たまたま見聞録
見聞日記 天地無朋 2020

2020.1.1(水)晴れ ギフチョウと蛍

クロナガアリ

目が覚めたのが5時ぐらいだった。よい毛布を手に入れてから未明に目を覚ますことがなくなっていたが、早く寝入るとやっぱりダメらしい。昨夜はいつもより少し早めの0時頃に眠っている。

目覚めの前にちょっと愉快な夢を見ていた。外国人の昆虫愛好家がチョウを捕まえて騒いでいる。なにやらものすごく珍しいものらしいのだ。私にも鑑定してくれと差し出すが、ギフチョウらしいことしかわからない。前翅の縁が青く輝いているから、もしや○○○ではないかというのだ。確かによく見れば、ギフチョウなのにカラスアゲハのようなきらめきに翅の縁が彩られている。素人の私はそんなギフチョウがいることすら知らない。外国人の愛好家もプロではないらしく、私を見込んでいろいろ尋ねてくるが、どうにも返答のしようがない。

そこにがやがやと数人のプロがやってきた。リーダーを伊藤君とする日本を代表する昆虫マニア連中だ。伊藤君たちはすぐさまそのギフチョウを囲んで大騒ぎをはじめた。やはりそれは○○○のようで、半世紀ぶりの発見だそうだ。まだ絶滅してなかったんだとかこの辺にいるんだとか、話は尽きそうもない。

まあそれはよかったと私は連れといっしょにその場を離れた。手つかずの大自然というのがふれこみのそのあたりは田んぼがあったりササの小道があったりする普通の田舎だった。この辺もしばらく前は原生林だったんだろうねと、林を見上げた。冬枯れらしく葉がなくて細い枝が天をさして絡み合っていた。空は薄明るい。未明で靄がかかっているのだろう。そのきなりの空気の中にぼんやりと小さな明かりがあった。その明かりは一回だけまたたいて枝の重なりに消えた。蛍の飛び方だった。私は連れに「ほら、あそこに蛍がいるよ」と指さし、もう一度明かりがともるのを期待したけれど、もう光ることはなかった。

少し遅めに目を覚ました女房によく眠れたかと聞かれた。あいにく夜明け前に目をさましてしまった、最近好調だったのに残念だとこたえると、「でもいい夢見たんでしょう?」と彼女は言う。それで「ギフチョウと蛍が出てきたよ」とこたえた。女房は「ほらやっぱりいい夢だ。ちゃんとわかるんだから」と笑っている。なんでわかったのかは聞かなかった。

元旦も良い天気で風も冷え込みもそれほどではない。庭にでればササガヤを運ぶクロナガアリもいた。


2020.1.4(土)晴れのちくもり オオカワヂシャの復活

オオカワヂシャ

今日も女房とサイクリング。ウィリエールで境川に向かう。

ほとんど習慣と化している宮久保橋の堰堤をチェック。写真のようにオオカワヂシャが復活している。遠目にも目立つもので3つばかり。小さいものもたくさんある。先の台風で根こそぎやられたオオカワヂシャの復活だ。台風の増水ではヤナギゴケも流されてコンクリートがむき出しになっていた。ヤナギゴケが復活しなければオオカワヂシャもない。

オオカワヂシャのほかに、私が稲だと思っている草も復活していた。大きくなったらちゃんと調べないといけない。といっても専門的な同定は難しいだろう。暖かくなっても育っているようなら移植して経過観察だ。ちなみにわが家の稲はまだ生きている。そこそこ寒くても水があれば枯れないこともある。

女房はめきめきと自転車の腕を上げている。あれよという間にいっちょまえの走りになった。女房でなければ、誰に指導を受けてる娘さんかと気になってしょうがないだろう。あれだけきれいに走れる人は境川では滅多に出会えない。


2020.1.11(土)くもりのち晴れ一時雨 謎の白い粒

クロナガアリ

女房との境川サイクリングを終えてクロナガアリの様子を見に行くと、数頭の働きアリが外に出ていた。さっそくスーパーマクロで撮影。

ササガヤの落ち穂を運ぶものもいる。ユキノシタの茂みを横断するルートなもんで、けっこうな骨折りになる。ユキノシタの葉は地面近くに広がっており葉には細長い毛が密生しているのだ。働きアリにとってはちょっとしたブッシュになるだろう。

巣の中からゴミを運び出すアリもいた。ゴミはファインダーで覗けばミズヒキの種のようだった。白い毛がついており、カビが生えて食料にはならなくなったものと思われる。

そのカットをパソコンで見直してみるとなにやら白い球体が写っている。アリの目玉ほどの玉がミズヒキの種についているのだ。これはなんだろう。かねてから似たようなものがアリの体についていることが気になっていた。ただそれとはちょっと違う感じだ。

こちらの玉は完全な球体に見える。アリの巣の中から運び出されたものなんで、アリの卵というのはありそうな線だ。もしかしたら、以前からみているいびつで若干黄色みを帯びている球も卵なんだろうか。卵なら発達の具合によって色や形が変わる可能性もある。孵化殻かもしれない。それにしてもクロナガアリの巣内では卵置き場と食料置き場は離れているはずなんだが。卵でなければなんだろう? カビだろうか。


2020.2.1(土)晴れ 迷う働きアリ

クロナガアリ

この冬はどれだけ暖かいのかと心配になってしまう。2月になった今日もクロナガアリは地上で活動している。ゴミを捨てたり種を運んだり。もうそろそろ巣口を閉ざすはずだがと、観察を続けている。自ら巣口を閉ざすのか、出入りをしなくなれば自然に泥が溜まるのか。これまではその双方の状態を確認している。今年はどうなるか確かめておきたい。

今日の写真はセイバンモロコシの種を運んできたクロナガアリ。この不自然な構図は巣口との関係を示すためだ。写真右の暗がりが巣口。あと1センチで巣に入れるところだ。当然のことながら、このまま速やかに種を運び込むのだろうと踏んでいる。巣とアリのシャッターチャンスを狙って撮影しているのだ。

ところが、このアリは転回してしまった。ストロボで驚かしたわけでもない。ごくごく普通に進路を変えたのだ。その後10分ばかり観察を続けたが、何度も巣の近くまできて方向転換をしている。

実は冬になってからそのように巣口を見失う働きアリが目立っているような気がしている。働きアリの数が少ないからそう見えるのか、経験不足のアリが増えて実際に迷っているのか、その原因はよくわからない。人である私はそういう行動にやきもきする。ちょっと誘導してやろうかという偽物の親切心を起こしたりして、自分にいらだってしまう。


2020.3.7(土)くもり ツーリング仕様

ナカガワ

写真にあるようにナカガワをツーリング仕様にした。タイヤも太めの25c。ペダルはSPD。クランク長は165mm。ギアは46-32×14-30という極めて軽いもの。ステムは短く高くSTIも使っている。シマノの中では一番好きなSORAというモデルだ。

この4週間ばかり、全く自転車に乗れなかった。風邪をひいて、熱などの症状は軽微だったものの、ものすごく腰が痛くなった。いわゆる体幹の筋肉が全部張って筋肉痛だ。ひどいときは寝返りもできなかった。靴下の脱ぎ履きも手伝ってもらうという体たらくで2日ばかり寝込んでしまい、通勤する以外は家から出なかった。

少しぐらいは体も動かした方がいいだろうと、自転車をいじりはじめ、やろうとしてのびのびだったナカガワの仕様変更に着手したのだ。そもそも30年ほど前にこのフレームをオーダーしたときは、ツーリング仕様の予定だった。体が弱くなって、もはや力いっぱい走れまいという弱気が引き起こした原点回帰である。

腰の具合を気にしておそるおそる走る境川。ひと月ばかり留守にすれば、境川はもう春の装いだ。湧水ではオオカワヂシャやヤナギが芽吹き、セブンイレブン裏のギシギシには春のハムシがたかっている。普段の60%の力で60%の距離を走ってきた。庭のクロナガアリは巣口を閉ざしている。


2020.3.20(金)晴れ 寂しい春

ツーリング仕様にしたナカガワで境川。天気が良くて暖かく風が強い。まったり春を楽しむにはよい日和だ。ヒバリやウグイスが鳴いて、路傍には春の花が咲き誇っている。ホトケノザは冬にも花をつけるけれど、はやり春の花がきれいだ。風に吹き飛ばされるようにチョウも舞う。一番多いのがモンキチョウで、モンシロチョウもちらほら見つかる。まさかモンシロチョウの初見が春分になろうとは。ずいぶんひきこもったものだ。

菜の花畑や籠抜けしたブロッコリーの黄色い花をみてちょっとした違和感を感じた。花に虫がいないのだ。いまニホンミツバチが壊滅的になっているらしい。その原因が新手のダニということだ。ニホンミツバチがそのダニに対抗する手だてを持っていないらしい。そういう害虫ならハチの家族社会に一気に蔓延するだろう。社会というシステムは強力だが弱点もある。人間もハチも同じだ。ダニがニホンミツバチのスペシャリストなら早晩落ち着きを取り戻すはずだが、他のハチ、アブに寄生するようなら危ない。ニホンミツバチがまじに壊滅するかもしれない。

思い起こせばこの冬はビワにも梅にもニホンミツバチがいなかった。私の怠慢で見落としていたのなら良いのだけど、今日は菜の花にもオオイヌノフグリにもハチがいなかった。


2020.3.21(土)晴れ ニホンミツバチ

菜の花畑

ニホンミツバチの趨勢はかなり気になる。境川を走るついでに写真の菜の花畑を見てきた。畑と林のわきにセイヨウカラシナがよく育っている。人が植えているものか勝手にはびこっているものか、知るよしもないけれど、これだけの群落ならハチアブチョウがぶんぶん飛んでいるはずだ。春分なんだから。

菜の花の中に入ってみても虫が少ない。アブとモンシロチョウがちらほら。ニホンミツバチはしばらく探してやっと見つかった。この群落に10匹というところだろうか。異常に静かだ。臨死体験じゃあるまいし。

ニホンミツバチは元気に菜の花の蜜を求めている。撮影を試みるもののなかなか落ち着かない。加えて強風だ。オートフォーカスは間に合わずハチはすぐにフレーム外だ。しょうがなく連写モードで僥倖狙いにした。そんなやりかたでもなんとかなるのがTG-5のすごいところだ。

境川には方々にオオカワヂシャが育っている。農業用の水路にはもうひと抱えほどにまで大きくなった水上個体があった。そのそばにはケキツネノボタンのような黄色い花が咲いている。ちょっと葉の形が違うんだけど何だろう?

クビキリギスが鳴けばいよいよ春本番の境川だけど虫はやっぱり少ない。記録的な暖冬のせいなんだろうか。


2020.3.28(土)くもり 150mmのクランク

ナカガワ

ナカガワのクランクを150mmに変更してみた。これまで、おおむね165〜170mmのクランクを使ってきたから、10%以上短いクランクということになる。クランクは長い方がテコの原理で軽く走れる。しかし上手に快適に走るには短いクランクでもいいではないかという発想から思い切って短くしてみたのだ。

乗ってみればそれほどの違和感がないことに驚いた。サドルもそれほど上げなくてよいようだ。20mm短くなったからといってサドルを20mm上げるというわけではなく、 半分の10mmぐらいでちょうどよいようである。


2020.4.4(土)晴れ 昔のもの

ナカガワ

ナカガワを少しずつ仕様変更して境川。リアのギアを13-27にしてみた。これなら普通のロードのディレーラで動く。ただ、STIをしばらく使ってみようとXTRのままにしている。そのうちWレバーにするときに換える予定だ。

今回の目玉はサドル。サンマルコロールスというかつての名品だ。30年ほど使ってボロボロだが使用感はたいへんよい。ナカガワには厚ぼったいサドルがでんとあるのが似合うと思う。このオールドスタイルで春爛漫の境川をゆっくり走る。

今日は強い南風が入ったためか虫の活動は鈍い。サイクリングロードに出てくる虫がいない。モンキチョウ、モンシロチョウ、アゲハが数頭見つかる程度だ。暖冬のせいかソメイヨシノの開花はばらばらだった。晩春の葉桜が好き。川の本流でナマズが見つかる。毎年春にはナマズを見ている。どうやら春に浅瀬に出てくるのは彼らの習性みたいだ。

雑草だらけの庭はつかの間の花盛りだ。クサイチゴと名も知らぬ園芸品種が白い花を一面に咲かせている。アブやハチもやってくるけれどすこし寂しい春だ。この辺に残っていた平地林は次第に宅地に変わっていった。それに合わせて庭に来る虫が減っていった。20年前の賑わいが戻ることはもうないだろう。


2020.4.5(土)晴れ一時くもり クサイチゴの蜜線

午前中、庭に日が射して虫の様子を見ていた。この季節に頼りになるのはクサイチゴの花だ。ただ今朝は気温が低く北風がややあって昨日撮影できたハチ、アブは来ていなかった。


クサイチゴ

クサイチゴは花盛りをやや過ぎて花びらが落ち青い実をふくらませはじめている。その中に雄しべの付け根が太陽光を反射して光っているものがあった。どうやら蜜が浸みだしているようだ。花が終わっても蜜はでるものと見える。ただ数は多くない。今朝の観察では50のうち一つといったところか。


トビイロケアリ

クサイチゴの蜜を見るのは初めてなもので、あわててスーパーマクロを取り出して撮影にかかった。うまい具合にアリが来ている花が見つかった。トビイロケアリらしい。こいつはドクダミやハルジオンにたかるアブラムシによく集まる。蜜の好きなアリらしい。こういうシーンもSBー29をつけたスーパーマクロなら楽にスナップできる。


キスイモドキ

クサイチゴの花には茶色の甲虫も目立つ。キスイモドキらしい。花にもぐっているため撮影は簡単ではないけれど、こういうのもSBー29をつけたスーパーマクロなら地面に寝転がってスナップできる。子どもの頃、クサイチゴを競って食べていたものだが、小さなウジ虫をいっしょに食べてしまうことがあった。どうやらこのキスイモドキの幼虫だったようだ。


2020.4.9(木)晴れ ムラサキカタバミの日周運動

クサイチゴ

庭にはちょっとだけムラサキカタバミが育っている。写真の株は南向きのゴミ箱の脇に生えているものだ。生育環境としてはよくないかもしれないが、観察には都合がよい。

こいつのおかげで、ムラサキカタバミは夜に閉じて朝に開くことがわかっている。雨の日なんかは開かないこともある。花は1つのものが複数回開く。そして今日、ムラサキカタバミは太陽に向かって回ることが判明した。写真のように花が左、すなわち西の方を向いている。こいつの生えている場所の状況から、朝には東にむかっているのが、陽を追って西に回ったのだ。

ムラサキカタバミは地面にへばりついているような背が低い花だ。普通に見ていると日周運動をしていることに気づきにくい。こうやってたまに庭でいい思いができる。


2020.4.11(土)晴れ 引地川

引地川

今日のような日に境川に行くのは自殺行為だと思い、引地川、目久尻川、相模川を回ってきた。漫然ゆったりと群青で走るだけ。うまくすれば草や虫を見ることもできる。

写真は引地川。いまやたいへん残念でもったいない川に成り下がっているけれど、もとはたいへん美しい流れだったはずだ。泉の森の泉を水源とする湧水河川でいまなお水は澄んでいる。水流に揺れているのはオオカワヂシャだ。岸にある空中オオカワヂシャは薄紫の花をたくさんつけている。わが世の春だ。場所は米軍の飛行場のちょうど脇に当たるところ。

目久尻川の水は黒く泡立っている。引地川に比べて水源から遠いだけかもしれないが、見所は少ない。浅瀬にうごめく黒い塊を見つけ何事かと自転車を止めた。どうやら魚の幼魚の群れである。1万匹はいるだろうか、一畳程度に群れてときおり水面を泡立たせている。えさでも食べた個体の動きへの反射行動なのだろうか。自転車を止めたところにあったフジの花を撮った。

相模川には大きな遊歩道が建造中だ。高速道路をつくったついでらしい。広いところでは幅が20mほどもありそうだ。自転車も通行可だ。住宅地からは少し離れているから利用者は少ないだろうけど恐くて近づきたくない感じだ。海老名の鳩川ぞいにある狭い凸凹舗装の自転車道のわきにオドリコソウのしっかりした群落があった。50年ぶりの出会いだ。ただし、TG-5はGPSモードがONのままで痛恨の電池切れ。

引地川も、目久尻川も、相模川も、自転車で楽しく走れるところではない。川岸の道は断続的で半分ぐらいは未舗装だ。むろん砂利も草道も苦手ではないのだけど自転車が土埃をかぶってしまう。なんでわざわざこんな所を・・・という反省は否めない。走っているときは快適なんだが。


2020.4.19(土)晴れ TG-5復活か?

オドリコソウ

先週、相模川を回ってオドリコソウの群落を見つけた。よしきた!とTG-5を取り出すとバッテリー切れだった。GPSのLOG機能ボタンをオンにしていたため電池が消耗してしまったのだ。今日は再挑戦の相模川。

天気が良くて暖かく北寄りの風がすずしい。すばらしい自転車日和だ。サイクリング仕様にしたナカガワでいつものコースを相模川へ。チョウはモンシロチョウとモンキチョウ、ベニシジミが多いがアオスジアゲハも見かけた。特に早いというわけでもないだろう。アゲハはとっくの昔に飛び回っている。

相模川のオドリコソウ群落は満開だ。大きなクマバチが来ている。オドリコソウはよい蜜がたっぷりでるからハチとしても頼りになるだろう。クマバチの吸蜜を遠目でみた限りではまじめに花に顔を突っ込んでなめているようだ。頭についている黄色いものは体色なのか花粉なのか。得意の盗蜜もやっているのかもしれない。この場所はクマバチまでは近づけないのがちょっと残念。

オドリコソウの花は魚露目で撮った。今日はTG-5が正気に戻ったように思う。ここしばらくたいへん調子が悪かった。電源ボタンを押しても電源が入らないのだ。まずは修理に出そうと思った。ただし、この手の故障でも2万円ぐらいかかる。いろいろ工夫してなんとならないかとだましだまし使ってきた。だましだましというのは電源長押し1分ほどで起動することがあるからだった。そして、電源を入れる前にGPSのLOGスイッチを入れると電源が入りやすいことに気づいた。さらに電源を落とさずにスリープで放置すれば問題ないことにも気づいた。スリープ機能では電池が消耗せず1週間ぐらい放って置いても良かった。撮影後電源ボタンさえ押さなければ問題ないのだ。

というようにだましだましの使用だったのだけど、先週は誤って電源を落としてしまった。それで得意のGPSのLOGをONにしてから電源を入れて事なきを得たのだが、LOGをOFFにすることを忘れ、いざオドリコソウを撮る段になって電池は消耗仕切っていた。

たいへん残念だけど、良いこともあった。帰宅してバッテリーを充電済みのものに換えて電源を入れてみれば、問題なく、何事もなかったかのように電源が入る。試しに電源を落として、再度電源スイッチを押しても電源が入る。

おもうに電源がおかしくなったのはGPSのLOGボタンを押したままにしてバッテリーを完全に使い切ってからのことだった。LOGなんて使う気もなく、ボタンがいつの間にかONになっていたのだ。バッテリーは充電したものの設定がおかしなことになっていることで異常に気づいた、そして電源が入らなくなったのだ。

かくて先週、GPSのLOGをオンのままにしてバッテリーが消耗した。そして電源が入るようになった。もしかして自力復活、カメラにも自浄能力があるのだろうか。パソコンだと不調のときに「干す」ことがある。しばらく放電させる非常手段だ。図らずもそれと同じことをやったのかもしれない。

首尾良くオドリコソウも撮って、おみやげのホトケノザも採取して、庭を見ればヒメジョオンらしい花が咲き誇っている。いまの季節にヒメジョオンは変だけど、こいつは先の2月にも咲いた変わり者だ。


2020.4.26(日)晴れ 白いカタバミ

群青に乗って相模川へ。昼飯はなんとなく番神水でとることにした。番神水は偶然見つけた湧水だった。リシアが群生してかなり素敵な水だと思った。クレソンを在来の希少水草と勘違いしたほど目がくらんだ湧水だ。その数年後、ゲンジボタルを見ようということで家族総出で番神水とは知らずにでかけたこともあった。

番神水は寂しい扱いを受けている普通の水路に過ぎない。溝の造りから推測するにかつては生活用水にも用いられていたようだ。貴重な湧水だったらしく小さい社も設けられている。

エゾタチカタバミ

流れの脇で昼飯を食おうと座り込むと、白い花が目に入ってきた。その花の名はすぐ分かる。エゾタチカタバミである。しばらく前に、変なカタバミだと思って名を調べた。その白いタイプを見るのは初めてだ。

ムラサキカタバミ

珍しかったのはこれだけではなかった。その3mほど離れたところにもう一株白いカタバミがあった。どうもそれはエゾタチカタバミではなくムラサキカタバミである。白いムラサキカタバミもこれまた初めてだ。


ムラサキカタバミ

花が白いこと以外はムラサキカタバミである。葉の感じも花にラインが入るところも普通のムラサキカタバミと違いはない。かじればたぶん酸っぱいだろう。

ムラサキカタバミ

どういうわけで番神水の脇に白いカタバミが2種もあるのだろう。周辺の感じから品種改良をされたものを植えているということは考えにくい。この事件解決の手がかりを探っていると、さらに3m離れたところにムラサキカタバミがあった。病気で具合悪そうだが、これまで見てきたムラサキカタバミに相違ない。その近所には黄色いカタバミもあった。


2020.4.28(火)くもりときどき晴れ アブラムシのスナップ

アブラムシ

今朝、カラスノエンドウにアブラムシの有翅虫をみとめた。いま、庭にはアブラムシが極めて少ない。とりわけカラスノエンドウでは群れを見てなかった。これから爆発的に増えていくことだろう。アブラムシすらいないようでは庭が寂しくて張り合いがない。

さて、この写真は等倍マクロで撮ったトリミングなしの写真である。手持ちのフルサイズ一眼レフでスナップした。午前中の薄曇りで光の条件はとてもよい。f32で1/125秒、isoはなんと2200である。写真機はニコンのD700 。発売当時、安価なFXフルサイズで暗いところでもよく写るのがウリだった。これは欲しいと、満を持して半値になったときに中古を買った。

いまはカメラの世界はものすごいことになっているらしい。もっと暗いところが撮れ、手ぶれ補正が効き、マクロでもオートフォーカスが使え、過去も連写で記録され、深度合成で気の遠くなるほどピントが来るという噂だ。等倍マクロは頻繁に使うレンズであり、そういうのも欲しい。

レンズは90mm等倍マクロだ。最短まで寄って最大の倍率で撮った。だからf32まで絞る必要がある。製品は通称タムキューというタムロンの名品の一つで入手はもう30年ほど前になる。フィルム時代のしろものでちょっとカビも生えている。当然、新型のマクロレンズを欲しいと何度も思った。それは撮影に失敗したときである。人為的ミスが毎度の原因であることはいうまでもない。

今日のような写真が撮れれば、これで十分じゃないかと思えてくる。プロではないので写真に結果は求められない。記録用にスナップして、対象が写っておればよい。名のある被写体であれば写真から同定できれば大満足だ。それでも、結果は捨てがたい。運良くきれいに写っておれば「まだまだオレもいけるじゃないか」という自負心につながる。私の機材はその程度の道具だと反省すれば、現状ですらオーバースペックだとわかる。


2020.5.2(土)晴れ 不吉な白粒

アブラムシ

カラスのエンドウに遅れてハルジオンにもアブラムシがつき始めた。自然度としてまったく貧相な庭で、アブラムシぐらいはたんといて欲しい。私には吉兆である。このハルジオンのアブラムシはきっと母子だ。有翅虫が母でまわりにいる10匹ほどが子どもだろう。小さい子ほど母の近くにいて甘えているように見えるのがなんとも微笑ましい。

しかし、この母子の運命は明るいものではない。茎に細長く白い粒が二つみとめられるのだ。これはアブラムシにとって凶兆。きっとアブの卵だ。もう数日もすれば孵化してアブラムシを食い始めるはずだ。こうなるとこの母の子孫はどれだけ生き残れるのか、はたまた全滅するのか。目が離せない…というのは嘘だ。目を放している私のそばで毎年起きる虫たちのささやかな営みだ。


2020.5.3(日)晴れのちくもり 夏の訪れ

ナカガワ

先日までストーブを使っていたのに、もう昨日からは汗ばむ陽気だ。写真のツーリング仕様ナカガワで境川。ただし何かと鬱陶しい自転車道は一切通らず河川近くの一般道を利用した。

境川の周辺は例年通り初夏の花が盛りだ。木の花には白く清楚なのが多い。ノバラ、クマノミズキ、タニウツギ、ミズキ。246号線脇にある下水処理場裏のミズキは毎年観察している。この数年、キアシドクガの乱舞が見られる木だ。枝葉にはキアシドクガの幼虫が多数いる。今年も期待できる。

背伸びして枝を引き寄せキアシドクガを撮影して足元をみればそこにホタルブクロがあった。思い起こせば例年この場所でホタルブクロを見ている。まず意識にのぼらないホタルブクロだけど、見ればああそうだと思う。いつものことだ。こうしてまた変哲もない夏が訪れた。


2020.5.5(火)晴れのちくもり 葉巻のキアシドクガ

キアシドクガ

いまはミズキの花盛りだ。花は蜜が多いらしくいろいろな虫を集めている。そして葉にはキアシドクガがいる。境川の下水処理場近くの歩道にはみ出しているミズキにもキアシドクガがたくさんいる。3日に撮影した木は撮影条件が悪かったもので撮りなおそうと手頃な毛虫を探した。

すると巻かれた葉がいくつも見つかった。一見して虫の仕業なのは確実だが、正体に心当たりはない。そこで写真のように一枚をたぐり寄せて中を覗いてみた。すると見つかったのは紛れもなくキアシドクガである。葉は3分の1ぐらいかじられ、糸を使って巻き合わされ筒状になっている。キアシドクガが巣のようなことをしているとは思わなかった。普通に葉を食いあさるだけの毛虫のはずだった。この写真で見る限りでは葉を巻いてからかじったようである。

もしかしたら他の虫が巻いた葉に入り込んだだけかもしれないと5枚ばかり調べてみた。その結果、すべての葉に大小のキアシドクガがいた。そのうちの1枚は脱皮殻と幼虫が同居していた。まだ小さく写真のものの半分ぐらいのサイズだ。キアシドクガは葉に隠れて脱皮する習性があるのかと思える。


2020.5.6(水)くもりときどき雨 ナガミヒナゲシ

ナカガワ

写真の空き地は境川のサイクリング道路から50メートルばかり離れた所にある。青草がはびこるこの季節に枯れ野原ってのも奇妙であるけれど、見所はオレンジの花だ。私はここでナガミヒナゲシの去就を傍観している。

そもそもナガミヒナゲシのことを意識したのは10年ほど前だ。東京の世田谷の道路脇ではじめて見た。そのオレンジの花はよく目立つ。遠目にはけっこうきれいな花だが、寄ればお世辞にも美しいとはいえない。ナガミヒナゲシは年を追うごとに私の生活圏にはびこって、一時ほどの勢いはないものの春のアスファルト道路を彩る花として定着した。

2015年5月、この空き地は一面ナガミヒナゲシで覆い尽くされていた。私が目撃した最大群落だ。サイクリング道路からでもそれとわかるぐらいの繁茂だった。その光景はまるで人が植えたようであり、よく臨死体験でみるヒナゲシ畑みたいだった。おそらくやつらの好む環境は日当たりの良い乾燥した痩せ地だ。境川のこの場所は、休耕地ではなく資材置き場か駐車場として利用されていた土地が放置されているのだろう。

