでもないのに、目で見るよりずっとたくさん写っている。色もよく出る。アルデバラン、ベテルギウスの赤、シリウスの青がプロが撮った「本物の」写真のように出ているのにはびっくりした。たまにオリオンの三ツ星が紫になったり、星じゃないのに星みたいに色のついたドットがたくさんできてるけど、それは愛嬌というもんだろう。


2005.01.07 ユーレイを撮るカメラ

ユーレイを撮るのに適しているのは赤外線カメラらしい。テレビでは夜のトンネルなどのスポットに赤外線カメラを持ち込んでユーレイを撮っている。赤外線カメラというのは、普通に見える光の10倍も長い波長の光を感知して可視化する装置だ。夕日が赤いことからも分かるように波長の長い光は通りが良い。赤外線ライトを当てて撮影すれば人間の目には真っ暗闇の中に鮮明な像をみることができるので防犯装置にも有効だ。水着やTシャツを透かして女の子の肌が撮れるという裏技が話題になったこともある。ただ、可視光線には透明なユーレイも赤外線は反射したり吸収したりする性質があると特定されているわけではない。私が霊を扱った番組を見る限りでは、真っ暗ななかで「白」くぼんやりした像が得られるというだけで導入されているようだ。

私はユーレイを感知するのにもっとも有効なのは肉眼だと思う。あまり車の通らない真っ暗な山道のトンネルなんかはユーレイのスポットだ。風がなければそういうトンネルの中は冬では生暖かく夏では背筋がぞくっとするひんやりした空気が淀んでいる。自分の足音は奇妙に反響し背後から迫ってくる。地下水がしみ出している壁面は何枚も鏡を合わせたときのように外光を反射して思わぬところで光っていたりする。そういう所でユーレイがでないほうがおかしい。逆三角形に3点が並んでいれば人間の顔であるように、しぃ〜んと音がする闇に白いぼんやりしたものが浮いていれば、それはユーレイだ。赤外線カメラにはユーレイが写るというよりも、赤外線カメラで撮ったものを人が見てはじめてユーレイが浮かび上がるのだろう。


2005.01.08 そもそも占いはなぜ可能なのか

占いが可能になるのは類推の力による。類推はつねに我々がお世話になり惑わされているヒト固有の力だ。類推はもともと物の世界のことを心の世界に照らし合わせる力、つまり符号化する力だった。物の世界のことも符号化して心の世界に持ち込むことで操作できるようになる。そこんところで、やるのは簡単だけど間違わないようにやるのが極めて難しくなる。科学の難しさの第一は符号化にある。そこで間違うと後は何をやっても意味がない。ちかごろ、子どもの理科離れを防ぐと称して、身近な現象をテーマにした実験を増やし算数と生活を結びつけるだのと戯れ言が取り交わされている。いわゆる体験、つまり感覚でとらえた現象を理数の世界で扱えるのはエキスパートだけだ。物の世界のことを科学にそった狭い形で符号化するにはそれ相応の訓練が必要で、理科嫌いな小中学生、あるいは理科嫌いにしか子どもをできなかったような教師に歯が立つことではない。

赤外線カメラに写ったぼんやりした白い影でもそれをユーレイといえば確固たる意味が生まれるように、符号化自体は簡単にできる。符号化した物の符号化、そして符号の演算、いわゆる「考えること」の規則は実生活では常識とよばれる大雑把な規則のない規則があるだけで野放しにされている。符号化されたものは類推によって容易に縁もゆかりもない別の符号に変貌してしまう。野方図故に相性には関わりのないはずの血液型、人生に何の関わりもないと思われる星々の運行、紙の上の10円玉、ただの木切れやカードから人の不運や幸運もそれぞれ独自の計算方法によって解が判明する。まじめにやるとしちめんどくさい人生の進路が占いならすらすら決まる。簡単明瞭な占いの操作は完璧に類推の産物にすぎない。現実とは物理的な接点がなにもない、つまり科学的にはインチキだ。「当たるはずがないインチキな計算をするやつは馬鹿だ」と結論づけられるかもしれない。しかし、その短絡さも知恵足らずといえる。もちろん占いは公準に直感的な正しさがなく論理的にも破綻している。必ず自己破綻している。しかし、自己破綻していない理屈は数学としかよばれない。あの数量の大小しか問題にしないやつだ。他の名前はない。数学以外にもいろいろな理屈の体系はあるけれども、血液型相性占いと決定的に異なるものは見たことがない。人が考えるすべてのものには多かれ少なかれ「類推」というユーレイが忍び込むから。


2005.01.09 占いしてもいいじゃないか

占いなんてものに頼るのは馬鹿である。ただ、人間しょせんはデフォルト馬鹿である。馬鹿は馬鹿なのだから馬鹿げたものに頼ってもいいじゃないかにんげんだもの。突拍子もない着想や試行錯誤は人の文化の推進力だ。運命の出会いやラッキーカラーなんてものがあること自体、占いでも見ないかぎり気づかないかもしれない。占いと洞察の区別がつかない人はひとまず占いをやってみることだ。なんぼなんでも、占い師に金を払ったり星座占いが当たっているかどうかを狐狗狸さんで占うようなことは馬鹿げていると思うが、普段は無意識のことを形にしてみるという占いの意義は馬鹿にできない。そして、そういう意義しかないことを知れば、やらなくても良いことに気づく。

私は女の子の関心を引く目的を離れては占いをしない。占いについての話もしない。人生経験やカウンセリングの経験が豊富とはいえ、玄人占い師の回答の説得力の後方支援用の珍妙な演出は鼻につく。しょせんは偶然で手にした答えに華美な色つやをつけることは無意味であるだけでなく有害であろう。

迷いの大半が既に結論は出ているものだ。結婚はしょせんはやってみなきゃなにもわからないことだけは皆わかっている。大きな選択肢なんてふつうの人間には与えられていない。ラーメンかそばかを30秒以内にどちらかに決めなければならないとか、さような決定にはカンや当てずっぽうが使われる。山勘が非科学的だからと使わない人はいない。山勘で決めた答えに「なぜ?」と問いかけ「占いで出た」というよりも意味のある解はまあ出ないだろう。人間基本は皆馬鹿である。


2005.01.10 山神にあうこと

ヤツデ1

この何の変哲もないスナップはいつもサイクリングをしている道路わきで撮ったものだ。わりと大きめのお寺の入り口で広い墓地もある。中に入ったことは一度もない。ちょうど短くゆるい登り坂の頂上になっており、いつも力を入れて一気に越えているところだ。今日わざわざこの写真を撮りに行ったのは中央にある小さな一本の木がずっと気になっているからだ。

ヤツデ2

木はヤツデで高さは1mもないだろう。ヤツデとしても小さい部類だ。白い部分は花が終って実になっているところだ。子どもの頃、冬にはその実と枝をちぎってパチンコのようにして飛ばして遊んだものだ。お寺の入り口にあるヤツデなんて珍しくもなんともないが、じつはこのヤツデには毎回びくっとさせられている。

自転車で走ってくると、階段の右には写真からは外れているけど大きなイチョウの木があって、ちょうどその太い幹で隠れてヤツデは全く見えない。イチョウの木を過ぎた所で、いきなり視野の右の端っこの方にこいつが飛び込んでくることになる。

はじめの2回はヤツデの木があることに気づかなかった。そのかわり、そこから人の視線を感じた。はっとして目をやっても人はいない。「ああ、なにかを見まちがえたな」と思い直して先をいそいだ。また、同じ所を通ると再び視線を感じる。「ああ、やっぱり木しかないな」と思い直して先をいそぐ。またまた、同じ所を通ると誰かが座りこんでこっちを見ているような気がする。みのかどてらを着ている古風な田舎のおじいさんのようだ。振り向くとやっぱり木しかない。まじまじ見てもただのヤツデだ。ところが、ヤツデだとわかった後でも、ここを通ると必ず老人が座ってこっちを見ているような気がするのだ。

山登りをしているとき、静かな森の中で視線を感じることは珍しいことではない。そういう経験をしないことの方が珍しい。その視線の正体を確かめれば、いつも木であり石であり土である。忍者や猟師には木化け、石化けという技もあるけれども、現代では両者ともほぼ絶滅状態だ。見間違いとわかっても木石から視線を感じると尋常でないこころもちがするものだ。

もし、毎回同じ所で、何人もが視線を感じるということにでもなれば、さらに、その付近でなにか事故か希有な幸運でもあるならば、精霊や山神のすみかということになるだろう。何か超自然のものを想定して納得しなければ気持ちが悪くてやってられない。幸いこいつは人の型に似ているヤツデに過ぎないけれども、古木や苔むした岩から視線を感じるようなら、いかにも山神が化けていそうではないか。



ヤツデ加工

今日撮った写真を Photoshop でちょっと手を加えて、自転車で走っているときに視界の片隅に飛び込んでくる老人の視線を表現してみた。だいたいこんな感じで毎回このヤツデに会っている。もはや大事な友達だ。


2005.01.14 好きになった蜘蛛

蜘蛛の巣

わが家には人間と犬の他にも各種の生物が同居している。蜘蛛類もその主要な一派だ。この一年ほどはどういうわけか大型の蜘蛛を見ていない。秋にジョロウグモを見ず、アシダカグモも現れなかった。オニグモの誘致は夢のままだ。

ササグモ、ハエトリグモのような小型のものなら種類こそ少ないけれども数はめっぽう多い。花が咲けば花に隠れて獲物を待っている。それこそ、一輪ごとに1匹がいるんじゃないかと思うほど大量にいる。

また、数は少ないけれど気になっているのがジグモだ。写真はジグモの巣で、薄汚れた糸を筒のような感じ(円筒に閉じられてはいないようだ)にして我が家の壁に張り付けている。ご本尊は地面の穴の中に潜んでいる。地面には数センチの深さに穴が続いていて、その穴の壁にも糸が張り巡らされている格好だ。

蜘蛛の巣

先日、その巣を掘り返して写真の個体をとりあげた。のろいけど動くから冬でも活動しているのだろう。

ジグモの生態については全く知らないので、古い保育社の図鑑で調べてみた。巣を作っているのはメスだけで、壁に貼り付けてある巣に虫がかかると中から襲い掛かる。オスは徘徊性。交尾期にはオスメス同居し、メスは巣の中で卵を孵すと子どもとしばらく同居。飼育は容易で2〜3年生きることもあるという。

蜘蛛なのにほとんどヒト並みの生活だ。すばらしく魅力的じゃないか。これは枕元に置いて日夜眺めてみなければなるまい。


2005.01.16 フリーセル19000

SuperMacFreecell を解いた数が19000を越えた。年末年始の休暇をほとんどこいつに費やせたのでずいぶん進んだ。ここのところかなりスピードもあがっている。ただ、現状ではなんとなくやり方が見えているだけで、まだまだだ。ちょっと難しいのに当たれば、右往左往して5分も10分もかかっている。無駄な道筋を避ける理論が確かなものになっていないからだ。

私はフリーセルの天才ではない。単に頭がよく知的な反射神経がいいので、フリーセルの諸局面で最も有利そうな手を凡人が目を見張るスピードで見出せる。素質だけに頼るこのやり方では今の限界を打ち破れない。イチローは自らのことを天才ではないといい、その理由は、ヒットを打てる理由が説明できるからだという。まさにフリーセルもそのようなものだ。私の現状の解法を冷静に見つめれば、どういう道筋で解けているのか説明ができないことがわかった。休日まるまる使って調子を上げれば、一日200個を解ける。しかし、賃金のための仕事がある日は30分で10個ほどしか解く気力も体力もない。いまだに毎回、最初の2つぐらいは解法を手探りする状態なのだ。1万、2万と解いていても、その理屈がわからなければ腕は上がらないだろう。フリーセルの基本的な理論はある程度形にできるものだ。それは言葉にすることもできる。しかし、その応用編となるとそう簡単ではない。おそらく百ほどある定石を創意工夫と試行錯誤でもって理論化することがイチロー並みの達人への道だ。

フリーセルとはいえ、正直いって苦痛に感じることが多い。暇つぶし程度に開いて勝った負けたとやってるなら楽しいのかもしれないが、義務として自分に課してからは、解くのに手間取るたびに幾度自分の無能を責めたかわからない。その反面、99%を占める普通のやつは、もはや退屈で退屈で手持ち無沙汰なほどだ。それこそ音楽でもないとやってられない。この点、Mac のiTunes は役に立ってくれている。永井真理子さんには大感謝だ。


2005.01.18 逃げたチャンス

寒々とした冬枯れの田んぼが好きで相模川にある望地というところに出かけて行った。田は切り立つ崖と川に挟まれた氾濫源の長さ500m、幅100mといった広さで住宅はない。相模川にはけっこう同様の田んぼが多い。

田んぼの真ん中を通る道路を自転車で走って行くと、田に群れて餌をとっているカワラヒワに遭遇した。これはよいチャンスだと、彼らの進行方向に先回りして進み、カメラを構えてあぜに座り込んだ。カワラヒワはときおり小さく飛び跳ねながら稲穂かなにかを食べている。5羽10羽と集まり、しばらくすると200羽以上の群れになった。

レンズはワイドズーム1本しかない。雑草の生い茂る田んぼの中では200羽の群れでも鳥は全く写らない。わっと飛び立った一瞬が勝負だ。ピントを合わせてシャッターに指をかけて、いつ飛び立たれても対応できるように息を殺して待った。そうして撮った1枚目の写真が左だ。そして2枚目が右。どう考えてもシャッターチャンスは、この2枚の間にある。

カワラヒワ1 カワラヒワ2

冬の間、群れているやつらは、何の前触れもなく一斉に飛ぶ。小鳥は飛び立ってから1秒で3メートルも先に行くものだ。私の指は反応時間が0.13秒ぐらいかかる。シャッターを押す気になってから押すまでが0.13秒。だから、田んぼから空へ飛び立つカワラヒワの群れという冬ならではの写真をものにするためには、最初の一羽が飛んでファインダーに入ったタイミングでシャッターを押す気になればよいはずだ。

待つこと5分。最初の2羽が飛び立った。つぎの瞬間、全員が反射的に飛び立つはずだ。私は2羽の飛び立ちを合図にためらわずシャッターを切った。しかし、群れは続かなかった。写ったのは面白くもなんともない左の写真だ。この1秒後、200羽の群れは2羽を追って一斉に飛び立った。当然、予想していたシーンがファインダ−の中に現れた瞬間にシャッターを切った。しかし、カメラは無反応だ。データの記録中なのだ。1枚目のカットをスマートメディアに書き込んでいる間は何もできない。S1pro は書き込みに3秒も4秒もかかる。空を舞う群れをファインダーで追いながらピントを合わせて、2度3度とシャッターをむなしく切った。群れは飛びながらばらけて、私の上を2度旋回した後で撮れたのが右の写真だ。


2005.01.21 死に対する絶望

私は寒さに極めて弱い。冬は駅から家まで歩くのですらイヤだ。気温が20℃を下回るともう寒い。10℃はダメだ。0℃で体が動かなくなり、死にそうになる。それから下はもういくら下がってもいっしょで、死にそうになるのが10秒後か10分後かになるだけだ。最も低い気温の経験は北海道の2月で-25℃というのがある。あのときは夜の山中に3時間いただけで生きる勇気も気力も跡形もなく消え失せた。

そいういえば先日、博物学者として名を売っている人がテレビにでていて「死ぬのが楽しみだ。」というようなことをおっしゃっていた。その論旨は、死は人生のビッグイベントであり、死後の世界とか霊とかは死んで自分で確かめるのが一番で、誰もが最後には死ねるのだから楽しみは最後に取っておく、というようなことだったと思う。私は自分の死に対してそういう楽観視はとうていできない。どちらかとういうと悲観的で、夢も希望ももっていない。死に対して絶望しているといってもいい。

というのは、どうも主体的に死ねそうな気がしないからだ。死に方は2種類あって、即死と漸死とでもいうべきものがある。即死タイプについては、よみがえった人の話によると、いずれも事故の前後の記憶はないようだ。せいぜい生きるか死ぬかのときに臨死体験がある程度で、全く頼りにならない。ほんとに即死のときは臨死体験の前に死んでいるのだから死は体験できないだろう。

漸死については、私はまざまざと自分の最期を想像することができる。きっとこう思うのだ。「いやあ、死ぬかと思った。今度ばかりはダメだと覚悟したけど、少し楽になった。ああ危なかった。」これが私の最後の意識だろう。せいぜいがそんなもので、それ以上のことが期待できるわけがない。もしそれ以外の意識、たとえば如来様に話しかけられたり花園を見たり川の向こうのばあさんに手招きされたり(←こういうことは死なんでもできます)、というようなことがある間は、ただ単に生きているのだ。

私はいまでさえ心も冷たいが体も冷たい。眠っているときに呼吸も止まっているらしい。すでに日々、人間の死体か、犬に噛み付かれた狸か、獲物を待っている蜘蛛か、冬眠しているカメムシのようなものと生体人の間を行き来しているようなものだ。という次第で、死ぬこと自体は怖くもなければ楽しみでもないのだから、死にそうな思いをするのは死ぬよりいやだ。


2005.01.22 冬の月

鉄塔

寒い夜道の唯一の楽しみはお月様だろう。満月に近くなると、冬の月は天頂から照るようになる。澄んだ空気。冷たく蒼暗い空。煌煌と照る天頂の満月は冬期最高の見ものだ。

境川にオナガガモの撮影に行った帰路、丘に登って富士山を見たりしてぐずぐずと遊んでいると、日はすぐに西に落ちて行った。きれいな月が出ていたので鉄塔や団地の給水塔といっしょに撮った。


2005.01.23 手動式ドライブ

FM2

なるほど S1pro で鳥を撮っているとシャッターチャンスを逃すけれども、近頃のカメラは一時代前のに比べると別次元に良くなっていることは間違いない。ニコンの最新のデジカメではシャッターは事実上無数に切れるらしい。

写真はニコンの手動式カメラで、フィルムを巻き上げるレバーがついている。最近のカメラは電池がないとピクリとも動かないものばかりだが、こいつは電池がなくなっても撮れる。私が本気(仕事の必然ともいう)で写真を撮り始めた20年ほど前には、こういう手動ドライブのカメラが普通だった。スポーツのプロが使っているモータードライブは高価で重く到底使う気はしなかった。こいつはシャッターを1枚切るたびに右手の親指でレバーをうんしょっとばかりに操作してフィルムを一コマずつ送る。達人でも1枚の撮影に数秒かかることになり、シャッターチャンスはシビアだ。

ニコンもF4ではモータードライブになって手動巻き上げがなくなった。フィルムの給送なんて純粋に機械的なことは機械がやったほうがいいに決まっている。最初は頭の固いオヤジらしく「そんなもの...」などと思ってはみたものの、使ってみると大変具合が良かった。フィルムのあるかぎり連続して何枚でもシャッターが切れる。F4を使ってほんの数か月、この手動ドライブのカメラを使ってみたところ、みごとに体が対応しなくなっていた。以前は体に染み付いていた「シャッターを切ったらフィルムを巻き上げる」という動作を完全に忘れていたのだ。便利な方にはすぐ順応するものだ。こいつですかすかとむなしくシャッターを押して幾度失敗したかしれない。


2005.01.24 負け犬と風邪

ちょっと前にはやった「負け犬」のなかには、美貌ゆえに売り惜しんでいる人も含まれていることだろう。その類の負け犬のさらに一部には、逆転玉の輿を虎視眈々狙い精進の日々を積むうち、ふと気づいたら46歳になってしまった人もいると思う。今日、そういう中年女性の心境が少しだけわかったという錯誤をした。

事の起こりはこの数日の体調不良だ。腹がおかしかったり悪寒がしたり運動する気力がわかなかったりしている。その手の不定愁訴というものは心身が丈夫なのでほとんど経験がない。それで「原因はなんだろう」としばし考えていた。白血病とか花粉症とか名のある病気かもしれないけれど、まあいわゆる風邪が妥当な線だろうという所に落ち着いた。

そうこう考えているうちに、「僕が風邪になるのは美女が売り惜しみして負け犬になるようなもんで、そういう人ってせいぜいがそこそこの美女って程度なんだ。その手の女の子にはぜんぜん相手にされなかったなあ」という連想が起こり、その比喩がまことに的を射、当を得、ちかごろの言い回しでは的を得ているアイデアだと悦に入っていたのだ。

ところが、あらためて考え直すとその意味がさっぱりわからない。そんなことを真面目に言うのは禅坊主か狂人であろう。風邪気味の中年男と負け犬、どう考えてもこの二者をつなぐ鍵概念が見つからない。連想というのはまことにとりとめなく奇妙なものだ。


2005.01.25 女児と確率マジック

とあるファミリーでは男の子を大変欲しがっているとする。それはもう既に女の子が9人も連続して生まれているからだ。10人目は是が非でも男の子であって欲しいと願っているとする。そういう願いはさておいといて、10人目も女の子である確率は2分の1である。これは人類の性比がそうなっていることから推理されることだ。なにしろ母集団が大きいのでこの数字は信用に足る。

さて、10人連続して女の子が生まれたファミリーの存在確率は0.05%ぐらいだ。つまり女の子が10人続くファミリーはとっても珍しいといわれて納得できる数字だ。女の子が次に生まれるのは2分の1なのに、同時に0.05%の珍ファミリーを生んでしまう。10人目が女児か男児かなんてコインの表裏程度のどうってことのない事象のはずが、なぜか珍しいことのように見える。この数字は確率という概念が誕生する前から人を惑わしてきた。50%と0.05%、どっちを採択しても事象は同一である。こういう数字は好みによって選択すればよい。

ところで、女の子が10人続いて生まれるファミリーの存在確率が0.05%だとして、これはどれぐらい希有なことなのか、ちょっと想像してみよう。日本には10人続けて女の子ばっかり生まれているファミリーは5000ぐらいあることになる。日本に1000万のファミリーがあるとして試算した。心情的にはちょうど半々か、10人のうちせいぜい8人が女の子ぐらいのファミリーで全部を形成して欲しいものだ。しかしながら、ヒトの性比が生物学的に1:1ならば、科学的には5000ぐらいは女の子が10人続くファミリーが存在してもらわないと異常事態なのだ。まあ、0.05%でも、0.0025%でも、0.000125%でも腰を抜かすほど珍しいものではない。とにかく人類は数が多いから。


2005.01.26 負け犬とすいか

SupermacFreecell の19387番とともに、風邪と負け犬にひっかかってしまった。どうして私にああいう不可解な連想が起きたのだろう? 原因を探るべく、もつれた糸をたぐるように記憶にある連想の過程をたどってみた。はじめに「負け犬はそこそこきれいで本人もきれいだと思っていて人品卑しからず、だのに売れ残ってしまう…。」というようなことを考えていたことがあきらかになった。また、「ぼくはけっこう体が丈夫で、いつも元気だと思っているので、風邪を風邪と気づかず…。」というようなことも考えていた。この2つが結びついたらしいのだが、このままでは結んだとしても全く面白みは生まれない。どうにも袋小路だ。19387番は解けてもこっちは無理らしい。

そのかわりに首尾よく去年のスイカのことを思い出した。我が家では8月に大きなスイカを買った。スイカは洗面台の上に置かれていた。私は歯を磨くたび、顔を洗うたび、手を洗うたび、風呂に入るたび、そのスイカを見ていた。緑濃く、筋は黒く、大きく丸い立派なスイカだ。女の子ならチャーミング、セクシー、あるいは美女といってもいいぐらいの姿だ。

うまそうなそのスイカは、いっこうに食卓に上らなかった。いつか食べるのだろうと思っているうちに夏は慌ただしく過ぎていく。洗面台の脇にあるスイカだから、毎日目には入る。いつしか私の中でそのスイカは食品であることをやめ、1個の置物に変貌していた。9月になって秋風が吹いてもスイカはそこにあるべきような顔をして気づけばそこにあった。

そして10月。驚くなかれ、2か月の月日を経て、そのスイカは最初の瑞々しさを失わなかった。すでに目に入れども見えず、何かの邪魔になってあらためてその存在を確認するていどだ。黒ずんで腐敗し溶けだすようなことがあれば、処置を思いついたであろうに、いつ見てもおいしそうな色気を保ち続けていたのである。

私が女房にスイカのことを切り出したのは11月の終わりのことだ。「ところで、あのスイカはいつ食べるのだろう?」 彼女は、夏の暑い日に的をしぼって切る予定が、気づいたらすっかり涼しくなってしまい、暑さがもどるのをねらっているうちに期を逸したのだと言う。洗面所から見える柿の葉はすっかり色づき、半分ほどは落ちていた。美しかったスイカはもう肌に往時の張りはないけれど、まだまだ食べれそうな顔をしている。ただ、ストーブの前で暖をとる季節にスイカを切る気にもなれなかった。けっきょく、庭に放置してむしや菌の餌としてその生涯を終えてもらうことになったのである。


2005.01.27 常識

アエラ予想「顧問センスをうたがへり」


2005.01.28 矛盾と常識

古典論理学の矛盾律に従うならば、何物もPであるか非Pというかいずれかでなければならない。Pであってどうじに非Pであってはいけない。同一律や排中律も同様、それらの考え方は非常に窮屈だ。

冷静に考えれば、矛盾律はしごくもっともで同意せざるを得ない単純なものだ。武田は男であるというなら、男でないものではない(女であると言わない所を要注意)。まあ、そりゃそうでしょう、当たり前でしょう。ということだけど、ここでちょっと考えなければならない。では、どうして世の中には矛盾が平然と闊歩しているのだろう。

AはXのことをPだという。BはXのことを非Pだという。そうするとAとBの主張は矛盾する。こういう場合はどちらかが嘘つきだということになる。両者共に相手を嘘つきだといって罵り、その嘘つきだということだけはお互い正しくて、肝心の主張は両方ともあやふやだともういけない。とりわけ、Pと主張するAが間違っていて非Pと主張するBが反対のために反対しているようだと泥沼。UFOと宇宙人論争みたいになる。単に非Pという主張は論理的に正しくても何事かを規定するわけではないので、この場合には平和的解決はあきらめなければならない。

ごくまれに両者ともに正しいのに矛盾が起きることがある。よくよく事情聴取をしてみる。すると、AがいうXとは実はQのことであり、BがいうXとはRのことだったということが判明したりする。つまり、Aはジュースの空き缶を磁石にくっつくといいBはジュースの空き缶は磁石にくっつかない、といっているけれども、単にAのいう空き缶はスチールでBのいう空き缶はアルミなのだ。

このように主語であるXに齟齬がある場合もやっかいだ。この世の中の物は「X」といった瞬間、自動的に「〜である」を含んでいる。そのXをとりあえずお互いに同じXだと認める尺度は一般常識しかない。ふつうには、「XはPである」ということを「常識」ということが多いけれども、それ以前に「XはXである」ことに同意できることを常識といいたい。空き缶ならともかく愛や平和なんて、どれほどの屍を積み重ねたらそこまで行けるのだろう。

ちなみに、主観的「〜である」を含まないXを見つけようと思えば数学や記号論理学の門を叩くことになる。そこではXについてはおおらかで自由だけど、考え方は非常に窮屈だ。私のような門外漢にはまことにもって非常識な世界である。


2005.01.30 もう春なのか

経ヶ岳

太陽の強さが決定的にちがう。郊外に出てもまだこういう景色は冬のままだけど、肌にあたる日の力強さはもう春だ。いまごろは、1日1分は日が長くなっている。5時になってもまだ明るい。太陽の力を二たび感じて春が来たことを確信した。この先どれだけ気温が下がっても風が吹いても、冬が来るのは10か月後だ。

12月からは寒いのでもっぱら自転車のバッグにカメラを入れて、ゆっくり走るだけだった。当初はぐいぐい走る練習をするはずだったが、寒さのあまり挫折していた。雨なんか降るともうダメだ。1月はぜんぜん走っていない。この調子だとまた半原越で後悔するだろう。桜の冬芽もずいぶん大きくなっている。3月からがんばればまあいいか。


2005.01.31 海の匂い

FinePixS1pro のCCD を汚してしまったので、浜松町の富士フイルムサービスセンターに出かけて行った。クリーニングは今日まで無料、1時間ぐらいかかるということだったので、歩いて海まで出てみた。

東京湾に出ても風は弱く暖かい。海水はおどろくほどきれいだった。ゴミもなく水は青く澄み、各種の遊覧船が行き交っている。海から吹いてくるのに風から海の匂いがまったくしない。おもえば、私が知っている海臭さというのは魚やイカやテングサを干している匂い、また、各種の海藻、魚や貝などの有機物が腐敗している匂いなのだ。それに、廃油ボールの油臭さも混じっているかもしれない。東京湾にはそういう廃れた物がいっさいなかった。湾岸のおしゃれなレストラン、散歩道になっている船着き場…。きれいだけどこれは私の海ではないと思った。


2005.02.01 敗北宣言

今朝の田園都市線に、ずっと楽しみにしていたアエラの吊り広告が出されていた。そこには『中にコモンじゃなかったの』と書かれてあった。残念!予想はみごとに外れてしまった。一般人のレベルならけっこう予想も当たったのでは、といえないでもないが、私のレベルではまったく駄目だ。ふだんから冗談のセンスは天才的で頭がいいことが取り柄と喧伝しているのだから完敗とせねばならない。

敗因ははっきりしたものがいくつか考えられる。私がキャッチコピーを考えたときと、雑誌の担当が決定原稿を出すのにはタイムラグがある。その間に社会状況は刻々と変化し、別のネタが選択されるかもしれない。また、ネタが同じでも状況が違えば内容も変わるかもしれない。そう推理した上での予想であったことは言うまでもない。ネタの変更の可能性は考えるだけ無駄なので捨てた。状況の変化も当然予測し、その通りになっているけれども、かわった状況がそのままネタにされるとは思わなかった。そこにひよりがあり、状況がどちらでも通用するものを作ってしまった。これが第一の敗因だ。

私は冗談を言われそうな状況では相手のレベルを考慮しつつ構えている。今回の予想でもそこは押さえたつもりだった。ところが、私が想定したよりも難しい所を狙われてしまった。今回吊り広告で発表されたものは名詞を動詞として使用するものだ。私が予想して作成したものは名詞を名詞で合わせるタイプで、地口としてもレベル的に低く、わかりやすいぶん面白みも薄い。

品詞を変えると同じ地口でも難度は雲泥だ。文法的に誤りになることが多く意味が掴みにくくなる。そのタイプで成功しているものは、俗に駄洒落とかオヤジギャグといわれるものとはまったく違うギャグに分類すべきだと主張したいぐらいだ。品詞を変えるときにはそれなりの決まり事がある。たとえば、「ふとんがふっとんだ」というように主部と述部でリフレインしてリズムで面白がらせるような工夫がある。また、大辞林でも紹介されている「三方一両損」の「多かあ(大岡)食わねえ、たったいちぜん(越前)」のように前半の大岡で後半の越前を予想させるという手法もある。相手をいかに構えさせ、いかにはぐらかすか、合わせるか。地口はそこの呼吸合わせが命だ。

いずれにしても地口では、もとの単語は、聞けば速やかに明確な表象を形成できるくらい強いものでないと、諧謔味以前に何を言われているのかがつかめず戸惑われることになる。「この人はボケているのだろうか、つっこんでいるのだろうか、それとも真面目なのだが何かを言い間違えている気の毒な状況なのだろうか、いずれにしても意味不明なので聞かなかったことにしよう」と思われる危険が高い。滑るという状況だ。ダンディ坂野などは、わざと滑らせ間をとって「ゲッツ」という決め台詞を吐くことで一世を風靡したが、あそこまで型を一般にするのは容易ではない。

私は自分で地口を作るとき、「コモン」は単語として弱いと思った。私は「中にコモン」と言われた瞬間にすべてを理解できたことは言うまでもないが、正直言ってそれと同時に、「頭に?マークのともる乗客も多いだろう」と感じた。そのことがまさしく私の認識不足を示している。冷静に思いかえせば、アエラについては地口の型も一定しているので、乗客の構えも思いのほかしっかりしているのだろう。そこに思い至らず、名詞を名詞で合わせてしまった。この点の考慮は足りなかった。こちらがより大きな敗因だと思う。


2005.02.02 恋に落ちる不思議

私は恋の全てを知って理論化していると思われている。立場上、自らも「恋のことでわからぬことはない」と言いふらしている。しかし、こっそり告白するならば、いくらか知り得ぬことがある。たとえば一目惚れのその瞬間に自分の中で何が起きているのか、時間にして何分の1秒かの心的過程もつかみきれていないものの一つだ。

私は女性美に極めてうるさい。女の子の魅力をはかる物差しは夜空の星と内なる欲求だけと信じて実行しているからだ。それゆえ、たいしたショックも受けてないのに「惚れた!」などとぶざまな早とちりをすることもない。それでもこの半世紀の人生で、一目惚れといえる体験は少なくとも3度あった。先日の夜もまさにそのような状態だった。

その夜、私はあるニュースに釘付けになっていた。わずか2分ほどの田舎の学校の話題であり、途中から見はじめたのだが、そこでインタビューにこたえていた娘さんがこの世のものとも思えぬほど素敵だったのだ。いわゆる美人でもアイドルとして商売になるタイプでもないけど、一瞬でとりこになってしまった。たんにそれだけなら「いやあ生きてて良かった」と、ときめきを心にしまっておればよい。「この国のどこかにちょー素敵な娘さんがいるのだから、いつか会えるかもしれない」などと、ほのかな希望を胸にともしておればよい。ところが、ことは少々熟慮を要する展開になった。

十数秒でインタビューのカットは終わり教室の雑景となって、その娘さんは数人の子どもとグループで写っていた。たまたま炊事を終えた女房がそのシーンを見て、「あ、あの先生、かわいい!」と彼女を見出したのだ。

じつは女房と女性のことで意見の一致をみるのは希有なことだ。彼女が良いと認める人は私の目にはことごとく不細工に写り、見解は分かれる。「どうせ、こいつはただの巨乳好き」と誤解されているふしもある。私はふだんからテレビは美女鑑賞機としか使っておらず、かなり妥協し自分を鼓舞してニュースキャスターとか芸能人とかをほめて見てるけど「この人いいよね?」と彼女に同意を求めて肯定されたことはない。反対に「このしょっちゅう泣く人って、大人気みたいだけど、不細工だよね?」とか尋ねればおおむね同意を得られる。そんな彼女が、ニュースの女性に同じく魅力を感じたのだ。この事件は一目惚れとは何かということを解明する重大なヒントを提供しているはずだ。

ちなみに、20年前に私は女房に一目惚れしたのだが、彼女自身は彼女のことをこの世のものとも思えぬほど素敵な娘だと自覚していたわけではないようで、意見の一致はなかった。


2005.02.03 一つ目小僧

夜に渋谷(Z01)から乗る田園都市線は窮屈だ。ほとんどドアの窓に顔を押しつけるような案配で、10分も20分も身動きもままならぬまま過ごさなければならない。ただ、そういう不自然な姿勢を強いられると、思わぬ収穫もある。今日は一つ目小僧を発見した。

外が暗いので、ドアのガラスには自分の顔がうすぼんやり写る。ガラスと顔の間隔はピントが合わないぐらい近い。それでも見るものといえば自分の顔か、ガラスか、夜景しかないので、必然顔を見ようとする。両眼視しているから、像は二つ見える。右目で見ている顔と、左目で見ている顔。距離があればこの2つの像は一つになって通常の鏡の像になる。眼球の筋肉をつかって、二つの像を離したり近づけたりしていると、左右の目が重なって一つの目になった。その像は隠し絵や写真の立体視で体験できるものと同じだ。

ドアに映る自分の顔の立体視は比較的簡単だった。人間の目は互いにほぼ鏡像であるから、容易には重ならないのだけど、像が不鮮明なのが功を奏しているようだ。また、私は立体視の天才といってよく、物心ついたころから色々な文様を立体視して遊んできた。大学生のときはまだゲシュタルト心理学や現象学の最期の灯火があり、知覚の実験によくかり出された。客観的に正しいと思われる像と主観的に感覚される像のずれを研究するためのモルモットだから、さまざまな物の見方ができ、しかも見える物を的確に言語で表現できる私のような存在は宝物なのだ。

その天才的ともいえる技を使えば電車のガラスで自分の顔を立体視することなんて朝飯前だ。左の目で鏡に映る左方の目を見、右の目で鏡に映る右方の目を見、その見かけの像が同じ所に来るように調整すればよい。あの独特の立体感がある一つ目の顔が見える。ああでもないこうでもないと15分ほど遊んでいると、妖怪の一つ目小僧というのも出所はこの立体視遊びであったろうかと、ふと思われた。鼻と口がはっきりしないのっぺりした顔の真ん中にやたら大きくて飛び出している一つ目がある。江戸時代に描かれた一つ目小僧によく似ているし、鏡の中に妖怪が忍び込んでくるというモチーフもありがちだ。


2005.02.05 一目惚れの謎

恋というものを赤いハート型の爆弾がバンと炸裂するようなものと思ってはいけない。素人でもイメージしやすいようにたとえて言うならば恋はドミノ倒しだ。受精の瞬間からヒトの恋のドミノならべが始まる。そのドミノがはじめて倒れる日が初恋だ。肉体と精神の両方に数百万個並べられた微小なドミノの列が連鎖反応を起こして崩れ落ちるのが恋だ。ヒトのドミノのパターンに個性はない。違いといっても耳とか手の形のちがい程度の差しかない。恋から生じる感情は皆おなじだ。だから誰でも恋とはなにかを知っていると誤解している。全人類が同じ経験をし気分を共有できるけれども、それと理解ということは区別して考えるべきだ。

恋とドミノ倒しには決定的に違う所が二つある。ドミノ倒しだと一度倒せばふたたび並べるのは大仕事だけど、恋は何度でも倒れ速やかに並べ直される。ドミノはいつでも倒すことができるけれども、恋のドミノはあるていど並ばないと倒れない。

異性にであってはじめてドミノは倒れはじめる。恋は相手あってのものだねなのだ。最初の一個が倒れるにはきっかけがあって、長いまつげとか白いふとももとかスカートのすそとか甘美な匂いとか、まあ何でもよい。「女」を感じさせる何かが最初のドミノを倒すのだ。ドミノの将棋倒しは体中を駆け巡る。心だけでなく身体も変わる。ドミノが倒れるときに音がするように、恋に特有の感情が体を走るだろう。ドミノが倒れた後は新たな模様が見えるように、世界観も人生観も変わる。恋は思いもよらぬ新鮮な体験を人にもたらす。

さて、私の困っている一目惚れの難しいところをドミノ倒しのたとえでいうならば、まさにその最初の一個を倒すものが何かということだ。私には、恋の始まりには契機が必要だと思われる。なにか明解な刺激が恋の始まりに必要なのだ。耳をくすぐる声や異様にやわらかかった二の腕なんてものは「女そのもの」に出会ったことを私に告げるサインなのだ。その手の刺激を受け、ドミノが崩壊するとガールフレンドが恋人に変わる。

私は人間だから、何に感激したのか、何を見てショックを受けたのか、何に触って電撃を受けたのかを思い出すことができる。ところが、強烈な一目惚れではそういう契機が見当たらないのだ。どこが素敵で、何にまいって、その娘さんに心臓をわしづかみにされてしまったのか、とんとわからないのだ。さあ、そこをどう解釈すべきか。刺激を感知しているのに対象を自覚できない秘密の何かがヒトにも存在しているのか。それはまるで虫の恋だ。それとも、私の体内に恋をするための符丁として装備されている女そのもののに一足飛びに到達できる娘さんが10万人に一人ぐらいいるということなのだろうか。


2005.02.06 私のフリーセルレベル

SupermacFreecell の腕前をはかるのに、難しいのを解く時間で示すことができるだろう。やさしいのを猛スピードで解決できるのも大切な技術ではあるが、難しいので挫折したり何時間もかかるようでは、1000個、10000個と解くうちには結局時間がかかってしまうことになる。たまたま、今日難しいのにあたった。19685番を解くのに1時間かかってしまったのだ。一見、やさしそうだけれども、方々に罠があってひっかかってしまう。これをたちどころに解ける人は中村君レベルに達していると思う。SupermacFreecell 好きの人でまだこの番号を解いていない人はぜひ挑戦して自分の腕を試すといいだろう。ちなみに私の解法はここをクリックすればダウンロードできる。(アップル+Z)のキーコンビネーションで「取り消し」していけば履歴が確認できる。


2005.02.07 荒天の予感

飛行機雲

日曜は朝から巻雲が多かった。雲の筋は西から東に伸びている。夕方になってますます雲は多く、券層雲にかかる幻日もみられた。残念ながら幻日はカメラで撮ってきれいに写るほどはっきりしたものではなかった。

写真はジェット旅客機の飛行機雲。画面左手が東だから羽田に降りてくる便だろう。このへんは西日本方面の飛行機の通り道に当たっているので、飛行機雲のできる条件のそろった日には何本もできる。羽田から向かう便は、高度2000mから3000m当たりを上昇し続けているという案配で、昨日の条件では飛行機雲のできる高度が限定されており、短いものしかできなかった。西から降りてくるほうはもう少し高いのだろうか。写真の飛行機雲はちょうど西日の射す方向と一致している。飛行機雲に下から日が当たって白く輝き、上空の巻雲に影を落としている。こちらは券積雲のようになり、長らく残っていた。

一般にこういう日からは天気が崩れるものだ。地上の天気図では必ずしも荒天が明らかではなかった。ただ、こういう高空の雲を見ていると気圧の谷ができつつあることがわかる。現在では気象観測のレベルが高く天気予報だけみていてもまず間違いはないのだけど、あえてプロに頼らず雲と相談して自分で予想するのは楽しいものだ。


2005.02.08 飛行機雲の影

昨日の飛行機雲は壮観だった。薄い巻雲に青い影が一直線にすうっと伸び、その影をおって白い飛行機雲がもくもくと発達して行く。飛行機雲が巻雲に影を落とすのは珍しいことなので、軽い気持ちでその条件を見つけておこうと思った。気象条件はひとまずおいといて、飛行機の高さと太陽の位置だけは押さえたかった。

昨日の飛行機雲はほぼ真上にできていた。深く考えることもなく、飛行機が下で雲が上、したがって日は下から飛行機を照らす格好で上にある巻雲に影が伸びているのと判断していた。見た感じで飛行機雲が手前だったからだ。その条件で雲に影が落ちる場合は、飛行機の高度が5000メートルならば、日没後の9分間ぐらいがマッチすることがわかった。地球の半径を6300キロとしてピタゴラスの定理を使って概算した。

はて、そこで困った。思い起こせば、あの雲の写真を撮ったのは午後4時頃で日没には1時間ほどもあったから、太陽は地平線から10度ぐらいの高さになる。その条件では上空の雲に影は落ちない。もう一度ちゃんと写真を見返すことにした。

詳細に見ていろいろ気づくことがあった。影の部分の手前にも巻雲の筋が入っている。それが確かならば、見かけとは反対にその巻雲は影よりも上空にあることになる。飛行機雲より下には必ず影ができるので、巻雲の厚みを考えると、影より下の雲に光が当たるのは変だから。また、飛行機雲をくまどるように青い影ができているように見える。それは上空から飛行機雲の影が落ちているのだろう。どうやら飛行機は巻雲の中をつっきっているらしいということで落ち着いた。


2005.02.09 自称アナログ人間

アナログとアナクロは意味ぜんぜん違いますから。

追記:長谷川先生の疑問におこたえすべく取り急ぎ飛行機雲はこんな図を作ってみました。ついでですから明日はもっと丁akeda らしいアカデミカルなのも用意します。ちなみに岡山市の上空に飛行機雲を作る飛行機は国内線の定期便だけとは限らないと思います。


2005.02.10 飛行機雲に下から日が当たるとき

時計皿

はてしない大空と広い大地のその中で生活しているちっぽけな人間が、地平線までの距離、空のサイズ、平行線である太陽光のあたり方を把握することは難しい。

子どものとき「地の果てと空はどのように交わっているのだろう?」と考えて空恐ろしくなったことがある。雲は天頂に近いほど高く、地平線に近づくにつれて低くなりぼんやりしている。では、地面と雲がぶつかっている所はあるのだろうか。あるとすればどんな所なのだろう。そこに行ける日は来るのだろうか?

