たまたま見聞録
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2014.1.1(水)晴れ 初夢

元旦の初夢に注意した。富士山もなすびも関係ない無味乾燥で殺伐たる夢である。去年もこういう感じで生きており、今年もこの夢のような感じで生きていくのだろうと思った。

私は屋外を歩いている。地質か生態かの調査に来ているか調査の同行取材か。場所はサロベツのような暗い湿原。ただしミズゴケではなく単なる泥地がはてしなく広がっている。

足元が極めて悪いので注意して歩かなければならない。ぬかるみに足をとられる。恐ろしい底なし沼が無数にある。そこに落ちたらまず助からない。沼は垂直に落ち込んでていて水は黒く濁っている。水とその縁にある泥の見分けがつかないのだ。足を踏み外して落ちようものなら、這い上がろうにも手がかりとなるはずの土手は崩れるばかりで、やがて力尽きて水の底に沈んで行くだろう。それでなくても、くるぶしまで泥に浸かる足元では歩くだけでもくたびれる。

それにしてもこんな殺伐とした場所で私は何をしようとしているのだろう。見渡せば数名のグループがいくつか何かの調査をしている様子も見える。知り合いのようでもあり赤の他人のようでもある。

泥を抜けて硬い地面の場所に来た。火山灰地が水に浸食されてできた場所のようだ。地面は細長く窪んで、川ではないようだが、底には水が浅く入っている。ちょうど葉山の海岸に同じような地形があったと気づく。水に入らないように土手を左右に渡りつつ歩いて行く。ひさしのように出っ張った岩の陰になる水の中に小さな魚がみえた。まずはメダカと思えたが、メダカの生息域ではないはずだからと、目を凝らせばはたしてメダカではなく何か別の淡水魚の幼魚らしかった。

ふと魚の上の岩を見るとそこにラジオがあって驚いた。あっこれは借りていてどこかに置き忘れてしまったラジオだ。こんなところにあったのかと、ホッとしつつ慌ててしまった。ラジオはちょっと変わったタイプだ。サイドにある蓋が開いて、カードが刺さっているのが見える。テレビのBCASカードと同じ役割のカードだ。開発中のデジタルラジオのプロトタイプなのだった。


2014.1.2(木)晴れ 2日の夢

夢の中でギャンブルをしている。好きこのんでそこにいるわけではなく、なんらかの社内レクリエーションでしかたなしという有様だ。

参加者は全員が知人。ただし現在付き合いのある者達ではない。なにかのゲームで銀色のコインをかける。コインは通常サイズのものとドーナッツぐらいある巨大なものの2種がある。なんだかんだと私は博打に弱い。自分の弱さも知っている。10万円ほどつぎ込んでほうほうの体でやっと2万ほどのバック。まあこんなものだとあきらめている。

強いのは何人かいるが、札幌時代の後輩Mが特に勝っているようだった。また私の女房か恋人が巧みにカモにされて大金を巻き上げられているのには腹がたった。敵の性根と汚い手口は熟知しているからである。


2014.1.10(金)晴れ 鞍掛山サイクリング2014

夜昼

八幡浜に半原2号を運んできた。八幡浜デポ用の仕様でシフトはSORAの8S、ペダルをSPDにしているのが大きな変更点。

まずはなにをおいても鞍掛山周回コース左回り。1月4日の朝遅くに山越を出発し、やっぱりカーボンロードは快適だな〜と梨尾の登りにかかる。上郷を過ぎて気になる田んぼの数は今年はついに2枚。RX-7跡地ではひとまず自転車を降りて撮影。広場に植えてあるヒノキの苗が大きく育ってきた。レンガのトンネルをくぐって夜昼峠に到着。今回は33分かけてゆっくり登ってきた。お地蔵さん前の記念撮影はもう習慣だ。SPDだと歩くのが楽でいい。ゆっくり走るときは引き脚の懸かりの悪さも気にならない。

夜昼峠を越え大洲側に降り始めると、すぐに霧がかかっていることがわかった。霧が「寄る干る」という夜昼峠の名の由来になったと少年期に聞いたあの霧だ。夜昼峠の霧中を自転車で走るのは始めてだ。思い返せば夜昼峠を越えるのはいつも昼か夕方だった。今日だってもう11時である。これほど霧が深い日は珍しいのだろう。

この機会に夜昼(よひる)の集落を訪ねてみることにした。旧197号線には夜昼集落への分岐があることは地図でも知っていた。行ったことがなかったのは、そこに至る道がつい最近までは急傾斜の砂利道であったからだ。ロードレーサーで入っていくにはいくぶんか覚悟が必要で、目標がなく躊躇していたのだ。今は立派なアスファルト道路になっている。距離にして数百メートル下れば事足りる。

夜昼につけば、大洲盆地から上ってきた霧が集落の所で消滅している(写真)。夜昼の集落まで霧に包まれる頻度はどれくらいのものなんだろう。この霧は年に1回程度夜昼峠を越えて千丈まで降りてくることがある。田浪あたりで農作業をしていると霧でずぶ濡れになることもあると友人から聞いた。


2014.1.11(土)晴れ バナナのある新ルート

今回のサイクリングはいくつかの目的があった。一つは、平野の234号線をなるべく回避する新ルートの探索だ。地図を見ていて、沼田川に沿って走る234号線を離れ、久米川に沿って西進し再び234号線に出るルートがあることがわかったのだ。そちらのほうが鞍掛山に近い。じゃあ、そっちを行ってみようという素直な選択だ。

まずは矢ノ口という集落を通る。谷間にぽつぽつと感じのいい家が建ち並んでいる。矢ノ口を過ぎて杉檜の谷に入ると一気に道が悪くなった。舗装はしているのだが、その舗装の大半がはがれて泥道になっているのだ。高さ10cmもある舗装の凸凹が残っているぶん並みのダートよりもたちが悪いともいえる。渓流に沿ってゆるく登る道の雰囲気は圧倒的にすばらしいのだけど、この舗装では・・・・微妙。コースからしても山林のための道であろうからこの先それほどのよくなることは期待できない。

バナナ

ずっとダメかとあきらめていたら途中からそれなりになった。気分よく走っていると異様な風体の植物が目に入ってきた。バナナ(芭蕉)は珍しいものではなく、八幡浜の庭先でもよく見かける。そういえば松柏中学の庭にもあった。熱帯植物ではあるが寒さにはけっこう強い。極めて強健で殺しても死なない。こんな山中にあるからには観賞用ではないだろう。むろん四国で実が熟すことはない。誰が何を思って植えたものだろう。こういう出会いがあるから新しい道も行ってみたくなる。この道は鞍掛山周回コースメインルートに認定だ。


2014.1.13(月)晴れ とうとう自転車に乗れた

ついに。あえて私はついにと言う。本日ついに自転車に乗ることに成功した。ものすごく速くなったとか、300km走ったとか、客観的な評価ではない。全ての力が自転車を進めることに使われているという自覚を持ったのだ。犬走りの終点が明確になった。これまで数千万回ペダルを踏んで、いい感じのときが多少なりともあったけれど、それはたまさかだったと思う。それが今日の100kmは迷いも無駄もなかった。全身の筋肉に自転車を前に運ぶための神経が行き渡った感じがする。

土曜日の境川、ナカガワを使って毎度のように下ハン練習を行っていた。上半身に無駄な力を入れることなく前傾し、踏み込みと引き脚を意識してスムーズに脚を運ぶ練習だ。3時間ほど続けたとき、何気なくハンドルを手で押してみた。自転車に乗ってハンドルを押さえつけたからといって何かが起きるわけがない。そんな無駄な努力では自転車は進まない。ところがどういうわけかそのとき脚がいきなり軽くなった気がした。踏み込むペダルに抵抗がない。引く足がきれいにかかる。それは気のせいというにはあまりにも劇的な変化だった。その感覚を確かめようとその後ずっとハンドルを押すことを意識し続けた。

日曜はチネリを使って境川で同じく下ハン練習。土曜につかんだコツは本物だった。引くときは肩、押すときは背中。腕を引くとき足で踏んで腕を押して足を引き上げる。同じような動作はこれまでもやった。ただし30秒ほどでちぐはぐになって体がむずがゆくなってしまった。それがいくらでも続けられた。もともと体のポテンシャルが低いためスピードは出ない。耳に風音を聞きつつ時速30km、90rpmで走る。心臓も肺も脚も腕も腰も背中もどこにも負荷がかかっていない。

そして今日は半原1号を持ち出した。半原1号には下ハンがない。本気で走るときは低く近くセットしたブルホーンバーの先端を持つ。下ハンならば押さえる動作は体重を乗っけることになる。左右交互に押し引きしても、ちょうどダンシングのような塩梅になるだけだ。ブルホーンだと勝手が違う。前に押し、後ろに引くことになるからだ。何しろ、右手で押しているとき左手は引いているのだ。つまりハンドルを切る動きになってしまう。理屈の上では転倒することになる。転倒しなくても蛇行はまぬかれない。それは非常識で下手な乗り方のはずだ。

犬走りは「前に押す」感触が大事であるけれど本当に押すことは難しいとこれまで考えてきた。押してるふりをするだけでもリズムはつかめる。両腕でハンドルを引くというまずいやり方を回避するように腕の力を抜くだけでもよかった。その考え方が上達を阻む壁だった。腕がハンドルを切る動きになっていても腰でカウンターを当てて自転車を蛇行させないことができるのだ。

半世紀前、はじめて自転車に乗れたときうれしかった。500回は転倒して10日はかかった。当時は、自転車は転んで学ぶものという誤った風潮があった。自転車のサイズもギア比も子どもには無理な代物で、乗り方の指導もむちゃくちゃだった。転倒は上達の障害と自転車を壊すものでしかない。正しく指導してやれば自転車なんて全く転ぶことなく2時間ぐらいで乗れるようになるものだ。私の子どもたちは皆そうだった。

ただし、苦労して乗れるようになったぶん、私の子どもたちよりもいくぶんか喜びは大きかったかもしれない。それでも今日の本当に乗れた喜びにくらべれば些細なものだ。さすがの私も自転車がこれほど楽しいものだとは想像していなかった。明日からはこの感覚のまま20分間登ることが課題となる。


2014.1.17(金)晴れ 魅惑の住宅

渓流の家

お決まりのコースを通って横野峠を越えて日土東の尾ノ花に降りる。喜木川(ききがわ)の支流にあたる出石川(いずしがわ)に沿う道路を走っていつも気になるのが写真の家屋だ。道路と渓流に挟まれた狭いエリアに数戸の住宅がある。それは私が物心ついたころからあった。狭苦しいのは確かであろう。流れの音はけっこううるさいだろう。洪水が心配であろう。ただ窓の下が川という立地には一切の否定的要素をものともしない魅力がある。

喜木川に沿って下る道は鞍掛山の北西斜面ぞいに走ることになる。左手を見ればそこは急峻で拓くのには向かず田畑山林にしたものの行き詰まって荒林になっていたり、1000年斧が入っていない照葉樹林であったりする。しかしそれは、たんに道路から目に入る部分のことであり、斜面の上の方には集落があり段々畑もある。

写真の場所は切れ込んだ谷に沿って電線が引かれている。それは上に集落があるということだ。よくよく見れば標高差にして200から300mのところにけっこうな数の住宅があるようだ。ということは整備された道路があるのだ。まだ鞍掛山の北西斜面に足を運んだことがない。明日の目的地はそこだ。


2014.1.18(土)晴れ 座りダンシング

先週境川で得た感触を忘れないように、この数日ひまさえあれば筋肉の働きをシミュレーションしていたことは言うまでもない。それを忘れていないかどうか半原1号で境川に繰り出した。引き脚はまま使えるようになっているから上半身の使い方をマスターすることと、上半身と下半身を連動させることが現状の課題になる。特に連動が課題である。

といって、この技が本当に半原越で生きる保証はない。無駄な努力かもしれないといういくぶんかの不安はある。登りで脚にかかる負荷は向かい風の比ではない。もとより平坦と登りは全く違う運動である。それは近づけられるものなのか、できるとすれはどこまでなのかを見極めたい。

未熟なまま半原越に行って「なんだやっぱりだめじゃん」となるのは避けたい。そこで近所の20%50m坂で試してみた。普通にやるとこの坂で腕を押すなんてことはできない。腕を目一杯引いて足でペダルを踏みつけ力任せにペダルを引き上げることになる。それは30秒しか続かない運動だ。ギアを落として、等倍ぐらいにすると、平地の半分ぐらいの感じで押すことも可能だった。ただし常に後ろに引かれるためリズミカルとは言い難い。おそらく3分程度で続けられなくなると思われた。その速度は10km/h。

ともあれ春まではこのやり方の習熟を狙う。少なくとも平地での高速巡航にはめざましい改善がある。1時間ほど練習したとき、ふと、このやり方は「座りダンシング」といえるんじゃないかと思いついた。ダンシングは体重がかけられる分トルクを大きくできる。しかし下死点で踏みつけるから力のロスが大きい。座ったままのダンシング(言語的には矛盾)ならそのロスがなくなる。力を入れれば入れるほどロスは大きくなる。踏みつけるのではなく、なるべく体重でペダルを落とすように踏み込めばスムーズに引き足に移ることができるから。


2014.1.19(日)晴れ 下ハンでしっくりこない

今日はよい北風が吹いていた。湘南の暖かさは例年通りで風さえ吹けば楽しく練習できる。チネリを持ち出して座りダンシングの習熟を試みることにした。

風の速度は秒速で10mほど。時速にして35kmほどである。海に下る方ではまったく練習にならない。びゅんと40km/hほどに加速すれば、まるで下りのように(実際少し下っている)200mも惰性で進んでしまう。勝負は北向きだ。

きのうは半原1号のブルホーンバーを使ってそれなりに座りダンシングができた自覚がある。今日はうまくいかなかった。そもそも下ハンのほうがしっくり来るはずなのにイマイチなのだ。風の抵抗でギア比が定まっていないせいかもしれない。となると、登りだといっそうの困難が予想される。春までしっかり練習して体が忘れないようにしなければならぬと決意した。


2014.1.21(火)晴れのちくもり お出石に行く

1月5日、八幡浜でのサイクリング2日目。まずはお出石(いずし)に行こうと思った。そして帰りがけに昨日見つけた鞍掛山の北西斜面にある集落を訪ねる計画だ。

お出石にはいくつものルートがあり甲乙つけがたい。大洲から登るのもよく長浜から登るのもよい。日土からも3本のルートで郷の峠に行くことができる。今回はもっとも素直に日土から28号線をつかうことにした。

山越から出発してまずは名坂峠。これも素直に自転車用トンネルを使う。保内への下りでノーブレーキを試してみた。子どもの頃は恐ろしくて挑戦する気さえ起きなかった荒技である。自転車は半原2号。こいつは時速40キロメートルで巡航することを想定してある。まず楽勝だ。いざやってみると速度は40km/hを越えることはなかった。下りきった所のコーナーも緩い。ブレーキレバーに指をかける必要すらなかった。

28号線は自動車で走る分には快適だろう。自転車にはけっこうきつかったりする。そのきつさをいつしか忘れていた。34×28Tで軽く登れて脚に負荷は来ないのだが今ひとつ楽しくない。無理に速く走る必要もなく止まり止まりきれいな山様の銅が鳴を撮ったりしながら登る。天気がよくて見通しはきく。650mの峠を登るのに足つき10回である。

郷の峠からお出石はけっこうしんどい道だけど躊躇せずに向かった。楽しすぎた反動か、ラスト1kmぐらいは思いっきり走ってみたくなった。自転車で乗り込めるのは大きな弘法大師像のある広場まで。今日はけっこうな数の人がお参りに来ていた。前回来たときは人っ子一人いなかった。なんせ12月31日だった。人が多ければいろいろ話しかけられる。八幡浜で自転車乗りは珍しいのだ。

石鎚山

記念撮影をしてすぐに引き返すことにした。郷の峠の手前まで降りて気が変わった。「今日はSPDシューズで歩きやすい。この賑わいならきっとあのうどん屋もやってる。うどんを食ってお参りをしてこよう。」こう決めれば、滑り止めのためのコンクリート舗装の道を猛然とダンシングだ。大師像の広場からは半原2号を担いで階段を登りうどんを食った。うどんをくってさらについでに一番上まで登ってみた。これがよかった。

お出石は三国一の名刹であり、お出石山は八幡浜の最高峰で見渡しがきく。今日は視程もいい。東の方に石鎚山が見えた。仏像も石鎚山を御覧になるような塩梅でお立ちになっている(写真)。画面の中央、石鎚連山は雲の塊のように見える。四国は年の暮れにけっこうな雪が降ったのだ。お出石の境内にもけっこうな雪が融け残っている。お出石から石鎚を見たのははじめてかもしれない。


2014.1.24(金)晴れ 横尾地の柿畑

5日のサイクリングは出石寺参拝の他にも目標があった。鞍掛山北西斜面の探索だ。実は千丈地区の最高峰は鞍掛山ではない。鞍掛山の西、ちょうど高野寺の真上に当たるピークが649mで鞍掛よりも20mほど高いのだ。その名は地図にも記載がない。高校時代はそのピークをロクヨンキュウと呼んでいた。649の北西斜面にある集落は横尾地という。昨日日土の道路から、奥深い原生林っぽい森の上に数戸の住宅を確認した。山の上に村があるのなら一度は行ってみたい。

そもそも鞍掛山周回コースは鞍掛山をもっとも小さく快適に周回するのが目途である。より山頂に近い山腹の道路は点検しておく必要もあろう。昨夜のうちに5万分の1の地形図をしっかり見て、ある程度道路のあたりはつけてある。

出石寺からは尾之花に降りて、喜木川を渡る橋を探しながら道路を下っていく。まずは福岡というところに向かう道路がある。それは以前から知っている道路だった。地図によると斜面を巻きながら福岡から目標の横尾地に出る道がある。地図の表示だけでは舗装しているかどうかがわからない。走れなければ引き返せば良いと地図の記憶を頼りにぐんと登り西に向かう。果たして集落を抜けてアスファルトからコンクリート舗装になったみかん畑の道を過ぎ、杉林に入るとまもなく道はダートになった。おまけに杉の枯れ葉枯れ枝がうずたかく積もっている。そいつが散乱している小石を覆い隠して始末が悪い。折悪しく前輪の空気が抜けてきた。まあこれは想定内だなと引き返す。農協の前で前輪を外してチェック。明らかに空気は抜けているけどチューブに穴は開いていないかもしれなかった。ひとまず空気を入れて再出発。

福岡を離れ一度メインストリートに出て数分走ると目標である横尾地に登る道路が見つかった。地図の記憶を頼りに集落へ向かう。地図でも目視でも標高差200mほどで集落につくはずだ。

林の道をしばらく登って集落に出た。横尾地集会所の前を行く道路が道幅や舗装の程度から横尾地と梶谷岡を結ぶルートだろうと検討がついた。ただ、左手にはさらに登っていく農道らしい道がある。急勾配でコンクリート舗装である。地図には日土からロクヨンキュウの西を巻いて南斜面の高野地へ至る道の記載がある。それは高野地側から行った経験では未舗装の林道だ。少なくとも高野地側は舗装してなかった。

未舗装の林道なら周回コースのメインルートには入らない。しかし横尾地からはロクヨンキュウのピークがすぐ近くに見える。どこまでロクヨンキュウに迫れるか登れるところまで行ってみることにした。

農道は急勾配でコンクリート舗装はあえて凸凹に作ってある。八幡浜の段々畑では普通の仕様だ。軽トラックのすべり止めなのだろう。半原2号ではやや走りにくいものの、ガタガタ道は得意である。幸い前輪はパンクしてなかったようで空気は抜けない。

石鎚山

横尾地の斜面は集落の下のほうが急峻で上のほうは比較的なだらかになっていた。その日当たり良好な斜面を果樹畑にしている。植えられているのは柿、品種は大型の渋柿である。これだけ広い柿畑は八幡浜では見たことがない。 この写真は横尾地から向かいのみかん山を撮ったものだ。日土に限らず八幡浜はみかん畑ばかりである。柿、もも、キウイなどは申し訳程度に植えられているだけだ。横尾地は干し柿の名産地として売り出しているのだろうか。

柿畑を抜けてさらに奥、南の杉林を登る道に入っていく。農道はすぐに私的林道に変わりコンクリート舗装がなくなって杉の枯れ葉がたまる泥道になった。それをもって今回の探索の終点とした。

来た農道を下って横尾地集会所の道に出て梶谷岡、松岡と過ぎて喜木に降りる。この道路は十分楽しめるものだった。正式なルートにするかどうかは保留。鞍掛山に近づくのは確かだけどショートカットになっているわけではないから。


2014.1.25(土)くもり 今年初半原越

低気圧が近づいている。天気は悪いが気温が高い。ならば半原越だろうと半原1号で出かけることにした。たしかに気温は10℃ほどありそうだ。これならば下りもそれほど寒くないし、路面の氷は融けているだろう。

当然のことながら半原越では新しいスタイルを試す。ハンドルバーを押す方を重視する犬走りだ。おまけに今日はガーミンで心拍数のセットをしてみた。ゾーン5(180bpm)に入ると警告音が出る。音を聞いて力を緩めることができるからセーブしつつ走るのが容易になる。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'35"4'35"+1515.716982193
区間210'34"5'38"+4812.818081187
区間316'34"5'34"+4412.918079177
区間423'03"7'16"+7610.118073177
全 体+18312.517878182

タイムは23分で遅い。たぶんハンドルバーを押し引きする走り方が間違っているわけではない。まちがっているかもしれないけれど久々の登り練習だからこんなもんだろう。この時計を以後の参考タイムにしよう。

今日はもう一回タイムを計ってみた。上ハン犬走りのハンドルバー押しバーションだ。軽く回すことだけを意識して楽にやってみた。軽く踏むために26×25Tを使うことをためらわなかった。さすがに区間4ではいらいらして19Tに上げた。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間16'04"6'04"+10411.814870140
区間212'24"6'20"+9011.416565161
区間318'19"5'55"+6512.417373166
区間425'40"7'21"+8110.017768173
全 体+34011.316669160

2014.1.26(日)はれ 重力走法

朝、目が覚めると快晴の空が広がっていた。道路は濡れている。夜のうちに前線が通り過ぎたようだ。そうすれば冬の空気が入って寒くなるはずだったのに、みょうに暖かい。風も南からだ。昨日に引き続き今日も春だ。庭に出てみると久しぶりにクロナガアリが巣穴から出ていた。この数日の気温の高さを巣の中で感じ取っているのだろう。クロナガアリは冬の間は暖かい日なら地上で活動する。

さてと半原1号で境川に出かける。ハンドルを押す犬走りに磨きをかけるためだ。昨日の半原越で技が未熟であることもわかった。そもそもハンドルを押すとは何かを考えなければならない。境川では風がそれほど強くない。北も南も160bpm、85rpm、30km/hぐらいにする。

スズメ

いつものスリーエフ白旗店で昼飯を買って白旗の休憩所で食べているとスズメがやってきた(写真)。こうやっておねだりをされるとついつい飯粒を分けてやりたくなる。この数年の習慣だ。もしかしたらスズメたちに飯撒きおやじとして認知されているのかもしれない。ともあれ、スズメが人に餌をねだる時代が来ようとは思わなかった。

押し引き犬走りは快調である。境川をちょっと力んで走る分には最高の技だ。ただし上半身と下半身の連動イメージはまだ固まっていない。3時間ほど練習していると南の風が北に変わった。帰りは向かい風になる。相当くたびれてゆっくり走ることにした。

速度は20km/h、ケイデンスは65rpm。そんなのんびり走行はひさしぶりだ。単なる移動のために半原1号に乗るってのはありえないので、その強度でもペダリングのことを考える。着目したのは脚の重さだ。脚は10kgぐらいあるらしい。ペダルが前にあるときは脚の重さだけでクランクが回る。ゆっくり走る場合は全く踏み込む必要がないわけだ。

一方、ペダルが後ろにあるときは脚を持ち上げなければならない。10kgのものを持ち上げるのだから無意識だけどかなりの筋力を使っていることになる。腕なら10回でオールアウトだ。この2年あまりの練習で引き脚は楽に使えるようになった。ゆっくり走りつつ、引き脚と踏み脚が喧嘩をしないように、脚を引き上げたあと完全に脱力して重力だけで脚を落とすように細心の注意をはらった。そしてふと、ハンドルを押すことで脚をスムーズに落とせるのではないかと思った。


2014.2.6(木)はれ 上弦の月の傾き

スズメ

今夜は上弦の月が西の空にかかっていた。その月の傾きが以前から気になっていた。夏場には三日月や上弦の月が立っているように見え、冬になると横に寝ているように見える。そんな記憶があった。今宵の上弦の月もたしかに弧の部分が下向きに見える。そういう風に見える原因について今朝の田園都市線車内で考えてみた。

図がその考察成果である。横線は地平線。3本の斜めの線は沈み行く月と太陽の軌跡。左が冬至のときの太陽。真ん中が夏至と冬至のときの上弦の月。右が夏至のときの太陽だ。話を簡単にするために、地球と月の公転軌道は同一平面上にあることにしている。

この図でポイントになるのは真ん中の半月の軌跡だ。半月は夏至と冬至でいずれも春分の太陽と同じコースをたどることになる。太陽と地球と月の作る角度が90°になるときが上弦であり、その日が夏至か冬至ならば、春分あるいは秋分の太陽は月の方向にあると考えてよいからである。

図からわかるように、冬至の日没後は太陽が下から月を照らすことになる。一方で、夏至は右のほうから照らすことになる。つまり冬のほうが半月がねていることになるわけだ。

ただし、事はこれほど単純ではないはずだ。これで半月や三日月の角度のことが説明し尽くせるとは思えない。他ならぬそこにあるお月様がまだまだ甘いと語っているように思える。


2014.2.10(月)はれ ローラー

昨日の日曜日は積雪で屋外での練習ができなかった。それでしかたなく4時間ばかりローラー練習を行った。外を走るよりもよかったような気がする。

ローラーだと前方不注意もOKである。固定ローラーだからバランスも気にしなくて良い。好き勝手にいろいろなことを試すことができる。今の興味は当然のことながら腕を押すことにある。そして腕の押し引きとともに上半身下半身の連動だ。まず、腕を押すのがどんなときなのかを調べることにした。

片足、片手ペダリングとか、いろいろやってみた。その結果、右手を押すのは右足を踏み込むときだということがわかった。これはちょっと変だ。ぼんやり考えるならば、踏むときに腕を引けば踏む力が強まることになるはずだ。踏むときに押すのは常識とちょっと違う。右足を踏み込むときに左手で引いてるのだったら常識にも一致する。そう考えて意識してやってみたら、そいつはけっこう難しい。右手左足の連動は自転車ではありえないのか、それとも高度な技すぎていまの私の及ぶところではないのか。

ひとまずのところは「右手で押すとき右足を踏み込む」でやってみようと思う。


2014.3.11(火)はれ SB-29

SB-29

自慢のスーパーマクロに改善を加えた。NikonのSB-29は今を去ること10年以上前、1999年9月に発売されたストロボである。発光部が2個ありレンズの先端に装着する接写専用のストロボだ。フィルム時代には発光モードTTLが使えるので重宝していた。フィルム代、現像代がかさむ当時は発光量の失敗なしということは何物にも換えがたかったのだ。

しかし、一眼レフがデジタルになって新しいカメラではマニュアル発光でしか使えなくなった。SB-29はガイドナンバー11でマニュアルの発光量調節はオールか1/4しかない。自慢のスーパーマクロはレンズ前数センチでしか撮れないから、うまく工夫してレンズ前に装着しても光量オーバーで使用できない。同モデルの改良品や無線式の高級品を使えば楽だけど、いずれも高価で手の出るシロモノではない。

そしてこのたびふと画期的なアイデアを思いついて眠っていたSB-29を叩き起こすことにしたのだ。きっかけは女房が裁縫かなにかに使っていたクリップである。そのクリップがSB-29の発光部をつかむのにちょうどいい。クリップとカメラ本体をうまくくっつければなんとかなるにちがいないと直感した。

カメラとクリップを結ぶ装置には手持ちでストロボ用の小型雲台がある。三脚の先などにネジ止めしてストロボをぐるぐる動かして方向を決めることができるようになっている。さいわいストロボのシューがネジ式で取り外せるようになっており、シューの代わりにクリップを取り付けた。クリップにはいい塩梅に穴が開いており、そこに雲台をネジ止めした。

一方、カメラのほうは、通常ならカメラの底部にあるネジ穴を利用するところだが、あれを使うのはいまいちスマートではないと思っている。そこでレンズに縛り付けることにした。どのみちスーパーマクロ用の改造レンズでしか使わないセットだ。レンズに水道のホースをしばるような金具を使って曲げたアルミ板を巻きつけ、そのアルミ板の穴にクリップをつけた雲台をネジ止めする。

これで右から左から上から前から・・・四方八方から2灯式のストロボで光を当てることができるようになった。おまけに、アルミの針金にプラスチッククリップをネジ止めしたものを使って、ピント用の小型LED電灯を縛り付けた。 ホース用金具以外はみな手持ちの小物であり廃物利用みたいなものだ。それでこんなにかっこいい装置を作り出せたのだ。いまの季節、庭には被写体がなくテストでしか使ってないが、相当使い勝手がよさそうな気がする。作りながら「あかん、わいやっぱ天才やった」と何度も心のなかでつぶやいた。


2014.3.13(木)雨 SB-29で撮るカラスノエンドウ

SB-29


私の観察主フィールドである庭は色気がない。つまりフォトジェニックとはいえない。それなりに草も花もあるのだが光が良くない。主な撮影時間帯が出勤前であり、晴れた日でも日影なのだ。庭で1cm程度の対象を接写をする場合、自然光は使えず全面的にストロボに頼ることになる。

ストロボを使ってかっこいい写真、自然な写真を撮るのは難しい。私のスーパーマクロであればレンズ前の5cmぐらいのところに被写体がいて、ピントが合って写る範囲は500円玉程度しかない。並みの写真よりはずっと簡単とはいえ、それでもストロボ使いには工夫が必要だ。そこで機材の設計からはじめて、いろいろな試行錯誤を重ねることになる。

写真の左と右はSB-29セットでカラスノエンドウの若い葉を撮ったものだ。右の方は葉に透明感があり葉脈が見えている。後ろから光があたっているからだ。自然光であればちょっとアングルを工夫することで撮れる写真であるけれど、ストロボだとこういうカットは難しい。順光を当てると左の方のように葉が厚ぼったい感じになる。これはこれでよいけれど、葉脈が見えるカットのほうが良い場合もある。

右の写真は不満が残るレベルだ。一瞥して後方が明るすぎることに気づく。ただしこれはこれで機材としての将来は有望といえる。接写の場合、ストロボ光は被写体に集中し背景は真っ黒につぶれてしまうのが普通だ。それを防止するには背景用にもストロボを追加する必要がある。やってみるまでもなくめんどうな作業で、やってみればその方法で背景に光を回すのは簡単ではないことがわかる。知識と経験が必要な上級者のテクなのだ。でなければ高価な最新式の機材を揃えることになる。いずれも私には荷が重い。

SB-29は1個のストロボで2つの発光体があるから、自由雲台とクリップを工夫することでいろいろな光の演出も可能になる。右の写真は背景にある葉がもう少し遠いだけでもこの設定で適正な明かりが得られるだろう。その辺はいろいろ実験していけばよい。このセットは使える道具になりそうだ。


2014.3.16(日)はれ 座りダンシング

昨日も今日も半原1号で境川。いまやっている腕を使った押し引き走りの習熟に努めている。なぜハンドルを押すのか?という問いへの解答を得ることが目下の課題だ。解答のヒントとしてロベルトエラスのクライミングに発想が及んだ。昨日の午後であった。

私がかつて驚愕したロベルトエラスのダンシングはその自転車のサドルの上10センチに見えないサドルがあるかのようだった。シッティングでもダンシングでもフォームが変わらず、ダンシングで腰の上下動がない。そのときは名人芸として口をあんぐり開けて眺めるのみで、後日、真似しようとして挫折した。

彼のスーパーダンシングを思い出したのは「じゃあ、なんでエラスは腰をあげるのか?」という疑問を持ったからだ。ふつう、腰を上げるのはペダルに体重を乗っけて一時的な高トルクを得るためだ。むろんその反動として体が上下に揺れ、下死点での足の動きがぎくしゃくする。エラスはダンシングで体重を使っていないのか? まあそれはないだろう。でなければ腰を上げる理由がない。では、腰が上下することなく体重を使えるなら、サドルに腰掛けたままダンシングしてもいいじゃないか。全体重をサドルにあずけたままダンシング的高トルクを生み出せば・・・すげー早くね?

