たまたま見聞録

鞍掛山一周サイクリング

カシミール3D使用
鞍掛周回地図
愛媛県の八幡浜市には、この宇宙で最も楽しいサイクリングコースがある。八幡浜と大洲市にまたがる秀峰、鞍掛山を周回するコースだ。未舗装の林道やがたがたの農道を避けてロードレーサーで快適に走れる道を選ぶと周回距離は50kmぐらいになる。登りは3つある。夜昼峠、横野峠、高野地がそれぞれ標高300m程度。獲得標高は一周で1000mぐらいになるだろう。

夜昼峠へ

末広方面

2011年8月26日、千丈川を右手に見ながら反時計回りに鞍掛山周回コースに向かう。2分も走ると千丈川を離れ旧197号線は登りに入る。写真は梨尾から振り返る千丈川流域。風景はみかん畑と杉檜の林と少しの住宅で形成されている。

40年ほど前の航空写真を見ると、この地域には谷の底にも山の斜面にも田が切られていたことがわかる。何をおいても米の増産が必要だった戦後の食糧政策が終わると水田は換金作物であるみかんの畑に変わっていった。松と椎の林も開かれみかん畑になった。千丈川低地に細々と残っていた水田は昭和50年頃にはすべて宅地に変わった。そして農作業が機械化され、移動運搬の手段が軽トラックとモノレールになり、人が歩くために維持されていた小道が風雨に崩れ植物に覆われて消滅していった。風景の感じはとてものどかで50年前から変わっていないように思えるが、質はどんどん変貌している。

郷峠から流れる上谷川のヘアピンを過ぎると視界が開け右手に八幡浜湾が見えてくる。来た道を振り返れば鞍掛山の南尾根のコブが良い形に見える。上郷を過ぎると人家がなくなりしばらくはみかん畑と林の道だ。南裏に分岐するところに小集落があり千丈地区では残り少ない水田がある。

水田を過ぎるとささやかな桜並木がある。ソメイヨシノの桜並木は一か所だけではない。梨尾、上郷、夜昼峠にかけて断続的に作られている。それらは夜昼峠の道路開通記念にでも植えられたものだろうか。千丈小学校の校歌にも登場するほどの名物である。ただし花の季節でなければ、それが桜並木であることに気づかないだろう。私も花の季節は知らない。3月末にはどんな光景になるのだろう。

桜並木を過ぎて左に回るとレンガのトンネル、千賀居(ちがい)隧道がある。トンネルを抜けて芋畑の中に立つカーブミラーをちら見してぐるっと360度転回し竹林を過ぎる。その竹林がちょうどトンネルの上に当たる。トンネルの上を過ぎるとすぐに夜昼峠の切通しだ。千丈小学校から28分。

水飲み場

夜昼峠のお地蔵さんに軽く挨拶して慎重につづら折れを下っていく。大洲側は路面が湿っぽくコケが生え滑りやすいのだ。道路をくぐる小さな谷に3枚ばかりあった猫の額ほどの田んぼがなくなっている。すっかり雑草の群落に変わり、知っている者でないと田があったことは分からないだろう。耕作をやめて3年以上は経過しているはずだ。大洲側に下って数分のところに夜昼(よひる)の集落がある。夜昼を過ぎ、クヌギのZヘアピンを過ぎて、すこし下ったところに水飲み場がある(写真)。いまこの道路を行く人は100%自動車だろう。水場を利用する人は多くはあるまいと思えるのに、いつ来てもしっかり整備されている。どんな人が管理しているのだろうか。この水はうまい。鞍掛山の水は世界一うまいと思う。体に染み付いたふるさとの味なんだろう。

平野

夜昼峠を下って矢之地の集落を抜けJR予讃線のガードをくぐるとややうるさい国道197号線に出る。197号線は200mばかり野田本川に沿って走り、平野(ひらの)駅の方に折れればよい。平野駅を過ぎて200mほど走ると久米川にぶつかる。そこで左折して久米川を遡るルートを行く。平野の野田本川や久米川には水草が生えている。千丈川には水草がない。私には夜昼峠を隔てて西東で川の様相が違うことが不思議だ。平野の川は水量が安定しているから水草が繁茂するのだろうか。

234号線

横野峠に向けてしばらくは沼田川にそった田んぼの道路だ(写真)。県道234号線は大半を新しく作り直している。山を削って谷に橋をかけカーブをゆるく道幅を広くする工事だ。谷筋には完全に打ち捨てられて草木に覆われた旧道が見える。蛇行する河川にできる三日月湖のような感じだ。廃道の道幅は自動車1台ぶんぐらいしかなく、かつての不便さがうかがい知れる。ただし、自転車で走るには古い道のほうがおおむね快適だ。横野の集落を越えて林の中に入っても路面は良好だ。八幡浜、保内、大洲、長浜はいずこの道路も大変しっかりしていると思う。10年ぐらい前に来たときは一部崩壊したところがあって自転車を担いだこともあった。

