年越しそばを食べて、テレ東の「ローカル路線バス乗り継ぎの旅!極寒みちのくの旅SP・後編」の録画を見ていた。ふと録画機のタイマーを見ると、022217と表示されていた。それは数秒で22222のぞろ目になった。2時間22分22秒である。
じつはこういう体験は珍しいものではない。よく起きるのは「古代の宇宙人」だ。毎日2時間ほど見ており、百数十本あるどの回も繰り返し見ているので台詞もカットも覚えている。「古代の宇宙人」では、録画機のタイマーが1111とか2222とか1234などの意味ありげな数字になっていることにしょっちゅう気づいている。
この体験は偶然でもないし、たまたま当たったときのみの印象が焼き付いたわけでもない。意識下で数字を見て、気づいて、確認しているのだと思っている。
視界の中央にはテレビモニターがあり録画機のタイマーは左の隅にある。テレビを見ているときはタイマーの数字が見えていない。数字は小さく暗く、しっかり見つめてはじめて認識できる。
数字は目の隅っこの意識しないレベルで見えているのだろう。そうやって見えている数字を意識下では知覚していると思う。
「路線バスの旅」シリーズは十数年続く長寿番組だ。地上波では一番好きな番組でその全てを見ている。再放送があるたびに繰り返し録画して見るが、タイマーに気づいたのは昨日がはじめてだった。
昨夜は、太川陽介、高木奈那、村井美樹らの活躍を手に汗握って見ていた。番組に集中しているときはタイマーの数字がぞろ目になっても、それはあくまで意識下のこと、意識が番組に集中していれば気づかないのだろう。気持ちが番組から離れぼんやりしているときに、意味ありげな数列があれば、そちらに注意が向いて気づく。
「ローカル路線バス乗り継ぎの旅!後編」は4時間あまりの放送だったが、一度だけ22222を見つけた。2時間22分22秒以前も以降も録画機のタイマーに目をやることはなかった。面白かった。視聴が終わると新年だった。
写真は半日影になっている庭の一角。冬なお緑の各種雑草が茂っている。ユキノシタ、ヒメオドリコソウなどと一緒にハート型の3枚葉を広げるのがムラサキカタバミだ。去年の夏まではここにいなかった。秋も終盤になってここに芽吹いたのだ。
ムラサキカタバミは大好きだ。もともと庭に少なかったこともあり保護雑草に指定して、この20年あまり庭で自由にさせている。気をつけて抜かないようにしている。ときには生育環境の良さげな場所に移植して増やすことを試みる。その試みはたいてい失敗している。移植後に定着させることが難しいのだ。新しい場所に移せばその細く柔らかい茎がくにゃっとしおれ元気な新葉が出てこない。失敗は私の園芸力不足が大きな原因だが、ムラサキカタバミの性質にも原因があると思う。
ムラサキカタバミは生命力旺盛とはいえない。盛大に種を飛ばして増えることはしない。ドクダミやシダ類のようにランナーを伸ばして勢力を拡大していくわけでもない。繁殖はもっぱら根にある木子というもので行うらしい。ヤマノイモのムカゴのようなあんばいだ。
木子は移動力がない。自分で飛んでいくこともなく動物に運ばれることもたぶんなくて、ムラサキカタバミの繁殖は緩やかなはずだ。いったん根付いた株の周辺で新たな株を作り増殖していくしかない。それがどういうわけか、今日の写真のように親株から離れた場所に唐突に現れたりする。しばらくその原因がわからなかったが、どうやら犯人は私のようだ。
庭の雑草はなるべく自由にさせるものの、いくぶんかは手を入れる。去年の夏場もムラサキカタバミやササガヤなどの保護指定雑草がなるべく増えるように、それら周辺の雑草取りをした。抜いた雑草はもとあった場所から遠くない所にいったん積んでおく。駆除雑草はおりをみて枯れ草置き場に移動させる。
この冬ムラサキカタバミが唐突に現れた所は、よくよく思い出してみると駆除雑草の一次置き場だった。ムラサキカタバミの株の周辺の雑草を抜いて移動させたときに木子をばらまいたのだ。過去数年間の記憶をたどれば、ムラサキカタバミが生えている場所は私が手を入れた所のようだ。移植定着に失敗した所で一年以上たって繁茂し花を咲かせているやつもいる。どうやら枯れ残っていた木子から芽をふいて復活したみたいだ。
ムラサキカタバミはなかなかしぶとい。増やすのに時間はかかるが、乱暴に扱っても絶滅のおそれはないだろう。
写真は2010年1月1日に撮影したもの。木の幹を貫く形で竹が伸びている。むろん竹が貫いたわけではなく、二股になった木の幹が竹を巻いたのだろう。発見時のことはこの日記に書き記しておいた。
そのときは、竹が完全に腐り落ちて木の幹に穴が開くことになると予想していた。しかしそれは間違っていた。
先月に観察する機会を得て撮影したのがこの写真。竹を巻いていたところは完全に塞がって、穴のあった所は盛り上がって修復されている。樹木って柔軟に生きてるんだなと感心しきりだ。二本の木が根元からくっついた樹齢何百年の銘木なんてものは幾度かテレビで見たことがある。自力の接ぎ木のようなもんだろう。
ところで、この樹木の種類がわからない。発見時はヌルデあたりかなと思っていたが、どうもそうではなさそうだ。ひとまずは、この木が落としたであろう葉を撮影しておいた。この葉から種名が突き止められるほどの鑑定力はない。花とか葉があるときに調べればわかるかもしれない。
写真は去年11月に撮影したもの。さほど深くはない川の砂泥に無数の穴がある。私はこれをバンドオブホールズとよんでいる。場所は愛媛県八幡浜市の千丈川だ。渓谷のような千丈川も新和田町あたりになると流れが緩やかになる。さらに堰堤の上流にはよどみができる。写真のすぐ下流が堰堤だ。こういう所は少なくとも2か所確認できた。
この穴の原因はまだわかっていない。予想される原因の一つは鯉の採餌痕だ。千丈川のこのあたりでも鯉の放流はされている。撮影時にも数匹の鯉は泳いでいた。これだけの穴を鯉が掘ったのだろうか。
千丈川は小河川であり鯉の生育には向かない。しかも例年、夏場には渇水して魚類の大半が死滅する。鯉は真っ先に死ぬだろう。鯉の他には、カワムツ、オイカワ、ドンコなどがいる。私は小学生のときに新和田町ではフナ、メダカ、ウナギ、ドジョウなどの生息を確認していた。50年前には流域の水田はなくなり、その後広域下水道の設置にあわせて川岸が大幅に改修された。フナなんかはもういないかもしれない。
鯉はかつてもいた。それは大水が出たときに好事家の池から流れてきた錦鯉だった。そのころ新和田町あたりは水深もあって鯉もしばらくは元気に生きていた。当時にバンドオブホールズを見た記憶はない。
バンドオブホールズを最初に見たのは2022年2月のことだった。神奈川県の小鮎川だ。続いて荻野川でも見ている。
バンドオブホールズが鯉の採餌痕ではないかと予想するのは、実際に鯉が河床に穴を開けている現場を目撃したからだ。それは境川遊水地公園の鷺舞橋だ。そこは湧水からの流れがよどみになって各種生物を橋の上から観察できる。よどみでは、鯉、ナマズ、ブラックバスなどが元気に採餌している。鯉は泥に顔を突っ込んでじゃぶじゃぶと何かを探っていた。目当てはザリガニとか貝なのだろうか。鯉が巻き上げた泥がひくと、そこに穴ができていた。その深さ形状はバンドオブホールズそのものだった。
千丈川にはかつて夥しい数のカワニナが生息していた。シジミやドブガイも流域のため池に生息しており、本流に流れ込むこともあった。そういうベントスを狙って鯉が河床を探ることはありそうだ。
写真の飛行機雲は去年11月に千丈川で撮影したもの。稲妻形になっている。直角に曲がれるジェット機は発明されていない。おそらく、3機のジェット機の絶妙なコラボによって作られたものだろう。
飛行機雲ができるには、飛行機が飛んでいる空の湿度とか温度なんかの気象条件があるんだろう。この飛行機雲が3機によって作られたとして、どんな条件だったのか、その見当はつかない。飛行機雲周辺の巻雲の様子を見ても、なぜそこに現れ、また消えるのかがわからない。稲妻形ができるのを見物できたら楽しかったろうな。
午後はクロナガアリがけっこう活動していた。寒気がゆるんで気温があがったためだろう。活動としては種を運ぶ者もいたが、圧倒的に土くれを運んでいる者が多い。巣の補修作業だろうか。この数日は朝の冷え込みがあった。巣の通路に霜柱ができて崩落が起きたのかもしれない。
そんな中でちょっと不思議な2頭がいた。1頭が後方から1頭の頭部をがっちり咥えて運んでいる。一見して死骸捨てかと思ったが、運ばれている方はいたって元気だった。かといって喧嘩でもない。さて何が起きたのか? 死骸だと勘違いしているのだろうか? そういう状況は何件か目撃しているけど、過去例に比べて今日の死骸?はずっといきいきしていた。それに過去例では、はっと気づいて何事もなかったかのように放すことが多かった。今日のは10分ほど観察を続けたが、咥えたままだった。謎だ。
庭で虫が見つからない。確実に見つかるのは写真の虫だ。家の外壁に止まっている。季節にかかわらず年中いるような気がする。ミノムシとよぶべきものだと思うけれど、ミノガの幼虫なのかどうかは知らない。小さくて地味でその辺にいる虫は正体不明のことが多い。この虫の正体を自分で解明しようという気はない。怠け者だ。
虫の少ない季節とはいえ、そもそも庭の虫は年々減っているという実感がある。プロによれば、冬でも探し方次第で虫が見つかるらしい。私の殺風景な庭だって、やりようでなんとかなるのだろうか。
今朝は珍しくも壁に毛虫が見つかった。季節が季節だけに死骸だと思ったが生きている。この2cmばかりの毛虫の正体もわからない。似たようなものはよく見ている。ナシケンモンとかヒトリガとかドクガのあれ・・・とか、既視感はある。
「くらべてわかる 蛾」をめくってみる。地味な蛾もいっぱい載っている素敵な図鑑ではあるが、これだ!というのは引き当てられない。
楕円の2つの焦点と周上の1点を結ぶ線分の長さLが一定になることは知っていた。50年ぐらい前にどこかで覚えたに違いない。その定理から楕円の式を導こうとして難渋していた。
とっかかりは簡単だった。写真の式@のように、周上の点P(x、y)と焦点F(f、0)の式はすっきり立てられる。また、Pが特別な2点にある場合の式もA、Bのようになる。Lの値は2になり、fもaで表せるのだから、AとBを使って、@を変形すればいいだけのことだった。
ところが、@は√が2つあって、くやしいことにこれを展開するのに手を焼いた。あーだこーだとやってて、楕円の式があらかじめ与えられてないと解けないという情けないことになっていた。結局、解くのをあきらめて、線分の長さLが一定ということから楕円の式を導くのは原理的不可能なのだと自分をなぐさめていた。
それが昨日降って湧いたひらめきによってあっけなく解けた。手がけてからかれこれ1年ぐらいかかったのだろうか。楕円のことを考えていたわけでもないのに、窮地を突破できるアイデアがぽっと心に浮かんだのだ。
アイデアというのは、式@の2つある√の1つを移項して両辺を2乗すれば、√が1つだけの方程式ができるというテクだった。そのテクを使えば、暗算で道筋が見える。こんなものは受験生だったころなら普通に使っていたのだろう。そのあたりの記憶はまったくないが、降って湧くんだから身についてたんだろう。
「スキンウォーカー牧場の謎」はトラビステーラー博士が大活躍するアメリカのテレビ番組だ。牧場内にワームホールがあって、宇宙人の秘密基地ができてるかもしれないというので、テーラー博士たちがあの手この手の場当たり的実験で謎を解こうとしている。去年までで4年をかけた壮大なテレビシリーズだ。今年もシーズン5があるんじゃないかと一日千秋の思いで待ち望んでいたが、どうもやらないみたいだ。これほど残念なことは令和初だ。
もともと「スキンウォーカー牧場の謎」は4年で終了する予定だったはずだ。去年放送のシーズン4のお知らせは、「いよいよ最終シーズンに突入!」というふれ込みでスタートしていたからだ。ところが、途中から最終シーズンという言葉は消えた。エピソードが進むにつれていよいよ謎解きが進み、ジェレマイアが地下のトンネルらしきものを発見し、空からの3Dスキャンでワームホールの影らしきものをとらえ、空中に発射したロケットが宙で行方不明になっている。なんかすごいぞ!ってな感じになってきた。
最終回では、トラビステーラー博士に牧場オーナーであるブランドン、そして一同が「来年はより強力な観測網で探求を進める」と豪語してたから、予定を変更してシーズン5をやるんじゃないかと期待していたのだった。
それがどうやらシーズン5はやらないみたいだ。テレビ局としても採算が合わないのかもしれない。私は「スキンウォーカー牧場の謎」が大好きなのだが、プロとして客観的な視点で番組を見るならば、「スキンウォーカー牧場の謎」はけっして大受けするものではない。人類一般はワームホールだの宇宙人だのにはたいして興味を持ってないからだ。
エンターテインメント性を高めるために、トラビステーラー博士も型通りな科学実験の手法はとらないようにしている。尋常ならざる実験結果に対しても追試はしない。退屈だからだろう。そればかりか、あえてロケットマンになったり、鳥や虫の映像をUAPと言って大騒ぎする。それは過去のUFO、心霊番組で見飽きた陳腐な演出に過ぎない。
おまけに番組で「謎だ!」と騒いでいるものはCGとやらせで作れないこともない。懐疑的な視聴者は、様々な観測・実験機器が故障するのに、テレビカメラやマイクはなんで正常なんだ?と、冷ややかな視線を投げるだろう。まあ人類一般が金を払ってまで見るには弱い。
世界中の配信会社が買ってくれないと、テレビ番組は作れない。富豪のブランドンとはいえ、採算度外視で私費を投じてスポンサーになるまでの覚悟はないのかもしれない。それでもいつか続きをやってくれるはずと一縷の望みを持っている私である。
楕円のレーザービーム問題は、楕円の短半径を1/2にすることで首尾良く解くことができた。むろん短半径をaとしなければ解いたことにはならないのだが、計算が難しくて頓挫していた。今朝ふともう一回チャレンジする気になった。やりかたが間違っているとは思えなかったからである。壁にぶち当たってもあきらめきれないのが恋だから。
案の定、全く歯が立たない。いい補助線を見つけたところまではよくやった。それで、短半径1/2で解くことに成功しているのだ。この補助線ならaでもいけるのかと期待したが、あともうひとひねり必要なのだろうか。
写真の毛虫は14日に発見してから観察を続けている。めぼしい虫はクロナガアリしか見つからない今、貴重な遊び相手だ。
16日には、最初の発見場所から少し移動して、壁にとまっていた。しばらくその辺りから動かなかったが、気温が上がった22日には大きく1mほど動いて窓の下に移動していた。
壁にいるときは何をしたいのか見当がつかなかったが、雨の当たらない窓の下に移動したのを見て蛹化の場所を探っているのではないかと思った。わざわざ壁を登って来るのなら、食べ物を探しているんじゃないだろう、きっと蛹になるに違いない。ただ今年の暖冬傾向で、季節に沿った行動が狂い、秋か春の行動を真冬に起こしているのかもしれない、などと想像していた。
ところが、昨日の23日には窓の下に毛虫が見あたらなかった。いろいろ周辺を探ったけれど見つからない。死んで落ちてしまったのか、はたまた捕食にあってしまったのか。いずれにしても今生の別れだろうと落胆したのだった。
そして今日のうれしい再開となった。22日にいた場所からは1mほど離れている。この先どうなっていくのだろう。
ようやくレーザービームの問題が解けた。もしやこの方法なら解けるのでは?という着想は正しかった。行き詰まってしまうのは、単なるミスを犯していたからだ。21日にはじめたときは直線の式をかわきりに、途中の計算も10か所ぐらい誤っていたのだ。あり得ない値が出てきても、どこがどう間違っているのかすらわからない。計算力はもともとなかったが、ここまでダメになっているとは。解けた喜びよりも、衰えの寂しさのほうが大きい。
写真のムラサキカタバミは去年から花を咲かせていない。何度も開閉を繰り返す花だから、開花の条件が整っていないのだろう。その条件は気温だと思う。
真冬に花をつけるのは植物として賢明ではない。もともとは虫媒花だったはずで、虫の活動がない冬には開花させないほうが良いからだ。それなのに冬に開花させようとしているのは、日本の季節を知らないからだと思う。
寒さに強いから冬でもがんばるという考え方は誤りだ。ムラサキカタバミはもともと南米の植物だというから、常春の環境で進化したのではないだろうか。南米高地では年平均気温が20℃ぐらいで、ものすごく暑い日もあれば、ものすごく寒い日もある。夜間はけっこう気温がさがる。日射量は年間通じて大きな変化はない。
そうした日本の季節を知らない動植物が真冬に活動しているのはよく見られる。日本で進化した動物でも北をめざす者は季節を知らなかったりする。ましてや常春の国から運ばれてきた植物が真冬に花をつけるのはいたしかたないだろう。
