たまたま見聞録

古藪サイクリング 1


古藪
古藪遠景(中央の小集落)

古藪は東に

西の海に沈んだ太陽は地面の下を一回りして東の山の裏側から登ってくる。海に沈んでも火が消えないのだから地面の下にトンネルが掘ってあって太陽はそのなかを通っているのだろう。太陽の運行について少年の私はそう考えていた。いうまでもなくそのトンネルをいつか発見してやろうという野心を抱いていた。海の彼方にあるはずの入り口は泳いでいくのはたいへんだけど、東の山の向こうにあるはずの太陽がでてくる穴蔵を見つけることはそれほど難しいことではなさそうだった。

そうした願いが叶ったものかどうか、夢で太陽の沈んでいる井戸を見たことがある。山並みをいくつか越えた東の彼方、山中の森林の中にその井戸はあった。井戸には澄んだ水がたたえられ、水中には太陽が沈んでいる。やがてくる朝を待って待機しているのだった。なるほど、太陽の火は特別製で水の中でも消えないのだ。だから、海に入っても大丈夫だったのだと、夢の中で納得した。

さて、私にとって東の端とはどこか。太陽の昇ってくる方向にどこまでも歩いて行くとどこに行き着くのか。それが古藪(ふるやぶ)だった。少年の生活圏から見える東の集落は末広(すえひろ)という。末広の裏側に田浪(たなみ)がある。少年の私にとっては田浪はすでに秘境であった。その田浪も一度だけ行ったことがあっただけなのだが、古藪はさらにまた田浪から一つの山と二つの谷を越えるという、この世の果てというべき地なのだった。

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古藪は四国愛媛県の西部、八幡浜市の東のはずれにあります

桃花源記

私が古藪から思い浮かべるものには太陽のほかにも「桃花源記」という物語がある。桃花源とは陶淵明が想像して書いたユートピアのこと。その村は山奥深く霧に包まれてあり、住人は他の村町とはいっさいの交流をもたず数百年の昔のままの幸福な生活を営んでいるという。その村に至る道はなく道に迷った者がたまたま訪れ歓待されるものの再びその村を見つけることはできなかったという物語だ。

少年の私はこの話を知る以前から桃源郷はあるはずだと思っていた。生まれ育ったのがすり鉢の底のようなところだから、どうしても山の向こう側の世界に思いを馳せることになり、そこはやはり美しく豊かな土地に決まっているのだ。千丈に住む者も古藪を訪ねる理由はほとんどないからそこに行くことは少ない。私もいつか自転車で古藪に行ってやろうと機会を狙っていたのだが、そういう機会などはそうそうやって来るはずもなく二十数年が経ってしまった。

もっとも自動車でなら行ったことはある。昭和53年頃、自動車の免許を取った友人にドライブに誘われたので古藪行きを希望したのだ。その道のりは予想していたほどには遠いものではなかった。もちろん古藪は桃源郷でもなんでもなく、十数戸の住民が普通に生活している普通の集落なのだからあたりまえだ。そのときの記憶をたどってみよう....。

自動車がつづらおりの杉木立の中を抜けると果樹や蔬菜の畑が広がっており数戸の住宅がある。山奥ではあったがそのたたずまいは富貴で文化的な雰囲気を漂わせている。その風景は現実の集落というよりも、まさに少年時代に空想していたとおりの桃源郷そのものであった。一つだけ心に引っ掛かったのは庭先に当時人気のあったサバンナRX7が駐車してあったことだ。山道を走るには不似合いなほど派手な色で車高も低いスポーツカーだ。おそらくあの家の子息がカーマニアだったのだろうが、あの自動車だけが人間の生活感を生々しく発散していた。

古藪への入り口
古藪への標識

青い道路標識に「←古藪」と書いてあるから見落とさないように。それにしてもこのあたりは少年の頃(30年ほど前)はずいぶん寂しく恐いところだった。谷は深く水は黒く森はうっそうとして暗かった。なによりもここまで来るには犬殺しで人さらいの隠れ家のそばを通らなければならなかったので子供たちは近づくのを恐れていたものだ。