ナガミヒナゲシの天下は長くはないだろうと思われた。土地利用が変われば環境が変わり、ナガミヒナゲシのような隙間植物がいつまでもはびこることはないはずだ。

あれから5年、ナガミヒナゲシは年々減っていった。今年はもうなくなってるんじゃないかと思っていた。まだたくさんあることにちょっと驚いて昨日撮影した。土地は相変わらず放置されているようだ。地面を見る感じでは乾燥が進んでいるようである。ナガミヒナゲシはもっと乾燥に強い草に追われているのだろうか。イネ科と見える草に覆われて発芽できなくなっているのだろうか。それとも除草剤がまかれたのだろうか。

今朝、玄関を出るとナガミヒナゲシが咲いていた。アスファルトの隙間にうまく根付いている。花が咲くまでそこにあることに気づかなかった。わが家での初確認だ。わが家の庭は日当たりが悪く湿っぽいのでナガミヒナゲシには向かない。


2020.5.9(土)くもり カラスノエンドウの巻きひげ

カラスノエンドウ

昨日のこと、カラスノエンドウの花がすっかりなくなっていて驚いた。すでに花の季節は盛りを過ぎ豆はふくらんできている。それでもいっぺんに花が見られなくなるとは思っていなかった。一夜にして消滅・・・?と、あっけにとられたのだ。そして写真の状態を見つけた。5本の巻きひげが絡み合っている。定型句らしく、頻繁に耳にするものの見たことのない「緊密に連携を取り合って」という状況が厳然と足元にあった。

カラスノエンドウは巻きひげで他の何かに掴まりつつ成長する草なんだから、お互いに支え合うという状況は普通かもしれない。でも、私には異常に見えた。というのはこれまでアレチウリなんかで見てきた印象で、同種は絡み合ってなかったようだからだ。

葛藤というのは葛と藤がからみあう状態で、それは腑に落ちる。植物にとって巻き付かれ足場されるのは迷惑千万だろう。日当たりが悪くなるからだ。異種間であれば情け無用の生存競争を繰り広げるべきだ。同種では相打ちを避けるために巻き付きは遠慮しあうほうが理にかなっている。そんな先入観から巻きひげを見誤ったのか。

今年は庭のカラスノエンドウが豊作だ。観察の時間もとれた。私が見る限り、カラスノエンドウの巻きひげに遠慮はないようである。同種であれなんであれ巻き付けるものは巻いてしまう。アレチウリなんかでも同様なのか、カラスノエンドウは例外なのか、他の巻きひげ植物を観察しなければなるまい。


2020.5.18(月)雨 害虫

キバラモクメキリガ

わが家にも少なからず害虫がいる。サンショウにつくアゲハは害虫で駆除の対象だ。かつて、アゲハを好き放題にしておいて、サンショウが全滅した苦い経験があった。アゲハはサンショウと同時にミカンにもついていたが、サンショウもミカンも幼株だったものでアゲハを養い切れなかった。木は枯れ、虫は餓死して共倒れだ。

こうして、人命か経済ということに類似の二者択一を迫られることもある。甘い考えでぐずぐずしていると取り返しがつかない事態になるのだ。

写真のキバラモクメキリガの幼虫が食っているのはヤマノイモである。ヤマノイモもわが家では雑草である。ムカゴは少しばかり食べているけれど、イモを栽培しているわけではない。雑草なら建前として食ってもらってかまわない。しかし、このヤマノイモに限ってはワンランク上のプレミアム雑草だ。というのは成長を毎年楽しみに見ているからだ。去年は雨樋とエアコンの排水パイプをつたってベランダに到達した。今年はどこまで行くのか、はたして何年生きるのか。玄関のタイルの隙間から伸びてきたヤマノイモの成長はちょっとした楽しみなのだ。

キバラモクメキリガはわが家でもけっこう多いイモムシだ。ヨトウガの仲間で草むしりをしていると丸まって転がっていたりする。こいつは6日にカラスノエンドウの茂みにいた個体だろう。ずいぶん成長したもんだ。抜け目なくヤマノイモを見つけ一晩で葉を4枚ばかり食った。この調子で食われると、ヤマノイモに致命的な害を及ぼすかもしれない。かといって殺すのはかわいそうだ。多食草のイモムシなんで、場所を移ってもらうことにした。


2020.5.23(土)くもりのち晴れ キアシドクガ

キアシドクガ

今日は午前中雨の予報だった。いさんで境川。群青ででかける。雨の予報さえあれば境川は空く。雨が降る必要はない。ひさびさに気分良く走れる。

境川ではキアシドクガが目立つ。写真のようにミズキを乱舞するのはなじみの光景だが、モンシロチョウと見まがうようなところにもいる。数年前にはキアシドクガがサイクリングロードわきのキャベツ畑を飛ぶことはなかった。飛び方が蛾なんですぐに区別はできるけど。

キアシドクガを知ったのは50年前だ。実物ではなく小説で読んだ。実際に群れ飛ぶ姿を見たのは35年ほど前のことになる。石川県の尾口村に発生木があり白い蛾が乱舞していた。そいつらがキアシドクガだと白山自然保護センターのプロに教えてもらった。その当時、キアシドクガが乱舞する木は多くはなかった。自然豊かな場所では大発生はないかもしれないという彼の見解も聞いた。

神奈川県でもしばらく前はそれほど多い蛾ではなかった。この10年ぐらい徐々に数を増やしているように思う。継続的に観察している下水処理場裏でも2年前よりも去年の方が多く、去年よりも今年の方が多い。境川、相模川、小鮎川一帯では群れ飛ぶ様子が見られる木の数が増えている。今年ぐらいの数だと「きれいだ」という印象だ。この調子で増えてもらって、壮観を越え、不気味なぐらいの乱舞を目にしたい。食べ物がその辺にいくらでもある雑木のミズキであるし、毒のある蛾でもないから駆除の対象にもなるまい。


2020.5.26(火)くもり一時雨 ナナホシテントウ

ナナホシテントウ

ジューンベリーのひこばえになった枝先にナナホシテントウの幼虫がとまっている。アブラムシをたんと食ったようで、糞をしつつすっかり落ち着き満足げに見える。葉にはアブラムシの脱皮殻か死体がけっこうついている。生き残りも少しはいるようだ。

アブラムシ

5日前、葉はこんな感じでアブラムシの天下だった。ナナホシテントウの幼虫一匹でこれだけのアブラムシを食いあさったのだろうか。

この春、アブラムシはまずカラスノエンドウで大発生した。緑色で角状管が黒く赤目のかっこいいやつだ。アブラムシはアブの幼虫の餌食となり、ナナホシテントウもやってきた。カラスノエンドウがアブラムシを養ったのは2週間ほどで、今最もアブラムシが多いのはジューンベリーだ。カラスノエンドウのとは色がちがい種類も違うようだ。

アブラムシはアリに守られるというのが定説だが、いまいちそういう様子が観察できていない。アリはたしかに甘露を物色している。しかしアブやテントウムシをあえて排除する様子はない。テントウムシ成虫は神経質そうに草の上をせかせか歩く。それもアリから逃げているわけではない。そもそもこの夏はアリが少ない。

これから梅雨まではドクダミの花が最盛期を迎える。ドクダミの花にもアブラムシがたかる。ドクダミのアブラムシには例年トビイロケアリが集まってくる。数年来の撮影対象だ。ドクダミの花の中でアリが甘露を受け取るシーンを狙っているのだが、うまくいってない。アリが少ないようだとまただめだろう。


2020.5.29(金)晴れ フリーセル10万

さきほどフリーセルの100000番を解いた。Super Mac Freecellというタイトルのソリティアで、旧OS時代のマックのソフトだ。製品版で1000円ぐらいだった思う。購入時の解説によれば、10万に1つの割合で解けないゲームがあるということだ。じゃあ、その解けないものを一つ突き止めてやろうとスタートした。記録を見れば1番を解いたのは1998年12月13日午前0時40分となっている。

Super Mac Freecellはゲームとしてできのいいものではない。かなり退屈である。とくに終盤は解けることがわかり切っているのに手を動かさなければらならない。2万個ほど解くうちに、私も飽きてきた。効率化のために解けることがわかった時点で「降参」して次のゲームに進むことにした。

そもそも私の天分としてこういうゲームには向いていない。論理的思考に弱点がある。推理力を使って数手先を読むことが苦手だ。子どもの頃から将棋とかオセロとかはからっきしだった。

10年、20年と辛抱してやればそれなりの上達もあった。最後の1万個は呼吸するように解くことができた。モニターを前に永井真理子を聞きながらよどみなく手が動く。その様子はあたかも修行僧が瞑想をしているかのようであったという。

このゲームは10年以上前に絶版になっているはずだ。いまだにこれをやっている人は世界でただ1人だろう。ひとまず10万個やってみて解けなかったのは2個だった。83872番と84057番である。これからしばらくはこの2つが本当に解けないのか、実は解けるものなのかを確かめることになる。


2020.5.30(土)晴れ TG-5の実力

ジョロウグモ

チネリで境川。ちょっと重めのギアを使って巡航練習。チネリのギアはフロントが52-42T、リアが13-19T。今日の風は南寄り15〜20km/h。向かい風だと、52×18Tか42×15T。80rpmにすると28〜29km/hになる。計測機はついていないけれど対空速度、ケイデンスは体感でわかる。体重をかけながら踏み足、引き足をつかう練習に終始した。ふと左足が開いて膝が振れていることに気づいた。漫然とペダリングをしてきたわけではない。きっとクリートがすり減っているせいだ。交換しなければ。

写真は虫観察ポイントのジョロウグモ。例年ここにはジョロウグモが多い。周辺には史跡の保存林と杉林、お墓と畑と住宅があってなじみの虫が多い。クモが巣を張っている木にアオダイショウの脱皮殻がかかっているといったラブリーな場所だ。

このジョロウグモは2齢だろうと思う。庭の観察では孵化した幼虫はボールを作って、1回脱皮してから散っていく。散った幼虫がかけた最初の巣ではないかと思う。

私の老眼ではこういう小さい虫を視認することができない。長年培った経験でジョロウグモの巣がありそうな場所を探し、クモの巣の中央付近にクモらしい象が見つかればこっちのもんだ。TG-5を接写モードにしてマニュアルフォーカスピント合わせ用の拡大画面にすれば私でもクモの姿が確認でき、撮影もできる。

オートフォーカスだとこういう写真は難しい。優れもののTG-5ではあるけれど、広めのアングルではオートでクモにピントは来ない。最新型の一眼レフならオートでいけるんだろうか。スマホでも撮れないことはないが、裏技を3つばかり組み合わせる必要がある。

足元にはドクダミの群落があった。たまたま5弁の花を見つけて撮ってみた。その花の回りをみると異常な花ばかりだった。異常といっても、小型の花びらがちょこんとついているものだ。この異常は珍しいものではないが、ことごとくがそうなっているところをみれば遺伝的なものだと思う。ドクダミは地下でつながっているし、交配もしないはずだ。

異常な花を物色して、ちょいと珍しい8枚タイプを撮影した。その花のわきにオオカマキリの幼虫がいることに気づいたのは帰宅して写真をパソコンモニターで見てからだ。オートフォーカス時はピント確認はTG-5の発するピッという合焦音が頼りだ。その音は接写時でも7割方が信用できる。少なくとも私の目よりは確かだ。手を最大に伸ばしても写真機のモニターがぼけている哀れな老人であるから。


2020.5.31(日)くもり ジンガサハムシの縁

葉の糞"

小鮎川の脇にある大きなゴルフ場には放置されている林がある。木も草も伸び放題で原生林の風情すらある。その端っこに元人家とおぼしき廃屋がある。建物の脇にはまだナンバープレートがついている乗用車が朽ち果てようとしている。その家の庭だったところは虫の楽園だ。高木に囲まれた荒れ地にはほどよく日が入り、各種雑草が茂っているというだけのことではあるが。

その廃屋を囲む茂みにナカガワをたてかけ、赤い実のある低木を観察していると、ジンガサハムシらしいシルエットが目に入った。ただの糞かなにかかもしれないけれど念のために撮影しておいた。それが今日の写真。

そこにコジャノメが飛んできて草むらの中に止まった。これはチャンスと近づけばシャッターを押す寸前に飛ばれた。しかし2m飛んでそばの草に止まった。チャンスはまだあると近づいて写真を一枚撮れば、また飛んでそばの草に止まった。チョウの前にある草がじゃまだ。だが、さきほどの写真は感触が悪かったので、もう一回近づいて一枚撮った。これもいい写真ではないという感触があった。角度を変えてもう一回シャッターを押そうとした瞬間に飛ばれた。

チョウを追って行こうとしたとき、足元の葉にジンガサハムシ(じつはヨツモンカメノコハムシだった)がみつかった。さきほどのとは違い私の目にもはっきりそれとわかる大型のジンガサハムシだ。コジャノメよりこっちのほうがいいやと撮影しようとすれば、もう一頭見つかった。これはラッキーとしっかり撮影しておいた。

バッグのベルト長さを調節しようと相模川の脇に自転車を止めて、足元をみると小型のコクワガタが歩いていた。目久尻川でつぶれたコクワガタ♂を見つけていたこともあり、持って帰ることにした。たまたまコンビニで不要なレジ袋をもらい、虫入れにでもなるかと捨てずにバックの中に入れていた。レジ袋がなければ捨て置いたところだ。偶然の重なりが縁になる。

帰宅して撮った写真をチェックしてみれば、コジャノメはピンぼけで、最初のジンガサハムシ?はただのゴミだった。これだけ似ても似つかない代物を虫だと思う目もどうかしている。速攻、パソコンのゴミ箱に放り込んだ。そしてジンガサハムシの写真をレタッチしていると、ふとゴミ写真が気になった。なんとはなしに目に止まった擬態ゴミの直後にホンモノが見つかったというのは、なにかの縁なんだろう。ゴミ箱から取り出して保存しておくことにした。


2020.6.1(月)雨 ドクダミのピーク

ドクダミ

今朝から弱い雨。ドクダミの美しさがピークをむかえている。ドクダミが最も溌剌と美しいときは庭の最盛期でもある。ドクダミの花は次々に咲いているのに、花に来るアリが見あたらない。アブラムシが増えるのはこれからなんだろう。


2020.6.2(火)くもりのち晴れ ボウフラ発生

ボウフラ

5月にセットした田んぼ水槽にボウフラが発生した。これは田んぼから土をもらってきて水道水をいれて放置するという、なんともずぼらなアクアリウムである。数年来やってきているが、ボウフラの発生ははじめてだ。

発生の原因には思い当たるふしがある。今年は土を洗わずに、素のまま水槽に入れて水を注いでみたのだ。去年まではごくごく貧栄養な水槽となってコケも生えなかった。ミジンコの発生もイマイチだった。貧栄養の水槽は水草を鑑賞するには好都合ではあるものの、もうちょっと自然な状態ならどうなるんだろうと試してみたのだ。

コケはセットしてすぐにはびこってきた。そしてボウフラが大量にわく。写真には何者かが産み付けた卵らしきものが写っている。ざっと土を洗って枯れた稲の根茎等を捨てる作業が栄養を流出させることがあらためて明らかになった。これはこれで楽しいかもしれないけれど、蚊の発生源になるのはまずいので対策する必要にせまられる。


2020.6.4(木)くもり 84057番が解けた

84057

Super Mac Freecellの解けていない2つのうち84057番が解けた。かなりうれしい。写真にあるように84057番は見た目難しそうではない。しいてあげれば黒の6と黒の9の配置がやっかいだ。とりあえず定石的にスペードのKから進めるとすぐに行き詰まる。あの手この手を試しても、あと1手というところで行き詰まる。

普通はとりかからないクラブの7からはじめ、34手で解けそうな期待感を持つことができた。Super Mac Freecellは10万のうち1つが解けないというゲーム解説はまた一歩正確になった。

残る1個は83872番であるが、こいつはもう見るからに凶悪である。どうやってもすぐに行き詰まる。たぶん100回以上負けている。おそらく必敗の相手である。それでもチャレンジは続ける。今日のようなことがあるかもしれないのだから。


2020.6.5(金)晴れ ネイチャーフォト

メダカ

田んぼ水槽にボウフラが無数にわいて、こりゃこまったととりあえずメダカを投入することにした。娘が言うには近所の大工道具なんかを売っている店にメダカがいるらしい。昨夜、自転車で行って20匹ばかりヒメダカを購入しスイレン鉢と田んぼ水槽に放り込んだ。

その効果はてきめんで田んぼ水槽に入れた4匹は一夜にしてボウフラを一掃してしまった。自分でやらかしたことではあるが、ボウフラに同情してしまう。スイレン鉢は広く、セリという隠れ家もあって数百は生き残っている。田んぼ水槽は大きなボウフラだけでも100匹は下らなかった。孵化したての小さいものを合わせれば1000匹はいただろう。2日の写真にだって50匹は写り込んでいるのだから。

そこで記念撮影となったのが今日の写真。思いのほかネイチャーフォト感があって笑える。田んぼの土と稲の切り株。芽生えてきたシャジクモにびっしりついた藻はたぶん珪藻。そこを泳ぐ野生のメダカ。

なぜか手前にドクダミとか、安物感満点の傷だらけのプラスチックケースとか、撮影者の写り込みとか、メダカが実はヒメダカの先祖返りタイプとか、使えない要素は満点だけど、6月の稲が根付いた頃の田んぼをおよぐメダカの写真を作りたければこうするのが手っ取り早い。背景に水稲をあしらって。

子どもの頃、近所の田んぼは生き物がいっぱいいた。メダカは生息しておらず魚類はもっぱらドジョウだった。いつのまにか魚類のいる田んぼはなくなった。


2020.6.6(土)晴れ アリグモの擬態

アリグモ

境川に群青で出かけていつものジョロウグモ観察ポイントで撮影をした。ジョロウグモは毎年のことながら順調に生育している。

今日は、遠近両用サイクリングゴーグルなるものを持っている。普通のゴーグルの下部に貼り付けられた凸レンズのおかげで、70cm先までピントが来るというすぐれものだ。普段から大村崑さん風に遠くを見るときは老眼鏡の上からだ。そういう習慣がついていると、こういうアイテムへのなじみが早い。

そのおかげで見つけたのがアリグモ。どういうわけかサラグモ系の網がある葉の上にいた。

アリグモは大きめのアリに見える。俗に言う自然界の不思議である。こういう姿の解釈として「アリのふりをしてアリに近づきアリを襲う」とする誤謬がある。われわれは極めて視覚的な動物なもんでこの手の誤解をしやすい。一歩踏みとどまって冷静に考えないと迷い道を進むことになる。

夜中に短く雷雨があった。


2020.6.7(日)晴れ 継続観察

ジョロウグモ

昨日とほぼ同じ行動をとれば継続観察をすることになる。スイレン鉢のボウフラはものの見事に食べ尽くされ、今朝確認できたのは1匹だけだった。スイレン鉢はずっとアマゾン川のような泥水でメダカの姿が見えない。昨日の雷雨に期待したけれど私の所ではそれほど降ってくれなかった。広さと濁り水のせいかヒメダカが野性味を出している。ときおり水面近くに来ても私の気配を察すると急いでもぐっていく。これはこれでなかなかけっこうだ。

スイレン鉢にはこの春、田んぼから移植したセリが育っている。おそらく移植のときに連れてきたヒルが1匹よく泳ぐ。赤黒いタイプのやつだが、ヒルというのはこんなに水面近くを泳ぐものだったろうか。ほかにも何か正体不明の虫がわいた。セリの葉で3センチほどの小さい尺取り虫が倒立していた。これも移植に伴う者なんだろうか。

たまたま見つけたジューンベリーの枝先のキマダラカメムシらしき幼虫の群れは朝にもあった。ジューンベリーの葉にはけっこう茶色の斑点が出て不健康に見える。もしかしてキマダラカメムシの食害なんだろうか。幼虫の群れは午後には散った。

群青で境川にでかける。本流のオオカワヂシャは一掃された。横浜市の水情報ページを見れば昨夜の増水は1m超だったようだ。大きなアオダイショウが道路を横切ろうとしてサイクリングロードの半分を占領していた。避けてやり過ごすとヘビを危険にさらすことになる。ブレーキを引いてスタンディングをかけると川の方に反転していった。この夏はサイクリングロードの路面に虫が見あたらない。梅雨入り目前のこの季節がこれほど寂しいのは異常だと感じる。

ジョロウグモ観察ポイントで継続観察。昨日発見したオレンジのボールには変化がない。こういうのは虫こぶの可能性があるからと、日本原色虫えい図鑑をひいてみたが引き当てられなかった。そもそも植物の種名がわかっていない。よく見かけるタイプの蔓性の植物で、花でもつければはっきりすると思うのだが念のために草体がわかる写真も撮っておいた。ヘクソカズラ、サルトリイバラ、カラスウリはそばにある。カラスウリはクロウリハムシにかじられていた。おなじみの光景だ。

驚いたことにアリグモが昨日と同じ場所にいた。アリグモはハエトリグモみたいに徘徊するクモだと思っていた。造巣性か待ち伏せタイプか。見方を変えた方が良さそうだ。

昨日もモデルになってもらったジョロウグモに赤い獲物がかかっていた。ウンカなのかヨコバイなのか。ジョロウグモよりも一回り小さい虫である。これぐらいのサイズで狙えばオートフォーカスが働く。やるなTG-5。

独特の花の臭いに誘われて近くの栗林にいってみた。栗はいろいろな虫を養う。花にはかっこいいハナムグリやシジミチョウが来ていた。一本欲しくなる木だ。

うるさいぐらいいたキアシドクガはすっかり姿を消した。かわって木々の梢を舞う白い蛾はウメエダシャク。数は全然少なく見つけるとうれしい。やつらのひたむきさは好感度が高いのだ。


2020.6.8(月)晴れ ジューンベリーの梢

もう5年以上になるだろうか、毎朝ジューンベリーの木を観察撮影している。実の季節は賑やかだった。今季は食べかなったが赤く熟した実はヒトも生食できる。その実を食べにヒヨドリ、ムクドリ、オナガが来てぎゃあぎゃあ騒ぐ。今年はハクビシンまで来たらしい。

虫は大小さまざまなものが見つかる。先週には1頭のウメエダシャクがジューンベリーの梢を舞っていた。ウメエダシャクは弱々しい感じながらけっこう長い時間飛び続ける。メスを探すオスなんだろうか。そのはばたきにはいくぶん悲壮感すら漂う。何かを食べる様子もない。今年はウメエダシャク幼虫を1匹だけ確認しているが、それが羽化したのかもしれない。庭発生はどうやら一頭だけのようである。

しばらく剪定をさぼって、1つの梢は2階の窓から手が届く距離まで伸びている。たまたま一番近い葉が何者かに3分の1程かじられ巻かれていた。手が届くのを幸いに開いてみれば何者かの幼虫が糸を吐いてつつっと落ちていった。糸をたぐり寄せて葉に戻すと3日ほどそこに留まり葉を巻いたまま食べていたようだ。そして7日の朝に葉が開き幼虫は行方不明になっていた。

梢の葉で運良く見つけたのはキマダラカメムシの幼虫。10頭ほどが1枚の葉に三密していた。昨日の午後にその三密がみつからなかったため、もう散ったのだと思い込んでいたら今朝になって同じ三密が見つかった。それも昼頃には卵の殻を残して葉から散っていった。枝を歩いている幼虫は1頭だけ確認できた。春にはキマダラカメムシの成虫がずいぶんジューンベリーにたかっていた。この分だともっと幼虫がいそうだ。今朝は成虫も1頭見つけている。母親が卵を守って力尽きるというカメムシ美談は当てはまらないのだろうか。

ジューンベリーで初めて見る甲虫(6月30日にリンゴカミキリと判明)がいた。初見でジョウカイボンかと思ったが見慣れているジョウカイボンとは雰囲気が違う。比較的特徴ある虫ながら、こういう者の名前探しは難しいものがある。ジョウカイの一種なのだろうか。けっこう飛翔力がある。2頭確認している。


2020.6.10(水)晴れ 定点観察

葉1

3日の朝に撮影した「一番近い葉」である。なんでこれをあえて撮影したかはわからない。2日までは別の葉を撮っている。滅多にないことだが、なんとなくレンズを向けてシャッターを切ることもままある。この葉の特徴といえば、葉裏が半分だけ見えているところにある。

葉2

翌4日にはその特徴がもっとはっきりした。葉は中央からたたまれているようで先3分の1程が消滅している。こういうことが起きるのは葉の中に虫がいるのだ。

葉2

葉は手が届く所にあるから引き寄せて開いてみた。するとこの青虫がはい出して、糸を使って降下をはじめた。あわてて糸をたぐって引き寄せ元の葉に戻して撮影したのが左の写真。こいつの正体はわからない。蛾なのか蜂なのかもわからない。うしろ3分の1の所の背に特徴があるといえばあるけれど、青虫幼虫の同定はまず無理だ。

葉3

翌日には葉は再び巻かれていた。青虫は他の葉に移ることはぜずにもとの葉をもう一度巻き返すようである。巻いた葉の中からその葉をかじる。西洋の童話にあるお菓子の家みたいなものか。

葉4

発見から4日目。さらに葉はかじられた。

葉5

5日目。青虫の葉が開いている。青虫がどこに行って何をしているのかは不明。

葉6

6日目。昨日と同じ状態。虫にかじられた葉がそこにある。以降今日まで変化は見られず。


2020.6.11(木)晴れのち雨 梅雨のドクダミ

メダカ

ドクダミには雨が似合うが梅雨の花ではない。今日の写真は比較的早めに咲いた一群。とうに盛りは過ぎて茶色の花が目立っている。

ドクダミの花の期間は長い。一斉に白い総苞片を広げ、花は下から順に一週間ほどかけて開いていく。その間は白い総苞片が目立ってすてきな景観になる。白い花が茶色くなっていくのに歩調を合わせて葉のみずみずしさが消えていく。一仕事終えたドクダミの群落が雨に打たれているのが梅雨の風情だ。

今年はドクダミの花にアブラムシが少なかった。梅雨入りの今日もアリがうろつく花が見つからない。ただ1回だけ、6月4日に一本の花にアリが来ているのをみとめた。D700で撮りはしたものの平凡なカットでしかなく甘露はもちろんアブラムシも写っていない。狙いのシーンをおさえるのは難しい。さて来年はどこまでやれるか。


2020.6.13(土)雨 ムラサキシャチホコへの擬態

落ち葉"

梅雨入りしたとみられるという気象庁の宣言を忠実に守るかのように雨が降っている。雨が降れば道路が空く。道路が空けば楽しく走れるといさんで境川。群青で出かける。

境川には人は少ないが虫はちょっといた。道路に出てきたセスジスズメは今季初目撃。毛虫は今年のブレークが期待できるマイマイガ。オオクロコガネらしいのもいた。クロコガネなら庭にたくさんいた。そいつらにそっくりでやたらとでかい。アントニオ猪木とアンドレザジャイアントぐらいの差がある。オオクロコガネなら初記録だ。

写真は水汲みに寄る鷺舞橋で撮った。賢明な読者諸君はすでにお気づきのように、こいつはムラサキシャチホコに擬態した落ち葉である。さすがに私はこいつを見つけて、ムラサキシャチホコ!と胸ときめかすほどの素人ではない。そもそもサイズが全然違う。小学1年生とアンドレザジャイアントぐらいの差があるのだ。

ムラサキシャチホコは枯葉擬態の術で国民的アイドルになっている。その擬態は言葉を失う見事なものだ。ところが意外にもムラサキシャチホコっぽい落ち葉はそう多くはない。こいつはいけてるほうだと思って撮った。図体がでかい他はぎざぎざの切れ込みが大きすぎる。まだ若くて青臭さが残っている。もうちょっと成熟すれば一皮むけるだろう。

ムラサキシャチホコ本人は『人を隠すには人の中、ムラサキシャチホコを隠すには枯葉の中』と思っているわけではない。あれは隠蔽擬態ではない。いわば公開擬態である。どこにどう置いても枯葉なら枯葉の中にいる必要がない。青い葉の上であろうと、アスファルトであろうとかまわない。むしろ対鳥戦術としては、あえて見つけてもらって「ああ、枯葉ね」と思わせる方がいいだろう。公開擬態ならばその方が洗練されていくはずだ。ただヒト相手ではそうはいかない。ムラサキシャチホコ好きはそのサイズ、いそうな場所、背から見た図、横から見た図といった探索イメージを持つことができる。そして10年、20年の長きにわたってムラサキシャチホコを探し続けるのだ。ファンの中には捕獲して展翅する輩も少なくない。田舎道の自動販売機とか人目につく所にとまるときは要注意である。


2020.6.14(日)雨 83872番が解けた

落ち葉"

Super Mac Freecellを10万個解いたのは先月の29日だった。その後、10万のうちの解けなかった2つだけに取り組んで、1つは4日に解けた。もう一つの83872番も同時にやっていたが、こちらの方は絶対解けない確信があった。この10日でも100回以上負けた。すぐに行き詰まるフリーセルは凶悪だ。あきらめ気分で挑むゲームなんてただの罰ゲームである。

私は時間つぶしにフリーセルをやるような暇人ではない。Super Mac Freecellに付属の、ゲームを保存する機能を利用して解ける可能性が高そうな筋道を保存記録して、それを足がかりにああでもないこうでもないとトライし続けた。永井真理子を聴くこともなかった。鼻歌混じりでなんとかなる相手でないからだ。定石にはない奇手であと一歩二歩と道を開かねばならない。1回のトライアルにせいぜい10分しかとれなかったのは、集中力が持続できなかったことと、必敗の強者を相手にし続けて負け犬根性が染みついたためである。

83872番の胆は黒の10と黒の7と赤の4。こいつらのいずれかを早いうちに整列の中へ解消することにある。可能性は黒の10が一番高い。しかし10に行く前に黒のKを2つめくらなければならない。黒のKでフリーセルを2個埋めることになるが、残り2つか1つのフリーセルは残せるのか?こいつは手強い。スタート時の一瞥でここまではわかる。

今日の写真は83872番の解法の29手目。ここまで来て、もしかして解けるんじゃないか?という期待を持てた。左端の赤のKとJでフリーセルにあるクラブのQを引きづり降ろしたKQJの整列を作る道筋が見える。そこまでいけば黒の7もどうにかなりそうだ。並のゲームなら5秒、7手ぐらいで到達できる境地である。

さて私は10万番まで解いてしまった。解けたのはめでたいけれど、初志の「解けないゲームを見つける」ことは完遂できていない。さてこれからどうすればいいのだろう。実は10万解いたと公表するための「数合わせ」として10日ほど前に100001番を解いている。ごくごく簡単なゲームで何も考えず15秒で解けた。退屈である。Super Mac Freecellのせいではないが、フリーセルには退屈なゲームが多すぎる。この退屈さを乗り越えて、解けないものを見つけるための再発進ができる気はしない。勝者を襲う無力感というのはこういうことなのか。


2020.6.14(日)雨 蚊の亜成虫?