今年は暖冬で、本来は季節をよく知っているはずの虫が失敗している様子をいくつか見た。ハラビロカマキリが晩秋に孵化したり、蛹越冬のモンシロチョウが1月に飛んでいた。季節を知るとはいえ、カレンダーや日照時間を指針にせず、温度基準の虫には失敗が起きるだろう。近年そういう冬が多い。
雨が上がって、もしやクロナガアリが地上活動をしていないかと庭に出てみた。クロナガアリはいなかったものの、目前のモッコウバラにアオジが止まっていた。アオジは毎年庭にやって来る。どうやら巡回コースになっているようで、しょっちゅう目にしている。
ポケットからスマホを取り出して撮ったのが今日の写真。アオジは警戒心が弱く1mほどに寄れる。
アオジは庭にやってきてスイレン鉢の水を飲んだり、地面の何かを食べている。食べ物はどうやら草の種らしい。ただ、庭にはこれといった種はない。クロナガアリ用に育ているササガヤやミズヒキ、相模川あたりから拾ってくるセイバンモロコシくらいのものだ。
写真は陸稲の種。2年前から庭で陸稲を栽培している。といっても適当に種をまいて5株ほどを放置して、50粒ほどの種を収穫するといったいいかげんなものだ。無論、人間の食べ物ではなく、クロナガアリなんかの餌用だ。
陸稲は野鳥も食べるから、もしかしたらアオジが気づいて食べるかもしれないと、2日ほど前にアリの巣近くの飛び石の上に転がしておいた。今日見ればつついて籾殻を割って食った形跡がある。アオジのしわざだろうと思っているが、キジバトかもしれない。
この数日、寒波が来てクロナガアリの地上活動は止まっていた。最低気温が氷点下になりスイレン鉢が結氷するような日は地上に出てこない。念のために午後にも観察しているが、働きアリの姿はなかった。
今朝もかなり冷え込んだ。巣を見に行くと、どうやら巣口が塞がっている。あえて塞ぐのか、自然に塞がるのかは未確認だが、そろそろ長期の地上活動を停止する時期だ。
塞がった巣口を撮影するために注視すると、そこにアリの姿が見つかった。土くれの中に体半分つっこんで途方にくれているという体だ。どうやら、地上活動をしていて帰還が遅れてしまったらしい。
厳冬期には巣の近くの落ち葉の下で冬眠しているかにようにじっとしている働きアリを見ることがある。おそらく気温のせいで体が動かなくなって、休んでいるのだと思う。
こいつも外に出たものの、凍えてしまい帰りそびれて巣口が塞がっていたのだろう。すぐ近くにセイバンモロコシの黒い種がある。これを運んできたのかもしれない。
2月半ばともなると、日差しの強さは戻ってくる。追い風のサイクリングはもうぽかぽか、春本番の気分になる。クロナガアリの巣に日が射す時間は短いとはいえ、巣の回りも午後の太陽で暖められるはずだ。
私のクロナガアリたちはこの先何回かは巣口を開くだろう。ちょっとしくじったこの働きアリもすぐに巣に入れるに違いない。巣の中は常春で食べ物豊富な楽園のはずだ。
境川で虫の繭らしきものが見つかった。イネ科の雑草の葉に産み付けられている綿菓子ふうのものだ。葉は草刈りにやられ、道ばたにどけられすっかり枯れているが、繭はまだしっかりついていた。繭の正体は不明だが、かすかに見覚えはあった。
手にとって振っても、蛾の繭にあるように蛹が転がる感じはまったくない。どうやら脱出後のような感じだ。穴があるようにも見える。ただ、サイクリング用の老眼鏡では、ぼんやりとしか見えない。持ち帰って調べてみることにした。
見覚えは、過去一度きりだった。見聞日記で2022年11月17日の記録が見つかった。記録は節穴と化した眼への恨み節になっている。あのときは繭は見つけたものの、その繭に止まっている小さな虫を見逃した。それはどうも寄生蜂らしかった。
持ち帰って繭を開いてみた。蛹か羽化殻が出てくるかと思いきや、中はびっしり糸で埋められ、小さな繭が多数入っている。寄生(内部捕食)を受けているようだ。それらの小さな繭はあのとき見落とした寄生蜂のものなんだろうか。もうちょっと早く見つけておれば蜂の姿を拝めたかもしれない。
今日はすっかり春の陽気だ。久しぶりにクロナガアリは巣口を開いた。境川ではキタテハが飛んでいた。チョウが飛ぶとうきうきする。じつはこの冬キタテハを見ていなかったのだ。畑の脇の草むらを歩くと、小さなクモがぴょんぴょん跳びだしてくる。夥しい数だ。これも早春の醍醐味。ただしなかなか撮影させてくれない。なんとかアップをものにして、図鑑で名を調べてはみたものの似たようなクモが多くて、これだ!とはいかなかった。
写真はなじみになっている宮久保橋の堰堤。オオカワヂシャがわが世の春とばかりに茂っている。秋から冬にかけてまとまった雨が降らず、オオカワヂシャの繁茂が続いている。冬から春の風物詩といっていい光景だが、じつはここ10年ぐらいのことに過ぎない。
私が境川でオオカワヂシャを見つけたのは2016年3月27日のことだ。場所は、この堰堤から100mばかり下流の上和田中学校前だった。そこは堰堤の上流にあたり、水は深く、淀んだ場所だった。水深は50cmほどだったと思う。
その日まで、私は境川本流で水中オオカワヂシャを見たことがなかった。いまでは普通になっている堰堤に貼りつくオオカワヂシャはいなかった。もしいれば、堰堤の雑草に目がない私が見逃すはずもない。
ところが1、2年たつと状況が変わった。淀みで育つオオカワヂシャが見つからないのだ。最大の生育地と思われた上和田中学前でも全然見つからない。そのかわり、堰堤や瀬で次々と見つかるようになった。
私が観察する限り、境川の流れに変化があったとは思えない。水質とか水量が変わった感じがない。境川に限らず、近所の河川を見る限り、水中オオカワヂシャの好適地は淀みではなく堰堤や瀬である。初見で、しかも唯一だった上和田中学校前が異常なのだ。境川でオオカワヂシャが定着するのは2016年以後というわけでもあるまい。何がどうなっているのかさっぱりわからない。
昨日のクモはどうも種類がよくわからなかった。とっても普通のクモだということは知っている。田んぼの季節が始まる頃、足元をぴょんぴょん跳んで逃げる数多いクモだ。スーパー普通種なのだから、その名を覚えておきたい。
今日も同じ場所で撮影を試みた。昨日と同様に10や20は簡単に見つかる。しかし撮影は簡単ではない。とっても敏感で、1m足らずの警戒区域に入ってしまうと、ぴょんぴょんと逃げる。警戒区域外に出ると動きを止める。しかしそこは撮影範囲外だ。そっと近づいても、動きを察知しているらしく、すぐにぴょんぴょん逃げる。こいつらはおそらく鳥に目をつけられているのだろう。今の時期は鳥が畑に降りて、すばやく飛び走りして何かをついばんでいる。このクモは被捕食者として重要な位置を占めているにちがいない。
カメラマンとしては難敵であるけれど、私は動きに規則性があることに気づいた。さすが人類である。クモは直線的に3〜4回ほどぴょんぴょんぴょんぴょんと跳んでいったん止まる。その止まる瞬間にシャッターを切れば写る。ぴょんぴょん逃げる最中のクモをTG-5の液晶モニターでフォローしておればこっちのものだ。あとはオートフォーカスが間にあってくれるかどうかが勝負になる。
というわけで何個体か撮っておいた。フィールドで見る感じでは、サイズや模様に変異は大きいものの、一種類だと思った。撮影できた個体を比べても一種類のようだ。あとは複数の個体を見比べながら図鑑と照らし合わせる作業だ。
頼りになるのは写真板の『ネイチャーガイド日本のクモ』とイラスト板の『原色日本クモ類図鑑』だ。昨日の見立てでは、キクヅキコモリグモであったが、今日の写真と照らし合わせても、どうやら全部がキクヅキコモリグモのようだ。『原色日本クモ類図鑑』には「背甲の斑紋の特有なことと胸板に黒点のあることで容易に他と区別できる」とある。なんら専門的訓練を経ていない私にはけっして区別容易とは思えないのだが、その容易という記述を信じて、見た目の一致でキクヅキコモリグモとしておこう。
今後、フィールドで何百、何千とこのクモを見続ければ、一瞬でキクヅキコモリグモの同定ができるようになるはずだ。そして、類似のクモに接した際には「うん?これはキクヅキコモリグモではないぞ!」と直感できる所に到達したい。子どもの頃からやたら親しいクモだけに、そういう大人になれると素敵だ。
用水路の壁に寄りかかるように土のかたまりが積まれている。これは人間の仕業ではない。かといって水や風の仕業でもない。なにか動物の活動痕跡だろうと思った。
すぐには心当たりの動物が出てこなかった。サイズからして虫ではないと思った。このへんの虫で最大級のアオダイショウはこんなことはしないだろう。ミミズは似たような形状の泥山を作るが、この10分の1程度のものに過ぎない。昆虫類でもこういうことはできない。アライグマはこんなことをするだろうか。
自転車を走らせていて、この光景を見たとき、あっそうかと気づいた。きっとモグラの仕業だ。モグラは採餌のために地中に縦横にトンネルを掘り、残土を積み上げる。境川の護岸は全てコンクリートで固められ、泥があって雑草が生えている場所もすぐ下はコンクリートのことが多い。モグラの活動の跡が見つかる場所は限られている。
用水路の泥山もモグラの残土だろう。いまのところ一つしか見つかっていないけれど、周辺にまたいくつかできれば、モグラと結論できる。
モグラだとするとちょっとかわいそうだ。この用水路の両岸は写真のようにコンクリの壁だ。この先もずっと暗渠と3面コンクリートの壁だ。100mほど先で境川につながり落ちる。境川の両岸もコンクリート壁だ。
用水路は乾いているが、田んぼの季節には水が流れる。田んぼの水だけでなく、雨水も流入する。大雨のときにはけっこうな水量になる。その水がゆるくカーブしている場所の内側に泥を堆積させているのだ。
私が想像するに、1頭のモグラが用水路に落ち、泥溜まりに住み着いたのだろう。泥溜まりに虫がいることは確認済みだ。ミミズもいるし地虫もいる。モグラを養うこともできるだろう。しかし、大水になったらどうだろう。歩行が得意ではないモグラの避難経路は断たれている。コンクリ壁を登れるとは思えない。溺死するかもしれないし、境川まで流されるかもしれない。春をむかえてもいずれ災難にあうことだろう。
午前中は快晴だったが、午後からは雪雲が空を覆うようになった。天気予報通りだ。写真は北東方向の空。町田から東京の北部にあたる。雲から雪が黒い筋になって落ちているのがはっきり見える。
冷たい風に乗って私のいる所にも雪片が舞い落ちる。雪片は粒が大きくしっかりしている。気温は10℃近くある感じだが、上空は冷え込んでいるのだろう。久しぶりの降水だが、土を湿らすまでには至らないだろう。
雪雲がどんな感じで伸びているのか見たくて、境川の丘のほうに登ってみた。運良く富士山には雲がかかっておらず、雪雲の位置がよくわかった。富士山の北東から発生して神奈川県を横切る形に延びている。藤沢北部の上空は真っ黒だが、相模湾の上空は晴れている。雪雲の幅はざっと10km足らずといったところだろうか。
東の方を見れば、重そうな積雲の峰が見える。東京の方でも小雪が舞っているのか。関東でこれだけの筋状雪雲を発達させるとは。さすが最強寒波というだけのことはあるなと思った。
朝、二階の窓から庭をのぞくと、アオジの姿があった。地面の何かをついばんでいる。場所からしてどうやらセイバンモロコシの種らしい。セイバンモロコシはクロナガアリの餌として置いてあるものだ。アリはしばらく地上活動をしておらず、運び切れなかった種が転がっているのだ。
庭には1頭のアオジが居着いているような気がする。これは例年のことだ。居着いているのでなくても、定期巡回コースにしていると思う。
アオジを引きつける要因は種の他にもスイレン鉢がある。食用としてセリとマコモを栽培している大きな鉢だ。その水を飲む姿をよく見ている。
かつてはアオジが庭に来るのを快く思ってなかった。種や水が惜しいからではない。イエネコの徘徊があったからだ。一度、イエネコの食害を受けたらしい鳥の残骸が転がっていたこともある。冬期ではなく、アオジではなかった。スイレン鉢の水はメジロやキジバトも引きつけるのだ。
ここ2、3年はイエネコの徘徊が止んだ。その点では素直に野鳥の飛来を喜んでいられる。ついでに夜間にやってくるハクビシンの痕跡も見られなくなった。やつはスイレン鉢に糞を残していく習性がある。そちらはセリやマコモへの食欲が失せるという実害があった。
午後からは雨の予報だった。かまわずにウィリエールで境川。まだ春は浅く虫にも草にも期待するものはないけれど、自転車の練習がしたかった。
ポイントは上死点の処理。この数年は、なるべく早く上死点での推進力を得ようと、11時頃には腿を上げる力と膝を伸ばす力を使って力強く足を前に運ぶことに終始していた。理論的にはその動作で速くなるからだ。しかし近年は筋力、持久力の衰えに加えて登りのタイムを向上させようという意欲もなくなった。であればそこそこの力で楽しく走る方がいいんじゃないかとひよっている。
まず注意したのは、上死点での足の重力質量を0kgにすることだ。プラスでもマイナスでもいけない。ペダルの転回円に沿うように足を案配して重量をなくす。そのやり方を試すと、これまでよりも大きく膝を上げることになった。ということは、従来は下向きの力が上死点でかかっていたのかもしれなかった。
次に注意したのは、足を前に運ぶのを遅らせることだ。ちょうど上死点で力を加えはじめて2時ぐらいでやめる。こうすれば、前に運ぶ足が軽くなり腿前への負荷が下がる。力強さはなくなるものの、圧倒的にスムーズで楽だ。
利点は楽というだけではなかった。スムーズに足が前に出れば、踏み足で脚の重量がうまく使える気がする。また、膝が上がる分、かけられる脚の重量も増えるかなと思った。
練習していると、雨粒が落ちてきた。予想通り弱い雨だ。しばらくは水がアスファルトに溜まることもないだろうから、ゆっくり帰宅すればいい。雨よりもペダリングに集中したい。
境川はナズナやホトケノザなどの小さな花が盛りだ。春はしっかり訪れているものの虫が少ない。今日は気温が低いから虫の活動は鈍いのだが、天気の良い日でも目につく虫が少ない。暖冬の影響なのだろうか。
下水処理場向かいで桜が満開だ。雨にけむる景色に鮮やかな花をそえている。河津桜という品種だろうか。豪勢なんだが、いまいち好きになれない。濃すぎるピンクが下品。ソメイヨシノよりも早く咲くのが気に入らない。桜はソメイヨシノが一番で、ソメイヨシノより目立つ桜は邪魔者だ。物心ついてから培われてきた桜のイメージが心中で凝り固まっている。桜並木を過ぎた辺りから雪が交じってきた。
境川をウィリエールで走っていて、なにやら巣のようなものが目に入った。場所は写真の矢印のところ。巣がある低木の葉はすっかり落ちて、枝に巻き付いたクズの葉もない。それで見つけたのだ。そもそも、こんな木に巣はないという思い込みでスルーしていたのだった。
近寄って調べてみると、巣の造作がずいぶん雑なことがわかった。ヒヨドリとかキジバトとか大きめの鳥の巣と予想したけれど、どうやらタイワンリスのようだ。
この木のある鷺舞橋付近にはタイワンリスが多数生息している。けっこうやかましく動き回って繁殖行動らしき様子も目にした。20年ほど前には生息していなかったから、近年ここいらに定着したのだろう。もともとは海岸縁の鎌倉あたりにいた群れが分布を広げたのだと思う。
タイワンリスだとすると、巣をかける場所としてはかなり不都合なのが気になる。写真右手は境川で、左手がサイクリングロードを隔てて河岸の崖。タイワンリスの生息場所はその崖にある林だ。林には巣をかける場所がたくさんある。わざわざサイクリングロードを渡って岸辺の低木に巣を構え背水の陣をしいたのはどうしてだろう。
ところで、境川のタイワンリスについては、これ以上の北進はないだろうと予想していた。この先は道路鉄道と住宅地で林が分断されてリスの移動が妨げられるからだ。ただ、こんな場所にわざわざ巣を構える気性であれば、林のギャップも乗り越えて大和市にやってくるかもしれない。
ユーチューブでフランキーたけのペダリング解説を見ていて、面白い単語があることに気づいた。「踏力」である。たぶんこれまでも幾度か見た用語ではあるが、自動的に「ふむちから」と読んでいた。ただしくは「とうりょく」というようだ。
「踏力」とはトルクのことだ。ペダルにどれほどの力をかけているかという意味だ。トルク=とうりょく=踏力ってなんか素敵だと思う。トルクは一般名だが、自転車専用のトルクを踏力と言う。音が似ていて、漢字を見れば意味が伝わるのがすごい。昔の自転車人は外国語を輸入するとき、真剣に言葉を考えていたのだ。
他にも自転車界のジャーゴンには私が好きな「丁」というのがある。最近は使う人も少ないだろうが、丁はギアの歯数を指す。フロントアウター52丁というように使う。もともとは英語のteethのTだろうと推測するけど、あえてTに似ている丁という漢字を当てたセンスがいい。私も「52ティー」というより「52ちょう」という方がしっくりくる。