空と大地がふれあう彼方も図のようにしてみるとあっけない。灰色の半径6300kmの円は地球で、水色のラインは上空5000mの天蓋。A点を飛行機が西に飛行機雲を吐いて飛んでおり、B点で私がそれを見ている。人間の目線での地平線は5kmぐらいの距離になるけれども、今日は0kmと考えよう。C点は飛行機から見た西の地平線。ピタゴラスの定理を使えば、線分ACは250kmだとすぐわかる。

少年時代の私にいまこの図をもって教えてあげよう。空は深さ5000m半径250kmの時計皿を伏せたようなものだと思えばよい。図では薄い水色で示した。私が夢にまで見て行きたかった空と大地の交わるところは点Dである。250km西方で上空5000mの場所だ。空は点Dから角度θで地面から立ち上っているように見える。現実にはそんなに視界はきかないけれど。

いま問題になっているのは飛行機雲だ。飛行機雲に下から日があたり、上空の巻雲に影が落ちる条件を探している。弧ADに飛行機雲が張り付いているのだから、そこに下から日が当たるのは図で黄色く塗った所に太陽があるときだ。地上では日が没して、飛行機雲が赤くあるいは白く輝いていような時間帯。逆に飛行機からは直下の地面は真っ暗で、太陽は見えている状態にあたる。その時間が何分あるのかが問題だ。

それを知りたければ、θの値を知ればよい。θは角AODに等しいことはたちどころにわかる。線分ACは250kmなので、弧BCもかたいことはいわず250kmとしよう。したがって地球の半径が6300kmならθの値は2.3度になる。太陽が地平線の下2.3度まで没するのに要する時間は、神奈川県の日没角(?)が66度とすれば、10分ぐらいになる。また、飛行機が西のほうにいればいるほどθの値は大きくなる。D点では2倍の4.6度だ。どうやら、日没後15分ぐらいまでが、飛行機雲が上空の巻雲に影を落とす可能性がある時間帯のようだ。

日没後15分というと、けっこうチャンスは少ないような気がする。私は4年間にわたって毎日雲を撮影し、日没時の空の変化にはうるさい女を妻とする男である。これまでに数度、上空の巻雲に飛行機雲が影を落としているのを目撃した自信があった。ところが、先日誤解をしたばかりで、いま日没後15分という計算結果をみれば、その自信も揺らいできた。本当に太陽が下から飛行機雲を照らし上空の雲に影ができるものなのか、今後、日没時の空は要注意だ。


2005.02.12 そわそわの春

一つ低気圧が過ぎて行くごとに暖かくなる。庭は一年でもっとも殺風景なのに、シジュウカラの鳴き声はもうすっかりさえずりだ。桜の枝にとまって首を振りながらしきりにツーピー鳴く。春の訪れにぞくぞくして落ち着かないのだろう。ひとところに留まる時間が短い。桜の枝を渡りうろを覗いている。営巣場所を探しているようだ。

北海道でも、ちょうど2月の中頃から鳥や獣の春がはじまっていたような記憶がある。気温は神奈川よりずっと低く、雪深く、とうてい春とよべるような季節ではないのだけど、それでも何かでスイッチがはいるのだろう。始まりはなぜかこちらといっしょだ。

みんなが落ち着かないと、こちらもそわそわする。天井に吊っている半原1号を下ろして、ハンドルバーの角度を変えディレーラーの調整をやった。


2005.02.13 カモが泡を食う

kamo

窓をあけ放してフリーセルをやりながら鳥の声を聞いている。膝の上には900ミリ(35ミリ換算)の望遠レンズを装着したカメラをおいてある。ちょっと重い。こいつで桜や梅に何か鳥が来たら撮るのだ。今日はジジュウカラ、ヒヨドリ、ムクドリ、モズが来た。

あまり部屋の中にこもっているのもよくないので、境川を通って戦車道路にいってきた。あそこではよくフユシャクを見ている。うまくいけば今日もみつかるかもしれないと思った。

境川にも鳥はいる。カルガモ、マガモ、オナガガモ、ハシビロガモ、カワウ、セグロセキレイ、カワセミ、コサギ…。堰堤から落ちる水が巻いて泡が立っているところにカルガモがいる。何をしているのかと見ていると、白い泡を食っているようだ。この泡はいわゆる都市河川の汚濁のシンボルのようなものなのだが、何か栄養になるものが混じっているのだろうか。

戦車道路ではフユシャクは見つからなかった。それほどまじめに探したわけでもない。


2005.02.15 劣等感の裏返し

ついにフリーセルを解いた数が20000を越えた。今年になってからは特に集中し、余暇のほとんどをフリーセルにつぎ込んだ。一日平均にして30分はやっていることになると思う。

これだけフリーセルに入れ込むのは私の劣等感の裏返しだ。体が貧相で運動神経ゼロだけど作文が天才的で世界に名の売れた作家がせっせとボデイビルに励むような、そんな物悲しさが私のフリーセルにはつきまとう。というのは、私には俗にいう「読み」という能力が全くないからだ。フリーセルは将棋や囲碁などと同じように先の手が読めればより早く解ける。もし私に他人並みの読みの力があれば、今の2倍のスピードで解けるはずだ。

私に欠けている「読み」という能力は典型的には暗算だと思っていただけるとよい。私は暗算が駄目で、「123×456を暗算でやりなさい」という問題を出されたら、1時間かけても正解を出せる自信がない。ところが、暗算と似たような問題、たとえば「富士山の土砂をトラックでせっせせっせと太平洋に捨て続ければどれぐらいで山がなくなるかなあ」と聞かれれば1分で暗算して、「5千年から1万年ぐらいだろう」という解を納得行く説明とともに出せる。さっき実際に両方ともやってみて、かけ算のほうは挫折した。

私は「それは何であるか?」「それはいかなる理由でそうであるのか?」「それとあれとはどういう関係であるのか?」「それはこれからどうなるのか?」というようなことを考える力はある。つまり記憶、情報収集、分析、判断、類推、予測などの力を使って論理的に思考する力はある。しかし論理的思考力と読みとは全然ちがうタイプの力だ。自転車に乗るのと歌を歌うぐらいの違いがある。私の作った野菜七というゲームは論理的な思考だけが必要で、読みは一切必要ない。フリーセルも100個のうち99個は読めなくてよい。3手先まで読めれば私程度の知能で1個あたり1分30秒で解ける。

読みというのは、短時間で事実を正確にたくさん積んで可能的な未来をあたうかぎりの数見出す力だ。その未来は実在するものでなければならない。読みの思考の過程では類推や連想、それに勝手な選択判断は入り込んではいけない。そういう集中を要する思考力は私に決定的に欠けており、端的にいうと頭が悪いので、実生活の諸局面でかなり不自由している。その辺の劣等感を裏返して、読みがいくぶんか必要であるフリーセルをたくさん解いてひとかどだと思いたいのだ。


2005.02.17 精神鑑定

テレビで精神鑑定ということばを聞くたびに「いったいどんなことをするのだろう」と疑問に思う。痴漢や傷害で、より危険な犯罪を予防するために行うのはわかる。しかし、一個の人間が不可解な原因理由で赤子や幼児を殺したというなら、かれが狂っている事を証明するために、その殺人よりも確実なことができるのだろうか。また、その人間が狂ってないことを証明するのは、考えうるいかなることができようとできまいと不可能だと思うのだが。精神鑑定はするもされるも当事者になるのはごめんだが、いっぺんぐらいその様子を観察したいものだ。


2005.02.20 ゆとり教育をみなおそう

ゆとり教育が見直され廃棄されるかもしれない。わたしは平成のゆとり教育に賛同し、カマドウマを見る楽しさや天体の運行の奥深さや算数の妙味を熱っぽくアピールしてきたが、そういう努力につばをはきかけられることになるだろう。

今の社会はたしかにおかしい。ひどい状況にあると言っていい。子どもの目から覇気と希望の輝きが消え、学力や体力の平均点は落ちている。まともに働けない若者も増えている。このひどさの原因は小中学校の義務教育のひどさにもあるに違いないから改善が必要だ。改善するには何をどう変えるのか、そのビジョンはしっかりもつ必要がある。単につめこみ派とゆとり派が派閥交代を繰り返すだけでは、まともな教育行政とはいえない。

改良にあたり、とくに気をつけるべきは、「昔の教育は悪かった」と肝に銘じることだ。なぜなら、よい教育とは悪い結果を生まない教育のはずだからだ。今の社会が悪いならば、悪いのは昔の教育にある。「教育方針はいいんだけど、社会の変化がなあ」などと寝言を言ってはいけない。ゆとり教育は悪いのかもしれない。ただし教育の結果が出るのはまだ先で、20年後にひどいことになりそうな予感がするだけだ。とにかく昔の教育が悪かったことだけは確実であるので、少なくともその過ちは繰り返してはいけない。今教育を改革しようとしている有識者や私が受けた戦後の教育、あるいは私の父が受けていた戦中の教育、あるいは私の祖父が受けていた明治の教育は、すべて誤っていたのだ。

過りかもしれないが、ゆとり教育には明日の日本のビジョンがあり、そのもとに義務教育を変えようとしていた。ゆとり教育は少数のヘンテコと無数のボンヤリに「それでもいんだよ」と宣言するものだったのだ。教育の結果がスピーディに出るのはスポーツの分野だ。アテネオリンピックで日本の若者が大活躍した。各種のメジャー、非メジャースポーツに日本人が顔を出すようになった。そういう良い面と小中学校が死に体にあることが無関係かどうかよく考えるべきである。社会に艶を与えるのは常に教育のざるがすくわない人物だ。それは今も昔も変わらない。ゆとり教育の是非はまだ出ていないはずだが、今やめれば絶対に「ゆとり教育は失敗であった」という結果しかでない。さあ、どんなビジョンのもとに次への転換が行われるのか?


2005.02.21 ゼノンのパラドクス

ゼノン

あたらしいブレーキを買った。黒くてきれいなので買った。名前は「ゼノン」という。イタリアのカンパニョーロ社がどういう理由でゼノンと名付けたのか分からないけれども、この名を聞くと思い浮かぶのはあの有名なパラドクスだ。

私がはじめてゼノンのパラドクスを知ったのは高校2年のときだ。数学の微分法を一通り習った後、教師は「アキレスは亀に追いつけない」というパラドクスを示した。そして、「反論できるか?」ときいてきた。「アキレスが亀に追いつくには、亀のスタート点に到達しなければならない。そこまでアキレスが来たときは亀は先に進んでいる。その地点までアキレスが進んだときには亀はまた先に行っている。かくて無限に続きアキレスは亀に追いつけない。」というのだ。

そのとき、私も誰もそのパラドクスは解消できなかった。ゼノンの仮定を認めるなら、たぶん永久にやっつけられないだろう。亀も動いているのならアキレスが亀のスタート点に来たとき亀のいる位置が特定できないということから解けるような気はしている。特殊相対性理論とかそういう高尚なアイデアではないが。

ゼノンのパラドクスには他にも「飛んでいる矢は止まっている」というものもある。競技用自転車の部品の名前が「追いつけない」とか「止まっている」とか、いかにも負けそうなアイデアにつながっているのは背理というか皮肉というか。ブレーキは速度を落とすのが仕事だから、それでもいいのか。なんというか。


2005.02.22 層積雲

片積雲

正式に勉強したわけではないので、雲の種類をうまく言い当てることができない。特に難しいのは層積雲というやつだ。写真の雲がそれだと思う。層積雲は高度2000mぐらいまでの低いところにできる水でできたもっとも普通の雲。白いこともあり灰色のこともある。ときに雨を降らせることもある。雨の前兆でもあり、晴れの前兆でもある。雲から天気を読むのは層積雲を読むことであるともいわれる。その分類は難しく「どれにも当てはまらないようなら層積雲」などという解説もあるように変幻自在なのだ。

特に、積雲との関係がよくわからない。積雲の中には成長途上で積雲らしくないものがあるけれども、その途上のものは層積雲なのか? また、積雲はふつう夕方にはしぼんでしまうのだけど、あれは層積雲なのか? 風で吹き飛んでいるような千切れた積雲は層積雲なのか? 積雲と層積雲の見分け方の一つに雲頂の蒸発がある。コマ送りをしたビデオで層積雲をみると、なるほど雲の上の方が湯気が立つように消えていることがわかる。積雲はもくもくだ。しかし、肉眼ではなかなかその蒸発が確認できるものではない。いまの所、私的理解では空に積雲があるときは、その周辺にあるようなどっちかわからない雲は「積雲」。積雲がないとき、低い所に不定形の雲隗があれば層積雲ということにしている。

少しは真面目に研究すべく、田中達也著「ヤマケイポケットガイド25 雲・空」を買ってきた。ハイレベルな写真が満載のお買い得な一冊だ。


2005.02.23 巻層雲

巻層雲

巻層雲だって難しい雲だ。普通は巻雲よりも低い所にできて、薄いベールのように全天を覆っている。しかし、写真のように放射状に筋が広がることもある。正体不明の巻雲のように見えて、低いところにできている厚めの巻層雲が風に吹かれてこうなっているらしい。放射状なのはあくまで見かけのことで、実際は平行線なのだろう。


2005.02.24 乳房雲

乳房雲

一度ちゃんと確認したい雲に「乳房雲(にゅうぼううん)」というやつがある。雲の種類としてそういうものがあるのではない。低い雲から高い雲までいろいろな雲の底に乳房のようにまるくふっくらしたものができている状態をいうらしい。その存在は30年以上前に知り、いつか確認してやろうと、それらしい日には雲を眺めてはいるけれど、一度も「これだ!」というのに巡り会ったことがない。

写真は最近撮影したもので、層積雲の底がそれらしくふっくらしていた。しかしながら、このていどでは貧乳とでもいうべきもので、このあと発達せず雨にもならなかった。乳房雲は雲の底の方に下降気流があり風が複雑に巻いているときにできるといい、それが見えている間は雨にはならないけれど降り出すと大降りになると解説されている。ならばやはり、大迫力の巨乳にまみえ、どしゃぶりの雨に打たれながら「ああやはりそうだったか」と納得したいのだ。


2005.02.25 太平洋の低気圧

雪

昨日の午前8時頃にはすでに全天が高層雲に覆われ、アスファルトにできる影も薄かった。低気圧は鹿児島の沖にある。ちょうど1000キロぐらい西で、1日かけて神奈川県にやってくることになる。温暖前線は発達中で、気象衛星の写真をみると北東側に厚い雲がかかっている。まだその雲のはしっこなのに高層雲がこれだけ厚いとなると、雨も多いだろうと思われた。

はたして夜には雨が降り始め、深夜には雪に変わりみるみるうちに積もっていった。太平洋を駆けて行く春の低気圧は往々にして神奈川県に積雪をもたらす。年に数回のことなので、雪がきれいなうちに写真に撮っておいた。いかにも水っぽい大粒の雪片が天からぼとぼと落ちてくる。午前2時とはいえ、この辺りは人工の明かりが多い。低い雪雲はライトで黄土色にぼんやりそまっている。


2005.02.26 上空への飛行機雲の影

飛行機雲

7日の写真は飛行機雲の影が下にある巻雲に影を落としているものだった。けれども私は飛行機雲に下から日が当たり、上空の雲に影ができているのを見た記憶があった。昔の写真をつれづれにながめていると、それらしいのが見つかった。1999年2月28日に川崎で撮影したものだ。時刻は記録しない設定だった。

太陽はほぼ地平線にある。写真では右下だ。飛行機はほぼ太陽にまっすぐ向かっている。それは飛行機雲の先頭だけが光っていることからわかる。飛行機雲は氷でできる薄い雲だから、太陽の光が上下右左からあたると必ず白く見える。まっすぐ前から太陽の光が当たっているので暗く見えているのだろう。もしくは後ろのほうが他の雲の影に入っているのかもしれない。いずれにしてもかなり濃いめの飛行機雲にはちがいない。

飛行機雲に重なっているのは筋状の巻層雲だと思う。飛行機雲のほうが後ろ(上空)だと、これだけ厚めの巻層雲があると飛行機雲はぼやけるだろう。見た通り上空にあるのなら、私は確かに上空に影を落とす飛行機雲を見ていることになる。ちなみに、もし巻層雲の方が下なら、太陽は写真の中央下3分の1ぐらい位置することになると思う。この写真の影のでき方で巻層雲が上なら光は飛行機雲の進行方向やや左から来ていることになる。まっすぐやや左から光がきても、みかけの太陽は右下。この辺が空の観察の難しいところ。

ただし巻雲と飛行機雲の位置関係は相手の巻雲が薄いと難しい。7日の誤解もそこにあった。濃い飛行機雲は常に手前に見える。撮影時刻がはっきりしないこの写真だけでは確実に見たと断言はできない。


2005.02.27 クラゲ雲

くらげ雲

写真は今朝撮ったクラゲ雲。形の変化が早くほどよくクラゲ状に見えるのはほんの一瞬だ。下降気流にともなってこんな面白い形になるらしい。

今日は低気圧が去って寒気が入り冬型になった。地上は無風で穏やかだけど上空は風が非常に強いようだ。雲がものすごいスピードで流れて行く。このクラゲ雲がある高さでは風の速度も揺らぎも大きいようで、雲の形がめまぐるしく変化していた。このクラゲ雲はほんの小さな一片が空に現れ、横に糸を引くように成長し、数分後には脚が生えこの形になった。逆に大きな雲塊にぼこっと穴があいて千々に乱れクラゲになって消滅するものもあった。

雲はその高さと形から大きく10種類にわけられている。クラゲ雲とかレンズ雲のようなものはその10のうちどれになるのか特定が難しい。風によって形が整えられた層積雲や高層雲の雲片なのか高積雲なのか迷うところだ。「ヤマケイポケットガイド25 雲・空」によれば今日のは高積雲らしい。


2005.02.28 わあっと思う雲

高積雲

高積雲はきれいな雲だ。空一面にひろがっているようすは圧巻で、何度見てもわあっと思う。高度3000mぐらいの手が届かない空にある雲だけど、一度だけJASの飛行機の乗客としてその中をつっきったことがある。高積雲はその一片が地上から見て想像していた通りに薄かった。ほとんど厚みを感じない。飛行機が雲に入った瞬間に抜けていた。厚さは10mもないのかな? という感じだった。そのかわり、広がりは圧巻で見渡すかぎり白い板状の雲片が空の彼方まで続いて歩いて渡れそうだ。上空は紺碧で巻雲が薄く筋を引いていた。

ちなみに高積雲の一片の大きさを測るのに簡易な方法がある。手を高く掲げにぎり拳の親指を立てる。親指の爪で隠れた部分の直径が上空2500mでは400mになる。

渋谷のセンター街あたりで、いかにもリストラにあいそうなうらぶれたオヤジが天に向かって親指を立てグッドラック!のポーズをとっていれば、きっと私であろう。それは高積雲か巻積雲のサイズを測っているのだ。けっして宇宙の友人に合図を送っているのではない。握りこぶしを突き出し「我が人生に悔いなし」のラオウのポーズで積雲の大きさを測る方法もある。


2005.03.01 積乱雲

積乱雲

写真は7月25日、夏の盛りの午後に三浦半島で撮ったものだ。この日は富士山のあたりから次々に積乱雲が湧き立って壮観だった。積乱雲はいわゆる入道雲が何かを突き抜けて金床状になったものをいう。上空1万メートルくらいを越えると、いわゆるもくもく状態ではなくなり、水平に広がって巻雲になってしまうのだ。そこで何が起きているのか? 雲は何の壁を突き抜けたのか? ちょっとした謎だ。

天気のよい夏の午後に飛行機に乗ると雲海から突き抜けた積乱雲が方々で見られてお得な気分だ。夕方、東の空に塔のようにそびえる積乱雲は夕日に赤く染まってきれいだ。

遠目には美しく雄大な積乱雲も、その中は暴風が吹き荒れ雨雪雹が渦巻いているという。そのつもりで、観察してみると、たかが10分程度で2000mも3000mも成長するのだから、内部の風の吹きようもただごとではないだろうと思える。ジェット戦闘機ですら積乱雲の中に飛び込むと無事には出て来れないのだそうだ。積乱雲一個のエネルギーは原子爆弾に匹敵するともいわれる。にわかには信じ難い話だけど、夕立で降る雨の総量を5000mも持ち上げるエネルギーを計算すれば納得できる。その源は1億5000万キロの彼方で輝く太陽。やっぱりお日様は偉大だ。


2005.03.02 巻雲

巻雲

私はとくにきれいな雲、めずらしい雲を追いかけているわけではない。雲を見て何かの役に立てようとしているわけではない。口を半開きにして雲を眺めていると世の憂さを忘れるというわけでもない。それどころか正直言って、雲よりも金儲けになる仕事や女のほうが好きだ。あかず雲を眺め雲を撮影し続けているのは、雲がどうやって生まれどうしてあんな形をしているのかを知りたいからだ。

当然、それは科学者としての興味、つまり人間の性でしかない。気象は専門ではないから、雲の性状が漠然と実感できるだけでよいのだ。中学で習う湿潤断熱減率とか露点とかの解説はよくわかる。雲形の理由も積雲程度のものならよくわかる。みそ汁の対流や鳥柱、水中に落としたミルク、もくもくと白い煙をはく工場の煙突などの観察事例からの連想によって、高度1500mに直径300mの雲がぽっこりできることは納得できる。ちなみに、最近では目に見える煙を吐く工場なんて皆無だ。煙突がもくもく白い煙を吐いておればそれは湯気だから要注意。

ところが今日の写真のようなわりとよくあるタイプの巻雲を目の当たりにして、受験勉強でものにした知識や体験からの類推は無力だ。その姿には上昇気流にのって断熱膨張した空気塊が露点を下回り…という単純な説明が当てはまるとは思えない。巻雲を特徴づける筋については風で雪や氷晶が流されているのだと解説される。そんな説明で簡単になっとくできるものでもない。いったいどれほどのスピードで水蒸気が凝結し、どんな風が吹けば写真のような巨大かつ繊細な形状になるのか、そうした謎を解く鍵を私はもっていない。エベレストにでも登れば、この巻雲ができる場所の風に当たることはできるのだけれども。


2005.03.03 地震雲

巻雲

私が雲を見始めた30年前に地震雲のブームがあった。もちろん私もそういう雲があるなら見ておきたいので常に注意は怠らない。しかし、いまだかつてそれらしい雲と地震のセットにまみえたことはない。先に茨城で大きな地震があったときも、18時間前に30分ぐらい渋谷からその方面の雲を観察していた。残念ながら、挙動不審な雲はなかった。当然写真も撮ったがふつーのものだった。

そもそも「地震雲?」として発表された雲の写真に常ならざるものを見たことがない。形自体はそれなりに面白いものがピックアップされているので、もし写真のキャプションが「ラピュタ?」とか「宇宙人の乗り物?」とあれば、そちらのほうになら一票入れてもよい。一般人がいう「珍しい虫」が珍しかったことがないように、一般人がいう「奇妙な雲」が奇妙だったことはないのだ。

今日の写真は巻雲。けっこう奇妙だ。普通の巻雲の途中から濃い雲が直角に火炎放射のようにすうっと伸びている。たまたま上空70mを幅1mの烏が飛んでいるので、7000m上空にあるこの雲のサイズも計算できる。かなり大きな尻尾だ。冷静に考えると通常の巻雲の変種として説明がつくのだけど、やっぱりこんなのを見ると内心ではどきどきしている。地震来ないかな…。来たためしがない。

いま日本では地震雲の写真の大安売りがはじまっている。というのは、デジカメの普及によって猫もしゃくしも雲が撮影できるようになったからだ。昔はフィルムも現像代も高くてわざわざ雲を撮るヤツなんていなかった。いまや日本のどこかで地震が起きると、1000人はそこの雲を撮っているという案配だ。地震が起きた後で雲のことを思い出して「そういえばあの雲はもしかしたら…」というのはちょっと恥ずかしい。


2005.03.04 レンズ雲

レンズ雲

ひまさえあれば雲を見ている私にとっても、写真の雲は珍しいものだった。強い風にも流されず、空の一点にふわりと浮かんでいた。手前を片雲がものすごいスピードで流れて行く。真上にあってぼんやりした輪郭のため距離感がなく、高度がわからない。700mのようでもあり、3000mのようでもある。10種の雲形のどれになるのかも言い当てる自信がない。このあとも20分ぐらいかけてこの場所で成長し、他の雲と合体して円い輪郭がわからなくなった。おそらく、レンズ雲を下から見ていたのだろうと思う。

神奈川県大和市は全国的に誇るものはない。市名もどこか奈良県あたりのようで良くない。いっそ「新セントレア市」とか突飛なものに改名してほしいくらいだ。そんなつまらぬ所ではあるが、レンズ雲を見るチャンスは極めて多い。西に富士山や丹沢のあるおかげだ。強い西風は晴れたときに吹いていることが多い。台風一過の晴れ間にも吹く。上空の強い風が丹沢の山塊にあたって波打って、風波の山にあたる所にレンズ雲ができるのだろう。写真の雲はうまい具合に風波の波長が長く、たまたま私の頭上にぽっかり浮かんだのだ。レンズ雲ができ始めたときに目に入ったのもラッキーだった。大和市といえ、真上にほどよいレンズ雲ができる機会は多くないと思う。


2005.03.05 神奈川県の数学入試問題

娘が高等学校の受験をした。今年の神奈川県の県立高校の入学試験、数学の最後の問題は難解だと思った。娘は見た瞬間にあきらめたといい、娘の友達の優等生も手がつけられなかったそうだ。夕食の時間にそれを見せてもらった。円柱に短冊を斜めに巻き付けて線分の長さを測る問題だ。見た瞬間にはこの問題は解けないはずだと感じた。

最初に「これは解けないのでは?」と感じたのは、中学校で習わない数学を使う必要を感じたからだ。ちょっとややこしい三角関数が必要になるはずだ。おそらく、娘も友達の優等生も、問題をまともに受け取って解くのは無理だと判断したのだろう。

高校入試のレベルで円柱のような一見まがっている(円柱は普通の平面)平面が出てくれば、普通は展開図にして解くものだ。そのセオリーにのっとってダメもとでやってみると、問題にある条件の場合にかぎり三平方の定理だけで解けるということが判明した。いわば、楕円の面積は積分を使わないと解けないけれども、楕円の一つの円の面積だけは小学校で習う公式を使えば出せるようなものであろうか。

その問題は夕食時に解いて見せてやったのだが、私の解法は若干煩瑣で理解が難しいものだった。答えはあっていそうだけど高校入試でそんなややこしい問題がでるのはへんだった。そういう疑問があるものだから、しばらく展開図の長方形と補助線が頭から離れなかった。湯船につかりながらも、ぼんやり考えていたら、ふと三角形の相似と比をつかって一瞬のうちに解けることがわかり、娘に自慢したくて風呂から飛び出しそうになった。あの有名な「ユリーカ!」と叫びながら裸で走り回ったアルキメデスの心境もあんなもんだったのだろう。


2005.03.08 女房と夢を見る夢を見る

滅多に夢のことなど話さぬ女房が「夢を見ている夢を見た。変な夢だった」と話しかけてきた。うわべではふんふんと軽いあいづちをうちながら、内心ではちょっとどきどきしていた。というのはちょうど同じときに私も夢を見る夢を見ていたからだ。奇妙な夢だった。

荘子の胡蝶の夢は有名だ。あんなふうに私は夢の中で本当の自分を発見していた。じつはホントの私は巨大なジェットかロケットのエンジンの開発にあたっているエンジニアだったのだ。それなのに、いまのしがない丁akeda が本物だと思いこんでしまうぐらいリアルで長い夢をみていたのだ。ようやく目が覚めてもエンジニアの自信がなく、ぐずぐずしているしまつだ。巨大なエンジンのシリンダーに体をすっぽり入れて覗き込んでも、それが何なのか判然としない。もしかしたら本当に田園都市線で東京に通うしがない月給取りかもしれないという気がしてくる。悪い夢の影響だ。はて、どっちかと悩むうち、天地無朋をみればわかるということに気づいて、何年か前のを読み返してみると、やはりエンジニアだという証拠が4つも5つも見つかり安堵する。そういう内容だ。

同床異夢ならぬ同床同夢というのは夫婦仲のよいことで大変結構だ。さすがいっしょになって20年も暮らしてきただけのことはある、やっぱり縁があったのだと、ただ喜ぶのも素直で良いけれど、私はすぐに別の方向に考えを進め、女房に生返事していた。

2人の人間が同時に夢を見る夢を見たことで、夢を見る夢を見る条件を決めるヒントを得たと思ったのだ。記憶をたどれば、その夢を見ていたのは、現実と夢の間を行き来するような、覚醒と入眠を繰り返すような、そんな状態だったような気がする。2人同時にそういう状態になったのだから、特定の外的刺激が存在する可能性がある。そう仮定して実験環境下で再現を試みればよいのだ。


2005.03.12 濃きも薄きも紅梅

紅梅

いまにも降り出しそうな空模様だけど、ナカガワをひっぱりだして境川に行くことにした。いくらなんでも、そろそろトレーニングらしいことをしておかないと6月に悔しい思いをするに決まっている。「あのときやっておけばいまごろは…」というのはかんべんだ。

向かい風が強いのを幸いに、ギアをアウタートップに入れてどれぐらいダンシングできるか試してみる。ケイデンスは推定60以下、時速23〜25kmぐらいで、うんちらえっちらと走る。30分ぐらいはいける。ということは半原越もマイペースなら全部ダンシングできるということだ。とにかくタイムを出すために意地も誇りもかなぐり捨てて考えられることは全部やろう。

境川の周辺にはいま梅が目立つ。なにしろ、上流から根こそぎ流されてきた梅の木ですらコンクリート護岸に引っ掛かって花をつけているぐらいだ。梅は寒い季節に良い香りがしてメジロやミツバチを集めるありがたい木だ。田舎の家は梅の1本や2本はかならず持っている。鑑賞よりも梅干しを作るためだ。梅雨時になると山にいって大きく膨らんだ実をもいできたものだ。あの実がまた美しい。

梅は遺伝的に多様でいろいろある。花にもいろいろある。まだ5分咲きのものもあれば、盛りを過ぎたものもある。私は鮮血のように赤黒いのが好きだ。黒い幹に小さく花がぽつぽつついて、黄色い太陽がひくく当たると、あの赤さがいっそう際立つ。

清少納言に、木の花は濃きも薄きも紅梅といわれてしまった。あそこまでうまい表現をされると梅好きはもう付け加えることがない。どうしたって反論のしようがないのだ。いっそ、もっとすごい花を用意して彼女にどうだと突きつけるのが手っ取り早いかもしれない。ソメイヨシノとか。そんなことをすると、以後桜に対して何も言えなくなるような決定版をだされてやぶ蛇になるかもしれないが。


2005.03.13 乳房雲

乳房雲

ナカガワをひっぱりだして境川にでると、藤沢の上空あたりにあこがれの乳房雲らしいものが出ていた。層積雲の雲底がまあるく垂れ下がっている。その丸さがちょうどボールのようで、しかもでかい。たくさんある。まさしく雲の図鑑でみた乳房雲そのものだ。しかし、カメラを持っていない。どうしようかと逡巡すること30秒、引き返してカメラを取ってくることにした。

雲の高さは500mそこそこだろう。近づかなければきれいに撮れない。一度、下鶴間に帰ってまた藤沢のほうに走らなければならないから、撮影までには小一時間かかる。こういう不安定な雲がそれまで待ってくれるだろうか。引き返すと、府中の上空に入道雲が出ている。上空に冷たい空気が入っているのだろう。乳房雲らしいものができているのもそのせいかもしれない。

あわてて引き返してかろうじて撮ったのが今日の写真だ。まるさもはっきりせずサイズも小さい。残念、かろうじてAカップぐらいのが2つ3つ認められるだけだ。もしあれが乳房雲だとすると、まるい乳房は破裂するように壊れ、黒い筋を引いて地上に落ちて行くのだ。写真右下のほうにある黒い筋は1時間前にはりっぱな乳房雲だったのだと思う。黒い筋の正体は雪だった。この1時間後、季節はずれの雪になった。この辺では、にわか雪は極めて珍しい。


 
2005.03.19 蝶と蛾を区別すること

蝶と蛾を区別することは簡単だ。日本のものなら蝶の図鑑を買ってきて主要なものを30種類ほど覚えれば良い。それらしくない鱗翅目を見つけたらそれは蛾だ。その程度の勉強では蛾と蜂の区別はつかないだろうけど、蝶と蛾の区別はつくはずだ。

もともと蝶と蛾を分ける規則はない。人文的にも分ける所と分けない所がある。蝶と蛾は日本やイギリスではわけているけれども、ドイツ語では区別がないのだそうだ。ヘルマンヘッセの「少年の日の思い出」にはヤママユガがアゲハやコムラサキ以上に美しく貴重な蝶として登場している。

それでも「なんとなく」蝶と蛾は違うような気がする。夜に飛ぶのと昼に飛ぶのと、陽気なのと陰気なのと。このなんとはなしのちがいが、じつはすごく大事だということに気づいた。生物として人間と鱗翅目の関係を考える上で無意味なことではないと思うのだ。まじめに考えてみよう。


2005.03.20 蝶は明るい世界を求めた蛾か

現代の遺伝子工学をもってすれば、次のような疑問にも決着がつけられるにちがいない。「蝶と蛾はどっちが先にうまれたんだろう?」そもそものところ、蝶というのは昼間に飛ぶようになった蛾なのか、蛾というのは夜に進出して行った蝶なのか? もしくは最初から両方ともいたのか。これらの疑問のこたえは、蝶と蛾の性格付けにおおいにかかわってくる。

蝶よりも蛾のほうが圧倒的に種類が多い。個体数も多い。住処も生活史もバリエーション豊かだ。となれば、もともと蛾だったものの一派から蝶が出てきたと考える方が自然だ。ひとまず、蝶が蛾から生まれたことにしてみよう。蝶の特徴は昼間に活動することだ。どうして夜の生き物が昼間の世界に進出していったのだろう。昼に活動することの有利さはなんだろう。明るい世界か? 蛾は飛び回るのに光はそれほど必要がないらしい。スズメガなんかは暗闇のなかでもものすごいスピードで飛ぶ。私の目には見えないが、夜の森林には無数の蛾が飛び交い、さぞかしにぎやかなことだろう。食べ物か? 昼に活動するアブやハチにあわせて昼に咲く花は多い。そうした食料を目当てに日中の世界に進出してもよさそうだ。

ところが、昼間の世界には恐ろしい敵がいる。鳥類だ。いまそのへんで生きている芋虫毛虫の類が、葉や枝をまねてたくみに隠れたり、味がまずかったり、毒々しい色をしていたりするのは鳥対策のたまものであろうと思う。ただし、飛びまわると目立つ。飛ぶことと隠れることは相反する。夜に活動する鳥は少ないから、蛾よりも蝶のほうが危険だ。真っ昼間に飛び回って生き残るためには、鳥をなんとかしなければならない。


2005.03.21 蝶と蛾の目玉模様

アオタテハモドキ

写真の蝶にはアオタテハモドキというじつにつまらない名がついている。よたかの星では、よたかが夜と鷹から名を借りているからけしからんといわれてしまうが、こいつも同等かいっそうひどい。アオタテハモドキといえばタテハみたいな青いやつという意味だ。嫌な名だ。撮影はインドネシアのジャワ島だけど、沖縄にもたくさんいる。後翅が太陽を反射してブルーに輝く美しい蝶だ。

今日こいつが登場したのは、左の後翅の目玉模様が欠けているからだ。この模様が欠けているのはおそらく偶然ではない。こういう目玉模様のある蝶はけっこう目玉部分が欠けていることが多い。はじめはその意味がわからず、気にもせず、よくあることで済ませていた。しかし、これは蝶にとっては死活問題だと教わって、見方が一変した。蝶の写真としては羽のきちんとしたもののほうがよいけれど、今では翅が欠けたやつのほうが撮ってやろうという気になる。ついでにそのかわいそうな名前にも同情するほどだ。

目玉模様は鳥に食われて欠けた。鳥は攻撃するときに目を狙う習性があるのだ。鳥のくちばしは蝶にとっては必殺の一撃で、本物の目にくらえば一巻の終わりだ。あえて翅にめだつ目玉模様があれば鳥はそこを攻撃するから本体を守ることができる。その効果のほどは、この写真にあるように目玉模様の欠けた蝶がひじょうに多いことがものがたっていると思う。

大きな蛾にも目玉模様がある種類がある。ヤママユガなどだ。あちらのほうは翅の中央部に大きな目玉がある。それもやはり鳥対策だという。ただし、狙わせるのではなく驚かすことができるそうだ。突然現れる大きな目は鳥にとってはイタチとかネコとか、より強力な捕食者の出現を意味する。蝶と蛾では目玉模様の意味もちがっているのだ。


2005.03.26 毒蝶

十数年前、現金自動支払機を重機で壊し現金を強奪する犯罪がはじまった。最初はかなり特殊であったけれども、最近ではけっこう日常化しつつある。私はそれ専用の対策が施されているということを聞いたことがない。私が知らないだけかもしれないが、おそらく対策はないのだろうと思う。ちょっと考えれば、機械に大きな力が加わわったときアラームを警察に送るとか、大きな音を出しサーチライトで照らすとか、いろいろやりようはありそうだ。しかし、警察のほうでは人員や予算や責任の問題があってやすやすと引き受けるわけにもいくまい。また、銀行のほうでもヒット率1万分の1の犯罪対策にコストをかけるわけにはいかないだろう。

思うに、銀行のほうでは現金自動支払機を壊されたとしても損はないのだろう。きっとそれは保険会社が直してくれるのだ。保険会社でも現在の確率なら十分見合うだけの保険料を銀行からもらっていて、損はしないのだろう。結局、現金自動支払機強盗に金を盗まれているのは一般庶民だ。一件被害が起きるごとに一人10円払うことになる。ということは結局誰も損はしないのだ。一般庶民だって、まあ10円ぐらいなら、いくぶんかスカッとするようなニュースを見れたのでいいか、というわけだ。犯罪一件は被害甚大で当事者には死活問題だとしても、それでなんとか済むようなら何事も変わらないものだ。

蝶の生態にもそういう一面がある。鳥がいない間、またはいたとしても数が多くないうちは、奇抜なヤツはいなかったかもしれない。特に毒蝶の存在意味はなかったろう。食う相手がいなければ毒の意味がない。意味はなくても毒をもってしまうことはあるかも知れないけれども、いま現在ミュラー型やベイツ型の擬態が認められるのは、蝶がこれまでによっぽど目のいいヤツにつけ狙われてきたという証だ。毒蝶という特殊な存在は重機強盗対策が施された現金自動支払機のようなものだ。いざその強奪場面に遭遇して、はじめてその奇抜さの意味がわかる。

鳥は生まれつき毒蝶を嫌うのではない。一度食べてひどい目にあってはじめて、その色模様の蝶を食べなくなるのだそうだ。ということは1羽の鳥は1グループの毒蝶を1匹殺すことになる。毒蝶はよく目立ち飛び方も鷹揚で「食えるものなら食ってみろ!」というように見えるけれども、もう一つの意味がある。フレッシュな鳥に対して「どうぞ私を食ってひどい目にあって、仲間は見逃してください」という犠牲の精神なのだ。


2005.03.27 蝶肉鳥食

ハレギチョウ

写真のチョウは一見毒蝶のカバマダラの類のようだが、じつはタテハチョウ類で毒はない。ジャワ島の民家の軒先で立ち話をしていると、たまたま近くに飛んで来たので何の気なしに様子を見ていた。こいつが来たのは鉢植えのヤシの木に産卵するためだった。カバマダラはヤシなんか食わないので、やっとタテハチョウだと気づいてあわてて撮影した次第だ。

毒をもっていないのに毒をもっている色形で、飛び方もそれっぽい蝶がたくさんいる。この手の無毒なチョウが縁もゆかりないカバマダラのような巨大な毒蝶グループに似ていることをベイツ型の擬態という。カバマダラ類がお互いに似ていることをミュラー型という。

ベイツ型の擬態が広く認められるのは、毒をもつことが生き残るのに有効だということを示している。ただし、ベイツ型は広まりすぎることはない。毒は自己犠牲によって有効化するのだから、ベイツ型が増えると本家が衰退することになる。カバマダラに似ているおいしい蝶を5匹食った鳥が、6匹目に本物のカバマダラを食ってひどい目にあったとしても、5匹がおいしかったから、7匹目のカバマダラも冒険して食うかもしれない。本来なら1羽につき1匹だけ犠牲になればよいミュラー型のグループにとっては不愉快千万な事態といえよう。ただし、ミュラー型が滅べばベイツ型も滅ぶ。鳥と蝶はうまくバランスをとって現在の蝶肉鳥食の世界を維持している。

毒が鳥に有効とはいえ、この地球上では毒のない蝶の方が多い。蛇の目模様の蝶も少数派に甘んじている。たまたま際物だからめだっているだけで、蝶はそんな特殊なことをしなくても生きていけるはずなのか。それとも、そもそも蝶というのは人間の私が気づかないだけで、全体が際物の集合なのか。蝶や蛾にとって鳥から逃れるというのはどういうことなのか、場合を分けて詳細にみていく必要がありそうな気がする。


2005.04.01 隠蔽すること

蝶と蛾の関係を考えるときに幼虫を無視してはいけない。昆虫の本性は幼虫にある。成虫は繁殖のための仮の姿といってよく、生きることをかなり犠牲にして、繁殖成功率を上げていると思う。そのご本尊たる幼虫に限っては蝶と蛾の区別は見出しがたい。幼虫の姿形、生き様は千差万別で多彩であるけれども、その中から蝶にあって蛾にないものは簡単には見出せない。幼虫時には蝶を特徴づける何かはないといえよう。