蚊の亜成虫?

そろそろ田んぼ水槽にボウフラがわいているはずだからとチェックすると写真のようなものがあった。昨日には浮かんでいなかったから、事件の発生は昨夜から今朝にかけてだ。一つではなく5つばかり小さなプラケースの水面に浮かんでいる。一つなら何かの間違いと見過ごすが、5つあれば要チェックだ。

一見して、これはヒトスジシマカの羽化殻だと思った。庭にいる蚊はほとんどヒトスジシマカであるし、田んぼ水槽ぐらいの栄養度を好む蚊でもある。水槽に止まっている成虫をよく見る。

だが、ヒトスジシマカの羽化殻という線はない。ヒトスジシマカは水中のオニボウフラの背が割れてぶ〜んと飛び立てば、それが成虫だ。水面に成虫然とした羽化殻が残るなら亜成虫ステージが前提となる。蚊にそんなものがあるわけがない。

どう考えてもこいつは成虫の死骸である。ヒトスジシマカだろうか。画面左に写っているボウフラの抜け殻は十中八九ヒトスジシマカだ。ついでにその左はちぎれた翅だろう。

ヒトスジシマカだと考えたのは状況証拠の他にも非掲載の写真の個体の背にヒトスジシマカっぽいラインが認められたからだ。ただし、色は黒白ではなくこいつと同じ褐色である。こいつがヒトスジシマカの抜け殻でないならば可能性が高いのはユスリカだ。写真の個体の色合いのユスリカは庭に多い。写真にはふさふさの触角も写っている。

ユスリカの死体として、なんで5つも一緒に浮かんでいるのだろう。昨日は雨が強かった。雨滴が大きかった。田んぼ水槽を覆うようにして灌木があり、そいつの枝が強い風雨を受けて水槽の上で揺れていた。朝には枝葉が水面につかっていた。その状況で枝葉のユスリカが落ちたという線がある。

水面の事件はひとまずおいて、水中にはけっこうな数のボウフラが認められた。水槽の水ごとスイレン鉢に流し込んでメダカの餌になってもらった。メダカとはいえ魚類だとペット感がある。元気に泳ぎ、元気に食べる様子をみるとうれしい。ただスイレン鉢の中が一気に殺伐としてしまった。あらためて魚類は強力な環境破壊者だと思った。


2020.6.17(水)晴れ クモの巣

クモの巣

写真の門塀にクモがひそんでいることに気づいたのは14日のことだ。たぶん知らない種類のクモだと思う。幾度か見に行ってるけれど、門塀の陰に隠れて足だけしか見えない。いつも同じ場所、←の所にいる。

そいつの巣らしきものに小さな甲虫がかかっているのを見つけたのは昨日のことだ。写真の←のところにあるのがそれ。写真ではアスファルトに転がっているみたいだけど、これはクモの糸にかかって空中にある。

糸は門塀に隠れているクモが張ったものに違いあるまい。では、この獲物は食べた後なのだろうか。それならば巣の奥に引き込んで食べる習性のクモではないということになる。さすがにトロフィーよろしく亡骸をわざわざ外にひっかけておくことはしないだろう。

こいつの巣の張り方はたいへんいいかげんだ。隠れ家の回りをけっこうな広範囲に闇雲に糸を張っている。地面にも接しており、オオヒメグモのように歩いている虫が糸で吊り上げられる仕掛けなのかもしれない。粘球のある糸、無い糸の区分がよくわからないけれど、きっと飛んでいる虫がかかる立体的な仕掛けにちがいない。

いずれにしてもこの手のクモを観察できるチャンスははじめてだ。私が見つけた甲虫は歩いていたものか、飛んでいたものか。死んでいるようだからクモに噛まれたのは確かだろう。獲物がかかったことに気づいたとき、クモはどういう動きをするのだろう。


2020.6.19(金)雨 セスジユスリカ

セスジユスリカ

なにげに窓の外を見れば、網戸に虫が止まっている。一瞬にして、あっこいつだと思った。14日に蚊の亜成虫?などと世迷い事を考えたあの虫である。

老眼鏡でもよく見えないサイズなので、取り急ぎ接写しておくことにした。D700の90ミリマクロだときれいに撮れない。虫のサイズが小さいのだ。そこでクロナガアリに特化させているスーパーマクロを取り出した。やはり画質的に辛かった。背景が真っ黒になり、網戸の網がテカってしまう。スーパーマクロはストロボなしでは性能が発揮できない。

こういうときはTG-5。5mmの虫がバッチリ写る。被写体が動かず、十分寄れ、それなりに明るいときにはTG-5が大活躍なのだ。携帯性、防水防塵ということも合わせてまさしくオールマイティカメラである。

首尾良く撮影して学研の図鑑で名を調べれば、どうやらセスジユスリカの類であるらしいことがわかった。全体の雰囲気からみても、田んぼ水槽に浮かんでいた虫たちはこいつと同じ種類だろう。住宅地に普通のユスリカで、普通のアカムシが幼虫だということだ。スイレン鉢には多くはないけれど、アカムシが生息している。きっとセスジユスリカのアカムシだ。


2020.6.20(土)晴れ 境川の鯉

鯉

群青で境川に乗り出せば、ほうぼうでキリギリスが鳴いている。夏の音だ。これでウスバキトンボでも飛ぼうものならホンモノの夏。明日は夏至でもある。

写真は恒例になっている鷺舞橋から見下ろした写真。中型の鯉が3頭たわむれている。このサイズの鯉は放流されるものではないから、境川で生まれ育ったものだ。

たいていの河川の鯉は環境に悪いけれど、鯉のほうからみればたいていの河川環境が悪い。ぜんぜん子孫を残せないようでは生きる張り合いもなく、弱れば大水に流されて海に出るばかりだ。

こうして中型の鯉が簡単に見つかるのは、鷺舞橋の池で放流鯉が繁殖できているからだ。鯉とはいえ若者がすくすく育っていることがうれしい。

帰路、ジョロウグモ観察ポイントによってみた。虫こぶっぽいものがどうなっているのか確かめたかった。ざんねんなことにあのオレンジは見つからなかった。虫こぶではなくすぐに消滅する物だったのか、草が刈られてしまったか。単なる見落としなら毎週チェックするところなので再会の可能性がある。


2020.6.21(日)くもりときどき晴れ オレンジの実

オレンジの実

今日も群青で境川。夏至を迎え路面に出てくる虫が多くなった。ゴマダラカミキリはこの季節のエースと言えよう。トノサマバッタが見つかって驚いた。トノサマバッタは夏休みの終わりの秋の虫だという印象がある。親類のショウリョウバッタなんかはまだまだ小さいものしか見つからない。

虫が多いもんで何か拾えないものかと、観察ポイントに寄ってみた。境川での陰気系、陽気系両方の虫が見つかるのは崖の下だ。田畑として拓かれている河川の平地と自然植生がわずかに残る崖の間だ。なじみのポイントは自転車で入れる。崖の狭間にある狭い道路が封鎖されて人がほとんど入らず荒れて虫ポイントになっているのだ。

そこにオレンジ色の実をつけた木があった。キイチゴだろうと名前を調べるため撮影しておいた。実の様子はイチゴなのだけど葉がイチゴっぽくない。バラ科かどうかも怪しい。まあ、特徴ある実があるのだから名前調べは難航しないだろうと軽い気持ちだった。

自転車はひたすら足運びの練習。足運びが自転車技術の胆であることはまちがいない。30km/h巡航のやり方でもいいんだけど、せっかくビンディングもあることだし踏み足、引き足も使いたい。ただ、そういうテクのまねごとを下手にしてもスピードには乗れず疲れるだけだ。足運びが大事だ。

今日意識したのは脚を早く前に運ぶこと。膝を意識して太ももを上げて前に出そうとするとうまくいかない。早く踏むために急激に力をかけると脚の付け根の内側にダメージが来る。脇腹を意識して、足が一番下にあるところから、脇腹を前に持っていくついでに脚が付いてくるという感覚でやってみた。右脇腹を前に運べば左脇腹は後ろに下がることにある。自転車はペダリングに合わせて少し左右に振れる。この腰のスイングをうまく使うと無駄なく脚が前に運べる。膝があまり上がっていない感じがする。

帰宅してオレンジの実(コウゾと判明)を調べれば、これが意外にわからない。各種図鑑をくっても、画像検索でもこれというものがない。科学的な検索の基本が身についていない。


2020.6.26(金)くもりときどき晴れ ウスバキトンボのシーズン

ウスバキトンボ

12時25分頃、TBSニュースで及川藍さんの天気予報を見ていると画面を虫が横切った。さてはと注視するならばそれはやはりトンボであった。30秒ほどの間に4回ほどトンボが画面を横切り、2匹同時に写ったのも1回あった。

TBSニュースの天気カメラは港区にある社屋の屋上だろう。写真左のほうにパンすれば防衛省の鉄塔が写る。この季節、この時間、この場所で写るトンボは十中八九ウスバキトンボだ。真夏になれば各地のお天気カメラに写りこむことは珍しくない。

ウスバキトンボは物心ついてからのなじみだ。毎年その飛来を心待ちにしている。早い年は5月に見るが今季はまだ会ってない。遅れているのは東アジアのダイナミックな天候がその要因だろうと思っている。

ウスバキトンボはきっと太平洋高気圧の南風に乗って海を越えてくるのだ。今年は梅雨前線が北に行ったり南に下がったりいまいち安定しない。ジェット気流も変な所にいるらしい。そういう気象とウスバキトンボの関係を知りたいと思う。調査できる環境がいまでは整っている。

20年ほど前に小学校のネットワークを利用したウスバキトンボの動向調査を目論んだことがある。日本の全小学校がインターネットで結ばれてパソコンが配備されることが決まったからだ。ならば全国に2万以上ある小学校でウスバキトンボの数を調べれば、動向がわかるはずである。

IT活用のホンモノ学習の材料ではウスバキトンボが唯一無二の存在だ。まず第一に全国全ての小学校で観察可能な虫(生物)はウスバキトンボだけである。夏が来れば全小学校にウスバキトンボが来ると断言できる。沖縄からサハリンまで無数に増えて一気に北上していくからだ。赤坂のお天気カメラにも写るように都市の小学校にも数多くいる。渋谷のセンター街は通勤で歩いているだけで毎年見かける。

第二に5秒見ただけで種の同定ができるのはウスバキトンボだけだ。この虫だけは図鑑とビデオを使って素人でも5分で学べる。ウスバキトンボ以外で小学生に同定可能な虫はアブラゼミとカブトムシ♂ぐらいのもんだ。

小学校の校庭を飛んでいるウスバキトンボを数えて、多い少ないを毎日日本地図にアップしていけばウスバキトンボの分布がわかる。気象データと組み合わせれば、海の越え方とか繁殖動向が掴めるだろう。日本自慢の富岳をもってすればきっと素敵な発見があるだろう。

20年前には小学生向けのIT教育をどうしようっていう議論があった。私はウスバキトンボを使ってコンピュータとインターネットのホンモノの勉強ができると思った。専門家からは一笑に付され相手にされなかった。知らない虫のことなんて面白くもなく役にも立たないから。


2020.6.27(土)くもりときどき晴れ 夏草

カナムグラ

群青で出かけた境川には色の濃い花が目立つようになってきた。カンゾウやヒメヒオウギズイセンのオレンジは嫌でも目に入ってくる。自転車道路の脇では草刈りを前にして夏草らが伸び伸び育っているのだ。

写真は今季ちょっと注目のカナムグラ。アレチウリやカナムグラは同種では足の引っ張り合いをしないと思い込んでいたが、それがどうも事実ではないらしい。真相を究明しなければならない。と大げさにいってもやることは簡単だ。

撮影した所は境川最大(当社比)のカナムグラ群落。数年にわたって夏草の主役の座を守っている。そいつが自転車道の白い鉄柵をつたわってさらに高所を目指している。こうした持ちつ持たれつの間柄がいつしか骨肉の争いになるのかどうかが興味の焦点だ。

自転車は先週足の運びに気づいたことがあり、引き続きトライしてみた。どうにもうまくいかない。足を前に運ぶのは、膝を伸ばすのと腰をひねるのと2通りの動作で可能だ。それを同時に練習するのは難しいから、ひとまず腰のひねりをやっている。どうやらこの運動は足が下死点にあるときに始めるのが良さそうという感触を得た。今日はそこまで。

お年寄りがカワセミを撮っている湧き水の林でニイニイゼミが鳴いているような気がした。毎年ニイニイゼミの初記録には自信がない。今年は冬から耳鳴りがひどくなり常時ニイニイゼミを聞いている状態だ。こういう体たらくでは自転車で走りながら初鳴きを記録するわけにはいかない。セミを見つけるのはダメでも、近くで聞かなければ。でも林に近づいてもセミの声は聞こえない。

セミはいなかったもののハグロトンボが見つかった。どうも未熟個体らしく2m以内に近寄らせてくれない。私のTG-5はトンボを被写体と思わないという弱点がある。2mでは何枚撮ってもきっとだめだろうと忍び足で近づくも、きっかり2mで飛んで3m先に止まる。仕方なくハグロトンボをあきらめて、水路に行くとオスのオオシオカラトンボがたくさんいた。これ幸いと撮影を試みた。TG-5はオオシオカラトンボも被写体とは認めない。なるべく近づいてなるべくたくさん撮らなければならない。オオシオカラトンボは遠くには逃げないが、飛翔力がある。私には虫を追う機動力がない。なんとか近づいてそれなりのサイズで撮って、さあフォーカスを信じて2枚目だ、とシャッターを切ろうとすると痛恨の電池切れ。帰宅して確かめれば、やはり1枚目は後ピンだった。

セミは鳴かない、トンボの写真の感触は最悪。とぼとぼ林を離れればそこに3頭の黄色いトンボ。からみあって縄張り争いのような飛び方をしている。今季初のウスバキトンボだ。これでホンモノの夏だ。24時間前に港区でそれらしいシルエットがあった。今日は境川で見つかるはずだ、ウスバキトンボを見るまでは帰れないとスタート時には決めていた。そんな決意なんて忘れていたけど。


2020.6.28(日)雨のちくもり 巣立ちのころ

数日前のこと、近所のムクドリが巣立った。もう20年ほどになるだろう。西の住宅からは毎年ムクドリが巣立っている。その住宅の2階にある雨戸の戸袋がムクドリの営巣場所だ。巣を決める頃からはじまってヒナが巣立つまでずいぶんやかましい。巣立ち前ともなると、親が餌を運んで来るたびヒナたちが鳴きわめく。ムクドリはこの辺の鳥の中でひときわやかましい鳥だと思う。そのやかましさに加えて戸袋にはずいぶんゴミが溜まるはずだ。西のお宅はずいぶん剛胆でもののわかる人だ。

それが今年は少し様子が変わっていた。いつもの戸袋が繁殖期を前に改修されてムクドリの姿がなかった。さすがに我慢ならなくなったのだろうと、そのときは思った。ところが、ムクドリの営巣がはじまると例年通りのやかましさだ。ムクドリは無事近所に移って子育てをはじめているようだ。その場所は私の部屋からは見えなかった。

実は、ムクドリが新たに営巣場所に選んだのはやはり戸袋だった。それも同じ住宅である。東側の戸袋から北側の戸袋に移っただけだったのだ。やはり西の住宅の家人は剛胆な方だ。さすがの私でもムクドリが戸袋で営巣しそうになったら排除するかもしれない。

巣立ちがおわって鳥たちが落ち着く季節だ。おぼつかない様子で羽ばたくツバメの数が増えた。若鳥だろう。昨日、境川を自転車で半日ばかり走って鳥の死骸は1頭しか見なかった。しばらくはあちこちでばらばら死体を見かけた。おそらく交通事故だ。自転車で走ってて見つかる死体だから。種類はヒヨドリ、スズメ、カラスなどのようだ。巣立ち雛なんだろう。いちいち確認する気はない。野鳥の死骸は法律的にも疫学的にもいじらないほうがよい。自転車のブレーキを引くこともなくスルーしている。


2020.7.3(金)くもりのち雨 ヤブガラシの虫

ヤブガラシ

朝からくもって昼頃からぽつぽつと雨が降ってきた。雨粒は小さく降りは弱かった。写真は隣家のヤブガラシ。10mばかり先にある。ムクゲの木に巻き付いたものが10個ほどの花をつけている。この夏、隣家は庭師を入れてそうそうに木の手入れをした。うまいことにムクゲには手を入れなかったため、ヤブガラシが残った。窓からの虫見物はこのヤブガラシが頼りだ。

かつては私の部屋の近くにヤブガラシがあった。庭のムクゲにヤブガラシを巻き付かせて虫を見ていた。15年ぐらい前、ヤブガラシはすばらしい賑わいだった。スズメバチやアゲハといった大物も間をおかずやってくる。ハナムグリやらハエやら細かいものどもがわんわん集まって、それをカナヘビやカマキリがねらっている。葉に食い跡があるからと探せばセスジスズメがいつのまにやらでかくなっている。

あの賑わいが戻ることはないだろう。私のムクゲが枯れて、ヤブガラシを巻き付かせる木がなくなってしまった。そうでなくてもこの辺の虫は年を追うごとに少なくなっている。

写真のアシナガバチはけっこう長い時間留まっていた。蜜をなめてすっと飛んでふわっとつぎの花に降りることを繰り返していた。アゲハも飛んでいたけれどヤブガラシには降りなかった。メスを探すオスの飛び方だった。

300mmの望遠でアシナガバチを撮っていると、小さな虫が飛んできてムクゲの葉に止まった。黒とライムグリーンの模様からラミーカミキリだろうと思った。確認のため2枚ばかり撮った。一世代前なら望遠鏡を取り出すところだ。虫の名前の確認用に高価なフィルムを消費するなんて考えられなかった。

ヤブガラシに覆い被さるように育っている大きなヒマラヤスギの中から一羽のカラスが飛びだした。2匹のシジュウカラがそのカラスをえらい剣幕で追撃する。シジュウカラが騒いでいたのが気になっていたけど、ヒナがカラスにさらわれたのだ。こうして大半のヒナが他の動物の食べ物になっていくのだろう。私には交通事故の死骸ばかりが目に止まる。


2020.7.4(土)くもり一時雨のち一時晴れ 道路のイオウイロハシリグモ

イオウイロハシリグモ

群青で境川を走っていると、写真の状況に出くわした。クモは大型美麗な種で簡単に名前がわかった。イオウイロハシリグモである。ベッコウバチの方はどうやらオオモンクロベッコウのようである。首尾良くクモを狩って引いているところに私が出くわしたのだ。

今日の境川は雨はあまり降らなかったが、予報が雨だったので人があまりいなかった。それはクモに好都合だったのだが、私のような酔狂者に見つかったのは不運だ。近づけばハチはクモから離れる。1.5m先からカメラを構えると、ハチはクモに近づくものの引こうとはしない。あきらかに警戒している。1.5mがぎりぎりディスターブの距離らしい。

かわいそうだがディスターブを止める気はない。というのも50m先には2列縦隊でランニングをする高校陸上部の集団がいるからだ。私がいれば彼らはコースを外れるが、いなければ確実にクモを踏むだろう。踏まれたクモは息絶えてハチの餌にはなるまい。放置してダメになる獲物であればディスターブしてハチの再起にかける方がまだ可能性がある。

ランニングの一団が来るとハチはその場から飛び去った。一団が去った後、1分待ったがハチは戻ってこなかった。あきらめたのだろうと駐車してある自転車に歩を進めると、もう一匹クモが見つかった。ひとまわり小さい茶色のメスグモである。模様は全然違うけどイオウイロハシリグモのように見えた。もしかしたら同一のハチがこちらの獲物もあきらめたのかもしれない。

数年前から境川の路面で無傷とみられる大型のクモが転がっている原因が知りたかった。それがどうやらクモの獲物引きをヒトがじゃました結果であるようだ。そう思うとハチが哀れになった。かといってどうにもならないが、一縷の可能性に賭けてイオウイロハシリグモを自転車にも人にもつぶされない場所まで移しておいた。


2020.7.5(日)くもり一時雨 葉裏の白い蛾

白い蛾

引き続き群青で境川。昨日はそれほど力をつかっていない100kmだったのに体に疲れが残っている。しばらく走れば調子が出てくることもある。それを期待したもののダメだった。自転車乗りとしては引退を決意しなければならない。選手ではないのだから引退というより隠居か。

午前中の境川は自転車が多かった。どうもくもりのち雨という予報を真に受けている人が多いみたいだ。空をみれば風上の西に雨を降らせる気まんまんの黒雲が立ちこめている。東名高速をくぐるとすぐにウスバキトンボを見かけた。早朝には庭にも来た。窓の外を眺めていると、一匹だけつうっと飛んできて隣家の木にぶら下がった。気温のせいかエンジンが暖まってないようす。それを見て昨日の南風で伊豆あたりからけっこうな数が飛来したのかなと思ったのだ。

雨はすぐに落ちてきた。7月の雨は快適だ。ゴーグルに水滴がついても路面に転がる虫は見逃さない。昨日注目したオオモンクロベッコウも見つかった。まああれは黄色の腹巻きが目立つから。小さいキマワリの死体は発見難易度が高い。でも見逃さない。自転車は隠居でも虫探しは現役だなと、自らを鼓舞しながら走っていると写真の状況が目に止まった。2m先にあるクズの葉裏に止まる蛾だ。本領発揮、まだまだいける。隠居には早い。

雨のせいかニイニイゼミは鳴かなかった。ウスバキトンボは数匹見ただけだ。オニユリがそろそろ咲く頃だときょろきょろ探ったが見つからなかった。うつむき加減に花を広げるオニユリが好き。目についたのはヤブカンゾウばかりだった。上を向くこんもりしたオレンジの花びらは遠目にもあざやかだ。


2020.7.9(木)雨 庭のカエル

早朝からときおり遠慮がちにアマガエルが鳴いている。複数いるもようだ。ここでアマガエルを聞くのはとても珍しい。先に聞いたのはもう10年ほども前になるだろうか。それは私のせいだった。

アマガエルを近所の林から連れてきてしばらく飼育していたことがある。飼育下ではアマガエルは鳴かなかった。メスかな?とも思ったけれど、プロが言うには普通に採集できるアマガエルは全てオスらしい。室内飼育では湿度なんかの加減で鳴く気にはならないようだ。実際飼育にあきてリリースすると数度その声を聞いた。放したアマガエルたちは冬を越して翌年の春にも庭に来た。よく生き残ったものだと感心したし、帰巣本能的なものがあるのかと気になった。

アマガエルの声はたいへん大きいが、声が聞こえるほどの近距離にアマガエルは生息していない。まして繁殖期を過ぎてから鳴くのは雨を感じて気分がいいときだけだろう。

今日鳴いている原因でまず上げられるのは雨だ。朝からときおり弱い雨が降る暖かい日となればアマガエルも鳴きたいだろう。そしてしばらく雨が続いていること。梅雨の長雨に誘われてアマガエルはその生息地(近所のゴルフ場が有力候補)から冒険の旅に出たのではあるまいか。そして私の耳に届くところで鳴いているのだ。

池も川も湿地もなくてカエルの生息にはまったく適さないこの住宅地であるけれど、意外にも庭では複数の無尾目を観察している。衣類の収納ケースを庭に埋めればアズマヒキガエルが産卵した。スイレン鉢にはアカガエルが数か月居座った。シュレーゲルアオガエルがやってきて耳と目を疑ったこともあった。それももう一昔前のことになる。渋谷に通勤しつつ無尾目といっしょに生活できる住宅地を作るのは困難だろう。


2020.7.11(土)くもり時々雨一時晴 痕跡だろうか

ヘクソカズラ

写真は6月6日に見つけた奇妙な物体の痕跡であろうかと思う。もしそれが正しければ、いろいろなことがわかる。まず第一に虫こぶではないということ。虫こぶは痕跡を残して消滅したりはしない。葉はどうやらヘクソカズラのようであるけれど、虫こぶでないなら草の名は正体解明の手がかりとしては薄い。

虫こぶでなければなんらかの虫の卵であったりサナギであったり・・・そういうものだろう。今日の写真の左上にはなにやら怪しげなものが写っている。撮っているときには気づかなかったが。