そもそもbicicletta、bicyclette、bicycleを「自転車」と日本語にしたのはすばらしい。「脚踏車」「自行車」よりもすぐれた当て字に思えるのは「自転車」を見慣れた日本人ということに過ぎないのだろうか。
写真は今朝の田んぼ水槽。居間の窓際に置いている。セットしたのは2021年11月のことだ。近所のたんぼの土をもらってきて、水道水を注いで放置。ときどき水替えをしたり、貝やエビに乾燥アカムシを与えている。世話はそれだけ。照明もエアレーションも濾過器もない。
すでに3年が経過し、一見健康そうに見えるけれど、老化はまぬかれない。写真に写っているロタラ(キカシグサ系)はいっぺん全滅したが根(たぶん)から芽吹いた。シャジクモも半年ぐらいで消えたが、2年目に再発生してきた。ただしロタラもシャジクモも往年の勢いはない。
メインになっているマツバイは繁茂しているように見えるけれど、枯れ葉が多い。ランナーからの芽吹きはあるが、成長はよくない。葉色薄く、十分な光合成はできないようだ。栄養不足か寿命か。
マツバイは自然の田んぼでは春に芽吹いて夏に成長し、田の水が落とされると花をつけ、冬には枯れる。おそらくそういうサイクルに適応している水田雑草なんだろう。あきれるほど強力な草ではあるけれど、水中でずっと生活するのは息苦しいのかもしれない。
近所に在来のカントウタンポポが咲く畑がある。しかも、白花のタンポポはそれなりに珍しいので見つけたときはうれしかった。直近で白花の在来タンポポを見つけたのは、東京の多摩川縁だった。もう30年以上前のことになる。
もともとタンポポといえば白花だった。生まれ育った愛媛では、白花タンポポばかりで黄色の花は見たことがなかった。だからホンモノの黄色いタンポポを見たいと願っていた。愛媛を出て東北に移り住むと、黄色のタンポポが普通だった。しかもそれらは今にして思えば外来のセイヨウタンポポだった。
50年ほど前なら、セイヨウと在来のタンポポを区別するのは容易だった。「総苞片が反り返っているからセイヨウ」と知った顔ができた。しかもセイヨウに白花はなかったから、白花であれば在来と知った顔ができた。それに、セイヨウタンポポと在来のタンポポは生息環境も異なり、セイヨウは単為生殖するから似て非なるものだと専門家面ができた。
ところが、現在だと総苞が反り返っていないセイヨウがある。おまけに白花の総苞が反り返っているやつもある。いろいろなセイヨウタンポポが入っているのか、変異・交雑が進んでいるのか。もうめちゃくちゃだ。
そんなでも私が「この畑のタンポポは在来」と知った顔ができるのは、春のソメイヨシノの頃にしか花を見ないからだ。在来のタンポポはこの梅畑のような土地が安定したところに深く根付いて、何年も四季の変化にあわせて花をつける。セイヨウタンポポならば、桜の季節以外でも花をつけるはずだ。かれこれ20年以上見ているけれど、真夏から冬にはこの畑でタンポポの花を見ていない。
でも、もしかしたらすでに・・・というのはある。セイヨウと交雑してるかもしれない。素人の鑑定眼はいまや通用しないレベル。日本のタンポポはもうわけがわからない。
庭にはカナヘビが住んでいる。ちゃんと越冬して世代をつないでいる個体群だ。まあちょっとした自慢だ。
子どものときはカナヘビは珍しいトカゲだった。どういうかげんなのか家の近くにはいなかったのである。八幡浜市がカナヘビの生息地ではないというわけではなかった。私が知るかぎり、八幡浜高校のバックネット裏なら高密度に生息していた。その一方でトカゲは多く、どこにでも日常的に目にしていた。
神奈川では、トカゲを庭では見たことがないが、近所の田舎道では普通に目にすることができる。トカゲとカナヘビに棲み分けみたいなことがあるのか、あるならその原因は何か? 私には見当もつかない。
ともあれ、庭にカナヘビがいるのが自慢だから、春先は落ち着かない。庭の春は遅いので、近所でカナヘビがちょろちょろし始めても、庭は静かだ。もしや越冬に失敗したか?と気が気ではない。
ここ数日は気温も上がってようやくカナヘビが目につくようになってきた。少なくとも大小5頭を確認している。
こちらとしても、カナヘビが楽しく生活できるよう、いろいろ工夫をしている。
カナヘビの食べ物は、大きなものではミミズ、小さいものではワラジムシやハエなんかがある。庭にはそうした虫がなるべく多くなるよう、ワラジムシや小型のゴキブリであるモリチャバネゴキブリなんかが増えるようにしている。写真のショウジョウバエ、通称小蝿は害虫よばわりされているけれど、たんに残飯好きで無害な隣人にすぎない。きっとカナヘビの餌になると思う。ほかにもクモとかカマキリの餌になっているのを見ている。集まってほしい虫だ。
ムクドリなんかの野鳥が庭のカナヘビを捕食するのは極まれだ。これまでに一回しか目撃していない。カナヘビは庭の食物連鎖の頂点に君臨している。イエネコが来なければ。
この写真は、名前がよくわからなかった昨日の花を撮りなおしたもの。同定にめしべが決め手になると知り、めしべの花柱を狙った。
植物の種類が少ない私の庭にも、ときおり新参者がやって来る。それらはまずは歓迎してしばらく様子を観察することにしている。この花はハコベの一種ということぐらいは一目でわかった。だけどハコベにもいろいろ種類がある。庭にあるハコベとは葉とか花の形がちょっとちがう。
ネットとか図鑑で調べれば、ウシハコベというのが一番近いとわかった。ウシハコベとハコベは花柱が5本か3本かで区別できるらしい。であればと、花柱の数がわかるように、写真を撮りなおしたのだ。
ウシハコベは今のところ一株だけである。じつは去年、ウシハコベのある場所をハコベの群落にしようと目論んで、ハコベを移植して首尾良く種を播かせたはずだった。ところがハコベが出てこず、ウシハコベが出てきた。なにがどうなったのだろう。その一方で、今年も陸稲を栽培しようと、去年の秋に雑草を撤去して開けた場所に、ハコベがあれよあれよという間に大繁茂している。予想だにしなかった事態だ。雑草の管理は思うようにいかない。
まもなく陸稲の種まきだ。種をまく前にハコベを土ごと抜いてウシハコベの所に移せば、もくろみ通りハコベが繁茂してくれるだろうか。
アメリカのテレビ番組「スキンウォーカー牧場の超常現象」シーズン5が放送中だ。もしや放送はないのでは?と懸念していただけにうれしい。トラビステーラー博士たちの活躍を手に汗握って応援している。
スキンウォーカー牧場で出現する謎もさることながら、トラビステーラー博士たちの実験も謎が多い。
今シーズンもとんでもない謎が現れた。上空に向けて発射しているレーザービームが、中断したり上空数百メートルで途切れたりしている。まるで宇宙人のUFOから発せられるトラクタービームのような案配だ。地球人はまだそんなライトを発明できてないので、その現象の原因がわからない。トラビステーラー博士たちにも私にもわからない。とんでもない超常現象だ。
ここで謎が生じる。
ビームが途中で消えるような現象があれば、追加実験として、その消えた部分に向けて新たにレーザービームを照射して周辺を走査するのが手っ取り早い。そうすれば、消えた部分に可視光ではとらえられないけれど、レーザーなら吸収するなんらかの物体あるいは時空の異常があれば、その範囲が明らかになるかもしれない。そんなことぐらい誰だってわかる。
ところが、トラビステーラー博士たちはとんでもない行動にでる。ビームの消滅点に向けてロケットを発射するのだ。ロケットが何かに衝突したり、異次元にでも入り込んでしまえば、それはそれで面白い。しかしあいにくロケットは未知の力によって軌道が狂ってしまい、目標の異常地点からそれてしまう。もう100回ぐらいは見た異常飛行だ。さらに驚くべきことに、昼間にセスナから煙をまいて物体の存在を確認しようとした。その実験は何らかの妨害工作にあって、煙の散布ができないばかりか、飛行機器に異常が発生して中止を余儀なくされる。
こうなると熱心な視聴者である私も頭をかかえざるをえない。彼らは本気で謎を追究したいのだろうか。それとも宇宙人、心霊番組の伝統に倣った過剰演出によるやらせなのか。トラビステーラー博士ともあろうお方がどうしてインチキ臭い実験を連発するのだろう。
ただ虚空に向けたレーザービームが途中でぶった切られるのはCGでもない限りやらせ不可である。シーズン5の今後の展開から目を離せない。
トラビステーラー博士が活躍するアメリカのテレビ番組「スキンウォーカー牧場の超常現象」シーズン5が完結した。たぶん新発見はないだろうな、でもあったらすごいな、とわくわくして見たが、やはり新発見はなかった。スキンウォーカー牧場の謎が一部でも解明されれば科学史上最大の発見になる。まあどれもこれも解明の手がかりが得られそうにないものばかりだ。何年か前には牧場の土壌がコンデンサみたいに電気を貯めていた。例外的に調べやすい謎だと思うが、放置されているようだ。
今シリーズでもっとも注目したのがダイアウルフだ。トラビステーラー博士たちは胴長をつけて、牧場内の小川を探検した。横一列になってGメン75のような案配で調査機器を乗せたカヤックを引きながらの調査だ。
調査の途中で腐乱した動物の死骸を発見する。けっこう大きな動物が川岸にひっかかっていたのだ。博士たちは、もしや絶滅オオカミ、ダイアウルフでは? と思った。スキンウォーカー牧場では巨大で凶暴なオオカミ系動物の目撃情報が多数ある。トラビステーラー博士たちのアルパカが謎の捕食動物に襲われたこともあった。最近でも牧場の牛の変死体に異様な歯痕が見つかった。生物学者がダイアウルフぐらいしか一致する動物はいないと言った歯痕だ。かくて腐乱死骸の下あごを切断し、その生物学者に渡して同定を依頼する運びとなった。
私は一見してビーバーだろうと思った。ビーバーなら尻尾を確かめれば済む。いかんせん博士たちは生物学の素人だ。遺骸の全体を調べることはなかった。ビーバーとオオカミを間違えることだってあるかもしれない。
その遺骸がダイアウルフであれば科学史上最大級の発見といっていい。UMAファンは狂喜乱舞だ。ダイアウルフの絶滅は確定しているのだから、それがスキンウォーカー牧場で見つかったとなれば、22世紀のドラえもん的な技術の産物にちがいない。タイムマシンか、ワームホールか、宇宙人の超絶テクで絶滅動物を再生したか。ネッシー、ビッグフットの実在可能性が爆上がりだ。
遺骸の発見はシリーズの序盤だったので、遺伝子検査の結果はシーズン5の中で発表されると思った。最後までその興味を引きずって番組を見た。今回もいろいろミステリアスな現象は起きたが、それはそれでこれまでもあったことで、科学史に残るような証拠は得られなかった。ダイアウルフの死骸はテレビのやらせでは作れない科学的物証だ。ロズウェルのUFOの墜落現場で見つかったとされるピュアアルミニウムなんかとは次元が違う。
生物学者は下顎を調べて、即座にコヨーテではなく、もっと咬力の大きい動物だと断定した。さすがにビーバーではなさそうだ。牛の骨に穴をあけた謎の動物の可能性もある。そして遺伝子検査で正体を突き止めると言った。残念なことに検査の結果は番組で紹介されなかった。はてどういう事だろう。もしや河川探検は調査の終盤だったのか。遺伝子検査は放送に間に合わなかったが、番組構成上、視聴者の興味を引くため冒頭のほうに持ってきただけなのか。事実はともあれ、来年冬にあるはずのシーズン6を楽しみに待ちたい。
私は負けず嫌いな人間である、と思う。もちろん、それは本当の意味での負けず嫌いだ。一般に負けず嫌いは不完全に用いられているから注意しなければならない。
私は通勤電車の中で、ナンプレ(sudoku.com)というスマホのゲームをやっている。東京の電車はスマホに目を落として乗るのがマナーだ。それでナンプレをやる。ナンプレは機内モードの方がスムーズに遊べるので都合もいい。ナンプレには難易度がある。中ぐらいレベルのエキスパートでやる。これまで2000回ぐらいやって勝率は95%。平均タイムは4分30秒だ。この平均値は小さすぎる。おおむねその倍ぐらいはかかる。思い起こせば、最初の1000回ぐらいは、お手つき無制限で早解きにチャレンジしてた。1分を切るのが目標だったが断念した。列車内でそれをやるのはせわしなさすぎる。それに、ちゃんと考えて解を見つけ出すのがナンプレの醍醐味でもあろう。
エキスパートレベルは簡単だ。解けるか解けないか、勝負が白熱することは滅多にない。正直言って退屈ですらある。けど、スマホを持ってやることは他にない。退屈なのに、一段ハイレベルのマスターレベルでやる気はない。
マスターレベルは13回やって12勝1敗だから、実力的にはマスターでもいいかもしれない。しかし、マスタークラスでやるのは嫌だ。それは私が極度な負けず嫌いだからだ。マスターレベルだと、ギリギリの勝負になることがわかっている。本気でやれば解けるけれど、電車は制限時間がある。渋谷に着くまでに解けないかもしれない。下車後にナンプレなんぞはやりたくない。長考に難ありだ。負けがこむだろう。ナンプレ程度のものでも負けるのは嫌なのだ。
一般に、負けず嫌いの人は勝負好きということになっている。勝負が好きで実力もあり、敗戦を糧にして日夜努力を重ね、トップに立つような人のことを言う。それは負けず嫌いという言葉の半分でしかない。「ず」がいらない。さような者は負け嫌いだ。
真の負けず嫌いは、負けが予想される勝負から逃げる者のことをいう。負ける可能性がある勝負には手を出さない性格を指す。ついでに、勝利に価値を見いだしてなければ、もっとふさわしい。やってないから負けてないけど、やれば負けそうな勝負が嫌い、それが本当の負けず嫌い「負けずに嫌う」だ。私は真の負けず嫌いだ。
そんなんだったら、一番簡単なやさしいレベルでやればいいじゃないか、という意見もあろう。でも私はやらない。ナンプレがちょっと好きなのだ。解く楽しみぐらいは味わってもいいじゃないか。にんげんだもの。
今朝見ると庭の穴は塞がっていた。雨粒を受けて土は湿って真っ黒。掘り出されたとおぼしき土塊が積みあげられている。私はこの穴がなんなのかよくわからない。
この穴が見つかったのは今月の1日のことだった。穴のサイズは鉛筆ぐらい。それほど深くはなさそうだ。何か虫の仕業だろうと予想はできたが、該当者に心当たりはなかった。
もちろんこのような穴を見たことはある。サイズからして、クロアナバチクラスの狩蜂がある。ただそうした蜂が活動するのはもうちょっと先、梅雨にはいって獲物になる昆虫やクモがもっと大きくなるころだ。ツチバチの穴はもっと小さい。いま庭はコガネムシの幼虫も絶滅状態だ。クモの巣もこんなだが、トタテグモは数年前に近所で死骸を1回見ただけだ。庭に生息していることは期待できなかった。
ともあれ、こんなことをしでかす虫はきっと名のあるやつに違いない。私の庭では珍客だろう。持ち主との出会は期待していた。しかし、穴は翌2日には塞がれていた。これで事は済んだのだろう、と思った。
ところが24時間後の3日になるとまた開いていた。入り口の場所が、1日とは数センチばかりずれている。いよいよわからない。引き続き毎朝定刻に観察した。しばらく穴は開いていたが、今朝にはまた塞がれていた。
庭にセットしてあるスミレの小さな植木鉢にドクダミが生えていた。葉のサイズは小指の爪ほどでしかない。ドクダミは保護植物ではあるが、気分によって駆除することもある。スミレの鉢内では雑草だ。引っこ抜いてみれば思ったより根が深かった。
植木鉢のスミレは帰化雑草にすぎないが成長が楽しみだ。スミレは増えて欲しい。庭に勝手に生えてきたのを移植ゴテで掘り出して小さな植木鉢に移した。この季節は土から出てくるものは何でもすごい勢いで伸びる。ヤマノイモなんか24時間で50cmも伸びた。スミレの成長はそれほど速くない感じだ。過去に庭で成長したツマグロヒョウモンもいた。雑草スミレがはびこればまたツマグロヒョウモンが期待できる。
ドクダミはそんな植木鉢に生えてきた。ドクダミだから実生ではあるまい。スミレを移植したときの土に根が混入していたのだ。根茎ではなく根の切れ端だったのではないだろうか。小さな根っ子から芽を出して葉を広げてくるなんてすごいやつだ。日影にも強い。庭にぴったりフィットの植物だ。まもなくドクダミはつぎつぎに花を開いて行く。毎年待ち望んでる季節だ。
のもと物理愛の二重スリット実験はいまいち合点がいかないでいた。解説用の図もコメントもしっかりしているのだが、何か根本的なものがつかめずもやもやしてた。ユーチューブでは、おすすめ動画で二重スリット実験がたくさん出てくる。のもと物理愛を補完できそうなものを見てもやっぱりわからない。ユーチューブで理解できないなら無理かと思えた。そのもやもやが浜松ホトニクスの動画でいっぺんに解消された。やっぱり実験の実写は迫力が違う。本家本元の解説は芯を外さない。
私がひっかかっていたのは、光子を1発ずつ飛ばして干渉縞を作るとこだった。浜松ホトニクスの動画では、光子1発を飛ばす方法をちゃんと見せてくれている。私がそれまでイメージしていたのとは全然違う方法だった。
