たまたま見聞録
見聞日記 天地無朋


2024.1.1(月)晴れ 楕円と2つの焦点

楕円の式

楕円定義を確かめる上で、12月15日の解はじっさいは不十分だということに気づいていた。楕円周上の特異な3点を楕円の式が通ることは証明できたが、すべての点で成り立つかどうかは見えていなかったからである。

解決を試みてずっと計算は続けていたものの、私の数学力では無理だった。なにしろ中学卒業程度の実力で、三平方の定理と円の方程式ぐらいしか武器がない。楕円周上の任意の点(x,y)から焦点に線分を引くと全然歯がたたなかった。

無理なことはあきらめよう、忘れようとしていたが、それもかなわなかった。年末の歌合戦を見ながらも頭の中ではああでもないこうでもないと楕円のことを考えている。寝床に入っても楕円のことを考えている。そして今朝、朝日に照らされた月とヒマラヤスギをぼんやり見ていてふと、15日に導き出した数式を利用して楕円周上にある任意の点(x,y)でも成り立つことを証明すればよいのだと思いついた。

海老一染之助・染太郎のいないさびしいテレビを見て家族とおせちを食べ初詣に赴き帰りにケーキを買っておやつにして、気もそぞろに紙と鉛筆をとりだして計算をはじめた。私にはかなり難しい展開になってしまったけれど、どうやらうまくいったみたいだ。


2024.1.3(水)くもり 越冬していたカナヘビ

カナヘビ

庭の隅に積んである竹筒束をめくるとカナヘビがいた。地面と竹筒の間にまるくうずくまっている。越冬体勢の冬眠中だ。

庭はカナヘビの生息地で何頭かが世代をつないでいる。庭で越冬しているのは確実だったもののその様子を見るのははじめてだ。下手をして動かすのはまずいと、急ぎ元のように竹筒を積んでおいた。

実は竹筒束はカナヘビあたりが越冬とか産卵の場所にするんじゃないかと期待して置いた物だ。女房が何かに利用していて、不要廃棄しようとした物を再利用した。夏場からの観察では虫たちに利用されている気配がなく、今朝には片付けようとしたのだった。ここをカナヘビが越冬場所に選んだのはうれしい。まさに狙い通りだ。

20年ほどはなるべく庭を放置するようにして来たが、少しずつ色気が出てきて手を入れるようになった。ヤマノイモ、ヤブガラシ、カラスウリなんかの巻き付く場所を作ったり、ムラサキカタバミ、キンラン、ドクダミなどの雑草の保護を企てたり、アリの餌になるササガヤを増やす算段をしたり、園芸植物らしきものに水をやったりと、もはや管理の行き届いた普通の庭になった。

ただし植物とか造園はまったくの素人で、良かれと手を入れては失敗ばかりだ。カラスウリは花が咲いたのに実がならない。ムラサキカタバミは手を入れると必ず枯れる。たまにハサミムシが煉瓦の下で卵を守っていたり、キイロスズメがヤマノイモをばりばり食ったりしているのを見つけるととてもうれしい。狙い通りの運びっていうのも楽しいものだ。

カナヘビはいま庭の食物連鎖の頂点に君臨している。イエネコの出没が続いていたときは尾の切れた個体ばかりだったが去年はいなくなった。小虫を食うカナヘビがはびこると庭がさびしくなる恐れもある。去年はカマキリの産卵がなかったようだ。カナヘビ圧がどれほどカマキリにかかっているかはわからない。


2024.1.8(月)晴れ 隠れるレッドラムズホーン

レッドラムズホーン

左はレッドラムズホーン。サイズは1円玉弱ある。去年田んぼ水槽に1匹だけ投入した個体だ。こいつはすぐに水槽になじんで、産卵して、子が増え、大所帯になった。子らは無限増殖する勢いだ。親としてもほこらしかろう。

ひと月ほど前のこと、こいつの姿が見えなくなった。ガラス壁や水草を這って、ときには水面にいて、いつも何かを食べていて、おとなしいけれど存在感は抜群だった。それが見えなくなった。事件だと思った。まずは死んで転がっているんだろうと覗いてみたが見つからなかった。外に出た様子もない。わけがわからなかった。

娘のみたてでは底砂や水草の中に潜り込んでいるらしい。娘のアクアリウムでも消えた貝が復活するのはままあると言うのだ。

田んぼ水槽

レッドラムズホーンが行方不明になった田んぼ水槽を上から撮った写真だ。底は田んぼの泥。泥にはマツバイがびっしり生えて根を張りめぐらせている。それなりに大きな貝殻を背負った巻き貝が潜り込めるようなものではなさそうだ。それでも、数日にわたって姿を隠すことが幾度も起きている。やはり底に潜っているとしか考えられない。

底にはそれらしい痕跡は見つからないのだが、どうやって潜るのだろう。そもそも泥の中でなにをやろうとして潜るんだろう。


2024.1.16(火)晴れ 白濁について

レッドラムズホーン

去年の12月3日に白濁していた田んぼ水槽はいったん白濁がとれて水が澄んだ。そしてまたこの3日ばかり白濁が起きた。以前よりも透明度が落ちている。

その原因ははっきりしない。ただ今回の濁りは緑がかっている。どうやら水中に植物プランクトンがわいているらしい。となると原因は富栄養化が考えられる。そこは思い当たるふしがある。

10日ほど前のこと、田んぼ水槽にわいたレッドラムズホーンがかわいくて餌をやったのだ。3日ほど続けてテトラのフレークを入れた。総量は一つまみ程度だ。貝もエビもそれを機嫌良く食べていた。その餌が元で菌類が繁殖して植物プランクトンがわいた可能性がある。

餌を入れる前は、去年の白濁がうそのようにとれていた。ルーペで覗くと澄み切った水にケンミジンコが見つかった。

田んぼ水槽でミジンコは謎生物だ。普段はぜんぜん姿が見えないが、唐突にわいていくる。ケンミジンコはカイミジンコがわきだすと姿を消す。カイミジンコはどうしましょうってぐらいの大発生を見せるが、それもすぐにおさまって、いるかいないかぐらいの数に落ち着く。どういう条件でミジンコが泳ぎ出すのかはよくわからない。今回は白濁の効果でミジンコがわいたのかなと思った。

もし、餌を入れて富栄養化して菌類、藻類、ミジンコがわくのなら、それは忌み嫌うようなことでもない。

田んぼ水槽はインテリアなので澄んだ水がふさわしいけれど、いろいろな生き物がわさわさ動くのは楽しい。テトラのフレークの分量をうまく加減して賑やかな水槽になるのなら、それを試してみる価値はある。


2024.1.24(水)晴れ ロタラ

ロタラ

田んぼ水槽の白濁は相変わらずだ。最近気づいた傾向として日中に日が射すようになると濁りが濃くなる。やはり植物プランクトンなのだろうか。暗くなってから懐中電灯で照らしてルーペで覗くと、チンダル現象で細かい粒子が見える。珪藻らしきものもある。

今日の写真は調子が落ちてきた水田雑草ロタラ。和名でいうならキカシグサあたりだろうか。真夏にこの土をいただいた田んぼを覗けばきれいに茂るこの雑草を見ることができる。

わが家では2年間水草として生きてきたロタラであるが、本来は気中で生活したい草のはずだ。水底から芽吹いて、水中で生き続けることは本意ではない。長いことがんばってきたものの本懐遂げられず無念かもしれない。新しい茎が増えなくなり葉が枯れ落ちてきた。