いっぽう、蝶と蛾をひっくるめて共通な幼虫の特徴ははっきりしている。大雑把にいえば、幼虫は鳥に見つからないようにしている。毒をもつものもいるけど、一般には葉っぱや枝に似たり、土や植物にもぐったり、隠れて生きている。のろまでおいしい生き物が人間の目から見て隠れているということは、同じような性能の目で見つけて彼らを食う者がいるということだ。幼虫が見つかりにくいのは鳥が幼虫を見つけ次第に食ってきた結果だ。

成虫になっても蛾は葉や木肌に似ているものが極めて多く、幼虫の隠蔽傾向を引きずっている。蛾の成虫の活動はもっぱら夜で、日中は動かずにじっとして鳥の目を逃れて来た結果だろう。いっぽう、蝶の場合は昼間に飛び回るので隠蔽は意味がない。姿がよく見えても逃げられる甲斐性のほうが必要なのだ。

蝶は蝶らしい特徴がある。飛び方を見ているといかにもひらひらして、軌道が不規則、きびきびと速い。蛾の方が素直にわかりやすい曲線を描いて飛んでいると思う。蝶の素早くトリッキーな飛び方は飛行時に補食される確率を小さくしているだろう。昼間、鳥の目があるときに空を飛ぶには基本的な飛行能力は必須だ。のろまでぐずは太陽のもとでは生き残れない。


2005.04.02 24分48秒

半原1号2005

いよいよ今シーズンの開幕で半原越に行った。記録は24分48秒、なさけないものだ。冬の間ずっとさぼっていたのだから、タイムが上がるはずがない。若者なら普通に生きているだけでも筋肉が増え心臓が強くなることがあるかもしれないけど、中年オヤジは収穫済みのミカンみたいなもので、放っておけばどんどん腐る一方なのだ。ともあれ、去年と同じことをしていると20分はきれないので、心を入れ替える必要がある。

それにしても、4月の清川はきれいだ。いろいろな花が咲き乱れ桃源郷の様相を呈している。それがまた、人間ひとりひとりの創意と工夫によって咲いている花なのだから面白い。

写真は半原1号の2005年バージョン。ハンドルの形状がいびつだ。きつい登り坂をダンシングでぐいぐい行くことに特化した自転車を追求するうちこうなった。1年かけて見つけたスタイルだ。今年はこれで19分59秒をねらう。

区間1  1.98km  7'52"  15.1km/h
区間2  1.48km  8'08"  10.7km/h
区間3  1.32km  8'48"  08.9km/h


2005.04.04 スズメガのライフスタイル


花かげから
ビュッととんだ

『どくとるマンボウ昆虫記』の一章「天の蛾」に出てくる詩だ。この30年、ススメガ(天蛾)を見るたびに「天の蛾」のいろいろな挿話を思い出してきた。スズメガのことを書きたくなって、すっかり変色してしまった文庫本を何十年かぶりに読み返した。

北氏もご指摘のように花影からビュッと飛ぶような蛾はスズメガだろう。先に蝶は蛾よりも飛ぶのが速いと言ったが、最高速を競ったら並の蝶はスズメガにかなわない。夕暮れ時の花壇、花から花へ、ホバリングして蜜を吸うほんの数秒はその姿が見えるけれども、移動のときはかすかに気配がつかめるだけだ。鳥でもあいつを追いかけて捕まえるのは覚悟がいるだろう。スズメガは多彩なグループで、夜の林で樹液に集まるものもいれば、真っ昼間に飛ぶヤツもいる。多彩さは、そのライフスタイルがまちがっていないことを示している。

スズメガのように高速で飛び、空中に静止して(バックもできたような気がする)長い口で蜜を吸うというやり方はほかの虫も採用している。同じ技を使うハチドリはかなり繁栄しているグループだ。南北アメリカでは、ちょっとした町中でも砂漠でも密林でも、花があればそこらじゅうでハチドリが目につく。あの鳥は大きさも飛び方もスズメガに似ている。日中の暑い盛りに活動する透明な翅のオオスカシバはまさにハチドリだ。アメリカであの蛾を見ればハチドリと見間違えるかもしれない。

昼に飛ぼうが夜に飛ぼうが、スズメガはどれも美しくスタイリッシュだ。ものすごいスピードで飛べるくせに、飛ばないときはほんとに飛ばない。夜間に活動するものは日中、木の枝や草むらで休んでいる。近くをガサゴソやったぐらいで驚いて飛ぶことはない。下手をすると踏みつぶしそうになるぐらいだ。じっとしているときは大変地味で、木の幹や葉によく似ている。よく太ってうまそうなので、鳥のいい餌食にもなるだろう。中途半端に動くのが最も危険だというのがモットーなのだろうか。そこの使い分けが蝶の隠蔽とはひと味違うようなきがする。


2005.04.05 光る蝶

モルフォ

蝶は日光を利用する。蝶の翅の鮮やかな色や動きは同種へのメッセージになっている。可視光を使って自分をアピールするならば、目の良い敵にも「ここに餌がある」ということを示すことになる。だから蝶は目立っても捕まりにくいように速く飛ばなければならない。目玉模様という普遍のデザインが発達したり毒蝶に共通の衣装が決まったりしている。きっと人間には容易に知られないで、鳥を避けるのに有効なデザインや行動もあることだろう。

一般に蝶の翅は表が鮮やかで、裏が地味になっている。とりわけ、太陽光を反射して輝くタイプの蝶は表と裏のギャップが大きい。国産のものではミドリシジミ類があり世界的にはモルフォが有名だ。彼らの翅が光るのは、当然メスを誘惑するメッセージなのだろう。1秒間に何回というはばたきのリズムがメスを酔わせてその気にさせるのかもしれない。そのためには裏が光る必要はなく、表だけが光ればよい。

また、裏がきわめて地味なのは敵への目くらましの効果も大きいと思う。モルフォなんかは遠目にもよく目立つ。それこそ、何百メートルも先の谷を飛んでいてもチカチカと青い明滅は嫌でも目に入ってくる。モルフォは飛翔力も強くすばらしく速く飛ぶ。木漏れ日の小道を間近に飛ばれると、まるで一瞬の閃光だ。その光を追いかけてもすぐに姿を見失ってしまう。止まるとき翅をぴったり閉じるので一瞬のうちに暗い密林の背景にとけ込むのだ。鳥もモルフォの翅の表裏の光と陰のギャップには戸惑うことだろう。


2005.04.06 擬態への不信

虫の擬態がすばらしければすばらしいほど、少年の疑問は大きくなる。「では、ふつーの虫はなんなんだろう?」 生きるために、とりわけ鳥の捕食を逃れることができるように、尋常ならざる技があるのはすばらしいことだ。蝶の目玉模様は安い言葉でいえば自然の叡智といえよう。ならば、その辺をふつーに飛んでいるモンシロチョウには叡智がないのだろうか。モンシロチョウには目玉模様がない。毒もない。速度もない。何かに似ているわけでもない。それなのに弱肉強食のはずの野生界でどうして生き残れるのか。生き残るどころか、どの蝶よりも繁栄しているように見える。モンシロチョウという普通の生き方があり、それが成功しているならば、なにを好きこのんで奇天烈な生き方を選ぶ必要があるのか。無理せず普通に生きられるなら、それこそ叡智ではないか。あまつさえ、その特殊に巧みな生き方ゆえに絶滅に瀕している蝶だって少なくないのだから。


2005.04.09 モンシロチョウ

今日になってやっと今年はじめて庭でモンシロチョウを見た。このあたりはモンシロチョウはけっして多くない。畑がないからだ。モンシロチョウが最も好むのはキャベツで、ほかのアブラナも食うけれど、やっぱりキャベツが多い。それも、家庭菜園レベルのもので収穫を忘れられて放置されたようなのにごっそりわく。

モンシロチョウはもともと日本にはいなかった帰化動物だとされている。大陸からアブラナの栽培に伴って入ってきたらしい。近年では沖縄にもキャベツといっしょに入って定着しているという。同じ調子で南北アメリカ大陸にも進出し、いまやコスモポリタンになっている。

やつらが、生き残るために特別な技を持っているとは考えにくい。幼虫は青虫でキャベツにそっくりの色をしているけど、隠蔽のレベルとしては中の下といったところだ。しかもコマユバチにはめっぽう弱く、夏の青虫にはほとんどハチが入っている。アシナガバチにもよくやられるようだ。

鳥に対してはどうなんだろうか。成虫の飛び方はゴミが舞うようにひらひらするから鳥にはちり紙にしか見えない、ということもないだろう。餌はキャベツだから体に毒はない。ためしに鶏にやってみるとうまそうに食う。もしムクドリあたりがキャベツの青虫に目をつければいっぺんにやられそうだ。だのに、モンシロチョウは最も一般的な蝶として春を謳歌している。食われる以上に増えることができるのか。無尽蔵の食料をたすけにして、鳥が食う以上に増えているのか。私にはそれだけでは説明がつかないような気がする。


2005.04.11 鳥は青虫を知らないのか

ふだんにも増して妄想たくましく断言するならば、鳥たちはモンシロチョウにまだ気づいていないのだ。もちろん成虫の蝶には気づいているだろうけど、キャベツにあの青虫がいることを知らないかもしれない。日本でキャベツが栽培されるようになってまだ100年程度のものだろう。100年は青虫が鳥の目から逃れるのに長い時間ではないと思う。

鳥が餌をとることの巧みさはよく知っている。サボテンの針を使って穴からカミキリを掘り出したり、牛乳瓶のふたを開けて牛乳を飲んだり、ルアーを使って魚をおびき寄せたり、人を招いて蜂の巣のありかを教えたり、ガラス窓を叩いて餌を要求したり、いくらでもその知恵を列挙することができる。

その一方で意外と食べ物に無知だったりもするものだ。スズメが桜の花を食べ始めたのはごく最近のことだという。たしかに今では桜を食い散らかすスズメは普通に見られるが、私が子どもの頃にはそれを見た覚えがない。スズメが梅の花を食べるところはまだ一度しか見たことがない。梅の方が桜より蜜が多いだろうから、桜のあの要領で食べればよさそうなものなのに、あまりやらない。桜よりも頑丈な梅の花の構造があのスズメの乱暴なやり方にあってないのかもしれない。シジュウカラはヒマワリの種を上手に割って食うが、スズメはできない。物欲しそうにそばで見ている。くちばし他、体の構造にシジュウカラとスズメで決定的な違いはないと思うのに、なぜかスズメはヒマワリが食えない。かといってスズメが不器用というものでもない。稲が熟す直前、穂の中でミルクのようになっている米をちゅうちゅう吸うのはスズメの独壇場だ。あの要領で梅も吸えばいいのに。


2005.04.11 ついでに地震雲

黒い雲

きのうの夕方に撮った雲だ。黒く重く、いかにも禍々しい。もし不吉というものに前兆があるならば、まさしくその前兆がこの雲となって現れるだろう。奇しくも今朝、関東地方で大きな地震があり、田園都市線も影響を受けた。これを「地震雲」と呼ぶ人もいるかもしれない。しかし、私の目にはふつうの層積雲にしか見えない。ふつうだが、西日に巻層雲と高層雲がうまい具合に組み合わさって絶妙な照明になった。下の雲もずいぶん不吉っぽい。この後すぐに福岡やインドネシアで大きな地震があった。しかし、これも照明のいたずら以上の何ものでもない。

黒い飛行機雲


2005.04.13 キャベツは石か?

毎朝ムクドリがうるさい。向かいの家の雨戸の戸袋のとりあいをしているようだ。その家の主はずいぶん剛胆で、毎年戸袋をムクドリに解放しているのだ。ムクドリが営巣すれば、巣材だの糞だのダニだの餌の食べ残しだの、そういうものを食う虫だのでとんでもないことになるはずだ。そういう状況を知らないわけはないからずいぶん愛鳥家なのだと思う。

足輪の調査などしてないから、たんなる想像だが、ムクドリは4組8羽ぐらいいるようだ。夫婦が共同戦線を張ってたがいに場所取りをしあっているのなら微笑ましい。または、住宅難のおりから巣立って行った若者がフィアンセを連れて出戻り、親、兄弟と張り合っているのかもしれない。

ムクドリは草むらで虫を捕まえるのが得意だ。冬には多摩川でスズメとムクドリの混群をよくみた。100羽ぐらいが集まってぎゃあぎゃあさわぎながらしきりに土手の草むらをつついている。けっこうな確率で虫を引き当て争って食っていた。多摩川の土手で虫を見つけるのはそれほどやさしいことではない。コガネムシの幼虫やミミズ、ワラジ、ゲジなどが生息し、モグラも多いことは確認していたけれど、人間がそれらを見つけるには結構な労力が必要だった。あの短いくちばしがよく届くものだ。

ああいうプロの鳥の目をもってすれば、モンシロチョウの幼虫もすぐに見つかってよさそうだ。しかしながら、その道のプロである鳥は得意分野ではすばらしい技を披露してくれるのに、他のことになると驚くほど疎いものだ。ムクドリにとって、餌である虫の住処は草の根っことか、枝葉だろう。ツバメと違って飛んでいる虫は目に入らないのかもしれない。クマゲラのまねをして大木の中に巣くっているアリやカミキリを食おうなんて思いもよらないだろう。カワゲラを食うカワガラスが水に潜って何をやっているのか想像もできないだろう。

というようなことを色々考えていると、畑に生えているまあるいキャベツは虫の生息地として鳥に認知されていないのではないか? という気がしたのだ。キャベツは雑多な虫食い鳥にとっては岩も同然で、そこに虫はいないはずですから、と無視されている可能性がある。


2005.04.14 イカリングなのか?

テレビ朝日系列がはじめているなぞなぞ番組の広告が田園都市線に出ていた。休日に親子で楽しめるバラエティ番組というふれこみだが、その内容を推察するにかなりひどいものであるらしい。広告は2枚下がっており、一枚にはなぞなぞの一例が示されていた。

奥さんが怒りながら作っている揚げ物はな〜んだ?

答えはおそらくイカリングだろう。他には思いつかない。であれば、奥さんはなんだ。奥さんであれ、お嫁さんであれ、お姉さんであれ、ご主人であれ、おばあさんであれ、なんでもよいではないか。この程度のなぞなぞであれば、いっそシンプルに「怒りながら作る揚げ物はなんだ?」でよいと思う。

「奥さんが怒っている」という状況は心に訴えるものがある。だから、答えにも奥さんが大きな役割を果たさなければ、正解だろうと不正解だろうと考えて虚しさが残る。奥さんが無意味ならこのなぞなぞは単なる語呂、駄洒落でしかない。その程度のものを大げさに車内広告するのみならず電波で日本中に流すというのはどういう了見だ。

英語の動詞では原形にイングがついて名詞化することは中学生ならみんな知っている。イカリングのみではせいぜい「怒ること」にすぎないのだ。「ながら」というヒントで進行形のイングを意識させるからには be動詞が必要だ。アムとかイズとかアーとかビーとか。当然、解答者は be動詞と奥さんを関連づけて考えるだろう。その肝心の関係がさっぱりわからない。私が思いも寄らぬ関係がそこにあるなら謝ろう。もしないのなら番組の制作者は故郷の山野に向かって謝罪して欲しい。テレビ電波はインターネットと違って受像機だけでなく、山にも海にも川にも雲にも向かって放送している。テレビは無駄話も命がけでやらねばならぬ。


2005.04.15 鳥のいない1億年

モンシロチョウの幼虫はこの日本で農地という人工環境を手に入れ鳥の目から透明になることで、たまさかの繁栄を得ているだけかもしれない。それが本当なら、今世紀の終わり頃にはいくらかの鳥が青虫に気づくだろうから、すっかり珍蝶になっているだろう。もしかしたら、普通の蝶には圧倒的な生命力があって、いまや人類に圧迫されてあっぷあっぷの鳥類の捕食圧など問題にしていないのかもしれない。そうであれば、毒や隠蔽や擬態などの策を弄しているものは本来の生命力が弱く、芸によって息も絶え絶えに生き延びているということになる。ちょっとひねっていえば鳥が蝶や他の虫をいっぱい食べるからこそ生存できているということにもなる。

ところで、鳥が全くいなかったころの蝶や蛾はどんな姿でどういう生き方をしていたのだろう。鳥というのは圧倒的に強力で、飢えていて、目がよく、飛翔力が強い捕食者と定義する。虫にとってはコウモリも鳥と同じ位置にあるが、コウモリは目が悪いので鳥ではない。

蝶や蛾がこの地球上に現れたのは鳥に先立つこと1億年前であるという。1億年というのは途方もない長さだ。さざれ石だって巌になろう。じっさい過去1億年の間にインド洋の北では海が隆起してヒマラヤになっている。

その間、蝶や蛾の空での恐るべき敵は同じ昆虫類だったことだろう。トンボのような昆虫類が相手ならそれほど面倒なことにもならない。大きいか速いかでなんとかなる。トンボは止まっている虫は食べない。止まっているときには、トカゲが強力な敵だ。トカゲというのは「飛ばない鳥」と定義する。夜の活動も得意だ。ネズミもトカゲ類に入る。しばし、鳥のいない世界での蝶と捕食者との関係を考えてみよう。


2005.04.16 トカゲの目を意識する

鳥のいない世界で、蝶の外観に変化をあたえる捕食者はトカゲだとする。トカゲの捕食圧が蝶の翅の模様に影響を及ぼすならば、それは止まっているときだと結論づけられる。トカゲは飛んでいる蝶を補食することはできず、止まっているときの擬態、隠蔽が生死に関わってくるからだ。

今のトカゲから類推するに、大昔のトカゲも目は良く、動く物をよくとらえ色も細かく識別できたのだろう。そういう捕食者を相手に有効な隠蔽は、木や葉の肌に似ることだ。とくに眠っているときが危ないので、できる限り目立たないほうがよい。夜に活動し昼間に眠る蝶(蛾)であれば、木の幹やコケに良く似ている種類が有効だろう。鳥がいなくても夜行性で昼間に止まっている隠蔽的な蝶(蛾)は繁栄するだろう。現在の主流の蛾は鳥がいなくても生まれたにちがいない。

夜行性のトカゲについても考えておかなければならない。夜はきっと色が目立たない世界だろうと思う。弱い光に反応できる目の細胞は色の区別ができないはずだ。夜に休むタイプの蛾(蝶)はそれほど隠蔽が発達しないと思われる。たとえばアゲハは翅裏も黄と黒で目立つように見えるかもしれないが、宵闇の中で動かなければそれほど目立たないものかもしれない。夜のほうの隠蔽、擬態はそれほど重要視しなくてもよさそうだ。

そもそも目が良い昆虫食のトカゲは夜行性のものが少なそうなので、隠蔽や擬態は昼間に限って考えてよいかもしれない。


2005.04.17 裏表のあること

成虫の蝶が第一に考えることは繁殖だ。捕食者に食われたとしても、ひとしきり交尾、産卵を終えておれば問題はない。昼間に飛ぶ蝶は異性には目立たねばならず、トカゲには見えない方がよい。その目立ち方のバランスはいわば確率の問題だ。

先にもいったように夜に活動する蝶(いわゆる蛾)は異性に目立つ姿を放棄しているから、いきおいその見た目は隠蔽、擬態を露骨に表すことになる。蝶は昼間に飛んで、光という速くて遠くまで届く通信手段をつかっている。蝶の色模様は鳥の出現以前、圧倒的な捕食者がトカゲだった時代には、自由自在に発達していたことだろう。いま、われわれが蝶をきれいだと思うのは、彼らが異性に見せる姿である。その衣装は鳥のせいで1億年前よりはいくぶん控えめになっているはずだ。

話をトカゲの時代に戻そう。鳥がいない世界はトカゲの楽園で、木や草むらや岩陰には無数のトカゲがいる。彼らは目がよく、飛び回る蝶を虎視眈々と狙っている。近くに止まろうものならジャンプ一閃、強力な口で捕まえてやろうという算段だ。彼らの目はちょっとでも不審な動きをするものを見逃さない。蝶がいくら異性に目立たちたいといっても、静止時に目立つ必要はない。飛んでいるときに、歩いているときでもよいが、翅の表を誇示してグッと来る相手だけにセックスアピールすればよいのだ。蝶の翅の裏表はぜんぜん違う役割を持っていると考えて良い。

トカゲ相手に、翅裏が地味で隠蔽的なのは大いに効果があると思う。蝶は翅を天に向かってピタリと閉じて翅表をすっかり隠して止まる。いっぱんに、蝶の裏翅は地味で、飛んでいるときにちらちらとよく目立つ翅が止まったとたんに背景にとけ込んで見えなくなる。そのまま静止しておれば、トカゲの口を免れることができる。また、ぴったり翅を合わせて止まる姿勢のほうが、一瞬で飛び立てるという有利さがあるだろう。最初の一はばたきで10センチだけ宙に舞えるのだ。蝶と蛾のみわけかたに翅の色鮮やかさと止まりかたがある。その違いはトカゲ時代には作られていたのだろう。

ところでかつて、どこかのプリンターかコピー機のCMでモルフォが出ていたことがある。発色の良さ、きめ細やかさをあのブルーの翅で表現しようという意図らしかったが、いかんせん、CGではばたく蝶が裏翅まで真っ青だった。形がモルフォそっくりなだけに、裏表のないあの蝶はかっこ悪かった。また、最近刊行されたポプラ社の震度7という書物の表紙には、ヒメアカタテハらしい蝶のイラストが添えられている。しかし、翅が裏返って描かれてあり、背中から見たカットなのに裏翅のデザインだ。ご丁寧に後ろ翅も手前だ。イラストレーターは与えられた写真を忠実に模写したのだが、出版されるまで誰もそのミスに気づかなかったのだろう。出版の世界では蝶の裏表を間違えることはなんでもないことだ。しかし、実際の蝶で裏表の区別ができなかったものは滅んでしまうか、夜の世界に逃げ込まなければならなかった。


2005.04.18 毒蝶の誕生

多かれ少なかれ植物は毒を持ち、中には動物にとって致命的なものもある。蝶はそうした植物から毒を借りている。動物も植物も体に毒をもつことは有利に違いない。毒のある植物は動物に食べられないから強くなる。一方で、植物の毒に当たらないように工夫する昆虫たちがいる。ふつうでは消化できない植物を特殊な酵素で無毒化する虫もいる。毒を少なくするためか、葉に細工をしてから食べる虫もいる。当然のことながら、毒草を食べることができるようになった蝶はその草を独り占めにして繁栄できるだろう。

一般に蝶類は決まった植物を食べるようだ。それは食あたりを避けるようにしているのだというのが通常の説明だ。何でもかんでも食べていると毒に当たって死ぬ確率が大きいから、確実なものを固執して食べるのだそうだ。そういう食べ分けをすることは、種の中の交通整理が行き届き無用な交雑を避けることにもなるのだろう。特定の植物に特定の蝶が現在の主流だ。一方、蛾類にはいろいろ食べるタイプも多い。ミノムシなんかは比較的よく食べる方だと思う。

毒蝶は一見良いことづくめのようだ。毒のある草を占有して、体にも毒を持って外敵からの防御にも使う。蝶蛾にもフロンティアスピリットはあろうから、次第に体に毒を貯め、毒草と化して行く植物に対抗した消化力を身につけたグループは少なからずいただろう。それは、捕食者の有無に関わらず植物と蝶の関係だけで発達するはずだ。鳥のいないトカゲの時代にも毒蝶はいたと思う。

蝶の毒がそれなりに強くなれば、捕食者も敬遠しはじめるだろう。トカゲは盛んに芋虫青虫を食うが、毒虫は避けるにちがいない。トカゲがどれほど頭が良いか知らないけれど、いやな相手は覚えるだろう。そうすれば、毒虫の毒虫らしさが際立って来ることにもなる。集団生活をする毒々しい毒虫や毒のある毛を逆立てる毛虫のようなものは早々に出現しただろう。カナヘビはミミズ状のものは大好きで目の色を変えて襲うが、味が悪いのかチュウレンジバチの幼虫は食わない。いっぽう、トカゲが蝶の成虫をあまり食えないのなら、ヘリコニウスやカバマダラなどの特徴的な姿の蝶は鳥のいない時代には飛んでなかったかもしれない。


2005.04.19 蛇の目の誕生

蝶蛾の翅の目玉模様に2タイプあるらしいということはすでに述べた。蛾が威嚇型の目玉で、蝶がターゲット型の目玉とでも分類できようか。その大雑把な分類があっているならば、目玉模様の2タイプの起源もはっきりできると思う。

まだ鳥がいないトカゲの時代はターゲット型の目玉模様は発達しない。というのは、トカゲが獲物の目を狙うということがありそうにないからだ。私が好きなカナヘビは動く物に良く反応する。コオロギの小さいのやワラジ虫とはよく「だるまさんが転んだ」をやっている。何か動く物が視界にはいれば、あるいは地面の振動を感知して、対象の方を注視し相手が止まっていれば動かず、動き始めれば電光石火の早業でとらえるというやり方だ。とくに目を狙うとか、そういうことはありそうもない。ひとまず食えるサイズであることだけが問題のようだ。大きい獲物ではミミズが大好きで多少口にあまっても無理して飲み込む。ミミズには目がないのだ←とりたてて笑う必要はない。

思うに、目を狙うというのはくちばしという武器に伴って発達する技ではないだろうか。目をつぶせば力の強い相手にも勝つことができる。闘争にも捕食にも応用できる技なのだろう。したがってトカゲ時代には、ターゲット型の蛇の目模様はなかったのだ。

いっぽう、威嚇型は多いに発達する可能性がある。トカゲ時代にはトカゲだけでなく蛇とかワニとか恐竜までがいたのだ。おもに虫を食うような小型のトカゲは、より大きなトカゲや蛇やワニや恐竜の餌食だったにちがいない。草影からこちらを伺い、幹の後ろからばっと現れる2つの目玉は、まさに生命の危機なのだ。目玉模様が視界に入ったとき反射的に回避の動作をとれないトカゲは生き残れない。そういう反射によって、たまたま目玉のような模様をもった蛾(蝶)がより多く生き残るということはじゅうぶんありえる。それも100年や1000年ではどうってことはないかも知れないが、1億年の余裕があったのだ。山でいえばチョモランマが1回海になってもう1回チョモランマになって、浸食されて平原になってしまうぐらいのスパンだ。虫でいえば4億とか5億世代である。1000年に1粒だけよりよい鱗粉を選んでいったとしても50万粒の鱗粉を使ってデザインするだけの余裕がある。蛾(蝶)の翅に精巧な目玉の一つや二つできてもおかしくはない。


2005.04.20 ターゲット型の誕生

いつもいつも目玉模様を見せびらかすようでは敵も冷静になるだろう。いざというときにバッと見せるのがよい。威嚇型は隠蔽とセットになってより有効だ。隠蔽しているときは休んでいるときだ。蛾が昼間に眠っているとき、いくら葉や幹にそっくりとはいえ、トカゲにぶつかってこられたら一巻の終わりだ。トカゲはそこいらじゅうを歩き回っているのだからいつ踏まれないとも限らない。そういう場合は、弱い蝶は慌てふためく以外にやることがない。あわててばさばさしたときに目玉が見えれば、踏んだトカゲの方も肝を冷やすだろう。そうなると、翅を閉じてとまる蝶は表に目玉があり、翅を開いて止まる蛾には後ろ翅や裏側など、止まっているときに目立たない部分にあるのが効果的だ。

一方、ターゲット型のほうは飛ぶときに誇示する必要がある。蝶は空中戦を意識しているのだ。飛びながら鳥に目玉模様をつつかれたいのだ。しかし、正直言うとターゲット型の誕生についてはよくわからない。そういう蝶がいることは確かなのだが、もともと威嚇型として発達していたものが鳥類の繁栄によってターゲット型に変化した、というようなことはそう簡単には言えそうにない。

トカゲ時代に昼間活動している蝶(蛾)は、鳥の出現によって速く飛ばなければならなくなった。鳥との空中戦に生き残る蝶(蛾)は体がシャープになり小型化して敏捷になっていく。もともとはトカゲに対して威嚇的な模様だった後翅の目玉模様は、翅が小型化すると鳥に対するターゲット型に変貌することになった。というような単純なシナリオは私自身承服し難いものがある。その手の説明には進化の方向の反転が起きていて、御都合主義のにおいがぷんぷんするのだ。トカゲ時代、ある蝶の目玉はカナヘビに威嚇型だったものが鳥時代にはターゲット型としてより洗練されてきた、というようなことは起こったろう。しかし、一例が全体を言い当てるとはかぎらない。

これは威嚇型、あれはターゲット型ときっかりと線が引けるものでもない。おおむねフクロウチョウなら威嚇型、スカシジャノメならターゲット型とはいえる。その区別は敵との大きさの相関関係によるのだ。そもそも、点・円・同心円というデザインは昆虫が作りやすいもののような気がする。大小無数の蝶蛾がいて、大小もっと無数の目玉模様があるのだ。各種の蝶蛾の目玉模様は生存に大きな役割をもっていたり、現代ではほんとに単なる模様に過ぎなかったり、意外にも生きるのに不利な邪魔ものだったり、いろいろ入り乱れているのだと思う。


2005.04.21 鱗粉の意味

蝶蛾の特徴は翅に鱗粉があることだ。それで、鱗翅目という。鱗粉というのはただ者ではない。蝶の翅を拡大して、その鱗粉の整然とした配列を眺めているとめまいをおぼえるほどだ。さらに鱗粉のひとつひとつを電子顕微鏡で見るならば、その精巧さはあきれるばかりだ。しかも蝶の種類によって別物であるかのように構造が異なっている。

彼らにとって鱗粉とは何なのだろう? 昆虫がただ生きることに鱗粉が必要ないことは明らかだ。それは過半数の昆虫が鱗粉のないつるつるの翅を持っていることが証明している。それにも関わらず鱗翅目は昆虫類の中でも巨大な1グループを形成している。その数たるや人類の1万倍ではきかないだろう。虫が鱗粉を持つというアイデアは大成功だった。

鱗粉はもともと毛だったと言われる。毛が鱗翅目では一つの細胞となり、整然と隙間なく並んでとれやすくなっている。昆虫の翅に毛があることは珍しいことではない。つんつるてんに見えるカブトムシの翅にだって細かい毛がびっしりとならんでいる。しかもその毛がけっこう敏感で、そうっと触っただけでびくっと反応する。昆虫の毛はいわば感覚器でもあるようで、他のやくわりがあるのかもしれない。その毛が鱗粉に変化することの優位さを挙げるとなるとかなりの難問だ。とにかく鱗粉の構造、数、並び方はただ事ではないのだ。あれがたまたまの無意味な産物なら、この世に意味ある物なんてないと結論して良いと思う。

鱗粉は翅という広いキャンバスに精巧な絵を描くことができる。アゲハの翅はさながら山下清の花火のようだ。これまでさんざん考えてきた猫やフクロウや蛇の目を思わせるデザインも鱗粉の点描によるものだ。枯れ葉やコケ、木の幹に擬態するにしても細密で繊細なグラデーションをつけることもできる。ただ、そうした擬態や隠蔽はしょせん消極的な役割に過ぎず、鱗粉の真に切実な役割は他にあると考えなくてはならないだろう。


2005.04.23 トカゲの尻尾切りと鱗粉

カナヘビ

今年もカナヘビが元気に動き回る季節になった。写真には2頭のカナヘビが写っている。冬に剪定したムクゲの枝をカナヘビの隠れ処として提供したところ気に入ってもらった。そこを探せば、ほぼ確実にカナヘビが見つかる。この2頭はいずれも去年生まれのもので、色が黒っぽく良く似ている。兄弟仲良くひなたぼっこしているのかもしれない。

奇しくもこの2頭は両方ともチャームポイントの長い尻尾が切れている。再生がはじまっていないから、今年の春にやられたようだ。我が家のカナヘビには尻尾の切れたものも多い。猫か鳥に襲われるのだ。もし、この2頭のカナヘビの尻尾が切れなかったら、おそらく私と出会うことはなかったろう。きっと今頃は鳥か猫のうんこだ。カナヘビは切れやすい尻尾を持つことで1か月に一度は天敵の必殺の一撃を回避することができる。生き残る確率が増すわけだ。

尻尾が切れることはカナヘビに有利だ。我が家の庭のカナヘビの過半数が尻尾がきれているところをみると、もしカナヘビの尻尾が切れなくなると、我が家からカナヘビは滅んでしまうかもしれない。彼らにとっては尻尾が切れることは子々孫々の繁栄に関わる一大事なのだ。

しかしながら、カナヘビの尻尾は切れるためにあるわけではない。ワニにもチラノサウルスにも立派な尻尾があることを思えば、たぶん他の理由があって尻尾がついているのだろう。それがたまたま尻尾切りという特技が有効になり、その特技に秀でたものがより多く生き残り、ますます長く切れやすくなっていったのだろうと思う。鱗翅目の鱗粉も同じく、鳥やトカゲの目くらましのために生まれたわけではあるまい。なにか積極的な利点を探さねばならない。


2005.04.25 性と鱗粉

自然界では、ダーウィンがいう進化という点では特に、勝ち組とは多く子を残したものである。強い弱い、食う食われる、寿命の長短は勝ち負けに一切関係ない。1回交尾して1日で死ぬほうが、交尾せずに100日生きるよりも有意義だ。1個も卵を産まずに他の生き物を食いまくるよりも、1個卵を産んだだけで食い殺されるヤツが偉い。それがヒト以外の自然を統べる掟だ。

蝶や蛾は人間ではないのだから、いちいち死なないように気遣うやつなんているわけがない。びくびくしててもしょうがない。羽化すれば数日か数週間の命だ。防御は追われたらちょい逃げる程度で良い。彼らの全パッションは繁殖に向けられる。具体的には交尾と産卵。鱗翅目が鱗粉を得た原因も繁殖に大きく関わっているはずだ。

鱗翅目にはけっこう性差の大きいものがいる。翅の色模様が雄雌ではっきり違うものがたくさんいる。その違いの中には毒蝶への擬態のものもあり、ツマグロヒョウモンなんかは好例だ。ただ、本来は雌雄のセックスアピールのために性差があるのだろうと思う。ミドリシジミのメスなんかはずいぶん地味だけど、オスはちゃんと同種のメスに向かって飛んで行く。モンシロチョウは雄雌が良く似ているけれども紫外線を当てると白黒はっきりする。愛すべきか戦うべきかが一目瞭然というのは便利だ。

現状、鱗粉は蝶の繁殖に大いに関わっている。鱗粉がないと不自由だろう。だからといって最初からその手の不自由があったとは思えない。2億年前に鱗粉が毛だった時代は確実にあった。毛でも満足に繁殖できていた。そんな中から、毛が鱗粉に変わった方が有利な一群が生まれ育ってきたのだ。端的には鱗粉の多い奴の方がより多く子孫を残せるような、そういう時代があったのだと思う。


2005.04.26 性フェロモン

日本屈指の鱗翅目の大家、それも鱗粉の専門家から「蛾はことごとく鱗粉に臭い袋を持っている」と聞いたとき、うかつにも目から鱗が落ちなかった。なにやらぞくぞくするものを感じたけれど、当時はその意味がよくわからなかったのだ。臭い袋について耳にしたのはあれが最初で最後だ。鱗粉の臭い袋のことはまだ良く研究されていないかもしれない。もっとも、日常不勉強で昆虫の新しい論文をさぐることも滅多にないのだが。

蛾の臭いといえばメスの性フェロモンについては小学生のとき昆虫記を読んで以来、嫌というほど聞いてきた。自分の目でその効果を目の当たりにもした。性フェロモンの効果は劇的で、1立方センチあたり数千個の分子があればオスはそれを感知できるという。蝶と蛾の見分け方の一つに触角の構造の違いがある。蝶はこん棒状、蛾は羽毛状でとくにオスの発達が著しい。ヤママユガが遠方から来るメスの臭いを感知するためにはあの立派な触角が必要なのだ。いまでは触角の微細な構造やフェロモン分子の生化学的な挙動など驚くべきことが数々発見されている。

メスの性フェロモンについて理解できても、それだけではまだ半分だ。昆虫だってメスを口説くには人間の男に劣らない技術がいる。メス虫に何かがえらい剣幕で近づいてきたならば、10のうち9までは敵である。それらはたいていメスを食らいにきた捕食者なのだ。メスはとりあえず逃げなければならない。逃げるメスをオスは追わなければならない。追いかけながら敵意がないこと、愛されるべき存在であることをアピールしなければならない。その辺の段取りは人間といっしょである。メスはそういうオスのセックスアピールを正しく認識して受け入れ態勢を整えて行かなければならない。人間といっしょである。

蛾のメスが最強の媚薬でもってオスを呼び寄せた。オスはすっかりその気でやってきた。そこまではよいとして、その後、夜の闇の中でどうやってメスは近づいてきたものがコウモリやネズミや猿やムカデでなく、愛すべき彼氏であることを知るのだろう。いまだかつて何がオスなのかを見たことも聞いたこともないメスをその気にさせるにはオスはどういう手段をとれるのだろう。


2005.04.27 あいつはくさい

オスははばたくことで自分のフェロモンをメスに浴びせることができるのなら、良い効果を期待できるだろう。闇夜の森ではきれいな翅も相手に見えず歌を歌おうにも口がない。メスがフェロモンで自分を呼ぶのならフェロモンで応えるのが自然だ。はばたくたびに飛び散る鱗粉に臭いを仕込んでおけば、メスに近づけば近づくほどメスも欲情するだろう。鱗粉の誕生に積極的な意味を見出そうとすれば、こういうことしか思いつかない。

ならば、鱗翅目はもともと蛾、つまり夜行性の昆虫だったのだろうか。蛾の方が圧倒的に種類が多く数も多く生活史も波瀾万丈だから、単純に考えるならば蝶は蛾の一種にすぎない。勇猛果敢に昼の世界に飛び出したまでは良かったが、1億年後には鳥類の総攻撃を受け、絶滅の危機にひんしながらも一部が鳥の攻撃をやり過ごす術を身につけ現在に至っている。このように素直に考えて良いものだろうか。

蛾の種類の多さは夜行性ということと無縁ではないと思う。蛾が自分のこと恋人のことを臭いで識別するならば、それはかなり厳密なものになりそうだ。臭いの正体は空中を漂う分子だ。分子の構造はほんのちょっと変わっても性質がぜんぜん別物になってしまうことがある。「あいつはちょっとくさいからやだ」という程度のことで、がまんしてヤレば元気な子ができるのに男女が敬遠しあってしまうことになりかねない。また、メスが空中にふりまく臭いがその存在の便りなら、繁殖地の地形や気象の影響で出会いが偏りそうだ。そんなところから、種群が分断されて蛾の種類はごまんとできたのだろう。


2005.05.01 いつか解ける謎

触角

話の流れからいうと、蛾の触角か鱗粉かの画像を持ってこなければならないところだが、ユスリカの写真になってしまった。私のささやかな庭には蛾がほとんどいない。灯火に飛来するものも極めて少ない。ゆいいつ、買い置きの米からメイガが大量に発生するぐらいが自慢だ。そういう言い訳はおいといても、この触角は十分尊敬に値すると思う。体長わずか2センチほどの小さな虫にこれほど美しく繊細な触角ができたのはただの酔狂ではあるまい。

「蛾の種類は多いから、蝶は蛾の一種だろう」という考えはあまり気分の良いものではない。華やかで機敏な蝶は陰気なものばかりの蛾よりも進歩しているように見えるから、新しい虫のように見えるかもしれないけれど、そういう感覚もまゆつばだ。ベーシックな生き様から見ると蝶と蛾には差がない。むしろ蝶のほうがプリミティブ感があるくらいだ。

宵闇に生きる蛾にくらべると、昼の明るい世界で生きる蝶は分化しにくいと思う。フェロモンで心が動くのは、いわば外からホルモンが入ってくるようなものだから直接的だ。化学反応がそのまま男女の相性を決めてしまう。環境的な圧力がなくても、内面の化学物質の変化で種が分かれることになるだろう。虫とはいえ性交の段階は単純ではないはずだけど、肝心の出会いの所で分かれるのだ。

翅の色模様、動きで異性を確認するならば、許容範囲はけっこう広いと思う。鱗粉の模様のできかたはデリケートなものらしく、変化も多い。幼虫時の温度や日照などの影響か、同種でも季節や地域でずいぶん模様が違うものがいる。視覚上のサムシングXを第一のサインとしている彼らには人間にわかる違いがあっても戸惑いはないのだろう。人間ならば、スッチーもナースも婦警もいっぱつで女だとわかるようなものか。姿は目から入ってくる刺激だから、一度心のフィルターを通すことになる。そのぶん、表現的な揺れは吸収されて分化も比較的少ないと思う。

結局のところ、蛾と蝶とどちらが先かという件については、よい手がかりが得られなかった。庭の蝶を見ている程度で何とかなると考えるほうがおかしい。鱗翅目という昆虫界の巨大なグループがどう生まれてどうやって発展してきたのかということは手強い謎だ。その謎もいつか解かれることだろう。願わくばその日に立ち会い「ああそうでしょう、前からそうじゃないかと思ってましたよ」などとしたり顔をしたいものだ。


2005.05.03 毛虫あらわる

ミノウスバ

5月は虫の季節だ。隣の庭木は毛虫の群れにすっかり食い尽くされ、初夏だというのに冬の装いだ。その毛虫は写真のミノウスバの幼虫だ。しばらく前には庭木にごっそりたかっていたのが、レンジャー部隊よろしく、糸をつたって木から降りて新天地に向かっている。すでに大半が脱出したあとで木には数えるぐらいしか残っていない。なにしろ数が多いものだから、わが家にやってくるのも半ぱな数ではない。

食べ物がなくなって空腹のあまりさまよっているのか、蛹になる所を探しているのだろう。たぶん後者だと思う。この毛虫は害虫にはちがいないけれど、刺すわけではない。わが家にはこいつに食われる木はないのでどう転んでも無害だ。ミノウスバは蛾だけど翅は無色透明で一見蜂のように見える。朝晩冷え込み始めたころによく見る、秋の深まりを感じさせてくれる蛾だ。

家の者たちも最初はこの毛虫の大発生を快く思っていなかったらしい。女房は最近毛虫に刺されたばかりなので警戒していた。しかも、庭にはいくらか手塩にかけている植物もあるので心配もしていた。しかし、先のようなことを解説し、糸を伝っているユーモラスな写真もけっこう見せてやったので今では安心して毛虫の成長を見守る気になったようだ。


2005.05.05 繭を作る

毛虫1 毛虫2

大量に発生した毛虫は相変わらずわが家の壁をもぞもぞ這い回っている。蛹になる場所を探しているのなら、ケースに閉じ込めておけばその様子を観察できると思い、3匹ばかり捕まえて市販のプラケースに閉じ込めておいた。