つまるところ、1発の光子は2つあるスリットの両方を通っているのだ。左右どちらかを通るわけではない。光子は波なのだから、2つのスリットを通る。スリットを通った後は2つになった光子がまた1つになって、強弱が交互の干渉した波を作る。その波がスクリーンに当たれば収縮して点になる。点がどこにできるかは、強弱ある波のどの1点に収縮するかによる。それは確率問題。サイコロを振った神のみぞ知るといったところだ。
ユーチューブでは二重スリット実験で光が波だと解説するために、水面の波紋を模した図を見せる。これがいまいち誤解をまねく表現かなと思う。光の波は上下左右前後にある三次元の波のはずだからだ。光子1発とはいえかなりの広がりがあるのだろう。
こう気付ば、二重スリット実験の観測問題も偽問題だとわかる。どちらを通る?という問い自体に意味がない。光子の経路を観測してしまえば、2つに分かれた光子の一方を変えてしまうことになるから、干渉縞を作らないのではないだろうか。光子得意のもつれが解けたような感じで。
思えば二重スリット実験なんてものは50年ぶりだ。当時は相対性理論や量子力学が華やかで田舎の中学生にもその波は届けられた。湯川博士の中間子理論とか、タイトルだけはみんな知っていた。子どもにもわかるブルーブックスなんかを読んで物理学ってすごいと胸が高鳴った。
私はその後の50年を量子力学とは無縁の喜劇役者かなんかみたいな幸せな人生を送ってきた。今になってのもと物理愛を筆頭に、ユーチューブ動画で量子力学の概説を見ることができる。手軽に最先端科学にふれることができてうれしい。今回は光子の収縮ってどんなんだろうと新たなわくわくも生まれた。
いつものように午前の庭観察をしていると写真の光景が目にはいってきた。園芸支柱の先端にササグモがいる。おやっと思った。というのは24時間前に同じ光景を見ているからだ。
園芸用支柱の先端にササグモを見たのは昨日がはじめてだった。まあこんなところにも止まるんだろうとそれほど気にもしなかったが、今朝も同じところにいる。おそらく同じ個体だろうと思う。
ササグモは徘徊性が高く、しじゅう待機場所を変えるのだろうと思っていた。もしかしたら私が考えていた以上に居座る習性があるのかもしれない。
狙いは小さな虫だろうから、虫の集まる場所で待ち伏せるのが正解だ。園芸支柱は虫が寄る所ではない。ハルジオンの花あたりで待つほうがいいだろう。ササグモが花を認識するのには「すっと伸びた茎の先端部分」というイメージに因るのかもしれない。そうであれば園芸支柱の先も花と同様になる。
ムラサキカタバミの花が色鮮やかだった。ムラサキカタバミも一番よい季節を迎えているんだろう。
ムラサキカタバミはつかみどころのない草だ。冬でも成長してつぼみをつける。暖かく日のあるときには開花もする。かといって、春先に一斉に開花するかというとそんなでもない。夏がよいかというとそうでもない。梅雨頃まではいい感じだが、夏にはサビ病で壊滅状態になる。ただし秋には復活し、どんどん成長する。
日中はナカガワで境川。下ハンでのペダリング練習だ。気温は30℃ほどになっている。これぐらいが丁度いい。25℃ぐらいだと少し冷える。
このところ上半身と下半身の連動に取り組んでいる。腕のリズム取りは簡単ではない。肘と肩とを上手く使って背中をしなやかにペダルをこぐ。集中すれば10回ぐらいは連続してできるようになってきた。サイクリング技術の完成も間近か? と調子にのって楽しい。人生は短い。自転車の練習ができるのも長くて数年だろう。
境川は本格的な夏。ペダリング練習の片手間でトンボが見つかる季節だ。いつも覗き込む湧水でギンヤンマ(もしくはクロスジギンヤンマ)のオスがパトロールしていた。鷺舞橋ちょい下流には例年コシアキトンボがたくさん見られる。今日は川崖の日陰に群れていた。小さな虫を狙ってぐるぐるひょいひょい飛んでいる。10頭ほどいた。
今日は南風が強かった。この風がウスバキトンボを連れてきているかもしれないと思った。今年はどんな群飛が見られるだろう。
境川の高鎌橋のところにあるセブンイレブン裏の水路に水が流れていた。ちょっとうれしくなる光景だ。実はこの水路はもう水が来なくなるんじゃないかと不安だった。というのは春の水路掃除が行われていないからだ。掃除の中止は数年前からになる。
境川水系でもどんどん水田がなくなっている。この水路を使っている水田はおそらく2〜3枚ほどの小規模なもののはずだ。そう長く維持されるはずがない。用水の掃除がなくなるってことは水田耕作がなくなるってことだ。
この水路はたいして面白くないものだ。水中で見つかった生き物といえば、アメリカザリガニ、タイワンタニシ、名も知らぬウズムシくらいのものだ。ヌマガエルは一度見たが魚類はいない。ただアシナガグモが巣をかまえ、水路の壁にはスズバチの巣もある。ここの水を頼っている生物も少なくはないのだ。
いまちょうどこの辺りでは代掻き田植えの盛り。田に水が入るとうきうきする。田を覗き込んでもドジョウやメダカやゲンゴロウなんてものはいない。それでも小さな期待を持って水を見ている。藪のアマガエルもそわそわしてると思う。
写真は境川にある虫を見る場所No.1だ。細い道の両脇は畑地になっており、道ばたには各種の草木が生い茂る豊かな自然だ。ジョロウグモを見たいとき、ここなら外れがない。ちょうど目線の高さにジョロウグモがいる。ジョロウグモの他にゴミグモも多い。
昨日はここで今季はじめてのジョロウグモを見つけた。まどいから出て、円網を張った2齢だと思う。撮影したがイマイチだったので再挑戦に訪れた。
この写真はジョロウグモのまどいの痕のつもりで撮った。庭でもツタの葉にジョロウグモのまどいを見つけたことがあって既視感ばっちりだった。ところが、改めて写真をチェックすると赤いクモが見つかった。こいつの巣なのだろうか。ならばずいぶんゴミの多い巣だ。このゴミは撮っているときはジョロウグモの脱皮殻だと確信していた。ちゃんとみればぜんぜん違う。
クモはうまく撮れて良かったのだが、圧巻はこの幼虫だ。たぶんアオバハゴロモだと思う。ざっと50頭がずらりと並んでいた。わが家にもアオバハゴロモはいるが、こんな光景にはならない。さすが大自然は違うと感動した。ただしここにはチュウゴクアミガサハゴロモもいる。アオバハゴロモの確証はない。
ほかにも初めて見る蛾やガガンボもいた。花の終わったオニタビラコの中に2齢のオオカマキリが潜んでいた。うまいこと隠れてるなと思った。チャノキの葉裏には毛虫がびっしりたかっていた。チャドクガだと思う。こいつには何度も痛い目にあっている。触る前に発見できてよかった。
庭でもジョロウグモがぽつりぽつりと見つかるようになってきた。子グモがまどいを解いて独り立ちする季節なのだ。写真のものは庭のヒメジョオンに巣をかけたものだ。こいつは近所から“飛んで”来たのだと思っている。
今年、庭にはジョロウグモの卵がなかった。メスの姿はあったが早々に姿を消した。産卵にこぎつけられた者はいなかったのである。近所でも大きなジョロウグモは見なかった。ジョロウグモは巣の近くに卵を産み付けるから、こっそり歩いてきて産卵したことは考えられない。
孵化した子グモは卵に近いところで集団(まどい)生活をして、初回の脱皮のあとで散り散りになる。子グモは歩行力が小さいから、何十メートルも歩いて来ることはないだろう。それに、何メートルか歩けば適した場所が見つかるはずだ。巣をかけるのに良さげなところは少なくないのだから。
この季節に庭にいるのは飛んできたと考えるのが自然だ。きっと糸を空中に流して風に乗るのだと思う。とはいえ、ジョロウグモがそうしているのを目撃しているわけでもなく、事情通から聞いているわけでもない。想像の域をでない仮説だ。
朝撮った写真をパソコンでチェックすると覚えのないのがあった。ヤブガラシにブドウスズメがいる写真なのだが、この幼虫を見た覚えも撮った覚えもなかった。まさか念写? そう疑うまでもなく、見直せば手前にピンぼけ幼虫が写っている。こっちなら撮った覚えがある。ちゃんと接写モードにして、こいつに合焦させたつもりだったのだ。
私のTG-5はよくこういうことをやる。やつは気を利かせているつもりで奥の幼虫にピントを合わせた。それで運良く3頭目の幼虫を私は見つけることができた。撮っているときはこいつがいることに気づかなかった。ありがたいことだ。この仕様をありがたいと思ったのは初だ。
TG-5は被写体が前にあるのに、奥が明るい場合は奥にピントを持っていこうとする。ピントを探る位置を広く設定していてもやらかす。林縁で虫を撮ることもあるので要注意だ。そういうシチュエーションでは慌てていることが多く、ピンぼけを量産したものだ。
ハグロトンボなんかうまく撮れたのは自分史上1枚か2枚しかない。NGカットは数限りない。TG-5は黒いものを撮ると、ぼんやり赤玉が発生するという悪癖まである。うまい具合にマニュアルフォーカスで撮った写真にそいつが出てるとがっかり感は否めない。ハグロトンボは最高難度の被写体なのだ。
境川で上半身の体重をペダルにかける練習をしていると、道路を横切るイモムシがいた。コーナーの出口で発見が遅れた。すんでの所でハンドルを切って轢くのをまぬがれた。スズメガの幼虫を轢くようなやつは自転車乗りのはしくれとはいえない。
鮮やかなライトグリーンのイモムシは体がでかい。終齢になって蛹化の場所を探す旅に出ているのだろう。セスジスズメに違いないと思った。先日、同じ幼虫を庭のヤブガラシで見つけたばかりだ。3頭いて、3頭とも緑だった。セスジスズメの幼虫は黒と緑がいる。「今年のセスジスズメは緑ばっかりだ。セスジスズメにも今年の流行色なんてものがあるんかな」とばかなことを考えながら撮影した。
ヤブガラシのスズメガは反射的にセスジスズメと思う。ただ皆ライトグリーンってのがひっかかる。念のために『くらべてわかる蛾』をひいてみれば、ブドウスズメだとわかった。セスジスズメなら眼状斑が並ぶと記述があった。
庭のジョロウグモの巣が少し複雑になっている。3Dになっている補強?部分がはっきりしているのだ。ジョロウグモは新規に巣をかけるときに、まず垂直円網を張ってから3D部分に手をかけて行く。3D部分は獲物の亡骸や枯葉をぶら下げておいたり、脱皮殻をかけてもおく。これまでの観察からそれはわかっている。この小さなジョロウグモも着実に成長しているということだろう。
さて、今日の疑問はこの個体がオスなのかメスなのかということだ。オスの場合は早々に自分の巣を離れメスに居候する。であれば、もしかしたら巣に手をかけず、3D部分は発達しないかもしれないのだ。ジョロウグモを好んで見ていながら、そんな所すらはっきりしていない。さあ、真相やいかに。
今日はこの個体はメスじゃないかと思っている。メスならここで大きくなるだろう。オスだったらひと月も経てば行方不明だ。いずれにしてもすくすく育って欲しい。
今朝ふと、このところナガエコミカンソウを見てないなと思った。ナガエコミカンソウは私のところでは10年ほど前からはびこってきた木本だ。それが今年は見た覚えがない。
気になって庭の心当たりの場所を探ってみたが見つからない。サイクリングのついでに道ばたを探索したものの見つからない。いったいぜんたいどうしたものだろう。
この日記に記したのは2022年9月19日のことだ。あの頃は、日向にも日影にも乾燥にも強い強健な木で、わらわら湧いてくる繁殖力旺盛な植物だと思っていた。除草剤にも滅法強くて枯れ野と化した隣の庭をいち早く緑化したものだ。
私はナガエコミカンソウが帰化植物のエースとしてこの辺の道ばたを席巻すると思っていた。木本だから長寿命だ。オッタチカタバミとかナガミヒナゲシなんかとは一味違った存在感を出すと予想していた。
一般に帰化植物は爆発的に増えても、数十年で落ち着いて、有史以前からそこにあるかのようになじむものだと思っている。しかし、ナガエコミカンソウはそこまで行かずに消え去るのかもしれない。祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。というようなところだろうか。
ナガエコミカンソウは見つからないものの、道路を横切る毛虫がいたのでこれ幸いと撮影していたら、通りがかりのお巡りさんに「大丈夫ですか」と声をかけられた。自転車を倒して道路の真ん中で土下座状態になっている老人がいれば、通常事故か病人だろう。もうしわけないことだ。毛虫を指さして事情を話し、あきれられつつもただの変人ということでかんべんしてもらった。路上を疾走する毛虫の撮影は1秒を争うが、そこにだって世間体というものが先立たねばなるまい。
庭にヒメグモが多い。今朝は枯葉がかかっている巣が3つばかり見つかった。枯葉は昨日にはなかった。いよいよヒメグモの本領発揮だ。
写真の枯葉には脱皮殻がついている。24時間以内に枯葉をセットして脱皮もしたのだ。これからこいつは枯葉の中で待機するだろう。ヒメグモにとって枯葉は必須のアイテムらしいのだが、どうやってそれをセットするかはよくわからない。
たまたま落ちてきたものがそこにあるんじゃないのだけは確かだ。糸にかかった枯葉を移動させるのか。巣を離れて枯葉を運んで来る可能性だってある。2021年の7月には、みずみずしさを失っていない葉を住処にしていたヒメグモを見ている。あれは自分で切り取ってきたのかもしれないのだ。
昼にはナカガワで境川へ。上半身の体重を上手く使う練習。これまでは全部の重量を推進力として使うのがベストと考えていたけど、それもケイデンス次第ということに気づいた。登りのようにケイデンスが落ち、ペダルが激重になったときにも上半身の重量を前足に乗せるほうがいいのか、悪いのか、迷っている。
川に出るといきなりトノサマバッタが飛んだ。時期尚早かなと思えるが、記録を見れば6月の中旬は普通のようだ。キリギリスもよく鳴いている。ウスバキトンボも飛んでいた。テレビの中継の屋上カメラでそれらしき影を2度見たものの確信は持てなかった。ウスバキトンボは確かに来ている。夏になったのだ。
庭でチュウゴクアミガサハゴロモが見つかった。初記録は去年、1頭だけの確認だった。今年は多い。わらわらわいて出てきた感じだ。チュウゴクアミガサハゴロモは今をときめく移入種で、サイクリング中でもよく見つかる。庭を席巻しても不思議はない。
幼虫もたくさんいた。しかし、私はそれらの幼虫をアオバハゴロモだと信じたかった。アオバハゴロモは庭の常駐虫で、去年まではいくらでもいた。いるだけではなくクモや鳥に食べられているのをしょっちゅう目撃していた。スズメとの対決はなかなかの見物だった。クチバシの一撃をパチッとかわしてとんでいくものの、すかさず追いつかれ仕留められたりしていた。アオバハゴロモはおいしいらしい。
ちょっと好きかもしれないアオバハゴロモが見あたらない。もういなくなった恐れもある。春から見てきた幼虫はすべてチュウゴクアミガサハゴロモだったのか。
チュウゴクアミガサハゴロモの威勢はいいとしても、やつらがアオバハゴロモを駆逐することがあるのだろうか。食べ物なら両者を養うぐらいはある。仲良く住み分けてもよさそうなものだ。たった1年で起きた交代劇のメカニズムは見当がつかない。
ともあれ、アオバハゴロモを切望する日が来ようとは。
庭がチュウゴクアミガサハゴロモばかりになって、アオバハゴロモの去就が気になっている。そこで、境川の虫観察ポイントNo.1にでかけた。そこでもチュウゴクアミガサハゴロモの大量発生を確認している。
やはりチュウゴクアミガサハゴロモの成虫は多く、アオバハゴロモの成虫は全く見つからなかった。そのかわり、見慣れた感じの幼虫が見つかった。5月にアオバハゴロモとしたのはチュウゴクアミガサハゴロモとしなければならないが、今回のはアオバハゴロモの幼虫に間違いないだろう。
アオバハゴロモの幼虫の数は少なくなかったが、群れのサイズは小さい。アオバハゴロモの幼虫は数頭の小さな群れしか作らないのだろうか。一方のチュウゴクアミガサハゴロモの幼虫は数十頭の大きな群れを作るようだ。また、発生成長の時期がずれているのかもしれない。それが原因で共存している地域なのに交代が起きているように見えるおそれがある。観察を続ければ、得られるものがあるだろう。
もう一点、外来種は天敵がいないから大発生するという一般論がある。それに従えば、チュウゴクアミガサハゴロモの天敵がいないのかもしれない。鳥はアオバハゴロモを補食するが、チュウゴクアミガサハゴロモはどうなんだろう。この辺りのスズメやメジロはチュウゴクアミガサハゴロモを獲物として認知しているだろうか。
自転車の練習で境川に乗り出した。いつものように川の様子をチラ見すると、オオカワヂシャがたくさん根付いていた。ただごとではない数の株が本流にある。東名高速の少し下流にあたる所。普段からオオカワヂシャが生える瀬ではあるけれど、こんなに多いのは記憶にない。
今年は梅雨の増水がないからだろうと、まずは思った。オオカワヂシャは根張り弱い雑草で、ちょっとした増水で流れてしまう。境川であれば1.5mほどの増水で根こそぎやられる。その程度の増水はちょっとした夕立でも起きる。この夏は1.5m級の増水もなかったのだろう。
