たまたま見聞録

金山サイクリング

金山中腹から川之石湾を望む

金山より川之石湾

金山は四国の西に延びる佐田岬半島の付け根にあり、その尖った頂は遠くからでもよく目立つ。名称は金山であるが、地元にはその山を「きんざん」とよぶ人はいない。だれもが親しみを込めて「おいずしさん」という。というのは、標高800mあまりのまさにその山頂に出石寺という三国一の名刹があるからだ。

金山への新ルート

2008年12月27日、発作的に実家を飛び出し東に向かった。ひとまずは夜昼峠を越えて、なんとなくその辺を走ってみようという算段だ。気がつけば、食料も水も持っていない。ボトルはあるから湧き水で補充できる。自転車は何年かぶりに乗る鉄フレームのパナソニックだ。前回、高野地TTをやったときは後輪のスポークが1本折れていて、ぶれぶれだった。今回は後輪も交換し、ビンディングペダルもつけた。普通に走れば、夜昼峠までは30分もかからない。しかしゆっくり走る。首にはニコンのD100という一眼レフをぶら下げている。

夜昼峠への登りは何度走っても感動的だ。とにかく緩いのがいい。くるくるペダルを回して、顔を上げて走って行かれる。道路脇はあいかわらずめだった変化はない。周辺のミカン畑には実がついているものもある。それほど休耕している畑もなく、この数年で切り開いたところも散見される。その辺の石で作られた石垣がいい。段々畑も住宅も石垣にかぎる。12月の終わりであれば、花は水仙か菜の花か野菊かオドリコソウ!。シイカシの林にかかればヒヨドリのさけびが耳につく。

前回に来たときはカーブミラーはぼろぼろ、舗装はぼこぼこだったのが、見違えるようだ。旧197号線は捨てるつもりだと思っていた。まだまだ使うつもりらしい。梨尾の段々畑とか、畑のカーブミラーとか、煉瓦のトンネルとか道すがらの風景を撮影し、頂ではお約束の記念撮影

今回のルート

map

図中赤線のように、大洲市立病院手前から北西に直登するルートを選びました(MapFanを利用)


峠を降りて平野に出る。平野を流れる川はよく澄んで、水中には水草が繁茂している。その流れに沿ってしばらく進む。左手を見上げると、山の中腹には10戸ばかりの小集落がある。標高にして400mといったところか。四国にはそういう山里が珍しくない。人家があれば、そこに至る道がある。そして、その道は自転車で走っておおむね快適なのだ。現在住んでいる神奈川県にはそういう集落がないためサイクリングがつまらない。

大洲側から金山へはいくつかのルートがある。長浜の下須戒(しもすがい)から郷の峠へ至るのはメインルートである。そのほかにも、東の上須戒(かみすがい)を経由するのもよさげな道だ。私は、南の平野(ひらの)から横尾峠を越える道を行ったことがあるが、杉林の中を標高線に沿ってうねうね走る快適な道だった。

未舗装の川の土手道を走って、私立大洲病院の手前の橋を渡り、踏切を越えると、その道はまっすぐ沢に沿ってさきほどから見えている山腹の集落に続くようだった。もし、横尾峠と上須戒を結ぶ道路までつながっておれば、金山まで行ける。たまたま、道ばたの家に人がいたから尋ねてみた。

すいません、この道は、おいずしに行けますか?
あんちゃん、その自転車で行くがかな。
ええ、
道はついちょるけど、自転車では無謀だなあ
舗装はしてるんでしょうか?
わからんなあ。
そん先にも道があって、おんなじとこでるけん
ええ、
そっち行ったほうがええわい。

「無謀」というのは八幡浜あたりでは使わない言葉だ。そういう表現もうれしくて、その無謀な道を行ってみることにした。走ってみるとすぐにその意味がわかった。どうやら、目の上の集落に向かって10%のきつい勾配がずっと続いているらしい。目測では3〜4キロである。ふつうの自転車ではまず登れない。こういう道路は概して新しいものだ。リヤカーや牛馬の頃にはなく、自動車交通が盛んになってから作られたものだ。自動車のパワーにあわせた道は、広くても舗装がよくても自転車には向かない。しかし私は自転車乗りである。今日はビンディングもある。最小ギアは38×28T。楽勝だ・・・・。