今日になって虫好きな次男が繭を見つけた。左の写真のやつだ。アルミサッシの直角の枠を利用して糸が張り巡らされている。まだ新鮮で絹織物のような光沢がある。これを作ったのはくだんの毛虫だと推理できた。蛹化は地中かとも考えられたが、こうしていろいろな所を利用して、忍者よろしく壁に張り付いて一夏を過ごすのだ。これだけ巧みな防御をしておけば、アリや鳥や寄生蜂などいろいろな外敵から逃れやすいだろう。さて、秋になって蛾が出てくるか寄生虫が出てくるか、楽しみだ。

周辺を探すと作りかけのも見つかった。正午頃にはやっと10本ばかりの糸を張り巡らせただけですかすかのものが、午後5時になると写真右のようにすっかり体全体を覆っていた。場所は壁が直角にくぼんでいる所で、地面からの高さは1mぐらい。他にもいろいろな場所で繭が作られており、すべて角のへこみを利用したものだった。床と壁の角に作ったものもある。となれば地面にも作るようで、天然では石の下とか倒木等も利用するのだろう。ちなみに、手前が腹になっている。全個体がそうするのかどうかは調べていない。


2005.05.06 半原越のツマキチョウ

西日があたりはじめた山の斜面に立って蝶を見ていた。半原越だと平地では見られない蝶もいる。この季節はいつもウスバシロチョウを期待している。先ほどから木立を縫って白い蝶が飛んでいる。ずいぶんせわしい飛び方で、ウスバシロチョウではなさそうだ。いくぶん小型で細身のその蝶はツマキチョウらしかった。そいつが近くに寄ると、オスの特徴のオレンジ色の模様がちらちらと見えた。白く幅が狭い翅は先端がひねったように細くとがり、オスはそこにきれいなオレンジ色がある。細い翅をまっすぐにして飛ぶので、2枚翅の蝶のように見える。この山の中ではモンシロチョウは少ない。春だとたいていツマキチョウかウスバシロチョウだ。

さて、自転車を降りたのは蝶を見るためだけではない。いつものコースを22分10秒で登って、いまいち走り足らなかったからだ。下りの途中、ちょうど日が当たり蝶が飛び交う草むらがあったのでブレーキをかけて自転車を降りた。ガードレールに自転車をたてかけ、どうしようかと算段していた。第二計測ポイントから頂上まで1300m、快調なときで7分、不調なら10分かかる。最高タイムは6分50秒だ。もし、半原越を20分で登りきろうとすれば、6分以内で走りきるぐらいの脚は欲しい。今日は一回登ったけれどもまだ力は残っている。走り足りないが漫然と走ってもしょうがない。最高記録をねらうか? 木立に隠れている峠の方をみた。新緑が美しく、降りてきたばかりの峠はいつもより遠く感じた。


2005.05.07 半原越でオトシブミを拾う

水滴

天気予報通り雨は午前中で上がった。ここのところ休日はいつも決まったパターンで過ごしている。午前中は庭で草や虫の観察、午後はチネリで半原越だ。まさに季節は刻々と変わっており、同じことをしていてもなにがしか新しい。

雨がやんで日が出てくる前に水滴の写真を撮った。緑は雨上がりの薄曇りのときにいちばんそれなりに写る。昼頃から雲が切れてみるみる青空が広がってきた。相模川はこのところ狂ったように強い風が吹いていたが今日は穏やかだ。日陰を走るとちょっと寒い。空気は澄み丹沢の山並みが青く見える。雨に洗われた新緑がきれいだ。まもなく木々の葉の色も落ち着いてしまうだろう。

半原越のスタートラインに立つとセンダイムシクイが鳴いている。こういう美しい日にトレーニングはいくらなんでも無粋だ。ここのところぐいぐい駆けていた上りをわざとゆっくり走る。頂上でのタイムは24分17秒。息も切れていない。途中、道路にオトシブミがずいぶん落ちているのを見つけたので拾いながら下った。そういえば半原越のオトシブミは毎年拾っているような覚えがある。ただ、一度も成虫を見ていない。なさけないことに毎度その存在を忘れてしまっているのだ。

帰宅して、去年カナヘビを飼ったあと土をいれたままにしているプラケースにばらばらとオトシブミを入れた。そのケースの隅っこにミイラになった蛾の死体があった。蛹の抜け殻もある。やれやれ、そういえば次男と庭を掘っているときに土の中から蛹が出てきたので「どんな蛾が出てくるかたのしみだね」などといってケースに入れておいたのだ。蛾は首尾よく羽化してきたものの誰の目にとまることもなく虚しく息絶えてしまった。先日つかまえたミノウスバもケースの中で繭を作っている。毎日世話をしなければならない生き物も楽ではないが、放っておくだけのやつも意外と難しい。


2005.05.10 マクロ撮影にはまる

ヒラタアブの目

このところ、庭の動植物をマクロで撮るのにはまっている。写真はハルジオンに来て花粉を食べているヒラタアブの目。この範囲で幅が1mmほど。5mmの被写体がパソコンのモニタ−いっぱいになる。肉眼では絶対に見えないものが見えるだけでも面白い。

等倍〜2倍ぐらいのマクロはフィルム時代からよくやっていた。普通のマクロレンズがあれば誰でも簡単にできる。ただ、そのサイズでは水滴にはちょうどよくても、草の種やめしべを撮るにはちょっと物足りない。かといって、それ以上をやろうとすると設備的に大変だ。ワイドレンズを逆さまにつけるという荒技を使えば簡易なマクロ撮影はできる。しかし、露出やライティングは難しい。ピントがあってるかどうかファインダーでよく見えないので、はずれが多くなる。36枚で500円もするフィルムでやれる撮影ではない。

ところが今やデジタル一眼レフがある。100カット分のコストがたぶん1円ぐらいだ。フジのS1proに20ミリのワイドレンズを反対向きに取り付け、ファインダーをのぞいてみた。F16ぐらいまでしぼると晴天の屋外でもまっくらでよく見えなくなる。解放で被写体を見つけてカンで距離をつかんで絞って暗闇の中でピントがあっていそうなところでシャッターを切る。ストロボもいろいろ試した。結局、シンプルにマクロ用のリングストロボをレンズにひっかけて手持ちするのが一番手っ取り早いようだ。しかも、設定はTTLがいい! 私のリングストロボとカメラは旧式なので、マニュアル発光では光が強すぎて真っ白に飛んでしまうのだ。この方式だと絞りもシャッタースピードも被写体との距離も一定なので、工夫するのはストロボの距離と角度だけだ。あとはとにかくたくさん撮る。アブが花に来たら花から離れるまで撮り続ける。今のはOKカットのはず、などと慢心してはいけない。ヒットは10枚に1枚ぐらいしかない。ピントと露出が合っている写真ができるだけでうれしい。 生まれてはじめて、日中でも露光に1分もかかるおもちゃのカメラを手にして自転車の写真を撮ったとき、車輪やサドルがぼんやり写っているという事だけで感激したことを思い出した。


2005.05.11 アブラムシはおともだちっ!

アブラムシ

5月の庭はアブラムシの世界といってよい。特に今年はアブラムシが多い。木にも草にもおびただしい数のアブラムシが取り付いている。ムクゲには推定1万匹以上、ジューンベリーの新芽はことごとくアブラムシで覆われ、地の枝が見えない。これだけアブラムシがはびこればカメムシもヨコバイもかわいく見える。

写真はハルジオンだ。ハルジオンはわが庭では鑑賞植物と同等の扱いを受けている。花がきれいだということ、虫がいっぱい来ること、退治しようと思えば2秒でできることなど良いことづくめの雑草なので大事にされている。さらに、ただの草なので、こうしてアブラムシにたかられてもいっこうに心配する必要がない。アブラムシもハルジオンもわが庭の大事な構成員だ。こうやってご機嫌をうかがいながらアリの写真でも撮っておれば良いのだ。アリはかなり難しい被写体だけど、こうして直線的な所を歩いてくれればいくぶん撮影はやさしくなる。アブラムシにたかっているアリは甘露を飲むところとか、栄養交換をするときなど一か所に数秒以上留まる場合もある。今日のは2匹がちょうど鏡で映したように対称に位置して、よいシャッターチャンスになった。

春のアブラムシの増殖の勢いはものすごく、たかられた草木は日に日に弱って行くように見える。しかし、わが家ではアブラムシの被害を受けた草はまだない。アブラムシが増えてから2週間もすれば、いつのまにかテントウムシやアブがやってきて片っ端から食ってしまう。春先はアブラムシだけがのさばり、夏にはすっかり姿を消し、秋にはお互いほどほどの数に落ち着いて冬を迎える。ムクゲのアブラムシはすでに8割方がテントウムシに食べられた。ジューンベリーには警備隊は到着していないが、去年はたった1匹のナナホシテントウが全てのアブラムシを食い尽くしたという実績があるので、しばらく放置して成り行きを見よう。


2005.05.13 子規の鶏頭

子規の「鶏頭の 十四、五本も ありぬべし」という詩は子どもながらにずいぶんいいなあ、と感じていた。その良さのわけが最近やっと説明できるようになった。

この詩を見たのは中学校の教科書で、最初は鶏頭をそのままニワトリのとさかだと思っていた。養鶏場でニワトリが一列に並んで餌を食っているのが15羽ぐらいいるのだろう、などと誤解していたのだ。それなら変な詩だが、ほどなくして鶏頭は花のケイトウだと知って、なんだかいいなあと感じたのだ。

意味としては「鶏頭が15本ぐらいある」というつまらないものだ。しかも、14か15というのは瞬間に把握できる数ではないので、おそらく子規の創作だ。詩人的には「4、5本もありぬ」ではリズムが悪くてだめなのだろうけど、私は5本でも8本でもきっと感激したはずだ。

鶏頭というのは形も色もインパクトが強く誰でも知っている花だ。鶏頭はそれだけで強力なので形容する言葉が似合わない。かえって、誰もが感じたであろうその花からのインパクトをまざまざと呼び起こしてあげるのが、詩を成功させる秘訣になる。たとえば「鶏頭はものすごい花だ」などと言われてしまうと、とてもじゃないけどつまらなくてつきあいきれない。それは、鶏頭を抽象化された花一般の中に埋没させる行為だ。この場合「鶏頭」が具象で花が抽象。「鶏頭はインパクトはあるけれどもしょせんは花なんだ」というひいきの引き倒しだ。

逆に「鶏頭が 十四、五本もあった」となると、その鶏頭がある光景はこの世でたった一つに限定される。一般的な風景をよんだものではなく、とある時とある所で子規が対面したものに限定される。ところが、そういう風景はありきたりで、その風景と人が対面する機会もごくごく普通だ。15本ぐらい並ぶ鶏頭なら私は何度も見ている。いつの間にか見慣れちまって、そのインパクトもなくなっていたんだけど、子規に言われて、ある日ある時にがつんとやられた私の鶏頭をありありと思い出すのだ。


2005.05.14 20分29秒

いよいよ半原越に半原1号を持ち込んでタイムトライアルだ。半原1号は半原越のタイムトライアル、それもダンシングに特化した自転車なので、ふつうにその辺を走るにはチネリのほうがずっと楽しい。しかも、ハンドル、ペダル、サドルの位置が微妙にずれており、フレームやホイールの性格もかなりちがうので、慣れるまで200キロほど走らなければならない。

途中、荻野川を北に進むあたりからスピードがでなくなった。たった3%ぐらいの坂道でふうふういう。向かい風でもないのに力を入れてもスピードにのれない。こんな体が重いのはひさしぶりだ。やっぱりこの自転車はダメか、それとも体がおかしいのか? と不安になった。水を持ってこなかったので、冬になるといつも紅茶花伝のミルクティーホットを買っている自販機で何か買おうと自転車を降りた。何かおかしい。押している自転車が転がらない。ハブがいかれたか? と各部をチェックする。おやおや、前輪のブレーキが右に偏ってシューがリムに擦れている。これじゃ走るわけがない。ジロのすごい上りで、市川選手があまりに走らないので後輪にブレーキが当たっているんじゃないかと確かめたことがあるという。あれは思い違いの笑い話だが、これは本当に起こった笑い話だ。

区間1  1.99km  7'41"  15.5km/h  70rpm
区間2  1.51km  5'44"  15.1km/h  57rpm
区間3  1.29km  7'04"  11.0km/h  46rpm

9秒更新して最高記録をマークした。20分29秒。最初のトライアルでは上々だ。目標まであと30秒。やっぱり半原1号はいい自転車だ。


2005.05.15 雨の半原越

朝から時折雨が降っている。ようやく雨が苦にならない季節になってきた。しかしまだ雨の中を飛び出して行くのはちょっとためらわれる。寒いのはちょー苦手なのだ。7月ぐらいになると、むしろ雨のほうが気持ちがいいものだが、まだちょっと寒い。とくに下りがつらそうだ。自転車は登った分だけ下らなければならない。

冬用の長袖とタイツをまとい、しずくよけのゴーグルを持って出かけて行く。所々見える青空も白くかすんでいる。空気中に水蒸気が多そうだ。小鮎川から眺めた丹沢はすっかり雨雲の中だ。半原越は灰色のもやにつつまれているだけで雲はかかっていない。上空の雲の動きは速いので、いずれ雨は落ちてくるだろう。

清川村にかかるあたりから雨が降ってきた。まだ日が射しているうちに降ってきた。上空は西風が強く、雲の成長と衰退が速いのだ。心配したほど雨は冷たくない。これなら何の問題もない。ただ路面は濡れて水がたまるのでタイムトライアルはやめようと誓った。上りで無理に力を入れると後輪が空転しはじめるのだ。

その誓いも杞憂で半原越にかかると思いの他スピードにのれなかった。どうやら腹が減っているようだ。腹が減っているときはどうあがいてもだめだ。雨上がりのきれいな景色を眺めながら走ろう。青空に入道雲ができている。タイムは24分13秒。


2005.05.17 軽いギアで半原越

最初から軽いギアを使ってみた。自分にウソをついて、20分を切ることだけにこだわるのもいいけれど、本当に速くなりたかったら軽いギアで登れなくてはならない。半原1号のもっとも軽いギアは、41×27Tだから1.5倍ぐらいだ。街中でマウンテンバイクに乗っている人ならわかるように、このギア比で7%ぐらいの坂を時速15kmで登るのは雑作もないことだ。ただ、街中の坂は100mか200mだから1分以内で終ってしまう。それを20分続けることの難しさを知っているのは、日本には1万人に1人ぐらいしかいないといわれている。

半原越を20分切ろうとするならば、このギア比で75rpmだ。1分間に75回だけクランクを回せばよい。それで、時速14.4kmになる。もし平坦な所ならば、それはそれは楽だ。自転車に乗って歌も歌えれば飯も食える。携帯でメールを打つことだって可能だ。固定式のローラーならそのまま眠れるかもしれない。ところが、半原越だと5分、6分と続けるうちに体はどんどん重くなり、しまいに後ろからゴムで引っ張られるような気がしてくる。半原越は重力異常があるんじゃないかと半分本気で疑ったことすらある。

第一計測ポイントの2kmの緑電柱のタイムは8分11秒。遅いけれども、ギア比を考えればそんなものだ。これで77rpm。ぐいぐい踏んでいるよりは楽だ。この調子を頂上まで維持すれば20分だ。ただ、体からぜんぜん力が湧いてこない。腹が減っているからだと気づいて2kmであきらめた。マジに引き返そうかと中だるみのところをゆっくり走っていると、しだいに体に力がわいてくることに気づいた。長年自転車に乗っているけど珍しい体験だ。なるほどこれが、達人は登りながら体力を回復できるという低トルク高回転の秘密なのか。

とにもかくにも空腹には勝てず、最後の1.5kmはまったく脚が回らなかった。41×27Tでも30rpmぐらい。こうなると山登りよろしく、一歩一歩ペダルに体重を乗せて踏み込むしかない。自転車の高等テクニックのダンシングに似ているけれども、非なるものだ。この方法ではいくらがんばっても10km/h程度しか出ない。裏を返せば死にかけていても10キロは出るので、最後のとっときとして使える。要はその距離をできるだけ短くすることだ。目標は800m以内。やっぱり西端コーナーの桜の木が見えるまでは回せないようだと20分は切れないだろう。私はもう一皮むける必要がある。


2005.05.18 草の観察

ハコベ

草の観察に燃えている。カタバミ、タチイヌノフグリ、ヘビイチゴそして特に写真のハコベだ。つぼみができて花が咲いて、散って実ができて種が蒔かれるまで、ほんの数日のあいだに何度も何度も驚かされる。勝手な思い違いをしていることも多く、自分の不明を恥じることばかりだ。たとえば、種の入っている袋は花びらだと思い込んでいたり、つぼみと花の散ったあとの種袋が区別できなかったり。

草というヤツはすごいものだ。ハコベの花を目にして、その合理性…花の立て方、寝かせ方、実の守り方、種の蒔き方etc に感心しきりだ。ただし、よくよく見つめ学んでも何か自分の役に立てられることがない。ハコベの生き様は私とは違いすぎる。草は我々よりもずっと進化し、先を進んでいる生物なので、どうしたっておいつけっこないのだ。むろん、草から教わることは「本当の自分」とか「真実の愛」とか「平和な世界」とか「幸福な家庭」とか、そんなものよりはずっと人生の足しになるのだけど。


2005.05.19 草の撮影

ハコベ花

どういうわけでハコベを100枚も200枚も撮影するかというと、花や種をモニターいっぱいまで拡大して落ち着いて見ていると、何がしか足らないところが見えてくるからだ。たとえば、この写真は今朝撮ったハコベの花だ。花びらは5枚で、オシベが3本に見える。そうすると、花びらの付根とオシベの付根の関係がどうなっているのか知りたくなる。この写真ではそれがまったく写っていない。花をちぎってきて、解体すれば済む話だが、そういうやり方よりもカメラでうまく撮影してみたいのだ。そのほうが性分に合っている。気づいたときは真夜中だから、ストロボやレンズ、ときに鏡まで持ち出して、いろいろ知恵をしぼって朝を待つことになる。

朝に目が覚めると、ひとまず小便をしてカメラを持って庭に出る。撮影時間は10分ほどだ。正直言って見飽きた対象なのでそれ以上は続かない。しかも、悪いことに撮っているときはけっこう狙い通りに写っているような錯覚がある。とにかく楽は楽だ。わがやの庭にハコベはたくさんあり、花の季節も長い。これほど手近な被写体は珍しい。

今日のように風が強いときは、地面に這いつくばっている草も風にそよぐ。ハコベが群生しているところは朝日が入らないのでファインダーの中は真っ暗だ。カメラを持って体をかがめて息を止めてシャッターチャンスをうかがう。集中は30秒も続かない。楽の中にも苦はある。


2005.05.20 オシベの付根

ハコベオシベ

疑問があればトライすればよい。今朝はオシベの付根が見えるアングルから花を撮った。5枚の花びらの間にこぶのようなものがあって、そこからオシベが立っていることがわかる。この写真ではオシベは4本に見えるが、普通に考えれば5本だ。すると、なんでそんなにオシベが落ちやすいのか? という疑問も出てくる。

ハコベオシベ

そうこうして花を撮っているとヒメアリらしき小型のアリがやってきたので、ついでに撮っておいた。これはたまたまで何気なしだ。アリが蜜を求めて花に来るのは珍しいことではない。アリのカットを見ていると、脚に花粉がついているものもあった。ハコベの受粉の助けになっているのだろう。また、どのアリもオシベの付根に頭を突っ込んでいるように写っている。他の花の写真でその場所をチェックすると、水滴のようなものもある。蜜か? オシベの付根が蜜の出所であるならば、オシベの脱落のしやすさもそれで説明がつきそうな気がする。この先が知りたければ、写真を撮っているだけじゃだめだ。この2枚の写真はトリミングしている。


2005.05.22 20分01秒

土、日と半原越に行って来た。ここのところ寝ても覚めても半原越タイムトライアルの日々だ。以前なら、ちょっとぼうっとするとトランプのカードが目に浮かび、繰り方を思案していたものだが、いまはもっぱら半原越のアスファルトの斜面やコーナーがまぶたにちらつく。私の人生の第一の目標はフリーセルだということは重々自覚しているつもりであるが、4月5月はフリーセルをする間も惜しんで部屋の中で自転車に乗る始末である。義務から逃げて、こんな体たらくではいけないと思いつつ体がいうことを聞かない。

土曜日のタイムは21分14秒だった。びっくりするほど速いわけではないけれども、ケイデンスがすごい。第2計測ポイントまで75rpm以上をマークしている。ギアは41×27T。17日に腹が減って挫折した分の再挑戦だ。本当に強くなりたければ、この調子で頂上まで行かなければならない。ただ、呼吸がいっぱいになって最後の1.5kmはどうにもならなかった。

区間1  1.99km  7'52"  15.2km/h  79rpm
区間2  1.43km  5'59"  14.3km/h  74rpm
区間3  1.30km  7'23"  10.5km/h  46rpm

今の私の実力なら重いギアを「踏んだ」ほうがいいタイムはでるはずだ。ということで今日試しに41×19Tを使って全コースを走ってみた。区間1も2も60rpm以下だ。これだと、呼吸が普通にできるレベルでラストの1.5kmに入れる。そこからは登山方式だ。割り切ってなるべく楽をするように踏んだ。タイムは20分01秒。いよいよあと2秒だ。

区間1  1.99km  7'36"  15.7km/h  58rpm
区間2  1.44km  5'40"  15.2km/h  56rpm
区間3  1.28km  6'45"  11.4km/h  42rpm

今日は半原越は雨だった。そろそろウツギが咲き始めるころだが、どうだったのだろう。アスファルトしか見ていない。俗に言うところの自分を見失うとはこういうことなのか。


2005.05.24 レッサーパンダとピアノマン

たまたま見聞録をやっている私として看過できない写真が2枚ある。レッサーパンダとピアノマンだ。この2つは一つの共通点がある。それは編集者の目だ。

最初に出回ったレッサーパンダの写真は技術としては高くない。ただのスナップだろうと思う。それが多くの人の気を引くのは、着ぐるみに似ているからだ。撮影地の条件からか、ややふかんぎみになったことで実際よりも頭でっかちになった。また、腹が影になってしまったので全身黒タイツのようになった。手足、胴、頭のバランスが着ぐるみに見える。動物は「肩」がないものだが、着ぐるみの人間も肩はないものだ。

ピアノマンのほうは技術が高い。素人には運動会のときぐらいしか出番がない中望遠のレンズで、顔をつぶさず逆光を使いこなしている。あれはポートレートを撮りなれた人のものだ。もしプロのものでなく、偶然であのカットができたのだとしても、あの写真をピックアップした編集人は身元探しの資料以外の意図を持っている。身元探し用のカットならああいう情緒的なものでなく、もっとふさわしいものを選ばねばならない。

いずれのカットも見る者の心を打つ強い写真で、それを選び、世に出した編集者は大成功と思っているだろう。彼らはその道のプロなので好きにすればよいが、私自身がそういうことをすれば自分で自分が許せなくなる。私はたまたま見聞録ではアマチュアのカメラマンであり、素人の記者であり、無給の編集人だ。だからこそ、雲であれ蜘蛛であれ草であれ、その対象をもっともいかせるカットを作り使いたい。

カメラマンや記者はときに対象を知りすぎて目がくらむ。編集人は客を知りすぎて目がくらむ。レッサーパンダの写真ならば、立ち姿であっても、特徴的な縞模様や尻尾が写り込んでいるものの方がずっとよい。たまたま見聞録では、そのもの自体がウケるべきで、私の力でウケるようなカットはNGだ。その対象の本来の生態、生き様の反映がなければ、どれほど喜ばれようと単なる犯罪だ。誘惑に屈してはならない。


2005.05.25 ハコベのオシベ

ハコベオシベ2

「本来5本のはずのハコベのオシベがなぜ3本や4本しかないのだろう?」という疑問を持った。そしてひとまず数えてみた。老眼の進んだ目でも、じっくり見れば5ミリの花のオシベの数ぐらいはわかる。はたして庭の花にオシベが5本あるものが一つもなかったのだ。そして今日、また例の如くにスライドショーで写真を見ていると、左のカットが目にとまった。いうまでもなく100回は見ているものではあるけれども、そのオシベの色形に疑問を解く鍵があることに気づいたのだ。

このオシベを見ると、赤いの黒いの黄色いのと4つある。それはオシベが熟す過程を示しているようだ。当初、赤いボール状だった殻がはじけて裏返るようになって、中から黄色い花粉がでて来るような感じだ。しかも、この花ではその熟し具合がみごとに時間差で並んでいる。となれば、熟しきったオシベは脱落することになっていて、この花では一番手前の1本がすでになくなっているのではないか。

ハコベの花の盛りはとうに過ぎている。私がオシベに気づいたときには全部熟しきった花ばかりで、成長盛りのものがなかったのかもしれない。それならそうとまだまだ観察のチャンスはあるはずなのだが、とうのハコベがなくなってしまった。女房がきまぐれに刈ってしまったのだ。彼女は園芸家なので、その習性として、ときどき草を植え替えたい欲求を押さえきれないらしい。そもそも、タチイヌノフグリやヘビイチゴは彼女が一株を移植したものが増えたのだ。彼女はカタバミやヤブガラシのことをあまりよく思っていない。ヒメムカシヨモギは背の低い今のうちはヒメジョオンのふりをしているので難を逃れている。花の季節まで生き残れるかどうか。


2005.05.28 19分45秒

半原1号

上空は高層雲に厚く覆われ太陽はぼんやりしてその位置がかろうじてわかる程度だ。天気図をみると高気圧の片縁に入っていて、しばらくこの天気は続きそうだ。風はほとんどなく、相模川にでてもやや南から吹いているだけだ。夏の日中はいつもこの風が吹く。

前回のトライアルで20分01秒だったので、まったく同じやりかたで前よりがんばれば記録の達成は可能だと思った。ギア比は41×19Tで最後まで通す。「回す」ことを心がけるが、速度が14km/h 以下に落ちるようだと、迷わずダンシングに移る。ダンシングでは上半身、とくに腕の力は使わないようにする。呼吸はしんどくないうちから荒くしておく。

区間1  1.99km  7'19"  16.3km/h  60rpm
区間2  1.44km  5'44"  15.0km/h  55rpm
区間3  1.29km  6'42"  11.6km/h  42rpm

半原越は神奈川の自転車乗りの聖地ともいえる。静かで美しく、4キロ以上もの登りを気兼ねなく力いっぱい走れる道は他にない。半原越のすばらしさに揺動され、はじめて本気で「速く走りたい」と願ってからここまで2年かかった。同じように半原越で20分を切りたいと願い、こころざし半ばの中年おやじはずいぶんいることだろう。20分なら凡庸な体の人でもきっと実現できるのであきらめずにがんばって欲しい。


2005.06.04 21分02秒

20分を切ったので半原1号の仕様を戻して、半原越に行って来た。下から見上げる半原越はすっかり霧の中で小雨も降っていそうだった。

全体  4.68km 21'02" 13.1km/h
区間1 7'12"  
区間2 6'26"  
区間3 7'24"  

タイムトライアルはしないつもりだったが区間1だけは張り切ってみた。7分12秒はたぶん新記録だ。19分45秒を記念するかのように、キャットアイのコードレス式サイクルコンピュータが壊れてしまい、ケイデンスやラップが記録できなくなった。あれは便利ではあるけれどもセッティングが面倒で、1年にボタン電池4個も食らう大食漢なのでもう使わない。

間もなく梅雨。もっとも好きな季節の到来だ。半原越はウツギが満開で、ところどころ白い花びらが道路に積もるほど散っている。エゴかもしれない。5時にはまっくらになって雷雨が来たが濡れる前に帰宅した。


2005.06.05 接写専用セット

カメラ

花のオシベを撮るためのカメラセットだ。本体はフジのFinePix S1pro というちょっと旧式のデジタル一眼で、ストロボのテスト用にプロの写真家が使用していたものを自転車と交換でゲットした。レンズはニコンのAi 28mm というこれも古いものを使っている。このレンズは S1pro に普通につけても写らないこともないが、電気的なデータはなにも表示されないので、この明るさだと f8 で 1/250 かなあ、などと不便でしょうがない。もともと、そういう使い方をするのでなく、ひっくり返して3倍のマクロとして使うために新宿の市場という中古カメラ屋で 8000 円で買って来た。レンズの後玉の前 10 cm ぐらいの所でピントが合う。他では合わない。こうしてひっくり返して使うなら今のオートマチックレンズよりも古いやつの方が便利だ。この他にも 24mm や 20mm も使う。 20mm だとテントウムシも画面に収まらない。

ストロボは3灯が発光する。リング式のものはこれも中古で買ったニコンのちょっと古い SB29 というやつで、 S1pro となら運良く TTL というフィルム(デジタルだと CCD や CMOS )から反射する光で発光量(回数)を制御できる方式がけっこう使える。本当は被写体との距離が決まっているのでマニュアルのほうがよい。 SB29 は残念ながらマニュアルでは 1/4 までしか落とせない。S1pro はISO320 からなので光が強すぎて写真が真っ白になってしまう。ND フィルター(世界を暗くするヤツ)を使うと視界が真っ暗になる。発光部は通常はレンズ前面にセットするのだが、私はレンズにすっぽりかぶせてやま勘で光をあてている。

鳥目で暗いところが見えにくい今日この頃、最も不自由しているのがピントだ。普通のカメラは絞り解放でファインダーが覗けるけれども、レンズをひっくり返すと、そのときの絞りの明るさでしか見えない。f16 か f22 まで絞るので昼間でもファインダーのなかは真っ暗だ。ファインダーがちゃんと覗けるようなアダプターもニコンに注文している。受注生産らしくできあがりは8月らしい。性能低下が著しい自分の目のオートアイリス、オートフォーカスには補助が必要だ。

右手のほうからコブラのように鎌首をもたげているのはストロボだ。リングストロボで正面左右から巻き込むように光を当てるだけだと、まったく影がなくなりいくら3倍の接写とはいえ色気がない。それで、小型のストロボで真上から光を当てることで、太陽光の雰囲気を出している。

このセットを使って、いろいろな草やらアブラムシやらを手持ちで撮影している。プロならこの手の撮影には専用のレンズを用意しストロボを改造するものだが、そこまでは凝っていない。どうしても背景が真っ暗になるので、昼間の雰囲気をだすために、場合によっては背景に何かをおいてもう1灯ストロボをたくこともある。そこまでは滅多にやらない。


2005.06.06 害虫

カツオブシムシ

自慢の撮影セットで三毛猫ふうにかわいく撮ってやったけど、ヒメマルカツオブシムシといえばまごうことなき害虫である。ノミ、シラミ、ナンキンムシなどがすっかり影をひそめ、黒あり、いぼた蛾、蜘蛛、ヤスデ、カマドウマなどの無害な虫ですら害虫よばわりされる昨今では、こいつはちょー悪な虫であるといってよい。わが家でもこいつの被害は少なくないらしい。

というのは、女房はこの写真をみて即座に「ヒメマルカツオブシムシ!」とフルネームで叫んだほど慣れ親しんでいるようなのだ。25年前、カローラとマークIIの区別もつかぬ子どもが「ランチャストラトスターボ」とか「ランボルギーニカウンタックエルピイ500」などと口走っていたようなものだろうか。

こいつは成虫のいまでこそハルジオンなどに群れて無害な顔をしているけれど、その幼虫はセーターでも皮でも何でも食って穴だらけにしてしまう。今、わが家の庭にはこいつが無数にいる。どうやら近所から集まって来ているようだ。東隣の家は草木にちょっとでも虫がわくことが耐えられないらしく、北隣の庭から侵入してくるミノウスバの毛虫にすら農薬を散布してしまうほどの物知らずである。かくて、ありとあらゆる害虫益虫ただの虫がわが家に避難してきてしまうのだ。カマキリやササグモ、アブラムシ、カメムシのたぐいは掃いて捨てるほどいる。ヒメマルカツオブシムシは困ったやつではあるけれど、事実上駆除は無理である。だから戦わず放置したほうが賢明だ。女房はいまのところはイエヒメアリのほうが気になっているようで、カツオブシムシはのうのうと初夏を楽しんでいる。


2005.06.07 うれしい筋肉痛

昨日は筋肉痛になった。尻の真下、ふとももの後ろの筋肉が痛い。じつは自転車に乗って筋肉痛になったのは生まれてはじめてだ。プロの真似をしてこうなった。いまちょうど、テレビではジロの放送をやっている。それをストップウォッチ片手に見ているとプロは登りでも70 〜80rpm で走っていることがわかる。やはり彼らを真似ないと面白くないので日曜日に半原越を一番軽い41×27T だけで22分10秒かけて登って来たのだ。どんなにきついパートでも意地になってシッティングで回した。その結果は興味深かった。脚力の限界からスピードはでないが呼吸がすごく楽だったのだ。普通に息ができていて、しかも体力に限界が来ているというのははじめてだ。はぁはぁにならない分、筋肉に部分的に負荷がかかり筋肉痛になったようだ。

この痛みは明日につながる。呼吸に余裕があり、筋肉が部分的に痛むということは、その筋肉をうまく鍛えるだけで格段に速く走れるということになる。もともと強くない筋肉を鍛えるのはたぶん簡単だ。

そして今日、さらに素敵なことを発見した。女房が体重計を用意したので乗ってみると63kgもあったのだ。63kgといえば私の生涯最高体重である。15年ぐらい前、精密に体脂肪率を測ったときに59kgで9%だった。そのときよりも筋肉は落ちているから、体脂肪は10%以上は増えているのだろう。最近は自転車にしっかり乗って脚が細くなって来ているのでしめしめと油断していたけど、思いのほか腹や背中に中年特有の脂肪がついているのだ。

登りは体重が少ないほどよい。3〜4kgほど落とすだけで格段にタイムが上がるだろう。いわゆるダイエットと筋トレだけで、つらい思いをしなくてもタイムが上がる! 夢のようだ。夢といえば今朝見た夢は、私がNBAの選手になって身長170cmの小柄ながら、ものすごいジャンプでダンクシュートをバシバシ決めるという、まさに夢のような夢であった。あれと同じようなただの妄想に終るかもしれないが。


2005.06.11 濃い虹

虹

サイクリング車にもどした半原1号で半原越にいってきた。ギアは前を42と32のダブルにしている。ダブルにすると、調整だとか故障とかいろいろな悪夢の原因になるけれど、軽いギアがあるのはやっぱり楽だ。

いつものスタートラインからインナーに落として、それでもけっこうなスピードのつもりで走っていると、区間1のタイムは8分20秒。もうすっかりやる気をなくしてしまい。区間2は、32×27T をゆるゆる回してウツギだ、ジャコウアゲハだ、トラガだとのんびり走ることにした。

3キロの橋3の手前にクサイチゴがあった。そぼ降る雨で暗い草むらの中に、大きな丸い深紅の実がいかにもうまそうだ。自転車を降りて、薮の中に入って10個ばかりつまんで食った。このイチゴは毎年ちょっとだけ食っている。子どものころはこの世で一番うまいものだと信じていたが、しだいにその味に感動がなくなっている。いまではたぶん2番目にうまいものだ。1番が何かはわからないけど、1番でないことだけは確かになってしまった。

イチゴを食いながら「これじゃまるでウサギとカメだなあ」などと思いつつ、再度のんびりペダルをこいで峠に着いた。新調したサイクルコンピュータでタイムを一応チェックする。26分52秒だった。イチゴの時間をいれてこのタイム。2年前はこれぐらいの時間でも、けっこういけてるんじゃない!と思ったこともあった。途中で道草食っても結局ウサギはカメに勝っちまったようなものだ。

フロントのインナー32T がチェーンステーにかすかに擦るので、帰宅して28T に変更した。風呂に入って体重を測ると60.2kg 。半日自転車に乗ると3kgぐらいは落ちているものだ。すぐに戻さないとやつれてしまう。夕方、にわか雨があって、ものすごく濃く太い虹が出ていた。


2005.06.12 汗をかく

6月にこの暑さはさすがにこたえた。夏でも半原越でも自転車に乗って汗がしたたることはないのだけど、今日は汗が出て来た。頭や背中だけでなく脚にも汗をかいた。脚の汗は代謝が衰えたためか何年も見たことがなかった。


2005.06.13 美しい庭

庭

毎朝観察を続け、写真を撮っているわが家の庭だ。管理は女房の担当だが、一見して放置されている様子は歴然で、草ぼうぼうである。ヒメジョオン、ハルジオン、ツユクサ、ドクダミ、タチツボスミレ、カタバミ、ヘビイチゴ、ハコベ、タチイヌノフグリ、オオバコ…、そういう草が庭の主役だ。どういう訳かジャガイモもあれば、ミカンやイチョウなど鳥が運んで来た実生らしきものもある。園芸家の仇敵ともいえるヤブガラシだっておおめに見られている。

という次第であるけれども、この庭が彼女の創意と工夫によって非常に注意深く管理されていることはいうまでもない。アブラムシやツマグロオオヨコバイ、ヨトウムシなど、ちょっと危険な虫の数はいつも監視され、カマキリ、テントウムシ、ササグモなどの生息密度の調査は怠りない。雑草でも、メヒシバなどイネ科のものは強すぎるのではびこる前に間引きされる。逆に、オオイヌノフグリやツタバウンランなどはこっそり近所の空き地から誘致されたりする。わざわざ種を買ってきて育てたレンゲは、2年目からは他の草に負けて、毎年1、2個の花をつけるだけだ。「あるべきものはそこにあれ」というのが基本的な精神らしい。

必ずしも雑草は強くないので、踏みつけないようにレンガの上だけを歩くように指導を受けている。無理な姿勢で草や虫の観察を迫られるのでちょっとしんどい。ロープで報道規制を受けているマスコミの心境だ。苦労しているぶん草むらの土は柔らかく、ヤスデやトビムシ、ワラジムシがわんさかわいてごそごそにぎやかだ。

私は庭にほとんど口も手もだすことはないが、こうした草ぼうぼうの光景を非常に美しいと感じている。そうした心境になるのは、かつてアクアリウムの水草栽培に入れこんだからだと思う。ショップでは高価な熱帯産の水草は、もとはといえば駆除に困る水田雑草である。ひとつまみ数百円もする水草が、アマゾンやフロリダでは美しくもびっしりときままに生い茂っているものだ。そういう光景を目の当たりにし、金額に換算して唖然としたこともある。現地では殺しても死なないような雑草でも、いざ熱帯魚といっしょにアクアリウムとして美しく維持管理するには極めて高い技術と根気が必要だった。とくに、自然に育っている様子を再現するのは神業といえる。最も入れ込んでいたときは何時間でも水槽を見つめて動かないので、女房に狂人ではないかと疑われていたらしい。

ところで、水槽から目を転じて世界を眺めてみれば、空き地や野山では春から夏にかけて、次々に色形の違う雑草が葉を展開してくる。光の条件や、種ごとの成長速度、種を結ぶタイミングのずれなどから、極めて合理的で美しいレイアウトがそこに現れる。アクアリウムでは逆立ちしても出せないような味わいが道ばたに転がっているのだから嬉しいやら虚しいやら。ともあれ、そういう色眼鏡で眺めているのだから、草ぼうぼうの庭だって無類の大傑作なのだ。


2005.06.14 あしながお嬢さんを羨むべきか?

ベルナールイノーの本を読むと、自転車は脚が長い方が有利だと書いてある。とくに、大腿骨が長い方がよいそうなのだ。そして、大腿は男よりも女の方が長いらしい。

私は脚は短くないが長い方でもない。おせじにも大腿が長いとはいえない。それは残念なことではあるが、なにかをどうしてどうなるものでもないから、気にしないという対処法しかない。それでも、毎日そのことを思い起こさせられるから、若干不愉快にもなる。

というのは毎朝通勤電車に座るからだ。私の隣に来るのはほとんどオヤジかお嬢さんである。おじいさん、おばあさん、おばさん、子どもは、まず座らない。通勤電車の座席というものは、誰でも知っているように、大腿骨の長さを比べるように設計してある。私はだいたいのオヤジには勝つ。背が高い方ではないので、負けたときは身長比に換算して勝ったことにできる。まあ、負けたとしてもぎりぎりだ。

ところが、お嬢さんは手強い。日本の娘は大半は背が低く脚が短いのだが、ときどきやたらめったら大腿の長いのがいる。だいたい165〜170cmぐらいの身長で、私よりも大腿が10cmぐらい長い。もしやテーブルにもなるフェルメールの亡霊が現れたのかと、顔までチェックしたくなる。彼女の目が私の目線よりも下にあればいよいよ大敗だ。そこまで長いふとももを持たれると、もうどうやっても負けだ。座る場所を前にずるっと寄せるズルをしても無駄である。

彼女等が自転車に乗ると、かっこいいのは確実だ。ときどき街中で、そういうお嬢さんを見かける。ただ、いかに羨望のまなざしを向けられようと、本人が気持ちよく乗ってないなら意味はない。残念ながら人の体を借りて自転車に乗るわけにはいかないから、隣のお嬢さんと私と、どちらが気持ち良く走れるかの比較はできない。あしながお嬢さんをうらやむべきかどうか、見かけだけで判断はできない。


2005.06.15 小学への数学

小学校6年生に階差が2の(n-1)乗の数列というアイデアを教えなければならなくなって、ちょっとこまってしまった。こういうややこしい数列は高校でも進学校しかまじめに扱わないだろうし、進学校でも文系の生徒は捨ててかかっているだろう。行列と数列はまともにぶつかれば手強い相手だ。その手強さの理由は「わからない」からだ。この場合は「実感できない」といってもよいかもしれない。1、3、7、15、31、63、127・・・・・と続く数の列について

n番目の数は2n-1で表すことができる。

ということがわかればよいのだが、数列は長さや面積の量としてピンと来させることは無意味で、あくまで階差と項の関係に「ああ、そうか」とうなづかさねばならない。

小学校6年といえば、分数の割り算だってその意味もわからずにただひっくり返してかけているような連中だ。数列なんて知能テストを受けたときに、空欄に数字を当てはめるぐらいのことしかやってないだろう。そういう相手でも教える以上はわからせなければならない。

私はわかるということを、「AはPであると判断したときに快感が生じること」と定義している。だから、この場合は「階差が2の(n-1)乗の数列はPである」と子どもが自分の心に言い聞かせたときに、うれしさがこみ上げてこなければならないのだ。私の仕事は、そのPを設定することにつきる。それは当然のことながら難問である。


2005.06.16 帰納的推理

「階差が2の(n-1)乗の数列はPである」という命題において、Pを「意味がない」「ぼくとは関係ない」「わからない」とするのも、立派なわかり方である。そのPを得たことでふつふつと喜びがこみ上げ、新たな気持ちで明日という日を迎えることができるならば、それはそれでこの数列をわかったことになる。しかし、数列は数学なのだからそれじゃあちょっと物足りない。そもそも、その手の感覚的なカテゴライズは数列とは無縁のもので、数学的にはどちらかというと集合論に属する。

数列の妙味は、帰納的な手続きが利用できることにある。一般に、帰納的な推理は数学ではつかえないと教わり、高校程度の数学で帰納的に問題を解くことはあまりない。1000個の三角形の面積をしらべて、面積が底辺×高さ÷2だったとしても、それでは公式としては使えない。

数学的帰納法は、nが1のときはこうだ。2のときはこうだ。3のときはこうだ。4のときはこうだ。と具体的な数をあげ、その関係を推理して式をたて、1のときになりたち、k+1のときにも成り立つのだからk=nのときもOKだろう、という手続きで、そこから導かれた式は正しいとされている。そんな力技が使えるのも自然数と四則演算の定義がしっかりしているからだ。数列の妙味といえよう。

いうまでもなく帰納的な推理は日常では強力なわかりかただ。論理的な思考は帰納と演繹しかないといってもよい。実例の全てをあげることができなくとも、一つ一つが実例なのだから、数があつまれば十分強い説得力がある。もう1000個がこうだったんだから、こういうときはこうなんだと蓋然的に結論される。それは人間のもののわかりかたの癖だ。しかしながら、疑うことも人間の特質で、1001個目もそうとは限らないと心の隅に疑念が巣くっていたりする。


2005.06.17 演繹的推理

帰納的な推理はマーフィの法則並みの疑わしさをはらんでいる。逆に、演繹的に、確実な前提から導かれた結論は疑わしくないかというとそうでもない。いわゆる三段論法は演繹的な推理だが…

大前提 人間は死ぬ
小前提 ソクラテスは人間だ
結論  ゆえに、ソクラテスは死ぬ

この、三段論法の大前提は本当に保証されているのだろうか? 人間が全部死ぬことの大前提は何か?