そして瀬全体がみょうに緑深いことが気になった。深緑はヤナギゴケだろうと、近づいてチェックしてみた。やはりそれはヤナギゴケらしく、水底にある大きめの石やコンクリ破片にびっしり生えていた。これまでの観察で、オオカワヂシャはヤナギゴケを足場にして根を張ることがわかっている。この場所もまずヤナギゴケが生え、そこにオオカワヂシャが根付いたのだろう。
そして、ヤナギゴケが大量に育っているのも増水がなかったからだと思った。1.5mの増水は堰堤のヤナギゴケすら流してしまう。瀬の河床は砂泥がしょっちゅう入れ替わる。本来はヤナギゴケが大きく育つことがない場所だ。
愛用のオリンパスTG-5をTG-7に買い換えた。TGー7は待望していたものの、買い換えの決定打はなかった。仕様を見る限りでは、私に必要な改善がなさそうだったので購入を躊躇していたのだ。
TG-5で不満だったのは、黒い物がうまく撮れないことだ。とりわけ逆光では壊滅的になる。ハグロトンボやカラスアゲハなんかだと写真中央に大きな赤紫のゴーストが出る。そのゴーストはTG-1からTG-5まで目立った改善がなかった。
明るい背景で黒い虫を撮る機会は多い。毎日といってもいい。庭のツツジに巣を構えるヒメグモは枯葉の下にいるから、しゃがみ込んであおりで撮ることになる。今日の写真はTGー7でそうして撮った。この写真を見る限りではTG-5からの若干の改善はあるようだ。
こちらは、9日にTG-5で撮ったヒメグモ。こうなるとちょっと悲しい。私はプロではない。写真の用途は記録だから写りが変でもことは足りるのだけれど。
TG-7では全般的なパワーアップは如実だ。これはメーカーが発表していた通り。マニュアルフォーカス時に露出補正したいとか、些細な要望はある。ともあれTGシリーズは必須のカメラだから、新しいのを買ってよかった。価格的にも、意固地になって中古の旧機種を買うほどのことはない。
TG-7でジョロウグモを撮った。あの赤紫ゴーストが出ることはシャッターを押す前に気づいた。しょうがない、やはりこれはTGシリーズの個性だな、とそのまま撮影したのが、写真左のジョロウグモ。ちょっとゴーストを写しこまないよう工夫をしたのが右。
撮影の距離はほぼ同じだが、左はテレ端、右はややワイドにした。赤紫ゴーストはズームで大きさが変わるから、今回ちょっと試してみたのだ。
その結果は良好に見えたが、改めて写真を見て疑問符がついた。雨上がりの朝で、風が強くときおり日が陰る天候だった。左は陰になったときで、右の方がうっすら太陽光が当たっている感じだ。撮ってるときはただワイドにすればOKかと思えたが、光が変わっているのならテストにならない。
最低シャッター速度は1/160にしてあるから、ワイドになればTG-7はそれだけ絞り込むだろう。明かりがあればなおさらだ。ゴースト解消条件がこう多くては話が進まない。
午後は境川で自転車の練習。時速30km/h程の南風を使って体重を前足に「乗せる」「乗せない」の練習。ハンドルの突っ張りをやめると前足に上半身の体重が乗って力強く踏める。その分、ペダルは重くなる。風は息をするから、向かい風が急に強くなった場合は、体重が乗っているとペダルを押し込むのがしんどい。そこでハンドルを突っ張って上半身の体重を外し、ペダルを軽くしてケイデンスを維持する。感触ではリアギア0.5Tぐらい軽くなる。
境川ではいっぺんにウスバキトンボの数が増えた。このところ南風が強かったから、南から渡ってきたのか。当地羽化の個体もかなり混じっていることだろう。ウスバキトンボが群れると夏真っ盛りだ。
境川なんかの関東河川は夏場日中に南風が吹く。今日もその風を利用して体重を「かける」「かけない」練習
まず、上半身の重量を100%前足にのせ、80rpmですいすい走る。今日の風は20〜30km/hほどだから、ギアは42×18Tぐらいだ。風が強くなって踏み足が重くなると、手を突っ張ってサドルに体重をのせる。そうするとペダルが軽くなる。強い風は5〜10秒ほどしか続かないので、そうしてやり過ごす。この方法だとリアギアで半枚ほど軽くなる。
逆に風が弱くなれば、ギアはそのままで、引き足と腿前を使って90rpmにケイデンスを上げる。それがめんどうなら80rpmのまま休む。
これがうまくはまれば真夏の向かい風が断然楽しくなる。風の温度が体温以下なら、体が冷えて汗だくにはならない。
保護植物として育てているスミレ(ただし外来)が食い尽くされていた。これはちょっとショックだ。こいつは増やしてツマグロヒョウモンに食わせようという壮大な計画のもと4月から育てているものだ。3か月たっても葉の数は1.5倍ぐらいにしかなっていない。なかなか増えないな、これではツマグロヒョウモンは誘致できないなと、やきもきしていた矢先の事件だ。
残念なのは食った犯人が特定できないことだ。状況証拠からみて、ツマグロヒョウモンの可能性は高い。しかし現場を押さえていないだけにもやもやが残る。
このスミレは放置していたわけではない。毎朝見て、2か月ほどは写真にも撮っていた。こちらは5月10日に撮影したもの。この後、植木鉢が狭いだろうと露地に移し替えた。首尾よく根付いたものの、大きくならないから、油断していた。7月になると寄った写真にはせず、引きサイズで撮っていた。引きサイズでも、葉が食われはじめたのは4日ほど前だってことぐらいはわかる。寄ってたら犯行現場を押さえることができたろう。油断大敵である。
油断の第一理由は、このスミレが独立した株であることだ。ツマグロヒョウモンの幼虫はその辺の道ばたのスミレを食うことが多く、餌が足りなくなると移動して来る。庭でもそうしてやってきたはずの幼虫を1回だけ見た。今年も歩いて来るなら、アスファルトの割れ目に根を下ろして茂みになっている群落のほうだろうと予想していた。
反省は明日に生かすとして、このスミレは速やかに復活して葉を増やすだろう。こいつの生命力に期待だ。
19日に庭の保護スミレが食われたあと、立て続けに2頭のツマグロヒョウモンがやってきた。いずれも第一発見者は家族で、イモムシは駐車場や道路の上を歩いていた。ツマグロヒョウモンがさまよう理由はスミレだ。
じつは住宅地のこのあたりはスミレが多い。家庭から抜け出したパンジー、ビオラらしきスミレが道ばたに散見される。そうした株にツマグロヒョウモンが産卵して幼虫が育っている。ただし、盛夏となった今ではビオラっぽいやつらは姿を消している。ツマグロヒョウモンが頼れるのは夏枯れしないアメリカスミレサイシンになっている。
2頭目を発見したのは女房だ。いまにも枯れそうな玄関に生えている雑草アメリカスミレサイシンをかじっていたらしい。私が育てているのもアメリカスミレサイシンだ。春先から世話をしていたから、さまようイモムシにとっては貴重なよすがだったろう。
19日には哀れな姿になった育成アメリカスミレサイシンだったが、今朝には何事もなかったかのように葉を広げいている。10日でこれだけの葉をつけた。すさまじい生命力だと感心する。春から夏にかけてめぼしい成長がなかったのに、1週間あまりで5〜6枚の葉を増やすポテンシャルがあるのだ。ともあれ育成中のこいつをツマグロヒョウモンの餌にするわけにはいかない。飢えてさまようイモムシに与えるのは最後の手段として、まずは近所から調達することにした。
アメリカスミレサイシンがある場所はいくつか知っている。それらを訪ねたものの、生育がよくない。いずれも葉が黄色くなって、いまにも枯れそうな風情だ。ツマグロヒョウモンの餌としてもイマイチ。しかたなく自転車練習のついでに40kmばかり探索してきたが、あらたな生息地は発見できなかった。
アメリカスミレサイシンは夏枯れするタイプではなさそうだが、いかんせん道ばたは過酷だ。アスファルトとコンクリートの隙間はやけどするぐらい高温になり、このところ雨が降らず乾燥している。アメリカスミレサイシンの種蒔きはアリ頼りという。アリが運んでくれれば新天地に根を下ろせるが、アリが運ぶ先はコンクリの隙間なんぞで、ど根性スミレとして息も絶え絶えで命をつなぐことになる。食草のない夏はツマグロヒョウモンに厳しい。これまでは冬の低温が関東定着のネックと考えてきたが、夏の食料不足も障壁になっているのだろう。
朝、庭に出るとツマグロヒョウモン♀が来ていた。育成アメリカスミレサイシンの所だ。じつは昨日、もう一株、幼虫の餌にできるかもしれないと誘致してある。写真右奥に写っているスミレだ。それは育成中のアメリカスミレサイシンとは少し違うタイプだ。帰化スミレなのは確かなのだが、長く丈夫な葉をつけている。
ツマグロヒョウモン♀は育成スミレにも長葉スミレにも産卵の仕草を見せている。長葉も食草になるのか?と喜んだが、どうも怪しい。観察を続けると、2種のスミレだけでなく、ドクダミにもヤブガラシにも産卵体勢をとっている。手当たりしだいだ。卵は産んでないようだが。
ツマグロヒョウモン♀はしばらく2株のスミレに執着していたが、場所を玄関に移した。腹をすかせてさまよう幼虫がたどり着いたアメリカスミレサイシンだ。「こんなとこに産卵しても・・・・」とこちらが心配になる食草ではあるが、ツマグロヒョウモン♀は卵の将来の事にかまってられないみたいだ。
ツマグロヒョウモン♀の行動を追っていると、また幼虫が見つかった。玄関のアメリカスミレサイシンに混じって育つアカマンマにとりついている。アカマンマはツマグロヒョウモンの食草ではない。かといって玄関のアメリカスミレサイシンには食べられそうな葉がわずかしかない。
しかたなく、こいつも確保して育てることにした。終齢だろうから育成期間は短いだろうけど、いかんせん食草がない。私はアメリカスミレサイシンの発見力では人後に落ちる者ではないが、それでもぜんぜん見つからない。すでに確保している1頭にも手を焼いているのだ。
昨日に引き続き、自転車練習もそこそこに、アメリカスミレサイシンを探すサイクリングになった。恐れている通り、めぼしい物は見つからずとぼとぼ帰宅すると写真の光景が目に入ってきた。ツマグロヒョウモン幼虫4頭目である。
状況からして、蛹化の場所を探しているのだと思った。それにしても、このツマグロヒョウモンラッシュはどういうことだろう。きっと近所にスミレ株があって、そこで育った幼虫がスミレを食い尽くし、新天地を求めてわが家にやってきたのだろう。彼らの育った場所を私は知らない。アメリカスミレサイシン発見力に関してはうぬぼれていたが、ツマグロヒョウモンにはかなわない。チョウもイモムシもすばらしい感度のアンテナを駆使してアメリカスミレサイシンを見つける。
彼らを蛹にするのはわずらわしいが、命がけですがりついて来た虫を見殺しにできるほど人間ができてはいない。そそもそアメリカスミレサイシンなんぞを増やしてツマグロヒョウモン誘致を目論んだことが後ろめたい。非は無邪気な自分にあるのだ。これからしばらくアメリカスミレサイシンを求めて住宅地をさまようことになる。
昨日、花が咲いていると思って撮ったオヒシバがかなり怪しかった。写真で見ればオシベが見あたらない。オシベだろうと思っていたのは白い殻みたいなものだった。オヒシバの花ぐらい小さいと、老眼鏡なしでははっきり見えない。TG-7は液晶モニターだからファインダー越しに・・・というわけにもいかない。老眼鏡を携帯しているのに、めんどうで使わないことが多い。
目が見えないのは弱ったもんだと、同じ所にでかけると今日は運良くオヒシバの花が見つかった。花はちゃんとイネ科っぽい。オシベもしっかり視認できた。ちゃんと咲いている花なら老眼鏡なしでも花とわかるものだ。それに一つ発見があった。
オヒシバの穂が開く頃には花は終わっているのだ。今日の観察では、穂の上の方から花が咲きつつ出穂し、穂が一つにまとまっている段階で花の受粉が完了するようだ。そして花穂はぐんぐん伸びて、手のようにぱっと開くという案配だ。
そこらじゅうで見かけるオヒシバでもちょいとした発見があった。目が見えなくたって一応撮っておけばいいこともある。
同じ悪夢をよく見る。学校の試験が全くできなくて途方にくれている。試験問題を見ても何が問題なのかすらわからない。習った記憶もない。そもそも何のための試験なのかがわからない。夢は毎回決まって「落ちこぼれてこの先どうしよう。まじめに勉強しとけば良かった」という後悔で目覚める。
私は高校、大学と劣等で落第生だった。高校では赤点の30点に満たない成績だったが、ちゃんとまじめに教室に座っていたから温情で卒業させてもらった。大学はさらにひどくて全く授業について行けなかった。卒論だけは人並みに提出できたから温情で卒業させてもらった。そんな情けない身の上が半世紀たった今でも想起されるのだろう。
ところが、勉強ができないくせに科学、哲学、数学なんてものは大好きだ。こういうのを下手の横好きというのだろうか。ユーチューブで「のもと物理愛」などの一般向け解説を繰り返し見ている。
ユーチューブでは視聴習慣に合わせて、数学の受験問題がおすすめコンテンツとして出てくる。東大とかハーバード(たぶんウソ)の入試問題を解説するやつだ。試験問題を作成するならともかく、過去問の解説動画を作るのは至極簡単だ。そんなもので齷齪とアクセス稼ぎする性根が気に入らない。サムネイルが気に止まっても、受験数学なんて一休とんち話みたいなもんだと、内容は見ないようにしている。でも、ちょっと気持ちが引かれてしまう。
問題が覚えやすいと困る。記憶に残って、解こうとしてしまう。閑にまかせて幾度も解決を試みる。一見で覚えられる入試問題程度なら、暗算でも解けるはずだ。おおむね布団の中で暗算することになる。何日も何週間も、たまに2年ぐらいかかるから、本番の試験では落第だ。
解ければ、こんな感じで紙に書き出しておく。正しく解けているか確かめるためだ。これが正解なのか、満点ではないにしてもいい線行ってるのか、念のためユーチューブコンテンツを再生して確認することはしない。見れば負けだと思うから。
最近、なかやまきんに君が出ているやつで「2^2025-2^2024=?」という問題があった。これはつらつら考えるまでもなく、2^2024が解だと思ったのだが、いくぶん不安が残った。2^2024は途方もなく巨大な自然数だ。そんなものはイメージもできない。わざわざなかやまきんに君まで出しているからには、何かエレガントな、もっと簡潔な解があるのかもしれない。数日考えたすえ、負けを承知でコンテンツを探し出して内容を見たら、解は2^2024以外の何ものでもなかった。やっぱり見たら負けなのだ。
こんなことをしているから、試験で苦悶する悪夢を見るのかもしれない。現実問題として学生時代にもっと勉強しておけば良かったという後悔はある。
一方で、この悪夢の本当の原因は現在ののんきな日常にあると分析している。サラリーマンをやってるときは、プレッシャーに押しつぶされそうな毎日だった。学生時代の後悔なんてしてる余裕もない。1時間前、1日前、1週間前の後悔が津波のように押し寄せ、それが今日明日の不安になっていく。めでたくリタイアして仕事のプレッシャーから解放された。
ただし、人間とは自ら後悔と不安を生む哀れな生物だ。それは庭のアカガエルから教わった。人類の決まり事だからどうにもならない。日常がのんきだからこそのお気楽悪夢といったところだろうか。
写真はまだ青い落ち葉である。自転車で走っているとき、これを見た瞬間落ち葉だと思った。それでそのまま通り過ぎた。その直後、いや待てよと思った。スズメガの幼虫の可能性が0ではないからだ。
1秒前の記憶に因れば、落ち葉には尾角があり、体にはクチバスズメのような斜めのラインもあった。もしイモムシだったら大失態だと、ブレーキを引いてUターンした。はたしてそれはまごうことなき落ち葉だった。イモムシ擬態とも言えないぐらい稚拙な代物だ。
しかし再度、待てよと思った。この落ち葉と、スズメガ幼虫の擬態は完全に無関係なんだろうか。尾角と葉柄は無関係と片付けて良いだろうか。もし、スズメガ幼虫の尾角が機能のない飾り物であれば、擬態に役立ったと推測できる。
スズメガ幼虫の擬態ができあがるころは、現代とはレベチに捕食圧が高かったろう。新生代の始めの鳥類はこの世の春、望月の欠けたることもなしという勢いだったのではないか。そして、スズメガ類も繁栄し種分化が盛んだった頃ではないのか。そういう状況であれば、ちょっと落ち葉に似ているというだけで、幾分かでも鳥の目を逃れることができたかもしれない。とりわけ、私のように「あっスズメガ!」と喜んで引き返したものの、見つけたのが落ち葉だと気づいてがっかりした鳥には効果覿面ではないだろうか。鳥類はそういう失敗を良く記憶できそうな気がする。
OLIMPUS TG-1に魚露目8号をつけた。アダプターは丁度いいサイズのワッシャーを購入して自作した。 TG-1はマニュアルフォーカスがないという点で使い勝手は悪いが、魚露目カメラとしては必要十分だ。安価で手軽に魚眼接写ができるのがうれしい。