尾根道

高山

急坂に閉口しつつ、撮影をいいわけに足をつきつつ、そうこうするうちに集落に出た。田んぼがあって家もあるが人気はない。こういう場面で注意すべきは、農作業や集落と集落を結ぶための道路に迷い込むことだ。そういう道に入ってしまって、がつんと登ったはいいが行き止まりだったり、すいすい下ってまちがいに気づき、延々登り直すはめになったり。迷いたいときに迷うのはかまわないけれど、目的地に向かっているはずなのに迷ってしまうと、がっかり感はいなめない。メインストリートを行くだけでよいのなら、道ばたの電柱や道の立派さが目安になる。しかし、いまは違う。この集落はおそらく上須戒の盲腸のようなもので、メインストリートは今来た道と上須戒を結んでいるはずだ。こういうときは上須戒へ向かいつつ、金山への脇道を見落とさないことが肝になる。

分岐があるたびに金山への手がかりをさがす。すると、ある分岐のコンクリート護岸に「←出石寺」と殴り書きがあるのを発見した。白いペンキで書かれたもので、長年の風雨のため、ぼろぼろにはげて苔むしてかろうじて判読できるものだった。他には道路標識もなにもない。ここから金山に向かう余所者はいないはずだから当然だ。明らかにしょぼい道に入っていくことになるが、信用するほかはない。

その道を少し行くと写真のように眺望が開けた所に出た。日が照って風もなく、よい日和だ。ここからは集落からも外れよっぽど酔狂な道を選ばない限り迷うこともない。道なりに少し進むと林の中に入り、道路わきに標識があった。出石寺まで10kmとある。これにはちょっとうろたえた。麓から金山までは20kmほどのはずだから、まだ半分残っている。ハンドルバーに取り付けてあるメータをチェックすると、これまでに2時間半が経過していることがわかった。ウルトラマンは地球上では3分しか生きられないが、私は自転車上で3時間しか生きられない。残り10kmの登りを最小限の力で行けば1時間かかるだろう。ここからは食い物を補給するすべがない。八幡浜ならミカンをもらうという手もあるが、大洲側にはミカンはない。途中であきらめて日土(ひづち)にでも降りない限り、久々のハンガーノックは避けられないようだ。

尾根道

幸い、すぐに尾根道に出た。勾配はゆるくなり下るときもある。所々、写真のような明るいナラの林があり眺望も開ける。山中にこういう林があるということはいまだに炭を焼いている人がいるようだ。それにしても道路の舗装が極めてよい。ほとんど鏡面仕上げといってもよいぐらいだ。林業にはこういうきれいな道は必要ないはずだ。そもそも、このルート自体が生活道路ではなく、出石寺へのお参りのための道だったのではないかと思う。金山の周辺には人家を過ぎても立派な道がたくさんある。保内、八幡浜、大洲、長浜という周辺住民の信仰心の篤さをその道が示している。一時代前は、大晦日には千丈の者も鞍掛山を越えて出石寺に参拝したという。今ではその道は藪に覆われ痕跡も留めていないと思われるが、35年前にはそのルートを藪こぎして八高から出石寺まで歩いたものだ。

尾根道に来れば、迷うことはない。ここからは出石寺に行くための専用道路だ。分岐のたびに標識がある。途中、記念植樹の立て札もあった。休憩のためだけでなく、自転車をおいて記念撮影する。私は皇太子殿下も雅子さんも大好きだ。まだ体は動くけれど、ハンガーノックというやつは一気にやってくる。そろそろ走り出してから3時間になる。撮影のロスタイムなどを差し引いても限界だ。一番腹が減る乗り方は、軽いギアを100rpmぐらいでぐるぐる回す方法だが、今日のように坂を登るのもカロリーの消費が大きい。

ハンガーノック

記念撮影

それにしても、走り始めてから全く自動車にあわない。これは私のために作られた道かと錯覚する。夜昼峠も金山にも自動車も自転車も歩行者もいない。掃除してあるカーブミラーを使っての記念撮影も気兼ねなくできる。きれいに舗装された20kmの山道を独り占めできることは自転車乗りの至福だといえよう。この辺に住んでおれば、こういう調子で一生遊んで暮らせるような気がする。神奈川県では望むべくもないことだ。

マメヅタの生い茂る巨岩を超えると、いよいよ最後のつづら折れにかかる。50年の生涯に何度も通ったところだ。寺社林なのだろうか、国有林なのだろうか、金山の山頂付近はすばらしい杉林になっている。荒れ果てている杉林が至る所で見られるのに、金山では下草刈りも滞りがない。熱帯雨林やブナ林も好きだが、よく手入れされた杉林はもっと好きだ。枝打ちされた杉の木の間から日土(ひづち)の山里が見える。