大前提 動物は死ぬ
小前提 人間は動物だ
結論  ゆえに、人間は死ぬ

というようにしなければならない。すると、この論旨を補強するためには「生物は死ぬ」とか「形あるもの全て滅す」とか、どんどん広い前提を用意して深みにはまってしまい「海は死にますか? 空は死にますか? 山はどうですか?」と歌い始めればいつの間にか帰納法になっていたりする。

ちなみに、帰納的な推理では「貴乃花も死んだ。力道山も死んだ。アンディフグも死んだ。江戸時代の人間なんて誰一人生きていないじゃないか。だからソクラテスも死ぬ。人間なんてみんな死ぬんだ〜」と、うしろめたさもあって、やや強弁調に主張することになる。

以上見てきたように、確実に見える演繹的な推理も、すぐに行き詰まり帰納法に助けられたりする。となれば、論理といったって狭い所をぐるぐる回っているだけで、人間の思考はすぐに行き詰まってしまい「結局なにもわからないことだけがわかるのだ」という低俗なニヒリズムに陥ってしまう。しかし、もうちょっとだけ思考を働かせると、そのニヒリズムふう解答も無意味であることがわかるので、若い諸君はためしに考えてみられたい。


2005.06.18 子どもむけの解法

閑話休題(それはさておき)1、3、7、15、31、63、127・・・・・と続く、階差が2の(n-1)乗の数列を小学6年の子どもに見せ、それぞれの数の関係を調べさせるなら最初は、だんだん大きくなっている、という程度しかわからないが、ほどなく「2倍して1たせば次の数になる」という子どもが現れる。一人がそういえば、クラス全体にその理解が広まるのは時間の問題だ。

そのことに気づけば、(Xn-1)×2+1=Xnという式が得られる。すると以下のように解ける。

数列

進学校の高校生ならこれでもよいかもしれないが、相手は6年生なので、これを見せるわけにはいかない。わかった気にさせるには、おなじ手続きを次のようにすればよい。徹底的に分解してなじみの数と演算記号であらわしているだけで、上の解法とまったく同じにすれば解ける。これ以上の解説は野暮なのでやらないが、子どもたちに黒板に書かせ同じ色で結んだ数が等しいことをうまく腑に落ちさせればピンと来させることもできるだろう。先生方は参考にして欲しい。

数列2


2005.06.19 人間と数学

ときおり「人間社会のことは数学のように割り切れるものではない。」というような無茶苦茶を聞くことがある。いまだかつてそう言った人が数学を割り切っていたためしがない。それどころでなく、常識と数学の論の違いについてちょっとでも考えているとは思えなかった。

数学は割り切れるように決まりをつけている。数列が帰納法によって真を保証されるのは自然数の定義にしたがうからだ。1からはじまる階差が1の等差数列が自然数だ。さきに三段論法はちょっと大前提を遡るとすぐに行き詰まることを説明した。数列では行き着く先は自然数だ。それ以上の前提は考えてはいけないことになっている。だから数学は割り切れる。

いまさらことわるまでもなく無際限に大きい数に対応する何かはこの宇宙には存在しない。つまり自然数はインチキである。もうちょっと考えれば、1でも2でも3でも、自然数なんてもの自体が存在していないこともわかる。自然数は人間のものの考え方の癖のようなものにすぎない。人間なら誰でもマスターできるけれども、それ以外の動植物、鉱物、岩石などにとっては不自然きわまりないものなのだ。

そして人間はとても悪い癖を持っている。自然数のようなものにまで、超越的な世界を見てしまうことだ。どこまでも大きい数があると聞けば、ごくごくしぜんに最大の彼方にある無限大を考える。限りなく大きいということと無限大は全くことなるので、数学では無限大は特別な扱いを受ける。0では割らないようにしようね、と耳打ちされている規則のように、無限大が現れると数学はがぜん歯切れが悪くなる。

人間の頭の中でしか存在しえないような数の世界ですら超越的なものを持ってくると困ったことが生じるのに、人間の体験や感覚知覚で捉えられるような対象の説明に超越的な概念を持ちだすと事態の収拾は不可能だ。エマニエルカントは、そういう人間の悪い癖に辟易とし純粋理性批判という回りくどい本を書いて、答の出ない休みに似た思考はもうやめようではないかと主張したのだ。


2005.06.22 無際限

人間のその悪癖は、一方では生存に有利にはたらき、時を経て伸びていることも事実だ。普通に考えれば、2〜3段ぐらいの演繹と帰納の間を行ったり来たりして当座の行為に裏付けをとっておれば生きるのに問題はない。猿や犬には圧倒的に勝利できるだろう。数学が自然数以上のことを考えないように、ふだんの生活でも、神の意思や「常識」というものを、考えることの出発的あるいは帰着点として、蓋然的判断に頼るのが定石である。ただ、そんな考えかただけでは、現在の人間の文明は成立しないことは明らかだ。

「いまだかつてないようなこと」が人間の社会では良く起きる。妄想がそうした革命の根拠になっている。数学でいう無限大というような、見たこともなく、思い描くことすらできないものも、ひとまず「無限大」とか「無」とか文字に書き、操作可能な概念として手に取ってあれこれやってみると、そこから何かが生まれることがある。現代の文明には「火を燃やしてビールを冷やす道具」とか「ガス爆発でまわる車輪」とか「石より重いのに宙に浮く装置」とか、突拍子もないものがひしめき合っている。そいつらは常識を積み立てているだけでは生まれない。ひとまずは概念中に可能性を見出せなければ、試行錯誤もはじまらない。

もちろん、ただ妄想し空想しているだけでは、何も生まれない。根本には妄想があるとして、その妄想を妄想だとして片付けないというのがこれまた人間の考え方の癖だ。人間は虚構を虚構と知りつつも、それを実体あるものとみなすことができる。だからAVビデオの女優でオナニーができるのだ。自然数はどこまでも無限大に近づくことができるように、人間はひとたび何がしかの可能性を概念として手中にし、それに近づく一手を得たならば、さらに一歩を踏み出そうとする。石を投げるよりも板を投げたほうが空中に留まる時間がながければ、もっと違う形状のものなら永久に空中を飛行するかもしれないと考える。当座はブーメラン程度のものしか生まれないかもしれないが、あと数段階の飛躍でスペースシャトルに到達するのだ。無限の進歩はないと証明はできても進歩の上限を見極めることはできない。けっして限界を見出せないということも人間精神の限界の一つなのだろう。


2005.06.26 百丈野狐

私は新聞を全く読まない。専門外のいわゆる週刊誌、雑誌の類は読まない。つまらないからだ。そういう類いのものは味が薄い。事実に基づくものは、本当に大事なところは省略して単純化しているだろう。フィクションは無意味な飾りばかりがついているだろう。読んだことがないので想像で書いているわけだが。閑人相手のなぐさみものとしても劣悪そうだ。とにかく週刊少年ジャンプを読むだけでもう余暇はいっぱいだ。商業的な成功を願ってわかりやすく書かれてあるものは捨て置いてかまわない。むしろ、へたくそで無内容な素人のウェブ日記のほうが読むに値する。パッションは一等だから。

読み物で面白いのは中国人の禅坊主の書いたものだ。あれは本当にわからない。妹の書いたタンパク質のことを扱ったらしい博士論文はどの一行も理解できなかった。すべての固有名詞が未知だったからだ。中国の禅坊主のものは漢文だから手強い。「臨済録」「無門関」などは超人気で、口語訳の文庫本もあるから、全ての単語を理解できる。しかし、まったくといっていいほど理解は無理である。わかりやすさを最初から排除してあるからわからないだけで、その中身は痛快である。数多い話のなかでも「百丈野狐」というのが好きだ。絵本を与えられた子どものように、何度も何度も同じ所で喜んでいる。

ストーリーは百丈という高名なお坊さんが、野狐になってしまったお坊さんを解脱させたというものだ。お坊さんが狐になったのは、弟子の問いに間違った答えを出してしまったからだという。弟子から「修行を完成した人は因果に落ちて苦しむことはないのですか?」と問われて、「因果に落ちない(不落因果)」と答えたばっかりに500回も狐に生まれ変わることになってしまった。そこで人間に化けて、百丈和尚に「正しい答えを教えてください」とお願いにくる。百丈が狐になったお坊さんに「修行を完成した人は因果のことはすっかり見えるものだ(不昧因果)」と教えてあげると、とたんにお坊さんは狐の身を脱し、僧侶としての供養を受けることになった。百丈和尚がこの話を弟子たちに聞かせたところ、一番弟子の黄蘖が質問してきた。「もし正しい答えを出していたら、そのお坊さんは何になっていたんでしょうか?」百丈和尚が「教えてやるからここまで来い」と黄蘖をそばに寄せると、黄蘖は師匠である百丈にいきなりビンタをくらわせる。すると、百丈は「すぐれたヤツだ」と大喜びする。

痛快ではないか。「わからない=つまらない」などというのは中途半端に賢いやつの妄想に過ぎない。


2005.06.27 遅れ怒れる電車

さすがの田園都市線も遅れる季節がやって来た。昔は民度が高かった電車もしだいにその面影が薄く、けんかが頻発するようになった。特に夜遅いのがよくない。今日は暑いのでさらによくない。当然、けんかがあると電車が遅れるから、乗客はいらいらしてけんかが増え、さらに遅れるという悪循環に陥ってしまう。いわばプチ中東という情勢だ。

さらによくないことに車内は一面の映画の広告だ。スティーブンスピルバーグ監督で主演は知らない俳優だが、宇宙戦争(WAR OF THE WORLDS)という大作らしく、日立がからんでいる。スティーブンスピルバーグ監督はたぶんスターウォーズという映画の監督もした人だと思う。大人気だったので10年後ぐらいに見てあいた口が塞がらなかった。特撮が安上がりで時代遅れ感満載だっただけでなく、あまりにストーリーがしょぼくつまらないので、半分ぐらいまで見るのがやっとだった。それが、第2作、3作とやってるらしく、宇宙戦争もその関連かもしれないので、映画ってつまらなくても商売になるのだから、わからんもんだなあと感心する。

で、車内は暑く、鼻先にはオヤジの暑苦しい油頭、腕にはおねえちゃんのじっとり汗ばんだ油肘、そのねえちゃんは、この隣の犬臭いオヤジめ、と思っているにちがいない。そういう地獄の状況で、けんかが起きるたびに駅で1分も2分も待たされる。私は辛抱強いが通勤電車の遅れだけは許せない。1分の遅れは命取りだ。映画の広告には、人類が地球の支配者であるかのごとき文章もある。ああ、腹が立つ。被支配意識のないものを支配できるものか。文化文明を持たぬ相手を支配できるものか。群れていても、動物は一人で生まれ、一人で死ぬ。どこまでやられても一対一の負けとしか認めぬやつらを支配できるものか。みんな、こんな映画みるんじゃないぞ。プチ中東は怒りの連鎖が収まらぬ。


2005.06.28 不落恋愛

そもそも禅坊主の言い分がちっともわからないのは、最重要用語である「悟り」ということがさっぱりだからだ。何がどうなれば悟ったのやら。自分で悟った覚えもなく、悟ったという人に会ったこともない。これで禅のわかろうはずもない。ただ、不昧因果・不落因果ということならちょっとわかるような気がする。私の専門は仏教ではなく恋愛で、こと恋愛のことなら極めているという自負もある。恋愛学でも不昧と不落は主要なテーマだ。

もし、初学の若者から「恋愛学を極めた人は、恋に落ちて苦しむことはないのですか?」と聞かれて、狐になった和尚さんのように「恋に落ちることはない(不落恋愛)」と答えるならば、ぜんぜんダメである。話にならない。

昭和初期の理論恋愛学者である伊藤整も言うように、恋に落ちることは人間の属性だ。人は生きるかぎり、恋に落ちる。30歳40歳50歳と歳を重ねるにつれ、素敵なお嬢さんをいっそう好きになるのだ。「達人は恋に落ちないはずなのに、親子ほども歳の離れた小娘相手にこの体たらくはなんだ。私は修行が足らない」などと考えるような学者はだめだ。妄念の鎖で救いようもなくがんじがらめだ。

そういうヤツには「不昧恋愛」と言ってやるのも一つの手だ。つまり、達人ならたとえ恋に落ちることはあっても、恋の全課程を見通しているから失敗することはない、と導いてやればよい。ただし、不昧恋愛程度の「物知り」はごろごろいる。私に言わせればまだまだ青い。「不昧恋愛」はあくまで「不落恋愛」というありもせぬ妄想に取り憑かれて一歩も進めなくなっている中年オヤジの目を開かせるための方便なのだ。百丈和尚はきっと不昧因果がパーフェクトな解ではないことを知りつつもあえて野狐に教えてやったのだ。そして、弟子の黄蘖はそのことをちゃんと見抜いたので、うれしかったのだと思う。


2005.06.29 不昧恋愛

不昧恋愛、つまり恋のことを全部知っているといっても、そうたいそうなことではない。もとより、恋はプリミティブでシンプルなものだ。その要点は2つにつきる。1つは、恋は普遍であるという認識。1つは、恋を原因とするもの(感情)と原因としないものの区別。この2つが明解であれば、恋愛のことを全て知っているといってかまわない。

恋は普遍と一言で言う。まあ、そうだろうなと思う。どの国、どの民族、過去、現在、男女の恋愛の状況はかわらなく見える。外国の恋の物語も、古典の恋の物語もじゅうぶん楽しめる。賢い人も強い人も富貴な人も、恋心の前に平等に見える。もしかしたら、猿や犬も同じような感情を持つのかもしれないとすら思う。それで、恋は普遍と言う。

ところが、恋は「自分の恋は独特でかけがえがない」と恋する者に思わせる力を持っている。そのこともひっくるめて冷静に恋は普遍と認識できれば、いっけん奇妙だけど力強い結論が導かれる。恋が普遍であるならば、過去の私の恋も、今の私の恋も、未来の私の恋も同じ、というものだ。とうぜん、現在過去未来の恋は相手がちがえば状況も異なるはずだ。それでも本質的に恋心の進行は同一で、感じる思いも変わらない。このことを認めて、よくよく思いを巡らせれば、ほとんどの失敗は回避でき、いらぬ苦労をしなくて済むものだ。


2005.07.01 恋より生じるもの

さらに恋のなんたるかを突き止めたければ、何が恋から生じているのかを知らなければならない。恋は人生の必然であるならば、恋から生じるものも必然でなければならない。恋は苦しみを生むならば、その苦しみは避けられないものであるし、恋が喜びを生むならば、その喜びを忌避する理由はない。

一般の人は、恋からはありとあらゆるものが生じていると誤解しているかもしれない。私は、恋から生じるものはただの一点しかないと確信している。それは「彼女に近づきたい」という欲求と近づくことから生じる独特の快感だ。この、お近づきになりたいという願望は恋と一体不可分で、主観的にとらえるならば、恋そのものとよんでかまわない。

よく言われるように、近づくのは好きだからとか幸せを願うからとかやりたいからだとか、不明な混乱をしてはいけない。くどくど説明することはもうしない。男女の恋愛は段階的にステップアップしていくものだ。その最初のステップの所を手がかりによくよく考えてみるとよい。

恋は普遍で、お嬢さんの近くに寄るのがうれしいもの。それ以外のことは恋の現象とみなす必要はない。たとえば、恋する男は心の中に恋人の女の子のイメージを抱えこんでしまうものだが、そんなことは恋とは切り離してもかまわない。電車の中でかわいい彼女を見初めると、もしよっぱらいにからまれていれば助けるべきだろうか? チャンスだろうか? などと妄想を膨らませるものだが、そんなことは恋とは切り離したほうがよい。50歳にもなって、親娘ほども歳の離れたお嬢さんにうつつを抜かすのは世間体がよくない、などと分別したりすることも、恋ゆえのオリジナリティはない。その手の妄念は男の女の関係でなくとも簡単に取り憑いてしまうものだ。

以上のことを押さえておけば、無敵の中年オヤジのできあがりだ。かわいく素敵なお嬢さんに相対して軽やかに笑っていられよう。200℃、300℃とやかんのお湯はあがっていかないのと同じで、近寄るうれしさも無限に増大するわけではない。恋の道は一度は徹底的に突き進むべきだけれども、幾度も同じことをやるのは馬鹿者だ。恋は普遍であるならば、20年間寄り添って来た女房との関係だけから未知の体験ができるはずだ。リフレインをしていると、せっかくの新境地に入って行けなくなる。ほかの娘さんに新鮮味を求めるならば筋違いというものだ。

ざっと見てきたに過ぎないが、上のようなことが不昧恋愛の境地だ。最初におことわりしたように、これではまだ青い。道まだ半ばといえよう。


2005.07.03 アメリカンクラッカー

近所でアメリカンクラッカーの音がする。固い2つのプラスチックの玉がコン、コン、コン、コン、カカカカカカカと鳴る音だ。欲求不満の解消のやけくそにはよいおもちゃだ。最近また流行しているんだろうか、それとも似た音の聞き間違いか。

アメリカンクラッカーは30年前に大ブームがあって、子どもも大人もやっていた。2個の振り子のような案配になった玉をカカカカカカカと連続して上下に打ち鳴らすのはけっこうな練習が必要だった。失敗すると、玉が腕にあたってものすごく痛い。玉を結んでいる紐はよく切れて、玉は容赦なくあさってのほうに飛んでいって、ガラスだの人間だのにダメージを与える。

当然のことながら学校がすぐに禁止令をだした。やめろと言われても、流行でもあり、中学生でもあり、けっこう高価なおもちゃでもあるので、隠れてやっていた。隠れていても、大きな音がするものだから、教師が聞きつけ、はるか彼方から駆けつけてきて怒る。あれは爆竹同様、隠れて遊べるものではない。

隠れてやる→見つかる→叱られて没収→もっと隠れてやる→もっと叱られて没収→それでもやる。といういたちごっこを繰り返すたび、教師の怒りはヒートアップを続けた。そして悪い生徒があらわれた。わざと教師に聞こえるように石を打ち鳴らすのだ。石はあまりいい音はしないけれども、いらいらしている教師を走らせるにはじゅうぶんな効果がある。教師が駆けつけてくると石を捨てて、しらんぷりをする。教師は教師で、ぼくらは共謀して犯人を隠していると疑っているが証拠がない。持ち物検査をしてもアメリカンクラッカーは出てこない。石を鳴らす→教師が駆けつける→知らんふりをする、といういたちごっこをしばらく続けると、教師の追求に口を割る者がでてきた。

「先生、丁akeda 君が石を鳴らしているんです。」

仲間に自白されてはもうどうしようもない。「石を鳴らして悪いという決まりはないはずだ。」と口ごたえすると、本気で殴られた。アメリカンクラッカーを顔面にくらう数倍のダメージだ。もともとは生徒や器物の安全のために禁止し、叱っていたものが、いつしか反射的に怒るようになっていたのだ。それにしても、あざむかれ馬鹿にされると人は簡単にキレてしまうものだと良い学習になった。


2005.07.05 なぜ不正に怒らない?

公務員が横領したり、公的な資金が私金にばけたというような報道を聞く。とうぜんそういう金には私の税金や年金が混じっている。私は年間に700〜800万ぐらい(ちょっと見栄を張って多めに申告しているが)を公金としておさめている。そういう金が、あるオヤジの私腹を肥やすことに使われたり、無駄な建物に化けたり、まずい酒や飯やしょーもないおばさんのアクセサリーになったり、競馬の馬の飼葉になっているというのだから、怒ってもいいはずだ。

しかしすぐに、頭の良すぎる私の弱点でもあるのだが、ちょっと待てよと思う。私個人が彼にくれてやったのはいかほどか? この10年に5000万ほどの税金を支払ったとして、その間、悪漢国家公務員が10億ほどを横領したとする。さてここで問題。彼が使い込んだ私の分はいくらか? たぶん4円よりは多くないだろう。

続いてこう考えてしまう。「たった4円で、つまらぬ店に通ってまずい酒を飲み、つきあいたくないヤツとも付き合い、本当に好きな女には手をだせず金目当ての娘にいいようにされ、自分の器量とは無関係のギャンブルにはまり、発覚を恐れてずっとびくびく生きて来た気の毒な中年男の末路をいまテレビで見物している。4円なんて惜しくない。かえって得しているではないか?」ニュースで事件を知ってここに至るまで30秒。ニュースはまだ終っていない。

私は法論堂林道(通称半原越)という道で自転車に乗って遊んでいる。公有の林道だが、その名に反して林業利用は主ではなく数少ない閑人が、水汲み、登山、自転車遊びに利用しているにすぎない。藤原とうふ店の息子のような峠の走り屋、あるいはローリング族だって、とがった岩がごろごろ転がっている狭いあの道には来ない。ときどきまちがえて真っ青なぴかぴかのWRXなんかがいるけど、下りで本気で勝負すれば自転車の私も負ける気がしない。

神奈川県は1日10人のひま人のために、崖から落ちた石を撤去したり、道路に川の水があふれないように土管を埋設したり、舗装に穴があいていたら埋めたり(これは滅多にやらないが)いろいろと公費を投入している。法論堂林道にも癒着や談合や横領があるかもしれない。しかし知らぬが仏。1回4円の利用料を払えと言われても、いや20円でも、私は喜んであの林道に通い続けるだろう。


2005.07.10 ひさしぶりにアオダイショウ

左のかかとが下がる悪い癖があり、ときどき左右の脚がばらばらに動いているような違和感を感じることがある。まえにその違和感がなかったのは力を入れて走らなかったからだ。ちかごろは見通しのよい田んぼの中の真っ平らな道にでるとハンドルバーの下を持って、空気抵抗を少なくして重いギアをぐんぐん回して35km/h〜40km/hぐらいで走っている。

いく筋もある小さな沢が増水して水の補給には不自由しない。今日は一転して非常に暑い日になった。さすがに自転車にのっていると登りで汗が出る。沢の水が簡単に飲めるのはありがたい。自販機に売っている飲み物よりもそのへんの水のほうがうまい。

ひさしぶりに道ばたで大きなアオダイショウを見た。近づくと俊敏に逃げて谷に降りた。小さな蛇はよく踏まれて死んでいるけれど、大きなものの死体は少ない。単に数の差か、または蛇でもそれなりに経験を積むと事故に遭わなくなるのだろうか。

昨日の雨で地盤が緩んでいるかもしれないので、半原越では音を気にして走った。半原越は来るたびに新しい岩が落ちている。落ちるときは木や草に当たってそれなりに大きな音がするだろうから、万一落ちて来ても事前に察知して直撃だけは避けたいのだ。高山の雪渓だと岩が雪の上を転がって無音で落ちてくるから避けようもないけれど、林道で岩に当たって死ぬと自転車乗りとしてちょっとかっこ悪い。


2005.07.11 パソコンばらばら

PowerBook G3 2000(愛称Pismo)は うんともすんともいわなくなって久しい。壊れた当初、ハードディスクは回らないもののキーボードに電気だけは通じており、キャプスロックのダイオードが緑に光っていた。しかし、そのかすかな光もいつしか失われてしまった。元気なときとは裏腹に、静かな静かなただの箱だ。もともとこのシリーズは「ざぶとん」などと呼ばれていたけれど、まさにそんな置物だ。

さらにまた先日 PowerBook G4 550(愛称Titanium)も同じように壊れてしまい、うんともすんとも言わなくなった。最近のPowerBook はけっこうやわにできているようだ。1400、540、150などという骨董品がそれなりに生きているのに、新しいもののほうから息を引き取って行く。

やわな機械はどちみち延命するだけ無駄で捨て置くべきだけれど、ちょっとはなんとかしたくなる。私はコンピューターの関係はさっぱりだが、機械には強いのだ。Pismo はもしかしたらマザーボードを交換すれば復活するかもしれないので、やってみることにした。こいつはCPU とマザーボードが分離するタイプで、オークションなどを利用すれば、数千円でマザーボードが手に入る。数年前には対面修理をやっていて6万円ぐらいで直った故障だが、運がよければその10分の1の修理代だ。

とりあえず分解できるかどうかやってみる。マザーボードの交換は、キーボードもモニターもシャーシも筐体も全部ばらばらにしなければならない。パソコン程度の機械の分解はだいたい外から見りゃわかるので苦労はない。注意するのはモニターを外すときのヒンジがトリッキーなことぐらいだ。あまりに簡単なのですいすいやって、途中で後悔がはじまった。ネジが20本もあって、種類も「無意味に」多いのだ。長さ、サイズ、タイプの必然性が全くない。これはしっかり記録をとっておかないと後でしんどいだろうなあ、と思いつつも、まあなんとかなるか.....と30分ほどで、ばらばらにしてしまった。組み立てるにはものすご〜い試行錯誤が必要になりそうだ。ほぼ確実に燃えないゴミと化すであろうひとかかえの部品を前にちょっと呆然。


2005.07.16 パソコン復活

ひょんなことからPowerBook G3 2000(愛称Pismo)を分解しマザーボードを交換することにした。マザーボードはオークションで落とせば数千円で買えるはずで、はたしてゼロナナハチという中古パーツのショップから4700円で購入することができた。あとは組み込むだけだ。

ばらばらに分解できれば、マザーボードの取り付けは簡単だ。なぜか無意味に6角ナットで止める所が1か所あって、設計者の意図に悩むがおおむね合理的な構造になっている。分解するときに、手順やねじの場所を全く記録せず、記憶だけを頼りにしていたので、かなり組付けに苦労するのでは、と心配していたけど、それも杞憂、一発で組み立てられた。

祈るような気分で起動ボタンを押す。うんともすんとも言わない。こういうことが一度でうまくいくわけはないのだとなぐさめて、内蔵電池のソケットが離れてないか、電気は来ているかと一つ一つチェックする。うんともすんとも言わず、ハードディスクも回転していないのだけど、ただ一つの光明を見つけた。キャップスロックボタンを押せば緑のランプが点灯しているのだ。ということは、マザーボードは正常である可能性が高い。新規購入した部品の疑いは小さくなる。すると、不調は電源部とマザーボードを除いて、CPU、メモリー、ハードディスクなど他の部品に限られる。

まずCPUをチェックする。すると、CPUがすこし浮き上がっており、マザーボードにしっかり刺さっていないことが判明した。パキッと音がするまでしっかりはめ込み、キーボードを組み込み、あまり期待もせずに起動ボタンを押す。すると、あっけなく、この1年の眠りがうそのように、あのジャーンという起動音が鳴った。しかし、ハードディスクが見つからないという警告が出て起動はストップしてしまう。その原因と対処は簡単で、PowerBook 1400 用に設定したハードディスクをインストールしてあるからなので、CDから起動してOS9.1 を再インストールすればよい。

結局、バッテリーだけはこの1年の眠りの間に完全に死んでしまったようだ。認識だけはしているので、マシン基盤がわの問題ではなく、バッテリーのせいで充電できないのだ。新品だと2万ぐらいする部品で、中古だと「もち」が心配だ。Pismo が生き返ったことは予想以上にうれしかった。バッテリーのないPowerBook なんて魅力半減なのだから、このさい奮発して....とも思うのだが。


2005.07.17 ずいぶんやせる

今日、体重計に乗ってみると59kg台になっていた。やせようと決意したのが2か月ほどまえのことなので、けっこう順調に来ている。やったのはまじめに自転車に乗ることと、間食をしないこと。そして、やつれないように朝、昼、晩はしっかり食べる。3キロでも、その効果はてきめんで、たぷたぷした腹がへっこみ割れた腹筋が見えるようになった。しばらくはぷるぷる状態で、自転車で前屈みになると下腹がきつい感じがあったが、最近ではまったくその感触はない。ハンドルバーの下を持ってぐいぐいと行ける。すると頭から背中に風が流れていく感触が気持ちよくてもっと走りたくなる。その姿勢がまた腰回りに効くので、宮崎美子19の春を脱して井川遥あるいは江角マキコへ復活するのも間近といえよう。

自転車1台あれば、脚、腕締めて腰にくびれをつけて、かっこよくやせるのなんて簡単だ。さような痩身に走るのも、登りで軽く走りたいがためだ。ただし、速く走るのは難しい。ここのところずっとタイムは悪い。3キロやせたからといって3分速くなるというもんでもない。今日の半原越も21分台だ。それほど追い込んだわけではないので、そんなもんかなあ、という感じだ。この梅雨の間は残念ながら休みと雨のタイミングが合わず、一度も雨の中を走らなかった。雨でも降ってないと、さすがに暑いのでスタートラインに立ったときに疲れていてすでに負けている。第一計測ポイントで8分11秒....なんて数字を見てしまうと「もういいや」という気になる。ひとまず暑さのせいにしておこう。

いまヨーロパでツールのまっさかりのためか、どこにいっても自転車が多い。境川でも半原越でもけっこうしゃかりきになっている若者に出会う。最近は自転車競技も人気がでているのだろうか。


2005.07.18 梅雨明けに境川

昨夜もあまり眠れず山に行くだけの気力はなくて、境川にでかけていった。今日のような過酷な日には散歩する人も自転車も少ないのでありがたい。暑い中、あんまり無理をするとめまいがしてくる。夜に頭痛がひどい。水を飲みすぎると下痢をするので、もっぱら背中にかけるようにする。境川は夏の日中は湘南から海風が吹いてくる。その向かい風を利用して、30キロ以上出して集中して走る。けっこうがんばっているのに汗をかかない。いくら空冷しているからといってもやはりおかしい。この体の神経はずいぶんガタが来てしまっているのだ。

ときどきすれ違う自転車の人は水をかぶったように汗だくで、ちょっとうらやましくなる。境川だとけっこう中年おやじやお年寄りが目立つ。明らかにへたくそで、けっこう歳がいってから自転車をはじめた人も多いようだ。ちかごろは高性能な自転車が安く売られている。乗りこなすのに相応の苦労が伴い機材が上達に応えてくれるようでないと自転車遊びは続かない。ランニングだと強度のわりにスピードがでないので空冷が効かずに熱中症の危険があるので、その点も安全性が高いと思う。ただし東京の通勤圏で20分以上ブレーキをかけずに走れる場所はないので、せっかくがんばろうかという中年が、いい自転車といっしょに錆び付いてしまう。

藤沢までは20キロちょいで、1時間足らずで終点だ。コーラを買って飲む。意外とこれがうまくない。運動中にコーラは濃すぎるかもしれない。帰りは追い風だ。力を入れると容易に40キロ以上出てしまうので危険だ。風が来ないと涼しくないけど、セーブして30キロ以下で走る。嫌いな左右の「白い檻」はクズや荻に覆われてすっかり見えない。まもなく草刈がはいるだろうから束の間のすがすがしさだ。相変わらず左右の脚のばらばら感の修正に苦労する。そういう基本でひっかかるとは、そもそも素質が無い。帰路、246の手前で小さな雑木林と畑の丘を越える。道にノコギリクワガタのメスらしいクワガタが落ちていたので、子どものみやげに拾って来た。


2005.07.23 もののたとえ

半原越を20分といっても、実際に半原越を走った経験のない人にはピンと来ないだろう。それをピンと来させるにはもののたとえを使うのが手っ取り早い。ただし、もののたとえというのは難しい。たとえば、日本人が1年に飲むビールの量は東京ドーム10個分だといえばなんとなくそんなものかなという気がする。日本で1年に出るゴミを山積みにしたら高さ1000mのピラミッドに相当する、といえばそんなもんかな、という気になる。では、半原越とは?

渋谷の駅前にハチ公という犬の銅像があるのは良く知られている。その5キロほど先に東京タワーという電波塔があることもみんな知っている。半原越とは、そのハチ公から東京タワーの天辺までまっすぐに橋をかけたようなもんだ。といえば、みんなが良く知っているものに例えたつもりでも外しているだろう。ハチ公前から東京タワーを見たことのある人はあまりいないからだ。私は幸い日常的に渋谷から東京タワーを見ている。その見当からすると半原越は思いのほか楽そうだ。ハチ公から東京タワーの天辺まで20分もかかるようではたいした自転車乗りではないという気がしてきた。

では、もっとよいたとえを使おう。愛媛県八幡浜市の地理に詳しい人限定であるが、八幡浜市の松柏には八高(はちこう)という学校があることは良く知られている。その5キロほど先に、高野地の長谷小学校があることも有名だ。半原越は八高から長谷小学校よりも若干きついから、長谷小学校まで楽々20分で到着できないようでは「半原越20分切ろうトライアル」には参加できない。

こう言うと、私はとんでもなく強い自転車乗りだという気がしてきた。長谷小学校への道は子どもの頃から通ったコースでよくよく知っている。それだけにかなり遠いという感じをもっている。高校生のときにはランニングで長谷小学校の手前の鎌田君の家まで毎日行ってた。距離はだいたい4キロで、タイムは20分だった。6%の登りだから、一般論として自転車よりもランニングの方が速い。じっさい高野地からふもとの学校に自転車通学している生徒よりも速かった。特に中学校のとき仲間から「鉄人」とよばれていたテル君の自転車すら置いてけぼりだったのだ。そういう経験もあって、鎌田君の家よりもさらに遠い長谷小学校まで、自転車で20分というと、「そりゃあんたバケモンでっせ」といわざるをえない。私はそんなに速いのか? 記録上はそうなっているのだが、本当にそうなのか? 高野地に半原1号を持ち込んで確かめたくなってきた。


2005.07.26 ずっとテレビばかり見ていた

3週間、ツールが続いていたので、なかなか忙しい毎日だった。といってもツールで仕事をしているわけではなく、ただテレビをみているだけだ。それでもけっこう時間がなくなる。なにしろ、テレビを見る時間は1日おおむね10分から15分くらいなのに、2時間も3時間も見てしまう。普段の日の10倍はテレビを見ていた勘定になる。

そうやってテレビばかりを見ていると、いろいろな仕事が滞るようになる。仕事が滞って他の人に迷惑がかかるようなことはまずいので、最低限そういうものはこなすとして、自分の仕事にしわ寄せが来てしまう。たとえばこの天地無朋もそうであり、なによりもフリーセルが進まない。先の日曜には半原越から夕方に帰ってきて、ぽっかり時間があいたので、遅れを取り戻すべく集中してフリーセルに取り組んだ。記録をみると、17時46分から19時00分の間に33個解いている。番号で言えば22068番から22100番までだ。だいたい1個解くのに2分のペースになってきた。この数か月でぐんと道筋が読めるようになった実感があり、まだまだ技術の進歩が期待できそうな自覚もある。あと2、3万個も解けば1分1個ぐらいまでは行けるんじゃないだろうか。


2005.07.27 知力の限界を感じる

私はフリーセルの達人になる資格を欠いている。もともとなかったのかもしれないし、歳をとりすぎているのかもしれない。それなりに経験を積んで高い確率の手を重ねることはできるけど、「こいつぁ定石だぜ!」とピンと来ることが全くないのだ。

なにごとにも知的で人間的な作業には上達への共通した道筋がある。考え方といってもよいし、アイデアと言ってもよいし、勘といってもよいが、与えられた問題を解決する道筋がネットワークのように心の中に無際限に広がり育っていかなければならない。新しい経験は解釈されて網の中のしかるべき位置にさくさくと入り込んで行く。

最初は、私がその網の主人で、そいつを手塩にかけて育てていかなければならない。ところが、しばらくすると主客が逆転する。心の中にある複雑に入り組んだ網がこちらを使いはじめるのだ。その網が「フリーセルを解く」というものであれば、何を見ても何をしていてもフリーセルに見えてくる。定石が次々にも心の中に浮かんでは消えていく。数日前に苦労した配列の解き方がパッとひらめいたりする。気がつくと心の中でカードを繰っているのだ。そうやって過去には無関係だったアイデアが連結し、また分裂して新しい定石が育っていく。そうなると私のほうは勝手になるがままに任せておけばよい。フリーセルの名人のいっちょあがりだ。

若い頃には学校の勉強やらなにやらで、そういう経験もあったが、もうだめだ。集中力がないというのだろうか、発想力がないというのだろうか、本来囚われてしかるべきフリーセルに入れ込めず、オリジナルな得意技すら編み出せていない。フリーセルは数学やなんかとちがって、手を編み出しにくいゲームだということもなさそうだから、できが悪いのはあっちではなく、こっちの頭のほうだ。爆発的な上達はもう期待できない。


2005.07.29 走馬灯

「死に行くものはその瞬間、かれの人生の全てを走馬灯のように振り返る」ということをよく聞く。しかし、それは完全な嘘八百である。少なくとも、それは死者の証言ではない。あくまでも死にそうな目にあった者が言ってることにすぎない。死にそうな目にあう人間は数日も意識を喪失することがある。それだけの時間があれば、人生の記憶を次から次へと呼び起こすのにしゅうぶんだ。ましてや、外界の感覚がシャットアウトされ、脳が勝手に活動しているような状態である。また、脳の活動があるからこそ死のふちから戻ってこれるのだ。意識を喪失している間の時間経過はないも同然だろう。三日三晩眠り続けていても本人には一瞬だ。そして、最後の感覚が、猛スピードで迫ってくる道路であったりするものだから、感覚と想起がミックスされて、最初にあげたような妄想に発展するのだろう。


2005.07.30 娘に2度笑われる

昼頃から強い雨が降ってきたのでいそいそと自転車をかつぎ降ろした。雨の中を乗れるのはこの夏はじめてだ。山と海とどちらにしようか迷った。朝に湘南海岸にアメリカのヘリコプターが不時着したというニュースをやっていたので、海に行くことにした。大粒の雨も冷たくない。やはり夏は雨にかぎる。目がちょっと痛いけど。ところが、5分も走るうちに雨はすっかり上がってしまった。道路も濡れていない。どうやら強い雨が降っていたのは局地的なものだったようだ。

気を取り直して予定通り海に向かう。今日からようやくアブラゼミが本格的に鳴き始めた。これまで、飛ぶ姿をみたり、羽化の穴を見たり、ときどき何かに襲われているのか、ぎゃっという小さな叫び声を聞くことはあっても合唱はなかった。まさに嵐の前の静けさが続いていたのだ。あれが鳴き始めるとがぜん暑苦しくなる。すでに、道端には死にかけているやつまでいた。あいつの評判の悪さは死にかけても元気なことが一因だ。この都市部ではアブラゼミは傍若無人である。

江ノ島の方について道路からざっと海岸のほうを眺めてみたけど、不時着のヘリコプターは見つからなかった。それよりも藤沢の市街をうまく抜けるルートが確立していないので、1時間ほどうろうろして道を探した。本来は田畑であったところにできた集落のはずなので、それなりに昔のルートが見つかりそうなものだが、江の電や小田急や東海道線が入り組んでいることもあって一筋縄ではいかない。

帰宅すると、子どもたちが「魔女の宅急便」を見ていた。不時着したヘリコプターを見に自転車で海まで行ったと言ったら、トンボみたいだと笑われた。窓の外のムクゲにカラスウリが巻きついてつぼみをつけているのを午前中に発見したので、夜、開いたやつを撮影することにした。さすがに窓からでは遠くてストロボもうまく回らないので屋根に出ることにした。暗くてピントがわからず高一の娘を呼んで懐中電灯で照らしてもらうことにした。パンツ一丁で屋根に登って写真をとっているのは変態以外の何者でもないとまた笑われた。


2005.07.31 半原越崩落

青空

ここのところ、空は見あげるといつもすっきりしておらず、雲らしい雲を見ることがなかった。青空に白い雲はずいぶんひさしぶりのような感がある。

今日は半原越だ。南風が強く涼しい。気温は32℃ぐらいか。気温が体温より低ければ無理なく走れる。ウグイスに、キビタキのように鳴くよくわからない鳥に、ニイニイゼミにキリギリスにアブラゼミにヒグラシにツクツクボウシにニホンザル。みんな姿は見えないものの、いろいろ鳴き交し半原越は入口からずいぶん賑やかだ。

今日はへばってしまって、入口の日陰のアスファルトに座り込んでしばらく休まなければならなかった。いつもの区間1のタイムは9分30秒。タイムトライアルなど端からやる気はない。区間1の電柱を過ぎたところに土砂崩れで通行禁止だという立て札があった。車が通れなくても自転車は通れるものなので気にせずに行く。

ところが、いやはや、けっこうな土砂崩れではないか。10メートルほどにわたって大小さまざまな岩が道路を覆って、歩いてでも越えるのが難しいほどだ。30メートルほどの崖が崩落したようで、見上げると黄色っぽい新しい土が木々の梢越しにあった。これは思案のしどころだ。まずは自転車を降りてガードレールに立てかけて水を飲む。珍しく腕からも脚からも球のような汗が吹き出している。「このへんはずっと垂直の崩れやすい崖が続くところだから気をつけねば」と、もう一度崖を見上げて思った。斜面には金網が張り巡らされているけれども、この規模の崩落にはぜんぜん耐えられそうもない。垂直に落ちてくるのだから音もしないだろう。100キロから1トンもあるような岩の直撃を受けたらぺしゃんこだ。

それはまあ気をつけるとして、崖崩れの規模が大きいのでしばらく復旧は難しいかもしれない。たぶんこの夏はもう通れないだろう。アカタテハが一匹、崖の斜面に生えているカラムシにからむように飛んでいる。産卵場所を探しているようだ。「そんなところに産んで、土砂が崩れたら終わりだぞ」と、心の中で忠告してやった。お互い様だから。


2005.08.01 AIR

ちょっと調子に乗って AirMac の修理をしてやろうと思い立った。初代の愛称 UFO は欠陥製品で、一年ほどたつどコンデンサーが熱でいかれて使えなくなる。ただ、その修理は極めて簡単で予算も300円ぐらいでできる。もちろん、それは自分でやるからで、店に出すときっと1万円も2万円もするのだろう。知識、技術のない者が足下をみられるのは電気製品の世界でも同じだ。

というわけで、コンデンサーを2個通販で送料込み500円で買って、UFO をばらばらに分解して壊れているコンデンサーをはんだゴテで熱しながらはずし、新品のやつをはんだ付けすればできあがりだ。作業自体はいたって簡単なもんなのだが、もう15年も使っているはんだゴテのこて先の劣化がいちじるしいらしく温度が上がらず、基盤のはんだが融けなくてコンデンサーが外れなかった。そこで、このさいだからと東急ハンズに出かけてはんだゴテを新調するという手間がよけいにかかった。

Pismo(PowerBook2000)につないでセットすると順調に動くので修理自体はうまくいったようだ。ただ、肝心の無線ランはまったくだめだ。ケーブルWAN にルータを挟んでつないでポンッというわけにはいかないようだ。古いアプリケーションを再インストールしてみたり、いろいろ設定をいじくってみても感じる気配がない。もともと AirMac は挙動に怪しげな所もあり、本気で無線ランをやろうとおもったら4年も前のハシリの製品などに頼るもんでもないだろう。ひとまず修理の工作がうまくいったことに満足して放置することにした。

AirMac はうまくいかなかったけれど、AIR のほうは素敵だ。永井真理子の1年ちょっと前のアルバムで、日本歌謡史上の最高傑作といえる。彼女はもともといい声のシンガーだ。それが歳を重ねて喉が壊れてきたためか色気を増してきた。力強いのにどこか頼りなく、まろやかで素直。単純なメロディをさらりと歌う。さしずめ「歌ってのは売るもんじゃなく歌うもんなんだ」とでもいうところか。


2005.08.02 残り寿命が半分になるとき

夜神局長はメロのアジトに踏み込む直前に死神と目の取り引きを行った。つまり、局長はメロの顔さえ見れば名前と寿命がわかるようになったかわり、局長自身の寿命も半分になったのである。その決死の覚悟も報われ、局長率いる警察隊の突入は成功して親玉のメロをモニター室に追い詰めることができた。ところが、敵もさるもの。メロの手には建物ごと自爆できるという爆破装置のスイッチがある。一方、局長の手には名前を記入するだけで人を殺せるデスノートがある。死ぬのはどちらか? お互い一歩も譲らぬ緊迫した状況の中、次回発売の少年ジャンプを待つことになった。

ということなのだが、一歩間違えばしょうもない笑い話になるので注意が必要だ。お互いにらみあっている夜神局長にはメロの寿命が見えている。漫画を読んでいるわれわれには、502209という文字列が与えられているだけなので、その単位が年なのか、ミリセコンドなのかはわからない。しかし、夜神局長には、そのカウンターの数字の動きが見えるだろう。ミリセコンドや秒が単位ならすぐに残り寿命が計算できるし、カウンターが動かなければメロはそれなりに長生きすることがわかる。

ということで相手を見るだけでメロが自爆するかどうかが正確にわかる。さらには自分がメロの名をデスノートに書き込むかどうかまでわかるのかもしれない。そこが読者にばれるといまいち緊迫感がなくなる。

さらにいっそう悪いことがある。局長は死神と目の取り引きをした時点で自分の寿命が半分になっていることを自覚している。その半分ということにちょっと思いをこらしてみよう。すなわち、メロの爆弾によって局長が死ぬ可能性の検討だ。目の取り引きをしてからメロとの対峙まで15分が経過しているとしよう。そうすると、1分後にメロがスイッチを押して局長が爆死することはない。それならば、7分前に死んでいなければならないから。であれば局長はただちにメロに飛びかかっても問題はない。

では、1分後に局長が急死する事態が起きるとしよう。つまり、目の取り引きをした時点で、局長の寿命は残り32分だったということだ。それならば局長の死の最近原因はメロではなかったことになる。メロはすでに死んでいる局長を殺す意思を持てないから。さあ、にらみ合いの時間が長ければ長いほど局長の寿命は延びて、どんどんメロとの関係が薄くなっていく。

それどころか状況は打開不可能になっている。なにしろ、もう誰も夜神局長を殺せなくなっているのだ。寿命が半分になるという設定は、未来にその人が死ぬ時刻が決まっていることになるから、その半分の時間も固定されている。実は局長は無敵でメロは局長を殺せない。この世の中の誰もデスノート以外では局長を任意の時刻に殺すことができない。ここで、われわれはゼノンのパラドクスを思い出すだろう。『飛んでいる矢は的に当たらない。なぜならば半分のところを通過しなければならないから』

「寿命」という物理的には存在しない空虚な概念を持ち出して物語を創作するならばタイムマシンと同じジレンマに見舞われる。さあ、この緊迫したシーンを夜神局長は無事切り抜けることができるのか? まて次号!