よく自転車の入門書に「体重はサドルとハンドルとペダルとにバランスよく配分しましょう」などと書かれている。あれはあからさまな嘘である。とりわけロードレーサーの場合、体重はサドルに乗っけるものだ。体重を支えるようなペダルの踏み込みは最後のとっときでしかない。シッティングのときに腕で上半身の体重を支えることの意味はない。

にもかかわらず、今やろうとしているのが、腕をハンドルに押しつけることなのだ。そのほうが絶対に速く絶対にスムーズにペダルに力を加えることができる。自転車学100年の歴史を冒涜する論のようでもあるけれど、科学の歴史は定説の冒涜の繰り返しだ。科学法則というのは、そのときどきに観測される自然現象の最も妥当な説明である。観測術の進歩で新しい現象が見つかれば変わるべきは理論の方である。


2014.3.21(金)はれ 春分の半原越

オオイヌノフグリ

今日は春分。一年のはじまりのめでたい日だ。なにをおいても半原越に行かねばと半原1号で出かけていく。

とちゅう、荻野川わきに作られている公園で写真のような光景をみつけた。それとなく土を盛ったマウンドを飾る満開のオオイヌノフグリ。なにかの加減で優占している。こういう雑草の繁栄は長く続くものではない。

北風は冷たいものの、日差しがあってチョウがよく目につく。キタテハやテングチョウ。冬鳥ではツグミとジョウビタキ。いま神奈川のいなかは冬と春の境にある。

半原越はあまり速くは走れないだろうと予想していた。冬に境川でがんばっているつもりでも登り坂には太刀打ちできない。登りの練習は登りでしかできないだろう。それでも今日はずっと練習している押し引き犬走りを試してみようと思った。ペダルが重いと犬走りどころではなくなるから、軽いギアを選んだ。心拍計がゾーン5(約180bpm)に入ると力を緩める。

押し引き犬走りがはたして効果的かどうかはわからない。ただし、こんなもんだめだとすぐにあきらめる気にはならない。最初からうまくいくはずがないことぐらいはこれまでの経験から承知しているのだ。しばらくは同じ練習を続けよう。ハンドルバーは標準的なドロップのほうがいいかもしれない。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'50"4'50"+3014.817176190
区間210'30"5'40"+5012.717875183
区間316'27"5'57"+6712.217872159
区間424'09"7'42"+1029.517665162
全 体+24912.017671171

今年は丹沢も雪が多かった。半原越の雪はすっかり消えているだろうと思っていたが、雪崩になった沢や日陰は融け残っていた。そのせいでスミレの開花が遅れているかもしれない。タチツボスミレの花はそれなりに探さないと見つからなかった。キブシの開花はあと数日。テングチョウは非常に多い。ひなたぼっこをしたり追いかけっこをしたり。ヒオドシチョウは見つからなかった。


2014.3.22(土)はれ 半原1号

半原1号

写真は予定通りハンドルバーをドロップに変更した半原1号。いつもの棚田の脇の草むらに立てて記念写真だ。今日も昨日と同じ感覚で練習しようと思っている。

半原越に入ってみれば、昨日よりよく走れる感じがする。ハンドルを変えた効果というわけではないと思うけど。上ハンを持って押し引き。ブラケットを持って押し引き。登りではその効果はわからない。スムーズに脚が回っているようなきもすれば、そのスムーズさが単にすっぽ抜けのようでもある。ともかく上半身と下半身のばらばら感はなかなか修正できない。平坦では下ハンでもブラケットでもぐんぐん伸びるあの感触が半原越ではどうしてやってこないのか。ケイデンスのせいか。トルクのせいか。おもしろいものだ。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'43"4'43"+2315.016177186
区間210'17"5'34"+4412.717574186
区間315'39"5'22"+3213.317874188
区間422'19"6'40"+4010.817969202
全 体+13912.817473191

2014.3.29(土)はれ 半原1号

半原1号

半原1号はなかなかよい感じだ。写真の仕様でひとまずOKと思う。昨日のとはハンドル回りを少し変更している。ドロップが深く、ブラケットが5mmばかり低くなる。チネリのクリテリウムという堅いバーだ。ハンドルがしなるのは好みではないのだ。

清川村は暖かくツバメが舞っている。ジョウビタキやツグミもちらほら見られるが、彼らは南の鳥に追い立てられるように北上する。ジョウビタキとツバメの間に競合関係はないだろうが。

半原越に入ると、先週はちゃんと探さないと見つからなかったタチツボスミレがいくつでも見られる。春先の地味な花、ハンノキ、キブシが満開だ。西端コーナーの桜が開花している。蝶は相変わらずテングチョウが多い。アカタテハとシジミはちらほら。水飲み場のある沢の苔生した岩に地味な花があった。なんと初見である。

今日の練習も相変わらず腕の押し引き。少しずつながら押すことができるようになってきた。上ハンに手を置いて上下に押し引きする方法と前後に押し引きする方法、いろいろ試した。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'55"4'55"+3514.416577179
区間210'33"5'38"+4812.617676182
区間316'10"5'37"+4712.717577175
区間423'07"6'57"+5710.417970177
全 体+18712.317475178

タイムは先週よりも1分ほど遅い。ただし、先週のタイムは追い風参考記録である。現状では23分が持ちタイムだろう。今の練習はタイムよりも技術の習得が目途だ。区間4まではゾーン5に入ると速やかに力を緩める。ただしラストスパートを含め何か所かの激坂ではダンシングを使う。それもまた必要なテクだ。タイムもなにも平凡なのだがいまの走り方は去年までとはぜんぜん違うと感じている。本当に速くなるやりかたがついにわかったのだ。


2014.3.30(日)雨のちはれ 風雨の境川で犬走り

イモムシ

朝からかなり風雨が強い。ただこの程度の天気で引きこもる気はしない。自転車の乗り方がわかってきてうれしくてしょうがないからだ。私の半原越最速理論は「普通のところで速いヤツが一番速い」というものだ。じっさいそれは正しかったのだ。波打つ半原越を200Wで走り通そうとするならば、全般的に同じ調子で走りきるのが理論上は最も優れている。急な登りだからといって特別な走り方があるわけではない。立ちこぎとシッティングでの脚の力の入れ方に劇的な差はない。高トルク低回転型と低トルク高回転型で異なる筋肉の使い方があるわけではない。上ハンとブラケットと下ハンで力の入れ抜きに違いがあるわけではない。

昨日の半原越ではハンドルを押すことができた。30秒ぐらいなら急坂区間でも押し引き犬走りができた。それにたった1回だけど、ハンドルを押したときに、すすっと自転車が勝手に進むあの感覚があったのだ。電動アシストがないのに登り坂で自転車が思った以上に進むのは、意識できないパワーが加わっているからだ。これまで何千万回とやってきたクランクを回す運動に、未知の筋力が動員されているのだろう。

今練習している走り方は坂でも平坦でも速い。つまり普通のところで最も速い走り方だと確信している。要は脚をスムーズに回すことにある。脚を自由に回そうとすれば体が左右に揺れる。それでも自転車がまっすぐ進むように腕の押し引きが必要だ。また、トルクをかけても脚がうまく上下できるように上半身、とくに背中を使う。背筋は左右別々に使う。肩から背中、背中から腰、腰から太ももへと流れる力を意識する。腕を押すときには脇腹にまあるく光る玉がふわっとできる感じがする。ドラゴンボールで多用されるエネルギー弾みたいなもんだ。

気温が高いから風雨もさほど苦にならない。境川は濁流になって流れている。こうした一本調子のコンクリート護岸河川でも、岸辺は流れが緩く、場所によっては上流に向けて水が流れていることが見て取れて面白い。川の上にはツバメがしきりに舞っている。雨粒を苦にする様子もない。彼らは飛びながら餌を捕らねばならぬ宿命を背負っている。それにしてもこんな日に飛んでいる虫がいるのは非常識だ。ツバメがいなければ気づけないことだ。

サイクリングロードの路上に大きなスズメガの幼虫がいた(写真)。こいつはよく知っている。ただし見かけるのは夏だ。夏の終わり頃に路上を歩く姿をよく見ている。どうして春先にいるのだろう?本物のイモムシだろうか?と自転車を止めて拾い上げてみれば、触った感触も、うねうねと抵抗する感触もあのイモムシだ。こいつは秋に地中にもぐって蛹化して冬を越し、初夏に羽化してくるのだと思い込んでいた。そうそう単純なものではないようだ。

境川遊水地公園の管理施設をたずねると、いつもは不機嫌そうに土管の中にこもっているナマズが何かを探しているように泳ぎ回っていた。春とはいえナマズの産卵シーズンにはまだ早い。地震の前触れ程度のことなのだろう。


2014.4.5(土)はれ一時みぞれ 転回

相模川

半原越に行こうと走り出してみれば、丹沢のほうから東の空にかけて厚い降水雲がある。黒い雲底から毛羽立った雨脚が地上に伸びているのだ。半原越も大山も雲の中ではないが時間の問題だと思った。風が冷たい。濡れる準備はしてこなかった。はたして相模川を越え中津川を渡るところでけっこうな降りになった。しかたなく高架の下で雨宿りをすることにした。

歩道の手すりの白いペンキが塗られた鉄パイプに、光る水滴がぽつぽつついて垂れ落ちている。手すりを濡らす雨がしたたっているのだ。子どものとき、雨滴を見るのが好きだったことを思い出した。雨滴は今もあのときも同じだ。どうしてあんなに夢中になって1時間も2時間も電線を伝う雨滴を見続けることができたのか。今日、雨宿りでせんかたなく手すりの雨滴を眺めていて、ふと、気持ちが「入る」ということに思い至った。心が籠もれば雨滴だって面白い。たぶんそういうことなんだろう。

雨はすぐに止むだろうと思っていた。しかし30分ほどたっても降り止まないばかりかみぞれになってきた。どうも今日は丹沢のほうはだめらしいぞと転回することにした。南の海の方ならからっと晴れている。相模川沿いに海に下って134号線から境川に入ることにした。

相模川の桜は満開を過ぎ3分散りぐらいだ(写真)。自転車で走るには快適とはいえない相模川の土手をつたって134号線に出た。134号線はやや向かい風であったがいつものように35km/hから落とさないようにきばった。しばらくそういう練習もしておらず、スムーズに回っている感じにはならなかった。境川はいつもの往復コースを2回。それでちょうど100kmになった。あいかわらず丹沢は雲の中だった。


2014.4.6(日)はれ一時雷雨 春爛漫

境川

境川の両脇にはおそらく地質時代と思われるころにできた崖がある。どういうかげんでそれが形成されたのかはわかない。その崖はながらく放置されていたものだろう。各種の樹木が大きく成長している。春爛漫でその崖がけっこうきれいだ。ケヤキの新芽が色鮮やかだ。ヤマザクラもちらほら見られる。こうした崖ですら、近年少しずつ林が切られ土が切り盛りされ宅地になってきている。

午前中の境川は花にうかれた年寄りたちが多くまじめに走る気にならなかった。私も花の写真を撮りつつうかれて走ることにした。桜の風景は人工物とうまくからめたほうが良い写真になる。建物であったり道路であったり、人であったり。

いろいろなポイントを探しているとレンゲの群落が目に入ってきた。水田耕作のためにかつて種がまかれ、いまや半野生と化しているレンゲ畑だ。ちょうど満開になっている。田んぼのことを考えると少し早い満開ではなかろうか。

レンゲの畑のわきの水路を覗き込むと異様な光景があった。おびただしい数の巻貝が生息しているのだ。その貝がカワニナであれば驚くこともないのだが、見たことのない種類だった。ちょうどカワニナとタニシの中間のような形状の殻を持っている。外来種なんだろうか。ヒメタニシというやつだろうか。


2014.4.12(土)はれ ソメイヨシノ満開

清川村

写真はふもとの清川村からのぞむ半原越。この季節、林の色合いは毎日変わる。いまヤマザクラが満開だ。半原越の尾根にはヤマザクラが多い。ソメイヨシノは道路に沿って植えられている。ちょうど半原越の頂上のソメイヨシノが満開だった。まだ土と落ち葉がめだつ林床にスミレがポツポツと咲いている。今日はヒオドシチョウが目についた。2週間前にたくさんいたテングチョウは見あたらない。半原越はこれから梅雨明けまで、毎週変わる美しい景色が楽しめる。

自転車は相変わらず押し引きの練習。じつは自転車が時速30キロぐらいで走っているとき、腕を押し引きしても簡単にはハンドルが切れないことがわかった。腕の押し引きは畢竟脚をスムーズに回すための方策であると思う。

その肝心の押し引き運動が半原越でもできるようになってきた。だからといって速くなったとか楽になったとか進歩の感触はない。唯一、さぼるのだけは上手になったかもしれない。押し引きしつつしっかり回すと心拍はすぐにレッドゾーンに入ってしまう。いまはガーミンの音をチェックしてレッドゾーンに入ると脚を休めることにしているのだ。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'47"4'47"+2714.816676180
区間210'22"5'35"+4512.917776182
区間315'54"5'32"+4213.017878176
区間422'55"7'01"+6110.318066182
全 体+17512.517675180

2014.4.13(日)はれ 照葉樹の新緑

楠

九州の南海上から低気圧が近づいており、朝から高曇りだった。自転車にはかっと照って欲しいところだが写真にはよい日和である。境川に出ると新緑が目につく。神奈川のこのあたりでは照葉樹も多くその新緑は毎年の楽しみだ。写真のブロッコリー状の赤い木はおそらくクスだろう。

私は四国で育ったので毎年照葉樹の新緑は見てきた。ただ、それが美しいと思えたのは四国を離れたことがきっかけだった。仙台では春になると広瀬川のヤナギが薄緑に萌え、続いて市街地のケヤキが葉を広げ、郊外の林が色とりどりのモザイクになる。その頃、山では深い残雪の中でブナが目に鮮やかな緑の玉に変わる。東北では冬の色合いが寂しいだけに一気に訪れる春の美しさが際だっている。東北の春を知って南の春も知った。

自転車はやっぱり押し引き犬走り。いまの半原1号は下ハンがある。下ハン、ブラケット、上ハン、それぞれで犬走りの習熟に努めた。ドロップバーはブラケットの位置が問題になる。普通に加速しようとしたときに、ブラケットを押すでも引くでもないところにセットするのが第一だと思った。押しすぎても引きすぎてもいけない。また、上ハンだと引くのが難しく、押し気味でかまわないように思う。下ハンはゆっくり走る場合は押し気味に、速く走るときは引き気味に。いろいろそんなことを考えて4時間ばかり走った。

胆になるのは腰がひっかかりなく動くことだ。押し引きのカウンターに腰を使うと考えたこともあったが、それは逆で、腰が振れても自転車が真っ直ぐ進むように押し引きが必要なのかもしれない。もしくは全然関係ないのかもしれない。ともかく、押し引き犬走りのときに自転車は左右に振れるけれどタイヤのトレースは白線の幅以内に収まっている。

ヒメタニシとおぼわしい淡水巻き貝が気になって境川流域の水路をチェックしてみた。水路は水田の季節以外は乾いているものが多い。いまどきでも水がある場合はその貝が見つかった。そんなことをやっていてふと気づいたのだが、わが家にも同じ貝がいたのだった。田んぼからもらってきた土からいつのまにかわいたこともあった。そのときは、ああ貝かとしか感じなかった。面白いものだ。


2014.4.19(土)くもり STIにしてみる

ハコベ

仕事をしているだけでけっこうくたびれた一週間だった。体が弱ってウイルスなんかにやられている感じ。体が重い。ただし半原越には行かねばならないだろう。

朝のうちはひとまずカメラを持って庭の観察。春先の雑草がみのる季節である。写真はハコベ。花の散った後に小さな袋ができてその中に茶色の種が成長する。袋が開くと種がこぼれ落ちるという寸法だ。そういえば、その小さな袋がどういう過程を経て形成されるかを確かめていないことに気づいた。ハコベはもう何年も見ているのに。

種はたいへん小さくて老眼が進んだ目にはなにがなにやら判別がついていない。ぼんやりした茶色の塊にピントを合わせて勢いで撮影する。SB-29のスーパーマクロは光の加減がいろいろ試せてこういうカットには最適だ。

半原越は天気が悪く気温が低い。虫の活動はいまいちで、路上を歩くアオオサムシを見た程度。鳥は季節がらかなり活発で、ウグイスやヤブサメが頻りに鳴く。ホオジロが追いかけっこをして目の前を横切る。

自転車はバーを押す動きがようやく板についてきた感じがしている。今日は34Tのミドルを使ってまず1回登ってみた。リアが25Tまでついていればフロントは34Tで問題ない。そんなことを考えたのは、カンパのブレーキブラケットがいまいち手になじまないからだ。押し引きをメインとするならば、現行シマノのようなブラケットのトップが丸いほうが扱いやすそうな気がする。ただし、フロントはトリプルだから、ダブルのシフトレバーでは1枚使えないことになる。軽いジレンマに襲われるわけだ。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'34"4'34"+1415.916576190
区間29'58"5'24"+3413.717971193
区間315'18"5'20"+3013.817968185
区間422'01"6'43"+4311.118561193
全 体+12113.417868189

帰宅して、シマノのアルテグラ10Sのレバーを装着した。ワイヤーの張りを調節して半原越に行くときはインナーとミドル、その他のときは、ミドルとアウターというように使い分けられるはず、という予想がたったからだ。そうなると、それが本当にできるかどうかを確かめてみたくなった。


2014.4.22(火)雨 境川の護岸工事

護岸

境川の遊水地公園辺りの護岸に工事が入っている。ここの護岸は一時期コンクリートを数珠つなぎにしたマットのようなもので覆う工法になっていた。去年4月の大水のあと一部のコンクリートマットがめくれあがっていた。それでマットの護岸としての脆弱さが明らかになり全体的に再工事が行われているもようだ。この先どんな護岸になるのかちょっと楽しみでもあり不安でもある。

私は失敗であったコンクリマットの発想を歓迎している。というのは、通常のコンクリ護岸は強力だとしてものっぺりしすぎていて面白みがないからだ。護岸の機能は安定的に水を海に送るだけではなく、そこにしか住めない生物に住処を与えることにもある。川岸の土を岩石と針金で固定しその上にコンクリ数珠つなぎのマットを敷く工法であれば、穴ぼこぼこであるから草や虫の住処ができる。もろくもはがれたコンクリマットはそうした点に配慮したものであったろう。

そのアイデアは良かったが、設計と施工が追いつかなかった。コンクリートとはいえ水中では軽くなり浮き上がってしまう。カーブの外側は水圧がかかる。それは設計のときに気づくべきことだった。壊れたときの大水は決してライブドアと原発事故で流行した想定外といえるものではない。あのときは遊水地が完全に機能し境川の水が田畑や住宅にあふれることはなかったのである。その程度で壊れてしまう護岸では施工する意味がないばかりか逆効果ですらある。はがれたマットが水をせき止め、洪水の原因になりかねないからだ。さらには針金の耐久性や美観を考えればお世辞にも洗練された工法とはいえない。

ともあれ、現在の日本では護岸工事が雑草や虫けらと共存するかたちで始まっている。その方法は確立されたものがなく試行錯誤のレベルにある。とくに境川のように川幅が狭く雨が降れば一気に水が増える河川の護岸を多孔性にするのは困難なはずだ。すくなくとも私は成功例を一件も知らない。境川に多い岩石を針金の網で固定するやり方は近づくことを拒否されているようで嫌いだ。コンクリートがない時代の護岸は必然的に穴だらけであり、壊れれば直し、直しては壊れること繰り返していた。いまでも四国の愛媛と高知を流れる四万十川では高知の護岸は自然なままである。一方で愛媛の四万十川護岸はコンクリートでしっかり固められている。それは治水思想の違いによるもので、高知県民が虫好きというわけではないだろう。

虫けら共存型はいまのやり方ではやたらと工事費がかかるらしい。従来型の三面護岸に比べて圧倒的に工事期間が長い。この10年ほど境川を見学している私の目には遊水地の建設に過剰なコストが投入されているように写る。たんに遊水地を作るだけなら10分の1の工事期間と予算で済むだろう。もともと治水事業は打ち出の小槌であり、高コストな護岸は工事業者の利益を増やす効果もある。虫の住処作りに加えて利潤もあがるなら一石二鳥だ。

新工法の実験的工事は全国で行われているだろう。境川で得られた知見を活用し、過去の失敗に挫折することなく、未来のモデルとなる虫けら共存型護岸を推進してほしい。本気になれば美しい護岸を作ることができるはずだ。


2014.4.26(土)はれ にぎやかな初夏

アケビ

とにもかくにも今日はにぎやかな初夏だった。荻野川に出るとすぐにカジカガエルを聞いた。いつも年の最初にシュレーゲルアオガエルを聞くクレソン畑ではやはりシュレーゲルアオガエルの合唱があった。雨の気配がないのに畑でアマガエルも鳴いている。荻野川の堰堤で謎の草を見つけて見物していると足元にベニシジミがいた。

清川村の棚田脇ではウスバシロチョウを見る。半原越に入るとツマキチョウが飛んでいた。道路には甲虫の双璧であるセンチコガネとアオオサムシがいる。大きなヤマカガシが道路を横切って行く。締めは美しいオオルリだった。オオルリは珍しい鳥ではないものの半原越では初見だ。

自転車はけっして良いとはいえない。うまく乗れている感じがないしタイムも平凡である。無理に速く走らなくてもいいという意識はどんどん強くなっていく。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'38"4'38"+1815.416376183
区間210'08"5'30"+4013.017671177
区間315'39"5'31"+4113.217573175
区間422'46"7'07"+6710.217862177
全 体+16612.717470177

日が長くなったこともあり、半原越を降りて境川を回ってこようと思った。最も快適なルートは小田原厚木道路側道から134号線を回るコースだ。相模川周辺の道路はどうもごみごみして半端で楽しくない。ただ今日はそのコースを行ってみることにした。すぐに失敗だと反省したものの、ふと降りてみた相模川の河原の茂みで良いものを見た。

ヌルデの樹液に来ているコクワガタらしいクワガタのメスだ。クワガタは特別な虫であるけれど、たいていは半原越の道路に転がっているのを見かける程度だ。樹液に来ているものなんて探さないと見つからない。ラッキーだった。おまけにヌルデにまとわりつくアケビがちょうど花盛りだった。


2014.4.29(火)くもり 境川のオドリコソウ

オドリコソウ

境川サイクリングロードの鉄柵にもたれて護岸をみていると足元にオドリコソウの群落があることに気づいた。ちょっと驚いた。オドリコソウは境川のようなかんかん照りの乾いた所にはないという印象があったからだ。はて、境川の近辺でこれまでに見たことがあったかどうか。記憶も曖昧だ。それだけ通い詰めているということでもあるだろう。境川の春は10回以上見ているから。

境川に通うのは自転車の練習がしやすいからだ。近所には平坦をそれなりの時間、ペースで走れる場所は境川ぐらいしかない。今日も相変わらず犬走りの練習だ。特に注意したのはトルクだ。天気はくもりとはいえ相模平野の初夏を特徴づける南風が吹いている。風の強弱を考慮しつつ一定のトルクと回転数でうまく走りたくなった。ハンドルバーにはシマノのアルテグラという高級なシフトレバーがついている。

アウターの40Tを使えばリアは14か15Tが具合がよい。ただし、14.5Tも欲しくなる。14では重いが15では軽いという風の強さもあるからだ。その場合はインナーをつかうことになり、そのインナーの歯数が問題になる。いまは何も考えずに34Tをつけているけど、34Tでは実際具合が悪いことが暗算であきらかになった。

オドリコソウを撮影するついでに携帯電話の電卓を叩いてみた。40×14.5Tは2.76倍である。そのギア比でフロント34Tであれば、リアは12.3Tになる。14Tで軽かった場合は、左レバーをワンクリック、右レバーを2クリックだ。12Tは12.3Tの近似値でしかなく0.5段のシフトとはいえない。34Tではなく36Tを使っていれば40×14.5Tは36×13Tで実現できる。15Tで軽く14Tで重ければ、左右のレバーを1クリックでリア0.5段分の変速が実現できる。こりゃ試すっきゃないっしょ。


2014.5.4(日)晴れ ST-5703にしてみる

半原1号

フロント2段シフトのアルテグラで使っていた半原1号であるが、やっぱり手動でチェーンをいちいちインナーに落とせるようにするのはめんどくさかった。左シフトだけフリクションレバーにするとフーデットの感触が左右で異なってしまう。秘技の半段変速はSTIあっての代物だと思った。