魚露目8号は、環境の雰囲気を重視したいときに重宝だ。こちらの写真はムクゲの葉に潜むキマダラカメムシの幼虫。ムクゲの葉が何者かにかじられ、巻かれている。そいつの正体は不明だが、そこにキマダラカメムシがいた。じつは、それをキマダラカメムシと認識せずにこの写真を撮った。巻かれている葉になにかが潜んでいることがわかった。写真にすれば潜んでいる者が何かわかるかもしれなかった。こういうシチュエーションでも魚露目ならそこそこいい写真になる。かなり高い所でもあったので、手を伸ばしてノーファインダーで撮った。
庭で育てている陸稲の葉で交尾していたモンクロシャチホコも魚露目8号で撮った。モンクロシャチホコは庭でよく目につく。今日はコンビニの窓でも見つけた。今年は神奈川でも毛虫が大発生するのだろうか。
玄関のコンクリートと煉瓦の隙間に草が生えている。ここは20年ほどにわたって気をつけている。どんな植物がここに根を張るかが興味の対象だ。
これまでにはナガエコミカンソウとかナガミヒナゲシなどの、この手の場所に強い植物が多かった。木本ではクワがある。いずれも移動力、繁殖力ともに旺盛な者たちだった。
いまはドクダミが育っている。ドクダミは庭で繁茂している草だから珍しくはないのだが、ここにいるのが少し不可解だ。というのは、ドクダミは種で増える雑草ではないはずだからだ。通常は土の下で根茎を伸ばして繁殖していく。その繁殖能力はすさまじい。根茎の切片から根を出し、茎を伸ばした例をたくさん見てきた。
この場所は、そうしたドクダミの楽園からは1m以上離れている。土続きではなくかなり深めにコンクリートが張られているはずなのだ。種から芽吹いたのでないなら、その深い所を探ってこの小さな隙間を見つけたことになる。恐るべしドクダミ。
相変わらずツマグロヒョウモンのラッシュが続いている。今回のラッシュも4頭を数えている。写真のものが4頭目だ。
こいつは玄関の乾いたスミレのそばのササガヤにとまって途方にくれていた。近所からスミレを求めてたどり着いたのだが、かんじんのアメリカスミレサイシンが食えたものではなかったのだろう。せっかくのお客さんだ。育てているスミレに移すと速やかに葉をかじり始めた。これはちょっとうれしかった。
というのはこのスミレが長葉のものだからだ。2024年の1月に高鎌橋のたもとで長葉のスミレが咲いているのに気づいた。園芸種が籠抜けしたものだろうと思った。そしてもしかしたらツマグロヒョウモンの食草になるかもしれないと考えていた。
この夏のツマグロヒョウモンラッシュにあたって、餌にすべく丸葉のアメリカスミレサイシンを探った。しかし極めて少なかった。梅雨の雨もなく6月から乾いて暑い天候が続き、近所で目をつけているアメリカスミレサイシンは皆息も絶え絶え状態だ。あの長葉スミレならあるかと、高鎌橋のポイントを探ったものの枯葉しかなかった。自転車の練習コースにスミレが見あたらない。こちらもスミレを求めて途方にくれる日々だった。
偶然道路工事で迂回した路地に長葉スミレが10株ほど見つかり、ものは試しと持ち帰って庭に植えた。それが本当にツマグロヒョウモンの食草になるかは今日ツマグロヒョウモンがかじるまで不確かだった。昨日には長葉スミレに新しい食痕が見つかった。犯人はいなかったが、おそらくツマグロヒョウモンがかじったのだろうと予想していた。
長葉スミレが食草になるなら、この先10頭ぐらいなら幼虫がやってきても餌には不自由しない。往復20kmほど自転車を走らせて、長葉スミレを摘んで来よう。
それにしても外来のスミレサイシンなら、丈夫でどんどん種をつけるし、年中成長して増やすのは簡単だろうと楽観していたが、いざやってみるとけっこう難しい。
朝、いつものようにジューンベリーをチェックすると、一枝の葉がすっかりかじられてなくなっていることに気づいた。昨日の朝にはなかった食痕だ。これはもうモンクロシャチホコのしわざと見て間違いない。
今年は庭でも幾度か成虫を確認している。大発生の予感はあった。毎年楽しみにしているモンクロシャチホコの登場はうれしい。
葉がかじられた痕があるのだから、毛虫の群れもいるだろうと枝を探すと、孵化したばかりとおぼしき群れが見つかった。場所からみて、先の枝を食べた群れではないだろう。
ここまではいいのだが、これ以上増えると懸念もある。ある年には大発生が過ぎてジューンベリーの全ての葉が食い尽くされた。そして遅く生まれた毛虫が餓死してしまったのだ。飢えた毛虫たちが食べ物をもとめてさまよう姿はいくぶんせつない。今年はその惨事が起きるかもしれない。
写真のように、庭の育成スミレには葉が一枚もない。全部ツマグロヒョウモンの幼虫に食われてしまった。最後の一葉を食べ尽くした幼虫は、居間で蛹化しているところだ。
全く葉がなくなっているこんな代物にも、ツマグロヒョウモンの幼虫はどこからともなくたかってくる。餌用とはいえ、目下育成中のスミレだ。好きにさせるわけにはいかない。かといって見殺しにもできない。難民のツマグロヒョウモン幼虫は見つけ次第保護して別途飼養することになる。
ずっとスミレの前で番をするわけにはいかない。私が目を離したすきに幼虫はやってきてスミレをかじる。しかも、ちょっとだけ食べたスミレを離れて休む習性があるようだ。私のスミレは哀れ、葉を広げる暇がない。いくら丈夫な雑草とはいえ枯れてしまうだろう。
私が目を皿のようにして近所でスミレを探しているのはいうまでもない。残念ながら、境川の路地で発見した10株を越えるものはない。いまのところ、その10株の葉を摘み取ったり、近所の道ばたで枯れかけている葉をちぎって餌にする日々だ。
そして困ったことに、そういう道ばたスミレを移植するのは無理だ。見つかっている全株がアスファルトとコンクリートの隙間に根を下ろす「ど根性スミレ」だからだ。ちゃんと根から掘るためには、アスファルトを破壊しなければならない。そうなると変人を通り越して害人である。大量に栽培するためには、そうしたスミレたちが種を作る季節を待たねばならない。この暑さと乾燥が続く間は、スミレが弱り切らない程度に葉を摘むしかない。
ツマグロヒョウモンなんてものは放っておけば良いものを、ひとたび手をかけてしまうとかわいくなってしまう。成り行きでこんな状況に追いこまれた自分が哀れだ。ツマグロヒョウモンラッシュと飼養の日々がいつまで続くのか、私の気力は続くのか、先行きは不透明だ。
相変わらず楕円周の大きさを求めたいと思っている。力の及ばない領域だとはわかっていても欲が湧いてくるのはどうしようもない。いくぶんか進歩はある。それは本当に進歩なのだろうか。
楕円周(xとする)が長径aと短径bとπの式になることは予想できる。(a、b、π)を組み合わせればいいのだ。そして楕円に内外接する円周の間にあることも確かだ。bπ<x<aπ。そして、x={aとbの式}×πという形になるだろう。
ここで気づくのは楕円の特殊な状態として、b=0の場合である。それはx=2aという単純な解になる。問題はそのときπが消えることだ。 x={aとbの式}×πで、πがどうやったら消えるのか? 思いついたのは、π^0だ。πを0乗すれば1になって、πが消える。0はbなのだから、式としてはπ^(b/a)が良さそうだ。
x={aとbの式}×π^(b/a)・・・・@
数学的に単純明解な式ならば、それが現象の的を射るのはままあることだ。式@の方向が正しいかどうかは、π^(b/a)が何を意味しているのかにかかわる。
苦し紛れに立てたπ^(b/a)とは何だろう。そもそもπの何乗って何? さっぱりわからない。この辺りで頓挫。
写真のスベリヒユはありふれた雑草である。子どもの頃から近所の畑や道ばたで繁茂しているのを見てきた。その雑草が山形では食用として親しまれているらしい。
そのことを知ったのは25年ほど前のことだった。ちょっとした驚きだった。そこで近くにいる山形ネィティブのお嬢さんにスベリヒユのことを尋ねてみた。スベリヒユは農家が近所から採取して食用にするだけでなく、スーパーで普通に売られているとのことだった。採取できない町暮らしの人も常食する野菜なのだ。
そして山形の人はスベリヒユをスベリヒユとは言わない。ヒョウと呼んでいる。ヒョウとすると表記が正確でない。ヒヨーあるいはヒョォーもしくはヒヨオゥ・・・どうにも表記しがたく、私には発声不可の音だった。
時は移って令和になると、この辺(神奈川)でもブレイクしているらしい。調理したものを女房が食べたが、蓚酸( HOOC−COOH)が多いようで体に合わなかったと言ってる。山形ネイティブの彼女はとてもおいしいと言ってたので、地元なりの調理法があるのかもしれない。
雑草は女房が気に入って家庭に持ち込まないかぎり、私の口には届かない。道ばたのをつまみ食いするのも良いのだが、ちょっと手が出せない。既知のスベリヒユ自生地は極めて自然度が低い。私は犬の小便や除草剤が気になる小心者なのだ。
写真は先ほど撮ったオンブバッタのメスだ。オンブバッタとしても大きくて堂々としていると思う。こいつは幼虫期からここにいた。おおむね半径2mほどの範囲をうろうろしている。
オンブバッタはちょいとした草むらならどこにでもいる。わが家でも数年前まではたくさんいた。スイレン鉢のアサザなんかを盛んに食べて、いくぶんか迷惑だったくらいだ。それが、急速に数を減らしている。かろうじて数頭が命をつないでいるだけという有り様だ。
このメスには伴侶がいない。幼虫期では少なくとも3頭のオンブバッタがいたが、現在は確認できていない。むろんオスの成虫もいない。こいつはロンリーバッタとして産卵できずに終わるのだろうか。
もはや絶滅の危機だ。この周辺で、オンブバッタの生息可能性が高い場所は少なくとも50mは離れている。他所からの進入は期待できない。あまり移動しないバッタだから。
かれこれ20年あまり、虫の数も種類もどんどん減った。ナメクジ、コウガイビル、アズチグモ、トウキョウヒメハンミョウ、クロオオアリ、カマドウマ、アシナガバチ、セマダラコガネ・・・掃いて捨てるほどいた虫が消えてしまった。
楕円の周の長さの公式がにっちもさっちもいかない。楕円はそもそも傾けた円の写像とみなすことができる。ならば、楕円周の長さも写像として、円と楕円の比で求められるのではないかと思った。
図にあるように、青いひし形と赤いひし形(高さがb/aに縮んでいる)を元に比を考えてみる。それぞれの長さは三平方の定理でもとめられるから、問題の楕円周(x)の長さと元の円の長さ(aπ)との比で簡単に計算できる感じだ。
これはもう、式を立てたときからダメだというのがわかった。というのは、b=0のときにπが消えないからだ。9月2日に、苦し紛れに x={aとbの式}×π^(b/a)というように、πを(b/a)乗するなんてこともやってみた。
今回出てきた式では、じっさいの楕円周長にけっこう近い値はでてくる。b=0としたときの周長は2.2aぐらいだから正しい値の2aにちょっと近い。近似であることぐらいは図から直感的にみてとれるし、ひし形の長さなら正しいだろう。楕円の面積なら単にb/a倍でいいような気がする。
ともあれ、完全に行き詰まった。なにしろ誤りの原因がさっぱりわからないのだ。どうやら私が聞いたこともないような数学のテクニックが必要なようだ。
50年ほど前に、2次方程式の微積分で、接線の傾きが微分、x軸に足を降ろした範囲の面積が積分という驚愕の定理を習った。そのときに、二次方程式の曲線の長さはまるで存在してないかのようにスルーされていたことに違和感を覚えた。ところで曲線の長さって何だ?と余計なことをふと考えた。楕円の周長もそんな世界の住人なのだろうか。
バイトから帰宅すると、ツマグロヒョウモンが来ていた。来ていたのは育成スミレの所で、メスだ。産卵場所を物色している。
スミレを育成しているのは、ツマグロヒョウモンのよすがにするためだが、できればもうちょっと待って欲しい。この夏のツマグロヒョウモンラッシュで、春から育成しているアメリカスミレサイシンも、近所から採ってきた長葉スミレも食い尽くされてしまった。それらがようやく葉を展開してスミレらしい姿になったばかりだ。これから数日後に卵が孵り幼虫が葉を食い散らかすとダメージが大きい。
かといって駆除するのは本末転倒である。このメスだってわが家から巣だった個体の公算が大きいのだ。いざとなったらまた葉を採取して幼虫を育てるしかない。同時に庭のスミレを増やす算段をすることになるだろう。
この夏、この神奈川県でツマグロヒョウモンが世代をつなぐことの難しさを痛感した。神奈川の自然界にはツマグロヒョウモンの生きる場はない。頼りになるのはもっぱら住宅地、人間のおこぼればかりなのだ。ツマグロヒョウモンが盛夏を乗り切るのは難しい。冬も難しい。そうしたやつらに情けをかけると、ラッシュに拍車がかかるのは間違いないのだが。
秋雨前線が南に下がって秋も本番だ。こんな日はクロナガアリが地上活動を始めるかと庭に出てみると、巣口のまわりにその痕跡があった。土くれやモンクロシャチホコの糞が積み上がった小さなマウンドができているのだ。未明の雨上がりに合わせて活動を始めたのだろう。
働きアリはいないかと少し探せば、泥をくわえたのが1頭だけ見つかった。働きアリは泥を巣口まで運んで積み上げ、そそくさと巣内に入っていった。
食料集めはもうちょっと先で、しばらくは巣の補修作業がメインになる。秋の種はまだ乏しい。ミズヒキの稔りは悪い。チヂミザサはまだ花が咲いたばかり、ササガヤは花すらまだだ。今年の高温と乾燥は庭の雑草の調子を狂わせているように思う。
クロナガアリを見つけて、まずは記録用にとTG-7で1枚だけ撮った。クロナガアリは特別だから、ちゃんと撮ろう。取り急ぎ自慢のスーパーマクロを引っ張り出した。この冬から半年触ってないカメラだが、セッティングは問題なし。電源を入れれば即、アリ用だ。いそいそとアリの巣の前に土下座してしばらく待ったものの、働きアリは出てこない。しかたなくトビムシなんかを撮ってお茶を濁した。
境川に出て、いつものセブンイレブン裏の水路に行くと、大きなクモが見つかった。見つけた刹那はアシダカグモだとおもったが、どうやらイオウイロハシリグモのようだ。ジュズダマの葉陰に糸をかけている。奥には卵嚢が見える。卵は無事に孵化して子グモがまどいを作っている。母親が一仕事終えるのもあと数日だ。
イオウイロハシリグモは境川に多いクモで、ベッコウバチに路上を引かれてるのがよく見つかる。子を守る姿を目にするなんて幸運至極だ。
家のアシダカグモは卵嚢を持ち歩いている。アシダカグモもイオウイロハシリグモと同じように、孵化直前に卵嚢を糸で巣を囲んで守るのだろう。暗がりの隙間をその気で探せば見つかるだろうか。
来るべきツマグロヒョウモンラッシュの対応策として、アメリカスミレサイシンの増殖をはかることにした。まずは庭の日影のところにある一株の育成だ。日影にあるのが幸いしてこの夏は乗り切ったものの、去年から全然成長してないように見えていた。それをまず植木鉢に移して大きく育てようと思っている。この隣に路地植えしているアメリカスミレサイシンも同様にして春から育成しているものだ。
アメリカスミレサイシンがうまくいっている事に気を良くして、もう一種の育成にもトライすることにした。この植木鉢はムラサキカタバミだ。夏場にはわが家のムラサキカタバミは例によってさび病で壊滅したが、秋を迎えてようやく葉を広げ始めている。今日、移植しようとしているものは庭で最大の株だ。
こいつはさび病でやられた後、日影にあってさらに背の高い雑草に覆われ生気を失っていた。それでも木子の発芽準備は整っているだろうと、植木鉢に移してみた。
実はいま、ムラサキカタバミの増殖作戦を目論んでいる。夏場のさび病はいかんともしがたい。それで、育成期を秋〜春に限定する作戦だ。秋から春にかけて葉を茂らせ花を咲かせ、梅雨時には地上部を刈り取って強制的に休眠させる。そうやって木子を増やして、庭北側の一角にムラサキカタバミの楽園を作るという壮大なプロジェクトだ。
いきなり路地でやると正否の確認があいまいになりそうだから、水やりとか日照の管理がやりやすい植木鉢で起動だ。丈夫な草なので未来は明るいと思う。
植物に手をかけるのも楽しい。気分だけは園芸家だ。
いつものセブンイレブン裏だ。水路を隔てて畑があり、畑と水路の間は雑草群になっている。本来は道路のはずだが、自動車は入らず歩く人もいない。夏草が伸び放題だ。いまはセイタカアワダチソウとジュズダマが見事だ。
むろんここだって草刈りは入る。ちょうど暑い盛り、8月中旬が草刈りだった。一時的にさっぱりしたものの、ギシギシを軸に各種雑草は茫々と葉を伸ばした。
ひと月経ってセイタカアワダチソウとジュズダマが、ちょっと疲れ気味のギシギシを圧倒して素敵なレイアウトを形成している。セイタカアワダチソウはこんなにきれいなのかと、目を疑うばかり。ギシギシを押しのけるパワーには感心しきり。そしてジュズダマの繁茂はちょっとした謎だ。