2005.08.04 謎のカブトムシ集団

次男はカブトムシを飼育している。春先に農家の堆肥の山で見つかった幼虫を4匹もらってきたのだ。100リットルほどの衣装ケースに堆肥と土を混ぜたものの中でその幼虫を飼育していたところ、3週間ほど前に立派なオスが1匹羽化してきた。続いて2匹羽化してきたが2匹ともオスだった。おおむねカブトムシはオスの方が早く発生するので、最後のはメスだといいねえ、などと言いつつ世話を続けていた。

そうしたある日、一匹の立派なメスがケースの近くを歩いていたのだ。カブトムシ入りの衣装ケースは屋根のある駐車場に置いてある。そのメスは、駐車場のコンクリートの上を歩いていたのだ。フタはしっかりとは閉めていないものの中から出てくるのは容易ではないはずだ。きっと近所で飼われていたものが逃げ出したのだろうと、そのときは捕まえてケースの中に入れておいた。

ところが、翌日またメスが一匹、同じく衣装ケースのそばを歩いている。前日に捕まえたものではないことは体のサイズからすぐわかった。こう立て続けにカブトムシがやってくるのも変だ。「このへんにごんぎつねでもいるのか?」と難解なオヤジギャグまで浮んできてしまった。衣装ケースは柔らかめの白い半透明の合成樹脂だ。5年ほど使っているのでもろくもなっていようし、カブトムシの幼虫がかじって穴を開けることも考えられなくもない。もしや、底に穴でもあいているのかと、ケースを持ち上げて、驚いた。

穴こそあいてなかったものの、ケースの下になんと7匹ものカブトムシがひしめいていたのだ。ケースには移動が容易なように、車がついており、床とは2センチほどの隙間ができる。その隙間にカブトムシがもぐり込んでいた。オスが3にメスが4。いずれも発育がそれほどよくない小型の個体だ。その隙間にもぐるのは大型のでは無理だ。

こうなるとミステリーである。そもそも発生源がわからない。このあたりは住宅地でカブトムシが育つような藁やおがくずの山は近所にない。2年前にカブトムシの幼虫と堆肥をわがやの庭に埋め、翌年の夏に成虫が出てきたのを確認したけど、量は極めて少ないものなので、去年もカブトムシがそこに産卵したとは思えない。また、カブトムシが集まるような樹液の出る木もこのあたりにはない。

唯一可能性としてあるのは、近所の大邸宅だ。その家の庭は100m×100mという冗談のように広い雑木林だった。先の冬に相続で庭を半分手放して、そこに15戸ほどの新築ができている。その家なら堆肥もあったろうし、庭でカブトムシが世代を重ねていたとしても不思議ではない。そこのカブトムシが今年羽化してきたもののの、目当てのクヌギが切られてしまっているものだから、行き先がなくて100m離れた我が家の駐車場にやってきた、ということだ。

そうだとしても、次の疑問はカブトムシが集まるに足る魅力が我が家の衣装ケースにあるのか? ということだ。集まっているのはメスの方が多いのでいわゆる性フェロモンの効果は考えにくい。ただし、カブトムシ自体が幼虫時代は地中に住み、夜に活動するわけだから、オスメスに限らず臭いで集合するような習性があるのかもしれない。それがあの独特の臭みの意味かもしれないのだ。または、我が家のには市販の虫ゼリーなるものを与えているので、単にその蜜に引かれたのかもしれない。こっちの可能性はもっと低そうだし、簡単に実験もできる。いずれにしてもミステリアスだ。今朝もまたメスを一匹拾っている。


2005.08.06 アブラゼミ

8月ともなると日はすっかり短くなり、吹く風も涼しい。わがやでは今日になってようやくアブラゼミのコーラスを聞いた。アブラゼミは今年、発生が遅れていた。たまたま見聞録の記録を見ると去年よりも1週間遅いことがわかる。本来は梅雨明け同時ぐらいにジリジリ鳴きはじめ。8月のはじめにはうるさいぐらい鳴いているはずのセミだ。静かすぎるとそれはそれで異常事態のようで不安にもなる。試しに東京方面の様子を尋ねてみると練馬のほうでも鳴いていないようであるし、渋谷でも声を聞かなかった。

ただし、犬を連れて散歩をしていると、林の中に脱出口を無数に見るほか、羽化途中のものもたくさん見ることができる。数が減っているわけではないようだ。なぜか今年は発生が遅く、最盛期も秋風が吹きはじめる今日になってしまった。遅れた原因は見当もつかない。気象関係の異変は知らないし、当たり年のようなものがあるのかどうかも知らない。アブラゼミにも謎は多い。


2005.08.07 アブラゼミの季節到来

犬をつれて歩いていると、小さい柔らかいものを蹴飛ばした。そいつは羽化場所を探して歩き回っているアブラゼミだった。近所にある空き地の脇の道路でのことだ。その空き地にはバナナや藤が育っていたけれど、土地が売りに出されてすべての木が根こそぎ撤去され、いまは夏草だけが生い茂っている。どうもそのアブラゼミは、冬に庭木が取り払われた後でも、何かの根っ子にしがみついて生き続け、今日の日を迎えたようだ。空き地の夏草をみれば、いくつかアブラゼミの抜け殻がある。やつらもけっこうしぶといもんだと感心する。エノコログサやマツヨイグサの葉は不安定極まりなく、あまりよい羽化場所とはいえない。蹴飛ばしたアブラゼミは外傷は見あたらなかった。ただ、この微妙なときにそれだけのショックを与えられるともう生き残れまい。仲間がいる草むらにそっと置いて、その場を離れた。

かなり暑いが南風は涼しい。ナカガワを持ち出して半原越に行くことにした。いまナカガワは前が52と42、後が13〜21だ。一番軽いギアは2倍で、私の計算ではこれでじゅうぶん半原越をこなせるはずだ。じっさいやってみるともっと軽いギアが欲しいという感じはなかった。冷たいわき水をくんで水をかぶりながら走る。がけ崩れのところは、二輪車なら通れるぐらいには岩が取り除かれていた。どうしようかと逡巡していると、下で追い越したマウンテンバイクの自転車乗りがやってきて、躊躇なく通行禁止の策を抜け礫を乗り越えていった。こっちはそういうまねは危ないので、歩いて押して越えた。そして久しぶりに愛川側に下る。夕方に帰宅するとはたしてアブラゼミのシャワーだ。立秋の今日に最盛期に入ったようだ。

ナカガワはどうもハンドルがしっくりこない。バーの一番高いフラットな部分とブレーキブラケットまでが遠すぎるように思う。カンパの幅広いブレーキブラケットをもてあましぎみだ。夜に、バーを日東からモドロに変え、ブレーキレバーもシュパーブの細いものに変えてみた。


2005.08.10 ハートは心

どれほど前であったか、まゆつばもの、きわものの話題をおもしろおかしく料理するテレビ番組で心臓移植が取り上げられていた。焦点になっていたのは「心臓を移植すると心も移植される」ということだった。つまり、移植手術を受ける前後で患者の性格が一変し、しかも変化後の性格が心臓の提供者みたいになったのだという。アメリカでは心臓移植の例も多く、移植を受けた人と遺族が会うこともあるらしいのでそういう話題も持ち上がるのだろう。

だれもが、記憶や性格をつかさどる器官は脳だと思っている。心臓は血液を循環させる器官なので、心臓を移したからといって、好みの女の子のタイプが変わったり、好きだった食べ物が嫌いになったりすることはありえないと考える。私もその番組を見ていたときは素朴に無批判にそう思っていたから、番組をまゆつばとは思いつつも、全然根拠のない話ではなさそうだなあと、いくぶんか引っかかるものはあった。

いま、虫けらの心の真髄を極めたいといろいろ考えるうちに、その心臓移植の話がふと思い出された。昆虫は本能的な行動をとっているときに、おおむね脳を使っていない。食べ物の種類を見分けるとき、産卵すべき葉を決めるとき、きっと、頭ではなく無条件反射によって判断しているはずだ。チョウに強制的に産卵させたいとき、頭部を切断するとうまくいくという経験則もある。脳は外界の危険を察知し、産卵に邪魔な行動を起こさせるので、産卵は腹に任せておくほうがスムーズにことが運ぶ。腹で食草の臭いか味をみわけ、腹で卵がきちんと並べられているかをみればよいのだ。

さて、くだんのテレビ番組は誇張もあるだろうけど、考慮に値する事実を含んでいそうな気がする。ヒトでも感覚の全てを脳が判断するわけではない。感覚は意識に登らない伝達系によって、体の各器官に伝えられる。心臓のドキドキは意識とは関わりなく起こる。個人の特殊な経験による条件反射、たとえば梅干しを見て酸っぱい味がするようなものはおいといて、先天的な無条件反射なら神経から同じ信号が届けられたときにすごくドキドキする心臓、あまりドキドキしない心臓という区別はあるのかもしれない。脳は、心臓からのフィードバックを敏感にキャッチする。「恐いからドキドキするのではなく、ドキドキするから恐怖を感じる」ということが信じられるなら、心臓移植によって人が変わることを仮設する価値ありだ。


2005.08.13 不安神経症の起源

ヒトは見聞きする対象、いわゆる客体について直接感情的な判断を下していると思い込んでいる。ヘビはぞっとするとか、猫の子がわかいいとか、さような客体がダイレクトに感情を動かしているのだと信じて疑わない。それは誤解だ。光や音を介する間接的な刺戟についても好き嫌いの感情が動くには、客体があり、感覚があり、心臓のような肉体の変化が起き、その変化を心がキャッチするという手順が必要だ。これは昆虫のような素直な生き物を観察しているとよくわかる。

いうまでもなく、ヒトがそうした誤解におちいっているのは意味ないことではない。それはよく私が指摘するところの、死なない工夫というやつなのだ。ヒトは外界の客体→感覚→肉体の変化というルートだけで好き嫌いの判断をするわけではない。記憶、印象というような心の内部にしかないものもまた感情を動かす客体として立てることができる。思い出すだけで身の毛がよだつ、うめぼしという字を見ただけで酸っぱくなる、彼女のことを想像しただけで立つ。その過程はあくまで心→感情ではなく、心→肉体→感情であることには注意が肝心だ。ヒトは心→感情とう誤解を持てるほど、ごくごく自然にそうしたことをやっているけど、それはきっと虫けらにはできないことなのだ。このシステムはもとは心が事故をシミュレートすることで肉体が決定的なダメージを受けることを未然に防ぐことができることから生まれ、さらには、より良い生き方ができることで強化されたのだと思われる。

一方で、死や神や妖怪、またそれに類するありとあらゆる架空物への恐怖や不安や心配事を、延命によく効く薬の副作用として抱え混むことになってしまった。金銭や名誉への欲にもとりつかれることになった。客体として不安材料がなくても、ヒトはいつも不安なのだ。そういう自作自演の取り越し苦労はヒトがヒトである以上はずっとついて回るものだろうと思われる。不安、恐怖の因果は私にはすっかり明らかなのだけど、わかっているからといって消し去れるものではない。心が気ままに作り出す客体は必ず肉体を刺激する。肉体はそれが心由来のものか外界に実在するものかは選り分けることができず、忠実に感情を動かしてしまうのだ。


2005.08.20 金で買えるもの買えないもの

去年の6月にアメリカですばらしい乳房雲が撮影されていたことが判明した。こういう写真を見せられると「これは絶対にこの目でも見なければ」と対抗意識を燃やしてしまう。乳房雲は滅多やたらと見られるものではない。非常にまれな雲だ。とりわけ、このアメリカのもののように、きれいなコントラストのついたやつは珍しいはずだ。

金さえあれば月旅行ですら100億円で買えるという時代だが、金で解決できることなどそう多くはない。乳房雲を見つけるのは根性と運次第というところがある。いつ、どこに行けば会えるというものでもない。その寿命はせいぜい1時間ほどらしく、「出た〜」と話を聞いて駆けつけても間に合わない。ひまさえあれば空を見上げ、とりわけ乳房雲が出そうなときは、空から目を離さないようにすることだ。

というわけで、乳房雲の出そうな条件はできる限り把握しておく必要がある。乳房雲の成因については、ウェブで検索すればいくつも見つかる。しかしどれもあのアメリカの乳房雲に当てはまるような気がしない。先にリンクしたアメリカのサイトは気象専門のもので、乳房雲の成因解説もある。ただ、それは一般的な積乱雲に伴う乳房雲の説明で、肝心のその写真のものは見あたらなかった。

写真の雲は本体が積乱雲ではなさそうだ。高度300mぐらいの低い層積雲に見える。かなり薄めの波状層積雲の波がさらに波打っている感じなのだ。積乱雲にできるいかにもまがまがしいものではなく、軽薄で弱々しく見える。そのタイプの乳房雲の成因を解説したものはないかと方々手をつくし、ついに「原色写真集 雲 石崎秀夫著 日本航空協会1982年出版」を発見した。それによると、『安定した下層大気に、層積雲のできる条件、すなわち湿った不安定層と、その上層に安定層か逆転層があって、さらに層積雲の雲底高度をはさみ、上下に風の水平・鉛直シアーが同時に存在するような時、雲底部と雲の下の層に直行する波動ができ、やがて乳房雲が層積雲の雲底に現れる。』とある。そういう条件の成立予測は極めて困難だろうけど、成因を教えてもらっただけで嬉しい。 この写真集は雲のタイプが図鑑として的確に捉えられている。相手が雲だけに典型的なタイプを写真にして一通りそろえるのは時間も根性も必要だったろう。雲好き必携の一冊だ。こちらは幸い金で買える。


2005.08.21 PowerBook Titanium 復活

1年前、うんともすんともいわなくなった PowerBook 2000 愛称 Pismo はすでにマザーボードを交換して復活させた。一方、PowerBook G4 愛称 Titanium は復活のめどが立たなかった。クイックガレージという修理屋に電話しても「扱っていないからアップルに言ってくれ」とそっけない。そもそも、この機種の交換部品は出回っていないらしく、修理には極めて時間がかかるということなのだ。全く通電しないからマザーボードの故障と思われる。 Titanium は何から何までマザーボードにのっかっているので、電源とかビデオとか一部がおかしくなっても、マザーボードの交換になるだろう。

CPU がのっているマザーボードを交換するとなるとちょっとたいへんだ。Pisumo は別々なので、中古で5000円でゲットできたが、Titanium は5万円だ。いまさらこんなものに5万円を払う気はない。しかも、本当にマザーボードの交換で直るのか、自分でできるのか、その辺もあやふやだ。

というわけで、中古の市場をしばらく眺めていたら、2万円で売ってくれるという人が現れた。一も二もなくゲットした。 Pismo でうまくいったので、ちょっとくせになっている。マザーボード交換のマニュアルなんてない。一度、クイックガレージでプロが分解している様子を見たことがある。全体にぺこぺこしている機械だが、トリッキーなところはなさそうだからやってやれないことはなさそうだった。所詮はパソコンである。中身の構造なんて開けてみりゃわかる。

こういうものの修理代は半分以上は技術科だから、自分でやれば安いものだ。もっとも素人なので、かかる時間を自分の時給で計算すれば、修理屋にまかせたほうが安上がりになる。そこは趣味の領域と割り切ればよい。自転車をいじるよりははるかに易しい。自転車には、各種の専用ツールが必要だ。しかも、腕力を必要とする工程がある。

モデムの取りつけ方に関して設計者の意図がわからなかったぐらいで、特に悩むところはなかった。 Pismo よりも易しいかもしれない。ただ、Pismo とは全く違う設計思想だというのがおもしろい。壊れているはずのマザーボードをさくさく取り外し、中古で買ったやつを組み込む。途中、内蔵 DVD ロムを組み立てるときに、カラーンと乾いた音がして、小さな金属片が落ちたのには肝をつぶした。「いったいどこの部品だ?」外すときにまったく意識になかったパーツなのであわてる。本体と部品の型をよく考えて、おさまるべき場所を探り当てる。まるで知能テストではないか。5分かけてこの場所、この方向しかないという一点を探し当てた。

キーボードを組み込んで、AC をつないで起動ボタンを押す。「ジャア〜ン」というあの音が響く。まさか一発で通電してCPU が動いてくれるとは思わなかったので、ドキッとした。ただ、ハードディスクが見つからないということで、起動は進まない。こういうときは慌てる必要はない。この機械に内蔵していたハードディスクは不注意で壊してしまったので、どこの馬の骨ともわからぬヤツを組み込んだのだから。CD で立ち上げればよいのだ。落ち着いて市販のOS9.1のCD を入れて再起動をかける。CD も認識しない。

どうやってもダメなので、もう一度中を開けて配線を確かめる。ぺこぺこの機械なので組み立てるときに、配線コネクターが外れているのは十分考えられることだ。チェックしても異常は見つからず、そのまま組み立て直す。パワーマネージャーのリセットを試みるが改善なし。ふと、思いついて Titanium に付属している OS9.2 のCD を入れてみると、なんの問題もなく認識した。立ち上がるとハードディスクもちゃんと見える。一度、ハードディスクがあることに気がつけば、その後は速やかにハードディスクから立ち上がる。何らかのプロテクトがはたらいたのだろう。というわけでめでたく復活した Titanium でこれを書いている。


2005.08.22 iTunes Music Store

iTunes Music Store がオープンして、その日に音楽を買いに行ったのはいうまでもない。ねらいはもちろん、永井真理子「そんな場所へ」だ。数年前にCDで発売されたものなのだが、もう店頭ではほとんど入手不可能だと思う。中古でも出回っていない。それで、iTunes Music Store ならあるかもしれないと期待してでかけたわけだ。

iTunes Music Store は検索が容易だ。すぐに目的のものが見つかり、ダウンロードする。1曲150円でアルバム全部でも1500円だからCDを買うよりもずっと安い。プロテクトもゆるく、自分でCDを焼くこともできる。コピーもできる。個人で利用する分には事実上無制限といっていいだろう。

この先、ネット上で音楽やビデオなどのバーチャルなものを販売する上で、この安いということと規制が緩いということは大事だ。海賊版を押さえることは難しく、そういう違法なものをチェックするために莫大な費用を投じ、ものを高価に販売しなければならないとすると、市場はしぼむ。だれもが簡単に使えることが利点のインターネットでこのスパイラルに陥るのは失敗のもとだ。安くて自由ならば違法のものの入る余地がない。1曲150円ならば友達に借りを作って譲り受けるよりも、買っちまったほうが安い。ましてや、違法に儲けようという輩は出ないだろう。iTunes Music Store と同等かそれ以上のサービスをしないと元が取れないからだ。

iTunes Music Store がオープンしてからしばらく、「落語」が上位にいたのがおもしろかった。若い世代が購入するわけではないだろうから、年配の人もけっこう iTunes Music Store を利用していると見える。1個700円だからちょっと高いので購入は見送った。視聴する限りではかなり音がいい。原盤はアナログの劣化いちじるしい録音のはずだから、ずいぶん処理をしていると思われる。


2005.08.23 女房と相模川に行った

自転車にのって女房と相模川に行った。昼からは空模様が怪しくなって夕立が来そうだったけど、それはそれで濡れてもいいなと出かけることにした。女房は喘息持ちでディーゼルトラックの排気ガスに極めて弱い。なるべく車の通らないところを選ぶけれども、大和、相模原は工業地帯なので難しい。

相武台の丘を降りると、相模川氾濫源の田んぼだ。水路には滔々と水が流れ稲は青々している。まずこのあたりの作柄は悪くなさそうだ。もうすっかり穂ができて垂れはじめ、スズメよけのネットをはっているところもある。最近はやりの案山子はマネキンを使うようで、稲の間からさらし首のようなものがあちこちのぞいており面食らう。あれのスズメに対する効果はわからない。

小さな店で森永のビスケットと紅茶とペプシの缶を買って、相模川のほとりで食べることにした。左岸のサイクリングコースの脇に神社がありベンチが置いてある。誰が座るのだろうか? といつも気になっていた。というのはベンチと相模川の間に無粋な鉄のネットがあり、眺めがきわめて悪いのだ。今回は、たまたまポケットからペプシが落ちて穴が空き、炭酸が勢いよく吹き出して来たので「ここに座れ」という啓示と考えた。

その場所は、堰堤の少し上流に当たり、水はせき止められて深く緩く流れている。ちょうど護岸の下は釣り堀のようになっていて、年寄りと子どもが来ている。本流では投網を打つ者もいる。まだ川猟師がいるのだろうか。サクラマスでも捕れるのかとしばらく見ていたけれど、何もかかった様子はなかった。バンの若鳥らしいのが一匹、しきりに水にもぐって何かを探している。しょっちゅう魚が跳ねて波の輪ができている。

丹沢の大山には雲がかかり黒い雨足が近づいている。ちょうどジェット機が雨雲のなかをつっきり、そのコースに沿って雲が白い筋になって消えている。飛行機のせいで雲粒が雨になって落ち、雲に穴があいたのだろう。帰り道の雨は避けられそうもなかった。はたして、米軍基地にさしかかるあたりで、雨がぽつぽつ落ちてきた。トンネルで雨宿りをする。大粒の雨なので、女房が家に電話して洗濯物を片づけさせた。雨のピークが過ぎたところでお互いに雨上がり予報を出した。女房は5分。西の空が明るいからという。私は30分。真上の黒い固まりが大きいからだ。結局、ぴったり5分で小止みになった。なかなかの予報士である。


2005.08.24 ロベルトエラスを見て改心する

去年のベルタの再放送をやっていた。たまたま登りのタイムトライアルの日だったので、これ幸いと研究させてもらうことにした。プロの脚とはいえ、私の半原越に参考になるかもしれないのだ。

ロベルトエラスは世界の頂点にいる数人の一人だ。とりわけ登りが強い。そのエラスの渾身の走りを見つめていると、こっちもすごく走れるような気になる。いとも簡単に10%の登りを時速20km以上で走っているからだ。10%といえば1m走ると10cmも登ることになる。といっても自転車に乗ったことのない人にはたいしたことではないように思えるかもしれない。しかし想像して欲しい。かつて阪神タイガースの花形満選手が当時ジャイアンツのエースだった星投手の大リーグボール1号を予告ホームランした。そのとき彼がレフトスタンドに向けて掲げたバットの角度がたしか10%だったはずだ。

ロベルトエラスをはじめ、プロの登りの特徴はそのケイデンスの高さにある。1分間に90回ほどクランクを回す。ギア比は最も軽いときで1.8倍ぐらいだから時速20キロ近く出る。かつてまねしてみたけど10%の登りだと1倍のギアですら60回ぐらい、時速8キロを30秒維持するのがやっとだった。1倍のギアは平地では軽すぎてふらつく。そんなギアでも速く回せないほど登りで高回転を維持するのは困難なのだ。

登りで高回転を出せないのは体力に限界があるからで技術の問題ではないと思い込んできた。しかし、テレビでエラスを見ていて、そこに技術の問題があることに気づいた。それはダンシングという技だ。じつは何を隠そう、私はダンシングが下手だ。真面目に練習したことがない。あのエラスの高回転型ダンシングこそ楽して速く走る特効薬ではないか? と気づいたのだ。

エラスのダンシングは際だって美しい。いま世界でもっともきれいな走りをする選手かもしれない。ブレーキレバーを持って、腰をやや前にして体を立てる。特徴は足にある。ペダルがどの位置にあっても、つま先立ちのままだ。それこそほとんど垂直に近いぐらいにつま先立ち、クランクの回転スピードに変化がない。もちろん1分間に90回まわっている。テレビ画面には斜度の表示があり、12%と出ている。簡単そうに見えて、あれは難しい。ウイリーやターン360゜のような曲乗りだと一目瞭然の難しさがわかるけれども、あのエラスのダンシングもそういう曲乗りに勝るとも劣らぬ極芸だと思う。ペダルが軽いと90回まわすのもできないことではない。しかし、体重をペダルが支えないので、上から下に移るときにすこんすこんと落ち、ぎくしゃくして回転速度が一定に保てない。自転車の上でランニングしているようなものだ。思いっ切り腕力で体を支えれば、足は落ちないけれども、すぐにオールアウトだ。

エラスほどの選手だとこれまでに1億回はクランクを回しているだろう。しかも集中して。そんな境地に近づこうという気はもとよりない。ただ、ちょっとやってみて「絶対ダメだ」とあきらめた所に進歩の秘訣が隠されているものだ。たとえば、自転車の初心者は「軽くて遅くてもよいから1分間に90回まわすべし」と指導される。はじめてだとたとえ空回しでも1分間に90回まわすのは息が切れて難しい。私も自転車に乗り始めた頃は生意気盛りで、そんなまねは到底できないとまじめに取りくまなかった。いま思うと、あのころはいまいち自転車が面白くなかった。まじめにやれば半年から1年で誰でも90回はまわせるようになる。そうやって、くるくる回していると2時間でも3時間でも疲れなくなり、体の痛みもないものだ。

今はダンシングで90回まわすことは全くできない。そんなまねをするとすごく疲れて30秒ももたないからだ。それは体力の問題だと割り切っていたけど、それは単なる思い込みかもしれない。全くできないのと、ちょっとしかできないのでは天と地の差がある。エラスの100分の1の実力でも十分だ。さっそくトライしてみよう。まずは平地でダンシング。90回スムーズに回してみよう。最終的に、10%の坂で90回の回転を1分維持して時速15キロで走れるようなら背中に羽が生えたも同然だ。


2005.08.27 エラスのまねはできない

しばらくがんばってみたが、エラスのまねはできそうもないということに気づいた。というか、「10%の坂で90回の回転を1分維持して時速15キロで走る」というダンシングが物理的に無理そうなのだ。平地のダンシングで、90回の回転を維持して走ることは可能だった。ただし、速度は30キロ以上出ている。10%の坂をダンシングして時速15キロで走るのもちょっとぐらいならできないことではない。ただし回転数は50回ぐらいに落ちている。つまり、急坂で90回まわせるぐらいの軽いギアにすると、体重でペダルがすこんすこん落ちるのだ。それはロスの多いまずい乗り方にちがいない。ではなぜエラスはあの技ができるのか?

私は90回転を維持させようと、39×26Tのギアを使った。1.5倍だ。それで時速17キロになるはずだ。ただし、先に指摘したように、体重でペダルが落ちてしまう。60kgの私で、10%の坂で体重でペダルがおちないギアは39×21T(2倍)ぐらいだ。つまり、登りで重いギアを速く回せない限り、一瞬たりともエラスにはなれないのだ。2倍で90回まわせば時速21キロも出る。プロのスピードだ。もちろん私がどんなことをやっても10%の坂で時速20キロ以上を出せないのはいうまでもない。結局、物理的に体重があるからには脚力がないかぎり10%の坂でエラスのまねはできないということだ。3%ぐらいの緩い坂でエラスになった気になるのがせいぜいという寂しい結論を得た。


2005.08.29 庭に来るチョウ

ヤマトシジミ

ムクゲに巻きつくヤブガラシを取り払う気にならない。ヤブガラシの花は蜜が多いらしく、いろいろな虫があつまってけっこうな虫世界を作るからだ。ヤブガラシに来る虫でもっとも派手なものはアゲハだ。今朝もずいぶん飛び回っていたけれどもヤブガラシには来なかった。蜜よりももっと火急の用事があるにちがいない。隣の家には夏みかんの木があり、その木の回りを巡回するようにしきりに飛び回っている。非常にせわしない。産卵場所を探しているふうでもない。メスを狙っているオスのようだ。その自由さといいスピードといい、アゲハというやつはずいぶん飛翔力があるものだとあらためて感心する。

庭にはアゲハの食草が2種ある。一つは柑橘類で高さは30センチ。一つはサンショウで高さは20センチ。2つともどこからか運ばれた種が根づいたものだ。どちらも3年ぐらいの樹齢だと思う。サンショウはいま丸裸だ。おそらくアゲハが葉を食いつくしたものだろう。毎年こうだ。ただし、一頭のアゲハを養うだけの分量があったとは思えない。みかんの方も半分ぐらいは葉が食べられている。食い跡をみるにやはりアゲハらしい。こちらは半分ほどしか食べられていないけれども、やはり一頭のアゲハに十分な分量とは思えない。こちらのイモムシは成長途中でハチかカマキリかにやられたのだろう。

庭に必ずいるのが写真のヤマトシジミだ。今日は一頭のメスにオスが二頭戯れて求愛していた。そのうち成功したほうが交尾にいたった。その求愛行動はいたって簡単なものだった。オスはメスが止まった葉のすぐわき、数センチの所におりて、メスの鼻先で翅を垂直から水平の間で素早く開閉する。ヤマトシジミの場合、メスよりも青みの強いその翅のチカチカがメスをその気にさせる効果があるらしい。ディスプレーといわれるもので、どのチョウもメスを口説く独特の方法をもっている。メスが酔っているようにぼうっとしているすきに、オスは腹の先を、メスの腹の先にのばしてくっつける。そこまで行くとメスは逃げない。触ってしまえばこっちのものとばかりに、交接はかなり長く続く。写真では左手がオスで、腹の先に鉤状の器官が見える。交接しているときに、別の一頭のオスが近づいてきた。すると、オスはメスに求愛したのと同じディスプレーでライバルを追い払っていた。

今日はルリタテハが来た。私の庭では記念すべき初記録だ。ところが写真がぜんぜん撮れない。あちこちの葉に止まるのだけれど、わずか1、2秒ですぐに飛び立ってしまう。5分ぐらいは庭を巡回するようにうろうろして、飛びさってしまった。こちらはその動きから察するに産卵場所を探すメスらしい。それらしい葉に止まるものの臭いか味が目的の植物ではないために落ち着かないのだ。


2005.08.30 経済的な損失とはなにか

カトリーナによる経済的な損失は少なくとも100億ドルといわれている。で、その損失とはいったいなんなのか。建物や道路や田畑その他の設備被害の修理に要する金額や保険料などであれば、損失とはいえない。そこには損したと思う人と同じ分だけ得したと思う人がいる。天災はある対象にとっては利益だからだ。風が吹けば桶屋が儲かるといわれるように、台風では建具師や大工に特需が起きる。しかもアメリカほどの大国であれば修繕は自前でやれるだろう。鉄やコンクリートや木材やエネルギーの調達を自前でできるだろうから、金は国内の回り物、右から左へ動くだけだ。

本当の意味での損失というならば、金で解決のつかぬもの、特需をよばぬものでなければならない。そういう被害は台風ではもたらされないものだろうと思う。なにかにつけ経済的損失という言葉は誰かが誰かをだまそうとして使っているとしか思えない。

経済的な損失というのと同じ意味で使われる経済効果という言葉がある。巨人優勝の経済効果は100億円、などと言われたりするが、あれは経済的な損失と等価だと思う。巨人が優勝して、飲み食いしなくてもよい飲み食いをしたり、公平に見ればがらくたとしか思えないようなグッズが生産されたりすることは、その日の米麦にも困っている者の目には損失にしか映らない。

本当の意味での効果というならば、金で量れぬもの、特需をよばぬものでなければならない。その種の効果は野球でももたらされると思うのでわざわざ金に換算するのは奇妙なのだ。なにかにつけ経済効果という言葉は誰かが何かをごまかすためにのみ使っているとしか思えない。


2005.09.03 FRIDAYの竜巻型地震雲

雲

立ち読みをする習慣はまったくないのだけれど、コンビニに立ち寄って雑誌を手にした。電車の吊り広告で、関東地方では竜巻型の地震雲が頻繁に見られており、近々大地震のおそれがあるというような宣伝がしてあったからだ。その手の話は大好きだ。ただの地震雲ならともかく、竜巻型というからには相当珍しい形の雲が撮影されているのだろう。漏斗雲か乳房雲かもしれない。矢田亜希子とそういう雲とどっちが欲しいかといわれると、一も二もなく雲だ。

そういうわけで、サークルKというコンビニで FRIDAY を手にとった。 FRIDAY はフォーカスとかフラッシュと同類のスクープ専門の写真誌だったはずだが、最近ではもっぱら美女鑑賞雑誌の様相をていしている。他のスクープ雑誌も見あたらない。あの手のものは、盗撮系のエロ雑誌に吸収されてしまっているのだろうか。

それはともかく、とうの記事の写真をみてがっくしきた。そこにある竜巻型地震雲なるものはなんの変哲もない巻雲だった。ちょっと変わり物だというなら、わりと低いところにできた寿命の長い飛行機雲のなれの果てというところか。大地震の前、一週間の間にこのタイプの雲ができる確率は100%だろう。低い雲の上にあって見つからなかったり、方向がちがって「竜巻型」にならなかったりするだけで、あんなやつはしょっちゅう空に浮いているのだ。だから、大地震の前には竜巻型地震雲が絶対にある。しかし、竜巻型地震雲と地震のつながりはジャイアンツの勝利と台風ぐらいしかないだろう。

今日の写真の雲は FRIDAY に出ていたヤツよりもよっぽど「竜巻型」で不吉だ。これは書斎から私が撮ったもので、別に珍しくもなんともない飛行機雲だ。こんなものよりも、ヤブガラシに来るアゲハを狙っている方がずっとどきどきする。


2005.09.04 ミノムシの誘致

ミノガ

写真はわがやに来てもらったミノムシである。オオミノガはかつて日本中に無数に生息していたけれども、この数年の間に激減し、絶滅までが懸念されている。私自身もしばらくオオミノガのミノムシを見た記憶がなく、ここ数年気をつけて探し続けている。今年はどういうわけかそのミノムシがよく目立つのだ。この近所で数か所、かなりな数を発見している。

去年までは、オオミノガのいる木で確認できていたのは近所の家で庭木になっている柿の木だけだった。その柿の木も去年の夏の剪定で、ミノムシごと葉っぱが撤去されて姿を消したから、すこし心配していたのだ。いまみられるかなりな数のミノムシは、その柿の木生まれの子孫かどうかまではわからない。もし、そうであるなら、オオミノガはかなり移動力があることになろう。歩いて分布を拡大するというよりも、糸を使った飛行という期待が持てる。

そういうちょっとミステリアスでかわいい虫であるから、駅前の公園の鉄柵をうろついているヤツを捕獲してきた。オオミノガの成長は夏の間だから、食べ物も得られるように、ザクロの木にとまらせた。ザクロは以前、ほかのミノムシをまちがって誘致してしまったとき、喜んで食っていた木だから、オオミノガも食うだろう。

ザクロは庭木なので大事にはちがいない。しかし、食害の心配はしていない。北隣の家のマサキには初夏にミノウスバの毛虫が大発生して、全ての葉を食いつくした。ところが、ものの2週間もすると新しい葉がぐんぐん展開して、何事もなかったかのように青々と繁っている。庭の小さなサンショウは葉が出るたびにアゲハに丸坊主にされるが、枯れる気配もない。ある程度成長した木は虫の単なる食害ぐらいには負けないのだ。


2005.09.05 東京の雄大積雲

雄大積雲

シータといっしょに坑道から外にでたパズーが「わぁーすげー雲」とさけんで、入道雲を見上げるシーンがある。昨日はあの入道雲に匹敵する雄大積雲を見た。神奈川県の中央部でも、昼間から天気が不安定で巻雲や高積雲、層積雲など下層、中層、上層の典型的な雲があり、それらの雲を貫くかのように、雄大積雲がもこもこと成長していた。

そして、夕方になっても雄大積雲の発達がとまらなかった。あまりに雲が大きいのであわてて近所のスーパーの屋上に走って行ってカメラを向けた。写真は日没後のもので、上空は晴れているけれども暗い。その夕闇の中でも雲はくっきりとした輪郭を持ち、弱まるどころか肉眼でもそれとわかる成長を続けていた。撮影地は神奈川県の大和市で、東を向いている。雲の一番近いはしっこは15kmか20km先と概算した。雲の西端は多摩川を越えるかどうかというところ、中心は東京だ。その高さ勢いもさることながら、全体の大きさはがすごい。レンズは28mmでかなりワイドなのに、雲の全体像が左右に入りきれていない。南北の幅はざっと30kmはある。そんなサイズの雄大積雲のかたまりはこれまでに見たことがなかった。雲の直下にあるはずの都心は何時間も前から真っ暗になって、すでに雷雨になっていると思った。

大和市のほうでは雷雨が来たのは夜10時頃で、凄まじい雷鳴とともに大粒の雨が落ちてきた。雨は数時間、断続的に降り続いていた。テレビニュースによると、あの雄大積雲の直下にあたる杉並区、中野区あたりで時間100ミリ以上という猛烈な驟雨だったらしい。気象台のレーダーがとらえた雨雲の画像は東西にのびていた。南北をみて「なんという巨大さだ」とたまげていたのだけど、それでもほんの一部しか見ていなかったことになる。


2005.09.10 スズメの集まる田んぼ

スズメ

女房と自転車に乗って稲刈りが始まった境川を散歩してきた。スズメはちょうど稲がみのって収穫するその直前の穂を好むのだという。いまスズメにとっては無尽蔵の食べ物が大海原のように拡がっていることになる。農家のほうでも稲がスズメにねらわれることは先刻ご承知だからスズメ対策を怠らない。古来のカカシを使う方法、ネットを張る方法、細い糸を張り巡らす方法、ぴかぴか光るCDを吊るす方法...いろいろある。

ネットを張ってスズメが入れないようにするのならともかく、他の方法ではスズメは自由自在に稲穂に到達できてしまう。そんなもので対策になっているものなのかどうか他人事ながら心配になる。たまたま見つけた写真の田んぼはさながらスズメ天国の様相をていしていた。見たところ500羽ぐらいが来ており、自由に穂を食べている。

スズメだってうしろめたいようで、何かの大きな物音に驚くと一斉に飛び立つ。しかし、近くの電線なんぞに待機しており、安全と見るや三々五々集まってくる。どうも、なんらかの言葉があるらしく、ついばんでいる群れが「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と呼びかけており、その言葉に引きつけられて群れが大きくなるようだ。

スズメが群れている田んぼに近づいて見てみると、おどろいたことに半分以上の穂が食害されて穂が白くなっている。そろそろ米が重くなりこうべを垂れるはずなのに、白い穂は天に向かって立ちっぱなしだ。もちろんその田んぼには全くスズメ対策がなされていない。その周辺は単にカカシを置いてあるもの、糸を張っているものなど簡易なスズメよけがしかけてある田んぼだ。そうした田んぼはスズメの食害を受けていなかった。

