場所でも、人でも、施設でも、産物でも、歴史的な所産でも、愛媛県の八幡浜市で全国的に有名な物をあげるならば、その第一は高野地(たかのじ)でなければならない。私が八幡浜を出てからもう20年以上、その間に八幡浜のことで八幡浜と縁もゆかりもない友人と話が合ったのは高野地のことだけなのだ。八幡浜に住んでいる3万人の市民はかまぼこだとかミカンだとかが有名だろうと思い込んでいるかもしれない。でも、そんな物は全国的には誰も知らない。チリのチュキカマタが銅の産地だということならたいていの人が知っているけど、かまぼこやミカンの産地として八幡浜が通用することはまずない。
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高野地は四国愛媛県の西部、八幡浜市にあります
高野地が全国的に有名なのは長谷(はせ)小学校があるからだ。ミカンの収穫のときに長谷小学校が休校になるからだ。長谷小学校に通っている10人か15人かの児童は全員がミカン農家のはずだ。ミカンの収穫には小学生でも貴重な戦力で、みんな学校を休んで家業を手伝う。今のご時世では農業の繁忙期に学校を休みにすることは珍しいことらしい。田植えや稲刈に子供が駆り出されることもないようだ。だから長谷小学校の休校はテレビラジオでニュースとして全国放送されている。
高野地は昔から美女を産出する土地ということで、ちょっとは知られていた。しかし、美人の多いことは八西地区では珍しいことではなく、日土(ひづち)でも松尾(まつお)でも伊方(いかた)でも大久(おおく)でも人口の4%はとんでもない美女なのだ。
私は八幡浜をでてから、世の中にきれいな女の子は稀有だということを知った。とくに名古屋はひどい。俗に仙台、水戸、名古屋というが名古屋は明らかに仙台よりひどい。仙台市で名古屋の松蔭高校出身の友達二人と高校のアルバムを見せっこした。そのとき、かれらは私のクラスメートに美女が多いことに驚いていた。ぎゃくに私は女子高校生というものはきれいなもんだと思い込んでいたから、名古屋の松蔭高校に美女が皆無なのを知ってがくぜんとしたのだった。
高野地は私にとっても親しい土地だ。私は高校生のときマラソンが強くなりたかった。それで高野地への山道をランニングするのが日課だった。八幡浜高校の生徒達のランニングの場は高野地だったのだ。卓球や陸上や柔道などいろいろな部員にまじって私はもっとも足繁く高野地に通い、もっとも遠くまで走っていた。
高野地への入り口
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高野地への入口は入寺という。25年前までは八幡浜随一の蛍の名所だったのに、水質汚濁により壊滅した。現在ではどうなんだろうか。6月には行ったことがないのでわからない。
高野地にいくには3つのルートがある。南は入寺(にゅうじ)から東は松尾(まつお)から、西は大平(おおひら)からのぼるコースだ。いずれも道路は非常に気持ちがいい。毎回八幡浜で数日を過ごすときにはほぼこの3ルート全部を自転車で走ることにしている。1998年の夏には計4回、高野地にいった。とくに南の入寺からのルートは高校時代のランニングコースでもあり想い出も多い。
高野地への道路は登りだ。ミカン畑として明るく開かれた所と、杉桧の植林されている暗い所が交互に訪れる。夏の暑い盛りのときには杉林の日影がうれしかった。陽の低い冬場はゆらゆら揺れる自分の影を追いかけるように走ったものだ。
一度だけ夢のような光景を見たことがある。ある夏の午後、ひどい夕立におそわれてずぶぬれになってしまった。寒くはないので走っているうちに乾くだろうと気にせずトレーニングを続けていた。夕立はすぐにあがり、雲の切れ目からは黄色い日ざしが戻ってきた。そのとき、一陣の風が杉の梢をゆらして吹き抜け、葉についていた水滴を一斉に落としたのだ。どういう光の案配だったのだろうか、赤、青、黄、緑、いろとりどりに無数の水滴が光り輝きながら落ちていった。ちょうど暗い杉の木立が背景になっていたため水滴のきらめきはいっそう鮮やかだった。後にも先にもであっていない光景だ。そういえば宮沢賢治の「十力の金剛石」にそんなふうな描写がある。もしかしたら賢治も夕立あとのあの光景を見たのかもしれない。
ジョギングしていると同じ考えがぐるぐると頭の中を巡ることがある。その内容が歌の一節だということも多いものだ。この道を走っていたときに頭の中に染みついた歌は桜田淳子の「花占い」という歌だ。
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16のある日ぽつんとひとり
喜びと悲しみが追いかけっこする午後
花びらむしりながら恋を占う
私はまだ少女なのかな
うーん残念な歌だ。当時だって決して好きな歌ではなかった。桜田淳子だって決して好きではなかった。山口百恵ほどではないにしてもどちらかというと嫌っていた方だ。そういう歌がジョギングのときに幾度も頭の中をかけ巡るというのは、詩曲のメロディーやリズムがジョギングの際の精神状態と呼応しているというようなことがあるのかもしれない。もしくは「花占い」というわざとらしくももの憂げなこの歌が、不安定な青春時代の心持ちそのものだったのだろう。
