たまたま見聞録
見聞日記 天地無朋


2023.1.1(日)晴れ 1月のジョロウグモ

ジョロウグモ

庭の一角に小さいメスのジョロウグモがいる。しばらく動くところを見ていない。先月からずっとこの体勢だ。足場糸に前脚でぶら下がるかっこうだ。

12月28日の朝にこの姿を見たときは巣の修復をしているのだと思った。しかしいつまでたっても巣はぼろぼろのまま。彼女も動いていない。

ジョロウグモは通常垂直円網の中央で逆さまになって脚を大きく広げ息を殺して待機する。獲物が網にかかろうものなら、音もなくさっと駆け寄り一瞬で仕留めてしまう。そんな気迫はもはや感じられない。

12月になっても私は彼女に期待していた。小さいながら腹が張って体内の卵が成長しているとふんでいたからだ。もしかしたら産卵にこぎつけつけられるかもしれない。行方不明にでもなれば、どこかで卵を抱いているのだと推し量ることもできたろう。

こうなればあとは落ちるのを見とどけるしかない。丈夫な糸にかけられた前足がはずれればそれまでだ。もう幾度かそうして産卵できなかったメスを見送ってきた。

それは残念なことだと思ってきた。ジョロウグモが成長するにはいくらかの虫を仕留めなければならない。その中には道半ばで散った者も多かろう。彼らの命はクモに引き継がれ、クモの子らとして生まれ変わる可能性もあった。いまやその希望は失せた。

ところが、いつからかそんなクモも獲物たちも残念ではない、むしろ幸福なのだと思えるようになってきた。少なくとも私がかってに良い悪いと決めつけることは馬鹿げている。私自身はいまちょうどこのメスジョロウグモと同じ立場にある。将来いいことがあると夢想できることがヒトの素敵な性であるけれど、クモを見ていると、お互いに命の火が消えかかった儚い生物として共に歩んでいるのが現実だという気になる。クモが幸いなら私も幸いなのだ。


2023.1.3(火)晴れ ヨコヅナサシガメの越冬

去年の12月9日に見つけたヨコヅナサシガメの様子を見に行った。あの日は、エノキの幹の窪みに10頭ほどが集合していた。そしてその輪の中にアカボシゴマダラらしい幼虫がいた。そいつも越冬場所を求めて幹を降りていたところ運悪くサシガメの群れの中に入ってしまったようだ。

ヨコヅナサシガメ

今日見れば、ヨコヅナサシガメの数は3倍ほどになっていた。集団も密集感が増している。いよいよ本格的な越冬体勢なんだろう。そしてその近くには餌食になったと思われるアカボシゴマダラ(たぶん)の亡骸があった。あのときの個体かどうかはわからない。やはりやられたんだなと思った。

前回もだったが、今回も撮影しているときはこの亡骸をはっきりと認識できてなかった。それらしき物があるよねってとこでうっちゃっている。いちいち確認するのが面倒なのだ。そして帰宅してパソコンモニターで写真をチェックすると、すぐ近く10cmばかり下にもう一頭の亡骸があることもわかった。この体たらくでは擬態虫の発見なんて無理だな。

ともあれ、ヨコヅナサシガメは計ってか計らずか、いい越冬場所を選んだものだ。アカボシゴマダラとしては予想だにしない不運だろう。

ところでそのエノキはなかなかの大木である。こんな大きな木がアカボシゴマダラを養っていることにちょっと驚いた。アカボシゴマダラの産卵は何度が目撃しているけれど、背の低い木ばかりだった。大木の梢を物色する蝶を見たこともなかった。ちょっと視点を変えてアカボシゴマダラを見よう。


2023.1.4(火)晴れ ミカンの皮

朝、クロナガアリの巣口は薄く霜柱ができていた。これでは地上には出てこないなと自転車の練習に境川へ行った。帰宅して様子をうかがえば、意外にもかなりの数の働きアリが地上に出ていた。気温は5°ほどで動きは緩慢だ。

クロナガアリ

動きのいいやつは何かをあさっている。それが何かはすぐにわかった。ミカンの皮だ。12月に半分腐ったミカンを庭に投げておいた。それを野鳥、おそらくヒヨドリあたりが食べ、皮を散らかしたのだ。それにクロナガアリが目をつけた。クロナガアリもミカンの皮を食べることがわかった。

じつは先日、巣口を覆うようにミカンの皮がひっかかっているのを見つけたが、どうやら巣の中に運び入れようとしたらしい。その皮は幼虫の餌になったりするのだろうか。それとも働きアリたちのおやつ限定なのだろうか。


2023.1.8(土)晴れ 乳房雲っぽい雲

乳房雲

数日前の天気予報は雨、昨日の天気予報はくもり。それらはみごとにはずれ昨夜の雨があがると青空が広がっていた。気温もけっこう高い。

写真は午後4時前の渋谷。青空に乳房雲っぽい雲が出ていた。一見巻雲のような雲だけど、低空にできる層積雲かもしれない。小さい低気圧が南海上にもあるということだから、それに伴う雲だと思う。高空には雲の筋が縦に伸びて、地上までは落ちて来ない雪なのかと思った。

中央林間の駅を出るともう4時半だというのに、昼間のように明るい。まだ日が照っている。あっという間に日が長くなった。少し湿って暖かい空気に春を感じた。この陽気でモンシロチョウが間違って羽化してこないか心配になる。私が気に病むことではないけれど。

朝には外に出ていなかったクロナガアリがいないかと庭を見たが、働きアリの姿はなかった。ここしばらく地上活動が続いているけれど種の採集はできていないと思う。何回かトライしてダメだったら、気温が高くても外に出ないようなメカニズムがあるのかもしれない。


2023.1.15(日)雨 雨のジョロウグモ

ジョロウグモ

最後の1頭になったジョロウグモが巣の補修をした。しばらく垂直円網はつぶれたままで、もうこのまま命が尽きるのをまつばかりだろうと思っていた。

ところが、昨日になって垂直円網をしっかり張り直して、すっかり夏の終わりのジョロウグモだ。きっと金曜からの高温で元気を取り戻したのだろう。またこの冬は冷たい雨が降っていない。そのこともこのジョロウグモの生き残りに有利だったのだろうと思う。

さて昨日からは久々に雨という予報で、彼女の運命やいかにと心配していた。雨風は弱くいたって平静だ。この雨で振り落とされるおそれはないだろう。垂直円網はしっかり粘球がついているとみえ、霧雨の水滴がびっしりついている。


2023.1.18(水)くもりのち晴れ 冬の蚊柱

朝の冷え込みはそれほどでもなく、クロナガアリは元気に活動していた。撮影をしていると運良くアリのそばに小さな虫がやってきた。ヌカカだろうかと思った。ユスリカ、ヌカカの区別はできないけれど、平均棍があるから双翅目にはちがいない。

そいつは私のジョロウグモの最後の食べ物になったかもしれない虫だ。しばらく前にジョロウグモの巣に蚊らしきものがたくさんかかっていた。どうも巣のあたりに蚊柱が立ったようだ。しかし、そのときジョロウグモは食欲もなく、大半が糸にかかったまま、垂直円網は壊れてしまった。

蚊柱

ナカガワで境川を走って、いつもの川岸で休憩していると、目の前に小さな蚊柱があった。ヌカカかユスリカか。庭で撮影したのと同じやつかもしれないと思った。捕まえればわかるとトライしたがだめだった。すばやくつかもうとするとその風でふっと流れてしまう。ゆっくりふわふわしか飛べない虫でも素手では難しい。

ここには夏の終わりから蚊柱が立っている。ウスバキトンボ、赤とんぼがアタックして食べていた。いまはやつらを狙う虫はいない。しばらく眺めていると、ちょっと大きめの虫が混じっていることに気づいた。2本の尻尾がみえる。カゲロウのようだ。真冬にも羽化するんだ。


2023.1.20(金)晴れ クモとアリ

ジョロウグモ卵

庭のアルミ柵にジョロウグモの卵とおぼしきものが見つかった。柵の最上部の横柱の下に産み付けられている。すぐ近くにはハラビロカマキリの古い卵らしきものもあった。虫が産卵するのに適当な場所なのだろうか。鳥の目に死角になるところでもあろう。

気になるのは卵の前にある10個ほどの虫の死骸。アリのようだ。いったい何が起きたのか。

クモにとってもアリは敵にちがいない。かつてはわが家にも肉食性の強いアリがいた。片っ端からアシナガバチの巣を襲って壊滅させたやつらだ。そういう外敵の防除の意味で、卵の前に粘球付きの糸を張り巡らせるのか、それとも自分の食べ物としてアリを利用したものか、それとも私の思いも寄らぬことが起きたのか? なにはともあれ、クモの卵があるのはうれしい。

年を重ねるごとに寂しくなっている私の庭だ。アシナガバチの巣を襲ったアリを最後に見たのはいつの日だったろう。クロオオアリ、クロヤマアリが巣を構えていたのは20年ほど前だったろうか。クモだって、ササグモならば掃いて捨てるほどいた。ハエトリグモはいつでもいた。ハナグモもいた。ジグモも10や20はいた。

いまや、頼りになるのはクロナガアリとジョロウグモになっている。その未来はおぼつかない。私のジョロウグモは孤立群になっているおそれがある。この数年、半径50m以内でジョロウグモを見ない。もし子蜘蛛が飛べないのなら早晩庭から消えるだろう。せめて私の目の見える間はアリとクモぐらいはそばにいて欲しいものだが。


2023.1.23(月)くもり 田んぼ水槽1年経過

田んぼ水槽

「居間に休耕田がある暮らし」と称して田んぼ水槽なるものをやっている。写真は今朝の田んぼ水槽。2021年の冬12月にセットしたもので、1年あまりが経過した。

マツバイ(ヘアーグラス)はランナーを増やして密生し、成長しては枯れを繰り返している。ロタラ(キカシグサ?)はマツバイに遅れて発芽し1年かけてゆっくり育っている。

状態はまあまあ良しだが、今年はコケの発生が多い。ガラス面や水草にゆるく付着するタイプのもので、水槽に壊滅的なものではなさそうだが、景観として良いとは言えない。

去年の変更点は光量を落としたことだ。ガラスに不透明なシートを貼って、朝の太陽光を直接当てないようにした。これまで数年は午前中の数時間は光がたっぷり当たるようにしていたのだ。それとミナミヌマエビを数匹入れてみた。ミナミヌマエビもコケの発生に関与がありそうだが、給餌はしておらず富栄養ではないだろう。水草へのコケの付着をみると枯れた葉、古い葉に集中している。葉の活性とコケの付着はきっと関係がある。

水の透明度は晴れた日のほうが高い気がする。光を落とすとロタラの成長が遅くなった。晴れた日でも光合成の気泡がでない。明るい日差しを浴びてあぶくがぷくぷく出ているのは、それだけで見ものである。光を当てるほうが景観はいい。

有茎草育成の煩わしさは成長速度の速さにある。それを思えば、まったくトリミングもせず、掃除、水替えを週一ペースで維持できる今のセッティングは管理が易しい。だけど水田雑草は元気にのびのびしているところがかわいいのだ。ロタラなら成長が遅く、背丈も低いので光量は増やしても良さそうだ。


2023.1.25(水)晴れ ジョロウグモの死

ジョロウグモ

今朝、生き残っていたジョロウグモがぼろぼろになった巣にからまってこと切れていた。これは予想していたことだ。

昨夜は風が強く未明にはぐんと気温が下がった。スイレン鉢は厚く氷が張って、カタバミは昼になっても葉を閉じたままだ。

私のジョロウグモの死因は凍死だろうと思う。ジョロウグモはもともと冬を前に死ぬ運命にある。低温対策はないことだろう。虫によっては体が凍らない、凍っても死なないものがある。ジョロウグモの卵はそうなっているかもしれないが、成虫はだめだ。しかもこいつはおそらくひと月何も食べていない。おそらく低温で体が動かなくなり、氷点下になって体が凍り安らかな眠りについたことだろう。

この冬はかなり暖かかったこともあり、私のジョロウグモは長生きした。生きたからといってなんの希望もないことは私の目からは明らかだった。でもまだ生きてる、今日は網を張った、足が動いている・・・と毎朝見ているうちに、おのずと彼女の命を自分と重ねるようになっていた。

つきあいが長くなると虫けらもかわいくなる。情が移っても死んだ虫は放置することにしているが、こいつばかりは弔わずにいられなかった。


2023.1.26(木)晴れ 境川のヨシ

宮久保橋堰堤

写真は宮久保橋の堰堤。ちょうど水中オオカワヂシャが大繁茂しているところだ。そして画面中央にある長い葉の水草が私的にナゾノクサ化している。

数年前に見つけたとき、ミクリ的なすばらしい水草ではないかと思った。それはまあ違うよねってことで、イネ科っぽいから水稲ではないかと思った。それもまさかだ。ではなんだろう?ってことになってきた。

境川を探してもここの他に自生地がなくらちがあかない。他の河川ならと近所を探索した。そして引地川、蓼川などでの観察例から、もしやヨシの水中態か? ということに思い至った。

それは確かだという確信はあるもののちょいとした懸念もあった。宮久保橋の付近にヨシが見あたらないのだ。周辺にないものが堰堤に突如出現するのは奇妙である。

吉原

私が普段サイクリングしている境川の246号線から下流でヨシの大きな群落は一つだけ知っている。この写真の場所だ。日影になっている境川の土手から撮影した。ここはヌマガエルが多産する特異点、おそらく休耕地だ。ここは20年ばかりヨシ原になっている。この付近はもともと境川の流路と氾濫源だ。氾濫源は主に水田だが草ぼうぼうの休耕地も多い。だがそこにヨシはない。川の堤防に近いところはほぼ確実にオギ原だ。ヨシは豊富な水と泥が長期にわたって維持されてはじめて繁茂できるようだ。

ここのヨシの種が宮久保橋の堰堤に飛んでいって芽吹いたのか? それはありそうもない。というのは、ヨシ原は宮久保橋から5キロほど下流にあるからだ。では上流にあるのか? と思いめぐらせて町田駅の上流にある河原で見た記憶を探り当てた。ただし手にとって調べたわけでもなく、そもそもオギとヨシの区別もちゃんとできないから不確かだ。

というわけで今日は町田まで遡ってきた。246号線から上流は水草の不毛地帯だ。流れにはオオカワヂシャすら見あたらない。それであまり川を覗くこともしなかった。あらためて見回っても246号から上流にヨシは多くない。片山右京さんの話によれば、前世紀の中頃は町田にも立派なヨシ原があったらしい。ただそれも、河川がまっすぐに改修され、コンクリートで立派に護岸されて消滅したはずだ。

ヨシ

この写真が記憶の場所にあたる。町田駅からちょっと上流にヨシの群落が少しだけ残る。100%の自信はないが写真のものがヨシだと思う。宮久保橋から10キロほど上流になるが、こうした所から種が流れて堰堤で芽吹くことはありそうに思う。

もしかしたら境川には前世紀以前の数百年にわたってまかれた無数の種が蓄積されており、それが川の流れで運ばれ、堰堤という特殊環境で根付くのかとも思った。堰堤は、浅くて流れが速く、種がひっかかるところだ。いま宮久保橋付近にある2つの堰堤にヨシ?がある。それらと同タイプの堰堤は246号線から上流にはない。そんな特別な環境が水中ヨシにあってるのかもしれないのだ。

ヨシ

そんなこんなで普段は見物しない町田の境川をゆるゆる走っていると、写真の光景が目に飛び込んできた。どうってことない河原だが、なにやら緑色の草がある。なんだ?と注視すれば、それには若いヨシの特徴がみとめられる。ヨシだろうか? 私はそういう形の草でヨシ以外のものを知らない。その草は100mほどの長さで河原を覆っている。

町田から大和、藤沢にかけて、こんな感じの河原はいくらでもある。河床が重機で掘られ均された跡が歴然の河原だ。そんなところにヨシはない。せいぜいがオギである。なぜここだけにこの草があるのだろう。たまたま20年ほど人手が入っておらず、ヨシが遷移競争に勝っているのだろうか。ヨシでなければいったい何者だろう。水草探検は境川のような単調な河川でも一筋縄ではいかない。


2023.2.2(木)晴れのちくもり 引地川のヨシ

引地川

宮久保橋の堰堤にあるナゾノクサが気になって写真の引地川に行ってきた。ナゾノクサはヨシではないかと予想しているから引地川ならヒントが得られると思ったのだ。引地川は湧水河川で雨水の流入によって富栄養になっているものの、カナダモ、オオカワヂシャなどの水草がそれなりにある。写真のようにヨシも多い。

今は真冬でヨシはみな枯れている。ナゾノクサがヨシなら、きっと水中にあるから枯れないのだ。ならば、枯れヨシと緑の水中ヨシのコラボがあればナゾノクサの正体が判明するはずだ。

引地川

引地川では源流に近づくにつれて、写真の水草が目立つようになる。これは何者か? これがヨシだと予想して引地川に来たのだが、宮久保橋堰堤のナゾノクサとは形状が異なる。葉が広いっていうのが一番のちがいだけど、直感で別種のように思う。さらに、この手の水草は境川には全くない。

引地川

こいつの近くにはヨシもあるので、こういう写真も撮ってみたがだめだ。いわゆるヤラセだ。手前の枯れヨシと奥の水草は無関係だと、撮った本人がよくわかっている。むしろ水草群落のなかからは枯れガマが立ち上がっていたから、ガマのほうが近いぐらいだ。でもガマやマコモではないと思う。こいつはコウガイセキショウモ的な真性水草なんだろうか。

引地川

引地川には緑のヨシもあった。水中からの実生のようで、水草っぽいヤツもある。この存在は予想どおりだ。水中ヨシは冬期も枯れない。

ただ真に狙っていたのは、枯れヨシとそのヨシに連結している水中ヨシだった。こいつを見ながらよくよく考えてみると、枯れヨシの群落で水中だからといって青々したものが混じっているはずがない。大人のヨシは秋に一仕事終わって、来る春に向けての準備中だ。

青いヨシは別種か、ヨシだとしてもきっとまだ子どもなのだ。とにかく何が何でも成長して根を張り空に伸びたい。寒気に当たって枯れてもそれまでのことだ。若いうちは捨て駒としての無茶もアリ。仲間は無数にいるのだから可能性があればチャレンジだ。

結局、引地川ではヒントは得られなかった。空中ヨシと水中ヨシのコラボもあったけれど、葉の形状が違う。形が違っても同種の可能性はあるけれど、現状でその仮定に意味はない。自己欺瞞のご都合主義というものだ。


2023.2.3(金)くもり 蓼川のナゾノクサ

どうやら宮久保橋のナゾノクサはヨシではなさそうだということで、蓼川に行ってきた。近所にある私的水草大産地だ。

蓼川

写真は蓼川の源流、テレビ的には最初の一滴が生まれるところだ。蓼川はこの先、墓場、軍隊のゴルフ場、工業団地、軍隊の飛行場を流れて、おいそれと近寄れない。最もいいはず所に近寄れないのは残念だけど、引地川と合流するところから綾南公園と公園上流の堰堤までは自転車横付けで観察できる。

蓼川

引地川になかったのは、写真の2種類だ。特に画面上の葉が小さい大型水草はなぜか引地川にない。引地川と蓼川はつながっており。地質、水質も似たようなものに見えるのになぜか私的に蓼川の特産だ。

ただし、それが宮久保橋堰堤のナゾノクサとは思えない。ナゾノクサに近いのは左下のやつだ。引地川のヨシ?と間違った水草に似ているけれど、大きさと葉の形状がちがう。ヨシ?は葉の枝分かれがはっきりせず先が丸いが、こいつは枝分かれが多く葉先がシャープだ。私は別種だと思っている。こいつの正体がわからない。

ちなみにその右はオオカワヂシャ。友情出演といったところ。

蓼川

こちらは蓼川の堰堤。既視感バリバリの光景がある。主役になっているのは、先の写真で上に写っていた水草だ。課題の左下の水草はこの写真下の方にそれらしいのが一つある。もちろんオオカワヂシャも友情出演している。

大型水草の引地川のヨシ?はみあたらない。このすぐ上流下流には大繁茂しているから、堰堤は苦手なのかもしれない。この点からも宮久保橋堰堤のナゾノクサの正体からヨシ?は除外される。ヨシ?の若いヤツだった、というどんでん返しがなければ。

さて問題になるのは、内輪でナゾノクサに一番近い葉が中ぐらいサイズの水草の正体だ。

マガモ

もしこれが水中気中の二刀流の草であれば、この写真のものに違いなかろうと思う。カモの奥、コンクリ護岸にしがみついている草だ。こいつだとすれば、きっと多摩川の元祖ナゾノクサと同種だろう。カヤツリグサとかオニナルコスゲとかとんちんかんな同定をした旧友だ。

おそらく多摩川丸子の堰堤にあの草はもうあるまい。それが回り回って境川の堰堤に水草として登場したとなったら素敵だぞ。


2023.2.6(月)晴れ 芹沢川

ナゾノクサは目久尻川にもあるから、今日は目久尻川を見てきた。ついでに目久尻川の支流の芹沢川も見回った。そして驚いたことに水中ギシギシ(スイバ)を発見した。

ギシギシ

これを見つけたくて近所の河川を探し回った。境川遊水地の湧水なんかは週1ペースで10年は覗き込んだろう。

芹沢川のこの場所に来た目的は、ニセのナゾノクサだった。それが偽物だとはっきりさせたくて訪れた場所だった。その点では外道であるが、期待しないときにひょっこり現れるってのがまたいい感じだ。さあこの先どれだけ成長してくれるだろう。目久尻川本流にあるひと抱えの大株になるだろうか。

キャベツ

さて発見場所は川の源流にあたる芹沢公園だが、そこには妙なものがセットされていた。野菜が針金に通されて数珠つなぎに沈められている。これが5つばかりある。初見では、誰のいたづらだろうひどいなと思った。

いたづらにしてはいくらなんでもイミフすぐる。この地方の豊作を願う立春の風習かもしれないと思い直した。

立て札

まあ、水中ギシギシという望外の収穫もあって、気分良くその場を立ち去ろうとしたとき、写真の看板が目に入ってきた。蛍を育成しているということだ。

瞬時に水中野菜の意味がわかった。あれはカワニナの餌である。河川の人気者は魚では鯉、鳥ならカワセミ、虫は蛍と相場が決まっている。芹沢公園でも、カワニナや蛍の放流事業があるのかもしれない。

立て札

場所はこんな感じだ。ここでなら蛍が生育する最低限の環境はありそうに思う。しかし、この写真の下流は目久尻川までコンクリ護岸がしっかりしているので、ここから下った幼虫は死ぬだろう。また、ここから直ぐ上流は暗渠になり、暗渠の先は雨が降らないと涸れ川になっている。蛍の多産する川にしたければ、どれだけ上流の産卵場所と下流の蛹化場所を確保できるかにかかってくるだろう。

そんな蛍の心配をしてもしょうがない。それよりもせっかく根付いた私の水中ギシギシの明日を思って暗澹たる気分になった。私のギシギシは余命いくばくもないだろう。蛍の飛ぶ6月までには景観を乱す雑草として駆除されてしまうに違いない。

ギシギシ

命あるうちにせめてと思って水中の写真も撮って置くことにした。しっかり砂泥に根を下ろした実生という証拠写真だ。根元にかかっている枯れ葉をどけると、カワニナがぽろりとこぼれた。まあ君は君で蛍に食われてやってくれ。


2023.2.7(火)晴れのちくもり 目久尻川のナゾノクサ

目久尻川

写真の目久尻川は水質良好で自然豊かな川だ。各種河川雑草が豊富でカワムツなんかもいる。主としてギシギシの生息状況を見たくて定点観察してきた。

写真中央にナゾノクサらしい草が生えている。目久尻川のこのあたりは遊水地になっていることもあって流れに近寄りやすい。身体能力の落ちた老人でも怪我する心配なくするする降りることができる。

目久尻川のナゾノクサ

上の写真中央にある草の茂みは、近寄るとこんな感じだ。川の中にあるのが私のナゾノクサ。ここの流れは浅く速い。河床はコンクリートで浅く砂泥が堆積している。

手前の河原にある雑草が、ナゾノクサが陸上で育っているものだと思っている。見るからによく似ているから。この草は目久尻川に限らず、私が見ている河川ではどこにでもいる。

これほど都市河川に適応している雑草はないんじゃないかと思える。河川だけじゃなく道路や畑の脇にもいる。

葉

暖かい水の中に手をいれて、葉を1本取り上げた。陸にあるものと並べてみればやはり同一だ。中肋が太くしっかりしている。ちなみに蓼川特産の葉の小さい水草は中肋があまり発達していない。

指でなでた感触もよく似ている。先端から元のほうになでると気中葉はざらざらしたひっかかりがある。水中はそれほどではないにしても、やはりひっかかりがあった。

境川ではナゾノクサは宮久保橋付近の堰堤に限定されているが、目久尻川ではコンクリ河床以外でもぽつぽつ見られる。いずれも瀬になって浅く速い流れの所だ。安定した水量・良好な水質で目久尻川に軍配が上がっているのかなと思っている。