ちょっと迷ったあげくフロント3段のシフトを購入した。シマノ105という廉価版のレース用部品である。新品のSTIを買うのはSORA以来だ。最新型105のフロント3段のものはST-5703という。使ってみるとシマノのSTIらしからぬ握り具合である。カンパニョーロみたいだと思った。もっとも、カンパニョーロの最近のレバーは握ったことはないのだが。

半原1号はこれでまたいっそう変な自転車になってきた。

ブレーキレバー+シフター:シマノ105 ST-5703(3×10s)
フロントディレーラー:デュラエース FD-7700(ダブル用)
クランク:スギノコスペアトリプル
チェーンリング:シマノXTR26T(8s用)FSA36T(9s用)スギノ40T(7s用)
BB:シマノデュラエースBB-7700(ダブル用)
チェーン:コネックス10s用
リアディレーラー:サンツアーシュパーブプロ8s用
スプロケット:ジュラエース9s用
ホイール:デュラエースC-24TL
ブレーキ:シマノアルテグラBR-6600G

ダブルとトリプルの混在。7段8段9段10段用のパーツの混在。このデータを見ればこんなパーツの組み合わせで快適に走れるはずがない気がする。しかし、半原1号は私の創意と知識の結集であり私に最高にフィットする自転車なのだ。


2014.5.5(月)小雨 半原越のオトシブミ

藤

遠く丹沢の峰に雨雲がかかってけっこうな降りになっているようだ。おそらく半原越も雨になろう。望むところだ。雨具はいらない。この季節の半原越は毎日違う景色になる。そんなことを思いつつ相模川を渡った。途中、善明川でカワムツらしい魚影をみとめて何とか撮影できないものかと道草を食った。いつもの棚田についたのは正午になっていた。

体の調子は良くない。それは荻野川で明らかだった。調子のいいときは20km/hオーバーを狙う美登里園パスも14km/hぐらいでふうふう越える。体全体に疲労がある。単純に土日走ったからだ。3日も4日も連続して走れるほど私の体は強くない。

半原越のアスファルトにはオトシブミが二つ三つと落ちている(写真)。何回か拾ったこともあるけれど一度も羽化を見ていない。こういうものでもそれなりのテクが必要なのだろう。オトシブミが数えられるほどスピードがない。そもそも心拍数が170bpmから上がらない。心臓が弱っているのか脚が弱っているのか、その両方か。今日はSTIでもあることだしギアをこまめに変えながら同じような調子で走ってみることにした。

1回登ってハーフは2回。1回目のハーフでいつもは使わない26×23Tの軽いギアを使った。すると区間4でみょうにいい感触があった。平坦向かい風と同じように太ももの上下運動で自転車が進む感じ、乗れてる!っていうあれだ。2回目はギアを21Tに上げて同じようにやってみようと思った。やはりできなかった。踏みつけたり引き上げたり立ったりしないと21Tで区間4は乗り切れなかった。ただし2回目のほうがタイムはよい。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間15'21"5'21"+6113.314878152
区間211'24"6'03"+7311.815772169
区間317'07"5'43"+5312.616070164
区間424'07"7'00"+6010.416962179
全 体+24711.915970167

帰宅してスイレン鉢に水道水で足し水して、昨日近所の農家からもらってきた土をプラケースにセットした。今年はどんな水景が見られるだろうか。


2014.5.6(火)くもり 40-36T

半原1号にST-5703を装着したついでに、フロントギアを変更した。これまでは26-34-40Tのトリプルだったが、26-36-40Tのトリプルにした。セカンドを36Tにしたのはちょっとしたわけがある。

ギアテーブル

上の表はギアテーブルで、90rpmで走っているときの速度を示してある。私が常用するギアは40×15T。これがチェーンラインからも私の走力からもぴったり合っている。40×15Tを使って90rpmで走っているときは時速30kmになる。境川あたりを気分良く走っている状態だ。

境川では川に沿って風が吹く。90rpm走をやる場合、向かい風だとペダルが重くなり、追い風だと軽くなる。そこで変速機の出番である。自転車で「変速機」というと誤った表現になる。自転車のギアはケイデンスを変えずトルクを一定にするためについているからだ。自転車はオートバイなんかに比べてやたらとケイデンスが小さくトルクが大きい乗り物である。そのトルクの変動もやたらと大きい。エンジンのトルクを変えることができない(私の想像だけど)自動車やオートバイとは変速機の役割がちがう。

向かい風だとギアを落とすことになるのだが、表からわかるように40×15Tから一枚落としてリア16Tにした場合、速度は2km/h落ちて28km/hになる。アゲンスト風力4ぐらいだとそれでいいのだが、それでは軽すぎることもある。リア15.5Tというあり得ない板が欲しくなったとき、フロントセカンド36Tの出番だ。

表にもあるように、40Tから36Tに落とすとリアのギアを1枚半落としたことになる。したがって1枚落とすほどではなく軽くしたい場合、フロントを落としてリアを1枚上げればよい。半原1号では左ワンクリック、右ワンクリックである。ちょっとかっこいい。ついでに、1枚上げるほどでもなく重くしたい場合、半原1号では左ワンクリック、右ツークリックである。重くするためにフロントを落とすなんて、なんだかプロっぽいじゃないか。


2014.5.10(土)晴れ 半原越でウスバシロチョウを撮る

半原越

清川村から見る半原越の景色はすっかり夏だ。遠目にもわかるキリやフジの薄紫色が消えればしばらく同じ色合いの風景が続くことになる。

これから梅雨にかけては年度初見の虫たちが次々目に入ってくるだろう。今日も半原越を自転車で走っているだけで、いろいろなチョウだのトンボだの甲虫だのを目にした。

ウスバシロチョウはやたらと多かった。おそらくこれまでで最高の数を見た。麓から1回登っただけで5頭。水汲み場のところにある厚木高校の広場では10頭以上。こいつぁ撮影好適日だ、といろいろなシチュエーションで狙った。産卵場所を探してかメスを求めてか飛び回る個体が多く、なかなか写真にはならなかった。止まっても草むらに潜り込んでしまう。生態記録としてはそれでいいんだけど写真的にイマイチだ。さんざん追いかけて失敗して、エゴに似ている名を知らぬ白い花で一心不乱に蜜を吸っている個体を見つけてようやくポートレートを撮ることができた。

ウスバシロチョウは思い入れのある蝶だ。四国を離れ東北に行ってはじめて見て、その優雅でどこか日本離れした風情に感激した。場所は山形か宮城の山間部のネギ畑だった。じつは中学生の頃から、ウスバシロチョウを見つけるなら東北のネギ畑だろうと予想していたのだった。それがぴたりはまったものだから初見の印象がいっそう強く心に残った。ウスバシロチョウは不可思議な分布をしていて、神奈川でも低地にはいない。清川村あたりまで行かないと見つからないのだ。大和市と清川村を分かつラインが何なのかはさっぱりだ。

自転車もまじめに登らねばならない。この1年ばかりの練習でようやく走り方がわかったように思う。それなのに、いまだに秘奥義のようなものがあるような気がしてならない。自転車を離れているとそういう妄想にとらわれる。そんなものはないのだ。とにかく技術を磨くことだ。テレビで10kgあるというプチプチのロールを上手に投げるおじいさんを見て自分の可能性にも気がついた。全身のバネをプチプチロールに集めて解き放つ名人芸だった。私も最適ギア比、最適出力、最適フォームを身につければ今からでも速くなれると信じたい。一回目は26×17Tに固定して走ってみた。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'36"4'36"+1615.416478184
区間29'50"5'14"+2413.517870182
区間314'59"5'09"+1913.717771186
区間421'30"6'31"+3111.018257186
全 体+9013.217668184

2014.5.11(日)晴れ 善明川のカワムツ

カワムツ

ろくでもない写真だが、写っている魚はおそらくカワムツである。カワムツは私が魚の中の魚、King of fish だと思っている小魚だ。撮影したのは神奈川県の大河相模川の支流の中津川のそのまた支流の準用河川善明川につながる水路だ。カワムツは愛媛県八幡浜市ではポピュラーなハヤだ。神奈川県に自然分布していたものかどうかそれは知らない。そしてこいつは十中八九移入されたものだ。中津川はアユの釣り堀であるから、琵琶湖あたりからアユを持ってくるときに紛れ込んだものが居着いているのだろう。

水路

私はカワムツが大好きで、ときどきカワムツの姿を見たくなる。そのとき一番手軽なのが善明川だ。だから善明川も好きだ。写真はカワムツを撮影した水路である。何の変哲もない細いドブではあるけれど、カワムツが生息しているだけできらめきがある。魚はカワムツ以外にも何種かいる。目立つのはカワムツよりも二回りもでかいアユみたいな顔をしたやつ、おそらくウグイだろう。そいつは撮れなかった。

壁画

地元民らしいおじいさんに聞いたところでは、善明川にはアユも遡上してくるらしい。善明川の周囲の住人が川の魚にやさしいことは確実だ。その精神は道路脇の工場にある壁画にもちゃんと描かれている。

川

精神論だけではなく、本流の設計にも魚類愛護心は実現している。河床には大小の岩石が敷かれている。それらは人工的なものである。岩を不定型に並べ水の流れに変化をつけている。岩と護岸の間に土を盛って雑草の群落も作っている。流れの中に打たれた杭はヒトの用途には無縁の飾りである。カワセミなんかの止まり木とかトンボの羽化場所などの意味しかない。善明川はわずか2km余りの排水路河川としては最高級のビオトープと言っていいだろう。


2014.5.12(月)晴れ 善明川の魚道

河口

大河川の支流にあたる善明川の魚類相は本流との連結状態で決まる。左の写真は中津川の河川敷にある善明川の流れ。いわば善明川の河口だ。この背後には鉄製の可動式水門が設けられているが、それはおそらく大雨で中津川の水源である宮ヶ瀬ダムを放流しなければならなくなったとき、中津川からの逆流を防ぐためと思われる。ふだんは2つの河川にギャップはない。中津川に放されたアユもカワムツもなんなく善明川に入ってこられるのだ。

起点

一方、善明川の起点は写真のような魚道になっている。魚道は道路をくぐる暗渠につながり、その先がカワムツを撮影したドブだ。どういう了見で善明川の起点が魚道になり、上流の水路につなげられているのだろう。即座に納得できる理由は思いつかない。先の水路は200mほどで道路にもぐる普通の暗渠となり、魚を上げてやる意味が見いだせないからだ。

起点

自慢の水中カメラを沈めて水路を撮ってみた。ちょうど代かきの季節であり水は濁っているものの、水質は良好っぽい。写っている水草はたぶんヤナギモ。コンクリート水路のそこは砂泥がたまっているのだ。カワムツは砂泥で産卵する魚だ。この水路はカワムツの産卵には流速が速すぎるようにも思うが、実際はどうなのだろう。ともあれ、善明川を遡り上流を目指すタイプの魚類はここに入ってくることになる。

階段

魚道といえば、下流にも面白い構造物がある。田んぼの用水路の排水口が自然石を積み上げ階段状になっている。カワムツだともうちょっと水が出ないと登れないかもしれないが、ドジョウ、ウナギ、ハゼ、エビなんかだと楽々階段を登って行くことができるだろう。ただ、登った先は変哲もない田んぼのコンクリート水路である。がんばって登った魚ががっかりするかもしれない。


2014.5.14(水)晴れ 三角関係と三角関数

MATCH

写真は大塚食品のビタミン炭酸MATCHという飲み物が広告として出しているものである。青春の難問の一つに三角関係がある。どうやら女友達二人が同じ少年に好意を寄せてしまったらしい。私も同様の状況に陥り困ったことがあった。ここはひとまず現実問題からは目をそらして、それを数学で解いてみよとビタミン炭酸MATCHはいう。つまるところ、この世の中の難しい問題も数学を使えば楽に解けるというのがビタミン炭酸MATCHの主張である。

問いは「AC間をx、BC間をyとして三角関係ABCの最適な距離感を求めよ」とある。図から推測するに、距離感として問題視されているのはABであろう。つまり、B君とCさん(テレビでは広瀬すず)の間にAさん(テレビでは広瀬アリス)が割って入ることになっているのだ。女の子の友情関係であるxとライバルの恋愛関係として成立しているy、将来の距離感を決めるθとABの関係を求めるとよいのだろう。ただし、AB=ysinθである(∵図に書いてある)。これがMATCHのいう人生を楽にする公式であろう。

MATCH2

実際AB=ysinθが与えられれば問題は解けたも同然である。AB=ysinθより自動的に角Aは90°となり、△ABCは直角三角形である。であれば、B君とCさんからなる距離感yは斜辺であるから、yはAさんとCさんの友情関係であるxおよび、問題となるAさんとB君の恋愛関係であるABよりも必ず大きくなる。つまり、AさんはCさんとB君の恋愛関係に割って入ればB君を横取りできるのだ。数学的に書けばAB<BC。ただし、AさんとB君の恋愛関係の妥当な距離感は、CさんとB君の恋愛関係の2乗からCさんとの友情関係の2乗を引いて平方根をとったものである。それらの距離感を守れば、AさんとCさんの友情関係はAさんとB君との恋愛関係よりも強くできるという驚くべき結論も導き出せる。彼氏を横取りしてもB君がゆるく二股をかけつつ二人の少女の友情にひびを入れないことが理論上は可能なのだ。

MATCH2

なお、これは地球上の恋愛関係であるから、角Aも角Cも直角でありうる。たとえばAさんとCさんが町田の高校のグランドにいて、B君が北極点にいればよい。AさんとCさんが強い友情で結ばれ、なおかつB君と等しい距離(ほとんど無限の彼方)でお付き合いが可能であることを示している。なるほど数学にしてしまえば青春の難問もあっさり解けるものである。



2014.5.15(木)雨のち晴れ 善明川の水源

中津川堰堤

ところで善明川の水源はどこだろう。水源は意外とわかりにくい。カワムツを撮った水路はすぐに道路の下に潜り暗渠になる。耳だよりで暗渠の流れを辿ろうとしてもすぐに水音が途絶えてしまう。すなおに考えれば、善明川の水は中津川からの導水だろう。この写真は樹木の陰になってよく見えないけれど中津川の堰堤を下流から撮ったものだ。堰堤は善明川付近の田んぼへの導水用に設けられたものに違いない。

水路

しかし、それで結論を急いではいけない。善明川の水は田んぼに引かれていないからである。写真は中津川から引かれている(はずの)水路。善明川は奥に見える崖の林に沿って流れている。この水路から田に流れ田から善明川の中流に流れ込む。肝心のカワムツ水路には中津川の水がはいってない。善明川はどちらかというと田の排水路として使われている。善明川の下流には可動式の堰堤があり、そこから引かれた水は田んぼに供給されている。しかし、その田は善明川の河口よりも下流なのだ。

水路

善明川の水源はじつは湧き水である。善明川の左岸はすぐ崖になっている。中津川の段丘崖であろう。この崖からカワムツの水路を十分に満たすだけの水が湧き出している。崖と善明川の間はささやかな住宅地になっているが、そこの住宅や道路を縫うようにして水路があり勢い良く水が流れているのだ。崖から水の湧き出すポイントは数か所あるようだ。残念ながら自転車で走り回っただけでは、湧水源をみとめることができなかった。

水路

古くはこの湧水が生活用水だったのだろう。中津川の堰堤と用水路が整備される前は、田の水も湧水によって供給されていたのかもしれない。同時に、湧水の水路は生活用水の排水路だったはずだ。昭和の終わり頃には洗剤や水洗便所が普及し、日本の田舎を流れる小河川の生態系が壊滅した。善明川の現状はそういう残念な過去があったことを伺わせる。全国的な悪弊として、広域下水道を整備して河川の汚濁を止めた後にわざとらしい親水公園的なものが作られ川に鯉が放たれるのが常だ。いわゆる「自然の回復」の設計センスで行政の賢さと住民の民度がわかる。善明川はいまの日本ではこれ以上望むのは無理といっていいほどの良好な設計がなされている。少なくとも鯉を放した形跡はない。


2014.5.16(金)晴れ 麗しの善明川

準用河川

善明川は準用河川で管理は厚木市が行っている。神奈川県のコンクリート護岸小河川では川に人が落ちないように過剰なガードを施すのが一般である。そういう河川はおおむね精神的にも環境的にも腐敗している。川に近づく気にならない。善明川もその同類に見えるが、数少ない例外である。行政はしょせん縦割りであるので、善明川の扱いがちぐはぐになるのは如何ともし難いが、厚木市には少なくとも一人、ものの分かった人物がいるらしい。

遊水地

善明川では川で遊ぶ人を見かける。レジャー、趣味的な遊びではなく小ブナ釣りのような日常の暇つぶしである。それは住民の気持ちの中に川が流れていることの現れだ。写真は川の中流にある遊水地を兼ねた親水公園。その設計も精神もすばらしい。泥や石ころの敷き方がよい。水の流れがちゃんと考えられ、年月がたって崩れてから味がでることが予想される。当初は人工的な植物が植えられたが、それにこだわるつもりはないのだろう。すぐに雑草が優勢になった。なによりも良いのが水に入りやすいことだ。アメリカザリガニなんかをつかまえようとしている子どもをよく見かける。

水草

流れを覗きこめば水草が見つかる。黄色いショウブとかクレソンとかとるに足らないものが多いけれど、湧水河川を特徴づけるミズハコベ風のものも少しばかり目につく。きれいで安定した流れに住む動植物が作る環境は目に美しく映る。地形等から判断するに、もともとの善明川は途方もなく美しい川だったはずだ。その美しさは善明川の年寄りの記憶の中にしか残ってない。記憶は人の命とともに消え去ってしまう。自然環境の方はがんばれば半分ぐらいは取り返しがつく。


2014.5.24(土)晴れ タニウツギの季節

タニウツギ

夏の遅いわが庭でようやくドクダミが咲きはじめた。みのりが悪いなりにクサイチゴが色づいている。クサイチゴの茂みに多いシマサシガメがゾウムシっぽい甲虫を刺し殺して体液を吸っている。夏は確実に訪れた。なぜかクロナガアリが盛んに活動している。春に咲いた花の種を集めている感じだ。微小な砂粒のような種が多い。なんだろう。なぜだろう。

ハルヒルこと榛名ヒルクライムはふがいない結果であった。少し気合いを入れて半原越を走らねばならないと、朝早くから半原1号の整備を行う。C-24TLを10sスプロケットに交換した。

とはいえ走っていればいろいろ目移りする季節だ。撮影もしたくなる。斜面の崖を彩るタニウツギなどの花には虫が多い。道路にも虫が多い。車にひかれたモグラの死体を食っていて車にひかれたアオオサムシがいる。近くには道路で死んで腐敗が始まっている大きなミミズを食べようとしているアオオサムシがいる。危ないのでミミズの死体を道路脇に投げてやる。蝶はツマグロヒョウモンっぽいヒョウモンチョウがいたりアサギマダラがいたり。相変わらずウスバシロチョウは多い。ただし季節は終盤だ。道路を転がるように風に吹かれていたり、目前でクモの巣にかかってぐるぐる巻きにされたり、一仕事終え余生を楽しんでいる。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'18"4'18"-216.516679197
区間29'20"5'02"+1214.218171193
区間314'17"4'57"+714.518472202
区間420'51"6'34"+3411.018657186
全 体+5113.718068193

ひさびさに気合いをいれて走った。区間4は6分半かかってしまったもののしばらく見ていない20分台だ。タイムは年々悪くなっているけれど、乗り方は上達しているという自覚がある。


2014.5.25(日)くもり 夏のクロナガアリ

クロナガアリ

この季節にクロナガアリが外で活動しているのを見た記憶がない。クロナガアリは初夏に結婚飛行をするから、そのときに巣口を開けて外出することはある。いまのは結婚飛行というよりも通常の種集めのように見える。秋の蓄えが底をついて急遽出てきたのでなければよいが。

集めているのはもっぱら写真に写っている種だ。アリの頭の2倍ぐらいのサイズで茶色く、ぼつぼつがついている。この種に見覚えはない。春の花にはちがいないと思う。ヒメオドリコソウではないようだ。ムラサキケマンとかタネツケバナとかパチンと跳ぶやつらだろうか。この季節になると春の種の特定が難しい。

カメラはSB-29スーパーマクロを使った。クロナガアリを撮る準備も心構えもなく慌てて撮ったものだからずいぶんアンダーになってしまった。ストロボの発光部を正しくセットしなかったのがまちがいのもとだ。この間違いをうけてクロナガアリ専用のスーパーマクロを持ち出してみたものの、夏故のアリの足の速さに腕がついていかなかった。おまけにもう庭はヤブ蚊天国だ。夏のアリの撮影は難しいぞ。

庭を見てから半原1号で境川。今日は境川に草刈りが入っていた。そして路面にはクビキリギスの轢死体。草刈りで追われ道路に飛びだしてきたところを轢かれたらしい。つぶれた腹のそばには黄色い卵巣。メスらしい。どうも未産卵のようだ。気の毒だ。


2014.6.7(土)雨 夏雨の境川

いい感じの雨なんだが少しばかり雨量が多い。半原越は土砂崩れの危険がある。半原越を避けて境川でお茶をにごそうと思った。まずは、しばらくやろうとして放置していたハンドルバーの交換だ。ナカガワをチネリにして半原1号を3tのステムにした。特に意図のない変更だ。単にデザイン的な好み。だからこそぐずぐずして今日までほうって置いたのだ。

気温は高いが念のため脚にはナキを塗った。境川に出るとがらんとしてひとけがない。雨の日はいつもこうだ。雨に危険だとかつらいとか否定的な理由があるわけではない。たんに夏の雨の楽しさを知る人が少ないのだ。

増水した境川は濁流となって流れている。水量は越流堤を越えるほどではない。境川に沿う自転車道路を走っていてもカタツムリが見あたらない。2時間ばかり走って3匹ほど見ただけだ。住宅地にはカタツムリが少ないと思う。その原因が判明ではない。彼らには彼らの生き続けられる条件があって、都市の住宅地は何かがダメなのだろう。カエルもアマガエルの鳴き声を1回聞き、姿を1回見ただけにとどまった。カエルならカタツムリとはちがい都市で生きられるわけがないとはっきりわかる。


2014.6.8(日)雨 鼻歌の境川

シャジクモ

写真は近所の田んぼからもらってきた土からの芽吹きである。一番目立つのはシャジクモ。そのほかぽつぽつと薄緑の有茎草の新芽もある。たぶん毎年見ている面々だろう。4つ5つ白くぼんやり写っているのがおそらくカイミジンコ。ミジンコの発生は少ない。1匹だけ泳いでいたホウネンエビは早々に落ちたようだ。底に微小なマリモのようなものが見えるけれど、そいつの正体は不明。ホシミドロ系の藻だろうか。

この土は田んぼのものだが正確には事情が違う。耕耘機の車輪に付着した田んぼの土が道路に落ちたものだ。なじみのおじいさんがいて「土をもらっていいか」と声がけしてコンビニの袋に入れて持って帰った。道路に落ちた泥でもこうしておけば半年楽しめる。

昨日に引き続き半原1号で境川。日曜の午前はやっぱり境川。雨が小降りで少しは自転車乗りがいた。いつも通り白旗まで行って高鎌橋までの往復練習。今日は北寄りのやや強い風を使って80rpm練習。ギアは40×13Tを使って時速30kmから落とさないようにした。時間は15分程度。それなりに負荷はかかっている。ただし半原越を手抜きで走っている程度だ。半原越でも26×25Tまで使えば全区間で80rpm走ができる。もしかしたら半原越でも80rpmで少しずつ大きなギアを使えるようにするのが最適練習なのではないかと思った。

午後からは雨脚が強くなって潮が引くように人影がなくなった。雨の強まりと共に風向きが変わった。反転して南より。それほど強くない。人がいないのをいいことに練習を変更して鼻歌LSDにした。歌は永井真理子の名曲「黄昏のストレイシープ」。風の吹く屋上フェンスにもたれ雲に残る夕日二人で見てた♪ 歌いながら走るポイントは腹式呼吸にある。自転車で登るときの呼吸も腹式がよい。

ちゃんと声が出るように呼吸に注意して脚だの背中だのの力を抜く。まずは全身に力を入れて30km/hに加速し、平衡状態になってから、部分的に力を抜きながらケイデンスを維持する。腕の力を抜く。肩の力も抜いてみる。膝下の力も抜く。背中の力も抜く。それらの力を抜いてもケイデンスが維持できるなら無駄な力ということになる。話はそれほど単純ではないのだけど。


2014.6.10(火)くもり一時雨 科学の役割

図1

左の図1があれば、まずは下にある図2のような図形に見えるだろう。不自然なことではあるけれど、ヒトはそのように認識する能力を生得的に持っている。もちろんその能力も訓練によって培えるもので、人によって見るクセがちがい、力に強弱がある。

図2

図1は線分の組み合わせであり、図2は立体のスケッチといえる。素朴に考えれば線分を立体に見るのは誤っているといえよう。さらにいえば、図2はもとより立体のスケッチではなく図1の線分の一部に細工を施しただけである。

平面図形である図1を立体として見るのは不自然だけど、そのように見ることが人として普通である。この世界のものは2次元ではなく立体であり、立体は輪郭線で環境から区切られる。そうした環境世界から意味のあるまとまりを見出すのがヒトの大切な能力である。だから人間的な見方といえる。なぜそう見えるか?という生理的な理屈はそう簡単ではないとしても。

確かなのは、平面に描かれた線から立体を見出すと快感が走ることだ。ものの見え方が変わって新発見があったとき人はうれしいものらしい。

図3

また、図1は左のようにも見ることができる。見ることができるというよりも、図1は図2として固定して見続けることは不可能である。注視していると図3のようにも見えてくる。もっと見ていると図3だけでなく、幾通りもの見方があることに気づくだろう。立体ばかりでなく、四角形の組み合わせに見えるかもしれない。

この揺らぎはなぜ起きるのか。もともとは図1は図2ですらないのだから、図2として見るのことに無理があるのだろうか? それとも固定的な見方を嫌う性質を人がもっているのだろうか。いずれにしてもありのままなら図1であるのに、図2、図3のような見方も可能である。そして新たな見方を発見するたびに快感がある。

ここでやっていることは認知の思考実験でしかないけれど、およそ人間が関わる限り同様のことは必ず起きる。ありのままが正しいと断言することができず、正しいはずの見方と正反対の見方が間違っているとも限らない。対立する二人が相反する見方をしている場合はまともなお付き合いは無理というものである。

効果的な方法は図1にたち帰ることだ。図1が平面図形とすれば、線の数から言えばもっとも複雑であるけれど、数学的には最もシンプルだ。人間の現実問題にあてはめれば、いわゆる科学という考え方になる。科学の勝負では数学的にもっとも簡潔な説明が勝ちをおさめるものだ。

この便利な科学という方法には大きな弱点がある。ひとたび図2や図3などの楽しい見方を覚えながら図1に帰って行かなければならないということだ。帰りついたとしても、そこでだれもが喜びを感じられるわけではない。喜びは、数学という使用にあたってそれなりのセンスと訓練が必要な道具が使いこなせてはじめて感じることができる。図1の存在はもともと認識できるものである。そこから発展して快感とともに図2や図3などを見る。そこからあえて帰っていく図1の世界は、少なからぬ人たちにとって、存在を認めることができても無感動の意味がない境地でしかないのだ。


2014.6.14(土)晴れ 晩夏?