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杉林の林床は手入れされないと10年ぐらいで広葉樹が茂ってきます。 |
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段々畑の茶色い所は枯れた雑草です。中央の緑のベルトはミカン作りをやめた畑。クズがすっかり覆っています。 |
高野地には杉や桧の植林地も多いのだが、そうした林が美しくない。植林した林は徹底的に管理されている状態が美しいと思う。一見して何年も人手が加わっていないことが見て取れる。下草刈は重労働だし、間伐材は売れないのだろう。林業は全国的に景気が悪いのだ。いずれは国内での木材供給を検討しなければならないときが来るはずだが、今、こんなことで大丈夫なのだろうか。
もっとも、放置されていろいろな木が混じりあっている様子は本来の森の姿に戻りつつあるということで、環境面からは決して悪いことではない。最近の林学では風や病害虫への抵抗力や景観、保水力の面から単一樹種の植林から、杉桧に広葉樹を混交する手法も始まっていると聞く。しかし、ただ単にすがすがしさ美しさという点では杉の純林のほうがいい。こう感じてしまうことが環境保全のための障害の一つだということは理屈では納得しているのだけれども。
高野地はミカンをはじめとして果樹の栽培が盛んだ。日当たりのよい南向きの斜面に開かれた段々畑は夏はいくぶん涼しく冬も暖かい。果樹栽培は景気が悪いというわけでもないようだ。ただ、人手は少ないのかもしれない。運搬や農薬で石油のエネルギーをずいぶん注ぎ込んでいる。八幡浜のミカン畑はモノレールが縦横に張り巡らされている。モノレール(代表的な製品名・モノラック)がかつての小道に完全にとって変わった。収穫を人力でやるだけの余裕はないのだろう。子供の頃は手伝いに借り出されたがそれはそれは重労働であった。段々畑を横に歩いてミカンを集めるだけでもたいへんなのに、急坂をあるいてミカン籠の運搬をすることは考えただけでも苦痛に顔がゆがむ。
また、今の農家ではミカン畑の下草刈をする余裕もないのだろうか。ミカン畑の下草が皆、茶色く枯れている。除草剤を使っているのだ。草刈機で刈っているぶんには雑草が完全に刈れてしまうことはない。雑草が枯れてしまうと私の遊び相手の虫たちが少なくなるので、ミカン山が寂しくなる。それだけならいいのだが、除草剤をこんなに使いまくって大丈夫なのだろうか。確かに除草剤は草を枯らすことはできるが、雑草をとることの目的は雑草をとること自体ではなくて、ミカンの木を育てることのはずだ。雑草が生えていても木さえ元気ならそれでいいし、たとえ雑草が一本もなくてもミカンの木が弱ってしまったら意味がない。長い目で見て、ミカンの木を育てるという点で除草剤を使うことはどれほど有効なのだろう。除草剤で雑草や土をいじめたぶん肥料を与えたり、薬を撒いたり、かえって費用対効果が悪くなるというおそれはないのだろうか。
かつては強くなることを夢見て走り続けた道である。しかし、いまや心はかつての自転車野郎のままだが、体はただの中年男に成り下がってしまっている。自転車のトレーニングなどはもう10年以上もやっていないのだ。坂道をぐいぐい登っていく体ではなくなっている。ゆるりゆるりと時速10キロぐらいを維持してクランクを回す。高校のときのランニングのペースよりも遅い。
つらい思いもせずに楽をして長谷小学校に到着した。ここで標高は300メートル程度だろうか。どこの田舎の小学校でも鉄筋校舎に変わりつつあるが、この小学校は変わっていないような気がする。しかし、よくよく眺めてみると、夜間の照明灯がつき、ガラス戸はアルミサッシになっていることに気づいた。そして何よりも、中学で私と同級だった悪童たちはもういない。みな、まっとうな農家として今年のミカンのできなんかを見越してそろばんをはじいているのかもしれない。一方、遊びだか仕事だかわからんような職に就き、休暇となると一人自転車で山道を走り、子供といっしょに虫や魚を追いかけることを楽しみにしている私。いまでも小学生のレベルからアップしていないような気がする。田舎に帰ると「浮いたヤツだなあ」とつくづく思う。旧友に会ってもほとんど話が通じない。このギャップは年々大きくなるばかりだ。
ガーデニング
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非常に美しく作られた石崖とレイアウトされた花。八幡浜や佐田岬では住居も畑も山を段々に切って作られることが多い。石崖には地元でとれる千枚岩などの美しい岩石が積み重ねられる。もちろんどの農家でも庭先や石崖に季節の草花を上手にアレンジしている。都会では夢見てもできない八幡浜流のガーデニングだ。
2001年7月8日 手直し公開
※写真はFUJIのTIARA IIで撮ったものをニコンのフィルムスキャナでよみとった。