底を芝生のように覆うマツバイも本来は気中で生きる草だ。田に水が引かれると一斉に芽吹き、水稲といっしょに成長し、水を落とされると花をつけ種を結ぶ。ロタラもマツバイも、とっても丈夫な雑草とはいえ水中暮らしに限界はあるんだろう。水草が途方にくれて弱っているのが田んぼ水槽白濁の一因かもしれない。


2024.1.29(月)晴れ カミキリムシの受難

水路

チネリで境川。定期観察している例の水路に行くと落木があった。細からぬ幹がぼきっと折れて落ちてきたようだ。この木は神社の敷地内にあるもので既知だ。もうすっかり枯れており倒れるのを待つばかりだった。

この水路に来れば、水面をのぞくのが習慣だ。アメンボやカワニナがいる。ドジョウなんかの魚類がひょっこり現れるかという期待もある。水路に横たわる枯れ木の下にはなにやら白い物が沈んでいた。一目でカミキリムシの幼虫だとわかった。頭でっかちの蛇腹筒はカミキリムシの特徴だ。すぐに3頭が見つかった。

カミキリムシ

この顛末は容易に推理できる。枝が落下したときに幼虫の住処が破壊されて投げ出されたのだろう。もしかしたら幹が割れたものだから、あわてて移動して落ちたのかもしれない。いずれにしても落木が原因だ。

そうなるとカミキリムシも無実とはいえない。彼らが食い進むことで幹の強度は落ちるのだ。倒れた幹には成虫の脱出口が見える。まだ立ち残っている幹をみれば、3つ4つと穴があった。水路に落ちたのは受難ではあったが、必然でもあったあろう。

自転車で山道を走っていると倒れた枯れ木が目につく昨今だ。楢枯れはまだ収束していない。私もこいつらと同じような目にあうかもしれない。


2024.1.31(水)晴れ バンドオブホールズか?

チネリでセントラル神奈川中流河川の旅。相模川の田んぼにでるといきなり白いチョウが飛んでいた。元気な飛び方ではない。低く数メートル飛んで田んぼに降りる。日が照って暖かいとはいえさすがに活動しにくいとみえる。遠目にモンキチョウらしかったが記録のため寄ってスマホで撮ることにした。やはりきれいなモンキチョウで羽化したばかりと見えた。

モンキチョウの越冬態は成虫ではないはずだ。羽化にはまだ早いと、念のため手元の原色蝶類検索図鑑をひくと関東では1〜2月は幼虫だと出ている。しかし、今日の個体は去年の生き残りっぽくない。たまたま見聞録の記録だと1月〜2月でモンキチョウの目撃は2件ばかりあった。

近年の温暖傾向は虫に変化を起こしている。この辺でも年中活動するモンキチョウが出てきたのかもしれない。

小鮎川

明日は2月となれば気になるのがバンドオブホールズだ。写真は小鮎川にかかる橋から撮ったもの。バンドオブホールズらしき穴ぼこがいくつか見える。観察ポイントは少し上流にもあるが、残念今日の小鮎川は濁りがひどくて河床が見えたのはここだけだった。

私がバンドオブホールズと名付けているのは、川にできる奇妙な穴のことだ。ゴルフボールのディンプルのように河床に点々と穴が並ぶ。まずは2022年の2月28日に小鮎川で見つけた。同様のものを荻野川でも見ている。以来、多少の注意を払って両河川を覗いているけれど、春から秋には見つかっていない。

穴が生物活動によるものとは考えにくく、人為的なものでないとすれば、その成因は地質的なものだろうと思う。ただどうにも仮説を立てることすらできない。ささいなれど気がかり。小鮎川の水が澄んだら今年の出来具合を観察だ。


2024.2.2(金)くもり やる気になる自転車

チネリ

写真のチネリはとってもいい自転車だ。30年ほど前のフレームで、パーツも当時の物を使っている。

今世紀になって自転車の進歩は著しく、私のような素人でも金を積むだけで途轍もない自転車を手にすることができる。新型は簡単に速く走ってスムーズに止まれるだろう。物の良さは天地の開きがある。

この45年あまりの自転車生活で、10本以上のロードフレームを試してきた。クロモリもアルミもカーボンも乗っている。それぞれのフレームはそれなりに良い悪いがあった。このチネリは飛び抜けた個性を持っている。初めて乗ったときに、そのしなかやさと加速がうれしかった。一方でその難しさに驚いた。

今その難しさが面白い。フレームが一枚の板のようにしっかりしていて、重心を揺らさずちゃんと乗ればまっすぐにぐんぐん進む。ただし踏み方が悪いとすぐに機嫌が悪くなる。ゆっくり走っていると、もっと気合いをいれろと叱られるような気がしてくる。腕を上げるにはもってこいの自転車だ。

私もいつしかベテランの域に達して自転車の乗り方がわかってきた。21世紀のロードはスムーズで速くてとってもいいんだけど、ときおりふとこいつに乗りたくなる。もうタイムがどうこうという気はうせ、フナに始まりフナに終わるっていう心境だ。相変わらずチネリに乗るたび「難しいな此奴」と思う。

このひと月ほど、踏み抜いて回す技術を身につけようと目論んでいる。じつは10年以上前に峠のタイムトライアルに熱を上げていたとき、踏み抜きが効果的という感触はあったのに、習得の難しさのあまり音を上げあきらめた。いまも集中してやればやれないことはないが、ときどきいい感じがある程度でしかない。

今日もチネリには「まだまだだねぇ」と言われてしまった。その気難しさが練習にもってこいだ。あと50万回ほどペダルを踏めば今日のギクシャクはとれるんじゃなかろうか。


2024.2.5(月)くもりのち雪 ツタバウンラン

ツタバウンラン

今日の写真は庭のツタバウンラン。帰化種でなんということもない雑草だが、私にとってはとっても大事な草だ。

ツタバウンランはこの辺では駅裏に群落がある。それは日当たりも栄養も悪そうな線路沿いのコンクリの割れ目に根付いている。20年ほど前に見つけてからずっと繁栄を続けている。たくましい草だ。

ここに住みはじめたとき庭にツタバウンランはなかった。隣の家には雑草として少しだけ生えていた。自分のも欲しくて、それを分けてもらった。隣の人は引っ越したけれど、かなりの園芸家で、ボケやテイカカズラなんかもいただいた。

残念なことに、ツタバウンランは庭で定着できなかった。2年ほどは根を張って花をつけてがんばっている感じだったが、次第に小さくなって消滅した。いまあるのは隣の庭から自力でコンクリ塀を乗り越えてやってきたものだ。もとあった株は隣家の建て替えで消えた。

D700

ツタバウンランが気になるのは、最初に撮影で苦労した花だからだ。今日の写真はこのカメラで撮った。15年ほど前に発売されたNikonのD700というすぐれものに愛称タムキューというタムロンの接写レンズをつけている。

D700は明るいところから暗いところまでよく写る。iso6400は実用範囲。タムキューのレンズフードにネジ止めしたLEDライトのおかげでストロボはまずいらない。今朝は雪前の重い曇天だったが、iso1800、s1/160、f16、で楽々だ。念のために一脚も使った。庭の動植物の接写はおおむねこれで行ける。

最初にツタバウンランを撮ったのは30年ほど前のことだ。家の前の道ばたに見慣れない花をみとめて、なにげに2、3枚撮ってみた。できあがった写真はぼんやりぶれて見られたものではなかった。カメラはニコンF4でレンズはタムキューだから基本的には今日のカメラと大差ない。