はてまだ梅雨前線は南にあるはずだが? ちょっととまどうぐらいの天気になった。空気が澄んで空が青く日差しが強い。涼しい風が南から強く吹いている。天気だけは8月の終わりの風情がある。いつもの棚田に目を落としてみれば水稲がようやく根付いたところ。オタマジャクシはまだ小さい。トンボはオオシオカラトンボかシオカラトンボか。まだ梅雨のさなかなのだ。

最近自転車の調子は良くない。今日もきっとタイムが悪いだろうと予想している。その言い訳が見つからないのがつらい。気温は高いが1分も2分も遅くなるほどではないだろう。それに強い南風はおおむね追い風だ。これは老いなのだろう。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'30"4'30"+1015.916878187
区間29'58"5'28"+3813.218073178
区間315'23"5'25"+3513.318072182
区間422'18"6'55"+5510.518360181
全 体+13812.918070181

リッチランドを過ぎて100mほど行った所にアスファルトがはがれ土砂がむき出しになっているくぼみがある。それに近づくと10匹あまりの茶色いチョウが一斉に飛び立った。集団吸水しているチョウの群れらしい。ちょっと驚いたのはそのチョウがテングチョウだということだ。今年は私の生活圏にテングチョウが多い。ときに大発生するといわれているテングチョウである。どうやら数が増えれば集団吸水することがあるのだ。


2014.6.15(日)晴れ 夏の境川

境川

日曜の午前中はまず境川だ。リアディレーラーをXTRに換えた半原1号に乗って道路に出ると、今朝は自動車の少なさが実感できた。日曜には自動車で遊びで出かける人が多いということなんだろう。

部屋にこもるには惜しい天気である。からっと晴れて日差しが強い。南風はやや強く涼しい。境川の夏らしい気持ちの良い自転車日和だ。向かい風は下ハンで30km/h。追い風は上ハンで30km/h。いつもの往復はストップウォッチを使ってみた。33分から36分ぐらいになるようだ。予想通りの時間でわざわざ計る意味もなかった。

自転車はケイデンスを変えない方がよいといわれる。そのためのディレーラーだ。しかし、トルクとケイデンスを一定にするギアの選択なんてそう簡単に身につくものではない。とりあえず今は欲を出さずにトルクを一定にすることに集中してみようと思った。特に踏み込みの力を一定にする。常に少しの力で踏み込むことを意識していると久々に腰に痛みが来た。弱点かもしれない。もう一つの弱点は左手。犬走りをしているつもりなのに、気がつくとちゃんと働いていない。

庭のカタバミがまた咲きはじめた。春に咲いて一度実を作り夏にまた咲くというサイクルがあるのだろうか。カタバミなんて一年中咲いているもんだと思っていた。田んぼ水槽が今年はちょっと変だ。なぜか水が澄まない。これまでは泥水が3日ほどで透明になったという記憶がある。いったいどういう塩梅なのだろう。そういうところも面白い。カナヘビが1匹いた。実に一年ぶりの登場のような気がする。トカゲなんかがそうだったようにもう二度とお目にかかれないかもしれないと心配していた。この十年で姿を消したむしは10種以上になるだろうか。


2014.6.16(月)晴れ 多いカマキリ

カマキリ

年々庭から豊かさが減少している。むしの種類が少なくなっているのだ。今年いまの季節に目立っているのはササグモである。ササグモばかりはざっと見渡せば5、6頭は目に入ってくる。それ以外のものは見つからないのだからたいしたもんだ。ササグモが多いということは、それなりに蚊とかブヨとかアブとか、私の目には止まりにくい微小な虫も多いということだろう。そしてササグモを餌にするやや大きなクモとかカナヘビなんかがいないのだろう。

ササグモの他にはカマキリがいる。おそらくハラビロカマキリだろうと思う。カマキリの動向には毎年注意している。去年の今頃は小虫がほとんど見あたらず、晩夏になって成虫がうろつく程度だった。先の冬にはハラビロカマキリの卵嚢が見つからず、庭での産卵はなかったと結論していた。ところが今はカマキリの幼虫がたいへん多い。今朝の5分ほどの見回りで3匹が見つかった。それも3サイズそろっていた。写真のものはもっとも小型のものである。これほど幼虫が多いということは近所の庭からの流入ということも考えにくい。私の庭で孵化したものなんだろう。


2014.6.21(土)くもり ぐるぐる回しでくたびれる

ショウリョウバッタ

ちょっと体は重いけど半原1号で半原越へ。いつもの棚田脇の草むらはやたらとバッタの幼虫が多かった。すり足で歩けば足元から3つ4つとジャンプして逃げる。ショウリョウバッタが多く別の種類もいくつかいた。いずれも2齢ほどの小さいものだ。トノサマバッタらしきバッタはすでに境川や荻野川で成虫を見ている。はて、トノサマバッタとショウリョウバッタでこんなに成長に差があるものだったろうか。

バッタを撮影していると上空からけたたましい叫び声。声の主はツバメだとすぐにわかった。叫び声の理由もすぐにわかった。ハヤブサらしき鳥が小鳥をくわえて杉林に消えていったのだ。その後を追っていたのが10匹ほどのツバメ。どうやらツバメのような飛行の名手だってハヤブサにやられることがあるらしい。それとも巣立ち直後のヒナだったろうか。ハヤブサが林に身を隠したあともツバメたちは群れ飛びながら頻りに叫び声をあげていた。ツバメも仲間がやられたときは一致団結するのだ。

自転車は回そうと思った。区間1から26×19T。丸太小屋の坂でも23Tに落とすことをためらわなかった。そのための105STIであり、ラピッドファイアーのXTRなのだ。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'56"4'56"+3614.516584170
区間210'30"5'34"+4412.917778173
区間315'57"5'27"+3713.317877179
区間422'49"6'52"+5210.718073179
全 体+16912.717678181

タイムは悪いけど、これぐらいのケイデンスならばまあよいと思う。ハーフの2回目で区間4の23Tがようやくうまく回せた気がした。軽いギアをぐるぐる回していると最初は楽だが15分ほどすると疲労がたまってあちこちに引っかかりが出てくる。それでも乗り込んでればうまく回るようになってくるのだ。ただし、そのころにはすっかりくたびれちまっているというありさまだ。


2014.6.22(日)雨 化石のよう

トカゲ

朝から雨がしとしと降っている。ちょうどいい感じだと境川に出かけることにした。風は北寄り微風。南に走るときは35km/hぐらいでも無理なく走れる。雨の日は人がいないから。北向きだと風に逆らうため30km/hを維持するのが難しくなる。

境川の両脇にあるフェンスの先は夏草がぼうぼうだ。その草の中からキリギリスの声がする。慣れ親しんだチョンギースではなく、ギリギリギリギリギリィというやつだ。その鳴き声をどう解釈していいものか私の中で決着をみていない。神奈川では両方の鳴き方を聞く。清川村ではチョンギースをより多く聞く気がする。境川でもチョンギースがぜんぜん聞かれないわけではない。季節による違いなのか。縄張り宣言と誘い鳴きのようにキリギリス自身が鳴き声を使い分けているのか。

雨に濡れたアスファルトにクビキリギスのメスが転がっていた。草むらのキリギリスの主役交代だ。クビキリギスが死んでキリギリスになって真夏がおとずれた。写真は道路に貼りついたトカゲの死体。こうして写真にしてみると化石のようだ。


2014.6.29(日)晴れ一時雨 真夏

夏雲

この夏、庭では望外の首尾に恵まれていない。唯一の楽しみはカマキリが多いことだ。今朝は雨の晴れ間ということもあってか昆虫の活動が活発だった。カマキリがカタバミの葉、モッコウバラの葉、クサイチゴの葉で見つかった。いずれもけっこう大きな幼虫である。当初はハラビロカマキリと思っていたがどうやらオオカマキリのようだ。

スミレの葉には小さなゾウムシらしいのとハムシらしい甲虫がいた。ハムシのほうはそれなりに撮影できるサイズだった。記録はしても種の特定は無理だろうとあきらめつつ数カット撮っておいた。その後スイレン鉢の世話をして、シジミチョウやホタルガやクモなんかを撮りつつ庭を巡回してスミレの所に戻ってきて驚いた。撮影したばかりのハムシが赤くて立派なサシガメの餌食になっていたのだ。サシガメは飛んできたものかスミレの葉裏に潜んでいたものか。ちょっとした事件に立ち会った気分だ。

今日も半原1号で境川。日曜の午前中は境川・・・というのがすっかり定着した感がある。久しぶりに天気が良くて日差しが強い。蒸し暑さはあるが、うんざりするほどではない。川に出たところでニイニイゼミを聞いたような気がした。梅雨の晴れ間にニイニイゼミはおかしいことではないが、確信できるほどではなかった。すでに2週間前に清川村でニイニイゼミを聞いた気がしたものの、そちらも確信がもてなかった。ニイニイゼミの遠い声は幻聴っぽいのだ。

遊水地の近くではギンヤンマ。田んぼの上ではウスバキトンボを見る。ウスバキトンボは1匹だけだった。去年の初見も29日である。偶然の一致だ。ウスバキトンボの初見日は、土日しか観察日がなく、日にちまで特定する意味がないのだ。ウスバキトンボが来れば真夏だ。午後には雄大積雲が発達してきた。こいつは一発来るなと撮って置いた。はたして撮影から1時間後には雨になった。ただし雷鳴も稲妻もなくいたっておとなしい雨だ。拍子抜けしてしまった。


2014.7.5(土)雨のちくもり 神経の回路がつながった

ムクゲ

窓から見たムクゲだ。こいつは梅雨のさなかに満開になる。雨がしとしと降ってさてどこへ行こうかと迷う。とりあえず半原1号はリアブレーキの引きが渋いから調整することにした。まずはブレーキ本体を引きの軽いものに変更したものの軽すぎてアウト。ではとケーブルにグリスを塗れば、それでOKだった。

雨合羽を着て境川へ。冷たいと予想していた雨は暖かかった。さすがに梅雨だ。境川はさほど増水している様子がなく水の濁りもゆるい。右岸の田んぼの稲は青々として水がたっぷりあって浮き草がびっしりだ。こんな景色がちょっとうれしい。私も3億年ほど前は魚だったんだなとふと思った。

境川をぐるぐる2時間ばかり走っていると雨が止んできた。背中のポケットに合羽を押し込んで向かい風の中を80rpm走。ギアは40×14T。きれいにペダルを回す練習だ。引き脚は初級者だと無理にこねくり回すような案配になる。膝下に力が入ってかかとが上がってしまう。そしてそんなの無理とあきらめてしまう。私はさすがにけっこう引き脚は使えるようになっており時折よい感触も得ていた。しかし今日はもう一皮むけた感触を得た。

足の親指の付け根からかかとにかけて力がかかることに注意していると、ふと背中がうまく使えていることに気づいた。これまでは腰下ばかりを使う引き脚だった。今日は腰のすぐ上の筋肉が働いている。私の専属マッサーである女房が凝りを指摘する筋肉だ。背中が使えて上半身と下半身が連動して踏み込み引き上げている。下死点を過ぎて上死点に向かう足のイメージがはっきり見える。こうなれば意識して回す練習ができる。神経の接触不良でとぎれとぎれだった回路がついに通じたのだ。

帰路、高速道路の手前の林からニイニイゼミの声が聞こえた。50メートルほど離れていてかすかな声ではあるが幻聴でも風音でもない。念のために近づいてニイニイゼミが1頭鳴いていることを確かめた。


2014.7.9(水)雨 不注意

 ジョロウグモ

庭にジョロウグモが巣をはっていた。おそらくメスだろう。毎年、ジョロウグモの進退には注意を払っている。幼虫が目につくような立派な巣を張り始めるのは梅雨時だ。今頃になれば毎朝ジョロウグモを探し回っている。それでも巣を見落としてしまっていた。たまたま今朝はいい案配の雨が降って糸に水滴がついていたから巣が目に止まった。よくよく見れば巣には脱皮殻がついている。しばらく前からここに居座っていたにちがいない。

田んぼ水槽にはまだ名を知らぬ水草が芽吹いている。こいつの存在はうすうす感じていたものの注意して見る気になれないでいた。田んぼ水槽を見て見ぬふりをする日がつづいていたのだ。というのは、藍藻のような形状の藻が発生したことと水がいつまでたっても澄まないことで失敗の予感をひしひしと感じているからだ。うまく水ができていないのだと気落ちしている。


2014.7.12(土)晴れ 台風一過の半原越

 半原越

台風一過で良く晴れて半原越に行こうと思った。半原1号を準備していると玄関先にツマグロヒョウモン♀がやってきた。道路脇の草をしきりに気にする様子で飛んでいる。産卵場所を探しているようだ。

走り出せば調子が悪い。このところずっと自転車に楽しく乗れるような体調にならない。朝目が覚めたときにひどく疲れているという案配だ。それはどうしようもないことで、ひとまずあいすまんじゅうなんぞを食っていつもの棚田脇で一休み。今年も例年通りのタイミングで中干しが行われている。田は乾き水の生き物の動きが見られない。そのかわり梅雨のさなかに羽化してくるミヤマアカネが多数稲に止まっている。見渡せば100匹以上もいる。今年は特に多いように思う。上にはウスバキトンボが1匹。今年は飛来が遅い感じだ。台風一過で一気に増えるだろうか。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間15'02"5'02"+4213.816272158
区間210'42"5'40"+5012.317372168
区間316'22"5'40"+5012.417366164
区間423'22"7'00"+6010.117955172
全 体+20212.017265166

こんなもんだよ、という感じで心拍数もあまり上がらずに半原越の頂上へ。頂上両脇にあるコンクリート壁を覆うコケが美しい(写真)。雨で水分を得て葉を開き緑に輝いている。雨の翌日ならではの光景だ。

水の補給と昼食のために愛川側の沢に下る。沢の周辺にはクモが多い。半原越のジョロウグモは幼虫を見る限りでは多くなりそうだ。キツリフネが咲いている。まだカワトンボが飛び回っている。ニイニイゼミはもう普通に鳴いている。

半原越のネムは花の最盛期らしい。道路にその特徴的な花びらが落ちている。この花はアゲハが好きだ。ネムノキの下に自転車を止めて花を見ていると黒いアゲハがやってきた。クロアゲハ、モンキアゲハ、カラスアゲハ。いずれも大きく立派だ。黒いアゲハの三役そろい踏みだった。


2014.7.13(日)くもり一時雨 境川の夏草

 カラムシ

今にも降り出しそうな天気で自転車の準備をしていると「今日は自転車日和だね」と女房の声。30年いっしょに暮らしてきただけによくわかっている。おそらく雨も来るだろう。冷たい雨だといけないので簡易雨具を背中のポケットに入れた。

境川に出るとけっこう強い南風が吹いている。海風ではなく傾度風だ。低気圧か梅雨前線が西にあるのだろう。8月の草刈りを前に境川の両脇は雑草天国だ。境川サイクリングロードには無粋な白い鉄パイプフェンスが延々と続いている。その無様を草が覆い尽くして気分がいい。

写真はカラムシ。背丈があって葉が広い。カラムシとして一級品の部類だ。強い南風に吹かれていっせいに銀色の葉裏を見せるようすが面白くて撮った。

カラムシは昔からひいきにしている雑草だ。50年ほど前の八幡浜ではカラムシが大ブレークで、夏になると道ばたはカラムシだらけだった。その葉にはラミーカミキリやフクラスズメがついた。いずれも派手でよく目立つ虫だ。境川のカラムシにはフクラスズメを見たことがない。半原越ではわりと普通の毛虫である。境川にはなにか不都合があって生息できないのだろう。住宅地で夜明かりが多いせいかもしれないと思った。

 オオマツヨイグサ

オオマツヨイグサが境川周辺で花の最盛期を迎えている。写真は境川サイクリングロードの脇にある小さな果樹畑を囲むオオマツヨイグサの群落だ。どうみても不自然な状況である。単に草刈りをさぼっているだけではオオマツヨイグサ天国にはならないだろう。きっとその畑のオーナーがオオマツヨイグサを好きなのだ。

マツヨイグサもカラムシと同じく50年前にブレークしていた。荒れ地に強いのだろうか千丈川の河原にも多かった。毎日川で遊んでとっぷり暗くなるころ川原にマツヨイグサの黄色い花が点々と開く。開花のスピードは速く肉眼でも花びらの動きがわかる。あのときが暗くなって咲く花があることを知った最初かもしれない。マツヨイグサに見とれていると川を隔てた向かいの山にあかりが3つ4つちかちかとともる。末広の集落に続く坂道の街灯だ。暗くなるとともるハイテク蛍光灯だった。街灯とマツヨイグサがシンクロしているようにみえて面白かった。


2014.7.15(火)晴れ ちょっとうれしい田んぼ水槽

 水草

写真は今朝の田んぼ水槽の様子である。なかなか水が澄まず濃い緑のもわもわしたやつまで発生して、今年はもうだめかとあきらめかけていた。緑のもわもわしたやつがかつて手こずった藍藻なら、速やかに水槽を覆い尽くして嫌な臭いを放ってくるだろうと予想できたのだ。

ところが、緑のもわもわは爆発的に増える様子がない。数こそ多いものの小さく丸いままである。見ようによってはミニマリモといえるぐらい愛嬌がある。刺激臭もない。この写真は、オリンパスのE-30と50mmマクロという手ぶれ補正がきいてF2まで開放できる優秀なセットで水面から撮った。偏光フィルターなしでここまで写っているということは水は悪くないのだろう。今年新参の水草はオオトリゲモであろうか。

庭は真夏になってすっかり落ち着いた風情だ。これから咲く雑草は地味なものが多い。変化に乏しい中で、オオアレチノギクかヒメムカシヨモギかの葉によくわからない微小な昆虫が見つかったりする。老眼にはゴミともみえた。試しに触れてみても逃げる様子がない。ゴミかもしれないが・・・と念のために撮影して確認すれば確かに虫である。一見してグンバイと思えた特徴的な姿だ。名前はまだわからない。


2014.7.16(水)晴れ アワダチソウグンバイ

 アワダチソウグンバイ

昨日の虫はアワダチソウグンバイらしい。やはりグンバイの一種だった。手持ちの図鑑で見つからなかったのは日本には新参者であることが原因のようだ。15年前ぐらいにはじめてセイタカアワダチソウで見つかった。いまは害虫としてちょっと知られた存在で、ヒマワリやキクを食害しているという。私の所にいるヤツもキク科植物(たぶん)にたかっている。

今日の写真は自慢のスーパーマクロで撮りなおしたものだ。立派な翅があり敏捷に飛んで逃げそうなものだが、カメラをどれだけ近づけてもその場から動かなかった。口吻を葉に突き刺して汁を吸っているせいで急な動きが苦手なのかもしれない。

また、虫の後ろに点々と黒斑が見受けられる。これは写真を見てはじめて気づいた。黒斑はおそらく口吻を刺して汁を吸ったところが異常をきたしたせいだろう。微小な虫であり吸う汁の分量はたいしたことないだろうに、これでは植物へのダメージが大きい。害虫として悪名を馳せるのもいたしかたない。


2014.7.19(土)雨 もう迷わない?

朝からしとしと雨が降っている。豪雨でなければさあ半原越だ。7月らしく気温は高い。ならば雨合羽は不要だ。冬用の長袖ジャージと短パン+オイルで十分だ。走り出してみれば思いのほか暑い。もう少し濡れないとつらいなと思う。念のためにともってきたチョッキ型のウインドブレーカーは必要ない。

座間でいきなりミンミンゼミを聞く。昨日渋谷の街路樹でミンミンゼミを聞いた。ミンミンゼミはもう少し遅いセミのような印象があった。いつもの棚田に到着して田んぼの具合を見ると、まだ中干しを続けており土は乾いてひび割れができている。ミヤマアカネは相変わらず多い。少ないのはウスバキトンボだ。ぐるっと見渡して1匹もいない。とちゅう、荻野川で3匹ほど見ただけだ。今年は飛来が遅れているのだろうか。太平洋高気圧に覆われる日はまだ少なく梅雨らしい空模様が続いているから。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'43"4'43"+2315.178174
区間29'59"5'16"+2613.671190
区間315'13"5'14"+2413.869185
区間421'34"6'21"+2111.465195
全 体+9413.370186

半原越は本日著しい成果があった。全般に回して乗れたのである。ギアは26×16〜19。けっして軽く回したわけではない。境川でやっている向かい風3倍ギアと同じ調子で乗れたのだ。平地と登りを同じように走ることが目標だった。それは原理的にまたは才能的に届かない目標だったかもしれなかった。これまで何度も境川で良い感触を得て半原越でその感触を試してきた。いい感じもあったが正直なところ完璧にはいかなかった。

この夏は背中も使う引き脚の感触を境川で得た。まさにそのやり方で半原越を乗り切った。あとはこのテクニックに磨きをかけることが半原越マスターへの道だ。もう迷うことはなさそうに思う。


2014.7.20(日)晴れ 確信半分

 カニグモ?

日曜の朝は境川。今日はけっこう暑くて風も弱い。そのせいかペダルのかかりがいまいちだ。あえて風の抵抗を受けた方が引き足の掛かりが体感できるのだろうか。引き足はどうにもうまくいかず、田代さやかの踏み込みの練習に終始した。しばらくいい感じをつかんでいたのに一歩後退した気分だ。

境川でもぽつぽつとウスバキトンボが見られるようになってきた。3度ばかりアサギマダラを見た気がした。というのは0.5秒ぐらいしか視界に捕らえられず、アカボシゴマダラではないという確信が持てなかったのだ。一度は翅の白いところがブルーに見えた。あれはアサギマダラだろう。それともアカボシゴマダラも青く見えることがあるのだろうか。まだまだあいつらには惑わされそうだ。

川の両岸にある林でアブラゼミが鳴いていた。今日は確実だ。アブラゼミは先週すでに境川で聞いた気がしていた。あのときはしばらく探索して二度と声が聞かれず確信が持てなくなったのだ。

路面に大きな赤いクモが死んで転がっていた。目立った外傷がなく死んでいるのが奇妙だった。撮っているときは脚の様子が越前ガニっぽいからカニグモだと思っていたのだけれど、帰宅して「ネイチャーガイド日本のクモ」や「原色日本クモ類図鑑」を見ているとぜんぜん確信が持てなくなった。


2014.7.21(月)くもりときどき晴れ一時雨 残念な境川

 アカボシゴマダラ

今日も境川に行った。月曜でも休みなら午前中は境川。昨日は引き足のかかりがイマイチだった。今日は走り出しからフォームに気をつけた。最初の30分ぐらいでいい加減なことをやってるとそのまま一日中いいかげんになってしまうことがある。最初は肝心だ。

写真はいつもの白旗休憩所で撮ったもの。初見で「アサギマダラ!」と思った。しかし2秒後に「やっぱりアカボシゴマダラだな」と心の中で訂正した。それでももしやと近づいて観察しているとチョウはエノキに興味を示しはじめた。木の回りをぐるりぐるりと飛んでときおり葉にタッチしている。こりゃだめだ。エノキに寄るアサギマダラはいない。ただそのおかげでこの写真と葉に止まっている写真が撮れた。いっそ産卵してくれれば卵も撮れたのに。

この個体は表から見ればけっこう黒いのだが、写真では白い部分がけっこう目立つ。裏が白っぽいのだろう。しかもその白が青とか緑とかに色づいて見えることもわかった。こりゃますますだめだ。昨日のも十中八九アカボシゴマダラだ。境川のアカボシゴマダラは飛んでいるところを一瞬だけ見るのがせいぜいだ。こちらは自転車で走っており、チョウは自転車道を飛んで横切る。その姿を目で追えるのは1秒程度。アサギマダラは出会いを期待しているチョウだから誤認が増えそうだ。アカボシゴマダラを日本に放したヤツは速やかに名乗り出て号泣謝罪してほしい。

先週目をつけたオオマツヨイグサの果樹園を見てちょっとがっかりした。その立派な群落から果樹園主人はオオマツヨイグサを選択的に残しているのかもしれないと期待したのだ。しかし今日にはその大半が茶色に変色して枯れている。除草剤を使ったのだ。たかだが200本程度のオオマツヨイグサなんて引き抜いてもたかがしれた作業だろう。それをわざわざ除草剤で駆除したのだ。ということは、単に畑を放置しておいたらオオマツヨイグサが勝手にはびこったとみなすべきだろう。除草のタイミング等の人為がオオマツヨイグサに有利に働くこともあるはずだ。そもそも特定の雑草に思い入れをするヤツなんて滅多にいやしないのだ。

そういうがっかりにあふれた境川であるけれど、自転車はよかった。最初から注意したおかげで踏み込みと引き足のかかりがバランス良くできた。注意してやったのは肩でハンドルを押すこと。その動作を意識することで背中を引き足で使えるようになる。ハンドルを引いて踏み込む動作と連動してやれるようになるともう少しましな自転車乗りになるだろう。


2014.7.26(土)晴れ 盛夏の半原越

 カワトンボ

土曜は半原越だ。ペダリングがけっこうわかってきて登りに精が出る。いつもの棚田はまた水が入っており、水田雑草が元気に伸びている。その草の種名がさっぱりなのが少し残念だ。わが家の水槽にあるのは小さい葉が対生するものだ。よく似たやつで互生するものもある。田んぼのミヤマアカネは真っ赤になってきた。相変わらずウスバキトンボはいやしない。

少し暑いこともあってタイムは狙っても無理だ。狙うつもりもない。盛夏になると半原越の虫が少なくなる。正確には見受けられなくなる。いまちょうどセミがわんわん鳴く直前にあたり、まあ静かだ。ウグイスがホーホケキョとやかましく鳴くのがちょっと面白い。二度目の繁殖期なのだろうか。

路面の虫は少ない。トカゲやアオオサムシがちょっと轢かれているぐらい。めずらしくもヤマカガシを2度見た。いずれも若い個体で、大あわてで道路を横切っていた。花が地味なものばかりになり暑苦しいテンナンショウの実が目を引く。あれは熱帯っぽい。歩いているコクワガタのメスを見つけ、拾って帰ることにした。

暑さにへばって涼しい水飲み場で長く休んだ。今年はジョロウグモが多い。水飲み場にはあっちにもこっちにもいそうな所に全部いる。まさかおるまいがと少しだけ期待していたカワトンボがまだいた(写真)。撮影を試みるも笑っちゃうぐらいピントが来ない。オリンパスのTG-1のオートフォーカスがうまく働かない。トンボで合焦してくれないのだ。どうやらTG-1はカワトンボの半透明の翅を被写体だと思わないらしい。ガラス面がくもって画像がうすぼんやりになっていたことも悪かったのかもしれない。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'55"4'55+3514.416169165
区間210'24"5'29"+3913.017663175
区間315'57"5'33"+4312.917662169
区間422'56"6'59"+5910.418150171
全 体+17612.517460170

登りは26×16Tに固定して区間4では立ちこぎを多用した。走っているときは17Tだと思いこんでいた。16Tと17Tの違いは体感ではわからない。ハーフは重いギア、軽いギアいろいろ試してそれなりの感触を得て3回で切り上げた。


2014.7.27(日)晴れのち雷雨 盛夏の境川

 境川の田

久しぶりにナカガワを引っ張り出して境川。ハンドルバーを交換してから乗っていなかった。その具合をそろそろ確かめたいと思った。走り始めるとずいぶん南風が強かった。いつもなら10時頃だと海風も来てないことが多いのだが今日は最初から南風だった。

肝心のハンドルバーはいい感じだ。古いカンパニョーロのレバーがコンパクトで良い。半原1号につけているシマノ105のレバーは便利ではあるけれど握った感じがでかすぎる。唯一気になったのはステムの高さ。チネリの古いステムはその精度の悪さからかいっぱいまで下げられないという弱点がある。もう1センチほど低い方がいい感じだ。

午後になって南風はますます強く、多摩地方には積乱雲が発達してきた。積乱雲ができるということはすさまじい上昇気流が生まれているということでもあるから、海風に輪をかけて南風が強くなるだろう。積乱雲の吹き上がる姿を観察するのが好きだ。今日は残念ながら空が白く霞み、積乱雲の発達ぐあいも並み程度だった。

帰宅してとりあえずステムをヤスリで削って1センチばかり下げられるようにした。作業が終わる頃雷雨が来た。今日の雲の様子ではたいした降りにはなるまい。


2014.7.30(水)晴れ 食物連鎖の底辺

 アズチグモ

ミズヒキの花で白いクモを見つけたのは24日のことだった。そのクモは庭の真ん中にピンと伸び花をつけているミズヒキに止まっており、真っ白な体はすぐに目に止まった。近づいて見れば何やらアブのようなものを捕まえている。首尾よく獲物にありつけたのだ。クモはアズチグモという種類だと思う。数こそ少ないものの夏から秋にかけてときおり庭で見かける。

その翌日もクモはミズヒキの同じ場所に陣取っていた。これまでの観察から花で待機するタイプのクモたちは同じ場所に執着することがわかっている。このアズチグモはいつまでいるだろうという興味がわいてきた。幸いミズヒキの花ではクモの体はよく目立ち観察も撮影も容易だった。その次の朝も、その次の朝もクモは同じところにいた。しかし、獲物を捕まえている様子は見られなかった。結局、丸5日を経た今朝、クモは姿を消していた。

庭で見かけるクモの種類は季節で変わる。春はササグモだ。その数は極めて多く、ざっと見渡すだけで10頭は見つかった。夏になれば網を張るクモが目についてくる。ジョロウグモを筆頭にギンメッキゴミグモや小型のオニグモ類、ヒメグモなどだ。数年前は通年ジグモが目についたが最近は少なくなってしまった。

ジョロウグモは現在メスを1匹だけ確認している。巣のゴミを見る限り、稼ぎは悪くないようだ。庭には多数のクモを養うに余りあるだけの虫はいない。唯一多いと感じるのはヤブ蚊である。毎朝、虫や草の動向を観察撮影していると10か所以上はくわれてしまう。くわれると痒くてかなわないものの虫を養うための献血だと割り切っている。庭では私が食物連鎖ピラミッドの底辺にいる。