写真は芹沢川の目久尻川合流点付近だ。芹沢川はここから数百メートル上流からはじまる湧水河川。はっきりした泉はなく、護岸にところどころある裂け目から地下水がわき出している。合流点から20メートルほどにわたってナゾノクサが群生している。私が知る限りでこの場所がナゾノクサ最適地だ。川のほぼ全域がコンクリ護岸で流れは浅く速い。魚類やザリガニの生息にも適さない。まさにナゾノクサのためにあるような川だ。


2023.2.12(日)晴れ 目久尻川下流のナゾノクサ

目久尻川

冬だから日々水草観察だ。ツーリング仕様のナカガワで一級河川目久尻川の河口から源流までサイクリング。目久尻川は住宅地の湧水にはじまり相模川に合流する。水質はすぐに並となって中流からは水草がない。ナゾノクサ的なものがある区域はごく短い。中流以降にあるのはカナダモぐらいだ。

そしてナゾノクサは写真のような環境限定になる。流れているのは雨水ではない。崖から湧いた水が本流に落ちているものだ。目久尻川ではこうした流れがいくつもある。

この光景は既視感バリバリで胸熱だ。まさしく多摩川丸子の堰堤ではじめて見たナゾノクサだ。その名を知らぬまま四半世紀が経過した。この手の雑草の同定は最高難度になる。種名を知りたくとも、私の手には負えない。

目久尻川

今日はナゾノクサの花らしきものが見つかった。さすがは泣く子も黙る一級河川である。探索はしてみるものだ。

この感じでは、私のナゾノクサは多年草で、株が大きく育つと秋に花をつけるようだ。

サスケでは「猿飛とは人の名ではない。猿飛の術を使う者はみな猿飛なのだ。」と定義されている。それにならって「ナゾノクサとは草の名ではない。堰堤環境で水に浸かって生きる草は全てナゾノクサなのだ。」とうそぶいているが、ある程度は種名も絞っておきたい。花はその大きな手がかりだ。


2023.2.15(水)くもりのち晴れ 三役そろい踏み

世の中はすっかり春気分で、クロナガアリもいつの間にか巣口を開けていた。そして久しぶりに冷え込んだが、地上活動をしていた。クロナガアリは地面が凍るほどでなければ冬でも地上に出てくる。

冬は水草観察の好機だ。今日は境川。自転車に乗れば風が冷たい。春の陽気に体が甘えてしまったのか。

境川

写真は境川の河原。この辺のどこにでもあるどってことない河原だ。ただ、水際には私が思い入れしている3種の雑草がたまたま並んでいる。下流から、オオカワヂシャ・ナゾノクサ・ギシギシ。昨日の夕方に見つけた三役そろい踏みだ。こういうものでも撮れるうちに撮っておかないと消えてしまう恐れがある。

じつはこの河原はちょっと特別で、人工的に造られたものだ。ここは夏まで護岸工事がはいっていた。河床は掘り返され埋められ河道がかわった。この河原はいったん更地になったものだ。そこにいち早く根を下ろしたのが私の愛する3種のパイオニアだ。

3種とも水辺の陸上で育つ雑草だが、水中のもある。おそらく水没したままでは本来の生き方はできないだろう。それでも、成長して水面から顔を出す日を夢見て生きる。とってもけなげだと思う。

3種には水耐性の強弱がある。私の見立てでは、オオカワヂシャ>ナゾノクサ>ギシギシだ。

オオカワヂシャはけっこうな濁り水にもいる。境川の深いところにも、浅いところにもいる。一番好きな場所は堰堤みたいだ。ただし根ばりは弱く、ちょっとした増水で流される。増水しなくても自身の成長による水圧を受けて流れることがある。ナゾノクサは場所を選ぶ雑草だ。濁り水に強いけれど堰堤以外にはいない。浅くて速い瀬の中でしか生きられない。人工的にコンクリが貼られた堰堤のような所がその条件を満たす。ギシギシは極浅い所で芽吹いて定着することができる。生きるには速やかに水上に出る必要がある。水辺だと大株がある。根が水没するぐらいの場所がいいみたいだ。透明度の高い湧水では、水中でも大きい株になるらしい。境川にそんなギシギシはいない。じつは私は水中ギシギシで数十枚の葉を持つ株を見たことはない。

境川を眺めながら、サイクリングを続ける。気づかなかったが、境川にもささやかなヨシ群落は全域にある。サイズが小さいのでオギだと思い込んでいた。

今日は普段行かない藤沢の御殿橋まで足を伸ばした。そこにある堰堤をチェックするためだ。これまで水草を見た覚えはないが、もしやということもある。そのもしやが功を奏してコンクリに貼り付くナゾノクサ水中型が見つかった。オオカワヂシャがないのは水量が多く流れが強いためだろう。

望外の発見もあった。堰堤の脇に自転車を止めると目の前に大きなヤドリギがあったのだ。これには驚いた。ケヤキの大木にヤドリギはよくあるけれど、手の届くところにあるとは想像だにしなかった。探索はしてみるもんだ。


2023.2.16(木)晴れ 冬のオオカワヂシャ

境川

冬でも境川のオオカワヂシャは元気いっぱいだ。堰堤だけでなく、写真のような瀬にも繁茂している。水中にあり、水上にもある。写真の場所は、通年のチェックを怠らないオオカワヂシャポイントだ。

このポイントは境川の中流にある新道大橋の下流だ。コンクリートのブロックが敷かれちょっとした瀬になっている。コンクリートブロックには藻もコケも生えオオカワヂシには定着しやすい環境だと思う。

境川では稀だが、湧水河川のオオカワヂシャは冬でも薄紫の花をつけている。成長もしているようだ。そういうところでは夏の花もあるから、オオカワヂシャは多年草で、季節の移り変わりを気にしてないのかと思う。ただ一か所、その例外がある。

境川

この写真は、境川遊水地公園の鷺舞橋から撮った。遊水地の中に湧水があり、公園の池に流れ込んでいる。底はコンクリートで泥が薄く堆積している。そこにオオカワヂシャが繁茂する。緑のぽつぽつがオオカワヂシャの新芽だ。

オオカワヂシャは毎年晩冬に芽を出す。春から夏にぐんぐん成長して盛夏に花をつけて枯れる。秋には遅れて芽吹いたミゾソバなどがこの場を席巻し、初冬には全部の草が枯れてがらんとする。

10年余りここの遷移を見ているけど毎年同じようなことが繰り返される。他所では秋でも冬でも威勢のいいオオカワヂシャがどうしてここにはなくなるのか。なんで一年草のようなふるまいになっているのか。ちょっと不思議だ。


2023.2.17(金)晴れ バンドオブホールズ再び

小鮎川の河床にすり鉢状の穴がいっぱいあいているのを見たのは、去年の2月28日のことだった。南米の謎遺跡にあやかってバンドオブホールズとよんでいる。

荻野川

川の穴なんて、なんかのまちがいでできたんだろう、どうせ原因なんてわかりゃしないからとスルーして1年がたった。そして今日、カワムツでもいないかなと荻野川縁をのんびり走っていると、写真の光景が目にとまった。

泥が堆積して浅くなっている河床にぼこぼこ穴がある。これはあのバンドオブホールズではないか。小鮎川に続いて荻野川にもできるのか。しかも同じ2月で河床の感じもよく似ている。これはたいへんと小鮎川の去年の現場に足を伸ばした。

小鮎川

小鮎川にかかる飯山温泉の赤い欄干橋から覗くとそこにやはりあった。それほどはっきりしたものではないけど、私の目には見える。ここから上流にも100メートルほど続いている。去年と同じ感じだ。さあこうなるとちゃんとした原因があるはずだ。

昨日のこと、境川遊水地公園のオオカワヂシャのわきでコイが採餌していた。底に溜まる泥に顔をつっこんで何かを探している。現地育ちとみえる若い個体だ。貝とか虫とかのベントス狙いだろう。

境川

そしてコイが掘った痕はこんな感じで残っている。こりゃまるでバンドオブホールズだと感心したばかりだ。ただし、コイの活動痕跡は小鮎川のものに比べるとずっと小さいものだ。去年見たバンドオブホールズは生物由来のものではなく、砂泥と水流が偶然奏でたハーモニーなんだろうなと昨日は思った。

じつは荻野川のものをちゃんと見ようと対岸に渡って覗き込んでいるとそこに、大きな2頭のコイがやってきた。さては掘るか? と期待したがなにも起こらなかった。


2023.2.19(日)くもり ホタルの里のナゾノクサ(小)

荻野川用水

蓼川に繁茂する小ぶりな葉のナゾノクサは、もう一か所、荻野川にそそぐ湧水の用水路にもある。写真がその用水路だ。ホタルの里と題してささやかなホタル養殖事業も行われているようだ。

荻野川用水

水中にカメラを沈めてみるとこんな感じだ。澄んだ流れに水草の葉が揺れる。この雑草も私のナゾノクサと同様に本来は陸生のものだが、湧水では水草になる。全体の感じでは蓼川のものと似ているけど、いくぶんこちらの方が小ぶりだ。この手の型で水中でも育つ雑草はいくらでもありそうだ。

荻野川用水

葉はこういう感じ。中肋がはっきりしていない。その点では蓼川のものに似る。水面の葉は水をはじいて浮き上がる。この点でも水中は仮の住まいなのかなと思う。

荻野川用水

カメラを沈めた近くには、コンクリ護岸に貼り付くようにその草が育っていた。水面を浮くように成長し、根を水中に伸ばしている。小ぶりなアシカキっていう感じだ。

荻野川用水

本来の生息場所を見ようと岸のほうを探ってみると、それらしい草むらが見つかった。どうもこの写真の中央にある水たまりの周囲に生えているのがそれのようだ。明るい水辺を好むのだろう。蓼川のものとは種類が違うとしても同じように生育している雑草だろう。

この手のナゾノクサが繁茂する流れは限られている。私はホタルの里と蓼川以外は知らない。蓼川はそれほど澄んだ流れには見えない。目久尻川や引地川は立派な湧水河川で、水質で蓼川に劣っているとは思えない。この草の生育条件は満たしていると思う。でも、流れにはいない。それはきっと川べりの環境のせいだろうと思う。

目久尻川や引地川の流域は、住宅地と畑、水田だ。蓼川の上流域は広くアメリカの飛行場、ゴルフ場として利用されている。雑草は刈り込まれるが地面は安定しているだろう。日も良くあたる。こんな芝生的な雑草は駆除されることもなくのびのび育つはずだ。外国の雑草も侵入しやすいだろう。


2023.2.20(月)晴れ 境川の本気

境川

自転車に乗って境川にでると、いきなり写真のような光景が目に入った。水中ギシギシである。境川の本流でこいつが見られるとは思ってもみなかった。なんでこいつを今まで見逃していたのだろう。

生えているのは、ヨシが育つごく小さな中州っぽい所で、下流に土砂が溜まっている水底だ。そういう所ならギシギシの種が芽吹くのかもしれない。こりゃ成長が楽しみだ。

それにしても境川のやつめついに本気を出してきたな。やればできる。これぐらいのポテンシャルはあったのだと、気分良く自転車を走らせた。

白旗で折り返して北上。ふたたび水中ギシギシが近づくにつれて疑念がわき起こってきた。本当に根付いているのだろうか。土手道から見えないところでもなし、私ほどのプロフェッショナルが気づかなかったって変じゃないか。この目はそこまで腐ってないぞ。ここはもうちょっと確認しておく必要があるな。近づけない場所でもない。飛び石を使えば数歩だけ水に浸かれば手が届くだろう。いや靴を濡らす前にコンクリ護岸を降りてみよう。

近づけばすぐにその正体が判明した。手に取るまでもない。ギシギシは天空の城ラピュタのように水に浮いていたのだ。ヨシが水中に伸ばした根茎にひっかかって留まっているだけだ。実生ではなかった。

ぬか喜びは残念ではあったが、境川本流で水中ギシギシは無理という私論が反証されたわけではないから、ヨシとしよう。などとぶつくさ考えながら写真をとっていると、オオカワヂシャが川流れしてきた。春本番をむかえた境川の風物詩だ。ギシギシもこんな風に流れたんだなと感慨深く眺めていると、間髪置かずにナゾノクサまで流れてきた。オオカワヂシャはともかく、こいつまで流下するのは珍しい。私ですら初めて見る光景だ。

ギシギシとヨシとオオカワヂシャとナゾノクサがそろい踏みして私の誤認を注意してくれたんだろう。やっぱり境川は本気を出しているのかもしれない。好きだぜ境川と川沿いを北に向かって走って気づいたら八王子だった。


2023.2.21(火)晴れ 6つの水中ギシギシ

水中ギシギシ

完全な水中ギシギシ(スイバ)が見つかった。しかも6つ。写真に白矢印をつけたのがそれ。場所は芹沢川の河口。目久尻川との合流地点だ。国交省的には目久尻川かもしれないけれど、水はほぼ芹沢川のものなので、芹沢川という。

そして、あえてこれを完全と言おう。流れは深く1年以上枯れていない。水深の変化もあまりなかったはずだ。まわりには、ナゾノクサや真性水草のカナダモがある。ざっと6株見つかったことが偶発事件ではないことを示している。確実に河床から芽吹いて成長しているギシギシだ。これを見つけたくて近所の流れを定点観察してきたのだ。

水中ギシギシ

始まりはこの写真だった。1989年8月12日の撮影だ。雑草が水没したわけでもなく、なんだか珍しい光景だなと「写るんです」でスナップしたものだ。場所は愛媛県八幡浜市(当時は保内町)川之石の用水路だ。ゴミだらけだが流れはきれいで、水草がびっしり生えてメダカが群れをなしていた。そのころすでに八幡浜市は全域で水田やレンコン畑が消え千丈川の流域はメダカの生息すら怪しかった。

この水路が好きで高校時もよく覗いたが、水草はオオフサモとクロモ(おそらくカナダモ)しか記憶になかった。撮影時も水草の知識は乏しかった。写っているのはヤナギゴケ、ヤナギタデ、ミズハコベ、オオフサモだろうか。それらの中でアマゾンソードみたいなものが一番気になった。アクアリウムをやっててアマゾンソードはうまく育てることができなかったからだ。同じ形状の草が用水路にあるのがすてきだった。

アマゾンソード似の草なら、ギシギシ、スイバがある。子どもの頃から遊び相手にしてきた雑草だ。スイバは囓ると酸っぱさがちょっとおもしろかった。けっしてうまいものではなかったが。きっとスイバが水中化してるんだろうと当たりをつけた。どんな環境で、どんな条件ならそんなことになるんだろうと不思議だった。

もともと川が好きで、水さえ見れば覗いていた。子どもの頃、家の前後!の川に水草はなかった。水草がある流れがあればいまだにテンションマックスだ。水中スイバの探索はそのついでみたいなもの。前世紀は水草の情報なんて得られなかった。湧水河川とか湧水用水路の情報も得られなかった。それっぽい水を覗くことしかできなかった。たまたまの見聞で運任せの遠回りな四半世紀だった。

さあ芹沢川のこの6本はこの先どんな成長を見せてくれるだろう。増水の夏場まで元気に生き残ってくれるだろうか。今日見てきた芹沢公園の株はすでに葉がちぎれ息もたえだえだった。


2023.3.6(月)くもりのち晴れ 啓蟄

今日は啓蟄。ちょっとうかれて群青ででかけることにした。群青は久々だ。このところツーリング仕様のナカガワばかりだった。出発前に9段仕様を10段にもどした。9段にしておくメリットがないから。

一歩踏み込むだけでナカガワとの違いは歴然だ。群青は小鳥が跳ねるようにひゅんひゅん進む。この感触は久しぶりで、やっぱいい自転車だなと思う。チタンフレームが独特の乗車感をもたらすのだろう。ホイールも上等なC24TLだ。

まずは鳶尾山へ。タイムを計ってみることにした。鳶尾山のコースは斜度の緩いところの舗装がぼろぼろでタイムが欲しいときはいらいらしてきた。その舗装が部分的に修復されている。こりゃいいなと走っているとタチツボスミレが目に入ってきた。3日前にはつぼみも見ていない。早いもんだなと先を急いで10m先で思い直し、引き返して撮影することにした。

タチツボスミレは春に探している花だ。ここのところ春一番の記録は鳶尾山になっている。撮って坂を下る。やっぱりタイムも計っておきたいから。

ストップウォッチを押し直してタイムは10分5秒。平凡だけど、前回のナカガワよりも1分早い。重量差3kgだからそんなもんだろう。息があがらない程度に力も使ったが、感覚的に群青の方が登りTTにむいている。登りたくなる自転車だ。

相模川にでると大根畑でモンシロチョウを見つける。さすが啓蟄だ。春のモンシロチョウは私にとってキングオブちょうちょ。これが飛ぶと春本番だ。ただ今日は気温が低く日差しも弱い。虫はあまり見かけない。ハエもアブもハチもいない。


2023.3.14(火)晴れ 春の半原越

清川村

花粉が恐い。湘南でお茶をにごすか・・・と群青で出かける。どうも先日から出ているチェーンあたりのカシカシ音が気になる。チェーンの交換で済むだろうか、リアスプロケットだと面倒だな。

自転車の不調はともかく木々が萌えて季節は絶好調。中津川に出ると、えらく視程がきくと気づいた。昨日の雨と今日の北風がよかったのだろう。春にこれほど遠くの山が見えるのは、年一回あるかないかだ。黄砂が来なくても杉の花粉で山は霞む。

こうなるとお茶を濁してはいられない。半原越だ。杉の木は手ぐすね引いてまっているけど、花粉症なんか気にしている場合ではない。半原越から望む丹沢の奥山にはブナ林がある。ブナは春一番に新緑になる。新緑のブナ林は春最高級の見ものだ。視程がきけばブナが見える。

半原越は例年どおりの春をむかえている。去年見つけたヤブツバキは満開だ。キブシはまもなく盛り。前回に見たフサザクラはすっかり葉桜だが、ちょうど盛りのものもある。道路には毛虫のような花が落ちている。いつも名前が出てこない木の花だ。やはり今日もあれが出てこない。苦労してハンノキを思い出した。

肝心のブナの芽吹きはまだだった。一週間ぐらい早いのだろうか。視程がきかねばブナの新緑なんて判然としない。チャンスが限られ難しい見ものだ。例年ヒットできるものでもなく、何月何日ごろというのが未だにわかっていない。

年を追うごとに減る印象がある半原越の虫だが、彼らの活動がはじまっている。今日はテングチョウが多かった。そしてアカタテハ。羽化組ではヤマトシジミ。スギタニルリシジミなら遠目からも「なんかこいつは違うよな・・・」という感触があるのだが、そいつにはなかった。しかも落ち着きなく離れていって自転車を降りて近づくことすらかなわなかった。春先のチョウは楽には撮影させてくれない。きっと人生にやり残しがある虫はセンシティブなんだろうなと思った。


2023.3.20(月)晴れ 春の裏山

清川村

気になる異音がとれることを期待してチェーンを換えたウィリエールで半原越。

今日も視程がよくて途中で目的地を変更した。半原越にある私のヤマザクラはまだつぼみだ。途中越えてきた鳶尾山では満開になっている木もあった。半原越の麓にあたる清川村の裏山(写真)だと咲きはじめている。毎年のことながらヤマザクラはそこここと探し回ってしまう。

この季節、裏山は毎日違った景色になる。杉の赤も景色に花を添える。花粉症はひどいけれど、いまさら杉を嫌えない。杉は美しく立派な木だ。杉とは50年間仲良くしてきた。丹沢の奥山が見えるところに立つ杉の様子では半原越の杉花粉はピークを越えているみたいだ。

チェーンを換えて嫌な異音はとれた。古いチェーンは悪夢の温床だが、貧乏性なもんで早め早めの交換ができない。10000キロ以上使ってしまうこともある。最近はチェーンも高価になり、愛用の品が5000円以上だ。あきらめてその半値のものを買ってつけてみた。

チェーン以外にも軋みは出ているけど、それはヘッドパーツとかの手がつけられない部分だ。いわば年とって体が弱っていくようなもので、だましだましつきあって行くのがいい。お互い様っていうところだから。


2023.3.22(水)晴れ スーパーマクロ汎用型

スーパーマクロ

貧相な私の庭も少しずつ活気が出てきた。そこで活躍するのが写真のスーパーマクロ汎用型。スーパーマクロはこれとクロナガアリ専用の2つを作っている。クロナガアリ専用は、レンズ前10cmのものしか撮れない。汎用型もピントは10cmあたりにしか来ないけれど、ストロボの場所と角度を簡単に変えて、逆光とか夕方の斜光とかいろいろ演出が可能だ。通常はあくまで記録用なので、ベタ明かりで被写体奥にも多少の光が回るようにしている。写真のセッティングがそれだ。

スーパーマクロ

機能的にうまくまとめてあるな、なかなかの工作上手だな、とこのアングルでは見えるけれど、後ろからはこちら。ごちゃごちゃ試行錯誤の行き当たりばったりがそのまま形になっている。

それでいい。なんといっても手軽が信条。手持ちでパシパシ等倍以上の接写をしたいのだ。制作費もお手軽に。新品購入は小型ストロボとピント用の懐中電灯、そうしたものを取り付けるための小物だけ。ぐにゅぐにゅ曲がるアームと裁縫用クリップがいい仕事をしてくれる。

メインのストロボSB-29とレンズNikkor 28-85はもう30年くらい前の中古。レンズはカメラ市場のジャンクで1000円。前玉に大きな傷があったけど、海野さんの真似をした前玉外しマクロなので無問題。カメラは名機のD300s。5万円もしたので清水の舞台から飛び降りながらポチッた。D70sのシャッターさえ安定的に動いてくれれば高価なカメラは必要ないのだが、メーカー推奨のシャッター回数のゆうに2倍は稼動しているはずで、もう無理。中古のD70sは安価だけど、古い機種だけにシャッターが不安で手が出ない。

こいつとタムキューのD700の2台をかかえて毎朝庭の草とか虫のスナップをしている。その程度の撮影なら、サイクリング用のTG-5一つで用が足りるのでは? という疑問符もつかないではない。しかし私はアマチュアだ。結果の写真も必要だが撮ること自体が面白い。ついでに撮る工夫も面白い。

ちょうど庭のカラスノエンドウにアブラムシが湧いている。母虫とその子どもたちというカットなら、母虫にピントを合わせるか、子虫にピントを合わせるかで写真の意味が変わる。まず数頭の子虫が目に入って、そして母虫がわかるというカットは絶対に撮りたい。TG-5は細かいピント調整は極めて難しい。撮れた!という感触がある一眼レフが欲しいのだ。写真のできという点はともあれ。「数打ちゃ当たる」はプロにおまかせだ。

この辺の環境は悪化の一途で、虫の種類も数も激減している。それでもきっとアブラムシだけは10年後にも湧いてくれるんじゃないかと期待している。まもなく虫を集めるハルジオンやドクダミの季節になる。スーパーマクロ汎用型が大活躍だ。


2023.4.4(火)晴れ 半原越のマムシグサ

マムシグサ

春爛漫の半原越へ群青で出かける。

荻野川はまだ可動式の堰堤が上がっていない。澄みきった流れは浅く、春の小川っぽさが満点だ。毎年シュレーゲルアオガエルを初聞きするあたりでカジカを聞く。いきなり初夏の風情だ。シュレーゲルアオガエルもまだなのに。

春の季節感がいろいろ狂った今年だった。

半原越で見たいのはなにをおいてもヤマザクラだ。満開をちょっとすぎて、赤い新葉と花が半々になると桜は美女感満点だ。一番色気のある桜を見るのはいまや義務みたいなものだ。そして桜のまわりを色とりどりの芽吹きが囲む。山は日ごとにちがう彩りになる。

ちとたまげたのはマムシグサだった。半原越の道ばたにはマムシグサが多い。これまで何百本見たか、どれだけ撮ってきたか数も知れない。しかし今日のは秀逸だった。落ち葉が積もっているだけで他の草がない道ばたにすっくと直立している。めしべはまだ薄緑で葉はようやく茎の皮から覗くところ。娘十八、桜以上の美少女だった。

じつは今、庭にもマムシグサが咲いている。何年か前にハプニングで山梨のものを運んでしまった。毎年花をつけてくれるものの美しさでは山のものにかなわない。あらためて半原越を見直した。やっぱり大自然ってのはすごいな。

群青のキシキシはBBだった。昨夜BBを交換して軋みがないことを確認した。一番疑ったチェーンは無実だ。これまで同様の軋みは経験してきたが、最初に疑うのはBBだった。ただ今回のものは軋み音の出方がBBっぽくなかった。クランクの一回転に合わせてリズム良く発生することでBBを疑ってもよかったのだけれど、なぜだか最後に回すことにした。