撮影には多少の知識もあったから、花の接写には特別な工夫も必要なんだろうと、書物で基礎を勉強した。世界中で花を撮っている仲良しのプロのアドバイスも受けた。「暗い緑の葉の中に咲いている1cmもない白い花を撮りたい」というと、それは難しいねえと笑われた。ストロボ使いの基礎を教わっていいストロボも買った。

フィルム時代の練習は気が遠くなるほどの時間と金がかかった。32枚撮りのフィルムが500円、その現像に500円。フィルムスキャナーがなくてプリントアウトが必要だった。富士フイルムの店にパトローネをあずけて仕上がりまでに丸1日かかった。練習になるようにと、ストロボの光量、露出の値を紙に書きとめて置いた。カメラを設定オートだとうまく撮れてもその原因がわからず練習にならない。

いまは隔世の感がある。いや実際に隔世だ。撮影練習なんてしほうだい。デジタルならモニターで確認して100枚でも200枚でもランニングコスト0円でアタリを取りながら撮れる。データは画像とともに記録されている。色温度(昔は色温度はフィルムで固定されていた)とか露出を多少しくじってもフォトショップで修正できる。

高価なデジタル一眼が世に出たとき友人のプロは露出を見るためにそれを買った。画質はフィルムじゃないと使い物にならないが、テストはデジタルということだった。照度計と経験よりも現場で写真を見れば安心できる。山を下りて現像したフィルムをルーペで覗いて血の気を失うことも減ったといってた。

デジタルカメラが出てきたときに、過去が写せたり手ぶれ補正ができるとか、カメラの進歩はだいたい予想できた。しかし、その進歩は思ったよりずっと速かった。飛ぶ鳥だの虫だのに追従するオートフォーカスはあるかもしれないと思ってはいたが、とんでもないことになっているらしい。カメラの深度合成は予想だにしなかった。

いまやツイッターなどでは驚愕の写真が目白押しだ。鳥や虫のプロはそのままプロ写真家だ。川をサイクリングしていると立派な機材を持ったカメラマンが群れている。被写体は?と尋ねるとだいたいカワセミだ。この1年この日本で何百億枚のカワセミが撮られたかと計算するとちょっと楽しい。フィルム時代はカワセミなんて大金持ちの道楽だった。


2024.2.7(水)晴れ 雪のクレーター

雪のクレーター

雪はまだ庭に融け残っている。その融け残ってじゅぐじゅぐになっている雪にクレーターがある。ちょうど月にある隕石の衝突痕のような感じで中央がへこんで回りが盛り上がっている。大小さまざまあって大きいものはみかんぐらい、小さいものは小指の先ぐらい。

おもしろい模様なのでその成因が気になった。クレーター状なんだから、何かが落下して来たんだろう。落ちてくるのは雪しかない。大小あるのは大きな塊と小さな塊の差だろう。そして落ちてきた先は上の木の枝からだろう。雪は気温が高く雨混じりだったせいか、今回の雪は積もるそばからじゅぐじゅぐだった。木の枝の形状で雪が溜まるところと溜まらないところはある。よく溜まっていたところから落ちた雪は大きなクレーターを作ったんだろう。

この程度の推理しかできず、この真偽に自信がない。地面に積もっている雪の状態と枝に架かっている雪の状態によっては、真ん中が盛り上がる形にだってなりそうだ。昨夜はどうだったんだろう? 雪のクレーター程度のことでも済んだことはわからないものだ。次回の積雪時はクレーターができる現場に立ち会おうと思った。


2024.2.8(木)晴れ 立派になった水中ギシギシ

ギシギシ

写真のギシギシは目久尻川を通る度に撮影している。こいつの成長は我が子のことのようにうれしい。葉はもう数十枚あり真冬にも元気に葉を増やしているようだ。その成長は昨日まで特殊なことだと思っていた。

50年ほど前に習った記憶では、ギシギシは冬になると赤い葉のロゼットになって、風があたらないように背を低くしできるだけ陽をあびて寒さに耐えているとあった。じっさい今の季節はギシギシやタンポポのロゼットがたくさんある。

ただ私の観察主戦場である目久尻川などでは大きな株が目立つ。姿が夏と変わらない。その原因は温度の高さにあるようだった。目久尻川は湧水が豊富で冬でも水温が高いだろう。そのおかげでギシギシはぬくぬく育つのだろうと予想していた。

しかし、反例はいくらでも見つかっている。その辺の草むら、水田の畦でも立派なギシギシはある。荻野川べりの水田脇では冬期に花をつけているものまである。常識も私の考察も根本的に間違っている。

思うにロゼットにならず冬でも元気なのは大株に多い。特に河原とか護岸の隙間に根付いているものが多い。となると元気の元は水ではないだろうか。普通の土地でも地中の水分が多い所まで深く根が達している株は低温に負けずに育つのではないだろうか。ロゼットは低温よりも乾燥対策だろう。そんな気がしてきた。

ギシギシ

ところで、この大株を見つけたのは去年の7月5日だった。そのときの撮影が左。今日の写真は2つとも芹沢川にかかる三又橋から撮っている。今この2枚目を見返してみて、この段階で水中ギシギシだと見破る眼力は只者ではないと思う。3センチぐらいの葉が2枚ばかりあるだけなのだ。周辺にはオオカワヂシャだのクサヨシだの、類似品がいっぱいある。

ギシギシ好きならあたりまえと思ってきたが、だれか他の人のしわざなら心から尊敬しひれ伏すだろう。


2024.2.9(金)晴れ グーグルフォト

カラス


相模川で自転車の練習をしていると、カラスがオニグルミを食べようとしていた。クルミをくわえて上空から落として割り中身を食べる。簡単に割れないから何度もトライすることになるはずだ。道路には3つばかり割れた殻が転がっている。

スマホでくるみ割りの撮影を試みた。人が近寄ればカラスは逃げる。少し離れて遠目のカットを撮っていると、そこに自転車が通りかかった。予想通りカラスはクルミをくわえて飛び立った。

運良くカラスはこちらの方に向かってきて目前を水平飛行してる。チャンスとばかり慌てて3回シャッターを押した。

帰宅してパソコンでチェックすると幸運にも2枚目の写真がうまく撮れていた。羽の広がりが力強いしクルミも見える。よしよしとたまたま見聞録に上げると、スマホの中に身に覚えのない写真があった。今日の横長写真がそれである。どうやらグーグルフォトが気を利かせて3枚を合成してパノラマにしたようだ。

写真はふつーに2羽のカラスが飛んでる風景写真に見える。驚いたことにどんだけチェックしても合成の破綻が見つからない。なんだか写真界はとんでもないことになっているようだ。スマホはピクセル4aという旧型のやつだ。テレビではフワちゃんがグーグルピクセル新型の実演コマーシャルをしている。まあそんま高級機能はいらんよな。フワちゃんが言うほどうまく処理できるはずもなし。などと眉につばをつけてきたが、そう斜めに見るものでもなさそうだ。SNSで高評価を得たい人には新しい技術が武器になるだろう。

ちなみに1枚目のカラスはビルの窓にかかって全く存在感がない。その点では失敗だが、背景の雲がいい味を出している。巻雲がすぱっと割れている。おそらく飛行機雲の一種だ。よく見る雲ではあるけれど、あれば撮っている。今日もこのあと撮影しておいた。このカラスのカットに写っていることは気づかなかったが、グーグルフォトがサルベージしてくれた。