2014.8.2(土)晴れ 静かな峠道

やっぱり土曜日は半原越だ。いつもの棚田についてみると先週と変わらない風景があった。ウスバキトンボが少ない。ミヤマアカネは真っ赤だ。トンボや田んぼの水草を撮ったりしていると、ふとコーラを水の流れで冷やすというアイデアを思いついた。棚田に引かれている水は沢水でそれなりに冷たい。田の脇にある水路にペットボトルを置いとけば冷えるというほどではないけれど、暖まらずにすむ。

自転車のタイムは盛夏ならこんなもんだと慰めるしかない。感覚では21分ぐらいだった。なのに22分を大幅に越えている。そんなことをあせってもしかたないのだ。ペダリングはとてもうまくやっているという自覚がある。いまの走り方が正解という自信はある。それにしても静かな夏だ。半原越ではまだセミのシャワーがない。遠くで鳥が鳴いている他は、耳に入ってくるのはアスファルトに擦れるタイヤの音、チェーンの軋み、自分の呼吸音。静かで涼しい峠道だ。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'44"4'44"+2415.015872171
区間210'22"5'38"+4812.717372170
区間315'53"5'31"+4112.917269168
区間422'35"6'42"+4210.817962182
全 体+15512.717168173

昼食用に水汲み場に立ち寄る。持参の温いコーラを飲み干して水を汲もうと半原1号のフレームを見れば、そこにペットボトルがない。田んぼの水路に置き忘れてきたのだ。水がないといつものハーフはきつい。水汲み場への往復にするしかなかった。


2014.8.3(日)晴れ 毛羽だった積乱雲

 積乱雲

日曜の午前中は境川だ。川は朝から南風が強い。海風が入っているだろうけど、夏の太平洋高気圧と西にある台風の影響が大きいだろう。サイクリングのついでに多摩から丹沢にかけての山岳に発達した入道雲の連続写真を撮っていた。正午頃、空は青く澄んで北の方角には入道雲が何本も立ち上がろうとしていたのだ。写真は午後1時ぐらいに北西の方角を撮ったものだ。

午前中の感じでは入道雲のモクモクはたのもしく、すぐにも積乱雲になると思われた。それが、最大に発達したとみられる状態で写真のようになってしまった。積乱雲のいわゆる金床が乱れ毛羽だっている。予想ではまあるい椎茸みたいな堂々たる積乱雲になるはずだったのだ。

どうしてこんなことになってしまったのか。すさまじい上昇気流が起きているものの水分が少なくて積乱雲になりきれず蒸発してしまった感じだ。高度は3000から5000mにかかっていると推定される。また、高空の毛羽だった雲は南に流れている。傾度風からすれば南風でそれに逆らっていることになる。上昇気流が極めて強く海風も強力になっているということだろうか。


2014.8.4(月)晴れ 日焼け対策に葉

 脚

8月とはいえ日差しは強く日焼けはけっこうこたえる。私の自転車遊びはおよそ半日。境川だと日陰はほとんどない。普段から焼いている部位であれば直射光をあびてもそれほどひどいことにはならない。全然日に当たって来なかった所を数時間も焼いてしまうと後がつらい。

太もも表は自転車で焼けやすい部位だ。ちょうど真上から日が照りつけるかっこうになっているからだ。夏のサイクリングのあとでは熱を持って赤く腫れている。

このレーサーパンツは左のもも表が破れている。冬用として使うつもりだったが、昨日は夏用がなかった。しかたなくこれで出かけたものの、穴の所の肌は無防備だ。ぜんぜん日に慣れていないところだからやけどになるだろう。じつはその失敗を過去にやっている。

日焼け止めなるものを塗るのは軟弱な気がする。ここは一計を案じて道ばたの葉っぱを使うことにした。なんとなくよさそうだったのはイタドリだ。イタドリの若芽は食用になるほど人体と親和性が高いからだ。そもそも葉は直射日光を受け続ける代物だ。それは光合成の必然であるけれど紫外線は障害だろう。葉の表面には紫外線を防ぐ機構を有していると思った。そういう発想からイタドリの葉を一枚しっけいしてパンツに挟んだ。

この調子で真昼に4時間ほどサイクリングして葉の所は完全に日焼けを防止できていた。やっぱり葉はすぐれものらしい。


2014.8.9(土)雨のちくもり ないことの証明

一般に非存在を証明することは不可能である。UFOでやって来る宇宙人でも幽霊でも妖怪でも超能力者でも、そんなものがいないことを証明することはできない。現象がないことを証明することは不可能である。細胞生物学を愚弄する悪鬼の所行とはいえ、とある天才少女の神業でもってできたかもしれないのだ。

しかるに外部検証者たちは早々と研究所を解体すべきとまで言い放った。当の研究所ですら論文の抹消に執着する始末である。ある一個の研究をヒステリックに葬り去ろうとする態度は異常と思わざるをえない。動物の体細胞にかけられた封印を「開けゴマ」の呪文程度で解いて全能性もたせるなんて、もともと突拍子もない発想だ。その操作は難しいに決まっている。100回の追試が失敗しても、それが現象の存在を消し去るものではないことぐらいは皆承知しているはずだ。科学者なのだから。

幽霊一般の存在を否定することは無理でも、特定の目撃証言を否定することはできる。夜の墓場の闇の中で緑に光る幽霊を見たという証言があった場合、昼間にその現場で緑の発光塗料が塗られた枯れ尾花が見つかれば、見間違いの公算が大だ。

それと同じことが研究所で起きたのだろうか。女の子が200回成功したと主張する検体が、すべてインチキ細胞であったことを確信できる場合にのみ現象を全否定できる。検体のアホな取り違え、あるいは悪意あるすり替えが200回も行われたのだろうか。それがあくまで個人的なものであれば、罰せられるのはその個人である。せいぜいがユニットリーダーとか自殺者が譴責処分を受ける程度のものだろう。処分された上でも、常識が覆る現象があるのなら論文を書き直さねばなるまい。何よりも大切なのは科学的事実だ。

インチキばかりの論文を世に出したのは不始末である。科学者として格好悪いことだ。だからといって現象の非存在証明は原理的にできない。不始末の処分として、組織の解体にまで言及するなら、検体のすり替えが組織的なものでなければ筋が通らない。出世競争や派閥の争い、能力に見合わない人材の登用が検体のすり替えの原因となり、無駄な研究と不正論文という形になったのなら、そんな研究機関は解体して出直すべきだろう。


2014.8.9(日)雨 風雨の境川

 アカミミガメ

神奈川県では台風の影響はさほどでもなさそうだ。朝から境川にでた。昨夜のうちに半原1号のハンドルバーをブルホーンに戻した。やっぱりブルホーンの方が気迫がある。ハルヒルはブルホーン不可のレギュレーションということもあって、ドロップバーに変更していた。シマノの105STIを使ってみたいということもあった。

やはり犬走りではブルホーンのほうが決まると思う。体を起こしても両手でしっかりバーを握って押し引きできて力が入るのだ。この辺は慣れとかペダリングスタイルの問題でもあるだろう。

それなりの風雨ではあるが、境川の増水はそれほどでもない。勢いよく流れている濁流は良い見物程度のものでしかない。遊水地の越流堤までまだ1mほどもある。時折強い風とともに大粒の雨が落ちてくる。それだってちょいとしたアクセント程度のものでしかない。命の危険にはほど遠い。

サイクリングロードを歩く亀を見るのは2回目だ。1回目も雨で境川が増水した日だった。そのときはいわゆるゼニガメという幼体だった。今日のは立派な成体である。水を嫌ってコンクリート護岸の急斜面を登り草むらを掻き分けてサイクリングロードまで出てきたのだろう。雨の日には雨の日ならではの見物がある。

帰宅して庭の草を整理した。減水していた田んぼアクアリウムはこの雨で満杯になった。50mm以上降ったことになる。自転車を洗ってパンクを修理した。雨の日はパンクが多くやっかいだ。これはしょうがない。


2014.8.13(水)晴れ 8月のアブラゼミ

今夜は今季はじめてアオマツムシを聞いた。カネタタキは秋分の日に合わせるかのようにほうぼうの庭木で一斉に鳴き始めている。庭ではコオロギが鳴きはじめた。一番ポピュラーなやつだ。ツヅレサセコオロギだろうか。先の日曜には境川の草むらでエンマコオロギを聞いた気がした。台風の風雨が強いこともあって、ちゃんと聞いた自信はない。鳴き声がしたところに引き返し、自転車を止めてしばらく待ったが声はなかっのだ。コオロギにしてもセミにしても初鳴きはいつも不確かなもんだ。

すでに夜明けはひんやりとして、秋の空気につつまれてしまった感がある。この夏はあまり暑い日がなかったようだ。それはいくぶんかアブラゼミのせいかもしれない。8月になってもアブラゼミの少ない年だ。

アブラゼミのあのジリジリというコーラスは暑さを増幅させる。この十数年はずっとそうだった。アブラゼミには個体数の変動がないばかりか年を追って増えているような気もしていた。

アブラゼミにも個体数の変動があるのだろうか。今年は例年になくアブラゼミの存在感が希薄だ。とりわけ夜間のコーラスが全くない。私は近年の都市でのアブラゼミの夜鳴きの主原因を生息密度のせいだと考えている。数が少なそうなこの夏に夜鳴きを聞かないのは、その仮説を保証してくれているようで少しうれしい。

ところで私の庭もアブラゼミの発生地である。セミでは唯一アブラゼミが庭で発生する。例年、3つほどのアブラゼミ抜け殻が見つかる。発生木はムクゲであろう。抜け殻の場所からするとナツツバキにも食いついているかもしれない。

中央林間でも渋谷でも清川村でも境川でもアブラゼミが少ないと感じているこの夏であるけれど、どういうわけか庭での発生は多い。すでに5つの抜け殻をみている。毎朝、庭にでて虫の生息状況を調べていると、アブラゼミのオスがムクゲやナツツバキの木にいて、ぎゃぎゃぎゃというあの耳障りな鳴き声と共に飛んで逃げる。飛ぶのが下手で、そのへんの下草にからまったりしている。体が温まっていない朝だからだろうか。去年まではそうした騒ぎは少なかったように記憶している。

今年は庭だけが異常発生なのだろうか? それともこれから9月になって南関東は本格的なアブラゼミのシーズンを迎えるのだろうか。数が少ないばかりでなく初鳴きも遅かった今年である。この先どうなるかが楽しみだ。


2014.8.15(金)晴れ ツユムシのアブラムシ

 ツユクサアブラムシ1

写真はツユクサにたかるアブラムシである。アブラムシというのはかなり色鮮やかで色バリエーションも豊富である。この写真のアブラムシは青から緑までの個体がいる。なかなか素敵な色合いだ。ツユクサの花は青く葉は緑だ。そのせいでアブラムシも青いのだろうか。なんとなく黄色い花に黄色いアブラムシがたかっていたような記憶もある。

そんなアブラムシにたかるのはおそらくトビイロケアリ。アブラムシの出す甘露を物色しているのだろう。そういう二者の蜜月に割り込むやつがいる。ツユクサの茎に隠れている茶色いウジ虫。おそらくアブだ。こいつはアブラムシを食べているにちがいない。

一般に、アリはアブラムシを守るようにその天敵を追い払うことになっており、事実そういうシーンはよく目にする。このウジ虫が攻撃されないのはちょっと奇妙だ。なんらかのカモフラージュをしているのだろう。それぐらいはしなければアブは生きていかれないだろう。

アブラムシは愛嬌のある虫で、動かず逃げず撮りやすい。ただし、かなり拡大して撮らないととその良さがさっぱりわからない。この写真はオリンパスの等倍までのマクロレンズで撮った。写真としての迫力はない。

 ツユクサアブラムシ2

そこで今朝はオリンパスのTG-1に魚露目8号をつけてツユクサのアブラムシを撮ってみた。小さな虫だとTG-1に魚露目というこのセットで迫力のあるカットが仕上がってくることがあるからだ。残念ながらピント的に難しかった。TG-1に魚露目でも幅の広い被写体であれば割とスピーディにピントが来る。ツユクサの茎程度だと背景にピントがいってしまう場合が多い。ヤブ蚊にたかられながら、老眼に鞭をくれて液晶のピントを見ながら撮影するのは苦行である。

 ヤマトシジミ

こちらはアブラムシのついでに撮ったヤマトシジミ。草むらの中に潜って休憩中。こっそり1cmぐらいまでレンズを近づけて撮った。こういう被写体、シーンならTG-1に魚露目の右にでるものは(今の私の手持ちでは)ない。新型のTG-3だとスーパーな接写のモードでもズームがきいたりするのでもっと簡単なのかもしれない。安価で高機能なTG-3はいまや虫撮り必携のカメラになりつつあるみたいだ。


2014.8.16(土)晴れのちくもり あわててステム交換

 ヤママユガ

実際こういう日は恐怖である。暑いことは暑い。体調がすぐれないということもある。この1か月ほどは自転車に乗ってもラケットを振ってもダメダメである。それにしても半原越で26分オーバーというのは…クサイチゴをつまみ食いしたとき以来か。今日はわざと遅く走ったわけではないのだ。


ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間15'17"5'17"+5713.716576155
区間211'20"6'03"+7312.117667158
区間317'47"6'27"+9711.517163143
区間426'08"8'21"+1418.917349143
全 体+36811.317262149

何が恐怖かといって、衰えは恐い。いずれ私は自転車に乗れなくなる日が来る。ヒトがもれなく死ぬように、私が半原越を走れなくなる日が来るのだ。それがさだめだからといってなぐさめになるものではない。もしかしたら今日がそのはじまりなのか? と恐怖せざるをえないのだ。そういえば今日は半原1号のハンドルをブルホーンに戻していたのだった。そのせいで遅いわけでは絶対にない。けれどもハンドルの高さがあってないような気がする。

それはさておき、写真は清川村のコンビニに来ていたヤママユガ。最大級と思われるオスだ。しかも体がかなり赤い。いままでに見たことがないような立派なオスだ。これを見られただけでも来て良かったというものだ。ヤママユガが明かりに寄ったりエンマコオロギの声を聞いたり、夏が確実に終わっていく。

帰宅して風呂にも入らず大あわてでハンドルステムの交換。半原越で記録的に遅かったのはハンドルのせいではないことは重々承知しているのだけれど、やらないではおれなかった。


2014.8.17(日)くもりのち晴れ オニヤンマに苦闘

 オニヤンマ

オリンパスのTG-1はサイクリングに必携の万能カメラだ。しかし万能だけに写せないシーンもある。左の写真はきのう半原越の水飲み場で撮ったオニヤンマだ。

水汲みに立ち寄ったところ1頭が流れで産卵をはじめた。その流れは水汲み場の排水として人工的に掘られた溝だ。水深は3〜5センチ、幅は50センチぐらいだ。オニヤンマはその程度の細流で産卵する。林道の側溝なんかでもよく見かける光景だ。

たまたま見かけた動植物をスナップしたい私としては、オニヤンマの産卵なんて望外の大チャンスである。排水路はちょうど駐車スペースを横切るようになっており撮影は簡単だ。オニヤンマは産卵に熱中すると人の接近を気にしない。縞模様の腹先を水底に突き刺すような案配で産卵を続ける。

ただし手持ちのカメラはオリンパスのTG-1。このカメラで同じ場所でカワトンボを撮ったとき、笑っちゃうぐらいピントが来なかった。TG-1はトンボを被写体として認識できないらしいのだ。それでも上の写真のようにちょっと離れて、トンボと同じぐらいの距離の所をセンターにしてシャッター半押しでピントをとってから、構図を決めなおしてシャッターを切ればなんとかなる。ただしこれではせっかくのオニヤンマの迫力がない。

 オニヤンマ

逃げないヤンマが足元にいるのだから接近して画面いっぱいに写したい。左の写真は真上から撮ったものだ。オートフォーカスしかないTG-1ではこうしたシーンでは背景の水面にピントがあってしまう。オニヤンマが叩いた水面に丸い波紋ができているのは収穫ではあるが、この写真で写したかったのはそこではない。

 オニヤンマ

それなら、というわけでトンボに合わせるようにカメラを上下運動をさせて撮ったのが左の写真。たまたまピントがトンボの胸に来ている。しかし激しく手ぶれしている。カメラを振りながら撮ってるのだから当然だ。手ぶれを防止するようにシャッタースピードを上げるとかなんとかしようとしても簡単にはいかない。TG-1はマニュアルとか絞り優先とか、そういう工夫を排除してあるカメラなのだ。おまけに老眼で液晶がちゃんと見えない。撮影はつねに山勘で、その場では撮った写真の確認すらままならない。

風景も接写もいけて水中もOKという万能カメラTG-1だって、数少ない例外として撮れないものがある。こういう場合も想定して練習しておけばもっとましになるんだろうか。いずれにしてもオニヤンマの産卵なら、一眼レフにまさるものはない。一眼レフでうまくいかなければ腕ということになるから。


2014.8.18(月)晴れ アブラムシを食う虫

 アブラムシ

金曜から気にし始めているツユクサアブラムシ。エメラルドのようなその体もいいけれど、いま注目しているのは写真の虫。アブの幼虫だろうか。体が固そうでクサカゲロウのようにも見える。正体はちょっと不明だ。

ただ、この虫はアブラムシを補食することに間違いはない。今朝は写真のようにアブラムシに食いつくシーンを目撃した。アリはこいつにも多少はまとわりつく。むろん攻撃するのではない。ちょうどアブラムシを扱うように振る舞っているのだ。やはりこいつはアブラムシに化学擬態しつつアリを手なずけ、アブラムシをむさぼり食っているのだろう。アリに擬態するという線もないではないけれど、アリの種類がいろいろあることを思えば、アブラムシに擬態するほうが合理的だと思われる。


2014.8.23(土)くもり一時雨のち晴れ 目標を小さくする

西の空は真っ黒で雨の気配は濃厚だ。だがまだ8月、雨合羽は不要だと決めて半原越。走り出してみれば丹沢の高いところは水分たっぷりの雲に覆われている。半原越で雨は避けられまいが、それほど冷たくはあるまい。先週の惨敗があり少しは攻めてみないといかんだろうという思いがある。幸い気温が低い。好条件はそろっている。体調だけがずっとイマイチ感がある。とりわけこの数か月は五十肩をやっちまってる。自転車に乗るには痛みを感じることがないものの、上半身がゆがんでいるような嫌な感じはぬぐえない。

清川村に入ると雨になった。思ったよりも強く降る。風も強い。こりゃ合羽が必要だったかと軽く後悔した。例の棚田はすでに出穂して花が終わっている。また中干しだ。今年はやっぱりセミが少ないと思う。特にアブラゼミだ。それにウスバキトンボの数も近年ないほど少ない。夏の終わりには気象条件での数の変動は小さいだろうと思っていた。地元で発生している個体ばかりのはずだから。それとも、風のぐあいによって南からの供給が止まったり北に流れていったりして数が増えないこともあるのだろうか。いずれにしてもこの夏は数が少ない。謎の多いトンボだ。

先週にハンドルステムを交換して2センチ高く1センチ遠くしてみた。その感じは悪くないと思う。雨だってタイムに影響するほどではない。風もやや追い風のようだ。心拍数はすぐに180bpmを越えた。走っている感じでは21分ほどでいけそうだった。ところが、区間4のタイムを見て少なからず落胆した。6分48秒は自分の感覚よりも15秒ほどオーバーしているのだ。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'26"4'26"-716.116873188
区間29'40"5'14"+1013.818070181
区間314'53"5'13"+813.818067179
区間421'41"6'48"+3010.718152183
全 体+4113.317864182

やはり20分では走れない体になっているのかもしれない。それもしかたないだろう。感覚と時計がずれているからには現実を受け止めなければならない。今日から目標タイムを5%大きくすることにした。このところ目標タイムオーバーの値が大きすぎて嫌気がさしているから。


2014.8.24(日)晴れ 楽しい境川

 湧水

じつは今朝は境川にでかけるにあたってTG-1を携帯することをためらった。とくに撮影するような対象が思い当たらなかったからだ。いざとなれば水中カメラにもなる携帯電話がある。今日はハンドル、サドルの調整をするのが主目的で、サドルの下に取り付けるカメラ入れを調整のたびに取り外すのは面倒だと思ったのだ。ためらったけれども後悔先に立たずということもあろうから、いつも通り赤バックをサドルに結んでTG-1を携帯することにした。

写真は境川遊水地公園にある湧水だ。青く澄んだ水がいい勢いで吹き出している。この場所はもう何年も立ち入り禁止になっている。整備を続けているのだが、何かを完成させるよりも作り続けることのほうに意義を見いだしているのだろうと想像している。神奈川県の思惑は置くとして、肝心の泉に近づけないのは残念だ。そのかわり、お手軽に鷺舞橋から泉を見下ろすことができる。

泉のそばに沈んでいるのはおそらくオオカワヂシャだろう。そのほかにもいくつか水草がある。また、この泉のそばは止水になっており小魚が群れる。境川では貴重な小魚鑑賞ポイントなのだ。今日はやけに賑やかで放流鯉が堆積した泥をほじくって物色していた。そのそばを大きなナマズが泳いでいった。ナマズなんてまず目につくものではない。ナマズの生息は管理事務所の情報で知っていたけど、見るのははじめてだ。亀も多かった。アカミミガメがカルガモのペアのそばにぷかんと浮かんだりしている。イシガメかクサガメっぽいのも沈んでいた。本当にそうだったら幸運だ。イシガメやクサガメは絶滅危惧種であり橋の上から見かけた程度でいたとはいえない。

ちょっといいものが見られてよかったな〜と走り出すと、サイクリングロードに人だかりができていた。大きなヘビがカエルを捕らえていたのだ。獲物が大きくて飲めるかどうか難しいところだ。アスファルトの上でそんな格闘が起きているもんだから見物人が集まる。ヘビもカエルも難儀なこったと通りすぎ、ふと思い直してUターンした。

一瞥して蛙の方はヒキガエルだと思ったのだが、ウシガエルの可能性もある。こいつはちゃんと確かめておかねばなるまい。引き返してみればやっぱりヒキガエルだ。右後ろ足は口の中にあるけれどカエルの腹は大きい。80センチクラスのヤマカガシといえど簡単には飲めない。

野次馬のなかで一番熱心だったのが3人の母子だ。おかあさんが良くできた人だった。愚にもつかぬ感想評価は言わない。この先ヘビがカエルを飲めるかという興味だけで子どもたちに観察を続けさせている。彼女の心配事はもっぱらヘビが自転車にひかれないかどうかだ。動植物に接する正しい態度だと思う。

やっぱりTG-1を持ってよかった。ナマズも亀もカルガモもヘビもカエルも撮れた。魚類、鳥類、爬虫類、両生類。大物ずらりのめったにない大漁だ。湧水に立ち寄ったのはせっかくカメラを持ってきたので…というスケベ根性からだった。おまけに夕方、ベルタの録画をみていると小さな地震まで起きた。真っ昼間からナマズが浅いところをうろうろしていたのはこれか!と憶測することができる。ナマズを見ていなければただの地震でしかない。かなりの儲けものだ。


2014.8.30(土)くもりときどき晴れ 涼しい半原越

涼しくなるとやっぱり力を入れて走りたくなる。半原越はくもりでほぼ無風、気温は23℃ぐらいだろうか。まさに絶好のコンディションである。半原1号だって絶好調。ダメなのはエンジンである私だけである。

今日は26×16Tから入った。区間1はそれぐらいのギアがよいだろう。ただし区間2、区間3も16Tで押した。ときどき重めのギアで走りたいという逆行現象が心に中に起きるのだ。3.5kmぐらいまではそれでもいい感じで行けないこともないけれど、区間4に入って多少きつい斜度のところで反動が一気に来て踏めなくなる。そうなればトライアルは終わりだ。区間4は19Tに落としたけれど、体は戻ってこなかった。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'28"4'28"-515.916877183
区間29'35"5'07"+314.018168194
区間314'42"5'07"+214.118168199
区間421'36"6'54"+3610.418060173
全 体+3613.317864183

ハーフは5回。やっぱり涼しいのはありがたい。元気があまる。ただし、ハーフでは重いギアは使わない。やっとものになってきた犬走りで上手なペダリングの練習に終始した。半原1号のブルホーン仕様は絶妙だ。


2014.8.31(日)くもりのち晴れ クロロード

 黒ロード

写真の自転車の名前はまだない。つきあいはもう20年になる。購入はたしか札幌に住んでいたときだ。フレームだけ通販で買った。パナソニックの廉価版で金額は4万円ぐらいだったと思う。パーツを適当に組み付けた。なぜか東京世田谷の自転車屋で防犯登録をしてもらっている。その経緯は忘れてしまった。覚えているのは持ち込みの登録は本当は違法ということだ。持ち込みは盗品という恐れもあるから。

札幌では夏場の通勤に使っていた。片道10kmあまりの豊平川サイクリングロードを利用した通勤はじつに快適だった。夏の夜に打ち上げ花火の攻撃を受ける以外は。

そして川崎に引っ越して、東京の職場まで距離があり自転車通勤はあきらめた。ロードはほかに2台あり場所ふさぎだった。そこで、この自転車は八幡浜に置いて年に1回ぐらいの頻度で夜昼峠や郷峠、佐田岬半島、北伊予の一丁池など八幡浜周辺の名所巡りをしていた。

メンテナンスはぜんぜんやらず、しだいに快適に走れない状態になってきた。スポークが切れてリムが振れる。ブレーキが良くきかない。クランクが一周ごとにカクカク鳴る。いくら油をさしてもチェーンはシャリシャリうるさい。かといって捨てるにはしのびなく、八幡浜にはカーボンの半原2号を運んで、こいつを持ってきたのが今年の冬だ。

大改造をして、フレーム以外に残ったパーツはシフトレバーだけだった。いい感じに走れるようになったものの、手元には半原1号、ナカガワ、チネリがある。こっちに置いても登場の機会がない。もっぱら室内で固定ローラー用自転車になった。という次第であるけれど、こいつはけっして悪い自転車ではない。弱点は半原1号より3kgほど重いということだけだ。ハブやフリーには高級品を使っておりよく転がる。今日みたいに境川を100kmほど走るぶんにはなんのデメリットも感じない。


2014.9.4(木)晴れ ヒトスジシマカ

 ヒトスジシマカ

私はヒトスジシマカとたいへん親しい人間である。東京のサラリーマンでありながら、毎朝10匹に献血している者は珍しいであろう。

そのヒトスジシマカがこの秋大ブレークしそうだった。連日テレビでその姿が放送されていたのだ。それなのに認知度は極めて低かった。虫のことにぜんぜん興味のなさそうな娘さんにたずねると、おおむね「ヒトスジシマカ? 何それ? あ、あの代々木公園のデング熱の・・・」程度の反応しか返ってこないのだ。

これでは少しまずいと思う。田舎とちがって東京にはデングウイルスを持つ人がたくさんいるだろう。これからも、毎夏そうしたウイルスがヒトスジシマカによってまきちらされるはずだ。その社会状況だと他力本願ではだめだ。代々木公園や明治神宮への殺虫剤の散布は都のプロバガンダでしかない。薬剤で蚊の撲滅を目指すなら周辺住民に被害が及ぶぐらいでないと。

自分の身は自分で守るのがてっとりばやい。デング熱予防のためにはヒトスジシマカのことをよく知ることが一番だ。デング熱を発症した人が蚊にくわれた場所さえわかれば、一夏その汚染地域のヒトスジシマカにくわれないだけでデング熱の蔓延は防げるのだから。

私はヒトスジシマカの攻撃力はたいへん小さいと思っている。庭にはおびただしい数のヒトスジシマカが生息している。しかし屋内にはほとんど入ってこない。庭に面した2階にある私の書斎は窓を開放している。網戸もない。この住宅地には明かりに来る虫は皆無だから網戸はもうけないのだ。その窓からほんの5m先に群れるヒトスジシマカが入ってくることはめったにない。また、私は代々木公園に隣接する会社に通っているが、蚊に刺されたことは皆無である。通常の勤務で蚊にやられることはない。

さらに、ヒトスジシマカの発生場所はけっこう特異らしい。私はサイクリングで田んぼ脇と渓流の木陰で休憩をとるが、そこでヒトスジシマカにやられたことはない。この10年ほどで血を吸われたのはヒルやアブくらいだ。子どものときなら墓地や豚小屋に近づいたときは日中であってもヒトスジシマカにやられた記憶がある。私の庭にはいかにも蚊がわきそうな水たまりがある。春にたんぼの土をもらってきて水道水を入れて放置している田んぼアクアリウムだ。それが蚊の発生源にならない。水が合わず蚊が産卵しないようなのだ。かなり富栄養で腐敗気味の水でなければダメなのだろうか。そっちの溜まり水ならこの住宅地には無限にある。

毎朝庭に出るたびわんさか寄ってくるヒトスジシマカは正直うざい。ただいちいち蚊の相手をしていると庭での観察と撮影の障害になる。ヒトスジシマカだって庭のクモやカマキリの餌食であろうから献血してやろうと開き直ればいいだけのことだ。やつらが無害であることは身をもって証明している。庭にヒトスジシマカが来ないように餌場である樹木、雑草を注意深く排除したり、殺虫剤をまいたりするのはばからしい。服を着たり防虫剤を使うのは手間だ。まもなくクロナガアリが地上活動をはじめるだろう。初冬までは献血を続けることになる。


2014.9.5(金)くもりのち晴れ 復活!