軋み取りは自転車のメンテでも最高難度だ。昨夜だってBBを取り外してチェックしたものの原因は特定できなかった。これまでも、ヘッドパーツ、チェーン、リアディレーラプーリーの破断etc と悩みは深かった。ひとまず軋みがなくなってみると病気が全快したかのようにすっきりだ。心なしか軽く登っているような気がする。


2023.4.13(木)晴れ 夏が来た中津川

あっという間に山は緑。フジは満開だ。駆け足で春が去った。ずいぶん暖かい冬が終わったらもう夏という印象だ。

群青で中津川を走っていると、道ばたの草むらをヤマトシジミが飛び回っている。ヤマトシジミはベニシジミにすこし遅れて出てくる印象がある。いっしょにいるはずだけど、他の青いシジミも多く同定に自信がない。ベニシジミなら似たやつがいないから自信をもてるんだなと思った。

休憩しようと自転車を倒して中津川べりにでるとカジカガエルが鳴いている。やっぱり夏なんだと草むらに腰を下ろせば、目前に小さなチョウ。もう見慣れたモンシロチョウとはちょっと違う。さてはと目をこらせば翅の端にオレンジの模様がみとめられた。春の名残のツマキチョウだ。そういえばツマキチョウをしっかり見とどけたのは今季初だ。アオスジアゲハが水際の川辺を飛んでいく。いつもながらせわしないやつだ。ちかちかジグザグに動くあの青白い模様は夏本番っぽい。

鳶尾山に向かおうと立ち上がれば、そこに透明な翅のきゃしゃなトンボがいた。カワトンボだ。こいつも夏を知らせる虫だ。翅がやけにつやつやして正午の太陽光を反射している。ぴんと張った感じがないのは羽化間もないからだろうか。中津川には夏虫がいっぺんに押し寄せてきた。

鳶尾山の道路ではアオオサムシ2頭と遭遇した。鳶尾山にはアオオサムシが多い。いつもながらせかせか道路を横断していく。

息を乱さず普通に走ってタイムは10分。これが標準だろう。タイムトライアルへの意欲はすっかり失せているのに、あいかわらずタイムは気になる。

相模川に出ればいい感じで南風が吹いている。春から夏の日中は相模湾からこの風が来る。自転車の練習にはもってこいだ。今日はペダルを回しつつ上半身の体重を使う練習。難易度高の技だ。


2023.4.25(月)晴れのちくもり 目久尻川定期観察

ナゾノクサ

群青で目久尻川。定期観察だ。一級河川目久尻川には写真のような場所が多い。周囲の崖から清水がわき出して本流にそそいでいるのだ。そういう流れを足がかりにして、私のナゾノクサが育っている。

元祖ナゾノクサはどうやらイネ科の植物らしいところまでは突き止めた。しかしその名まではわからない。イネ科の同定なんて私の手に負えるところではない・・・・と、あきらめてしまうのは悔しい。すこしずつでも手がかりの糸はたぐり寄せたい。

この写真中央上にある立派な草が、ナゾノクサの一種で名がわかる可能性があった。それに気づいたのは2月12日のことだった。運良くその枯花らしきものを発見したからである。その花は特徴があり、同定の手がかりになりそうだった。

初夏となり、イネ科の花の季節でもあり、あわよくばその名を知りたいと思った。

ヒエガエリ

ターゲットは幸い花盛りだった。これなら名前もわかる。ヒエガエリでまちがいないだろう。もう少し近づきたかったが、あまり多くない草らしく道ばたでは見つからなかった。

水が流れるコンクリ護岸に繁茂するたくましい草だが、乾いた土は得意ではないのだろうか。こいつがナゾノクサの可能性はあるけれど、数が少ないところがちょっと気になる。

ネズミムギ

2月7日に行った上流の遊水地にも寄ってみた。あの日のささやかな河原はまだあって、草は元気に繁茂している。残念ながら水草はなかった。増水で流下したのだろう。

河原のイネ科は花穂をつけていた。花穂を遠目にみただけでも3種以上が混在しているようだ。穂の形をみれば、ネズミムギとかその類似のものっぽい。ネズミムギ、ホソムギ、イヌムギ、カラスムギ、カモジグサ・・・この類のなかに元祖というべき、もっともナゾノクサになりやすいのがいるはずなんだが、突き止めるのは困難と思う。プロの指導を受ければなんとかなるだろうか。指射し確認ありの特訓が必要だと思う。

水中ギシギシ

ついでに2月21日に見つけた6つの水中ギシギシもチェックした。ここはサイクリングコースの途中にあって、頻繁に寄っている。じつは心配なことがある。健康状態が芳しくないのだ。

春になっても葉の緑が濃くならない。赤白い葉色は良好のサインじゃないだろう。もふもふしたアオミドロっぽいやつがその原因かもしれない。そいつがひっかかって影を作ったり、草体をひっぱったりして生育の邪魔になっているような気がする。このもふもふはここだけではなく、私が回っている小河川にはことごとく生えている。夏場になって増水があればとれるという記憶がある。春の増水時は一時的な減少でしかなかった。

水中ギシギシ

それは成り行きにまかせるとして、付近を探っていたらもう1株の水中ギシギシが見つかった。写真の白矢印のやつだ。水中実生と見ていい。

場所もいい。流れが弱くもふもふも少ない。こいつは大きく成長することが期待できる。こういうのを発見できるってのは、われながら偉いヤツだとほめてやりたい。

水中ギシギシ

目久尻川の水が浸るところにあるギシギシは巨大になる。数年にわたって観察しているこのギシギシはいま花盛りだ。草丈は1mに近づいている。冬でも青々して成長し続けるようだ。もともと湿った所が好きな上、湧水河川で水温が高いのが効いているのだろうか


2023.5.4(木)晴れ アシナガバチ

アシナガバチ

庭のツツジにキアシナガバチとおぼしきハチが営巣している。アシナガバチを見つけたのは4月19日、営巣を確認したのは4月21日だった。そのときまでには巣はずいぶん立派になっていた。営巣開始から5日ほどたっていただろう。

わが家にアシナガバチが巣を作るのは実に8年ぶりのことだ。それまでは毎年のように巣がかけられていた。ただ、巣立ちまでもつことはなかった。わが家はアシナガバチにとって厳しい所だ。

今朝は、巣の中に卵を見留めた。写真を撮るために巣に近づくと母親は必死の形相でこちらをにらむ。顔が変化するわけではないけれど、脚に力がはいり翅を小刻みにぶるぶるさせる様子は、寄らば切るぞの宣告に見える。むろんこのハチは温和で襲ってくることはない。たぶん巣をもぎ取っても刺されることはあるまい。

母親には厳しいときだ。10個ばかりある卵を守り、孵ればウジを育てる。最初の1匹が羽化してくるまでは、すべて彼女の器量にかかっている。さらにこの辺は、私の庭も含めて、彼女らの食べ物はとても少ない。巣をかけているツツジは毎年ルリチュウレンジが発生しているけれど、それは餌になるだろうか。

幸い、巣がかけられた場所が人間的に無害なところである。8月になって50匹のハチが攻撃的になったとしても、刺される可能性のある人間は私だけだ。私は若い頃はよくアシナガバチに刺されているが、アナフィラキシーショックは出ていない。まあ安心だ。すごく痛いけど。

巣に次々と子が羽化するようになっても安泰というわけにはいかない。けっこういい感じになったのに、アリの総攻撃にあって全滅するのを目撃したこともある。今の巣から1mほど離れたザクロの木だった。そのアリはまだ庭にいるはずだ。


2023.5.10(水)晴れ ニセ闇バイト

凶悪な犯罪が増えている。強盗とかオレオレサギとか。そういう悪事の実行犯はSNSの闇バイトに応募してくるのだそうだ。

ということは、事件を押さえるには、警察が10000件ぐらい闇バイトを作ってばらまけば、本物の闇バイトが埋もれることになる。犯罪に手を染めるほど困窮している者をあぶり出すこともできる。さあAIの出番だ。


2023.5.11(木)晴れ一時雨 境川のナヨクサフジ

ナヨクサフジ

キアシドクガが蛹化しはじめていると風の便りで知って、群青で境川へ。じつはキアシドクガのことは気にして探していたものの幼虫を発見できていない。今年の動向が気になる。

まずは定番の下水処理場裏のミズキを見る。ミズキは青々と繁り青い実をつけている。葉にははみ痕がない。この季節に食害されてないこの木を見たのは初めてだ。キアシドクガの気配はない。今年の発生はゼロかもしれない。

境川には、もう一本定期的にキアシドクガが発生している木がある。道ばたの手の届く枝にいるから発見が容易だった。

ところが、そこにも毛虫や蛹の姿はなかった。葉を囓った痕はそれなりにあったが、例年よりは少ない。まるぼうすが普通だったのに。今年の境川ではキアシドクガの乱舞が期待できない。消長には何が関係しているんだろう。私には知るよしもない。

境川では紫色のきれいな花が目だっている。ナヨクサフジだ。これがずいぶん勢力を拡大している感じだ。境川でナヨクサフジを見つけたのは5年ほど前のことだった。そのときは鷺舞橋あたりの限られた場所にしかなかった。

いまでは、私が練習コースにしている鷹匠橋まで切れ目なく繁茂している。紫の花がきれいだから遠目にもよくわかる。さすがにイタドリ群落の中には割り込めないようだが、オギとかセイタカアワダチソウの中にはしっかり入り込んでいる。よほど境川の護岸環境が生育にマッチしているとみえる。

いつの間にこれほど広がったのだろう。最近羽振りがいいオオキンケイギクを一歩リードしている。この様子だと爆発的に勢力をのばしそうだ。数年のうちに境川で支配的な草になるかもしれない。

ナヨクサフジはマメ科で、サヤに入った豆で繁殖するはずだ。種を蒔いているのは誰だろう。種が熟せば鳥が食べるのだろうか。


2023.5.12(金)晴れ ナヨクサフジをチャットGPTに尋ねた

(問)ナヨクサフジの繁殖方法

ナヨクサフジ(学名: Fallopia japonica)は、地下茎を介して繁殖する多年生植物です。地下茎は長さ数メートルに達し、表面から発生する根と茎の節から新しい植物を生み出します。この方法により、ナヨクサフジは大規模な株を形成し、広範囲にわたって広がることができます。 ナヨクサフジはまた、種子によっても繁殖します。種子は夏から秋にかけて成熟し、地面に落ちた後、次の春に発芽します。ただし、この繁殖方法はあまり効率的ではなく、ナヨクサフジが広がる主な方法は地下茎によるものです。

完全にイタドリと勘違いしている。イタドリの説明としては正しいんだが、この勘違いがなんで起きたかは謎としか言えない。境川でイタドリはナヨクサフジの宿敵だ。

ついでにFallopia japonica(イタドリ)のことを尋ねれば、疑問はさらに大きくなるのであった。

(問)Fallopia japonica

Fallopia japonicaは、日本原産の多年生植物で、ヨーロッパやアメリカなどにも帰化しています。別名として、メキシコ薔薇(メキシコばら)、オオバコ、ヒルガオなどと呼ばれることもあります。 ナヨクサフジは、地下茎を介して繁殖するため、非常に強力な生命力を持ちます。また、生長が早く、茂り具合が良いことから、庭園や公園などで観賞用に植えられることもありますが、野生化して周囲の自然環境を破壊する恐れがあるため、管理が必要です。 また、ナヨクサフジは、根や茎に含まれるフラボノイドやタンニンなどの成分が、健康に良い影響を与えることが研究されています。そのため、サプリメントや薬品などに利用されることもあります。

2023.5.14(日)雨 SDGsな自販機

テレビでSDGsな自販機の宣伝をしていた。杉20本分の大気中二酸化炭素を吸着する仕掛けを組み込んだ自販機ということだ。

そういう宣伝を見るにつけ、SDGsというのはうさんくさいなと思う。小学校のときに石灰水が二酸化炭素を吸着して白濁する実験があった。あれの発展型を自販機の中に組み込むのだろう。

自販機の中にある吸着剤が本当に二酸化炭素を減らすというのなら、吸着剤の製造、運搬、設置、廃棄、リサイクルにかかるエネルギーから出る二酸化炭素が、杉20本が吸着する二酸化炭素とどっちが大きいのかを示してもらわなければならない。私にはかえって二酸化炭素を増やしているようにしか見えないので、そこをちゃんと説得して欲しいのだ。そもそも杉の木は100年の二酸化炭素の収支ではプラマイ0だろう。

自販機に限らずSDGsというのは、すてきなのは理念ばかりで、喧伝されている具体例は皆うさんくさい。意味のないスタンドプレーや立派な理念を逆手にとった経費人員の削減という感じだ。テロ対策のために駅のゴミ箱をなくしたり、カメの鼻に入るからストローを店頭に置かないとか、あんなものと等しく見えるのだ。

薬なんかはいいかげんな宣伝をすると罰せられるはずだが、SDGsにはないんだろうか。たちどころに消費者を害するものでないから見て見ぬふりなのか。そもそも行政が言ってることがうさんくさかったりするから。


2023.5.15(月)雨 今朝のドクダミ

ドクダミ

庭のドクダミが花の季節をむかえている。世話なしでどんどんランナーを伸ばす頼もしい草だ。日当たりが悪い庭の環境にマッチしているらしい。観賞用のほか少しだけ食用、薬用としても使っている。

そのドクダミだが、最近あの臭いが薄れているような気がする。昔はもっと臭かった。特に子どもの頃はドクダミ群落に踏み込むだけで臭気を感じたものだ。庭の泥の成分なんかが関係しているのだろうか。

私の庭は外来の植物だらけだ。9割方は帰化植物といってよいだろうか。ドクダミも元は薬用で中国から運ばれた帰化植物らしい。新しめの帰化種には手がつけられないほど野外で勢力を伸ばすものもいる。その点、ドクダミはたいへんおとなしい。種を作らないからだろう。里にこぢんまりと収まっている。半原越でも道路わきの小道にちょっと見られるだけだ。


2023.5.16(火)晴れ 芹沢川のナゾノクサ

カモガヤ?

芹沢川の目久尻川と合流するところにはナゾノクサが多産している。遠目にもイネ科だという見当はついたものの、その正体はぜんぜんつかめなかった。ところが、いまは花が咲いている。花が咲けばその種類がわかるかもしれない。というわけで撮ってきた。

かなり特徴のある花だ。花粉症で名を上げたカモガヤかなと思うが判然としない。クサヨシにも似ている。他にも近いイネ科雑草はいくつかある。

採集して確かめればよいのだが、残念、コンクリ三面護岸の梯子もない川なのでおいそれと近づくことはできない。

ただこいつが川底に浅く堆積している砂泥からの実生というのは確かだ。私的にそのタイプは初めてだ。ナゾノクサで川底から芽生えて花が咲いているやつはこの上なく貴重だ。ついでに、こいつの群落にはちゃっかりギシギシも根を下ろしている。


2023.5.17(水)晴れ 庭のヒメヒオウギ

ヒメヒオウギ

庭にヒメヒオウギがやってきたのは数年前のことだった。明るいところを好む草らしく、日当たりの悪い庭で羽振りはよくない。地味のわるい南側に数本生えているだけだ。これを駆除するのは簡単だろう。まあせっかくやってきたのだからと抜かずに放置している。

日本にヒメヒオウギがやってきたのは100年ほど前のこと、観賞用にわざわざ海外から連れてこられたらしい。原産が南アフリカだという。そうまでしなきゃないんないほど愛嬌のある草とも思えないが、なにか思惑があったのだろうか。

わが家にあるぐらいだから、近辺の川沿いではけっこう見かける。大繁茂するタイプではない。


2023.5.18(木)晴れ 鉢植えのムラサキカタバミ

ムラサキカタバミ

あいている植木鉢を見つけて、ムラサキカタバミを植えてみた。ムラサキカタバミはたぶん一番好きな花だ。鉢植えで愛でれば何か教わることもあるかもしれないと思った。

ムラサキカタバミはどうにもとりとめがない。種では増えないというのだが、庭のあちこちでいつの間にか育っている。目にするたび「なぜあなたがここに?」という疑問がわく。

もともと南米の草というから、季節にそう植物ではないようだ。花がいつ咲くのかもよくわからない。さすがに冬期に咲くことはなかったけれど、つぼみは伸ばしていた。暖かくて日が射せば開花したろう。夏には葉が赤さびに覆われたように衰弱し、秋には回復してきた。そうやって何年かゆるく観察していたのを2株抜いて鉢植えにしたのだ。

鉢植えにして気づいたのは葉が大きくならないことだった。大きな葉のほうが立派なのでその条件を知りたいと思った。わが家で一番大きな葉を広げているのは北の日当たりが悪いところだ。日影の方が葉が大きく濃い緑になるのかもしれない。また、地味が悪いのか鉢植えのものは成長も悪いように見える。東の株がどんどん領地を拡大しているのに、鉢植えの繁茂は遅々として進まないように思う。ちょっとえこひいき眼になっているかもしれないが。

あとからセットした小さい鉢の小さい葉の株はけっこう花をつけている。ところが先にセットした大きい鉢の大きい葉のほうは、夏になっても花が咲かなかった。ちょっと助長してやろうと、田の土を入れてみた。しばらく前に小さいほうの鉢に入れて害はないようだった。田の土を入れると、待ってましたとばかりに花が咲いた。園芸家になったようでちょっと誇らしい。

ムラサキカタバミの故郷だという南米で見ることはかなわなかったが、インドネシアで見ることができた。それもみかんの段々畑の道ばただった。まるで愛媛県八幡浜市のような既視感100%の出会いだった。


2023.5.19(金)くもりのち雨 寄せ植え

寄せ植え

これもあいている植木鉢だ。冬にハマキゴケが生えているのを見て、うまくいけばコケ鉢になるんじゃないかと放置してきた。

春になるといろいろ出てきた。一番大きなイワヒバはちょっともてあまし気味の草だ。10年ほど前に東京の盆栽屋からもらってきて、庭に植えておいた。丈夫な草でよく増えるものの、面白みはないので最近は駆除対象だ。こうして若いのは遠目のエゾマツみたいでちょっとかっこいい。

カタバミとかハハコグサとかいまひとつはっきりしない草も生えてきた。種を飛ばす草はこういう所でも侵入できるのだろう。イネ科でメヒシバみたいなのも芽吹いている。

放置して勝手に生えてくる草の寄せ植えはかっこいい。意図しても作れないのに、意図して作ったのよりいいものができる。

しかし、このままだとハマキゴケを圧迫するだろう。ハマキゴケはやや乾いて日当たりのよい所を好むコケだ。花も実もある高等植物にはびこられると静かに衰退していくのではないか。そうなったら、ハマキゴケ保護に乗りださねばなるまい。


2023.5.20(土)雨のちくもりのち晴れ 雑草群落

道ばた

近所に面白い場所がある。東西に延びる道路の一部が未舗装のまま10年以上放置され、雑草がはびこっているのだ。未舗装部分は道路の北側半分で、幅1メートル長さ6メートルほど。

そこが写真のように4つの雑草帯になっている。西から、イワヒバ、ヒルザキツキミソウ、シロツメクサ、ヒメヒオウギとヤブミョウガの混群。ここは私の知る限りまったく管理されていないから、パッチになった要因は環境と植物の力関係だろうと思う。

古い記憶をたどれば、支配的だったのはシロツメクサだった。そこによく目立つヒルザキツキミソウが入ってきた。ほかにもスミレとかナガミヒナゲシとか名のある雑草も来たことがあった。しかしそれらは領地を獲得するには至らなかった。

ここの日当たりは悪くはない。朝夕は日光が入る、秋から春の日中は住宅の影になって直射日光は刺さない。水加減はまあ普通の道ばたといっていいだろう。

ここにある草でわが家にないのは、シロツメクサとヒルザキツキミソウ。こいつらは強力だが日影者ではない。日が射さない時間が長いわが家では生きられない。

この場所は本来はシロツメクサが天下をとってもおかしくない所だ。実際、この写真の手前見切れはシロツメクサ帯になっている。砂利むきだしの部分は車の轍だ。さすがのシロツメクサも毎日10回ほど自動車に轢かれると生きては行けないらしい。ヒルザキツキミソウはきっと1日1回轢かれただけで滅ぶんだろう。

イワヒバは日影でもOKな雑草だ。これはわが家にもある。ここが住宅地になる前の植生を彷彿とさせる草だ。イワヒバは2年前までは写真を撮っている私の背後を広く覆っていた。現在は新築になって消滅しているが、写真のブロックの背後には幾分か生えている。いったん領地を確保すれば、陽気系のシロツメクサとヒルザキツキミソウもおいそれとは割り込めないようだ。年中日影を作るばかりか、根元の土を固めてしまう。私はその性根が気に入らなくて、間引き対象に指定した。

ヤブミョウガも日影OKだ。日影のわが家にも自生している。いま育っているのは数年前はここになかった。ブロック塀の背後から種がこぼれて来たのだ。いったん根付けばこいつも強いらしい。夏から冬にかけ、しっかりした日影を作る雑草なので、陽気系の草はやりにくいのだろう。年中光を求めるシロツメクサの天敵かもしれない。

ヤブミョウガに混じっているのがわが家にもあるヒメヒオウギだ。こいつはほかの背の高い雑草の間に滑り込んで生きるしたたかさを持っている。わが家でもよくこんな所に咲いたもんだとあきれるばかりだ。


2023.5.21(日)晴れ 機材の使いこなし

道ばた

いまやいい写真になるかどうかは、センスや腕以前に機材を使いこなせるかどうかになってきた。写真機と画像処理コンピュータで、あっと驚く写真ができる。

昨日の写真は普通に何枚か撮ったものをフォトショップエレメント2でつなぎ合わせた。あまりいい写真とは言えない。そういや、私のスマホにはパノラマモードってのがあったなと思い出して今日はじめて使ってみた。それが今日の写真。

イマイチわかってないのか、これがPixel 4aとPhotoshop Elements 2.0の限界なのか、思うような写真にはできなかった。目標は歪みのない長方形の写真。遠くから望遠レンズでとってトリミングした写真にしたかった。後ろには下がれない場所なので、こざかしい技を使わざるをえないのだ。

パノラマモードの限界は、テレビでいうドリーではうまく行かないこと。歩きながら平行に草むらを撮ると、きれいに合成してくれなかった。水平をブロック塀でとったが、道路のゆがみがPhotoshop Elements 2.0ではとれなかった。NikonCapture NX でもその補正ができなかった。まあこの程度のものなら、小技を駆使すれば NikonCapture NX で可能だろう。そこまで探求する気になれない。きっといま市販されている写真機にはもっと簡単にドリーでパノラマがとれるのがあるんだろう。もしかしたらTG-5でもできるかもしれない。TG-5の説明書を一読した感じでは、いろいろこざかしい機能があるみたいだ。


2023.5.22(月)晴れ TG-5の使いこなし

道ばた

昨日の道ばた写真で、愛用のTG-5にもパノラマ機能があることを思い出して、はじめて使ってみた。パノラマとはいえなるべく象の歪みが出ないようにと、パンではなくドリーの方法でやってみた。

その結果は哀れなものになってしまった。ドリーでは無理のようだ。といってパンだと昨日のとあんましかわんないだろう。

道ばた

やっぱし普通に何枚か撮ってフォトショップで合成するのが一番いいだろうと今朝またやってみた。レンズの歪みとかオートアイリスとかがめんどくさいけど、シンプルなのがやりやすいかな。


2023.5.23(火)雨 カモガヤ探索

芹沢川

芹沢川のナゾノクサがカモガヤであれば、上流にもカモガヤはたくさん生えているだろう。花の季節のいまがチャンスだ。そう思ってナゾノクサの供給源であろうはずの芹沢川の上流を探索することにした。

写真は芹沢川と目久尻川との行流点にある三又橋から撮った。Mapの@

芹沢川はこんな感じで全長500mほどに渡って三面護岸が続いている。万能型のイネ科の雑草たちでも生育できる場所は少ないが、川の脇の草むらならカモガヤが密生して種を供給していると予想した。

芹沢川

芹沢川には近寄りがたい。川の両側はほぼ私有地で柵がめぐらされている。ただ近寄らなくても大丈夫。いくつかある橋から覗くだけで探索は無駄だとわかる。護岸にほとんど草がないからだ。この写真は中間地点の芹沢橋から撮った。MapのA

護岸にカモガヤがあるのを私は見逃さない。赤矢印の先には花もある。流れには水草化したものもある。じつはここまで、川岸の草むらにもカモガヤはなかった。むろんイネ科の雑草はいくらでもあったが、ネズミムギ・ホソムギ系なんかで、カモガヤっぽいのはなかった。

芹沢川

芹沢公園まで来れば、ようやく流れに手が届くところまで近寄れる。MapのB

川岸は雑草茫々だ。ここはホタルの養殖事業が行われている所だ。おそらくホタルに良いからという理由で雑草が刈り残されているのだろう。嫌われ者のイネ科雑草も手つかずらしい。ネズミムギ・ホソムギ系ならびっしり生えている。芹沢川の脇ならどこでも見られる光景だ。