2024.2.13(火)晴れ 春風の境川

遊水地

ウィリエールで境川。このところ下死点のペダルを「踏み抜く」練習にはまっている。下死点にあるペダルを太ももを下げる力で踏む込むとペダルの回転方向への力にくわえて反作用によって引き足がかかる。この力をうまく使うのが奥義だろうと思う。自転車はもうちょっとで頂点を極めることができそうだ。ただそこに到達するだけの時間があるだろうか。もうひっくり返せない砂時計の砂を見つめるような日々の練習だ。

今日の境川は強い南風が入っていた。気圧配置からこの風はまったく予想できなかった。ただし気温は高い。3頭ばかりのモンキチョウが飛んでいた。いずれも強風にあおられる感じで飛び立っても低く流れてすぐに草陰にかくれていた。白いやつには、もしやモンシロチョウ?という期待を抱いた。もうそういう季節だ。この風が吹くと春本番。西から低気圧が来たわけではないから春一番ではないにしても。

境川にある遊水地公園は春風に水面が波打っている。とっても立派な施設で管理が行き届いている。草や虫の生息状況も気にしているみたいだ。定期的に観察会なんかも行っている。

ただ謎なのが水に近寄らせてくれないことだ。写真の下のほうに写っている遊歩道的なものは公園全体に整備されているが、ずっと立ち入り禁止だ。20年以上も人の接近を拒んでいる。工事中というわけではないから謎は深まるばかり。人が歩けない歩道をなぜ作ったのだろう。


2024.2.15(木)晴れのちくもり一時雨 飛行機雲の影

飛行機雲

春一番が吹いて空には巻雲が多い。群青で目久尻川を走っていると飛行機雲が目についた。神奈川のこのあたりで飛行機雲は珍しくないが、巻雲に飛行機雲の影らしきものが見つかった。飛行機雲の影が見つかるなんて滅多にない。取り急ぎ撮影することにして空が見通せる所に移動した。

今日の写真がそれ。発見から3分ほどたっており、飛行機雲の影は消えかかっている。青矢印の先にうっすらとその影は残っている。太陽との位置関係から飛行機雲は巻雲よりも高いところにあると推理できた。

雲と雲の影の関係を読み取るのはとっても難しい。去年の8月21日に見つけた雲の影の正体はいまだにわからない。たまたま、いまヘビーローテーションしている「のもと物理愛」にもそれと同じような雲が出てきた。残念雲の解説ではないから解決のヒントにはならなかった。

なにか手がかりが得られないかと雲の影を注視する日々だ。空にUFOを見つけることがあれば、こういう訓練は役に立つだろう。


2024.2.22(木)雨 鉢植えのハコベ

ハコベ

夜から冷たい雨がしょうしょうと降っている。午後から庭にでてみればハコベが咲いていた。こういう天気の悪いときにも咲くのだ。ハコベは新年早々に花もつけていたから寒さには強い。

ハコベ

もう一つ花があった。こちらの花はおしべが赤紫色だ。花がひらいたばかりだからだ。花粉は赤紫のカプセルにはいっている。花が開くとすみやかにカプセルが反り返って花粉が出てくる。

私の庭ではハコベは多くない。じつはこのハコベは鉢植えにして特別扱いしているものだ。もともと野菜のプランターにかってに生えてきたものを移植した。庭での絶滅危惧種でもあるので増やそうと画策しているのだ。なにぶん素人なもので贔屓の引き倒しになりかねないが。


2024.2.26(月)晴れ 目久尻川の護岸工事

目久尻川

目久尻川の護岸工事が進んでいる。サイクリングロードのフェンスができているということは、護岸はこのままで完成か。そうであれば、この土がむき出しのところにはすぐにヨシやセイバンモロコシが繁茂するだろう。この工法がエコトーンに配慮したものかどうかは知らないが、雑草・虫を友とする私にはうれしいことだ。

目久尻川の中流はコンクリをべたっと貼っている場所が少ない。流域が狭く豪雨で雨水が入ってきても氾濫したり護岸を壊したりするおそれがないのかもしれない。

私が遊んでいる神奈川の中流域は草や魚にやさしい工法を取っている。おそらくは昭和にはどの河川も壊滅していたはずで、そうした反省が生かされているのだと思う。

横浜のいたち川は鳴り物入りで整備された。草や魚にやさしいだけじゃなく、見栄え重視なんだろう。小川なのに大きな鯉も泳いでいる。札幌に住んでいたとき、近所の真駒内川も自然河川っぽく改修工事されていた。ものすごく工期がかかり、そこまでやるんかとあきれるほどの手の入れようだった。

私は手間をかけず魚が住める川を造ってほしい。見栄えのしない雑然とした風景でも、防災かつ生物の多様性が守られる河川がいい。


2024.2.28(水)晴れ 見えなかった虫

アザミウマ

春はどんどん進んで私の殺風景な庭でも虫がうごめくようになってきた。主にダニなんかだ。ただし、ほぼ全ての虫が見つからない。草の写真を撮ってあとから虫に気づくという体たらくだ。後から気づくぐらいだから虫にピントは合っていない。ちゃんと撮れていれば何か気づけることもあるかもしれないと残念だ。

写真をモニターで見てすぐに虫に気づけるということは、ファインダーで見ているときにも気づけるはずだ。マクロレンズのファインダーはそのまま虫眼鏡なんだから。

という反省をいかして今日のホトケノザはしっかり撮れた。私の衰えた目もファインダー内に虫がいるのを見逃さなかった。左の花にいるのがそれだ。おそらくアザミウマだろうと、その虫にピントを合わせて撮った。

そこまでは良かったのだが、この写真をモニターでチェックすると右の花の奥にイモムシがいるのがわかった。ホトケノザを食べる蛾かハバチかなにかだろうか。ちょっとがっかり。


2024.3.5(火)くもりのち雨 自在アーム

アザミウマ

春を迎えて庭の草が芽吹いたり花をつけたりしている。このカメラはそうしたシーンを記録するものだ。本体のNikonD300sに改造レンズをつけてスーパーマクロと名付けている。絞り込んで速いシャッターを切りたいから照明は100%ストロボだより。ストロボはSB-29という発光部が2つあるレンズ装着式のもの。フィルムカメラのときから愛用してきた。

改造レンズには発光部が付かないからクリップが活躍する。今回新導入の機材はクリップ付きの自在アームだ。中国製でUTEBETと書いてある。これはレバー操作だけでネジをゆるめてアームがぐにゅぐにゅ動かせるすぐれものだ。去年までは同機能の自作品を使ってきたが、可動範囲が広がり操作性が向上した。

最近こうしたものは中国メーカーが攻めた物を出してきている。日本製の汎用カメラ小物は前世紀からあった。しかし、設計が画期的とは言い難く、低質なわりに高価で、気軽に試せるものではなかった。このアームのような製品は確実にセットすることなど期待できなかったのである。

こいつもゆるみはあるけれど実用内で安価だ。なによりもアームにクリップをつけてくれたアイデアに感激した。

ひとつ問題はある。そもそも庭のスナップにスーパーマクロが必要かということだ。

新芽

この写真は今朝撮ったヤブガラシとおぼしき草の芽吹き。左はオリンパスのコンデジTG-5で撮った。ストロボなしのおまかせマクロでピントも気にせずパシャリ。右はスーパーマクロ。露出からピント、ストロボの角度まで全部マニュアル。撮影時は地面に伏せなければならない。雨の日は服が泥だらけ、濡れた機材が故障するんじゃないかと躊躇もする。

こうしてできあがった写真を比べてみれば、スーパーマクロのほうがちょっと質感はいいかな、ぐらいの差しかない。動き回る虫には機動力があるTG-5のほうが頼れる。

唯一の例外がクロナガアリだ。TG-5ではクロナガアリが撮れない。そしてファインダーを覗いてフルマニュアルで撮ることの楽しみも捨てがたい。庭にクロナガアリがいるうちはスーパーマクロの試行錯誤が続くだろう。