 オオミノガ

自転車のコンピュータを操作するために、近所の生け垣のところに自転車を止めた。なにげに植木を見て驚いた。写真のミノムシがたくさんついていたからだ。どうやらオオミノガっぽい。写真のものはバラか何かを食べているところだった。その回りを調べてみれば、ミノムシの数が多いのはみかんの木だ。どうやら発生源はみかんらしい。

オオミノガは2001年頃に日本各地から激減が報告されていた。当時は絶滅まで懸念されていたほどだ。私も近所での発見に苦労した覚えがある。その後、この辺では順調に回復しているようでサイクリングの途中でもぽつぽつと見つかるようになっていた。それでも数は多いとはいえなかった。

今日見つかったのはざっと20匹ほどだ。密集しているから、まとまった卵から成長してきたものだろう。すでに最大サイズのようで、幼虫は分散する習性がないと見ていい。さて、これらのオオミノガ幼虫は寄生バエの攻撃をまぬかれているのだろうか。駆除されなければ経過観察が可能だ。見極められるといいな。

 オオヒメグモ

復活といえば、こちらも今日ちょっと驚かされた。玄関に巣を張っているオオヒメグモであるが、この巣は先月の22日から空き巣だったものだ。先月はじめの2日、この巣のクモは卵を産んだ。その卵は順調にそだち16日に孵った。立て続けに2個目の卵を産んだものの親グモは行方不明になっていたのだった。18日のことである。

程なくして1個目の用済みになった卵袋は巣から脱落した。一方、2個目の卵は孵った感じがないまま巣にかかっている。それが今日になってクモが卵袋を守るように巣にいるのだ。その姿になんら不自然さがない。私の卵なんだから守って当然よ、という風情だ。

この復活劇を素直に受け入れていいとは思えない。オオヒメグモのメスが卵を産んで、その子たちが孵り巣立ちをしていけば母親は用無しだろう。普通なら静かに命を落とすところだ。それが行方不明から2週間を経て元の位置に復活するなんてありえるだろうか。巣の近くにいたのをたまたま私が見落としていただけだろうか。2つのクモの模様を比較するなら前のやつとは別個体に見える。オオヒメグモでは縁もゆかりもない別個体が他人の巣を利用するなんてことが起きるのだろうか。あるいはメスを探し歩くオスがたまたま来ているとか。母親の復帰という線以外の状況を推理せざるをえないのだ。


2014.9.7(日)雨のちくもり 拾ってきたドングリ

 ドングリ

写真は拾ってきたドングリである。左はコナラだと思う。右はクヌギかアベマキ。コナラは半原越で拾った。クヌギはコナラ拾いのついでに清川村で拾ってきた。

今年の半原越にはコナラのドングリがやたらと落ちている。ドングリは数枚の青い葉もろとも落ちていてよく目立つ。何者かが枝を切って落としたものだ。毎年、この季節の道路にはぽつぽつとこの落とし物が見つかるが、今年はたいへん多い。ある場所ではアスファルトに敷きつめるというぐらいの量になっている。

これはチョッキリと呼ばれる甲虫の仕業のはずだ。ドングリに穴を開けて産卵し枝を切って落とすのだ。産卵まではわかるけれど、なんで枝を切り落とすのかはちょっとわからない。

半原越を走っていると道路ばっかり見ている。虫の死体ばかりではなくこういう落とし物も目につく。どんな虫が出てくるものか手元に置いて確かめようと拾ってきたのだ。よくこういうことをやるけれど、注意しなければならない。せっかくの試料のことを忘れてしまうことが多い。オトシブミだって半原越からけっこう拾ってきた。その全てが失敗している。気づいたときはいつもひからびていて、肝心の虫を見ていないというていたらくであった。


2014.9.9(月)くもりときどき雨 スルーしていた

今朝、玄関のオオヒメグモの巣を見れば、ダンゴムシがひっかかって宙ぶらりんになっている。それにクモが食いついているように見えてギクッとした。クモの巣に虫がかかるのは当然だ。クモはそのために巣を張っている。それを見落としていたことに気づいてギクッとしたのだ。

玄関に小さなクモが巣を作っていることに気づいたのはずいぶん前のことだ。濡れたサイクリングジューズを立てかけて干すのにちょうどよいところに巣があるからだ。巣は邪魔であるけれど、せっかくクモが作ったものだからと撤去せずに用心して靴を立てかけていたのだ。そうしたことを数年間続けてきた。どうやらそこはクモの営巣に適していると見え、代々利用されていたのである。

その巣をちゃんと意識したのは先月の16日のことだ。ハサミムシがひっかかっていることに気づいたからだ。ハサミムシは私の好きな虫である。庭では希少で、増えてほしいと願っている。どうしてそんな発想になってしまったのか、そのとき私は正常な捕食行動によってハサミムシが命を落としたのだとは思わなかった。なにかのはずみでクモが張った巣にかかったハサミムシの事故死だとかんちがいしたのだ。クモの名前だけは、至極普通種のオオヒメグモらしいとすぐに判明した。

その後、同じ場所にダンゴムシがひっかかっているのを目撃した。不幸な事故は続くものだ、などとうかつな感想を持って眺めていた。ハサミムシの死体はクモが撤去したのか自然に落下したのか、巣の下に転がったままだった。

そして今朝になって巣にかかった新たなダンゴムシにクモが食らいついていることでようやく捕食ということに思い至ったのである。 ひとまずネットで調べてみれば、私の目撃した状況はまさしくオオヒメグモの捕食で間違いないようだ。オオヒメグモは玄関の角など地面すれすれに巣を張り、粘球は地面に接する糸につけるのだという。その粘球の場所は地面を歩く虫の高さにあり、ハサミムシやダンゴムシがくっつきやすくなっている。しかも地面と接する部分はきれやすくなっており、虫がくっついて暴れると糸が切れて宙ぶらりんになるという寸法だ。

その記述を読んですごいと思った。もし人間がそれをやっているのなら、すばらしい発想と技術力だと思う。クモとしても、そのやりかたが可能ならば、採用しない手はない。

私は知識としては、クモが糸を使ってヒトの着想を超える偉業をやっていることを知っている。それなのに玄関の足元にあるちょっとした邪魔ものがその一結晶であることに思い至らなかった。歩く虫をひっとらえて宙吊りにしてさりげなく食ってしまう、なんていうことを着想できなかったのだ。オオヒメグモの巣のしかけについて、自分で気づいていたならどれだけうれしかったろうと想像するとちょっと残念。


2014.9.12(金)晴れのちくもり 不吉な影

 雲

写真は8月30日の午後に、中津川にかかる橋で撮ったものだ。カメラの方向は東を向いている。画面の中心に写っている黒い影が不吉感を漂わせているのが面白くて撮った。この日は朝には天気が良く涼しい日だった。午後から雲が広がりはじめ写真を撮った時点ではほぼ全天を層積雲が覆っていた。

暗い影ができたのはおそらく飛行機雲のためだろうと思う。写真の雲と太陽の間、上空3000mぐらいに短い飛行機雲があり、その影が2000mぐらいに広がっている雲に落ちたのだろう。

こういうものでも、けっこう不吉感がある。昼間からナマズが浅いところを泳いでいたり、いろいろ気がかりなものも見ているのでこうした通常の気象現象も色眼鏡で見てしまった。


2014.9.13(土)晴れ 秋をむかえた半原越

 ヒガンバナ

半原越のふもとではヒガンバナが咲いて稲の収穫が間近だ。自転車で走っていると足元の草むらからエンマコオロギの鳴き声が聞こえる。夏の暑熱を越えていくぶんほっとする初秋の風景だ。

暑さがないだけでも自転車はけっこう進むものらしい。半原越では22分を軽く切るようになってきた。先月のタイムがまるで悪い夢でも見ていたかのようだ。思い起こせば4年ほど前のタイムが一番良かった頃は体重が57kgだった。いまよりも4kg軽いのだ。そりゃあ登れるだろう。

これからしばらくはカマキリだのスズメガだのヘビだのが路上に出てくるから、やつらを轢かないように気を配る必要がある。半原越は速ければいいという道ではない。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'38"4'38"+515.3-78175
区間29'54"5'16"+1213.6-79188
区間315'02"5'08"+313.9-74184
区間421'28"6'26"+811.2-64185
全 体+2813.3-73183

2014.9.15(月)くもり 拾ってきた石

 蛇紋岩

遠征して糸魚川の親不知に行ってきた。目的は石拾い。ずいぶん前から行きたかったところだ。糸魚川は世界に知られたヒスイの産地である。いまでも海岸に行けばヒスイの原石をゲットすることができる。フォッサマグナという仰々しい名称の地学スポットであり、見所ある露頭に岩石鉱物の立派な博物館がある。やはり一度は行っておかねばならぬということで一家総出で行ってきた。

かくて写真の石を拾ってきた。ヒスイもいいけれど私の好きなのは礫岩である。親不知には礫岩がたくさんある。それが波にもまれてほどよい形にまあるく削られている。トラック1台分ぐらい欲しくなるけど、そこはがまんして5つ6つに厳選する。

写真は礫岩であるがただの礫岩ではない。どうやら蛇紋岩の礫岩らしいのだ。蛇紋岩は八幡浜にも産する石で小学生の頃から好きな石だった。緑がかった石に斑紋のある礫岩なんてそう簡単に手に入る物ではない。ちゃんと産地に行って10分ぐらいは探さないとだめだ。

蛇紋岩が磁石につくことは今回初めて知った。地下深いところの岩石に鉄とかニッケルとか磁石につく成分が含まれていることは地学で習う。ただし石は石だ。強力なネオジム磁石を使えば変哲もなさそうな石がこうして持ち上がる。やはり驚く。今回拾ってきた石では濃い緑のと藍色のと赤い斑が入った礫岩がよくついた。藍色のなんてほとんど石とは思えないほど強力にくっつく。ヒスイの原石っぽい透明感のある薄緑色のつやつやしたのはつかない。糸魚川のものだけでなく、高知の四万十川で拾った緑の石もついた。やはり蛇紋岩なのだろう。


2014.9.20(土)くもり 秋景色

 荻野川

写真は半原越を間近に望む荻野川べり。気温が下がり、里芋がみのって里はすっかり秋景色だ。いつもの棚田では稲が刈り取られはさ架けされている。半原越も秋の花が盛りである。クサギが咲き、ツリフネソウが咲き、アケビがみのる。いろいろと数え上げたらきりがない。虫のほうは静かで、アスファルトに出てくるものも飛び回るものもいない。コオロギとヒヨドリの声が聞こえる山中の峠道だ。

半原1号はステムを2センチほど高くした。それが正解らしく犬走りがぴったり決まる。最近は登りをうまく走れている。そういう自覚が出てきた。思い通りに脚が運べる。体のどこにも無駄な負荷がかかっていない。ギアが重く感じる所でも力を抜いて休みつつ走ることができるようになっている。ハーフは呼吸を乱さずに12分半ぐらいのタイム。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'43"4'43"+1015.0-77178
区間29'51"5'08"+413.9-76193
区間314'58"5'07"+213.8-72189
区間421'15"6'17"-111.5-63197
全 体+1513.4-73190

2014.9.21(日)晴れ 秋は晴天がにあう

 荻野川

もはや習慣化した日曜午前の境川。チネリに乗って出かけた。昔の6段のころのギアにデュラエースの9段のチェーンを使っていたけど、アウターにするとシャリシャリ鳴ることが気になっていた。そこでコネックスの10段用の新品をセットしてみた。52×18Tよりも重いギアだと問題ない。19〜21Tを使えばギアにチェーンがかすかに引っかかる感じがある。しょうがないか。6段用のギア板は分厚いから。

今日はゆるく吹く北寄りの風を利用して犬走りの習熟に努めた。52×18Tを使って北上は30km/h。南下はひたすら休憩。同じギアで25km/h。ちょいとした向かい風なら30km/hは軽々だ。犬走りのたまものだろう。

ところが、最近は数年前に比べて平均速度がぐっと落ちている。境川の100km練習でも実走行平均速度が22km/hぐらいなのだ。休憩時間を考慮すると20km/hぐらい。こっちのほうはその通りという気がする。練習時間は5時間ほどだから。実走行平均速度のほうが落ちた原因として、自転車が止まっているのにガーミンが速度をカウントしていることに思い当たった。停車時でも速度表示は1.2km/hとか2.1km/hとか、0km/h以外の値をちかちか出しているのだ。最初からこういう仕様ではなかったように思う。きっとそのせいだ。

写真は稲刈りの季節を迎えた境川。やっぱり秋ってやつは晴天が似合う。青空を流れる巻雲がいい感じだ。昨日の写真は重苦しい曇り空でイマイチ秋の雰囲気が出ていない。ただし、晩秋になって葉が落ちるようになると雨が似合うようになる。とりわけ山中の雨は冷たくてもきれいだから面白いもんだ。


2014.9.23(火)晴れ 境川で50×18T回し

 
ナカガワ

今日は秋分の日。一年の半分が過ぎた。

オールドスタイルのナカガワ(写真)に乗って境川へ。ここの所、下ハン犬走りが面白くて境川ではずっと下ハンの練習をしている。その昔、50×17Tを回せたらいっちょまえだと思った。そうなるには私の体力では技術を相当磨かないとダメだとわかっていた。絶対に届かない目標ではなさそうだった。今から20年ほど前のことだ。

そしてようやく犬走りに気づいて52×18Tが回せるという自覚を持った。さああと一歩のところまで来ている。今日は50×18Tだ。白旗高鎌橋往復の1回だけ17Tを使ってみるとぐるぐる回った。そのときの速度は35km/hほどだが、白旗で折り返すと追い風だった。50×17Tを1時間回すのはそう簡単ではない。

日曜にチネリを分解してフレームを自転車屋に預けた。塗装がぼろぼろで、なんとかきれいになるんだったら、化粧直しもいいかなと思ったのだ。チネリのフレームはいろいろ工作が凝っていて塗装も簡単ではなさそうだ。うまく仕上がらないようなら現状維持でもいいなと思う。人車いっしょにくたびれていくのもいい。チネリには25年の思い出がある。自転車に夢だけ持って乗り方を研究することもなく漫然と走ってきた25年であるけれど。


2014.9.26(金)晴れ クモのしんぼう

 ジョロウグモ

一般にクモたちの辛抱強さは私の想像をはるかに超えるものがある。そのレベルは想像=体感できない。

私の庭にはただいま1頭のジョロウグモ♀がいる。そいつはモッコウバラの生け垣の目線の高さに巣を張っている。写真は今朝撮影したそいつ。ざんねんなことにこの場所は稼ぎが悪い。私の庭はジョロウグモの餌になるようなサイズの虫は少ない。良い場所がない中でもとりわけ悪い場所に巣を張ってしまったようだ。

毎朝観察を続けているが、餌を食べているところを見たことがなく、獲物の亡骸であるゴミが増えている感じもない。脱皮の痕跡がなく体の成長は1か月ほどもストップしている。よそのジョロウグモがどんどん成虫になっていることを考えるとこいつの未来は暗いにちがいない。

私なら焦るはずだ。大人になっているはずの時間が経過しているのに、体の内面からの圧力が心にかかってこないのだろうか。きっとクモの時間経過は人間の時間経過とはまったく異なる尺度によって計られているのだろう。

彼女が焦ってないことを私は巣の場所を変えないことから推測している。ジョロウグモにとって巣を新調することは造作ないはずだ。場所を移動することはそれなりのリスクには違いないけれど、2週間、3週間かけてもほとんど獲物をゲットできない場所を死守するよりは移動するほうがましだと思う。

 ジョロウグモ♂

ジョロウグモでもオスならばかなりアクティブである。成長しないジョロウグモ♀から1m離れたところにもジョロウグモ♀が巣をはっており、そっちはけっこう稼ぎがあり、それなりに成長を遂げつつあった。そして9月12日にはオスがついた。左はそのときの記録写真だ。こっちのほうは2週間もすれば成虫になるだろうと楽しみにしていた。

ところが、オスがついて一週間後の、19日に突然メスがいなくなった。メスがいなくなった巣にはオスがそのままの体勢で残っていた。行方不明の原因はわからない。けっこううまくいっていた巣をメスが放棄するとは思えない。巣はまったく壊れていないものの、なんらかの捕食にあったか病気かなにかのトラブルがあったことが推察できる。

行方不明のメスについていたオスは翌朝もそのままであった。その次も、その次の朝も同じところにいた。当然メスの不在には気づいていたであろう。そのオスがいなくなったのは5日後の24日のことだった。その行方不明の理由は新しい彼女を探す旅に出たと考えるのが自然だろう。ジョロウグモのオスはメスにくらべるとけっこう動くから。


2014.9.27(土)晴れのちくもり 黒とピンク

 鉄パナ

なんとなく鉄パナに乗ってみたくて写真の自転車で境川。ここのところ、土曜日は半原越、日曜午前は境川というローテーションだったが、明日は試合で境川に行けないから今日は境川・・・・ではぜんぜん筋が通らない。理屈はともあれ鉄パナで境川。

境川にでると、北風がずいぶん強かった。時速でいうと20kmぐらいの風だ。ならばと向かい風を利用してペダリングの練習だ。フロントは42Tでリアは15か16Tというのが練習にはよいところになる。ペダリングの胆はなめらかであること。ペダルが一周する0.7秒ぐらいの間でなるべく長く推進力を加えること。

私の犬走りはクランクを大きく回す感じだ。おおむね足が一番前に行くときと下死点通過直後で最大の推進力を加えることを重視している。今日はそれを少し変更して、早く踏み込むことを考えてみた。膝の持ち上げをおさえつつ上死点でペダルを踏みつける感じだ。普段は上死点は無重力状態で足を前に運ぶように気をつけているが、同じ場所でもっと力強い推進力を得ようという魂胆だ。

また、コンパクトに回す感じも意識した。コンパクトで意識するのは太ももの上下運動だ。クランクを回すというよりも、なるべく軽く速く太ももを上下させることに終始する。膝から下はおまけで、太ももの邪魔をしないことが最優先だ。ギア比が小さく出力をおさえているときはコンパクトがよい。

なんだかんだと100kmほど練習し帰宅してからホイールをナカガワに付け替えて走ってみた。ナカガワと鉄パナは同タイプの自転車だ。素材もポジションも同じ。ハンドリングの感じも似ている。決定的に違うのは色が黒とピンクというところぐらいだ。

ただし、踏み込んだときに伸びる感じがいくぶんかナカガワの方が上だ。フレームの値段にして10万円ぐらいの差があるけれど、たしかにそれぐらいの投資のかいはあるかなと思える程度の違いだ。


2014.10.4(土)くもり 最後の鍵

さあ今日は半原1号で半原越。走り出してみるとそれほどよい感じではなかったから、普通に練習してこようと思った。

いつもの棚田は乾されていた稲が撤去され冬の殺風景になった。2匹だけ飛んでいるウスバキトンボだけが夏の名残。モズは電線に止まって尻尾を回している。蜘蛛屋敷のジョロウグモは成体だ。屋敷の後ろからおびただしい数の白い物が飛んできた。まずは雪虫かと思った。ただそれらは完全に風に身をまかせて飛んでいるだけだ。おそらく草の種だろうと、近くに来たものをよくよく見れば、たしかにススキのような植物の種だった。

半原越は予想通り力強く走ることができない。心拍数が183bpmから上がっていかない。しかも丸太小屋坂でフロントを上げるという信じがたいミスシフトまでやってしまった。半原1号はトルクがかかっているとフロントインナーにチェーンが落ちないという弱点がある。しかたなく36×21Tで難所を越えることになってしまった。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'33"4'33"015.716980184
区間29'46"5'13"+913.818069190
区間314'57"5'11"+613.918173185
区間421'47"6'50"+3210.618262180
全 体+4713.217970184

今日の収穫はタイムではなかった。半原越を楽しくきれいに走る方法がわかったのだ。24分ぐらいであれば力を入れずに走りきれるという自覚が持てた。先日、境川で上死点でペダルを踏みつけるコンパクト走法なるものを試した。今日はその応用のつもりだったが、それ以上の収穫があった。

ポイントはペダルを踏みつけないこと。上死点から体重だけでペダルを落とすように意識する。当然、右足が落ちているときに左足は引き足を使っている。座り立ちこぎのホンモノ版とでもいうところだ。ペダルを落とすときに踏みつければ心拍数はすぐに180bpmを越える。無酸素域の力を使うことになるのだ。そこの強度に達しない程度に体重を支えつつ足を落とす。体重を支えているのはクランク1回転のなかで0.2秒程度だ。ギア比の選択が必須ポイントになる。軽すぎても重すぎてもいけない。

今日の最軽ギアは26×21Tで1.24倍であったが、そのギアでは区間4では少しだけ踏みすぎる場所がある。斜度は12%ほどだろう。踏みすぎるときも、踏みつけるのではなくあくまで体重を支える感じになるようにして、強さは変えず時間を長くするように意識した。

4回のハーフで使ったギアは全部26×21T。無酸素パワーを使わないで13分前後のタイムだった。まだフォームとペダリングの流れにギクシャクしたところがある。ペダルに体重をあずけるのは相当高度なテクで、どこまでやれるかは未知だ。ともあれ、今日のやり方を突き詰めることが半原越を極めることになる。私はついに最後の鍵を入手した。この体がダメになる前に最高点に到達できるはずと確信した。


2014.10.11(土)晴れのちくもり 体重でペダルを落とす

さあ今日は半原1号で境川。川に出てみると妙な風が吹いていた。南北に流れる境川では珍しく南風でも北風でもない。東風であるから時折横風を受けることになる。天気予報のない時代にこうした異変を感知して3日後に大嵐が来ることを予報できればそうとうな人物であったろう。

境川での練習はもちろん犬走り。私は最後の鍵を手に入れたのだ。犬走りで一番留意した点は体重を使うことだ。上死点手前から脚を前に運んで体重を使ってペダルを落とすことだ。むろん体重を使っているけれどペダルを踏みつけてはいない。ペダルから足裏に反動を感じるようでは踏みすぎだ。重さを加える時間は0.2秒ぐらい。ペダルが一番高いところに来る際に引っかかりがないように。一番低い所で無重量状態になるように。けっこう高度な技だと思う。それをやるには上半身との連動が不可欠だ。

犬走りの場合、もっとも力を入れている感じがするのが引き足の所だ。上死点付近の引き足を重点的に練習したこともあるけれど、有効なのはどちらかというと下死点通過直後の引き足のようだ。引き足は脚の重さを持ち上げることになるから、意識して力を入れなければならない。踏みに比べれば出力は小さいはずだ。出力でなく意識としてなら、踏み:引きが4:6ぐらいでちょうどいいのではないだろうか。

境川は風がなく40×14Tが機嫌良くクルクル回る。いい感じだ。この感触で半原越を行けるように練習あるのみだ。

川べりは荻が満開だ。一部ススキも混じっている。セイタカアワダチソウが咲いて秋の盛り。路上にはカマキリが多い。コカマキリとかオオカマキリとか草原性のやつだ。一匹だけアブラゼミを聞く。10月半ばのアブラゼミは記録の対象だ。今年はアブラゼミが少なくこれが最後になるかもしれない。さていつまで聞かれるか。


2014.10.12(日)晴れ 期待通りなのにがっかり

 コネックスリンク

写真は自転車のチェーンのコネックスリンクとよばれる部品である。ドイツのチェーンメーカーのものだ。こいつのお陰で自転車の掃除が楽になった。ディレーラーの交換もチェーンの交換も楽になった。小さいけれど大変ありがたい部品である。一時代前はチェーンを切ったりつないだりするのはちょいとした名人芸が必要だったものだ。

一月ほど前、チネリのフレームを再塗装しようと全部品をバラした。定石通り真っ先にコネックスリンクをほどいてチェーンを外した。そのとき、先端にコネックスリンクがついたままチェーンが走ってギアから外れてしまった。暴れたチェーンの先がフレームかスポークをたたき、そのひょうしにコネックスリンクが跳ねて床に落ちてしまった。私の部屋の床は暗い。ダンボールや部品、工具が積まれている。ネジやベアリングの鋼球が床に落ちるたびにひやりとさせられる。下手すると深海に沈む宝のように二度とお目にかかれないかもしれないのだ。

ひとまず落ち着いてコネックスリンクが落ちているであろう場所をしっかり見つめた。視界には入って来なかった。すぐに捜索にかかってもよいが、チネリの分解作業ははじめたばかりである。他の部品だって床に取り落とすかもしれない。いちいちかまわずに後で落ち着いて探すほうが得策だと思われた。しかもコネックスリンクがもう一度必要になるのは1か月も先のことだ。私には「慌てることはない。いつかひょっこり出てくるだろう。」という無根拠の確信があった。

そして無事チネリのフレームを自転車屋に預け、しばらくコネックスリンクを無くしたことも忘れていた。半原1号のチェーンを洗っているときにふとそのことを思い出し探してみることにした。

まず疑ったのは床に積んでいるダンボールだ。私はダンボールを潰して床に敷いてカーペットの代用にするという悪癖をもっている。そのダンボールの下に潜り込むことはありそうだ。一つ一つダンボールをチェックしたがコネックスリンクは見つからなかった。

次は、本棚、部品棚の下を疑った。床と棚の狭い隙間はボルトや鋼球がよく見つかった所だ。懐中電灯と針金を使って入念にチェックした。1回目では見つからず、2日間にわたって探した。一番ありがちで一番見つかりにくい隠れ場所だから念を入れた。それでも見つからなかった。諦めていた鋼球が1個見つかったことは収穫だった。

そしてローラー台の隙間も疑った。私は自転車を固定ローラーにのっけて整備する。固定ローラーにはコネックスリンクが入り込む隙間はある。磁石もついているのだから、どこかにくっついている可能性もある。ひっくり返して、懐中電灯で隙間を覗いて入念にチェックしたが見つからない。

最後に疑ったのは本の隙間だ。コネックスリンクは跳ねたのだから床に落ちたとは限らない。本棚の下の方の段の本にちゃっかり乗っている可能性も捨てきれない。しかしそこにもなかった。

もはや捜索は絶望と思われ再購入も検討した。コネックスリンクは1000円ぐらいで買えるはずだ。ところが近所の自転車屋には別メーカーの物しか売っていない。リンク一つイギリスから買うのもめんどうだ。「慌てることはない。いつかひょっこり出てくるだろう。」と問題を先送りするしかなかった。

この一月ばかり失ったコネックスリンクが小さな刺のように気持ちにささって気分がすぐれなかった。昨夜のこと、半原1号のギアを12-25Tに変更しようと思った。半原越を練習するのに12-21Tだと若干重いのだ。ギアカセットはおかきの鉄箱に入れて本棚の下にしまいこんでいる。その鉄箱を取り出し蓋を開け、デュラエースの9速カセット12-25Tを探しながらなにげに床を見ると、涙ながらに生き別れたコネックスリンクがホコリにまみれそこにあった。本当に予想通り、ひょっこり出てきたのだ。おかきの鉄箱周辺は少なくとも3度探したはずであった。探しているときは見つからなかった。探してみつかれば「ひょっこり出てくる」とはいえない。何かのついでにふと見つかれば「ひょっこり出てくる」といえるのだ。

「ひょっこり出てくる」ことを二度も期待してその通りになったわけだ。なによりも見つかったことはうれしい。でも少し複雑な気分。期待通りの結果とはいえ、しっかり探しているときに見つかった方がうれしかったはずと想像する。


2014.10.13(月)雨 収穫の季節

 クロナガアリ

朝から小雨だった。庭に出てみればクロナガアリは地上に出て盛んに活動をしている。そのほとんどはゴミ捨てだ。ゴミは巣の拡張工事に伴う土くれだ。食べかすはぜんぜん見あたらない。

しばらく観察していると種を運んで来た者がいた(写真)。一見すると石ころのようなツユクサの種。けっこう大きな物だが、固そうでうまく食べられるものかと少し心配になる。アリの回りに転がっているオレンジ色のつぶつぶが捨てられた土くれ。私の庭でも地中深いところは赤土だと見える。自分で掘って赤土が出てきたことはないから1m以上の深さなのだろう。