ただしこの中にカモガヤらしきものは全くなかった。先の芹沢橋のように護岸の敷石がむきだしになっているところに数株が見つかるだけだった。花粉症で名が売れているカモガヤは希少種らしい。三又橋にいっぱいあるナゾノクサの供給源は芹沢川にはないのだろうか。

芹沢川

川の流れは芹沢公園で途絶える。源流は数百メートル奥にあり、伏流したり湧き出したりして芹沢川に水を供給している。写真はホタル養殖場の少し上流。MapのC

水の流れはないが、湿地になっているようだ。各種雑草のなかにキショウブも見える。ここまで来てようやく目標のカモガヤ群落を見つけた。花の感じからして三又橋のナゾノクサと同種で間違いないだろう。

この光景をみて胸騒ぎをおぼえている。たしかにカモガヤの群落はあるが、ナゾノクサの供給源とは思えない。ここの種が流れていって三又橋で芽吹くなんてのはもはやファンタジーだろう。

そしてもう一つの疑念。近くで花を見れば、ぜんぜんカモガヤっぽくない。

芹沢川

なまけものの私でもあらかじめカモガヤがどういう花かってことぐらいは予習してきた。幸い、ここなら自転車横付けで手が届くところに草がある。

一本ちぎってしげしげ観察する。やはり全くちがう。イネ科だが別者だ。カモガヤではないにしても、ここが供給源でないにしても、いずれ三又橋の水中で芽吹いたのはこの草の種にちがいない。ひとまずこれが何者でどういう生き様をしているのか探索しなければならない。

目久尻川

もう芹沢川ではらちが開かないので目久尻川に向かった。目久尻川で“ヒエガエリ”だとしている草が本当にヒエガエリかという疑念もでてきた。私には過誤があたりまえと再認識したから。

下流に向かって川沿いに自転車を走らせつつ目を皿のようにして河原を探索する。その気で見れば対象の草は至る所で見つかった。写真のように河原の流れに近い所で群落が見つかる。どこにでもあるというわけではないが、あるところには密生している感じだ。水大好きなパイオニアと見た。こいつより流れから遠いところでは、ネズミムギ・ホソムギ系が繁茂する。安定している大きな河原だとヨシが繁る。

カモガヤ

川岸ではなく土手で写真の草が見つかった。予習しておいたカモガヤっぽい。探索のために普段自転車で入らない草むらを走っていて見つけた。場所は目久尻川を渡る相鉄線の鉄橋下だ。

今回の探索でカモガヤが見つかったのはここだけだった。イネ科の雑草は何千何万と目に入ったはずだが、カモガヤはここの数株だけだった。希少種なのか、目久尻川の環境は好まない草なのか。ひとまずカモガヤは私のナゾノクサからは除外だ。

クサヨシ

目久尻川を下っていくと目的の草がどんどん増えてきた。写真のように河原をびっしり覆い、浮島のようになってるのもある。ただしこれは一時的だ。工事か何かのために下流が堰止められ1メートルほど増水している。この光景をみて当該の草がクサヨシではないかと当たりをつけた。

クサヨシ

下流の農耕地になれば目久尻川でも流れまで楽に降りられるようになる。自転車シューズでも転落のおそれはない。手近な所を見つけて、クサヨシに近づいた。花の様子を見れば、芹沢川で見つけたものと同種だ。群落の様子でもクサヨシで間違いないだろう。では、三又橋のナゾノクサの正体はクサヨシ、となると、ナゾノクサに最もなりやすいイネ科の草はクサヨシということになる。

ヒエガエリ

そしてこれは、ヒエガエリとしている草。新たな自生地を発見した。ここもコンクリ護岸を雨水か用水が流れ落ちているところだ。目久尻川でヒエガエリがあるのは全部そんなところだ。河原にも土手にもいない。けっこう特殊環境にマッチした草なんだろうなと思う。

いろいろ調べてみればヒエガエリというのはそんな生態ではなく、一年草ということだから、2月にも5月にも青々しているのはおかしい。何者なのか、気にしておれば判明することもあるだろう。

画面上、コンクリ護岸の下に運良くクサヨシがある。クサヨシじゃないことは確かだろう。


2023.5.24(水)晴れ 目久尻川のヒエガエリ

ヒエガエリ

今のところヒエガエリは目久尻川でしか見つかっていない。今日あらためて目久尻川をサイクリングしてヒエガエリと思えるやつを見てきた。その代表として3か所を、ABCとしてまとめた。

まったく不思議なことだが、ヒエガエリがあるのは、目久尻川のコンクリ壁を水が流れ落ちる所に限定されている。しかも流れから微妙に離れた所だ。いつも濡れてるんだけど、びしょびしょじゃない。根は濡れて葉は乾いている、そんな環境だ。まったく不思議な草だ。

写真のCはちょいと覚悟を決めれば、コンクリ護岸を伝って近寄れる。目久尻川では貴重な生育地だ。C2は横から撮った写真。遠目にはクサヨシとよく似ている。

ヒエガエリ

花を接写してみるとちょっと違うなという気がする。どこが違うかいまいちはっきりしないので、採集してクサヨシの花と比べることにした。

ヒエガエリ

写真の左がヒエガエリ、右がクサヨシ。丸い小窓にはそれぞれもみを1個取り出した。花はよく似ているけれど、違いは禾だ。ヒエガエリのほうは長い禾があるが、クサヨシの方にはない。また、ヒエガエリのほうは穂が熟しているものが多い。クサヨシはこれから花盛りという株も見受けられる。ヒエガエリのほうが速く種を作るようだ。そのおかげで遠目にもクサヨシとは違う感じがして採集の決心がついた。

むろんこれがヒエガエリかどうかは不明だ。ただ、幸いなことに花が採取できてその形状の差からクサヨシとは別種だというところまではたどり着いた。ひとまずヒエガエリとして探索を続けよう。


2023.5.29(月)雨 ネズミムギ

2月7日には、目久尻川の遊水地の水中ナゾノクサの正体はネズミムギと予想をたてた。そのそばの河原に生えているイネ科の雑草と葉の形状が同じだったからだ。そして河原の雑草が5月に花をつけ、その花からネズミムギだとした。河原の草がネズミムギなら、水中のもネズミムギだという推察だ。

一方、芹沢川の河口で群生している水中ナゾノクサも5月には見事水上に伸び上がり、花をつけた。花は当初、カモガヤに見えたが、どうやらクサヨシだと判明した。チャンス到来だ。取り急ぎクサヨシと、クサヨシに花が似ているヒエガエリを求めて近所の河川を探索に走った。

河川ぞいにクサヨシ・ヒエガエリを探って気づいたのはネズミムギの多さだ。もはやこの辺では無数と言っていい。ヒエガエリ=数本、クサヨシ=大量、ネズミムギ=無数となる。クサヨシ・ヒエガエリは河川の限定的な場所にしかない。ネズミムギなら河原に無数にある。河原だけではない、道ばたにも田畑の脇にも、ちょいとした日当たり良好な草むらには絶対あると言っていい。

芹沢公園

写真のように、ネズミムギは流れのそばにも無数にある。これは芹沢公園であるが、水質はいい。付近の湧水を水源とした流れはギシギシすら実生している。ネズミムギの種が水底で芽吹き、ナゾノクサ化するなら芹沢公園にもあるはずじゃないか?

目久尻川、境川、蓼川、引地川、善明川、荻野川、小鮎川・・・ネズミムギが流れに種を落としている場所も無数と言ってよい。ならば、ナゾノクサはもっとあってもいいはずだ。

目久尻川に無数にあるはずの適地のなかで、なぜ遊水地の所に限定されるのか。そこだけでネズミムギが種を落として水草化しているのは奇妙だ。そんな特殊条件なんてありえない。

それなら、目久尻川のナゾノクサも芹沢川と同じくクサヨシとすべきだろう。2月にはたまたまクサヨシが水中に、ネズミムギが陸上に、並んで育っていたのだ。ならば、そのクサヨシの種はどこから来たのか?

目久尻川

花がある今の季節を逃すとクサヨシは見つからない。目久尻川上流を幾度も探ったのはいうまでもない。しかし、どれほど探しても目久尻川の上流にクサヨシはなかった。1本もないのである。遊水地のナゾノクサがクサヨシなら種はどこにあるのか。

クサヨシが確定している芹沢川でも上流にはクサヨシは少なかった。芹沢公園までは、かろうじて生きている感じの小さいのが数本だった。公園の先にある小湿地にはクサヨシ群落があった。そこは芹沢公園で湧き出す伏流水の水源にあたる。

そのようなしだいで、クサヨシの種がたくさん安定的に芹沢川に流れ込むようには見えなかった。芹沢川河口の水中ナゾノクサは、去年の種が流れ着いて芽吹いたとすべきではない。おそらく数十年前に芹沢川が開発される以前から土中に蓄積されていた種が芽吹いたのだろう。河口のクサヨシ群落は、開発以来その場所で世代を重ねているのかもしれない。

芹沢川でも目久尻川でも境川でも蓼川でも、イネ科の水中ナゾノクサがあるのは堰堤のような場所だ。流れが浅く速く底泥は浅いが、コンクリに割れ目はありそうだ。クサヨシには、そんな特殊な場所で発芽して根付ける特技があるんだろうか。


2023.6.5(月)晴れ 大雨のつめ痕

ゴミとギシギシ

2月21日に芹沢川が目久尻川と合流する地点で6株の水中ギシギシを確認した。

それ以来、私はギシギシたちの成長を見守ってきた。経過はけっして良好ではなかった。春になるとなにやらもふもふしたコケがギシギシにからまって、足をひっぱり影を作っていた。ギシギシの葉の色合いは薄いピンクで健康的には見えない。

そして先日は神奈川でもけっこうな豪雨があった。目久尻川は2m程の増水が半日続いたろう。珍しく遊水地に越水してテニスコートなんかが水没している。

雨が止むのを待って、いそいそ川の様子を見に行ったのはいうまでもない。私のギシギシたちは流されてはいなかった。しっかり根ばりしているようだ。ただやはり豪雨の悪影響は小さくなかった。

今日の写真にあるように、ゴミがけっこう溜まっているのだ。黒い正方形はゴム板だろうか。こんなものに覆われたらひとたまりもない。1本のギシギシを青いハンガーが押さえつけるように被さっている。折れた枝葉が溜まってギシギシに擬態している。もはやこの写真に6本の水中ギシギシが写っていることに気づく者はおるまい。4か月見続けてた私でもかろうじて2つばかり確認できるだけだ。


2023.6.6(火)くもりのち雨 ジョロウグモ登場

ジョロウグモ

今年も庭にジョロウグモが現れた。見つかったのは2か所。モッコウバラの茂みとサンショウの枝だ。ちょっと心配してたけど、これで一安心だ。

ちょっと気になるのはサンショウに巣を張っているやつらだ(写真)。3頭を確認しているが、私が知る限り半径20m以内にジョロウグモの卵はなかったはずだ。モッコウバラのほうなら先の冬に卵を持ったメスがいたところなので、私の目の届かないところに卵があったと考えられる。

おそらく2齢と思われるジョロウグモが遠くからやってきたとなれば、飛んできたのだろうか。ジョロウグモの幼体だって空に糸を流して飛ぶのかもしれない。


2023.6.7(水)晴れ ヤブガラシの弱点

ヤブガラシ

写真は庭で育てているヤブガラシだ。芽吹きから2か月ほど経過している。高さは1mほどで葉は写真にあるものでほぼ全部だ。たぶん普通のヤブガラシよりも成長が悪いと思う。

このヤブガラシはフェンスの直下で芽を出した。アルミのフェンスを伝って上に伸びてきた。それを棒で誘導し、もう1本棒を立ててひもで橋を渡した。ヤブガラシは橋を伝わって写真右手の棒まで渡った所で挙動が変になった。

柔らかく強いヒゲを出して周囲の雑草なんかを絡めとって成長するのが本来のヤブガラシだ。その手がかりがこいつにはなかった。写真の中央にあるように、自分で自分を緊縛する格好になって横にも上にも行けなくなっている。

ヤブガラシはヒゲがかからないと成長できないようだ。無敵感のある雑草だけに、ずいぶんかわいいなと感心している。


2023.6.9(金)雨 上昇志向のヤマノイモ

ヤマノイモ

ヤマノイモは20年ばかり庭で育てている。収穫物はムカゴだけで芋は収穫しない。芋を掘るためには家屋を撤去しなければならない。

これまでは放置したままだったが、今年はのびのび育ってもらうことにした。手がかり・足がかりがアルミフェンスだけだと物足りないだろうと、2階の窓からひもを垂らしてみた。

すると写真のようにひもをものすごい勢いで登ってあれよあれよという間に窓に達した。じつはこいつ以外にも5本ばかりヤマノイモがあり、同じように手がかりのひもを設置して育てている。

ヤマノイモは上昇志向の塊だ。水平か下向きに渡したひもは利用しない。あくまで上に行く手がかりに巻き付いていく。これは厳密なルールらしく、水平のひもに巻きつかせるためには、茎を縛りつける必要がある。ヤブガラシやアレチウリのような巻きひげはない。頑丈な茎で巻きつきながらぐんぐん登る姿から、家族の間では“カンダタ”として通っている。

カンダタが地面から芽を出したのは4月の初めだ。それから1か月ほどは上に登ることに集中していた。葉を広げることなくひもに巻き付き、2階に達する頃にようやく葉を広げはじめた。葉を広げても上昇志向は衰えていない。上に登るための手がかりをなくすと、茎は重力で長く垂れ下がってくる。それでも茎をぐるぐるっと振って手がかりを探ろうとする。手がかりが見つからないと自らの茎に巻き付いてでも上に登ろうとする。

ヤマノイモの畑を見れば葉がびっしり塔状になっているけれど、あれは下り登りを繰り返した結果なのかと思う。来年はあれを真似してみよう。


2023.6.11(日)雨 マイナンバーカード

マイナンバーカードの導入は大賛成なので、自分のカードは早々に作った。ただし口座紐づけはポイントで釣る根性が気にくわなくてまだやってない。

マイナンバーカードと口座を紐づけるにあたって、口座は本人のものでなければならないらしい。その不正が10万件以上あるという。

これはとっても奇妙なことだ。本人名義のみというのなら、「本人」とはこの世で一人なのだから、インプットされた口座番号が既登録のものであれば、二重登録エラーにしなければならない。マイナンバーの扱いは煩瑣を極めていると想像できるが、既登録の口座番号をはじくのは別問題だ。

そんな単純なプログラムミスがどこで起きたのだろう。噂によると、マイナンバーカードのプログラマーは低質らしい。データ量は多く、各方面のDBを結びつける必要があり、セキュリティーは厳しく、不意の消去などのエラーは起きてはならない・・・そういう点では難しい仕事だが、システム設計は至って単純だ。プログラマーで飯を食ってるものなら誰だってできるだろう。ましてや二重登録をエラーとして返すことぐらいは朝飯前のはずだ。だからシステム系のミスとは考えられない。

では、ミスしたのは発注元の行政側だろう。まずありそうなのは、「本人名義の口座のみ」という要件を伝えなかったということだ。ポイントをやれば登録が増えるだろうという詐欺的発想を真に受ける人ならそれぐらいのミスはするだろう。

「本人名義の口座のみ」の要件を開発側に伝えたとして、子、孫受けがうっかりその要件を入れ忘れたとしてもチェックはしなければならない。噂によると、マイナンバーカードの開発者は低質らしいから、二重登録の試験を怠ったのかもしれない。しかしながら、そのミスはユーザーに不利益となるものだから、発注元としても絶対にチェックは怠れない部分だ。ポイントを付与してあげれば登録が増えるだろうという詐欺的発想を真に受ける人たちだからそのチェックを怠るかもしれない。

すでに口座紐付けサービスはリリースされているのだから、発注元は納品にOKを出したはずだ。納品済みなら料金は払っているだろう。ポイントで登録者が殺到するはずという詐欺的発想を真に受ける人たちだから、とてつもない金額を支払ったんじゃないかと思う。

プログラムの改修は新規に発注しなければならない。受注するのは同じ業者になる可能性が高い。受注業者のミスではないだろうし、自ら手がけたプログラムなら解析の必要がない分手っ取り早い。とっても簡単だろう。マイナンバーカードには数兆という税金をつぎ込んでもよいらしいから、受注側にとっては新たなお仕事を好条件でいただけることになる。ちょっとうらやましいな。

なお不正の主なものが、親が子のナンバーを親の口座と紐づけたものだという。ということは今後、親が新規に子ども名義の自分口座を作成するだろう。私がポイント目当てならそうする。それが10万件ぐらいにはなるだろうか。実態はいまと変わらないはずだが、銀行口座が増えればそれもまたOKということなんだろうか?


2023.6.11(日)雨 庭のアシナガバチ

アシナガバチ

残った方のアシナガバチ一家は順調に見えていた。子育ては一段落し、残るは働きバチの羽化だけのはずだった。それがちょっと変だ。蛹化のために蓋をした個室の前に卵があり、孵化している感じだ。

これがアシナガバチでは普通なんだろうか。蛹が羽化して個室が空けば速やかに次の子が入るような段取りなのだろうか?

それとも、産み付けられている卵はアシナガバチの物ではなく、何者かが巣を丸ごと乗っ取るのだろうか?


2023.6.12(月)雨 セリの夜盗虫

ヨトウムシ

スイレン鉢のセリの葉に2センチあまりの枯れた花穂っぽいゴミがついていた。はて?こんな花をつける草はないが、もしや虫? と念のため触れてみると写真のような状態になった。伸びていた体を丸めたのだ。どうやらこいつはヨトウガの幼虫、夜盗虫らしい。

周囲に食痕がある。他の2頭がすぐ見つかった。名前はわからない。頼りになるのは原色日本蛾類幼虫図鑑(保育社)である。ざっと当ててみてフサクビヨトウが模様では近いけど、食草がナデシコ科となっており、はずれだ。蛾の幼虫なんてまずむり。

スイレン鉢のセリは食用として植えているものだ。しかしヒトは滅多に食べない。夜盗虫とはいえ、せっかくわいた虫なんで元気に育って欲しい。

自然度の低い私の庭でも、雑草らには多少の食痕がある。夜盗虫がいるんだろうと思う。掘った土から出てくることもある。夜盗虫とはその名の通り、日中は隠れて夜に野菜を暴食する害虫だろう。こいつの場合、日中の雨の中、とほうにくれた感じでセリの葉にとまっていた。もしや、セリが水面にあって隠れる場所がないからか。そうであれば母をうらんでもらうしかない。

アシナガバチの巣では今朝、働きバチが1頭見つかった。ようやく大家族化の第一歩だ。日中に隠れられない夜盗虫はアシナガバチの餌食になりそうだ。さて両者の今後やいかに。


2023.6.13(火)晴れ 最後の一花

ギシギシ

近ごろ神奈川の田舎道をサイクリングして目につくのはギシギシの枯れ花だ。赤黒い花穂が何本も天を突くように伸びている。その姿は異様ですらある。

むろんギシギシの枯れ花は珍しいものではない。咲いた花が枯れるのは必然だ。ギシギシの枯れ花なんて初夏にはいくらでもある。ただ気になるのは巨大なやつだ。

ギシギシ

左の写真は今日撮影した目久尻川のギシギシ。継続的に観察を続けている株だ。枯れた花穂が増水で倒れ、流れて来たゴミが引っかかっている。ちょっと残念な感じだ。

この株を見つけたのは2021年の秋のこと、そのときはもう何十枚も葉がある立派な株だった。

ギシギシ

左の写真は去年の12月16日。生育は順調で真冬でも緑を失なっていない。畑の脇のギシギシならば赤い葉をロゼットにしている頃だ。

この株は水中に根を下ろしており、川の水温が高いから冬でも成長していたんだろう。目久尻川には同様のギシギシがたくさんある。

ギシギシ

今年の花は壮観だった。写真は4月25日のもの。花穂は10本以上が立ち上がり、背丈は1mほどになっている。天下堂々である。

ギシギシ

そして1か月が過ぎた5月の終わりには写真のようになっていた。花穂は枯れ、川面に倒れ込んでいる。4月の勢いはまったく感じられない。ただこの時点では、花だけが枯れ株は残ってるんだと思っていた。

ギシギシ

昨今の川めぐりサイクリングでは、ギシギシの大きな枯れ株が目立っている。花だけでなく株自体が枯れている感じだ。この株も枯れているのではないかと橋から覗いてみれば、花の季節に見た大きな葉がすっかりなくなっていた。枯れ落ちて先の増水で流れていったようだ。

緑は若い実生の株だ。10ばかりある。枯れた親が残した種が芽吹いたのだろうか。写真の左下、川では下流のほうには花穂をつけた小さなギシギシがいる。それらはもしかしたら、2〜3年ほど前の実生なのかもしれない。

ギシギシは開花すれば必ず枯れるというわけではないと思う。葉が数枚の小さい株も花をつけるからだ。ギシギシにはわりと短い天寿があり、その寿命が尽きるとき、最後の一花をせいいっぱい咲かせるのではないかと思う。ぼんやりながらギシギシを何年も見てきた私の感想だ。


2023.6.14(火)くもり雨 囓った犯人

ムラサキカタバミ

私のムラサキカタバミはさび病で壊滅的なダメージを受けている。鉢植えで育てているのも例外ではない。

写真の株は病気に罹った葉を切除したらどうなるんだろうとやってみたものだ。速やかに新しい葉を伸ばし、良い感じじゃないかと喜んでいたら、今朝には食痕ができていた。何者かが盗み食いしたにちがいない。

形状から推理するに、葉が小さくて閉じているときに一囓りされたようだ。ムラサキカタバミが大好きな者の仕業ではない。歩き回っていろいろなものを食べるタイプの虫に違いない。

真犯人は昨日ムラサキカタバミのそばにいたこいつか、はたまた今朝いたこいつか? どっちにしてもお前らなりに頑張って生きろよ、と応援することにはかわりない。


2023.6.20(火)くもりのち晴れ コガムシの楽園

 小鮎川

写真は小鮎川のそばにある田畑。どってことない場所だが私には特別だ。というのは田の背景に見える丘沿いの田でコガムシが見つかるからだ。

今日は見つからなかったけれど、先日は3頭ばかり確認できた。例年、田植えが終わったこの頃、大きくなったオタマジャクシに混じってコガムシが泳ぐ。水生昆虫では小さいゲンゴロウも見つかる。

いずれも普通種で日本全国どこにでも見つかる虫に過ぎない。でも神奈川のこの辺では希少種だ。神奈川にもコガムシは生息しているだろうけど、確実に見られるのはここだけだ。

ただしそれはあくまで自分情報。自転車に乗りながら水があれば、田んぼだろうが排水路だろうが手当たり次第に「なにかいないかな?」と覗き込むのが習い性になっているだけ。まじめに調査しているわけではない。

 小鮎川

Googleの地図で示すとコガムシが見つかっているのは、赤矢印の地点、いずれも田か休耕地だ。

地図を一瞥してわかるように、ここは決してよい環境ではない。戦後まもなくまでは田畑と林だった小鮎川の流域は住宅地とゴルフ場に開発されている。水生昆虫が代々命を繋いでいけるような場所ではない。

最初にコガムシを見つけたとき、近くにガムシやゲンゴロウが群れる楽園があるはずだと思った。地形から見て、田の後ろには林があり、鋭く切れ込んだ谷の奥にため池が作られているのだろうと予想はできた。ただ林は放置されるままで下草刈りもなされず、粗大ゴミこっそり捨て場になっている。それにゴルフ場の用地であろうから入っていくのもためらわれた。

地図で見れば黄色矢印のところに、ため池のなれの果てのようなものが見留められる。ため池から用水路に水がはいっているはずだ。その水に流されて下流(写真右)の田にコガムシが行き着いていることが考えられる。


2023.6.27(火)くもり カメムシとスズメガ

 シロヘリクチブトカメムシ

群青で目久尻川の道路を走っていると、路面を歩くイモムシが目に入ってきた。スズメガの幼虫が道路を横切るのはよくある光景だ。セスジスズメあたりだろうか、まだ小さいけど・・・と自転車を止めて撮影しようと思った。

幼虫の動きは少し変だった。慌てふためいている感じだ。見れば、中型のカメムシを引きずっている。たまたまではなく、カメムシの口吻が幼虫に刺さっている。どうやら捕食にあっているようだ。

カメムシは虫を食うものだ。とはいっても相手が大きすぎる。毒液を注ぎ込んで動きを止め仕留めるのだろう。そういえばカメムシに刺されるとかなり痛い。巨体の虫でも仕留める力量はあるのだろうか。それに首尾良くしとめたとして、簡単に食べきれるものでもないだろう。食べてる間に腐らないかと心配になる。

眺めること数分、イモムシが弱る感じはなかった。やがてイモムシは体をよじりながらカメムシをひきずって道路脇の草むらに隠れた。


2023.6.30(金)くもりときどき雨 マイナンバーの運用

政府はマイナンバーと銀行口座、健康保険証、さらには運転免許証を紐づけるのに苦労している。その苦労の大元は行政の担当が上から下まで馬鹿なんだからだと思う。でもそれは想定されていることで、馬鹿でも使える枠組みを設計できるからこそ大臣やエンジニアは高額所得者になれるのだ。と皮肉ばかり言うのもアレだから、頭のいい私がいっちょ改善案を出してあげよう。