そうなると、こちらもいろいろと考えざるを得なくなる。どうも、その田んぼはあえてスズメに食べさせているのだとしか思えないのだ。神奈川でもスズメを鉄砲で撃って退治することは普通に行われている。そして、爆裂音が危険なものだという文化がこの辺のスズメにも継承されている。ただ、そうした狩猟は交通を遮断して人を入れないようにして行われるので、住宅に囲まれた境川の田んぼでは無理だ。しかもスズメは夏には農業害虫を食べる益鳥でもあるから、むやみに殺すのは不利益でもある。そうすれば、あまりおいしくなくて育てやすい安い米を一か所に植えて、わざとスズメをそこに集中させて、周辺の田んぼは簡便なスズメよけで済ませるという作戦も考えられよう。


2005.09.11 ツクツクボウシ

午前8時頃からさかんにツクツクボウシの声が聞こえてきた。近所の庭木にとまって鳴いているらしい。ツクツクボウシは夏の終わりを感じさせるセミだ。しばらくその声を聞いていると、シュウー...シュウーという別のツクツクボウシの声が混ざっていることに気づいた。ツクツクボウシには普通の鳴き方の他にそういう声があることは虫好きには古くから知られていて、北杜夫氏の昆虫記にもその記述がある。それによると、その鳴き方はライバルのオスがメスを呼ぶのをじゃまするものだということだ。おそらく現在でも通説はそうなっているだろう。

ツクツクボウシはアブラゼミなんかとちがって初夏の小鳥のようにメロディアスに鳴く。まず、ツゥーとイントロが入り、ツクツクボーシ、ツクツクボーシと15から20回ほど鳴く。良く知られた主旋律だ。そのあとに私がツクツクニーユ、ツクニーユと聞きなしている歌が2、3回入り、シュゥーと長くひっぱって終わる。一回の歌は30秒ほどだろう。

例の妨害とされている声がずいぶんしっかり入るので、2時間ほど観察してみた。どうやらたまたま2匹が近くの桜かモクレンではちあわせになっているようで、残念ながらセミどうしの距離が近すぎてどちらがどっちかよくわからない。もちろん姿も見えない。妨害鳴きは単独で歌われることはない。まず、ツクツクボーシとどちからが鳴き始めて10秒後ぐらいに始まる。シュウーと鳴くのは3回ぐらいだ。お互いに妨害しあっているようなふうもあるが、正確にはわからない。

もちろん私は、そのシュウー...シュウーという鳴き方が妨害なのだと単純には結論していない。そもそも、セミのオスがメスを呼ぶためだけに鳴いているとも考えていない。もし、オスがメスを慰めるために鳴いているのなら、メスが近くにいるときといないときで鳴き方を変えるのが自然だと思う。他にも理由はあるけれど、ツクツクボウシのあのツクツクボーシ、ツクツクボーシという歌はもっともっと奥深いものに思われるのだ。

午後からは久しぶりに半原1号を持ち出して半原越に行ってきた。がけ崩れのためタイムトライアルができないのをいいことにトレーニングはさぼっている。通行止めの所まで18分24秒だった。頂上までならば20分30秒のペースだろう。


2005.09.12 コオロギ

コオロギが好きなのはいうまでもない。しかしながらコオロギに詳しくない。鳴き声なんてよっぽど特徴のあるものでない限りさっぱりわからない。いま私の庭で鳴いているのは、やかましいアオマツムシとカネタタキとコオロギが2種のようだ。コオロギの1つは、ツヅレサセコオロギだと思う。もう一つがわからない。残念なことにコオロギのことをちゃんと勉強する機会がなかった。

小学校に通っていた頃、いまごろになると決まって叔母といっしょにスズムシを捕りに行った。神奈川のこの辺ではスズムシは少ないらしく声を聞くことはない。八幡浜の田舎ではずいぶんたくさんいたものだ。田んぼもみかん畑も自然石の石積みで棚がきられており、その石の隙間がスズムシの住み家だった。声のするほうに息を殺してそうっと近づき、懐中電灯を薄くあてて、隙間にいる相手を発見すると紙の袋(かんぶくろと呼んでいた)を穴の前にセットして、勢いよくプッと息を吹きかける。すると、驚いたスズムシが穴から飛び出し、袋に入るという案配だ。そういう場当たり的な方法だから捕れる数も少なかった。

そうして捕まえたスズムシはプラケースに入れて飼育した。夜に部屋の片隅から聞こえるスズムシの声は驚くほど大きかった。その澄んだ声は心がぶるぶるっとするような喜ばしさがあった。

子ども用の図鑑を見ると、スズムシやエンマコオロギなど既知のもののほかにも、マツムシ、カネタタキ、カンタン、クツワムシ、ウマオイなど、ずいぶん種類があって個性的な鳴き方をするように書いてある。チンチロリンとかチン、チン、チンとかフィリリリリリとか、カタカナでその鳴き方が表されている。そういうものを見て、私の想像力もふくらみ「いつかは聞きたい、見たい、捕まえたい」と願っていた。ただ、夜に出歩ける機会はそうはなかった。小学校のとき、マツムシやカネタタキの声はそれぞれたった1回聞くことができただけだった。ただ、一度だったけれども、穴が空くほど図鑑を見つめていたかいあって、すぐにそれとわかり「本当にそうやって鳴くんだなあ」と感激したことを鮮明に覚えている。


2005.09.13 アシダカグモ

帰宅すると「大きなクモを捕まえた」といって次男が紙袋を持ってきた。中を見ると、アシダカグモらしいクモが入っている。サイズからしてまだ成体ではなさそうだが、そこはアシダカグモだけあってけっこうな迫力がある。アシダカグモはこの家の中にも住み着いており、ときどき見かける。しばらく家族で飼育観察していたこともあり、みなが親しいクモだ。「飼うのか?」ときくと「放す」という。見つけたのは一階の廊下で、素手で捕まえたという。アシダカグモともあろうものが、ずいぶんのろまだ。もしかしたら、腹が減っているのかもしれない。

と思ったのも、家の中にはあまり食べるものがないと思い込んでいたからだ。床下にはカマドウマ、庭にはコオロギなどいろいろな虫がいるので外にいるぶんには食べ物に不自由もないだろう。家の中に放すべきだというのは長女のアイデアらしい。思いのほか家の中にも食べ物が多いから、それを食わせればいいというのが彼女の言い分。私は老眼、鳥目が進んでいるので、家の中ではいっこうに虫を見ない。ときどき小型の蛾が舞っていたり、風呂場をヤスデが歩いていたり、蚊に食われたりする程度だ。しかし、子どもらによるとゴキブリをけっこう見かけるらしい。それも小型のチャバネゴキブリが優勢だという。女房の指摘するところによると私の部屋には無数のイエヒメアリがたかっているらしい。家の中の虫の量がどれほどか、本当に大きなクモを養うほどいるのかどうか心配だけど、クモのことだから困ればどこかの隙間から逃げて行くのだろう。いてもじゃまにはならない。郷愁というものなのか、壁や天井に大きなクモが張り付いている光景は、むしろ懐かしく甘酸っぱい。


2005.09.16 ハサミムシ

けっして豊かとはいえない我が家の庭であるが、なにはなくとも欲しいものがある。それはハサミムシ。石や朽ち木、落ち葉の下にはいろいろと陰気系の虫がうごめいている。なめくじ、わらじ、げじ、やすで、こうがいびる、とびむし、ごみむし、はねかくし、そのほかわけのわからない幼虫に、くも、だに。そういうじめじめした陰気系のなかで、ハサミムシはずば抜けてかっこいい。尻尾みたいなはさみは伊達ではなく、それで虫を挟んで食べる肉食昆虫だ。子どもの頃からなぜか私はハサミムシに一目置いていた。敬意と言ってもよいだろう。最近になってようやく、その大事な虫が我が家にいないことに気づいた。庭から物足りなさが感じられるのはきっとハサミムシがいないからだ。

どういうわけで我が家にハサミムシがいないのか、よくわからない。そもそも石の一つもめくればハサミムシがいないことのほうが変だ。だんごむしは無数にいるし、ジグモだっている。大きなコウガイビルもいるし、オサムシもいる。げじはいないが、なめくじは夜にはいたるところに這っている。それなりにいろいろいるのにハサミムシは一回も見たことがない。このあたりにまったくいないということはないだろうから、庭に生ごみを貯めて陰気系の虫を増やせば、やってくるかもしれない。幸い我が女房子どもはその手の「ビオトープ」建設に対して寛容だ。


2005.09.17 設計ミス大賞

USB

最初の設計がいいかげんだったばっかりに致命的な問題を後世に引きずることがある。日本の自転車の後輪に取りつけられているドラム式のブレーキはその好例として私的によくとりあげる。また、テレビのデジタルチューナのリモコンの設計も誤っているような気がする。ただ、あれはもうどうしようもない窮地からの精いっぱいのリカバリーの感もあり、これからも変更がきくので大目に見ている。

今日の写真はおなじみのUSBケーブルだ。だれもがこいつには苦しめられている。USBは大ヒットしているだけに、つつしんで設計ミス大賞をさし上げたいとおもう。なにが設計ミスかというのはもはや説明の必要もないだろう。USBを一度も使ったことのない人のためにあえて説明するならば、こいつは口が長方形なのに上下が厳然と決められており、その上下を区別するのは内部に詰め物があるかないかなのだ。こういう設計でも、数年に一度ぐらいしか抜き差ししないものであれば問題はない。ところが、USBケーブルは「楽に抜き差しできる」ことをウリに登場し、そのアドバンテージもあってパソコンの世界を席巻しているのだ。

実際使ってみると、楽に抜き差しができるような代物ではない。これまで一発で入ったことがない。どうせ上下が間違っているのだろうと、反転させても入らない、もともと引っかかりやすい形状をしているため、こちらは疑心暗鬼となって、5回も6回もああでもないこうでもないとカチャカチャ悩まされる。しっかり見て上下を合せようとしても、パソコンの裏に差し込み口があったりして逆立ち状態で覗いたりすると、せっかく確認しても頭脳の中でひっくり返ったりする。

長方形の形状でも、天地無関係なケーブルを作ることは設計上は可能だ。ただ、それには若干製造コストがかかる。多少値段が上がっても、そういう微調整ができるものならやりたいものだ。ところが現在のUSBの形状では互換性を保ちながら、天地を考えずにさくさく差せるケーブルは設計できない。すくなくとも私にはできない。はじめの一歩がいいかげんだったばっかりに毎日数億人がいらいらしているというこの現状は微笑ましくももの悲しい。


2005.09.18 十五夜

十五夜

十五夜なので、女房子どもと相模川の田んぼに出かけた。ちょうど半分ぐらい収穫がすんだ田んぼでは日が落ちるとコウモリが飛びはじめ、エンマコオロギが鳴く。満月の「月の出」は何度見ても荘厳なものだ。東の地平、林があり鉄塔がならぶ丘の一点が急に明るくなり、月の端が顔を覗かせる。はっきりと目に見えるスピードで月は空を右上にかけていく。登ったばかりの月は赤く大きい。


2005.09.19 夕方の臭い

オシロイバナ

半原1号のヘッドパーツがハンドルに体重をかけるたびにキシキシ鳴くので分解掃除をほどこした。そのヘッドパーツはサンツアーのシュパーブプロというちょっと珍しいやつがついている。かなりの虫食い状態になっており、ちょっと調整が悪いと力がかかったときにきしむ。ここのところのきしみの原因はちょっときつめに締めていたせいらしかった。

試走の途中、公園のベンチに座って木を見ていた。その公園は鬱蒼とした林のある神社のわきにあり、園内にも立派なクスノキがある。風がふくたび密集する葉を透かして日光がちかちかさし込む。木は葉で光合成をする。その原料は二酸化炭素と水だ。二酸化炭素は空中から吸い、水は地中から根が吸い上げる。水は幹を通って葉までいって、そこで光合成の原料になる。植物にとっても水は光合成の原料というだけでなく、様々な生化学反応の溶媒としても重要なはずだ。

木の中心の木質は死んでおり、生きているのは表面だ。水も皮のすぐ下の組織を通っている。だから、木の幹を一周ぐるりと傷つけると木は枯れてしまう。小学校のとき、このことを実際に確かめたことがある。裏山の鬱蒼とした林のなかのコナラかクヌギの木になたを打ち付けて木の血管ともいえる組織を分断したのだ。そのときすでに、そうすると木は枯れるということを知識としては知っていたと思う。自分で確かめたかったのだ。

予想通り、すぐに木の葉は弱り茶色く枯れた。そればかりでなく、半年ほどしてその木は傷をつけたところからぽっきり折れてしまった。さすがにうしろめたく、しばらくその木のそばは通らないようにしていた。そして数年後、そんな悪さもすっかり忘れてその木の側を通ったとき、自分の目を疑った。折れた所から新たに何本も太い幹が立ちあがっており、折れる前よりもむしろ立派な木になっていたのだ。子どもながらに人の力を超える植物の生命力をはじめて感じた瞬間だった。

ところで、木は光合成で使う水を全部根から取っているのだろうか。公園で青々と繁るクスノキの大木を見ていると、案外葉からも水を取っているような気がしてきた。いくら幹が太いとはいえ、あんな巨体に行き渡る水を幹だけで運べるのだろうか? 空中にも水蒸気があるのだから、また、呼吸で水蒸気ができるのだから、そういう気体の水もうまく利用していないわけがない。木というのはそういうやつらだと考えながらこちらも水を飲む。

すっかり日が落ちるのが早くなり、5時を過ぎると薄暗い。境川のサイクリングコースの脇にはずいぶんオシロイバナがある。はじめは誰かが植えたものだろうが、強健な草らしくすっかりはびこって夕闇の中に鮮やかな花を開く。木に悪さをしたころ、夏になると特有の「夕方の臭い」がすることに気づいていた。今日まで漠然と「夕方の臭い」だと疑わずにきたあれは、どうやらオシロイバナらしい。


2005.09.23 夢の楽園

小学校から中学校にかけ、私は故郷にある切り立った小さな丘では蜃気楼が見えると信じていた。その丘は生まれ育った家のすぐ西にあり、毎日その丘を見て生活していた。子どもの足でも小一時間歩けばその丘の上に立ち、西の方を見ることができる。西方には宇和海があり、佐田岬半島の先には遠く九州を望むことができた。

その蜃気楼というのは佐田岬にある大久という集落だ。西の丘では気象条件によっては50キロも遠方にある大久が足もとにくっきりと見えるのだ。むろん、幾度もその蜃気楼を期待して丘に登り、そのつどがっかりしていた。それでも、少なくとも2回その蜃気楼を見た覚えがあり、けっして夢だとは思わなかった。

今では、そういう気象条件はありえることではなく、子どもの私は夢を信じていたに過ぎないと断言できる。そして同じような夢を今でも見がちであることも知っている。たとえばテレビでいろいろ驚くべきものを見ることができる。ヨーロッパやアフリカや熱帯アジアの暮らしに自然。めくるめく海中の世界。意外に豊かな南極や北極、そして砂漠。そのようなものは、実在するものではあるけれども多分に夢の彩りがついているものだ。そして、自分の周辺は面白くもなんともないけれども、この世界には本当に幸福な生活や手つかずの大自然があるのだと、ぼんやり思い込んでしまう。テレビがなくても、山の向うや海の彼方に夢を見るだろう。冷静に計算するならば、このあたりまえの生活が奇跡的に豊かで、このささやかな我が家の庭が世界でも一等級、とはいえなくとも二等ぐらいの豊かな自然であることは確かだ。


2005.09.24 庭の食害

アゲハ

わがやの庭にも生産者がいて一次消費者がいる。つまり、草が生えていて虫が食う。その食われ方にも軽い重いがある。ムクゲやザクロ、オリーブはあまり食われない。ジューンベリー、アジサイ、ミカンは悲惨である。このばらつきは、その植物の強弱、うまいまずいというよりも、植物と虫の相性によるものが大きいと思う。

通称バナナ虫、ツマグロオオヨコバイは何にでもたかるが、ムクゲやオリーブにはあまりとまっていない。オリーブは外国の木なので、たまたまこの辺りには食害する虫がいないのだろう。アジサイにはたしか毒があり食べる虫は少ないと思うのに、庭のアジサイはぼろぼろに食われている。何が食っているのかよく探しても見つからない。どうやら夜中にヨトウガかナメクジかなにかが専門的に食っているのだろう。ミカンも特有の臭いがあって、あれを食う虫は少ないと思う。ただ、アゲハが専門的に食う。アゲハさえいなければ、きれいなものだが、いったん見つかるとぼろぼろだ。庭のミカンにいま10匹ほどがたかっている。全部が蛹になるには木が小さすぎる。

スイレン鉢のアサザやスイレンも食害にあってぼろぼろだ。導入するときは、水草なので虫の食害が起きるとは思っていなかった。食っているのは頭の尖ったオンブバッタである。オンブバッタはさまざまな植物を食う。おとなしくイネ科の雑草でも食っていればかわいいものなのに、なぜかスイレンが大好物なのだ。植物だって著しい食害については防衛策が発達するはずだ。しかし、スイレンの葉は湖沼の水に浮いているので、オンブバッタの食害は想定外で食害対策がないのかもしれない。庭のスイレン鉢にはオンブバッタが速やかに到達できる。あわれになるほどぼろぼろだ。


2005.09.25 強風の落とし物

オンブバッタ

台風は神奈川に接近せずに太平洋を北東の方に向かっている。それで雨にはならなかった。北風は極めて強い。山はやめて境川にでかけることにした。湘南の方に向かって南進すると全く風を受けない。するするとスピードをあげて時速35km にしてもまだ前から風が来ない。そのかわり、建物の関係でまわった風が横からくるとおもいっきりハンドルを取られて恐ろしい。

藤沢まで行って、帰りは風を避けようとしみったれたことを思いついた。境川の右岸にある丘は林と宅地で、道路の風当たりが弱そうだ。その予想はあたっていたのだけれど、かなりなアップダウンが続く。たまたま登りのときに風を受けるともういけない。あきらめて堤防に戻ることにする。とちゅう、この辺では珍しいアサギマダラを見つけた。丹沢の山あいではふつうに見かけるものの平地で見た覚えはない。台風の強い風の影響か。逃げ腰な行動でもそれなりに良いことが起きる場合もある。

いま、ナカガワにはスコットのへんちくりんな形状のハンドルバーがついている。グレッグレモンがツールドフランスに持ち込んだやつだ。彼がそのハンドルバーで勝てばもっと売れたのだろうが、惨敗したためそれほどはやらなかった。いかにもアメリカ製らしく、作りの甘さは腹立たしいほどだが、使った感じは実は悪くない。今日のような強い向かい風にはちょっとだけ効果もあるようだ。

帰宅してから庭を観察する。気温が低く風が強いせいか蚊が寄ってこない。オンブバッタは相変わらずスイレンにたかっている。メダカも順調に子どもを増やしている。草陰にヒョウモンチョウが止まっているのが目に入った。いかにも風を避けて休んでいる感じだ。今年はこのあたりでもよく見かけるツマグロヒョウモンのメスで、庭では記念すべき初記録になる。一度飛び立ったが風に煽られ落ちるようにまた止まった。


2005.09.26 青春について1

最初にアサギマダラを見たのは高校生のときだ。その美しさはあっけにとられるほどだった。ほの暗い杉檜の森にあってその青白い蝶は光を放っているように、後翅の赤は燃えるように見えた。すぐにアサギマダラだとわかったのでその存在は図鑑などで間接的に知っていたはずだ。ただし、どんな図鑑も写真もその蝶の美しさをあらわしきっていないと思った。

そのころ、山登りに熱中しており四国の山々を歩き回っていた。特に夏休みは必ず4〜5日を石鎚山で過ごしていた。石鎚山系の稜線にはアサギマダラが多い。石鎚は標高は2000mに満たないのだけど、尾根筋には森が発達せず笹が優先する草っぱらになっている。その山腹を吹き上がってくる風に乗って遊ぶかのようにふわふわと舞い、花の蜜を吸っていた。真っ青な夏空を背負うとあの透き通る翅の美しさ、すがすがしさは絶品だ。私はもう蝶の採集はやめており、網を振ってアサギマダラを捕まえようとは思わなかった。脂ぎった欲はなく、山に入って出逢えればよし、であえなくてもまたよし、そういう間柄だった。


2005.09.28 青春について2

もちろんチョウだけでなく、面白いものにたくさん出会う。頂にいる自分の影が霧に写ってそのまわりに虹が出るブロッケン現象であるとか、夕立に伴う巨大な雹、雲海、降るような星空。テントで寝付かれぬ夜を過ごしていると、風もないのになぜか山じゅうがごうごうと鳴っていたりする。そもそも、山に登ると山の多さがうれしかった。向こうにも山、こっちにも山、あっちにも山、世界が無限の広がりをもつことを素直に信じることが出来た。

そうした縦横無限の世界に飛び込んで行けることを素直に確信していた。どこに行ってもいつまでも、無数の楽しみが私を待っていることを疑わなかった。その世界で生きる自分の心も体もまた、鍛えようによって無限に強く賢くなると信じていた。石鎚の天狗岩のそそり立つ岸壁にめまいを覚えつつも、岩登りの技術をマスターし訓練を積めば登れないはずはなかった。60kgの荷物を背負い1日10時間歩き、鳥も虫も草木も全ての名前を知っているスマートでスーパーな山男にだってなれるはずと信じていた。


2005.10.01 青春について3

その当時、アサギマダラが渡るチョウだということはあまり知られていなかった。少なくとも私は知らなかった。近年では日本中のマニアが参加している標識調査もあって、その移動の様子がずいぶん詳しく調べられている。台湾から本州にかけ、一夏で南から北、そして南へと渡って行くらしい。昆虫で大規模な季節移動をするものは多くない。

ウスバキトンボは渡るトンボとして知られているけれども、アサギマダラの渡りとはずいぶん意味が違う。それは魚でいう死滅回遊にあたるもので、夏には北海道から樺太にまで至るけれども、行った先で全部死んでしまう。もともと熱帯のトンボで、北海道はおろか本州九州の成虫、幼虫、卵ですら冬には死ぬらしいのだ。ウスバキトンボは北半球が夏になると北にも分布を広げ、冬になると熱帯から亜熱帯に分布を狭める虫だ。それに対して、アサギマダラは夏には沖縄からいなくなり秋に戻ってくるというから、まさしく日本列島を渡り歩いているのだ。

ウスバキトンボにしてもアサギマダラにしても、私は大移動をする生き物に青春の息吹を感じる。より遠くへ、より広く、新世界を求める姿は種としての若さのあらわれのような気がしている。


2005.10.02 青春について4

グアムで船に乗って沖に出たときに、頻繁に黒いチョウを見た。どうやらマルバネルリマダラらしい。船は岸から5キロも10キロも沖で、チョウの飛ぶ速度では島に戻るのに1時間はかかりそうだ。チョウの飛ぶ様子を見るに、慌てたそぶりはない。疲れているようすもなく、悠然としたものだ。どうやら、風に吹き飛ばされて誤って沖に出たものではなく、普通にちょっと遠出をしてみたという案配だ。

その海が瀬戸内海であればどっちに飛んでもすぐに陸地がある。しかし、グアムは絶海の孤島だ。サイパンまでも何百キロもあるだろう。チョウがちょっと出かけて行くには遠すぎる。すくなくもと、グアムの沖をうろうろしているマルバネルリマダラにはたどり着く当てがあるはずもない。それでも、水平線に向かって飛び出して行く心境はどんなものなんだろう。


2005.10.03 秋の健康診断

秋の健康診断を受けて来た。あれはなかなか楽しいものだ。最近は針のなめらかさがあがっているのか、血を抜かれるときの太い注射針があまり痛くない。昔はけっこう痛くて内出血のあざもできていたはずだ。針というよりも看護士の技術の問題なのだろうか。また、おねえさん看護士の問診に毎度つまらぬギャグをとばして苦笑を誘うのもお約束といっていい。成人病の心配がない中年オヤジの特権だ。

血液とか心電図とかレントゲンとか胃部内視鏡だとかはあとにならないとわからないけれども、すぐに結果のわかるものもある。まず、老眼。視力は近距離はすでに0.1になっている。一番大きいのがかろうじて見える程度だ。逆に遠い方は1.5ある。一番小さいのが楽々見える。もう一段あったら2.0になるかもしれない。このギャップはなかなかすごいと思う。

耳はますます聞こえなくなっている。左の1キロヘルツは壊滅的だ。ふだんは耳に不自由を感じないので、その帯域だけがダメになっているらしい。耳だって確実に歳をとっている。体重は春のときよりも3キロ落ちて、57kgだった。ぱらぱらと過去の記録をみると、一番重いときが64kgだった。それだけ体脂肪を落としたのだ。以前、59kgぐらいだったときに体脂肪は9%だったから、それぐらいになっているだろう。

世の中には、ウエイトコントロールでいろいろ悲喜劇が起きているようだけれど、何を騒ぐのか理解できない。自転車で峠を速く走りたければ脂肪はじゃまなので落とすのが良い。あまり食わずに運動すれば脂肪は落ちる。3食を8割ぐらいにして、間食をいっさいやめればよい。そして週に10時間ほど距離にして200キロ程度、自転車に乗っておれば、それだけですぐに痩せる。なんの苦労もない。

逆に、たくさん食えば太ることもできる。一時期、コンビニでロッテガーナの復刻がでたのをきっかけに、チョコレートを毎日一枚ずつ買って食べていた。それほどチョコレートが好きなわけではない。ただ、「毎晩10時ごろにチョコレートを1枚だけ買って行く、奇妙なオヤジ」の存在はけっこう面白いかな?と、自分に酔っていたのだ。さすがに半年もそういうことをやっていると下腹部に皮下脂肪がたまる「ぷるぷる」という状態になり、自転車で前傾をとると腹が苦しかった。それでも半原越のトライアル以前は「まいいか」と放置していた。

禁酒禁煙なんかもそうだけど、自分を律することで苦労するという人の気が知れない。やめたいならやめる、やりたいならやる。たかだか習慣の変更程度のことに能力の壁、社会の軋轢があるわけでもなし、自分で決めて自分で動くだけで済むことではないか。


2005.10.04 青春について5

私にも青春という時代があったとすれば、アサギマダラに最初にあったあの頃にちがいない。宇宙は無限で、個々別々の事象がどれもこれも面白く興味深かった。もし、あの頃にアサギマダラが旅するチョウだと知ったならば、きっと自分の手でそれを確かめてやろうとしただろう。プロジェクトに参加して、チョウを捕まえ翅にマークをつけて飛ばしていたかもしれない。そのときの興味はただ単に、あのきれいなチョウがどこからきてどこへ行くのかその事実を解明することに向けられたことだろう。今ではそうはいかない。

精神が老いるということを認めるならば、それは分別臭くなることに相違あるまい。私は分別ある大人であると同時に分別臭い中年である。もちろん、今でもアサギマダラの移動ルートに興味がある。また、今年はやけに多いツマグロヒョウモンの、その多いわけを知りたいと思う。そうした好奇心は青年のままだが、どうもいろいろ余計な知恵がつき過ぎて分別臭い考え方しかできなくなっている。いつの間にかそうなっている自分にふと気づいている。

ツマグロヒョウモンであれば東日本での越冬方法は確立しておらず、冬を越せずに死滅してしまうと考えられている。寒さや乾燥が厳しい日本の北部の冬を乗り切るためには、それなりの工夫がいる。卵であっても幼虫であっても、蛹であっても、成虫であってもかまわない。じっさい、各種のチョウが思い思いのステージで越冬している。ただ、冬の乗り切りかたは種ごとに決まっており、特定のステージで「これは」という技を持つ必要はあるようだ。チョウにとって日本の冬はなんとなく漫然と乗り切れるほど甘くはないのだ。ツマグロヒョウモンはウスバキトンボに似て、暖かいときには後先考えずに南風に乗って北へ北へと突っ走ってしまうチョウなのだろう。それはそれで一つの戦略だと分別する。


2005.10.08 青春について6

アサギマダラはウスバキトンボやツマグロヒョウモンとは事情がちがう。夏には沖縄からいなくなり、秋には本州から南下するというのだから、ハクチョウやカモのように本当に渡りをするのだ。そうなると、その意味はぜんぜん違う。単に暖かさをよいことに、フロンティアスピリットのまま北を目指しているわけではないのだ。

チョウがそのての渡りをすることは極めて謎が深い。どういう動機で何を頼りに渡るのか、どうやっても知りたくなる。動機はフロンティアスピリットとよんでいいかもしれない。では、何を頼りにしているのか。食べ物ではないだろう。気温でもないだろう。

南北1000km レベルの移動であるから、なにか天文学的なものが想定されなければならない。私はそれを太陽の高度であろうと仮説する。アサギマダラは太陽の南中高度が60°のときが気持ちよくすごせ、高くても低くても気持ち悪いので太陽の南中高度が60°になる場所を求めて移動を続けるのだ。


2005.10.09 青春について7

というように何でも説明をつけてわかったような気になることが分別というものだ。ツマグロヒョウモンとアサギマダラをタイプ分けして、一方をトンボと同類にし、一方をカモと同類にする。そして、アサギマダラの行動の指針となる事象を太陽から持ってくる。分類上の位置をはっきりさせること、原因結果を明らかにすること、その分別の手続きによって私は快感を得て、アサギマダラのことを多少なりとも理解したと思い込むことができる。

私はすでに自分なりの自然観を持っている。その自然観にあてはめて理解できない現象はないと思っている。本当はけっしてそのようなものではなく、何も理解なんぞできていないのだが、狭い宇宙に無理矢理押し込め分別つければ現象は理解できるようになる。不十分な理解に留まらざるを得ない場合、それはデータが不足しているか、あるいは私が既知の法則をうまく使えないからで、すでに慣れ親しんでいる手続きによって私の自然観のなかで何でも理解が可能だと思っている。もっと正確にいうならば、分かった気になることができるはずだ。

青春時代はあえてわかろうとはしなかった。未知の事象に会うことだけで喜びを得た。この宇宙は私の目前に無限の広がりを持って、不思議で奇妙な事象を無数に提供していた。しかし、気象や生物や物理化学を学び、自分なりの自然観を身につけるにつれて、しだいに何でも説明をつけられるようになってしまった。たびたび自分の自然観でうまく説明がつけられることで、その考え方が揺るぎないものであるという確信をもった。そして、その狭苦しい自然観に何もかにも当てはめ、どうにも説明のつきそうもないことについては、誤りか無関係かで処理をすることとなった。

ひとたび、正しい考えを持ったならば、それに逆らう考え方はできなくなるものだ。しかも、その考え方が科学とよばれるような普遍妥当性に裏付けられているものならなおさらだ。私は全ての現象を自動的にその考え方で説明づけてしまう。このようにして私の青春は終わり、分別臭い一個のオヤジができあがった。じっさいには科学の法則は自然界をつじつま合うように説明づけるものでしかない。だから、科学法則は新奇の現象を導くことができない。新発見が新しい法則を作るのだ。アサギマダラを知ろうと思えば、なるべくたくさん捕まえ、地図により多くの記録をつけるにしくはない。科学の自然観は狭苦しく息苦しいものであるけれども、それを少しでも広げるのは、分別臭く法則の整備をするオヤジではなく、果敢に新天地に向かう青春の力だ。


2005.10.10 乳房雲

乳房雲

ついに、ついにと言ってよいだろう。私はついに乳房雲と確信できる雲を見た。10月8日土曜日の午後2時頃のことだ。寒冷前線が近づいており朝から妙に生暖かい風が強く吹いていた。雨は夕方からになりそうなので、女房といっしょに自転車に乗って境川に行った。走りはじめて空をみるとやけにいい雲が出ている。あわてて引き返してカメラを持って来た。

境川に出てすぐに乳房雲に気づいた。北の方、町田の上空あたりの層積雲の雲底が少しずつ丸くなっている。その丸みはみるみるうちに大きく成長し、まさしく乳房雲の形をとりはじめた。写真に撮った一角ではつぎつぎに乳房雲が生まれてくる。ただ、その寿命は極めて短かった。空いっぱいというわけにはいかなくて、よっぽどの乳房雲ファンでなければ気づかない程度のものだ。一つの乳房は丸い形を留めているのはほんの数分で、黒い筋の雨脚となって消滅する。乳房雲が見られたのは20分程度の短い間だった。

8日は寒冷前線の影響で不気味で珍しい雲が目白押しだった。丹沢の上には吊るし雲が5、6層にもなっている。いわゆる地震雲も見た。竜巻型とよばれるもので、普通は飛行機雲の見誤りだと思うけれども、私が見たのはどうにも飛行機雲らしくない。4000mほどの高空で縦に伸びている高積雲の塊で、目算では幅200m、高さ500mといったところだ。西に傾きかけた太陽をあびて白く光っている。ハノイの塔の積み重ねのように下の方が太い。水平の飛行機雲も錯覚で垂直に立っているように見えるけれども、その場合は上の方が太く下が細い。少なくとも20分はその形をとどめていた。ああいう形の雲がどうやってできるのか、私には説明がつけられない。地震雲と言われるだけのことはある不思議な雲だ。


2005.10.16 関東地方の地震

今日、16時過ぎに関東地方で地震があった。ちょうどそのころ、川崎でプラネタリウムを見たあと、その近所の丘に登ってコケを観察していた。私は全く揺れを感じず、女房子どもも同じだった。帰りの電車の遅れのアナウンスで地震があったことを知った。

この地震は8日に地震雲を見ているからちょっと特別だ。その地震雲は直前・直下型を示す「竜巻型」だったので、数日のうちに関東地方で大地震が起きるはずだった。ちょうど満月になりつつあるので今日明日は要注意日にもあたる。ただし、方角は正反対だ。あの雲は富士山の方向を指していた。パキスタンの地震と富士山の東に出た雲がなんらかの関係があるというのはいうまでもなく無茶だ。

私は地震雲と地震は無関係だと思っている。両者は無関係との確信はありつつも、関係があるのならばたいへん面白いので、注意している。ただ地震雲を専門的に研究しているという人の解説をみても、地震と雲の関係が説明できているとは思えない。地震雲に関して市販されている書物は、いずれも玉石混淆で受け止めようがない。岩石の破壊に伴う波長の長い光が奇妙な形の雲を作る原因だという説明が多いが、本当なのだろうか。単にビビッドな発見に乗っているだけのような気がする。イオン、あるいはプラズマのような電子的なものと雲との関連もさっぱりだ。


2005.10.22 秋の不調

秋はどうにも体の調子がよくない。昔からそうだが近年どんどん悪くなっている。庭に置いてあるスイレン鉢に藻や水草がはびこり過ぎているので、前屈みになって抜いた。3分ほどの作業だったろう。腰を伸ばして歩こうとすると膝が笑ってうまく歩けない。どうにも調子がよくない。

体の調子もわるければ頭の調子もよくない。自転車の靴の部品用のネジをインターネットで取り寄せたら、かなり小さかった。よくよく考えて間違いのないようにしたつもりだったが、間違えていた。M4を注文したのだが、M6だったようだ。今度は間違えないようにと、渋谷の東急ハンズまででかけてM4とM6のサイズの違いをよくよく見比べた。M6はちょっと大きい感じはあったけれど、ネジの直径が4ミリなので間違いないだろうと、M6を注文した。

はたして、届いたネジは大きかった。正解はたぶんM5なのだ。これが以前にも同じ用途で同じ店に注文した実績のあるネジなのだからいやになる。これからM5を注文するつもりだけど、それも違っていたらどうしよう。どうもこの秋という季節は調子が悪い。まもなくミノウスバが羽化するころだ。


2005.10.23 秋の境川サイクリング

こんな気持ちのいい日に自転車に乗らないわけにはいかない。チネリを引っ張り出して境川に向かう。さすがに山のほうに行くだけの元気がない。川に出ると思いのほか南風が強かった。収穫が終って捨て置かれている田んぼには、青々とした稲のひこばえが出て穂を実らせている。右手の林からアブラゼミらしい声が聞こえる。小さいので何か人工の音を聞き間違えているかもしれない。確認の必要を感じ、坂を登って近づくことにする。道路脇の歩道に狸が死んでおり悪臭を放っている。この辺の人は狸を轢いても鍋にしようなどとは考えないのだろうか。近づくと、確かにアブラゼミだ。数匹いた。かぼそくとぎれとぎれで、息も絶え絶えの感じだ。セミを聞くのは今年これで最後になるかもしれない。

「秋は東北」というイメージが強い。仙台から山形方面に自転車で1〜2時間も走ると、ずいぶん美しく豊かな風景があったように記憶している。神奈川ではどこまでいってもああいう素敵な風景にあたらない。ただし、あのころは私も若く、稲はさ、干し柿、大根、イナゴ取り、東北の風物が何かと珍しかったから割り引かなければならない。しかも20年以上も前のことだ。

新しく買ったSIDIの靴がものすごくいい。はじめてなのにしっくりくる。クリートを調整できるようにいろいろ工具を持って来たけれども必要なさそうだ。靴を変えればポジションの変更も必要になるはずだったが、それもなくてよさそうだ。このチネリは15年ほど乗っており、乗るポジションが年々変化している。サドルは最初より3センチも高くなった。脚が長くなったわけではなく、回転型つま先乗りスタイルが身についてきたからだ。ハンドルは2センチ下げた。ステムがつかえて下げられず、金ノコで切った。

脚力はないので、がんばって走っても遅いのは今も相変わらずだ。風がないと52×19Tで時速28kmぐらい。回転数で80ぐらいがちょうどいい感じだ。17Tだとちょっと重く、18Tが欲しくなった。帰宅してからスプロケットをいじる。15Tをはずして、18Tをつけて、16、17、18、19、21、23という6段だ。いまどきのロードレーサーは10段だが、私には15T以下は必要ないので、これでも事実上は10段、あるいは11段なみのパフォーマンスをもったギアといえる。こういうギアは10年以上前に製造中止になっており、いまでは中古でも手に入らない。現在の高級車はロードもマウンテンも素人にはオーバースペックのものしかない。


2005.10.29 生き残りを決める快感について

蛾

寒冷前線が近づいており、生暖かい風の吹く朝だった。それでもまさかセミを聞くとは思わなかった。10月の29日のアブラゼミは近年のレコードだ。

写真は蛾で、わが家の壁に止まっている。蛾らしく翅を広げてぴったり張り付いている。壁は汚れており、コケもついてもんもんだ。蛾の翅の濃淡と壁のもんもんはけっこう似ている。いわゆるカムフラージュだ。こうした蛾の類には木の幹のコケや木の葉、枝、枯葉に極めて似ているものがあり、一度見つけても目をそらすと見失うほど巧みなものもいる。

そうしたカムフラージュは一つの難しい問題をはらんでいる。この世界の環境はその色模様も多種多様で、蛾が彼らのカムフラージュを活用できる場所は限られているのに、蛾たちはうまく場所を選んで止まっているようなのだ。食物等の特定の要因がはたらいて、たまたまその場所の色模様が体に似ている場合は、その理由をあげることは難しくない。難しいのは彼らがどこに止まればカムフラージュの効果があるかを知っているかのように振る舞うことができることにある。

蛾が自由に場所を選択し、その場所がわれわれの目にも合理的な場合、蛾も合理的に場所を選んでいると考えることもできる。つまり「ここで休んでおれば安全だ」という判断を蛾ができるという考え方だ。そうかもしれないが、そうでない可能性のほうが高い。というかそこまで蛾が考えるわけがない。

そう断言するからにはもっとマシな理屈が求められよう。私は蛾が休むときに、場所を目で見て判断を下していると信じている。その判断とは合理的なものではなく、あくまで感情的な判断だ。つまり「ここは気持ちがいいから休んでおこう」というやつだ。それだけでもじゅうぶん効果が期待できる。なにも自分の色模様を理解し、止まる場所の隠蔽効果を測って、鳥などの敵からの回避を予測する必要はないのだ。とにかく、夜があけて日中眠ってすごすのに気持ちのよさそうな場所を見つければ、必ずそこが自分の体の模様によく似ているだけでいいのだ。そこに偶然の一致を持ち出す必要もない。

この感情的な判断に基づくカムフラージュの進化は、実験的に実証はできないだろう。蛾がより隠蔽に適する場所を選ぶかどうかを実験で確かめることはできるけれども、その選択に理性か感情かどちらが働いているかを決める方法がない。

ただ、私は自分の気持ちを考えることができる。この世界には、なぜかきれいな女性がいて、きれいな空があり、きれいな花があり、うまい食べ物があり、ここちよい音があり、よい形があり、安心できる臭いがあり、やすらぐ肌触りがある。同類の何か2つのものを比べたときに、どちらがより好ましいかは簡単に決めることができる。その好ましさの理由をあげることは極めて難しい。ヒトですらその理由がわからない感情で重要な判断を下す。蛾たちも「なんでかここがいいんだよなあ」という判断のもとで休息場所を選んでいるとしても不思議じゃない。

蛾たちの気持ちにも、より休息に好ましいパターンの場所が視覚的に存在するならば、そのパターンの中でより目立つものが捕食される。そしてより見つかりにくいもの、つまりより場所のパターンを翅に再現しているものが残り、カムフラージュが発達して行くのだろう。


2005.10.30 弱っている

朝になかなか起きられなかった。体の節々が痛く全身がだるい。頭の芯がぼうっとしている。のども痛い。たぶん風邪をひいたのだ。滅多に風邪なんぞひかないのだけれど、この秋の長雨はこたえた。

今日は日曜で、長女の高校は文化祭をやっている。ちょっとだけ見物に行く。屋台のような店を出し、地元のアマチュアバンドをよび、教室に文化部が展示物を貼りだすという、ありきたりのものだ。それでも女子高生というものが好きなら楽しみもあるだろうけど、そんなものには全く魅力を感じないので、おじさんは退屈だ。

2時すぎに帰宅して庭の草や昆虫を撮影する。ほとんど日課といっていい作業だ。曇っていて暗いとあまりいい写真にならない。接写が多いのでF16以上に絞り込んで、手ぶれのないぎりぎりの1/125までシャッタースピードをあげると、ストロボの当たっている対象はきれいに写るけれども背景まで光が回らず、まるで夜のようになってしまう。多灯にして背景にもストロボを当てる方法もあるが、大げさだ。F5.6ぐらいにして、1/45までシャッタースピードを落とせば曇りの日でも背景が明るくなる。ただし、その条件で接写をすれば必ずぶれている。接写は難しいのが面白いところだ。

だいぶん日が傾いてから、畑に行って稲わら片付けの手伝いをした。稲わらは畑で来年ナスなんかをつくるときの敷き藁にするので保存しておくのだ。乾いているものは山積みにしてビニールシートをかけておく。ここのところの雨で湿っているものは、畑に立てて干すことにした。風邪で体はしんどいのだけれど、土と草の臭いの中で体を動かすといくぶん気分がよくなった。


