たまたま見聞録

古藪サイクリング2


〜ちょっと寂しい結末?〜


末広
末広そして田浪、古薮方面

風に乗って

1998年1月5日は強い風が吹いていた。雨を降らせた低気圧が東に抜けて海から西風が吹いてきた。これはチャンスだと思った。この風に乗って登っていけば楽だろう、今日こそチャンスだ。こう自分を鼓舞しなければ古薮には行けそうもなかった。というのは少し腰をいためて立ち居振る舞いにも若干の支障が出るぐらいなのだ。自転車に乗ると後でひどい目にあうことは明らかだった。こういうときには家の中でおとなしくポケモンでもやっておくに限る。しかし、風が吹いていた。冷たいが強い風だ。海から山に吹く風だ。追い風に乗って登り坂を駆け上がる様子を思うといても立ってもいられなかった。痛い腰をかばうために1センチほどサドルを下げた。気休めというやつである。

夏の古薮サイクリングで20年前の記憶の風景を探したのだが見つけることはできなかった。そのことがずっと気になっていた。そして一つ確かめねばならぬことを思いついていた。20年前はたしか自動車で古薮から田浪に抜けたのだ。もしかしたら記憶の風景は古薮ではなく田浪にあるのかもしれないではないか。ならば、田浪にも行く必要があるだろう。古薮から田浪の道は廃道になっているはずだから、逆のルートで末広から田浪に向かおう。風に乗って末広を登ろう。


概念図 末広-田浪-古藪(コースは地図になかったので概念図です)

末広に行く

末広に行くには鉄道の下をくぐらなければならない。子供のころはこのガードの向こうは別世界だったからここをくぐるたびにいくぶんか緊張したものだった。ガードをくぐって、末広への途中には「人焼き場」と呼ばれている場所がある。なんということはない単なる火葬場の跡なのだが、切れ込んだ谷の奥にあり木々がうっそうと繁り、じめじめしてずいぶん寂しいところではあった。子供のころにはまだ、れんが造りの壁や煙突が廃墟として残っており、よく幽霊の出る場所として有名だった。

私はその幽霊の少なくとも一人と知り合いである。その悪友はとある夏の夜、雨のそぼ降る人焼き場の前に立っていた。懐中電灯を顔の下から照らして一人、道端にたたずんでいた。そこにタクシーが通りかかった。運転手は急ブレーキを踏んでタイヤをならしてUターンして猛スピードで引き返していったという。そして翌日の田舎新聞に「またまた幽霊あらわる」という記事が載ったのだ。


こうもんの滝

こうもんの滝

末広の上りはミカン畑の中だから眺望がきく。向かいには千丈川の谷を挟んで「こうもんの滝」とよばれる谷がある。子供のころあの谷には探検に行ったことがあった。こうもんの滝の道は樫やカエデの巨木が生い茂り、岩は苔むし、地面はシダで覆われている。八幡浜には珍しく原生の林が残されている場所だ。道は谷に沿ってまっすぐついているが六合目付近でとだえてしまう。やぶの中を無理して直登すると千丈地区の最高点にあたる鞍掛山の頂上に出る。

末広から田浪へはひたすら杉林の中だ。道はくねくねとして歩いて行くとかなり退屈だ。子供のころこの道を仲間と歩いたことを思い出す。子供だから棒をもって歩くのだが、手に持つのが飽きると腹に棒の先を立てかけて、一方の端で道路をカリカリこすりながら棒を落とさないようにどれだけ歩けるかという遊びを始めた。当時は未舗装だったからときどき棒がつかえて腹にぐっとささると痛いので緊張感があった。棒が落ちないように急ぎ足で歩いているときに石ころなんかに引っかかったら大変だ。友人の話ではその遊びをやっていて金玉をつぶしたあんちゃんがいるということだったが、それはうそだろう。


田浪

田浪

杉林が開けて田浪の集落が見えてきた。ミカンの栽培が主な産業の山の集落だ。集落の様子を注意し走るが記憶の風景には出会えない。あのRX7のあった家などどこにもない。やはり記憶の風景は古薮にあるのだ。このまま引き返してもいいが、20年前の廃道がどうなっているのか見ておきたくなった。田浪の集落の道路は一本道だ。3分ほどで集落はとぎれ、山林の中を行くことになる。このまま道なりに走れば古薮へ着くはずなのだが、二十年前には道は潅木で覆われ草が伸びて、とうてい自転車で行けるような道ではなかったはずだ。それがなぜか復活しきれいに舗装までされている。どういう風の吹き回しだろう。山林経営のために整備しただけの道ならいつとぎれるかもわからない。

私のサイクリングの方針として、困ったときは進めるだけ進むというのがある。とにかく行けるところまでいってみようと決心して桧林の道を行く。雨上がりで道路は湿り、ほのかに桧の臭いがしてきた。夏ならばむせかえるほどこの臭いが充満するんだろう。東京で走ることの息苦しさを思い出した。八幡浜は空気がうまいのでいくらでも走っていられる。そういえば腰はちっとも痛くない。この調子ならそうひどいことになりそうもない。もう上りも僅かなはずだ。