マイナンバーは12桁の数字だ。これは扱いにくい。なぜなら通常脳の人間は12桁の数字を短期記憶できないからだ。あのゴルゴ13は一瞥で電話番号を記憶できたといわれるが、まあそれも10桁ぐらいのものだろう。

頭の悪い開発者は、この一発で覚えることができない文字列を甘く見過ぎている。単純な入力作業やマッチング検証にあたって、意味不明な12桁の数字は見るだけでストレスだ。リソースである人間をいたずらに消耗させることになる。

しかもマイナンバーを閲覧できる人材は少数だろう。正職員がセキュリティの厳しい監視カメラ付きの小部屋で一人でもくもく作業しなければならないはずだ。さらに作業を完璧にこなしたとして立身出世の見込みは薄いのだろう。普通の人には厳しい業務と思う。むろん私なら喜んでやる。私が25歳の市役所職員であって定年までマイナンバー担当事務となると人生バラ色だ。なにしろMac0S9対応のSuper Mac Freecell(有料版)を14万個ほど解いて今なお新しい解法に日々喜びを感じているぐらいだから。

さて提案だが、マイナンバーを扱うにあたり、マイナンバーと1対1対応するIDを決めればどうだろう。

マイナンバーは最大1000億個になるから、1000億個のIDを対応させておけばよい。IDはひらがななら6桁程度で済む。濁音、半濁音、っょゃぁ等は間違いの元だということは、ドラクエふっかつのじゅもんという実証実験で明らかだから使用しないほうがいい。私のマイナンバーは、「173834098766」であるが、それを「へろかあうす」とするだけでずいぶん見やすいものだ。

ひらがな6桁のIDであれば、セキュリティ上特別な職員でなくとも、住所氏名等を閲覧可の者ならば誰でも使える。「へろかあうす」を住所氏名などの個人情報、口座、保険証、運転免許証とマッチングさせる。そこで怪しげなものが見つかれば、該当IDをマイナンバー担当者に渡してあらためて調査すればよい。ひらがなIDは専用DBで対照させない限り意味のない記号に過ぎない。なにせ国民である173834098766の私もまさか自分がへろかあうすとは思いもよらないのだから。セキュリティレベルが下がり検証作業に多人数が投入可になる。

日本語のアルファベット?は膨大な量がある。ひらがな、片仮名、漢字、ローマ字、数字。日本の役所職員は数千個の記号を使うことに長けている。国民だって知的レベルは高い。マイナンバーカードは、「マイナンバーカード」の他にも「マイナカード」としても通っている。しかし実際のカードには「個人番号カード」としか記載されていない。こんなヘンテコまでフツーにまかり通る。この知的リソースは我が国の強みである。それを活用しないのは、マイナンバーの考案者の頭が悪いからだ。


2023.7.3(月)晴れのちくもり くらべてわかる蛾

ベニフキノメイガ

このたびたいへんありがたい図鑑が登場した。山と渓谷社が刊行した「くらべてわかる蛾」だ。これで庭で撮影した蛾の同定可能性が飛躍的にアップする。

今朝見つかった1円玉の半分くらいの「ベニフキノメイガ」は1分ぐらいで判明した。これまでならうまく事が進んで10分。10分でわからなければ頓挫という流れになったはずだ。そもそもメイガなんて端からあきらめてカメラを向けないかもしれない。灯火に集まった蛾ならともかく、野外で見つかるものなんて数は少なく、隠れてるやつらばかり。撮影難度は高い。小さい蛾の同定はいい写真がなきゃ始まらない。足元から飛び立っても、端から眼中にないという有様だった。

「くらべてわかる蛾」は刊行予告を見てすぐさま購入予約した。書籍の予約なんて40年ぶりだろうか。予告にあったページ写真を見た瞬間に、これなら蛾の名前がずんずん判るはずという確信を持てたのだ。

むろん蛾の図鑑はいくらか持っている。中には専門家向けの本格派もある。しかしそれらは全て標本との照合が前提で編集されている。プロ用なのだから当然だ。猫に小判とはこのことで、私のようなド素人が使いこなせるものではない。

蛾は日頃目にする姿と標本とのギャップが大きい。小型のものは科レベルに到達することすら難しい。標本図鑑で何とかそれらしいものがあれば、その種名をたよりにインターネットで検索して虫好きが公開している写真に照らし、それらしければ、再度図鑑を開き、記述を読んで決定する、という有様だった。

近ごろ刊行されている「学研の図鑑LIVE昆虫」もベリーグッドだ。図鑑の中に自分写真と同じ姿の虫がいる。「くらべてわかる蛾」は相手が蛾だけにエクセレントだ。見事な図鑑を世に出してくださったプロの皆さんに大拍手。

この先も怪しげな蛾はいっぱい現れると予想できるけれど、今日の写真みたいに図鑑の切り抜きと合わせておけば、後日の手がかりになる。同定を誤ったとしても、どこで道を踏み間違えたのか判明しやすいはずだ。


2023.7.4(火)晴れのちくもり オニユリ

オニユリ

群青で境川。高鎌橋の手前に大好きなオニユリが咲いていた。この季節はまだヤブカンゾウが多くて騙されることも多いが、境川ならオニユリポイントは把握している。

撮りやすいオニユリはないかときょろきょろ走っていると、セイバンモロコシにタマムシが止まっていた。なんか変な状況だ。すぐに飛び去るだろう。TG-5の電源を入れズームを最大にしながら近づいていく。風に揺れる相手にピントダメ元で3回シャッターを押すと、タマムシは翅を広げキラキラ上空に飛んだ。

好感触のカットは撮れてないが、まあ予想通りだ。「ばいばい、元気でな〜」と心の中で声をかけて見送った。ところがどうしたことかタマムシは大きな円を描いて私にぶつかってきた。カメラを持ってない左手で空中キャッチ。手の中でワンカット撮影。こんないいこともあるんだなと思った。

オニユリも良い感じの新鮮な花が見つかった。一つだけ花開いている株だ。オニユリは見上げないと写真にはならない。湿度が高く高層雲があるとはいえ空は青い。よいチャンスだ。

境川のオニユリに近づくには、高い鉄フェンスを乗り越えなければならない。「だんだんこれもしんどくなる。筋力が衰えてる」 注意深く1.5メートルのフェンスを越えた。オニユリまではまだ2メートルほどある。急傾斜の草むらに踏み込むと、右足に激痛。やっちまった〜と見れば、痛みのそこに激怒しているアシナガバチ。低い草に架けられた巣を蹴ったのだろう。

アシナガバチは痛い。何度も刺されてそのやっかいさは身に浸みている。刺激しないように、すみやかに鉄フェンスを乗り越えて退散した。ここのオニユリは撮りなおしも無理だ。まあオニユリならほかにもいっぱいある。それより、ずきずき痛む足で家まで20kmほど走るのかとげんなりだ。虫とのつきあいは悪いこともある。父はアシナガバチに刺され呼吸が止まったらしいが、たぶん私にアナフィラキシーショックはない。そこは安心材料。

いまコクワガタの累代飼育を試みている。往路ではコクワガタ採集をもくろんで樹液の大木に寄っていた。樹液は今年も順調に出て、シロテンハナムグリ、ノコギリクワガタ、サトキマダラヒカゲなんかが集まっていたが、コクワガタはいなかった。採卵のためにコクワガタは欲しい。心当たりは境川のその木しかない。刺された足は痛むけど、念のために寄り道することにした。

樹液には運良く主目的のコクワガタ♂♀が来ていた。虫とのつきあいは良いこともある。心躍らせながらも慎重に近寄ったのはいうまでもない。慎重というより、おそるおそるだ。アシナガバチならともかく草むらのマムシを踏んだら目も当てられない。

コクワガタを捕まえていると、ぶんぶん羽音をたてた虫が肩に当たってきた。胆が冷えた。スズメバチだと思った。そいつは私にぶつかって下草に落ちてもがいている。シロテンハナムグリだった。樹液の取り合いで負けたんだろう。


2023.7.7(金)晴れ 庭の攻防

芽吹き

この写真は空いた植木ポッドでの芽吹きだ。昨日、土から大きな種が持ち上がっていて芽吹きに気づいた。私が蒔いた種ではない。なんだろう? 鉢の中にこんな種がどうやって入ったんだろう? いろいろ疑問があって観察を続けることにしたのだ。今朝はこんな具合に子葉が開いて芽吹きらしさが増している。

子葉に蜘蛛の糸がついていることは撮影時に気づいていた。しかし、葉の陰にクモが潜んでいることは写真をモニターで確認するまで気づかなかった。その写真はNikonのスーパーマクロで撮ったものだった。

通常庭のスナップははOLIMPUSのD-5に12-60mmのズームレンズをつけて行っている。寄れるレンズではあるけれど1cm未満の植物には物足りない。そこで今朝はスーパーマクロも持ち出して押さえたのだ。

モニターでクモを見つけ、あわててNikon D700+タムキューで撮りなおすことにした。スーパーマクロでは引ききれない。それに、ストロボの光がクモまで回らない。そこでD700タムキューで撮りなおしたのが今日の写真だ。

D700タムキューを持ち出したついでに、セスジスズメも撮っておこうと思った。朝、ヤブガラシにいるセスジスズメを見つけてOLIMPUS D-5で撮ったものの、D-5では暗部の表現と高感度に物足りなさがある。ストロボを使うと葉の影が見苦しくなる。セスジスズメのふっくらした感じがストロボ光では表現できない。撮影しながら「次回はD700タムキューだな」と感じていたのだ。

その“次回”が1時間後におとづれ、D700タムキューを抱えてヤブガラシの所に来て、あっと息を飲んだ。セスジスズメがいないのだ。そんなに動く幼虫でもあるまいが・・・と、ヤブガラシの枝葉をひっくり返して探しても黄色い点々がある黒いイモムシが見つからない。おそらく何者かが捕食したのだろう。何者だろうか? 心当たりはアシナガバチだ。だがモッコウバラにある巣にはセスジスズメの肉団子が運ばれてなかった。事の顛末はもう闇の中だ。セスジスズメの写真に不満が残る。庭でヤブガラシを育てているのはこの日のためだった。見つけたとき急ぎD700タムキューを準備すれば・・・という後悔はまぬかれない。

せっかくD700タムキューを持って来たのだからと、ヤマノイモやカラスウリをスナップしていると、CFカードがフルになった。まいいか、もう被写体もないし・・・と引き上げかけたところにルリチュウレンジがやってきた。こいつは庭のツツジで例年発生している。数多いツツジでなぜか毎年同じところに発生するちょっと不思議なハバチだ。今年もワンサイクルあったことを確認している。また産卵でもするんだろうか、念のために押さえておこうと、D700の中にある過去ファイルを5枚分削除してワンカット撮った。

撮ってからルリチュウレンジのそばにカマキリの幼虫がいることに気づいた。カマキリはルリチュウレンジの捕獲モードに入っていた。体をゆっくり左右に振りながら、足を1本また1本と回すようにツツジの葉にかけてルリチュウレンジに近づいて行く。ルリチュウレンジはきっとカマキリに気づいていない。射程距離まで5cmほど。カマキリにはチャンスがある。私はひとまずツーショットを押さえる。基本通り、両者にピントが来るようカメラの角度を合わせた。

撮影可能枚数は3枚だが、この忙しいときに増やす余裕はない。次の一発は、カマキリがルリチュウレンジを仕留めた瞬間だと自分に言い聞かせてその時を待った。しかし緊張はあっけなくとけた。カマキリが射程距離に入って構える前にルリチュウレンジが飛び去ったのだ。カマキリは凍りついたように立ちすくんでいる。狩りが失敗したときはいつもそうだ。気落ちしたカマキリの気持ちがわかるような気がする。私もがっかりだ。

虫と虫、虫と私、今日もいろいろ攻防戦があって面白かった。そう思いながら撮った写真をモニターでチェックして再びがっかりした。ルリチュウレンジとカマキリのツーショットでカマキリの目にピンが来てない。良い感触はあったのに。撮影可能枚数ぐらい電源入れたときにでもチェックしとけよ〜と思ったのも二度や三度ではない。


2023.7.11(火)晴れ 目久尻川のメダカ

メダカ

ここのところ目久尻川にはまっている。水に浸かっているわけではなく、目久尻川の流域を自転車で日々散策しているのだ。

私の平坦自転車練習コースは、相模川の神川橋から馬入までの土手道だ。そこまで到達するのにはそれなりにうんざりする道路を走る必要がある。そのうんざりを最小にするコースを目久尻川で探ってきた。それが今日ついにベストと思われる道が見つかった。

気分良く目久尻川を遡上して、産川橋のたもとでアイスなんかを食べながら川を覗いていた。淀みに沈んでるカナダモの茂みになにか水生昆虫でも見つかればいいなという期待があった。目久尻川は相模川との連絡がよく、周辺からの湧き水が豊富に流れ込み魚種も豊富だ。

産川橋のたもとの住宅地の雨水排水溝の所に小さな魚が群れていた。一瞬でメダカだとわかった。メダカたちは一列になって排水溝のコケをつついている。ちょろちょろ流れ込む雨水に何か食べられるものでも混じっているのか。

目久尻川にメダカは生息していないと思っていた。目久尻川だけでなく、神奈川のこの辺の河川や用水でメダカの生息は無理だと思ってきた。これまで見つけたメダカは野良魚でしかなかった。それが目久尻川の本流に群れているのだから驚きだ。

私が見たメダカたちは目久尻川で世代を重ねているようだ。しかし戦前から自然分布している個体群ではないだろう。目久尻川周辺には、ホタルを養殖したりコウホネを栽培したりするヘンテコな人たちが生息している。メダカを放流する者がいても驚かない。その気になれば「メダカの住む河川」を取り戻すのは難しくない。コイやホタルを定着させるには抜本的な河川改修が必須だろうが、メダカなら大丈夫だと思う。そんな暴挙はやめるべきだけど。


2023.7.12(水)晴れ 庭のアシナガバチ

スズメバチ

いつものように庭のアシナガバチの巣を見に行った。最初は働きバチが肉団子を持って帰って来たところだと思った。そういう場面は何度かみている。帰宅した働きバチから食べ物を分けてもらう様子は微笑ましい。ずいぶん大きいな獲物だな、働きバチもずいぶん大きいな。まずはそう思った。

ところがどっこい、働きバチではなくスズメバチだった。くわえているのは蛹か幼虫だ。巣が襲われている場面に遭遇したのだ。

アシナガバチとしては、巣が壊滅する危機だ。でも、働きバチたちはまったく抵抗する様子がない。遠巻きにして見ているだけだ。ミツバチなんかと違って命がけでスズメバチから巣を守ることはないみたいだ。スズメバチのほうも働きバチの存在を全く意に介してない。坦々と手早く幼虫を肉団子にしている。「それ、もうちょっと離れた所でやろうよ」と私は思う。にんげんだもの。

今年はアシナガバチの巣は2つあった。こちらのほうは順調に働きバチが生まれ巣が大きくなっていった。ついに私の庭でもアシナガバチの営巣が成功するかという期待もあった。

先日、他所でアシナガバチに刺されてひどい目にあった。この巣の者たちにも毎朝のチェックで警戒されている。私の方を睨みつけ、V字に広げた翅を細かくふるわせ、前足を地団駄踏むように上下している。寄らば切るぞの体勢だ。そういう様子もかわいい。9月になればこの距離でも襲われるかな? と行く末の心配までしてたのだ。

スズメバチに目をつけられると巣の将来は絶望だろう。攻撃は一発だけでなく全滅するまで続くのだと思う。この数年は庭にスズメバチが来なくなっていた。ヤブガラシの花にスズメバチがいないのは寂しい。付近ではもうスズメバチは絶滅したのだとあきらめていたのだが、望まぬ形で生存確認ができた。


2023.7.13(木)くもり 気落ちしたアシナガバチ

アシナガバチ

案の定、今朝にはアシナガバチの巣は空っぽになっていた。産み付けられた卵はあるけれど、大きく育った幼虫、蛹はいない。スズメバチの餌食になったのだ。

アシナガバチの巣から覇気がなくなった。働きバチの動作が緩慢だ。カメラを向けて近寄っても威嚇してこない。いつもならV字に上げてぷるぷるふるわせる翅も降ろしたままだ。ヒトである私の目には育てる子がいなくなって気落ちしているように見える。卵が孵って幼虫がそだってもどうせやつらがやってくるんだろうという諦念にとらわれているようにも見える。見えるだけだが。

しかし、ヒトである私は彼らにも希望が残っていることを知っている。なぜならスズメバチのほうも安泰ではないのだ。この辺ではスズメバチは目の仇だ。巣が見つかったら駆除はまぬかれない。私のアシナガバチにも明日がある。


2023.7.15(土)くもり時々晴れ 今年のカナヘビ

カナヘビ

バイトから帰宅するとカナヘビが交尾していた。今年はカナヘビが多い。毎朝、庭をぐるっと回れば1頭や2頭は必ず見つかっている。例年にない多さだ。

そして特筆すべきは、尾の切れた個体が少ないことだ。1頭しか見ていない。どうやら交尾をしているメスがその1頭のようだ。

数が多いこと、尾の切れた者が少ないということは庭の捕食圧が小さいことをもの語る。その原因は野良猫がいないことが主だろう。猫は庭の食物連鎖の頂点に位置する。大型の虫を補食するばかりかおもちゃにしてしまう。この20年ばかり猫の徘徊が止むことはなかったが、今年の早春にそれが止まっている。願わくはこのままであって欲しい。

とはいえ私のカナヘビたちが完全に安全かというとそうでもない。一度、ムクドリがカナヘビを咥えて飛び去るのを目撃している。まだ小さいカナヘビだった。ムクドリたちは庭を餌場として利用していない。水場としても使っていない。唯一、ジューンベリーの実だけは食べていく。カナヘビがムクドリに捕まったのは数少ないアクシデントだろう。そういう場に立ち会えたのはラッキーだった。


2023.7.20(木)晴れ一時雨 メダカ危機一髪

目久尻川

写真は濁り水が流れる目久尻川。今日午後の様子だ。この産川橋付近で11日にメダカの生息を確認している。メダカは写真中央の雨水排水路の所に群れていた。じつはそのメダカたちが危機一髪だったのだ。

今朝も相模川で自転車の練習をしようと群青で出かけた。相模川の練習場にたどり着く最適コースの途中に産川橋がある。通りかかったついでにメダカはどうしているかと、川を覗き込んであっと声が出た。川が干上がっている。目久尻川の水位が50cmほど下がっているのだ。

河床の砂泥はすでに乾いて白い泥をかぶっている。カナダモはからからにひからびている。雨水路の細い流れは乾いた河原にしみ込んでいく。アゲハが3頭吸水していた。

どうやら農作業か何かの関係で可動堰が下げられたのだろう。メダカらは水位が下がるのに合わせて本流に流れていくだろうから、大丈夫のはずと、念のために河原に降りて確かめることにした。

予想に反して、そこには死屍累々の光景があった。すぐ目につくのはエビの死骸だ。まずは、捨てらた生ゴミかと勘違いした。エビの死骸は赤く変色しているから酸欠で死んだらしい。

メダカ

水たまりに近づくと魚が跳ねた。取り残された者がいるのだ。見ればメダカだ。5頭ばかりいる。死骸は1頭だけ確認できた。メダカではなくクチボソの幼魚のようだった。水たまりにはエビの生き残りもいる。さらに目をこらせば、魚の稚魚も多数いた。小さいのは生まれて10日ほどのサイズだ。メダカかどうかはわからない。

阿鼻叫喚の世界はほんのちょっとしたことで出現する。可動堰を下げた者は動植物が死ぬことなど微塵も考えるまい。かく言う私も、エビや魚の死にとくだん思うこともない。

このままだと明日を待たずして水たまりのエビ、魚は全滅するだろうが、希望もある。

昨日の天気予報で美紀さんが上空に寒気が入っていると言ってた。見ればもう西の青空に黒い雲が広がっている。丹沢の上空だ。あれがうまい具合に発達して目久尻川の上空に来れば魚が助かるだろう。目久尻川はちょっとした降水で一気に増水する。戦後まもなくから流域は軍用地、工業用地、宅地として開発され、国も認める一級河川として流域の雨水路はきめ細やかに整備されている。

もしかしたら相模川にも通り雨が来て、私も冷たい雨に打たれるかもしれないが、それでメダカたちの延命になれば、まあいいじゃないかと練習場に向かった。


2023.7.25(火)晴れ ジョロウグモの脱皮

ジョロウグモ

21日に5本脚になったジョロウグモが脱皮していた。幾分細身になった感じだ。脱皮しても脚の数は変わらない。これまでの観察から、ジョロウグモの脱落した脚は脱皮で回復しないことがわかっている。今回その観察事例が1つ増えた。

このジョロウグモが5本脚になったのは21日のことだ。

じつはこのジョロウグモは19日、20日の2日間行方不明だった。ジョロウグモのメスはあまり巣を移動しないから、不慮の事故だろうと思っていた。21日に復活したものの脚が3本ももげてしまっていた。なにかのっぴきならぬ事態だったのだろう。ジョロウグモの脚が欠けるのは珍しいことではない。その主原因は同種の争いのようだから、もしかしたら主がすり替わっているのかもしれない。

ジョロウグモは脚が欠けてもあまり不自由せずに巣を張り獲物を捕まえることができる。さてこの5本脚はどこまで頑張るだろう。


2023.7.26(水)晴れ 脱皮殻の移動

ジョロウグモ

今朝になると、ジョロウグモは脱皮殻を移動させていた。このクモは巣の上の方にある補強部分で脱皮したはずだ。脱皮殻のある場所がそれを物語っていた。それを20cmばかり移動させたのだ。

ジョロウグモは3Dで巣を張る。獲物を捕まえる部分はやや下方に垂れる垂直円網で、円網の中心に陣取って虫がかかるのを待っている。そして獲物の亡骸は垂直円網から巣を補強するように張っている部分に移動させる。通常そこはクモの背にあたるところだ。

そこに移すのは亡骸だけでなく、落ち葉などの純粋なゴミも同様にする。ゴミ架け場がある程度埋まれば、巣にかかるゴミはポイッと捨てる。この巣にはゴミがあまりかかっていない。自分の脱皮殻も架け場に移したものと思う。脱皮殻の近くに小さな亡骸らしきものが1つだけみとめられる。

クモにしてみれば、架け場にかかっている物が少ないと落ち着かないのだろう。私がヒトの目で見る限りでは、架け場のゴミは獲物の誘導効果がある。虫が空中のゴミを避けて飛行し、垂直円網に向かうのだ。

5本脚では何かと不自由だろう。巣の造作もいびつだ。それでもこういう様子を見れば坦々と生きているんだなと思う。


2023.7.28(金)晴れ 生きていたNo.8

水中ギシギシ

正直なところ目久尻川&芹沢川の水中ギシギシは全滅だとあきらめていた。ホタル養殖場のものは影も形もない。三又橋に6本並んでいたものも見つからない。もふもふに覆われたり、増水の土砂に埋まったりした。もともと水中生活を得意とする草ではなく過酷な環境に耐えられなかった。最後に見つかった9本目は、特段何事も起きなかったはずなのに見えなくなった。もしかしたら水中実生のギシギシではなかったのかもしれない。いまはすっかりクレソンかなにかに覆い尽くされている。

今日、再発見したのは8本目のやつだ。写真の中央に写っている。こいつはとてもいい環境に根付いている。ただ、岸に近くて陸上のネズミムギとかチドメグサ系の草に覆われて生き残れないかもしれないと心配してた。案の定、この夏からその姿が見えなくなり、ダメだろうと思っていた。

それが唐突に姿を現した。ネズミムギなんかはすっかり枯れて流れていった。なぜかチドメグサっぽいのも消えた。これ以上ないほど良好な生育環境だ。ただ健康状態は良好とはいえない。葉の数は少なく色も薄い。さあこの先どうなるのだろう。また一つ楽しみを得た。


2023.7.30(日)晴れ 巣がやられた

アシナガバチの巣

朝、いつものようにアシナガバチの巣をチェックした。おや、巣にハチがいない。働きバチが巣を留守にするのはよくある。しかし1匹だけいる女王は巣から離れないだろう。さては、と目をこらすと巣をうろつく小さなアリが見つかった。どうやら昨夜から今朝にかけてアリの襲撃を受けたようだ。

もう幼虫はいないのかとさらに目をこらすと卵が1つだけ見つかった。写真中央に写っている。しかしこの後、この卵もアリが運び去ってしまった。

この巣は一度スズメバチの攻撃を受けて、幼虫・蛹が全滅した。しかし、アシナガバチは巣を放棄することなく卵を産み、幼虫を育てていた。

アリはまた勝手が違うようだ。アリが来るともうお手上げとばかりに巣を放棄してしまう。このことは私の庭で幾度か観察している。アリに襲われた巣にアシナガバチが戻ってきたことはない。アシナガバチにとってアリはスズメバチとはレベル違いの天敵のようだ。