2024.3.7(木)くもり 入門ロード

ウィリエール

河原のヤナギが咲いて境川はすっかり春本番。写真のウィリエールでペダリング練習。ウィリエールは入門ロードはかくあるべしと組み立てているものだ。扱い易くてちゃんと走れる。丈夫で安価。入門用なら10万円で買える自転車がふさわしいだろう。フレームはアルミニウムでコンポーネントはシマノのSORAを想定している。

世の中にはいまだに凡人のためのロードがない。ロードという以上はひよらずに選手と同じ効率的なポジションがとれるフレームにすべきだ。その一方で、競技用のフロントギアは集団走行やスプリントを想定しているので初級者には大きすぎる。フロントが50ー34Tなんてオーバースペックもいいとこだ。

登りでは初心者なら等倍程度のギア比が欲しい、という次第でリアスプロケットが、11ー34Tなんて化け物みたいなのが入門用と称して売られている。そこが最大の不満だ。フロントアウターは42〜44T、インナーは26〜30Tあたりで譲れないところだから、シマノさんにはクランクとフロントディレーラーの再設計をお願いしたい。

私のウィリエールは素人が楽しく走れるように創意工夫している。ただし、サドルのアリオネは初心者には向かないかもしれない。上のカーブがほとんどなくて尻の座りが悪い。初級者にはそれがふらつきになったり、前足に体重がかけられないとピンポイントで座る硬さに耐えられないかもしれない。私は状況によって前に座ったり後ろに座ったりしたいのでアリオネはフィットしている。

ところで、私は一番前にあるペダルを、膝を曲げながら踏み込んでいる。これは間違っている。3時から6時まで膝はどうしたって伸びる。曲げられるわけがないのだ。いつからこんな間違ったイメージを持ったのかは謎だった。それが、昨日「ベルナールイノーのロードレース1989」を再読してて、これだ!っと息を飲んだ。109ページにこんな解説がある。

ペダルは3時を過ぎると後ろに引き上げなければならない。効率を最もよくするには4時からそうすべきだ。4時のときの力は、下と後ろに働く力の合力となり斜めの向きになる。

30数年前、初見で目を疑ったのは言うまでもない。翻訳ミスも疑った。「3時、4時でペダルを後ろに引き上げる」なんてことができるわけがないからだ。しかし、ツール5勝のイノーがこんなあからさまな間違いを犯すからには、そこに奥義があると思った。自転車では論理がじゃまな場合がけっこうある。

試しにペダルが一番前にあるときに、後ろに引き上げる気分になって、膝を曲げて(実際は伸びている)みれば、すばらしく具合がいいことに気づいた。1年も練習すれば力のかけ方もわかるようになり、動作が板についてきた。ペダルを踏むときに腿前筋肉への負荷がない。膝にダメージが来ず、すねの痛みがなくなった。ペダルが下死点をスムーズに通過して引き足が効く。そしていつしか「ありがとうイノー」という感謝を忘れた。

膝を伸ばしてペダルを前に運び、3時には速やかに切り替えて、膝を(気持ち的に)曲げ、太ももを下げ下死点を踏み抜く。この感触は全てのロード初心者に試して欲しいと思う。境川ではこの一番大事なテクに気づいてないロード乗りがいっぱいいる。


2024.3.8(金)雪のち晴れ一時雷雨 水中スイバ

水中スイバ

境川でついに水中スイバ(ギシギシ)を見つけた。写真中央に写っている草がそれ。2株ある。境川で確実と思えるのは初だ。思い起こせば、境川では10年以上も水中スイバを探索していることになる。本命は遊水地公園の湧水だった。

場所は左岸にある畑の細い用水路。利用されることもなさそうな小さな橋の直下にあたる。発見が少し遅れてすでに葉は水上に出ているが、実生であることは間違いないと思う。スイバ(ギシギシ)の芽吹きの季節は水中ではいつなんだろう。地上では春だと思っている。

この水路はちょっとしたものだ。境川左岸にある小高い崖からの湧水を水源として数百メートルにわたって本流と平行して流れる。途中水田に利用されることはなく、ただの排水路になっているらしい。

水質は悪くないようで、水草系はセリやクレソンがある。動物ではアメンボ、カワニナがいる。アメリカザリガニもいるようだが、多くはなさそうだ。ドジョウがいるかもしれないと注意しているけれども、まだ見つかってない。境川本流とのつながりは悪く、魚類は登ってこられないのかもしれない。


2024.3.12(火)雨 Sudoku

土日はバイトで渋谷に通っている。田園都市線だ。電車内ではうつむいてスマホを見るのがマナーといっていい。この1年ばかりはSudoku.comの無料アプリSudokuをやっている。機内モードで楽しめるのでうってつけだ。

Sudokuにはレベルがいくつかあって今は「むずかしい」レベルでやってる。設定は3回お手つきで負け、まちがったら赤字になって教えてくれる。統計を見るともう2000回ほどやっている。ずいぶんやったものだ。勝率は83%。タイムは12分ほどなんで、渋谷までの間に4つほど解いているのだろうか。

数独は20年ほど前になるか、紙の頃にちょっとやったことがあった。書籍バージョンだとけっこう難しくて、「むずかしい」程度のレベルだと1時間以上かかっていたと思う。終盤まで間違っていることに気づかないと大惨事だった。スマホ版の、まちがいはすぐ教えてくれるモードだと圧倒的に時短になる。二子玉を過ぎてから新しいゲームを始めるかどうかはその日の調子による。こんなものでも終点までに解けないとくやしい。かといって電車外では見たくもないゲームだ。

はじめた頃はエキスパートレベルで、何度間違えても負けない設定でやってた。早解きだ。1500個ほど解いて、平均タイムは2分10秒、ベストタイムは1分7秒。1分を切ることを目標にしてたけど、途中でばかばかしくなった。レベルが玉石混淆だからだ。エキスパートレベルでも初級的なものがあり、むずかしいレベルでもちゃんと考えないと解けないものがある。どうやらコンピュータが問題を適当に作っているようだ。書籍版のように問題の人力精査はやってない模様。問題にIDもふられてない。しょせんは暇つぶしの無料ゲーム。

それに、早解きでせわしくタップするのははた迷惑であろう。スピードよりも思考持久力を試すほうがSudokuには合っている。かといってエキスパートレベルでお手つき3回アウトだと勝率は50%ぐらいに下がる。こんなものでも負けると悔しいので、よっぽどのミスがない限り負けない「むずかしい」レベルにした。さくさく解けてもそれはたまたま易しかったから、八方塞がりになっても、それはたまたま難しかったからと、いまでは達観している。シンプルチェーンとかの強力だけど面倒な技は使わない。


2024.3.15(火)晴れ 早春の半原越

半原越

早春の半原越に群青で出かける。写真のようにまだまだ春は浅く木々の芽吹きもあと一歩のところだ。木の芽吹きに先立って咲く花々もある。木の花ではフサザクラにハンノキ。草本ではタチツボスミレがある。毎年たんまり花をつけるヤブツバキは今年も健在だった。

虫の活動はまだ少ない。ルリタテハだけは一回登る間に5頭見つかった。道路で日なたぼっこをしているようだ。春羽化組はルリシジミがいたかもしれない。視界に0.5秒ほどはいっただけでぜんぜん自信はないが、サイズときらめく青色はルリシジミらしかった。