横野峠から日土へ

横尾峠

「峠の一軒家」には童話的な響きがある。しかしながら、峠というところは住居としては立地が悪く、峠の一軒家など滅多にみられるものでない。あえてそれを見たい場合は横野峠に行くのがいい(写真)。八幡浜から宇和町に越える鳥越峠にもそれに近い雰囲気はあるが、横野峠には及ばない。

横野峠を越え杉林の中を日土(ひづち)に下っていく。横野峠を降りたところにも水場がある。こちらも夜昼峠のものと同様に現役で活躍している。『交通安全気休めの水』と少し奇妙な日本語が書かれてある立て札がある。自分の足で峠を越えていた頃には道端にある水場はたいへん貴重なものだったろう。水を汲んでいると軽トラのおじいさんがやってきた。おじいさんは私と一言二言会話を交わし一口水を飲んでいった。地元のお年寄りにとって峠の水場は単にのどの渇きをいやすだけのものではないはずだ。

峠を下って一つ目の分岐には気をつけなければならない。右が出石寺の郷の峠に向かう道に見えて騙されてしまう。そちらに行くと大洲の沼田に戻ってしまうのだ。おまけにそれは激坂だ。出石寺の周辺にはなぜか雰囲気激似の分岐が多い。自転車でぼんやりと走っていると、道の記憶に自信がなくなったり、逆に過信して迷ってしまう。私はすでに3回ぐらい(4回来たうちで)この分岐で迷っている。

ダミーの分岐をやり過ごしてちょっと下ると出石寺へのホンモノの分岐がある。鞍掛山周回コースでは迷わず左に進む。そこから尾之花までは立派な杉林の中を喜木川に沿って下っていく。ここは何度来ても奇妙な場所と感じる。よく手入れされた杉林の中を水が奔放に流れているからだろうか。あまり管理されていない川と徹底的に管理された人工林はミスマッチだけれど、毎度味わう奇妙な感覚には他にも原因があるように思う。

スナップしようと携帯電話を取り出して川にかかる橋に降りて行くと、大量のゴミが目に入ってきた。最近急増のいわゆる不法投棄ゴミではない。食べ物の袋、飲み物のケースなど行楽で出るタイプのゴミだ。 私の好きな場所はなぜかゴミこっそり捨場になる。こういうところでは美しさに祟の恐怖が加わり悪さなんてとうていできない。私と異なるものを見ている人が多いのだろう。

ハゼ

喜木川と野地川が合流するところに日土東小学校がある。小学校の手前の分岐を右に行くのは野地川に沿って出石寺へ向かうコースだ。尾之花は旅が似合う街道筋という感じがある。かつて、徒歩でお出石さんに初詣に行く人たちはここを通ったのだろう。私はいきあたりばったりに鞍掛山周辺をよく歩いた。鞍掛山の北斜面の薮をこぎ直線的に出石寺に向かおうとすると大洲街道にぶつかって日土東小学校に出る。

横野峠のあたりでは「へんろ」という札が目についた。かつての遍路道を保存する動きがあるようだ。尾之花は遍路で賑わう集落だったのかもしれない。天然記念物になっているハゼの老木(写真)はそういう歴史を見下ろしてきたはずだ。道端には石で作られたつがいのモニュメントがある。お地蔵さんだろうか、道祖神というようなものだろうか。私は歴史や風土というものにとことんと疎い。今、人生の落日を迎えようとして、ようやくこの手のものがいつ頃どういう人の思いで作られたのかが気になってきた。

日土東小学校を過ぎて出石川にかかる橋のヘアピンカーブをまがる。道路は集落とみかん畑の斜面に挟まれて狭い。家々も川と道路に挟まれた崖の上に立って窮屈そうだ。窓を開ければ直下に清流という部屋はちょっとうらやましい。左手に見える鞍掛山の北斜面は照葉樹が多く原生林の風情がある。少々開けたあたりで右手に青石(せいせき)中学が見えてくる。いまを去ること40年前、青石の女子の制服がたいへんかわいらしかったという記憶がある。しかしいま胸に手をあててよく考えてみると、かわいかったのは服ではなく、その中身だったかもしれない。

保内と八幡浜の間には名坂峠(なざかとうげ)がある。八幡浜から近隣市町村に行くには必ず峠を越える。さもなくば海上を船だ。かつて佐田岬と八幡浜の往来には名坂越えが必須であった。高校教師の思い出話によると、50年ぐらい前に「名坂クラブ」というものがあったという。そのクラブは名坂峠を越えて八幡浜高校に通う生徒が半ば強制的に入ることになっていた。クラブ活動といっても「自転車を降りずに峠を登る」というシンプルなものだ。自転車を降りる部員は「すいません。降ります」と大声で宣言しなければならなかった。峠の薮には先輩が隠れて見張っており、根性のない走りをするもの、無言で降りるものには容赦無い叱責が加えられたという。嘘みたいな話だが、あの時代の空気ではさもありなんと思う。

名坂クラブが廃部になっても自転車の伝説は生きていた。一部の小学生の間で、名坂峠から保内までブレーキをかけずに降りることができれば英雄ということになっていたのだ。峠を下って最もスピードに乗る所で道路はゆるく左カーブする。私の自転車に付けられてた歯車式のスピードメーターは名坂峠の下りでレッドゾーンを指した。舗装路とはいえけっこう恐い。ブレーキをかけずに下るなんて到底無理だった。嘘つきだらけの悪ガキ仲間でも、それができたと宣言する者はいなかった。