2005.11.03 11月のアブラゼミ

天井から吊り下げているチネリを下ろして境川に向かう。驚いたことに先月と同じ場所からアブラゼミの声が聞こえて来た。まだ生き残りがいるようだ。その声を確かめるべく坂を登って行く。今日は狸の死体はなかった。撤去されたのだろう。声の主はやはりアブラゼミだと思う。ただし、鳴き方が変だ。前回よりもいっそう弱々しく、アブラゼミらしい歯切れがまったくない。ちょうど夜中に間違って鳴きはじめたような、あんな感じだ。何か未知の昆虫がどこからか迷い込んで来たのではないかとすら勘ぐった。しかし、歌の終わりのほうのジリジリィ〜という所はまさしくアブラゼミだ。今日はけっこう長い間観察したけれども、聞こえたのは一匹だけだった。昆虫のオスは一般的に交尾をしなければ長生きする。あいつは生まれたときにはすでに恋人たちが死に絶えた後だったのかもしれない。

思いのほか快調だ。南からの弱い向かい風の中を時速30kmですいすい走る。52×18Tが正解だ。重いけれどもしっくりくるリーガルのサドルがいい。ただし、リーガルを使うならばシートピラーも変更しなければならない。機能ではなくデザイン上の問題だ。カンパニョーロのCレコードを抜いて、ミケにした。Cレコードとリーガルのとりあわせは横からのシルエットの悪さが我慢できない。誰にどう見せるというものではないけれど、美しくないと感じているチネリに乗る自分が許せない。

境川はいまセイタカアワダチソウが花盛りだ。境川の岸に咲くセイタカアワダチソウは背の低いものが多く、花も小ぶりだ。ススキや荻を圧倒する迫力はなく、こじんまりと草むらの中に収まっている。盛夏に必ず草刈りが入るので大きくなれないのだろう。土地が安定して適度に人手が加わればセイタカアワダチソウだってそうそうはびこることはできないようだ。


2005.11.05 人間とは何か。私とは何か。

きわめて穏やかな日だった。庭ではさかんにクロナガアリが草の種を集めている。そのアリを見つけたのは次男で、草の種をアリが集めるのは奇妙だと感じたらしく、何をしているのかと聞いてきた。なかなかの観察眼だ。

今日もチネリに乗って境川にでると、アブラゼミの声がする。3日に耳にしたのとは別の場所で、両者は数キロ離れている。牛のいる農家の敷地の大きなケヤキの木に止まっているようだ。近づいても姿は見えない。そのかわり声は明瞭だった。まがうことなくアブラゼミの独唱である。その力強さは気温が高いせいだろうか。短パン半袖で出てきたが、自転車を走らせて体に当たる風も暖かく、力を入れるとすぐに汗ばむ。

そもそも人間の生きる目的目標理由は「それは何であるか」という問いへの答を見つけることにある。それ以外は何もないと断言して良い。とりわけ「人間とは何か」というのは重要な問いだ。そろそろ人間のことを考える人たち、とりわけ哲学者はアリやアブラゼミやセイタカアワダチソウのことを真剣に相手にするときがきている。

「円とは何であるか」という問いに円を構成する点と線だけを相手にしても十分な答えはでない。やはり、円の外に出て直線や放物線や三角や四角を見ないと円が分からない。人間も、人間や社会や世界を見ているだけでは、そもそも人間とは何かという問いに答えることができない。紀元前にソクラテスが発明した「汝自身を知れ」という命令を遂行するには、アリを見てヒトを見て自分を見るしか方法がない。アリを見ずに人間を見ていると、いずれ堂々巡りに終始するか、民族か国家か社会か、そのような偶発的な線引きに依拠した比較対照でしか考えることができない。


2005.11.06 ハードディスクの復活

朝から曇って寒かった。庭に出てもほとんど虫が動いていない。カナヘビも姿を見せなくなった。スイレン鉢に餌をまいてもメダカがすぐには寄ってこなくなった。昨日のクロナガアリはどうしているかと巣口のあたりをさがしても一匹の働きアリも見つからなかった。アリはヒメアリのようなものとクロヤマアリらしい大きいやつが少し目につく程度だ。雨が落ちてくると、どのみちクロナガアリは仕事にならないので、察知して巣から出てこないのかもしれない。注意深く花や葉を探すと小型のクモがいた。今日の発見はカタバミの葉は、その切れ込んだ先端のところに蒸発分の水滴がつくということぐらいか。

午後からは雨が本格的に降り出して、久しぶりに部屋の片付けをした。特にパソコン関係。焼いたCDは段ボールにつめて.....と始めたものの何を焼いて何を焼いていないのか、整理ができていないのではかどらない。もう使わないはずの古いCDロムとMOも段ボールに入れて片付ける。たぶんMOなんか、ドライブごとまとめて捨ててしまっても問題ないと思うのだが、どうも貧乏性でいけない。棚から折り畳んだ国土地理院の地図が出てきた。こういうとき、昔の山行のことを思い出して整理が滞った、というようなことを本で読んだような気がする。串田孫一さんだったろうか。そういう風流な真似はいまはできない。いつか自然にできるようになりたいとは思う。

いろいろがさごそやっていたら、壊れたハードディスクが出てきた。PowerBookG4に以前内蔵していた20GBのものだ。データの移し替えに失敗したときに壊したらしく、どうやっても読み出しも初期化もできなくなっていた。そもまま3か月、引き出しに放り込んでおいたものだ。そろそろ捨てようと、何となく最後の運試しつもりで、USBの外付けケースに入れてつないでみた。そもそもこのケースのせいで壊れたような気もするので、こちらもずっと使っていなかったものだ。

なにやらスムーズな回転音がして、アイコンがデスクトップに現れた。以前はアイコンがでるまで1分ぐらいかかり、それが開けなかったのだ。おそるおそるダブルクリックすると何の問題もなく開く。失って痛かったファイルをまっさきにコピーする。何の問題もなく普通にコピーできる。結局、壊れてなかったようだ。とりあえず、内蔵してある10GBのと入れ替えて使ってみることにした。


2005.11.08 蛹

ツマグロヒョウモン

わが家の壁のツマグロヒョウモンらしき蛹だ。体が黒くて、銀光りする鋭い突起が背中に並んでいる。さしづめパンクか、ハードゲイのような格好だ。さてこいつをどうしてやろうかと思案している所だ。こいつが張り付いて2週間が過ぎた。ツマグロヒョウモンはこれから羽化してくる個体もあるはずだから、放っておいてもいいだろう。かといって放っておかなくてもよくて、室内に持ち込んで出てくる蝶の種類を確かめるのもよいだろう。

今年は東日本でツマグロヒョウモンが多かったはずだ。各地の虫好きたちのホームページにツマグロヒョウモンがよく登場している。ツマグロヒョウモンは多い年、少ない年の変動が大きく、その原因がよくわからない。30年ぐらい前の図鑑を見ると、東北地方ではまれだとあるから、今のように青森でも年によってはたくさん見られるということはなかったのだろう。日本列島のこの数十年の暖冬傾向で、越冬可能ラインが北上していることも考えられる。ただし、わが家あたりではツマグロヒョウモンはまだ越冬できないはずだ。

このあたりは十分寒くて、庭のスイレン鉢は冬期に20日ほどは凍結している。屋外に放ってあるアロエも冷害で半分枯れかかる。蝶だって越冬するにはそれなりの工夫があり、かならず蛹で冬を越すアゲハは氷点下10℃ぐらいでも体が凍らないようにできているらしい。また、氷点下20℃、30℃になる所にいるエゾシロチョウは簡単に凍ってしまって、暖かくなって体が融けると復活するというすさまじい仕組みを有しているという。ツマグロヒョウモンはそういう技がないので、わが家のこいつは冬が来れば凍え死ぬしかない。

ということを考えれば、この蛹は煮て食おうが焼いて食おうが好きにしてかまわないというもんだ。


2005.11.09 ゴキブリにびびる

昨夜12時ごろ、いつものように書斎の椅子に座ろうとすると、カメラやパソコンを置いてある目の前の棚からぱさぱさと飛び立つものがある。そいつは一直線に私の顔をめがけて飛んできた。反射的によけたが、そいつはふうっと右耳をかすめて背の本棚に止まった。飛びかかられたときは正体が分からなかったけれど、その時点では見なくても何者かの見当はついていた。カメムシにしては羽音が低くピッチが遅い。ゴキブリだ。

私は反射的に机の上にあったドライバー(ゴルフクラブではない)をぐっとつかんで、バックハンドで横殴りに思い切りはたいた。ゴキブリはダメージを受け、床に落ちてくるくる回っている。

普段はとっても虫にやさしい人間で、それはゴキブリ、蠅、蛾、クモ、ヤスデのたぐいでも例外ではない。室内に迷い込んでしまったものはやさしくつまみ出してやることにしている。しかし、虫けらの命を奪うことにためらいはない。殺すこと自体は愉快ではないので殺虫剤なんてものは絶対に使わない。殺してたのしい場合、たのしい方法で殺す。

虫はいちいち憐れむような相手ではない。かれらの大半は他の生き物に殺されて死ぬことが運命づけられている。その命は食ったものに引き継がれる。私はいまはイナゴぐらいしか食っていないから、虫は肉体的な糧ではなく精神的な栄養だ。トカゲとか魚とか虫を飼っていると、生き物を与えるのが手っ取り早いことが多い。また、殺して手に取ったり分解しなければ分からないことも多い。そうした興味本位で命を奪われることを、やつらは当然だと思っているはずだ。

今回、ゴキブリを叩いたのは、単なる腹立ちまぎれだ。ゴキブリ程度の相手にほんのちょっとでもギクッとさせられたのが悔しかったからだ。うしろから子どもにぶつかってこられてびくつく田舎のあんちゃん、不良みたいなもんだ。ゴキブリはすぐに正気を取り戻し、かさこそと歩きはじめた。その様子をみるうちにこちらも平静を取り戻し、つまみ上げて窓から外に放った。


2005.11.13 美しいカラムシ

ヤブマオ

土曜日は午後から天気がよくなったので、津久井にでかけてきた。女房と二人で田舎道を歩いていると、やけに雑草がきれいなことにきづいた。もう11月も半ばで、草木の葉は一夏の役割を終えて落葉の季節を迎えている。枯れはじめている草の色合いもよいものだ。しかし、きれいだと思ったのは色づいた葉ではなく、緑のものだ。写真はカラムシで、新鮮で柔らかそうな葉をたくさんつけている。

葉が展開しはじめる初夏には、カラムシでもそれなりにきれいだが、夏が来るといろいろな虫に食われ、ほこりをかぶって勢いがとぎれ、瑞々しさは失われる。ましてやこの季節には見るも哀れな姿になっているものと思いこんでいた。それが津久井のその道ばたではみょうに草がきれいだ。カラムシだけでなく、チドメグサの緑も鮮やかで、ミズヒキやイヌタデの赤が際立っている。

この土地のせいなのか、澄んだ空気と太陽光線のいたずらなのか。雑草の美しさはわからぬものだ。


2005.11.19 オリンパスのE-500を買って

女房用にオリンパスのE-500というデジタルカメラを買って、さっそく相模川の河原に出かけて行った。今日は、巻雲が多い日で、日光は柔らかくさしている。小さな花や蝶を撮るにはとても良い光だ。風はやや冷たいが撮影にならないほどは強くはない。河原にはアメリカセンダングサや、カタバミ、荻、ススキなんかが咲いている。セイタカアワダチソウは花が終って穂をつけていた。

肝心のE-500のできだが、よいと言えなかった。ふる〜い私のS1-Proのほうが断然勝っているような気がする。ただし、それは安いレンズのせいだと思う。それなりのレンズをつければきっとよく写るにちがいない。そもそも私がE-500を買ったのは、海野さん新開さんなど尊敬する写真家が口をそろえて絶賛しているからだ。レンズの焦点リングの回転の左右を反転できたり、ファインダーの絞り確認機能が設定できたり、内蔵スロトボをマニュアルにできたり、使い込めばいいカメラになるにちがいない。店頭でファインダーをのぞいて「狭いな」と感じてかなり躊躇はしたけれど、少なくとも、空や川を撮っていてありえない色が出ているようなことはなかった。それにしても、いまだに最新型にひけをとらないS1-Proとフィルム用タムロンレンズは大したものだ。

撮影会を終えて、携帯電話を買う必要があったので相模大野にでかけた。電話を注文して受けとるまでに30分ほど時間があったので、自転車屋をのぞいてきた。私はほとんど自転車屋に行かない。メンテは自分ででき、部品の調達はインターネットでできる。それでもたまには出かけて行って、実際にサドルやハンドルを触っておくと、ウェブではわからないところも確認できる。

自転車屋に行って驚いたのは、ロードレーサーがどいつもこいつもかっこ悪いことだ。50万ぐらいするやつでも、ぜんぜん欲しくならない。どうにも無骨でよろしくない。ロードレーサーはもはや勝つための道具で、楽しく走るためのものではなくなっている。もともとそうなんだろうけど、私のもっているチネリやナカガワは、ピュアなレーサーでありながら職人の美意識を明白に感じることができるのだ。


2005.11.20 冬の臭い

ずいぶん寒い日が続いている。わが家のささやかな庭は日の差す時間が短く、気温が上がらない。吹く風もいわゆる木枯らしっぽく、冬の臭いがする。昨日今日と虫の活動もにぶい。木の枝に面白い形のカイガラムシを見つけた。インターネットで検索して見つけた「福光村・昆虫記」によると、イセリアカイガラムシらしい。子どもがバナナ虫とよんでいるツマグロオオヨコバイはアジサイの葉の陰に隠れるようにしてじっとしている。秋でも日が当たり暖かい日はぶんぶん飛び回っている。

使ってみてわかるのは、E-500は狭いファインダーも苦にならないほど初心者によくできたカメラだということだ。露出、ホワイトバランスなど全自動で対応してくれ、壊滅的に変な写真になることはまずない。暗い所では自動的に感度もあげる。もちろんオートフォーカスも早い。今日は何でもかんでもカメラおまかせで何十枚か撮ってみた。すると、中に明らかにぶれたりぼけていたりする写真が混じっていた。

どうも、カメラまかせでは初心者が失敗してしまう条件があるようだ。まず「ぶれ」については被写体ぶれ、手ぶれがある。望遠系で撮る場合、ズームで100ミリ相当にすれば100分の1秒以下でシャッターを切らなければきつい。もし、写すべき相手が「明るいけれども揺れている」ことを認識して自動的に感度を上げる機構が働けば、ぶれも防げるかもしれないが、そこまではさすがのE-500も面倒をみてくれないようだ。これはファインダーの中にあるシャッタースピードの表示を注意して見ておればよい。

また、E-500は動く被写体にオートフォーカスが追従しつつ、マニュアルでもピント合わせができるモードがある。動き回る子どもなんかを撮るのには大変便利だ。ただ、シャッター半押しでもその機構が生きていることに気づかなかった。ピントを決めてから半押しで画角を変える癖がついているので、画角を変えたとたんにピントを外すことになっていたのだ。こちらはオートフォーカスが動く被写体に追従しないモードに設定を変えればよい。


2005.11.23 バッテリーチェッカー

私はかなりケチである。いろいろな物を捨てられない。無駄使いということができない。100億円使って101億円儲けるようなことは大嫌いで、100円使って200円儲けるほうがずっと楽しい。

こういう私がけちくささの本領を発揮するのはなんといっても乾電池だ。こどものころ、乾電池はかなり高価で貴重なものだった。懐中電灯もいろいろなおもちゃも乾電池がなくなるとぜんぜん使いものにならない。しかもその乾電池がすぐなくなるのだ。なくなり方がまたよくない。重量が減るわけでもなく、色が変わるわけでもなく、何がどうなるわけでもなく、全く使えなくなるのだ。私はそのことがずっと解せなかった。

いまだにそのもやもやは引きずっている。ただし、今では単一〜単五まで高性能な充電式電池が登場している。使い捨てタイプの物は精神衛生上よろしくないので、もっぱら充電式を使っている。一般に充電式の物は500回充電できると書いてある。私は2〜3週間に1度のペースで充電しながら電池を使っている。そうすると、2週×500÷50=20という計算なら20年も使えることになる。ところが、1年ぐらい使った物は持ちが悪くなっている。だんだんへたりが来ているのだが、それを捨てるタイミングがない。なにしろケチである。へたするとデジカメで10枚ぐらいしかとれない電池でも使い続けそうだ。デジカメは無理でもラジオなら? 体重計なら? 温度計、時計はどうだ? という具合に悩みは尽きない。

少しでも電池の苦悩から解放されるのならと、バッテリーチェッカーなるものを買ってきた。電池を挟むと、欽ちゃんの仮装大賞のような液晶のグラフが伸びて、イエローゾーンを越えグリーンゾーンに入ったら合格だ。フル充電した直後でイエローならダメ、などと充電式電池を捨てる踏ん切りをつけるのに役に立つかもしれない。


2005.11.26 日没のころ

暗くなるのが一年で一番早い季節をむかえている。午後2時ぐらいからもう夕方っぽい。どうにもこのころは気がせいてしまう。自転車に乗っていてもなにかせかされているようで、ついつい速く走りすぎてしまう。

もとから晩秋が苦手だったわけではない。そもそも日が暮れるのが早くなることをいつ知ったのか。もう30年以上も前のことにちがいない。子どもの頃、外で遊べる時間が短くなっていることに気づいたのが始まりだろう。ただし、そのことを実感する前に知識として冬になると日が短くなることは知っていた。そのころは日の短さに気づいても平気だった。太陽の運行と、時間の進行と私自身は無関係だった。日が短かろうが長かろうが、明日がきて来年がきて、無限に未来は続いていた。

いまや、私の人生は明白に落日をむかえている。あとどれだけ生きられるのか、何度自転車に乗れるのか。そういう些細なことにまで計算がはたらき、気ばかりがせいて、日没にまで追い立てられる。


2005.11.27 湘南海岸

一日よい天気で風もなく暖かかった。まさに小春という日だ。境川に向かって走りはじめて、小さな丘の畑の小道を通っていると、山に行くべきだった、と悔やまれた。イチョウの葉がとても黄色くなってきれいだったからだ。神奈川の平野部では11月のおわりになって木々の紅葉は一気に進みはじめている。ケヤキの茶色、エノキの黄色。モクレンは毎年ぱっと色づきぱっと落ちる。

染井吉野の紅葉が意外とすてきだ。派手ではないけれど、緑から黄色、茶、赤、ワインレッドまで、ありとあらゆる紅葉の色がバランスよくミックスされている。都市の煙霧を通り抜けてきた黄色い夕日にその色がよく映える。

ちょっと脚を伸ばして湘南海岸にいった。11月の終わりとはいえ、あの海岸は海水浴客でごったがえしている。真夏の人出とかわりない。もちろん、ビーチバレーやひなたぼっこをしている人はいない。ほとんどはサーフィンの板に乗って泳いでいる若者だ。湘南といえばすぐに歌が出てくる。いうまでもなく「湘南アフタヌーン」なのだが、どうにもあの歌のニュアンスと実際の湘南海岸はイメージが違いすぎる。歌のイメージにぴったりなのは津軽や能登だ。大学生の頃、あの歌のせいで湘南はひなびた漁師町だと思っていた。


2005.12.1 しろばんば

津久井にいったとき、二人の小学生がしきりに宙を手でかいて何かを捕まえようとしていた。私の目にはかれらの捕まえようとしている相手は見えなかったが、何を捕まえようとしているのかはすぐに分かった。ワタアブラムシだ。この季節、小春の風のない陽気のときに、純白の小さな綿粒のような物が飛び交っている。それは白というよりも青白く光を放っているようにすらみえる。ふわりふわりと風に漂うように、しかし、確かな意思をもってそいつは飛んでいる。ふつう、そういうものを見つけたら子どもだったら捕まえようとするものだ。

井上靖のしろばんばというのもおそらくワタアブラムシのことだ。私は中学生のときにその小説を読んだ。しかし、なにがしろばんばなのかわからなかった。当時は、しろばんばとはカゲロウの亜成虫だと思っていた。夏の川辺は夕暮れ時になるとおびただしい数のカゲロウが舞い、私たちはちょうど小説のように、そいつを追いかけて遊んでいたからだ。しろばんばがアブラムシの一種だと聞かされても納得できなかった。私が生まれた八幡浜市にはワタアブラムシが少ないのかもしれず、あの白いやつを見てなかったからだ。しろばんばがワタアブラムシになったのは、それから20年後、札幌で雪虫とよばれているトドノネオオワタムシを見てからだ。

神奈川でも東京でもワタアブラムシは普通に見かける。ただし、それを捕まえようとする子どもはついぞ見たことがなかった。都会でも田舎でも、子どもはもうああいうものに興味を示さないのだろうと思い込んでいたから、津久井でワタアブラムシを追いかける子どもを見つけ、なんだか妙にうれしかった。


2005.12.3 ワタアブラムシの謎

ワタアブラムシは極めて奇妙な生活史を持っている。実は、私はかつてワタアブラムシの専門家から手取り足取りその生態を教わっている。内外の論文もずいぶん読んだ。それでも、きちんとその生活サイクルを認識できているという自信はない。体の入れ子構造も奇妙だが、住まいとする植物を完全に変えるのも奇妙だ。しかも、その植物2種には必然的なつながりが全く見出せず、さらにその2種の植物以外とはまったく付き合いがないという徹底ぶりがある。彼らの微小な体にインプットされているプログラムは極めて精巧かつ合理的なものであるが、そのプログラムには、意味というか必然性が全く感じられない。彼らの生活の諸局面で「わざわざそんな面倒な生き方をする必要はないじゃないか」としばしば驚かされるのだ。白いロウに身を包み、翅をもって晩秋に飛び交うのもその疑問の一つだ。

そもそも、私たちは昆虫の謎を解くことができるのだろうか。謎を解くとは、その必然性を理解することにある。たとえば、なぜ昆虫は変態をするのか。その変態という生き方が理に適っていることは認められよう。トンボは幼虫のあいだ、ヤゴで過ごす。田んぼのヤゴの成長期には、それに合わせたようにミジンコや赤虫やオタマジャクシやらが大量に発生し、餌に困らない。成虫になれば、翅をはやして空を飛び分布を広げながら産卵していけばよい。

そういう「トンボ」というスタイルは実に合理的で、多種に採用され無数の個体によって数億年にわたり引き継がれている。ただし、それが「よいものである」ということと、じっさいに「存在している」ということ、また、「できる」ということは天地の隔たりがある。トンボの複雑なやりかたをとらなくても他の生物は他のやりかたでうまくやっている。トンボがトンボという特異な昆虫になった理由は、それなりに何かがあるに違いないのだ。同様に、全ての昆虫が変態をするからには、その必然性をどうにかして見つけなければならない。

人間はワタアブラムシの途方もない生き様にも何かの説明をつけねばならないのだ。それがどれほど複雑怪奇で想像を越えるものであろうとも、実際にかれらは地球上に存在しているばかりでなく、かなりの成功を収めている普遍のスタイルなのだから。


2005.12.5 楽しいオリンパスE-500

カラマツ

写真は信州の高原の別荘地で撮ったものだ。カラマツはほとんど葉を落とし森は殺風景だ。この日、この地方では少し遅い初雪だった。雪粒も数えるほどしか落ちてこず、日中は積もらなかった。このところ、積雪は遅れ、根雪になるのが1月になってからという年が続いているのだそうだ。冬に寒いところほど温暖傾向はよく目立つものだ。

この写真はオリンパスのE-500で撮った。レンズは標準の最も安いやつだ。カメラとセットなら1万円ぐらいだ。この写真機自体はたいへん写りがよい。この写真にもあるように、色がきれいに出てメリハリがありシャープだ。素人好みの絵柄でたいへん満足している。

ずっと写真機はニコン系を使ってきたのでオリンパスははじめてだ。最初はいろいろなお作法が違うのでずいぶん戸惑った。とくにストロボにびっくりした。普通に内蔵ストロボを使う場合、必ずプリ発光してしまうから、光センサー付きのリモート式ストロボが使えない。この件はオリンパス社に問い合わせても的確な回答が得られなかった。いろいろ探って内蔵ストロボをマニュアルにすればプリ発光しなくなることが分かったのでもう問題はない。

と思っていたら、ものすごいことが発覚した。リモート式ストロボでもパナソニック社のものは問題なく使えるのだが、ニコンのものだとうまくいかない。(問題はおそらく発光間隔で)E-500の発光方式とニコンのSB-30の受光方式が一致しないのだ。あんなものは本体がただ光りゃストロボも同調して光るもんだと思い込んでいたのでびっくりした。E-500の内蔵ストロボがぴかっと光ってから5秒後くらいに、しかも弱々しくぴっとSB-30が光るもんだから、面白いやらおかしいやら。使えないことにがっかりするよりも、むしろいいものを見せてもらって得をした気分だ。


2005.12.10 津久井に行った

相模川

50年以上前に、「おらぁ三太だ!」という元気な声で始まるラジオ番組があった。NHKが放送していた、連続放送劇「三太物語」だ。神奈川県の津久井は、その放送劇の舞台として全国に名を知られている。どうも最近、その津久井に縁があり、毎週のように足を運んでいる。

今日は、なんとなくのんびりたくさん走りたかったので、大好きな相模川の左岸を遡っていたら、いつの間にか津久井についていた。東京方面から津久井に自動車で行く人は、きっと渋滞のいやな記憶しかないだろう。深く長い谷に沿う狭い1本道しかないからだ。あんな道しか知らないのなら、自転車だって行く気はしない。この数年の試行錯誤の結果、自動車の通らない楽しく走れる道を発見している。自宅のある大和市からゆっくり走って2時間弱、距離にして片道30キロのサイクリングだ。

ゆっくり走るつもりで、ツーリング仕様の太いタイヤとフロントバッグを装着した自転車をひっぱりだした。女房が「おまえはこんな寒い日に自転車に乗っても楽しいのか?」といぶかしそうな顔をしているので、寒いのかと思って帽子をかぶりウインドブレーカーを着た。

走りはじめると、暑い。すぐにウインドブレーカーと帽子をぬいでバッグに入れた。私は夏には猛暑の日でも汗をかかない。冬はダメだ。寒いのが大の苦手なので着込んでしまうからすぐに汗をかいてしまう。汗をかくのも不本意だ。なるべく力をいれないように気をつけて、なるべくゆっくり走ることにする。柿に来ているムクドリ、アンテナに止まっているノスリ、畑を歩くキジ、なんてものをめざとく見つけて撮影する。写真機はS1-Proを持って行った。レンズは28〜300ミリ相当のズームがきくタムロンだ。ちょっとでかくて重いセットになってしまうが、今日のような快晴の日にはこれ1本で風景も鳥も撮れるというすぐれものだ。


2005.12.11 ツマグロヒョウモン羽化

ツマグロヒョウモン

朝起きて、近所の公園に落ち葉を集めに行った。軽トラいっぱいの落ち葉を集めて堆肥にする。私の作業は集めてトラックに積むだけだ。その後の作業は脱サラして農業をはじめた専門家に任せている。私はまだまだ東京に通うサラリーマンで、本分を忘れないように、農業も暇なときの手伝いだけだ。午後からは休日のサービス出勤をしてきた。

出勤途上、多摩川を渡る田園都市線の窓から乳房雲が見えた。小さなもので微乳房雲とでも言おうか。雲行きはやや怪しい。果たして夜にはちらちらと小雪がまってきた。初雪だ。積もることはないだろう。

わが家はいまとても寒い。女房の体が悪く石油が使えないので暖房ができないのだ。エアコンをつけようにも、暖房だと電気をくってブレーカーが落ちてしまう。かくて、雪降る夜も凍えながら過ごさなければならない。先日、あまりにも寒いので、女房が一計を案じてペットボトルに湯を入れて布団の中に入れた。確かに暖かいことは暖かいが、布でくるんでおらず、本体に触ると熱すぎた。その熱さに昔のことを思い出した。

今のわが家の寒さも四国の冬に比べればたいしたことはない。わが生家は非常に風通しがよく、室内も屋外も気温に差がなかった。四国のことで、そんな状態でも屋内の水が凍ることはなかったから死ぬほどではない。札幌では、いや仙台でも、よく部屋の中に氷が張ったものだ。死ぬほど寒い地域はそれなりに暖める工夫もあるだろうが、四国ではいいかげんだ。とにかく寒いので子どもの頃は、マメタンゴタツなるものを使っていた。石炭の粉を握りこぶし大に固めたものに火をつけ、枕ぐらいのサイズの容器に包むものだ。火事にはならぬように容器は石綿と鉄でできていた。直接当たるとやけどするぐらい熱く、幾重にも布で包んであった。それを布団に入れて脚にあてたり抱いたりして寝たものだ。ときどき、梱包がほどけて熱い本体に足がさわってびくっとしていた。

わが家の壁で蛹化していたツマグロヒョウモンが羽化していた。蛹になってからもう1か月以上たっていたので、寒さに凍えて死んでしまったのだろうと思っていた。もう蝶なんて飛んでいない。雑木林の周辺でフユシャクを見かける季節だ。近くには落ちてはいないので、どこかに飛んで行ったのだろう。昨日は比較的暖かかったから、羽化は昨日かもしれない。この寒空に南方の蝶がどうしているのかちょっと気がかりだ。


2005.12.17 空

青空

ここのところ連日帰宅は深夜になる。昨夜もちょうど24時に駅からのいつもの道を歩いていた。皓々と天頂から照るのは満月だ。シリウスも、ベテルギウスも火星も立派だがお月様にはかなわない。月夜に提灯というのはもはや死語だが、今日のような夜には人工の明かりはいらない。アスファルトには黒々とはっきりした影ができる。真上から照るものだから、うまく立つと影が見えないようにすることもできる。この月はもしかしたら一年で一番高いのかもしれないと思って少し嬉しくなった。

日本海側では大雪らしいが、こちらはとにかく天気がよい。毎日、冬の関東らしいとほうもない青空が広がっている。そのかわり夜間に気温は下がり、日影になっているスイレン鉢は氷が張って融ける気配がない。スイレンの葉も氷に閉じ込められるとどのみち枯れる。氷づけにしたまま取り出した。

風は南から強く吹き、日中は少し暖かくなった。自転車に乗って南へ走った。ひなたに置いた氷は午後にも融けなかった。


2005.12.18 ひさびさの半原越

北風はずいぶん冷たいけれど、気温は5℃以上ある。たまに坂も登りたくなって半原越に出かけることにした。タイムトライアルはやらない。どのみちがけ崩れで通行止めになっているはずだから、やろうとしてもできない。そうでなくても全然トレーニングしていないので記録の更新なんてできるわけがない。ツーリング仕様のナカガワをかつぎだして、カメラはニコンのFM2を持つことにした。フルマニュアルでフィルムの給送も手動だ。電気は露出計だけだから一枚一枚時間がかかる。フィルムはフジのベルビア36本撮りを1本だけ持った。

12月もなかばとなるとさすがに殺風景だ。清川村から半原越の山並みを見ると杉林の緑がやけに目立つ。広葉樹の葉が枯れ落ちて杉ばかりが目につくのだろう。夏の間は全然感じなかった杉の多さだ。峠を越えるまでは順調だった。道路に止まっているウラギンシジミやトビナナフシも撮影してそれなりに収穫もあった。なにしろ、この数日の天気のよさ、空気の澄みようはすばらしく、空と雲と木だけでも画になる。どうにも調子が悪くなったのは、峠を下りはじめてからだ。

ひさしぶりに、愛川側に下っていて、ふとスピードメータを見ると速度の表示がされていない。以前からちょくちょく信号が飛ばなくなっていたがいよいよ本格的に壊れたのかもしれない。メーターは動かなくても許せる。次はチェーンがおかしくなった。つなぎ目の1コマが渋くなって、一周ごとにカクンカクンなる。手でしごいてもなおらない。不愉快だ。シマノのチェーンはつなぎをアンプルピンの方式に変えてからときどき不具合が起きる。9段はいいのだが、7、8段のものはいまひとつ精度が出ていないように思う。帰宅してから1コマ外してつなぎ換えた。同じ袋のピンを使ったが適正のところまでさし込むとしぶくなる。それにかなり短くなってしまった。チェーンは自転車の命だから早めに交換しておこう。


2005.12.23 ツマグロヒョウモンの死

ツマグロヒョウモン

庭の草をごそごそかきわけていると、チョウが目についた。横たわって息絶えているツマグロヒョウモンのメスだ。ツマグロヒョウモンにしては小型でモンシロチョウぐらいのサイズしかない。ずっと雨が降っていないせいか翅もきれいだ。アリも巣に引っ込んでいるので体に傷もない。こいつには心当たりがある。2週間ほど前に庭で羽化したやつだ。そのときは抜け殻の蛹を発見したときに、反射的に近くにチョウがいないか探してみたものの何も見つからなかったので、どこかに飛んで行ったのだろうと思っていた。ちょうど翌日から寒波がやってきた。庭のスイレン鉢の水は凍りついて融けることがなかった。ただでさえツマグロヒョウモンに神奈川の冬は寒すぎる。飛び立つことができたとしても満足に生きることはできまいと思っていた。今朝この死体を見つけたことで、思った以上に神奈川の冬は彼女らにとって過酷だということを再認識することになった。落ちていたのは抜け殻の直ぐ下だから、こいつは全くはばたかなかったはずだ。

このツマグロヒョウモンの母親は夏も終わりの頃になって、庭に自生しているわずかなスミレに卵を産んだ。食べ物は非常にささやかであったが、そのころはまだ暖かく1頭だけは成長し蛹になった。蛹になった11月には気温が下がりはじめ、羽化までに1か月以上かかってしまった。体に蓄えたエネルギーを使ってなんとか蛹の皮をやぶり、翅を広げる所まではいったけれども飛び立つだけの体力はなかったのだ。

今年はツマグロヒョウモンの多い年だった。この10年で最高だろうと思う。夏から秋にかけて、それらしいところに行けば必ず目についた。私の目につくぐらいだから、神奈川だけでも百万頭ぐらいはいたのだろう。東日本では億の単位になるかもしれない。ツマグロヒョウモンにとってけっして魅力的とはいえない我が家の庭に産卵したこと自体がその数の多さを物語っている。

それら全てのツマグロヒョウモンは冬があることを知らず冬の備えを全くできない。11月になっても成虫がいて蛹がいて幼虫がいる。どのステージが冬に強いということがない。他のチョウなら、アゲハは蛹、キタテハは成虫、オオムラサキは幼虫というように冬を越す方法が決まっている。アゲハは北海道にもいるぐらい冬の寒さに強いチョウだが、成虫や幼虫では冬の寒さには耐えられないはずだ。


2005.12.24 進化に立ち会う

ツマグロヒョウモンの死体を拾い上げて、私は「もしかしたら今、このチョウの進化を目の当たりにしているのかもしれない」と思った。ツマグロヒョウモンにとっては、夏の間に北へ北へと向かうのは無謀である。関東以北で1億頭の仲間を得たとしても冬に全部死んでしまう。しかしながら、もしその中で突然変異のエスパーがいて蛹で冬を越せたとすると、事情が変わってくる。

そういうエスパーたちは春になるとチョウになって蜜を吸い、スミレに産卵する。生まれた子はエスパーの血筋を引いているだろう。夏になるとまた南の方から北上グループがやってくる。エスパーたちは彼らと交雑して、数を増やす。冬に強い形質が他の要素、飛ぶ力、蜜を吸う力、異性にもてる力をあわせ持ったものであれば、再び冬を越すことができる。エスパーたちが少しずつ生き残って、どこか東北の片田舎あたりで南方の寒さに弱いツマグロヒョウモングループとは隔離されて生きて行けば新種の誕生ということになるだろう。

そうした新ツマグロヒョウモンの誕生を私はけっして確認することができない。私だけでなく人類にも無理かもしれない。どちらも寿命が短かすぎるからだ。そこはあきらめるしかない。ただ、ツマグロヒョウモンの擬態といい北を目指すスピリッツといい、あの黄色い目の輝きにはこのままで終わるチョウではないという気概が感じられる。


2005.12.25 進化の誤解

一般により進化しているものは「より優秀」であると誤解されている。その誤解から進化論に対するありとあらゆる微笑ましいまちがいが生まれている。端的には、環境の変化に耐えて生き抜き進化したヤツは勝ち組で、滅んだものは負け組だという誤解だ。その「ヤツ」というのはあくまで種に対して言えることで、個体に対してはぜんぜんあてはまらない。進化的な勝ち負けは個体にとっては紙一重だ。数学的な計算からすると子どもを5人産んで90歳で死んだ女と、1人も産まず18歳で死んだ女の進化的な勝ち負け度はほとんど変わらない。しかも、その両者がどれほど幸福であるかは進化とは無縁だ。

一飛びもできずに私の庭で息絶えたチョウは哀れである。おそらく自分に何が起きているのか、どうして飛ぶことができないのか、わけもわからないことだろう。ただ寒さと飢えで体が動かず凍りついたまま死ぬのだ。その姿には悲しみの中で死んで行った負け組感が漂っている。

では、将来の勝ち組となるべきエスパー型ツマグロヒョウモンはどういう気持ちなのだろうか。エスパーとはいえ、もともと寒さに弱いチョウだ。ぎりぎり冬の寒さに耐え春を迎えたとして、その苦労はただならぬものだろう。ずっと生きるか死ぬかのぎりぎりの勝負を続けながら孤独の中で飛び回らなければならない。彼のまわりには仲間も少ないのだ。凍え死んだほうがまだしも幸福かもしれない。とにかく、北を目指す1億匹の苦労が100万回続いてやっと新ツマグロヒョウモンの誕生だ。

進化という視点から個々を見れば、ショーペンハウエル流のペシミズムにも一理があって、動物にとって生きることは苦だ。喜びとは生物的に生き残る行動を正しく行ったことへのご褒美として神から与えられるたまさかのプレゼントでしかない。私はどんなに小さな生物でも喜びを感じていると思っている。それが一生に10回あるか100回あるかは運次第だ。10億年の過去から今にかけて、滅んだものも生き残ってきたものも、個体としては差のない喜びと悲しみをもって生涯を終えたろう。種としての勝ち組と個体の幸福は無関係と考えなければならない。なぜなら、喜び悲しみはあくまで個体に付属するもので、種には心がないからだ。

ヒトが種として勝ち組だということに間違いはない。この宇宙の時間と空間の広がりを知り自分達の明日を予測している。地球が滅んだのちも生き残るかもしれない唯一の種だ。ヒトが種として適者生存することの優秀さは個人の幸福に反映するものではない。ヒトの個々人が虫一匹にくらべてより幸福であるはずだという約束はどこにもない。ツマグロヒョウモンであれヒトであれ、環境の変化に耐え弱肉強食とうそぶいて未来に命を繋ごうとする個体は弛まぬストラグルにさらされるのだ。


2005.12.29 北限

今にしてみればチョウの越冬態がそれぞれ決まっているのは驚異だ。それはものすごく賢いことのように見える。洞察と推理が働いてると感じるからだ。ただしそれも偶然の産物として考えなければならない。私は各種のチョウのたまたま寒さと乾燥に強いステージが生き残ってきたものだと思っている。

チョウに限らず昆虫たちはそれぞれ決まった冬眠のスタイルを持っている。個々が冬をのりきる方法をしっかり確立していないと日本では生きていけないのだ。その原因は、もともと昆虫が南の起源の生き物だということだけではないだろう。日本のあたりは最近でも氷期と間氷期を繰り返している。その間に昆虫たちは南に降りたり北に上ったりして地理的な分布を決めてきたろう。いまでも日本は春から秋は多くの昆虫に快適な環境だけれど冬はつらい。年々歳々動くチョウの「北限」では人知れずドラマチックな生の営みが繰り返される。


2005.12.30 クロスジホソサジヨコバイ

クロスジホソサジヨコバイ

この季節の都会の虫のスターといえば、やはり写真のクロスジホソサジヨコバイであろう。翅にゲバゲバ、あるいはアザラシのゴマちゃんみたいな顔が描かれてあるのがかわいい。最初海野さんの小諸日記で見せてもらってから、いつか撮影してやろうと狙っていた。

普通種らしいので、できれば私の庭で見つけてやろうとして2年が過ぎた。今朝はせっかくやってきたエナガを撮り損ねた悔しさもあって、あえてこいつにチャレンジした。やはり庭では見つからず、ちょっと遠出して近所のヤツデを探さなければならなかった。

この虫は小さくて長さは5ミリほどしかない。もうすっかり老眼が進んでいるので、念のために小学生の次男を助手として雇った。カメラにもそれなりの工夫が必要だ。こちらのセットは1センチ未満のものの撮影専用だ。あまり高価な機材は買えないので、いろいろ試行錯誤してこの形に収まっている。本体はフジの古い一眼レフデジタルのFinePixS1-pro。レンズはさらに古いマニュアル時代のニコンの28ミリF3.5。新宿の中古専門店でジャンク品を安く買った。それをケンコーの×1.4テレコンにひっくり返してつけるとすてきな接写レンズになる。ストロボはPanasonic のものを2灯。被写体までの距離、絞り、シャッタースピードが一定になるので、ストロボはマニュアルで使えればよい。高価なニコンのTTL式のものは必要ない。ストロボの光を回すために乳白色の板を切ってレンズにはめ込んでいる。小さいものを手持ちでかる〜く撮るのによいセットだ。


2005.12.31 大失敗

ナカガワのチェーンの調子がどうにも悪くてしょうがなかった。コマの継ぎ目がしぶくてカクンカクンなって不愉快なのだ。しかも、時間がたてばたつほど悪くなる。その理由について、シマノの8段用のアンプルピンの精度が悪いからだ、などとシマノ社の悪口を書いた。

もうどうしようもないので新しいのに換えようと、チェーンを切った。念のために、チェーンに刻印されている文字を確かめた。シマノのチェーンならHGと彫ってあって、SHIMANOの社名のほかにもチェーンの種類が彫ってあるものもある。同じシマノ社の8段用でも、グレードによっては相性の悪い種類のチェーンがあるのかもしれない。とにかく、HGというのは大きく書いてあるのでさすがに老眼の私でも見えるはずだ。しかし、そこにあるはずの字が見えない。悪い予感が走った。ほかのコマも見る。裏側もチェックする。でもどこにもHGの文字がない。そのかわり、チェーンのひとコマに不穏な字が薄く刻印されている。FRANCEと読める。英語なのかフランス語なのかわからないが、どうもシマノのチェーンではなさそうだ。念のために鉱物観察用のルーペと小型懐中電灯をもちだしてよくよく確かめてみた。私がずっとシマノだと思い込んでいたナカガワのチェーンはフランスのセデス社のものだったのだ。

セデスのチェーンがシマノのピンでつながるわけがない。「木に竹をつぐ」ということばあるが、そういうもんである。たまたま幅がほとんど同じだったのでかろうじてつながったものの、走ればおかしくなって当然だ。自分で大失態をしていながら、それをメーカーのせいにするとはあきれたものだ。

 
カタバミ  テトラ  ナゾノクサ
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