自転車なんでタイムも気になる。12時10分頃にスタートして12時42分頃にゴールなので32分ほどかかっている。いまはもうこんなもんかなと思う。出力ができず息があがらない。速く走れない分、楽になった。20分ぐらいで走っているときは毎回しんどかった。もうここで二度とあんな苦しい思いをすることもないだろうなと思う。ほっとするような幾分さびしいような。


2024.3.18(月)晴れ スイバは誤認

ミゾソバ

強風の中、ウィリエールで自転車練習。先日、左足が下手くそでしかもさぼっていることを再認識したから特訓だ。

8日に見つけた水中スイバはどうしているかといつもの用水を訪ねてみた。小さな橋の下を覗いて、まずは行方不明かと思った。記憶の場所には写真の草しかなかったからだ。これはまったくスイバじゃない。スイバはどこだ?と探すものの、どうしてもこいつがあれとしか思えない。

どうやら少し成長して、この草本来の姿になってきたようだ。葉の形から察するにミゾソバあたりだろうか。

思い起こせば、目久尻川の水中ギシギシは芽吹きが真逆の季節、夏だった。私が見つけているのは全部水中ギシギシ。水中実生らしきスイバは見つかっていない。そのあたりがひっかかりとしてはあった。いくぶんがっかり。

ただこれも何かの縁、このミゾソバ?の成長を楽しみたい。


2024.3.19(火)くもりのち晴れ タンジェントアーク

タンジェントアーク

今日もウィリエールで左足の練習。昼頃からだんだん雲が薄くなる天気だった。低気圧の接近による高層雲はよく発達していた。曇り空っぽいけど道路に私の影は落ちている。

高鎌橋からふと見上げると日暈が出ていた。日暈の上下部分がいくぶん明るくて、下の方は写真のように水平に伸びている感がある。タンジェントアークと言っていいだろうか。

思い起こせば去年は環水平アークをちゃんと見ていない。たまたま見聞録の記録を探ってみても、8月に微妙なのを見ているだけだ。この原因は、環水平アーク日和のときに空をちゃんと見てなかったからだろう。少し反省だ。

微妙といえば、用水脇の草むらの初認花は微妙なものばかりだった。肝心なときに草刈りか何かでいためつけられたものの、その後は水も光もたっぷりあったものだから、ちょっとおませになったのだろうか。


2024.3.26(火)雨 誤りに気づく

たまたま見聞録もアーカイブが溜まってきた。見聞きした動植物をはじめとする自然現象の記録だ。自転車で走っていて、見覚えはあるけれど名前を忘れてるっぽい対象を最初に検索するのはたまたま見聞録だ。

自分の記録ながらおぼろげでしかない。先日、鳶尾山で見かけたルリソウは絶対に記録した自信があった。ちゃんと同じ季節に同じ場所で写真に撮った。が、検索すると出てこなかった。エイザンスミレ?は初見ではないような気がしたが、どうやら初見だ。

そういうぼけも増えてきているが、やっぱり自分の記録はあてになる。そして振り返りたい。

我ながらたまたま見聞録の設計は甘い。年月の表記に欠陥があることはずいぶん前にわかっていた。数年前の記録だと検索に手こずることが増えている。それで、少し手を入れて検索しやすいように改良してみた。

修正作業の過程で、思いがけなく自転車のセッティングやペダリングのことを読み返すことになった。そして、数年前はこんな発想で自転車を組んで走らせてたんだと、あらためて気づくことになった。

今にして思えばそれらは誤りだらけだった。「そんなやりかたじゃあ登れないよ」と過去の自分に教えてやりたい。今やってる回すペダリングならもっとよいタイムを出せたろう。半原越の記録が30秒ぐらい縮んだかもしれないのだ。

というふうに過去の誤りを反省したものの、その誤った努力があったればこその今というのも確かだ。検証に値する理論は必ず更新される。回すペダリングの基礎理論だって破綻に気づく日がくるかもしれない。ケプラーを体系づけたニュートンがアインシュタインによって修正されたように。というほどたいそうなものではないけれど。


2024.3.27(水)晴れ 鯉の季節

鯉の産卵

群青に乗っていつもの境川湧水を覗くとずいぶん賑やかだった。コイが4頭、5頭と集まって岸辺でばしゃばしゃやってる。産卵行動だ。ヤナギの根が水中にはみ出しているような所が産卵にいいらしい。子どもの頃、コイのいる池でヤナギの水中根に透明で大きな卵がたくさんついているのを見つけたこともあった。

このコイたちはサイズからみて、境川遊水地で生まれ育ったものだろう。境川本流から遊水地に流れ込んだコイたちは例外的に命をつなぐことができている。またとない安息の地なのだ。

桜のシーズンは鯉の季節でもある。ちょうどソメイヨシノの咲く頃、ほうぼうで産卵行動を見ることができる。神奈川の中小河川はコイの投棄が一般的だから。ただし、産卵はしててもコイの幼魚・若魚をみることがない。魚なんてものは、卵→稚魚→幼魚→成魚となるにつれぐんと数が減るものだが、境川本流のコイは成魚ばっかりだ。

水中ギシギシ

大好きなコイたちが元気に泳いでいるのは楽しいのだが、ちょっとがっかりするものを見つけてしまった。写真はどうやら水中ギシギシである。雨上がりで増水しているとはいえ、水中実生に間違いないだろう。サイズからみて、少なくとも半年ほどは経っているようだ。これを見つけたくて10年以上、境川で自転車の練習をするたび、ここに立ち寄って覗き込んできたのだ。それなのに、ああそれなのに、決定的な場面を数か月にわたって見過ごしてきたとは。橋直下の死角とはいえ自分がなさけない。近所の用水路でミゾソバに狂喜したばかり。


2024.3.29(金)雨のち晴れ ホソヒラタアブ

ホソヒラタアブ

前線が去って庭に出てみると、カラスノエンドウにホソヒラタアブが来ていた。産卵場所を物色しているようだ。カラスノエンドウの葉の前でホバリングし、葉にタッチする様子を見せる。茎や葉に止まって産卵とおぼしき行動もとっている。

春本番とはいえ私の庭に虫は少ない。ホソヒラタアブはVIPなお客さんだ。カラスノエンドウのアブラムシはずっと探してはいたものの、私は見つけることができなかった。しかしホソヒラタアブを撮った写真にはアブラムシがちゃんと写っている。さすがプロはすごいな。

ホソヒラタアブの卵はわりと大きくて白いので発見が容易だ。すでに何個もカラスノエンドウに産み付けられている。もうすぐ庭が賑やかになる。


2024.4.1(月)くもり晴れ雨 ドクダミ

ドクダミ

この季節になると、庭の草花がしっかり芽吹いてくれるかどうか、いささか心配になる。木本では弱っているものがあり、草本では年を追って衰退しているものがある。ササガヤは今年も繁茂してくれるだろうか。

まったく気遣う心配がないのがドクダミだ。ドクダミは強い草だ。したたかで強い。放っておいても、病気に罹るでもなく日や水に敏感でもなく虫もつかない。今日の写真では植木鉢の真ん中にちゃっかり葉を広げている。こいつは植えたものではない。なにかに紛れてやってきたものだ。

ドクダミは種を作らないらしいから、きっと私が運び込んだものには違いない。ここには2年ほど前にツタバウンランを移植した。そのさいに地下茎の切片がツタバウンランの根元の土に紛れていたのだろう。