今日は休日。アリをみたあとは半原1号で境川。休日でも雨のときはサイクリングロードがすいて気持ちよく走れる。いまは上半身と下半身の連動を磨かねばならない。右足を引くとき右手を押すというところまではわかった。いつか、なにげに腕を押したときに未知の力によって自転車がすすっと進んだような気がした。あの感覚は、ペダルに体重を乗せることと引き足が偶然にも一致した結果起きたものだろうと想像がついた。その偶然を意識的に再現して習慣化することがマスターへの道だ。

白旗の休憩所や田の脇にあるイネ科の草がおいしそうな実をつけている。クロナガアリのおみやげに少しもらってきた。なにも雨の日に収穫することはあるまいとは感じたけど。


2014.10.14(火)晴れ 犠牲

 ハリガネムシ

路面状況を確認しながら自転車を走らせているから路上で轢かれているカマキリがやたらと目に入ってくる。とりわけ秋の半原越へのルートは、田畑の中を流れる川に沿ったものであったり、岡の山林を切り開いた道路であるからカマキリの数が多くなる。

写真はハラビロカマキリだ。荻野川から小鮎川にぬける自称美登利園パスはハラビロカマキリの多い道だ。樹棲のハラビロカマキリにとって道路脇の雑木林は良い生息環境なのだろう。また、最近道路が拡幅整備され立派な歩道がついたことも轢死カマキリを増やす原因になっていると思う。歩道と車道の段差は20センチ以上あって、コンクリートがつややかだ。ハラビロカマキリが登るにもちょっと苦労しそうな感じがあって広い道路をさまよううちに車に轢かれることもありそうだ。

カマキリにとって自動車事故は完全な悪とは言い切れない。それは悲しい自己犠牲ともなる。一般に轢かれているカマキリの死体はハリガネムシを伴うことが多い。調査はしていないけど、半分に達しているかもしれない。では、半分ぐらいのカマキリが寄生を受けているのだろうか。私はおそらくそうではなくもっと少ないだろうと思う。ハリガネムシの寄生を受けたほうが轢死の危険性が増すはずと考えるからだ。

ハリガネムシは秋になると哀れな宿主を操って水辺に向かわせるらしい。カマキリはもともと秋には繁殖相手を求め、産卵場所を求めてさまようだろうが、ハリガネムシの寄生を受けていれば不明のパッションでもって水を探しさすらうことになるだろう。樹上を棲息の場とするハラビロカマキリにとって、水に向かうことは木を降り林を出て道路に出ることになるのだ。

ハリガネムシの寄生を受けたカマキリに明日はない。繁殖に参加する道は完全に絶たれている。カマキリという種のためには、自殺してハリガネムシの未来も絶つほかに状況を改善する手立てはない。カマキリには仲間の未来を慮って自殺できるような器量はない。そのかわり道路を徘徊するという自殺行為によって同じ効果を得ている。ハリガネムシ入りのカマキリは単純な交通事故被害者ではない。ホンモノの犠牲がそこにある。近年マスコミによって犠牲という単語は被害と同じ意味で使われているけど。

ところで、ハリガネムシといえば最近衝撃的な論文のサマリーを目にした。とある大学の野外実験であるが、それはハリガネムシの寄生を受けたカマドウマが渓流に飛び込むことが、川魚の成長を助けているという報告であった。私はその研究のありとあらゆることに驚いた。山林のカマドウマがハリガネムシの寄生を受けること。その割合が魚の腹の足しになるほと高いこと。カマドウマに入るハリガネムシはどんな種類なんだろう。どうやってカマドウマの腹に入るんだろう。カマドウマもろとも食われたハリガネムシはどうなるんだろう。ヤマメとかイワナが宿主になっているだろうか。


2014.10.17(金)晴れ 今年の田んぼ水槽

 田んぼ水槽

今年も初夏に田んぼ水槽をセットした。近所の米農家から田んぼの土を一握りいただいてきてプラケースに入れて水道水を注ぎ込み以降ほったらかし。それでも季節が移れば各種動植物の姿が見られて面白い。写真は今朝の田んぼ水槽。

5月にはホウネンエビが1匹現れた。去年も同じように現れけっこう長生きしていたが、今年はすぐに死んでしまった。それになかなか水が澄まなかった。去年は1週間もすればクリスタルのように澄んだのに1か月ぐらい透明にならなかったように思う。おまけに不吉な藻が現れた。どろどろした濃い緑色でマリモのように丸まっている。微小な玉となって現れ数が増えサイズも大きくなっていった。

水草の発芽は遅かった。去年はシャジクモ、水草愛好家がロタラとよんでいる有茎草が2種、ヘアーグラス、オモダカが良い成長を見せていた。今年はシャジクモと白い花をつけるほうの有茎草が少なかった。ヘアーグラス、オモダカは芽吹かなかった。そのかわり去年は芽吹かなかったシャジクモに似ている沈水草のオオトリゲモ(たぶん)がよく繁茂した。2種のロタラではキカシグサのほうが多かった。いま一番目立つのはキカシグサだ。今年は夏に小さな赤い花をつけてその名がわかった。キカシグサはこのへんの田んぼでは普通に見られる。半原越の棚田でも普通だ。この先は水草は枯れて動物も現れないだろう。寂しくなる一方だ。

今年もそれなりにいいものを見せてもらった。去年と雑草の種類が大幅に異なるのが興味深い。田んぼの土は同じところからもらってきた。育成管理の方法も同じといっていいだろう。差は草の種なんかが田んぼの場所によって密度が違っているのが原因だと思われる。


2014.10.18(土)晴れ ギア比の検討

半原越の登りでいまマスターしようとしているのは、上死点でペダルに体重を乗せる技だ。可能な限りたくさん体重を乗せる。ただし時間が長くてはいけない。ペダルが最も前にあるときに体重が乗っているようだとダメだと思っている。

その技ではギア比の選択が重要になる。ペダルが重すぎれば体重を乗せる時間が長くなり脚にかかる負担が増える。軽すぎれば体重を乗せる時間がなくなる。

今日はまず26×17Tで全区間を走ってみた。踏みつける感じの所が多い。重すぎるのだ。これは予想通り。ハーフは26×19T、26×21T、26×23Tでやってみた。一番タイムがよいのは21Tを使ったときだ。区間4では立ちこぎをしたほうが良いところもあるけれど、そのときのギアは19Tがいい。その立ちこぎ区間をシッティングで行くなら23Tがよい。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'50"4'50"+1714.815975176
区間210'08"5'18"+1413.617769191
区間315'24"5'16"+1113.817670180
区間421'52"6'28"+1011.218257196
全 体+5213.217467186

2014.10.19(日)晴れ やっかいなササガヤ

ササガヤ

クロナガアリは盛んに草の種を集めるようになっている。先週境川で拾ってきた種もすぐに運びはじめた。これまでは種に気づくまでにいくぶんか時間がかかっていたという印象があったから少し驚いた。

写真はササガヤを運ぶクロナガアリ。ササガヤは庭で一番多い雑草だ。数年前はチヂミザサが主体だったが今年はついにササガヤばっかりになってしまった。チヂミザサはなんと1本しか見ていない。このささやかな庭でも雑草の消長はそれなりにあるもんだ。

ササガヤの種は小さい。小さくて運びやすいとは思うけど、長い芒があり、そいつが意外にやっかいだ。アリが運ぶ様子をみていると、あちこちひっかかってけっこう慌てている。

今朝はハコベの新芽にかかって放棄したのを見た。巣穴まで10センチというところまで来て芒が草にかかった。そうなるとこっちとしては撮影のチャンス到来だ。1分ほどは力を入れてひっぱっていた。しかしダメだった。結局あきらめて手ぶらで巣に入ってしまったのだ。けっこう淡泊なやつもいるもんだ。


2014.10.23(木)雨 雨のクロナガアリ

クロナガアリ

雨は昨日の夜から降り続いていた。時折強くも降る。クロナガアリは雨の日でも活動をすることはこれまでの観察から知っていた。ただ、強い雨に巣口が壊れたり水たまりができるようだと地上活動はしない。今朝は微妙なところかなと、出勤直前の10分観察として、アリ用のカメラを持たず庭に出た。

するとクロナガアリは絶好調でゴミを捨てる者、みのったササガヤを運んでくる者と晴れた朝と変わらず活動している。ちょっとしまったと思った。

雨だからといって変わった写真が撮れるというものではない。庭はいつも濡れたように湿っているし、アリのアップに雨滴が写り込むなんてことはまずあり得ない。少なくとも現状私の撮影法では雨滴は写らない。せいぜいがアリの体に水滴がつき、運んでいる種がしっとり濡れている程度のカットだ。この雨の中を濡れた庭に跪いてがんばるだけの成果は期待できないと判断して、気が楽になった。

さらに、この秋にはきっと雨の日曜というチャンスはあるはずだと思った。雨の中を自転車に乗って、ずぶ濡れついでにクロナガアリを撮影すればよいのだ。過去に数度そうしたことがある。そのときにちょっといい感じの写真が撮れるかもしれない。そう考えると冷たい秋の雨が好きに思えてきた。


2014.10.25(土)はれ 半原越は秋

半原越

半原越は秋だ。夏のシンボルであるウスバキトンボはふもとでようやく1匹見ただけだ。いつもの棚田では刈り入れが終わり、緑のひこばえが出ている地面にナツアカネが卵をまいていた。水がない所に産卵するトンボの気持ちに興味がわいた。同じ光景を見る度に同じことを考える。

今日はみょうにヘビが騒がしかった。小鮎川にでる道路を大きなアオダイショウが横切ろうとしていた。半原越ではシマヘビとヤマカガシが同じく道路を横切ろうとしていた。いずれもせわしない動きだ。冬を前にヘビたちに焦りがあるのかもしれない。

自転車はとにかくペダリングに留意した。上死点で体重をうまくつかう方法だ。右足で体重を乗せつつ左足を引く。それをリズム良くやれるようになるのが目標だ。別々ならうまくいくけど同時は難しい。もしかしたら同時にやるのは物理的に無理なのかもしれないという気がした。しかし本当に無理なのかどうかはトライアルを続けた上で判断すればよいことだ。4回のハーフは区間3を19T、区間4は21Tに終始した。

スタート直後に心拍計の表示を見ようとガーミンのボタンを押したときにストップボタンも押してしまったようで記録がとれなかった。心拍計がまともな数値を出していないように見える。そろそろ心拍計は必要ないかなとも考えている。


2014.10.26(日)はれ 境川の巻き貝

貝

境川で自転車遊びをして、セブンイレブン裏で休み、ふと水路のコンクリートに目を落とすと貝があった。コンクリート壁は高さ1mほどであるがその中程よりも高いところに貼りついている。近いところに同種と思われるものがもう1頭いた。けっこう大型で1円玉ぐらいのサイズがある。記憶にない種類だから撮影しておいた。写真は水路に身を乗り出し腕を伸ばして撮った。ほぼ真上からのショットである。

普通は壁に貼りついている巻き貝といえばカタツムリであろう。ただ、ここはタイワンシジミが多く生息する水路である。もしかしたら淡水貝が登ってきて貼りついているのかもしれない。


2014.10.31(金)くもりときどき雨 ハリアリと虫判定器

 ハリアリ

28日のこと、いつものように庭でクロナガアリをファインダー越しに見ていると小型の赤いアリが目に入ってきた。肉眼ではとらえられないサイズである。これまでに見た記憶が無い種類で、さっそく撮影しておいた。体調は1〜2mm程度で、クロナガアリが巣から運び出す土くれ(たまたまアリの横に転がっている)ぐらいしかない。ただし、長い顔が並みのアリと一線を画す。キバは立派である。かなり攻撃的な種類らしい。

さてこいつの種名については見たときから難しさを覚悟していた。写真をもとにアリの標準和名を探しだすのはまず不可能だ。手元には昆虫図鑑があるけれど、それもおそらく役に立たない。ネットには立派なアリデータベースがある。しかしそれとても専門家が標本と見比べなければ活かしきれないだろう。

でも今は「虫判定器」がある。虫の写真を投稿すれば数日で名前を教えてくれるというすぐれものだ。判定結果については私が素人目で見る限り全く誤りがない。そうとう腕に覚えのある方々が判定者になっておられることと思う。これまでに私自身もいくつかの写真を速やかに同定してもらった。この微小なアリの種名までは無理としても、科・属ぐらいならなんとかなるはずだ。

この写真のアリは予想通り私の手には負えず、虫判定器でお願いすることにした。かくて「ハリアリ亜科」との回答が寄せられた。同アプリでは他の人が投稿したハリアリ亜科の写真も一覧できるようになっている。すでに7件が寄せられている。これにはすこし驚いた。小型で面白味もない昆虫で、その名を知りたい人はそうおるまいと思っていたからだ。


2014.11.1(土)雨 秋の雨道

 半原越

昨夜から雨がしとしと降っている。それほど冷たくない雨で合羽を持つかどうか迷った。半原越のほうはけっこうな降りになるはずだ 。それでも合羽を着るほどのことはないだろうと思えたのだ。けっきょくアンダーウエア+半袖ジャージ+防風チョッキで出発した。

走り始めてすぐに後輪に違和感。一周ごとに細かい振動がある。タイヤをチェックするとすりむいたようにトレッドがはげてケーシングが見えている。後輪をロックしてこすった覚えはない。部分的にふくらんでいる部分が抵抗をうけて擦れたのかもしれない。原因はともかく廃棄処分にするしかない。ひとまず今日は後輪だけデュラエースに変更して走ることにした。ホイールをたくさん持っているとこういうときには便利だ。ただし、どれをどれだけ使ったのかが把握できなくなって、ゴムの劣化具合を計り違えることになる。

いつもの棚田に着くころには本降りになっていた。草むらで雨に濡れつつアイスクリームというわけにもいかず、畑の脇にあるこんもり茂ったキンモクセイで雨宿り。農家がゴミ置き場にしているところだ。シチュエーションがいいとは言えないが雨はちょっと防げる。

半原越は普通にがんばって普通に回す。スタートは26×17T。区間4は21T。つけて来た心拍計は明らかに誤作動している。接触不良程度のエラーのようだ。ガーミンの新型は耐久性にやや難があるかもしれない。やっぱりもういらないかな。

道路は静かだ。虫も鳥も騒がない。道路に出ている虫も少ない。ミミズもカマキリも見あたらない。雨だと時折姿を見せるリスやシカもいない。雨の半原越はやっぱりきれいだ。快適さでは梅雨の雨が一番だ。きれいさでは秋の雨が勝るかもしれない。雨の秋山は半原越に通いはじめる前から好きだ。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'37"4'37"+415.3-80188
区間29'58"5'21"+1713.2-72191
区間315'17"5'19"+1413.5-74186
区間421'51"6'34"+1611.0-70193
全 体+5113.1-74189

2014.11.2(日)くもりときどき晴れ かかとで走ってみる

今日は半原1号で境川。雨の予想もしてアンダーウエアーを着てきたがすぐにじゃまだと分かった。ずいぶんと暖かい日だ。もしかしたらアブラゼミが鳴くかもしれないと注意することにした。

ただやはりもう11月。路上に出てくる虫は少なくなる。カマキリはコカマキリが2、3頭。小さめのヤマカガシ、アマガエル、スズメガの幼虫ぐらいのものだ。

しだいに南の風が強くなり向かい風練習が面白くなった。80〜90rpmで体重をかけて踏むことと引き足を練習した。さて体重はどれぐらいかければいいのだろうと考えて、歩くのを標準としてはどうかと思い至った。歩くときには全体重を足で支える。右と左と交互だ。全体重を支えても歩く強度であれば軽く1時間以上維持できる。それなら普通に走っているときなら歩く感じの体重かけでいいんじゃないだろうか。引き足はかかとを重視した。かかとにかかってないと引いているとはいえない。かといって、後ろ足を上に引くようではダメだろう。体重を乗せるのに間に合わないから。下死点から最後点まででかかとを使うのがいいのだろうと思った。

そういう練習ができるのは向かい風だけで追い風ではもういけない。体重をかけることも引くことも難しい。軽くくるくる回っているだけだ。

帰宅してからクロナガアリの撮影。家の前にハラビロカマキリがいて驚いた。夏からずっとカマキリは見ていないからだ。秋になって産卵場所を探してさまよっているのだろうか。ハラビロカマキリを庭のヤブガラシに放すと、もう一度驚いた。そこにコカマキリがいたからだ。コカマキリは私の庭では何年も見ていないように思う。

クロナガアリは大忙し。活発だ。種集めの最盛期で気温が高いせいなのだろう。運んでくるのはササガヤばかり。境川から拾ってきた種をやろうとコンビニ袋を探したものの見つからなかった。女房が捨ててしまったらしい。どうみてもありゃゴミだ。


2014.11.3(月)晴れ セブンイレブン裏の畑地

 ヒメアカタテハ

今日も半原1号で境川。今日もそれなりの風を利用してかかとで走る練習。

ときどき利用するセブンイレブンの裏はささやかな畑地だ。ただ小さいながらも各種作物を熱心に作っておられる。年中耕作が途絶えることがない。いまはブロッコリーが収穫期を迎えているようだ。そのブロッコリー畑を多数のモンシロチョウが舞う。ときどき畑の脇のタンポポなんかで蜜を吸っている。この秋羽化したものだろう。オスは探飛に余念がない。交尾しているものもいる。

さていま交尾して産卵するとして幼虫は生き残れるのだろうか。モンシロチョウの越冬ステージは蛹だと思ってきた。これから孵化して草を食って蛹になる前に霜が来るのではないだろうか。モンシロチョウは冬があることを知っているのだろうか。知らずにたまたま蛹だけが生き残る作戦でいいのだろうか。はたまた神奈川のこのあたりの冬は青虫が越冬できるほど温暖なのだろうか。

写真はアメリカセンダングサの蜜を吸うヒメアカタテハ。秋の斜光がたいへんよく似合うすてきな蝶だと思う。


2014.11.9(日)雨のちくもり一時晴れ 半原1号冬仕様

 ベニシジミ

天気予報のお嬢さんは「冷たい雨になりそうです。」と言ってた。それは私の見立てとちがっていた。神奈川のこの辺は気圧の谷のぎりぎり端っこ。太平洋の高気圧のへりにあたる。立冬を過ぎたこの季節には珍しく暖かい雨になるだろうというのが私の予想だった。

朝、窓を開けて庭を見れば雨がしょうしょうと降っている。帰宅後にクロナガアリを撮影しようと決心した。先日予想した雨の日曜のクロナガアリ・・・という日が今日らしい。

雨は9時ぐらいに止んで、境川に出る頃には雲は薄く明るくなっている。気温が高くモンシロチョウがけっこう飛んでいる。こうなると耳をすましてアブラゼミの声を探さねばならない。ただ午後からは天気予報通り雨になるだろう。もしかしたら雨粒が冷たいかもしれない。念のため雨合羽は持ってきた。

昨日のこと、冬になったことで半原1号のハンドルをドロップに変更した。ブルホーンは登りの決戦仕様だ。龍勢ヒルクライムに臨んでの仕様である。残念なことに今年は龍勢ヒルクライムが中止になった。そうなれば半原1号は冬用のドロップでかまわない。

いつも通りの境川往復練習。やや強い北風を利用しての最適ペダリング練習もいつも通り。ただ、今日はスリーエフ藤沢白旗店に3回行った。いつもより1回多い。昼頃には雨の気色はまったくなくなり日が差してきた。昼飯に買った塩むすびを食べていると足元でベニシジミが日光浴をはじめる。夏の盛りに見る赤と黒の鮮やかなものではなかった。

ハンドルバーの高さと距離がなんとなく不都合な気がして帰宅してすぐステムを変更した。3tttからチネリだ。半原1号でも最低まで下げられるようにカットして磨いた特別仕様のチネリ。


2014.11.10(月)晴れ ササガヤの方向

 クロナガアリ

写真はササガヤの種を運ぶクロナガアリ。おなじみの光景であるけれど、昨日、あらためて気になったことがある。それは、ササガヤの向きだ。この写真では禾、いわゆるひげが後ろ向きになっている。じつはこっちの方向を目撃することは少ない。十中八九はひげが前向きになるようにして運んでいる。方向がどちらでもよいのなら半々になるはずだ。さて前向きを好む理由はなんだろう?

私は、この写真のように後ろ向きのほうが合理的だと思っている。ひげの引っかかりが少ないからだ。前向きだと落ち葉やら草の茎やらにひっかかって、そのつど苦労することになる。また、巣に運び入れる段でも前向きだとまず一発では入らない。前向きに巣に入ろうとして二度三度ひっかかって反転し、後ろ向きで入るケースをよく見る。最初から巣にはいる直前に方向転換して後ろ向きになるやつもいる。それが経験豊富な働きアリで、学習の結果その技を身につけているのならすばらしいことだ。

そうした不合理の数々がありながらあえてひげを後ろ向きにしない理由を考えてみる。まずありそうなのは「歩きにくいから」というものだ。ひげが後ろ向きだと体の下にひげが入ることになる。6本の脚でせかせかと歩けば少なからずひげに当たるだろう。ひげに脚が当たれば種をくわえている口にその衝撃が加わるだろう。その辺のことが不愉快かつ歩きにくいからひげを前向きにして運んでいくのではないだろうか。


2014.11.12(水)くもり一時雨 アリの何が面白いか

 クロナガアリ

毎朝クロナガアリを見て撮影するのが日課だ。何が楽しくてそれをやっているのか、ちょっと整理しておこう。

まず、これは仕事ではない。将来も金銭的な利益、社会的、学術的な名誉を生む行為ではない。純粋に面白いからやっている。しかも続けてやっていなければ出会えない面白みがあることを承知している。

月曜に書いたようなササガヤの種の向きを決めて運ぶ行動も何百何千回もアリを見てふと思いつく事だ。ちょっと見では絶対にそうした面白みがわからない。そしてその手の着想こそが最も人間らしい道楽に通じるものだと信じている。私の半世紀を超える人生経験からの信念だ。

撮影自体もけっこう楽しい。アリは難しいからだ。虫の中ではクロナガアリは撮影が極めて容易な部類に入る。それでも機械の工夫をしなければ絶対にまずまずのカットはものにできない。そうした試行錯誤が楽しい。いまのセットは満足できるもので、改良の余地はないように思うけれど、ある時また新情報を得たりインスピレーションを得たりして新たな工夫をしてみたくなるかもしれない。栗林さんの虫の目レンズと超高感度カメラの組み合わせは実現可能なところにある夢の機材だ。

クロナガアリの体長は5mmほどであるから、体をフレームいっぱいに写すと深度は1mmほどになる。けっこう動く相手だけに、狙い通りぴたっとフォーカスがあっているだけでもうれしくなれる。アリの顔の右目にピンが来ているか左目にピンが来ているかでぜんぜんできが違うのだ。

ファインダーで覗いて撮って、その写真を見てはじめて気づく生態がある。ぴんぴんしている仲間を死体のように運ぶとか。理由のわからぬ大げんかとか。そうした「?」あるいは「!」はこの撮影の醍醐味だ。

それ以外でも楽しいことがある。今日の写真に代表されるようなカットだ。アリの習性、生態にかかわるような行動、状態でなくとも、何か物語を感じるような情緒のあるカットをものにできるとやはりうれしい。そういう瞬間はいつ訪れるかわからない。草むらに土下座して息を殺して待つ者だけがその機会を得る。こういうカットは「使える!」と思うし、効果的に使う方法をいつの間にか考えている。病の一種だろう。


2014.11.15(土)晴れ 冬仕様の境川

 半原1号

半原1号を冬仕様にして境川を流してきた。ハンドルやタイヤの感じをちゃんと確かめておきたかった。タイヤは前後ともフュージョン3を使っている。チューブレスタイヤをチューブドで使用することになる。ただそういうイレギュラーな使い方でもソフトで良く転がるタイヤだと思う。耐久性はPro4に比べると圧倒的なアドバンテージがある。取り付け、取り外しに相応のテクと力が必要なのがただ一点のくもり。

境川はモンシロチョウやモンキチョウこそ飛んでいるものの、路面に出てくる虫が少なくなった。カマキリもスズメガもバッタもいない。ジョウビタキ♂が境川に来た。ちゃんと冬になるもんだ。青空には毛羽だった片積雲。雲頂が風に吹かれて渦を巻き神奈川沖浪裏のようになると、空まで冬だ。

練習はいつも通りペダルのかかりに注意して100km4時間走行。半原越を走るとき、ペダルにかける体重を階段登りぐらいにすると200歩、走行距離にして400mぐらいしか続けられないと思った。ビルの5階ぐらいまでけっこうな速度で歩いて登ることになるから。階段登りの半分ぐらいにして同じピッチなら2km。30%ぐらいなら頂上まで行けるだろうか・・・などと皮算用しながら練習した。


2014.11.16(日)晴れ プレゼント

 クロナガアリ

日曜の午前は境川。ナカガワで出かける。ふと思い出したのは昨日の計画。午前中は境川で午後は半原越のほうがいいのではないだろうか。11月半ばの晴れた半原越はきれいだ。ちょっと迷いつつスリーエフ藤沢白旗店に入ってその迷いが一気に晴れた。今日は午後も境川だ。

スリーエフ藤沢白旗店で買ったアイスやにぎりめしを食べるのは通称白旗休憩所だ。白旗休憩所のよいのは地面を木材チップかなにかを固めたもので舗装しているところだ。シューズの摩耗が低減される。しかも白旗休憩所にはアリの餌があった。アリの餌はイネ科かなにかの種で、良く日の当たる乾いた荒れ地ならいくらでも生えているものだ。コンビニ袋にアリの餌を集めて持って帰ったのは4週間前だったろうか。

その餌を半分くらい消費して放置していたところ、女房に捨てられてしまったようだ。ゴミ袋に入っている雑草の茎なんてものはどう考えてもゴミだ。なんでゴミが玄関のヘルメットの中にあるのかということまで想像力が及ばなければただのゴミだ。女房は捨てたことさえ記憶にないらしい。

わが家のクロナガアリにはわざわざ種を拾ってこなくてもササガヤがある。というか今年の庭には食べられるものはササガヤしかない。働きアリが集めてくるものを観察していても99%がササガヤだ。ササガヤだけではやはりささやかだろうと境川くんだりから種を拾ってきたのだ。ちなみに水稲の種も与えたけれど、アリが運ぶ前にキジバトか何かが全部食べてしまったようだ。巣の回りにもみ殻だけが散らばっている。アリが捨てたもみ殻ではないだろう。ゴミを捨てるタイミングとして早すぎる。

先々週のこと、もういっぺん白旗休憩所で餌を補填しようとしていたところ、草刈りが入ってさっぱりと種がなくなってしまった。白旗休憩所の草刈りなんて年に1度あるかないかだ。それをわざわざこのみのりの季節にやるこたないだろうと少しむっとした。そんなことを嘆く方がおかしいのだけど。

幸いなことに餌の種は境川近辺だけでも無尽蔵だ。10mは歩くので、シューズの減りをちょっとあきらめるだけのことだ。というわけで今日は梨の木学園の前の種を拾ってきた。これはクロナガアリたちに評判のよい種である。まけばすぐに働きアリが反応し、こぞって巣に運び込んだ。

こちらとしても種を運ぶカットがササガヤだけだと撮り甲斐という点で少々不満がある。バリエーションも欲しい。こうやってプレゼントした種にちゃんと反応してくれるのはありがたい。ただ今日の撮影はつらかった。地面に正座していると両脚の太ももとふくらはぎが攣るのだ。痛みがあると撮影に身が入らない。耐え難くなれば中止せざるをえなくもなる。自転車に行く前に撮ったほうがいいかなと思った。


2014.11.17(月)晴れ ロト6で6億円

ロト6のポスターに「6億円当たるってことは年収2000万を30年続けること」というような文句が書かれていた。それをみて少しばかり衝撃を受けた。私は宝くじはまじめに取り合っていない。これまで1億人に一人が一等になるのかなあ、買って当たればすごいな。などとぼんやり考えていた。そのぼんやりがポスターのキャッチコピーで具体化した。

ざっと計算して、6億円当たるために必要な投資は12億円ぐらいだろう。となれば、年間4000万円分の宝くじを30年ほど買い続けるという計算になる。年間4000万円の投資なんてちょっと無理である。一日あたりにすれば11万円であるから、それを1万日続けることになる。1万日どころか1日だってそんな投資はできない。宝くじにあたるのは難しいことだ。

宝くじ的確率といえば、私はフリーセルにチャレンジしている。私の持っているフリーセルには20億個のゲームがある。その中にはわずか2万個ほどの解けないゲームがあるらしい。10万に1個の確率だ。私はまだ1つも不可解に当たっていない。死ぬまでになんとかそれを見つけたいと思っている。こちらもロト6並に当たらないチャレンジではあるけれど、費用と効果を考えて投資に見合うだけの達成感はじゅうぶんあると思っている。いまのところ一日あたりの投資は数分。解いた数は6万だ。