時間は3時間をこえた。それにぴったり合わせたように腹が減って力がでなくなった。体がしびれて寒くなってくる。冬でも快調に登っているとけっこう暖かいものだが、力を出しているはずなのに体が温まらないようだともう死にかけだ。なにか食わなければ何をやってもだめだ。写真を撮ってもだめだ。今回は一眼レフを持ってきた。首からぶら下げてぶらんぶらんと走ったり、腰のバッグにいれたり。そんなことを繰り返したせいか、知らずにダイアルが動いて絞り優先F22なんて設定に変わっていた。日のある場所ならともかくも、杉林の暗がりを撮ると、2分の1秒なんていうシャッター速度になってしまう。そんな写真は、300ピクセルに縮小しても使い物にならない。10枚ばかり無駄なカットが出てしまった。正常な精神状態ならその手の誤設定はファインダーの数字で気づくことができるのに、腹が減っていては戦はできない。どうやって腹の足しを手に入れようか、あのバナナを持ってくればよかった、などと食べ物のことしか考えられない。よいこらこいこらとペダルを踏んで最後の坂を登る。

峠道の最高点は標高660mの郷の峠である。そこには殺風景な広場があるきりで腹の足しになるようなものは何もない。人の気配といえば、自動車が転回してできるタイヤの泥跡ぐらいなものだ。そういう事情は高校生のときにここに何度もテントを張ったからよく知っていた。しかし、出石寺といえばこのあたりでは原子力発電所にも負けない観光スポットのはずだから、この何年かで事情が変わっているのかもしれないと、かすかな期待をしていた。腹が減るとそういう夢まで見てしまう。

郷の峠からは1kmあまりで出石寺である。でこぼこの急坂ではあるが、自転車でも行ける。腹が減っているとはいえ私は自転車乗り。ビンディングペダルもある。出石寺の駐車場には、もしかしたら、飲み物の自動販売機ぐらいはあるかもしれない。それに出石寺にはたしかうどん屋があって、それは駐車場の近くだったような気もする。行ってみる価値はあるだろう。意を決してほとんど止まりそうな勢いでついた駐車場には何もなかった。うどん屋はもちろん、自動販売機はおろか自動車すらなかった。廃墟のように息する者の気配がなかった。

しかし、駐車場からも出石寺まで自転車で行ける。けっこう急坂ではあるが走れない道ではない。さすがに、出石寺まで行けば何かあるだろう。例のうどん屋は入り口の近くだったような気もする。かくて、毒をくらわばの一頑張りでついた出石寺にも人っ子一人いなかった。参拝客の気配すらない。そのときは気づかなかったけれど、冷静に考えれば当然である。自動車が駐車していないのに人がいるわけがない。いまどき徒歩で参拝する人など皆無だろう。弘法大師の巨像がある広場から先は石段である。ここからは自転車では行けない。たしか、うどん屋はこの石段を登った左手のはずだ。さすがに、クリートのついた靴で石段を登る気はしない。それに、この閑散とした状況では営業していないほうに1000点かけてもよさそうだ。

金山出石寺

弘法大師像

四国では、弘法大師はいうまでもなくお坊さんの人気No.1である。おそらくは人気第二位の達磨さんに大きく水をあけ、ダントツの一番人気である。物理学界でいえばアインシュタインに相当する。アインシュタインの人気には南部もウィッテンも、ニュートンですら遠くおよばない。私も弘法大師が大好きだ。弘法大師=空海という線はいまひとつピンと来ないものの、超能力者弘法大師の逸話を数多く聞かされて育った。出石寺の入り口には寺を見つめる巨大な弘法大師像がある。四国八十八か所の一つではないはずだから、なにか由来があるのだろう。

出石寺は地元民の心のよりどころである。子どもの頃から、氏神様、檀家の寺等とはワンランク上のあこがれの存在だった。小学校では出石寺に一泊する行事があった。お坊さんの説教を聞き、100畳という大広間にゴザを敷いて皆で眠り、夜明け前に起きて精進料理を食べるという修行のまねごとをするイベントだ。お坊さんというのは人間の善性の具現者である。子どもながらに信心の一端に触れ、下界とは一線を画す清浄さが出石寺にあると感じたものだ。そして、そのイベントのハイライトは早朝の雲海見物だった。出石寺は雲海が見られる場所としても名高い。たかだか標高800mの山で雲海というのは不正確で、正確には「霧海」である。瀬戸内海や大洲盆地の朝霧が出石寺からは雲の海として見える。雲海も、雲を照らす朝日の光芒も金山を霊峰にするのに一役買っているのだ。

それ以外にも金山の山頂付近では大気の違いを感じることができる。普通の山でも、700mも登れば気温の逓減による肌寒さを感じるのにじゅうぶんである。神奈川県でもヤビツ峠まで登れば山っぽい。そうした一般的な気温の低下だけではない何かが金山にはある。北は瀬戸内海、南は宇和海という地形がもたらす冷気かもしれないし、良好に茂る周辺の木々のせいかもしれない。私は金山に登るたびに、ある種のツンと来る冷気で心が洗われる感じがしている。(2009年1月)


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