強い反面弱いところもある。他の草をかき分けて領地を拡大するのは苦手みたいだ。ドクダミはもともと日本に自生する植物ではなく、薬用・食用に移入されたものだ。わが家でも少しばかり利用している。いまだに生息地は人家周辺に限られ、しっかり繁茂するのに山野に逸出しない。半原越のような大自然では人が入る細道の傍らにこぢんまり生えているだけだ。害草として田畑に侵入することもない。わが家でも、撲滅したくなれば、片っ端からちぎるだけで10年もしないうちに消え去るだろう。

帰化種が問題を引き起こす昨今であるけれど、ドクダミは移入OKの見本みたいな植物だ。控えめで美しく花もかわいい。


2024.4.6(土)雨のち晴れ ヤブガラシ

ヤブガラシ

庭を見回っていて、見慣れぬ雑草が目に入ってきた。一見したところヤブガラシだ。庭にあるギザギザの赤っぽい葉はまずヤブガラシだろう。いまちょうどヤブガラシは冬眠から目覚め、根茎から芽吹いた新芽をいっぱい見つけている。

ただこいつは様子が違う。細長い緑の葉を2枚つけている。その2枚の葉は子葉、私が習ったときは双葉、のはずだ。

となれば、ヤブガラシの実生ということになる。庭でもヤブガラシの花はたくさんある。ただしその花の種を見た覚えがない。ヤブガラシの花は種にならないという先入観から見落としていた可能性もある。

それは迂闊であったかもしれないが、実生があるなら新発見だ。わが家ではヤブガラシは半保護雑草だ。ほかの雑草に迷惑にならない程度に、セスジスズメやアシナガバチなんかが来る程度に、茂らせている。こいつは別格の保護をして行く末を見なければならない。


2024.4.8(月)くもりのち雨 ツツジの罠

ツツジ

庭のツツジがおそるべき罠になっていることに気づいたのは、もう20年ほど前のことだろうか。今朝の定期巡回で、写真のように、ツツジのつぼみに貼りつく小さな虫が見つかった。ハチ、ヌカカ、ユスリカ、アブラムシ・・・というような連中だろう。

ツツジのつぼみにはゴキブリホイホイよろしくかなり粘着性の高い汁がついている。おそらく光合成で生成した糖質であろう。もしかしたらそのネバネバは虫の興味を引くのかもしれない。ただそれを踏んでしまったが最後、逃げることはかなわず命を落とすことになる。

ツツジにしてみれば、ネバネバは単なる排泄物か、良くてつぼみの保護で出している物に過ぎないだろう。せいぜいつぼみから吸汁する虫の防除になっているぐらいだ。それが回り回って小さな虫を殺すことになっている。双方に利益はない。虫は犬死、ツツジはゴミがついて迷惑といったところ。

ただ自然界には虫を捕らえて栄養にする食虫植物なるものがいる。やつらも元はこのツツジのようになにげに捨てた排泄物にまみれて死んだ虫の栄養を利用できるように進化したのかもしれない。


2024.4.11(木)晴れ 偽物ギシギシ?

ギシギシ

自転車の練習をしようと、ウィリエールでいつものルートを行く。目久尻川沿いに相模川だ。写真の場所は混雑した50号線を離れて目久尻川に降りたあたりだ。源流から1kmほど下ったところ。目久尻川は源流からここまでは半分暗渠、残りは落ちたら大けが必至の深いコンクリ溝で、湧水河川とは思えないほど水質がわるい。しかもここは生活排水も入ってよどみ、自然豊かな目久尻川では見応え最悪だ。

今日もなんの期待もなく川面を横目に走っていると、驚愕の光景が目に飛び込んできた。川の中央あたりにギシギシがあるのだ。これにはたまげた。自転車を止めて探すとすぐに3つ(丸囲み)見つかった。

いったいぜんたいどうしたことだろう。見逃したのはしょうがない。ここは普段ノーチェックの場所なのだから。そもそもこんなところに水中ギシギシがあるのはおかしい。

付近の岸にギシギシはたくさんあるので種は供給されるだろう。しかし水質が悪く底床もあやしい。自然石をコンクリに埋め込んでいるみたいだ。こんな所で種が芽吹いて成長できるはずがない。水深は20cm以上ある。ぜったいおかしい。

ならば天空の城ラピュタのようにぷかぷか流れてきてたまたまひっかかっているのか? そのケースは境川で見ている。しかしいっぺんに3つの若いギシギシが流下してひっかかるだろうか? 写真右のほうに写っているのは水中クサヨシだ。こっちなら実生かもしれない。可能性は低いけれども。

ともあれここに入って確かめるわけにもいかない。もし根付いているのなら流れない、ひっかかっているだけなら流れる・・・というぐらいの微妙な増水後にチェックしなければならない。


2024.4.12(金)くもり雨 ヤブガラシではない

ヤブガラシとの比較

6日のヤブガラシが不安になってきた。毎日観察して撮影しているうちに、ヤブガラシではないだろうという疑念が出てきたのだ。

写真左の方が問題の草だが、葉の形が右のヤブガラシとはぜんぜんちがう。ヤブガラシの葉の切れ込みは鋸歯とよばれるものだろうが、不明のほうは欠刻だろう。色つやは似てても形状が違うのだから別種だ。ヤブガラシの種にお目にかかったことがないのだから、ヤブガラシじゃないほうが自然だ。

となると、ヤブガラシ以外の草ということになるのだが、庭の雑草はそう数多いわけでもないのに、こいつに該当するやつの心当たりがない。

成長を待ってその正体を突き止めなければならない。もしかしたら、最初の本葉は形状が違っていて、じつはヤブガラシだったという二重のオチもなきにしもあらずだ。


2024.4.15(月)晴れ 結婚飛行を見逃す

クロナガアリの巣口

朝、庭を回っていると、クロナガアリの巣の異変に気づいた。春になって開けられていた巣口が大きくなっている。面積にして10倍はある。しかも穴は2つ。ただしアリの姿はなく静まりかえっている。

しばらくぽつぽつ出入りする働きアリは見ていた。今年も結婚飛行に飛び立つのかな? と気にはしていたものの、あいにく土日の日中は東京に出かけて立ち会えなかった。思い返せば好天で暖かく風が弱い、結婚飛行日和だった。

私のクロナガアリが結婚飛行に飛び立つのは初めてではない。2021年の5月6日には旅立つ新メスを撮影している。

新メス・オスにとってもけっして楽な旅立ちではないだろう。アリのことで、ほとんどは失敗に終わるはずだ。1匹でも生き残って新しい家庭を持ってもらえればうれしいが、それを見届けることはできない。


2024.4.16(火)晴れ 偽物にあらず

水中ギシギシ

あきれたことに、11日に目久尻川で見つけたギシギシのそばに、まだ水面から葉を出していないギシギシが見つかった。けっこう深い所に根付いて4枚ばかりの葉を伸ばしている。11日にはここが水中ギシギシの生息地だと信じることができず、おざなりの探索だった。とにかく驚いた。

じつは見つかったのはこれだけではない。水上に葉を出しているのはあと3つほどある。偽物どころか、水中ギシギシの楽園といって過言ではない。目久尻川の水底はちょうどもふもふで覆われる季節だから、もしかしたらもっと小さいのが隠れているかもしれない。目久尻川のもふもふは梅雨頃に消える。しばらくここから目が離せなくなってきた。

目久尻川

水中実生を見つけたところから上流を見ればこういう光景になっている。長い暗渠を出ると流れの中央に泥のたまる所があって、ギシギシなんかが生えている。ここに限らず、この上流でもコンクリの割れ目にギシギシは生えている。種の供給は多い場所ではある。