私の記憶にあるジュズダマは去年まで水路の草だった。毎年開花を楽しみにしてきた。そのジュズダマがこの夏は道路に繁茂して花盛り。どうやって領地を広げたのだろう。水路から道に上がるには種が重力に逆らわなければならない。風ではないだろう。ジュズダマの種は大きくて重く、昆虫が運べるサイズではない。
子どもの頃にドングリが好きで集めていた。そして、ドングリはドングリの木の種だと教わった。それなら、山のドングリはコロコロ転がって下の方、お池とか、に落ちる一方なのだから山の上の方にはドングリの木がなくなるはずだと考えた。なぜ山の上の方にナラやシイがあるのか不思議だった。
大人になって、NHKのテレビでドングリはネズミとかリスとかが集めて、食べ忘れたドングリが芽吹いて木になると教わった。いやあそりゃ気づかなかったと感心しきりだった。
セブンイレブン裏のジュズダマはネズミのしわざではないだろう。たぶん種を蒔いたのは人だ。水路のジュズダマを草刈り機でがぁーと切っていったん道路に積み上げたときに種がこぼれたんだと思う。今年の種ではないにしても、数年にわたる人の営みが期せずして美しい雑草ガーデンを作ったのだ。
先月はツマグロヒョウモンラッシュだった。下旬になると幼虫だけでなく、産卵場所を求めてメスがやってきていた。きっとたくさん卵を産み付けたはずだ。25日には小さな幼虫がいた。もしかしたらわが家で羽化したメスの子かもしれない。翌日、26日には幼虫の姿が見えなかったが探さなかった。見あたらないことより、この先太った幼虫が育成スミレを食い尽くすことのほうが心配だった。
そして27日に裏返っている葉をめくると幼虫が見つかった。写真のように2頭が仲良く休んでいる。じつは写真の右手下にもう1頭隠れている。かなりの数の幼虫が孵っているはず。葉の食痕からもそれが推察できた。ところがこのあとぱったりと幼虫が見えなくなった。
ツマグロヒョウモンの幼虫の食性は幾分変わったところがある。食べるときはがつがつと威勢がいいのだが、葉の4分の1も食べると、葉を離れて蛹化用に設置した枝の下側で静止している。おそらく蛹化か脱皮だろうと経過観察すると、休憩しただけで1日ほど経つとまた葉に戻ってきてばくばく食べる。居間の食卓に飼育ケースを置いてのぐだぐだ観察例だ。時間などのデータも取っておらず、確実ではないけれど、そんな気がしている。
自然状態でもそういう習性なんだろうか。私の庭の幼虫も、スミレの葉を食べたあとは、離れたところで休憩しているのかもしれない。だから、朝夕の簡単なチェックでは目に入らないのだろうと思っていた。
ところが、3日経った今日になっても姿が見えないだけでなく、食痕も増えていない。幼虫がいないようだ。もとより庭の幼虫はよく消える。サンショウのアゲハが蛹になれるのは極まれだった。今年は1頭だけ見つかったキイロスズメはすぐに消えた。捕食者にでも食われてしまったのだろう。ツマグロヒョウモンの幼虫はその手の事故で消えたのだろうか。もしそうでないなら、あえて生まれたスミレを離れ新しい株を探す習性があるのかもしれない。
一年ぶりに八幡浜市の千丈川を観察していると、コイが河床に頭を突っ込んでかき回しているのが目に入った。めあては砂泥の中にいるベントスだろう。私はこの光景を見たかった。
2022年の2月に小鮎川の河床に穴ぼこが多数開いているのが見つかった。丁度ペルーにある古代遺跡みたいな雰囲気なので、バンドオブホールズとよんで気にしてきた。その成因が知りたかったからである。最初は魚類の仕業とは思えなかった。
そして2024年の2月には境川遊水地公園にある湧水の泥溜まりに、同様の穴があけられているのを発見した。その穴の成因はコイの採餌以外に考えられなかった。人が入るところではなく、激しい水の流れもないところだ。しかしコイの採餌痕と予想はついても、その現場を押さえることはかなわなかった。
運がいいことに、穴を掘っていたのは1頭だけではなかった。4、5頭が同様の行為に夢中だ。バンドオブホールズの中でやっている個体もいる。これでコイの採餌痕というのが確定でいいだろう。
コイたちがねらっているのはカワニナあたりだろうか。ユスリカとかイトミミズとか微小なものだろうか。いずれにしても現状瀕死の状態にある千丈川生態系への悪影響はあるだろう。
ところで、楕円周の公式については何の進展もない。自分の力を超える問題だということははっきりしているけれど、野心が潰えない。恋とはそういうものである。
私にわかっているのは長径aと短径bが一致しているとき(楕円の特殊例で円といわれる)に円周の長さはxはaπになること。および、bが0のとき(楕円の特殊例で直線といわれる)に線分の長さxが2aになることだけだ。たとえば、a=2、b=1のときの楕円周xは?という問いには降参だ。
楕円周の長さxの公式は(aとbの式)とπを乗じたものになることは予想できる。b=0のときx=2aならば、その場合πが消える。πを消すために私が知っているテクニックは、πを0乗すること、すなわちb乗することだ。しかもa=bのときはπが無傷で残るから、πの1乗つまり、π^(b/a)になる。
そして、b=0のときx=2a、かつa=bのときx=aπを満たす最も単純な式は、x=(2a-b)π^(b/a)となる。
この暗算で導いた式が何を意味しているのか、我ながらさっぱりわからない。この式の値が本物に近そうな予感はある。円を傾けた写像なので、横のaは変わらず縦のaがbに縮まるので(2a-b)とπ^(b/a)・・・。だから何?それあなたの感想ですよね。と自分に論破され悶々としている。なにしろその検算すらできないのだ。先にもあるようにa=2、b=1のときの楕円周xという明解な楕円ですら値xの近似値が出せないからである。
毛虫が潜むこのアメリカスミレサイシンは鉢植えにしているものだ。育成の目的は庭をスミレまみれにすること。ひいては庭をツマグロヒョウモンの楽園に、という野心がある。
その野心を打ち砕くかのように、私の覚悟を試すかのように、ツマグロヒョウモンは次々に私のスミレを訪れて産卵している。先月初めから続く産卵ラッシュだ。順調に産卵は進んで、私の育成している全てのスミレで幼虫が見られる。毎朝のチラ見で10頭以上は見てきた。正確にカウントしてないので正確な数はわからないが、見ている数の倍はいるだろう。そして、せっかく育てているスミレが食い荒らされて、弱り始めている。
かくて私はアポリアに直面する。ツマグロヒョウモンを害虫として駆除すべきや否や? 何のためのスミレかというとツマグロヒョウモンを育てるためだ。ツマグロヒョウモンの餌を増やしたいがために、ツマグロヒョウモンの毛虫を駆除するのか?
私は万物の霊長人類の一人である。かようなアポリアにも思考実験と調査により対策を立てていた。「ある程度育ってスミレを食い尽くしかねなくなったら、飼育ケースに移して、近所から採取してきたスミレを与え育てよう」 すでに近所のスミレは多数把握できている。素敵なアイデアだ。いったい何匹チョウを育てることになるんだ? という問いからは目を背けていた。
ところが、自然界は愚かな人間が思うようには動かない。ツマグロヒョウモンの幼虫はどういうわけかことごとく行方不明になる。私のスミレを機嫌よく食べて成長するのは体長が1cmほどまで。スミレを暴食する前に皆いなくなるのだ。失踪の原因はわからない。有効な仮説も立てられてない。
行き当たりばったりの暗算で求めた楕円の式(2a-b)π^(b/a)が、正しい値にどれぐらい近いかを確かめたいと思った。ひとまずグラフにすれば見た感じでわかるだろう。よしやってみよう。単純にするためにa=2で固定だ。
てな感じで、久方ぶりにエクセルを開いたものの、MacOS9のエクセルだったりするもので、操作が面倒なばかりか描画が美しくなかった。作業途中に「最近はAIってのがあるじゃないか」と思い出した。さっそくマックミニのChromeOS Flexを立ち上げた。これまでChatGPTでグラフを描画してもらったことはなかったが、簡単にやってもらえた。エクセル百分の一の労力、スゲー楽だ。
できれば横軸はb=2から始めて欲しかった。そういう小技ができるよう、簡単にコードが打てるようだが、無料版は制限があるのであきらめた。
これを見れば、オレの式近いんじゃね。という気もするけれど、カーブの感じが気に入らない。0からの立ち上がりからが直線的で残念。インチキ式なんだから当然なんだが。
こんなことをやってて、20世紀のマックにはもっと楽でかっこいいグラフ描画機能がデフォルトで付属していたことを思い出した。マックがマックらしかった頃の思い出だ。
今朝、スミレをかじるツマグロヒョウモンを見つけた。体長1cmほどのまだ小さい幼虫だ。庭の育成スミレには、母蝶が卵を産んでいく。順調に孵化はするが、これまでに大きく育った幼虫はいない。自ら移動していくのか、捕食にあうのか。捕食ならばカナヘビかもしれない。
10月ともなるとツマグロヒョウモンの越冬が気になるところだ。このところの暖冬傾向で、この神奈川では越冬できるツマグロヒョウモンが増えている感じがある。それら越冬組は幼虫で冬を乗り切るとされている。
ツマグロヒョウモンは本来関東で越冬できる能力はない。弱いながらも、最も寒さに強いのが幼虫という。しっかり休眠して寒さに耐えるわけではなく、ちょっと暖かいときは普通にスミレを食べる。その辺には野良のビオラなんかもあるので、食べ物には不自由しないだろう。しかし冷え込みがくれば簡単に凍死するらしい。
私のところにいる小さな幼虫は、不慮の事故をまぬかれ育っていけるだろうか。育ったとしても幼虫のまま越冬できる見通しはない。順調に育っても冬に羽化して死ぬだろう。
神奈川で越冬するには、母親はいつごろ産卵すればいいのだろうか。2月が望ましいかもしれないが、母親は厳冬期に活動できないだろう。10月なら冬前に蛹化してしまう。11月の下旬ともなれば母親が活動できない。11月の半ばの極狭い期間なのか。
庭のアカマンマの種が熟していた。ピンクの萼に穴が開き黒くつやのある種が見えている。じつは破れた萼はきっと何者かがかじった痕だろうと気になっていた。アカマンマの花にはカメムシなんががよくついている。カメムシの類は口針を使って汁を吸うから、食痕にはならない。蛾の幼虫かオンブバッタあたりかな?と思っていた。
そして今朝、うまい具合にアカマンマに止まっているハムシが見つかった。体型とか後足の感じからルリマルノミハムシかと思う。アカマンマには生々しい食痕がある。どうやらこいつがかじったようだ。
ただじゃっかんかじり方が違う。ルリマルノミハムシの食痕は萼の脇のほうにある。先の写真のものは先端部に穴が開けられる感じだ。これまでアカマンマで見てきた食痕は、先端部を穿つほうだった。小さいアカマンマの花とはいえ、虫によってかじり方に癖がでるようだ。
今朝、育成しているアメリカスミレサイシンを見て、ちょっと驚いた。種が蒔かれていたからだ。写真左は昨日の朝の状態、右が今朝のものだ。
この辺に生えている雑草スミレは次々に閉鎖花をつけて種を蒔いている。ツマグロヒョウモン楽園計画を進めるべくそういう種を集めているのだ。スミレの種を求めてめぼしい生息地を自転車で回る日々だ。スミレの閉鎖花には種が跳ばされているもの、まだ実が開いていないもの、種がむきだしになっているもの・・・いろいろある。その中で実が開いて種が見えているのが採集対象だ。
そして、今朝の様子を見て、やり方を変えた方がいいと思った。これまでは実が開く前は種が熟してないと思っていた。そして種がむき出しになっている状態は2〜3日ぐらいはあって、それで準備万端になるんだろうとふんでいたのだ。ところが、たった24時間で実が開いて種が蒔かれているとなれば作戦を変更しなければならない。
アメリカスミレサイシンの閉鎖花は開く前の実の状態で種が熟しているらしい。実が開いて種がむきだしになると時を置かずして鞘が閉じ、種が跳ぶようだ。となれば、実の状態のときが採集チャンスということになる。実が上向きになっている昨日の朝の状態が最適ではなかろうか。
ChatGPTが強力になっているので、私のペダリング解説の助けになってくれるかもしないと、基本中の基本になる図について尋ねてみた。
図は膝とペダルの位置関係を示している。膝がピンクの丸印にあるときは、ペダルが丸印にある。膝がこの場所にあるとき踏み込む力がピンク矢印の方向にかかる。そして踏み込みトルクの有効パワーが最大になるはずだ。その理由として踏んでいるペダルの動く方向が、クランク転回円の接線方向に一致するから、というものだ。
もしChatGPTがこの図を理解できるなら、脚を入れたりして、もっと理解の助けになるかっこいい図を作ってくれるかもしれないという期待もあった。
しかし、その期待は完全に裏切られた。解説もほころびが多く、最後の図に至っては思わず吹き出すレベル。ひそかにAIの助けを借りて自転車ユーチューバーになろうという野望があるが、まだ無理。数学を無視した説明が多すぎる。日本のネット上にはまともなペダリング解説がないからだろうか。私の誘導が悪いということもあるだろうけど。
今朝の育成スミレ。現在3頭のツマグロヒョウモンが育っている。小さい個体の追加はない。3頭は9月の下旬に産みつけられた卵から成長したものだろう。こいつらはいま何かと限界を迎えている。
順調に育てばしばらくして蛹になるだろうが、餌になるスミレの葉は残り少ない。飢え死にするか、新天地を求めて無謀な旅に出るかもしれない。首尾良く蛹化できたとしても、11月の蛹は12月に羽化してしまい凍死するだろう。
どん詰まりにある幼虫たちだが、スミレも怪しい。手塩にかけた育成スミレであるが、葉はとことん食われてしまった。新しい葉を繁らすことができるだろうか。
先日、このスミレが元々生えていた路地を訪ねてみた。5〜6株の大きな葉長スミレを見つけたところだ。自転車を止め道ばたを見渡して様子がぜんぜん違うことに驚いた。まずは駆除されたと思った。あんな雑草でも雑草は雑草だから抜かれることもあるはずだ。しかしよくよく見れば全部の株はそこにあった。あるにはあるが葉がない。全部の株が竹箒状態だ。どうやらツマグロヒョウモンの食害を受けたようだ。
ともあれ、秋をむかえて近所のスミレは元気を取り戻している。食害のない株は緑の葉を広げ、次から次に種を跳ばしている。天気がよい日はスミレを物色するメスをあちこちで見ている。そうして産まれた卵たちは綱渡りのように冬を乗り切る可能性がある。私の幼虫たちに先はないけれど。
夏からチェックしてきたヒメグモの巣だ。不定型の巣にはなんのこともない枯葉がかかっている。じつは、この枯葉がヒメグモの家だ。この数日、この家で暮らしていた母子の姿が見えなくなった。母親はもう命が尽きたのかもしれない。子らは散って行ったはずだ。
この家に卵嚢を確認したのは8月16日のことだった。枯葉に3つ、まんじゅうのような形の卵嚢が見え、その奥に母親が隠れていた。
10日あまりして、卵嚢から子らが出てきた。ちょうど粟粒みたいなまんまるの子グモたちだ。姿をちゃんと写してやろうと、家をピンセットで揺すると子グモがわらわらと降りて来た。他のクモもよくやるように糸を使ってぶら下がる格好だ。
ヒメグモは子が卵嚢から出て家を巣立つまで、母親が子につきそう。今年観察したイオウイロハシリグモでは、メスが産卵用の巣を作り、産んだ卵嚢を守っていた。子が生まれてまどいを作っても側にいて、子が脱皮してしばらくすると母親はいなくなるようだ。
ヒメグモの子らには「2齢になると巣立ち」というようなルールはないように思えた。けっこう長らく母子が共に生活するようだ。そして育児があることも予想できる。外敵からの保護のみならず、食料を与えるようなこともあるかもしれない。
母親は、この後もあきれるほどたくさん産卵した。子が卵嚢を出て空き部屋になった卵殻を捨てせっせと新しい卵嚢を作る。数でいえば1シーズンで数百の卵を産むと思われる。
子らは巣立ち後、自ら小さな巣を張って採餌して冬を乗り切るのか、それとも物陰で眠るように春を待つのか。いずれにしても綱渡りのような危うい暮らしが待っているのだろう。
グーグルもNotebookLMというAIをリリースしている。ChatGPTがいまいちなのが明らかになっているので、NotebookLMならもしや、という期待がある。というのは、特定のソースをAI分析にかけて要約する機能がついているからだ。
ひとまず私の回すペダリングの基礎理論の要約をお願いした。回すペダリングの基礎理論はネットに出回っている謬説(日本では常識になっている)に危機感をいだいてまとめたものだ。その要点をどれだけ正確に読み取ってまとめられるか、お手並み拝見だ。
結果は残念なものだった。ある意味ChatGPTよりも悪い。ChatGPTはダメなんだろうなぁという予想が立つ。しかし、あえてこのソースを要約せよと指定して、ここまで外されたのには正直あきれる。
第一に回すペダリングの基礎理論を「ヒラメペダリングRO」の要約だとぬかす。ヒラメペダリングROって何? そんなものお目にかかったこともなければ、小耳に挟んだこともない。他の部分もむちゃくちゃだ。ありもしないこと、とりわけ私が否定していることすら記述している。要約しようという意欲すらない。1点だけ「特定のクランク角度における最適な踏力を加え方」というのだけが合っている。