2014.11.18(火)晴れ 顔

 クロナガアリ

朝方はけっこう寒くなった。寒いとはいえ気温は10℃ぐらいはあるだろう。日陰でもクロナガアリが十分に活動できる温度だ。11月の朝でも暖かければクロナガアリは活発に働いてササガヤを集めたりゴミを捨てたりしている。

最近では外に出たときにどれぐらいアリが活動しているのか気温で予想がつくようになっている。今朝ぐらいだと巣口の周辺でも数匹が所在なく歩いているだけだ。種も運んで来ない。動きはスローモーだ。

観察し撮影するこちらはあまり面白くない状況だ。動きが遅いのをいいことにもっぱら顔の撮影をすることになる。今日の写真ぐらいのアップになるとほとんど止まっているアリでもピント合わせが難しい。多少は難しいことをしないと張り合いがない。


2014.11.22(土)晴れ 見間違い

 半原1号

さあ今日はドロップバーに変更した半原1号で半原越。久々の登りになる。小春で風もないよい日和だ。冬用ジャージだとけっこう暑い。ただ上り下りで脱いだり着たりするのも面倒だ。

1回目はちょっと重いギアで走ってみた。前半は乗れてる感じがしないのにそれなりの速度で進む。区間4に入ると反動が来て重いギアは回せない。前足は踏みつける感じで後ろ足は無理に引っ張る感じ。犬走りもなにもあったものではない。立ちこぎもシッティングポジションのまま腰を上げるプロっぽいものではなく、肘が伸び体が前に出て不必要に下死点のペダルを踏みつける素人走りになる。走りながらこんなのでは練習にもならないなあと思っている。

ラップタイム目標km/hbpmrpmW
区間14'38"4'38"+515.316970187
区間210'03"5'25"+2113.118368188
区間315'18"5'15"+1013.718271189
区間422'19"7'01"+4310.318461180
全 体+7912.818067185

 草

ハーフは21Tと23Tを主に使った。せっかくSTIもあることだからと、引っかかりのないペダリングを心がけた。ギア比が高すぎても低すぎてもいけない。低いと引き足がうまくかからない。ペダルが軽いだけにうまく走っているような錯覚に陥るから要注意だ。空回しにならない最小ギアで走る練習をつまなければ。

晩秋の午後らしく半原越はとても静かだ。音がない。草むらからコオロギの声がかすかに聞こえる。その種類はほとんど分からない。コオロギの勉強をおろそかにしてきたことが残念だ。カネタタキやカンタンのように特徴ある声も少し混じっている。そしてときおり遠くから響くヒヨドリの金切り声。

ハーフを4回やって景色や虫の死体を撮りながら下っていた。犬橋を過ぎたところで粉々に轢かれたクダマキモドキか何かが視界に入ってきてブレーキを引きUターンした。近寄ってよくよく見れば緑の草きれだった。なんとなく記念に撮影だけはしておいた。肝心のクダマキモドキか何かの直翅類はその100m先で偶然見つかった。


2014.11.23(日)晴れ 境川の事故死虫

思いっきり定番化している日曜午前の境川。空気も追充填せずに昨日の半原1号で乗り込んだ。真昼ごろになるとけっこう北風が強くなった。練習の好機到来だ。今日は左足の矯正に終始した。下死点から引くときにかくんとしたショックがある。ペダルが軽いときは気にならないけれど、重くなるととたんにひっかかりが大きくなる。右足にそんなショックはない。相変わらず左足は自転車に乗るのが下手なのだ。もっと上手くなるためには左足をなんとかしなけらばならない。

境川は良い日和だ。雪をかぶった富士山の頂がうっすら見える。モンシロチョウやモンキチョウが盛んに飛んでいる。自転車の練習だけではもったいないぐらいの陽気だ。足元を見れば緑色のスズメガ幼虫が転がっている。自転車にひかれたらしく路上でつぶれて絶命している。まだスズメガがいるのかと少し驚いた。

驚きついでに路上の轢死体をいろいろ撮影することにした。個体数ではカマキリ、バッタの直翅類が多い。いまいち種類は特定できないけれどスズメガも2、3いた。スズメガの終齢幼虫が晩秋に歩き回ることはまれではないようだ。

帰宅して両脚の痙攣と闘いながらクロナガアリの撮影。昨夜、SB-29装備のスーパーマクロをD100からD70sに変更した。もう一台のスーパーマクロにセットしている中古で買ったSB-80DXがときどき発光しなくなったことに伴う玉突き型変更だ。D70sの良いところは高速シャッターが切れることにある。400分の1秒でもストロボが余裕で同調するのがうれしい。D100だとぎりぎり200分の1秒だ。ただ、クロナガアリを撮るには光源がSB-29だとちと固い。ほんのわずか手ぶれ、被写体ぶれしていたほうがかえって情緒はあるのかもしれない。

そういえば境川からの帰り道で、アスファルトに転がる虫の死体を撮るには斜めに射す秋の直射光はコントラストがきつ過ぎることが気になった。撮っているときすでに影が暗すぎると感づいていたのだ。帰り道でいろいろ考えを働かして、せめてストロボがあればもうちょっと工夫できたものを・・・と反省してしまった。その反省の5秒後に私のオリンパスTG-1にはちゃんとストロボが内蔵されていること、境川の虫をストロボで撮影した実績もけっこうあることを思い出した。無計画な撮影ってのはえてしてこんなもんだ。ともあれ今日の成果は境川の事故死虫としてまとめた。


2014.11.24(月)くもり一時晴れ とんびに飯をさらわれる

左右上下がばらばらでは犬走りもなにもあったものではない。今日も半原1号で境川。あまり力を入れずにちゃんとペダリングすることだけに集中した。一番の課題である左足の引きは、引くタイミングを早くすることで改善できる。下死点に入る手前から引く動作に入ればよいのだ。ただしそのやり方では他いろいろな問題が生じてくるような気がする。難しいものだ。

 白旗休憩所

50キロほど練習してスリーエフ白旗店でおにぎりを買い、写真の白旗休憩所で食べていた。物欲しそうなスズメが寄ってきたから、塩むすびをひとかけら分けてやった。白旗休憩所でスズメに昼飯を分けてやるのは数年来の習慣になっている。

スズメは2羽やってきて機嫌良く飯粒を食べていたが俄にあわてて飯粒を置いたまま近くの木の枝に飛び移った。そういう状況はよくあることだ。即座に「後ろからなにか来るな。ヒヨドリだろう」と予感した。その刹那、背後から忍び寄った者が私の左手のにぎりめし(正確にはにぎりめしの袋)をつかんで飛び去った。大胆なヒヨドリだな、とあっけにとられてその姿を追えばトビである。

トビの弁当強奪は江ノ島名物である。連続アニメピンポンではそのシーンが2回も出てきた。しかし、白旗のような内陸でもそういうトビがいるとはちと驚きだ。

おにぎりをトビにさらわれたそのとき、羽音も風圧も感じなかった。ということは、トビのやつは全く減速することなく上空から突っ込んできてにぎりめしをわしづかみにした直後、羽の傾きを変えて減速しつつ上昇していったのだ。鮮やかなものである。


2014.11.27(木)くもり 柿の葉とアリ

 クロナガアリ

昨日の午前中から今日の早朝まで雨が降り続き庭は完全に濡れていた。午前7時半、クロナガアリは活動していたものの種を運んでくるものはいなかった。2、3頭が巣のまわりを探索していただけだ。本降りの雨が続けば地上での働きアリの活動は鈍る。

こちらはカメラのテストもあって100カットぐらいクロナガアリを撮影した。古いニコンのD70sをもう一度スーパーマクロとして使うにあたって色温度と色相を再設定する必要があった。色温度はおおむね「晴れ」でよく、色相は黄色に最大に寄せておくのが良かった。写真の用途は自分記録とウェブでの利用のみである。Jpegの小さい画像で撮ってなるべくレタッチはしたくない。カメラの設定は大事だ。明かりはほぼ100%がSB-29だから一度設定すれば撮影の度に変える必要はない。ただし被写体の明るさや色等の違いから上がってくる写真の風合いは相当変化し、一つの設定で万能ということはありえない。それは最新型の最高級機でも起きることだろう。

ところで、クロナガアリを見ていてよく思い出すのが「かきのはとあり」という短編だ。あるときアリの世界が真っ暗になってしまってアリたちがパニックになる。それは単に柿の葉が巣口を覆っただけで、風か何かのおかげでなんなく復旧するとい物語だ。絵本の「みにくいあひるの子」に収録されていたものだと記憶している。

当時私は「みにくい」という意味が「見にくい」のか「醜い」のか判然としないくらいの幼児だった。醜いという言葉をまだ知らず、白鳥が岸辺から水面に顔を写して見る絵があって、それじゃあ体が見にくいだろうと思っていた。その程度の読解力だったが「かきのはとあり」は好きだった。読めば読むほど味わいを感じたものだ。


2014.12.6(土)晴れ チネリを赤くした

 チネリ

フレームカラーを変えたチネリで境川に行ってきた。境川はみごとなまでに冬だった。さすがに路面には虫はおるまいと思いながら走っていたら、スズメガの轢死体があってちょっとおどろいた。畑にはモンキチョウの姿もちらほら見える。白いからモンシロチョウかな?とよく見ればたいていモンキチョウだ。モンキチョウの成虫のほうが寒さに強いのかもしれない。この辺で成虫越冬することがあるのだろうか。

チネリはやっぱりいい。今日は風が弱く52×18〜19Tを90rpmで回して100km。高速になればなるほど面白くなるのがチネリの特徴だ。あとちょっと脚力が欲しい。

ペダリングにはいまだに課題がある。まずは右足の付け根が痛くなる。力のかけ方がまずいのだ。とくに上死点付近で余計なベクトルを加えていると痛くなる場所だ。ではそれを矯正だ、とがんばっていると左脚の膝からふくらはぎが痛くなってきた。どうすればいいんだと、悩みは深くなる。今日は脚が一番後ろにあるときいっぱいまで延ばしてから引くというやり方を試してみた。さて、それがいいかどうかもよくわからない。無風なら52×18Tを普通に回して32km/hで巡航できるようになっている。それで息が上がらない。たいへんな進歩でけっこうだ。その一方で筋肉や関節に痛みが来る。

とくにこれといった好感触もなく帰路につくころ、雲行きが怪しくなってきた。黒い雲底が垂れて地上まで伸びている。あまり認めたくないけど、北の方は雨だ。神奈川のこの辺でも初冬の時雨っぽい天気はあるらしい。じつはこの数年境川を走った経験から、この湘南では冬の北風がめったに吹かないことに気づいている。今日は日本海側は大荒れのはずなのに境川は無風なのだ。自転車遊びをやるぶんにはありがたいことだ。


2014.12.6(土)晴れ ジャポニカ学習帳の虫

ジャポニカ学習帳の虫の写真がちょっとした騒ぎになっている。父兄、教師の一部に昆虫はきもいという人がいて、虫の写真もきもくて、虫の写真があるノートもきもい。きもいものは売れないからジャポニカ学習帳が虫の写真を使わないように決めたらしい。私が知るかぎりでは20年以上前からジャポニカ学習帳は昆虫写真に消極的だった。ジャポニカ学習帳は教育ツールではあるけれど第一に商売道具だから当然のことだ。

この件に対して虫好きは否定的である。私もがっかりしている。虫を忌み嫌う人は愚かで、子どもを虫から遠ざけるのは犯罪行為だと思っている。犯罪は言い過ぎとしても反教育的行為であり、国力低下をまねくことは確実だ。

そういう心配については世の虫好きたちの見解といっしょだ。だけど、なぜ虫そのものであれ昆虫写真であれ遠ざけるべきではないと考えるのか、私の見解は皆とはずれているはずだ。

虫一般の好き嫌いについて、好きな人も嫌いな人も虫のことを一種のオブジェクトとみなしているように思う。好きな自動車、好きなアニメ、好きな芸能人、嫌いな自動車、嫌いなアニメ、嫌いな芸能人、そういう好みのレベルで虫の好きずきを考えるようでは平行線。どこまで行っても根本的な解決の交点はない。

虫は単なるモノではない。生物である。といってもよくあるように、命の大切さなんてしょうもない道徳のオブジェクトにしてはいけない。そういうぼんやりした生命教育は数々の悲喜劇を生んでいる。昆虫採集の禁止とか、蛍の放し飼いとか、学校のとんぼ池とか。命がどうのというのはもっと人に近い家畜とか人そのものとか、その手の思い入れしやすい対象でやらないと逆効果になりかねない。すくなくとも、ハエ、蚊、ゴキブリ、クモ、アリ、回虫、ヒメマルカツオブシムシも同じ命ではないか? という子どもの疑問を解く準備がないうちは、虫の命を大切だなどと寝言をいってはいけない。

私は虫とちょうど同じ時間だけこの地球で生きてきた。生物として生きる方向が違い、異質な体、異質なモチベーション、異質な感覚を持っている。同じ動物だって5億年もたてばずいぶん変わるもんだ。

どこでまちがったか人間というのは不幸な生き物である。たぶんこの地球上で唯一の不幸な生き物である。いろいろ悩み深く本当の幸いをつかめない。そもそも自分というのはなんなのか。人間には目的があるのか。なんのために生きているのか。いろいろ残念な迷える羊に手をさしのべてくれるのが他でもない、虫なのだ。

動植物はどれほど異質であろうとも所詮は一体の幹から分かれる枝である。虫の行為には理解できるところがあり理解できないところがある。じっとみていると彼らの異質なモチベーション、異質な感覚がわかってくる。虫はいくぶんかの魂を私と分有しているからだ。

命のないもろもろのオブジェクト、自転車とかアニメとか芸能人とか神とかから得られる認識はけっきょく自分自身のことにすぎないものだ。鏡に写った自分の姿みたいなもので、どれだけ好いたり嫌ったりしても畢竟自己愛であり自己嫌悪である。虫をそういうオブジェクトの一つにしておくのは惜しい。人とはなにか。私の生きる目的とは何か。そんなことを本気で知りたければヒトの外に一歩でも出て行かなければ話にならない。虫は子どもでも気づくことができるヒトではない生命だ。家屋の中にすらいて見たり聞いたり触ったりできるありがたい存在だ。虫と接すればヒトの中にある魂の気づかぬ部分の存在を容易に知ることができる。

プラトンは哲学者が独裁者としてトップにある国家を理想といった。そうかもしれないけれど当面は_人類が進化でもしないかぎり_無理だ。プラトニックな私だってプラトンの理想国はなんだかいやだ。プラトンが最悪愚劣といった民主主義の国では、もうちょっとましな社会になるためには個々人がもうちょっとましになることが手っ取り早い。好き嫌いを超えて虫のことがちょっとわかるだけで個人はもうちょっとましになる。


2014.12.7(日)晴れ 足が行方不明

今日、境川でふと気づいた。右脚付け根、左ふくらはぎ、というように左右ばらばらな部分が痛くなってしまうのは、ペダリングに不均衡があるからだ。それなら均衡に力を入れる練習が必要だろう。そもそも自転車を進めるパワーは不随意の筋肉によってもたらされている。使っていることを意識できない筋肉からの出力が大半のはずだ。不随意ならばしかたない。まずは随意の筋肉をバランス良く使って、その効果を不随意の筋肉に及ぼしていくのが良いのではないだろうか。

というように考えて、ひとまず上死点下死点での力の入れ方に気をつけてみることにした。ペダリングで随意の運動といえば膝を曲げる伸ばすというのが一番だ。上死点で伸ばし下死点で曲げる。右脚が伸びているときに左が縮む。つぎに左が伸びているときに右が縮む。その伸び縮みがばらばらだと両脚が干渉しあって無駄な出力になってしまうのだ。まずはそこを意識しようと思った。

やる前は単純明解、簡単だと思った。ところがそれがうまくいかない。一回だけなら右が上で左が下、ということがはっきり分かる。しかしペダルが180度回って右が下で左が上になったとき、どこに足があるのかを見失っている。何度やってもダメだ。もう180度回って右が上で左が下になったら、足の位置がわかる。それが無理ならと、右足の上死点、左足の上死点というように上死点だけを意識してみるとうまくいく。下死点も同様にうまくいく。しかし、右膝を伸ばして左膝を縮める、つぎに左膝を伸ばして右膝を縮める、それだけの単純作業が連続となると意識できないのだ。右足は上死点にあるのに左足がどこにいるのかわからなくなる。場所がわからなければ、力を入れるとか抜くとかの練習になるわけがない。これには弱った。わが臨済禅には隻手音声という公案がある。あれを自転車の上で差し出されたみたいなもんだ。

私が自転車を上達できないわけがわかったような気がする。ペダリングで足がどこにあるのかをちゃんと把握できずに練習になるわけがない。半原越で足の軌道がしっかり意識できたこともあった。あれは強い力をゆっくりかけていたからできたことらしい。この冬はひたすら足の在処を探る練習をしようと決意した。


2014.12.13(土)晴れ 実用数学技能検定の愚問

最近、実用数学技能検定の2級に7歳の少年が合格したことがテレビで頻繁に報道されていた。その報道を見て数学嫌いだったことを思い出した。

いまでこそ私は受験数学が好きで、出版とか放送とかのサービス業にあたる職場で変人として通っている。文系は数学嫌いでなければならないからだろう。しかし、高校生の頃は数学嫌いだった。じつに1年以上も数学から遠ざかり、学校の試験では100点満点中5点とか10点という散々な有様であった。周囲の人間から「こいつはもしかしたらバカではないか」と本気で心配されたほどである。

どうしてあんなに高校の数学に嫌悪を持ったのかしばらく忘れていた。それをテレビの報道で思い出したのだ。TBSニュースバードでは少年が解いた問題として以下のようなものが放送された。

問い:1から6までの6つの整数でできる数が3の倍数である確率を求めよ。

他番組で放送されていたものも難易度は同程度、典型的な受験問題だった。ともあれ、上の問題は私が5秒で解答したのはいうまでもない。答えは1である。

この問題は確率を求めよとあるけれど、確率の問題ではない。確率とは無関係だと一瞬で判断できないと無駄な回り道をすることになる。いわゆる一休とんちばなしの類である。必要なのは整数で各桁の数を足したものが3の倍数であればもとの数も3の倍数という豆知識だ。これは、任意の整数.......edcbaを、a+b(9+1)+c(99+1)+d(999+1)+e(9999+1).......と展開すれば簡単に証明できる。

問題として問われるのは、単にそれを知っているかどうかだ。問題は確率と関係ないばかりか、整数の倍数の問題ですらない。問題を数論とみなして、3、6、9・・・と3つに1つずつ出てくる3の倍数をまじめに考えたら解けない。そっちの方向でも解法があるのかもしれないが、それを発見するのはできる高校生でも丸一日はかかるだろう。

どういうわけか(おそらく入試用の問題を作る都合から)高校の数学はこんなものばかりだった。テストは、数学の記号を使用しながら数学とは無関係のことをばかりを問う。まじめな子どもを愚弄することが教育の場でまかり通っていたのだ。そんなものに私のような素直な子が本気になれるわけがない。私が数学に求めていたのは、数とは何か、数式はどんな現象を記述しているのか、数学を用いればこの世のどんなことが明らかになるのか、そんなことだ。

受験数学が許せるようになったのは大学を卒業して社会に出てからのことだ。社会も会社も、驚くべきことにそこで取り交わされているものは一休とんちばなしばかりなのだ。出世する者は全員が一休とんちばなしが得意だ。それがわかって、人に対する優しい気持ちも芽生えた。受験用数学が一休とんちばなしになり、「実用」数学の検定試験が噴飯物の愚問ばかりになるはずだ。


2014.12.20(土)雨 冬のクロナガアリ

 クロナガアリ

朝から雨は降っているものの気温は高い。こんな日はクロナガアリが地上に出ているだろう。そう思ってカメラを持って庭に出れば雨粒もそれほど冷たくない。クロナガアリは巣の近くですぐに見つかった。数頭がゆっくり歩いている。種を運んでいるものはいない。庭のササガヤは落ちきっている。めぼしい食べ物は少ないだろう。

アリといっしょに雨に打たれながら撮影していると、けっこうつらい。さすがに12月の雨だけのことはある。アリだってしんどいだろう。ただこうしてお互いつらい思いをするには理由がある。すくなくともヒトであるこちらには動機や目的や、過去に同様の経験をして楽しかった記憶がある。少々のつらさは決して悪いことではないのだ。

さてアリはどうだろう。気温の低い屋外で雨の中活動するのは容易ではあるまい。深い巣の中は暖かくて快適だろう。外に出なくとも非難されることはないはずだ。働きアリは私もその気持ちがちょっとだけわかるかもしれない衝動に動かされて働いている。さぼろうとか楽しようなんて気分は微塵も起きないだろう。働きアリがそんな気持ちになるようではいっぺんに家族社会が崩壊してしまう。何かの逆転大技がなければ種自体が絶滅するだろう。試しにアリの気持ちをヒトの言葉で表現してみるならば、働く存在だから働いている。彼らを動かしているのはそういうトートロージーだ。

社会としてヒトとアリは対局にあるといっていいだろう。アリは没個性の機械的集団として社会を維持してきた。その方法は大成功をおさめ1億年の時を経てますます盛んだ。地球上の動物社会の最高傑作だ。ヒトは文明によって社会を維持してきた。そのシステムは1万年の歴史を経た。この先どれほど生きながらえることができるかは不明であるけれど、地球史における一方の大傑作といえるだろう。

双方に共通していえるのは、社会を形成している個体がけっこうしんどい目にあうこと。無理する必要のない無理をすることにある。ちゃんとした社会を形成できない動物はいうまでもなくしんどそうだ。そのどん底の生活から抜け出すのに社会の形成は画期的アイデアだったはずだ。「でも相変わらず無駄にしんどい目にあうよな。お互いに」とアリに話しかけた。


2014.12.21(日)晴れ 見えない生物バイトン

 クロナガアリ

今日は暖かく穏やかな一日だった。クロナガアリたちは10月の収穫最盛期なみの活気がある。つぎつぎにササガヤなんかの種を集めてくる。巣口ではちょっとした渋滞がおきるほどだ。彼らはよく働く。私もこれが撮影今季最後かもしれないといつもより多めにシャッターを切った。

さて昨日の続き。働きアリも私も同じくよく(よけいに)働く被造物である。なんとなく社会という物が成熟すればするほどこのストラグルが大きくなっていくような気がする。50年前には楽しみのためにランニングをしたりするようなものはいなかった。いまでも愛媛県八幡浜市あたりの漁村では楽しみのために自転車に乗るようなオヤジは3人ぐらいしかいないという。

こうなるともはや何か未知のパワーによって踊らされているのではないか。と考えて思い出したのが45年ほど前に読んだ子ども向けのSF「見えない生物バイトン」である。

バイトンというのは空中を浮遊する球体の生物で人間には見えない。そいつがくせ者でヒトにとりつき心を操作して喧嘩をさせ、そこで発生する恐怖・悲しみ・怒りなど負の感情を食う。人類が飽くなき戦争を繰り返すのはバイトンの仕業だったのだ。ある日、科学者が偶然にバイトンを見る方法を発見する。たしかヨードチンキとアスピリンをいっしょに飲むというような方法だったと思う。当然バイトンの方でも自分たちの存在に気づくヒトが現れたことに感づく。かくて人類vsバイトンの全面戦争に突入する。バイトンには物理攻撃が効かない。鉄砲で撃っても弾が素通りするだけだ。しかも戦争であるから人間は分が悪い。戦いで発生する感情はバイトンの食い物である。がんばればがんばるほど敵を呼び寄せ増殖させる。しかも人間を自殺に追い込むというとっときの攻撃もあるのだ。絶体絶命の人類。はたしてバイトンとの戦いに勝利して本来の人間らしさを手に入れることはできるのだろうか?

強烈に印象に残った作品だ。小学校の図書館で借りた読み物だったと思う。私はいまではヒトのこころは操作されていると信じている。バイトンのような外の存在ではなく、体の内部にいる感情の実体だ。ヒトもアリもそいつに操作を受けている。DNAとか遺伝子とかいう抽象的なものではなく、化学的な過程としてのアルゴリズムがあり、その過程を突き止めることは可能だと考えているのだ。


2014.12.27(土)晴れ 球の表面積のつづき

球2

2008年の10月に球の面積を一休的なとんちで導こうとして挫折した。左はそのときの図である。球の表面を糸でぐるぐる巻きにして糸を大円に沿って縦に切り展開している。

私はこの図の長丸の面積が球の表面積に等しいと勘違いしたのだ。計算すると長丸の面積は、(π・π・r・r)となり、球の表面積のよく知られている公式(4・π・r・r)とはぜんぜんちがう。2008年にはなんで間違っているのか分からなかった。

最近、私の描いた長丸は楕円だということを知った。しかも楕円の面積の公式は私の考えと一致していた。楕円という概念がおぼろげだったにもかかわらずその公式を直感的に導き出したのだ。運が良い。自分で自分をほめてやりたい。

球3

そして左図の長方形が求めるべき球の面積に一致していることに気づいた。こういうのが数学の醍醐味っていうもんだ。これは偶然の一致というようなものではなくて、数学的に導き出せるものなんだろう。こういう発見はインスピレーションの源泉になる。

4年前には「この先はどうやら積分法のお世話にならないとだめらしいぞ。積分なんて大学受験でやっただけだ。なんか無理っぽいな。」と挫折していたのだが、もう少し一休とんち法で考えを進めてみたくなった。

球3

そしてまた私のどこが根本的に間違っているのかについても考えてみた。私の糸巻きを左の図のように表現してみた。

わかりやすいように、糸をテープのように太くしている。この糸をどんどん細くして展開すれば上の図の楕円になるはずだ。しかし、糸をどれほど細くしようとも、その糸の幅と糸が覆う球面では面積に差が出る。赤道ならほぼいっしょでかまわないけれど、真ん中あたりだと両者の切断面の線分にして球面のほうが1.4倍ぐらい長い。北極あたりだと何万倍も長い。

この違いが球の表面積をπ/4ほど小さく見積もる原因だったのではないだろうか。


2014.12.28(日)晴れ 今朝の霜柱

 霜柱

クロナガアリは活動しているだろうかと、朝、庭に出てみれば、巣口の周辺はびっしり凍りついていた。クロナガアリが掘り捨てた赤土に霜柱が立っているのだ。今日は移動性高気圧がのって快晴無風。青空には見事な飛行機雲ができている。最低気温が下がって霜柱が立った。地面が凍るとクロナガアリは外に出てこない。

霜柱を自慢のスーパーマクロで撮影してふと思い出したのは鍾乳石のことだ。小学生のとき、鍾乳石集めがはやったことがある。鍾乳石集めといっても、鍾乳洞から切り出すような大それたことをやったわけではない。

当時は未舗装の道路が多かった。自動車が頻繁に行き交うようになると轍が大きなへこみになった。それを軽減するためか道路に礫を敷きつめていた。その礫が石灰岩だった。

石灰岩塊は部分的に鍾乳石を含む。道路を注意深く探していくと鍾乳石のかけらが落ちているのだった。僕らは新しく砂利のまかれた道路を見つけこぞって鍾乳石を探した。集中して見つかる所を見つけることが第一のコツだった。石灰岩の礫に鍾乳石が混じることは少なく、多い場所でも1000個に1個混じる程度だったろう。半日探し回っても収穫は数個だった。獲物の全てはささやかなものだった。透き通った無色の結晶は少なく、たいていは指先大のかけらでしかなかった。私は栗の実ぐらいの結晶を持っており、それが誇らしかった。

その鍾乳石のかけらはその一部が柱状に結晶し、ちょうどこの霜柱のようだった。


2014.12.31(水)晴れ 大晦日のクロナガアリ

 クロナガアリ

今年の年の瀬はたいへん穏やかになった。気温は10℃以上もあるだろう。午後、日の傾いた庭にでてみれば地面で餌を探すアオジがいた。シジュウカラは隣家のアジサイにとまって何か種のようなものをつついている。

クロナガアリはけっこうな数が外に出ている。ササガヤの種を運んでくるものがぽつぽついる。いまの興味は巣口がいつ閉ざされるか、そしてそれは自然にふさがるものなのか、それとも働きアリが自発的に閉ざすのか、ということだ。現状では巣口を閉ざす気配はない。10月には2か所あった入り口が一つになっているだけだ。

しばらく見ていると虫を運んでいるものがいた。1cmほどの名を知らぬ虫だ。ガガンボのような体型をしている。冬でもこういう微小な虫はけっこういるものだ。



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