たまたま見聞録

古藪サイクリング3


〜エピローグ〜

梨尾
梨尾から上郷越しに古薮を望む

新たに見つかった林道

あの黄色いRX-7の家であるが、じつは当初、夜昼峠にあると思っていた。夜昼峠の手前には大上、滝山という集落があり、その集落から少し行った所というのがその記憶だった。しかし、実際に夜昼峠を訪ねてそれは誤りだろうと思っていた。それらしい場所に家も家の痕跡もなかったからである。
そのとき夜昼峠と並んで心に浮かんだのが古藪だった。ところが1997年に古藪を訪ねてもそれらしい場所はなかった。念のため年が明けた1998年の1月に出かけた田浪にもなかった。田浪から古藪に出て、これは!と思った芝中でもないようだった。そこで探索は頓挫した。
当時はインターネットもなく利用できる地図も限られていたが、今年になってネットの地図を見ていると、夜昼峠と古藪をつなぐ林道があることがわかった。それはまさに重要ポイントの2地点を結ぶ道だ。まさしく新しい道が開けたのだ。その林道を訪ねれば何かがわかるにちがいない。

芝中線入り口

2011年8月12日、その林道の入口に立った。場所は夜昼峠名物のループトンネルである千賀居隧道の少し手前だ。入り口には林道の説明看板がある。たいへんありがたいことだが、私以外の誰に向けてのメーセージなのだろうか。その意図はつかめない。
林道は5.3kmほどあり、その名称は芝中線となっている。古藪サイクリング2で訪れたあの集落は芝中であり、その名がつけられた道だ。


ロードレーサーベースの自転車で山中の未舗装路に入っていくのはちょっとためらわれる。自分の腕と自転車を信じて行ける所まで行くことにする。左右の杉桧林ではけたたましくヒグラシやアブラゼミが鳴いている。日向も日陰も雑草ぼうぼうで路面はほとんど見えない。路面の泥が硬いことはありがたいが、大きめの尖った石ころがまかれているのが恐い。自動車にはどうってことない石ころかもしれないけれど、自転車ではハンドルをとられ、タイヤが破断する恐れがある。

芝中線

草木が自動車の影響を受けた痕跡は認められない。自動車の通行は一月に一度もなさそうだ。道を覆って萩が咲き、道路の真ん中にかわいい黄色い花が咲いている。ヒメキンミズヒキだろうか。手足をひっかく潅木がウルシ系だったら後でつらい思いをするなと思う。

何を好き好んでこんな所を走るのか、という疑問が起きる前に、やってみてよかったと思っている。この道の感じはまさに昭和のあの日のものだ。あのときは友人の自動車だった。買ったばかりの新車のサニーだ。潅木の枝がさりさりと真新しいボディーをこするたびに、気の毒なことになったと後悔した。そんな記憶がよみがえって来る。「引き返すか?」「もう戻れるかい!」という会話もあった。確かにこの道に間違いないのだ。古藪サイクリング2で田浪と古藪を結ぶ林道と記載していたのは、じつはこの芝中線の誤りだった。田浪と古藪を結ぶ道路を走ったのは古藪サイクリング2のときが最初だったのだ。

芝中線

草木で足元が見えないから蛇を踏まないようにしなければならない。第一にかわいそうだ。第二にハメ(まむしの地方名)ならば噛みつかれ動けなくなったら命がない。谷側は崖になっており、ハンドル操作を誤って転落しても致命的だ。

終点 芝中

芝中

気疲れでまいりそうになった頃、林道が終わった。到着したのはもちろん芝中。ところが、1998年に訪れたあの時と風景が一変している。家の数が減っている。田んぼはわずか数枚になった。写真中央奥にある杉木立は、1998年にはこんな感じだったのだ。田をやめて植林された杉が鬱蒼と成長し、13年前に撮った自転車越しの集落という景色はなくなった。10年あまりでずいぶん変わるものだ。こうして林道を抜けてきても、やはりあの黄色いRX-7の家が芝中にあったとは思えない。

起点 千賀居隧道前

やはりあのRX-7の家は林道芝中線の起点である夜昼峠にあったと確信した。千賀居隧道の手前が芝中線の起点であり、その前はぽっかり空間があいて荒地と畑になっている。私が最初に予想していたポイントもそこだった。
1997年に夜昼峠を訪れたときには民家もその痕跡すらもなく、誤ってRX-7の家は古藪だと当たりをつけたのだった。

広場

そのつもりになって芝中線の起点付近をあらためて見る。私の記憶ではこの写真の場所に黄色いRX-7が止めてあった。そこはいま檜の苗が植えられている。よく考えてみれば、土地が貴重な八幡浜にこんなスペースは不自然だ。民家の跡地には違いない。
記憶では家屋は数件あった。写真の道路を挟んで右手奥の方は荒れ地であるが、家一軒を建てるぐらいのスペースはある。念のため昭和の古い地図をひもといてみれば、そこに家屋マークがあった。地図には写真の場所にも家屋マークがあった。

檜林の左は畑になっている。シソとか芋とかたいしたものを育てているわけではないのに、青い網で囲ってある。今年八幡浜を訪れてどこに行っても畑の囲いが厳重なのに驚いた。電気柵もかなり多い。話を聞いてみると、イノシシとハクビシンの被害が深刻なようだ。四国では猿や鹿は八幡浜付近には生息していない。そのかわり、イノシシとハクビシンはとても数が多いようだ。地面を掘るイノシシと木に登るハクビシンに寄ってたかられるとたまったものではない。私に夜昼峠の名前の由来やのびあがりのことを教えてくれた父は、よく鉄砲で鳥や獣をしとめていた。あの頃にはイノシシは数も少なく貴重な獲物だったものだ。八幡浜では絶滅するんじゃないかという心配もあったぐらいだが、環境は変わるものだ。

航空写真

2022年8月、確実な資料はないかと国土地理院の航空写真データベースをあたった。昭和61年5月に撮影された白黒の航空写真がある。RX-7の家を見たのは昭和53年頃だから、8年ほどあとの撮影だ。
この写真を見ればあのころの夜昼峠はずいぶん田畑が多かったことがわかる。芝中の棚田も見事だ。林道芝中線は上空からはっきり見えている。友人のサニーで走った後に木材の運搬植林用に整備されたのだろう。
残念ながらこの写真では肝心の建物や自動車は確認できない。だけど生活感ははっきり感じられる。私の桃源郷はこの場所で間違いないだろう。


2011年8月20日記す

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