重くて暑い南風が強い。梅雨の終わりの風だ。境川はいっぺんにオニユリの花盛りを迎えた。先週は目を皿のように探しても岸に咲くオニユリはなかった。フライング気味にクズも咲いた。草刈りで痛めつけられ慌てて花を開いたような感じだ。道路にはツチイナゴが出ていた。撮影後通りかかると少し離れた所でつぶれていた。ツチイナゴならやりきった後の死だろう。その近くでつぶれていたノコギリクワガタはやり残したことがあったかもしれない。

私はまだ自転車でやり残していることがある。真の走りに未到達という気がするからだ。最近のマイブームは骨盤でペダルを回すことだ。骨盤でペダルを回すというのは明らかな誤謬だが、その表現が今やっている練習を一番端的に表している。誤った表現で開眼する者もいれば、間違った練習を積んで故障する者が出るかもしれない。弟子には言えない誤った表現がしっくりくるのは面白くもあり困ったことでもある。


2020.7.12(土)晴れ時々くもり 鳶尾山

鳶尾山

ちょっとは登る練習もしなければ。天気の良い日曜の境川はうっとおしい。ということで群青で一番近い登り練習場の鳶尾山に行ってきた。写真のように車一台がようやく通れるぐらいの道が1kmぐらい続いている。長さは物足りないけれど、近いということが魅力だ。

鳶尾山は自動車も入ってくる道路だ。泥がはねたり脱輪が恐かったりすれ違いが難しかったり、不都合ばかりだと思うけれどなぜか自動車は入ってくる。けっしてショートカットになる道路ではない。一時代前は家電捨て場だった。歩いて持ってくるはずもなく、自動車で運んで捨てたのだろう。リサイクル法の頃は神奈川の山道はみなそんなだった。現在では山のようにあった家電ゴミが撤去され、監視カメラの看板もあって、それなりに綺麗な道になって散歩の人も大勢いる。

コースの前半はゴルフ場から流れる小川の脇だ。シイカシ、カエデなどの大きめの樹木がコース全般にわたって茂っている。森林系の渡り鳥も多いようで、オオルリ撮りが集まっていたりした。今日はサンコウチョウかまたはサンコウチョウを鳴き真似している鳥がいた。ガビチョウがイモムシをくわえて道路を横切る。ヒナに与えるのだろう。

涼しい鳶尾山は夏の登り練習にとてもよい。ただし昼なお暗いと撮影には厳しい。オサムシがけっこういて道路を歩き回っている。いつも見ているアオオサムシじゃないような気がして、TG-5で追いかけるのだが、なかなか写らない。2秒走って2秒止まるのを繰り返すものだから、手ぶれ被写体ぶれのオンパレードだ。カメラの液晶で確認できるほどのぶれだとぜんぜん使えない。もっともオサムシの同定がスナップ写真でできるわけもないが。

自転車は5往復してどうもいい感触がつかめなかった。楽して登ることはできるようになっているんだが、それだけでいいのだろうか。かといって息をきらせたり汗をかくのは嫌だな。というのが目下の迷い。

5回目の帰り道、綺麗な蛾の幼虫が道路の真ん中に落ちていた。轢かれた感じではない。拾い上げると虫の息。こんなものを見落とすわけもないから、数分前に樹上から落ちてきたのだろう。4m上にカシの枝がある。どうやらオオミズアオらしいが、この手の幼虫はけっこう木から落ちるように思う。半原越でヒメヤママユの終齢幼虫が音をたてて落ちてきたのには驚いた。

帰りは最近ちょっと残念な善明川を回ってきた。今年生まれらしいアマガエルが密な場所があった。壊れたブロック塀を雑草が覆っている。ちょっと面白いと思い、広めにスナップして後で数えると10匹以上写っていた。


2020.7.14(火)くもり時々雨 E-5で撮る

アゲハの卵

オリンパスの最高峰のカメラを買った。中古で目黒の三宝カメラから買った。E-5は最後のフォーサーズカメラとして2010年に発売された。すでにオリンパスはマイクロフォーサーズに移行しており、一眼レフ開発の主力はミラーレスに移っていた頃だ。

こいつを買ったのは毎日使っているE-30の電源が入らなくなったからだ。私は5台ぐらいの一眼レフを使っている。撮る対象によってレンズや設定が違うので、そんなことになっている。E-30は雲と木を撮るカメラだ。空がとっても素直に写り、最小で640×480というサイズは、レタッチ不要で記録するのにちょうどいい。E-30が使えないとなると、ほんの少し面倒だ。

5年ほど前にE-30を買ったときの第二候補がE-5だった。そうしなかったのは単に高価だったからだ。カメラに10万円というのは前世紀なら当たり前だけど、ちまたに高性能な中古がごろごろ転がっている今ではひどく贅沢に思える。今回ためしにE-5の中古を探してみると、5万以内のもあった。その中で三宝カメラのものが安くて実用的だと判断して即注文した。

ところがすぐにちょっとばかり後悔した。E-30が復活したからである。一日干してフル充電したバッテリーを入れると何事もなかったかのように電源が入ったのだ。じつはこのE-30は中古の初期不良品だった。勝手に電源が落ちて再起動するという不具合があり、マップカメラに初期不良修理をしてもらった経緯があった。その記憶から電源部分は脆弱なんだろうという懸念もあったのだ。しかし、同じくオリンパスのTG-5の電源不良が自力復活したこともあり、ダメもとで試してみたのだ。E-30が使えればE-5の必要はない。もう1日だけ待っても良かったかという後悔だ。

本気で後悔するのは使ってみてからだ。ところが、試しにシャッターを1回押すと、最初からE-5で良かったじゃないかと思った。中古どころか新品を予約購入すべきだった。シャッターを押した瞬間の心地よさってのは大事だ。逆方向への後悔が少し起きた。半分壊れているニコンのD100もそれがなければ捨てている。

E-5が気持ちの良いカメラだというのがわかったので、D700が担当している庭の虫スナップをまかせる予定で、テスト撮影をやってみた。アゲハの卵は朝、雨が降っている中での撮影だ。レンズはオリンパスの50mmマクロでほぼ最短まで寄った。1/100秒、f5.6、iso500というごく標準的なスナップモードだ。私は印刷物には全く興味がないので、1600×900pixのベーシックJPEGというメモリー節約モードだ。それをこの日記では800×800に切り出し縮小している。この写真を見る限りE-30よりもレベルアップはしていない。

しかし、E-5はE-30とは異次元のカメラだ。最高感度のiso6400でも私の用途には十分。高感度特性はD700と同等以上かもしれない。手ぶれ補正も思った以上に効くようで30cmの接写で1/5秒が実用範囲だ。手ぶれしてるのはわかる写真だが赤面するほどではない。これにはちょっとたまげた。手ぶれの修行は一般の皆さんよりは積んでいるつもりだが、接写で1/5秒はありえない。この数年、手の震えとか集中力の欠如で手ぶれが増えている私にはちょっとうれしい。ただし対象が草とか虫とかのスナップだと問題は被写体ぶれの方だ。被写体ぶれ解消は私が買える5万円のカメラではミラーレスでもたぶん不可能。色の再現性はこれまで使ってきたデジカメの中で最高だと思う。緑ばっかりの草を撮れば、しかも雨の日の暗がりなんかで撮れば、壊滅的な写真になってもそれはデジカメの宿命だと思ってきた。しかし、E-5だととっても素直な色に写っている。

10年前のカメラとはいえさすがE-5は最高峰のプロ用カメラだ。カメラマンの要望に応える写真が撮れるように設計製造されていることがよくわかる。無茶な使い方をするプロ連中のうわさでは防塵防水も半端ではないらしい。ひとまず初期不良はありえるのでいろいろなことを試してみた。1日調べた結果で、不具合といえるものは、アスペクト比の変更ができないこと。液晶モニター撮影ではできるけれどファインダー撮影ではなぜかできなかった。説明書では設定可能ということだが故障しているようだ。正方形の写真を使用することが多いのでもともと正方形だとレタッチが楽な場合がある。ただ、4:3の撮像素子なので4:3で撮りゃいいだろう。


2020.7.16(木)くもり D700で撮る

シャジクモ

今日の写真は庭に転がしてある田んぼ水槽。例年通りシャジクモが良く育ち生殖器のオレンジ色が見えている。これはニコンのD700で撮ったものだ。

やはりE-30はダメだった。電源不良からの復活は1回だけだった。というわけで庭のスナップはE-5からニコンD700&タムキューの仕事にもどる。あらためてアゲハの卵とかマンリョウの花とかをD700で撮ってみれば、こっちの方が気持ちよく撮れるかな?という印象を持った。

まあどっちもどっちだ。撮像素子でフルサイズとフォーサーズの違いはとても大きい。D700はボケが大きくなる。タムキューはボケの綺麗なレンズで、その手の写真を好む人にはこのセットはいいだろう。虫のスナップとなると小さい撮像素子のほうが使い勝手はよい。

E-5は当面、雲と木を撮るカメラになる。というわけでズームレンズを使って隣家のヤブガラシを撮影してみた。これがまた綺麗に写っている。ズイコーデジタル ED 18-180mm F3.5-6.3は廉価版のレンズで望遠系は期待してないのだけど、手ぶれ補正の威力だろうか。ヤブガラシにアゲハあたりが来てくれるとうれしいな。


2020.7.17(金)くもり トウキョウヒメハンミョウ

トウキョウヒメハンミョウ

写真はこのところやたらと庭で目立つトウキョウヒメハンミョウ。足元をハエのように軽々飛んでいる。もともと庭に多い虫だったが、この数年は見ていなかった。おそらく雑草が厚く茂り開けた場所がなくて生息していなかったか、草むらに紛れてしまっていたのだろう。

今年はドクダミの花の終わりに合わせて庭の草刈りを行った。機械まで入れた本格的な草刈りと枝打ちだ。ドクダミもクサイチゴも刈ってさっぱりした。黒々した土がむき出しになるとトウキョウヒメハンミョウが好む環境になったとみえる。土には直径5ミリほどの穴がたくさんあいている。幼虫の住処だろうか。

トウキョウヒメハンミョウはなかなか精悍でスタイリッシュ。撮ってみて腹の先にあるターコイズブルーの光沢に気づいた。こいつにはこのチャームポイントが単なるおしゃれ以上の意味を持っているにちがいない。

この数年は、私の生活圏でちょっといかした虫が見つかると、それは外来種っていうのが相場だ。トウキョウヒメハンミョウの分布中心が関東らしいから外来種なんだろう。外来種でも私の庭では希少種だ。悪さはしない虫であってほしい。


2020.7.18(土)雨のちくもり 孵化したアゲハ

アゲハ

庭のサンショウに産み付けられたアゲハの卵は薄い殻を透かして幼虫の模様が見えるようになっていた。昨日のことだ。朝定期チェックしてみれば、すでに孵化して殻も食べた後のようだった。この2つだけではなく、確認している全ての卵が孵化している。同日に産み付けられていたらしい。

しばらく雨がちで撮影時にも蕭々と雨粒が落ちていた。孵化したばかりの幼虫は彼らの体に比して巨大な水滴を多数つけている。これでしんどくないのだろうかと心配になる。

蝶が産んだ卵を孵化まで観察して少しかわいくなってきた昨今であるが、こいつらの未来は危うい。サンショウはわが家の作物で、アゲハは害虫である。そのうち我慢ならなくなった私に殺される運命にある。

雨は降り続き群青で境川。カワセミ撮影所の林でアブラゼミを聞いた。ヌマガエルが多数上陸する田んぼが見つかった。これまでノーチェックの田だ。その近くではチャバネセセリらしいチョウが花の蜜を吸っていた。羽はぼろぼろで長距離を飛んできたものと見える。草むらにはツユムシっぽいキリギリスがいた。ツユムシにしては翅が短すぎるが何だろう? この夏は虫が少ない印象がある。今日もウスバキトンボは数えられるほどだ。ただ梅雨明け間近になって虫の数がどんと増えてきたようには思う。


2020.7.19(日)晴れのちくもり 穴のあいた繭

繭

天気がよくなって境川は無理だろうと群青で鳶尾山。鳶尾山はもはや神奈川最後の楽園といったかんじだ。

登りに入ってすぐに見つかったのは写真の繭。道路の真ん中に落ちている。一見して大きな穴があいていることがわかった。見上げれば、そこにある木はコナラ。繭にも青いコナラの葉がついている。この7日以内に落ちた物だ。先週も走った私がこういう大物を見逃すはずがない。

繭はヤママユガのものである。初夏にたらふくコナラを食って8月に羽化する段取りだった。繭に穴をあけた犯人はおそらく鳥類だろう。ヤママユガの繭は人の手では破れないぐらい堅牢なものだ。その繭に穴を開けるのはけっこうな手練れである。しかも繭の中に食べ物があることを知っているとなると、熟練者のはずだ。

ヤママユガは完全に繭の中に入ってしまうと鳥の目をシャットアウトできる。もしこの繭を穿った犯人が鳥であるならば、繭作りの途中にある幼虫を発見して食べた経験があるやつだろうと思う。その学習があってはじめて繭に穴を開けようと思うはずだ。

鳶尾山には今日もオサムシが多い。日差しもありけっこう明るいから先週の失敗を埋め合わせようと目論んだ。オサムシは2秒歩いて2秒止まると思っていたけど、3秒歩いて1秒止まると修正した方がいいかもしれない。1秒しか静止時間がないとTG-5ではきつい。何度も失敗していると唐突に長時間の静止があった。路面の水分をなめている。これはチャンス!とようやく止まっている写真を1枚だけ撮ることができた。ところで何をなめてるんだと探ってみれば、私の汗だった。カメラを構えて田植えの姿勢でオサムシを追いかけるのはけっこう骨折りなのだ。


2020.7.22(水)くもりときどき晴れ オオシオカラトンボ

オオシオカラトンボ

夕刻の6時頃、トンボが一頭やってきた。この辺にトンボは珍しいな、なんだろうと見ていると案配良くヤブガラシの観察ポイントに止まった。止まった枝はヤブガラシが巻き付いているムクゲの葉がない枝だ。

肉眼ではオオシオカラトンボのメスに見えたが、念のためE-5で撮影してみた。暗くて遠いけど、かろうじて種類の当たりはつけられる程度の写真にはなった。

曇り空であり日没も近いからもうねぐらにするのだろうと見ていたが、30分ほど留まってけっこうな勢いで他所に飛んでいってしまった。ねぐらではなかった。

日が射す時間もあり、昼間には遠くでミンミンゼミを聞いた。いまはヒグラシが鳴いている。ヒグラシも遠い。1〜2匹といったところだ。


2020.7.24(金)くもり 撮影再挑戦

オニドコロ

オニドコロの花を撮るのはけっこう難しい。今日の写真は3度目の挑戦でようやくここで使えるものになった。

境川の虫観察ポイントには各種のツル植物が組んずほぐれつ葛藤状態で育っている。それぞれ特徴があり虫を集めるので、草の名前も知っておきたい。何虫が何草に来ているかってのはけっこう大事だ。

昨日はいなかったマメコガネが一気に10匹以上見つかったりする。葉を食ったり交尾をしたり。食っている草を見るとほぼ同じものだ。いろいろ食う虫だという記憶があるけれど嗜好はあるのだろう。その草はノブドウのようだがはっきりしない。その辺は花とか葉をしっかり写真に押さえて確認したい。

オニドコロもよく見かける草で、虫が寄る。虫を撮るついでに花のアップも撮ってやろうとするのだが、これが難しい。私のTG-5がなかなか被写体と認識してくれない。花がこまかくコントラストが背景と同じだからだろう。しかも雨の日なんかは被写界深度もシャッター速度も厳しくなるから、使える写真はなかなかあがってこない。

そういうときには伝家の宝刀のマニュアルフォーカスの出番であるが、寂しいことに老眼である。遠近両用ゴーグルはあるけれど使い勝手はイマイチだ。オニドコロの華奢な花は雨風に揺れる。だんだんピント合わせが面倒になり、撮れた写真のチェックも面倒になり・・・後になってなんでもっと粘らなかったかと悔しい思いをすることになる。しっかりした老眼鏡かハズキルーペ的なものを持っていればいいのだが、使う当てがないものを携帯するのは面倒なので、ここぞという時は後の祭りになる。

さすがに3度目の正直でオニドコロはなんとかしたものの、いくつか撮れなかったものもある。昨日はアケビコノハにうまく擬態した半枯葉があった。撮ったがピンボケだった。画角も悪い。なんでこんな素人みたいな撮り方をしたんだと自分に悪態をつく始末。もうすでにその枯葉はない。自然物相手では一期一会の被写体が多い。いやというほど自分に言い聞かせたことだ。今日はセイバンモロコシの種を撮れなかった。昨日失敗して再挑戦だった。セイバンモロコシの種なんてものはオートフォーカスでは絶対にピントが来ない。オートで撮ろうとすればそれなりの裏技がいるのだが、それが面倒で昨日はやらなかった。その失敗を補うべく今日はマニュアルフォーカスで臨んだ。難易度は低い写真のはずだが、ピントが来ているかどうかの確認を怠って全カットピンボケだった。


2020.7.25(土)くもりときどき雨 セイバンモロコシ

セイバンモロコシ

窓の外のヤブガラシを見ていると雨はときおり強く降る。やはりセイバンモロコシは撮っておこう思った。群青で境川。

川に出ると雨が強くなった。自転車道路には人もいなければ虫もいない。見つかったのはツチイナゴが一匹だけ。一見元気そうだったが、触っても逃げない。もうすぐこと切れるようすだ。ツチイナゴは梅雨時には完全な季節外れ。まあこいつはやり切ったんだろう。お疲れ〜と雨で濡れた草むらに放り投げた。

境川のサイクリングロード沿線は全域にわたってセイバンモロコシの良い生育地だ。ただし種ができているのは1か所だけ。高鎌橋のたもとの一角に限られている。念のために種に触って中身があることを昨日確かめた。

昨日は風が強くていらいらした。今日は撮影のときによい案配に雨風が止んだ。念のために老眼鏡も携帯している。普段使っているものなら20個以上買えてしまうイタリア製の高級品である。サイクリングで持ち運びやすいデザインはさすがイタリアだと感心する。老眼鏡をかけて撮ってみれば、撮影は異次元の易しさがある。なんで毎回これをやらないんだと反省するが、1秒でも早くシャッターを切る必要に迫られる状況が多く眼鏡を引っ張り出す手間が惜しいことも事実だ。

境川でセイバンモロコシがみのるのは10月だ。例年だと花が咲き終わった頃のいまなぜ高鎌橋の株が種をつけたのか。季節を先取りしている原因はまったくわからない。ともあれ秋には境川でセイバンモロコシを収穫しよう。私のクロナガアリは今年も元気に顔を見せるだろうか。

セイバンモロコシを撮って帰路につくとまた雨脚が強くなった。今日は暖かいから合羽も持たず永井真理子オフィシャルTシャツ(灰色)で出てきた。見事な濡れ鼠である。いちょう団地の車道にアブラゼミ♂が腹を見せて転がっていた。これは夏の終わりの光景。ここにも季節を先取りしているヤツがいる。9月なら絶対スルーのアブラゼミを撮っているとなぜか自動車が止まった。濡れ鼠のじじいが道路で土下座しているのは珍しいのだろう。


2020.8.1(土)晴れ 蓼川の水草

蓼川

梅雨明けして日差しは強くけっこう暑いぞと覚悟してナカガワで境川へ。いつもの高鎌橋セブンイレブンで昼飯を食っていると、足元のカタバミでヤマトシジミが産卵行動をはじめた。これはチャンスと撮影しようとしたそのときに逃げられた。というよりも産卵に適さない葉だから場所を移した感じだ。卵でもついてないかと葉のそれらしいところを撮ってみれば食痕っぽいものが写っていた。

いつもの鷺舞橋湧水に行くとカワセミが水に飛び込んで何かを咥えた。湧水はカワセミの餌場になっている。もう1頭がガマの葉に止まって水を覗いている。普段はねらわない被写体だが、水面に映るカワセミの影がやけに大きいのが面白くて1枚。

暑さは恐れていたほどではなかった。境川を離れて引地川へ。引地川は周辺に公園が整備されているわりにサイクリングには適さない。川の環境もあまりよくない。水質だけはいいから開発のしようによってはラブリーな川になると思うけど、そんな様子は全くない。

写真は引地川支流の蓼川。綾瀬の綾南小学校前での撮影。蓼川は5年ほど前にグーグルの航空写真で水草群落を見つけて一度訪れてみようと思っていた川だ。航空写真で繁茂していることがわかる水草ってなんだろう? 広い葉がすらっとしているのはミクリだろう。右端に黄色いのが写っている。丸い葉はオオカワヂシャだ。わからないのが、長い茎に細長い葉をつけているやつ。写真に一番たくさん写っている水草だ。

蓼川

いったいこいつは何者なんだろう。この辺の河川でもあるところにはあるけれど、どこにでもある水草ではない。境川の宮久保橋の堰堤に生えているのもきっとこいつだ。左の写真では散々茂りまくって水上葉を出している。見た感じはイネ科のアシカキみたいだ。河原に生えたいのが、防災のために河床がならされるもんで流れの中にいるのだろうか。沈水で成長できているのは水の良さからか。未明の雨で境川は増水して濁っているけど蓼川の水は澄んでいる。どうにもよくわからないやつだ。

蓼川もサイクリングには全く適さない。なるべく河川に沿って走ろうとしても無理だ。米軍の基地にぶつかったところで試合終了。境川に戻ることにした。境川を走っておなじみの観察ポイントに向かう。道路にカブトムシが落ちていた。今日は2頭目だ。最初のはスルーした。チェックしてみれば、腹がない。道路を歩いていて交通事故というよりもカラスか何かの捕食にあったようだ。付近ではカブトムシを咥えて飛び去るカラスを見ている。


2020.8.2(土)晴れ 引地川の水草

引地川

今日もナカガワで川巡り。境川に出る前の住宅地で見たのはまさかのチョウトンボ。住宅の屋根よりやや高いところをひらひら飛んでいる。付近にチョウトンボの生息に適する湿地は知らない。けっこう移動するトンボなんだろうか。

ひとまずは境川の高鎌橋セブンイレブン。見渡せばセブンイレブン裏には花がない。セイヨウタンポポとシロツメクサが夏草のかげで見つかる程度。盛夏になっていい花がなくなった。じゃあチョウもここには来ないだろうと思っていたら、ベニシジミが見つかった。黒い夏型だ。ベニシジミは野生化したバーベナで吸蜜している。同じ花にモンシロチョウがやってきた。モンシロチョウを狙っているとヤマトシジミも来た。バーベナは花の季節が長い。盛夏も平気だ。良い蜜源だ。

いったん白旗まで行って、引き返し新道大橋から引地川に行くことにした。引地川にも昨日見たイネ科らしき水草はあるんだろうか。

新道大橋から続く狭い道路と引地川がぶつかる所は桜並木で夏の川は日影だ。陰になってもカナダモが暗い緑の葉を流れにゆらしている。川沿いに自転車を進めながら水草の様子をチェック。明るく浅い所にはオオカワヂシャの明るい葉が目立つ。ミクリも多い。水中にイネ科らしい水草はない。アシカキ的な草もない。ヨシの群落はあるが、昨日のがまさかヨシではあるまい。

やけに華やかな白い花穂をつけた草の群落があった。私の知らない草だ。根は完全に水没しミゾソバと仲良く並んでいる。ミゾソバは浅い水なら水底から発芽できるから、その程度の水草ではあるんだろう。だけど、この手の水草はしらない。

どうせろくなもんではないからと、雑に撮影しておいて調べると一番近かったのがシロバナウツボグサだった。ただ、花穂のとんがり具合や葉の鋸歯が違うような気がする。そもそもウツボグサは水草ではない。いずれろくなもんではあるまい。

引地川にはオイカワの姿があった。産卵行動のような泳ぎを見せていた。群れになるほどの数はいなかった。それではとカワムツを探したものの見あたらなかった。目立つのは黒いコイばかり。


2020.8.8(土)晴れ 今年の田んぼ水槽

田んぼ水槽

今年の田んぼ水槽は土を洗わずにやってみた。富栄養な場合の実験だ。その成果が今日の写真。春にはシャジクモなんかが現れ、マツバイの芽吹きもあったが、いまの主力選手は藻である。ミドロ系の藻が全面的にはびこっている。2つほど伸びている草はおそらく水稲だ。落ち穂が芽吹いたようだ。

観賞用のアクアリウムとしてはすっきり水が澄んで水草感がないとだめだ。やはり稲の残滓はある程度取り除いたほうがいい。

ただし、この感じはまさしく土をもらってきた田の現状だ。8月ともなれば田の稲は大きく育ち、水面もあまり見えない。その見えない水面を藻が覆っている。まもなく水が落とされるだろう。今年は梅雨の低温と日照不足があったため作況に心配がある。

久々にチネリを引っ張り出して境川を走ってきた。チネリはたまに乗ると凶暴な自転車だ。他のとは全然フィーリングがちがう。低速では挙動不審。30km/h以上で走らないと許されない感じだ。

この夏は境川に虫が少なかった。イモムシ系もいまいち。ゴマダラカミキリですら4、5頭見た程度。キリギリスはよく鳴いていたがバッタ系の飛びだしは少ない。

残暑で気温だけは高いものの、午後になると秋の気配が漂ってくる。梅雨寒が終わったら秋では少し寂しい。こういう年もあるのだろう。そろそろカネタタキが鳴く頃だ。


2020.8.9(日)晴れ 晩夏の境川

チネリ

今日も写真のチネリで境川に乗り出した。チネリの凶暴性にちょっと慣れなければ。フロントアライメントか、前がかりな重心のせいか、BBの低さか、少しの体重移動でもチネリは敏感に察知する。

普通の自転車は多少の失敗があってもまっすぐに走ってくれるものだが、チネリはそうはいかない。左足を踏み込み過ぎてちょっと体が傾くと「なるほど左に行くんですね」と左に曲がろうとする。30km/hオーバーだとちゃんと走るのだが。低速ではこの挙動に慣れが必要だ。思い起こせば1年ぐらいこいつに乗ってないのだ。

昨日は、上ハンを持って30km/h巡航の練習をした。昨日の練習で乗り慣れたことを信じて今日は下ハンでの練習だ。30km/h巡航は下ハンが基本。チネリも下ハン持って30km/hで走るようにポジションを出している。やってみればこれがよく走ってくれる。向かい風で52×17Tが信じられないぐらい軽く回る。

30年前にこいつを買った頃は、正直なところ「こんないい自転車は自分にはもったいない」と感じたこともあった。今になって30km/h巡航の練習をすれば「今日のこの練習のためにこの自転車があった」という気がする。前適応というか予定調和というか。

朝晩はすっかり秋の気配、日差しもソフトなのに気温だけは盛夏だ。風を受けないとサイクリングでも汗をかく。しかも例年のことながら8月の境川はかなり寂しい。たよりのウスバキトンボも少ない。この20年ぐらいで一番少ないように思う。いつもの観察ポイントでも、カメラを取り出す機会がない。

いいところを探してみれば、宮久保橋堰堤の上にオオカワヂシャが密生している。梅雨の増水が少なかったのが幸いしたのだろう。穂がふくらむ田んぼではキカシグサなんかがずいぶんきれいに育っている。私の田んぼ水槽はさんざんでマツバイもキカシグサも見えやしない。


2020.8.12(水)晴れのち雷雨 積乱雲

積乱雲

今日もチネリで境川。このじゃじゃ馬は乗り慣れるとびゅんびゅん走ってくれる。日差しが強く暑いが体温よりは低く、顔に受ける風は涼しい。昼頃には海風がびゅうびゅう入ってきた。海風を利用して52×17Tで踏み込む練習。これが楽しくて癖になる。今日は平日で気温が高いせいか歩行者も自転車も少なくてありがたい。

午後には丹沢や多摩の方に積乱雲の壁が林立しはじめた。遠く雷鳴が聞こえる。積乱雲の下はけっこうな雷雨になっているだろう。境川には雷雨が来そうにはない。今年初の積乱雲で夏らしい風景を撮影しようとすれば、自慢のTG-5が使えない。電源は入るがシャッターがおりない。まったく撮れる様子がなく、今日の撮影はあきらめようと思った。しばらく走っているとふと、スマホを持っていることに気づいた。写真はスマホで撮った。

帰宅して風呂に入って休んでいると空が暗くなって稲光と雷鳴。驟雨が来るかとおもいきや、ぱらぱらと通り雨程度で拍子抜けしてしまった。明るくなった空を見ていると積乱雲の名残の雲が乳房雲になっていた。これ幸いとTG-5で撮影しようとしたものの、やはり使えなかった。本格的に壊れちまったか。毎朝雲を撮っているE-5にした。設定がそのままでずいぶん小さな写真になってしまった。乳房雲も最盛期を見逃してしまったようでいまいちの感がある。

雨はぽつぽつとしか落ちてこないが東の空はけっこうな降りになっており、西日を受けて虹が出た。ずいぶん波のはっきりした堂々たる虹で副虹のおまけ付きだった。


2020.8.14(金)晴れ 上ハン犬走り

日中、チネリで境川に乗り出してみれば思いのほか涼しい。空がずいぶん白っぽいのは薄い雲ができているのだろう。そのぶん日差しが弱まっている。いつもの風もある。相模湾の川沿いでは猛暑とかアラートは無縁だ。

今日はなぜか上ハン犬走りの練習。かつて半原1号で峠のタイムトライアルに燃えていた頃に熱中した走り方だ。もう10年ほどもやってない気がする。上ハン犬走りは上死点での足運びがポイントだ。右足が上死点を越えるときに、右手をぐっと押して体重をかける。

じつは30km/h巡航に迷いがある。上体の体重のかけ方の解説に窮しているのだ。上死点にあるペダルを踏ん張って腰を浮かせるのは間違いないのだが、それだけではない。右足が上死点に来る前に右手を押している。右手の腕力で上体を持ち上げるみたいだが、その解説だと少々怪しい。単に腕を押して上体を起こしても、上体の重量をペダルにかけることの足しにはならない。しかも腕立て伏せのようなことをやってると100回ももたない。だけど、右手の押しは単にリズムを作る以上の効果があるのは確かだ。なぜ?