庭にはこの巣のハチとおぼしきアシナガバチが1頭、所在なげに飛んでいた。さて彼らはどうするのだろう。個々別々に静かに余生を送るのか。それとも1頭の女王と5頭の働きバチで新しい巣を設けたりするのだろうか。


2023.8.2(水)晴れ 夏の川めぐり

中津川

気まぐれに心拍計をつけて鳶尾山を登ってみようと思った。鳶尾山は中津川の西にある。写真奥の丘を越える道だ。

鳶尾山のタイムを計ってみたら驚愕の12分。最近では思いっきり頑張って10分。普通に登って11分という感じだ。12分はとっても遅い。

それもそのはず、心拍は最大でも148bpm。パワーが出ないはずだ。前回心拍を計ったときには170bpmぐらいはいってた。体が弱っている。夏の熱さだけが原因ではあるまい。この衰えも感慨深い。

10年以上前、半原越でタイムトライアルに熱中してた頃は190bpmまで上がっていた。170bpmにおさえる練習が苦痛だった。こんな楽してたら強くなれないというあせりだった。今日の148bpmなんてのはウォームアップの出力だ。

鳶尾山を降りて荻野川から相模川を経由して目久尻川へ。どの川も昨日はずいぶんな増水だったはずだが、水の濁りはまったくない。なぎ倒されている河原のヨシやオギが増水があったことを示している。

夏も終盤になり連日の夕立だ。このあたりは1か月ほどもまともな雨が降っていないから昨日の驟雨はうれしかった。ただ気になるのは目久尻川の水中ギシギシだ。せっかく夏まで生き残ったのに、流されなかったか、土砂に埋まってないか、いろいろ心配になる。

ちょっとどきどきして三又橋から覗き込めば、何事もなかったかのように緑の葉がすっくと水上に立っていた。この感じだと一年持ちそうな気がする。近所にある水中ヤナギタデ(まだ味見してないけど)は水上葉を伸ばしている。どちらも空中の方が得意な草だ。彼らもいくぶんほっとしているのかもしれない。芹沢川の水中クサヨシはすっかり数が減ってしまった。水中にあるとはいえ夏にはいなくなるのが彼らの生き様なんだろう。


2023.8.10(木)晴れ一時雨 害虫

オンブバッタ

今年はオンブバッタが少ない。これほど少ない年は記憶にない。むろんその原因はわからない。

今朝はめずらく写真のようにオンブバッタが見つかった。場所は植木鉢に植えたアカマンマ(たぶん)の葉の上だ。アカマンマはわが家では減少の一途をたどっている。かなり好きな草なので保護育成を目指して鉢で育てている。

まずいことにオンブバッタはそのアカマンマを囓っているようだ。オンブバッタは広食性でいろいろな物を食べる。わざわざ植木鉢のアカマンマを囓る必要はあるまいと思う。

これまでもオンブバッタは大事にしている草に限って食い荒らすような気がしている。スイレン鉢のアサザなんかも大好きだった。もはや“害虫”のレッテルを貼られてもしかたあるまい。

これまでの観察から、オンブバッタはあまり移動しないことがわかっている。この鉢にどれだけこだわるのか先行きを観察したい。


2023.8.12(土)晴れ 見落とし

モンクロシャチホコ

定例の朝観察でモンクロシャチホコの交尾カップルを見つけた。モンクロシャチホコは庭のジューンベリーで継続的に発生している蛾だ。今年も初秋のまずそうなジューンベリーを暴食して元気に育って欲しいと思う。去年は病気か寄生虫の影響で壊滅的な状況だった。

モンクロシャチホコを見つけたのはうれしかったのだが、パソコンで画像を確認していると、右のほうにアカボシゴマダラの幼虫が写っていることに気づいた。撮影時には完全なスルーだ。アカボシゴマダラは母蝶が来て産卵らしき行動を見せていることもあって、それなりの注意を払ってエノキを見ている。それがこの体たらくだ。

ツマグロオオヨコバイ

クワの葉にはツマグロオオヨコバイの幼虫がいた。ツマグロオオヨコバイは庭でしっかり発生している虫だ。こいつはよほどの環境悪化でも耐えてくれるような気がするたくましい虫だ。撮影はそれなりに難しい。私の殺気を感じるとするするっと横這いして葉茎の裏に隠れてしまう。もっともこいつはそうして動いてくれたからこそ気づけたのだった。

ツマグロオオヨコバイも撮影した画像をチェックしてあっと驚いた。右の方の枝に似たような虫が5〜6頭もたかっている。ミドリグンバイウンカらしい。やはりこいつらの存在も撮影時には全く気づかなかった。

年を追ってこういう見逃しが増え、そのたび自分にがっかりしている。場所は庭であるし、あまり動かない虫たちなので明日の朝ちゃんとサーチしてリカバリーしよう。この決意をど忘れして落胆に落胆を重ねることもままあるのだが。


2023.8.15(火)くもりときどき晴れ オンブバッタの脱皮

ショウリョウバッタ

8月10日に害虫よばわりされてしまったオンブバッタが今朝には成虫になっていた。昨夜から早朝にかけて羽化したと見える。

全てのオンブバッタが害虫というわけではない。こいつが害虫認定されたのはアカマンマの葉をかじるからだ。写真のように発見時のアマカンマの鉢にずっと居座っている。10日に発見してから今日まで、朝と晩にこの鉢にいることを確認しているから、入れ替わりの可能性は極低い。それに今年はオンブバッタがとても少ない。

こんなふうにオンブバッタの移動性が低いことを確認できるのが庭の利点だ。野外フィールドのオンブバッタでは難しい。庭観察によれば、オンブバッタだけでなく、ツマグロオオヨコバイもディスターブがなければ移動したがらないようだ。もう3日あまり同じクワの葉で見つかっている。

プロとして金儲けをかねて虫の生態を見るなら、アマゾンとかスマトラの自然豊かな場所、砂漠のように特異な生き物が生息する場所に出かけなければならない。国内であってもストーリーのある生態の虫を追わなければならない。若い頃からその手のことはおっくうだった。

やっぱり向こうからやってくる普通種、家の中に住んでいるような虫の生き様が気になる。


2023.8.16(水)くもりときどき雨 居座ること

今朝もオンブバッタはアカマンマに居座っていた。それを撮影しようと近づけば、オンブバッタは警戒体勢に入った。後ろ脚の動きでそれはわかる。折しも強い南風を受けてアカマンマの葉は大きく揺れ、バッタを振り落とす勢いだ。オンブバッタはアカマンマを降り、隣の植木鉢のイネ科の草によじ登って落ち着いた。もう成虫になっていることもあり、これでアカマンマから離れるかなと思いつつその場を後にした。

オンブバッタの他にも居座っている虫がいる。ツマグロオオヨコバイもミドリグンバイウンカもまだ同じ所にいる。

アカボシゴマダラ

もう1匹、写真のアカボシゴマダラ幼虫も同じ所にいる。じつはこいつが動いているところを見たことがない。日のあるときはじっと待機して、夜間に摂食する習性の虫なんだろうか。それにしてもエノキの葉の食痕は少ない。アカボシゴマダラを見ているとそこにキアシナガバチがやってきた。

私のアシナガバチはアリにやられたあと、1頭だけは巣の近くでうろうろしていた。心なしか意欲的な活動をしていないようだった。葉にこぼれた水滴をなめたりするだけだ。私が近づいてもこれといった反応を見せない。リタイアした仕事人間みたいなふぬけた風情に親近感をもった。そのアシナガバチも3日ほどで姿を消した。

今朝見たアシナガバチはやる気まんまんだった。明らかに獲物を探している。丹念に丹念にエノキの葉の表も裏も、一度、二度見た所も繰り返し探索している。働きバチとしての人生を謳歌している感じだ。きっと近所に巣があるハチだろう。

エノキに執着しているということは、過去の実績があるのかもしれない。この場所でイモムシなんかをゲットした記憶がこいつにあるのだ。それはアカボシゴマダラかもしれない。私も幼虫は探しているが1頭しか見つかってない。もしやすでに肉団子になっているのか。いま観察しているやつも見つかれば一巻の終わりだ。さあ両者の運命やいかに。

一日中ハチやイモムシを見ているわけにもいかない。すでにあちこちヒトスジシマカに食われている。早々に退散して自転車の練習に向かうことにした。このところはまっている目久尻川ー相模川ルートだ。4時間ばかり走って午後3時に帰宅してアカマンマの鉢をみれば、そこにオンブバッタが居座っていた。


2023.8.17(木)晴れ アシナガバチ再起

アシナガバチ

朝の定期観察でアシナガバチの巣があることに気づいた。1階の軒裏だ。まだできたての小さい巣だが、3頭のハチが認められる。1頭は女王だろう。サイズからみて3日ほど前に営巣が始まったようだ。

先月30日に、モッコウバラに架けていた巣がアリの襲撃により壊滅した。その後は巣にハチたちが戻ることはなかった。庭ではアシナガバチをちょくちょく見かけてはいた。それが私のアシナガバチという確信はなかったものの、彼らが力をあわせて新巣を作るかもしれないという期待はあった。

どうやらその期待は現実のものとなったようだ。小さい新しい巣に3頭がひしめいてることが状況証拠だ。もし私のアシナガバチでなかったとしても、壊滅した巣のハチたちは新たに巣を作るようだ。

私としてはこんなうれしいことはないのだが、心配も大きい。先の巣からは4mほどしか離れていない。スズメバチもアリもまた襲ってくる可能性が大きい。何より、これまでに軒裏に設けられた巣が成功したことはないのだから。


2023.8.21(月)晴れ アカボシゴマダラの食事

アカボシゴマダラ

庭のエノキにいるアカボシゴマダラ幼虫の今朝の姿だ。見つけてから1週間ほどになるが、ずっとこの葉にいる。朝の観察で見る限り、全然動かず葉も食べない。なのに体はどんどん大きくなっている。それではきっと夜に食べているのだろうと、昨夜にチェックしてみた。

予想通り、写真の右上の葉をむさぼり食っていた。ものすごい勢いだった。アカボシゴマダラは日が暮れると定位置から移動し少し離れた所の葉を食い、朝には元の場所に戻るようだ。

アカボシゴマダラ

こちらは同じアカボシゴマダラの3日前の写真。右上の葉はしっかりついている。葉を虫食い状態にすることなく、すっかり1枚を食べきっている。食事を夜間に限定しているのは、外敵の目から逃れる効果があるのだろうか。

その戦術が意味を持つためには、まず自分の体をうまく隠せる場所を見いだす能力がなければならない。数多い葉の中から隠蔽にふさわしい葉、葉の止まり場所を選択できる必要がある。つぎに、「葉の食み痕=イモムシの存在」と認知する外敵が存在しなければならない。正常な葉と囓られた葉を瞬時に見分けて、囓った痕のすぐそばを探索できる外敵だ。ヒトにはその能力があり鍛えて伸ばすこともできる。もしくは食み痕から出る化学物質を敏感に感知できる外敵の存在だ。そのほか私などでは伺い知ることが及ばない理由があるのかもしれない。

ともあれ、元居た場所に戻って来られるってことだけでも素敵なことだ。まるで心休まるわが家を持ってるみたいだ。こんな儚い虫がそんな戦術をもっていることがちょっとうれしい。


2023.8.24(木)晴れ一時雨 謎の雲影

積雲

このところ南から暖湿風が入ってきて雲が面白い。気象学を抜きにして造形として面白い。

写真は21日に撮影したもの。こいつかどうにもわからなくなってきた。わからないのは写真の中央にある青々した影だ。これはいったいなんだというのが未解決問題になっている。

撮影時は手前の積雲の頭が背景にある雲に影を落としているのだと思った。しかしその判断はシャッターを切る前に退けた。雲の下に光源がないから。太陽はほぼ真上だ。

影が入道雲の影だということだけは確かだ。影の形状が雲の輪郭そのものだから。なら影は入道雲の下にある何かに落ちているのだ。それは何だ? 入道雲より低いところに薄い高層雲があるのだ。高層雲にできた入道雲の影が黒々と見えているのだ。よく見りゃ影は二重だし、刷毛模様もある。高層雲の特徴がありありだ。というのが21日の撮影時の結論だった。

ただし時間が経つにつれて疑念が入道雲のようにもくもくとわき上がってきた。層雲に落ちた影がこんなに黒々と見えるもんだろうか。入道雲より上にある明るい雲を隠しているのに、入道雲ははっきり見えるなんて状況があるんだろうか。層雲はかなりの厚みがあるのは確かだ。一度、青空にかかる巻層雲を飛行機で突っ切ってその厚みにおどろいた。しかしいくら厚くても希薄なんだから影が背景をさえぎるには至るまい。影が黒くなるぐらいなら、入道雲だって薄ぼんやりとしか見えないはずだ。

かなり考えてみたが腑に落ちる答が見つからない。雲の影といえば飛行機雲の影が青い線になることはよくある。2005年2月には、その影は太陽が下から飛行機雲を照らして高空の巻層雲に影が落ちてできる希有な現象だと考えたこともあった。それは早とちりだと思っている。どうにも雲をつかむのはむずかしい。


2023.8.29(火)晴れ No.10の登場か?

ギシギシ

写真は目久尻川の水中ギシギシNo.8だ。4月25日に見つけたもので、順調な生育を見せている。見つけたときから、将来を嘱望できる株だった。こいつが元気だと目久尻川めぐりのモチベーションが上がる。

ギシギシ

こちらはNo.9。ひと月前にはもうダメだと思っていた。根付いた場所が悪い。夏場は陸上の草に覆われ枯れるだろうと予想した。事実しばらくその姿は見えなかった。あきらめていたけど最近再発見した。

No.7までの7本はもういない。No.2からNo.7までは芹沢川の流れが直接当たるところに並んで生え、幾多の苦難を乗り越えて数か月は生きていた。いまその勇姿を目にすることができない。かつての生育場所には砂泥が厚く堆積して川底の様子は一変している。

あきらめつつも、いまだに一縷の望みを持って川底を眺めている。もしかしたら、埋もれた砂泥の中から葉を伸ばしてるかもしれないからだ。

ギシギシ

そして今日、もしやNo.10? と思えるものを見つけた。写真の中央、鉄板かなにかのゴミの脇に薄緑の葉らしきものがある。このへんは落ち葉のゴミも多いところであり、水中ギシギシという可能性はほとんどない。水中ギシギシであったとしても大水によって鉄板といっしょに流されるだろう。流されなかったとしてもカナダモに覆われてしまうだろう。

こいつはNo.2からNo.7の復活したものではない。もともと水中ギシギシはここにいなかった。だからこその期待をかけている。こいつがもし、水中ギシギシだと確認できれば、夏に水中から芽吹くギシギシもあるという新知見を得ることができるからだ。経過観察は怠れない。


2023.9.2(土)晴れ アシナガバチの巣

巣

写真は今日のアシナガバチの巣だ。この数日ハチの姿が見えない。部屋の増築も止まっている。もうダメみたいだ。

この巣は、モッコウバラに作られたものがアリの襲撃で壊滅し、働きバチと女王が軒裏に新築したものだと思う。もしかしたらこれが成功、つまり新メスオスがここから巣だって行くかもしれないと期待していた。

しかしほどなくして異変は起きた。巣にハチがまったくいないのだ。2〜3頭いるはずの働きバチが巣を空けるのは普通のことだが、女王まで姿を消すのは異常だ。部屋を確認すれば、育っていた幼虫がいなくなっている。襲撃をくらったようだった。

その日から1頭だけが巣で見つかるようになった。残ったのはおそらく女王だ。前回のスズメバチ襲撃とはちがって働きバチは何者かに殺されたのかもしれない。そうでなくとも第一世代なので天寿をむかえるだろう。

彼女の子らは全滅した。それでも女王は自分で餌を食べたり、巣材を集めて部屋を増築し・・・春の孤独な作業を黙々と進めていた。そして卵を産み付けた。巣の奥に黒々てかるのは幼虫に見えた。私はひそかにエールを送り、彼女の行く末を見とどけたいと思っていた。営巣が成功する見込みはないにしても。


2023.9.3(日)晴れ 謎の団粒

団粒

庭の片隅に謎の団粒を見つけたのは7月のことだった。泥団子に見えたが、不自然な物体だ。エントロピーの法則に反している。さざれ石が寄り合って巌となってコケむすという歌があるが、自然に泥が寄り合ってつややかな黒団子になることはない。何か生物の作用が働いているに違いないが、誰が何をしてこうなったのか。

こういうものに見覚えはある。反射的に動物のため糞だと思った。しかしため糞をする動物は近所に生息していない。サイズも小さい。ミミズは団粒を作るが、こんなに大きくつややかではない。ハッタミミズとかシーボルトミミズもこの辺にはいない。

団粒

謎の団粒があるのは、枯れ木のそばだ。この枯れ木は近所から持ってきた物だ。ナラ枯れかなにかで道路に落ちた枝であるが、着生しているシダ・コケの案配が絶妙だった。持ち帰ってしばらく居間に置いて鑑賞していた。居間環境ではシダコケは半年しかもたず、見応えが失せると庭に放置したままにしておいた。

1年ほどはたっていたろうか。その間、枯れ木のことを思い出すこともなかった。

コウガイビル

この枯れ木が何か関係あるだろうと、持ってみると異常に軽かった。中身がすっかりなくなって表皮だけになっていたのだ。

裏返してみればクロコウガイビルが休んでいた。さすがに材が消えたのはこいつのせいではあるまい。団粒もコウガイビルとは無関係だろう。おそらく菌類が水と二酸化炭素にしたんだろうとそのときは思った。

コフキコガネ

ひと月ほども団粒の成因がわからず悶々としていた。手がかりを求めて先月28日に再び材を裏返してみた。するとコフキコガネの死骸がそこにあった。

これには驚いた。こんな所に用はないだろう。住宅地に多いコガネムシではあるので、夜に飛び回って歩き回ってたまたまここで力尽きたのだと思えた。

なにか心に引っかかるものこそあれ、コフキコガネの発見時にはピンと来なかった。

ようやく昨日になってその引っかかりが判明した。謎の団粒はカブトムシの糞にそっくりなのだ。ただし、サイズが小さくカブトムシの半分ほどしかない。どうやら中型のコガネムシかクワガタの糞ではなかろうか。何かの幼虫が材の中に入っていて、材を食べて出した糞が謎の団粒というのが正解っぽい。

さすがにコフキコガネが幼虫時代に作ったものじゃないとは思う。しかし私にヒントを与えようとここで最期を迎えたのだろう。馬鹿げた発想だが、虫はそんな馬鹿げたことをよく起こすから。


2023.9.4(月)くもりときどき雨 ハラビロカマキリに気づかず

モンクロシャチホコ

ジューンベリーについたモンクロシャチホコ幼虫は順調に生育している。小さいうちは群れになって枝を移動しながら葉を食べる。移動距離は意外と大きいので食べ始めは気づかないことが多い。5枚ばかりの葉が消えてから、ようやくそこだと気づくことができる。

それはいいのだが、この写真右上にいるハラビロカマキリにしばらく気づかなかった。撮ってるときはいうまでもなく、写真をパソコンで開いて、フォトショップでレベル補正をして、たまたま見聞録に上げるためにグラフィックコンバーターで正方形に切り抜き、リサイズして、アップロードしても気づかなかった。

撮った虫に気づかないことはよくある話だが、午後に境川で撮った写真を追加アップロードするときにやっと気づくってのは初めてだ。初とはいえ、いまや愕然とするほどのショックはない。


2023.9.5(火)晴れ カマキリに気づく

昨日、エノキの葉にとまるアカボシゴマダラの幼虫を見つけた。けっこう大きな幼虫だ。ここまで成長する前に見つけられなかったのは残念だが、それなりに隠蔽上手なんで、まあよしといったところだ。

エノキ

今朝も同じ場所を探してみたが、いない。近くの葉を根掘り葉掘り探しても見つからない。何かの事故か、蛹化場所に移動したものか、原因究明は時すでに遅しか。

カマキリ

そのとき、アカボシゴマダラの止まっていた葉の奥の枝にカマキリがいるのが目にとまった。今日はカマキリを見逃さなかったぞ。先日ヤブガラシの葉にいたヤツだろう・・・とファインダーを覗いてシャッターを切った。

カマキリ

ピントを確認して、もう1回・・・と探っているとカマキリが何か小さな物をつかんでいるのがわかった。さては・・・こいつアカボシゴマダラか? ただしファインダーでは物の正体がいまいちわからない。慎重に3回シャッターを切った。

撮った画像を拡大してチェックすると、やはりそれはアカボシゴマダラの破片だった。緑のボディーに2つのトゲがついている。 十中八九行方不明の幼虫に違いあるまい。今日はぎりぎりのタイミングでカマキリを見逃さなかった。自分をほめてやりたい。


2023.9.9(土)雨のち晴れ 糞で気づく

キイロスズメの糞

ゆるく栽培している東のヤブガラシの葉に大きな糞が落ちていた。このサイズは蛾の幼虫としても最大クラスだ。そうなるとキイロスズメの終齢幼虫が落としたものに違いない。ヤブガラシの上にはヤマノイモがある。

キイロスズメ

見上げると運良くキイロスズメの幼虫が見つかった。発見しやすいところにいるから遠目にもわかった。

東のヤマノイモは今朝までノーチェックで来ていた。二階の窓から糸を垂らしてヤマノイモを登らせて何か来ないかと期待はしていたものの、そう簡単にことは運ぶまいと半分のあきらめがあった。ここまで来れば蛹化まであと一歩だ。

キイロスズメの糞

こちらの糞は身に覚えのあるもの。ベランダに登らせたヤマノイモに2頭のキイロスズメ幼虫を確認している。その一つが頭上にいるのだ。見上げればすぐに見つかった。

キイロスズメの幼虫

体色は違うけど、こちらもキイロスズメの幼虫。先の緑色イモムシは色合いもテクスチャもちょうどヤマノイモの葉を模して、うまく隠蔽擬態できている。こちらのオレンジ色は目立つ。だがこれもわるくない。たまたまヤマノイモの枯れ葉がそばにあって、なるほどこれか!と気づいた。

今年は積極的にヤマノイモを栽培しており、キイロスズメもけっこうやってきている。幼虫だけでなく成虫も見ている。夜にブンッという羽音を聞くこともある。ヤマノイモ栽培はムカゴという実用的な目的だけではない。虫が来れば喜びもひとしおだ。

モンクロシャチホコの糞

こちらはオレンジ色の糞。キイロスズメではなくモンクロシャチホコのだ。今年もそれなりの数の毛虫がジューンベリーを食い荒らして大量の糞を落としている。

いくぶんやっかいなのはスイレン鉢にも落ちることだ。いまスイレン鉢はこの糞がたまって水が赤黒く変色している。

そもそもジューンベリーの下にスイレン鉢を置いたのは失敗だった。かといって移動するのも枝を切るのも面倒だ。モンクロシャチホコの糞ごときでは水質に悪影響はないだろうという希望的観測のもとに放置している。


2023.9.10(日)晴れ もう1頭いる

キイロスズメ

今日の夕刻になって、東のヤマノイモにもう1頭、キイロスズメ幼虫がいることに気づいた。きっかけは糞ではない。緑色のは元気かな?と見上げると目に入ってきたのだ。とにかく巨大、りっぱなものだ。

キイロスズメの幼虫

ヤマノイモは昨日に比べてもこころなしか葉が減っているように見える。こんな立派な幼虫を2頭育てるってのは骨折りだ。


2023.9.19(日)晴れ 羽化したアシナガバチ

アシナガバチ

今朝、アシナガバチが羽化していた。蛹室ができているのを確認したのが4日のことだから、蛹の期間は2週間ほどになるのだろう。

4日に蛹室を確認したときには他の幼虫の姿もあった。しかしその幼虫を育てる者がいなかった。全員餓死してしまったはずだ。

成虫になったのはめでたいけれど、こいつには明日の仕事がない。もう守るべき母親も育てるべき妹も弟もいない。もしオスだったら飢えてしまうかもしれない。普通の働きバチならヤブガラシで蜜を飲んだり、その辺のイモムシを狩ったりして生きることはできるだろう。

こいつは、ただの廃墟になっている巣なんか早々に見捨ててのんきに生きるのだろうか。自由ではあるけれど、やることがなくて張り合いのない生活になるのかもしれない。「私は何のためにここにいるのか。生きる目的とは何だろう」などと思い悩むことはないだろうが。