名坂峠は自転車の難所だった。頂上には狭くて暗いトンネルがある。へろへろになって登る峠のトンネルほど恐ろしいものはない。自動車だって自転車が嫌だったろう。現在では名坂トンネルの脇には自転車用の狭いトンネルが作られ安全に越えられるようになっている。いまだに自転車で名坂峠を越える子どもは多いようで、登りの途中で自転車を降りて押す姿を見かける。

こういうエピソードを並べてみれば、ものすごい峠のように見える。じっさいは、その名に反して、名坂峠はたいした坂もない道路のうねり程度のものだ。峠と呼ぶことすらはばかられる。自転車乗りというへんなおじさんになった今では、息も乱さずスイスイ登ることができる。保内への下りは、じつは緩やかである。時速35kmぐらいで空気抵抗と平衡する。あのいい加減なスピードメーターのレッドゾーンは時速30kmからだった。その自転車はたしか24インチだったので実質は時速27km程度でレッドゾーンに入ることになる。あの頃は自転車の性能も悪く腕もなかった。いまならノーブレーキどころか加速しながら鼻歌まじりに下れる。さすがに再挑戦する気はないけど。

鞍掛山周回コース反時計回りでは、名坂峠のトンネル越えを推奨しない。自動車用も自転車用も使わない。実は名坂トンネルのすぐ上には自動車がほとんど通らない旧道がある。交通量が多い(お盆のせいだが)197号線を避け旧道を選ぶのが賢明だ。旧道を使えば、ほんのちょっと登りが増えるだけで名坂峠からスムーズに高野地に行けるのだ。


津羽井から松尾へ

旧道を使うと名坂峠を下りきる前に道なりに左への分岐が見つかる。津羽井(つばい)を経て高野地に至る道だ。津羽井というのはちょっと妙な地名だ。ドイツ語の2にあたるツヴァイではないだろう。ばあさんの話によると戦時中、八幡浜にヨーロッパからの難民がかなりの数滞在していたらしいから、ツヴァイの可能性はヌルではないが、阿院(アイン)や土来(ドライ)という地名はついぞ聞かない。

津羽井は山の急斜面にある集落だ。道路は最初からつづらでガツンと登る。八幡浜市街地の眺望はきく。みかん運搬用のモノレールに自転車を立てかけてスナップした。

南からは津羽井の全貌が見える。かつて、八幡浜高校の裏山にあたる尾根筋に萩森城址とよばれるちょいとした遠足スポットがあった。萩森城址から津羽井方面を見ると日本が見つかるという噂をきいて、見物に行ったことがある。初見では騙されたと思った。噂話から日本列島の絵か何かのモニュメントの存在を予想していたからである。事実、津羽井にはモニュメントはなくナスカの地上絵みたいな日本列島があるわけでもない。ところが、そのつもりで眺めていると、ふいに集落の配置に日本列島の形が浮かび上がってきた。一度日本列島が見えてくると、能登半島や佐渡島まで見つかるから面白い。夜空の獅子座とかへびつかい座みたいなものだ。

津羽井の集落を越えて、八幡浜に典型的なみかん畑と林を縫う道をしばらく行くと高野地(たかのじ)の長谷(はせ)小学校に出る。日は西に傾いて、まもなく高野地の集落は黒い影の中に入る。長谷小学校から右に折れて道なりに進み小さな岬を回ると古谷だ。古谷から松尾の間には、八幡浜唯一の滝である鳴滝があり、鳴滝神社がある。鳴滝を作る流れにかかる橋のたもとに自転車を止めて鳴滝神社に詣でる。鳴滝神社は私的神社ランキング第一位だ。鳴滝を過ぎて西に向かうと道路は岩盤にぶつかりヘアピンカーブを描く。カーブをまがらず寄り道して尾根に出てみる。

松柏

尾根のみかん畑に出ると眼下に松柏中学、その奥に八幡浜の市街地、八幡浜湾、諏訪崎を経て佐田岬半島が見える(写真)。私は物心ついてから幾度となくここに立った。なにかに苛立ったり不安におそわれると自然に足が向かい気がつくとこの尾根に立っていたものである。朝、太陽が夜昼峠から顔を出す前に、太陽の暖かさが先行して伝わって来ることをここで知った。ここから彼方まで紙飛行機を飛ばすことを目論んだこともあった。中学生になっても、私はここで「蜃気楼」が見えると信じていた。40kmほど先にある瀬戸町(当時)大久の変電所のあたりが松柏中学ぐらいまで近づいて見えたと思い込んでいたのだった。クマゼミが密集する不思議な桜の枝もこの近くにあるはずだった。蜃気楼やセミの枝はすでに夢の中へ追いやってしまったが、相変わらずここに立つたびにちょっとした興奮を覚える。このときもかすかに潮騒が聞こえたような気がした。(2011年8月)


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