あらためて上ハン犬走りをやってみて、ヒントを得たと思った。上死点通過時には足腰を使って下半身を前に運ぶ。同時に上半身も前に来る。そのとき腕で突っ張ると、前方に向かうはずの体は上に動く。そして腕の力を抜くと上体が落ちてペダルに体重がかかる。それが上ハン犬走りの要点かもしれない。

上死点で足を踏ん張るだけの体重かけは負荷が大きすぎる。軽くやろうとしてもなかなか続くものではない。また、立ちこぎは全体重を使うが、その場合の体を浮かせるのは上死点の脚ではうまくいかず、下死点の足を踏ん張って体を浮かすしかない。こう考えると、立ちこぎは30km/h巡航に応用できないようだ。

今日はようやく境川の走りを極められそうに思えてきた。自転車を始めてから数十年、腰椎あたりの痛みを取れなかった。姿勢にかかわらず力を入れると発生する痛みだ。それなりのペダリングで息が止まるほどの痛みは避けられるようになっている。それでも凝り固まるような鈍い痛みをいつのまにか抱え込んでいる。このままでは本物にはなれない。今日はその痛みを走りながらなくすやり方を掴んだ気がした。下死点にある足の力を思いっきり抜いて伸ばすとすっと痛みが引く感じがあったのだ。このあたりもちゃんと解説できるようになりたい。

道元の正法眼蔵を読めば、「ちゃんとした発言がない禅師は信用に足りない。古来の師にはみな一句がある」と書いてある。禅ってのはそうなんかな?と思ってきた。私の自転車はいまさら言うまでもないが坐禅だ。自転車の走り方も言葉で説明できないようでは本物とは言えないのだろう。


2020.8.16(日)晴れ イモムシと熱中症

エビガラスズメ

今日も腰椎あたりの痛みを取るための練習。チネリで境川に向かう。出発は11時ごろで、もっとも暑いときを狙って走るのが私の習慣。せっかく暑いのだから存分に暑い思いをしないと損だ。

境川には妙な風が吹いていた。なにやら重くて暑苦しい北東の風だ。日中は海風が入ることが多いのだが、どうした加減だろう。

風が妙でも練習に支障はない。腰の痛みをとる練習なので下ハンで重めのギアを回すことにする。下死点で力を抜く方法で本当にいいのか、いいのならなぜそうなのか。いろいろやって確かめなければならない。

さすがに路面に虫が見あたらない。シロテンハナムグリのぺちゃんこ死体は金曜にもあったやつだ。4往復したところでエビガラスズメが見つかった。

なんと今年の初見のはずなのでスマホで撮影。膝をつくとアスファルトが猛烈に熱い。いつもの膝・肘・つま先で支える6点支持体勢がとれなかった。人間でこれなんだから、路面を歩くイモムシが無事でいるはずがない。つまんでみればすでに虫の息だった。焼けたアスファルトを歩くのは1分で致死的だ。私は8分前にここを通過しているが、そのときはまだいなかった。このエビガラスズメはアスファルトに数分滞在したのだろう。

なんでそんな自殺行為をやっちまったのか。おそらくエビガラスズメは熱さの危険を知らない。焼け石に足を置いて引き返す行動がとれないのかもしれない。何らかの違和感はあるかもしれないが回避行動をとれるかどうかが怪しい。何かから逃げるため、新天地に向かうため、なんらかの動機でアスファルトに出てきたのは間違いないにしても反転できないのであれば哀れだ。草むらの日影に置いて水をかけておいた。

テレビは狂気にかられたように熱中症の回避を呼びかけている。熱中症は一昔前は日射病といっていたと思う。日光を浴びなくても、むしろ浴びずに蒸し暑い方が人体には危険ということで熱中症というワードにしたんだろう。

最も気温が高い時間帯を狙って自転車の練習をするのは無謀と注意されるが、私にとっては人がいないほうがずっと安全だ。せめて2分ぐらいは体のフィードバックを受信して走りたい。でないと練習にならない。そろそろ暑いことに気づかなくなる年齢でもあり、あまりゆっくり走らないようには心がけている。ヒトはエビガラスズメなんかとちがって自分が暑さで死ぬことを推理できるのだ。


2020.8.22(土)晴れ 境川の変な風

積乱雲

今日もやっぱりチネリで境川。川に出てもウスバキトンボが少ない。この20年で一番少ない夏になったんじゃないだろうか。

なんだか風が変だ。良く晴れた真っ昼間なのに弱い北風。暑く湿った北風だ。これじゃまるでフェーンじゃないか。先週もこんな風だった。こんな空気の中では境川でも自転車が辛い。荒川あたりを走っている人はそのしんどさがわかるだろうか。

この異常気象には思い当たるふしがある。太平洋の高水温だ。日本の近海まで海水温が30℃になっており、相模湾でも27℃だとテレビで言ってた。27℃といえば立派に熱帯低気圧ができる水温だ。つまり、相模湾で上昇気流が起きる。本来なら丹沢の上昇気流に引っ張られて涼しい相模湾の空気が境川に流れ込んでくるのだが、それが止まってしまう。山を越えてくる北風はフェーンだ。境川の風がちいさい熱対流だけになると自転車の練習はやってられない。

今日の写真は東京湾あたりにできた雄大積雲。まさに積乱雲になろうかというところだ。この後、いちおう吹き上がりはしたものの迫力はなかった。

自転車の練習はブラケットを持っての30km/h巡航。腰椎あたりの痛みを取る練習。なのだが、実は昨日からその辺が痛かった。単にデスクワークを続けていただけで出た痛みだ。自転車に乗る前からその体たらくでは・・・・・。暑熱のせいにもして短めに切り上げた。


2020.8.30(日)晴れ 夏空

積乱雲

今日もチネリで境川。下ハンで30km/h巡航の練習。境川は久々にいい南風が入っていた。日差しは強く気温も高いが涼しい風が強ければ自転車は快適だ。

境川周辺の水田では真昼だというのに、ほうぼうからエンマコオロギが聞こえる。初記録は先々週だったが、あまりにかすかで空耳かもしれないと自分が信じられなかった。先週は確かだった。23日からは庭でもエンマコオロギが鳴いている。

空はこの夏一番といっていいほどの透明感がある。上空の雲はわずかで低く積雲が流れていた。黄色くなってきた田の上にトンボが群れないことをのぞけば例年通りの晩夏だ。3時間ばかり練習して帰路に撮ったのが今日の写真。日が傾くと小さな積乱雲がいくつもできていた。

日没前にふと窓から空を見れば積乱雲からできた巻雲が空を広く覆っていた。これはチャンスと表に出て撮っておくことにした。いつも雲を撮っているE-5を持ち出したものの雲全体が写らない。フォーサーズの18mmはフルサイズの35mmぐらいだ。D700に20mmを装着して出直した。シャッターチャンスは逃している。あと10分早ければもっと迫力のあるカットになったろう。


2020.9.5(土)晴れ 豊作かな

マテバシイ

境川に乗り出した。自転車はひさしぶりの群青。チネリとは全く違う自転車だ。すなおで柔らかい。素人に扱いやすい今風のロードだと再認識。相変わらず気温が高く日差しが強い。風はけっこうあって方向が落ち着かない。低いところにある積雲は北東の風に流されている。

写真は高等学校に植えられているマテバシイ。ドングリが色づいている。ずいぶん大きいのがたくさんある。豊作の予感がする。

自転車は相変わらず30km/h巡航の練習。無理せずに2往復に留めた。最近はこればっかりだ。

虫が少ないのも変わらずで、ひさびさに生きて歩いているセスジスズメを見つけた。セスジスズメやエビガラスズメは掃いて捨てるほどいる虫だという印象があった。今年は異常だ。

帰宅して庭のチェック。ボウフラ対策としてスイレン鉢に入れているヒメダカの飼養がうまくいっていない。繁殖がなく投入から全滅までの期間が短すぎる。その原因は何?とスイレン鉢を覗き込んでいたら、褐色のオンブバッタ♀が鉢に止まっていた。以前、アサザを植えていたときにはオンブバッタがずいぶんいて、アサザを穴だらけにしていたものだ。アサザを捨ててからはずいぶん数が減った。何でも食いそうな虫だが個体数に食べ物の影響があるのだろうか。

成長がかんばしくないジョロウグモがカップルになっていた。今年は産卵までこぎつけられるかどうかちょっと心配。カマキリの成虫を撮影。カマキリは庭ではちょっと珍しい。モッコウバラの伸びた枝を切っていたら、ハラビロカマキリの成虫が見つかった。カメラを部屋に置いてきたもんで撮影はなし。


2020.9.10(木)晴れのちくもり モンクロシャチホコ

モンクロシャチホコ

写真は庭のジューンベリー。花がきれいで実は美しく甘い。ヒヨドリなんかがうれしそうに食べる。初秋のこの季節のハイライトはモンクロシャチホコ幼虫の発生だ。数年前から定期的な発生をみせている。今年も今日になって幼虫を確認した。例年並みの発生だ。葉は写真にあるようにかなり食われている。

幼虫を見つけることができたのは糞が落ちていたからだ。スイレン鉢を覗き込むとオレンジの玉が浮いていた。それを見て即座に「モンクロシャチホコ!」とわかった。思いかえせば、モンクロシャチホコの発生に最初に気づいたのは、たんぼ水槽に落とされたおびただしい数の糞からだった。

モンクロシャチホコは若いときには仲良く集団で葉を食いあさる。その食欲はすさまじく枝が丸裸になってしまう。成熟すると分散して葉を食べ、太りきって木を下りてくる。その後は追えてないがおそらく地中で蛹化するのだろう。寄生バエらしいやつの追跡も見つけている。私の目にとまるぐらいだからけっこうな寄生圧にさらされているのだろう。そのせいか成虫をみることはまれだ。毎年発生することから、発生木に執着する傾向があるのだと思っている。

今年は例年と事情が変わった。梅雨時にジューンベリーの大規模な剪定を行ったのだ。もし枝先に産卵しているのなら全滅だ。今年もちゃんと発生したところをみれば、卵越冬であれば枝先ではなく幹の太いところに産卵していたことになる。葉に産卵したのなら、羽化した成虫が夏に産卵したことになる。

保育社の原色日本蛾類幼虫図鑑(下)をひいてみると、モンクロシャチホコは土中で蛹化しサナギ越冬とあった。私の予想は半分あたっていたが、産卵についてはこの図鑑の記載では不明だ。春に羽化して幹産卵と夏に羽化して葉産卵の2つが考えられるからだ。気になって、たまたま見聞録を見返すと2018年8月9日に蛾を見ているので、有力なのは夏羽化葉産卵の線だろうか。こういう些細なことも自分で見つける楽しみはとっておきたい。

モンクロシャチホコは害虫の要素がある。ジューンベリーを食い荒らし、スイレン鉢に糞をばらまくからだ。いまのところはジューンベリーは枯れてもよい木であり、スイレン鉢は毎日掃除すれば害はないと思っている。モンクロシャチホコは無害な隣人であり、友人でもある。


2020.9.11(金)晴れ アゲハ

サンショウ

写真は庭のサンショウ。夏にさんざん食い荒らされて黄緑の新緑がふいている。

食い荒らしたのはアゲハだ。アゲハは好きな蝶ベスト10に入る親しい虫だ。物心ついたころから成虫にも幼虫にも親しんでいる。友だちではあるけれど、駆除の対象になっている。写真のサンショウは保護育成する樹木だから。

夏の暑いさかりには母蝶の飛来が少なかった。秋を迎えてまた活発になっている。その執念はたいしたもので人が近くにいても平気で産卵していく。身の安全よりも卵のことに夢中なのだ。「こんなところにこんな素敵な木を植えてくださってありがとうございます」という母蝶の声が聞こえそうだ。

産まれた卵、孵化した幼虫は見つけ次第駆除することになる。卵はつまんで軽くこすれば葉から落ちる。幼虫はデコピンで弾き飛ばす。大きいヤツはかなりたくましくて再びはい上がってくるようだ。はい上がってもはじき飛ばす。

このサンショウの周辺には私以外にアゲハの天敵がいない。夏の終齢幼虫がコマユバチ系の寄生蜂にやられているのは確認している。しかし終齢に達するようではさんざん葉を食われた後になり手遅れだ。寄生蜂が益虫とはいえない。天敵にはアゲハが卵、若齢のうちに駆除してほしい。今年はアシナガバチが少ないし、玄関先には鳥も来ない。

害虫になってもアゲハが好きなことに変わりはない。憎くて殺すわけではない。少々悲しくなってしまうが、これもヒトの宿命と割り切っている。


2020.9.12(土)雨 秋の蝶

ウラナミシジミ

イチモンジセセリが夏の終わりの蝶であれば、写真のウラナミシジミは秋の蝶だ。ウラナミシジミを見ると、ああ秋だと思う。

気象的にも今日から秋。気温が下がり秋雨前線がかかっている。水の落とされた田ではコオロギが鳴き、桜の木からはモズの高鳴き。スズメは大きく群れてチュンチュンぱたぱた落ち着かない。

ハンドルバーを下ハン水平に変更した群青で境川。涼しい小雨の中、秋満喫サイクリングといきたいところだが3日ほどひどい腰痛だ。歩くのに息が詰まる。あまり強く乗れないけれど、まあ普通に流す分には何の問題もない。問題は乗り降り。乗る度、降りる度、腰が痛い。

ただし自転車から降りないわけにはいかない。撮影しなきゃなんないものがたくさんある。カメラはひさびさにTGー5を携帯している。

3年使ったオリンパスTG-5がどうしようもなく壊れてヨドバシカメラに預けたのが先月。マザーボードの交換で1万7000円は安いと思った。預けてしばらくすると、マザーボードが調達できないので丸ごと交換になるが.....という連絡がきた。なんと料金は変わらず。TG-5は中古でも17000円では入手不可能。壊れてラッキーという気分になる。

昨日痛い腰を引きずるように町田のヨドバシカメラに行ってTG-5を受け取ると黒いヤツだった。赤いのを赤いので交換するという約束だったが、在庫がなかったとみえる。3年前の買い換え時にTG-1が黒なのでTG-5は赤、にしたものの、黒がよかったかなとちょっとだけ後悔したことを思い出した。バッテリーとストラップは私のものが帰ってきた。さすがにバッテリーまで新品にするほどオリンパスは甘くないようだ。

というわけで初期不良のチェックをかねていろいろなものを撮る必要もあった。さすがに動作はばっちりである。前のよりもオートフォーカスがいいように思えるのは軽く故障していたのかもしれない。

いつもの観察場所になかなかいい感じの擬態蛾がいた。喜んで撮ったもののパソコンモニターで見るとひどい手ぶれでピントも甘い。シャッター速度を考慮しなかった私の責任。擬態蛾を引き目に撮ったカットはおそろしい後ピンで蛾なのか枯葉なのかがわからない。写らなすぎでは擬態写真にならない。TG-5は小さい擬態蛾を被写体と認識しない。このことはよくわかっているつもりだった。蛾の後に撮ったジョロウグモは難易度は同程度だが、得意のマニュアルフォーカスでピントも露出もばっちりだった。勝手知ったる被写体なのだ。擬態蛾もマニュアルフォーカス&露出補正-1で撮るべきだった。先にも同じ場所で擬態蛾を失敗しているだけにとても悔しい。


2020.9.13(日)くもり一時小雨 ミステリーサークル

ウラナミシジミ

今日も群青で境川。虫の多い日だった。川に出るといきなりセスジスズメが道路を歩いていた。昨日は雨で今日はくもり、気温も低いとあって終齢幼虫が蛹化場所を探して歩き回るのだろう。セスジスズメを6頭までは数えた。

いつもの湧水には蝶が多かった。コミスジ、コムラサキ、アカボシゴマダラ、モンシロチョウなんかが複数いて縄張り争いっぽい動きをしていた。その中でどうも種名のあたりがつけられない白いチョウがいた。模様はモンシロチョウに似ているけれどサイズが倍ほどある。白さもモンシロチョウほどではない。前翅に黒い縁取りとラインがある。私が知っている蝶ではアカボシゴマダラが一番近い。しかし動きが奇妙だ。ミゾソバとかオオカワヂシャとかの草間を探るように飛んでいる。産卵場所かなにかを探す様子だ。アカボシゴマダラはそんなことはしない。

せっかく虫が多い日なのに人も自転車も多い。気温が下がった日曜で、天気予報が午前中くもりだったせいだろう。まともな練習も虫拾いもままならず、ほうほうのていでサイクリングロードから逃げ出した。

今日の写真は収穫前の水田にできたミステリーサークル。水稲がなぎ倒された。方向は一定ではなく、ゆるく渦をまいている。英国のウィルトシャー州あたりとちがって境川の近辺ではミステリーサークルは珍しい。私が確認したのは2例目だ。

このミステリーサークルは上空からの見物を意識して作られたものではない。いたずらにしては完成度が低すぎる。ましてや宇宙人の仕業でもないだろう。

稲をこれだけ倒すのは相当のエネルギーが必要なはずだ。風の仕業だとすればごうごう鳴って騒がしかったろう。コンバインが横付けされ、今日は収穫らしい。農家には災難だ。


2020.9.17(木)くもり モンクロシャチホコとジューンベリー

モンクロシャチホコ

モンクロシャチホコが終齢になった。つやのある黒い体に黄色の長い毛がまばらに生えている。見栄え良しとは言えない立派な毛虫だ。

小さい幼虫のうちは群れで行動する。枝の葉を食べ尽くして別の枝に移るときも群れになって移動していく。それが成長しきると三々五々に散って行く。今日は木の幹を降りてくるものも多くなった。

土中でサナギになるということだから、幹を下るのは蛹化場所の探索とも思える。しかしそれだけが動機とは思えない。ジューンベリーの近所に生えている木とか草とか家の壁とかにけっこうな数が登っているのだ。

もともと梅雨の剪定でジューンベリーには葉があまりなかった。今では残りわずか2割ぐらいになっている。モンクロシャチホコの暴食にあったからだ。緑なす枝葉という楽園を求めて幹を降りている幼虫が多いのかもしれない。残念ながらこの近所でモンクロシャチホコの食料になる樹木は100m先のソメイヨシノぐらいだ。

大半の葉を食われたジューンベリーもつらいかもしれない。ただでさえくそ暑い夏に新芽を伸ばさねばならなかった。これからというときに毛虫にたかられ丸裸。さんざんである。

私の興味はジューンベリーの冬芽の形成にある。私は夏に茂った葉の紅葉が化学的なサインとなって冬の準備に入ると考えている。今は冬芽の形成の季節にあたっており、その準備が滞りなくできるかどうかは見物だ。台風による塩害なんかで秋に葉が枯れた樹木が新緑になっているのはよく見る。私のジューンベリーはいま、葉を伸ばすべきなのか冬芽をはぐくむべきなのか。さあどんな冬を迎えることになるのだろう。


2020.9.19(土)くもり モンクロシャチホコの受難

ジューンベリー

昨日までは数えられるぐらいの葉が残っていたジューンベリーであるが、今朝には丸裸になっていた。モンクロシャチホコの仕業である。受難の年といってよかろう。

加害側のモンクロシャチホコの隆盛は極まったと見えた。まさに望月の欠けたることなしの様相である。しかし3日ほど前から動きがおかしくなった。やたらと発生木の近辺をうろつきはじめた。家の壁にもけっこうな数が這う。今朝には20m離れた玄関まで到達するものもいる。

最初は餌不足であろうと推測していた。事実、ひこばえになっているジューンベリーに登って食べているものもいる。しかし家の壁を這うのはなにか変だと気になっていた。

今朝になって首をかしげるように動かない毛虫が目につくようになった。壁のものはよく目だって発見が早い。調べればジューンベリーの枝にも同様な者がいる。さらに壁にヒトの血痕のようなマークがある。これはただごとではない。

動かなくなっている毛虫からは写真のように血痕マーク同様のどろっとした体液が出ている。吐いているのではなく腹から出ている。どうやら体の内部が冒されているようだ。毒物を食ったか、寄生虫か、はやりの感染症か。かなりの数がやられている。とんでもない受難にはまちがいない。

あまりに好き放題ジューンベリーを暴食するものだから、少しは鳥にでも食べられたらいいのにと思ったこともあったが、こうなるとかわいそうだ。


2020.9.21(月)くもりのち晴れ 庭のセイバンモロコシ

セイバンモロコシ

午後、仕事から帰って庭の雑草をみれば、セイバンモロコシが1本だけ出穂していた。

セイバンモロコシの芽吹きに気づいたのは先月のことだ。発見の刹那には何がいるのかわからなかった。だが、すぐにセイバンモロコシだとわかった。なぜなら群落になっているのはクロナガアリの巣の周辺だけであるから。その辺にでてくるのはセイバンモロコシ以外にあるまい。むろん自分が蒔いた種である。

セイバンモロコシは数年前からクロナガアリに餌として与えている。しかし、その食べのこしが芽吹いたのは今年が初めてだ。やはり梅雨の草刈りの影響だろう。

セイバンモロコシのような陽気な草は私の庭には似合わない。平年はまったく見られない。日影だと芽吹かないのか、芽吹いてもドクダミあたりの陰になって成長できないのだと思われる。

ちなみにアカメガシワも育っている。一度草刈り後に芽吹いたことのある木だ。アカメガシワは私の蒔いた種ではない。ここが雑木林だったころのシードバンクだろう。


2020.9.22(火)晴れのちくもり ジューンベリーの冬芽

冬芽

スイレン鉢は週に1、2回足し水をしながら水替えしている。昨夜はハクビシンにどろどろで撤去が難しいタイプの糞を落とされた。2年ばかり糞被害もなかったが、この夏からやつが徘徊するようになったもよう。

境川から帰宅して、さっそく水替え。メダカもいるからそれなりに世話をしなきゃなんない。水替えしながらスイレン鉢の様子をチェック。見た感じでは順調だ。ヒメダカはよく落ちたが、クロメダカってやつはほとんど落ちない。ただし稚魚が泳ぎ出さないのが不満。卵をつけているクロメダカも見ない。食料不足だろうか。

というようなことを考えながらセイバンモロコシに目を落とせばアオドウガネ。こいつは相変わらず頻繁に庭で目にする。以前はけっこういたセマダラコガネに代表される小型のコガネムシはさっぱりになった。

写真はジューンベリーの枝。冬芽がしっかりできていると、例年なら思うところだがさて今年はどうだろう。モンクロシャチホコに丸裸にされた枝にはもう2つ3つ新葉がふいている。こいつも早晩割れるのかもしれない。


2020.9.25(金)雨 Pixcel 4aで撮る

アカマンマ

裏蓋がはがれてきたのでセロテープで貼ってだましだまし使ってきたアクオスが限界になった。そこで新しいスマホということで、Pixcel 4aというやつをゲットした。グーグルが製造販売しているスマホ群の最新廉価版だ。

これがいいのはとにかくシンプルだということだ。余計な機能がない。充電中、充電完了のランプすらない。無駄アプリが入ってない。スマホでポチって届くのは10月中旬、すなわち1か月後ということだったが、2週間早く今日届いた。前のスマホからの移行は簡単だった。

Pixcel 4aはカメラの性能がいいというウリなのだが、それはあくまで普通の人の用途だろう。私が欲しいのは今日の写真のようなカットが撮れるスマホだ。テストとしてまずは庭にあるアカマンマを撮ってみた。

秋分の午後4時、小雨となれば明るさがかなりきつい。台風のなごりの風もある。最短に寄って、デジタルズームも使い、無理は承知で撮っている。ここまで寄って記録できるのならTG-5のバックアップとしていける感じだ。たまたま見聞録のアカマンマは午前中にNikonD700+タムキューで撮った。午後4時小雨の明るさでは暗がりに強いD700でも写真にならない。ストロボが必要だ。また、Pixcel 4aの最大のウリらしい夜景モードを試すべく暗がりの部屋をスナップしてみた。驚愕のできだ。肉眼では読めない背表紙の字がぶれずにはっきり写っている。手ぶれ補正とデジタルHDRがよく効いているようだ。星空が撮れるというのは嘘ではないようだ。15秒も露光すると、通常の三脚撮影では星が流れるのだが、デジタル的なぶれ補正機能があれば光点として捉えられるのかもしれない。


2020.9.26(土)雨 雨の日のカタバミ

カタバミ

小雨、北風の中を群青で境川。こういう雨の土曜日は道路がすいている。気温が低くなると雨に濡れて寒いけれど文句は言えない。

遊水地の所でセスジスズメが歩いているのを撮って、なにげに川の方をみれば大きく白い花をつけたタデが見つかった。こりゃサクラタデだろうとフェンスを乗り越えて近づいた。サクラタデは10年ほど前に相模原か厚木で見た記憶がある。境川にはない草だと思っていた。

タデの類は雨でも花が開いているのは庭のアカマンマで確認済み。一方、カタバミが開かないのは庭のムラサキカタバミで確認済みだ。

いつものセブンイレブン裏には写真のように足元にこんもり黄色い花のカタバミが育っている。秋になって花盛りで、いつ見てもヤマトシジミが来ている。この雨の中でも1頭のメスがいた。