2023.9.20(日)晴れのちくもり セスジススメとヤブガラシ

セスジスズメ

すっかり秋になって、雑草鉢の日当たりを調整しようと移動したら、セスジスズメの幼虫が見つかった。鉢とコンクリブロックの間隙に伸びたヤブガラシについている。

庭のヤブガラシは保護雑草で、けっこうな勢いで繁茂している。秋になって花もそろそろ終わりかという今でも芽吹いて成長するのがいる。

ヤブガラシを保護対象にしているのは、虫の蜜源と食草にするためだ。期待する虫のナンバーワンがセスジスズメというのは言うまでもない。

セスジスズメの幼虫がいるのは、なぜか決まって地面の雑草にまとわりつくヤブガラシだ。ヤマノイモと覇権を競うように大きく伸びているヤブガラシで見つかったことはない。

一方でヤブガラシは雑草として駆除しなければならない場合もある。クサイチゴやヨモギを覆ってしまうといささか腹が立つのだ。しかし、そういうヤブガラシに限ってセスジスズメが見つかり、刈らずにおくことになる。

今朝見つかったのは小さい個体で、ほかにもいそうだと探って3頭見つかった。母親が物陰に隠れこっそりと卵を産んだ結果がこれだ。幼虫が捕食者に見つからないようにという配慮なのか、栄養的に適しているのか、彼女の意図はしるよしもない。しかしあまり葉がないヤブガラシでは早晩幼虫たちは飢えるだろう。新天地を求めて道路でも歩かれるとかなわない。支柱を立てて育成しているヤブガラシに移ってもらうことにした。

セスジスズメを探していると、ナカグロクチバが見つかった。ギザとテオティワカンのピラミッドを比較のために合成したようなデザインが独特だ。去年には幼虫を見ている。成虫と幼虫が同じコンセプトでデザインされている蛾は珍しい。もともと南方系で現在北上中らしい。


2023.9.21(木)雨 鉢のムラサキカタバミ

ムラサキカタバミ

今朝、鉢植えのムラサキカタバミの茎が2本になっていることに気づいた。夏の間はさび病がひどくて地上部は枯れてしまっていたのだった。秋を迎えて復活の兆しのように思う。庭のあちらこちらにあるムラサキカタバミも1つ2つと茎を伸ばし、葉を広げている。

ムラサキカタバミ

この写真は5月18日の撮影。ムラサキカタバミを鉢植えにしたのは5月のことだった。移植ゴテで株を掘って田の土を入れた植木鉢に放り込んだだけだが、それなりにきれいになって花を咲かせていた。

今朝2つめの茎を確認したのは、2つの植木鉢のうち奥にある大きい方。

ムラサキカタバミ

この鉢のムラサキカタバミは6月にさび病が出て、7月にはいると瀕死状態になった。写真は7月1日の撮影。小さい方の鉢は、さび病が蔓延したとき早々に地上部を刈りとってみた。するとすぐに数本の芽をふいて、丈夫なものだと感心していた。

ムラサキカタバミ

さび病の破壊力はものすごいものがある。この鉢は7月の半ばにすっかり枯れてしまった。写真の撮影は7月12日。小さい鉢の芽も大きく育つことはなく枯れてしまった。庭に生えているものも全滅だった。

8月にはムラサキカタバミの鉢の面影はすっかりなくなった。小さい鉢は早々にあきらめてアカマンマの鉢に変更したが、大きいほうは先行きを観察するために放置することにした。

ムラサキカタバミ

そして9月15日、ついに1本目の芽が出てきた。もうだめなのかもしれないとあきらめかけた夏だった。

ムラサキカタバミは50年以上前からの知己だ。そのころはさび病の蔓延や夏の休眠もなかったような記憶がある。全農教の「新版 日本原色雑草図鑑」では、通年成長し暖地の樹園地などでは強害草という記述もある。それは愛媛のみかん山で育った私の印象と一致している。夏にムラサキカタバミがないという印象はない。

神奈川のこのあたりでは、夏期にはムラサキカタバミは花も葉も見ない。夏に見られないのは、普通に休眠しているのだろうか。それともさび病のためなのだろうか。

じつはただ1件、梅雨時に鳶尾山で花をつけているきれいな株を見た。自転車で横目で見て「うちのは枯れてるのに、さすが大自然のムラサキカタバミは美しい」などと惚けた感慨をいだいて通り過ぎた。遠目でもあり、本当にムラサキカタバミだったかどうか怪しい。ちゃんと記録しておけばよかったと今頃になって後悔している。


2023.9.23(土)くもりときどき雨 午後のアシナガバチ

アシナガバチ

午後、アシナガバチの巣を見に行けば、そこにハチの姿があった。いくぶんほっとした。というのは、昨日の朝には巣にハチがいなかったからだ。

巣から離れるのは巣を見限ったか、力尽きたことが考えられる。見限るにしても力尽きるにしても少し早いんじゃないかという気がする。これはちょっと目が離せない展開だと、観察頻度を上げてた。

今巣にいるということは、昨日の日中の留守は近所で花の蜜でも吸ってたんだろう。きっとこのアシナガバチは働きバチとして自分で生きる器量もあるのだと思う。


2023.9.25(月)晴れ アシナガバチの希望

アシナガバチ

今朝、アシナガバチは巣にいた。顔が見える位置に止まっている。見慣れたアシナガバチよりも顔の色が薄いような気がする。セグロアシナガバチなどは、オスの顔色は薄いらしい。もしかしてこれはオスなんだろうか。

尊敬する新開さんのブログによると、アシナガバチはオスも自分で餌をとるということだ。私はアシナガバチのオスは繁殖以外能なしで、食べ物はもっぱら働きバチからもらうのだと思い込んでいた。思い込みはよくない。観察の目をくもらせてしまう。

ともあれ、これがオスならまた小さな希望の火がともる。ついにわが家から次の世代が巣立っていく、その可能性だ。

巣その1は早々に女王が行方不明になり、巣その2はスズメバチとアリの攻撃を受けて壊滅した。しかし、巣その2の生き残った女王たちは新たな巣を作った。その巣では順調に幼虫が育つかに見えたが、何かのトラブルで女王たちがいなくなった。もうだめだとあきらめていたところに1頭の幼虫が蛹になった。ぎりぎり間にあったのだ。その蛹はオスだ。羽化したオスはしばらく巣で一人暮らしをしていた。そして、よく晴れた秋の日に彼は新メスを求めて飛び立っていったのであった。

というような感じで希望はある。いまいるハチがいなくなってもむなしさだけ残るわけではない。


2023.9.27(水)晴れ メリケンカルカヤ

寄せ植え

この夏は植木鉢での寄せ植えをやってみた。アカマンマとかムラサキカタバミとかひいきの雑草を庭から移植して育てている。

一方、写真の鉢は自分で植えるのではなく勝手に生えてくるのを鑑賞するものだ。この撮影は5月19日。

右上にイネ科の雑草が写っている。この時点ではかわいく収まっているが、すぐに大きくなってレイアウトを破壊しそうだった。ただすぐに排除するのはやめて、その正体がはっきりするまでは放置することにした。

寄せ植え

現状、ものすごく立派になって花が咲いた。こいつはどうやらメリケンカルカヤのようだ。私の庭にこういうからっと陽気系の雑草はない。近所にもメリケンカルカヤの草むらはない。けっこう遠くから種が運ばれたようだ。種は落下傘ふうだ。

レイアウトは予想通り崩れ、もうもてあましている。

ここにあるからには取るに足らない雑草だろう。取るに足らないどころか、どこかでは迷惑がられてるおそれだってある。とはいっても毎日眺めたり、酷暑のときには早朝、夕方に水をやってたりして愛着が出てきた。

寄せ植え

メリケンカルカヤはこれまで意識したことのない雑草だった。さてこいつは野生ではどんなんだろうと、イネ科雑草の本場にでかけた。

大河川相模川と工場地帯にはさまれた土手は陽気系イネ科雑草の楽園である。メリケンカルカヤもいっぱいあった。私のやつみたいなひょろっとしたのもあるが、写真のような群落もある。大自然の中ではいきいきして立派。見違えるほどだ。古来よく言われるように「野草は野に置け」ってのは確かだと思った。


2023.9.29(金)晴れ TG-7は買いか?

TG-7の予約が開始されている。このカメラを買うかどうかは思案のしどころだ。

私が持っている10台ほどの写真機で、どれか1台にしろといわれたら迷うことなくTG-5を選ぶ。たまたま見聞録でも外で撮ったカットは圧倒的にTGシリーズの物が多い。

初代のTG-1が出たとき、欲しかったが買わなかった。貧乏性だからだ。TG-2が発売になったとき、どういうわけかTG-1が半値で叩き売られた。どうも市場の皆さんが気に入らない部分があったらしい。でもTG-1を使ってみれば十分よくできたカメラだった。我慢ならないのは、マニュアルフォーカス機能がないことだった。マニュアルフォーカスがないと、クモの巣、トンボ、カラスウリなんかの撮影は絶望的に難しいのだ。それでTG-2、3、4は私のカメラではないと見送った。何がどう改良されようとマニュアルフォーカスがないカメラはいらない。そして今持っているTG-5が登場したときは飛びついて買った。6年間で2回、致命的な故障をした機械であるけれど、たいへん気に入っている。

TG-7はTG-5より格段に進歩しているはずだ。しかし、カタログを見る限り、買い換えるほどのことはない。ただ、1点だけ気になるところがある。

タイワンリス

左は8月に撮ったリスだ。画面左の方にリスがいるという有り得ない構図だ。こうなったのは苦肉の策だ。画面中心にぼんやりした赤紫の光、ゴーストがある。これがTG-5のウィークポイントだ。逆光のシーンでよく起きる。太陽光が直接レンズに当たってるわけでもないのにできる味もへったくれもない邪魔なシミだ。

撮影時にわかっていたから、あえて主人公のリスにこの赤紫シミがつかないように左に寄せたのだ。いま思えば左上隅のほうがトリミングは容易だったかもしれない。まあ、こういうシャッターチャンスを逃しそうな状況下で置きがちなトラブルなんで、対策を考える余裕はない。

TG-6が出たときに、この仕様が改善されている保証はなかった。それで購入を見送り、TG-7に期待した。ところが、2年たっても3年たってもTG-7は現れず、TGシリーズは打ち切りかもしれないとあきらめかけたところにTG-7の登場だ。さてこの赤紫のシミが出なければ即買いなのだ。使ってみなければわからない部分だけに迷いは深い。


2023.10.1(日)くもり ぼろいアゲハ

バイトに行くために中央林間駅に向かっていると、前の上空をアゲハが飛んでいた。ぼろい個体で右の翅がずいぶんやぶけている。半分ほどを失っているのだ。それでも飛ぶことに支障はないようで、よれることなく元気に飛んでいる。

たいしたもんだと眺めていると、左右の翅のはばたきピッチが異なっていることに気づいた。右の翅は目見当で2倍のピッチだ。

なるほどなと感心した。やぶけた翅で同じ揚力を得るにはピッチを上げることになる。アゲハは左右別々に翅を動かして平衡を保ち意志通りに飛ぶことができるのか。


2023.10.12(木)晴れ 紅葉の秘密

ソメイヨシノ

いまや愛玩動物と化したクロナガアリの食料調達のためナカガワで境川。境川にもセイバンモロコシは無尽蔵だ。しかし、この季節は無慈悲な草刈りが入る。まったく油断できない。集められるうちに種集め。

いつも昼飯をとる水路の脇にソメイヨシノが咲いていた。10輪ほどある。新しい葉も出ている。この狂い咲きは夏の終わりの食害が原因だ。この桜はモンクロシャチホコあたりに全ての葉を食われた。それで調子が狂い花芽が開いたのだろう。

私はこの手の狂い咲きと紅葉に密接な関係ありと踏んでいる。葉が紅葉するのは「冬が来るぞ」という化学サインを芽に送るためだ。ソメイヨシノは春の開花シーズンに、積算温度などのメカニズムがテレビで解説される。私はそれ以前に、紅葉が出す化学物質によって芽吹きの抑制が起きていると断定している。

湘南は台風の塩害が多いところで、まだ秋早いうちにケヤキやヌルデが落葉することがある。そうした枝がちょくちょく秋の新緑になってしまう。あれも抑制サインが芽に届かなかったのだろう。

むろん全てが紅葉に依存するわけではない。紅葉が全てならこの桜は満開だ。芽吹き、開花に日照や気温等の環境要因は大きいはずだ。植物であれば環境をまず見るだろう。

ミズキは春にキアシドクガの食害を受け丸裸にされる。ところが、梅雨前には葉を展開して何事もなかったかのように夏を迎える。夏なら失った葉を慌てて再生産する必要があるが、それを秋にやってしまうとロスになる。いくら暖かくても10月は10月。開花にも芽吹きにも早すぎる。そのフライングをストップさせるのが紅葉の役割だ。こうしたアイデアは植物学ド素人の私が妄想しているものだ。本当のところはさっぱりわからない。

ただし、すでに紅葉の秘密は解き明かされているということだけがはっきりしている。

もう20年ほど前になるだろうか。東大の塚田さんから「紅葉の秘密が解けました!」と話があった。その中身は聞いていない。なんだか教えてもらうのが恐れ多くて気が引けたのだ。塚田さんの研究成果を生かせる立場になく、お時間をいただくわけにいかなかった。塚田さんほどの方が確信持って解けたとおっしゃったのだから、とっても素敵な発見があったのだろう、その大発見に触れる機会は早晩あるだろうと、そのときは思っていた。


2023.10.18(水)晴れ この秋のジョロウグモ

ジョロウグモ

自転車で走っていてきれいなジョロウグモを見つけるとついつい撮ってしまう。というのもこの秋は庭にジョロウグモがいないからだ。ジョロウグモがいない秋を迎えるのは初めてのことでかなり寂しい。

ジョロウグモは夏のはじめからいなかったわけではない。近くに卵があったらしく梅雨時には小さいのがたくさんいた。ところが盛夏になると一頭また一頭といなくなり9月には姿が消えた。餌不足で力尽きたのかと思う。年を追うごとに虫が激減している庭である。

餌不足の要因として、例外的に高温小雨の夏だったからだろうか。来年は良い気候になったとしても、この近所にジョロウグモの姿がないから、戻ってくる可能性は小さい。

変といえば、この秋はセミが鳴かない。10月のいまも気温が高く晴れた日が多いがセミを聞かない。

10月の初旬にはアブラゼミやツクツクボウシが例年通り元気に鳴いていた。それが中旬にものすごく冷え込んだ日があり、それを境に鳴いてもいいはずの天気、場所でセミの声がしない。初秋まで高温が続いたせいで、セミはやることをやり切って早々に死んでしまったのだろうか。予想では11月までセミが聞かれると思っていたのだが、浅知恵だった。


2023.11.6(月)晴れのちくもり スズバチの巣

スズバチの巣

ウィリエールで境川。いつも休憩する水路脇でスズバチの巣を見つけた。水路のコンクリ壁はスズバチの巣作りに格好らしい。もう何個も見てきている。これは空き巣で、数年前のものかもしれない。スズバチの巣は1年や2年で崩壊することはない。

巣にある丸い穴は成虫のハチが脱出した痕だ。巣の壁はコンクリートのように固い。守備力の高さは昆虫界随一かもしれない。考えてみれば、その固い壁を穿って出てくるのは大仕事のはずだ。

脱出直後なら顎で丸く切った痕が歴然だ。ハチの顎で削るだけで穴ができるのだろうか。もしかしたら母親は巣を作るときに化学物質を用いて泥を接着しているのかもしれない。子どもは酵素的な融解剤を吐いて泥壁を解かすのではないだろうか。今日はそんなことを考えた。

スズバチは20年ほど前にはわが家にも巣を作っていた。玄関に作られた際はつぶさに観察できた。それも今は昔。現在では近所に泥集めの場所はない。獲物のイモムシも少ないだろう。


2023.11.8(水)晴れ 立冬と小春

ムラサキカタバミ

ウィリエールで相模川流域へ。服装はTシャツ1枚に短パン。真夏といっしょだ。立冬と小春が手をつないでやってきた。

いつも休憩する休耕地脇はアカマンマやオヒシバの群落になっている。日高昆布おにぎりを食べながらアカマンマを眺めていると、そこに大好きなムラサキカタバミの花。雑草群落の中だと一味違うぞと少し得した気分。

ウィリエールは前回からC24TLデュラエースのホイールをつけている。これが好相性。ホイールは軽さ・なめらかさ・材質よりも、フレームとの相性が大切だ。群青よりもウィリエールのほうがいい感じなのはちょっとした驚きだ。

相模川の練習場は弱めの北風が吹いていた。向かい風でも27km/hを維持するのが苦にならない。『(踏む+回す)× 体重=最強』というのが私なりの最速理論だ。それぞれの力は全部いっぺんに全力でというわけにはいかない。互いに対抗するから、案配が難しい。それがやりやすいのが良い自転車というもんだ。20年以上前のアルミ廉価版フレームとはいえさすがイタリアン。走る設計になっている。

立冬で気になるのは虫たちだ。何種類か生物季節的に見聞きの開始と終了日を気にしている。ウスバキトンボ、エンマコオロギ、カネタタキは今日も健在だった。ただし、1頭2頭でしかなく風前の灯火。一方トノサマバッタはまだまだ絶好調。ヤマカガシもアマガエルも活動している。


2023.11.10(金)晴れ マックが壊れて

11月8日(水)にPowerPC G4が壊れた。起動するとパスワード入力面まで順調に進んで、パスワードは入るがそこから進まない。ハードウエアの故障ではなく、システム系ファイルのアクセス権かなにか根本的なファイルが壊れているらしい。こういうトラブルは数年ぶり。ちと困った。

データは残っている。10日ほど前にバックアップを取っている。その後のファイルで取り返しのつかないものはない。まあ被害は軽微といってよいだろう。最大で1か月バックアップをとらないこともあるから。

そのバックアップは、PCに内蔵しているHDに入っている。さてどうやって起動しようか? DVD起動してバックアップ用HDのシステムで再起動させるのは手っ取り早い。しかしPowerPC G4のDVDを入れる蓋を空ける方法がよくわからない。たぶんあるはずだが調べるのも面倒だ。という次第で筐体を開け、起動ディスクを物理的に取り出してから起動。首尾良くバックアップ用HDのシステムで立ち上がった。中のファイルを調べると10月27日からのデータを失っていることがわかった。

ファイルの種類は、撮影した写真とたまたま見聞録に上げたテキスト、Super Mac Freecellの解決データ。思い起こせば写真はカメラのカードにまだ残っているはず。300件ほどだろう。これはもう一度必要な物をえらんでレタッチすれば復旧できる。めんどうだけど。たまたま見聞録に上げたデータはダウンロードできるから簡単だ。この辺が手作りサイトのよいところ。Super Mac Freecellのデータは200件ほどだろう。これはもう一度解けばよい。10日ほどの作業だろう。というか、Super Mac Freecellに費やす手間と時間はデータが消えても変わらない。しゅくしゅくと臨むだけだから。

というわけで失うものは何もない。しかしこのまま引き下がるのは悔しい。なんとか壊れたHDを復旧できないものか?

もう一度壊れたHDを筐体に組み込んだ。立ち上がったバックアップ用から壊れたHDは見えないが、ディスクユーティリティならマウントできる。だめもとでディスクファーストエイドを試したらダメだった。壊れたファイルの復旧もプロに頼めばなんとかなるだろうけど、それほど大切なものではない。

昨日、復旧用HDへ記録メディアの写真をコピーしたり、既に解いているSuper Mac Freecellをやったり、たまたま見聞録を更新していても、壊れたHDがやっぱり気になった。もしやインストールディスクなら何かできるのではないか、駄目元で試してみようと、Mac OSX Tiger version10.4のインストールディスクを引っ張り出した。インストールディスクからは、インストール先として壊れたHDが見える。単に見えるだけで中を探ることはできない。ディスクファーストエイドはかかるが、問題なしといわれるだけだ。

インストールディスクにあるファイルを探っていると、HDの元データをシステムごと残して、新規システムを追加インストールできることがわかった。思い起こせばOSX Tigerを買ったときにその機能を試したことがあった。さすが昔のアップル、これだ!とばかりにさっそくインストール。

インストールは成功しPowerPC G4が何事もなかったかのように立ち上がった。デスクトップは3日程前に見ていたものそのものだ。もちろんバックアップ以降のファイルも残っている。Super Mac Freecellのデータは予想よりも多かった。さっそくバックアップ用HDにそれらを戻し、昨日作成したデータを壊れたHDにコピーした。これで万事解決!かと思われた。

念のために動作チェック。まずはソフトが動くかどうか。普段使いの頻度が高い順に試してみれば、iTunesが動かないことがわかった。実は iTunesには何かと煮え湯を飲まされている。すでに私の PowerPC G4ではiTunesが使えなくなっているのだ。なんせインターネットで iTunesにアクセスできないのだからどうしようもない。私の iTunesは、CDから作った音声ファイルと昔にダウンロード購入した永井真理子を聴くだけのものでしかない。しかしそれができないのは致命的だ。

アラートによれば、iTunesが動かないのはOSXのバージョンが古いかららしい。インストールされたのはversion10.4。その後何度がアップデートした記憶がある。さてインターネットができないこのPCでバージョンアップは可能なんだろうか? インターネットができないのは、ブラウザが働かないからだ。最近、といっても何年も前からだが、私のPowerPCは暗号化通信とかHTMLにもろもろ追加された機能に対応していないのだ。

もはやこれまでか? と思えたが、ダメもとでソフトウエア・アップデートなるものをつついたら、あっけなくつながってバージョンアップに成功した。しかし、iTunes は動かない。さすがこいつは手強い。今度はQuickTimeのバージョンが古いからというアラートが出ている。では、ということでそちらもソフトウエア・アップデートで解決。

これでOKだなと使っていると挙動がおかしい。ペンタブがちゃんと動いていない。IMが消えている。なぜかことえりも見えない。OSXを入れ直したら、自分で追加したソフトも入れなきゃなんないとは思うが、さっきまでは動いていたような気がする、なにか怪しい・・・とはいうものの消えたものはしょうがない。

すでにワコムのダウンロードページにはたどり着けない。ブラウザで検索してページがあることだけはわかる。しょうがないから新しめのMac mini でドライバをダウンロードして、USBメモリーで移して無事解決。

IMはことえりではなくATOKを使ってきた。これがけっこう優れもので手放せない。幸いインストールディスクは残っている。箱を見ればATOK2007と書いてある。15年も前のものかと感慨深い。さっそくインストールをはじめると、シリアルナンバーと利用者IDを入れろという。ちょっとぎくっとした。ATOK2007の箱の中にはその番号を書いてある紙がない。きっと保証書なんかを入れてある箱にあるはず・・・と探ると底の方からその紙が見つかった。その紙にある番号を打てば首尾良くインストールできた。念のためにPCに保存のパスワード系データを見ればシリアルナンバーが変わっている。どうやらインターネットを使ってバージョンアップしてたようだ。危ないところだった。バージョンアップ版はたぶんNHKの用字用語字典対応だろう。あれはあきらめるでいいや。

いま天地無朋を書いてブラウザで確認すると、Safariの表示が乱れている。FireFoxならOKだから、たぶんSafariがスタイルシート未対応のせいだ。これもソフトウエア・アップデートで解決できるはずだ。あと何が出てくるかな〜。


2023.11.14(火)晴れ 小春の境川

クロナガアリ

このところぐんと冷え込んで最低気温は5℃ほどにもなっている。寒くなるとクロナガアリの動きが緩慢になり撮影が易しくなる。速く歩かれるとピントがどこにあっているのかシャッターを切ったときに把握できない。勢い数打ちゃ当たる方式になってしまう。

太陽が高くなると絵に描いたような小春になった。群青で境川にでかける。群青にはウィリエールから換装した廉価版のホイールをつけた。走り出すと快調そのものだ。ホイールのダウングレードなんて無関係だ。どうかな? という気持ちも幾分あったけれど、群青もいいフレームなんだ。

このところギアを重くして体重を乗せる走り方にしている。しばらくサドルに体重をあずけてひたすら回す練習を続けていた。そのやり方だと尻が痛い。初心者みたいに皮がむけるのだ。さすがに辟易してきた。ペダルに体重をあずけるにしても、回すコツが身についてきたぶん人車一体感が増している。

小春とはいえ秋は深い。ウスバキトンボは遠目に1頭見えただけだ。夏には群れ飛んでいた林の風下にもいない。ユスリカみたいな虫は飛んでいるのに、と目で追えばそれは草の種だった。エンマコオロギはついに聞かれず。カネタタキはいくらか聞くことができた。


2023.11.16(火)晴れのちくもり 晩秋の田んぼ水槽

田んぼ水槽

居間にセットしてある田んぼ水槽はまもなく2年を迎える。ここにきて水は青く澄み、マツバイはびっしり底泥を覆い芝生状態。ロタラ(キカシグサ?)はいくぶん元気がない感じだが、通常一年ほど経てばこんな感じだ。

この秋にちょっと変化をつけたのは巻き貝の導入だ。レッドラムズホーンというのを1匹入れてみた。写真では右隅のほうに写っている。レッドラムズホーンは熱帯魚をやっておれば定番の巻き貝だ。わざわざ導入しなくても水草なんかについてきてかってに増える。じつはこいつも娘がやっている熱帯魚のアクアリウムにわいてきたものだ。