古藪に行く

古藪に行くには道は一本しかない。田浪からの道もあるがもともとひどいダートのうえ、既に廃道になり草木も生い茂っているはずで自転車では走れないだろう。八幡浜市街から古藪へ続くのは一本道のはずだ。国道197号線を夜昼峠の方に向かい、川之内小学校を過ぎて夜昼隧道の手前で左折する道がある。この入り口さえ見逃さなければ大丈夫だ。大丈夫のはずだが間違えてしまった。途中に産廃の捨て場があるという看板を見つけて思わずその方向を避けてしまったのだ。

私が迷った方向は上郷(かみごう)の集落への道で行き止まりになっていた。それにしても古藪は千丈川の水源にあたるところなので、その谷に産廃の捨て場を設けるのは少し不安をおぼえる。

古藪への道

谷に沿って登り道はうねうねと続いている。昔の道らしい緩い上り坂だ。ちょうど夜昼峠の旧道のような感じだ。周りを取り巻いているのは杉や桧だから涼しくて暗くて湿っぽい。私はこの陰湿な雰囲気が嫌いではない。杉山は所々石垣がきれいに組まれ段々が切ってある。いわゆる段々畑になっているのだが、いくら何でも杉桧の植林に段々畑は必要ないだろう。これはきっと棚田の名残なのだ。江戸や明治大正の頃には米がもっとも重要な作物だったから急しゅんな谷筋に手をかけて田んぼとして拓いたのに違いない。

1キロも登ると千丈川の川幅は既に2メートルほどしかなくなっている。道端に自転車がとめてある。ハンドルには白いヘルメットがかけてあるから松柏(まつかや)中学校の生徒だろう。はたして杉の茂みを一人の少年が登ってきた。口元を拭いているので水を飲んだのだろう。道端の茂みの中に水呑場があるのだ。中学校から古藪まではおよそ8キロ、標高差にして300メートルはある。通い慣れた道でもシティサイクルでは登りになる帰りはけっこうしんどいはず、杉木立から染み出してくる水はさぞかし冷たくてうまかろう。そういえば今日も気温は35度ほどにも達していそうだ。私もボトルの水を飲む。既にお湯になっていた。

千丈川が支流と合流するところで道は大きくカーブしている。そこに一軒の家があった。おそらく古藪との中間点にあたり前後3キロは人家がないはずだ。こういうところに住むのも楽しいだろうなあと思う。住人らしきばあさんが布団を干していた。ガードレールに直接布団をかぶせて干している。この辺りでは珍しい光景ではないのだが、しばらく都会暮らしが続いているので新鮮な驚きがある。倉庫にはなぜか掛け時計がある。針の位置がほぼ合っているので稼働しているのかと思い、近寄ってよくよく調べると動いてはいなかった。

古藪への登りは緩やかで木立の日陰が心地よい。自転車遊びをしているとけっこう辛い目に合うことも多い。特に車の通行量の多い広い道路を登っているときなんか苦しいばかりで気も滅入ってくる。そんなところはなるべく走らないように気をつけているが、何しろ日本国はどんな田舎道でもひたすらに山を削り谷に橋を架けて立派な道路を造ることを産業振興とよぶ国なのだから避けては通れぬ試練でもある。

そんなときに私を励ましてくれるのが、たばこ屋の美女。フィリップモリスエクストラライトのイメージガールの渡辺由紀さんだ。彼女は久々に登場した豊かな頬のモデルさんで、細面が全盛の今にあって非常に貴重な美人だ。都会のビルの屋上にある超巨大な看板から、ほこりにまみれた田舎のたばこ屋の自動販売機の小さなポスターまで、日本にはいったい何百万人の彼女のコピーがでまわっているのだろう。彼女は現時点(1997年夏)で自転車に乗っていると最も目にする機会の多いお嬢さんに違いない。なぜか私は彼女の顔を見るとがぜん元気が沸いてくるのだ。

もちろん古藪の途中にたばこ屋なんてものはないし、古藪にもないだろう。ただし、古藪への道は彼女がいなくてもヒグラシやホオジロがきれいな声で励ましてくれる。コルリのメスも見かけた。八幡浜では初見だった。

ここはまちがいなく古藪か?