特段撮影するまでもないなと、しばらく眺めていたら雨滴の付き方に偏りがあることがわかった。緑の濃い葉にたくさん雨滴がついて、黄緑の葉には雨滴がすくない。黄緑の葉は新しいものらしく小ぶりで背も高い。その分、風当たりが強くて雨滴が吹き飛ばされるのかとまずは思った。その目で探してみれば、背の高い緑濃い葉に大きな雨滴がついている。どうも葉の構造に違いがあるようだ。カタバミの葉は成長するにつれて油分がついたり、表面が毛羽だったりして水滴を保持しやすくなる....というようなことが起きているように思う。


2020.9.27(日)くもりのち晴れのち雨 変なヒガンバナ

ヒガンバナ

ヒガンバナといえばこの季節の人気者である。境川の周辺にもたくさん咲いて目立っている。写真は目立たないヒガンバナ。セブンイレブン裏の用水路に咲いている。ほとんどカナムグラに埋もれて発見は困難だ。

近年目につくクリームのヒガンバナは状況から察するに人が鑑賞目的で植えているようだ。このヒガンバナが鑑賞目的でここにあるとすれば、植えたのはきっと私だ。この水路を鑑賞しているものなど私以外にいるわけがないからである。ところがいうまでもなくこの花を植えたのは私ではない。とすれば間違ってここにいるのだ。

さて何が間違ったのだろう。可能性としては、大水のときに上流の土手が流されて泥土もろとも球根が流れ着いたという線だ。それ以外にはありそうもない。

ところで今日も群青で境川に行ったのは写真のリベンジだった。サクラタデがいまいちだった。雨の中の撮影とはいえもっとちゃんと撮れるはずだった。そしてもうワンカット、林縁の雑草に囲まれたクリームのヒガンバナっていうカットがいまいちだった。

ヒガンバナ

撮りなおしたのが左の写真。奇しくもこちら、カナムグラに覆い尽くされそうに咲いている。

ヒガンバナは自力で分布を広げるのが難しいはずだから、こいつも誰かが植えたにちがいない。こんな酔狂をする人間がこの世にいるのだろうか。このヒガンバナの付近は踏み跡があるが人のものなんだろうか。獣道なんだろうか。獣といってもこの辺に鹿やイノシシは生息していない。犬猫かタイワンリス、ハクビシン、コジュケイぐらいのもんだ。いまではカナムグラに覆われて近づくとひどい目にあうが、冬なら簡単に行けるだろう。ヒガンバナを持ってきて植えるのはたやすい。しかし、そんな酔狂をする人間がこの世にいるだろうか。いくらヒガンバナが人気者とはいえ。


2020.9.28(月)晴れ 蛾擬態葉

脱皮殻

境川から少し登ったところにある里の小道は虫観察所になっている。ここで幾度か蛾に擬態している枯葉を撮り損なって辛酸をなめてきた。

オートフォーカス、オートアイリスに頼るのがいけないと後で反省するものの、いざ撮ろうというときには面倒臭さが先に立ち、軽くシャッターをおしてしまう。そういうことを何度も繰り返しているとさすがに気をつけるようになる。

昨日は我ながら慎重であった。フォーカスはマニュアル。なによりもイタリア製の老眼鏡をつけていた。そしてツツゾウムシなんかを首尾良くおさめて、写真の被写体を見つけた。

まずは見事な蛾擬態枯葉だと思った。模様なんかは蛾の幼虫以外のなにものでもない。仕上げに蛾の尻尾に見える葉脈なんか心憎いばかりだ。

撮影して撮った写真をモニターチェックしていると、枯れ葉がどうも蛾に見えてきた。力なくぶら下がる感じと張りのなさは所詮枯葉でしかない。しかしただの葉には見えない。念のために指で触ってみれば、その薄さ柔らかさはどうやら脱皮殻だ。さらに念をいれて臭いをかいでみれば、枯葉のものではなかった。

結局、蛾の幼虫に擬態する葉に擬態する脱皮殻というところに落ち着いた。擬態枯葉への挑戦は続く。


2020.9.30(水)晴れ ナンプレ

数独は1年ほどはオーソドックスな解法を取ってきた。すなわち懸命に考えて確定した数字を一つずつ入力していく方法だ。しかし、電車の中でスマホでやるスタイルだと、1つや2つは詰め切れないマスが出てくる。シンプルチェーン、ダブルチェーンなどの基礎テクニックを使っても論理的に解けるのは半分程度だ。ちゃんと考えれば答えが出るのかもしれないが、それだけの暗算力が私にはない。運を天にまかせて数字を打つのは負けを認めるようで気分が悪い。

そういうことでかなりいらいらすることもあり、ゲームのやり方を変えることにした。失敗を恐れないスピード重視の解法だ。アプリはナンプレというやつだ。ナンプレはありがたいことに間違った数字を打ったら赤字で教えてくれる。そうでなければ早打ちなんてもっといらいらして無理だろう。

ランクはエキスパートで解くスピードは平均で1分40秒ぐらい。最高は1分20秒である。はじめたときはアクオスの安くて古いスマホだった。そのときの最高タイムは1分28秒、平均は2分ほどだったと思う。Pixel 4aにして初日に最高タイムを更新し、平均を20秒ほど縮めた。廉価版のPixel 4aとはいえ、画面が広くて速いのはアドバンテージになる。アクオスだと画面を押した瞬間に反応がなくいらっとくることが頻繁だ。電車が揺れて誤ったマスをタップして取り返しのつかない3秒ロスをすることもあった。ナンプレは機材スポーツの一面がある。


2020.10.3(土)晴れ ジョロウグモの季節

群青

アルミの古くさいパーツを多用した群青で境川。日差しもあって暖かく林からはアブラゼミ、ツクツクボウシ、アオマツムシが聞こえる。まだまだ初秋の雰囲気だ。ただウスバキトンボはやはり少ない。湘南の海岸線では多いらしい。神奈川での繁殖個体ではない飛来群かもしれない。

気温が下がってきたせいか境川には人が多い。しばらく陽気がいい間は避けた方が無難だ。年々自転車で楽しく走れる道ではなくなってきた。今日は辛抱しきれず尾根緑道へ。途中の町田はカオスというべきでここも自転車で楽しく走れる道ではない。

尾根緑道の道ばたにはおびただしい数のジョロウグモが巣を構えていた。中には互いの支持糸を共有しているようなグループもある。ジョロウグモは接触すると死闘を繰り広げるらしいことがわかっている。ちょっと現場を見たい。わが家ではいまジョロウグモはいない。次第にジョロウグモが世代を重ねることが難しくなっている庭だ。ただ尾根緑道にこんなたくさんいるんだったら安心だと思った。なにが安心なのかは不明だが。


2020.10.4(日)くもり ツマグロオオヨコバイ

ツマグロオオヨコバイ

ツマグロオオヨコバイは手強い被写体である。庭にも少なくないがちゃんと写すのは簡単ではない。

ツマグロオオヨコバイはけっこう敏感で防衛圏を広く取っているようだ。1m以内に入るのが難しい。とりわけ一度逃げるモードに入った個体をなだめすかして近づいていくのは不可能といってよい。近寄るにつれて、その名の通り横這いして葉の裏側に回る。こちらが回り込んでもいたちごっこになるだけだ。追う、回る、追う、回るを3回ほど繰り返せばぶんと飛んで逃げる。

こちらも真剣に撮るつもりはない。勝負はせいぜい2分というところだ。というわけで撮れなかった記憶が溜まっている。今日のは簡単に撮れた。あえて少し離れたところでシャッターを切ったのと朝で気温が低かったのが良かったのかもしれない。活性のいい初夏の日中に撮っておきたいシーンがあるから、距離感をわきまえて近づいていこう。


2020.10.11(日)くもり 移植

この20年ほど、庭の管理は生えるものはなるべく生えさせて、邪魔になったら駆除するというやりかたでやってきた。NEW植物の導入は家人の好きにまかせていた。今日からそれをちょっと変えて自分でも手を入れてみることにした。

きっかけはセイバンモロコシである。こいつらがクロナガアリの巣のまわりにはびこって撮影ができなくなっている。そこで半分を撤去することになるのだが、その半分の中にクサイチゴがまじっている。クサイチゴは庭ではやっかいな草だ。好きな雑草なんで駆除はしたくないが手の入る所にいると鋭いトゲが刺さって嫌な思いをすることになる。クサイチゴのまわりのドクダミやヤブガラシを駆除しようとしてクサイチゴを掴んでびくっとするのは毎度のことだ。増えて欲しいが勝手に増えると困る。

ひとまずクロナガアリの行動圏にあるクサイチゴを庭の一角に移すことにした。わたしはこれまでこういう作業をやったことがない。移植ゴテをつかってクサイチゴの根の回りをごそっと掘って、移す場所に掘った穴に埋めて置く。乱暴なやりかただ。こんなことで根付くのか心もとないものがある。園芸家はよりよい方法を知っているのだろう。

私の庭ではクサイチゴは実生で増えていると思う。ただ、種から芽吹くだけではなく地中にあるランナーからはびこっていくことが今日の作業でわかった。


2020.10.12(月)くもり 翅の傷

ヤマトシジミ

朝庭に出るとヤマトシジミがいた。ツツジの葉先で翅を休めている。一見してその翅はぼろくて破れが目立つ。こうした蝶の姿にも秋の深まりを感じる頃になった。

このヤマトシジミの翅の欠け方には特徴がある。前翅も後翅も等しく破れ、左翅も右翅も等しく破れているようだ。となると翅を閉じている状態で一撃をくらったのだろう。前後の欠け方をみれば2撃同時ということも想定できる。カマキリの二本の前足がざっくり翅を掴んだものの本体には及ばず九死に一生を得たというような物語が想像できる。本当のところはどうだったんだろう。


2020.10.14(水)くもり クロナガアリの季節

クロナガアリ

庭はクロナガアリの撮影ができるように整備した。今朝様子をうかがうとけっこうな数の働きアリが地面を歩いていた。いよいよ収穫シーズンの到来だ。

さっそくNikonスーパーマクロクロナガアリ仕様で撮影。庭にはまだ種が乏しい。一番数が多い期待のササガヤはようやく花が咲きはじめたところだ。しばらく観察しているとミズヒキを運んできたアリがいた。ミズヒキは餌にはなっているものの数が少ない。せっかく地上に出てきた働きアリの仕事がないのはかわいそうだ。

ひとまず去年に収穫しておいたセイバンモロコシの種を巣の近くにまいてみた。働きアリは速やかに種を見つけて運んでいく。巣に運び入れると、第二陣、三陣がわらわらと巣からでてきてセイバンモロコシにたかってくる。

ゴミ捨て要員も大活躍だ。写真はおそらく去年のものと思われる種の殻を運び出す働きアリ。泥だの死骸だのが次々に運び出されていく。

こうしてまた例年と同じクロナガアリの元気な姿を見ることができた。この巣は発見してから15年ほどが経過している。


2020.10.15(木)くもりのち雨 最後の?アゲハ

アゲハ

今朝はまだ雨が落ちていなかった。ひとまずクロナガアリの観察と撮影。D300sでトビムシの運搬なんかを撮っていたが、ちょっと思い直して古いD70sに交換してみた。交換自体は2分仕事。D70sはさすがに古ぼけたカメラでゴムは加水分解で劣化している。一番のネックはシャッターがおかしくなっていることだ。調子がでるまでは、カシャンッシャンシャンってな感じで拍子抜けするエラーが出る。

2年ばかり埃を被っていたD70sを引っ張り出したのは、クロナガアリの撮影には最適なカメラじゃないかと思い返したからだ。クロナガアリの撮影だと明かりは完全にストロボ光だ。触角とか脚とか細かく動く部分があるからシャッター速度は早い方がいい。高速シャッターがストロボと同調するD70sは捨てがたいものがある。撮った瞬間がファインダーで見えるのも好感触。画質だって必要十分なはずだ。

いろいろ設定を変えて撮ってみれば、やはりすぐれたカメラだ。ホワイトバランスの設定はD300sよりも簡単で迷いが起きない。いっそシャッターを修理して使い続けたくなった。いまでも修理を受け付けているのだろうか。

写真はオリンパスのD5で撮ったアゲハ。今年は見つけ次第はじいてきたのだが、こいつは特別扱いになっている。アゲハの産卵は盛夏には少なかった。秋を迎えてまた増えたもののこの数日は産卵孵化がない。唯一この幼虫だけがいる。もしこのまま産卵がないようだとこの1頭はこのままいけるように思う。サンショウには幼虫1頭を養うだけの葉が残っているようだ。おそらくこいつはサナギになって越冬するのだろう。気まぐれで情けをかけていると先を見届けたくなった。


2020.10.16(金)くもりのち晴れ 秋雲

高積雲

今朝はくもっていたものの昼頃には青空に日が射してきた。青空には白い巻雲が浮かんでいる。巻雲からは白い筋が垂れ下がっている。空の高いところでは雪が降っているのだろう。

午後になると主役は高積雲になった。雲の切れ目がずいぶん細くて鋭い感じだった。飛行機雲が高積雲の上空に幅広くできる。日が傾くころには写真のように雲の厚みがまして空を広く覆うようになった。

天気予報では西から雨雲が近づいているという。まさにその通りの絵に描いたような秋空だった。


2020.10.17(土)雨 カメラの設定

アゲハ

昨夜から本降りの雨にくわえて気温が低い。写真のアゲハ幼虫はいまやペットと化している元害虫である。気温のせいか脱皮前なのか動きが鈍い。

雨が強すぎるのでアリの撮影は中止してアゲハをモデルにカメラの設定を研究してみることにした。オリンパスのD5はプロ用のカメラで露出の設定がいろいろできる。さらに内蔵ストロボを使えばいかようにもなる。使用目的は庭の動植物のスナップだ。簡単スピーディでもっともそれらしい写真が上がるように工夫することにした。

雨のアゲハは難しい。茶と白のまあるい体に、雨水がついて輪郭と模様が判然としない。どこが目やら足やらわかりゃしない。

雨で暗いときには3つばかりのことを考える。シャッター速度を落とす。絞りを開ける。感度を上げる。シャッター速度を落とした接写では、手ぶれだけでなく、雨風の被写体ぶれでみっともない写真になる。絞りを開けると接写ではぼやけるところが増える。幼虫は筒状の小さな物体だから開放絞りではいい写真にはならない。感度を上げると画面がざらつく。雨の日の黒い幼虫はどれだけ感度を上げても影の部分はつぶれる。いろいろダメな場合、4つめの選択がストロボを使うことだ。

ストロボはなるべく控えめにして、iso1250、F16、1/50s。このあたりがいろいろ許せる線かな。


2020.10.18(日)晴れのちくもり 二度騙される

糞

フラペのウィリエールで境川。今日の目的は収穫。クロナガアリの餌になるセイバンモロコシが食べ頃になっているはずだ。先週から雨のない週末を狙っていた。早めに集めておかないと無慈悲な草刈りにあって片付けられてしまう。

境川は秋の気配が満点だ。ウスバキトンボは飛ばず、セミも鳴かない。例年10月の中旬にアブラゼミは珍しいものではないが、今日はいまいち気温が上がりきらなかったのかもしれない。

セイバンモロコシはちょうど種が熟す頃合いだった。食べ頃になった種が3か所で見つかった。熟している種はポツポツではなく特定の一角に集合しているので助かる。

例の撮影ポイントを今日もチェック。いまいち虫が少ない。ツツゾウムシ、カマキリ、ハゴロモなどなどいっぱいいたやつらはどうしたんだ。ジョロウグモの巣もないぞ。などと物色して葉の上に小型のゾウムシをみとめた。今日の写真。しかし次の刹那、こいつは鳥の糞だと思った。動きの遅いゾウムシにしても生気がなさ過ぎる。ぺたんと葉に貼りつきすぎだ。左右の対称性も崩れている。まあこれも糞が虫に擬態しているからと撮影はしておいた。

帰宅してPCモニターで見て驚いた。ただの鳥糞だと思っていたのが虫だったからだ。白いのは蛇腹の腹みたいだ。小型のハチっぽいのは形がはっきりしている。鳥糞に見えたのはどうやら2〜3頭の虫の死骸だ。死骸にしてもこうしてまとまっているなら糞かペレットだろう。ではやっぱり糞?食べたのは誰?鳥、コウモリ? いまひとつ釈然としない。もっとゾウムシみたいに撮れたはずというのも残念。


2020.10.21(水)晴れのち 極小クロナガアリ?

クロナガアリ

毎朝クロナガアリを観察、撮影している日々ではあるが、正直もう驚かされることはないだろうと思っていた。なにしろ10年以上も同じようにやってきたことだ。

むろん新発見がないとは言いきれない。発見はなくともマンネリ承知で毎日見て、写真を何千、何万と撮っていれば何らかのヒントは降ってくるものだ。

今朝もそうしていると、小さなアリがいた。クロナガアリの巣の周辺には極小のアリは少なくとも2種が既知だ。そいつは見慣れぬものだったから記録のために撮っておいた。

のちのちパソコンモニターでそのアリを見てたまげた。どうみても姿形はクロナガアリだ。本当にクロナガアリなんだろうか?

これまでにも普通サイズの半分以下の働きアリを目にしてきた。それらの小型のものに比してもさらに小さい。今日の写真は比較のために合成してみたもの。白丸中が小さいアリ。自慢のスーパーマクロはズーム付きだが、2枚は間違いなく同じ画角で撮っている。写真で見ても体長で5分の1程度。半分のその半分以下といったところだ。

ちょっといたずらしてモンシロチョウサイズのアゲハを作ってしまったことはあった。アゲハにクスを食わそうとして計らずも貧栄養の実験をやってしまったのだ。クロナガアリの巣の食料事情はよいと思うんだけど、それでも極端な小型化が起きるのだろうか。本当にクロナガアリなんだろうか。


2020.10.22(木)晴れのちくもり 3匹のアリ

クロナガアリ

引き続き今朝もクロナガアリを観察した。クロナガアリだけじゃなくて小型のアリに注目してみた。けっこういろいろな種類の小さいアリが庭に生息しているようでテンションがあがった。

あきれたことに私はアリの素人で、小さいアリ、黒いアリ、黄色いアリ・・・という程度の区別しかできない。アリなんてそもそも同定の難易度が高すぎる。クロナガアリみたいにはっきりしたヤツなら友だちになれるんだが、などと嘯いていたが、とうとうクロナガアリ類似品を見つけてクロナガアリにすら自信がなくなった。ここらでアリ調べもしなきゃなんない。

今日の写真は問題の極小クロナガアリ?と庭にたくさんいる黄色っぽい小さいのの大きさ比較。たまたま並んだのと子葉にのったのがグッドタイミングだった。子葉の幅は1mm強といったところ。

小さくても黒いのはやっぱりクロナガアリに見える。そこで手がかりがないかと「日本産アリ類画像データベース」を見ることにした。「日本産アリ類画像データベース」はインターネットの黎明期に拝見して大感激したサイトだ。奥行きの知れぬインターネットの可能性は鳥肌ものだった。

「日本産アリ類画像データベース」を見たと言っても写真あわせに過ぎないんだが、黄色いのはキイロシリアゲアリだと思った。黒いのはクロナガアリだと信じたいんだが、サイズを考慮すればトビイロシワアリのほうが近い。

トビイロシワアリ

ところがトビイロシワアリなら左の写真のやつがもっとそれらしい。奇しくも先の2匹と同じ子葉に乗っているが、別個体である。クロナガアリとのシルエットの差異はすぐに気づく。人間で言うふとももの部分がぷっくりしているところだ。「日本産アリ類画像データベース」のトビイロシワアリ写真もその特徴がはっきり出ている。こんな脚のクロナガアリは見たことがない。こいつのほうはトビイロシワアリと断定したい。

しかし極小クロナガアリ?はふとももがスリムではあってもトビイロシワアリの可能性はある。極小クロナガアリ?が巣穴からゴミを持って出てくる、とか、草の種を巣の中に運び込む、っていうクロナガアリならではの行動を目撃するまでは断定ができない。


2020.10.23(金)雨のち晴れ 秋を感じる写真

アブラムシ

クロナガアリを観察していてアブラムシを見つけた。雨の中、どうしたことかドクダミの葉を歩いている。明るい色合いのきれいなアブラムシだ。 これ幸いと何カットか撮っておいた。

パソコンモニターで一連のアブラムシをチェックして、ベリーグッドな写真だと思った。ほんのりと秋の臭いがする。写真を見て秋を感じるのはいつもこんなカットだ。体の中に染みついている秋の光が想起されるんだろう。

アリ巣の前で土下座して他の虫も気にしている。クロナガアリ以外のアリも昨日からはチェックだ。トビムシとかアブラムシとかヨコバイみたいなものも見逃せない。3mmほどの小さなのは撮るのが難しく写真をもとに名前を調べても判然としない。今日はマルガタゴミムシがいた。1cmほどある大型の甲虫だ。庭では高頻度で目にしている。


2020.10.24(土)晴れ イモリ

イモリ

去年の台風からずっと通行止めになっている半原越に群青で行ってみた。さすがに1年を経て、もしや通行できるのでは?と期待したからだ。期待は半分かなえられた。通行止めはあいかわらずだが、道路工事は始まっており、12月には通れるようになると書いてあった。

2回目の登りでイモリを見つけて驚いた。見つけたときは例によってイモリの死体に擬態している落ち葉だと思った。山道を自転車で走っていてイモリ擬態の植物に騙されたことは2度ある。落ち葉であっても巧みな擬態は撮影対象だ。ストップウォッチを押してタイム計測中ではあるが、こういうものは一期一会と言い聞かせて引き返し、その落ち葉をしげしげと見て狂喜した。それが本物のイモリだったからだ。念のために触ってみれば肌も筋肉もイモリである。捨てられたおもちゃではない。

どうしてイモリが半原越にいるんだろう。神奈川でもイモリは市販されているが、さすがに半原越で籠抜けはあるまい。私は神奈川でイモリを見たことがなかった。むろん20年以上もイモリがいそうな水辺を見ている。イモリがいそうな環境は熟知してイモリを見つける目もあるつもりだ。それでも見つからなかったから、この辺は生息地じゃないんだと結論していたのだ。

車に轢かれたとおぼしき死体とはいえ自転車で走っていて見つかるんだからそれなりの数の生息が期待できる。半原越の主流である法論堂川とその周辺はイモリの生息環境としてそう悪いものではない。やっぱり半原越は素敵だ。


2020.10.25(日)晴れ またイモリ

イモリ

今朝もクロナガアリの観察に庭に出てみれば、頭上にジョロウグモの姿があった。昨日の朝にはいないことが確認できている。24時間以内に巣を構えたようだ。首尾良くホタルガをゲットしているものの、体は細い。10月の末にもなってこれでは先が思いやられる。7本脚なのはどこかで闘争したのかもしれない。オスはまだついていない。庭観察の楽しみが少し増えた。

昼頃から群青で半原越。昼飯はいつもの荻野川セブンイレブン。荻野川の脇に咲いているセンダングサは虫の宝庫だ。ハチ、アブ、蝶、それをねらうハエトリグモやカマキリ。まじめに見ていると日が暮れる。

荻野川沿いの道路にトノサマバッタがいた。ただの移動中という雰囲気ではない。ははんと引き返してみれば、やはり産卵している。トノサマバッタがアスファルト道路で産卵するのは珍しいことではないようだ。ただ交通事故には要注意だ。一日5台ぐらいしか車が来ない場所であるけれど、ちょうど轍にあたっている。来たら必ず轢かれる。どけようと驚かせれば、腹を切って跳んでしまうおそれもある。よけいなお世話をせず彼女の運にまかせることにした。

左折して谷戸沿いの道を登っているとイモリの死体があった。正確には、イモリじゃなく黒いカナヘビだと思い直した。それでも昨日のことがあるので、ブレーキをかけて引き返し、拾い上げて調べてみる。やっぱりイモリだった。裏返せば一目瞭然だ。荻野川とその谷戸はイモリの生息に適していると思う。こう立て続けに見つけるということはセントラル神奈川でイモリは少なくないんだろうか。

道々で轢かれている虫をよく見る。半分以上がカマキリで、その半分はハリガネムシと心中だ。秋は虫の動きがせわしない。ヘビが道路に出てくることも多い。半原越は通行止めで酔狂者が少ないという点はヘビに有利だ。2回登って降りて来ると、とほうもなく大きなヤマカガシが道路を渡ろうとしていた。ちょいと登りにくそうなコンクリ壁にさしかかってうろうろしている。

どういうわけか体がぺったんこで、ツチノコみたいだ。鎌首をもたげる姿はまるでコブラだ。ヤマカガシがこんな姿勢をとることは知らなかった。ぜひ正面から撮らねばなるまいと回り込んだ。鎌首をもたげて寄らば切るぞ体制をとっていても本人はびくびくしているはずだ。威嚇よりも逃げるタイミングを計って正面を向いてくれない。刺激すれば正対するかもしれないが、このサイズだと噛まれたら命はない。口が大きくて、私の指なら奥の毒牙まで届くだろう。それにしても半原越でよくぞこのサイズまで生き残ってくれたものだ。


2020.10.28(水)晴れのちくもり 素人写真

クロナガアリ

今日の写真はクロナガアリが巣の中の泥を運び出して捨てたところだ。もう一瞬シャッターがはやければ泥を咥えてるカットになった。横からのカットになっているのはマウンドがあるからだ。巣の回りは拡張工事にともなう泥やら種の皮だのがうずたかく積まれている。そのマウンドの頂上付近にいるところを撮った。前面ぼけているのは全部産業廃棄物だ。

じつは数年来、クロナガアリを横から撮るべきかどうか迷っている。さすがに同じような写真が1万枚、2万枚と溜まってくれば新境地を拓きたくもなる。この写真をみればアリにだけピントがあって前と後ろがぼけて、おまけに背景のユキノシタの緑がきれいだ。ゴミの中から芽生えているユキノシタの芽はご愛敬。もっとビシッときまればベリーグッドな写真になるだろう。

雰囲気がいいだけでなく、横カットだとアリの同定ポイントになる腹柄の形状がわかりやすい。種を咥えていれば種の形がよく見え、高さが出てアリの力持ち感が増すだろう。プロならばアリをやるからには絶対にそういうカットを撮らねばならない。

カメラにはレンズがあってレンズの高さより下のものは横から撮れない。アリのような小型の被写体の場合は、アリに高いところにいてもらう必要がでてくる。クロナガアリは通常、枝を歩かずもっぱら地面を歩く。やるなら地面を掘ってカメラを下げるか、マウンドを作ってアリを上げることになる。私の撮っている巣の回りにマウンドを作ることはたやすい。いざはじめれば予想もしない工夫が必要になるだろうが、やってみるのは容易なのだ。

しかし私には素人としての誇りがある。虫はたまたま見つけてなにげに撮るものっていうあきれたポリシーがある。つくられたシーンはプロがみれば一目瞭然であろうし、わからないほど巧妙にできたとしても、自分にはまるわかりだ。金になるならともかく、シーンを作ってまで虫と遊ぶ趣味はまだない。


2020.10.30(金)くもり クロナガアリの喧嘩

クロナガアリ

朝、いつものように庭に出てクロナガアリの様子を観察していた。相変わらずゴミを捨てて種を運んでいる。活発なのはいつも通りだが、なにやら巣の北側の広場が不穏である。アリがとっくみあいの喧嘩をしている。

一瞬何が起きているのかわからなかった。喧嘩しているのはクロナガアリだ。一組だけでなく、3つ4つと葉の上、土の上、枝の上でとっくみあいになっている。私はクロナガアリが闘争しているのを見たことがなかった。ちょっとした物の取り合いなど、何かのひょうしに怒る感じは見せるものの闘争にまで発展することはない。巣の近くを他の種類の小さなアリがうろついているのに気にするそぶりも見せない。クロナガアリは極めて温和で例外的なアリだと考えてきた。