私の経験では、レッドラムズホーンも育成は簡単ではなかった。セット5年以上の水槽で、絶滅はしないものの成長が悪くてこまった。貝が小さいまま殻が白濁して成長できないのだ。酸性の水で殻が溶けるのか、食べ物が少ないのか。30年ほど前のあの頃は、レッドラムズホーンの餌になるだろうと、コケを増やすために肥料を投入していたものだ。

いまの田んぼ水槽では絶好調だ。水面に餌を落としておくと逆さまになって水面を這って餌を食べに来る。ガラス面や水草の何かを食べているのはもちろんだ。しばらく白っぽいもふもふ感のあるコケらしいものが水草についていたが、レッドラムズホーンを入れてから少なくなった。水の透明度も増した気がする。

そして子貝がわいてきた。放置しておけば無限増殖する勢いだ。卵もあちこちについている。昔年の苦労が嘘のようだ。熱帯魚水槽でも最初は増える生き物だ。うっとうしくなれば駆除は簡単である。かわいい存在になっているのが、ちいさな障壁ではあるが。

ちなみに私が熱帯魚をやってたころはレッドラムズホーンというよりもレッドラムションという呼称が一般だった。 Lambshornってのを誤読したのだろう。いまだにレッドラムションのほうがしっくり来る。


2023.11.22(水)晴れ 紅葉とアブラゼミ

上荻野小学校

写真の林でアブラゼミが鳴いていた。11月にアブラゼミを聞くのはままあることだが、下旬というと過去記憶にない。

この林は上荻野小学校の裏山にあたる。雑木林に若干の手を入れて子どもたちが入れるようにしてある。自然に触れ合う場所としてPTAが整備したようだ。

ここに来た目的はむろんアブラゼミではない。今日は登りの感触をみようとウィリエールで鳶尾山に行った。鳶尾山ならそろそろフユシャクが出ているかもしれないという期待があった。例年フユシャクは12月の上旬に見ている。その発生期は短く頻繁にフィールドを訪ねる必要がある。早めに見ておくにしくはない。残念鳶尾山では見つからず、フィールドNo.2の上荻野も回ることにしたのだ。

アブラゼミは10月の中旬にぱったり鳴かなくなった。10月は異様に暖かく上旬にはうるさいほど鳴いていたが、一度あった冷たい雨の日以来まったく聞かれなくなった。暖かさが戻れば鳴くだろうと注意していたものの、11月のなかばともなればアブラゼミのことは忘れ、エンマコオロギやカネタタキに気が移る。カネタタキは今日もほうぼうで声を聞いた。

神奈川のこのあたりの山野はようやく紅葉らしい色合いにそまっている。クヌギやコナラの渋い黄色がいい。塩害がなかったのにケヤキの色づきはだめだ。写真の紅葉は植栽されたカエデだ。見頃はとっくに過ぎている。ともあれアブラゼミと紅葉のコラボは貴重だ。


2023.11.24(金)晴れ 花が咲く>

黄色い花

庭に黄色い花が咲いた。この花の正体はよくわからない。キク科の園芸種だろうと思う。

芽吹き

この植物に気づいたのは7月6日のことだった。女房が買ってきた園芸種を入れたプラスチック容器が空きになっていた。そこにいたはずの花が終わり、そのまま放置されたものだ。

私の興味はそういう状態のところからどんな草が生えてくるのかにある。写真は芽吹きで、子葉が持ち上がっている。かなり大きな種だ。

キク科

翌7月7日には双葉になった。この先の成長が楽しみになって露地に移植した。そしてムラサキカタバミやヨモギなんかの仲間に昇格させて毎朝チェックすることにした。

キク科

写真は10月10日のもの。この植物の生長はあきれるほど遅かった。夏が過ぎ秋になっても葉の数が少しずつ増えるだけで、見所はなく毎朝の撮影に張りはない。いいことといえば緑色の小さな尺取り虫が葉を食べたことぐらいだ。

キク科

開きはじめたつぼみをみとめたのは11月19日のことだった。開花もあきれるほどゆっくりしたものだ。つぼみがほころんで5日ばかりかかって今朝が満開なんだろう。鑑賞価値には疑問符がつくが丈夫な植物なのは確かだ。名称はまだ不明だが、園芸種なのだからそのうち判明するだろう。


2023.11.27(月)晴れ クロナガアリが戦う

クロナガアリ

朝、例によってクロナガアリの観察をしていると、アリが諍いをはじめた。セイバンモロコシの種を運んでいる働きアリに、手ぶらの働きアリがちょっかいを出す感じだ。

これまではすれ違いざまに、種を持ってないアリが、他のアリが運ぶ種に興味を示す仕草を見せることはあった。ただそこから取り合いになるようなことはなかった。

見物しているこちらは、何が起きているのかわからない。諍いは1分2分と続いた。種を持っていないほうが、種を奪おうとしているようで、持っているほうがそれを阻止する感じだ。

クロナガアリは温和なアリで喧嘩をしない。他の種類のアリに対しても攻撃する様子を見たことがない。唯一の例外はクロナガアリの同種間だ。他の家族の者とは激しく戦う。1対1でも戦うし、集団リンチのようなこともする。怪我をする者も出る。致命的な触角への噛みつき攻撃も辞さない。

今朝の諍いは攻撃を仕掛けた方が手を引く形で収まった。攻撃をしかけた方は巣の方へ、しかけられた方は巣と反対方向に種を運んで行く。せっかく巣の近くまで種を持ってきながら反転するかっこうだ。そちらの方向にはNo.2の巣がある。もしかしたら種の奪い合いではなく、異家族の喧嘩だったのか。


2023.11.28(火)晴れ 冬が来た

アオジ

朝、クロナガアリのご機嫌伺いに庭に出ると、足元から小鳥が飛び立った。アオジだ。毎年この庭にやってくる。アオジがやってくると冬だ。

冬が来たとはいえ今日はやたらと暖かい。群青で相模川に向かう。路上のカマキリやバッタは日を追って少なくなる。ぼろぼろになってやりきった感じの個体が目立つ。モンシロチョウ、モンキチョウはどっちが長く見られるだろう。例年モンキチョウに軍配が上がっている。休耕地の草むらからエンマコオロギが聞こえた。たった1回だけの誘い鳴きで、空耳かもしれない。ちゃんと確かめようと自転車を降りてしばらく待ったが声はしなかった。

天気晴朗なれど風強し。昨夜テレビの天気予報からこの南風が予想できなかった。相模川の橋を走ると横風を受け恐いぐらいだ。強風で自転車に乗るのが面白くない。向かい風は嫌いではないが、今日の風は息をしている。どういう加減か弱くなったり強くなったり、風向きも変わる。自転車の練習にならず逃げ帰ることにした。

帰宅してヤマノイモを片付けようと思いついた。今年はヤマノイモを好き放題に伸ばしてやる作戦をとった。のびのび育ってくれたのはいいが、収穫はなかった。どうしたことかムカゴのできが最悪なのだ。キイロスズメが何頭か育ったのだけが成果だ。冬を迎えた今日、ヤマノイモをいつまでも家屋に巻き付かせておく理由はない。

ヤマノイモのツルを切るためのハサミをポケットに入れて庭にでるとアオジが来ていた。セリぼうぼうのスイレン鉢で水を飲んでいた。


2023.11.29(水)晴れ ストロボで撮る

キュウリグサ

荻野川と畑に挟まれた農道にキュウリグサが咲いている。今日はそれをきれいに撮ってやろうと思った。

昼頃からここは日影になる。快晴で日影となると真っ暗だ。季節外れの花は小さくて5mmもない。しかも白っぽいと来ている。まあ撮影としては難易度高になる。

こういう真っ暗シチュエーションの接写ではストロボが必要だ。一眼レフカメラでストロボを使って普通に撮ったら、肝心の花が露出オーバーになってしまう。そして背景は黒くつぶれる。

しかし私にはTG-5がある。晴天日影で小さい白い花・・・高難易度の接写にだってTG-5なら簡単に対応できる。むろんTG-5といえど漫然とストロボをたいて撮ればきれいな写真に・・・とはいかない。ちょっとした技を使わなければならない。

TG-5にはストロボ接写専用にFD-1というアダプターがある。技といっても単にFD-1をつけて、ストロボをアンダー、自然光の露出をオーバーにするだけだ。簡単である。この写真ではストロボをー1、自然光を+1にしてみた。あとはピントも色もオートだ。うまい具合に、太陽光が当たっているかのような自然な写真になった。

かつてフィルムで撮ってたときなら、この程度の写真をものにするのにパトローネ1本を使うはずだ。予算は現像込みで1500円ほどだ。このキュウリグサに1500円をかけられるか? 胸に手を当てて考え込んだろう。


2023.12.3(日)晴れ 田んぼ水槽の白濁

田んぼ水槽

居間の田んぼ水槽はまもなくセット2年を迎える。写真は今朝撮ったもの。午前8時、画面右手から窓ガラス越しに朝日が差し込んできた。日が当たる時間はすっかり短くなった。

この数日、田んぼ水槽にちょっとした異変を感じている。写真でもわかるように、水がかなり白濁してきているのだ。1週間ほど前まで水は澄み切っていた。それが急に濁って来たのだから何かの異変があったのだろう。

こうした白濁はこれまでにも経験している。いまだにその原因に心当たりがない。今回もそうだ。白濁の正体をつきとめるべく、ルーペで目をこらしても何も見えない。

今回の白濁になにか原因かあるとすれば室温の低下が考えられる。この数日の冷え込みで、夜間から早朝にかけて水温は10℃以下に下がっているだろう。それで生理的な変化があるのかもしれない。

また、白濁以外の変わったことといえば、マツバイの葉がやたらと浮いていることだ。青いものも黄色いものも浮いている。その原因がわからない。レッドラムズホーンが噛み切るようなことがあるのだろうか。また、4匹いるはずのミナミヌマエビの姿が見えない。快調なら泳ぎ回っているはずだ。探してみれば、マツバイの中に体を突っ込んでじっとしている。冷えているからだろうか。


2023.12.15(金)くもりときどき雨 楕円の式

楕円の式

のなか物理愛のコペルニクス回で懐かしの楕円が出てきた。太陽系の惑星の軌道は円ではなく楕円という歴史的大発見と3定理の話だ。

コペルニクスの定理は50年ほど前に大学受験用に覚えた。楕円っていいよな〜と感動しつつ、ふと楕円の式を導いたことがないことに気づいた。楕円好きならそれぐらいはできないとダメだ。いっちょやってやろうと決意した。

『2つの焦点と楕円上を結ぶ2本の線分長の合計は一定』という楕円の定義もその式も忘れてはいない。三平方の定理だけで行けそうだ。数学は中学校卒業程度の実力だが、知っているものを導くだけだから難しくはないだろう。

私は勉強好きではない。50年前から不真面目でずぼらだ。布団にはいって寝付く前に暗算でいこうと思った。短半径と長半径の長さをa、bとしてデカルト座標でY軸X軸と楕円が交わる所(x、y)の値は簡単にa、bで示せる。さらにxの値が焦点に重なるときの(x、y)もa、bで書ける。この3点がa、bで示せるんだから、なんとかなりそうだ。この思いつきには我ながら「やるなお前!」と布団の中で思った。

ところが私は暗算力がかなり低い。ルートとか分数が出てくるともうだめだ。直前に作った式に値を代入しようとすると、その式自体を忘れている。式を思いだすと今度は代入すべき値を忘れているという有様だ。暗算力は低いのに意地っ張りなものだからそんなことを繰り返していた。

3日もたてば、楕円の式が頭にこびりついてしまった。日常生活でもふとしたときに数式が現れる。ついに生活に支障をきたす恐れがでてきた。

受験生でもないのにこりゃまずい。あきらめて紙と鉛筆で解くことにした。

数式が見えてればすんなり行くかとおもいきや、何度やってもあり得ない解が出てくる。今にして思えばルートの計算とか式の変形にミスがあったのだ。とにかく時間がかかるったらありゃしない。しまいには三平方の定理で愚直にやるだけではダメなのか?何かひらめきが必要なのか?と疑心暗鬼になった。そんな姿を女房は「へえ〜勉強してるんだ、えらいね」と応援してくれる。やや冷ややかではあるが。

紙と鉛筆を持ち歩いて一週間ほどもたったある夜、ついに愛媛県大洲市のホテルで今日の写真のように解決を得た。すごくうれしかった。まさか楕円の式を導いたぐらいであんなに興奮するとは予想だにしなかった。あんまりうれしいもんだから女房のベッドに行って解説を始めた。「へーすごい、えらかったね」とめんどくさそうな冷めた声も気にならなかった。


2023.12.22(金)晴れ 今年のフユシャク

今年のフユシャクはどうもだめみたいだ。フユシャクはシーズン真っ盛りだが、私が見たいのは数多いフユシャクの中でクロスジフユエダシャクだけだ。クロスジフユエダシャクはこの辺にもたくさんいて、昼でも活発に飛び回る。だから自転車に乗っていても普通に出会える。普通っていうのが第一の琴線ポイント。

クロスジフユエダシャクは地面の低い所を活発に飛ぶ。枯葉なんかに紛れているメスを探しているということだ。オスにはそれしかやることがないのか全然落ち着きがない。撮影は高難度になる。警戒されるからではない。人間なんかにかまう暇なんかないって感じだ。それだけにうまく撮れると喜びもひとしおだ。

私のフユシャクポイントでは例年12月の初旬に現れる。残念ながら今年は12月初旬にぽっかり1週間探索できる日がなかった。今週は毎日ポイントを回りながらひらひら飛ぶベージュのオスを探したが、だめだった。シーズンは終わったのだろうが、もしや標高が高いところならまだいるかもしれないと、今日は半原越にでかけた。不確かながら半原越でも見た記憶はある。やはりだめだった。ぼうずになった峠のサイクリングは寒くてこたえる。今朝は冷え込んでスイレン鉢は初氷だった。

ただ20日には尾根緑道で夜にしか出会えないはずのクロオビナミフユシャクが偶然見つかった。望外の収穫だ。こんな年もあるだろう。


2023.12.24(日)晴れ 楕円は傾いた円

楕円の式

この数日、すっかり楕円にはまってしまった。ちょいとした隙にも頭の中に楕円が浮かんでくる。自転車に乗っているとマンホールの蓋が目につく。なるべく踏まないように避ける対象だから普段から気にはしているが、いまはちょっと違う。

楕円の定義は2つの焦点と周をむすぶ線の長さが一定になる図形だ。しかしこの定義が元だとは思えない。やはり円を斜めにしたのが楕円ではないかと思うのだ。式をみても、aとbだけ伸び縮みさせているように見える。直観ではそう見えても、傾いた円が楕円ということは自明ではない。

自転車に乗りながら頭の中のデカルト座標に円を描いて、傾けて計算すれば、簡単にそのことが証明できるという感触を得た。

それで今日の図のようにやってみた。半径1の円を倒して短経aの楕円っぽいものにする。円と新しくできた楕円の高さの割合が1とaとの割合になっておればよいというアイデアを形にしたものだ。


2023.12.25(月)晴れ 楕円の焦点を探る

楕円の式

傾いた円は楕円というのは見ればわかる。一方で2つの焦点が出てくる楕円の定義は意味不明なところがある。「なんでそーなるの?」っていう欽ちゃん的疑問は数学的に解かねばならない。

円の作図ならば棒を立ててひもを結び、ぐるっと一周すればいい。それと同じ調子で二本の棒を立ててひもの両端を棒に結んで楕円を書くというのも大昔から行われていたろう。アルキメデス、ユークリッドの頃はそういうことを盛んにやったんだと思う。

自転車は考え事に向いている。とくに冬場は道路に出てくる虫もいないからヒマをもてあましている。今日も自転車を走らせながらマンホールの蓋を目で追って楕円のことを考えていた。気になると見つかるもので、こんなにもマンホールがあるのかと、その数の多さはあきれるほどだ。私はすでに傾いた円と楕円の定義が一致することを確認できた。マンホールには感謝だ。

マンホールを避けて走りがら、いつの間にかマンホール楕円の焦点はどうやって決めればよいのか、その方法を考えはじめた。頭の中に図を書いて数式を立てて計算すれば、あっさり暗算できた。数式ならあやふやの事象が確実なものになる。

既知の事象から新たな意味を見いだせるのは数学の醍醐味と言えよう。ケプラーは惑星は太陽のまわりを楕円軌道で公転しており、その軌道の一つの焦点に太陽があることを見抜いた。天才だ。軌道が円ではなく楕円だってことなら私も気づけたかもしれない。月は目視でそれとわかるぐらい大きさが変わる。それはきっと軌道が真円ではなく楕円だからだろう。その先は運がよくても、月の楕円軌道の中心は地球で、地球も太陽中心に楕円軌道で公転してるんだろう、ぐらいで終わったはずだ。凡才だから。

傾いたマンホールの蓋的な楕円軌道というのと一つの焦点が太陽だっていうのは意味が違う。隠れた力の存在を予見させるから科学的偉大さもレベチだ。ケプラーは太陽焦点を見抜いてかの有名な3法則を導き出した。やがて、ニュートンの登場によって太陽焦点の力学的意味が明らかになる。太陽が焦点にあるってことがわかっていれば運動や力の式が正しく立てられる。


2023.12.26(火)晴れ デザイン的な楕円

このところ食卓にも紙を広げ作図をしたり、あーでもなこーでもないと計算なんかをやってる。対象が楕円だと知って、アニメやデザインをやってる娘が「楕円は難しい。プロにはプロの描き方がある。いっちょ書いてみろ」と言ってきた。

本来の作図は2本のピンと糸を使うんだが、フリーハンドではこうだと一個描いてみた。「なるほどよく描けている。次はそれにパースをつけて描け」と上から目線で言われた。

私は何十何百とマンホールの蓋を見ている男である。プロの楕円っていうのはきっとパースをとるときに手前をふくらませ後ろのほうを縮めるのだ。その案配が難しいのだろうと想像して、かなり強調した感じで描いてみた。しょっちゅう見ているマンホールとはちがっているが、ひとまずどうだとばかりに娘に見せた。

それは間違いだと娘は言う。楕円は特殊で、プロはパースをつけた空間にある楕円もあえて通常通りに描くのだそうだ。それは日常感覚としては正しいけれど、デザインならパースを強調したほうが本物っぽいんじゃないか尋ねると、「ゆがんだ楕円を描くようだとアニメーターの試験で落とされて雇ってもらえない」といって、いろいろな静止画、動画の作例を見せてくれた。たしかにそこに描かれている楕円はゆがんでいない。普通の楕円ばかりだった。

楕円

この図のA番はかなり強いパースを楕円にもかけている。しかし楕円自体はまったくゆがまず普通の楕円に見える。中心を通る横線は本来一番長い直径のはずだが、手前のほうが膨らんで横に長く見える。ただそれでも楕円がひずんでる感じはしない。

たしかにこれなら通常の楕円をパースのある空間に放り込むのが理にかなう。

いったいぜんたいこれはどういうわけだろう。もしや楕円という図形の属性なのだろうか。

楕円

楕円だってパースをつければゆがむはずだ。左図B番のように、思いっきりパースをとって空間を三角形にまでゆがめれば、楕円もゆがんでいることに気づく。

この方法は中学校の数学で習った。三角形の角の和は180°の感覚的な証明だ。三角形を頂点が直線になるまでつぶせば、直線の角は180°だから三角形の内角の和は180°。三角形を横からつぶせば下の方の2つの角は90°、頂点はつぶれて0°だから内角の和は180°。

数学特有のだまくらかしのような気がしないでもない。ただやはりパースのついた空間に放り込めば楕円もひずむのだ。しかしそれが本当とはいえ作画ではあえて歪ませないほうが本当らしく見える。この図では奥にある図形の意味が不明だ。天地反対に展示されていたモネの睡蓮みたいに横に平たい普通の楕円にしないと、遠くにある“円”の表現にはならない。

人間の知覚は直線や直角にはかなり厳しい。直線の垂直、水平はちょっとずれても不愉快だ。直線のゆがみはちょっとだけでも気づいてしまう。その一方で楕円のような曲線にはおおらかなんだろうと思う。そう考えて楕円がますます好きになる。


2023.12.27(水)晴れ 冬の境川

境川のサギ

10段から9段にダウングレードしたウィリエールで多摩川に向かう。まずは境川を北上だ。町田駅の手前あたりでコサギが集まってなにやら騒がしい。

自転車を止めて見ていると、コサギだけでなくカワウも2頭いることがわかった。カワウが潜水して魚を追っているようだ。河床から巻き上がった泥で水が濁っている。

コサギは頻繁に水中にくちばしを刺し、高確率で小魚を捕まえている。くちばしの間に激しく揺れる銀色の魚体が見える。ここはよい稼ぎ場になっているようだ。なんだなんだとばかりに鯉も寄ってきた。カワウが河床を撹拌しても鯉の餌になるようなものはないだろうに。

冬場になると魚の活動が不活発になる。サギとしても獲物を見つけにくくなっているのだろう。サギたちの稼ぎ場は限られているようで、河川をサイクリングしているとサギの集団が目につくようになった。境川でも中津川でも相模川でも多摩川でもそんな場所がある。堰堤は冬でも魚が捕りやすいのだろう。

境川は意外にも魚類の生息に配慮している川で堰堤の下に人工の凸凹を設けていることが多い。それだけでなくヨシなどが生えるように泥場まで造っている。

境川のサギ

屋根にサギたちが休んでいるこの家屋は境川の堰堤の脇にある。

魚がいればサギも集まる。サギが集まれば屋根で休むだろう。この家の人には迷惑かもしれないが、ちょっとうらやましい気がした。

多摩川に向け境川を離れて尾根緑道に入る。落ち葉の溜まっている道だ。すでにフユシャクを見つけることはあきらめているけれど、林の中を行けば気持ちが騒ぐ。そよ風に吹かれて落ち葉がぱらぱらと舞い転がると、そのつど1秒間だけ落ち葉に全集中してしまう。


2023.12.28(木)晴れ 自転車のダウングレード

ウィリエール

ウィリエールをダウングレードした。リアを10段から9段だ。9段のスプロケットはたくさん持っており、それらを死蔵するのがはもったいないという貧乏根性からだ。

今回のダウングレードのキーパーツはサンツアーのシュパーブプロだ。30年ほど前に買った7段用のリアディレーラー。こいつならシマノの9段変速機で8段のギアが使えた。ならば10段変速機で9段もいけるだろうと踏んでいた。ただそれをするのもばからしくてしばらくやらずにいた。

やってみると完璧に動作することがわかった。まるでシュパーブプロはこのセットのために設計されたんじゃないかと思えるほどだ。


 ・リアディレーラー    シュパーブプロ 7段
 ・シフト         シマノ105 10段
 ・カセットスプロケット  デュラエース 9段 12ー23T
 ・フロントディレーラー  デュラエース 
 ・フロントチェーンリング 42・38・24T

9段にダウングレードしたとはいえ、フロントトリプルだから、3×9=27段である。そんじょそこらの最新12段よりも守備力は高い。

ちなみにチェーンは知らないメーカーの激安品を当てている。10段にしては厚みがあって重い。ただその厚みが9段用のフロント、リアのギアに合っているように思う。

アマゾンでポチッたチェーンだが、評価には切れたとか使えないとか散々なコメントがある。自転車の部品には超高価なものだって設計思想に疑問符がつくものや笑っちゃうぐらいもろいものが散見される。新進の中国メーカーは攻めた物を出してくる。むろんひどい物も多いけれど、改良は素早い。よさげなのはひとまず使ってみればよいと思っている。


2023.12.30(土)晴れ 桜から生える竹

竹

目久尻川沿いの住宅地に桜から生える竹があった。桜の幹の3mばかりのところに竹の幹があり枝葉を茂らせている。桜の樹洞からでているものだ。

初見では桜を貫通しているわけではないと思った。桜もまだまだ元気そうだし竹が出ているところがかなり高いから。しかし貫通しているわけでないとすると、樹胴に溜まった泥から芽吹いたことになる。それは自然状態ではありそうもない。竹はめったやたらと種を飛ばしたりしないから。人がやったとしても手が込みすぎている。わざわざ桜の樹胴に竹の地下茎を埋め込んで「木に竹を接ぐ」とうそぶく者はいないだろう。やはり竹が桜を貫通しているはずだと考え直して、自転車を引き返し、もっとよく見ることにした。

竹

うまいことに、この桜には覗ける所にもう一つ洞があり、そこからも竹が伸びていた。太い方は切られてる。じゃまになったのだろう。細い竹も2本ばかりみえる。この桜の回りは竹林でもある。ただその竹もじゃまらしく手当たり次第な感じで切られている。

どうやら地下茎から芽吹いたタケノコが桜の中をぐんぐん伸びてめでたく日の当たる所に到達したようだ。タケノコってそうやって3mも伸びるのだろうか。それとも桜の中を地下茎が這っているのだろうか。この桜の中を見たくなった。


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