その泥たまりを過ぎると深みになって水が淀む。深みが終わって浅く泥がたまる所が水中ギシギシの楽園だ。

ギシギシのたくましさもさることながら、湧水河川目久尻川のポテンシャルはすばらしい。ここから数キロにわたって岸際の水中に根を下ろすギシギシは珍しくない。流れの中央でも岩や木やゴミが溜まっているところによくギシギシは育っている。

ともあれ私はこの楽園から謎をかけられてしまった。どうしてここにギシギシがあるんだろう。一例では、芹沢川の合流点にあたる三又橋も堰堤下の深みがあって、砂泥が流れたまるところに水中実生が何本もあった。そこに共通点はある。解ける気はしないけど、気にしておれば驚愕の発見があるかもしれない。


2024.4.20(土)晴れのちくもり 美人林

美人林

写真は新潟松之山にある「美人林」。へんてこな名前だけど本気だ。大正から炭焼きで使ってきた雑木林を炭焼きがすたれた戦後に杉林にしようとしたところを、山林の所有者が林として残すことにして今に至るという。関東ではそんな林も少なくないが、新潟あたりの田舎では奇跡的なことだ。残す理由が「きれいだから」というのがまたすばらしい。

私もブナ林はきれいだと思う。解け残る雪の新緑なんて格別だ。ただそういう場所にはおいそれと近づけない。近づけたとしても林の中を歩くにはそれなりの装備と技術を要する。その点、美人林は自動車横付けの観光スポットというのがありがたい。きれいに整備された林床を女房と仲良く散策できる。

新潟に行った目的はブナではなく山古志あたりの山里を楽しみたかったからだ。春はやっぱり雪国がいい。遠目には春霞(近ごろは黄砂という)にけむる色とりどりの山並みがある。足元にはカタクリやショウジョウバカマの群落がありギフチョウが転がるように飛んでいる。クルミ林の小道に分け入れば、そこいらじゅう山菜だらけ。

山菜採りのおばあさんたちとであって、獲物は何かと聞くと、アケビだという。春のアケビはしらなかった。なるほどと落ち葉の地面をさぐれば芽吹いたばかりアケビのつるがごまんとある。その細い茎を煮て食べるのだという。山古志あたりではごく一般的らしいが、私にはめずらしかった。いろいろ興味がわいて話し込んだら、食べてみろと一握りくれた。ありがたくいただいた。


2024.4.22(月)雨のちくもり 数学クイズ

数学

このところYoutubeにはまっている。もとはといえば、フランキーたけさんのペダリング講座からはじまって、各種ペダリング解説の間違い探しなんぞをしていたが、そのうちのもと物理愛とか女子卓球とか、いろいろなものを見はじめた。

それらはいいのだが、今日の写真のように数学の入試問題を引いているものなんかが目に入ってくる。私はクイズが弱点だ。見つかるとついつい解いてしまう。すぐに解けないと答えが気になってしょうがない。なんだか弱みを突かれているようで腹が立つ。なんでいまさら入試問題なんぞを・・・。

写真の問題は、Xが素数なんだから、右辺は自然数を2つ足した奇数でなければならない。奇数ってのは偶数+奇数だから、どっちかが偶数になるためには、p、qのいずれかが2でなければならない。p=2とすれば2のq乗とqの2乗を足して素数になるのはそう多くないぞ・・・

ここまで考えて行き詰まった。この先は鉛筆がないと私には無理だから。解く気が失せても、ときおりふと無意識に考えを進めてしまう。そういう習慣をつけるのが受験勉強の秘訣なので、私のような性分の人間は受験に向いている。ただし頭がいいわけではない。数学は下手の横好きで数式の計算が苦手だ。この問題も思い浮かぶたびにさっさとやりすごして解は得ていない。

解けてないことにひっかかっているものの、動画を再生して解法を見ると負けだ。クイズが弱点という自覚はあるので、歯を食いしばって辛抱だ。そのさいに「これは数学の試験問題だけど、それは見かけだけの数学。数学の醍醐味はない。官僚選抜用クイズに過ぎない」とレッテルを貼って、解きたい自分を抑制する。


2024.4.23(火)くもり 斑紋多彩

テントウムシ

境川にかかる高鎌橋の道ばたにささやかな草むらがある。毎年早春にスズメノエンドウを撮影しているところだ。いまはヨモギの威勢がいい。そのヨモギを見ているとテントウムシが目に入ってきた。ナナホシテントウも混じっているのかと思いきや全部テントウムシだ。テントウムシは黒とオレンジの前翅模様が別種に見えるほど違っている。

はじめは2つ3つだったが、次々に見つかる。交尾しているものも多い。ひと抱えほどの草むらに10頭以上いる。たまたまだろうが、どいつもこいつも模様が異なっている。オレンジ色も黄から赤まである。珍しさのあまり撮っておくことにした。これだけ撮るのに2分ほどしかかかっていない。


2024.4.24(水)くもり雨 保護植物

キエビネ

昨日まではキンランだと思っていたキエビネは去年の春、突然花が開いて何事かと思った。こういう派手で見慣れぬ花がやって来るような庭ではない。

このあたりは20年ぐらいまでは薪炭林が残されていた。キンランが咲いてアブや蝶が飛び交う春の林はとっても気持ちよかった。私の庭も宅地になる前はそういう林だったはずで、その林床に残っていたキンランの種が復活したのだと想像していた。昨日になって植物学者から、キンランではなくキエビネだと教わった。キエビネも近年減っている植物だということだ。

キエビネも庭に来る原因はよくわからない。希になってしまった動植物なんて来るはずがない。近年の開発は急速で半径数百メートル以内にあった林はほぼ消滅している。売り出し中のアメリカフウロとかナガミヒナゲシとか道ばたにたくさんある草なら種が運ばれて来ることもあろう。

キエビネはおそらく人が手入れを怠らない山里の林床環境に育つ植物だろうと思う。庭も草や虫にはできる限り好きにさせてじゃまになったらトリアージをかけるという管理は古き良き日本の山里に近いかもしれない。

ともあれせっかく来てきれいな花をつけるのだから一級保護植物に指定しよう。じゃまになっても抜かない。葉のない冬はまちがって抜かないように注意する。それが一級保護植物。

10年ほど前に指定したセイタカアワダチソウは保護の甲斐もなく絶滅したが。


2024.4.28(日)晴れ 脱皮殻の明暗

脱皮殻

壁にヒラタアブとおぼしき蛹の抜け殻があった。近くにはカラスノエンドウの茂みがありアブラムシがびっしりたかっている。きっとそのアブラムシを食べたヒラタアブがめでたく羽化したものらしい。

脱皮殻

その近くにも脱皮殻がある。こちらのほうはちょっと様子がおかしい。あらぬ所に穴があいている。どうやら寄生蜂あたりが蛹を食い破って羽化したようだ。穴を通して蛹の亡骸のようなゴミが見える。

この寄生虫にはおおよそのアタリがついている。21日に撮影したヒメバチだろう。このハチはよくカラスノエンドウを訪れている。時期からすると、ちょうどこいつの子が蛹になるころで、すでに2つばかり蛹化前の幼虫をみている。どうやらそれら幼虫の親がこの亡骸から抜けたのだ。もしかしたらここから抜けたのはまさにこのヒメバチかもしれない。

ヒメバチはアブラムシをそうとう食ったろう。小さな虫の明暗がかいま見える脱皮殻だ。ただアブラムシはほぼ無尽蔵で、食われて減った感じはまったくない。有翅虫が屋内に飛び込んでいささか迷惑なほどだ。


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