使ってみて感じるのは、日本語の読み書きができないことだ。このレベルだと早急な改善は望めそうにない。まあ手描きの図と解説文という構造が読み取りを難しくしていることもあるだろうが。
NotebookLMにはいまいち感があった。ただし、こちらにも非はあると感じていた。手書きの下手なイラスト解説という形式が読み取りの足かせになっているはずだからだ。念のために、回すペダリングの基礎理論のテキストだけを切り取ってNotebookLMに要約してもらった。その結果はすばらしかった。
こんなうまい要約だったら、本文を読む気になろうというものだ。私自身、導入部が冗長で無駄にハードルを上げていることは自覚している。アマチュアの矜持として、客商売から一線を画すべく上から目線にしたいから。そんな意固地を捨てウケを狙うなら、NotebookLMが作ったこの要約に差し替えればよい。それだけで好感度アップになるだろう。
おまけにNotebookLMはペダリングをオーケストラにたとえるという粋な味付けもしてくれた。音楽との比喩なんて著者の心の片隅にもない。要約といい、味付けといい。もはやプロの腕利き編集者レベルである。たいしたもんだ。
楕円周の長さを測るにおいて、そもそも楕円周ってなんだろう? ということを考えてみた。9月11日には楕円は円を傾けた図形と定義して、その写像の見かけ上の倍率から周の長さを求めようとした。それは誤りということは即座にわかった。
では、本当はどう考えればよいのか? というところに至ることはできなかった。
今日は、この図のように考えるべきだと方向が見えた。座標上に円があり、bにまで縮めた楕円がある。いま青い円盤がPを出発して時計回りに等速度で円周上を動く。円を傾けたのが楕円であれば、楕円上にある青い円盤の写像(青楕円盤)楕円上でランデブーするだろう。両者は常にx軸の点Qを通る垂線上に並んでいる。
この関係では楕円の周の長さを求めることができない。というのは、楕円が円を傾けた写像ではなく、実体ある楕円として存在している場合、bを出発して円上の青円盤と同速度で動く円盤があったなら(赤円盤で示しているように)青円盤に先行しているはずだからだ。赤青が同速度であれば、円より短い楕円上のほうが、周回時間は短くなるから。
従って、楕円の周の長さは、赤円盤と青円盤の間に開いた距離から求められることになる。
むろんそれは困難な道だ。円の場合は角速度という簡単便利な考え方がある。角速度を楕円に使うのは一筋縄ではいかない。bの値によってダイナミックな変換が必要だろう。
一番簡単にbが原点O(0、0)ならば、楕円(線分)の周長は4になる。一方、円周は2πだから、円周を2/π倍すれば楕円周が求められるという単純な計算になる。
O(0、0)なら簡単だが、それを一般の(0、b)で計算しなければならない。八方塞がりには違いないが、ちょっとした光明もあった。それは「2/π倍する」というところだ。これまでの苦悶で、π^(短径/長径)という項が必須ではないか? と思っているものの、π^(短径/長径)が何を意味するのかが不明だった。その手がかりが「2/π倍する」にあるかもしれない。
いつもの水路のセンダングサにナナホシテントウがいた。センダングサをしきりに上り下りしている。先端の花のところに行っては引き返し、別の枝にとりついて花をめざす。花につけば何かを探っているようだから、用事は花にあるのだろう。
ナナホシテントウのことだから、目当てはアブラムシにちがいない。センダングサにもアブラムシはよくつく。アブラムシがたかる場所は、やはり花の近く、先端の柔らかそうなところだ。ナナホシテントウはセンダングサを上り下りして、アブラムシを探っているのだ。
その行動を眺めていて、子どものときに聞きかじったナナホシテントウの名の由来を思い出した。ナナホシテントウは草木にとりつくと上に向かう。その先端で翅を広げて空に舞う。その様子がお天道様に向かうようだから、天道虫と名付けられたという。
私も子どもの頃からそういう様子はよく見てきた。手に止まらせれば指先から飛んでいった。ナナホシテントウは飛ぶために上に歩くのだ。なにも考えずにそう思っていた。ただし、その習性はアブラムシを探ることから生じたのかもしれない。飛ぶだけなら先端でどん詰まりになる必要もあるまい。
秋は深まりセンダングサに来る虫は少なくなっている。少し前なら、キタテハ、モンシロチョウ、ウラナミシジミ、ヤマトシジミ、各種セセリ、ニホンミツバチ、アブ各種、ヒラタアブ・・・とたいへん賑やかだった。今日はヤマトシジミとニホンミツバチが2、3来ていただけだ。センダングサも花が終わってトゲトゲの種ばかりになりつつある。
ナナホシテントウが歩いていた花を撮っておいた。肉眼ではアブラムシが見えなかった。写真にすれば確認できるかもしれないからだ。写真で見る限り、このセンダングサにはアブラムシはいなかったらしい。
この辺だとナナホシテントウは厳冬期にも活動している。センダングサのアブラムシはいなくなっても他の草にアブラムシはいるはずだ。はて、どの草木にいただろう? と記憶を探ったものの、心当たりはなかった。
快晴で気温が高い。とはいえ小春とはいえない。西寄りの南風がけっこうな勢いで吹いている。でもまあ自転車の練習には悪くない日和だ。ウィリエールで境川に出ると、モンシロチョウが目の前を横切った。いやまてモンキチョウかもしれないと、すぐさま目で追った。12月のモンシロチョウはチェック対象だ。
私はモンシロチョウが大好きだ。モンシロチョウが好きになったのは特別な体験があったからだ。50年前のこと、私はモンシロチョウの翅が虹色に輝くことを知った。青空をバックに飛ぶモンシロチョウが一瞬虹色に輝くのを見たのだ。環水平アークのような青と赤のきらめきだ。いっぱいいるただの白いチョウがじつは只者ではなかった。モンシロチョウが秘めている実力を垣間見た思いだった。
以来、あの輝きを見たいと願ってきた。当時はチョウの標本作りをしていたこともあって、いくつかモンシロチョウの標本を作って、光の当て方を変えたり、角度を変えたりして、しげしげと眺めてみたものの、あの輝きは再現できなかった。標本では輝きを失うのだろうか。羽化直後でないとダメなのか、何か特別な条件があるのか。以来期待の目で何百回となくモンシロチョウを見つめてきた。しかし以降、あの輝きはおろかそれらしい色合いすらみることはかなわなかった。そのまま50年が過ぎた。
今ではあれは夢幻だったのだと思っている。私は幾例か夢を実体験だと思い込んでいた。もっとも最近のでは金沢の兼六園でイトヨを見たと信じこんでいて、わざわざ2024年に兼六園を訪ねたぐらいだ。
モンシロチョウのあの虹色の輝きをみることはかなわないだろう。それでもモンシロチョウが大好きだ。
自分で何をやっているかもわからなくなった楕円周長。ここいらで一つ初心に戻って愚直な解法を試すべきだと思った。図のような楕円を作図してBからAに赤線を引く。この赤線の長さは、BからAまでの楕円周長よりもかなり短い。だけど線分だから、三平方の定理ですみやかにその長さはわかる。赤線=((a^2)+(b^2))^(1/2)だ。
実際最初はこういう方法を突き詰めて行く方法をあれこれ試していた。ただし、暗算だけでも壁に当たる未来が見え、ちゃんとやる気がおきなかったのだった。
次は、X軸上a/2から垂線を伸ばして、楕円との交点をPとする。BP、PAの2本の赤線分を合計すれば、楕円の周長にもう一歩近づく。Pの値を求めることは簡単だ。BP、PAの長さも、先と同様に三平方の定理で求めた。
さらにもう一歩、OAを三等分して、楕円上の点P1、P2をとり赤線を引くとまた一歩楕円の周長に近づく。だんだん赤線の長さを求めるのがややこしくなってくる。この調子でP1、P2、P3、P4、P5・・・・と進めて行けばそれなりの近似値が得られる。しかし私はこういう計算がサクサクできるほどの数学力がない。この辺で力尽きるほかない。
OAをn分割して式を立て、n=∞にしたときに、a、b、nの式ができれば、それで大願成就となる。それをイメージするぐらいの数学力はある。だが、大きな懸念があった。πの不在だ。楕円の式がπなしで成立するとは思えない。この先に進めばどこからかπが現れるだろうか。
布団の中で考えをめぐらせ良いひらめきを得た。a=b=1(*半径1の真円)のとき、楕円周ABは1/2πになる。すばらしい朗報だ。いつかきっと私の式はπに出会えるに違いない。と、喜んだのもつかの間、a=b=1かつn=∞の式なんて意味を持つわけがない。一発大逆転のうまい話なんてないのである。
なかなかうまい話はなく、私に数学的センスがない以上は愚直に近似値を求めていくしかない。図のようにCの値を順次求めて三平方の定理を使って赤線分の長さを求め足し上げて行くだけのことである。n=20ぐらいまでやれば、π/2に近い値が得られそうな気がする。
近似値を求める計算式を一行にする方法はわからない。kが入れ子になっているnの級数なんて無理難題だ。きっと私が見たことも聞いたこともない高等テクニックが必要になるはずだ。五里霧中である。
ともあれできることは検算だ。思いつきが正しいのか、円を半分に縮めた楕円周ってどれぐらい? ってなことをしつつ未来につながる発見に期待することだ。
楕円周の近似値を求める方法の計算式は簡単だけど、計算は難しい。もし電卓手作業でやるとなると1年ぐらいはかかるだろう。そこで表計算ソフトエクセルの登場だ。エクセルはこの手の計算は大得意である。n=20とは言わず、100でも1000でも一瞬にできる。
ここはひとまず、a=b=1、n=40にして検算してみることにした。この場合、図にある楕円周は半径1の円に等しくなる。そして赤線で表した近似多角形の長さは、π/2に近似されるはずだ。
やってみれば、SUMは1.57021となり予想通りπ/2より少し小さくなった。やり方は正しいはずだ。しかし次へのとっかかりは今のところ見つかっていない。
境川で自転車の練習をしての帰り道、左手の田んぼに違和感があって自転車を止めた。田の違和感は雑草が赤いことだった。白い花も咲いている。この季節にこういう光景は覚えがない。一目見て、その雑草はタネツケバナだろうと思ったが、やはりおかしい。
田に近づいてしげしげ眺めれば、まごうことなきタネツケバナだ。タネツケバナが一面を覆う水田は珍しい。12月にタネツケバナの花はもっと珍しい。いったい何が起きたのだろう。
タネツケバナは暦に忠実な花だと思っていた。同じころに咲くホトケノザなんかはフツーにフライングする。多くはないものの年中咲いている感じだ。それにひきかえタネツケバナは必ず春先に花を咲かせる雑草だ。それなのに12月の殺風景な水田を花で埋めている。秋の気候はタネツケバナが育って花を咲かせるのにマッチしているだろうが、成長スイッチはなぜ入ったのか。私にはわからない。
遠目に赤く見えたのは種の鞘だった。本来は初夏の装いだ。鞘は十分伸びているから、ひと月前には成長をはじめたのだろう。大幅なフライングをしたタネツケバナがこの先どうなるのか。冬育ちでも種は跳ばせるのか。開いた鞘はまだ見あたらない。
境川で異変を目にして自分のタネツケバナがどうなっているのか気になった。わが家にもタネツケバナはあり、田んぼなんかよりは遅れて咲く。記憶にあるあたりを探ってみたけれど、タネツケバナだとわかる雑草はなかった。一番それらしいのがこの草体。ツタバウンランでは? という疑惑もあるが、2月まで育てばロゼットになってタネツケバナかどうかは判明する。
いつもの用水路にたぶんクロヤマアリとおぼしきアリがいた。まず目に入ってきたのは植物片だったが、その動きからアリに運ばれているのだろうと思った。水路に渡されたコンクリを歩いて巣に獲物を運んでいるんだろう。次に「何でアリがそんなものを運ぶんだ?」と疑念が湧いた。もしかしたら、植物片に見える物体は植物片に擬態した何者かかもしれない。とにかく肉眼では手に負えないから、TG-7で接写しておいた。
うまく撮れた感触に満足して、TG-7をしまってセブンイレブンの焼きおにぎりを食べながら、コンクリを眺めていると、鳥の死骸的なものが見つかった。
鳥には違いないが、ただの死骸ではない。おそらくモズか何かのペレットだと思った。ペレットならアリが運ぶ物とつながる。哀れなことに私の肉眼では、鳥の羽しか確認できない。そそくさとTG-7を撮りだして接写してペレットの内容物を確認することにした。
写真では、鳥の羽、毛にまじって水稲の籾殻に葉が確認できる。これで合点がいった。アリが運んでいたのはきっと水稲の葉だ。おそらく肉の味が染み込んだ枯葉だったのだろう。そんなものを運び込んで仲間から馬鹿にされたか、それとも自分で気づき地団駄踏んでペレットに戻ったのか。ともあれアリにとっては大間違いではなかったのだ。
写真は鳶尾山の道。冬を探しに出かけた。すでにカネタタキは聞こえず、モンシロチョウも飛ばない。秋は終わっているのだが、冬らしさはまだ感じていない。フユシャクの乱舞を見れば、冬らしさもあるだろうと鳶尾山にでかけたのだ。鳶尾山は私的にフユシャクの大産地で、日中でもオスがせわしなく地面低く飛び交う様子を見ることができる。それはまるで風に舞う落ち葉のよう。一冬に一度は見ておきたい。
残念ながらフユシャクは鳶尾山で見られなかった。もしや上荻野小の裏山ならと、寄ってみたがだめだった。例年フユシャクは12月の上旬に出てくる。境川では10日に1頭だけ見た。出現期間は一週間程度なんだろうか。すでに機を逸してるのかもしれない。
冬といえばもう一つ、アオジがいる。毎年冬になると庭にアオジが来る。今年はまだ見てない。スイレン鉢には鳥が水を飲んだ形跡がある。もしかしたら来たのかもしれない。アオジは向こうからやって来る冬だ。
快晴無風の小春だ。自転車の練習に境川へ。先日のタネツケバナが気になって、ちょいと様子を見ておきたいと再訪した。写真は今日の撮影。荒起こし前の田に相変わらず問題の雑草が繁茂している。
種の熟し具合はどうかと、手に届くところのものを触ってみた。鞘はやわらかく、種が太っている感触はなかった。いくつか触っているうちに背筋がぞぞっとした。これはタネツケバナではないぞという気がしたからだ。どこがどう違うかはなんとも言えないが、なにか違うのだ。鞘の太さだろうか、長さだろうか、色合いだろうか・・・・とにかく良く知るタネツケバナではないような気がした。
念のためにインターネットで調べてみれば「アキノタネツケバナ」という秋咲きの種類があるということだ。秋に咲く種類があるのなら12月の花も合点がいく。それが事実なら、そんな明らかなことをスルーしてた自分に呆れる。
私の眼力では虫が見つからない季節になった。それでも何か見つかればと自転車に乗って田んぼの道をゆっくり走っていると、目の高さにオオカマキリの卵があった。その灌木はカマキリが好んだとみえて、2つあった。
その2つを案配良く撮影しようと苦心していて、カマキリが卵を産み付ける高さを研究した人がいたことを思い出した。新潟の方だと記憶している。なんでも、カマキリは冬の最大積雪をみこして、雪に埋まらない高さに産卵するという。そんな伝承が研究のヒントだった。雪国らしいほのぼのとしたおとぎ話だと私は思う。真偽はともかく、常人なら相手にしないようなことを本気で研究して論文にまとめたのだ。
記憶によれば、最大積雪と卵の高さには有意な相関が認められる。そして長期的気象と樹木の震動に関係があり、カマキリの母親は樹木の震動を感知して産卵する。そんな仮説が説かれていた。
雪の深さとカマキリの卵は無関係とする根拠なんてすぐに思いつく。カマキリの卵なら雪に埋もれても平気だろう。積雪を予見する適応はカマキリに不要なはずだ。雪に埋まった卵は見つからないが、雪の上に伸びた枝についた卵はよく目立つ。そういう体験から伝承が生まれたに過ぎない・・・・そんな凡人の発想なんぞ相手にせず、研究に取り組んだ科学者魂は素敵だと思った。
カマキリの卵は冬の風物詩。冬の風物詩の双璧だったオオミノガの蓑はいまや希少、去年も今年も見つからない。もう何年も蓑虫を見てないなと、道ばたの木をチェックしつつ自転車を走らせた。すると、最後の一葉が見つかった。梅とおぼしき木に真っ赤な葉が一枚だけついている。最後の一葉も冬の風物詩だ。しかも滅多に出会えるものではない。記念撮影しようとブレーキを引いて自転車をゆるめると、その梅の木にスズメがいっぱい止まっていることに気づいた。スズメの群れも冬の風物詩だ。
自転車で走っている分には、道ばたのスズメたちは知らんふりをする。カラスも同様だ。気づいて警戒していることはこちらにもわかる。しかし、あえて逃げることはしない。自転車を降りてカメラを構えると、一斉に飛び立ってしまう。しばらく枝に鈴なりのスズメを撮ってない。多摩川の河川木で撮ったのは30年ぐらい前だろうか。