古藪

登り始めて30分、いよいよ木立を透かして集落が見えるというところでは道路工事が行われていた。日本国の趨勢に合わせて古藪にも立派な道路ができるのだ。集落の中を通る間は旧来どおりの狭い道で、山や谷を通るときには光り輝くなめらかなアスファルト舗装の立派な道路ができるのだ。自動車は走りやすくなるが自転車は走りにくくなる。登りは曲がりくねっているほうが楽なのだ。

私のこよなく愛する佐田岬半島のかつての道はすべてが左カーブか右カーブである。加えてすべてが登りか下りだ。そういう道は自転車で走っていても実に気分がいい。この夏にも佐田岬の旧道を走った。とにかく、死にそうなほど暑かったので体を冷やしながら走らねばならず、わずか80キロになんと5時間もかかってしまった。めまいがして倒れそうになって、もうやめようかと何度も弱気になった。それでもくじけずにやり通せたのは(オーバーだなあ)渡辺由紀さんが笑いかけ励ましてくれたからだ。

現在では佐田岬半島をいくには尾根筋に走っているメロディーラインを使うことが多い。メロディーラインは急な登りと急な下りとトンネルが連続し、とても自転車で快適に走れる道ではない。7%の登りは自動車にはどういうことなくても自転車にはかなり辛いのだ。私は自転車乗りだから急坂も平気なのでメロディーラインを通れば半分の時間で三崎町に到着することもできるだろう。しかしあの道にはなんの喜びも楽しみもなさそうなので全く使う気にならない。そもそも道路端には一軒のたばこ屋もないではないか。死にそうになったらいったい誰が助けてくれるというのか、本当に行き倒れてしまうかもしれない。

そうこうするうちに古藪に着いたのだがどうも様子が変だ。集落の雰囲気に全く馴染みがないのだ。まるで初めておとずれた場所というふうなのだ。集落の入口にあったはずのRX7の家もない。おかしいとは思いつつもどんどん登っていく。途中公園があった。この公園も初めて見るもので記憶にはない。ぶらんこなどの遊具が不似合いで観賞用に植えたらしいカエデも妙にミスマッチだ。秋には紅葉狩りをする人もいるのだろうか。

集落の合間から北の方を眺めると鞍掛山の南斜面の南裏(みなみうら)や梨尾(なしお)さらに西には高野地(たかのじ)の集落があり、その背後に金山出石寺から銅が鳴(どうがなる)の山並みを望むことができる。かつて八高(はちこう)の生徒だったころに好んで歩き回った山々だ。

金山

古藪の集落は10軒程がかたまってあるだけだから2分も走れば通過できてしまう。ただ、記憶の風景が見当たらないので集落を離れてもどんどん登っていく。すぐに杉林が始まり家並みはとぎれてしまった。「本当にここは古藪か?」という疑問がわき起こる。さっき見た道路標識にはちゃんと「古藪」と書いてあったので、ここはたしかに古藪なのだろう。深い杉の木立を抜けると急に視界が開けが現れた。果樹と杉、桧それに椎茸の榾木にするのかクヌギも植えてある。もともと谷すじだから棚田だったようだ。よくよく観察すると少しだけ水田も残っている。

その畑をすぎると舗装は終りごつごつした石が転がる急しゅんで細いダートコースになった。林業のために作った道だろう。ハンドルも取られ、パンクも恐いので自転車を降りて引き返すことにする。

記憶の古藪は桃花源なのか?

今回の古藪サイクリングでは、あのRX7のあった私の記憶の古藪を見つけることはできなかった。あの記憶は夢であったのかと思いながらいつも通り「写るんですスーパースリム」で写真を取りながら坂道を下ってきた。夢で見た風景をあたかも現実のものであるかのように記憶してしまうことはままあることだ。私にはそういう経験が確実なものだけでも2つある。おもえばあの太陽の井戸でさえしばらくは実在を信じていたではないか。ではあの古藪もそうなのか、いやそうではないと断言できる。私の記憶にある古藪は夢にしてはその行程や細部があまりにも具体的に過ぎ、夢特有の飛躍も全くないのだ。

古藪への道

私は今この文章を書きながら、自転車を降りた細い杉林の道を抜けたところにもう一つの集落があるのではないかと思っている。私の記憶では古藪は全く思いもかけないところに忽然と現われる美しい村なのだ。だからこそ陶淵明の書いた桃源郷とオーバーラップするのだ。今回は自信が無くて引き返してしまったが、次回にはあの杉の匂いの充満する道を自転車を押して歩いて登ってみよう。それでも記憶の風景にであえなければ、私はかつて本物の桃源郷を見たということだろう。



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