ファインダーを通して観察していると、脚やら触角やらにがしがし噛みついている。噛みつき攻撃なんて初認だ。闘争時間は1分以上続く。この写真の両者は脚が欠けて腹部がえぐられている。クロナガアリの大あごは稲を脱穀できる強力なものだ。本気でやれば致命傷を与えることができる。

いったい何が起きたのだろう。まず同じ巣の仲間ということは考えにくい。同じ巣ならよっぽど変な臭いがついたグループが現れたのだろう。一番想定しやすいのが、庭にもう一つクロナガアリの巣ができて縄張り争いになったというものだ。

ただ、クロナガアリの場合は無尽蔵にある草の種を収穫するのだから、餌を争う必要はないだろう。命がけで戦う理由は私にはわからない。


2020.11.1(日)くもり クロナガアリの新しい巣

クロナガアリ

クロナガアリの喧嘩を目撃して、新しい巣があるのかと庭の北の方をチェックしてみた。既知の巣から3m足らずの所にある飛び石の上にアリの姿が多い。さてはと注視すればやはり喧嘩をしている。

付近を探ると飛び石のすぐわきに巣口があった。やはり新しい巣ができていたのだ。この巣はおそらく今年新規にできたものだろう。クロナガアリに巣分かれ的なものがあるかどうかは知らない。これだけ喧嘩をしているところを見ればきっと新規の一家なのだと思う。どこからか飛んできた新女王が今年首尾良く巣を構えたと信じたい。

飛び石の上はさながら相撲の土俵のごとくあちこちで取っ組み合いの喧嘩になっている。写真では3頭がかりだ。それなりの剣幕であるけれど、怪我しているものは見あたらない。敷石の上に瀕死体になって転がっている者もいない。脚だの触角だの頭だののパーツも落ちてない。大喧嘩の様相とはいえそこは双方クロナガアリ。分が悪くなって逃げればそこで勝負がついているようだ。深追いはあまりしない。


2020.11.2(月)はれのちくもりのち雨 がっかりトンネル

トンネル

私は自転車乗りとして神奈川の道路設計者はバカだと思っている。もしバカでないのなら自転車が道路を走っていることを知らないのだ。座間市にはがっかりトンネルがある。アメリカ軍キャンプの下をくぐるトンネルだ。このトンネルは以前からあったもので拡幅工事が完了し、規則上は自転車通行が可になった。

写真を見てわかるように、自転車は左端を走るよう指示されているのだが、そのとおりやれば恐いことになる。自転車と車の間は1mもとれない。この車は路側帯に立って写真を撮っている酔狂者を避けてセンターラインを踏んでいる。500mほどあるトンネル内なら、もう50cmは左に寄ってくることになる。道路中央にどんな意図かポールが並べられているからだ。トンネルは緩い登りになっており、自転車乗りではない人はふらつく。自転車は後ろから来る車が恐い。車の方でも自転車が恐い。

かくて時速10キロほどで走る自転車の後ろを車が徐行することになる。双方いらいらはつのるばかり。私はこれまでに5回ほどこのトンネルを利用したが、自転車を押して反対車線の左端(つまり中央)を歩いているお年寄りを2人見た。

トンネル

拡幅前に比べてトンネルの幅は1.5倍ほどになったが、自転車の恐怖感は5倍ぐらいになった。トンネルの中は立派で明るい。右側にだけ立派な歩道が設置されている。自転車を押して道路の中央を歩くぐらいなら、歩道を行けばよさそうなものだがそうはいかない。トンネル入り口は歩道が異様に高くて重い自転車を上げるのはお年寄りにはしんどい。そしてトンネル内はどんな意図なのか鉄のフェンスが延々設置され自転車は上がれない。この歩道はトンネルを出るととたんに狭くなる。道全体の拡幅はされず、トンネル内だけ車道も歩道も拡幅整備されたのだ。

私は後ろから来る車が恐いので、この歩道を走っている。しかし違反だ。この歩道は自転車通行不可である。そしてトンネルを出ると歩道は狭くてなぜか曲がりくねってうっとうしいから、道路を横断して車道左端を走ることになる。幅は1車線で乗用車がすれ違うのも難しく車両の時間帯通行規制があるほど狭い。渡るのは簡単だ。

このトンネルはああでもないこうでもないと工事期間も延長され、その間に人を歩かせるための設備も作っては壊し壊しては作り、アスファルトを打ってははがしはがしては打って拡幅工事に8年の歳月がかかった。それでも不十分なんで座間市はまた工事するらしい。20年後にはきっといい道になることだろう。


2020.11.3(火)くもりのち晴れ 種争い

クロナガアリ

あるだろうなと予想していた種争いをつぶさに観察することができた。

クロナガアリは小さな種を収穫するアリで、大きな獲物をよってたかって引っ張るタイプではない。これまでの観察でも種とかダンゴムシの亡骸とかの取り合いを見てきた。それは些細なものだった。10秒ほど引っ張り合いになってもたいていは元の所有者が勝つ感じだ。まあ勝っても負けてもさばさばしたものだ。種なんてそこいらじゅうに落ちてるのだから。

今日の写真はセイバンモロコシの取り合い。ドクダミの葉に登っているが、もとは飛び石の上で起きた諍いだ。飛び石は何日間も闘争の土俵になっており、働きアリ同士の喧嘩が日常化している。

種を複数で取り合うと戦いは長引いてしまうようだ。一人二人とあきらめても加勢が入ってくる。熱が入っておそらく敵味方の区別もない。とにかく種運びを邪魔されるのが我慢ならないようだ。飛び石からドクダミに登っていくと両者の巣のいずれからも離れる方向になってしまう。種の収穫という本来の目的すら分からなくなっているのか。ちっぽけな一つの種を何分もかけ取り合うのなら一抜けて他の種を探す方が合理的だと思うのだが、敵対するグループだとレベルの違うモチベーションに駆られるのかも知れない。

庭で勃発している領地争いはいまのところ終息の気配がない。クロナガアリの歴史から察するに、近隣の一家とうまく和解する方法は進化していないのだろう。


2020.11.6(金)くもりのち晴れ アゲハの写真

アゲハ

写真は3日のアゲハ幼虫である。終齢になって十分太ってまもなくサナギになるだろうと予想していた。

早くもその翌朝にアゲハはいなかった。きっとどこかに移動してサナギになる準備をしているはずだ。これまでの経験から、アゲハの幼虫は食草から10mほど移動し地上1mぐらいの所で蛹化するとふんでいる。その予想をもとに毎日3分ぐらいをサナギの探索にあてている。まだ未発見だ。

アゲハが好むのはどんなところだろう。越冬サナギになるから、日当たり雨あたりなどが考慮されるんだろうか。当初の予想では家屋の壁が本命二重丸だった。最も見つかりやすいところでもある。

この幼虫の一派でなんとかサナギまでこぎつけたのはこいつだけである。今年は害虫のレッテルを貼って、見つけ次第駆除してきたからだ。10月になって1頭だけになり、サンショウの葉の量と幼虫の食べる量を比べて「この幼虫はサンショウに害を与えない」と判定した。その瞬間、害虫がペットになった。

ペットになるといっそうかわいくなるもので、頭をこづいて角をださせたり、撮影の練習対象になってもらったりしていた。まったくきまぐれな自然観察者である。それはともかく同じアゲハ幼虫でも害虫とペットの写真を見比べるとペットのほうが数段よく撮れているのは面白い。


2020.11.7(土)くもり時々晴れ一時雨 警戒なのか?

クロナガアリ

巣口のすぐ奥にあるドクダミの葉にクロナガアリがたかっている。並んで巣を見下ろすかっこうだ。写真の葉だけではない。巣の近くの葉にことごとくといっていいほどクロナガアリがいる。

何をしているのかが分からない。こういう様子は羽アリが出てきたときにみたきりだ。今朝は羽アリが出ているわけではない。最近、他の巣の働きアリとおぼしき者が巣口の近くまでやってきている。種を運んでいるアリなので悪意はないだろう。それでも喧嘩になっている。

そうした不安定な状態にあって高いところから監視をしているような、そんな感じがした。

今日は立冬。群青で境川に出た。まだ夏の名残はある。モンシロチョウ、モンキチョウが飛び、エンマコオロギがか細く鳴いている。さすがにアブラゼミはもう聞けまい。アブラゼミ鳴き最遅記録更新はなさそうだ。いつもの観察場所ではカマキリが葉にたまった雨水を飲んでいた。カマキリと水となると悪い予感がするけれど、カマキリはけっこう水を飲むことを飼育個体で見ている。


2020.11.8(日)晴れ いろいろいた日

柿のある風景

写真は荻野川縁にある柿畑。私にとって晩秋といえば柿の木のある風景だ。この柿畑は数年来気になってはいたが撮影したのは初めて。自転車で眺めていていいなと思っても良い写真にできずにがっかりすることは多い。試しにこいつを撮ってみるとけっこういい写真になった。撮っているときの手応えは悪く、撮影後に日が射してきたのに、まいいかとスルーした。それが良かったのか悪かったのか。

朝から日もあり気温が高く道路にはいろいろな虫が出てくる。バッタとかカマキリとかの大物はとりあえず止まって記録するが、死んでるやつとか小物はスルー。ヘビなんか5匹ぐらいつぶれていた。

半原越にかかるといきなりツクツクボウシを聞く。11月のアブラゼミは期待して走っているが、まさかツクツクボウシとは。ツクツクボウシは11月に鳴いた記録はなかった。アブラゼミでも最遅が11月5日だから、セミ界の新記録だ。

まだまだ秋は終わってないなと登っていると道ばたにスミレが咲いていた。半原越の春の便りはタチツボスミレだ。冬来たりなば春遠からじ……ずいぶん季節を先取りしたもんだ。清川村の水田にはミヤマアカネの生き残りの脇にタネツケバナが咲いていた。

足運びに注意しながらうつむき加減に走っていると、視界を黒い物が横切っていった。蝶だった。そいつは左手山側の暗い林床に止まった。遠目でもクロコノマチョウとわかった。大型でたいへん渋くきれいな蝶だ。子どもの頃に近所の林に多く、よく捕まえて標本を作った。四国では普通種だが、神奈川では見たことがなかった。代々木公園で一度見たきりだ。30年前からクマゼミがいたりしてあそこは特異な場所だ。

いろいろ珍しいものが見つかって収穫の多い一日だったが、実は自転車は大敗。しばらく放置して軋み音がし始めたBBを整備したのは昨夜のこと。そのBBの軸をあろうことか左右反対につけていた。インナーにチェーンが落ちないことでようやく気づいた。私のBBはデュラエースの古い型で左右はきっちり決まっている。ギアのある右のほうが2mmほど長いのだ。新品に貼ってある左右を示すシールはすでに脱落してるが、左右があることは旧知なので、念のため物差しを当てて長さを計ってセットした。左のねじ山の余りがちょっと多いな…と気にはなっていたもののまさか左右を間違っているとは。最近なにかにつけこういうミスが頻発して生きていく自信を失っている。


2020.11.9(月)晴れ 泥のバリケード?

柿のある風景

今日の写真はササガヤの種を巣に運び入れるクロナガアリ。となると変哲もないシーンだ。庭でもようやくササガヤの種が落ちるようになったということでしかない。

けれども今朝のクロナガアリたちの様子は何か変だった。巣口の回りにびっしりと働きアリがたかっている。巣の近くの飛び石にもアリの姿が多い。通常は石の上に3匹程度のところを20匹ぐらいいる勘定だ。しかも彼らがみな一様に所在なげにしている。気温が低くて、その石の方向にはまだ種が乏しいことはあるが、それでも何か変だ。

巣口を見れば、こちらも変だった。巣穴が見えない。それは最近ではないことだ。慣れ親しんでいる真円に近い直径5mmの巣口が今朝は見えなかった。そして巣口の回りにはアリと同じぐらいのサイズの泥の玉がたくさん転がっている。こいつらのせいで巣口がふさがっているようだ。まるでバリケードだ。

泥玉はアリが作ったものではない。庭にはたくさんあるものだ。見つけたときはミミズの糞かとも思ったが、どうやら生物由来のものではなさそうだ。その泥玉が巣の周辺に集まっているように見える。

いったい何事かと考えているところに一匹のアリがササガヤを運んできた。まっすぐ巣口に到達したものの泥で半分ふさがっているから簡単には入れなかった。しばらくああでもないこうでもないと右往左往して巣の中に入っていたのである。

泥玉が邪魔ならば撤去は容易なはずである。アリの力でじゅうぶん運べるサイズなのにどういうわけか放置している。巣の回りにいる働きアリはすべきことに思い至らず所在なげにうろつくばかりだ。

私はそこへの疑問は深くない。これまでも巣の入り口に障害物があってそれを積極的にどけないことは観察してきた。アリとはいえ虫だから作業の段取り、効率アップなんてことには思いが至るはずもない。なんかのタイミングで泥玉が障害になっていることに気づいたヤツがどけるのだろう。きっと巣内のゴミ掃除モードONのやつらだ。

見当がつかないのは泥玉が集まった原因だ。


2020.11.11(水)晴れ 動く泥粒

フィルム時代に買って20年以上使ってきたマクロレンズが限界になった。ガラスにカビが生えて全体的にくもっている。じゅうぶん写るのだが、もわっととした感じのカットが増えてきて、ちょっと我慢ならなくなってきた。

そのレンズは通称タムキューというタムロンの90mmマクロだ。買い換えもタムキューにすることにした。タムキューならば最新型の新品も高くはないが、私には手ぶれ補正もオートフォーカスも新品も無用だ。という次第で製造中止になっている古い型の中古を2万円ちょっとで買った。届いたレンズを付け替えてさっそくテスト。庭のクロナガアリの巣口を撮った。

巣口

巣口は丸くあいてアリたちが種を運んでいる。今朝は今季もっとも冷え込んだらしいが5℃くらいもあればクロナガアリは普通に巣から出て種を集める。写真は真昼で日も射して暖かく働きアリたちの動きは絶好調だ。先日来気にしている泥の粒は巣から離れたところに捨て置かれている。昨日の朝にはこの状態を確認した。泥粒はアリたちが片付けたものに相違ない。

ここまでは普通だが事件はすぐに起きる。赤丸で囲った泥粒に注目である。

巣口

3時間ほどたってもう一度巣を見ると、巣口に泥粒がひっかかっていた。形状からすると先のカットの赤丸で囲ったやつだろう。何かの拍子に転がり落ちたのか?落ちたとしてもそれほど急傾斜ではなく何者かが動かしたに違いない。アリが種を運ぶときにひっかかりでもして落ちたのか? 私はそういうシーンを見たことがない。これまでの種運びを見た感じでは、そういうことは起きそうにない。

さらにこの写真を見ていくならば、赤丸で囲ったおむすび型の泥粒が増えている。場所はゴミマウンドの頂上付近で、ここに泥粒を運ぶには持ち上げなければならない。これはどういうことだろう。アリの仕業なんだろうか。庭には鳥も来るからそいつらの仕業かもしれない。しかしアリの巣口の付近には鳥の足跡がついていない。

新しいタムキューであるが、操作性も写真の感じも先のフィルム時代を踏襲している。なにせ20年前に「これ以上何が必要?」っていう完成度のレンズだ。気に入ったものを長く使うことが喜びの私にはぴったりの道具だ。


2020.11.12(木)くもりときどき晴れ 晩秋のジョロウグモ

ジョロウグモ

写真のジョロウグモが巣を構えたのは先月の25日のことだった。この夏は庭にジョロウグモがいなかった。この庭も次第にジョロウグモを養えなくなっていくのかとちょっと寂しい思いをしていた。

初見から毎朝観察してきたが、ずいぶん餌の掛かりがよいようである。最初にホタルガがかかっていたのは僥倖だと思った。ホタルガそのものを見る機会が少ないからだ。巣は3mほどの高さにあって虫の通りは素人目に悪そうだった。その後、大物はかからないものの、巣に残されたゴミの数から見てアブクラスの虫はけっこう掛かっているようだ。庭の成果として上々かもしれない。

私は、ジョロウグモは獲物の亡骸をあえて巣に架けて残すとふんでいる。それは枯葉などのゴミが巣についていない場合だ。この個体の場所は枯葉がかかるところではない。巣に掛かっているゴミの数が彼女の稼ぎとみてもよいだろう。写真でみれば小さな虫、おそらくユスリカかワタアブラムシがけっこう掛かっている。ジョロウグモはユスリカも食べる。ただ大物が取れて腹が減っていなければユスリカはスルーする。

10月に見たときずいぶんスリムだった腹が倍ぐらいにふくれてきた。オスはついていないけれど、産卵にこぎつける可能性は残っている。


2020.11.13(金)晴れ ひっくり返るカマキリ

ハラビロカマキリ

先月のことだが、ハラビロカマキリの変な行動を目にした。自転車で荻野川沿いにある畑の細道を走っていたときのことである。

私のサイクリングは安全第一である。安全の対象が路上の虫だというのは言うまでもない。そのときも5秒ほど前からハラビロカマキリが道路に出ているのを確認しておりタイヤで踏まないように通り過ぎた。秋の路上のハラビロカマキリは珍しくもなく、スルーすることが多い。ただ、そいつは色が綺麗で背景もいい感じなんで撮影しようとすぐにブレーキを引いて引き返した。

当のカマキリがひっくり返って腹を見せている。おかしいと思った。私ほどの腕で安全第一を心がけるライダーがカマキリを轢くはずがない。タイヤからは虫を轢いた感触が伝わって来なかったことも確認済みだ。

何事かとカマキリを拾い上げてみると、やはり無傷だ。掴まれたのを嫌がって鎌で挟んできた。けっこう痛い。車の通りが少ない所とはいえ路上で寝ているのはまずい。脇の畑に放り投げた。

カマキリは突然自転車がそばを通って仰天したのだろう。しかしこれまでも同様の状況はたくさんあった。ひっくりかえられたのは初めてだ。ハラビロカマキリも擬死をするようだ。昆虫では擬死をする者が多い。子どものころにはミヤマクワガタで苦労させられた覚えがある。圧倒的に強い視覚型捕食者には有効な手段なんだろう。小鳥なんかは生き急いでおり5秒ほど紛れれば命拾いをする可能性がある。

昨今はムネアカハラビロカマキリという外来種が横行しているらしい。その名の通り胸が赤いのだそうで裏側から見ればわかるという。奇しくもこいつは、このかっこうをとることで「ムネアカではありません。私は在来のハラビロカマキリです。見逃してください」と主張することになった。


2020.11.14(土)晴れ 空中戦

ハトとハヤブサ

境川にでて例のセブンイレブン裏で昼飯を食べていると、上空が不穏だった。ドバトがかたまりになってぐるぐる回っている。さてはとその周辺を探してみるとハヤブサらしい鳥がドバトを追っている。よく見ているチョウゲンボウより少し大きい猛禽だ。追いかたは真剣ではないように見えた。捕らえようと突っ込んでいく様子がない。

群れを追い回して嫌がらせをして弱ったやつ、調子の悪いやつをあぶり出す作戦なのかもしれないと注視した。

するとそこに1羽のカラスが割り込んできた。カラスのねらいはハトではない。ハヤブサを追っている。カラス得意の嫌がらせだ。単独で猛禽に嫌がらせをするのも珍しいもんだ。

ハヤブサはカラスを嫌がりながらもハトを追いかけている。ハトはかたまりになってぐるぐる逃げる。追うハヤブサをカラスが追う。ハヤブサはカラスが近づくと明らかに飛ぶ方向を変える。

そういう攻防を5分ほど続けてハヤブサはハトの群れから離れ、西の方へ一直線に飛んでいった。その後をカラスが追った。


2020.11.15(日)晴れ 鳶尾山

鳶尾山

鳶尾山の細道はずっと林の中だ。針葉樹と広葉樹と常緑樹と落葉樹と高木と中低木がほどよく混じった林の中を縫う。1.5kmで130m登るから、平均で8%ちょいの斜度になる。半原越でいえばだいたい区間4ぐらいだ。半原越は肝心の上半分が通行止めなもんで近辺で楽しい登りは鳶尾山しかない。

今日は群青で鳶尾山に行ってきた。荻野川を通って西の方から登った。中津川まで降りてまた登る。上までいって降りてきてまた登る。

晩秋になって緑濃い林の道は寂しい限りだ。夏にはいろいろいた虫の気配がない。初夏にはうるさいぐらい鳴いていた野鳥が聞こえない。主のいなくなったジョロウグモの巣には枯葉がかかるばかりだ。

それでも何かを期待して鳶尾山を走る。西風がひんやりするこんな日はウスタビガを期待する。地面に落ちている菱形の葉が蛾に見える。もしやアブラゼミが鳴かないかと秘めた期待もある。ただ聞こえたのはアオマツムシの細い声だった。


2020.11.18(水)晴れ 代々木公園

代々木公園

昨日の昼に代々木公園に行ってきた。代々木公園は自然がなくて見所は少ない。今年はアトリも来ていない。元気がいいのはカラスとヒトばかりでしんきくさいのだが、ときどき写真の場所でカツラの臭いをかぎたくなる。

代々木公園

代々木公園でジョロウグモが見つかるのは明治神宮との境界とホームレスが住み着いている一角の2か所だ。双方とも臨死体験っぽい景色の代々木公園にあって自然度が高いホットスポットだ。

ジョロウグモは毎年高密度で生息している。これまでにいろいろ見せてもらえた。メスとメスの共食いを確認できたのは代々木公園だけだ。すでにシーズンが外れているのか、大きなメスで見つかったのは写真のものとあと1匹だけだった。オスは見つからなかった。この秋は代々木公園から気持ちが離れていた。


2020.11.20(金)くもりときどき晴れ  強風の朝

ジョロウグモの巣

朝、いつものようにニコンを2台抱えて庭に出ていつものポジションに立ち、ふと見上げると悲惨なことになっていた。ジョロウグモの巣が壊れていたのだ。支持糸を何本か残し縦糸、横糸がぐちゃぐちゃだ。昨夜の強風で破壊されたらしい。

ジョロウグモの巣は柔軟かつ堅牢で多少の風で壊れるものではない。私の庭では台風が来ない限り壊されたことはなかった。この巣はモッコウバラの長く伸びた茎に糸をかけたのが災いしたのだろう。モッコウバラは細い茎を何本か2mほど伸ばしている。ジョロウグモはその1本に糸をかけていた。糸を支える茎が強風で1m、2mと揺れるとひとたまりもあるまい。モッコウバラは景観からもときどき剪定しているが、次回はジョロウグモがいなくなるのを待って切ろうと思っていた。

ジョロウグモのほうは巣を壊されて茂みのどこかに隠れているだろう。探ってみたが見つかるはずもない。クモの気持ちがわかるような達人ではないのだ。

足元のほうでは強風は関係ない。クロナガアリの動きは絶好調だ。11月ともなるとクロナガアリの歩く速度で地面付近の気温が測れるような気がする。まだ日があたってないのに20℃以上になっているものだから、最高速で種を運んでくる。そうするとピンボケ写真を連発することになってしまう。写真でクロナガアリのスピードを表現するのは難しい。TG-5なら動画切り出しでいけるだろうか。やる気はないが。


2020.11.21(土)晴れ  受け渡し

クロナガアリ

今朝もかなり暖かく良く晴れていた。庭に出てクロナガアリの撮影。盛んに種を運んでいる。ササガヤは庭に生えている雑草。ただしアリの餌用に量を確保している。セイバンモロコシは私が蒔いた種。

写真の奥の働きアリがセイバンモロコシを巣の近くまで運んできて、出歩いている働きアリとすれ違うことになった。両者は足を止めて挨拶をするような仕草をはじめた。ときどき見る光景だ。

ところが、奥の種を持っているアリが種をその場に置いてしまった。取り合ったような状況ではなかった。

クロナガアリ

さて、落とされた種がどうなるかと固唾を飲んでファインダーを覗いていると、手前の方のアリが躊躇なく種を咥え巣に運んでいった。運んで来た方はそそくさと去っていった。

種を引き渡すことはこれまで数回だけ見ている。ただそれはなんかの拍子に引き合いになって、強奪されるかっこうだった。また、運んでいる途中で何か気に入らないことがあって種を放棄することもよくある。その場合は放置された種がしばらく無視されるようだ。

今朝のように「はいっ後は頼んだよ。がってんでぃ」てな感じの受け渡しは初めて見る。いろいろあるもんだ。


2020.11.22(日)晴れ  鳶尾山麓の公園

公園

荻野川沿いに遡って鳶尾山に行こうと思った。鳶尾山の道は古くからあるはずのものだ。そういう道は地形の必然性があり、ルートの探索は容易だ。しかし、荻野川と鳶尾山の間はまつかげ台団地という新興住宅地になっている。となれば道路の選択はたいへん難しい。困ったら団地のはしっこを道なりに進めば鳶尾山の峠道にいつか行き当たる。「迷路は右手を壁に当てて前に進めばよい」みたいなことだ。

とりあえず古そうな道を見つけて荻野川から北北東に一直線に向かうと、道は自動車が通れないほど狭い急傾斜になった。畑の中の道ではあるが、歴史の臭いを信じて行ってみることにした。舗装が途切れると階段状の山道になった。自転車を降りて押さねばならない。道は行き止まりにはならない感触がある。

少しあるくと写真の公園が現れた。目を疑う光景だった。林を切り開き少しばかり盛り土してソメイヨシノを植え遊具を設置している。遊具やベンチは人の利用がとぎれてかなりの月日が経過していると見えた。ブランコは半分壊れ滑り台の階段には主がいなくなったクモの巣がかかっている。桜の幹は緑の蘚苔にびっしり覆われ所々にウメノキゴケがある。枝は弱っており春の花は期待できない感じだ。

廃墟然としているけれど管理はされている。少なくとも草刈りだけは年に2回ほど入っているようだ。雑草の茂り方から推測するに、梅雨どきに徹底的な草刈りがあったと思う。色鮮やかなアメリカオニアザミが雑草茫々の広場に花をそえている。

こういう場所はけっこう好きで、草むらに座ってにぎりめしを食べていると各種草の種が無数についてしまった。さすがに晩秋だけある。あまりの量の多さに閉口して払い落とした。荻野川縁で蝶の写真を撮ったときについたセンダングサの種もいっしょに落とすことになった。来年ここにセンダングサが花をつければ私のせいだ。何か虫でもいないかと桜の幹をみれば、ケンモンミドリキリガが見つかった。地衣系の虫が蘚苔の中にいると目立ってしまう。

公園から鳶尾山方面への泥道は落ち葉が厚く積もってやわらかい。人がぜんぜん歩いてないようだ。ロードで走るのは無理ではない。むしろ好み。林の道を50mも走ると振興住宅地に出た。高さ5mほどの階段になっている。住宅を建てるために、もともとあった地面を掘って整地したときに道を切り崩したのか。その泥を林に盛って公園にしつらえたのかもしれない。経緯はともあれ、まつかげ台団地の住人は陰気な林の奥にある雑草茫々の公園には近寄らないだろう。


2020.11.23(月)晴れ  ウラギンシジミ

ウラギンシジミ

相模川を遡って城山湖に行こうと思った。昨日のこと、相模川の座架依橋から上流の右岸が悪くない感じがあって、今日試しに走ってみた。悪くもないがよくもない。昭和橋までは左岸よりややましな気がした。昭和橋を渡って左岸を行く。どんづまりまで左岸だ。