林道

走っていくとすぐに舗装が切れた。それでも道は立派で最近自動車が通ったような気配もある。一度は打ち捨てられた道だ。道にばらまかれれている石ころも新しくて摩耗していないため気をつけなければならない。とがった石でタイヤに穴を開けないように注意を注がなければならない。私の自転車はロードレーサーのふりをしているが、タイヤは32Cの頑丈だけがとりえのものだ。リム打ちの心配はあまりないが、車のあまり通らないダートには尖り石がタイヤに穴をあけてやろうと手薬煉引いて待機している。そういう石ころを踏んでバーストしたことも一度や二度ではないのだから。

ダートをごろごろ走っていると山の中に突然、鉄のカーテンが現れた。道の脇を高さ3メートルほどの鉄板の塀が100メートルも続いているのだ。何かの工場だろうか? こんな山奥に? じつはこの塀には思い当たることがあった。産業廃棄物の捨て場だ。夏に看板で見たあの古薮のゴミ捨て場はここだったのだ。このゴミ捨て場ができたおかげで死にかけていた田浪、古薮コースが復活できたのかもしれない。ゴミ捨て場の中をのぞくと、プラスチックや金属が野積みにされていた。八幡浜でも一応こういうゴミが出るんだなあと感心してしまう。魚の頭とかミカンの皮ぐらいしか「産業」廃棄物はないと思うのだが、どこかよそから持ってくるのだろうか。

これこそ記憶の風景か?

芝中

田浪からの道はやがて夏に来た古薮のコースに合流した。その合流点から向いの谷を見ると、一部が棚田になっていた。さらに注意して見ると電柱も立って電線も引いてある。ということは集落があるということだ。

夏には木の葉がおいしげっているから見えなかったのだ。きっとどこかに道があって、あの集落に行かれるはずだ。古薮を注意して探すと、果たして、公園の手前には私がいった方向とは反対側に道があった。なんで夏にはこの道に気がつかなかったのだろう。奇妙なこともあるものだ。それはまあいいとしよう。この先には絶対にあの記憶の風景があるはずなのだ。他には考えられない。夏にはあの自転車を降りた林道の先にも、家はあるかもしれないと思っていたが、よく考えると道路端に電柱がなかったではないか。電柱がないということは集落もないのだ。きっとこの道の先に記憶の集落があるのだ。それにしても立派な道だなあ。いったい一日のべ何人がここを通るんだ。


はやる気持ちでペダルを踏み、息をきらせて杉林を抜けていく。太股がちょっと熱くなって、寒さにのどがひりひりする。でも、まもなく探している風景に出会えるはずだ。さあ、集落についた。みごとな棚田ではないか。あぜにはもうレンゲも咲いている。この集落は5軒ほどしかないようだ。林の道をすぎて急に眺望が現れ数件の家がみえる所なんか条件にぴったりだ。しかも、隠されていた道を発見するところなんかドラマチックだ。反射的にRX7を探すが、そんなものがいま頃まで残っているわけがない。そのかわりオフロード車があった。あの時の若者は今では車の趣味も変わったのだろうか。

芝中

さあ、私はついにあの記憶の風景の場所に立ったはずだ。しかし何かおかしい。ちっとも懐かしくない。眼前に広がるのは知らない風景なのだ。いわゆる山里でそれはそれで味もあるのだが、私の思い描いているあの古薮の景色ではない。自転車を降りていろいろな方向から眺めてみても少しも記憶がよみがえってこない。いったいどうしたというのだ。もしここではないというのならば、もう他に探す場所はなくなるではないか。

集落の奥にもまだ道は続いている。万に一つの可能性を求めて集落を突っ切り、再び杉林の中を行く。立派だった舗装道路はすぐにダートになった。この先に家はなさそうだ。道のわきに電柱もない。長年四国で遊んでいると山道が行き止まりになるかどうかを、電柱で確認する技を覚える。四国の山中は農道、林道が網の目のように走っているから迷いやすいのだが、先に民家があるかどうかは電柱の有る無しで判別がつく。いまどき電気を引かずに生活するような人はいない。四国電力はたった一軒の離れ家でも電線ぐらいは気前よく引いてくれるのだ。それに電気も引かずに生活しているような人たちなら本物の桃源郷の住人ではないか。だったら見つかるわけがない。桃源郷には迷わない限り行き着けないのだから。

結局、私の記憶の風景探しは実現されぬまま終わることになった。あれからすでに20年が経っているのだ。あの時の家だってもう打ち捨てられているかもしれない。私の実家だって家屋の6割は消滅しているではないか。時は流れるのだ。さあ、まもなく日も沈む、暗くなる前に帰ろう。風はまだ西から吹いている。冬の下りで向かい風はしんどいだろう。上りでかいている汗で体は冷えてつらくなるだろう。そういうときに励ましてくれるのは、タバコ屋の美女だ。ところが何としたことか、坂を下り降りたところのタバコ屋の渡辺由紀さんが どういうわけか中山美穂になってしまっていた。なんというアンラッキー、由紀さんはラブラスという口紅を使って中山美穂になってしまったとでもいうのか、それとも、時間はここだけ止まっているのか。私を慰めてくれるものはもうないのか。


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