どんづまりの手前は川沿いの道で、左手はすぐ相模川。途中本流と道路とのはざまにヒキガエルの蛙合戦が繰り広げられる水たまりもある。右手は木々の茂る崖になっている。カシなんかの常緑樹も多い。気持ちの良い道だ。

チカチカ飛んでいる蝶はウラギンシジミだ。表の銀色が飛んでいるときに青く見え、別の蝶かと思った。ブレーキを引いて自転車を止めて様子をうかがっていると、葉に止まって日なたぼっこをはじめた。そそくさとTG-5を取り出して撮影だ。ウラギンシジミには冬の日だまりがよく似合う。手応えのあるカットをものにしてほくそ笑んでいると、オレンジのもやってきた。望外の大サービスだ。

ウラギンシジミは特別な蝶だ。斜光の林を背景にチカチカ飛ばれると幻惑されそうな胸騒ぎを覚える。初めて見た中学生のときのあの感覚がいまでも続いている。たまたまそのころに北杜夫のウラギンシジミを読んだ。たしか「幽霊」だ。蝶なんかでも同じ感触を持つ人がいることに驚いた。それを文学として表現できる人がいることにも。


2020.11.28(土)晴れ 晩秋の半原越へ

空き巣

朝庭に出て真っ先にジョロウグモの所に行くと、彼女の姿がなかった。どこかで卵を産んでいるのだろう。というのが希望的観測。それらしい場所をざっと探してみたが見つからなかった。

クロナガアリはいつも通り。気温が低く活発ではない。それでも巣からぽつぽつ出てくる。出巣には波があるようでしばらく姿が見えないときは間をおいて密集してくることが多い。そんなことを見物していると、翡翠色のきれいなアブラムシが巣を横切っていった。何をしているのだろう。クロナガアリはアブラムシをスルーしている。いつものことだ。

2頭がからんで巣から出てきた。ファインダーで覗くと死骸捨てのようだった。ただいつもの感じではない。普通は死骸(または瀕死体)の胴体をくわえてまっすぐ歩いてくる。泥とか種の皮とか、そんなものを捨てるのと同じだ。

違ってるのは足を引っ張っていることだ。母親がきかん坊を引きずるようにアリがアリを引いている。しかも引かれているほうは息があって嫌がっている感じだ。あらまと思った。他の巣の働きアリらしいのが巣に入っていくのを目撃したこともあるが、そういう迷子がたたき出されているようにも思える。真相やいかに。

半原越の立て看板には24日に工事が終わって開通するとあったから群青で半原越に行くことにした。

北風が冷たいが日差しがあって晩秋の気配だ。ただもう道路に虫は少ない。多かったカマキリもバッタも見えない。荻野川べりのセンダングサの花がしおれて虫の気配が絶えている。清川村の休耕田を覆うカラムシにも動くものがいない。前に来たときにはコバネイナゴがうるさいぐらいに跳ねたものだ。見つかったのは、その気で探したナナホシテントウとヤマトシジミだけだ。

半原越はまだ車止めがあった。自転車はするっと通れるようになっている。まだ自動車用の整備が済んでいないのだろうと上まで登ることにした。大きな工事か所は2つとも完了しているようで、まずはめでたい。自転車だけでなく登山者、ランナーともすれ違う。

ただやはり動くものの気配がない。ゲート上で見つけた虫はシーボルトミミズが一匹だけ。アスファルトに転がるアシナガバチの古巣がわずかな彩りか。

散乱してるテイカカズラの種を撮影していると登山のおじいさんが声をかけてきた。自転車乗りが土下座して地面のものを撮っているのは珍しいのだ。この種だとつまんで差し出すと、よくそんなものを見つけられるもんだと感心された。ただそのそぶりでは珍しくもなんともないという感じだ。

じつはテイカカズラの種は並の種ではない。妖怪のケセランパサランが擬態していることがあるのだ。ケセランパサランは動植物だけでなく鉱物にも化けるほど擬態上手だ。植物で一番の化け対象がテイカカズラの種だから注意しておくにしくはない。ケセランパサランの擬態術は極めて洗練されており、種と見分けることは不可能だ。あとで宝くじが当たるとかの幸運があって、ようやくあの種がケセランパサランだったと気づくことができる。

一回ハーフをやって、念のためにゲートの看板を読んでみると、なんと通行止めは継続中だった。通行止めは11月24日までの11の上に12と張り紙がしてあった。神奈川県では工事の延長は通例でいぶかしいことではないにしても、どうして1か月も先に延ばすのかその理由は分からない。とくに手をいれる必要がある所は見あたらなかった。路面には大小の落石が散乱しており、自動車でもパンクの危険はある。たぶん道路清掃がまだなんで自動車は止めてるんだろうと思っているが、真相やいかに。


2020.11.29(日)くもり ふわふわ3つ

ワタアブラムシ

庭でクロナガアリを見ていると、白い物がふわふわ飛んでいる。越冬のために引っ越しているワタアブラムシの有翅虫だ。こいつには雪虫なんていうポエミーな名がつけられている。実際、札幌ではこいつらが飛ぶと初雪になる。

私は雪虫よりもしろばんばという名が親しい。井上靖のしろばんばはワタアブラムシというのが通説。ただ私がしろばんばを読んだときその虫はカゲロウだと思った。夏の夕方、幼虫が水面にぽっと出てきて、流れに乗りつつ薄い殻を破って亜成虫がふわっと飛び立っていく。少年の私は千丈川で魚釣りをしながらその素敵な光景を見ていた。多いときは川に牡丹雪が舞うようだった。井上靖のしろばんばに漂う甘酸っぱさが、カゲロウの印象にぴったりだったのだ。

小学生のときはまだワタアブラムシを見たことがなかった。アブラムシの少ない地域なのか愛媛での記憶がない。後にしろばんばはワタアブラムシと聞いて、仙台でその虫をみればなるほどこいつだと素直に合点した。

そんな記憶をたどりながらせっかく庭に飛んでいるのだからと撮影を試みた。ジョロウグモ用にセットしたカメラでまともに写るわけがない。そんなことは百も承知。そもそも空中をふわふわ飛ぶ虫を写そうという野心もない。

半原越が通行止めなもんで、群青で鳶尾山を登ることにした。

鳶尾山では道路に小さなベージュの蛾がやたらと出てきた。フユシャクだ。毎年初冬に出会いを期待している虫だ。いっちょ撮っておこうとTG-5でトライするものの、これが難しい。フユシャクはぜんぜん止まらないのだ。止まっても1秒ぐらいで飛び立ってしまう。地面の低いところを何かを探してしきりに飛び回る。風に吹かれる落ち葉にも似ている。そういう蛾は私のカメラには写らない。ワタアブラムシも写らなかったが、こいつもだめだとあきらめつつも、伝家の宝刀の連写モードまで使ってぶれピンボケカットを量産した。フィルム時代だとそんな大人撮りはありえない。

飛んでるのは無理だから、止まっているのを狙おうと思った。なにしろ相手は目の前に3つも4つも飛んでいるのだ。追跡して林を歩けば足元から次々に飛びだしてくる。地面に止まっているやつもいるようだ。ただそんなものが発見できるわけもなく、ひたすら狙いを定めて飛んでるのが休むのを追いかけた。普段はあきらめが早い私が意地になった。かなり粘ってもぐっているように落ち葉の中にいるのを撮ることができた。メスの活動は夜だそうだから、日中はその体勢で休むのだろう。

フユシャクはきっと生き急ぐ虫だ。昆虫の成虫はだいたい生き急ぐものだが、フユシャクは屈指だろう。林に食べ物はなさそうだ。何も食べないでひたすら交尾だけを狙ってメスを探し回るのだろうか。

鳶尾山は3回登って体力の衰えを実感して中津川を渡って帰ることにした。橋を通っていると空中におびただしい数のカゲロウがいた。子どものときしろばんばだと思ったやつだ。夏のもんだと思っていたけど初冬に羽化するものがいるらしい。たくさん舞っているが、カメラには写りゃしない。この100倍は飛んでないと絵にならないなとあきらめつつもシャッターを押してみる。ワタアブラムシとフユシャクとカゲロウにあった初冬の一日の記録だ。


2020.11.30(月)晴れ フユシャク擬態

枯葉

昨日最も力が入ったのはこのカットだった。細い枝に止まるフユシャクっていうつもりで撮った。もしや枯葉では?という疑念は正直なかった。こうしてできあがった写真を見れば明らかに枯葉なのにもかかわらず。

5mばかり先の道路からこいつを見つけて、そうっと落ち葉を踏みしめて近づいていった。その間にTG-5のズームは最大にしておく。習慣になった動作だ。なるべく遠くから、なるべく蛾を刺激しないように、すばやくシャッターを切ることが第一。そうしてまず現場をおさえる。林の中で曇り空、500円玉ほどの被写体ではぶれるしピントも甘くなるが、いい写真にする工夫はまず1つ撮ってからだ。

その最初のカットの手応えが悪かった。明らかにピンボケだ。オートフォーカスが来ていない。わりとはっきりした被写体なのに、どうも私のTG-5は虫を嫌う傾向があるようなのは気のせいか。近づくには時期尚早。しかたなしにマニュアルフォーカスにする。設定ではピントのあった範囲が白く光るようにしてあるのだが、こいつがよく効かない。というのも蛾の翅が白くてぶつぶつした感じなのでピントが来ているかどうかが判然としないのだ。

とりあえず5枚ぐらい押さえてまあまあだろうと、さらに近づくことにした。カメラの設定を接写モードに変えながら、1歩1歩静かに近づいていく。接写モードであればオートフォーカスはバッチリだ。広く撮る必要もない。擬態シーンであれば広く撮っておかないと意味がないが、あくまで枝に止まるフユシャクのカットである。なるべくアップで模様をおさえて同定しなければならない。

手応え十分なカットをものにしたところで、少し不安になった。ぜんぜん動かないのはなぜ。足で枝を掴んでいないのはなぜ。もしや枯葉? これまで幾度となく湧き上がってきた疑念である。ためしに指でつついても動かない。念のために指でつまんでみれば枯葉である。けっこう固くしっかりしている。

さすがに落胆は隠せなかった。血眼になってフユシャクを追って、ようやくものにしたはずのカットだ。騙されたのはしょうがない。気をとりなおして本物のフユシャクを追いかけることにした。

帰宅して写真をモニターで見てもう一度落胆した。どうみても枯葉が一枚ある写真しかない。なぜあのときにフユシャクに擬態する枯葉という写真を撮っておかなかったのか。もしかしたらフユシャク本物よりも楽しいカットになったんじゃないか。悔しさの余り、遠目望遠マニュアルフォーカスで撮った写真を速攻ゴミ箱に放り込んだ。

そして1日頭を冷やして、ゴミ箱から引き上げたのが今日の一枚だ。こういう失敗は失敗でまた楽しいと思える。つぎに鳶尾山にいったときにまだこの枯葉が残っていたら、フユシャク擬態枯葉を撮りなおせばいいじゃないか。


2020.12.6(日)晴れ 暖かい12月

群青

40年の経験と創意工夫の結晶である男前な群青でサイクリング。相模川、中津川、荻野川、小鮎川という神奈川セントラル河川中流の旅。

今日は南風も入って日差しがあり暖かい一日になった。河川をめぐっているといろいろな虫を見る。自転車で走っていて目についたものを順にあげると、コカマキリ、オオカマキリ、オンブバッタ、モンキチョウ、モンシロチョウ、ツマグロヒョウモン、ヤマトシジミ。まもなく命のつきる面々だ。今年最後の出会いかもしれない。

荻野川縁の昼食場所ではたよりのセンダングサの花がわずかになって虫の姿も少ない。ハキダメギクやヒメジョオンの白い花もあるけれど、蝶や虻蜂はいなかった。ハエとかカメムシとか地味な者ばかり。足元を探ればテントウムシがけっこういる。冬でも元気な面々だ。

昼飯を終えてさあ出発と群青にまたがるとカネタタキの声がした。カネタタキは毎年晩秋に声を聞けるコオロギだ。もう今年はないかなと思っていただけにうれしい。


2020.12.12(土)晴れ フユシャクに擬態する枯葉

枯葉

今日も群青で神奈川セントラル河川巡りの旅。

河川巡りでは川から川に移るときにたいてい激坂になる。その昔、まともに登れなくて「ああ、だめだ軽いギアにしよう」と改心させられた坂も今日は通った。あのときはリアを最大23Tのスプロケットに交換し、インナーローを39×23Tにしたのだった。群青はあきれたことに26×23Tがついている。さすがに今日のコースでは改心させられる激坂はない。

それら激坂の中でもっとも長いのが鳶尾山だ。先日鳶尾山を走ったときに撮り忘れたのが今日の写真。引き気味にしてマニュアルフォーカスで枯葉を撮った。いろいろやって落ち葉背景だとあまりに隠蔽がきつくて絵にならない。肉眼であれば、落ち葉背景でも枯葉が背景から浮いて適度な隠蔽擬態になる。写真ではそうもいかず青い葉を背景にしてみた。

これがいちばんできがいいのだが、それでもイマイチ感が漂う。隠蔽擬態の写真は難しいな。

最近サイクルコンピュータをBriton320っていうのにした。とってもいい感じなのだが、PCやスマホとの連絡がよくない。USBでPCにつないでも認識されない。充電はされているから物理的にはつながっている。電子は来てもデータが来ない。ブルートゥースでスマホともつながらない。ペアリングは問題ないのにデータがスマホに入ってこない。こういうハイテク機器は難しいな。


2020.12.13(日)晴れのちくもり 虫発見力

蛾

今日も群青で河川巡り。午前中は日があって暖かかった。昼からは高曇り。12月の半ばというのに道路に虫が多かった。カマキリもバッタもチョウもいる。さすがにカネタタキは聞けなかった。エンマコオロギやアブラゼミは期待もしていない。

写真は相模川で撮ったもの。圏央道の盛土には雑草が生えまくって群雄割拠の様相を呈している。黄色いアカメガシワの木は法面にもいち早く進出してくる。その手前のセンダングサも河川脇なんかの荒れ地に強い草だ。

この季節になるとこのセンダングサが虫観察の拠り所だ。今日はモンシロチョウ、ヤマトシジミ、ニホンミツバチがセンダングサの花に来ていた。

ところで、私はサイクリング中に虫を見つけるのが上手だ。「なんでそんなものが見つかるの?」と人もあきれる技能の持ち主である。この道のエキスパートとして達人の域かもしれない。

上の写真中央にベージュの点がある。センダングサの種のイガに止まっている蛾だ。おおむねこれぐらいのところで、あれっ?と気づく。距離は5mぐらい、自転車は時速25kmほどで走っている。このときはまだ蛾なのか枯葉なのか判然としていない。三角形の左右対称で、W型のシルエットはかなり怪しい。

蛾

ブレーキをひいて10mぐらい通り過ぎて転回して対象に近づいていく。これぐらいの感じだともはや蛾であることを疑わない。なにしろ触角がはっきり見えているからだ。触角が見つからなければ、蛾に擬態している枯葉を疑う。これぐらいの蛾擬態草は珍しいものではないので、手にしたTG-5の電源は入れない。蛾だとわかればTG-5のC2モードで近づいていく。

2mほどの高さにある草の先に止まっている小さな蛾を顕微鏡モードで撮るのはたやすくはない。私にはスペシャリストとしての矜持もそれなりに訓練された技術もある。といっても本当の実力者はTG-5だ。こういうことをさせたらピカイチのカメラだから。普通に5枚ほど押さえておけばまず外さない。

蛾のことはよく知らず、やたらと似たやつが多いもので、名前はだいたいわからない。ただ、ちゃんと撮っておけばなんとかなるかもしれない。ハエとか甲虫だとよっぽど特徴があるものでないと無理だが、遠目に見つかるほどの蛾なら種名のあたりがつけられる可能性はある。

初冬のセンダングサの茂みに入ってこんな遊びをしていると悲惨な目にあう。そんなことは重々承知。サイクリング中に虫を見つけるスペシャリストはその手の障害は苦にしないのだ。


2020.12.19(日)晴れ時々くもり一時しぐれ 自転車で河川めぐり

群青

あいかわらず写真の群青で河川巡り。相模川とその支流にあたる中津川の支流にあたる善明川と小鮎川とその支流にあたる荻野川をめぐる。もはや圧迫感マックスフェンスの境川を走る理由がないことが身に浸みてきたのだ。

河川めぐりでは交差点が少なく自動車をきにせず、すいすい走れる区間がある。ただそこは神奈川のことでルートの選択は簡単ではない。特に河川から河川に移動するのはパズルだ。必ず橋を渡らなければならないというしばりがある。右岸と左岸の選択もある。その昔西洋であったという新聞かなにかの懸賞で中州のある都市の道路を一筆書きできるかどうかというパズルを思い出した。あれは3方向に行ける交差点が2個以内だと解けるという簡単なパズルだった。私の河川巡りもほんらいは同程度の難易度である。しかし、私が走るに足る道は人の活動と地形の織りなすハーモニーであるべきだというあきれた信念がパズルの難易度を上げている。工業団地とか新興住宅地とかゴルフ場なんかに象徴される自動車前提の下品な道路はなるべく避けたいのだ。

いい感じの休憩場所も必要だ。写真のところは相模川べりのトイレ。なぜか毎回利用している。たまたまトイレの前に自転車を立てるのにちょうど良い長さの木ぎれが転がっている。背景も抜けるから自転車の記念撮影にもよい。ゆるきゃんとか下品なことをしている車やテントはじゃまなんでフォトショップで消している。それなりの手間ではあるが、私が走るに足る道は人の活動と地形の織りなすハーモニーであるべきだというのが信念だからしょうがない。

昼飯は荻野川のセブンイレブンが定位置になってきた。荻野川にはハヤが泳ぐ。草むらにはいろいろな虫がいる。今日はいつも自転車を立てかけるコンクリ壁にテントウムシのサナギがやたらとついていることを発見した。撮影しているとあられが落ちてきた。あられの音は雨よりもはっきりしている。あられはすぐに雨に変わったが本降りになる様子はなかった。


2020.12.25(金)晴れ時々くもり一時とおり雨 合理的な右側通行

トンネル

写真は座間にある残念トンネルの中。なんと今日、このトンネルで自転車が右側通行することが合理的であるという驚愕すべき事実を目の当たりにした。

私はトンネル工事が終わってからは毎回このトンネルを通っている。このトンネルがいかに残念なものであるかは、言葉足らずながら以前にも書いた。私にとっては安全快適なトンネルだが、一般人が自転車で通行することは拷問に匹敵すると感じているから。おじいさんたちが、このトンネルの登り方向で中央寄りの右側通行をしているのを幾度か見て、危ないな〜とも感じていた。それは常識にとらわれたおろかな感想だった。

今日もまたこのトンネルを登るにあたって左端を走ることにした。ここでは路側帯を外さずに時速20km以上で走ることを自分ルールにしている。登りであるし、白線を外せば左端のコンクリでペダルをこする恐れがあり、簡単ではないところが面白い。厳密には路側帯は走行禁止かもしれないが、無意味にがたがたがつけられたアスファルトを走るのは気分が悪い。

トンネルに入る前、高校生ぐらいのお嬢さんが先行していた。もちろん彼女は道路の左を走っていたが、トンネルの直前でハンドルを右に切って、歩道に上がるのかと思いきや、なんと逆走をはじめた。ちょうどおじいさんたちがやっていたのと同じやりかただ。

トンネル内の白線の上を走ってお嬢さんを抜きつつ、いったいどういうことだろうと疑問を感じていた。白線から目を外し、ふと右の中央分離帯をみて、はじめて自分の観察不足に気づいた。驚愕のあまり自転車を降り撮影したのが今日の写真。このトンネルのイミフな中央分離帯は中央寄りを逆走している自転車なら容易に左車線に入れるのだった。万が一前から自動車が来ても回避できる。後ろからの自動車は少ないし、来ていても大音響でわかる。この難所を安全に越えるには逆走が一番だったのだ。

私はこれまで自転車が右側を走る合理性は左側の歩道通行時にしかないと信じてきたが、誤りであった。座間の残念トンネルは中央寄りを逆走するのがもっとも安全ではた迷惑にならないのだった。そのことを地元民は経験から知っているのだ。当然地元の自動車もこの不文律を承知していることだろう。

トンネル

そうやって反省しているとちょうど軽自動車が登ってきた。この自動車から見れば、逆走している自転車よりも、道路の左端に立って写真を撮っているじいさんの方がよっぽど危ないはた迷惑なやつである。人間ひとりぶんの幅しかない所でなにをやっているのやら。そういう危険行為が車のドライブレコーダーにも記録されてしまったかと思うと、つくづく情けない。だからといって逆走するのは恐怖感に耐えられないので、次回も狭苦しいが左端の路側帯の上を外さないように走る。


2020.12.25(金)晴れ時々くもり一時とおり雨 ミミズに群がる

シャジクモ

写真はスイレン鉢。夏に近所の田んぼの土を放り込んだらシャジクモとかキカシグサなんかのおなじみの面々が出てきた。家人が食用としてセリを拾ってきて追加した。それらの草々は冬には枯れてしまうだろうと思っていた。

これまでの田んぼ水槽のデータでは、シャジクモは盛夏にはすっかり融けて影も形もなかった。環境が変われば生態が変わる。草ってやつはたくましいものだ。

セリは初冬が収穫期らしいから今でも青いのは肯ける。ただし、この冬も寒波は来てスイレン鉢は2度結氷している。凍ってしまえばセリとはいえ枯れてしまうのではないかと思っていたが、想像以上にタフである。

今朝は天気が良くて風もなく暖かかった。クロナガアリは普通に地上活動している。種を集めてくる者も多い。

巣口から50cmばかり離れたところにクロナガアリの密集をみとめた。理由が分からなかった。喧嘩かなにかかと注視すれば、何か黒いものをかじっている。手持ちのピンセットでつつけば柔らかい。動物の死骸であるようだ。

ためしに引っ張ってみると、あれあれとそいつが地面から出てきた。干潟のシギチがゴカイをつまみ出す感じだ。取り出したのは正真正銘のミミズだった。10cm以上ある立派な個体だ。頭か尾かを地面から出して息絶えている。それをクロナガアリが目ざとく見つけて食料にしようとしていたのだ。


2020.12.26(土)晴れ ハンドルバー

ハンドル

群青のハンドルバーを写真のものに変更した。イタリアのDEDA SUPERZEROというやつだ。古いモデルがウィグルで投げ売りされていた。投げ売りといってもカーボンは高価なので、1万円ほど安いアルミの同モデルにしたかったが、合うサイズが売り切れらしく、カーボンにした。

これまでは、俗に中華カーボンと呼ばれる中国製の安価なものを使っていた。RXL SLっていうバーで、こいつがどうにもしっくりこない。RXL SLはちょっと柔らかいが、それは許容範囲。中華カーボンによくあるらしく精度が悪くゆがんでいるが、それも許容範囲。だめなのは下ハンの形状だ。アナトミックはまあ許容範囲だが、手元が遠い。私は下ハンを多用するのだが、そのつど、あと2cm手前にハンドルがあれば、いや1cmでもかまわない・・・といらいらしてきた。辛抱しきれないと下ハン水平のアルミバーと交代したり、だましだまし使ってきたが、とうとう我慢の限度に達した次第。

DEDA SUPERZEROに決めるまでにいろいろ物色はした。残念ながら私好みの中国製安物に、これはっ!というものがない。きっと自転車に乗ったことのない人たちが設計しているんだろう。

DEDAの売り文句はハンドルの形状にとことんこだわって新機軸を打ち出したこと、下ハンを長くしたことだった。ハンドルとは何かをよく分かっている。その辺はさすがイタリア。しかもSUPERZEROはブレーキケーブルをハンドルに内蔵できるようになっている。内蔵ってのはバーに穴をあけるのが普通だが、SUPERZEROはハンドルに穴をあけるのではなく、内蔵用にカバーをつける方法だ。これも私の琴線ポイント。カーボンのハンドルに穴を開けると硬度を失うのではないか? という疑問がある。そうでないにしても雨が入ってハンドルに水が溜まるのは避けられない。なにしろバーテープを巻かないから。なにかの拍子にブレーキレバーを内蔵型に換えたくなったときもSUPERZEROならバーテープ無用でいける。この投げ売り旧モデルは私の用途にぴったりフィットだ。ちなみに電動とディスクブレーキにフィットさせたDEDAの最新版はいくぶん下品だ。

今日も相模川中流域河川巡りの旅をしてきた。DEDA SUPERZEROはそれなりに硬くてうれしい。下ハンがしっくり来ているのはもちろんだ。河川巡りコースのアクセントにしている鳶尾山は2回目に10分を切った。タイムは最近のものしかとってないけど新記録だ。ちょっとうれしい。このハンドルのせいではないにしても。


2020.12.28(月)くもりのち晴れ オオカワヂシャ

オオカワヂシャ

フロントフォークを変更した群青で境川。境川からはすっかり気持ちが離れている。唯一気になっているのがオオカワヂシャ。例の宮久保橋堰堤に来てみればかつてないほどの大盛況である。境川ではこの堰堤だけでなく、あちこちでオオカワヂシャの繁茂を見ることができる。

盛況の要因は秋から冬にかけて雨が少なかったことによるだろう。オオカワヂシャは根ばりが弱いようで、ちょっとした増水で流れていってしまう。堰堤に根付いた個体は成長すると自分の体にかかる水圧に負けて流下していく。

オオカワヂシャは冬でも成長するたくましい雑草である。湧水ではひとりオオカワヂシャの群落だけがみずみずしい緑に輝いている。あそこは冬から春はオオカワヂシャの一人勝ちだ。初夏に開花し夏には消えるから、他の水辺系雑草とは共存している感じだ。

オオカワヂシャが元気なのはたいへんうれしいが、他の虫は寂しいかぎりだ。めぼしいもので見つかったのはクロゴキブリだけ。どういうわけか境川の鉄フェンスをよじ登ろうとしていた。ゴキブリにはめずらしい行動だと思うが、ときおり目にしている。セブンイレブン裏も寂しい限り。刈られて積まれた雑草の中にオオカマキリの卵嚢をみつけ拾ってきた。


2020.12.29(火)晴れ 冬の半原越

去年の秋から通行止めになっている半原越に行ってきた。工事は11月で終わる予定だったが12月まで延期になっていた。11月に見物した感じでは工事は完了しているようで、1か月の間に何が行われるかは不明だった。いくらなんでも今日には終わっているだろうと期待したのだ。

半原越のゲートにつくと、工事中の看板は撤去されていた。やったーと思ったもののちょっと不穏。ゲートの間に三角コーンが立てられている。工事中はコーンの上にバーもあった。そのバーと看板だけが撤去されている。注視してみれば、看板に赤い字で「崩落」と手書きがあった。

こりゃいかんと思った。半原越は雨が降らなくても崩落が起きる場所だ。先にイモリを見つけた所には、何が出るかな〜何が出るかな〜のサイコロクラスの岩が転がっていた。最近落ちてきたものだ。せっかく工事が終わったのにまた崩落が起き、補修工事すら始まってないとなると、また1年ほど通行できなくなってしまう。ひとまずその崩落の現場を見物しようと自転車を進めた。

半原越はいよいよ真冬となってものすごく静かだ。動くものの気配がなく鳥の声は遠い。野鳥たちは餌の多い里に下りてしまっているのだろうか。道路で見つけた虫は青いカメムシの轢死体が1つだけ。数時間前にだれかがこの道を行ったようだ。ひと月前には道路を埋めるほど散乱していた落石が全面的に撤去されている。前に来たとき延長工事の理由は道路掃除かと思ったが、あながち間違いではないようだ。

さて、上まで登っても崩落の現場が確認できなかった。どこが落ちたんだろう。


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